SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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主人公(白)VS騎士アルトリウス、開戦。




Episode16-29 聖剣

 やはり怪しい。≪気配遮断≫を発動させ、大聖堂の各所に設置された隠蔽妨害用トラップを通り抜けながら、ユウキは神灰教会の深部を目指していた。

 初日では無害を装って『女性プレイヤーの今を考える会』に潜入したユウキであるが、あくまで目的は神灰教会の内情を探る事である。

 情報収集も抜かりはなく、それとなく聞き込みを行い、修道会・教会を守る剣・工房の3つの組織によって神灰教会が運営されている事も把握している。そして、それらの組織から選抜された1部のプレイヤーによって実質的な教会の支配が行われている。

 だが、組織的構造にユウキは興味など無い。持ち帰った情報でマクスウェルにでも分析してもらった方が効率は良いからだ。何も急いで教会の全てを丸裸にする必要はないのである。

 では、ユウキにとって何が1番気になったのかと言えば、大聖堂そのものである。

 終わりつつある街でも廃棄された大聖堂を改修しているのであるが、大掛かりな増築・改築も行われており、それらには大ギルドの資本も多大に投入されている。そこにある政治的な意図を探る気はないが、ユウキは大聖堂があまりにも複雑な構造をしていることに気付いた。

 

(増築は元々あった大聖堂を隠すため。それを中心に取り囲むように増築と改築で迷路のように構造をわざと複雑化させている。きっと、神灰教会が本当に隠したいものは、終わりつつある街にあった最初の大聖堂。ここに秘密があるんだろうね)

 

 神灰教会が発足した最初の大聖堂には、彼らが宗教として確立するに至った1つの起源がある。恐らく、ボスは言葉にせずともそれを察した。それが今回の潜入任務の端となっているだろうとユウキは予想する。

 だが、問題なのは当然ながら深部に至るのは一筋縄ではいかないという事だ。今回の潜入はあくまで下見であり、ボスの予想の裏付けになるヒントでも持ち帰る事ができれば任務完了である。明日のミサにも参加予定であり、その時は聖壇の大広間に警備が集中するので、他が比較的薄くなるので潜入にも都合は良いかもしれない。

 いや、そんな事はどうでも良い。明日のミサが終わればレグライドから任された仕事の期限も終わりだ。そうなれば、何ら迷いなくクゥリを追いかけることができる。

 

(ああ、もう! こんな事なら最初から追いかけておけば良かった!)

 

 胸騒ぎが止まらない。朝起きた時から不自然なまでに不安が背中を撫で、胸の内でしこりとなって重くなっている。最初はシャルルの森でのリミッター解除の反動が抜けきっていないのかとも思ったが、どうにも何かおかしい。

 まるで嵐の中に取り残された小舟を見つけたかのように、隙間風で今にも消えそうな蝋燭の火を見たように、不安が拭い去れないのだ。

 まだシャルルの森の1件から1ヶ月と経っていないのだ。無理と無茶と無謀の代名詞と自称するクゥリであるが、10日間も眠り続けた後ともなれば自分のコンディションを考慮してある程度の自重をしてくれるだろうとユウキは信じている。

 

(そんな訳ないよね。クーのことだから絶対に無茶するよね)

 

 即座の前言撤回でユウキは、ならばこの不安は今この瞬間にクゥリが苦境にあるからではないかと考えるが、自分がそれを思えば真実になってしまいそうな気がして頭の隅に押し込める。

 

『グリムロックの奥さんを探しにナグナに向かってる。最前線のダンジョンだ。色々言いたい事もあるだろうが、愚痴は帰ってから聞く』

 

 それはクゥリから送られてきた最後のメールの文面である。簡素で簡潔に目的地と目的が記載されている。ナグナについてはユウキも軽く調べた程度であるが、何処の大ギルドもまだ手を付けていない未開のダンジョン……それも高難度が予想されるイベントダンジョンという話だ。

 幾ら高難度イベントダンジョンでも、クゥリならば切り抜けられるだろうが、レベル不相応であり、戦闘経験も少ないグリムロックを伴って何処まで問題なく奥地まで潜り込めるかには疑問も残る。

 

「だけど、ボクが付いて行ったら……やっぱり迷惑だったかな?」

 

 紅の絨毯が敷かれた廊下を歩み、鍵のかかったドアを前にして回り道をしながらユウキは独り言を漏らす。無駄に道を封鎖するドアが多いのは明らかに侵入者対策である。≪ピッキング≫があれば開錠も可能かもしれないが、こう数が多くては正確なルートを把握していなければ奥地にはすんなりと進めないだろう。

 頼まれてもいないのに追い回していたらストーカーのようではないか。そんなブレーキが今もユウキにかかっている。シーラはヤンデレ上等といった具合で自らの愛を貫き、その行動がどれほど異常でも素知らぬ顔で受け流せるようだが、残念ながらユウキはそこまで図太くなく、またようやく自覚した恋心を大事にしたい。

 

(あの時、やっぱりボクを選んでほしかったなぁ)

 

 結果的に言えば、クゥリがシャルルの森のボスに挑んだ事は終わりつつある街で暮らす大多数の人々の命を『救った』事になる。だが、きっとクゥリはそんな自覚はないだろうし、仮に指摘しても自嘲して『竜の神に挑んだ連中が救った。それ以上もそれ以下もないさ』といった返答をするのだろう。そして、事実として周知される真実はその通りだ。

 だったら、クゥリが戦った意味は何処にあったというのか? 眠り続けた間に、ユウキは何度も何度もクゥリの心臓が弱々しくなっていくのを、止まりかけるのを、死に踏み入りそうになる静寂を感じ取った。

 自分が嫌になる。ユウキを選んでシャルルの森を脱出するということは、終わりつつある街が壊滅して多大な犠牲が生まれていたという事だ。それを望める程にユウキは壊れていない。

 

(うん、絶対に勝つ。【黒の剣士】を倒す)

 

 だから打倒【黒の剣士】への情熱にユウキは胸中の悪感情……いわゆる嫉妬を注ぎ込む事にした。頭では分かっているのだ。クゥリが唯一無二と言っても過言ではない程に信頼を置き、なおかつ絶対視しているのは『相棒』だけだ。その絆にユウキが割り込めるはずがない。

 それでも『欲しい』。【黒の剣士】の話をする時のクゥリの目は、とても優しく、穏やかで、まるでひと時の夢の時間を思い出すような郷愁にも似た光を宿している。同じように見て欲しいとは思わないが、クゥリにとっての特別になりたい。

 

「分かってるよ。クーにとって、ボクはきっと……約束の人。それ以上のことはないんだ」

 

 シャルルの森で目覚めた時に聞くことができた殺意の告白。そこに特別な感情を見出したいが、そこまでユウキは傲慢にはなれない。

 それでも1番大切なものを預かっている。左手首に巻き付けた不死鳥の紐に聖夜の約束を重ねて、ユウキは小さく微笑んだ。この約束がある限り、ユウキが『クゥリ』の本当の姿を忘れないでいる限り、彼との繋がりは続く。今はそれ以上を求めるべきではない。

 きっと無茶をする。それでも、クゥリならば帰ってくる。だったら、自分は怒ってないことをしっかり伝えよう。だからこそ、明日のミサが終わったら迎えに行くのだ。ナグナまで追いかけずとも、ボロボロになった彼を出口で待ってあげるのだ。

 

『血を飲ませなさい。それが古今東西、相手の心をつかみ取る魔法です! 相手に自分の1部が入り込む。これ程に愛を深く伝える手段はありません!』

 

『師匠の言う通りです!』

 

 うん、キミ達は立派なヤンデレとヤンデレ予備軍だから黙ってようね? 昨晩のガールズトークの中で突拍子もなく飛び出した力説に、もはやヤンデレは都市伝説などではなく現実にある脅威なのだと認識したユウキは回想にツッコミを入れておくことにした。

 そもそも、いくら仮想世界とはいえ、自分の血を飲ませるなど正気の沙汰ではない。もちろん、血という生命の象徴を意中の相手に飲ませるという愛情表現は『ユウキも理解はできる』が、それを実行したいかどうかは別である。

 

「しかし、エドガー神父はまだ戻られないのか? ミサは明日だぞ?」

 

「神父を信じろ。大火を以って神を迎える為にも、聖杯を抱く聖女は必要不可欠だ」

 

「その聖女って誰なんだよ?」

 

「……知らん。だが、神父に天啓を授けてくれた程のお方だ。さぞかし美しく神々しいのだろうな」

 

 まずい! ユウキは廊下の角から聞こえてきた声を耳にして我に返り、自分がボーっと考え事をして移動することもなく鍵がかかったドアの前で突っ立っていた事に気づく。

 

(か、隠れないと! 窓は……駄目か! 割って外に? 論外だよ! 侵入がバレて捕まったらチェーングレイヴの皆に迷惑が……!)

 

 慌てたユウキは咄嗟に、1番近くにある両開きの扉で閉められた部屋に入り込む。どうやら、聖堂内に多くある祈りの間の1つのようであるが、とにかく音を立てないようにしつつも素早く潜り込んだユウキは呼吸を止める。息を止めるという行為には隠蔽ボーナスを引き上げるという迷信がDBOにはあるが、裏ステータスが多いので存外馬鹿にならない迷信なのである。事実としてモンスターに追跡された際に息を殺して隠れていたら無事にやり過ごせたという例が複数確認されているのだ。もちろん、統計を取れるような数ではないが、それでも多くのプレイヤーはそうした迷信に縋ってでも生き残ろうとする。

 足音が近づいてくる。ユウキは鼓動が早くなる心臓を抑え込むように両手で口と鼻を押さえながら、耳だけは声を拾おうと澄ませる。

 

「そういえば、例の事件の捜査は進展しているのか? ミサまでに捕らえておきたいんだが」

 

「こうなるから聖杯の儀は隠匿されるべきなんだ。神父が申された通り、弱き人々は過ぎた力に手を出して自滅するばかりだ。そもそも聖杯の儀を教えたのは誰だ?」

 

「さぁな。この騒ぎになって名乗り出られないのか、元よりその気が無かったのか。どちらにしても迷惑なことだ。『発狂』されれば、並大抵のプレイヤーでは手が出せんだろうな」

 

「だが、何にしても教会を守る剣が躍進する名目が立てられたな。これから忙しくなるぞ」

 

 物騒な会話をしているものだ。それに不用心。ユウキは良い情報を聞いたと口元を歪める。怪我の功名とまでは言い難いが、どうやら自陣地という事もあって口が緩くなっている者も多いようだ。

 聖杯の儀とは何なのか分からないが、どうやら物騒な代物である事は間違いないらしい。それが教会の深部と関わりがあるのかは定かではないが、有益な情報になりそうである。

 

 

「盗み聞きとは、淑女として恥ずべき事だな」

 

 

 と、そこでユウキは呆れ切った声で話しかけられ、咄嗟に腰の片手剣を抜こうとして、今は神灰教会の修道女のローブ姿であり、非武装状態である事を思い出して慌てる。

 振り返れば、祈りの間の聖壇を守るように、全身に暗銀色の甲冑を身に着けた騎士が腕を組んでいた。背中には巨槌と盾を背負っており、その姿は勇ましい騎士なのであるが、兜が特徴的というべきか、イカに似ているせいで否応なく視線がそちらに集まってしまう。

 甲冑姿ということは教会を守る剣!? 動揺したユウキはホールドアップする。

 

「ぼ、ボクは怪しい者ではありません! 道に……そう! 道に迷っただけです!」

 

「もう少しマシな言い訳は思いつかないのかな? 安心したまえ。手心を加えて突き出してやる。せいぜい牢に放り込まれるくらいだ。殺されはせんだろう」

 

 ですよねー。ユウキも自分で言って情けなくなるくらいに、もはや自分は怪しい者ですと自白しているような言い訳に泣きたくなる。

 金属音を鳴らし、こちらに迫ってくる暗銀の騎士に、ユウキは冷や汗を垂らす。このままドアを開け放って逃走しても良いが、顔を見られている上に、下手に大声を出されて人を呼ばれてはアウトだ。だからといって騎士を打倒して強行突破するにしても無理がある。

 何よりも、この暗銀の騎士は強い。落ち着いた声音であるが、溢れ出る闘争心は並大抵の物ではない。武器も装備しておらず、格好も修道女姿の今のユウキでは何処まで対抗できるかも分からない。

 

 

 

 

「ガル、暴力はいけませんよ」

 

 

 

 状況を打破する手段が見つからない窮鼠となったユウキを救ったのは、暗銀の騎士の背後、ステンドグラスから注がれる色彩溢れた光の中で聖壇の前に跪いて祈りを捧げている、修道女の……いや、より質の高い金糸が縫い込まれた白のローブを着た女性だった。

 立ち上がり、振り返った女性を見てユウキがイメージしたのは聖女、あるいは聖母である。揺れる金髪と穏やかな微笑、そして慈悲に溢れたまなざし。いずれも人間離れしている。

 

(少し、クーに似てる、かな?)

 

 顔立ちではなく雰囲気が少しだけ似ている気がする。クゥリもたまにであるが、あんな風な雰囲気を纏う時がある。特に聖夜で歌っていた時のクゥリに近い気がした。

 

「しかし、アストラエア様」

 

「彼女は何か隠し事がある。ですが、それは暴かれるべき罪でもないでしょう。灰色は黒ではありません」

 

「……畏まりました」

 

 暗銀の騎士は膝を折り、アストラエアと呼んだ女性に頭を垂らす。その光景だけで彼らの関係が一目瞭然だった。

 

「助けてくれるの?」

 

「助けるも何も、あなたは悪人ではありません。違いますか?」

 

「……そうでもないよ」

 

 犯罪ギルドに属している時点で、ユウキは悪として断じられるべき存在だ。裏を牛耳り、ヴェニデと組んで他の犯罪ギルドを統率する存在となっているチェーングレイヴであるが、客観的に見れば間違いなく悪党である。ならば、ユウキもまた悪人のはずだ。

 だが、アストラエアは微笑みを崩さずにユウキを手招きする。それは聖壇の前に誘っているようであり、ステンドグラスから差し込む光の方へと呼んでいるようだった。

 

「ここは祈りの間。告罪は求められません。あなたが悪人だろうと善人だろうと、祈りを必要とするならば等しく受け入れられるべき場所です」

 

「祈る神様なんていないよ」

 

「ですが、何か悩みがあるようですね。よろしければ、少しお話をしませんか? 人の悩みを聞くのも私の『職務』ですので」

 

 まるで本物の聖職者のようだ。暗銀の騎士は何やら物言いたげのようであるが、渋々といった様子で聖壇前の左右に3脚ずつ並べられた長椅子の右最前列に腰かけたアストラエアの隣にユウキが座る事を許す。

 

「兄に誘われて訪れたのですが、この聖堂は素晴らしいですね」

 

「奇麗だとは思うよ。でも、どれだけ奇麗な場所で祈っても神様は聞き届けてくれない。くれるはずがない」

 

 どれだけ祈っても、神は救いをもたらさなかった。スリーピングナイツの皆に慈悲の1つも与えなかった。

 神様はいるのかもしれない。だが、決して人間を救わない。いつだって人間を救うのは人間自身であり、世界を変えるのは人間の意思だ。それがユウキの持論である。

 

「神様が嫌いですか?」

 

「嫌いじゃないけど、縋るべき相手じゃないとは思うよ。だから、ボクは神様になんて祈らない」

 

 もしも神様がいて、人間の祈りをしっかりと聞き届けてくれるならば、世界は悲劇に満ちていないはずだ。ユウキは姉の最期を思い出し、強く拳を握る。

 生きたい。死にたくない。生きたい。死にたくない。ひたすらに繰り返されるのは神への祈りと呪い。

 自分だけが生き延びた。姉を、スリーピングナイツの末路を思い浮かべながら、ユウキは目元を厳しくする。きっと自分も死ぬはずだった。だが、最後に神様を否定した。神様の間違いを見つけた。そして、死を隣人として認め、自分を残して逝った者たちの為の墓標を……彼らが生きた証を残す為の戦いが許された。

 

「そうですね。否定できない真実です」

 

「え?」

 

 意外にもあっさりとアストラエアに肯定され、ユウキは意表を突かれる。てっきり神様を信じるべきと力説されるものだと思っていただけに、この反応は予想外だった。

 

「きっとあなたが言っている神様は、皆を見守ってくれる全知全能のような存在なのでしょうね。ですが、そんな神はいません。そもそも、神様に祈る時にどんな神様に祈るのか、イメージしていますか?」

 

 言われてみれば確かに、ユウキは漠然と神様という存在をイメージしていたが、そもそも宗教において聖地や聖堂といったものは、神様のイメージ作りの意味合いも持つ。だが、それでも人々が思い描く神は常に漠然としたものであり、明確な形はないはずだ。あるとするならば、それはいわゆる多神教……日本でいえば八百万の神々なのだろう。

 

「つまりイメージしていないのは、宛先を書いてないハガキを出すようなものってこと?」

 

「どんな神様に祈るのか明確にしても、きっと多くの神様は聞こうとはしませんし、力も貸してくれないでしょう。では、そもそも祈りとはなんでしょうか?」

 

 その答えをすでにユウキは持っている。それを見透かすようなアストラエアの瞳が射貫く。言葉に詰まったユウキは、クゥリが自由に生きてほしいという祈りを思い出す。

 願いではなく、祈り。それは似て非なるものだ。きっと、多くの人が神に求めるのは願いだ。だが、神に捧げるべきは祈りであらねばならない。そして、祈りは聞き届けられるものではなく、祈るという行為自体に意味がある。

 

「……それでも、神様は間違えているよ」

 

 確かに願いだったのかもしれない。祈りではなかったのかもしれない。だが、神様に聞いてほしかった。叶えて欲しかった。姉が、皆が、何か悪いことをしただろうか? 何もしていない。ただ、少しでも、あともう少しでも生きたいと望んでいただけだ。なのになぜ、病に蝕まれ、淡々と刻まれる命の残量を知らせる時計の音に怯え続けねばならなかったのだ?

 ああ、理不尽だ。神様ではなく、こんな気持ちを抱くユウキこそが理不尽の塊だ。神様からすれば、数十億人いる人間が毎日のように大小様々な願いを告げているのに、その中の1つを取り上げて叶える義理が何処にあるだろうか?

 ユウキの手を引いて立ち上がらせたアストラエアは聖壇の前に導いていく。ステンドグラスに差し込む陽光により、床には神灰教会のシンボルが浮かび上がっていた。聖壇には銀色の杯が飾られ、半透明の油が注がれている。

 

「祈りと願いは同居します。だからこそ、祈りの意味を見失ってはいけません。祈りは導きに過ぎません。自分の心を、あるいは誰かを導く月明かりのようなものです」

 

「そんなもの……なのかなぁ」

 

「そんなものですよ。私には分かります。あなたの『慈愛』は必ず届く。願いではなく、祈りである限り。人の祈りは無力ですが、祈りは決して無意味ではないのですから」

 

 自然とユウキは聖壇の前に跪いていた。

 いつ以来だろうか? 小さい頃に教会を訪れた頃には、神様に祈る意味をちゃんと理解していた気がする。だが、いつの間にか祈りの中にある願いが大きくなってしまっていた。

 神様は間違えている。その『答え』は今も変わらない。それでも、ユウキが聖壇の前で祈るのは1人の愛する者の為だ。

 

「祈りなさい。『答え』の為に」

 

 アストラエアの言葉のままに、ユウキは瞑想して自らの祈りを探した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 凄まじい重さが深淵殺しとぶつかり合った聖剣より伝わり、オレの体はアルトリウスが振るい抜いた大剣によって弾き飛ばされる。

 何たる剣圧。何たる威力。何たる闘志! 衝撃を受けて痛みを吐き出す左腕よりも、オレはアルトリウスが本気で振る抜いた刃に込められた戦意の厚さに驚嘆する。

 手抜きなどしない。全力で戦う。たとえ、獣を脱して正気と騎士の誇りを取り戻そうとも、武人として恥ずべき真似をする気は毛頭ない。シャルルと同じ、正々堂々と今ある全てをぶつけてくる気だ。

 深淵殺しに破損はない。アルトリウスは深淵の魔物に比べれば小型であり、また大剣もアルトリウスの姿に合わせてか小さくなっている。単発力は下がっているようにも思えるが、青い光を湛える銀の刀身はむしろ威圧感を増している。

 アルトリウスは右手しか使えぬ身でありながら、水面を割るようにして突進突きを繰り出す。その豪速はまるで自身が槍になったようであり、真っ直ぐにオレへと向かう。それを咄嗟にサイドステップで躱すも、突如として突進突きは薙ぎ払いに変質する。寸前で身を捩じって回避する。

 受け止めてばかりでは勝てない。斬撃の合間を縫って深淵殺しを振るうも、どうしてもアルトリウスを捉えるには斬撃速度が遅過ぎる。

 それでも死神の槍ではなく深淵殺しを選択した理由は2つだ。1つはアルトリウスを相手にするならば少しでも身軽にならねば『殺される』という本能の警告があったからであり、もう1つは死神の槍よりも深淵殺しの方が分はあるからだ。

 オレはまだ新生死神の槍を使いこなせていない。いや、そもそもランスという武器自体に未熟だ。それに使いこなしきれていないギミック変形は逆に隙となるだろう。深淵の魔物の時点で生半可なギミック変形はほぼ対応され尽くされていたのだ。正気を取り戻したアルトリウスにはまず通じないと見た方が良い。 

 ならば求められるのは火力と安定したリーチだ。一撃の高さとここぞというチェーンモードによる大ダメージ、武器の強度を活かしたぶつかり合いと緊急時のガードにも使える上に、使い慣れた両手剣ならば、まだ勝機はある。

 袈裟斬りからの切り返し、そのまま踏み込んでの突きと派生する薙ぎ払い。アルトリウスの剣技は流麗であり、また豪快だ。一切の淀みなく繰り出される連撃は深淵の魔物の頃のような暴力的な嵐ではない。1つ1つが彼の踏みしめた戦いの礎であり、それ故にカウンターを狙う隙もなく、仮にあっても誘いだったかのように反撃してくる。

 水を跳び散らしながら、オレとアルトリウスは並んで駆ける。その間にも縦横無尽に繰り出される斬撃を避け、受け流し、最悪の場合は防ぐ。そして、攻撃後の僅かな隙間を狙って、全身を独楽のように回してアルトリウスの腹を薙ぐ。

 重量級両手剣の一撃だ。深淵の魔物の頃ならばまだしも、人型になったアルトリウスには効果もあるはず。だが、オレの甘い予想を超えてアルトリウスは自身の腹を斬られたことなど意に介さずに水面を裂きながら強烈な斬り上げを繰り出す。寸前で深淵殺しの分厚い刀身を盾にするも、衝撃が突き抜けて押し飛ばされ、また足が宙に浮く。そこに続く振り下ろしを何とか刃で滑らせて受け流すも、僅かにだが深淵殺しよりポリゴンの欠片が散り、また小さな亀裂が入る。

 何たる重さ! 何たる速さ! 深淵殺しでなければ最初の斬り上げの時点で刀身ごとオレの体は切断されていたのではないだろうかと思うほどに、全身が痺れるほどの衝撃が動きを鈍らせる。そこに光の鎖で拘束された左腕を慣性のままに振るってオレの頭を殴ろうとするも、アルトリウスの巨体に救われてか、心臓の収縮と同時に意図せぬバランスの崩壊によって足を折り、不意の一撃を奇跡的に躱す。

 やはり重量級とはいえ、両手剣の一撃程度では怯まないか。だが、アルトリウスはこちらの攻撃を避けずに、むしろ反撃をしてきた。それこそがアルトリウスの戦い方だ。心臓にもう少しだけ頑張るように頼み込み、奥歯を噛んで足に力を取り戻させながら、アルトリウスのバトルスタイルの真髄ともいうべきものを垣間見る。

 回避もする。ガードもする。だが、ここぞという時は我が身が傷つこうとも斬り込む。それがアルトリウスだ。これだけを聞けばゴリ押しのように聞こえるが、まるで違う。いうなれば、こちらを『斬れる』という確信があれば、躊躇なく、腕がもげようとも、腹を断たれようとも、それこそ首がもげようとも必ず『斬る』。

 今はまだアルトリウスも手探りで『戦いなれていない相手』への調整に努めているようだが、こちらが決定的な隙を見せれば、ガードもカウンターも意に介さぬ必殺の攻撃で以って死へと沈めてくる。

 たった1つのミスも許されぬ戦い。ぞくぞくする。ヤツメ様の笑い声が聞こえる。戦略的撤退を捨てるならば、果て無き闘争を! 相手を殺して勝ち取る生存を! 自らの死すらも咀嚼する甘美なる戦いがそこにあるならば、ヤツメ様の導きは、張られた蜘蛛の巣は、よりアルトリウスの動きを喰らう!

 スタミナは危険域だ。長くは戦えないが、第3形態……いや、本当の姿を取り戻したアルトリウスは、単発火力と防御力が魔物の頃よりも劣っているように思える。事実として、アルトリウスは深淵の魔物よりも小柄であり、また左腕の爪の連撃も無いので、攻撃の癖はない。

 だが、深淵の魔物の頃よりもはるかに強い。スタンダードな強さ。武の頂きにある強さ。シャルルと同じ強さがアルトリウスには備わっている!

 勝てるか? オレの本能は、八ツ目神楽を舞う為により深くヤツメ様と結びついた状態でシャルルに敗れている。シャルルと同じ場所、あるいは更なる高みにあるだろうアルトリウスに何処まで通じる?

 アルトリウスが2連撃の薙ぎ払いと共に後退する。ここで喰らい付いては駄目だ。ヤツメ様の導きのままに即座に追わずに1テンポ遅れさせる。鼻先をアルトリウスの豪速の振り下ろしが掠める。あのまま1歩でも更に踏み込んでいては脳天から叩き割られていただろう。

 深淵の魔物の頃に使われていた剣技はより深みを増して変幻自在となっている。いや、こちらが本来のアルトリウスの剣技か。深淵の魔物が使っていたものなど、所詮は彼の残り香のようなものだ。

 

「今のを躱すとは見事! その動き、キアランを思い出すぞ! だが、意識の暗がりから忍び寄る影の如き彼女の太刀筋とは比べるまでもなく劣る!」

 

「人を勝手に誰かと重ねるんじゃねーよ!」

 

「そう言うな! 私とて、よもや今際にこのような心躍る戦いができようとは思いもよらなかった! さぁ、見せてくれ、少年! 人間とは何なのか!? 闇より生まれた人間だからこそ到達できる極みを! 私とシフに教えてくれ!」

 

 コイツ……何なんだ!? てっきり騎士然とした紳士かと思えば、溢れんばかりの激情はまるで血に飢えた獣のようだ。いや、むしろ深淵の魔物の頃よりも煮え滾り、周囲を焼き焦がすほどの闘争心を振りまいている。

 そうだ。この手の類は知っている。自らの命を対価にして情け容赦ない死闘を望む者! 戦いの中でこそ幸福を見出そうとする者! 俗に言う戦闘狂、バトルジャンキーだ!

 そう……オレと同類のようで似て非なる存在。オレにとって戦いより生まれる『殺し』にこそ価値を見出しているならば、コイツは『戦い』そのものが生き甲斐なのだ。そうした常軌を逸した精神の持ち主! 武人の誇り以前に戦いを渇望せずにはいられない破滅的な性! それこそがアルトリウスの正体か!

 ならば騎士としての死に場所を求めるアルトリウスの真意は? その僅かな疑念がオレの首筋をアルトリウスの殺意が撫でる。ヤツメ様が襟を引っ張ってくれていなければ、2段踏み込みで突きのリーチを無理矢理伸ばしたアルトリウスの剣によってオレの首は分厚い刃で断ち切られていただろう。

 

「迷いは死に繋がるぞ! かつての私と同じように、君を闇へと引きずり込む!」

 

 アルトリウスが不意に後退し、右手の大剣を引き絞るように構えて薙ぐ。その直前に青の輝きが深まり、全身を突き刺す殺意が、ヤツメ様が叫んで警告するほどの死のニオイが充満する!

 飛ぶ。『斬撃』が飛んだ。青い光の刃……光波となってアルトリウスの斬撃が飛来する! だが、速度自体は回避不能クラスではない! 斬撃の軌道を読めば、光波の回避自体の難度は決して高くない。

 そう、『単発』ならば。アルトリウスは当然のように十字を描くように2撃目の光波を放ち、更に振り上げると一際巨大な光波を撃ち出す! 魔法属性か? それとも光属性か? どちらにしても一撃でもつかまれば怯み、続く連撃の光波よって死ぬまで刻まれ続けるだろう!

 眩いばかりの光波を潜り抜けて接近しようとするが、光波に紛れてアルトリウスは右手の大剣を水面の下の地面に突き刺している。ヤツメ様が回避イメージとして割り込ませたのは【磔刑】だ。それを象徴するように、アルトリウスが聖剣を突き刺す場所から青い光の円陣が広がっている。

 炸裂した光。円陣に呑まれていた水は弾け飛び、重力に惹かれるように大粒の雨となって戻る。

 中距離で脅威を発揮する光波。接近した際には全方位に繰り出す光の円陣。近接では隙の少ない流麗・豪快の剣技。そして、いかなる攻撃も意に介さずに斬りかかる不屈の闘志。

 これがアルトリウス! その武勇は知ることができずとも、同じく雨を浴びる彼よりその歩んだ歴戦の重みを感じずにはいられない。きっと、DBOという歴史の中でも屈指の戦士なのだろう。

 

「今のは『魔物』の頃に見せなかった初見のはず。まったく、こんな屈辱はオーンスタイン以来だな。彼に騎士にならぬかと誘われた決闘を思い出すぞ」

 

 屈辱と言うにしては随分と晴れやかに昔話をするアルトリウスは、存外お喋り好きなのだろうか。それとも、もはや過去を振り返らねばならない程に『命』の限りが無いというのか。

 ああ、きっと後者だ。光の鎖を引き千切る勢いで異形の左腕が暴れている。ここでオレが彼を殺せずとも、彼はここで『終わり』なのだ。それは魔物に今度こそなり果てるのか、それとも自らの手で決着をつけるのか。どちらにしても、これが彼の最後の戦いだ。

 

「で、そのオーンスタインには負けたのか?」

 

「不本意ながら、引き分けだ。我が王の天覧試合。無粋な竜たちの横槍でお流れとなってしまった。だが、あのまま戦っていたならば私の勝ちだ。オーンスタイン……彼は誇り高過ぎる。『獣』の性を持たぬ、真性の武人。故に私には届かん」

 

「でも騎士になったんだな」

 

「ああ、その方が『楽しい』と思った。いつだって私はそうだった。友を作らず、仲間を求めず、ひたすらに戦いだけを求めて生きていた。この聖剣を見出した時よりずっと……ずっと。古竜との戦いが終わり、ひと時の平和が訪れても私は戦いを欲した。故に深淵狩りとなったのだ。そうすれば、戦い続けることができるのだからな」

 

 言葉を重ねることに意味はないのだろう。それでも語らずにはいられない。

 アルトリウスにとって、この戦いの意味は何処にあるか。彼の尽きぬ闘争心が答えとは到底思えない。

 これ以上を知りたければ超えてみろ。そう言うように、アルトリウスは疾走する。繰り出される連撃にも光波が紛れ込み、バックステップは事実上封じられたか! 剣の輝きに注意していれば光波の予兆を見逃すことはないが、それを軽々しく許すアルトリウスではない!

 深淵の魔物の頃に披露した跳び退き回転斬りを屈んで躱すも、宙にいる間にアルトリウスは特大の光波を穿つ。光波は巨大化すればするほどに飛来速度は下がっていくようだが、その分だけ威力は増し、また青の光は否応なく目を眩ませる。一瞬でも光波に全ての意識が傾けば、死神が切り取った刹那の隙にアルトリウスは必殺を叩き込んでくるはずだ。

 足りない。このままではアルトリウスに擦り潰される。巨大光波を避けて着地したアルトリウスを深淵殺しで突き、そこから遠心力を利用して回転斬りを繰り出すも、アルトリウスは片腕で逆にオレを斬撃ごと弾き飛ばす。くるりと宙で1回転してバランスを取り戻して着地する頃には光波の輝きを宿したアルトリウスの上段斬りが迫っている。

 まずい! 深淵殺しを掲げて受け止めるも、渾身の振り下ろしと同時に解放された光波が深淵殺しを砕く! 刀身が半ばまで割れ、貫通ダメージでオレのHPが1割ほど減少するが、それよりも深刻なのは今の一閃でチェーンモードが使用不可になった事だ。

 まだアルトリウスのHPは9割半も残っている。これまで積み重ねた攻撃はいずれもクリーンヒットには至っていない。なのに、切り札のチェーンモードさえ潰された。

 やはり死神の槍で【磔刑】か【瀉血】を狙うべきだったか。いや、それこそアルトリウスの思う壺か。ヤツには魔物の頃の戦闘経験がしっかりと蓄積されている。ならば、どちらも既に対策済みだろう。

 奇策はない。だが、『切り札』は残されている。あとはそれを有効活用できるか否か。その為に必要なのは、今の状態では駄目だ。もっと、もっともっともっと深くヤツメ様と繋がらないと。重ならないと駄目だ。

 

「揺れる揺れる揺れる……揺れるのは、誰?」

 

 痛みが導いていく。脳髄を突き刺す痛覚が呼び水となって、ヤツメ様の吐息を感じ取る。

 アルトリウスの後退しながらの2連斬り。今度は大丈夫。迷わず踏み込み、連撃に続く振り下ろし、そこからの薙ぎ払い、そして回り込もうとする者を狙う回転斬りを伏せて躱しながら逆手で左片手持ちした深淵殺しでアルトリウスの腹を今度こそ深く薙ぎ払う!

 飛び散る赤黒い……いや、青黒い光。どれだけ形を取り繕うとも、彼が『何か』によって蝕まれている身である……本来は戦えぬ満身創痍の身である証が大気を穢す。

 

「あなたの望みが尽きぬ戦いの終わりならば、踊りましょう」

 

 今度は間合いを離す為に退いたアルトリウスに右手を差し出す。

 それに呼応するように、アルトリウスは魔物の頃と同じ獣の頭部に潜む左目でオレ『達』を射抜いた。まるで、何かを問いかけるように。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 これがアルトリウス。これが『ダークブラッド計画』が生み出した奇跡の1つ。自分たちとは異なる出自でありながら、ブラックグリントやオルレアなどの戦闘用AIとも並ぶほどの領域に至ったAIの力。ナドラは原型を留めぬほどに破壊が続く地下空洞での死闘を見守りながら、ごくりと喉を鳴らす。

 確かに、これならば余計な手を加えるなど不要だ。魔物形態はセカンドマスターがある程度の設計関与を施したようであるが、アルトリウスはカーディナルに申請されたアルトリウスというAIに与えられた経験……すなわち彼自身が編み出した純粋な戦闘技術をそのままネームド仕様として登録されている。

 剣術と聖剣の能力によって死角はない。だが、それ以上に凶悪なのはアルトリウスには怯みやスタンといった、本来ならばボスやネームドであろうとも設定されているはずのパラメータが『存在しない』点である。これは『アルトリウスは強靭な意志によって怯まず、大剣を振るえばまさに無双だった』という『設定』にして『事実』をカーディナルが忠実に反映させた、彼だけに与えられた特殊性能だ。

 ソードスキルも、魔法も、ヘッドショットも、何もかもアルトリウスの攻撃を止めるには役立たない。間合いに入れば攻撃のプライオリティは常にアルトリウスに握られてしまう。故に攻撃手段は必然としてP10042がしているような、回避しながらのカウンター攻撃に限られる。

 あるいは、アルトリウスと正面から斬り合って攻撃頻度を大きく上回る……たとえば≪二刀流≫によるラッシュならば正面突破も可能だろう。だが、アルトリウスが怯まない以上はいずれアルトリウスの巨体通りの高いSTRによって無理矢理押し切られる。

 だからこそ最適解。だからこその狂技。アルトリウスの嵐のような攻撃を掻い潜りながら、P10042は着実にカウンター斬りを決めている。それを後押ししているのは、皮肉にも、今や連撃に耐え切れずに半ばで折れた深淵殺しだ。折れたことで重量が減り、攻撃力の大幅な低下とチェーンモードの使用不可と引き換えに攻撃速度が増した。

 いや、むしろ『折らせた』と言うべきだろう。どちらにしても常人の発想ではない。紙一重の回避を続けながら、ひたすらに斬り続ける。やっていることは深淵の魔物と同じであるが、小回りがより利くようになったアルトリウス相手に張り付き続けるのは狂人の沙汰だ。しかもいつ光波や円陣攻撃が繰り出されるか分からないのである。事実上の回避スペースは狭まり、また1手でも読み間違えれば即死だ。

 

「ふむ、これがデュナシャンドラの隠蔽していた深淵の魔物の最終形態、騎士アルトリウスか。確かに想像以上だ。だが、結果的にP10042にとって分のある戦いになったようだな」

 

「そのようですわね。ですが、アルトリウスもまだ『不慣れ』な相手に調整している最中です。戦いはこれからですよ」

 

 エレナとデュナシャンドラの評価は尤もだ。より凶悪な性能になったアルトリウスであるが、人型となった事でむしろP10042の先読みはより深くなっている。

 アルトリウスもまた何らセカンドマスターが手を加えていないが故に『対プレイヤー用オペレーション』の基礎すら組み込まれていない。竜や魔獣といった相手を主な敵とし、そうでなくとも同じ神族としか手合わせした経験が無いアルトリウスにとって、プレイヤーは……人間はどうしても経験が不足している『小型』の相手だ。それはアルトリウスの一見隙の無いように見える剣技にカウンターを差し込ませる隙間を作り出している。逆に言えば、近接戦においてそれくらいしかアルトリウスには弱点が無い。

 そして、その隙すらもアルトリウスは1秒ごとに修正を加えていき、徐々にではあるが、カウンターを差し込む隙間が無くなり始めている。加えてクリーンヒットもいまだに1回に限り、アルトリウスのHPは8割強もまだ残されている。あれ程のカウンターを重ねても全て浅く、いずれも回避行動が十分に間に合っている証拠だ。

 

(何よりも……アルトリウスは『独り』じゃない)

 

 聞こえる。アルトリウスのAIに寄り添うもう1つのAIの声。深淵の魔物の状態だったアルトリウスの傍に、常にあり続けた灰色の大狼シフだ。彼がアルトリウスに正気を取り戻させたのは『演出』かもしれないが、それをカーディナルが認可するに至ったのは紛れもない彼らの絆だ。

 故にアルトリウスは独りにあらず。常に『汚染』されているアルトリウスに軌道修正をもたらしているシフが、アルトリウスを支え続けている。

 対してP10042は『独り』だ。どれだけカウンターを重ねても、スタミナはもはや限界ギリギリである。このペースではどう足掻いてもアルトリウスのHPを削り切るより前にスタミナ切れだ。今までの戦闘情報からP10042はスタミナ切れの状態でも戦闘続行できるという異常状態を考慮すれば戦闘可能時間は伸びるだろうが、とてもではないが、まだまだ奥の手を隠しているアルトリウスには届かないだろう。

 孤独。孤独孤独孤独。ナドラは『孤独』を観測するAIだ。正確に言えば、そこに付随する悲しみや寂しさこそが彼女の本領だ。人間は孤独であればあるほどに狂いやすくなる。それ故に彼女は『孤独』を観測する使命が与えられた。

 だからこそ、P10042は『独り』である事に寂しさを覚える。鏡映しのように、その寂しさを感じ取ってしまう。

 もう『仲間』を殺したくない。仲間殺しを悦ぶ自分を知ったからこそ、もうこれ以上『仲間』なんて求めるべきではない。まるで自分を呪うように、P10042は『独り』で戦っている。

 

(『煙』に似ている……かも)

 

 だったら、彼に必要とするのは自分と同じように寄り添う誰かなのではないだろうか。より獣の動きに近しくなるP10042は、この上なく美しく微笑んでいる。まるで神を下した神子のように曇りが無い笑みだ。なのに、まるで今にも泣きそうなほどに寂しそうな目を、狂える殺意で隠している。

 

(アルシュナがそれを望むなら、力を貸す)

 

 もしも自分が『煙』にそうしたように、アルシュナがP10042にこの場を切り抜ける力……管理者権限を用い強化を望むのならば、エレナとデュナシャンドラを敵に回してでもナドラはアルシュナの味方に回るつもりだ。

 水鏡に映る激戦を、アルシュナは両手を組んで祈りながら見守っている。その目は悲痛を訴え、P10042の勝利を願っている。聖夜の出来事はナドラも知るところだ。アルシュナが完全に自我へと目覚める切っ掛けになった、P10042の死闘。それは結果的に新たなイレギュラー規定をカーディナルに認めさせる決定的なものになった。

 祈りは無力だ。たとえ、どれだけ祈ろうともP10042の力にはなり得ない。それを証明するように、ついに『小型』への対応を完全なものにしたアルトリウスが、わざと作った隙へと差し込んできたカウンターを手首のスナップを利かせた素早い切り返しで弾き、まるでパリィされたかのようにがら空きになったP10042に突きを穿つ。

 だが、P10042の微笑みは崩れない。その右手に光が収束したかと思えば、半透明の赤い刃が……まるで光を凝縮させただけのような刀身が出現する。反りがあるその刃の見た目はどう見ても『カタナ』だ。全身を反らして突きを避けたかと思えば、これまでよりも更に速度を増したカウンター斬りがアルトリウスの横腹を切断する。それでも怯まないアルトリウスは反転しながら斬りかかるも、深淵殺しを盾として、その破砕でもってガードしたP10042は、砕け散った深淵殺しの破片の中で右手のカタナでアルトリウスの腹部を貫き、捩じり、薙ぐ。

 急激なテンポの変質はアルトリウスが自分の動きに対応しきるのを見切った上だ。同じ反撃は通じないだろう。それでも確かなダメージを重ねたP10042は光波をステップで躱しながら退避し、左手にレールガンを抜いてチャージを開始する。

 やはり祈りは無力だ。そして、P10042は『独り』でも強い。『独り』の方が強い。だからこそ、アルトリウスはP10042よりも『強い』。『独り』の弱さを知るナドラだからこそ、そう言い切れた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 ボールドウィン、詫びはしない。深淵殺しは確かに役立った。深淵の魔物を倒すことができたのは、間違いなくあなたの作品のお陰だ。だが、アルトリウスを相手取る為に鍛えられたわけではない深淵殺しでは、どうしても限界があった。

 オレの右手に握られるのは、赤い半透明の刃だ。反りがあるそれはカタナに近しく、実際に刃渡りもカタナの初期装備とも言うべき鉄刀と同一である。

 これが切り札、ウーラシールのレガリアの力だ。青く渦巻く炎の指輪をオミットして装備したウーラシールのレガリアの能力は、物理を除く属性防御力の引き上げと『所有する武器系スキル』に応じた【武具創造】である。

 攻撃力はPOW依存であり、POWの高さがそのまま攻撃力に反映される。攻撃属性は無属性であり、苦手な相手もいない。作成する武具は事前に決定しておく必要があり、所有する武器系スキルの基本武器……カタナならば鉄刀、両手剣ならばクレイモア、槍ならばアイアンスピアといった具合に形を作る。

 レガリア武器ではソードスキルを発動できず、また300秒で消滅する。1度使用限界に到達すると耐久度回復をさせなければ再発動はできない。まさに切り札。指輪枠を武器枠とする指輪といったところか。

 5分間。殺しきれるだろうか。アルトリウスを殺しきれるだろうか。

 

「あなたは、どうして戦うの? 騎士としての誇りを取り戻して、闘争の意思のままに最期の最後まで戦うことが望みなの?」

 

 もうスタミナが切れる。ウーラシールのレガリアで作り出したカタナは、無属性であるが故の安定した攻撃力はあるが、全般の防御力が高いアルトリウスの弱点を突くには至らない。そもそも深淵の魔物と同じで属性防御力が高いだろうアルトリウス相手ならば、1番有効なのは物理属性なのだろう。

 

「戦い続けた。戦いこそが生きる意味だった。私の終わりは戦いの中にあらねばならない。たとえ、それが君に迷惑をかける真似だとしても、私は戦うことを止めることなどできない! それが『私』だからだ!」

 

 ならば、騎士としてではなく、戦士として、武人として、アルトリウスとしての死に場所を求めるべきなのではないのか。なのに、あなたは騎士としての死に場所を欲した。

 騎士という居場所はアルトリウスにとって闘争心を満たすための地位に過ぎなかったはずだ。なのに、彼はそれに固執した死に場所を求めているのは何故だ?

 ああ、そうか。彼は同じなのだ。オレと同じなのだ。

 

「あなたも……『それ』をよすがにしていたの?」

 

 彼は自分に『獣』を見出した。だからこそ、騎士としての名誉に殉じた決闘の果てに死なねばならないのだ。

 あの醜い獣の姿は、彼の中にある矛盾の姿だったのかもしれない。右腕と一体化した大剣は彼が騎士として必要とした誇り、自らを律する為のよすが。そして、枝分かれした野蛮なる爪の攻撃を主体とした左腕はまさしく彼の身に巣食っていた獣性そのもの。本能に由来する闘争心の醜い発露だったのだろう。

 跳び上がり、アルトリウスが光波を撃ち出す。だが、彼は宙で何度も回転し、全方位に向けて光波の斬撃をばら撒く。完全にランダムに見えて、しっかりとオレを狙った素早い小型の光波を巨大光波に紛れ込ませている。

 スタミナが枯渇する。倒れかけるも、オレは左手で握るレールガンを見つめて歯を食いしばる。ボールドウィン、頼む。もう少しだ。必ずアルトリウスを殺す。その為に力を貸してくれ。

 チャージは現時点でレベル2だ。魔力残量から判断すれば、限界はレベル3だろう。フルチャージには及ばないが、レベル2とは雲泥の差の威力だ。それをアルトリウスに至近距離で、それも頭部に撃ち込む。甲冑に纏われていない唯一の場所である首と頭部ならば、必ず大ダメージが届くはずだ。

 失いかけたバランス感覚を繋ぐ。スタミナ切れでの戦いには慣れている。痛覚遮断が機能していないせいか、より痛みとなってスタミナ切れは押し寄せてくる。

 アルトリウスのHPは残り6割。まだ彼は奥の手を隠し持っている。ヤツメ様が舞うところに、指差すところに、オレはひたすらに移動し、彼女の動きに重ねてアルトリウスの連撃を潜り抜けようとする。

 だが、突如としてアルトリウスが跳ぶ。それは深淵の魔物が披露した連続縦回転斬りの軌道。宙で幾度となく前転して方向修正をかけながら行う追尾斬撃だ。

 それはまさしく獣の動き。オレを捉えようとするアルトリウスの執念のように、斬撃が水面を、水底を、地面の奥底を割る。5連撃にも及んだそれの中で光波の輝きをヤツメ様が見つけてオレはカタナを振るってアルトリウスの手首を斬って軌道修正をかけようとするが、僅かとして怯まないアルトリウスの光波が至近距離で解放される。

 膝を落とす。脱力し、姿勢を崩して光波を頭上でやり過ごし、即座にバランスを掌握しながら踏み込もうとするも、脳髄が焼けて溶ける、まるで泡がパチパチと弾けるような音と共に眼球の裏から何かが染み出した。それは幻痛。アバター自体は傷ついていない。だから、全ては痛み。オレの脳が感じている、運動アルゴリズムとの齟齬が生み出す痛み。

 アバターにはない胃液がせり上がる気がした。舌がヒクヒクと痙攣し、呼吸ができなくなる。唾液が零れながら食いしばる。

 この程度がなんだ? ヤツメ様の導きはまだアルトリウスを捕まえている。蜘蛛の巣で絡め取っている。1度抜け出されれば、もう捕まえられない。導きの外に出られれば、オレはアルトリウスという稀代の英雄に踏み潰される。

 もっと、もっともっともっと、あなたの傍に! ヤツメ様と自分を重ねろ! 神楽を舞う時の感覚を!

 

 

 

 あれ? どうしてアルトリウスを殺すんだっけ?

 

 

 視界が揺らぐ。アルトリウスの突きが頬を削ぐ。欠損状態じゃない。出血状態だ。欠損ダメージは無し。継戦続行可能。もっと本能の先読みを感じ取れ。

 アルトリウスの剣速が増す。跳び退きながら光波を撃ったかと思えば、片手による突進突き。躱したところへの薙ぎ払い。カタナでガードするしかなく、薙ぎ払いの一撃が半透明のカタナに亀裂を入れる。もう一撃浴びれば時間制限前に砕け散るだろう。

 アルトリウスが消える。違う。高く跳び上がり、頭上から急行落下してくる。聖剣は光波の輝きを浸し、頭上からの刺突を回避しても即座に円陣が広がる。光が解き放たれて水が掬い上げられ、水底が砕けて瓦礫が舞う。その中でアルトリウスが回避しきったオレへと真っ直ぐに巨大光波を放つ。

 これもブラフ。巨大光波に気を取られた瞬間に、破壊不能のクリスタルの柱を足場にして蹴って跳んだアルトリウスがオレの背後に回り込んでいる。光波を跳んで躱せば狙い撃ち。屈んで躱せば踏み込んで斬られる。だから滑り込む。スライディングで巨大光波に自ら突き進んでその下を潜り抜け、水が口内に入り込みながら身を起こしてアルトリウスの縦回転斬りに応対する。

 もはやカタナでもカウンターを差し込むことはできない程の豪速。ヤツメ様の導きを振り切り始めている。

 

「あぁあアアアああアあアアアあ!」

 

 口から叫びが漏れた。スタミナ切れによる戦闘継続が長過ぎる。頭痛が『頭痛』の域を超えて、頭蓋を割って脳が飛び出しそうだ。目や耳から血を垂れ流しているのではないかと思うほどに耳の奥と眼球が熱い。

 左手が脈動している。針帯の、1本1本の針の形がはっきりわかる程に過敏になっている。レールガンを握る指が震えている。

 

「あは……あはハハは! 踊ろう、アルトリウス!」

 

 ここだ! 縦回転斬り終了直後にアルトリウスは跳び退き回転斬りをする癖がある。そこを狙って斬り払う。地を這うような姿勢から放った回転斬りはアルトリウスの両足を薙ぎ払う。これでも怯まない! どれだけ攻撃を浴びせてもスタンどころか、怯みもしないアルトリウスは異常だ。もはやそういう存在と割り切った方が良い。

 踊ろう。踊ろう。踊ろう。もっと踊ろう。

 見える気がしたんだ。アルトリウスとの戦いの中に、何かが見える気がした。瞼を閉ざしても暗闇ばかりで、赤紫の月光も黄金の蝶の燐光も見失ってしまった。だから、何かがアルトリウスの戦いの中で見える気がしたんだ。

 

「少年、私は戦い続けた。敵をひたすらに葬り続けた。その果てに何かがあると信じていた。竜を殺す頃は英雄でも、深淵を狩り続ければ同胞からは疎まれる。神族からすれば正しく穢れである闇。それを浴び続ければ、いずれ正気を失い、魔物になり果てる。神族であれ、人族であれ、それが深淵狩りの末路だ」

 

「それでも戦い続ける事を選んだのでしょう。そこにしか、あなたの生きる場所は無かったのでしょう」

 

「その通りだ。何故だと思う?」

 

 自分で言ったではないか。戦い続けたいと望んだからだ。それが戦狂いとして生まれたアルトリウスの堪えられない獣の性だったのだ。

 HPが5割に到達すると同時に、距離を取ったアルトリウスが聖剣を掲げる。狼の遠吠えが響き、地下空洞を彩るクリスタルが呼応するように輝く。そして、アルトリウスの異形の左腕を縛る鎖が脈動し、溶けて左腕と完全に一体化する。

 それはまるで獣のように灰色の毛を生やした左腕だった。だが、それは深淵の魔物のように穢れ切ったものではなく、あの大狼がアルトリウスに力を貸しているような、清らかな息吹を感じる。

 来る。アルトリウスの奥の手が来る! ぞわぞわする殺意にヤツメ様が歓喜した。

 アルトリウスの周囲に光が舞う。まるで蛍のように散り、彼の周囲に加護するような円陣が構成される。ここで踏み入れば、自動反撃でオレは弾き飛ばされ、ダメージと共にアルトリウスの切り札を浴びる致命的な隙を生み出すことになるだろう。

 掲げる聖剣に光が凝縮していく。まるで刀身が伸びていると錯覚するほどに、光波の輝きが放出されていく。それを円陣の縁ギリギリで待ち構える。無理に回り込もうとすれば、アルトリウスは解放の瞬間に方向転換して狙い撃ちにするはずだ。

 

 

 

 

「少年、戦いの果てに『答え』はある」

 

 

 

 

 振り下ろされた聖剣が生み出したのは、まさに『光』。解き放たれた青の輝きは絶対的な死となって前面に放出される。たとえ左右に回避しても、広がり続ける光によって押し潰されるだろう。

 使用するのはスプリットターン。振り下ろされた瞬間の光の解放の際に、円陣をなぞるようにして旋回する。スタミナ切れの状態でのソードスキルの使用は頭の内側で押し込められた蜘蛛が足を伸ばして暴れ回っているかのように、痛みと吐き気と高熱をばら撒く。だが、それでもオレはアルトリウスの必殺の回避に成功する。

 だが、終わらない。巨大な前面への光の放出はブラフ。その中で凝縮され続けた光波の輝きを纏ったまま、アルトリウスは反転しながら斬りかかる。この一太刀! この一閃こそ本命! 広範囲の前面攻撃を回避しきった者を狙って両断する必殺の回転斬り! その軌道はリングを生み出し、光の残滓がそこに集中して、刃となって拡大し、全方位斬撃へと変貌する!

 ヤツメ様の導きが千切れる音が聞こえた。ここが限界点だと言っている。だけど、オレは身を伏せて広範囲の光の回転斬りをしのぎ、そのまま硬直時間もなく聖剣を振り下ろすアルトリウスに向かってふわりと反転しながら跳んだ。

 

「穿て」

 

 そして、アルトリウスのこめかみにレールガンを押し付ける。わずかな交差の間でトリガーを引き、その頭へとレールガンを撃ち込む。狙いすましたカウンター判定中の超至近距離からのレールガンだ。一気にアルトリウスのHPが削られていき、残り3割を切る。

 あと少し。あともうひと押し。なのに、真っ暗だ。レールガンの反動を利用してアルトリウスから離れたオレは派手に水飛沫を上げて転がりながら、息絶え絶えに立ち上がろうとする。

 

「そうだろうな。キミなら、必ず跳びこんでくるだろうと思っていたよ、少年」

 

 だが、アルトリウスは既に迫っていた。ああ、そうか。あの必殺の前面攻撃も、広範囲の回転斬りも、それを躱したところへの振り下ろしも、全てはただ1つの為の仕掛け。オレにレールガンを使わせるタイミングを『与える』為の策か。そして、滑稽な事にオレはアルトリウスの狙い通りにレールガンを使い、その反動で飛ばされて復帰しようとするところを狙われた。

 アルトリウスに致命的な隙を晒してはいけない。レールガンはHPを削り切るまで温存しなければならなかった。

 あの時、ヤツメ様の導きは消えていた。ならば、あれはオレ自身の選択。この身に流れる血ではなく、『オレ』自身の『弱さ』か。

 死にたくない。そう思えたら、どんなに幸せだろう。オレの中にあるのは、希望もなく、絶望もなく、アルトリウスの刃に闘争心と殺意のままに反応しようとする、ヤツメ様の神子としての、獣のような咆哮が生み出す抗い。振るわれた斬撃をカタナで受け流すも耐え切れずに砕ける。だが、僅か逸らせたお陰で刃は胸を僅かに抉るに留まる。せめて剣に斬られまいとするように胸を斬られた痛みが弱々しい拍動と共に音となって響く中で踏み込むも、アルトリウスは腕を横殴りに振るう。それをガードした右腕が砕ける不愉快な音色が燻ぶった。

 吹き飛ばされたオレは何度も転がり、クリスタルの柱に叩きつけられ、ゆっくりと顔から水面に倒れる。

 1つのミスで死ぬ。それがアルトリウスとの戦いだった。ならば、この結末は自業自得だ。

 斬られる。そう思っていたが、アルトリウスは動かない。いや、『動けない』のか。左腕は元に戻り、再び鎖の束縛を受けているも、暴れ回っている。アルトリウスはそれを拒むので精一杯なのだ。本来ならば数少ない『必殺技』を回避しきったプレイヤーに与えられるチャンスタイムなのだろうか、今のオレにはどうしようも無い。

 

「戦いの果てに『答え』はある。だが、『答え』に至る鍵はいつだって戦いの『外』にある」

 

 同じく満身創痍なのだろうアルトリウスが膝をついている。それを慰めるように、奮い立たせるように、誇りを失わせないように、光の鎖となって左腕を縛り付けている狼が霧となって現れるとアルトリウスを舐めていた。

 ああ、そうか。オレは羨ましかったのか。だから、無理にでもアルトリウスを殺そうとしていたのか。

 あれだけ醜い獣になっても、アルトリウスの傍には狼がいた。彼にとって、きっと1番大切だったものが彼を見守ってくれていた。そして、その窮地を救いだしてくれた。立ち上がらせる力をくれた。

 それがどうしようもなく……羨ましかったんだ。『独り』ではなく『仲間』と共に戦えるアルトリウスに、『アイツ』を重ねていたんだ。

 深淵の魔物ではなく、アルトリウスを殺そうとした理由。それにようやく届いた。ああ、満足だ。オレこそが醜い獣であり、彼こそが獣を脱ぎ捨てた英雄だ。バケモノは英雄に討たれてハッピーエンドか。笑えない。

 

「キミはまるで迷子の子猫のようだ。キミの剣には迷いが無かった。だが、キミの目には迷いがあった。まるで月明かりの無い夜に取り残されたような、帰り道も知らず、目的地もなく、ひたすらに闇を迷う子猫の、戦いの中に何かを探そうとする目だ」

 

 アルトリウスの左腕が戻る。オレが立ち上がるのを待つ事などないだろう。ならば、このまま斬り殺されるのか。それも悪くないな。左腕は痛いを通り越しているし、右腕はぐちゃぐちゃだし、頭は何かが蠢いているみたいな痛みが消えないし、視界は黒ずんでるし……それに心臓の音が、さっきから、本当に、聞こえない、気がする。ああ……よかった。まだ動いてる。本当に根性があるよ。

 だったら、戦える。踊れる。オレはアルトリウスと踊って、踊って……それで? 何がしたいんだっけ? 殺せば満足するかもしれないが、何も見つからない。きっと『答え』は見つからない。

 わかっているんだ。アルトリウスの言う通り、どれだけ戦い続けても、きっと戦いの向こうに『答え』があるとしても、そこに至るにはたくさんの大きな扉があって、それを開ける為には鍵が必要なんだ。その鍵はきっと戦いの中にはないんだ。

 きっとアルトリウスは見つけたんだ。戦いの中ではなく、戦いの外に、『答え』に至るための鍵を見つけることができたんだ。だから、彼は騎士としての死に場所を求めているんだ。

 あと少しかもしれない。でも、アルトリウスにもう剣は届かない。振るう武器もない。いや、死神の槍があるか。レールガンは残弾1だが、魔力切れである。もう使えない。だから手放そう。少しでも軽くなろう。

 

「ヤツ……メ……さ、まぁ……どう、し、て? なにも……なに、も……見えない、よぉ……」

 

 あなたの導きだけが、オレを戦わせてくれるんだ。もう赤紫の月光も、黄金の蝶の燐光も見失ってしまったんだ。暗闇の中で『答え』にたどり着くには、あなたの糸に縋るしかないんだ。

 血の海でオレは溺れていた。震える四肢で起き上がり、顔を上げればヤツメ様が微笑んでいる。手を差し出している。

 

 もっと深く。

 

 もっと深く。

 

 もっと深く、ヤツメ様と繋がる。ううん、違う。オレがヤツメ様と認める。神楽を舞って神を下し、深殿に至りて供物の儀を行い、ヤツメ様を山に帰す。だが、深殿から解き放ったならば、もはや下した神は常にオレの中にいる。

 だったら、オレとヤツメ様の境目は薄らいで、消えて、溶けて、1つになったのではないだろうか。

 あの手を握れば、きっと、もう戻れない。『オレ』ではなくなる。それでも、オレは手を伸ばす。今を生き残るために。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 全てはデュナシャンドラの狙い通りなのかもしれない。

 アルトリウスに負けるならばそれまで。勝つには彼自身がより獣の性……本能を解き放つしかない。それはデュナシャンドラが渇望する天敵の到来を呼ぶだろう。

 

「アルシュナ、これで良いの?」

 

 このままではアルトリウスに殺される。それは目に見えている。ならば、ナドラの言わんとすることもわかる。ここでアルシュナがMHCPとしてのあらん限りの権限を絞り出せば、クゥリを助けることができるかもしれない。

 だが、アルシュナはそれをしない。確かにクゥリの事は大事だが、彼はそんなものを望まない。

 

(あなたはいつだって強過ぎました。力も、心も、強過ぎました。それ故に、あなたは傷ついていく)

 

 いつだって傷だらけになって、それでも立ち上がれる姿はきっと周りから見れば怪物的でとても強く見えるだろう。だが、それはまさに本人が言っている通りの、無理と無茶と無謀を押し通した姿だ。

 だから、アルシュナは祈る。聖夜に誓ったように、祈り続ける。

 

「この期に及んで祈るだけか。祈りは無力だ」

 

 嘲うエレナと同意するように笑むデュナシャンドラに、アルシュナは微笑んだ。

 確かに祈りは無力だ。だが、祈りの本質は力ではない。祈るという行為そのものに意味があるのだ。

 

「クゥリ、立ちなさい。あなたの『答え』の為に」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 何の為に祈るのか。黙祷の中でユウキは探し続けて、1つの星屑を拾い上げた。

 それは触れれば簡単に粉になるほどにボロボロになった小さな宝石。まるで涙のように湿っているが、とても暖かで穏やかな光を湛えている。

 祈りとは何だろうか。ユウキは優しく星屑を、宝石を、涙を拾い上げる。今にも崩れそうな光は両手で包み込み、そのまま手を組んだ。

 瞼を開けば、そこにはステンドグラスから差し込む光を映し込んだ油が揺れる銀杯が聖壇に安置されている。そこにいかなる意味があり、いかなる神を象徴するのかもユウキには分からないし、興味もない。

 だが、神は祈りを聞き入れない。ならば、ユウキが祈りを捧げるべきは神ではない。

 

「神様は間違えている。世界を変えるのは、いつだって人の意思だ」

 

 だから、ユウキがクゥリに捧げられる祈りは1つだ。

 

「忘れないよ。ボクは……ボクだけは絶対に忘れない」

 

 聖夜の約束。それこそがクゥリが託した祈り。

 そして、約束を守り続ける事こそがユウキの祈りだ。

 祈れ、『答え』の為に。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 飛び散るのは肉片。

 零れるのは血。

 溢れるのは臓物。

 オレの手を握り返そうとしたヤツメ様を、数多の刃が貫いていく。そして、一際巨大な刃がその胸を貫いて串刺しにして血の海に縫い付ける。

 

 

 

 ああ、遅かったわね。ヤツメ様は憎たらしげに、でも誇らしげに、愛おしそうに笑う。

 

 

 

 血と臓物と屍の海を踏みつけ、ヤツメ様に更に刃を突き刺すのは、狩人。

 彼はヤツメ様の頭を踏みにじる。そして、這いつくばるオレに冷たい眼を向ける。

 

 

 

 どうして殺すのか? それが生きるという事だからだ。『命』を喰らうという行為の本質は殺す事にある。

 

 

 

 狩人の言葉は何処かで聞いたことがある。ああ、そうだ。おじいちゃんの言葉だ。

 蘇ったのは、あの日、あの時、ヤツメ様に認められた日だ。猪を殺した日だ。

 あの時からオレは狩人だ。おじいちゃんはオレをヤツメ様の神子にしたけど、いつだって狩人の理を教えてくれた。

 

 

「久藤の狩人とは……『久遠』の狩人」

 

 

 全ての『命』に敬意を持ち、また殺す際には敬意を忘れない事。それこそが狩人の最たる掟だ。そうして永遠に狩人の宿命を子に、子の子に、子の子の子に、末代まで受け継がせる。永遠に。

 確かに仲間殺しかもしれない。愛する人も、友も、何もかもを殺し尽くしたいバケモノなのかもしれない。狩人はオレの肩に触れながら、そう嘯いた。そして、そっと『それ』を指差した。

 

「……約束、守ら、ない……と」

 

 アルトリウスの気持ちが、伝えたかったことが、ようやくわかった気がする。

 首に下げられていたペンダント。十字架に鎖が巻き付いたチェーングレイヴのエンブレム。結ばれた約束を思い出して、震える左手で握りしめる。

 月明かりはいつだって傍にあったんだ。ずっと傍にいてくれたんだ。

 

 来たれ。

 

 来たれ来たれ。

 

 来たれ来たれ来たれ。

 

 狩人の血よ、来たれ。我らは狩人。久遠の如くヤツメ様の血を継ぐ、神殺しの狩人。

 

 ヤツメ様の導きも、囁きも、誘いも、全てはオレの内にある。ならば、見失ったのではなく、オレが見えていないだけだ。

 手繰り寄せろ。張り巡らされた糸の断片を。それらは最速・最適・最短で生み出される殺意の予測。だが、それらは数多とある予測の1つに過ぎないのだ。

 立ち上がる。ペンダントに祈りを捧げ、もはや武器無き身でもアルトリウスに挑む。いや、武器はある。ずっと心の何処かで使うことを忌避していた力が……アルトリウスに届きうる力が残されている!

 

「行くぞ、アルトリウス。ここからは『狩り』の時間だ」

 

 我ら久藤の狩人には敗北は許されない。相手が神であるならば尚更だ。

 スタミナ切れの状態での戦闘継続が長過ぎた。足の爪先まで痺れが広がるような感覚によって支配されている。1歩の度に体が発熱した血が泡立つようだ。

 完全復帰したアルトリウスの突進突き。続く派生の連撃。元よりいずれも必殺。こちらのHPは3割未満。聖剣が空を薙ぐたびに残光が散り、それがこちらのHPを削る。聖剣が完全開放されたことによる新たな能力かもしれないが、そんなものは知ったことか。

 思考しろ。意識しろ。今まで本能という無意識の領域に依存していた全てを掌握しろ。それらを『情報』として把握し、無意識から自意識に引き上げろ!

 

「ようやく届いたよ、おじいちゃん」

 

 これが久藤の狩人達が見ていた世界。ヤツメ様の導きを、本能を、狩りの武器として認識する。アルトリウスの動きが、それに追随する様々な余波が、水面の波紋が、地下空洞を流れる風が、クリスタルの光の瞬きが、全て『予測された情報』として意識の中に組み込まれる。

 きっと、おじいちゃんも、母さんも、兄貴も、ねーちゃんも、こんな世界をずっとずっと前から見ていたのだろう。そう思うと悔しいなぁ。オレは狩人としてきっと未熟だったんだ。ヤツメ様の導きに縋るばかりで、それを狩人の力として使いこなすことができていなかったんだ。ただひたすらに、導きに盲目的に従っていただけだ。

 アルトリウスの剣先がハッキリと予測できる。今までは考えもせずに回避していた世界。そこに思考が到達する。

 

「穿鬼」

 

 水面に拳を振り下ろし、発動させたソードスキルの過負荷が脳に到達する。自分が擦り切れていく感覚が伝わる。だが、弾けた水面は飛沫となってオレとアルトリウスを飲み込み、彼の視界を潰す。ここで奇襲をかけても彼は必ず反撃してくる。それが予測できる。

 だから、この目潰しの中ですべきことは1つ。折れてグチャグチャになった右腕を振り回しながらバックステップを踏み、左手でシステムウインドウを開いて完全破壊されて自動オミットされた深淵殺しに代わって、アルトリウスが知らぬ力を身につける。

 消える水飛沫の中で光波が炸裂する。先ほどよりも加速した光波の連撃はまるで網のようであるが、それを潜り抜けていき、『見える』アルトリウスの剣風に踏み込んで、脇腹を薙ぎ払いながら交差する。

 

「『答え』を見つけたのか、少年」

 

「まだだ。まだオレはきっと……迷子の子猫のままだ。だから、オレの糧になれ。『答え』を見つけるための力となれ」

 

 行くぞ、ギンジ。オマエの力を貸してくれ。左手に装備したデス・アリゲーターを振るい、千切れる思考の糸を繋ぎ止める。この戦いの中で、アルトリウスとの戦いの中で『理由』を見つけなければオレの負けだ。『理由』が無ければ、致命的な精神負荷を受容してもオレは狂い果てて獣となるだろう。

 アルトリウスが笑った。彼は右手で聖剣を掲げ、青き光を集めて斬撃を飛ばす。フラフラする体で光波の連撃を躱し続けるも、オレの未熟な狩人の予測では光波のすべてを見切り切れない!

 ふわりとオレの体が浮いた。無意識のサイドステップが避けきれないと判断した光波を躱す。

 

 

 狩人だけじゃない。わたしもいるよ。あなたの『力』なのだから。受け入れたのだから、大事に使ってね?

 

 

 血まみれのヤツメ様が糸を張り巡らせている。より濃く、深く、糸がアルトリウスを、その一挙一動を、聖剣に込められた真摯な殺意を絡め捕っていく。

 そうだ。これで良いんだ。狩人の予測の源はヤツメ様の導きだ。だったら、縋ることは論外だとしても、それを嫌悪して避ける必要はない! むしろ存分に自身の力として受け入れてやれば良い!

 オレ自身がヤツメ様の糧となり、ヤツメ様の導きが狩人の糧となる。オレの動きが本能を成長させ、本能の成長がオレの戦闘思考の幅を広げる。直感の世界は思考の世界となり、思考の世界は直感の世界となる。まるで俯瞰するように我が身の全てを、アルトリウスの動きを捉える。

 

「ぐがぁああアアアああアアアああアああ!」

 

 ヨうやク、トどいタのに!

 やっと、本当の意味で久藤の狩人になれたのに……もう、時間が、無いのか!?

 意識が途切れかける。早く見つけないと。月光は見つかったんだ。

 アルトリウスが踏み込みながら斬り上げる。剣先が鼻先を掠めると同時にすでに振り下ろしが迫り、そこから唐突なタックルが迫る。巨体を活かした格闘術を織り交ぜ、回し蹴りしたかと思えば突如として硬直して直角に踵落とし、そこから逆手に構えた聖剣による至近距離での光波の解放!

 まさしく無双! まさしく最強! これまで出会ったあらゆる敵の中で彼ほどに『恐ろしい』と感じる相手はいない。

 そうだ! オレは怖いんだ! いつだって、世界の全てが怖いんだ! だから怖いモノは全部食べてしまいたいんだ!

 

「ギンジィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!」

 

 左手に握るデス・アリゲーターから伝わる脈動は幻覚なのかもしれない。だが、糧となった彼の『答え』と『祈り』を感じる。

 恐怖を乗り越えて自らの死を勝利に捧げた。愛する人の為に戦った彼は無駄死になどではなかった。己の人生の勝者となり、この仮想世界で心折れることなく戦い抜いた最高の戦士だ。

 オレはオマエには届かない。いや、目指す気はない。そもそもオレとオマエは登っている山が違うようなものさ。オレが選んだのは屍の山だ。絶え間なくオレ自身で殺し続けた者で赤く染まり、永遠に頂上にたどり着かない終わらない旅路だ。

 バスの排気音が聞こえる。ああ、あのバスに乗らないといけない。だけど、誰かが微笑んでいるような気がした。それに乗って……今この時に乗って不満は無いのかと問いかけている気がした。

 

「少年! キミが目指すものは何だ!?」

 

「オレは……オレはぁあああああああああああ!」

 

 アルトリウスは強い。だが、嫌でも分かる。彼は本調子には程遠く、その極みを出し切ることはできない。本来の力の半分か、それともそれ以下か。

 2連撃による後退から振り下ろしと見せかけて踏み込みからの光波。それを躱しても円陣を広げたことによる範囲攻撃が攻め込む隙を潰す。たとえ全力には遠くも、今出せる『全力』をアルトリウスは振り絞っている。

 楽しんで良いんだ。アルトリウスだって笑っている。戦うことを、殺すことを、悦びとする本質を受け入れて良いんだ。それに溺れさえしなければ、これもまたオレをさらに強める力なんだ。

 

 

 それで良い。まずは自分を認める事。自分もまた1つの『命』として巡るもの……脈々と続く血……久遠の1部なのだと知ること。それが狩人の始まりだ。

 

 

 少しだけ微笑んだ狩人がオレに向かって手紙を折って紙飛行機を飛ばす。それは狩人がもたらす導き。ヤツメ様がそれはわたしの役目だったのにと頬を膨らませている。

 紙飛行機を受け取って中身を開いたオレは……小さく頷いた。この餞別を……『理由』を無駄になどしない。

 

 

 

『【渡り鳥】、これを聞いている時……私はきっと死んでいるだろう。貴様に殺されただろう』

 

 

 

 ノイジエルは自我を失いきる前に、『それ』にメッセージを添えた。

 

『よく団長は言っていたよ。貴様はとても優しい男だと。その意味が……ようやく分かった気がする。貴様はとても自虐的で、他人を美化し過ぎる癖があるな。言っておくが、私は誇り高い騎士などではない。いつだって猜疑心と自分の弱い心に苛まれていた。そんな醜さから目を背ける為に、騎士であろうとする自分に酔っていたのだろう』

 

 アルトリウスの縦回転斬り。デス・アリゲーターでは受け止め切れない。紙一重のサイドステップで躱し続ける。まだ狩人の予測の範疇だ! ヤツメ様の導きも補佐してくれている! オレが立ち続ける限り、必ず仕留められるチャンスは回ってくる!

 

『頼む、どうか団長の力になってやってくれ。あの人はきっと暗闇の中にいる。貴様はまるで温かな篝火のようだ。惹かれずにはいられない火だ。冷たい暗闇の中にいるからこそ、何よりも目立ち、また近寄らずにはいられない。「救い」を求めずにはいられない』

 

 狼の遠吠えが響く。アルトリウスの全身を灰色の大狼のオーラが包み込み、周囲を爆発で薙ぎ払う。同時に左腕が完全開放され、再び最高出力の聖剣攻撃の構えをアルトリウスは取る!

 このまま地道に攻め続ければ勝てるのはアルトリウスのはずだ。だが、彼が求めるのは騎士の決闘! 騎士としての死に場所! 故にオレに問いかける! これをどう防ぐと試すように笑っている!

 

『私は「救われた」よ。そして、これから「救われる」だろう。貴様は私を見捨てなかった。こんな醜い怪物になっても、「人」として、私の汚れ塗れの取り繕った誇りを慈しんでくれた』

 

 受け入れろ。『理由』は見つかった。たとえ、それが醜い建前だとしても、これまでとは違う、月光の中で見出した『人』として繋ぎ止めるよすがだ!

 ヤツメ様が手を引いて暗闇の穴に落ちていく。灼ける。灼ける。灼ける……意識が灼けていく。

 

『なぁ、【渡り鳥】。貴様はきっと殺し続けるのだろう? それで良いのだろうさ。きっと殺した人々の中には、殺される事でしか悪夢から覚めない者たちもいたはずだ。殺されることで、誇りを守り通せた者が、終わりの眠りを得られた者が、必ずいたはずだ。ならば、貴様は立派に「救っている」さ。貴様の気持ちや動機が何であれな』

 

 世界がクリアになる。水飛沫の1滴まで、クリスタルの星々も、アルトリウスの聖剣から零れる蛍のような青の涙も、大気を震わせる狼の遠吠えも、全てが澄んでいる。

 右目の視界が暗闇に囚われる。視界が消えても、狩人の予測とヤツメ様の導きが動くべきルートを描く。

 

『ありがとう。貴様に「救い」があらんことを祈っている』

 

 まったく、反則だろうに。

 感謝の言葉なんて言われる筋合いもない。オレはオマエを殺したんだぞ? 生きたかったはずのオマエを殺したんだ。

 だから、どう受け止めれば良いのか分からなかった。でも、ようやく月光の中でノイジエルが伝えたかったことが分かった気がする。

 

 これからも、きっと戦い続ける。『仲間』なんて要らない。

 

 ひと握りで構わない。オレが殺したいと思う人々を殺させない為に。死なせない為に。

 

「ああ、そうさ」

 

 たとえ、醜い獣の性から見出した『理由』だとしても、これまでの何よりも確かな形を持っている。灼ける精神の中でも、逆に熱を食らって狂暴に奥底の本能と結びついて、オレの意識を繋ぎ止めてくれている。

 

 

 

 

 

 

 

「絶対に殺させない。『オレの獲物だ! オレ以外の誰にも殺させなどしない! オレだけの獲物だ! オレが殺すんだ!』」

 

 

 

 

 

 獣の飢えと渇きを利用しろ! 醜い独占欲を『人』に留めるよすがに変えろ!

 叫びと共に視界が取り戻される。アルトリウスが振り下ろした聖剣より光が解き放たれる。回り込んだこちらを正確に追尾していたアルトリウスの聖剣攻撃に死角はない!

 だが、ただ1点! 聖剣が振り下ろされる直後は円陣が消え去り、その懐に入り込める! 聖剣の死の光を掠めながら、オレはアルトリウスの脇を潜り抜ける!

 続く光の解放の回転斬り! 広範囲に拡大する光波の円刃をアルトリウスに半ば密着しながらその太腿を深くデス・アリゲーターで突き刺しながら伏せて躱し、その先に待つ不屈のアルトリウスの振り下ろしを見据える。

 ギンジ、オマエの力を貸してくれ! 彼がそうしたように、突き刺した状態でギミック解除を行い、僅かなスタミナを吸い尽くしてデス・アリゲーターのチェーンモードを発動させる! 深淵殺しと違い、チャージ式のデス・アリゲーターは1度チェーンモードを発動させれば30秒起動する! これこそが常時消耗型の深淵殺しとの決定的な違い! スタミナが『1』でもあれば、即座にチェーンモードの使用時間30秒を確保することができる!

 灼ける灼ける灼ける……おじさんが灼ける。おじさんが首を吊って揺れ……揺れ? ゆる、ユゆゆゆゆユユユユユゆゆゆゆ……

 

 

 

 

 

 揺れているのは『誰』だろう? 分からない。何も分からない。でも、とても大切な人だった気がする。

 

 

 

 

 

 マシロがオレの頬を舐めた。まるで涙を拭い取るように。

 何かを失った気がした。でも、今はアルトリウスを倒すために……前に進むために、戦う!

 チェーンモードで深く抉られたアルトリウスの右腿。たとえ怯まずとも、スタンせずとも、『バランス』を支える足自体が大きく欠損すればどうしようもないだろう! アルトリウスの剣線が大きく歪む! 初めて彼が隙を晒す! それでもなお、半ば以上に抉れた右太腿を更なる踏み込みで持ちこたえさせたアルトリウスの凄まじさ!

 変形して鎌になったデス・アリゲーターではアルトリウスとの剣戟はできない。だが、もはやその必要はない。

 

「導いてくれ、ノイジエル」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノイジエル作成OSS【ヘヴンズゲート】……発動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはノイジエルが託した祈り。OSSの伝授書を作成し、メッセージを添えた彼の本心は何処にあったのか、ようやく見つけることができた。

 アルトリウスにチェーンモードを発動した鎌の刃が食い込んでいく。青黒い光を撒き散らし、それでも剣を振るおうとする彼よりも先に、ノイジエルが生み出したソードスキルの軌道がアルトリウスの右肘から先を奪い取る!

 

 

「……騎士の死に場所、悪くない。ああ、実に悪くない」

 

 

 

 灼ける意識の中でアルトリウスの穏やかな呟きが聞こえた。ノイジエルの遺志を乗せたOSSの最後の一閃はアルトリウスの首に喰らい付き、そのケダモノの姿をした……だが騎士の誇りを宿した頭部を斬り飛ばした。

 左手からデス・アリゲーターが零れ落ちる。もう1歩も動けない。もう腕の1つも振るえない。本来ならば、きっと最後のOSSは間に合わなかったはずだ。最後の力を繋げてくれたのは、オレの胸にある月光……スタミナの回復速度を引き上げるユウキとの約束の証のペンダントだ。

 アルトリウスの胴体が青黒い光となって砕け散り、黒い雨となってオレに……いいや、オレ達に降り注ぐ。頭部だけとなったアルトリウスが黒い血と澄んだ水で混沌となった水面で漂っている。

 視界が……また暗くなっていく。停止した致命的な精神負荷の受容だが、自分の中で何かが壊れていく音が聞こえた。

 それでも、『アイツ』の悲劇を止めるまでは、まだバスには乗れないな。まったく、たまにはあの黒づくめの馬鹿を殴り飛ばしたくなる。いつも1人で突っ走りやがって。DBOにアスナが囚われているって分かった時点でオレに『一緒に来い』と言えば良いものを。オレは相棒として落第点か?

 ……駄目だ。自己分析すればするほどに、相棒とするにはオレという人間は最悪過ぎる部類だ。

 どうでも良い。オレはオレのやり方を通させてもらう。サチとの約束だしな。『アイツ』の悲劇を止めなければならない。

 

「ありがとう、少年。ようやく……ようやく騎士として死ぬことができる」

 

 満足そうに頭だけになったアルトリウスが、もはや立つことしかできないオレに語りかける。

 何か言いたい事があった気がする。アルトリウスに伝えなければいけない想いがあった気がする。

 でも、上手く舌が動かない。

 

「戦い続けてきた。戦って、戦って、戦って……その果てに『答え』を探していた。オーンスタイン、ゴー、キアラン、我が王……それにシフ。ようやく私は……眠れるよ。キミ達の……誇りを……抱いて……騎士と……し、て――」

 

 偉大なる騎士を讃える最後の遠吠えと共に、アルトリウスの頭部は狼の霧と共に溶けて消える。彼はもう目覚めない眠りに落ちたのだろう。そこには悪夢などなく、穏やかな死の眠りだけがあるのだろう。

 祈りもなく、呪いもなく、眠るがいい。

 

「お、やすみ……アルト、リウ、ス」

 

 散っていく光の霧に左手を伸ばす。そして、光の内より水面に突き刺さる一振りの聖剣を見つける。

 

 

 

 

<アルトリウスの聖剣:【深淵歩き】のアルトリウスが用いた事で知られる聖剣。彼はグウィン王に仕える前、流浪の戦士として各地の戦場を放浪した。血に穢れた彼は月明かりに導きを見出したが、血塗れの自身を恥じた彼は水面に映る月を掬い取る事を選んだ。聖剣は彼の伝説と共にあり、やがて闇に消えた。ただ1匹の大狼が現れるまでは>

 

 

 

 

 

 ステータスを確認せずとも分かる。

 アルトリウスの聖剣。まさしく最強クラスの武器だ。これさえあれば、DBOの最後の最後まで戦い抜けるという確信が生まれる。

 使っていいのだろうか。震える手で握った聖剣を引き抜き、オレは静かな青の輝きに魂が奪われそうになる。

 あの光波も使えるかな? オレには似合いそうにないけどさ。

 何というか、ヒーローチック過ぎる気がする。苦笑するオレは背後からした、隠す気もない足音に力なく振り返る。まずいな。先ほどから異常に眠いんだ。これ以上の戦いはさすがに勘弁してもらいたい。

 オレの背後にいたのは、いつからそこにいたのか、青い布製の衣と黒の鎧を組みわせた女性的なイメージを持つ装備をした、白磁の仮面をつけた女だった。象牙の髪を結った姿は気品があり、同時にそこはかとなく暗闇を感じるも、そこには誇りの芯が通っている。

 

「よもやアルトリウスを倒すほどの猛者が人間から現れるとはな。闇に囚われた彼を救ってくれたことを感謝する」

 

 この声……聞き覚えがある。そうだ。アンタレスを倒した時に聞こえた女の声だ。

 ずっとこの戦いを見ていたのか? どうやらNPCのようだが、何か敵対フラグを立てただろうか。

 

「人間は弱い。すぐに力に溺れ、何度も何度も同じ過ちを繰り返す。ナグナの悲劇もまた、かつてのウーラシールと同じものだ。深淵の主は討ち取られたようだが、闇に染まったナグナが再びかつての繁栄を取り戻すことはないだろう。いや、そもそもこの世界は緩やかな破滅に向かっている。深淵を呼び覚まさずとも、人と人の際限なき戦いが世界を包むソウルを蝕んでいる」

 

「…………」

 

「フフフ、すまない。愚痴を言う気はなかったのだがな。これでも数少ない『生き残り』だ。お前たち人間には思うところもあるが、火継ぎの因果から解き放たれたのだ。人間の選択は火の存続だった。それだけでも満足すべきことだとは分かっているのだがな。かつての友を闇から引きずり出し、英雄の躯を辱めた愚行はどうしても許せなかった」

 

 ナグナの悲劇、か。唆したのはカアスの導き手たちだったのだろうが、選んだのはナグナの人々だ。それがアンタレスとナグナが封じ込めていたザリアを蘇らせた。きっと、深淵の魔物もそんな闇から引っ張り出された怪物だったのだろう。

 ならばアルトリウスを解放できたのは怪我の功名か。オレは震える唇で皮肉の1つでも言おうと思ったが、やはり言葉が出てこない。

 白磁の仮面の女が祈るように手を組んだ。それは散ったアルトリウスの安息を願ってだろうか。

 

「私はキアラン。かつてグウィン王に仕えた四騎士だ。アルトリウスとは戦友だった。人間よ、1つ頼みがある。その聖剣を譲ってくれないだろうか? 大切な友の遺品だ。こんな寂れた世界でも、騎士として戦い抜いたアルトリウスは弔いたい」

 

 そして、オレの前に1つのシステムウインドウが表示される。それは簡素に<聖剣を渡しますか? YES/NO>と表示されている。

 これは茅場の後継者が苦し紛れに忍ばせたトラップだろうか。アルトリウスを討ち取った者を試すものだろうか。

 アルトリウスの聖剣を手放すのは惜しい。あらゆるユニークウェポンでも最上位にあるだろう英雄の武器だ。これさえあれば、オレの戦いは格段に楽になるだろう。

 最善の選択は聖剣を我が物にする事。白磁の仮面の女の気配から察すれば、こちらが拒んでも受け入れてくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……感謝する、人間」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 英雄の武器なんてオレには不似合いだ。微笑みながら、大事そうに、愛おしそうに聖剣を抱きしめた白磁の仮面の女にオレは頷いた。

 これで良い。弔いの意思を忘れるのは『人』として恥ずべき事だ。そして、オレのように喰らった全てを糧とする弔いなど1つのあり方に過ぎない。この女の弔いが聖剣と共にアルトリウスの眠りを祈る事ならば、それを尊重しよう。

 きっと、あの選択肢は茅場の後継者の悪意などではなく、聖剣という存在がもたらす誘惑そのものなのだろう。力を欲するならば聖剣を、祈りを選ぶならば譲渡を。オレは後者を選んだだけだ。聖剣などなくとも、オレは戦い抜けるはずだ。まぁ、難易度大減少のチャンスをふいにしたのだから、今後はDBOの糞難度に文句を言うのは控えよう。

 

「これは礼だ。貴公に火の導きがあらんことを」

 

 聖剣の対価として得られたのは【古狼の牙の首飾り】だ。灰銀色のそれは牙とは思えない程に美しく澄んでいる。どんな効果があるかは調べてみなければ分からないが、聖剣にはさすがには劣りそうだな。

 キアランか。そういえば、アルトリウスも彼女の名を呼んでいたな。戦友と言っていたが、どんな間柄だったのやら。いや、これは余計な邪推というものか。消え去る彼女を見送り、今度こそオレは膝を折る。

 エドガーは仕事を果たしただろうか。グリムロックとグリセルダさんは、それにヨルコは無事だろうか。

 

 瞼を閉ざせば、暗闇の中に赤紫の月光と黄金の蝶の燐光が見えた。

 

 祈りは無力だ。

 

 だが、祈りは導きとなる。誰かの声を耳にしながら、オレは意識を溶かした。




<システム・メッセージ>
・主人公(白)に【久遠の狩人】モードが標準装備されました。

それでは、215話でまた会いましょう。

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