SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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長かったナグナでの戦いもいよいよ終わりです。

生き残った者たちの結末を見届けていただけたら幸いです。


Episode16-30 傭兵と鍛冶屋の物語

 揺れる、揺れる、揺れる……揺れるのは『誰』?

 蒸された真夏の空気。鼻孔を突くのは腐敗臭。血肉が腐り、沸いた蛆のざわめきが耳を撫でる。

 天井からロープが垂れて、誰かが吊るされている。腐敗ガスで今にも破裂しそうなまでに膨れた目玉でオレを映している。

 彼は誰だろう? マシロが足下でゴロゴロと喉を鳴らして頭を擦り付けている。彼女を抱き上げたオレは、自分の頭の中がまるで今にも噴火しそうな火山のように、マグマが脈動しているような熱でうなされる。

 マシロの目玉はなくなっていた。彼女の瞳は何色だったのか、思い出せない。白い毛に顔を埋め、自分が壊れていく音を……歯車が落ちていく音を耳にする。

 また、大切なものを忘れちゃったのかな。おばあちゃんのお菓子の味も、首を吊った『誰か』も、思い出の欠片だったのかな。いつの日か、忘れている事すらも忘れてしまって、真っ白になっていくのかな。

 温もりを感じる。リズムが体を揺らす。オレは薄く瞼を開き、微睡みにも等しい眠りから覚める。僅かな意識の空白は、アルトリウスとの戦いで限界を迎えた脳が強制的にシャットアウトして再起動するまでのインターバルか。オレとした事が、完全に油断したな。

 

「おや、起きられましたかな? 気分はいかがですか?」

 

「最悪だ。野郎の、背中で、お目覚め、とは、な」

 

 右目の視界は薄らいでいる。まるで水墨画のように滲んでは鮮明となる。

 先ほどから耳鳴りも酷い。音はまだ拾えているが、方向性を上手く認識できていないか。

 右膝から先の感覚、無し。左手は針帯のお陰で辛うじて感覚がある。右手は指の何本かが動いていないか。まだ右腕は自動修復されていないところを見ると、やはり意識を失っていたのはせいぜい数十秒といったところか。

 あのまま眠り続けていては、さすがにまずかったかもな。心臓の弱々しさに、我ながら大した生命力だと褒めたくなる。だが、しばらくは無理してでも睡眠は控えるべきだな。次に眠ったら今度こそ目を覚ましそうにない。

 怠いが、周囲を確認すれば、まだアルトリウスとの戦いで崩壊の限りを尽くした、足元には清廉な水面が広がるクリスタルの地下空洞だ。深淵の魔物も大概だったが、アルトリウスの光波のせいで原型は限りなく無くなっている。これが自動修復されて元の風景に戻るのは相応の時間が必要になりそうだな。

 

「もう良い。自分の、足で、立てる」

 

 上手く動かない舌のせいで、区切り区切りで喋りながら、オレを背負うエドガーに頼む。だが、彼は振り向いて横顔を見せると憎たらしいくらいに『にっこり』と笑う。

 

「いえいえ、お気になさらずに。このエドガー、【渡り鳥】殿に気をつかわせる程に消耗しておりません」

 

「誰も、気にして、ねーよ」

 

 喋るのも一苦労で億劫だ。限界ギリギリまでスタミナ切れ状態での戦闘と致命的な精神負荷の受容、そしてそれらの状態でのソードスキルの使用による過負荷。さすがに、少しだけ疲れたな。

 さっさと下ろせとエドガーを睨むも、彼は何処吹く風とばかりに無視している。こちらの意図を分かった上で無視してやがるので面倒だ。

 

「黒色マンドレイクは無事に入手しました。ヨルコさんにも無事に届けましたのでご安心を。しかし、応援に駆け付けたのですが、無駄だったようですね」

 

 エドガーの口からアルトリウスの名が出ても驚かない。元よりコイツは深淵の魔物の正体を知っている旨を告白している。そして、それを追及しても藪蛇にしかならないだろう。何を企んでいたにしても、エドガーは善意に従った。それだけで十分だ。

 しかし、深淵の魔物を待った時間と戦闘時間を考慮しても、エドガーが黒色マンドレイクを入手して地下街に戻った上でオレの元に駆けつけるには、些か以上に短時間だ。

 考えられるとすれば、黒色マンドレイクを入手する為の地底湖での戦闘を限りなく短縮する事だ。そして、その役に立ったのがエドガーの切り札である事は間違いないだろう。

 

「アルト、リウスは、眠った。騎士と、して」

 

「それを聞いて安心しました。これで偉大な騎士の御霊がこれ以上侮辱される事は無いでしょう」

 

「…………」

 

「……【渡り鳥】殿が望まれるならば、このエドガー、全てを語りましょう。嘘偽りなく、隠すこともなく、全てを」

 

「要らん。オマエは、善人、だ。それ以上は、知りたくも、ねーよ」

 

「お優しいのですね」

 

「死ね」

 

「残念ながら、1度死んでおります」

 

「なら、もう1回、死ね」

 

「それが神の意思ならば」

 

 やっぱり、コイツは苦手だ。淡々と言葉を重ね合う中で、嫌でもエドガーという人間の事が分かってしまう。

 必要ならば、エドガーは多くの人間を手にかけるだろう。そして、その必要性は常に神の示す善意の基準によって定められている。そこから逸脱しない限り、彼の善意は揺るがない。殺人さえも彼からすれば悪行ではない。

 まったく、コイツもコイツでとんでもなく歪んでやがるな。一体全体誰がコイツをこんなにも歪めたのやら。宗教ってのは本当に恐ろしい。エドガーがこんな人間になった啓示は何処にあったのか、少しだけ気になってしまう。

 

「オマエ、親父に、似てるよ」

 

 意地でも下ろす気が無いエドガーに根負けして、おとなしく地下街に到着するまでは背中を借りることを決定したオレは溜め息を吐く。足代わりになってくれるならば、せいぜい利用してやるさ。

 

「親父は……すごい、腹黒、でさ。何を、考えてるのか、分からないし、いつも、何か企んでる。そんな、糞野郎、だ」

 

「【渡り鳥】殿のお父上に似ているとは、光栄ですな」

 

 だからオレは親父が嫌いだ。ニコニコと人畜無害の面して笑う裏では、いつも策謀を巡らし、敵対者を破滅させる。親父が『敵』とみなせば、その時点で終わりだ。死ぬか、生き地獄を味わって自殺するか、そのどちらかだ。それらを親父は誰にも悟られる事無く、密やかに実行して、自分自身は善人面をし続ける。

 いわゆるアレだ。力こそパワーの悪の組織のボスじゃなくて、初登場の頃から参謀キャラとして色々と助けてくれていたヤツが実は黒幕でした的な人物だ。

 

『あなた達、もしかしてお父さんの事が嫌いなの?』

 

『『『大嫌い』』』』

 

 オレ、兄貴、ねーちゃんの3人が声を揃えて、きっと生まれて初めて兄弟3人の心が一致しての宣言には、さすがの母さんも頬を引き攣らせたものである。

 

「でも、親父の、1番嫌いな、部分は、糞野郎のくせに……善人面してる、くせに、好き勝手に、やってる、くせに、やる事成す事が……回り、回って、最後は、自分以外の為、なんだよ」

 

 親父は揺るがない。家族は絶対に裏切らないし、母さんの事は本気で愛しているし、オレ達の兄弟の事はいつも本気で気にかけている。何か企む時だって私腹を肥やす為じゃない。『必ず成し遂げねばならない』という明確な意思に基づいて、冷徹なまでに障害を排除するからだ。だから、目的を果たしたら地位にも権力にも財産にも固執しない。ますます裏ボスみたいなヤツだよ。

 

「【渡り鳥】殿にそっくりですな」

 

「ふざ、けんな」

 

「これは失礼しました。確かに、【渡り鳥】殿は御父上に比べたら素直で純真過ぎますな」

 

 増々ふざけんな。オレが純真だったら世界中の人間が原罪無しの無垢な赤子みたいな聖人だらけになるだろうに。

 エドガーの背中に糞親父を重ねてしまったせいか、少しだけ口が軽くなってしまった。

 

『篝、お前は母さん似だな。それで良い。それで良いんだ』

 

 ふと思い出したのは、まだ糞親父が『何をしているのか』を知らなかった頃、書斎に珈琲を届けに行った時に、頭を撫でてくれた時だ。あの頃はまだ糞親父の事は好きとか嫌いとか区分する基準も無かった。

 仕事大好き人間の糞親父め。母さんもあんな男の何処に惚れたんだか。そういえば、見合いだったな。きっと母さんも糞親父の人畜無害面に騙されたのだろう。きっとそうに違いない。

 色々と思い出そうとするが、所々がぼやけている。DBOの記憶は……今のところは思い出そうとする部分に限れば問題ないな。でも、中学校の頃に……SAOに囚われる前の事が、少し薄らいでいる気がする。

 何だろう? ムキムキな先輩……が、手紙? 下駄箱……ラブレター? 男子校なのに、何で、オレの下駄箱に? 思い出せない。というよりも思い出したくない。

 背筋がぞわぞわして吐き気を催しかけた頃に、ようやく地下街に到着してオレはエドガーの背中から下りた。何か知らんが、本当にこの記憶は灼けてしまって正解のような気がする。

 

「先に、行って、ろ。少し、用が、ある」

 

「畏まりました。【渡り鳥】殿も十分にご注意ください。もう地下街は安全地帯ではありません」

 

 恭しく頭を下げたエドガーを先に行かせたオレは死神の槍を再装備して杖代わりにすると、今は主無きボールドウィンの工房を目指す。グリムロックがいるかもしれないと注意するも、幸いな事に彼の姿は見当たらなかった。

 ボールドウィン、感謝する。深淵殺しが無ければ、深淵の魔物にも、アルトリウスにも、決して勝つことはできなかっただろう。だが、1つ言わせてもらえば、どう考えてもアレは脳筋向けの武器だと思うぞ。オレは黙祷してから工房の奥に向かい、彼の作品の数々が安置されている倉庫に赴く。

 探し物はすぐに見つかった。マイラスの針帯の予備である。ボールドウィンの口振りから相応数が生産されていると思ってはいたが、当たりだったな。

 さて、根性を入れる時間だ。深呼吸を差し込み、オレは針帯を右足に装備させる。針が貫いていく感触がまだ痛覚に対して過敏になっている脳内で蠢き、喉を押しあがる悲鳴は歯を食いしばって封じ込める。

 これで良い。右足は『まだ』回復するだろうとは思うが、ナグナを脱出しきるまではこれで感覚を代用できる。歩くことも走ることもできるだろう。だが、対して左手は絶望的だな。もう針帯無しでは感覚は取り戻せないと思った方が良いかもしれない。

 まぁ、針帯のSTRボーナスは有用なので割り切るとしよう。右手は中指と親指の動きが鈍いだけか。『まだ』問題はないな。これならば時間をかければ回復するだろう見込みもある。

 レベルに関しては、ザリアとアルトリウスの膨大な経験値……特にアルトリウス分のせいで色々とまずい事になっている。ただでさえシャルルの森でヘイトMAXなのに、ナグナから脱出しても色々とろくでもない事になりそうなのは目に見えている。ノイジエルとベヒモス、両名を含めた上位プレイヤー部隊の壊滅にして全滅だ。これ以上はさすがに管理しきれないので、しばらくは休暇をもらうとしよう。そうしよう。

 成長ポイントの割り振りを終えて、オレはボールドウィンの工房を立ち去る事にした。

 大半のプレイヤーが死亡した地下街は静まり返っている。いるのは再配置された『命』のないNPCくらいだ。彼らはナグナの災厄が消し去られた事を喜んではいるが、それ以上の反応を示さない。

 ようやく戦いは終わった。その感覚がじわりと胸の内に広がる。安堵するには早いが、深淵の魔物がいない以上は表のナグナまで脱出するのは決して難しい事ではないだろう。特にグリセルダさん達は安全な最短ルートの割り出しも行っているはずだ。

 

「ユウキに、なんて、謝ろう……かな」

 

 グリムロックのせいとはいえ、メールを総無視しているくらいだ。かなり怒らせているだろう事は間違いないだろう。今更帰っても、顔も合わせてくれないかもしれない。

 でも、ようやく『答え』の欠片を見つけることができたんだ。首に下げられたペンダントを取り出して握りしめる。傭兵は約束を守る。傭兵は恩を忘れない。ならば、罵倒されてでも彼女に会いに行かねばならないだろう。

 それにしても静か過ぎる。諸手を挙げて帰還を歓迎されるとは思ってもいなかったが、グリムロックくらいは『死神の槍とザリアは壊れてないだろうね!?』くらいにHENTAI鍛冶屋魂全開で現れるだろうと思っていたのだが、NPC以外の雰囲気をまるで感じない。

 と、そこでヤツメ様が臨戦態勢を取っている事に気づき、オレの右手は死神の槍を構えていた。

 もう地下街は安全地帯ではない。エドガーの警告が蘇って、オレの心臓は弱々しい拍動の中で1度だけ高鳴る。

 来たれ。来たれ来たれ来たれ。狩人の血よ、来たれ。瞼を閉ざして呼吸を整えて、オレは狩人の血を呼び覚ます。本能が収集した情報を意識下に捉え、まるで俯瞰するように世界をイメージする。まだ使いこなしきれているとは思えないが、ヤツメ様の導きに依存しない戦い方だからこそアルトリウスに届いた。シャルルの時は手放してしまった感覚を開く鍵をしっかりと手に入れている。これは大きな収穫だ。

 大丈夫だ。グリムロックもヨルコも戦闘要員ではないが、修羅場は潜り抜けている。グリセルダさんはまだ再起できていないだろうが、あの2人ならば多少の脅威ならば突破できるはずだ。

 なのに、どうしてオレは焦っているんだ? 足早になり、オレはある1点を目指す。ヤツメ様がその方向にステップを踏んでいる。血溜まりに波紋を作り出してオレを誘っている。

 そして、オレの進むべき道を塞ぐように、両腕をだらんと下げたエドガーが立っていた。彼は普段の『にっこり』を潜めて、まるでオレを待っていたかのように顔を俯けている。

 

「エドガー、何が、あった?」

 

「……申し訳ありません、【渡り鳥】殿」

 

 何を謝る必要がある? 今回の1件でオマエがどんな暗躍をしていようとも、オレは面倒事に突っ込むのも嫌なので探る気はない。それに、オマエは善意に殉じた。それは狂信であるとしても『人』として何ら恥ではない。

 ならば、どうしてエドガーは震えているのだろう? 拳を握り、まるで何かを堪えているようにも思える。

 と、そこでオレは気づく。エドガーの背後に気づいてしまう。

 

 ああ、気づきたくなかった。見たくなかった。こんなもの知りたくなかった。

 

 希望も絶望も無く戦える。オレは闘争心と殺意のままに戦い続けられる。そう、『戦い』の中であるならば。

 

 ならば、『戦い』の外にあるモノに対してはどうだろうか? オレは指先から死神の槍が離れていく感触を味わいながら、震える唇を噛み締める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「言ったでしょう? 帰ったらたっぷりと『説教』があるって……ね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回れ右ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! 泣き叫んでヤツメ様が全力疾走する! 狩人の血がこの状況を打破するルートを選別する! ああ、駄目です、ヤツメ様! その逃走ルートは確実に回り込まれます! ここは全武装を放棄して身軽になって強行突破しかありません!

 グラリとエドガーが倒れる。その尻に当たるズボンの部分には、生々しい大穴が開き、赤黒い光が零れている。

 

「グリムロック作『ケツパイル専用』ヒートパイル【興干】」

 

 ガッションガッション! そんな音を立てて、ヒートパイルにあるまじき連続稼働を見せつけるのは、史上最悪のHENTAI武器を装備した鬼セルダさんだ。その背後では、ガタガタと震えたグリムロックとヨルコが抱き合ってエドガーの惨状を、なけなしの責任感からか、目を逸らさずに直視している。

 

「フフ、フフフ……素晴らしいわぁ。持つべきは優秀な夫よね? 攻撃力と衝撃とスタン蓄積を極限まで抑えた代わりに貫通性能と連射性能がすごい高いのよ? 鎧だろうと何だろうと1発でぶち抜いてターゲットの尻を貫通するわ。何度も何度もピストンするわ」

 

 ヒクヒクと痙攣するエドガーを見れば、尻に開いた大穴を見れば、彼に何があったのかは嫌でもわかる! というか、そのネーミングには底知れない悪意しか感じれないのは何故だろうか!?

 今ようやく分かった! ヤツメ様が誘っていたのはナグナからの脱出路! その出口! まだ狩人の血が未熟なオレの為に、迫り来る最強最悪の脅威にして絶望から逃がす為だ!

 狩人よ、この糞ったれな状況を何とかしてくれ! だが、狩人はオレの後ろに隠れている涙目のヤツメ様を脇に抱えて去っていく。待てい! ヤツメ様は置いていけ! この状況を突破するのに必要不可欠だ!

 ピタリと足を止めた狩人は、顔だけ振り向いて小さく笑う。

 

 

 これは専門外だ。気張れ。

 

 

 グーサインで白旗宣言をする狩人によってヤツメ様は連れて行かれ、オレは独り寂しく鬼セルダさんと対峙する。いつの間にか狩人の血もすっかり冷え切って、取り残されたオレは過去体験したことが無い、これが絶望なのか、と言いたくなる鬼セルダさんに歩み寄られ、眼前に立たれるまで1歩と動けなかった。

 ごめん、ユウキ。オレはケツパイルで色々と大事なモノを失うかもしれない。ギュッと目を閉ざし、オレは今までの人生を振り返ろうとするが、色々と穴だらけになっている。その中で野郎に何故か桜の木の下に呼び出された1ページの断片を見つけるが、読みたくないので放棄した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「頑張ったわね、クゥリ君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、尻を貫く感触はなく、オレはぼふりと顔を柔らかい何かに埋める。

 数秒の沈黙の後に、オレはグリセルダさんに抱きしめられていることに気づく。瞼を開いて見上げれば、鬼セルダさんではなくグリセルダさんが今にも泣きそうな顔をしていた。いや、実際に頬から1滴の涙を流していた。

 

「勝ったのね? 深淵の魔物を倒したのね?」

 

「……勝ったよ。深淵の魔物は……アルトリウスは、眠ったよ」

 

 そうだよな。グリセルダさんの性格を考えれば、彼女が誰よりも責任を重く感じていたはずだ。

 オレは『独り』で戦える。でも、それは誰かを残して戦うという事だ。グリムロックが、グリセルダさんが、ヨルコが、どんな気持ちだったのかなど考えたことも無かった。

 オレはまだまだガキだったという事か。ギンジ、オマエの言う通りだよ。自分の事で手一杯の糞野郎が、100人全員を救えるスーパーヒーローになれるはずがない。『オレの獲物』を殺させない。それだけで十分だ。

 

「あなたは本当に無茶ばかりするわね。あの頃から少しも変わってないわ。もう少し、自分を労わるという事を知りなさい」

 

「でも、これし、か、方法は、無かった」

 

 こんな方法しか知らなかった。それはグリセルダさんを泣かせてしまった言い訳にはならないのだろう。でも、もう決めたんだ。『仲間』なんて要らないって決めたんだ。

 

「い、いい加減、に、放して、くれ! か、顔にむ、むむむむ、胸がぁ!」

 

「フフフ、顔が真っ赤ね。良いわ。これくらいにしてあげる。ヨルコ、クゥリ君の右腕を見てあげて。『お願い』ね?」

 

 グリセルダさんはオレを解放し、両目に涙を溜めたヨルコが近寄ってくる。欠損でも出血状態でもない右腕だが、アバターの自動修復がまだ不完全であり、内部の骨格が砕けたままだ。痛みを顔に出さないようにしながら、腰を下ろしたオレの右腕にヨルコが注射するのを見守る。注射というのはあまり好きではないんだよな。こう、なんて言うか、異物が内部に入ってくる感覚が苦手だ。

 

「あ……れ?」

 

 だが、途端にオレの体は硬直して動かなくなる。HPバーの下を見れば、レベル3の麻痺のアイコンが表示されている。

 グリセルダ……さん? システムによって強制的に全身の自由を奪われて倒れたオレは、恐る恐る見上げると、そこには鬼セルダさんが悪夢のヒートパイルをガッションガッションさせていた。

 

「安心しなさい、クゥリ君。あなたには何もしないわ。『あなたには』……ね。だけど『躾』には恐怖が必要だわ。さてと『時間』よ、あなた」

 

 そう言って麻痺して動けないオレの前に、グリムロックが進み出て四つん這いになる。まるでグリセルダさんに尻を見せつけるように。

 止めろ。止めてくれ。お願いだ、止めてくれ! こんなモノ見たくない! なのに、ヨルコがオレの瞼を指でこじ開けさせる。決して目を逸らさせないように。

 どうしてこんな真似を? 後遺症と麻痺で上手く喋れないオレは目で訴えるも、涙を零しながらも覚悟完了したらしいグリムロックがオレに笑いかけた。

 

「エドガーさんも、私も、キミに背負わせ過ぎた。その罰は受けるべきだ」

 

 それしか方法が無かったのだ! それしかやり方を知らなかったオレが悪いんだ! というか、エドガーは地底湖の食人植物の群れに単身で突っ込むという形で無茶したからオレと同類だろうに!

 

「エドガーさんは別件よ。グリムロックからもらった情報を整理したのだけど、彼は色々と怪しいわ。だけど、クゥリ君は見逃してあげているみたいだし、でもこのままお咎め無しで解放するのもどうかと思うでしょう?『疑わしきはケツパイル』は常識よね」

 

 常識じゃねーよ!? グリセルダさんはロックオンしたグリムロックの尻にヒートパイルを向ける。

 逃げろ、グリムロック! オレは何か突破口はないかと探るも、麻痺で体が動けないのであるならば何も抵抗手段が無い! 糞が! ヤツメ様さえいてくれれば、ヨルコの注射から逃げきれたかもしれないのに!

 

「良いんだよ。グリセルダには怒りをぶつける相手が必要だ。彼女の心が少しでも晴れやかになるならば、私は喜んで犠牲になろう。それに――」

 

 もはや覚悟完了したグリムロックにオレの想いは届かない。ならば、彼の悪夢を見守るしかオレにはできないというのか!?

 

 

 

 

 

「それに、自分の作品を味わうというのも悪くないものだ。実に素晴らしい! しかも! グリセルダの! 手で!」

 

 

 

 

 顔を赤らめてハァハァしているグリムロックは……まさしくHENTAIでした。

 やはり祈りは無力だ。オレは逃れられない悪夢の光景を見せつけられるしかなかった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「オェエエエエエエエエエエエエエエエエ!」

 

 嘔吐しない仕様にも関わらず、エレナは四つん這いになって喉を引き攣らせている。ナドラも泣きながら『「煙」のところに帰るぅうう!』と言って消えてしまった。

 先程から戦いの余韻を映し続けていた水鏡では、ガッションガッションという音と共に、とても凄惨な光景が披露されている。思わずアルシュナも目を逸らしたくなる悪夢的所業に、デュナシャンドラもさすがに咳を入れてフィンガースナップを奏でると水鏡を消した。

 

「ま、まぁ、戦いの終わった後など、こういうモノだと相場は決まっていますわ」

 

「さすがに特殊なケースではありませんか?」

 

 必死に取り繕うとするデュナシャンドラに、無情な言葉を刃をアルシュナは突き刺す。

 何とも言えない沈黙が2人の間で流れ、アルシュナは目を逸らす。アルトリウスとの死闘の後にこれを見せられれば、余韻も何もかも吹っ飛んでしまうというものである。いや、それよりもあのヒートパイルの性能は何気に恐ろしく、実用性の幅も広い。『あんな真似』に開発されたのは甚だ不愉快ではあるが。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……帰りますわ」

 

「その方がよろしいかと」

 

 そそくさと去っていくデュナシャンドラを見送り、未だに嘔吐体勢を続けるエレナを視界から排除しながら、アルシュナは息を吐いた。

 終わりよければ全て良しとは思わない。だが、どんな形であれ、クゥリは今回の戦いに終わりの区切りを付けられただろう。あるいは、あんな馬鹿な真似をしてグリセルダはクゥリの意識を戦いから少しでも引き離そうとしたのかもしれない。そう信じたい。信じさせて欲しい。

 

「『答え』の鍵は戦いの『外』にある。その通りかもしれませんね」

 

 クゥリに今こそ必要なのは、戦いから離れた、少しでも穏やかな時間なのかもしれない。それは彼の本能が欲するモノとは真逆かもしれない。だが、彼に新しい何かを与える切っ掛けになるはずだ。

 ようやく手繰り寄せた彼の『答え』の断片だ。彼を『人』に留めるよすがだ。その為にも、次の扉の鍵を開くための鍵を見つける為にはきっと必要な時間になるはずだ。

 

「1つ聞いて良いか」

 

 ようやく復帰したらしいエレナは口元を拭いながら、涙を浮かべた目でアルシュナを射抜く。彼女は頷いてエレナの言葉を待つ。

 

「最後の最後に【渡り鳥】は本能の解放を選ばなかった。それが最も単純な勝利への近道だったはずだ。なにか干渉したのか?」

 

 そんな事か。エレナの疑問に、アルシュナは何を馬鹿な事を言っているのだろうかと笑んで立ち上がる。自分もそろそろお暇する時間だ。

 

「何もしていません。祈っていただけですよ。私も『彼女』も……クゥリ自身も祈っていただけです。『答え』の為に」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 地獄絵図とはまさにアレの事を言うのだろう。尻から煙を上げてベッドに倒れ込んでいるグリムロックは恍惚な表情を浮かべているが、それを総無視して彼を哀れみながら医務室のドアを閉める。ヨルコはナグナの万能薬作りの準備に忙しく、最高の状態での作成を進めている。話によれば、あと1時間もあれば全員に万能薬が配られるだろう。そうなれば、早急に地下街を脱出しなくてはならない。

 

「それで、見せたい、ものって、何だ?」

 

 片言で喋るオレを問い詰めるような眼をするグリセルダさんと数十分前にケツパイルされたエドガーが並んでいるのは、正直言ってかなり異常な光景である。というか、エドガーはどうして平然としていられるのだろうか。

 

「【渡り鳥】殿、生存者2名。そう申し上げた事を憶えていらっしゃいますか?」

 

 エドガーの問いかけの意図が分からないが、ノイジエルの凶行の際の報告は確か2名だったはずだ。ヨルコともう1人である。どんなヤツかは会ってもいないので分からないがな。

 首肯したオレに、エドガーもグリセルダさんも顔を厳しくする。何かオレは間違っているだろうか?

 

「訂正があります。生存者は1名……ヨルコさんだけです」

 

 そう言ってエドガー達が案内したのは、地下街にある倉庫の1つだ。元々は物資を保管していただろう倉庫は棚が全て隅に片づけられ、中心部を広く開けている。そこには椅子で縛られた1人の男の姿があった。

 姿恰好から判断することはできないが、ナグナで脱出を待っていた1人だろう。そのカーソルはプレイヤーを示しているが、オレは奇妙な違和感を覚える。

 これは……何と言うのだろうか。『命』があるようで無い、まるで呪縛者を相手にしたような感覚だ。近寄ろうとするオレに、グリセルダさんは腕を伸ばしてストップをかけた。

 

「近寄っては駄目よ。攻撃されるわ」

 

 攻撃される? オレが問うより先に、椅子に縛り付けられた男の口から何かが伸びた。

 それは黒い顎を持つ白い胴体のブヨブヨとした虫である。それは縦割りの顎をガチガチと鳴らし、近寄ろうとしたオレに向かって喰らい付こうとする。同時に男が暴れ回り、自分を束縛するワイヤーを引き千切ろうとするが、さすがに腕力だけでは破壊することはできないらしく、数十秒ほど暴れた後に沈静化した。

 

「これは、寄生、か?」

 

 ナグナにはこんなモンスターもいるのだろうか? だが、グリセルダさんのやや戸惑ったような反応を見るに、どうやら違うらしい。

 

「エドガーさんが駆けつけて、襲われかけていたヨルコから守ってくれたのよ。あのまま彼女が殺されていれば、クゥリ君を除いてナグナを脱出できる者はいなくなっていたでしょうね」

 

 確かにオレは≪薬品調合≫を持っているが、熟練度はヨルコに遠く及ばない。成功率も格段に異なるだろう。ヨルコが死んでいれば、まさしく詰みだったのだ。

 オレがアルトリウスと戦っていた間に、その全てが無駄になりかねない事態が進行していたとは恐ろしい事である。そして、それを思えば思うほどに、阻止したエドガーがケツパイルされたのは本当に悲劇としか言いようがないかもしれない。だけど、正直言ってエドガーがケツパイルされても心は少しも痛まないので問題無いな。むしろ再起不能までぶち込んでもらっても構わない。

 

「しかし、奇妙な、ヤツだ、な。『命』が、あるの、か、無い、のか」

 

 訳が分からん。プレイヤーカーソルなので人間なのは間違いないが、まるで『命』を感じない。まぁ、ナグナに囚われているのはSAOの死者達だ。1人くらいは不完全な復活者がいてもおかしくないと言えばおかしくないのだが。

 

「【バーナシィ】は4日前に行方不明になっていたわ。生存は絶望視されていたけど、無事に帰ってきて以来、明るかった彼は寡黙になってしまっていたわ。精神的なショックの影響かとも思っていたけど……」

 

 蓋を開けてみれば、バーナシィは巨大な寄生虫を腹に飼っていました、とは笑えないジョークだな。うねうねと動く寄生虫に、オレは頭の隅を引っ掻かれる何かを感じ取る。

 寄生虫……まさかザクロか? 虫を操る特異なスキルを持つヤツならば、寄生させるなどお安い御用だろう。だが、寄生した相手を完全にコントロールするなど、さすがにチート過ぎる気がする。そうなると、寄生虫はオマケでバーナシィ自体にカラクリが仕込まれていると考えた方が自然か。

 

「それともう1つ、捕らえるまでにダメージを与えてしまったので、このエドガーが奇跡で回復をさせようとしたところ、彼は逆にダメージを負いました」

 

 それもまた奇妙だ。回復系奇跡でダメージが与えられるのは、ゲームの鉄則であるゾンビ系モンスターに限る。つまり、バーナシィはSAOの死者とかそんな事は関係なしに、DBOのシステムにおいて『死者』と判別されている事になる。

 途端にオレは1つの推測を思い浮かべる。バーナシィは何者かに殺害されてゾンビ化させられていた。死体に寄生する寄生虫はDBOでも最序盤から確認されている。腐敗コボルド王が良い例だ。

 ザクロの寄生虫は遠距離からでもある程度のコントロールが利くようだった。それに虫ごとに何かしらの能力を持っているとも言えるだろう。もしも、ゾンビ化させられていたバーナシィに何かしらの『命令』が組み込まれ、それをサポートし、また観察する為に寄生虫が仕込まれていたとするならば?

 

 そもそも都合よくオレ達がいない間にノイジエルを地下街まで誘導した存在がいるとするならば?

 

 ヨルコを『生かした』のは、何者かの意図……たとえば、1人分の万能薬を作らせて深淵の魔物に挑ませる為だったとするならば?

 

 何者かが、オレとエドガーという戦力が欠如し、なおかつグリセルダさんも戦闘不能状態であるのを見計らって抹殺にかかっていたとするならば?

 

 全ては推測に過ぎない。だが、考えれば考える程に、この歪んだ偏執の中心部にオレがいるような気がしてならない。というか、ザクロが絡んでいるならば、ヤツの復讐心はオレに向けられたものだ。

 ならば、地下街の悲劇はオレこそが原因なのだろうか? オレが彼らを殺したようなものなのだろうか?

 

「クゥリ君、顔色が悪いわよ?」

 

 そうだ。全ては推測だ。霧の中に包まれた曖昧な疑念がもたらす1つの形だ。だが、死人を操り、虫を寄生させる。その2つにはどうにも覚えがある。ナナコとザクロ、この2つの線がどう交わっている?

 いや、2つの線が交差する1点……PoHがいる。だとするならば、随分と舐めた真似をしてくれる。オレの邪魔をしないと言いながら、早速手を出してきたのは気に食わないが、ヤツが起こしたアクションにしては味付けが『薄い』な。

 絶対にPoHはオレの邪魔をしない。それだけは言い切れる1つの事実だ。何よりも、本気でオレを嵌めるつもりならば、PoHのやり方としてこれは生ぬるい。

 だとするならば、必然として成り立つのは、PoHもまた『誰か』の依頼を受けていたという点だ。あまり言いたくはないが、グリムロックがラフィンコフィンを利用してグリセルダさんを殺したように、PoHもまた『誰か』の依頼によって動いていた。それならば、PoHは自分の信条を曲げていない。あくまで『誰か』の依頼なのだから。

 そして、その『誰か』として最有力なのは、オレが眠っている間に刺客を送り付けた人物だろう。候補として有力なのは……多過ぎるが、PoHのやり方からすれば、大ギルドの上層部の『誰か』というわけか。

 何にしてもナグナにPoHとザクロはいたかもしれないな。案外オレ達を傍で観察していたのかもしれない。ザクロからすればオレの背中を刺すチャンスがあり過ぎたと思うのだが、ヤツの復讐心はどうにも単純にオレを殺すという事ではなく、オレを苦しませて殺すという意味があるような気もする。まぁ、奇襲をかけてくれた方が始末するのも楽なんだがな。

 

「……何でも、ない。それよりも、エドガー、よく、気づいた、な」

 

「ノイジエル殿の行動に疑問がありましたからね」

 

 さすがは元同僚か。ノイジエルはエドガーに悪感情を抱いていたようだが、エドガーからはそうでも無い……むしろ、ある種の尊敬も抱いていたのだろう。

 何にしても、ザクロをこのまま放置していたらまずいな。オレに何を仕掛けてきても構わないが、『オレの獲物』に手を出すならば、ヤツは明確な敵だ。自然界で1番やってはいけないのは『横取り』だ。それが許されるのは強者だけだ。

 分かる。ヤツは『弱い』。1度でも本体を捉えれば、確実に殺せる。鬼ごっこ兼かくれんぼか。良いだろう。付き合ってやるさ。

 死神の槍を構え、バーナシィに向ける。こうなった以上は殺害するしかないだろう。いや、そもそも生きているかどうかも怪しい。あるいは、クリスマスレギオンの時と同じように、彼の自意識が残されながらも蹂躙されているのかもしれない。

 

「駄目よ。私が……私が殺すわ」

 

 だが、オレが彼の胸に死神の槍を突き立てようとするより先に、グリセルダさんが待ったをかける。彼女もまた、感染者が際限なく湧き続けるナグナで生き抜いた1人だ。ならば、身内から出た犠牲者は自分の手で決着をつけるという事か。

 オレの頭に過ぎったのは、ヨルコの荒んだ笑みだった。グリセルダさんも多くの感染者を……かつての仲間を斬ったのかもしれない。

 だが、バーナシィはオレの因縁に巻き込まれたようなものだろう。ならば、オレの手で殺すべきだ。

 

「私に決着を付けさせて。この戦いの、最後を、決めさせて」

 

 グリセルダさんの、折れた心を繋ぎ止める糸ではなく、燃え盛るような信念の輝きを見て、オレは死神の槍を下ろした。

 戦いの決着か。そうだな。確かにオレの因縁かもしれないが、この戦いの総括はグリセルダさんがすべきかもしれない。ならば、バーナシィの始末は彼女に任せよう。

 グリムロックが提供したのか、オレのアサルトライフルを構えたグリセルダさんは数秒間だけ瞼を閉ざし、そしてトリガーを引いた。

 吐き出され続けた弾丸は寄生虫とバーナシィを撃ち抜き続け、拘束された彼は何1つ抵抗できないままに赤黒い光となった。残された1メートル強もある寄生虫は芋虫のように動きながら新たな宿主を求めるも、オレは死神の槍を突き刺してトドメを刺す。

 エドガーがせめてもの慰めなのか、祈りの言葉を唱えた。それは今日までナグナに散っていた者たちへの弔いか。

 

 そうして、ナグナでの戦いは幕を下ろした。霧の中に包まれた陰謀のどす黒い影だけを残して。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ヨルコが万能薬を作成して即座にナグナの脱出をするという強行スケジュールはさすがにグリムロックも反対したが、既に防衛網が無い地下街にはモンスターが緩やかにだが流れ込んできており、これ以上の予断は許されなかった。

 とはいえ、クゥリ、エドガー、グリセルダの3人はいずれもナグナのハイレベルなモンスター達を相手取る事が十分できる上に、感染という最大の脅威が消えた事もあって、脱出自体はスムーズにいった。また、深淵の魔物が徘徊しておらず、ザリアの撃破の影響か、感染モンスターとのエンカウントも格段に下がった事やグリセルダ達が持つルート情報、そして何故かエドガーが把握する、聖剣騎士団と太陽の狩猟団が利用した鉱山ルートの情報も合わさり、ほぼ危険らしい危険も無かった。

 感染する恐れが無いだけで劇的に難易度が変わる。それもまたナグナの特徴の1つなのかもしれない。今後はナグナの探索がより活発に行われ、いずれは大ギルドによる利権主張の場になるだろう。

 

『地下街は焼き払うわ。1つ残らずね』

 

『丸薬・良薬・万能薬のレシピは街に着いたら公開する。余計な犠牲を出す気はねーよ』

 

 グリセルダとクゥリの言葉が蘇り、グリムロックは長いようで、実際には数日しかいなかったナグナの日々を思い出す。

 グリセルダはいずれ訪れるだろうプレイヤーたちに余計な『気づき』を与えない為に、地下街の全てを焼いた。辛くも仲間と助け合った思い出も何もかも炎に平らげさせた。ボールドウィンの工房は特に念入りに行われ、グリムロックが幾つかを失敬してから真っ先に焼却された。

 クゥリの選択も『人』として間違いではないのだろうが、やはり甘い気がする。しかも虹色マンドレイクの球根とセットで提供しようというのだから頭痛すらしたものである。

 確かにクゥリの判断は限りなく正しい。だが、それは『クゥリでなければ』という注釈もつく。すなわち、彼が情報開示するという事は、ナグナで起きた悲劇に自分自身が関与していると広告を垂れ流すようなものだからだ。ならばその役目を自分、あるいはエドガーが成すべきだと主張したが、彼は首を横に振った。

 

『オレがすべきだ。オレがしないといけない事だ。後ろめたいことは何もしていない。だったら、ノイジエルとベヒモスの死は……オレが伝えないといけないんだ』

 

 きっとクゥリの事だ。ノイジエルの蛮行はぼやかして伝えるのだろう。そして、死者の碑石にはノイジエルの死因は他殺と記載されているだろう。そうなれば、必然として疑いの目をクゥリに向けられる。

 クゥリの性格を分析しきった上で、まるで『何者か』の思い通りに進んでいるような気がして、グリムロックはようやく表のナグナに到着した頃にも達成感などまるで無かった。

 

「最初のいぃいいいいい歩ぉおおおおおおおおおお! あは、アハハ……外よ! ああ、煙草が美味しいぃいいいい!」

 

 表のナグナに出た頃には真夜中であり、ゾンビが徘徊している事もあってか、夜明けまで待つ事になった。そうして地平線から太陽が昇った事でナグナの……グリセルダとヨルコからすれば、長きに亘る悪夢は終わった。

 太陽の下ならばゾンビも徘徊せず、せいぜいがロボット系だけである。それらを丁寧に索敵から逃れていけば、あっさりと安全なナグナの境界線を越えて……決して感染者を外に逃がさなかった見えない檻から脱出することができた。

 スパスパと夜明けの空に向かって煙草の紫煙を吐きかけるヨルコの気持ちも分かるというものだ。グリムロックは感慨深そうに朝陽を見つめているグリセルダの隣に立つ。

 

「ユウコ……いや、グリセルダ。聞かせてくれないか? キミの判決を……もう1度だけ」

 

 グリセルダの手に触れ、そっと握りしめる。

 今日まで続いた断罪の旅もまた、あの朝陽と共に終わりを告げられるべきだ。

 

「あら? ケツパイルはお気に召さなかった?」

 

「アハハ。むしろ毎晩してもらいたいくらいだよ」

 

「……それはさすがに無理ね。私、こう見えても、あなたに『攻められる』方が好みなのよ? もちろん『攻める』のも大好きだけど」

 

 色っぽい眼差しと共に頬を撫でられ、グリムロックはごくりと喉を鳴らす。だが、魅力的な妻のジョーク……かどうかは別として、この断罪の旅の結末を、ナグナから去るこの時にこそ聞いておきたかった。そうしなければ、グリムロックは何処にも進めなくなるような気がしていた。

 

「私の傍にずっといなさい。愛する夫として。そして、私を傍に置いて。あなたの妻として。それがあなたの罰よ」

 

「謹んでお受け致します」

 

 これで良い。これで良いのだ。自分の罪には自分で決着をつける。まだ、DBOが完全攻略された日に……この世界がSAOと同じように全て消去されていくかも分からない。グリセルダもまた消え去るかもしれない。それに対する『答え』をグリムロックは見つけていない。

 きっと、それはグリムロック自身が選ばねばならない『答え』なのだろう。だが、彼は自分の『弱さ』を自覚する。これは自分自身で決める事ではあるが、妻と共に歩む道の果てならば、彼女にも知ってもらわねばならない事だ。

 ならば、自分独りで抱え込まずに、グリセルダと話し合いながら決めよう。恐ろしい事に、まだDBOの終わりは見えてもいないのだから、時間はたっぷりとある。

 

「それにしても、どうやって街まで戻ったものだろうね。さすがに徒歩は……」

 

「その件ですが、このエドガー、『偶然』にも車両を発見致しました。恐らくは聖剣騎士団か太陽の狩猟団の物でしょう。プレイヤー登録も無いようでしたので、街まで『届ける』のはいかがでしょうか?」

 

「貰っちゃえば良いじゃない。そんなに大ギルドって怖いの?」

 

 怖い物知らず……というよりも、実際に大ギルドの恐ろしさを知らないヨルコの発言にグリムロックは身震いした。大ギルドを相手にすれば、グリムロック達など巨象に挑む蟻のようなものだ。勝ち目はない。

 と、そこで何故かグリムロックは白いカラスが舞い上がり、巨大な塔をその鋭い爪で倒す姿を思い浮かべる。兵士たちはカラスに矢を射れども羽ばたく度に吹き荒れる風で届かず、ただひたすらにカラスが撒き散らす炎に焼き尽くされるのみ。

 上位プレイヤーが束になっても勝てなかったどころか、1分と待たずして壊滅に追いやった深淵の魔物。脱出組の総力を以ってしても倒しきれないと判断された怪物。それを単身で討ち取った存在を……はたして『人』と呼べるのだろうか? もはや、それは人間の皮を被った別の存在……バケモノなのではないだろうか?

 そして、バケモノからすれば、巨象など『少し手強い』程度の獲物に過ぎないのだろう。

 

 

 

 ベヒモスとは、聖書に登場する、いつの日か晩餐に振る舞われる為に『神』によって『肥え太らされた』怪物の事だ。

 

 

 

 古来より『神』と『バケモノ』は表裏一体。特に一神教ではない日本では、バケモノと呼ばれる存在程に神格化されていく。あらゆる存在が『神』となっていく。

 

「さすが、に少し、疲れた、な。長めの、休暇、でも、取るか」

 

 朝陽と共に荒涼とした大地から吹く風で靡く白髪を手で押さえるクゥリは……この上なく美しかった。特に深淵の魔物を倒してきてからは、その目はより凛とした鋭さを宿している。そのせいか、中性的な美に一層の深みがかかっている。

 思わず惚れ惚れするグリムロックは頭を振るって邪念を払う。何を考えているのだ? 誰よりもクゥリは『人間らしい』のだ。なのに、その美しさに心惹かれる程のおぞましさを覚えずにはいられない。魂が屈服しそうになる。

 

「どうした、グリムロック?」

 

 グリムロックの視線に気づいて微笑むクゥリは、慈愛としか言いようがない眼差しを向けている。

 アガペー。その単語をグリムロックは思い浮かべた。意味は『神の平等なる愛』。クゥリの慈愛の眼差しは、『個』に向けられたものではなく、グリムロック達の『内側』……生命といった概念に向けられているような気がしてならなかった。

 街に到着するとまずは食事を取る事になり、食堂でグリセルダとヨルコは食べたいものを片っ端から注文していった。DBOにおいて外食は総じて高値である。だが、クゥリが全額払う事になった。ザリア戦の報酬はグリムロックも受け取っているし、遺品の回収に合わせてコルも多量に確保することができた。だが、地下街の待機組を虐殺したノイジエルの分と深淵の魔物の報酬を総取りしたクゥリはリッチの域を超えている。

 さすがにグリセルダが報酬で約束していたコルの譲渡は拒んだようであるが、それも順当であるとグリムロックは自分の桁違いのコルの額に戦慄しながら、これの何倍をクゥリは保有しているのか考えただけでも背筋が凍った。

 グリセルダとヨルコはDBOの知識が欠如している。まずはそれを教える必要があるだろう。望郷の懐中時計のメカニズムを簡単に伝えて、プレイヤー登録された時計の力で想起の神殿に到着する。その壮大な神殿は、普段ならば静謐に包まれているのであるが、最近になって発見されたという神殿地下のダンジョンを巡った大ギルドの言い争いがあり、そそくさとグリムロックは彼女たちを工房へと案内する事にした。

 

「グリムロック殿、それにグリセルダさん、ヨルコさん、あなた達の平穏を祈っています。灰より出でる新たな神、その恩寵があらん事を。アンバサ」

 

 だが、工房まで付き添う気は『部外者』であるエドガーには無いのだろう。想起の神殿で別れの挨拶をされ、グリムロックは深く頭を垂らした。彼には多くの疑わしい点がある。だが、その行動には一辺として迷いなくグリムロック達を助けようとする意思があった。それを否定できる程にグリムロックは捻くれていない。

 

「では【渡り鳥】殿、私はどちらでお待ちしていれば良いですか?」

 

「1回、教会に、でも、帰ったら、どうだ?」

 

「ミサまでに帰れば問題ありません。それに、1度戻れば山積みの仕事でしばらくは身動きが取れないでしょう」

 

「だったら、適当に、あそこで、喚いている、連中の仲、直りでも、させておけ。フレンド、登録は、済ませて、るんだから、こっちが、片付いたら、呼ぶ、から、好きに、していろ、よ。グリムロック、先に、行って、ろ。用事、を、済ま、せて、くる」

 

 フレンド登録をしたのは驚きではないが、エドガーとの間にいかなる約束が結ばれたのだろうか。それに会話の中で、クゥリは妙な陰りを目に滲ませた。それが気になりながらも、言われた通りにグリムロックはグリセルダ達を工房へと連れていく。

 

「何でまたこんな辺鄙な場所に工房を作ったのよ? お客さんも来ないでしょう?」

 

「それが狙いさ。売りたい客にしか売りたくないからね」

 

 穏やかな気候が広がる<森の守護者リュアの記憶>だ。メルヘンチックな妖精やキノコのモンスターばかりであるが、さすがにレベルが違い過ぎて脅威にもならない。また、グリムロックの工房がある村は辺境のまた辺境だ。温泉以外に得るものもない、イベントもない、まさしくプレイヤーの意識から限りなく外れた場所にある。

 DBOの基礎知識を、特にどのようにしてデスゲームが始まったのかをグリムロックは伝えていく。彼女たちが自身の正体を隠蔽する上でもデスゲームの成り立ちの把握は必要不可欠だった。

 

「ようこそ、グリムロック工房へ」

 

 ようやく到着した工房のドアを開けてグリセルダ達を招き入れて、グリムロックは肩の荷が下りていくのを感じる。ここまで緊張の連続であったが、我が家にグリセルダを連れ帰った事で、断罪の旅が本当の意味で終わったのだと脱力する。

 これからどんな風に生きていこう? 物珍しそうに店頭に並べられたグリムロック作の数々、雇用している店番NPC、そして工房を見て回るグリセルダの晴れやかな顔に、グリムロックは白紙の未来に何を描くのか迷う。DBOが完全攻略されるその時まで、自分は何をすべきなのか、完全に見失ってしまった。

 

「ねぇ、グリムロックさん。空きスペースを本当に私が使っていいの?」

 

「構わないさ。ベッドルームも複数あるしね。ただインテリアは私の好みだから、女性2人の意見を少し反映させないといけないかな?」

 

「あら、あなたは趣味が良いから不満はないわよ。それに拠点があるのは、やっぱりホッとするわ。ナグナを脱出しても、まだまだ仮想世界に囚われていないといけないとはね」

 

 その通りだ。そして、難題はまだ残っている。グリセルダは自身の死を受け入れているが、ヨルコはまだ『茅場が計画したSAOからの続き』という認識だろう。はたして、自分が死人であるという真実に耐えきれるだろうか。

 ヨルコの反応は淡白だ。グリムロックの真実を通称・圏内事件で知っているはずなのに、まるで全て奇麗に忘れてしまったかのように振る舞っている。グリセルダの話によれば、死者には死に纏わる記憶が欠如しているとの事だったが、ヨルコも例外ではなく、また他の記憶にも穴があるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

「そうよね。私達って『死人』だし、どうやって生きていこうかしらね」

 

 

 

 

 

 

「「………え?」」

 

 煙草を揺らしながら白衣を靡かせて、工房の空きスペースの模様替えを考案しているヨルコの何気ない発言に、グリムロックとグリセルダは同時に硬直する。

 

「ちょっと待ちなさい、ヨルコ。あなた……自分が死んだ自覚はあったの?」

 

「無いけど、嫌でも気づくわ。SAOから続いてナグナに放り込まれた上に記憶がぼやけてる。オマケにDBOでは『茅場の後継者』がデスゲーム開始宣言。つまり、グリムロックさんがいる時点でSAOは攻略されただろうし、生存者は解放されたはず。だったら、私は『何者』って疑問が生まれるわ。そしたら答えは1つじゃない」

 

 軽率だった。鋭い考察を見せるヨルコは、戸惑うグリムロックとグリセルダに、にへらと笑って見せた。

 

「別に良いの。ナグナに比べればここは天国だし、自分が死人だろうが何だろうが『どうでも良い』わ。そう……『どうでも良い』のよ」

 

 諦めきった……いや、疲れ切った目で、ヨルコは工房の椅子を引き寄せると腰かけて天を仰ぎながら煙草を揺らす。

 グリセルダはグリムロックがいたからこそ、最後の最後まで壊れる事が無かった。擦り切れても、夫という希望が持てたからこそ、壊れることなく、リーダーという責務と共にナグナの脱出を指揮し続けた。

 だが、多くの死者を看取ってきたヨルコはとっくに壊れていたのだろう。もはや、自分が生きているのか死んでいるのか、それすらも『どうでも良い』で片づけられるように。

 

 はたしてそうだろうか? ならば、どうしてノイジエルの襲撃の際に、ヨルコは隠れてまで生き延びたのだろうか?

 

 それを言葉にするよりも先に、グリセルダはヨルコを抱きしめた。面倒そうに、だが嬉しそうに、ヨルコは頬を緩ませる。

 

「探しましょう。あなたが『生きてる』意味を。私も、グリムロックも、その手伝いをするわ」

 

「……グリセルダさんなら、そう言うだろうと思った。うん、良いわ。どうせ行くところもやる事も無いし、好き勝手にさせてもらう。とりあえずは、グリムロックさんのお手伝いから始めようかな?」

 

 やはりグリセルダには敵わないか。いや、そもそも比べるべきでもない。これまで多くの人を率い続けたグリセルダと自分の事で精一杯だったグリムロックとでは、行動に示される重みが違う。

 ゆっくりと見つけていけば良い。たとえ残された時間は僅かだとしても、『今を生きている』意味を。

 

「感動の、邪魔、だった、か?」

 

 コンコン、と開けたドアをノックして、いつからそこにいたのか、クゥリは工房に立ち入ってくる。

 世界はゆっくりと夕焼け色に染まっている。それは、いつの日か、グリムロックとクゥリが契約を結んだ日に似た、穏やかだが、しっとりした優しい闇が落ちる黄昏だった。

 あの日と同じように、クゥリは窓辺に背中を預ける。あの時と違うのは、クゥリの左目は眼帯で覆われ、その身に纏う防具はボロボロであり、身長は伸び、そしてこの上なく中性的に美しくなっている事だろう。

 

「全部、終わった、な。オマエの、断罪の、旅は……終わった、んだ」

 

 感慨深そうに、寂しそうに、クゥリは一呼吸ずつ、苦しそうに区切りながら、呟いていく。

 クゥリはアイテムストレージから1枚の封筒をオブジェクト化するとテーブルの上に置いた。封蝋はクラウドアースのものであり、小切手化された場合に封入するものに違いなかった。

 まさかと思ってグリムロックが中身を調べると、そこには500万コルという目玉が飛び出るような金額が記載されている。グリムロック達の資産も合わせれば、下手をせずとも800万コルにも到達するだろう。

 

「餞別、だ。受け、取れ」

 

「貰える訳ないだろう!? それに、どうせクゥリ君のお金の使い道なんて装備くらいしかないんだ。だったら、その時の支払いでありがたく受け取るとするよ」

 

 死神の槍はまだ幅を広げられる可能性に満ちている。レールガンも完全体には至っていない。グリムロックが多額の資金を投入すべき事柄は山ほどあるのだ。ソルディオスにも新しい案がある。

 クゥリにはまだまだ……まだまだ使って欲しい武器が山ほどあるのだ。そのアイディアが溢れているのだ。

 

(だから……だから、そんな顔をしないでくれ! どうか言わないでくれ!)

 

 全部終わった。断罪の旅は終わった。

 ならば、もはやクゥリとグリムロックを繋ぎ止めるものはない。彼らに結ばれた契約はこの時を以って終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サヨ、ナ、ラだ、グリムロック。今日、まで、あり、がと……う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、これは必然だ。心の何処かで彼をバケモノだと思ってしまう自分には、引き止められる言葉などあるはずがなかった。

 グリセルダが叫ぶ。クゥリの肩をつかんで言葉を投げかけるも、寂しそうに笑うクゥリには何も届かない。

 無音の世界で、グリムロックは本当に自分自身で手一杯だったのだと自嘲する。

 きっと決めていたのだ。ナグナに旅立つ時から、いかなる結末であれ、その最後はグリムロックとの別れになるのだと、彼には分かっていたのだ。

 

「クゥリ君……『元』専属鍛冶屋として、キミの情報は決して公開しないことを約束する」

 

 だから、これはグリムロックにできる、自分の武器を最高に使いこなし続けてくれた1人の傭兵への賛辞だ。

 

「こちらこそ、今日までありがとう。キミのお陰で、私はここまで来ることができた。これからも必要な武器があったら、いつでも買いに来てくれ。特別サービス価格を約束するよ」

 

「その気、が、あれば、な。でも、オマエは……もう、オレに、付き合う、必要、は、ねーよ。それ、に、エドガー、が、教会、の、工房、で、面倒、見て、くれる、ってさ。当面は、大丈夫、だ」

 

「……そうかい」

 

「ああ」

 

 握手を交わし、グリムロックとクゥリは微笑み合う。

 やはり美しい。心の底からグリムロックは見惚れる。そして、クゥリが何を言いたいのかも理解する。

 今回の1件を以って、シャルルの森の件も含めて、ただでさえ末期的状態だったクゥリへの憎悪はもはや止められないものになるだろう。それは彼に限らず、周囲にも悪意となって降り注ぐかもしれない。

 ようやくグリセルダを取り戻したのだ。今のグリムロックに必要なのは、次なる『答え』を出す為の時間だ。それを自分の因縁のせいで失わせたくないのだろう。

 

 

 

 

「『また』な、グリムロック」

 

「『また』ね、クゥリ君」

 

 

 

 

 そうしてクゥリは工房を去り、夕闇の中に溶けて消えていった。

 

「あなた! これで良かったの!? これがあなたの望んだ終わり方なの!?」

 

 力なく椅子に腰を下ろしたグリムロックの胸倉にグリセルダがつかみかかる。ヨルコは煙草を吸いながら窓の外を眺め続けていた。

 

「私だって……私だって、もっと冴えた『答え』が欲しかったさ!」

 

 何を言っても、もはやクゥリには届くことが無い。彼は諦観ではなく、信念で以ってグリムロックとの別れを決めた。

 ならば、グリムロックにそれを穢すなど出来ない。

 旅の終わりなど、得てしてそういうものだ。誰もが幸せになれるハッピーエンドなど無い。グリムロックは目的を果たし、それで以って契約が終わりを迎えたならば、これにて彼の物語は閉ざされる。ほのかに苦いエンディングの時間だ。

 

 そして、世界に夜の闇が溢れる。そこに罪人はいない。断罪を成し遂げた1人の男がいるだけだった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 迷いは無かった。ナグナに旅立つ時に、オレはグリムロックの断罪の旅……その結末が見たいと思っていた。彼の死であれ、グリセルダさんの許しであれ、何であれ、その旅路の終わりが見たかった。

 満足だ。グリムロックの断罪の旅路の終わりが見れた。彼は自分で次なる『答え』を探すだろう。それを見届けたいという気持ちはあるが、さすがにこれ以上はな。グリムロックが大ギルドに目を付けられているし、オレの専属であり続けるのは危険過ぎる。何よりも、オレ達が専属契約を結んだ根底は断罪の旅だ。グリセルダさんを救い出し、そして裁きを受けたグリムロックとはお別れだ。それが筋を通すというものだ。

 何も2度と会えないわけじゃない。時々は顔を見せに行くさ。投げナイフはやっぱりグリムロック製が1番使い易いだろうし、死神の槍もレールガンも他人に触らせるようなものではない。

 暗闇を超えて想起の神殿に戻れば、エドガーが相変わらずの『にっこり』で迎えていた。

 

「ミサに、間に合う、のか?」

 

「遅刻でしょうね。ですが、ご安心ください。私がいなくとも滞りなく進んでいるでしょう」

 

「だと、良い、がな。物事って、のは、油断した、途端に、大抵、ろくでも、無い、方向に、進む、ものさ」

 

「言葉に重みがありますな。では、参りましょうか。まずは約束通り、銀のペンダントを」

 

 オレもそんな自分が嫌になるよ。エドガーの笑顔にうんざりしながらも、これからは長い付き合いになりそうなのだから我慢する事にした。というか、アレだけしでかしておいて、まだ銀のペンダントの取引は有効なのかよ!? まぁ、別に良いけどさ。教会にしばらく装備の面倒を見てもらう手数料と考えれば安い……いや、安くはないか。

 アルトリウス、これで良かったかな? オレはあなたの言う通り迷子の子猫だ。それでも、自分なりに手探りで、これからも戦いの果てにあるだろう『答え』、そして『答え』に至るための鍵を見つけていこうと思う。

 でも、きっとそれまでにたくさんの血が流れるだろう。オレは大丈夫だけど、グリムロックは血の海に溺れてしまうかもしれない。

 

「『また』な……か」

 

 ああ、きっと『また』会える。お互いに生きていれば、必ず何処かでな。

 その時は教えてくれよ? オマエの出した次なる『答え』を。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 かつて、1人の傭兵と1人の鍛冶屋が地の底で出会った。

 

 鍛冶屋は自らの罪を告白し、傭兵はそれを受け入れた。

 

 暗闇の中でたった1つの星を探す断罪の旅。傭兵は鍛冶屋が鍛えた剣を振るい続けた。その度に流血が海の如く広がり、多くの悲劇が生まれた。

 

 鍛冶屋はひたすらに剣を、より強き剣を鍛えた。傭兵はそれに応えるように増々の血を流した。

 

 いつの間にか、鍛冶屋は傭兵に恐れを抱くようになった。だが、自分に導きを与えてくれる傭兵に縋り続けた。

 

 やがて傭兵は地の底の都に鍛冶屋の断罪を見つけ出した。恐ろしい病に蝕まれたその地で、傭兵は誰よりも険しい戦いに挑んだ。

 

 戦いの果てに、鍛冶屋は断罪を成し遂げ、傭兵は去っていった。

 

 

 

 残るのは鍛冶屋が書き綴るべきエピローグだけである。




グリムロック、離脱。

なお、本エピソードはもう少しだけ続きます。

それでは、216話でまた会いましょう。

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