SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回は息抜きエピソードです。

誰1人として死なないコメディ展開!
甘酸っぱい恋愛模様!
アイツもコイツも弾けてやがる!

喜劇「絶望? 恐怖? 苦悩? 悲劇? そいつら全員まとめて死んだ!」

そんなエピソードをお約束します!


Episode17
Episode17-01 汝、優雅であれ


 青い光を輪郭に帯びた満月は霞がかかり、木々は冷風でざわめく。水面の下で揺れる水草の間で虹の鱗を有する魚たちは朝陽を待ち、花壇で咲き乱れる色彩豊かな花々は統一性なく自己主張して夜を謳歌する。

 貫通性能と射程距離に特化したスナイパーライフル装備の、まるで貴族を気取るようなベスト姿の男たちが白金の体毛の犬を連れて、無駄な程にレリーフと天使像が配置された館の周囲を巡回する。彼らはいずれもギルドNPCであり、クラウドアースの連盟ギルドの1つである【ノヴァ商会】の戦力だ。

 元々はプレイヤー【ノヴァ】が設立して商業関連で着実にDBOで勢力を伸ばしてきたこのギルドは、多くの鉱山と農地を経営するクラウドアースの要の1つだ。クラウドアース系列のみならず、商人でノヴァ商会と繋がりが無いギルドは探す方が難しいくらいである。正しく商才があったノヴァはクラウドアースの理事会トップであるベクターの盟友であるともされていていた。

 過去形なのはノヴァが故人だからである。商才に長け、人心掌握にも秀でた『平和主義』のカリスマは、いつの時代も邪魔者である。敵対勢力との融和すらも視野に入れていたとされるノヴァは暗殺され、今もって犯人は不明である。だが、多くのプレイヤーはこの凶行もまた【渡り鳥】が関与しているのではないかと実しやかに噂し、やがて風聞は廃れて、誰もノヴァの死の謎を究明しようとはしなかった。

 唯一言えることがあるとするならば、ノヴァの死によって得した人物が少なくとも2人いた事である。

 1人は言わずとも知れたベクターだ。クラウドアース理事長として、多くのギルドの連合であるクラウドアースの『表面的』トップである彼は、同じく商会経営で発足したギルド【クロック・オウル】のトップでもある。主に金融関連で多大な影響力を持ち、クラウドアースの商業関連はノヴァ商会と二分化していた。だが、ノヴァの暗殺後にリーダーを失ったノヴァ商会は事実上のクロック・オウルの傘下に入り、ベクターのクラウドアース支配は盤石のものになったと言っても過言ではない。

 もう1人はノヴァ商会のナンバー2だった【リップスワン】である。よく言えばふくよか、優しく言えば丸々とした、ハッキリと言えば脂肪の塊、悪く言えばぶよぶよの肉女。仮想世界では太らないという原則を考慮すれば、彼女がログイン当時にどれだけの体重があったかは想像も難しくないだろう。

 ナンバー2とはいえ、ノヴァに比べれば商才があるわけではなく、むしろ豪遊で知られる浪費家だ。だが、いつの時代も金払いが良い商人は繋がりを増やす。ノヴァが彼女をナンバー2に置いたのも、その金遣いの荒さと直結する社交性の高さを買っての事だろう。『マダム』という通称で呼ばれるのは皮肉か、それとも彼女の本質を表した名誉ある称号か、それは名付けたノヴァだけが知るところである。

 実質的にクロック・オウルの傘下となったとはいえ、ノヴァ商会は健在である。リップスワンは故ノヴァの遺志を蔑ろにこそしないが、豊かな生活と自身の命を捨てる覚悟でベクターに異を唱えるノヴァの二の舞は御免である。せめてノヴァ商会を存続させる事だけが故人への弔いだと決めて納得した。そして、彼女を咎めるような従業員もまたいなかった。

 クラウドアースの総意も何もかも理事長のベクターに丸投げすれば良い。自分たちは加盟費を支払って理事会の席さえ確保していれば美味しい汁は啜れる。それにクラウドアースでの影響力も完全に失ったわけではないのだから、富に溢れた生活を完全攻略の日まで送れば良い。

 それを傲慢と呼ぶかどうかは評価する人物によるだろうが、リップスワンの館はまさしくノヴァ商会、さらに言えば豊かなるクラウドアースの富の象徴ともいえる程に豪奢であった。全体的に高額な物件揃いの<サレ劇場の歌姫ルーミアの記憶>のちょっとした森付きの豪邸は彼女の散財の権化である。

 

「うぅ……うぅううう!」

 

 ノヴァ商会の訓辞『富は山より下る川なり』を『優雅にハッピー』と改めたリップスワンは容姿も含めてとてもではないが優雅ではなくただの成金であるが、少なくとも誰の目から見ても盲目的な幸運の拝領者だった。正しく資本主義を体現していた。だが、ふわふわの白い毛皮付きの衣服を纏った彼女は、主に似てブヨブヨに太っている不細工にも愛嬌がある赤毛の猫を抱えて右往左往していた。

 暖炉では薪が燃え上がり、全体的に冬の始まりのような、時には降雪もするルーミアの記憶では暖炉が欠かせない。リップスワンは普段ならば愛猫のマロンちゃんに頬擦りしながら紅茶を片手に優雅な睡眠前のティータイムを楽しんでいるはずなのにと歯ぎしりする。

 彼女の尋常ではない焦りの理由は、シャルルの森の事件から端を発した反大ギルドである。貧民プレイヤーや支配下にあった中小ギルドから起こった反体制運動から始まり、今では大ギルドの現状に否を唱えた有力プレイヤーも合流する事もある、大ギルドが戦争を控える上で悩ましい種である。特にクラウドアースは他の2大ギルドに比べて多大な影響力をDBOに持つ一方で、戦力という面では一騎当千のプレイヤーの確保に失敗している。それ故に傭兵戦力はクラウドアースにとって必須であり、またゴーレムやアームズフォートの開発、更にギルドNPCの充実も実行していた。

 だが、通称【獣狩りの夜】によって終わりつつある街でのギルドNPCの危険性が露になり、クラウドアースは窮地に立たされた。特にレギオン化した場合に危険性が高い戦闘用ギルドNPCの配置は、3大ギルドの合意によって保有数が下げられ、プレイヤー戦力こそが重視されるようになった。クラウドアースの終わりつつある街での支配体勢の変遷は、雇用の増加によって一応の危機を脱したが、反大ギルドから他の大ギルド以上にクラウドアースが脆弱に映るには十分だった。

 その煽りを受けたのがリップスワンである。彼女を『太った醜女』と罵り、反大ギルドから保有鉱山の襲撃を受けたのである。最も狩りやすい相手を真っ先に狙うのは狩猟の基本だ。ましてや、それが組織にダメージを与える歯車の1つならば尚更である。暗殺の危機が生まれたリップスワンはクラウドアースに護衛戦力の派遣を要請したが、何処も数少ない防護を『ライバル』に割きたくはない。マダムの失脚を望む政敵は多く、せいぜい不要のギルドNPCを派遣された程度だ。

 現在、館の周辺にはレベル40のライフル装備が8名、レベル35相当の猟犬が16匹。更に近接戦に対応した豪奢な騎士服を着せたレベル30の両手剣装備が15名配置されている。館を護衛にするには十分過ぎる戦力だが、リップスワンは不安から多額の費用がかかる傭兵の雇用に踏み切った。

 もちろん、リップスワンが真っ先に指名したのはクラウドアースが抱える最強の傭兵と名高いユージーンだ。だが、今晩はベクターの護衛についていた。ベクターもレンタルは許可しなかった。

 ならばランク2のライドウならば? 同じく護衛である。恐ろしき事にまるで『足並みを揃えた』ように、クラウドアースの専属傭兵は軒並みにいずれかの護衛依頼を受けていたのである。

 クラウドアースの情報網によれば、反大ギルドがリップスワン暗殺に向けて行動しているともある。クラウドアースの狙いは、理事会メンバーであるリップスワンの暗殺を契機に、大手を振って反大ギルドの徹底壊滅を掲げる事だろう。それくらい読めないリップスワンではない。親指の爪を噛みながら、こうなったら独立傭兵か、最悪でも他の専属傭兵を雇用しようかと悩んだ。だが、他の2大ギルドの専属傭兵の雇用ともなれば、当然ながら恐ろしい額を吹っ掛けられるに違いなく、彼女が命と財産を天秤にかけている時だった。

 

『お困りのようですね、マダム。よろしければその護衛依頼、お引き受け致しましょうか?』

 

 受付嬢がリップスワンへの対応に苦慮しているところに、その傭兵は声をかけた。

 価格も適正……いや、ユージーンを雇うよりも低額だ。実力も申し分はない。だが、やはり専属傭兵にこそ護衛を任せたいリップスワンだったが、背に腹は代えられなかった。

 

「本当に大丈夫なのでしょうね? あなたには1晩で5万コルも支払っているのよ」

 

「マダム、落ち着いてください。今夜は月も雲に食まれ、夜は暗い静寂に飲まれるでしょう。隠密ボーナスも高まる今晩は夜襲にうってつけです。必ずレジスタンスは襲撃をかけるでしょう。時計の針が明日を迎える前に勝負は決します。アナタの心配の種は取り除かれ、ゆっくりと朝まで眠ることができますよ」

 

 椅子に腰かけて足を組んだ傭兵は、優雅に微笑みながら手元で本を捲っている。その腰まで伸びた髪は三つ編みで結われており、黒の小さなリボンは慎ましい。リップスワンの騎士服のNPCのような絢爛豪奢ではないが実用性の中に確かな華美さが同居した裾の長い灰色のコートは胸元が銀金具で止められ、血のように赤いブローチが特徴的だ。

 

「『レジスタンス』ね。そんな呼び方をするのはあなた位じゃないかしら?」

 

「反大ギルド組織では味気が無いでしょう? 彼らは支配体制に否を唱える英雄気取りです。もしかしたら本物の英雄も生まれるかもしれない。いかなる理由であれ、彼らは自身の意思に基づいて支配への反逆を選んだ。ならばレジスタンスと呼ぶことはせめてもの敬意というものでしょう」

 

 乾いた音と共に本のページを捲った傭兵は微笑みを崩さずに持論を述べる。反大ギルドを掲げる組織は『テロリスト』という使い古された名称で大ギルドは呼んでいる。『抵抗勢力』を意味するレジスタンスとすら認めていない、暴力によって政治的圧力を掲げる『犯罪集団』というレッテルを貼っているからだ。

 だが、この傭兵は大ギルドの意向など気にした素振りも無く、クラウドアース理事会に属するリップスワンの前で彼らをレジスタンスと認めている。それに対してリップスワンは驚きを隠せなかった。ユージーンなどは別格として、傭兵と言えば基本的にギルドにへつらって仕事を請う存在としか見ていなかったからである。

 優雅だ。思わずリップスワンも見惚れる程に、1本の結った三つ編みを腰まで垂らす傭兵は、今宵にレジスタンスが襲撃をかけると言い切ったはずなのに、まるで緊張の素振りを見せていない。リップスワンも認めざるを得ない生まれ持ち、また育まれた気品は、金では決して買えないものだ。

 傭兵とは誰も彼もが規格外だ。それは分かっている事であるが、実戦から遠く離れたリップスワンには実感が無い。彼らの強さがどれ程のものなのか、その目で直に見たことは数える程度であり、それも戯れのような真似ばかりであり、本気を目撃したことは無い。

 

「ところで、何を読んでいるのかしら?」

 

「ドストエフスキー著『罪と罰』。古典は好きなんですよ。無粋な考察と手垢に塗れているからこそ、純粋に読み物として楽しめる」

 

 何処の世界にも常軌を逸した能力の持ち主とはいるものであり、DBOにもあらゆる書物を暗記しているHENTAIがいる。その者はDBOに娯楽を提供する為に、自身の記憶にある本をひたすらに書き綴り、出版しているという。ただし、何処の誰が書いているものかは不明であり、犯罪ギルドが取り仕切る地下市場で最初に発見されることから、犯罪ギルドのメンバーの誰かが【記憶作家】なのではないかと噂されている。

 プロテクトがかかり、複製不可のオブジェクト品だ。【記憶作家】は同じ本をせいぜい10冊程度しか作成しない事からプレミアムが付き、DBOでも高値で取引される。ならば、この傭兵が所有するのはそんな貴重な、大ギルドの金持ちの収集から逃れた1冊なのだろう。

 だが、この傭兵の古典に対する愛情は何処か歪んでいる気がする。リップスワンは傭兵の崩れる事が無い微笑みに背筋を凍らせた。

 

「マダム・リップスワン。珈琲でもいかがですか? 緊張は体に毒です」

 

 と、そこにリップスワンに珈琲カップを持ってきたのは、傭兵に付随して館に訪れた2人の内の女の方だ。黒髪に映える淡いピンクのレディーススーツは着込んだ、クラウドアース的な姿をした美貌の女である。

 

「ご安心ください。私の傭兵は優秀です。マダム・リップスワンのHPは1ドットと減ることはありません」

 

「それは大前提よ! 私とマロンちゃんに傷1つでも付いたら依頼失敗で報酬は払いませんからね!」

 

「マロンちゃんは依頼に入っていませんが? 追加料金をいただくことになりますが、よろしいですか?」

 

「……ちゃっかりしてるわね」

 

 リップスワンは女の言葉に思わず呆れるが、傭兵とはそういうものだろう。あくまで契約に入っているのはリップスワンの護衛だ。ならば、彼女の身柄を守る以上は職務の範囲外である。

 

「依頼受託後の追加要望は別途料金となりますが……今後のご贔屓を期待して今回はマロンちゃん護衛分をサービスさせていただきます」

 

 これでマロンちゃんも無事ね。リップスワンはゴロゴロと喉を鳴らすデブ猫を抱きしめる。そこへ部屋へとノック音が響き、一礼と共にスマートな立ち振る舞いに似合う黒スーツでオールバックの黒髪をした男が入室する。その完璧な振る舞いは傭兵の何処か貴族を思わす雰囲気とは対極にある洗練……百戦錬磨のエリートビジネスマンを思わす、これまたクラウドアース的な男だ。

 オールバックの男は知性を示すような眼鏡のブリッジを指で押し上げ、女に早歩きで近寄ると何やら耳打ちする。女は男の報告に口元を一瞬だけ引き締めた。

 

「……分かったわ。どうやら対象が『網』にかかったようです。安全の為にマダム・リップスワンは地下室に移動を」

 

「そ、そうね! 私とマロンちゃんに何かあったら――」

 

 女に促されて地下に移動しようとした矢先に、リップスワンへと跳びかかった傭兵が彼女を押し倒す。その刹那の矢先に窓を何かが貫き、リップスワンの眉間があった場所を雄々しい太い矢が通り過ぎ、壁に轟音と共に突き刺さった。

 3秒ほど遅れてリップスワンは、自分が大弓によって狙撃されたのだと悟る。死の恐怖でこれが現実世界ならば失禁していただろうリップスワンであるが、自分の命を救った傭兵は蕩けるような笑顔を向けた。

 

「失礼をお許しください、マダム。緊急事態でしたので。立てますか?」

 

 至近距離で傭兵の笑みを見たリップスワンの心臓は鷲掴みにされる。死の恐怖に色々なものが混ざり合った拍動を胸に、腰を抜かしたリップスワンを傭兵は恭しく手を取って立ち上がらせると女に預けた。

 

「この距離で狙撃とは、狙撃特化の改良が施された大弓を所有しているようですね。敵にも優秀な鍛冶屋がいたのか、それとも強奪した武器の1つか。いずれにしてもこちらの失態です。申し訳ありません。マダムに弓を引いた怨敵は必ずや討ち取りましょう」

 

 傭兵は本を仕舞うと、アイテムストレージから木彫りの小箱を取り出す。中身は人工妖精であり、ふわりと傭兵を追尾するようにその周囲を淡い白の光の塊が漂う。神灰教会が販売している通信特化の人工妖精である【念話の人工妖精】だ。開発には噂ではDBOでもHENTAI鍛冶屋として恐れられているGRが関与しているとされているが、真偽は不明である。

 

「オーダーを確認します。敵対レジスタンスが投降に応じない場合は交戦し殲滅。それでよろしいですか?」

 

「え、ええ……構わないわ」

 

「畏まりました。外も騒がしくなってきましたね。マダムに鉄火の香水は不似合いです。どうか安全なところに」

 

 割れたガラス窓を開け、傭兵は雲に覆われた月を探すように手を伸ばす。夜風が1本の三つ編みを揺らし、まるで尾のように靡かせて、戦闘のライトエフェクトが散る野外へと躍り出た。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 クラウドアースで最も討ち取りやすいと踏んだノヴァ商会のリーダーたるリップスワンだったが、狙撃が外れてレジスタンス【赤砂の旗】のメンバーである【ゴラム】は舌打ちした。

 狙撃ポジションの確保と狙撃ポイントの割り出しに3日を費やした必殺が外れたのは忌々しいが、どうやらリップスワンが雇った傭兵の方が1枚上手だったようだ。部下を失いたくないが故に、狙撃で勝負を決めようとしたゴラムの作戦は失敗である。

 

「隊長、外したのですか?」

 

「ああ。傭兵の顔はそれなりに知っているつもりだが、見たことが無い奴だ。恐らく新入りだな。サインズめ。また性懲りもなくルーキーを増やしたか。傭兵の増加こそが大ギルドの戦争の火種を育てると何故分からん」

 

 狙撃した木の枝から飛び降り、部下の【ノリントン】と合流したゴラムは毒を吐いた。

 

「所詮はサインズも大ギルドの犬って事ですよ。だけど、相手は1人。マダムの護衛プレイヤーは館に引き籠もってますし、野外は雑魚なギルドNPCばかり。こちらの優勢は――」

 

「侮るな。傭兵は下位ランクでも上位プレイヤー3人分の戦力があると思え。トップランカーなど人外だ」

 

 油断するノリントンを諫めたゴラムは、大弓を背負い、近接用の分厚い鉈を取り出す。まるで三日月刀を思わす歪曲した刃の切っ先同士を繋げる柄からも分かるように、リーチよりもDPSを重視した連撃想定武器だ。だが、ギミックによって三日月状の刃が展開され、鉈のようになってリーチを伸ばす事ができる変形武器である。財団が販売した武器でも安価な部類であった【ノコギリ鉈】を、ゴラムが協力してくれている鍛冶屋に依頼して改良してもらったものだ。これによって通常の元のノコギリ鉈のようなノコギリ状の刃は失ったが、倍近い素早い変形とリーチの伸びが増加した。

 

「財団から買った戦力……何処まで信用できるものだろうな」

 

 ギルドNPCなのだろうが、全身を黒づくめの鎧姿をしたギルドNPCはゴラムが知る者よりも機械的であり、元よりオペレーションを組みやすいように基礎オペレーションがカスタムされている。

 そもそもギルドNPCの販売など可能なのだろうか? プレイヤーならば誰でも可能なNPC雇用の延長だとは思うが、ゴラムには不安が拭えなかった。特に4月に起きた獣狩りの夜と呼ばれた赤い月がもたらしたNPCのレギオン化は今もプレイヤーに恐怖を植え付けている。

 だが、元より戦力に劣るレジスタンスが勝利する為には、財団から戦力を購入するか、傭兵や1部の上位プレイヤーのような一騎当千の戦力を得るか、どちらかしかない。ゴラムは元太陽の狩猟団のプレイヤーだ。ボス戦にも何度か参加した事もある。今は熱狂のように反大ギルドを掲げているレジスタンス勢力の敗色濃厚と、その存在すらも謀略によって敵対勢力や権力闘争に利用する大ギルドの恐ろしさを十分に把握していた。

 ゴラムが太陽の狩猟団を脱走してレジスタンスに合流したのも、もしかしたら自分の反体制意識を煽るように、太陽の狩猟団でも随一の謀略家であるミュウに誘導された結果なのかもしれない。ゴラムは冷静に自身の現状を分析しながら、それでも反大ギルドの道を進んだのは間違いではないと確信していた。

 何が戦争だ。何が秩序ある攻略だ。プレイヤー同士で争えば争うほどに、現実世界への帰還は遠ざかる。いや、もはや大ギルドは真に完全攻略を目指しているかどうかも怪しい。たとえ、レジスタンスの反抗が結果的にプレイヤーの総体的戦力の低下に繋がるとしても、自分たちの戦いがかつてのSAOと同じように、ひたすら完全攻略に向かう正しきあり方に戻るはずだと信じている。

 ゴラムはSAOを生き抜いたリターナーの1人だ。激化する攻略とボス戦に能力が追い付かずに脱落したが、それでも75層の悲劇を体験し、90層まで戦い続けた生粋の戦士である。そんな彼の目からしても、DBOのプレイヤーはSAOとは比較にならない程に上質だ。それだけVRが世界中に蔓延しているという事なのだろうが、ゴラムにはDBOが何者かの意図によって自分も含めた『選抜された』プレイヤーが呼びこまれたように思えてならなかった。

 

「行くぞ。今回しくじれば、マダムを討つのは難しくなる。傭兵はギルドNPCで囲んで時間を稼ぎ、その間に我々で館内に突入するぞ」

 

「了解! 行くぞ、お前ら!」

 

 こちらの戦力は先行している財団から購入したNPC10人と自分を合わせたプレイヤー4人。虎の子のゴーレムも投入したかったが、マダム暗殺には『過剰』と見なされて他のメンバーから了承を得られなかった。

 それが何処まで痛手となるやら。先行しているギルドNPC5人は間違いなく撃破され、時間稼ぎの5人も損失確定だろう。下手すれば、誰かが傭兵を相手に捨て駒とならねばマダムを討つのは難しいかもしれない。

 

(トップランカーがいないだけマシか。本当に傭兵とは怪物ばかりだな)

 

 ユージーンが先日クラウドアースの意向を無視して『ボスの単独撃破』を強行し、UNKNOWNに続く偉業を成し遂げた事はDBOに新たな激震を生んだ。彼は十全な戦力があるにも関わらず、集団戦の安全性を捨てて【王盾ヴェルスタッド】を単身で真正面から叩き伏せたのである。かなりの激戦だったらしく、あのユージーンも幾度となく死にかけ、しかも恒例の2回戦もあったそうだ。得られたソウルより新たな力を得たらしく、彼の強さは更に増加した。

 これに対抗するようにUNKNOWNもUNKNOWNで大暴れだ。聖剣騎士団の依頼によりイベントダンジョン【ドラングレイグ城】のボスだった【鏡の騎士】の撃破に貢献……というよりもまさかのネームド【竜騎兵】6体の乱入により大混乱した戦場で一騎当千の働きである。3体の竜騎兵の撃破と常時雷属性エンチャント状態と魔法反射能力を持った最終形態の鏡の騎士を討伐し、報酬として竜騎兵のソウルを3つも得たそうだ。

 そして、古巣の太陽の狩猟団の専属傭兵である【魔弾の山猫】と呼ばれたシノンは義手を装着して傭兵に復帰し、新スタイルで着実な戦果を挙げている。変形武器と義手の換装によってあらゆる依頼に対応するスタイルは独立傭兵スミスに通じるものがあり、狙撃一辺倒の援護スタイルから近・中距離をこなすスピードファイターに変貌した。まだ本調子ではないらしいが、溶岩地帯という足場の悪さで猛威を振るう凶悪なネームドとして攻略の壁となっていた【百足のデーモン】をミスティアとのタッグで僅か10分で討伐を成し、傭兵としての価値に劣化がない事を証明した。

 この3人はもちろん、上位ランカーがいるならばゴラムは恥だろうと何だろうと即時退却を決め込むだろう。特に独立傭兵のスミスはバトルジャンキーのランク2とは別の意味で凶悪だ。プロフェッショナルに依頼をこなすが故に容赦がない。発見された時点で追撃と殲滅がセットだろう。

 だが、何よりもゴラムが警戒しているのは【渡り鳥】だ。リターナーとしてゴラムも【渡り鳥】の戦いを目にしているが、あれは常軌を逸している。粗暴な態度とガキっぽい言動とは裏腹に、戦いに関しては全傭兵で間違いなく『最凶』だ。とはいえ、シャルルの森の事件以降は鳴りを潜めている。ナグナのノイジエルとベヒモス両名が死亡した上位プレイヤー大量死亡に関与していると噂されているが、本人は雲隠れだ。一説ではサインズが危険視して依頼を回していないのではないかとされている。

 ルーキーも曲者揃いで傭兵にまともな奴などいない。ゴラムは森を駆け抜け、館まで間もなくといった、花壇と噴水が彩るマダムの館の庭園にて、1人の佇む者を見つける。そして、その周辺にはアイテムドロップの数々を見るに、先行したギルドNPCはこの者に撃破されたと見るべきだろう。だが、最低限の仕事はしてくれたらしく、オペレーションが甘いマダムのギルドNPCもまた全滅したようだ。

 止まれ。そう言うようにゴラムは左手を掲げ、部下たちを踏み留まらせる。

 

「こんばんは」

 

 微笑みながら、ゴラムの狙撃からマダムを守った傭兵は戦場に不釣り合いな程に穏やかな声音で挨拶する。ノリントンを含め、部下のプレイヤーは全員が困惑する。それも当然だろう。これから殺し合うというのに、まるで月夜の散歩で偶然出会ったかのように声をかけられては、調子を狂わされるというものだ。

 胸元を止める銀細工と赤のブローチを持つ裾の長いコートは何処となくスカートを思わせるような気がする。ブーツを踏み鳴らしてゴラム達に向き直った傭兵は、憂いとも思える眼差しを向けた。

 

「1度だけ警告します。投降してください。マダムは慈悲深い御方です。囚人となる事はあっても命まで奪わないように手回ししてくださるでしょう。アナタ達のレジスタンスとしての誇りは分かりますが、命を失う覚悟が無いならば、武器を捨て、膝を折ってください」

 

 雲の隙間から漏れた月光を浴び、腰まである髪を1本の三つ編みに結った傭兵は、心から願うように胸に手を当ててゴラム達に告げる。

 

「悪いが、それはできん。そこを通させてもらうぞ」

 

 距離にして10メートル以上。残りのギルドNPCは全て防御と回避を重視したオペレーションを組んでいる。壁にすれば5分は稼げるだろう。その間に館に潜むマダムを討ち、なおかつ退却するのは絶望的であるが、最悪でもゴラムが時間稼ぎに徹すれば部下の撤退時間は得られるかもしれない。

 SAOを生き抜いた果ての死に場所がここか。さすがのゴラムも傭兵に勝てるとは思わない。だが、せめて有意義な死に場所になるならば、生き恥を晒し続けた意味もある。

 

「……残念です。では、戦いましょう。せめてアナタ達の死が意味のあるものであるように」

 

 傭兵の得物は腰にあるカタナしか確認できない。スタン蓄積能力が低いカタナならば、防御力とスタン耐性重視のギルドNPCでも十分に壁を務められる。不幸中の幸いと言うべきか。他の装備は見当たらないところを見るに、カタナを主力とした高速戦闘型だろう。

 カタナの最大の恐ろしさであるクリティカル判定だけには注意しなくては。扱いの難しさに比例する軽量性と火力を両立するカタナ使いはいずれも厄介な存在ばかりだ。特に居合の達人が聖剣騎士団の円卓の騎士にいるらしい。名前はゴラムも何故か思い出せない。

 来る。やはり最初は居合で迎撃か。突撃するギルドNPC達に対し、腰溜めにして抜刀の構えを取る傭兵は相変わらず微笑んだままだ。せめて最初の援護をと、ゴラムは大弓を引く。射撃後の硬直時間は長いが、この大弓でこの距離ならば、直撃はできずともダメージを与えることはできるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ギルドNPC達が腹から両断され、斬撃がゴラム達に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が起きた!? 大弓を構えていた事が幸いし、それがガードの役割をはたしてダメージを最小限に済ませたゴラムだが、自分の腹から赤黒い光が飛び散るのを見て混乱する。

 傭兵は高速で抜刀しただけだ。だが、その刃は迫るギルドNPCではなく宙を真横一文字に斬っただけだ。その途端にゴラムを含めた全員が横薙ぎを浴びたのである。しかも、その衝撃は凄まじく、比較的軽装だったゴラム達の体勢は崩れる。

 

「盾役の鎧の防御力とスタン耐性は良いみたいですが、貫通対策が疎かだったようですね。簡単に突破できます。これも『分析』通りですね」

 

 そのまま生存しているギルドNPC達に迫った傭兵は、踊るような斬撃で、オペレーションに従って逃げようとする彼らを刻む。鎧でありながら弾かれることなく、正確に斬り裂いていくのは刃を立てているだけではなく、カタナ自体の斬撃性能が高すぎるせいだろう。

 

「全員防御の準備だ!」

 

 反撃する1体をバックステップで躱し、再び居合の構えを取る傭兵に、今度こそ見逃さないとゴラムは叫ぶも、彼の声を混乱の中で正しく拾い上げられたのはノリントンだけだった。

 溜めの姿勢からの抜刀。今度こそゴラムが視界に捉えたのは、カタナから放出された液体……水銀のようなものだ。それは斬撃となって撒き散らされ、刀身以上の広範囲攻撃を成しているようである。まるで銀色の扇が一瞬で開いたかのような水銀の斬撃は幻想的であり、死の一閃でありながら美しい。

 またも直撃を受けたギルドNPC全てが撃破され、ゴラムとノリントン以外のプレイヤーも直撃を受ける。1人が死亡して赤黒い光となって砕け散り、戦意を喪失したもう1人が逃げ出そうとする。

 

「通せんぼ。意地悪でしたか?」

 

 だが、今度は斬撃ではなく傭兵が『消える』。ゴラムが辛うじて追えたのは、金とも銀とも見紛うほどの淡い燐光。それが一瞬でゴラム達の真横を舞い散っていく神秘的な光景だ。

 

「ひっ!」

 

 逃亡しようとした1人に回り込み、鞘に納めたカタナを持ちながら両手を背中で組んで前屈みになって可愛らしく上目遣いをする傭兵は、これが戦場でなければ万人の男心を擽るものとなるだろう。だが、今は死神が悪戯したようにしか思えない悪夢そのものだ。

 

「せめて戦いの中で死ぬ。それが戦士の誇りというものでしょう? レジスタンスとして名誉ある死を。さぁ、アナタの強さを見せてください」

 

 心の底から戦いを楽しんでいるように、傭兵は微笑みながら抜刀する。戦うためではなく守るために両手剣を掲げた逃亡者は、下段からの斬り上げ抜刀をまともに受け、剣を弾き上げられて体を縦に両断されて赤黒い光となって爆散する。

 1分と待たずしてゴラムとノリントンだけが生存者となり、傭兵は水銀に浸されているように刀身が水面のように揺らめくカタナの切っ先を下げながら近寄ってくる。

 

「……隊長、どうか一矢報いてください」

 

 ノリントンはニッと笑い、ゴラムにすべてを託すようにして盾を構えて槍を手に傭兵へと突進する。それをゴラムは止めることができなかった。レジスタンスに属している間とはいえ、自分を慕ってくれた部下の覚悟を踏み躙る事は出来ない。

 見極めてやる! ゴラムは大弓を捨て再び居合の構えを取った傭兵に、捨て駒となったノリントンを通して攻略の糸口を見出そうとする。

 抜刀。水銀の斬撃が飛ぶも、貫通対策のある盾を斬撃軌道に重ねたノリントンは、水銀の斬撃で押し戻されそうになるのを高いSTRを活かした踏み込みで相殺して間合いを詰める。そのまま水銀の刃を再び飛ばす傭兵であるが、今度はリーチが短い。居合でははなく、また溜めが無い分だけ威力と間合いが下がっているのだろう。今度はノリントンも耐え切る。

 

「赤砂の旗を舐めるなぁあああああ!」

 

 赤いライトエフェクト……≪盾≫の単発系ソードスキル【バースト・バッシュ】。シールドバッシュの強化版であり、高いスタン蓄積と衝撃を持つタックル系のソードスキルが次なる水銀斬撃の前にカタナを弾く。

 

「舐めてません。敬意を持っています。アナタのような素晴らしい戦士には特にね」

 

 だが、追撃の槍が届くより先に……いや、バースト・バッシュを最初から見切られていたように、傭兵は左手に銃を抜いていた。それはハンドガンの類だろう、金属製の古式銃。ダブルバレルピストルだ。

 

「隊長、後は……」

 

 至近距離で眉間を撃ち抜かれ、ノックバックしたところに首を狙った一閃。ハンドガンは決して高くないが、ゴラムの知識通りならば、教会が特別に仕立てるという【教会連装銃】だろう。それが更にカスタムされ、火力が大幅に引き上げられているに違いないのは銃声からも明らかだ。

 2連続のクリティカル部位への大ダメージ。倒れたノリントンにトドメを刺すように、傭兵はその口内へとカタナの切っ先を突き刺した。

 

「誇り高き戦士に祈りも呪いも無い安息の眠りがあらん事を」

 

 悼むように連装銃を握ったまま左手を胸にやって黙祷した傭兵は、最後の標的たるゴラムに笑いかける。

 ああ、ここで死ぬな。ゴラムは自嘲する。やはり大ギルドの幹部を、たとえマダムという脆弱な相手だとしても、その財力を舐めるべきではなかったのだ。傭兵1人によって作戦も何もなく壊滅だ。最初の狙撃が失敗した時点で大人しく退くべきだったのだ。

 だが、ノリントンの言う通り、せめてレジスタンスの意地を見せてやる。ゴラムは三日月鉈を構え、再び居合の構えを取った傭兵に突撃する。

 これまでの戦いの経験が教えてくれる。奴の水銀斬撃はあくまで斬撃軌道にしか発生しない。そして、威力とリーチを伸ばすには溜めが必要だ。より火力を出すには居合のようにカタナを鞘に収めねばならないのだろう。

 そして、傭兵の反応速度……初速自体は見切れない速度ではない。ゴラムは最初の一閃を身を屈めて躱す。これには傭兵も少しだけ目を見開き、続いて居合ではなくそのまま水銀斬撃を右斜めに放つ。火力とリーチは下がったが、接近して間合いを詰めた以上は範囲内だ。これもゴラムは紙一重で躱す。

 

「だったら『これ』は?」

 

 そこで繰り出されたのは突きだ。間合い外であるが、水銀が飛び散り、面となって襲い掛かる。ダメージは低そうだが、まさかの攻撃にゴラムの心は怯みそうになるも、彼は鋼の意志で攻撃に真正面からぶつかり、ダメージ覚悟で三日月鉈の攻撃範囲に収める。

 STRに任せて首を狙った横振り。だが、傭兵は余裕を持ってバックステップを踏んで躱す。だが、ここまでがゴラムの作戦通りだ。

 

「これが……レジスタンスの意地だ!」

 

 ギミック発動! 高速変形と共に切り返して傭兵の首を狙った、リーチが伸びた三日月鉈の刃に傭兵は対応しきれない。一撃では殺しきれないだろうが、この傭兵にレジスタンスは烏合の衆ではないと恐怖と共に刻み込めるならばそれで十分だった。

 

 

 

 

 

 だが、傭兵は左手の親指と人差し指で伸びた三日月鉈を白刃取りして、蕩けるような笑みを描く。

 

 

 

 

 読まれていた? もはや超反応の域を超えている。まるで未来が見えていたかのように、咄嗟に連装銃を捨てた傭兵は渾身の一閃を白刃取りしたのだ。

 

「STR出力があと少し足りて無ければ押し込まれていましたね。危なかったですよ、『さすがはゴラムさん』」

 

 まるで自分を知っているような口ぶりで刃を押し返され、ゴラムは訝しみ、そして雲が割れて差し込む月光を以ってようやく気付く。

 その顔立ちは大人びて、また記憶にあるよりも遥かに美しくなっている。そして、その雰囲気があまりにも違い過ぎるが故に気づかなった。……いや、ゴラムが『信じたくなかった』だけだ。恐怖を前にして目を背けていただけだ。それが結果的に仲間を殺すとしても、そうしなければ戦えなかったのだ。

 夜風で揺れ、月光を浴びる、腰まで伸びる1本の三つ編みで結われた髪は『白』。

 その右目は特徴的な赤みを帯びた黒色であり、左目を覆うのは黒地に淡い金色でカラスのエンブレムが描かれている眼帯をつけた『隻眼』。

 男性とも女性とも言えない、中性的な美の結晶のような顔立ちは、SAO時代を遥かに凌ぐほどに麗しい。

 

「……【渡り鳥】!」

 

 傭兵の中で1番出会うべきではない災厄そのもの。傭兵を引退したのではないかとも噂されていた存在を前に、ゴラムは恐怖に呑まれて硬直する。

 勝てない。勝てるはずがない。レジスタンスとしての誇りも、部下への手向けも忘れて、ゴラムは膝を震えさせる。

 

「さぁ、踊りましょう」

 

 雲の隙間から漏れる月光を浴びて、【渡り鳥】はゴラムを迎えて抱きしめるように両腕を広げる。ゴラムは恐怖に駆られ、武器を捨てて軽量になると、仲間たちの無念など頭の外に追いやって逃げ出した。だが、その前に淡い燐光を散らしながら、突如として【渡り鳥】が立ちふさがる。

 戦えば名誉ある死があったかもしれない。ゴラムはぼんやりとそんな事を思い浮かべながら、壊れたように笑った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「噂以上ね、【渡り鳥】さん! これならもっと早くに雇えば良かったわ」

 

 調子の良い事を。上機嫌で愛猫のマロンを撫でながら、自分サイズの特注品の椅子に腰かけて紅茶を飲んで安全という最大の贅沢を存分に貪るリップスワンに、慣れないオールバックの髪と久々のスーツ姿に肩凝りを覚えるグリムロックは内心で嘆息した。

 無事に『捕縛』されたゴラムはクラウドアースに引き渡され、重要な情報源として今後は扱われるだろう。とはいえ、死なないように、丁寧に達磨状態にされたゴラムがショックから立ち直るのには時間がかかる事だろう。

 

「光栄です、マダム」

 

 そして、洗練された品のある動作で頭を下げるクゥリに、リップスワンは更に気分が良さそうに頷いた。クラウドアースもまさかリップスワンがクゥリを雇うとは想定外だったらしく、自信満々で彼女が『テロリストの幹部を捕らえた』と伝えると、如実に驚いた様子だった。今後は理事会での彼女の発言力は高まる事になるだろう。

 

「夜分ですので、お喋りはこれくらいに。マダム・リップスワン、今後も我々黄金林檎がプロデュースします傭兵【渡り鳥】をどうぞよろしくお願いします。行くわよ、クゥリ君」

 

「はい、グリセルダさん。マダムも良き夢を」

 

 終始として礼節と品を忘れぬ態度を貫き続けたクゥリと自信に溢れたグリセルダと共に館の外へと出たグリムロックは、早速今回使用した新型ゴーレム【ソルディオス・ネイル】を回収する。大型ケースを開けば、その中で総数12機の野球ボールほどの小型ソルディオスが帰還して収納された。

 

「撃破数ゼロ。レジスタンス相手とはいえ、隠密性は十分だったようだね」

 

「そんなモノを浮かべて喜ぶのはHENTAIくらいでしょうね、あ・な・た」

 

 顎をグリセルダに撫でられ、グリムロックは照れてしまう。だが、誰も褒めていないとグリセルダの代弁をするようにクゥリは嘆息した。

 今回の依頼に同行した理由は2つ。1つは携帯性ソルディオスの実験、もう1つはクゥリの3つの新武装の初の対人戦のテストの為だ。

 

「【贄姫】は気に入ったようだね」

 

 クゥリが楽しげに握る剣帯から外した鞘に納められたカタナ……グリムロック初のオーダーメイドのカタナとなる【贄姫】は、素材からして破格だ。多額の資産を投入してレア素材という素材を収集した。特に【純粋な刃石】はユニーク素材とすらも言われていたものであり、所有者から融通してもらうのに300万コルも支払うことになった。だが、それすらも核となる素材からすれば見劣りする。

 贄姫には青水銀のソウルが素材として組み込まれているのだ。何処で入手したのかはクゥリも語りたがらなかったが、彼がエドガーとの取引によって入手したソウルの火種によって、グリムロックはついにソウルの活用法を獲得したのである。

 ソウルの火種には2つの使い道がある。1つはソウルをそのまま加工してユニークウェポンにするというものだ。最も確かでソウルの性質を反映しやすく、強力な武器や防具、装飾品が確実に手に入る。2つ目はソウルを素材化するというものだ。これは鍛冶屋の腕が試される。贄姫は後者で作り出されたグリムロック渾身の作品である。

 

「まだ癖は掴みきれていないがな。だが、良い意味で狂暴だよ。使いこなし甲斐がある。連装銃もよくここまでカスタムしてくれた。装弾数の少なさと射程距離、それにハンドガンとは思えない反動はネックだが、それに見合う高火力と衝撃とスタン蓄積は魅力だ。それに、やっぱり『左目が見えている』と楽だ」

 

 眼帯を外したクゥリの左目に収まっているのは、夜空のような深い青の瞳が特徴的な義眼だ。瞳の中では星のような淡い輝きが瞬き、まるで惑星運動のように円を描いている。それはグリムロックが無垢なる聖女ステラのソウルを素材として作り出した【星輪の義眼】だ。聖女のソウルというだけあってオートヒーリング効果を持ち、魔法と闇の属性防御力を高める。だが、その最大の特徴は『常時視界の確保』ができる事だ。

 故に眼帯はブラフ。能力【ソウルの眼】を発動させれば、多少の障害物を無視してプレイヤーだろうとモンスターだろうと視野に収められる。言うなれば疑似≪千里眼≫だ。使用状態では対象が光の塊のように見えるらしく、逆に右目の方が見えなくなるというデメリットもあるが、元より隻眼戦に慣れたクゥリからすれば枷にはならない。能力無しでも視野の確保ができる事こそが星輪の義眼の最大のメリットだ。

 だからこそ、どうせならば眼帯を外すべきだとグリムロックも思うのだが、クゥリ曰く隻眼生活が長かったせいで両目が見えていると『疲れる』らしく、今も眼帯を愛用している。

 

「でも……少し恥ずかしいな。オレって感じない気がする」

 

 くるくると指先で結った三つ編みを弄びながら、クゥリは少し砕けた口調で頬を赤らめながら呟く。

 グリムロックは思い返す。全ては2週間ほど前、いよいよクゥリがリハビリを終えて傭兵業に復帰する準備を始めた頃だった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「クゥリ君改造計画を実施します」

 

 突如としてグリセルダさんが掲げた目標に、オレは思わずトーストを落とした。パンの味はほとんどしないが、塩漬け豚がのせられたトーストは味も濃く、オレも何とか食事の細やかな楽しみを得られる。

 グリムロック工房改めて黄金林檎工房にお呼ばれした朝、相変わらず朝から酒をガブ飲みしながら煙草を咥えているヨルコを横目に、わざわざ手配したらしい黒板にでかでかと計画名を記したグリセルダさんに、オレとグリムロックは思わず向き合った。

 

「グリセルダ、急にどうしたんだい? ようやく新武装も開発に取り掛かるんだ。エドガーさんとの交渉で教会との付き合い方も大よそ方針も決まったし、後は復帰するだけ――」

 

「甘い! 甘過ぎよ、あなた!」

 

 これまたわざわざ準備したらしい眼鏡をかけ、教鞭を手にしたグリセルダは地響きにも似た大きな音を立てて黒板を叩く。これには酒に溺れていたヨルコもビクリと反応してコップを落とし、床に琥珀色の液体をぶちまけて涙目だった。

 

「はい、問題! クゥリ君が昨日終わりつつある街をユウキちゃんと散策している間に暗殺されかけた回数は何回!?」

 

「5回」

 

「正解! クゥリ君に30ポイントを贈呈するわ! 100ポイント溜まったらグリムロックにケツパイルの刑よ!」

 

「クゥリ君! あと70ポイントだ! ファイト!」

 

 これ程までに溜めたくないポイントはないだろう。ハァハァと興奮した様子のグリムロックは脇に置いておくとして、少し裏路地に入った瞬間には背後を狙われ、食事をしている時も不意打ちされそうになり、トドメには想起の神殿で10名近いプレイヤーがフル装備で待ち構えていた。さすがに1人1人相手はしていないが、もはや日常生活にも支障が及ぶでレベルである。

 まぁ、それだけの事はしでかした自覚はある。集まり過ぎたヘイトがここまで露骨に発露するとは思わなかったがな。

 

「そもそも【渡り鳥】としてヘイトを無駄に重ね過ぎだわ。今後は私がオペレーター兼マネージャーとして依頼を管理するとして、同時に黄金林檎の評判にも関わる【渡り鳥】のプロデュースも行います」

 

「プロデュース?」

 

 訊き返すオレに、グリセルダさんは大いに頷く。どうやら練りに練ったプランがあるようだ。オレもこのまま高まり過ぎたヘイトのせいで仕事に支障があるのは困るし、グリセルダさんのプランを聞くことにしよう。

 

「まずは容姿ね。イメチェンしましょう」

 

「は?」

 

「安心しなさい。クゥリ君の魅力を十分に出し切れるようにヨルコと念入りに準備を進めたわ。髪型プラグインはもちろん、新防具のデザインもできあがってるわ。グリムロックもきっと気に入るはずよ」

 

「はぁ!?」

 

「あと、口調を少し『戻しましょう』か。まったく、私がいない間にすっかりグレてそんな粗暴な喋り方になってしまって。男らしさの追求のつもりでしょうけど、容姿とアンマッチ過ぎよ。それも含めてあなたの評価を下げていると何で分からないのかしら?」

 

「はいぃ!?」

 

「あ、それと隔週サインズに傭兵インタビューのアポイントも取ってあるわ。取材は復帰後になるから、今からインタビューの練習も始めるわよ」

 

「ちょ、は、ふぃえ!?」

 

 鬼セルダさんは何処までも本気だった。

 まずは無理矢理髪型を変えられ、新防具のデザインを決定させられ、逆らえれば容赦なくグリムロックにケツパイルした。その度にグリムロックの恍惚とした表情を見せられるのはどんな罰ゲームだろうか。

 良いだろう。やってやるよ。やれば良いんだろ!? もうこれ以上グリムロックのアヘ顔なんて見たくねーよ! 見たくないんだよ! 見せないでくれよ!

 

「……これで良いだろう?」

 

 そうして、鏡の前に立ったオレは、腰まで伸びた髪を丁寧に三つ編みして1本にして、黒い小さなリボンで先端を結んだ姿となった。防具もこれまでのガチガチの実用性重視からデザイン性も取り入れられたものに変わった。グリムロック命名で【ナグナの狩装束】というらしく、オレが教えた狩人の話からモチーフを得てヨルコが≪裁縫≫でデザインを実用化したものである。

 何処となく貴族的な気もするが、狩装束という名前の通り、運動性を重視したグリムロックらしい折衷案だ。落ち着いた灰色も嫌いではない。胸元のブローチもアクセントとしてだけではなく、実は紅玉の騎士アンタレスのソウルから生み出した装飾品である。

 ズボンもブーツも全てオーダーメイドであり、レア素材がこれでもかと投入されている。お陰でナグナで稼いだ財産はまたも底を尽いた。まぁ、投資先なんて武器と防具くらいしかないのだから別に良いのだがな。つーか、この長髪プラグインの何処に80万コル分の価値があるのか分からん。グリセルダさん曰く艶とか質感らしいが、それをわざわざ丁寧に三つ編みに結ったのはヨルコのこだわりらしい。

 ……思えばねーちゃんにも昔から着せ替え人形にさせられてたっけ。まぁ、ヤツメ様の神子の時点で色々と終わってたからなぁ。長髪くらいでは別にどうとも思わんが、どうにも欠けた記憶が疼く気がする。桜の木の下で野郎に……野郎に呼び出され、て? 駄目だ。思い出せん。思い出したくない。

 

「う、美しい……!」

 

 何故か感涙するグリムロックは置いておくとして、大いに満足したらしいグリセルダさんは腕を組んで何度も頷いていた。

 

「渾身の出来栄えよ! さぁ、これからあなたの新しい傭兵ライフが始まるわ! 目指せ、人気マイナス30よ!」

 

「……マイナスから脱する事はできないんだな」

 

 まぁ、現状をマイナス100(最低値)と想定した目標なので十分に高望みなんだがな。

 グリセルダさんに肩をつかまれ、オレの新しい傭兵ライフが幕を開けた。義眼や装備も無事に完成し、傭兵業を始める準備は整った。

 早速、本部を移転したサインズに赴いたが、誰もオレの正体に気づいた様子はなかった。まぁ、さすがにここまでイメチェンすれば1日くらいは騙せるという事だろう。

 

「自然体よ。無理しては駄目。クゥリ君は天性の品格があるわ。それをいつも台無しにしているだけ。『男らしく』なんて取り繕わずに、自然にね」

 

「自然体も何もないと思うけど、やるだけやってみるさ。だから……だから、もうグリムロックにケツパイルしないでくれ。吐きそうだ」

 

 そもそも、昔のオレってどんな感じだったのだろう? ヘカテちゃんと目が合い、オレは一呼吸を入れて、肩の力を抜きながら、久しぶりという意味を込めて軽く微笑んで手を振る。こんな感じだろうか? すると何故かヘカテちゃんが顔を真っ赤にして狼狽した。どうやら彼女の前で右往左往する太った女にお困りのようである。まぁ、これでは挨拶どころの話ではないだろうな。

 アレがターゲットのマダム・リップスワンか。グリセルダさんが集めた情報によれば、レジスタンスに狙われているらしい。彼女とお近づきになるのがグリセルダさんの計画の第1段階だ。彼女が何を目指しているのか、オレにはサッパリだ。

 だが、やるだけやってみよう。あくまで自然体に。そもそも自然体って何だって話だけどな。

 

「お困りのようですね、マダム。よろしければその護衛依頼、お引き受け致しましょうか?」




今回のテーマは『お祭り騒ぎ』! とにかく爆走・暴走・限界突破の今までとは毛色が違うエピソードです。

ヒッシャ、ウソツカナイ!

それでは、222話でまた会いましょう。

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