SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

主人公(白)、イメチェンする。





Episode17-02 教会のお仕事

 回転して遠心力を付与した蹴りはガードされ、逆に足をつかまれて投げ飛ばされる。シノンはお世辞程度にクッション代わりのように敷き詰められた藁の上に背中から落下するところを、右手で先に地面を捉えてバランスを掌握すると無難に着地する。

 受け身だけは異常に上手くなった。シノンは垂れる汗を拭う事も惜しいと、キリマンジャロが連撃で押し込んでいくスミスを攻略すべく背後に回る。

 右、左、左、右と見せかけた膝蹴り。初期の頃から比べればキリマンジャロの格闘術も洗練され、淀みない拳のコンビネーションに差し込む膝蹴りは普通の相手ならば反応する前に鳩尾へと食い込むだろう。だが、それらをスミスは左腕1本で捌き、逆にキリマンジャロの喉に拳を叩き込む。一瞬の虚を突かれ、シノンが背後から奇襲をかける前に体が硬直したキリマンジャロの襟首はつかまれ、背負い投げされてシノンへと放り飛ばされる。

 もちろん、飛来してくる肉塊にわざわざ我が身を盾にするシノンではない。右へとひょいと避け、奇襲失敗とばかりに義手の左腕が軋むような頭の隅を引っ掻く感覚を無視して、義手という金属塊で横殴りにしようとする。その大振りは軽々と避けられるも、身を反らしたスミスへと間髪入れずに右拳で打ち抜こうとするが、それすらも回避に織り込まれたように僅かに届かない。

 

「わざと躱させるにしても上手く誤魔化したまえ。今までの軽くコンパクトな連撃に、いきなり大振りを混ぜても効果は薄い。ブラフは仕込みが命だ」

 

「ご講義どうも! だったらこれは!?」

 

 DEXを活かしたスピード戦を仕掛けるべく、シノンは後退したスミスへと肘打から始まる連撃を開始する。それを左腕だけで受け流すスミスだが、咄嗟に差し込んだシノンの足払いが僅かに足首を掠め、やや困ったように眉を顰めた。

 ここだ! シノンは力強い踏み込みと共に左肩を突き出すタックルを打つ。それはスミスを吹き飛ばしたように見えたが、実際には腕をクロスしてしっかりガードされ、なおかつ後方へと彼が跳んで攻撃の大半は殺されている。それどころか、その一瞬の間にシノンの右膝に蹴りを打ち込んで体勢の軸を崩すというオマケ付きだ。

 バケモノめ。シノンはスタミナ切れが近い事を点滅するアイコンで把握しながら、最後の攻めに移る。復帰したキリマンジャロは数メートルの間合いを詰める踏み込みと共に正拳突きでスミスを休ませない。彼のアッパーカットがスミスの顎を擦り、カウンターの掌底で胸を打たれて揺らぐも、その腕をつかんでお返しとばかりに投げ飛ばそうとするが、逆に足を引っかけられて派手に転倒させられる。だが、不屈のように背中から叩きつけられた瞬間に上半身を跳ねさせて起き上がったキリマンジャロは頭突きを狙うも、鼻先を裏拳で潰されて今度こそ吹き飛ばされた。

 私の相手をしている時よりも扱いに容赦がないのは気のせいじゃないわよね。最低限『女の子』として見てもらっているのか、顔面変形させられるような一撃はこれまで受けた事が無いシノンは、鼻が折れ曲がったキリマンジャロを横目に、頬を引き攣らせる。

 今度こそ、とシノンは左手を握って開き、義手の静かな金属音を響かせると、余裕綽々とは言い難い程度には汗を流しているスミスとの間合いを詰める。キリマンジャロの攻撃には両腕を使わせた。着実にスミスは追い詰められている。立て直しされる前に勝負を決める。シノンは踏み込みと共に弾丸の如く飛来したドロップキックをお見舞いする。

 当然ながら、崩しを混ぜていない大技などスミスには通じない。冷静にスミスはその蹴りを躱して着地したシノンの顎を蹴り上げようとする。だが、それを予測していたシノンは着地と同時に体を回転させながら宙を舞い、スミスのこめかみを狙った左足の蹴りを穿つ。だが、これも右手で掴まれて防がれる。

 狙い通り。シノンは投げ飛ばされる前に体幹をハッキリと感じ取れる間に残された右足の蹴りを瞬時に放つ。それはスミスの横腹を狙うと見せかけていながら、強引に喉へと軌道を変化させる可変蹴りだ。

 破裂音のようなぶつかり合う音が空気を割る。それは喉を打ち抜いた命中の印ではなく、この可変蹴りにすら反応して見せたスミスが左手で蹴りをギリギリでつかみ取った、シノンの最後の攻撃が敗れた証だ。

 悪くはなかったが、残念だったね。そう笑いかけるスミスであるが、シノンは微塵と悔しさを滲ませない。確かにシノンの最後の全身全霊をかけた空中可変蹴りは不発に終わった。だが、『スミスに防がれる』までが作戦だ。

 わざと連携に1テンポ遅れさせたキリマンジャロが、両手をシノンの空中蹴りをつかみ取ったスミスに全身を捩じって溜め込んだパワーを解放するように、がら空きの背中へと右拳を解き放つ。シノンは完全な囮。本命はキリマンジャロの一撃だ。

 だが、拳が突き刺さる前に、スミスは背後へとノーモーションとも思える速度で蹴りを穿つ。それはキリマンジャロの拳が到達するより彼の腹を鉄槌のように叩いた。

 シノンの連続蹴りから1秒未満の攻防。シノンがこれも通じないのかと思った矢先に、キリマンジャロは笑う。最後の背後からの渾身の一撃まではシノンとの事前の打ち合わせ通りだが、彼はフィニッシュを決めきれない場合を予想していたのだろう。両腕をシノンで封じる関係上必ず反撃の方法は蹴りに限られる。故に、キリマンジャロは最初から蹴りを受け止める覚悟を決め、その腹へと高いSTRを注ぎ込んでスミスのカウンター蹴りを文字通り体を張って止め、そして両手で足をつかむ。

 

「む!?」

 

 いかにスミスとはいえ、シノンに両手を、更にキリマンジャロに片足をつかまれた状態ではバランスを保てない。キリマンジャロは彼を押し倒すべく足を捩じり、スミスは背中から地面に傾く。

 だが、その刹那の間にスミスは敢えて地面と繋ぐもう片方の足を浮かび上がらせ、自分の足をつかむキリマンジャロのこめかみを打つ。転倒させるまでは意地でも足を手放さなかったキリマンジャロであるが、不意の横殴りには意識が追い付かなかったらしく、地面と蹴りで頭をサンドイッチにされた。しかし、スミスの反撃はそこまでだ。転倒と同時にシノンは体を捩じって掴まれた足を払い除けると、彼に馬乗りになって拳を振り上げ、スタミナ切れ直前に何とかスミスの頬を義手でぶち抜いた。

 

「……やっと、勝った」

 

 スタミナ切れでそのままスミスの上に倒れたシノンは、満足感と共にニッと笑う。それに応じるように、鼻が潰れたキリマンジャロはグーサインした。

 

「なるほど。最後の義手の音は連携の合図だったか。見逃していたな」

 

 シノンをやんわりと自分から下ろし、くっついた藁を払い除けたスミスは煙草を取り出して咥える。沈黙と共にへばっているシノンとキリマンジャロを見下ろしながら、長い一服を取る。

 スタミナの回復を待ちながら、スミスの思案するような顎を摩る動作をシノンは見守る。同じくキリマンジャロは生唾を飲んで喉を鳴らした。

 

「良いだろう。レッスン1『格闘戦』……合格だ」

 

 ここまで長かった。ようやく聞く事が出来た合格判定に、シノンは歓喜の吐息を漏らす。合格基準は2人がかりで『1発』を入れる。初回から1ヶ月半もかけて、ようやく届いた目標にシノンはホッとする。だが、スミスは心底驚いたように溜め息を吐いた。

 

「やれやれ。3ヶ月はかかると思っていたのだが、まさかその半分で到達されるとはね。若者の成長は喜ばしいが、同じくらいに自分の老いを感じるよ」

 

 あれで老いたならば、この男の全盛期はどれ程のものなのか考えたくもない。最期の最後まで反撃してくる姿は、まさしく戦闘のプロだ。幾ら仮想世界の恩恵を受けた身体能力があるとはいえ、それを抜きにしてもスミスの体捌きは尋常ではない。現実世界の方でもバケモノ級なのだろうとシノンは確信する。

 

「まだまださ。師匠に1対1で勝てるくらいにならないと。なぁ、シノン?」

 

 潰れた鼻を手の甲で摩りながら、目標を大きく掲げるキリマンジャロに、シノンは御免被ると沈黙を貫いた。格闘戦の重要性を身に染みて教えてもらった1ヶ月半だったが、スミスは基本的に自分から攻めず、カウンターも最低限の迎撃に留めていた。この男が本気で攻めに回ったならば、『1発』を入れる前に心折れるまで叩きのめされるだろう。

 培われた技術と経験値に絶対的隔絶があり、シノンは自分にそれを埋め切るだけの格闘戦の才が無い事を自覚する。それは諦めではなく自己分析だ。あくまで格闘戦のいろはを学び取ったのは、それこそが基礎であり、また無限に応用が利くからである。特に細やかな体幹掌握は立体運動による射撃戦を得意とするシノンの上限を大幅に高めてくれた。後はこれをどう自分の武器に変えていくかという話である。

 だが、キリマンジャロは違う。シノンも嫉妬するほどに、スミスの技術を吸収していき、格闘戦においても彼女よりも1歩先んじている。スミスが彼に対して辛辣とも言える反撃を行っていたのは、単なる厳しさの露ではなく、手加減を差し込む余裕がなかった点もあるだろう。経験と技術の差を、キリマンジャロは基礎スペックの高さで着実に埋めている。

 

「さて、レッスン2は回避技術に重きを置く予定だ。あと、今後は1 on 1で組手も行う。楽しみにしていたまえ」

 

 邪悪とも言える表情で笑うスミスに、練りに練られただろうレッスン2の鬼畜さを今から感じずにはいられないシノンは、もう少し大の字になって寝そべっていたいという気持ちを抑えながら立ち上がる。

 修練場の外の、高山に相応しい冷えた空気が肌を撫でてシノンは身震いした。早く汗でびっしょり濡れた体を温泉で洗い流したいという感情もあるが、同じくらいに耐え難い空腹感もある。悩んだ末にシノンは後者を選び、合格祝いとしてスミスに茶店で奢ってもらう事になった。

 

「しかし、シノン君。私が言うのもなんだが、キミも少しは女の子としての自覚を持った方が良い」

 

「藪から棒に何よ」

 

 茶店で串焼きの肉団子を皿に山盛りのせて持ってきたスミスの複雑な表情に、シノンは串焼きに伸ばす手を止める。

 

「キリマンジャロ君の目の毒だと言っているのだよ。私は大いに結構だが、レディを目指すならばタンクトップ姿は止めたまえ」

 

 汗が流れて否応なく体温が上がる訓練中は、シノンも防具をオミットし、スミスが準備した訓練用のズボンと黒のタンクトップを着用している。キリマンジャロとのお揃いであり、彼らが兄弟弟子である証明のようなものであるが、単にスミスがデザインを分けるのも面倒だったので同じものを2セット買ってきただけである。

 チラリと自分の隣を見れば、キリマンジャロは『俺はじろじろ見ていないぞ!』と主張するように全力で顔を背けている。

 

「今更じゃない。それとも、スミスさんには私が女性として魅力があるように映るのかしら?」

 

「当然だろう。私も男だ。何なら、今晩でもデートのエスコートをお許し願おうかな?」

 

 悪戯のつもりで尋ねたつもりが、煙草を手にしながらスミスに流し目と共に微笑まれ、シノンはこれが大人の男かと思わずドキリとして、この男のプレイボーイっぷりは傭兵業界でも数多の怨嗟が男たちの間で渦巻いている事を思い出し、慌ててジャケットを取り出すと羽織った。

 

「……ルシアさんが泣くわよ。まったく」

 

「その点は問題ない。ルシアも浮気は5人までならOKと言ってくれている」

 

 心広過ぎよ! たゆんたゆんの胸に母性を感じずにはいられないルシアの器の大きさに、シノンは遠い目をした。煙草と酒とギャンブルに加えて女好きという、駄目人間の塊みたいな男に惚れる神経が分からない。渋くてカッコイイ顔立ちだとは思うが、個人として知れば知るほどに、駄目男の見本のような人物だ。

 

「私だって恋の1つや2つしたいわよ。でも、そんな余裕があると思う?」

 

「でも、この前サインズの談話室で告白されてただろう? 付き合えば良かったじゃないか」

 

 野郎2人に挟まれて串焼きを貪るシノンは、キリマンジャロに見られていたのかと嘆息する。先日の百足のデーモン討伐戦の後に、移転したサインズの本部の談話室にて報酬と経費の計算をしていたところに、太陽の狩猟団のプレイヤーに突然告白されたのだ。今回の百足のデーモン戦に向けて情報収集を行ったプレイヤーの1人であり、作戦を前にして幾度か顔合わせした程度の関係であり、まさか好意を持たれていたとはシノンも思いもよらなかった。

 気持ちは嬉しかったが、傭兵業に復帰して今は依頼とスミスとの修行で時間も無く、誰かと恋愛するような時間的・精神的余裕はないと判断したシノンは丁重にお断りした。相手は素直に引き下がってくれたので、それで終わった話である。

 

「告白された=付き合うじゃないでしょう?」

 

 これでも恋に夢見る乙女なのよ、とシノンは内心で付け加える。白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるとまでは言わないが、桜の木の下で告白されたいと思う程度にはシノンも乙女心を捨ててないのである。

 

「人生の先達として言っておくが、高身長・高収入・高学歴で、家庭的で、家事万能で、性格も容姿も完璧の男などいないから注意したまえ」

 

「そうそう。シノンは何だかんだで理想が高そうだから、俺も心配だよ」

 

「……本当に今更だけど、あなた達って私の事を何だと思っているのよ?」

 

 師弟揃ってこの野郎共は。シノンは今なら2人とも現実世界まで殴り飛ばせそうな気がして拳を握るも、こんな冗談に付き合うのも馬鹿らしいと溜め息を吐いた。スミスの言うような理想的な男がいるはずもないくらいは分かっている。

 最低基準は『自分より強い』なのであるが、そもそも上位プレイヤーでも並外れた実力を持つ傭兵ランク1桁ランカーのシノンと肩を並べられる男などDBOでも数えるほどもいない。そういう意味では高望みなのだろうが、基準を満たせないならば、恋だの何だのは現実世界に帰還するまで持ち越しだ。

 

「やれやれ、キリマンジャロ君はデリカシーに欠けるな。師匠として悲しいよ。仕方あるまい。キリマンジャロ君には社会勉強として『大人の遊び』をたっぷり教えてやらねばな」

 

「お、『大人の遊び』……!」

 

「誰にとは言わないけど連絡するわよ。『誰に』とは言わないけど」

 

「師匠、今晩は用事があるのでキャンセルで。またの機会に」

 

 必殺のカードを切って、邪な道に誘い込もうとするスミスからキリマンジャロを引き離したシノンは、最後の串焼きを頬張って薄い青の空を見上げる。

 シャルルの森から始まった大ギルドの戦争の足音。教会の勢力拡大と今も続くレギオン狩り。反大ギルドを掲げるテロリストの登場。確実にDBOは危うさを増しているのに、こんなにも呑気な空気を吸っていて良いのだろうかと、シノンは迷う。

 

「俺達はこの世界で生きているんだ。常に肩肘を張ってたら倒れてしまうさ」

 

「その鋭さをもっと別のところに活かしなさいよね」

 

 シノンの心を見抜いたキリマンジャロの発言に、シノンはそれもそうかもしれないと息を吐く。

 どれだけ言い繕おうとも、シノンはこの狂気に満ちた世界で『今』を生きているのだ。ならば、たとえ戦いの日々の中だとしても、ひと時の憩いを探し求めていくべきだ。それが明日への活力となるはずなのだから。

 

「そういえば、探していた【ヘンリエットのギター】が売りに出てたんだったわ。悪いけど、先に帰るわね」

 

 細やかではあるが、≪作曲≫と≪演奏≫はシノンの楽しみの1つだ。フレーバー要素とはいえ、楽器類は価格もレアリティも馬鹿にならない。ユージーンなど、報酬をどっぷりと自分のバンドに注ぎ込んでいる。

 

「俺も用事があるから付き合うよ。実は前々から欲しかった釣り竿が出回っているって噂があるんだ」

 

「まだ<黄金の鯉王を釣れ!>に挑んでるの? いい加減に諦めなさいよ」

 

 呆れたシノンは、<ガルム族の英雄ラーガイの記憶>で発見された、隔週サインズでも『フィッシャーに最もアツい釣りスポットTOP10!』と特集を組んで紹介されたイベントを思い出す。ぼったくり級の釣り堀で挑戦できるこのイベントの目玉は、名前の通り黄金の鯉王だ。数多のDBOでも≪釣り≫に熱い情熱を注ぎ込むプレイヤーならぬフィッシャーが自慢の釣り竿、厳選した餌、鍛え上げた≪釣り≫専用ソードスキルと共に挑み、儚く散っていた。

 

「フフフ、今回こそ釣り上げてみせるさ。黄金の鯉王がヒットする環境ステータス条件と抵抗オペレーションは分析済みなんだ。食いつきが良い餌のブレンドも大よそ見えてきたし、あとは釣り竿さえあれば……」

 

「どうでも良いけど、あの変装は止めなさいよね」

 

 素顔を隠すキリマンジャロの釣り人スタイルは、表に『生涯釣り人』、裏に『釣りに生き、釣りに死す。釣り道とは釣る事と見つけたり』という文字がプリントされた、DBO釣り愛好家協会が作成している黒色Tシャツ。昔懐かしい伝統的な麦わら帽子。口元を手拭いで隠し、丸型サングラスをかけているという、何処からどう見ても取り繕いようがない変人だ。だが、DBOフィッシャーの間では【伝説の釣り人・ブラッキー先生】として畏怖と敬意を集めているカリスマ的釣り人らしい。

 ブラッキー先生は『DBO釣り人四天王』と共に各地の釣りスポットで熱い釣りバトルを繰り広げており、中でも四天王最強と名高い、フルフェイス兜を被った【ブルーナイト】との【雷王ナマズ】を巡る12時間の死闘は、熾烈な心理戦も含めてDBO釣り愛好家協会でも語り草になっているようだ。なお、四天王の更に上には釣り協会のトップ、謎の無敵のフィッシャー【ブラッディ・バード】が存在するらしいが、それ以上は部外者であるシノンは情報を持たない。

 スミスと別れて終わりつつある街に戻ったシノンは、獣狩りの夜のクリア後に解放されたカスタム機能によって、その様相を大きく変えた街並みを見回す。

 元より破滅を前にした、建物の半分が半壊状態だった終わりつつある街は、都市としてゆっくりと成長を始めている。背の高い建物が次々と建ち、それを繋げる橋が繋ぎ合わされ、より立体的な構造となっている。様々なイベントによって機能の追加オプションも獲得できるらしく、太陽の狩猟団がイベントクリア報酬で得た路面電車なども通っている。一方で、貧民プレイヤーの住む治安の悪い地域と隔絶するように検問や柵が設けられているなど、以前に比べればより差別意識が露になっているようにも思えた。

 だが、それも仕方ない事だろう。獣狩りの夜の後に、彼らの援助活動を行っていたプレイヤーが貧民プレイヤーたちに取り囲まれて殺されるという事件も起きたくらいだ。彼らをもはや単に守られるべき存在とは誰も見ていない。

 ラストサンクチュアリは教会と表向きでは『弱者救済』という名目で手を握り合っているが、依然としてクラウドアースの目の敵だ。こんな風に呑気に見えるキリマンジャロも、UNKNOWNとしての顔に戻れば、【聖域の英雄】として活躍し続けねばならない。

 だからこそ息抜きは必要不可欠なのだろう。今も拡張を続ける終わりつつある街は何処に向かっているのか、シノンは不安になりながら新しいサインズ本部に到着する。獣狩りの夜を境にして本部移転を余儀なくされたサインズの新本部は、もはや要塞と言ってもいいほどに堅牢だ。≪調教≫で飼い慣らされた3つ首のケルベロスが2頭も狛犬のように控え、屋上にはバリスタまで設置されている。

 エントランスから真正面には受付カウンターがあり、床にはサインズのエンブレムが描かれ、受付カウンターから右には傭兵用の食堂・談話スペース、左には依頼主用の休憩スペースがある。2階は新たに傭兵用の修練室があり、3階は今まで通りの傭兵用の割高宿となっている。そして、4階の隅には隔週サインズ編集室、そして謎に包まれているサインズの創設者にしてリーダーの通称【社長室】があるらしい。

 

「『キリマンジャロさん』はそこで待ってなさい。依頼のチェックをしてくるわ」

 

 UNKNOWNならばともかく、キリマンジャロの姿でサインズ内をうろうろされて下手に正体がバレても面倒なだけである。そもそも、キアヌ=UNKNOWNと発覚しただけでも色々な疑惑が呼んでいるのだ。むしろ、全身黒づくめでサングラスと黒帽子を被っただけのキリマンジャロがどうしてバレないのか不思議なくらいである。

 

「さてと、新しい依頼は……」

 

 シノンの傭兵ライフはまだまだ続く。彼女は鼻歌混じりに新たな依頼を物色し始めた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「スカート捲り事件の解決か。品の無い依頼ですね」

 

「そう仰らないでください。修道女にとっては死活問題なのですよ。些細な事件を見逃して『暴行』に発展されても困ります。大事になる前に芽は摘まねばなりません」

 

 マダムの護衛を終えた翌日、クラウドアースから赤砂の旗のアジトが判明したという情報が来るのを待ちわびていたオレに、先に舞い込んだのは神灰教会……より正確に言えばエドガーからの依頼だった。

 取引によって銀のペンダントとソウルの火種を交換したオレ達だが、その後の付き合い方について黄金林檎を交えて話し合う事にした。オレは口約束とはいえ、教会から支援を受ける約束をしてしまった。それを踏まえた上での協議によって、黄金林檎と教会の取引が行われた。

 教会としては黄金林檎の技術力が欲しい。黄金林檎としても教会とのパイプは有力だ。オレとしてもレギオン狩りを主導する教会とはなるべく友好関係を維持したい。エドガーもどうやらオレを戦力として当てにしたいらしく、依頼を出した際の優先性を得たい。互いの利益が一致し、教会からは『中立性を損なわない』程度の情報提供とバックアップを、黄金林檎はアイテム開発の依頼や武器アイディアなどの提供が契約された。また、エドガーの要望によって教会の活動にも不定期ではあるが、参加する事になった。適度に教会の活動に参加していればレギオン狩りにも同行しやすいという事らしい。オレは聖遺物探索を今後は恒常的に行う事を条件に、教会が特別に仕立てる連装銃を与えられた。

 ダブルバレルピストルの連装銃は重ハンドガンであり、グリムロックのカスタムによって射程距離・装弾数・射撃インターバル・反動を犠牲にして、火力特化に仕立て上げられている。その火力はハンドガンの域を突破しており、下手に命中すれば至近距離のショットガンのフルヒットにも匹敵するダメージを叩き出せる。高い衝撃とスタン蓄積によって相手の行動を阻害することもできる。

 銃弾も通常の物理属性弾と教会工房の秘儀で『洗礼』された光属性弾の2つを使用できる。弱点としてはオートリロードがまさかの使用不可なので、1度弾切れしたら手動で弾詰めしなければならない点だろうか。

 

「しかし、犯人の動機が分からない。わざわざ釣り針をスカートの裾に引っかけて捲るなんて……まるで子供の悪戯だ」

 

「人の趣味嗜好はそれぞれですからな」

 

「それは同意する。他人に迷惑をかけないならどんな趣味だろうと性的嗜好だろうと、否定されるべきじゃない」

 

 オレがその権化のようなものだ。だから、これはオレ自身への警告だ。

 

「しかし、【渡り鳥】殿が傭兵として復帰なされた事はこのエドガーにとっても喜ばしい限りです。さて、事件が多発しているのはこの辺りですが、本当に1人でよろしいのですか?」

 

 終わりつつある街の西方の区画、獣狩りの夜から復興していない崩落した建物が散乱しており、復興・拡張が進む終わりつつある街でも全体的な荒廃が著しい。その理由の1つが西区は元々快楽街などの犯罪ギルドの温床になっていた点がある。復興は1番最後になるだろう。

 

「構わない。オレと一緒にいたら、アナタの評判まで落ちてしまう。それにこれは仕事だ。傭兵は『1人』で働くものだよ、エドガー」

 

 今回は教会の仕事という事もあり、オレは仕立てた新防具ではなく、エドガーが準備した教会のローブを着ている。真っ白に金糸が派手ではない程度に縫い込まれており、ゆったりとしたローブは体のラインを隠す。魔法使いプレイヤーや奇跡使いになったような気分で新鮮だ。足首まで伸びるローブの裾はやや動き辛く、また武装もし辛いが、万が一に備えて連装銃は懐に忍ばせてある。

 これまでは人目を忍んで被っていたフードを外し、オレはぬるい陽光を浴びながら一息を吐く。季節は間もなく夏を迎える。いくら白色とはいえ、露出面積がほぼ無いと言って等しい教会の修道ローブはフードを被りっぱなしだと汗がにじんでしまう。1本に結った三つ編みを振り、襟を引っ張って外気に首を晒して体を冷やし、前髪を整える。

 

「……失礼」

 

 と、エドガーが鼻を押さえて後ろ向いてオレから顔を背ける。三つ編みが鼻にでもぶつかってしまったのだろうか。それは悪いことをしたが謝る気はない。ナグナの件は追及しないだけであって、コイツが暗躍した事は確実だ。それを消化しきったわけではない。だが、善意に殉じる狂信には敬意を払っている。彼は基準がどうであろうとも善人であろうとする。それは人が目指し続けた最も尊い姿だ。

 オレは羨ましいのかもしれない。常に自分の中に神の正義を掬い取るエドガーの揺るがない姿に『人』を見出しているのかもしれない。

 

「だけど、良いのか? わざわざ特注で教会ローブまで仕立ててもらうなんて」

 

 男性用とは思えない程にゆったりとした教会ローブは、武器を隠しやすいが、特注とは文字通り『特別』という意味だ。オレのような傭兵に準備するのはエドガーとしても苦慮したはずである。軽く回ってエドガーが仕立てたローブを改めて自分の目で確認するが、肌触りも防御性能もただのローブとは一線を画す。さすがに新防具からすれば総合防御性能は大幅に見劣りするが、魔法防御力に限れば過去装備したものでもトップクラスだ。

 

「いえ、このエドガーの努力は、まさに、今この瞬間、報われたのです。主よ、感謝します。アンバサ」

 

 ……グリムロックもそうだが、コイツも時々だが変になるよな。まるで悟りを得たように、跪いて太陽に祈りを捧げるエドガーに、オレは何とも言えない表情をした。最近はこんな反応に慣れてきた自分が嫌になる。

 表向きは奉仕活動という事もあり、オレは丁寧に編み込まれたバスケットに多量のクッキーを入れて路地を歩む。今回の依頼の報酬として、教会経由から新しい洗礼弾丸を融通してもらう事になっている。グリムロックの予想が正しければ、教会の秘儀は聖遺物に由来しているらしく、洗礼もまた聖遺物関連の特殊な種火なのではないのだろうかという事だ。つまり、グリムロックでも再現は限りなく難しい。

 グリムロックの為にも種火集めもするかな。リハビリ中はDBOの歴史についても情報を集めたが、どうやらDBOにおいて武器や防具の強化には常に火種が関わっていたらしい。噂では太陽の狩猟団がついに強化上限を引き上げる種火を想起の神殿の地下ダンジョンで発見したらしい。ユイの情報はさすがに明らかになるようなものは残ってないだろうが、いずれオレも調査しに行くべきだろうな。

 と、そこでメールの着信を報せるシステムメッセージが表示される。

 

<今日のお仕事終わったよー! ごはんを作りに行くけど、何か食べたいものある?>

 

 おいおい、まだ午後3時だぞ。今日も今日とて借金取りに勤しむユウキだが、最近は犯罪ギルド同士のぶつかり合いの仲裁も行っているようだ。この前も深夜に呼び出されて大バトルを繰り広げて勝手をやらかした犯罪ギルドを1つ単身で潰す大仕事だったらしい。

 

「『今日は仕事で遅くなるかもしれないから要らない』っと」

 

 正直に言えば、ユウキと食事をするのは少し辛い。彼女が美味しそうに食べる姿は微笑ましいが、オレは同じ味を知ることはできず、彼女と感動を共有することはできないからだ。そうでなくとも、彼女の幸せそうな笑顔を見ていると、その首を絞めてグチャグチャになるまで嬲りたくなる。

 ……分かっている。オレはきっと自分の中の欲求に負けてしまったんだ。本当に大事なら、黄金林檎もユウキも本気で突き飛ばして『独り』であり続けるべきだったんだ。だけど、この胸の内で燻ぶる寂しさに、殺意に、欲望に、負けてしまったんだ。

 今からでも遅くないだろう。彼らと距離を置くべきだ。理性が警告している。

 

「……また悪夢に囚われる、か」

 

 クラディール、キャッティ、ギンジ、ベヒモス、ノイジエル……オレはまた悪夢に溺れようとしているのだろうか? それとも、ひと時の夢で微睡んでいるだけなのだろうか?

 死人に問いかけても答えが得られるはずがない。オレも随分と情けなくなってしまったものだ。存外、オレ自身の限界は近いのかもしれないな。左手は依然として感覚を失ったままだ。味覚も消えつつある。左目は義眼で視界を取り戻したが、根本的な視力の劣化は免れない。ファンタズマエフェクトで現実世界の肉体にもダメージは蓄積しているはずだ。

 次に致命的な精神負荷を受容すれば、何を失うか分からない。あれは本来切って良いカードではない。禁忌のジョーカーだ。

 

「仕事仕事。余計な事は考えない」

 

 あれこれ悩むのはプライベートですべきだ。今は仕事に集中すべきである。

 獣狩りの夜以降、貧民プレイヤーの生活は更にどん底だ。自業自得な面も多いが、ラストサンクチュアリも素行が良い貧民プレイヤーしか保護しないだろうし、教会も慈善活動の主体は修道会なので幾ら護衛の教会を守る剣がいるとしても、暴徒と化した彼らに施しはしないだろう。

 と、そこでオレは路地裏に走り去る影を見つける。それは10歳前後の少女だろうか。貧民プレイヤーは必然として戦えない子供も多いが、それらはボランティア活動をしているプレイヤー団体によって保護されていく。子供とは人権という概念が確立して以来『武器』であり『盾』なのだ。教会も積極的に子どもの保護を行っているし、いずれ自立させることを目的とした保護組織もあるようだ。確か巣立ちの……駄目だ、あまり興味が無かったら思い出せない。

 少し気になって路地裏に入ると、黒猫が前を横切る。終わりつつある街はモンスターも出現する場所も多く、レギオンの生き残りもいる事も考慮すれば真に安全な場所は少ない。

 路地裏を進むと、特に復興が遅れているらしい……いや、そもそも復興が不要とも思えるほどに、緑に侵食された空間が露になる。石畳は雑草などの柔らかな芝生に覆われ、井戸は冷たい水に蓮の葉を思わすものが浮かんでいる。

 元々は廃墟と化した聖堂の1つだったのだろう。何を祭っていたのか分からない建物には、ボロボロに崩れた聖壇があり、内部の過半は水没してしまっている。

 

「地下からの湧き水かな?」

 

 素足で入れば心地よさそうだ。屈んで右手で澄んだ水面に触れると夏の香りがほんのりしていた空気で火照った体が癒される気がした。今以って終わりつつある街の地下に広がる大空間は謎に包まれている。犯罪ギルドの温床となっていて、地下街が構築されているが、それは表面的なものだ。最深部には何があるのかは誰も知らない。

 壊れた聖壇の裏には巨大な十字架のようなものがあり、何かを磔にしていたかのように砕けた鎖がぶら下がっている。この様子からすると、磔にされた『何か』は鎖を引き千切ったようだ。それが終わりつつある街に何をもたらしたのかは知る由はない。

 もしかしたら、こんな場所でエドガー達は信仰を見出したのかもしれない。

 

「『かつて光の王グウィンは消えかけた火を継ぎ、世界に温もりを取り戻させた。だが、薪はいずれ燃え尽きる。やがて世界に闇が訪れた頃、不死の英雄が混沌の魔女、墓場の王、白き竜、闇の公王たちを討ち取り、そのソウルで以ってグウィンの使命を継いだ。これが火継ぎの始まりである』」

 

 調べたDBOの歴史の原初の1つだ。シャルルの森で得たヒントに、狂気に呑まれる前の白竜を見つけよとあった。そうなると、この最初の火継ぎについて調べるのが最も早い近道かもしれないな。

 朽ちた聖堂から出て再び緑に覆われた世界に出たオレは、ヤツメ様の導きを感じ取り、路地裏から伸びた光を躱してつかみ取る。ようやくお出ましだ。オレのローブの裾を狙った事は敢えて無視するとして、銀色の釣り針が引っかかるより先に釣り糸をつかみ取ったオレは、路地裏から驚きを感じ取る。

 STRはオレの方が上か。どうやら相手は手応えからして数人がかりのようであるが、オレはSTR出力を少しだけ高めて引っ張ると簡単に釣り竿を奪い取ることができた。

 逃がしはしない。ドタバタと足音を立ててるスカート捲り犯を捕らえるようとするが、『教育』には恐怖も必要だろうと、溜め息を吐きながら1つの新スキルを発動させる。

 デーモンスキル≪幻燐≫。これは≪歩法≫にEXソードスキル【ミラージュ・ラン】を追加するデーモンスキルだ。ミラージュ・ランは加速と高い隠密ボーナスが得られる。つまり、速度と隠密ボーナスの二重で相手のフォーカスロックを惑わせるので、相手のフォーカスロックを振り払うオレの戦闘スタイルとも相性が良い。また、『発動中は空中を走れる』という地味だが凶悪な性能がある。ただし、発動時間も短く、推力維持性も悪く、移動した軌跡に淡い燐光も散るので隠密ボーナスが高まる割に隠密性は低い。またEXソードスキルの常として強力な反面にデメリットもあり、発動中にはカウンター補正がかかるのでダメージが増加する。だが、それを抜けばスタミナの消耗も魔力消費も低いので多用できるEXソードスキルだ。

 エドガーの取り計らいでデーモンシステムを獲得したオレは、ようやくその全貌を知ることができた。

 デーモンシステムは、専用のデーモンスキルが2枠と≪デーモン化≫・≪獣魔化≫が存在する。スキルは全部で『選択』・『ランダム』がそれぞれを1つだけ獲得できるというものだ。『選択』は文字通り自分でデーモンスキルを選ぶことができ、ランダムは勝手に決まる。『変異』は少し特殊で、デーモン化して自身をさらに強化できるスキルだ。デーモン化時間の燃費はそれぞれであるが、恒常型ならばかなり長時間をデーモン化に費やすことができる。

 注意しないといけない事として、『選択』で得られるデーモンスキルはプレイヤーごとに大きく異なる点だ。エドガーによれば、倒したモンスターやこなしたイベント、PK数など様々な要因によってアンロックされているのではないかという事だ。つまり、オレの持つ≪幻燐≫はもしかしたら他のプレイヤーは誰も獲得条件を得ていないかもしれない。逆に他のプレイヤー全員が獲得できるデーモンスキルをオレが入手できていないという事も十分にあり得る。性質としてはEXスキルに近いかもしれない。

 デーモンスキルは通常のスキルと同様で変更は基本的に不可能だ。【色の無いデモンズソウル】さえあれば変更できるらしいが、それが何処で得られるかは謎だ。また熟練度が存在しないので成長もしない。

 ちなみにランダムで得られたのは……正直言って茅場の後継者の嫌がらせなのではないかと思うほどに悪趣味なスキルだ。その名も【ソウル・ドレイン】。簡単に言えば、相手のHPか魔力を吸収するスキルである。

 

「それで、言い分があるなら聞いてあげるけど、どうする?」

 

 ミラージュ・ランの加速はオレの姿を『消す』。スカート捲り犯からすれば、オレはまるで霞となっていきなり目の前に現れたように映った事だろう。

 さて、どうしたものだろうか。年齢10歳か、あるいはそれ未満だろう、スカートに悪戯心を持たずにはいられないスカート捲り犯たる『少年たち』を前にして、こういう役目は鬼セルダさんこそ相応しいだろうにと嘆息する。というか、オレのはローブであってスカートじゃないぞ? ちゃんとズボンも履いているので捲っても楽しくないだろうに。

 

「そ、そこに浪漫があるからに決まってるだろ!」

 

 見下ろすオレにたじろぎながらも反論したのは、悪ガキ達のリーダー格だろう、短い髪をした色黒の少年だ。この中では1番年上だろうし、彼が主導して行っていたのだろう。やや鈍そうな太った少年は土下座する構えを取り、痩せた最年少だろう男の子は色黒少年の後ろで縮こまっている。

 なんだか大人になっても子供心を忘れずに悪戯をしそうな3人組だ。普段ならば彼らに拳骨の1発でもして物理的に黙らせてエドガーに引き渡すのであるが、どうにも気が引ける。オレも甘くなったという事だろうか。

 

「男として浪漫がある事は認める。でも、嫌がる女の子もたくさんいるんだ。それは『善』に反する行為だよ。分かるね?」

 

 なるべく自然に。相手を刺激しないように、オレは彼らの目線に合わせて語りかける。子どもの相手は苦手だ。どんな風に接して良いのか分からない。だけど、オレも男としてスカート捲りの浪漫は理解してあげるつもりだ。うん、わかるよ。あのひらひらしたスカートを見たら風の悪戯を期待してしまうのが男の偽りなき本心だ。だけど、それはあくまで風の神様からのプレゼントだ。自分の手で起こすべき奇跡じゃない。

 しっかり反省するならば、同じ男として無罪放免してあげるのも吝かではない。微笑むオレに、色黒の少年は酷く驚いたようで1歩後ろに下がった。

 

「お前、男なの!? そんなに奇麗なのに!?」

 

「ははは。口の利き方に気を付けろよ、糞ガキ?」

 

「ぐぎゃぁああああああああ!」

 

 スマイルスマイル。別に怒っているわけじゃないぞ? 子どもは素直が1番だ。右手でアイアンクローをしてあげるのは、オレなりの『教育』だ。愚者の体罰は時に賢者の説教よりも有効的な教育だ。

 

「チョ、【チョコラテ】を離せ、女男ぉおおお! あれ? 逆? 男女ぁあああああ!」

 

「うんうん。元気な子は明るい未来の可能性だね。オレは嫌いじゃないよ?」

 

「ぬがぁあああああああああ!」

 

 はい、アイアンクロー2人目。勇敢にもリーダーのチョコラテくんを助けるべく、打撃武器でも最下級の基礎武器であるクラブを振り上げた太った少年の顔面を左手であっさり捕獲する。HPが減らないように注意するのも一苦労だ。恐らくレベルも10未満だろうし、≪格闘≫で補正が入ったオレのアイアンクローも本気を出せば彼らの頭は熟れたトマトのように潰れてしまう。

 さて、残るは痩せた少年だけだが、涙を流して腰を抜かしている。ガチガチと歯を鳴らしている姿には加虐心が擽られるが、仲間を見捨てて逃げずに、涙を袖で拭って立ち向かう痩せた少年は自分を奮い立たせるように拳を握る。

 良いだろう。聞いてあげるよ、小さな戦士さん。オレはアイアンクローを停止して、痩せた少年に微笑みかける。

 

「ま、待って! これには理由があるんです、おねーさん!」

 

「「ぐごぉおおおおおおおおお!」」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! えと……お、『おにーさん』!」

 

「よろしい。目上には敬意を持つ。人生の処世術の1つだよ。良いね?」

 

 仲間2人の叫びで訂正を入れた痩せた少年にオレは感心する。この子は世渡りが上手に育ちそうだ。

 とりあえず逃亡は不可能と悟ったらしい悪ガキ3人組を連れて、オレは苔生した半壊噴水の縁にこしかけると芝生の上に正座させた3人を前に組んだ両手を膝にのせる。

 色黒の少年が【チョコラテ】、10歳。太った少年は【クマオ】、9歳。痩せた少年が【キューベー】、6歳という事だ。DBOにこれだけ年齢が低いプレイヤーがいたのは驚きだな。そういえば、エドガーが最近は『年齢層の低いプレイヤーが続々と保護されている』と言っていたか。何か関係があるのだろうか。

 

「一応聞くが、親は?」

 

「……親なんていないよ。親父もお袋も獣狩りの夜に死んだ」

 

 憎たらしそうに色黒の少年は吐き捨てる。獣狩りの夜は貧民プレイヤーに多大な犠牲を出した。彼の両親もそれに含まれていたのだろう。

 

「俺もクマオもキューベーも親無しさ。いわゆる孤児って奴? 正直、DBOにログインする以前の記憶が曖昧なんだよね。学校とかの事はぼんやりと思い出せるけど、こっちでの生活が毎日ヤバ過ぎてずっと昔って感じ」

 

 ……記憶が曖昧、か。もしかしたら復活した死者だろうか? だが、どうにも引っ掛かるな。同じ死者であるエドガーに後で情報は聞き出すとしても、彼らからは確かな『命』を感じる。ならば、彼らは『今』を生きている。ならば、オレはそれを認めて彼らに接するとしよう。

 

「身の上話なんて意味を成さない。簡潔にスカート捲りに走った理由を浪漫以外で回答を」

 

「…………」

 

 頬を赤らめてチョコラテは目線をオレから逸らす。もう、それだけで理由の大半を自白しているようなものなので、オレは呆れて頬杖をついた。

 

「好きな女の子がいて、その子のスカートを捲ろうとして失敗したから、≪釣り≫を利用してトレーニングを積んでたわけか。情熱の使い道を考えた方が良い」

 

「エスパー!? 鋭すぎるぞ、この男女!」

 

 アイアンクロー2発目入りまーす。ギリギリとチョコラテの顔面を握って悶絶させて、彼がピクピクと痙攣し始めた頃に解放する。いかんいかん、HPを3割ほど減らしてしまった。力加減は本当に気を付けないとな。

 

「チョコラテくんは素直じゃないんだけなんです! マキちゃんは可愛いし、頭も良いし、チョコラテくんとは釣り合わないけど! 何とか接点が欲しいだけなんです!」

 

「あと女の子グループとお近づきになりたい」

 

 本当に将来有望過ぎる3人組だ。正直だがリーダーのチョコラテの精神に容赦なくダメージを与えていくキューベーと、スカート捲りとかどうでも良くて女の子と触れ合いたいクマオ、そして自分の気持ちを最年少に暴露されて羞恥するチョコラテくんは泣いて良いぞ。

 さて、ここは年上のおにーさんとして一肌脱いでやるとするか。このまま彼らを教会に突き出しても解決にはならない。要は女の子グループと仲良くする機会を与えれば良いのだ。

 

 

 

 

「『一緒に遊ぼう』。その一言で良いんだよ」

 

 

 

 

 噴水の縁から腰を上げたオレは、ポンとチョコラテの頭を撫でる。

 小さい頃からオレには友達がいなかった。誰も彼もがオレに怯えていたし、オレ自身も自分の狂暴性と暴力性を上手くコントロール出来ていなかった。そして、大切なトモダチだったマシロすらも、この手で殺してしまった。

 

「おにーさんが助太刀してあげるさ。お菓子は皆好きだろう? チョコラテ君の恋を応援することはできないけど、そのマキちゃんと『友達』になるチャンスくらいは作ってあげるよ」

 

 バスケットの中身のクッキーを披露し、オレはウインクして笑いかけながら彼らに作戦を伝える。3人揃って顔を真っ赤にして可愛らしいな。うん、苦手意識を持っていたけど、謀略やら何やらが無い分だけ子どもの方が付き合うのは簡単かもしれない。こちらも気楽だ。

 女の子グループがいるのは、朽ちた教会の裏手のようだ。どうやら、その中で1番身なりの良い子がマキちゃんらしい。何処かで見たことがあると思えば、テツヤンの店で働いている女の子ではないだろうか? だとするならば、貧民プレイヤーばかりの中で彼女だけはいわゆる『富裕層』という事か。

 

「よ、よう」

 

「なによ、変態。またスカート捲り? 本当にサイテーね」

 

 チョコラテが近づいた瞬間に、マキは他の女の子達の前に1歩出て、腰に手をやって開口1番に罵る。これはかなりの重傷だな。チョコラテは気を惹きたかっただけなのだろうが、子ども同士で『不器用だから』は免罪符にならない。マキちゃんの好感度はかなり低そうだ。

 たじろぐチョコラテに、オレは援護射撃をすべく2人の間に立つ。

 

「喧嘩は良くないよ。チョコラテくんも反省しているし、マキちゃんも謝る相手を詰る性悪女なんかになりたくないだろう? これはお詫びの印だ。彼が『教会の奉仕活動1年分』の約束でオレから買ったものだよ」

 

 そんなの聞いてないんですけど!? そう叫びたい表情をしたチョコラテだが、エドガーならきっと『神の許しが出るまで奉仕活動です』とか言うぞ。オレの方が罰則としては緩いくらいだ。感謝した方が良い。

 

「……アンタが教会の? どういう風の吹き回しよ」

 

「お、俺も……その、悪かったなぁって、ただ……お前と……お前たちと仲良くなりたくて……」

 

 頭を掻きながら恥じらいながらもチョコラテは本音を吐き出す。マキちゃんの後ろの女の子たちも被害者のようだが、彼女ほどには怒り心頭というわけではないらしい。むしろ、視線はクッキーの方に向いている。まぁ、どれだけ大人びていてもガキはお菓子に弱いものだ。

 とはいえ、テツヤンの店で働くマキちゃんはお菓子の色香に惑わされなどしない。ジッとチョコラテを睨んだまま黙っている。ここが分水嶺だな。

 

「悪かったよ! ごめんなさい! もうあんな馬鹿な真似しない! 約束する!」

 

 頭を下げて叫ぶチョコラテにマキちゃんは腕を組んで鼻を鳴らす。そうだ。それで良い。素直に謝るのが仲直りの第1歩だ。まったく、仲直りの手伝いなんて本当にオレらしい真似じゃないな。

 

「良いわよ。許してあげる。そこの奇麗なおにーさんに免じてね。……男で良いのよね?」

 

 そこで迷う要素はないと思うのだがな。オレは苦笑して、笑顔になったチョコラテにグーサインを向ける。彼も嬉しそうにグーサインで応じて、仲間たちと共にガッツポーズをした。

 そして、芝生の上に腰を下ろして皆でクッキーを食す事になった。少し遅い3時のおやつだ。まぁ、教会のクッキーだ。味はそれなりに保障されているだろう。

 

「ウチの店のクッキーには及ばないわね。でも、この素朴な味は好きよ」

 

 辛口のコメントではあるが、マキちゃんは皆で囲んでクッキーを齧る中で感想を漏らす。クマオは両手でクッキーを掴んでは頬張り、屑をパラパラと落としていた。たくさんあるのだから、もっとゆっくり食べても良いだろうに。

 

「でもさ、遊ぶにしてもDBOってゲームも無いし……というかゲームの中だし、どうすれば良いんだ?」

 

「あら? だったら何か歌いなさいよ。採点してあげる。自称『演歌の大魔王』さん」

 

「えー、嫌だよ。おい、シスター男! お前がなんか歌えよ」

 

 ふふふ、チョコラテ君は本当に大物だなぁ。3発目のアイアンクローがそんなにお望みとはね。だが、オレがアイアンクローするよりも先にマキちゃんクローが炸裂し、チョコラテが叫び声を上げる。ああ、この2人の関係性が何となく見えてきたな。

 

「遊び方なんて幾らでもあるさ。キミ達は幼き子ども。無限の可能性を秘めているんだ。『汚れ』は全部大人に任せて、好きなだけ遊びなさい。それがキミ達には許される」

 

 微笑みながらオレはエドガーからの受け売りを伝える。まぁ、オレが言っても説得力なんてないだろうが、善意に殉じるエドガーの言葉ならば何か響くものもあるだろう。だから、そんな風に静まり返ってオレを見つめないでくれると助かる。オレも不似合いだって本当に分かってるから。

 もうこうなったら自棄だ。オレは立ち上がって彼らに手を伸ばす。

 

「おにーさんが一緒に遊んであげるよ。日が暮れるまで、アナタ達に『子どもの遊び』をたっぷりと教えてあげるさ」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「レギオンはいないようですね、旅団長」

 

「うむ。今日も平和な1日だった」

 

 何たる充実した1日だろうか。新生YARCA旅団を率いて終わりつつある街の巡回を行っていたタルカスは、最後の見回りとして西区を訪れていた。地平線には復興と拡張を続ける終わりつつある街を照らす夕陽があり、世界は黄昏色に染められている。

 貧民プレイヤーに大被害を及ぼした獣狩りの夜に参戦できなかった事はタルカスにとって一生の不覚だった。そこで、彼はディアベルの許しをもらって新生YARCA旅団を率いて、こうして時間があれば終わりつつある街の巡回をして治安維持に乗り出しているのである。

 だが、獣狩りの夜から1ヶ月以上が経過し、レギオンとの遭遇も稀になってきた。もはやYARCA旅団の巡回は不要だろう。教会を守る剣だけで十分に対応できる。タルカスは寂しさを覚えながらも、この治安維持活動も間もなく終わりだろうと悟っていた。

 

「諸君、実は伝えねばならないことがある。私は……YARCA旅団を解散しようと考えている」

 

「旅団長、どういう事ですか!?」

 

 メンバーからの当然の反応に、彼らがざわめき出すより先にタルカスは右手を突き出して制止を呼びかけた。

 

「我々YARCA旅団は人々に大いなる迷惑をかけた。【渡り鳥】ちゃんのお陰で我々は己の過ちを知り、尻を掘り合うユートピアという欺瞞から、男女の境目無き真なる愛の理想を手にした」

 

『然り! 然り! 然り!』

 

「だからこそ、我々もそれぞれの道を歩むべき時だ。新生とはいえ、我らはYARCA旅団。誹りは免れぬ。かつての罪は背負うべきだろうが、いつまでも十字架に縛られ続けるべきではない。贖罪の意思があるならば……いや、だからこそ、我らはそれぞれの愛を貫く道を選ぶべきなのだ」

 

「……旅団長」

 

「見よ、夕陽は我らを導いてくれている。故に我らは新たな道を……YARCA旅団の先に向かわねばならない。いつまでも【渡り鳥】ちゃんに幻影を求めているのは……成長に繋がらないのだ。あれは罪を犯した我々が見た夢だったのだよ。そして、それを頼りに我らは贖罪にたどり着いた。諸君らも本当は『たゆんたゆんの胸マジサイコー』とか『3大受付嬢可愛すぎてヤバい』とか思っているはずだ」

 

『し、然り! 然り! 然り!』

 

 今もタルカスはあの夜の夢を追い続けている。白いスカートをふわりと浮かせ、優しく笑いかけてくれた【渡り鳥】ちゃんを想像するだけで興奮を超越する。だが、それ以上の成長はない。

 幻を追いかけるのは止めだ。タルカスは新生YARCA旅団に終止符を打つべく、正式な解散宣言をしようとした時だった。

 夕陽の向こう側に誰かがいた。子供たちと手を繋ぎ、楽しげに笑っている誰かが。

 夜の帳を下ろす夕陽を映し込むのは穢れを知らないような白髪。腰まであるそれを1本の三つ編みで結い、先端には小さな黒のリボン。その全身を纏うのはまさに清楚と言う他ない白のローブ。

 その誰かは夕闇に吹く風で三つ編みを靡かせながら、タルカス達に気づいたように顔だけを振り向かせた。そして、その穏やかな微笑みをタルカスに描いてくれた。

 湧き出すエナジー。

 溢れる興奮。

 全てのボルテージが一気に上限を突破し、ムズムズとした鼻からタルカスがいわゆる『鼻血』を噴出し、それに続くように新生YARCA旅団は続々と血の海に沈んだ。

 

 それは新生YARCA旅団が解散することなく突き進む新たな啓示となったのだった。




主人公(白)の教会のお仕事編でした。こんな感じに子どもと戯れています。

それでは、223話でまた会いましょう!

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