SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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文字数を減らすと言ったな。
あれは嘘だ。

妖精王編、もといアスナ編いよいよスタートです。
今回の舞台は妖精の国となっています。




Episode18
Episode18-01 8月の傭兵ライフ


「本当に来るでしょうか」

 

「さぁな。我々は団長のご期待を裏切らぬように、職務を全うするだけだ」

 

 不安がってファイルを抱きしめる副官の【チーリ】に、往年の将といった風格を醸し出す【サジタリウス】はデスクに表示される情報を眺めながら珈琲を傾け、微塵と動じる素振りもなく素っ気なく告げる。

 場所は【火の女王カーマイネリアの記憶】。火山地帯と砂塵の荒野ばかりが広がる人の時代のステージであり、火山地帯では物理と火炎属性に高い耐性を持った厄介なモンスターが、砂漠地帯には地中から奇襲をしかけてくるワームや盗賊団といった人型モンスターが出没し、全体的に高い難度を誇ったステージである。特にメインボスの【捨てられたカーマイネリアの末子】はドラゴン系ボスであり、火山にある神殿に待ち構えていたのであるが、飛行して雨のように火球を吐き出し、着地すればボス部屋全体に振動を与えてプレイヤーを拘束し、近接戦では尻尾による薙ぎ払いから毒の爪による連撃まで兼ね備えた鬼畜ボスだった。

 だが、それでも伝説に残る竜の神に比べれば温情だった。事前に情報収集も迅速に完了しており、弱点も判明済み。しかも協力NPC集団【竜血の信奉者】まで投入できた。聖剣騎士団は油断なく、タルカス率いる精鋭部隊と副団長とも言うべきアレスの総指揮で挑み、カーマイネリアの末子はその強さに見合わぬ犠牲者1名で済む快挙の大勝利を遂げた。

 イベントダンジョンでこのステージの裏ボスとして君臨していた【火の女王カーマイネリア】はダンジョン攻略が捗らず、惜しくもクラウドアースに撃破を譲ってしまった。結果、カーマイネリアの記憶は聖剣騎士団とクラウドアースによって利権が二分化された状況が出来上がっており、太陽の狩猟団の横槍も合わせれば、常にギルド間の抗争が勃発しているとも言える。

 その最大の要因は、このステージは鉱山が多く、鉱石やクリスタルといった素材系アイテムが枯れぬ泉の如く産出されるからだ。とはいえ、大半はNPC商人に販売しても二束三文にもならない屑石ばかりであるが、聖剣騎士団が保有する【カーマイネリアの庭園】と呼ばれる鉱山は、武器や防具の素材から強化、建築物やゴーレム製造にまで事欠かさない【硬石】系でも上位の【硬石の塊】が効率よく採掘できる。平均純度も悪くなく、時には高純度……そして2度だけであるが、ユニーク級と謳われる【純粋な硬石】が採掘された。サブでSTR関連の強化素材として鉄板の【にび石の大欠片】、燃焼系アイテムの元になる【火竜のクリスタル】も採掘される事から、聖剣騎士団の数ある資源基地でも重要拠点の1つである。

 そして、通称『カーマイネリア大鉱脈』と名付けられたこの鉱山を監督し、守護するのがサジタリウスの任務だ。彼自身のレベルは53であり、トッププレイヤーどころか最前線に参加できる上位プレイヤーにすら及ばない。彼自身もこのレベルに到達するまでは苦労の連続であり、元々は小さなギルドでリーダーを務めていた叩き上げである。

 最初は下部ギルドとして手足となって働いていたが、ラムダの一声で彼が心血を注いで作り上げたギルドは解散。バラバラになったメンバーがどうなったのかは知らないが、再編成されたギルドで右へ左へ走り回り、泥まみれになりながらアイテム収集やギルドNPCの指揮による鉱山の採掘や農場管理を行い、それがアレスの目に留まって小さな部隊を率いる基地防衛部隊長を任せられ、更に苦節を重ねて彼はカーマイネリア大鉱脈を始めとした3カ所の資源基地の司令官という『将』の地位を得たのである。

 DBOでも屈指の武闘派プレイヤーが集結した、個々の実力だけならば目を見張るものがある円卓の騎士であるが、その実は『指揮官』としては決して優秀ではない。ディアベルやアレスの手腕は疑う余地などないが、その他はせいぜいが戦術レベルが限度である。特に刺剣使いとして名を馳せるヴォイドと、その存在が最近まで疑われていた真改は部下を率いる行為自体を拒む単体戦力だ。

 対してサジタリウスはプレイヤースキル自体は決して高くない。レベルも地位に相応しいだけの最低限の強さを得るべく、聖剣騎士団が保有する狩場を存分に使用できるというメリットがあるからこそ到達できたものだ。だが、彼には『将』としての器……指揮官としての才覚があった。

 齢45にも至るサジタリウスは中年プレイヤーの1人だ。脳も年齢を重ねれば重ねるほどに劣化していくものである。そもそも、彼はゲーマーではなく、今ではあらやる権限を茅場の後継者によって剥奪されてただのプレイヤーに貶められた『管理側』のプレイヤー……DBO発売元であるレクトの社員である。

 DBO程の類を見ない巨大VR空間を管理するゲームともなれば、当然ながら相当数がGMサイドとしてプレイヤーを管理する為にログインしている。ましてや、DBOはベータテストの時点でモラル面が言及されていた。レクトとしてもサービス初日……それも社の株価を左右する大勝負の日ともなれば、動員できる最大数を、下請けや外部まで合わせてログインさせて万全の体制を整えていた。

 それが茅場の後継者があっさりと、真のGMとは誰だったのかとネタ晴らしした。サジタリウス達は権限を奪われ、ベータテスターと同じようにファーストステージやシステム面の知識を備えているだけの、他の数多のプレイヤーよりも知識面でアドバンテージを僅かに持つプレイヤーとなった。

 とはいえ、膨大なDBOに関する知識の全てを保有できているはずもない。そもそもDBOの全容は社内でも極秘扱いであり、ファーストステージ以降の内容は徹底してクローズ状態だったのだ。多くの社員が『これでは対策が十二分に出来ない』と不満を噴出させていたが、今にして思えばあの時点でDBOは茅場の後継者によって支配されていたのだろうとサジタリウスは振り返る。

 また、DBO初期でもこうした元GMプレイヤーはベータテスターと同じくらいに憎悪の対象だった。当然である。彼らの『不手際』によってプレイヤー達はデスゲームで生き抜かねばならなくなったのだ。ステージが次々と解放され、ふざけた高難度が露呈した頃には初期アドバンテージなど取るに足らないものと判断されてベータテスターというカテゴリー自体が意識されなくなったが、それでも元GMプレイヤー達は名乗り出られなかった。

 そもそもサジタリウスが知るDBOと今デスゲームが繰り広げられているDBOは全くの別物と言っても過言ではない。OSSにしてもデーモンシステムにしても、ゲームモラル管理チームリーダーだったサジタリウスですら全く認知していなかった、噂すら聞いていなかったシステムなのだ。

 元GMプレイヤー? 馬鹿を言わないでもらいたい。ゲーム慣れしていない素人集団だ。同僚たちがどうなったのか、サジタリウスはあまり知らない。自分の部下たちは何とかデスゲーム初日に半数を掻き集めたが、その半数も死ぬか散り散りになり、残っているのは目の前にいるチーリ……本名【鈴城 千里】だけである。

 元GMプレイヤーの総数が100人程度として、半数生き残っていないだろう。特に身分を隠し、息を潜めて貧民プレイヤーとなって『責任』から逃げ続けた者たちは獣狩りの夜に死んでしまったかもしれない。今更になってサジタリウスの今の身分に嫉妬して生き残りの誰かが彼を元GMプレイヤーだと声高に指摘しても白を切ることもできるし、握りつぶせるだけの権力もある。

 いや、それ以前にプレイヤー達は『だから何だ?』と切り捨てられるだろう。同調するのはせいぜいが貧民プレイヤーにいるかいないかだ。それほどまでに、この殺し合いの世界にプレイヤーは染まってしまった。ギルド間の『戦争』は当然の如くあり得ると受け入れる程に。ギルドの勢力争いの根本にあったのは『何』だったのか思い出せない程に。

 最初は攻略の方針を巡った軋轢だったはずだ。だが、今はどうだ? もはや大義を求め合ってこの世界の『勝者』を決めるべく、攻略をそっちのけにした、古来より脈々と続く『縄張り争い』以上の何物でもない闘争ではないか。

 攻略の先にあるデスゲームからの解放。それを真なる目的として揺らぐ事無く意志として持ち続けているプレイヤーが何人残っているだろうか? サジタリウスには断言できる。もはや100人といないだろう。そして、その100人に自分を含めないのはサジタリウスもまた、この世界に居場所を感じてしまっている1人だからだろう。

 元々はしがないプログラマーであり、年収も低く、妻は息子と娘を連れて出て行った。浮気しているのも知っていた。相手が金持ちであり、子どもたちの学費を賄えるだけの財力がある事も調べていた。深夜帰りで珍しく灯りがついたままのリビングに、カップラーメンと一緒に置かれた離婚届を涙もなく、だが幸せだった結婚式の晴天を思い出しながら手に取った。

 その後、務めていた会社がレクトに買収され、何を評価されたのか、高収入と共に慣れもしないVRゲームの管理を任された。高いVR適性から、実際にログインしてゲームを管理するのに適していると判断されたのだ。VR適性という、自分が就職した頃には全く評価されない……そもそも存在すらしなかった素質が認められた。サジタリウスは無感動に通帳の数字が月々で増えていくのを見つめた。

 思えば、サジタリウスが部下を少しでも集めてこのデスゲームで生き抜くべく行動を迅速に開始できたのは、現実世界に諦観を覚えていたからなのかもしれない。他の元GMプレイヤー達は自分の正体に固執し、この世界に順応することができずに死んでいった。老いた者ほど対応できなかった。だが、サジタリウスは心の何処かで童心と共に無邪気に喜んでいた。

 

 ここが『新しい現実』なのだと感動していたのだ。

 

 と、そこでサジタリウスは部下のチーリの不安そうな眼差しに気づく。彼女は自分とは違って20代前半と若い。現実世界では派遣社員として、高いVR適性と複数のVRMMORPGのデバッグをしていた経歴を買われて自分のチームに所属していた。年齢差もあり、現実世界では飲み会くらいでしか話をしなかったが、DBOに囚われてからは次々と知人が死んでいく彼女の拠り所になったのは唯一の現実世界の繋がりであるサジタリウスだった。

 地味ではあるが、磨けば光るものがあるだろうチーリは、自分と同じで現実世界に諦観を持っていた。早くに父を亡くし、母親が再婚したが、新しい家族と反りが合わず、家庭内で孤立し、高校卒業と共に家出同然で都市部に出てきた若い女。よくある話だ。一流作家ならば上手く料理して純文学と言う名の『悲劇』の素材にしてしまいそうな女だ。サジタリウスは憐れむ事無く、淡々と自分の認識に嫌悪感を抱く。

 きっとチーリが今日まで生き残れたのは現実世界に……『鈴城千里』に固執しなかったからだ。サジタリウスはそう信じて疑わない。同じく、自分が生き抜いてきた原動力の1つは同じ想いなのだろうとも呆れる。

 

「サジタリウスさん」

 

「安心しろ。昔から戦略ゲームは得意だった。将棋は親父以外には負け知らずさ」

 

 不安がるチーリを落ち着かせるように、優しい声音でサジタリウスは肩を竦める。仲間が次々と死んでいく恐怖がチーリにサジタリウスへの依存心を植え付け、彼のいかなる危機でも決して失わない冷静な判断力と類稀なる戦略眼は歪んだ依存心を育てる養分となった。いや、そもそも歪んでいない依存心など存在しないならば、彼女は実に真っ当にサジタリウスに依存していると言うべきだろう。

 チーリは計算などは得意な、学校の勉強は得意だった優等生タイプだ。だが、社会で問われるのは学校で学んだ知識を活かす対応力と応用力だ。これを認識できない者が『学校の勉強など役に立たない』とのたまうのだと、過去の自分を思い浮かべながらサジタリウスは彼女を改めて分析する。

 瞬間的な判断力はチーリにも凡人以上のものが備わっている。だが、パニックに陥り易く、また極度の緊張状態では正しい状況分析ができなくなる。また、他者とのコミュニケーションにも難があり、彼女自身の指揮官としての才覚は皆無だ。また、ずば抜けた脅威を前にした時は視野が狭くなり易く、全体を見渡す視野を欠如し易い。しかし、指示さえ与えれば情報分析には長けたものがある。典型的な『指示待ち』でこそ輝けるタイプだ。いざという時の自分の代理として副官に任じたのではなく、自分では足りない作業を補う『外付け』としての性能を買ってチーリをわざわざ多数いた戦力的にも優れた候補を除外して指名したのである。

 

「それに、このスピリット・オブ・マザーウィルは聖剣騎士団が誇る不落の移動要塞。私の指揮の下で陥落はない」

 

 膨大な製造コストと運用コストが見合うだけの規格外の巨体と性能を誇る、ゴーレムの枠を超えた巨体にして武装の塊であるアームズフォート。その中でも『母』の名が与えられた、聖剣騎士団の象徴的な存在、スピリット・オブ・マザーウィル。

 元よりゴーレム開発において耐久面を意識していた聖剣騎士団らしく、もはやボスすらも生易しい、上位プレイヤーが並んでも減らしきれないだろうHPを誇り、長射程の索敵とキャノン砲で敵を近寄らせず、アームズフォートの開発時より弱点とされていた張り付き対策も万全。移動要塞に相応しくプレイヤーはもちろん、ギルドNPCや小型ゴーレムの積載も可能としている。

 スペック上はあの『伝説』とまで呼ばれる竜の神と正面から戦え、なおかつ勝利できる、と製造した聖剣騎士団の工房は断言していたが、サジタリウスはそもそも戦う機会が無いボスやネームドと競ってもしょうがないと鼻で笑うのを堪えたものである。

 あくまでアームズフォート……ゴーレムが運用できるのはダンジョン外だ。元GMプレイヤーであるサジタリウスもゴーレムに関する情報は無知であったが、すぐにゴーレムとはGvGを想定した……もっと言えば『戦争』を意識した存在だと見抜けた。

 ギルドNPCも、ゴーレムも、全てはプレイヤーだけでは物足りない戦争を派手に彩る為に茅場の後継者が準備したものだ。

 

(SOMは見事だ。この巨体を運用する為の『秘密』を考え付いた人物は天才だな。だが、それ故に『秘密』は弱点にもなる)

 

 SOMに動員されたプレイヤー……サジタリウスの指揮下にあるプレイヤー達は増長し、SOMを無敵の存在だと『自惚れて』いる。自分たちが最強の存在になったと錯覚してしまっている。

 馬鹿々々しい。この世に最強無敵の存在などあり得ない。いかなる強者にも急所となり得る弱点は存在する。たとえ、克服しても別の部分で弱所が露呈する。だからこそ、サジタリウスはチーリを落ち着かせるためにSOMの威光を借りても、そこに呑まれて慢心はしない。

 

「不安なんです。SOMは確かに強いですけど……『彼ら』は異常です。『母』の胸の内が1番安全だって分かっているのに、どうしても恐怖が抜けないんです」

 

 ガタガタと肩を震わせるチーリに、執務椅子から腰を上げたサジタリウスは彼女の前に立ってその両肩に触れる。

 

「言っただろう? 私がいる限りはSOMが落ちる事など無い。チーリが死ぬ事もない」

 

「……はい」

 

 それは暗示にも近しい。チーリは深呼吸を数度挟んで、サジタリウスの想定通り、冷静さを取り戻していくように眼に力が宿る。これもサジタリウスに絶対的な信頼にも近しい依存心があるからこそである。なお、依存関係をサジタリウスは許しているが、断じて彼女の柔肌を私物化するような真似を彼はしていない。立場や関係を利用して寝屋に呼ぶような行いも皆無である。性欲処理は適時、コミュニケーションを伴って部下を娼館に連れて行くと同時に行っているので問題はない。

 SOMは他のゴーレム、アームズフォートの例にない、プレイヤーが『内部』で指揮を執る事を前提としている。本来はオペレーションを組み込んで動かすゴーレムであるが、ギルドNPCの指揮と同様に、最適解のオペレーションへと切り替えられるのも強みだ。

 

「敵影は無し。本当に来るんですかね?」

 

 チーリを伴い、SOMの脳……コントロールルームに到着したサジタリウスは、のんびりとした様子で索敵チェックを担当する男プレイヤーに溜め息を吐きたくなる。SOMによって……『母』の抱擁によって骨抜きにされた阿呆の1人だ。サジタリウスは小言を堪えて、司令官のみに許された中央の席に腰かける。

 SOMの『秘密』を除けば、もう1つ弱点がある。それはその巨体故に他ステージへの搬送が絶望的に遅々としている事だ。また、今まさに陣取るカーマイネリアの記憶の砂漠のように遮蔽物が比較的少ない平野ならばともかく、山岳地帯などではその巨大な6本足を以ってしても、ただでさえ遅い移動速度が更に鈍くなり、森林などではシステム的に侵入不可になっている事が多々ある。故に使い所が限られた拠点防衛用なのだ。

 仮にSOMを侵略兵器として十全に運用できれば、聖剣騎士団の勝率が大幅に上がるものを。サジタリウスはSOMの性能に驚嘆しつつも、どうして工房は……いや、鍛冶屋とはピーキー過ぎるものを作りたがるのかと問いたくなる。

 

「油断するな。情報通りならば、過去最大級の脅威だ。警戒を怠るなよ」

 

 指揮官に相応しい白の軍服に、これまでの功績から授与した勲章のバッチを胸にしたサジタリウスは、自分の部下に統率と統一感を持たせるべく、同デザインの軍服の装着を早期に義務付けている。自分の『軍団』であるという顕示欲には自嘲が零れるも、これこそが一体感を面々に共有させる手法だと経験から熟知している。サジタリウスの厳かな一言に、SOMを管理する総勢12名の部下たちは襟を正し、胸に手をやって敬礼を取る。

 

「SOMの索敵範囲でプレイヤーを感知! 遠望開始……完了!」

 

 と、それから数十秒と待たずして、アラームと共にSOMへと無謀にも襲撃をかける敵が登場する。

 部下たちはどうせ太陽の狩猟団かクラウドアース、あるいはテロリストがちょっかいを掛けてきたのだろうと気にも留めない。だが、SOMの『絶対防衛圏』とすらも謳われる索敵及びキャノン射程内に入り込んだ敵が映し出された時、コントロールルームはざわつく。

 それは焦げ茶色をした大型のバイクだった。装甲と火器、そして機動力が一体になった≪騎乗≫でも高難度の1つ、モンスターバイクである。≪騎乗≫では攻撃も行える騎獣を操れる利点があるが、他にもバイクや車といった乗り物も操縦できる。その中でもモンスターバイクは強力な兵装を搭載することができる≪騎乗≫持ちの憧れの1つだ。だが、操作難易度は桁違いであり、また獲得の時点で≪騎乗≫の熟練度を大きく上げねばならず、なおかつモンスターバイクはレンタルされていないので独自に保有する必要があり、また運用コストも桁違いという欠点も多く持つ。

 そして、モンスターバイクを十全に操れるプレイヤーはDBOでも片手指しかおらず、その中でも個人で運用しているのは【運び屋】の名を持つ1人の傭兵だけである。

 

「敵は『ランク31』のRDです! 同乗1名あり!」

 

 砂塵対策のゴーグルをつけたRDが前輪に取り付けられたキャノン砲をチラつかせる中で、後部座席で靡くのは黒のコート。

 途端にコントロールルームに緊張が走る。当然だろう。このDBOにおいて、黒のコートと2本の片手剣の組み合わせは、ただ1人にのみ許された象徴的装具だ。

 

「ランク9のUNKNOWNです! 司令、どうしますか!?」

 

「慌てるな。ゴーレム部隊を1番から8番までSOM周辺に展開。ギルドNPC近接部隊を1番から16番まで配備しろ。ギルドNPCの指揮オペレーションは防御重視のタイプD3を適応。援護としてギルドNPCクロスボウ部隊を1番から20番まで出動させろ。丁度良い、財団から購入した浮遊小型ゴーレム【ビターフライ】部隊も1番から5番まで発進させろ」

 

「……正気ですか? 今、SOMが現在保有する戦力の8割ですよ? いくらランク9とはいえ……そもそも接近されるはずがないのに、過剰過ぎるのでは?」

 

 部下の戸惑いに対して、サジタリウスは目を細め、SOMの第1射の結果を以って自分の判断に間違いはないと証明する。

 距離もあって本来の精度は出し切れていないが、それでも近接プレイヤーの高VITでも一撃で吹き飛ばせるだろう。掠めても8割、余波でも半分は削れるに違いない。巨大な砂の爆風が巻き上がり、コントロールルームは直撃に違いないと確信し、同時に安堵したように笑い合う。それこそがランク9の強さを物語っているのに気づいているのはサジタリウスだけだろう。

 土煙の向こうから側から当たり前のようにモンスターバイクが飛び出す。そのHPは1ドットと減っていない。伊達に【運び屋】の異名を持っているわけではない。RDは更新された傭兵ランクにて31位という最下位脱出を果たした。それは個人の戦闘能力はもちろん、戦争を控えた現状では類稀な操縦センスが最強クラスの武器にもなり得るという認識が広まったからである。

 現実の戦争でもそうであるように、機動力とは最大の難関である。いかにして物資を、兵器を、人員を目的地までスピーディに運搬するのか。SOMが絶望的なまでにこの機動力という点で劣っているのに対し、RDは目の前の光景が示す通り、運搬量こそ限界があるが、最速最短で、あらゆる状況に合わせられる≪騎乗≫スキルを最高クラスの操縦センスで発揮することができる。

 そして、それは緊急の物資補給以上に……一騎当千の単体戦力、たとえば傭兵などの協働では1つの悪夢を生み出す。

 いかなる妨害も突破され、目的地……相手の心臓部まで無傷で傭兵を投入できる。もはや、それは戦略級の働きだ。ランク31すらも不相応である。その実用性を鑑みれば、サジタリウスならば有無を言わさずに1桁ランクを与える。

 2射目、3射目、4射目。距離を詰める度に威力と精度と弾速は上がっているはずなのに、RDはモンスターバイクをまるで己の足のように自在に操り、また着弾点を予測した動きを取る。サジタリウスは動揺が広がるコントロールルームで1人冷静に『どうやら恐怖を感知できるという噂は与太話ではなさそうだ』と脳内で纏めるRDの情報を更新する。

 

「サジタリウスさん、聖剣騎士団本部が通達です。アレス様の率いる部隊が援護に向かっているとの事。ですが、到着には45分ほどかかると」

 

「傭兵がSOMに接近するまでの予想は?」

 

「あと3分で射撃範囲外に到達されます」

 

 震える声でチーリが報告を述べ、コントロールルームをざわつかせる。今回の襲撃は事前に聖剣騎士団も噂レベルでつかんでいたと『されている』。故にアレスが部隊を率いてまで援護に向かう程の緊急事態であると部下たちに困惑が広まる。

 だが、SOMの改善点を後で報告しなければならないか、とサジタリウスは業務が増えたと嘆息する程度で済ます。

 砂漠にある数少ない遮蔽物である大岩を利用してまで狙撃キャノンを躱し続けるRDは見事の一言だ。あれならば、壁のように並ばせたSOMを守るゴーレム部隊も容易に突破されてしまうだろう。

 ここまでは全て『予定通り』だ。

 シナリオは最初から決まっている。聖剣騎士団に反感を持つギルドが『傭兵を雇えるほどの大金』を使ってSOMの襲撃依頼をUNKNOWNに出す。そして、これに対して聖剣騎士団は……SOMは全力で以って撃退し、最強の傭兵を返り討ちにして撤退に追い込む。そして、SOMを襲撃したギルドは聖剣騎士団に追い立てられるも、その慈悲深い懐に迎えられ、聖剣騎士団の勢力入りを果たす。

 SOMの絶対的存在感を示すデモンストレーションであり、現状では友好関係にあるUNKNOWNの株を落とさない程度には考慮した計画だ。だが、サジタリウスはこのシナリオを聞いた時に1つの提案をした。

 すなわち、UNKNOWNを『撃破』するだけの本気の指揮を執らせてもらいたい、というものである。

 その狙いは3つ。まずは本気のUNKNOWNの実力を軽んじないサジタリウスは、彼ならばSOMに酔いしれた部下たちの目を覚ます劇薬になると期待しての事だ。

 2つ目は戦力の更新である。SOMは数にモノを言わせた戦力を搭載しているが、質もある程度は必要というのがサジタリウスの持論だ。特にクロスボウ部隊などレベル10の大量『生産』だ。最低限の耐久力は欲しい。他にも配備されているゴーレムや近接用ギルドNPCの総体的強化を成す為にも『処分』が必要と考えての事だ。

 3つ目はSOM自体の強化である。今回のRDの突破のように、その最強の武器である長射程キャノンの範囲外まで潜り込まれれば、数頼りの戦力がSOMの防衛を務める。もちろん、自衛用の兵装は多くあるが、製造時のテストでしか使用経験がなく、実戦は皆無だ。改善点を探る為にも、本気でSOMを落としに来る……それが出来るだけのプレイヤー……傭兵が必要不可欠だった。

 

(この状況が楽しいのか、私は?)

 

 迂闊にもサジタリウスは自分の口元が僅かに歪んでしまった事に気づいて、軍帽をやや深めに被り直す。だが、皮肉にもその所作が逆に部下たちの士気を引き上げる。サジタリウスは微塵として状況に動じていないのだと伝播される。

 飛来するミサイル群すらも躱し、ゴーレムの壁を突破したRDは急ターンをかけ、その反動を利用して後部座席のUNKNOWNのジャンプ力を引き上げる。SOMへの張り付きに成功したUNKNOWNが背中から2本の片手剣……右手に竜の神からドロップしたユニークウェポンであるドラゴン・クラウンを、左手には秘めたる変形機構を備えた刀身は銀であるが刃は緋色の機械的デザインをした片手剣を抜き放つ。

 確か【機巧剣メイデン・ハーツ】だっただろうか? 出陣の度に強化と改良が施され、未だに完成に至っていないとされていたが、どうやらその威圧感からするに、ついにUNKNOWNが満足する剣に仕上がったのだろうとサジタリウスは確信する。

 それから30分の激闘はDBOに激震を走らせ、隔週サインズで特集が組まれる事になる。

 RDに回収されるまでUNKNOWNは≪二刀流≫や≪集気法≫といったユニークスキルはもちろん、アイテムを次々と使用しながら、着実にSOMの戦力を削り続けた。そして、武器の限界とアイテムの備蓄が尽きるまで暴れ回ったのである。SOMはその保有戦力に甚大な被害を受け、補充と強化を余儀なくされる。

 結果がもたらしたのは『SOMを相手に暴れ回って生還した【聖域の英雄】』と『最強クラスの傭兵でも陥落できない【偉大なる母】』という評価であり、シナリオ通りでありながら、ズレが滲むものとなった。

 後にサジタリウスの要望通りにSOMの戦力更新、大幅強化が行われ、またSOMに過信していた部下たちはUNKNOWNという存在によって慢心を捨てるという、彼にとって極上の成果を残した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 まるでインカ帝国を思わすジャングルの奥底にあった結晶に侵蝕された神殿。<混沌の探索者メルーの記憶>のメインダンジョンである【蝕みの神殿】は、スピードとパワーの両方を兼ね備えたリザードマンと多種多様な魔法を行使してくる結晶信者が主な障害として蔓延っていた。魔法属性がメインとなるダンジョンであるだけに、魔法防御力が高いモンスターが相対的に多く、また厄介なトラップが多数配置されている事からメインダンジョンの攻略は遅々としたものだった。

 物理属性防御力も攻撃力も結晶のせいで高く、特に斬撃属性に強い敵が多いという隙のないダンジョンの攻略の鍵となったのは、前衛と後衛がいかにコンビネーションを発揮できるかである。

 射撃攻撃でダメージとスタンを蓄積し、近接アタッカーが強力なソードスキルをどれだけ叩き込めるか。また、魔法使いプレイヤーはその特化された火力をいかにしてサポートに回せるか。自分が主役になるのではなく、互いが互いの利点と長所を活かす戦いをする必要があった。

 だが、【マダラ】はお世辞でも連携が得意とは言えないタイプである。それは母譲りの目付きの悪さではなく、彼自身の高い自尊心によるものだ。

 連携とは自分1人は足りぬ力を補う弱者のやり方だ。真の強者は己のみで茨の道だろうと修羅が蠢く魔道だろうと踏破するものだ。マダラは太陽の狩猟団のプレイヤーではあったが、彼が理想とするのはユージーンやUNKNOWNといった、単独でボス撃破を成し遂げる絶対強者だった。

 対して太陽の狩猟団はサンライスの方針として連携と集団戦を重視する。正確に言えば、サンライス自身は時として個人の強さこそが事態を動かすとも考えているが、副団長のミュウの方針は真逆だ。集団の利点を捨ててまで個々の働きを期待すべきではないと考えている。あくまでトッププレイヤー……1部の秀でたプレイヤーが成すべきは集団にチャンスタイムをもたらし、また危機を乗り切る、あるいは覆すカウンター処置であるべきとしている。

 だが、有象無象よりも個人の武勇が尊ばれ、また評価されるべきだとマダラは信じて疑わない。サンライスのような圧倒的な実力を持つプレイヤーに惹かれ、また自分もそうでありたいと望む事に何の間違いがあるというだろうか?

 だからこそ、マダラはラジードに強い興味を持った。年頃は同じだろう。自分の方が1つか2つは年下かもしれない。【若狼】という異名を持つ太陽の狩猟団の新エースにして、亡きベヒモスを補うほどの獅子奮迅の働きをする紛うことなきトッププレイヤーの1人だ。

 一時期は武者修行のように、単独で最前線ダンジョンの攻略をし続けてレベルと実力を備えたラジードに関心を強めるのは自然な事だろう。マダラは彼が幹部の席を手に入れ、少数精鋭の部隊を設立すると聞いた時から、彼の部隊に立候補するチャンスを狙っていた。

 元々は太陽の狩猟団の下部ギルド……要は補欠と補佐の役割を与えられた身に過ぎないマダラは、ギルド内で行われた選抜の大会にて高い能力を披露し、優勝する形で太陽の狩猟団の正式メンバーの座をつかみ取った。今までにない待遇……レベルアップを加速させる狩場の利用や豊富なアイテム、装備の強化によってマダラは他の選び抜かれたメンバーと同じように……いや、それ以上の成長を遂げた。

 だが、ラジードは聞き及んでいた……バトル・オブ・アリーナで『伝説』とまで称される、【渡り鳥】との激闘を繰り広げた人物とは思えぬほどに消極的な人物だった。

 確かに実力は高い。レベルもそうであるが、高いステータスを十分に操る能力は個人の素質の高さであり、武器の扱いやアイテムによる補助まで余念なく研究している。だが、いざチームとして戦場に出てみれば、リスクを回避した……つまりは生命の安全にこそ最大のウエイトを割いた戦略・戦術ばかりを指揮する。

 自分の他に部隊に選抜されたのは4人だ。1人は元から太陽の狩猟団のメンバーだった人物であり、残りの3人はマダラと同じで下部ギルドからの掬い上げである。これは新部隊が太陽の狩猟団のメイン戦力の拡大という名目での、未だに続くナグナとシャルルの森の大損害、更には対テロリスト戦における人員不足を補うためのものである意図があるのは明白だった。

 

『ラジード隊長は強いし、隊の安全を1番優先しているし、これで良いと思うけど』

 

 目付きの悪さのせいだろう。誤解されないように礼儀正しさを幼少から剣道で叩き込まれたマダラは功名心を隠し通し、副隊長とも呼ぶべきポジションを獲得していた。それはマダラがリーダーシップを発揮して、時としてラジードにも意見する形で存在感を示し続けた成果である。そうして、仲間から情報を抜いた結果として、ラジードは概ね好評だ。ネームドを発見した場合は無理に攻めずにまずは報告。情報を抜くにしても離脱できるか否かを念入りに調査する。少しでも特殊なモンスターに出会ったら撤退一択である。

 これが【若狼】とまで呼ばれたプレイヤーの姿なのか。他の隊員たちの腑抜け具合にも呆れたが、それ以上にマダラはラジードの安全重視の方針に苛立った。リスクの回避とは、逆に言えば得られるリターンも萎むという事だ。それではいつまで経ってもマダラの目指すべき強さは得られない。

 マダラが特に欲するのはユニークスキルやユニークウェポンといったワンオフの存在……強さの証だ。それらを有するプレイヤーは等しくDBOでも名を馳せた者である。特にユニークスキルは英雄の資格とまで言われる程だ。

 ユニークスキルにはユージーンのように特殊イベントで獲得するか、もしくは何らかの条件を満たすことでシステムより授与される必要がある。前者ならば、より危険度の高い任務、敵、ダンジョンに挑まねば可能性は薄い。後者にしても、より自分の強さを高める戦いの機会に恵まれねばシステムに認められることは無いだろう。

 苛立つ。あのバトル・オブ・アリーナの激戦を目にしているだけに、ラジードの踏み込まない戦いにプライドが疼く。自分達が前に出ない間に、他のプレイヤー達が背負ったリスクの分だけ活躍していく。それはゲーマー的な敗北感でもあり、またマダラという人間が元から持つ功名心の大きさでもあった。

 だから、マダラはこの機会を逃すわけにはいかなかった。ラジード隊によって念入りにルート開拓が行われた蝕みの神殿のボスだ。他の大ギルドに横取りされる前に、太陽の狩猟団が何としても勝利を収める。メインダンジョンのボスは1度参戦すれば特殊な条件を満たさない限りは離脱できない、生きて帰るか戦場で死すかの最大の難関だ。当然ながら、念入りにボスの情報は収集される。そして、ボス撃破の競い合いとはいかに『勝率が低いと踏んだ段階で先んじれるか』という点にある。

 情報収集に熱を入れ過ぎて臆病風に吹かれれば、他の大ギルドがより少ない情報でボス討伐に乗り出してしまう。だが、焦ればボスの強大な能力を前に擦り潰される。何処で勝負をかけるかはギルドの上層部が決定する事であり、マダラは自分たちの功績が大きいメルーの記憶のメインボスの討伐作戦にラジード隊の全員が起用されるかどうかが不安だった。

 そして、マダラの願望を聞き届けたように、ミュウはラジード隊の全員参加を命じた。蝕みの神殿のボス【蝕みの魔女ケランデ】は、下半身が3つに分かれた蛇、上半身は6本腕の女であり、巨大な斧槍を魔法触媒として魔法攻撃をしかけてくるボスだと事前情報で分かっていた。巨大な蛇の下半身よりも攻撃を当てにくい女の上半身にダメージを与えれば効率的に討伐できることも判明している。だが、ダンジョンの特性のせいか、魔法攻撃に耐性を持つことから、魔法援護よりも弓矢や銃器による射撃援護が有効と判断された。

 だが、そもそもボスはプレイヤーと同様に≪射撃減衰≫と似たスキルを標準装備している。遠距離からの攻撃はダメージが減衰される事から、ボス戦の華はやはり懐に入り込む近接アタッカーである。それでも、ボスの間合いに入り込み続けるアタッカーは数えるほどであり、多くがタンクの後ろから強襲をかけてダメージを稼いだ後に離脱してバトンタッチのローテーションを繰り返す。

 そんな中でラジードは敢えてボスの間合いに残り続ける、張り付き型のアタッカーだ。マダラもその適性があるとして、ボス戦ではラジードの補佐をする形である程度は粘る事を許された。

 ケランデとの戦いは順調だった。3本あるHPバーを本当に削り尽くせるのかという不安、ボスの造形の威圧感、そして初のボス戦という緊張はあったが、マダラは持てるポテンシャルを発揮し続けた。

 団長たるサンライスは参戦しなかったが、ラジードを除いた幹部で言えば、刺剣と小盾のコンビネーションを操る女性プレイヤーの【フィーネ】、流暢な日本語を操るが大陸系と噂される曲剣二刀流の女剣士【フェイフォン】、亡きベヒモスの盟友である【グスタフ】が参加していた。

 マダラの分析では、フィーネはSAOの【閃光】に憧れて刺剣使いになったらしいが、自分に不足した技量を補うために小盾を装備した『妥協』が結果的に彼女のスタイルを確立させた。ボスの攻撃は大半がパリィ不可であるが、受け流し効果が無いわけではない。彼女は的確に≪盾≫の様々なパリィ系ソードスキルを駆使してモンスター・プレイヤー問わずに隙を作って刺剣で貫くプレイヤーだ。

 逆にフェイフォンはそれぞれ違う属性強化した曲剣の二刀流で攻撃し続ける、【黒の剣士】を目指したような苛烈な攻撃スタイルの女剣士だ。軽快な回避からの強襲を好み、ボス戦でもラストアタック……最後の締めを任される事も多い。部下の統率にも優れているのは、彼女が元々はギルドの1つを率いていたからであり、今も当時のギルドメンバーをそっくりそのまま部下として率いている。

 そしてグスタフはベヒモスとは違い、熱くなり易い男だ。≪光銃≫のレーザーライフルやプラズマライフルによる援護を得意とした。ベヒモスが近接戦もおこなう射手だったならば、グスタフは徹底した射撃重視であり、大盾でガードしながら片手で高火力の銃撃をばら撒く小さな移動要塞といったスタイルを好む。だが、決して近接戦ができないわけではなく、いざという時は戦斧を手にしてボスにも跳び込める男だ。

 いずれも太陽の狩猟団の最高戦力たちである。個々の実力はDBO最強クラスが集結した円卓の騎士に決して劣らない。だからこそ、マダラは彼らに実力を示すべく、ラジードの補佐に甘んじるつもりはなく、むしろ活躍の場を奪う意気込みでボスを攻め続けた。

 初めてのボス戦は大なり小なりパニックに陥って無様を晒すものである。だが、ラジードのみならず、他の幹部の面々が驚嘆するほどに、マダラは冷静さを損なうことなく、最低限のダメージで済ませて回復アイテムの消費も抑えていた。

 ボス戦で得られるアイテム配分はラストアタックボーナスを決めた者が最もレア度の高いアイテムを得られ易いが、その活躍度がシステム的に評価された順で獲得経験値が高まり、配分アイテムを得られるドロップ率が上昇する。より大きな活躍を、ボスにダメージを与え、回復アイテムの消費を抑えていればシステムに『活躍したプレイヤー』として認められるのである。

 

「マダラ、前に出過ぎだ! スタミナ切れも近いだろう!? 一旦下がれ!」

 

「……まだいけます」

 

 苛烈なボス戦により、荘厳な神殿の奥地のボス部屋は破損が広がっている。燭台や円柱は倒れ、絵画が描かれた壁は亀裂が入り、各所から染み出した結晶の沼はDEXを下方修正し、またスリップダメージを与える。

 ケランデのHPバーは2本目に突入しており、それも残り1割未満だ。ケランデは2本目に入ると斧槍に結晶をエンチャントし、叩きつけの攻撃をすると結晶を発生させた範囲攻撃を行えるようになった。それだけではなく、定期的にオートで浮遊する結晶の塊を生み出し、弱点である人体部を守るようになった。下半身の3つに分かれた蛇も、最初は魔法属性の結晶ブレスだけだったが、今はそれぞれが炎、雷、毒のブレスを使用できるようになった。特に厄介なのは毒のブレスであり、レベル4の毒が蓄積するので下手に浴びれば一気にHPが削られていく恐怖がある。

 だが、マダラは得物の両手剣を操り、ラジードより前に出てケランデの斧槍の刺突を躱し、続く結晶塊の襲撃を両手剣の腹でガードし、≪剛力≫で片手持ちした両手剣を突き出して青い肌をしたケランデの人体部を突き刺す。魔法をガードしてしまったので手痛いダメージを負ったが、それに見合うだけ両手剣は深々とケランデに押し込まれる。

 

(チッ! ソードスキルを撃ち込んでも良かったか? しかし、スタミナが……!)

 

 顎で滴る汗を手の甲で拭いながら、マダラはラジードの警告通り、自分のスタミナが危険域のアイコンを点滅させるペースを速めている事実に悪態を吐きたくなる。

 ボスに張り付き続けるという事はそれだけ動き回るという事であり、スタミナを消耗し続けるという事だ。休む暇もない攻防と回避はスタミナを奪い続ける。いかに高レベル帯になってCONが増量して継戦能力が増したといっても、ボスを相手に張り付き続ければ……ソードスキルも併用すれば、スタミナはあっという間に切れる。むしろ、初のボス戦でマダラはよくぞスタミナ配分できるものだと褒められても良いくらいである。

 だが、張り付き型も無尽蔵のスタミナなどなく、また精神力と集中力が保てない以上は、必ず休むインターバルを挟まねばならない。このインターバルこそが集団戦における利点であり、これを持たない単独のボス撃破がどれだけ狂った戦績なのかを実感させる。

 ラジード、フィーネ、フェイフォンの3人だけではなく、他の近接アタッカーがローテーションし、ボスからの攻撃を分散させても、マダラの精神は間違いなく限界に近付いていた。フィーネがぼそりと零したが、ケランデはボスとしては『普通』の部類らしい。マダラが過去に体験したVRゲームでも『調整ミス』と運営側が叩かれる事は必至だろうクラスが平凡なボスなのだ。

 伝説に名を残す竜の神。シャルルの森で大ギルドの戦力が肩を並べて挑んだ、DBO最強と謳われて今も不動のイベントボス。7本ものHPバーを持つ巨竜がどれほどの怪物だったのかとマダラは薄ら寒くなる。

 

「霧が薄れた。今回は時間経過型か。1番緩いタイプでラッキーね。離脱可能になったわよ! 全員脱出準備しなさい!」

 

 金髪をアップにしたフィーネの発言に、マダラは我が耳を疑った。今まさにボスのHPバーは残すところ1本まで迫ったのだ。ここで離脱とはどういう了見なのだろうか?

 だが、フェイフォンもグスタフも、ラジードすらも同意するように頷く。その理由をマダラは10秒遅れで気づく。先ほどから射撃援護も奇跡による回復援護も無いのだ。それどころか、アタッカーたちもボスへの攻撃の手を緩めている。

 単純明快な理由だ。矢や銃弾が尽き、魔力切れとなり、回復アイテムの底が見え始めたのだ。マダラはスタミナ切れ間近であるが、彼よりも危険度が薄いはずの通常アタッカーたちの中にはスタミナ切れになってへばり付いている者までいる。

 このまま最終段階……ボスの真の能力が解放されるだろうラスト1本のHPバーに突入するのは危険という判断だろう。序盤で削られ過ぎた時点で、幹部陣はいかに人的被害を出さずに、情報を持ち帰れるかにかかっているのだ。

 

「残念残念。でも、生きて帰るのが1番のご褒美。撤退準備」

 

 舌を出して、まだまだ余裕を表現しながらも、フェイフォンは汗まみれの顔面に安心感が滲む笑みを零す。

 

「ぐぬぅうううう! 私はまだまだ粘れるというのに、軟弱共がぁああああ!」

 

 得物のパルスガトリングガンのリロードが済んだグスタフが淡い緑色のエネルギー弾をばら撒く。パルス系らしく、一定距離で炸裂するのだが、射程強化が施されているのだろう。ケランデに命中するまでエネルギー爆発は起きない。ヘイトを稼いでその間に離脱を進める算段らしいグスタフは、口振りと違って撤退における殿を務める所存なのは明らかだった。

 メインボス戦は参加できるパーティ数が定められており、そして1度入れば戻ることはできない。だが、特定の条件を満たせばボス部屋からの離脱が許可されている。もちろん、離脱ができない場合もあるが、時間経過やギミック解除などでボス部屋から脱出することは可能なのだ。もちろん、それを前提としてボス戦に挑み、損害が出た事も少ない為に、あくまで1つの可能性に留めるのがボス戦の基本だ。

 

「僕が残る。マダラは先に脱出するんだ」

 

「お供します」

 

「駄目だ。もうスタミナ切れが近いだろう? 僕はまだ余裕があるから、先に脱出するんだ」

 

「脱出までの時間稼ぎ、存分にやらせてもらいますよ」

 

 無論、本心でマダラは仲間を守る為に時間稼ぎしようなどと思っているわけではない。往々にしてそうであるように、ボスの殿がそのままボス討伐をする場合もあるのだ。マダラはむしろここでボスを討つつもりで残る意気込みだった。

 それ以上にマダラを刺激したのは、ラジードの『余裕がある』という発言だった。同じだけ……いや、特大剣を使っているラジードの方がスタミナの消耗は激しいはずである。なのに、マダラが既にスタミナ危険域なのに、ラジードには全員脱出するまで、それこそボスの集中砲火を浴びても逃げ切るだけのスタミナが残っていると明かしたのだ。

 嘘か真かなど関係ない。マダラのプライドがラジードにこの場を任せて撤退など許さなかった。

 

「無理しないでくれよ。隊長命令だ」

 

「もちろん」

 

 ラストアタックは俺が貰う。マダラは闘志を燃やし、時間稼ぎではなく、むしろケランデのHPを更に削る勢いで両手剣を振るっていく。ソードスキル無しでボスを倒すのは不可能だ。スタミナも足りない。だが、マダラはラジードと皮肉にも連携しながら、ケランデの人体部を着実に斬りつけていく。

 

「ヘイトを稼ぐだけで良い! ダメージは最小限に抑えるんだ!」

 

「やっていますよ」

 

 だが、ラジードは特大剣の高火力を当てるのではなく、あくまでケランデの注意を惹こうとするに留める。対してマダラは少しでもケランデを深く刻み付けようとする。その明暗が分かれる攻め方は、彼らの目的の違いを分けていた。

 人的被害を抑える為に撤退の時間稼ぎの為の『攻め』か、それともボスを討ち取る為の『攻め』か。

 そのズレは撤退完了前にケランデのHPバーの2本目を削り過ぎるという……最終バーへの突入という形で結果をもたらす。

 ケランデの裸体の人体部が結晶で覆われ、更に下半身の3体の蛇が蠢き、首の数が3から倍の6へと増える。加えてケランデの6本腕の内の4本に呪術の火のような炎が灯り、更に結晶エンチャントが施された斧槍が禍々しい黒の結晶を張り付け始める。

 ようやく本性を現したケランデの最終形態に、マダラは思わず足を止める。その眼が……AIの目に『殺気』が渦巻いた気がしたからだ。それが噂に聞くAIの戦闘中の『進化』……まるで生命体を思わす振る舞いと思考の開花だと、これまで何度も参加したギルド主催の講義で学んだ『最重要危険事項』だと気づくまでマダラは5秒を要した。

 その5秒が彼の命運を決めた。マダラが足を止めた瞬間に突き出された黒い結晶付きの斧槍。咄嗟にガードした両手剣は砕かれ、彼の腹を深々とぶち抜く。血反吐のように赤黒い光が口内から零れ、7割残していたHPが1割を切り、残りゼロになる寸前で何とか停止する。ガードが無ければ即死だっただろうとマダラが命拾いを思う暇もなく、吹き飛ばされた彼にケランデは間髪入れずに斧槍を振るい、どす黒い……まるで闇術を付与したような結晶槍を7発同時に放つ。それらはマダラへと真っ直ぐに迫った。

 回避できない! マダラが死の足音を聞いた時、彼を覆ったのはラジードの影だった。彼は特大剣……ユニークウェポンのイヴァの剣の隠し性能を解放する。竜の咆哮は無色の波動となって解放され、強化された結晶槍を掻き消す。だが、ディレイがかかった1発は消しきれず、ラジードに闇纏いの結晶槍が直撃する。

 俺を守った? 信じられないマダラに、ラジードは抉れた胸から赤黒い光を零しながら、彼に笑いかける。

 

「隊長……らしかった、かな?」

 

 何と言い返せば良い? マダラは拳を握り、砕けた両手剣を見下ろす。もう修復は不可能だろう。だが、闇術の効果でスタミナを奪われ、片膝をついたラジードはもう戦えない。本当はやせ我慢だったのだ。スタミナ切れが間近だったのはラジードも同様であり、マダラを守る為にそのスタミナも奪われてしまった。

 明らかな、人語ではない、言葉であるかも確かではない、呪詛を吐きながら、ケランデが斧槍を掲げる。脱出可能になっていたはずの霧は濃くなり、もはや何人も逃がさないという檻にボス部屋は変質する。残っていたグスタフたちも覚悟を決めたようであり、ボスを討伐するべく陣形を取ろうとする。

 撤退が完了したのは半分程度だ。残りの半分を逃がしたとして、トッププレイヤー数人だけでボスを倒しきれるのか? マダラは激しく点滅するスタミナ危険域アイコンを睨みながら、自分が死ぬイメージとボスを倒すイメージの両方を重ねる。

 だが、マダラの真横を旋風が駆け抜けた時、彼の死のイメージが細切れになって吹き飛ぶ。

 目にも止まらぬ旋風はケランデの反応が遅れた僅かな隙間を突いて≪曲剣≫の回転系ソードスキル【デザート・テンペスト】を浴びせる。曲剣の軽量性を活かした3連回転斬りの後に任意で更に溜めからの強力な4回目の回転斬りに派生できるソードスキルであり、それは結晶の鎧に守られていたケランデの人体部を裂く!

 ソードスキルの硬直で止まったが、それはケランデが怯むと見抜いての先制攻撃だ。硬直時間解除と同時に、旋風はケランデの斧槍を軽々と跳び越えながら曲剣を弓に変形させると腰の矢筒から矢を抜き、僅かに裂けた結晶の鎧の隙間を見事に射る。

 着地と同時に曲剣に戻し、迫る蛇の頭部を薙ぎながら、そのブレスを次々と華麗に回避し、逆に左手のギミックを発動させ、指を爪で覆うと鱗を抉り取るように、まるで猫が蛇を甚振るように、逆にカウンターを次々と浴びせていく。

 最後に離脱の置き土産のように、旋風は背後に聖水爆弾を放る。それは斧槍を振り下ろそうとしていたケランデに命中し、聖なる霧の爆発でダメージを与え、また攻撃の軌道がそれて助太刀人を両断せずに床に叩きつけられるに留まる。

 

「太陽の狩猟団の依頼を受けてきたわ。あなた達がボス戦に赴いた後に最終形態の情報が明らかになったんだけど……間に合わなかったみたいね」

 

 最終形態のボスなどまるで恐ろしくないと言わんばかりに、旋風は……【魔弾の山猫】の異名を持つ女傭兵のシノンは冷たく笑いかける。

 

「デーモン化は温存しているわね? 緊急事態と判断し、依頼内容を『情報通達』から『討伐補佐』に変更。ボスをこのまま討伐するわ。私が引きつけるから、その間に全員切り札を使いなさい。短期決戦で行くわよ。ボーナスの稼ぎ時なんだから、誰か死んで水を差すような真似はしないでよね?」

 

 左腕の義手を鳴らし、シノンは右手の曲剣を逆手で構える。

 ごくりと生唾を飲み、マダラは思わず圧倒される。上位プレイヤー……トッププレイヤー達を差し置いて、どうして傭兵が多額の報酬で雇用されてまでボス戦の参加をするのか、その理由を嫌でも理解させられる。

 ボスを前にしてもこの強気! これがランク3! これが太陽の狩猟団が保有する最高ランクの傭兵!

 

「シノンさんの手を煩わす程ではないと思いますよ?」

 

「部下は逃がしたし、これで思う存分暴れられる」

 

「女にばかり恰好をつけさせるなど男の恥だ。このグスタフ、伊達に【要塞人間】と呼ばれておらんぞ!」

 

 そして、上位プレイヤー達の上澄み……トッププレイヤーとしてDBOを牽引する者たちも負けていない。フィーネは刺剣と小盾を構えながら、フェイフォンは曲剣を交差させながら、グスタフはパルスガトリングガンを突きつけながら、ボスの前に並ぶ。

 

「すぐに、参戦、する。待ってて、くれ!」

 

 スタミナ切れのラジードは声絶え絶えになりながら、特大剣を杖にしながらも戦意を表明する。それに対して、シノンは馬鹿を見るように目を細めて振り返り、だが讃えるように小さく笑う。

 

「それまで御馳走が残っていると思う?」

 

 シノンの宣言通り、ラジードがスタミナ切れから復活する前に、ボスは討伐された。

 ラストアタックを決めたのはシノンであり、マダラが見届けたボスの断末魔は、その頭部をつかんだ彼女の左手から解き放たれたキャノンの弾丸によって掻き消された。

 後にマダラはラジードとワンモアタイムで2人だけの細やかな祝杯を上げながら、ほろ酔いの彼から叱咤ではなく、情けない弱音を聞かされる。

 自分1人の頃は我武者羅に戦えば良かった。だが、隊を率いる以上は、皆を……マダラ達の生存を第1に考えねばならない。それが『隊長』としての務めなのだとラジードは語った。たとえ、今は無様でも、我慢ならなくとも、隊の全員が『生き抜ける』と確信できる指揮が執れるようになるまで待ってくれと懇願された。そして、隊が一丸となって強くなる手伝いをマダラにしてほしいとも頭を下げられた。

 やはり、この人は自分が少しでも憧れた【若狼】ではない。マダラは2度目の失望を味わい、そして情けない英雄候補と乾杯を交わした。

 こんな馬鹿みたいに真っ直ぐな男と一緒に高みを目指すのも悪くないかもしれない。マダラは『最高』の隊長の下で力を蓄えて、いつか彼と共に高みに辿り着ける日が来る事を夢想した。

 

 そして、その翌日……マダラは事の顛末を聞いた【雷光】によって訓練という名の私刑を受けるのだが、それはまた別の物語である。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 場所は<枯れぬ涙のジージーダの記憶>。DBO初期にクリアされた王の時代のステージであり、出現するモンスターは上位プレイヤーからすれば雑魚扱いされている。経験値も少なく、イベントも少なく、ドロップアイテムも総じて価値もなく、無い無い尽くしでありながらボスはギミック系で厄介極まりないという、ネットがあればボロボロになるまで叩かれているだろうステージである。

 だが、このステージには1つだけ序盤から価値のある点があった。それは鍛冶屋にとって必須の工房設備の販売を行ってくれるNPCが存在する点である。ジージーダの記憶の舞台となる王国は技術開発を禁じ、信仰を絶対なるものとする白教を国教に定め、異端を狩る。許可なく新たな武器やアイテムを作る鍛冶屋は次々と狩られ、投獄されていくのである。そんな中で異端狩りを逃れた反逆を企てる鍛冶屋集団より工房設備を販売してもらえるのである。故に、≪鍛冶≫を入手したプレイヤーにとって必須とも言うべきステージだった。もちろん、今ではわざわざこのステージに足を運ばずとも工房設備が手に入るので、唯一の価値すらも消え去った。

 ならば、このステージは探索され尽くされたのか? 否である。ステージが解放される度に他のステージにも微細な影響が及ぼされる事も多く、常に再探索が求められる。またステージ難度に見合わない高難度ダンジョンを未攻略のまま放置されている場合もある。

 ジージーダの記憶にあった廃聖堂もその1つである。地下1層目にて強力なネームドが門番として控えており、これを撃破できるようになるにはレベル60級が必要という、序盤のステージではもはやボスすらも上回るネームドがいたのである。

 長らく放置されていたが、このダンジョンの権利を獲得していたクラウドアースは秘密裏に攻略を開始していた。地下には広大なダンジョンがあり、層ごとに異なるタイプのモンスターが出現する事から、攻略速度は鈍く、また次の層の門番を務めるネームドが厄介なものばかりだった。

 クラウドアースはギルド連合であり、他の大ギルドに比べて保有する戦力は見栄えしない。ギルドNPCやゴーレムの開発には余念がないが、どうしてもダンジョン攻略には突出した戦力である傭兵頼りになってしまう。故にクラウドアースは傭兵を好待遇でもてなしているのだが、何もまるで戦力が存在しないわけではない。単に恵まれていないだけである。

 故にクラウドアースは利用できるものならば何でも利用する。それは不足した戦力ならば尚更である。

 

『恩赦の条件はただ1つ、クラウドアースに絶対の忠誠を誓う事』

 

 故に、かつてクラウドアースを裏切り、エレイン殺害という凶行に走った男……ヘリオスは復帰を果たした。ただし、その素顔は2度と外で明かすことは許されず、頭部を覆い隠す【三眼竜の兜】を許可なく外す事は禁じられ、また単独での自由行動もまた許されていない。

 DBOにおいてはレベルの高さは戦闘において無論必要であるが、それ以上にプレイヤースキルを要求される場面は多い。ましてや、強力なネームドやボスならば言うまでもない。

 ヘリオスが評価されたのは『あの』【渡り鳥】を相手にして生き延びた事である。実際には殺される1歩手前だったのだが、その粘り強さを評価された。クラウドアースの総意としてはヘリオスを幽閉だったが、ヴェニデのトップであるセサルの鶴の一声によって彼は地下牢から解放された。

 兄をムーココナッツを殺害したエレインへの憎悪は消えていない。彼の恋人であるアイラへの殺意も鈍っていない。だが、あの月夜……雪に覆われた終わりつつある街で自分の死神となり、醜い復讐心すらも受け入れて、その上で殺しに来てくれた【渡り鳥】がどうしても忘れられなかった。

 普通は復讐を否定するものだろう? なのに、【渡り鳥】はこの復讐心を認めてくれた。

 兄の遺志は何処にもない。何処にも残っていない。ただ必死に生き延びようと足掻いていた兄の末路は何を意味するのか? ヘリオスは大弓と曲剣を手に、再び戦場に立った。幽閉されていた時間の分だけ勘は鈍り、レベルも不足していたが、クラウドアースの援助によって追いつくのに時間はかからなかった。

 復讐心と共にあれ。ヘリオスは今も憎悪の炎に焼かれている。理性を手放してアイラを……エレインの関係者を皆殺しにしてやりたいという激情を胸の内に飼っている。そして、この復讐心こそが最大の武器になるとヘリオスは確信した。

 要は八つ当たりだ。復讐心の爆発の方向をボスやネームドといった簡単には死なない強敵にぶつければ良いのである。冷たい兜のお陰もあるだろう。ヘリオスはあの日の……死を運ぶ白い天使の啓示を胸に、大弓に引き続けた。

 着実に戦果を重ねて、ヘリオスは【無貌の射手】という異名すらも得るようになった。常に素顔を兜で隠す事から名付けられたが、不満はなかった。

 新たな身分になって分かったのは、ヴェニデはクラウドアースの真の支配者であり、同時にセサルというカリスマを頂き、攻略よりも、DBOの支配よりも、たった1人の後継を求めているという点だ。

 常にアーロン系の装備に身を包む、何故か名前を知る機会に恵まれない、ヴェニデ最高の剣士であるアーロン騎士長装備を始め、戦闘もこなすメイドたちを取り仕切るブリッツなど、彼らも一様に次なる主を熱望している。

 最近は少しだけ自由行動の許可も増え、自室でもある牢獄も冷たい石牢から暖炉備えの座敷牢にまでランクアップした。同行者を伴えば酒場や娼館にも行けるようになった。そんな彼はヴェニデに……セサルの屋敷に何度となく足を運ぶ。対人訓練をヴェニデで行う為だ。全ては戦争を控えての事である。

 兄はクラウドアースの暗部の腐敗によって殺されたようなものである。クラウドアースに忠義を尽くせと言われて素直に呑めるはずがない。それでも、ヘリオスは兄が残した唯一の目的である『生き足掻く』とは何なのかを戦いの中で探す。復讐心を武器として、死すらも恐れない戦いをする自分にヴェニデの者たちは何かを見せてくれるような気がした。

 戦いだ。戦いの中でこそ、人の真価は問われる。ヘリオスはそう嘯く。自分は死の間際まで復讐心を捨てなかった。これが自分なのだ。故にヘリオスは一切の油断なく、慢心なく、戦い続ける。死ぬ瞬間まで憎悪に身も心も焼き続けて戦うだろう。

 ヘリオスの今の愛弓は【アバロンの神弓】だ。彼の戦績に目を止めたセサルによって施されたソウルウェポン……つまりはユニークである。ソウルから直接生み出したタイプであり、矢の貫通性能を引き上げるだけではなく、魔力を消費することで対象を追尾する幻影の矢を複数同時に撃てるだけではなく、矢を強化して破壊力と貫通力を引き上げる事も可能だ。

 

(撃ち抜け)

 

 ヘリオスは有効視界距離とフォーカスロックを強化する三眼竜の兜の力を借りながら、廃聖堂地下9層目の門番ネームド【金毛のオーガ】に大矢を放つ。使用しているのは【嵐の大矢】である。【嵐の獣】と呼ばれる空飛ぶエイのようなモンスターからドロップする【嵐の髄】を加工して得られる大矢であり、当然ながら生産効率は悪い希少品である。だが、魔法攻撃力と高い貫通性能を持ち、神弓との相性は良いのだ。

 放たれた嵐の大矢は幻影の矢と共に金毛のオーガを襲う。オーガとは鬼のことであるが、このネームドは5メートルはあるだろう巨体の全身に黄金の毛を纏い、銀のねじれた2本の角を持つ。拳や蹴りによる格闘戦はもちろん、銀の角から魔法攻撃を発生させ、更には黄金が雷の象徴であるように、全身に雷属性をエンチャントして攻撃力を引き上げる。しかも巨体に見合わぬ軽いフットワークで動き回る為に、陣形を崩され易い。特に射撃プレイヤーは常に射撃ポイントとヘイト管理に気を配らねば、容易く前衛を突破されて擦り潰される。

 しかも、この金毛のオーガはボスとも見紛う3本のHPバーを持つ。当然ながらHPバーが減るごとに行動は強化されていく。2本目では【銀毛のオーガ】を2体召喚し、最終HPバーに到達すると口内から雷属性と魔法属性の2種のブレスを使い分けできるようになっただけでなく、速度と攻撃力が更に増幅された。

 壁を蹴って宙を舞い、金毛のオーガが右腕によるプレスパンチで集結していたクラウドアースの部隊を叩き潰す寸前で、嵐の大矢が肘に命中し、続く追尾する幻影の矢の雨が突き刺さっていく。≪射撃減衰≫スキルと同様のものを持つ事が標準であるネームドやボスであるが、金毛のオーガも例外ではない。嵐の大矢はともかく、幻影の矢のダメージはもはや誤差の範疇だ。だが何事もダメージの積み重ねが大事である。

 ボスと呼んでも問題ない金毛のオーガ。それに対してクラウドアースが派遣したのは僅か18名である。メインボスのようにパーティ数に制限がないイベントボス扱いなのだ。より数を増やすべきかもしれないが、イベントボスやネームドはプレイヤー数が一定値を超えると基礎能力……HPや防御面が強化される仕様である事が判明している。つまり、100名や200名なんて数で押し潰すような『マナー違反』をすれば手痛い仕返しがあるのだ。逆に言えば、常識の範囲……そもそも常識とは何処で線引きするのかは定かではないが、少なくとも『一線』さえ超えなければ、ペナルティ強化されるような事は無い。

 金毛のオーガはボス級だ。ならば8パーティの48名規模の編成でも十分にペナルティ強化範囲外だろう。なのに18名なのは『それで事足りる』と判断されたからだ。

 素早い踏み込みからの居合。それが金毛のオーガの腹を深く薙ぎ払う。ヴェニデ最強の剣士であるアーロン騎士長装備である。【雷酔】と呼ばれる、雷属性を持つカタナであり、金毛のオーガとの相性は良いとは言えないが、カタナ特有のクリティカル補正さえあれば物理属性でも十分に通る。何よりも、雷酔はソウルウェポンであり、ガルム族の英雄ラーガイのソウルから作り出されたカタナだ。碧の雷を迸らせ、雷撃の刃を放ち、天に掲げて振り下ろせば落雷を纏う。雷撃を卵の殻のように堅牢に覆ってガードも出来る。アバロンの神弓とは違い、ソウルを加工した武器である。クラウドアースが多額のお布施によって、教会の工房が誇る鍛冶屋イドに作らせたものだ。

 しかし、やはり相性が悪い。碧の雷は金毛のオーガを怯ませる事は出来ても、ダメージはまるで入らない。雷属性がほぼ無効化されていると見て間違いないだろう。銀の角の効果か、HPが減る度に輝きを増す角の光によって魔法属性の通りも着実に悪くなっている。

 しかし、暗闇が……宵を映し込んだような黒紫の刃が金毛のオーガに絡みつき、その全身から赤黒い光の飛沫を上げさせる。

 それは可憐な少女。全身に纏うのは深紫の衣であり、ヴェニデの暗部が纏うのと同じデザインである為か、やや軍服チックである。裾が長めのスカートには運動能力を高める為にスリットが入れられており、舞う中で覗かせる太腿にはベルトが巻かれて薄い投げナイフが仕込まれている。少女は金毛のオーガの全身をあり得ぬとしか言いようがない剣速と人外の体捌きを併用して斬り刻み、更に宙で投げナイフを投擲する。薄く鋭いナイフは金毛のオーガの顔面に突き刺さり、凍てつかせる。

 その名も【薄氷ナイフ】。クラウドアースの商品ではなく、少女が独自に使用する……どこで販売されているかもしれないHENTAI的な投げナイフだ。水属性を保有し、突き刺さると水属性のバフである凍結の蓄積を増幅させる。しかも刺されば刺さるほどにデバフの蓄積が加速度的に上昇する。ボスやネームド相手には効果が薄いのだが、副次効果である霜によって金毛のオーガの視界が僅かに濁る。

 着地と同時に切り返して踏み入り、アーロン騎士長装備の連続斬りに合わせて少女は右手に持つ宵を映し込んだような黒い片手剣……【スノウ・ステイン】を振るう。それは闇術【蝕む闇の大剣】を纏う。ソウルの大剣の闇術版であるのだが、よりスピード重視であり、攻撃力は高くない。だが、魔法媒体として変質させた武器ならば通常の剣戟の間に違和感なく差し込むことができる上に、通常の闇術よりもスタミナ削り効果が高い『PK特化』として悪名高い闇術だ。ただし、スタミナという概念が無いに等しいボスやネームドには効果が薄いのが難点である。それでも片手剣と蝕む闇の大剣が同時にヒットすれば片手剣を超えた一撃を引き出す。これこそがまさに魔法剣士の真骨頂である。

 離脱時間を稼ぐべくヘリオスは反撃を試みる金毛のオーガの右足首を撃ち抜く。体勢が僅かに崩れ、連続パンチが遅れてアーロン騎士長装備は余裕を以って引き下がる。だが、少女は折角ヘリオスが作った退避タイミングを無視して間合いに残り続ける。

 床を抉りながらのアッパーカット。更に角による魔法属性のレーザー。それらを少女は軽やかに躱し、左手に異形の刃を構える。それはナイフであるが、半ばから折れ曲がり、更に先端が鉤爪のように尖っている。

 暗器【影縫】。暗器特有のクリティカル部位へのダメージボーナスはもちろん、相手を傷つけると一定時間であるが、DEXに下方修正がかけられる。また、変形機構によって柄から刃が『射出』され、繋がったワイヤーで鞭のように振るって遠隔攻撃が可能な、これまたHENTAI的な変形武器である。作ったのは間違いなく頭の構造がおかしい、使い手の力量をまるで考慮しない鍛冶屋だろう。

 少女は金毛のオーガの右パンチを右ステップで軽やかに避けるとそのまま左逆手で構えた影縫で相手のパンチの速度を利用して肉を抉る。赤黒い光を血飛沫のように浴びた少女はゾッとする程に凄惨に……何よりも無邪気に、心底戦いが楽しいように笑う。

 少女の笑みに金毛のオーガは僅かに怯えたかのように思えた。そして、それを示すように、発狂するように乱雑にであるが、腕を振り回し、体毛から雷撃を放つ。それを少女は華麗に躱すも、執拗に金毛のオーガは狙い続け、雷のブレスを解き放つ。地面に拡散する雷ブレスを少女はタイミングを見切って跳躍して躱し、逆に影縫のギミックを発動させ、射出した爪の如き刃で金毛のオーガの右目を正確に抉る。

 もはや生物のように動き回る影縫によって遠距離から刻まれた金毛のオーガは雄叫びをあげ、その両腕に雷を収束させる。だが、その体を反った攻撃の予備動作を隙と見て、ヘリオスは矢筒から【破壊の大矢】を引き抜き、寸分狂わずに喉を射抜く。

 勝負は決まった。ノックバックし、スタンした金毛のオーガの背後に回り込んでいたアーロン騎士長装備は居合の構えから、碧の雷光を纏った連続斬りを繰り出す。他のプレイヤー達もここぞとばかりにソードスキルを撃ち込む。そして、復帰される直前に、黒紫の少女の≪片手剣≫の突進系ソードスキルであるスターライトが心臓を貫く。命中後に、更に任意で追加の突進突きに派生できるスターライトは高DEXプレイヤーとの相性が良い。極光とも思えるライトエフェクトを伴ってスターライトは金毛のオーガの胸部を穿った。

 金毛のオーガは爆散し、赤黒い光の濁流となる。無機質な賛美の言葉がシステムメッセージで流れ、経験値やアイテムが分配される。ソウル系アイテムは期待できないが、それでも金毛のオーガの強さに相応しい有力なアイテムが入手できるだろう。

 

「廃聖堂地下9層突破。撤収するぞ」

 

 息を吐く暇もなく、アーロン騎士長装備は命令を下し、膝を折ろうとした面々は背筋を伸ばして応じる。

 

「お仕事終わり~! はぁ、疲れた」

 

 くるくるとスノウ・ステインを回し、鞘に収めた少女は腕を伸ばして疲労を叫ぶ。あの少女とも肩を並べたのは数度しかないが、クラウドアース……いや、ヴェニデが新たに迎えた戦力というだけあって、実力はトップクラスだ。CONが低いのか、継戦能力には難こそあるが、タイミングを見計らって流れを作る猛攻ができるので重宝されている。

 

「ねぇ、この下に本当に『あれ』があるの?」

 

「思うところがあるのか?」

 

「……少しね。ネーミングだけかもしれないけど、思い入れがないわけじゃないよ」

 

 アーロン騎士長装備と少女の会話が何を意味するのか、ヘリオスには分からないし、知りたいとも思わない。

 10層の先に何があるかなど興味はない。ヘリオスは命じられたままに戦場へと出るだろう。僅かな自由の為ではなく、行き場のない復讐心の終着駅を求める為に。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 終わりつつある街……初期ステージの無駄な広さは開拓を前提としたものであるならば、独自性を保つ為とはいえ、早期に終わりつつある街の外部に都市とも見紛うほどの本部を建設したラストサンクチュアリは先見性があったのかもしれない。

 終わりつつある街のカスタム機能は他にも平原フィールドの各所にも適応されるようになっている。順次イベントを攻略していけば、カスタム範囲は拡大していく。最終的には終わりつつある街の外にも別の都市を開発することができるようになるかもしれない。

 カスタム機能の解放は今のところ各種イベントによって可能であり、終わりつつある街はかつての滅びを待つだけの、人間が尊厳と生命を保てる最後の地から、文明を再起させる象徴になっている。

 だからこそ、オレには気がかりなことがあった。終わりつつある街と周辺フィールド、更にその向こう側にある東西南北を真っ白に染めるような濃霧。プレイヤーがどれだけ探索しようとも果てに行き着くことができない檻だ。

 想起の神殿から赴けるステージも同様の外縁が存在する。だが、設定上はあれらステージは記憶や記録であり、一定の時間軸と場所を切り取ったものである。つまり、制限が存在していても破綻はしない。

 だが、この終わりつつある街は想起の神殿と繋がってこそいるが、記憶や記録の類ではなく、DBOにおける『現在』であるとこれまでの情報から推測できる。

 つまり、DBOという世界において、人類も生命も『現在』と限定すれば、ステージとしては広い部類であるとしても都市とその四方に広がる平原、小さな森と谷、それから北にある文明の名残と南にある僅かな海と濃霧まで続く大橋しかないわけだ。

 あの濃霧にも必ず意味がある。だが、そのキーポイントにはいまだに到達していない。DBOの完全攻略の為には狂気に囚われる前の白竜に謁見を果たすことだと分かっていても、そもそも白竜が住まう記憶・記録はいまだに解放されていない。

 DBOにおいて、白竜とはシースと呼ばれる鱗の無い古竜の名として知られているらしい。遥か古に、光の大王グウィンの盟友となったシースは古竜の裏切り者であり、古竜が決定的敗北を喫する要因にもなった。その後、シースはグウィンの外戚となるも、グウィン達……神族に新たな脅威が現れ、生き残りの古竜の中でも神族に友好と調和を示した陣営と同盟が結ばれた事により、シースは居場所が無くなっていった。やがて、シースは住まいである大図書館から外に出ることはなくなり、狂気の研究と結晶だけが世に残った。

 原初的なDBOの神話であり、神々の時代で仕入れられる情報を統合すれば、シースは古竜を裏切って神族の味方についたのに、その神族が後に1部の友好的……というよりも、自分たちに頭を垂らした古竜たちを味方として迎え入れた事により、鱗の無い竜は神族からも疎まれ、同胞からも裏切り者として罵られた。

 そして、神族にとって脅威とされたのが魔性である。悪魔という表現が正しいのかは分からないが、共通しているのは深淵に関わりのある者、あるいは深淵そのものだ。光の大王グウィンは何よりも深淵を危険視し、配下の四騎士でも最も武勇に長けたアルトリウスに深淵の討伐を命じた。

 アルトリウスは深淵を次々と討ち取り、這い出る怪物や魅入られた存在を狩り尽くした。だが、深淵は拡大し続けた。そして、魔法国家ウーラシールにて、かつてない程に強力な深淵が生み出され、アルトリウスは深淵に囚われた姫君……ウーラシールの宵闇を救出に赴くも、ついに帰ることはなかった。

 吟遊詩人が歌うアルトリウスの結末は複数存在する。アルトリウスは深淵の主を討ち取るも致命傷を負って亡くなった。友を守る為に深手を負った彼は聖剣と我が身を楔にして深淵の主を封じた。深淵を討ち取った彼は宮仕えに辟易していたので流浪の旅に出た。名も無き英雄に使命を託して志半ばで倒れた。いずれが真実かは分からないが、オレが出会ったアルトリウスからも分かるように、彼は深淵に呑まれて深淵の獣になった。それがウーラシールを蝕んだ深淵の主を倒した後なのか否かは不明である。

 しかし、アルトリウスの遺志を受け継ぎ、また神々は深淵に対して二の足を踏んでいた事から、神への忠義ではなく、アルトリウスへの敬意と人の尊厳を守る為に深淵狩りは生まれた。彼らは主義主張こそ違えども、共通して深淵と戦い続ける宿命を自身に課した。

 ナグナで出会った、機械仕掛けになってもなお、オレとエドガーの2人がかりでも十全の戦いを成し遂げたアンタレスも深淵狩りだった。

 深淵狩り。これもまたDBOにおける重要な要素なのだろう。オレがこの誓約を結べたのは、システムウインドウに登録されている移動可能なステージ一覧に、見知らぬステージがいつの間にか登録されていたからだ。

 それは<深淵狩りモルドレッドの記憶>。【深淵歩き】アルトリウスの後に続いた、人間で最初の深淵狩り。彼は灰色の狼の導きを受けて聖剣の墓所にたどり着き、深淵狩りの使命を見出したとされている。

 いかなる条件を満たせば深淵狩りの誓約を結べるのか分かっていない。そもそも、誓約なんて面倒なので結ぶ気もなかった。たとえ成長ポイントが貰えたとしても、誓約に反する行いをすればペナルティが課せられる。それだけ自由な行動ができなくなるのだ。

 たとえば、白教は主神ロイドを頂く宗教であり、白教同士は協力し合う事ができる。誓約を結べば特典もあり、白教関連のアイテム……相手の回復アイテムを禁じるロイドの護符などが購入できるようになる。だが、白教は青教と仲が悪いらしく、青教と協力すると戦闘時にステータスが軒並みに下方修正されるらしい。しかも、それをプレイヤーには通達しないという厭らしさである。

 他にも誓約は様々あるが、いずれも一長一短である。隠し誓約も多いらしく、DBOにおける誓約の総数は判明していない。これが通常のゲームならば丁度良いロールプレイの材料になるのだろうが、DBOでは素の生活にまで瞬く間に侵蝕するので面倒だ。

 だからこそ、神灰教会は受けが良い。他者を害するようなものを除けば、いかなる誓約もウェルカムである。そもそも、連中からすれば誓約を司る神など一纏めにして『古い神』であり、彼らが待望する『新しい神』とは縁が無いからという本音があるらしい。エドガー自身も特殊な誓約……暗月の剣に属しているらしい。

 オレが深淵狩りの誓約を結んだのは気まぐれだ。アルトリウスに少しだけ思い入れがあったからだ。オレ以外にどれだけの数のプレイヤーが深淵狩りの誓約を結んだのかは知らない。だが、決して数は多くないだろう。

 DBOには今も多くの謎が残っている。そこにこそ、茅場昌彦と茅場の後継者の真の目的が隠されている。だけど、オレにはそれ以外にも彼らが伝えたい事があるような気がしてならない。

 

「うわぁ、黄昏てるなぁ、女男シスター」

 

「ははは。本当にチョコラテ君は成長しないね」

 

 アイアンクロー入りまーす。泣き叫ぶチョコラテの顔面を右手でつかみ、ギリギリと締める。悲鳴が果樹園で轟く。

 今日は教会が保有する果樹園に孤児たちを招いて収穫祭だ。終わりつつある街の外に設けられた果樹園というだけあって護衛が必要らしく、教会剣の他にも『お目付』としてオレに仕事が回ってきたわけだ。

 子ども受けは良い方ではなかったはずなのであるが、早くも孤児たちの間でリーダー格になり始めたチョコラテがオレに締められているせいか、男孤児陣営はいずれもオレに逆らわない。

 

「悪戯好きなのは許すけど、度が過ぎるとまたマキちゃんと仲違いするよ?」

 

「仕方ねーじゃん! 教会は確かにメシもあるし、寝床もあるけど、勉強勉強勉強! ひたすら勉強させられるんだぞ! しかも空いた時間は清掃活動やお手伝い! 遊ぶ時間が無いっつーの!」

 

 オレのアイアンクローから解放されたチョコラテは鬱憤を撒き散らす。スカート捲り騒動の後に、オレはチョコラテ達悪ガキ3人組をエドガーの元に連れて行って事の真相を告げ、なおかつお仕置きは無しでお願いするように頭を下げた。エドガーもオレの頼みを飲んでくれた上に、彼らも保護してくれたので、事態は限りなくスムーズに収まった。

 

「勉学は重要だよ? 識字と筆記がステータスだった時代もあったし、今現在でも発展途上国では重要な技能として扱いを受けているんだ」

 

「俺は戦いたいの! ガキだから大人が守ってくれるって保証はないんだ。強くなって……その、何だ……」

 

「マキちゃんを守りたい?」

 

「ニヤニヤするな!」

 

 顔を真っ赤にして初心っぷりを披露するチョコラテ君は本当に好青年の卵だ。籠を手に持ち、赤い果実をもぎ取るオレはチョコラテの頭を撫でる。

 

「エドガーも本気で頼めば蔑ろにはしない。彼は善意に殉じる男だ。チョコラテ君が本気で戦う力が欲しいなら、相応の覚悟を見せる事だね」

 

「……覚悟」

 

「そう、覚悟。自分1人で強くなれない。だったら他人に師事を仰ぐ。とても正しいけど、何事にも代償がいる。エドガーは善人だけど、無償の施しを肯定しているわけじゃない。彼を動かす熱意がいるはずだ」

 

 視界にエドガーが入り、オレは満杯になった籠をチョコラテに押し付ける。この後は修道女たちが果実を上手く調理してお菓子を振る舞ってくれるはずだ。

 

「分かった! 考えてみる! ありがとよ、女男シスター!」

 

 ははは、本当に大物だ。後で『覚悟』しておけ? 元気よく手を振って全力疾走して逃げていくチョコラテは追えない事はない。むしろ余裕で回り込める。アイアンクロー2発目をしても良いのだが、先にエドガーの方が到着してしまったので、オレは小さく右手を振ってチョコラテを見送る事にした。

 

「子供に好かれ易いのですな」

 

「むしろ嫌われるタイプだよ。そう言うアナタも意外と孤児から評判が良いみたいだな」

 

 正直言って、エドガー……いや、教会は見事なものだ。次々と発見される孤児や貧民プレイヤーへの施しはラストサンクチュアリと歩調を合わせた事によって促進している。孤児たちには勉学の機会を与え、ある程度の年齢を重ねている者には自衛目的での戦闘訓練も実施している。今もたまに出現するレギオンには教会剣を出動させ、3大ギルドの調整役も担っている。

 

「どう思う?」

 

「孤児が多過ぎます。今月に入って14人も新たに保護されました。実際数はそれ以上。貧民プレイヤーの人口『密度』も増しています」

 

 だからこそ、オレはチョコラテの未来に暗闇を覚える。

 彼はとても良い子だ。悪戯好きであるが、人を傷つける事を拒み、また愛することができる健全な精神の持ち主だ。悪ガキ達のまとめ役としてリーダーの素質も垣間見える。成長すれば、きっと秀でた人物になるだろう。

 だが、彼は死人なのか、それとも全く別の『何か』なのか。『命』を持ったAI達がプレイヤーとして忍び込んでいるだけなのか。

 

「……5000人弱、だったか?」

 

「ええ。このエドガーの推測に過ぎませんが、【渡り鳥】殿のような現実世界に確固たる肉体を保有するプレイヤーは……もう半数も残っていますまい。特に貧民プレイヤーは間違いなく獣狩りの夜で相当数減っているはずです。獣狩りの夜以降もレギオンによる犠牲者は着実に出ている事も考慮すれば……」

 

「それ以上は言うな。何処に耳があるかも分からない」

 

 エドガーが……神灰教会が何を目指しているのかは、彼が語らずとも薄っすらとだが分かっている。

 それを否定すべきか肯定すべきか、いずれもオレには権利など無い。彼らは『命』を持ってここにいる。ならば、彼らの結末は彼らで決めるしかない。オレはDBOを完全攻略を諦める気はなく、またエドガーもそれを求めている。

 

「問題はそれを『意識』できているプレイヤーが異常なほどに少ない点です。どう思われますか?」

 

「意味合いは違うが、『無知の知』と同じようなものだろう。『問題点』に気づかない限りは『気づけない』」

 

「矛盾していますな」

 

「そうでもないさ。それに、アミュスフィアⅢは脳に直接干渉してオレ達に仮想世界なんて現実よりも質感がある『夢』を見せているんだ。意識にフィルターがかけられても驚かない」

 

 ある種の洗脳の類と思うと気持ち悪いがな。だが、死者ですらない、何処から来たかも分からないプレイヤーの増加が周知されれば、狂乱のパンデミックの出来上がりだ。早めにネタを明かしておくべきだと思うし、その役目は大ギルドよりも教会が相応しい。

 夏の風が吹き、果樹園の木の葉が歌を奏でる。エドガーからプレゼントされた教会の白ローブが靡き、オレの結われた三つ編みが風の形を浮かび上がらせる。

 もう8月だ。現実世界では、故郷で夏祭りの準備が始まっている頃だろうか? オレが……ヤツメ様の神子が不在の祭りがどのように行われているのか、オレは知らない。

 妖精の国。先日、廃聖堂の第9層が突破された。第10層はかなりの高難度らしく、門番ネームドに到着するまで慎重に慎重を重ねれば、到達は9月になるだろうと目されている。

 オレの目的はあくまで『アイツ』よりも先に妖精の国に囚われているだろうアスナを救出する事。それが『アイツ』の悲劇を止める唯一の方法だ。

 このまま廃聖堂を攻略し続ければ、『アイツ』よりも先に妖精の国に到達するのは不可能ではないだろう。

 妖精の国に行くには廃聖堂の船守、常夜の船守、古戦場の船守のいずれかを利用する必要がある。だが、この3体に限るという保証は何処にもない。『アイツ』のゲーム勘はずば抜けている。クラウドアースが掌握しきれていない船守を確保していないとは言い切れない。いや、むしろ『している』という仮定で動くべきだ。

 ならば、どうして『アイツ』は動かないのか。推測としては、発見時のレベル不足、あるいは船守自体の居場所は分かっていてもイベント解放条件を満たせていない。そんなところだろう。

 

「今日はありがとう。良い気分転換になった」

 

「いえいえ、こちらこそ。【渡り鳥】殿とお話しできて、このエドガーも晴れやかな気持ちになれました」

 

 エドガーと握手を交わし、名残惜しそうにアップルパイを齧るチョコラテを別れを告げ、オレは終わりつつある街にあるサインズ本部に赴く。服装をナグナの狩装束に戻し、腰には贄姫、懐には連装銃、そして背中にはアビス・イーターだ。

 サインズ本部は相変わらずであるが、新調されたランキングボードでは傭兵ランクの変動と新登録された傭兵が各所に割り込みが行われている。

 たとえば、RDは最下位から脱出してランク31である。ユージーンは不動のランク1、シノンも相変わらずのランク3、スミスは上昇してランク7である。

 現在、サインズの正式登録傭兵は全部で36人。死んだり去ったり追加されたりして、常に安定しなかったサインズであるが、ようやく7月になって新ランクが発表された。

 

「……ランク21、か」

 

 うん、なんだろうな。このネタにできない中途半端な位置は。

 別に嬉しくないわけではない。実質最下位だったランク41から比べれば大いに出世しただろう。だが、オレは戦績的に見ても、大ギルドの意向が大いに関与する1桁ランクはともかく、もう少し上でも良いのではないかと主張したくなる。せめて半分より上でも良いだろう!?

 文句を言ってもしょうがないし、このランクも大ギルドやらサインズやらの四苦八苦した調整の末の結果なのだろうから受け入れるべきだ。それに、ランクが上昇したという事は、少なからずであるが、グリセルダさんの考案したイメージ戦略も功を奏したという事である。

 

「あ、クゥリさん。依頼がまた入っていますよ。マダム・リップスワンから護衛依頼です」

 

「また?」

 

「お気に入りですね。サインズとしても、マダム・リップスワンは支払いが良いので、クゥリさんにはガンガン稼いでもらわないといけませんね」

 

 ヘカテちゃんに依頼の問い合わせをしてみれば、マダム・リップスワンから今晩『も』護衛の依頼が入っている。身辺警護から始まり、マダムのコミュニティであるパーティにも出席したり、彼女のレベリングに付き合わされたりしているが、グリセルダさんの狙い通りのパトロンとしての支援が主な目的だ。

 リップスワンは浪費癖はともかく、人物としては決して悪人ではない。だから、オレも特に悪感情を抱いていないのであるが、どうしてもクラウドアース寄りの依頼数が増えてしまうので調整が大変だ。後は仕事中にクラウドアースのメイドにジョブチェンジしたユウキと遭遇した時とか凄い気まずい空気になる。

 

「す、すみません!」

 

 オレがマダム・リップスワンの依頼を受託しようとした時だった。サインズ本部の扉に1人の少年が、汗だくになって跳び込んでくる。スタミナ切れになったのか、派手に玄関で転倒し、ヒューヒューと息を荒くしているのは、オレも少なからず面識がある人物だ。

 定期的にであるが、オレに依頼を飛ばしてくるフェアリーダンス……リーファちゃんが属するギルドのメンバーだ。確か名前はレコンだっただろうか。ダンジョンの護衛や厄介なネームド撃破の協力をした時に顔合わせをした程度だ。サクヤはリーダーとして依頼調整で接するし、リーファちゃんはオレに自主的に話しかけてくるのだが、他の面々は最悪のファーストコンタクトとオレの悪名を合わせて、どうにも踏み込んでこれていないようだった。まぁ、いきなり馴れ馴れしく接せられては、こちらが距離感を掴めなくて困るのだが。

 

「誰か……誰か、助けて、ください!」

 

 スタミナ切れの影響で声絶え絶えのレコンに近寄り、オレは膝を落とす。

 首筋に嫌な予感が撫でる。本能が危機感を訴える。

 

「【渡り鳥】さん……リーファちゃんを……リーファちゃんを……」

 

 慌てた様子のヘカテちゃんが水を持ってくる。レコンは精神的パニックとスタミナ切れで揺れる瞳孔で、オレに縋りつく。

 傭兵業が長いオレであるが、苦手とする依頼のタイプが存在する。

 護衛依頼は肌に合わない。オレ自身が他人と歩調を合わせるのが苦手なので、必然的に誰かを守るのは得意ではない。

 だが、それ以上に救出依頼とは致命的に相性が悪い。出来る出来ないではなく、相性の問題だ。

 

 

 

 

「リーファちゃんを……助けてください!」

 

 

 

 

 もう日は暮れ始めているというのに、どうやらハードな依頼を引き受けざるを得ないようだ。




のびのび傭兵ライフの中で、1人だけ穏やかだったはずの主人公(白)……いつも通りのハードなスタートです。


それでは236話でまた会いましょう!

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