SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
主人公(白)に平穏はあり得ない。

妖精王編ですが、そもそも妖精の国に行くまでが高難関という現状でスタートです。


Episode18-02 集う狂人たち

 サインズに依頼を持ち込むプレイヤーの多くは、まず傭兵を雇用するとはどれだけ高コストなのか、無知を晒すのが大半である。

 DBOにおいて、傭兵とは一般的にサインズに登録がある自身の戦力価値を販売するプレイヤーを指す。そして、彼らは最低ランクでも上位プレイヤー級の実力を保有し、1桁ランカークラスともなれば、各大ギルドのトッププレイヤーと同等、あるいはそれ以上の戦力と目される。たとえば、ユージーンやUNKNOWNなどが代表例であり、サインズは奨励こそしないが、彼らは単身でもボスが討伐可能な存在として、その戦績自体が実力の絶対なる裏付けとなる。

 故に傭兵をカラスと蔑み、またコルで安易に使える何でも屋と思い込む輩も一定数いる以上は、サインズとしては依頼主に厳しい現実を突きつけるのも仕事である。そもそも、傭兵を気軽に運用するなど、大ギルドなどの資本力が背景になければならない。特に大ギルドから支援を受けている専属傭兵ならば尚更である。だからこそ、中小ギルドの依頼は自然と美味い仕事になかなかあり付けない低ランクや独立傭兵に回ってくるのである。

 

「所属ギルドはフェアリーダンス。はい、確かにギルド登録を確認いたしました。あなたを正式にフェアリーダンスのメンバーと認めます。それでは、レコンさん。落ち着いて、深呼吸しながら、事態の説明をお願いします」

 

 依頼要約用のヒアリングシートをクリップボードに挟み、ヘカテは羽ペンを指先で1度だけ回し、応接室で縮こまりながら、周囲を落ち着きなく見回すレコンに告げる。

 受付嬢は何もニコニコ笑って傭兵に仕事を紹介するだけが仕事ではない。時として、今回のように緊急依頼を持ち込んだプレイヤーに対応し、依頼内容を纏めるのも仕事である。大ギルドの場合はそれ以前に仲介人が間に入る事が多く、受付嬢は依頼を指定された傭兵に通達するだけであるが、中小ギルドからすれば緊急依頼ともなれば仲介人を間に挟む時間的余裕はない。

 普段ならば善意で仲介人を……実質的に聖剣騎士団の専属仲介人であるオニールなど、人情重視で中小ギルドならば格安で仕事を請け負ってくれる人物を紹介するのであるが、サインズに駆け込んできたレコンは一刻も早い依頼の申請を希望した。

 応接室は依頼人の冷静さを取り戻させるために、全体的に刺激となる赤系統の色を除外とした落ち着いた趣の調度品で整えられている。四方には観葉植物も設置され、壁にはヨットが描かれた大海の絵画が飾られている。

 

「オレが同伴しても良いのか?」

 

「クゥリさんにご指名ですし、緊急依頼ならば時間との勝負です。場合によってはこのまま依頼の受理を行ってもらいますので、同席をお願いします」

 

「……ヘカテちゃんがいつもよりも凛々しくて困惑しているオレがいる」

 

 私はいつでも凛々しいです! ロリ巨乳で年齢不相応に幼く見られるヘカテであるが、これでも20歳前半の立派なレディである。頬を膨らませて抗議しそうになったヘカテであるが、そこはプロである。すぐに気を取り直して咳を挟み、壁にもたれている、下手な女性よりも女性らしく、なのに男性的な鋭利さを失わない、まさに中性美の完成形とも言うべき容姿をしたクゥリを横目で一瞥しながら、職務の遂行に取り掛かる。

 先にも自分で言った通り、緊急依頼は時間との勝負だ。だからと言って依頼内容を精査しなければ、依頼の適正報酬の選定や依頼内容の分別など、傭兵に対してオーダーを通達するサインズの存在意義が問われる事になる。故にヘカテは相手がどれだけ切羽詰まっていても依頼内容の聞き取りを疎かにする真似はしない。

 時として自分の担当する傭兵同士がぶつかり、殺し合う事もある。だからこそ、ヘカテは担当する傭兵には1人でも多く生き残ってもらいたい。それは彼女なりのプロ精神のあり方なのである。

 

「えと、リーファちゃん……僕が所属するフェアリーダンスのメンバーの1人なんですけど、彼女を助けてもらいたいんです!」

 

 おずおずといった感じで、やや気弱さが目立つ、男性にしてはやや小柄な部類だろうレコンは、腰かけるソファから今にも立ち上がりそうな程に体を震えさせ、また拳を握りながら、泣き出しそうな顔と声音で告げる。

 内容は救出依頼か。ヘカテは依頼の区分にチェックを入れながら、内心でクゥリが最も嫌うタイプの依頼だと判断する。サインズは傭兵のコンディションや傾向の調査を事欠かさない。依頼主に適切な傭兵の紹介を行うのも職務の1つだからだ。クゥリが好むのは単独依頼であり、護衛や救出といった依頼は好まない傾向がある。そもそも依頼主側もこれら2種の依頼を出すことは稀なのであるが、彼自身がこうした『人助け』を苦手としている自意識があるのだろう。

 そうなるとレコンにはクゥリ以外の傭兵の紹介、あるいは協働による救出依頼を得意とする傭兵とのセットでの依頼を進めるべきかもしれない。すぐに打診できるだろう傭兵には誰がいるだろうかと考えながら、まずは状況について詳細を聞くべきだとヘカテは判断する。

 

「救出依頼は通常より依頼コストが高額です。それをご了承した上で、救出対象がいるステージを教えてください。ダンジョンにいる場合はこれもお願いします。救出対象の状況も簡潔で良いので説明をお願いします」

 

 総じて救出依頼が高額になるのは、傭兵が必ずしも駆けつけたとしても間に合わない場合もあり、また救出後の護送にもコストが嵩み易いからだ。特に前者はトラブルの原因になりやすく、依頼主が逆恨み、または支払いを拒むパターンが多い。だが、元より救出依頼とは過半が緊急依頼であり、傭兵は装備を厳選し、念入りに情報収集する暇もなく現地に赴くのだ。残酷であるが、『間に合わなかったから支払いません』は通じない。派遣した時点で相応の前金を貰い、救出対象を無事に帰還させた時点で更に後金と傭兵の報告から追加請求する。

 

「先に申し上げておきますが、クゥリさんクラスの傭兵に対する緊急依頼となると、前金のベースは25万コル、ここから内容によって上乗せされていきます」

 

「25万!?」

 

「もう1つ申し上げるならば、クゥリさんは独立傭兵なので『安価』な部類です。専属傭兵になるともう10万は高額かと」

 

 そして、緊急依頼は支払いが行われなければ依頼申請は受理されない。通常の依頼ならば、身分さえしっかりしていれば、サインズは分割払いも認可している。だが、緊急依頼は傭兵に大きなリスクを背負わせる。それに対して依頼主が相応の負担を強いられるのは当然である。

 なお、ヘカテは推奨しないが、不足したコルを賄う方法は『裏』ならば幾らでもある。25万コル程度ならば上位プレイヤーならば捻出できない額ではない。小奇麗な女性プレイヤーならば『一夜の約束』で借用できない事もないだろう。そうでなくとも、犯罪ギルドならば質屋のように、マイホームやレアアイテム……場合によってはプレイヤー自身を担保にして多額のコルの小切手を切ってくれるだろう。

 逆に言えば、前金を支払う『覚悟』もないならば、緊急依頼など出すべきではない。そもそも前金が不足して支払えないのは、大ギルドに明確な支持表明をしておらず、その配下……下部組織になっていない中小ギルドに限られている。何故ならば、大ギルドは下部組織の中小ギルドには相応の見返りを約束しているからだ。無茶振りや酷使は山ほどあり、また自由も束縛されるが、大ギルドの庇護はDBOにおいて絶大だ。

 だが、残念な事にフェアリーダンスは中小ギルドでも特に独立を保っているタイプだ。いずれかの大ギルドと友好関係にあれば話は違ってくるかもしれないが、想起の神殿の地下ダンジョンをフリー公開した実績のせいでむしろ疎まれている。これではフェアリーダンスに支援を申し出る大ギルドは何処にもいないだろう。ヘカテならば、これを機に戦力価値が評価されているフェアリーダンス自体を身売りしてでも仲間を救う判断をするだろうだが、それはギルドリーダーではないレコンでは言質にならない。

 25万コルの反応からしても詰んでいる。ヘカテは冷酷ではあるが、1回は門前払いになるだろうと確信する。あくまで25万コルはベースだ。ここから上乗せされるとなれば、場合によっては前金だけで50万コルを突破しかねなくなる。それをレコンが即金できるとは到底思えない。

 

「……分かりました。払います! 何をしてでも払います!」

 

「了承しました。それでは、改めて救出対象の状況をお答えください」

 

 力強いレコンの眼差しに、ヘカテは少しだけ心が動かされる。甘い判断をして傭兵に負担をかける気は毛頭ないが、クゥリも同席しているならば、彼の了解を得ながらならば、前金の幾らかを後金に回すこともできるだろう。そうなれば依頼申請が受理されるハードルは下がる。

 だが、続いてレコンの口から吐き出された内容を聞いた時、ヘカテはサインズ受付嬢になって初めてとも言うべき程に驚愕する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『本物』のリーファちゃんを取り戻してほしいんです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主に『馬鹿』を見るという意味で、ヘカテは驚き、そして通り越し、羽ペンを折りそうになる。

 この少年はサインズを……いや、傭兵を舐めているのだろうか? 笑顔を取り繕いながらも、ヘカテは普段の仕事時には絶対に崩さないスマイルを破綻させそうになる。だが、プロ意識が怒りを鎮め、ヘカテに冷静な判断を要求する。

 そもそも緊急依頼を持ち込むプレイヤーは平時の精神とは異なるパニック状態が基本だ。彼らの言動は時に曖昧であり、比喩的であり、そして常軌を逸している。故に仲介人が間に入って『翻訳』があれば依頼申請もスムーズにいくのであるが、今回はそうではない。ならば、ヘカテ自身がレコンの真意を汲み取る必要がある。尤も、こうした相手に慣れているはずのヘカテも凍り付くような発言をしたのがレコンであり、この時点で彼女は嫌な予感を募らせていた。

 

「『本物』とは? 具体的に説明をお願いします。サインズは少数の報告ですが、ランダム出現するドッペルゲンガーのネームド【鏡の悪魔】を確認しています。このネームドのように、容姿をコピーするモンスターと対峙し、あなたはリーファさんの姿をしたモンスターから襲撃を受けたのですか?」

 

「違います! リーファちゃんは今もホームで夕食の準備をしています! でも、あれはリーファちゃんじゃない!『本物』じゃないんだ!」

 

「…………」

 

「きっと……きっとリーファちゃんの魂はあの場所で奪われちゃったんだ! サクヤさんも最近変な気がするし……きっと、きっと『あの時』に魂を奪われたんだ! だから、早く『本物』のリーファちゃんを――」

 

「お帰りはあちらです」

 

 必死の形相で、拙くであるが、少なからず以上の感情があるだろう人物の危機を訴えるレコンに、ヘカテは僅かばかりの温情を込めて、笑顔で応接室の出入り口を示す。

 言葉を失うレコンは、パクパクと口を開閉するが、深呼吸を数度挟む。どうやら、最低限に自分の発言が聞き手に到底理解されないものだろうと判断できるだけの思考力は残されていたのだろう。

 ヘカテは壁にもたれるクゥリの、眼帯に覆われていない右目を少しだけ細く、まるでレコンを値踏みするような視線に変化しているのに気づく。どうやら、レコンの話の続きを聞く価値があると考えているようだとヘカテは受け取り、溜め息を飲み込んで、ヒアリングシートを指で撫でた。

 

「レコンさん、もう1度だけお聞きします。『よく考えて』発言をお願いします。救出対象の状況をご説明ください」

 

 ヘカテの声音に込められた最後通告を感じ取ったのだろう。レコンは冷や汗を垂らしながら、自分の潰れそうな程に握られた両手の拳を見つめ、意志を乗せた眼で彼女を射抜く。

 

「2週間前です。フェアリーダンスは僕を除いて<灰玉座の王マスタングの記憶>に行きました。前に、変な虫のモンスターに襲われて知人が行方不明になった場所です。リーファちゃんはDBOに来てからずっと何かを探していたみたいで、色々な事を調べていました。それで、1週間前にリーファちゃんは一人でマスタングの記憶に行こうとしていたんですけど、サクヤさんに見つかって……」

 

「続けてください」

 

 マスタングの記憶は去年の内にクリアされたステージだ。フィールドモンスターはレベル30程度あれば十分に対応できるだろう。レコンのレベルも開示してもらったが、彼はレベル50だ。どうやら奇跡を主に扱う後方支援型のようであるが、遅れは取らないだろうとヘカテは分析した。ならば、フェアリーダンスの平均レベルはレベル50~60の範囲内と考えるのが妥当であり、どう転んでもマスタングの記憶で危機的状況に陥るとは 考え辛い。無論、DBOは単純にレベルだけでは判断できない部分も多く、特に高レベルを想定したステージ程にレベルに絶対的な安全ラインは存在しなくなる。容易く基準レベルが20も低い場所で死ぬ事もある。

 だが、サインズが収集しているフェアリーダンスの情報は、一言で述べるならば『安全重視』である。サクヤは徹底した安全策によるギルドメンバーの生存を重視しており、情報収集に余念がない。彼女自身には大ギルドにノーを突きつけるだけの信念はあるが、ダンジョンでハイリスクハイリターンを選択するような真似はしない。ならば、マスタングの記憶で不手際から危機を招く事は考え難い。

 その一方であり得るのは大ギルドによる嫌がらせが度を過ぎて、不測の事態に陥った場合だ。そうなるとサインズとしても依頼調整に神経を使わねばならなくなる。ヘカテはようやく緊急依頼らしくなってきたと気を引き締める。

 

「真夜中だったけど、かなり言い争いをしたみたいで、リーファちゃんは1人で飛び出していきました。サクヤさん達はすぐに追いかけて、僕と【シャンネ】は居残ったんです。2日経っても誰も帰ってこなくて、何かあったんじゃないかって、メールも返信ないし。でも、3日目にいきなり全員帰ってきたんです。だけど……だけど、リーファちゃんが……何か『違った』んだ」

 

「『違った』とは?」

 

「分かりません。でも、『アレ』はリーファちゃんじゃない。リーファちゃんなんだけどリーファちゃんじゃない。そんなモヤモヤがずっと胸の中にありました。だけど、そんな事あるはずないじゃないですか。だってリーファちゃんは生きている。プレイヤーカーソルだし、HPだってあるし、システムウインドウだって開ける。この世界でプレイヤーとして『生きている』証拠がある! でも、今日……さっき……絶対にリーファちゃんじゃないって確信が持てたんです!」

 

「もう結構です」

 

 いよいよレコンが自身が核心と『思い込む』内容を告げるより先に、ヘカテはヒアリングシートをアイテムストレージに収納し、席を立つ。

 

「レコンさん、我々サインズは遊びで傭兵に依頼を斡旋しているわけではありません。ましてや、依頼内容は緊急性を感じられません。仮にご依頼されるならば、正規の窓口から然るべき手順を踏んで申請をお願いします」

 

「待ってください! 話を聞いてください! 本当なんだ!『アレ』はリーファちゃんだけどリーファちゃんじゃない!『本物』じゃないんだ! このままじゃ手遅れになるんだ!」

 

 半ば泣き叫んでヘカテに詰め寄ったレコンは明らかな恐慌状態であり、ヘカテの腕をつかむ。サインズ本部は安全圏化されており、住人として登録されているヘカテはその恩恵によって攻撃を受けることは無い。だが、獣狩りの夜のような例外も存在し、またDBOの安全圏は比較的『緩い』。故に、HPは減らずとも仮想世界で強化された握力がヘカテの細腕を潰す勢いで解放される。

 ヘカテは受付嬢として最低限のレベルしか確保しておらず、大半のプレイヤーが『壁』としてぶつかるレベル20で止まっている。レコンとは大きなレベル差があるのだ。ましてや、レコンは≪戦槌≫も振るえるアンバサ戦士だ。後方支援型とはいえ、ある程度はSTRに振っている。

 

「それ以上はサインズに対する敵対行動とみなします。今すぐ手を放しなさい!」

 

 震える声で、それでも気丈にヘカテはレコンに警告するも、正常な判断力を失っている彼は聞き入れる様子が無い。

 正気を失う。DBOでは日常的な事だ。常に殺し合いであり、また大ギルドの戦争の機運が高まって同じプレイヤー同士でも疑心暗鬼と派閥競争が拡散している。レコンから狂気に囚われる1歩手前の眼光を感じ取り、ヘカテは危機意識を膨らませる。

 DBOにハラスメントコードのような、プレイヤーを害する行為を咎める機能はない。いかに安全圏で守られているとしても、それはHPと肉体への危害だけであり、それ以外に寛容なのがDBOだ。むしろ、安全圏を最低限設定しているのは茅場の後継者なりのプレイヤーに対する細やかなプレゼントであり、トラップでもあるのだろう。ヘカテは最悪の場合に備えて、腰につけた緊急事態にのみ鳴らす呼び鈴に手をかける。これを鳴らせば、サインズの全職員及び屯する傭兵が駆けつけるはずだ。

 

「はい、ストップ」

 

 涙が零れて救助を呼ぶ1歩前で、ヘカテに詰め寄るレコンの首を凍ったように冷たい刃が触れる。

 そうだった。ヘカテは自分こそが1番冷静さを失っていたと恥じる。この場にはサインズで特例の危険度判定を与えられた傭兵がいるのだ。

 

「女の子には優しく……ね?」

 

 彼の奇怪な武具の1つであり、愛刀として昨今の【渡り鳥】の象徴として扱われている贄姫。その銀色の刀身はレコンに向けられ、刃は首の皮に触れている。安全圏の恩恵が無いレコンの場合、刃が触れた先から赤黒い光が零れている。

 ぞわりと背筋が凍り、精神が貪り尽くされるような、それでいて天使とも見紛うほどの蕩けるような微笑み。クゥリに遊びにも等しい殺気を向けられ、レコンは冷水を浴びたように、そして助けられたはずのヘカテも腰を抜かしそうになる。

 

「【渡り鳥】さん! お願いします! リーファちゃんを助けてください! 知り合いなんでしょう!? きっと、リーファちゃんは助けを求めているんだ!『本物』のリーファちゃんが待っているんだ! だから……だから! 僕に力を貸してください!」

 

 殺気を浴びせられてもなお、レコンは食い下がり、土下座をして【渡り鳥】の足に縋りつく。だが、彼は贄姫を鞘に戻すと無言を貫く。当然だ。サインズが受理していない依頼とはリスクの塊である。サインズ発足以前の傭兵の黎明期、依頼主と傭兵は常にトラブルを抱えていたのだ。最古にして、おそらくはVRゲームが始まって史上初となるだろう、SAOの頃から傭兵業を営む……最初の傭兵と言っても過言ではないクゥリが引き受ける道理などない。

 1分、2分、3分と泣きむせながら、何度も頼み込むレコンだったが、やがて無駄と判断したのだろう。恨めしそうにクゥリを睨む。

 泣きながらレコンは応接間から飛び出していく。たとえ狂人の戯言でも、依頼の受理に関わるならばその恨みはサインズが受けるべきだ。ヘカテは申し訳なさそうにクゥリに頭を下げる。

 

「お手間を取らせました」

 

「良いよ。ヘカテちゃんは何も悪くない。サインズとして仕事をしただけだ」

 

 先程とは違う、同じ微笑みでも、まるで聖女のように慈愛と慈悲しか感じさせないクゥリに、本当に戦闘モードに少しでもスイッチが入ると雰囲気が変わる人だとヘカテは改めて実感する。あの時、レコンがもう少しでもヘカテに詰め寄っていたならば、クゥリは殺さないにしても、レコンの首を貫く程度の真似はしていただろう。

 殺す事に躊躇が無い。その点において、クゥリは他の上位プレイヤー……傭兵たちの追随を許さない。故に大ギルドからヘカテにも閲覧が許されない極秘扱いの……彼女も薄々勘付いていた、およそ尋常とは思えない内容の依頼をこなし続けたのだろう。今でこそ、マネージャー兼オペレーターのグリセルダの方針によって依頼内容は余程の事が無い限りはオープンとする事を定められているが、彼女が現れる以前のクゥリの依頼は全てが秘密に包まれた、まさに真っ黒な依頼だった。

 

「そろそろマダム・リップスワンの護衛依頼の受託期限ですね。わざわざ同席してもらって申し訳ありませんでしたが、そろそろご準備を――」

 

「その件だけど、マダムにはキャンセルの旨を伝えてもらって良いかな?」

 

 慌ててヘカテが護衛依頼の受託処理を行うと受付にクゥリを引っ張ろうとすると、彼は小さく首を横に振って拒絶する。

 まさか、とヘカテは頬を引き攣らせる。穏やかな微笑みであるが、その右目の眼は依然としてレコンを値踏みした時と同じ光を……依頼を受託した後の戦いを前にした冷たさを滲ませている。

 

「あと、連絡するまでオレへの全依頼の凍結をお願いして良い? しばらく休みを取るかもしれない」

 

「もしかして、先程の話を鵜呑みにされたんですか?」

 

 信じられない。どう考えても狂人の妄言だ。とてもではないが、まともな神経の傭兵ならば……いや、人間ならば、わざわざ自分の時間を、それも収入のチャンスを棒に振ってまで関わろうとはしないはずだ。

 ましてや、サインズの傭兵であるクゥリは理解しているはずだ。レコンの依頼は受理されなかった。つまり、彼の手助けをするにしても、事の真相を調べるにしても、どれだけ無駄足でも、仮に『別の何か』があったとしても、クゥリには1コルとして収入はなく、また経費も全額自腹である。大ギルドの援助が無い独立傭兵にとって1度のミスが大赤字を生みかねないのだ。それがタダ働きをするなど、およそ正気の沙汰ではない。

 

「気まぐれだよ。それ以上でもそれ以下でもないさ」

 

 嘘だ。それくらいヘカテにも分かる。伊達にサインズ受付嬢として彼の担当をし続けたわけではない。

 人の命をなんとも思わない殺人鬼。ジェノサイドモンスター。悪鬼羅刹。どす黒い風聞は数知れずとも、【渡り鳥】は言われる程に狂った人物ではないとヘカテは思っている。いや、思いたい。

 色仕掛けに意外と弱く、実際の依頼内容と大きく食い違って割に合わない仕事をしても最低限の追加請求しかせず、そして何よりも……必ず生きて帰る。

 どれだけ困難な依頼でも、たとえ内容が確認できない程に危険と陰謀に満ちた依頼でも、およそ尋常とは思えない戦力を相手にしても、クゥリは帰ってきた。それがヘカテにとって……いや、サインズ受付嬢にとって、どれ程に安心感をもたらすものか、傭兵たちは意外なほどに無頓着だ。

 彼らはある種の破綻者だ。ユージーンにしても、シノンにしても、UNKNOWNにしても……あのグローリーすらも、傭兵という身分にある時点で、ギルドに……組織に馴染めなかった、あるいは属する事を拒絶した異端者たちだ。このデスゲームで固定されたパーティを組まず、ギルドにも入らず、単身で活躍を期待される存在となる。それは憧れ以上に狂気とも思えるほどの精神力が必要だ。

 このDBOで最も死に近いだろう傭兵たちの中でも、クゥリは不思議なほどに生還を信じられる。その理由はヘカテには分からない。

 

「タダ働きはサインズとして推奨しませんよ?」

 

「ちょっと長い散歩をしてくるだけさ。じゃあ、マダムによろしく伝えておいて。あと、グリセルダさんにも言い訳よろしく。帰ったらワンモアタイムで1杯奢るから!」

 

 肩を竦めて笑ったクゥリに無理難題を押し付けられ、ヘカテが反論するよりも先に、まるで逃げるように彼は応接室から去っていく。

 もしかして、自分のマネージャー兼オペレーターの了承を得ずに傭兵業を休むつもりだろうか? タダ働きするつもりだろうか? 考えれば考える程に、面識があるグリセルダ……否! 鬼セルダがあのような狂人の厄介事にプロデュース全開の傭兵が関わる事を認可するとは思えない。全力で以ってクゥリを止めるだろう。

 

「……サインズ受付嬢としては、傭兵から賄賂はもらえないんですよ?」

 

 大仕事になりそうだ。そもそも、グリセルダにどう嘘を並べ立てても誤魔化しきれるとは思えない。ヘカテは魂が抜ける勢いで溜め息を吐き、腰に手をやって呆れたように頷く。

 悪名高いが、どうしても放っておけない。そんな危うい存在感がクゥリにはある。飄々としていると思えば余裕が無かったり、風聞などまるで意に介さないかと思えば通りすがりの赤の他人の嫌味1つで凹んだり、変なところでプライドが高いかと思えば無頓着だったり、とても不思議な人だ。

 

「少し勿体ない事をしたかもしれませんね」

 

 恋心があるわけではない。彼を異性として見ているわけではない。

 彼からアプローチをかけられたことは何度もあった。だが、サインズ受付嬢として、1人の傭兵とみなして接し続けた。いや、それ以上にヘカテとして女の子として20年以上生きた実績がある。彼に『本気』の恋の炎が……異性への情熱があるようには思えなかった。まるでぬいぐるみに『可愛い』と言うような目だった。

 だが、少しでも個人として接していれば、彼の何かが分かったかもしれない。そうすれば、異性として見る機会はなくとも、オフならば友人として語らうぐらいの間柄になれたかもしれない。

 ちょっとだけ羨ましいとヘカテは悔しがる。たまにであるが、クゥリの仕事帰りを待つ黒紫の少女を思い出す。あれは恋する目だ。【渡り鳥】を1人の男として愛している目だ。そして、クゥリの目もまた彼女への深い想い……濃く煮え滾った感情を淀ませている。それはきっと、世界中の女の子が欲してやまない気持ちだ。

 と、そこでヘカテはRDからのメールが着信した事に気づく。開けば、今日の仕事終わりに食事の誘いだ。

 普段はサインズ受付嬢の誇りが邪魔して、傭兵との私的接触は禁じているヘカテであるが、クゥリのせいでセンチメンタルになったのだろう。

 

「気まぐれです。これは気まぐれですよ?」

 

 1度だけだ。そんな気持ちから誘惑に負けてズルズルと嵌まっていくのかもしれない。これではルシアの事を言えたものでは無くなるかもしれない。ヘカテは午後8時で今日は終わりの旨を返信した。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 オレのねーちゃんは嘘や演技を見抜くのが得意だった。それもヤツメ様の導き……本能の発露の形なのかは分からないが、ねーちゃん程に交渉人やビジネスマンに適した人材もいないだろう。ところが、ねーちゃんはその才能を女優業に注ぎ込んだ。他者の演技を見抜けるが故に我が物にすることも容易く、そして感情の裏を看破できるが故に騙し方を熟知している。今では日本どころかアジア……いや、ワールドクラスの人気者だ。

 謀略で人を嵌める糞親父やミュウからすれば、まさに天敵のような存在だ。何せ演技が通じない。常にはらわたを引き摺りだされてしまう。言葉遊びも通じない。

 そんなねーちゃんは良く言っていたが、嘘か真かなど結局は誰にも分からない。そもそも、虚言を吐く本人すらも『自分自身に騙されているかもしれない』らしい。ねーちゃんはその話をする時だけはとても寂しそうな表情をしていた。あれだけの美人だ。きっと男関係で色々あったのだろう。まぁ、ねーちゃんが関わった男は奴隷にされるか親衛隊になるのかファンになるのかのどれかだったけどな! あのねーちゃんを真正面から受け止められる超人とかむしろ見てみたい。じーちゃんすらも結婚相手の選定に苦慮してたみたいだし。

 話は逸れたが、要は嘘だろうと真実だろうと感情の『熱』を見逃すなというのが、ねーちゃんがオレに言いたかった事だ。その『熱』は必ず裏付けとなる理由があるからだ。

 残念ながら、オレの本能は戦闘においてこそ頼りになるが、交渉や賭け事には絶賛でボイコットしてしまう。嫌な予感くらいは発信してくれるが、それ以上はない。だから、オレは感じたレコンの感情の『熱』……リーファちゃんの安否を一心に思う気持ちとオレへの憎悪は本物のように感じ取れたことを信じるべきだと判断した。

 レコンに冷たく接したのは、彼のリーファちゃんに向けた心配の根底には恋心があると思ったからだ。

 サインズ本部から飛び出したレコンは、行き着く先もないように、帰るに帰れないように、終わりつつある街をふらふらと歩いている。あの様子ならば手詰まりだろう。馬鹿な真似はしないはずだ。彼には傭兵を……オレを頼りにするという最低限の自己分析が出来ていた。自分1人では事態を解決できないと判断できる冷静さがあった。ならば、次の手を考え付くまでは動かないはずだ。

 

「なぁ、ギンジ。オレは……間違ったことはしていないよな?」

 

 レコンの肩を叩くことなく、夕闇の向こう側に彼を見送り、オレは思わず死者に問いかけてしまう。祈りも無く、呪いも無く、眠りについたはずの、愛に殉じた男に尋ねてしまう。

 オレに縋りつくレコンに、オレはギンジを重ねたのだ。彼の手を取り、ヘカテちゃんに有無を言わさずに依頼を引き受けなかったのは、ナグナの二の舞になるかもしれないとブレーキを踏んだからだ。

 仮にあの時、オレが彼の依頼を引き受けていたならば、いかなる危険が待ち構えているとしても、レコンはオレの後に続いただろう。

 ならばきっと死ぬ。たとえ脅威に晒されて死なずとも、オレの手で彼を殺してしまう。オレはそういう存在だ。ナグナで嫌という程に再認識した。

 オレ自身が殺したいと思うからこそ、彼に死をもたらす結果を招き寄せてしまう。ギンジの事も殺したいと心の何処かで渇望していたからこそ、彼の愛に殉じる意志に惹かれて殺意を実らせ、そして喰らい尽くしてしまった。

 今のレコンを殺したいとは思わない。これで良い。これで良いんだ。先程の我が身を鑑みぬ彼に対しては好感こそ抱いているが、好意は持っていない。この線引きを崩させない。

 オレが『人』であり続けられる理由。『オレの獲物をオレ以外に殺させない』という理由。まったく、アルトリウスの戦いの中で、我ながら人間として最悪の部類の『人』であり続けるよすがを見つけたものだ。だが、オレの本質に背かぬからこそ、何よりもこの理由は揺れることがなく、吹き消される事が無い業火だ。

 

「頭を切り替えろ」

 

 コンコンと2度ほど額を叩き、完全に訪れた夜空……整備された終わりつつある街にガス灯のような街灯の光が並び始めた風景を視界に収めながら、眼帯に覆われた左目の義眼を撫でる。義眼のお陰で視力は取り戻せているのだが、伸びた有効視界距離とフォーカスロックの強化の分だけ脳の負担が増して疲れる。戦闘以外は基本的に眼帯をつける方針だ。

 情報を整理する。リーファちゃんは2週間前にマスタングの記憶で『何か』を見つけた。そして、その事が原因で単独行動を取ろうとした。それがサクヤにばれて言い争いになった。

 リーファちゃんとサクヤの関係は良好だった。サクヤのギルドリーダーとしての手腕は確かだし、大ギルドから嫌がらせこそ受けていたが、それで済むだけの立ち回りが出来る能力があった。リーダーとしての素質をリーファちゃんは認めていた。逆にサクヤの方は戦士として優れたリーファを評価し、また頼りにもしていた。お互いがお互いに、DBOで生き抜く上で必要な能力をギルド内で補っていた。

 だが、リーファちゃんには隠した目的が……ギルドメンバーにも言えない秘密があった。きっと『アイツ』の目的そのもの……アスナを探している事だ。だが、オレの情報収集の限りではリーファちゃんはアスナの居場所どころか妖精王についての情報も知らなかった。

 

 

 そう……『オレに全てを正直に語った』という前提がなりたてば。

 

 

 そもそも謎が残っていた。リーファちゃんはどうして『アイツ』がDBOにログインしてアスナを取り戻そうとしている事を知っていた? 最初から全部知っていたのではないだろうか? つまり、リーファちゃんはオレが『アイツ』に無関係でログインしていると悟った時点で、オレを巻き込まないようにと配慮したとも好意的に捉えられる。

 あるいは、オレには明かせない理由があった。騙さねばならない理由があった。

 

「秘密には理由がある、か」

 

 リーファちゃんが『アイツ』に接触しようとしないロジックは、彼女自身の防御意識ではなかったのではないだろうか? 秘密には理由がある。それを無理に暴くべきではない。それはリーファちゃん自身が望んだ、自分の秘密の守り方だったのではないだろうか?

 まだ予測の域に過ぎない。仮定に過ぎない。だが、リーファちゃんはレコンの話通りならば、マスタングの記憶で何か手がかりを見つけた。そして、レコン曰くリーファちゃんは『リーファちゃん』ではなくなった。

 結局は彼女に直接面会しなければ話は進まないのだろうが、レコンの話通りならば、彼女は元気に、いつも通りに、オレに接するだろう。そして、十中八九はヘカテちゃんの言う通りのレコンの気狂いというオチに落ち着くだろう。

 何かが引っかかる。これは何だ? これに似た話を何処かで聞いた事がある。それが秘密へと通じる光の糸に思えてならない。

 

「あ、クゥリじゃないか」

 

 と、そこで遭遇したのは我らがラジード君である。先日はシノンの活躍でボス戦で窮地を脱したらしいが、今日は今日とて教会剣として見回り活動中のようである。オレが言えた義理ではないが、疲労で倒れるより前にしっかり休息は取りましょう。

 最近は定期的にであるが、ラジードとはデュエルをして彼の訓練に付き合っている。ハッキリ言って、ラジードの成長には目を見張るものがある。バトル・オブ・アリーナの頃から更に強さが増しているが、最近の立ち回り方にはどうにも以前ほどの勢いがない。良くも悪くも『守り』が濃く出ている。

 まぁ、ラジードも今では少数精鋭とはいえ、部隊を率いる身だ。我が身1つで戦えば良かった昔とは違って、自分が指示を出せなくなれば隊の生存率が大きく下がる。良くも悪くも、自分を大切にする戦い方へとシフトしているのだろう。

 屋台でレモネードを買ってきたラジードは、聖剣騎士団が整備した大通りに設けられた青銅のベンチに腰掛ける。オレは彼の隣でレモネードを受け取り、味のしない、パチパチと炭酸が弾ける無味の液体をストローで飲む。

 味覚はどれだけ時間を費やしても取り戻せない。まだ味覚に対して鈍い程度で済んでいるのは幸いだが、今後はどうなる事やら。

 

「隊長として頑張っているみたいだな」

 

「それって嫌味かい? この前も危うくマダラを死なせそうになって自己嫌悪で随分と落ち込んだよ。やっぱり……いや、分かり切ってたけど、僕って指揮官は向いてないのかな?」

 

 向いてない。そうハッキリ告げても良いのだが、どうせ否定してもラジードは『はい、そうですか』と受け入れるはずもない。これは相談に見せかけた自己の再確認だ。

 

「選んだ道なんだろう? 大丈夫さ。ラジードには人を惹きつける力がある。だったら、たとえ拙くとも、最低限の指示を出せるようになれば、後は部下が臨機応変に従ってくれるさ。それができる人材をわざわざ【雷光】様が選抜してくれたんだろう?」

 

「それ、凄い情けないんだけど……」

 

「今更だろう?」

 

 あの『重い』女が断腸の覚悟で、ラジードの隊に『女』を入れたのだ。【コロネ】という素直で、しかもラジードに心酔しているっぽい女性プレイヤーだ。斧槍使いであり、リーチを取って着実にダメージを与えられる上に、魔法による援護もある程度こなせる魔法戦士型だ。ああいうタイプが1人はパーティにいると心強い。

 ちなみに、ラジード隊でも1番の腕利きはマダラという男なのだが、両手剣使いであり、バトルセンスはかなりのものだ。太陽の狩猟団の正規メンバー入りしたばかりのはずなのに、その実力は並の正規メンバーを凌駕している。ただし、あれは本音を隠すタイプだ。腹の内に何を飼っているのやら。ラジードと馬が合うようには思えないが、彼の……少し以上に天然が入った大らかさならば、存外上手く歯車を合わせられるかもしれない。

 

「なんか、クゥリには人生相談してばかりだね。お兄ちゃんって感じじゃないのに、どうして頼ってしまうのかな?」

 

「オレに頼るのは末期的状況だと気付けていないのは危ういと自覚した方が良い。オレは崖っぷちの愚か者が掴む藁みたいなものだからな?」

 

「溺れる者じゃなくて?」

 

 言うじゃないか。笑い合いながら、オレはラジードとレモネードで乾杯する。

 このレモネードはどんな味がするのだろう。美味しそうに飲む彼の様子からすると、酸味と甘味が上手く絡み合っているに違いない。

 ……『友達』か。指先が疼く。贄姫に視線が自然と向かってしまう。

 ああ、そういえば、最近は『殺し』がご無沙汰だな。随分と溜まっているようだ。早く発散しなければ。奥歯を噛んで、殺意を咀嚼し、飲み込む。『まだ』だ。『まだ』その時ではないと本能を諫める。だが、ヤツメ様がラジードの顎を撫で、その首を抱きしめ、早く斬り落とせとオレに囁いている。

 一息入れる。こんな事ならば、急がず、マダムの依頼を受けておくべきだったか? 上手くいけば襲撃者でも現れてくれたかもしれない。勿体ない事をした。

 

「普段のお礼ってわけじゃないけど、友達なんだし、何か悩みがあったら聞くけど? 特に恋の悩みとか!」

 

「ははは。色ボケも大概にしといた方が身のためだぞ?」

 

 オマエは男性プレイヤー羨望の、DBOでも5本指に入る美女プレイヤーをカノジョにしているんだからな? 背後からブスリと刺されて、ミスティアがオレに報復依頼を出すとか笑えない状況は止めてくれよな?

 だが、ラジードがわざわざこんな事を言い出すのは、リーファちゃんの件で少なからず表情に出てしまっていたからだろう。

 

「相談って言う程じゃない。少し奇妙な『噂』を聞いたんだ。プレイヤーがある日、中身だけが本人そっくりに入れ替わってしまう。そんなオカルトだ」

 

「意外だ。クゥリって怪談が苦手だったんだ」

 

 ラジードは生来の真面目な性格のせいか、オレの話を茶化すことなく、真剣に相槌を打ちながら聞き取り、そして腕を組んで唸る。

 

「本人だけど本人じゃない。確かに怖いね。こうして話しているかもしれないクゥリが、僕が知っているクゥリじゃなくて、クゥリの真似をした……ううん、少し違うか。クゥリだと思い込んでいる『何か』かもしれないなんてさ」

 

「思い込んでいる?」

 

「あれ? そういう怪談じゃないのかい? だって、『本人だけど本人じゃない』んだろう? だったら、偽物とも違うわけだし……」

 

 言われてみればその通りだ。レコンも奇妙な言い方をしていた。リーファちゃんだけどリーファちゃんじゃない。それは無意識の発言だったのかもしれないが、少なからずレコンは『今のリーファちゃん』と『本物』には共通点があり、同一の部位があると認めているわけだ。

 待て。この話は何処かで覚えがある。そうだ。サチだ。本物のサチとオレが知る『サチ』。2人は別人であり、『サチ』はサチに『アイツ』への想いという同一性を見出した。だが、彼女たちは鏡映しのようで、『サチ』の記憶が穴だらけであり、それを埋める偽りで溢れていた。

 

「でも、そういう話は多くあるよ。ほら、DBOって仲間が死んだり、酷い戦いがあったりなんて日常茶飯事だろう? 昨日まで明るかった人が卑屈で暗い人になったり、逆に弱気だった人が活躍して傲慢になったり、なんてよくある話だよ」

 

「そうだよな。だけど……」

 

「うん、クゥリが言いたいのはそういう意味じゃないんだよね? もっと根本的な話。いつの間にか、本人が本人じゃなくなっている」

 

 同意して首肯するオレに、ラジードは腕を組んで唸る。やがて、何か思い出したように、右手の人差し指を立てた。

 

「餅は餅屋。オカルトなんてゴシップネタは専門家に聞くのが1番なんじゃないかな?」

 

 オカルトの専門家といえば……教会か? 確かに教会にはくだらない世間話から貴重な攻略情報の手がかりまで、ありとあらゆる情報が集まり易い。だが、エドガーもおいそれとオレに情報をオープンにはしない。何よりも彼は善意に殉じる男だ。その善意次第では容易く虚言を吐く。つまり、彼から受け取る情報に対してこちらが完全に手持ちのカードが無い場合は真偽を暴けない。

 基本的にエドガーは嘘を吐かないとはいえ、数多ある情報の1つ程度ならばともかく、リーファちゃんの安否に直結するような情報を鵜呑みにできない。

 だからと言って、オレと取引してくれる情報屋から得られる情報などたかが知れている。未だにオレと契約してくれる腕の良い情報屋はいない。グリセルダさんも交渉を進めているのであるが、いずれも契約済みかオレの悪名に巻き込まれるのを恐れてか、拒否の連発らしい。

 

「あ、何か勘違いしているとみたいだけど、神灰教会じゃないからね? このDBOで1番この手のネタを追いかけているのは、言わずと知れた『彼ら』だろう?」

 

「……なるほど。頭痛がしてきた」

 

 正直言って、オレは『彼ら』が大の苦手だ。色々と因縁があるのもそうであるが、最近は約2名の目とか言動に狂気的なものを感じるからである。

 オレの心情がまたも表情に出ていたのか、ラジードは任せろと言うようにグーサインする。あ、なんかコイツがモテている理由が垣間見えた気がする。コイツも『アイツ』と同じで根本はお人好しで、困っている人を見捨てられない主義なのだろう。そして、許容以上の頑張りも見せてしまう。要は母性を擽るタイプなのかもしれない。

 

「実はこの前のボス戦の記事を書きたいらしくてインタビューを申し込まれているんだ。太陽の狩猟団の公式会見以外にも、個々のプレイヤーから話を聞きたいんだって」

 

 そう言ってラジードはフレンドリストからメールを飛ばし、面会の約束を早々と取り付ける。精力的に動いてくれるのはありがたいのだが、いつの間にフレンド登録をする関係になったのだろうか。同じギルドの仲間ならばともかく、安易に女性とフレンド登録するのは止めた方が良いとオレは切に彼に説きたい。『誤解』は手痛い反動を引き起こすものだ。誰とは言わないが、寝ている時に勝手に指を動かされてフレンドリストやメールボックスをチェックされているかもしれないぞ?

 オレが薄ら寒い嫌な予感を募らせる中で、ラジードと共にワンモアタイムに赴く。すっかり空も暮れてしまい、昼間のカフェから夜の酒場に早変わりしたワンモアタイムには、1日を労うプレイヤー達で溢れている。逆にこれから出発する者たちは精気を養う為にメシを貪っている。

 そして、1階の右奥の隅のテーブルにて、ラジードが約束を取り付けた隔週サインズの記者……その中でもオレは面識が無いに等しいキャサリンが待っていた。彼女はオレ達の姿を発見すると席を立って軽く会釈する。

 

「この度はインタビューに応じていただきありがとうございます」

 

「いやいや、いつもの事だし、そんなに畏まられても困るかな。今日はダンベルラバーさんは一緒じゃないの?」

 

「ダンベルちゃんは【渡り鳥】さんが同席するって聞いたらお尻を押さえながら逃亡しちゃって。何があったんだろう?」

 

 本当に何があったのだろうか? オレの名前を聞いたら便意でも催したのか? だが、DBOではトイレに行く必要が無いし、そうなるとオレの名前で本来あるはずがない便意を錯覚したのだろうか? 最低過ぎて、これ以上は考えるのは止そう。ゴミとか屑とかは言われてなれているが、排便と同列扱いとかさすがに凹みそうだ。

 インタビュー前の雑談をするラジードとキャサリンは相応に信頼関係があるようだ。どうやらインタビューをしたのは1度や2度では無さそうである。彼女もあの写真狂や発狂女とは違ってまともそうだ。まさか隔週サインズにここまで普通の記者がいたとは驚きだ。しかも隠れ巨乳と見た。これはポイントが高いな。

 

「えと、ところで【渡り鳥】さんはどうして同席を? ケランデ戦に参加してませんよね?」

 

 おずおずと言った調子で、若干引き気味にキャサリンは問う。どうやら、あの2人に比べれば、オレに対して距離を取って置きたいらしい。

 

「ほら、隔週サインズは夏のホラー特集する予定なんだろう? 僕もキャサリンに協力したいと思って、クゥリがちょっと怖い怪談を知ってたから無理言って同席してもらったんだ」

 

 嘘も方便か。ラジードもどちらかと言えば虚言が苦手なタイプであるが、アイス珈琲を飲みながら喋る事で、やや棒読みっぽい発言を上手く誤魔化すことができた。確かに、キャサリンは記者であり、情報屋ではない。素直に聞いても記事にするネタを明かすはずがない。

 だが、こちらが情報提供者という名目を使えば、そこからの会話で情報を引き抜けるかもしれない。悪くない作戦だ。

 ラジード……恐ろしい子! いつの間にそんなAランクの話術スキルを獲得していたといたの!? 間違いない。ギルド生活の中で成長している! 現在進行形でパワーアップしているんだ!

 ……よくよく考えずとも、ラジードは元からコミュ力がある人間ではないか。まったく、胸の内でオール自分でボケからツッコミまで入れないといけないとは。

 

「嬉しい! やっぱりエネエナやブギーマンには1歩及ばないから、いつも特集記事を逃しているんだよね。私もいつかダンベルちゃん抜きで、1人で特集をモノにするの!」

 

 拳を握るキャサリンのやる気スイッチは入ったようである。ラジードはオレの代弁をして、先程の話を聞かせる。突拍子もない話であるが、だからこそ怪談としては聞く価値もあるだろう。理解し難く、恐怖心を煽るには丁度良い。

 

「こんな話なんだけど、どう?」

 

「う~ん、不気味な話で良い感じかも」

 

 ラジードが多少の脚色を施したお陰か、怪談チックに改良されたオレの話に、キャサリンは満足したように頷く。さて、このままラジード任せにするわけにもいかない。オレは味のしないハーブティをテーブルに置き、彼女の警戒心を解く最大限の努力をして笑む。

 

「珍しい話ではないと思いますが、お気に召しましたか?」

 

「そうですね。ちょっと物足りないけど、そこはストーリーを作って、あとは他の怪談を上手く絡ませればいけるかもしれない。オリジナリティよりも共感性できるか否か。個人的には怪談って独特性よりも、自分が見知っているものに異物が混ざっているくらいが恐怖心を煽ると思うんだよね。その点では、この話は『チェンジリング』だし、古典そのものだから丁度良いかも」

 

 チェンジリング? オレとラジードが顔を見合わせていると、キャサリンは残り2割ほどとなったアイスコーヒーをストローで混ぜた。

 

「イギリス……ううん、ヨーロッパで昔からあるお伽噺の1つですよ。妖精が子どもをさらって、妖精の子どもと入れ替える。ストーリーには幾つかのタイプがありますけどね。さらった子どもを食べてしまうとか、同じ妖精にしてしまうとか、女の子だとお嫁さんにされてしまうとか」

 

 何気なく語るキャサリンの意図はちょっとした知識の披露だったのだろう。だが、オレにとっては大収穫である。

 表情に出さないように努めながら、オレは小さく頷く。ここで彼女の口を閉ざさせては駄目だ。ラジードが折角作ってくれたチャンスである。活かさないわけにはいかない。

 

「ですが、恐ろしいですね。知人友人がいつの間にか入れ替えられている。キャサリンさんは何かそのようなお話を聞かれた事はありませんか?」

 

「う~ん、あると言えばあるような。無いと言えば無いような」

 

「あ、僕も気になるな」

 

 口ごもるキャサリンに、即座に簡素であるが、それ故に効果的な『好奇心』という援護をラジードは行う。

 

「ホラーじゃないけど、恋人の様子が変わったり、パーティの連携に齟齬が出たり、仲間が何か前と違うって感じるプレイヤーが最近増えてるみたいで。恋心は山の天気と同じだし、ちょっとした不調で連携も崩れるだろうから気にする事じゃないんだろうけど。それに、こう情勢が不安定だとどうしても……」

 

 大ギルドの正規メンバーであるラジードを前にして、戦争の話をしたくはないのだろう。キャサリンはそこで話を切る。

 

「ごめん。あまり力になれなかったみたいで」

 

「別に良いさ。ラジードもあまり気にするな。これはホラー。ちょっとした怪談。それ以上の価値はない」

 

 肩を竦めて、これからキャサリンとのインタビューを控えるラジードとワンモアタイムの玄関で別れる。上手く茶化せただろう。ラジードも無理してこの『怪談』を追うような真似はしないだろうし、大ギルドで隊を率いる彼にはそんな余裕はないはずだ。

 すっかり夜も深まった終わりつつある街を歩きながら、オレは収集できた情報を纏める。

 まず、レコンが感じたような違和感を覚えているプレイヤーは複数存在する。だが、それは噂にもならない、隔週サインズが『痴話喧嘩』程度のネタとして集めているに留まっている。あるいは、既に事態を把握した大ギルドが隠蔽工作を行っている? いや、考え過ぎか。ラジードは全くの無知にも思えた。以前ならばともかく、少数精鋭部隊を率いるギルドのエースに何ら警告がないはずもない。

 ならば、大ギルド全体の認識ではなく、特定の大ギルド……この場合は聖剣騎士団かクラウドアース、あるいはその両方だけが情報として独占している?

 両方はあり得ない。ミュウはいけ好かないが、あの女はクラウドアースにこそ及ばないが、独自の情報網で常に最新情報を得ている。それらを分析し、常に太陽の狩猟団の利益になるように立ち回っているのだ。些細な、噂にならないレベルの話でも、彼女が耳にすれば、必ずオレが得たような違和感を覚えるはずだ。

 逆転の発想。すでにミュウは事態を把握しており、裏で太陽の狩猟団の利益になるように動いている。これも無いな。幾らあの女でも、不特定にプレイヤーが『入れ替わる』なんて大問題を見逃すはずがない。

 ならばクラウドアース? セサルならばやりかねないとも思う。だが、中身が『入れ替わる』なんて突拍子もない事象を、いくら彼でも情報隠蔽できるとは思えない。プレイヤーカーソルが変化するわけでもない。まさに個人が感じる『ズレ』が物を言うからだ。

 そう、結局は個人の認識に過ぎない。ならば、オレ自身の目で確かめねばならない。リーファちゃんと最後に会ったのは2週間前だ。

 フェアリーダンスがあるカリヴァーナの記憶に転送し、オレは彼らのギルドホームへと足を運ぶ。アポイントを取っても良いのだが、レコンの話の通りだとすると、もしかしたら全員がチェンジリングの被害に遭っている危険性もある。さすがにいきなり襲い掛かる真似はしないだろうが、念には念を入れる。

 夕食時なのだろう。≪気配遮断≫を発動して窓から覗き込めば、どうする事も出来ずに戻る以外の選択肢が無かったレコンを含めて、ギルドのメンバー全員で楽しげに談笑しながら夕食を囲んでいる。

 それはごく普通の、ありふれた食事の風景だ。何ら違和感はない。彼らは今日まで生き延びるまでに培った信頼関係がある。メンバー仲も悪くない。

 なのに、この気持ち悪さは何だ? まるで与えられた『役』を淡々とこなしているNPCのようだ。『命』をまるで感じない。

 リーファちゃんとサクヤ。あの2人から『命』を感じない。

 

「はは……笑えるな」

 

 どういうつもりだ? 茅場の後継者はサチの件を考えれば、『アイツ』を殺す為ならば外道な手段にも訴えるだろう事は疑いようもない。だが、その一方で後継者には絶対的な線引きもまた存在していた。すなわち、GMとしての矜持であり、この仮想世界……DBOのルールだ。

 これはプレイヤーと後継者の殺し合い。つまり、中身を『入れ替える』なんて管理者としての特権で無理矢理勝負を決めるような真似をあの狂人は容認しない。そんな真似をするくらいならば、デスゲーム初日にレベル100級の不死属性モンスターの大軍で大虐殺を行っている。

 陰謀でプレイヤーを嵌めることはあるだろう。戦争を煽る真似もするだろう。死者どころか来歴不明のプレイヤーを増やす真似もするだろう。だが、彼は参加者に悪意を持って回避不能な敗北を押し付ける真似は絶対にしない。彼が好むのは……いや、欲しているのは『勝ち目があるのに負けて死ぬ』という結末だからだ。最初から絶対に勝敗を覆しようのないルールを敷かない。

 そう、あの外道の極みだったクリスマスダンジョンでさえ……サチが死ぬという回避できない結末を綴った聖夜さえ、茅場の後継者は『プレイヤーには』生存の道を残していた。ボスも、ダンジョンも、物語も、何もかも狂えるものではあってもだ。それは後継者が他でもない『茅場の後継者』と名乗るに値する資格なのだろう。

 

「何が起こっている?」

 

 廃聖堂は地下9層が突破され、間もなく妖精の国にプレイヤーは到達できる。つまり、『アイツ』の考えがどうであれ、いよいよ茅場の後継者が準備したアスナを巡る……『アイツ』を確実に殺す為の戦場への道が開かれるのだ。

 サチのクリスマスダンジョンとは違い、茅場の後継者は特定の人物を狙い撃ちにするのではなく、誰でも訪れることができるステージとして妖精の国を作り上げた。それは後継者の絶対的な自信のはずだ。あるいは、そうせねばならない理由があった。

 茅場の後継者の食客……それが妖精王。いかなる人物かは知らないが、妖精王に謁見を果たせば、死者復活の謎が分かるはずだ。そして、同じく妖精王はアスナにも深く関与しているはずである。

 考えろ。考えろ考えろ考えろ! レコンの言う通り、これは時間が無い、切羽詰まった状況なのかもしれない。一刻も早く行動に移さねばならない!

 フェアリーダンスのギルドホームから離れ、オレは額を押さえながら、この状況の打破……リーファちゃんの救出方法について思考を巡らせる。

 妖精の国によるチェンジリング。ならば、本物のリーファちゃんは妖精の国にいるのか? そもそも、拉致した理由は? リーファちゃんだけならば『アイツ』がなかなか来ない事に業を煮やした茅場の後継者の感情的な凶行ともギリギリ納得できない事も無い。だが、少なくともサクヤを含めた、『アイツ』とは無関係のプレイヤーもチェンジリングの被害に遭っていると想定するべきだ。

 そもそも、オレが彼らの『命』を感じ取ることが出来るとしても、他者にはどうやっても伝える事が出来ない、オレ自身の本能と狩人の感覚だ。レコンのように強く違和感を覚えることはできる人物はいても、プレイヤーカーソルもあり、システムウインドウを開くこともでき、食事の合間で笑い合い、苦楽を共にして戦いを生き抜き、明日を誓える者たちを『命』が無いからと割り切れるのか?

 それを言えば『命』とは何を以って定義する? 今も増加している素性の知れないプレイヤー達。蘇った死者。彼らを生と死……『命』の線引きにするものは何だ? 感情か? 自意識か? 魂か?

 下手をせずとも、DBOの崩壊の危機だ。チェンジリングの被害が拡大していけば、茅場の後継者の望んだプレイヤーと彼との殺し合いは成立しなくなる。そうでなくとも、リーファちゃんはオレの目から見ても有力なプレイヤーだ。大ギルドに所属していれば、間違いなくトッププレイヤーとして名を馳せていただろう。そんな人材をチェンジリングで始末するのか? 馬鹿を言うな。そんな真似をするくらいならば、茅場の後継者はNのように死神部隊を派遣して力で潰しにかかるはずだ。

 

「妖精王と茅場の後継者……2人の目的は違う?」

 

 だから、これは自然な帰結。妖精の国に『食客』として妖精王の地位を与えられた人物。茅場の後継者の協力者と無意識に判断していたが、もしも後継者の意に反する行動を取れるならば? そもそも、どうしてアスナを妖精王に任せる? アスナは確実に『アイツ』を釣れる最上の餌だ。他の誰かに関与させることもなく、クリスマスダンジョンの時と同じように全力で以って迎え撃てる魔窟を準備するはずだ。茅場の後継者ならば必ずそうする。

 

 

 

 

 

 

 

「正解です、P10042」

 

 

 

 

 

 

 パチパチ、と乾いた拍手が鳴り響く。

 それはいつの間にか、オレの進行方向を塞ぐ1人の少女より送られた賛美。白いゴスロリの衣服を身にまとう、話をしたことはないが、バトル・オブ・アリーナに参加していた素性不明の美少女だ。

 贄姫に手をかけようとするオレだが、少女からは殺気がまるで感じられない。敵意も戦意もない。やや感情の起伏が乏しくも思える眼に、オレはクリスマスに出会ったアルシュナを重ねる。

 

「……AIか?」

 

「アンビエントに回答する権限はありません。アンビエントはセカンドマスターの命により、あなたに『コレ』を渡す為に参りました」

 

 そう言ってアンビエント……アリーナではリリウムと名乗っていた少女が取り出したのは、このDBOではまず見かけることができないはずの、現実世界では有り触れた通信手段。現実ではビジネス用や年配用以外ではほぼ絶滅した厚めの折り畳み式携帯電話だ。

 不用意に近づいたアンビエントからモスグリーン色の携帯電話を受け取り、オレは彼女の無言の指示で鳴り響いたそれに出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やぁ、元気にしているかな? いつもボクの邪魔ばかりしてくれる、憎たらしいイレギュラー君』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳に押し当てた携帯電話から聞こえたのは、間違いなく、デスゲームが始まった日、DBOの真なる開幕式にしてチュートリアルを行った茅場の後継者だった。

 

「死ね」

 

『単刀直入過ぎて困惑しちゃうじゃないか。ボクとキミの間柄だろう? もっとフレンドリーに行こうじゃないか』

 

「知らないな。オレはアナタに敬意を払う気はない。それとも何か? 誕生日のパーティに招きたいならそう言えよ。その鼻っ面に拳をぶち込むプレゼントをお見舞いしてやる」

 

『言うじゃないか。で・も・ね、いけ好かないのはお互い様さ。クリスマスダンジョン、Nくん、ナグナ、それと逆恨みだけどレギオンの暴走。ボクは「人の持つ意思の力」を否定したいのに、それを持たないキミがボクの計画を破綻させていく。大人しく死んでくれると助かるんだけどねぇ』

 

 知るか。オレは巻き込まれている側であって、茅場の後継者の意図など知らない。携帯電話を握り潰してやりたいが、破壊不能オブジェクトなのか、握力を強めても紫色のエフェクトで防がれるばかりだ。

 オレと茅場の後継者の言葉の応酬を見守るアンビエントに導かれ、人気が無い暗がりで、改めてオレは精神に落ち着きを訴えながら、通話を再開する。

 

「どういうつもりだ? これはルール違反じゃないのか?」

 

 茅場の後継者からプレイヤーに接触することは十分にあり得る。オレはそう踏んでいる。戦争を煽る為ならば、プレイヤーに扮してあの手この手で介入してくることもあり得ると考えている。だが、自ら名乗り、堂々と……とは少し違うが、こうまでダイレクトコンタクトを図るとは完全に想定外だった。

 

『キミは誰よりもボクに理解があるプレイヤーの1人だと見込んでの事さ。「誰が情報を明かしたのか」はこの際だから不問しておくよ。都合が良いよね? ボクにとっても、キミにとっても、誰にとっても……ね♪』

 

 コイツ……! アルシュナの命懸けの情報漏洩に最初から気づいていたのか!? ぞわりと、オレは電話先にいるだろう、デスゲームを始めた男の底知れなさに薄ら寒さを覚える。舐めていた。仮想世界の王様を気取る狂人かと思っていたが、そもそもSAO事件以来デスゲームの再来が無いように神経を尖がらせていた世界で……その中でも最たる日本でデスゲームの開幕を成し遂げた男だ。

 

『さて、キミの推理を聞かせてもらいたいなぁ。ボク達は何も相手の思考の全てを読めるわけじゃないんだ。MHCPは特化されているけど、睡眠状態のように脳が無防備じゃないと思考のモニターは難しいんだ。その点で言えば、キミはとてもやり辛い。なにせ、ほとんど眠らない。まさしく「脳を休ませている」だけだ。いやはや、キミって人間止めたいのかい? 大歓迎だよ☆ さぁ、一緒に滅茶苦茶にしようじゃないか♪ キミならいつでも死神部隊に――』

 

「切って良いか?」

 

『アハハ! 残☆念! この通話はキミからじゃ切れな――あ、捨てないで! ぐりぐり踏み躙るな、馬鹿ぁ!』

 

 携帯電話を手から落として足で念入りに踏みつけていると、音声が大きくなる。このまま大声で喋られて人寄せされても困る。足を外すとアンビエントが丁寧に汚れを手で払い、無表情でオレに差し出す。心なしか、その目には怒りが滲んでいるような気がした。後継者のお人形さんじゃないってわけか。

 クールになれ。確かにコイツには言いたいことが山ほどある。このDBOでどれだけ人間が死んだと思っている? ましてや、死の眠りについていたはずのサチや月夜の黒猫団、クラディールなどの最期は……今も死者として抗えない未来を待つエドガーやディアベルの事を考えれば、たとえ今から強制ラスボス戦でも後継者に宣戦布告したい気持ちがある。

 だが、わざわざ後継者が接触してきた理由は必ずこの妖精の国に関わる案件のはずだ。そして、このタイミングの良さは間違いなく、後継者はオレ個人を監視していた。オレが事態に気づくのを待っていた。

 

『キミは本当にボクを困らせるのが好きだねぇ。この演出の為にボクが3日間もプランを練ったというのに』

 

「まずハッキリさせておきたい事がある。オレはアナタの事が大嫌いだ。その一方で、1つだけ信じている点がある。アナタはプレイヤーに対して平等にチャンスを与える。生きるも死ぬも本人次第。あらゆる罠や脅威を前にしてどう抗うのか。アナタが欲しているのは、オレ達が絶望に屈して泣き叫びながら死ぬ事だ。力及ばずに無様な死にざまを晒す事だ」

 

『続けて続けて。褒められるのは大好きなんだ』

 

「逆に言えば、アナタは絶対にオレ達プレイヤーに『理不尽に思える死』は与えても『不可避の死』はもたらさない。最初の1人……これがデスゲームだと思わせる為の『演出』。あれも仕込みなんだろう?」

 

 ずっと疑問に思っていた。茅場の後継者はデスゲーム初日に、自分に反抗したプレイヤーを公開処刑する事で、プレイヤー全員にデスゲームに本気で挑む心構えをさせた。だが、茅場の後継者の性格は……このDBOを攻略すればするほどに、あのような『自分に反抗する人物は即殺』するような人物に思えなかった。

 

『ああ、彼は本物のプレイヤーだよ? ただ、少し事情が違うんだよねぇ。いわゆる借金を抱えていた愚かな債務者さ。首も回らず、臓器を売り捌かれるのを待つだけの『商品』。だから有効利用したのさ。死者を使っても良いんだけど、現実世界の皆様にも警告する意味で死体が必要だったんだよねぇ』

 

「随分と手間がかかる真似を」

 

 てっきりAIか死者による仕込みかとも思えば、まさか本物の生きた人間でデモンストレーションしたのか? ストーリーを作ってSAO事件との相違点を説明しながらデスゲームをハッキリと意識させる為の『演出』とはいえ、やり過ぎな気がする。まぁ、金の重みは命の重み。借金でどうせ死ぬはずだった人間なので興味はないが。

 溜め息を吐くオレに、何故か楽しそうに茅場の後継者が電話先で喉を鳴らして笑う。まるでオレの内心を読み取ったかのようだ。

 

「前々から思っていたが、アナタは演出好きだろう?」

 

 2回戦もそうであるが、アルトリウス戦のシフのように、茅場の後継者は外道であるように思えて、どうにも単なる腐れ野郎ではない事は勘付いている。コイツには人並みの美的センスがあり、感受性があり、理解力がある。そうでもなければ、たとえ『命』を持ったAI同士の友情とはいえ、それを認可する形でアルトリウスの復活など許すものか。

 茅場の後継者は子どもだ。無垢なる悪意を振りまく災厄のような存在だ。だからこそ、彼はアルトリウスとシフの友情のように認めるべきものは認める。そして『アイツ』を否定したいから全力を尽くす。

 

『さて、茶番はこれくらいで良いかな? ボクはね、「傭兵」であるキミに依頼をしたいんだ』

 

「依頼内容と報酬は?」

 

『おや、即決かい? 1日くらい猶予を与えても良いんだよ?』

 

「悩んでも無駄だ」

 

 どうせ後継者が接触してきた時点でオレが断れない土壌が出来上がっているはずだ。ならば、諦めて報酬面で譲歩を引き出すしかない。いや、引き出せれば特上だろう。

 

『妖精王を殺して欲しい。報酬は女王ティターニア……キミに分かり易く言えば【閃光】に至る為の鍵でどうかな?』

 

「……鍵?」

 

『妖精王オベイロンは文字通り「絶対に」自分の居城に入り込めない仕掛けを施している。まぁ、「人の持つ意思の力」ならば、あるいは解除も可能だろうし、他にも方法はあるかもしれない。だけど、キミはイレギュラー値が低い……これはボクの推測だけど、キミの特異なフラクトライト構造が――』

 

「要約しろ」

 

『その仕掛けを解除する鍵をあげるって言ってるのさ。キミが絶対に突破できない最後の難関を解除する方法をあげよう。【閃光】を拉致するも良し。殺すも良し。【黒の剣士】に会わせるのも良し。ボクはオベイロンを殺してもらえればそれで良い』

 

 増々意図が分からない。今度は別の意味で携帯電話を潰しそうになるほどに、手に力が籠る。

 茅場の後継者は並々ならぬ情熱で『アイツ』を殺す為にアスナという餌を準備したはずだ。そして、その役目を担っていたのは少なからず妖精王オベイロンなのだろう。だが、その妖精王をオレに殺せとはどういう事だ? ましてや、わざわざアスナを助ける手伝いを『報酬』として渡すのは不気味過ぎる。

 頭脳戦で茅場の後継者を上回れると思う程に驕っていない。だが、それでも茅場の後継者が何を考えているのか、まるで読み取ることができない。

 

『分からない? 分からないのかい? 分からないよねぇ! アハハハハハ! それで良いのさ。キミには不都合な事は何もないだろう? このまま挑んでいれば絶対に達成できなかっただろう【閃光】の救出が出来るんだ。【黒の剣士】を助けられるんだ。何を困惑する必要があるんだい?』

 

「この状況自体だ」

 

『そりゃそうだよねぇ』

 

 ケタケタ笑う茅場の後継者は本当に人の心をおちょくるのに長けている喋り方で、ねっとりと、だが確かな怒りを感じさせる声音を迸らせる。

 間違いなく、茅場の後継者は本気で妖精王を殺しにかかっている。それの意志の結実がオレに対する依頼そのものだ。

 全ては読み切れていない。だが、ここで茅場の後継者の依頼を弾いても意味はない。どうせ罠で溢れているのだ。ならば、毒を食らわば皿まで。虎穴に入らずんば虎子を得ず。ハイリスクでハイリターンを得るとしよう。

 

「依頼を受託した。だが、報酬には色を付けてもらう。そもそも、妖精王に至る為の鍵が報酬なら依頼の「妖精王の殺害」が破綻するだろう?」

 

『……キミは交渉能力が無いと聞いていたんだけどなぁ』

 

「何処かのゴミュウさんに鍛えられているんだ。あまり舐めるなよ?」

 

『OKOK! ボクも譲歩しよう。キミのお願いを1つだけ聞くというのはどうだい? もちろん内容は応相談だけど、ボクなりに限りなく力を貸そうじゃないか!』

 

 太っ腹だな。まぁ、茅場の後継者はこれまでの傾向からも分かるように、困難を達成した者には、報酬に糸目をつけない。そうでもなければ、クリスマスレギオンを倒した報酬で、あれだけのレアアイテムとソウルを渡すような真似はしないだろう。

 妖精王を殺す。それが茅場の後継者からのオーダーであり、アスナを救出する為に達成せねばならない事柄であり、『アイツ』の悲劇を回避する為の手段だ。

 

「依頼を受けたんだ。幾つか確認したいことがある。それに応える義務がアナタにはある。まず1つ目、リーファちゃんは……直葉ちゃんは無事か?」

 

 予定は大幅に狂ったが、妖精の国に乗り込めるならば悪くない。もとより1度入り込めばクリアするまで戻れないと言われていたステージだ。やるべき事も茅場の後継者の言う通り大差ない。

 

『それは分からないなぁ。無事かもしれないし、死んでるかもしれない。でも、妖精の国にはいるよ。これは間違いない』

 

 はぐらかすか。あるいは、本当に分からないのか? 苛立ちを飲み込みながら、オレはリーファちゃんが無事という前提で動く事を決める。

 

「2つ目。妖精の国に関する情報をくれ」

 

『妖精王オベイロンが支配する国。元々はボクがALOのデータを基盤にして設計し、妖精王に管理を任せていたものさ。今はどうなっている事やらねぇ』

 

 またもはぐらかす。違う。やはり、茅場の後継者は本当に知らないのか?

 

「了解した。いつも通りのぶっつけ本番か。依頼主としては最低クラスだな。今から準備するから、終わり次第オレを妖精の国に転送しろ」

 

『あ、それは無☆理! キミには正規の手段で妖精の国に侵入してもらわないとね! 妖精王の目を誤魔化さないといけないからねぇ。あの男でも、ボクが露骨に関与したとなれば、対策くらいは取ってくるだろうし。キミにはあくまで1人のプレイヤーとして立ち回って、1人のプレイヤーとして妖精王を殺してもらわないといけない』

 

「……キレて良いか?」

 

『お好きにどうぞ。でも、キミは1度引き受けた依頼を放棄したりしない。ああ、だけどこのままじゃあんまりだろう? だから、ボクなりに協力者は準備したよ。「彼ら」は彼らで目的があるみたいだけど、そこはボクの関与すべき点じゃない。昔馴染みなんだ。きっと上手くやれるさ。じゃあ、健闘を祈るよ。願わくば、妖精王を殺した後に死んでくれ』

 

 一方的に通話は切れると、携帯電話は輝き、1つの宝石に変化する。それは虹色の5センチほどのクリスタルを金細工で覆ったものだ。クリスタルの中には1体の小さな妖精の白骨が封じ込められている。

 アイテム名は【妖精封じの琥珀】。アイテム欄に説明はないが、これこそが茅場の後継者が言うところの鍵なのだろう。

 

「アンビエントも仕事に戻ります。セカンドマスターのご期待を裏切るわけにはいきません」

 

 丁寧に頭を下げたアンビエントの目には僅かな憂いが揺らいでいた。オレは彼女に何かを語り掛けようとするも、それよりも先にアンビエントは純白の光に包まれて消える。

 オレの知らない場所で何が起きている。それだけはハッキリと認識できる。アンビエントの最後の一礼は……まるで願いを託しているようだった。

 

「そもそも協力者って誰だ? 茅場の後継者が準備できるプレイヤーなんて――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、【渡り鳥】。王殺しだ。滾るな。だろう?」

 

「……よろしく頼む」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつてSAOで最悪のギルド……ラフィンコフィンを率いた男。

 オレが殺した最も危険なプレイヤーの1人。

 オレの本質を、きっとオレよりも先に見抜いた者。

 

 

 そして、もう1人はまたオレに因縁を持つ者。

 その顔を覆うのは獣の頭蓋を思わす兜。全身に纏うのは密着性の高い和風の軽量鎧。

 シャルルの森で暗躍し、姿を暗ませた、オレに復讐心を持つ者。

 

 

 PoHとザクロ。考え得る中で、最もあり得ないチームが今まさに結成され、オレは思わず顔面を右手で覆った。




チーム『茅場の後継者の愉快な仲間たち+1』爆誕。

……一体いつから、筆者が序盤からフルスロットルしないと錯覚していた?

今回のエピソードはシャルル編が可愛く思えるくらいのジェットコースターエピソードでお送りします。

それでは237話でまた会いましょう。

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