SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

239 / 356
・前回のあらすじ

レコンが核融合を起こして戦力が集結した。





Episode18-05 スローネの塔

 城砦跡地らしき、錆び付いた大砲が放置された城壁にて、オレ達は奇襲をかけてきた骸骨騎士たちの駆逐を終えると一息を吐いていた。

 地道に不動エリアを移動する。それの繰り返しであるが、相変わらすモンスターの奇襲は避けられない。むしろ頻度を増しており、消耗を押さえる為の戦いは必然と消極的な手法に限られ、長期戦になり易い。

 特にザクロのメインウェポンはカタナであり、オレのように咄嗟にアビス・イーターのような両手剣に切り替えは出来ない。暗器の鎖鎌を織り交ぜ、呪術による補助を加えているとはいえ、元より攻略型ではないザクロにスローネ平原の道中は想像以上に堪えるものがあるようだ。

 逆にPoHの変形曲剣はどちらかと言えば≪戦斧≫に近しいのか、消耗を気にすることなく、大曲剣モードも併用しながら次々とモンスターをなぎ倒していく。だが、ショットガンに関しては銃弾の温存の為か、チャンスの場面でも敢えて使用しない事が多いようだ。

 

「もう間もなくスローネの塔がある最終エリアだ。作戦を確認するぜ」

 

 城砦跡といっても屋根も無く、せいぜいが城壁と地下倉庫くらいしか残っていない、野草が生えた廃墟である。辛うじて屋根と呼べるかどうかも怪しい、元々は兵の武器庫だったのだろう名残がある場所で、今にも腐って崩れ落ちそうな樽の上にPoHがわざわざマップデータから抽出して手書きした地図を広げる。

 それはマップデータでは確認できない、PoH自身が図面として起こしたスローネの塔の周辺マップだ。事前情報の通り、遮蔽物はほぼ無し。緩やかな丘が幾つかあるが、PoHが推定するスローネの塔の高さ、その頂上からの狙撃と想定した場合、360度全方位が等しく身を隠す場所が無い平面に等しい。

 

「狙撃インターバルは約5秒。直線で突っ切れば、クゥリの足なら狙撃範囲外まで360秒で侵入できるだろうさ。だが、大矢は直撃以外にも地面に命中すれば範囲攻撃の衝撃波がある。ダメージは低いが、スタン蓄積は相当なものだ」

 

「オレの軽装なら、衝撃波だけでもスタンして、そこに狙撃されれば即殺か」

 

 5秒間隔で、フルで狙撃に回された仮定した場合、オレが狙撃されないスローネの塔まで到達するのに必要な360秒までの狙撃回数は72回か。また、360秒とは何ら障害ない直線距離の走破を前提としたPoHの概算であり、当然のようにスローネの塔周辺ではモンスターが出没する。有効視界距離が制限された状態での度重なる奇襲を掻い潜りながらスローネの塔まで接近するのはほぼ絶望的だ。

 対スピリット・オブ・マザーウィルに備えたプランを代用すれば突破できない事も無さそうであるが、実行する為の準備はない。

 いつ飛来するかも分からない高威力の大矢を回避し続け、最短360秒でスローネの塔に到達し、なおかつ場合によっては狙撃手を単身で抑える、ないし撃破する。いつも通りの無茶振りであるが、傭兵業も長ければ手慣れた仕事の1つのようにも感じられるのはオレの基準が麻痺してしまっているからだろう。

 

「さすがに厳し過ぎないか? まだ時間はある。別ルートを探すのも手だと思うけど?」

 

 小刀に修理の光粉を使って耐久度を回復させていたザクロは、改めてプランを吟味して難色を示す。オレの生命の安否ではなく、オレが失敗した場合に備えておきたいのだろう。

 PoHは一考するように顎を撫で、やがて不気味に口元を歪めて首を横に振る。

 

「これ以外に無いさ。妖精の国に行く為の試練だ。むしろ、これくらいでも生温いくらいだ」

 

 その通りだ。廃聖堂では地下10層まで、合計10体のネームドを撃破しなければならない難関が待ち構えていた。ならば、スローネの塔の難度も廃聖堂と比較したならば丁度良いと言えない事も無い。

 本来ならば全方位から囲むようにして、犠牲を覚悟しながら被害を最大限に抑え、スローネの塔に接近するのが正攻法だろう。今回はオレが単身で突破して狙撃手を抑え込むだけの話だ。

 

「問題ない。時間はあったから策くらいは考えてあるさ」

 

 スローネ平原の攻略が決定された時点で狙撃の情報は与えられていたのだ。幾ら考え無しのオレでも作戦の1つくらい……いや、作戦とはとても呼べない力技くらいは捻り出している。

 獣の頭蓋のような兜を被ったザクロはそれ以上何も言わなかった。PoHも特にオレの作戦について尋ねようともしない。オレが死ねば別の策を考える。2人ともその程度の事態と割り切っているのだろう。

 しかし、PoHお手製のマップの精度を考えると、どうやら彼は度重なる調査を実行していたようだ。スローネ平原に足を運んだ回数も相当なものだろう。ならば、尚更どうしてPoHが妖精の国に赴いていないのかが謎になる。彼ならば、オレには考え付かない手段で狙撃を突破してスローネの塔に到着するくらいの真似はしていてもおかしくない。

 狙撃手のネームドが強過ぎた? ボス級かもしれないが、PoHがその程度の理由で諦めるとは思えない。それに≪死霊術≫というユニークスキル持ちの彼ならば、数の不利さえもある程度は覆せるはずだ。

 スローネの塔は有効視界距離制限の除外対象なのか、城砦跡より微かにであるが、その姿を確認することができる。城壁の大砲に腰かけながらそれを眺める。

 いよいよ妖精の国にたどり着ける。そう思うと胸の奥底でざわつくものがある。サチとの約束を果たすべき時だ。『アイツ』の悲劇を止める為の、長かった探索の日々にも終止符が打たれる。もちろん、妖精の国に到着してからが本番だろう事は自覚している。だが、それでも感慨深くならない事もないのだ。

 狙撃範囲外縁ギリギリにて、オレは2人に先んじて到着する。特に挨拶するでもなく、オレは彼らと無言で別れて、不可視の向こう側から迫る狙撃を避け続ける地獄の徒競走に挑む前の深呼吸を挟む。

 

「……力を貸してくれ」

 

 策とは呼べない力技。どうせオレがどれだけ悩んでも『アイツ』のようなスマートな攻略法は思いつかないのだ。ならば、圧倒的な暴力でこちらを叩き潰そうとする狙撃を掻い潜る方法はただ1つ、限りない加速で以ってスローネの塔に接近する方法しかない。

 わざわざPoH達と離れた理由は1つ、オレのカードの1枚を隠蔽する為だ。握りしめたのは首に下げていた古狼の牙の首飾りである。オレはそれにアルトリウスの面影を、彼の傍にあり続けた灰狼の遠吠えを見出す。

 首飾りを地面に押し付け、システムウインドウが表示されるのを確認して、オレは息を吐きながら頭のスイッチを切り替える。

 灰色の光が溢れ、首飾りは拡散し、地面に召喚のサークルが描かれる。それらは昼下がりのスローネ平原に清風となって吹き荒れ、光の粒子は1つの形を取っていく。

 

 

 

 そうして出現したのは、1匹の灰色の狼だった。

 

 

 

 灰色の狼はオレに忠誠を誓うように頭を垂らし、オレの右手の甲に頭を擦りつける。体格は2メートル半もあるのだが、アルトリウスを加護した大狼が成体ならば、この灰色の狼は子ども……それも幼い部類に入るだろう。

 これが古狼の牙の首飾りの最大の能力だ。スタミナ消費の抑制と回復速度も魅力的であるが、灰色の狼を召喚できる事こそが首飾りの強みである。使用中は首飾りがオミットされてしまうし、召喚には時間がかかるし、召喚中は全てのソードスキルが使用不可となるとデメリットも多いが、ユウキが連れているアリーヤやアリシアといった黒狼と同じで≪騎乗≫無しでも乗ることができるので機動力の底上げになる。

 だが、この灰色の狼には確かな『命』を感じる。アルトリウスに付き従った大狼と同じ存在なのか、子孫なのか、はたまた無関係の同種に過ぎないのか。何にしても、灰色の狼はオレを主と認めて従う。

 召喚中は魔力を消費するので素早く行動に移るべきなのだが、オレは灰色の狼の顎を撫でてコミュニケーションを取る。気持ち良さそうに舌を出す可愛いワンワンだ。おじいちゃんが飼っていた犬に似ているような気がする。もう名前も姿も思い出せない程に灼けてしまった、小さい頃から一緒に遊んだおじいちゃんの相棒にして猟犬。その面影をオレは灰色の狼から拾い上げたいのかもしれない。

 

「今からあの塔を目指す。オレの指示通りに避けろ。良いな?」

 

 知性を感じる眼で賢さをアピールするように灰色の狼は頷く。以心伝心とまではいかないだろうが、狙撃が到達するまでのタイムラグを考慮すれば、ヤツメ様の導きが狙撃を上回り続ければ灰色の狼への指示が遅れることは無い。要は1回でも本能の読みが遅れれば、オレも灰色の狼もお陀仏というだけだ。これ程に気楽なことは無い。

 灰色の狼の強さは首飾りの保有者に依存する。オレのレベルに応じて灰色の狼も強さを増していく。とはいえ、レベル78のオレが使用しても、灰色の狼の強さはせいぜいがレベル40程度なので過信はできず、また戦局を任せることもできない。だが、純粋な速度による突破力という意味では灰色の狼の方が上だ。

 RDの真似事をさせてもらうとしよう。灰色の狼に跨ったオレはアビス・イーターを抜いて右手で持ち、連装銃を左手で握る。灰色の狼を邪魔する雑魚はオレが薙ぎ払う。

 灰色の狼の横腹を軽く蹴り、オレ達は勢いよく広々とした平原へと駆けだす。ふさふさした灰色の毛並みが風で靡き、1歩の度に加速してスローネの塔へと接近していく。モンスター1体といない穏やかな平原であるが、ヤツメ様の糸が張り巡らされれば、濃厚な殺意の流れがオレ達に真っ直ぐ伸びているのが炙り出される。

 

「右」

 

 簡潔で構わない。灰色の狼はオレの呟きの通りに、急ブレーキをかけるまでもなく、狼特有の瞬発力で折れ曲がるように、右前方へと移動する。それのコンマ数秒遅れで、先程までオレ達がいた場所を鈍い銀色の大矢が通り抜け、背後で地面を爆ぜさせる轟音を響かせる。

 プレイヤーが使用する大矢も大概なサイズなのだが、今のはモンスター側が使う中でもかなり巨大な部類の大矢だ。一瞬の交差ではあったが、鏃にはレリーフのようなものが刻まれた、壮麗なる騎士が用いるような1品だった。この時点で狙撃手の輪郭がぼんやりと見えてくる。

 

「左」

 

 一切の淀みなく灰色の狼はオレの指示通りに動く。だが、邪魔するように頭上からコンドルが襲来する。相手にしている暇はない。オレは襲い掛かられるより前に連装銃で爪を光らせて降下してくるコンドルの頭部を撃ち抜いて落下させる。

 

「後退」

 

 ブレーキをかけた灰色の狼はそのまま身を翻して、落下して暴れるコンドルの方へと逃げる。狙撃はオレ達が前進していた場合は通過しただろう地帯を吹き飛ばす。

 たった2回避けただけで、こちらを仕留める為に馬鹿正直な狙撃から衝撃波による足止めに切り替えてきたか。狙撃手はかなり綿密にオペレーションが組まれたAIか、『命』を持っているかのどちらかだろうと確信を得る。

 骸骨騎士たちが集まり始め、灰色の狼を取り囲む。だが、灰色の狼は恐れずに陣形へと突撃し、オレはアビス・イーターで薙ぎ払って骸骨騎士たちをよろめかせる。そこに出来た僅かな穴を見逃さずに灰色の狼は潜り抜け、間一髪で狙撃から逃れる。背後で骸骨騎士たちが爆散していく音が聞こえるが、確認する時間はない。

 今度は土塊の巨兵が原始的な棍棒で潰しにかかる。これには僅かに怯えを示した灰色の狼の首筋を優しく撫でる。それで良い。足を止めて構わない。

 狙撃は巨兵の胸を軽々と貫き、その巨体を破砕する。敵も障害物にしてしまえば、それだけ灰色の狼への負担が軽くなる。ポリゴンの欠片となりながら、その土の体の雨を降らす中を灰色の狼は鋭さを取り戻した足取りで駆ける。

 スローネの塔が迫れば迫る程に、当然だが狙撃のインターバルは短くなっていく。今度は直接狙うのではなく、高高度へと射て直上から大矢を降らすという神業だ。これには指示が遅れ、衝撃波の直撃こそ無かったが、余波ともいうべき残りカスが揺さぶり、オレは灰色の狼の背中から放り出される。

 平原を転がったオレは息を吐く暇もなく、続く直接狙った狙撃に対して身を捩じる。脇腹を抉る寸前の狙撃は遥か後方に消えて行った。オレ自身ではなく足下を狙われていれば終わっていただろう。

 やはり指示を出すのでは1クッション挟む以上、どれだけ本能で上回れても限界があるか。つくづくコンビネーションというものに適さない我が身に呆れたくなる。駆けつけた灰色の狼の背中の毛を掴み、引き摺られるようにして続く、今度こそ足下を狙った大矢と衝撃波からギリギリのタイミングで離脱する。

 今度は頭上よりコンドル3体が急降下してくる。いつの間にか双頭犬も並走し、灰色の狼へと喰らい付こうと何度も牙を鳴らしている。徐々にであるが、行動の自由が束縛され始め、地面を吹き飛ばす度に飛び散る土のシャワーの量が増えていく。

 スローネの塔の付近……狙撃範囲外内縁まで想定30秒。灰色の狼が背後から骸骨騎士の放った矢を後ろ右足の太腿に受けて悲鳴を上げる。両手剣で矢を弾き続けるも、並列してまたも直上より降り注ぐ大矢の回避を優先せねばならず、灰色の狼の横腹を強く蹴り、直角で左に曲がらせる。

 衝撃波に揺さぶられ、灰色の狼と宙を舞う。砕けた骸骨騎士たちの破片が、千切れた双頭犬の胴体が青空を彩り、そして地面に落下していく。派手に転がり、口内に入った土を奥歯で噛み締めながら、オレの盾となって衝撃波をまともに受けてしまった横たわる灰色の狼の辛そうな鳴き声に、ここまでかと諦める。

 

「戻れ!」

 

 オレの指示を受け取ったように、灰色の狼は大矢の直撃を受ける寸前で光となって消失する。狼の首飾りを再装備している時間はない。ここからは自分の足でスローネの塔を目指さねばならない。

 DEX出力全開。脳にある生命を保護する為の……肉体を壊させないために全力を封じ込めているリミッターを1つ1つ丁寧に解除する暇などない。本能で物を言わせてこじ開け、引き出せる最大……7割の世界で突破を試みる。

 眼帯を外し、両目を見開き、高さ300メートルを超えるだろう、銀色の塔がいよいよ間近に迫る。その外壁には騎士、修道女、賢者といった石像が並び、窓と呼べるものはない。だが、ようやく見えたその塔の屋上に、不可視の壁を挟んだ先に、オレを執拗に狙い続ける猛者の覇気を感じ取る。

 間違いなく『命』があるヤツだ。いよいよやる気を出してくれたヤツメ様が歓喜する。久々に喰い甲斐のある獲物だと踊っている。

 ミラージュ・ランによる高加速と隠密ボーナスの上昇で狙撃手の目を惑わす。平原では効果が薄いだろうが、それでも何もしないよりマシだろう。立ちはだかった土塊の巨兵が錆び付いた巨大戦斧を振り下ろす。サイドステップで躱し、そのまま大斧にのって腕を伝い、肩から跳ぶ。接近して威力が引き上げられた大矢は巨兵を破壊するに留まらず、そのまま貫いて地面にまで突き刺さる。先ほどのように巨兵を盾にしようなどと甘い考えを持っていたならば、巨兵を貫いた大矢でオレの仮想世界の肉体は赤黒い光のミンチになっていただろう。

 あの大矢……下手をせずとも高VITのフルメイル装備のタンクでも直撃すれば一撃死ではないだろうか? ここまで土塊の巨兵とは何度も対峙したが、鈍い事を除けばタフでパワーもある強敵だ。物理属性防御力も高く、PoHの雷撃属性を伴った大曲剣とザクロの呪術が無ければ倒すのにはかなりの時間がかかっただろう。

 それを一撃で葬ってもなお余る威力。タンクの大盾も貫いてしまいそうだ。とんでもない怪物を妖精の国への門番に配置しているのは間違いないだろう。

 1歩が遅く感じる。DEX出力最大のはずなのに、まるで自分が鉛を付けられているかのように遅い。致命的な精神負荷を受容し、更に出力を引き上げても、きっとこの感覚が拭い去れないだろう。

 殺意に溢れている。狙撃手のオレを殺そうとする意志を感じる。なんと甘美だろうか。もっとだ。もっとオレを追い詰めてみせろ! 連装銃をホルスターに戻し、両手で持ったアビス・イーターを腰溜めで構える。

 発動させるのは≪両手剣≫の突進系スキル、アイゼンスピア。かつてクラディールが使った衝撃波を伴う突進突きのソードスキルで真正面から大矢と対峙する。寸分狂わず接触した剣先と鏃は威力を殺し合い、オレは弾けるように後ろへ飛ばされる。だが、それは読みの範疇。狙いは背後から迫っていたコンドルへの接近。

 飛ばされてきたオレに対応しきれないコンドルの背中に着地し、その首筋にアビス・イーターを突き刺し、操縦桿のように無理矢理捩じる。絶叫して暴れるコンドルと共に宙を舞い、追撃する他のコンドルたちを引き連れて空に舞い上がると、続く大矢がコンドルごとオレを貫く前に跳躍して狙撃ラインから外れる。

 狩人の血が疼く。目を閉ざせば、コンドルの位置が立体的に頭の中で展開される。このまま落下し続ければ、落下ダメージとその衝撃の硬直、狙撃インターバルを合わせれば死は免れない。

 ならば宙を舞う不規則な軌道に見えて、その実は宙の獲物を狩るのに適した陣形を取るコンドルたちを足場にする。爪で鷲掴みにしようとするコンドルの腹を蹴って加速を得ると、続く大矢を身を反らして回避する。宙ならば地面に突き刺さった際の衝撃波も怖くない。その『点』となる狙撃だけに注意すれば良い。

 無事に着地すると同時にミラージュ・ランで加速して更にスローネの塔へと詰め寄る。あと1回だ。あと1回躱せば良い。肉薄したスローネの塔に対して、オレが感じ取ったのはここにきて最大限に殺しを見せる狙撃手の意地のようなものだ。

 まさかの大矢の連射。数は3本。オレを取り囲むように大矢が迫るだろう『死』を嗅ぎ取る。

 3本の内の直撃コースは1本。残りの2本は衝撃波によるスタンが狙いか。仮に先程のようにソードスキルで相殺しても残りの2本で動きが止められる。

 痛覚遮断が機能していない以上はなるべく使いたくないのだが、そうも言ってられない。強化手榴弾のピンを外し、背後で握り潰す。爆風がオレの背中に直撃し、HPを大きく削りながら推力となり、更にラビットダッシュを上書きして最後の3連射の範囲外へと到達する。

 ダメージは3割強か。グリムロックに強化を頼んだ手榴弾だが、威力が高過ぎるのも考え物だな。スローネの塔の根元まで十数メートルの距離まで辿り着いて狙撃範囲外に到達したオレは安堵しようとするが、ヤツメ様がオレの右腕を引っ張り、その直後にオレが足を止めた場所に4本目が直下で飛来する。

 衝撃波で転がり、スローネの塔の外壁に叩きつけられたオレはスタンしたまま動けなくなる。だが、さすがに5本目は来ない。危うかった。狙撃手は3連射を避けられると読んでいた……いや、保険をかけてきたと言うべきか。万が一でも突破された場合に備えて、こちらが必ず安心感から足を止めるだろう事を見越して、直接狙えない狙撃範囲外を撃つ為に高高度射撃による直下狙撃で強引に狙いをつけてきた。ヤツメ様が助けてくれなければ、オレは世の奥様達が晩御飯に並べるハンバーグの素材になっていただろう。生きたまま挽肉とか、さすがのオレも未経験だし、そんな真似されたらHPがゼロになってしまう。

 狩人の血を引き出せるようになっても、オレ自身がヤツメ様の導きに依存しない戦いはまだまだというわけか。ヤツメ様の手を煩わせない狩人になる道は険しそうだ。

 気にする必要ないのに。そう言いながら、ヤツメ様が楽しげに笑ってオレに先んじてスローネの塔へと入り込んでいく。スタンからも復帰したオレはどんな狙撃が来るかも分からない以上は内部が安全だと足早にスローネの塔へと侵入する。

 ナグナの血清で回復……いや、義眼のオートヒーリングに頼るか。スローネの塔の内部は、どうやら屋上まで吹き抜けの、壁をなぞるような螺旋階段のようだ。この構造から、この塔は宗教的な存在、あるいは屋上で控える狙撃手の為だけに建造されたのだと分かる。

 そして、本命は地下にある。地下へと続く青銅色の扉は固く閉ざされているが、鍵がかかっているわけではない。STR出力を高めれば、オレでも開けられるだろう。

 どうする? 本音を言えば、地獄という表現すらも生温かった……ある意味でシャルルやアルトリウス以上に死が間近に迫った狙撃突破だったわけであるが、このまま狙撃手を抑え込んであの2人が余裕綽々で平原を突破されるのは癪に障る。というよりも、PoHは特にオレの本能を精密レーダーか何かと勘違いしていないだろうか? 間違いなくアルトリウス戦を経て成長していなければ、中盤には大矢で爆散していただろう。そう思うと苛立ちが募ってくる。

 

「アビス・イーターに破損無し。さすがはグリムロックか」

 

 正直言って、ソードスキルで正面から大矢とぶつかり合った時は破損するだろうと踏んでいたのだが、まさかの無傷である。両手剣モードが最も耐久度に優れるとはいえ、ソードスキルの補正を抜きにしても大した性能である。逆に言えば、それだけ槍モードと大鎌モードの脆さが酷過ぎるのだが。

 ギンジの遺品をベースにした武器だ。なるべく壊したくないが、壊れるべき時に壊れるのも武器のあるべき運命だ。

 連装銃に使用した分の弾丸を補充しながら、HPの回復を待つ。闇属性付与の銃弾はスケルトンなどには効果が薄いが、元々の火力が高いので問題はない。むしろ骸骨騎士程度に使うのは勿体ないので温存していて正解だったな。

 さて、結論は出た。PoHやザクロには悪いが、あの狙撃の悪夢はご自身で突破してもらうとしよう。ネームドの相手? そんな消耗を強いられる非効率な真似は致しませんことよ。仲間どころか協働相手かも疑わしい連中の為に単身で挑むなんて阿呆な傭兵はこの世にいません。

 今のオレは最高に良い笑顔をしているだろうな。狼の首飾りを装備して、早速だが笑みが曇ってしまう。灰色の狼の首飾りの輝きが鈍くなっている。灰色の狼の召喚は魔力を消費すれば何度でも使用できるが、そのダメージは蓄積され続ける。灰色の狼がHPを失った場合、狼の首飾りは破損してしまう。そうなると鍛冶屋で修復するまではスタミナ回復速度上昇などの補助能力も含めて無くなる。しかも修復素材はレアなものばかりだ。というよりも素材も集め切れていないので壊れたら、しばらくはただのアクセサリーである。

 灰色の狼を召喚して回復させても、1度受けたダメージ分は着実に狼の首飾りに蓄積される。これらは時間経過で自然回復するのだが、それにも時間がかかる。やはりというか、召喚関係は使いどころに困る部分が多い。いかに≪テイマー≫スキルの有能さと万能さがチート級なのかを思い知らされる。

 それでも、今回の狙撃エリアの突破は灰色の狼無しでは絶望的だっただろう。まったく、RDの回避スキルと操縦能力の規格外さが身に沁みて分かるな。彼の天職は間違いなくトラックの運転手ではなくレーサーだろう。

 地下へと続く床に貼りつくような両開きの扉の取っ手を掴み、STR出力を引き上げて開放する。地下へと続く階段が露になり、屋上に続くものと同じ螺旋階段が暗闇と共に待っていたが、外気に触れて時間を取り戻したかのように、壁に並べられた蝋燭が灯り始める。

 青くぼんやりと光る蝋燭に導かれた螺旋階段は僅かに湿っている。足場の間隔も急であり、踏み外せば転げ落ちてしまいそうだ。念には念を入れて、腰に携帯ランプを取り付ける。薄くも堅い透明なガラスに封じ込められた灯は水中でも使用できる便利な品だ。クラウドアース謹製であり、そのお値段は驚きの格安……たったの30万コル! うん、死ねば良いと思う。

 

『あらゆる環境下で光源となる、信頼第一のクラウドアースの新商品です。視界の確保は生存に直結する重要な要素。その大事さはお分かりのはず。それをたったの30万コル。そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが?』

 

 ネイサンのこちらを小馬鹿にしたお決まり文句の『悪い話ではないと思いますが』が頭で残響する。しかもオイルは別売りなんだよな。72時間連続使用可能であるが、専用オイルなのでこれも馬鹿みたいに高い。なんとお安い5万コル! うん、やっぱり死ねば良い。でも当時は口車に乗せられて買っちゃったんだよな。グリセルダさんが鬼セルダさんになってグリムロックにケツパイルを決めるまでがセットだったのでよく憶えている。

 仄かではあるが、視界は十分に得られる光が球体状のガラスを包み込むような鈍い金細工のランプより発せられる。このランプの光はモンスターを遠ざける効果があり、特に光属性を嫌う悪魔やアンデッド系に効果がある。つまり、墓所や洞窟の探索向きだ。

 右手に贄姫を、左手に連装銃をそれぞれ握り、湿った階段を踏みしめる。さらばだ、PoHとザクロよ。オレは一足先に妖精の国に行かせてもらう。

 しかし、あの狙撃を掻い潜るのは、当初は可能と思っていた全方位からの数による突破も不可能ではないだろうか? 今回はオレと灰色の狼のタッグで何とかなったが、それもオレの右腕に抱き着いて屋上の狙撃手を狩りにいこうと駄々をこねるヤツメ様の導きがあってこそだ。

 密閉感のある螺旋階段を下り続けると広々とした、鍾乳洞のように鋭い岩肌が並ぶ地下の開けた空間に出る。僅かに冷たい水に浸ったそこには人骨が転がっているが、いずれも動き出す気配はない。スケルトンの包囲は心配する必要も無いようだが、それが逆に不気味だ。

 よくよく見れば、水に浸った足場には妖精のようなレリーフのプレートが道案内のように埋め込まれている。オレはそれを目印に地下空洞を歩む。螺旋階段と違って光源が無く、水が滴り波紋を作る音以外は聞こえない暗闇の世界は、人によってはお化け屋敷以上に恐怖を掻き立てるだろう。

 やがて、ランプの光以外の、紫色の炎の揺らめきがオレの目に入る。それは妖精らしい翅を持った騎士の像が両脇を固めた巨大な深緑の両扉だ。扉には大樹が彫り込まれている。どうやら何かしらの物語も書かれているようだが、≪言語解読≫が無いオレでは内容は分からない。

 扉の錠前のように取り付けられているのは鍵穴付きの円盤であり、オレは警戒しながらも贄姫を鞘に収めて右手で触れる。

 

 

<これより先は妖精の国。3つの扉の1つ、血の門を開けたければ守護者と100の犠牲の血を捧げよ>

 

 

 ……結局はこうなるのか。守護者とは狙撃手の事だろう。だが、100の犠牲とは何だろうか? PoHならば何か知っているかもしれないが、この扉を開くには狙撃手の撃破が必須ならば彼らと合流する他ないだろう。

 来た道を引き返し、地上に出たオレは携帯ランプを外すと、今度は300メートルはあるだろう、延々と続くような螺旋階段にうんざりする気持ちをどう吐き出すべきだろうか悩む。こういう屋上でバトルがある場合はエレベーターなり何なりのショートカットを準備すべきではないだろうか?

 茅場の後継者の事だからブービートラップ……階段を上っている最中に鉄球の1つや2つ転がって来るだろうと踏んでいたが、特にトラップらしいトラップもなく、のんびりとスタミナを回復させる勢いで螺旋階段を上り続け、ようやく屋上に到着すると突風がオレの編まれた三つ編みを揺らす。

 

「アナタが狙撃手か」

 

 待ち構えていたのは、体長4メートルはあるだろう巨体の騎士だ。今でこそ大弓を背負っているが、鈍い金色の甲冑……鶏冠のような羽飾りがついたフルフェイスの兜を被った騎士は近接戦用の得物だろう大剣を……その巨体からしても特大剣と呼ぶしかない、オレ達プレイヤーからすればもはや金属塊以上の表現が無い特大剣を軽々と右手で掲げ、左手にはグリップと鎖で繋がった銀色の棘鉄球……フレイルを見せつける。

 

 

<ゴーの弟子、騎士ホルス>

 

 

 HPバーの数は2本。ネームドにしては標準的な部類であるが、溢れ出る闘志と共に感じる『命』の猛々しさに、オレは舌なめずりする。

 丁度良い。最近は喰い足りなかったところだ。一方的に狙撃してきたのだ。騎士の決闘など、あちらもお望みではないだろう。

 ゴーか。確かアルトリウスと同じ四騎士の1人【鷹の目】と謳われた巨人の騎士の名だったか。うろ覚えの知識を脳裏で巡らせながら、オレはアビス・イーターを構える。

 フレイルが風を切り、鎖のリーチの分だけしなってオレを襲撃する。頭上から真っ直ぐ落とされた棘鉄球を躱し、柵1つない、四方に騎士の石像があるだけの屋上にて、ホルスは豪快に踏み込み、右手の特大剣で薙ぎ払う。咄嗟に体を伏せて鈍い刃を躱すも、間髪入れずのショルダータックルが迫り、体をバネのように跳ねさせてそれを交差する形で避け、同時に横腹を深く薙ぎ払う。

 得物は立派だが、やはり本業は狙撃手というだけあって、隙は大きい。HPもネームドにしては普通だ。ダメージ量も悪くない。だが、こういう輩に限って秘策を持っているものだ。油断せずに、PoHとザクロの到着には期待しない程度に、ゆっくりと削り取っていく。

 振り回されるフレイルはホルスを中心とした竜巻のようだが、アルトリウスの自由自在な剣戟にも、シャルルの無数の武具の連撃にも劣る。フレイルの嵐を突破し、特大剣の突きをサイドステップで躱しながら回り込み、引いたホルスへと両手剣を突き出す。

 ギミック発動。刀身に仕込まれた柄が伸び、アビス・イーターは歪な槍となってホルスの腹を貫く。鎧の火花を散らしながら、その内部まで刺し貫く。

 ホルスが呻き声と共に特大剣で槍モードのアビス・イーターを破壊しようとするが、それより先に引き抜いてバックステップで退却しながら連装銃で肩を撃ち抜く。幾ら強化されているとはいえハンドガンだ。分厚いホルスの甲冑を易々と破ることはできず、だが闇属性が付与された弾丸はホルスのHPを着実に奪う。

 特大剣をその場に突き刺したホルスがフレイルを撫でると、棘鉄球と鎖が黄金の雷を帯びる。奇跡の太陽と光の剣か? ネームドなので同じではないだろうし、永続エンチャントの類と見た方が良い。雷撃を纏ったフレイルはその輝かしさに目を奪われれば、一瞬で叩き潰されるだろう。

 頭上で振り回したフレイルが床と接触すると、床を這うように雷撃波が解放される。どうやら紙一重の回避は許されなくなったようだ。特大剣を引き抜けば、そこには白みを帯びた山吹色のエンチャントが施される。光属性を付与したか。どうやら騎士ホルスは文武両道の類らしい。アルトリウスは聖剣の力で光波を操ったが、戦場で鍛え抜かれた純粋な剣士としての側面が大きかった。だが、コイツからはアルトリウスとは真逆のベクトルを感じる。

 貴族のような、あらゆる面に長けた教育が施されたエリート。それでいて、戦い方には『何か』への憧れを感じる。床を削りながら特大剣を振るい抜けば、奇跡のフォースのような衝撃波が生じる。どうやらリングアウトによる落下死も狙っているらしい。騎士でありながら、正々堂々とも違う、使命を果たす為への決意を感じる。

 体を捩じり、大きく跳び上がっての右手の特大剣の振り下ろし。そこから即座の回転斬り。躱したところへのショルダータックル。それも避ければ溜めの動作を挟んで全身からフォース……いや、ダメージを付与したフォースである神の怒りか。アンバサ戦士としての性質が強いな。

 両手剣モードに戻したアビス・イーターに戻し、神の怒りの範囲外でオレは少し考える。まだ第1段階だが、ホルスを殺す段取りは大よそ出来上がった。問題は、ここで消耗覚悟で攻め切るべきか、それともPoH達の期待できない到着を待つべきか。

 どうせ来るはずもないか。嘆息し、オレはヤツメ様の手を取り、狩人を引き摺り出す。

 

 来たれ。

 来たれ来たれ。

 来たれ来たれ来たれ。狩人の血よ、来たれ。

 

 ホルスの特大剣は一見すれば隙も無いように見えるが、それは豪快さに騙されているだけだ。実際には連撃の最中に必ず次の動作に繋げる『溜め』がある。アルトリウスにはそんな隙は無かった。

 3連撃の薙ぎ払い。ステップで回り込みながら、オレはそれらを躱し、背後を取ると床を剣先で削って火花を散らしながら、大鎌モードに切り替えてホルスの背中を抉る。振り返りながらフレイルを振るって鎖でオレを絡め捕ろうとするも、地に伏せ、背中に伸びた柄をピタリと合わせて矢を引き絞るつるのように力を溜めたオレは跳ね上がりながら大鎌モードのアビス・イーターでホルスを正面から斬り上げる。

 そこから即座に変形して両手剣モードに戻し、特大剣を振り下ろしを右へと1歩分だけ動いて避けると、光属性が付与された鈍い刃の上に乗り、更にそこから跳んでホルスの肩にのり、もう1歩跳んで背後を取りながら首筋を狙って連装銃を撃つ。

 2発の弾丸が兜と鎧の隙間に潜り込み、赤黒い光が喉の方から溢れ出る。よろめいたホルスが棘鉄球をその場に叩きつけて雷撃波で周囲を薙ぎ払うも、その前にオレは離脱している。

 さすがにネームドはタフだ。これだけダメージを浴びせても2本目はまだ5割も残っている。このまま削り続ける事も可能だし、スタミナにも余裕がある。

 だが、ホルスが特大剣を空へと掲げると、今度は突風が吹き荒れ、オレの姿勢は必然的に崩れそうになる。地上から300メートルはあるだろうバトルステージだ。それがホルスの近接戦技術の不足を補うように、オレの隙を作り出そうとする。

 まずいな。軽量装備が仇となったか。こういう時にフルメイルならば気にせず踏ん張れるのだろうが、こちらは現状では最重量がアビス・イーターなのだ。どうしても、軽装のオレ自身は風で揺らいでしまう。

 狩人の予測で風の動きを捉える。縁に追い込まれれば特大剣のフォースで弾き飛ばされる。ショルダータックルでも吹き飛ばされる。神の怒りが命中してもダメージ以前にリングアウト。フレイルの雷撃波は……ギリギリセーフか? どちらにしても、オレはまともに受けた時点で一気に劣勢に持ち込まれるだろうが。

 連装銃を戻し、両手でアビス・イーターを肩で担ぐように構える。そのまま前傾姿勢で接近し、突風を呼んだホルスを斬り払おうとするが、それを特大剣の盾でガードされ、火花が散る。

 特大剣相手に両手剣で剣戟は不可能だ。反撃の薙ぎ払いから続くフレイルの振り回し。それらを連続ステップで躱し続けながら迫っては横腹を薙ぎ払い、そのまま背後に密着しながら回り込もうとしてショルダータックルを誘発させ、そのタイミングを狙って右手持ちに切り替えたアビス・イーターでアルトリウスの回転跳び上がり斬りをカウンターで決める。大きく後ろに跳び退きながら同時に斬りつけるアルトリウスの得意技は我流のアレンジを加えて我が物にしている。

 

「アルトリウス様の……剣技、だと?」

 

 兜で反響したホルスの驚きの声が響く。だが、その呆けに付き合う気はない。槍モードに変形させての突進突きと見せかけた急ブレーキで特大剣を空振りさせ、両手持ちした槍モードのアビス・イーターで連続突きを浴びせる。

 イメージするのはNの槍捌き。彼の槍技は本能が喰らい尽くした。それをオレが使いやすいように随時修正させていく。ホルスは怯みこそしないが、オレを捉えることもできない。だが、槍モードでもホルスの特大剣の方がリーチは勝る。間合いに長居する以上は常に攻撃に晒され続ける。

 右手だけで持ったアビス・イーターを、腕の限りに伸ばし、特大剣を振り下ろすタイミングに合わせて肘を穿つ。そこから即座にギンジが使ったギミック変形斬りで鎌にして大きくえぐる。赤黒い光が盛大に吹き出し、特大剣を振るう動きが鈍ったところで、ホルスターから連装銃を抜き、ショルダータックルに合わせて至近距離から兜の覗き穴を撃ち抜く。

 スタンしないが大きく怯み、ホルスの動きが鈍る。即座に連装銃を捨て、左逆手で贄姫を抜刀して腹を裂き、右手のアビス・イーターを背負うとフリーにして手刀をカタナで斬り開いた赤黒い線……アバターの内部にまで届く傷口へと突き入れる。

 心臓でこそないが、確かな肉を掴み、OSSの爪痕撃を発動させる。腹の奥の肉を抉り取られ、同時のソードスキルの衝撃でホルスが後ろでよろめき、立っていられずに膝をつく。これでHPバーは1本を削り取った。べっとりと赤黒い光がこびり付き、ホルスの肉を掴んだ右手を振り払う。

 風がいよいよ強くなり始めた。だが、この調子ならば立っていられなくなるより前にホルスの撃破も可能だろう。だが、ネームドもボスも最終HPバーになってからが本番だ。2本しかないホルスもその例から外れることはない。場合によってはオペレーションパターン2も警戒せねばならない。

 ホルスは特大剣を屋上の中心に突き刺すと、腰から抜いたのは曲剣だ。プレイヤーからすれば大曲剣クラスでも、ホルスからすれば軽量級の片手持ち用曲剣だろう。それはフレイルと同様の黄金色の雷を帯びる。

 巨体に見合わぬ速度での踏み込みからの回転斬り。更にフレイルと違って雷が残留して、攻撃判定が1秒ほど空間に居座る。これで張り付きは難しくなったか。アビス・イーターを背負い、贄姫を両手持ちして曲剣の合間を縫ってホルスの右手首を斬りつけると、フレイルを捨てたホルスが掴みかかろうとする。≪歩法≫のスプリットターンでそれを寸前で躱すも、背後を見ない回し蹴りがスプリットターンの軌道を先回りするように放たれている。

 咄嗟に左腕でガードする。骨針の黒帯で強化された左腕のガードでダメージは2割程度で抑え込めたのはホルスの蹴りが不完全だったからだろう。だが、問題はそれを抜きにしても巨体から繰り出された蹴りはオレを真っすぐと屋上の縁……その空中まで吹き飛ばそうとしている点だ。

 贄姫を突き立ててアンカーとして、屋上の縁数センチ手前で堪えるも、間合いを離した隙に曲剣を持ったまま腰の矢筒より大矢を抜き取り、背負っていた大弓をホルスは構える。そのスピードは特大剣や曲剣などの近接技術が彼にとっていかに不得手であるかを物語る神速だ。

 温存したかったが仕方ない。躱せぬと判断し、オレもまた贄姫を鞘に戻し、居合の構えを取り、放たれた大矢に意識を集中させる。

 抜刀。水銀長刀モード。カタナの刀身を水銀が纏わり付いて長刀と化した贄姫は大矢を両断する。1ミリ未満の誤差も許されない、コンマ1秒の速きも遅きも許されない迎撃。刃は鮫や鰐を思わす程に、荒い鋸のように波立った水銀長刀モードは贄姫の切り札だ。水銀ゲージを温存していて本当に良かった。

 即座に次の大矢を引き絞るホルスであるが、ミラージュ・ランによるステップ接近でオレを見失ったホルスが矢の照準を合わせるより先に右太腿を『削る』。斬り払うのではなく、鋸の特性を最大限に発揮して『削り斬る』。鎧に守られた太腿から赤黒い光が飛び散り、大弓で殴りつけようとするホルスに合わせてその胸に水銀で伸びた切っ先を突き立てる。

 発動。水銀チェーンモード。牙のように並ぶ荒い鋸を思わす刃が高速で動き、水銀が飛び散って消費されながら、贄姫の最高火力が発揮される。内部で発動されたチェーンモードで肉を抉られながら胸を切り開かれたホルスがついにスタンする。

 もらった。今度こそ大きく切り開かれた胸に爪痕撃を喰らわせられる。

 だが、それよりも先にホルスの胸から巨大な紫雷を帯びた刃が突き出る。

 

「待たせたな」

 

 美味しい所取りをしたのは、今更になって到着したPoHである。スタン状態で大ダメージを受けるホルスを背後から大曲剣で串刺しにして、捩じり、頭部まで斬り上げる。上半身を半ば両断されたホルスから赤黒い光が吹き出す。

 そして、仮想世界の血飛沫の中でザクロが舞い鎖鎌でホルスの兜と鎧の隙間に鎖鎌の刃を突き立てて喉を斬り開き、顔面を左手でつかむと呪術の大発火で焦がし、スタンから復帰して振り払おうとしたホルスに呪術の【炎の濁流】を浴びせる。呪術の火から波状攻撃のように連続で吐き出される火球にホルスは焦がされていく。その隙に再び背後からPoHが≪曲剣≫のソードスキルである【オーガ・グレイヴ】を発動させる。上半身を下ろして曲剣の刃を地面に接触した状態からの斬り上げから続く回転斬りは≪曲剣≫では珍しい単発威力重視であり、火力が高い大曲剣と相性が良い。

 リビングデッドの中回復の光が遠隔でオレを包み込む。HPがフルまで回復する。

 ザクロが大きく息を吸い、PoHが巻き込まれる事も厭わずに呪術の【硫黄の霧】を兜の穴から吐く。レベル1の鈍足を蓄積させる呪術であり、DEX特化からすればこれ以上になく危険な呪術だ。PoHは幸いにも蓄積しきる前に脱せたようだが、ホルスはまともに浴び続けながらザクロと間合いを詰めて曲剣を振るう。

 

「さすがに1回じゃ蓄積しないか。イリス!」

 

 ザクロが指示するとホルスの周囲を高速でイリスが舞い、その鋭い翅で傷つける。周囲を動き回るイリスに気を取られた隙に、オレはザクロとPoHごと斬り払う勢いで水銀長刀モードを維持している刀身に纏わりつく鋸水銀刃を放つ。ブーメランのように回転しながら飛来した水銀の刃をバック転でザクロは躱し、その延長線上にあったホルスは腹を斬られる。更にその背後にいたPoHは焦ることなく身を屈めて躱す。

 残りHPは2割未満。ほぼ瀕死になったホルスに、中心に突き立てられた特大剣より光が注がれる。それはホルスを加護するようにHPを回復させていく。

 

「主様!」

 

「分かっている!」

 

 ザクロが特大剣の破壊に回り、オレとPoHが回復し続けるホルスの抑え込みに入る。これがホルスの最終段階か。特大剣による永続回復。アレを停止しない限り、どれだけ瀕死になるまで追い詰めても回復されてしまう。

 曲剣を振り回し、大弓を鈍器のように使うホルスはもはや狂戦士のように暴れ回る。だが、オレもPoHもその威圧感に気圧されることなく、冷静にホルスの間合いギリギリの縁で動き回って攻撃を空ぶらせていく。その間に特大剣の破壊にかかる。

 既にホルスのHPは5割まで回復されてしまった。10秒単位で1割回復されていく。理不尽に思えるかもしれないが、DBOではよくある事なのでオレもPoHも呆れるような眼差しを交わすだけだ。

 取って置きなのか。ザクロは舌打ちすると右腕を振るう。すると赤顎の白い肉体を持つ芋虫のようなモンスターが出現する。確か【混沌の虫】だっただろうか。卵背負いに寄生する虫モンスターであり、強力な出血・欠損能力を持つ。それらが特大剣に群がり、光り輝く刀身を削り続け、更に虫を巻き込む形でザクロは呪術の大発火を連発する。

 砕ける音と共に特大剣から輝きが失せる。HP回復効果は消せたらしく、ホルスのHPは7割まで回復した状態で止まる。

 だが、その間にも強まり続けた突風はもはやバランスを崩すか否かの限界だ。この状態で7割を削るのは骨が折れる。贄姫を鞘に戻し、水銀の刃を放ってホルスを斬り払う。PoHへと突進して曲剣を振り下ろしからの3連薙ぎ払い、回転斬りから続けてのショルダータックル、更にはボディプレスまで繰り出すホルスはもはや動きを止めないが、それでもダメージは着実に与えられる。

 ザクロが再び硫黄の霧でホルスを飲み込む。だが、まだ蓄積するには足りないのだろう。さすがはネームドか。大弓を背負い、腰の大矢を抜くと腕力で物を言わせて投擲するホルスに、ザクロは反応が僅かに遅れて回避しきれず、兜の右側を削られる。頬が露になり、舌打ちしたザクロは兜を脱ぎ捨てたかと思えば、高速で接近してホルスの腹を蹴り、そのまま宙に跳んで回し蹴りで胸を打つ。それでも怯まないホルスは掴みかかろうとするが、背中から床に落下しながらザクロは至近距離で硫黄の霧を浴びせる。

 蓄積しきったレベル1の鈍足。代償としてザクロは掴みかかられるが、途端に彼女の姿が崩れる。それは橙色の蛾の群れであり、ホルスを包み込んで鱗粉を浴びせる。ダメージは無いが目くらまし効果はあるのだろう。身代わりの術とか本当に忍者だな。ユニークスキルの真骨頂を見せつけられる。

 動きが鈍ったホルスへとPoHは容赦なく重ショットガンを浴びせ、その鎧を削り、衝撃で動きを束縛していく。弾丸の合間を縫ってホルスの間合いに入り込んだオレは破損していく鎧の傷口を狙って刃を潜り込ませては斬り払う。ザクロは念には念を入れてか、毒々しい紫色の湿った刃を持つ投げナイフを投擲している。毒状態にさせておいて、あり得るかもしれないオペレーションパターン2に備えておくつもりだろう。

 ホルスのHPは残り3割。いよいよ風で体が傾いたオレは、曲剣を鞘に戻したPoHの意図を察知し、贄姫をその場に突き立てると右手でアビス・イーターを抜いてアルトリウス流の滑るような片手突進突きで真正面から曲剣を振りかぶったホルスの腹を貫き、即座に手放して左手の拳を握って1歩踏み込む。

 

 

「「穿鬼」」

 

 

 かつてPoHがオレに唯一指導したソードスキル。オレとPoHの声が重なり合い、オレの左手がホルスの腹に、PoHの右手が背中に命中した瞬間に、大槌が全力で振り抜かれたような衝撃音と共に一瞬だけのライトエフェクトが弾ける。オレとPoHの穿鬼に挟まれ、サンドイッチの具のように逃げ場なく押し潰されたホルスは兜の覗穴から赤黒い光を吐血のように散らして膝をつく。

 

「……我が師、申し訳ありま――」

 

 そしてホルスは砕け散り、赤黒い光の濁流となる。それが撃破された証拠のように、立っているのも難しい程に強まってきた風は穏やかになる。それでも地上300メートルなので十分に強風と呼べるが、ステータス強化されたオレ達ならば立っていられないレベルではない。

 

「【猛毒ナイフ】無駄になったわ」

 

 オペレーションパターン2を警戒していたザクロは無駄な消費だったと唾棄する。だが、ああいった警戒心こそが生き残るのに必要不可欠な技術なのだろう。オレは破棄した連装銃を再装備しながら、疲れた息を風に乗せる。

 

「いつから見ていた?」

 

「それ言う必要あるの?」

 

「問うが、いつからと言えば良い?」

 

 2人してとぼける態度に、オレはもうどうでも良いと諦める事にした。水銀長刀モードと水銀チェーンモードを見られたのは痛手だが、隠せるものでもない。アビス・イーターの変形機構も知られたと考えておいた方が良いな。まぁ、パラサイト・イヴは温存できたし、ナグナの赤ブローチも隠したまま。死神の槍バージョン3も見せなかったので良しとしよう。

 最後のホルスの猛攻は凄まじかった。アレを単身で躱し続けるのは相応の厳しさがあっただろう。ザクロがレベル1の鈍足にしてくれていなければと考えるとなかなかに笑えないネームドだった。

 ネームドらしい経験値とコルが手に入り、アイテムドロップした【騎士ホルスのソウル】に目を止める。どうやら最後の穿鬼はオレの方がラストアタックと認識されたらしい。

 

 

<騎士ホルスのソウル:高貴な家系に生まれたホルスは竜狩りの物語に憧れ、神族でありながら巨人のゴーに弟子入りした。しかし、グウィンの治世において竜狩りは過去の栄光であり、彼に活躍の場は無かった。そして、彼は都を離れ、流浪の旅の果てに禁忌の守護者となったのである。それはいつか古竜と対峙する夢への諦めだった>

 

 

 ホルスの若々しき青年らしい夢の軌跡と挫折。彼はどんな気持ちでこのスローネ平原を見渡せる塔の屋上で敵を待っていたのだろう。もしかしたら、彼が待ち焦がれていたのは無粋な侵入者ではなく、追い求めた古竜だったのかもしれない。そんな事はあり得ないという諦観と共に、彼は腕を磨き続けたのだろうか。

 特大剣がボロボロに崩れていき、刀身に隠されていた小さな鍵が露になる。誰も取ろうとしないそれをオレが掴むと【失楽園の鍵】と表示される。これが妖精の国に続く扉を開く、文字通りキーアイテムなのだろう。

 

「先に行っててくれ。少し考えたい事がある」

 

 オレは2人にそう促してスローネ平原を見下ろす。穏やかな平原の古戦場に、ホルスが求めていた夢の名残を覚える。

 

「祈りも呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 アナタは強かった。その力、このソウルと共に確かに糧にさせてもらう。オレは去った2人が完全に螺旋階段の向こう側に消えた事を確認した上で、突き立てられた贄姫に歩み寄る。

 そして、オレは贄姫を『引き抜く』。それは何の変哲もない動作だが、このDBOにおいて必殺を取り得る仕掛けだ。

 良い仕事だ、グリムロック。コレならば確実にPoHもザクロも油断しきったところを殺せる。

 鞘に収めようとした贄姫の刃紋をヤツメ様が撫でる。早く2人を殺して。食べさせて。そう甘えるようにオレの首に抱き着いておねだりする。

 

「…………」

 

 贄姫の名はオレが付けた。武器なんて無名でも困らないのだが、グリムロック曰く、名を与えるとは武器に存在意義をもたらす儀式のようなものらしい。それがグリムロックの鍛冶屋としてのやり方なのだろう。

 PoH達を追って螺旋階段を下りたオレは地下への扉の前で待機していた彼らと合流する。

 

「お気に入りだったのに。直れ。直れぇええええ!」

 

 胡坐を掻いて修理の光粉を兜に振りかけるザクロは僅かに涙目だ。この女を知れば知る程に、オレが勝手にイメージしていた『忍者ザクロさん』と乖離していく。人とは本当にイメージを押し付ける生き物なのだなと納得する瞬間である。

 だが、耐久度の回復ならばともかく、武器・防具の破損修理は鍛冶屋の専売特許だ。耐久度回復アイテムである修理の光粉では無理だ。無駄な努力をするザクロを慰めるように、イリスが彼女の頭を撫でている。この光景に見慣れたくない自分がいるのは何でだろう。

 

「意外と楽勝だったな。俺とクゥリがいるから当然か」

 

「半分以上はオレのお陰だろう?」

 

 あと、楽勝とか口が裂けても言えない。ホルスの真骨頂は間違いなく狙撃だ。近接戦に持ち込んだ時点で強めのネームドだったのは、彼が狙撃手としてゴーより師事を受けていたからだろう。それでも近接戦であれ程に強く、魔法を操った。優れた騎士だったのは間違いない。

 しかし、今回のお陰で2人の明確な戦闘方針が見て取れた。PoHは常にオレ達を餌にしてバックアタック狙い、ザクロは最終的に自分1人になった場合にも備えてデバフの蓄積がメインか。呪術による猛攻はなかなかのものがあった。

 ……でも、悲しいというかなんというか、互いを気にしていない分だけ連携もどきが取れていたのは、言い知れない寂しさがある。お互いに利用し合うことしか考えてないからこその連携? 酷過ぎて口にしたくない。

 

「しかし、皆様もやれば出来るではありませんか!」

 

 だが、空気を読めない虫さんは意気揚々とオレ達の間を飛び回る。

 

「PoH様も【渡り鳥】様との最後の攻撃など息ピッタリでした! それも主様の呪術の援護があればこそ! この調子で――」

 

 全てを言い切らせるより前にPoHが松明でイリスを焦がそうとして、彼女は慌ててザクロの後頭部に隠れる。削れて頬が露になった兜を被るザクロのフォローも無く、複眼の虫がしくしくと泣いているように見えるのは勘違いであって欲しい。

 

「これが妖精の国に続く扉。この先に船守がいるにして、どうやって開けるの?」

 

「ホルスが失楽園の鍵をドロップした。これを使えば良いんだろうけど、もう1つの条件がある」

 

 100の犠牲の血とは何だろうか? 失楽園の鍵を鍵穴に差し込むと勝手に回り、円盤は12の破片に分かれて展開し、ゆっくりと右回りに1周する。だが、それ以上は何も起こらない。

 するとPoHは自分の右手を円盤に触れさせる。そして、そのままザクロとオレに流し目をして同じように触れる事を促す。

 渋々といった調子でザクロがPoHの手の甲に右手を重ね、その上にオレは右手をのせる。3人の掌が円盤に集結すると、今度は左回りに円盤は回り、扉は軋みながら開放される。

 

「100の犠牲とは総数で100のPKさ。俺とクゥリなら100人くらいは超えられる」

 

「呆れた。最初から知ってたとはね」

 

 やはりか。ザクロが吐き捨てるのと同じように、扉の奥に進むPoHの背中をオレは見つめる。実際にここを訪れたのか、それとも別の情報源があったのか、PoHは扉の開け方を知っていた。

 何を考えているのやら。PoHの背中に連続パンチを繰り出すヤツメ様にエールを送りながら、オレ達は冷たい乳白色の階段を下る。やや肌寒い。寒冷が蓄積しているかもしれないな。ナグナの狩装束はデバフ耐性も相応に備わっているが、あくまで標準的な性能だ。警戒が必要だろう。

 そうしてたどり着いたのは、暗闇のせいか、どす黒く思える程に深いだろう川である。やや霧がかかっており、暗闇の中を照らすように古木に吊るされたランプがオレ達を船着き場に導く。

 無数の人骨が座禅でも組むように座り込む船着き場で待っていたのは、質素な黒い木製の小舟に腰かける黒ローブの人物だ。

 

「これは珍しい。闇の血を持つ者が3人も。このお婆にどんな御用ですかな?」

 

 女……なのだろうか? 老婆を思わす声音である。黒いフードに隠された顔は萎びれており、目があるべき場所には炎が蠢いている。鼻は削ぎ落とされて、皺だらけの唇が隠しきれない黄ばんだ歯からは腐臭が漂ってくるかのようだ。

 

「妖精の国に行きたいのですが、船を出していただけないでしょうか?」

 

 先んじて1歩前に出たオレのお願いに、黒フードの老婆は骨が擦り合うような笑い声を漏らす。ストレートなお願いだったが、やはり簡単には聞き入れてくれないのだろうか?

 

「妖精の国? お婆はそんな場所は存じませんな」

 

 明らかに何かを期待するような笑い声に、オレはここが使いどころなのだろうと失われた王国の金貨を取り出す。すると目玉が無い黒フードの老婆が明らかに色めきだった雰囲気を醸し出す。

 古木に吊るされたランプの光を浴びて、金貨が価値に相応しい富の象徴としての輝きを示す。オレは無言でお婆の手に握らせると、彼女は自らの足で小舟に乗る。

 

「お婆もすっかり老いました。妖精の国。妖精の国! ええ、もちろん知っていますとも! お婆にお任せください!」

 

 すっかりやる気を出した黒フードのお婆の小舟はせいぜい乗れて6人が限度だろう。つまり、パーティ1組は一緒に連れて行ってくれるという茅場の後継者の配慮だろう。あの男のこういう気配りは茅場から受け継いだものなのだろうか?

 

「現金主義なのね。それとも拝金主義?」

 

 冷めた声音のザクロも失われた王国の金貨を黒フードのお婆に投げ渡す。その足取りは心なしか苛立っている。やはり兜が傷物になったのは想像以上にストレスなのかもしれない。

 

「地獄の沙汰も金次第。世の中腐ってるわけだ。金持ち程に悪行を重ねるのも納得だな」

 

 PoHは捻くれた笑いで、わざわざリビングデッドの分の金貨まで押し付ける。4枚の金貨を嬉しそうに擦り合わせた黒フードのお婆の下卑た笑いが漏れ、船頭の妖精のミイラのような彫刻がケタケタと笑い、ぼんやりと緑の光を帯びる。すると黒フードのお婆が何をするでもなく、小舟は岸を離れて川の流れに乗り、暗闇の洞窟へと船出する。

 寒いのか、イリスはザクロの膝で丸まり、PoHはフード付きポンチョを着直す。オレもまた襟を引き寄せ、白く漏れる吐息に寒冷状態を心配するが、どうやら蓄積は無いようだ。あくまで演出の類の寒気なのだろう。

 

「ところで、闇の血を持つ御方。妖精の国がどのような場所がご存知ですか?」

 

「……いいえ。よろしければ教えていただけないでしょうか」

 

 オレのお願いに、金貨を貰って嬉しそうな黒フードのお婆は頷く。金の力は本当に偉大だ。

 

 

「そうさね。妖精の国は呪われた王国。

 

 最初の火継、ウーラシールの深淵、グウィン王の治世、古竜との戦い。それよりずっと前。小人の3番目の子が大いなる果実を齧り、人より分かたれた者たちこそが妖精たちさ。

 

 妖精たちは古竜の異端ユグドラシルを礎にして岩の大樹を楔にして王国を作った。世界から切り離された影。最初の火の温もりとは違う、生命の大樹よりソウルを得た。

 

 妖精たちはやがてソウルより色を得て多くの種族へと枝分かれし、ユグドラシルを巡って争い続けた。

 

 だが、そんな戦いはユグドラシルのソウルを我が物として妖精たちに永遠の恩恵を約束した妖精王オベイロンによって終わったのさ。

 

 妖精王による支配。妖精たちの楽園。火継の宿命から逃れた輪廻の外。翅を持った自由の人々。

 

 だけどね、妖精たちもまた闇を持っていたのさ。

 

 やがて王国の地下で深淵が蠢き、妖精たちを蝕んだ。妖精王オベイロンは騎士を率いて深淵を封じ込めたが、月が満ちた夜に居城の奥に消えた。

 

 今も閉ざされた妖精王の城。世界樹ユグドラシルの秘密。扉の開け方を知るのはユグドラシルの使徒たちだけ。

 

 

 

 永遠の探索者【シェムレムロスの兄妹】。

 

 

 

 イザリスの罪の1つ【穢れの火】。

 

 

 

 深淵狩りにして裏切りの騎士【ランスロット】。

 

 

 

 

 妖精たちは翅を失い、今も朽ちた森の木陰で待っているのさ。妖精王の城、それに続く扉が開かれるのをね」

 

 

 

 黒ローブのお婆の語り。それは妖精の国で何を成すべきかを伝える、いうなれば後継者流のチュートリアルのようなものだろう。

 要は妖精王にたどり着くには、この3体……いや兄妹だから全部で4体の敵を倒さねばならない。妖精たちが翅を呪いで失って地べたを這い回る妖精の国を探索して妖精王を目指す。王道的な冒険譚を後継者はやらせたかった。

 だが、チェンジリングのように、妖精の国は既に後継者の意図したものから捻じ曲がったものになっただろう。その証拠に後継者はオレに鍵を渡し、妖精王の居城に至る『絶対に解除できない仕掛け』を突破する手段を与えた。

 

「……何か様子おかしいわよ」

 

 考え込んでいたオレの意識を引っ張り戻したのは、ザクロの鋭い声音だ。何事かと思えば、オレ達を妖精の国に連れて行く黒ローブのお婆にノイズが走り、そのアバターが揺らいでいる。それだけではない。穏やかだった水面は波立ち始め、空気の質感にもザラ付きのような『データ感』が現れ始めている。

 まるで嵐に捕まったかのように小舟が今にも転覆する勢いで、黒い渦とも言うべきものに呑まれていく。いや、その表現が正しいかどうかも分からない。既に水面は消え失せ、ポリゴンの欠片が星の光のように散り、ブラックホールが光も何かも呑み込み、分解していくように、オレ達のアバターもまた崩壊し始めているからだ。

 ザクロはイリスを抱きしめ、PoHはフードの端を握って深く被り、オレは自分を飲み込む闇を睨む。

 今、理解した。これこそが茅場の後継者がオレ達に妖精の国に行かせたかった……妖精王オベイロンを殺せと命じた理由。

 誰も互いに手を伸ばす事無い。声すらもデータとして通達する事が無い暗闇で、オレ達は落下するでもなく、浮遊するでもなく、闇に流されていく。

 意識が消え失せる前の蝋燭のように点滅する。

 

 時間間隔が溶ける。

 

 自分の体の熱を忘れそうになる。

 

 指もなく、舌もなく、目もなく、意識だけが闇の海を旅していく。

 

 自分がもう1度構築されていく感覚。まるで母の胎より再誕するような血肉を得た脈動。

 

 頬に感じるのはそよ風。

 

 鼻を擽るのは青々しい草の香り。

 

 オレはようやく薄っすらと瞼を開く事が許され、太陽の温かな光を目にして立ち上がる。

 

「……気持ち悪い」

 

 喉までせり上がる嘔吐感を堪えながら、オレは周囲を見回す。

 そこは大樹が茂る森。木々の幹は軽く直径10メートルはあるだろう。苔生した表面と空を覆いつくす程に枝分かれして木の葉を揺らし、太陽の光のシャワーを降らせる。

 足下も苔が茂り、マーブル色のキノコが生え、赤い果実を実らせた白い花が清流の川の傍でひっそりと咲いている。

 腰には贄姫、ホルスターには連装銃、背中にはアビス・イーター。システムウインドウで装備とアイテムをチェックし、欠損が無い事を調べ上げるが、いずれもオレの記憶通りならば間違いなく、あの闇の濁流に呑まれる前のままだ。

 大樹の森のせいか、昼間だろうに薄暗い。オレは水場の傍の岩に腰かけ、ウーラシールの水筒を取り出すと喉の渇きを潤す。

 妖精の国に着いたのだろうか。その実感はないが、この森には当然だが見覚えも無い。だが、DBOと同様の本物よりも本物らしい質感がある。水にしてもそうだ。VR技術の粋、他の追随を許さないDBOの性能をフルに活かした、現実同然の仮想世界だ。システムウインドウと視界にあるHPバーが無ければ、異世界召喚されたのではないかと思わず疑ってしまいそうな状況である。

 いや、ある意味で異世界召喚なのだろうか? ここは……表現として適切なのが見つからないが、DBOとは『空気』が違う。そんな気がする。味も感じ取れない粘土状の携帯食料を取り出して咀嚼しながら、PoHやザクロは何処にいるのだろうかと視線だけを動かして探すも、少なくとも傍にはいないようだ。

 

 

 

 

「【渡り鳥】様! お助けください!」

 

 

 

 

 ……いや、1人と1匹だけいた。イリスが必死な救助要請をしたのは、上流からぷかぷかと鎧装備のくせに浮いて流れてきたザクロさんだった。イリスはザクロの背中をつかんで岸に運ぼうとしているようだが、彼女のSTRではザクロを動かすことはできないのだろう。

 助ける義理などない。そのまま溺れ死んでしまえ。気を失っているのか、仰向けのまま浮かんでいるザクロを見送ろうとするが、イリスの奮闘が見ていられず、オレは舌打ちを堪えながら冷たい川に足を突っ込み、じゃぶじゃぶと水を掻き分けてザクロの肩を担いで陸まで運ぶ。

 ザクロを苔のベッドの上に寝かせ、窒息状態でHPが僅かに減っているのを確認すると、大樹に背中を預けながら腰を下ろす。

 オレは何をやっているんだ? イリスに同情してしまったか? 薄々感じていたポンコツ臭がする主に仕えて孤軍奮闘する虫ちゃんを哀れんでしまったのか? 無性にザクロを蹴り起こしたい衝動を堪えながら、オレは一息を吐く。

 

「お優しい御方なのですね。主は目覚めても罵倒しかしないでしょうから、及ばずながら私がお礼申し上げます」

 

 嬉しそうなイリスの視線から逃げながら、オレは嘆息1つでPoHの到来を待つ。だが、PoHは待てども待てども姿を見せない。ザクロが上流から流れてきたならば、同じ森でも別の場所に出現したのだろうか。

 

 妖精の国。未知なる王国で妖精王オベイロンを殺す旅が始まった。そんな達成感も無い我が身に、オレは心底どうでも良いと瞼を閉ざした。




まずは後継者くんの愉快な仲間たち+1が妖精の国に到着です。

ちなみに、今回のエピソードのテーマは『呪い』です。

それでは、240話でまた会いましょう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。