SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

ゴーの弟子を倒して、主人公(白)は妖精の国にたどり着く。


Episode18-06 女の意地

「修理完了だよ~ん☆ マユユンの意欲的変形機構搭載! UNKNOWN専用のオーダーメイド! メイデンハーツ!」

 

 先のスピリット・オブ・マザーウィル戦後の修理を終えた、鈍い銀色の輝きと緋色の刃を持つ機械的なデザインの片手剣。『乙女の心臓』という名称にはいかなる意味が込められているのかは敢えて問わないシリカであるし、UNKNOWNも気づいた様子はないが、彼女はその剣を見る度に腹の奥底からこのアイドル鍛冶屋をどう潰したものかと悩みたくなる。

 常に和服の上に独特のテンションで弾けるマユの工房は、彼女のイメージとは異なる程に殺伐としている。可愛らしい人形や小物が置かれている事は一切なく、全てが工房道具で満たされ、壁には彼女の開発の礎となる各種アイディアのメモ、様々なデータの数字、UNKNOWNのモーションポリゴンの写真、ソードスキル命中時の武器への衝撃拡散の範囲と耐久度減少の綿密な分析などなど、彼女が優れた鍛冶屋である事を裏付ける仕事部屋そのものだ。

 性格とUNKNOWNへのモーションはどうであれ、DBOでも5本指に入る鍛冶屋なのは間違いない。それがUNKNOWNの専属となったのだから、オペレーター兼秘書であるシリカとしても本来は喜ぶべきなのだろう。彼女が男ならばどれ程に嬉しかったかとシリカは溜め息を吐きたくなる。

 

「うん、良い仕上がりだ」

 

 ピカピカに輝く新品同然のメイデンハーツを左手で抜き、右手で同じく修理を終えたドラゴン・クラウンを握って振るえば、UNKNOWNの周囲で嵐を思わすほどの突風が巻き起こり、工房の紙類が舞い上がる。

 黒い刀身に両刃の分厚い重量型片手剣のドラゴン・クラウンは、DBOでも伝説となっている竜の神との死闘の中でシノンより譲渡されたドラゴンウェポンだ。竜の神の尾からドロップしたユニークウェポンは片手剣では最高クラスの火力と耐久度を持つ。小さな赤の宝石が刀身には埋め込まれており、それは今も竜の神の猛々しい怒りを秘めているかのように鼓動しているかのように輝いている。

 片手剣にあるまじきガード性能の高さも誇り、その恐ろしいまでに高い耐久性能からいざという時には盾としても役立つドラゴン・クラウンは、多くのドラゴンウェポンがそうであるように、装備者の防御力を引き上げる。ドラゴン・クラウンは火炎属性防御力を引き上げる効果があり、また回復面に障害を与える厄介なデバフである熱傷のレベル1を無効化、そうでなくとも耐性を大幅に上昇させる。

 対してメイデンハーツはドラゴン・クラウン程の火力も強度も無いが、中量寄り重量型片手剣であり、十分に重く分厚い。組み込まれた変形機構はUNKNOWNのバトルスタイルに合わせたものであり、多くのレア素材を使用して作り上げたオーダーメイドである。しかもご自慢の変形機構の核にはユニーク級素材の【純白の結晶花】が使われて改良が施された。

 多くの剣を自在に操ってきたUNKNOWNもさすがのメイデンハーツには手を焼いていたが、SOM戦での死闘で完全に我が物とする事に成功した。使い方次第ではドラゴン・クラウン以上の決定打をもたらす高火力を実現するだろう。

 2本の剣はUNKNOWNの≪二刀流≫による大火力と連撃に耐えうること最優先にしており、基礎能力の高さの引き上げにはマユも苦戦したようだった。だが、妥協無く彼女はUNKNOWNが満足しうる剣を完成させたのである。それは間違いなく専属だからこそ成し遂げた鍛冶屋と剣士のコラボレーションだ。

 

「それと、マユユンの新作【夜露のコート】だよ♪ こっちの裏地には【竜騎兵のソウル】を2つも使ってあるんだ。表面の素材は【黒ユニコーンの王の鋼皮】、襟と胸元の金細工は最新レアドロップ素材の【竜狩りの雷金】。はい、これが設計と性能レポート☆」

 

 バインダーに挟まれた、マユの丸文字で書かれた、わざわざタイピングではなく手書きらしいコートのレポートにシリカは目を通す。

 シリカが知る頃から変わらないお決まりの黒コートであるが、こちらにも持てる素材の全てを投入する事を厭わないオーダーメイドだ。だが、そのやり過ぎ具合にシリカの頬は痙攣する。

 確かに『この先』を考慮する必要はないとシリカもこの日に向けてゴーサインを出したが、何事にも限度があるはずである。このアイドル鍛冶屋は財布の紐もアイテム管理も厳しいシリカの許可が出たのを良い事に、堪え続けた欲望を解放する勢いでこれまでの備蓄したソウル系アイテムを含むレア素材を余すことなく消費したのである。

 ソウル系アイテムでは複数ドロップする類とはいえ、竜騎兵のソウルを使い込んだ黒コートは、下手すれば軽量級鎧も上回るレベルの防御性能だ。特に刺突防御力に対しては生半可な刺剣や槍では貫通させないクラスである。全属性防御力も平均的に高いが、その中でも魔法・火炎・雷の防御力は高い。隠密ボーナスを高める効果もある。しかもソウル系素材特有の能力まである始末だ。

 ほぼ自前の素材ばかりの消費なので額面の費用は『コルだけを見れば』安い部類であるが、出すところに出せばコートだけでも100万単位の値が付くのは間違いない。

 インナー防具としてコートの下に着るのは機動力を削がない程度の胸当てだ。胸部と肩まで保護する青黒い防具のデータはレポートの2枚目にあるが、不足していた打撃と斬撃の対策を中心に設計されている。

 ブーツはUNKNOWNが一騎討ちの死闘を演じた強力なネームド【闇濡れの獅子】の素材が使われており、踏み込み時のSTRの強化と蹴りへの闇属性攻撃力の付与があり、また足音を僅かに消すので≪消音≫紛いにもなる。両手の革手袋にも同様のメイン素材が使われている。

 これらメイン素材の他にもサブ素材には、普通ならばメイン級で張れるものが使い込まれている。結果、確かに生存能力をこれでもかと引き上げる防具本来の役割を全うしながらも軽量性は失っていない、世の鍛冶屋がその性能を知れば廃業覚悟の黒一色装備が出来上がっている。

 唯一の例外は、マユが最後に取り出した仮面だ。いや、それを仮面と呼ぶべきかどうかはシリカも迷う。というのも、それは顔と額を覆う兜と表現した方が適切だろうからだ。

 

「より飲食系アイテムが使いやすいように、口部はスライド開閉式。視覚は兄さんから義眼技術を教えてもらってマユユンなりにアレンジしたフルモニタータイプ。軽量性重視で防御力は相変わらずの低さだけど、デバフ耐性は高いし、特に毒はレベル1ならほぼ無効化できるクラス。もちろんソウル素材を――」

 

「それ以上言わないでください!」

 

 閉店前の在庫処分ではないのだが。シリカは石化のデバフが蓄積してしまったかのように頭の中で残っている素材を計算し、カスとしか表現しようのないものだけが余っている現状に耳を塞いでヒステリックに叫んでしまう。

 この女は本当になんと恐ろしい真似をしてくれたのだろうか。DBO初期からコツコツと溜めていた資源を喰らい尽くしてしまった。それに見合う防具と装備ではあるとシリカも認めるのだが、あの伝説の鍛冶屋にしてHENTAI鍛冶屋筆頭とされるGRすらもここまで大判振る舞いはしないだろう。そうであって欲しいとシリカは信じたい。

 1つ壊れただけで致命的な損失。破損修理だけでどれだけの費用がかかるのだろうか? 指を折る程度では足りない計算にシリカは脂汗を垂らす。悲しくも【聖域の英雄】の傭兵業の傍らでオペレーター兼マネージャー兼秘書をやっていたシリカには『経費削減』の4文字が深く刻み込まれていた。

 

(ですが、これはこれで……)

 

 新防具を装着したUNKNOWNの姿を見て、シリカは一瞬だけだが金のタップダンスから解放される。襟と胸元の鈍い黄金色の金細工の留め金、袖には同じく鈍い金糸が縫い込まれており、心臓があるべき左胸にはUNKNOWNの黒と白の2本の剣のエンブレムだ。鈍い白銀色の仮面は顔面を覆っているが、口元はスライドして側面に移動する。デザインも悪くない。

 まるで旅に出る騎士のような装束だ。デザイン面では幾らかシリカもアイディアを提供したが、彼の黒色のイメージを見事に引き出している。

 

「凄いな。視界がクリアで何も付けていないみたいだ」

 

 自分の右手をまじまじと見つめるUNKNOWNの驚嘆から察するに、仮面による視界の制限という最大のネックさえも解消されているようだ。それもソウル素材のお陰かと思えば納得できない事も無いシリカである。 

 最後に指輪を装備するUNKNOWNが選んだのは【古い戦神の指輪】と【ハベルの守護指輪】だ。古い戦神の指輪はソードスキルのスタミナ消費量を大きく下げる指輪だ。ハベルの守護指輪はスタン耐性を高め、怯み辛くなる。どちらの≪二刀流≫によるラッシュ力を補佐する為の指輪である。UNKNOWNは知らないが、両方ともシリカがキバオウを脅して手配させたものだ。ラストサンクチュアリの財政にどれだけのダメージを与えたのか、そんなものは『腐った果実』などゴミ箱に放り込む以外に無いと信じて疑わないシリカには欠片も気にする必要がない事柄である。そもそも、これまでラストサンクチュアリがUNKNOWNの活躍で得られたものからすれば、微々たる『支援』である。

 

「あと、これはマユユンからのプレゼント。【ベルカの聖女のカフス】と【太陽の聖女のピアス】。マユユンの作品じゃないけど……」

 

 もじもじしながら、頬を朱で染め、普段のテンションを抑え気味でマユは木箱をUNKNOWNに渡す。

 

「ベルカの聖女のカフスは呪い耐性を高めてくれるの。呪いは1番危険なデバフだから、ちょっとでも耐性を上げておかないと。太陽の聖女のピアスは、HPが3割未満の状態だとオートヒーリングが発動するの。ほんの少しずつしか回復しないけど、その『少し』が命を繋ぐかもしれないし」

 

「ありがとう、マユ」

 

 感謝の言葉を述べるUNKNOWNに、マユは嬉しそうに、だが寂しそうに笑む。

 

「マユユンは何も聞かないよ。何をしたいのかも、何処に行くのかも聞かない。聞いてもマユユンは役に立たないし。だけど、憶えててね。マユユンとマユユンが作った武器はあなたの味方。絶対に裏切らないよ。マユユンが魂を込めた武器があなたを守る」

 

 仮面に触れて今にもキスできる距離まで顔を近づけたマユユンの、やや涙に濡れた瞳は真っ直ぐとUNKNOWNを映し、そっと離れる。危うく腰の短剣を抜くところだったシリカは安堵した。

 

 右耳にピアスを、左耳にカフスを装備したUNKNOWNはいよいよ準備完了とシリカに頷く。

 これから2人が赴くのは妖精の国だ。事前に確保していた常夜の船守の元に向かい、妖精の国に乗り込むのである。気づかれないような隠蔽工作と難関には大いに苦戦したが、それも先の危険なSOM戦でクリアの目途が立った。

 

(傭兵業を辞められなかった理由は2つ。1つはラストサンクチュアリの為。そして、もう1つは『早期発見できた』常夜の船守に続く扉を開く為)

 

 シリカが準備したアイテムリストの最終チェックを行うUNKNOWNが幾つかのアイテムを取り換える。行けば帰れない妖精の国。大ギルドよりも前に妖精の国について情報を掴んでいた2人の準備に手抜かりはない。

 だが、それでも計画を前倒ししたので万全とは言い難い。それもこれも厄介なクラウドアースが廃聖堂の船守に続く地下ダンジョンを攻略し始めたからだ。あれさえなければ、念には念を入れた装備を整えられたものをとシリカは恨めしい。

 それに今回の常夜の船守にしてもそうだ。条件としては恐らく最も『簡単』な部類だろう。だが、だからこその制約も多かった。決して大ギルドに知られるわけにもいかなかった。

 

「シーラさん……UNKNOWNをよろしくね」

 

「言われないでも、それが秘書の仕事です」

 

 頭を下げるマユに、この女のこういう所があるから無下にできないとシリカは視線を逸らす。

 UNKNOWNと共にシリカは工房の出口を目指す。見送るマユはいつのもの笑顔を取り戻そうとしてか、頬を数度叩いて気合を入れていた。

 いよいよ妖精の国だ。この為だけにDBOにログインしたと言っても嘘ではない。

 シリカの愛は揺らがない。たとえ、UNKNOWNが最愛の想い人を取り戻しても変わらない。

 

 

 

 

 

「それで、何処に行こうっていうの?」

 

 

 

 

 

 ならば、彼女が同行の意思を示す眼をするのは何故だろうか? シリカは工房の出口で陣取るシノンを見て、隣のUNKNOWNをジロリと見上げる。確か、今日は巣立ちの家を中心とした互助会からの……正確に言えばスミスからの命令でその移転作業の警備をしていたはずだ。別れの挨拶を済ませてくると言っていた彼であるが、よもや不用心にもシノンの目の前でそれをしたわけないだろうに、とシリカは信じていたが、どうやら違ったらしい。

 確かに命懸けだ。師と妹弟子(とUNKNOWNはこっそり言い張っている)に別れを告げるのは、彼なりに助けてもらった彼らへの礼儀だったのだろう。

 

「そこをどいてくれ」

 

「ええ、もちろん。これ、スミスさんからの追加プレゼントよ。エリザベスの秘薬。よっぽど心配されているみたいね。自分だってアノール・ロンド攻略を控えているのに、こんなレア回復アイテムをあなたに渡すなんて」

 

 投げ渡した小袋の中身はシノンが言った通り、エリザベスの秘薬である。戦士の切り札とも称される強力なオートヒーリングを一時的に付与する。シリカも今回に向けて収集したかったが、ついに得られなかった回復アイテムの1つだ。

 あっさりドアから離れたシノンは道を開けるように横に動く。その素直な行動にUNKNOWNは拍子抜けしたようだが、今度は勝手に付いて来ようとするシノンの意図を把握して、彼女の腕をつかむと工房の中に戻る。

 

「俺達が何処に行くのか、キミは分かっていない。最前線のダンジョンなんて目じゃないくらいに危険な場所に行くんだ。誰も助けてくれない。情報もほとんど分かっていない。死ぬかもしれない。そんな場所に行くんだ」

 

 普段とは違って語気を荒げ、また脅すような厳かな声音でUNKNOWNはシノンを壁に叩きつける勢いで押し込む。彼らしくない乱暴さはシノンへの気遣いと心配からだ。自分と同行させまいという思いやりの表れだ。

 だが、シリカはこの時UNKNOWNの思考を完璧に読み取っていながら、まるで別の事を考えていた。

 

(か、壁ドン……! 私もされたことないのに! おのれ、シノンさん。後で『アレ』に処す)

 

 漏れる殺意のままに短剣を抜こうとしたシリカは深呼吸する。真のヤンデレは簡単に暴力には訴えないものだ。それは二流、三流のヤンデレである。

 普段とは異なるUNKNOWNの荒々しさに目を見開いたシノンであるが、すぐにいつもの『山猫』の名に相応しい強気な笑みを描く。

 

「あら? 傭兵どころかDBOプレイヤー全員を舐め腐った発言ね。DBOはいつだって未知と危険に満ちていたわ。助け? そんなもの来る方が珍しいじゃない。生きるか死ぬかも分からない戦いなんて日常茶飯事よ。特に私は傭兵なのよ?」

 

 ぐうの音も出ない程の正論である。シリカも援護射撃ができない程に、UNKNOWNは論破されてしまった。貧民プレイヤーとして引き籠もっていたならばともかく、UNKNOWNよりも古くから傭兵業を営んでいたシノンは何度も死線を経験したはずだ。あの竜の神との激闘にも、弾薬もなく、片腕を失い、短剣1本になっても戦い続けたのが【魔弾の山猫】だ。

 言葉に詰まるUNKNOWNだが、すぐに我をと戻して頭を振る。

 

「駄目だ。これは……これは俺の戦いなんだ。俺のエゴ……願い……成し遂げないといけない責任なんだ」

 

「なのに彼女は連れて行くのね」

 

 今度は私を出汁にしてきましたか。シリカはUNKNOWNと共にログインした以上は目的を成し遂げる運命共同体として組み込まれているが、シノンの言う通り、自分の身勝手な願いの為の戦いならば、シリカを連れて行かないという判断を下すべきである。もちろん、そんな発想が『できない』ようにじっくりとUNKNOWNを侵蝕したのもシリカであるが。

 しかし、シノンがここまで喰らい付く理由は何だろうか? シリカは舌戦ではUNKNOWNに勝ち目はないと確信している。女の意地を言葉で崩せる男はいないのだ。

 

(『女の意地』……ですか。へぇ、なるほどねぇえええええ)

 

 シリカは見逃さない。驕らない。決して油断しない。まだシノンには自覚が不十分のようであるが、兆候が見られると分析したシリカはどうしたものかと考えながらも、並列して傭兵ランク3の彼女がわざわざ無償で協力してくれるならば受け入れたいのが本音だ。

 

「確認します。シノンさんは太陽の狩猟団の依頼……いいえ、『傭兵』としてではなく『シノン』としてこの旅に同行する。そう捉えて構いませんね?」

 

 UNKNOWNから引き剥がし、壁から解放したシノンに、シリカはなるべく感情を抑えながら問う。

 この質問を考えていない程に無鉄砲に追いかけてきたわけではないだろう。シノンの恰好は傭兵業の時とも異なるフル装備の長期戦想定のものだ。相変わらずの短パンとミリタリーベストであるが、義手はマユが作成した百足のデーモンのソウルを加工して組み込んだ最新最強の義手である。

 落下ダメージを抑えてDEXを高める【銀猫のブーツ】で踵を叩き、腰の弓に変形する曲剣を抜き取ったシノンは自らの首に刃を触れさせる。

 

「傭兵の……いいえ、私の誇りと命にかけて誓うわ。これは私の意思。スミスさんが後押ししてくれた私の判断よ」

 

「どうして、そこまで俺に構おうとするんだ? シノンには何も関係ないじゃないか」

 

『男』であるUNKNOWNが動揺するのも無理はない。女の意地のメカニズムは宇宙の深淵と混沌を理解するようなものだ。同性でもシンパシー的なもの以上の理解は不可能なのである。

 

「UNKNOWNさん、私は賛成です。戦力は多いに越したことはありません。勝手に付いてくるんです。自分の命の責任は自分で背負うでしょう」

 

「……シリカまで」

 

「決まりね。準備はできているわ」

 

 曲剣を鞘に戻したシノンに、観念したわけでも納得したわけでもないUNKNOWNは何か手頃な反撃はないものかと探すように黙り、やがて右手の人差し指を立てる。

 

「分かった。でも、俺達は今すぐ出発するんだ。これから行く場所には失われた王国の金貨がいる。シノンは『もちろん』それを持っているよな?」

 

 これはなかなかに意地悪な手だ。シノンは当然ながら妖精の国にこれからシリカたちが向かうなど知る由もない。そもそも、最初の贈り物の時点で失われた王国の金貨を選択していない場合、今のところは他プレイヤーから譲ってもらう以外の手段では入手できないのだ。

 まず役に立たない王国の金貨を持ち歩いているプレイヤーなどいるはずもなく、また保有していたとしてもマイホームに戻っている時間をUNKNOWNが呑気に待つはずもない。王手のつもりが逆に詰んでしまったUNKNOWNの手に、シノンは押し黙る。

 助け舟を出す気はない。シリカに縋るようなシノンの視線に、彼女は首を横に振る。そもそもシリカ達も金貨は必要最低限の2枚しか保有していない。シノンに譲渡できる余りは無いのだ。

 

「金貨ならあるよ♪」

 

 ならば、勝負を決めたのは『場所』だろう。ここはマユの住まいである工房であり、彼女の保有するアイテムの集積地である。アイテムストレージになる棚を漁っていたマユは、振袖を舞わせながらシリカの義手の左手をつかむと金貨を握らせる。

 

「マユユンの……ううん、嘘は駄目だよね。兄さんの金貨だよ。ずっとずっと持ってたんだ。兄さんが泣いてばかりだったマユユンを慰めるのにね、金貨でコインマジックしてくれたの。その時にくれたんだ」

 

 マユの金貨に込められた兄妹の大切な思い出。それを胸に刻んだように、シリカは義手で金貨を包み込み、UNKNOWNに拳を突き出す。

 

「金貨もこの通り。男に二言はないわね?」

 

「……無いさ。だけど、1つだけ約束してくれ」

 

 2本の剣を背負ったUNKNOWNは重々しい足取りで、今度こそ出発するように工房のドアの前に立つ。

 

「『絶対に死ぬな』。俺は……もう誰も失いたくない。そんなのは、もうコリゴリなんだ。嫌なんだ。シノンがどれだけ満足のいく死に方をしても……俺はキミの死を認めない。許さない。シノンを死なせてしまった俺自身を……俺の弱さをずっとずっと憎み続ける。だから……」

 

 シリカは知っている。彼の言葉を黒く染める、その歩んできた道のりを……鉄の城で経験してきた数多の戦いとそれに付きまとう悲しみを知っている。

 これはUNKNOWNが背負い続けた業に決着をつける旅だ。たとえ、世界中の人々が許さずとも、シリカだけは笑顔でUNKNOWNの味方をする傲慢なる戦いだ。

 

「私の命は私のモノよ。シリカが言った通り、あなたが背負う必要はない。私が死ぬのは私の力不足よ」

 

 仮面の傭兵の震える拳を見つめたシノンは小さく笑う。

 

「だから、あなたは自分の責任を全うしなさい」

 

 UNKNOWNはそれ以上何も言わなかった。だが、振り返らずに、首だけを動かして頷いている姿に、シリカは心の何処かで安心感を覚えた。

 

「外には見張りがいる。俺達をずっと監視している連中だ。まずは彼らの目を欺く」

 

「隠密行動はスナイパーの基本よ。任せなさい」

 

 何度も協働慣れしているからだろう。2人が早速打ち合わせしている姿に、モヤモヤとした気持ちを募らせながら、シリカは肩に留まったピナの顎を撫でる。

 戦力としては優秀だが、要監視対象に格上げだ。シリカは本当にどうしたものだろうかと口を真一文字にした。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 3時間後に廃聖堂前にて、地下10層攻略メンバーは集結する事になっている。ユウキは新たに仕立てた軽量型片手剣のスノウ・ステインの調整を行うべく、黄金林檎工房を訪れていた。

 本来ならばチェーングレイヴお抱えの鍛冶屋で調整してもらうのが筋なのだろうが、スノウ・ステインを始めとした防具を含めて、彼女の一式はグリムロックが仕立てたものである。彼女が素材を集めて無理を言ってお願いしたものであり、実はシャルルの森の時点でボスと繋がりを持ったらしいグリムロックも了承した。

 とはいえ、グリムロックの基準はクゥリであり、それ以外の為にオーダーメイドを作った事は無いに等しい。また、その為のデータ収集がされたわけでもなく、ユウキの戦闘スタイルに適したものを準備してもらったのである。

 漆塗りのように黒い刀身でありながら刃は澄んだ銀色。金属にしても度が過ぎるほどに冷たいスノウ・ステインは、INT補正によって水属性攻撃力を高める。STRが低いユウキの為の軽量片手剣でも威力を引き出す為であり、対策され易い魔法属性以外の攻撃力の獲得が目的だ。また、魔法媒体となるので魔法が使えるのも利点である。

 弱点と言えば、物理属性攻撃力の低さだろう。ソードスキルの火力ブーストの恩恵を最も受けるのは物理属性だ。それに武器強度自体も軽量型片手剣にしては十分過ぎるが、それでも高いと呼べるものではない。

 暗器の影縫はもう1つの暗器である暗月の糸を隠す為の装備であり、同時に近・中距離を補うものだ。鈍足のデバフほどの確実性はないが、傷つけた相手の一定時間のDEXの下方修正能力はスピード戦を得意とするユウキとも相性が良い。

 今回の作戦の難関である地下10層の門番ネームドの撃破作戦には、クラウドアース……いや、セサルが集結させた戦力が投入される。既に聖剣騎士団と太陽の狩猟団とも協議の場がもたれており、ベクターが代表として出席しているが、チェンジリングなどを簡単に信じさせる方が無理というものだ。事態を動かすことも、戦力を派遣することも、両ギルドは躊躇うだろう。

 元より犠牲を抑えた少数精鋭によるネームド撃破だ。足並みも揃えられない戦力など足手纏いを通り越して邪魔なだけである。

 ユウキ、ボス、ユージーン、ダークライダー、ハスラー・ワン、そしてレコン。最後の1人だけは戦力として劣っているが、荷物持ちなので問題ない。

 いや、ユウキとしてはこの機にレコンには『事故死』してもらいたいと思う程度には殺意を募らせている。ハスラー・ワンの衝撃的登場にはさすがのユウキも驚いたが、本音を言えば『そんな事は心底どうでも良い』のが現状だ。

 むしろ重要なのはレコンが最悪にもサインズにチェンジリングの情報を持ち込んだ挙句に、緊急依頼をクゥリに出そうとした点である。ユウキの推測とボスの仮説が正しければ、この時点でクゥリはチェンジリングの実態をつかむ何らかのヒントを嗅ぎ取り、瞬く間に火中へと飛び込んだのだろう。

 どうやって謀殺してやろうかな? ユウキは外見だけ見れば可愛らしいとしか言いようがない顎に指を当てて首を傾けながらレコンの殺害方法を思案する。

 後ろから串刺し? それとも崖から蹴落として転落死? はたまた麻痺と毒のコンボでじわじわと嬲り殺し? いずれも捨てがたいと、ユウキはまるで恋煩いの乙女のように吐息を漏らす。その程度には彼女のボルテージが限界寸前だった。

 そして、ユウキが更に殺意を増幅させているのは他でもない【黒の剣士】だ。どうやら、彼の大切な人……SAOで著名な刺剣使いの女プレイヤーにして血盟騎士団の副団長を務めていた【閃光】のアスナ。既に亡き彼女が妖精の国にいるとボスは睨んでいる。そして、クゥリが動いたのは他でもない【黒の剣士】の為にアスナを救い出す事だと。

 

『だが、解せねぇのはあの白黒馬鹿コンビが組んでない事だな。ゲーム馬鹿と戦闘馬鹿の馬鹿2人が肩を並べれば最強無敵。あの2人が手を結べば、レベル100級のボスだろうが何だろうが雑魚同然。黒馬鹿はともかく、白馬鹿の方が1人で動くのは何かおかしいぜ』

 

 ボスの言う通りである。ならば、クゥリは【黒の剣士】と組めない理由があると考えるのは実に自然だ。

 だが、ユウキには即座に方程式が成り立った。クゥリにとって【黒の剣士】は最たる友……シャルルの森で躊躇なくユウキよりも優先した親友である。ならば、『アスナを単独で助ける』=『【黒の剣士】を助ける』が成立するのは至極当然であるとユウキは呆れ果てる。

 スノウ・ステインの凍えるような冷気を纏った刀身を覗き込めば、彼女の怒りを糧にしたように赤く赤熱しそうである。殺伐としたユウキの眼差しに、装備の調整を終えたグリムロックは震え上がる。

 

「ユウキちゃん、クールにいこう。ほら、クゥリ君が自由奔放なのはいつもの事じゃないか。彼はどんな戦いでも必ず帰ってきた。どれだけ窮地でも潜り抜けてきた。心配する必要はないとは言わないけど、クゥリ君はきっと生き抜いてくれるよ」

 

 グリムロックのフォローは半分正しく、半分間違っている。確かにユウキはクーに対しても一言物申したいとは考えていた。自分を置いて妖精の国に行ったのはまだ良い。彼には彼の考えがあり、そこに照らし合わせた結果としてユウキの同行を求めなかった。いや、そもそもクゥリからすれば、ユウキを伴うという発想自体が無い。

 ならば、ユウキにとって苦々しいのは、自分にせめて一言くらいは何か告げて欲しかったという寂しさだ。何処に行こうとしているかなど関係ない。そこが死地にも成り得るならば、せめて別れの挨拶くらいはして欲しかった。

 もちろん、それはクゥリなりの気遣いの類なのだろうとユウキも分かってはいる。だが、それとこれとは話が別だ。同じお菓子でも和菓子と洋菓子で分類されてしまうくらいに、理解と納得は別物である。

 

「誤解しないで。ボクは怒ってないよ。怒る訳ないよ」

 

 クゥリはいつだって無理ばかりする。それが悲しいだけだ。

 どうして、そこまで頑張る必要がある? そう問わずにはいられない程に、ボロボロになっていく。

 思い出したのはクリスマス、ユウキが白の傭兵の脆さを知った雪降る聖夜だ。

 

「……ボクも決着を付けないと」

 

 持ち込めるアイテムは限られている。ユウキがグリムロックから渡されたのは【雷刃ナイフ】だ。銀色の鋭い刃には青い幾何学模様が回路のように彫り込まれているが、この投げナイフは対象を刺し貫いてから3秒経過すると炸裂して青い雷を発する。爆弾系アイテムと投げナイフを融合させた、ユウキの炸裂ナイフを参考にしてグリムロックが開発したものである。

 椅子に足をかけ、スカートのスリットから太腿を露にすると巻かれたベルトに雷刃ナイフを差し込んでいく。このナイフの攻撃力は雷属性の炸裂も含めて高くはない。だが、相手を内側から爆ぜさせ、雷で焦がせば、対プレイヤーの視点から見ればダメージフィードバッグで十分に動きを阻害できる。それに連鎖的に炸裂すればダメージも馬鹿にならない。

 鎧系は総じて雷属性に対しても防御力が不十分だ。貫通性能の高さから鎧を貫くことができる雷刃ナイフは『騎士殺し』と呼べるだろう。それに水場ならば雷が拡散して広範囲ダメージにもなり得る。

 妖精の国に行く。それはユウキにとっても単純にクゥリを追いかける以上の意味を持つ。

 脳裏に忍び寄るのは仲間たちの最期の姿だ。

 

 死にたくない。

 

 死にたくない死にたくない。

 

 死にたくない死にたくない死にたくない!

 

 そう叫びながら、1人、また1人と消えて行った者たち。

 運命を、世界を、神を呪いながら、死に怯えながらこの世から去っていた愛しき人々の顔が意識を蝕む。震える指が雷刃ナイフをベルトの鞘に差し込む動作にズレを生じさせ、彼女の手元から銀色の刃が転げ落ちる。

 死は怖くない。死は生まれた時から傍にいる隣人だ。それを認めた事でユウキは『強さ』を手に入れた。死の運命を前に屈しなかった彼女の心が『今』に至るまで繋ぎ止めた。

 ならば、ユウキが怖っているのは何だろうか? 彼女もその正体には気づいている。だからこそ、【黒の剣士】を超えねばならない。自分を奮い立たせる存在意義でもあるのだ。仮想世界最強たる【黒の剣士】を超え、仲間たちが生きた証を残す。

 これは弔いだ。神様の間違いに殺された、彼らの無念を晴らす……ユウキが人の意思で以って世界を変える。彼らは決して何も残せずに死んだのではないと、【黒の剣士】に勝利する事で世界に刻み付け、神様の間違いを証明する。

 その為ならば死んだって構わない。【黒の剣士】と相討ちになろうとも、1秒でも、コンマ1秒でも、刹那でもユウキの方が長く生きていれば、【黒の剣士】を超えた証になるのだ。彼らに胸を張って、伝説を超えて自分達こそが仮想世界の歴史に残す偉業の達成者になったのだと、仲間たちとの約束を果たして眠れるのだ。

 それだけがユウキが生き抜いて、茅場昌彦の駒となり、DBOにログインした理由だったはずだ。ボスに協力しているのも、チェーングレイヴに属していたのも、全ては【黒の剣士】を倒す機会を得る為だ。

 なのに、今はその最大にして唯一だったはずの目的に、雪夜に残された白の傭兵の姿が重なる。彼は泣きもせず、月を見上げ、自分と他人の血だらけになって、まるで蜘蛛を思わすような殺意と死に満たされた瞳の奥底で……暗闇にいる者だからこそ惹かれるような篝火の灯を揺らしている。

 

(ボスの情報通りなら、【黒の剣士】も妖精の国に向かった。目的はクーと同じで【閃光】)

 

 つまり、ユウキの行動次第では【黒の剣士】と遭遇する事も可能だ。

 倒す。殺してでも勝ちを奪い取り、【黒の剣士】を超えたという結果を得る。それが、たとえいかなる形であろうとも妖精の国でできるならば、最上の弔いの華となるだろう。

 そして、弔いを終える事でようやくユウキは……きっとクゥリに想いを伝えられる気がした。

 振り向いてもらおうとは思わない。この気持ちを受け入れてもらえるなどと驕っていない。

 ただ、ユウキは愛したい。誰にも認められる必要はない。自分だけが知っていれば良い。この気持ちは嘘偽りなき、幻ではない真実なのだと。

 今もユウキはあの暗闇の孤独の病室に囚われている。神様の間違いの中にいる。ならば、彼女は自分の意思で世界を変える。その為にも【黒の剣士】を倒す。

 ユウキの妖精の国での目的はチェンジリングの解決など二の次だ。妖精王オベイロンなど興味の欠片も無い。DBOを滅茶苦茶にするならば好きなだけしてもらって構わない。最大の目的は【黒の剣士】を倒す。殺してでも超える。

 

「あまり思い詰めては駄目よ」

 

 ユウキが雷刃ナイフを拾うより先に、グリセルダが床に転がる刃を手に取ってユウキに手渡す。

 

「あなたの笑顔に、きっとクゥリ君は大切なものを見ていたはず。それが曇っていたら、心配して、また無理しちゃうわ。あの子はそういう優しい子なのよ」

 

 グリムロックの肩に寄りかかったグリセルダはまるで戒めるように、遠い昔を思い出すように目を細めた。

 いつの間にか暗い表情をしてしまっているのだろう。ユウキは何故だろうと自分の頬に触れる。

 

(……振り払わないと。ボスがいつも言ってたよね。迷いが人を殺す。戦いの中で迷わない者は強い)

 

 だからこそ、クゥリは強い。だからこそ、あそこまでの桁違いの力を得る『しかなかった』。

 彼は『戦いの中ならば』決して迷わない。殺す事に躊躇しない。憎たらしい仇でも、愛しき隣人でも、無関係の他人だろうと、その刃は鈍ることなく殺せる。故に彼は自らの本質に苦しむ。

 ユウキは首にかけた、服の下に隠されたチェーングレイヴのエンブレムを撫でる。不死鳥の紐と組み合わさったクゥリからの贈り物だ。

 今もクゥリの祈りはここにある。ユウキの胸の中にある。

 

「これを。私のコレクションの1つだよ。【鉄血の指輪】だ。1度のダメージが大きければ大きい程に、瞬間的に物理防御力を高める。致命傷を防ぐのに役立つはずだよ」

 

 多数のレアな指輪を保有するグリムロックからの餞別を受け取り、ユウキは目を丸くする。似た指輪でHPが減れば減る程に防御力を高める鈍い窮鼠の指輪もあるが、こちらの指輪はHPが大幅に減少するとその間だけ高い物理防御力を与える。VITが低いユウキとも相性が良い。

 

「本当に良いの?」

 

「私の戦場は『ここ』だ。ユウキちゃんが持って行った方が指輪も価値がある。それにね、その指輪は元々クゥリ君がクリスマスプレゼントでくれたものなんだ。キミを守ってくれるはずだよ」

 

 元々装備していた指輪を外してグリムロックに預け、ユウキはもう1つの【暗月の加護の指輪】と見比べる。暗月の加護の指輪は魔法による魔力消費量を抑える指輪であり、エンチャント魔法の攻撃力を高める効果もある。

 クゥリはきっとユウキについて来てほしくないはずだ。彼の事だから、何食わぬ顔でボロボロ姿で戻ってきたら、ユウキにいつものように『少し疲れただけだ』と言って微笑むつもりだったのだろう。

 もうそんなのは嫌だ。彼が何も語らないならば、望まれずともその足跡を追いかけて、彼が何を成したのかを知ろう。そして、たとえ聞いてもらえずとも、ユウキは叫ぼう。彼が『眠って良い理由』を得る為に、叫ぼう。『もう無理をしないで』と。

 

「行ってきます」

 

 グリムロックとグリセルダに見送られ、ユウキは整った装備を確認して、黄金林檎工房を出発する。

 どれだけの長い戦いになるかは分からないが、2日や3日では済まないだろう。そもそも、地下10層目の門番ネームドはレベル不相応な相手だ。いかに凄腕揃いとはいえ、厳しい戦いになるのは間違いない。

 だが、その一方で勝機がまるで無いわけでもないのだ。DBOはターンが決まったRPGではない。レベル制アクションRPGだ。レベル1でレベル20に挑むのとレベル80でレベル100に挑むのでは意味がまるで異なる。攻撃にも防御にも絶対的な不足があるわけではない。装備やスキルの補佐も考慮すれば、あくまでレベルは目安と考えた方が適切だ。むしろ高難度ではプレイヤースキルを問われる場面の方が増える。

 だが、そうした『勝利の理屈』を幾ら頭で埋め尽くそうとしても、やはりレベル20の差は大きい。対人戦ならば5や10程度の差ならば幾らでも覆しようはあるが、ボス級のネームドが相手ならば、適正レベルに到達していないのはそれだけで勝率を大幅に引き下げる要因となる。

 今のユウキのレベルは73だ。ユージーンはレベル80を突破していると聞いている。ボスのレベルもユウキとそう大差ないはずである。

 

「馬鹿娘が。いつも迷惑ばかりかけて、私の胃に穴を開けさせたいのか?」

 

「……マクスウェルさん」

 

 想起の神殿に到着すると待ち構えていたように、アリーヤとアリシアを連れたスキンヘッドの男、チェーングレイヴの頭脳とも言うべきマクスウェルがいつもの不機嫌面でユウキを歓迎する。

 ボスの出陣の切っ掛けを作ったユウキに説教をしに来たのだろうか。ユウキが頼まねばボスが今回の作戦に自ら出張る確率は低かっただろう。逆に言えば、チャンスさえあればボスも動くはずだった事態だ。

 

「ボクは――」

 

「何も言うな。弁解など聞きたくも無い」

 

 睨まれただけで正座しそうになるマクスウェルの眼力にユウキは顔を強張らせるも、彼女は自分の意思で妖精の国に向かう事を決めたのだと歯向かうように、唇を噛みながら彼の視線を真っ向から受け止める。

 長い沈黙、あるいは数秒にも満たない静寂。マクスウェルはシステムウインドウを開くと、1つの黒い麻袋を投げ渡す。

 

「持っていけ」

 

「……これは?」

 

 麻袋に入ったアイテムにユウキは目を丸くする。それはおよそこの事態の解決には役立ちそうにない、むしろ荷物になりそうなアイテムだ。だが、この場面でマクスウェルが無駄な餞別を渡すはずがない。ならば、それは彼の優れた頭脳が導き出した1つの保険なのだろう。

 

「お前は目を離すと何をしでかすのか本当に分からんな。このお転婆が」

 

 腹の底で淀んだ疲れを吐き出すような溜め息の果てに、マクスウェルは何かを思い出すように想起の神殿の闇に呑まれて見えもしない高き天井を……その向こう側にある別の光景を垣間見るように天を仰ぎ、やがて一瞬だけ……常に気難しい表情ばかりをしている彼にしては珍しく嬉しそうに笑う。

 

「アリーヤを連れて行くが良い。お前の手助けをしてくれるはずだ」

 

 黒い狼がマクスウェルの命を受けて、ユウキに頭を擦り付け、ニオイを堪能するように鼻をヒクヒクさせる。

 シャルルの森はともかく、幾らボス自ら動くといっても、今回はユウキのワガママだ。マクスウェルから黒狼を借り受ける事など出来ないユウキは断りの声を上げようとしたが、それを制すようにマクスウェルは右手を突き出す。

 

「ボスに無理をさせるな。あの御方はすぐに調子に乗るからな。ここで散って良い御方ではない」

 

「約束はできないけど、心には留めておくね」

 

「そこは嘘でも良いから……いや、馬鹿娘らしい馬鹿正直か。さっさと行け。私にはやる事が山ほどある。お前を一々見送りしている暇など無い」

 

 立ち去るマクスウェルの背中を見つめたユウキは麻袋を握りしめ、アリーヤの頭を撫でる。

 

「アリーヤ、力を貸して。【黒の剣士】を倒す為に。クーに追いつく為に」

 

 アリーヤを連れて到着したジージーダの記憶にある廃聖堂の前には、集結した地下10層ボス攻略部隊が勢揃いしている。ヴェニデの2強であるアーロン騎士長装備とブリッツの姿はない。精鋭部隊とはいえ、全戦力を投入するわけにはいかないから当然だ。

 だが、彼らの代理を成すのはユウキも尊敬するボスだ。チェーングレイヴのトップに君臨し、犯罪ギルドを統括するボスの実力は底知れない。特にボスはユニークスキル持ちであり、その全てはマクスウェルすらも知らされていない。

 それに今回はランク1のユージーンもいる。赤い鎧姿であり、腕を組んだ姿はまさに威風堂々。背負う重量型両手剣は彼が保有する最高クラスのものだろう。ソウルウェポンと見て間違いない。彼の事情はユウキも詳しく把握していないが、チェンジリングこそがユージーンにとって妖精の国に向かう最大の理由なのは明らかだ。いかなる依頼よりも徹底した準備を整えてきているはずである。

 そして、ユウキも規格外と認めるしかない、他を圧倒する存在感を持つ2人。

 1人は全身に密着するようなスマートな印象を与える漆黒の甲冑を纏った騎士、ダークライダー。得物は分厚く刃が広い斧槍だ。そして、背中には2本の細身の部類の両手剣がある。バトルスタイルは窺い知れないが、まるでユウキやボス、ユージーンを品定めするような、獲物を前にして涎を垂らしながら我慢している飢狼のような危うい雰囲気を持つ。

 対してダークレッドのコートを羽織ったハスラー・ワンは静かに瞼を閉ざして腕を組んで作戦開始時間を待っている。装備は大型のパルスマシンガンと肉厚の片手剣のようだ。スピード重視の戦闘が想定されるも、その実力は計り知れない。

 そして、数合わせのつもりなのか、赤い甲冑姿の騎士がズラリと総勢20名並んでいる。いずれもギルドNPCなのだろうが、まるでハスラー・ワンの指示を待つかのように不動だ。

 

「……時間だ。プレイヤー達よ、行くぞ」

 

 ハスラー・ワンの号令と共に、全員がそれぞれの目的を胸に秘めて戦意を露にし、1人だけレコンが大きなリュックを背負った姿で涙目になりながらもガクガクと頷く。

 ユウキは腰のスノウ・ステインを抜くと、廃聖堂の10層までのショートカットのエレベーターに乗り込む。

 どれほどの強敵が待ち構えているとしても、残らず倒し、必ずクゥリの元に駆けつける。そして、妖精の国で【黒の剣士】を倒す。赤紫の瞳を祈りと殺意で染めながら、ユウキは決意を新たにした。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「たこ焼きは青のり&マヨネーズ!」

 

 この女は目覚めの一声がそれで良いのだろうか? 気絶して、溺れて、仇に助けられて、挙句に3時間もたっぷりと惰眠を貪っていたザクロさんは、夕暮れになった頃に覚醒するなり上半身を跳ね起こしながら叫んだ。

 イリスの指示でオレが兜を外したので、今のザクロは素顔を晒している。数秒かけて周囲を確認し、数十秒かけてオレをジッと見つめ、数分かけて事態を把握したのか頭を抱え、いよいよ夕陽が完全に地平線に消え去ったのか、大樹の森が闇に呑まれて、マーブル色のキノコがカラフルな発光をしてランプ代わりとなり、川の底で揺れる藻などが淡く青い光を灯す幻想的な風景の中で膝を抱える。

 

「……嗤いなさい。その方がいっそ気が楽だから」

 

 さすがに落ち込んだらしいザクロに、オレは無言を決め込む。慰める気はないし、下手に言葉をかけても罵倒されるだけだろう。イリスは主の目覚めが嬉しいのか彼女の頭上で旋回しているので、元気づける役目は彼女に任せよう。

 

「ここが妖精の国。なんというか……普通ね。PoHは?」

 

「はぐれた。下流にいるのか、それとも上流にいるのか。森の外に出れば合流できる確率も高い」

 

 死んでいなければ、あるいはPoHに合流の意思があれば、という前提が必要になるが、それは付け足す事でもない。PoHがそう簡単に死ぬとは思えないし、いくら妖精の国に目的があるとは言ってもいきなり行方をくらます程に無鉄砲でもないはずだ。

 まずは合流して3人で情報収集して妖精の国の実態を速やかに把握する。PoHもそれが最も効率が良いと判断するはずだ。だが、彼には読み切れない部分も多い。ならば、オレ達など死んだと見なしていてもおかしくない。

 今のところモンスターの影はない。ザクロの眠りを守る間は警戒を兼ねて左目を解禁していたが、さすがに疲れが溜まってきたので眼帯を付け直す。その様をザクロは観察するように見つめている。

 

「その義眼、光るのね」

 

「やっぱり気づいたか」

 

 中途半端に光源がある大樹の森ではわかり辛いが、左目の代用となっている義眼の瞳は薄っすらと星の青の光を宿している。能力の1つであるソウルの眼を発動させるとより顕著だ。暗闇でなければ気づかない程度であるが、それでも敵から発見されるリスクが高まるので眼帯を装備しておいた方が良い。それにこの黒地に白竜が描かれた眼帯には微弱だが魔法防御力と呪い耐性を引き上げる効果もあるので、単純に左目を塞ぐデメリットだけを抱えるわけではない。

 だが、義眼を隠す本当の理由はオレ自身の問題……度重なる高負荷でダメージを負っている脳では両目の視界を確保した状態では脳への疲労の蓄積が速いからだ。戦闘ならばともかく平時は眼帯をしていた方が負担が小さくて済む。

 戦えば戦う程に、他のプレイヤー以上に脳はストレスを着実に消化することなく沈殿させていき、脳の疲労は後遺症の瘡蓋を引っ掻いてオレを追い詰めていく。他のプレイヤーよりもVR適性が劣る分だけオレの長期戦は物資以外の消耗が常に絡む。

 火を起こして暖を取っても良いのだが、オレもザクロも今日のところは野営にもつれ込む気はない。まずは行動あるのみ。だが、右も左も果てが見えない森の深奥だ。木登りして周囲を確認しても良いのだが、木の葉で覆われた木々の枝に何か住み着いているのかも分かったものではない。

 

「まずは下流に向かいましょう。森の外に繋がっているかも――」

 

 ザクロが尤もらしい提案を半ばで打ち切り、腰の短刀を抜く。オレも遅れずに贄姫へと手をかける。

 発光するキノコや藻、苔が夜を彩る光となった森の空気を汚すのは血のニオイだ。DBOではまず『普通の状態』では嗅げないニオイだ。ダメージエフェクトの赤黒い光は血に近しく武器や体を染める質感はあっても、独特の鼻孔を刺激するニオイはしない。

 久々に嗅いだ血のニオイに苔生した岩の上で微睡んでいたヤツメ様が片目を薄っすらと開き、興味を示して指差せば、大樹に寄りかかりながら、消えかけの吐息を何度も漏らし、森の緑を染める1人の男がいた。

 PoHではない。若い男のようだが、恰好は革のベストと兜、それに旅人が身に着けるようなマントだ。大怪我を負っているのか、塞がれる様子が無い赤黒い光が……DBOよりも生々しく、より血としての表現を得て、びちゃりびちゃりと零れている。

 

「どうやら怪我をされているようですね」

 

 イリスがふわふわと翅を動かして宙を舞い、男の元に向かう。オレとザクロはアイコンタクトを交わし、慎重に重症の男の元に近寄る。

 確かイリスの鱗粉には回復効果があったはずだ。どれ程の回復効果があるのかと見つめるも、男の頭上にあるアイコンは赤く点滅するばかりで、HPがどれだけ回復されているのかはまるで分からない。

 いや、違う。オレはそこで自分の分析力の無さを嗤いたくなる。ザクロもイリスも、緑色のアイコンが見て取れるが、それもオレが知るプレイヤーアイコンではなく、だからといってモンスターアイコンでもない。まるで未知のアイコンだ。

 もしや、この妖精の国は他プレイヤーのHPバーを目視することは出来ないのだろうか。でもザクロのは見えている。パーティ登録をしていると目視できるのだろうか? 分からない。情報が不足している。

 ザクロのカーソルは緑で、死にかけの男は赤。HPバーも残量に合わせて色が変化すると仮定するならば、この男のHP残量は3割未満の危険な状態か。

 

「う……うぅ……うぐっ……」

 

 右肩から脇腹まで胸を深く抉った一閃。相手の得物は剣か斧だな。オレは止血包帯を取り出し、男の胸部、肩、脇腹に使用する。欠損状態か、それとも出血状態か。あるいは未知のデバフか。妖精の国の仕様も考え得る。何にしてもHPの流出を防がねば死んでしまうだろう。

 イリスの鱗粉は連続で効果を発揮しないのだろう。オレはナグナの血清を取り出し、男の首に打ち込む。

 

「お前、何を考えて……っ!」

 

 驚く声を上げるザクロに、オレは視線を向けるのも億劫だった。

 

「情報は鮮度が命だ。無知の状態で森を……妖精の国を歩き回るリスクは計り知れない。そうだろう?」

 

 オレの回復アイテムはナグナの血清とナグナの回復薬しかない。持ち込んでいるのは10本。残り9本だ。最初の消耗がNPCかどうかも分からない男とはな。とりあえずはザクロやイリスと同じアイコンのようだが。

 ナグナの血清の回復によってアイコンが黄色になった男は呻き声を小さくする。ナグナの血清の感覚を鈍らせる効果は戦闘中ならばともかく、こういった状況ならば麻酔代わりにもなる。妖精の国のダメージフィードバッグがDBOと同じなのかどうかは常に痛覚全開のオレでは分からないが、この様子からすれば、少なくとも傷を負えば相応の苦しみがあるようだ。

 しかし、これで仮説はほぼ立証されたか。アイコンの変色が示す通り、これはHPの目安になるだろう。

 兜を外して大樹の幹に寄りかからせる。淡い金髪をした若い男……年頃はオレと変わらない20歳前後か。だが、決定的な違いは耳だ。まるでエルフのように伸びている。いや、この場合は彼こそが妖精の国の住人……まさしく妖精である証か。

 黒ローブのお婆の言葉通りならば翅を失ったとの事だが、背中からは何も生えていないところを見るに、飛行能力は無さそうだ。むしろ、耳以外はオレ達と外観が同じである。逆に言えば、耳が妖精とプレイヤーを見分ける方法になるか。

 

「やはり、あなたはお優しい御方ですね」

 

 男の頭にのって鱗粉をかけ続けるイリスに、もう好きにしろとオレは溜め息を呑み込む。そして、気が付いたらしい妖精の若者のエメラルドのような瞳に笑いかける。どうやらHPさえ残っていれば命を取り止められるのは変わりないらしい。

 

「……ティターニア、様? ああ、私は死んだのですね。見る者を魅了する麗しき美の結晶。オベイロン王の至高の宝玉。この騎士エルゴの息子エルドラン、死の際にあなたへの謁見が叶うとは。どうやら剣にかけた我が生涯も捨てたものではなかったようだ」

 

 数十秒前まで瀕死だったくせに、随分と元気に詩的な事を仰られる御方だ。背後でザクロが顔を背けて押し殺した笑い声を漏らしているのを無視し、オレは首を小さく横に振る。

 

「オレは女王ティターニアではありませんし、ここは死後の世界でもありません。ほら、温かいでしょう?」

 

 男の赤黒い光が付着した頬に触れ、体温を感じさせる。すると男は目を見開いて顔を朱色に染める。先ほどまでは死人のように顔も青白かったが、どうやらナグナの血清とイリスの鱗粉で十分に回復を果たしたようだ。

 

「どうやらそのようだ。狩人の守護者、白銀の月女神アルテミスよ。ああ、我が母、女狩人モリュ! あなたの加護が私に白銀の君との邂逅をもたらしました! アンバサァアアアアアアア!」

 

 おい、エドガー。お前のアンバサは何処が発端なのか今すぐ答えなさい。怒らないから。ね?

 腹をくの字にして蹲り、右手でドンドンと地面を叩いて全身を震わせるザクロさんだが、後々どのような仕打ちをするのかはお楽しみにして、今はツッコミを堪えて話を進めよう。

 

「申し訳ありませんが、オレは人間です。名はクゥリ。旅の者です。あちらはザクロ。オレの……同行者です」

 

 仲間とは口が裂けても言えない。ザクロも同様らしく、ようやく復帰した彼女は顔をエルドランに見られない内に欠損した兜を被り直す。

 叫んで傷口が痛んだのか、エルドランは激しく咳き込み、赤黒い光を吐く。オレは彼の肩を摩り、そっと半ば起き上がっていた上半身を寝かしつけるように幹へと押し戻した。

 

「そ、そうでしたか。これはご無礼を。ですが、その振る舞い……さぞや高貴なる御方とお見受けしました。改めまして、私は騎士エルゴの息子エルドラン。イースト・ノイアスの騎士と申します」

 

 騎士か。妖精の国の身分事情は不明だが、相応の地位の人物とみなして良いだろう。その割には装備が貧弱であるが、旅の装備と見れば別段珍しくもないし、装備しているレザーアーマーもなかなかに質が良い。剣は失っているようだが、鞘には金細工も施されている。

 

「耳が丸い。もしや、あなたはアルヴヘイムの彼方、虚ろの断崖の向こう側、伝説に聞く太陽と光の王グウィンが治める火の世界より参られたのか?」

 

 どうやらDBOに関する知識はある程度備わっているようだ。だが、グウィンの治世は終わりつつある街がある『現世』からすれば遠い昔では済まない過去だ。どうやら、妖精の国……アルヴヘイムとDBOは長きに亘って交流が無かったようである。

 

「騎士エルドラン、今は多くを語るべき時ではありません。オレ達は先も申した通り旅の身。この地は未知であり、この身は無知。森にいかなる危険が潜むかも知りません。アナタに傷を負わせたのは獣の爪でもなく、竜の牙でもないはず。その脅威は今も傍にいるはず」

 

「……っ! そうだ! まさしくその通り! くっ、動け、我が体よ!」

 

 暴れるエルドランを覆う止血包帯が赤黒く滲む。オレは彼の体をもう1度だけ穏やかに、だがSTR出力を引き上げて押さえ込む。

 

「美しき旅人よ、いかなる奇跡の御業かは存じませんが、この命を繋ぎ止めていただいたことを感謝致します。ですが、ここで息を潜めて無様に生き長らえるなど騎士の恥! 我が故郷は今まさに狼藉に遭い、女子供の悲鳴が絶えぬ地獄と化したのです! 休んでる暇など……っ!」

 

「それこそ早計の愚。アナタは五体満足に動けぬ身。旅は道連れ世は情けとも言います。よろしければ、アナタの故郷の危機について教えていただけないでしょうか?」

 

 これは妖精の国の訪問者を迎えるイベントの類か、それとも端な偶然か。オレは前者である事を望みたい。

 生気を取り戻したエルドランからは『命』を感じる。彼はまさに今この瞬間を生きている。何処とも知れないNPCなどではないこの振る舞い。オレはアルヴヘイムに嫌な予感を募らせる。

 微笑みかけるオレに観念したのか、エルドランは無念そうに、苦々しく語り出す。

 

「我が故郷はイースト・ノイアスでも辺境。悪く言えば田舎です。何の取り柄もない……毎日が退屈な……とても平和な村だった。私はイースト・ノイアスの都、かつては【翡翠の都】とさえ謳われた古きシルフ達が築いた街スイルベーンの騎士であり、亡き母の墓守と妹の世話をする老いた父を村に残し、騎士となってイースト・ノイアスを守ってきました。ですが、先日より故郷の村との文通が途絶えた事を訝しみ、父と妹を驚かそうと忍んで帰郷すれば、村は賊の支配下に……っ!」

 

「賊? それって野盗の類? だとしたら騎士の存在意義あるの?」

 

 ここぞとばかりにエルドランの心の傷口を抉りにかかるザクロに、オレは右手を横に伸ばして制止を呼びかける。確かに村1つを野盗に支配されるとは情けないように聞こえるが、通信手段が乏しいならば、ましてや辺境の村ならば物資の運搬が頻繁でもない限りには察知も遅れるだろう。そうでなくとも、アルヴヘイムの情勢についてオレ達は知らない。たとえ騎士であるとしてもエルドランを責める資格はない。

 

「私も最初は信じられませんでした。我が村は辺境ですが、それ故にモンスターとの遭遇も絶えない。全員が戦士ではないとはいえ、戦える者も武器も揃っています。ですが、私が見たのは賊の頭が村長の首を肴に酒を煽り、我が父の亡骸を野犬に食わせて辱める悪夢でした」

 

 拳を握るエルドランの声は涙で湿っている。村も……何よりも父をこよなく息子としても騎士としても敬愛していたのだろう。

 

「ただの野盗とは思えません。数は大よそ20人ですが、装備は薄汚くとも整っている。正規兵の訓練を受けたと見て間違いないでしょう。私もそれに気づけず、この有様です。せめて妹だけでも助け出そうと欲を掻いたばかりに……。そうだ! アリエル! アリエルは何処だ!? 確かに手を握っていたはずだ! 我が妹よ!」

 

 震える右手で顔を覆いつくすエルドランの頬から流れる涙を、オレはそっと掬い取る。

 

「今は休みなさい、騎士エルドラン。アナタの騎士としての忠義と家族への親愛はその身の傷が証となる」

 

 まったく、妖精の国に来て最初がこれとは随分とやる気に溢れた展開だ。これが茅場の後継者だろうと妖精王だろうと構わないが、大した演出だよ。

 だが、果たしてこれは『シナリオ』なのか? それを確かめる為にも、この流れに乗るのは悪くない。

 

「オレはエルドランの妹を探すが、アナタはどうする?」

 

「……このまま見捨てても良いけど、お前の言う通り情報収集は重要だ。異論はない」

 

 どうやらザクロも同意のようだ。冷静な判断ができるようで何よりである。

 

「さすがは主様と【渡り鳥】様! 意見が通じ合って仲間意識も芽生え始めたのですね! 聖人の道も1歩から! 一日一善! やはり、このチームの元凶はあのポンチョの――」

 

「「黙れ」」

 

 オレとザクロの声が重なり合い、勘違いして飛び回って喜びを表現していたイリスは硬直して落下する。

 一日一善? 知るか。オレは好きなように生き、好きなように死ぬ。好き勝手にやらせてもらう。それだけだ。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 不思議な御方だ。エルドランと名乗った手負いの騎士を残し、彼の赤黒い光が成す血痕を頼りに進む【渡り鳥】の頭上を飛ぶイリスは、無言を貫いて珍しく真剣に索敵する主のザクロに満足しながら、夜の森で人影を探す。

 噂に勝る美しさ。気品とは何たるかを示すような立ち振る舞い。そして、その積み重ねた悪行と屍からは想像できない程にお優しい性分だ。【渡り鳥】は1本に結った白髪の三つ編みを揺らしながら、エルドランの妹のアリエルを探す。その姿は何処に敵がいるのかも分からないというのに、とてもリラックスしている。

 

「イリス、あなたの目には何が映る?」

 

 それに比べてこの主は本当にどうしようもない。嘆息を吐きたい気持ちを抑え込みながら、羽音すら聞こえない静かな飛行でイリスは周囲を調査する。そして、小さな火の揺らぎを複数発見して主たちの戻る。

 

「2時の方向に松明らしき光が見えました」

 

「と言う事だけど、どうする?」

 

 ザクロの問いかけはまるで試すような物言いであり、【渡り鳥】は質問ですらないと無言で肩を竦める。2人とも≪気配遮断≫は使用中であり、その熟練度は高い。また装備も隠密ボーナスを高めるものともなれば、生半可な警戒では簡単には発見されないだろう。

 

(おや、これは……)

 

 ザクロも早足の部類であるが、【渡り鳥】の歩は更に速い。それは森の歩き方を知る者の動きだ。これだけ足下は雑多としているのに、落ち葉といった天然の鳴子は1つとして足音を響かせない。

 足音の代わりに聞こえてきたのは若い女の悲鳴だ。イリスが先行して何事かと見てみれば、人間らしい欲望の宴が開かれている。

 汚らしい毛皮のコートを着た3人の男たち。いずれも褪せた灰銀色の兜を被り、松明を湿った苔の上に置いている。屈強な1人の男が下卑た笑い声上げながら若い娘の上に覆い被さり、暴れる彼女の頬を叩いて黙らせると、その胸元の服を荒々しく破る。

 これだから人間の欲とは度し難い。虫であるイリスは達観して呆れる。残りの2人は周囲を警戒しているように立っているが、その目は女にばかり向いて『順番』を待っているかのようにまるで警戒ができていない。

 奇襲は容易だろう。イリスがその旨を伝えようと戻るより先に、状況を把握できる距離まで早々に接近した【渡り鳥】が、イリスの代理のように小さく息を吐いた。

 

「ヤダ! ヤダヤダ! 助けて、兄さん! 兄さぁん!」

 

「はいはい、お兄ちゃんは死にまちた。今は俺がお兄ちゃんだ、おらぁ!」

 

 ここまで品性が無い人間も珍しい。あるいは、知性ばかりが育って対人関係が希薄な自分が知らないだけで、世の大半とはこれが基準なのだろうか? エルドランによく似た娘だと思いながら、残念過ぎる主様も品性を持った部類だったのだなとイリスは安心感を覚える。

 途端にイリスは見失う。背後を取るまでもなく、大樹の陰から飛び出した【渡り鳥】の姿を見失う。

 次の瞬間には【渡り鳥】は男の1人の喉に膝蹴りを浴びせ、その首を腕で捕らえ、一切の容赦なく捩じる。首が180度曲がり、よろめいた男のカーソルは黄色まで変色する。

 

「な、なん――」

 

 首が曲がって右へ左へと揺れる仲間との間に現れた白き傭兵に、確かに訓練されたと分かる半ば反射的な動きで剣を構える野盗だが、剣が振るわれるより先にその足を【渡り鳥】は蹴りで刈り取り、バランスを崩したところでその顔面をつかむ。そして、そのまま叩きつける。しかも、その首裏を狙って尖った石の上に後頭部を叩きつける形で。

 鮮やか過ぎる必殺。その一連の動きで分かる『殺し』に特化された格闘技術と体捌き。その目はまるで蜘蛛のように人間味がなく、まるで命を咀嚼するかのように冷たい。赤黒い光を首から垂れ流して痙攣する男のカーソルが変色していく男の顔面に背中の両手剣を突き刺し、カーソルの消滅まで見届ける事無く、ぽかんとアホ面を浮かべたアリエルに覆い被さる男に微笑みかける。

 

「こんばんは」

 

 それは5秒に満たない殺戮に見合わない、だが天上より降り注いだ慈愛のような微笑み。およそ場面に似合わない深き夜の挨拶も、その身をべっとりと染める赤黒い光で血染めにして、ゴポゴポと泡を口内から垂らす男の断末魔すらも神々を讃えるハープの音色のように聞こえるようだ。

 

「選んでください。戦士として討たれるか、愚物として狩られるか」

 

 下半身丸出しの男に、【渡り鳥】は2つの死のあり方を提示する。腰が抜けて後ずさる男を、両手を組んで後ろ腰にやると前屈みになって覗き込む。その動きは余りにも美麗であり、甘く蕩けるように蜜のように優しい。そう……まるで蜘蛛が獲物に猛毒を流し込んでいるかのようだ。

 

「ひひゃぁああああああああああ!」

 

 中途半端に下ろしたズボンが足枷になったまま、男は逃げるように這うも、【渡り鳥】はいつの間にか回り込み、銀色の刀身の贄姫を抜いていた。

 もう終わっていた。自分の命は白き者に狩られたのだ。それを男が理解できたかは定かではない。赤く点滅したカーソルは色を失って消滅し、割れた頭部、首、上半身から赤黒い光が盛大に吹き出す。

 抜刀の瞬間がまるで見えなかった。血飛沫を浴びてもなお美しい【渡り鳥】は、まるで状況について来れていないアリエルに自分のコートを羽織らせる。

 

「アナタの兄上、騎士エルドランは無事です。ご安心ください」

 

 男たちの血溜まりが出来上がり、その中で赤黒く化粧された【渡り鳥】が片膝をついて笑いかければ、アリエルは恐怖で顔を青くしてカタカタと震えて頷く。助け出してくれたはずの白き傭兵への恐れが上回っているかのように。

 

「皆殺しにしたら情報を聞き出せないじゃない」

 

「馬鹿言うな。ほら、そこに1人生かして――」

 

 遅れて登場したザクロの辛口に、【渡り鳥】は首が180度捩じれた生き残りを指差すも、彼もまたカーソルが消滅してぐらりと体を傾かせて倒れる。その転倒音に、【渡り鳥】は失敗したと言うように頭を掻いた。

 

「どうせ村には山ほどいるんだ。彼らが帰らなかったら『追加』が来るはずだ。その連中と『お喋り』すれば良い」

 

 先程までの調子に戻った【渡り鳥】の傍に舞い降りたイリスは、まじまじと改めて【渡り鳥】の顔を見つめる。そして、この傭兵がどうして忌み嫌われているのか、ようやく本当の意味で理解した。

 

「な、なんだ?」

 

 複眼の虫に間近で観察されてか、震えるアリエルを立たせるザクロから離れる【渡り鳥】は戸惑いながら尋ねる。

 

「いえ、お気になさらずに。【渡り鳥】様は本当にオンオフが激しい御方なのだなと実感しただけです」

 

 この御方、この性格……いや、性質のせいできっと今までの人生で多分に損しているのだろうなぁ、とイリスは、何もしていないザクロの方に安心感を覚えているらしいアリエルと【渡り鳥】を見比べながら、その電脳に分析結果を保存した。




人助けから始まる冒険譚!

妖精の国も本格的に開始ですが、その前に他の面々も到着させないといけませんね。全員無事にたどり着けるとは言いませんが。

それでは、241話でまた会いましょう!

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