SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
ヒロイン達がヒロイン力を発揮し続ける。





Episode18-07 旅人たちのそれぞれ

 レコンには悩みがあり、それは定期的に露呈する。

 それは何の変哲もないデュエル大会だ。賞金もなく、優勝賞品もなく、単純に腕試しと実力を把握する為の大会だ。大ギルドが主催したわけでもない、中堅や上位候補のプレイヤーが大ギルドのスカウトマンの目を意識して鍛えた技を見せびらかす事もあるが、大半は今の自分の強さがどの程度なのか、通用するのかの『安心感』を得る事が目的だった。

 リーファと共にフェアリーダンスに合流したレコンはその性格とステータス・スキル構成もあってか、デュエル大会では結果を残す事はほとんどできなかった。レベルは実力不相応に備わっていると自己嫌悪に陥った時期もあった。

 逆にリーファは上位プレイヤー相手でも勝利する程に卓越した剣術の持ち主であり、戦い方も洗練されていた。現実世界でも友人であるレコンは彼女の強さは幼少より続ける剣道が礎になっていると思っていたが、それ以上に彼女には天性の剣士としての気迫のようなものが備わっていた。

 

『プレイヤーを攻撃するのが恐ろしい。これはデスゲームです。それは自然な事ですよ』

 

 相談相手のサクヤの言う通り、レコンはモンスター相手ならばともかく、プレイヤー相手だとどうしても攻撃に二の足を踏んでしまう。HPを削り尽くすはずがないと分かっていても、攻撃が命中した瞬間のダメージフィードバッグで呻く姿にたじろいでしまう。

 それは1種のトラウマのせいだろう。DBO初期、大ギルドの台頭前の秩序無き時代、森で夜盗に襲われた経験がレコンにはあった。寝込みの奇襲であり、見張りのレコンはついうたた寝をしてしまい、信頼してくれたリーファを裏切る形になってしまった。

 襲い掛かった3人のプレイヤー達は単純にコル目当てだけではない事は明らかだった。武器を抜く間もなく押さえつけられたリーファを見て、レコンは無我夢中でトゲトゲの突起物がついたメイスであるモーニングスターを振り回した。

 

『ぐぎゃーーっ!?』

 

 断末魔とはもっと鼓膜に残る程に響くものだろうとレコンは思い込んでいた。だが、実際にはとても短く、それ故に死への恐怖、命の剥奪の重さに溢れていた。

 夜盗の1人の側頭部に命中して飛び散った赤黒い光。それは血のようなどろりとしたダメージエフェクト。血のニオイなど嗅いだことが無いレコンは、そこに幻の異臭が鼻孔を擽ったような気がした。

 陥没した頭部から肉が見えた。それが臓物や脳髄だったならば、どれ程良かっただろうか? 無意味な程に『ここは仮想世界なのだ』と教えるような赤黒い光の内部。だが、そこで確かに脈動するポリゴンの血肉。

 怒りも、恐れも、憎しみも無く、狂乱のままにレコンはモーニングスターを振り下ろし続けた。

 何度も。

 何度も何度も。

 何度も何度も何度も。

 潰れた頭部に、その身がHPを失って赤黒い光となって飛び散っても、精神が攻撃を止めるなと叫ぶように。

 1人が死ねば、度胸が無い残りの2人は悲鳴を上げて逃げて行った。その後に彼らがどうなったかなどレコンは知らない。ただ、顔の過半を赤黒い光で染め、命の名残と殺人の証明が武器と衣服にこびり付く姿のまま、スタミナが危険域となって点滅するまでモーニングスターを振り回し続けた。

 

『ごめんね、レコン。本当にごめんね』

 

 リーファの兄がSAOに囚われた時……それ以来見せる事が無かった彼女の涙を見て、レコンは我に返った。

 殺人の実感が湧き出した頃に、レコンは体を曲げて嘔吐しようとした。仮想世界では胃から何も吐き出されるはずがないのに、舌を突き出して、殺人という人類が禁忌と定めた行為の重さに潰された。

 身から出た錆だ。あの時、見張りなのに眠りこけてしまったから、リーファを危険にさらした挙句に人殺しまでしてしまった。もちろん、3人相手ともなれば、たとえ寝惚けずに見張りを真剣に続けていても奇襲されていただろう。だが、彼にはそんな言い訳は聞くに堪えない自己弁護に思えてならなかった。

 殺人の重みがプレイヤーを傷つける事への恐怖の足枷と手枷になっているならば、それは割り切れていない『弱さ』か、それとも法と道徳に基づいた『尊さ』か。どちらにしても、敵を斬れない者はDBOでは生きていけない。理不尽に思えて、それは現実世界が優しく隠し続けていた真実だ。 

 どれだけ高いレベルがあろうとも、攻撃を躊躇うならば、レベルに何の意味があるだろうか?

 そして、レベルとは見合うだけのプレイヤーの強さが無ければ、ハイレベル帯であればある程にただの『飾り』になるのだと思い知らされた。

 それはリーファが右腕の欠損で準決勝進出を辞退したデュエル大会での話だ。1人の低レベルプレイヤーが……レベル20程度のプレイヤーがレベル40のプレイヤーを打倒して優勝した。そして、彼は大ギルドのスカウトを受けた。

 上位プレイヤーとそれ以外の決定的な差とは、レベル以上にプレイヤースキル……ステータスやスキルに留まらない個人の実力が問われるのだろうとレコンは考える。彼のように、大きなレベル差を実力で覆した例は珍しいのだろうが、それが真実だ。

 そして、後にレコンに衝撃を与えた番狂わせのプレイヤーは戦死したと噂を耳にした。ノイジエル率いるナグナ攻略部隊に加わっていた、レコンもDBOでは稀有な猛者と思っていたそのプレイヤーは、そこで何が起こったのかも彼には分からないままに死んだ。結局は、レコンが『強過ぎる』と思っていたそのプレイヤーも、上位プレイヤーに混ざれば金とも銀ともならぬ存在であり、DBOの最前線では通じなかった。

 ならば、自分は……『レコン』というプレイヤーはDBOで何処まで通じる存在なのだろうか? 路傍の石に過ぎないのか。それとも粗鉄しか生まぬ鉄鉱石でもやり方次第では鋼程度には鍛えられるのか? 緊張のし過ぎで現実世界ならば失禁しているだろう程に精神をすり減らしたレコンは、大きなリュックを背負い、奇跡の触媒にもなる≪戦槌≫である【竜学院のメイス】を握りしめながら、レベル100想定と聞かされた廃聖堂地下10層ダンジョンに生唾を飲んだ。

 リーファを助ける為ならば地獄にだって旅立ってやる。その意気込みのレコンであるが、それでも眼前の広大な地下ダンジョンには気圧される。

 まるでギリシャ神話に登場するような、円柱が木々のように密接して立ち並ぶ荘厳な地下ダンジョン。完全な暗闇ではなく、円柱に取り付けられた燭台の炎が闇を暴いているが、それでも濃い影には恐怖を覚えずにはいられない。ましてや、外付けアイテムストレージの≪背嚢≫でもレコンが装備しているのは彼の横幅の倍近くまで膨れ上がった【アストラの探索リュック】である。アストラの騎士の従者が背負う大量の荷物を入れられるリュックは、入れたアイテムの分だけDEXに下方修正が入る。今のレコンはメンバーの中で最も機動力が無く、仮に逃走せねばならない場面では間違いなく囮……もとい生贄にされる立場だ。

 だが、事情を掻い摘まんで説明してもらったレコンも、自分では到底たどり着けない妖精の国に向かう為ならば……そこにリーファがいるならば、荷物持ちだろうと何だろうとするつもりだ。

 それに何より、皮肉にも、今まさにレコンはDBO始まって以来最高の『安全地帯』にいるのだと、周囲の『怪物級』のプレイヤー達の戦いっぷりに感じてしまう。

 廃聖堂地下10層に登場するモンスターは、巨大な戦斧を持つ体長3メートルはあるだろうオーガ、集団戦を好む濃い闇を纏った骸骨戦士、毒ブレスを吐く5つ目の鰐のような爬虫類型、チャリオットに跨って投げ槍や特大剣で攻撃してくる亡霊騎士、攻撃は弱くともコアを破壊するまで分裂を繰り返すアメーバなど、多種多様である。

 だが、ユージーンが重量型両手剣を片手で振るえば骸骨騎士たちは砕け散り、髭男がカタナを抜けばオーガの腹は裂かれ、漆黒の騎士が斧槍を突き出せば5つ目の鰐は串刺しである。

 

「さすがはレベル100級。俺1人ではこうも順調には進めないか」

 

「謙遜するなよ。さすがはランク1だ。数回見ただけで、よく俺の攻撃に合わせてくれる。頼りにしてるぜ」

 

「レベル100級……思っていた程でもない。血沸き肉躍る戦いと期待していたが、やはり道中の雑魚では満たされんか」

 

 この3人が前にいるだけで、モンスターたちは次々と薙ぎ倒されていく。黄金パターンはユージーンが高衝撃・高スタンの攻撃で相手のガードを崩し、そこに髭男がカタナ特有の強力な一閃を入れ、漆黒の騎士が斧槍で豪快に撃破するといったものだ。

 言葉にすれば単純であるが、強力な攻撃をこれでもかと駆使してくるモンスター相手に、何ら気圧されることなく踏み込み、死の間際を通り抜けて着実に攻撃を入れるのだ。

 オーガの斧は命中すればユージーンでも大ダメージは免れないだろう。骸骨騎士たちに囲まれれば回復する暇もなくタコ殴りにあって殺される。5つ目の鰐など毒ブレスで視界を潰したところに必殺の顎で喰らい付きに来るのだ。特に厄介なのはチャリオットの亡霊騎士とアメーバが同時に出現した場合である。チャリオットの亡霊騎士は物理攻撃の過半を軽減し、投げ槍は闇属性で追尾してくる。アメーバは打撃属性をほぼ無効化する上に、コアを潰せずにダメージを与えれば分裂して数を増やし、チャリオットの亡霊騎士を守る壁となる。

 ユージーンが床を削って豪快に火花を上げながら斬り上げでチャリオットの亡霊騎士を迎撃すれば、器用に亡霊騎士は特大剣でガードし、チャリオットを牽引する雄牛は火炎属性ブレスを吐き、黄金の角から雷光を発して薙ぎ払おうとする。もはやネームド級にも思える強さの怪物が雑魚として登場するのだ。エンカウント率は低いが、チャリオットの亡霊騎士がこの地下10層ダンジョンで最強の雑魚だとレコンは思い込んでいた。

 しかし、実際には漆黒の騎士がチャリオットの亡霊騎士の首を刎ねた時に出現した、骸骨が集積して生まれたような10メートルはあるだろう巨大蜘蛛こそが、このダンジョンで最も出会ってはならないモンスターだ。無限に骸骨戦士を生み続け、闇属性の糸で高速攻撃を仕掛けてくる上に、8本の脚は攻撃力も高く、顎にはレベル1呪い【上限HP減少】の蓄積が入ってしまう。

 レコンを庇ってユージーンが呪いを受けてしまった時には、間一髪で髭男が間合いの外から抜刀し、謎の青い光の斬撃が骸骨蜘蛛を包んでHPを一瞬で4割吹き飛ばし、HPが半分以下の状態でも闘志を収めずにユージーンがユニークスキルの≪剛覇剣≫を解放して真正面から両断して事無きを得たが、DBO最強格のプレイヤーでも1つのミスで瞬く間に窮地に追い詰められるのは、やはり廃聖堂というレベル不相応のダンジョンの恐ろしさを物語っているだろう。

 

「……鎧は破損していないな。まだまだネームドまで時間がかかる。消耗は抑えてもらいたい」

 

「フン。この程度で傷つく軟弱装備は生憎持ち合わせていない」

 

 だが、レコンにとって、頼もしく、また自分が情けなく思えるのは、今まさに死が迫ったにも関わらず余裕を見せるユージーンの後ろ姿だ。普通のプレイヤーならばHPが一撃で半分以上減り、呪い状態にかかれば、パニック状態に陥ってしまう。だが、ユージーンは何ら迷うことなく攻め続けた。それが出来てこそ上位プレイヤー……いや、真のトッププレイヤーなのだろう。

 思えばリーファもギリギリまで粘ることが出来るタイプだ。窮地に陥っても必死になって、それでも活路を見出そうとする、生き足掻くことが出来る戦士だ。

 レコンはリュックからレベル1の呪いを解除する解呪石をユージーンに差し出す。

 

「あの、僕を庇って――」

 

「貴様は荷物持ちだ。我々の物資を運搬する『最も重要な役割』が任されている。それに依頼主を守るのは傭兵として当然だ」

 

 荷物持ち。それは役立たずに与えられる仕事ではない。そうユージーンは言い放って解呪石を受け取る。ユージーンの安否ではなく装備の破損を気にするハスラー・ワンは戦闘に参加する気配無く、連れている赤騎士のギルドNPCをダンジョン内に放って広範囲探索をさせているが、同意するように頷く。

 

「……P02997、人間は自らの役割以上を望む傾向がある。だが、自身の限界を超えた権利と責務を求めるのは全体を維持するシステムの破綻に繋がる。自身の役割を理解し、従事し、逸脱しない。そうであらんとする義務がある」

 

「兄上よ、慰めているつもりなのか知らんが、その回りくどい物言いはいい加減に直せ」

 

「……慰める? 人間がシステムを維持する為には適度のメンテナンスと努力義務が必要だと主張しているだけだ。あらゆる戦争において物資は生命線。P02997は言うなれば――」

 

 また始まった。階段が8方向に通じる広間にて、休憩を取ることになり、それぞれが装備の修理などを始める中で、漆黒の騎士ダークライダーとハスラー・ワンはまるで進展しない言い争いを始める。

 まるで理解できているわけではないが、どうやら彼らは管理者……DBOの調整役を担うAIであるとハスラー・ワンの説明、もといダークライダーの補足によって、衝撃的過ぎる事実に直面した。

 管理者ならば、バックドアでも何でも使って、回りくどい地下10層の攻略などせずに妖精の国に連れて行ってもらいたいと、レコンは彼ら……特にハスラー・ワンの怒りを買ってはならないと最大限に自重しながら出発前に問いかけた事がある。

 

『……カーディナルは管理者の干渉による著しいゲームバランスの崩壊を認可しない』

 

『ククク。我々にはアベレージプログラムが搭載されている。レベル上位の平均値を基にして調整された性能に合わせたアバターしか与えられない。私もハスラー・ワンも、貴様らプレイヤー以上のレベルのアバターは準備できないし、ネームドやボスのような突出した性能のアバターも得られない。加えて言えば、この堅物は自分自身にプロテクトをかけてプレイヤーに攻略情報を流出させないように多重の制限をかけている。管理者とは不自由なものだ』

 

『……管理者が自らを律する事を疎かにした時、管理者ではなくなる。それが理解できない貴様もエクスシアもMHCPもやはり人間に近過ぎる』

 

 その後はお決まりのような言い争いが始まったのだが、ならばダークライダーが攻略情報を教えてくれれば良いのだろうともレコンは思うのだが、こうして短い間でも一緒に冒険してみれば、この漆黒の騎士の性格の捩じれ具合はイカれている部類であり、たとえ自身の窮地でも管理者としての能力を使わず戦いに興じようとするのだろうと、レコンは嫌でも思い知った。

 管理者としての妥協案としてハスラー・ワンが準備したのはギルドNPCであり、それは等しく彼の統制下にある。理屈はレコンにも不明であるが、『同時に20体のギルドNPCを操る』という行為をハスラー・ワンは行っているらしく、分散させた赤騎士たちで地下10層ダンジョンの探索を急ピッチで進行させている。そうして割り出した最短ルートをレコンたちは歩んでいるのだ。

 

「そう落ち込むなよ。誰も足手纏いなんて思っちゃいないさ」

 

 ダークライダーとハスラー・ワンの静やかな言い争いから逃がすように、レコンの手を引っ張った髭男は自分の隣に座るように命じるかのように階段に腰かける。『正体不明の髭のナイスガイ(自称)』は、赤いバンダナと着崩したような着物、革製のズボン、銀色の綿密な鱗の胸当てといった防具姿であり、軽量戦士らしい身軽さだ。腰にあるのは漆塗りの柄と鞘が特徴的なカタナである。

 

「女の為の度胸と行動。俺は嫌いじゃない。あのハスラー・ワンって奴だって、動きたくても動けなかった。プレイヤーが『攻略する』という行為を援護する。それが奴の管理者としての信念の許容範囲だったのだろうさ。だからよ、俺はお前の行動力が世界を救うトリガーになったって思ってるわけだ」

 

「せ、世界を救う!? 僕が!? 無い無い! だって、僕っていつも皆の足を引っ張ってばかりだったから!」

 

 気軽に、豪快に、あるいは気さくに、赤バンダナの髭男は笑う。この面子の中で最も親しみやすいのが髭男だ。自然とレコンもこの頼れる兄貴といった雰囲気を持つ男には心を開いてしまう。

 腕を組んで、うんうんと頷いた髭男は右手の人差し指を立てながらレコンの肩に腕を回す。

 

「レコンよぉ、こう考えようぜ? お前は弱い! それはお前が自分を『弱い』って思い込んでるからだ! 誰だってそうさ。自分が最初から強いって思える奴なんていない。強くなるには、まずは自分の殻をぶち壊す! 男は自分の世界をぶち抜いて成長する! だろ?」

 

「自分の世界を……壊す?」

 

「そうだ。俺もな、今じゃギルドで頭なんかやったり、『ボス、カッコイイ! 抱いて!』なーんて毎日がハーレムだがな、昔はそりゃあ情けなかったんだぞ? 超雑魚イノシシ相手に何度ぶちのめされたことか。股間に突進喰らって、痛くも無いのに転げ回ったりもしてなぁ」

 

 遠い昔の思い出を引っ張り出したように、髭男は感慨深そうに、自分の情けない過去を苦笑しながら語る。

 

「それにな、いつだって最後まで踏ん張れる男は『惚れた女がいる』奴だって俺は思うんだ。男ってのは単純なもんさ。惚れた女がいれば、それだけで無限に強くなれる。俺もオメェの事情は詳しく知らねぇが、リーファちゃんが好きなんだろ? だったら、まずはリーファちゃんの為なら何でも『やれた』自分を信じろ。俺達を集めた自分を信じろ。オメェはDBO始まって以来の快挙を成し遂げた偉大な戦士だ!」

 

「ありがとうございます。僕、頑張れる気がします、兄貴!」

 

 瞼を閉ざせば、いつだって自分の手を引いて、この地獄のようなDBOで助けてくれたリーファの姿が思い浮かぶ。彼女の目は決してレコンを『仲間』や『友人』以上には映していなかったが、それでもレコンが彼女を『大好きな女の子』として見続けた事実は変わらない。

 自分の世界を壊す。レコンは腰にかけたメイスを見つめる。決して戦えなかったわけではない。今までも、仲間の窮地には飛び出すことができる度胸は自分にはあった。

 レコンには自覚が無いとはいえ、ここぞの爆発力に限ればフェアリーダンスでも随一だった。ちなみに、レコン自身は全く知らないことであるが、フェアリーダンス内での彼の扱いは『生きたダイナマイト』である。仲間のピンチになると我を忘れて暴走するのは彼の悪癖であり、フェアリーダンスは密やかな総意で彼に後衛をやらせていた。

 

「兄貴か。良い響きだ。存分に頼りたまえ! フハハハハ! この髭のナイスガイ、レコンを立派なジェントルマンにしてやろう! まずは髭だ! 髭を生やせ! ダンディズムとオシャレ男は髭に始まり、髭に終わる!」

 

 気分を良くしたらしい髭のナイスガイは目を輝かせる。レコンもまた、初めて出会えたここまで頼りになる同性に自分の理想像を重ねる。

 と、そこでレコンは言い知れない悪寒を感じ取り、思わず背筋を伸ばす。まるでチーターに狙われたガゼルのように周囲を警戒したレコンは、自分に近寄ってくる人影に気づく。

 

「男2人で何を喋ってるの?」

 

 話に加わってきたのは、黒紫の髪を揺らす少女だ。小柄な体格と紫の刺繍が施された黒衣を翻し、機動力を確保する為のロングスカートに入れられたスリットから伸びる生足は艶めかしい。やや軍服チックなデザインも含めて、この防具のデザイナーの情熱が伝わってくる。

 あまり持久力がないらしく、戦闘には積極的に参加せず、黒狼の背に乗って移動するユウキと語らう機会は無かった。

 

「おう、ユウキ。ちょっとレコンに男の道の指導をだな……」

 

「ボスは本当に余裕だね。ある意味で尊敬しちゃうよ。レコン……で良いよね? ボスの言う事をあまり真に受けたら駄目だよ。平気で無茶なことを言ってやらせる人だから」

 

 にっこりと笑ったユウキに、レコンは思わず頬を赤らめる。よくよく見る間でもなく可愛い美少女に笑顔を向けられれば、男女交際歴の無いレコンの心拍数が上がるのも仕方なく、そうでなくとも某飲酒喫煙愛好傭兵に『魔性の女』認定を受けたユウキともなれば、彼のハートはよろめくというものだ。

 

「あと5分で出発だよ。それまでしっかり休んでね。『まだ』レコンには死んでもらったら困るんだから……ね?」

 

 この場で1番弱い自分への優しい気遣いに身を沁みらせながらレコンが壊れた人形のように頷くと、ユウキはもう1度笑って髪とスカートを翻して去っていく。

 

(僕にはリーファちゃんがいるんだ。リーファちゃん一筋なんだ! 浮気なんか絶対にするもんか! で、でも……やっぱり可愛いなぁ)

 

 そもそも付き合うどころか告白すら実行していないのに、浮気も何もないのだろう。そんな野暮なツッコミをレコンの内心にしてくれる者はいない。だが、何かおかしさを感じ取ったように髭のナイスガイだけは顎髭を数度撫でる。

 

「……オメェ、何かユウキを怒らせる真似したか?」

 

「へ?」

 

 もしかして、あの子って僕に気があるのかな? 魔性の女補正がかかった笑顔に引っかかって浮かれていたレコンに、髭のナイスガイは神妙な顔で問いかける。

 

「あんなにも『ブチギレ』したユウキは初めて見たぜ。ありゃ、オメェを殺したくてウズウズしている目だ」

 

「そ、そんな、まさか……」

 

 レコンは改めてユウキの笑顔を思い出すが、好意的な態度以上のものは何も感じられなかった。

 

「俺の気のせいかもしれねぇが、背中とメシには注意しとけ」

 

 物騒な忠告をして、髭男はレコンの肩を数度叩いて場を離れる。どうやら仲間同士でユウキと話し合いがあるらしく、他の面々とは距離を置く。

 近寄ってきた髭男と小声で交わして頷いたユウキは、自分をジッと見つめるレコンに笑顔でひらひらと手を振った。

 威圧的なランク1、無駄にダンディボイスで恐怖心を募らせるダークライダー、もはや説明不要のハスラー・ワンといった超人的な面々の中で、唯一まともに頼れそうなのが髭のナイスガイ、そして清涼剤になるのは紅一点のユウキだけという状況に、レコンはあんな可愛い子に恨まれるような真似はやっぱりした覚えがないと、きっと髭男の勘違いだろうと不安を流す事にした。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「オメェなぁ、もう少し殺気を抑えろ。ダダ漏れ過ぎて俺の方がちびっちまいそうだ」

 

 呼び出されたと思えば、マクスウェルに代わって説教か。広間の隅にて、アリーヤに鼻を擦り付けられながら、ユウキは瓦礫を椅子代わりに腰を下ろし、呆れたように腕を組んだボスから逃げるように視線を外す。

 

「そもそも何に怒ってるのかしらねぇが、俺の目が黒い内は仲間を『犬死』はさせねぇからな」

 

「はいはい、分かってるよ。ボク達は仲間。仲間はファミリー。ファミリーは裏切り、駄目絶対。それがボスの流儀だもんね」

 

 ボクが狙ってるのは『事故死』だから問題ないね♪ ユウキはボスの忠告を守りながらレコンを殺すのは大変そうだとプランの練り直しを始める。

 

「分かればよろしい。それじゃあ本題入るぜ。このダンジョンをどう思う?」

 

 腰に差したカタナの漆塗りの柄頭を数度叩いて、ボスはユウキの意見を求める。恐らくは自分の分析結果との照らし合わせが目的だろう。ユウキは意識を切り替え、アリーヤの頭と顎を撫でながら目を細める。

 

「……レベル100級の前評判だけはあるとは思うよ。でも、廃聖堂最後のダンジョンにしてはぬるいかな?」

 

「やっぱりか。9層まで攻略を手伝ったオメェが言うんだから間違いなさそうだな」

 

 ボスも得心が言ったように頷き、攻略が順調なのをむしろ危険視するように顎髭を撫でた。

 ユウキも先の第9層ネームドの攻略に至るまで、廃聖堂のダンジョン攻略をクラウドアースと共に実行していたが、確かに第9層までのモンスターとは格が違う。だが、揃っているのはDBOでも精鋭の中の精鋭だ。ユージーンは傭兵として不利な状況には慣れているし、ボスは修羅場の経験がユウキ達とは桁違いだ。ダークライダーに至っては退屈さすらも滲ませている程に余裕がある。ウィークポイントはレコンだけである。

 確かに単身ではまともな攻略は現状では不可能だろうが、精鋭揃いのパーティならば可能。加えてハスラー・ワンが放ったギルドNPCが常時休まずに攻略を進めてダンジョンを探索し続け、情報が集積されていく。これならばネームド戦に至るまで消耗は最小限に抑えられるだろう。

 チャリオットの騎士はひたすらに手強く、骸骨蜘蛛は耐久力こそないが呪い攻撃も加えて攻撃力過多だ。アメーバに至っては厄介さだけを追究したようなモンスターである。だが、ユウキも含めて想像していた程の厳しさを感じてはいないはずだ。一撃死の危険性も大振りの攻撃が恐ろしいオーガだけである。

 

「大抵は出現モンスターでネームドの兆候が分かるんだが、心なしかスケルトンやゴースト系が多いってくらいか?」

 

 ボスの懸念は1つ、このダンジョンの最後を飾るにしては後継者の悪意が不足している点だ。出現するモンスターは厄介なのも多いが、あの狂人がわざわざ妖精の国を守る最後の砦に何らトラップを仕掛けていないとは思い難い。

 そうなれば、自然と至る考えは1つ。強烈な悪意を注ぎ込んだネームドが控えているだろうという点だ。

 重ねて注意が必要だ。認識の擦り合わせを終えた頃に、ハスラー・ワンから出発の号令が出され、八方に通じる階段から2匹の蛇が互いの尻尾を喰い合うウロボロスのマークが刻まれたものを進む。

 立体的に入り組んだ廃聖堂の最下層ダンジョンは上層ダンジョンよりも迷いやすい。モンスターからの奇襲も受けやすいのだが、ある程度の広い範囲でなければ機動力を発揮できないチャリオットの亡霊騎士、その巨体が閉所での戦闘に適さない骸骨蜘蛛とのエンカウント率もまた下がる。ハスラー・ワンも消耗を抑える為に、なるべくこの2種との遭遇を避けるルートを選んでいるようだった。

 チャリオットの亡霊騎士は必然として消耗を強いられ、骸骨蜘蛛は呪いも含めて一撃による事故死も考え得る。理に適っているが、どうしても迂回ルートを取らざるを得ない。それをカバーするのがハスラー・ワンが放っているギルドNPCだ。彼らの索敵と情報収集はプレイヤーの探索の比ではない速度である。

 最悪でも3日間はダンジョンに籠りっぱなしになるだろうと予測していた地下10層攻略であるが、この調子ならばハスラー・ワン曰く、深夜までにはネームド部屋に到達できるだろうという事だ。これにはユウキも驚きを隠せない。

 アメーバを斧槍の一振りで薙ぎ払い、丁寧にコアを刺し貫いて撃破していくダークライダーの援護で、彼の背後から斬りかかった骸骨戦士をユウキは影縫で絡め捕り、肘打で頬を砕いて転倒させる。ダークライダーは余裕を持ちながら倒れた骸骨戦士に斧槍を振り下ろし、更に跳びかかる数体を回転薙ぎ払いで破砕する。

 技の1つ1つが芸術的かつ獰猛だ。斧槍を重点的に使用し、背中の両手剣は振るわない時点でダークライダーの余裕を感じさせる。レベルがプレイヤーの現状から逸脱していないならば、レベル差ではなく本人の実力が高過ぎるのが原因だろう。この男1人がいるだけでパーティの戦闘力は段違いに跳ね上がっている。

 ダークライダー。ハスラー・ワンと違って常に前に出て戦う姿はまさしく尖兵だ。以外にもワンマンな活躍に留まらず、ユージーンやボス、そしてユウキの援護まで動きに組み込んでいる。理想的な戦士とはまさに彼の事だろう。これでAIなのだから、こんな存在が溢れかえれば人間など戦場では容易くお払い箱……いや、人類自体が駆逐されてしまうのではないだろうかとユウキはぼんやりと考える。

 だが、一方でダークライダーはお喋りというわけではないが、プレイヤー達に対して管理者としての線引きが甘い。あくまで彼は管理者であるよりも戦士である事を優先している節がある。その為か、ハスラー・ワンに非難の視線を向けられながらも軽口のように情報を漏洩する。あるいは、それもまた狙っての事かはユウキには判断がつかない。

 セサルの寝室にて出発準備前に、ハスラー・ワンの制止を振り切ってダークライダーは今回の事態……オベイロン抹殺をどうしてプレイヤーに委ねねばならないのかを説明した。

 

『貴様らにも分かりやすく言えば、DBOは国土、カーディナルは法律、管理者たる我々は警察、妖精の国は領事館がある治外法権地区だ』

 

 兜の覗穴から漏れる赤い光を楽しそうに呼応させる様は、自分たちの失態を嬉々として語り聞かせるようだった。あるいは、ダークライダーにとってこうしたイレギュラーこそが娯楽なのか、もしくは別の理由があるからか。

 

『元々はセカンドマスターが【黒の剣士】を迎え撃つ為に準備したステージだ。ALOのVRデータをDBOに変換し、アレンジを加えた。ククク、そして酔狂な事に、セカンドマスターは『あの男』を妖精王オベイロンとして、【黒の剣士】を迎え撃つ役目を与えた。そして、見事にセカンドマスターの裏を掻いてアルヴヘイムをカーディナルの管理下ではない治外法権地区にしてしまった。あの場所では我ら管理者も権限を振るう事が出来ない。我らは警察。警察は法の管理下でこそ力を発揮する。治外法権の地では『認可』を取らねば警察としての権力は振るえん』

 

 つまりは、妖精の国はDBO内にありながら独自のルールが敷かれた土地という事であるとユウキは認識し、またボスとも共通見解とした。他の面々がどのような認識なのかは分からないが、大よそは同一だろう。

 

『だけど、あなた達は凄い強いよね。ボク達プレイヤーに任すくらいなら、自分たちで攻め入れば良いのに』

 

 ユウキはダークライダーの雰囲気の時点で規格外の猛者としての実力を見抜き、そう問いかけた。

 

『実に正論だ。だが、私もハスラー・ワンもプレイヤーアバターを使用してこそいるが、なまじ管理者であるだけに妖精の国に入ろうとすると弾かれてしまう。妖精の国も根本はカーディナルと連動しているので我々の正体が検索されてしまう。故に我らは管理者としての範疇を逸脱した場所には手を出せん。だが、逆に言えばそれこそが弱点。オベイロンもカーディナルの法則下から脱せられないならば、自身に与えられた『役目』から逃れられん。つまり、オベイロンは『ボス』である限り、必ず倒せる存在というわけだ。同じ理由でカーディナルに帰属する存在の支配も出来ない。管理者権限で自身に多少のカスタムはしているだろうが、基礎となる性能は弄られん。それこそカーディナルに申請し、我らの前に姿を現さねばならんからな。ククク、カーディナルは『GM権限を持つ者のみ』に不死属性を認可している。奴が最も欲しい絶対なる安全は、皮肉にも妖精の国の支配によって永遠に失われたわけだ』

 

 管理者である限り、AI達ではオベイロンに手出しは出来ない。だが、プレイヤーはリスクさえ背負えばオベイロンを殺すことが出来る。ユウキは他にも細かい事情はあるのだろうが、ダークライダーが伝えたい事を噛み砕いて把握した。

 しかし、何かがおかしい。ユウキはプレイヤー任せにせねばならない理由に納得こそするが、ダークライダーの説明と妖精の国の現状、オベイロンが起こした凶行などに、何か歯車が噛み合わないような違和感を覚える。

 そう、茅場の後継者だ。あの男が自分の玩具箱を好き勝手に弄繰り回されて何も行動しないはずがない。あるいはハスラー・ワン自体が後継者の命令を受けて動いているとも考えられるが、ユウキには奇妙な齟齬を感じずにはいられなかった。

 

『その点で言えば、プレイヤー達は正規の手順を使用して妖精の国に侵入すれば、諸君らプレイヤーは妖精の国への「挑戦者」として登録される。ボスである以上はオベイロンも挑戦者に不正行為は出来ん。干渉を受けずに妖精の国の攻略を行えるだろう。ククク、オベイロンは諸君らのステータスはもちろん、アイテム、スキル構成、位置情報も解析できない。奴からすれば喉元に突きつけられた見えぬ短剣というわけだ。その長さも、鋭さも、毒が塗られているか否かも分からん』

 

『……あの男が大人しくボスとしてプレイヤーを迎え撃つ義務感があるとは思えない。『サードマスター』と自称し、我らに臣下として跪く事を要求し、挙句に最上位の管理者権限どころかGM権限まで欲した男だ』

 

『私は嫌いではないがね。あのような手合いは存外面白い行動を取る』

 

 その後は言い争いに発展して管理者2名から情報は得られなかったが、ぼんやりとユウキにも妖精王オベイロンの輪郭が見えてきた。

 まずダークライダーは妖精王をそれなりに気に入っている。理由は『面白いから』だ。この男は自分を楽しませてくれるならば、管理者としての責務など関係ないと考えている節がある。逆に言えば、オベイロンは型に嵌まった管理者ではない。

 ハスラー・ワンの言葉が真実ならば、妖精王は上昇志向というよりも強い権力欲と支配欲を持つ人物だ。その点で言えば、ユウキが知る限りではあるが、知的好奇心と理想を優先する茅場昌彦とも、悪意を持った純粋な子どものような茅場の後継者と違う、典型的な『過ぎた自己顕示欲を持つ汚い大人』といった印象だ。特にわざわざ誰に言われるまでもなく、サードマスターなんて名乗っている時点で、プライド高い性格を感じる。

 

「ユウキ!」

 

 と、少しぼんやりと考え事が過ぎたのだろう。ボスの掛け声で、背後から迫るチャリオットの亡霊騎士の察知したユウキは、腰の片手剣を抜き取ると神速の7連撃……並のソードスキルを上回る剣速で迎撃する。ゴースト系にもダメージが通る水属性の刃は亡霊騎士を刻み、その手綱を握る右腕を拡散させる。

 チャリオットの軌道が逸れて右脇を通り抜けながら派手に転倒し、亡霊騎士が放り出される。そこにユージーンが呪術の火蛇を発動させ、連続で立ち上りながら追尾する火柱が多段ヒットして亡霊騎士を焼く。そして、宙に舞い上がった亡霊騎士の真下で、意外にもレコンがホームランを狙うようにメイスをフルスイングする。

 

(へぇ、意外と根性あるかも)

 

 この中では1番レベルが低く、戦闘経験も少ないはずだ。だが、ここぞというチャンスで踏み込んできたレコンを少しだけユウキは評価する。

 

「ほう。やるものだな」

 

「最低限の根性はあるよね」

 

 感心したようなダークライダーに、ユウキも素直に同意する。だが、漆黒の騎士は勘違いするなと言うように喉を鳴らして笑う。

 

「あのような小者の事を言っているのではない。心意気だけでは生き残れん。力だ。常に勝敗を決するのは信念ではなく力だ。私が評価したのはお嬢さんだよ」

 

 ダークライダーに褒められても嬉しくない。鞘にスノウ・ステインを戻したユウキは、彼の物言いに少しだけ腹立っていた。

 確かに誇りや信念が勝敗を分かつ要因ではない。そんなもので勝ち負けが決まるならば、世のスポーツはテクニックもフィジカルも無関係に滝に打たれて精神修業が大流行しているだろう。世界は正義が勝つ理想的な平和を獲得しているだろう。

 

「矜持も信念も、最後の1歩を踏むために必要な力。その1歩が勝負を分ける時もある。ボクはそう信じたいけどな」

 

「ククク。語るに落ちたな。つまりは精神力とは強者にのみ許された武器というわけだ。弱者がどれだけ誇らしく理想や夢を語ったところで、心無い暴力で踏み躙られる」

 

「ボク……あなたの事が嫌いになりそう」

 

「私は好きだがね。お嬢さんのような強き者こそが我が生き甲斐だ」

 

「そう。でも、レコンが動かないとあなた達は何もできなかった。だったら、レコンの意思が世界を変えた。違う?」

 

 これは痛いところを突かれた。そう笑うようにダークライダーは小さく肩を竦める。

 別にレコンを庇っているわけではない。ユウキが気に食わないのは、ダークライダーの発言がとてもクゥリに似ていたからだ。

 きっとクゥリも言い方は違うにしても、ダークライダーと同じ結論を述べるだろう。だが、その一方でクゥリならば、必ずレコンの行いを、信念を、思想を、尊いものとして評価しているはずだ。そして、その上で力で踏み躙られる不条理を淡々と呟くはずだ。

 

「ならば、彼は戦場に出るべきではない。言葉と思想で世界を変えるならば政治家でも目指した方が有意義だ。戦場は戦士の独壇場。戦えぬ者は蛆が湧く価値すらもない腐肉だ。さて、お喋りが過ぎたな。来るぞ、構えろ」

 

 開けた円柱の森から落下してきたのは4体の骸骨蜘蛛だ。囲まれた形になり、ユージーン、ボス、ダークライダー、ユウキがそれぞれ1体ずつを受け持つ事になる。更には床を滑るようにアメーバたちも集まり始める。

 ああ、イライラする。レコンも、【黒の剣士】も、ダークライダーも、何もかもが腹立たしい。ユウキは怒りをぶつけるように骸骨蜘蛛の暴れる脚を潜り抜けて腹の下を薙ぎ払い、尻の方から脱すると宙を跳んで反転した骸骨蜘蛛の頭部に発動させた蝕む闇の大剣で斬りつける。スノウ・ステインから発生した暗色の紫の光の刃はスケルトン系に効きが悪い闇術である。

 だが、終わらない。怯まずに顎を突き出す骸骨蜘蛛の口内にめがけて、ユウキは間髪入れずに次なる闇術を発動させる。細身の片手剣に黒いオーラを纏った紫色の光が纏わり付き、それはランスとなる。

 希少な闇術の1つ、闇のランス。クゥリが『どうせ使う機会が無い』と言って譲渡してくれたものだ。マクスウェルも知らなかったユニーク級の闇術であり、高い闇属性攻撃力のみならず、物理補正を与えた突進攻撃が可能となる。ソウルの剣系と同じで魔法剣士の切り札に成り得る。

 闇のランスが骸骨蜘蛛の口内を貫く。頭部をミンチにされ、骨の欠片を散らし、索敵能力を失った骸骨蜘蛛は脚を折る。後は適当に斬りつけ続ければ終わりだが、こうなれば打撃属性の≪戦槌≫の方が有利である。レコンが前に出て殴りかかるのをユウキは淡々と見守る。

 まだ地下10層の攻略は続く。不気味なまでに静観を続けるハスラー・ワンは何かを悟ったように溜め息を吐いて『それ』を零した。

 

「……なるほど。やってくれたな、セカンドマスター。よもやあのイレギュラーを派遣するとは」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 妖精の国に行く。UNKNOWNとシリカの目的地に、当初こそ驚いたシノンであるが、考えてみれば何でもありな上に性格が捻じ曲がった後継者ならば、プレイヤーの多数にとって馴染み深いALOの舞台を、DBO風に味付けして準備するくらいは平然とするだろうと納得した。

 場所は意外にもプレイヤーにも人気があるローガンの記憶である。探索され尽くしたとされているステージであり、イベントもダンジョンも全て攻略済みである。メイン街である歴史ある趣に満ちたヴィンハイムは今日も変わらず雪景色であり、プレイヤー達も気分転換のように街を散策している。心なしかカップルが多めなのはご愛敬である。

 

「こんな所に妖精の国への入口が本当にあるの?」

 

「それがあるんだなぁ。俺も探すのは苦労したけど、シリカの情報収集のお陰で、早期に発見できたよ」

 

 顎に手をやり、自信満々に告げるUNKNOWNは頭からすっぽり覆うマントを羽織っている。シノンも同様であり、これは使い捨ての隠密ボーナスを高める【隠匿者のマント】だ。ボロボロの外観に反して値も張るアイテムなのであるが、どうやら監視されていたらしいUNKNOWNが尾行を振り払う為に準備したものだ。最初はシリカが囮となり、その間に2人がローガンの記憶に先行。その後に尾行を巻いたシリカが合流した形である。

 

「フフフ。私の探索力を舐めないでください。伊達にSAOを生き抜いたわけではありません」

 

 それは心強い事で。薄い胸を張るシリカは、普段連れている成長した2匹の金竜と銀竜を留守番させ、身を隠すマントの下に青い鱗の幼竜を連れている。さすがにあの2匹は目立ち過ぎるという理由らしいが、それ以上にピナと名付けられたこの竜には思い入れがあるらしい。

 

「まずはローガンとの会話イベントだけど、ボス戦での助太刀後は彼も研究室に籠って出てこなくなるだろう? だけど、彼に未知なる魔術書を見せると、それに対応した色々な話が聞けるようになるんだ」

 

 魔法の研究に熱心なローガンよりも未来の魔法を彼に渡す。確かに研究者の心を擽るものであるが、その発想にあっさりと至れるUNKNOWNにシノンは純粋に感心する。これこそがまさしくゲーム勘……ゲーマーならではの嗅覚というものなのだろう。

 

「その中で渡すのはソウルの結晶槍だよ。これは未来のローガンが作り出す魔法なんだけど、ローガンは伝説の白竜の実在を知って、ヴィンハイム魔法学校の図書館の秘蔵書庫、そこの隠された鍵を渡してくれる。これが常夜の船守がいる場所まで続くダンジョンの入口さ」

 

「地道な探索が活路を開いたというわけね」

 

「そんな訳ないじゃないですか。広大なDBOで目星をつけないと探し出すなんて不可能です」

 

 シノンを否定するシリカの口ぶりは心なしか刺々しい。何か彼女を怒らせる発言をしただろうかとシノンは考え、そもそも無理矢理ついて来た自分に良い顔をするはずはないかと納得する。

 UNKNOWNがヴィンハイム魔法学校に入る為の紋章を取り出し、校内に入るとシステムウインドウを拡大表示してシノンに見せる。それはローガンの記憶のメインダンジョンとなる地下施設だ。街自体がステージそのものとも言うべきローガンの記憶のメインダンジョンは地下にある迷宮であり、入り組んだ構造は迷いやすく、当時は攻略にも時間がかかった。その代わりのように、フラグを立てて参戦してくれたローガン無双のお陰でボスは全ボスでも最弱とさえも言われている始末であるが。

 何層ものレイヤーで表示されるマップデータ。それをUNKNOWNは自力で立体構造に書き写したものだろうを表示する。まさしく迷宮と呼ぶに相応しい入り組み具合であるが、これの何がヒントになるのかシノンには分からなかった。

 

「ほら、ここだよ。街の地下全体に張り巡らされたダンジョン。だけど、ここの1点だけには地下の何処の通路も重なっていないんだ」

 

 UNKNOWNが設定を変更すれば、ヴィンハイム魔法学校の敷地から赤い線が地下へと伸びていく。それはボス部屋があった最下層すらも掠らずに、他の通路とも接触することない。確かに不自然とも言える空白地帯であるが、それはUNKNOWNの説明と彼の自筆の立体マップがあったからこそ感じ取れるものだ。どれだけ執念深いマッピングと立体構造の把握に努めれば、こんな些細なヒントを炙り出せるのかとシノンは呆れそうになる。

 

「妖精の国に関する情報は前々から集めていたんだ。DBOの伝説の1つ、最初の小人の子の1人が古竜ユグドラシルと出会った。それがヒントになった」

 

「ユグドラシルとは北欧神話に登場する世界樹ですね。そして、ALOのキーポイントも世界樹。古竜ユグドラシルについて調べていたら、必然と魔法との関わりに行きつきました。魔法の祖は大いなる白き者……白竜シースとされ、故にDBOにおける魔法使いたちは竜を探究の象徴としています。なので、ヒントを求めてDBOの歴史で原初となる魔法研究機関があるヴィンハイムを重点的に調査していました。まぁ、地道という意味では複数の候補の中からこれがヒットしただけなんですよね」

 

「だよなぁ。廃聖堂はさすがに単独で攻略しようにも他のプレイヤーに必ず見つかるだろうし、古戦場も発見できたけど扉を開く条件がちょっと……な。それに、あの狙撃を潜り抜けるのはもう嫌だし。死にかけたし。いや、次は絶対に死ぬ! もうやりたくない!」

 

「でもネームドを放置したお陰で他のプレイヤーは近寄れませんよ。あの不可視位置からの狙撃を犠牲無しで潜り抜けるにはこの人のちょっと頭がおかしい反応速度以外じゃ無理です。何せ『見てから回避』ができないといけませんからね。」

 

 2人して『あれは無いわぁ。バランス調整間違ってるわぁ』とシンクロして溜め息を吐く姿に、そんなにも古戦場の船守を守るギミックは恐ろしいのだろうかとシノンは逆に怖いもの見たさで気になった。

 だが、それ以上にシノンが驚いたのは2人の推理力だ。幾ら複数の候補からビンゴしただけとはいえ、並の探索力ではしゃぶり尽されたとさえ言われたローガンの記憶の秘密は暴けない。

 確かにDBOにおいては、通常のゲームならばフレーバー要素とされる設定がダイレクトに攻略情報となる場合も多い。だが、この2人の調査と発想の転換は手慣れたプロのものを感じる。それがSAOを生き抜いたプレイヤーの標準能力なのか、それともこの2人が異常なのかはシノンには思いつかない。

 ローブを着た学生たちの間を抜け、巨大な図書館にたどり着いたシノンは周囲を見回す。まだ昼間なのでNPCの学生が書物を開いて熱心に勉学に励んでいる。

 もう1年以上もDBOにいる。シノンは学生たちに現実世界の自分を重ねる。仮にDBOをクリアして現実世界に帰還したとして何が残るだろうか?

 認めたくない。それでも、シノンは今の日々が充実していた。傭兵としての毎日、スミスとの修行、UNKNOWNとの語らい、シリカが開くお茶会。いずれも現実世界の孤独な自分では味わえなかった時間だ。

 指先を見つめれば、あの日の感触が蘇る。人殺しの鈍い硝煙の香りと血の赤色が指先にこびり付いているような錯覚が襲ってくる。

 

「1つ聞かせてくれる? 妖精の国に行きたい理由は……何?」

 

 図書館の最奥にある秘蔵書庫に到着する。本来は立ち入るだけでも気が遠くなる数のイベントが必要になるのだが、そのクリア報酬として複数の有用な魔法を獲得できるようになる、魔法使いプレイヤーから成長する為に必要な場所だ。今も2人程のプレイヤーが魔法書の獲得イベントに挑戦している。彼らの目を逃れながら進む中で、シノンはUNKNOWNが妖精の国に執着する理由を尋ねる。

 単純にステージに1番乗りしたいから。そんなゲーマー根性で、このデスゲームのDBOで妖精の国に向かおうとしているわけではない事くらいシノンも悟れる。彼にとって命懸けの冒険をするに足る理由が……たとえ死んでも成し遂げねばならない何かが妖精の国にはあるはずだ。

 

「……シノンは大切な人を失った事はあるか? 家族でも、友人でも、恋人でも良い。自分にとって半身以上の人を失ったことが……いや、『死なせてしまった』事があるか?」

 

 白竜の刻印が施された本棚の前で立ち止まり、UNKNOWNは金縁の革張りの本を引っ張り出す。その向こう側には白竜の刻印があり、UNKNOWNがそれに触れて右に回せば刻印は蓋のように外れる。そこには小さな鍵穴があった。

 今更隠す事でもない。シノンは自分にとってトラウマになっている、どれだけDBOで恐怖を味わおうとも今のシノンを形作っている記憶を掘り返す。

 

「DBOにログインするより前に、人殺しをした事は……あるわ。でも、大切な人を『死なせてしまった』ことはないわね」

 

 意外にも……いや、当然のようにUNKNOWNは驚く様子は無かった。シノンが殺人行為に手を染めたと知っても、彼の雰囲気は変化していない。

 

「俺は昔、絶対に勝たないといけない相手に勝てなかった。自分の弱さに負けた。これ以上の犠牲を出さないで済むはずの戦いに敗れたんだ。きっと、あの日……あの男に勝っていれば、俺にその強さがあれば……DBOだって誕生しなかったかもしれない。シノンがこんな地獄に囚われる事も無かったかもしれない」

 

 仮面に隠された素顔を苦渋で歪めているのが透けて見えるようなUNKNOWNの搾り出すような、心底自分が憎たらしくて堪らないといった自己嫌悪の声音に、シノンは薄ら寒さを覚える。普段は飄々としている余裕に溢れた黒衣の傭兵は荒々しく拳を壁に叩きつけ、破壊不能オブジェクトの紫のエフェクトを散らすも、響いたサウンドエフェクトはイベントに挑戦していたプレイヤー達の視線を集める。

 

「注意を集めます。冷静になってください」

 

「ごめん。ありがとう、シリカ」

 

 シリカは厳しく声音で、だが心遣いを忘れない優しい手付きでUNKNOWNの肩に触れる。彼らの絆を示すように、UNKNOWNは我に返ると自分を恥じるように頷く。

 

「俺はその戦いで1番大切な人を……アスナを死なせてしまった。俺が殺したようなものだよ。あの時、俺に……俺に『彼』みたいな『強さ』があれば、あの男に勝てたんだ」

 

「アスナさんって、あの【閃光】の? だったら、あなたが言っている戦いって75層の――」

 

 そこまで言ってシノンは言葉を飲み込む。口を噤むしかなかった。仮面の向こう側から、シノンすらも焼き尽くすような禍々しい気配を感じ取ったからだ。 

 それは自己嫌悪から生じる殺意。自分の咎に焼かれた罪の炎。際限ない自罰的な怒りだ。

 鍵穴に小さな金色の鍵を差し込んで回す。するとカラクリが動くような歯車が回る音が聞こえたかと思えば、足下のタイルの1つが沈み込んでスライドし、人間1人が通れるだろうスペースの階段が露になる。

 プレイヤーの目が集まらない内にUNKNOWNは入り込み、シリカが続き、シノンも再びタイルが閉じるより前に滑り込む。先導するUNKNOWNが手持ち用のランタンを掲げて周囲を明るく照らしながら下る。

 しばらくの沈黙の中で階段で奏でられるリズム良い足音が耳を擽る。その中でUNKNOWNから放出される濁った殺気が鎮まっていき、いつもの調子を戻っていくのに、シノンは安心感と共に息を吐いた。

 

(この人……もしかしたらギリギリなのかもね。まるで今にも崩れそうな砂の塔の頂上で踏ん張っているような危うさだわ)

 

 思えば今までもその兆候はあった。彼がスミスに弟子入りしてまで、プライドを捨ててまで『強さ』を求めたのも、全ては自己嫌悪から生じたものなのかもしれない。

 塔から落ちるのが先か、それとも塔が崩れてしまうのが先か。どちらにしても、誰かが支えねば仮面の英雄は壊れてしまう。そんな危うさがある。

 

「もう引き返せない。だから、全部伝えるよ。俺はDBOでデスゲームが始まるって知っていたんだ。それを食い止められるかもしれない立場にもいたんだ。VR犯罪対策室。シノンも知ってるだろう?『キミが巻き込まれた』死銃事件を解決した、世界初のVR犯罪を念頭に入れた捜査機関だよ。俺はそこでシリカと一緒にオブザーバーをやっていたんだ。SAO事件の被害者としての見地と高いVR適性を見込まれてね」

 

「ちょ、待ってよ!? えと、つまり、何なの!? あなたは最初から私の事を知ってたわけ!?」

 

 確かにシノンも経験した死銃事件はSAOの生存者が引き起こしたものだと、事件後にVR犯罪対策室の人間だという超絶イケメン刑事に案内されて署を訪れた。公務員らしからぬ軽薄な態度であり、その分だけ威圧感が無く、またシノンに『可愛い女の子を殺そうとした阿呆はもう牢獄にいるから大丈夫だよ』とウインクして、後ろで控えていたピンク色の髪をした少女に頭を叩かれた光景を思い出す。

 そういえば、ワンモアタイムの1件でも初対面なのに、妙に馴れ馴れしかった気がする! シノンは顎が外れる勢いで、自分の運命を変えた出会いの下地はDBOログイン以前に整っていた事実に驚く。

 GGOで起きた死銃事件の際に、シノンも捜査協力してデス・ガンを追い詰めた。その正体と協力者によってシノンは現実世界において更なる人間不信になって増々VRゲームにのめり込む要因になったわけであるが、それは割愛する。

 

「知ってたも何も、この人はあなたに捜査協力を求めた真っ黒大好きプレイヤーさんですよ?」

 

「ストップ! ストップストップストップ! 私に捜査協力を求めたのは黒髪美少女アバターよ!? この……認めたくないけどイケメン真っ黒男とは性別が違うわ!」

 

 VRゲーム規制の1つに、性別が異なるアバターの使用は禁じられている。シノンに捜査協力を打診したのは、鼠の髭ペイントを生やした女と黒髪ロングの美少女である。

 途端にUNKNOWNもシリカも嫌な思い出があるのか、またしてもシンクロして顔を背けながら『あの【鼠】が手配したアバターのせいで本当にややこしくなったよね』と呟き合う。

 

「本当に頑張りましたよね。あの屈辱をバネにして肉体改造に励んで……」

 

「VR犯罪対策室万歳。ジムの利用が24時間365日無料なんて最高だったよ。筋トレの甲斐があったなぁ。お菓子を禁止して、ジュースも飲まず、毎日プロテインを……うっ! 思い出しただけで吐き気が! もうプロテインは嫌だ!」

 

「フフフ。私の考案したトレーニングメニューと栄養調整レシピのお陰だと忘れないでくださいね」

 

「もちろんさ。シリカがいたからこそ、俺は夢の身長170センチ超えと細マッチョボディを――」

 

「あなた達の努力の日々を否定するわけじゃないけど、言わせて欲しいわ。『そんな事はどうでも良い』のよ」

 

 世間は狭いわね。シノンはもう何も信じられないと膝を抱えて蹲りたくなる衝動を堪える。もしかしたら、この調子ならばDBOで出会ったプレイヤーとも実は何処かで繋がり合っているのかもしれないとシノンは夢想する。何故か白い傭兵の、今までに見たことが無いにこやかな笑顔が浮かんだのは気のせいだと信じたかった。

 だが、これで得心できた。シノンの過去を聞いても驚かなかったのは、既にシノンのプロフィールを死銃事件時に調べていたからだ。しかし、それを今更になって問い詰めてもしょうがないし、仮に『キミの事は全部知っている。公的機関の調べでね!』と発言されてもドン引きしていただろう。

 

「DBO事件を止められる立場にいながら止めなかった。私は専門家じゃないから断言できないけど、それは傲慢じゃないの? これだけ大規模なデスゲームをやらかした相手を、いくらVR犯罪対策室の人間だろうと、あなた1人……いえ、国家レベルでも止められなかったと思うけど」

 

 素人意見であるが、シノンも日々のニュースでどれだけ日本でVR犯罪……特にデスゲームの再発防止に神経が尖らされていたかは知っている。茅場の後継者は明らかなオーバーテクノロジーを駆使してデスゲームを開始したのだ。シノンと年頃も変わらないだろう若者がどれだけ騒いでも……たとえ鉄の城の完全攻略に導いた伝説の剣士でも、現実世界ではどれだけの抗いが出来たかなど知れている。

 

「それは私も同意見ですね。私達が『誘い』を断ってもDBO事件は実行されたでしょう。最悪、この人も私も後継者に拉致されて無理矢理でもデスゲームに参加させられたでしょうね。あの狂人は『招待状』を破棄したエギルさんも捕らえたようですから……」

 

 エギル。それは竜の神戦に乱入してきた狂縛者の名だ。UNKNOWNが正気を失いかけた存在である。シノンは彼もまたDBOの狂気を象徴するのだろうと思いなおす。

 

「ですけど、これは『結果』ではなく『過程』の話なんですよ。行動を起こさなかった事自体が罪なんです。1万人以上のプレイヤーが地獄に囚われるのを認めてしまった。それが私とこの人の最たる悪行です」

 

 シリカはまるで悪びれる素振りなく、だが確かな罪であると告白する。彼女からすれば1万人のプレイヤーがDBOに囚われたなど取るに足らない些事なのだろう。彼女はUNKNOWNだけが心配なのだ。彼が感じている罪の意識こそが彼女にとっての苦痛なのだ。

 

「俺は英雄なんかじゃなかった。ベータテスターとして多くのプレイヤーを見捨てた。サチも助けられなかった。アスナも死なせてしまった。99層では……」

 

 拳を握り、立ち止まったUNKNOWNはまるで愛しき友を求めるように天を仰ぐ。

 

「今日まで死んだプレイヤー達。彼らの恨みと憎しみは俺に向けられて当然だ。だからこそ、俺は……戦えない人々を守る英雄にならないといけない。最低だよな。スミスに喝を入れられるまで、俺は自己弁護で……自分の罪から逃げる為に【聖域の英雄】を演じてたんだ。傭兵の立場を利用して、ラストサンクチュアリの力を借りて妖精の国の情報を集めて、利用するだけ利用する立場に甘んじてたんだ」

 

 苦笑するUNKNOWNは再び歩みを始める。何処までも続くような螺旋を描き、地下深くまで続く階段を下り続ける。

 

「身勝手なのは分かっている。許されるわけじゃないのだって承知さ。でも、DBOに来た目的を果たさないと、俺は本当の意味で【聖域の英雄】にはなれない」

 

 一息入れたUNKNOWNは、シノンを見据えるように振り返る。そして、腕を垂らしてランタンを光りを下げた。それは仮面に覆われた素顔を、更に闇で塗り潰すように、UNKNOWNの上半身を濃い闇で隠す。

 

「神様は正しいのかもしれない。それでも、俺は抗いたいんだ。禁忌だとしても取り戻す。アスナを取り戻す」

 

 死人を蘇らせる。そんな神を冒涜する行為が可能なのだろうか。シノンは2人とは事態の根を理解する知識が足りないのだと自覚する。しかし、1つだけ分かる事もある。

 UNKNOWNにとって、アスナとは神様に反逆してでも取り戻したい愛する女性なのだ。

 

「……ねぇ、仮面の英雄さん。多くの神話で英雄が死人との再会を求めたわ。日本神話でも、イザナギがイザナミを取り戻す為に黄泉の国に向かって、そこで何があったと思う?」

 

「確か黄泉の住人になったイザナミの醜い姿を見て怒りを買い、永遠の呪いを受けた。それが今日まで続く人の『死』……だっけ?」

 

「ええ。死人を取り戻すことの是非を私は問わない。あなたが言った通り、私はもう引き返せない。それに、あなたの事情を聞いても、やっぱり手伝いたい。あなたの力になりたい。でもね、これだけは心に留めておいて。スミスさんが言った通り、あなたは選ばないといけない気がするわ。『不特定多数の弱者』の英雄であるのか、それとも『守りたい誰か』の英雄であるのか」

 

 その『誰か』がアスナさんである事を願っているわ。シノンは微笑んで、自分のランプを取り出すとUNKNOWNの横を抜けて先んじて階段を降り始める。

 私に英雄は要らない。私は私の力で勝ち抜く。生き抜いてみせる。シノンは決意を新たにして、義手に籠るマユが彼女の為に鍛え上げた力を感じ取る。竜の神の時とは違う。もう負けない。負けたくない。

 

「私はもう負けたくないだけ。何にも。誰にも。そう……私自身にも」

 

 その呟きは彼女を支える信念となる。この暗闇の向こう側に待つ妖精の国を歩む力となるだろう。

 まるでシノンの微笑みに見惚れたように立ち尽くしていたUNKNOWNは、シリカに大きな咳と共に横腹を突かれて我を取り戻して慌てて彼女を追った。

 

 

▽    ▽    ▽ 

 

 

「ひ……ぐぎぃ……ぎゃぁあ……!」

 

 鋸が引き千切るのは生々しい赤黒さを滴らせた仮想世界の肉。

 ペンチで潰された指と剥げた爪には蝋が垂らされ、瘡蓋のように何重にも傷口を覆う。

 右目には炙った釘を突き刺せば、じゅわじゅわと沸騰するような音と共に絶叫が漏れるも、喉……声帯を潰す縫い込まれた鉄線が悲鳴を縛り付ける。

 

「殺しゅてくだしゃい……! おにぇぎゃいします。おれがぁいしまぁす!」

 

「駄目です。アナタは嘘を吐いた。1つ嘘を吐くたびに100数えるまでアナタを『削ぐ』。そう言いましたよね? さぁ、アナタの家族は何人? 名前は? 何処に住んでいますか?」

 

「ひぎゃぁあああああ!」

 

 太腿の内側。普段は接触しないが故に敏感になった部分。そこを鋸で丁寧に肌だけを『削ぐ』。

 耳には捩じった鉄線を差し込み、まるで耳かきでもするように優しく捩じり込む。

 

「数えなさい。まだ43ですよ? 大丈夫。アナタならできます。ね?」

 

 微笑みながら、もう『情報は聞き出した』夜盗の1人に囁いてあげれば、彼は縫い付けられた大木の根で暴れながら残りを数える。

 

「44……45ぉ……よんじゅうろぉおおおお……」

 

「はい、もう1回。発音は正しくしましょう」

 

 砕いた膝を爪で引っ掻き、肋骨の間に差し込まれたストローのように中身が空洞の針を捻る。

 肺、心臓、胃に相当する部位はある。脳も同様だ。筋肉・骨格もアバター内部にて設定されている。DBOプレイヤーとほぼ内部構造に変化はないが、より現実世界に近しいリアリティ表現が付与されている。

 デバフに関しては未調査であるが、ダメージに関しては面白い事があった。どうやらアルヴヘイムでは『確定ダメージ』と『猶予ダメージ』の2つがあるようだ。確定ダメージはHPが絶対に減少するダメージ量、そして猶予ダメージは時間経過によってジリジリと減少する追加ダメージだ。どうやら傷が荒く深いほどに猶予ダメージは大きくなる傾向がある。つまり、相手を深く斬れば斬る程に、DBOならば受け止め切れたダメージに上乗せで猶予ダメージという追加ダメージが入る訳だ。

 だが、猶予ダメージはその名のとおり猶予がある。猶予ダメージでHPがゼロになっていても、その分は回復アイテムなどで補えば死を免れることが出来る。つまりはオートヒーリング最高というわけだ。猶予ダメージを秒間で回復してくれるので生存率が爆上げである。まぁ、そもそもDBOでならば受けるはずの無いダメージが猶予ダメージなので、結論はオベイロン死ね……いや、茅場の後継者死ね。この悪意たっぷりのシステムはどう考えてもあの狂人の産物だ。

 エルドランが止血包帯を使用しても効果が無かったのは、止血包帯で防げるのは欠損によるスリップダメージだからだ。猶予ダメージ……アルヴヘイムの住人は【流血】と呼ぶらしい追加ダメージは止められない。試しにオレも自分の腕を贄姫で深く斬りつけてみたが、まずはHPが減り、その後はスリップダメージのようにじわじわとHPが減った。プレイヤーからはどれだけ猶予ダメージがあるのかも分からんとはな。恐怖心を煽る為のシステムか? いや、むしろプレイヤーのアバターをより本物の肉体に近づける為か?

 後はアルヴヘイムでは受けた傷の再生が鈍い。また、傷を負った状態ではよりダメージを受けやすいようだ。つまり、傷を負えば負う程に物理防御力が下がっていくという事なのだろうな。

 それからHPバーが見えるのはパーティだけであるが、これを妖精たちは『絆の血の儀式』によって生涯の仲間と交わした証と見ているようだ。つまりは妖精たちはシステムウインドウを開くことはできても、自由にパーティ登録はできない。オレも試しにパーティ登録を飛ばしそうとしたが駄目だった。オレとザクロが互いのHPを確認できるのは妖精の国に到着前からパーティ登録していたからだろう。

 後は例外としてモンスターもHPバーが見えるようである。むしろ、HPバーが見える存在がモンスターと呼称されているようだ。これはさすがにありがたい。後どれだけ削れば良いのか分かっているのと分かっていないのとではペース配分が変わってくるからな。後はモンスター程に傷の治りが早いらしい。やっぱり後継者死ね。どれだけプレイヤーに不利なシステム作りやがったんだ。

 いや、待て。これはもしかしてのもしかして、DBOには当初このシステムを導入する気だったのではないだろうか? だが、さすがの後継者もやり過ぎだと感じた。あるいは『誰か』にいい加減にしろとストップを入れられた。あり得るかもしれない。あの後継者がプレイヤーを虐め抜くシステムを導入しないはずがない! だが、諦めきれなかった後継者はアルヴヘイムにこのシステムを搭載した。筋が通る。

 まぁ、実際の真実は分からないし、システムとしてアルヴヘイムを支配しているならば仕方ない。受け入れるしかないし、そもそも当たれば死ぬのオレでは猶予ダメージを大きくもらうようなダメージ=そもそも確定ダメージで死亡だろうしな。それに義眼のオートヒーリングのお陰で生存率も上昇している。ステラに感謝しないとな。

 

「まだ終わらないの? もうすぐ夜明けよ」

 

 大樹の根元にあった大穴にて、捕らえた夜盗とお喋りしていたオレは、退屈そうに欠伸を掻いて野盗『達』の躯の上に腰かけるザクロを睨む。

 

「全員が同じ証言をしても、優れた部隊なら事前にあらゆる状況を想定して擦り合わせをしているものだ。だから些細な矛盾点からそれを崩す。『尋問』の基本だ」

 

 まだ50以上数え残っている野盗の喉を贄姫で斬り裂いて絶命させて『遊び』を終わらせる。

 4人と『お喋り』して全員が同じ証言を繰り返した。彼らは元々ただのゴロツキであったが、旧シルフ領の残党であり、反オベイロン勢力からの接触を受けて、オベイロンの支配下にあるイースト・ノイアスの弱体化を狙って辺境の襲撃を行っていた。だが、そんな大義など関係なく、彼らは装備と訓練を与えられて略奪を好き放題するように後押しされた盗賊。それ以上でもそれ以下でもない。

 ここで重要となるのは、妖精王オベイロンは伝説に等しい存在であり、王であるとしても実際の統治の過半には手出ししない。王の配下となる監視者たちはいるようであるが、統治の実務は領主によって行われている。同じく女王ティターニアもまた伝説の存在であり、【妖精王の宝玉】とも謳われるているようだ。どうやら攻略の鬼の【閃光】様はアルヴヘイムでも伝説を作っているらしい。

 

「尋問? 拷問との間違いでしょう。やり過ぎよ、イカれ野郎」

 

「生まれた時から狂っているさ。それくらい……とっくに自覚したよ。それにアナタも十分やり過ぎだ」

 

 鋸やペンチを木箱に戻してアイテムストレージに収納しながら、ザクロの椅子代わりになっている『内側から食い荒らされた』屍に嘆息する。

 途端にザクロは獣の頭蓋のような兜、割れて頬が露になったお陰で隠しきれていない口元の歪みを明かす。

 

「私はお前よりも慈悲深いつもりよ。それにどうせ殺すなら無駄にできないじゃない。私の虫は無尽蔵に生み出せないの。『苗床』がないとね」

 

 捕らえたのは全部で4人。オレが2人、ザクロが2人を担当した。

 ザクロが行ったのはまず1人目に幼虫を寄生させ、内部からじわじわと食い破らせ、腹から育った虫の顎が飛び出す様を『すでに幼虫を寄生させた』2人目に見せつけた。布を噛まされ、くぐもった叫びと血の泡を吐き、脳を突き破って次々と成虫になった虫が飛び出す様を見せつけられた2人目はペラペラと情報を明かした。ザクロの『寄生虫を殺す薬がある』という甘い絶望の嘘に縋るままに。

 後は見ての通りだ。ザクロの足元で元気よく這い回る鋭い顎を持つ百足のような白い体躯の虫たち。まだまだ成虫としては『第1段階』らしく、更なる進化を遂げれば有用な戦力となるらしい。ちなみに養分はモンスターよりもプレイヤーの方が高いらしく、成長速度が速いらしい。

 

「死を無駄にしない。その心意気は認める」

 

「お前に認められても吐き気がするだけ。でも、色々な虫と契約して配合させて進化させられるのが≪操虫術≫の利点だけど、成長し過ぎると携帯できなくなるのよね」

 

 相変わらずユニークスキルとは馬鹿げた性能だ。SAOでも十分バランスブレーカーだったが、DBOでは輪を重ねている。この調子だとPoHの≪死霊術≫も明かしている以上の桁違いの性能がありそうだな。こうなるとユージーンの≪剛覇剣≫や『アイツ』の≪二刀流≫の方がまだストレートなバランスブレーカーな分だけ対処しやすい。こういう搦め手系の上にトリックが分かっても対策で封じ込めれないユニークスキルの方が厄介だ。

 ちなみにアルヴヘイムではシャルルの森と同様に遺体が残るのであるが、死後は時間経過とともに肉体は黒炭のように変色・変異していき、最終的にはボロボロになって崩れるようだ。これを止める処置もあるようだが、野盗如きでは知る由もないようだ。

 

「それにしても手慣れてるわね。拷問のプロ? 回復アイテムを使わずに、あれだけじわじわと嬲るなんてね。少し興奮したわ」

 

 ペロリと唇を舐めるザクロの好評に、認められても困るのはこちらも同じだと睨む。

 

「味方よりも敵に被害を求めるのは当然だ。それにオレも相手くらいは選ぶ。戦場に出た以上は戦士としての覚悟があったはずだ。なのに、戦士としての矜持すらも無い豚に誉れある死を与える道理はない。祈りも呪いも無い眠りにつくのは同じでも、死ぬまではせいぜい利用させてもらう」

 

 あの時、ゴラムも戦士として挑んでいればオレも手心を加えたものを。まぁ、お陰で愉しめたので悪くはなかったが。

 

「やっぱり……お前はイカれてる」

 

「お好きにどうぞ。ダメージ関連の情報収集は済んだ。次は『後ろ盾』を得るぞ。エルドランの信頼を得る為に村の野盗を一掃する。連中は大した情報も持たない家畜だ。皆殺しで構わない。ここで戦果を挙げてイースト・ノイアスの信頼と庇護を得られたら、オレ達はアルヴヘイムで動きやすくなる。この世界のシステムも大よそ見えてきたしな」

 

「最高に打算塗れの屑過ぎて素敵」

 

 何とでも言え。オレはエドガーのような善人ではない。好きなように生き、好きなように死ぬ。オレは目的を見失わない。オベイロンを殺す。そしてアスナを救い、『アイツ』の悲劇を止める。その1点だけは迷わない。迷ってはならない。サチとの約束だ。何を灼かれようとも成し遂げる。

 そもそもアルヴヘイムで伝説の存在となっている妖精王。オベイロン派と反対勢力に分かれている理由も知っておきたい。盗賊程度では教養が足りず、十分に情報が得られなかった上に、最後にはダメージフィードバッグでまともに喋れなくなっていたからな。

 

「先に行っていてくれ。死体を片づける」

 

「それはどうも」

 

 先に穴倉から出たザクロの背中を見送り、オレは喉を切断されて絶命した夜盗の、残された片目の瞼をそっと閉じさせる。

 ザクロには言わなかったが、エルドラン、その妹のアリエル、殺した野盗たちのいずれにも『命』があった。彼らは間違いなく生きてアルヴヘイムで暮らしていた。この様子ならば、アルヴヘイムの住人は等しく『命』を持っていると考えるべきだ。

 

 

 

 さぁ、お腹いっぱい食べましょう。もっともっと殺しましょう。どうせ最後は私達だけになるのだから。

 

 

 

 ヤツメ様が血塗れになってオレを覗き込む。殺せ殺せ殺せとオレに抱き着いてはしゃいでいる。どうせアルヴヘイムの住人は現実世界に肉体を持たない人々。幾ら殺したところで何も問題ないのだからと誘う。

 深呼吸を挟んで、オレは野盗たちに黙祷を捧げる。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 穴倉の奥に死体を積み重ねて落ち葉を被せる。シャルルの森のように腐ることなく黒炭のようになっていく分だけ、死体は奇麗に映えるだろう。

 

 

 

 

 

 それで良い。狩人の血を忘れるな。その身に流れる先祖より受け継いだ誇りを忘れるな。狩人の責務を忘れるな。戦い続けろ。戦って、戦って、戦って、骸を命の循環に帰す日まで戦い続けろ。お前に祈りも呪いも無い、安らかな眠りなどありはしないのだから。

 

 

 

 

 

 狩人が頷いて、ヤツメ様の耳を引っ張って泣きわめく彼女を暗闇に戻していく。喰らった命への敬意を忘れず、死を尊ぶ。どれだけ冷酷に、惨忍に、悪鬼羅刹の振る舞いをしようとも、彼らの命だけは蔑ろにされてはならない。喰らった命を無駄にしてはならない。

 ヤツメ様も同じだ。きっと喰らった命を無駄にはしない。だけど、そこには際限なき飢えと渇きがこびり付いている。それはきっと『人』と『獣』の違いなのだろう。

 

「オレは『オレ』だ。まだ見失っていない……見失っていない……はず、だ」

 

 ユウキ、囁いてくれ。オレはまだ『オレ』のままだと微笑んでくれ。

 ここにはいない彼女に託した祈りを求めて自嘲する。我ながら随分と弱くなったものだ。だが、これも『人』としてオレを照らしてくれる月光ならば、それも悪くない。

 

「大丈夫。オレはまだ独りで……」

 

 ああ、違うか。グリムロック達の顔が脳裏でチラつき、オレは深呼吸を挟む。

 

「オレはまだ『1人』で戦える」

 

 ザクロが死のうとも、PoHが裏切ろうとも、オレは戦えるさ。

 しかし、帰ったらユウキに何と弁解したものだろうか。まぁ、いつも通り笑ってお茶を濁すか。あ、さすがに殺されそうだな。時間もあるし言い訳を考えておこう。

 穴倉から出て200メートルほど歩くと、大樹の枝の上に建てられた苔だらけの小屋が目に入る。小屋がそこにあると知らなければ、自然のカモフラージュによって隠蔽されて発見も難しいだろう。オレが幹の下に到着すると縄梯子が下りてくる。オレはそれを素早く上って小屋に入り、待機していたザクロが縄梯子を回収する。

 小屋の中にはまだ傷が癒えていないエルドランと小屋に残されていたワンピースを着たアリエルがベッドの上に腰かけて再会を喜ぶように微笑み合っていた。だが、アリエルの方はオレを目にすると強張り、エルドランは何故か跪く。そして、彼らを守る為に……もとい、ザクロがオレ達の行為を口うるさく指摘させない為に警護に残したイリスがザクロの頭の上に止まる。

 この小屋は彼らの母親である女狩人が使用していた狩猟小屋だ。村人にもほとんど知らず、彼ら兄妹しか知り得ない秘密の隠れ家である。当初はエルドランがアリエルを匿う為に目指していた場所だ。

 

「敵影は無し。これだけ広大な森です。予想より追加投入は早かったですが、計7名の戦力が撃破されたとは敵方も想像していないでしょう」

 

「村を襲撃した盗賊団の人員総数は23名。約3分の1は始末しました。彼らの背景を聞き出しましたが、増援は無いのでこれが敵の総戦力です。ですが、村の奪還となると人質の安否が気になります。正面からの襲撃ではなく、頭領の速やかな暗殺と各個撃破が望ましいですね。騎士エルドラン、アナタに道案内を頼みたいのですが、傷の具合はいかがですか?」

 

 オレの問いかけに、エルドランは厳しい表情をしながらも、やがて覚悟が決まったように頷く。

 

「万全ではありませんが、剣を振るうのには問題ありません。母の残した遺品もありますので装備も整えられます。この名剣さえあれば、正規兵の訓練を受けた相手とはいえ、騎士として遅れは取りませんよ」

 

 強気にエルドランが握りしめたのは銀色の鞘に収められた幅広い刀身の曲剣だ。なるほど。なかなかの業物そうだ。オレが了承を得て受け取り、曲剣のステータスを確認する。

 

「は?」

 

 そして、思わずそのステータスに目を丸くする。

 端的に述べるならば……ゴミだ。外見の美しさにそぐわぬ雑魚装備。レベル10程度が装備するだろう無強化曲剣級である。ステータスボーナス補正が売りなのかと調べてみたが、そちらも素晴らしい程の低さだ。

 

「……エルドラン、これがアルヴヘイムで『名剣』扱いされている武器なのか、改めて確認を取りたいのですが」

 

「ええ。まさしく母方の家宝の1つ! 私は曲剣の『技法の刻印』を得ていないので十分な力は引き出せませんが、それでも賊には後れを取らないでしょう!」

 

 顔を手で埋めて、自信満々のエルドランが見ていられず、何事かと首を捻るザクロに曲剣を渡す。ステータスを確認した彼女は10秒ほどの沈黙後に曲剣をエルドランに投げ返した。

 

「ゴミね」

 

「な!? 我が家の家宝を侮辱するとは、いかに命の恩人と言えども――」

 

「兄さん落ち着いて!」

 

 アリエルに縋りつかれてエルドランは落ち着きを取り戻すもザクロを睨み続けている。いつもはオレの立場にザクロさんがいる。これは新鮮だな。だが、彼女は何処吹く風とばかりに無視している。精神が強いのか脆いのか分からん忍者だ。

 その後にエルドランより聞き取り調査を行ったのだが、どうやらアルヴヘイムの住人は物心ついた時よりシステムウインドウ……【妖精の霊鏡】を使用して自身の能力を知れるようになる。そして、神託の祭壇で生まれ持った3つの技法の刻印……つまりはスキルを選ぶらしい。ちなみにレベルは【ソウルの刻印】と呼んでいるらしく、一般的な妖精たちのレベルは生涯と通して5に到達するか否かだ。エルドランは騎士として訓練を積んでいるらしく、モンスター討伐の経験もあってレベル20である。

 なにこれ酷い。しかも多くのモンスターは手に負えない『災害』扱いであり、騎士たちが大部隊で1体を討伐して街を守ることもあるようだ。

 レベルはともかく武器が酷過ぎる。レベル不相応だ。何が何だか分からん。要調査案件だな。

 

「村を奪還するにしても、手段はどうする? 私とお前の≪気配遮断≫なら寝首を掻けない事も無いけど、確実とも言い難い。人質に犠牲を出さずに盗賊団の撃破はかなり難しいと思うけど?」

 

「……策を考えよう。そうだな、村の外で騒ぎを起こして誘導を――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もっと良い手段があるぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……遅い登場だな。エルドランたちが驚いて窓の方を向けば、梯子を使わずに上がってきただろう、PoHが窓枠に腰かけている。何をしていたのかと問いたいが、その身にこびり付いた赤黒い光を見れば、随分と彼は彼で『お楽しみ』だったようだ。イリスだけが何故だか分からないが、酷く狼狽し、悶絶し、恨めしそうに顎から唾液をPoHに飛ばそうとしている。そんなに害虫扱いされたのが気に食わなかったのだろうか?

 

「さぁ、ショータイムだ。『正義の味方』を気取ろうぜ」




それぞれの神様スタンスが揃ってきました

茅場:???
後継者:神様は間違えている。世界を滅ぼすのは人間自身だ!
ユウキ:神様は間違えている。世界を変えるのはいつだって人の意思だ!
主人公(黒):神様は正しいのかもしれない。それでも反逆しよう。
主人公(白):神様? 関係ない。邪魔するならぶち殺す。


それでは、242話でまた会いましょう!

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