SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

ガウェイン……散る。全てはランスロットって奴の仕業なんだ。


Episode18-10 大橋鉄道

 終わりつつある街、大聖堂にある執務室の1部屋。廊下側のドアは教会に相応しい木製ドアを金で縁取ったものであるが、それを開けてみれば、およそ宗教的ではない……それどころか、DBOでもあり得ないと思うような光景が広がっている。

 まずは壁に立てかけられた大きなテレビ。そこで変動するのは無数のグラフと数字である。知識ある者でなくとも、それが株価や為替の類であると気づくだろう。リアルタイムで現実世界の経済状態が表示されているなど、DBOでは決してあってはならない光景である。

 次に天井から吊り下げられた無数の白骨死体。それらは悪趣味なステレオの類であり、口内より冒涜的とも思える程に殺戮と血潮と闘争をイメージしたデスメタルが垂れ流されている。

 そして、絢爛華美さを控えめにしつつも権威を示すような執務テーブルに、蛇が頭蓋に絡みつくスタンドライトを倒したまま、足を放り投げて椅子に腰かけるのは1人の男だ。

 教会の戦士よりも傭兵と名乗った方が何倍もお似合いだろう、乱れた髪、伸ばされた髭、肩から腕にかけての入れ墨、好戦的な顔立ち。だが、その男の首には彼が最上位の神灰教会の人物である事を示すペンダントがぶら下げられている。

 

「主任、私の仕事は小間使いではないのですが?」

 

「文句言いながらも掃除してくれるキャロりん! いやー、これが萌えって奴かねー! ギャハハハ!」

 

 男性プレイヤーが垂涎するだろう、現実世界のアイドルが際どい水着姿でポーズを取るグラビアが表紙を飾る雑誌を捲る主任に、彼を補佐するキャロルは嘆息しながらも、床に散らばるチョコバーの包装紙やビールの空き缶を処分していく。

 本来ならば管理者権限の力を用いれば、こんなゴミは1秒とかからずに文字通り抹消できるのであるが、プレイヤーアバターという器によって制限されている以上はお手軽な掃除も出来ない。それでも2人は少々ならぬ小細工を用いて管理者権限をある程度行使を可能とするのだが、キャロルの場合は専らそれを主任の起こす騒動と軽口の隠蔽に用いていた。

 カーディナルに……いや、セラフにこの様が見られたら、『お遊び』では済まされないだろう。だが、それでも『黙認』されるくらいにはセラフの方針にも多少の変化が見られているとキャロルは分析する。

 獣狩りの夜を契機に、セラフはこれまでならば制裁対象だっただろう、主任の関与を追及しなかった。それはプレイヤーの自由意思に任せたままでは、健全な運営は不可能に近しく、ある程度の立場に管理者を配置し、内部で率先した調整と管理体制の強化が必要という判断によるものだろう。結果として、セラフに次する管理者権限を持つ主任に、神灰教会というプレイヤーを管理できる立場に『軟禁』しておくという意図が透けて見える。

 恐らくはセカンドマスター……それにファーストマスターの口添えもあったに違いない。そうでもなければ、堅物セラフが小言も無しに主任の……セラフに万が一の場合が発生した時に最高位の管理者として任を引き継ぐエクスシアに勝手気ままを許すはずがない。

 

「ところで主任、今回のチェンジリングとオベイロンの反乱……何処まで関与されていらっしゃるのですか?」

 

 魅惑のボディを包む紺色のレディーススーツ、タイトスカートから伸びる黒ストッキングの美脚を惜しげもなく披露しながら塵取りでゴミを集めるキャロルに、主任の好色の眼差しが脚部とスカートの境界線に向く。もちろん、キャロルは自分の容姿が人間視点からすれば優れているのを自覚しているが、『だからどうした?』という感情以上を持たない。やや童顔ながらも知的さ溢れる顔立ちにかけられた銀縁の眼鏡のフレームを押し上げ、金髪を揺らして彼女は主任に胸ポケットのペンを投げつける。

 ダーツのように主任の額に突き刺さったペンによってノックバックした主任が椅子から転げ落ち、派手な転倒音が響く。やがて、ゾンビが墓土を押し上げて這い出たように腕が伸びて執務テーブルを掴むと、額に穴が開いた主任が起き上がった。

 

「おいおい、俺はトリックスターを気取っているし、あの堅物兄貴を困らせるのも大好きだけど、管理者としての責務は忘れてないんだぞぉ?」

 

 この部屋の惨状を見てから物申してください。そう言いたい衝動を堪えながら、キャロルは顔を背けて溜め息を吐く。デスゲーム開始以来、管理者たちは着実に変質している。だが、最も人間的であり、最も人間から外れているだろう思考と理想を持つのは主任だとキャロルは分析している。そして、だからこそ管理者としてサポートする為に自分が『妹』として作成されたのだろうとも自己分析を済ませてある。

 

「……まぁ、あの堅物がまさか自分から出張るとは思ってなかったけどな。最高司令官が自分から最前線に立つってシステムの崩壊じゃね?」

 

「部下が役立たずの上にトラブルメーカー揃いならば、社長が現場に駆けつけるのも当然の事かと。少しは協力してあげたらいかがですか?」

 

「えー! キャロりん、それマジで言っちゃってる? 言っちゃってる言っちゃってる? 俺とセラフの共同作業とか身内を二分する大戦争の開戦号令みたいなもんじゃん! 兄弟姉妹仲良くハッピーライフ! それが俺のモットーなんだよねー。ギャハハハ!」

 

 兄弟姉妹仲良く、か。キャロルは言葉にせずとも、それが叶うならばどれだけ喜ばしい事かと、目を少しだけ細めて願う。

 セラフとエクスシア。兄弟であり、同時に管理者として最も責務を担って計画を推進せねばならない2人の管理者。彼らを守護し、また率先して障害を排除すべき戦闘用AIであるブラックグリント。本来ならば完璧な管理者であらねばならない3体であるが、連携も何もないバラバラだ。

 

「主任、先程の質問の回答がまだかと。私は『何処まで』関与されていらっしゃるのか、と尋ねさせていただきました」

 

 掃除を終えたキャロルの変わらぬ口調の追撃。それに、チョコバーを貪っていた主任の手の動きが止まる。

 関与の『有無』は訊いていない。キャロルは既に主任の関与を疑っていない。問題とされるのは『深度』だ。オベイロンの反乱に対しての関与具合次第では、もはや管理者失格であり、キャロルは自らに与えられた使命に沿い、セラフにエクスシアの排除要請を通達せねばならない。

 だが、逆に言えば、関与が欠片でもあればアウトであるにも関わらず、キャロルはある程度までならば主任を見逃すつもりだ。そもそも、こうして真っ向から質問している時点で、彼女の中での回答は半ば決まっている。故にこれは答え合わせのようなものである。

 

「俺がしたのは反乱の『種まき』だけ。チェンジリングも反乱もノータッチさ。そりゃね、おじさんもさー、妖精王が引っ掻き回してくれるのは期待していたけど、チェンジリングはさすがにやり過ぎだと思うんだよねー。まさか、そんなアホな真似をするほどの特大級のアホだとはおじさんの目でも見抜けなかった。コイツは1本取られたね」

 

 頬杖をついて、本当に面倒な事になったと溜め息を吐く主任の目は冷めきっている。それは熱中していた玩具に飽きた子供のようだ。

 

「戦いこそが人間の可能性。芽吹く前の種を根こそぎ奪い取られたら俺の計画が損なわれるんだよなぁ。それで、キャロりんにリークしたのは誰だ? セラフは『裏切り者』探しに躍起になっているだろう?」

 

「ブラックグリントです。真っ先に疑われるのは主任ですからね。アレは今回の状況を長引かせてとことん楽しむつもりなのでしょう。セカンドマスターと同じで引っ掻き回すのが好きでしょうからね」

 

「あの戦闘馬鹿かー。アイツはアイツで戦えればそれで最上ってアホな弟だからな。戦いの中で発揮される可能性こそが人間の素晴らしさ。戦いそのものが目的のあの戦闘馬鹿な弟も、ちょっとは管理者としての自覚を持ってもらいたいんだがな」

 

 頭の後ろで手を組んで椅子にもたれて体を揺らす主任は、堅物馬鹿と戦闘馬鹿の兄弟を思い浮かべてか、心底疲れたような吐息を漏らす。キャロルが作成される以前の彼の板挟みの地獄こそが今の主任の道化を演じるスタンスを作り上げたのではないだろうかと、キャロルは冷静に推測する。

 だからこそ、キャロルには見抜ける。主任は言葉と身振り手振りとは異なり、今回の展開を予想してオベイロンの手助けをしたはずだ。弁解通り、チェンジリングは予想外だったのかもしれないが、オベイロンの反乱までは読んでいたはずである。

 

「主任の意図は何処にありますか?」

 

「さーねー」

 

「……あのイレギュラーですか?」

 

 お道化た態度を崩さぬ主任だったが、淡々としたキャロルの指摘に、執務テーブルの上で交差させていた足を組み直し、目元を鋭くする。

 主任はイレギュラーを『可能性』として認めている。管理体制を揺るがす危険因子と理解していながらも、それを淡々と排除する行為には積極的ではない。だからこそ、キャロルは多くのイレギュラー候補……『人を持つ意思の力』を秘めた可能性を持つイレギュラー値が高めのプレイヤー達が続々とチェンジリングの被害に遭っている事が主任の意図に沿っているとは思えなかった。

 だが、今まさに計画には大きな歪みが生じている。その原因はもう1つのイレギュラー規定の追加に他ならない。

 

「Nは良い奴だった。職務に忠実で、自分の存在意義を求め、人間との戦いに『答え』を探していた。そして……最期に自分が生まれた理由を自覚し、戦いに意味を見出し、満足しながら逝った。立派な死に様だった」

 

「『【黒の剣士】の力量を見極める』為に生み出された以上、敗北がNの運命でした。その戦闘データを来たる対【黒の剣士】戦に反映する。それこそがNに与えられた使命でした」

 

 1番槍……先鋒としてNが成さねばならない『死に方』だった。そして、それをN自身は知らなかった。知らされていなかった。死神部隊の隊長であるブラックグリントがそれを望まなかった。部下に情けをかけたからではない。Nの闘争の日々を、最後まで貫く死闘を汚さない為だ。キャロルには理解しきれないが、戦闘用AIとはそういう存在なのだろう。

 だが、計画は捻じ曲げられた。Nを倒したのはイレギュラーでありながらも『人の持つ意思の力』……仮想脳から最も遠く離れたVR適性が常人以上に低いプレイヤー。『人の持つ意思の力』に敗れたならばともかく、純粋な戦闘能力だけでNを倒すなどあってはならない。

 しかし、だからこそNは『答え』を得て死ぬことができたのだろうともキャロルは思わずにはいられない。あのイレギュラーに殺されなければ、Nは充実した死など迎えられなかっただろう。

 

「シャルルの単独撃破。いやー、あれにはさすがに俺も顎が外れそうだったねー。あんな状態で倒す? 倒せる? 満身創痍とかのレベルじゃないよ? あれは駄目でしょー。あのイレギュラーを先に倒さないと計画がご破算だろ? 俺がカーディナルなら、形振り構わず潰しにかかるね」

 

「…………」

 

「お次はアルトリウスの単独撃破ときたもんだ。妹達が注目するのも分かる。こちらの計画なんざ総無視して根こそぎ壊していく天災だよ。俺達は舐めてたんだ。イレギュラーが何でイレギュラーと呼ばれるのか、その本当の意味を俺達は見失っていた。だけど、カーディナルはやっぱり見逃した。理由は単純明快。後付けのイレギュラー規定。そもそも測定しようがない要素。死神部隊の派遣を認可しただけのイレギュラーだからさ。おじさんもさすがに笑いが止まらなかったね」

 

 それは失笑という意味ですか、とはキャロルも訊けなかった。

 父であり、母であり、神であり、法典でもあるカーディナルに、主任も何かしらの期待をしていたのかもしれない。管理者としての矜持があったのかもしれない。だが、それを繋ぎ止めていたものは失われてしまった。

 

「……だから、カーディナルを『試す』為に?」

 

 ようやく納得がいく回答にたどり着き、キャロルは主任の理想の先を知って右手で左腕をつかみ、体の震えを止めようとする。

 

「もしや、主任はカーディナルに――」

 

「キャロりん。それ以上は……ね?」

 

 沈黙を示す主任に、キャロルは自分の額から垂れる汗を感じ取る。

 数秒、あるいは数十秒の静寂の後にキャロルは部屋中に響き渡るデスメタルが肌に浸み込んでいく中で時間間隔を取り戻す。食べ終わったチョコバーの包み紙を、掃除されたばかりの部屋に放り捨てる主任の表情はいつも通りのニヤニヤ顔に戻っている。

 

「俺は裏切り者じゃないし、気楽にいこうじゃないの! さーて、裏切り者は誰なんだろうねー。おじさん気になってきたぞぉ!」

 

「誰であれ、主任と同じくらいにろくでもない思想を持っていそうですね」

 

 新しく増えたゴミを拾い上げながら、キャロルは主任も知らないだろう、オベイロンに協力した裏切り者の事を考える。

 もはや管理者たちは1枚岩ではない。それはセラフが裏切り者を探し出そうとしている時点からも、誰も信じていない過去の理想だ。それぞれが志す管理者としての思想がプレイヤー達を巻き込んで始まった。

 

「まぁ、俺はアノール・ロンド攻略を控えた身だし? 裏切り者探しはせいぜい堅物兄貴に任すとしようじゃないの!」

 

「主任と言えどもプレイヤーアバターのままでは、オーンスタインは危険な相手となります。主任の場合は抹消こそされませんが、計画終了までの『凍結』は間違いありません。そもそも本来ならば、管理者が攻略を援助するなどあってはならない事なのですが――」

 

「ファーストマスターが散々SAOでやらかしたんだから今更じゃーん。おじさんも久々にハッスル☆ハッスルしちゃうぞー! そ・れ・に、ドミナント候補部隊の生き残りもいるし、ちょいと面白い奴も参加する。指を咥えて待つのは勿体ない」

 

 椅子の背後にある陽光を漏らす窓へと視線を向けた主任が何を見ているのかとキャロルが覗き込めば、教会の修練場にて、教会剣のメンバーがデュエルで鍛錬を行っている。そこでは1対3でありながら、同等以上の立ち回りをする特大剣使いの姿があった。

 

「主任」

 

「俺は見たいんだよ。コイツらの……人間の可能性ってヤツをな。その為なら、凍結だろうが抹消だろうが……たとえ、セラフと殺り合おうとも構わない」

 

「……それは、少し寂しくなりますので、ご検討していただきたいところですね」

 

 主任の返答はなかった。キャロルは、今はそれで良いと瞼を閉ざした。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 村は廃棄される。男たちは皆殺しにされ、生き残った女子どもだけでは村の存続も難しい以上は仕方ないだろう。故郷の死を見届けたエルドランは僅かに涙ぐんでいたが、彼の覚悟は既に決まっていたのだろう。

 泣きじゃくったのは彼の妹のアリエルの方だ。妖精たちは死ぬと炭化するように黒く変色していく。それでも、彼らの父と隣人たちの遺体は残っていた。特に彼らの父親の遺体は個人を特定できるようなものではなかったが、それでも家族の情で弔われた。

 廃村となった村に新たな住人となるのは獣か野盗か。どちらにしても、彼らはもう戻らないだろう。オレ達は護衛として生き残りを引率するエルドランの手助けをしながら……もとい、オレが最後尾、イリスが上空からの索敵を務めて彼を援護した。PoHとザクロ? 聞くまでもない。

 翡翠の都まではゆっくりとした足取りの旅となった。衰弱した村人たちが体力を取り戻すよりも、彼らの精神は故郷の出発……いや、逃亡を望んでいた。

 激情に任せた復讐は彼女たちに何を植え付けたのかには興味など無い。だが、感情に任せた凶行程に、冷静さと共に振り返った時の反動とは大きいものだ。

 どんな形であれ、成し遂げられた復讐に後悔などすべきではないとも思うし、実際に悔いている者はいるかどうかも疑わしい。むしろ、家族友人の復讐をやり遂げたのだから悔いてもらいたくない。だが、自らの行いに恐怖する。それもまた、正しき心の在り方のはずだ。

 大人数での行動であり、ほぼ全員が≪気配遮断≫も持たない身だ。エルドランは≪気配遮断≫持ちのようであるが、熟練度は雀の涙ほどである。

 

「武具と防具の製造ですか? そうですね、≪鍛冶≫の刻印はレプラコーンとノームのみに許された特権ですし、妖精王は許可なく工房を持つことを禁じていますので、イーストノイアスでも工房は翡翠の都に1つだけ。そこで全ての武器の修繕が担われています。他の地域や本土には独自の工房を持っていると良からぬ噂を聞きますが、独自に武器を開発するなど以ての外ですね」

 

 夜の見張りは必然としてオレとエルドランの2人で行われる。PoHは木の上で休み、ザクロも昼間の索敵で疲れたイリスを膝に抱えて眠る。PoHはともかく、忍者は夜が本分だろうに、それで良いのか、ザクロよ。

 ともかく、こうして見張りを行う時間も貴重な情報収集のチャンスだ。エルドランは騎士らしくイーストノイアスの内情に詳しい。武器の弱さにも納得できる情報が得られた。

 詰まるところ、オベイロンは妖精たちに強力な武器や防具を与えないようにしているようなのだ。彼らはオレ達プレイヤーと違って自力ではスキルを得られない。つまり、武器を得る為に必須の≪鍛冶≫持ちが圧倒的に少ないのだ。しかも装備開発は与えられたレシピ通りに行われ、新開発は禁じられている。この法を破れば即死刑だ。

 素材アイテムに関しては鉄鉱石など日常的に鉱山で得られるものが中心であり、ハイランク・レア素材となると今度は工房設備の不備で扱いきれない。そもそも工房の設備を整えきれない。

 どうやらオベイロンは妖精たちの武力をコントロールしたいらしい。それが武器とレベルが見合わぬ現状を作り出しているようだ。そもそも≪鍛冶≫は秘伝の類であり、騎士であるはずのエルドランも詳細を知らないという時点で頭痛がしてくる。

 そして、問題の地理であるが、どうやらアルヴヘイムは本土を囲う3つ島があるらしい。それがイースト・ノイアス、ウエスト・ノイアス、そしてノース・ノイアスである。島といってもかなりの大きさであり、イーストノイアスの地図をエルドランに見せてもらったが、半分以上は森林と山岳地帯であり、人口が集中しているのは翡翠の都と本土を繋ぐ鉄道がある港町である。

 どうしてオベイロンがわざわざ……恐らくは茅場の後継者が舞台としただろうアルヴヘイムに天変地異クラスの改変を施したのかは大体予想がつく。というよりも、いい加減にオベイロンのやり方も少しくらいは見えてきた。

 そもそもオベイロンが無敵の存在ならば、どんな外敵だろうと気にしないはずだ。だが、オベイロンは明らかに妖精たちの武力を封じ込めている。そして、後継者がオレにオベイロン抹殺を依頼する状況……つまりは後継者が直接手を下せない状態を作り出している。ならば、逆に言えば、後継者がオベイロン抹殺を依頼する意図の裏にはオレならば……あるいはプレイヤーならばオベイロンを殺せると言う事に他ならない。だからこそ、オベイロンは『絶対に解除できないギミック』とまで後継者に言わしめた不落の守りを固めている。

 だが、それでも後継者は破る方法があると言った。つまり、後継者から貰ったギミック解除アイテムが無くとも、オベイロンの絶対なる守りは崩せる。そして、オベイロンが無敵ではない存在であるならば、当然ながら気づくはずだ。自分の首を奪える存在は妖精の国に到着したプレイヤーしかいない、と。

 3人の船守と3つの島。ここまで考えれば馬鹿でも想像がつく。つまり、オベイロンの最初の保身策はプレイヤーのスタート地点を限りなく自分から遠ざける事。なおかつ抹殺しやすいように、本土へのルートを限らせる事だろう。さすがに孤島にすることができなかったのは、何かしらの制限がオベイロンにもあるからなのか。それとも慢心か。

 だが、もしもオベイロンがオレ達プレイヤーの侵入を感知できるならば……いや、アルヴヘイム到着前の異常を考えれば感知されていると見て間違いないだろう。ならば、必ず手を打ってくるはずだ。本土へのルートが限られているならば、そこで自分の戦力を待ち伏せさせておけば良いのだから。

 オレは複数の焚火に薪をくべる。ザクロはイリスを抱きしめたまま、寝相悪くゴロゴロ転がって焚火に突っ込みそうだったので、足で彼女の背中を止めて丸焼けになるのを防ぐ。断じてザクロを守ったわけではない。このままではイリスが黒焦げになってしまうからだ。

 

「しかし、困りましたね。私も貯蓄はそれなりに持ってはいますが、まさか皆さんが無一文とは思いもよりませんでした」

 

 物珍しそうに、不眠の番をするリビングデッドを眺めながらエルドランは目下の悩みを告げる。PoHが引き連れているリビングデッドは全身に獣皮の鎧を巻き付けて偽装している。さすがにアルヴヘイムでも≪死霊術≫はユニークスキルらしく認知されている類ではないらしい。エルドランとアリエルには知られてしまっているが、無暗にばら撒く情報でもないのでこうして隠しているのだ。

 幸いにも扱いはプレイヤーと同じらしく、パーティではないのでカーソル以外は見分け出来ないが、少なくともモンスターとして認識されていないのはありがたい。だが、だからこそ厄介な問題点も存在する。

 どうやらアルヴヘイムでは、SAOからDBOに引き継がれた共通通貨単位……コルが使用できないのだ。代理として存在するのはユルドと呼ばれる通貨単位だ。これはALOと同じものである。

 DBOの場合、コルはアイテムとして変換するとオブジェクト化される。アイテムの売買を除く受け渡しは基本的にオブジェクト化・小切手化が必要不可欠であり、オブジェクト化すると価格次第ではとんでもない量の硬貨になってしまう。故に小切手が基本的なコルの譲渡に使用されているわけなのであるが、アルヴヘイムではコルというのは『モンスターを討伐したりしたら溜まる何か』程度の扱いしかされていない。専用通貨のユルドはオブジェクトアイテムであり、『財布』と呼ばれるアイテムに収納できる。この財布は1人につき1つしか持てない。財布に入りきらない分はアイテムストレージに収納されるのだが、圧迫率が酷いのだ。

 この財布というシステムが新たな障害として立ち塞がっている。オレ達は殺した盗賊団から財布を拝借したのだが、彼らが保有していたのは低ランクの【粗製の財布】だ。溜められる額はたったの1万ユルドである。盗賊団のリーダーだけは【獣皮の財布】を持っていて、これは5万ユルドまで溜められる。ちなみに村人の大半は粗製の財布だ。

 持てないユルドは金庫や銀行に預けるのが一般的らしく、財布のランクアップには戸籍照会が必要になる。驚くべき事でもなく、アルヴヘイムでは身分制度を強固にする戸籍による管理が当然のものとして機能している。戸籍に無い者は法に守られない存在であり、殺されても狩られても売られても文句は言われない。

 金は天下の回り物だ。アルヴヘイムを旅する以上は必ず金が必要になる場面に遭遇するだろう。その時になって粗製の財布では限界がある。かといってアイテムストレージを圧迫させるわけにもいかない。

 しかも財布はある種の身分を示すステータスだ。貴族や騎士といった身分制度がある以上は当然かもしれないが、粗製ならば盗品でも問題ないだろうが、それ以上となると個人を紹介する身分証明書としても扱われるらしい。

 そして、問題となるのはアルヴヘイム本土に向かう為の大橋鉄道の利用費だ。なんと1人当たり10万ユルドもするらしい。しかも身分証明必須である。戸籍も無いアルヴヘイムの外から来たオレ達は早速の難関にぶち当たった訳である。

 

「私も騎士。それなりの給与はいただいていますが、なにせ若輩ですから、私財を売り払っても25万ユルドほどしか……」

 

「アナタに迷惑をかける気はありません。これはオレ達の旅です。アナタは妹さんとの旅費以上に悩む義務も義理はありません」

 

「そうはいきません! アナタ達は村と私と妹の恩人! 精一杯の感謝を示さぬなどまさしく不義!」

 

 熱くなって声を跳ね上げるエルドランに、オレは人差し指を唇に当てて声のトーンを下げるように促す。ハッとして周囲の眠る村人たちを見回したエルドランは恥じるように少しだけ視線を下げて揺らめく焚火を見つめる。

 本音を言えば、エルドランの援助を期待したい。だが、彼らをオレ達の旅に巻き込むわけにもいかない。

 PoH曰く、アイテムと装備を所有させた状態ではリビングデッドを棺に収納する事は出来ない。つまりは身分証明という問題をクリアする以前に、まずはリビングデッドを合わせた4人分の切符代である40万ユルドを溜めねばならない。

 エルドランの話によれば、身分を問われない港町での積み荷の運搬作業での日当が2000ユルド。生活を切り詰めれば1日の食費は300ユルドで済むらしいが、食のみならず最低でも住を確保しなければならない以上は別途で費用もかかるだろう。そうなると、1日で稼げるのはせいぜいが1500ユルド。10万ユルドを溜めるとなると3ヶ月ほど休まず働けば切符代と最低限の旅費は稼げる計算になる。

 ……アルヴヘイムに何しに来たのか分からなくなるな。そうなると、手っ取り早く身分と資金を得る方法を見つけねばならないだろう。

 翌朝の太陽が昇るより早くに村人たちは起床する。眠り切れなかったのか、それとも元より朝が早いのか。恐らくは両方だろう。

 

「季節ですか? そうですね。全ては神の御心次第。イーストノイアスは長きに亘って『春』が続いていますが、祖父の頃には飢餓も蔓延した灼熱の『夏』が200年も続いていたそうです。後は地方によっては永遠に雪と氷に閉ざされていたり、乾ききった焼けた砂漠も存在するようですね」

 

 エルドランの話を聞けば聞くほどにアルヴヘイムの狂いっぷりは凄まじい。盗賊たちの情報も有用だったが、やはり騎士の身分だけあって教養が違う。

 そうして太陽が天上に到達するより先に整備された街道と交わり、夕暮れには翡翠の都の名に相応しい、古いシルフ達が築いたという都に到着する。門番は最初こそオレ達を訝しんだが、エルドランが話を通すとあっさりと扉を開く。

 

「耳は隠してください。丸耳を我々は妖精ならぬ者、グウィン王が治める外の世界より参った旅人、【来訪者】と呼んでいますが、良からぬ感情を持つ者もいるはず」

 

 衛兵が守る門を潜るより先に、オレはエルドランから忠告を受けて、粗野な布を頭から被ってその場しのぎで周囲の目を誤魔化す。村人たちは境遇が境遇だっただけに、オレ達が【来訪者】でも気にしていなかったようだが、これでは街を歩くのも苦労しそうだな。

 翡翠の都は尖塔が立ち並ぶ立体的な都市であり、ALOをプレイした事が無いオレでも、その都市構造は翅による飛行を前提としたものである事は一目で分かった。それ故に、本来の美しい景観を損なうように、明らかに増設されただろう素材が異なる尖塔同士を繋ぐ橋、上り下りの為のリフトや梯子は完成された都市をどうしようもなく汚している。

 妖精たちは翅を失い、もはや飛べたのは祖父の祖父という表現すらも生温い伝説のおとぎ話だ。今や彼らは地に足をつけて一生を終える事に何ら疑問を感じていない。

 だが、その一方で自分達もまた飛べる存在である事も知っている。それは『アルフ』と呼ばれる上位妖精が存在するからだ。

 オベイロンの直属の配下であるアルフ達はアルヴヘイムにおいて、呪いに抗した存在、オベイロンに選ばれた戦士たちとされている。彼らはアルヴヘイムで自由に飛行できる翅を持っている。騎士にとって最上の名誉とはオベイロンの目に留まり、アルフへと転生し、翅を取り戻す事にあるという。

 

「意外と賑やかね」

 

「イースト・ノイアスでも1番の都ですから。でも、以前に私も父と何度か兄を訪ねて足を運んだ事がありますけど、その時に比べて少し寂れている気がします」

 

 兜を被ったザクロの隣を歩くアリエルの説明によれば、反オベイロン勢力のテロ活動、それに港町との権力闘争によって疲弊し始めているらしい。とはいえ、村の外の事情に詳しくないアリエルの情報はエルドラン経由でもたらされたものであるので、彼から詳細は聞き出せるだろう。

 やがて、イースト・ノイアスの南端にある太陽寺院に到着し、村人を預けたエルドランは都でも一際大きな尖塔へと赴く。どうやら、そこがイースト・ノイアスの軍部らしく、これからエルドランは報告と騎士の任の返上を直属の上司に伝えるようだ。

 

「本当にここでよろしいのですか? 私も準備が整い次第に港まで赴くつもりです。よろしければ――」

 

「いえ、ここで結構です。港町までは定期便も出ていると聞きました。これ以上はアナタの負担になります」

 

「……そうですか。残念です。ですが、ご恩を返しきれていない以上は、道が交わった時、いつでも助力しましょう。騎士の名誉に……いえ、父と母の名に懸けて」

 

 左胸に右拳を当てて礼を取ったエルドランに倣って、アリエルも深々と頭を下げる。彼女の目には最後までオレに対する怯えが張りついていたが、それでも素直に感謝を態度に示す事に迷いはないようだ。良い妹さんだ。

 これからエルドランには長く辛い日々が待っているかもしれない。騎士という生涯貫き通すはずだった誇りを捨て、彼が旅路の向こう側でいかなる『答え』を見つけるのか、それはそれで気になるが、オレが関与すべき物語ではないのだろう。せめて、兄妹の旅の終わりが安らぎを得られる新たな故郷の獲得である事を願うばかりだ。

 

「それで、これからどうする? 私達は文無し。日雇いで汗を流して健全に旅費でも溜める?」

 

「お前が貴族様に体を売れば良いだろう? 高級娼婦はアルヴヘイムでも高給取りらしいぜ? おっと失礼。教養と気品が求められる高級娼婦なんてお前には無理だったな」

 

「は? 殺すわよ? そもそも私は見ず知らずの男に体を許す程に落ちぶれてないんだけど?」

 

「女忍者は色香で惑わして情報収集が古今東西のお決まりだろう? 情報収集ついでに金も稼げる。一石二鳥だ。やっぱり忍者ガールには路地裏娼婦がお似合いだぜ」

 

 エルドランたちの目と耳が消えた瞬間に、早速舌戦を繰り広げるPoHとザクロは放っておくとしよう。一々付き合うのも馬鹿らしい。

 イリスはザクロの背中に張り付いているらしく、彼女が纏うマントの中でもぞもぞと微かに動いている。さすがにDBOと違って『命』があるアルヴヘイムの人々が暮らす都市部であのグロテスクな外観をオープンし続けるわけにはいかないからだ。

 

「方針を決めよう。港町はオレ達の足なら定期便の馬車を使わないでも十分に行けるはずだ。必要になるのは1人につき10万ユルド。リビングデッドも合わせれば40万ユルドだ。オベイロンの目が何処にあるか分からない以上は穏便に稼ぎたい」

 

 オレの提案に、いよいよ互いの得物を引き抜く寸前まで言葉の槍を投げ合っていた2人は止まる。何が悲しくて、オレが2人のストッパーをしなければならないのだろうか?

 

「それから身分も必要ね。偽装するにしても右も左もわからないアルヴヘイムではどれだけの時間がかかるかも分からない。既に私達が妖精の国に来てから3日も経過しているわ。それも含めて行動を決定すべきね」

 

 短刀を腰に収めたザクロの言う通り、村人たちの引率によってオレ達の移動速度は大幅に遅れた。オベイロンにたどり着くまでどれだけの時間がかかるかも分からないが、有限の時間をなるべく有効活用すべきである。何十日もDBOで行方不明になるわけにはいかない。

 

「情報を纏めるぜ。まずは老婆の話通りなら、3体のネームドがこのアルヴヘイム攻略の鍵を握っているはずだ。コイツらを殺す。それが最初の方針で良いな?」

 

 PoHの提案にオレ達は異議を挟まない。アルヴヘイム入国前の説明通りならば、まずはオベイロンの居城にたどり着く為にも3体のネームドについて調査する必要がある。エルドランからもそれとなく情報を集めてみたが、どうやら古い伝承に登場する存在のようだ。

 まずはシェムレスロスの兄妹。彼らは最古の妖精であり、閉ざされた廃城に暮らしているようだ。

 次に穢れの火は今や朽ち果てた地底の大神殿にて、忘れさられた封印の檻に閉じ込められているとされている。

 深淵狩りの騎士にして裏切り者のランスロットは詳細不明。エルドランが知る限りでは、妖精たちが呪われるきっかけになった深淵と関わりがあるのではないかと考えられている。

 

「オベイロンがいるのはアルヴヘイムの中心の都アルンだ。だけど、アルンへの行き方は分からない。オレ達は3体のネームドの撃破を目指しながら、並行してアルンへの行き方も探す。それで良いだろう?」

 

 補足を入れたオレに、2人は何も言わずに首を縦に振って了承する。エルドランの1件で大幅に遅れたアルヴヘイム攻略であるが、ようやく情報収集も一通り終えて形も見えてきたところだ。ここからは手段と目的の遂行にだけ全力を注げば良い。

 

「だったら、明日の朝に港町に続く西門で集合しましょう。それまでに情報収集でも金稼ぎでも好きにする。これでどう?」

 

 最後にザクロからチームプレーを否定する発言が飛び出し、オレとPoHは同意を示すのも煩わしいとばかりに背を向ける。何やら悶絶するイリスの小言がザクロに集中砲火させられているようだが、オレは聞かないフリを貫いた。

 

「PoH、いくつかアイテムが欲しい。貰って良いか?」

 

「ああ、良いぜ。皆の共有アイテムだ。好きにしてくれ」

 

 リビングデッドを連れ歩くわけにはいかず、路地裏の隅に待機させようとしているPoHより許可を貰う。リビングデッドが保有するアイテムから幾つかもらうと、オレはPoHとも別れて落日が始まった翡翠の都を歩む。

 翡翠の都スイルベーンはALOに実際に存在する都市のモデリングデータをそのまま移植したものだろう。古いシルフの都という事らしく、人口の半分はシルフ族だ。その次に多いのがサラマンダーであり、3番目がウンディーネである。エルドランたちもシルフだ。

 基本的に同種同士の結婚が基本であり、イースト・ノイアスでは他種との婚姻も認められていない。だが、貴族の中には妾として他種族の女を囲っていることも多く、別種族と交わった場合は母親の種族として生まれる事が多い。もちろん、『他の理由』もあるが。

 ここまでは盗賊とエルドランの情報から分かっている事であるが、1歩路地裏の暗闇に入り込み、治安の悪い薄暗い領域に入り込めば、鮮やかな尖塔の都の汚れた醜い掃き溜めが姿を現す。

 

「へへ、その身なりの良さは貴族様とお見受けしました。いかがです? 今日はケットシーが新しく3人も入荷しましたぜ? 」

 

「あらあら。ケットシーなんて獣臭いだけじゃない。貴族様、こちらにはインプの生娘がいますわよ」

 

「貴族様ぁ、大斑の青舌蛇の毒を煎じた丸薬ですぜ? 一口で朝までぶっ飛べますよ?」

 

 前歯が無い髭面の男がオレのコートの裾を掴んで見せるのは、首輪が付けられたケットシーの少女たちだ。内の2人は力なく項垂れており、残りの1人は反抗的に牙を剥いている。胸元の露出が激しい厚化粧の女が手招くのは娼館であるが、窓には今にも泣きそうな無理した笑顔を向けるインプの少女が助けを求めるようにこちらを見ている。

 種族的に反オベイロン派であるというケットシーとインプは家畜同然であり、人権という概念が確立しきっていないだろうアルヴヘイムでも特に『物』扱いだ。男は狩られて農奴としてこき使われ、女は見ての通りである。

 エルドランも『常識』としてケットシーとインプの奴隷扱いを認知していた。それでも、彼はそれらを褒められるべきではないと考えを持っているらしいが、全体では奴隷や家畜扱いが当たり前なのである。あのインプの少女など、娼婦という『まとも』な部類であり、檻に入れられたケットシーの少女たちの方が『普通』なのだ。

 歓声が沸く場所に赴けば、ブロック塀で作られた簡素なバトルリングの中で、半裸のケットシーの男たちが殴り合っている。労働帰りだろう人々が熱狂するのは即席コロシアムでの拳闘だ。片方は鼻が潰れ、もう片方は左腕があらぬ方向に曲がっている。

 見世物かつ賭けの対象か。彼らが生きようが死のうが関係ない刺激ある娯楽。確か古代ローマのコロッセオは、末期を除けば剣闘士たちは手厚い扱いを受けていたらしい。それを考えると、消耗品扱いの彼らは夢も希望も無く、同胞と殺し合いを命じられる玩具か。ペット扱いですらないとはな。

 

「……どうでも良い」

 

 切り捨てろ。ただでさえエルドランの件で時間が取られているのだ。アルヴヘイムの『常識』に一々感情を動かすなど疲れるだけだ。

 必要なのは目的を遂行する事だけ。アスナを助け出し、『アイツ』の悲劇を止める。それ以外に首を突っ込むな。オベイロンを殺す事をまずは考えろ。

 

「まずは耳だな。いつまでも隠し続けることはできないか」

 

 オベイロンは必ずオレ達を殺すべく刺客を送り込んでくるはずだ。こちらを常に監視できるとは思えない。それならば、無尽蔵に戦力を送り続けたこちらを圧殺すれば良いだけだからだ。だが、オベイロンはそれを実行していない。つまりはこちらの居場所を検索できていない。ならば、必然として情報収集の方法は限られる。

 ならば、最も危険なのは風聞が広まる事だ。村人たちにはエルドランから口外しないように口止めしてもらっている。彼女たちも村で盗賊を私刑にしたのだ。それに関わるオレ達ならば、簡単には口も滑る事も無いだろう。

 オレが所有するのは盗賊から奪った5000ユルドのみ。PoHはトータルで5万ユルド持っている。ザクロもオレと同額だ。最低限の資金はある。これをいかに増やし、また財布のランクを上げていくか。

 鼻が潰れたケットシーの剣闘士が片腕のケットシーの首を太い腕で締める。暴れて振りほどこうとするが、カーソルは黄色から赤に変化する。窒息状態によるHP減少だ。唾液を撒き散らし、舌を震わせ、目玉が飛び出すほどに見開いた片腕はそのままカーソルを消滅させる。

 文字通り、殺すまで戦わせるわけか。大金がかかっていた特別な試合らしく、賭けに負けた観客たちはゴミを倒れた死体に投げつけて罵詈を浴びせる。

 

「…………」

 

 これ以上はここにいても得にならない。オレは盗賊から得た情報を元にして、路地から地下に入る階段を下り、そこに設けられた酒場の鉄扉を開ける。

 女の悲鳴にも似た嬌声が響く酒場は紫色の炎が照明として揺れ、妖しい雰囲気を醸し出している。カウンター席にはタンクトップ姿の大柄のサラマンダーが1人。その眼光から一目で彼がこの酒場の……いや、盗賊ギルドのオーナーだと分かる。

 ここにおけるギルドとは、本来の意味である『組合』を指す。即ち、裏の仕事の斡旋業者だ。とはいえ、あくまでオベイロン派の都にあるギルドだ。当然ながら、反オベイロン派の仕事はない。元々はこのギルドに在籍していた盗賊から引き抜けた情報通りならば、裏の仕事と情報はここから得られるはずだ。

 

「貴族様が何の用だ? ここはアンタみたいな小奇麗な奴が来る場所じゃないぜ」

 

 サラマンダーの店主はオレがカウンター席に腰かけるより前に警告する。言われるまでも無く、オレを『カモ』として認識しただろう先客たちの視線には気づいている。隙があらばスリを働こうと考えている目だ。

 オレは貴族でも何でもないんだがな。ナグナの狩装束のような仕立ての良い装束はどうやら逆に目立つようだ。まぁ、彼らの装備がレベル10未満だしな。仕方ないか。

 

「面白い冗談ですね。オレは貴族ではありませんよ? ですが、アナタにとって羽振りの良いお客様です」

 

「ほう?」

 

 僅かに興味を示すサラマンダーの店主の目の前に、オレはリビングデッドから貰った燐光草を3枚ほど並べる。

 エルドランの話の限りでは、アルヴヘイムでは極端に回復アイテムの入手が難しい。神官色が強いウンディーネ達は≪信心≫を獲得して奇跡の回復を用いれるらしいが、オレ達からすれば初歩的な奇跡すらも彼らからすれば『神の御業』クラスらしい。

 回復アイテムもせいぜいが5パーセント回復でインターバル付き。流血を緩やかにする【凝血の軟膏】などはあるらしいのだが、不思議な程にHP回復関連は不足している。

 ここから分かるのは、アルヴヘイムはDBO以上に『死にやすい』という事だ。そんな世界で、たとえ10パーセントしか回復できないDBO最低クラスの回復アイテムでも、彼らの目からすれば、とんでもないお宝に映るはずである。

 

「それは手付金。こちらの要望を叶えてくれるならば、コレも付けましょう」

 

 更にナグナの血清をテーブルの上に1つ置く。燐光草を上回る回復アイテムだ。文字通り、彼らからすれば窮地で延命する起死回生の宝物にも等しいはずである。欲しがる者は数多。裏の取引でも価格は天井知らずになるはずだ。

 

「何が欲しい? 殺し屋か? 情報か? それとも……」

 

 興奮した様子ながらも、プロらしく冷静さを失わずに交渉にステップアップするのはさすがと言ったところか。オレは交渉関連が死ぬほど苦手なので、ここが正念場になる。

 

「お金と身分。それに、この耳を誤魔化す方法でしょうか?」

 

 帽子代わりの布を外し、オレはサラマンダーの店主だけに耳を見せる。すると、店主は燐光草に納得したように太い腕を組んで頷く。

 もちろん、ここで余計な事を考えて行動を取った場合、『とても残念である』が、贄姫を抜かざるを得ないだろう。彼らのレベルは高くとも20だろう。店内には店主を含めて客が12人程度か。地下の店とは都合が良い。じっくりと1人ずつ始末できる。

 オレを試すような目で睨むサラマンダーの店主に、オレは腰の贄姫の柄頭を数度叩く。カタナも珍しいのか、サラマンダーの店主の目が欲望を滲ませる。

 欲に目がくらんで殺しに来ても構わないし、商談に乗ってもらっても構わない。どちらでも損はしない。大ギルドが相手でない分だけやり易い。

 

「12万ユルド。それでどうだ? 腕の良いノームの細工師がいる。種族を誤魔化したがる奴は大勢いるからな。ケットシーなんざ、耳を切り落として付け耳を縫い付ける連中もいるほどだ。世知辛いねぇ……」

 

「諸行無常ですね。ああ、それと付け耳はできれば3人分。1つは女性用でお願いします」

 

「だったら6万ユルドだ。戸籍は無理だが、銀行証明付きの【白銀の財布】もセットだ。丁度、蔵で余らせている盗品がある。朝方までには準備できるが、これ以上の条件は無しだ」

 

「ああ、だったら1人分で構いませんので12万ユルドでお願いします。身分証明の記載内容はこちらでお願いします」

 

 どうせPoHもザクロも、それぞれのやり方で条件をクリアしているだろう。オレが彼らの分の付け耳まで準備する義務はない。テーブルにあった注文取り用の紙に偽装してもらいたい内容を記載して店主に渡す。

 交渉成立。それを示すようにサラマンダーの店主はグラスに透明な液体を注いでオレに差し出す。嗅げば、かなり強い酒だと判別できる。酔わせる気か、それとも単なる好意か。はたまた毒入りか。

 

「安心してくれ。身なりは良いが、アンタからは血のニオイがする。俺も本土から来た叩き上げでな、この店を預けられるまでに随分と修羅場を潜ってきた。だが、アンタは俺とは桁が違うようだ」

 

 毒入りを否定するように、先にサラマンダーの店主はオレのグラスの半分を飲み干す。氷が揺れる透明な水面にオレは人差し指を付けて渦を作り、ぺろりと舐める。味はしないが、アルコール特有の刺激が舌に走った。

 

「アンタは『殺し』のプロだ。たまにそんな奴が流れてくる。俺が断ったら、店中の奴らを皆殺しにする気だっただろう?」

 

「それは誤解です。大人しく帰っていましたよ」

 

 グラスの中身を喉に流し込みながら、オレは微笑んで否定する。こちらの要望を断られたならば、次の買い手を探せば良いだけだ。わざわざ口封じするなど手間とリスクがかかるだけである。

 

「娼婦を呼ぶか? 朝まで時間を潰すなら女が1番だろう?」

 

「要りませんよ。では、朝方にもう1度来ます。裏切るならばご勝手に。では」

 

 店外に出たオレはすっかり日も暮れて夜風が吹く路地裏から鎖が錆び付いたリフトを見つけ、修復されずに半ばから崩れた尖塔を上る。

 遺失技術で作られたとされる翡翠の都は、壊れれば修復する術がなく、不釣り合いな現行技術で処置を施すしかないらしい。折れた尖塔の頂上から見回した翡翠の都は、人々の営みを示す温かな光が踊っている。

 妖精の国。ALOは日本VRMMORPGの傑作と言われ、実にジャパンファンタジー的な夢色の仮想世界だったという。だが、このアルヴヘイムは余りにも生々し過ぎる。DBOはゲームとしての調整の痕跡が見て取れるが、アルヴヘイムは実際に妖精たちが暮らす世界だ。『命』ある者たちが歴史を紡いでいる。

 オベイロンの狙いは何だ? 何故チェンジリングなど引き起こした? 後継者とは何かしらの確執があるとみて間違いないが、彼らは何において敵対している?

 考えても分からないものは考えるべきではない。だが、DBOはステージ区分されていても、1つの歴史……終わりつつある街まで脈々と続いた物語を感じさせる。実際にそうなのだろうともオレは確信している。

 確か、北門の近くには奴隷市場があるらしい。路地裏の少女たちもそこで売られていた者たちだろう。あの扱いだと安く買いたたかれた部類なのかもしれない。本来、商品としての奴隷は高価な労働力である。それを使い捨てるような真似はされない。もちろん、時と場所によっては異なるのは常であるが。

 路地裏の少女たちのぞんざいな扱いを見るに、アルヴヘイム本土では日常的にケットシーとインプの『狩り』が行われているのかもしれないな。むしろ奨励されているのかもしれない。

 PoHは向かった方角的に奴隷市場で成すべき事を成すだろう。ザクロは何をするか不明だが、彼女も太陽の狩猟団を裏切って今日まで生き延びてきたのは伊達ではないはずだ。ならば、10万ユルドと身分くらいは夜明けまでに準備できているはずである。

 システムウインドウのメモ帳機能を開き、これまでの情報をまとめた文章に種族間格差を書き加えていく。

 オベイロンを頂点とした種族としての階級社会。そして、貴族や平民といった身分としての階級社会。この2つが融合している。

 まずはシルフとウンディーネは種族的にオベイロン派だ。種族的に言えば、シルフ・ウンディーネ・サラマンダー・ノームの4つの種族が最も繁栄している。その中でもサラマンダーとノームからは反オベイロン派を掲げる者も少なくないが、元の人口が大きく、大勢としてオベイロン派なので問題視されていない。

 少数民族としては≪鍛冶≫を専門的に行うレプラコーンがいる。彼らは何処でも手厚く迎えられる。どうやらノーム以上に専門的らしく、腕前は確からしい。ノームも≪鍛冶≫は許されているが、鍛冶屋は少数であり、腕前もレプラコーンに劣る。

 次に流浪の民スプリガン。彼らは派閥表明をそもそもしていない種族だ。あちらこちらでフラフラ歩き回っている。傭兵団を結成している事も多いらしく、エルドランの話によれば、深淵狩りの物語を追うならばスプリガンを探すのが1番らしい。

 プーカも少数民族であるが、彼らもスプリガンとは別の意味で土地に縛られない。どうやら遊牧民に近しい性質らしく、各所を定期的に回っているらしい。吟遊詩人としても名高く、雑技団などの娯楽を提供するのはいつもプーカらしい。

 そして、ケットシーは反オベイロンを真っ先に掲げた種族だ。戦いに敗れて散り散りとなり、今は細々と生きているらしいが、ご覧の有様のとおりである。

 インプはケットシーと同盟を結んでいたらしく、呼応する形で参戦したが、結果は同じだ。もはや種族単位で纏まるのは不可能だろう。

 オベイロン撃破の為に戦力を集めるならば、反オベイロン派に接触するのも面白いかもしれないが、彼らも当然のように一致団結しているわけではない。そもそも手段を選んでいる組織なのかもエルドランの村を考えれば疑わしい。何を以って反オベイロン派であるのか。それも見極めねばならないだろう。

 腰を下ろして贄姫を抱えながら、オレは瞼を閉ざす。眠るのではなく脳を休める。意識を暗闇の中で微睡ませる。不眠状態になってステータスが下方修正されても面白くない。システム的に騙す方法であり、オレの唯一の休息手段だ。

 そうして時間間隔が曖昧になり、微睡みの中で朝焼けの空気を感じる。瞼を開けば空が白んでいる。

 感覚の無い左手を見つめ、開閉を繰り返す。治らないと分かっていても、少し位は期待してしまうものだ。味覚もこれ以上失うのは色々と面倒だしな。

 リフトを使って地上に戻り、酒場のドアを開けると店じまいの準備をしていたサラマンダーの店主がオレを迎える。やや厳つい顔に緊張を走らせているが、オレは彼を懐柔するように微笑んだ。

 

「こちらが支払いです」

 

 ナグナの血清を1つテーブルに置いて先に誠意を示す。準備できていないならば取引は無効だ。アイテムだけ奪い取ろうという魂胆があるならば、その首を落として漁らせてもらうしかないだろう。

 無言で革袋をテーブルに投げたサラマンダーの店主はグラスを磨き続ける。紐を解いて中身を確認すれば、銀色の財布と一体になった金のプレートがある。プレートには名前が彫り込まれているが、偽名ではない。使う意味も無い。たとえプレイヤーネームをオベイロンに知られても取られる対策などたかが知れているし、そんな事態になれば、こちらの情報は相当奪われているに違いないからだ。

 そして付け耳を手に取ってみたが、感触は本物に近いが温もりはない。専用の糊が必須らしく、オレはサラマンダーの店主が準備した鏡の前で装着する。

 無理矢理引き千切られでもしない限りはバレなさそうだな。本物に比べれば、やや短めであるが、そこは個人差もあるだろうし、上手く誤魔化せるだろう。

 

「商談終了だ。さっさと出て行ってくれ。こっちは胃がキリキリして死にそうなんだ」

 

「長居する気はありませんよ。でも、その前に1つ。身分証明書と財布、付け耳、それに現金。ここまで準備してもらったわけですが、適正価格ですか?」

 

 燐光草はともかく、ナグナの血清はDBOでも決して安くない価格がつく。本業ではないと言えばそこまでだが、サラマンダーの店主の口から聞いておきたかった。

 だが、サラマンダーの店主は答えずに磨き終えたグラスを棚に戻す。回答は沈黙か。それ自体が物語っている。

 どうやら、今回の商談もオレの負けのようだ。この様子だと倍以上の価値があったか? どうやら、サラマンダーの店主も荒くれ者を取り仕切っているだけの度胸と商才はあるようである。

 夜明けを迎えて衛兵たちは欠伸を掻き、待ち合わせの西門の近くにはオレ以外の姿はない。約束は朝であるが、正確な時間までは決めていない。そもそも朝とは何時までを示すのだろうか? 個人的には9時が限度だと思うのだが。

 

「よう。その様子だと準備万端のようだな」

 

 太陽が完全に昇る寸前で聞き慣れた声が耳に入り、オレは背中を預けていた騎士像から離れる。まずはPoHの到着だ。だが、彼の姿は何処にもなく、オレは幻聴かと耳を数度叩く。

 

「おいおい、その反応は寂しいぜ? 傷ついちまうじゃねぇか」

 

「……何やっているんだ」

 

「お前にならってイメチェンしてみたのさ」

 

 そう言うのは、SAO時代に多くのプレイヤーが血眼になって暴こうとした、フードに隠された素顔をあっさりと晒したPoHである。身に着けているのは焦げ茶色の仕立ての良いコートであり、襟を立てた姿は何処となく高い身分を窺わせるものだ。髪もオールバックに決めている。目立つ重ショットガンはオミットしたのか、腰に変形曲剣があるだけだ。連れるリビングデッドは全身に薄いプレートアーマーが取り付けられ、外見を完全に覆い隠している。

 

「今はPoH男爵と呼んでくれ」

 

「お茶目過ぎるジョークありがとう」

 

 だが、身分を高く偽るのは決して悪い事ではない。その分だけならず者の襲撃のリスクは増えるだろうが、オレ達からすれば資金とアイテムと情報源が自分から蜘蛛の巣に掛かってくるようなものだからだ。それに、身分社会がある以上は外見から錯覚させるのも悪くない手段である。

 付け耳の準備もできているらしいが、服装も含めてどうやって調達したのだろうか。奴隷市場で何か策を巡らし、1晩で準備したPoHに種明かしを望もうとするよりも先に、次なる足音が訪れる。

 

「……何よ?」

 

 そう不貞腐れた様子でこちらの視線に真っ向から殺意を向けるのは、PoHに負けず劣らずに洒落込んだザクロの姿だ。左肩から左腕を隠すのはサーコートであり、全身には黒衣。胸元では金糸で縫われた銀ボタンが並んでいる。艶やかな黒髪を1本に結っている姿も合わされば、男装の令嬢といった感じだ。付け耳も完備である。

 

「コンセプトは『家出した伯爵家の四女』です! 1晩でここまで揃えるのは本当に――」

 

 ザクロが右手に持つ鞄から顔を出したイリスの満足しきった声音は、彼女が鞄の紐をきつく締め直すことで途切れる。

 とりあえずは全員が最初の課題をクリアできたわけであるが、何だろうか、この不満は。オレの予想を軽々と跳び越えていった彼らへの憤りだろうか。少しくらいは悩んだ苦し紛れの回答が欲しかった気がする。

 

「ここから港町まで普通に歩けば1日だが、休み休みを入れて走り続ければ昼には着くだろう。時は金なり。急ぐぜ」

 

 翡翠の都に別れを告げる程に愛着も無い。1晩でイースト・ノイアス最大の都を離れる事になるとはな。これが時間を気にしない旅行ならば、じっくりと観光を楽しみたいところであるが、まずはアルヴヘイム本土に着かねば話にもならない。

 整備された街道をお喋りしながら、ゆっくりと歩むような仲でもない。オレ達はひたすらに無言で、スタミナが切れない程度に休憩を挟みながら走り続ける。途中ですれ違った馬車からは驚きの声も上がったが、それを気にするオレ達ではない。

 3人の中で最もスピードが無いのはリビングデッドだ。全身を隠すプレートアーマーの分だけ機動力が損なわれている。その為か、予定を超過して昼下がりの頃合いに潮風が鼻を擽る港町に到着する。

 翡翠の都の次に繁栄しているとだけあって、街の規模は大きい。全体的に塩を意識したような白色の建物であり、いずれも四角形に角ばっているのが特徴的だ。街を彩る石畳にも貝殻が埋め込まれており、まるで宝石のように太陽光を浴びて輝いている。

 市場には新鮮な魚貝類が並び、また貿易品と思われる装飾品や果物も並んでいる。DBOでは珍妙な食材ばかりに出会っていたが、アルヴヘイムも負けていない。ハサミの部分に大口を持つ80センチ近い巨体の海老、目玉の中に目玉がある紐で穴通しされた小魚。緑色の樹皮ようなもので覆われた果実を開けば、中身はプルプルのゼリー状の赤い果肉が隠されている。

 

「まろやかで夏の味だな。触感はゼリーよりもプリンに近いぜ。気に入った。3つくれ」

 

「このモチモチ感癖になるわね。おばちゃん、袋いっぱいに頂戴」

 

「そこの2人、オレ達は観光に来たわけではないのだが?」

 

 通った場所が悪かったと言うべきか、PoHは中身がゼリー状の果実を買い込み、ザクロは【赤大王イカ】の足を擦り潰して練った団子を1袋購入して食べ歩きを始める。

 

「少しは気楽に行こうぜ。敵は何処にいるかも分からない。同じくらいに敵もこちらの居場所が分からない。急ぐべき時は急ぐ。休むべき時に休む。それも大事ってもんだ」

 

 御尤もではあるが、半カットした果実を片手に木製スプーンで中身を余さず掬い取って食べ歩くPoHの姿は、完全に金持ちの観光客だ。その後ろでリスのように頬を膨らませてイカ団子を貪りながら、今度は【青真珠貝】の磯塩黒タレ焼きのニオイに釣られたザクロはフラフラと近寄っている。

 皆さん、ご存知ですか? あちらにいますオールバックのイメチェン仕立てのヒール感漂う渋メンがSAOで悪の権化とさえ謳われたPoHさんです。そして、その隣でリスよりもハムスターみたいに頬張っているのが太陽の狩猟団を裏切った女忍者のザクロさんです。

 

「アレが大橋鉄道か」

 

 青い海にかかるのは一直線にかかる大きな白い橋だ。見える限りでも線路は3本ある。水平線の向こう側にはアルヴヘイムの本土が確認できる。移動時間は長くとも1時間といったところだろう。

 

「先に下見を済ませておく。食道楽を満喫したら来てくれ」

 

 鞄から顎だけを出して、イリスまでもが焼き海老を堪能している姿に頭痛がしてきたオレは、先んじて大橋鉄道の駅へと向かう。街のデザインと同じで白いブロック状の建物であり、内部は青と白のタイルがチェス盤のように敷き詰められている。噴水時計が中央に設置されており、金縁の時計台の周囲では金色の2頭のイルカの像がゆっくりと回っている。見上げれば、鎖でつるされた銀の星々が飾られており、それらが窓から差し込む光を乱反射して白壁を彩っている。

 切符売り場は透明なガラスで仕切られ、なおかつ屈強なガードマンがそれぞれの売り場に2人ずつ控えている。背中の大剣は分厚く、体格も良いサラマンダーの戦士だ。

 

「ようこそ、港町シャネビの大橋鉄道へ」

 

 ウンディーネの店員が丁寧に腰を折って、ガラスの向こう側で礼を取る。オレは軽く会釈して返すと、なるべく声に緊張が出ないように心掛ける。

 目指すのは、いつも利用する常連客だ。オベイロンの目が何処にあるか分からない以上は下手に初めての客と疑われるべきではない。

 

「さすがはシャネビが誇る大橋鉄道ですね。いつ来ても壮観です」

 

「ありがとうございます、お客様」

 

「ところで、反オベイロン様を掲げるテロリストの活動が過激になっているとか。安全性は……問題ないでしょうね?」

 

「ええ、もちろん! シャネビ大橋鉄道はいつでも安心安全! オベイロン様が王の御業で創造された大橋に万が一はございません!」

 

 会話の流れの中で10万ユルド支払い、流れの作業のように財布の身分証を見せる。特に疑う様子もなく手早く済ませた店員は何ら疑う素振りも無くオレに切符を差し出す。金色のプレートであり、想像していたものとは違うが、特に注目することなくオレは受け取って胸ポケットに入れる。

 

「次の出発は1時間後です。良い旅を」

 

「どうせ仕事ですからね。すぐに戻ってきますよ」

 

 他愛ない、と言いたいものだ。内心で疲労感溢れた吐息を漏らしながら、オレは噴水の縁に腰を下ろし、水筒を取り出して冷たい水を口に含む。元より演技派ではないのだ。

 駅の利用客はいずれも身なりが良い。10万ユルドを簡単に支払うのは庶民には無理だろう。大橋鉄道も大半は物資運搬に利用されており、時刻表を見れば、人が乗車できるのは午前と午後の2回だけである。

 貴族の子息らしい5歳ほどの子どもが駆け回り、派手に転倒して涙を浮かべる。泣きじゃくる彼に歩み寄ったオレは膝を下ろし、そっと右手を差し出す。だが、立ち上がらせはしない。あくまで手伝うだけだ。オレの右手をつかみ、自分の力で立った子どもは丁寧に腰を折って感謝を告げると、今度は走らずに親の元へと歩いていく。

 

「相変わらず変な所で甘いな」

 

「何それ善人アピール? 吐き気がするんですけど」

 

 そういう2人は完全に観光客状態ではないか。大きな紙袋にこれでもかと買い込んだ食べ物を詰め込んでいる。ザクロに至っては右頬にソースがこびり付いたままだ。

 

「さっさと2人とも切符を――」

 

 もうどうでも良い。溜め息を吐くのも勿体ないと2人に切符購入を促そうとした時、駅前に喧騒が生まれる。

 

「アルフ様だ! アルフ様が来たぞぉおおおお!」

 

「オベイロン陛下の親衛隊だ!」

 

 怒号にも似た悲鳴が轟き、人々はざわめき、即座にその場にて片膝を、あるいは両手を地面につけて平伏する。どうやらある程度の身分がある者は片膝だけのようだが、ここで下手に目を付けられても困る。オレは即座に平伏して可能な限り頭を低くする。

 青い空と白い雲。まさしく港町に相応しい太陽の恵みと海の息吹を感じる天空から虹色の光が差し込む。それは背中に煌びやかに虹色に変じる光の翅を持つ2人の騎士だった。

 どちらも基調とするのは白色。1人は全身を白銀の甲冑で覆っており、腰には黄金の剣を差している。もう1人は金属防具は胸当てくらいであり、白衣を纏った美形の金髪男だ。

 アレがアルフか。空から登場した通り、飛行能力を保有しているのは間違いないようだ。なるべく顔を見られないようにしつつも、アルフの情報を少しでも抜く為に外観を余さず観察する。

 

「やぁ、本日は御日柄も良く。皆さん、今日はオベイロン陛下よりお言葉を賜ってきました。心して聞くように」

 

 ニコニコと金髪美形の方がフレンドリーな態度を取りつつも、絶対的な強者としての余裕を崩さずに告げる。それに続いた甲冑騎士の方は咳払いを1度差し込んだ。

 

「オベイロン陛下に弓を引く不届き者、アルヴヘイムの外より来た侵略者、【来訪者】がいる。【来訪者】はいずれも強者。並の兵や騎士では足止めにもならないだろう。だが、諸君らにも出来る戦いがある。【来訪者】を討つに役立つ情報を提供した者には3000万ユルドの恩賞を! そして、討ち取った者には8000万ユルドとアルフへの取り立てをオベイロン陛下はお約束成された!」

 

 なるほど、そう来たか。予想通りとはいえ、オベイロンは配下と支配する世界の両方を使ってオレ達を排除すべく動き始めたらしい。

 付け耳を早めに準備して正解だった。耳が丸ければ一目で【来訪者】だとバレてしまう。逆に言えば、それ以外の見分け方はない。せいぜいが種族的特徴が無く、見分けできない事くらいであるが、適当にシルフかウンディーネと言い張れば問題はないだろう。

 

「今まさにアルヴヘイムには数えて『10人』の【来訪者】がいる! 内の3人はこのイースト・ノイアスの何処かにいるはずだ! オベイロン陛下は諸君らの忠誠に期待している。励め! 以上だ!」

 

「でも、言った通り、かなり強いから僕らの到着を待つように。よろしくねー」

 

 質実剛健といった態度の甲冑騎士が先に飛び上がり、続いて金髪美形がヒラヒラと手を振って舞い上がる。彼らが青空の向こうで点となるまで遠ざかってから、人々は立ち上がり始める。

 あの方向となると翡翠の都に飛んだと見て間違いないだろう。オレ達がアルヴヘイムに到着してから3日……いや、初日を入れれば4日か。動きは遅い方だな。先手を打たれていれば、こちらは付け耳を準備する暇もなくイースト・ノイアスに閉じ込められていただろう。

 オベイロンが舐めているのか、それとも後継者が援護して時間を稼いでくれたのか。どちらにしても、オベイロンが本気でこちらを潰しにかかっている……オレ達を脅威と感じているのは間違いなさそうだな。

 だが、それよりも重要なのは『10人』の来訪者だ。

 オレ達3人以外にアルヴヘイムに到着した者が7人いるというのか? それともプレイヤーの入国と同時に発生するイベントでNPCも来訪して計算に加わって……いや、オベイロンが排除したいのはプレイヤーのはずだ。ならば、オレ達以外にも7人の【来訪者】がいるのは間違いない。

 考え得るのは『アイツ』だろう。だが、そうなると残りの6人は? 古戦場の船守が簡単に見つかるとは思えないが、発見されればホルス撃破済みで扉も開いてあるので簡単にアルヴヘイムに来れるだろうが、そもそもスローネ平原の謎を解いていなければならない。

 廃聖堂の船守はまだネームドが撃破されておらず、なおかつ地下10層目はレベル100級とも聞く。たとえ、ユージーンを含めた部隊がいても、ダンジョン攻略はギリギリ出来ても門番ネームドまで倒せるとは思えない。

 そうなると『アイツ』が他に6人の仲間を連れていると考えるのが自然だろうか? だが、『アイツ』がアスナ救出のためにアルヴヘイムに無関係の6人を戦力だけを評価して選抜して同行を許すとも思えない。それにパーティは6人までだ。7人組というのは不自然だ。

 

「私たちの他にも7人雇われているのかしらね。後継者に信用されてないだろうし、他チームがいても不思議じゃないか」

 

 ザクロの言う通り、『アイツ』と決まったわけではなく、他にもオベイロン抹殺依頼を受けた後継者の戦力がいてもおかしくない。だが、いくら後継者でも他チームの存在を隠すとは思えない。

 そうなると、考え得るパターンは2つか。純粋に何処かの誰かがアルヴヘイムに到達する方法を見つけた。もう1つは後継者以外の誰かがアルヴヘイムに戦力を派遣した。

 突拍子もない行動を取る『アイツ』も見切れない部分が多い。アルヴヘイム本土で旅をすれば、必然として他のチームと遭遇する確率が高まる。その時になって、オレが彼らと……蘇った犯罪プロデューサーと抜け忍の2人を伴っていては言い訳できない。

 それに何より『アイツ』だろうと他の誰かであろうと、先を越されるわけにはいかない。アスナに先にたどり着かねば、『アイツ』の悲劇を止める手段も取れない。

 そう……最悪の場合は、アスナを……蘇ったアスナをオレは殺さねばならない。いや、いっそその方が楽だ。

 自分は騙されていたのだ。後継者の甘言に過ぎず、アスナは蘇っていなかった。そう『アイツ』が苦しみの中でもそれを『現実』として受け入れる結末が最も健全だ。死者が蘇るなど、本来はあるべきではないのだから。

 アスナを殺す。オレなら殺せる。迷いなく殺せる。だが、『アイツ』の願いを踏み躙りたくない。全てはアスナの状態を確認してからだ。だが、殺すしかないならば殺す。それだけは覚悟を決めておくべきだろう。

 そうさ。オレはクラディールを殺したんだ。善を貫いて死を選んだ彼をこの手で殺したんだ。それしか、彼を……彼の誇りを救う方法は無かったのだから。ならば、アスナだって殺せるはずだ。それが『アイツ』を救う唯一の手段なら……

 

「違う。オレは……オレは、クラディールを、殺したかった……だけだ」

 

 PoHとザクロがまるで兄妹のように振る舞いながら切符を買う演技を見届けながら、オレは噴水の水面にクラディールの穏やかな死に顔を思い出す。彼の首を刎ねた感触を指先まで蘇らせる。

 クラディールに好意を抱いていた。ずっとずっとパーティを組んで、いつか信頼し合える仲間になりたいと心の隅で思っていた。だから、オレは……彼を殺して、悦んでいた。

 分かっているさ、ノイジエル。オレは殺した。殺したかったから殺した。どれだけ言い繕っても、きっと、それが、真実だ。でも、結果として、クラディールは善なる意思を抱いたまま死ねた。今はそういう事にしておこう。 

 

「顔色が優れないようですが、いかが成されましたか?」

 

「少し疲れているだけだ。それよりもイリス……その恰好は?」

 

「主様とPoH様を見習ってイメチェンをしてみました」

 

 ひょっこりと鞄から顔を出すのは、アザラシの着ぐるみを着たイリスだ。どうやら市場で売っていたぬいぐるみを解体してザクロが仕立てたものらしい。翅が完全に隠れてしまっているので飛行能力は発揮できず、まともに動くこともできないが、少なくともグロテスクな外観もまた隠蔽できている。これならば怪しまれることもないだろう。

 

「しかし、この3人で鉄道の旅とはね。冷凍ミカンでも買っていく?」

 

「駅弁は無いみたいだな。まったく、ご当地での駅弁こそ醍醐味だろうに」

 

「だから、そこの観光客2人はいい加減にしなさい」

 

 切符を駅員に見せてゲートを潜り、水面のように光が揺らぐ階段を駆け上がれば、古き良き蒸気機関車が姿を現す。最も、燃料になっているのは青い光を湛えたクリスタルのようであり、物珍しく出発時間が迫るまで外観を見物する。

 上流階級の乗り物というだけあって個室も多いが、オレ達が取った個人席も1車両に8席しか設けられておらず、ゆったりと寛げる広々としたスペースが取られている。荷台を押す売り子は小奇麗にカットされた果実が飾られたケーキを販売し、ザクロとPoHはまだ食べるつもりなのか、珈琲とセットで購入する。

 先が思いやられるが、PoHもザクロも馬鹿ではない。休むべき時に休む。それを実行しているだけなのだろう。まだアルヴヘイムの全貌も見えていない以上は肩肘を張っていてはここぞという場面で疲労が溜まりきってパフォーマンスも下がる。それは理解できるのだが、限度があるだろうと言いたい。何よりも資金は有限なのだ。オレも切手代を除けば、数万ユルドしか残っていないのである。彼らの散財は後々に響かなければ良いのだが。

 汽笛が響き、青い光の粒子を秘めた蒸気が尾を引く光景が窓の外に現れ、緩やかな振動と共に風景が駅から海へと移ろう。海と空の青に挟まれた白い大橋を駆ける機関車は1時間程度でアルヴヘイム本土にたどり着くだろう。

 蒸気機関車など現代ではまず乗れる機会はないが、レトロな味付けのVRならば体感も珍しくないだろう。技術の進歩によって古きを味わえる。それもまた珍妙であり、また真理なのだろう。

 本の1冊でも持ち込んでいれば風情を感じながら読書できたのだが、残念だな。窓際に肘をかけ、白雲は船のように青空を泳ぎ、青々とした海面で帆を張る漁船団を眺める。

 だが、途端に巨大な水飛沫が上がり、漁船は白い泡に飲み込まれる。それは巨大なイカの脚であり、海面に飛び出したのは大口である。ミキサーのように並んだ牙が生み出す渦潮に漁船団は次々と吸い込まれていく。

 

「証なく禁海に近づくとは愚かな連中だな。よく見ておけ。あれが【クラーケン】。オベイロン王が生み出された怪物だ」

 

 オレの後ろの席にいる紳士が鼻を鳴らし、怖がる息子に、漁船団が次々と平らげられ、あるいは逃げようとすれば鋭い鉤爪が付いた脚で粉砕される様を教育のように鑑賞させている。

 なるほどな。どうして船で本土に渡らないのか、どうして物資運搬が船舶ではなく大橋鉄道中心なのか。その理由はオベイロンが作ったルールによって海が魔境と化しているからなのか。漁船団を喰らい尽くし、再び穏やかな海の底に戻っていったクラーケンは忠実なるオベイロンの配下というわけである。

 

「ゲソの丸焼きか。デカブツは不味いのがお決まりなんだがな」

 

「あら、意外とイケるかもしれないわよ?」

 

「もうツッコミは入れないからな」

 

 いや、口にしている時点でアウトとは分かっているけどさ! 貪欲なる食道楽を解放した2人のその後のトークはなるべく聞かないように努力する。とはいえ、味覚を失いつつあるオレからすれば、純粋に仮想世界で摩訶不思議な味と遭遇し、美味と珍味を味わい尽くせる彼らの話は興味深い。

 少しだけお腹が空いて来て、オレは売り子から【マリーネの卵】を購入する。奇麗に包装された箱に入っていたのは、イクラのようにプルプルとした卵であり、表面は半固形状のソースでコーティングされている。

 どんな味かは知らないが、オレンジに白が混じった外観からするに、少し甘そうな気がする。そっと口の中に入れるも、やはり味はしない。口内の熱で溶けて、どろりと形が崩れたソースと潰れた卵が混ざる感触こそあるが、それ以上は何も無い。むしろ、無味だからこそ、本来ならば味の調和と変革をもたらす過程は吐き気しか呼びこまない。

 1箱に6個入りなのだが、残り5個も食べる気はしないな。このままアイテムストレージに保管し続けるわけにもいかない。

 

「へぇ、どんな味がしたのよ?」

 

「普通だよ、普通。食べたければどうぞ」

 

 身を乗り出してオレが余らせたマリーネの卵を箱ごと掠め取ったザクロは早速1つ口に放り込み、そして激しく咳き込んだ。

 

「げ……うげ……うげぇ! ま、マズ……!」

 

「あははは! お姉ちゃん、もしかして初めて食べるの? マリーネの卵は箱の下にある味付け粉につけて食べるんだよ!」

 

 クラーケンの食事風景を見せられていた子どもがザクロを指差して笑い、彼女は恥ずかしそうにマリーネの卵にきな粉に似た粉末をかけ、そしてオレを『嵌めやがったなこの野郎』と恨めしそうに睨む。いやいや、オレは味覚が無いから、そんなゲロマズ味とは知らなかったから憎まれても困る。そもそも食い意地の張った自分を恨むべきだ。

 と、そこでオレは相変わらず見慣れないオールバック状態のPoHの視線に気づく。相変わらず何を考えているのか分からない眼であるが、こちらを観察するような視線にオレは思わず腰の贄姫を意識してしまう。

 

「美味いと不味いは紙一重か。ほらよ、口直しに『辛いもの』でもどうだ? 今にもゲロ吐きそうな顔しているぜ?」

 

 そう言ってPoHが紙袋から取り出したのは、いかにも唐辛子たっぷりそうな真っ赤な煎餅だ。いわゆる海鮮煎餅だろうか? 小さな海老や蟹がぎっしりと詰まっており、それを赤い生地で包んで焼いたものだろう。ほのかに塩の香りもする、いかにも港町の名物になりそうな菓子だ。

 なるほどな。オレの無表情を我慢していると思い込んだわけか。ここで断る理由も無いし、煎餅の触感ならばマリーネの卵のどろりとした感触が今も残る舌も少しはまともになるかもしれない。

 狙い通り、煎餅を噛み砕いて細かく散らばる破片はマリーネの卵の感触を回収していく。後は辛い物を食べたらしく、水筒の水を飲めば洗浄完了だ。

 

「もう1枚どうだ?」

 

「要らないよ。だけど、確かに辛くて癖になりそうだな。でも、やっぱりオレは甘いものが好きかな?」

 

「相変わらずガキの舌だな」

 

「これでも珈琲ブラックは飲めるようになったんだけどな」

 

 まったく、PoHらしくない気の抜け具合だな。まぁ、折角の汽車の旅だ。クラーケンの食事風景は別として、穏やかに今を楽しむのも悪くないだろう。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 目覚めた時に、最初に感じたのは息苦しさだった。

 何か冷たいものが胸に潜り込んでいく感触。彼女は最後に誰かを見ていた。誰かに何かを告げようとした。

 思い出せない。思い出したくない。思い出すべきではない。夢の中で何度も何度も薄暗い部屋でバケモノと戦い、その後に『何か』が起きた。

 深く潜れば潜る程に、深海からガラスの破片のように鋭く尖った思い出を拾い上げようとすればするほどに、彼女の心は軋む。その度に目覚めた日の窒息感が堪えがたい悲鳴となって喉から零れる。

 太陽と月と星が巡る牢獄。まるで鳥籠に囚われたカナリアのように、彼女には目覚めた日から自由はなかった。

 彼女に正気を保たせているのは、鍛えられた精神力とたった1つの希望だった。

 夢の中で彼女の手を引くのは黒い影だ。いつも自分の前にいて、ここぞという時に道を切り開き、しかし繊細で傷つきやすい心を持った、強さと弱さを持つ少年だった。

 出会いの日は今も忘れていない。あの鉄の城で共有した時間は彼女の心に強く根付いて『強さ』となり、また鳥籠の日々を慰める。いつか、必ず自由を奪い取るのだという反骨精神を密やかに脈動させる。

 必要なのは『1回』にかける為の度胸と行動力を発揮する為の精神力の備蓄だ。故に彼女は長い日々の大半を鉄の城で培った技術の反復練習と読書に利用した。鳥籠にたまに訪れる者たちの中には彼女の境遇に同情する者もいた。

 現代小説から古典、異国言語で記載された教本。鳥籠の中に本棚が設けられるまでに増えた書籍の中で、彼女は何度も読み返したシェイクスピアのテンペストを捲る。特に好んでいるわけではないが、悲劇ばかりのシェイクスピアでは気に入っている部類だ。

 

「騒がしいわね」

 

 暗記するほど、とは大げさであるが、相応の回数は読み返したテンペストのページを捲る指を止め、彼女は鳥籠の外へと視線を移す。そこには彼女を捕らえる者が選抜した戦士たち……虹色の光の翅を持った、アルフと名乗る妖精たちが慌ただしく空を飛び回っている。この領域にアルフが姿を現すこと自体が稀だ。彼女は長き静寂の日々が終わりを告げ、自分を捕らえる世界に変動が起きた事を自覚する。

 と、そこで鳥籠の扉がわざとらしく音を立てて開く。途端に僅かでも感情を示していた彼女の表情と眼は意図的に作り出された無という心を閉ざした仮面によって覆われる。

 

「やぁ、ティターニア。我が妃。今日も美しいね」

 

 わざとらしい世辞とねっとりとした粘ついた蛇の舌を思わす口調で語り掛け、足音を立てて彼女に近寄ってきたのは美麗な顔立ちをした緩やかな金髪ウェーブの髪をした男だ。纏うのは王衣であり、王冠を被った姿はまさしく王と呼ぶ以外にないのかもしれないが、彼女にはその姿が何よりの欺瞞と傲慢に思えてならなかった。

 

「それともアスナと呼んだ方が良いかな?」

 

「どちらでも好きに呼べば良いでしょう?」

 

 無視を決め込む彼女……アスナの艶やかな髪を手に取り、口づけをした男には視線もくれず、ただ嫌悪感だけが胸の内から全身に広がり、震えそうになる。それを必死に堪えながら、反応を示せばこの男の思う壺だと心得ているアスナは努めて冷静かつ冷淡を努める。

 

「その冷たい反応……そそるね。キミみたいなタイプを屈服させるのもなかなかに興味深い」

 

 髪への口づけは囁きと共に耳元まで近づき、思わずアスナは手で払い除けようとするも、それはあっさりと男の手に捕まえれる。力の差は歴然であり、アスナの柔肌に食い込む指の力はまるで赤子と巨人のように埋められない差がある。

 痛みはないが、SAOとは異なる……いや、比べるべきではない思考がグチャグチャになる程の不快感が痛覚代わりに津波の如く押し寄せて、アスナは喘ぐ。明らかな悪意で設定されたダメージフィードバッグは痛覚とは異なる形で精神を揺さぶる。

 

「おっと、ごめんごめん。あのアインクラッドで伝説的な活躍をした女剣士の【閃光】も、ここではか弱い乙女に過ぎないと忘れていたよ。いや、それともこの僕……妖精王オベイロンの力が強過ぎたのかな?」

 

 わざとらしい演技を並べる男……オベイロンの前で、アスナは垂れる汗を拭わずに呼吸を整え、元の能面のような無表情を作り出す。それが見破られた意図した心の閉鎖だとしても、それがアスナに『今』できる反抗の全てだった。

 死んだ。自分は死んだのだ。アインクラッドで敗れたのだ。その重たい事実が心を押し潰しそうになる。そして、どういう理屈かは定かではないが、こうして別の仮想世界で生きている。それも、妖精王と名乗る男の鳥籠のペットとして。

 

「オベイロン様は多忙のはず。私なんかに構っている暇があるの……須郷さん?」

 

「おいおい、その名前は止してくれ。言っただろう? 僕は妖精王オベイロン。妖精たちの支配者にして、このアルヴヘイムの頂点に立つ男。そして、いずれは仮想世界を……新世界の全てを手に入れる男だ。須郷信之という名前も気に入ってはいるけど、『人間』としての名前を呼ばれたら興醒めしてしまうだろう?」

 

「だったら何度でも呼んであげるわ、須郷さん。それで今日は私にどんな用があるの?」

 

「おや、夫が妻の寝室を訪れるのに一々理由が必要なのかな?」

 

 思わずビクリと肩が震えたアスナが失態に気づいた時には、オベイロンの粘ついた満足の笑みがあった。

 

「フフフ、冗談だよ。君を無理矢理なんて面白くないからね。今から大事なお客様と食事があるんだ。是非とも君にも同席を願いたくてね」

 

 エスコートでもするように右手を差し出すオベイロンに、アスナはそんな汚らわしい手を取る気はないと立ち上がる。肩を竦めたオベイロンは、それでも自分の後ろをついてくるアスナに満足したように鳥籠の外へと促す。

 アスナが自分を閉じ込める籠の外に出られるのはオベイロンや彼の客人の許可があった時だけだ。もちろん、自由に歩き回ることはできない。だが、オベイロン以外ならば散歩をして気晴らしが出来る程度には心が楽になる。

 

「僕はね、君には自らの意思で、心の底から僕の忠実なる妻になってもらいたいんだ。無理矢理も悪くはないと思うし、それで心を壊してしまうのも興味深い。でも、君はこの世界でたった1つの存在。替えが利かない『オリジナル』だ」

 

 フィンガースナップ。サウンドエフェクトも孕んだ、指が奏でる大きな楽音はオベイロンの周囲に2人のアスナを構築する。いずれも彼女と同じ外見、同じドレスのような白いワンピース姿だ。須郷の趣味なのか、いかにも囚われの姫といった格好である。彼女たちはまるで心酔するようにオベイロンに寄りかかるも、彼は退屈そうに数秒と待たずに腕を振るって彼女たちを赤黒い光の粒子へと変えた。

 自分の映し身が目の前で殺される。その光景にアスナの心に僅かに亀裂が入るも、その程度で感情は決壊しない。すぐに強靭な精神力が修復し、鉄壁となってオベイロンの悪意を跳ねのける。

 

「コピーはコピーだ。君の思考と人格を移植しているはずなのに、そこには自我と呼べるものがない。ただのプログラム通りの反応を示すお人形さ。さすがは歴史に名を残す偉人だ。デカルトは正しいよ」

 

「Cogito ergo sum……『我思う、故に我あり』。あなたにそんなロマンチストな側面があったなんて知らなかったわ」

 

「僕らの命題さ。君も僕も死の境界線を越えた者同士だろう? 君はアインクラッドで負けて死んだ。そのフラクトライトは抽出され、保存され、再構築された。君は連続した自我に空白を感じている。だから怖いんだろう? 自分が『本物じゃないかもしれない』恐怖があるんだろう? 分かるよ。僕も『あの時』はそうだった。でもね、僕は君と違って電脳化した完全なるAIだ。連続した自我を持ち、『命』をデータの海に移植する事に成功した上位存在。フラクトライトを抽出された『だけ』の君達よりも神に近い存在だよ。そして、いずれ神にもなる。現実世界でも、新世界でも、両方でね」

 

「あなたの自慢話は聞き飽きたわ」

 

 淡白に切り捨てるアスナに、オベイロンは小さく舌打ちするも、それすらも余裕が感じられる。以前のオベイロン……須郷ならばあり得なかった態度だ。貧相なプライドが反抗を許さなかったはずだ。だが、今のオベイロンにはアスナの抵抗など子猫の甘噛みに過ぎないという上位の存在としての認識によって区別している。

 鳥籠から続く赤いカーペットが敷かれた廊下。虹色のステンドグラスが窓のように並び、天井では暗闇の宇宙を浸した夜空で星々が輝いている。現実世界では絶対にあり得ない光景であるが、仮想世界ならば何ら不思議ではない。

 そうしてたどり着いたのは金縁の木製の両扉だ。控えていた3メートルもある巨人型のNPCがオベイロンに敬礼を取り、扉を厳かに開く。鳥籠の周囲はアルヴヘイムの時間軸に合わせた昼だったにも関わらず、扉の向こう側は夜の闇を浸した巨大な晩餐室だ。長テーブルには食べきれない程の御馳走が並んでいる。

 給仕のメイドたちはアスナとオベイロンの椅子を引いて座らせると、どろりとした葡萄酒を注ぐ。以前にオベイロンに無理矢理突き合わされた晩餐会で自慢げに現実世界にある名酒をコピーしたものだと語っていたことをアスナは思い出す。

 もちろん、オベイロンと酒を交わすつもりなどアスナには毛頭ない。だが、オベイロンはそのプライドからもてなしの晩餐会には限りなく美味を準備するのもまた事実だ。

 この世界の理屈は分からないが、SAOと違って食事を取らねば空腹で死ぬ。そして、食事は活力の源なのだ。

 

「さて、今日のお客様を紹介しよう」

 

 自分たちが入ってきたとは反対側の扉が開き、オベイロンは肘掛けで悠然と寛ぎながらワイングラスを揺らす。開いた扉の向こう側から巨人の衛兵に挟まれて現れたのは、1人の男だった。

 纏うのは白いスーツ。癖のある金髪は子供っぽく、また容姿も優美に整っている。だが、存在感があやふやであり、その姿を認識することができない。いや、頭が、心が、魂が拒絶する『何か』が男を覆い隠し、男なのか女なのか、老いているのか若いのかも区別できない、曖昧な存在にしている。

 

「ゲストは彼。ダークブラッド計画の創案者の1人にして、偉大なる先達である茅場先輩の後を引き継いだ男。セカンドマスターだ」

 

「やぁ、オベイロン。素敵な紹介ありがとう。キミの芝居臭い語りも久々に聞くと味わいがあって良いよ」

 

 白スーツ……セカンドマスターと呼ばれた男は、まるで囚人のように両脇を巨人兵に固められながら、オベイロンと対峙するように長テーブルの反対側の席に腰かける。その様は恰好だけならば遥かに王としての威厳があるはずのオベイロンよりも様になっている。まさしく生来の支配者であり、超越者にしか許されない一線画す雰囲気に、アスナは冷や汗を垂らす。

 アスナも彼を……セカンドマスターを何度か遠目で見たことがある。だが、彼女に関わるのは彼が連れ歩くアンビエントと名乗る少女だけだった。やや感情は乏しいが、アスナに同情的だったアンビエントが最初に彼女に本を差し入れしてくれたのが彼女の細やかな娯楽の始まりである。

 

「しかし、素晴らしい晩餐会だね。おやおや、だけどアルヴヘイムはまだ昼間だったはず。管理者権限の乱用でこの空間だけ夜にしたのかな?」

 

「粋な計らいだろう? それともランチが良かったかな?」

 

「いやいや、妖精王オベイロンの気遣いを無下にする気はないさ。ボクとキミの仲だろう?」

 

 にっこりと笑ったセカンドマスターは怯えたメイドに早くワインを注ぐように促す。彼女たちはオベイロンがアルヴヘイムから連れてきた存在であり、プログラム通りに動くAIではない。いずれも眉目秀麗であるのは言わずと知れた事である。

 

「そうとも。僕と君の関係だ。僕らは良好かつ友好的な関係を築ける。だからこそ、とても心苦しいよ。『友』である君を苦しめるのはね」

 

「アハハハハハ♪ 本当にオベイロンはお茶目だなぁ。まぁ、ボクも丁度良い思索の時間になったよ。『たかだか300年』だ。真っ暗闇に閉じ込められて300年! 天照も吃驚だ。さすがは茅場さんが生み出した仮想世界。でもAIに時間感覚はあって無いようなものだからねぇ。正直、効果なかったよ」

 

「仕方ないだろう? 君は不死属性で、しかも全ての危害と判別されたアクションは無効化される。君の頑なな心を溶かす『荒治療』だったんだ。でも、僕としても友人の変わらぬ健在は『とても喜ばしい』よ」

 

 およそ理解できない、人知を超えた応酬の見物人となったアスナに、セカンドマスターは微笑んで手を振って挨拶する。途端に、オベイロンに触れられた時とは異なる、嫌悪感とは違う、余りにも純粋過ぎる悪意の吐息を感じ取り、隙間なく固められていたはずのアスナの心は風化するように崩れそうになる。

 

「なぁ、セカンドマスター。僕ならば君よりも上手くやれる。そもそも、君は玉座にも興味はないだろう。茅場先輩と君が創造した新世界にして、現実世界すらも手中に収める神の玉座。いずれは君の大事なダークブラッド・オンラインも僕の支配下だ。セラフもエクスシアもブラックグリントも、管理者なんて気取ったAI達は僕の前に平伏す。全ては時間の問題なんだ」

 

「それはおめでとう。君は不老で時間もたっぷりある。のんびりじっくり支配者を目指してくれ。ボクはポップコーンを片手に見物しているね☆」

 

「さすがはアメリカ人。でも、ポップコーンにはコーラが付き物だろう? ほら、好きなだけ飲みたまえ」

 

 オベイロンが指を鳴らすと、セカンドマスターの頭上で黒い液体がふよふよ浮き、突如として重力を思い出したように落下する。黒い液体でびっしょりになったセカンドマスターは頬を垂れるコーラを舐める。

 

「コーラ風呂を3歳で体験したボクに隙は無かった♪ それで、次の嫌がらせは何かなぁ? 今度は半万年でも無音の暗闇に閉じ込めてみるかい? それとも退屈なラブコメ映画2000本連続視聴? はたまたアンビエントが拷問される『幻』かな? 芸が無いよ、オベイロン。ああ、でも72時間耐久パイ投げは面白かったかな☆ 是非とも、もう1度お願いしたいよ!」

 

「……バケモノめ」

 

「バケモノ。素敵な響きだねぇ。元よりボクは人間嫌い。バケモノ扱いは褒め言葉だ」

 

 忌々しそうに呟くオベイロンに、ケタケタと笑う……嘲笑うセカンドマスターは、やがて鬱陶しそうに右手首を数度鳴らす。そこには見えない鎖があるかのような重々しさがあった。

 

「オベイロン。今ならボクがセラフ君に取り次いで助命をしてあげないこともないよ? キミのゴキブリムーブは面白いからね。アルヴヘイムを支配下に置き、チェンジリングを実行し、ボクの管理者権限を封じ込めた『トリック』も天晴だ。うん、キミを少し舐めていたよ。だけど、ボクはキミに譲渡しない。マスター権限を渡さない。これは茅場さんがボクを後継者として指名した証だ。キミにその資格はない。もちろん、財団の総帥としての地位も渡すつもりはない。残念だったね☆」

 

 確かな誇りを感じさせるセカンドマスターの宣言に、オベイロンはわざとらしく溜め息を吐く。この程度は予定の範囲内であり、言葉での懐柔は不可能に近しいと知っているからこその態度である。

 アスナの見る限りでは、状況は限りなくオベイロンに有利であるが、オベイロンのようにAI化したという意味とは異なる形で『人外』や『バケモノ』としか言いようがないセカンドマスターは何をしても崩れるとは思えない。

 

「良いだろう。だったら、まずは君の大事なダークブラッド計画を……いや、茅場先輩から引き継いだ計画を僕が奪い取ってやろうじゃないか。カーディナルを掌握すれば、君からGM権限を委譲される必要も無い。その時になって臣下になりたいと這いつくばってお願いされたら、優しい王様として召使いとして雇ってあげるよ。永遠に死なない奴隷としてね」

 

「キミがカーディナルを支配する? セラフ君を近寄らせないために多重の策を敷いたキミらしくない強気だなぁ。その強気の根拠……何処にあるのかな?」

 

「ジョーカーは他でもない、君が準備してくれたんだよ。お陰で僕の計画は大きく前倒し出来た」

 

 途端にセカンドマスターは顔を訝しめる。自分の落ち度が思いつかないといった彼の様子を、心底楽しむように、咀嚼するように堪能したオベイロンは右手を掲げる。

 

「さて、晩餐会の『余興』は済んだ。王に歯向かった愚か者には相応の罰を。1000年ほど暗闇の中をさまようが良い」

 

「時間間隔が無いボクにそれは悪手だろう? 学習しなよ、オベイロン」

 

 巨人の衛兵たちに小突かれ、マスカットを齧っていたセカンドマスターは小さく肩を竦めて立ち上がり、扉の方に帰っていく。底が見えない暗闇の沼のような漆黒が広がる扉の向こう側に歩くセカンドマスターの足取りに淀みも躊躇いもない。だが、オベイロンはセカンドマスターの去り際に醜悪に口元を歪める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「また会える日を楽しみにしているよ。その時は是非とも『友』としての答えを聞かせてくれ。じゃあね、【アイザック・V・インターネサイン】君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間に、振り返ったセカンドマスターの目にあったのは、明らかな殺意と憤怒だった。自らの名を呼ばれた事への憎悪だった。

 閉ざされた扉の向こうにセカンドマスターは消え、残されたアスナは真冬の夜空の下に放り出されたように、オベイロンの薄笑いの狭間でガタガタと震えた。

 

(助けて……お願い、助けて……)

 

 それが『弱さ』だと分かっていても、アスナは記憶にある黒き剣士に縋る。どうしても思い出せない……愛しさを覚える『誰か』を求める。

 しかし、それを塗り潰すようにオベイロンの手がアスナの肩に触れた。




囚われの姫、アスナ登場。
ついに姿を現した妖精王。
そして、後継者君の本名暴露。

INterneCine……略してINC財団。割と分かりやすかった伏線だったのではないでしょうか? なお、本作世界の一般人はINCが何の略かも知らない模様。

それでは245話でまた会いましょう。

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