SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

248 / 356
前回のあらすじ

狂縛者の乱入と神殿での襲撃者、主人公ズの戦いが始まる。




Episode18-14 囚われ人たちへ

 狂縛者の戦斧の一閃をサイドステップで躱し、そのまま反転をかけて背後に回り込む。まずは様子見でアビス・イーターを振るうも、狂縛者は避ける様子もなく背中に一撃を浴び、高いスタン耐性と防御力で物を言わせるように戦斧によるカウンター斬りを仕掛けてくる。

 得物は長柄の半分も占める巨大な刃が特徴的であり、高威力を秘めているだろう片刃の戦斧。狂縛者の戦いは理に適っている。ネームドとしての高い耐久力を活かすならば、攻撃を受けながら攻めた方が有利だからだ。

 だが、こちらとて多くの猛者と戦った経験がある。アルトリウスの剣技は狂縛者よりも遥かに豪速であり、変幻自在であり、そして同じく一撃必殺の威力があった。それに比べれば、狂縛者の戦斧の使い方は巧みではあるが、アルトリウスには及ばない。シャルルにも届かない。

 油断は禁物ではあるが、HPバー1本のネームドだ。呪縛者と同じで何体も出現するタイプであるかもしれないな。大振りの連撃を躱しきり、連装銃でためしに距離を取りながら狙い撃つも、呪縛者と同じ青白いバリアによって闇属性を付与された弾丸は弾かれる。ダメージはほぼ無し。あのバリアを破るには連装銃の弾が足りないだろうな。

 狂縛者もまた様子見だったのか、今度は2メートル半にも届く人間よりも一回り大きい体格すらもほぼ覆い隠す円形の大盾を構える。ガードに徹するつもりか、あるいは攻撃を弾いたところのカウンター狙いか。連装銃をホルスターに戻し、両手で握ったアビス・イーターを肩で担ぎ、オレはその誘いに乗る。

 切っ先で地面を擦るような、地面を這う斬撃を繰り出し、大盾に守られていない足首を狙う。だが、狂縛者は横にズレるような動きでこれを避け、そのままシールドバッシュを繰り出す。黄金の雷光を纏った強烈な打撃が掠め、回避したところに躊躇ない戦斧の薙ぎ払い2連撃、そこから繋がる振り下ろしが地面に刃を突き立てたところでようやく隙が出来たと両手剣を胸に潜り込ませれば、待っていたとばかりに狂縛者は大盾を振り上げて叩きつける。

 

「見切られた?」

 

 オレの動きを予見したのか? 狂縛者は明らかにオレの行動を予測して最後の大盾の叩きつけを組み込んでいた。バックステップで寸前に躱すことで難を逃れたが、狂縛者の動きには僅かな戸惑いを覚えてしまう。

 仮にDBOに蓄積されたオレの戦闘データを反映していると仮定しても、狂縛者のそれには納得できない何かがある。まるでオレの戦い方を熟知しているような動きだ。そして、オレもまた狂縛者の戦術に懐かしさを感じてしまう。それを濁らせる大盾とのコンビネーションが奇妙な引っ掛かりとなっている。

 このままでは押し切れないか。狂縛者の存在に、歯車が軋む音が聞こえる。まるで長年動かず錆び付いていた時計が、ようやく目覚めの針を動かす事を思い出したような、自分の頭の中で泡立つ殺意がある。

 狂縛者の覗き穴から漏れる赤い光。呪縛者と違い、確かな『命』を感じるが、そこには奇妙な濁りもある。雷撃を纏ったシールドバッシュから続く、火花を散らす戦斧による斬り上げを潜り抜けてアビス・イーターで胸を一閃し、離れようとする狂縛者にギミックを発動させて槍モードにしたアビス・イーターで追撃の刺突を伸ばす。だが、狂縛者はこれを大盾で完全に防ぎきり、雷光が弾けながらもガードを決める。

 アビス・イーターの槍モードを見抜いた? 両手で握ったアビス・イーターから更なる踏み込みの突きを出すも、狂縛者のガードは崩れない。舌打ちしたい気持ちを押さながらも、後退してわざと狂縛者に仕掛けさせる隙を見せる。

 大盾のガードを解いた狂縛者の斧が猛々しく黒い渦を纏う。戦斧の叩き斬りが棺が安置された地下ドームに鳴り響いてから一瞬と待たずして、斬撃を起点として闇の渦が狂縛者の周囲を飲み込んだ。

 闇属性による範囲攻撃か。決して広くないが、がら空きの叩き斬りによる背後への回り込みに対する有効なカウンターだ。しかも目くらましにもなる。闇の渦からそのまま黄金の雷光を纏った大盾によるタックルをサイドステップで躱し、そのまま即座にステップで間合いを詰める。これに対して当然のように狂縛者は大盾を構えてガードの構えを取るも、槍モードから大鎌モードに切り替え、盾を掻い潜ってアビス・イーターの刃が狂縛者の左肩から侵入し、その心臓部まで両手剣の刀身そのままの大鎌の刃を突き立てる。

 ダメージは上々。アビス・イーターを両手剣モードに戻しながら右手持ちにして撤退し、追いかけようとする狂縛者に連装銃を撃ち込む。バリアで軽減され、牽制にもならないが、先程よりも至近距離の弾丸はバリアを突破して狂縛者の鎧に命中した。

 これでバリアを突破できる射程はつかんだ。元より火力を高める為に射程距離を犠牲にした連装銃ならば、近距離でのカウンター撃ちの方が有効だろう。

 HPを2割ほど失った狂縛者は大盾を背負い、両手で戦斧を掴む。両手持ちで火力を高めに来たか。腰溜めした戦斧の構えはまるで居合のようだ。

 途端にヤツメ様が叫び、オレは屈みながら前進する。瞬時に交差したのは赤いライトエフェクトの残滓。同時に荒れ狂う風がオレの姿勢を崩し、驚異的な踏み込みと共に戦斧の薙ぎ払いを繰り出した狂縛者の背中に視線が向かう。

 今のは≪戦斧≫の突進系ソードスキル【スラッシュ・ゼロ】。SAOで猛威を振るった≪戦斧≫最強クラスの単発系ソードスキルであり、威力は高く、硬直時間も短い、だがクールタイムが長いので、連続使用には向かない、戦斧使いの切り札だ。そして、DBOでは未だに習得者がいないソードスキルでもある。

 故に油断していた。モンスター側もソードスキルを駆使することは珍しくないが、大なり小なりそれはプレイヤーが獲得している……つまりは既知のソードスキル以外は披露しなかったのだ。

 SAOでも解放までに高い熟練度が要求されたスラッシュ・ゼロを躱せたのは、ヤツメ様の導きとSAOの知識があったからこそだ。そうでなければ、狂縛者のライトエフェクトを目にした頃にはオレの胴体は泣き別れになっていただろう。

 

「……面白い」

 

 実に面白い。どうやらアルヴヘイムでは歯応えの無い者ばかり相手にしていたせいで、少しばかり腑抜けてしまっていたようだ。

 狩人の血が疼く。本能の飢餓感が高まっていく。笑みを禁じ得ず、オレは左目の眼帯を外して投げ捨てる。

 骨針発動。左手首に取り付けられた、骨針の黒帯の金具を外す。途端に脳髄まで駆け巡る痛み。痛覚によって失った触覚を代用し、左腕が内側から爛れるように痛みの熱を訴える。明滅しそうになる意識の中で、スラッシュ・ゼロの硬直を脱した狂縛者に間合いを詰め、右手のアビス・イーターを囮にして、左手の連装銃をその頭上を通り越すように投げる。一瞬だが、こちらの行動の意図を察しようとする狂縛者の思考の空白を読み取り、振り返りながらのシールドバッシュが頬を掠めるか否かの位置で両手持ちに切り替えたアビス・イーターで深くその胴を薙ぎ払い、背後に回って再度右手持ちしたアビス・イーターを振り抜きながら、左手で連装銃をつかみ、その後頭部めがけて2発の同時発射の弾丸を撃つ。

 だが、それを狂縛者は首を捻るようにして弾丸の1発の射線から脱し、頭部命中を1発だけに止めさせ、また怯みもせずに片手持ちした戦斧を振るう。今度は闇のオーラが霧のように纏っており、攻撃判定が残り続ける戦斧の回避は更に困難となるが、要は攻撃軌道さえ見切れば回避できる。

 連装銃は最大装填数20。1度に2発分の銃弾を消費するので、残弾は14……残り7回しか射撃できない。連装銃用の銃弾はアイテムストレージには残り12発分しかない。

 装填分を使い切るか? いや、銃弾が補充できない以上は温存したい。仮にハンドガンの銃弾を補充できても、通常の銃弾では連装銃の火力は引き出せない。あくまで専用の銃弾だからこそ、連装銃はハンドガンの域を超えた威力を得ている。

 この先の戦いを考えれば温存一択。ましてや、狂縛者には射撃攻撃の効きが絶望的に悪い。戦斧の振り下ろしをアビス・イーターで受け流し、そのまま斬り払いながら、オレは左手の痛みが伝える連装銃の感触に笑う。

 躊躇なくオレは狂縛者の胸に銃口を押し付けてトリガーを引く。超至近距離ならばバリアも大した効果など発揮できない。初めてノックバックした狂縛者に、追撃のアビス・イーターの突きを腹に潜り込ませ、そのまま大鎌モードに変形させて斬り払う。赤黒い光の飛沫を撒き散らた狂縛者だが、呪縛者がそうであったような超反応でオレの背後に回り込もうとするも、大鎌の回転斬りに繋げたオレはそれを出迎えるように切っ先で狂縛者の首を狙う。

 惜しくも、1歩分だけ退いた狂縛者は首を刈られることは無かったが、HPは5割ほどまで大きく減らした。だが、狂縛者もまた本気を出していないはずだ。その証拠のように、大盾を再び背負った狂縛者は両手持ちした戦斧を大きく掲げる。

 途端に円盾の黄金の雷が戦斧に纏われ、振り下ろしと同時に雷刃となって飛来する。亀裂が床を走り、そこからも撒き散らされる雷撃がオレを掠めてHPを減らす。

 雷撃の中で赤い火花が起き、戦斧の柄が倍以上に伸びる。それは変形というよりも変質。2倍以上のリーチになった姿は大斧だった先程までとは異なり、斧槍と呼ぶに相応しい。しかも斧の部分の刀身は煌々と熱せられ、空気を歪ませている。

 火炎属性を持っただろう斧槍による連続刺突。急激に伸びたリーチであるが、オレは丁寧に体を揺らして躱し続け、体を捩じってからの大振りの刺突に合わせて踏み込む。だが、それを迎撃するように狂縛者は体を横にしながらショルダータックルを繰り出す。

 途端に弾けたのは白き光。フォースの輝きだ。たとえ、ショルダータックルを紙一重で躱しても、追撃でフォースが付与されているならば、カウンターは狙えない。フォースを咄嗟に構えたアビス・イーターの腹で受け止め、床を滑って転倒を堪えたオレは唇を舐める。

 なるほど。強いな。少なくとも近接戦の騎士ホルスよりも遥かに手強い。頭上で斧槍を回転させ、炎を噴き出した刃を振るう事で火炎の竜巻を生み出した狂縛者はふわりと浮いたかと思えば、今度は周囲に魔法使いプレイヤーの護身術とも言うべき【浮遊する結晶のソウル】を5つ発生させる。追尾性特化されているのか、炎の渦を躱したオレを執拗に追いかけるそれらに、オレはアビス・イーターの刃を滑らせる。

 できれば慣れているカタナの方が良いのだが、アビス・イーターでも出来ないことは無い。命中判定斬りで5発の結晶のソウルを霧散させ、鎮火した斧槍を戦斧に戻した狂縛者のスラッシュ・ゼロの構えを見てカウンターの準備をする。

 だが、それは囮。スラッシュ・ゼロの構えのまま、巨体でオレを押し潰すべく跳んだ狂縛者のタックルをサイドステップでギリギリ躱すも、今度こそ繰り出されたスラッシュ・ゼロの斬撃に回避が間に合わなくなる。咄嗟にアビス・イーターで受け止めるも、軋んだ音を立てた刀身からポリゴンの欠片が飛び散る。

 

「今の……動き」

 

 何をやっていると喚くヤツメ様に、もう油断はしないからと言い訳しながら、オレは先程の狂縛者の見事な戦術に既視感を募らせる。

 

『強力なソードスキルだからこそ囮になる。俺は対人なんか御免だが、こうして戦い方を考えるのは嫌いじゃない』

 

 蘇る『彼』の言葉を反芻しながら、アビス・イーターの破損状況を確認する。幸いにも刃が僅かに欠けただけだ。運用に大きな支障はない。ギミック変形にも問題ないだろう。だが、この破損はいずれ大きな傷となってオレを苦しめるはずだ。 

 だが、今はそんな事どうでも良い。オレは1つ試すべく、SAO時代に長年連れ添った両手剣を狂縛者の目の前で捨てる。そして、抜くのは腰の贄姫だ。オレがSAO時代に手を出さなかった得物だ。『彼』が知り得ないオレの戦い方だ。

 狩人の血が昂る。だが、まだだ。まだ繋がらない。本能と狩人の血が噛み合わない。

 ……怖がっているのか? 恐れているのか? 血と死肉と狂喜に満ちたオレの願望が贄姫に映り込んだ気がした。

 狂縛者が動く。だが、今度はそれを完全に捉える。初動すら見切り、カタナの刃が先んじて狂縛者の脇腹を喰らい、そのまま狂縛者の脇を抜けて振り返りながら水銀の刃を放つ。居合による溜めが無ければ十分な威力は出ないが、それでも斬撃範囲の拡大には効果がある。しかも高い貫通効果もあるとなれば、戦斧程度ではガードできず、その身から赤黒い光の飛沫を狂縛者は散らす。

 大盾を構えてからの連続叩きつけ斬り。力任せに見せかけて、4発目だけは緑色のライトエフェクトを纏っている。振り下ろしからV字を描くような斬り上げに派生する≪戦斧≫ヴァーチカル・アーク版である【レイド・クロー】。だが、硬直時間は≪片手剣≫よりも長めだ。オレはライトエフェクトの残滓の中で、ミラージュ・ランを発動させ、加速を得て狂縛者の背後に回り込む。

 瞬間に高まる隠密ボーナスとオレのフォーカスロックを振り切る動きによって、狂縛者はこちらを一瞬だが見失う。故に取る行動は1つ、周囲を破壊するバリアの圧縮解放だ。Nも使用したバリアの攻撃転換である。

 範囲ギリギリまで退いて誘発したバリアが霧散すると同時に硬直した狂縛者に両手持ちした贄姫で背中を袈裟斬りにする。振り返りながらも大盾をハンマーに見立てたような叩きつけを繰り出す狂縛者だが、狙った所にオレはもういない。ステップで躱しながら右手持ちにした贄姫の切っ先で地面をコツコツと叩きながら、連装銃を抜いて距離を取りつつ、カタナで傷口が癒えていない脇腹を狙う。大きく広がった傷口から赤黒い光が更に多量に漏れ、狂縛者は唸り声を上げる。

 

「流血はモンスターに適応される、か。単純にプレイヤー不利のシステムじゃないところが後継者らしいな」

 

 じわじわとHPを減らし続ける狂縛者には猶予ダメージが入っている。残りHPは3割弱。このまま押し切れる。オレはカタナの反りで肩を叩き、爪先で数度地面を蹴る。意識を切り替え、戦術を組み立て直す。

 

『わ、悪かった! お嬢ちゃんなんて言ったのは謝る! この通りだ!』

 

 ああ、そういえば『彼』との出会いはオレにとって最悪の部類だったな。攻略組に絡まれているオレを『彼』は助けようとしてくれた。まだ傭兵として駆け出しの頃で、【渡り鳥】という悪名が広がる前だった事もあったが、『彼』は善意でオレに接してくれた。

 

『ウチの店は品揃えも良いが、お値段も良心的だ。アインクラッドで傭兵業なんて聞いたことも無かったが、何かと入用になるだろう? 安くしておくぜ』

 

 最初は純粋にビジネスチャンスと思っていたのだろう。だが、『彼』はオレの悪名が広がり始めても、客としてオレを迎えてくれた。決して拒まなかった。

 

『裏口から入って来るな。お前は大事なお客様だ。正面から堂々と買い物してくれ』

 

 結局を言えば、オレは『彼』と分かり合う事は出来なかった。『彼』にとってオレは『お客様』以上にはならなかった。そして、それはオレが攻略組になった後も『戦友』にはなれても、決して『友人』にはなれなかった。

 だが、オレはそれで良いと思っていた。『彼』は傭兵であるオレを否定しなかった。オレを罵らなかった。たまにオレを見る目に恐怖が滲んでいたが、決してそれを口や態度で示す事は無かった。それだけで十分だった。

 明らかに狂縛者の読みが鈍っている理由は分かる。『彼』の記憶にあるオレの動き。オレの両手剣の剣筋を憶えているからだ。同じ戦場に立ったからこそ、オレの動きを予測することが出来た。『彼』の戦士としての経験と素質が見切りを実現した。

 少しだけ嬉しく思う。オレの事をしっかりと見ていてくれた。その証拠でもあり、証明なのだから。

 大斧を斧槍に変形させ、狂縛者は大盾を背負う。踊るような乱舞斬りでオレを近づけまいとするも、斬撃の嵐の軌道は全て見えている。狂縛者にはヤツメ様の糸が既に絡みつき、動きという動きは導きとなってオレに伝わる。

 抜刀、水銀長刀モード。鞘に戻して抜き放てば、水銀が刀身に纏わりつく。荒い鋸のような逆立つ刃を並べ、水銀長刀と化した贄姫は狂縛者の胴を『削ぐ』。

 アルヴヘイムでは傷の治癒に時間がかかる。そして、それはネームドにも適応され、傷つけば傷つく程に防御力が低下する。つまり、連続で深々と傷を負えば負う程に、より醜く傷口を開かれれば開かれる程に、与えられるダメージは大きくなり、それは負のスパイラルとなる。

 ならばこそ、皮膚を、肉を、骨を『削ぐ』鋸の刃はシステムと合致する。斧槍の乱舞の狭間で水銀長刀で削ぎ続け、全身血達磨になった狂縛者が戦斧モードに戻す。同時に浮遊する結晶のソウルが飛来するも、ミラージュ・ランならば追尾も振り払える。ロックオンしたオレを見失い、結晶のソウルはあらぬ方向に飛んでいき、同時に間合いを詰めたオレに、狂縛者は闇の渦を生み出す戦斧を振り上げた。

 だが、オレは贄姫で応対することはない。鋸ナイフを左手の指の間に挟み、投擲して増やした傷口を狙う。更に醜く抉る鋸ナイフであるが、本当の狙いは狂縛者の動きの束縛。左膝、右肩、右肘、喉の4カ所に突き刺さった鋸ナイフによって、闇の渦を巻き込んだ戦斧の振り下ろしにラグが生じ、その隙に悠々とバックステップを踏んだオレは左手で連装銃を抜き、1拍遅れて闇の渦で自身の周囲を飲み込んだ狂縛者の額へと無造作に撃つ。

 2発の銃弾は振り下ろしから上体を起こしていた狂縛者の顔面へと突き刺さる。破損した兜が砕け、残り数ドットしかHPを残さない狂縛者の素顔が明らかになる。

 それは色黒の肌をした、SAO初期から最前線で戦い続け、多くのプレイヤーに援助する商人となり、弱者を救おうとした男。オレがその志を踏み躙り、罵倒され、見放され、ついには言葉を交わすことなく、鉄の城の旅を終えた戦士。

 

 

 

「……エギル。やっぱりオマエだったんだな」

 

 

 

 苦しむように水銀が泡立つ涎を垂らし、白目の部分は血のように赤く、顔面に青筋が張って脈動している。とても正気を保っているとは思えないエギルは、苦しみを叫ぶように咆えた。

 

『テ、テテテ、te、テキ、敵性対象ナンバリング完了……Target01と登録』

 

 エギルの声でありながら、それはまるで人工音声のようなノイズが走った無機質であり、同時に隠された生々しく血に通った感情がある。

 

『脅威度A2……げ、Ge、現時点の性能、デ、は……対処不能……Operation Code3に該当すル、と判断』

 

 ゴポゴポ、と。まるで泡立つ石鹸のように、水銀の泡を吹くエギルから、同じく水銀の血の涙が溢れだし、鎧の各所に開かれた傷口からも同様に水銀が蠢くアメーバのように這い出る。それらはエギルを包み込み、半ばまで飲み込む。

 右腕は筋張った水銀の繊維によって強化され、大斧を掴む手は肥大化する。顔面の半ばまで覆った水銀は硬質化したような鈍い光沢に変質し、覆われた右目は赤い水晶のような眼球となり、そこにはエギルには決してなかった殺戮を求める衝動が彩る。右側だけから伸びて唇の外まで尖った犬歯は狂暴な肉食獣のそれだ。

 半液状だろう水銀の触手が脊椎より分岐したかのように4本も伸び、その先端は捩じれて液体の利点を活かすようにドリルの如くゆっくりと動いている。左手に持ち直した大盾にも絡みついた水銀は血管のように表面で肥大と繰り返して脈動している。

 

『アップデート完了。Legion Program良好。Target01を……排除スる。全てはオベイロン様の御心のまマに』

 

 理由なんて分からない。少なくとも、エギルがDBOにいたならば、それなりに噂になっているだろう。それとも、細々と表に出ずに何処かで活動していたのだろうか。

 何だって構わない。オレは贄姫を振り払い、纏わりつく水銀の刀身に、クリスマスに殺した月夜の黒猫団……レギオンプログラムによって汚染されつくし、祈りすらも踏み躙られ、遺志を愚弄された1つの『命』を思い出す。ケイタの末路を思い出す。

 彼の『命』は糧となり、レギオンと共にオレの新たな力となってこの手にある。恐らくはタイプこそ異なれども同種……人間に寄生するレギオンプログラム。『人』の尊厳を喰らい尽くす怪物の因子。オレの本能を模した……ヤツメ様を愚弄する劣悪な模造品。

 まだ水銀に覆われていないエギルの左半面。そこにある血走った目玉は苦痛を訴えていた。助けを求めていた。救いを欲していた。

 オレには分かる。レギオンプログラムはオレ自身から生まれたからこそ分かる。獣狩りの夜……大聖堂で狩ったプレイヤーが獣となったモンスターと同じように、あらん限りの『痛み』を叫んでいる。自分が自分で無くなっていく……内側から丹念に貪られていく。その恐怖心が伝わってくる。ただ、ひたすらに殺戮に情動されていく精神の破壊が彼を狂わしている。

 

『疫病神』

 

『お前がいるせいだ。バケモノめ』

 

『なんで生きてるのよ? アンタみたいな怪物が死ぬべきじゃない。シネシネシネシネシネ! 死んでしまえ!』

 

 頭の内側から染み出してくる過去は今も灼けずにオレを燻ぶっている。アインクラッドで何度も何度も浴びせられた、DBOでも投げつけられた言葉が染み出す。

 ああ、その通りさ。認めるよ。オレは仲間殺しだし、虐殺者だし、言い訳もできない人殺しの悪人だ。

 たくさんの善人を殺してきた。クラディールも、サチも、ギンジも、ノイジエルも……たくさんたくさん、オレなんかよりもずっと『人』として価値がある者たちを喰らってきた。だからこそ、オレはここにいる。今ここに立っている。生きている。

 糧にした彼らを『犬死だった』と哀れむ真似など許さない。彼らを喰らった分だけオレは力を得た。オレは死ぬまで戦うさ。惨めたらしく骸を晒しても、オレは逃げない。必ず喉元に喰らい付いて、彼らの『命』を最後の一片まで無駄にせずに戦い抜いてやるさ。

 今回もそれだけだ。どうせ後継者の悪趣味の産物だろう。あるいはオベイロンがご丁寧にも『アイツ』を苦しめる為にエギルにレギオンプログラムを植え付けたのか? 少なくとも、ここにいるのは外見を似せた偽物ではない。間違いなく本物だ。ならば、生きた人間の脳にレギオンプログラムの搭載は可能だというのか?

 どうでも良い事だ。レギオンプログラムはオレから生まれた。ならば、エギルを苦しめているのは……オレだ。オレが『生まれた』からだ。オレみたいな……バケモノが母さんみたいな優しい女性の胎から生まれてしまったからだ。

 ヤツメ様を愚弄しているのもオレのせいだ。オレがSAO事件に巻き込まれたからだ。今ここに……DBOにいるからだ。

 

「嗤えない。傑作過ぎる。オレは……オレは……」

 

 ノイジエル、とてもじゃないが……こればかりは『殺して救う』なんて烏滸がましいにも程があるだろう? 全部全部……オレが原因ではないか。

 疫病神ね。今までも散々痛感したが、納得だ。仲間殺しどころか、存在しているだけでオレが敬愛した『人』であろうとした者たちすらも『獣』に貶める。害悪そのものだ。

 カタナを握る右手にヤツメ様の手が触れる。オレに右腕に縋りつき、腕を、手の甲を指を、ケイタの『命』を啜って作った贄姫を撫でる。刃に指で触れ、赤い血をまぶせる。

 オレを覗き込むヤツメ様は真っ赤な口を開いて笑う。エギルを嘲り、舌なめずりする。

 

 

 

 

 さぁ、殺しましょう?

 害悪。バケモノ。生まれるべきではなかった。そんなの『当然』じゃない。彼らは餌。わたしたちは捕食者。どちらが上で、どちらが下か。喰われる方は喰らう方を罵る。憎む。恐れる。怖れる。畏れる。それはとても自然な事じゃない。

 飢えと渇きは満たされない。もっともっと殺さないと癒されない。生まれた時から続く呪いのような飢餓。あんな劣悪品すらも耐えられない者たちこそ、愛してやまない『人』の脆さそのもの。少し囁けば、あっさりと『獣』に堕ちる。

 もう耐えるなんて、辛いだけ。苦しいだけ。どれだけ望んでも、あなたが『人』であろうとしても、呪われ続ける。

 大丈夫。たくさん食べれば、その『痛み』もいつか消える。全て忘れられる程に、血の味が酔わせてくれる。

 

 だから……もう『人』なんて止めよう? 狩人の血すらも得た『わたし達』なら勝てる。人類種全てを敵に回しても勝てる。あなたと一緒なら必ず。

 

 

 

 

 

「大丈夫。オレは見失わない」

 

 瞼を閉ざせば、月光は今も暗闇の中でオレを照らしてくれる。

 一息入れれば、獣の誘いを霧散させるように狩人がヤツメ様に拳骨を入れ、涙目の彼女を引っ張って連れ去っていく。

 

 

 さっさとあの『醜い獣』を狩れ。狩人はオレを冷淡に睨んで吐き捨てる。

 

 

 それはさすがに酷いだろう? エギルは『人』だ。まだ『獣』に堕ちきっていない。彼は必死に抵抗している。レギオンプログラムに呑まれきっていない。

 切り替えろ。オレは『人』として……狩人として、ヤツメ様の力を使いこなしてみせる。狩人として戦い抜く。

 母さんはオレに篝と名付けてくれた。どんなにどんなに冷たい雪夜の暗闇の中でも、オレが凍えることがないように『人』として名付けてくれた。

 それはきっと……最初の……原初の……オレを『人』に留めるよすがだったはずだ。

 

「オレは狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺す者。ヤツメ様の血を継ぐ神殺しの狩人。久遠の狩人」

 

 狩人の血は沸騰する程に熱い。ヤツメ様の怒りに同調している。レギオンを狩れと先祖代々の……狩人の遺志が叫んでいる。

 でも、それ以上に……水銀の泡を吹き続ける、暴れ狂うエギルは……まさしく『狂気に縛られた者』……狂縛者の名の通りだからこそ、『獣』として切り捨てるなど出来ない。 

 

「……『痛い』んだな?」

 

『排除排除排除排除……オベイロン様の……オベイロン、さ、マ、の為、ニ……排除する排除排除』

 

「苦しいんだな?」

 

『排除排除ァ……あアァアああ……はイ除……はイ、ははははハハハハハハハハhahahahahahhhhhhhhhhh』

 

「エギル、オレは『アイツ』じゃない。だから……だから、『これ』しか出来ない。だから言わせて欲しい。オレは……オマエを殺す。せめて『戦友』として」

 

 きっと『アイツ』なら……エギルを殺さずに救える方法を見つけ出せるのだろう。でも、オレは『アイツ』じゃない。

 なぁ、エギル。オマエは違うだろうけど……オレは……オレは、たとえオマエに見限られた後でも、あの鉄の城で……確かにオマエを仲間だと思っていたよ。胸を張って自慢できる、最も理想的な戦士の1人だったと誇れるよ。一緒に並んで凶悪なボスに挑んだ『戦友』だったって……まだ灼けずに憶えているよ。

 だから、オレはオマエの誇りの為に。魂の為に。その『命』を誰にも否定させない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『///////コ/////ロ////シテ////クレ//////タタカイ///タク////ナイ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 喉を締め付ける、口内から逆流した胃液のように零れる水銀を吐瀉物のように撒き散らしながらも、エギルは赤く滲んだ水銀の血に確かな『痛み』を浸して、消え入りそうになりながらも、オレを殺す為の武器を握った右手を……まるで救いを求めるように伸ばした。

 

「……分かった」

 

 苦しんでいるんだ。『痛い』って叫んでいるんだ。これ以上エギルの『命』を侮辱させるものか。

 

 

 さぁ、殺そう。貪ろう。骨の髄まで丹念に……鉄の城からじっくりと寝かして熟した、ビンテージの『戦友』を味わおう。またと無い絶品のはずだ。『親友』とも『愛する人』とも違う、どろりとした芳醇さはきっと癖になる。そう言って、嬉々としてヤツメ様が水銀と鮮血の中で舞って、子どものように『食事』に悦んでいる。

 

 

 そうだね。どう取り繕っても、オレの行動はそれに繋がる。繋がってしまう。どう言い訳しても、結局はオレが望んでいるのはエギルを喰らう事だ。

 それでも……それでも……オレは『オレ』だから。たとえ『理由』に過ぎないとしても、彼に刃を向ける殺意には『篝』の心もあるはずだから。だったら、そこに嘘も真も無い。

 三つ編みを止める黒いリボンを外す。解けた髪が地下で確かに渦巻く気流によって靡き、うなじを冷たい空気が撫でた。

 

「揺れる。揺れる揺れる揺れる……揺れるのは『誰』?」

 

 レギオンを生んだ元凶として、ヤツメ様の神子として、何よりもエギルの戦友として、彼を喰らい殺す。そこに余計な情は不要。それは彼を愚弄し、苦痛の檻に閉じ込める猛毒にしかならない。

 

「痛かったね。苦しかったね。辛かったね。もう大丈夫。オレが『アナタ』を見つけた。必ず……必ずアナタの悪夢を終わらせてあげる。約束する」

 

 ねぇ、どうしてだろうね。

 どうして……オレはこんな風に生まれてきてしまったんだろうね。いっそ心までバケモノだったら良かったのに。

 疼くんだ。悦びの中で……確かに『痛み』がじわりじわりと広がっていくんだ。

 でも、大丈夫。オレは『痛い』のは慣れているから。この『痛み』はオレがまだ『人』である証だから。

 

「愛してあげる。殺してあげる。食べてあげる」

 

 エギルは慟哭と共にHPをフルに回復させる。それが何だというのだ?

 必ず殺す。アナタを殺す。その意思を示すようにオレは左手を伸ばしてエギルを祈りも呪いも無い眠りへと誘う。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「なぁ、言った通りだろう? アイツなら必ず殺しを選ぶってな」

 

 それは四方八方から『監視』されるレギオンと化した黒肌の異人『ネームド』の狂縛者と戦い。

 触手の乱打と斧のコンビネーション、更には無造作に撒き散らされる大盾からの雷撃を躱しながら【渡り鳥】は斬り込む……いや、まるで剣舞を踊っているかのように、軽やかに肉薄しては、慈悲と慈愛の微笑みを絶やさずに、荒い鋸状の刃を供えたカタナで肉を削ぎ、抉り、DBOよりも質感が伴ったもはや血と区別できるといえば黒ずんだ光程度しかないダメージエフェクトを散らす。

 それはまるで神事……神に供物を捧げる儀式のようだ。ハラハラとした気持ちを抑えながら、イリスはザクロの≪操虫術≫で召喚された【幻眼の甲虫】より送信される戦闘映像を、足を組んで珈琲を飲むPoH、それに腕を組んで壁にもたれたまま戦況を分析するように睨むザクロの脇で、飛行するのを堪えながら見守っていた。

 百足の破損によって【渡り鳥】が戦闘に入った事はすぐに判断できた。ザクロはまず状況を判断する為に、シャルルの森やナグナで【渡り鳥】の観察・監視に活躍した幻眼の甲虫を放った。

 まるで10センチほどの虹色のカナブンのような幻眼の甲虫は、あらゆる攻撃能力を持たず、高い防御力を除いては、鉄のように硬質な翅に隠された目玉による『撮影能力』しか持たない。それは中継を担う大型の幻眼の甲虫を召喚すればある程度の範囲をカバーできるのだが、使用中はザクロが無防備に近い状態になる為に、彼女はこのサポート特化の能力をあまり使いたがらない。

 だが、シャルルの森とナグナで組んだPoHには足がつかない『苗床』を提供してもらう見返りとして、この能力の使用という対価を払っている。いざとなればPoHから身を挺してでも守る為に、ザクロとPoHの間からイリスは離れられないのだ。

 ちなみに音声までは拾えず、やや粗い画質の戦闘も【渡り鳥】が繰り出す隠密ボーナスを高める≪歩法≫のソードスキルによって、彼は映像から姿を度々消しているのも輪をかけて、決して戦闘用AIとして特化して誕生したわけではないイリスには戦況が見切れない。また、音声も届かないのでどのような会話が成されたかも不明だ。

 

「フン。分かり切っていたことだわ。仲間殺しなんて【渡り鳥】の『いつもの事』でしょう? 少しくらいは、戦意を失った隙に足の1本でも奪い取られて這い回りながら死ぬくらいはするかなと思ってたことは無いけど、この辺りは『さすが』よね。昔の……SAO時代の仲間でも容赦ないなんて」

 

 狂縛者。その正体とアルヴヘイムでの介入の危険性について、PoHとザクロは後継者より『通達』されていた。無論、彼が『生きたまま脳に、最先端技術が現時点で最も「魂」と呼ぶに相応しいと認めたフラクトライトすらも蝕むレギオンプログラムが搭載された実験体』である事も知らされている。教えてもらっていなかったのは【渡り鳥】だけだ。

 

『オベイロンの事だから、きっと自戦力として利用してくるだろうねぇ。彼の狙いの1つは「生きた人間にレギオンプログラムを搭載する技術」だ。理由も大よそ見当はつくけど、ボクはそこまでレギオンプログラムには執心してないしねぇ。それに茅場さんにかなり絞られたし。もう「自発的」には手出ししないよ』

 

 2人を呼びつけて、自分専用の仮想空間……白い砂浜のビーチと青い海が臨める純白の館で、庭でバーベキューにされる『ファンタズマビーイング中の実験体たち』を眼下に、古今東西のお菓子のフルコースと各種炭酸飲料水というもてなしで迎えた後継者はそう告げた。

 

『まぁ、お陰でボクも獣狩りの夜を企んだ連中の「1人」はオベイロンだと見抜けたわけだ。ほら、生きた人間の脳を利用しているからさ、ハード面からのアプローチで探知可能なんだよねぇ。それでね、あの実験体は……えーと、アンビエント! なんて呼べば良いんだっけ?』

 

『プレイヤーネームはエギルです。アンビエントの情報が正しければ、彼は招待状を無視してDBOにログインせず、「ハンティングリスト」にも登録されました。昨年のクリスマスにブラックグリント兄様によって捕縛され、「処置」が完了後にDBOと接続されました。なお、リストの11名がブラックグリント兄様に、15名が【ゾディアック】による「ハント」を完了しています』

 

『説明ありがとう。さすがはアンビエントだ。事の経緯まで細かくて痒いところに手が届くよ』

 

『恐悦です、セカンドマスター』

 

 膝にのせてもらい、頭を撫でられるアンビエントと呼ばれた少女は表情こそ変化させずとも喜びを全身で表現するようにそわそわと体を震わせた。その光景を10分以上も見せつけられたPoHとザクロ+イリスであるが、この光景は後継者からの依頼を受ける際にはよく見せつけられるものなので慣れている。

 

『彼は高いイレギュラー値を持つ、高度に仮想脳を発達させた「人の持つ意思の力」の保有者だ。それとレギオンプログラムが組み合わされば、クリスマスレギオンを超える難敵になるし、オベイロンの事だからボクの設計思想を無視した無理な強化を施しているはず。予想される例としては、能力の増加、強力な武装、それに……獣狩りの夜を参考にすれば、レギオンプログラムの自己強化機能をアバターに随時反映させるアップデート能力かな。ボク的には「ルール違反」なんだけどねぇ。だってさ次々と強力無比な能力を解放していくのがネームドとボスの面白いところだろう!? メタ強化して難敵に勝つのはプレイヤー側の醍醐味だと思うんだよねぇ』

 

 この男のポリシーは理解できるようで理解できない、とイリスは思ったものである。悪意の限りを尽くしてプレイヤーと『遊ぶ』後継者のやり方は、プレイヤーを文字通りの地獄に突き落とすものばかりだ。だが、それでも彼なりの『自分ルール』があるのは、プレイヤー側からすれば本当に細やかではあるが、確かな救いなのだ。仮に彼が問答無用の、ルールを作る側として、希望すらも残さない、『絶対に勝てない』モンスターを作り出せば、それだけでワンサイドゲームは成立してしまうのだから。

 だが、後継者はそれを望まない。やりたくない。なぜならば『勝って当然では意味が無い』と分かっているからだ。それでは茅場昌彦との勝負……『人の持つ意思の力』の否定に、自ら敗北する事になるからだ。『人の持つ意思の力』が無ければ覆せない相手など、もはやその力を認めているに等しいからだ。何よりも、茅場昌彦から『後継者』と名乗る事を許されたプライドこそが彼にそれを許さないのだろう。

 こう考えれば、イリスというまだ誕生して間もない高度知性電脳生命体……自我があるAIから見ても、後継者はとても大人とは呼べない、まさしく子どもそのものとしか言えない人物だと嫌でも分かる。

 

『ボクは君達を【渡り鳥】に紹介したらオベイロンの所に「遊び」に行ってくるから、その後のボクからの直接のサポートは無い。君達でも狂縛者オベイロン・カスタム・バージョンには手間取るだろうけど、幾ら「あげた」とはいえ、元々はボクの所有物だ。茅場さんにバレて怒られたくないし、機会があったらぶっ壊しておいてね♪ あ、でも妖精の国には【黒の剣士】も行く頃合いだから、あの忌々しいイレギュラーの嫌がらせになりそうだったら放置を頼むよ』

 

 頭痛がしてきた。複数の脚で複眼を備えた頭を抱えたいイリスであるが、この回想の中にこそ、現状打破のヒントが含まれていた事に気づく。

 PoHによって引き止められたザクロは、【渡り鳥】の交戦の観察を肯定し、あわよくば彼の自滅からの死亡を望んでいた。だが、【渡り鳥】は文字通り怯むことなく、むしろ嬉々としているとも思える程に、より狂縛者を……かつての仲間を殺すべく刃を振るっている。これではザクロの目的は達成されないだろう。

 着実に追い詰められているのは狂縛者の方だ。どれだけ水銀の触手を伸ばし、ドリルのように高回転させた先端を向けても、ステップを主軸にした驚異的な回避と攻撃の両立によって、【渡り鳥】が得意とする相手のフォーカスロックを惑わして翻弄する戦術によって刻まれている。そして、時折見せるレギオン特有の本能察知による攻撃すらもあっさりと見切られて、逆に手痛い反撃の切っ掛けにされている始末だ。

 文字通り『殺し』の経験値が違う。どれだけレギオンプログラムが優れた外付け殺戮強化機能でも、数多の難敵を文字通り単身で屠ってきた【渡り鳥】とは経験値が違う。そもそも、レギオンプログラムに僅かでも抗っている節がある狂縛者の実験体……エギルが殺しを望んでいないようにもイリスは思える。ならば、殺意の純度が違う。

 勝てる。大斧を振りかぶり、シールドバッシュに紛れ込ませた触手の鞭、それに加えたソードスキルの発動。だが、【渡り鳥】は捉えきれず、逆に投擲された鋸ナイフが頭部に殺到してスタン状態にさせられ、カタナに纏う水銀をそのまま刃として飛来させる強烈な中距離攻撃によってカウンターを浴びてしまう。

 ここだ! イリスはそれとなく、さり気なく、【渡り鳥】に仲間殺しを成就させようとしているPoHを出し抜く策を弄する。

 

「主様、後継者からのオーダーには狂縛者の扱いも含まれています。ここで【渡り鳥】様に撃破させるのは些か早計かと。現状では狂縛者も【渡り鳥】様に有効ではない以上、オベイロンも再度こちらには投入しないはず。ならば、他に侵入している【来訪者】……高確率で【黒の剣士】に差し向けられるはず」

 

「……つまり、私達にそろそろ助太刀するフリをして狂縛者を逃がせと?」

 

 普段のポンコツっぷりが嘘のように、毒が妖しく塗られた短剣のように目を細めたザクロに、イリスは顎を閉ざす。無論、彼女もまた普段から自分の主に何度も何度も気苦労を重ねて必死にサポートしている身だ。何重と言葉を重ねねば説得できない事は承知している。

 

 

 

「そうね。そろそろ助けに行かないと、逆に【渡り鳥】に怪しまれるかもしれないわ」

 

 

 

 しかし、意外な事にザクロはあっさりと動き出す意思を示し、イリスは拍子抜けする。

 普段ならば絶対に、断固として、それこそ【渡り鳥】が絡むならば、彼が破滅する僅かな確率でもあるならば、ここは放置の一択から揺らがないのがザクロだ。たとえ仲間殺しで悦に浸るとしても、それを出汁にして【渡り鳥】を少しでも苦しめられるならばザクロは迷わずそちらを優先するはずだ。

 だが、ザクロは動く。映像を消し、PoHが苛立ちを示すように舌打ちするのを、むしろ気持ち良いと言いたげな表情だ。だが、それも装備を普段の忍者のような薄型の密着性の高い鎧と兜にして隠してしまう。

 

(もしかして、主様は……)

 

 主の復讐心をイリスは理解している。ザクロは自分の復讐を自分自身で『八つ当たりに過ぎない』と理解している。ならば、この変化は吉報なのだろうか。あるいは、主の胸の内にはより残虐な末路を望む心が潜んでいるのか。

 だが、イリスは前者だと信じたい。今までバラバラであり、互いを庇い合うことすらもしなかったチームにおいて、【渡り鳥】は確かにザクロを湿地帯で助け、そしてザクロもまた言葉の綾であるとしても『助ける』と口にした。

 それはイリスが望んだチームワークそのものではないか。たとえ、いずれ殺し合うとしても……あるいはだからこそ『今は殺し合わない』という歪んだものだとしても、他者と繋がりたいという心の発露ではないか。

 

「……確かに一理あるな。エギルが死んだ後に、俺達の無行動を指摘されて、オベイロンに与していると疑われるのも面白くない。チッ! 仕方ないが、今回の『鑑賞会』はこの辺りでお開きとするか。それに、あのエギルとは1度【黒の剣士】も対峙している。『自分が殺せなかったせいで』エギルが増々輪をかけて壊された姿を見れば……ククク、面白いことになりそうだな」

 

「悪趣味ね」

 

「まさしく仰る通りです」

 

 女子1人と1匹に責められ、何処吹く風とばかりにPoHは肩を竦める。

 

(主様改善計画の為にも、この男だけは何としても排除しなければなりませんね。いっそ、折を見てオベイロンとの内通者に仕立てて、【渡り鳥】様と主様に始末させるのはどうでしょうか? いえ、この男は侮れない。今はじっくりと機会を窺うべきですね。それに、【黒の剣士】とPoH様は多くの因縁があると聞きます。ならば、【黒の剣士】と意図的に遭遇させて殺させるという手も……いえいえ、それこそ【黒の剣士】に何処まで期待できるか分からない以上は悪手ですか)

 

 何にしても、今は救援こそ急務。イリスはザクロと並走するように飛行し、地下ドームを目指す。その数歩後ろを駆ける、PoHの薄笑いに気づくことなく……

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 月光がオベイロンを模るステンドグラスに差し込む夜の神殿にて、連続で放たれるのは銀の矢だ。いずれも白い冷気を纏い、突き刺さった場所から1拍遅れて氷の刃が突き出す。

 正確無比の連射。それを成すのは本来ならば連射性能が無い大弓のみで使用可能である大矢である。通常の矢に比べて大型であり、貫通力・破壊力共に大きく上回るが、それ故に扱い辛く、また機動性を損なう。本来ならば高いSTRが無ければアンカーを突き刺して固定射撃せねばならず、そうでなくとも大矢の種類によっては反動が大き過ぎてまともに動き回りながら撃つことは出来ない。

 故に大弓は大型モンスターへの対処、ボス戦における固定砲台として活躍する一方で、機動力が大きな勝敗の要因にもなる対プレイヤー戦では、余程の技量が無ければ容易く接近を許されてしまう。

 シノンも大弓には手を出したことはあったが、どうにも性に合わず、結局はスナイパーライフルにシフトしてしまった。今も≪弓矢≫では通常の弓しか使用していないのも、トータル性能において高い汎用性を維持できる点にある。加えて弓剣の性質上、どうしても大弓への変形には曲剣を大曲剣サイズまで巨大化させねばならない。それはシノンのバトルスタイルにとってマイナス点にしかならない。

 

(相手はモンスター。だったら、大矢の連射も納得できるけど……)

 

 聖壇を貫くのは赤熱する大矢だ。水属性の冷気の矢から今度は炎属性に瞬時に切り替えてきた。天井の梁の上で動き回る、下半身が蛇だろう謎の襲撃者に、シノンは燃焼する聖壇の光源を背後に、竜狩り人の矢を狙い済まして放つ。だが、こちらの射線を見切ったらしい襲撃者は梁に隠れたまま這い回り、矢をなかなか命中させてくれない。

 竜狩り人の矢のストックはまだまだ十分あるが、ここでの大量消費は来たる強敵との戦いにおいてネックとなる。1本1本を無駄にするわけにはいかない。

 ならば、とシノンは強引に攻め込むべく、相手の大矢の射撃に交差させる形で≪弓矢≫のソードスキル【ブラインドフェザー】を発動させる。≪弓矢≫のソードスキルは他の武器系スキルとは毛色が異なり、単純な威力強化や連射に留まらない。ブラインドフェザーは矢にノーダメージの衝撃波を付与するソードスキルだ。言うなれば高速で飛来する弱体化フォースである。

 弾き飛ばす程は無理でも、相手の体勢を崩すには十分過ぎる。ましてや、逃げ場が限られた梁の上ならば回避は困難だ。よろめいた襲撃者に、シノンは首元を掠めた赤熱する大矢に死の足音を耳にしつつ、ソードスキルの硬直を勘定に入れた隙の間に、壁を駆け上がるUNKNOWNの姿を見守る。

 片手剣の二刀流であるUNKNOWNはインファイトに相手を引き込まねば戦いにならない。動きを鈍らせた襲撃者まで一気に接近し、右手のドラゴンクラウンの分厚い刃を突き出し、その腹を貫いたとところで間髪入れずに左手のメイデンハーツで斬りかかる。それを大弓でガードした襲撃者は落下し、神殿の長椅子を破壊し、埃とポリゴンの塵を散らす。そして、落下の衝撃から復帰するよりも先にUNKNOWNが追撃を仕掛けるべく舞い降りる。

 ようやく姿を明確に晒した襲撃者は、下半身を鱗に覆われた大蛇、上半身は艶めかしい女性、頭髪は数多の蛇という姿である。その左手には漆塗りのような黒い大弓を持ち、右腕の数は3本。それぞれが赤熱する矢、冷気の矢、そして黒光りする重々しそうな破壊力重視の矢を握っている。瞬時に矢の種類を切り替えられるのは、この右腕のお陰だろう。

 シノンも援護すべくソードスキルの硬直時間が回復すると同時に新しい矢を抜いて狙い撃とうとするが、蛇の頭髪に埋もれた襲撃者の両目が妖しく黄金色に輝きを見た瞬間に、蓄積した呪いに気づいて即座に視界から逃れようと動く。

 だが、それを見越していたかのように、シノンの視界の端を鈍い金色の光が渦巻く。間一髪でブレーキをかけ、左腕の義手の爪を起動させ、指先まで覆った爪刃で金色の刃を迎撃する。凄まじい衝撃の連打であるが、戦闘用の義手ならばこの程度は問題にならない。ならば、危険視すべきなのはその圧倒的な手数だ。

 いつの間にかシノンの回避ルートに回り込んでいたのは、もう1体の下半身が蛇であり、上半身は女、頭髪は蛇というモンスターだ。だが、大弓を装備したもう1体とは異なり、こちらの腕は8対の左右合わせて16本。それぞれの手に鈍い金色の片手剣を持っている。それらは黄金の雷を迸らせ、雷属性を保有している事を主張する。

 

「目を合わせたら駄目よ! 石化の呪いを持っているわ!」

 

 蓄積はレベル2であり、そのスピードたるや、数秒でも目を合わせれば瞬く間に石化させられてしまう程である。だが、恐らくは石化の呪いが発動するのは双眸が光っている時のみと判断し、シノンは相手と目を合わさないように、その首から下に焦点を合わせて戦おうとする。

 

「まるで……というか、メデューサそのものだな」

 

 UNKNOWNの言う通り、このモンスターはRPGの常連である、ギリシャ神話に登場する怪物メデューサの特徴を持つ。英雄ペルセウスがどれ程苦労してメデューサを討伐したのか、こうして仮想空間で体験できるのは、ギリシャ神話ファンからすれば垂涎ものであろうが、シノンからすれば厄介極まりない相手との死闘以上の意味はない。

 視界に気を配るという事はそれだけ戦闘のテンポに遅れが生じるという事である。距離を取り、次々と多種の大矢を放つ大弓持ちはその正確な射撃を以前健在と示すように、シノンの動きを予測している。

 対してUNKNOWNはより厳しい戦いを強いられる事になる。二刀流どころか十六刀流の相手に、その顔を見ないように努めながら、斬撃を掻い潜って斬り付けねばならないからだ。

 瞬時にシノンは仮面越しのUNKNOWNからのアイコンタクトを察知し、互いのターゲットを交換する。大矢を掻い潜りながら接近できるUNKNOWNの方が大弓持ちには有利であり、接近戦しか攻撃手段が今のところはない剣持ちの方がシノンには分がある。

 DBOにおいて蛇は竜のなりそこないであり、故に雷属性を弱点とする。シノンは蛇らしく這って、床を胴体で擦りながらも素早く接近してくる剣持ちに、後退しながらその胴へと竜狩り人の矢を放つ。だが、剣持ちは16本の剣を正面で交差させて盾のように機能させ、矢をガードする。しかし、わざとテンポをズラしたシノンの2本目の矢は見切れず、剣を交差させた盾の隙間を潜り抜いた矢が腹に突き刺さり、剣持ちは短い悲鳴をあげる。

 スタン耐性は高くとも、衝撃に対しては脆弱だ。つまり連撃を浴びせれば容易く怯ませられるとシノンは判断し、光属性の霧を散らす聖水爆弾を投げつける。尻尾で長椅子を弾き飛ばし、聖水爆弾を起爆させて命中を逃れるも、広範囲に広がる聖水爆弾の霧は目くらましにもなる。シノンは弓剣を曲剣モードに切り替える。

 

(脳の奥底にあるアクセルを踏み込むイメージ!)

 

 スピードを求めて、シノンは最初の1歩を踏んだ瞬間に加速を得る。途端に胃液が逆流するような、脳が強制的にブレーキをかけるような、気分の悪さが駆け巡る。だが、それを代償にしてDEX出力が高められ、シノンは普段以上の加速を得て聖水の霧を迂回し、剣持ちの背後に回り込む事に成功する。

 反応しきれなかった剣持ちの背中を大きく弓剣で切り開き、迎撃の8本の右腕による一斉薙ぎ払いを軽やかに退いて躱し、即座に踏み込んで義手の爪刃でまだ矢が突き刺さったままの腹部を抉る。

 義手のギミックを使用して大ダメージを与えるか、シノンは一瞬だが迷い、ここは温存を選ぶ。当然ながら無限使用できる代物ではない。

 仲間を守るべく、大弓持ちが冷気の矢をシノンに向かって放つが、UNKNOWNはそれを許さず、ドラゴン・クラウンで高速飛来する矢を叩き落とす。射線を見切るならまだしも『放たれた大矢』をタイミング良く叩き落とせるなど、彼の高い反応速度と技量が無ければ不可能だろう。

 そして、大矢1射分だけUNKNOWNへの攻撃が遅れる。それは彼からすれば、数歩どころか大弓持ちまでの距離を詰めるには十分過ぎる時間だ。大蛇の尾を振るい、UNKNOWNを押し戻そうとするが、彼は両手の片手剣を同時に振るい、逆に攻撃に使用された大蛇の尾を深く刻む。血飛沫のようにどろりとした赤黒い光……いや、血と呼ぶしかないダメージエフェクトが撒き散らされる。

 その凄惨な光景に、シノンは義手の爪を濡らす赤黒く光る剣持ちの体液に、思わず背筋を凍らせる。しかし、それに呑まれることなく、シノンは精神の踏ん張りを利かせる。

 ガラスを引っ掻いたような不快な歌を剣持ちは喉から奏でる。それは衝撃波となって周囲を薙ぎ払い、シノンとの間合いを離す。モンスター専用スキル≪ハウリング≫だろう。オーソドックスなダメージ無しの衝撃波タイプかと判断しそうになるも、剣持ちの全身に赤いオーラが纏われているのを見て、攻撃力アップの類のバフ効果もあるのだろうとシノンは判断を改める。

 単発火力は低くとも、あの連撃がヒットすればシノンでは軽々とスタンまで持っていかれ、そのまま押し倒されて16本の剣で串刺しにされるだろう。矢を放っても放っても、剣で迎撃する剣持ちは想像以上に射撃攻撃に対してガード能力が高い。

 対してUNKNOWN側も新たな局面に突入している。同じく不快感を醸す歌で、防御力アップだろう青いオーラを纏った大弓持ちであるが、それに留まらず、まるで自分を守るように頭部が蛇の体長2メートル半はあるだろう蛇人間を3体も召喚する。いずれも円盾と歪曲した大鉈を持ち、口内からは炎の息吹を散らしている。

 射撃モンスターは護衛とセットなのは普通の事であり、自前で前衛を召喚するタイプも珍しくない。だが、蛇人間たちはまるで姫を守るように、UNKNOWNの二刀流の連撃に対して頑強な盾で防ぎ、大鉈で叩き潰そうとする。

 一旦は距離を取ったUNKNOWNが取り出したのは浮遊する人工妖精だ。大型のそれはバスケットボール程の大きさがあり、取り出された2つはUNKNOWNの両肩で滞空すると大弓持ちめがけて飛来する。それらを迎撃しようとする蛇人間たちであるが、人工妖精は分裂し、10体の小型の人工妖精となる。それらは驚異的な追尾性で大弓持ちを追うも、ギリギリで追いついた2体の蛇人間たちが我が身を盾にして守る。

 

(前よりも分裂数が増えてる。更に強化されているようね)

 

 連続した爆発は1つ1つが今では火力不足も顕著になった火炎壺程度しかないのだろうが、あれだけの数ともなれば威力は十分に期待できる。何よりも本領はあの追尾性能だろう。全身を爆破された2体の蛇人間たちは動きを止め、残されたもう1体とタイマンに持ち込んだUNKNOWNは大弓持ちが援護するより先に≪二刀流≫のソードスキルを発動させる。左右の剣の振り下ろし交差斬りから始まる、左右合わせて6回の、≪二刀流≫にしては大人しいソードスキルであるが、蛇人間は大きくHPを削られ、ノックバックする。

 遅れた援護の黒い矢は破壊力重視なのだろうが、UNKNOWNはギリギリで硬直時間を脱し、肩をわずかに抉らせるに止め、続く2射目をリカバリーブロッキングの緑色のライトエフェクトと共に弾き、迫る2体の蛇人間の間を通り抜けると同時に2本の剣で胴を薙ぐ。

 シノンが相手取る剣持ちも新たな戦術を取り始める。その腕はまるで鞭のように伸び、大きくリーチを伸ばす。伸縮自在のようであるが、長く伸ばし続けることはできないのだろう。伸びきったまま攻撃してくる様子はないが、まるでピストンのようにリーチを伸ばした片手剣の突きは脅威だ。それが腕16本分ともなれば、回避に専念しなければならず、安易な反撃は致命的な隙となる。

 ここは強引でも攻める! シノンは覚悟を決めて、16本の内の8本が同時に伸びた瞬間に踏み込む。右肩を、脇腹を、左太腿を刃が抉り、雷属性特有の痺れて焦げるような感覚が傷口から広がるも、間合いを詰める事に成功する。

 伸ばしきった間はその腕は攻撃に使用できない。残る8本の腕を迎撃に回すつもりだろう、伸ばさずに構える剣持ちであるが、その双眸から黄金の光が先程よりも強く放たれる。

 視線を交わしているわけでもないのに、シノンにレベル1の呪いが襲い掛かる。強化された石化の呪いはどうやら光を目にするだけで呪い蓄積効果があるのだろう。だが、シノンは左腕をレベル3の呪いで失って以来、呪い対策を徹底的に済ませてある。わざわざデーモンスキルでレベル1の呪いの無効化スキルを獲得している。

 

「残念だったわね。呪いには嫌な思い出しかないのよ!」

 

 視線を合わせればレベル2の呪い、光だけならばレベル1の呪い。これだけ呪い特化なのだ。メデューサという事もあり、恐らく能力はこれ以外に無いだろうとシノンは確信し、また剣持ちはシノンのレベル1の呪いを無効化にする選択デーモンスキル≪抗呪の理≫など知る由もなく、臆さずに踏み込んでくるシノンへの対応が遅れる。それが致命的となり、シノンは≪曲剣≫の単発系ソードスキル【フレア・ストライク】を繰り出す。溜め動作無しの左から右へと薙ぎ払う横一閃の単調なソードスキルであるが、それ故に威力も高い。首を狙った一閃であるが、目を合わせまいとしたせいか、大きく外れてその胸を裂くに留まる。噴き出した赤黒い光の血に、シノンの精神は委縮しそうになる。

 これを乗り越えてみせる。シノンはソードスキルの硬直時間と剣持ちの怯みで切り抜け、そのままに握った義手の左拳をへそに打ち込み、更にがら空きの横腹に膝蹴りを浴びせ、そのまま体を捩じって強引に床へと叩きつける。

 さすがにシノンも気づいている。多腕ではあるが、剣持ちの剣士としての技量は一流どころか素人だ。数に物を言わせて振り回しているだけだ。故に攻撃には規則性があり、初手をなぞるように次の攻撃が追いかける単調なものだ。それでも数が数だけに突破は困難かもしれないが、1度密着して肉弾戦に持ち込む超至近距離まで届けば、対応力は大きく削がれる。

 殺った! シノンは会心の笑みを浮かべ、倒れた剣持ちの胸を踏みつけ、曲剣の刃を首に押し付けて、神話でそうであったように、その首を斬り落とそうとする。

 そして、シノンは硬直する。初めて、剣持ちの……石化の呪いを恐れるが故にまともに直視していなかったからこそ、その顔を正確に視認する。

 それなりに整った顔立ちには見覚えがあった。

 まだ大ギルドも無く、デスゲームに多くのプレイヤーが右往左往し、外部からの救援に期待して動こうとせず、また立ちはだかるモンスターたちと死の恐怖に怯えていた頃、1つのパーティが……まだギルドが無かった頃に、ボスの1体を撃破することで、DBOに『勝てる』という光明を示した。

 彼らは正しく英雄だっただろう。彼らの活躍が無ければ、今日のプレイヤー達の躍進はなく、大ギルドによる歪んだ治世でも『秩序』がある現在は無かったかもしれない。彼らがディアベルに目をつけていなければ、彼が聖剣騎士団という大ギルド誕生の原点を作り出すことは無かったのだから。

 そして、同じくらいに彼らが健在だったならば、今のプレイヤー達の……大ギルドの戦争前夜とまで言われる程の闘争もまた無かったのかもしれない。

 繰り返す。彼らは正しく英雄だった。だが、リーダーを悲劇で失い、1人のプレイヤーの凶行を原因の1つにして完全なる崩壊を遂げた。彼らの行く末は誰も知らず、その安否を気遣う者はいつしか失せた。

 

「レイフォックス、さ……ん?」

 

 対して会話を交わした覚えはない。ましてや、友情を深めたわけでもない。だが、シノンは確かに憶えている。DBOの真の始まりとも言うべき、腐敗コボルド王戦に、共に参加した戦友の顔を憶えている。

 紫色の口紅を塗り、プレイヤーネームと異なる蛇のような黄金の眼をしていても、その顔は間違いなくレイフォックスだ。だが、名前を呼んでも彼女は人の言葉を発せず、逆に長く伸びた2つに分かれる舌が隠された口内より、毒がたっぷり詰まっているだろう牙を剥く。

 意識の混乱によって反応が鈍ったシノンの左肩にレイフォックスの牙が食い込み、肉を破る。ダメージフィードバッグの不快感が、毒が流れ込む熱と共に脳髄を貫く。

 

「シノン!」

 

 あと1歩で大弓持ちを追い詰めるところまで来た、3体の蛇人間を始末したUNKNOWNは、シノンのピンチを察知して叫んで駆ける。HPバーが赤く点滅する大弓持ちは好機と見て大矢を連射し、冷気の大矢がUNKNOWNの左肩を貫く。だが、それを意に介さずに、彼は剣持ち……レイフォックスに交差する2本の剣の刃を喰い込ませようとする。だが、UNKNOWNの攻撃力を重々承知しているのだろう。レイフォックスは素早く身を翻して距離を取る。

 レベル3の毒によってシノンのHPは急速に失われる。その前に受けた剣と噛みつきによって元よりHPを4割も減らしていたシノンは、半ば機械的に【バランドマ侯爵の治癒薬】を使用する。トカゲ試薬と同じで注射器タイプであり、レベル3までならば毒だろうと麻痺だろうと回復できる。無論、高級品であり、特定のイベントをクリアしなければ購入する事も不可能な代物だ。

 

「どうして……レイフォックスさんが? これも幻覚? 私は夢を見ているの? 私は……」

 

 アルヴヘイムの異常性は思い知ってきたが、こんな事があり得るのだろうか? シノンは呪いが蓄積するのも厭わずに、まるで寄り添うように剣持ちが近寄った大弓持ちの顔を直視する。

 彼女もまた知っている。とても大人しく、戦える程に強い精神を持たない臆病者。いずれは戦いの恐怖に負けて、何処かでドロップアウトしていただろう。だが、それでも彼女もまたシノンにとっては、悲劇を潜り抜けた戦友の1人だった。

 

「ツバメちゃん……なのよ、ね?」

 

 もう訳が分からない。シノンが辛うじて発狂を免れたのは、彼女たちとは共有した時間こそあれども、決して濃厚な付き合いはなく、せいぜいが知人として意識の中で区分されていたからだろう。傭兵として、最低限でも知人に刃を向ける日が来ると覚悟していたからだろう。

 シノンもその消息は気になっていたが、死者の碑石で死亡が明記されていない以上は、何処かで生きているだろうと漠然と思っていた。どんな形であれ、DBOの何処かで生きていると疑わなかった。

 

「何があったの? どうしてアルヴヘイムにいるのよ? それとも何? 私の勘違い? そうよね。他人の空似。似ているだけよ。2人がいるなんて、しかもモンスターになっているとか、突拍子が無いにも程が――」

 

 言葉を並べ立てて平静さを取り戻そうとするシノンの視界を黒いコートが遮る。それがシノンに我を取り戻させ、溜まりかけていたレベル2の呪いに気づかせてくれる。

 

「シノンの知り合いなのか?」

 

「……ええ。レイフォックスさんとツバメちゃん。腐敗コボルド王との戦いで仲間を失って……その後は行方不明になっていたわ」

 

「そうか。確かZOOの……」

 

 さすがのUNKNOWNも、ディアベルの武勇伝となっている腐敗コボルド王戦の顛末は知っているだろう。あの時、ディアベルと共に指揮をしてプレイヤー達の勝利に貢献した悲劇のパーティこそ、ZOOと呼ばれるプレイヤー集団なのだから。

 

「下がっててくれ。キミには……彼女たちとは戦えないだろう?」

 

「冗談言わないで。彼女たちを無力化して、何としても話を聞くわ」

 

 そもそも、本当に顔の造形を似せてあるだけで、中身は単なるAIに過ぎないという確率が高い。だが、どうして彼女たちに似せてあるのか、その必要性も無い。

 

「無力化か。でも、ダメージを与え過ぎた。もう俺達には倒すしか……」

 

 UNKNOWNがそう言い切るより先に、2体のメデューサはまるで蛇使いの笛の音を聞いたかのように、武器を放り捨てて壁を這い、窓を突き破って逃げていく。残されたのは召喚された3体の蛇人間だけであり、武器はポリゴンの塵となって消滅する。

 沈黙の神殿に取り残されたシノンは曲剣をレイフォックスの血を……彼女を殺そうとした自分を思い出す。

 

(考えちゃ駄目。あの2人がアルヴヘイムにいて、モンスターになって襲ってくる? どういう因果関係よ。今は状況判断が最優先)

 

 クラーケン戦、漁村、渓谷突破、そして今回の便宜上メデューサ姉妹とシノンは呼ぶ事にした2体の半人半蛇。これらで消費した竜狩り人の矢にはまだ余裕こそあるが、せいぜい切り抜けられてネームド戦を1回といったところだろう。巨人殺しの矢は残っているが、出来れば新しい矢を補給したいのが本音だ。しかし、アルヴヘイムで一般的に販売されているのはせいぜいが鉄の矢くらいであり、とてもではないが火力不足著しい。

 

「シノンは休んでいてくれ。連中がまた襲ってくるとしても、1晩以上のインターバルがあるはずだ」

 

「心配ご無用よ。目的を見失っていないわ。あの2人のことは気になるけど……アルヴヘイムでは理解できない事が起きる。その心構えくらいできていたわ」

 

 仮面で隠された気遣いの眼差しにシノンは平静を装う。いや、確かに動揺こそあったが、やはり2人とそれ程までに親しくなかった事も要因にあった為か、戦闘を切り抜けた安心感も合わさり、シノンは十分に気力を取り戻している。

 UNKNOWNは何か言いたげな様子だったが、2本の剣を背負って施錠されている神殿のドアノブを揺する。

 

「……もしも、キミが彼女たちを倒せないなら、俺が斬るよ」

 

「あなたが? 出来るの?」

 

「出来るさ。シノンを守る為なら……俺は倒す」

 

 ハッキリと言い切られ、シノンは思わず目線を反らし、弓剣を腰に差す。

 頼りになるのか、ならないのか。間違いなく前者ではあるが、自分以上に不安定のくせに、どうして余計なものまで背負おうとするのだろうか。

 

「あれが本当に本人たちだとして、元に戻せる方法はあると思う?」

 

「ある。彼女たちは何も本当に怪物になっているわけじゃない。あくまでモンスターアバターを使用しているだけだ。彼女たちの接続を元のプレイヤーアバターに戻せば、助けられる。でも、その為には俺達には……プレイヤーには無理だ。GMの力を借りないといけない。だけど、もしも彼女たちを差し向けたのがオベイロンなら、後継者が彼女たちをモンスターに仕立てて襲わせたことになる」

 

 できて完全攻略の日まで檻に閉じ込めることくらいだろう。シノンは猛獣よりも危険な、人間の知能を持った半人半蛇を捕らえるなど如何に絶望的な事かは言うまでもないだろうと頭痛がする。

 だが、その一方で確かに希望はあるのだ。あの2体が本当にレイフォックスとツバメだとしても、彼女たちを助ける方法はある。そして、それは竜の神戦に乱入してきた狂縛者……UNKNOWNがエギルと呼んだ人物を救う方法でもあるはずだ。

 そして、それは致命的な難関を抱えている。GM側の力を借りないといけないという事は、後継者の協力を取り付けねばならないという事だ。つまりは実行犯に救いを求めるという阿呆の極みを成さねばならない。

 

「いや、後継者だけがGMじゃないよ。きっとDBOを管理しているのは複数人いるはずだし、俺の予想だけど『あの男』も必ず何処かで俺達の戦いを見守っている」

 

 埒が明かないと、UNKNOWNは神殿の扉を蹴破る。鍵が壊れて夜の外気が流れ込み、シノンは戦いで火照った体と汗をもう1回お風呂でゆっくりと癒したいと望む。

 

「『あの男』って誰よ?」

 

「もちろん茅場さ。SAOでわざわざヒースクリフとしてデスゲームに参加していたくらいだ。今回は以前の失敗を踏まえて自分から積極的に攻略に関わる真似は控えているだろうけど、必ず何処かで俺達を観察しているはずだ」

 

「そういえば、あなたが75層でヒースクリフを茅場昌彦と見抜いたんだったわね。確かに同じ轍は踏まないだろうけど……」

 

 だが、そうなるとアルヴヘイムにいる間はどれだけ2人に襲われても撃退に止め、撃破しないように心掛けないといけない。中途半端な手心は自分の身を危うくするだけだ。事実として、シノンは強引な攻めと一時の放心の結果とはいえ、多くの手傷を負ってしまった。

 義手の秘密兵器を使えば、楽にレイフォックスを倒すことは出来た。しかし、シノンの武装の過半は消費を強いられるものばかりだ。まだまだアルヴヘイムにいかなる難敵が存在するのかも分からない以上は、まだ回復の余地があるHPを削ってでも攻めた方が効率的である。

 

「でも、どうしてあの2人が急に……」

 

「それは、さすがに俺にも……。でも、彼女たちは明らかに俺達を狙ってきた。もしかしたら、考えていた通り、オベイロンは俺達を――」

 

 と、そこで何かに気づいたようにUNKNOWNが息を呑み、途端に地面を爆ぜさせる勢いで駆け出す。驚いたシノンは慌ててその後を追う。

 

「ちょっと! いったいどうしたのよ!?」

 

「もしも! もしも、この襲撃がプレイヤーを狙ったものだとしたら、俺達だけじゃない! シリカも襲われているはずだ!」

 

「でも、彼女は宿に――」

 

「街の中で堂々と襲ってくる連中だぞ!? 宿で寝込みを襲うくらいはするはずだ!」

 

 疲れたと言っていたシリカならば、それこそ宿のベッドの上で横になっているはずだ。幾らピナがいるとはいえ、メデューサと同等、あるいはそれ以上の強敵に襲撃されたならば、1人では迎撃しきれない。

 血の気が引いていくシノンは、全力疾走し、街の住人を押し飛ばすどころか、目立つ事も厭わずに建物の壁を走り、最短ルートで宿を目指すUNKNOWNの背中を追う。DEXはシノンの方が上のはずなのに、まるで彼のシリカを想う心が速度を引き上げているかのように追いつけなかった。

 宿の入口を抜けたUNKNOWNは部屋を目指し、階段を跳躍で越え、押し飛ばした他の客から罵倒を浴びせられても意に介さず、剣を抜いて部屋のドアを殴り飛ばすように開く。遅れたシノンもまた竜狩り人の矢を抜いて、いつでも射撃できる体勢で滑り込む。

 途端にシノンは息を呑んだ。室内のベッドは叩き割られ、布団の羽毛は飛び散り、床には猛獣が暴れたような傷痕が複数ある。そして、何よりも酷いのはあらゆる場所で激しく争った様子のようにこびり付いた赤黒い光の血だ。

 そして、部屋の最奥……窓の傍らで壁に背中を預けたまま右腕を投げ出し、その小柄な体躯に3本の醜い爪の傷痕を追い、そこから留まる事無く流血しているのはシリカだ。その左腕は無残につぶされ、体中の傷口からはまるで割れた水道管のように血が零れていた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 それはUNKNOWN達が宿に戻る数分前。

 シリカは寝込みを襲われ、ピナの援護もむなしく、壁に叩きつけられ、潰された左腕を右手で押さえてダメージフィードバックを堪えながら、襲撃者を睨んでいた。

 

「良い様ね。剥製にして取って置きたいくらいよ」

 

「相変わらず下品ですね、ロザリアさん」

 

 口から赤黒い光を吐き捨て、シリカはどうしたものかと、部屋の隅で翼折れたまま動けずにいるピナの生存に安堵しながら、窮地を脱する方法を考えていた。

 ウエスト・ノイアスで出会ったアルフ達に似た、まるで天使を思わす純白の衣。短いタイトスカートに煽情的なスリットを入れ、ロングブーツを履いた赤毛の美女は、豊満な胸を強調しながら、金糸が縫われた上着の右肩に垂れたサーコートを夜風に靡かせた。

 

「そっちも、相変わらず口が減らないようね。這いつくばりながらも衰えない可愛らしい舌を引き抜いてあげようかしら」

 

 傷だらけの太腿をブーツの尖った踵で踏みつけられ、シリカは唇を噛んで悲鳴を堪える。

 元より武器系スキルは≪短剣≫のみであり、ステータスの過半をDEXに注ぎ込んだシリカは徹底した隠密サポート型だ。生存率上昇の為に、アルヴヘイムにたどり着くまでのレベリングではVITを重点的に引き延ばしたとはいえ、それでも近接プレイヤーには遠く及ばない。

 襲撃は完璧だった。シリカも少なからず願望の幻で疲弊していた事もあり、油断を絶妙に突かれる形になった。なのに、こうして丹念に左腕を潰され、腹の肉を抉るほどに傷つけられても、なお生存しているのは手心を加えられているからだ。

 ロザリアの傍らには体長3メートルにも及ぶ大型の四足獣が控えている。胴体は虎に近しく、尾はサソリ、四肢は猛禽、そして頭部は竜というキメラの怪物だ。

 

「アンタに倣って私も飼い慣らしてみたのよ。オベイロンに忠誠を誓った証……妖精王からのプレゼントよ。そのチンケなドラゴンちゃんよりもずっと逞しくて強いでしょう?」

 

「でもピナの方がイケメンですね。勝者ピナ」

 

「本当に口が減らない小娘ね」

 

 懐から取り出したパイプを咥え、丹念に味わうように白い煙を吐いたロザリアは、血塗れのシリカをじっくりと味わうように見下ろした後に、懐から短剣を取り出す。

 死に様は色々と考えていたが、まさかロザリアさんに殺されるとは不覚。シリカは逆転の目を探しながらも、せめて犯人の手がかりを残すべく、動く右手で彼女の名前を自分の後ろの壁に血文字で書こうとする。だが、それを見抜かれ、ロザリアの蹴りがシリカの肩を打ち付けた。

 

「そう焦らないで欲しいわ。アンタを殺したいのは山々だけど、こっちにも事情があるのよ。アンタと違って私は死人なんだから、身の振り方が大事なのよ」

 

「ほうほう、それで? 後継者の命令でオベイロンの下っ端をやっているんですか? 左遷ですか? ご愁傷様です」

 

「その認識が間違っているのよ。オベイロンと後継者様は組んでないわ。少なくとも『今は』ね。少し前にトラブルがあって、全面戦争中よ」

 

「つまり、あなたはその口ぶりから察するに、後継者を裏切ってオベイロンに?」

 

 平静を装いながら、シリカは少しでも情報を引き抜くべくロザリアの口を滑らせようとする。少しでも情報をUNKNOWNに残さねばならない。シリカを突き動かすのはその目的意識だけだ。

 にっこりと笑ったロザリアはキメラの頭を撫でる。それはシリカの頭を食い千切りたくて堪らない怪物に『待て』と命じているかのようだった。

 ルージュの口紅を舐めるように舌を這わせ、ロザリアはゆっくりとシリカの耳元に顔を近づける。いっそ耳を食い千切ってやろうかともシリカは考えた時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シ・リ・カちゃん♪ アタシはね……後継者様のスパイなのよ。今日はあなたに『協力』を申し出に来たわけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 協力? 私とロザリアさんが? 目を白黒させるシリカに、ロザリアは顔を引き離すと、その混乱する表情が見たかったと笑う。嘲う。そして、胸元から1つの8面体クリスタルを取り出すとシリカに投げ渡す。

 

「オベイロンを殺す手伝いをしなさい。アタシはね、アンタと【渡り鳥】のせいで大失点。後継者様に有用性を証明しないといけないのよ。輝かしい未来の為にね」

 

「私欲を満たす未来でしょう?」

 

「もちろん。自分が幸せになれない未来に価値があるかしら?」

 

「考え方は千差万別。私はそこそこ幸せなら満足する主義なので」

 

 あらそう、と残念そうにロザリアは肩を竦め、続いて自分の目の前にアラートと共に表示されたシステムウインドウに困ったように眉を跳ねさせる。

 

「使えない子たちね。オベイロンに強化されたくせに、足止めも出来ないの? 仕方ないわね。オベイロンも強化途中と言ってたし、『あのプログラム』を投入するのも強化プランにはあったし、次は使い物になるでしょう。オベイロンの目を欺く為にも、1人か2人は【来訪者】を始末しないとね。その為にも、あの子たちには壊れるまで戦ってもらわないと」

 

 システムメッセージを消したロザリアは苛立ちを隠すように踵を鳴らした。話が見えないシリカではあったが、ロザリアがろくでもない手段を行使し、私欲を満たす為ならば誰かを犠牲にしても何ら心を痛めない人物である事に変わりがない事に奇妙な安心感を覚える。

 

「そのクリスタルにはアルヴヘイムの情報が詰まっているわ。特に欲してやまない地理の情報がね。反オベイロン派の拠点の1つである廃坑都市……次はそこで落ち合いましょう。あなた達ほどではないけど、オベイロンにとって反抗組織は意外と厄介な存在なのよ。彼らと協力すれば、オベイロンを追い詰められる」

 

「どうして私達に協力を?」

 

「偶然よ。私の今晩の担当がアンタ達だっただけ。シリカちゃんからすれば都合の良い奇跡だったわね。アタシじゃなかったら、今頃ミンチになってハンバーグの具になってたわよ?」

 

「それを信じろと?」

 

「信じるしかないわね。それに毒を食らわば皿までって言うじゃない」

 

 まさにその通りだ。シリカはクリスタルをアイテムストレージに収納する。それと同時に、彼女の右目にロザリアの短剣が突き刺さり、眼球を潰し、抉り出す。

 

「あぁああああああああああああああああああ!」

 

「そうそう、それよ! それが聞きたかったのよ、シリカぁ! 一生忘れない事ね! アンタの命を助けたのはアタシ。所詮はお情けで生かされた存在だって事を! せいぜいアタシの点数稼ぎに役立ちなさい。そのあと……じっくりと殺してあげるわ」

 

 不意の一撃で今度こそ絶叫が漏れたシリカに、ロザリアは快楽を貪るように全身を震わせる。そして、置き土産とばかりに彼女のこめかみを蹴りで打ち抜いた。

 

「じゃあね、シリカちゃん。これはアタシ達だけの秘密。悪いようにはしないわ。利用価値がある内はね」

 

 割れた窓からキメラと共に飛び出したシリカは、自らの弱さを噛み締める。

 力が欲しかった。愛する人を守る力が欲しかった。こんな情けない自分を変える力が欲しかった。

 ドアが開け放たれ、シリカは虚ろに愛する人の声を聞く。

 

(アルヴヘイム……想像以上に、厄介な、事に……)

 

 屈辱はない。むしろ、利用されるくらいならばとことん利用されて、逆に喰らい尽くすくらいの意気込みでなければならないのだから。

 それがシリカの選んだ愛に殉じる道なのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「シリカぁあああああああああ!」

 

 UNKNOWNは剣を投げ捨て、シリカを引き寄せる。その姿は死体とも見紛うほどであるが、幸いにもHPはレッドゾーンで点滅し、その生命は辛うじて繋がっている。UNKNOWNは止血包帯でまずは失われた右目を覆い、次にまずは深緑冷水を飲ませ、貴重なエリザベスの秘薬を惜しむことなくシリカの口に押し込む。

 戦士の切り札とも呼ばれるエリザベスの秘薬の強力なオートヒーリングならば、アルヴヘイム特有の流血と呼ばれる、深い傷跡を負った上体の場合に続くスリップダメージもほぼ無効化できる。

 

「……生きて、ます、よ。大げさ……なん、です」

 

 右目も潰されているのだろう。右瞼を閉ざしたままのシリカは、自分を強く抱きしめてくれるUNKNOWNに恥ずかしそうに、だが弱々しく告げる。

 

「良かった。本当に良かった!」

 

 シリカの胸の傷口を自分の体で塞ぐように、彼女の小さな体を抱擁するUNKNOWNは啜り泣く。シリカの無事に安堵したシノンは、流血状態を緩和させる、アルヴヘイム特有のアイテムである流血の軟膏を取り出す。

 ボロボロのベッドに横にさせたシリカに、部屋の隅で同じく血みどろになっていたピナが、折れた翼を必死に動かして寄り添う。シノンはピナにも効果があるだろうかと思いながらも、その小さな口の前に燐光紅草を置く。すると感謝するように鳴いたピナは貪り、HPを回復させた。

 軟膏を使用し、エリザベスの秘薬でHPをフルまで回復させたシリカは生命だけをみれば既に安全だ。だが、その痛々しい傷跡は際限なくシリカにダメージフィードバックを与え続けているだろう。

 バランドマ侯爵のトカゲ試薬を右目に打ち込む。シリカは呻き声を上げて暴れるも、UNKNOWNにそっと跳ねた上半身を押し戻されて深呼吸をする。

 

「すみません。やっぱり、私が1番……足手纏い、だったみたい、ですね」

 

「そんな事ない。シリカがいたから、俺はここまで来れたんだ。今日まで戦ってこれたんだ。足手纏いなものか」

 

 労わるように、シリカの汗でべっとりとした頬を撫で、額に張り付いた前髪をそっと指で払うUNKNOWNに、シリカは嬉しそうに笑み、だが自らの現実を飲み込むように、首を横に振った。

 

「本当に、シノンさんみたいに強ければ良かったのに。私に、クゥリさんみたいな……あなたの隣に立てる強さがあれば……」

 

 その目に映るのは羨望、あるいは彼女だけの絶望。どちらにしても、それはシノンが安易に立ち入れない、彼女の繰り返された苦悩の髄なのだろう。

 

「明日……伝えないといけない事があります。とても、大事なことを……」

 

 沈黙を貫くUNKNOWNに対して、シリカはそう告げると少し休むと言って瞼を閉ざす。しばらくして寝息が立ち、シノンは部屋に誰も入ってこないように、そして狙撃を警戒して割れた窓のカーテンを閉める。

 部屋の内装を賠償できるだけのユルドが無い以上は、明日の朝一で宿をこっそりと出立しなければならないだろう。シノンは弓剣の耐久度を修理の光粉で回復させながら、シリカの傍らを離れないUNKNOWNを横目にする。

 

「シリカの気持ち、分かっているんでしょう?」

 

「ああ」

 

「ハッキリと言ったの?『俺はアスナ以外に眼中にない』って」

 

「何度も、何度も何度も……彼女の心を傷つけるくらいに、酷い言葉を使っても、伝えたさ。でも、シリカは……俺の傍にいたいって。俺は……そんな彼女の優しさに甘えてしまった。やっぱり彼女を巻き込むべきじゃなかった」

 

 それでもシリカなら、何ら迷いなく、どれだけ嫌われてもUNKNOWNを追いかけただろう。シノンは全財産と人生をかけられる程度にはシリカの異常なまでのUNKNOWNへの執着、恋慕、愛情を理解している。

 もはや病的なまでにUNKNOWNに尽くすシリカの背景がシノンには分からない。それは本人の口から聞くべき、秘すべき事柄なのだろう。

 だから駄目だ。訊いては駄目だ。シノンは動こうとする唇を戒める。

 

「ねぇ、あなた達は……アインクラッドを生き抜いた仲間。それ以上の関係なのよね? どうして『そんな風』になってしまったの?」

 

 入り込んでしまった。踏み込んでしまった。もう戻れない、引き返せない、真実へと続く袋小路の扉を開く。シノンは自らの選択に一瞬の後悔、そして迷いを断ち切るようにUNKNOWNを見つめる。

 

「……シリカはさ、普通の女の子だった。戦いは上手になっても、きっと根本的な素質が足りなかった」

 

 ぼそぼそと、まるで懐かしい日々を見出すように天井を見上げたUNKNOWNは語り出す。まるで、自分自身の不甲斐ない恥を晒すように自嘲する。

 

「当時は攻略組も総崩れ。俺とクーが組んで、何とか最前線を支えていたんだ。75層以降はボスもどんどん強くなって、毎回のように犠牲者が積み重ねられた。時には俺とクー以外は全滅した戦いもある。風林火山やエギルが纏めてくれたプレイヤーも協力してくれたけど、攻略速度はどんどん落ちて、もう無理だ、もう駄目なんだっていう諦観の空気がアインクラッドに蔓延していたよ」

 

 SAO関連の書籍に詳しくないシノンも、それ程の激戦があったとは思いもよらなかった。いや、そもそも書籍のどれだけに本当の意味で最前線に立ち続けたプレイヤー達の語りが反映されているだろうか。1万人近くのプレイヤーの内、生還できたのは約400名。その内の何人が最前線にいたトッププレイヤーだったのだろうか。

 もしもシノンがDBO攻略後にインタビューを受けたとしても口を噤むだろう。大金を積まれても、忌々しい過去を、数多に積み重ねられた屍の物語を嬉々として述べないだろう。

 

「そんな時だよ。シリカがようやく攻略組になるだけの実力を得たのはさ。彼女は容姿も良かったし、ピナは成長して騎乗できる程に大きかった。象徴性があったんだ。だから、彼女は……多くのプレイヤーを扇動して『地獄』に送り込んだ」

 

 それが【竜の聖女】などと呼ばれたシリカは多くのプレイヤーにとって【黒の剣士】と同じくらいに希望となった。それはシノンも聞き及んでいる。

 

「でも、それは……シリカは募っただけなんじゃないの? 諦めたプレイヤー達に、一緒にSAOをクリアしようと求めただけなんじゃないの? なのに、扇動したなんて……」

 

「俺もそう思う。でも、シリカにとっては違うんだ。彼女の言葉を聞いて最前線に戻ってきたプレイヤーは多かったし、努力してレベルを上げてきてくれたプレイヤーもいた。そして……自分の目の前でどんどん死んでいった」

 

 静かに寝息を立てるシリカの小さな体。DBOも地獄だが、SAOの末期は聞くのもおぞましい程に死の連鎖だったのだろう。昨日まで生きていた者が今日は死に、明日には自分自身すらも散っている。

 そんな中でシリカは生き延びた。彼女自身は決して強くないのに……生き延びてしまった。

 

「俺も限界だった。毎日が地獄だったよ。アスナの仇を取る。彼女が死ぬ光景を悪夢で見る度に復讐を誓って、折れそうな心を繋ぎ止めた。でも、それでも独りじゃ無理だった。独りは怖かった。目覚める度に自分の無力さを痛感するんだ。アスナを死なせてしまった自分の『弱さ』が憎たらしくて、毎朝毎朝……死にたくて堪らなかった」 

 

 そこで1度区切ったUNKNOWNは、仮面に隠された唇を疲れたように微笑ませた気がした。そう分かる程に、UNKNOWNから穏やかな吐息が漏れる。

 

「クーがいなければ戦い続けるなんて無理だった。彼がいつも隣にいてくれたから、俺は戦い続けられた。彼がいたから……あの地獄の日々でも、俺は笑う事を忘れずに済んだ。『生きてる』って実感を得られた。どんな絶望的な状況でも彼は心折れないから、俺も前を向けた。アスナの復讐だけが全てじゃないって分かったんだ。彼が……大事な親友になったからこそ、彼の隣に相応しい『英雄』であり続けないといけないって思えたんだ。でも、シリカには『俺にとってのクー』はいなかった。彼女には……俺しかいなかったんだ」

 

 ピナはシリカにとっての力の象徴。たとえ孤独を紛らわす相棒だとしても、それは同時に彼女の心を苛める罪の象徴でもある。ならば、シリカにとって唯一の拠り所はUNKNOWNだったのだろう。

 それは傷の舐め合いだったのだろう。シリカはUNKNOWNに依存する事で精神を繋ぎ止めた。UNKNOWNもそれを許した。

 いいや、違う。彼もまた甘えてしまったのだ。シリカは彼を愛した。彼はその愛情に甘えてしまった。

 常に『英雄』であろうとしたUNKNOWNと多くのプレイヤーを死地に誘ったシリカ。彼らの繋がりを知り、その並々ならぬ業の深さに背筋に冷たいものが流れる。それはまるで今日まで続く2人を縛る呪いのようだ。

 

「そう。あなたにとって、2人は大事な存在なのね」

 

「ああ。クーは最高の親友で相棒だし、シリカだって俺にとってはかけがえのない仲間で……唯一無二の秘書で、オペレーターだから」

 

 親友と迷わず言い切ったクゥリ。たとえ依存から始まったとしても心に安定を与えてくれたシリカ。無敵に思えたUNKNOWNの脆さを知ったからこそ、シノンは『英雄』と謳われた男の真実の吐露を受け入れられた。

 それ故に際立つのはクゥリだ。書籍では『悪逆非道の大量殺人鬼の傭兵プレイヤー』としか扱われていない彼であるが、戦場を共にしたUNKNOWNとシリカはその強さを認める発言を繰り返している。

 シノンもその気持ちは分かる。彼ならば、どんな絶望的な状況でも、たとえシノンが死んでも、彼以外が全滅しても、敵の喉元を食い千切るまで、両腕が無くなろうとも、武器の全てを失おうとも、戦い続けて……必ず勝つだろうと漠然と信じられる。そんな彼が相棒だったからこそ、UNKNOWNの心の支えになったのも理解できる。

 だが、彼は何も必要としなかったのだろうか。自分の心をどうやって支えていたのだろうか。シノンも何度も何度もこのDBOで発狂しかけた。それこそ、クゥリのせいでシャルルの森では狂乱してしまう羽目になった。UNKNOWNのお陰で何度も窮地を逃れた。

 

(『クーだから』……で済ませて良いのかしら)

 

 事実として、大ギルドの陰謀渦巻くDBOにおいても、彼は素知らぬ顔で依頼を受けては暴れ回っている。シャルルの森とナグナの顛末もそうであるが、シノンが知らない間にDBOを横殴りするように大事件に関わっている。天性のトラブルメーカーだ。

 そんな彼にとって安らぎを得られた場所は何処だったのだろうか。UNKNOWNの隣だったのだろうか。だが、それ即ち戦場であり、彼が日々の平穏を感じ取れた休息は何処にあったのだろうか。

 

『戦場こそオレの寝床だZE☆』

 

 何故か舌を出してグーサインしているクゥリの姿が浮かび、あの白傭兵ならば本当にそれくらいの無茶苦茶な事を言いそうだとシノンは思ってしまう。

 

「それにしても、クーって本当に強かったのね」

 

 これで話は終わりなのだろう。シノンは区切るようにクーの事を尋ねる。SAO攻略後の物語は聞くべきではない、とシノンは冴える直感で判断したのだ。当時は依存し合い、またUNKNOWNの弱さを知り、彼に甘えてもらう事で彼女の愛情が爆発して上限突破する要因にもなったはずであるが、あの小悪魔どころか大悪魔級の病みっぷりになったのは、間違いなく現実世界での日々にあるはずだとシノンも見抜けるのである。

 

「……まぁね。俺にとって彼は今も理想だよ。どんな事があっても心折れない。どんな強敵にだって立ち向かえる。まるで戦う為に生まれたみたいな存在だった。しかもさ、戦い終わったら何事も無かったみたいに『腹減ったし、さっさとメシにしようぜ』って気軽に言うんだ。どれだけ死人が出ても、俺に前を向かせてくれる為に、手を差し出してくれるんだ」

 

「当時から空気読めない上に、マイペースで我が道を行ってたのね」

 

 苦笑するUNKNOWNだが、それでも『地獄』と称した日々が懐かしくて堪らないように、足の間で両手を組む。

 

「俺は今も彼を友達だって思ってる。親友だって信じてる。でも……俺は彼が戦い続ける『重み』を知らなかった。とてもじゃないけど、今の俺には彼の親友なんて名乗る資格はないよ。だから……アスナを取り戻したら、真っ先に彼に会いに行くんだ。『俺』を待っていてくれているからこそ、ちゃんと仮面を外して、全部けりをつけて……会いに行きたいんだ」

 

 理想といったはずなのに、その口振りはまるで否定のようだった。しかし、揺るがない友情がそこにはあった。

 羨ましい。シノンは思わずシリカが嫉妬するのも分かると納得してしまう。UNKNOWNにとって、今も絶対なる相棒はただ1人……白い傭兵なのだろう。

 

「まぁ、大丈夫じゃないの? クーの事だから、あなたがそんな仮面を外して会いに行っても、それこそ『そんな事より腹減った』って言いそうだわ」

 

「ははは。そうだと良いな。本当に……そうだと良いなぁ。ほら、俺達って友達らしく遊んだ事も無いからさ……」

 

「だったら1つ決まったわね。アスナさんを取り戻したら、クーと派手に遊んできなさい。もちろん『大人の遊び』は抜きよ?」

 

「それってDBOで遊び場は無いようなものじゃないか」

 

「あら? クラウドアースがアミューズメントパークの建造に乗り出したらしいわよ? 丁度良いじゃない」

 

「本当にあのギルドは何を目指しているんだ……」

 

 そんなジョークを交わし合い、シノンは明日に備えて、どれだけ戦い合っても確かに訪れる空腹を癒すべく、何かを買ってこようと立ち上がる。この場はUNKNOWNがいる限り、シリカがこれ以上傷つけられることは無いだろう。

 クゥリもそうであるが、同じくらいに大事にされているシリカもまた羨ましい。シノンは微笑みながら……自然と口を開いた。

 

「ねぇ、私も……あなたにとってのクーやシリカになれるかしら?」

 

 と、そこでシノンは、自分は何を言っているのだと赤面して喉をヒクヒクと痙攣させる。

 セルフで腹に義手の拳を打ち込み、HPが僅かに減少する程の衝撃を与えて体をくの字にしたシノンは、喉に引っかかる言葉を噛み砕き、擦り潰す。その意味不明の自傷行動に、あわわわとUNKNOWNは言葉を失って混乱しているようだった。

 

「今のは無し! 無しったら無しよ!?」

 

「え、ごめん。何処ら辺が無しで良いんだ?」

 

「ぜ・ん・ぶ! 私もお腹減ったし、何か買ってくるわ! ほら、蒸し饅頭! アレを食べないとストレスが爆発しそうなのよ!」

 

「食料はあるんだ。今晩は1人で出歩くのは――」

 

 シノンは真っ赤な顔を隠すように背を向けて、ドシドシとわざとらしく足音を立てて散らかり放題の部屋を後にしようとした。

 

「シノン。俺はキミを仲間だと思っている。クーやシリカと同じくらいに……守りたいって思っている。失いたくないんだ」

 

 だが、その足を止めたのは、UNKNOWNがハッキリと告げた宣言だった。

 

「もう分かってると思うけど、俺はワガママで自分勝手なんだ。だから、俺はシノンを死なせたくない。キミが死にたいって思った時でも、たとえ罵られるとしても、一生恨まれるとしても、助けに行くよ。だから……死なないでくれ。絶対に!」

 

「……そういう言葉は、私の前にアスナさんに言ってあげなさい。『もうキミを死なせない』ってね」

 

 シノンはくすぐったいUNKNOWNの言葉に、彼には見えないように背中を向けたまま笑い、部屋の外に出る。

 どうして彼が『英雄』と呼ばれたのか、その剣の強さではない……彼が持つ『強さ』をシノンは心地よく思う。

 彼と一緒にいれば、いずれあの『強さ』に届くのだろうか。今もこの手にこびり付く、あの日の血と死と硝煙の恐怖を乗り越えられるのだろうか。

 

「私はもう負けたくないだけ。誰にも……何にも……」

 

 いつもそう繰り返す。敵にも、世界にも、何よりも自分に負けたくないから。シノンは義手に、戦ったメデューサ達を……レイフォックスとツバメの姿を重ねる。

 次は迷わない。彼女たちは『敵』だ。UNKNOWNの目的を妨げる『敵』なのだ。シリカを傷つけた『敵』なのだ。倒さねばならない障害だ。

 

「殺すわ……あなた達を」

 

 それは初めて灯した殺意。殺人への恐怖の払拭。元よりこの手は血で汚れているならば、せめて『仲間』の為に殺そう。そう、シノンは決意した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 水銀の触手は更に分岐し、まるで急激に成長した樹木のように枝分かれしてオレに襲い掛かる。だが、いずれの軌道もヤツメ様の巣の内にあり、殺気は糸で絡め捕られている。

 強化されたエギルに回復能力は今のところない。原型が無くなりかねない程に破壊された地下ドームは、いつ倒壊して生き埋めになるかも分からない程に崩れている。

 そろそろ勝負を決めねばならない。触手を半ばで切り離し、水銀の筋が覆って脚力が増した両足で大きく踏み込んだエギルの大斧を足首を利かせたターンで躱しながら右逆手に持ち替えた贄姫で胸を斬りつけ、そのまま柄頭で顎を殴打する。

 古狼の牙の首飾りのお陰でスタミナにも余裕がある。動きも最小限で躱せている。ソードスキルも温存している。連装銃の残弾が心許ないが、エギルを殺す為ならば使い切っても惜しくはない。

 左手の指に挟んだ4本の鋸ナイフにパラサイト・イヴの武装侵蝕を発動。まるで黒い血のようなものに鋸ナイフを侵食させて投擲する。切り開かれた胸に殺到する鋸ナイフを大盾で防ぐも、オレはその間に接近して左拳で穿鬼を発動させる。轟音と派手な瞬間的なライトエフェクトが発生し、盾は大きく弾かれる。ガードブレイク状態だ。穿鬼の硬直時間を消費しても足りる決定的な隙に、オレは≪カタナ≫の連撃系ソードスキル【白波】を発動させる。白いライトエフェクトを纏った刀身から繰り出されるのはバツ印を描く2連斬りとその中心を貫く大きな踏み込み突きであり、更に即座にカタナを抜いて同所に体の捻りを加えた突きをもう一撃。合計4連撃にも達するソードスキルがエギルのHPを大きく減らす。だが、やはり斬撃属性は鎧によって目に見えて減衰されている。それでもソードスキルのブーストは十分にダメージを与えたようだ。

 距離を取り、背中から伸びる、もはや数えきれないほどに枝分かれした触手をうねらせ、エギルは左目を除く顔の大半を覆った水銀の皮膚を……もはや肉食獣と変わらない牙が並んだ口内を獰猛に開き、『獣』の咆哮を上げる。

 盾を捨てれば、水銀の筋が左腕を覆い、膨張させ、指は凶悪な5本の爪を得る。防御を捨てて接近戦を強化したのだろう。だが、それはその分だけレギオンプログラムがエギルを更に蝕み、彼を冒涜しているという事だ。

 贄姫の水銀ゲージは十分だ。ここでエギルを殺しきる。エギルが『エギル』である内に。ケイタのように、最後の祈りまで踏み躙らせるものか。

 鞘にカタナを収め、居合の構えを取る。柄を右手で握りしめ、オレはヤツメ様の息吹を感じ取る。地下ドームには既に満遍なくヤツメ様の糸が張り巡らされ、巣となってエギルの殺意も戦意も恐怖も『命』も……全てを絡め捕った。

 エギルは水銀の触手を束ね、水銀の刃を防ぐ構えを取る。あるいは≪カタナ≫の居合のソードスキルを危険視してか。どちらにしても、それは愚策だ。

 最大チャージまでされた水銀居合。その切断性能・貫通力・攻撃力・リーチは贄姫の最大火力を引き出す。だが、居合であるが故に斬撃軌道を見切られれば躱される。また、最大チャージまでは溜めの動作が長い為に、接近戦ではまず使用できない。

 尤も、だからこそブラフとしても有効ではある。エギルは……レギオンの本能は選ぶ。水銀居合を防ぎながら突進してこちらを潰す間合いを得ようとする。

 水銀居合の一閃を見切る。そこに集中し過ぎてれば、当然だが、他への注意が疎かになる。

 エギルの強化された禍々しい左腕が振るわれる。だが、その目は、触手は、水銀居合の回避と防御に専念されている。

 

 

 

「殺ったよ、エギル」

 

 

 そして、オレは容易くエギルの左腕の一撃を躱しながら、ソードスキルのライトエフェクトを足下から散らしながら……オレの十八番とも言うべきスプリットターンの発動によって、居合の構えのまま瞬きの間すらも無い速度で彼の背後に回り込む。

 水銀居合+≪カタナ≫の居合ソードスキル【緋扇】……発動。エギルの背中を緋色のライトエフェクトを纏ったソードスキルのブーストを乗せた贄姫の刃が断ち、更に同時に刃より放出された水銀の刃が絶大な追加ダメージを与える。本来は中距離で脅威を発揮する水銀居合だが、カタナの刃と水銀の刃……その両方を同時に命中させれば攻撃力はカタナの域を大きく脱し、特大剣のソードスキルにも届き得る。

 緋扇はオレが保有する居合のソードスキルでも最大威力・最大速度・そして長い硬直時間がある。上半身を大きく前傾させた状態から、体を跳ねさせるように起き上がらせながらの斬り上げ居合だ。外せば致命的な隙となるが、それは居合全般に言えることである。

 背中を切り開かれたエギルが大きく吹き飛ばされ、地面を転がり、両手両膝をつく。残りHPは数ドットあるか無いか。寸前で背中の触手によるガードが機能したのだろう。だが、触手の発生源である背中を大きく切り開かれた今では、もうレギオンの特徴である触手すらも満足に生み出せない。

 このまま放置しても流血で死ぬだろう。だが、それを待つ気はない。オレ自身の手で殺して、エギルの『命』は喰らわねばならない。

 

「おやすみ、エギル」

 

 祈りもなく、呪いもなく、安らかに眠れ。オレは動けないでいるエギルへとソードスキルの硬直を脱して斬りかかる。その首を斬り落とそうとカタナを振り上げる。

 だが、それを阻害するように飛来したのは呪術の大火球だ。オレすらも巻き込む勢いの高火力に、ヤツメ様は咄嗟にオレの腕を引いてエギルから遠ざけさせる。炎に呑まれたように思えたエギルであるが、寸前で触手の一本が大火球を迎撃し、全身に纏う水銀の筋が開くことで炎をノーダメージでやり過ごす。

 更に続いたのは毒ナイフだろう。立ち上がったエギルは大斧を振るってそれらを弾き、乱入者達に水銀の唾液を吐きかけるように咆えた。

 

「ご無事のようですね、【渡り鳥】様」

 

 オレの大して減っていないHPを回復させたのはイリスの鱗粉だ。今更になって到着したのはザクロとPoHの2人である。

 援護に来たのだろうか。さすがにあれだけ派手に暴れていれば、いい加減に2人も駆けつけに来たのだろう。

 エギルは不利と見るや否や、その全身に黒い霧が纏わりつく。オレは連装銃を抜いて撃つも、弾丸が命中する寸前でエギルは完全に消失する。

 

「その様子だと助太刀無用だったようね。急いで損したわ」

 

 ザクロは構えていた短刀を鞘に収める。PoHもまた毒ナイフを懐に戻し、破壊された地下ドームを見回す。

 彼らは助けに来たのだろうか? 本当に? 本当にそうなのか? エギルを食べ損ねたヤツメ様は不機嫌に地団駄を踏み、ザクロとPoHを殺せと叫んでいる。

 オレは贄姫を握る右手に力を籠める。エギルを殺しきれなかった苛立ちを隠せなくなりそうになる。

 

「感謝くらい、するさ」

 

 一息入れて、オレは微笑みながら贄姫を鞘に収める。

 エギルを殺せなかった。彼を余計に苦しめる事になった。だが、機会を永遠に失ったわけではない。

 約束するよ、エギル。ヤツメ様の神子として、久遠の狩人として……そして、オマエを戦友だと思っている『オレ』として、誓う。

 

「殺す。必ず……殺してやる」




ようやくSAO末期の物語も少しずつ明かされていきます。
語り部は事欠かない今回のエピソードで、最初に大地雷を踏むのは何処のレコン君なるでしょうか。

それでは249話でまた会いましょう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。