SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
主人公(白)はかつての戦友と再会し、復讐者達は怪物となり、SAO生還者の過去が語られる。




Episode18-15 夜明けのトリックスター

 深淵狩りの戦士団【欠月の剣盟】は複数の拠点を持ち、アルヴヘイム全土を旅し、深淵の気配があれば即座に殲滅する事を使命とする。

 古き時代、アルヴヘイムが今よりも『小さかった』頃、深淵の呪いによって翅を失った妖精たちは次々と深淵から這い出る怪物たちの餌食となり、あるいは深淵に呑まれ、もしくは闇に与した。

 かつてオベイロンはアルヴヘイムに生じた深淵を封じ込める為に軍を派遣した。だが、その仔細は分かっておらず、やがて妖精王は世界樹の居城へと消えた。そして、いつしか世界樹がそびえる央都アルンへの道すらも人々の記憶から失われていった。

 世界樹ユグドラシルの力を得た妖精王オベイロンによって、邪悪なる深淵封の封印は成された。それがアルヴヘイムの伝説だ。だが、封印は緩み、今も深淵は復活の時を待って人心を誘惑し、また深淵の怪物を解き放っている。

 

「我ら欠月の剣盟の目的は聖剣の導きに従い、アルヴヘイムに潜む深淵の主を倒すことにある。そして、古い伝承の通りならば、深淵の主は今も裏切りの騎士ランスロットと共にある」

 

 場所は地下砦から大きく離れた、周辺地域では『尖がり森』と呼ばれる場所。枝がなく、まるで空を突き刺すように伸びた暗灰色の幹が特徴的な【鉄槍の木】の森である。

 鉄槍の木の枝の代わりのように伸びるのは寄生蔦である。多種のそれらは逞しく太い蔦を絡ませあって森に豊かさを与える。深淵狩り曰く、寄生種ではあるが、共存共栄の関係にあり、鉄槍の木は根深く水を吸い上げ、それを寄生蔦は得て育つ。そして寄生蔦は栄養を鉄槍の木に送るのだ。

 まるで深奥のジャングルのような光景であるが、足下の土はサラサラとした渇いたものであり、手に取れば形を保てずに崩れる。この環境で育つのは、地下水脈まで値を伸ばせる鉄槍の木だけなのだ。そして、寄生蔦が実らせる果実は鉄槍の木の間でぶら下がり、熟した果実は食料となって他の生物を引き寄せる。

 だが、近隣住民は尖がり森に近づかない。何故ならば、この森には古き時代より生きる悪魔が潜んでいるという伝説があるからだ。多くの命知らずが伝説の真偽を確かめるべく踏み込んだが、多くは恐怖を味わい、あるいは生きて帰ることはなかった。

 だからこそ、深淵狩りたちは尖がり森に拠点の1つを構えている。寄生蔦を利用して張ったテントは雨風を凌ぐためのものであり、長期の滞在には適さない。だが、元より流浪を常とする深淵狩りにとって快適性など二の次である。よって、この拠点にあるのは補給物資と寝床程度、そして武器を修理・強化する為の『工房』くらいである。

 

「おお、凄いな」

 

「やるもんだ。あの偏屈ノームたちにアンタの仕事を見せてやりたいぜ」

 

 今は兜を外した深淵狩り達に褒められ、その仕事っぷりを注視されているのはレコンだ。彼はDBOでこそ名のある鍛冶屋ではないが、仲間の整備を担う程度には≪鍛冶≫の熟練度も高めている。簡易鍛冶セットも持ち歩ているレコンだが、工房があるならば断然そちらを利用した方が便利である。そこで、深淵狩りに連行……もとい一宿一飯の恩義を返すべきだと赤髭に諭され、こうして武器と防具の面倒を見ているのである。

 本来、アルヴヘイムの住人たる妖精たちは自由にスキルを得られず、≪鍛冶≫の習得を許可されているのはノームとレプラコーンだけだ。そして、独自の工房を持つことは固く禁じられている。だが、欠月の剣盟はこうして堂々とオベイロンが敷いた法を破り、武器と防具と様々なアイテムの開発に勤しんでいた。

 だが、それでもアルヴヘイムでは遺失技術に近しい≪鍛冶≫関連の進歩は上手くいっていないらしく、DBOの鍛冶屋……特にHENTAIという褒め言葉を得た者たちには技術面では遠く及ばない。それでも、レコンの目には、大きな街の衛兵たちが使っている武具よりもはるかに上質であり、また高レベルを想定した武器ばかりと見て取れた。

 たとえば、深淵狩りたちの剣はいずれも片手剣なのであるが、それらはUNKNOWNが使っているものと同じ重量型である。だが、リーチはもはや両手剣に等しく、扱いに関してはもはや片手剣の域を超えた技術が要求されるだろう。補正もSTR重視であり、『斬り裂く』鋭さを捨てた『叩き潰す』ことを重視し、たとえ刃毀れしても攻撃力の低下を最小限に抑える事を念頭に入れてある。

 そして、片手持ちで使用できる連射特化のクロスボウは複数種のボルトが準備されており、特に闇属性にダメージを与えやすい光属性のボルトは大きな牽制になるだろう。アイテムの火炎壺も小型化され、まるで野球ボールのように投げられるサイズが準備されており、爆破範囲を狭めて火力を強化されてある。他にも多種のアイテムが揃えられており、それらが彼らの歴史と戦い続けた強敵の存在を物語る。

 ピカピカになった剣を嬉しそうに撫でる深淵狩り達を見送り、一仕事終えたレコンは傍らで続けられている(?)、欠月の剣盟のリーダーであるスプリガンのガジル、そして彼を支えるケットシーのメノウへと視線を向けながら、御馳走になっているホットミルクを傾けた。この尖がり森はジャングルのような風景に反して空気は冷え込んでいるのだ。火を起こさねば凍えてしまい、最悪の場合は寒冷状態になってしまうだろう。

 元々は果実の類が詰まっていただろう木箱に腰かけたユージーンは腕を組み、赤髭はホットミルクを傾けたままガジルの説明に相槌を打ち、ユウキはアリーヤの毛並みを櫛で整えながらもその耳は深淵狩りとアルヴヘイムの関係を聞き漏らすまいとしている。置いてきぼりを喰らうわけにはいかないレコンは、修理作業をしながら聞いていた情報を纏めていく。

 

「我々はかつてアルヴヘイムを訪れた深淵狩りが残した使命に従い、深淵を討ち続ける。今も、昔も、これからもずっとな」

 

「さぁ、私達の身の上話はしたわ。次はそちらの番よ」

 

 少なからず友好的な態度を示すガジルに対して、メノウの言葉遣いは刺々しく、また敵意も含んでいる。まるで猫が威嚇しているかのように、ケットシーの証拠である猫耳は膨れ上がっているようにも思えた。

 レコン以外の3人は視線を交わし合い、無言でここは赤髭に話を纏めることを任せる。赤髭は咳を1回入れて、メノウに対して両手を上げた。

 

「俺達は怪しい者じゃない、なんて言わねぇさ。俺は流浪の行商人で、こっちの図体デカイのは護衛、あっちのチビは鍛冶屋兼業の運び屋で俺の舎弟、それでこの俎板が俺の義理の妹だ」

 

 誰が俎板だって? そう言いたげに睨むユウキであるが、赤髭の説明はこの旅の中で使用していた設定そのものである。だが、深淵狩り達を簡単に騙し通せるとはさすがのレコンも思わない。

 腰の短剣を抜いてメノウは赤髭の喉元に突きつけようとする。だが、それよりも先に赤髭の舌は軽やかに動いた。

 

「そういう『設定』なんだ。悪く思わないでくれ」

 

「どういうつもり? 遊んでいるの? 私はガジルと違って甘くない。次は言葉を選びなさい。じゃないと、そのお調子者の舌を失うことになる」

 

「おお、怖いな。だが、俺達にもオメェらに事情を教えられない理由がある。そもそも話しても信じられるものじゃない。だから、ここは共通利益を提示するぜ。俺達の目的は1つであり、それはオメェらにとっても悲願のはずだ」

 

 いかに高レベルとはいえ、一撃死はまずありえないとはいえ、喉をナイフで一閃される恐怖は並大抵の恐怖ではない。どれだけHPという概念があっても、人は自らを傷つける脅威に身構え、また反応を示してしまう。それが自身の血肉を失うならば尚更だ。

 DBOの死因の1つに、今でもランクインするのはダメージを受けた際の狂乱だ。特に欠損状態でのパニック症状はパーティを丸ごと全滅に誘いかねない爆弾である。

 

「俺達はオベイロンを倒すつもりだ」

 

 そして、あっさりと明かしたのは、このアルヴヘイムにおいて最も権力と権威を持つ者の暗殺発言だ。赤髭の山火事にガソリンの雨を降らすようなカミングアウトに、レコンは思わず武器を取って周囲を警戒しようとする。

 だが、意外にも深淵狩りたちは沈黙を保ったままだ。兜を被り、大剣を背負いこそするが、攻撃の意思表明を見せない。

 赤髭に勝るとも劣らない、ダンディズムを象徴するような髭を撫でたガジルは、メノウの肩を叩いて下がらせる。渋々とナイフを収めたメノウは、あろうことかレコンの傍らに移動してくる。彼女のナイフの圏内に捉えられたレコンは命の危険を感じて背筋を冷たくした。

 

「オベイロンを倒すつもりだと? なるほど。お前たちは反オベイロン派というわけか。質の良い武器を持っているのも納得がいく」

 

「お寂しい事に、俺達に他の仲間はいないのさ。反オベイロン派に接触したいと思っちゃいるが、それは絶対条件じゃないぜ。俺達はこの4人でもオベイロンを倒す覚悟がある。もちろん、ランスロットもな」

 

 途端に深淵狩り達にざわめきが起こる。その反応を見て『予想通り』と言うように赤髭はチャーミングにウインクした。

 

「腹芸の騙し合いは慣れてるつもりだ。だが、俺はオメェらと対等の付き合いがしたい。今日からダチとして手を組もうぜ」

 

「いきなり何を言い出すかと思えば、舐められたものだな。詐欺師の虚言か愚者の戯言か、どちらでも構わんが、我々が『はい、そうですか』と手を差し出すとでも?」

 

「ああ、俺の手をがっしり握手しちまうぜ。なんせ、オメェも本音を言えば、俺達を引き込みたくてウズウズしているからな」

 

 右手を差し出した赤髭に対して、ガジルは右眉をピクリと跳ねさせる。まるで話の流れが見えないレコンであるが、ここは静かに黙っておく事こそが、そして隣にいるメノウの動きに注視することが生存の近道だと直感する。

 

「理由その1。オメェら深淵狩りはオベイロンをかなり疎んでるはずだ。アルヴヘイムは武器開発が制限され、オメェらは人目を忍んで工房で四苦八苦して装備を揃えているはず。こうして人気のない場所に拠点を持つのも、自分たちがオベイロンの法に背いているって自覚があるからだろうが」

 

「……確かに、深淵の魔物と対峙するには強力な武器が必要不可欠。だが、それとアルヴヘイムの王であるオベイロンの殺害を志すのとはまた別物のはず」

 

「理由その2。オメェらは頭が良い。だったら、矛盾に気づいているはずだ。深淵の呪いで妖精たちは翅を失った。なのに、オベイロンの配下であるアルフは『翅を取り戻している』。俺なら真っ先に疑うね。『オベイロンと深淵はグルなんじゃねぇか』ってな。事実として、オベイロンは深淵の鎮静化を図った後に世界樹ごと行方不明。しかも今も深淵の怪物たちは蔓延っているのに、武力を奪うような矛盾。オメェたちが何も察しないはずがない」

 

 言われてみれば確かに、とレコンも思わず納得してしまう。そして、同時に自信満々で語ってこそいるが、赤髭の述べる理由2の過半は推測に過ぎない……極めて危うい綱渡りだともレコンは察する。

 

「理由その3、そこの美人でセクシーなお姉様のメノウちゃんはケットシーだ。深淵狩りは種族を問わないってのは何となく察した。深淵退治の使命を重視するんだろ? オベイロンの法を無視するのも、あんなバケモノ達に挑むのも、だからこそだ。だからこそ! オメェらの絆は鉄の鎖よりも固く結ばれているはず! だったら納得できねぇはずだ! 今のケットシーとインプの扱いに!『仲間』が『かつてオベイロンには向かった種族の末裔』ってだけで理不尽な暴力と差別に晒されているのはなぁ!」

 

 差し出した右手を拳に変えて熱弁する赤髭はレコンには見えていないものが正しく見抜けていた。

 どうしてメノウが他の深淵狩りの面々に比べて敵意を剥き出しにするのか。それは彼女が被差別種族である……奴隷や家畜、あるいはそれ以下の扱いを受けるケットシーだからだ。見た目の美人の類の彼女が、このアルヴヘイムでどのような扱いを受けてきたのか、今日までどのように生きてきたのか、深淵狩りになる『以前』はどんな生活を送っていたのか、それは想像も難しくない。

 それを正しく突いた赤髭の言葉に、メノウは顔を背け、深淵狩りの剣士たちは殺気を迸らせ、ガジルは溜め息を吐く。

 

「……これは反オベイロン派の最大組織【暁の翅】から得た情報だ。連中は好かんが、その情報量と資源はオベイロンを倒すという本気の意思を感じている。連中曰く、オベイロンの居城がある央都アルンに至るには、守護者が持つ3つの輝石を解放する必要がある」

 

「待って、ガジル! その情報貰うのにどれだけの対価を――」

 

「これがベストな判断だ。ここ最近の深淵の動向はおかしい。過去1000年……いや、それ以上の時間あり得なかった、深淵の魔物たちが1つの意思によって束ねられた統制をお前も感じているはず。今回『女王』を逃したのも私は偶然とは思わん」

 

 反論するメノウに、ガジルはリーダーとしての責務を果たすと言わんばかりに逆に睨み返す。

 テントの外で燃え盛る炎が、薪が割れていく音が、夜風の寂しさが、ガジルの数秒の沈黙を濃く深めていく。

 

「その3つの輝石の所有者とは即ち、シェムレムロスの兄妹、穢れの火、そしてランスロット。彼らが持つ輝石の破壊こそがオベイロンに通じる道を開く、と」

 

 仔細こそ異なるが、それはレコンたちがアルヴヘイムに来る直前、老婆から聞かされた情報と同じである。レコンたちがオベイロンの元にたどり着くのに3体のネームド撃破が必須と考えている根拠、それと同じ……あるいは補足する情報を深淵狩り達は持っているのだ。

 

「どうやってその情報を得た? オレ達以外の『奇妙な連中』が情報源か?」

 

 これまで沈黙を守り、赤髭に交渉の一切を任せていたユージーンが、返答次第では捨て置けないとばかりに口を挟む。彼の豪傑の気配を察してか、ガジルは苦笑した。

 

「悪いが、お前たちのような連中を何度も目にする程に豊かな実りある人生は送っていない。だが、暁の翅は他の反オベイロン派を続々と吸収するだけじゃなく、アルフの目も欺く力も持っている。奴らには秘密の情報源だけじゃなくて、強力な支援者がいるのだろうさ。それは部外者である私達の知り得ないことだ」

 

 てっきり反オベイロン派とは、せいぜい現体制に対する反抗をポーズで続けているのかと思っていたレコンは、暁の翅なる反オベイロン派が本気でオベイロンの打倒を目論んでいると力説するガジルに驚く。というのも、これまでレコンが遭遇したのは、自分たちが擬態しているとはいえ行商人一行だと思い込んだ反オベイロン派を名乗る盗賊ばかりだったからだ。

 しばらく考え込んだ素振りを見せた赤髭は、やがて確かめるように右手の人差し指を立てる。

 

「1つ確認するぜ。オメェらはその暁の翅とコネがあるのか?」

 

「不愉快だが、連中とは今も幾らか取引を続けている。連中が欲するものを我らは多く持っているからな。我らが長い歴史の中で培った装備製造の秘儀、隠された刻印の聖壇、そして……」

 

「警告しておく。我々をあの汚らわしい盗人共と同一視するな。暁の翅など、『翅を取り戻す』という妄執に憑かれているに過ぎない。連中はオベイロンの支配からの脱却を至上の目的と掲げてはいるが、その実は妖精王の地位を狙い、アルヴヘイムの次なる支配者と成り代わらんとする玉座の簒奪者よ」

 

 言い淀むガジルを補足するように、メノウは苛立ちを込めて吐き捨てる。どうやら深淵狩り達と反オベイロン派は想像以上に険悪な関係にあるのだろう。だが、その一方で取引があるという発言から、たとえ関係は良好でなくとも最低限のパイプは持っているだろう事は判断できる。レコンにそう観察できたならば、赤髭の判断もまた同じであり、あるいはその先に至っているのは必然だ。

 

「ユージーン、ユウキ、レコン。俺は言った通り、欠月の剣盟と協力関係を築くつもりだ。だが、それはコイツらの動向次第では、反オベイロン派とは一戦交える危険もあるって訳だ。俺はこのチームのリーダーじゃない。意見を聞かせろ」

 

 よもや、他でもない深淵狩りの面々の目の前で……オープンで方針決定を成すとは赤髭の豪胆さ、あるいは戦略が窺い知れる。当然ながら、内密の相談はその分だけ仲間の意見のすり合わせはできるが、使用した時間の分だけ信頼から遠退く。赤髭は敢えてこの場で即断させる事で深淵狩りの信頼を勝ち取る所存なのだろう。

 

「オレは構わん。むしろ望むところだと言わせてもらおう」

 

「……ボスの決定にケチをつける気はないよ」

 

「ぼ、僕は……ううん、僕もそれで良いです」

 

 ここで余計な反論をしても火種を作るだけであるし、レコンには現状での赤髭の判断に間違いはないと不安を納得しようとする心の圧力で押し潰して頷く。即断したユージーン、そもそも方針決定に大した興味を示さないユウキはさすがであるが、レコンはそもそも彼らと違って流れに抗うだけの発言力も能力も備わっていたのだから当然の判断ではある。だが、赤髭の狙いは靄にかかっているが故に、どうしても自信を持って踏み込めなかった。

 

(……あ、ヤバい。僕たち、バラバラなんだ)

 

 そして、レコンは気づいてしまう。血の気が引くほどに孤独感が突如として津波の如く押し寄せてくるのに震えそうになる。

 サクヤの救出を念頭に入れた行動とはいえ、その真意が本当にそれだけなのか見抜けないユージーン。

 今回のチェンジリングの解決を目指しながらも、その行動には別の本意が隠されているだろう赤髭。

 そもそもアルヴヘイムを訪れた理由が不鮮明であるユウキ。

 彼らを結び付けているのはクラウドアースという背景とハスラーワンからの依頼だけだ。そして、このメンバーで『何か』が起きた時に、どのような分裂をするのか、レコンにも嫌でも分かる。

 赤髭に従う言動を示すユウキは、自身の目的を達成できる範疇ならば、彼の助力をするだろう。そして、チェンジリング解決が今のところの共通意識として明確化しているユージーンとレコンも同じチームになり得る。だが、根本的にはいつ分散してそれぞれが単独行動に移るか分からない。

 

「先に言っておくが、我々は暁の翅と事を構えるつもりはない。そして、お前たちが深淵の敵であるならば、我々は味方しよう」

 

「交渉成立だな。よろしく頼むぜ、深淵狩りの剣士さん達よ」

 

 代表して赤髭とガジルが握手を交わし、とりあえずの同盟関係が結ばれた事を安堵すべきか否か、レコンには選べなかった。だが、強力な戦力が得られたのは間違いなく、それはオベイロンに続く道を一気に切り開く事になるだろう。

 ホットミルクのお代わりを祝杯代わりに注がれた赤髭はそれを半分ほど飲み、まるで旧友に接するようにガジルに笑いかけた。

 

「お互いの腹を割った話はいずれするとして、俺達はオベイロンを倒したい。アンタらが望むなら、最初はランスロット狙いで良いが、何にしても情報がいる。廃坑都市への行き方を教えてもらえねぇか?」

 

「そうだな。私達も補給物資を得に、そろそろ廃坑都市に行こうかと思っていたところだ。特に、忌々しいが、連中の情報網は本物だ。活発になっている黒獣も気になるが、最近は本来目にする事も出来ぬ深淵の怪物……人智を超えた力と知恵を供えた異形、アメンドーズたちの目撃例も増えている。先日は小アメンドーズの群れに町1つが壊滅していた。暁の翅ならば何か事情を知っているかもしれない」

 

「それに、まだ未確認だけど、【伝令鳥】が面白いニュースを持ってきているわ。なんでも凄腕の二刀流スプリガンの剣士と『ケットシーの希望』なんて呼ばれている女戦士が、ウエストノイアスの糞領主をぶちのめしたそうよ。しかも、真偽はともかく、禁海を突っ切ってクラーケンを撃退したとか。派手にやらかしてるわね。暁の翅もスカウトを狙っているらしいわ」

 

 深淵狩りの剣士が肩に載せた極彩色の鳥の脚にくくり付けられた皮紙を広げてメノウに見せると、彼女は愉快そうに牙を剥いて笑う。同族がオベイロンの従僕に一泡吹かせたことが痛快で堪らないのだろう。

 

「ほう。あの西の辺境か。あそこは特にケットシーの差別が激しく、オベイロンにも媚びていたからな。だが、同じ辺境のイーストノイアスと比べても発展が劣る。イーストノイアスは古いシルフの都もあるし、人心も穏やかな方だ。優れた騎士たちも多く、過去に何人もアルフを輩出している。侮れん地域だ」

 

 どうやら深淵狩り達も言う程に情報収集力は劣っておらず、アルヴヘイム全土の情報を迅速に収集するネットワークを持っているのだろう。これを上回る暁の翅ならば、本当にアルヴヘイムを丸裸にできるかもしれないとレコンは期待を膨らませる。

 だが、僅かでも喜びを隠せないでいたレコンが思わず振り返ってしまう程に、アリーヤが全身の毛を逆立たせる程に、ユウキから薄暗い殺気が漏れ出す。

 

「二刀流の……スプリガン?」

 

 ゆらりと立ち上がったユウキは右手人差し指をまるで噛むように唇に当て、何か思案する、あるいは推測するように目を細める。

 

「その人の情報は? それ以外には?」

 

「気になるか? どれどれ、二刀流スプリガンの特徴は……黒髪、黒衣、分厚い2本の剣……それと、素顔を隠す仮面」

 

 うわぁ、まるでUNKNOWNみたいな特徴だぁ。レコンはまずアルヴヘイムにいるはずはないだろう、ラストサンクチュアリの守護神、【聖域の英雄】の特徴とこれ以上なく合致していることに驚く。世界には同じ顔の人間が3人いると聞くが、仮想世界ならばどれくらいの比率なのだろうかと苦笑した。

 だが、ユージーンは鼻を鳴らし、赤髭は額を押さえたまま横目でチラチラと黒紫の髪の少女を確認しながら天を仰ぎ、ユウキはまるで悲願を目前としたかのようにゾッとする程に笑顔を咲かせる。

 

「そっかぁ♪ じゃあ、その噂のスプリガンも上手く暁の翅にスカウトされれば、廃坑都市に来るのかなぁ? そうだと良いね、ボ・ス♪」

 

「お、おう。そうだな。だが、目的をはき違えるなよ。俺達は――」

 

「分かってるよ。もちろんボクの『1番の目的』は『オベイロンを倒す為に協力し合う』事だからね。頑張ろうね、レコン?」

 

 とびっきりの笑顔を向けるユウキに、思わずレコンは反射的に頷いてしまいそうになった首を精神力を総動員して堪える。

 ここで頷いてはいけない! 何故かレコンは生涯最大の危機とばかりに覚醒した生存本能の警鐘に従う。

 

「あの黒馬鹿の目立ちたがり屋が……。そのせいで何度痛い目に……学習能力がないのか……スキル以外の隠密行動って概念をだな……」

 

「貴様も随分と大変だったようだな。だが、同情する気は毛頭ない。トラブルが起きても、貴様が解決しろ」

 

 項垂れる赤髭に無情な宣言をしたユージーンであるが、その眼差しには明らかな憐憫が含まれていた。

 

「ねぇ、他に面白いニュースはない?」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。くっ付かないで!」

 

 機嫌を良くしたユウキに覗き込まれ、メノウは顔を赤くして彼女を引き離そうとする。このケットシーの女剣士は、異性よりも同性との距離の取り方が分からないのだろう。男所帯の欠月の剣盟を見れば、紅一点の彼女の心情は察せられる。逆に言えば、これまで男ばかりに囲まれていたユウキも態度にこそ見せてはいないが、女性としての不安があったのかもしれない、と目の保養とばかりにレコンは女性2人がくっ付き合う図を目に焼き付ける。

 

「これは深淵狩りの協力者から届く定期連絡よ。必要最低限の要件しかないわ。これはウエストノイアス周辺の協力者からの情報。スプリガンとケットシー以外の情報はないわ」

 

「じゃあ、他の地域からの情報はもう来てるの?」

 

「少し前にイーストノイアスと大橋鉄道で繋がっている町ヒューガーデンから情報が届いているわ。とてもつまらない話よ。『天使を見た』とか『月女神アルテミス万歳』とか、珍妙な報告ばかり――」

 

 と、そこでメノウは腰の短剣を抜いてテントの外を透かすように睨む。同じく、まるで何かを察知したように深淵狩りの剣士たちは身を強張らせ、臨戦態勢を取るように武器を抜く。彼らに遅れることなく、ユージーンは背中の大剣を抜き、赤髭もまた居合の構えを取り、ユウキは片手剣を抜いてアリーヤに下がっているようにハンドサインを出す。

 1人だけ取り残されたレコンであるが、彼らに数泊遅れで、全身をいきなり冷水に浸されたかのような、おぞましい何かの気配を感じ取る。

 

「何かが来る。この動き方……まだ、こちらを探している最中? かなり速い」

 

「深淵の魔物か? 砦は囮か。我々をおびき出す為の罠だったかもしれん。あるいは、お前たちが呼び水になったのか」

 

 兜を被ったガジルから暗に『手引きしたのか?』と暗に問われ、赤髭は肩を竦める。

 

「逆かもしれねぇぜ。俺達は妖精王様から不評でね。刺客の1人や2人どころか、万の軍勢を差し向けられてもおかしくない」

 

 アルフに指名手配されているレコンたちは、それこそオベイロンからすれば是が非でも排除したい敵のはずだ。ならば、このアルヴヘイムにおいて平穏など何処にもなく、常に背後を狙われる立場なのは必定である。

 だが、ここにはランク1が、赤髭が、ユウキが、深淵狩りの剣士たちがいる。いずれもレコン以上に頼りになる者たちばかりだ。ならば、彼らで立ち向かえない相手とは、即ちレコンに勝ち目などない怪物である。

 

「このような殺気、今まで感じた事も無い。なんだ、これは?」

 

「ボクはあるよ。本当に……気分が悪い」

 

 散開。そうガジルが小声で呟くと、深淵狩りの剣士たちはテントから飛び出し、月すらも曇る程に寄生蔦が茂る冷たき森に溶け込む。常に闇と相対する彼らにとって、闇と紛れる技術と≪気配遮断≫は必須なのだろう。

 

「レコンは俺から離れるんじゃねぇぞ。≪無限居合≫の間合いの範疇なら守り切れる自信もあるが……」

 

 珍しく額に汗を滲ませた赤髭からの忠告に、レコンはガクガクと首を縦に振る。元より自分の戦闘能力に期待などしていない。だが、アイテムによる援護を実行すべく、暗記した持ち物リストを参照し、いつでも取り出せる準備をする。

 まず動いたのはユージーンだ。重量型両手剣……もはや特大剣にも等しい火力と重量を持つそれを片手で振り回し、突如として地中から襲撃してきた何かを振り払う。だが、硬質な物質……金属同士が衝突し合う甲高い音は鳴らず、聞こえたのは大剣が空気を斬る虚しい音、そしてまるで共鳴し合うような高音だ。

 レコンが目にしたのは、藍色の触手だ。それはゴムのような質感が外観から見て取れ、先端には槍の穂先のような銀色の突起物がある。その突起物の中心にはオレンジ色の球体が煌々と輝いており、鋭い先端から同色のレーザーを解き放つ。

 イメージしたのはDBOでも使い手は少ないレーザーブレードこと≪光剣≫だ。固定された攻撃力と魔力消費から近接武器でありながら常に居合のような扱いを求められるレーザーブレードの扱いは極めて難しい。また、≪光剣≫スキルを取得せねば使用できない事からも、わざわざ獲得しようとする者は少ないのだ。だが、その携帯性と高火力は注目されており、最近で言えば、太陽の狩猟団と専属契約の噂がある新進気鋭でありながら1桁ランカー入り間違いなしと噂されているアンジェの得物としても名高い。

 また、レコンの愛読書でもある鍛冶屋組合が発行している隔週誌『工房の友』では、気になる噂の1つとして、HENTAI鍛冶屋が≪光剣≫のキメラウェポン化による汎用性獲得に成功したらしく、今後の活躍が期待されるジャンルなのであるが、スキルに余裕が無い高レベル帯……上位プレイヤー程に新たな分野への進出は難しいだろうとされている。

 まるで無限の間合いがあるような、闇を裂くオレンジ色のレーザーブレード。飛び出した触手の数が4本ならば、レーザーブレードの数も4本。縦横無尽に振り舞わされた光の刃をレコンが切り抜けられたのは、赤髭が咄嗟にレコンの首根っこを掴んでテントの外へと放り投げたからだ。

 地面を擦り、跳ね、そして硬質な樹木に後頭部から激突したレコンは、これが現実世界ならば脳震盪どころか脳挫傷を起こしているだろうと言う程の衝撃に見舞われる。事実として彼のHPは僅かに減少していた。だが、あの一撃必殺にもなりかねない光の刃の乱舞を切り抜けられたならば易い代償である。

 

 

 そう……まさに投げ飛ばされた先に襲撃者の姿さえなければ、という注釈が無ければ。

 

 

 ここが仮想世界で良かった。レコンは後頭部から内出血のように広がるダメージフィードバッグを忘れる程に、寄生蔦のジャングルによって遮られた天上の月より降り注ぐ僅かな冷光を浴びた怪物の姿を目にする。

 その全身は青色の皮膚を持ち、立ち姿は何処となくリザードマンを彷彿させる。だが、まるで鎧のように全身には青みがかかった結晶が張り付いていた。頭部には口や目、耳といった生物の必需品は備わっておらず、代わりに目の代理を成す感覚器官のように、結晶の兜のような頭部の中心では赤い光の球体がある。

 両足の指は3本であり、鋭い鉤爪がつき、踵には隠された4本目の指のように鋭い爪が飛び出してアンカーのように地面を抉っていた。両腕の手は人間的ではあるが、異形の4本指であり、毒々しい紫の爪を持つ。両肩を守るような結晶の鎧は鋭く、安易に触れれば人間の皮膚など斬り裂いてしまいそうだった。

 だが、何よりも特徴的なのは、まるで脊椎から直接伸びているかのように背中から伸びるゴム質の4本の触手である。地面に突き刺さったそれらが主の意思に従って戻れば、神聖に、あるいは禍々しく、うねり、捩じれ、蠢き、先端に備わった銀の鋭利な突起物を披露する。

 その外観の特徴はまさしくレギオン。貧民プレイヤーを……いや、DBOプレイヤーに恐怖とは何たるかを刻み付けた存在。正体不明の、プレイヤーを抹殺する為だけに生まれたかのようなエネミー。

 しかし、大ギルドとサインズから注意喚起するレギオンの外観情報のいずれにも合致しない事にレコンは気づく。いや、正確に言えば、他のレギオンを召喚する『上位種』として格付けされているレギオン・シュヴァリエと呼ばれる存在と似通ったパーツはあるのであるが、雑誌などで掲載されていた写真とは大きく異なるのだ。

 死ぬ。殺される。レコンは何ら迷いなく自分の死を疑わずに受け入れてしまう。4本の触手の先端全てに急所を貫かれれば、レコンのHPなど軽々と吹き飛ぶだろう。そして、まだ立てずにいる、恐怖に呑まれたレコンには逃げるという発想も、戦うという勇気も生まれる余地が無かった。

 ならば、皮肉にも彼を救ったのは、猛々しい怒りだった。闇と同化するような黒紫の風が吹けば、銀光の連撃がレギオンを襲う。それをレギオンは触手の2本で器用にいなし、逆に感情が乗った斬撃の隙を突くように3本目の触手を鞭の如く振るう。

 弾き飛ばされるも、空中での姿勢制御で無事に着地したユウキであるが、レギオンは膝に力を入れたかと思えば、右腕に結晶を纏わせ、巨大なランスへと変貌させる。突き刺された彼女の細い胴体など引き千切れてしまうだろう、加速が乗った剛撃である。だが、ユウキはそれを片手剣の一閃で先程のお返しとばかりに軌道をズラし、逆にレギオンの横腹を斬りつけるカウンターに成功する。

 だが、このレギオンの耐久力は並大抵ではないのだろう。軽量片手剣の完璧に決まったカウンター斬りを胴に受けたにも関わらず、減ったHPはせいぜい2パーセントが良いところだろう。1本だけのHPバーであるが、HP密度と防御力は桁違いであるのは間違いない。

 

「逸るな、馬鹿が」

 

 そして、なおもレギオンと切り結ぼうとするユウキの進路を塞ぐように、青い光の斬撃が空間を歪ませながら出現する。それらはレギオンを刻んだかに思えたが、この怪物はそれを先読みしていたかのような跳躍で躱し、逆にユウキとの間合いを詰める。

 しかし、それこそが赤髭の真の狙い。ユージーンが待っていたとばかりに飛び出し、その剛剣でランスと火花を散らし、競り勝って胸を大きく薙ぐ。飛び散った結晶とどす黒い光の血はレギオンに大ダメージを与えられた証拠のようにHPを減らす。

 

「…………」

 

 邪魔をするな。そう言いたげなユウキの頭を、2回ほど赤髭は感情的になった子どもを落ち着かせる素振りそのものでポンポンと撫でた。

 

「コイツはかなり厄介な奴だぜ。オメェだけでも勝てるかもしれねぇが、折角の『チーム』なんだ。確実に倒す選択肢を取るぞ」

 

「……分かった。でも、ボクがトドメをもらうからね」

 

 深呼吸を挟み、一応の納得を示したユウキは、レギオンを取り囲むように位置取りすべく回り込む。

 ランスを真っ向から捻じ伏せられるユージーンはレギオンの正面へ、中距離から高火力を叩き込める赤髭はランスが無いレギオンの左後方へ、そしてスピードを活かした一撃離脱を可能とするユウキは右後方へと移動する。レギオンは右腕と同化したランスを騎士のように構え、4本の触手を蠢かせる。

 対レギオン戦における心得として、その触手への対処を最優先にすべし、とある。それはレギオン自体の強さもそうであるが、近・中距離を支配するレギオンの触手は圧倒的脅威であり、その本数が増えれば増える程に踏み込むチャンスは減り、また間合いを詰めるリスクが増えるからだ。

 故にレギオン戦は複数人での取り囲みが有効である。触手単体ならば、近接戦に熟練したプレイヤーならば回避できる。そして、レギオン単体の戦闘力は確かに高いが、決して勝てない程の理不尽さではないからだ。

 そして、レギオン戦における最大のポイントは短期決戦で仕留めねばならない点だ。レギオンは他のAIとは比べ物にならない程に学習能力が高く、驚異的な速度で成長していく。下手に温存を決め込んで攻撃の手を疎かにすれば、瞬く間にレギオンは手に負えない程に優秀な殺人マシーンに変貌していく。そうなれば、常にボス戦で死地を歩き回る上位プレイヤーでも単身では死亡リスクが大きく高まる。

 まず最初に動いたのはユージーンだ。相手はレギオンでも特に強いとされる、上位プレイヤー級でなければ対処不能とされるレギオン・シュヴァリエの亜種ならば、数多のプレイヤーの頂点、一騎当千の傭兵たちのトップに君臨するこの男以外に正面から未知なる相手に挑むのは無謀というものだろう。左手の呪術の火をわざと見せつけて意識させながら、右手だけで特大剣にも等しい大剣を振るう姿はまさしく無双の様である。

 嵐のような連続斬りをレギオンは力負けしているとはいえ、並のプレイヤーを上回る技量で右腕と同化した結晶ランスを振るう。だが、剣技だけならばユージーンの方が上なのは明らかであり、その分厚い刃は着実にレギオンを刻む。

 そして、ユウキは背後から斬りかかるように距離を詰めることで、触手を動員させ、ユージーンの援護に回る。ゴム質の触手は軽量片手剣の一閃を浴びても斬り裂かれることなく、むしろ弾性ある皮膚で刃を優しく受け止めているかのようだ。

 片手剣とは初心者向けであり、誰が使用しても安定する器用貧乏であり、同時に玄人が使用すればあらゆる武器に勝るとも劣らない優秀さを持つ。その刃は斬撃属性と打撃属性をバランスよく持ち、突き攻撃の刺突属性も専門たる槍や刺剣には劣っても十分過ぎる程に高い。あらゆる局面で性能を発揮できる事こそ、癖の無さこそ、片手剣の強みなのだ。

 だが、逆を言えば攻撃属性という面において、片手剣は弱点を突くことが出来ない。ましてや、レコンは整備したので知り得ているが、ユウキのスノウ・ステインは近接攻撃のダメージ計算の基礎たる物理属性が低めであり、水属性に傾倒している。このレギオンが水属性に高い耐性を持っていた場合、彼女の攻撃は何1つとして決定打になり得ない。

 そう、ユウキが魔法剣士でなければ。彼女は触手をダンスでも踊るように躱し、剣を大きく振り下ろす。発動するのは闇術の蝕む闇の大剣だ。黒みを帯びた紫色の光の刃が刀身以上のリーチを生み出し、レギオンの右肩から背中にかけてを抉る。

 闇術は総じてスタミナ減少効果があり、魔法・奇跡に比べても衝撃が高く、スタン蓄積も優秀だ。多くのモンスターはその体格や外観から怯み易さとスタン耐性を推測できる。このレギオンは結晶の鎧こそ纏っているが、体格は2メートル半程度。標準的な大型リザードマンと変わらない。ならば、ユージーンの大剣も浴び続けた今ならば、スタン蓄積も十分のはずである。

 機会を窺っていた赤髭が抜刀する。同時にレギオンの周辺の空間が歪み、青い光の斬撃の檻が発生する。これをレギオンは、シュヴァリエ特有の全身を覆う結晶の殻で守るも、それは攻撃を放棄した防御専念だ。ユージーンが見逃すはずなく、左手の呪術の火を猛らせる。

 放たれたのは扇状に広がる業火。高火力と優秀な範囲、そして何よりも発動速度が売りの、呪術【凪の炎】だ。レコンも情報だけであり、初めて目にした呪術であるが、その速度たるや、近接戦に織り交ぜられたならば反応することもできずに焼かれてしまうのは間違いないだろう。

 元より呪術は魔法や奇跡に比べれて習得難度が低い。そもそも習得条件自体に高いINTが求められる魔法。≪魔法感性≫のみならず≪信心≫を必須とする奇跡。PKが条件というデスゲームでは大きな代償を支払う闇術。それらに比べて呪術は習得に必要なステータス条件も低く、≪魔法感性≫1つで得られる。しかも、近接・中距離・補助のいずれにおいても優れた呪術が揃っている。故に近接ファイターにとって呪術は組み合わせやすい魔法ジャンルと言えるだろう。

 だが、呪術も魔法ジャンルだ。たとえ、習得条件は緩くとも、その火力を引き出すには高ステータスが求められる。また、使用条件の緩さと引き換えに、1つの呪術をセットするのに複数の魔法枠を要求されることも多く、POWにポイントを振らねばならない。また、呪術の火を必ずセットしなければならない以上は盾を構えることができず、両手武器を使えば使用不可になってしまう。そうした理由から、近接ファイターにとって頼りにこそなるが、真に呪術を併用できるファイターの数は少ない。

 では、ユージーンの場合、傭兵として頭角を出した頃から保有する剛なる呪術の火の存在が大きい。STR補正を受けるこの呪術の火はSTRの高さがそのまま呪術を強化する。ただし、使用する魔力量は増えるというリスクもあるが、そもそも連発する必要が無いユージーンにとって、攻撃のサポートと手数の増加になれば十分なのだ。

 多くの触媒がある他の魔法ジャンルと違い、呪術の火は極端に少ない。極論を言えば、初期装備の呪術の火が永続装備にもなり得る。呪術の火をカスタムし続ける事によって、自分専用の性能を目指すのだ。だが、尖った性能を何も持たないノーマルの呪術の火ではどう成長させても、魔法分野が無成長のファイターならば『ある分だけ逆に邪魔』という状態、あるいは最悪の場合『同士討ちを誘発するゴミ』に成り下がる。

 生物は炎を極端に恐れる。その熱に対する恐怖心を本能レベルまで刻み込まれているが故に、その煌々と輝く光の殺傷力を知るが故に、炎を前にして飛び出せる者は少ない。消防士なる職業が英雄視される理由の1つとして、脅威へと対処する勇敢さが掲げられる。人類にとって炎とは繁栄の象徴であり、富も生活基盤も生命も略奪する破壊の権化でもあるのだ。

 故に呪術は危うい。戦闘中に、いきなり隣のプレイヤーが炎を出せば、意識は削がれ、体は硬直し、目の前の敵への対応にラグが生じる。また、使用する自分自身さえも炎への魅力に、あるいは恐れに呑まれる。

 どれだけ仮想世界で自由自在に扱うことができる力でも、それを使用するのが人間である限り、そうした意識の『枷』からは逃げられない。それはVRゲームの1つの限界……人間という枠組みの問題点であると言えるだろう。

 ならば、炎に自ら身を投じられる者の強さとは、そのまま精神の強さだ。ドラゴンを代表とするように、炎を使用するモンスターの多さたるや数えきれないほどである。自身に纏わりついた炎でパニック状態になっている内に死んだプレイヤーは多い。

 故にユージーンは強い。扇状に広がる炎がレギオンを包み込み、焦がす間に、自らが生み出した炎の名残が渦巻く空間に躊躇なく踏み込む。ショルダータックル気味からの、剣先で地面を抉りながらの豪快な斬り上げ。それがレギオンの胸を大きく抉る。

 HP残り3割。このままならば勝てる。ユージーンが張り付いているからこそ空間斬撃が使えない赤髭が跳び込み、がら空きの左側から斬りかかり、触手4本すべてを受け持っていたユウキも勝負を決めるべく踏み込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……この程度か。存外、大したことないものだな、人間というのは』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、突如として左腕とも同化した結晶ランスが赤髭の一閃を防ぎ、両肩から新たに飛び出した2本の触手がユウキの剣を止め、これまで何度も競り負けていたはずの右腕のランスがユージーンの突きを軽々と止める。

 途端にレコンも含めた全員が察知しただろう。その恐るべき真実に気づいただろう。

 

 このレギオンは最初から劣勢を『演じていた』だけなのだ、と。

 

 合計6本になった触手を振り回し、3人を押し飛ばしたレギオンは両肩の触手を元通りに収納し、両腕の同化した結晶ランスをゆっくりと下げる。

 

「レギオンが……喋った?」

 

 これまでのモンスターが言語を操る事は少なく、DBOにおいて珍しいことではない。だが、レコンにはレギオンがまるで人間のように言葉を操る様に言い知れない恐怖を禁じえない。

 そして、驚きは他の3人も同様だった。1度間合いを離れた3人はそれぞれの武器を構えながらも、安易に踏み込まない。レギオンへの脅威度を1段階どころか2段階、3段階と引き上げた証拠である。

 攻めて来ない3人に呆れるように、レギオンは極めて人間的な仕草で首を傾げる。

 

『どうした? 臆して攻めぬは愚の骨頂。蛮勇にも劣るぞ』

 

 両腕がランスと化したレギオンは、先程までが手抜きだったと言わんばかりに、レコンの目では追いきれない程に、ユージーンに迫る。突き出した右腕のランス、そこから続く左腕のランスの振り下ろし。打撃武器同然の扱いからの、その突進に反応できたユウキを迎撃する為の触手4本から放たれるレーザーブレードは10メートル級の間合いとなって彼女の進路を塞ぐ。

 即座に居合からの空間斬撃を放とうとする赤髭であるが、それを邪魔するように、右腕だけでユージーンと剣戟をしながら、左腕のランスから放出する結晶弾で回避を無理強いさせ、居合のテンポを崩させたところで、地面を捉える踵の爪で抉る回し蹴りをユージーンの横腹に打ち込む。

 遅れた空間斬撃を余裕を持って避け、硬質の樹木を足場にして跳び上がり、宙を舞ったレギオンは上空から3人に結晶弾を撃ち込む。ユウキはそれを高速斬撃で全て弾くも、結晶弾に紛れた触手の槍が頬を掠める。正確に頭部中心を狙った一撃は、彼女の神速の反応速度が無ければ回避不能の完璧な攻撃だった。

 だが、それで終わらない。レギオンの触手は即座にカーブして、ユウキへの攻撃から繋げるように赤髭を追う。それを居合ではなく通常の斬撃で弾き返す赤髭だが、今度は寄生蔦に紛れてレーザーブレードが襲撃し、その横腹を大きく斬り開かれる。

 

「ぐおぉ!?」

 

『お前たちの攻撃・回避・防御……いずれも「読める」ぞ?』

 

 優雅に着地したレギオンに、ユージーンが豪快な突き、更にそこから続く薙ぎ払い、そして加速を増した振り下ろしと続く3連撃を両手持ちで繰り出す。そして、そこから≪両手剣≫の連撃系ソードスキル【アンバー・ホルン】を解放する。小振りな左右への3連斬りからの大きく腕を回しての袈裟斬りはガード崩しとしても優秀であるが、レギオンは両腕のランスでソードスキルの軌道を受けきる。

 

『ソードスキルの弱点は「定められたモーション」そのものだ。ランク1ともあろう者が、安易にソードスキルを使用するとは……。いや、違うな? ああ、なるほどなるほど。悪くない手だ』

 

 ソードスキルを受け止める為に使用された両腕のランス。そして触手は赤髭への攻撃に回され、フリーになったユウキに対応できない。両肩の隠し触手も分かっているならば、ユウキならばバックアタックを決められる。

 だが、レギオンは変異する。その全身の結晶が剥げ落ちたかと思えば、触手だけを残して身軽になり、ユウキを飛び超えるバック転で軽やかな回避を披露する。そして、着地すると、いつの間にか失っている左腕を見て、困ったように頭部に収められた球体を脈動させた。

 レコンには見えなかった。回避されたかに思えた一瞬に、ユウキは防御力が大きく下がったレギオンの左腕を斬り返しで切断したのだ。その証拠に彼女の足元にはレギオンの左腕の肘から先が転がっている。

 そして、大きく防御面が弱体化したレギオンへと、赤髭は鋭い斬り上げと共に踏み込み、回避を見越しての連続突きを放つ。全てを避け切ったかに見えたレギオンだが、突きの終わりに赤髭はミドルキックを穿ち、その腹を強打する。吹き飛ばされたレギオンは感心するように息を漏らした。

 

『先程までは本気を出していなかったか。今の攻撃は読み切れなかった』

 

「人間様を舐めるんじゃねぇぞ。それと、これで王手だ」

 

 赤髭が宣言すると同時に、森の闇から次々と飛来したのはクロスボウのボルトだ。それらにはワイヤーが備わり、四方八方から逃げ場なくレギオンを束縛する。

 深淵狩りの剣士たちだ。いずれもその左手には連射特化ではなく、一撃重視の大型クロスボウが装備されている。

 

「助かった。お陰で絶好のタイミングで撃ち込めたぞ」

 

「オメェらが何もしないなら、このまま討ち取ってたさ」

 

 森の闇から出現する深淵狩りの剣士たちは驚きを隠せない様子でレギオンを見つめる中で、ガジルは赤髭と頷き合う。

 強大な敵と立ち向かう深淵狩りの剣士にとって、未知なる敵との遭遇は珍しいことではない。彼らにとって敵を倒すことこそが最優先であり、その為に3人+レコンを囮にしたのだろう。聞こえは悪いが、彼らは確実にレギオンを仕留められる機会を待っていただけだ。

 

『侮っていたか。いや、浮かれていたのか? 私が? この私が? ふむ、面白い。素晴らしい。これが高揚。戦いへの渇望。学習した。もう惑わされない』

 

「さっさと殺そう。このレギオン、かなりまずいよ」

 

 ユウキは残りHPも少ないレギオンにトドメを刺すべく、ソードスキルを放つモーションを取る。余念なくHPを刈り取るつもりだろう。いかにレギオンとはいえ、十数人の深淵狩り達に束縛されては逃げ出すことはできない。

 そのはずだった。だが、レギオンは突如として青く発光したかと思えば、結晶を伴った爆発を自身を中心点にして引き起こし、巨大なクレーターを作り出す。ワイヤーは消し飛び、レギオンはくるりと1回転してから寄生蔦に着地してレコンたちを見下ろす。

 

『我が母の意図がようやく分かった。私には慢心があった。力に溺れていた。過信こそが滅びへの1歩。学習した。そして、「次」を得られるとは幸福な事だ。私は学んだ。お前たちの力を学んだ。新たな力を得る必要性がある。今の私では勝てない。お前たちに勝てない』

 

 レギオンはひらりと跳び上がると結晶の霧に包まれて姿を消す。取り残された深淵狩りの剣士たちは粛々と移動の準備を始め、ユージーンは不愉快そうに大剣を背負い、消えたレギオンを睨み続けるユウキの肩を赤髭は叩いて行動を促す。

 何が起きているのか分からないレコンにも1つだけ確かに言える事がある。

 

 あのレギオンを仕留められなかったことは、いずれプレイヤーに……いや、それ以上に大きな災いとなるのではないだろうか。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

『我が母、申し訳ありません。次は必ず……』

 

「良いの良いの♪ 元からあの3人に勝てると思ってなかったわ。今回は『お勉強』だもん。負けから学び取れた。それが最大の利益よ」

 

 跪くレギオン・シュヴァリエの亜種……いや、繰り返された戦闘を元にして自己進化を遂げたシュヴァリエに、マザーレギオンは我が子を褒めるように、自分よりも遥かに大柄な青き怪物を抱きしめて頬擦りした。

 だが、その光景を見て面白くないのはオベイロンだ。この一夜の間に奇襲を仕掛けた3チーム、そのいずれにおいても敗北と敗走を喫したからである。

 元より情報収集が狙いだったオベイロンであるが、それでも1人くらいは仕留められるだろうと踏んでいた。特にロザリアに率いさせたメデューサ、そしてオベイロン自ら強化を施した狂縛者には相応の自信があったのだ。

 

「あらあら。膨れたら駄目よ、王様。今回の負けは既定路線でしょう? お陰で情報収集は完璧。3チーム全員の素性が王様の手の内に入ったわ」

 

「だが、こうも完敗だとやはり面白くないな」

 

 やはりアルフの数で押し潰すべきだっただろうか? オベイロンは苛立つ心を押さえつけるように、ウインドウで表示された10人のデータを閲覧する。

 カーディナルに接続してプレイヤーデータを閲覧できないのは手痛いが、オベイロンも名を知るプレイヤーが過半だ。詳細を認知していないプレイヤーも何人か含まれているが、脅威度は低いだろう。

 その中で彼が特に目を離せないのは2人。黒と白の対極的な2人だ。

 黒衣を纏った二刀流の剣士はオベイロンも無視できない、自分の首を獲り得る最大の脅威だ。2つのユニークスキルを持つだけではなく、装備も、技量も、経験も、いずれにおいても注意せねばならない。メデューサのログを確認しただけでも、仮面の傭兵が本気を出したようにはまるで思えない。

 ハッキリと言えば、オベイロンは舐めていた。自身の全能感に酔っていた。それはシュヴァリエがDBO最強クラスの3人を相手取った時とは別種の侮りだっただろう。心の隅で『所詮はゲーマーのガキに過ぎない』と嘲っていた。

 

(アイザックが脅威を感じていたのも分かる。これに『人の持つ意思の力』が加われば、僕も危うい)

 

 喉元に冷たい刃が突きつけられたかのような、仮想世界に意識を移してから無縁だった死への恐怖がオベイロンを撫でる。

 仮に黒の英雄が反オベイロン派と手を組んだならば……と、考えたとオベイロンは奥歯を噛み締める。最後の、絶対攻略不可の防壁もあるが、それも仮想世界の法則に干渉する『人の持つ意思の力』の前では何処まで通用するか分からない。

 そして、オベイロンがもう1つ目を離せないのは白の傭兵だ。男性とも女性とも思えない中性美の結晶のような人物である。【渡り鳥】という悪名を持つ、SAO時代から続く災厄の象徴だ。

 途端に疼いたのは左肩だ。心臓を危うく撃ち抜くはずだった銃弾の痛みだ。それは幻だと分かっていても、オベイロンに焼き付いている。

 今でも濃厚に、魂にまで深く刻み込まれた記憶が蘇る。何度も記憶改竄で取り除こうとした、だが拭いきれない恐怖心だけが残り続ける忌まわしい『人間だった』頃の記憶が彼を苛める。

 まるで獲物を狩るような、冷たい殺意に浸された蜘蛛のような眼。熾烈なカーチェイスの中で、オベイロンが闇雲に撃った銃弾は彼の傍らの少女の腹に出血を強いた。それがトリガーだったかのように、彼は一切の情け容赦なく、オベイロンの護衛を次々と射殺し、危うく彼の命も尽きかけた。いや、実際にオベイロンが最後の手段としていた仮想世界への意識の移植を踏み切らせたのは、致命傷となる大出血があったからこそだ。

 

(あの時、アイザックの力を借りていなければ……僕は死んでいた)

 

 いや、実際に肉体的な意味では死んだ。そこまで追い詰められた。結果的にあの選択は自分を次なるステージに押し上げたと満足する事になったが、人生で初めて死の淵まで追い詰められた屈辱と恐怖は拭えなかった。

 だからこそ、茅場の後継者と名乗る事が許されたセカンドマスターの計画……DBOによるデスゲームの再演を知った時、彼は復讐を思いついた。

 元よりセカンドマスターはオベイロンのやる事に一々口出しをしなかった。そもそも、オベイロンを招待したのは、セカンドマスターが計画していた、ALOを模倣した舞台での【黒の剣士】を迎え撃つ計画において、ALO設計に深く携わった彼の意見を聞きたかったからだ。

 故にオベイロンの要望をセカンドマスターは確認もせずに力を貸した。自分を追い詰めた憎たらしい男の弟、SAOでデスゲームに囚われてようやく社会復帰したばかりなのに、またしてもデスゲームに縛られれば、どれ程の絶望があの男に与えられるだろうか。しかも、自分のせいだと気づかない滑稽さをオベイロンは存分に楽しめる。

 直接手を下さなかったのは、オベイロンにとってあの男が恐怖の対象だったからだろう。だからこそ、近親者を狙った。元よりVR適性も劣等であり、イレギュラー値も低い彼は招待リストに含まれていなかった。それを誘い出す為に、彼と交流があった【黒の剣士】の妹を利用した。ホロウAI……人格複写の実験も兼ねての偽装工作はオベイロンとしても完璧だったと自負できる。もっとも、複写した【黒の剣士】の妹の人格があそこまでぶっ飛んだ状態だったのはかなり予定外だったが。

 自分の細やかな復讐が、こうして自分の喉元に喰らい付く獣の顎になって帰ってきた。それに途方もない因果の帰結を感じ取り、オベイロンは自分の両手が小刻みに震えている事に怒りを覚える。

 妖精王。アルヴヘイムの支配者。オベイロンはそう自負する。サードマスターとして、DBOを……カーディナルを完全に掌握し、管理者たちを跪かせる。そして、いけ好かない、いつも目の上のたん瘤だった茅場昌彦とその後継者の計画を奪い取り、新世界の玉座に君臨する。

 実現の目途が立ち、反逆して見事にセカンドマスターを捕らえ、有利を積み重ねているというのに、まるで駒を1つ1つ取られて丹念に角に追い詰められているかのような言い知れない恐怖感がオベイロンを急き立てる。

 

「王様、はしたないわよ」

 

 そっと後ろから首を抱きしめるマザーレギオンの甘ったるい声に、オベイロンは右手の親指の爪を噛んで、血肉のポリゴンが零れている事実に目を向ける。既に夜明けを間もなく迎える頃だ。多少の移動をしたとしても、3チーム全ての動向は大よそ見当がつく。

 あくまで脅威となるのはUNKNOWNだけだ。それ以外には最後の守りは崩す余地はない。だが、常に何処に危険があるかも分からない以上は、それこそ反オベイロン派ごと完膚無きまでに叩き潰して『安心』を得ねばならない。

 

「すぐに出せる戦力はどれだけある? その為にアルヴヘイムの全域から集めた戦力だろう?」

 

「そうねぇ……黒獣が3体。アメンドーズは13体。小アメンドーズは……いっぱい? それからアルフは100人くらい。メデューサ2体。狂縛者1体。これが主戦力になるラインかしら? あとは王様の≪妖精王の権能≫を使ってリソースを消費して生産ね。でも、王様の味方をする妖精たちはいっぱいいるわ。彼らを招集すれば、蟻の軍団くらいにはなるわね」

 

 小アメンドーズの軍勢を歩兵として、アルフによる制空権獲得、突破力に優れた黒獣、そして奇襲のみならず多彩な能力を持つアメンドーズ。そして、少数精鋭としてメデューサと狂縛者に攪乱に徹しさせる。これらを纏めてぶつければ、いかに反オベイロン派と手を組んだ【来訪者】でも一溜まりも無いだろう。

 元よりインプやケットシーといった種族がオベイロンに歯向かっていたが、彼が知らぬ内に反オベイロン派は急速に力を集め、しかもオベイロンの目を逃れる程になっていた。何者かが……それこそ管理者権限を持つ者が反オベイロン派を援護しているとしか思えない。だが、このアルヴヘイムにおいて管理者権限を十全に振るえるのはオベイロンだけだ。その為のトリックなのだ。

 早急に増やせる有用な手駒は無いものだろうか。そこまで考えて、オベイロンは悪魔の手段を3つも考え付いた自分に思わず自画自賛の笑みを零す。

 

「チェンジリングで捕らえたプレイヤーはどうなっている?」

 

「あらあら。それを王様が聞くの? 捕らえた19人の内、4人は擦り潰れて再起不能ね。凍結保存中が5人。『実験中』が10人よ」

 

「保存した中に【黒の剣士】の妹がいたはずだ。5人とも覚醒させてアルフに仕立てろ」

 

「……妹と殺し合わせるなんて、ス・テ・キ♪ 剣士さんへのとびっきりのプレゼントになりそうね」

 

 ぺろりと真っ赤な舌で唇を舐めたマザーレギオンは快く了承する。だが、オベイロンはそれで終わらせる気は毛頭ない。

 狂縛者を解析して、オベイロンなりの改良を施した『生きた人間に搭載する』事を前提としたレギオンプログラム。インプラントによる直接的アプローチではなく、アミュスフィアⅢを通した感染。その可能性は既に獣狩りの夜で立証され、あとは実用化するだけだった。

 

(人間搭載型レギオンプログラムを実用化すれば、莫大な富を生む。なにせ、どんな凡人だって優れた殺戮能力を持てるんだからね。一瞬で無慈悲な軍隊の完成だ。これに加えてINC財団の持つ、ゾディアックに施したデザインド技術を併用すれば、最強の軍団の完成だ)

 

 いずれ戦場はAI取って代わられる。それはおとぎ話だ。どれだけ時代が過ぎようとも、戦場で殺し合うのは人間同士なのだ。それを高みの見物をするのが、肉体という枷から解き放たれて電脳となった上位存在たるオベイロンなのだ。

 だが、問題なのはレギオンプログラムによる狂暴化と人格破綻だ。安全性を考慮してオベイロンもレギオンプログラムがどうしてそのような症状を引き起こすのかまでは解析に至れていない。だが、セカンドマスターの研究レポートには彼なりの考察が残されていた。

 要は強烈な飢餓感だ。殺戮に対しての抑制しきれない、もはや生理的欲求にも等しい衝動に侵蝕されてしまうのだ。これを堪えるのは、炎天下において水に囲まれていながらも口をつけないようなものだ。目の前にある食事を我慢して断食を延々と続けるようなものだ。

 

「狂縛者を解析した人間搭載用レギオンプログラムの試作があるだろう? それをメデューサと【黒の剣士】の妹に搭載しろ。それから『アレ』の準備も進めてくれ」

 

「……へぇ、本当に良いの? でも『アレ』は好きじゃないわ。スマートじゃないもの」

 

 淡く光る白髪を朝焼けの風に靡かせながら、マザーレギオンは試すように目を細める。だが、オベイロンはこの程度『些事』だと言わんばかりに頷く。

 すると考え込むように瞼を閉ざしたマザーレギオンは、やがて面白い悪戯を思いついたように指を立てた。

 

「分かったわ。その代わりだけど、欲しいものがあるの。王様の力を借りたいわ」

 

 甘えるように膝に寄りかかるマザーレギオンは上目遣いでオベイロンに囁く。

 

「猫さんと遊びたいの。だから、今受刑中のデス・ガン……ちょーだい♪」

 

「それは……」

 

「きっと強力な戦力になるわ。王様も存分に楽しめる『喜劇』になると思うの♪」

 

 セカンドマスターの力を借りれない今のオベイロンでは、現実世界で刑務所にいる、GGOで類稀なる殺人事件を引き起こしたSAOの生き残りを引き込むのは大きなリスクとなる。

 まだ現実世界にもオベイロンの手の者は溢れている。不可能ではないだろう。だが、わざわざリスクを冒してでも増やす戦力であるだろうかかとオベイロンは考え込む。

 だが、マザーレギオンの機嫌を損なうのもオベイロンとしては痛手だ。彼女は唯一無二のジョーカーだ。彼女が存在する限り、レギオンプログラムによる防護策がある限り、ただ1つの例外を除いて、管理者は無理にでもアルヴヘイムに突入することはできない。そして、その例外は戦闘以外からっきしという存在である。

 

「分かった。すぐにでも手配しよう。他でもないキミの頼みだ」

 

「ありがとう、王様! さすがは未来の支配者ね♪ じゃあ、私は早速、妹様とメデューサ達の改良を施してくるわ」

 

 そう言ってステップを踏んで去っていくマザーレギオンを見送り、オベイロンはどうせ形振り構っていられないならば、この場面でこそ最強のカードを切るべきだと決意を固めていた。使える者はなんでも使う。やるからには徹底的にだ。

 

(そうさ。僕はアイザックとは違う。僕がルールだ。この妖精の国は……僕こそが支配者だ!)

 

 王に歯向かう者は誰1人として生かさない。オベイロンは陽光を全身に浴びながら恐怖を捻じ伏せる。

 このアルヴヘイムにおいて、絶対的な存在であるオベイロンに意見し、動かすことが出来るのは2人しか存在しない。

 1人はマザーレギオン。レギオンプログラムを統括する彼女は、オベイロンの懐刀であり、守護神なのだ。彼女がいる限り、管理者の強襲を恐れる必要はない。そして、彼女の存在がレギオンプログラムの可能性を切り開き、オベイロンの野心を更に燃え上がらせた。

 そして、もう1人はこのアルヴヘイムにおいて最強の戦力であり、オベイロンを以ってしても御しきれない規格外……まさしくイレギュラーの存在。

 指を躍らせてシステムウインドウを開いて通信をしたオベイロンは、現実世界で失ったはずの心臓……今も仮想世界で左胸にある命の脈動の塊が速度を増して跳ねている事に、落ち着きを取り戻し、深呼吸を入れる。

 

『……何用だ?』

 

 VOICE ONLYという画面から帰ってきたのは、不機嫌とも無機質ともとれる声だ。唯一確かに言えることは、オベイロンへの敬いなど欠片も無いという点である。

 いつか殺してやる。アルヴヘイムのみならず、仮想世界と現実世界の双方を支配すれば、こんな存在は簡単に抹消できるのだから。オベイロンは取り繕う王の威厳を損なわないように余裕を演じる事を我が身に言い聞かせる。

 

「王にその態度は無いだろう?」

 

『俺は謀を好まない。単刀直入に言え』

 

「君に出陣を願いたい。前にも言った通り、僕なら君の悲願を叶えられる。だから、力を貸してもらいたい」

 

『…………』

 

「僕の部下の報告によれば、深淵狩り達も動き始めたそうだ、僕を殺すつもりだろう。つまりは、君もターゲットであり、大事な――」

 

『「彼女」を害する者は殺す。それが俺の使命であり、騎士の誓いだ。良いだろう。貴様に力を貸してやる』

 

「それは光栄だ……サー・ランスロット。深淵狩り最強の騎士よ」

 

 最大限の敬意を表した言葉遣いを選んだつもりだが、顔も見えないアルヴヘイム最強のネームドから放たれる怒気はシステムウインドウを通してきたかのように、オベイロンの全身をバラバラに斬り裂くような殺意のイメージとなって伝播する。

 

『深淵狩りは聖剣の導きを受けた、アルトリウスの後継者たちのみに許された名誉ある称号! この俺が……裏切り者が……深淵狩りだと!? 我が友を侮辱するつもりか!?』

 

「そ、そのようなつもりは――」

 

『誇りを解さぬ愚物が王を名乗るとはな。騎士に二言はない。貴様の敵は俺の敵だ。だが、俺は俺のやり方を通させてもらう。手出しはするなよ、妖精王』

 

 一方的に通信を切られたオベイロンは、屈辱で顔を歪める。

 たかだかネームドの……AIの分際で……上位存在である僕に! 妖精王オベイロンに唾を吐きかけるか!?

 

「せいぜい咆えるが良いさ、駄犬がぁ。どうせ僕の支配から逃れられない。どれだけ粋がっても、お前は従順に僕の為に戦うしかないのさ。お前の存在が……僕を守り続ける限りな!」

 

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

『……というわけよ。アタシから流せる情報はこれが全部』

 

「十分だ。役に立ったぜ、ロザリア。だが、次からの連絡には注意しろ。オベイロン……いや、須郷も神経を尖らせているはずだ」

 

『了解したわ。廃坑都市で待ち合わせね。あと、後継者様への口添えを忘れないでね。もう失点は重ねられないわ』

 

「安心しろよ。俺の計画通りなら、あのビーターには最高のショーが待っているはずだ。俺を『信じろ』。切るぞ。こっちも色々と立て込んでるんでな」

 

 狂縛者との激闘があった地下ドームから少し離れた、半ばから割れた棺桶に腰かけたPoHは、このアルヴヘイムにおいて……いや、DBOにおいても、現実世界においても、もはや目につく事すらも難しくなったレトロな1品、分厚い折り畳み式の携帯電話だ。

 

『PoHく~ん、ボクのスパイにロザリアっていうねぇ、すっっっごい使えない駒がいるんだよ。これは彼女との秘匿回線だ。自由に使っていいよ。それと、僕はオベイロンに奇襲をかけて負ける。もうボロボロに負けて捕まる♪ でも、その間にアルヴヘイムに「毒」を仕込むくらいはできるさ☆ むしろ、そっちが本命かな。時間稼ぎと仕込みの両方を済ませるから、あとはアルヴヘイムを滅茶苦茶にしてくれるかな? というか、君に期待する最大の仕事はなんて言うの? オベイロンと【黒の剣士】への嫌がらせ? よろしくね~』

 

 そう言って渡された携帯電話だが、世界を股に掛ける最先端技術を売り捌く天下のINC財団の総帥が、どうして折り畳み式携帯電話に拘るのだろうか、とPoHはどうでも良い事に考えを巡らせながら、ロザリアからリークされた情報に、眉間に寄った皺を指で丹念に解していた。

 まずはPoHも惑わされた幻……あれは後継者が元々準備していたものをオベイロンが探知に流用したものだ。ロザリア曰く、次の探知は今のところ不可能であり、早急に移動すれば次の奇襲は避けられるとの事だ。

 そして、ロザリアは今アルヴヘイムを訪れている3チームの内の1つに接触した。そして、シリカに情報を与え、反オベイロン派との合流させ、オベイロン抹殺の手筈を整えているらしい。UNKNOWN、シノン、シリカの3人で構成されたチームが反オベイロン派と統合すれば、大きな戦力となり、オベイロンの脅威となるだろう。

 だが、PoHとしては悪手だ。後継者の事を何も分かっていない。あの後継者がよりにもよって『人の持つ意思の力』を有するイレギュラーの中のイレギュラーにオベイロンを倒されて解放された……なんてなれば、どんな癇癪を爆発させるか分かったものではない。

 あくまで【渡り鳥】に後継者が依頼したのは、彼が『人の持つ意思の力』を持たず、また彼の目的……アスナの救出は上手くいけば【黒の剣士】に最大級のダメージを与えられるかもしれないと目論んでの事である。何よりもオベイロンには一方的な【渡り鳥】への因縁があるらしく、彼に殺されたオベイロンはさぞや滑稽で見物になるはずだという後継者の狙いもあるのだ。

 ロザリアの『点数稼ぎ』のせいで、アルヴヘイムにいるだろう【黒の剣士】を利用して、有利にオベイロン抹殺任務を遂げようと企んでいたPoHの計画が、実行前に破綻である。むしろ、【黒の剣士】を邪魔する為にも、本来ならばオベイロン抹殺において最も有効活用できる反オベイロン派を弱体化させねばならない緊急事態だ。

 しかも、このまま廃坑都市に向かえば、PoHもあり得るとは考えていたとはいえ、【黒の剣士】との遭遇リスクも高まる。クゥリの方は接触を拒むだろうが、そうなれば反オベイロン派の協力は得られない。

 アルヴヘイム到着以来の行動が全て水の泡だ。しかも、PoHは諸事情によってロザリアとの内通をクゥリとザクロの両名に秘匿せねばならない。つまり、行き先の変更、あるいは方針変更を無理なく誘導せねばならないというミッションが始まるのだ。

 クゥリは勘こそ優れているが、それは戦闘・殺戮専門だ。今までからも分かるように、謀略には滅法弱い。また、分かっていて騙される部分もあるので、PoHが提案すれば『何か考えがあるのだろう』と勝手に深読みして了承するに違いない。

 だが、ザクロの場合は外付け頭脳派のイリスがいる。彼女ならば、容赦なくPoHに鋭く切り込んでくるはずだ。それに対してPoHが力技で黙らせようとすれば、さすがの2人も大きく怪しむ。

 

(『まだ』だ。『まだ』クゥリと【黒の剣士】を殺し合わせるのは時期尚早だ。最高級の『餌』は最高のタイミングで喰わせてこそ意味がある。このアルヴヘイムは『まだ』だ)

 

 無能な働き者が味方の時ほどに注意を怠ってはならない、か。師よ、あなたの言う通りだ。PoHは尊敬する師匠を思い返しながら、いっそ今後の為にもロザリアを始末するか、と本気で思案する。もちろん、彼女からもたらされる情報は有用であり、その『点数稼ぎ』とは相殺する程度には価値がある。

 だが、PoHを悩ませるのはロザリアの勝手な『点数稼ぎ』だけではない。むしろ、流星の如く登場した新たな悩みの種もまた本命なのだ。

 

(アルヴヘイムまで来るか? 普通来るか? そこは大人しく、お淑やかに、帰還を待つのが筋だろうが! あのストーカー女め! シャルルの森の再現をさせるものかよ)

 

 もう1つのチームはクラウドアース絡みのチームなのだが、ロザリアからもたらされた面々の中には、PoHとしても排除したい人物ランキングのトップにランクイン(現在ロザリアもランキング上昇中)しているユウキが含まれている。

 まだ行き先は不明であるが、彼らもまた反オベイロン派との接触は当然ながら既定路線だろう。どういう理由でアルヴヘイムを訪れたのかは不明であるが、この同タイミングは不自然だ。

 

(考え得るのは後継者の第2チームか? いや、ストーカー女は茅場の駒だ。だったら、茅場が派遣を? あり得るな。茅場としても、アルヴヘイムは見過ごせないはず。今回ばかりは後継者に一任しないだろう)

 

 そして、PoHは見抜く。あのストーカー女が真面目に『オベイロン抹殺』なんて志しているはずがない。いや、事の次第によってはオベイロンなんて完全無視のはずだ。他の面々は少なからずオベイロン抹殺に動くだろうという事は読めるだけに、ユウキだけが持つイレギュラーな動きはPoHの計画を乱す事になるだろう。

 

 

 

 仮に……仮に、クゥリが廃坑都市にいると知れば、ユウキは一直線で向かってくる。そして、傍にいるPoHを殺す。躊躇なく殺す。それが出来る女だ。

 

 

 

(どうする? 1対1はさすがに分が悪い。今回準備したリビングデッドを総動員すれば……無理だな。場面次第では、あのストーカー女にクゥリは味方する。こんな事なら、クゥリと全面協力体制を敷いておく準備をしておくべきだったか? ストーカーの女はクゥリの思考を分かっている。アイツが現状で優先するのは『理由』だ。つまりは『仕事』だ。オベイロン抹殺の方向でストーカー女に全面協力を申し出られたら……クゥリはそちらを選ぶ! むしろ邪魔なら、俺を嬉々として殺しに来る! そいつはそいつで面白いが、『天敵』は生まれないかもしれないし、見届けられない)

 

 たらり、とPoHは自分の額から流れる脂汗を舌で舐め取る。今のところ、戦いで消耗したクゥリは地下ドームで休みを取り、ザクロはドームの破壊された壁……いや、『塗り固められていた』更なる地下へと続く道を百足で探索している。

 既に夜明けを迎え、新たな行動に移るまで時間はない。しかもクゥリはアルヴヘイム攻略の手がかりになるアイテムも発見した。いつまでも単独行動を取っていては、この場面ではPoHにオベイロンとのスパイ疑惑がかけられる危険性もある。

 幸いにもロザリアから廃坑都市への行き方はリークされた。そちらへの誘導は難しくない。ならば、廃坑都市に到着した後こそが重要だ。そして、大事なのはタイミングである。誰が1番乗りなのか、その時のポジションは、行動方針は? 少なくとも、PoH達は反オベイロン派と組むような真似だけはすべきではない。

 

(ストーカー女は確か【黒の剣士】を倒す事も目的のはず。だったら、そちらに誘導するか? いやいや……『できる』か?)

 

 それにストーカー女を揺るがす『ネタ』は確保してある。【黒の剣士】とユウキが殺し合うのは一向に構わない。むしろ共倒れが望ましいくらいだ。だが、その為にはPoHはかなり危うい橋を渡らねばならない。

 

(ザクロの協力を取り付けたいところだな。奴のユニークスキルを奪えれば良いんだが、俺には『もう無理』だからな)

 

 確かに≪死霊術≫も強力なユニークではあるが、サポート向きであり、直接戦闘では≪二刀流≫や≪剛覇剣≫のように猛威を振るわない。PoHとしては使い勝手が良くとも、SAOに比べて戦闘能力が桁違いに高いプレイヤー揃いのDBOでは、やはり戦闘向けユニークの有無は大きな差異となる。

 ナナコを殺したのは早計だったか、とPoHは嘆息する。イカれた女であり、使い勝手も良かったのだが、根本的な実力が不足していた。どうせ失うならばと≪死霊術≫を奪ったは良いが、僅かばかりの後悔がある。

 しかし、あのまま見過ごしていてもユウキに≪死霊術≫が渡っていただけだ。ならば奪って正解だっただろう。PoHはそう納得する。

 

(……発想を逆転させるか。アドリブとイリスを騙す話術が要る。何よりもクゥリが納得するか?)

 

 乗り切るしかない。時間切れを悟り、PoHはクゥリ達に合流すべく動き出す。

 最初の一手は既に手元にある。これもまた危険な策であり、出来れば避けたい。だが、これが無ければ不可能だ。

 かつてない程の窮地を万が一でも表情から察せられないように、深くフードを被り直したPoHは、自身を追い込むように笑った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「どうやらこの地下ドーム、元々はスプリガンの古い都の上にあったみたいね。ほら、見なさい。不自然なポリゴンの断面がある。地盤沈下の影響で、このドームだけを残して本来上にあったはずの都全部が地下に『落ちた』のよ。そして、その上にインプが新しく建造物を仕立てたのでしょうね」

 

 意外なところで発揮されるザクロの洞察力に驚きながら、オレは地下ドームの崩落した壁……その向こう側にはあった都市の残骸とも言うべき空間を見回しながら、なるほどと頷いた。

 携帯ランプの灯りで照らし出された、かつてスプリガンの都だったという地下都市は、かつての地上での繁栄を示すような痕跡が幾つもあり、また風化しきっていない人骨……いや、妖精骨? いやいや、先祖的には人間らしいし、やっぱり人骨と名称しよう。ともかく骨があちらこちらで転がっている。

 

「どうしてスプリガンの都だって分かる?」

 

「……こう見えてもALOプレイヤーだったのよ。あまり熱心なプレイヤーじゃなかったけど、全部の都市は回ってる。この都市には見覚えがある」

 

 翡翠の都と同様に、地理変動がある以前の……元々のアルヴヘイムに設置されていた都市なのだろう。どうして地下に崩落しているのかは謎であるが、所々に明らかに不自然なポリゴンの断面がある。それらは通常の破壊痕とは異なる、システム的なエラーの表現にも映るのは気のせいではないだろう。

 

「主様、やはり生存者はいないようですね。ですが、先程の狂縛者のパターンもあります。【渡り鳥】様、ここは『団体行動』を心がけることこそ重要かと」

 

「分かっているさ」

 

 イリスに念入りに釘を刺され、オレは肩を竦める。一朝一夕でエギルが再強襲してくるとも思えないが、注意するに越したことは無い。それに、もう1度襲ってきてくれるならば好都合でもある。今度こそエギルを殺してやれるのだから。

 

「これは……昔のアルヴヘイムの地図か? ザクロ、見覚えは?」

 

 亀裂が入った石板を発見し、オレはザクロを呼び寄せる。兜を外した彼女は結った黒髪を肩に垂らしながら、じっくりと石板を眺めて小さく首肯した。

 

「間違いなくアルヴヘイムの地図よ。ALOの、ね。これで御納得?」

 

「したよ。このアルヴヘイムは、間違いなく元々は『ALOのアルヴヘイム』と同じ地理だった。だが、オベイロンはそれを広大な土地に作り替えた」

 

「仮想世界の構築はかなりデリケートな作業って聞いたわ。座標管理するから、既存の座標物を『押し伸ばして』作ろうとすれば崩壊してしまうそうよ。この断面は無理矢理拡大させられたアルヴヘイムの歪み……ってところかしらね」

 

 ザクロの考察の通りならば、都市1つが潰れる程の天変地異だったのだろう。それに巻き込まれたスプリガン達は都を失った。なるほどな。種族単位で放浪しているのは、過去に首都にも等しいこの場所を失ってしまったからだったのか。

 

「……今も、アルヴヘイムが無理な拡大を続けているならば、遠からず丸ごと崩落するんじゃないかしらね。怖いわよ。データの無い『暗闇』に落ちるのは」

 

「経験があるような口ぶりだな」

 

「ザ・シードが広まって以来、個人でも仮想世界の構築は可能なのよ? 学校の部活で――」

 

 と、そこまで言いかけて、ザクロは口を閉ざしてオレを睨む。恐らく、リアルのプライベートを明かしそうになっていたのだろう。ザクロは押し黙り、オレは深く追及せずに、帰ってこないPoHを放っておいて地下のスプリガンの都を探索する。

 とはいえ、どのような風景だったのか分からない程に残骸ばかりであり、塗装も無く石の灰色を晒すばかりだ。せめて、謎の殺し合いをしただろうインプ達の手がかりを得られればと思ったのであるが、この様子では得られるものも無さそうだ。

 だが、首筋がぞわりと撫でられる。エギルを逃して不機嫌だったヤツメ様が面白いものを見つけたと跳ねながら頭上を指差している。

 もちろん、頭上には何も見えない。だが、何かが『いる』事は分かる。オレは目を凝らし、睨み続けていると、まるで認識した事がトリガーだったかのように、地下の大空洞の天井に張り付く巨大な生物の姿が目に映る。

 それは青緑の人間的な図体こそしているが、10メートルを優に超す巨体の割にはあまりにも細い。右腕と左腕は多腕であるが、アシンメトリーであり、腕の数が異なる。だが、そのような特徴は取るに足らない。

 最大に目を惹くのは頭部だ。まるで落花生を思わす、網目がある頭部には複数の目玉がこちらをジッと見つめており、口に値する部位からは無数の触手が伸びている。

 

『我ラ、アメンドーズ。深淵ヨリ来タル知恵ノ実。人ノ子ヨ、我ニ気ヅクトハ……』

 

 あら、珍しい。ねぇ、殺さない? お菓子でも食べるノリでヤツメ様は誘うのだが、さすがに外見のグロテスクっぷりはイリスと良い勝負でも、敵意が無い相手に剣を向ける程に狂犬ではない……とオレも信じたい。だが、この自称アメンドーズが深淵の怪物ならば、深淵狩りの誓約を結ぶ者として見過ごすわけにもいかない。

 

『深淵ハ悪デハナイ。濃スギル闇ハ弱キ人ノ子ヲ狂ワスダケダ。人間性……不死……ム? 違ウ? 貴様……不死デハナイ?』

 

「闇の血と言うらしいのですが、何か知っていますか?」

 

『……ハハハ! 深淵カラ這イ出テ2000年、我ニ、コンナ軽々シク声ヲカケタのは貴様ガ初メテダナ。闇ノ血ナンテ知ランヨ。ダガ、心狂ワヌ珍シキ人ノ子ヨ、注意シロ。我ガ同胞タチハ集ッテイル。何カガ我ラヲ呼ンデイル』

 

「アナタはどうするんですか?」

 

『我ハ動カンヨ。「アノ御方」トノ盟約ガアルカラナ。シカシ、コウシテ改メテ見ルト、貴様ハ似テイル』

 

 困ったな。真っ向から敵対してくれれば斬り伏せられるのであるが、こうも敵意一切無しの相手を倒すのは、幾ら深淵狩りとしてもどうなのだろうか? アルトリウスならば……問答無用で斬っているだろうな。深淵=皆殺し決定だろうし。

 でも、オレは深淵狩りだとしても、深淵を悪と決めつけるのは早計だと思う部分もある。そもそも深淵の正体も分かっていないのだから。まぁ、分かっている限りでも、人間を惑わして怪物みたいな姿に変える疫病の元凶みたいな存在だ。要はレギオンプログラムみたいなものだろうし。

 

「さっきから誰に話しかけているのよ」

 

「【渡り鳥】様、お気を確かに!」

 

 腕を組んで悩むオレに、気持ち悪いものを見るようにザクロが1歩退き、イリスがオレの肩を揺さぶる。なるほど。彼らにアメンドーズが見えていないならば、オレは暗闇の虚空に話しかけているように映るわけか。どう見ても狂人の図だな。

 しかし、これで何となくだが、インプ達が殺し合った理由が分かった気がする。彼らもこの遺跡を……スプリガンの都を探索していたのだろう。そして、運悪くアメンドーズと遭遇して発狂……といった所だろうか? もしかしてSANが耐性に関係あるのか? アルヴヘイムの住人達はDBOプレイヤー以上にSANを軽視していそうだしな。

 うん、発狂攻撃というよりも古くより伝統あるRPGのお決まりメダ○ニだろうか? 同士討ちさせるならば、その効果の方が強い気がする。

 

「よう、待たせたな」

 

 と、そこでPoHが遅い登場だ。今更になって10分や20分の消失は気にならないが、彼もザクロも狂縛者の登場と無関係とは断言できない。あのタイミング……考えすぎかもしれないが、まるで狂縛者を助けるかのようだった。あるいはラストアタックボーナスを奪いに来たのだろうか?

 それに、ザクロはともかく、PoHはエギルの事を認知しているはずだ。外観もレギオンに随分と侵食されて面影はほとんど残っていなかったが、絶対に気づけない程ではない。ならば、エギルについて何も発言しないPoHは、あるいは狂縛者の正体を知っていたのか?

 全ては推測に過ぎない。むしろ外れている確率の方が高い。こういう時こそヤツメ様を頼りたいのだが、戦闘以外はまるで駄目なのは今に始まったことではないので期待しない。

 

「お前たちと違って上層を調べていたのさ。地下の目新しさに惹かれて、探索をおざなりにしても失うものが多い。だろう?」

 

 確かにPoHの言う通りだ。地下ドームで入手できた羅針盤の効果も分からない以上は、地下のスプリガンの都のみならず、満遍なく探索するのが筋だ。

 

「それで、そこまで言うからには成果もあったのよね? こっちはそれなりに得られたけど?」

 

「このアルヴヘイムがALOから無理に拡大と変更を繰り返された事か? それくらい俺も見抜けたさ」

 

 あれ? オレとザクロ……要らなくないか? 顔を見合わせようとして、ザクロに直角急反転で顔を背けられ、オレは無言でPoHに成果を要求する。

 

「廃坑都市への行き方を見つけたぜ。どうやら合言葉が必要らしいが、アルヴヘイム各所にある【銅水の盆】から転送できるらしい。その合言葉も入手済みだ。やっぱりこの遺跡は当たりだな。インプ達と反オベイロン派には繋がりがあったようだぜ」

 

 心なしか早口のPoHは何か焦っているように感じるのは気のせいだろうか。ヤツメ様がワクワクした表情でホームズ帽子を両手で持って登場しようとしているのだが、余計に混乱するだけなのでお帰り願いたい。まるで役立たずの直感よりも、思考を巡らしてパズルのピースを扱うならば、自分の頭の方が何倍も正確な回答にたどり着けそうだ。

 

「そんな穴だらけのセキュリティで、よくオベイロンに攻め込まれなかったわね」

 

「俺も知らないさ。何か秘密があるのかもな」

 

 呆れるザクロの言う通り、スパイなど送り放題のセキュリティである。突き止められれば、即座に滅ぼされても文句など言えないだろう。いや、むしろオベイロンに泳がされていると考えた方が自然かもしれない。

 

「俺もそう思うぜ。恐らくだが、反オベイロン派なんて名ばかり。志は本物でも、オベイロンからすれば取るに足らない雑魚なのだろうさ。そんな連中が持つ情報にも価値はあるだろうが、オベイロンにも筒抜けだ。そいつはリスクが高いと思わないか?」

 

「そうでしょうか? オベイロンの手口を見るに、彼は反抗勢力ならば有無を言わさずに潰す、典型的な独裁者にも見えます。放任主義に見せかけた武力制限と意図的な差別種族を準備する事による不満の消化、自己の神格化による印象操作、いずれも自己保身に長けた人物だと裏付けます。オベイロンが見逃しているのではなく、見逃さざるを得ない理由がある。私はそう思います」

 

 一利ある、とPoHは頷いてイリスの指摘を受け止める。だが、すぐに、いつもよりも目深く被ったフードのせいで、暗闇を照らす蛍光ランプの光で陰陽がくっきりと出た、口元を大きく歪ませる。

 

「だがな、そいつこそ推測だろう? オベイロンがどんな人物なのか、俺たちは推測でしか知り得ない。だが、反オベイロン派のセキュリティの甘さは情報として分かったわけだ」

 

「それもまた推測。PoH様自身が仰られた通り、情報漏洩を防ぐ、あるいはスパイが潜り込んでも意味を成さない秘密があるのかもしれません。そもそも、この議論は何を求めるものでしょうか? まるでPoH様は反オベイロン派と組むことに、今更になって異論を申しているようにも……いえ、主様と【渡り鳥】様をそのように誘導しているようにも思えますが、いかに?」

 

 うん、この舌戦に置いてきぼりにされる感覚……久しく忘れていたよ。オレはヒートアップしそうな1人と1匹から距離を取って、膝を抱えて体育座りをしたくなる衝動に駆られてしまう。

 そもそもオレは頭脳労働担当じゃないし? 何故かいつも必死に考えないといけない立場に追い込まれてるだけだし? 頭の良い人の策謀・謀略・知略はむしろ専門外の極みだし? 実戦で活躍してこそ価値がある傭兵に政治を求めるんじゃないと声を大にして言いたいし? むしろ、それを補うための外付け……マネージャーが傭兵で大流行りしているわけだし?

 

「まさにその通りだ。俺は反オベイロン派と組むべきじゃないと主張しているのさ」

 

「根拠の提示を希望します」

 

「……理由は簡単だ。俺にはオベイロンとのパイプがある」

 

 途端にオレの手は動き、贄姫を抜刀してPoHの首に突きつける。ザクロもまた鎖鎌を取り出して即座に彼を拘束する。避けられたはずの彼は身動き1つしない事に、オレは贄姫の刃を首の皮に押し込んでいく。

 

「知っていたのか? 狂縛者の正体が……エギルだと?」

 

「もちろんだ。だが、その情報はオベイロンからもたらされた物じゃない。後継者からのリークだ。ザクロも知っているはずだぜ」

 

 なるほどな。通りで都合が良すぎたわけだ。PoHのカミングアウトに、目に見えて動揺を示すザクロであるが、それこそが真実の証左であり、またザクロにとってPoHの行動は完全なる予想外だと物語る。

 だが、今はどうでも良い。エギルを殺せる絶好の機会を潰したのは、意図したものであり、オレを助ける意思など微塵も無かったという事だ。それ自体はとやかく言うつもりはない。そもそもオレ達は互いの共通目的……オベイロン抹殺だけで繋がっているのであり、それさえ無ければチームを組み続ける意味など無いのだから。

 故にPoHがオベイロン陣営ならば、彼を殺すに足る理由となる。オレはPoHの真意を知るべく、まだ首を落とすのは早いと、袖を引いて早く殺せと叫ぶヤツメ様を押し止める。

 

『相変ワラズ人間ハ内輪揉メガ好キダナ』

 

 天井から文字通りの高みの見物をしているアメンドーズをうるさく思いながら、PoHに口を開くように促す。だが、それよりも先にイリスが飛び出した。

 

「お待ちください! 確かに主様も、私も、狂縛者の正体を存じていました! ですが、【渡り鳥】様の止めに入ったのには、狂縛者を逃がす為だけではありません! そうですよね、主様!?」

 

「え? 逃がす為だけど? だってそれが後継者からのオーダーじゃない」

 

「この馬鹿主様ぁああああああああああああああ! そこは! そこは素直に! もっと! 素直になって!」

 

 地団駄を踏むイリスが何を悶えているのか知らないが、ザクロの行動は狂縛者の闘争援助だったようだ。

 

「違います! この馬鹿主様は! エギル様が【渡り鳥】様のかつての仲間だからこそ『仲間殺し』などさせまいと馳せ参じたのです! でなければ、大火球なんて殺意大増量の呪術を使いますか!? 使うはずがないでしょう!?」

 

 熱弁するイリスの言う通り、あのタイミングでエギルが大火球を防げたのはギリギリだった気がしないでもない。むしろ、レギオンの状況に合わせた変質能力さえ無ければ倒せていただろう。イリスの弁論には説得力がある。だが、肝心要のザクロ本人が否定しているのだから無意味だ。

 しかも、ザクロがわざわざオレに『仲間殺し』をさせないように気配りをする? それこそ本末転倒だ。彼女にとって、オレが苦しむ様を見る事こそが望みのはずなのだから。まぁ、エギルを殺して……オレがどんな風になるかは、オレ自身も分からないが、きっとあまり変わらないだろう。この飢えと渇きに満ちた本能は……ヤツメ様は……エギルを殺したくて、殺したくて、殺したくて、早く食べたくて仕方ないのだから。

 

「……【渡り鳥】様、私はあなたのそういう目が好きではありません。とても寂しそうな目をされています! 主様も! 主様も、本当は【渡り鳥】様のそのような目を見たくありません!」

 

「見たいわよ。むしろ苦痛と絶望で歪む顔が見たいわ」

 

「黙りなさい! この捻くれポンコツNINJA主様! お願いだから黙って!」

 

 1匹だけ熱血世界にいるイリスに対して、オレとザクロは絶対零度の氷の世界、PoHに至っては欠伸を堪えているようだ。まぁ、本来ならば現在進行形で拘束されているPoHの弁明こそが本題だからな。

 このままでは話が進まない。オレは溜め息をついて左手で顔を覆い、イリスの意見を飲む事を決める。

 

「イリスの言い分は受け入れる。でも、狂縛者は逃げた。それが全てだ。付随する思惑に興味なんて無い。もう、金輪際この件でイリスにも、ザクロにも……PoHにも問い詰める気はない。いや……元から無いさ。そもそも、オレ達は『チーム』であって『仲間』じゃない。裏切り合って当たり前だ。そうだろう?」

 

 だからこそ、オベイロン抹殺という後継者から受けた依頼に反するならば、PoHを殺すに足る。ようやく黙ったイリスはザクロの頭にのってペチペチと叩いているが、その様を無視してオレはPoHにようやく詰問する機会を得る。

 

「パイプがある。そう言ったな?」

 

「ああ、言ったぜ」

 

「つまり、解釈としては、オベイロンから情報を得られるルートがあり、それはオマエがオベイロン側のスパイであると定義するものではない。この認識で正しいか?」

 

「異論はない。俺はオベイロンを殺すつもりさ。黙っていたのは騙すなら味方からって昔から言うだろう? スパイの否定はできないが、提供できるものはある。ほら、これだ」

 

 拘束された状態では身動きこそ取れないが、指は動かすことが出来る。システムウインドウを開き、アイテムストレージから具現化させたのは、オレが後継者から依頼を受けた時と同じタイプの折り畳み式携帯電話だ。

 何故に携帯電話? オレは蹴り上げて宙を浮かした携帯電話を左手でキャッチすると、ザクロに警戒を頼むとアイコンタクトし、彼女は渋々と頷く。イリスの弁論を全面的に信じるわけではないが、確かにザクロが何故わざわざ大火球なんて殺し得る呪術を使用したのか、整合性が取れないとも思う部分がある。だが、彼女の真意が何処にあるか見切れない以上は保留で良いだろう。

 携帯電話を開くと数字の羅列のアドレスが1つだけ。念入りに発信履歴や着信履歴を調べるが、あくまで外見が携帯電話なのであって、同じ機能を持つわけではないらしく、履歴に関しては残っていない。

 発信しろ。暗にそう告げて笑うPoHに、オレは罠ならば上等だという諦観しながら誰とも分からない相手に発信する。

 

『お久しぶりね、【渡り鳥】。アタシはロザリア。憶えているかしら?』

 

「申し訳ありませんが、まるで憶えていませんね」

 

『酷いわね。ほら、シリカに殺された犯罪プレイヤーよ』

 

 そういえば、シリカが自ら殺したプレイヤーに、そんな名前のプレイヤーがいたような気がする。確か昔の因縁とか何とかで、黒鉄宮の牢獄が解放されて脱走した犯罪プレイヤーの更なる犯罪行為の粛清をオレが依頼されていた頃だろうか。『アイツ』ならば詳細を知っているかもしれないが、オレはそこまでロザリアについて詳しくない。

 だが、SAOで死亡しているのは間違いなく、このタイミングで……しかも携帯電話なんて後継者が使った手段でコンタクトが取れる相手ともなれば、後継者と繋がりを持つ相手と見て良いのだろうか?

 

『アタシは後継者様の命令でスパイをしているの。オベイロンの情報をリークできるわ。もちろん、怪しまれないように限度はあるけどね。PoHと組んでいるのは後継者様の指示よ。私はその中継役ね。だから彼にはオベイロンとの直接的な繋がりはないわ』

 

「信じる根拠がありません。同様に、アナタがオベイロン陣営でスパイしている証拠もない。そもそもロザリアさん本人かも分からない」

 

『それもそうよね。だったら、取引をしましょう。廃坑都市で待ち合わせ。反オベイロン派の拠点よ? そこで堂々と密会しましょう。前情報はそうね……あなたの大切なお友達、ティターニアを助けようと足掻いている英雄さんについてはどうかしら?』

 

「…………」

 

『彼は反オベイロン派の有力組織、暁の翅と組むはずよ。あなたの目的は何であれ、わざわざ別ルートでアルヴヘイムに来たのだから……当然だけど、お友達とは組めない理由があるのよね?』

 

 さすがは元犯罪プレイヤー……頭脳犯系か? やり難いな。右足の爪先で数度地面を叩き、オレはPoHとザクロを交互に確認する。

 PoHがこのタイミングでダブルスパイと明かした理由は? 反オベイロン派が危ういならば、最初から別の方針を打ち出しているはずだ。ザクロの反応、イリスの熱弁から察するに、彼女たちは反オベイロン派と組む事を前提としていたはず。

 結局はオレも頭脳労働を強いられるのか。ままならないものだな。溜め息を吐きながら、オレはPoHの真意を探す。

 

「仮に反オベイロン派が信用ならないとしましょう。ならば、アナタからネームドの居場所を全て得られる。そう判断してよろしいでしょうか?」

 

『もちろんよ。ランスロットを除く2体の居場所をつかんでいるわ。その辺りの事情は立て込んでいるから現地で情報交換したいところね。長電話はオベイロンに察知されてしまうわ。このリスク、分かるでしょう?』

 

「了承しました。では、会えることを心待ちにしていますね、ロザリアさん」

 

 通話を切ったオレは、またもしてやられたか、と思いながらも携帯電話を畳む。だから交渉や取引は苦手なんだ。

 

「ザクロ、解放してやってくれ。今のところは『灰色』だ」

 

「そう? ここで殺した方が後々の為だと思うけど?」

 

「それは同意する。だけど、オレ個人が反オベイロン派と組めない理由もできそうだ。それと、何処まで嘘なのか教えてもらおうか。インプの古代遺跡に来たのも誘導か? わざとらしく、ここで廃坑都市への行き方を得られたとオレ達に伝える為か?」

 

「そうだな。実はもう少し後のつもりだった。アルヴヘイム観光を満喫した後に……な」

 

「あの幻は?」

 

「予定外だ。あれはオベイロンが仕掛けた俺達の居場所を探る為に仕掛けた攻撃だろう。連発はできないだろうさ」

 

 果たして真実を語っているのか? PoHは虚言を弄するなど得意中の得意だ。基本的にオレには嘘を吐かないが、あくまで『基本的に』だ。騙す時は普通に騙す。ただ、意味のない嘘は吐かないだけだ。

 

「……何を焦っている?」

 

 だから、オレは見逃さない。PoHの不自然なまでに強気な笑みに、彼の焦燥感を嗅ぎ取った。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 こういう時だけ勘が良いとはな。PoHは歯を食いしばりそうになるのを堪える。

 かなりギリギリの綱渡りであるが、事前にロザリアに『演技』の打ち合わせをすることで、何とか最大の危険……廃坑都市での反オベイロン派と組むべきではない流れをほぼ確定事項にすることはできたが、それで終わらせないクゥリの珍しく戦闘以外で発揮された直感にPoHは舌打ちを連発したくなる。

 PoHにとって避けたい最大の事態はクゥリとユウキを遭遇させる事だ。その為にはザクロの協力が不可避。彼女の≪操虫術≫は高い索敵能力を誇る。それによってユウキの居場所を特定し、場合によっては強襲による抹殺、それが無理ならば2人を接触させないようにクゥリに張り付く必要がある。

 ならば、ロザリアによる取引交渉と見せかけた『反オベイロン派と組まない』という流れを作り出した時点で、PoHの勝率は大きく引き上がったはずだった。

 イリスの反応は予定通りだった。彼女ならば、狂縛者について……エギルについてカミングアウトすれば、ザクロを庇う発言をするだろう事は予測できる。そして、彼女の追及の矛先を緩め、ザクロの庇護に集中している間に、割り込ませることなく、『クゥリとの単独交渉』という最も難度が低いステージに立つことがPoHの計画だった。

 だが、それを破壊しかねない、こういう時だけに発揮されるクゥリの直感は、彼にとって何よりも強固な覆すことができない根拠なき情報だ。

 

「俺が焦っている? そりゃあ、そうだろう? 生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだからな」

 

「そこまでリスクを背負う意味は? オマエがオベイロン殺しに精力的になる理由はない。オレの援護以外の目的があるからアルヴヘイムにいるはずだ」

 

 ああ、美しい。この緊迫した状況下であるからこそ、クゥリの目は澄んでいる。赤みがかかった黒の瞳はまるで蜘蛛のように冷たく、その実は混沌とした純真たる殺意に浸されている。

 明かしたい。『天敵』の雛を育てる為だ。あのストーカー女は不要だ。PoHはそう叫びたい。

 

「オマエは焦らない。自分の死さえも『ショー』にしたんだ。この程度で崩れない。何を恐れた? 何を怖がった?」

 

 だが、『まだ』だ。PoHは堪えて、この状況を切り抜ける方法を探る。だが、白い天使はカタナの刃を躊躇なくPoHの首にめり込ませていく。

 出まかせで時間稼ぎはいくらでもできる。だが、PoHはクゥリの性質をよく理解している。

 故に彼がこの場面で選ぶのは敢えての沈黙。秘密を押し通す、一見すれば無謀な判断だ。

 

「……話したくないなら、それで構わない。争ってもつまらないだけだ。この『チーム』も……それなりに気に入っているしな。だけど……」

 

 今は解いた白髪を揺らし、少しだけ目を伏せたクゥリはまるで何かに別れを告げるように頭上へと手を振ると地上に戻るべく踏み出す。

 そして、クゥリは長い髪を揺らし、贄姫を鞘に戻してPoHへと振り返り……全身が凍てつく程に美しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「……だけど、本当に裏切っていた時は殺してあげるから、ね?」

 

 

 

 

 

 俺が……この俺が……恐怖で動けない? PoHは膝が笑いそうになっている事実に、かつてない程に『感動』を覚える。

 想像よりも遥かに育っている。殻を割り、産毛を乾かし、雛は餌を喰らって空を飛ぶ日を待っている。 

 奪わせるものか。俺が見つけたのだ。俺がたどり着いたのだ! 俺の思想家としての『答え』だ! 誰にも横取りなどさせない!

 

「俺は裏切らないさ。お前だけは……絶対にな」

 

 そう、全ては『天敵』の為に。その1点において、PoHは決して裏切らない。

 

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 混濁。それは意識と感情がミキサーにかけられ、まるでドロドロの果汁ジュースにされたかのような、不確定な思考の認識。

 覚醒。それは認識の整理であり、情報の統合であり、自己の再確認。

 恐怖。それは単一の感情であり、生命に備わった最も正しき生命維持の反応であり、最も忌々しき死に結びつく硬直である。

 

「……ハッ……はっ……ハッ……はっ……!」

 

 犬のように舌を出し、彼女は湿った体に感じる冷気に震えながら、急速に乾燥していく皮膚に無機質な空気を感じながら、気怠く視線を動かす。

 全身の疲労感はまるで血液を鉛に置き換えたようであり、眼球の奥……脳髄から湧き出す痛みは危険信号であり、高鳴る心臓は生命維持の証明である。

 

「ここ……何処?」

 

 安定しない視界が映すのは青いラインで線引きされたタイルが敷き詰められた空間だ。まるで実験室を思わす外観であり、複数の金属製カプセルが壁に並べられている。いずれにも覗き窓が設置されているが、大半は空である。だが、幾つかには瞼を閉ざして眠り続ける人の姿がある。

 寒い。肩を抱きしめ、自身が裸体であることへの羞恥もなく、『彼女』は温もりを求める。記憶を掘り起こすよりも先に、今すぐ自分を抱きしめてくれる人の熱を欲する。

 

 

「ねぇ、あなたはホットミルク派? それとも珈琲派? もちろん、ドロ甘マシュマロたっぷりココア派よね♪」

 

 

 だから、ふわりと自分の目の前に現れた、まるで悪魔を思わすような黒い翼を持った少女に、『彼女』は目を奪われた。

 ああ、ここは死後の世界なのだ。そうでなければ、こんな『恐怖』の塊が存在して良いはずがない。死神とは何たるかを優しく哀れな子羊に教示するような、偶像崇拝という概念すらも生まれない程に、神とは何たるかを語る姿に、『彼女』は諦観にも似た死への恭順を覚える。

 

「ねぇねぇ……ねーねー……聞いてるのぉ? わ・た・しは、ホットミルクと、珈琲と、ココアのどれが良いって聞いてるのよ?」

 

「……珈琲で、いえ! ココアでお願いします!」

 

 珈琲と言った瞬間に死神の目に失望が宿ったような気がして、『彼女』は慌てて修正する。すると少女は嬉しそうに指を鳴らせた、頭上からPON!という擬音が文字通り視覚ととしてサウンドエフェクトと共に生じ、少女の手に落ちてくる。

 だが、黒いマグカップに注がれているのはホットミルクだ。どうして、と言いたい『彼女』を無視するように、まるで干したばかりのように温かなタオルを少女は肩にかけてくる。

 

「ホットミルクの方が好きでしょう? 嘘は駄目よ。私……嘘は大っ嫌いなの」

 

 人間ではないと主張するような、漆の如き漆黒の肌。真っ赤な瞳を据える双眸を嬉しそうに細め、少女は可憐な白いワンピースを花弁のようにふわりと広げながら舞う。

 

「Halleluiah♪ Halleluiah♪ Halleluiah,Halleluiah,Halleluiah♪」

 

 その喉から漏れるのは世界中の歌姫の旋律を集めたかのような讃美歌。メサイアのコーラスを口ずさんだ少女は『彼女』に手を差し出した。

 

「私は剣士さんがだーいすき♪ 猫さんもすき♪ ストーカーはだいっきらい。殺人鬼は論外。むしろこの2人はさっさと死ね。失せろ。害悪よ。そして、あなたは保留? でも……オリジナルにとってあなたにあるのは『感謝』。私は鏡。水面に映った虚ろなる影。故に報いるわ。助けるわ」

 

 少女がパチンと指を鳴らせば、裸体の『彼女』に恥じらいを思い出させるように、衣服と防具……それに武器まで床に音を立てて落ちてくる。

 

「王様は面白いし、楽しいイベントをたくさん起こしてくれるけど、『これ』だけは駄目。あなたを『私達』と同じにさせない。あなたは『私達』に『普通の人生』を教えてくれた。その尊さを説いてくれた。だから……受け継がれた血の呪いを少しだけ忘れて生きることができた。それは確かに苦しみを大きくしただけだったけど……嫌いじゃなかったわ。あの退屈で、平凡な未来を漠然と思えていた……あのかけがえのない時間は、『私達』の宝物。あなたは呪わなかった。祈らなかった。それが素直に嬉しいわ」

 

 恐怖の塊のはずなのに、人からかけ離れているはずの少女は、まるで可憐な乙女のように恥ずかしそうに笑う。

 

「さぁ、行きなさい、妹様! ここからはあなたのゲーム! 私が与えらえるのは1時間。たった1時間で『悲劇』を狂わせなさい! それはアルヴヘイムの運命を変える1時間になるか否かはあなた次第よ!『その顔』は私からの細やかなプレゼント。キヒヒヒ、キャハ、ヒャハハハハ!」

 

 まるで状況が分からない。だが、この少女は確かな『善意』と『悪意』の2つを持って、『人』と『神』の両方で自分を救い、選択肢を与えてくれたのだと分かった。

 漆黒の肌の少女は翼に包まれて消える。そして、彼女が立っていた場所に残されいたのは黄金の鍵。それを手に取ると【ユグドラシル城のマスターキー】という身も蓋も無い名前が明かされる。そして、そのアイテム欄にはリミットのように、今も着々とコンマ単位で削れているタイムリミットがある。

 

「アルヴヘイムの……運命を、変える?『悲劇』って……何?」

 

 ふらり、ふらり、ふらり……と立ち上がった『彼女』は茫然と、自分の顔が薄っすらと映るカプセルの表面を見て硬直する。

 その『顔』には見覚えがあった。

 ならば、ここはまさに『彼女』が知るアルヴヘイムそのものなのか。何も分からない。分かるはずがない。

 

「何これぇえええええええええ!?」

 

 だが、今まさに桐ヶ谷直葉は『ALOのリーファ』の容姿を持ち、狂える神の残骸の気まぐれにより、壊れた妖精の国に立つ。




ヤンデレ妹ヒロインことリーファ、本格参戦。
GGO編の名悪役のデス・ガンも準備開始。
そして、まさかのロザリアムーブが3チームに波紋を生む。

妖精王編の第2のジェットコースターラインに近づいてきました。


それでは、250話でまた会いましょう!

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