SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
パパキノコ無双、始まります。

DLC用のキャラ作成をしていたらカンストまでやり込んで更新が遅れました。この1週間で低レベでカンスト王の化身に白を放り込む魔法剣士の鬼畜がいたら筆者です。
反省はしています。でも後悔はしていません。でもDLC用キャラをもう1度作らないといけないという難題。


Episode18-18 廃坑都市

「俺は反対だ」

 

 真っ向から専属鍛冶屋のヘンリクセンに反対され、スミスはやれやれと咥えていた煙草を銀色の灰皿に押し付けた。

 場所はヘンリクセンの工房にある地下室。彼の広大な装備の実験部屋である。優れた鍛冶屋は片手の指の数で足りるが、いずれも一癖も二癖もある者ばかりである。その中でも毒舌かつ極度の神経質であるとされるヘンリクセンは、大ギルドへの警戒心が強い。故に武装のテストに至るまで、この地下で全てを行う。

 スミスも多くの武装をヘンリクセンに開発を頼んでいる身であるが、彼の装備は基本的に言えば『大人しい』と称せられる。

 安定性を徹底的という程に犠牲にした、難操作性と癖の強さ、そして常に貪欲に新しい技術を導入していく、革新性が強い伝説の鍛冶屋GR。

 変形機構の第一人者であり、ヘンリクセンの妹であり、現在流通している変形武器の基本モデルの8割のルーツを持つとされるマユ。

 奇抜な兵装よりも思想・概念を重視し、象徴性の高い武器を作らせれば最高峰とされる、教会の工房の責任者であるイド。

 あらゆる勢力に武器を売り捌き、3大ギルドすら取引相手としか見ておらず、様々な争いの種をばら撒く通称『財団』。

 そして、ヘンリクセンはトータルコーディネートでその高い能力を発揮するタイプであり、他の鍛冶屋に比べれば代表作と呼ばれるようなものはない。

 だが、それは決してヘンリクセンが他の4人に劣っているというわけではない。むしろ、スミスは彼と出会えたことは幸福であり、自身の武装を十全に任せられるのは彼をおいてほかにはいないと断言できる程に信頼している。

 そもそもヘンリクセンは他の鍛冶屋のようなユニーク性をどちらかと言えば嫌う側面がある。オーダーメイド自体は依頼されれば引き受けこそするが、口ではどれだけ汚らしく罵ってはいても、トータルコストを常に計算し、長期に亘る運用と戦闘における信頼性を重視するのがヘンリクセンだからだ。

 事実として、スミスも愛用している武器はいずれも再生産には高コストこそかかるが、1つとして替えが利かない素材は使われていない。コストを支払えば、即時でも完全修復及び再生産が可能なものばかりだ。これはスミスの傭兵としての安定したパフォーマンスの根底を支えている1つの要素である。

 

「キミは最前線にあまり出ないから分からないだろうが、既にDBOの高難度化はプレイヤーではなく、『人間の』限界に迫っている。上位プレイヤーでもソロで半日と生き残れるのは一握りだろう。特にネームドやボスの能力はより凶悪化され、またAIとしての戦闘能力も桁違いになっている。断言しよう。今の最前線の『中』程度のネームドのAIは、DBO初期のボスを凌ぐ」

 

 より完全に能力を駆使し、優れたオペレーションを持つだけに止まらず、真なる自我と思考を保有する怪物たち。特に人間と同等かそれ以上の知性を保有しているのではないかと疑うような存在まで登場している。

 スミス自身も遠からぬ前に、あるダンジョンにて孤立無援の状態で囚われ、ネームドとボスを単身で撃破して脱出するという地獄を体験したばかりだ。装備のほぼ全てが破損し、アイテムから弾薬までのストレージ内の備蓄を消費し尽くし、なおかつHPがレッドゾーンに到達したのは、DBOでもあれが初めての経験だった。

 ボスとして最後に立ちはだかった<魔神ネメシス>は、スミスもDBOで初めて『本気』を出し尽さねば勝てない相手だった。

 ネメシスは、せいぜい体格は2メートル半程度しかない人型のボスだった。その全身は紫色の皮膚に覆われ、眼球は頭部の半分ほどを埋める程に大きく、なおかつレンズのような黒一色。背中からは翼のように大小様々な銀色の突起物が生え、右手には骨を削り取ったような荒々しくも禍々しい斧槍を所有していた。

 スミスの反応速度とフォーカスロックすらも振り切る超スピード。極限まで高めた集中力で狙った銃弾すらも完璧に回避する見切り。人間の武技など稚拙に思える程の槍捌き。そして、圧巻とも言うべき神の権能を振るうような破壊力。腕を振るえば魔法弾が縦横無尽にボス部屋を埋め尽くしていき、斧槍を掲げれば雷撃が降り注ぐ。3本もあるHPバーは、1本を削るごとに新たな能力を解放していく。

 思い出しただけでも、スミスは久々に『絶望』という意味を苦々しく味わう。あの時は偶然持ち込んでいたヒートパイルとレーザーブレードが無ければ、最後の決め手と継戦能力不足で勝率は限りなくゼロに近かっただろう。とはいえ、最後にはネメシスを格闘戦のみで上回れる程に適応していたので、最終的には何とか勝てただろうというのがスミスの自評だ。

 あの戦い以来にスミスが感じている事は、これからの戦いを生き残る為には、コストを度外視したユニーク系列の兵装が必要不可欠であるという点である。通常の依頼ならばこれまで通りのコストパフォーマンス重視の『コーディネイト』で問題ないだろう。だが、より大物を討ち取るならばスミスの腕に『追いつく』武器が必要になる。そしてボスやネームドよりも厄介な存在である対プレイヤー戦、高火力が物を言うゴーレム戦が待ち構えているだろう、大ギルドの戦争を見越して武装を整えておかねばならない。

 

「……お前程の男にそこまで言わせるか」

 

 普段は自分の理念を捻じ曲げる事を嫌うヘンリクセンであるが、スミスの強弁を前にすれば、さすがに息の1つでも吐いて一考するというものである。黒スーツを着こなす姿は鍛冶屋よりもエリート証券マンという肩書の方が似合うだろうヘンリクセンは、思考の時間を要求するようにハンドサインでスミスに煙草を1本要求する。

 ルシアからプレゼントでもらった鈍色の煙草ケースからお気に入りの銘柄を取り出したスミスはヘンリクセンに1本渡すと、壁に寄りかかる彼の口元までライターを持っていく。煙草に火をつけたヘンリクセンは、様々な性能テストをする為の施設が詰められた地下室を眺めるように、ぼんやりと紫煙を漂わせる。

 

「キミも吸うとは知らなかったな」

 

「あの馬鹿妹は煙草が嫌いでな。俺が吸っていると本気で泣き喚いて敵わん」

 

「ルシアもあまり煙草が好きではないらしい。吸っていた母親に良い思い出が無いそうだ」

 

「俺の父は肺癌で死んだ。馬鹿妹は父に懐いていたからな。俺も早死にするんじゃないかと心配しているんだろうさ」

 

「互いにまだまだ知らない事が多いものだな」

 

「それを言うなれば、俺などお前について何も知らん。興味も無いがな」

 

 淡々と言葉を積み重ねる間にあるのは2人の信頼だった。

 鍛冶屋の領分にスミスは口出ししない。彼の技術には文句のつけようもなく、常にオーダーを完璧にこなすヘンリクセン程の鍛冶屋を知らないからだ。

 同じく、傭兵の領分にヘンリクセンも立ち入りしない。専属であることに少なからずの誇りを覚える程に、スミスは完成された戦士であり、彼以上に自分の武器を使いこなしてくれる人物など想像できないからだ。

 故にスミスの不可侵への1歩はヘンリクセンにとって衝撃的であり、また想定内の事案ではあった。

 どれほどに強大な力を振るう戦士であろうとも、スミスの『腕』に武器が見合わない事は分かり切っていた。それでもヘンリクセンがトータルコーディネートの観点から、コストパフォーマンスを重視していたのは、他でもないスミスからの最優先オーダーだったからだ。そして、その範囲内でヘンリクセンは他の鍛冶屋ならば投げ出すような微調整を綿密に繰り返してスミスに提供し続けた。

 

「……お前が言った事だぞ? 過ぎた力は『恐怖』を生む。『恐怖』は迫害を生む。『恐怖』は狂気を呼び寄せる。それは結果的に双方に不幸しかもたらさない。だから、お前はこれまで自分の立ち回り方に最大限に気配りしていたはずだ」

 

「耳が痛い説教だな。私も、叶う事ならば貫き通したかったものだよ。だが、私は格好付けて『本気』を出さないでいられる程に若くない。喜ばしい事に、若人は常に全力で背中を追いかけてくるものでね。私には思っていた程に余裕が無い」

 

「どの口が言うか。俺はお前の『本気』など想像できない」

 

「さぁね。少なくとも、【渡り鳥】と【聖域の英雄】には、いずれ肩を叩かれてしまいそうだよ。経験はまだまだ私の方が上だが、数よりも濃さが成長に繋がる事も真実だ。彼らが困難を潜り抜けた分だけ私との差は縮まる」

 

 問題なのは、あの2人はどちらも、まだまだ精神面が未熟過ぎる点であり、故に道を踏み外し、また力の振るい方を誤らないか、スミスは一抹の不安を覚える。そして、スミスは揺らがないからこそ、精神が完成しているからこそ、成長の余地はないとも言える。

 

「お前は変わったな」

 

 だからこそ、ヘンリクセンの少しだけ嬉しそうな、彼らしくない一瞬だけ零れた笑みに、スミスは僅かに呆けた。

 

「昔のお前は冷徹なビジネスライクの男だった。傭兵らしい傭兵だった。程々の保身、大胆さに裏打ちされた計算、不測の事態を圧倒する実力、いずれを取っても完璧な戦士だった」

 

「完璧から1番程遠いところにいるつもりだったのだが、これは喜ばしい評価だな。感謝して受け取っておこう」

 

「だが、今のお前は出会った頃よりもずっと活き活きした、『生きている』という表情をしている。お前にも生き甲斐が出来たというわけか」

 

 そんな大層なものではない。吸い終わった煙草を灰皿に投げたヘンリクセンを敢えて視界に入れず、スミスは自身の右手を見つめる。

 自分だけが生き残ってしまった。『あの戦い』の後日談を生きているのだと思っていた。

 だが、『今』を苦しむ若者たちに、『今』を生き抜く為に頼ってくれたルシアに、『今』を生きる力を貰っているのだろうとスミスは小さく笑う。

 

「危うい綱渡りだ。だが、俺もお前の専属だ。それに文句は言うだけ言わせてもらった以上、鍛冶屋らしくお客様のオーダーには応えてやる」

 

「そうか。感謝する。だが、こうなってくると私の物語にハッピーエンドはなさそうだな」

 

 傭兵として、敵と出会った以上はたとえ昨日までの味方だとしても殺さねばならない。それが傭兵だ。スミスの生き方はこれからも変わらないだろう。

 既に選択の時は終わってしまった。スミスには未来を予知する能力などなく、不確定要素が連なって導き出される結果は常に曖昧な霧がかかっている。

 それでも『今』がある以上は、それを守り抜くしかないのだ。その為に足掻くしかないのだ。

 

(……『家族』か)

 

 思えば家族には恵まれていなかった。常に戦いの中に身を置き、戦いの果てに闘争を失い、そして仮想世界なんて想像もしていなかった戦場にたどり着いた。そして、そんな地獄の底のような世界で、ようやく『生きる』という意味を知った気がする。

 

「俺も、お前も、『今』を全力で生きるしかない。達観など出来るものか。諦観など論外だ」

 

「キミは本当に一々言う事が辛辣で助かるよ」

 

「お前程ではない」

 

「私はこれでも相応の配慮はしているさ」

 

 話は纏まった。スミスが本格的な武装開発の相談に入ろうと頭を切り替える。既にアノールロンドまで攻略開始まで時間が無い。ヘンリクセンならば既にいくつかのプランは完成済みだろうが、不足も必ずあるはずだ。それを補う為にも、スミスは彼の要望には全力で応える義務がある。

 だが、ヘンリクセンのいつも通りの不機嫌な、窯底で張り付いたまま焦げた米のようなザラザラとした鼻の一笑に、まさかとスミスは眉を跳ねさせる。

 

「真なる鍛冶屋とは、依頼人のオーダーを見越しているものだ。俺がアノールロンドの情報を何も仕入れていないと思ったか? 俺はGRと違って、行き当たりばったりで好き勝手に新技術やアイディアを導入する真似はしない。お前に素材を預からせてもらっている時点で、既にコーディネートは『完成』している」

 

 地下室に物々しい金属音が響き、2人の男の間に複数の金属ケースが並ぶ。それはヘンリクセンがアイテムストレージより実体化させた、スミスが預けたソウル素材から高レアリティ素材を惜しみなく導入した、ヘンリクセンの持ち味……トータルコーディネートによって実現したスミスの『本気』を引き出す為の装備だ。

 ケースを1つ1つ開いて中身のスペックを確認していったスミスは舌を巻く。これがヘンリクセンの『本気』か、と思わず口元に彼らしくない、感情的な獰猛さが滲む。

 

(私は殺せる。理性で以って殺せる。これまでも、今までも、これからもな)

 

 武装の感触を確かめるスミスは、今も『答え』を探している白の傭兵の事を思い浮かべる。彼の『答え』はまだ暗闇の中にあるのだろうか? それとも、闇夜は星と月明かりで彩られ、彼の旅路を照らされているのだろうか? 決して心折れないが故に彼はたとえ夜明けを迎えても暁はなく、白夜を歩む事になるだろう。

 そして、もう1人……自身の技術を分け与えた弟子の事も気がかりだ。余りにも不安定な心。だが、その芯には立ち上がれる力強さがある。彼に必要なのは炎だ。凍える夜に身を寄せてくれる隣人であり、冷たさと暗闇を払ってくれる火の温もりだ。彼は折れる者だから。だからこそ、再び立ち上がる度に強くなれるはずだから。彼もまた『答え』を出し切ってはいないのだから。

 

「素晴らしいな。これ程とは予想外だった。だが、キミのサプライズ癖は本当に心臓に悪いので、出来れば止めてもらいたい」

 

「知らん。補足するが、コーディネートとしては全力を尽くしたが、お前の『本気』を完全に引き出すには不足も否めない。だが、既にコンセプトは『完成』した。後はこれから随時アップデートしてお前の『本気』に俺の装備が追い付けば良いだけだ」

 

 遠回しにアノールロンドから生きて帰れと激励され、本当にひねくれた男だとスミスは苦笑する。

 

「それと『アレ』はどうする? 温存して死んでもつまらん。いい加減に使ってやれ。GRのように『壊れるまで使われてこそ武器は本懐を遂げる』なんて言う気はないが、使われない武器程に価値が無いものもない」

 

「『アレ』か。だが、『アレ』はアイテムストレージを喰い過ぎる。切り札としても、他の諸々を圧迫して切り捨てるような真似になれば本末転倒だ。今回のアノールロンドは聖剣騎士団の援助があるとはいえ、それなりに長引く。攻略用で普段使いの武装も持ち込みたいからな。弾薬もその分だけ余計に要る以上は、やはり難しいな」

 

 それはスミスが保有する最強クラスのジョーカーであり、ユニークウェポンであり、ヘンリクセン開発ではなくイベントで偶然入手した、大ギルドも知らない、その威力が明らかになれば波乱を引き起こすだろう、必殺と呼ぶに相応しい力。

 アノールロンドに持ち込めば、間違いなく戦局を覆すに足る力を発揮できる。だが、多くの制約を持つが故に、そして何よりも来るべき時まで温存しておくべきだとスミスは考えている。

 そう、それこそ『アレ』を使わねば仕留めきれない相手を見定めるまで、ジョーカーとして機能させる為にも決して明かすべきではない。

 だが、同じくらいにヘンリクセンの言い分も尤もだった。使われない武器に価値はなく、だからこそ修羅の戦いを求められるだろうアノールロンドにおいては『アレ』こそが勝機を生む決定打になり得るかもしれない。たとえ大ギルドに大きく露見する結果になっても、それに足る成果が得られるだろう。

 どうするべきか。ヘンリクセンが準備してくれたコーディネートはスミスの琴線を震わせた。ならば、色が濃過ぎる『アレ』のせいでバランスが崩壊するだろう。武装から防具、アイテムまで揃えてこそのトータルコーディネートなのだから。

 スミスの考えを見抜いたのだろう。ヘンリクセンは鍛冶屋としての不満と誇りを同時に滲ませながら、今も倉庫で眠る切り札に思いを馳せるように視線を流す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまで迷うなら止めておけ。持ち込んでも正しく使えんだろう。だが、これで今回も【KARASAWA】はお留守番というわけか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういう事になるな。スミスは肩を竦めて、これが現実世界ならば埃を被って泣いているだろうレーザーライフル……いや、レーザーキャノンを慰めるように、新しい煙草を咥えた。

 

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 思わぬ長雨とルート変更により、天雷山脈越えには野宿1泊を要したが、無事にオレ達は湖畔の町に到着した。

 いや、無事とは断じて言い難い状態だろう。その証拠に青空を溶かした水面にはオレの色濃い疲労で燻ぶる顔が映っているし、PoHは湖の傍の屋台で焼き魚を自棄喰いしている。

 その理由は、現在進行形で膝を抱えたまま今にも入水自殺しそうな程に落ち込んでいる我らがザクロである。この女のアレっぷりはもはやアレだな。言うのも心に思うのも憚れるレベルだな。

 雨宿りの後にオレ達が発見できたのは、天雷山脈の中腹にかけて通る細い谷間だった。そこはオレ達を襲い続けた蜘蛛たちの巣であり、主だろう、10倍は大きさのある巨大蜘蛛が陣取っていた。

 作戦としては、オレが囮となって巨大蜘蛛を惹き付け、その間にPoHとザクロが突破し、オレがイリスの誘導で巨大蜘蛛を撒きながら谷間を突破するというものだった。肝となるのは最初……つまりはザクロたちがいかに巨大蜘蛛に勘付かれずに、オレが囮になっている内に通り抜けられるかにかかっていた。谷間の全容さえ分かれば、飛行能力のあるイリスがオレを誘導する事が容易になるからである。

 途中までは上手くいった。もう嫌な予感がするくらいに作戦通りだった。この時点でオレは不機嫌っぷりが酷いヤツメ様のキレる1歩手前の表情を見て、ザクロが何かやらかすんだろうなぁと諦めていたが、案の定やらかした。

 彼女が巨大蜘蛛の背後を突破しようとした瞬間に、運悪く、彼女の頭上にあった卵が孵り、小蜘蛛のシャワーが降り注いだのである。

 もちろん、同じ境遇にあったPoHは冷静沈着。危険性の無い小蜘蛛程度ではたじろぐことなかった。その歩調は僅かと乱れなかった。

 だが、ザクロは『きゃあああああああああああ!』という、オレの耳がイカれたのではないかと思う程に、実に女の子らしい悲鳴を漏らしてくださった。巨大蜘蛛はもちろん気づいて、消耗を最大限に抑える為だった囮作戦は大失敗。強制戦闘突入である。PoHは重ショットガンを消費し、オレはアビス・イーターを振るいまくり、ザクロは鎖鎌を刃毀れさせた。

 

「……慰めなんて要らないわ」

 

 いい加減に立ち直れと歩み寄ろうとしたオレの気配を読んでか、湖を一望できる絶好のロケーション……もといお爺さん達が晩飯の食材に執念を燃やす釣りスポットで落ち込むザクロの、地底を這うような声に、オレは思わず顔を背けた。

 いやね、さすがのオレもちょっとだけ同情したよ? 叫び声は少し情けないにしても精神を乱さない方が少数派だろうさ。でもさ、オマエは虫使いだろう? 悲鳴を上げちゃ駄目だろう? イリスに失礼でしょう?

 

「虫……苦手ってわけじゃないんだよな?」

 

「当たり前でしょう? アレは……その、アレよ。ほら、幽霊なんて信じてないけどお化け屋敷では悲鳴を上げちゃう的なアレよ」

 

 睨むザクロの弁解は理解できる。つまり、深夜のホラー映画鑑賞で怖がるのと吃驚するくらいにメンタルの違いがあるのだろう。さすがに、この女がまさかの虫嫌いだったとかのオチは無かったようだ。

 

「【渡り鳥】様も失礼ですね。主様が虫嫌いなわけがないでしょう? そんな弱点はとっくに克服済み&再発に備えて般若心経カウンターも万全です!」

 

「……もう何も言わないからな」

 

 虫嫌いが戦闘中に再発して一心不乱に胸の内で般若心経を唱えるザクロをイメージしてしまい、オレはいよいよザクロに背を向けた。もう良いよ。オレの負けで良いよ。こんな戦いには白旗上げて逃走して良いってヤツメ様も戦略的敗北を認めているよ。

 

「それよりも鎖鎌の方はどうなんだ?」

 

「んー、まぁ、元々そこまで長持ちするとは思ってなかったし、使い潰しても問題の無いものよ。私の『本命』の≪暗器≫……お前だって殺せるかもしれないわね」

 

 当然と言えば当然か。PoHだって武器は温存しているだろうし、ザクロだって同様だろう。オレだってザリアと死神の槍の使用には踏み切っていない。PoHにしても、≪銃器≫では継戦能力が低めのショットガンにしても複数種の弾丸を持ち込んでいるだろうし、他にも彼女同様に『本命』をいくつか隠し持っているのは当然だ。

 それに、あの巨大蜘蛛の戦いはそれなりに実入りも良かった。幾つかレアアイテムもドロップしたので、反オベイロン派に売却して資金に出来る。それに経験値もそこそこ高かったので、レベル80にまた1歩近づいた。

 

「おい、いい加減に休憩も終わりにするぜ」

 

 焼き魚の串を派手に折ってその場に捨てると踏み躙るPoHは出発を促す。休憩も何も、オレはザクロのメンタル回復とオマエの自棄喰いが終わるのを待っていた立場なのだが、一々発言を差し込むのも面倒になってきた。

 しかし、こうして話してみると分かるが、ザクロは出会った頃に比べれば、幾分か物腰も柔らかくオレとも話をするようになった。前は口を開く度に汚らしく罵られていたが、それも鳴りを潜めているのは気のせいではない。

 湖畔の町は交通の要所というわけでもなく、天雷山脈の豊かな水源の恩恵を受ける土地であり、ノームたちが多く暮らしている。天雷山脈で得られる鉱石やクリスタルを加工して装飾品を作って生計を立てているようであり、主な取引相手は行商人のようだ。つまり、経済規模は都市部に比べれば圧倒的に小さく、町の規模も分相応である。

 こんな静かな町に反オベイロン派の拠点に通じる銅水の盆があるのだろうか。ならば、この町の住人も過半が反オベイロン派なのだろうか? 真実はまだ見定められないが、PoHは初めての土地ではないかのように、一直線に向かう足取りで町の中心部にある神殿にたどり着く。

 それはイーストノイアスにもあった、オベイロンを讃える神殿だ。いや、それはアルヴヘイムならば何処にでもあるだろう、オベイロンの顕示欲の象徴だ。

 まさかオベイロンに仇成す者たちの拠点の入口がオベイロンの神殿とは皮肉が利いているな。あるいは、だからこそ隠れ蓑になるのだろうか? ポンチョを脱いで、仕入れた変装服で旅の貴族のような恰好をしたPoHとザクロに、オレはある種の感心を抱く。どちらも普段から素顔を隠しているからこそ、本当の顔が逆に変装となるか。これはUNKNOWNにも有効な手にも当て嵌まりそうだな。

 神殿にはお祈りをする者や司祭がいたが、PoHが案内するのは洗礼用の盆だ。直径60センチほどの大きめの盆には1ユルドや5ユルド硬貨が沈んでいる。恐らくは洗礼の寄付だろう。

 まさかこれが銅水の盆だろうか? 余りにも堂々と配置されているので眩暈がしそうになるが、ここまで自己主張が激しいと逆に疑われないものなのかもしれない。

 少し人目が多過ぎる。出直した方が良いだろう? オレのアイコンタクトに、PoHは鼻を鳴らして応える。それが合図だったかのように、柔和な顔立ちをした60過ぎだろう老いた司祭の男が歩み寄ってくる。

 この司祭……なんだ? 何かがおかしい。奇妙な違和感を探ろうとして、オレはすぐに彼が『命』の無い抜け殻……まるで人間からNPCに成り代わったような存在だと気づく。

 アルヴヘイムの住人には等しく『命』がある。なのに、この司祭はDBOの過半のNPCと同じで『命』が無い。忠実に命令を繰り返す、人間と高度な会話も成立させるコミュニケーション能力が付与された人形なのだ。

 それは似ている。オレがアルヴヘイムに来る前に確認した、チェンジリングの被害に遭っただろうリーファちゃんと似ている。本人を『模倣』した人形。それがこの司祭から感じ取ることができるのだ。

 

「旅の御方ですかな? かつては天雷山脈の恩恵を受けて栄え、今は衰えるばかりの町に行商人以外が立ち寄るとは珍しい。ですが、オベイロン様は常に我らを世界樹の頂より見守ってくださっています」

 

「ほーう、さすがは妖精王。立派な御方だ。だが、司祭殿、『恩寵は平等ではない』。だろう?」

 

「いかにも。ケットシーやインプといった穢れた民……オベイロン様に歯向かった愚かな血統は永遠の咎人なのです。罪人が許されるのは『法典が焚かれた時のみ』でしょう」

 

「俺も同意見だ。それじゃあ、旅人らしく、ここは1つ司祭様に洗礼を頼もうか。いつか来るたびの終わりに。俺達の旅の『いずれ来たる夜明けの為に』な」

 

 そう言ってPoHが取り出したのは100ユルド硬貨だ。安っぽい金色の光沢を持つ100ユルド硬貨にはオベイロンの左横顔が彫り込まれている。なお、最小単位である1ユルド硬貨がティターニアなのを除いて、他全ての硬貨はオベイロンである。

 オレ達3人とリビングデッド、それに騎獣2体の計6枚の100ユルド硬貨。それを銅水の盆に投げ入れる様は、船守に渡した金貨と同じ意味合い……通行料だろう。そして、PoHと司祭が重ねた会話こそが合言葉である事は自然と読み取れる。

 つまりは、オベイロンを崇め奉る教会の司祭、この老人こそが反オベイロン派の先槍という事だ。

 跪くPoHの額を、銅水の盆で両手を濡らした司祭が撫でる。滴る水がPoHの鼻を、頬を、顎を伝っていく。それに続いてオレが、ザクロが、リビングデッドが、それぞれ洗礼を施される。

 途端にオレは息苦しさを覚える。まるで急に水中に引きずり込まれたような肺の圧迫感。空気が水に入れ替わったように動きが鈍重になる。じわりじわりと足下から湿っていく音が聞こえ始めたかと思えば、オレの両足はいつの間にかできた水溜まりに溶けていた。

 普段からオレが体験する転移とは異なる感覚。自分が溶かされていくかのような、巨大な怪物に消化されていくような不快感は膨らみ続け、やがて破裂するようにオレの全身を浸す。

 視界の色が反転した一瞬の後に正常に戻り、オレが再び大地にしっかりと足をつき、呼吸できる素晴らしさを体感した時には、先程まで立っていたはずの神殿の風景は塗り替えられていた。

 オレを歓迎したのは、古ぼけた椅子に腰かける、新聞を広げる40代の男だった。丸眼鏡をかけた男はオレをジロリと睨んだかと思えば唇を動かす。

 また新参者か。そう声を発さずとも告げた男は新聞を折り畳んで立ち上がる。彼が近寄るよりも先に、オレは自分が立っている場所の確認を行う。

 野外ではなく室内。全体的に古い煉瓦造りの建物であり、元々は工房だっただろう事が窺い知れる。オレが立っているのは水が張られていない銅色の盆水だ。オレ以外の姿はない。

 

「ようこそ、廃坑都市へ。ここは反オベイロン派の砦。我ら暁の翅の新たな同志を歓迎する」

 

 歓迎とは口にしているが、やる気のない態度で握手すら求めない男の態度に、オレはなるべく疑念を態度に出さないように微笑んで対応する。

 

「こちらこそ、暁の翅の下、反オベイロン派に列することができる名誉に感謝します」

 

 右手を胸にやり、左手を振るいながら腰を折って礼を成す。礼節こそ『人』のあり方。敬意を失くせば『獣』に堕ちる。たとえ様式に過ぎずとも、それを損なう真似は慎まねばならない。先祖より受け継いだ狩人の血を誇るならば、一族の名誉の為にも、血族としての矜持を穢すことは許されない。

 とはいえ、暁の翅についてはPoHに事前に少し教えてもらった程度であり、反オベイロン派の大組織くらいの知識しかないのだがな。

 

「お、おう。アンタ、もしかして貴族様か? こりゃまたとんでもないのが来たな。しかも美人さんな……女? 男? アンタどっちだ?」

 

「……ご想像にお任せします」

 

「焦らしやがって。まぁ、どちらでも良いさ。貴族様だろうが何だろうが、廃坑都市は受け入れる。そして、新参者にルールを教えるのが俺の役目だ」

 

 やや頬を赤らめた男は、ゴホンと咳をして椅子に戻ると大物ぶるように足を組んだ。

 

「まずは大前提だ。俺もよくは知らんが、ここはアルヴヘイムとは少しだけ位相がズレた場所だ。幻とはちょっと違う……蜃気楼みたいに近づけない場所だ。外部からは攻撃できない絶対防御の砦。入口はその盆だけ。合言葉無しでは使えないし、選ばれた奴しか転移もさせられない。出る方法はちょいと特殊だが、案外簡単に外に出れるぞ」

 

 拍子抜けするほどではないが、PoHが指摘した通りのセキュリティの甘さだ。だが、男の態度から何となくだが想像できる。どうやら暁の翅は世知辛い組織のようだ。

 

「ご明察。俺もアンタも下っ端スタートで、きっと下っ端のまま終わりだ。何も教えちゃもらえない。『始まる』日まで何もな」

 

 世間一般がそうであるように、上層部の意向など下々には事細かく通達されないものだ。大雑把な方針だけが通達され、各員はそれに備えるのだろう。

 どうやら男の場合、『新参へのルール説明役』をやっているらしい。暁の翅に入った頃は打倒オベイロンに燃えていたそうであるが、新聞を読むか現実を新参者に突きつけるしか仕事をしてこなかった男は、あろうことかオベイロンではなく仲間に心が折られてしまったようだ。

 

「仕事なら山ほどある。下っ端人生を楽しもうぜ。戦い上手なら戦闘員としてそこそこ刺激がある生活もできる。何でも『始まる』日は近いらしいからな。俺の20年もようやく結実しそうだ。アンタもせいぜい出世を狙って頑張りな。俺はこんな錆び付いた人生でも、それなりに気に入っているがね」

 

 一通りのルールの説明を終えた男は、ヒラヒラと手を振ってオレをドアの向こう側にさっさと行けと促す。態度は不貞腐れているが、彼なりの心遣いを感じ、オレは別れ際に微笑んでもう1度だけ礼を取る。すると彼は顔を真っ赤にして顔を背けて『さっさと出て行け』と怒鳴った。

 ここが廃坑都市か。円錐状に掘られた巨大な採掘場がそのまま都市となっただろう構造。各所に塔のように突き立てられた煙無き煙突。だが、まだ炉は完全には死んでいないと主張するような、霧の如き蒸気。どれだけの住人が暮らしているのかは定かではないが、都市の巨大さに見合うだけの人口はいるようだ。

 やや近代的とも思える廃坑都市は各所に金網の連絡橋がある。地下深くまで掘られているらしく、深い闇を浸しているだろう、底なしの廃坑は、恐らく表面で見える以上に入り組んだ構造になっているはずだ。

 PoHやザクロもまたオレと同じように寂れた歓迎と説明を受けているのだろう。合流場所は決めていないが、あの男の説明によれば、騎獣などは別所に転送されているらしい。そこに行けば探し合う必要はないだろう。

 しかし、こういう時にフレンドメールが制限されているのは辛いな。仕事柄でフレンドリストには相応の数が登録されているが、過半が依頼関係だ。グリムロックとは装備関係で9割9分埋まるし、グリセルダさんも基本的には仕事関係だ。個人的な連絡を取るのはユウキくらいか。

 壁に張り巡らされたパイプからどろりとした黒い油が滴り落ちる。精神に不安を催させるような、まるで獣が獲物の血肉を牙の隙間から落とすような音が響く。

 反オベイロン派の最大の拠点であり、都市1つを丸ごと拠点にしている為か、明らかに生活している住人たちが通りを往来している。だが、彼らの顔に活気のようなものはなく、また同じく張り詰めた緊張感もない。淡々と日々の業務を繰り返している。現実世界の駅前で日常的に見かけることができるサラリーマンのような目をしている。

 なるべく人目は避けた方が良いだろう。オレはコートの襟を引き寄せ、少し顔を俯けて足早に、各所に設置された案内地図を頼りにして騎獣管理棟を目指す。

 元々は巨大な鉱石倉庫だったのだろう。馬のようなオーソドックスな騎獣から、ダチョウを思わす2足歩行の鳥類、PoHが保有していた全身を分厚く硬い皮膚に覆われたサイに似た騎獣などがいる。そして、その中の1画には、オレ達のヘス・リザードも管理されていた。

 先んじて到着したらしいザクロは、鞄から顔を出すアザラシのきぐるみ姿のイリスを押し込みつつ、可愛がるようにヘス・リザードに餌のカエルを食べさせている。対してPoHはこの騎獣管理棟の人間らしいレプラコーンと自分の騎獣の商談に入っていた。

 

「若いですし、なかなか丈夫な奴だ。3万ユルドでいかがです?」

 

「もう少し色を付けろ」

 

「これでも相場より高いですよ。それに、売りたくないなら別に良いんですよ? 個別管理費をいただくだけですから」

 

「チッ! 3万2000でどうだ?」

 

「3万1000。ちなみに管理費は1日でこれくらいになります」

 

 算盤に似た計算機で金額を提示するレプラコーンに、PoHは仕方ないとばかりにサインする。あ、あのPoHが商談で負けているだと!? こんな珍しい光景は見たことが無い。まぁ、この管理棟に自動転送されている時点で色々と嵌められているのかもしれないがな。

 

「主様、そろそろお別れを」

 

「……ヤダ」

 

「ですが、1日1500ユルドなど我々では支払いきれません」

 

「ぼったくり! 悪魔! 恥知らず!」

 

「私に罵られても困ります」

 

 そして、まるでこれから殺処分される家畜に最後の晩餐をやるようにヘス・リザードを可愛がっていたザクロの涙声に、こちらはこちらで商談が既に終了してしまったようだとオレは心の中で合掌する。短い間であったが、入手する際の芝居など、色々と思い出が詰まった騎獣だ。

 しかし、1日1500ユルドか。恐らくは外に出すにしても手数料が取られるのだろう。何だかきな臭いニオイがしてきたな。

 

「何が反オベイロン派よ。さっさと滅びろ、守銭奴」

 

 騎獣管理棟を後にしたオレ達は、とりあえずは状況確認と今後の予定の決定の為に、かつては鉱山夫たちの溜まり場だっただろう、今は見る影もないほどに朽ちた酒場に入り込む。

 不機嫌なザクロ、騎獣売却で得た資金の勘定を行うPoH、フルメイルアーマーの代わりに全身をすっぽりと覆うフード付きマントを装備したリビングデッド。目的地の廃坑都市に到着した以上は、あとはロザリアから情報を得れば、彼らとチームを組み続ける必要はない。

 贄姫の柄頭を撫で、埃と灰で濁ったガラス窓から外を眺めれば、籠を背負った農夫のような恰好した者たちが列を成して何処かに向かう。

 セキュリティが甘いどころか、新参者を放置する神経も分からない。それどころか、この廃坑都市の入口は限られているが、出口は過分に多いらしく、アルヴヘイム本土のほぼ全域をカバーしているらしい。出る際には審査が必要なようであるが、それを除けば本当にオベイロンに歯向かう気があるのかも疑わしいな。

 しかも騎獣管理棟に到着するまでの街並みを見たが、明らかに外部の人間を歓待するような施設もいくつかあった。他にも組織であるはずなのに商売や取引も行われている。

 てっきりオレは廃坑都市に到着=反オベイロン派に属すると考えていたのだが、どうやら現実は違うらしい。いっそのことであるが、オベイロンのマッチポンプであると今ここでPoHに明かされた方が何倍も気楽になりそうだ。

 だが、他でもないPoH自身も無言ではあるが、廃坑都市の様子に想う所があるらしい。ザクロはどうやってヘス・リザードを取り戻すか、ブツブツと呟いている。

 

「ロザリアに連絡を取ったが、応答が無い。だが、3時間後に待ち合わせの旨だけは『留守電』に入れてある」

 

「留守電って……もう良い。とにかく3時間後か。オレは廃坑都市を見て回りたい。自由行動も許されているんだ。何がどうなっているのか把握しておきたい」

 

 それに、反オベイロン派……廃坑都市に拠点を置く最大組織の暁の翅の規模と構成員、それと非主流派との接触の準備をしておきたいからな。

 

「そいつはどうかな? 情報収集も悪くないが、先にロザリアから大まかな情報を得る方が効率的だ」

 

 首を横に振るPoHの意見を聞く必要はないが、確かにロザリアから情報を得た後でも問題ないだろう。そうなると、今の時刻から計算すれば、ロザリアと接触するのは夕暮れになるか。夜間の情報収集は何処まで功を奏するやら。

 

「男2人はそこで寝てなさい。私はムシャクシャするから、適当に買い食いしてくるわ」

 

 ヘス・リザードを売却したのが余程に腹立たしいのだろう。ザクロはイリスが入った鞄を肩にかけ、廃屋となった酒場から出ようとする。勝手な行動を慎むべきではないと普通ならば忠告するのだろうが、オレは情報が入り次第にチームを抜けるつもりであるし、PoHも個々人が我を通すならばそれを止めようとはしないだろう。オレがPoHの意見を聞いたのは、ここに『アイツ』がいる以上は先に情報を所有しているロザリアから話を聞いた後でも遅くはないと考えたからに過ぎない。

 もしかせずとも、既に『アイツ』はこの廃坑都市の何処かにいるのかもしれない。できれば会いたくないな。オレは埃を払ってかつては多くの客をもてなしただろうカウンター席に腰かける。

 

「時間までには戻れよ。あと『一仕事』頼むぜ。ロザリアと会う前に腹拵えしておきたいからな」

 

「『了解』したわ。適当にメシを買ってくるけど、あとで文句を言わない事ね」

 

 妙に息が合った様子のPoHとザクロに違和感を覚えるも、そういえば大橋鉄道があった港町でも食に関しては阿吽の呼吸だったなと気に留めないでおくことにした。食道楽、存分に結構である。味覚がある内にオレもしっかりと楽しんでおけば良かった。

 現実世界に戻れば、味覚も取り戻せるのだろうか? だが、俺の場合はファンタズマエフェクトが強く反映される性質のようだ。たとえば、仮想世界で受けた痛みを現実世界にある本物の肉体まで引き摺ったという事例もあるらしい。

 今は考えたくない。だが、味覚を失ったまま一生を過ごすかもしれないという覚悟はしておかねばならないだろう。そう思うと、アレやコレやを食べておきたかったという感情が湧き出すものだ。

 そのはずだ。なのに……食べたいというものがあまり思い出せない。強いて言うならば、グリセルダさんが作った味噌汁の味が知りたい。ユウキが作ってくれた謎の『赤い』シチューとかもどんな味がしたのか気になる。だけど、何かを食べたいという強い欲求は随分前に失せた気がする。

 

「一応リクエストを聞いておくけど?」

 

 まだ出発していなかったザクロが、腰に手をやって鼻を鳴らし、暗がりの廃屋で昼間から引き籠もっている男2人の為に、夕飯について努力を見せてくれるようだ。

 

「燻製系で頼む。ハムやベーコンだな。あとはチーズもあれば買ってきてくれ。酒も忘れるなよ」

 

「厚かましい奴ね。安酒を買ってきてやるわよ。それでお前は?」

 

 PoHからのオーダーをシステムウインドウのメモ帳に書き込み、続いてザクロはオレに尋ねる。

 

「なんでも良い。金は渡しておく」

 

「……そう、分かった」

 

 懐から取り出した財布を投げ渡した素っ気ないオレの回答に、ザクロもまた淡白に応じる。食べられるものだからと言って、トカゲや蛇の串焼きを買ってこないだろうか? まぁ、蛇もトカゲもカエルも、既に現実世界の内に実食済みだ。虫だろうと何だろうと食べられないものはない。どうせ、今の食事だって食感ばかりが舌で踊って気持ち悪いのだから。

 出て行ったザクロを見送り、オレは瞼を閉ざす。どうせ眠れないにしても、視界を封じれば脳が休まるのだ。これからの戦いの為にも、休める内に休んでおいた方が良い。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

【黒粗鉄の矢】。廃坑都市で大量生産されている矢の1種であり、攻撃力には不満もあるが、アルヴヘイムで一般的に流通している木の矢や鉄の矢に比べれば、まだ実用性がある範疇である。現在のDBOでは最前線級からは格落ちするだろうが、サブで使用する分には十分である。

 一呼吸の間に、20メートルは離れただろう円形の的に、3本の矢を連続で放ったシノンは、そのいずれもが中心を示す赤丸を射た結果を見ることもなかった。この距離で静止目標に命中させるのはシノンからすれば当然であり、一々確認するなど自信の無さの表れであるからだ。

 だが、彼女の技量はDBOでもトップクラスであり、間違いなく最高峰の射撃の腕前だ。シノンの周囲にいた、同じく矢を射ていた者たちは唖然として弓剣を曲剣モードに戻して射的場を後にするシノンを見送る。

 廃坑都市に到着したのは今朝の事だ。襲撃にあった翌日の朝、シリカは廃坑都市への行き方を突如として明かした。

 UNKNOWNは問い詰めようとしたが、シリカは黙して語らず、押し問答の気配を感じ取ったシノンはともかく廃坑都市に向かうべきだと進言した。

 シリカの沈黙の意味。それは敵、あるいは信用ならない人物からの情報提供があったという事だろう。それはシノンもUNKNOWNも見抜いている。恐らくは、シリカは3人にリスクを分散するよりも、自分1人で抱えていた方が良いと判断したのだろう。

 確かに、UNKNOWNもシノンも、シリカだけが危険により深く踏み入るならば、放っておけずに一緒に泥水に浸ろうとするだろう。だが、もしも踏み入れたのが底なし沼だった場合、3人とも抜け出すことはできなくなる。

 故にシリカだけが……3人で直接的な戦闘力が最も低いシリカが、交渉や取引といったリスクを背負いたがるのは仕方がないことなのかもしれない。それが無ければ、彼女はこのアルヴヘイムで自身の存在意義を見出せなくなるのだろう。

 だが、シノンに言わせれば、シリカはUNKNOWNの傍にいるだけでも十分に役割を果たしているように思えた。シノンはどれだけ覚悟を決めてもUNKNOWNの過去を知らず、悲壮な覚悟の裏を知るにはまだ彼の心の禁域に踏み込めておらず、また彼の自罰的かつ自虐的な……自己嫌悪からくる危うさを自分で止められるとは思えない。恐らく、力尽くで止めることさえも困難を極めるだろう。

 対してシリカは違う。彼女はずっとUNKNOWNを支えてきた。誰がなんと言おうとも、彼女こそがUNKNOWNの正気を保たせた楔だったのだろう。それは、あの襲撃の夜のUNKNOWNの告白からも明らかだ。

 

(私は案外あの2人はお似合いだと思うけどね)

 

 傷の舐め合いと言えば悪印象になってしまうが、彼らは他の誰にも出来ない『痛み』の経験を時間的に共有している。そこにシノンが入り込む余地はない。UNKNOWNがアスナへの未練を断ち切ることが出来れば、彼が選ぶのは彼女なのではないだろうか?

 

(な、なにこれ……)

 

 弓剣を鞘に収めながら、シノンはまるで飛び出した釘に指を刺してしまったかのような、突然来た鋭い痛みを左胸の奥……心臓で受け止める。

 そうだ。自分にはあの2人の空間に踏み入ることなんてできない。どれだけ辛くとも、彼らが時間的に共有した過去には今を生きるシノンでは関与することはできないからだ。限界が当時の情報を集めて今更になってあれこれ想像を膨らませて同情することくらいだろう。

 

(違うわ。私は彼の力になってあげたいだけ。放っておけないだけ)

 

 痛みの正体に気づきたくない。これが平時であるならば、あれこれ悩みを膨らませる余裕もあったのだろう。シノンは拳を握って深呼吸を入れて心臓を落ち着かせる。

 そもそもアスナへの……最愛の人への未練を断ち切れているならばアルヴヘイムに来ていない。前提が間違っているのだ。そう納得したシノンは、今いる廃坑都市へと思考をシフトさせる。 

 反オベイロン派最大の拠点にして、最大組織である暁の翅。この廃坑都市に拠点を置く彼らは、シノンも吃驚するほどに緩いセキュリティ体制を敷いている。

 来るもの拒まず。出入りも緩く、廃坑都市内は自由に歩き回ることができる。

 この廃坑都市で暮らす者も大勢いる。だが、それらはほぼ全てが『生産要員』であり、ここ以外に生きる術がない者たち……インプやケットシーだ。彼らはこの廃坑都市に設けられた地下農場で食料生産に励み、僅かに取れる鉱石を採掘する。そして、ノームやレプラコーンなどの≪鍛冶≫を持つ者が武器を仕立てる。他にも缶詰などの携帯性を重視した食料なども生産する。

 他にも騎獣などを育成したり、アルヴヘイムでは貴重な回復アイテムを作ったりなどしている。この廃坑都市は巨大な農場であり、工房であり、工場なのだ。そして、暁の翅とはアルヴヘイムで最大の武力と規模を誇る反オベイロン派であり、この廃坑都市の支配層でもある。

 彼らは他の反オベイロン派に武器や物資を提供している。これこそが最近の反オベイロン派の動きが活発化している理由であり、彼らの武力がオベイロンによって制限されたアルヴヘイムの住人の戦力を上回っている証拠だ。

 何よりも彼らはこの世界の根幹……DBOのシステムを客観的に把握できない……根本にあるゲームという枠組みにこそ無知であるが、自分たちが成長するロジックをよく研究している。

 たとえば、モンスターを倒せば経験値が得られる。同じモンスターばかりを倒してもやがて得られる経験値量は減る。より強力なモンスターを単身で倒せば、それだけ多くの経験値が得られる。そんなシンプルなシステムであるが、アルヴヘイムの住人たちの過半は知らない。そもそも、レベルを上げるにしてもリスクが高いのだ。また、DBOのように無制限にリポップするというわけでもないらしく、狩ればその分だけ生態系に影響を与えることになる。そもそも、より強さを求めねばならないDBOプレイヤーと違い、アルヴヘイムの住人たちには生まれた時からの生活がこの世界にある。ならば、命懸けで日夜レベリングに励む必要性など皆無なのだ。たとえ武力を担う兵士や騎士であるとしても、レベルはある程度……DBOプレイヤー達の心を折る『20の壁』に到達するまでが限度だ。後は個々人の武技を磨いていくのである。

 また、DBOプレイヤーとの相違点があるとするならば、彼らは種族ごとによって初期ポイントの割り振りが異なる点だろう。たとえば、サラマンダーはSTRに高くポイントが振られている。シルフならばDEX、ウンディーネならばMYSといった具合である。

 こうした情報は全てシリカからもたらされたものだ。彼女の情報源はアルヴヘイムの事情に通じているだけではなく、オベイロン陣営と反オベイロン派について多くの情報を有していたようだ。

 

「しかし、見事な腕前だな。さすがは【ケットシーの希望】だ」

 

 あれこれ情報を頭の中で巡らせていたシノンに話しかけてきたのは、射的場の外で待ち伏せしていた背の高いスプリガンの男だ。丸レンズのサングラスをかけ、膝まである重厚な藍色のコートを着た姿は威圧感がある。オシャレのつもりなのか、ドレットヘアなのも余計に他者への威嚇として機能していた。

 この男の名は【ガイアス】。反オベイロン派、暁の翅の幹部の1人だ。アルヴヘイムの住人では奇特な存在である。年齢は30代後半くらいだろう。分厚いコートの襟は高く、下手をせずとも口元まで届いてしまいそうである。

 得物は背中に背負う分厚い特大剣だ。初期STRが恵まれているサラマンダー程に強力な大型武器を使う傾向がある中で、SANに特化されたスプリガンは戦闘能力では最もスタートラインが下にある種族だ。スプリガンにおいてガイアスのような特大剣使いは種族としても異端である。

 暁の翅のネットワークはアルヴヘイム全土に広がっている。派手に暴れ回った【二刀流のスプリガン】と【ケットシーの希望】は彼らの耳にも入る事になり、既に目を付けられていたどころか、人相書まで暁の翅には出回っていたようだ。到着と同時にシノンとUNKNOWNは暁の翅の主要メンバーに歓待……もとい連行され、既に暁の翅の幹部たちとの面会も済ませている。

 一言で述べるならば、暁の翅は極めて大ギルド的だ。それも悪い意味で、という注釈が必要である。

 目的は一貫してオベイロンの支配からの脱却だ。だが、それはインプやケットシーなどの差別種族を救う為でも無ければ、オベイロンによる文明統制への反逆でもない。

 遥か古に失った翅への渇望とアルフ達への嫉妬、そして強大な支配欲だ。要は地球上で幾度となく繰り返されていた、玉座の奪い合いに過ぎない。少なくとも、シノンの目には暁の翅の『重鎮』とされるメンバーには、清らかな反逆の意思などあるようには思えなかった。

 暁の翅は確かに最大の武力と物資を保有する反オベイロン派だ。戦力は1000人を超え、多くの他の反オベイロン派を従えている。人数だけを見れば大したものであるが、彼らよりも数では劣るだろう、DBOの大ギルドの方が何倍も脅威に映るのは、彼らはアルヴヘイムという『戦いを強要されない環境』にいるからだろう。

 モンスターのレベルは1から対応できるものから、シノンでも単独では撃破にも手間がかかるだろうレベル80クラスまで幅広くアルヴヘイムには生息しているが、アルヴヘイムの住人たちの生活域に生息するするモンスターたちはせいぜいレベル30までが限度だ。いや、レベル30級ともなれば『災害』とさえも認定されている節がある。レベル80、それ以上のモンスターともなれば、禁域の中の禁域以外には生息しない。それは古き時代よりある『魔窟』にしか生息していない。そして、『魔窟』のモンスターはアルヴヘイムの他のモンスターと違って幾らでも湧いて出る。

 この『魔窟』とはアルヴヘイムを訪れる【来訪者】……DBOプレイヤーの為に準備されたダンジョンと見て間違いないだろう。そうした禁域は各所にあり、アルヴヘイムの住人達はまず近寄らない。入り込もうものならば、一国の軍隊でも全滅する。

 だが、この男……ガイアスは違う。彼のソウルの刻印……レベルは72だ。これはDBOの上位プレイヤー達にも匹敵するレベルであり、高レベルであればあるほどにレベリングが困難なアルヴヘイムにおいて、この意味が成すのは1つ、彼はダンジョンにソロで通って戦い抜いて来た、生粋の『怪物』ということだ。

 誇張でも何でもなく、暁の翅の最高戦力であり、唯一まともに飛行能力という強力なアドバンテージを持つアルフ達を相手に単身でも戦える人物なのだ。

 

「私なんてまだまだよ。射撃の腕だって以前に比べれば鈍ったわ」

 

 義手のせいか、以前に比べれば精度が格段に落ちた。小型の動体目標を正確に射抜ける射程範囲はかつての3割減、あるいはそれ以上だろう。それでも他のプレイヤーからすれば『超人』と呼ばれる領域にあるシノンであるが、自身のかつての能力を知るが故に不満はどうしても大きい。もちろん、義手を得たからこそ、スミスとの修行で獲得した近・中距離の新バトルスタイルの確立にも至ったのであるが、先制攻撃において凶悪な威力を発揮する≪狙撃≫の活用の為にも、以前に迫る程度には射撃精度を取り戻したいのが本音である。

 

「それに、その【ケットシーの希望】って止めてもらえる? 明かした通り、私はケットシーじゃなくて【来訪者】よ」

 

 デーモン化を使用すれば耳と尻尾を生やしてケットシーに扮することもできるのであるが、デーモン化制御時間というタイムリミットがある限りは、永続的にデーモン化するのは不可能だ。故に、UNKNOWNの方針で今の内に正体を明かすことにしたのであるが、【来訪者】と知るや否や、暁の翅は神託を得たとばかりに小躍りした。

 詳細は今晩の会合で教えてもらえるとの事であるが、それはつまりUNKNOWNとシノンを広告塔にして暁の翅は本格的なオベイロン打倒に向かって動き出すという事なのだろう。シノンとしても彼らの協力を得られるのは当初の予定通りなので何も言う事はないのだが、本当に彼らを何処まで信じて良いのか不安もある。

 そもそも組織に属するのが嫌いだったからこそ傭兵の道を選んだのだ。なのに、アルヴヘイムでは大組織に属す選択をしなければならない。それがシノンには自身の二枚舌を想像してしまうのだ。

 

「【来訪者】とはキミやUNKNOWNのように、みんな桁違いに強いのか?」

 

「私も彼も『かなり』強い部類よ。ガイアスさんくらいに強い人は私が知る限りでも少ない方よ」

 

「慰めか。キミのような少女に同情されるとはね」

 

 そう苦笑するのも仕方がない。ガイアスは暁の翅の最強の戦士として、既にUNKNOWNと手合わせをしている。結果はUNKNOWNの勝利であるが、根本的な武器の性能差も考慮すれば、ガイアスの実力はトッププレイヤー級にある事は疑いようもない。また、2人とも底を見せ合わない戦いは腹の探り合い以上には、シノンの目には映らなかった。

 夜には晩餐会で暁の翅への参加の有無を表明しなければならない。UNKNOWNは戦力・物資・情報の3要素を惜しみなく提供してくれる暁の翅に参加するだろう。その晩餐会には暁の翅に留まらず、有力な反オベイロン派組織のトップ、秘密の支援者の1部も同席する。つまりは実質的な『お披露目会』だ。暁の翅としては、【来訪者】という強大な戦力が他の反オベイロン派に属する事を嫌っているのだろう。

 晩餐会までは各人自由行動を取ることが決まっている。これはUNKNOWNなりの、シノンとシリカに対する選択の猶予だ。彼女たちの意思は既に固まっているのであるが、律儀と言うべきか、彼は自分の選択を無理強いしたくないのだろう。

 夜までの暇潰しと気を紛らわすのに射的場に来たのはやはり失敗だったかもしれない。UNKNOWNとシリカは、反オベイロン派の拠点である廃坑都市ならばオベイロンも易々とは奇襲をかけられないと判断しているようであるが、戦力分散は命取りになるかもしれないとシノンは2人との早めの合流を望む。

 何よりもガイアスは興味本位でシノンを待ち伏せしていたわけではない。恐らく暁の翅は勝手な真似をされたくないのだろう。彼は言うなれば見張りなのだ。恐らくは似たようなものが2人の傍にもいるだろう。尤も、本気を出せばあの2人ならば尾行程度は簡単に巻けるだろう。

 いっそ2人の現在の居場所を聞き出してやろうかとシノンがガイアスに口を開こうとした時、急なざわめきが通りを震えさせる。彼らが一様に視線を集めているのは、およそ尋常な集団とは思えない、赤いマントを身に着けた戦士たちの一団だ。

 いずれも特徴的な狼に似た兜をつけ、背中には分厚い大剣、腰には折り畳み式の連装クロスボウを装備している。反オベイロン派かとも思われたが、シノンの予想に反して、人々の目にあるのは忌避だ。

 

「……深淵狩りか」

 

「深淵狩り?」

 

「ああ。深淵より這い出る怪物たちを倒す剣士たちだ。彼らは狼の剣技を継いだ、アルヴヘイムで最も強い武装集団だ。彼らは黒獣やアメンドーズさえも狩る、生粋のバケモノ退治の専門家だよ。暁の翅の兵士100人よりも彼ら10人が味方した方が何倍にも役立つ」

 

 モンスター退治を生業とする集団といったところだろう。思えば、シノンも深淵狩りには聞き覚えがあった。誓約があるという噂だが、未だに結んだ者はおらず、一説ではNPC限定のプレイヤーが入手できない誓約の類ではないかと言われている。

 

「廃坑都市にいるという事は、彼らは仲間なの?」

 

「いや、同盟……とは少し違うな。彼らはたまに物資を買い込む程度だ。むしろ、私たちは辛うじて敵対していないだけだ。暁の翅の装備開発、薬品の知識、刻印を得られる祭壇、それらの過半は彼ら深淵狩りを騙して奪い取ったものを基礎にしている。彼らは深淵を討つという大義の下で、アルヴヘイムで禁じられていた装備開発にも長い年月を費やしていたからな。何処の組織も彼らの『技術』を欲していた」

 

 事情を聞けば、逆に敵対していないのが不思議である。大ギルドでも諜報合戦は常であるが、深淵狩りの剣士たちからすれば培った力を奪い取った挙句に我が物顔で使われては堪ったものではないだろう。だが、彼らは冷静沈着に、特に感情を露出することもなく、兜に素顔を隠したままに淡々と必要物資を買い込んでいるようだ。

 深淵以外に興味はないのか、あるいは自制ができるほどに理性を重んじる集団なのか。深淵狩りの剣士に混ざり、巨大なリュックを背負った少年は渡された携帯食料や水を次々とアイテムストレージに収めていく。

 一様に同じ装備をした、いかにも猛者といった風貌の深淵狩りの剣士たちとは違い、明らかに一般人……それも戦い慣れていない印象を受けたシノンは、まだ新人の深淵狩りなのだろうかと考える。物珍しそうに街並みを見回す少年とシノンは目を合わせる。

 

「ま、【魔弾の山猫】ぉ!? 何でここに!?」

 

 だが、少年はアルヴヘイムの住人が知るはずの無い、シノンの通り名を口にする。思わず唖然としたシノンであるが、すぐに思い返す。【来訪者】は自分たちを含めて10人もいるのだ。ならば、彼もまたアルヴヘイムに迷い込んだDBOプレイヤーに違いない。

 少なくともアルヴヘイムに到着できたならば、外観や態度からは計り知れない優れたプレイヤーなのは間違いないだろうとシノンは見当をつけるも、彼の容貌は彼女が知る限りの優れたプレイヤーと一致しない。

 

(ここで無視してもメリットはないし、放置して勝手に動き回れても困るわね。アルヴヘイムにいるなら、余程にラッキーが重なり過ぎた不運なプレイヤーか、大ギルドが派遣した戦力のどちらか。仮に太陽の狩猟団の戦力なら、私のことを報告されれば、『意図してアルヴヘイムの情報を支援ギルドに隠蔽していた』と思われかねない)

 

 傭兵は情報屋でも無ければ、首輪をつけられた猟犬でもない。依頼に関してはともかく、プライベートで得た情報を1か100まで無償で通達する義理はない。だが、アルヴヘイム程の『大物』の情報を、太陽の狩猟団のトップランカーが隠匿したとなれば、印象は悪い。

 真実としては、シノンはアルヴヘイムの情報など微塵もつかんでいなかったのであるが、彼女自身がこの場にいる事が言い逃れのできない証拠になり、UNKNOWNと行動を共にしている事は、ラストサンクチュアリに私心で援助していると見られても文句は言えないのだ。

 自分への評価にはあまり興味が無いシノンであるが、太陽の狩猟団という大ギルドからの援助はやはり傭兵業において大きなプラスだ。独立傭兵に憧れる事も多々あるが、スミスの日々の金欠事情を知れば知る程に、やはり専属傭兵の強みを感じる。

 ここは好意的に接して友好を築く。シノンは傭兵業で培った営業スマイルで少年に歩み寄るべく、1歩前に踏み出した。

 

「こんな所で他のプレイヤーと出会うなんて奇遇ね。あなたとは『初めまして』で良いかしら?」

 

 少なくともシノンには面識が無い。少年はシノンの太陽の狩猟団お得意の営業スマイルに騙されたのか、やや頬を赤らめる。

 

「貴様の知り合いか? 随分と美人との縁に恵まれているものだ」

 

 口々に特定の誰かの話をして少年の肩を小突く深淵狩りの剣士たちだが、軽口とは裏腹に、シノンには一切の油断を見せる様子はない。仮にシノンが武器に触れようとすれば、彼らは何ら躊躇なくこの場で殺し合いを始める覚悟があるのだろう。

 シノン達が反オベイロン派へと接触を試みたように、レコンと呼ばれた少年、あるいはその勢力は深淵狩りと組む事に先んじて成功したらしい。どう対応すべきか苦慮するシノンであるが、ここで挨拶してお別れだけは避けたい。

 

「えーと、僕はレコンって言います。フェアリーダンスのレコンです」

 

「そのギルドなら知ってるわ。中立を貫いて、大ギルドの鼻先に1発お見舞いしたギルドでしょう?」

 

 想起の神殿の地下ダンジョンを1番最初に発見したのもフェアリーダンスだ。彼らは無償で地下ダンジョンの存在を公表したのだ。その件で、いずれの勢力にも尻尾を振らなかったフェアリーダンスは随分と不興を買ったと聞いている。積極的に調べていないシノンは詳細を知らないが、ALOプレイヤーが集結しているらしく、規模に反して実力はなかなかのものらしいが、目立った戦果はない。

 だが、そうなると、またしてもフェアリーダンスが大ギルドを出し抜いて、今度はアルヴヘイムの行き方を偶然掴んでしまったのだろうか? ならば、アルヴヘイムにいるのはフェアリーダンスのプレイヤー達なのだろうか? あれこれ推測するシノンであるが、目の前のレコンから事情を聞いた方が早いと判断する。

 

「そんな、僕たちはそんな大それた真似してないんですよ。発見してしまった以上は、中立を維持するにはああするしかなかった苦渋の選択だったし。それよりもシノンさんがどうしてアルヴヘイムに!?」

 

「……話せば長くなるわ。私の事情よりも、あなたの事をよく知りたいわね。分かっていると思うけど、アルヴヘイムは異常よ。ここはプレイヤー同士、情報を交換し合うのはどう?」

 

 フェアリーダンスが突如として太陽の狩猟団の勢力入りしたならばともかく、そうでもないならばレコンがいるのは何かしらのイレギュラーに巻き込まれた結果だろう。ならば、シノンは彼から情報を引き出す事こそ最優先と判断する。

 

(それに、偶然ではなく選抜されてアルヴヘイムに来たならば、私達を抜いた『7人』に選ばれる程の精鋭。見た目によらず、実力はかなり高いのでしょうね。もしくは、実力は足らずとも強力な能力……ユニークスキル持ちかしら? だとするならば、これまでのフェアリーダンスの中立を貫くスタンスには何か裏があったとみるべきね)

 

 装備は戦槌の類、それも奇跡の触媒としても利用できるタイプだろう。ならば、アンバサ戦士なのは間違いない。見た目は360度何処から見ても荷物持ちであるが、彼にはアルヴヘイムにいるに足る実力か強力な切り札があるのだろうとシノンは推理する。

 しばらく考える素振りを見せたレコンであるが、それはポーズに過ぎないことくらいはシノンも見抜ける。損得勘定でも得しかなく、また協力体制を未知なるアルヴヘイムで築ける絶好のチャンスを逃す者はいない。

 

「是非とも、僕からもお願いします」

 

「交渉成立ね。私の事は好きに呼んで。そちらの深淵狩りの剣士さんたちも同席するならご勝手に。ガイアスさんはどうする?」

 

 深淵狩りの剣士たちは興味が無いとばかりに、レコンに早めに陣地に戻れとだけ忠告して背中を向ける。だが、シノンは傭兵の勘から、彼らは目が付かない場所で自分たちの会話を盗み聞きするつもりだろうと目を細めた。

 

「アルヴヘイムの外には興味が尽きない。話を聞かせてもらえるだけで幸運だよ」

 

 黒丸レンズのサングラスの奥にある好奇の輝きを強め、ガイアスは静かに話すならばお勧めの場所があると案内する。

 

(さてと、『精鋭』さんのお手並み拝見といこうかしらね。交渉は得意分野じゃないから、できればシリカを同席させたいところだけど、情報の『奪い合い』だったら、それなりに経験もあるわ)

 

 このまま晩餐会に出席して暁の翅に属せば、UNKNOWNとシノンのことは他の【来訪者】の耳にも届くだろう。つまり、明日になれば価値が無い情報も、今晩までは情報としては十分に取引できる。シノンはそれらを餌にして、レコンから情報を引っ張り出すつもりだ。

 何処かホッとした様子のレコンを見るに、アルヴヘイムでは随分と不安を溜め込んでいたようだ。あるいは、彼の傍には本来の仲間がいない、ストレスが大きくかかった状態なのかもしれない。

 できれば戦力として協調できる相手だと良いけど。シノンは内心で、アルヴヘイムでプレイヤー同士の争いなどという消耗が強いられる真似は御免だと吐き捨てた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「チーズ、ハム、酒。反オベイロン派の拠点ともなれば、手に入らないものは麻薬アイテムくらいね」

 

 艶やかな黒髪を廃坑都市の錆びた風で靡かせながら、市場の様相を持つ廃坑都市の西エリアにて、ザクロは夕飯の物色をしていた。

 この廃坑都市は反オベイロン派にとって、武器も食料も情報も強いられる巨大市場のようなものだ。

 

「しかし、思っていた以上に暁の翅の戦力は強大です。単純に数だけではなく、大砲などのアルヴヘイムでは見られない火器、回復アイテムの準備、何よりも情報。彼らは本気でオベイロンを打倒するつもりなのでしょう」

 

 鞄から顔だけを出すイリス(着ぐるみ)の言う通り、暁の翅は単なるレジスタンス以上の規模を持つ。それ故に大組織特有の歪みも多く抱えているようではあるが、それが単なる隙にならないトリックがあると考えるべきだろう。

 

「さぁ? それはどうかしらね。イリスは私よりも賢いけど、私よりも人間を知らない。人間はね、常に最善を尽くせる程に強くないのよ。たとえ敵軍に包囲されて、臣民を失い、残すは城1つだけになっても、馬鹿な王様は最後まで馬鹿のまま。衆愚も同じ。少し知識を齧って『賢くなった』と思い込んだ馬鹿がどれだけ多いことかしら?」

 

「主様の捻くれっぷりもここまで来るとある種の才能なのではないかと思いますよ」

 

 派手に嘆息するイリスに、それは褒め言葉のつもりなのか、とザクロは鼻を鳴らしたくなる。

 だが、ザクロは何も間違ったことは言っているつもりなどない。

 確かに廃坑都市の戦力は十二分以上に揃っているだろう。だが、たとえば大砲などの長射程武器は、DBOでは『防衛設備』として設置できるタイプのものだ。恐らくはゴーレムと同じように簡易的に移動させられる高火力設備の扱いなのだろう。

 兵たちの訓練も勇ましい。錫色をした甲冑姿のサラマンダーたちは一様に攻城装備のような巨槌を装備し、シルフ達の大弓隊は火力援護にはうってつけ、集められたスプリガンの傭兵たちは剣と魔法の双方に優れ、神官が多いウンディーネは後方援護に適する。ノームとレプラコーンは工房で日夜武器を生産し、速度に特化したケットシーたちは電撃作戦に適し、インプたちはオールラウンダーを活かして組織の弱所を埋める。

 騎獣たちは攻撃と速度の両方を大幅に引き上げ、備蓄された物資は長期戦においての生命線となる。反オベイロン派が長い時間をかけてオベイロン打倒の為に力を蓄え、今こそ反逆の時とばかりに動くのも仕方ない程に充実している。

 だが、それでも勝てない。オベイロンにたどり着くには3体のネームドを撃破せねばならないのだ。

 ザクロは知っている。本当に恐ろしいのは個でもって多を圧倒する、もはや理不尽としか言いようがない存在だ。それがボスであり、ネームドであり、時としてプレイヤーなのだ。

 兵士たちのレベルは平均でも30に届くか否か。絶えない人海戦術……いや、人海戦略ならばネームドを押し込むことも可能かもしれない。だが、人型などの小型ならばともかく、竜の神に代表されるような超大型ネームドが降臨した時に、果たして撃破の水準に達していない軍勢がどれだけ役立つというのか。

 トカゲならば蟻の群れでも倒せるかもしれない。だが、大地を踏み鳴らす巨象を、空を支配する鷹を、水中から襲い来る鮫を、果たして蟻の群れが倒せるだろうか?

 

(まぁ、世の中には軍隊蟻なんてトンデモ生物もいるから無いとも言い切れないか)

 

 以前にテレビで見た、まさに数の暴力としか言いようがない蟻の大軍が森を横切る映像を思い出し、彼らも軍隊蟻くらいに獰猛かつ犠牲を厭わないならば、巨象を倒すことはできるかもしれないとザクロは冷ややかに目を細める。

 だが、暁の翅は士気が高いようには思えない。むしろ惰性が蔓延しているようにも映るのは気のせいではないだろう。その理由の1つは間違いなく、廃坑都市という安全地帯が彼らに堕落をもたらしたのだ。

 反政府組織の常であるが、体制側に押し潰される全方位からの迫りくる危機が緊張感を作り出し、行動に必死さを生む。それは熱意となって伝播し、多くの人々を感化させ、革命の狂乱へと導くのだ。そして、それが勝利の礎となる。犠牲の容認になる。

 革命とは『熱狂』でなければならないのだ。『大義』は理性を爛れさせ、自分たちを『正義』だと酔わせる。そして、常に革命には『シンボル』が必要不可欠だ。それは英雄であり、革命家であり、象徴であらねばならない。同時に大義の先導者であり、正義の代弁者であり、自らの足で断頭台に進む覚悟ある者でなければならない。

 だが、暁の翅は成立の経緯はどうであれ、安全地帯を……オベイロンが不可侵となる『国』を得てしまった。自治を可能としてしまった。それは根っこを腐らせる。

 

(利用するだけ利用させてもらうのがベストかもね。【渡り鳥】もあの様子だと反オベイロン派と組む気はないだろうし、奴なら単独でもネームドを倒すくらいは平然と言い出すはず)

 

 とはいえ、今回のネームドばかりは【渡り鳥】でも単独撃破は難しい。

 当然であるが、アルヴヘイムの3体のネームドには後継者が【黒の剣士】を倒す為に選抜し、あるいは開発したものだ。どうやら、その3体はいずれも自信ありらしく、詳細は一切教えてもらえなかったが、その強さは本来ならばボスとして登場しても何ら遜色がない……いや、ボスすらも上回る凶悪さを兼ね備えていると太鼓判なのだ。

 

『特に「彼」は強いよ。アルトリウスと同じでボク自身は手を加えていない、ダークブラッド計画の中で彼が培った力をカーディナルが認めた8体の「完成個体」の1体さ。純粋な戦闘能力だけならばアルトリウスと同じで「王」たちを圧倒する。せいぜい死なないようにね♪ 彼にはかなり凶悪な能力もカーディナルは認めちゃってるからさ☆』

 

 あの男はオベイロンを殺してほしいのか、それともご自慢のネームドにプレイヤーが叩き潰されて欲しいのか、どちらなのだろうか。頑なにネームドの情報を公開しようとしなかった後継者はエンターテイナーであるべきGMとしては立派であるが、依頼人としては太陽の狩猟団レベルで糞にも劣ると言いたくなるのがザクロの本音だ。

 あれこれ悩んでも仕方ないし、立ちはだかる以上は倒さねばならない。ロザリアと暁の翅のからの情報さえあれば、ネームドの居場所も割れるのだ。後はじっくりと作戦を立てて倒せば良い。

 

(私とPoHと【渡り鳥】の3人がいれば、並大抵のネームドなら倒せる。特にあの2人は……私よりも強い)

 

 PoHもまだ底を見せておらず、【渡り鳥】は言うまでもない。そして、3人でも苦戦を強いられる敵と衝突した時に、最初に脱落するのは間違いなくザクロだろう。

 

(死ぬのは……やっぱり怖い)

 

 でも、死ぬ時は死ぬのだろう。ザクロは自分の死を客観的に推測する。あの2人は命を張ってでも自分を助けてくれないだろうし、同じ状況に陥ってもザクロは2人を助けようとはしないだろう。

 

(ねぇ、キャッティ。私は……私はあなたのように強く生きられなかった。あなたは死ぬ瞬間に何を思ったの? 世界に絶望したの? それとも、私を助けてくれた時と同じで、最期まで世界の善意を信じたの?)

 

 あなたが助けてくれた私は、路上の痰にも劣る悪党に成り果てたというのに。ザクロは自嘲を零す。まだ、自身を嗤うだけの心が自分に残っていたことを心底情けないと自己嫌悪に陥る程に……嗤う。

 

「主様」

 

「分かってるわ。死ぬ気なんてない。死にたくも無い。【渡り鳥】への復讐だけが私の全てなんだから」

 

 と、そこでザクロは【渡り鳥】と言えば、と箱詰めされたニンジンを手に取って眉を顰める。

 

「私ね、食事に関して言えば、世界で1番面倒臭いオーダーは『何でもいい』だと思うのよ」

 

「全面同意です。ですが、【渡り鳥】様は食に関して極度に関心が低いようですからね。本当に『何でもいい』のでしょう」

 

「そこよ。傭兵にとって食道楽なんて1番のストレス解消方法じゃない。アイツ、何が楽しくて生きてるの? 戦いと殺しが生き甲斐なの? 酒も飲まない。女も抱かない。食事すらも放って置いたらまともに取らない。しかもほとんど寝ない。何なの? 人間の3大欲求を愚弄しているの?」

 

 殺人をゲーム感覚で『遊び』とするPoHでさえ、食には相応の関心がある。だが、アルヴヘイムではDBOでも見たことが無い食べ物や料理で溢れているのだ。普通ならば心擽られて食指が動くというものである。

 

「禁欲主義なのではありませんか?」

 

「即身仏になる気かしらね」

 

「仏の道も座禅から。主様も心を滝で洗われてはいかがですか?」

 

「あなたのそういう知識は何処から湧いてくるのよ」

 

 生まれたばかりの頃は、あんなにも無垢で純粋で『あるじサマー』と繰り返す可愛い子だったのに。いつの間にか相棒や友人を超えて、オカンといった方が何倍も相応しい存在になってしまった。

 

「さぁ? 私も、自分の事などほとんど知りませんから」

 

 感慨深そうにイリスは、まるで遠い空に自分を映すように見上げる。だが、情緒ある哀愁を漂わせる姿も、アザラシの着ぐるみのせいで台無しである。

 イリスは≪操虫術≫を獲得した時にサポートAIとして卵から孵った。イリスという名前もザクロが付けたものではない。彼女が自ら名乗り出したものだ。

 

「主様は観測者の意思を感じたことがありますか?」

 

「何? 量子力学の話?」

 

「おや、主様にしてはそこそこの知識があるご様子」

 

「イリスはそれを感じたことがあるの? もしかして、カーディナルの意思って奴なの?」

 

 DBOを支配する神とも言うべき存在であるカーディナル。イリスも誕生経緯を考えれば、他の多くのAIと同じく、カーディナルが『認めた』存在だ。ならば、カーディナルによってプレイヤーを観測する能力が備わっているとも言えるかもしれない。

 だが、イリスは小さく首を横に振る。まるで、ザクロには決して理解できないと告げるような否定だった。

 

「それよりも食事の件ですが、主様の手料理を振る舞ってはいかがですか? プレイヤーの方々は栄養を気にする必要はないと言っても、食は英気を養う源泉。腹が膨れなければ戦できないのが世の非情なところ。【渡り鳥】様も主様の料理ならば無下にされないと思いますよ? あの御方はとても優しい人ですから」

 

「……お前って本当に【渡り鳥】の肩を持つわよね。アイツは私によって復讐の対象。仇だって分かってる?」

 

 たとえ八つ当たりだとしても、この『居場所』は捨てたくない。ザクロは歪んだ殺意を溢れさせる。だが、イリスは何処吹く風とばかりに溜め息を吐いた。

 

「主様にとっては『憎い』敵でも、私には『主様の』敵以上にはなり得ませんよ」

 

 暗にどんな事があっても自分の味方だと宣言してもらい、ザクロは頬を少し赤らめて、【豚鶏の卵】の石のような殻を持つ卵をつかむ。

 

「ま、まぁ? 私もたまには『イリスの為に』料理を作るのは吝かじゃないわよ?」

 

「本当に素直ではありませんね。ですが、これで主様の密やかな趣味の1つである『いつか旦那様に食べてもらうんだ☆オリジナル料理』も活かす機会が出来ました」

 

「それ、【渡り鳥】の前で言ったらマジでアース○ェットの刑にするから」

 

 しかし、そうなるとザクロが振る舞う料理は自然と1つに定まる。オムライスだ。

 オムライスは母の数少ない得意料理だった。週に1回は作り、父は辟易して文句を言いながらも必ず完食した、夫婦の絆の味だ。

 

『オムライスは宝箱なの。ふわふわ卵で包むのは「心」よ』

 

 アルヴヘイムの素材では特製ソースを作るのは難しそうであるが、足りぬ素材を補うのはザクロの料理の腕の見せ所だ。

 購入するのは豚鶏の卵、高値を張る【銀米】、野菜は【ラビット・キャロット】と【赤鬼タマネギ】でシンプルに。肉は卵との相性を兼ねて豚鶏で良いだろう。ザクロは自然と鼻歌を奏でる。

 後はご飯と絡ませる特製ソースだ。通常のオムライスと同じでケチャップをベースにしたいところであるが、DBOではそもそもケチャップはクラウドアースの専売品であり、レシピは非公開だ。ザクロは度重なる研究によって独自のソースを作り出すことに成功しているが、アルヴヘイムの食材ではそれを再現することはできない。

 

(DBOとの共通の素材は幾らかある。後は不足分をイメージで補っていくしかないか)

 

 素材を買っては試しに齧り、味が絡み合うイメージを膨らませる。時間さえあれば試行錯誤したいところであるが、そんな暇はない。

 

「あと、やっぱり『チョコレート』と『イチゴソース』は外せないわよね」

 

「今更ですが、主様の甘党は度が過ぎると思うので、未来の旦那様の為にもメニューは再考すべきかと」

 

「知らないわよ。辛いのより甘い方が幸せになれるじゃない。私に美味しければそれで良いのよ」

 

「確信的メシマズ行為は食材への冒涜だと思います」

 

 イチゴソースは【鬼灯イチゴ】から作れるだろうと籠いっぱいに買い込む。あとはチョコレートだ。ザクロは市場を探し回り、携帯食料を販売する1画にて、ついに念願のチョコレートを発見する。

 これで特製ソースに近づける! 歓喜してザクロがチョコレートの山に手を伸ばした時だった。

 横から白い手が伸び、チョコレートの山を嬉々とつかみ取る。

 何処の欲張り者よ!? まだまだチョコレートのたっぷり残っているとはいえ、自分が狙っていたチョコ山を奪い取られ、ザクロは怒り心頭に直角に首を動かして略奪者の顔を拝見する。

 

 

 

 

 

「やったね♪ メノウさんが言った通り、チョコレート発見!」

 

 

 

 

 

 それは小柄な体躯と長い艶やかな黒紫の髪をした少女だった。笑顔が似合う可愛らしい容姿と無邪気さ、嬉しそうにチョコレートを抱きしめる姿はやや幼さを感じさせる。腰には1本の剣を差した姿は、可憐な少女が立派な剣士であることを主張する。

 だが、ザクロからすれば、外見諸々の情報は心底どうでも良い。いや、どうでも良くはないが、彼女と遭遇したという事実が限りなく危うい。

 

「あ、ごめんね。これってお姉さんが狙ってたの?」

 

 ザクロの視線に気づいたのだろう。少女は……ユウキはザクロを覗き込む。

 当然ながら、ザクロはPoHの依頼通り、既に≪操虫術≫で廃坑都市全域を既にカバーしている。高い索敵能力を持つ≪操虫術≫だからこそ出来る広範囲のカバーであるが、決して万能ではない。

 たとえば、特定のプレイヤーを即時に探し出すことは出来ない。プレイヤーとモンスターを区別したり、遠く離れた場所の映像を得たりは出来るが、選んだプレイヤーの居場所を即時に見つけ出すような真似は出来ない。

 アルヴヘイムの住人は変則的なプレイヤー扱いである。故にプレイヤーだけを特定しようとすれば、廃坑都市の住人全員が対象となってしまう。そこでザクロが考え付いたのは、高レベルのプレイヤーへと優先的に群がる【誘魂虫】の使用だ。これを夜間に放てば、高レベルのプレイヤー……【来訪者】の寝床に優先的に誘魂虫は集まる。後は監視用の虫を寝床に放てば、明け方には廃坑都市全域にいる【来訪者】の居場所とその後の動向は把握できるという作戦だった。

 故にザクロとしては予定外。幾ら閉塞された空間とはいえ、都市規模で、ターゲット本人と接触するなど想定外だった。

 

(落ち着け! 私の素顔はほとんど知られていない! 大ギルドも特定できていない! つまり、私の素顔こそが最大の変装になる! 幾らチェーングレイヴの幹部でも、私の素顔を把握していないし、私がアルヴヘイムにいる事を即座に関連付けることはできない!)

 

 今にも破裂しそうな心臓であるが、伊達に傭兵時代は潜入任務で多大な戦果を挙げたザクロではない。ユウキの視線から逃げずに、ザクロは咄嗟に笑顔を取り繕う。

 

「別に構わないわ。私はこっちを貰えば良いだけだし」

 

 別のチョコレートの山をごっそりと籠に放り込み、手早くザクロは財布を取り出して会計を済ませる。下手に会話を重ねるよりも、偶然にも市場で遭遇しただけの赤の他人。そう演じることこそが最適であると判断したのだ。

 

「ねぇ、ちょっと待って」

 

 だが、同じく会計を終えた少女は、物珍しそうにユウキはザクロに鼻先が触れる程に顔を近づけたかと思えば、まだアイテムストレージに収納されていない籠を覗き込む。

 

「うわぁ、こんなにたくさんのイチゴとチョコレート、何に使うの?」

 

「……ソースよ。オムライスのソース」

 

「オムライス!? イチゴとチョコレートで!? ま、マズそう……」

 

 当然の指摘をされたザクロは自分に言い聞かせる。熱くなるな。客観的に見れば、自分の甘党の方が常軌を逸しているのだ。未来の旦那様も自分と同じくらいの甘党を探せば良いだけではないか。

 だが、ザクロは思い返す。傭兵時代の、太陽の狩猟団にこき使われ、クタクタになった朝帰りの時も、あんな依頼やこんな依頼のせいで心折れそうになって部屋の隅で体育座りをしていた時も、抹殺【渡り鳥】計画が煮詰まってヒステリーを起こした時も、自分を癒してくれたのは、悲しい位に自分好みの手料理だった!

 

「主様! 抑えて! 抑えてください!」

 

 小声ではあるが、ザクロに必死になってブレーキをかけようとする。だが、すでに思考の冷却装置は溶解する程にヒートアップし始めたザクロは、ハッと嗤って肩を竦める。

 

「これだからお子ちゃまは。イチゴとチョコレートこそがオムライスを輝かせる隠し味なのよ。大人の世界では常識なのよ、ジョーシキ!」

 

「えー、絶対に嘘だー」

 

「本当よ。だったら、試しに食べてみる? 癖になって嵌まるわよ。ただし、食に嘘は許されない! 少しでも美味と感じたら、土下座してオムライスソースに詫びを入れなさい」

 

「うーん……良いよ。どうせ美味しくないだろうし」

 

 よくぞ言った! ザクロは何やら面白いことが始まりそうだと騒ぎ始めた周囲の人々を掻き分け、アイテムストレージから手早く野外料理セットを、かつては鉱山夫の家族の憩いの場所だったのだろう、つるはしを持ったノームの石像がある円形広場に準備する。農業作業でくたびれた農夫のインプや鍛錬を終えて屯していたサラマンダーたちは、突如として自分たちの目の前で始まる料理の光景を暇つぶしとばかりに見守っている。

 

「主様! 何を考えているんですか!? 彼女は――」

 

「少し黙って。私にも女として引けない一線があるの」

 

「そんなもの、殿方の前でゲロを吐いた時点で越えていますから!」

 

「あのソースへの侮辱は未来の旦那様への侮辱。私に撤退の2文字はないわ」

 

 DBOではゲロを吐く機能はまだ実装されていないわよ? 小声でもうるさく囀るイリスを鞄に押し込んで無理矢理黙らせたザクロは、ヘス・リザード購入時の新婚バカップル演技後の悲劇を遥か遠くに投げ捨てる勢いで忘却し、ザクロはチョコレートをナイフで細かく砕き、鍋でイチゴと蜂蜜を煮込む。≪料理≫の機能でシステムウインドウを開き、自作のレシピを確認しつつ、不足した食材を補うべく思考を組み立てる。

 興味津々といった様子でザクロの料理を見守るユウキは、彼女が手で千切る【キーシュの赤葉】に眉を顰める。

 

「キーシュの赤葉は香草だよ? 苦みも強いし、甘いソースの味付けには場違いなんじゃない?」

 

「フフフ、『甘い』わね。キーシュの赤葉は確かに苦みが強い香草。保存性を高めるから燻製肉を作る時に使うのが一般的。だ・け・ど、レモンなどの酸味のある果肉と組み合わせるとあら不思議。苦みはそのままさっぱりとした舌触りの良い甘味に化けるわ。出来れば【朝焼けレモン】が1番合うんだけど、この【太陽レモン】もなかなかに相性が良いみたいね。ほら、齧ってみなさい」

 

 キーシュの赤葉を刻んでまぶした太陽レモンを差し出すと、ユウキは半信半疑といった様子で齧り、驚きを隠せないとばかりに目を見開いた。

 

「な、なにこれ!? 凄い甘い! なのにしつこくない!」

 

「これがキーシュの赤葉の本当の使い方よ。さて、イチゴソースは出来たみたいね。じっくりと煮込んだイチゴソースにチョコレートを入れて、更に煮込むわ。初心者は失敗率が高いから煮込み時間の設定には気を付けることね」

 

 そうして出来上がったのは、見た目だけはオムライスに似合いそうな明るめのオレンジ色をしたソースである。多量のイチゴとチョコレートが小瓶1本分に変じたのは、システムとしての料理だからか、それとも多量の素材の『甘さ』が瓶1本分に凝縮されたか。

 どちらにしても、円形広場は死屍累々。まるで火山が噴火した直後に噴き出した有毒ガスにやられたかのように、人々は倒れ、あるいは円形広場から逃げ出していた。

 

「本当は他にも色々な素材を使うのだけどね。まぁ、8割再現ってところね。無い無い尽くしの割には上出来じゃない。ほら、舐めてみなさい」

 

「……もうニオイからして人間が食べて良い限界を超えてるんだと思うんだけど」

 

 スプーンで掬えば、蜂蜜のように粘り強くドロリとした液体であると主張するソースに、ユウキは頬を引き攣らせながらも、覚悟を決めた様子で口に入れる。

 丹念に舌の上で躍らせ、口内に味を広げ、うんうんと何度か頷く様子で吟味したユウキは、やっぱりだと言わんばかりに鼻を鳴らした。

 

「本当にごめんなさい!」

 

 そして、ソースの入った瓶に奇麗な土下座をするユウキに、ザクロは勝ったと右拳を高々と掲げた。

 

「これ、凄い美味しい! 胸焼けするくらいに甘いはずなのに! 蜂蜜よりも甘いはずなのに! 砂糖をそのまま食べてるくらいに甘いはずなのに! 喉を過ぎる頃にはスッと消えているんだもん!」

 

「それはキーシュの赤葉をまぶしたレモンの果肉の効果よ。甘さの継続時間を下げて、味に調和をもたらしているの」

 

「イチゴのほんのりと酸味ある甘さも食べ始めにあって、しかもチョコレート特有の口内を汚染していく甘さも絡み合ったと思えば、この清涼感をもたらすくらいにサッパリしているのは何で!? 味が消える直前にミントみたいに涼しくなる甘さが駆け抜けるのは何で!?」

 

「料理は目で盗むものよ。私のソースの極意は既にあの素材の中に隠されているわ。キーシュの赤葉なんてその他大勢の1つに過ぎないのよ」

 

 尊敬の眼差しで目を輝かせるユウキに、ザクロは胸を張って歴戦の猛者のように格好付けて笑う。イリスには大いに不評であるが、このソースの何処に食への冒涜があるというのだ?

 スプーンで掬っては舐めて幸せそうに体を震わせるユウキから、さすがにこれ以上は駄目だとザクロは瓶を取り上げる。

 

「ボクの完敗だよ。お姉さんは正しかった。そのソースは確かに美味しいよ。ボクが食べた中でもトップかもしれない。うん、ソース『は』ね」

 

 あれだけ絶賛したソースのはずなのに、何やら得心がいかないとばかりにユウキは口元を手で覆って考え込む。

 もしや難癖をつける気だろうか。いかなる言葉の槍が投げられようとも、ザクロはこのソースに絶対なる自信を持っている。何でも来いとザクロは腕を組んだ。

 

 

「でも、何にしても『甘過ぎる』からオムライスには不向きだよね?」

 

 

 それは至極当然の指摘。右手の人差し指を立てて疑問を投じたユウキに、ザクロはプルプルと腕を震わせた。

 

「……それとこれは話が別よ」

 

「でもオムライス用のソースなんだよね? パンケーキなら絶品だろうけど、このソースでオムライスはちょっと……」

 

「…………」

 

「…………」

 

 沈黙の中で、ザクロは何事も無かったような笑顔で瓶をアイテムストレージに収納し、料理の片づけを行う。ユウキもそれ以上の指摘はせず、満足したとばかりにノームの石像の台座に腰かけて、システムウインドウを開くとソースのメモを取り始める。

 

「あ! 分かった!【アウレウスの種】の粉末でしょう!?」

 

「不正解。あれは違う味同士を繋げ合わせる接着剤みたいなものよ」

 

 素材だけではなく、調理方法も観察させた。再現することは出来るかもしれないが、それでもザクロのソースと同じ領域に達するには、ユウキの弛まぬ研究心が必要になるだろう。

 と、そこでザクロは鞄の中から『この馬鹿主様はいよいよ頭のネジが大気圏外まで吹っ飛んだのですか?』と言わんばかりのイリスの視線に気づく。

 ソースへの侮辱で我を忘れていたが、ユウキはPoHからも依頼された接触を最大限に避けねばならない危険人物だ。【渡り鳥】と接触させるリスクなどザクロには計算できないが、PoHとしては余程に都合が悪いのだろう。

 それに、ザクロとしても【渡り鳥】を殺そうとしている事がバレれば、ユウキの敵として認定されることは分かり切っている。ならば、必要以上の接触は避けるべきだ。

 

「……そんなに熱心になって、料理好きなの? それとも意中の男でも落としたいの?」

 

 今必要なのは迅速な離脱だ。荷物を纏め終わったザクロは、ソースの秘密を暴こうと悩み苦しむユウキに、別れ際の挨拶だとばかりに話しかける。

 

「うーん、どっちも、かな? 料理は楽しくて好きだよ。こう見えてもオリジナルブレンドのドリンク作りが趣味なんだ。でもね、やっぱり自分が作ったものを……大好きな人に『美味しい』って言ってもらいたいよ。その為には努力しないと」

 

「そう。せいぜい頑張りなさい」

 

 言ってやれば良い。自分たちと【渡り鳥】は組んでいる。自分について来れば、意中の人物と再会できる。

 PoHとの約束が何だ? あの男を困らせる分にはザクロには何ら不利にもならない。正体がザクロと知られれば巻き添えを食うかもしれないが、その前に逃げ出せば良いだけの事だ。

 分かっている。今必要なのは『チーム』を維持する事だ。危険な接触ではあるが、ユウキが既に先んじて廃坑都市に到着していたという確固たる情報を得られた。既に監視用の虫も密やかに放っている。今後は彼女の居場所は手に取るように分かるだろう。

 

「お姉さんは良い人だね」

 

「は?」

 

「あのソース、きっと秘密のレシピだったんでしょう? わざわざ作るところを見せてくれたんだよね?」

 

「分量も細かく設定したから、素材だけ分かっても作れないわよ? 手順だって全部憶えてないでしょう?」

 

「こう見えても記憶力は良いんだ。素材は全部メモしたし、あとはお姉さんのソースを目指して精進あるのみだよ」

 

 前向きね。そろそろ時間が迫っているとザクロは出発する。腕を振って見送るユウキに、ザクロは胸の奥に小さな痛みを覚える。

 

(私は良い人なんかじゃない。お前の大好きな人を何度も殺そうとした女。お前と【渡り鳥】を引き離そうとしている悪役よ)

 

 優しい人になりたい。過去のザクロの後ろ髪を引く。今ならば、彼女に真実を告げれば、少しだけでも優しくなれたと自分を誇れるのではないかと誘う。

 馬鹿にするな。ザクロは誘惑を断ち切る。

 イライラする。きっと【渡り鳥】のせいだ。あの寂しそうな眼のせいだ。あの微笑みのせいだ。まるで火に吸い寄せられる蛾のように、ザクロは彼に何かを求めている事に気づく。

 

「主様、急ぎましょう」

 

「分かってるわよ」

 

 もう腹立たしいから、オムライスは止めて、特製ソースで味噌汁でも作って【渡り鳥】を吐かせてやろう。ザクロはそう決心して歩みを速めた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 黒髪の女性を見送ったユウキは、満足そうにメモ帳に取ったソースの素材と睨めっこする。

 思わぬところで拾った宝物だ。このソースならば、きっとクゥリは喜んでくれる。その為には再現が不可欠であるが、そこは努力と研鑽を重ねれば良い。

 思わず踊りたくなる気持ちを昂らせるユウキの元に、アリーヤが物陰からゆっくりと顔を出す。黒い狼はそのフサフサの毛で覆われた頭をユウキの足に擦り付け、まるで褒めてというようにお座りした。

 

「うん、アリーヤ。よく『我慢』したね? 偉い偉い♪」

 

 屈んでアリーヤの首を抱きしめながら顎を掻くユウキは、嬉しそうに鳴く黒狼を褒める。

 

「本当にお姉さんは『良い人』だよね」

 

 ペロリとソースの味を思い出すようにユウキは唇を舐める。今からでも追跡するかと問うようにアリーヤは舌を出しながらユウキを見上げるも、彼女は小さく首を横に振った。そして、ごく自然な動作で、だが神速と精密さを併せ持って、ユウキは自分の髪にひっそりと止まっていたカナブンに似た虫を、決して潰さないようにつかみ取る。

 まるで神に祈るように手を組んでカナブンを包んだユウキは、もう姿が見えない黒髪の女性に感謝を捧げる。

 

「ありがとう、お姉さん。ちゃんとお姉さんから『クーのニオイ』がしたよ」

 

 ソースは副産物。ニオイを『嗅ぐ』動作を誤魔化す為の言い訳だったのだが、思わぬ副産物として絶品ソースを知ることができた。

 愛しい人のニオイを憶えるのは基本中の基本である。DBOでは体臭にも個人の差異がある。シーラに師事するユウキもまた、当然のようにクーのニオイはしっかりと憶え込んでいる。

 

「どうしたものかなぁ。あのお姉さんはクーと長く一緒にいた、あるいは『クーが長く身に着けていた私物を持っていた』のは間違いないよね? だったらクーの『仲間』なのかなぁ? でも、わざわざボクに『変な虫をつけた』くらいだし、警戒されてるみたいだよね」

 

 俺に言われても困るとばかりにアリーヤは首を傾げる。

 先手は何にも増して有用な攻めだ。後攻が有利な場面など限られている。

 

(反主流派は先んじて深淵狩りを通じて『確保』してある。もうボスが密会済みで情報提供を行う密約も結んでる。クーが接触すれば即時に連絡が来る手筈も完了。深淵狩りの人たちにはクーが『深淵狩りと似通った剣技を使える』ことを教えて興味も持たせてある。クーの確保時の『邪魔物』が入った場合の協力体制は万全)

 

 深淵狩りたちはクーの剣技について教えると身を乗り出す程に興味を示した。彼らの剣技の大元は深淵狩りの祖が使ったとされる『狼の剣技』らしく、それは深淵狩りたちがバケモノたちと戦う為の剣技らしい。だが、それは時代を追うごとに、また代を重ねるごとに、確実に『始祖』の原型が失われたという。

 ガウェインの時に感じた既視感と深淵狩りという共通点から思わぬポイントが得られた。だから、あとは『邪魔者』の排除について入念な準備だけだ。ユウキはアリーヤの頭を撫でながら、今まさに廃坑都市で密やかに、だが着実に広まっている噂を気にかけていた。

 それは【二刀流のスプリガン】と【ケットシーの希望】が廃坑都市に到着したという噂だ。

 UNKNOWNは間違いなく廃坑都市にいる。ならば、クゥリが最大限に接触を避けようとするはずだ。逆に言えば、UNKNOWNが関与すればするほどにクゥリの廃坑都市での行動は制限される。

 

(あのお姉さんはボクの事を知っている? それとも接触してきたから警戒しただけ? 虫使い……1番代表的なのはユニークスキル≪操虫術≫保有のザクロだよね。ザクロはシャルルの森に関与していた。当時、シャルルの森で暗躍していたのはPoHとザクロ。2人は組んでいた? あるいは同盟関係? うーん、判別しきれない。でも、仮にPoHと組んでたなら、PoHは後継者の駒だから、ザクロも後継者の仲間? だとするなら、クーがアルヴヘイムにいる理由は【閃光】関係だけじゃなくて、別のアプローチ……たとえば、後継者から『傭兵として依頼を受けた』とか?)

 

 握り潰さないように注意しながら、カナブンを手元で弄るユウキは殺意を熟成させていく。

 

「うーん、ハッキリしないね。推測の域を出ないなぁ」

 

 あのお姉さんがザクロだという証拠もないしね。ユウキは保留にしつつ、今後の対応を考える。

 珪砂を入れたばかりの今動くのは少々性急だ。活動するならば夜だろう。この虫が1匹だけとは思えない。都市内を探せば、住人の見解も加えれば、『見た事も無い虫』が数多く発見されるかもしれない。それを餌にしてボスと深淵狩り達を動かす。後はアリーヤに『憶えさせた』あの黒髪の女性を追えば、クーと同行者を纏めて発見できる。

 

「ああ、夜が待ち遠しいなぁ♪ クーったら、ボクを見たらどんな顔するだろうね」

 

 しっかり『武器の整備』だけはしておかないと! 無邪気に笑って踵を返したユウキはアリーヤを伴って、カナブンを手放すと人の往来の中に消えた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 それはドロリとした黒い霧。あるいは闇以外の何物でもない『黒』。

 全身に黒い体毛を持つ、血肉を有さず、骸骨となって動く怪物。頭部は人間を思わす形状をしているが、四足歩行する姿は正しく獣。全身から青い雷光を迸らせるのは、アルヴヘイムで多くの都市を単体で壊滅させ、深淵狩りの剣士たちにも危険視される異形……黒獣。

 その黒獣の背に乗り、まるで青い雷光が怯えるように避けるのは、かつては銀色だっただろう甲冑を深淵の闇で穢し、なおかつ昇華させた光を反射しない黒で覆う、1人の男だった。

 スマートな印象を受ける細身の甲冑。真紅の飾り尾が伸びる兜はフルフェイス型であり、覗穴は獣のように細長い2本の覗き穴がある。そこから漏れるのは暗闇に籠る双眸たる黄金の光だ。

 

『サー・ランスロット。この度は無理を聞いていただいて感謝の言葉もありません』

 

「世辞は止せ、オベイロン。貴様の腹芸など見るに堪えん」

 

 黒獣を手綱もなく操り、まるで自らと同化した馬の如く地を這わせる騎士は、自身の正面に浮かぶ<VOICE ONLY>という画面に吐き捨てる。

 

「本来ならば貴様の手助けをする義理など無いのだが、『彼女』を害する輩がいるとなれば話は別だ。しかし、それにしても性急過ぎる」

 

『お恥ずかしながら、我が妻ティターニアが城から逃げ出しまして。アルフ達に追跡させていますが、未だに行方は知れません』

 

「フン、なるほどな。貴様の妻が『象徴』となる前に……か。悪くない手だ。だが、果たしてそう上手くいくかな? そもそも、貴様にはこれまで攻め落とせない理由があったのだろう?」

 

『あなたとは違い、僕の場合は時間的な問題もあったんですよ。それに、何も「不可能」だったわけじゃない。強引な手ではあるけど、僕ならば「可能」だった』

 

「ろくでもない手段というわけか。王の風上にもおけぬ男だな」

 

 あえてティターニアが逃げ出した理由は問わず、騎士は夕暮れの空に哀愁を覚えるように眺める。それを汚すオベイロンの会話などさっさと終えたいと暗に告げるようにやや早口だった。

 

『アルヴヘイムは僕の所有物だ。箱庭で生かされた虫が良い気になって飼い主の手を噛もうものならば、お仕置きはしっかりとしないとね。それに、僕が望んでいたものはアルヴヘイムでは『栽培』されなかった。実に惜しいよ』

 

「……なんでも構わんが、万全など言葉にするだけ足りぬというものだ」

 

『その為のサー・ランスロット、貴方だ。それに僕が準備した深淵の怪物たちも合流する。アルフ達も同時に奇襲をかける。勝ちは揺るがないさ』

 

「問題は勝ち方だ。貴様のやり方は禍根を残す。この作戦、元より根絶やしなど不可能だ。必ず火種はアルヴヘイムで燻ぶる」

 

『本拠地を潰せば、連中など取るに足らない蟻だ。僕の敵じゃない。何よりもアルヴヘイム最強の貴方の強さ、是非とも拝見したい』

 

「好きにしろ。月夜の頃には好きなだけに見せてやろう。騎士として、王たる貴様に約束する」

 

 闘争心を示すように、騎士は背負う大剣を黄昏の太陽に向ける。その剣はかつての銀の輝きを失い、深淵の闇に汚れているはずなのに、その姿こそ正しいと主張するように猛々しく刃を冷たく煌かせる。

 

 

「この騎士ランスロットの名にかけて、貴様に仇成す反オベイロン派の拠点、廃坑都市とやらを今宵落としてやる」

 




オベイロン、ついに重い腰を上げる。

戦力一覧
ランスロット
黒獣
アメンドーズ
小アメンドーズ
アルフ
……他多数

圧倒的じゃないか、我が軍は! byオベイロン


それでは、253話でまた会いましょう。
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