SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
妖精王オベイロン、動く。




Episode18-19 殲滅の歌

 拝啓、母上。ホカホカごはん+卵焼き+味噌汁のコンボは、由緒正しき日本の朝食のスタイルであり、完全無敵の美食であるとオレは思います。

 ですが、それは朝食の話であって、夕飯にこのメニューが出てきた時にはどんな反応を示すのが正しいのでしょうか?

 

「ほら、喰え」

 

 そして、このザクロの笑顔である。見た目自体は悪くないし、惚れっぽいオレだから、ついつい胸キュンしてしまいそうではあるのだが、笑顔の裏にある邪悪さ……教会のクソガキ筆頭のチョコラテくんの悪戯魂全開の時と同じで、浅ましい魂胆が見え見え過ぎて、やはりどう反応すべきか困る。

 ボロボロの木板に盛られたのは、スープ用のお椀に盛られた白米、野菜っぽい何かが垣間見える卵焼き、そして色彩『だけ』は奇麗に整えられた味噌汁だ。

 考えろ。まずは白米だ。ごはんだ。日本人の魂だ。品種改良1000年単位は伊達ではない。日本人は米に生涯をかける情熱を注いできた。我らがご先祖様を熱く滾らせた銀色の1粒は砂金にも匹敵する価値があるのだ。まぁ、ここは仮想世界なんですけどね。

 箸でごはんをひとつかみ、そして口内へ。もちろん、味はしない。ほんのりと香る米のニオイ。これが全てだ。触感だけは舌を通して伝わってくるが、米が歯で擦り潰され、舌で粘々とくっ付き合う。

 故郷を思い出す。ヤツメ様の森に続く道には、秋になれば黄金の稲穂が並んでいた。よく母さんに手を引かれて歩いたな。

 

「味噌汁か。俺は馴染みがないが、なかなかに美味いな。味噌の味にはハマってたぜ」

 

 かつては酒場だった、朽ちたカウンターに腰かけたPoHは、フランスパンに似た固焼きパンとボンレスハムを食い千切っている。葡萄酒に似た、緑色のボトルに入った酒を煽りながら、わざわざザクロが作った夕飯を珍しそうに観察している。

 

「味噌鍋とか良いよな」

 

「さすがは【渡り鳥】。分かってるな。どうだ? この仕事が終わったら味噌鍋パーティにでも洒落込もうぜ」

 

 とはいっても、DBOでは味噌は貴重品だ。なにせ販売しているのはクラウドアースだけだからな。真似ただけの贋物ならば一山幾らで投げ売りされているのであるが、味噌特有のコクはなかなか再現できないし、レシピはクラウドアースでも厳重管理されている。しかも、クラウドアースは日夜アレンジを加え、今では現実世界の味噌にも勝るとも劣らない。

 ちなみにグリセルダさんは根っこからの和食派だし、グリムロックも愛しい奥様に合わせているので、彼らのエンゲル係数は何気にDBOでもトップクラスだったりするわけだ。オレは食にこだわってもしょうがないので、とにかく食べれれば良いのだが、あの2人は凝り性が災いして食には妥協しないからな。

 

『んー、ボクはあまり好きなものを食べられる「環境」じゃなかったから。だから、こうやって自分の食べたいものを、好きだけ作って、好きなだけ食べられる分だけ、仮想世界に来て良かったと思うよ』

 

 そういえば、ユウキも割と食にはこだわる方だったな。しっかり施錠&侵入者トラップを仕掛けてきたはずなのに、予定調和のようにキッチンにいるユウキに問いかけた時の返答を思い出し、感慨深く卵焼きを齧る。

 仮想世界に来て良かった、か。『環境』とは、つまりはユウキが極度の貧困に喘いでいたか、食生活を管理される立場にいたか、どちらかだろう。アミュスフィアⅢは高額であるし、仮想世界慣れしている節がある彼女ならば、後者が有力か。

 

「卵焼きは悪くないな」

 

 なるほど。食感で想像するしかないが、ホウレンソウに似た野菜を細かく刻んで卵焼きで包んでいるわけか。今か今かと味噌汁に口をつけるのを待っているザクロを焦らすように、オレは味も分からない卵焼きを食してはごはんを口に運ぶ。

 

「み、味噌汁は?」

 

 そんな期待する目をしないでもらいたい。リアクションを考えないといけないだろう。内心で溜め息を吐きたい気持ちを抑えつつ、オレは味噌汁が入ったスープ皿を手に取る。

 もうね、ニオイの時点でね、アウトなんですよ。何と言うべきか、故郷で木苺のジャムを作った時に、ねーちゃんが砂糖を滝の音が聞こえそうなくらいに流しいれた後に、台所から充満してきた甘ったるいニオイと同類なんですよ。

 とはいえ、オレは極度の甘党というわけではないが、それなりに甘い物好きだ。辛い物は食べられないわけではないが、せいぜいがカレーが限度だし、わざわざラーメンに唐辛子を振りかける事も無い。辛さ耐久度はごく普通だ。

 久藤家は代々甘党なのである。オレ達のスタンダードは、ミルクココアにマシュマロたっぷりだ。あのドロ甘ココアこそが至高の存在だ。

 

「【渡り鳥】様、無理して食べないでも良いんですよ?」

 

 そして、善良なる心の結晶のようなイリスは、あざらしの着ぐるみ姿のまま、鞄から顔を出して味噌汁を手に取ったオレに待ったをかける。

 

「折角作ってくれたものを無下にする気はないさ」

 

「お前ならそう言うと思ったわ。さぁ、ググッとどうぞ」

 

 なんだよ、その新歓コンパでわざとらしく腰を低くして酒を勧める悪徳先輩みたいな言い方は。ああ、まだ灼けていない大学のゼミの思い出が蘇る。オレの隣にいた可愛いおんにゃのこがそのままお持ち帰りされたんだっけ。そんな彼女は今ではミスキャンパスです。その先輩と仲睦じくバカップルっぷりを発揮していらっしゃるはずだ。

 懐かしき大学生活の記憶。穴だらけではあるが、貧しき苦学生として、ボロボロのアパートで毎日がもやしパーティだったなぁ。スーパーの3パックでお買い得というチラシに踊らされ、隣町でキャベツ1玉が驚きプライスと聞けば自転車で爆走したなぁ。アルバイト漬けの日々も今にして思えば、悪くない思い出だ。

 さて、現実逃避はこれくらいにしよう。味噌汁にいよいよ口をつけたオレは、海藻とジャガイモが浮かぶ味噌汁っぽい色をした、もはや味噌汁と名乗ること自体が冒涜だろう『自称味噌汁』を一口分だけ飲む。

 ……甘い。少し薄いが、甘さはちゃんと感じられる。味覚は過半が失われている状態で、オレが甘いと感じられるという事は、その時点でこの自称味噌汁は9割9分の人間にとって猛毒にしかなり得ないドロ甘だという事だ。

 だが、オレからすれば、溶けたアイスクリームを飲んでいる感覚に近い。これ、普通にパンケーキとかに使えばオレでも食事を楽しめるレベルではないだろうか? まぁ、さすがに味噌汁にはどうかと思うがな。グツグツに煮込まれたアイスクリームとか飲んでも美味しいと感じない。つまり、結論から言えば美味しいとは言えない。

 

「食べられない事はないな」

 

 だから、オレがザクロに示す反応はコレだ。何事も無かったように味噌汁を口にしながら白米を掻き込むオレの姿に、ザクロは何処となく失望を見せ、イリスは着ぐるみのまま這ってオレに迫る。

 

「【渡り鳥】様はもしかしてアレですか? 稀有な味覚の持ち主なのですか? 主様と同レベルなのですか?」

 

「酷い物言いだな。オレは美味いとは言ってないだろう?」

 

 恐らく、正常な味覚だったならば、さすがのオレもPoHの口に流し込んで廃棄処理するだろうが、今のオレからすれば、この味噌汁はそれこそ稀有な味わえる代物だ。単純に甘過ぎや辛過ぎではなく、料理として成立している『不味さ』。だからこそ、オレはある種の感動も覚えている。

 

「つまらないわ。さっさとロザリアに会いに行きましょう」

 

 オレのリアクションが気にくわないのだろう。まぁ、落とし穴を掘って見事にターゲットを落としたと思ったら、驚いた様子もなく平然と穴から這い出て来たら、悔しいを通り越して『そうではないだろう!?』という失望を覚えるのは何となくだか理解できる。だからと言って、体をくの字にして味噌汁を吐き出すことはオレには出来ない。『不味い』と感じられるとしても、それは食べられる範疇であるし、味を楽しめる分だけオレには価値がある。

 だから、味噌汁を奪い取って中身を捨てようとするザクロに渡さず、オレは味噌汁の具と絡み合う甘味を堪能する。

 

「言っただろう? 作ってもらった以上、無下にする気はない。感謝はしても、アレコレ文句を言うつもりはない」

 

 まぁ、これが飲食店だったならば『店選びを間違ったか』程度には後悔するのであるが、オレが食費を提供してザクロは料理を作った。彼女に利益はなく、むしろ労力だけを支払わせる形になったわけだ。ならば『何でもいい』と言って食費だけを渡したオレにはとやかく言う資格など無い。

 それに、こうして料理を楽しめたのも久方ぶりだ。それだけでもザクロが作ってくれた価値はあった。

 

「食べるさ。それが敬意だ」

 

「……ふーん。本当に変な奴ね」

 

 頬杖をついて、オレが完食するのを待っていたザクロは目を合わせようとしなかった。変な奴と言いたいのはオレの方だ。

 そうして食事を終えたオレ達は外がしっかりと暮れている事を確認してから、ロザリアとの待ち合わせ場所である旧劇場へと足を運ぶ。なるべく人目につかないように、土地勘のない場所の裏通りを選んで進むのは苦労したが、予定より早めに出発したこともあり、約束の時間の10分前に到着する。

 劇場とはいえ、それは決して立派なものではない。まるで急造されたかのような楕円形の建物は今や何を描かれているのか分からないポスターの残骸、ガラスが割れた受付カウンター、入場ゲートの柵は破壊されて素通りできる。

 かつては赤い革張りだっただろう扉は、今は微かに面影を残すばかりで、素の木板が露となり、立て付けも悪いのか、半開きのまま閉じることもなく侵入者を誘う。

 見回すだけで300人程度は収容できるだろう劇場は、椅子と椅子の間には瓦礫が散乱し、スポットライトの役目を果たしていただろう、鎖で吊るされた燭台の数々は埃被ったまま天井で揺れている。それは壁に痛々しく傷つけられた横穴から差し込む夕暮れの風だろう。

 リビングデッドを見張りに、PoHは懐から不可思議な懐中時計を取り出す。それはプレイヤー全員に渡される望郷の懐中時計ではない。褪せた金色に描かれているのは剣に絡み合う2匹の蛇であり、それらを囲うのは三日月だ。

 スパイとはいえ、オベイロン陣営に身を置く相手だ。いつ寝返ってもおかしくない。だが、わざわざ反オベイロン派という敵地での密会を要求してきた意図は? ザクロは武装を整え、PoHも原型を残した椅子に腰かけて待つ中で、オレは舞台の上に立って観客席を見回す。

 かつては数少ない娯楽の1つとして、この都市でもアルヴヘイムを旅する劇団が多くの観客を楽しませたのだろうか。廃坑都市はかつての鉱山の名残を各所に宿し、だが廃れた哀れみを持つ。かつての栄華はそこになく、今は反オベイロン派の拠点以上の意味はない。

 廃坑都市にどうしてオベイロンが攻め込めないのか。

 まずは入口だ。出入りは比較的自由ではあるが、それを管理しているのは『NPC』だ。あの司祭はアルヴヘイムの常である『命』がある人々ではなかった。ゲームの進行上必要不可欠となるNPCとして配置されていた。

 つまり廃坑都市とはアルヴヘイムの拡張に伴って誕生した、アルヴヘイムの住人たちが築いた都ではなく、翡翠の都のように、後継者が元から準備していた都市である確率は高い。

 だが、それはアルヴヘイムにおけるオベイロンの不可侵領域である理由ではないだろう。事実として翡翠の都は大きく改築され、古いインプの都は地下に埋もれていた。オベイロンはアルヴヘイムの際限ない拡張の中で、地形を激変させ、自身の『守り』を固めていった。

 つまりはオベイロンにはアルヴヘイムをある程度まで自由に改変できる能力・権限がある。だが、オベイロンが反オベイロン派を壊滅させずに放置している理由として、考えられるのは3つ。

 仮説1、反オベイロン派……この場合は暁の翅に関してであるが、これはオベイロンが設立したマッチポンプ、あるいは反オベイロン派を牛耳る元締めを意図的に作り出す、彼の管理社会としての歯車である。

 反オベイロン派とは一言で纏める事が出来ない連中だ。オレ達がアルヴヘイム初日に遭遇した村のように、反オベイロン派によって生活が脅かされた人々もいる。つまりは反オベイロン派には過分に荒くれ者、あるいは大義を利用して好き勝手に暴れ回っている連中がいる事になる。むしろ、反オベイロン派と聞けばこうした盗賊団同然の連中を思い浮かべるのはアルヴヘイムの住人とってのは平常なのかもしれない。

 だが、この仮説1はロザリアの発言を信用するならば却下される。オベイロンにとって反オベイロン派は厄介な存在とは成り得ないからだ。この仮説1ではオベイロンはコントロールする立場であり、絶対的な強権を振るえるならば、仮に手綱から離れても処分には困らないからだ。

 仮説2、オベイロンにとって厄介なのは反オベイロン派ではなく廃坑都市そのものである。

 自給自足に止まらず、物資供給の拠点である廃坑都市。敵の補給・資源基地を叩くのは戦争において定石だ。ましてや、オベイロンには無尽蔵に物資を生み出せる地形変動能力があり、そもそも戦力の維持に資源というコストはかからない。つまり、占拠して利用するメリットはない。灰燼になるまで焼き尽くしても何ら不利益はないのだ。

 それでも廃坑都市を放置するのは、外部から攻め込めないからだろう。では、どうしてオベイロンは廃坑都市の攻略に乗り出せないのか。

 ゲームとしての視点から考えてみよう。オレは今までオベイロンはGMの立場、あるいは近しい者として認識していた。だが、これは大きな間違いだろう。そもそも、後継者がオベイロンの撃破を可能とした以上は、彼もまたDBOのシステム基盤の上にいるはずだ。アルヴヘイムのボスであるはずだ。

 アルヴヘイムに大きく干渉する管理者権限は持っているとしても、『ボス』として行動に制限がかけられているはずだ。たとえば、オレ達の居場所を自由に検索できないのもその理由の1つだ。わざわざ後継者がオレ達に正規ルートを使用させたのも、オベイロンという『ボス』に挑む『プレイヤー』で無ければならないからだ。

 この『プレイヤー』という登録が何処まで機能しているかが問題だ。アルヴヘイムの住人達には自由性こそ損なわれているが、レベルアップによる成長ポイントとスキル枠の獲得は可能である。武装も選べる。それぞれに独自の思考あり、自我あり、『命』がある。DBOプレイヤーと何ら変わらない。彼らもまたオベイロンからすれば自身の命を脅かしかねない『プレイヤー』とも想定できる。だからこそ、オベイロンはアルヴヘイムの文明を抑制し、技術の発展……装備面の充実を禁じた。

 これらから推測できる事。それは『ゲーム』という観点に立てば、オベイロンが廃坑都市に攻め込めない理由が明らかになる。

 オレに廃坑都市について教えてくれた男によれば、ここは位相がズレた場所らしい。つまりは陸続きの外部からは侵入できない線引きがされているのだろう。つまり、本来は廃坑都市にも陸路が存在するはずであるが、現在は何らかの理由で出入りが禁じられている状態という事だ。だが、どんな手を使ったとしても、多少の無茶が利くオベイロンに効果的とは思えない。

 ならば発想を逆転させよう。オベイロンは侵入自体は出来る。戦力も送り込める。だが、勝ち目はない。そんな状況下であるとするならば?

 オレがこれまでのアルヴヘイムの旅において、いくつか気になった点がある。それはDBOにも細やかながらも実装されている『安全圏』がまるで存在しない点だ。

 DBOにおいて、安全圏とは一般的にプレイヤーが購入したマイホームなどに適応される。これはホストとゲストに分けられ、ホストとは所有する側のプレイヤーであり、ゲストはホストプレイヤーが一時的な登録をすることで安全圏を得られるというものだ。

 安全圏においてはプレイヤーに対して害意を及ぼすことはできない。HPは欠損させられないし、デバフだって蓄積不可だ。故に財を成したプレイヤーは真っ先に安全圏が得られるマイホームを購入する。

 ところが、この安全圏の登録は物件ごとによって最大数が決定している。これは規模だったり、設備だったり、使用された素材だったりと様々だ。また、プレイヤーに対して攻撃行為が出来ないだけであり、力技で相手を捻じ伏せることもできるし、DBOにはハラスメントコードなんて実装されていないので管理側からのサポートは無い。これについては多くを語らないが、DBO中期には女性プレイヤーが自宅に侵入された男性プレイヤーに捻じ伏せられて……な事件が多発した実例もある。まぁ、連続強姦事件の犯人は太陽の狩猟団の依頼でオレが始末したんだけどな。それでも、あの事件を筆頭にして、DBOでは安全圏に対する妄信はほぼ失せたと言えるだろう。

 それに安全圏は剥ぎ取ることもできるしな。建物ならば一定以上の破損や耐久度の減少で安全圏が剥ぎ取られるし、ギルド対ギルド……GvGの場合は『宣戦布告』機能によって、相手ギルドの安全圏登録を抹消できるとか何とか。ただし、宣戦布告は同意が成されないと発動しないらしいが。

 さて話を戻せば、たとえばオベイロンが戦力を派遣できない理由として『廃坑都市が外部と隔絶されているから』=『安全圏登録が廃坑都市全域を覆っているから』ではないだろうか。これならばオベイロンが力任せに潰せない理由としても成り立つのであるが、ここで厄介なのはアルフの存在だ。彼らは一目しか見たことはないが、モンスターではない証明としてアイコン以外は確認できなかった。この事からもアルフの登録はプレイヤーかそれに近しい存在であると推測できる。

 アルフならば安全圏に侵入できる。仮に無条件で安全圏の加護を受けて相互に傷つけあうことは出来ずとも、オベイロンならばそれらを利用して工作活動はさせているはずだ。そもそもオベイロン陣営のスパイであるロザリアが廃坑都市を待ち合わせ場所に指定する辺り、既に情報面はガバガバに抜かれていると見て間違いない。

 そして仮説3。オベイロンと同等、それ以上、あるいは管理者権限だけでは捻じ伏せられないだけの権限を持つ管理者が廃坑都市に味方している。アルヴヘイムでも隔絶された空間であり、NPCを配置して出入り口を管理し、なおかつオベイロンによる侵攻を阻止できる。

 問題なのは、後継者がわざわざオレ達を派遣する程の事態に発展しているアルヴヘイムにおいて、どうしてオベイロンに反逆するだけの管理者権限を保有するAIがいるのか、という点だ。

 仮説1ならば暁の翅は滑稽な道化師。仮説2ならば情報は筒抜け。仮説3ならば別の部分で大問題が発生しかねない。いずれにしても、オレにとっては都合が悪いか。

 あるいは、PoHならば仮説4、5、6と別の見解も出せるのだろうが、オベイロン陣営にいるロザリアとの繋がりを暴露したPoHは、この件に関しては信用できない。

 こういう時は『アイツ』の意見が聞きたいところだな。システム面からの『穴』探しは本来オレの得意分野じゃない。そもそも頭脳労働担当ではない。その点で言えば、『アイツ』はこういうカラクリを解き明かすのに向いている。事実として『アイツ』と組んでた頃は頭脳労働の7割は丸投げだったしな。まぁ、『アイツ』も作戦立案とかフォーメーションといった指揮官能力は低かったんだけどな。クライン様万歳。さすがギルドを率いていた男は違う。オレ達みたいなソロにいきなり何十人もの陣形配置やら役割分担を考慮しろと言われても無茶でございますわよ。

 とは言っても、『アイツ』も『英雄』としてそれでは駄目だと頑張って勉強して、SAO終盤には指揮官としては相応の振る舞いができるようになったんだけどな。特に作戦立案能力は元々頭がキレる奴だったから、クラインと熱心に何時間もボス攻略の作戦を練り合う程度には成長していた。その点で言えば、オレは常に蚊帳の外だったな。

 思い出すだけでも懐かしい。アルゴが仕入れたボスの情報を並べ、『アイツ』、クライン、エギル、シリカがどうやって犠牲を減らしてボスを倒したものかと悩み倒している所に、オレが『お仕事』から帰ってきた時に『アイツ』から意見を求められた。

 ボスの情報を纏めた内容を聞いたオレは『オレとオマエでボスの前面で陣取ってヘイト集めまくれば良いだけだろ』と答えたのだが、その時の反応とは酷いものだったな。

 

『えーと、犠牲を減らす為の作戦会議なんだけど……な?』

 

 頬を掻いて、実に微妙な表情をした『アイツ』。

 

『この見敵必殺脳に緻密な作戦とか聞くだけ無駄ですよ。戦いと殺すことだけに特化されたみたいな人に、「弱い」人たちが群がって戦うやり方を尋ねても時間の浪費です』

 

 相変わらずの毒舌を発動してくれたシリカ。

 

『オメェは「戦術」に関しちゃ天才的だが、「戦略」はまるで駄目だな。将棋とかチェスに弱いタイプだろ?』

 

 呆れ切って嘆息したクライン。

 

『【渡り鳥】に作戦うんぬんを訊く方が間違いだろ。悪かったな。お前はいつも通り臨機応変に柔軟な対応で頼む!』

 

 フォローしたつもりなのだろうが、思いっきり貶してくれたエギル。

 

『まぁ、クー坊は倒すと言ったら本当に倒しちまうからナァ。犠牲うんぬんは抜きにして、作戦が破綻した時に「保険」になるのがクー坊の良いところだヨ』

 

 エギルと同じでフォローしているつもりなのだろうが、要は作戦会議なんて場違いなところに顔を出すなと目で語ってくれたアルゴ。

 うん、いずれもまだ灼けていない素晴らしい思い出だ。

 

「……ど、どうしたのよ?」

 

「ごめん。ちょっと昔を思い出して欝になってただけだ」

 

 思わず表情に出る程に顔が暗くなっていたのだろう。ロザリアとの約束時間を10分過ぎ、少し苛立ち始めたザクロに目敏く発見され、オレは誤魔化すように微笑んだ。

 ……前々から思っていたが、どうして皆してオレに頭脳労働をお求めになられるのでしょうか? SAO時代からそうであるのだが、オレもヤツメ様も戦略とか小難しいことはまるで考えていないんだよ! そういうのはお偉いさんとか頭の良い参謀ポジが頭を捻らせるべきで、オレはサーチ&デストロイ、伝えられた作戦内容通りに行動、エギルではないが現場で臨機応変に対応して作戦目標を遂行すれば良いだけだろ!?

 なのに、現場対応の限界を超えた判断をオレに押し付けるし! ゴミュウに至っては丸投げだし! 丸投げだし! 丸投げだし! なんだよ、『ミッションプランはあなたにお任せします』って何だよ!? せめて防衛目標の詳細くらい教えろよ! 敵戦力を大まかでも良いから、相手が取るだろう作戦を仮定でも良いから 教えてくださいよ!? しかも自陣に被害が出たら報酬から差し引きとか鬼だろ!?

 ……もう良い。シンプルに考えよう。今回だって、要は『アイツ』より先に3体のネームドを殺してオベイロンの元に到着すれば良い。そうすれば万事解決だ。だからロザリアさん。廃坑都市のカラクリなんてこの際どうでも良いので、ネームドの居場所だけ教えてください。後は非主流派と接触して、諸々の情報操作と物資の融通を取り付ければ良い。まぁ、これくらいの頭脳労働は頑張るさ。交渉は死ぬほど苦手だけどな!

 結局、ロザリアは姿を現さなかった。PoHの留守電に気づかなかったのか、それとも姿を見せられない理由が出来たのか、はたまた内通者とオベイロンにバレて処分されてしまったのか。

 これで非主流派からの情報がネームド探索には必要不可欠となっただけだ。PoHのスパイ疑惑など、チームからの離脱を決定したオレからすれば、少々情報を抜かれた程度のリスクしかない。ザリアも死神の槍も温存しているし、赤ブローチも健在だ。いざとなればデーモン化も……

 

「だから、本当にどうしたのよ?」

 

「欝になっただけだ」

 

 帰り道、不機嫌な歩みを見せるPoHから数メートル離れた場所で、オレが項垂れているとザクロがらしくない程に心配そうな目をして気にかけてくれた。

 本来ならばプレイヤーにとって最後の切り札、あるいは強力なブーストになり得るデーモン化であるが、オレの場合は本当に使えない。色々な意味で使えない。むしろ、切り札として機能してほしいという願望が多大にある。

 実は後継者が裏でオレのデーモン化だけ弄っているのではないかと思う程アレっぷりだ。オレのワクワクを返せ。デーモン化を得た時の感動を返せ。本当に本当に本当に! ユージーンのような直球強化が欲しかった!

 だけど、併用すれば……でもな……結局は使えないだろうし……それに後々まで響くし……何にしてもお独り様向けだし……やっぱり色々な意味で使えない。

 

「グリムロック万歳ってことか」

 

 確かにオレは『独り』では戦えないかもしれないな。これだけの装備があるからこそ、オレは十二分に戦えるのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 廃坑都市のかつては迎賓館だっただろう、無骨な都では珍しい、古めかしくも芸術品として完成されたような屋敷は、各所に揺らめく炎を模った石像が配置されてある。

 本来ならば礼服で赴くべきなのであろうが、かつての迎賓館は物々しい重装のサラマンダーの兵たちによって警備され、まるで外部からの敵に備えるかのように建築美を汚す大砲が取り付けられている。

 落日し、夜空に月が浮かび始めた頃、シノンは合流したUNKNOWNとシリカと共に暁の翅が催す晩餐会に足を運んでいた。

 恰好自体が様になっているUNKNOWNはともかく、シノンはアーミーベストと短パンという普段のスタイルだ。シリカは赤を基調とした装備であるが、今は銀の胸当てを外し、スカートを翻しながら肩にピナを乗せている。

 決して美しいとは良い難い、廃墟が並ぶ廃坑都市の風景と違い、迎賓館はよく整備されている。シノンの目に入る範疇でも、青々とした芝生、水を浪費する噴水、燭台は黄金製と贅沢だ。それはシノン達のようなVIPをもてなす為なのか、それとも日常的に開かれる『パーティ』への投資なのか。

 通された扉の向こう側で待っていたのは、7人の男女だった。内の3人とはシノンも面識がある。

 1人は暁の翅の最高戦力であるガイアスだ。彼もまた、白いテーブルクロスの上に七面鳥や瑞々しいフルーツが盛られる中では不似合いな、昼間に肩を並べた時と同じで分厚く襟が高いコート姿だ。

 1人は暁の翅の幹部の1人である【ロズウィック】だ。かつてはガイアスの盟友と呼ばれる程の猛者だったらしいが、暁の翅に所属後の作戦で部下を全員失って以来は現場ではなく内政で腕を振るっている。切れ長の目と左目のモノクルが特徴的であり、ガイアス曰く『勇猛果敢な魔法使い「だった」』らしい。

 そして、この迎賓館で来客を迎える立場……廃坑都市と暁の翅を統べる人物、それはやや色褪せた金髪を緩やかなウェーブにした年齢50歳前半だろう女性……【レイチェル】である。彼女は組織として脆弱だった頃の暁の翅を率いていた夫が病死した以後、代理リーダーとしての座につき、1代にして廃坑都市を拠点にするほどに組織を強化・肥大化させた。

 残りの4人に関してシノンは面識が無い。給仕のシルフに案内され、シノンは挨拶する時間も与えられずに着席する。

 

「今宵はお集まりいただき、誠にありがとうございます。暁の翅のリーダーとして、皆様を歓迎いたします」

 

「前置きは良い。我々を呼びつけた理由をお聞かせ願おうか」

 

 皺が刻まれた顔に笑顔を作り、歓待の言葉を述べたレイチェルに意見したのは、恰幅が良い、脂が乗った肌がテカテカと輝いている男だった。

 

「ええ、もちろん。ですが、その前にご紹介させていただきたい方々がいます。こちらの方々は我々が待ちに待っていた【来訪者】……オベイロンを討つ資格の持ち主たちです」

 

 にこやかに脂ぎった男の言葉を躱したレイチェルは、まるで頼りになる『仲間』と主張するようにUNKNOWNたちを紹介する。

 今回の晩餐会はUNKNOWNが代表して暁の翅に参加するか否かを返答するはずだったはずだ。もちろん、既にUNKNOWNの腹は決まっていた事であるが、レイチェルの言動はこの場で決して『NO』と言わせない為の空気作りに他ならない。

 ああ、この女も政治を駆使するタイプか。当然と言えば当然なのであるが、アルヴヘイムでも悪臭のように漂う政治の気配にシノンは辟易する。

 

「お初にお目にかかります、皆様。私はシリカ。3人を代表しまして御挨拶させていただきます」

 

 と、そこで席を立って笑顔を繕うと共に腰を折りながら可愛らしく首を傾げて愛想を振りまいたのはシリカだ。

 中央奥にレイチェル、右側に奥からガイアス、UNKNOWN、シリカ、シノンの順でテーブルの席取りをしているのだが、シノンの足をシリカが踏みつけて『黙って見ているように』と指示を出す。痛覚遮断が機能していなければ痛みで泣き出しそうな程の踏みつけに、シノンは瞼で頷いた。

 

「レイチェルさんの紹介の通り、我々は暁の翅と同盟関係にあります。ですが、あくまで我々の同盟とは『オベイロンを倒す』という目的の一致に過ぎません。故に、我々はこの場において『3つ』の意見の擦り合わせが行われるものと判断しています。それを踏まえた上で、私の発言をどうかお聞きください」

 

 大したハッタリだ。シノンも舌を巻く程に、シリカは嘘八百……暁の翅とは同盟済みであると発言する。確かに暁の翅に属することはこの場にいる時点でシノンも覚悟は決まっている。だが、敢えて『同盟関係』とシリカが強調したのは、暁の翅のメンバーではなく、あくまで手を握り合っているだけ……上下関係に支配されない、同組織内にはない外部の存在であると知らしめる為だ。

 これらの意図をぼんやりとでもシノンが把握できたのは、大ギルドの争いを間近で見続けたからだろう。そして、咄嗟にシリカがレイチェルに場を支配されるより先に、自分たちの立場を明言したのは、彼女がUNKNOWNの秘書として有能さを発揮してきた証明でもある。

 

(そっか。最初に気づくべきだったわね。この場には3つの勢力がいる。暁の翅、対面の4人、そして私達)

 

 脂ぎった男の言動は、暁の翅のトップであるレイチェルに対して部下のものではなく、対等な立場……幹部ではなく外部の勢力である事を示していた。そして、敢えてレイチェルが暁の翅では英雄視されているガイアスを同席させたのは……自分達と同じ側に並べるように座らせたのは、対面の4人に『自陣営』と強く刷り込ませる為だったのだ。

 

「シリカ様、どうぞ発言を。ですが、此度は晩餐会。それを重々承知の上で発言をお願いします」

 

 渋い顔をしたレイチェルをフォローするように、彼女の背後モノクル男のロズウィックが1歩前に出る。するとシリカは少しだけニッと笑い、まるで無知な少女を装うように明るく頷いた。

 

「もちろんですよ! 私がそんな『過激な発言』をすると思いました?」

 

「これは大変な失礼を」

 

 恭しく自身の非を認めるロズウィックに、一瞬だけシリカの舌打ちの幻聴が聞こえたシノンは、この場で高度な駆け引きが行われているのだと悟る。

 たった一手、急所を見せれば迷いなく刺される。それが政治だ。普段ならばUNKNOWNを立たせて自分は目立たないようにフォローに回るはずの彼女が、こうして矢面に立つのは彼では確実に一手を誤ると判断したからに他ならない。

 

「まず第1に、私達の至上目的はオベイロンの撃破ではありません。あくまで現状ではオベイロンを倒すのが近道というだけ。故に私たちは皆様にも、暁の翅にも、等しく戦力を提供しましょう。ですが、意にそぐわない作戦の参加は見送りさせていただきますし、裏切り行為があった場合には相応の報復処置を取らせてもらいます。たとえば、こちらの仮面の剣士……巷では【二刀流のスプリガン】と名高い彼は、暁の翅の最高戦力であるガイアスさんを下した程の実力者。皆様の耳にも入っているかと思いますが、『あの』クラーケンを撃退したその人です。もちろん、【ケットシーの希望】にも比肩し得る実力があります。この意味が分かりますね?」

 

 何か『過激な発言をしない』だ!? いきなり『自分たちはオベイロン打倒とかどうでも良い』とぶち込んだシリカの意図についていけないシノンは冷や汗を垂らす。過分に情報を握るだろう暁の翅との協力関係は、たとえ組織のメンバーになっても欲していたものだ。それを得られないのは、反オベイロン派との接触に費やしたアルヴヘイムの日々を全て失うことに等しい。

 だが、シリカの発言にレイチェルも脂ぎった男も反感を示すどころか、目元を鋭くさせる。

 

「それは興味深い。つまり、シリカ殿はこう仰るわけだ?『場合によってはオベイロンとも協力する』と」

 

「そこまでは言っていませんよ。ご存知の通り、私たちはオベイロンに指名手配されている身です。むしろ、私達が危惧しているのは真逆。あなた達が土壇場で私達を売り渡すのではないかという『不安』です」

 

「これはこれは失礼した。どうやら信が足りないのは『私』の方のようだな。自己紹介が遅れた。私はアルヴヘイム東方最大の商会【ハーモニー商会】の長【フェルナンデス】だ。暁の翅とは協力関係にある。こちらは我が商会に協力を申し出た、西南北の有力商会の方々だ」

 

「ええ、『存じています』。暁の翅が生産する物資を秘密裏に購入し、市場ルートを形成して、都市間戦争を煽る。そして、同時に暁の翅に生産に必要な資材を売却する。オベイロンにとって血眼になっても探し出したい、アルヴヘイムに反オベイロン派の火種を巻く『大罪人』」

 

 無論であるが、初対面であるフェルナンデスの素性などシノンが知る由もない。昼間の情報収集の差異があるとはいえ、レイチェルがいきなり会合させたフェルナンデスと面識があるはずもなく、また顔で識別できるはずもない。

 ならば、シリカが駆使したのは、推測とハッタリだ。レイチェルとフェルナンデスの双方に、『こちらはお前達が思っている以上に情報を握っているぞ?』と脅しをかける為の博打である。相手の自己紹介だけで、有り合わせのアルヴヘイムの知識で、有識であると振る舞う為の演技だ。

 笑顔を崩さないシリカに、レイチェルもまた着席をお願いするように笑いかける。それに応じたシリカの肩で、安心するようにピナが喉を鳴らす。まるでシリカの感情を代弁しているようなピナの態度こそ、先程の綱渡りの危うさを物語る。仮に僅かでも綻びがあれば、『無知な少女』という烙印を押されて2人に軽んじられ、この場で対等な物言いは出来なくなっていただろう。

 そして、フェルナンデスもまた見抜いている。わざわざ信用不足を自分に限定したのは、レイチェル率いる暁の翅ではなく、自陣営と深く協力関係を築いてもらいたいという意思表示だ。

 分かってはいたが、1枚岩ではない。昔からそうであるが、5人揃えば意見が割れて内部分裂するのが人の性だ。一心一丸となって目標に猛進するには、それこそ強烈なカリスマ性の持ち主でなければならない。そして、そうした指導者同士は往々にして主導権争いをして反目し合うものだ。

 

「我々が言い争っても仕方ありません。今宵、皆様にお集まりいただいたのは他でもない、暁の翅が決起し、オベイロン打倒の為に全面蜂起する承諾を得る為です」

 

 運ばれてきた、赤いソースに浸された小さなブロック状の肉の香りがシノンの食欲を誘う。だが、今は食事する暇など無い。レイチェル、フェルナンデス、シリカの一挙一動から目を外してはならない。

 

「フェルナンデス様、我々が正式にオベイロンに宣戦布告した時に、どれほどの戦力が同調しますか?」

 

「ククク。オベイロンの『神託』によって飼い慣らされた貴族たちだが、奴らの強欲さは私達商人に勝るとも劣らん。オベイロン打倒後の新秩序の利権と支配層としての地位の確約、それをチラつかせれば、すぐに呼応してくれたよ。東方では4都市、南方では2都市、北方では3都市、西方では2都市がすぐに反オベイロンの旗を掲げるだろう。暁の翅が開発してくれた武器があれば、近隣の都市は瞬く間に落とせる。アルフの数は暁の翅の推測通りならば多くて300人前後。どれだけ強かろうとも、対空攻撃と地上戦を強いる装備の拡充をした以上は数の差で我々が有利だ」

 

「その件ですが、こちらが新兵装の『ネット弾』となります。飛行能力があるアルフを落とすべく、大砲で重石が付いた漁業用の網を発射するというだけの代物ですが、最新の【テロス鋼】のワイヤーネットを採用し、これまでの戦闘データからアルフ達の攻撃を以ってしても一撃では切断できない強度を誇ります」

 

 ロズウィックが配布した資料には、拳ほどの網目をした黒いネットが描かれている。対オベイロン戦ともなれば、当然ながらオベイロンの主戦力はアルフである。飛行能力を持つ相手に対策を怠らないはずがない。

 網とは原始的であるが、アルフ達からすれば目玉が飛び出す程に画期的な兵装のはずだ。なにせ、アルフ達にはまともな敵との実戦経験など無いはずだ。オベイロンが装備開発などを抑制して兵装も貧弱だった反オベイロン派がせいぜいのはずである。そんな彼らに、本気で歯向かってくる暁の翅の脅威たるや、まさしく未知のはずだ。

 

「なるほど。あくまで各都市の貴族がオベイロンに従っているのは、オベイロンを伝説の妖精王として崇め奉るだけではなく、支配層として蜜を吸う為の『権威』として利用価値があるからこそ、ですか。つまり、オベイロン側の旗色が悪いとなれば、現状では『推定』オベイロン派は我先にと反オベイロン派に合流し、また余程狂信的なオベイロン派でもない限りは日和見になるということですか」

 

 即座に分析したシリカに、レイチェルは重々しく頷くが、そう事は上手くいかないとばかりに溜め息を吐く。

 

「ですが、オベイロンには絶対なる守りがあります。妖精王の居城たる世界樹ユグドラシルを頂く央都アルン。そこは見えぬ霧の壁に阻まれ、許可なき者は何人たりとも近づけない。霧を払うに必要となるのは守護者が持つ3つの証。シェムレムロスの兄妹、穢れの火、そして……アルヴヘイムで最強と名高い裏切りの騎士ランスロット」

 

 忌々しそうにレイチェルは、特にランスロットには憎しみを込めるように吐き捨てる。

 

「かつて我々はアルヴヘイム全土を放浪するランスロットの居場所を突き止め、精鋭200人を送り込みました。ですが、この場にいるガイアスとロズウィックを除いて全滅。まともに手傷すら負わすことは出来ませんでした」

 

「ロズウィックの部下たちが決死の足止めをしなければ、私達も逃げ延びることは出来なかっただろう。さすがの奴も我々が逃げ込んだ禁域までは追ってこなかった」

 

 無念そうにガイアスがコートの襟に口元を埋め、若き頃の苦々しい過去を思い出して吐き捨てる。ガイアスも当時は今程のレベルには到達していないだろうが、それを抜きにしても、数の暴力を以ってしても倒せなかったランスロットの異常性にはシノンも驚きを隠せなかった。

 DBOのボスやネームドは大概であるが、それでも犠牲さえ容認にすれば、数に任せた攻撃は十二分に有効だ。人海戦術による絶え間ない波状攻撃はどうあっても『個』の対応の限界を超えるからである。極論を言えば、ボスを囲ってタコ殴りにすれば、反撃による犠牲には目もくれずに攻撃し続ければ、連続スタンに陥れて撃破も可能なのである。そして、それを意図して封じ込めているものこそが、ステージのメインボスにおける参加パーティ数制限だ。

 だが、イベントダンジョンは多くの場合、そのステージを遥かに凌ぐ強力なネームドやボスが配置されている。故にこのパーティ数制限自体存在しない事も多い。

 シノンがかつてミスティアとたった2人で倒した百足のデーモンもイベントダンジョンに陣取っていた凶悪なネームドだ。足場の悪い溶岩地帯を無制限に動き回る巨大な怪物は、凶悪無比な捕食攻撃を行い、捕まればVIT特化のフルメイルのタンクでも即死させる。1度目のチャレンジで犠牲が出た時点で、当時の指揮官だった太陽の狩猟団の幹部であるフィーネは部隊の即時撤退を決意した。そして、速度を活かした一撃離脱戦法と奇跡によるサポートを得意とするミスティアと太陽の狩猟団最高位の傭兵ランカーであるシノンの2人に白羽の矢が立ったのだ。

 激戦のまた激戦。後方支援も増援もなく、1歩間違えば溶岩によるコンマ単位で高威力の火炎属性のスリップダメージが発生する地形における、僅かな足場を利用した戦いは、ただの1発として攻撃を受ける事は許されない、針の穴に糸を通すような戦いだった。

 あの戦いの内で、少なくともシノンは3回ほど死にかけた。リーチが伸びる、百足の名に相応しい異形の腕による振り回しによって壁に叩きつけられてスタンさせられた時に、第2形態になって火炎弾を放出するようになった際に炎の爆撃を受けてHPを削られた時に、最終形態となって全身から絶え間なく溶岩を流れ出して僅かな足場すらも溶岩で埋める時間制限を与え始めた時にだ。

 数の暴力が通じない理不尽なまでの強さ。それがイベントダンジョンのネームドやボスには確かに存在する。竜の神のような巨大かつ優れたボスにはどれだけ数を集めても無意味であるように、優れた個人を集めた精鋭でなければ倒せない相手はどうしようもなく存在する。そして、それは意外にも小型の人型ネームドやボスに見られる場合もある。

 たとえば、竜殺しのイヴァ。太陽の狩猟団の精鋭部隊で挑み、犠牲者こそ出なかったが、サンライスを除いて1人として地に立つ者はいなかったという、DBOで確認されている中でも最強の人型ネームドだ。その真骨頂は耐久力などではなく、余りにも圧倒的過ぎた『強さ』だった。特異な能力で翻弄するのではなく、どうしようもない程に確固たる差を見せつける個体としての実力差だ。その場を知る者によれば、『サンライス団長1人だけになった方が優勢だったくらいだ』と語った。その言い様は、まるでイヴァのみならず、サンライスさえも人間の範疇を余りにも超越し過ぎて、自分たちの矮小さを思い知ったような諦観だった。

 恐らくはガイアス達が経験したのもその類なのだろうとシノンは共感する。無言を貫くUNKNOWNの隣にいると嫌でも理解してしまう。彼の強さを。その高みを。

 もはやSAOにおける経験差など関係ない。DBOにおいて幾多と死線を潜り抜けた猛者たちからすれば、SAOを生き抜いたから何だという話だ。自分たちも同等かそれ以上の苦難を乗り越えてきたのだと胸を張って宣言するだろう。

 シノンもそう思いたい。だが、UNKNOWNが見せつける強さは余りにも常軌を逸していた。スミスとの稽古において、あれ程に無様に地面に背中をつけていたはずの彼は、まるで渇いたスポンジに水を垂らしているかのように、瞬く間に成長していった。

 だからこそシノンは追いつきたい。追い越したい。誰にも負けない為にも、自分に負けない為にも、シノンの目標の1つはUNKNOWNにも勝る戦士となる事だ。そして、もちろんであるが、あの愛煙家の傭兵もいずれは超えねばならないと胸中では決心しているのであるが、どうすればあの余裕綽々の態度を崩せるのか、シノンには想像つかない。

 そして、もう1人。今ではどんな顔で、どんな感情で、どんな言葉を使って、語りかければ良いのか分からない白の傭兵もまた、倒せるビジョンが浮かばない。もはや、その戦いぶりを直接目にすることはなくなったが、バトルオブアリーナで垣間見せた実力の片鱗には、シノンも思わず慄いた。UNKNOWNとスミスはむしろ『相変わらずだな』といった調子だったのは、2人ともシノンからすれば人類的バランスブレーカーと半ば認定している者たちだからこそだろう。

 数の暴力が通じない場面でこそ、一騎当千の傭兵たちの出番になる。今回もレイチェルが【来訪者】に期待するのは同じことなのだろう。

 

「3人にはガイアスと共に穢れの火の撃破をお願いしたいのです」

 

「ちょっと待ってください。どうして穢れの火に限定するんですか? 私達は先も申し上げた通り、オベイロン打倒には『今のところ』協力します。戦力としての有用性をあなた達が認めるならば、私達に全守護者の撃破に協力を申し出ることこそが筋であるはず」

 

 シリカの言い分は尤もだ。レイチェルの意図は不明であるが、それは今から説明があるはずだろうとシノンは、唇を少しだけ噛んだロズウィックへと視線を移す。

 

「……我々も最初は3体の守護者を倒さねばならない。そう思っていました。ですが、我々が必要なのは守護者の『証』です。必ずしも倒す事と一致しません」

 

「そして、私達には強力な味方が存在するのです」

 

 それこそ真の切り札と言うように、反オベイロン派の力の源泉だと示すように、レイチェルは力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「我々には他でもない守護者の一角、シェムレムロスの兄妹が味方してくれているのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 は? 思わずシノンはアホ面の代表のように、ポカンと口を開けた。それはシリカも同様だったらしく、このジョーカーは完全に予想外だったと言わんばかりに言葉を失っている。

 まずい! 完全に頭が真っ白になったシリカは、見るからに慌てて言葉を紡ごうとするが、場のプライオリティを握ろうするレイチェルはそれを許さないとばかりに勝者の優雅な笑みを浮かべる。

 

「詳しくは話せませ――」

 

「やっぱりそういう事か」

 

 だが、ここに来て終始口を開かなかったUNKNOWNが、レイチェルの発言を上書きするように、最初から想定内だったと言わんばかりに溜め息を吐く。

 ガイアスを倒した程の、恐らくはこの3勢力同盟の中では随一の実力を持つだろうUNKNOWNが沈黙を破って口を開いたのだ。レイチェルはもちろん、フェルナンデスの視線も意識も釘づけである。

 

「ずっと疑問に思っていたんだ。どうしてオベイロンが廃坑都市に攻め入れないのか。それは他でもない、オベイロンの守護者が味方しているからだったんだな。いや、そもそも守護者とは名ばかりで、3体ともオベイロンの配下ではない。そうなんだろう?」

 

「え、ええ。まさしくその通りです」

 

「レイチェルさんはシェムレムロスの兄妹に接触されたか、もしくは探し出して協力を取り付けた。そして、オベイロン打倒の約束の見返りとして廃坑都市という安全な場所を教えてもらったんだ」

 

 何処まで知っている? そう言いたげなレイチェルの眼に、UNKNOWNは白々しいと馬鹿にするような、彼らしくない傲慢な態度を見せる。

 聞いたことがある。かつてビーターと名乗った男は、当時のプレイヤーから多くの蔑視を一身に集めた。やがて『英雄』と謳われる男は、その身を犠牲にして憎しみを背負おうとした。憶測の1つに過ぎず、『SAO史』と呼んで研究している者はDBOでも相応の数がいるが、彼らの『ビーター』への共通見解だ。

 レイチェルは皺が刻まれた顔に濃い驚愕を露にする。それは秘密を暴かれた人間特有の焦りだ。

 

「どういうことですかな? 私にも是非とも説明をお願いしたい」

 

 捨て置けない秘密だとフェルナンデスも判断したのだろう。『今は』UNKNOWNの援護をした方が有益と見て、即座に追及を口にする。

 深い沈黙と共に瞼を閉ざしたレイチェルは、UNKNOWNがここぞとばかりに切り込んでくることは想定外だったのだろう。観念したように椅子の背もたれに体を預けた。それは秘密を抱えるのに疲れ切ったかのような表情だった。

 

「この廃坑都市は古き時代、アルヴヘイムが拡張するより以前から存在する都市。この地はアルヴヘイム全土にいる転送の守り手たちによって加護された場所なのです。この地では互いに傷つけ合うことは許されず、害あるモンスターもまた侵入できません。アルフ達も同様のようでして、転送の守り手たちは弾きます。この地において、オベイロンは指を咥えて見ているしかないのです」

 

 それはレイチェルが『事情』を知らないからこその回りくどい表現であるが、シノンにはこの都市にピッタリの表現がすぐに思いついた。

 安全圏だ。DBOプレイヤーが探して止まない、都市そのものが互いに傷つけあう事を禁じた巨大な安全圏なのだ。

 思えば、荒くれ者が揃いに揃った廃坑都市において、1度として喧嘩沙汰を見たことが無かった。同じく、手痛く裏切られたはずの深淵狩りの剣士たちは敵意を示さなかった。その理由はただ1つ、この廃坑都市では諍いがシステムによって禁じられている以上は暴れる意味が無いからだ。

 アルフ達が侵入できないのは、恐らくは翅を得る……オベイロンに忠誠を誓って転生した時点で、オベイロン陣営としてカウントされてしまっているからだろう。アルフはプレイヤーと同じであって別の存在なのかもしれない。

 

「だけど、情報面はどうなのよ? それってオベイロンのスパイに入り込まれ放題じゃない。あなたは廃坑都市に引き籠もっているから安全でしょうけど、フェルナンデスさんにしても、ここで物資を購入している他の反オベイロン派にしても――」

 

「最初からスパイだらけと分かっていたら、相応の立ち回り方がある。まさか伝説上の存在のはずのシェムレムロスの兄妹を味方につけていたとは驚きだがね」

 

 フェルナンデスの言う通り、最初からスパイで満たされた坩堝で動くならば、それを想定して行動すれば良いだけだ。それすらも出来ないならば、元よりオベイロンに歯向かう資格などないのだろう。

 入口や合言葉も不定期で変更され、オベイロン側はスパイを幾ら送り込んでも廃坑都市を探ることは出来ても、暁の翅からすれば重要な情報をスパイに探らせるような真似はさせないだろう。むしろ、手頃なダミーの情報をつかませ、定期的に成果を挙げさせるくらいはしていたかもしれない。

 

「俺はアンタ達の企みなんて興味ない。この際だからハッキリ言うが、オベイロンを倒した後に利権や地位を主張もしない。だけど、絶対に譲れないものがある。俺には取り戻さないといけない人がいる。その人を傷つけようとするなら、アンタ達は俺の敵だ」

 

 シリカを押しのけて場の中心に躍り出たUNKNOWNの宣言に、レイチェルとフェルナンデスは数秒だけ視線を交わす。それは無言の意思の交差であり、互いの利益配分を考慮した立ち位置の確認である。

 ならば、シノンがすべきことはカードを1枚でも切ってUNKNOWNを援護する事だ。

 

「彼の希望は聞いておいた方が良いわよ。もれなく【来訪者】が4人ほどあなたに協力してくれるかもしれないわ。その内の1人は彼に比肩するほどに強い」

 

「そのような出まかせ……」

 

「信じるも信じないも勝手。でも、ガイアスさんはご存知でしょう? 私が昼間に誰と会っていたのか」

 

 レイチェルの態度から、まだガイアスは昼間の件を報告していない、あるいは意図して黙っていたと見抜いたシノンはここぞとばかりに畳みかける。

 腕を組んだまま口を噤んでいたガイアスであるが、やがて観念したように一息つく。

 

「事実です。彼女はレコンと名乗る少年と昼間に情報交換していました。彼の話によれば、私と同格かそれ以上の凄腕が少なくとも3人はこの廃坑都市にいます。また、彼らは深淵狩りたちと協力関係にあります。交渉次第ではありますが、長年の懸念材料だった深淵狩り達の不和を解消するチャンスでもあるかと」

 

 どうして報告を怠った? そう訴えかけるロズウィックの眼光に、ガイアスは悪びれた様子もなく肩を竦める。戦士としては優れているが、ガイアスもまたその本質は傭兵と同じ、組織に馴染めない男なのかもしれないとシノンは思うも、今は彼の胸中を探るべき時ではない。

 何せ、他でもない自分の仲間2人……UNKNOWNは驚きを隠さず、シリカは頬を引き攣らせているからだ。

 

「どうして黙っていたんですか?」

 

「話す機会が無かっただけよ。それにあちらの面子が面子だけにね。具体的に言えば、ユージーンが来ているわよ」

 

「はぁ!? どうしてランク1が来ているんですか!? 他には!? 他には誰が来ているんですか!?」

 

 シノンの首根っこを掴んでガクガクと揺らすシリカを落ち着けようとピナが鳴く。先程までの高度な交渉と駆け引きの場の雰囲気を霧散させる勢いでシリカは問い詰めるも、シノンは言うタイミングを探していただけだと視線を逃がした。そもそも、この晩餐会がこんなドロドロの政治劇になるなど予想していなかったのだから自分には非が無いとシノンは声を大にして主張したい。

 

「4人の【来訪者】と深淵狩り。これだけの大戦力を得られるチャンスはまたとないわよ? 私からの要求は1つ、UNKNOWNに対する暁の翅とハーモニー商会の全面協力。私達が協力するんじゃない。あなた達が力を貸すのよ」

 

「横暴な! 私達がどれだけの時間を費やして今日の為に――」

 

「そんなの知らないわ。ギブ&テイク。私達はオベイロンを倒す為に全力を尽くす。その代わりにあなた達は彼の要望に最大限に応える。安い買い物でしょう? オベイロンの首とアルヴヘイムの支配権の両方が、彼のお願いを1つ聞くだけで手に入るのよ?」

 

 声を荒げたレイチェルは、シノンの意図が見えないと叫ぶように冷や汗を垂らす。だが、今にも泣きだしたいのはシノンの方だ。この交渉をご破算にさせれば、アルヴヘイムにおいてオベイロンに対する為の最大の支援を失う事になる。唇を舐め、シノンは強気を装ってレイチェルを睨む。

 暁の翅を率いる百戦錬磨のレイチェルが読み切れない理由は1つ、シノンはシリカのような交渉・取引の手練れではない事だ。故に彼女が積み重ねたセオリーがまるで通じない。なにせ、シノンは後先考えずに要求だけ突きつけている素人同然だからだ。だが、レイチェルからすれば、いきなり爆弾級のカードを切ってきた未知であり、侮ることも見切ることもできない。

 

「私は構わんよ。ハーモニー商会が欲しいのはオベイロン打倒後の新秩序下における流通利権だ。深淵狩り結構。【来訪者】大いに結構! 全面蜂起したら私も後には退けんのだ。戦力は多いに越したことはない。どんなものでも、欲しいだけ融通しよう」

 

 商人らしい打算であり、博打であり、目利きなのだろう。脂ぎった肌を更にテカテカと輝かせ、我先にとフェルナンデスはUNKNOWNとの握手を求める。

 

「良いでしょう。暁の翅もあなたに全面的に協力します。情報、戦力、物資、いずれも余すことなくあなたに貸しましょう。翅を取り戻し、アルヴヘイムに新たな風をもたらす。我々が欲するのはオベイロンの支配から脱却した新体制です。その為にも、あなた達には存分と戦ってもらわねばなりませんから」

 

 UNKNOWNの右手の甲に、レイチェルとフェルナンデスの右手が重なり、3勢力の協調が示される。綱渡りではあったが、何とか交渉を乗り切ったとシノンは疲れ切って瞼を閉ざす。

 ここからが大変だ。話した限りでは、レコンは話が分かる男ではあったが、他の面子が極めて危険過ぎる。レイチェルもフェルナンデスも、深淵狩りと4人の【来訪者】という魅力を逃すまいとしたからこそ、こちらに大きく有利な条件を飲むまで譲歩したのだ。

 だが、レコンが明かした限りでは、ランク1のユージーン、妙に正体を口にしたがらなかったユニーク使いらしい髭男、そしてシャルルの森で出会った少女のユウキだ。レコン曰く、クラウドアースによって派遣された部隊らしく、チェンジリングなる事件の解決の為に、『とんでもない方々』の協力と依頼を受けてアルヴヘイムを訪れることになったらしい。

 次の会合までに、シノン達は彼らを説得し、なおかつ深淵狩りの協力も取り付けねばならない。彼らの狙いはランスロットであり、深淵との関与があり得るオベイロンを討つことにも協力的との事だ。目的さえ一致すれば、ひとまずの同盟は可能だろう。

 

(ユージーンは傲慢だけど話が分かる奴だから大丈夫そうね。問題はユニーク使いの髭男とユウキちゃんかしら)

 

 頑なに正体を言いたがらないのは不自然だが、それ程までの大物であるならば厄ネタの類だろうとシノンも予想できる。だが、それ以上にユウキが危険だ。彼女はシャルルの森へUNKNOWNと戦う事を……それこそ殺し合いにも等しい決闘を望んでいる。つまり、2人が顔合わせした場合、こちらの制止を聞かずにユウキはチャンスとばかりにUNKNOWNに決闘を申し込むかもしれないのだから。

 ここは要調整を、押し付けるようでは悪いが、シリカに求めるのが1番だろう。レコンをパイプにして、まずはユージーンを引き抜き、残りの2人にオベイロン撃破までの協力体制をお願いするのが最も効率的だ。だが、それだけの交渉はシノンでは無理だろう。

 

(何にしても、ようやく糸口が見えたのね)

 

 手探りだったアルヴヘイムの旅、オベイロンを倒すというたった1つの道にようやく踏み入ることができた。それに心底安堵して、シノンは息を漏らした。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 大きな満月だ。廃坑都市を天上より照らす銀月は、現実世界では考えられない程に大きく、また神秘的だ。

 ロザリアと密会することは出来ず、時間だけを消費して夜を迎えたオレ達は、次にロザリアとの連絡が取れるまでは……少なくとも朝までは行動を保留する方針で合意した。だが、それは表向きの話であり、オレは今晩にもこのチームを離れ、深夜の内に非主流派に接触し、情報を得て明け方前に出発するつもりだ。

 この廃坑都市に『アイツ』がいる以上は長居など無用だ。少しでもアドバンテージを得る為にも、1体でも多くのネームドを倒しておきたい。

 今晩の寝床である廃墟の酒場から少し離れた見張り塔の上で、オレは月見に興じる。表面はボロボロに崩れた灰色の石造りの塔の屋上にはバリスタが設置され、外部からの襲撃に対して一応の警備は整えているようだが、見張りの姿はない。廃坑都市が安全なのは分かるが、万が一に備えた兵器もこれでは宝の持ち腐れである。

 できれば酒でも飲みながら月を肴にしたいのだが、そんな風流を楽しむべき時ではない。どうせまともに眠ることも出来ない身だ。あれこれ考えているよりも、ぼんやりと月を眺めていた方が気も紛れる。

 

「風情がありますね」

 

 そのはずなのであるが、バリスタを椅子にして月見していたオレの傍まで飛んできたのは、大きなボトルを節足で抱えたイリスだった。

 

「月見酒でもいかがですか? 及ばずながらお酌を致します」

 

「気が抜け過ぎだ。酒を飲んで寝込んでいる内に襲われたらどうする?」

 

 やや強めにオレが注意すると、イリスは寂しそうに翅を折り畳んでオレの隣に止まる。その姿にオレは前髪をぐしゃりと掴んで小さく嘆息した。

 

「酒じゃなくて水で乾杯はどうだ?」

 

「ええ、喜んで!」

 

 妥協案に意外にもノリノリのイリスに、オレはアイテムストレージから水筒を取り出し、イリスが持ってきた酒瓶に縄で括り付けられた安っぽい木製の盃に注ぐ。

 月光を映し込んだ冷水は見ようによっては日本酒のようであるが、ごく普通の、天雷山脈で補給した湧き水だ。味覚を失って以来は水の味すらも分からなくなったオレからすれば、ただの冷えた硬水以上の何物でもないが。

 

「ふぅ、美味しいですね。ほんのりと甘みがあります。ミネラルたっぷりで美容に良さそうですですね」

 

「美容って……ここは仮想世界だぞ? そもそもミネラルなんて何処から仕入れた知識だ?」

 

「私にも分かりませんよ。頭の奥底から新しい知識が泡のように浮かんでくるのです」

 

 まるで本当に酒を飲んで酔い始めたように、イリスは饒舌で語る。いわゆる気分に酔っているのだろうか? その気持ちは分からないでもない。

 約束を守るように、空になったオレの盃にイリスが水筒の水を注ぐ。波紋が生まれ、月が揺らぎ、月光に浸された水を口につけて半分ほど飲み干せば、スッと喉まで冷たい心地よさが通り抜けるような気がした。

 

「しかし、【渡り鳥】様は風流を解される御方なのですね。主様はこういうロマンチックな事から縁遠いくせに少女趣味が強くて困ります」

 

「自分の主を貶すな」

 

「愚痴の1つも零さずして信頼はありませんよ?」

 

 口の減らない虫ちゃんだ。だが、イリスの言わんとする事は分かる。相手の悪口の1つも言えないで、汚点の1つも認められないで、何が信頼と呼べるだろうか。

 イリスはきっとザクロを悪党だと真正面から認めている。排斥されるべき悪人だと憚らずに告げられる。それこそがイリスにとって、唯一無二の存在であるザクロへの信頼の証明なのだろう。

 

「イリスは本当にザクロのことが好きなんだな。羨ましいよ」

 

「羨ましい?」

 

「ああ。本当に……羨ましいよ」

 

 好意が殺意と結びつく。あるいは2つで1つ。そんな風にオレは生まれてしまった。

 誰かを愛せば愛するほどに殺したくなる。苦しめたくなる。傷つけたくなる。あの幻が見せた殺戮願望こそがオレの正体だ。

 どれだけ言い繕っても、オレはバケモノだ。それはクリスマスの夜に認めた。だからこそ『人』の心を捨てないと誓った。このままではバケモノに成り果てるからこそ、シャルルの森で変わりたいと望んだ。『アイツ』の背中を追い続けた理想は悪夢となって他人を傷つけると知った。

 

「【渡り鳥】様は本当に……本当に寂しそうに笑われる御方なのですね」

 

 いつの間にか微笑んで夜風を浴びて月を見上げていたオレに、イリスは悲しそうに翅を揺する。

 

「寂しくなんかないさ。少なくとも、今は俺の隣にイリスがいるだろう? それにオレは『独り』じゃない」

 

「そうではありません。そうではないのです」

 

 何か言いたげなイリスは縦割りの顎を数度動かすも、言葉を並べることが出来ないのか、断念したように水を啜る。今度はオレの番だ。底が見えた彼女の盃に水を注ぎ入れた。

 イリスには感謝している。このチームがまともに動いていたのは、イリスが潤滑油の役割を果たしてくれたからだ。そうでもなければ、好き勝手に動き回るオレ達は1日と待たずして分解してスタンドプレーに走り、下手すれば3日と待たずして殺し合いに発展していたかもしれない。

 

「今までありがとう」

 

 だからだろう。オレは自然と感謝の言葉をイリスに告げていた。アルヴヘイムの今日までが苦行ではなかったのは、PoH達との旅にそれなりの愛着が持てたのは、きっとイリスが必死になってオレ達を支えていてくれたからだ。

 

「感謝するのは私の方です。【渡り鳥】様のお陰で、主様は変わられました」

 

「そうか? でも確かに、あの憎まれ口は随分と鳴りを潜めたな」

 

 随分と大人しくなったザクロは不気味で気持ち悪いが、今のザクロの方が気楽に背中を向けられるのは確かだ。少なくとも、今の彼女は無言で刃物をオレの背中に突き立てることはないだろう。

 

「どれだけ私が言葉を投げかけても、主様は変わらなかった。変わろうとしなかった。踏み出せなかった。ですが、【渡り鳥】様は主様を変えてしまいました」

 

「オレにそんな力はないさ。ザクロが変わったとするなら、それはザクロの意思だ。それ以上もそれ以下もない」

 

「そうかもしれません。ですが、そうやって【渡り鳥】様が微笑んでくれるだけで、主様はきっと……自分を見つめ直すことが出来たのだと思います。【渡り鳥】様は火のような御方ですからね。暗闇にいた主様だからこそ、【渡り鳥】様に『温もり』を見出したのでしょう」

 

 そういえば、サチもよくオレの事を火と譬えていた。そんな大層なものではないと思うのだが、イリスにもまた、オレがそんな風に映っているのだろうか。

 

「身勝手だと承知しています。その上で、この愚物のお願いをお許しください」

 

 畏まってイリスは、オレの方に向き直ると全霊をかけるように頭を下げる。そんなイリスの姿を見たくなくて、オレは杯を満たす水を見つめる。

 

「主様は……ザクロ様は救われるべき御方なのです。【渡り鳥】様は仰いましたね?『救いはそれを求める人の心の中にいつもある。救われるべき者は手を伸ばさないと救われない』と。今まさに主様は手を伸ばしていらっしゃいます。汚泥の中で、確かに見つけた焔火に惹かれて、足掻いていらっしゃいます」

 

「だから、オレにザクロを救って欲しいと頼むのか?」

 

 本気で言っているならば、イリスは何も分かっていない。

 オレみたいに殺すしか能のないバケモノにそれ以外を懇願してもお門違いだ。そういうのは『アイツ』に頼んだ方が何千倍も意味がある。ノイジエルはオレが救っていると言ったが、それは死しか悪夢を終わらせる方法が無かった人々の、最後の最後に与えられた、残酷な結末だ。

 それでも……それでも、オレは……殺されて救われた人がいたなら、ノイジエルのように、クラディールのように、悪夢が終われた人々がいたなら……

 

「いいえ、そうではありません。どうか、今しばらくだけ、このチームを離れるのを待っていただきたいのです。主様が暗闇から立ち上がれる時まで、もう少しだけ! どうかお願いします!」

 

 最初から見抜かれていたのか。イリスは晩酌のお誘いに来たのではない。狙いはオレの足止めだったのだ。

 どうする? 斬るか? もはやチームに属するだけ損が増えるかもしれない。ならば、足枷となろうとしているイリスは邪魔物だ。贄姫の柄頭を撫で、オレは思案して嘲う。

 誠意を尽くし、敬意を忘れず、敵意も害意も無い相手を殺す? それこそ『獣』の所業ではないか。

 

「分かったよ。もう少しだけな」

 

 傭兵は必ず恩を返す。イリスには世話になったんだ。あのポンコツNINJAの面倒を見るなんて御免だが、あの味噌汁はそこそこ気に入ったしな。

 

「あ、ありがとうございます! このご恩は決して! 決して忘れません!」

 

「忘れてくれ。恩返しはオレの方だ」

 

 喜びを隠さないイリスの何と素直な事だろうか。彼女がいたからこそ、ザクロは悪党の屑であるとしても、暗闇の縁で踏み止まれていたのかもしれない。イリスが『変わった』と言う程に何かを得られたのかもしれない。

 オレはまるで変っていない。シャルルの森で、あれ程に強く求めたのに、何も変われていない。

 このアルヴヘイムでアスナを見つけたとして、『アイツ』の悲劇を止めたとして、その後に何が残る? また1つ『戦う理由』を失うだけだ。

 殺すのに理由が必要なの? 月光の中で踊るヤツメ様は、辛そうにオレに問いかける。その右手に持つのは一束の黄金の稲穂だ。

 何でだろう。とても懐かしくて胸が痛くなる。その正体が知りたくて黄金の稲穂に触れようとすると、ヤツメ様はふわりとオレの手が届かないところにスキップを踏んで離れてしまう。

 伸ばした手が触れたのは月光。

 だが、それは先程まで空を支配していた銀色の満月の光ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしようもない位に、まるで青い血のような夜に相応しい……赤い月の光だった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「Halleluiah♪ Halleluiah♪ Halleluiah,Halleluiah,Halleluiah♪」

 

 世界樹の頂きにて、赤い月を愛でるように両腕と黒い8本の触手を伸ばし、マザーレギオンは讃美歌を口ずさむ。

 それはアルヴヘイムにもたされた血の祝福。獣性を呼び覚ます悪夢の月を呼ぶ歌声。

 

「王様。本当に良いのね? もう後戻りはできないわ。アルヴヘイムに『感染』が始まるわよ」

 

 歌うマザーレギオンの隣にあるウインドウには、普段の優雅さを取り繕う演技もなく、今までになく厳しい表情をして目元を鋭くしたオベイロンが映っていた。小さく頷くその姿には慢心こそあるが、それは今回の作戦に対する絶対的な自信だった。

 

『構わない。廃坑都市を攻略する為だ。初期から設定された都市クラスの安全圏を崩すには、システム的矛盾……安全圏内にモンスターを生み出すのが最適解だ。それに≪獣狩りの夜≫によってアルヴヘイムが支配された間は全てがレギオンプログラムの感染によって上書きされる。この時こそ廃坑都市の安全圏と断絶は失われる』

 

「でも、代償としてアルヴヘイムの住人の『1割』は今夜にも確実にレギオン化するわね。いいえ、アルヴヘイムはレギオンの苗床となるわ。遠くない未来で、妖精の国はレギオンの養殖場になるかもしれないわよ?」

 

『「だから何だ?」という話だね。僕は妖精王。アルヴヘイムは僕の所有物だ。自分の物の最後は自分で決めたいものだろう? それに、世界を手に入れる王様がこんな小さな箱庭に満足してもしょうがない。せいぜいアルヴヘイムには僕の新しい研究材料として最後まで搾り尽して有効活用してやるさ!』

 

「王様のそういう割り切りの良いところは好きよ。この赤い月はプレイヤーアバター『のみ』に搭載されたデーモンシステムを通して『命』が持つ本能と呼ばれる領域……獣性を呼び覚まし、デーモンシステムとレギオンプログラムとの親和性を高める。今回は以前のようにNPCの限りじゃない。プレイヤーなら無条件に赤い月の影響を受けるわ」

 

 マザーレギオンは8本の触手を文字化けの塊の翼に変じさせ、世界樹の頂よりふわりと浮かび上がる。妖精の国を染め上げる赤い月光は毒々しく地上を蝕み、青い血の夜は万物万象に恐怖の天啓を授けるように色彩を深める。

 

「1度でも自分の獣性に負けてレギオンプログラムを受け入れれば終わりね。良くてレギオンプログラムに支配された狂人、もしくはレギオンプログラムによってレギオン化させられるわ。デーモンシステムが解放されているプレイヤーは獣魔化して暴走の挙句にモンスター化ね。アルヴヘイム中のNPCは無論全滅。これによって廃坑都市の転移機能は完全に永続麻痺するわ! ああ、どれも香ばしくて堪らないわ! アヒャヒャヒャヒャ!」

 

『廃坑都市に潜入させたスパイ「160人」には、事前に時限発動式レギオンプログラムを搭載済み。赤い月で確実にレギオン化する。そして、既に廃坑都市をアメンドーズと黒獣による包囲は完了済み。小アメンドーズ「3000体」も流れ込む。赤い月の影響を受けないように待機させたアルフ部隊は余剰戦力として温存し、10分以内に戦場投入が可能だ。更に原始的ではあるが、長射程の投石器も300台配置した。火砕流のように炎が廃坑都市には降り注ぐ』

 

 オベイロンは攻略できないからと言って準備を怠っていたわけではない。いつでも廃坑都市を陥落させる為の備えは万全だった。ただし、やり方としてオベイロンとしてもスマートさが欠けることも、またアルヴヘイムという自分好みに調整した箱庭を壊してしまうのも勿体ないと感じていただけだ。

 だが、いよいよ新たな神……世界の王となる道筋が見えたのだ。アルヴヘイム1つに拘ることこそが愚かとオベイロンは判断した。

 いや、それ以上に危惧したのだ。今回のマザーレギオン頼りの強硬手段は極めて危険だ。いかに半独立しているとはいえ、アルヴヘイムもまたDBOの1部……カーディナルの管理枠内にあるのは間違いない。もしもカーディナルがあらゆる基準においてアルヴヘイムを危険視し、形振り構わず『排除』を決定した場合、オベイロンが仕掛けた管理者を遠ざける為の策の数々は無効化され、コード999が発令される。アルヴヘイムは文字通り、熾天使によって焼き払われるだろう。灰に埋もれるのはオベイロンも例外ではない。

 故に1度きりのチャンス。たった一夜でアルヴヘイムを破壊し、レギオンプログラムの感染を広げ、なおかつカーディナルの目を欺かねばならない三重の代償。そうしなければならない程度には、ティターニア……アスナの脱走に伴った、オベイロン打倒の動きの加速と【来訪者】の結託という最悪の展開が彼にも見えていた。

 

『まずは内部に潜入させたスパイのレギオン化で混乱を生む。オペレーションはキミに一任したが、そこはどうなんだい?』

 

「フフフ、心配性ねぇ。スパイの蓄積した情報から重要施設を重点的に破壊するタイプ、暴れ回って混乱を生んで統制を乱すタイプ、統制された行動を取って反オベイロン派の有力人物を殺害するタイプ。そして、廃坑都市から脱出する為の出口を率先的に破壊するタイプ。この4種に分散させたわ」

 

『戦力に不足はない。スパイからの連絡で廃坑都市には【来訪者】が少なくとも3人は到着している。後はイレギュラーな事態さえ起こらなければ……』

 

 右手の親指の爪を噛むオベイロンの双眸は、これだけの戦力を以ってしても何かが起こるかもしれないという不安が滲んでいた。それを見たマザーレギオンは、思案するように唇に右手の人差し指を持っていくと、禍々しく口元を歪める。

 

「……仕方ないわねぇ。私もちょっと行ってくるわ。ランスロット、深淵の魔物たち、それに私。これだけ揃えば廃坑都市は確実に落とせるわ」

 

『キミが!? し、しかし……!』

 

 明らかな動揺を示すオベイロンに、マザーレギオンは安心させるように、楽しそうに笑って見せた。それはこれから始めるパーティで存分に遊んでやろうという純粋無垢な悪意だ。

 オベイロンにとってマザーレギオンは、彼にとってジョーカーであり、今回の反乱の肝なのだ。レギオンプログラムを統制・管理できる、現状では唯一無二の存在である。

 

「キヒ……キヒャヒャ……クヒャヒャヒャ! そろそろ『ご挨拶』もしておきたかったら丁度良いわ♪」

 

 だが、マザーレギオンは妖精王の困惑など関係ないとばかりに、黒い翼を羽ばたかせて異形のアルヴヘイムの夜を舞った。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 廃坑都市の各所から獣の遠吠えが響く。

 先程までの隣人は、衣服を盛り上がった肉体が破ったかと思えば、その全身がケダモノと化し、毒々しい紫色の皮膚に変じる。胴体は痩せ細り、肋骨が浮かび上がり、頭部は肥大化して口は裂けて牙を並べる。赤い目玉が複数浮かび、頭皮を突き破った脳は枝分かれしながら硬質化して角のような感覚器官に変異する。

 脊椎が背中を突き破り、2本に分かれたかと思えば、禍々しい紫の粘液を纏って触手と化し、それらは尾よりも精密な、まるで独立した捕食器官のように唖然する人々の腹を突き破る。

 ある者は2メートル半もある怪物に掴みかかられて胴から引き千切られ、ある者は大口によって頭部の上半分を失い、ある者は触手によって潰されて血の染みとなる。

 混沌の極み。地獄の扉が開いたような光景にレコンが思い浮かべたのは、かつてDBOを震撼させた、終わりつつある街に壊滅的な被害をもたらし、多くの貧民プレイヤーが犠牲になった獣狩りの夜だ。教会の大きな台頭を許した獣狩りの夜は、プレイヤーにレギオンという新たな脅威を恐怖と共に刻み付けた。

 これは夢だ。酷い悪夢に決まっているんだ。レコンは涙を浮かべ、ここが現実世界ならば失禁する勢いで大笑いした。迫るレギオンを遠ざけようと乱雑にメイスを振るうが、レギオン達の触手の方が彼のメイスよりも何倍も上手であり、あっという間に右手から身を守る得物は弾き飛ばされる。

 そうしている間にも、これまでは一方的にレギオンに狩られる側だった人々に異変が生じる。悲鳴のように、まるで天上の月に救いを求めるように仰いで叫んだかと思えば、口は裂けて突き出した舌は太く伸び、頭部は割れて脳症の花は赤い光を灯らせた感覚器官となる。脊椎が背中を破って突き出し、尾のような1本の触手となり、急速に痩せ細った体はまるで際限ない飢えと渇きの象徴のようで、それを癒すように手当たり次第に近くの人々を襲い、捕食していく。

 

「無事か、レコンくん?」

 

 紫皮膚の完全変異のレギオンと中途半端にレギオン化した暴徒たち。それらに群がられたレコンを救ったのは、深淵狩りの剣士たち……そのリーダーであるガジルだ。完全武装した彼は、右手に持つ大剣でレギオンを触手ごと叩き潰す。なおも生存する異形の怪物に、跳躍して深々と大剣を突き刺したかと思えば、そのまま斬り上げに派生させて、半ば爆散させるようにその遺骸を吹き飛ばす。

 リーダーを補佐するように他の深淵狩りの剣士たちも続々と、まるで闇から闇を移動したように現れ、個々で独立しながらも統制された、まるで狼の狩りのようにレギオン達を擦り潰し、あるいは連射クロスボウで牽制し、連鎖火炎壺で爆風の中に沈める。

 

「ぐぉおおおお! ガ、ガジル団長!」

 

 だが、深淵狩りの剣士たちも無双ではない。無敵ではない。1人がレギオンの群れの中で孤立し、その全身が牙と触手で貫かれる。そのアイコンは瞬く間に緑から黄色、そして死に迫る赤に変わる。

 死を前にして、兜に隠された深淵狩りの剣士の目に怯えはない。むしろ、リーダーの名を叫んだのは助けを求める為ではなく、『許可』を貰う為だった。それに応えるように、ガジルはレギオン化も間もない、まだ『人』としての意識が健在である住人の涙の懇願を無視して脳天を大剣で破砕しながら頷く。

 

「逝け、【ブラン】!」

 

「はい! 団長! どうか私の遺志を……『我ら』の遺志を継いでください!」

 

 何ら迷いなく、口から血反吐を垂らしながら、深淵狩りの剣士は鎧のマントに隠された、腰に取り付けられた自爆用火炎壺を起爆させる。それは深淵狩りの剣士たちの決死にして、最後の攻撃手段なのだろう。もはや亡骸も残さず、半径5メートルが炎で完全に熱される破壊音が響く。深淵狩りの剣士と接触していたレギオンたちは爆風で消し飛び、そうでない怪物たちも火達磨になってもがき苦しんでいる間に、弔いとばかりに深淵狩りの剣士たちに瞬く間に狩られる。その動きには仲間の死への動揺など欠片も無い。

 

「イ、イカレてる……!」

 

 決して親しい間柄ではなかった。だが、彼らは決して悪人ではなく、レコンの鍛冶の腕前を称賛し、時には冗談を言って笑ってくれた。

 なのに、深淵狩りの剣士たちはこの凄惨な戦いを『待っていた』と言わんばかりに、誰1人として仲間の凄惨な最期に振り返ることもなく、続々と現れるレギオン達を狩る。その神経がレコンには理解できない。

 自爆にしてもそうだ。あの傷ならば死は避けられなかっただろう。この世界でHPは何よりも雄弁なのだから。あのアイコンが潰えた時に彼も死ぬのは間違いなかった。だが、だからといって最初から自爆用の装備を準備しているなど、もはや自らの死すらも攻撃手段として選択していたとしか思えない。

 

「ガジル! アレを見て!」

 

 仲間の1人を縛っていた触手をレギオンごと回転斬りで切断したメノウは、レギオンの血飛沫を浴びた兜よりやや興奮したような双眸を覗かせる。それはまるで血に酔っているかのような……獣の凶悪な輝きを見た気がして、レコンは慄く。

 だが、それは深淵狩りの剣士たちの半分以上が同様の状態だった。そして、それは他でもないリーダーのガジルにも凶悪な『何か』が滲み始めている。

 

「……レコン君、キミは早急に仲間と合流して逃げる準備をしろ。多勢に無勢。この廃坑都市の防衛は不可能だ」

 

 それは諦めではなく、むしろ歓喜に等しいレコンへの逃亡の示唆だった。

 一帯のレギオン達を狩り尽した深淵狩りの剣士たちが見ているのは廃坑都市の南西。レコンも1度見に行ったのだが、廃坑都市の周辺は草木1つ生えていない荒野であり、まるで境界線のように極めて透明な膜が張られているのだ。そこから先は決してレコンは進むことができなかった。

 外からも内からも通さない檻。あるいは結界。それが廃坑都市にこれだけの反オベイロン派が集い、安全に戦力を蓄えられた源なのだろう。だが、その境界線から流れ込んでいるのは、無数の小さな影。そして、全身に黒い体毛を持つ、だが血肉はなく白骨の獣だった。遠目で分かり辛いが、レコンが見る限り、頭部は獣と人の中間のようであり、全身の黒毛からは青い雷撃が迸っている。

 

「【黒獣パール】……黒獣でも随一の図体と狂暴性を持つ深淵の魔物だ。そして、裏切りの騎士ランスロットの騎獣でもある」

 

 待ちに待ったと言うように、ガジルは大剣を構える。それに呼応した深淵狩りの剣士たちは周囲を見回してランスロットの気配を探るが、それよりも先に、いかに歴戦の猛者でも動揺するしかないように、1人の深淵狩りの剣士が『それら』に気づく。

 誰かが警告を発するよりも光ったのは紫の閃光。それは最初から『いた』かのように、都市の今は動かぬ風車に掴みかかり、頭部より太い紫色のレーザーを放つ。

 全身は青緑であり、その10メートルから15メートルにも達する巨体の割には胴体も脚部も腕部も細い。多腕は左右で本数が違うアシンメトリーであり、網状のまるでアーモンドのような頭部には小さな目玉が幾つも備わり、口部と思われる部分からはイソギンチャクのように触手が何本も伸びている。

 紫色のレーザーは廃坑都市を一閃し、続いて引き起こされた爆発は大火となって黒煙を上げる。レーザーで蒸発した者は幸福だっただろう。続く炎に呑まれた者たちは生きながらに焼かれ、絶叫しながら黒炭となっていく。彼らに痛覚が無かったことは喜びか、それとも死に狂うこともできない不幸か。

 

「アメンドーズ……!」

 

「姿を現すとは……深淵の知恵の実の分際で!」

 

「1体や2体じゃないぞ! 10体はいやがる!」

 

「団長! 北東より黒獣がもう1体来ます! いや、西からも……! 黒獣が3体なんて パールだけでも狩れるかどうかというのに! この上ランスロットなど!」

 

 口々にアメンドーズを罵る深淵狩りの剣士たちの中で、壊れた兜を脱いだ10代前半くらいだろう少年と呼ぶほかない深淵狩りの剣士が叫びながら、廃坑都市を包囲し、まるで『主』の命令を待っているかのように不気味なまでに待機している黒獣たちを大剣で指し示す。だが、ガジルはむしろ歓迎するとばかりに鼻を鳴らした。

 

「数を見誤るな。あの黒い点の数々……全て小アメンドーズだろう。この廃坑都市は完全に包囲されている」

 

 暁の翅や廃坑都市にいた反オベイロン派たちも混乱の中で立ち上がり、戦い始めているが、都市の全方位からアメンドーズと呼ばれた怪物の小型……体格2メートル半ほどの人間からすれば十分に巨大と言える魔物が流れ込み、また仲間内からレギオンが続々と現れて瓦解している。優秀な指揮官もいるらしく、各所で怒号のように泣き叫ぶ兵を纏めて立ち向かう準備をしても、アメンドーズは集結したところをレーザーで狙い撃ちして焼き払う。

 更に空から降り注ぐのは、まるで近隣で火山が噴火したような、火達磨の鉄球だ。それは地上に衝突すると同時に轟音を立て、破砕され、内部に浸されていた油が飛び散り、一面を焼く。それは暁の翅も小アメンドーズも関係ない。まるで焼夷弾だとレコンはこの攻撃を仕掛けている者は、仲間ごとこの廃坑都市を焼却するつもりなのだと勘付く。

 

「あなた達も逃げましょう! こんな数、勝ち目なんて無いですよ!」

 

 レコンは臆病ではあるが、自分の判断は正しいと何ら迷いなく言い切った。勝てない戦に挑むのは馬鹿の所業だ。勝ち目がある戦いなら劣勢でも意味はあるが、開戦と同時に勝敗が決しているならば、必要なのは戦略的撤退だ。

 それを歴戦の猛者である深淵狩りの剣士たちが分からないはずがない。故に、レコンは悟ってしまう。

 燃え盛る炎。怪物たちが生き残りを1人ずつ擦り潰し、あるいは快楽と共に貪る中で、深淵狩りの剣士たちは静寂を貫くように構えを崩さない。あの動揺したように見えた、兜を脱ぎ捨てた若い深淵狩りの剣士すらも、覚悟を決めたように精悍な顔つきになっている。

 

「……ランスロットに一太刀浴びせられれば、我が剣も本望です。団長、勝機があれば僕ごと斬ってください」

 

「フン、新入りが。だが、それでこそ深淵狩り! 団長命令だ! 1人でも多く『強き者』を救え! たとえ、狂え果てようとも、深淵に呑まれようとも、我らの誓いを忘れるな! 死を恐れるな! 我らの遺志は聖剣の下で必ず引き継がれる! 散開!」

 

 ガジルの命令と共に、深淵狩りの剣士たちはツーマンセルからスリーマンセルを組んで散り散りとなる。ガジルは2人の仲間を率いて去る間際に、レコンに無言で笑いかけた。

 

(何なんだよ……何なんだよ、これ!)

 

 涙で視界が滲みながら、レコンは自分を『守る』為に残ったメノウに肩を叩かれる。彼らは確かに狂っている。仲間の死すらも戦いに昇華させる狂人たちだ。だが、レコンには羨ましい程に彼らの剣は尊かった。

 

「私がお前を仲間の誰かと合流させる。安心しなさい。我ら深淵狩りにはちょっとした秘儀がある。深淵の力ではあるが、故に使い道もある。必ずこの廃坑都市から生かして逃がす」

 

 あれ程までに敵意を剥き出しにして接していたはずのメノウが、レコンを慰めるように優しく肩を叩いた。それは1度でも仲間の誓いを立てたならば『家族』だからこそだろう。だが、その息は荒く、双眸は妖しい赤色が滲んでいる。それはレギオンたちと同じ、血を求める……際限ない飢えと渇きが湧き出しているかのような『何か』だった。

 

「どうやら私『も』時間があまり無いようだ。あの月が……私を乱す。頭に鳴り響く。分からない。誰かが笑っている。蜘蛛……蜘蛛の……足音が、頭の中で……蜘蛛が私を……!」

 

 額を左手で押さえ、大剣をその場に突き立てて倒れるの防いだメノウは、息荒く、だが正気を繋いだように、レコンの背後から炎で燃え朽ちながらも襲い来るレギオンの口内に投げナイフを放ち、そのまま大剣を抜いて串刺しにする。

 システムウインドウでメイスを再装備にして、膨れたリュックを背負い直し、レコンは涙を袖で拭う。

 言わなければならない。ここで死んでも損害にならない『弱い者』だとしても、深淵狩りの剣士たちはレコンを選んだ。自分よりも何倍も『強い』人たちが救うをことを選んだ。だからこそ、レコンは無様な『それ』をハッキリと告げねばならない。

 

「僕を……『逃がしてください』!」

 

「無論。聖剣に誓って……必ず」

 

 兜を脱ぎ捨てて、ケットシー特有の耳を可愛らしく揺らしながら、メノウは笑顔でレコンの『懇願』を聞き入れた。

 

 

▽    ▽     ▽

 

 

「コイツはヒデェな。ユージーンの旦那、あのデカブツを倒せるか?」

 

「この距離では≪剛覇剣≫でも届かん」

 

 自分に近づくレギオンと小アメンドーズを次々と見えない斬撃で薙ぎ払う赤髭は一切の消耗を勘定に入れずに動いている。その足下にはユージーンたちの護衛兼見張りとしてついていた深淵狩りの剣士の遺体があった。倒れて脱げた兜から覗かせるのは、意外にも可憐という表現が似合う少女の容貌である。だが、その右腕はなく、左膝から下は熱傷で爛れ、右横腹は鋭い牙で抉られている。

 最初期のレギオンによる混乱とアメンドーズのレーザーから赤髭とユージーンを身を挺して守った彼女は、何かを託すように呟いて事切れた。赤髭もユージーンも、その言葉を1つとして聞き取ることは出来なかったが、守ってくれた彼女を無駄死にさせない為に、1人でも多くの者を助けるべく、小アメンドーズが流れ込む大通りで文字通りの防衛戦を決行している。

 

「ひとまずは焼夷攻撃は小休止のようだな。だが、こう怪物がうじゃうじゃといては脱出など無理だろう」

 

 小アメンドーズの血を払い除けて≪剛覇剣≫の赤いオーラを纏った大剣を握るユージーンは、呪術の火蛇を発動させて群がる小アメンドーズを足下から吹き飛ばす。小アメンドーズの攻撃は腕を伸ばした格闘攻撃と低威力ではあるが、連射性の高い頭部からのレーザー弾だ。だが、バトルヒーリングと呪術の温もりの火で常時回復し続けるユージーンは陣取ったまま≪剛覇剣≫によるガード無効化の刃で小アメンドーズを一方的に斬り払う。その豪快な剣技の穴を塞ぐのは赤髭の≪無限居合≫だ。

 だが、いかに強力無比のユニークスキル持ち2人が組んでいるとはいえ、無尽蔵に溢れるかのような小アメンドーズたちは1体1体こそ、せいぜいレベル30程度の強さであるが、数に物を言わせて押し潰してくる。

 特に都市の各所よりレーザーで、こちらが陣形を取ろうとすれば崩しにかかるアメンドーズたちのせいで、暁の翅はその戦力を集結させることが出来ず、各個撃破されていっている。

 

「この都市は終わりだ。情報は得た。早々に脱出するべきだろう」

 

 冷静に判断を下すユージーンに、赤髭は苦笑いしながらも同意するように頷く。既に非主流派から必要な情報は得た。3体のネームドについてもそうであるが、彼らは暁の翅でも不遇の立場だっただけに、廃坑都市外にも多くの有力な拠点を持つ。いくつかの位置情報を教えてもらっている自分達ならば、消耗前に撤退すれば体勢を立て直せる。

 だが、問題は果たして逃げ道が残されているか否かという最重要点だ。赤髭の見立てでは、既に廃坑都市の陸路は完全に敵勢力に包囲されているだろう。赤髭の≪無限居合≫は対多数戦……特に雑魚相手には無双とも言える働きも可能であるが、どうあってもスタミナが足りず、居合という攻撃の関係上突破力が弱い。

 対してユージーンの≪剛覇剣≫はガード無視と強力なユニークソードスキルよって突破力にこそ優れ、大物食いも得意とする。だが、手数がどうしても制限され、包囲されれば擦り潰されてしまう。それを補うための呪術であるが、ユージーンはここに来るまでに負傷者を助ける為に温もりの火を使い過ぎた。範囲内にHP回復効果をもたらす温もりの火は魔力の消費が大きい。

 

「【炎の大嵐】が1度使えるかどうか。オレよりもSAOを生き抜いた貴様の方がこういう状況には慣れているだろう? 気に食わんが、貴様の言う通りに動く。指示しろ」

 

「正体はお見通しってわけかい。それともセサルから教えてもらったのか? 詮索は後だが、俺に全部任せるってなら策もある。俺とオメェ……それにUNKNOWNの3人がかりなら、あの包囲網だって『1人』くらいは突破できるだろうさ」

 

「フン。もっとマシな策はないのか?」

 

「無茶言わんでくれ。この状況は詰みだ。それにSAOでも、こんな危機は99層ボスくらいしかなかったぜ」

 

 逆に言えば、これくらいの危機は1度経験していると宣言して、赤髭は冷静さを失っていない、やや熱くなっている様子のユージーンを諫めるように流し目をしながら笑う。

 

「もう1つ策がある。世の執政者ってのは必ず自分だけは逃げられる脱出路を確保しているもんだ。そいつを探し出せば良い」

 

「……敵に先回りされていそうな細い糸だが、希望を託すには幾分か勝機もあるか。良いだろう。オレが薙ぎ払う。後ろは任せたぞ」

 

 最後に1度だけ、足下の深淵狩りの剣士の死体に黙祷を捧げたユージーンは、小アメンドーズ達をまとめて吹き飛ばす≪剛覇剣≫の単発系ソードスキル【フォン・バースト】を放つ。地面に叩きつけられた両手剣より、まるで衝撃波のように赤いライトエフェクトが前面に弾け、小アメンドーズ達を空に舞い上げてその血肉を雨のように降らす。スタミナ消耗の激しい特殊ソードスキルの代償に逃げる時間を得た2人は、背中を向け走り出す。

 そして、次なる波となって押し寄せた小アメンドーズ達は深淵狩りの剣士の骸も踏みつけ、残骸に変えながら、目についた廃坑都市の住人たちを虐殺し始めた。

 

 

▽    ▽     ▽

 

 

 27、28、29……30! シノンは炎の中から次々と現れる小アメンドーズたちにヘッドショットを決めながら、レイチェルやフェルナンデスを警護しながら、燃え盛る廃坑都市を駆けていた。

 迎賓館は既に炎の鉄球によって焼き払われ、右往左往して逃げ遅れた人たちは焼死した。ガイアスは仲間たちの元に駆け、2人の反オベイロン派の核を守る役目が与えられたのは、シノンとUNKNOWN、そしてロズウィックの3人である。

 フェルナンデスは言うに及ばず、レイチェルも戦いに関しては優れているはずもなく、一線を離れたとはいえ、魔法の腕は確かのロズウィックの援護の下で何とか地獄と化した廃坑都市を逃げていた。

 

「私の……私の都が! ここから、今日……ようやく、始まるのに!」

 

 これは悪夢だ。そう譫言のように繰り返すレイチェルは、壊れたように笑い、現実逃避をそのまま生きる力に転じさせているように、瓦礫に埋もれて助けを求める者の足を踏みつけて全力で走り続けている。シノンも彼らを助けたいのは山々であるが、彼女が矢を射続けなければ小アメンドーズたちはレイチェル達の足を容易く止めるだろう。

 

「ヒッヒッ……ヒッヒッ……もう、ちょっと……ゆっくり、走って、くれぇええええ!」

 

 肥え太った体は当然ながら運動に適しているはずもなく、またレベルが高くないフェルナンデスではスタミナにも限りがある。それ故に定期的にペースを落とさねばならないのだが、シノンは脱落するならばそれまでと割り切って速度を緩めない。むしろ、彼女からすれば十分にスローペースだ。

 

「シノン!」

 

 赤い月を背に、異様に足が長い、まるでこの炎の環境に『適応』したような逆関節のレギオンが宙より襲い掛かる。UNKNOWNは右手のドラゴンクラウンでレギオンの爪を腕ごと斬り裂き、転倒したところでうねる触手の付け根に左手のメイデンハーツを突き立ててトドメを差す。

 小アメンドーズに気を配るあまり、上空からの奇襲に対応できていなかった。感謝の代わりに、UNKNOWNの足下に這ってくる、下半身が千切れた小アメンドーズの頭部を射抜く。廃坑都市で補給した黒粗鉄の矢であるが、威力は小アメンドーズ相手ならば申し分ない。シノンは左腕の義手を起動させ、爪を伸ばすと矢の切れ目を縫って迫った小アメンドーズの頭部を掴み、切り裂きながら握り潰す。

 小アメンドーズの体液が義手を染める。それは炎の熱と光を浴びて、金属の輝きと混じり合う。

 心臓が高鳴る。喉が異様に渇く。シノンはごくりと生唾を飲めば、自分の口元が更なる戦いを求めるように歪んでいる事に気づき、慌てて首を横に振った。

 

(何これ……一瞬だけど、『何か』が見えたわ)

 

 落ち着け。シノンは深呼吸をして、自分以上にハイペースで小アメンドーズを斬り払っていくUNKNOWNを心配する。

 赤い月が生じたのと同時に始まったレギオンによる襲撃。続く投石器と予想される、油入りの鉄球による爆撃。これによって迎賓館は壊滅し、瓦礫の中を逃げ切ったシノン、咄嗟に窓を割って逃げたUNKNOWN、レイチェルとフェルナンデスを抱えて脱出したガイアスとロズウィックは無事に庭園で合流できたが、シリカだけは怪我をした給仕に足を掴まれ、転倒している間に崩落に巻き込まれたのだ。

 生死は不明だが、あの崩落と続く焼夷弾ではただでは済まないだろう。もちろん、シノンはシリカがこんなにも呆気なく死んだとは思っていない。だが、反オベイロンのキーマンである2人を生かす為にも、あの場からすぐに離れるしかなかった。

 UNKNOWNからすれば、シリカは大事な仲間であり、それ以上の存在でもあるはずだ。ならば見捨てたと自分を罵っていてもおかしくない。仮面に露になっていない表情をどれ程までに自己嫌悪で歪めているのか、それは想像もしたくない。

 剣は正直だ。UNKNOWNの剣技は今までの中でも冴えわたり、だが殺意で濁って猛々しく、一切の情なく鬼の如き気迫が籠っている。それは憎悪の剣だ。シノンは無言で退路を切り開くUNKNOWNの背中を頼もしくも思いながらも、背筋に冷たいものを覚える。

 

「クールになりなさい。シリカは簡単に死なないわ。お師匠様の教えを忘れたの?」

 

「『戦場では冷静さこそが最大の武器』……分かっているさ。でも……でも! 糞ぉおおお!」

 

 怒りをぶつけたレギオンが胴体で泣き別れする。まだ人間の面影が残る怪物に、UNKNOWNは一瞬の躊躇もなく竜神より生まれた剣を突き立てる。

 考えるな。これはもう人間ではない。シノンはそう自分に言い聞かせる。血を啜るようなドラゴンクラウンの黒い刀身から目を離し、UNKNOWNに無理をしてでも笑いかける。

 

「私がいるわ。【ケットシーの希望】なんて呼んで、あなた達が祭り上げた反逆の偶像がいるのよ? 目立ち過ぎて、きっとシリカもすぐ見つけられるわよ。だから……今はとにかく逃げましょう」

 

「ああ。分かってるさ。俺だって、今は逃げるしか無いって事くらい。相手は……オベイロンは、この街の安全圏を強引に剥ぎ取ったんだ。安全圏ではモンスターは『生じない』事を前提としている。でも、レギオンというモンスターが生まれたから、エラーが生じて一時的に安全圏がリセットの為に初期化されたんだ。その穴をついて、オベイロンは一気に攻勢を仕掛けてきている」

 

「つまり、安全圏が再起動すれば、私たちは助かるのね?」

 

「いや、無理だ。システム側は廃坑都市をモンスターが徘徊するフィールドと認識するはずだ。全滅させない限りは――」

 

 少しでも冷静さを取り戻したのだろう。足を止めて深呼吸を入れながら現状を説明するUNKNOWNにシノンが安堵した時だった。

 何かが飛んだ。シノンとUNKNOWNの間を、ボールのようなものがふわりと飛んで、炎の中に消えた。

 振り返れば、レイチェルが茫然として、両手を膝につけて肩で息をしているフェルナンデスを見つめている。だが、そのフェルナンデスの首から上はない。

 理由は簡単だ。フェルナンデスの背後には、いつの間にか血濡れの大剣が……炎の光すら喰らうどす黒い大剣があったからだ。

 刃は続いて流れるように振るわれ、シノンが矢を放つより先に、唖然としたままの……こんなの嘘だ、幻だ、夢だ、と泣きながら笑っているレイチェルの首が刃で刈られる。

 転がり落ちたレイチェルの頭部が瓦礫で盛る炎の中に突っ込んで焦げる。反オベイロン派をここまで育てた2大巨塔のトップを、シノンとUNKNOWNの警戒網をあっさりと潜り抜け、彼らの背後を守っていたはずのロズウィックすらも反応できないまま、亡き者にした『規格外』はしっとりと濡れたような落ち着いた声音で告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「【二刀流のスプリガン】と【ケットシーの希望】とお見受けした。見せてみろ、【来訪者】とやらの力を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頂くのは3つのHPバー。ネームドの証を示す刻まれた名は<裏切りの騎士ランスロット>。

 闇濡れの大剣を持つ騎士は、フルフェイスの兜の覗穴から黄金の光を眼のように漏らしながら、ゆらりと右手で大剣を持ち、左手を刀身に這わせた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 レギオン。レギオンレギオン。レギオンレギオンレギオン!

 ユウキは怒りのままに、小アメンドーズを蹴り飛ばしながら、次々と姿を現すレギオンを集中的に狩っていく。

 

(ここに来てまで、アルヴヘイムに来てまで、まだクーを愚弄するつもりなの!? 殺す! 殺す殺す! オベイロン殺す!)

 

 レギオンの後頭部を踏み躙って潰し、血で顔面の半分を染めながら、ユウキは炎と死臭で満たされた廃坑都市を彷徨う。

 頭の冷静な部分は分かっている。今必要なのはボス達との合流だ。深淵狩りの剣士たちのような猛者ならば、脱出の手立てにも心当たりがあるはずだ。だが、ユウキの感情はクゥリを求めて、アリーヤの鼻を頼りにして彼を探そうとする。

 だが、臆病なアリーヤでは怪物だらけの、ダンジョンよりも酷いモンスターハウスと化した廃坑都市では満足に動けない。故にユウキは奥歯を噛みながらも歩みを遅くするしかなかった。

 そんな彼女に目をつけたのか、アメンドーズの1体が太いレーザーではなく、拡散するレーザーを雨のように放つ。逃げの場のないような面攻撃に対して、ユウキは影縫のギミックを発動させ、そのワイヤーを掴むと高速回転させ、即席の盾を作って拡散レーザーを防ぐ。

 

「邪魔だよ」

 

 神速。アメンドーズがつかまる煙筒まで接近したユウキは直角なそれを駆け上がり、数秒足らずでアメンドーズの顔面に到達する。常人ならば狂乱に誘うだろうアメンドーズの眼は全てが驚きで見開く。

 連撃がアメンドーズの頭部に吸い込まれ、その巨体は地面に落下して地震を起こす。仰向けになって倒れたアメンドーズの頭部から黄ばんだ体液が零れ、それは地面や建物に接触すると泡立って溶かす。酸性の血は耐久度減少効果があり、それを瞬時に見抜いたユウキはスノウ・ステインの刀身が無事であることから、接触時間が短ければ耐久度減少効果は発動しないと推測する。

 

「邪魔。邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔。邪魔!」

 

 倒れたアメンドーズの頭部を、蝕む闇の大剣の連撃で強引に削り取り、頭部表面を爆ぜさせる。飛び散る体液の中でアメンドーズが絶叫し、複腕の掌の水晶体にブラックホールのような、不気味な虹色の輝きを持つ光を纏った闇を蠢かせて暴れ回り、ユウキを払い除けようとするが、彼女は崩壊寸前の煙筒に向かって深淵狩りお手製の高火力火炎壺を投げる。

 爆発によって倒れた煙筒によって、立ち上がって応戦しようとしたアメンドーズは頭部を、そのまま地に押し潰す。

 まだHPバーが赤く点滅したまま健在のアメンドーズに、ユウキはゆらりと、アメンドーズなど見てない、目の前の邪魔な『石ころ』を蹴飛ばすような眼で、片手剣を構える。

 アメンドーズの残された僅かな目に映ったのは何だったのか。それが語られるより先に、ユウキが発動した闇のランスはドリルのような高速回転となり、片手剣を保護しながらアメンドーズの頭部の中心まで貫く。

 

「はぁ、汚れちゃった。クーに会う前だからしっかりお風呂に入って、香水もかけてきたのに、台無しだよ。そうでしょ、アリーヤ?」

 

 アメンドーズの頭部を文字通り『掘り潰した』ユウキは、長い黒紫の髪を靡かせて、ユウキは全身の毛を逆立たせてお座りしているアリーヤに嘆息する。

 と、そこでユウキは揺れる炎の影が背後で濃くなるのに気づき、跳躍してその場から離脱する。コンマの差で襲ってきたのは、アルヴヘイムではまずお目にかからないショットガンの散弾だ。

 

「よう、怨敵」

 

「やぁ、宿敵」

 

 何となくだが、この『可能性』だけは否定したかった。ユウキは着地し、ハンドサインでアリーヤに下がっているように伝える。

 フード付きポンチョ、左手には重ショットガン、右手には変形曲剣。この大混乱の中でご丁寧にも背後から奇襲をかけていたのは、ユウキにとってまさしく宿敵と呼ぶに相応しい相手、PoHだった。

 そして、それはPoHからしても同様なのだろう。まるで自分たちを巡り合わせてくれた赤い月に感謝するように紫雷を帯びた大曲剣に変形させる。

 

「残念だが、クーは俺を選んだぜ? 未来の虐殺者様の相棒の席は俺で満員だ。意味が分かるか? アイツにお前は不要だって事だ。ここで死体になって、せめてアイツの奇麗な思い出になっちまいな、ストーカー女」

 

「はぁ? クーがお前を選んだ? 冗談は冗談として言わないと成立しないよ。大体ね、ボクはストーカーじゃないもん。『オープン』ストーカーだよ♪ 本人公認のストーカーなんだから!」

 

 薄い胸を張って、堂々と宣言するユウキに、馬鹿には話が通じないとばかりに挑発も込めてPoHは嘲う。

 

「まぁ、別に認めなくて良いよ。どうせ、ここで死ぬんだし。お前の死に様くらいはクーにも教えてあげるから、死人は死人らしく土に還れば良いよ」

 

「死に損ないって意味では俺達は似た者どうしたと思うがね。構わないさ。今度こそ、お前を死の底に突き落としてやるぜ」

 

 ユウキはスノウ・ステインに切り札の1つ【霜付く氷の武器】を使用する。水属性エンチャントであり、高い水属性を持つスノウ・ステインとは相性が良い。だが、その希少性から、保有者は片手の指の数もいない魔法である。

 青白い冷気を纏った片手剣と紫雷を帯びた大曲剣が激突し、猛る炎と死の中で殺し合いが始まった。




ようやくアルヴヘイム編の『序盤』が終わりに入りました。
この廃坑都市を以って中盤に入ります。


それでは、254話でまた会いましょう。

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