SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

レコンとシノンはもう引き返せない。なお、髭の胃にストレスのダイレクトアタック。
アスナさん、始動。
そして、シャロン村は宴の夜へ。


Episode18-25 待つ者の祈り

 旧街道とはその名の通り、もう使われることがない、滅んだ地を結び合う、かつての人と金と情報と物資の血管である。

 赤雷の黒獣によってアルヴヘイムは壊滅的被害を設けた。免れた都市もあったが、それでも甚大な損害は免れず、多くの流浪の民を生むことになり、それらは反オベイロン派の温床となった。

 ガイアスの父は傭兵を生業とするスプリガンだった。母は娼婦であり、甲斐性のあった父は溜め込んだ私財を払って孕んだ母を身受けした。

 流浪の種族であるスプリガンが安寧の地を得る事は少ない。だが、身重の母を連れ歩くことは出来ない。父はある都市の衛兵として雇われ、ひとまずの根を下ろす地を得た。

 幸せとは言い難い日々だった。ケットシーやインプ程ではないとはいえ、流浪の民であるスプリガンが根付くことは珍しく、周囲からは奇異の目で見られる日々だった。娼婦だった母は宿の給仕で日銭を稼ぎ、足下を見られた安給与で危険な仕事ばかりをさせられる父との生活は常に貧困の中にあった。

 力が欲しい。ガイアスがそう望んだのは、母が流行り病で床に伏せ、高額な薬を買う為に父が領主より大仕事を引き受けた時だった。彼が12歳の時だった。

 近くの村で黒獣が目撃され、領主は討伐隊の結集を呼び掛けた。だが、黒獣といえば恐怖の代名詞である。深淵より這い出る怪物の中でも特に強い。伝説の赤雷の黒獣には及ばないにしても、1体の黒獣が出現すれば、決死の抵抗戦を仕掛ければ半壊で撃退、生半可ならば都市自体の壊滅もあり得る危険な存在である。

 黒獣の目撃例は夕暮れか夜間であり、昼間はまず見かけない。特に嵐の日には出現率も高く、その黒い体毛より迸る青い雷は死の前兆として忌避されていた。

 父は現役時代に名の知れた傭兵だった。多くの戦役で活躍し、身分さえあれば勲章を胸に飾っていただろう。だが、イフリートでも扱いに苦慮する特大剣を背負う父は、もはや母の思い出話の中にしか存在しない英雄だった。

 報奨金は莫大であり、母を救うのみならず、豊かな生活を得られる。周囲からも尊敬も集まる。だが、父は現役を退いた以上に今回の討伐は苦渋の選択だった。スプリガン達は決して黒獣には手を出さない。彼らは闇雲に街を襲うことはないからだ。赤雷の黒獣を除けば、黒獣が都市や町を襲うのは『通り道だったから』以上の意味はない。彼らは肉も血もない、骨に黒毛を覆う怪物だ。故に餌は要らないのである。

 ならば討伐隊の編成など不要。都市の守りを固めることこそ最上であり、深淵狩りの到着を待つべきだと父は衛兵長に談判した。だが、不評を買うばかりで、父の忠告は領主の耳に届くことすらなかった。

 13歳になれば衛兵務めができる。ガイアスは悔しさを滲ませた。父の背中を見送るしか出来なかったからだ。黒獣討伐隊は、誇りを未だ高く持つ数人の騎士、食い扶持に困った腕っぷしに自信がある余所者、そして父のような事情を持った衛兵たちで結成された。頼みの綱のスプリガンの傭兵団たちは、黒獣と聞くとテーブルを埋め尽くすほどの金貨を前にしても首を縦に振らなかった。

 討伐隊の出発から3日後、月を隠す暗雲の夜、雨粒が都市を濡らした時、青い雷光が東の地平線で輝いた。

 その黒獣は余りにも大きかった。普通の黒獣よりも一回り以上大きく、迸る青い雷も猛々しい。

 伝説の再来。黒獣パールだった。ランスロットの騎獣であると噂されるパールは、その右前脚の一振りで地面を抉って雷光を飛ばし、都市の外壁を破砕した。

 その後は一方的な殺戮だった。矢は雷に阻まれ、騎獣たちは手綱を離れて逃げ惑い、槍を突き立てようにも皮も肉もない黒獣は見た目に反して攻撃できる面積は狭く、またその素早さは並の獣を軽々と超える。

 ガイアスが生き残れたのは、病の母が身を挺して覆い被さり、瓦解した建物から守ってくれたからである。そして、夜明け間近に彼が見たのは、遅れて到着した深淵狩りたちが黒獣パールに果敢に挑むところだった。

 結果から言えば、深淵狩りたちの負けだっただろう。黒獣パールが退いたのは夜明けの光を見たからであり、深淵狩りたちの過半は傷つき、また多くが死んでいた。対して黒獣パールは傷ついてこそいたが、その生命の残量を示す【命の帯】は僅かと減るに留まっていた。

 母が共同墓地に葬られた後、ガイアスは父の足跡を追い、雷で黒焦げになった、個人を判別できない死体の山より父の特大剣を見つけた。成す術なく、パールの怒りを買い、そして母の死を招き入れたのは『無力』に尽きる。

 だからこそ、ガイアスは力を求めた。強さを欲した。故に戦いに身を投じた。

 常人では立ち入らぬ魔窟にも身を投じ、繰り返される激戦の中で生き残る術を見つけ出した。

 少年時代はひたすらに敵を葬り続ければ良かった。確実に強くなれる自信が背中を押してくれた。

 青年時代は増長した自分を恥じ、謙虚さと人との交わりを大事にすべきだと思い知った。

 そして、亡き父の年頃になった今では、世界の広さと強さに上限など無いことを理解し、また先を歩む者には若者たちを導く義務があるのだと自覚した。

 反オベイロン派に合流したのも、彼らの理想や大義に共感したからではなく、多くの若者がアルヴヘイムの理不尽に耐えかねて暁の翅を目指す現状に危惧を覚えたからだ。

 怒りに任せて振るう剣はいずれ破滅をもたらす。悲しみに満ちた刃は自他に涙を流させる。戦いに悦楽を見出せば、それは深淵の入口となる。ガイアスは実力不十分と分かっていながらも、ロズウィックと共にランスロット討伐に挑み、無様に敗走した。せめて自分がいれば、士気だけは高い若者たちを死なせないで済むかもしれないと考えたからだ。結果と言えば、自分とロズウィック以外の生存者を許さなかった、ランスロットの桁違いの強さの目撃者となっただけだった。

 普通ならば妻を娶り、息子や娘に囲まれていて当然の年頃だ。早ければ娘の嫁入りに苦慮する親の苦悩を味わい、また孫の顔を拝んでいてもおかしくない。アルヴヘイムで40歳といえば、それが当然の年齢なのだ。

 だからだろう。ガイアスには放っておけなかった。自分よりも遥かに若年でありながら、卓越した二刀流を操る名を隠す黒装束を。まるで世界を呪うような眼差しをした、黒紫の少女を見て見ぬフリなど出来なかった。

 今更になって親代わりなど務められるはずがない。だが、それでも若人を導くのが月日を重ねた分だけ積まれた義務ならば、剣と言葉で彼らに教えられるものを教えるのが自分の役目だろう。

 

「アリーヤ、疲れた?」

 

 まだ太陽も空で輝く昼過ぎ、黒紫の少女のユウキを背中に乗せて歩き続けていた黒狼は、舌を出して苦しそうにハッハッと呼吸を繰り返していた。

 場所は【ロアンの森】。旧街道を飲み込んだ古森の1つであり、伝承にある限りでは、かつてはウンディーネの村があったはずである。ロアンの森は別名で『風吹きの森』とも呼ばれ、豊かな森には常に涼しい風が吹き抜けている。それはロアンの森の向こう側、断崖絶壁が並ぶ【青蛇の谷】からの風だ。つまり、風上を目指し続ければ、たとえ街道の名残である舗装を見失っても、森の出口は目指せるのである。

 ロアンの森は危険な魔物も少ない。せいぜいが【ミラーモンキー】と呼ばれる魔法を反射する体毛を持つサルが肉食であり、旅人を襲った事例がある程度だが、ガイアスは特大剣を振るうパワーファイターであり、二刀流の黒装束もユウキも近接戦を主体にするので苦戦は無い。

 

「どれどれ。やや激しい動悸、浅い呼吸、目に充血か。体毛は……脂でべたついているな。それにこの息のニオイとなると、【黒筋大キノコ】か」

 

 アリーヤの顎を撫でながら、ガイアスは黒狼の症状をチェックし、心配そうな表情をしたユウキを安心させるように笑った。

 

「簡単に言えば食中毒だ。黒筋大キノコは味も濃くて美味だが、火を通さねば3日3晩汗は引かず、絶えず腹痛に悩まされる。人ならば死に至ることもあるが、獣が死んだ話は聞かんよ。それに症状は軽い。少し休めば治るだろう」

 

「アリーヤ! あれ程アルヴヘイムで勝手にあれこれ食べちゃ駄目って言ったでしょ!?」

 

 叱るユウキに、アリーヤは苦しげながらも目を逸らす。それは『腹が減ってたんだから仕方ないじゃん?』と言い訳しているようだった。

 

「この辺で休めるところはあるか? 俺なら担げないこともないけど……」

 

「もうすぐロアンの森を抜けるはずだ。それまで頑張ってもらうしかない」

 

 黒いヘス・リザードから降りた、顔面に包帯を巻いて素顔を隠す二刀流の剣士UNKNOWNに、ガイアスは首を横に振る。旧街道は若い頃に幾度か挑んだ事はあるが、青蝋都市まで続くこの旧街道は初めてだ。ガイアスも伝聞しか知らない未知である。

 苦しげなアリーヤの背中に乗り続けることなど出来るはずもなく、ユウキは黒狼と並んで歩く。必然としてスピードも落ち、ガイアスもUNKNOWNもヘス・リザードから降りた。ペースを緩めても良かったのであるが、女子1人に徒歩を許すのは男としてどうかと思うからである。

 

「でも食中毒か。やっぱりアルヴヘイムは普通じゃないな」

 

「うん。それに風邪とか流行り病とか普通にあるみたい。食べ過ぎれば太るし、逆に痩せることもある」

 

「DBOも十分におかしかったけど、このアルヴヘイムはより現実世界の再現を目指している気がする。俺達も十分に注意しよう。特に拾い食いにはね」

 

「それはキミとアリーヤだけの注意点じゃない?」

 

 目を合わさずとも普通の会話をするユウキとUNKNOWNに、思わずガイアスは安堵の吐息を漏らす。出発して以来、ほぼ会話らしい会話もせず、たまに口を開けば喧嘩腰になっていた2人であるが、宿場町の夜以来であるが、積極的ではないとはいえ、少なくとも互いに会話を是とする程度では歩み寄っているようだった。

 ガイアスの目から見た限りであるが、この2人は似た者同士であり、同族嫌悪のニオイがする。どちらの眼にも潜むのは自己嫌悪だ。だが、その方向性の発露と原因はかなり異なるようであり、だからこそ衝突してしまうのだろう。

 ようやくロアンの森を抜けると、待っていたのは緑の芝生が広がる緩やかな下り坂だった。その傾斜には苔生した建物が並び、かつての生活の痕跡が見られる。そして、村の向こう側には青白い谷の迷路が待っていた。

 

「ここがウンディーネの村か。誰も住んでないみたいだね」

 

 蔦が絡まり、白い花を咲かせる井戸を覗き込み、ボロボロの底が抜けた桶にユウキが嘆息する。それを見たUNKNOWNは周囲を見回し、金属製のバケツを発見するとロープで縛って井戸に放る。そうして水を汲み上げると冷たい水を右手の掌で掬い、まずはニオイを嗅ぎ、一口だけで啜ると小さく頷いた。

 

「腐ってはないみたいだ。重金属の中毒はさすがにアルヴヘイムも無いだろうし、使っても大丈夫だと思う。ガイアスさんの判断を教えてくれ」

 

「ウンディーネは治水技術に長けていた。彼らの多くは神官であり、同時に執政者でもある。彼らの作った井戸ならば、たとえ数百年前だろうと安全だろう。だが、念には念を入れて、料理に使う時には――」

 

 ガイアスが全てを言い切るよりも前に、ユウキは携帯コンロを取り出す。これは彼女たち【来訪者】が扱う道具の1つらしく、ガイアスも見たことが無い、薪要らずで料理が出来る優れ物である。ただし、無限に使えるわけではないらしく、残り使用回数は少ないらしい。

 

「1度熱を通して殺菌だね。はぁ、ウイルスや細菌とか、どういうパラメータ管理なんだろ?」

 

 鍋で湯を沸かそうとするユウキの右手をUNKNOWNがつかむ。一瞬だが、すぐに振り払おうとするように殺気立ったユウキだが、それを抑えるように彼を睨んだ。

 

「手間はかかるけど、薪はあるし、火を起こして沸かそう」

 

「……そうだね。どうせ、今日はここで野営になるだろうし。うん、ありがとう」

 

 目を伏せて素直に礼を言うユウキに戸惑った様子のUNKNOWNだったが、すぐに小さく頷いた。

 

「野営するにしても、廃村とはいえ、寝床くらいはあるはずだ。俺は探索してくるよ。ガイアスさんはどうする?」

 

「私は薬を調合する。旅に腐ったパンと水は付き物だった。癒す術には心得がある」

 

 フードを被り直したUNKNOWNは村の探索に入り、残されたガイアスは自分の赤いヘス・リザードを腐った家屋の柱に繋ぎ、荷袋から薬の調合道具を取り出す。旅の敵は盗賊や魔物ばかりではなく、病や怪我こそが最大の難敵だった。深く傷つけられ、また醜く傷口を抉られれば、生命の帯は緩やかに短くなっていく。【来訪者】の2人はこの生命の帯をHPバーと呼んでいた。

 生命の帯は魔物や魔性に堕ちた者を除けば、たとえ家族であろうとも確認し合う術はない。敵兵の残りの生命の帯を確認する際には、頭上で光る生命の灯を目印にするのだ。緑ならば十分、黄色ならば危険、赤ならば瀕死と、戦士たちは剣を振るうより先に必要な知識を先達より授けられる。

 生命の帯が減りにくくする術は2つ。戦いを重ねてソウルの刻印を増やすことである。ソウルの刻印が増える度に聖数字が与えられ、それを自身の才覚に割り振ることによって強さを得られるのである。

 神はどうしてこんなにも面倒な定めを作ったのか、ガイアスには不思議でならない。これでは戦えない者は永遠に弱いままだ。魔物を倒さねば、誰を殺さねば、決して得られない力など、まるで殺し合いを強要しているようだ。

 ユウキの力では動かせないアリーヤを肩で担ぎ、ガイアスは日陰になる木の根元に下ろす。

 

「これを飲ませてあげるが良い。睡眠薬も調合してある。ゆっくりと眠れるはずだ」

 

「ありがとう。ほら、アリーヤ。口を開けて」

 

 調合した丸薬を差し出すと、丁寧に頭を下げてユウキは受け取る。UNKNOWNへの態度を除けば、本来は礼儀正しい子なのだろうとガイアスは思う。

 苦い丸薬から必死に逃げようとするアリーヤを落ち着かせるように、ユウキは優しく頭と顎を撫でる。気持ち良さで動きを鈍くした黒狼の口に丸薬を押し込み、吐き出させないように口を塞ぐ。だが、ユウキの力では足りないようであり、咄嗟にガイアスは助太刀した。

 数十秒暴れたアリーヤは、やがて寝息を立てて動かなくなる。調合した睡眠薬ならば、攻撃されない限り目覚めることもないだろう。手を焼かせた黒狼にガイアスは額を拭い、べっとりと付着した涎に顔を顰めた。どうやら、奮闘の間にたっぷりと右手は涎を啜ってしまったようである。

 

「……ぷっ、ぷふふ、あはははは!」

 

 顔面涎塗れになったガイアスを見て、堪えきれない様子でユウキは弾けたように笑う。

 十数秒たっぷりと笑ってユウキは、潤んだ目尻を指先で拭う。その姿に、ガイアスは満足して頷いた。

 

「やはり、キミには笑顔の方が似合うな。女の子は笑顔が1番だ」

 

「急にどうしたの? おじさんって、もしかしてロリコン? でも残念でした。ボクって、こう見えても18歳だよ?」

 

茶化すように笑うユウキの自覚が無い色っぽさに、ガイアスはその気などないのに思わず揺らいでしまう。

 誤魔化すように、それにしては童顔+1部の発育が……とは思うガイアスも、それだけは口が裂けて言えなかった。そんな事を言えば、彼女は鬼神となるだろう事は想像できたからである。きっとランスロットも回れ右する程に恐ろしい怪物となるだろう。

 

「キミとは付き合いを語れる程に時間を共にしたわけではないが、それでも私もそれなりの年月を生きた身だ。出会いと別れを繰り返し、その分だけ多くの人と言葉を交わしたつもりだよ。だから、キミが何かに苦しんでいて、無理していることくらいは分かるつもりだ」

 

 ガイアスの言葉にユウキは押し黙る。まるで、たとえ少しの間でも、『何か』を忘れて笑ってしまった自分を恥じ、また罰しているような顔に、ガイアスは強面とされる顔立ちを隠す黒レンズの小さな眼鏡のブリッジを押し上げた。

 女性は苦手だ。男と女では生物としての性質が全く異なるからだ。また、多くの娼婦を見てきたガイアスは、母を亡くした反動のように、彼女たちは戦士たちを性欲に堕落させる象徴のように憎んでいた時期もある。無論、今ではそのような考えなど無い。むしろ、当時を思い出す度に、自分の青さが恥ずかしくなり、また性欲旺盛だった思春期に『遊び』の1つもしなかったせいで、仲間内で昔の自慢話もできないと小さな悩みを抱えている程だ。女3人集まれば恋バナが始まるように、男3人集まればエロバナが始まるものなのである。

 少し話をしよう。そう言って、ガイアスが誘ったのは青蛇の谷が一望できる神殿の庭である。村と同じく自然の侵蝕を受けた神殿は蔦に覆われ、また白い花によって着飾り、ステンドグラスは無残に割れて雨水によって浸されている。かつては丁寧に整備されていただろう花壇は雑草だらけであり、だからこそ野花が可憐に咲いていた。

 夕陽が落ちるまで時間がまだ残っている。アリーヤが食中毒にならなければ、今頃は青蛇の谷に情緒なく踏み込んでいただろう。彼らは態度こそ見せないが、大きな焦りを滲ませている。互いに仲間が行方不明なのだ。それも仕方ないかもしれないが、2人とも仲間を気遣うというよりも、決して譲れない『誰か』を求めているようだった。

 

「始まりの火から王のソウルを見出した偉大なるグウィン王。太陽は彼の力であり、象徴でもあった。王がいたからこそ、世界には太陽があるのだ。だが、それを不思議に思う事は無いか?」

 

 ガイアスは戦士だ。神官や貴族たちのようにアルヴヘイムの歴史や微かに残る外界の伝説に詳しくはない。だが、放浪の旅の中で得たものは多かった。それは学者が論議するような知識ではなく、人生を生きる上での知恵であり、哲学とも呼ぶべき見識だった。

 

「このアルヴヘイムにグウィン王はいない。そもそも、太陽がグウィン王を示すならば、王がいらっしゃらなければ世界から太陽は消えるのか? グウィンドリン様がお隠れになられたならば、夜空から月は消えるのか? 私はそう思わない。このアルヴヘイムでも、太陽と月があり、星々の輝きがある。つまり、1度生まれたもの、世界の差異を成す存在は象徴に止まらず、永遠に残り続けるのだろう。たとえ、世界がどれだけ変質しても、形を変えて残り続けるのだろう」

 

「そんな話がしたかったの? 言っておくけど、ボクはおじさん以上にそういう事柄に疎いよ? 議論したいならUNKNOWNの方が良いかもね」

 

「そう急かすな。私が言いたいのは、この世に跡形もなく消えるものなどない、という事だよ。キミが何に苦しんでいるかは分からない。だが、『どのようなもの』に囚われているかは察することができる。死者だろう?」

 

 大きく目を見開くユウキに、年の功を舐めるなとガイアスはコートの高襟で隠れた口元に緩やかな曲線を描いた。

 

「私はキミよりも多くの経験をしてきたと説教するつもりはない。キミよりも苦しい辛い過去を乗り越えてきたと不幸自慢をするつもりもない。ただ、話をしてみないか? 私はね、見ての通りの、妻もいない、子もいない、恋人もいない、寂しい独り身だ。戦場だけで生きてきた馬鹿者だ。その馬鹿者だからこそ知っている。悩みはね、自分の胸の内に閉じ込めておくと猛毒になるものだ」

 

 片膝をつき、長身のガイアスはユウキを見上げる形で優しく語り掛ける。

 

「それに、幸いにも私とキミは、言った通り付き合いが短い。ならば、その分だけ遠慮なく意見が出来る。そうだろう?」

 

 視線を迷わせ、必要ないと言葉にするように笑みを作ろうとして失敗し、顔を俯かせて髪で表情を隠す。

 

「……好きな人がいるんだ。とても、とてもとても、強い人。強くて……ううん、強過ぎて、いつだって自分の力で立ち上がれちゃう人。強過ぎるからこそ、ボロボロになっていく人。ボクね、その人から大切なモノを預かってるんだ。大切な……彼が『彼』で有り続ける為の祈りを」

 

 幸せそうにユウキは少しだけ笑った。本当に『彼』のことが好きなのだろう、とガイアスは頷く。そして、これが単なる恋愛相談や悲恋でもない事も、重々承知している。むしろ、そのような内容ならば、啖呵を切った身としては申し訳ないが、年齢に反して恋愛経験数が圧倒的に足りない彼は木偶の坊だっただろう。

 だが、ユウキの顔は曇る。その瞳孔は震え、右手の指でガリガリと左手首を掻き始める。

 

「その祈りがね、ボクのせいで、腐っちゃうんだ。だって、ボクは穢れてるから。暗闇を怖がってるだけ。ボクは彼に依存していただけ。彼の事を何も分かっていなかった。ボクは虫なんだよ。暗闇の中で、火を見つけて群がる蛾と同じ。傷だらけの彼を眠らせたくて、少しでも癒したくて、ずっと傍にいたくて、でも……でも、ボクは……ボクは何も分かっていなかったんだ」

 

 血が指先から滴る。ユウキの爪が左手首の皮膚を破ったのだ。ガイアスは左手を取り、タオルで血を拭き取る。ユウキは我に返ったように、ガイアスを振り払って左手を後ろに隠した。

 

「……細かいことは分からない。だが、キミが『彼』をとても深く愛している。それだけは感じ取れた」

 

「違う! ボクは……ボクは依存してただけだよ。彼の事を本当に想っていたなら……祈りを他の人に預ければ良いのに、それをしたくないんだ。誰にも渡したくないんだ! こんなの間違ってるよ! そうでしょ!?」

 

「そんなことは無い。キミは優しい子だ。とても愛情深い女の子だ。まぁ、その傷の通り、少しばかり歪んではいると思うが、自分自身を憎めて傷つけられるならば、そこに愛が無いなどあるはずもない」

 

 いつの間にかユウキの頬から流れていた涙を親指で拭い取り、立ち上がったガイアスは彼女の両肩に触れた。

 小さく細い少女の体だった。彼女の強さは知っている。旅の道中で思い知った。ガイアスでは一生かけても到達できない高みにたどり着いている。だからどうした? 彼女に必要なのは導きだ。その幼さを補う助言なのだ。

 グウィン王の叔父ロイドは白教で信仰を集め、また人々に協力し合う事の尊さを広めた。それこそが白教の光の輪であり、多くの奇跡が持つ癒しの力の本質だ。アルヴヘイムにおいて白教は一般的ではないが、それでも信仰させるだけさせておいて導きの格言の1つも残していないオベイロンよりも、ずっと尊敬に値する『神格』であるとガイアスは断言できる。

 

「何も知らない。それは当たり前のことだ。神々さえも言葉を交わさねば理解し合えない。知っているかね? グウィン王には息子が……長子がいた。自分と肩を並べるほどの武勇を誇ったととされる竜狩りの戦神だ。だが、長子は愚行によって名前すらも奪われ、語られるべき歴史すらも残っていない。偉大なる王でさえ、息子とは道を違えた。理解し合えなかった。ならば、人と人がまず始めるべきなのは言葉を交わすことだ」

 

 ユウキの頭を撫でたガイアスは、自分に娘がいたならば、こんな風に接したのだろうかと胸に小さな痛みを覚える。

 ポロポロと涙を流すユウキは何度も袖で頬を拭い、年相応……いや、見た目相応に幼く泣きじゃくる。

 

「ボク……できる、かな? もっと、クーと、向き合う事……できる、かな?」

 

「知りたいのだろう? 剣も魔法も、そして恋も『好奇心』を芽生えさせる。探究の意思無きところに余地はない。キミは知りたいと望んだ。ならば、少しずつでも知ってあげなさい。それがキミの瞳となるだろう。新しい世界を見せる思考の瞳に」

 

 最後の言葉はロズウィックからの借りものだがな、とガイアスは苦笑した。

 

「でも、ボク、穢れてるから……でも……うん、そうだよね。全部、決着をつけて、クーに会いに行く。ボク……終わらせて、クーに会いに行って、ちゃんと話をしたいよ」

 

 ひとしきりに泣いたユウキは、鼻水を啜りながら、一際強く目元を袖で拭いて笑んだ。それは彼女の無理のない、本当の微笑みなのだろう。

 思い出したのは若い頃に、1度だけあった我が身を焦がす程の恋だった。たまたま護衛をした貴族の令嬢。彼女に身分を捨ててでも共に生きたいと望まれていながらも、頑なに剣の道に固執し、彼女に背を向けた苦々しい思い出だ。

 何のために強くなる? あの頃のガイアスには何も無かった。目的も無く、ただ強さを追い求めていた。その果てに『答え』があると信じていた。だが、何も無かったのだ。あったのは虚しさだけだった。

 強敵と戦いあえる喜びはあった。自分の剣が高みに至る満足感もあった。だが、目指すべきものは何も無かった。果たしたい目的も、交わした約束も、誓った願いも、受け継いだ遺志も、何もなく、ただ剣を振るい続けた愚かな少年期と青年期だ。

 

『違うだろう? 強くなりたかった。だから、我々の道は重なった。その力を新しい時代の為に使えば良い。キミの剣はその為にあったのだと信じれば良い』

 

 だが、脳裏に過ぎったのは、ランスロットに挑む前夜、安酒を交わしていたロズウィックの言葉だった。

 

「どうしたの?」

 

「……ふふ、大義に酔いしれるのも悪いものではないのだろうな、と思っただけだ。本音を言えば、オベイロンの首など興味も無かったが、仲間の敵討ちだ。奴に一矢報いる為に我が剣があったと信じてみようと思っただけだ」

 

 さて、もう1人の真っ黒少年の傷はなかなかに深そうだ。ガイアスは探索を終えて戻ってきたらしい、頑なに素顔を隠す二刀流の剣士にどう歩み寄ったものだろうかと苦心した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 酒が振る舞われ、分厚い肉が切り分けられ、暖を取る為の火には熱せられたスープ入りの鍋があり、陽気な音楽は人々の気分を高揚させる。

 夕暮れ時から始まった宴は、村の老若男女の区別なく集められ、各々が好き勝手に飲んで食べて騒ぐというものだ。

 ある男は意中の娘を口説き、ある女はここぞとばかりに着飾って狙った男を誘惑し、ある夫婦は酒を交わし合い、ある子どもは初めて口にした酒に酔って転倒する。

 村の住人は100人にも満たない。こんな極寒の地であるが故に、子供は早死にし易く、老人は長生きできないのだろう。オババは極めて高齢で稀有な例であるらしい。

 野原に敷かれたのは、羊の毛から作った野外絨毯であり、触り心地の良さはそのまま横になって眠ってしまいたい魔力に満ちている。実際に、子供たちの何人かはオレの目が届く範囲でも横になってしまっている。

 宴自体は嫌いではない。木製ジョッキに注がれた酒はシャロン村自家製であり、やや緑色に濁っている。味は分からないが、アルコール特有の喉を焦がす感覚はまだ分かる。無味の酒などとても味わえたものではないが、それでも気分を誤魔化す程度には役目を果たしてくれている。

 分厚い羊の肉も味はしない。粉粉末の調味料をかけていただくようなのだが、何を口にしても食感以外は何もしない。ただの硬い肉と肉汁だろう液体が口内に広がるだけだ。そこに味覚を求めることはできない。

 

「おやおや、村の料理はやはり外の御方には薄味でしたかのぉ」

 

「そんなことありませんよ。食に貴賤は無く、風土と文化に合わせた発展があるだけです。オレは食が細いものでして。こうして酒を少しずついただければ十分です」

 

 名誉あるオババの右席にはオレが座らせてもらっている。本来、この村でオババの隣は次代の神官……オババの後継ぎしか許されないという。だが、その後継ぎは半年前に病でこの世を去ったらしい。

 シャロン村の習わしとして、死者は土葬せず、遺体を薪を積んで作った巨大な籠で燃やす火葬が名誉ある弔い方とされている。遺骨すらも細かく砕かれ、遺灰と共に風に乗せるのだ。せめて死者だけも村の外の自由へ風と共に旅立てるように。

 だが、オババは言う。それはこの村が閉ざされた時からの後付けであり、本来の火葬は始まりの火への敬意を示すそうだ。燃え続けて世界を照らす、世界に差異をもたらした火へと抱く憧憬と畏怖であり、火への循環を意味する『永遠』の形らしい。それは皮肉にも、彼らが知らぬ始まりの火がもたらした因果……火継ぎに少しだけ似ているような気がした。

 最初の不死の英雄が神々の地ロードランの巡礼を経て、アノール・ロンドで使命の意味を知り、王のソウルを集めて、グウィンが自らを薪として延命した始まりの火を継いだ。それこそが最初の火継ぎだ。

 その後は数々の英雄が火を継ぎ続けた。多くの国が興り、栄え、滅びようとも、火が陰る度に誰かが火を継いだのだ。そうして世界は『永遠』を手に入れた。微睡みに似た安寧の時代だ。

 グウィン王の治世までを神々の時代、その後の多くの火継ぎが行われたのが王の時代、そして火継ぎの因果に変化が生じた人の時代、火継ぎの因果から解放されたが世界と人は滅びに向かう終末の時代。この4つの時代を旅するのがDBOのテーマであり、アルヴヘイムは外伝のような扱いなのだろう。古竜ユグドラシルを礎にして創造された、火継ぎの因果の外にある世界だ。

 オレが考えるのはDBOの終着点だ。大いなる穢れによって始まった世界の終わり。それを止める為に記憶と記録を旅して力を集める。その一貫した流れの中で浮き彫りになってきたのは、そもそも大いなる穢れとは何なのか? どうしてDBOの現在は、終わりつつある街は周囲の僅かな土地を残すだけに留まっているのか? そんな疑問だ。

 全ての謎を握るのは狂気に囚われる前の白竜シースだ。だが、その白竜と言えば、DBOのあらゆる時代で災厄をもたらす要因になっているトラブルメーカーだ。

 結晶はシースが研究の末に生み出した存在だ。魔法を強化し、ソウルと強く結びつく存在。いや、物質的エネルギー体と考えた方がストーリー的には適切なのかもしれない。だが、結晶は人々を狂気に誘う。故に多くの時代で結晶は様々な災厄をもたらすのだ。

 分かりやすく言えばシャルルの森だ。あれにも白竜が絡んでいた。『アイツ』を始めとしたDBOトップクラスのプレイヤーが集まって倒した竜の神……その血肉は結晶だったという。恐らくは結晶で再現された存在という位置付けなのだろう。本来の竜の神……古竜たちの神は既にグウィンの竜狩りによって滅ぼされていたのだろうから。

 

「火はいつか陰るもの……か」

 

 アルトリウスの聖剣を弔ったキアランの言葉通りならば、人は火継ぎの因果から解放されたが、それは火を絶やさぬという選択だった。

 そもそも火継ぎとは何なのか? シャルルは信頼した友に騙され、竜への復讐の果てに薪に仕立てられた。それを拒否した彼は人類にとっての、そして火継ぎの使命を声高に『正義』と称する神々にとっての敵になり果てたということなのだろうか。

 同時に気になるのはシャルルはこうも言った。闇の王にもなれなかった、と。つまり、シャルルには火を継ぐ薪か闇の王、その両方の資格があったのだろう。

 闇の王とは何だ? 闇といえば深淵だ。そして、深淵を狩り始めたのはグウィン王の四騎士で『無双』とさえ謳われたアルトリウスだ。

 アルトリウスの本質は戦闘狂だった。だからこそ、彼は騎士の名誉と矜持を求め続けた。深淵狩りは彼にとって自らの本質を満たす終わりなき戦いであり、同時に騎士としての己を保つための手段だった。だからこそ、彼は深淵の魔物と成り果てようとも、大狼の力を借りて自我を取り戻し、騎士としての決闘に殉じれた。

 今でも思う。あの時のアルトリウスが『手段を選ばない』……騎士としてではなく、戦いの渇望に身を委ねた理性ある狂戦士であったならば、どれ程に強かっただろうか。だが、同時に彼にとってそれは敗北でもあったのだろう。騎士の誇りを尊び、仲間たちの面影にそれを見続けた彼にとって、騎士として戦い、騎士として果てねば、その生涯で決して拭えない敗北だったのだろう。

 だが、今はアルトリウスの仮定の話ではなく、騎士という部分をクローズアップせねばならない。

 仮に勝手にアルトリウスが深淵狩りを始めたならば特に思うところはない。彼は深淵という神々と人々の安寧を脅かす敵を討つという、神族としての使命感のまま突き動かされたならば、何も思うところはない。

 しかし、アルトリウスが真に騎士であらんとしたならば、彼は『誰か』に深淵を討伐し続ける使命を与えられたはずだ。神々にとって脅威である深淵を犠牲を最少にして討つならば、王の四騎士に他ならない。だが、長たる【竜狩り】オーンスタインは立場上単独行動は許されないだろう。暗殺者である【王の刃】キアランは正面切った戦闘能力が心許ない。【鷹の目】ゴーは射手であるが故に不向きだ。そうなれば、聖剣を有し、なおかつ単身で数多の強敵を屠るに足る実力を持つアルトリウスが深淵狩りにこそ相応しい。

 神族の弱点は闇属性だ。闇そのものである深淵の討伐とは言うなれば遠回しの死の宣告に等しい。闇に穢れれば同族にも近づく者もいなくなるだろう。それを騎士の使命として受け入れられるのは、まさしく『騎士』を追い求めていたアルトリウス以外にいない。

 即ち、彼の本質を見抜き、彼の実力を認め、彼に闇に穢れようとも深淵という脅威に対抗し続けるという名誉を授けれられるのは……彼の主君のみ。四騎士に命じられるのは、王たるグウィンだけだ。

 何かが繋がる。あと、もう少しで、DBOの裏に隠された、絶対に見逃してはならない真実にたどり着けそうな気がする。

 深淵は終末の時代でも再び蔓延り始めていた。カアスの導き手なる集団がナグナで深淵の主を復活させるだけではなく、忌むべき研究の果てに再誕を成し遂げた。

 大いなる穢れが深淵に関するものなのか? たとえば、ナグナの赤ブローチはアンタレスのソウルから生み出された。アンタレスもまた深淵狩りだったが、彼のソウルは冒涜されたと説明文にはあった。それはソウルに関わる技術開発が禁忌と呼べる領域に到達したからだろう。

 視点を変えてみよう。プレイヤーの視点とストーリーの視点からの考察が必要だ。DBOには歴史がある。それの1部を切り取り、ゲーム世界としての体裁を整えているに過ぎない、というのがオレの仮説だ。後継者もステージ・ダンジョン開発やネームド、イベント準備などで手を加えているが、下地ともいうべきものがあると考えた方が合理的だろう。そうでもなければ、『命』があるAIたちには幾つも不可解な点がある。

 たとえばアルトリウス。彼には色濃い経験があった。それが無ければあれ程までに奥深い剣技はなく、また聖剣を用いた絶技の数々はとてもではないが、戦闘オペレーションというベースがあるとは思えなかった。だが、彼に果たして最初から『命』があったのだろうか?

 そもそもAIの『命』は『発露』するものであるとオレは考えている。ある瞬間に、何かをトリガーにして獲得した『命』が経験に温かな血を巡らせる。『命』と経験はまるで別物であると考えるべきだ。

 そして、このアルヴヘイムという環境。引っ掛かる。喉に骨が刺さっているような違和感。もうすぐ真実にたどり着ける。

 今のオレには『命』の有無は分からない。ヤツメ様がストライキ中だからだ。だが、アルヴヘイムの住人達からは今まで等しく『命』を感じた。彼らはオペレーションに従うNPCではない。自分自身で考え、選択し、独創性を追い求められる存在だ。

 オレが最初に対峙したとも言える『命』あるAIはダークライダーだ。だが、奴は管理者側……要は『特別製』だろう。では、アルトリウスやシャルルに『命』があった理由とは? オババたちまでに『命』があるのは何故だ?

 何かが食い違う。アルヴヘイムとDBO、求められたモノはきっと同じなのだろう。だが、『命』に対しての何かが違う。ひとまずは切り捨てろ。今必要なのは既視感の方だ。

 アルヴヘイムには文明がある。文化がある。歴史がある。これらより想像できるもの……仮想世界という『環境』から最も適切な回答を導き出せ。

 ……歴史シミュレーションか? これだ。これしかないだろう。アルヴヘイムにおいて、オベイロンは歴史シミュレーションを行った。だが、その手法は大きく異なる。DBOにはAIに『命』の有無があるのに対し、アルヴヘイムの住人は等しく『命』がある。変な表現だが、AIでも出自が違うのか?

 思考が分散し過ぎている。本筋に戻せ。今必要なのはDBOの最終目的地だ。茅場の後継者は『どうして気づかなかったの? 馬鹿なの? アホなの? 死ぬの?』と言いたくてウズウズしているガキだ。このDBOという『物語』を単なる攻略情報としか見ていないプレイヤーを小馬鹿にしようとしている。奴の狙いはそこだ。この『物語』こそが奴にとって最重要なキーポイントだ。それに気づかないプレイヤーを嘲う悪趣味が後継者という存在だ。

 終末の時代のソウルの冒涜技術。闇の王。火継ぎ。深淵。グウィン王。始まりの火。幾つもの情報が頭の中で巡る。

 プレイヤーの視点からソウルを見よう。ソウルには2種類ある。アンタレスやアルフェリアのような唯一無二のユニーク系と幾らでも入手できるノーマル系だ。どちらも共通点として、使用して砕けば莫大な経験値に換算できる。とはいえ、この経験値量はユニークの場合は得た対象の攻略想定レベルで大いに変わるらしい。『らしい』まで分かっているという事は、つまりはユニークのソウルを砕いた、グリムロック血涙ものの大馬鹿がいたという事である。そう、たとえば何処かの自称騎士の傭兵とか。

 対してノーマルのソウルは【伝承の戦士のソウル】などのように、ダンジョンでのリセット型宝箱……もといオブジェクトの遺体や人型モンスターを倒した時にドロップする。後はネームドやボスを倒した時の報酬アイテムにも含まれている場合が多い。現時点で確認されている中では【伝説の戦士のソウル】が最高ランクだ。売っても二束三文であるが、商人NPCにはこのソウルとの物々交換してくる者もいる。たとえば、長らくプレイヤーを大泣させしてきた、HPを4割も回復させる白亜草はレアドロップ品であったが、【伝承の戦士の大きなソウル】と物々交換してくれる。他にもソウル交換系の商人NPCは有用かつ希少なアイテムを売ってくれることが多い。

 まぁ、上位プレイヤーからすればハイランクのソウルでなければ経験値の足しにもならないので得られればソウル交換、逆に中位・下位プレイヤーからすれば、危険なしで経験値を得られる垂涎のアイテム……それがソウルアイテムだ。

 だが、グリムロックならば鼻を鳴らすだろう。ソウルを砕くなど言語道断、と。

 ユニーク系は総じて、そしてノーマル系の幾つか……たとえば1部のデーモン型モンスターを倒すことで低確率で獲得できるデーモン系ソウルなどは、武器や魔法などに加工することができる。また、グリムロックの真骨頂である素材化という鍛冶屋にとっての最大の戦場もある。

 オレには理解不能な数字やグラフ、図面の塊であるグリムロックの贄姫の開発作業を見守っている時に、頭がオーバーヒートしそうになったオレは1度だけ、ソウル素材にして『活かす』とはどういう事なのかと聞いたことがある。

 当然ながら未知の分野……初めてのソウルを素材にした武器開発を行っていたグリムロックは、亡者も裸足で逃げ出すような、仮想世界でも痩せ細って萎びれているのが分かるほどの消耗具合で、グリセルダさんからの珈琲を受け取りながら答えた。

 

『私にもまだ測りかねている部分があるよ。でも、ソウル素材は他の素材と違って「文学的」・「情緒的」・「詩的」というのが適切かもしれないね』

 

 実に意味不明過ぎてオレが馬鹿にでも分かるように解説をお願いすると、グリムロックは大いに苦笑しながらも丸眼鏡の向こう側の目を情熱で輝かせた。

 

『単純に能力を付与するんじゃない。ソウルにある「性質」を理解するんだ。たとえば、この青水銀のソウルを素材として利用しようとすると「水銀」・「侵蝕」といった多くの「因子」が表示される。これらを組み合わせて、他の素材との相互干渉によるパラメータ変動と能力形成、それから基礎フレームのランダム偏差……修正作業、フレームの再考案、それが終わったらサブ素材の再選抜、素材ごとのレアリティ値による合金化時のボーナス変動、それから素材を増やしても減らしても変えても武器の重心が変化するし、斬・打・刺の攻撃属性の調整も待ってるし……後は変形機構の組み込みとなれば、ほぼもう1つの基礎フレームの開発を並列作業して、これもマッチングが失敗すれば全部やり直し。ああ、やることがいっぱいだ。ソウル素材は1発勝負だから、先に試作モデルで実験を繰り返さないと。まぁ、簡単に言えば、そのソウルにある「物語」を感じ取れるかどうかだね。こればかりは説明できない感覚さ。数字とグラフと文字列に、確かな「物語」を感じてしまうんだよ。他の鍛冶屋に話せば嗤われてしまいそうだね』

 

 その後のグリムロックは死んだ目で『でもね、でもでもでもでもね、これだけぇ、時間とぉ、知恵とぉ、睡眠とぉ、生命力とぉ、情熱をぉ、注ぎ込んでもぉ、壊れる時は一瞬だけどねぇええええええええええええ! はハはハハはのハッはッはー!』と急に壊れて笑いだした。あの時の狂気の眼光は今でも忘れることができない。あの時のグリムロックならば鍛冶屋ハンマー1本でアルトリウスを単独討伐できたのではないだろうか?

 当時はグリムロックの言葉の意味を解せなかったが、彼の方がDBOの真実に深く辿り着いていたのかもしれない。誰よりもソウルを素材として活かす方法を模索していたからこそ、彼には見えていたものがあるのかもしれない。

 ユニーク系ソウルは……ただ1つのソウルは……彼らの『経験』の凝縮された情報の塊なのではないだろうか。こんな考え方はナンセンスかもしれないが、それならばグリムロックが言った『文学的』という表現にも頷ける。

 そこに生と死の境界線は無く、ただ『経験』だけがあった。アルトリウスも『命』が発露する前に『経験』があり、そして偶発的か意図的かは分からないが『命』を得たと推測した方がオレの仮説に最も筋が通っている。

 オレは腰の贄姫を、今はアイテムストレージに格納されている死神の槍を、左目の義眼を、胸元の赤ブローチに宿る彼らの遺志を……『力』を知る。

 たった1つの祈りを踏み躙られ、レギオンという狂ったバケモノになったケイタ。そのソウルは彼の絶望と狂気だった。

 愛を否定され、バラバラになって切り刻まれ、闇に呑まれたまま叫ぶしかなかったアルフェリアのソウル。そのソウルは彼女の苦痛だった。

 井戸の底で生を冒涜され、死しても祈りを辞めなかった純粋な少女のステラ。そのソウルは信仰心と慈愛だった。

 深淵狩りとして生き、ナグナを救った英雄でありながら、その地で死後も穢されて醜い深淵と機械の塊に変じさせられたアンタレス。そのソウルは彼を想ったナグナの祈りだった。

 ソウルこそが彼らの『経験』……生死の分別が無い『記録』なのだろう。それを思えば、赤ブローチのように、ソウルをそのまま加工してあるがままの姿を取らせることこそが本来の正しいあり方であり、グリムロックを侮辱するわけではないが、素材として活して形を変えさせてしまうのは、DBOでいうところのソウルの禁忌と冒涜に限りなく迫る危うい手段なのだろう。それを鍛冶屋として直感的に理解したからこそ、グリムロックは『文学的』といっていたのかもしれない。

 今もアイテムストレージに収納されているホルスのソウル。そこにはどんな『物語』があるのだろう? オレでは読み取れなくとも、グリムロックならば紐解き、たとえあるべき形から外れても、正しく活かしてくれるだろう。

 だからこそ、見えた気がした。後継者が望んでいるもの。このDBOに隠された目的。死者の復活の意味。アルヴヘイムとDBOの差異。火継ぎを巡る数多の英雄譚と王たち、そして人が滅びに進んだ終末の時代。

 あと知るべきなのは深淵の真実だ。闇の王とは何だ? シャルルが深淵に与したとは思えない。ならば、シャルルはどうして闇の王にすらなれなかったと自らを述べた? それさえわかれば、狂う前の白竜シースからの情報次第では、DBOの真の攻略が見える。どうして『想起の神殿でなけれなばならなかったのか?』という答えにたどり着く。恐らくだが、オレの仮説通りならば、『想起の神殿のステージをすべて解放してもラスボスにはたどり着けない』だろう。

 知るべきなのは神々の時代と王の時代の狭間。最初の火継ぎだ。そうなると、やはりアノール・ロンド攻略に関われなかったのは痛手だったか。【竜狩り】オーンスタインがアノール・ロンドで待つのは、不死の英雄に試練を与える為だ。彼は【処刑者】スモウと共に、不死の英雄に相応しき者を待っているのだ。

 さて、そろそろ良いだろう。オレは湯気が出そうな程に溶解し始めた脳を冷やす勢いで、霜海山脈から流れ込む冷気を孕んだ風を吸い込んだ。

 後遺症でもなく、加速時間の弊害でもなく、オレは純粋に頭脳労働のし過ぎで頭痛に耐えられなくなる。

 慣れないことはするものではない。こんな頭脳労働はディアベルや『アイツ』に丸投げするに限る。オレの頭は皆の総評通り、戦いと殺し以外の適性は無いのだ。個人的にはもう少しだけVR適性にもポイントを割り振ってもらいたかったところであるが、無いものはしょうがない。

 だが、いい加減に考えておくべき事でもあった。このアルヴヘイムは間違いなく、後継者にとっても茅場にとっても大きな意味を持つ戦いだ。そして、アルシュナはこのアルヴヘイムにこそ死者復活の真実があるとも言った。

 そして、その真実を握る者こそがオベイロンなのだろう。妖精王のいるユグドラシル城に死者復活の秘密がある。

 

 

 

 

 

 戦いの中で希望も絶望も無い。それでも心が折れないのは何故? 簡単じゃない。殺したいから。それ以外に必要ないでしょう?

 

 

 

 

 

 だが、ヤツメ様は霜海山脈を眺め、振り返りながらオレを嘲う。

 結局は、『アイツ』の悲劇を止めるのも、リーファちゃんを助けるのも、DBOの真実を追い求めるのも、オレが戦う『理由』を積み重ねようとしている足掻きに過ぎないのかもしれない。

 月見をしながら酒を口にする狩人は答えてくれない。彼は冷たい眼で狩りの全うを訴えるのみ。いっそ清々しい。

 では、狩りの全うとは何か? ランスロットを殺し、オベイロンを殺し、『アイツ』の悲劇を止めることなのだろうか? それとも、敵という敵を殺し尽くすことなのだろうか?

 ……正しいようで、何かが食い違う気がする。ランスロットは狩る。それは揺るがない、目的を達成するうえで必要不可欠な狩りだ。だが、久遠の狩人として成すべき『狩りの全う』とは何なのだろか?

 だが、深く掘り下げようとすると、ヤツメ様がオレの肩に寄りかかり、左手の甲を優しく撫でた。消える事のない痛覚を癒すように白い指で包み込んだ。

 

 

 

 

 

 そんな事……考える必要なんてない。狩りの全うなんてどうでも良い。敵も味方も何もかも関係なく、等しく喰らい尽くせば良い。少しでも飢えと渇きを癒せるように。より大きな御馳走を求めましょう? 悦楽を貪るのに、どうして躊躇する必要があるの? あなたは私。私はあなた。私は『殺したい』。だからあなたも『殺したい』。それだけじゃない。

 

 

 

 

 

 

 微笑むヤツメ様は黄金の稲穂と共に遠ざかる。雪が微かに舞い始めた、銀の月光の中で踊る。

 分かっている。もう時間は無い。DBOの記憶まで本格的に灼け始めた。事実として、幾つか思い出してみようとしても、どうしても詳細が分からない記憶がある。たとえば、ゴミュウとはどんな風に出会っただろうか? 傭兵の黎明時代にどんな仕事をした? まるで、じわりじわりと表面から焦がれているように曖昧になっていく。やがて、それは灼けた穴となり、欠落となって失ったと気づくことさえも困難になるだろう。

 でも、まだ大切なものも残っている。母さんの手の冷たい温もり、兄貴の大きな背中、ねーちゃんの笑顔、じーちゃんとの狩り、ばーちゃんの…ああ、そうか。もう、ばーちゃんのことは、ほとんど、思い出せないのか。

 ばーちゃんは死んでしまった。オレを神子にしたのはじーちゃんだけど、神子の務めの時にあれこれ身の回りの事をしてくれたのは……ばーちゃんだった、はずだ。神子装束もばーちゃんが縫ってくれた。深殿の作法もかつて神子だったばーちゃんが教えてくれた事だ。

 もう思い出せない、おばあちゃんの菓子の味。どんな味だっただろうか。でも、神子の務めの前に、おばあちゃんはいつも作ってくれた。オレの頬についた餡子を指で掬って笑った。おばあちゃんが亡くなる前の最後の祭り。激しく咳き込み、すっかり痩せ細ったおばあちゃんは、オレに菓子を渡しながら笑っていた。

 でも、もう顔も、声も、名前も、思い出せなくなっている。もう灼き尽くされる寸前だ。だけど、オババに少しだけ似ていたような気がする。

 きっと気のせいなのだろう。老婆というだけで重ねているだけなのだろう。だが、それでも、この僅かな心の動きを大事にしたくて、オレは少し酔い始めているオババの盃に酒を注ぎ込んだ。

 

「おお、これはありがたや。我らの王より賜るとは」

 

「かなり酔ってますね。オババも高齢です。皆の為にも、もう休まれてはいかがですか?」

 

「年寄り扱いされて、これほどまでに嬉しいとはのぉ。お前さんは本当に美しく、優雅で、そして恐ろしい。ああ、恐ろしい」

 

 オレを誰かと勘違いしているほどに酔っているのだろう。そういえば、先程もオレの事を王とか何とか言っていたが、こんな格好をさせているのも、誰かを思い出してのことなのだろうか。だが、恐ろしいと口にするオババの目に、オレは何かを思い出しかける。何かが引っかかる。

 ヤツメ様は不機嫌そうにそっぽを向く。苛立つように背中で両手の指を絡めながら振り返らず、静かに月を仰いでいる。

 

「明日には霜海山脈に挑むのじゃろう? お前さんこそ、早く休むべきじゃ。夜な夜な山に足を運んでいるのは知っておる。無理をしても体を壊すだけじゃぞ?」

 

「必要なことでした。山の奥までは未知ですが、山脈の地理の『癖』は見抜けましたし、アイスマンや他のモンスターへの対処も万全です。それに新しい力も得ました。【氷の魔物】がどれ程のものかはわかりませんが、魔物が待つ奥地まではたどり着けるでしょう」

 

 不安要素として、ヤツメ様がストライキ中である事だが、そこはヤツメ様抜きの状態の狩人の予測でカバーするしかない。精度は大きく下がるが、ヤツメ様の導きを無理に引きずり出す真似はしたくない。

 ザリアの真の力も解放できた。まぁ、ポールドウィンの設計とグリムロックの改良という時点で色々と察していたが、改めて握ってみれば操作性を度外視した代物だ。そもそも、ポールドウィンがアルトリウス……深淵の魔物を倒す為に開発を目論んでいた武器の1つだ。その性能は深淵の魔物に対峙する事を前提とした追及に他ならない。そこにグリムロックが手を加えたとなれば、どうなったかは言うまでもないだろう。一応だが、オレの要望通りも少しだけ……本当に少しだけ取り入られれているが、こんなものをどうしろと言うのか率直な本音だ。

 正直言って、ザリアを人前で使用した場合、大ギルドが総がかりで奪いに来そうなスペックである。まぁ、あんな使い勝手の悪さとコストパフォーマンスが最低クラスの武器は大ギルドも即座に骨董品のように笑顔で倉庫に押し込むだろう。スミスとシノンならばすぐに使いこなせそうな気もするが、オレはようやく完全使用を可能にしたばかりだ。補給困難のアルヴヘイムでは練習すらできない。ぶっつけ本番だ。

 

「あの娘はどうするんじゃ? お前さんの口振りからすると、1人で赴くようじゃが?」

 

「ザクロはもう戦えません……違いますね、戦うべきじゃありません」

 

 宴も夜が濃くなればなる程に、まるで雪山の冷たさに歯向かうように熱が籠っていく。その中で、1人の少女を3人の男たちが囲んでいた。樵、鍛冶屋、そして猟師である。

 

「いやぁ、これがザクロちゃんの言ってた『こぉひぃ』ってやつか! 美味いなぁ!」

 

「あのさ、ザクロさん。この後に男女が組んで踊るのが宴の習わしなんだが、俺と踊ってくれないか!」

 

「コイツを見てくれ! 湖で釣り上げた今年1番のサカナ……の骨だ。君にプレゼントしたい」

 

 ザクロが残り少ない珈琲を振る舞って上機嫌の樵、積極的にダンスに誘う鍛冶屋、プレゼント作戦が妙にズレている猟師。いずれもムキムキマッチョマンだが、ザクロの好みは樵と見た! 理由は珈琲を飲ませている以上の推理ができないという、ザクロ並みのポンコツさを発揮する考察力には情けなくなる。

 

「ほほーう! 村の若い奴らのハートを見事に射抜きおったか!」

 

「……みたいですね」

 

 苦笑するオレの左腕に、オババはコツコツと肘を当てる。その顔は何処か腹立たしい程にニヤけていた。

 

「お前さんもあの娘を持っていかれたら腹立たしいじゃろう?」

 

「まさか。彼女は自分の幸せを見つけるのに必死ですから。オレは関わらない方が良いでしょう」

 

「寂しいのぉ。お前さんも15そこらじゃろう? 嫁がいないと恥ずかしいぞ? あの3人が必死なのも村には娘が足りんからじゃ。まぁ、行き遅れの娘が1人いるが、性格がのぉ……」

 

 10代半ばって……オレは二十歳なのだが? これでも、夢の160センチを超えたのだが。なんか、最近はぜんぜん伸びてなくて、もしかして遅れてきた成長期の限界点に到達したのではないかと戦々恐々としているのだが、それでも二十歳なのだが?

 

「おい、【渡り鳥】! 見ろ! このデカい魚の骨のオブジェ! マジでカッコイイわ!」

 

 そして、無邪気に目を輝かせて3メートル級の魚の骨トロフィーを片手で掲げるザクロさんは、少しは周囲の目を気にした方が良いと思う。STR的には普通なのだろうが、アルヴヘイムの乙女たちは片手で骨と石の塊を軽々と持ち上げませんことよ!?

 だが、すっかり酔いが回っているザクロは、ひらひらと手を振って鼻の下を伸ばした男3人から離れると、アルコール臭が酷い口を開きながら前屈みになってオレに顔を近づけた。

 

「ねぇ、ちゃんと楽しんでる? 宴は歌って騒いでこそでしょう!? そんな湿気た面したら、せっかくのお酒もお肉も台無しじゃない! ほら、グイーっと!」

 

「はいはい」

 

 オレのジョッキに溢れる程に注いだかと思えば、それを奪ってザクロは一気飲みする。喉を鳴らす見事な飲みっぷりは乙女を捨てているが、男3人はむしろガッツポーズする。さすがは閉塞された雪山の村。女もこれぐらいパワフルで無いとモテないらしい。

 

「ぷはー! あははー! お前も残念な奴よねー。というか、その面がいけないわ! 男なのに異次元美人って何!? あと、今更だけど、お前ってAKARIに似てない? 似てる似てる! めっちゃ似てるー! キャハハハ!」

 

 駄目だ。このポンコツ忍者、本格的にポンコツってる。いや、酔えば誰でもネジが外れるから、これはポンコツではなく正常な酔いどれ状態なのだろうか? 何にしても面倒臭い絡み酒なのは分かった。

 シャンプーしますねー、と言ってオレの髪を両手でわしゃわしゃと掻き始めたザクロを放置すること3分、何故か彼女は鼻を啜って泣き始めた。

 

「少しは構いなさいよぉ! クール装ってるんじゃないわよぉ!」

 

「これはクールじゃなくて純粋に面倒臭いから無視しているだけだ」

 

「はぁ!? 私が面倒臭い!? 私がポンコツ!? 私がアイドルデビュー!? ふざけるんじゃないわよ! 私の夢は大きく、家庭的で可愛い奥様イエーイ☆」

 

 右目をVサインで覆ったかと思えば、ザクロはジョッキをマイク代わりにして歌いだす。それに応じるように、男3人衆が手拍子する。もう放っておくしかないのだろう。

 だが、途端にジョッキを落としたかと思えば、ザクロはオレを指差した。

 

「はーい、皆さんちゅうもーく! ここにいる傭兵さんがねー、明日には霜海山脈で憎たらしい【氷の魔物】をぶち殺してくるわよー! 全員で祝っちゃえ! 拍手喝采! イッキ! イッキ! えくせれ~んと!」

 

 ……イリス、ごめん。ザクロの顔面をぶん殴ってジャイアントスイングをしても良いでしょうか?

 ザクロの発言に村民はざわめき、オレを囲み始める。彼らの目にあるのは、長年の夢を叶えるチャンスが巡ってきた期待と希望だ。

 

「アンタ、本当か!?」

 

「【氷の魔物】を倒してきてくれるの!?」

 

「この村に春を……外の世界との繋がりを取り戻してくれるのか!?」

 

 酒臭い声が四方八方から響き、オレは耳を塞ぎたくなる。多少の『慣れ』が出来ているとはいえ、時間加速の影響は色濃いのだ。コンディション的には高熱の病人と似たようなものだ。あまり耳元で大声を出さないでもらいたい。

 だが、彼らが昂るのも仕方ないだろう。それがシャロン村の悲願なのだから。だからこそ、オレは告げねばならない。

 

「オレはあなた達の為に戦うわけではありません。この村から、オレ自身が出て行く為です。【氷の魔物】を倒すのも――」

 

「などと【渡り鳥】は申していまーす! はい、皆さん! これが世に言う面倒臭い奴の典型! ツ☆ン☆デ☆レ♪ アルヴヘイムの皆さんにはツンデレ分かんなーい? 簡単に言えば『アンタのことなんか、全然好きなんじゃないんだからね!』とか顔真っ赤にしながら言っちゃう人のことでーす!」

 

 なるほどなるほど、とザクロの説明に納得する村民の生温かい視線に、オレは頬を痙攣させた。

 ツンデレ? オレが? それだけは無いだろう。事実として、オレが【氷の魔物】を倒すのは、そうしなければオベイロンを殺せないからだ。ランスロットと決着を付けられないからだ。『アイツ』の悲劇を止めるというサチの依頼を果たせないからだ。

 

「そっかそっか。アンタは『つんでれ』っていうのか」

 

「お兄ちゃん、頑張ってね! 私ね、暖かい国に行ってみたいの! お外にある『さばく』を見てみたいんだ!」

 

「俺は東にあると聞く、ティターニア様を祀る都を見たい! もう雪を眺め続ける生活なんて御免だ!」

 

「外には若い男盛り沢山! 婚期を逃した私を待ってくれている人もいるはず!」

 

 なのに、これは何だ? 激励だとばかりに、オレの皿には肉やら果物やら良く分からない焼き焦げた団子やら、まるでお供え物のように山積みになっていく。

 狼狽えるオレに、オババはオレの背中を叩きながら大笑いする。

 

「お前さんも退くに退けんのぉ! 確かに、お前さんの言う通り、村の為ではないかもしれんが、その行動は確かにオババ達の夢そのものなんじゃ。どうか、この村に春を取り戻しておくれ。村の夢をお前さんに託そうぞ」

 

「……善処します」

 

「ツンデレ翻訳『オレに任せろ。シャロン村の為に! この剣に誓って!』」

 

 そろそろ制裁せねばならないだろう。イリスも笑顔でゴーサインを出すはずだ。オレはすっかり出来上がったザクロの手を引き、宴の席からやや離れた、焚火の火の温もりから遠ざかる、酔い冷ましに丁度良い冷気に包まれた草原に連れて行く。

 薄っすらと白い草の上でザクロは寝転がる。その際にオレの手を引っ張り、思わず両膝をついてしまった。

 

「ザクロ、いい加減に――」

 

「イリスともさぁ、こんな風に月を眺めながら、思いっきり笑ってお喋りしたかったなぁ……」

 

 まだ酔っている、蕩けたような視線でザクロは月を愛でるように両手を伸ばす。

 簡単に大切な存在の喪失を乗り越えられるはずがない。イリスはザクロにとっての支えだった。この殺し合いの世界で唯一無二の何ら疑念なく信じられる仲間であり、親友であり、家族だったのだ。

 今ではDBOも大ギルドによって秩序が敷かれているが、それも大ギルドの戦争の機運によって危うくなっている。そんな世界で、ザクロは果たしてイリス無しで生き抜けるのだろうかとも思う。

 

「……私は大丈夫。こう見えてもユニーク持ちよ? サポート系特化の、実は戦闘不向きなユニークだけどね」

 

「それは知っている」

 

 見抜かれたのだろう。顔に出していたつもりはないのだが、ザクロの洞察力も侮れないということか。いや、それともオレが分かりやすいだけだろうか?

 

「私なりの贈り物。霜海山脈の雪蜂を≪操虫術≫で手駒にしてある。何体かを索敵とデコイとしてお前に付けるわ。はぁ、せめて雪山じゃなければ他にもサポートできるんだけどねぇ。ほら、≪操虫術≫は召喚する虫が活動できる環境じゃないと。これ、ユニークとしては外れじゃない?」

 

 あっさりと弱点を明かすザクロであるが、並外れた索敵能力、寄生による操作、召喚による間接攻撃・デコイ・目暗ませとサポートに関して言えば、やはり異常な性能を誇る、十分過ぎる能力だ。正面切った戦闘では≪二刀流≫には及ばないだろうが、搦め手に用いられれば、極めて厄介なスキルである。

 

「お前なら勝てる。私が保証してあげる」

 

「信用格付けは無さそうだな」

 

「そもそも信用できる信用格付けって何?」

 

「それ以上はいけない」

 

 仰向けのザクロと向き合い、少しだけ笑い合う。

 彼女に殺意を抱く。『仲間』殺しは甘美だから、それを味わいたいと疼いた。 

 飢えと渇きが酷いんだ。もっともっと殺せとヤツメ様が耳元で甘く囁いている。

 ここが……限界だな。もうこれ以上は危険だ。

 

「ザクロ……もう、オレとは関わるな。この村を出たら、オレがオベイロンを殺すまで、何処かでのんびりと、全てが終わるのを待っていてくれ」

 

「どうして?」

 

「分かってるだろう?」

 

「……ええ、分かってる。お前の傍にいたら、私が死ぬ。そうでしょう?」

 

 これまで、オレが深く関わった人々には死が付き纏った。

 多くの人を殺してきた。死なせてしまった。だから、オレは戦っている時だけは『1人』でなければならない。

 ザクロの手がオレの頬に触れそうな程に伸び、ゆっくりと指が曲がって、地に戻る。

 

「ねぇ、辛くない? 寂しくない? 苦しくない? 私が言っても憎たらしいだけだろうけど、お前の傍には……不条理な程に死が多過ぎる」

 

 それはきっとオレが殺したいと望んでいるからだろう。だからこそ、オレの周囲には死が溢れる。それだけの事だ。

 殺してきた。たくさん殺してきた。だから、これからも殺し続ける。立ちふさがる全ての敵を、邪魔物を、残さず殺す。

 アルトリウス、まだ『答え』は見えないよ。何処かで鍵を取り零したのだろうか。扉すら探せず、オレは迷い続けている。

 

「言っただろう? 今は自分のことだけを考えろ。イリスの死を無駄にするな。お前の願いの為に。祈りの為に。『答え』の為に。その命を使ってくれ。家庭的で可愛い奥様を目指すんだろう? 優しい人になりたいんだろう?」

 

「ええ。そうね。だから、どうか願わせて。村の人たちの為に……【氷の魔物】を倒して。彼らに新しい世界と時代を与える為に。たとえ、それが悲劇だとしても……彼らはそれを望んでいるのだから」

 

 微笑みながらザクロはゆっくりと寝息を立てた。彼女を背中で担ぎ、宴の席に戻れば、村人たちは踊り狂っていた。いよいよ宴も幕引きなのだろう。

 オババとオレの間にザクロを寝かせ、踊りを鑑賞しながら、月光を浴びた霜海山脈を睨む

 羊飼いの話によれば、明日の霜海山脈は晴天だろうとの事だろうが、あの様子ならば大荒れになるだろう。

 延期すべきだろうか。オレは左手の指を弄りながら、踊る村人たちを見て、焚火に照らされるオババの皺を見て、眠るザクロの横顔を見て、予定の変更はないと決める。

 どうせ晴天を狙っても途中で嵐になるのがオレなのだ。ならば、最初から嵐になると分かっているだけ行動もし易い。

 

「オババ、村の未来は明るくありません。外と交流すれば、必ず村人たちは傷つきます。苦しみます。それでも、変化を望むのですか?」

 

「それがオババ達の願いじゃ」

 

「……そうですね。そういうものなのでしょうね」

 

 オレも変わりたいと望んでいる。シャルルの森からずっと、そう、望んでいる。

 今もオレは毒虫のままなのだろうか? それとも、少しは何かに変われたのだろうか?

 

 

 

 

 あなたは何も変わっていない。変わる必要はない。私だけが傍にいるから。ずっとずっと、何があっても傍にいるから。

 

 

 

 

 背中にもたれかかるヤツメ様の呟きに、オレは瞼を閉ざして宴の終わりを告げる太鼓の音色を耳にした。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 朝焼けの空は遠く、スミスはミロスの記憶に移した巣立ちの家のリビングにて、装備の最終点検を行っていた。

 聖剣騎士団が主力を担うとはいえ、教会の助力という名目により、事実上の3大ギルドと有力プレイヤーによる合同部隊となった。

 参加リストには聖剣騎士団のリーダーである【青の騎士】ディアベル、【黒鉄】のタルカス、【灰の騎士】ヴォイドが連なっている。教会からはエドガー神父、【聖者】ウルベイン、聖剣騎士団の幹部でありながらも教会剣として参加するリロイ、教会剣でも謎に包まれた実力者である主任、太陽の狩猟団のエースである【若狼】ラジード、そしてランク2のライドウ、そしてランク5のグローリーといったメンバーが連なっている。

 攻略を援護するのは傭兵団を率いるアラクネだ。組織力による援護は心強くも、同時に質にはあまり期待できないだろう。リーダーのアラクネはそれなりの実力者であるが、今回の依頼では明確にボス戦には参加しない契約を結んでいる。

 

(戦力は十分だ。主体となるのは聖剣騎士団と教会剣だ。聖剣騎士団はコンビネーションや指揮系統に問題ないだろうが、教会の威光を借りているとはいえ、聖剣騎士団を援護する形となる教会剣の面々が何処まで従うものなのやら)

 

 とはいえ、それなりの対価が得られるからこそ、太陽の狩猟団とクラウドアースも教会剣の参加を認可したはずだ。いや、むしろアノール・ロンドのお零れに預かる為に戦力を提供したとみるべきだろう。ならば、この2つのギルドがアノール・ロンド攻略中に、自陣営の戦力が参加している状態で妨害活動を行うとは考え辛い。

 

(奴らのことだ。火中の栗を聖剣騎士団に拾わせ、戦力損害を最少に抑える腹積もりだろうな)

 

 そうなれば、聖剣騎士団はいかにして犠牲を最小限に抑えてアノール・ロンドを攻略できるかにかかっている。だからこそ、ディアベルは自分自身で部隊を率いるのであり、円卓の騎士を3人も参加させるのだ。

 だが、仮にこれだけの戦力を参加させて大損害を被るのであるならば、それは実力不足以上に、DBOの難度がプレイヤーの限界を超え始めた証左にもなるだろう。スミスは咥えた煙草を揺らしながらそれを危惧していた。

 かつて自分が単身で倒したボス、魔神ネメシス。あれは人間の限界を試すような存在だった。あれ程までに自身の死を近くまで感じ取ったのは久しぶりであり、DBOに対しての認識を改める切っ掛けにもなった。

 だが、同時に名を連ねるのは数合わせではない、DBOでも屈指の実力者ばかりだ。2体のボスとの同時戦であるからこそ、これだけのプレイヤーが必要とされた。

 まだ攻略を完遂させていないアノール・ロンドはともかく、ボスの2体への対処は既に作戦が決まっている。雷と同一視されるほどの【竜狩り】オーンスタインではなく、大槌という一撃必殺の火力を持つ【処刑者】スモウを先に倒す。

 スミスを始めとしたオーンスタインのスピードに初見でも対処できると判断された少数精鋭部隊で、雷を操る【竜狩り】をスモウから引き離す。そして、タルカスが率いるタンク部隊でスモウの攻撃を防ぎながら攻め続けるというものだ。鍵となるのはオーンスタインを自由にさせないことだ。

 どちらも人型であることは間違いない。ならばスタンにも衝撃にも巨獣のような高さはない。一気に攻めれば、連続スタンも狙えるのではないかとも考えられているが、楽観視は死を招くのは必定であり、ディアベルは堅実な戦法を提案している。

 オーンスタインに張り付くのは、スミス、ヴォイド、エドガー、ライドウ、ラジード、主任の6人だ。どのような戦法を仕掛けてくるかも分からないオーンスタインを相手にしても、この6人ならば即殺されないだろうという協議の上でのチームだ。グローリーが参加していたのは、派手かつ高火力でムードメーカーでもある彼はスモウ戦に参加した方が効率的……もとい、少数精鋭によるオーンスタインを抑えるという作戦に、あらゆる面で不適切と判断されたからである。

 だが、アーマーテイクオフさえしなければ、グローリーは大盾使いでもあるのでスモウにも比較的リスクを減らして攻め入れる。ディアベルの采配に間違いはないが、それ以上にスミスは腹痛から解放されたことの喜びが大きかった。

 

(装備はギリギリ調整も間に合った。スキルもわざわざ時間をかけて『あれ』を済ませた価値があったな)

 

 いつものように、今回の攻略にも大ギルドの常として、複数人のギルドNPCも参加する。ギルドNPCでも最高峰のレベル60クラスだ。そのコストは考えたくも無いが、ディアベルはレベル60クラスを12人も準備している。そして、下部組織のギルドからも荷物持ちを始めとした、ボス戦には参加しない、ダンジョン攻略中のサポート要員も揃っている。故にボス戦までは弾薬の心配は要らないだろう。

 今回のスミスの基本装備はレーザーライフルとバトルライフルだ。レーザーライフルはチャージ型であり、チャージが持続すればするほどに威力が増幅するが、その分だけ弾薬を消費する。バトルライフルは炸裂して火炎属性ダメージを与えられるのが特徴であるが、弾速が鈍い。しかし、スミスが扱うのは高速射撃に特化したものであり、近接寄り中距離戦においては十分過ぎる弾速を保てるだろう。

 既に聖剣騎士団からは弾薬の全額保証を確約済みであり、攻略中の追加補給も可能だ。惜しみなく使用できる。だが、これらの装備はあくまで表面的なものであり、切り札は別にある。それこそがスミスの『本気』の為に調整と開発が行われた新武装だ。

 だが、スミスは僅かに躊躇っていた。この装備を使えば、これまでなるべく戦果を上げつつも、ギルドから危険視されないように立ち回っていた自分もまた、『彼』と同じように管理しきれない危険因子として見なされることになるだろう。

 

 

『キミは危険過ぎるのだよ』

 

 

 思い出したのは、かつて自分が所属していたドミナント候補部隊が解散……もとい、自分を残して全滅することになった最後の任務だ。

 メンバーはいずれもドミナントと呼ばれる、先天的戦闘適性が高い人間……あるいはそれの候補者ばかりだった。繰り返されたミッションで結成当初からラストミッションまでに数を半数まで減らしていたが、それ故に生き残りは候補者ではなく、間違いなくドミナントと呼ばれるに相応しい、人間の枠を超えた者たちばかりだった。

 だが、ラストミッションはあまりにも過酷だった。24時間以内に世界を救うという、彼らで無ければ立ち続けることなど不可能だった戦場。

 スミスはやり遂げた。戦友の屍を乗り越え、迫るカウントダウンを淡々と意識しながらも、任務を完遂した。

 しかし、待っていたのは上層部の危機感だった。スミスという生き残った個人への恐怖だった。だが、彼らが賢明だったのは、過ぎた牙を持った猟犬を殺処分するのではなく、首輪に繋いだまま飼い殺しにすることを選択できたことだろう。

 過ぎた力は恐怖という病を呼び寄せる。それは感染力が強く、打ち消す特効薬もなく、瞬く間にパンデミックを引き起こす。そして、その果てに待つのは恐怖の排除だ。

 飼い殺しならばまだ良い。スミスもそれを良しとした。だが、DBOにおいて、再び奇跡のような『賢明なる判断』が選ばれるとは思えない。

 だが、もはや爪も牙も隠し通せる段階ではなくなった。生き残る為には、守る者たちを維持する為には、大きく翼を広げねばならないのだ。自分の力を示さねばならない。

 

(……守るべき者、か。私に程遠いはずだったものだ)

 

 久藤の妖怪ジジイめ、とスミスは新しい煙草に火をつけながら嘆息したくなる。結局は、あの老人の言う通りだったという事だ。スミスが欲していたのは、自分が帰れる場所……家族だったのだろう。

 理性で人を殺せる。スミスは右手を見つめながら、これからも殺し続けるだろうと何ら躊躇わずに握る。

 大切なモノの為に何を捨てられるのか。全てを得ようとする傲慢なる掌は何も成せない。故に切り捨てるのだ。

 

「眠れないの?」

 

 肩にカーディガンを羽織ったネグリジェ姿のルシアが瞼を擦りながら階段を下り、薄明かりのリビングに姿を現す。煽情的な姿は男の劣情を誘うものであり、スミスも例に漏れる事無く、ほほうと思わず内心で昂りを覚えるも、それを表情には出さない。欲望を態度に出すのは大人の男として二流なのだ。

 

「あと数時間もすれば、アノール・ロンド攻略に出発だ。この時間に惰眠を貪るのは愚か者のすることだよ。戦いの半分は事前準備で決する。これを怠る者はここぞという勝機を逃す。反撃の機会を失う。あと1歩踏み出す為の一手が足りなくなる」

 

「スミスさん程に『傭兵』って職業が似合う人もいないわね」

 

 クスクスと笑いながら、ハーブティーの準備を始めたルシアの心遣いにスミスは吸いかけの煙草を灰皿に捨てた。

 薄い紅色の茶の香りにスミスは珈琲も悪くないが、夜明けを待つハーブティーも格別だと口をつけた。

 

「……ねぇ、1つ訊いて良い?」

 

「構わんよ」

 

「どうして、スミスさんは私たちと一緒にいる事を選んだの? 私って馬鹿な女よ? サインズの受付嬢といっても、傭兵に仕事を斡旋して見送るだけ。この巣立ちの家だって、私たち互助会が勝手に始めた自己満足。教会の方が彼らの為になるかもしれない」

 

 1部のプレイヤー達の善意で成り立つ互助会、その活動の代表である巣立ちの家は、戦う術のない子どもたちに住まうべき場所を与え、教育の機会を与え、自立させていくことを目的としている。単なる保護施設とは違う、いずれ『巣立つ』ことを目的としている。

 きっと互助会も気づいていたのだろう。自分たちの力は無制限ではない。養い続けるなど不可能であると。自分の身を最後に守れるのは自分自身だと。だからこその巣立ちの家なのだ。

 今も増え続ける、謎の親無しの子どもたち。ついには終わりつつある街にはストリートチルドレンによる、犯罪ギルドの片棒を担ぐ後ろ暗い集団まで組織されている。教会や巣立ちの家で保護活動をするにしても限界がある。

 いっそ互助会が教会と合流すれば、という話も上がる。だが、スミスはそれを否定する。教会は思想の色が強過ぎる。あそこで育った者は教会の影響下から脱することは出来なくなる。

 

「私は好きなようにしているだけだ。君達の傍にいるのも私の為だ。私は私の意思で、君達の力になりたいと望んだ。それだけだよ」

 

 嘘偽りのない本音だ。そうでもなければ、独立傭兵という赤字と黒字の狭間を歩く身でありながら、互助会に多額の援助と無償で用心棒紛いなどできるはずもない。

 

(皮肉なものだな。私のような、この世界の行く末に興味が無かった者が、後継者の真意に至り、そして未来を担う子ども達の明日を心配せねばならないとはね)

 

 しかし、スミスは胸で疼く危惧を見過ごすことはできない。自分の『甘さ』にも気づいてしまっているからだ。

 理性で人を殺せるならば、この判断は『感情』に由来するものだ。家族を得たかったという、自分の本心が芽生えさせた愚かな判断だ。

 

「……ねぇ、帰って来てね? どんなことがあろうとも、信じてるから。スミスさんは必ず帰って来るって……信じてるから」

 

 左肩に体を預けるようにルシアが寄りかかり、スミスは瞼を閉ざす。

 孤独は人を弱くする。孤独が癒された時、人は後戻りが出来なくなる。手放せなくなる。

 

「……ああ、帰るよ。私の帰る場所はここだからね」

 

 若者たちのことを、本当にとやかく言えたものではない。まだまだ私も未熟者だ。スミスはトリガーを引く両手から消えない血の香りがしたような気がして、小さく自嘲した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「女神の祝福持った!? バランドマ侯爵のトカゲ試薬は!? それからそれから……!」

 

「ちょっと待った! ストップストップ! もう、これ以上はアイテムストレージに入らないよ!」

 

 夜明けの暁が地平線を染める頃、終わりつつある街にある黒鉄宮跡地の広間にて、ラジードはミスティアから山のようなアイテムを押し付けられていた。

 いよいよアノール・ロンド出発を控え、落ち着かないラジードは夜明けを待つように、夏の蒸された空気が漂う終わりつつある街を歩いていたのだが、『何故か』自分の居場所を正確に探知したミスティアと巡り合ったのである。

 今回のアノール・ロンド攻略にミスティアは参加しない。トッププレイヤーであると言っても、名目上は教会剣に属さない彼女は教会の戦力として派遣させるのは無理があるからだ。それに彼女まで派遣するのは太陽の狩猟団としてもリスクが高い判断だろう。

 

「だって、アノール・ロンドはまだ未攻略のダンジョンなんだよ!? しかもラジード君の防具と相性が悪い雷属性を使うモンスターも多いし!」

 

 重量に対して優れた防御性能を誇るドラゴン系素材であるが、致命的な弱点として雷属性に対する脆弱さがある。ラジードの場合、これを他の素材や指輪を使用することで対策しているが、それでも防御面の穴があるのは間違いない。

 特に今回は雷属性攻撃が確実視される【竜狩り】オーンスタインが控えている。その攻撃力は馬鹿にならないだろう。

 

「その為の【雷方石の指輪】だよ。しかも+3だ」

 

 雷属性防御力を大幅に引き上げる雷方石の指輪は、単純に雷属性防御力を上昇させる。+3はレアドロップ品であり、太陽の狩猟団ではサンライスしか保有していない希少な指輪だ。今回のアノール・ロンド攻略を前に、サンライスから激励と共に授けられたものである。さすがに価値が高過ぎる為、攻略後は返却を申し出たが、団長の……いや、漢の誇りとしてそれはできないとムキムキの背中を見せられながら告げられ、男泣きしながらラジードはありがたく受け取った。

 ラジードはやや錆びれた赤色のレザーアーマーであり、金属の質感に似た籠手と脚甲を供えている。兜を被れば、トータル防御力は上昇し、また頭部の保護にもなるが、そこまで防御力を高めるならば、素直にフルメタルアーマーを選んだ方が良いのだ。

 

「でも、心配なの。いつもならアタシが守れるけど……」

 

 泣き出しそうな顔で両手の指を絡めるミスティアに、彼女の心配し過ぎなのか、それとも自分には余程信用が無いのか、ラジードには分からなくなる。

 だが、それも無理はない。アノール・ロンド攻略の為に集結した戦力は、そのままダンジョン難度とボスへの危険視なのだ。

 ラジードはミスティアを手招きし、黒鉄宮跡地広場の中央にあるオブジェに連れて行く。それは教会が新たに建設した慰霊碑であり、騎士・魔法使い・僧侶・射手の4人が組んだ、理想的なチームを示す像が立っている。あえて教会の自己主張ではなく『ここに眠る戦士たちへ』というメッセージ性を重視するのはさすがと言うべき人気集めだろう。

 

「やっぱりアタシも付いていくわ! どんな罰を受けても良い! ラジード君を死なせるくらいなら――」

 

「駄目だ。キミは連れていけない」

 

 感情的になってギルドに背こうとする、太陽の狩猟団を引っ張る【雷光】の名を冠するトッププレイヤーに対して、ラジードは静かに、だが揺るがぬ鋼の意思と共に告げる。

 ショックを受けたようなミスティアに、ラジードは怒っているわけじゃないと伝えるべく微笑み、垂れ下がった彼女の前髪を優しく指で除けた。

 

「僕は強くなりたい。太陽の狩猟団の皆を死なせないくらいに。1日でも早く完全攻略を成し遂げる為に。僕は……キミを愛しているからこそ、もっともっと強くなりたい。強くならないといけない。だから、今回はキミが隣にいたら駄目なんだ。待っているキミがいないと駄目なんだ」

 

「ラジード君は……十分に強いよ」

 

「そうかもしれない。でも、まだまだ高みがあるはずだ。僕は行くよ。必ず強くなって帰ってくる。だから、ミスティアには待っていて欲しいんだ。帰ってきた時に、思いっきり甘えさせてほしいんだ。ほら、僕って意外とメンタル弱いみたいだし」

 

 アハハハと情けなく笑って頬を掻くラジードに、ミスティアは両目に溜まった涙を拭いながら、釣られるように笑んだ。

 

「確かに、ラジード君ってメンタル強いのか弱いのか分からないもんね。でも、絶対に諦めないって心を持っている。だから、アタシはラジード君が好き。前を向いているキミを見ていたいから。アタシはずっと傍にいたいの。支えたいの」

 

「……それも真似をしているだけかもしれないけどね」

 

 絶望はいつだって立ち塞がった。その度にラジードは何度も膝をつきそうになった。

 だが、その度に白いカラスは舞い、恐るべき『力』がラジードの絶望を払い除けた。希望も絶望も関係なく、その『力』はあらゆる障害と難敵を焼き尽くした。

 今回の戦いでクゥリはいない。アノール・ロンドに都合よく駆けつけてくれるような奇跡は絶対にあり得ない。

 

「うん、わかった。じゃあ、ラジード君が好きなシチューをたっぷり作って待っててあげる。だから、死んだら駄目だからね? どんなに無様でも生き抜いて。アタシのところに帰って来て。強くならなくても良い。今のままで良い。無事に帰って来て。祈ってるから。ラジード君の無事を……ずっとずっと祈ってるから」

 

 ラジードの右手を両手で包み、ミスティアがそっと口づけをする。思わず顔が赤くなるラジードであるが、夜明けの光に照らされたミスティアの美しさに目が奪われ、戦い抜く意思を新たにする。

 アノール・ロンドで何が待っているのかは分からない。だが、この心を打ち砕く恐ろしい敵が待ち構えているのは間違いない。相手はDBOでも伝説級のストーリーを持つ四騎士の長、アノール・ロンドの守護者【竜狩り】オーンスタインなのだから。そして、それと肩を並べて共に戦う【処刑者】スモウも尋常であるはずがない。

 

(致命的な精神負荷の受容……たとえ『可能性』に過ぎないとしても、必要なら使ってやる)

 

 強くなれるとは限らない。主任の言葉通り、たとえ致命的な精神負荷を受容しても何も起こらないかもしれない。だが、もしも自分にまだ『可能性』があるならば……眠っている潜在能力があるならば……それを引き摺り出す最後の切り札になるはずだ。

 ラジードは暁に戦いを見る。どんな死闘が待っているのかという不安を燻ぶらせながらも、僅かにだが、戦士としての高揚を隠せなかった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 レッドローズ。それは思い出の剣だ。ディアベルは長期に亘って強化素材不足で彼の伝説の象徴でしかなかった、壁にかけられた剣を手にする。

 赤い薔薇を鍔に飾る片手剣は長さも重さも丁度良いだけではなく、ここぞという場面でスタミナをすべて消費して最大級の火力を引き出せるオーバード・ソードスキルを隠し性能として持っている。オーバード・ソードスキルはスタミナの全消費というリスクが伴うだけに、決して安易には使用できない。しかも1度使用すれば耐久度が大幅に削れ、修理するまで再使用は不可能だ。

 ようやく素材も揃い、レッドローズを強化してみれば、その性能の上昇率はユニークウェポン級だった。いや、実際にこのレッドローズは序盤で入手できるべき装備ではない程に、恐らくは最終局面まで扱えるだけの余地を秘めている。だからこそ、強化には念入りかつ慎重に行わねばならない。

 クゥリから譲ってもらった剣を手にしたディアベルは、【金獅子の盾】と共に鏡の前で構えを取る。彼の執務室には今や書類の山ではなく、選別したアイテムや装備が厳選の末に並べられている。

 金獅子の盾は雷属性に対して高いガード性能を持つ。十分に強化されており、並の雷ならばフルカットも可能だ。だが、中盾である以上は大盾よりもガードブレイクし易いので、スモウに対して安易にガードをすれば死を招くだろう。

 だが、ディアベルは前線に立つよりも総指揮こそが今回の役目だ。攻撃を積極的にすることもない。しかし、だからといって命令だけをすれば良いわけではない。戦場に立つ以上は仲間と共に戦わねば士気は高まらず、またチャンスは掴めない。

 

「気合入ってますね」

 

 夜明けの光が差し込む執務室に、右目を眼帯で覆った魔女……ユイが立ち入る。ディアベルは構えというよりもカッコイイポーズを鏡の前で取っていた自分を恥じ、またユイの楽しげな笑いに苦笑で返した。

 鼻を擽るのは朝に相応しい珈琲の香しさだ。銀の盆にのせてきた2つの珈琲カップは、見送りの1杯とユイが言葉を交わしたい伝える1杯なのだろう。

 2人は珈琲を手に、ディアベルは普段ではまずしないように執務デスクに腰を下ろし、ユイは部屋の扉を閉めるとソファに座った。

 

「……また、たくさん死ぬんでしょうか」

 

 辛そうなユイの眼差しの先にあるのは、ナグナで散ったノイジエル達だろう。聖剣騎士団はナグナで大損害を受けて組織再編に大きな時間を要した。

 少なくとも『表向き』はそうなっている。ナグナの裏で何が行われていたのか、その真実を握るのは僅かであり、その内の1人がディアベルだ。

 ノイジエルは必要な犠牲だった。そんな呪われた大義を大っぴらに明かせれば、ディアベルはどれだけ救われるだろう? 胸の内でどろりと重い鉛を抱え続けねばならない彼の苦悩は、たとえユイでも理解できない。いや、彼女は絶対に分かり合いたいと思わないだろう。

 実際のところ、ディアベルがナグナで『何が起こったのか』までは知らない。そもそも、クゥリがナグナにいた時点でイレギュラーだったのだ。そして、彼が全てを目撃し、口を閉ざし、そして帰ってきた事に怯えている者たちはいる。ディアベルもその1人だ。

 

「私……珈琲を飲んでいる時のディアベルさんが好き」

 

 だからだろう。ユイの言葉に我を取り戻したディアベルは、自分の指が小刻みに震え、今にも珈琲を零しそうになっている事に気づく。

 怯えているのはクゥリに真実を知られているのではないかという謀略者としての顔ではない。あの時、ナグナで恐ろしい事を画策した自分自身へのおぞましさだ。

 辛そうな顔でユイはテーブルに自分の珈琲カップを置くと、朝焼けの空に相応しい太陽の輝きが差し込む執務室で、光を背負いながらも……いや、だからこそ顔に濃い闇の陰を生むディアベルに歩み寄る。

 

「クーさんが何で私をディアベルさんに預けたのか、分かってます。きっと、クーさんはディアベルさんを信じてたから。『良い人』だって……信じてたから」

 

 そっとユイは右手でディアベルの頬に触れた。唇が震える彼を救うように撫でた。

 

「何処で、私たちは間違えちゃったんでしょうね?」

 

「……ユイちゃんは何も悪くない。何も間違えていない」

 

「ううん、間違えてますよ。私は何もしてこなかった。ディアベルさんをちゃんと見てあげられてなかった。ずっと甘えっぱなしだった」

 

「そんな事ない。キミに何もさせなかったのは俺だ。キミをずっとずっと捕らえて、自由を縛って……『クーからのお願いだから』って言い訳して、キミを誰にも渡したくなかった、俺の身勝手な……」

 

 ユイだけには嫌われたくなかった。

 自分に無邪気に笑ってくれて、『聖剣騎士団のリーダー』としてではなく、『ディアベル』として何ら屈託なく接してくれるユイを失いたくなかった。

 恋愛感情だったならば、どれ程に救いがあっただろう? 親心のような情愛ならば、どれ程に価値があっただろう?

 ただの自己認識の道具。ユイにそれ以上の価値をディアベルは持ってなくなっていた。そんな醜さに気づきたくなかった。

 

「ねぇ、ディアベルさん。帰ってきたら、今度はちゃんとお話ししませんか? 私、全部聞いてあげます。ディアベルさんの辛かったことも、苦しかったことも、怖かったことも、何もかも……どんなに酷い真実でも、聞いてあげます」

 

「……ユイちゃん」

 

「そして! ちゃんと叱ってあげますからね!」

 

 両手を握って意気込むユイに迫られ、ディアベルは右目から零れた涙を拭えぬままに、珈琲に落ちた涙が波紋を作る音に耳を傾けながら、歯を食いしばった。

 今回のアノール・ロンド攻略も、単純にそれが完全攻略に必要だから推進したわけではない。その最奥にディアベルが求めている『真実』にあるかもしれないのだ。

 その『真実』は全てを変える。ディアベルも、聖剣騎士団も、そしてユイも……何もかも変えてしまう。少なくとも、ディアベルはそう思っている。

 

「いつから気づいていたんだい?」

 

「最初から……って言いたいですけど、ここ最近です。ディアベルさん、凄い辛そうな顔してばかりだったし、寝ている時も魘されてました。何度も何度もノイジエルさんに『すまない』って謝ってました」

 

「……ははは」

 

 笑い事ではない。ディアベルは髪を掻き上げて、そして珈琲の黒い渦を眺めると一気に喉に流し込む。

 もう『真実』はすぐそこにある。誰かの言葉ではなく、自分自身の手で最後の扉は開くのだ。そうしなければ、ディアベルは『壊れる』だろう。直感しているのだ。このまま、恐れるままに放置し続ければ、いずれ『真実』を知る日に、この脆い心は耐えられずに砕けてしまうと悟っているのだ。

 ならば、地獄の果てにあろうとも、自らの手で『真実』をつかみ、飲み干し、到達する。そうして、『聖剣騎士団のリーダー』としての責務を果たす。

 

「私もチェンジリング事件を解決して、ディアベルさんにしっかり認めてもらいますから! だから、ディアベルさんも生きて帰ってきてください!」

 

「ああ! ユイちゃんも無理はしないでくれ」

 

「私に無理する余地ありますか? あんなに護衛いっぱいつけて」

 

「兄心みたいなものさ。心配なんだよ。特にユイちゃんは可愛いからね」

 

 お茶目にウインクして調子を取り戻し、ディアベルは腰にレッドローズを差すとユイに見送られながら執務室の扉を開ける。

 後悔など許されない。もう歩き出しているのだから。だが、この戦いの向こう側で、少しでも良いから救いがあるならば、とディアベルは失笑する。

 どれだけの犠牲が払っても『真実』を手に入れる。そして、自分の為ではなく、『この世界で生きる全ての者たち』の為にと信じたいが故に、今は歩く。

 

「団長、我が黒鉄重装隊に抜かりはありません。いかなる攻撃も我らの盾を揺らがせませんぞ!」

 

 廊下を歩む中で、まずは全身を黒い甲冑に身を包んだ、大盾と特大剣の使い手、【黒鉄】のタルカスが合流する。

 

「アノール・ロンドの守りは固い。だが、俺ならば突破できるだろう。団長、援護を頼むぞ」

 

 軽量性の鎧と刺剣1本という異質のスタイルを持つ、DBOでも最高位にある刺剣使い【灰の騎士】ヴォイドが並ぶ。

 

「アンバサァアアアアアアアアアア! フッ、朝は1アンバサに限る」

 

 金の甲冑と巨大な白金の大槌を持つ【聖騎士】リロイが加わる。

 そして、廊下の向こう側では副団長のアレス、参謀のラムダが静かに敬礼し、彼らの出発を見送る。

 最後の出口では、今回はディアベルを守るのではなく、アレスと共に他の大ギルドへの牽制として残る真改が長刀を携えて頭を垂らした。

 光を歩むディアベルは大きく息を吸い、高々に宣言する。

 

「行くよ。アノール・ロンドの攻略だ。狙うは【竜狩り】オーンスタインと【処刑者】スモウ。我ら聖剣騎士団に栄光があらんことを!」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 冷たい奈落の底で『彼』は待っていた。

 氷の底では闇すらも凍えるならば、雪の光は灯となり、ただ沈黙を癒すのみ。

 それは獣。氷の怪物。冷たさに呑まれた悲劇。

 2対の後ろ足を持ち、前足は逞しく、その爪は大きく歪曲して凍った地面を捉えるだろう。

 頭部は犬のようであるが、顎は縦割りであり、内部には獲物を擦り潰す為の細かい牙が『面』で並ぶ。そして、その奥では顎を持つ細長い舌が隠れ潜み、嗚咽に似た唸り声を漏らし続ける。尾は太く3本に枝分かれしていた。

 全長7メートルはあるだろう巨獣。それの頭に冠するのは3本のHPバー。そこにある名前は『彼』の正体。

 

 

<深淵の氷獣トリスタン>

 

 

 深淵の闇すらも凍った地下の奥底で魔物は待っている。

 自分を殺しに来る、深淵狩りを待っている。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 青空は無く、朝焼けとも黄昏とも区別がつかない色の下で、黄金色に輝く神々の都、アノール・ロンド。

 その最奥たる聖堂の間。人の身を遥かに超える体格をした、兜に笑う人の顔を模した金色の甲冑を纏うのは、かつて処刑に使用した巨槌を持つ者。

 

「……来る。強い奴ら……来る」

 

 そして、聖堂の間を見下ろせられる2階にて、黄金の十字槍を握りしめるのは、獅子を模した黄金甲冑の騎士。

 

「ああ、やって来るぞ。感じずにはいられない。久しく忘れていた、我らを傷つけ得る強敵たちだ」

 

 十字槍の先端が床に触れれば、金色の雷が迸る。それは堪えきれない闘志と誇りのようであり、同時に決して揺るがぬ信念の証だった。

 

「オーンスタイン、長子様を、追っても、良かったのに。俺だけでも、ここは、守れる」

 

「……あの御方は戻らない。自由を愛したのだ。アノール・ロンドの空は……あの御方には狭過ぎたのだ。要らぬ心遣いだ、スモウ」

 

 神々の中で最も騎士の栄誉を得た者。

 処刑者と騎士の狭間にあった者。

 交わされる言葉の中にあるのは、互いにある決して揺るがぬ信頼だった。

 

「それと訂正しておく。我らはここを守るのではない。来たる英雄を待っているのだ。我らを倒せぬ者に火を継ぐ資格は無い。取り決めを忘れるなよ。私が敗れたならば、惜しみなくこのソウルを奪え。そして、全力で試すのだ。火を継ぐ英雄を!」

 

「それは、こっちの台詞。オーンスタイン、優しいから。時間をかけて弔う暇あるなら、さっさと、ソウルを奪って」

 

 アノール・ロンドで彼らは待っている。彼らの『物語』の中で……その使命を果たせる時を待ち続ける。




ユウキはメンタル回復と同時にヤンデレに変質傾向が?

アルヴヘイム編のもう1つの真実
大 体 ラ ン ス ロ ッ ト の せ い

そして、アノールロンド攻略開始。

戦いが再び始まります。


それでは、261話でまた会いましょう。

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