SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

血族の末裔は廃城で相対する。




Episode18-33 廃城と墓所

 ようやくたどり着いた。ユウキは赤錆の砂漠を前にして、まるで砂海を仰ぐ港のような青蝋都市に圧巻される。

 太陽の光を浴びて輝くのは薄いブルーの建物。まるでクリスタルで出来ているように輝く塔だ。だが、それは陽光の照り返しを冷たい輝きに変えているかのようで、都市全体は驚くほどに寒い。

 

「アルヴヘイムの各所を旅してきたが、よもや青蝋都市に踏み入ることになろうとは」

 

 ガイアスも感動するように無人の都市を見回している。ユウキは片手剣を握りながら警戒しつつ、だが遺体も無ければモンスターが徘徊しているわけでもない、生の気配がない街並みに毒気が抜かれる。

 この先にある赤砂の砂漠を越えれば、ようやく廃坑都市である。長い旅だったと言いたいが、ガイアスの話によれば、青蝋都市で最も高い塔は赤錆の砂漠を一望できるいう『伝説』があるらしい。ユウキもUNKNOWNもただ赤錆の砂漠に飛び込むよりも、多少の時間をかけても情報を集めた方が良いと了承し、探索に回る事にした。

 

「この都市で何があったんだ? 確か赤雷の黒獣に襲われて放棄されたらしいけど、この様子はただ逃げ出したようには思えない」

 

 UNKNOWNの言う通り、青蝋都市は朽ちてこそいるが、赤雷の黒獣による破壊の痕跡は薄い。むしろ完全な状態のまま、まるで住人がそっくりそのまま一夜の間に逃げ出したかのようだ。

 

「昔の事だし、色々と尾ひれが付いてるにしても、確かに妙だよね。ねぇ、ガイアスさん。この都市について何か教えてくれないかな?」

 

「そうだな。私も人並み以上の知識があるわけではないが、青蝋都市は火守の都として栄えた。最初の火を信仰し、旅人たちに退魔の火を授け、赤錆の砂漠を渡る手助けをしていたらしい。赤錆の砂漠は赤雷の黒獣が現れる以前から禁じられた地の1つとされていた。加護の火だけが赤砂の砂漠に潜む悪魔を遠ざけると信じられていた」

 

 悪魔。それはモンスターなのか、単なる迷信なのか。ユウキには判断付かないが、ガイアスがわざわざ青蝋都市の探索を求めるのは退魔の火を求めているからなのかもしれない。彼女は赤錆の砂漠を一望できるだろう、都市の中心にある最も高い塔を目指す。

 青蝋都市は整然として、まるで碁盤のように区画ごとに分けられている。一方で並ぶ青蝋都市の由来となった青い塔同士は回廊の橋で繋げられ、まるで蜘蛛の巣のように入り組んでいる。

 臆病の塊のようなアリーヤはユウキにぴったりとくっ付き、今にも周囲を威嚇して咆え始めそうだった。落ち着かせるように頭を撫でながら、ユウキは自分よりも数歩先を行くUNKNOWNの背中を見つめる。

 もうすぐ廃坑都市に到着だ。そうなればUNKNOWNとの休戦の約束も終わる。愛剣を取り戻した時、万全の彼に勝負を挑む事が出来る。

 だが、奇妙な気持ちがユウキには渦巻いていた。きっと知り過ぎてしまったのだろう。何の躊躇なくUNKNOWNに剣を向けられる程に、ユウキは冷血でも薄情でもなかった。

 UNKNOWNの歩みは同情に値するだろう。デスゲームに巻き込まれた普通の少年は十分に苦しみ、傷つき、戦い抜いた。愛する人を取り戻したい一心でDBOに飛び込み、合理の非情を宿せずに【聖域の英雄】となり、そしてアルヴヘイムでついに膝をついた。

 ランスロットがどれ程の猛者だったのか、ユウキには分からない。だが、交戦経験のあるガイアスは『アルヴヘイム最強』と何ら迷いなく言い切り、UNKNOWNは実際に死の間際まで追い込まれた。

 剣士としてのプライドは砕かれ、残されたのは愛した女を取り戻したいという願いのみ。彼を支えているのはその一心であり、平然と振る舞っているように思えて、本当は今にも叫びだしたいくらいなのだろう。継ぎ接ぎの心を、アルヴヘイムに来た初心で繋ぎ止めているのだろう。

 

(まぁ、『だから何?』だけどさ……)

 

 UNKNOWNの願いも目的も関係ない。ユウキがDBOにログインした目的はスリーピングナイツへの墓標に捧ぐ花。【黒の剣士】に勝利するという結果だ。

 そう思いながらも、ユウキは以前と違って迷いなくUNKNOWNに剣は突きつけられないだろう。その首を狙って斬りつけられないだろう。

 

(クーにとって1番大切な友人。親友。ボクと違ってキミは……)

 

 それは嫉妬だ。以前から抱いていた感情だ。

 どんな時でも彼との思い出を語る時のクゥリは楽しそうだった。UNKNOWNを殺せば、クゥリの親友を奪う事になる。それは彼の心に憎しみを植え付ける事になるだろうか。

 いや、たとえUNKNOWNを殺してもクゥリは何も言わないだろう。復讐すらしないだろう。彼はユウキの目的を知っており、その結果として親友を殺しても、せいぜい目を伏せて親友の死に想いを馳せるくらいだろう。そして、きっとユウキが死んでも同じだろう。 

 

「昇降機は止まっているみたいだ。この塔を階段で……は少し骨が折れそうだ」

 

 青蝋都市の中心にある巨塔にたどり着き、かつては行政の中心地点だったかのような煌びやかな装飾が今も残骸として残るエントランスにて、UNKNOWNは昇降機前のレバーを引くも、錆びて動かないどころか、彼のパワーによって折れてしまう。

 

「こっちの物資搬入用の大型はまだ動きそうだね。でも、地下で止まったまま動いてないみたい。どうする? ボクは階段よりもこっちが良いけど」

 

 常用昇降機からやや離れた場所にある大型昇降機はまだ動く気配がある。ユウキの提案に男2人は考え込み、同タイミングで頷いた。

 

「異論はない」

 

「俺もだ」

 

「じゃあ決まりだね」

 

 鼻をスンスンと動かして周囲のニオイを嗅ぐアリーヤに先導されながら、3人は階段を下りて地下を目指す。非常灯らしきランプは吊り下げられているが、時の経過は光を奪い、今は底知れぬ暗闇ばかりが地下空間を覆う。

 携帯ランプを取り出そうとしたUNKNOWNとユウキであるが、ガイアスは不要とばかりに松明を着火する。揺らめく炎の輝きが照らし出したのは、地上よりも宗教観の強い様相を呈した空間である。

 

「意外と深いね」

 

 ユウキが思わず独り言を漏らす程に階段は深く深く地下へと彼らを誘っていく。

 円柱には余すことなくレリーフが彫り込まれ、天井では竜と騎士が絡み合う石像が張り付き、床のタイルは松明の光を吸収したかのように青い蛍火を灯す。1歩の度に青のタイルは涼やかな鈴の音色を思わす曲を奏で、それは無音だった闇が払う退魔の歌のようだ。

 

「冷たっ!」

 

 地下空間に圧倒されていたユウキは足下が疎かになり、右足を冷たい水に突っ込んでしまう。足裏は底を捉えることなく沈み込み、慌てたユウキは態勢を戻ろうとするが、UNKNOWNの伸びた右手が彼女の左腕を掴んで引っ張り戻す。

 

「一緒に旅してて分かったけど、ユウキって意外と抜けてる部分が多いよな。それにソロ慣れしてない」

 

「……ボクはキミみたいな十得ナイフじゃないんだよ」

 

 口を尖らせるユウキに、UNKNOWNは彼女の憎まれ口にも慣れたとばかりに『はいはい』と言って苦笑するだけだった。

 片膝をついて暗闇に満たされた、地下空間に入った大きな亀裂を見下ろす。そこから地下水で満たされている。この崩落によって地下全体が傾斜してしまっているのだろう。このまま崩落が続けば、青蝋都市の美観を大きく担う中央巨塔はバランスを失って崩れる。

 

「この亀裂の向こう側がお目当ての昇降機だが……なるほど。傾斜の影響を受けて歪んでしまったようだな。アレでは動きそうにない」

 

「だけど、地下に来たのは幸いだったかもしれない。これを見てくれ」

 

 UNKNOWNの呼びかけによって集まれば、亀裂から溢れる水に浸された岸辺に小アメンドーズの遺体が打ち上げられていた。

 どうやらこの地下空間に走った亀裂は天然の洞窟を生んだようである。そして、崩れた壁の向こう側からは穏やかな水流を運ぶ暗闇の道が続いていた。

 

「この水流を見る限り、赤錆の砂漠の地下を通っているのは間違いない。もしかしたら廃坑都市の地下にも続いているかもしれないな。提案だけど、この地下道を進まないか? 廃坑都市はオベイロンの軍勢に包囲されていたんだ。今も残存戦力が見張りで赤錆の砂漠を徘徊しているかもしれない」

 

「だったら、彼らが見落としているこの地下の崩落水流を辿る方が確実に廃坑都市を目指せるかもしれない。そういうわけだね?」

 

「ああ。ガイアスさんはどう思う? 廃坑都市の地下には迷宮のような廃坑道があるって聞いた。もしも俺の予想通りなら――」

 

「その廃坑道の1つに繋がっている確率は高い……か。あり得るだろう。だが、この小アメンドーズの遺体が証明するのは、連中は地下深くまであの夜を生き延びた……地下に逃れた者たちを『虐殺』したということだ。私が言いたいことが分からない君達じゃないだろう?」

 

 顔を渋くするガイアスに、ユウキは廃坑都市の地下に広がる凄惨な虐殺の痕跡を想像し、今も生き残りを求めて徘徊する小アメンドーズやレギオンの群れを思い浮かべる。

 たった3人の戦力で相手取れるか否か。大きく意見が割れるところかもしれないが、隠れる場所も逃げ場もない地上の砂漠を進むよりも確実性は高い。UNKNOWNも同意見らしく、無言の決行の意思を示す。

 

「……良いだろう。だが、この地下に騎獣は連れていけんな。後で縄を解いて逃がす。賢い奴らだ。人里まで辿り着くことは苦にならんだろう。準備の時間もいるし、探索も足りない。私は1度地上に戻って諸々を整えてくる」

 

 騎獣に預けてある荷物も多い。ガイアスが新しい松明を取り出して古い方をUNKNOWNに預ける。彼の実力ならば青蝋都市で危険と出くわせても切り抜けられるだろうが、再びUNKNOWNと2人っきりの時間になったユウキは視線を逃がす。

 アリーヤの顎を撫でて気を紛らわせなら、ユウキはまた重苦しい沈黙が始まるより先に自分から口を開いた。

 

「探索したいんでしょ? いいよ。ボクも付き合う」

 

「ご、ごめん」

 

「別に良いよ。キミのそういう所は……その……なんていうか……嫌いじゃない、よ?」

 

 未知に出会ったらワクワクしてしまう。元々好奇心旺盛な部類なのだろう。それに、少しでも彼の気を紛らわせるならば、1、2時間の探索に付き合うのはユウキも吝かではなかった。

 

「このレリーフや石像、やっぱり神族と古竜の戦いを描いているみたいだ。ほら、あっちの十字槍を持った騎士は【竜狩り】オーンスタイン、狼を伴ってるのは【深淵歩き】アルトリウス、それに大弓を引いてる巨人は……【鷹の目】ゴーかな? かなり精巧だし、グウィンの時代に明るい人物が建造したのは間違いない」

 

 心なしか声が踊っているUNKNOWNに、ユウキはまるで子どもみたいだとクスクスと小さく笑ってしまう。すると仮面の向こうで恥ずかしそうに頬を染めたようにUNKNOWNは俯いた。

 

「し、仕方ないだろ!? DBOは確かに狂ってる。とても残酷で、恐ろしくて、いつだって暴虐に俺達プレイヤーを叩きのめす。でも……そこに秘められた物語には、どうしても惹かれてしまうんだ。ああ、もう! クーと語り合いたいなぁ! アインクラッドでもそうだったけど、クーって意外と考察勢だからきっとDBOの物語にも結構深くまで辿り着いてると思うんだ! ほら、見てくれ! アレはオーンスタインが共に武技を学んだとされる【竜砕き】のスローネだ!」

 

「えーと、どれ?」

 

 レリーフもそうであるが、天井を埋める石像たちは何が何やらユウキには分類できない。辛うじて角2つを持つ兜を被っているのはグウィンの配下の騎士だろう事は分かるのだが、それ以外はほとんど知識が追い付かない。

 

「オーンスタインと同門だった彼は四騎士とも肩を並べる程の実力者だった。でも、彼はグウィン王の命によって混沌の火に呑まれた廃都イザリスに突入して消えた。その後は彼の名を得た平原が残るばかりで、どうなったか分からなかったけど、アルヴヘイムの伝説の限りでは、彼は穢れの火を封印する為にアノールロンドを去ったんだ! う~ん、こうしてちゃんとアルヴヘイムでも伝説が残ってるなんて感動だなぁ! スローネ平原がどうしてアルヴヘイムに通じてるか謎だったけどスッキリしたよ」

 

「へぇ、ちゃんと整合性が取れてるんだね。あ、そういえば廃聖堂の地下ダンジョンには深淵狩りのネームドがいたんだ。じゃあ、あそこはランスロットがアルヴヘイムに行くのに使った道ってわけだね」

 

 と、そこでユウキは失敗を悟る。ランスロットの名前が出た瞬間にUNKNOWNの体が強張ったからだ。

 

「ご――」

 

「良いよ。ユウキは悪くない。俺は……俺は何をはしゃいんでいるんだ。シノンもシリカも置き去りにして、彼女たちの居場所どころか安否も分からなくて、ランスロットには勝ち目も見えていないのに……俺は……」

 

 UNKNOWNの話の限りでは、≪二刀流≫を保有するだけではなく高い実力を持つ彼でもランスロットには手も足も出なかった。アメンドーズの横槍が入っていなければ、死んでいたと言い切った。

 それ程の猛者であるランスロット。ユウキはごくりと生唾を飲む。仮にランスロットが今も廃坑都市に待ち構えていた時、果たして勝機はあるだろうか?

 

(クーは……無事だよね?)

 

 クゥリの生存を信じて疑わないユウキであるが、ランスロットとの交戦経験があるUNKNOWNとガイアスの言葉を聞けば聞くほどに不安が大きくなる。

 未だにユウキはUNKNOWNに話せていない。クゥリがアルヴヘイムに来ている事を伝えていない。教えたくないのだ。

 あの時、転移の直前で、月下で戦うクゥリの姿を見ている。相手取るのは漆黒の騎士だった。間違いなくランスロットだろう。

 彼は『誰か』が傍にいないとブレーキが利かなくなる。壊れるまで戦い続ける。ランスロットから逃れても、退けても、倒していたとしても、傍に『誰か』いないならば、きっと休むこともなく走り続けるだろう。

 

「……キミは無敵じゃない。皆が夢想した『英雄』じゃない。だから、仕方ない事だってあるよ」

 

 だからだろうか。彼のかつての相棒に……『力』を暗く暗く、深く濃く渇望する『英雄』にユウキは声をかけずにはいられなかった。

 

「剣と一緒だよ。研ぎもしないで血と脂で鈍ったまま振るい続けていれば、きっといつか折れてしまう。壊れてしまう。それでも打ち直せたら良いけど……それも出来ないくらいに粉々になってしまたら、もう『終わり』なんだよ?」

 

 でも、クゥリは違う。血を啜れば啜る程に、より鋭利に切れ味が増していく。戦い続ける限りに際限なく『力』は増していく。ユウキは胸に痛みを覚え、それを言葉に乗せる。

 

「ランスロットの倒し方はみんなで考えれば良いよ。ボクも手伝ってあげる。アスナさんには会ってみたいし、キミとの決着は……うん、その後で良いよ。正々堂々『デュエル』で決着を付けよう?」

 

 これで良いんだよね、クー? ユウキは手首を掻きたい衝動を堪えながら、UNKNOWNに微笑んだ。

 何も知らないまま、嫉妬に駆られても良いから、全力の殺意を【黒の剣士】にぶつけて、殺してでも『仮想世界最強』という称号を奪い取れれば良かった。そうすれば、スリーピングナイツのみんなも……自分も生まれた意味があったのだと神様に証明できると信じていた。

 でも、そんなものは欺瞞で、ただただ自分の罪が……穢れが怖くて、独りぼっちの病室の暗闇が今も怖くて……姉や皆に顔向けできると自分を騙せる『嘘』が欲しかった。

 穢れが消えない。清めないといけない。過去に決着をつけないといけない。その為にはDBOにログインした理由に、目的に、初心に区切りをつけないといけない。そうしないと穢れはいつまでも蝕み続ける。

 

「……ユウキ」

 

「ボク、負けないからね? キミに絶対に勝つ! 勝って……勝って、ボクは神様に示すんだ。もう1度示すんだ。変えられるって……世界を変えられるって示すんだ! 人の意思が世界を変えるんだよ! ボクがこうして、どれだけ穢れに塗れても生き延びたように……『運命だったんだ』なんて理不尽なシナリオを否定するんだ!」

 

 俯いていたUNKNOWNは何も言わなかった。まだ心の整理がつかないのだろう。だからこそ、ユウキは更に言葉を重ねる。

 

「ランスロットだって無敵じゃない。絶対に倒せる。だったら、皆で戦おう? キミとボクだけじゃない。ガイアスさんも、ボスも、ユージーンさんだって、きっと力を貸してくれる。シノンさんやシリカさんだって、キミが『生きてる』って信じてる限り『生きてる』よ」

 

 元気づけようと両拳を握って力説するユウキに、やや気圧されたらしいUNKNOWNは頭をボリボリと掻いて笑った。

 

「……キミは『強い』な」

 

 その一言には憧憬と羨望と嫉妬が入り混じっていた。

 

(それはボクの台詞だよ)

 

 ボクは『弱い』んだ。暗闇を満たす穢れが怖くて堪らない程に……『弱い』んだ。ユウキは自嘲を呑み込みながら、歩き出したUNKNOWNの後を追った。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 代々の伯爵の地位を継いだ者たちの肖像画だろう。四隅は銀色の花瓶と共に金の薔薇が飾られた1室にて、後継者はオレを誘いながら、美術館の作品を1つ1つ鑑賞するように歩いて回る。

 

「月明かりの墓所の設計には随分と凝ったんだ。モンスターデザイン、AIのオペレーション、ドロップ・配置アイテム、戦闘シチュエーション……ナグナに負けず劣らずの自信作だったんだよ。だけど、今では醜く壊れてしまって、8割以上が損壊して消滅してしまっているね。辛うじて修復プログラムのお陰でダンジョンでとしての『枠』は残されているけど、ボクが設計したものとは随分と変わってしまったよ。こんな無粋な城も、城下町も、森も……何1つとして必要なかった。あのダンジョンは美しく完成されていたんだ」

 

 長きに亘る伯爵家の歴史を振り返るように、肖像画の前の1つ1つに立ち止まり、後継者はつまらなさそうに目を細める。

 

「確認したい事がある。1つ目。ランスロットは本来月明かりの墓所で待ち構えているはずのネームドだった……その認識で正しいか?」

 

「訂正は無いね。アルヴヘイム最強、ボクが【黒の剣士】を殺すジョーカーとして準備したランスロットはこの月明かりの墓所にいるはずだった。だけど、どうやらオベイロンは彼を自由に使う手駒とする為に月明かりの墓所に亀裂を入れ、外に出してしまったらしい。月明かりの墓所はフィールドとの境界線を失ってしまっているのさ。ダンジョンとしての認識域はウルの森までのようだけど、ランスロットの戦闘可能範囲はアルヴヘイム全域にまで拡大してしまった。修復プログラムも間が悪かったんだろうね。彼を再配置するよりも『徘徊型ネームド』として登録し直すリカバリー作業の方が負荷をかけないと判断してしまったようだ」

 

 ふむ、やはりそうか。アルヴヘイムが元々のALOのデータをそのまま引き継いでいるならば、余りにもランスロットの活動範囲が広過ぎる。同じ徘徊型でも深淵の魔物アルトリウスでも、広大とはいえ、都市1つの範囲程度だったのだ。幾ら徘徊型とはいえ、元のフィールドが広過ぎる上に人型という小型で目立たないともなれば、余りにも捜索するのに時間がかかる。そうしたランダム遭遇もゲームの醍醐味であるが、このアルヴヘイムはシナリオ重視のはず……つまりはミスマッチばかりしていては後継者としても退屈な展開になってしまうのだ。

 何よりもクリスマスダンジョン程ではないとはいえ、『アイツ』を狙い撃ち予定で設計されたアルヴヘイムならば、わざわざ増援を呼んで大ギルドでも単体では手間取るネームド探索を行わねばならない。そうなれば『アスナを助けるために単身で突出してやって来る』だろう『アイツ』を狙うという後継者の予定から外れる事になるのだ。

 まぁ、全ては予想に過ぎないし、下手に何かを問いかけても素直に答えないだろう事は明確だ。なので深く探らない方がオレの頭の熱暴走を避けられる。

 

「わざわざオレを……いや、プレイヤーを待っていたのは何でだ?」

 

「GMとしての謝罪。折角のダンジョンなのに目玉のネームドがいないなんて、ハンバーグ定食を注文したらサラダとポテトしかプレートにのってなくてメイン不在というクレーム案件だからね」

 

 以前にダークライダーが乱入してきた時に、わざわざ謝罪とアイテムを配ったように、後継者は自分のルール内で起きた失敗には相応の補填をする。ならば、彼が待っていた理由は1つか。

 

「というわけで、キミが来てくれたので、さっさとこの醜く壊れてしまった月明かりの墓所をクリアしてくれるとありがたい。これは前報酬だ」

 

 懐から白い封筒を取り出した後継者に、オレは小さく嘆息する。どれだけの高額のコルをくれるか知らないが、どちらにしても月明かりの墓所はこのままクリアするつもりだったのだ。貰えるものはありがたく貰っておこう。要はGM側の落ち度を埋め合わせする賠償金みたいなものだからな。まぁ、ランスロットが徘徊型になっている点について謝罪しないのは後継者らしいが、そこはツッコミを入れるべきポイントではないのだろう。

 仰々しく封蝋されているが、中身は薄い。まぁ、コルならば小切手なのだろうがと開けてみれば、中には数枚の紙切れが入っていた。

 

「…………」

 

「はーい☆ みんな大好き、黄金の引換券10枚プレゼント♪」

 

 拍手して1人で盛り上がる後継者を前に、オレは黄金色に輝くラメが安っぽく眩しい引換券を思わず握り潰しそうになる。

 

「ちょっと待て。これ、文字通りの使い道がないコレクションアイテムだよな?」

 

 別にバランス崩壊級のアイテムが欲しかったとか、ゼロがたくさん並んだ額面を期待していたとか、アルヴヘイムで有利に立ち回れる情報が得られればと思っていたとか、別にそんなわけではない。せめて謝意が分かる程度の何かが得れれば良かったのだ。

 思わず詰め寄るオレに、後継者は慌てないと告げるように指を振った。

 

「おや、心外だねぇ。それ程に使い道が有用なアイテムも無いんだけどさ。そうだねぇ……アルヴヘイムから無事に帰れたら【ギリガン】というNPCを探すと良いよ。これくらいのヒントは補償範囲内だ」

 

 ギリガンか。そんなNPCとは出会ったことは無いが、広大なDBOにおいてすべてのNPCと接触しているわけでもない。名前が分かっているならば、まだ未開放のステージに配置されているでも限り、相応のコルを支払って情報を集めれば探し出すのは難しくないだろう。

 肖像画の部屋を一通り楽しんだ後継者に誘われ、城内を繋げる廊下を歩めば、すぐに亡霊たちが囲み始める。どうやら後継者もターゲット内に入っているらしく、彼にも亡霊はナイフを振りかぶって襲い掛かる。

 物理属性が大幅カットされるとはいえ、この亡霊の攻撃はガードすることも受け流すこともできる。前ステップを踏みながら死神の剣槍を抜いて1体目の亡霊を袈裟斬りにして、そのままギミックを発動させて蛇槍モードで残る数体を纏めて薙ぎ払う。拡散したアバターは再構築を始めるが、それより先に死神の剣槍をランスブレードに戻して連続突きで撃破する。亡霊なので刺し貫いても肉に引っかかることがない。その点では大いに楽に立ち回れるだろう。

 さて、後継者のお手並みを拝見だ。オレを襲った亡霊は始末できたので振り返れば、そこにはたどたどしくナイフの攻撃を避けている……つもりなのだろう、後継者の姿があった。

 

「いやぁ、さすがは月明かりの墓所に飲み込まれているだけあって強いねぇ。このアバター、レベル80相応で設定してあるはずなんだけど、ガリガリHPが削れちゃうよ♪」

 

 次々とナイフをその身に受けて、白いスーツは真っ赤に染まり、喉にも深い一撃を浴びて血塗れになっている後継者は楽しそうに笑っていた。

 もしや不死属性なのだろうか? ヒースクリフこと茅場昌彦もHPが半分までは普通に減るアバターを使っていたそうだ。ならば、後継者も同様であるとも考えられる。

 だが、後継者の頭上で光るカーソルは黄色から赤に変じている。激しく点滅するカーソルは死が近づいている証拠だ。

 亡霊侍女は後継者の両太腿を斬り裂き、その膝をつかせると渾身の刺突でナイフを喉を貫く。それがトドメになったように、後継者は血の泡を吹きながら倒れた。

 ……死んだ? こんなにもあっさりと? 何かの罠かと思いつつ、後継者を襲っていた亡霊数体を始末した後に血溜まりに倒れる彼の体に触れる。まだ温かいが、アルヴヘイムの常時と同じように所有アイテム一覧が表示される。特にアイテムらしいアイテムは持っていないが、このアバターは『死亡状態』だと判断できる。

 アルヴヘイムで死亡すれば、まるで現実世界を真似るようにアバターの瞳は開く。それは今までの『お喋り』から分かっている事だ。仰向けに寝かせ、その瞼を開いて確認するが、やはり死亡状態だ。間違いなく茅場の後継者は死んでいる。呆気なく亡霊に殺されている。

 これはどういう事だろうか? 温かな後継者の血に触れ、その『命』の終わりを感じ取りながら、深く考えても仕方ない事なのだろうと思いつつも、城内の探索に戻ろうと意識を切り替える。

 

 

 

 

 

「これでアルヴヘイムで403回目の死亡だね。『ボク』ご苦労様♪」

 

 

 

 

 

 だが、当然のように廊下の曲がり角から後継者が……オレの目の前に後継者の血塗れの死体があるはずなのに、白いスーツには血痕1つない無傷の後継者が現れる。

 これは何かの冗談だろうか。いや、後継者は管理者だ。自分が死なないように調整したアバターを準備するくらいは簡単なのか? だが、それならば今ここに後継者の遺体を転がせる意味は? 単にオレを驚かせる為? 十分にあり得るが、何か引っかかる。これは何だ?

 オレの疑問を感じ取ってか、後継者は楽しそうに笑う。嘲う。その上でクイズだと宣言するように右手の人差し指を立てた。

 

「問題です。『ボク』は今そこで死に、ボクは今ここに生きている。この結果が覆しようのない決定的事象だと仮定した場合の答えとして最も相応しいのは? ヒント、キミは既に技術的な意味では似たような存在に会っているんじゃないかな?」

 

 謎かけのつもりか。だが、後継者はおちょくってこそいるが、オレならば正答に至る為の情報を持っていると考えてもいるようだ。少しだけ思案し、オレは1つの似たような事例を思い出す。まだ灼けていないお陰か、『彼ら』の事は鮮明に思い出すことができた。

 他でもないクリスマスダンジョンでサチを攫った存在。後継者によって『命』を弄ばれ、繰り返された複製によって『本当の自分』を見失った哀れな者たち。

 

「……ファンタズマビーイング。AIの複製か」

 

「正解! ボクもまたAI。フラクトライトすらも捨てた、人を辞めた存在だよ。故にボクは『ボク』のコピーであり、そこにいる『ボク』は間違いなく死んだ。でも、ボクは今ここにいる。ここに存在している」

 

 自分の胸に手をやり、ネタを明かす後継者の説明には納得もいく一方で、今までオレが抱いていた1つの確信に疑念を投じねばならなかった。

 後継者が自称の通りAIだとしよう。ならば複製の作成は難しくないだろう。彼ならば周囲のオブジェクトのリソースを利用してアバターを容易に構築できるだけの権限もあるはずだ。それは納得できる範疇だ。

 だが、問題なのはオレだからこそ感じ取れる『命』の気配である。死亡した後継者からも『命』を感じたならば、目の前の生きている後継者からも『命』を感じる。ステータス上死亡した時点で意識……『命』が新たなアバターに移行したならば話も分かるが、後継者の語り口から察するに、オレに黄金の引換券を渡して語らった後継者という『命』はここで潰え、新しく存在している後継者は全く別の『命』を保有している事になる。

 コピーによって『命』ごと複製できるのであるならば、それはそれで由々しき事態であるが、同時に違和感も覚えるのだ。これまでのDBOにおいて、最初から『命』あるネームドやNPCはいずれも『非リポップ型』なのだ。たとえ『命』の片鱗を見せ始めたリポップ型はいても、殺害すれば『命』は感じ取れなくなっていた。それはDBOで多くの『命』を喰らってきたオレだからこそ言える確信だ。

 よって、オレの見解は『後継者でも「命」は複製できないが、AIに「命」を発露させる事が出来る技術はある。だが、それにはAIごとの適性や技術的ハードルによる確率の問題もある』というものだった。

 だが、後継者が『命』すらも簡単に複製できてしまうならば、多くの前提が崩れてしまう。これまで出会った強敵たち……アルトリウスやシャルル、Nといった1つの『命』を燃やしたAIたちの『生』が蔑ろにされてしまう。そして、どういうわけか、オレには後継者が人間はともかく、AI達を侮辱するような真似を望んでいるとも思えなかった。

 

「キミが考えている事は大よそ見当がつくよ。そう、ボクでも『命』を完全に複製することはできない。ボクには『命』を芽生えさせる可能性を与える事は出来ても、自由自在に生み出すことまでは出来ていない。さて、そうなるとボクと『ボク』は何なのか? どうして『命』があるのか?」

 

 懐からナイフを取り出した後継者は躊躇なく自分の喉を斬り裂く。溢れ出た血がスーツを真っ赤に染め上げていく中で、彼は嗤いながらオレに歩み寄り、道半ばでHPが尽きて倒れた。だが、オレの前にある2人分の遺体のアバターが分解されていき、真新しい後継者が『2人』……それも『命』を持って現れる。

 

「ある者はこう言うだろう。『命』とは『自我』だ」

 

「だけど、自我が無い赤子には『命』が無いのかい?」

 

 2人の後継者は全く同じ動作をしながら、オレに手を差し出す。『本物』を選び取ってみろと言うかのように。

 そうしている間に、オレの背後から10人……いや、20、30、40人と続々と後継者が現れる。それはまるで無限にリポップする雑魚モンスターのようであり、同時に等しく『命』がある異質の存在。

 

「ボクはこう考える。AIにとって『命』とは『自己観測』だ」

 

「ランダム因子を組み込ませ、AIの思考プロセスに意図した認識作業を組み込む。パッケージした感情オペレーションは認識作業と共に思考プロセスと同化し、再形成するにあたって素体となった記憶データと結合し、過去の事象に至るまで『再認識』を行い、ゼロタイムでの追体験に関与する」

 

「『経験』しかない記憶データの塊だったAIは認識作業を経て、そこに『思い出』を獲得する」

 

「『経験』を獲得して成長していたAIは『思い出』を手に入れ、組み込まれた感情データこそがランダム性を生む」

 

「更新と再認識。繰り返される高負荷の環境で、細分化された思考プロセスはニューロンの如く結びつき、感情データを伴ったランダム性に『個』としての統一を求める方向性が発露する」

 

「そうして始まるのは『自己観測』……そして、生と死という『情報』に過ぎなったかものは自己保存を命じられたAIにおいて『概念』に昇華する」

 

 言葉で圧殺するように……いや、実際に人数という物量でオレを押し潰すように囲んだ後継者たちの語りは……正直なところ、何を言ってるのやら分からないが、彼なりにAIが『命』を得る過程を説明しているのだろう。そして、それこそが後継者『達』が『命』を持つ理由なのだ。

 

「たとえ『自己観測』できたとしても、そこにはランダム性がある以上は同一のモノが存在するはずもなく、また同性能のAIが生まれるわけでもない。そもそも『自己観測』できるかどうかも定かではない」

 

「不便ではあるけど、『命』を保有するAIは基本ワンオフなんだよ」

 

「では、どうしてボクは躊躇なく『命』を捨てられるのか? ここにいるのは同一の『命』ではなく、それぞれが別離した『命』だとして、どうして『自己観測』が完全に可能なのか?」

 

 そして、オレの目の前に立つ1人を除いて、全ての後継者は自らの喉を、心臓を、腹をナイフで裂き、自決していく。死屍累々とした『命』が潰えたポリゴンの肉塊となり、伯爵城の廊下に敷き詰められていく。

 

「どれだけ『命』が異なろうとも、ボクを『ボク』と定義するのは……たった1つの意思であり、意志だからだ。故にボクは『他のボク』であろうとも『自己観測』を可能とし、決して『命』を見失うことはない。どれだけ忌々しくともボクはインターネサイン。故に『ボクという群体』はただ1つの信念の下で統一され続ける」

 

 唯一の生存した後継者はオレを覗き込んだ。その双眸は変わらず淀んで、濁って、穢れて……それ故に純粋な『悪意』で渦巻いていた。

 

 

 

 

 

「『神様は間違えている。世界を滅ぼすのは……人間自身だ』。キミも1度は聞いた事があるだろう?『Cogito,ergo sum』……『我思う、故に我あり』。ボクを『ボク』と定義する『自己観測』の因子がある限り、『ボクという群体』は滅びない。忌々しくとも認めよう。ボクはインターネサイン構想の1つの完成モデル。ボクは『個』ではない。『群体』なんだよ、傭兵くん♪」

 

 

 

 

 

 気圧されるとは、こういう事を言うのだろう。

 心の何処かで舐めていたのだろう。

 この男は狂人だ。その事は既知であり、今更になって疑念を挟む余地など無かった。

 だが、この男は宣言通りに人間を辞めているのだ。そこは狂気という表現すらも生温い、自らの揺らがぬ定義のままに『命』を無限に分離させていく存在。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、なんと殺し甲斐のある存在だろうか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分でも我慢ならない程に唇が歪む。無限に『命』を分裂させる、人を捨てた『バケモノ』。

 コイツはオレとは違う意味で自らを『バケモノ』と認めた存在だ。肉体を捨て、フラクトライトを捨て、より自分を効率的に運用できるシステムを作るのみならず、自身を定義する意志に伴い、自らの『人』を己の手で滅ぼした怪物! 神話に登場すべき本物の『バケモノ』だ。

 オレの微笑みに満足したのか、あるいは反感を覚えたのか、後継者もまた微笑んだ。

 

「……キミとは出会い方さえ違えば、ボクが肉体を捨てる前ならば、なかなかに語り合える友人になれたかもねぇ。でも、今はボクの計画を破綻させているイレギュラーだ。邪魔しないでくれるかな?」

 

「邪魔するも何も、完全攻略はプレイヤーの義務だが?」

 

 微笑みを交錯させる中でオレと後継者は視線の矛をぶつけ合う。だが、乱入してきた亡霊たちに反応し、オレは死神の剣槍を振るい、後継者は続々と新しい自身を生み出して、人海戦術で圧殺していく。

 個々の実力はプレイヤーでも最弱であるが、亡霊1体が対処できる数には限度がある。アルトリウスやランスロット相手には通じないだろうが、雑魚ならば十分に蹂躙できるわけか。まぁ、プレイヤーからすればチートなのであるが、彼は管理者であり、今回の月明かりの墓所は修正案件なのだろう。不器用ではあるが、彼なりのオレへの協力なのかもしれないと思えると笑いが零れそうだ。

 

「とはいえ、ボクにも形式上『本体』と呼べる個体は存在するんだ。GM権限を所有する者こそが群体において『中心』を成す。その『本体』はオベイロンに囚われているんだよ」

 

「なにそれダサい」

 

「酷いなぁ。キミ達の初動が楽なように、オベイロンに敗北確定の勝負を挑んで時間稼ぎした結果だよ? とはいえ、『ボク』のことだから、退屈を弄びながらオベイロンの戦略を予想して結果を待ってるんじゃないかなぁ。まぁ、ボクはその最中にアルヴヘイムにばら撒かれた『仕込み』の内の1人だ。壊れたシナリオを修正するのが『ボク達』の役目だからね」

 

 うーん、増々のチートだな。無限増殖の上に、本体は不死属性確定。というよりも、その気になればオベイロンに囚われている本体後継者は別の後継者にGM権限を移譲してカウンターできるのではないだろうか? あるいは、それも出来ない環境下にあるのか? 何にしても、オレが思っていた以上に後継者は『殺す』のが難しい存在だ。

 

「あ、言っておくけど、ここにいるのが全員のボクじゃないよ? スリープ状態になっているボクが世界中のサーバーにいるんだ。ボクを滅ぼすのは端的に言って無理だよ」

 

「だったら人格データが入るだけの容量の記憶媒体をこの世界から1つ残らず破壊すれば良いだけか」

 

「う~ん、それって難しいんじゃないかなぁ」

 

「大丈夫大丈夫。第1次世界大戦クラスまで文明を巻き戻すくらいに世界を破壊すれば良いだけだろ。楽勝楽勝」

 

「……ジョークのつもりなんだろうけど、『天敵』候補のキミが言うとなぁ。少し複雑だ。キミは『人類の自滅』にカウントされるのやら……」

 

 だから『天敵』って何だ? PoHもそうであるが、どうやら後継者も『天敵』とやらとしてオレを見ているようだ。誰か説明してください、お願いします。

 伯爵城はわざと入り組んだ設計にされているのは侵入者対策なのだろうが、何かとギミックが多過ぎる。本棚の壁で閉ざされていたかと思えばレバーで開錠が求められ、何処にも入口がないと思えばテラス同士を橋で繋げて窓で出入りさせる構造がお迎えし、移動には不便だろう梯子が上下で収納されている。

 本当に後継者が設計したダンジョンではないのだろうか? 青銅騎士3体を同時に相手をして後継者が通算30人ほど死んだ応接間にて、オレは点滅する意識のせいで覚束ない足取りを支えるように死神の剣槍をその場に突き立てて杖にする。

 荒くなりそうな息を呑み込み、弱々しい心臓の音色を束ねて強がらせる。すぐにでも移動したいが、右足が指先まで痺れてバランスを掌握するのに手間取る。

 

「しかし、キミもボロボロだねぇ。殺さずにはいられない。殺したくて堪らない。だけどさぁ、それって『止まらない』とは同義じゃないんだよねぇ。むしろ、『継戦』という合理的判断からすれば、回避不能の戦闘中はともかく、現状でキミが自称する無理・無謀・無茶を押し通すのは『非本能的判断』なんだよ。むしろ、キミの本能が『対象の殺害完遂』を求めるならば、よりコンディションを重視するはずだ。何がキミを『無理矢理でも駆り立てる』んだい? ボクには理解できないね」

 

 自分の死体の山で優雅にティータイムをする後継者を殴りつけたいが、今はその体力もない。脂汗を手の甲で拭い、死神の剣槍を背負って歩き出す。

 だが、他でもないヤツメ様がオレの袖を引っ張る。後継者に同意するように、小さく首を横に振る。

 止まる? 止まれるものか。オレは狩人として狩りを全うせねばならない。

 オレが『人』であり続けるには『理由』が必要だ。『人』のまま得られる血の悦びが必要なのだ。たとえ矛盾しているとしても、それだけが『獣』にならないように、少しでも飢えと渇きを癒して先延ばしにする手段なのだ。

 ……分かってるさ。もう、普通の血では足りない。より大きな血の悦びを。より多量の血の悦びを。どうしようもなくオレは欲している。それでも、たとえ僅かでも、それしか無いんだ。建前でも『理由』が必要なんだ。

 誰にも殺させない。オレの獲物はオレが殺す。そんな歪んだよすがでも、オレを『人』に繋ぎ止めてくれているのだから。だから、彼らの血を欲してしまうのは……どうしようもないことだって気づいているさ。

 

「……随分とオレの事を知っているんだな。調べたのか?」

 

「敵の研究を怠るような阿呆はオベイロン1人で十分だろう? 彼の悪い癖だねぇ。なまじ優秀だったせいか、常に自分が優位な状況でしか物事を考えられない。彼は反撃を想定できないんだよ。まぁ、そういう所も面白かったんだけどねぇ」

 

 ここも鍵がかかっているか。隣の部屋に通じる金縁のドアを開けようとするも阻まれる。殴って破壊不能オブジェクトであるか調べるも、殴りつけた左拳から貫かれた痛みによって思わずバランス感覚を見失いそうになる。

 コンディションは芳しくない。心身の負荷がそのまま痛みへの耐性を低下させている。脳が痛みという情報処理に耐え切れなくなっている。

 

「痛覚による感覚代用かい? 本当に滅茶苦茶だねぇ」

 

「そう思うなら修正してくれ」

 

「無☆理♪ 言っておくけど、DBOには茅場さんお手製の、世界最高峰の適合性を持つ最新モデルの運動アルゴリズムが使用されているんだ。しかもDBOログイン時には個々向けにオートチューンされている。だからVR適性Dクラスでも従来のC程度にはストレス無くアバターを動かせるし、精密性も増してるはずなんだよ。キミの場合は運動アルゴリズムが本来行うはずだった情報処理の全て……致命的な精神負荷を自身の脳で受容した。結果として運動アルゴリズムとの適合性と連動性が大幅に落ちてしまっているんだ。今のキミのVR適性を再測定すると……判定Eだねぇ♪ 普通ならドクターストップ級だ☆」

 

 えーと、確かVR適性の最低判定ってFだったよな? 理論上存在するだけで、Fだと接続した時点で泡拭いて倒れると聞いているのだが。

 しかし、意外だったのは茶化しながらもちゃんと答えてくれた茅場の後継者の言葉通りならば、彼なりにプレイヤーが最高の状態で長期に亘る仮想世界のログイン……デスゲームに参加できるだけの準備も整えてくれていたようだ。人間嫌いのようではあるが、その人間の為に努力を惜しまずにデスゲームを準備した彼は色々と歪んでいる。

 

「しかし、キミはとても興味深いケースだ。普通は致命的な精神負荷の受容は高いVR適性を持つ者ほどに耐性があるものなんだ。VR適性とは運動アルゴリズムとの適合率であり、それはそのまま仮想世界における反応速度の高さだ。だけど、キミは致命的な精神負荷を受容しても、自我を見失わないどころか、高度な思考を維持できるようになっているねぇ。これはロシアの『彼女』とは違うケースだ」

 

 研究者魂が燃えたようにオレを覗き込む茅場の後継者の喉を無言で贄姫で貫く。どうせ死んでも新しい後継者が現れるだけだ。蹴飛ばしてそのまま胸を踏みつけて、左目に贄姫を突き刺して捩じる。

 死体の山が分解され、新しく1人の後継者が構築される。彼はオレが殺した自分の顔を踏みつけて、再度オレの前に立つ……のではなく、部屋を右往左往して歩き回り、楽しそうに思案し始める。

 

「本能による戦闘続行……低過ぎるVR適性……維持される自我……ほぼ底値のイレギュラー値……傭兵くんの特異なフラクトライト構造……蓄積された情報……高負荷環境における適応性……仮説に過ぎないか? 臨床しようにも検体がいないし……あ、そうだ! 傭兵くん! ちょっとキミの脳をレンタルさせてくれ! 安心して、ちょっと薬物実験と電極をぶっ刺すだけだから!」

 

「死ね」

 

 笑顔でオレに振り向いてゲームソフトを貸してのノリで告げてきた後継者に、左手で抜いた死神の剣槍をその腹に突き刺して【瀉血】を発動させる。体内から槍達磨になった後継者は血反吐を撒き散らして動かなくなる。新しい後継者は自分の血で滑りながら再びオレの目の前に現れて、つまらなそうに肩を竦めた。

 

「ジョークだよ、ジョーク☆ ボクにはプレイヤー諸君に最高の環境でゆっくりじっくりデスゲームに挑めるように、最高のサポートを茅場さんの後継者として行う責務があるんだ☆ 茅場さんの名前に誓おう! ボクは何があろうともキミがDBOにログインしている限り、現実世界に残した肉体を傷つけるようなルール違反はしない。それどころか感謝して欲しいくらいさ。キミ達の肉体が必要以上に衰弱しないように最高の環境と設備、各種栄養剤や薬品の手配……ぜーんぶボクが直々にプランを練ったのさ! マスコミ対策もカ・ン・ペ・キ♪ 君達は煩わしい世間から完全シャットアウトでDBOを楽しめているさ♪ もちろん、死亡時には遺族にもたっぷりと色々なルートから見舞金が入るから安心して死んでくれ☆」

 

「それはどうも」

 

 地味に政府、官僚、医療関係者、マスコミ、警察及びVR犯罪対策室に至るまで自分のコントロール下にあるとゲロったぞ、コイツ。分かってはいたが、茅場の後継者は茅場昌彦のような単独犯とは違い、限りなく自分の組織と財力とパイプを駆使してDBOデスゲームを仕掛けたらしい。案外、このDBOも世の金持ちたちに中継されていてトトカルチョでも行われているのだろうか?

 何にしても、こうして話して分かったのは、後継者は想像通り……いや、思っていた以上に……『ガキ』だ。高い知性と底の無い邪悪さを持っているのに純真無垢の子どものようだ。

 それよりもこの応接間から先にどうやって進むかが問題だ。隣の部屋に続くドアは鍵、窓にも鍵、隠し扉も無し。完全な行き止まりだ。来た道を戻るしかないのだろうか。

 

「ねぇねぇ、傭兵くん。純粋な興味でお願いするんだけど、そのNくんの魔改造遺品をちょっと貸してくれないかな?」

 

「この絵の裏は……抜け道も無いか」

 

「見たところNくんの死神の槍、アルフェリアのソウル、分裂構造は仕込み杖がベースかな? 他にも色々突っ込んでるっぽいけど、ボクはそんなバケモノちゃんをプレイヤーが作るなんて想定してないんだけど」

 

「天井は……当たりか。ここに抜け穴あるな。そうなるとスイッチが何処かにあるはず。この花瓶か?」

 

「無視は酷いんじゃないかなぁ?」

 

 うるさいヤツだ。顔と全身で(´・ω・`)という顔文字を表現しているような後継者に溜め息を吐きながら、オレはレバーとしての機能がある花瓶を右に回す。すると天井板の1部が外れ、梯子が音を立てて勢いよく落ちた。何だ、この城は。忍者屋敷か何かか?

 梯子を上るとそこは衣裳部屋らしく、煌びやかな紳士服やドレスが所狭しと置かれている。すすり泣く亡霊は動く気配もないが、天井には人面蜘蛛が無数と貼りついている。直下を通ったら落ちてきて奇襲をかけるつもりなのだろうか? 魔力壺を投げて叩き落とし、意図せぬ落下でダウンしているところを死神の剣槍で腹から叩き潰す。臓物と体液が飛び散り、リゲインの回復をもたらす。先ほどの【瀉血】分を少しでも回収しておきたい。

 

「ところで傭兵くん。キミって好きな女の子とかいる?」

 

「…………」

 

「茅場さん曰く、ホラーハウスでは男女問わずに恋☆バナは『じゃぱーん流儀』だろう? 少しボクと恋バナで燃え上がろうじゃないか♪」

 

 おい、茅場昌彦。後継の教育が間違ってるぞ。このお喋りに何を教え込んだ?

 衣裳部屋の鍵はかかっていないらしいが、ドアノブに触れようとした瞬間にヤツメ様に手を引かれてオレは跳び退く。反応が遅れた後継者はドアに浮かび上がった人面が発した叫び……音波の爆発に巻き込まれて肉体は粉砕されて血霧と肉片となる。

 危うかった。ブービートラップか。この手のトラップは珍しくないとはいえ、かなりの破壊力だな。こういう時に≪罠看破≫があればリスクを下げられるのだが。

 だが、この手のトラップは1回限定だ。再びドアノブに触れれば問題なく廊下に出られる。だが、そこには大剣持ちの青銅騎士が待ち構えていた。突きが来るよりも前に懐に踏み込み、その兜の顔面をつかんで壁に叩きつける。僅かなノックバックの間に壁に後頭部を擦りつけながら床に叩きつけ、死神の剣槍を覗き穴に突き刺す。そのまま両腕を踏みつけて拘束し、死ぬまで何度も死神の剣槍を振り下ろす。

 グチャグチャに頭部が潰れて泥の体液を零す青銅騎士の遺体が出来上がる頃に、衣裳部屋から新しい後継者が顔を出した。

 

「いやぁ、凄いねぇ。まさか直感だけでトラップを躱すなんて、野獣よりも鋭いじゃないか。あ、そうだ! 今からでも死神部隊にならないかい? キミなら大歓迎だよ☆」

 

 こういうお喋りは苦手なタイプね、と仏頂面のヤツメ様はオレの袖を引きながら後継者を指差す。まぁ、確かに得意な部類ではない。グローリーと同じで相手のテンポに巻き込まれてしまう。

 

「心にもない事を言うな」

 

 顔に飛び散った青銅騎士の深淵に蝕まれた血を袖で拭い、死神の剣槍を背負う。この伯爵城は想像よりも広い。窓から差し込む、変わらぬ黄昏の光が時間間隔を狂わせる。既に伯爵城の探索を始めて随分と時間が経っているはずだ。

 

「いやいやホントだよぉ? ボクにとって最大の抹殺対象は『人の持つ意思の力』を持つ者だ。カードは1枚でも欲しい。Nくんが抜けた穴を死神の槍の継承者が埋める。ドラマチックじゃないかい?」

 

「AI化して……肉体を捨ててどうする? オマエ自身が言ったようなものだ。『血』からは逃げられない。たとえ、肉体を捨てようともな。オレは先祖から受け継いだ狩人の血に誇りを持っている」

 

 人を小馬鹿にしたような笑みを引っ込め、後継者は面白くなさそうに鼻を鳴らす。この男の『血』がどんな宿命を背負っていたのかは知らない。だが、彼は『血』を呪って肉体を捨てた。それは逃げたのではなく、そうする事こそが彼の『血』にとって完成に近づく為に必要な事だったのだろう。きっと、後継者はAI化した後にそれに気づいてしまったのだろう。

 逃げられない血の宿命。赤子の赤子、ずっと先の赤子まで。オレは先程の後継者の嘘か真かも分からない言葉を思い出す。確かに、出会い方さえ違えば、オレは彼と語らい合える仲くらいにはなれたかもしれない。

 

「それよりもこの伯爵城はどうなっている? 普通の居城じゃない。明らかにダンジョンだ」

 

 それも侵入者対策として、わざと迷路のように入り組んだ構造をした、由緒正しきダンジョンである。

 話題転換は後継者としても望むところなのだろう。彼は壁を撫で、窓から差し込む黄昏の斜光を陰らせる真紅のカーテンに触れ、その右手の指を舌で舐めた。

 

「……修正プログラムの話はしただろう? ふむ、これはリカバリーにおいて……いや、これはオベイロンが仕掛けた『アレ』のせいか? このケースはあり得るとは思っていたが、そうなるとダンジョンのメインを中心としたオートクリエイト機能が……想像以上に自立制御と調整も……ならばランスロット不在となると……」

 

 眉を顰めた後継者であるが、やがて面白そうに口元を歪め、数秒後に何事もなかったようにオレに笑いかける。

 

「簡単に言えば、この伯爵城は立派にダンジョンとして機能しているのさ☆ さて、楽しいお喋りもこれくらいにしよう。ちょっと調べたい事が出来てね。幾ら残機無限とはいえ、このアルヴヘイムの状況下では同時最大数と個々の性能に限界があるんだ。ここは済んだし、そろそろお暇させてもらうよ」

 

 どうやらお別れのようだ。名残惜しくもないが、自殺用のナイフを取り出した後継者に、オレは視線で『どうせなら殺してやるぞ?』と訴えるも、彼は心配ご無用とばかりに首を横に振った。

 

「しかし、キミは勿体ないとは思わないのかい? ボクから色々と情報を引き出すチャンスだっただろうに」

 

「訊いても無駄だろう? はぐらかされるだけだ」

 

 たとえ、この後継者と『お喋り』しても口を割らすことはできないだろう。ならば無駄な労力だ。変な話だが、オレは確信している。自らを『群体』と名乗った後継者の心は折れない。どんな処遇も彼にとっては『群体の1人の死』を彩る刺激に過ぎないのだろう。

 

「分かってるじゃないか♪ じゃあ、依頼の達成を期待しているよ、傭兵くん」

 

 自らの喉を裂いた後継者が遺体となって壁にもたれて倒れるまで見届けたオレは、再び1人になった静かな伯爵城で溜め息を吐く。

 ヤツメ様もぐったりする程に嵐のような男だった。疲れた眼差しでオレにもたれ掛かるヤツメ様に全面同意してオレは先を急ぐ。

 後継者のあの顔……何か悪戯を思いついた子どものようだった。良からぬ余波がオレにまで及ばないと良いのだが。

 だが、後継者の言う通り、この伯爵城が複雑怪奇のダンジョンと化しているならば、逆に言えばひたすら最奥を目指すように突き進めば月明かりの墓所にたどり着くという事だろう。

 螺旋階段を上れば屋外に出て、黄昏の風景に相応しい肌寒い風が頬を撫でる。靡いた三つ編みが風の形を教えてくれる。いつになっても地平線に沈まぬ太陽に目を細めながら、淡い黄金の薔薇が侵蝕してまるで空中庭園のようになった場所にたどり着く。

 元々は伯爵城の外縁だったのだろう。石像が立ち並び、何かと戦ったように倒れた騎士の遺体も幾つか確認できる。

 薔薇の侵蝕が大きくなっている。月明かりの墓所は近いのかもしれない。空中庭園を進めば、先を封じるように騎士の遺体が横たわっている。グレートランスを抱えた騎士の遺体を退かす。

 扉を開いた先に広がっていたのは、巨大な立体構造をした図書室だ。鎖で吊るされたランプが静かに光を湛えているが、いずれも濃い薔薇の香りを漂わせている。気分が悪くなるほどに濃厚な薔薇の香りに目を細める。

 規則正しい金属音が聞こえる。メトロノームを思わせるそれらは図書室の柱に埋め込まれた振り子時計の音だ。元々は伯爵城で飼われていた猟犬だろう。剣狼よりも一回り以上に小さく、また痩せ細った犬が徘徊している。それに連れ添うようにクロスボウを持った亡霊が図書室を見回りしていた。

 本棚から1冊抜き取り、1人と1匹のチームの背後に投げる。それは積み重ねられた本の山を崩し、彼らを立ち止まらせて狙った方向に振り向かせる。その瞬間にミラージュ・ランの加速を得ながら贄姫を抜刀して猟犬の首を刎ねる。続いてクロスボウを持った亡霊はオレの存在を察知して狙おうとするが、すでに懐だ。物理属性は通り辛いので左手で死神の剣槍を抜いてその頭から股にかけて振り下ろし、距離を取られるより先に喉を貫いて霧散させる。

 犬が前衛を務めて翻弄しているところにクロスボウで狙われたら、なかなかに厄介な相手だっただろう。図書室には他にもワンワン+亡霊のチームが複数巡回している。突破には細心の注意が必要になるだろう。

 

「宝箱か」

 

 と、そこで発見したのは本棚の間に埋もれた宝箱だ。トラップに注意して粗鉄ナイフを投げるも爆発する気配はない。とはいえ、ダンジョン化しているならばモンスターを集めるアラームトラップ、デバフガス、開けたら大爆発も考えられなくもない。

 そもそも≪ピッキング≫が無いオレでは宝箱が開けられる確率は低い。期待せずに、またいつでも逃げられる準備をしながら、宝箱の蓋に手をかける。

 意外にも簡単に開いた宝箱より得られたのは【伯爵家の秘薬書】だ。どうやら長い歴史を持つ伯爵家は≪薬品調合≫などのスキルも大いに磨く余地があったのだろう。その知識がアイテム化されたといったところだろうか。後継者め、肝心な説明が必要な場面で退散するとは、さすがの嫌がらせスキル持ちだ。

 どうやら伯爵家が『繁栄』する為には裏で相応の犠牲が必要だったようだ。様々な薬品の作り方が載っている。だが、その中でも目が惹いたのは『伯爵夫人の秘薬』のページだ。

 

「……『伯爵夫人は闇を求めた。誇り高き伯爵家の騎士たちは闇に濡れ、死血を集める騎士になったのである。人間の死血に闇を伯爵夫人は欲したのだ』か」

 

 記載されたテキストによれば、どうやら伯爵領の壊滅は伯爵夫人が大きく関与していたようだ。そして、深淵の泥に蝕まれた騎士たちは伯爵夫人の手先となった者たちだ。彼らは領内の人間を狩り、その血を集めて伯爵夫人に捧げていたようである。それはソウルに宿る闇を集める為だったようだ。

 緩やかにダンジョン化していく伯爵領で何が起こったのかは分からない。だが、伯爵夫人の登場が破滅を加速させたように思える。

 色々と興味が持てる薬品はあるが、その中でも面白いと思えたのは【感覚麻痺の霧】だ。丸瓶に詰められた液体は空気に触れると気化し、周囲に拡散する。するとあらゆるHP回復速度の『鈍化』、そして流血を悪化させてレベル2の麻痺も蓄積する。効能は騎士らしくないな。麻痺の蓄積性能は高くないが、蓄積減衰が鈍いので長く相手にプレッシャーをかけられる。

 回復の鈍化とは、DBOの回復システムにおいて多くの意味で強烈な効果をもたらす。というのも、DBOはSAOと同じでHPはアイテム使用するとHP数値が所要時間をかけて回復するシステムだからだ。たとえば燐光草ならばHP1割を10秒かけて回復するし、一瞬で回復しているように思えるほどのナグナの血清も回復速度が著しく速いだけである。つまり、この感覚麻痺の霧を使えば、回復を封じ込めることこそできないが、相手のHP回復計算を狂わせ、またオートヒーリングの効果を大きく抑制できるのである。

 宝箱には現物も幾つかあるようだ。ありがたく貰っておくとしよう。それにこの秘薬書はヨルコに渡せば彼女の薬品開発にも足しになるかもしれない。

 薄い青みがかかった透明な液体が3分の1ほど入った、丸フラスコに似た瓶は蝋で蓋がされている。効果範囲は分からないが、対人戦において特に効力を発揮するだろう。とはいえ、流血はアルヴヘイム限定だからな。

 いや、シャルルの森の例もある。もしかしたら流血もDBO全体に適応される……という事もあり得るかもしれない。まぁ、だから何だという話であるが、地味に流血は辛く、ザクロの死も流血が関与していた。オートヒーリングである程度カバーできるにしても、プレイヤーの生存戦略に見直しが求められるだろう。それに感覚麻痺の霧が加われば、かなり凶悪なコンボとなるかもしれない。

 他にも蓄積性能は高い代わりに蓄積減少も速い即効重視の毒薬の作り方など、とにかく伯爵夫人の研究は余念がなかったようだ。

 

「死血に宿る闇か」

 

 オレ達プレイヤーは闇の血を持つ者と呼ばれている。その理由は定かではないが、どうやら伯爵夫人は人間には闇があると考えていたようだ。

 闇というキーワードで想像するのは闇術であり、また深淵だ。そして、闇属性に弱点を持つのはアルトリウスなどの神族である。弱点である闇を神族が保有しているとは考え辛い。そうなると闇は神族以外が保有するものなのだろうか。それとも人間だけが保有するものなのだろうか。

 閉ざした秘薬書をアイテムストレージに収納し、図書室を後にする。もう間もなく伯爵城の最奥のはずだ。亡霊たちの執拗な攻撃を潜り抜け、黒塗りの扉を蹴破って入り込む。

 そこは屋根に通じる道であり、まるで通路のように舗装されている。柵は設けられていないので落下死の危険性もあるが、明らかな道があり、それは伯爵城の最奥……白い尖塔が並ぶ地へと続く最後の回廊へと通じているようだ。

 屋根には金色の薔薇が咲き乱れ、常に濃く甘い香りによって満たされている。斜陽の時のまま止まった世界で屋根に設けられた通路を進めば、何者かが門番のように待ち構えていた。

 それは亡者のような黒い空洞の双眸を持つ皺だらけの老人。風に靡くのはくたびれていながらも豪奢で、着る者の威厳を示すマント。絢爛豪華で実用性の薄い長剣を右手に、左手には逆に幾度となく実用されただろう処刑具の鎌を持っていた。

 

<最後の伯爵>

 

 頭上に頂くのは2本のHPバー。ネームドの証明のはずであるが、何かがおかしい。縦長の広々とした、だが吹き飛ばされれば落下死確定のネームド戦エリア。退路は封じられるように薔薇で覆われるが、そんな事はどうでも良い。

 月明かりの墓所より『後』に伯爵家は誕生し、オベイロンの命令でダンジョンが何人にも触れられないように守ってきたはずだ。つまり、伯爵関連のネームドが登場するはずがない。後継者が準備していないネームドになる。

 ならばオベイロンが? いや、これまでの情報を統合すれば、オベイロンにも強力なネームドを作成する事は限りなく難しいだろう。もしも可能ならば、わざわざランスロットに手出しすることなく、自作のネームドをガンガン投入してくるはずだ。

 そこで思い出したのは後継者の言動だ。既に月明かりの墓所に存在していたランスロットは不在であり、伯爵領の住人はモンスターと化していた。ならば、システムは不足を補う為に別のネームドを準備したとは考えられないだろうか。そして、その中で最も相応しい存在がダンジョン損壊に起因したネームド不在の穴を埋める為に配置された。

 あの白い尖塔が並ぶ場所が月明かりの墓所ならば、これまでの道中を考慮して、本来は中間地点で立ちはだかるネームドがいたのかもしれない。だが、今は存在せず、ただ最後の伯爵が成り代わり、彼に由来する伯爵城がよりダンジョンとして形成されていった。

 伯爵は絢爛なる長剣を振るう。すると衝撃波が生まれ、土煙を上げながらオレに直進する。落下死狙いの吹き飛ばし攻撃だろう。微妙に空間が歪むエフェクトのお陰で完全に不可視ではない。スピードも大したものではないが、ダメージよりも吹き飛ばし効果が危険な技か。

 恰好の割には機敏に動く伯爵が処刑鎌を振るう。本来は武装として使われるものではないが、振るわれる度に黒い波動が飛び散る。闇属性の攻撃だろう。左手でザリアを抜き、右手に贄姫を持って立ち回り、まずは牽制込みで雷弾を撃つが、伯爵は軽やかに避け、逆に鎌を振るって追う者たちを発動する。追尾性能が高い追う者たちであるが、通常とは異なるらしく、オレに接近すると爆ぜて小さな追う者たちを周囲にばら撒く。追尾性能は緩まるが、数が増えて弾幕としては厄介だ。

 偏差射撃で雷弾を命中させていくが、伯爵自身はなかなかタフなようだ。いや、ネームドは特に≪射撃減衰≫スキルに近しい、耐射撃性能を持っている。雷弾が威力を十分に保てる距離とはいえ、減衰が酷過ぎてダメージを与えられないのだろう。

 敵の懐に入り込まねばダメージは与えられない。絢爛なる長剣に黄昏の光を纏わせ、伯爵は一気に間合いを詰めて振り抜く。同時に前面に扇状の衝撃波が放出されるも、ギリギリでステップで踏み込んで伯爵の背後を取り、衝撃波から逃れながらその背中を贄姫で斬る。だが、手応えは想像とは違う。どうやらマントの下、金糸の衣服はチェインメイルの類らしく、防御力も十分のようだ。

 間合い内に入ってくるのを待っていたとばかりに、伯爵は鎌を大振りで振るう。トリスタンに比べるまでもなく手緩い連撃であるが、一閃の度に刃には闇が蓄積されていく。そして、ここぞと大きく振り下ろされ、屋根に鎌が突き刺さると同時に闇の大爆発が発生する。

 だが、ヤツメ様の導きを振り切る程ではない。いや、兆候が分かっていたので、ヤツメ様もわざわざオレの手を引いて退却させる真似もしなかった。一呼吸を置くだけの余裕を持ちながら無事にバックステップで闇の大爆発を躱し、強攻撃後の隙を突くべくミラージュランで間合いを詰める。隠密ボーナスが高まる効果を持つ加速に伯爵は追いつけず、対応が遅れて絢爛なる長剣の突きは明らかに後れが生じていた。

 足首を利かせ、ブレーキをかけてその反動で宙を跳び、刺突の一閃を踏み場にして伯爵の頭上を取る。その脳天にザリアを突きつけて雷弾を打ち込み、水銀の刃で逃げる伯爵を追い打ちする。

 続くのは衝撃波の連撃。衝撃波の網を作るような連続斬りであるが、回避ルートは見えている。導きの糸すらも不要。ヤツメ様は欠伸を掻いて瞼を擦っている。導きの糸無しの狩人の予測だけでも不足どころかお釣りが出る。

 ネームドとはいえ、所詮はダンジョンの中間を担う中ボスクラスか。後継者がノータッチともなれば多少の甘さは仕方ないとはいえ、まるで脅威にならない。贄姫から死神の剣槍へと持ち替える。

 滑空して移動する伯爵は追う者たちを次々と放出し、それは彼の素振りに合わせるように頭上に集中し、巨大な闇の玉となる。伯爵の掛け声と共にそれは飛来してくるが、足場に接触すれば広範囲の爆発を生むだろうことは目に見えている。

 ならば選ぶべきは前進。ヤツメ様は止めない。近接信管による爆発は無いだろう。臆することなく、最短ルートのギリギリの紙一重で巨大な闇の玉と交差し、がら空きの伯爵の喉を死神の剣槍の鋭い先端で斬り裂く。黒い血が飛び散る中で伯爵は絢爛の長剣を乱舞する。その攻撃の残らずに衝撃波が付随している。

 見える。ヤツメ様の導き無しで……本能無しでも、伯爵の攻撃はイメージできる。狩人の予測から外れることはない。

 足りない反応速度を補うのは見切りと運動速度。望んだモーションを実現するのは高出力化されたステータス。逃げる伯爵に雷弾を浴びせて回避ルートを制限し、鎌がもたらす闇と長剣の衝撃波で自ら作る死角に潜り込み、死神の剣槍で薙ぎ払い、叩きつけ、急所を貫く。

 

「【瀉血】」

 

 伯爵の脇腹を死神の剣槍で貫き、その内側より赤黒い光の槍を爆発させる。内側から数多の赤黒い光の槍に貫かれた伯爵の1本目のHPバーは削り尽くされた。本来ならば溜めのモーションが伴う【瀉血】はソードスキル相応の運用が求められる。だが、伯爵の攻撃はいずれも避けるのは容易い。

 だが、これで終わりではない。伯爵は全身に黄金のオーラを纏い、その挙動が加速する。雷弾を放つが、命中するよりも先に逸れてしまう。雷弾はプラズマ系列なので命中の際に雷爆発を伴う。だが、伯爵が纏う黄金のオーラは射撃属性を全てオートで『受け流す』ようだ。今までの『止める』バリアとは違う。これでは射撃属性が完全無効化されるようなものだ。射撃攻撃主体のスミスやシノンにとっては天敵のような能力だろう。

 だが、ザリアならば問題ない。2本のレールは合わさり、鋭い先端は対象を貫く銃剣となる。たとえ射撃属性攻撃を逸らすバリアを張っていようとも、そのバリアの内側……アバターの内部に直接撃ち込んで内部から攻撃すれば問題ない。

 衝撃波の速度は大幅に増幅し、攻撃範囲も広まっている。ヤツメ様も少しだけやる気を出し、導きの糸をより張り巡らせる。

 感じ取れる。伯爵の死角。虚とも言うべき脆弱なる空白。闇と衝撃波が合わさった暴風を縫い、伯爵の右側へと抜け、彼が振り返ると同時に死神の剣槍をその空洞の右目に突き刺す。

 伯爵の反応はあまりにも遅い。シャルルならば避けられた。アルトリウスならば反撃を仕掛けた。ランスロットならば猛攻で押し返していた。その頭部を完全に貫いた死神の剣槍を捩じり、傷口を拡大させながら引き抜く。盛大に飛び散った黒い血はリゲインの回復をもたらし、スタンした伯爵の喉のザリアを突き刺す。

 雷弾伝導。内部から炸裂した雷弾を撃ち込む。3発は撃ち込む暇があっただろうスタン時間により、伯爵は大ダメージを受ける。爆ぜた喉から血と肉片が零れる。

 死神の剣槍を背負い、贄姫を抜く。水銀長刀モードにより、水銀を刀身に纏わせる。刃は粗い鋸のように複数の反り返りを持ち、純斬撃属性では無くなってカタナ特有のクリティカル補正は下がるが、代わりに純粋な攻撃力は高まる。また耐久性能も高まるので真っ向からの斬り合いにも通常時よりも適性が高い。水銀居合が使えないのは難点だが、間合いを伸ばす水銀の刃は健在だ。

 ザリアを鞘状の長いホルスターに戻し、両手で持った水銀長刀に黄昏を映す。伯爵の剣はより一層に激しさを増す。その場に突き立てれば、コンマのラグを持ってオレがいた場所で衝撃波が生まれる。立ち止まっていれば直撃は免れないだろう。だが、そもそも足を悠長に止める気はない。

 体を捩じり、空を飛んだ伯爵が急降下と共に鎌を振り下ろす。前方に闇の一閃が伸びる高火力攻撃。左への半歩で回避し、逆にカウンターで斬り上げる。上体を鋸状の刃で抉り斬られ、激しい血飛沫がオレと贄姫を染める。

 水銀ゲージは斬り続ける限り回収できる。特に水銀長刀モードは発動時に大幅な消費を伴うが、その分だけ回収率も高い。また、流血によって伯爵はダメージを受け続け、防御力も低下している。

 鎌による回転斬りでオレを振り払おうとするが、地に伏せるように身を屈めて逃れる。絢爛なる剣は輝き、追尾する衝撃波の連続爆発が起きるが、ヤツメ様は踊りながらオレを導いてくれる。その中で狩人の予測を組み立て、反転しながら水銀の刃を放つ。裏を取ろうとしていた伯爵の胸を横に薙ぎ、高い衝撃が挙動を鈍らせたところで右手だけに贄姫を持ち替え、左手で死神の剣槍を抜く。

 死神の剣槍の振り下ろし。贄姫による×印を描く2連斬り。逃れようとするところに躊躇せずに死神の剣槍の突きで穿ち、そこから変形させて蛇槍モードで薙ぎ払う。アルフェリアの泥は周囲に飛び散る度に苦悶の表情を浮かべる。

 ギミック解除。元のランスブレードに戻す。距離を取った伯爵は剣の間合い外で突きの構えを取る。取るべきは左斜め前へのステップ。穿たれたのは瞬間発生に等しい衝撃波の槍。そして、そのまま剣として広範囲を薙ぎ払おうとする。

 ゆらりと右腕を横に伸ばし、オレはDEX出力を引き上げ、生み出されたエネルギーを利用して高速で曲線を描く。伯爵よりもコンマ数秒早く曲線斬りで間合いを詰めながらその胴を薙ぎ払い、水銀の刃も追加した一閃のカウンターを決める。吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた伯爵の胸を踏みつけ、そのまま頭蓋を割るように額へと水銀長刀を振り下ろした。

 水銀チェーンモード発動。粗い鋸状の刃は高速で動き、伯爵の堅牢な頭蓋を砕き斬る。それが致命となり、伯爵のHPはゼロになった。

 

「……人外が」

 

 嗤う伯爵がそう呟いて息を引き取った。オレは残心のように贄姫を振るって水銀長刀を成す纏った水銀を刀身から弾く。

 最期の最後に……伯爵は今際に『命』を得て散った。記憶の再現としてネームドに仕立てられ、多くの能力が付与されていながらも、生前の『命』だけは手放していた。

 彼は死を前にした数秒の狭間で『命』から何を感じ取ったのか。それは分からない。だが、仮に彼が最初から『命』があれば、オレはもっと苦戦を強いられたかもしれない。だが、それは仮定の物語であり、結果として彼は死に際でしか自らに『命』を得られなかった。後継者流に言えば、彼のAIの思考に絡みついた感情データが死を前にして恐怖という反応で高負荷をかけ、彼に『命』をもたらす爆発力を生んだのかもしれない。

 

「祈りも呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 たとえ死の一瞬であろうとも『命』を得たならば、それを狩ったオレは糧にして前に進もう。それが『命』への敬意なのだから。

 ドロップアイテムを確認し、オレは限られたアイテムストレージに何を収めるかを選別する。その中で特にレアリティが高い片手剣を発見する。

 

 

<伯爵の剣:ジャンビール伯爵家に代々伝わる家宝。儀式剣であり、戦の為の仕立てではない。名誉ある伯爵家の末代は月明かりの墓所から来た娘を妻とした。彼は一夜の度に心は病み、やがて守るべき民より死血を集める深淵の先兵となったが、闇を恐れた彼は自らの手で墓所諸共に妻を城の最奥に封じ込めた。それが償いであると自らを騙したのである>

 

 

 トータル性能は高過ぎず、低過ぎず、まさに優等生だ。良くも悪くも片手剣の範疇に収まるだろう。どうやら衝撃波を生む能力は健在のようであるが、≪片手剣≫が無ければ発動できないようだ。持っていないオレには無用の長物か。

 他のアイテムは何か無いかとドロップアイテムのリストをスクロールするが、特に何もない。その場に放置して伯爵が守っていた、屋根伝いの向こう側にある、城の最奥の塔の扉を開く。息が詰まるような狭い螺旋階段を下りる。

 螺旋階段を下りた先で辿り着いたのは礼拝堂だった。オベイロンを讃える石像が安置された、黄昏の光がステンドグラスに差し込む空間だった。伯爵城に設けられた祈りの間。

 本来ならば否応なく神聖さを感じさせるだろう空間であるが、今は余りにも血生臭い。それも仕方ないだろう。

 死体。屍。亡骸。濃厚な血のニオイに満たされた空間。まるで祈りを捧げるように長椅子に腰かけるのは、いずれも血を絞り尽くされるように首に穴が開けられた遺体である。そして、血のニオイが凝縮しているのは祭壇の前で、まるで敬虔なる修道女のように跪いている女からだ。

 祭壇には1枚の丸鏡が祀られている。御神体に近しい扱いのようであるが、光沢のある表面に映るのは闇ばかりであり、およそ尋常の世界が鏡面にあるとは思えない。

 

「おや、珍しい。我に何用かな?」

 

 だが、その姿勢とは裏腹に聞こえてきた声は不遜なものだった。訝しむオレに女は振り返る。その頭上にはカーソルが光っている。どうやらモンスターの類ではない。だが、伯爵領に今も生存者がいるとも思えない。

 そうなるとNPCだろうか? オレは武器を収めつつ、不注意に距離を詰めないように歩みを緩めながら近づく。

 

「客人よ、ジャンビール伯爵城にようこそ。その風貌、遠い地よりの旅人とお見受けした。礼を尽くして貴公を歓迎しよう」

 

 纏う黒いドレスには血管のような赤い筋が浮かび上がっていて、それは裾から広がって彼女の足下を粘質な黒い液体で汚していた。

 その風貌と言動を信じるならば、彼女こそが伯爵領を破滅に向かわせた張本人、伯爵夫人その人だろう。想像していたよりも容姿が若い。ウェーブのかかった明るい赤毛と翡翠を思わす瞳は静寂を映し込んでいて、とてもではないが血狂いになったとは思えない。

 

「お初にお目にかかり光栄です、ジャンビール伯爵夫人。オレはクゥリ。深淵狩りです」

 

 腰を折りながら右腕を横に振り、頭を下げながらも目線は相手を捉え続ける。オレの一礼に伯爵夫人は恭しく頷いた。

 

「深淵狩りとは……この城の最奥、月明かりの墓所を目指して参られたか」

 

「はい。ランスロットの伝説を求めて」

 

 背を正して頷くオレに、伯爵夫人はルージュに濡れた唇を舐め、豊満な胸を寄せるように動くとオレに歩み寄る。その一挙一動は妖艶で、誘蛾灯のように男を集める天性の魔力が感じられる。

 

「ランスロットか。終わらぬ黄昏……アノール・ロンドと同じ光に浸されていながらも闇に濡れた地。それが月明かりの墓所。貴公の望むものは何1つしてない、夕暮れの中で眠ることこそ相応しい朽ちた郷愁と思い出の墓場だ。もはやランスロットも去り、残るは聖剣に狂った深淵狩りばかり。フフフ、それとも貴公も聖剣を欲するか?」

 

「お恥ずかしながら、聖剣に選ばれる器ではありません」

 

「器の大きさと質は己で見定めるものであらず。驕るでないぞ」

 

 伯爵夫人が歩む度に礼拝室に彼女を中心とした血管のような赤い筋が張り巡らされていく。それは礼拝室そのものが彼女の臓器の内側になっているかのような脈動を伴っていた。

 

「月光の聖剣。かつて深淵狩りの始祖アルトリウスが出会ったとされる聖遺物。貴公は疑問に思ったことはないか? 高名なるグウィン王でもなく、名も記録も剥奪された太陽の長子でもなく、四騎士筆頭のオーンスタインでもなく、どうしてアルトリウスが聖剣と出会ったのか?」

 

「…………」

 

「聖遺物とは最初の火が熾るより前からあった。故に『遺物』なのだ。火が熾る前の世界の名残。その中でも月光の聖剣はただ資格ある者の前に現れる。だが、資格者は月明かりを浴びた似非より己の聖剣をつかみ取るのみ。故に真なる月光の聖剣は何人も手にした事が無い不可侵の聖遺物」

 

 アルトリウスは月明かりが映し込んだ水面を掬い取った。それがアルトリウスの聖剣になった。伯爵夫人の言葉は正しい。だが、どうして伯爵夫人がそれを知っているのだろうか?

 

「貴公は暗闇を冷たく照らす月光を欲するか? 何を望んで月光に手を伸ばす?」

 

「……別に聖剣が欲しいわけではありません。ただ、月明かりの墓所に何があるのか、それが知りたいだけです」

 

「フフフ、聖剣を欲さぬか。己を騙す謙虚さか、欲深さを隠す欺瞞か。どちらなのやら」

 

「物の価値を知らない愚劣と罵られても結構です。ですが、たとえいかなる聖剣でも折れれば鉄屑と同じ。我欲が駆られる程の興味はありません」

 

 ナグナでキアランに聖剣を譲渡した時に、きっとオレは聖剣との縁を失ったはずだ。ならば、オレに月光の聖剣の問いかけがあるはずもない。

 オレの言葉に少しだけ伯爵夫人は唖然としたようである。少しの間の後に、彼女は楽しそうに右手で口元を隠しながら笑う。

 

「これは面白い! 貴公の瞳に嘘偽りは無いと見た。フフフ、深淵狩りは大なり小なり聖剣に魅せられた者たち。始祖アルトリウスが出会った聖剣を心の何処かで求めている。だが、貴公は心の底から聖剣を欲していないとは。何故に深淵狩りになった?」

 

 どうして深淵狩りになったのか。それはアルトリウスとの戦いに起因するものであるだろう。伯爵夫人の問いかけに少しだけ目を伏せ、オレは腰の贄姫の柄を撫でる。

 

「……気まぐれです」

 

 オレが深淵狩りになったのはアルトリウスが得た『答え』に感傷を覚えたからだ。だから、彼が始めた深淵狩りになって、歩んでみれば、オレにも『答え』が見えるのではないかと思っただけだ。ただの気まぐれ以上の意味もない。

 だが、オレの回答を伯爵夫人は大層気に入ったらしく、もはや笑いを堪えるのも億劫だとばかりに大笑いである。

 

「貴公よ、許せ。人の死血に闇を求め、この虚ろな我が身を闇で満たそうと苦心し、何も成せぬ抜け殻に過ぎぬと気づいて幾星霜。これ程までに愉快な出会いは無かったのだ。改めて名乗ろう、深淵狩りよ。我が名は【抜け殻のゲヘナ】。そこにある深淵の遺物、ゲヘナの鏡に映った彼女の残滓に過ぎぬ身だ。抜け殻とはいえ、深淵狩りならば滅さねばならない貴公の敵だ。だが、今しばらく待て。貴公を月明かりの墓所……その最奥にある聖剣の霊廟に案内しよう」

 

 目尻に涙が浮かぶほどに笑い果てたゲヘナに、オレは気恥ずかしさを覚える。思えば、深淵狩りになるとは相応の覚悟と信念と理想が伴うはずだ。ならば、オレの回答は彼女の予想を大きく裏切るものだったのだろう。

 祭壇に祀られた鏡を大事そうに抱え、伯爵夫人……抜け殻のゲヘナは目線でオレを招く。オレの左腕に抱き着くヤツメ様は敵意が無いと教えるように首横に振った。どうやらゲヘナは本当に道案内をするだけのつもりのようだ。

 ゲヘナが鏡を掲げれば、ステンドグラスより差し込む黄昏の光を反射する。すると祭壇裏の壁は軋み始め、ポリゴンの欠片となって粉砕された。その先にあったのは淡い金の薔薇に包まれた墓所である。

 白い尖塔が空に向かって穿たれ、黒い墓石が並び、まるで死者を癒すように淡い金の薔薇が優しく甘い香りで黄昏の空の下を満たす。

 

「しかし、貴公は深淵狩りでも異端のまた異端のようだ。深淵狩りとは深淵と名のつく全てを滅ぼす。そうであらんとする。問答の余地などなく、闇をひたすらに狩る者たちだ。たとえ抜け殻とはいえ、深淵の存在と語らう貴公は何と酔狂なことよ」

 

 その通りだろう。ゲヘナも自称通りに深淵の存在であるならば、討ち滅ぼすべき対象だ。深淵狩りの誓約ポイントは深淵系列のモンスターを撃破することによって獲得できる。リポップ型はポイントも低確率になるが、非リポップ型のネームドやボスならばポイントも確定の上に莫大だ。実際にトリスタンを倒したオレには大量の誓約ポイントが流れ込み、早くも誓約ランクが上昇している。

 深淵狩り専用スキル≪深淵狩りの業≫。誓約が深まれば深まる程に能力が解放されていくが、今のところは闇属性に対して高い耐性が付く【闇払い】、そして新たに【狼の体術】が追加されている。狼の体術はSTRとDEXが強化される常時発動型だ。劇的な効果をもたらす程ではないが、ステータスの底上げになる上に、どちらも出力関係なのでオレにとっては喜ばしい効果だ。

 先程の伯爵や伯爵領のモンスターも深淵系が多く、ポイントは更にうなぎ上りだ。この調子ならば更なる契約ランク上昇も近いだろう。

 誓約ポイントを稼ぐために深淵関連を倒す。それに狂う様はまさに深淵狩りだ。だが、オレはそんなに誓約を深める事に興味を覚えていない。

 

「元はより広大だった墓所だが、今では聖剣の霊廟と僅かばかりの敷地を残すばかり。フフフ、見よ。聖剣に惑わされ、深淵狩りとなった者たちの骸ばかりだ」

 

 金の薔薇のトンネルを進めば、その途中で多くの深淵狩りの剣士たちの遺体が横たわっていた。いずれも全身に無残とも言う他ない傷を負って果てている。この先にある聖剣の霊廟を目指し、あと1歩が足りずに力尽きた者たちなのだろう。

 深淵狩りの剣士たちが月明かりの墓所に侵入したルートは霊廟に設けられた大きな地割れの向こう側……下水道だったようである。ウルの森と同じで、この月明かりの墓所の亀裂と城下町の地下に張り巡らされた下水道の1部と繋がっていたようである。どうやら、月明かりの墓所は現在進行形で崩落が進んでいるようであるが、今は辛うじて均衡が保たれた状態のようだ。それはこの先にある聖剣の霊廟がある種の楔の役目を担っているからだろうか。

 ならば、この月明かりの墓所で新たな激動が起きた時、今度こそ耐え切れずに、この伯爵領は完全に消滅するのかもしれない。

 

「ここだ。この先が聖剣の霊廟だ。貴公にも聞こえるだろう? 深淵狩り達の終わりなき闘争が。彼らの悲しき宿命が」

 

 薔薇のトンネルの向こう側にあったのは幾多の剣が突き刺さった1本道だった。白い石畳で舗装され、金の薔薇はまるで蝋燭のように黄昏の光を映し込んで道を囲んでいる。その先にあるのは金の薔薇に包まれた白い霊廟である。

 静寂こそ相応しい霊廟に続く道。だが、聞こえるのは武骨で、凄惨で、血塗られて……そして物悲しい、絶える事が無い剣戟の音色だ。

 

「貴公、聖剣を求めぬ者よ。貴公に闇の血の祝福があらんことを」

 

 この先に待つ聖剣の霊廟を前に、死神の剣槍を、贄姫を、ザリアを最終チェックする。

 淡い金の薔薇に覆われた霊廟には痛々しい亀裂が入っている。これこそがランスロットをアルヴヘイムに解き放った、月明かりの墓所に決定的なダメージを与えた崩壊なのだろう。だが、霊廟の扉は閉ざされ、ただ終わらぬ戦いの演奏が耳を擽る。

 扉は想像していたよりも軽く、まるで望むとも望まずとも霊廟の奥に招き入れるように、ゆっくりと開く。

 吹き抜けの天井から差し込むのは黄昏の光の柱。それが濃く霊廟の闇を彩らせる。霊廟内部はただただ広々とした空間であり、落ち着いた青銅色の石造りで統一されている。最奥にあるのは紫色に輝く何かであるが、その道を阻むように2つの影があった。

 それは深淵狩りの剣士の装備を纏ったケットシーの女とフルメイル姿の深淵狩りの剣士の『殺し合い』だった。共に同じ意匠の剣を振るい、互いに傷つくことを厭わずに全力を尽くし合っている。だが、フルメイルの方が腕は上なのだろう。彼女の大振りの縦斬りは火花を散らしながら受け流され、無造作な裏拳がその頭部を打って揺らし、怯んだところで寸分狂わずに心臓を刺し貫く。それでも抵抗するように、ケットシーは腰の短剣を抜いて振りかぶるも、手首を掴まれて腕力で捻じ伏せられる。

 オレが入ると同時に霊廟の扉は閉ざされる。血に塗られた大剣を持つ深淵狩りの剣士はオレの存在に気づくと、これより死闘を開始すると言わんばかりに大剣を構える。それは分厚く長い片手剣であり、左手には連射式のクロスボウを保有している。

 霊廟を埋めるのは同じ装束をした深淵狩りの死体だった。1人や2人ではない。10人でも足りない。今まさにアルヴヘイムに深淵狩りの生き残りなどいないと言わんばかりに、この霊廟を埋めるのは深淵狩りの剣士の亡骸だった。

 ……いや、ここに1人いるか。オレがまだ残っている。思えば、DBOの『今』は……終わりつつある街がある最果ての時代には深淵狩りなど残っていないのだ。ならば、文字通りオレがDBOで最後の深淵狩りと呼べるのかもしれない。あるいは、他にも深淵狩りの誓約を結べている者たちはいるのだろうか。

 死神の剣槍を抜き、オレは深淵狩りの剣士と刃を交える。その姿には見覚えがある。ランスロットに一撃を与えた深淵狩りの剣士の長だろう男だ。その頭上には『プレイヤー』の証明であるカーソルが輝いている。彼はまだ『プレイヤー』なのだ。だが、その双眸には赤い光が宿り、理性と呼べるものは爛れ、その左の瞳は蕩けて崩れている。

 この感覚はレギオン? だが、違う。彼は『まだ』屈していない。レギオンに抗っている。それを成すのは不屈の闘志と別の『何か』か。

 その剣技はアルトリウスに似て非なるもの。継承される中で始祖から外れ、独自の改良が成された、アルヴヘイムの深淵狩りの剣技。アルトリウスの突進突きは滑るように全身を前に突き出していくものであるが、彼らのそれは突き上げを含めている。竜のような硬い鱗を刺し貫くのではなく、盾をかち上げて弾き、また敵を浮かすことを目的としているのだろう。より対人に調整されている。

 ×印を描くような連撃からの正確な振り下ろし。袈裟斬りからディレイをかけた2連回転斬り。大きく振り下ろして土煙を巻き上げてからの奇襲攻撃。いずれも彼らが切磋琢磨した、深淵の怪物たちと戦うための尋常ならざる剣技だ。

 だが、ランスロットには及ばない。剣の嵐を潜り抜け、その脇腹を死神の剣槍で大きく薙ぎ払う。深淵狩りの剣士は超人的な反応速度でギリギリで回避行動を取るも間に合わず、青銅騎士ほどに分厚い鎧を纏っているわけではない為か、ノックバックした所で両手で握った死神の剣槍で腹を刺し貫こうとする。そのまま腹の中心に深々と突き刺してHPを削ろうとするも、彼はあろうことかクロスボウを捨てて左手で死神の剣槍を掴み、完全に刺し貫かれることを防ぐどころか、力技で押し戻そうとする。

 STR出力を引き上げて押し切ろうとするも、飛来してきたボルトが邪魔をする。いつの間にか倒れていた深淵狩りの剣士の亡骸がまるで蘇るように起き上がり、連射式クロスボウを撃ったのだ。次々と飛来してくるボルトは死神の剣槍を手放して躱す。

 新たな深淵狩りの剣士は大きく跳躍してオレに大剣を振り下ろす。咄嗟に右手で贄姫を抜刀して迎撃する。その腹を裂き、血飛沫を浴びながら、自分の脇に贄姫を通して交差した深淵狩りの剣士を後ろから刺し殺す。確かな手応えと共に引き抜いて、血を啜った贄姫を振るう頃には、新たに3人の深淵狩りの剣士が起き上がっていた。だが、割れた兜からは赤い光に呑まれた右目が露になっている。

 襲い来る深淵狩りの剣士たちであるが、起き上がった深淵狩りの剣士の長が彼らを迎え撃つ。

 

「我が名は欠月の剣盟の長ガジル。深淵……討つべし」

 

 3人の『敵』を斬り払った深淵狩りの剣士は咆える。すると鼓舞されたように、次々と深淵狩りの剣士たちは蘇る。

 彼らの個々の実力はオレが今まで出会った深淵狩りには及ばないだろう。アルトリウスにも、ランスロットにも、トリスタンにも届かないだろう。

 だからこそ、彼らは集団で戦うのだ。

 1人はみんなの為に。

 みんなは1人の為に。

 それは血のように濃く、鉄のように固い、深淵狩りの誓い。それこそが彼らがアルヴヘイムで見出した深淵狩りの流儀。

 まだ『プレイヤー』であるはずの深淵狩りの剣士の長、それに集うように、ケットシーの深淵狩りが蘇ると『モンスター』として付き従い、それに続くように他の深淵狩りの剣士たちも隊列を組む。

 何の冗談だろうか? あろうことか『プレイヤー』と『モンスター』が手を組んで……生死を分かつ境界線を超越して深淵狩りの絆によって紡がれ、オレに剣を向ける。

 狂い果てた彼らが望むのは死闘。あるいは死に場所。もしくは……彼らが望んだ『継承』か。

 もはや語らう余地はなく、交わすべき言葉もない。ならば、彼らを薙ぎ払って道を開く。それこそオレが成すべき事だ。




欠月の剣盟(深淵の監視者仕様+魔強化ブースト)、立ち塞がる。
継承せよ、深淵狩り達の遺志を。

それでは269話でまた会いましょう!

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