SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

シェムレムロスの外道が光る。





Episode18-36 いつかの前日譚

「じ、自分で洗えるよ! 洗えるから!」

 

「だーめ♪ 折角の奇麗な髪なんだから丁寧に洗ってあげないと可哀想でしょう?」

 

 仮想世界なんだから髪質なんてプラグイン以外で左右されないよ! ユウキは声を大にして反論しようとするも、わしゃわしゃと後ろから髪を梳かれ揉まれ、1本1本に優しく薬油を塗り込んでいくアスナの手付きに抗えなかった。

 ユウキが保護されたのはユージーンが結成した傭兵団のアジトだった。宗教都市にて戦力を掻き集めていた彼らとアスナとリーファ……オベイロンのユグドラシル城より脱走したという2人が合流したのは数日前であり、偶然にもユウキが要塞跡に到着した夜はアスナたちが組織の確認に現地を訪問した日だった。

 より組織として連帯感を持つべく、夕食の炊き出しを行い、『同じ釜の飯を食う仲』という仲間意識を芽生えさせる。その手伝いとして、組織の実態調査も含めてアスナとリーファは給仕に成りすましていた。そこで運良く、あるいは不幸にも保護されたのがユウキなのである。

 そのまま宗教都市に半強制的に連行され、アスナたちが現在の拠点としている屋敷へと通されたユウキは、そこで待っていた意外な人物との再会も果たしていた。

 

「でも、ユウキさんもよく無事でしたね。お互いにこうして生きて出会えた喜びを噛み締めましょう」

 

「会えたのは嬉しいけど、シーラ……じゃなくてシリカには色々言いたいことが――ぎにゃああああああああああああ!」

 

「もう! そんなに動いたら目に泡が入るのは当たり前でしょう? ジッとしてなさい!」

 

 極楽極楽と表情で物語ながら、薬草の香りが利いた緑色の湯に浸されながら、ぶくぶくと泡を吹くシーラ改めてシリカをユウキは睨もうとするも、お粗末な程度に泡立つ薬油が目に入って悶絶し、シリカへの追及の言葉はそのまま悲鳴に変わった。

 まだユウキ自身も情報を整理しきれていない。どうやらアスナはティターニアとしてオベイロンに囚われていたようであるが、正規の手続きではない別の手段で捕まっていたリーファの助けによって解放され、逃亡に成功していた。恐らくであるが、リーファはレコンの見立てが真実だった証左……チェンジリングの被害者だった事は間違いないだろう。もはや何もかもが滅茶苦茶のアルヴヘイムの現状に、ユウキはばら撒けられたパズルを必死に組み立てている思考状態である。

 

「むむむ、宗教都市でも最高ランクの薬油と聞いてたけど、全然泡立たないわ。やっぱりシャンプーとは勝手が違うわね」

 

 唸るアスナは2度洗いしないと、と小声で呟き、逃げようとするユウキの両肩をがっしり掴む。ユウキはガチガチと歯を鳴らしながら、そういえば姉ちゃんも「烏の行水するな!」ってよく言ってたっけ、と懐かしい回想をアスナと重ねた。

 

「薬油は塗り込むものですからね。私たちはアルヴヘイムでも上流階級のお風呂を楽しめてる方ですよ。ハァ……早く帰ってクラウドアース製シャンプーで思いっきり髪を洗いたいです!」

 

「あたしはシャンプーより薬油派かなぁ。この塗り込む感じがいかにも洗ってる気がするもん」

 

 丁寧に指で髪を梳きながら豊かな金髪に薬油を通していくのはリーファだ。女性4人が入ってもまだまだ余裕がある大浴場であり、それは館の寂れた外観に反して豪勢である。薬湯を吐き出し続けるのは3体の竜の石像であり、浴室には淡い桃色のタイルが敷き詰められている。頭上にはガラス球に封じ込められた水晶が温かな暖色の光を放ち、夜の寒さを遮断しながらも月光を注ぎ込むステンドグラスにはティターニアが描かれていた。

 ここはシリカたち傭兵団を援助する貴族の別宅……もとい愛人との逃避地である。別にやましい理由があるから別宅を準備しているのではなく、貴族制のアルヴヘイムにおいて一夫多妻は普通であり、正妻との折り合いが悪いだろう側室と愛を育む為に準備されているものだ。貴族ならば当然保有して然るべきものである。

 以前はシリカも要塞跡の方で暮らしていたようだが、『夜に色々あった』らしく、今は女性陣と固まっていられるこの屋敷の方に拠点を移したそうだ。要塞跡の方は当然ながら湯を沸かすような設備があるはずもなく、冷や水で体を洗うのが精一杯だっただけに、シリカとしても宗教都市の館の方が『女性としての身だしなみ』を整えられるらしい。

 当然の話であるが、ユウキは旧街道の旅の最中に髪どころか体をまともに洗うチャンスなどなかった。浴場施設などあるはずもなく、せいぜいが泉や川で身を清める程度だったのである。最低限に石鹸だけは持ち歩いていたのであるが、市場流通品は現代育ちのユウキが満足できる基準のものであるはずもなく、ほとんど水洗いの毎日だったのである。

 無論、しっかりと洗えば粗末な石鹸でもリフレッシュできただろうが、そこは男2人+狼1匹との旅である。宿場町の1件は水に流したとはいえ、彼女に相応のトラウマを刻み付けたことは言うまでもなく、服を着たまま手拭で洗うのがせいぜいだったのだ。

 故にこうしてアスナに背中から始まり、髪まで洗ってもらうのはくすぐったいが、ユウキとしても気分を切り替える癒しになっていた。

 

「これって全部……血よね?」

 

 ご機嫌にユウキの髪を2度洗いで浄化した薬油を湯で流しながら、アスナが少しだけ声のトーンを落とす。排水溝には薬油と混じった赤色が滲んでいた。既にユウキが血塗れの姿で保護されたのはこの場の全員が知るところだ。今更隠す必要性もなく、ユウキは目を伏せながら頷いた。

 

「……うん。ボクの血じゃないよ? ガイアスさんっていう人の血。一緒に旅してたんだ。たくさん助けてもらって、色々と知らないことを教えてくれて……凄い不器用だったけど、優しい人だったよ」

 

 宿場町から始まった旧街道を進む道のり。短くてもUNKNOWNの理解を深めた旅路で、縁の下の力持ちだったガイアスには感謝してもしきれない。特に彼のお陰で自分の穢れについてちゃんと考える機会を得られたのだ。

 懐かしむようなユウキの口振りに、アスナを含めた全員が沈黙する。ユウキが全身を血染めになり、なおかつ単独だった状況だ。ガイアスが『どうなったのか』はもはや想像するまでもない事なのだろう。

 

「く、暗い話は無しにしましょうよ! 折角のお風呂なんだし!」

 

 場の空気を変えるようにリーファが声を明るく張り上げて湯船にダイブする。桶の中で小さなタオルを頭にのせてお風呂を楽しんでいたピナは波で転覆し、キューキューと可愛らしく咆えながらシリカまで泳ぐ。慌ててピナをひっくり返った桶の中に戻してあげたシリカはジッとリーファを睨むも、今は何も言うまいと告げるように嘆息した。

 シリカも普段のツインテールを解いているせいか、印象がまるで違う。ユウキは髪を束ねて湯に浸からないように注意しながら、リーファとは対照的に指先からそっと熱い湯の中に入れる。久々のお風呂の熱に体を一瞬だけ震えさせ、足首、膝、太腿、胴体と湯に浸らせていった。

 

「ねぇ、どうして騙してたの?」

 

「偽名を使っていただけです。ミスティアさんも知らないことですし、私はリターナーですからね。こう見えても【竜使い】……いえ、【竜の聖女】シリカといえば、リターナーでも大物扱いなんです。『彼』ほどではないですが、最低限の身バレ対策はしますよ。事実としてユウキさんも気づかなかったでしょう?」

 

 SAOに関する書物は数あれども、そこは熟成した法治国家の日本だ。プライバシー保護で認可が下りていない人物の顔写真が入っているものはまず出版されていない。例外としてキバオウだけはメディア露出も派手だったが、大半のサバイバーは重度のPTSDを抱え、社会復帰に四苦八苦していたのだ。わざわざ自分の写真を世間に公開し、一生をサバイバーとして周知されながら生きていくなど御免だっただろう。

 だが、何事にも裏道とはあり、ネットにはサバイバーの写真が流出することも珍しくなかったらしく、シリカもDBO当初は深めのフードで顔を隠しながら活動していたという。デスゲームに再度囚われたサバイバーであるリターナー……彼らは1部を除いて自分たちの正体が露呈する事を何よりも拒んでいたのだ。

 それをざっくりとシリカに説明され、ユウキは一応の納得を示す。確かにリターナーというだけで無条件で頼られるのはプレッシャーという表現すらも生温いだろう。それはUNKNOWNが背負った呪い……『英雄』という称号の重みを今ならば理解できるユウキだからこそ素直に受け入れられる事だった。

 

「でも、まさかお兄ちゃんと一緒に旅してたなんて。ねぇ、元気にしてました? ちゃんとご飯食べてました?」

 

「料理は全部ボクが担当してたよ。ガイアスさんは味付けが大雑把過ぎるし、UNKNOWNは≪料理≫持ってないし。元気……とは少し違ったけど、それなりに上手くやれてたよ」

 

 ほう、とシリカは意外そうに眉を顰める。シリカはシャルルの森でUNKNOWNに剣を向けたユウキの事を知っているはずだ。彼女としてはユウキにとって悲願である【黒の剣士】との戦いを済ませているものだと思っていたのだろう。だが、彼女たちの旅は具体的に知らずとも危険視していた展開は無かったと確信したらしく、若干の安堵を見せていた。

 

「……『あの人』が勝つと信じて疑ってませんが、出来れば『殺し合い』なんて控えてくださいね。ユウキさんも……そ、その……これでも心配くらいはしてあげる程度には友人なんですから」

 

「ボクもシリカが無事でよかった。まぁ、ボクの場合はそもそもシリカがいる事自体知らなかったんだけどね」

 

 目を合わせて少しだけシリカと笑い合い、ユウキは湯船から湧き上がる薬草の清涼な香りの湯気と体の芯まで温める熱に、また少しだけ気分が楽になる。いや、今は何も考えたくないという、精神を守ろうとする意識が働いているのだろう。ユウキは全身から力が抜けていくのを感じていた。

 

「でも、これで『アテ』が外れちゃいましたね。てっきり証を手に入れたのはお兄ちゃんだと思ってたんですけど」

 

「ムフフ、リーファさんもまだまだですね♪ 私は最初から『白い方に違いない』って言ったでしょう?『あの人』も無茶をする人ですけど、他人は巻き込めないから自分だけで背負おうとしちゃうタイプなんですよね。『あの人』はぼっち気質ですけど、ぼっちに『なっちゃう』人じゃなくて『なろうとする』人ですから。あれこれ他人に迷惑かけないようにして結果的にぼっちになりますし、無茶苦茶をする為にぼっちに『なる』人なんです」

 

「そ、それくらい分かってるもん! お兄ちゃんはメンタル脆いけど、やる時は自分を勘定に入れないで突っ走る人だって、あたしの方がふかーく知ってるんだから!」

 

 飛沫を上げながら立ったリーファに、余裕綽々の態度でシリカは鼻歌を歌う。そんな様子にユウキはアルヴヘイムで起きた出来事の全てが熱で溶かされていくような感覚に陥る。

 当たり前であるが、ユウキ達が確認したシステムメッセージはシリカたちにも届いていたのだろう。そうなると【来訪者】全員に証の件は通達されたことになる。【来訪者】の数は全部で10人。その内の生存が判明したのは6人だ。宗教都市にいるユウキとシリカとユージーン、今は逸れたUNKNOWN、グングニルが教えてくれたシノンとレコンだ。そして、生死不明なのはボス、クゥリ、PoH、そしてユウキが廃坑都市で出会った少女……推定ザクロである。

 そして、ユウキは証の件で元より生存確実としていたクゥリの生存を絶対視している。ならば、欠月の剣盟の尽力により、かなりの数……もしかしたら【来訪者】全員が無事なのかもしれないとユウキは淡い期待を覚えた。

 UNKNOWNを巡って言い争うリーファとシリカを真横に、他でもない正妻ポジションであるはずのアスナは寂しそうに黙ったままだ。そのことに違和感を覚えたユウキは口を開こうとするが、待ったをかけるようにシリカが手を挙げる。

 

「色々とこじれそうのなので先に申しておきますけど、今のアスナさんは『あの人』についての記憶が曖昧に――」

 

「シリカちゃん、ハッキリ言っても大丈夫よ」

 

「ですが……」

 

「必要以上の気遣いは要らないわ。ユウキちゃん、私は……皆が言う【黒の剣士】について、限定的な記憶喪失の状態にあるの」

 

 シリカは気まずそうに目を逸らし、ユウキは喉を引き攣らせる。

 UNKNOWNがどれだけアスナに会いたがっているのかは一緒に旅した時間の分だけ、お互いの距離を詰めた分だけ、嫌でも思い知った。彼は今も深くアスナを愛しており、今日まで彼がどれだけ心を掻き毟っていたのかも知ってしまった。

 だが、その当の本人であるアスナが記憶喪失とは余りにも救いがない。唖然とするユウキであるが、チェーングレイヴのメンバーにして『死者』であるレグライドの言葉を思い出す。

 

『死人は生き返っても死のビジョンに囚われています。大半は死亡した時の記憶が欠損していますが、無理に思い出させない事をお勧めしますよぉ』

 

 そもそも復活した死者の大半が死人という自覚はなく、DBOに参加した経緯という『都合の良い記憶』を持つように改竄されている。そして、死人だと自覚しているレグライドさえも自分の死亡した瞬間や他の幾つかの記憶に関して抜け落ちているという。

 事実としてレグライドは接触した復活した死者が自分を『死人』と自覚し、そのまま自己崩壊に至った例を知っていた。どのような原理で死者が復活しているのかは分からない以上、無暗に傷口をほじくり返すのは危険なのだ。

 だが、アスナは死者としての自覚があるらしく、レグライドと同じで心理面が『死者の自覚』を耐えたのだろう。ユウキは想像以上の爆弾となっているアスナに、グングニルがユウキを宗教都市周辺に送った理由である『悲劇』というキーワードとクゥリの今回のアルヴヘイムへの出立について結びつける。

 

(まだ推測に過ぎない……けど、でも……!)

 

 仮にアスナの救出……UNKNOWNと彼女の再会がクゥリの目的であるならば、最初から彼と行動を共にしているはずだ。単独行動型とはいえ、クゥリは元相棒……いや、2人は今も互いを今も絶対的な相棒として位置付けている。ならば、その全力の限りを尽くしてUNKNOWNの悲願成就の助力をするつもりだ。

 無論、UNKNOWNが自分のエゴに巻き込みたくないという意思がある以上は、クゥリに助力を求めるムーブメントは無かったはずだ。事実としてUNKNOWNはアルヴヘイムにクゥリがいる事を知らなかった。ならば、彼の心情を読み取ったクゥリの独断行動とも考えられる。

 だが、噛み合わない。ヨルコの話ではクゥリは緊急で準備をしてアルヴヘイムに旅立った。UNKNOWNの助力の為ではなく、早急にアクションを起こさねばならない事態だったのだ。

 それはリーファも関係しているだろう。レコンの話の限りでは、彼は最初にクゥリへとチェンジリングの話を持ち込んでいる。その時は一蹴されたそうであるが、リーファは【黒の剣士】の妹だ。クゥリとは現実世界で親交があった仲である事は他でもない本人より教えてもらっている。ならば、リーファの安否を確認する為に、不明確なチェンジリング事件を追ってアルヴヘイムに突入したとも考えられる。

 しかし、それもまた何かが違う。ユウキが知る限り、クゥリは余程の事が無い限り『自分の意思』でトラブルに飛び込むことはない。心に痛みを憶えるが、リーファは例外の対象だとしても、彼が確信もなくアルヴヘイムに突入したのはチェンジリングの件だけではない別の『理由』があったはずだ。仮にレコンと同様にリーファ救出が目的であるならば、クリアまで帰還不可のアルヴヘイムに突入するに足る情報収集を行うはずだ。だが、レコンから情報を得た翌日の夜明け前に出立している。余程の決定的な情報を得なければ、幾らクゥリでも突っ走らないだろう。

 

(分からない……分からないよ、クー。キミはどうして……)

 

 誰よりも深く知りたい。そう望んでいたはずの人の深淵は光すら届かぬ濃い闇……深海のようだ。覗き込めば込むほどに自らの無知を……彼が明かさない『秘密』を思い知らされる。

 いや、そもそもユウキもクゥリに何も語らなかった。表面的な事ばかり明かして、自分の大事な部分を……自分の『秘密』を語ろうとしなかった。

 

(ボクは何も知らなかったんじゃない。知ろうとしなかったんだ)

 

 きっと気づく機会さえあれば、味覚の事だってクゥリはいつものように『大したことじゃない』と付け加えながら教えてくれただろう。逆に言えば、クゥリは隠すのが上手なのだ。まるで何事も無かったように振る舞う。

 PoHに浅はかさを指摘されて当然だ。忌々しいが、きっと生存しているだろうPoHの薄ら笑いを思い浮かべ、ユウキは奥歯を噛みしめる。

 ガイアスの死は無駄じゃなかった。それを証明できるのはユウキとUNKNOWNだけだ。彼が旅の中で教えてくれたことの……気づかせてくれた事を握りしめていくのだ。ならばこそ、ユウキはクゥリと再会を果たさねばならないと決意を新たにする。

 

「恋する乙女って感じですよね。私の大好物です」

 

 と、そこでユウキの頬をシリカが指で突く。リーファも同意したように、アスナ以上に豊満な胸の前で腕を組んで頷いた。

 

「そっかそっか! クゥリさんにもようやく春が来たんだぁ! うんうん! しかもあなたが『ユウキちゃん』だもんね。クゥリさんも隅に置けないなぁ! お兄ちゃんの女たらしスキルをラーニングしたのかな?」

 

「ねぇ、【黒の剣士】さんってやっぱり女たらしなの? 記憶は抜けてるけど、確かに女性関係が変に多かったような気がするわ。私、そんな人と何をどうすれば『良い関係』になったの!?」

 

 ……『良い関係』どころかSAO内に最高に燃え上がっていた夫婦ですが? そんな眼差しを乙女3人+ピナに向けられ、アスナは愕然とする。

 

「それとクゥリくんってどういう事!? それって確か【渡り鳥】くんのプレイヤーネームよね!? 彼もDBOにいるの!?」

 

 そして思わぬところで食いつきが発生し、シリカが『また面倒な事になった』とぶくぶくと湯で泡を作る。リーファもどう説明したら良いものかと唸り、ユウキはこの際だから彼女の死後に何があったか告げるべきだと判断した。

 

「クーと【黒の剣士】はコンビだったんだよ。SAO末期、アスナさんの死後に2人は相棒関係だったんだ」

 

「はぁあああああああああああ!? え!? ちょっと!? は!? 何が!? 何がどうなってそんな事になったの!?」

 

 水面を両手で叩きつけ、大飛沫&大波を起こしたアスナにピナは2度目の転覆に遭う。シリカは既に見切ったとばかりに早急にピナを救出し、自分の頭の上にのせた。

 

「お、落ち着いて、アスナさん。お兄ちゃんとクゥリさんはコンビだったの。ほら、あたしが言ってたランク21の人がクゥリさんなんだ」

 

「ランク21って……確かリーファちゃんが『傭兵で1番強い』って言った――」

 

「聞き捨てなりませんね! 傭兵最強は『あの人』です! そりゃあ、確かに今は色々と問題を抱えていますが、スイッチ全開の時の『あの人』の凄さはクゥリさんなんて目じゃないくらいなんですからね! ハッキリ言いますけど、竜の神戦の時なんて私に言わせれば絶不調ですよ! ご存知でしょう!? 98層の時だって『あの人』は――」

 

 クーは最強論議とか『相性と状況次第で幾らでも覆るだろ』って即答しそうだよね、とヒートアップを始めたリーファとシリカの横でユウキは両手両足を思いっきり伸ばしながら考える。

 

「ああ、そういえばアスナさんはクゥリさんと鬼ごっこしてた仲でしたね」

 

 とりあえずこの話は後にしよう、と棚上げが決定されたのだろう。シリカは再度体を湯船に浸からせながら、縁まで移動して両腕を枕に頭をのせる。それは何処かアインクラッドに懐かしさを覚えるような口振りなのはユウキの勘違いではないのだろう。

 あの頃に戻りたいとは思わずとも、郷愁に駆られずにはいられない。それがSAO生還者の性なのかもしれない。ユウキは少しだけ興味を持って、アスナに記憶があるなら、という眼差しで語ることを求める。

 

「……私が【渡り鳥】くんの事を知ったのは『人殺しも厭わない傭兵がいる』って噂が広まった頃よ。既に幾つかのギルド……特にアインクラッド解放戦線や聖竜連合が彼を多用していたわ。ヒースクリフ団長の命令……私が属していたギルド血盟騎士団の仕事で彼に接触を図ったの。目的はその危険性の判断、場合によっては捕縛して黒鉄宮に転移させることだったわ」

 

 それは【黒の剣士】と組む以前の悪名が広まっていた頃なのだろう。ユウキは滅多に知れないクゥリの過去に少しだけを身を乗り出す。シリカは大よその内容を知っているのか、あまり興味を示す様子はないが、リーファもアスナに急かすように目を輝かせた。

 注目を集めて恥ずかしそうにアスナは1回咳を挟み、クゥリとの出会いの続きを語り出す。

 

「当時の【渡り鳥】くんはとても礼儀正しくて、髪も腰くらいまで伸ばしてたし、声以外で男の子って判断するのは……ううん、声も男の子でも高い方だったし、過去の依頼者を『説得』して呼び出さないと見つけるのは難しかったわ」

 

「付け加えますと、今はもっと酷いことになってますよ。主に女の自信を木っ端微塵にするくらいの中性美って意味で。もう何ですか、アレ? 男性とか女性とかそんな領域を超えた美貌ですよ!? どんな遺伝子と環境があったら、あんな容姿を持てるんですか!?」

 

 シリカの補足には過大な私怨も含まれていたが、ユウキは一切の否定する要素が無くて口を閉ざす。リーファも思う所があるのか、ムニュムニュと唇を動かすばかりだ。

 

「依頼と偽って彼を呼び出したんだけど、依頼は嘘って言ったら『騙して悪いがはご遠慮します!』って話をする暇もなく逃げられたの。それが最初の鬼ごっこよ」

 

 傭兵に依頼の段階で『嘘』を挟めばそんな反応するよね、とユウキは何とも言えない顔をする。今ではサインズという機関が間に入って傭兵に仕事を斡旋するが、DBOでも傭兵黎明期は傭兵はプレイヤーやギルドと直接依頼契約を結んでいた。今でもサインズを通さない依頼を受ける傭兵はいるが、当時から報酬や依頼内容、情報の虚偽、そもそも罠だったなど、多くの面でトラブルが絶えなかったという。

 仮想世界で最初の……それもデスゲームでサインズなど無い時代に傭兵業を営んでいたクゥリからすれば、アスナが口を開く以前に逃亡一択だったのは仕方のない反応だろう。

 

「レベル差はかなりあったはずなんだけど、【渡り鳥】くんはとにかく『動き』が異常だったわ。平地だったら私のスピードが圧倒的に上なんだけど、彼はとにかく『素早かった』の。他にも私がトップスピードを出せない場所に誘導したり、ターンの切り返しが人外だったり、ビー玉をばら撒いて私を転倒させたり……む、胸がつっかえる隙間に潜り込んだり」

 

 恥ずかしそうにリーファほどではないにしても男性を釘付けにするには十分な膨らみに手を置いたアスナに、ユウキとシリカは同時に死んだ魚のような眼をした。だが、先に復帰したシリカは自分の胸をペタペタと触れながら唇を動かす。

 

「当時からクゥリさんはステータス出力の高出力化を体得してたっぽいですからね。まぁ、それでも当時のアスナさんは攻略組でしたでしょうし、レベル的には中堅に過ぎなかったクゥリさんとは大きな格差もあったでしょうから、彼も本気の本気で逃げ回ったと思いますよ? それにアスナさんも『本気』で追い回していたわけではないでしょうし。実際にアスナさんが『本気』を出して組織と戦略を全力で回してきた時は逃亡よりも潜伏を選んだようですから」

 

 逆に言えば、当時のクゥリが全力逃亡するくらいにはアスナの『ちょっとお話ししましょう♪』というオーラが鬼気迫るものだったのだろう。その光景を思い浮かべたユウキは小さく身震いした。一方、当時の『本気』を思い出してか、アスナは恥ずかしそうに顔を背けた。

 

「私と【渡り鳥】くんの話は以上! ま、まぁ、確かに彼を捕まえられなかったのが悔しくて色々作戦立てて追い詰めたのは、正直やり過ぎだったと思うわ。それに……アルゴさんに潜伏場所の情報を売らせる為に……『誰か』に……思い出せない。もしかして、『あの人』に……アルゴさんに情報を、売ってもらうように、頼み込んだ……?」

 

 無理に思い出そうとして頭痛を覚えたのだろう。アスナは額を押さえる。こんな事でアスナに問題が生じては困るとユウキも話は終わりだとストップをかける。

 

(というか、クーが最後に捕まったのって……もしかして【黒の剣士】のせい!?)

 

【鼠】のアルゴといえば自分のステータスすらも情報として売る情報屋だったらしいが、彼女を動かしたのが【黒の剣士】だとすれば、結果的に【渡り鳥】VS【閃光】のラスト鬼ごっこの決め手となったのは、後に相棒となる男の活躍……もとい女性関係だったとは、絶対にクゥリに教えるべきではないとユウキは固く決心する。

 

「クゥリさんも大変だったんだね。お兄ちゃんと組んでた頃の話以外は知らなかったから、ちょっと新鮮」

 

「そう言うリーファさんは現実の方でクゥリさんと知り合いだったんでしょう? アスナさんなんかよりもずっと彼についてはご存知なんじゃないですか?」

 

「へぇ、【渡り鳥】くんの『素』かぁ。ちょっと興味あるわね。私が知っているのは『傭兵』の【渡り鳥】くんだけだもの。アインクラッドでも個人を知る機会は無かったし、話を聞いてみたいわ」

 

 確かにアスナの言う通りだ。ユウキはリーファに熱い視線を送り、是非とも何かエピソードが無いかとねだる。するとリーファも乗り気になったのか、『もうクゥリさんの話は止めましょうよ』といった顔をしたシリカを無視して語り出した。

 

「あれはあたしがお兄ちゃんのストーキングに篝さんを同行させた時なんですけど――」

 

「ちょっと待ってリーファちゃん。いきなり訳が分からないのだけど」

 

 どうやらアスナは『ヤンデレ』とは何たるかを理解していないらしい。ユウキは既にリーファが『お兄ちゃんLOVE』だと知っている。シリカはそもそも彼女を導いた愛の伝道師。故にこの場で『愛』を即座に理解できないのはアスナだけなのだ。

 

 

 

◆   ◆   ◆

 

 

『デートじゃないですよねー。デスヨネー』

 

『篝さんうるさいです。情報によれば、お兄ちゃんは警視庁周辺で出没しているそうです! あのツインテールを今度こそこ――捕まえて、誑かされたお兄ちゃんを取り戻しましょう!』

 

『ねぇ、今「殺す」って言おうとしたよな!? オレの聞き間違いじゃなかったら、殺すって言おうとしたよな!?』

 

『だから篝さんうるさいです! あ、あの後ろ姿……お兄ちゃんっぽい! でも違う! お兄ちゃんの髪質はもっと――』

 

 兄が退院後に失踪し、連絡の手段すらも無い直葉はありとあらゆる手を使ってその足取りを追っていた。だが、公的権力の介入があるのか、それとも彼の『秘書』を自称したシリカの隠蔽工作が働いているのか、あるいは両方なのか。なかなか決定的な情報は得られていなかった。

 そんな直葉が頼りにしたのは兄が最も連絡を取る確率が高いだろう、デスゲームで相棒を務めた【渡り鳥】こと篝だった。

 

『……「アイツ」がVR犯罪対策室のオブザーバーをしているのは確かだ。だけど、直葉ちゃんに簡単に尻尾を掴ませるようなヘマはしねーと思うぞ?』

 

『でも、お兄ちゃん専用のデスクがあるって話ですし。ううう! しかも、しっかり手を回してるみたいで「妹です」って言っても中に入れてくれないんです! お弁当持ってきました作戦も着替え持ってきました作戦も失敗して、もうこうやって見張ってるしか……!』

 

『いや、親族でも普通に入れちゃ駄目だろ。つーか、警視庁の前で張り込みとか……オレ達公安にマークされねーかな? というよりも土日よりも平日に張り込んだ方が――』

 

『平日とか学校をサボらないと無理じゃないですか!』

 

 真面目は良い事だよなー、と漏らす篝は紙パックのヨーグルトジュースにストローを差しながら、直葉の貴重な休日の消費に付き合っていた。

 

『……まぁ、オレも丁度良いリハビリだな。大学に向けての勉強も煮詰まってた頃だし。進学先は地方だから、直葉ちゃんとも気軽に会えなくなるしさ。これくらいの「デート」だったら何度でも付き合ってやるよ』

 

 他のリターナー達が社会復帰に四苦八苦している中で、兄はVR犯罪対策室のオブザーバーとなってシリカと共に消えた。兄と共に戦ったという攻略組の生き残りも互いの連絡先などほとんど交換することなく、それぞれの人生に戻ろうとしていた。

 リターナーとの繋がりを作れなかった直葉にとって、【黒の剣士】の妹として、何よりも好意的に関係を持ってくれる篝は貴重な人物だった。

 

『ご、ごめんなさい。あたし、自分の事ばっかり……。篝さんだってまだ退院できてないのに』

 

『オレの場合は他の連中よりも体が弱まってたらしいしな。退院してないのも家庭的事情の方が大きいから気にしなくて良いさ。実際にこうして外出はほとんど自由だし。可愛いおんにゃのこと「デート」できるのも役得だしな!』

 

『またそんな事言って。篝さんのそういう軽口はあまり好きじゃ――って、お兄ちゃん!?』

 

 篝と会話する事に意識が傾いた刹那を狙ったように、2人の真横を黒いバイクが駆け抜けていく。2人乗りしたバイクの運転手は全身を黒のコーディネートで纏めた男、もう1人はヘルメットを被った小柄な少女なのだが、透明のバイザーの向こう側では舌を出し、『甘いですよ、直葉さん♪』と無言で高笑いするシリカの顔があった。

 

『うぎぃいいいいい! 篝さん、バイク! バイク出してください! 追跡続行です!』

 

『免許持ってねーよ。さすがのオレも弱って無けりゃ全力出せば「原付くらい」は何とかなるが、バイクに足で追いつけってのは無理だわー』

 

『そういう「冗談」は要りませんから! ほら、お兄ちゃんの相棒だったんでしょう!? だったら免許取ってくださいよ!』

 

『そもそもバイクに興味ねーし。まだ軽トラの方が魅力を感じる』

 

 またも兄との接触に失敗し、地団駄を踏んで目を潤ませる直葉の横で、飲み終わったヨーグルトジュースの紙パックを握り潰した篝は肩を竦めた。

 

『はぁ、今回も失敗しちゃいましたね。お兄ちゃんの居場所は分かってるのに、なんでこうも上手く会えないのかなぁ』

 

『あくまで警視庁に本部があるだけだしな。オブザーバーには出勤の義務もないし、必要な時だけ顔を出せば良い。たぶんだけど、仕事でログインする時は別の施設がメインのはずだ。オレ達の情報網じゃ、天地がひっくり返っても探し出せねーよ。だから直葉ちゃんも興信所に貢ぐのは止めなさい。お兄様の元相棒として、妹さんの貯金が万単位で消し飛んでいくのを見守るだけなのは心が痛いから』

 

 呆れたように微笑みながら、篝は直葉の頭に手をのせると髪をグシャグシャにするように撫でる。されるがままの直葉だったが、ようやく篝の手から力が抜ける頃になると振り払う「ポーズ」を取る。

 

『や、止めてください! 篝さんの「それ」本当に苦手なんです!』

 

『えー。オレは直葉ちゃんの頭を撫でるの好きだけどな。ほら、オレって末っ子だからさ、お兄ちゃん面してみたかったんだ』

 

『自分よりも身長の低い人に頭を撫でられるとか、幾ら女の子でも屈辱ですよ?』

 

 顔を背ける直葉に、篝は強烈なブローを腹に受けたようにプルプルと体を震わせる。

 小声で『茅場昌彦殺す。オレから成長期を奪ったあの糞野郎を殺す。あ、死んでた。でも殺す。絶対に殺す』と呟く篝を無視しながら、崩れた髪型を手で正しながら直葉は少しだけ気分が晴れやかになる。

 退院以後、自分には頑なに接触してくれない兄のことを『「アイツ」のアインクラッドはまだ終わってねーんだろうよ』と寂しそうに語る篝は、直葉にとって兄とは違うタイプのもう1人の兄のように感じていた。

 昔は兄もよく頭を撫でてくれた。だが、いつしか溝は深まり、それはそのままSAOという兄妹の空白を生み出した。

 篝は兄と違って乱暴な手付きで撫でるが、決して直葉を傷つけない優しい手付きでもあった。ちょっと荒いのは直葉の反応を面白がっての事だろう。

 

『……もうお兄ちゃんは追えないし、篝さんの言う通り折角の休みだから、このまま何処かに遊びに行きませんか?』

 

『ふぇ? え? ふぁい? それって……ま、ままま、まさか本気でデート?』

 

『ん~? 男女で遊びに行くのがデートって意味ならそうかもしれませんね』

 

『よ、よろしくない! よろしくないでざますわよ、直葉お嬢様! も、もっとだな、男との付き合い方は考えた方がだな! ほら、昨今は日本の貞操観念とかうんぬんって難しい話もあると思うけど、やっぱりおんにゃのこは男の見る目を鍛えないといけないと思うんだよなー! だからオレみたいな糞&糞とデートとか駄目絶対!』

 

 あんなに『デート』って強調してたのに。顔を真っ赤にして両手を振って直葉の言葉を撤回させようとする篝が面白くて、堪えきれずにクスクスと笑う彼女に、篝は紅潮した頬を隠すようにパーカーのフードを被った。

 別に直葉も男女の関係として篝を見ているのではない。彼女にとって『兄の相棒』というのが何よりも1番にある。それは篝にしても同じであり、直葉は『【黒の剣士】の妹』というのが頂点にある。故に2人の関係が男女のものになることはないと、決して語らずとも、両者共に理解し合っていた。だからこそ、気を置かない仲になれたとも言えるだろう。

 

『そうですか? 篝さんってその口調と粗い態度を直せばもう少しはモテると思いますけど? 正直、顔と口調がミスマッチですし。折角の奇麗な顔なのに、表情とか素振りのせいで台無しにしてますよ。ガキっぽいというか、本当に篝さんの生まれ持った良さをマイナスに変換してるっていうか』

 

『フッ、直葉ちゃんにはまだ「大人の男」の色気を目指すオレの修羅の道が分かってねーみたいだな! 男はワイルドに決めろ! これ、オレがSAOで学んだ「クラインから教えてもらった」唯一絶対の真理! ククク、オレもいずれは兄貴のようなイケメン高身長モテモテ高身長の高身長になるんだ!』

 

 咆える篝に、天地がひっくり返っても高身長だけは絶対に無理だろうなぁと思いながら、篝とこの休日をどう過ごすか考えた直葉はショッピング……主に衣服の買い込みを提案した。良くも悪くも自身の外見に無頓着らしい篝は放っておけば無地の簡素な服ばかりで遊び心が足りないからだ。

 

『だからってニャンコパーカーをチョイスする直葉ちゃんはオレの事を本当に男子だと思ってる? さっきから周囲の視線が痛いんだけど』

 

『えー? 可愛いじゃないですか。篝さんは奇麗系だけど、顔はあたしよりもずっと童顔だから、まだまだこういう可愛い系の服も――』

 

 両手が塞がる程の服を買い込むことになった篝にクレープを奢ってもらって上機嫌の直葉に、彼女がチョイスした服を早速着た彼の不満はともかく、その容貌に対して十分に似つかわしいファッションだったのは言うまでもない。

 何処を目指すまでもなく街を歩いては買い物や買い食いを繰り返し、『2人』をナンパしようとする男たちを暴力で『解決』を図ろうとする度に直葉は腕を引っ張って逃走する。そんな時間は直葉にとっても素直に楽しい呼べる時間だった。

 

『へぇ、こんな所にバスケコートがあるのか。コイツは誰かの忘れモノか?』

 

 陸橋の下のバスケコートは緑のフェンスで囲まれ、ギャラリーもなく、使い古されたボールが1個だけ転がっていた。直葉はバスケットボールを手に取ると軽くドリブルしてゴールにシュートするもフレームに弾かれる。それを篝は荷物をベンチに置いてキャッチした。

 

『ストリートバスケかぁ。あ、そうだ! 勝負しませんか?  篝さんの丁度良いリハビリになりますし、本気でやりましょう! あたしもストレス発散したいですし!』

 

『あー、リハビリには絶好かもな。でも、オレってルールに詳しくねーんだけど?』

 

『あたしも剣道一筋だったし、体育の授業以上は知らないですね。んー、とりあえず細かいルールは抜きにして、ボールを持って移動しちゃ駄目とか、適当で良いんじゃないですか? それに篝さんにあたしが負けるってあり得ないですし』

 

 伊達に剣道で全国レベル……それも最上位ではないのだ。ALOでもその経験を活かし、剣士として活躍している直葉からすれば、幾ら男とはいえ、鋭意リハビリ中で線も細く色白な篝は根っこからの『インドア系』に映った。男子顔負けの運動神経を持つ直葉の自信満々の顔に、篝は軽くドリブルをつく。

 

『1on1だし、誰か来たら邪魔になるから10点先取した方が勝ちで良いだろ。スリーポイントとか無しで、ゴール数な。負けた方はジュースを奢りってことで』

 

 スカートじゃなくて良かった。屈伸して十分にストレッチしていた直葉に篝は奇麗な曲線を描くパスをした。じゃんけん無しで直葉ボールで始めようという意思表示に、彼女は面白くなさそうに眉を潜める。

 

『OK。篝さんに1点もやりませんから。あと負けた方がジュースってのは安過ぎです。今晩の――』

 

 試合開始を示すようにドリブルをついた直葉であるが、目の前にいた篝が『消える』という不可思議な現象にコンマ数秒、剣道で鍛え上げた動体視力と反射神経で自分のボールを『盗んだ』篝が右を抜けていくのを捉えるのにようやく1秒、そして振り返る頃にはゴール下まで突っ切っているニャンコパーカーの後ろ姿を見つめる。

 

『で? 負けた方は今晩の……何だって? ご一緒ディナーを奢りってか? おいおい、それは紳士の役目だろ?』

 

 それはバスケ未経験者なのが嘘だと言いたくるように篝は片手でボールを放り、それは狂うことなくゴールに吸い込まれる。バウンドするボールをキャッチした篝は『まずは1点』って言うように舌を出しながら左手の人差し指を立てた。

 再び直葉のボールでスタートし、今度は油断しないように篝をしっかりと見つめながら直葉は慎重にドリブルして篝の突破を試みる。

 

『未経験者って嘘だったんですね!? そういう盤外ダーティプレイは反則です!』

 

『いやいや、マジで体育でもろくにやったことねーよ。そもそも球技ってあまり得意じゃねーし』

 

 フェイントをかけて篝の右を抜けようとするも、最初から呼吸を見抜かれていたかのようにあっさりスティールされる。奪い返そうと反転した直葉であるが、そこではすでに篝がシュートの構えを取っていた。

 コートの丁度中心、そこで篝は型も何もないように片手でシュートする。その放物線は僅かと外れることなくゴールへと吸い込まれていった。

 再び直葉のボールで再開するも、彼女は守りに入らず慎重さを捨てて強引に来ることを読んでいたように、彼女の無理矢理のロングシュートを大ジャンプでカットする。叩き落とされたボールは彼の柔軟性と瞬発力の方が直葉を圧倒的に上回っているかのように、1アクションどころか3アクション先を行っているようにリバウンドしたボールに直葉より先に追いついて、まるで自分の1部のように跳ねさせる。

 剣道の試合の時と同じように、精神の全てを篝に集中させる。視界に完全に捉えている篝がゆらりと動いたかと思えば、まるでフィルムのカットが差し込まれたかのように加速に意識が追いつかない。それは文字通り人間離れした初速から人間の域を超えるようなトップスピードに到達する瞬発力と運動能力であり、それを支える柔軟にして天性のボディバランスであり、相手の意識の『死角』を精密に見抜く嗅覚であり、こちらの挙動の全てが届かないのは反応速度と反射神経と思考速度の差だ。

 3点、4点、5点、6点と淡々と積み重なるポイントの度に、直葉は全身がびっしょりと濡れる程に汗を掻き、対して篝はそのこめかみすらも湿っていない涼しい表情だった。

 点を取り返せないと負けてしまう。その焦りが余計に不必要な動きを作る。いかに全国レベルの剣道少女とはいえ、未経験の球技で活躍できるはずもない。直葉の動きがたどたどしいのは仕方のない事であり、むしろ同じ未経験だと思えない程に、バスケに必要な技術が全く備わっていないに関わらず素のスペックの高さで押し込んでくる篝の方が異常だった。

 男女の差ではなく、同じ人間でも『根本』が違うのだと見せつけるように、9点目をもぎ取った篝は、小声で……彼女には聞かせる意図は無かっただろう、『絶望』を呟いた。

 

 

 

 

 

 

『んー、やっぱり要リハビリだな。「体がまるで思ったように動かねーわ」』

 

 

 

 

 

 

 人間離れした、バスケ界どころかあらゆるスポーツ業界からスカウトマンがこぞって集まるような動きをして、篝はまだ『不調』だと感じている。その事に直葉は率直に、どんな試合でも感じなかった心が折れる音を聞いた。

 こんなの遊びだ。笑って済ませてしまえば良い。人生には何にも利益はならない取るに足らない娯楽だ。そう自分に必死に言い訳しようとしている心の暗闇に誘われ、直葉は疲れた眼でさっさと切り上げようと脱力する。

 だが、魂は敗北を認めないと叫ぶように、直葉の足は淀みなく、むしろ闘争心を示すようにコートの中心へと移動した。

 負けたくない。たとえ遊びでも……自分から負けを認めるような真似だけはしたくない。それは直葉が短い人生の中で確かに宿していた意思であり、貫きたい想いだった。それが折れた心を再び立ち上がらせる。

 マッチポイント。絶対に点を取ってやる。直葉は不屈の闘志を燃やす。この1点を『守ろう』としてはいけない。何としても篝から『1点』を奪い取るのだ。

 まるで焼き焦がしてくるような直葉の闘志に、篝はやや驚いたように目を見開き、そして嬉しそうに笑った。

 

『「アイツ」と同じで……いや、負けん気だけはそれ以上だな。さすがは妹だよ』

 

 最後の10点目は、漫画やアニメでしか見たことが無い、乾いた笑い声が出るくらいに清々しいダンクだった。

 

 

◆   ◆   ◆

 

 

「――と、まぁ、篝さんってリアルの方がヤバいっていうか、仮想世界よりもリアルの方が『鋭く』動けるっていうか……。他に色々と『アレ』なエピソードはありますけど、総じて身体能力は文字通り『桁』が違うんです。むしろ、あたしが見る限りでは仮想世界の方が動きは『鈍い』って感じますね。パワーとかスピードじゃなくて、こう……曖昧ですけど、『キレ』が全然違うっていうか……」

 

「とりあえずハリウッドや香港映画も真っ青なフィクション級のアクションをリアルで出来てしまうバケモノだって事は分かりました」

 

 極めて冷静に感想を述べたシリカのお陰で要点は纏まったのだが、さすがのユウキもリーファの脚色が過ぎるのではないかと疑う。だが、彼女は一切の虚言はないというかのように、思い出し笑いをしていた。まさに『笑うしかない』事ばかりが彼女の前では繰り広げられたのだろう。

 仮想世界ではVR適性の拡張と共に反応速度が上昇し、また現実世界では不可能なほどの高速思考が可能になるとされている。これにはユウキも深くは知らないが、茅場昌彦曰くVR機器によって脳が催眠状態にある事、高密度のVR情報を受けてニューロンが発達する事、そして仮想脳がもたらす高度な演算補正があると説明した。DBO参加前に軽い雑談程度ではあるが、VR関連について色々な教示を受けたユウキはもっと真面目に色々と聞いていれば良かったと後悔する。

 

(グリムロックさんの話では、クーは元々VR適性が低い方らしいし、仮想世界より現実の方が『動きやすい』のは間違いないんだろうけど……)

 

 元々高かったVR適性が更に拡張し、人類でも最高峰の適性を持つユウキの場合、また彼女の場合は病んだ肉体であったという事もあり、仮想世界の方が圧倒的に『動ける』タイプだ。それはユウキと同等の適正値を持つ【黒の剣士】も同様だろう。逆に言えば、VR適性が低いにも関わらず、膨大な情報量と激しく精密なアバター操作が求められるDBOのバトルにおいて、クゥリは戦闘適性の高さで同じ土俵に立っていると言えるだろう。

 だが、今追及すべき点はクゥリの類稀という表現すらも相応しくない身体能力ではない。

 そう、ニャンコパーカー……ではない! ユウキは頭を振って、ニャンコパーカー姿のクゥリを見たいという欲望を抑える。もっと重要なポイントがあったはずだと我が身に言い聞かせる。

 

「ねぇ、1つ訊くけど、リーファちゃんって【渡り鳥】くんと付き合ってたわけじゃないのよね?」

 

 当然の如く、アスナはリーファの話の中で感じた、2人の距離感について的確な質問をする。これはユウキも尋ねたかったことだ。

 リーファがお兄ちゃん大好き妹だというのは理解している。だが『カレシは別腹』というパターンもあり得ないこともないのではなかろうかとユウキは危惧する。事実として、クゥリにとってリーファは明らかに扱いが違う別格だ。それは単に【黒の剣士】の妹だから……では納得できない点が多い。

 もしかしたら、リーファはクゥリにとって『大切な何か』をくれた人なのではないだろうか。そんな勘ぐりをしてしまい、ユウキは胸に鋭い痛みを覚える。

 

「あり得ないです。お兄ちゃんがいるからこそ篝さんと出会ったのであって、お兄ちゃんがいる限り篝さんと付き合うなんて絶対に無く、お兄ちゃんがいなかったらそもそも篝さんと接する機会が無い。つまり、あたしが篝さんと付き合うことは無い。これがパーフェクトアンサーです」

 

 その無慈悲な一刀両断はユウキとしてもありがたいが、先程の嬉々とクゥリとの昔話を語るリーファを見る限り、むしろ『どうして付き合っていなかったんだ』と言いたくなるクラスの親密さである。それは友人という距離間とは違う、彼らの独特の……疑似的な兄妹関係に近しいものなのだろう。そもそも2人とも互いを異性としては見ていても、『異性』として接したいとは思っていなかったのかもしれない。

 

「ねぇ、ところでさっきからクーの事を『かがり』って呼んでるけど、もしかして……」

 

「……ノーコメントで」

 

 DBOでもマナーの一環としてリアルネームの詮索は禁止である。これはむしろ現実世界を『思い出さない』為にプレイヤー達の暗黙の了解だ。余程に親密な関係……DBO内で結婚した男女でもリアルネームを明かすことは珍しいという。

 だが、ユウキの指摘でリーファは自分の失言……それも自分ではなくクゥリのリアルネームをバラしてしまった事に気づいたのだろう。まるで幻覚の拳骨に怯えるように頭を抱えて顔を背けた。

 

「そろそろ上がりましょう。お風呂は貴重な『現実逃避』の時間ですが、いつまでも夢見心地ではいられません」

 

 シリカの淡々とした一言に、ユウキは湯船から出たくないと心が叫んでいるように膝を抱えてしまう。

 この温かなお湯の外には冷たい現実が待っている。

 ガイアスを死なせるだけではなく何も報いることもできず、姉とスリーピングナイツを呪った穢れに塗れ、挙句にUNKNOWNとアリーヤの安否も分からず、レギオンへの無条件の憎しみさえ奪われた自分が待っている。

 

「良し! あたしも気合入れ直さないと! サクヤさんを助けて、お兄ちゃんとアスナさんを再会させて、それからオベイロンの鼻っ面に100発はストレートをお見舞いしてやるんですから!」

 

 両頬を大きく手で叩き、豊満な胸を揺らして立ち上がったリーファはシリカと競うように脱衣所に消える。

 残されたのはユウキとアスナだけであり、距離にしてリーファが抜けた1人分の隙間があった。

 

(……とても奇麗な人。少し、姉ちゃんに似てる、かな?)

 

 雰囲気に近しいものを感じる。ユウキはシリカたちを見送るアスナに近寄ろうとして、やっぱり駄目だと動きを止める。

 アスナと話したい。それはこの現実逃避の時間を続けたいという欲求だ。ユウキはシリカを追って水飛沫を散らしながら舞うピナの後に続く。

 

「ボクもそろそろ上がるね」

 

「……ええ」

 

 アスナも同じ気持ちなのだろう。いや、現実逃避という意味ではユウキもアスナも同じなのかもしれない。むしろ、彼女の方が自身の境遇について十分に把握していない分だけ、目を背けたいという意思は強いのかもしれない。

 だが、アスナはぬるま湯に浸かったまま何もかも忘れたいと望んでいないような意志の強さを双眸に宿している。ユウキはそこに僅かではあるが、UNKNOWNの瞳に宿っているものと同じ光を見たような気がした。

 目立つ仮面を外し、包帯を巻いた姿で旅していた頃に覗かせたUNKNOWNの瞳はどす黒い感情で……狂気に浸された自己憎悪で濁っていた。そして、それは聖剣という媒体を通して『力』への渇望に変わっている。もしかしたら、ユウキがこうして彼の悲願と語らっている間、彼はガイアスの死に苦しみ、彼が語った聖剣がもたらす『力』への誘惑の禁忌に手を伸ばしているかもしれない。

 脱衣所に入ればシリカはピナを優しくタオルで拭き、リーファは早々に着替えを済ませて帯剣すると髪も結わずに出ていくところだった。自分の血塗れの衣服はわざわざ洗濯に出されているらしく、代わりに薄い紫色の寝間着が置かれていた。

 オートで血の汚れも消えるのに。時間こそかかるが、わざわざ洗濯しても無意味だろうとユウキは冷めた考えを持つ一方で、わざわざ寝間着を準備してくれたシリカ達の計らいを無下にも出来ず、大人しく従うことにした。

 幾ら側室・愛人用とはいえ、貴族の館だ。広さも相応であり、ユウキの部屋も割り当てられている。

 

(アスナさんやシリカはアルヴヘイムで戦力を整える準備をずっと進めた。その間にボクがしてた事って何? 何もしてない。何も出来ていない)

 

 まだ濡れている髪をタオルで隠しながら、ユウキは自分に割り当てられた2階の1室のドアを開けようとして、窓の外で月光に染まりながら剣を振るうリーファの姿を目撃する。汗を流したばかりだというのに、リーファは鬼気と迫る形相で仮想の敵を想定して稽古をしている。

 剣道という基礎があるとはいえ、ALOにおいて名の売れた剣士であり、今日までDBOを生き抜いたとしても、彼女はこのアルヴヘイムを生き抜くには『力』が足りないと感じているのだろう。それは風呂場では見せなかった必死さであり、兄と似通った危うさのようにも思えた。

 あんな姿を見せられてはベッドに潜って休むなんて出来ない。ユウキはリーファの太陽のような眩しさから逃げるように手にかけていたドアノブから離れ、小走りで階段を下りて1階のエントランスを抜ける。

 大きな満月は銀色であり、アルヴヘイムの住人は『アルテミスの月』と呼ぶ。銀月の君と謳われるアルテミスは狩猟において守護を務める女神であり、アルヴヘイムの狩人たちは一様にしてアルテミスの信徒なのだ。

 UNKNOWNは暗月神グウィンドリンの別名と考えていたらしいが、ガイアスとの旅の最中で様々なアルヴヘイムの歴史に触れる度に違和感を覚えていたらしく、全く別の存在なのではないかとも疑っていた。確かに弓の名手でもあるグウィンドリンは狩りの女神に相応しいかもしれないが、アルヴヘイムにおいてわざわざ暗月神を『銀月』の君と呼ぶ理由がおかしいという事だ。

 固く閉ざされた正門は簡単に跳び越えることが出来る。いかに治安が良い部類の宗教都市とはいえ、寝間着で女性1人が外を出歩けば『どうなるか』は言うまでもない。召使のインプ達が明日の朝食の食材を裏口から搬入していくのを見つめながら、それなりに広い庭を回るようにユウキは足を気ままに動かす。

 なるべくリーファの邪魔をしたくないと、同じ庭でも彼女の視界に入らない、人工の小川が作られた庭園にたどり着く。さすがはティターニア教団の総本山と言うべきだろう。ティターニアの石像がこれでもかと設置され、彼女の美と慈愛を湛える芸術性を感じる。

 手入れを欠かしていないだろう芝生の上に腰かけ、ユウキはぼんやりと銀の満月を見上げる。

 

「……聖剣」

 

 ボクが望んでも『得られる』のかな? そんな邪な欲望が疼く。その芽生えにいち早く気づいたユウキはガイアスの横顔を思い出して抱えた膝に顔を埋めた。

 醜い。醜く穢れ、ついにはUNKNOWNに否定してあげたかった『力』への渇望すらも疼いている。聖剣を欲してしまっている。

 シリカの話ではランク1のユージーンも既に合流している。今のところ彼は別所で活動しているとの事だが、これで西にいるだろうシノンとレコン、そして行方不明ではあるが、グングニルが上手く誘導しているだろうUNKNOWNと合流すれば、アルヴヘイムで考え得る限りの【来訪者】の大戦力グループが出来上がる。

 だが、UNKNOWNとアスナを会わせてはいけない。グングニルの忠告が頭から離れない。それが余計にユウキを左右から押し潰すように心を軋ませる。

 

「風邪ひくわよ?」

 

 まだ濡れている髪に被ったタオルをゆったりと動かして拭いたのは、いつの間にか後ろに立っていたアスナだった。

 

「アルヴヘイムって不思議ね。アインクラッドでは病気なんて考えられなかったのに、伝染病もあるし、食中毒もある」

 

「DBOはそんな事ないよ?『これから』あるかもしれないけど、少なくとも濡れた髪を放っておいても風邪は引かないし、血だってもっとエフェクトとしての表現だし」

 

「でも汗は掻くし、お風呂に入らなかったら体はどんどん汚れて臭くなるんでしょう? やっぱり大変よ。でも、何よりも1番大変なのはスタミナ管理かな? リーファちゃんの助言は聞いてたのに、ソードスキルを連発して何度もスタミナ切れで倒れちゃったの。やっぱりSAOの癖って簡単に抜けないわね」

 

 それは≪刺剣≫の基礎的ソードスキル、リニアーの発動モーションだろう。剣を持たぬ右手を振るう動作は流麗であり、何千何万と繰り返された反復作業の結晶のように輝いて見えた。髪を拭き終わったタオルを首にかけながら、ユウキは月光を浴びるアスナに見惚れる。

 

「そ、ソードスキルを主体にして戦うならCONとスタミナ回復速度上昇のバフがかかるように装備を整えると良いよ! CONが増えればその分だけ継戦能力も高まるから、最初はVITとCONを中心にポイントを割り振っていけば生存率も高まるし」

 

 慌ててユウキは口から誤魔化しのアドバイスを吐く。低VITかつ低CONのユウキが言っても説得力はないが、最初にVITにポイントを振って置けば生存率は格段に高まる。CONがあればスタミナの限りに逃げられるのでお勧めは間違いないのだ。

 

「ふふふ、貴重なアドバイスありがとう。リーファちゃんにも色々と指導を受けてるんだけど、SAOのシステムが流用されてる分だけ戸惑っちゃうんだ。でも、私もリーファちゃんみたいに奇跡を使いたいし、MYSにもポイントを振ってるの。そうなるとPOWも高めて魔力も確保しないといけないし。DBOってレベルアップ以外にも成長ポイントを稼げるって聞いたけど、こう考えると望んだビルドに成長させるには何かを犠牲にさせないと無理なのよね。SAOよりも成長システムが複雑な分だけ難しいわ」

 

「へぇ、奇跡かぁ。ボクは魔法剣士なんだ。INTにポイントを振ってるけど、最近は闇術を――」

 

 そこまで口にして、ユウキは闇術が使用できると教える事は自分が人殺しに手を染めていることだとアスナに告白しているのに等しいと気づき、口を噤む。そして、アスナの憂いを帯びた目が闇術の習得条件を知っている事を物語る。

 

「……デスゲームだもの。殺さないといけない時はあるわ。そうしないと生き残れない時、きっと殺人は肯定される。私は憶えている限りでは、誰も殺せなかった。殺さないといけない時も……殺せなかった。きっと、思い出せない『あの人』に……【黒の剣士】さんに背負わせてしまった時もあるわ」

 

「殺さない方が良いよ。殺さないで済むなら……きっとその方が良いよ」

 

 ユウキは今まで何人も手にかけてきた。必要とされた分だけ殺してきた。犯罪ギルドに属する限り、それは必要な『仕事』だった。

 ボスがDBOの裏社会とも言うべき犯罪ギルドの武闘派頂点に立ち、『悪』の統制にかかる計画を進める中で、それに反する者たちは少なからずいた。彼らの粛清はチェーングレイヴの役目であり、また用心棒として裏の秩序を害する者たちも処断せねばならなかった。

 何も感じなかった。死は隣人であると理解し、死の恐怖を克服したユウキにとって、死とは悪しきものではなかった。

 強い者が生き、弱い者が死ぬ。そんなシンプルな理屈こそが戦いと殺し合いの全てなのだと信じていた。今もまたユウキの中でそれは覆らない真理だ。

 だが、ガイアスの死を間近で見た時……ユウキにとって死は恐怖ではなくなったとしても、喪失の恐怖は欠片として薄れていない事に気づかされた。

 親しき者たちを次々と失い、もう何も無かったユウキにとって、死の恐怖とは自分だけのものだった。死とは自分の隣人だった。だが、親しき者の死は悪魔の演奏となり、心を掻き毟ってひっかき傷を作るものだと思い出した。

 クゥリの殺意は甘く優しく蕩けるようだ。クゥリに殺されたい……『愛されたい』とユウキは今も強く想う。彼の指が喉に触れて加圧するだけで胸は締め付けられるほどに喜びと悦びを覚えるだろう。

 だが、それは『自分だけ』の場合だ。ユウキにとって親しい人たちに同じ死を与えたいとは思わない。ガイアスに同じ死に方をしてほしいとは絶対に思わないだろう。

 

「『彼』だって背負わされたって思ってないよ。アスナさんの為なら……『彼』はどれだけの罪だって自分で背負う。そんな人だよ」

 

「でも、重荷を背負い過ぎたら潰れちゃうわ。『死』は人間にとって1番重くて苦しくて……一生消えない呪いだもの」

 

 それは死人が語るからこそ重みが生まれる言葉だった。そして、それは限りなく真理に近しいものだろう。

 ユウキの穢れも姉やスリーピングナイツの『死』から生まれたものだ。自分を置いて行った彼らに……残された孤独な病室の暗闇に……彼女は呪いを見出した。それは『死』という喪失から始まったものだ。

 もしかしたら蘇った彼女は自分自身こそ『呪い』だと感じているのかもしれない。今ここに『生』がある事に罪悪感を覚えているのかもしれない。人類の歴史で『死』という覆らなかった別れに反した自分自身が恐ろしいのかもしれない。

 

「アスナさんは! アスナ……は……『生きたかった』んでしょう?」

 

「うん。『生きたかった』なぁ。でも、私……もう『死んじゃった』みたいなの。だから、これはホイッスルが鳴るまでのロスタイム。神様が与えてくれた……私が『やり残した事』をする時間だと思ってるわ。だから、精一杯頑張らないと。私が『できる事』の為に」

 

 でも、それじゃあボクと『同じ』だよ。ユウキは顔を伏せながら、言葉に出来ずにアスナの決意にどう告げるべきか困惑する。

 ユウキもそうだった。茅場から与えられた『延長戦』なのだと思い、死を隣人として恐怖せず、ひたすらに剣を振るい続けて【黒の剣士】の首を狙い続けた。

 だが、クゥリとの出会いで狂ってしまった。彼女の中で理路整然と終着駅を目指していた彼女に、汽車の乗り換えという『迷い』が生じた。

 

 

 

「『生きよう』よ」

 

 

 

 だからこそ、ユウキは顔を上げるとアスナを見据えて、縋りつくように近づきながら呟いた。

 

「神様がくれたチャンスなんかじゃない。神様はそんな慈悲をくれない。悪魔は気まぐれでダイスを振るけど、神様は何もしない」

 

「……ユウキちゃん」

 

「アスナは『終わった』んじゃない。まだ『続いてる』んだよ! 死んでなんかない! アスナは死んでない! だって……だって、アスナは……今ここに『いる』もん」

 

 ごめん、ボス。ボクは……ボクは……ボスと同じ『道』はいけないよ。頭がグチャグチャになりながらも、アスナの今にUNKNOWNの壊れかけの姿を重ねてしまって、ユウキはチェーングレイヴとして決して口にしてはならない『裏切り』を叫ぶ。

 

「好きなんでしょ!? アスナは【黒の剣士】が好きなんでしょ!? その心に……魂に生死なんて関係ないよ! だから……だから……」

 

 どれだけ記憶を失っていても、『彼』を思い出そうとするアスナの目に灯っていた熱に嘘偽りはないはずだ。彼女を突き動かす【黒の剣士】への想いは拍動を続ける生きた意思のはずだ。それはまだ遺志などになっておらず、彼女を熱く焦がし続けているはずだ。

 だが、うまく言葉に出来ず、ユウキは必死に繋がらない鎖を弄ぶように舌に想いを乗せようとする。しかし、続きはどれだけ強く想っても出てこない。

 

「ごめんね、ユウキちゃん。ありがとう」

 

 そっとアスナは言葉を探すユウキの頭を抱擁して引き寄せる。もう十分伝わったと感謝を告げる。その声音は少し濡れているような気がしたのは嘘ではなく、抱きしめられたユウキが見上げれば、僅かに潤んだアスナの双眸があった。

 

「今の私に【閃光】なんて呼ばれてた頃の『力』はない。私にできる『戦い』は限られてるわ。だから、私には『できる事』をするしかないって……そう思ってた」

 

 それはアスナの中にあった諦観なのだろう。オベイロンに囚われている間に……脱走の時に何が起こったのかはユウキも知らない。だが、リーファの話と態度の限りでは大活劇の果ての幸福な幕閉じなどではなく、彼女たちに暗い影を落とすものだったのは間違いない。

 

「私も肯定されたかったのかな? 私は『今も生きてる』って……言われたかったのかもしれない」

 

「『生きてる』よ。アスナは……『生きてる』」

 

「うん。私は……『生きてる』。だから……だから会いたいよ。たとえ忘れてても……【黒の剣士】さんに会いたい。全部思い出せないとしても、私はそれを新しい『スタート』にしたいの。私が『生きてる』実感にしたいの」

 

 最後までアスナは涙を流さなかった。喜びの涙として流したいからこそ、それはいつか出会うだろう【黒の剣士】との再会まで取っておきたいのだろう。ユウキはそれで良いとアスナに抱きしめられたまま頷いた。

 

「本当は私が元気づけようと思ったのに、これじゃあ私が甘えちゃったみたいね。年上なのに失格かな?」

 

「えー? ボクの方がきっとおねーさんだよ? だって18歳だもん」

 

「……え? でも見た目が……ま、まぁ、それは置いておくとして、私の場合って年齢の概念はどうなるのかしら?死んだ時の年齢に須郷に囚われている間の体感時間を大よそ加算すると……21、2歳ね。あーあ、貴重な10代がこんな風に潰れるなんて思ってなかったなぁ」

 

「そっかぁ。10代……うーん、ボクの10代……」

 

 苦笑するアスナに、ユウキは自分の短い人生を振り返る。そして、『生きる』とは何なのかを考える。

 姉。闘病。スリーピングナイツという仲間。死別。病室の闇。穢れと呪い。神様の否定。彼女の中で多くの出来事と要素が巡っていく。

 

「……ボクね、悔しいんだ。アスナも、シリカも、リーファも、ボクの知らない、知ろうとしなかったクーのことをたくさん知ってる。ボクね、ほとんどクーの事は知らない。だって、ボクは『ボク』の事を何も語ってこなかったから。だから、秘密を抱えた分だけクーに踏み込もうとしなかった」

 

「本当に【渡り鳥】くんの事が好きなのね。でも、だったらこれから知れば良いじゃない。向き合いたいんでしょう? たくさん知ってるから好きになるんじゃない。理解してるから好きになるのでもない。好きになるから……好きになるんだもん」

 

 月明かりの下なのに、アスナの言葉と微笑みに太陽を感じ、ユウキは眩しくて目を細める。

 アスナはきっと太陽なのだ。UNKNOWNの気持ちが分かって、姉と同じ眩しさを覚えて面影を重ねる。

 ユウキもUNKNOWNも暗闇の中に……夜に閉じ込められた者たちなのだ。

 夜明けを知らず、ひたすらに暗闇を旅する者たちなのだ。

 

「ねぇ、アスナ。もう少し……こうして貰って良い? もうちょっとだけ……甘えたいんだ」

 

「うん、良いよ。頑張って『生きよう』、ユウキちゃん。私も……明日も、明後日も、この『命』の限りに『生きる』から」

 

 だからこそ、闇にある者たちはどうしようもなく太陽に焦がれるのだろう。

 そして、闇の中にいるからこそ、静かに優しく温かな篝火に……暗闇を照らす導きの月光に……惹かれてしまうのだろう。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 朝焼けの空の下、ユージーンはまだ目覚めを迎えていない村の片隅にて、切り倒された大木の台座にのせられた『獲物』を睨む。

 

「フン!」

 

 大剣……ではなく、薪割り用の斧を振り下ろす様すらもランク1は威風堂々でなければならない! ユージーンは額に光る汗を逞しいで腕で拭いながら、慣れない斧の扱いに内心で顔を顰めながら、数百に及ぶ薪割り作業を終えた。

 

(薪くらいもボタン1つで自動分割すらできんとは。DBOのこういう利便性よりも体感性を重視した仕様は時として手間だな。それが良いという連中も多いが、オレにはやはり性が合わん。どうにもこの体感重視の仕様はプレイヤーを『仮想世界を現実とより深く錯覚させる』為の毒にしか思えん)

 

 その胸の内を吐露すれば各所の議論をより活性化させるのだろうが、そこはランク1だ。威風堂々、傲慢不遜、苛烈ながらも冷静なる沈黙を保たねばならない。ランク1は風評との戦いでもあるのだ。

 だが、こうして他人の目を気にする必要がないアルヴヘイムだからこそ、ユージーンは多くの新しい考えにも思考を振り分けられるようにもなった。その1つが手元の薪割り用の斧だ。

 ALOで使い慣れた大剣で戦おうと決めた時、ユージーンは≪特大剣≫を扱うことも選択肢に入れた。

 決して軽くない重量とスタミナ消費量と引き換えに、特大剣は攻撃力を含めた絶大な性能を与えてくれる。使いこなすには他の武器と同様にプレイヤー自身の熟練が必要となるが、真に我が物とすれば数多くの刀剣カテゴリーの中でも輝ける潜在能力を秘めている。

 盾同然のガード性能、高い衝撃とスタン蓄積、ソードスキルによる火力の伸びは最高クラス、しかも壊れ辛く、総じて高い打撃属性も保有しているので斬撃属性が通らない場合でも重量任せに叩き潰せる。利点であるリーチそのものが状況においては使い辛さを増幅させる場合もあるが、それは両手剣も同じである。

 だが、ユージーンはあくまで≪両手剣≫を極めることを選んだ。それは呪術の併用だけではなく、特大剣は≪剛力≫で片手持ちするにしても限界があるからだ。そもそも両手剣にしても特大剣にしても両手持ちが前提ではあるが、≪剛力≫によって片手持ちが可能であるならば、そのリーチと片手持ち時で目減りしているとはいえ十分過ぎる火力を振り回せる。また両手剣も特大剣程ではないにしてもガード性能は高く、片手剣に比べても咄嗟の盾としてもそれなり以上に優秀だからだ。特にユージーンが好む重量型両手剣は半ば特大剣に片足を突っ込んでいる部類なので、彼の理想に合致していたと言えるだろう。

 とはいえ、他の武器カテゴリーに興味が無かったわけではない。何処かの傭兵みたいに節操なく武器系スキルを習得したいとは思わないが、≪両手剣≫を除けばサブウェポン用の武器系スキルが無いのはいかがなものかともユージーンは思う。だが、呪術も保持するならば武器枠を増やさねばならず、それは限られた獲得できるスキル枠の消費となる。スキルの振り直しができないDBOにおいて、ステータスポイントと同等かそれ以上にスキル選択は重要なのだ。

 

(だが、≪斧≫は欲しいとは思うところだな。ハンドアックス程度ならば取り回しも火力も十分。戦争も控えている。オレの剣技を活かせん場面が来た時、格闘攻撃と呪術だけでは心許ない。サブウェポンの有無は生死に直結する。魔剣ヴェルスタッドのお陰で奇跡を使えるようになったとはいえ、武器の性能はスキルではない)

 

 頭角……もとい本性を現し始めたHENTAI共の善悪を超越した影響力のせいで、また通常のMMOではあり得ない程の大ギルドによるリソースの独占によって、DBOの装備・アイテム事情は備わっていたシステムの自由性が拍車をかけて、カオスを超越して狂気の沙汰に突入しているとユージーンは呆れている。

 たとえばソウルアイテムなど、本来ならば1人のプレイヤーやギルドに幾つも集中するものではないだろう。デスゲームという無限コンティニューができない環境下だからこそ、よりレアリティの高く、ユニーク性の高いアイテムや武器に触れられるプレイヤーは限定され、また凶悪極まりないネームドやボスにトドメを刺してラストアタックボーナスを得られる者は更に選別されていく。

 ユージーンは傭兵という立場とはいえ、クラウドアースの専属だ。基本的に得たアイテムは依頼時の契約内容にもよるが、クラウドアースの基本方針は買い取りになる。ソウルやユニーク系のアイテムなど顕著だ。だが、ソウルの火種の発見と価格高騰以前から希少性により高値がついていたソウル系アイテムは易々と買い取れるものではなく、『保留』扱いとしてクラウドアースに管理を任せているものも多い。

 ボスやネームド戦に頻繁に参加するユージーンだからこその実感であるが、陣営によってユニーク系ソウルを巡る契約内容は大きな違いがあると感じる。

 まずクラウドアースの場合は基本的に所有権は獲得した傭兵のものであり、買い取り制を推奨している。故に売却せずに我が物にもできるのだが、そこはクラウドアースだ。あの手この手で様々な『特典』をコル以外にも上乗せし、『扱いに困るソウルを弄ぶよりも売却した方がメリットは高い』という半強制的にも等しい交渉を仕掛けてくる。そもそもソウルの火種が発見されたとはいえ、保有している鍛冶屋は限られている。そのまま装備や魔法に変じさせるにしても、素材化するにしても、大ギルドを通さねばならないのはほぼ必須条件なのだ。だからこそクラウドアースのやり方は彼らのモットーらしく実にビジネス的だ。

 対して太陽の狩猟団は『ドロップ系アイテムに関わる価格表』を常に契約と共に表示するスタイルを取っている。つまり『何がドロップしようとも太陽の狩猟団に所有権はある』という事になるのだ。これはクラウドアースに比べれば自由性に劣るようにも映るが、ユージーンが見る限り、傭兵間ではそれなりに好評だ。というのも、レアリティと性能が合致しないのはDBOの常だからである。ならばクラウドアースのように鑑定が入ってから価格決定されて買い取り価格に明確な振れ幅があるよりも、最初からそれなりの高額が提示されている太陽の狩猟団のスタイルは傭兵からすれば安定した報酬の確約にもなるのだ。これはボーナスで釣る太陽の狩猟団のやり方らしいと言えるだろう。

 最後に聖剣騎士団であるが、この大ギルドは珍しく正規ギルドメンバーはドロップした者が所有権を得るという方針を取っている。無論、ギルドからの脱退者が『持ち逃げ』することは許されないが、ギルドメンバーとして戦う限りには自身の命を懸けて得たアイテムは個人の名誉として尊重されるのだ。とはいえ、大半のギルドメンバーはレアアイテムやユニーク系ソウルを持っていても遊ばせるばかりだ。故に聖剣騎士団はギルド側が『交換』を提示する。コル、家、オーダーメイド装備等々に取り換えるのだ。そして、それは例外的に専属傭兵にも適応されている。逆に独立傭兵には徹底した『搾取』が有名であり、一律でギルド所有となる。多少のボーナスが報酬に上乗せされる程度だ。だが、代わりのように約束される基本報酬が他2つのギルドに比べて高額である為か、独立傭兵からはあまり不満の声は無いという。むしろ安定した報酬という意味では聖剣騎士団こそ1番人気だ。

 ソウルの活用方法は発覚して以来の大ギルドの基本方針に対していかに交渉するのか。それは専属だろうと独立だろうと傭兵と二人三脚のマネージャーの役目だ。だが、ユージーンの場合はマネージャーを雇っておらず、またクラウドアースの基本方針に全面的に従っている上に、ランク1としての破格の扱いも受ける立場なのもあり、そこまで悩む機会はない。

 しかし、こうして初となるソウルを素材化し、HENTAI達の手によって生み出された魔剣ヴェルスタッドを握ってみて実感したのは、武器のユニーク性能とユニークスキルの大きな隔たりである。

 ユニークスキルは癖こそ強いが、条件さえ満たしていれば十全にいつでも発揮できる。たとえばユージーンの≪剛覇剣≫は名前こそ『剣』がついているが、両手持ちが可能な武器ならば槍・斧・戦槌など種類を選ばずにエンチャントが可能であり、ガード無効化、専用ソードスキル、ドラゴン系特効などの破格の性能が付与される。また攻撃力も大幅に上昇するのだ。彼が≪剛覇剣≫を使用すればアルヴヘイムで一般的な……レベル10前後までがせいぜいだろうブロードソードでも名剣と呼ぶに相応しい火力を得る。無論、基礎性能が低すぎるので限度はあるが、それでも≪剛覇剣≫による補正は大きい。

 対UNKNOWNに向けた戦術・戦略を組み立てているクラウドアースは≪二刀流≫の条件として『片手持ち武器』こそ条件と推測している。≪剛覇剣≫のエンチャント条件が『両手持ちが可能な武器』であるならば、≪二刀流≫は『最初から片手持ち』ではなければならないのだ。≪剛力≫によって片手持ちが可能となる両手剣や特大剣には不可能だろうと判断している。だが、条件さえ満たせば≪剛覇剣≫と同じで火力上昇、専用ソードスキル、そして恐らくだがラッシュ力を活かす為に防御力や衝撃・スタン耐性、スタミナ回復速度などは向上しているはずだとこれまで蓄積したUNKNOWNの戦闘データからクラウドアースは看破していた。まだ≪集気法≫については不明確であるが、魔法・奇跡無しでバフをかけられ、なおかつ攻撃転用も可能であると危険視し、場面を選ばない汎用性の高さはユニークスキルでも最上位ではないだろうかと鋭意情報収集と分析を続行している。

 このようにユニークスキルは数こそあっても英雄の力と呼ぶに相応しい程にデメリットと呼べるデメリットは存在せず、純粋にプレイヤーの能力をブーストしてくれると言えるだろう。他にも発見されているユニークスキルにはサポート特化などもあるようであるが、いずれも存在しているだけでプレイヤーを強化してくれる。

 対して武器のユニーク性能はあくまで武器に依存するものであり、プレイヤー自身が保有するものではない。たとえば、魔剣ヴェルスタッドは奇跡の発動が可能となる強力な能力を保有しているが、当然ながらそれはユージーンが所有する能力ではないので、他の武器で奇跡が発動可能になるわけではない。また武器の所作に依存する場面も多く、ユニークスキル以上の癖の強さがネックとなる。あくまで武器の持つ能力は『武器の延長』に過ぎないのだ。故にプレイヤー自体を強化するにも等しいユニークスキルとは性質がまるで異なる。

 レベルが高まれば高まる程に武器の性能は追いつかなくなる。それを何とか補うべく鍛冶屋も奮闘するが、どうしようも無い時には泣く泣くお蔵入りするしかない。素材にして記念品としてのオブジェクト化するか、アクセサリー系に生まれ変わらせて大なり小なり能力を多少でも受け継がせるのがせいぜいだ。噂によれば、『破損した武器の素材化と再利用』において伝説の鍛冶屋GRは『何故か』他の追随を許さないという噂が流れているが、それは鍛冶屋事情に詳しくないユージーンの興味の範疇外だ。

 とはいえ、ユニーク系武器は基礎攻撃力と強化による上昇幅もさることながら、何よりも熟練度による恒常的性能上昇値が他よりも高めに設置されている。熟練度の限界も桁外れであり、振れ幅はあるとはいえ、しっかりと使い続ければ最後まで戦えるだけの火力を確保するのも難しいわけではない。だが、それでも技術が日進月歩、新たな素材が続々と発見されるDBOの事情において、幾らユニーク系でも時間と戦闘数という有限のリソースを割いて熟練度の成長に勤めるのは余程の傑作か愛着がなければ無理だ。

 またユニーク系であればある程に破損時のリスクは高まる。『能力はあるのに使用できなくなる』という事も十分にあり得る上に、修復しきれなければどれだけ強力な能力が備わっていても意味がない。

 故に武器に過大な性能を付与するのは極めてリスキーであり、ユージーンはその特性が濃く反映される変形武器をあまり好まない。魔剣ヴェルスタッドは変形機能こそ備わっていないが、その分だけマイルドな仕上がりだ。だが、それでも剣としては『修復可能』でも、半ばから折れれば奇跡発動という能力は消失する恐れがあると説明を受けている。故にユージーンが奇跡の使用可能になったことで新たな戦術や戦略を組み立てるにしても、ありきの戦法に依存するようになってはいざ失われた時の反動が大きくなるのだ。

 

(もっとも、ユニーク……それもソウル由来や素材ともなれば耐久性能も高め。余程の事が無い限りは能力が修復不可な程な破損は無いとの事だが、ユニークスキルと同じような運用は危険だろうな。やはりユニークスキルはモノが違う)

 

 魔剣ヴェルスタッドを朝陽に浴びせ、不死廟の最奥にいた騎士と同じカラーリングの大剣にユージーンは剣士としての誇りを感じる。この剣と共に完全攻略の日まで戦い抜く。この剣にはそれだけの『力』が備わっているのだと満足する。あれこれ多彩な能力を付けても使いこなせず、また不安が増えるだけならば本末転倒なのだ。それに今の自分では≪剛覇剣≫の真の性能を引き出せていると胸を張れる程にユージーンは恥知らずでもない。

 まだまだ≪剛覇剣≫には見果てぬ底があるはずだ。それを我が物としてこそランク1! その全てを手にして、来たる傭兵最強を決める戦い……UNKNOWNとの決戦で自分こそがランク1こそが傭兵最強であると証明し、そしてDBOを完全攻略に導く『英雄』であると知らしめる。その義務と責務が『ランク1』という称号にはあるのだとユージーンは改めて覚悟を決める。

 

(恨んでくれても構わん。だが、貴様が真にSAOを完全攻略に導いた『英雄』ならば、その称号はオレが奪い取ろう。過去の遺物。貴様もそれで良いだろう? 同じ剣士として……戦士として、貴様を倒し、その重荷を下ろさせてやる。それも『ランク1』の務めだからな)

 

「……とか何とか思ってそうな顔で物思いに耽るとは、ランク1は何処まで行ってもランク1のようだな」

 

 ぬおっ!? 驚愕が表情に出そうなるのを何とか奥歯を噛んで堪え、ユージーンはいつの間にか背後にいたサクヤに振り返る。

 レギオン化の影響か、隠密ボーナスなどは関係無しにサクヤは気配の隠し方が格段に上達した。まるで野生の獣が獲物の背後を取るのに何の手解きも要らないのと同じように、彼女は密やかに相手の五感と意識の『死角』に潜り込むのだ。

 サクヤ曰く、レギオン化に伴った模され劣化した殺戮本能……その断片が与える『力』だという。仮にレギオンプログラムがあれ程までにおぞましく有害でなければ、前回の発汗機能搭載などの不要過ぎるアップデートが来た時に、プレイヤー全員に搭載してもらいたいものだとユージーンは思う。

 

「読心もレギオンプログラムの能力か?」

 

「いいや。お前は寡黙なフリをして目がよく語るタイプだからな。これでも私たちは付き合いが長い方だろう?」

 

 明けたばかりの夜の名残を感じさせるような肌寒い風に靡く髪を押さえながら、サクヤは気さくに笑う。

 

「戦士として目が語ってはまだまだ二流か」

 

「感情が目に乗らないならば人形と同じだろう? 剣筋や狙いが看破されるならば論外だが、気持ちくらいは眼に映し込まねば心の持ち腐れだ」

 

「……そうだな。オレも貴様も心がある限り、そういうものかもしれんな」

 

 納得して薪割り用の斧をその場に置き、山積みになった薪を荷車に乗せて運ぶ。それは彼らが滞在するこの村にある保管庫に持ち込まれた。これは滞在中にユージーンから申し出た『奉仕作業』であり、長居する村で少しでも円滑なコミュニケーションを取る為の策だった。

 東の要、宗教都市より北方にやや北方に進んだ場所だ。赤雷の黒獣によって崩壊した都市があったとされ、それらは遺跡となって地盤沈下と共に沈み、今は広大な森と化している。地下遺跡と捩じれた木々、それらはダンジョンのような様相を作り、事実としてトレジャーハンターが今も潜ることが多かったが、既に掘り尽くされ、せいぜいが珍味とされる大サソリを狩る美食家が傭兵を派遣する程度である。

 

「あれが『約束の塔』か」

 

 荷車をあるべき場所に置き、目覚め始めた村人たちに挨拶しながらユージーンは森の向こう側に小さく望める白い塔を睨む。それは遺跡の森に先にある三角錐状の塔だ。最初のアルフがオベイロンに召された場所とされ、今もアルフとなる事が選ばれた東の住人はあの塔を上り、オベイロンへの謁見を望むとされている。

 塔の周辺は周辺は幾多の崖と急流の危険地帯であり、モンスターもあまり生息していない。遺跡の森も含めて宗教都市の大貴族バーンドット大司教の領地でもあり、道も整備され、崖を渡る橋も多くかけられている。アルヴヘイムでも珍しい『安全』が確保された巡礼の地なのだ。

 この村もそうした巡礼客を目当てにして生まれた村であり、余所者にも寛大だ。宿泊施設もあり、ユージーンたち以外にも巡礼者が何人か寝泊まりしている。

 本来ならば着々と戦力として整いつつある傭兵や荒くれ者の部隊……『計画』通りに進めば『騎士団』となる組織から、こうして名目上も実力もトップのユージーンが離れている理由は大きく分けて2つある。

 まず1つ目はサクヤだ。マザーレギオンの助言通りならば、サクヤからはなるべく闘争を遠ざけねばならない。今後しばらくは混乱の中心になりかねない宗教都市から離れた場所に移さねばならなかった。また、リーファとの接触をサクヤが望まない以上、ティターニアことアスナ一派と組んだ現在、彼女を要塞跡に在住させるのはリスクが高いと判断したのだ。

 そして、もう1つは深淵狩りの契約と鍛冶関連だ。アルヴヘイム全土を回りたいが、場所も定かではない以上、近場から片づけるのが望ましいのである。今回、ユージーンが契約の履行を求める相手は深淵狩りの手帳でも『あまり好戦的ではない』とされる魔族、ツリーマン……樹人だ。

 外見は樹木のようであり、約束の塔の周辺にて木々に擬態してひっそりと暮らす彼らは治癒の力を持つとされている。奇跡ではなく、モンスターとしての回復能力が広く恩恵を与えるならば、彼らの協力を得られれば貴重なヒーラーを纏めて確保できるのに等しい。だが、肝心要の樹人は擬態している時は区別がつかないらしく、深淵狩りたちも契約こそしたが、ひたすらに隠れる彼らにどう助力を請うべきか苦慮していたことが手帳には記されていた。

 

「何でも約束の塔は貴族の婚姻の儀も執り行う神聖な場所でもあるらしいぞ。後で私達も寄ってみるか?」

 

「……それは『同意』と取るぞ?」

 

「今更だろう。私も女だ。あれだけ情熱的に口説かれればさすがに靡くさ。それともランク1は言葉の軽さもランク1なのか?」

 

 かつてない程に悪戯っぽくユージーンを見上げたサクヤの表情が別物のように感じ、思わず心臓を揺さぶられる。

 ……この調子はどうにも慣れん。困惑してしまったユージーンに満足したように、鼻歌を奏でながらサクヤは踵を返す。

 さすがは巡礼の宿泊地も兼ねているということもあり、オベイロン神殿は客人に振る舞う食堂としても機能している。その神殿のすぐ隣には太陽寺院の小さな祠があり、『Y』のポーズをとる太陽信徒たちが朝陽に向かって信仰心を示している。

 

「やはり貴様はレギオンプログラムの影響を受けているな。こんな事はあまり言いたくないが、貴様の人格や所作にも過大な影響を与えているのは間違いないだろう」

 

「承知しているさ。プログラムとはいえ『本能』と冠するものだ。意識して切り離せるものじゃない」

 

 朝からステーキか? そう呟いて呆れて胸焼けする様子で顔を顰めたサクヤに、そう言う貴様は銀毛鶏のローストチキンではないかとユージーンは吐き出しかけた切り返しを呑み込んだ。なお、そんな2人と食卓を囲む他の巡礼者たちは朝から濃すぎる香りに苛まれているのは言うまでもない。

 

「肉……か。不思議だよ。私は喰らい殺した。あのゴーゴンを……ただ、血の悦びのままに、喰らいたいという欲求に耐え切れず……殺した」

 

 ローストチキンをナイフとフォークで丁寧に切り分けていたサクヤは、無神経な程に……あれ程の事があったのに肉を食すことに抵抗が無い自分が忌々しいように目を伏せた。

 洗脳状態のサクヤと共に攻撃してきた2体のゴーゴン。その内の1体はサクヤが喰らい殺し、もう1体は逃走して行方知らずだ。だが、まるで仲間の死によって正気を取り戻してしまったように、実に人間的な声で、生き残りのゴーゴンは叫び散らしていた。

 洗脳も可能であり、レギオンプログラムという人間を根本から冒涜する禁忌が存在するならば、人間をモンスターに作り替えるなどオベイロンには容易いことなのではないだろうか? ユージーンはその危機感をそのままデーモンシステムへの疑惑に繋げる。

 

「貴様が悔やむことではない。あの時はしょうがなかった。オベイロンの洗脳も――」

 

「いいや、洗脳は関係ない。私はレギオンプログラムの殺戮本能に支配されていた。お前が引き戻してくれていなければ、私は完全にバケモノになっていただろう。この目は『人』の心を映せなかっただろう。だから、本当にありがとう」

 

 礼を述べるサクヤの状態は心身共に芳しくない。故にユージーンは自分が守らねばと意志を改める。

 2人の朝食のニオイに耐え切れずに続々と巡礼客が出立する中で、呑気に食事を続ける彼らはむしろ無人になって好都合とばかりに声のトーンを高める。

 

「私なりの情報整理と推察だが、レギオンプログラムとデーモンシステムは密接に関与している」

 

「それはオレも同意見だ。むしろ関連付けない方が違和感がある。確か、貴様は『まだ』デーモン化を習得していなかったな?」

 

 デーモンシステムの解放は聖杯の儀式が不可欠であり、それは教会の秘儀であり、大ギルドにも公開されている。大ギルドは安易なデーモンシステムの解放を固く禁じており、正規メンバーにすら習得するにしても長期に亘る講義とコントロール訓練に莫大な時間を割くという。

 例外的に傭兵だけはデーモンシステムの解放に率先しているが、それでもデーモン化というよりもデーモンスキルが目当てな者が大多数だ。デーモン化は1歩間違えばモンスター化して『討伐対象』になるのだ。コントロールも難しく、またSANの成長が不可欠である為、使いこなしている者は少数である。

 ユージーンはいち早くデーモンシステムを解放し、デーモン化も含めて掌握に努力してきた。恐らくであるが、シノンのような危険性が低い低燃費のデーモン化を除けば、相応のリスクがある制御時間の減りが速い燃費が悪いタイプのデーモン化を使いこなしているのはユージーン1人だけだろう。なお、馬鹿の代名詞とされるグローリーは『デーモン化とは切り札っぽくて騎士らしいですね!』と別の意味でデーモン化をジョーカーとして扱っている。

 

「デーモン化制御時間はリアルタイムと直結しない。あくまで目安だ。SANとはSANITYの略称……つまりは正気を意味する」

 

「デーモン化制御時間とは『正気を保てる時間』か。そして、制御時間がゼロになると強制的に獣魔化が発動する」

 

「獣魔化は元々制御時間の減りが著しい。強制発動というよりも制御時間が無くなった事により獣魔化に移行し、そのままノータイムでモンスター化というのが正確なところだろう」

 

 だが、ユージーンは敢えて言わなかったが、クラウドアースの情報によれば、デーモン化制御時間がゼロになって獣魔化した後も『数十秒』ほどモンスター化しなかった事例もあるという。恐らくだが、スタミナや魔力といった隠しステータスのように『まだ戻れる』何かしらのステータスが関与しているのかもしれない。

 

(いや、それこそがプレイヤー……人間であろうとする尊厳か)

 

 レギオン化したサクヤを受け入れていなければ、こんなものはゲームシステム的ではないと冷たく切り捨てていただろう。

 だが、ユージーンはレギオンプログラムの存在によって意見を改めた。後継者が言うデス『ゲーム』とプレイヤーが無意識に判別していた『ゲーム』は同じ単語でも込められている意味がまるで違うのだと察知した。

 ステータス、武器、魔法、アイテム、HP、バフ・デバフといったゲーム的システムは確かに存在する。それはDBOで戦い抜く為に知り得ていなければならない要素だ。この世界を動かす法則だ。だが、ユージーンはそれに隠れた『何か』に脳を疼かせる。

 

「レギオンプログラムは強制的にプレイヤーのデーモンシステムをアンロックし、デーモン化及び獣魔化を発動させるもの。そして、そのアバターをレギオン系列に改変させてしまう。オレはそう考えた」

 

「『システム的』には当たりだろう。事実として私のデーモンシステムは不自然にアンロックされている。デーモンスキルなどは獲得していないし、デーモン化もできないが、項目だけは出来ているんだ。お前の予想の通りだろう。だが、そもそもとして、デーモン化とは何だ? どうしてプレイヤーのアバターが変わる? 獣人や魔人などある程度の方向性はあるにしても千差万別過ぎる。そもそもステータスやスキル構成とデーモン化の恩恵が合致しない例も多いと聞いている」

 

 サクヤの疑問はデーモンシステムに触れたプレイヤーならば必ず通る道だ。ユージーンの場合は恩恵と実際のステータスが合致しているが、脳筋なのに魔法特化のデーモン化だったり、遠距離攻撃主体なのに近距離でこそ価値があるデーモン化だったりと個人差があり過ぎる。

 

「その点だが、デーモン化を習得前には必ず途方もない心理テストが実施される。虚言が通用しないようにか、問題文を読んで選択肢を見た時点で続々と決定されるものだ。質問数が膨大なだけに便利だとは思ってはいたが、こうして考えると不気味ではあった」

 

「聞いたことがある。冤罪防止の為にVR技術を応用した嘘発見器がアメリカでは開発が進められているとか。それに確か大ギルドは既に武具の意識操作についても研究していたはず。随意運動の上位版とされているが、より根源的に人間の意識や思考とリンクして操作できる技術がDBOに搭載されていて、そのパフォーマンスを余すことなく活かせるガジェットとしてアミュスフィアⅢがカタログスペックを大幅に超過する実性能を持っているならば、大雑把でも人間が『いずれの選択をするのか』を判別するプログラムがあってもおかしくない」

 

 考え込むサクヤに、ユージーンは自分にはこの辺りが限界かと嘆息する。知略派とは言い難くとも相応の情報を集め、自分で物事を考える癖付けのお陰で、ここまで推理と考察を立てることができたが、これ以上は真に頭脳派と呼ばれる知性の持ち主でなければ、情報なしでは暴けないだろう。

 そして、それがサクヤにはできるとユージーンは睨んでいる。サクヤはローストチキンを燃料にするように口に運び、やがて閃いたように人差し指を立てた。

 

「これまでの情報の通りならば、デーモン化は『個人をアバターや能力に反映させる』システムだ。つまり、姿の差は遺伝子が個々で異なるのと同じだとすれば納得がいく。そして、自分の『本質』と『現状』にズレがあるならば、デーモン化の恩恵と実際のスタイルの乖離も頷ける。レギオンプログラムがデーモンシステムの制御を奪い取るものならば、『私』にレギオンプログラムが上書き……いや、『私』を『変質』させるのだから、結果的にレギオン寄りの外観と能力になるのも説明がつく」

 

「つまり、オレ達人間の個性……あるいは『本質』や精神状態の投影こそがデーモン化時の姿というわけか。そうなるとオレの『本質』は悪魔か」

 

「ふふふ、『悪魔的にワイルド』って意味かもしれないぞ? 真面目に答えるならば『闘争心とプライドが大きい』といったところかもしれないな」

 

 茶化すサクヤに、そういう貴様のレギオン化する以前のデーモン化の姿が気になるな、とユージーンは口惜しく思う。

 ならば、獣魔化とは……どれだけ本質に個人差があっても根底はケダモノに過ぎないのだという嘲りのような気がしてならず、納得がいかないユージーンは最後のステーキの切れ端を荒々しく咀嚼した。

 深淵と混沌とデーモン化、そしてレギオンプログラム。点は線に繋がっていく。ユージーンはようやく自分が本当の意味でDBOの舞台に立つことができたのではないかという錯覚に陥るが、それが真実なのだろうとステーキを呑み込んだ。

 

「やはりDBOは単純に『高難度ゲーム』を『高難度デスゲーム』にしたものではないな。これで確信がいった。茅場の後継者は完全攻略という出口は与えていても、別の目論見をDBOで取り組んでいると見て間違いないだろう」

 

「それは最初からだろう? 奴は言ったじゃないか。これは自分と茅場昌彦との勝負だとか何とか。詳しくは憶えていないが、奴からすれば私もお前も『自分のゲーム』に登場する駒のようなものだろう」

 

「フッ、自由意思を持った駒を用いた戦略シミュレーションゲームのつもりか。ならばせいぜい奴を裏切ってやるとしよう。だが、そうなると気になるのは後継者の対戦相手か。言葉の通りならば茅場昌彦なのだろうが、奴は死んで――いや、【閃光】のアスナが存在していた以上、『奴ら』には何らかの形で死者の自意識を仮想空間上に残す方法、あるいは再現する手段があるとみるべきだな」

 

 だからこそ、ランク1の責務は重くなる。ユージーンは何が何でも完全攻略を目指さねばならないと決心を改める。

 最近の彼の疑念の1つとして、はたして3大ギルドは真の意味で完全攻略を目指しているのかというものがあった。少なくとも、いずれの大ギルドも完全攻略という『大義』こそ掲げているが、その中身はそれぞれがまるで違うような気もするのだ。

 

「だが、怒りを禁じられんな。我々が命懸けでデスゲームに挑む実態が、奴らの『ゲーム』で駒としての戦いだったとは」

 

「傭兵なんて最初から大ギルドの駒だろう?」

 

「貴様、わざと言っているだろう?」

 

「ああ、もちろん。だから、さっさと啖呵を切ってくれ。冷静を保っているが、不安に押しつぶされそうなんだ。混沌としたDBOの裏事情を自分の思考でたどり着いてしまったんだぞ?」

 

 ならば仕方ない。目線で甘えるサクヤに、ユージーンはいつものように腕を組んで鼻を鳴らす。

 

「ランク1に任せておけ。オレが貴様も皆も完全攻略に導いてやる」

 

「……ここまで清々しいと、やはり大馬鹿者だな」

 

 言わせておいて呆れ顔とはやってくれる。羞恥などする必要もないユージーンだが、背中がくすぐったくて席を立つ。配膳を返し、そのまま太陽が昇り切ってすっかり明るくなった、活動を始めた村の様子を見て回る。

 

「おい、また街道で黒獣が目撃されたそうだぞ。西の反乱軍に補給を届ける最中だった行商が荷物を放って帰って来たらしい。こりゃ間違いないな」

 

「黒獣が? 糞! また仕入れがキャラバンの護衛代で高騰しちまう。深淵狩りは何やってるんだよ。あの迷惑な屑共にはそれくらいしか価値が無いってのに」

 

「ハッ! あの不吉な糞が黒獣を呼び寄せたに決まってるだろ。連中は一様に東に集まってたって噂もあったしな」

 

「女王騎士団が予備隊の募集もかけてるそうだ。もしかしたら黒獣討伐に乗り出すのかもしれない。こいつは騎士になれるチャンスかもしれないな!」

 

「お若いの、止めときなされ。黒獣に勝つなど人には無理じゃ」

 

「ああ、ティターニア様。どうか私達を深淵からお救いください。慈悲の手を。慈悲の手を!」

 

 黒獣。それはユージーンも情報集めた深淵の怪物だ。黒い体毛を持つ骨の獣であり、青い雷撃を放つ。アルヴヘイムでも目撃=壊滅にも等しい、最強格の深淵の怪物だ。ネームド級と見て間違いないとユージーンは踏んでいる。

 深淵系には光属性の攻撃が通じるが、生憎だがユージーンは攻撃系の奇跡を揃えていない。サクヤならば可能であるが、彼女を戦わせるわけにはいかないので選択肢には入らない。

 

「では、オレは嫌われ者の深淵狩りの契約を集めにいくとしよう」

 

「私も付き合おう。モンスターもいないならば大丈夫だろう。それに、人が多過ぎる場所は……色々と辛くなる」

 

 旅用マントのフードを深く被るサクヤは視線を背ける。殺戮本能が沈静化しているとしても取り除かれたわけではない。今はゴーゴン分の『殺し』が補充され、またユージーンの存在で鎮まっているだけの事だ。

 時間はあまりない。だが、それは分かり切っていたことだ。ユージーンは手を差し出し、握ってくれたサクヤを引っ張り、村を出立した。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 仮面を外せれば良かったのに。シノンはベッドで横になったまま眠り続ける、光を吸うような黒髪とその素顔を隠す仮面をつけたUNKNOWNの手を握る。

 アルヴヘイム南方の攻略は遅々とし、一進一退の攻防が続いているが、シノンが戦場に出れば指揮官を狙い撃ちし、また夜襲をかけて的確に相手の精鋭部隊や補給に打撃を与えられる為か、反乱軍は着実に支配圏と戦火を広げていた。

 この街道が交差する宿場町を陥落させられたのは、南方の半分が反オベイロン派の手中になった事実であり、またティターニア教団の援助を受けた南の半分の徹底抗戦に苦戦を強いられているという現状の証明でもあった。

 そんな中で占領した宿場町にて、次なる戦場への派遣を待っていたシノンの元に1匹の黒狼が現れた。それは気を失ったUNKNOWNを背負っており、その隣には虹色の髪をした少女が控えていた。

 

『転送の仕方が少々強引でしたので気絶されているだけです。高過ぎるVR適性と発達した仮想脳のせいでアメンドーズのイメージが鮮明に流れ込んでしまったのでしょう。「彼女」を目的地に送るのが精一杯で、剣士様の方の制御は甘くなっていましたから』

 

 グングニルと名乗った虹色の少女はUNKNOWNとの予期せぬ再会で戸惑うシノンに任せると、黒狼に『じゃあ、剣士様とストーカー様をよろしく頼みますね。え?「お腹掻い掻いしろ」ですか? ふふふ、顎ナデナデしてあげますね。うん。うん……うん? ヤンデレの治し方? 最近ストーカー様が一線を超えるんじゃないか心配、と? ふむむ、そうですね。病んだ愛は時として暴走しますが、それを受け入れる愛があった時、それは純愛になるのではないでしょうか。え? 適当な事を言うな、ですか? いえいえ、私は心の底からそう思っています』と謎の独り言を繰り広げ、そのまま正体を問い詰める間もなく自らの影に消えた。

 彼女は何者だったのだろうか。シノンは疑問を禁じられないが、今はそんな事『どうでも良い』のだ。

 

(すっかり衰弱しちゃって。私がいないと駄目なんだから……ふふふ♪)

 

 心配と安堵と同じくらいに、気絶しながらも苦悶するように体を捩じるUNKNOWNはまるで悪夢でも見ているかのようだった。一晩中彼の看病をしていたシノンはその右手を握って手の甲を撫でてあげれば、温もりを求めるようにUNKNOWNは強く握り返した。

 波乱こそあったが、それなりに順調だったアルヴヘイムの旅。だが、ランスロットの乱入で分断され、互いに生死不明のまま時間ばかりが流れていたはずだ。

 こうして生きて再会できた運命に感謝を。残るはシリカだけであるが、彼女の安否についてはUNKNOWNが目覚めた後に情報を求めれば良いだろう。

 と、そこでシノンは小さな唸り声と同時にUNKNOWNが上半身を僅かに浮かすのを察知する。

 

「こ、ここは……?」

 

「起きた? ここはアルヴヘイム南方にある宿場町のレア・ガースよ」

 

「……シノン? シノン……なの、か? 本当にシノンなのか!?」

 

 上半身を跳ね起こしたUNKNOWNに、シノンは酷く優し手付きで、まだ横になっているようにと彼の胸に触れて押し返す。心の何処かでまだ休みたいという気持ちがあったのだろう。彼もまた抗わずにベッドに戻った。

 

「色々と大変だったみたいね。ドラゴンクラウン、あなたの腕と一緒に廃坑都市に残されていたと思ったけど、この様子だとちゃんと回収できてたみたいね。ねぇ、何があったの?」

 

「ランスロットに負けた後、俺はユウキと……ガイアスさんに助けられて、深淵狩りの力を借りて脱出したんだ。ドラゴンクラウンの回収とシェムレムロスの兄妹への謁見を求めて、廃坑都市に戻ることを決めて……それで……」

 

 ユウキと行動を共にしていたのは何となくだが想像がついていた。ここは宿場町でも唯一の個室風呂がついた宿屋の豚の尻であり、黒狼……アリーヤの事も店の従業員も知っていた。彼らはここに立ち寄り、そして廃坑都市を目指したのだろう。

 

(てっきり『証』を手に入れたのはあなたとばかり思ってたのに……だったら誰が?)

 

 UNKNOWNも違うならば、大物のユージーン辺りが本命だろうか? 単独でのボス撃破の実績がある彼ならば、ランスロットはともかく、他の3大ネームドのいずれかを撃破出来ていてもおかしくないかもしれないとシノンは納得する。

 今や新生暁の翅は『証』の入手情報が伝わり、ある種のパニック状態だ。どうやら攻略状況の更新情報は【来訪者】のみに伝達されるらしく、シノンとレコンに同時にシステムメッセージが届いた。

 黒火山は未だに攻略の目途も立たず、ランスロットの絶望的な強さを知るシノンは彼の撃破に否を唱え、結果的にシェムレムロスの兄妹が何らかの形で撃破された、あるいは『証』を譲渡したのではないかと推測されている。

 

「シノンの方こそ無事で良かった。シリカも……大丈夫だ。確証がある情報じゃないが、東にいるみたいだ。ユージーンと一緒だよ」

 

「東か。丁度良いわね。私達も東を目指しているところよ」

 

 だったらシリカとユージーンで『証』を手に入れたというのが最も有力説か。

 ようやくシノンの手を握っている事に気づいたのだろう。慌てて指を解いた彼に、シノンは名残惜しそうに微笑む。そして、テーブルに置かれいているティーセットでお茶の準備を始めた。この様子だとまともに食事を取っていないだろう。ならば手料理を振る舞う前に、まずは温かい紅茶を飲ませてあげなければと上機嫌になる。

 この宿場町は近隣の霜海山脈の影響を受け、年中冷風が絶えなかったらしい。だが、シノンが到着した頃には霜海山脈は春を迎えたらしく、まだ肌寒いが、この宿場町も幾らか暖かくなったそうだ。

 

「私たちは反オベイロン派を纏め上げて反乱軍を結成したわ。今はギーリッシュって人をトップに据えて活動しているわよ」

 

「シノンは凄いな。俺は『何もできなかった』のに……キミはちゃんと――」

 

「あなたのお陰よ。まだ疲れてるだろうから何があったのか聞かないけど、私はあなたの目的を果たす手伝いをする。あなたの力になる為にアルヴヘイムに来たの。感謝も謝罪も全部、まずはアスナさんを助け出してから。でしょ?」

 

 ティーカップを差し出すと、再び体を持ち上げたUNKNOWNは受け取る。仮面の口元がスライドし、露になった唇をつけると熱そうにゆっくりと喉を鳴らした。

 

「……伝えないといけない事がある。シェムレムロスの兄妹は危険だ」

 

 UNKNOWNが語り出したのは、彼がユウキとガイアスと一緒に旅して廃坑都市を目指した旅の顛末。シェムレムロスの兄妹に謁見した果てに、残虐な妹によって殺害されたガイアスの末路だった。

 

「クソ! 俺がもっと調べていれば! ガイアスさんは死なずに済んだんだ!」

 

「……仕方ないわよ。シェムレムロスの兄妹について事前リサーチするにしても、アルヴヘイムはこのあり様。僅かな伝説を探すのだって一苦労よ。しかも伝承が捻じ曲がっていれば役に立たないし。アルヴヘイム突入前だって、シェムレムロスの『シ』の字だって知る機会はなかったはずよ。あったとしても、意識して集めないと無理な話よ。どう足掻いてもあなたにはガイアスさんの死を止めることはできなかったはず」

 

「それでも軽率だった。あの場でゴーサインを出したのは俺だ。俺が……俺の判断が……ガイアスさんを……」

 

 空になったティーカップを両手で握り、その高いSTRを反映させるように砕く。壊れた破片はベッドに飛び散り、やがてポリゴンの欠片となって消えた。

 両拳を握って震えるUNKNOWNはガイアスの死に責任を感じているのだろう。嗚咽を必死に堪えている様に、シノンは母性が擽られた。

 

「大丈夫よ。私があなたを守る」

 

 そっとUNKNOWNの右拳を両手で包み、シノンは穏やかに語りかける。

 俯いたままのUNKNOWNは無言を貫く。だが、シノンはそれで構わないと一呼吸置いて続けた。

 

「だから、あなたも私を守って。互いに守り合って……生き抜きましょう。私がガイアスさんみたいに死なないように、私を守ってね。私もあなたを守るから」

 

「俺も……俺もキミを死なせない。死なせたくない。もう、誰も、これ以上……奪わせなどしない」

 

 そのまま抱擁しようとしたシノンであるが、ノック音が響いて殺意を抱きながらドアを睨む。恐らくはレコンだろう。『証』の入手で大騒動になっていた会議にも決着がついたのかもしれない。

 

「後で皆にあなたを紹介するわ。反オベイロン派はこれで更に活気付くはずよ。それはそうとお腹空いたでしょう? 何か食べれるものを作って来るわ。保存食で済ませようなんてしないでよ?」

 

「済まない。俺もすぐに行くよ」

 

「そこでジッとしてなさい。どうせ皆にアポ取るには時間がかかるし、あなたの服が乾くまで時間もいるわ」

 

 そこでようやくUNKNOWNは自分が仮面を除いて着替えを済ませている事に気づいたのだろう。宿から借りた寝間着姿だ。無論、気絶したUNKNOWNの着替えを見ず知らずの誰かに任せられるはずもなく、シノンが手を挙げたが、嫁入り前の女性がうんたらというロズウィックの反対により、彼が行うことになった。

 

「何か食べたいものある?」

 

「なんでも……いや、肉は……止めてくれ。今は食べれそうにない」

 

「OK。だったらコロッケね。芋はたくさんあるし、厨房もあるから揚げ物も楽勝よ」

 

 ウインクしてにこやかにUNKNOWNを残して部屋の外に出た瞬間、シノンは待っていたレコンに霜海山脈級の冷たい眼差しを向ける。

 

「な、なんですか?」

 

「別に」

 

 折角の良いところだったのに、と小さく言葉にしないように唇を動かしながら、シノンは焦った様子のレコンに背中を追わせつつ、兵の詰め所となった宿屋の厨房に向かう。

 受け入れのキャパシティが大きい宿場町は今や反オベイロン派……反乱軍の拠点化が進んでいる。住民は一様に従順であるが、反発的だった屋台のオヤジが酒に酔った兵と喧嘩を起こし、殺傷されるという事件があった。治療する暇もなく被害者の屋台のオヤジは息を引き取って早々に埋葬され、件の兵は軍法会議の末に斬首に処せられた。

 

「もう大騒ぎですよ! 穢れの火は健在だし、ランスロットは強いだろうから、唯一協力を引き出せそうなシェムレムロスの兄妹が殺されたんじゃないかって! オベイロンも自分を守る『証』が1つ減ったとなれば本気で戦力を派遣してくるかもしれません! 今は早急にアルヴヘイム統一の為に――」

 

「すっかり軍師面ねぇ。慌てても仕方のない事があるじゃない。それと朗報と凶報を一緒に教えてあげる。吐き気を催す外道のシェムレムロスの兄妹は御無事よ。この様子だと『誰か』が入手した『証』はランスロットのモノね」

 

「じゃ、じゃあ、ランスロットは倒された?」

 

「それも無いわ。無事らしいユージーンが倒した確率も無きにしも非ずだけど、それよりも説得力があるのは、アルヴヘイム珍道中をランスロットが楽しんでいる間に盗人が彼の『証』を拝借した……ってところかしら?」

 

 旧暁の翅の方針がそうであったように、必ずしもネームド撃破と『証』の入手はイコールで結ばれていない。シェムレムロスの兄妹から譲渡『されるかもしれない』はずだったように、徘徊型ネームドだろうランスロットの『証』を何者かが彼の隙を突いて奪ったとも考えられる。

 

「それと……ガイアスさんは死んだそうよ。シェムレムロスの兄妹に殺されたわ。詳細は後で報告書を出すから、面会の時は『彼』に訊かないようにね」

 

「へぇ、それが何か?」

 

「……一応ガイアスさんと顔見知りでしょう? 伝えておくのが義務じゃない」

 

 とはいえ、ガイアスとはそこまで親しく語らったわけでもない、廃坑都市におけるシノンとレコンの遭遇に居合わせ、彼らの話を横から聞いていただけの彼について、強いショックを受けろとは言わないが、レコンの淡白過ぎる反応にシノンは不快に眉を潜め、また『どうでも良い』と切り捨てた。

 

(コロッケ♪ コロッケ♪ ジャガイモだけじゃ寂しいわよね。肉は無理でも何かアクセントが欲しいわ)

 

 厨房でエプロンを付けたシノンに、まだ話があるとばかりにレコンは傍に寄ろうとするが、包丁を巧みに指で躍らせるシノンに近寄れずにいた。

 

「先程捕らえたスパイの尋問によれば、宗教都市で大きな噂が立っています」

 

「知ってるわよ。『ティターニアが現れた』でしょ? でもティターニア教団の総本山じゃない。この情勢不安ならそれくらいの噂もあるわよ」

 

「ええ。真実かどうかは分かりません。でも、どうやらスパイはティターニア教団でも『ある陣営』……バーンドット大司教についている者らしくて、どうにもティターニア教団でも『ティターニア様をオベイロン陛下の元に戻れるようにお手伝いしよう』と企んでる勢力がいるらしいんです。噂を鵜呑みにした妄信かどうかは分かりませんが、赤髭さんがわざわざ自分で東の偵察に向かわれたのも無関係とは思えません。もしも、あの人が先にこの情報を得ていて――」

 

「確かに赤髭はリターナーであろう事は疑いの余地もないし、UNKNOWNを知っている素振りからも彼に近しい人物なのは想像つくわ。それに彼は彼で動いていたみたいだし、噂に真実味を感じて、ティターニアに接触を図るべく動いたとも考えられない事もないわ」

 

 ティターニア=アスナであることはほぼ間違いなく、ならばオベイロンによって囚われの身である確率は高いからだ。簡単に脱走できるはずもなく、仮にアスナが逃げ出しているならば、それはUNKNOWNを誘き寄せる為のデマかと考えるのが普通だ。

 だが、一方でアルフの謎の包囲網が逃げ出したアスナを囲むものであるならば、噂は真実であるとも考えられる。ならばこそ、赤髭のいち早い行動の裏付けにもなる。

 

(まずいわね。繋がったわ。アスナさんが脱走して宗教都市にいるならば、赤髭さんに何としても追いついて、何かしでかす前に私達で保護しないと)

 

 さて、どうしたものだろうか。シノンは傭兵業で培ったポーカーフェイスを駆使しながら、レコンの追及をどう躱すべきか悩む。

 今のところ南方の情勢は硬直状態だ。ここまで押し込むだけでも相応の被害があった。シノンも四六時中各地の戦場を走り回ることもできない。だが、UNKNOWNがもたらした貪欲者の金箱は話の通りならば、反乱軍に大きな力となるだろう事は間違いない。このまま時間をかければ東に迫れる。

 

(この先に抵抗を続ける都市は残ってるし、街道はまだ使えないけど、隣町を堕とせば迂回路は使えない事もない。赤髭さんはかなり遠回りのルートを使ってるし、隠密重視ならスピードも無いはず)

 

 だったら話は簡単だ。明日にでも、敵の拠点となっている隣町を『潰す』。シノンは包丁の表面に映る自分の眼に一切の迷いはないと再認識する。

 

「ねぇ、そういえば明日に控えた隣町の攻略作戦だけど……」

 

「う~ん、かなり難しいですよ。ここまでかなりの強行軍で兵も疲弊してますし、敵は迎撃準備を整えています。どうにもシノンさんの狙撃も対策案が講じられたみたいですね。敵もNPCじゃないから馬鹿じゃないですよ。あまり被害も増やせないですし、今は目下交渉による武装解除が狙いですね。僕たちはアルヴヘイムの覇権ではなく、オベイロンに立ち向かう為の戦力を整える為に統一を目指していますから。悪戯に相手の被害を増やせないのも痛いです」

 

「つまりは相手の『頭』をもぎ取るのが1番でしょう? 暗殺も駄目なら、正面から突破すれば良いじゃない」

 

「……どういう事ですか?」

 

 DBOで一騎当千の働きを『しなければならない』サインズ傭兵のやり方を教えてやるわ。シノンは舌なめずりしてレコンに囁いた。

 

「戦線が開いたら私が『単騎』で突撃して、敵の防衛網を破り、司令官を殺す。私はVITが高い方じゃないけど、その分だけDEXもあるし、デーモン化も使える。私があっちで『ケットシー』として戦えば、奴隷兵たちも私の活躍で動くかもしれないわ」

 

「……DBOではいくら低レベルの武器の攻撃でもダメージは割としっかり通ります。敵の矢の雨と槍衾を無傷では突破できません。数に押し潰されて死ぬのは目に見えてます」

 

 レコンの言う通り、低レベルでも高レベルに下剋上は可能なのもDBOだ。確かに攻撃力・防御力共に大きな差こそあるが、それは絶対に安全というわけでもないのだ。それはギーリッシュが砂上都市の派遣を取る為の暗殺に参加したレコンだからこそ痛感している事だろう。

 どれだけ低火力でも攻撃は攻撃であり、スタン蓄積もするし、デバフも通る。また、アルヴヘイムには流血もあるのだ。たとえレベルに大きな差があるにしても、VITが高いわけではないシノンでは、数の不利に敗れる確率も無いわけではない。ましてや、それが短時間で敵将の首を狙う突撃戦法であるならば尚更だ。

 だからこそ、これまでギーリッシュにしてもレコンにしても、シノンを奇襲・暗殺・狙撃要員に回しても、戦場での突撃兵にはしなかった。レベルが低いとはいえ、戦い慣れたアルヴヘイムの兵たちは木偶の坊ではないのだ。

 

「そうね。でも1番効率的でしょう? それに傭兵を舐めないでもらえるかしら。これくらい不利でも何でもないわよ」

 

 対多への突撃は初めてであるが、『自分の被害』を勘定に入れなければ何とかなるだろう、とシノンは詳しい敵の陣形や敵将の情報を引き出して失敗が無いように準備を整えねばと決心する。UNKNOWNは大戦力を保有する移動要塞とも言うべきSOMに突撃して被害を与えた後に離脱するという聖剣騎士団にトラウマ級の依頼を成し遂げたのだ。彼の『隣』に立つならば、これくらいはできて当然だ。

 

「もっと軍略を駆使しましょうよ、『傭兵』さん。味方の被害は最小限に。敵からは最大に利益を搾取。これが基本です」

 

「敵には甚大な被害を、でしょ? それに被害の大部分は私が請け負うんだから問題ないじゃない」

 

「だから、これは敵をいかに『吸収』するかの戦争なんです。でも、敵の頭を潰すのは必要不可欠ですよね。変に反乱の種が残ってても困りますし。でも、交渉相手がいなくなるのは困りますから、指揮官全員皆殺しとかは止めてくださいね」

 

 トントンと額を叩いて『もっと頭を使えば?』と告げるように嗤うレコンに、シノンは無関心にさっさと離れるようにと包丁を振るって追い払った。

 今はそれよりもコロッケの方が重要なのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「……何とか脱出できたか」

 

 バグの空間崩壊の嵐が吹き荒れるウルの森を突破し、ようやく街道に出たオレは一息を吐く。

 ヤツメ様がボイコットしなくて本当に良かった。若干の冷や汗を流しながらも、丁寧にウルの森の突破の道順を教えてくれたヤツメ様に感謝しつつ、オレはナグナの狩装束から擬装用の永遠の巡礼の服に切り替えて、次々と交差する馬車とすれ違う。

 どうやら南の戦争は激化しているらしく、東の女王騎士団を擁するティターニア教団は予備戦力の拡充を図っているようだ。深くフードを被り、杖をついて鈴を鳴らしながら巡礼者のアピールをしつつ、途中で休んでいる行商人と買い物ついでに情報を集めながら、オレが伯爵領を攻略している間にも順調に世間は動いているようだと感じる。

 このまま宗教都市を目指して情報収集すべきか、それとも街道を進んで北を目指してシェムレムロスの兄妹を『殺し』に行くか。どちらにすべきか悩むな。

 抜け殻のゲヘナの話通りならば、シェムレムロスの兄妹に交渉とかやっても『騙して悪いが』されるだろうし、殺害以外の選択肢はない。むしろ殺られる前に殺れくらいの心意気がベスト。結晶に関わった連中でろくな奴がいないのはシャルルの森が証明済み。だから、どうせ噂話以上の情報収集も無理だろう宗教都市で何をするにしても時間の無駄になるどころか、この戦争のドタバタに巻き込まれる確率も高い。

 だが、ティターニア教団があるアルヴヘイムでも要地の宗教都市ならば、情報を求めた他の【来訪者】とも接触できる確率は高い。そうなれば、現在の【来訪者】の所在と行動について知ることができる機会にもなる。

 それに【穢れの火】については情報収集が足りない。それを求めるならば宗教都市も悪い選択肢ではないだろう。

 

「それに『足』も確保したいしな」

 

 さすがにここから北まで徒歩では時間がかかり過ぎる。街道を突っ走れる騎獣を得たいところであるが、この戦争で何処の街道も検問が厳しくなっている確率は高い。

 

「チクショウ。まさか黒獣が出てるなんて……」

 

 と、そこで何やら項垂れている若い行商人を見つけ、オレは通り過ぎようとするも、鼻を擽る僅かな甘い香りに足を止める。

 椅子に丁度良い石に腰かけた彼が運んでいるのは香辛料……いや、このニオイからして砂糖のようだ。腐らないし、保管状態ならば耐久度も減らないだろう。若く身なりもみすぼらしいところを見るに、自転車操業で仕入れて売りに行く最中……といったところだろうか。

 このまま無視して通り過ぎようともするも、あまりにも露骨過ぎる溜め息と頭を抱えた『困った人』アピールに仕方なく声をかける事にした。

 

「申し訳ありません。何やらお困りのご様子。よろしければ、何かお手伝いいたしますが?」

 

「へ? あ、巡礼の御方ですか!? いやぁ、お恥ずかしい。実は積み荷を東のバーンドット大司教の領地に運ぶ最中だったのですが、街道に黒獣出るって噂を聞いて。護衛を雇おうにもそんなお金も無いし……」

 

「それは……その……何と申し上げたら良いか」

 

 そもそもバーンドット大司教様とかいう貴族なんてご存知ないんですよ。オレは面倒事が増えそうなのでそのまま早足で突破を試みるも、これ見よがしに行商人は地図を広げる。

 

「ここ! ここなんですよ! 本街道を走ればあっという間なのに! 迂回路を通ってこう回らないと進めないんです! しかも反乱軍だか何だか知らない連中のせいで検問がどんどん強化されてて、高い通行証まで買わないといけない始末! これで護衛代まで払ったら、幾ら高騰中の砂糖でも大赤字ですよ! 嫌だぁあああああ! 炭鉱送りは嫌だぁああああ!」

 

 あ、コイツ駄目な人だ。借金で商売とか始めちゃったタイプの人だ。いやね、銀行さんから融資してもらって商売を始めるのは素晴らしいかもしれないですけど、このアルヴヘイムでそんなお優しいシステムは無いでしょう。どう考えても貴族様の『借金返せないなら体で返せや。物理で返せや』の宣告が通っちゃう世界ですから。

 ……護衛代か。まぁ、伯爵領で得られた諸々を売れば工面できない事もないだろう。

 

「……分かりました。実は北に向かいたいのですが、砂糖を売却した後に運んでいただけるならば、こちらで護衛代を準備致します。それでよろしければ――」

 

「是非もありません! え? むしろ本当に!? やったぁああああ! いやぁ、大司教領で珍味で有名な大サソリの肝を買い込んで、北でも有名な美食屋に売り込もうと思ってたんですよ! ああ、これもティターニア様の……いや、そのお美しいご尊顔とフードに隠れた白髪! あなたにはオベイロン王の宝玉よりも銀月の君こそ相応しい! アルテミス様のお導きばんざーい! アンバサァあああああ!」

 

 ……アレか? エルドランのノリはアルヴヘイムの一般教養なのか? 片膝をついて気味の悪いくらいに早口で言葉を並べる行商人に、オレは思わず1歩引いてしまう。というか、コイツの商売プランが素人のオレでも行き当たりばったり過ぎて破産からの炭鉱送りの末路しか見えないのだが。

 

「まぁ、黒獣に襲われたなら護衛なんて関係ないんですけど、『餌』くらいにはなるでしょうから時間稼ぎはできますよねー! ハハハ!」

 

 し、しかも結構な外道野郎だな。明るく笑いながら馬車に乗り込んで手綱を握る行商人の隣に腰かける。彼は贄姫とザリアに駆け出しでも商人らしく目を輝かせたが、今は出発優先とばかりに馬を走らせる。

 

「私は【マウロ】って言います。いずれはアルヴヘイムの富豪となる男なんで御贔屓に!」

 

「憶えておきましょう、商人マウロ。でも、誠意無き商売は悪銭を呼び寄せます。まずは地道に――」

 

「それはそうと巡礼さん! この御時勢に……いや、こんな希望も糞もない戦争真っ最中だからこそ巡礼しようなんて素晴らし過ぎ! 天使か!? あなたがアルフなのか!? むしろ女神か!?」

 

 ……コイツ、黒獣の餌にならないかな。そうすれば馬車を不可抗力で奪えるし。でも、≪騎乗≫が無いオレよりもコイツの方がコントロールもスピードもあるか。いや、まぁ、うるさいくらいなら我慢するとしよう。機動力が優先だ。

 

「まずは宗教都市で通行証の購入なので、お支払い……よろしくお願いします!」

 

 しかもちゃっかりと通行証代までオレ持ちにするとは、この図太さはある意味で商人向きかもしれないな。才能は有る無しにしても……な。

 

「にしても、雲行きが怪しいですね。この季節のこの周辺は天候が読めないですし、今晩とは言わずとも、近い内に大雨……来るかもしれません! ああ、怖い! 黒獣は夜か雨の日に襲ってくるって言いますし、嵐が来る前に急がないと!」

 

 このお喋りと北までの旅か。オレに耐えられるかな、ヤツメ様?




因縁の集結。全ては東にて待つ。

いよいよアルヴヘイム編・中も終わりに差し掛かってきました。


それでは、272話でまた会いましょう!

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