SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

全ての火種は東で待つ……!


Episode18-37 嵐の音色

「うぷ……」

 

「もう、大袈裟ね」

 

 宿場町より街道を下り、現在の最前線となる隣町を窺える、地元では【ヘスカロの丘】と呼ばれる場所へと向けた行軍。兵士や物資を積んだ馬車の荷台でリラックスした調子で外の風景を眺めていたシノンは、今にも仮面の向こう側が吐瀉物で汚れてしまいそうな声を上げるUNKNOWNに呆れた。

 事の発端は昨日のコロッケである。シノンはお手製コロッケをUNKNOWNに振る舞ったのが、それは『人間が食べられる』味の限界に挑戦するようなものだったのである。

 そもそもであるが、シノンは≪料理≫を習得していない。故に彼女には『肉を焼く』や『パンに具材を挟む』といった単純な調理作業以外は出来ない。真似事をしても味は冒涜的なものになる。

 だが、長いアルヴヘイムの歴史とDBOプレイヤー達の食への執念は伊達ではない。≪料理≫が無くとも最低限の文化的食事を楽しめるように、日夜研究を欠かさないのだ。

 

(『形』だけを整えて、味と香りは香辛料と料理人が作ったソースで誤魔化せる……って思ったけど、失敗だったかしら)

 

 やっぱり味見って大事よね~、と今朝配られた軍用食の固焼きパンを呑気に齧るシノンに、恨めしそうに仮面に隠された双眸で睨むような素振りを見せるUNKNOWNであるが、大きく跳ねた馬車の振動が堪えたのだろう。今にも底が抜けそうな古びた木製桶に顔を突っ込む。

 

「アルヴヘイムには……食中毒も……あるんだ。もう、シノンは……料理しないでくれ」

 

「あなたの舌が肥えすぎてるだけじゃない? どうせシリカに食事を任せてたか外食ばっかりだったんでしょう」

 

 シノンに同意するように同車した黒狼のアリーヤは、わざわざシノンの膝の上に顎をのせながらジロリとUNKNOWNを睨む。それは『可愛い女の子の手料理は残さず食べるのがマナーだろ。だらしない野郎だな』と言わんばかりの責める眼である。

 

「味の問題じゃない。これ、絶対に、料理が……悪過ぎて……絶対にデバフ扱いに……!」

 

 必死に訴えるUNKNOWNの途切れ途切れの主張を完全無視し、シノンは不味い料理には相応の思い出があると青空と交わる緑の草原の地平線を見つめる。

 現在はすっかり改善され、貧民プレイヤーなどの下層を除けば、それなりの稼ぎのある中流プレイヤーならば『人間らしい』食事を取ることは難しくない。

 DBOは総じて食材は高値に設定されている。NPC経営の外食も高めであり、現代人の求める濃い味付けにはなかなか出会えない。無論、逆に現実世界でならば万単位の支払いが確定するだろう絶品を味わえる店もあるにはあるのであるが、それは大多数のプレイヤーからすれば遠い世界の話だ。故にプレイヤーにとって外食とは一般的に個人・ギルド経営の飲食店や屋台となる。

 大ギルドによる農場や畜産による食料生産、傭兵への食材調達依頼、狩猟愛好会による適度な市場への供給などもあり、DBOの食事情は初期に比べて豊かになった。大ギルドのいがみ合いと縄張り争い、政争には辟易するが、現代人でも満足できる食事を楽しめる環境を作った功績は大きく、食も含めた娯楽の発展に尽力したクラウドアースへの中流プレイヤーからの支持は盤石である。

 だが、誰もが思い出したくない初期の頃は食事とはどれ程までに高度な文明的産物であったのかを思い知らされた。

 毎日食べるのは苦しい今にもカビが生えそうな、呑み込むのも苦労する程に硬質の味が薄い固焼きパン。NPCから購入できる野菜は萎びれ、野草の方がまだ瑞々しい。周辺フィールドでドロップする食材など食べれたものではない。土地を購入できる資金も無いので畑を耕して生産もできない。そもそも苗も種も販売していない。肥料も無い。無い無い尽くしであり、食事という人間にとって根源的な活動の原動力とモチベーション維持のプロセスが丸ごと欠損しているような状態だったのだ。

 ディアベルは珈琲偉人の1人として数えられているように、DBOに珈琲の復刻を成し遂げた彼の功績は大ギルドのリーダーを務めている以上のものがあり、それだけで彼への畏敬の念は絶えない程だ。事実上の敵対をしているはずのミュウでさえ、珈琲愛好家としてディアベルには最大限の敬意を表している程である。

 

(あの頃は本当に酷かったわね)

 

 誰も≪料理≫を持っておらず、NPC販売の不味い固焼きパンを必死に呑み込み、野草や腐りかけの野菜とパサパサした肉を煮込んだスープは泥を溶かした白湯のようだった。まだ汲んだ水の方が美味しかった程である。

 

(だけど……『温かい』って感じたわ)

 

 焚火を囲み、不味い不味い言い合いながらスープを平らげ、ディアベルお手製の汚水のような珈琲とも呼べない黒水を飲んだ。まだボスを倒す目途も立っておらず、先も見えず、ただただ我武者羅に前に進もうと足掻いていた時期だった。

 DBOの悪辣さを知らなかったといえばそれまでだ。こんなにも『人』は簡単に狂っていくものなのだと想像していなかったと言うしかない。

 今やディアベルは専属先が敵対する大ギルドのトップであり、完全攻略という目的の下で組織を率いている。クゥリは独立傭兵としていずれの陣営にも協力せず、自由気ままに混沌を振りまいている疫病神扱い。もはやあの頃のように3人揃って冒険するなど不可能だろう。

 

(郷愁なのかしら)

 

 あの頃に戻りたい。そんな気持ちが強くなればなる程にUNKNOWNの傍から離れられなくなっているような気がした。シノンは頭を振る。このアルヴヘイムで彼の『相棒』を務められるのは自分だけだ。彼の心と命を守るのが自分の役目だ。そして、UNKNOWNもまた自分を守ってくれると思うと胸が熱く苦しくなる。

 

(アルヴヘイムの冒険が終わったら、私は太陽の狩猟団の専属傭兵に戻る。UNKNOWNはラストサンクチュアリの専属傭兵。敵対関係にはない。だけど、わざわざクラウドアースとの関係を悪化させるほどに肩入れして協力するほどにギルドの関係は濃く繋がっていない)

 

 どうしたらUNKNOWNと『ずっと』一緒にいられるだろう? シノンはそんな想像をして、来たるクラウドアースによるラストサンクチュアリを『潰す』日を思い浮かべる。UNKNOWNがスミスに弟子入りした理由の1つは、【聖域の英雄】として決戦の日に勝ち残るためだった。

 だが、たとえ決戦で戦術的勝利をUNKNOWNがもぎ取ってもラストサンクチュアリの崩壊は確定事項だ。

 

(だったら簡単じゃない。専属先が無くなればUNKNOWNはフリー。太陽の狩猟団の専属に迎え入れてしまえば……!)

 

 ラストサンクチュアリを事実上援助している聖剣騎士団がUNKNOWNの獲得に乗り出すだろうが、戦争の為に傭兵戦力も増やしたいだろう太陽の狩猟団がフリーになった彼を独立傭兵として放っておく理由はない。

 そうなると秘書としてマネージャーとオペレーターを兼業しているシリカの説得が不可欠だ。シノンは義手の指を鳴らし、どうすれば太陽の狩猟団の専属入りを『快く』受け入れてもらえるだろうかと悩む。

 

(まぁ、それはアルヴヘイムからアスナさんと一緒に無事に帰れた後に考えれば良い事ね)

 

 そうなるとアスナさんと良好な関係を作っておくのが不可欠ね、とシノンはせいぜい唾液くらいしか零れないだろうはずなのにゲーゲー言っているUNKNOWNの背中を摩る。

 

「もう、分かったわよ。次は≪料理≫を取るわ。不味いなんて言わせない。私の本当の手料理を食べさせてあげる。これでも現実世界では――」

 

 自炊してたんだから、と言おうとして、シノンは濃いDBOの日々のせいで、すっかり薄れた『朝田詩乃』として生きてきた日々に表情を曇らせる。

 帰りたくない。そんな心の叫びにシノンは拳を握る。毎日が戦いで、命の危険が常にあり、大ギルドの政略に巻き込まれるDBOでの時間の方が……ずっとずっと彼女を満たしているのだ。

 

「……着いたわね」

 

 既に陣が出来上がっているヘスカロの丘に、シノンは意識を切り替える。UNKNOWNも仮面の口元を閉ざし、名残惜しそうに桶を置くも、2本の剣を背負えば『事前の打ち合わせ』通りに堂々と背筋を伸ばしてシノンの横を歩く。

 

「あれが【ケットシーの希望】か。人相書通りの若い女だな」

 

「隣が【二刀流のスプリガン】か? 生きてたんだな。ウエスト・ノイアスで派手に暴れたそうだが……」

 

「へっ。どれだけ凄腕だろうと1人増えたくらいで戦場が変わるかよ」

 

「馬鹿! お前見てないのかよ。あのケットシーの狙撃はヤベェぞ」

 

 兵士たちが戦いへの準備を進めながら、今回の攻略戦の頭脳とも言うべき本陣に向かう2人についてぼそぼそと吐露する。こうして名の売れた2人が姿を晒すことによって自陣の緊張を少しでも解す目的があるのだ。

 オベイロンが危険視するほどの、アルヴヘイム全土に人相書が出回る程の2人。ビックネームが反オベイロン派にはいる。それだけで先の見えない、アルヴヘイムでは前代未聞となるオベイロンへの大反逆に与した人々への安心感をもたらすのだ。

 だが、当の本人からすれば、意図しない売名であり、なおかつあれこれ勝手に詮索されるのは気分が良いものではない。

 

「緊張してないのね」

 

「慣れてるからな」

 

 否応なく聞こえてくる自分たちの噂話を軽く肩を竦めて受け流す事ができるのは、【聖域の英雄】としての経験か、それともSAO時代の賜物か。どちらにしてもまだ慣れていないシノンの足は自然と速まる。

 

「やぁ、待ってたよ、【二刀流のスプリガン】。それにシノンさんも出陣前に悪いね」

 

 即席で組み立てられたテントで待っていたのは、総大将らしく見栄え重視の鎧を身に着けたギーリッシュである。砂上都市の宝物という【飛竜の鎧】は派手な赤色の竜鱗であり、見る者を猛らせる。だが、彼自身の武の腕前は無く、あくまで士気高揚と防御力確保の為の防具だ。

 ギーリッシュの右隣には火傷のケットシーもいつも通りの深いフードを被ったローブ姿で控えており、左隣にはこの周辺の地図と睨めっこするレコンがいた。レコンはシノン達を一瞥すると軽く会釈する。

 今回の攻略対象となるのは石橋の町【ストーンブリッジ】だ。名前の通り、街道を途切れさせる大きな谷にかけられた大橋を守るような町である。谷底は腐臭の森であり、ドロドロに腐った植物で埋め尽くされているともされる、陽光が届かない闇だ。故にこの一帯で東に向かう為には大きく迂回するか、石の大橋を渡るかのどちらかしかない。

 

「今回の目的はストーンブリッジの攻略です。ストーンブリッジさえ落とせば、事実上の東部への街道が開けると言えるでしょう。まだ敵対都市が控えているにしても、地形的にも迂回は可能ですし、何よりもストーンブリッジを越えて戦力を派遣することが可能になります。こうなれば、他の拮抗している戦場の背後も取れり、挟撃も可能。陣形を敷くだけで勝敗は決します。無駄な流血を避けて降伏勧告を受け入れもスムーズに――」

 

「そういう小難しい軍略は指揮官や『軍師様』のお仕事でしょう? 私たちがこれからすべき事、そして『後』の話をして頂戴」

 

 シノン以外にもスプリガンの大傭兵団のリーダー達や合流戦力が集結した場において、空気が読めない……いや、元より読む気が無いシノンの発言に、レコンは不快そうに顔を顰める。

 レコンは変わった。砂上都市でのクーデターを契機に、目元は増々厳しくなり、自尊心が肥大化し、暁の翅の打倒オベイロンという『正義』に酔っている。シノンはそう感じている。

 あの夜、シノンもレコンもたくさんの人を殺めた。シノンは『それが必要だ』と納得して自発的に手にかけた。だが、レコンは心の何処かで踏ん張りが足りなかったのだろう。あの夜を肯定する為に必死に『軍略ができるお荷物じゃない自分』を作ろうとしているようにも映った。

 そこまで見抜いていながらも、シノンはレコンについて何も感じない。『どうでも良い』からだ。レコンにはレコンなりの人生があり、やり方があるだろう。自分の邪魔をしないならば、彼が狂い果てようが、野垂れ死にしようが興味はない。

 

「……ストーンブリッジ攻略後は先遣隊を伴って東の宗教都市に潜入します。ティターニア教団の本拠地である宗教都市ですが、ティターニア出現の噂に伴い、大きな混乱となって最大戦力であるはずの女王騎士団を十全に扱えない……治安維持に回しているというのが現状のようです。それでも南方の各地に物資と戦力を派遣して戦線を支える強大さは侮れません。そこで我々は先行した赤髭さんとの合流を目的とします。どうやら宗教都市には今回のティターニアの噂を使い、クーデターを画策している勢力がいるようです。彼らに協力し、ティターニア教団を機能不全にする。それが『目的』です」

 

 ティターニアという単語にUNKNOWNの全身から言い表しようがない殺気にも似た気配が零れ、場の空気に緊張が走る。

 既にUNKNOWNには昨日の夜の内にギーリッシュと面会させ、暁の翅の戦力としての活動を約束させている。そして、その時点で彼にはティターニア……アスナが宗教都市かその周辺にいるかもしれないという仮説を伝えてある。

 ギーリッシュは半信半疑ながらも、『ティターニアが伝説の通りの人物なら、深淵の力を使った夫に愛想を尽かした……ってところかな?』と『裏事情』が分からないアルヴヘイムの住人らしい見解を示した。

 UNKNOWNも噂が真実ならば、アスナがどうやってオベイロンの元から逃げてきたのか見当もつかないようだったが、アルフの布陣が宗教都市を囲んだ捜査網だという赤髭と同じ見解を示し、早急に宗教都市に赴きたい意向を示した。

 

『ギーリッシュさんは受け入れますよ。僕たちがティターニアを「確保」する意義が分かる人です。だって、あの人の目的はアルヴヘイムの「新王」になる事。もしもティターニアの目的がオベイロンに反旗を翻すことなら、ギーリッシュさんよりもティターニアさんの方が神格級の名声もありますし、彼女が中心人物になってしまいます。どれだけ功績を立てても、「ティターニアの下で戦った名将」以上にはなれない。だからティターニアを手中に収めて、「ティターニアから王位簒奪の認可をもらった」という錦の旗を欲するはずです。要は噂が真実なら、今のティターニアは三種の神器、王位継承のレガリア、預言者の神の啓示と同じ扱いです』

 

 UNKNOWNとシノンはギーリッシュとの面会と談判前に、レコンからティターニアを取り巻く現状について掻い摘んで説明を受けた。

 ややこしい。それがシノンの偽らざる本音である。政治は元より苦手分野のシノンであるが、苦々しくもUNKNOWNにはある程度内容が見えてしまったのだろう。腕を組んで唸った。

 

『仮にティターニアの目的が「反オベイロン派の結成」……「ティターニア教団と女王騎士団を用いたオベイロンへの反乱」なら、ギーリッシュは反オベイロン派のトップから転落してしまうかもしれない。そうでなくともギーリッシュ派とティターニア派に分かれてしまう。そうなれば「愛する夫に剣を向けてもアルヴヘイムの民の為に立ち上がった」っていう美談が伴うティターニアの方が強い。だから協力関係では駄目なんだ。現実の戦争も同じだよ。下手な同盟関係は戦後処理で新たな戦乱の火種になる。俺たちにはDBOっていう帰る場所があるけど、アルヴヘイムしか知らないギーリッシュにとってはこの世界のルールが全てなんだ。だから、ティターニアを「反オベイロン派の象徴」以上にさせたくないはずなんだ』

 

『そもそも、アスナさんがオベイロンの元から逃げてるとして、女王騎士団を丸ごと反オベイロン派にしようなんて考えるかしら? 彼女が私たちのことを知っているとは限らないけど、まずは身の安全を重視して鳴りを潜めるのが普通よ』

 

『いいや、アスナは自分を守る為に隠れて逃げ惑うなんて真似はしない。彼女は「戦う」道を選ぶはずだ。たとえ無力だとしても、細い糸に過ぎないとしても、「自分」に負けたくないはずだから』

 

 UNKNOWNの熱い語りに、レコンは思わず目を背け、シノンは淡々と拍手を送ったものである。途端に我に返ったUNKNOWNは照れ隠しながらも、ストーンブリッジさえ攻略できるならば宗教都市に急行できるという条件に、今回の参戦を決めた。

 

(モンスターが出現する森や谷を突破するのは高レベルの私たちなら難しくないけど、その分だけ時間もかかるし、何よりも消耗が激しくなる。上手く説得出来て良かったわ)

 

 今この場にいるUNKNOWNは十分に『我慢』している状態だ。アスナの話をした時など、UNKNOWNはベッドから飛び起きてそのまま宗教都市に急行しようとした。だが、赤髭の用いた大きな迂回路を除けば、どうしても宗教都市への最短ルートは危険が伴う。シノンはアスナを助け出すにしても受け皿が必要であり、その後の事を考えれば暁の翅に在籍しておいた方が便利だと説得し、何とかUNKNOWNの暴走を抑え込んだのである。

 

「そういう事だ。宗教都市への潜入メンバーは少数精鋭でいく。だが、捕らぬ狸の皮算用も虚しい。まずはさっさとストーンブリッジを落とすとしよう」

 

 レコンの発表した『目的』とUNKNOWNの殺気で困惑する者が出る中で、絶妙なタイミングで手を叩いて場を掌握したのはギーリッシュだった。

 まさか『ティターニア=アスナの確保』という真の目的を明かせるはずもない。ギーリッシュも都市伝説レベルに過ぎない事に、まだ加わったばかりのUNKNOWNはともかく同行を希望するシノンまでの派遣には顔を顰めた。だが、彼も赤髭の自発的な潜入には訝しんでいたのだろう。UNKNOWNが提供した貪欲者の金箱が無ければ、今回のストーンブリッジ攻略戦の『力技』と派遣には納得しなかったはずだ。

 本陣のテントから離れ、シノンは装備をチェックする。貪欲者の金箱によるアイテムのコルへの換金が可能になった事で、暁の翅の補給状況は劇的に変わるだろう。だからこそ、ギーリッシュは今回の先遣隊潜によるクーデター援助という曖昧な『目的』の為に、一芝居打ってくれたのだ。彼としても覇道を脅かすティターニアを自由にしておきたくないという目論見もあり、今回の状況が出来上がった。

 逆に言えば、今回の戦いでストーンブリッジを陥落できなければ、全てはお流れになる。そうなればUNKNOWNは単身でも宗教都市を目指すだろう。それだけは『許さない』とシノンは矢筒から抜いた黒い矢を陽光に照らす。

 

「シノンは怖くないのか?」

 

 樽に腰かけてメイデンハーツと深淵狩りの剣を振るって緊張を解すUNKNOWNの質問に、最初の数秒は反応に困り、やがて意図する事を読み取ってシノンは嘆息する。なお、シノンの足下では額を美脚にスリスリしてご満悦のアリーヤが尻尾を振っていた。

 

「戦争よ。それとも戦争に行った軍人さんは人殺しの犯罪者になるのかしら?」

 

 戦争をする。それは手を血で赤く染める事を意味する。

 UNKNOWNも人を斬った事はあるだろう。それはやむにやまれぬ理由があったからか、誰かを守る為か、それとも襲い掛かった敵を倒した結果か。彼自身も『死』という返り血を浴びた。

 無論、虐殺など論外だ。戦争にもルールがある。貫き通さねばならない道義がある。戦争は『ルールある殺し合い』なのだ。故に多くの敵を葬って勝利に導いた者は『英雄』と呼ばれ、味方からも恐怖される程の異常な存在は『悪魔』や『バケモノ』と怖れられるのだろう。

 

「ごめんなさい。意地悪な事を言ったわね。あなたの苦悩は分かるつもりよ」

 

 UNKNOWNと初めて出会った日をシノンは思い出す。彼は人殺しを否定した。そして、シノンは彼のお陰で踏み止まれた。そのことには感謝している。だからこそ、シノンはようやく能動的殺意にたどり着けた。

 

「私は……私の手は……もう汚れてしまっているから。それもDBOにログインする前から。それにアルヴヘイムに来てからも、何人も、何十人も殺したわ」

 

「……ッ!」

 

 言葉を失うUNKNOWNに、シノンは抜いていた矢を矢筒に戻す。暁の翅に属し、戦争をしているのだ。戦場に立つ以上は『敵』を殺す。そこには善悪などない。悔恨などなく、むしろシノンにあったのは1人殺す度にUNKNOWNとの合流できるかもしれないという期待だった。

 深呼吸を入れて、シノンは自分の過去を語りながら、これからの戦いについて再確認する。

 今回の作戦はかなり強引なものであり、シノンのワンマンプレーが重要になる。

 ストーンブリッジ周辺は遮蔽物がない平野であり、古来より要所だったストーンブリッジは巨大な外壁に囲まれており、易々とは突破できない『はずだった』。だが、先の戦いで既に反乱軍は新兵器『大砲』を用いて、従来の投石器などを上回る破壊力を見せつけた。これにはストーンブリッジの外壁も崩落するしかなかったのである。

 だが、敵もまた一筋縄ではいかない。最初から守りの要であるはずの外壁を捨てていたのだ。兵の損耗を最小限に抑え、ストーンブリッジの入り組んだ街並みを武器に、徹底した防衛線を敷く構えなのである。

 本来ならば悪手であるが、敵将はアルヴヘイムでも名の知られる猛将だ。レコンから提供された人相書にはくるりとカーブした髭が特徴的な男が描かれていた。見た目はいかにも芸術愛好の貴族といったところであるが、その実態はギーリッシュさえも『同等の兵力なら私よりも強いかもしれない』と一切の侮りを見せない相手である。とはいえ、先の戦いで未知なる大砲にしてやられ、本人も負傷して右目と右腕、そして右膝から先を失っているとの事だ。とてもではないが、十全な指揮を執れる状況ではない。

 そんな猛将が逃げ込み、なおかつ『絶対死守』の覚悟を決めて敷いた布陣。それは大砲と銃器を知ったからこその『市街戦』だ。街を更地にして使い物に出来なくするつもりならば徹底した破壊も良しとされるが、占拠するにしても傷が過ぎれば使い物にならず、また敵側の『奪還』の際には逆に不利の材料となる。何よりも町1つを徹底的に破壊したという悪評はどうしても際立つ。なおかつ銃による隊列射撃を限りなく封じ込める市街戦をたった1度の敗北から選択し、なおかつ自らのホームグラウンドで実行する胆力は並ではない。

 故にシノンの任務はこの猛将を迅速に討ち取り、敵の抵抗の意思を砕く事だ。敵将は元より守り切れるとは思っていない。いかにして時間を稼ぎ、援軍の『奪還戦』の際にこちらを疲弊させておくのかに念頭を入れている。元より自らの首を差し出す覚悟なのだ。

 そんな猛将を討つ最大の障害と目されているのが老齢の騎士【ヴァンハイト】だ。スプリガン傭兵団出身、元女王騎士団最強の『第1騎士団』所属、そしてオベイロンからのアルフ転生という『名誉』を蹴り、その不遜を教団に罰せられてストーンブリッジの橋守に追いやられたという異色の経歴の男だ。アルヴヘイムでも数少ない飛竜……サンダーワイバーンの討伐者であり、ソウルの刻印……レベルはガイアスと同じで70クラスではないかと噂されている。真偽は定かではないが、アルフにスカウトされる程ならば実力は本物だろう。

 どうしてアルフに転生する事を拒んだのかは知らないが、それはアルヴヘイムでも限りなく『反逆』に近しい不名誉のはずだ。

 

『ガイアスも「自分よりも強いかもしれない」と認めていた数少ない人物であり、彼が流浪時代に剣の手解きを受けた人物でもあります。もう高齢なので腕も老いたと信じたいですが、獅子は老いても獅子。十分に注意してください』

 

 UNKNOWNの報告によりガイアスの訃報を聞いて一筋の涙を流したロズウィックはそう警告していた。現在、彼は作戦成功を前提として宗教都市に潜入する前準備を『レコンの依頼』で実行している。暁の翅に入団前には宗教都市の貴族の家でお抱えの執事兼護衛をしていたが故に土地勘と人脈があるらしい。今回の赤髭の潜入の際にも力になってくれるという人物を紹介したらしく、合流するならば自分がいた方が良いとも主張した。

 装備が貧弱極まりない世界で強大なモンスターに挑む傑物は生まれ、そして伝説級の実力を示す。そうした有望株をアルフとして迎え入れて戦力化するのがオベイロンのやり方なのだろう。だが、ガイアスがそうであったように、アルヴヘイムの住人は下地となっているDBOの知識があまりにも不足し、また自分たちの装備やアイテム、スキル事情がどれだけ乏しいものなのか知る由もない。それはプレイヤーと同じ立場でありながらも尚の事苦境とも言うべきアルヴヘイムでの戦いだったはずだ。

 故に侮れない。彼らは装備の不利を己の武で乗り越えてきた。それはよりレベルアップしやすい環境ともいえるDBOプレイヤーとは別種の『力』を得ていると考えるべきだろう。

 そして、そんな1人であったガイアスでもあっさり死んだ。なんと無情な事だろうかともシノンは思う。上位プレイヤーとどれだけ羨望を集めていても、ネームド戦どころか雑魚囲まれて数の不利で死ぬどころか、1匹の未知なる雑魚モンスター相手にパーティ総崩れで死者が出ることもある。戦いとは常に一寸先は闇であり、それはより凶悪なネームドやボス相手ならば尚更なのだ。

 シノンは思う。アルヴヘイムの住人とDBOプレイヤーはほぼ同じ土壌だ。同じようにプレイヤー扱いであり、違いこそあるが、武器やアイテム、スキルを駆使して戦う。決定的に違うことがあるとするならば、それはシノン達は現実世界という『殺しがご法度』な世界からデスゲームという『殺しが許容される』仮想世界に囚われた側であり、アルヴヘイムの住人達からすれば『殺さねば生き残れない』という時代を生きている側という事だ。彼らの強さの源は能動的殺意にこそあるとシノンは睨んでいる。

 

「……現実でも人を殺してる。言っておくけど、自衛の範疇よ。でも、私にとってそれは……決して消えない『人殺し』だったわ」

 

 だからこそ、シノンはUNKNOWNに今こそ自分の過去の断片を語りたかった。

 

「不思議よね。今だってその過去を乗り越えられていない。あの日の恐怖が拭えない。思い出しただけで体が震えて、吐き気がして、動けなくなるの」

 

 そして、それは死の恐怖をより刻んだ死銃事件という黒い糸も絡んでしまった。だからこそ、真贋など関係なくデスガンと戦い、勝利すれば彼女はようやく過去を乗り越えられると……恐怖を踏破できると信じている。

 殺した恐怖。母からの眼差しの恐怖。恐怖恐怖恐怖。死に纏わる恐怖ばかりがシノンを雁字搦めにしている。

 人間はどうしようもなく闘争する。だが、善良でありたいという道徳心が……あるいはコミュニティという『群れ』を成す生物である事が……高過ぎた知性が……『殺人』という行為への言い知れない嫌悪感を作り出した。シノンはそう信じている。そして、殺人に対して生理的嫌悪感を持つのは何にも勝る『人』である証明でもあるのだとも思う。

 快楽殺人鬼などはこの生理的嫌悪感を超える程の好奇があるからなのだろう。あるいは、殺人という大罪に対する背徳感を味わってしまうのも人の性なのかもかもしれない。だが、それらに対してシノンは深く考察したいとは思わない。

 

『ねぇ、スミスさんが言っていた能動的殺意ってそんなに大切なの?』

 

 以前にだが、修行が終わって汗だくになった姿のままスミスに尋ねた事があった。彼が再三に亘って告げる、シノンやUNKNOWNに欠如しているという能動的殺意について、深く知りたいと望んだからだ。あるいは、それが過去を乗り越える一助になるかもしれないと期待していたのかもしれなかった。

 シノンの姿に『男は恥じらう女性の方に惹かれるものだがね』と小言を漏らすスミスに、別に煙草傭兵に女として見られたいとも思わなかったシノンは聞き流した。

 

『最重要だ。良いかね? キミ達は容易く人を殺せるだけの能力が備わっている。その気になれば、ほぼ一方的に貧民プレイヤーなど虐殺できるだろう。だが、キミ達はしたいとは思わない。何故か? 彼らを殺す事によって発生するメリットとデメリットの計算以前に、虐殺するという行動の発露が芽生えないからだ。人は誰かを傷つける為に「理由」がないと動けないのだよ。ここでまず「理由」によって能動的殺意・受動的殺意に分ける。前提だが、いずれにしても必ず自己を正当化させるための心理的働きが存在する』

 

『自己正当化って……それって殺人の「言い訳」をするって事?』

 

『……昨今の大きな誤解だな。まずは胸にしっかり刻みたまえ。自己正当化は悪ではない。たとえば戦争。これは極論を言えば「縄張り争い」だ。たとえば警官による犯人の射殺。これは「社会秩序の維持」と「犠牲になるかもしれない善良なる市民の守護」を意味する。人間は常に「殺人」という行為に対しての「裏書き」を求める。そうして「殺人の瞬間」の精神のバランスを保っている。そして、環境や状況に左右される殺意はいずれも受動的殺意と呼べるだろう。正当防衛などその極みだな』

 

 ここからが更に重要だと言わんばかりに、藪蛇を突いて講義の時間に突入して顔を顰めているシノンにスミスは面白がるように笑いかけた。

 

『だからこそ、気を付けたまえ。「裏書き」は時として「己の感情」も採用される。してしまう。これも私個人の分類では感情的殺意と呼んでいる。大半が「殺人」は「結果」に過ぎない。コントロールを失った感情がもたらした結果だ。能動とも受動とも呼び難く、区別が難しい。だが、共通して言えるのは「後」で冷静になった時は大きな反動もある。まぁ、ここで憎悪や憤怒の由来で起きやすい計画殺人などは、1アクション挟むが故に感情の暴走ではあるがコントロールが利いているので例外的に能動的殺意になるがね』

 

 新調したらしいハンドガンを構えながら、仮想敵を狙うような素振りを見せたスミスは、まるで過去を懐かしむように咥えた煙草を揺らした。それはシノンも知らない、スミスの『現実』での過去に由来するものだったのだろう。自称自衛官というこの男の過去にも相応の何かがあったのかもしれないとこの時のシノンは踏み込んではならない領域を感じ取った。

 

『「殺人」するからこそ我々にはロジックにも等しい意思が必要だ。「自分の意思で殺す」という歯車……そんな能動的殺意が必要だ。軍人にしても警官にしても、その道を選んだ時に覚悟は決まっていたはずだ。彼らに受動的殺意など上官による不条理な強要以外は適応などされてはならない。だからこそ、何にも勝る能動的殺意が必要だ』

 

 それは傭兵業の道を選んだシノンに対する戒めのつもりか。言葉尻が僅かに鋭く、シノンは体を強張らせた。

 

『後悔は幾らでもすれば良い。ベッドの中ならば一晩中でも震えても良い。愛する者に縋りついて泣きじゃくって甘えても良い。それも必要な事だろう。「殺人」とはそれだけ重いものだ。とはいえ、今の部分は友人の受け売りだ。残念ながら私にはベッドで震えた事もないし、後悔して泣いた経験もない。利用して女性の夜のお誘いにしたことはあるがね。やはり女性を落とすならば母性を擽るに限る。私みたいな男だからこそ、ちょっと弱ったフリをすると――』

 

『端的に言ってサイテーね』

 

『だろうね。だが、私は自分が異常者だと分かっているよ。そして、そうであろうとする選択も自分でした。私は「相手の善悪関係なく自分の意思で殺す」とね。だからこそ、私には「殺人」で震える事も、涙を流す事も、恐怖して誰かに甘える事もない。だが、それは私が異常者だからだ。キミ達にそこまで強い「自分の意思で殺す」という能動的殺意を求めようとは思わない。求めてはいけない。それは限りなく人道から外れる1歩だ。だがね、自己正当化の為に「自分の意思で殺す」覚悟を持ちたまえ。そうすれば、たとえ後悔するとしても、怯え震えるとしても、涙を流すとしても、キミ達は「全力」を振り絞れる。そして、それがある限りキミ達の「心」を罪悪感から守るロジックになる。何よりも「自分の意思で殺す」という覚悟はアクセルとなり、キミ達の実力をより引き出すはずだ。まぁ、これが反社会的かつ実害が伴うと快楽殺人や保険金狙いの計画殺人なんてものを生みかねんがね。アレは厄介だぞ? 好奇心や欲望を能動的殺意という理性化で自己正当性を確保している。だからこそ、それを崩した時の壊れようは実に醜くくて面白いが……おっと最後はオフレコで頼むよ』

 

 そこまで言って、茶化すように煙草を携帯灰皿に入れたスミスはハンドガンをホルスターに戻し、シノンにさっさと汗を奇麗に流してこいという目付きをした。

 

『1つだけ、人生の先輩としての忠告だ。どれだけ能動的殺意があっても、心根が優しければ優しいほど、まともであればまともであるほど、反動には堪えるものだ。そうした傷心を癒すパートナーを持てる。それもまた人間の何にも勝る特権だと思うがね。神様の粋な計らいで折角男女に分かれているんだ。シノン君も「女」の自覚があるならば、能動的殺意を求めるならば、悪夢なく眠らせてくれるパートナーというものを探してみたまえ。たとえ傷の舐め合いだとしても、それは必要な事なのだから』

 

 それってスミスさんにとってのルシアさんの事? とはシノンも聞けなかった。この男にはそんなものが必要ないくらいに、限りなく理性的に「自分の意思で殺す」事ができてしまうのだろう。涙も流さず、ベッドで震えることもなく、まともに後悔することもできない程に、強固な殺人のロジックとして自分の意思が確立してしまっているのだろう。

 それは哀れというべきかは分からない。だが、スミスは何処か悲しむように、誰かを思い出したように仮想世界の空を見上げていた。

 

『「自分の意思で殺す」……か。「彼」にとっては我々が覚悟と呼ぶものさえも、せめてもの己を「律する」為の首輪なのかもしれんな。それはそれで……哀れな事だ』

 

 回想の海に波紋を揺らすラッパの音色が響く。戦争開始の号令だ。これより敵も味方も命懸けの戦いが始まる。そこに善悪などなく、ただただ自己正当化を繰り返す正義が掲げられるだけだ。

 両手の剣の切っ先を下げたままのUNKNOWNはまだ能動的殺意に届いていないのだろう。ならば、今は自分が戦うべきだとシノンは胸の内が満たされている感覚に高揚する。

 

「あの日の私の選択は間違っていなかった。たとえ殺人という行為だとしても、私は『守る』為に撃ったつもりだった。でも、そこには能動的殺意は無かった。『私が殺すしかなかった』って『言い訳』をした私の幼い心が『自分を守る』為に受動的殺意になってしまった。だから今も乗り越えられない。自己正当化ができない。私は証明したいの。その『強さ』が欲しいの」

 

 弓剣を鞘に収め、シノンはラッパの音色に意識を尖らせる。言葉を失ったままのUNKNOWNに慰めを求めていない。過去を語ったのは、彼女なりのケジメの為だ。

 

「行ってくるわ。勝利の祝杯で会いましょう」

 

 立ち尽くすUNKNOWNにシノンは笑いかけて背中を向ける。

 スミスは言っていた。UNKNOWNは既に能動的殺意とは何たるかを理解していると言っていた。それは彼にとって『自分の意思で殺す』というロジックを成した根幹があるという事だ。

 

「私は負けたくないだけ。何にも……誰にも……」

 

 シノンは祈るように組んだ両手に口づけする。この勝利がUNKNOWNの悲願を成す一助となるように。

 私は『まだ』後悔していない。でも、泣きたくなったら、苦しくなかったら、あなたの肩を借りたい。どうか、それを許してください。

 

「待ってくれ」

 

 だが、シノンの肩をつかんだUNKNOWNは、シノンだけを危険な戦場に行かせないとばかりに呟いた。

 

 

▽    ▽     ▽

 

 

「本当によろしかったのですか? UNKNOWNは後ろ備えにすべきだとギーリッシュさんも同意してたじゃないですか」

 

 遠望鏡で黒煙が上がるストーンブリッジの街並みを眺めながら、レコンは折り畳み椅子に腰かけて『勝利』が確定した戦場を眺めるギーリッシュに問いかける。

 今回のストーンブリッジ攻略戦は始まる前から勝敗が決まっている。戦力は3倍以上、地理は相手に有利と言えども現地人や近隣住民からの情報提供は十分。ギーリッシュお抱えのバムートのサラマンダー騎士団は不慣れな環境下と騎竜隊が使えないとはいえ、南方の軍よりも遥かに戦慣れしている。更に『今のところは』勝ち組のお零れに預かろうと有力スプリガン傭兵団も続々と旗色を変えて反オベイロン派に付いた現状では、ストーンブリッジ側は戦力・物資共に最低のはずだ。

 それでもなお市街戦を断行できるのは猛将とされる【ハボック】子爵のカリスマ性と名声の賜物だろう。ギーリッシュもレコンも南方の戦いでは彼に再三に亘って辛酸を舐めさせられた。対女王騎士団戦まで温存しておきたかった大砲という切り札を使ったのは、何としても先の戦いでハボックを打ち破る為だった。

 ロズウィックは幾度となくハボックの懐柔工作を続けたが失敗に終わるように『レコンが』妨害を繰り返した。いかに猛将だろうと……いや、人気がある敵将だからこそ、下手に生かして取り込みたくないのだ。特にハボックは根っこからのティターニア信徒であり、反オベイロン派に組み込むのは至難だったからである。

 

(というか、数度しか見たことが無いはずの銃器に対して市街戦を仕掛けてくるとか、実は異世界トリップの御方とか? やっぱり何処にでも天才っているんだなぁ)

 

 そんな余裕を持った思考を遊べる程度にレコンも勝ち戦と踏んでいる。確かに遮蔽物が多い市街では銃器の距離を活かした攻撃は出来ず、銃器のアドバンテージを十分に活かせない。

 特に銃器部隊は『志願兵』が圧倒的多数だ。DBOがそうであるように、≪銃器≫は最強スキルではない。むしろ扱いに最も困る武器系スキルだ。単に射撃攻撃を欲しいだけならば≪弓矢≫の方が圧倒的に実利と経済性があり、スキルが勿体ないならばクロスボウを装備した方がマシなくらいだ。

 だが、歴史がそうであるように、『トリガーを引く』だけで済むのが銃の良いところだ。数を揃えて撃ちまくる。これも銃の使い方だ。特にレコンの提供したレシピにはガトリングガンもある。ガトリングガンは性質上必須STRと高い距離減衰がネックであるが、それでも銃器に対して無知のアルヴヘイムの住人に対しては恐ろしく効果的だ。

 特にいつも偉そうにしている騎士に対して『下剋上』できるという興奮が平民中心の銃器部隊には最高の麻薬だった。

 今頃は勢いよくストーンブリッジに乗り込んだ銃器部隊は阿鼻叫喚だろう。何せ相手は戦い慣れた騎士や『残る』事を選んだ兵士だ。これまでの戦から銃器の特性も既に暴かれたと見るならば、豊富な遮蔽物を利用して瞬く間に近接戦に持ち込まれてしまうはずだ。そして、士気が足りない者は既に橋という退路より逃げ出しているはずだ。それも『市民の護衛』という敵前逃亡が問われない『言い分』まで準備しているハボックは慈悲深い人物であり、また数少ない決死の戦力を纏め上げる方法を熟知しているとも言える。

 

「本人が望んだんだから良いんじゃないかな? それに【ケットシーの希望】だけではハボック子爵を討ち漏らすかもしれないだろう? なにせ【橋守】のヴァンハイトが得物を抜いたそうじゃないか。どちらかがヴァンハイトの相手をして、その間にハボックを討つ。これがベストだろう?」

 

「そんなに凄い人なんですか? そのヴァンハイトって……」

 

 だってガイアスさんって人もアルヴヘイムでは最強格なのにあっさり死んだくらいなのに。UNKNOWNの報告から増々以って『戦いはやはり個の実力よりも数だ』と再確認したレコンは、どれだけ伝説を築いても個人に過ぎないと老齢の騎士を想像する。

 

「強いよ」

 

 だが、意外にもあっさりとギーリッシュは、それも彼らしくない冷や汗とも脂汗とも取れるものを流しながら告げる。

 

「私も【大猪討ち】のガイアスくらいは知っているつもりだ。それが何をどうなって暁の翅に転がり込んだのかは知らないが、流浪のスプリガンが灼熱の牙を持つ大猪をイースト・ノイアスで討ち取った話は傭兵たちから聞いていたよ。その彼が少年時代にストーンブリッジ防衛戦で肩を並べて剣の高みを教えてもらったのがヴァンハイトって噂だ」

 

 顔の半分を火傷で潰したケットシーがギーリッシュに葡萄酒を運んでくる。UNKNOWNが持ち込んだ貪欲者の金箱によってレベル1の呪いに効く解呪石は入手でき、彼女の呪われた火傷も治せるはずなのであるが、オベイロン打倒まで……ギーリッシュを新王とするまでは消さないと意思表明したのだ。

 

「偉業の1つ、ヴァンハイトが討ったサンダーワイバーンは神隠しの伯爵領から飛んできた飛竜らしくてね。長らく東と南の街道を脅かしてきた。全部でサンダーワイバーンは7体いたらしくて、内の5体は長い歴史の中で女王騎士団がそれはもうとんでもない数の被害を出して討伐したんだ。残ったのは『名前持ち』のサンダーワイバーンの王【雷雲の飛竜王】とその妻なる雌飛竜だけだった。だが、この『名前持ち』が他のサンダーワイバーンに比べても強くてね。雌も大概だったそうだけどさ」

 

 それってネームドの事なんじゃ? とレコンは冷え切っていた思考にどろりと嫌な予感を募らせる。

 

「ヴァンハイトはストーンブリッジを強襲した【雷雲の飛竜王】を討ち取った。町の防衛隊は壊滅し、派遣された女王騎士団は彼を除いて戦死。ヴァンハイトは空から降りぬサンダーワイバーンを何とか策を弄して落とし、夜明けまで続いた死闘の末に1対1でサンダーワイバーンを倒した」

 

 ただでさえ装備が貧弱極まりないアルヴヘイムにおいて、どれだけレベルが備わっていようとも、アルヴヘイム基準のネームドを倒した? レコンは頭痛を覚えながら、改めてストーンブリッジを眺める。

 

「飛竜王の妻は未だに行方知れずらしいけどね。『名前持ち』じゃなかったそうだけど、飛竜王に負けず劣らずに巨体と強さだったらしいよ?」

 

「ギーリッシュ様、行商からの噂ですが、神隠しの伯爵領付近の川にて、サンダーワイバーンの遺体が発見されたとの事です。もしかしたら、雷飛竜の最後の1体も……」

 

「『誰か』が討伐した……か。雷飛竜の討伐ともなればティターニア教団が最高位の勲章と石碑を準備するくらいの偉業だ。名乗り出るのも時間の問題かな?」

 

 何にしてもこれで南と東を繋ぐ街道の安全は盤石だね、とギーリッシュは嬉しそうに拍手する。

 

「さて、本題はここからだ。どうやら飛竜王の『尾』をヴァンハイトが斬り落とした時に、アルヴヘイムのあらゆる武具に勝る『宝具』が手に入ったとされている。だが、彼は誰にもその『宝具』を明かさなかったそうだ。だが、先の外壁攻略の際に、先行部隊を打ち払う稲妻を見たとされている。この噂……どう思うかい、レコン君?」

 

 どう考えてもドラゴン・ウェポンです、本当にありがとうございましたぁああああああああ! 泣きたくなるレコンは、アルヴヘイムの住人を縛る枷、ある意味で対人戦においてレコンたちの生命を大きく保証することを担っていたはずの『武器が貧弱である』という弱所を、今まさに防具を除けばクリアしただろう老騎士が控えるストーンブリッジに絶叫を送り込まんばかりだった。

 

「んー、それはそうと、このやり方はハボック子爵っぽくないような気がするんだよね」

 

「と、言いますと?」

 

「進軍を止めるならば、石橋を『爆破』してでも私たちの足止めをする方を狙うはずだ。なのに、わざわざ市街戦に持ち込んでの徹底抗戦。援軍に期待した時間稼ぎにしても妙だと思わないか?」

 

「た、確かに……」

 

 市街戦に持ち込むに足る理由はあっても、大戦力を相手にストーンブリッジを防衛しきれるはずもない。何としても敵の進軍を止めるならば、後々までの被害を無視してでも石橋を物理的に消滅させてしまうのが1番のはずだ。

 ならば、この市街戦にはどんな意味が? レコンは問わずにいられない衝動を堪えながら、更なる爆炎が上がるストーンブリッジに目を向けた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 各所で爆炎が起こり、また血を流しながら逃げてくる味方兵とすれ違いながら、シノンは敵の首を抉り斬った義手を払いながら、曲剣を弓モードに変形させ、腰の矢筒から抜いた【石鳴の矢】を放つ。これは南方の騎士が使う矢であり、大きな音が鳴るので狙撃には適さないが、代わりに射程距離が長く命中精度も高いというメリットがある。とはいえ、シノンからすれば十分に粗製であり、腕に見合わないと不満を覚える矢だ。

 だが、それでもアルヴヘイムの住人からすれば脅威であり、また神業の領域である。次々と放たれる矢は兜の隙間を縫って喉に、脇に、膝に、肘に突き刺さり、次々と行動不能にさせていく。

 

「【ケットシーの希望】とお見受けした! 騎士として尋常に――」

 

「はいはい、そういうのはあの馬鹿ナイトだけで間に合ってるわ」

 

 前口上を謳う巨大なメイスを構えた大柄のサラマンダーの騎士の懐に入り込み、シノンは義手のアッパーで顎を揺らし、そのまま跳んでフェイスカバーがないメット型故に守られていない顔面を膝蹴りで強打し、倒れたところで曲剣モードに戻した弓剣の鋭い先端で額を深く突き刺す。HPバーが見えないのは厄介であるが、残量HPを示すアイコンは黄色に変色し、そのままシノンは痙攣したままの騎士に連鎖式火炎壺を投げて爆殺しながら軽やかに離れる。

 どうやら名のある騎士だったらしく、敵は狼狽えている。元々は大通りに通じる路地の1つだったのだろう。バリケードからクロスボウを続々と撃っていた兵たちの動揺は動きを止める事に繋がり、その間にシノンは壁を走りながら一気に接近して背後を取ると弓剣で一閃し、振り返った者には目に、そうでない者には頸椎に矢をプレゼントして即殺する。

 

(これで38……いえ、39かしら?)

 

 人を殺すのってこんなにも簡単だったのだろうか? シノンは血を浴びる度に、自分の中に隠された獰猛な部分を感じ取っていく。

 もっと戦いたい。もっと強い敵と戦いたい。誰にも負けたくないからこそ、より強大な敵に挑んで証明したい。

 

「……ッ! 油断大敵、ね!」

 

 と、そこで右肩に突き刺さったボルトの衝撃とダメージフィードバックに奥歯を噛み締めて唸る。角から現れた兵がクロスボウを撃ったのだ。ダメージは武器が武器だけに大したものではないが、異様なまでに貫通性能が高い。明らかに『シノン対策』されたボルトだ。倒すことではなく、『ダメージフィードバックと衝撃で動きを止める』事を目的としたものである。

 即座にシノンは弓モードに切り替えてヘッドショットを狙うも、兵士の横から飛び出した黒い影が足蹴りして兵士を吹き飛ばす。壁に叩きつけられた兵士はその衝撃でクロスボウを落とすも、腰のショートソードを抜いて応戦の構えを取るが、鞘から抜く途上で神速の斬撃で刀身を半ばから折られて茫然とする。

 

「ひぃ……ひぃいいいい!」

 

 折れたショートソードを放り出して逃げていく兵士を見送りながら、シノンは構えていた矢を下ろす。同じく兵士を追い払った黒い影……UNKNOWNは疲れた様子で息を吐いた。

 

「随分と『お優しい』事ね。殺す覚悟も無いのに戦場に立っても辛いだけよ。今でもあなたの足なら退却できるし、帰った方が良いわ」

 

 UNKNOWNが握るメイデンハーツも深淵狩りの剣も血を啜った様子はない。シノンは弓剣を曲剣モードに戻し、刺さったままのボルトを引き抜く。零れた血に、ダメージ量の割に傷は深いとシノンは嘆息した。

 

「貫通性能が高いボルトみたいね。攻撃力は低めだけど、流血狙いのようね」

 

 付近に味方の兵はいない。ひたすらにシノンはここまで突っ切ってきたのだ。唯一の友軍と言えるのは、臆病に隠れながらもシノンの後を追いかけてくれたアリーヤだけである。

『可愛い女の子を1人戦場に置いておくなんてしないぜ!』とばかりにキメ顔で同行してきたアリーヤであるが、爆炎と発砲音で早くも心が折れたのか、まったくの役立たずでシノンの後ろで応援するように咆えているだけである。だが、見た目は人間1人を乗せられる大型狼だ。それが『勇ましく』咆えているだけで敵の戦意は大きく削れるので有用だった。

 

「あなたも人を斬ったことはあるんでしょう? 1人でも斬った時点で私たちの血で汚れているわ」

 

 アルヴヘイムの傷の治りが遅い仕様は調子を狂わせる。苛立ちながらもシノンは、もう1人の突入者であるUNKNOWNを心配する。『戦争に参加する』覚悟が出来ているとは思えない彼の剣が容易に人を斬れるとは思えなかった。

 本来ならば呑気にお喋りしている暇はない。敵は市街戦に持ち込んだ徹底抗戦でこちらの戦力を削る腹積もりだ。いっそ町を更地にするくらいに破壊した方が犠牲は抑えられそうであるが、それでは今回のシノンの仕事の意味がない。

 迅速に敵将の首を掲げ、相手の士気を折って降伏させる。ここにいる騎士も兵士もオベイロンに忠誠を誓っているわけではないのだ。反オベイロン派を討伐するというオベイロンからの勅命に従っているに過ぎない。それがアルヴヘイムで生き残る処世術だと心得ているからだ。そして、それは『侵略者』として故郷を脅かす反オベイロン派との戦いでもある。

 

「……ああ、そうだな、俺も立派な……『人殺し』だったな」

 

 まだ血に汚れていない2本の剣を見つめるように顔を俯けるUNKNOWNを横目に、シノンは汗で湿った前髪を義手の左手で掻き上げる。

 

(大丈夫。私は『殺せる』。私には『殺せる』。私なら『殺せる』)

 

 1人殺す度にシノンの胸の内にある何かが擦り減っていくのが分かる。戦いの興奮が『気づく』ことを妨げるように曖昧にしているが、『気づく』時こそスミスが言うところの『反動』が襲ってくる時なのだろう。

 頭ではどれだけ分かっていても自覚が出来ない精神のリミット。人間はまともな精神では『殺人』という最大の禁忌を犯し続けることは出来ないのだと思い知る。ましてや、ここにいるのは悪党などではなく、『正義』の為に戦う兵士と騎士ばかりだ。敵であるか否かは陣営の違いでしかない。

 能動的殺意。それがシノンに『殺し』の一瞬に迷いを起こす事を未然に防いでいる。最初から『自分の意思で殺す』と腹を括っている。

 

(それに、認めたくないけど、私は……私は『戦いを楽しんでいる』わ)

 

 殺し自体はまるで楽しくない。むしろ不愉快で嫌悪感が募る。だが、『戦い』自体はより一層の興奮をもたらし、自らを満たしていく感覚がある。

 それは俗に戦闘狂と呼ばれる性。自らに眠っていた獰猛な本質に、シノンはより深く沈もうと意識を集注する。『今のまま』では駄目だ。まともである事の何と愚かな事か。そして、まともである事を捨てる為に人間は『何か』に、『誰か』に、あるいは両方に依存するのかもしれない。

 

「あれが敵本陣の町役所よ。警備は手薄みたいね。正面突破するけど、ついて来れるかしら?」

 

 近接戦に関してはUNKNOWNの腕について疑う余地はない。だが、いざという時の迷いは『覚悟』の度合いが違うアルヴヘイムの住人の方が致命を狙ってくるだろう。下手に実力差がある分だけ、レベルという絶対的な余裕がある分だけ、UNKNOWNからその場を生き残ろうとする必死さは失われ、それは殺すか否かの自由選択の余地が生まれてしまう。いっそ実力が拮抗して生きるか死ぬかの場面の方が生存本能に一任して『敵』を殺せるものだ。

 町役所はこのストーンブリッジの領主の館でもあり、大きな鈍色の防壁によって囲われている。だが、本陣を防衛する戦力さえもまともに残っていないのだろう。館の正門は閉ざされることなく開け放たれている。

 これは言うなれば大ギルドがいずれ引き起こすだろうギルド間戦争の予行演習にもなる。相手は個々ではシノン達を脅かすことはなく、またDBOの知識も不足しているアルヴヘイムの住人ばかりであるが、ギルド間戦争になれば、情報も装備も圧倒的に豊富であり、なおかつ互いのやり方を知り尽くした者同士であり、何よりも現実世界に帰るべき場所を持つプレイヤーを手にかける事を余儀なくされる。それはまた別の重みのはずだ。

 負傷はすぐに癒せないが、HPは回復できる。貴重な深緑霊水を飲んで、ここに来るまでに負った傷分だけジリジリと減らされたHPを補う。

 各所で発砲音が激しさを増している。銃器を装備しているのは戦いについてほとんど訓練を受けていない志願兵だ。食い扶持が無い失業者や農家の次男三男が大半だ。この乱戦にも等しい市街戦では敵の方が戦い慣れている分だけ軍配が上がる。無論、反オベイロン派も騎士団などを控えさせているが、『温存』の為に未だ突入させていない。

 飛び出したシノンは罠であると疑うには十分な程に静寂かつ戦力が残されていない町役所の正門を潜り、館までの一直線の道を駆け抜けようとする。だが、館の門を守るように立ち塞がる1人の影に足を止める。

 これまで怯えながらも咆えるくらいは援護をしていたアリーヤが全身の毛を逆立たせて後ずさる。シノンも館を守る人影から放たれる存在感に、これまでとは格が違う相手だと察知する。

 

「フン。噂に聞く【二刀流のスプリガン】と【ケットシーの希望】とは貴様らのようだな。なるほど、類稀なる猛者とは本当だったか」

 

 それは老紳士という表現が似合う、使い古された革と金属を組み合わせた胸当てと籠手や具足を装備した老人だった。元々は黒髪だったのだろうが今は褪せて灰色であり、皺こそあっても眼光は鋭く、また凛とした表情と奇麗に髭を剃っているせいか、下手な中年以上の若々しさを覚える。痩せ衰えることなく、むしろ鍛えられた体はいかにも古強者といった雰囲気だ。

 あれが要注意人物と警告されていた【橋守】のヴァンハイトだろう。得物は背負っている長柄の竿状武器……幅広の大型刀身が備わったグレイブ系の斧槍、取り回しの良いショートソードの類の片手剣と小型の円盾だ。片手剣と円盾はアルヴヘイムで基準での『業物』かもしれないが、シノン達からすれば老人が放つ覇気にあまりにも見劣りした。だが、背負う斧槍だけは別格の存在感だ。

 

「ワシらにもうこの町を守り抜ける戦力はない。だが、この老いぼれの最後の一仕事に付き合ってもらうぞ!」

 

 速い! シノンまで一気に距離を詰めてきたヴァンハイトは両手持ちした斧槍を振るい、回避したシノンに流れるような洗練された動作で突きを穿つ。咄嗟に弓剣で弾くも、見た目通りの重々しい刃は想像以上の圧を伴い、また激しい火花からは黄金の雷撃が含まれている。高い雷属性が付与された武器の証拠だ。

 シノンへの攻撃の隙にUNKNOWNが背後に回ろうとするが、それに対して対応するように回転しながら斧槍を振り回して距離を取らせ、跳びかかるシノンの喉に蹴りのカウンターを決めて逆に吹き飛ばし、UNKNOWNの二刀流の同時振り下ろしを柄で受け止める。

 竜の意匠が施された長柄のグレイブ。だが、その特徴ともいうべき長柄の先端にある幅広の分厚い刃にはまるで錆のようなものがゴツゴツとこびり付き、本来の刃としての機能を潰している。だが、その代わりに高い打撃属性を保有しているらしく、斬撃ではなく打撃で叩き潰す得物ようだった。

 スミスさん級の体術なんて反則じゃない。口から血を吐きながら館の花壇に倒れていたシノンは強敵に闘志を燃やす。そうしている間にもUNKNOWNは縦横無尽な二刀流の剣技でヴァンハイトに斬りかかる。

 

「見事な二刀流じゃな。天賦の才……ガイアス以上の剣の申し子に出会えるとは、こんな萎びた老体には勿体ない僥倖。だが、まだ粗い!」

 

 1度大きく跳び退いて異質のグレイブを背負い、右手にショートソード、左手に小円盾を構えたヴァンハイトは、それは『剣士』ではないシノンには見抜けない、途切れることがないような二刀流の連撃の『繋ぎ目』を正確に狙った横薙ぎを繰り出す。あと1歩退避が遅ければUNKNOWNの胸からは血飛沫が舞っていただろう。

 立ち上がったシノンはDEXを爆発させてヴァンハイトに迫り、地を這うような曲剣の斬り上げを繰り出す。その速度に驚く素振りを見せたヴァンハイトであるが、手首のスナップを利かせたショートソードで曲剣を弾き、シノンに対してそのまま手首を返して振り下ろしに派生させる。それを彼女は義手に火花を散らせながら強引に受け流し、そのまま義手の爪でヴァンハイトの首を狙う。だが、それを紙一重で躱され、逆にヴァンハイトの拳がシノンの鼻を潰しにかかる。

 最小限に首を横に動かして拳をやり過ごし、逆に間合いに入ったシノンは肘打をお見舞いしようとするが、ヴァンハイトは大きく跳んでそれを躱す。だが、そこにはUNKNOWNが待っており、宙で十字斬りを繰り出す。それを円盾でガードしたヴァンハイトだが、≪二刀流≫の恩恵を受けて強化され、なおかつ盾とは雲泥の差がある2本の剣の攻撃に耐え切れず、老人が長年に亘って愛用しただろう円盾は大きく亀裂が入り、表面が破壊される。そのまま館に吹き飛ばされ、窓を突き破って内側に消える。

 後を追うUNKNOWNはヴァンハイトが飛ばされた館の2階、割れた窓へと着地からの即座の跳躍で入り込み、シノンもそれを追う。そこでは待ち構えていたように、グレイブに黄金の雷の龍を纏わせる老人の姿があった。

 解放されたのはドラゴンの咆哮であり、それは雷のブレスとなって狭い廊下を埋め尽くす。まんまと誘い込まれたシノン達を呑み込むかに思えたが、UNKNOWNは雷龍の咆哮より先に踏み込んでヴァンハイト懐に入って回避に成功する。シノンは直撃寸前に足首への負荷も厭わずに強引にジャンプして天井のランプをつかみ、廊下を埋め尽くす……だが、天井までは僅かに届いていなかった雷のブレスをやり過ごす。

 

「これも躱すか!」

 

 僅かに焦りを示すも、強敵との遭遇に『戦士』として猛らずにはいられない。そう物語るようなヴァンハイトの絶技に合わせるように、UNKNOWNも先程まで人を斬るのを恐れていたのが嘘のように淀みなく二刀流の真骨頂を披露していく。

 凄まじい連撃に次ぐ連撃。それを斧槍のリーチを十全に振り回せない廊下にて対応しきるヴァンハイトの凄まじさ。シノンは思わず見惚れそうになるのを堪え、弓モードに変形させて、2人の剣戟の狭間を正確に射抜き、矢をヴァンハイトの右肩に直撃させる。

 

「ぐぬぅ!?」

 

 矢の衝撃に対するノックバックを堪えるヴァンハイトであるが、それを見逃すUNKNOWNではなく、老人の動きが僅かに鈍った隙を狙って両手の剣を振るい、その両太腿を深く斬り裂く。血飛沫と同時に深い傷口に体勢を崩すヴァンハイトから得物を奪うべく仮面の剣士は右足を蹴り上げ、その手からグレイブを吹き飛ばした。シノンは勝敗が決したと分かりながらも、念には念を入れてヘッドショットを狙う。

 

「まだまだぁああああ!」

 

 だが、老人は恐るべき見切りでUNKNOWNの背後から狙っていたシノンの2本目の矢を躱し、再度持ち直してUNKNOWNの同時突きを身を捻りながら躱し、裏拳で彼の後頭部を打ち抜く。吹き飛ばされたUNKNOWNは転がりながら右手のメイデンハーツを床に突き立ててブレーキをかけ、片膝をつきながらショートソードと半壊の円盾を装備したヴァンハイトに顔を向ける。

 

「……やはり、粗いな。だが、若者らしい勝利を欲する執念には……この老体ではもはや追いきれんか」

 

 UNKNOWNは立ち上がりながら、血で赤く濡れた左手の深淵狩りの剣を振り払う。裏拳が当たる直前に強引にヴァンハイトの横腹を深く薙いだのだ。それが決定打となったのか、ヴァンハイトのカーソルは黄色に変色している。

 元より2対1であり、シノンは無理に接近せずにUNKNOWNの援護で射撃に徹する構えだ。冷徹に老兵を撃破する段取りを組む。そして、ヴァンハイトもまた単純な実力だけならば拮抗するどころか凌駕しているだろうUNKNOWNを危険視しつつ、最低でも2人のどちらかを仕留めると宣言するように睨む。

 

「ヴァンハイト……もう良い。ここまでだ」

 

 だが、既に勝敗が決して結末の在り方を待つべき戦場に、1人の男が姿を現す。それは全身に包帯を巻き、杖をついて壁に体を預けなければまともに歩くこともできない片腕と片足が無い男だ。

 顔面を覆う包帯のせいで分かり辛いが、人相書になった敵将のハボックだろう。彼の登場にヴァンハイトは剣を下げる。

 

「勝敗は決した。私の為にこれ以上の犠牲は容認できん。今すぐ降伏のラッパを吹け」

 

「なりません、閣下。このストーンブリッジが閣下存命の内に陥落したとなれば――」

 

「私の名誉がティターニア様に何の利益になる? ギーリッシュは反逆者ではあるが、捕虜を無下には扱わんだろう。オベイロン様も理解してくださるはずだ。我らは陛下の為に戦ったのだと」

 

 ずるずると壁にもたれるように座り込んだハボックの息は粗く、そのカーソルは赤く点滅している。治療は施しているようだが、流血ダメージが止まらないのだろう。彼は震える手でアルヴヘイムでは貴重品だろう、燐光草を浸した聖水の瓶を開けようとするが、それを苦笑と共に取り止めると駆け寄って跪くヴァンハイトに押し付けた。

 

「生きろ、ヴァンハイト。貴公の力は若者たちを導くに足るだろう。ここで無駄死にするな」

 

「……閣下」

 

 ヴァンハイトを斬らずに通り過ごさせたUNKNOWNはアイテムストレージから希少な雫石を取り出してハボックを延命させようとするが、その意図を察したのだろう。ヴァンハイトはUNKNOWNの手をそっと押し返す。

 

「フッ、敵に情けをかけるとはまだまだ青いな、【二刀流のスプリガン】。それは優しさではない。哀れみというのだ」

 

「…………」

 

「……だが、今はその『優しさ』、せめて冥途の土産にもらっていくとしよう。それよりもヴァンハイト、早くラッパを吹け。私は受け入れよう。この生涯の最期に……相応しい敗北……を――」

 

 息絶えたハボックに、ヴァンハイトはUNKNOWNに感謝を捧げるように頭を下げる。すっかり気が抜けたシノンであるが、ヴァンハイトが取り出したラッパの音色と同時にストーンブリッジの各所で断続的に起こっていた爆炎が途絶えるのを察し、この戦いが終わった事を知る。

 その後、『本隊』を率いて堂々とストーンブリッジに進軍したギーリッシュ率いる反乱軍に降伏した騎士や兵士たちは抵抗を示すことはなかった。元より侵略した土地の戦力を取り込んで反オベイロン派に組み込むつもりだったギーリッシュは早々にストーンブリッジの戦力から暫定的リーダーを選出させ、交渉に持ち込んだ。

 

「市街戦はハボックさんの発案じゃなかったらしい。彼が準備していた銃器対策やあらゆる場面を想定した防衛プランを元に、ヴァンハイトさんや残留した騎士たちが組み立てたものだったんだ。ハボックさんは石橋の爆破を計画していたらしいけど、長年に亘って石橋を守っていたヴァンハイトさんとは旧知の仲だったらしくて、どうしてもできなかったんだってさ」

 

「感傷ね。そのせいで私たちは東までの道を事実上確保できたわ」

 

 占拠された町役場の館の庭にて、渋い赤色の実を生らす樹木に背中を預けて水を飲むUNKNOWNの足下で弓剣に修理の光粉を使いながら、シノンは端的に告げる。それは本音ではない。結果を述べただけであり、シノンの心は別のところにある。

 

「ティターニア教団からの命令はストーンブリッジの絶対死守、それが無理なら石橋の爆破。ヴァンハイトさん達は石橋の爆破を取り止めた彼の名誉の為に、彼が『命令を守り抜いて戦死した』事にしたかったんだ。たとえ勝ち目がない市街戦でも、表面的に見れば『絶対死守』の命令を守り通そうとしたとも見えるだろう?」

 

「……故郷の象徴を守ってくれた『英雄』の名誉を守る為ってわけね。やっぱり感傷だわ」

 

 潔く石橋を爆破していれば死者は増えなかっただろうに。頭ではそう分かっているのに、ストーンブリッジの騎士や兵士たちが選んだ『誇り』を守り抜くための戦いを理解してしまったシノンは、やはり自分はもうDBOという『戦場』にすっかり根付いてしまったのだろうと諦観と満足を覚える。

 戦い続ける歓びを。戦闘狂と罵られても構わない。シノンは負けたくないのだ。戦場で誰にも負けたくないのだ。たとえ『気づき』の時に、多くの人を殺めた事実に心が軋もうとも、彼女は『戦場』に故郷にも等しい愛着を覚えてしまったのだ。

 ずっとずっと否定したかった、だが、ずっとずっと求めていた闘争心。これだけを得ても超えられぬトラウマに、シノンは過去とはやはり簡単に拭えるものではないのだろうと嘆息する。今日の戦いにおいて血を浴びた事よりも、あの日のトリガーの方がずっと生々しくて冷たく重く心にのしかかっている。

 

「今回は結局『協働』になってしまったけど、次は私1人でやり遂げてみせるわ。こんなんじゃギルド間戦争で生き残れそうにないしね」

 

「シノンは援護の方が向いてると思うけどなぁ。元が遠距離狙撃型なんだし、無理して近距離で戦う必要ないだろう?」

 

「この左腕じゃなければ方針転換してないわよ。それに生粋の近距離ファイターのあなた達みたいに接近戦主体で制そうと思う程に自惚れてないわ。悔しいけど、あなたとヴァンハイトさんの剣戟に入り込めなかったもの。スミスさんと同じで接近戦も可能な中距離シューターが私の着地点のつもりよ」

 

 そもそも狙撃手から転向したのも義手ではどう足掻いても以前ほどの精密射撃は不可能だと実感したからだ。だからこそ、スミスに弟子入りして近接戦について鍛え直し、弓剣という癖の強い武器を使いこなせるように訓練を積んだのだ。

 だが、UNKNOWNのような『剣士』ではないのだともシノンは今回の戦いで思い知った。反乱軍でのこれまでの戦いはレベルの高さと武装によって近・中距離の両方でほぼ圧倒的だが、レベルと武器だけならば自分に近しかっただろう、多くの戦場を生き抜いた老人相手では近接戦においての自分の不利を味わった。

 

「……なぁ、シノン。俺はあの時ハボックさんを哀れんだつもりはない。ただ……ただ死んでほしくないって思ったんだ。あの人の誇り高そうな目を見て……死ぬべきじゃないって思ったんだ。それは間違いだったのか?」

 

 木をくりぬいて作られた水筒が空になったのだろう。唇から垂れる水を袖で拭い、仮面の口元をスライドさせて閉ざしたUNKNOWNの問いかけに、シノンはどう答えるべきか迷う。

 受け取った者次第……というのが最も正解に近いのだろうが、UNKNOWNが欲しているのは別の答えだろう。シノンは戦場の塵が混じった風を感じながら、ようやく姿を現した臆病狼を睨みながら返答を探すも、彼女には何も浮かばなかった。

 

「あれは閣下なりの若人への忠告だ。『過ぎた人情は時として戦場では誇りの侮辱となる』と教えたかったのだろう。まったく、ワシのような老いぼれを生かし、あれこれ面倒を残して死ぬとは、実に閣下らしい『勝ち逃げ』だと思わんか?」

 

 怪我の治療が終わったのだろう。捕虜という扱いのせいか、武器を取り上げられ、手枷をつけられた姿でUNKNOWNと剣戟を繰り広げた老人は両脇を兵に固められながら告げる。

 

「先程話を聞いた。ガイアスが逝った、と。あれは数少ないワシが手解きをした者。元より基礎は出来ていたが、貴様と同じで才能と経験だけで強くなってきた、我流故の粗さが目立つ少年じゃったよ。フン、死に急ぐのは老人の役目だろうに。あの馬鹿者が」

 

「俺のせいです。俺が……俺が『何も出来なかった』せいで、ガイアスさんは……」

 

 過去を懐かしむようなヴァンハイトの語りに罪悪感を覚えたのだろう。UNKNOWNは水筒を握り潰しながら悔いる。だが、それを老紳士は静かに首を横に振った。

 

「剣を握った者はいずれ戦場で死すのが定め。剣を置かぬ限りに平穏は訪れん。ガイアスもそれを知っていながら戦い続けた。あれは『力』を我武者羅に欲し、その先に何も求めていなかった。何の目的も無かった。ただひたすらに強くなろうとした。そんな男が『何か』を成す為に戦うことを選べるようになった。短い間ながらも師を務めた者として、これ程に喜ばしいことはない」

 

 男同士の通じ合うものがあったのだろう。UNKNOWNは仮面の向こう側で少しだけ表情を和らげ、ヴァンハイトも皺が刻まれた目元を穏やかに細めた。

 

「二刀流、この老いぼれは閣下の遺言に従い、先程ギーリッシュ殿と取引をしたところじゃ。追放された身とはいえ、宗教都市と周辺は我が庭同然。女王騎士団の内情を深く知るワシの力を借りたいという申し出、死に場所を得られなかったこの老骨にもまだ『成すべき事』が残っていると運命を感じたものだ。ワシの同行を許すならば、全身全霊の限りに力を貸そう。騎士としてのワシは閣下と共に終わったが、戦士として死に場所は欲しい。強敵との戦いこそ我が生涯に相応しい。ティターニア様はともかく、ワシをアルフなどという『腑抜け』にしようとしたオベイロンには何ら忠義も無い。王殺しにワシも加えろ」

 

「ちょっと待ちなさい。さっきまで『敵』だったあなたを慎重を要する潜入に同行させるなんて危険を冒すと本気で信じているの?」

 

 シノンの指摘は尤ものはずだ。ヴァンハイトは『敵』として殺し合った関係だ。それも数時間前の話である。それが全て水に流して手を組むなどあり得ないという主張の何処に間違いがああるだろうか?

 それは当然の指摘と心得ていたのだろう。全ては仮面の剣士に一任するように、ヴァンハイトは見つめる。UNKNOWNは悩むように腕を組み、やがて緩慢な動作で背中を預けていた樹木の幹から離れた。

 

「……俺たちの目的はティターニアの奪還だ。彼女は俺にとって1番大切な人なんだ。理解はできないだろうけど、俺が戦うのはオベイロンから皆を解放する為でもないし、ギーリッシュを新王にする為でもない。ティターニアを取り戻す為なんだ。そんな荒唐無稽の目的を受け入れられるなら、俺の手を取ってくれ」

 

「本気なの!? こんなの危険過ぎるわ!」

 

「承知の上さ。でも、ガイアスさんの師を無下にできないし、彼の強さは本物だ。ヴァンハイトさん、俺の剣がまだ粗いって言ったけど、あなたなら研げるのか? 俺をもっと強くできるのか?」

 

 更なる『力』への固執を示すUNKNOWNに、ヴァンハイトは微かに顔を曇らせながらも小さく頷いた。

 

「貴様……いや、お前さんの剣才は剣神と呼ばれるに足る原石じゃろうな。だが、どうにも我流が過ぎて贅肉がついている。それに奇妙な程『対人』の慣れが無い。怪物相手に剣を振るってきたような、ここぞという場面での『大振り』が目立つ。特に二刀流という手数重視では剣技の『繋ぎ目』を見抜かれるのは致命傷じゃ。剣速と威圧で上手く隠していたようじゃが、こればかりは自分で矯正しようがないじゃろう。凡才相手ならばお前さんの才と経験で倒せるかもしれんが、人を斬り慣れた猛者を相手にするならば、どうしても後れを取るもんじゃ」

 

 ヴァンハイト自身は既にUNKNOWNと実力は拮抗するどころか劣っているだろう。どれだけ勇猛な戦士だとしても既に高齢であり、また数多の修羅場を潜り抜けてきたUNKNOWNは経験も十分だからだ。しかし、剣の歩みならば一朝一夕では超えられない重みがある。ならばこそ、スミスは『本領』ではないが故に指南できなかった剣について、アルヴヘイムという『歴史』がある世界を生きた歴戦の剣士より学ばんとするのは、蛇にも似た貪欲な学習欲だ。

 

「知っての通りワシの本分は長物。剣に関しては女王騎士団時代に学んだ。すなわち『騎士の剣』じゃ。お前さんがそれを欲するならば授けよう」

 

「ありがとう、ヴァンハイトさん」

 

 だが、シノンにはそれが今にも折れそうな程に鋭利に研がれた刃物の危うさにも思える。鋭さを追求するあまり、今にも砕けそうな程に脆さを感じる。

 ヴァンハイトは差し出されたUNKNOWNの右手を握る。契約成立を意味する握手に、シノンはもうどうなっても知らないと溜め息を吐いた。だが、一方で敵でさえも人が集まってくるのは、彼の本質が成す人望なのだろうかとも呆れながらも嬉しくなる。

 

「だが、その前に1つ、閣下ではないが、1つだけ忠告しておくぞ」

 

 これから手枷と装備の返還の手続きをするのだろう。連行されるヴァンハイトは足を止めて振り返る。

 

「お前さんの剣技は素晴らしい。それは『戦士』の業じゃ。だが、どうにもお前さんの心……特に殺気には『混ざりもの』がある。お前さんの剣は『お前さん』のものじゃ。刃に『何』を重ねている? 『何』を理想にして剣を振るっているか知らんが、止めておけ。『それ』はワシらでは到達できない、歩んではいけない領域。『戦士』の業ではない。自らの本質に見合わぬ『力』を欲すれば反発し合い、己を弱め、最後には自滅するぞ」

 

 UNKNOWNは返答せず、そのままヴァンハイトを見送る。今頃レコンは新たな火種の追加で頭を抱えているだろうと思いつつ、シノンは仮面の剣士の様子を視線で窺う。

 だが、無言を貫くUNKNOWNは小さく拳を握り、『誰か』に想い馳せるように空を見上げる。それが無性に腹立たしくてシノンは義手を鳴らした。

 

「ヴァンハイトさんの準備が終わったら出発しよう。ここから早馬で宗教都市までどれくらいかかる?」

 

「レコンの話では休まず走り続ければ1日でも着けるそうだけど、敵の目を欺かないといけない事も考えないといけないから、2日……いえ、3日は見ておきましょう」

 

「3日か。長いな」

 

 頭を掻くUNKNOWNに、シノンは何が長いんだかとため息を吐く。

 時間加速の影響があるとはいえ、アルヴヘイムに来てから体感の日数は相応のものになった。

 

(私たちは本当に『帰る』のかしら。戦いの無い『現実』に)

 

 アルヴヘイムの旅がいつか終わるように、DBOの戦いもいつか幕を閉ざす。シノンは胸の隅でそれを望まぬ自分に目を背けずに、この気持ちとどう付き合っていくべきか小さな悩みを持て余した。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 アスナたちと合流して早3日、ユウキは緩やかに灰色になっていく空に憂鬱さを覚えていた。

 

(確かにボクにも何かできることは無いかって言ったけどさ)

 

 アスナたちと合流し、宗教都市でも日に日に戦火への怯えとティターニア教団による統制が強まる中で、ユウキはティターニア教団の修道服を着て市街を歩く。

 アルヴヘイムの西より始まった反オベイロン派……暁の翅と名乗る『軍勢』による猛攻。それを迎え撃つのは東の最大勢力にしてアルヴヘイムにおけるティターニア信仰を集める宗教都市である。

 東のみならずアルヴヘイムでも最強の一角を担う女王騎士団。いずれもアルヴヘイムでは高レベルと目されるレベル30クラスであり、装備はともかく、個人としての練度は高く、またティターニアへの揺るがない信仰心故に士気も高い。彼らもまた西に派遣され、一進一退の攻防を続ける戦線を支え続けているが、それでも本隊は今以って温存されたままである。

 

『気になっていた事があるの。アルヴヘイムで最大戦力と目されるのは西の黒鉄都市と東のティターニア教団お抱えの女王騎士団。黒鉄都市は穢れの火……「証」の1つがある黒火山を守るための要所。その戦力の強大さにはオベイロンの支援があると見て間違いないわ。でも、女王騎士団が精鋭として他の都市に比べて抜きんでているのは何故かしら?』

 

 続々と入り込む暁の翅の情報を吟味するように地図に書き加え、アルヴヘイムでもごく1部の貴族しか持ち合わせていないというアルヴヘイム全土を模写したとされる地図を広げながら、アスナは疑問を投じた。

 ユージーンは深淵狩りの契約を集める為にバーンドット大司教の領土に『単身』で向かった為に不在であり、実質的な組織の主導権はアスナによって握られている。リーファはこうした政治や戦略については無知であり、シリカも心得こそあっても秘書業として支える側の方が性に合っているからだ。故にかつて血盟騎士団の副団長として切り盛りしていただけではなく、政治のいろはや戦略眼も備えたアスナが適任だったのだ。

 とはいえ、それは表立ったリーダーは依然としてユージーンであり、アスナは『ここぞ』という場面まで顔を出すことは許されない。シリカやリーファは既に宗教都市は煮詰まった状態であり、最後の賭けとも言うべき『ティターニア』としてのティターニア教団との交渉に臨むべきだと主張しているが、アスナは首を縦に振らない。

 民衆は既にティターニアの噂を寄る辺とし、戦争の早期終結を願っている。反オベイロン派を諫めて矛を下ろさせるにしても、正義の鉄柱を下すにしても、ティターニアの鶴の一声が妖精王を動かすに違いないと信じ、またティターニアを敬愛するからこそ戦争終結には彼女が不可欠だと縋っているのだ。

 宗教都市としても旨みの無い戦争をいつまでも続けるわけにはいかない。いかに『正義』はオベイロン派にあるとしても、反オベイロン派を討伐してもその一帯の支配者になれるわけではないのだ。利権をもぎ取られたとしても、そこは各都市が群雄割拠するアルヴヘイムだ。本拠地から遠く離れた土地まで管理できるはずもない。

 何にしても既にティターニアが表舞台に登場する土壌は出来上がっている。それでもアスナはまだゴーサインを出さない。ユウキには理解できない策略もあるのかもしれないが、リーファはともかく、シリカは慎重とは違うアスナの待機続行に眉を顰めているようだった。

 そんなアスナが投じた女王騎士団の『レベル』の秘密。それは彼女なりのリーファやシリカといったDBOプレイヤーから得られた情報を統合して導き出されたものだった。

 

『ソウルアイテムよ。リーファちゃんの話ではソウルは2種類あるわ。ユニークと非ユニーク。その中でも「勇者のソウル」や「伝承の戦士のソウル」といった、他のアイテムに変じさせたり、素材に出来ない、売るか「経験値に変換するか」のどちらくらいしか使い道がないソウルがあるわ』

 

『つまり、ティータニア教団は多量の非ユニークソウルを確保していると? あり得ますね。レベル20くらいまでならば自力でレベリングも可能でしょう。ですが、レベル20以上になると必要となる経験値量が大きく跳ね上がります。アルヴヘイムのモンスターは様々ですが、DBOプレイヤーのように毎日の如く戦う必要が無い環境である以上、わざわざ命懸けのレベリングをするバイタリティはなかなか得られません。それに武器や防具の限界もあるでしょうし。そうなるとソウルアイテムを使ってレベルアップしているのは筋が通っています』

 

 アスナの説に概ね同意したシリカであるが、反論があるように指を立てた。

 

『ですが、肝心要のソウルアイテムをどうやって確保しているのでしょうか? 非ユニークとなると、ソウルアイテムの獲得方法は大きく分けて2つ。モンスタードロップかトレジャーボックスです。どちらにしてもリスクが大きいはず。自然とレベリングが伴いますし、何よりも女王騎士団がそんなに頻繁に遠征しているようには思えません』

 

『その通りよ。だから、私はこう考えたの。女王騎士団はモンスターを「養殖」しているんじゃないかしら? ソウルアイテムをドロップし易いモンスターを発見して、それを秘密裏に教団内部で養殖して数を増やし、適度に「採取」している。DBOにはEXPキャップっていうモンスター1種から得られる経験値量は徐々に減少していくシステムが搭載されているわ。でも、これならドロップアイテムという形で、限りなく安全に得られるはず』

 

 と、そこまで話をしてアスナ以外の全員が顔を顰めたのは言うまでもない。いや、アスナ自身も冷静さを装っているが、自分がいかにおぞましい仮説を立てたのか重々と理解しているように握った拳は震えていた。

 確かに非ユニーク系ソウルを砕いて経験値を得ているという説を裏付けるモンスター養殖は理に適っている。だが、名前からも分かるように、大半の経験値用アイテムは『人間由来』であり、それらをドロップするモンスターは『人間を捕食している』や『元人間』といった背景があるのだ。

 確かに『竜のソウル』のように人間由来ではない経験値用ソウルもあるが、ユニークを除けばDBOでは人間由来のものが圧倒的に多い。つまり、アスナの説が真実であるならば、ティータニア教団は人間を捕食『している』ようなモンスターを養殖しているか確率が最も高いのだ。

 

『……考えたくないけど、養殖されているモンスターの「餌」には心当たりがあるわ』

 

『でしょうね。それで、アスナさんは女王騎士団の闇を暴いたとしましょう。それが私たちに何の利益になるんですか? むしろ、ティターニアに協力してくれる女王騎士団の名誉を穢し、反オベイロン派との合流を阻む心理的原因になるのでは?』

 

『逆よ。幾らアルヴヘイムが現在の倫理観に到達していないとしても、人間としての心まで野蛮というわけではないわ。彼らにも道徳心はあるし、善良でありたいという意思もある。女王騎士団の騎士たちの大半は真実を知らないんじゃないかしら? だからこそ、これは交渉のカードになるわ』

 

『あ、そっか! つまりこういう事ですね!「秘密をバラされたくなければ自分に協力しろ」と脅せるって事ですね!? 女王騎士団の秘密に通じる悪行ならティターニア教団の上層部も把握しているはずですし』

 

 納得した様子のリーファに重々しく頷くアスナだったが、どうにも引っ掛かるユウキはシリカの援護で質問をぶつけようとした。だが、それに先んじてアスナは彼女に笑いかけた。

 

『この件は秘密裏に調査したいの。シリカちゃんはユージーンさんの代わりに組織運営しないといけない。リーファちゃんには要塞の人たちとの交流を進めてもらいたいわ。だからユウキちゃんに護衛をお願いしても良い?』

 

 質問の機会を奪われたユウキは頷くしかなく、シリカもまた何か思案するように目線を逸らしながら頷き、リーファはアスナの信頼に応えるように自信満々に握り拳を掲げた。

 

「ごめんね。ユウキちゃんはすぐにでも【渡り鳥】くんを探したいはずなのに」

 

 宗教都市の市場を回るアスナもまたユウキと同じようにティターニア教団の修道服姿だ。だが、ユウキよりも深めにフードを被り、決して素顔が露にならないように注意している。宗教都市の各所にはティターニアの石像、ステンドグラス、絵画があるのだ。彼女の容姿が露呈すれば、本人なのだから当然であるが、ティターニアがいると大騒動になることは間違いない。そうなれば作戦は全て水の泡となり、オベイロンは我が物顔でアルフを派遣してアスナを回収するだろう。

 

「ううん、大丈夫。クーも東にいるみたいだし、宗教都市に寄る確率も五分五分だろうから、ボクがここにいれば会えるかもしれないしね。むしろアスナたちが探してくれるなら、ボクが個人で動くよりも発見できる確率も高いから」

 

 正直に言えば、もはやクゥリを探す当てがないのがユウキの本音なのだ。東にいるのは間違いないだろう。だが、クゥリは誰かと組む為に【来訪者】に接触しようとはしないはずだ。せいぜいが【来訪者】の動向を調査して、自分が動きやすいための情報を集める程度だろう。

 

「ねぇ、アスナは何を企んでいるの?」

 

 市場を彩る林檎を物色しながら、ユウキは何気なく尋ねる。アスナは表情1つ変えなかったが、自分と同じように林檎を選ぶ指には淀みがあるような気がした。

 

「私の目的はただ1つ。オベイロンを倒す事よ。その後の事は何も考えていないけど、まずはオベイロンを倒さないと何も始まらない」

 

「でも、アスナのやり方はおかしいよ。シリカの言う通り、もう宗教都市はパニック寸前なんだし、そろそろアスナがティターニアとして教団と女王騎士団を掌握しないと暁の翅と合流なんてできないんじゃないかな?」

 

 こうして平穏を保っているような市場も女王騎士団の際限ない巡回によって秩序が維持されているのが現実である。もはや、民心のティターニアを渇望する声は極限まで高まっていると言っても過言ではない。それを後押ししているのはここ最近で街道で出没しているという黒獣だ。その中には一際巨大な黒獣パールもいるとされている。パールはランスロットの騎獣でもあるとされ、その強大さは災厄として名が知られる赤雷の黒獣と同格とされている。

 状況は出来上がっている。ユウキも犯罪ギルドの幹部(戦闘要員)だったのだ。ボスやマクスウェル程ではないが、それなりの交渉というものは心得ているつもりだ。

 リーファが語る限りでは、アスナの目的は自分がティターニアとして教団と女王騎士団のトップに立ち、錦の御旗となってオベイロン打倒を掲げる事だ。ティターニアとしての名声を利用し、オベイロン派の勢いを削り取り、また寝返らせ、反オベイロン派として確立させようというものだったはずである。

 だが、ここでアスナたちが予期せぬ形で反オベイロン派……暁の翅が西で決起した。対してオベイロン派の中心となって反乱軍の鎮圧の中心になっているのが宗教都市であり、ティターニア教団なのだ。ならば、ティターニア教団を手中に収めれば、それは事実上の暁の翅との合流である。

 

「ユウキちゃんは前提が間違ってるわ。一枚岩の組織なんてない。確かにティターニア教団の核となっているのはティターニアへの妄信と狂信。でも、それがそのままティターニアへの忠誠心になって反オベイロン派になるはずがないわ。だから必要なのは有無を言わさぬ『大義』よ。ティターニア教団だけじゃない。反オベイロン派の方が『正義』とする絶対的な『大義』。『ティターニア』を上手く利用すれば『大義』を作れるわ」

 

 アスナの口振りにボスの背中を思い浮かべ、ユウキは自分の『裏切り』を思い出す。ボスにも『大義』があり、それに酔っている自分を重々に承知し、それでも自分の『大義』に賛同してくれた仲間の為に死力を尽くす覚悟があった。

 ユウキだけはチェーングレイヴの最初期のメンバーでありながら、『大義』ではなく対【黒の剣士】のカウンターとして籍を置いていた。犯罪ギルドのメンバーである自覚もあり、実際にその活動にも手を染めたが、【黒の剣士】を倒すという目的以外は見えていなかった。『大義』は知っていても興味は無かった。

 

「そんなに『大義』って大事なの? アスナが何をしようとしているのかボクには分からない。でも――」

 

 それ以上は言わないでと告げるようにアスナは手に取った林檎をユウキの口に押し付けた。真っ赤に熟れた林檎とキスしたユウキに、アスナは悪戯っぽく笑むと、自分の分と合わせた2人分を購入する。

 

「私は『生きる』って決めたわ。それだけは信じて」

 

「……分かった。信じるよ。信じさせて、アスナ。ボクは……もう嫌なんだ。失いたくないんだ」

 

 アスナに姉の面影を見てしまったからだろうか。ユウキは自分に纏わりつく病室の暗闇を……穢れを強く意識し、アスナの太陽の輝きに目が眩む。

 

「それに作戦も最終段階よ。政治の基本は根回し。ティターニア待望論に呼応した貴族は多いし、裏工作も順調。シリカちゃん達が貴族とパイプを作ってくれていたお陰ね。これで女王騎士団の急所を掴めば、最初にして最後の交渉は上手くいくはずよ」

 

 ユウキはアスナの自信に溢れた横顔に、素直にこのまま彼女の策略に従って良いのか迷う。

 アスナは『生きる』と決心し、ユウキにその意思を裏切らないと約束した。それは何の捻りもなく受け取って良いだろう。

 だが、一方で作戦が成功する事はUNKNOWNとアスナが合流する危険性もある。レギオンでありながらレギオンらしくないグングニルがアスナの傍に転送した理由……それはこの策謀を止める為なのではないかとユウキは胸の内で渦巻かせる。

 

「ねぇ、このまま逃げても良いんじゃない? 誰もアスナを責めないよ。オベイロンに1番追われている危ない身だもん。ボクと一緒に逃げよう」

 

 アスナの足が運ぶのは宗教都市の共同墓地だ。寂れた共同墓地は無名の墓が並び、無縁仏を悼む者はいないと言うように雑草が生えている。だが、アスナを止めるようにユウキは彼女の袖を引いた。

 

「そうね。私も逃げたいって気持ちはある。ううん、本当は凄い怖いの。全部投げ出して、ユウキちゃんやリーファちゃんと一緒に逃げ回って、その間に誰かがオベイロンを倒してくれることに期待して隠れ続ける。それが1番安全だって分かってる」

 

「だったら……!」

 

「でも、私は逃げない。戦うわ。オベイロンを……須郷を許せないの。あの男に怯えて逃げ惑うなんて嫌。誰かに任せて自分は安全な場所で見ているだけなら、私がアインクラッドで生きて戦った全てが無駄になるわ。私は『私』を裏切りたくない。どんな結末になるとしても『正しい』と思った道を進みたいの。それが結果的に間違っていても構わない。私は『生きる』という意思を胸に、全力で戦い抜くわ」

 

 そこまで言い切ったアスナは自分の袖を握るユウキの手をつかむ。その温かさにユウキはアスナの固い決意を理解して、彼女もまた覚悟を決めたら説得できない人間なのだと思い知らされる。

 

「アスナは『強い』ね。ボクは……ボクは……アスナみたいな『強さ』は持てないよ」

 

 クゥリがいつも【黒の剣士】に焦がれていた『強さ』。ユウキはUNKNOWNとの旅を通して、彼が何を尊んでいたのか、少しだけ深く知ることができた。だからこそ、アスナの『強さ』をより一層実感できる。

 

「私に『生きる』って強い意思を灯してくれたのはユウキちゃんじゃない。私が『強い』なら、ユウキちゃんの方がもっともっと『強い』わ」

 

 お喋りはこれくらいね、とアスナは口元を引き締める。たどり着いたのは共同墓地の中心を担う寂れた神殿だった。

 管理者と思われる司祭が3人。だが、いずれも椅子に座ったまま半ば眠りこけている。訪れる者も滅多にいないのだろう。

 

「共同墓地……ね。確かに『餌』には事欠かないだろうけど」

 

 無縁仏を『餌』にして育てられたモンスターからソウルを回収しているなど、アスナの発想も飛び抜けてるなぁ、とユウキは顔を顰める。するとアスナは嘆息しながら口を尖らせた。

 

「私だって『仮説』が外れているに越したことはないわ。でも、埋葬できない遺体を『餌』にするのは『効率』という1点だけ見ればパフォーマンスが良いと思うの。そもそも疑問に思ってたのは、宗教都市はティターニア教を通して秩序を維持していて、なおかつ女王騎士団という大戦力があるのに、何故わざわざ外部から傭兵や冒険者を集める施設があるんだろうなって……」

 

 確かに言われてみればそうだ。他の都市に比べて数ランクは上の教養が施された市民が暮らす治安が良い宗教都市において、わざわざモラルも低く、なおかつ治安を脅かす外部のならず者を集める必要があるのか。

 無論、今回の反オベイロン派狩りのように人手が足りない場合という事もあるだろう。また女王騎士団が出張る程のことでもないモンスター退治を任すという意図もあるだろう。だが、それにしても今回ユージーンが大組織を瞬く間に作れる程に『受け入れのキャパシティ』が大き過ぎるのだ。

 

「うへぇ、アスナの想像力グロ過ぎだよぉ」

 

「周囲の治安維持もできる。遺体も回収できる。経済も回る。治安維持は女王騎士団の評判を高める。一石四鳥ね」

 

 アスナの逞し過ぎる『読み』にユウキは呆れつつ、左手に暗器を……暗月の銀糸を装備する。セットしているのはシリカが調合したレベル2の睡眠薬だ。

 

(殺さないように。殺さないように……と)

 

 眠りこけているが、念には念を。ユウキは左指を躍らせれば、魔力で作られた銀色の糸が3人の司祭を絡め取る。縛られた彼らは何事かと慌てるも、低レベルだったこともあり、銀糸を千切ることもできず、パニックを起こしている間にデバフの睡眠状態に陥る。こうなればダメージを与えない限りは効果時間が切れるまで目覚めないだろう。

 

「これが≪暗器≫の力なのね。私も取ろうかしら」

 

「暗器自体は武器スキルが無くても装備できるよ。元々ステータスボーナスも低い部類だし、ソードスキルも無いし。でも、有ると無いとではデバフの蓄積性能と致命ボーナスに結構な差があるんだ。特にデバフの蓄積は雲泥の差だね。あと、ステータスボーナスも致命ボーナスの加算に大きく――」

 

 そこまで言って、お喋りはまた今度だね、とユウキは口を噤ぐ。眠った3人の司祭を起こさないように神殿の扉を開き、アスナと共に内部に侵入する。

 共同墓地と同じで寂れた内部にはお粗末ながらもティターニアの石像が並んでいるのであるが、中心の大きな石棺を囲むように並んでいるにも関わらず、いずれも背を向けている。ただ1つ、まるで祈るように両手を組んだティターニア像だけが石棺を静かに見つめていた。

 まるで目を背けているようだ。ユウキは不気味な暗示を感じ取りながらアスナとアイコンタクトして石棺に手をかける。ユウキのほぼ初期値のSTRで開くほどに蓋は軽く、中には底が無い闇の空洞があった。

 だが、鼻を擽る悪臭に思わずユウキは咳き込む。アスナは手で口を覆って堪えるも、想像を超えたニオイに顔を青くした。

 

「これ……腐臭、よね?」

 

 アルヴヘイムの遺体は腐らない。モンスターは死後も遺体は残してもやがてはポリゴンの粉微塵となり、妖精たちは炭化する。

 

「ロープはあるけど……」

 

「何処かに地下に続く道があるはずよ」

 

 アイテムストレージからロープを取り出して石棺の闇に飛び込むことを提案するユウキに、アスナは慎重な行動を主張するように神殿内を探索する。

 アスナの目が真っ先に向いたのは唯一顔を背けていないティターニア像だ。念入りに手で触れたアスナは何かを確信したようにティターニアの組んだ両手をつかみ、体重をかける。それはレバーだったのだろう。腕は下がり、小さな擦れる音を立てながらスライドして、石像の下に隠されていた階段を露にする。

 

「暗いわね。足下に気を付けて」

 

 完全な暗闇ではなく、埋め込まれた赤い宝石が発光して階段を照らしている。本来はレベルが高いユウキこそ先導すべき立場なのであるが、アスナの堂々とした態度に、思わず甘えるように背中をつかんで後ろに甘んじてしまう。

 

「寒いね。なんかアンデッド系が出そうな雰囲気だよ」

 

 とはいえ、幽霊やゾンビ、虫などのメンタル面で女子力が試される分野において強いユウキが怖いのは『暗闇』そのものだ。それは穢れを生んだ病室の孤独な暗闇が彼女を今も縛り付けているからだろう。

 

「……あ、アンデッド系? DBOにもやっぱりいるの?」

 

「多いくらいだよ。亡者っていう干乾びたミイラみたいな雑魚は頻繁に出るし」

 

 途端にアスナがごくりと生唾を飲んだ事を察したユウキが恐る恐る肩越しから覗き込めば、アスナが青い顔をして唇を噛んでいる姿を窺うことができた。

 もしかしてアスナってホラー系が苦手なのかな? 小さな悪戯心が芽生えるも、今はアスナの精神を削っても得にならない状況だ。ユウキはアスナに先導を任せながら、ようやく広々とした空間と悪臭に顔を歪める。

 それは巨大な地下神殿であり、悪臭の根源が鎮座する寝床であり、数多の無縁仏たちの末路だった。

 丁度石槌の真下だろう場所にいるは、無数の人骨のベットに鎮座する、まるまると太った人面蠅だった。その身はブヨブヨに膨らみ、全身には膿んだニキビのように卵を備え、そこからは際限なく蛆が生まれている。

 太り過ぎて飛べない人面蠅は怠惰に『餌』を貪っている。まだ真新しいだろう肉塊は骨が砕ける音がしながら、柔らかく腐った肉汁を滴らせる。

 卵から孵化した蛆は這い回る。だが、女王蠅を囲む全身を赤衣で覆った者たちが長い竿によって回収され、まるで生肉屋のように斧で首を斬り落とされる。

 口を手で押さえたままユウキはその場に座り込み、ぜーぜーと喉の痙攣のままに嘔吐の動作を繰り返す。吐瀉物は無く、ただ唾液ばかりが零れ、それが余計に内側の不快感を膨らませていく。アスナも同様らしく、せめて悲鳴だけでも堪えるように涙を溜めながら体をくの字にした。

 覚悟こそしていたが、やはり実際に光景で見ると精神を抉るものがある。何よりもソウルを回収するモンスターがあのような人面蠅とは想像もしていなかった。ふとユウキはかつて自分に寄生した深淵の虫を思い出し、もしかしたらあの人面蠅は深淵の怪物の類ではないだろうかと疑う。

 仮にそうであるならば、この光景を見た欠月の剣盟は文字通り宗教都市を焦土と化すまで燃やすだろう。

 アスナも≪気配遮断≫は獲得済みなのだろう。ユウキと同様にスキルを発動させて息を潜めながら石柱の陰に隠れ、赤衣たちの作業を見守る。解体された蛆は『餌』として女王蠅に差し出され、時折ドロップするソウルは盆にのせられて黒い扉の向こう側に運ばれる。あの奥がソウルの保管庫と見て間違いないだろう。

 

「どうする? ボクなら全員眠らせられると思うけど」

 

「……やりましょう。でも、あのモンスターは倒さないで。証拠になるわ」

 

 あれだけブヨブヨに太ったモンスターだ。大した抵抗も出来ないだろう。ユウキは暗月の銀糸を張り巡らし、そのまま作業員の4人を拘束する。暴れ回った4人であるが、睡眠のデバフが蓄積したのか、がくりと首を傾けたまま動かなくなった。

 レベルが低く、また装備の耐性値から低いからこそのデバフのゴリ押しであるが、今はアルヴヘイムのお粗末な装備とレベル事情に感謝しようとユウキは眠った作業員が女王蠅に食べられないように隅に並べる。低いSTRのせいで顔を真っ赤にしながら引き摺る羽目になったが、アスナの協力もあって時間もかからなかった。

 

「本当に倒さなくて良いのかな?」

 

 太り過ぎて自重で自滅しそうな女王蠅に冷気を帯びた剣を突き刺そうとするユウキであるが、膿んだ体の悪臭が刀身にこびり付きそうで止める。アスナも今は放っておこうと目を背けた。

 解体された我が子さえも貪る女王蠅にある種の哀れみを覚えながら、ユウキは黒い扉を開ける。そこにあったのは2メートルはある木棚にずらりと並べられたソウルの山だ。

 

「【優れた戦士のソウル】ばかりだね。低ランクだけど、これだけの数があれば、確かにレベルアップは可能かも……」

 

 おそらくは宗教都市の長い歴史の中で『もしも』の為に蓄積され続けたソウルなのだろう。広い保管庫に通り道以外の隙間なく並んだ棚にはびっしりとソウルが詰まっている。レベル20以降のレベルアップはこのソウルを消費することで成し遂げていたのだろう。ユウキは半ば呆れながら、女王騎士団のドーピングの源を手に取る。

 

「これ、全部アスナが使っちゃえば?」

 

「私が? 良いのかしら」

 

 アスナには決定的にレベルが足りない。アインクラッドを戦い続けた【閃光】としての戦闘経験を活かすにしても、アルヴヘイムはモンスターがピンキリ過ぎる上に、何よりもオベイロンと対するには時間があまりにも足りない。物量に頼ったレベルアップは邪道であり、またアルヴヘイムという長い歴史を保有するからこそ蓄積できたソウルの量であるが、ティターニア教団の所有物は主神であるティターニアのモノで構わないだろうとユウキは提案する。

 とはいえ、優れた戦士のソウル程度では幾ら数があっても、数百個砕いてもレベル40に届くか否かだろう。アスナが延々とソウルを砕く作業を見守りながら、どうして一括使用の項目が無いのだろうかとユウキは欠伸を噛み殺す。

 

「498……499……500! ユ、ユウキちゃん、もう休ませて……!」

 

「頑張って! まだ半分にも届いてないよ! レベル2の睡眠の効果時間はまだまだ余裕があるけど、誰が来るか分からないし、これだけをアイテムストレージに回収する時間は無いんだもん。早く全部使っちゃわないと!」

 

「もうレベル35よ? 十分じゃない。それに、こういうドーピングはフェアじゃ――」

 

「何言ってるの!? アルヴヘイムはレベル80以上を想定したフィールドとダンジョンなんだよ!? レベル35なんて瞬殺されちゃうよ! それにアスナ、これはドーピングじゃないから。パワーアップだから! はい、次! 501個目!」

 

 ソウルを押し付けるユウキに気圧されるままに、時間が許されるまでソウルを砕き続けたアスナであるが、レベルが1上昇する度に増えていく必要経験値に対して優れた戦士のソウルではまるで足りなくなり、ついには100個砕いても上昇しなくなる。

 

「レベル38が限界かぁ。やっぱり30以降の鈍化が酷かったね」

 

「私達でティターニア教団何百年分の成果を奪ったのかしら?」

 

「うーん、どうだろ? 幾ら低ランクのソウルでも大ギルドも腰を抜かすくらいの備蓄だったからね。たぶん、数百年どころか1000年分くらいなんじゃないかな?」

 

 あれだけ棚を埋め尽くしていたはずのソウルはすっかり無くなり、気分は義賊のユウキとアスナは少しだけ晴れ晴れしい顔をする。

 ティターニア教団は単に無縁仏を利用していただけだろうが、本来は聖職者らしく弔うべき遺体をモンスターの餌にしていたのだ。ティターニアによる神罰と考えれば、ティターニア教団は溜め込んだソウルという邪悪を清められたとも言えるかもしれない、とユウキは胸を張る。

 

「さてと、はい、アスナ! 最後にこれも砕いちゃおう♪」

 

 そう言ってユウキが笑顔で差し出したのはこの保管庫の最奥に隠されていた【雷飛竜のソウル】5つだ。準ユニーク系ソウルであり、間違いなくアルヴヘイム本来の基準に相応しい高ランクソウルである。素材としても使えるのだが、ユウキはそれを笑顔で経験値にしてしまえと宣告する。

 

「ユウキちゃん、これは駄目だと思うの。私もSAOプレイヤーだったし。だからレアアイテムを――」

 

「……でもね、クーならきっとこう言うと思うんだ。『レアアイテム? なにそれ美味しいの?』って!」

 

 主にグリムロックさん泣かせの意味で! クゥリもレアアイテムの価値を理解こそしてはいるとは思うのだが、理解の方向性が他のプレイヤーとは決定的に異なる。

 

「絶対にユウキちゃんの中の【渡り鳥】くんは歪んでると思うわ!」

 

 震えた手で雷飛竜のソウルを3つも砕き、プレイヤーとしての絶望を味わったような目をしたアスナのレベルアップ画面の表示にユウキは大満足する。なお、ユウキ的には自分の中のクゥリはまだ本物に比べればマイルドな方だろうと断言する。なお、ユウキは気づいていないが、ソウルを砕いて即時レベルアップに使うならば、最初からグリムロックの所にソウルなど1つも届くはずもない。

 

「これで……よ、40……よ。あれ? おかしいわね。レベルアップは……嬉しいはずなのに、涙が……」

 

 顔を覆って今にもすすり泣きそうなアスナを横に、レベル40まで到達すればギリギリ生き残れないこともないかもしれない、とユウキも安全ラインには程遠くとも逃走可能ラインは超えたはずだと頷く。

 

「死んだ人たちの供養にもなったはずだよ。だからアスナ、その『力』を大切にして。アスナが『生きる』為に使ってね!」

 

「……もう、ユウキちゃんは心配性なんだから。大丈夫。私はちゃんと『生きる』わ。【黒の剣士】さんがどんな人なのか確認するまで死ねないもの」

 

 神殿地下に残された蛆を生み続ける女王蠅を最後にもう1度だけ殺すべきか否か迷いつつ、ユウキは睡眠のデバフが切れる前に逃げ出すべく駆ける。アスナも成長ポイントの割り振りは後だと悩ましそうにシステムウインドウを見つめながら地上へと脱出した。

 

「眠らせたと言っても侵入された事はバレるだろうし、あのモンスター処分されないかな?」

 

「貴重な経験値製造機よ? 簡単に手放したりしないはず」

 

 今にも嵐が来そうなどんよりとした灰色の空。一雨来るより前に屋敷に戻ろうとユウキはアスナの手を引く。だが、元より情勢不安による混乱を女王騎士団による治安維持活動で無理矢理抑え込んでいた反動か、何かしら問題が起きたらしい市場は大パニックになっていた。

 

「薄汚いインプが盗みを働くとは……ティターニア様の慈悲で生かされてる身でありながら、なんと恥知らずな!」

 

「ぼ、僕は盗んでない! 本当です!」

 

 女王騎士団らしきウィンディーネの騎士が髪を引っ張って振り回しているのは10歳にも満たないだろう、ボロボロの奴隷服を着せられたインプの少年だ。その身には鞭の痕と奴隷の証の首輪がある。

 

「嘘を吐け! ならば、この金貨はなんだ!?」

 

「ひ、拾ったんです! 本当です! 貴族様の落とし物で……」

 

「己の罪を口から出まかせで取り繕おうとは何たる傲慢か! ならば、その貴族様は何処にいる!? この場にいるならば名乗り出るであろう!」

 

「本当です! 財布から落とされて、お届けしようと思ったのですが見失ってしまったんです!」

 

 ……これは死んだかな。ユウキは顔を背けながら、既に剣を抜いているウンディーネの騎士が処断を下すのは時間の問題だろうと察する。

 助けることは出来る。ユウキならば、いかに女王騎士団であろうとも騎士1人ならば敵ではない。簡単に倒すことができる。だが、それはユウキに何の利益もない。ましてや、子どもだからと言って窃盗していないという証明にもならない。故に助ける義理はない。

 宗教都市では窃盗罪は死刑でこそないが、相応の重罪である。先ほどソウルの収奪を行ったユウキ達も他人事ではないが、牢獄からの炭鉱に直行コースは間違いないだろう。そして、インプという『人権』が確立していないアルヴヘイムでも最下層に位置する種族は奴隷でも『好待遇』なのは十分に見てきた現実だ。

 

「皆の者、よく見ておけ! 卑しくも嘘を弄して罪に罪を重ねた卑族には罰を与えねばならない! 西の反乱軍が語る『大義』とは、ティターニア様の慈悲に牙を剥く卑しき種族を解き放ち、我らを秩序を無法に戻すことにある! 我らはティターニア様の名の下で結束し、反乱軍に正義の剣で以って示さねばならない! 正しき者が勝つのだと!」

 

 ユウキは運が無かっただろうインプの少年の縋るような眼に、思わずスノウ・ステインを抜きそうになるのを堪える。盗みの真偽など関係ない。あの騎士は治安維持の為に『集団の前で罪人を罰する』という過激なパフォーマンスを必要としているのだ。逆に言えば、それだけ宗教都市は平和に見えていながら、実は今にも分裂寸前なのかもしれないという示唆でもあった。

 

「……何がティターニア様の『名の下に』だよ」

 

 その証拠のように、騎士と少年を取り囲む集団からその『亀裂』は漏れた。

 

「ティターニア様は種族関係なく病も怪我も癒されたそうだぞ」

 

「女王騎士団の反オベイロン派の火刑も咎められていたとか」

 

「ティターニア様を裏切っているのは女王騎士団の方じゃないか」

 

 口々に揃えるのは、かつては『反逆』として罰せられても仕方ない女王騎士団とティターニア教団への批判だ。それは瞬く間に感染し、断罪の剣を振り下ろそうとしていた騎士への支持ではなく、またインプの少年の庇護でもなく、ただただ恐慌を呼び寄せる。

 

「アスナ、行こう。ここは危ないよ」

 

 これはチェーングレイヴの仕事で何度も『鎮圧』した覚えがある暴動の前触れだ。それはシャルルの森事件以来燻ぶっている反大ギルド運動に似たものがある。巻き込まれても害はあって利益はないとユウキはアスナと離脱を試みる。

 だが、アスナは動かない。むしろ、何かを決心したように深呼吸を挟んでいる。

 

「貴様ら、ティターニア様に歯向かう気か!? 罪を罰するは我ら女王騎士団の役目! ティターニア様の慈悲に歯向かう者こそが怨敵! 今こそ、我が忠剣で以って咎を清めん!」

 

 眉間に皺を寄せて怒りを露にした騎士はインプの少年を足蹴にして倒すと大きく剣を振り上げる。

 

「……『仕込み』は済んでるわ。少し早いけど、この辺りが限界ね」

 

 そう言ってアスナはユウキの手を振り払い、レベルアップで得た成長ポイント分を回したDEXを披露するように、剣が迫るインプの少年を抱き上げて助ける。その速度に彼女の素顔を隠していたフードはふわりと浮いて、衆目に『ティターニアそっくり』の容姿が晒される。

 唖然とするユウキは動けず、だがアスナは対照的に凛と立ち上がり、口を金魚のようにパクパクと開閉させる騎士を睨む。

 

「私の名を使いながら、卑しくも審議も無く罪を定めて罰するとは、それが騎士のするのことですか」

 

 それは『アスナ』ではなく『ティターニア』としての振る舞い。ユウキは慌ててアスナを引き寄せようと駆けるが、彼女はそれを手で制する。

 

「ティ、ティターニア様ぁあああああ!? 馬鹿な! このような場所に、いえ、私は……あなた様の慈悲に……!」

 

「黙りなさい、無礼者!」

 

 慌てふためく騎士を一喝して跪かせる『ティターニア』に、周囲の人々は唖然とし、喝采し、そして救世主は舞い降りたとばかりに恭しく平伏する。

 先程までの大騒動が嘘のように、凪いだ海のように静まり返った市場で立っているのは、この『嵐』の中心となったアスナと取り残されたユウキだけだった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「チクショウ! 出費に次ぐ出費! これじゃあ、どう足掻いても赤字だぁああああ」

 

 宿屋兼業の酒場で泣き叫ぶマウロに、オレはどうしてこうなったのかという気持ちを抑えつつ、彼の木彫りのジョッキに新しいビールを注ぐ。

 宗教都市まで一直線で馬車を駆ける……と言いたいところだったのだが、どうやら黒獣の出現と戦争の影響で各所に新しい検問があり、通行と積み荷に税がかけられているのだ。しかも宗教都市の安全を守る為に積み荷を運ぶ業者は近くの町で足止めされて念入りな検品が行われる。

 この戦争の御時勢で南から東に砂糖という大量の『贅沢品』を持ち込もうとしていたマウロはお上の目に留まったらしく、彼の馬車と荷物は念入りに調査され、また彼自身も女王騎士団に長時間に亘って拘束されて詰問を受けた。そして、オレは仲良く一緒に宗教都市を前にして【白鉄の町】とされる、白鉄が特産品の町での滞在を余儀なくされていた。

 オレも傭兵だ。1度でも引き受けた仕事を投げ出すわけにはいかない。マウロがこんなにも足止めされるとは予想外だったが、こんな事ならば徒歩か灰狼を使って宗教都市に行くか、いっそ立ち寄らずに北を目指した方が早かったのではないかと選択ミスを感じている程だ。

 

「幾ら駆け出しにしても資本が無さ過ぎるのでは? 何処かの商会に勤めることはできなかったんですか?」

 

「それが出来たらしてますって! 巡礼さんは良いトコの人だから分からないだろうけど、私のような農家の七男坊には土地も無い、教養も無い、財産も無い。無い無い尽くしなんですって。あの馬車だって森に捨てられたものを何年もかけて修理したものだし、馬だって叩き売りされていた老馬を炭鉱務めでせっせと溜めた元手で何とか買えたものなんですよ」

 

 そういうものか。オレの奢りで茹でロブスター……というよりも毛を生やした巨大ザリガニに喰らい付くマウロの食べっぷりは、彼の食生活がどれだけ極貧だったかを物語っている。殻を剥いでプリプリの肉を噛み千切っては美味いと悶絶し、ビールを飲めば気持ち良いくらいにゲップする。

 

「私みたいな農民出身が嫁さんと家を持とうと思ったら、1発逆転を狙うしかないんですって! そうなると戦場で功績を立てるか行商人かのどちらかしかないじゃないですか! だったら安全な行商人ですよ! とは言っても、行商人の死亡率ってめっちゃ高いんですけどね! ぎゃははははははは!」

 

 すっかり酔っ払いだな。顔を赤くしてゲラゲラと下品に笑うマウロに呆れつつ、オレは彼に比べて貧相と言うしかない、固焼きパンと木の実のスープを食す。元より味覚が無いので何でも構わないので、彼には『巡礼の旅で贅沢は禁止』という形で取り繕ってある。

 

「魔物、盗賊、魔物、盗賊、盗賊、盗賊! とにかく馬車を守る為にも護衛を雇わないと始まらない! でも、そんな金もない! そもそも馬車を持ってるだけ私はスタートに恵まれてるってもんです。普通は荷物を背負って自分の足で何年も街道を東に西に南に北に……命が幾つあっても足りない!」

 

「……まだ戦場で稼いだ方が楽なのでは?」

 

「ハァ!? 巡礼さんって馬鹿!? ど素人が戦場に出たって活躍できないですって! 命を担保にしても稼ぎが悪い! あー、もうヤダヤダ! こんな事ならスプリガンに生まれたかった! 生まれながらの傭兵! 流浪の民! カッコイイじゃないですかー! これだからシルフは駄目だね! なーにが『風のシルフ』だ! 男ならパワー! サラマンダーこそ戦場の主役! 糞ぉおおお! シルフで生まれた自分が憎い!」

 

 酒場でヘイトを稼ぐ、駄目絶対。泣き言を漏らすマウロに、決して良い感情を持っていない視線が集まっている。オレはフードを深く被り直しながら咳を1回挟む。

 

「そういえば、巡礼さんって男? 女? どっちなんです? 顔はスゲー奇麗ですけど、女性って言われたら何か違う気がするし、でも男性って感じでもなくて……曖昧で本当に『奇麗』って表現しか見つからないっていうか……声は男っぽいけど高いから――」

 

「ビール、もっと飲みますか?」

 

「飲むぅううう! もっと飲みます! いやー、巡礼さん万歳! やっぱり金の力って偉大だ! うひょー!」

 

 こういう輩は飲ませて潰して寝かしつけるに限る。オレはどんどんビールを注いでマウロの意識を混濁させ、ようやく泥酔させる事に成功する。そのまま彼の腕を担いで宿の部屋の固いベッドに放り投げた。

 どうやらマウロは村に好きな女の子の幼馴染がいたらしいのだが、その娘はよりにもよって自分の家の長男と結婚して失恋。土地も財産も分け与えられるはずもなく追い出され、何とか都市で荷運びで生計を立てつつ、1発逆転を狙って修理した馬車を引く馬を購入すべく炭鉱労働。ようやく成功を夢見て出発したかと思えば借金で炭鉱労働に逆戻りの危機という、なかなかに歯応えのある人生を送っていたようだ。

 

「聞いたか? 噂じゃストーンブリッジが落ちたそうだ。あそこは【橋守】ヴァンハイトがいるから絶対に陥落しないって思ってたんだけどな」

 

「こりゃ戦火がここまで及ぶのも時間の問題だな」

 

「どうする? 北に逃げるか? でも検問も関所も通行料が増してるし、町や都市の人頭税や関税もどんどん高くなってやがるし……」

 

「それよりも黒獣だ。こういう時こそ深淵狩りの出番だってのに、本当に役に立たない連中だよ」

 

 オレは酒場で酔った勢いで情報をペラペラと流している行商人たちを横目に、マウロから借りた地図を広げつつ、腰の贄姫を意識する。

 確かに深淵狩りは……欠月の剣盟は狂人の集団だっただろう。深淵の気配があれば都市1つを丸ごと潰す。そんな連中が好かれる道理もない。だが、彼らこそがアルヴヘイムを深淵から守っていたのは事実だ。

 その欠月の剣盟はもういない。アルヴヘイムを深淵から守る、聖剣に導かれた者たちはいない。このアルヴヘイムがどうなるかは知らないが、この様子では遠くない未来に破滅しか待っていないだろう。深淵を放っておけばナグナと同じ末路を辿るだろう。それはこの自由性の高いアルヴヘイムだからこそ訪れる結末だ。加えてレギオンの影もある。どう足掻いても、彼ら自身が立ち上がらない限り、緩やかな滅びは加速し続ける。

 忌み嫌われながらも、アルヴヘイムを膿む深淵に立ち向かう彼らに安らぎの眠りを。オレは味のしないビールに息を吹きかけ、波紋を作って誇り高い剣士たちを悼む。

 別に苛立っていない。ただ、彼らを侮辱されたのが……少しだけ寂しいだけだ。贄姫の柄を撫でながら、オレは今後のプランを練る。

 マウロの目的地であるバーンドット大司教領はこの白鉄の町が続く街道を北進すれば良い。そこには巡礼の地の1つ、約束の塔があるそうだ。つまり、宗教都市に1度寄って通行証を得て、また白鉄の町に戻ってバーンドット大司教領を目指さねばならない。え? なにこれ、酷い。通行証の発行を白鉄の町でしろよ。マウロ曰く、この白鉄の町の領主とバーンドット大司教は政敵らしく、それが関係しているらしいのだが、何処でも政治は本当に厄介だな。オレが言うのだから間違いない。

 

「ねぇ、おかしいと思わない? いくら戦時中とはいえ、物流を担ってるのは商人たちよ。なのに、都市にすらいれないなんて……」

 

「ここだけの話、どうやら宗教都市でデカい花火があったらしい。ほら、ティターニア様の噂があっただろ? どうやら本物が出たらしい」

 

 と、そこでオレの隣の席に夫婦らしき、傭兵なのか革製の防具を身に着けた男女が現れる。どうやら行商人の護衛をしているようだが、なかなかに興味深い話している。

 マウロや道行く人たちからも仕入れられた情報、ティターニアの噂。宗教都市に現れたと実しやかに語られる彼女について、オレは本物か否か判断をつけられなかった。

 仮に本物ならば、何がどう転がってオベイロンから逃げ出すことができたのか? オレならば『アイツ』を誘い出す為の罠としてアスナを利用するかもしれないが、そこまでして『アイツ』を狙うだけの執着と因縁がオベイロンにあるとも思えない。後継者ならやりかねないかもしれないが、それでも非合理的だ。そんな事をせずとも万全の戦力で迎え撃てるユグドラシル城という舞台がある上にランスロットという最強の戦力もいる。アスナをアルヴヘイムに放流して餌の役目を担わせる必要はない。

 だが、オベイロンがとんでもない策略家という危険性もある。オレ程度では見抜けない意図があるのかもしれない。故にオレはこの噂の真偽が何であれ、深追いは禁物だろうと判断していた。仮にアスナが本当に宗教都市にいるとしても、『アイツ』もホイホイと自ら罠に入り込むほどに冷静さを失っていないだろう。

 

「いや、でもなぁ……『アイツ』って意外と熱くなり易いしなぁ……」

 

 普段ならば冷静に何でも対処できるので感情的になり易いってわけではないのだが、『アイツ』は『身内』の危険になると感情が振り切れる傾向がある。むしろ『身内』関係になると沸点が低い。それの裏返しが自己犠牲精神であり、結果としての英雄視され易い行動の発露なのかもしれない。SAOで『ソロプレイヤー』という枠はある意味で『アイツ』が自分に重きを置く為の自己暗示だったようにすらオレは感じている。まぁ、そうなった最大の理由はオレも詳しく知らない第1層ボス戦後の大立ち回りにあったらしいのだが。本でも掻い摘んでしか説明されていないらしいが、色々とやらかしたらしい。

 さて、ティターニアが真にアスナとだと仮定しよう。『アイツ』の悲劇を止める為にもアスナとの接触は最優先事項だ。マウロも宗教都市に寄る予定だし、そのついでに噂の実態を調査するのも良いだろう。

 場合によっては殺す。その判断を下さないに越したことは無いが、『アイツ』の害になるだけならば斬る。むしろ会わせないのが良策だ。生者と死者が再会してもろくな事にならないのは神話からのお約束だ。

 隣の傭兵夫婦がビクリと震え、オレを見る。どうやら殺気が漏れたらしい。オレは慌てて代金を支払って宿兼酒場から出たが、彼らの視線が痛く背中に突き刺さる。

 

「…………」

 

 この辺りは霜海山脈と違って寒さとは程遠く、むしろ温かい。だが、マウロの話の通り、天候が崩れやすい季節らしく、嵐の気配が空を覆い、星の光を隠している。

 心臓が痛い。息苦しい。寝静まっていく町を歩きながら、オレは右足を引き摺っている事に舌打ちを隠す。右足を意識し直し、糸を繋ぎ直すイメージを整えながら、ゆっくりと膝を曲げる。再掌握に7秒か。戦闘中に起きたら致命的だな。

 明日には宗教都市にたどり着くだろう。そうすれば何が起こっているのか分かるはずだ。マウロが通行証を買うにしてもこの様子ならば時間がかかるだろう。宗教都市について調べる時間は十分とはいえないが、これだけ大問題になっているならば情報収集は容易だろう。

 消えない熱と冷たさ。内側から凍えるような寒さと爛れるような熱を感じる。視覚情報すらも針の塊のように感じる。耳鳴りが酷く、時にあらゆる音に激しいノイズを覚える。それは『音』の全てが黒板を引っ掻いたような気持ち悪さになる。

 

「……降ってきたな」

 

 小さな雨粒が世界を濡らす。

 嵐の前触れだと語りかけてくる。

 

 

 

 雨は嫌い。あなたを冷たく濡らす雨は嫌い。

 

 

 

 温めてあげると言うように後ろからヤツメ様が抱き着く。

 そうかな? 雨も風情があって良いものさ、ヤツメ様。雨が降るからこそ、青空と星夜に、太陽と月に、人は尊さを覚えたはずなのだから。

 

「戻ろう」

 

 ゲロはアルヴヘイムでも吐けないが、あの様子だとマウロは二日酔い確定だろうからな。介抱の準備でもしておこう。

 時間はある。眠らない……いや、眠れない夜は始まったばかりなのだから。瞼を閉ざしてシステム的に『睡眠状態』と誤認させておけば不眠のデバフは防げる。次の戦いに備えて脳を無駄に消耗させるのもつまらない。瞼を閉ざしていれば視覚情報が無いのでその分だけ余裕ができる。

 微睡みさえも届かない暗闇だけが……長い夜を弄ぶ方法なのだ。以前は椅子に腰かけて、意識を研ぎ澄ましたまま微睡むことで休む真似事も出来たが、このアルヴヘイムではそれさえも出来ないだろう。

 眠れば死ぬ。意識を緩めれば『獣』に成り果てる。そんな予感がある。だからこそ繋ぎ止めてくれる、あの冷たくも温かな手が必要だった。オレを眠りに誘う彼女の眼差しが……オレを夢無き眠りへと導く月光だった。

 祈りも呪いも無い、安らかな眠りはオレには許されない。ならば、せめて少しでも良い……夢見る事が無い暗闇の眠りが欲しい。それは……きっと贅沢なワガママなのだろう。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 遅々としたカーディナルの掌握作業に、オベイロンは苛立ちを隠せぬままに何度も手を組み直していた。

 現在、時間加速の影響下にあるアルヴヘイムは、獣狩りの夜発動に伴ってカーディナルの監視対象になっており、これ以上の過ぎた『ルール違反』は管理者の介入……最高位の管理者セラフの登場を意味していた。

 だが、この状況は同時にカーディナルの掌握作業を進める絶好のチャンスでもある。監視対象になっている今こそカーディナルへの直接接続のチャンスでもあり、緩やかにであるが、毒を流し込むようにオベイロンは自らの権限の増大に務めていた。

 それでも時間が足りない。セカンドマスターたるアイザックを捕らえている限り、オベイロンにとって障害となるのはセラフとファーストマスターたる茅場昌彦だけだ。唯一の危険因子だった【来訪者】たちは既に眼中にない。ランスロットの強さと盤石の戦力、そしてアルヴヘイム限定の高位の管理者権限と自らに与えられたボス性能を利用した策もあり、マザーレギオンといったレギオン勢力もある。

 敗北はない。だが、オベイロンを苛立たせるのはアルヴヘイムの現状と『証』の1つが解放されてしまった事だ。

 解放されたのはアルヴヘイムで絶対に入手できないと踏んでいた、月明かりの墓所にあるランスロットの『証』だ。バグによる侵入困難とランスロット不在によるネームド戦未発生による『証』の入手不可という多重の策を準備していた。

 だが、結果的に見れば『証』を奪われ、オベイロンは自分を守るカードを1枚失ったことになる。それでも彼が余裕を崩さないのは、最強の戦力であるランスロットを手駒にできる理由があるからであり、たとえ全ての『証』が奪われ、ユグドラシル城に続く道が解放されたとしても、反乱軍ごと【来訪者】を叩き潰すに足る策が出来上がり、それすらも万が一でも抜かれた場合に備えた絶対防護も準備してあるからだ。

 しかし、それでも後継者の関与があり、茅場昌彦のアシストが無いとも限らない以上は、最後の絶対防護も突破される恐れがある。故にオベイロンとしては何としてもカーディナルの掌握を更なる段階に進めたいのであるが、そう上手くいっていないのが実情だ。

 

「糞! アイザックからGM権限さえ簒奪できれば、こんな苦労は無かったものを!」

 

 何をしてもヘラヘラ笑って馬鹿にしてくる後継者を思い出し、オベイロンは牙を剥いて椅子の肘置きを握った拳で叩く。それは彼の執務室……彼の性格を示したような、黄金の装飾が施された調度品が並ぶ空間で浮遊する無数のシステムウインドウに波紋を引き起こした。

 完全なる不死属性。最低でもそれさえ入手できればオベイロンに怖いものはない。今の自分は限りなく生命を脅かされない安全を得ているが、それでも『ボス』である限りは『倒される危険性』が残り続ける。

 どうしてカーディナルは管理者に不死属性を付与しなかったのか。オベイロンにはまるで理解できなかった。仮想世界の秩序を脅かす存在を一方的に処分するならば、管理者を不滅の存在に変え、絶対的な権力と暴力を与えてしまえば良い。たとえば、死神部隊は『戦闘』で一々『可能性』を持ったプレイヤーを始末するが、オベイロンに言わせれば問答無用でシステムから介入してHPをゼロにして死亡させた方がずっと効率的だ。

 だが、カーディナルはそれを認めない。危険性のある『人の持つ意思の力』を備えたプレイヤーを『戦闘』で排除するように決定づけている。それは単に後継者との合議で決定されたわけではない、カーディナルが決定した非合理的なルールだった。それはセラフさえも侵せない仮想世界の絶対なる掟である。

 故に不死属性は大きな意味を持つ。それは管理者さえも不滅でない中で、不可侵の安全の獲得なのだから。

 

「王様ったら相変わらずヒステリックね~。イライラしても進捗は変わらないわ。1歩1歩大事に踏みしめるのも時には重要よ?」

 

 いつからそこにいたのか、黄金の執務椅子に腰かけていたオベイロンをマザーレギオンが覗き込む。急な登場に驚いたオベイロンに反応し、システムウインドウで表示される数列と文字列が一時停止した。

 

「フン。僕の勝利は揺るがない。だけどね、時間は有限だ。全ての管理者の膝をつかせ、仮想世界と現実世界の両方を支配できる力を手に入れる。その為にも――」

 

「その為にも一刻も早いカーディナルの掌握して『計画』の主導権を奪い取る、でしょ? でも、それでケアレスミスしたらつまらないわ」

 

 分かっているじゃないか。自分の守護神であり、アルヴヘイムに管理者たちの侵入を防ぐレギオンプログラムの防壁を張ってくれているマザーレギオンに、確かに焦り過ぎだったかもしれないとオベイロンは自省する。既に勝利は確定した身なのだ。今は確かに1歩ずつ踏みしめていくべき場面かもしれないと再認識する。

 だが、オベイロンを苛立たせるのは進まないカーディナルの掌握だけではない。まんまと逃亡したアスナの存在だ。アルフを放ち、ロザリアにも引き続いた捜査を命令しているが、今以って進展はない。広いアルヴヘイムだ。特定の個人の居場所を検索手段が『無い』以上は人海戦術に頼るしかない。

 

(ククク。だが、アスナも今頃は後悔している頃じゃないかな? アルヴヘイムは現代からすれば未開で非文明的だ。幾らSAOを生き抜いたトッププレイヤーだとしても、茅場さんが作ったアインクラッドは『お奇麗』だったからね)

 

 たとえ剣士として【閃光】と呼ばれる程でも温室のお嬢様育ちの少女だとオベイロンは嘲う。アルヴヘイムの環境に耐えきれるはずもない。

 無論、オベイロンとしてもアスナが何処の誰とも知れぬ蛮族に『汚される』のは面白くない。だが、そうした屈辱に更なる屈辱を味わされたアスナが自分の妻になると、助けて欲しいと心から屈服して縋りつく様を思い浮かべれば、それはそれで香ばしいスパイスになるだろうと期待を膨らませる。

 

「悪い顔してるわよ。王様ったら威厳がだ・い・な・し♪」

 

「王は悪巧みしてこそ、だろう?」

 

 そして、もう1つオベイロンが気にくわないのは報告にある反オベイロン派……反乱軍の決起だ。アルヴヘイム西方から始まった戦乱は徐々に広がり、オベイロンが作り上げた自分を王と崇め奉る箱庭に醜態を広めている。とはいえ、所詮は地を這う蟻たちだ。ケージの外から眺める側のオベイロンからすれば不愉快以上の感情はない。何よりも討伐の勅命を出したにも関わらず、戦果を挙げられていないオベイロン陣営の妖精たちに呆れ果てていた。

 いっそランスロットに皆殺しにさせるのが手っ取り早いのだが、あの黒騎士は最低限しかオベイロンの命令には従わない。王は孤独なものだとオベイロンはマザーレギオンが差し出したマグカップを優雅に受け取って口を付け、思わずむせ返る。それは甘いという表現すらも冒涜的な、ドロドロになったマシュマロがたっぷりと溶けたココアだ。

 

「ところで『準備』の方はどうだい? ランスロット以外のネームドが守る『証』はそう簡単には入手できないだろうが、備えは十分にしておきたいからねぇ」

 

「『特撮』を見てたっぷり勉強したわ。やっぱり王様は面白くて好きよ♪ 専用のレギオンも開発中。これも王様の高まった管理者権限とアルヴヘイム支配の秘密……【妖精王の権能】のお陰かしら?」

 

 ご機嫌のマザーレギオンに、オベイロンは増々の不動の勝利を確信する。彼女もまたランスロットと同じで気まぐれであり、そのパフォーマンスにもムラがある。だが、こうして楽しませるエンターテイメントを準備しておけば、幾らでも協力的になってくれるのだ。オベイロンからすればお菓子1つで扱える幼い子どものようなものであり、実に御しやすい。その分だけ癇癪も酷いが、相応の埋め合わせをすればそれ以上の力を貸してくれると読める分だけ扱いやすかった。

 

「でも、専用レギオンは『号令』でリソースの割り当てをもらわないと生産できないわ。でも、王様の策の通りなら、専用レギオンもたっぷり暴れさせることもできる。それだけは約束するわ♪」

 

「それは心強いな。しかし、彼らも馬鹿だねぇ。僕に対して戦力を準備する……『軍』を作るのは確かに正攻法であり、最も恐れていた手段でもあった。だが、その『軍』を逆手に取ればカーディナルの承認も取り易かった。是非とも彼らには『屈強な軍団』を準備してもらわないと、僕との『ボス戦』に盛り上がりが欠けてしまうよ」

 

 アイザック、これが『覚悟』というものさ。不死属性が与えられた後継者には分からないだろう死に怯える恐怖という感情をオベイロンは弄ぶ。今のオベイロンは自分にとって不利な事……『証』がいっそすべて解放されてしまえば、彼らにどれだけの絶望を味わせることができるだろうかと舌なめずりする。自分に歯向かった愚かな反乱軍と【来訪者】たちが泣き叫んで許し請う。そんな彼らを踏み躙る悦楽は何にも増して愉快だろう。

 

「しかし、PoHからは1人くらい【来訪者】を始末したっていう報告が聞きたいものだね。サボっているのかな?」

 

「広いアルヴヘイムだもの。探すのは時間がかかるわ。これも王様が最初に精神攻撃トラップを使っちゃったせいじゃない」

 

 果たしてそうだろうか? 確かにPoHはオベイロン側についたが、何か良からぬ企みがあるのではないかと疑わない程に節穴ではない。後継者の味方をしているとも思わないが、何かしらの別の目的の為にアルヴヘイムを探索中なのではと思うのがオベイロンの本音だ。

 実を言えば、オベイロンもアルヴヘイムの全てを知っているわけではない。長い時間をかけてアルフ達にも調査させたが、彼の管理者権限レベルとボスという制約では、その全てを把握することは出来なかったのだ。

 たとえば、オベイロンはランスロットを始めとしたネームドがHPバーが削れるごとにどのような能力が解放されるのか知らない。

 

「……だが、勿体なかったな。折角『放置』していた深淵狩り達だったのに。彼らならカーディナルの深奥……コード:MOONLIGHT=HOLY BLADEにたどり着くかもしれないと淡い期待をしていたんだけど、まさか適応された途端に撃破されるとはねぇ」

 

 オベイロンもコード:MOONLIGHT=HOLY BLADEは狙っていた。そして、聖剣に関わる存在である深淵狩りを敢えて放置する事により、彼らにコードが適応されないかと画策していたのだが、まさか適応された途端に撃破されるとは思っていなかったのだ。

 カーディナルが敢えて残した、上位管理者権限にも匹敵するコード。それは限りなくオベイロンが求める『力』に似ている。オベイロンは仮想世界と現実世界の双方を支配する自分にこそ聖剣の名を冠したコードはあるべきだと考えていた。

 

「聖剣ねぇ……それってそんなに素晴らしいものかしら? 折れてしまえば鉄屑と何ら変わらないわ」

 

 嘲うようなマザーレギオンの口振りに、彼女には理解できない『力』なのだろうとオベイロンは説明を放棄する。一方で、月明かりの墓所でランスロットの代理を務めた欠月の剣盟について確認したが、ログが『破損』してしまっていた為に、彼らの何がコード:MOONLIGHT=HOLY BLADEが起動する条件だったのかは分からないままだ。破損の原因はレギオンプログラムにあると推測できたため、オベイロンはある意味で自業自得かとも半分ほど諦めていた。

 

「ご、ご報告します」

 

 と、そこで執務室にアルフの意匠を纏った赤毛の女……ロザリアが入室する。途端にマザーレギオンはふわりと浮いてオベイロンから離れると、ロザリアの周囲をくるくる回り始めた。オベイロンも知らなかったことであるが、どうやら2人の関係には進展があったらしく、マザーレギオンはロザリアによくちょっかいを出している。

 

「あらあら、『ロザリア』じゃない。わざわざ王様に『ご報告』なんて何かあったのかしら~♪」

 

 その証拠に『親愛』を示すように、マザーレギオンは彼女だけ名前で呼んでいる。だが、ロザリアの方は慣れていないのか、緊張した面持ちでごくりと生唾を飲んでいた。

 

「い、いえ、マザーレギオン様。これは単なる業務連絡と申しますか……」

 

「そうよね。『業務連絡』よね。でも、王様の手をわざわざ煩わせるほどの報告があるのかしら? む・の・う・さ・ん♪」

 

 ツンとロザリアの顎を右手の人差し指で撫でるマザーレギオンに、今にも失禁と嘔吐をしそうな程にロザリアは顔を歪める。本当に人を玩具みたいに壊すのが好きな子だと、マザーレギオンの悪戯にオベイロンは苦笑した。

 

「マザーレギオン、『ホウレンソウ』は社会人の基本さ。ロザリアを責めてはいけない。さぁ、聞かせてくれ。アスナの居場所が分かった。そう報告してくれるのだろう?」

 

 まぁ、キミにはあまり期待してないがね。どうせ『成果無し』の報告をするだろうロザリアに、どんな餌をぶら下げてやる気を出させるべきか、それともいかなる叱責をして恐怖に駆らせるべきか、迷いながらオベイロンは赤い口紅で濡れた彼女の唇が開くのを待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は、はい、オベイロン陛下。まさしくその通りです。アスナ様の……ティ、ティターニア様の居場所を『捕捉』しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昇進決定。オベイロンは晴れ晴れとした表情で右手を振り、ロザリアに報告の続行を促す。

 

「先程、約束の塔にて謁見を求める陛下の信徒があり、ティターニア様を『保護』したという旨の報告をアルフが受けました。ティターニア様はアルヴヘイムの日々に辟易し、陛下の元に帰らんとする事を望まれています。ですが、その一方で自分の帰還と引き換えにケットシーとインプの差別階級の撤廃と種族再興を求めているらしく……」

 

「ククク、そうかい。そうなのかい? アハハハハハハハハハ! アインクラッドで名を馳せた女剣士もレベルと武器が無ければ1人のか弱い乙女ってわけかい! やっぱりアルヴヘイムの未開の大地に耐えらなくなったそうだよ! 嗤えるじゃないか! なぁ、マザーレギオン!」

 

「……そうねー。根性ないわねー」

 

 おや、こういう時は心底馬鹿にして笑い転げて同意するのがマザーレギオンのはずなのだが。オベイロンはテンション低く髪を指でくるくると巻いて弄ぶマザーレギオンに肩を竦めた。どうせアスナを狩り出す為にレギオンの軍勢を使って遊ぼうとでも企んでいたのだろう。

 

「で、どうするの、王様? 正妻様のお願いを聞いてあげるの?」

 

 興味なさそうなマザーレギオンの問いに、オベイロンは小さな思案を巡らせる。自分に歯向かった種族、ケットシーとインプはアルヴヘイムでも最下層の待遇を味わせた。それは彼の嗜虐の堪能でもあった。だが、獣狩りの夜から始まったレギオンプログラムの感染はいずれアルヴヘイムを滅ぼすだろう。

 

「ティターニア様はケットシーとインプの解放を以って、反乱軍との『和解』を求めています。い、いかがなさいます、か?」

 

 ガクガクと震えるロザリアに、そうまで怯えなくても僕は怒鳴ったりしないと余裕の笑みで応じたオベイロンは、考える素振りのように口元を手で覆った。

 支配欲。それはオベイロンを動かす原動力の1つだ。アルヴヘイムは彼の肥大した自尊心を満たす箱庭であり、住人が生きようと死のうと構わないが、彼らの自分を畏れ奉り怯え称賛する声はやはり心地良いのだ。

 

「……応じようじゃないか。ケットシーとインプの差別撤廃。たったその一言だけで、プレイヤー諸君が必死になって裏で画策してただろう反乱軍は終わりだ。なにせ連中の『大義』の1つは彼らの解放だからね」

 

 何よりも自分の元に帰ろうとしているのを必死に誤魔化すようなアスナの要求は、実に可愛らしいものだとオベイロンはそそられる。

 

「盛大に『我が妻』を迎えてあげようじゃないか! アハハハハハハ!」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「で、言い残すことは?」

 

 こうなる事は予想済みよ! オベイロンの執務室を出てからたっぷり、そしてピッタリ30分後に自室で待機していたところを強襲したマザーレギオンに触手で首と四肢を締め上げられながら、絶妙な匙加減で削れるHPにロザリアは涙を浮かべる。

 

「や、約束の塔であのような報告をアルフが受けた以上、オベイロンに隠し通すのは無理です! マザーレギオン様を守る為にも――」

 

「だから嘘を吐くなって言ったでしょう? あなたは自分の身を守る為に報告しただけ。バレた時の王様からの追及を恐れただけ。でも、あなたは馬鹿じゃない大馬鹿者だもの。しっかり計算したはずよ。私が即『処分』しないとも踏んでいたからこそ、こうして律儀に自室に閉じこもっていたはず」

 

 宙で何度も振り回された後に壁に雑巾でも投げつけるように飛ばされたロザリアは激しく咳き込み、まだ首も四肢も繋がっていると安堵しながら、マザーレギオンの素足の甲を舐める勢いで平身低頭する。

 

「まぁ、あなたの行動は私への『ホウレンソウ』が無かった点を除けば、合格点の対応よ。アルフに召し上げられる約束の塔からの報告。王様の耳にもいずれ入っていたはず。そして、私へのお伺い無しの行動はあなたなりの『取引』のつもりかしら?」

 

「【閃光】は何か企んでいます! あたしはリーファにバレないように彼女たちのティターニア教団掌握計画に協力していましたので、その1部を確認しております! あ、仕事の内容は主に貴族の懐柔! 噂の蔓延! 女王騎士団が治安維持活動に専念して動けなくなるように犯罪の――」

 

「ふーん、それで? 続けなさいよ、ボロ雑巾」

 

 あ、やった。『愛称』で呼んでもらえた。少なくとも名前で呼ばれるよりはランクアップしたと、本来ならば『蔑称』だろうボロ雑巾呼びにロザリアは泣きじゃくりたいほどの安心感を覚える。

 

「まぁ、正妻様が何かを企んでるのは間違いないでしょうね~。それがどんな結果になるにしても、たとえ犬死することになるかもしれないにしても、正妻様は『やる』と決めたらやるわ。さすがは剣士様の奥様ね! それなりに好きよ♪ でも、正妻様にはひっそりと隠れ潜んでもらいたかったのよねぇ。だってほら、妹様が無理しちゃうじゃない? お色気担当がどっかのボロ雑巾のせいで再会させられなくなっちゃったし、本当に滅茶苦茶よ」

 

 ロザリアの頭を踏み躙りながら、マザーレギオンは嘆息し、ロザリアお気に入りのピンク色のソファに跳んで腰かける。白いワンピースから覗かせる漆黒の肌の足を組み、犬のように這ってくるロザリアを睨みつけ、やがて口元を歪めた。あれは何かを思いついたサインだ。

 このタイミングしかない! ロザリアは全身全霊をかけて、人生逆転の賭けに出る。

 

「こ、このロザリア、マザーレギオン様に尽くす所存です! 嘘偽りありません! 大事なのはこの命! それと出世! マザーレギオン様の計画にお役立てできて、しかも生き延びられて、なおかつそれなりに美味しいポジションに付きたい! それだけです! 本当です!」

 

 必死に懇願するロザリアの起死回生の『本音』の叫びに、心底気持ち悪そうにマザーレギオンが目線を逸らした。

 

「……まぁ、嘘を吐かないだけマシと言えばマシなのかしら。それで、あなたは何をどうしてくれるの?」

 

 か、勝った! ロザリアは顔を床に張り付ける低頭をしながら、涙でグシャグシャになった顔を安心で歪める。どうせボロ雑巾のように酷使されるのだ。ならば、働いて働いて働きまくって、少しでも出世していくしかない。それはレギオンという理解できないグループに属していようとも変わらない……いや、より一層生命の危機を感じたからこその、気合の入った媚び売りだった。

 

「あたしがリーファを抑えます。リーファにはアルフとしての飛行能力が備わっています。【閃光】を護送し、約束の塔を警護するだろう女王騎士団も飛行する彼女を阻めません。ならば、同じ飛行能力を持つあたしだけに出来る仕事。もちろん、決して殺しませんし、必要以上に傷つけません。他のアルフやオベイロンの手の者と剣を交えさせるよりも安全かと」

 

「それはあなたが妹様よりも強かったらの話でしょう? 地上戦だろうと飛行戦だろうと勝ち目無いじゃない」

 

 だから、徹底的に逃げに徹するに決まってるでしょうが! 適度にお茶を濁して時間を稼ぎ、リーファの飛行時間切れを待つ! それしか手段はないのだ! アルフ達はオベイロンより【日光石】という飛行時間を回復できるアイテムが与えられているが、リーファの場合は太陽光を浴びてチャージした飛行時間しか飛べない。そして、今まさに約束の塔周辺……宗教都市付近は嵐の前触れのように暗雲に覆われている。これならば、十分に時間を稼ぎ続ければ、リーファの飛行時間を削ぎ落とせる。

 だが、ロザリアの『覚悟』が足りないとばかりに、マザーレギオンは面白そうに笑う。それは彼女がおぞましい『遊び』を思いついた証拠だとロザリアは短いボロ雑巾生活で十二分に理解していた。

 

「ボロ雑巾さ~ん♪ 私ね、あなたにとっても素晴らしいプレゼントがあるの。可愛い娘のグングニルのデータを基にして作った、とっても危なくて、とっても有益で、とってもすごーいモノよ♪」

 

 手を後ろで組んでステップを踏んで近寄って来るマザーレギオンに、ガタガタと震えるロザリアは顔を上げられなかった。

 だが、彼女は恐怖に震えながらも奥歯を噛んで『覚悟』を決める。

 

「は、はい、マザーレギオン様! 喜んで賜ります!」

 

 必ず出世して生き残ってやる! いつかボロ雑巾からランクアップして、元の厚化粧呼ばわりに戻ってやる! ロザリアは前向きに卑屈なやる気を燃やしながら、マザーレギオンの足の甲にキスしようとして、顎が砕ける蹴りを受けて天井に叩きつけられた。




東にて、全勢力が再び集結する。


それでは、273話でまた会いましょう!

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