SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
ミッション開始。各プレイヤーの健闘をお祈ります。


……ダクソが終わってしまった。
最後のDLCが終わってしまった。
ただただ今は物悲しいばかりです。
あの世界観も、死にゲーに相応しい難易度も、白でホストと協力プレイできるのも、侵入したら出待ちされて煽られまくるのも、暗月してたら返り討ちにされてホストに糞団子を投げつけられるのも、乱戦中にブッパされたフルブ結晶槍も……もう終わりました。
カンスト初期レベ指輪アイテム禁止無強化松明オンリー縛りも無事にDLC2もクリア。これにて、筆者のダクソ3はやり遂げられました。


ありがとう、ダークソウル。ありがとう、フロム。



・ダイレクトマーケティング
え? 4月20日にDLC入りのダクソ3(サウンドトラック付)が発売されてご新規さんがたくさん人間性を捧げちゃうんですか!? やったー!
さぁ、侵入&暗月の時間だ。


Episode18-39 黒獣

 勝手な判断だったとは重々承知だった。だが、その報告を受けて待機を続行できる程にサクヤは冷徹ではなかった。

 最適解。常にそれを選択し続けられるのは機械だけであり、あるいは血の通わぬロジックに支配されたコンピュータでさえも判断を誤るならば、この世において最たる解決案とは行動し続ける事とも言い換えられるだろう。もしくは、何が起ころうとも耳を塞いで無視して嵐が通り過ぎる事こそが弱き人々にとっての唯一無二の選択肢なのかもしれない。

 

「くっ、ここも駄目か……! 生存者は!?」

 

「ゼロです、姐さん。生きてたとしても村に留まってるはずがねぇよ」

 

 雷雨で荒んだ空は否応なく不安を煽る。もはや役にも立たない雨具であり、フードを外して横殴りの雨に顔を晒しながら、同行した皆々の心が折れぬように表情を変えぬべく精神に芯を通すサクヤであったが、その惨状には思わず言葉を失いそうになる。

 かつては農村だっただろう、豊かな畑や果樹園が彩ってただろう地は、もはや人里として機能しない程に破壊し尽くされ、雷によって焦がされた、あるいは巨獣の爪と牙によって荒々しく分解された遺体によって満たされていた。

 土壌は血を啜った泥水を溜め、幼子を腕に抱いて逃げていただろう母は我が子ごと下半身を失っていた。馬から降りて周囲を見回しながら生存者捜索を行う、ユージーンが結成した傭兵団の面々には絶望にも等しい無表情があった。

 何も感じるなという方が無理だろう。無言で膝をつくのはこの村の出身者なのか、嗚咽を雷鳴に隠し、膝を折って泥をその両手で握り、何度も何度も額を詫びるように地面に叩きつけている。まだ若い、少年と言っても問題ない年頃の彼は、どんな胸中でこの村を出立して家族と別れたのかは分からない。単純に農家の長男でないが故に土地も得られずに追い出された不本意の独り立ちだったのかもしれない。家族に少なからずの恨みもあったのかもしれない。だが、それでも愛しの故郷には違いなかったのだろう。

 少年の肩を摩って慰めながら、サクヤは自分の心が『まだ』ちゃんと動く事に嫌悪にも似た安心感を覚える。

 レギオンプログラム。自分を蝕むのは人間としての感性を奪う忌まわしいものだ。

 本来ならば目も背けたくなるような殺戮現場。そこに興奮にも似た悦楽を覚えてしまいそうになる。唇が歪んでしまいそうになる。自分でも理解できないおぞましい愉悦。自分もこんな風に『食い散らかしたい』と疼く。

 喉が渇く。お腹が減った。泣き崩れる少年の首筋に飢餓を癒す魅力を覚えて、サクヤは慌てて思考に現状把握を訴えてレギオンプログラムがもたらす誘惑を断ち切る。

 ユージーンのお陰で1度は沈静化したレギオンプログラムであるが、徐々に活性し始めている。自分でも分かっていたことではあり、何度も再認識したことであるが、もはや言い繕えない程度にはレギオンに近しくなっているのだと焦燥する。

 

「姐さん、おかしいですぜ。俺も黒獣の恐ろしさは知ってるが、人里を狙い撃ちにするはずがねぇんだ」

 

「どういう事だ?」

 

「黒獣にとって俺たちなんて蟻と同じ。わざわざ殺す価値もない。通り道で邪魔だからとか気に食わないからとか、そんな程度で襲ってくるバケモノなんだ。そうでもなければ、黒獣の被害はもっと広域で止まることなく甚大のはずさ」

 

 その姐さんは止めてくれ、とはさすがに今は言い出せず、貴重な情報を提供してくれる山賊のような髭面をした男の発言をサクヤは吟味する。

 要塞を出発して黒獣が出没したとされる地域の村々を回り、ここはすでに3ヶ所目だ。いずれも全滅で生存者は確認できておらず、噂に違わぬ凶暴性を思い知らされるばかりだった。

 だが、言われてみれば確かに、アルヴヘイムにおいて黒獣の恐怖は子供の躾にも利用される程だとしても、実際の被害は言う程に多くはない。1度の被害が大き過ぎるが故に恐怖心は煽るが、頻発しているわけではないのだ。

 それは男が言った通り、元より黒獣が人間を……妖精を取るに足らない存在と認識し、また食料としてすら見なしていないならば納得である。黒獣からすれば通行を邪魔する障害物を排除するか、目障りな虫を駆除するか、あるいは好奇心がそそられたのか。何にしても見つけたら手当たり次第に攻撃してくるほどに人間への関心を持っているわけではないのだろう。

 だが、今回は短時間において人里を集中的に襲い、なおかつ徹底している。皮紙の地図を広げ、稚拙ながらも村々の位置を記載したこの周辺の地図を広げながら、サクヤは違和感を募らせる。

 

(前例は覆される為にある、とは言うが、前例こそが何よりも雄弁な情報でもある。今回の襲撃が気まぐれではなく、何らかの意図を持つものだとするならば?)

 

 所詮は獣だ、と侮ってはならない。狼は人間以上のチームワークで狩りを行い、熊は熟練のハンターさえも時として欺く。人間が他の生物よりも知性において勝っているのは自負すべき点であるが、それは他の生物が愚劣であるという証左にはならない。ましてやアルヴヘイムは仮想世界だ。モンスターの行動基盤を生み出しているのはAIであり、それは正しく人間が生み出した知性の結晶なのだから。

 

(私のレギオンプログラムは『北に行け』と囁いている。確かに北にはまだ村も点在しているが、より人口が多い町もある。黒獣が討伐されるリスクも勘定できる戦略性を持った怪物だとして、わざわざ討伐隊を結成させるような……特に深淵狩りを誘うような真似をするだろうか?)

 

 いや、違う。この動きは『誘っている』のか? これまで壊滅した村々は北の大きな町を目指していると主張するように、丁寧に北進の過程で虱潰しに襲われている。それは直進路とは程遠い蛇行であり、明らかな殲滅の意思であり、挑発を含んでいる。

 ここ最近のアルヴヘイム東方における黒獣の頻発した目撃情報。そして今回の挑発的な襲撃。黒獣は闇雲に人里を襲っているのではなく、決戦の舞台を整えるかのように、自分に仇成す勢力を誘い出そうとしているならば? このタイミング……黒獣にとって有利となる雷雨の環境が整うまで、まるで獲物を狙う肉食獣のように機会を窺っていたならば?

 

(考え過ぎか? だが、辻褄は合わないこともない。ならば黒獣の狙いは深淵狩りか?)

 

 目撃情報を広めて深淵狩りを誘き寄せ、自分に有利な環境で一網打尽にする。戦略としては筋も通る。だが、肝心要の深淵狩り……欠月の剣盟は神隠しの伯爵領に消えたという目撃の噂ばかりで、ここ最近の宗教都市周辺では影も形も見せていない。

 忌み嫌われる深淵狩り。彼らへの罵倒と恐怖は人々の口から漏れ続けた。だが、それは裏を返せば深淵に唯一対抗できていた彼らの確かな実績でもある。その深淵狩りがいつまで経っても姿を見せない。

 

(ならば逆転の発想もあり得るか。深淵狩りがいないからこそ、アルヴヘイムは黒獣の天下ともなる。これまでのように深淵狩りを気にすることなく襲撃できるようになったとも考えられるわけか)

 

 相手が人間ならばまだしも怪物相手では心理を読むことにどれだけの価値があるだろうか? 額を押さえながら、サクヤは自分が不毛にも等しい思考の迷路に入っている事を自覚する。少なくとも次の襲撃先、あるいは襲撃された確率が高い村は見当がつけられた。ならば急行して救助活動なり避難誘導なりをすべきだ。

 今回の救助隊は志願者だけで結成されたものであり、この周辺の地理にも明るく、また黒獣の脅威を知ってもなお故郷の為に立ち上がった者たちばかりだ。決して真っ当な道を歩んで来なかった者たちだとしても、その心は常に故郷にあった。だからこそ士気も高く、そして現状において着実に絶望を募らせている。

 自分たちの無力さ。全ては手遅れであると半ば諦めにも等しい雰囲気が嵐の冷たい雨の内で充満し始めている。雷鳴が1回轟く度に、背後に青い雷光に浸された黒獣がいるのではないのかと怯えている。

 サクヤ自身もそうだ。皮肉な事であるが、アルヴヘイムでも有用な武器だったはずのオベイロンから与えられた薙刀はユージーンとの戦いで破壊されてしまっている。彼女が手にしているのは一般流通に比べれば幾分かマシな程度の、女王騎士団が使用している【風紋の槍】だ。まるで砂漠に吹いた風の軌跡のような文様が特徴的な縦長で鋭い穂先が特徴的であり、薙刀のように≪カタナ≫を複合こそしないが、より薙ぎ払うことに適した近しい運用が可能である。また微弱ではあるが光属性も含んでいる。これは闇属性だろう深淵系列のモンスターにもダメージが通りやすい。

 とはいえ、せいぜいがレベル15程度が扱うだろうランクの武器だ。黒獣がどれ程のモンスターかは実際に遭遇したことが無いサクヤには測れないが、たとえ弱点属性でもまともなダメージが通るなど甘い考えは捨てるべきだろう。そうなると、これまた気分を害することではあるが、オベイロンより与えられたタリスマンによって使用した攻撃系の奇跡の方が期待できる。 

 だが、問題なのはサクヤ自身はそこまで攻撃系奇跡に対して熱心だった部類ではなかった事だ。頼みの綱でもあった、光属性をエンチャントする聖光の武器という奇跡も、奇跡の使用が可能になったユージーンに託していた。そうなれば、同じ光属性エンチャントでもパワーダウンこそするが、オートヒーリングのバフを付与できる【武器の祝福】が唯一無二の槍の攻撃力を引き上げる手段だ。

 

(雷系の奇跡もあるにはあるが、黒獣は雷撃を操る。だったら攻撃力は半減かそれ以下だろう)

 

 光属性を複合した雷系の奇跡ならば、通常ならば深淵系列にも大ダメージを狙えるはずであるが、黒獣の場合は雷属性を持つだろう事はほぼ確定である為にダメージの通り辛いだろう。サクヤは嘆息を隠しながら、自分を運ぶ騎手に合図を送り、馬の準備をさせる。

 

「これから我々は北に向かう。黒獣は巨体だ。移動の痕跡を必ず残しているはず。諸君らの愛する家族を守る為にも、今は走れ! 何も考えずに走れ!」

 

 震える声を雷鳴で隠しながら、サクヤは一喝して救助隊を奮い立たせる。

 本来ならば、より公的な戦力……それこそ女王騎士団にでも出張らせて救助活動をすべきだろうが、彼らには期待できない。事は一刻を争う以上は自分が動くしかなかった。

 

(……怖いのか? 当たり前か。私は弱い。どうしようもなく弱い)

 

 騎手が馬を走らせ、その後ろに跨ったサクヤは暗雲の空を目にして震える我が手に自嘲する。

 あのまま要塞で見て見ぬフリを貫いて、ユージーンの指示通り、絶対待機を順守すべきだった。今でもその判断こそが自己の生命の安全を守る上で、無用な犠牲を出さないという合理的な判断においても正しいはずだ。

 サクヤは理解している。自分がしている事は、それこそ台風の夜にボランティアで氾濫した川辺に赴いて技術も無いままに土嚢を運んでいるような、余計な犠牲を増やす行為だ。たとえ期待できずとも成すべき組織がある中で、自らを火中に放るような真似だ。

 だが、ここで動かなければサクヤは自分を軽蔑してしまう。自分の弱さに屈してしまう。それはレギオンプログラムの活性の呼び水となる。

 

「信じているぞ。お前なら……必ず来てくれると」

 

 ユージーンならば、こちらの動向を耳にすれば必ず動いてくれる。サクヤにとってそれは唯一の希望だった。

 たとえ傲慢不遜であっても良い。それはお互い様だ。サクヤは無条件で信じている。

 いつも通りに、欠片として崩れぬ自信を湛えた顔で『ランク1』が来てくれることを信じている。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「はぁあああああああ!? オメェとはもう相容れねぇなぁああああ!?」

 

「それはこっちの台詞ですよ!? 頭おかしいんじゃねーの!?」

 

 誰かコイツらを止めてくれ。吹き荒れる雨風と車輪が跳ね散らす泥水ばかりがオレを慰める中で、マウロと鉄兜のこれで何周目になるか分からない堂々巡りのヒートアップに耳を塞ぎたくなる。

 大司教領に向けての旅は順調そのものだった。嵐を除けば、車輪が泥に捕られるようなトラブルもなく、馬車は淡々と街道を直進していたと言えるだろう。

 だが、突如として鉄兜が場に放った、黒獣への恐怖心でガチガチに肩を張っていただろうマウロの緊張を解す為の小粋なトークが雷鳴にも匹敵する、罵声を用いた舌戦を引き寄せた。

 

「乳! これこそが男にとってのジャスティス! 俺たちの故郷は女の胸にこそある!」

 

「笑止! 乳など贅肉に過ぎない! これ商人の常識! 尻こそが女性のチャームポイント! 尻なくして魅力無し!」

 

 どうでも良い。というよりも、古来より男3人揃えば猥談は定番なのだろうが、この2人の脳内には色欲と煩悩以外に何も詰まっていないのではないかと疑いたくなる。

 

「胸が生み出す曲線! そこそれは尻というもう1つの曲線があるからこそ胸は映えるもの! いや、むしろ胸が残念で貧しい輩もいるからこそ、尻の曲線こそが総体美を決めると言っても過言ではない!」

 

「へっ、愚かで哀れな野郎だ。デカい。それだけで素晴らしい。その膨らみに一喜一憂するからこそ、男には至高の峰を探す醍醐味があるってもんだろ!?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「巡礼さん!」

 

「白馬鹿!」

 

「「どう思う!?」」

 

 知らんがな。仲良く同タイミングで鬼気迫る表情で話題の槍を予定調和に突きつけてきた彼らに、オレは巡礼服のフードを深く被り直して無視する。

 マイペースと言うべきか、それとも鉄兜の策略に上手く嵌まっていると賞賛すべきか、マウロは確かに嵐も黒獣への不安も薄らがせている。そして、こうして馬鹿話に花を咲かせている間も鉄兜の警戒は緩んでいない事も把握済みだ。だからと言って、この緩い空気を維持する努力を見出せる程にオレのコミュ力は成長していない。

 

「そろそろ関所です、商人マウロ。通行証の準備を」

 

「それよりも尻派ですか!? 尻派ですよね! 私の目は誤魔化せんぞぉ! たとえ巡礼服で隠しているとしても、巡礼さんのヒップラインは私が見た中でも最上級! 貴族様も納得の品! 即ち、私と同じ尻愛好家!」

 

「そいつは違うぜ。コイツの真髄は俺と同じ巨乳派。つまりは俺の派閥だぁ! オメェはここではマイノリティなんだよ、マウロぉおおお!」

 

 とりあえずマウロは一連の『足』としての役割が終わった後は壺頭+裸体の刑に処すとして、鉄兜は勝手に仲間扱いしないでもらいたい。オレはオマエにどの程度の距離感で接するべきか今もそれなり以上に苦労しているのだから、今にも『ユージョウ!』とか言いだして肩に腕を回してきそうなゲス面は止めてもらいたい。

 そもそもマウロの馬車は決して大型ではない。故に席に3人座ればそれなりに密着するしかなく、オレは屋根もあることだから荷台の方で待機しようと企んでいたのであるが、鉄兜の親睦を深めろと無理矢理首根っこを掴まれて雨曝しの中で猥談を聞かされ続けているのだ。これはある種の拷問だろう。

 誤解しないでもらいたいが、猥談は存分に結構だ。オレも男だ。理解はあるし、むしろ嫌いな部類ではない。だが、今は何にも増して優先しなければならないのは此度のティターニア騒動における作戦であり、同時にオベイロンの撃破だ。エロい事を考える余裕があるならば、オベイロンを殺す作戦を絞り出す方が有意義だ。

 

「しかし、世も奇縁に満ちているというか、鉄兜さんと巡礼さんが旧知の仲だったとはアルヴヘイムも狭いもんです」

 

「へへへ、人の繋がりは簡単に断ち切れねぇもんさ。だからこそ、人の世は面白い」

 

 何を良い話に持っていこうとしているのだろうか? つい10秒前まで乳VS尻で激戦を繰り広げて今にも殴り合い開始直前だったくせに、今ではガッシリと握手を交わして友情を育んでいる。

 ……思えば、鉄兜はこういう男だったような気がしないでもない。随分と記憶も灼けてはいるが、彼との出会いは今も憶えている。後にも先にも拳骨を脳天に喰らったのはあの時だけだ。

 無理と無茶と無謀が代名詞のオレを真正面から叱ってくれた彼の優しさと善意を忘れてはいない。1度はギルドに来ないかとも誘ってくれた事も憶えている。彼の仲間たちの反対もあってお流れになったが、それでも何かと気にして顔を合わせに来てくれたり、最前線で自分がいかに活躍したのか自慢話をしたり、オレと同じソロでありながら攻略組でもトップを走る『アイツ』について色々と相談されたり、アイテムや情報を融通してくれと頼み込まれたり、女のフリをして女性プレイヤーとのディナーをセッティングしてくれと土下座されたり、女のフリをして女性プレイヤーとのデートを取り持ってくれと泣きつかれたり、女のフリをしてデートしてくれと見栄を張る為の依頼をされたり……あれ? ろくな思い出がないのは気のせいだろうか? 多分、記憶が灼けてしまっているせいだろう。きっとそのせいだ。

 いよいよ見えてきた関所であるが、この嵐とティターニア騒動のせいか、並んでいる場所は無さそうだった。だが、徐々に近くなるにつれて、オレの膝枕で微睡んでいたヤツメ様が目を擦りながら欠伸をして、優しくオレの頬を撫でる。

 

 

 ああ、とても濃厚な血のニオイがする。そう思わない?

 

 

 それは壊滅した関所だった。焼き焦げ、雨に打たれながらも煙を散らす様はつい先程まで襲撃があった証拠だろう。途端にマウロの喉が引き攣って小さな悲鳴が漏れ、鉄兜も腰の得物に手をかけて席から立つ。

 簡易的な関所とはいえ、詰めていた騎士や兵士がいたはずだ。だが、いずれも焼死体……いや、これは雷で焼かれた部類だな。いずれも戦うか逃げる最中に殺されたか。

 

「黒獣か」

 

「だろうな。マウロ、オメェは馬車から離れるな。いつでも出発できるように準備しておけ」

 

 オレと鉄兜は馬車から降りると壊滅した関所を見て回る。生存者には期待していない。単純に状況確認をしておきたいだけだ。

 

「10人……いや、12人か? この様子だとろくに反撃する暇も無かっただろうな。1時間と経っちゃいねぇぞ」

 

 跪いてまるでクレーターのように抉れた地面に触れながら、鉄兜は右手でカタナの柄を握る。オレも同意しながら、マウロの目も気にせずに死神の剣槍を装備する。護衛はあくまで鉄兜であるが、黒獣が誰を狙うか分からない以上は油断すべきではない。

 

「早く移動しよう。水場では雷属性の攻撃は拡散して範囲攻撃にもなる。黒獣の攻撃が強化されると見るべきだ」

 

「おう。オメェも気を抜くなよ。オメェの直感をアテにしてるぜ。頼むぞ、高感度センサー」

 

 ポンポンとオレの頭を撫でるように数度叩き、戦場に立つ者としての自信を窺わせる肩の脱力を背中で見せつけながら、鉄兜は手を振りながらマウロの元に戻っていく。

 

「……誰がセンサーだよ」

 

 ヤツメ様の導きはそこまで万能ではない。センサーとしてはきっとRDの方が有能だぞ。本当に誰も彼も勘違いしている。

 前髪を弄りながら、オレは鉄兜の背中を見続けて、小さな記憶の疼きを泡立たせる。

 

 

『ナイスファイト。オメェと一緒に戦える日が来るなんてな。これからもアテにしてるぜ、クゥリ』

 

 

 思い出したのは『アイツ』の相棒になってから初めて彼と共に参加したボス戦だった。

 あの時もこんな風に頭を撫でてくれた。いや、その前も、オレが傭兵として悪名ばかりを重ねていた頃も、初めて会った時も、彼は気遣いながらもあんな風に兄貴風を吹かせて関わろうとしてくれた。

 分かってるよ、ギンジ。これはただの過去への諦観だ。あの頃には戻れない。オレが仲間を欲していた頃には戻れない。オレは『1人』で戦える。オマエを殺した時に、オレは甘く腐った悪夢から覚めた。『アイツ』の背中に見た理想を捨てた。

 彼は既にオレを見限っている。彼の仲間を殺したのはオレだ。たとえ、合理的な判断に基づいた最適だったとしても、それは正しく彼にとって最悪の手段だった。こうして接してくれているのも、彼の人柄の良さを支える円滑なコミュニケーション能力がもたらしているに過ぎない。心の内側には今も憎しみの火が燻ぶっているはずだ。

 馬車まであと10歩。先に戻った鉄兜は腰を下ろし、マウロは早く鞭を打って出発したいと顔全体で表明している。

 だが、ヤツメ様が袖を引く。オレは左手で死神の剣槍を抜き、雷鳴と雷光に満ちた暗雲を見上げる。

 

「巡礼さん?」

 

「おい、白馬鹿。どうした? 早くしろ」

 

 急かす2人にオレは笑いかける。センサーね。なるほど、今回ばかりは適確な表現だと認めておこう。

 

「商人マウロ、大司教領まで全力で駆けてください。『荷物』は後程受け取りに行きます。鉄兜さん、それまでの護衛……よろしく頼みますよ」

 

 振り返り、関所の向こう側にある小高い丘を睨む。同時に飛び出したのは黒い塊であり、それは右前肢に青い雷光を秘めている。ザリアと同じ、神族の力ではない証拠たる青い雷だ。それは濡れた地面を抉り、雷球となって出発していない馬車に向かう。

 叫べ、アルフェリア。逆手で握って前に突き出した死神の剣槍の表面で泡立つ苦悶の表情の泥。それはマウロの悲鳴をかき消すアルフェリアの叫びを生み、雷球と衝突する。叫びの防御フィールドは雷球を完全に掻き消すことは出来なかったが、濡れた地面によって拡散し、なおかつ距離の分だけ威力が軽減されたのか、雷球は崩れて雷となり、オレの頬と太腿を掠る程度に止まる。

 雷属性特有の痺れを伴った焼ける痛みが突き抜けるが、問題ない。HPの損耗は1割以下で抑えられた。ダメージは想定よりも少ない。オートヒーリングで回復できる範疇だ。背後に散っていった雷が馬の足下に直撃して暴れさせるも、マウロは即座に鞭を打って出発させた事もあって混乱による足踏みだけは避けられた。

 なるほど、存外≪騎乗≫の腕前はなかなかのようだ。商人よりも荷運び専門の方が性に合っているかもしれないな。そうマウロを表現しつつ、馬車の荷台の屋根に飛び乗り、援護に向かおうと構えている鉄兜を見る。

 駄目だ。オレは半分だけ顔を向けて、強気に微笑む。ここはオレ『1人』で良い。この状況下で足止めは1人で十分だ。

 こちらの意図を正しく読んでくれたのか、距離が離れるにつれて小さくなっていく鉄兜は降りることもなく、雷雨の向こう側に消えた。

 せめてナグナの狩装束に着替えたいのだが、律儀に待ってくれる気配は無さそうだ。左手の死神の剣槍を順手に持ち替え、肩を叩きながらフードを脱ぐ。

 黒獣か。確か1度だけ目撃している。廃坑都市で包囲していた黒毛の怪物に違いないだろう。あの頃はその全貌がよく見えていなかったが、なかなかに奇怪だ。

 その名の由来となった黒毛に全身を覆っているが、まるでアンデッドであるかのように肉体はなく骨ばかりだ。頭部は人体の頭蓋骨に近しいが、獣の輪郭を持っている。体格は全長4メートル程度だ。噂で耳にしていたよりも幾分か小型だ。未成熟なのか、元より小さいのかは不明だ。

 さて、どうしてくれたものかな? あの状況下で猥談など好ましくはないのだが、それでもトラブルよりはマシだった。

 黒獣。想像よりも危険な相手だ。オレを前にして距離を取りながら、青い雷を体毛で溜める姿に油断はない。恐らくだが、この黒獣は『次の獲物』が来るのを待っていたのだ。わざと目立つように関所を壊滅させ、丘の向こう側で身を伏せて気配を隠し、こちらの回避が最も困難なタイミングを待っていた。

 見事。ハンターとしては一流だと認めよう。ヤツメ様も襲撃のギリギリまで勘付けなかった。だが、欺くには1歩……いや、3歩足りなかったな。

 どう名乗るべきか。オレは傭兵か狩人かと少しだけ悩み、継承した『彼ら』の流儀を使わせてもらおうと死神の剣槍を黒獣に突きつける。

 

「深淵討つべし」

 

 最後の深淵狩りとして、深淵の魔物をここで討たせてもらう。

 先に動いたのは黒獣だ。獣らしく四肢で素早く動き、水溜まりを跳ねさせながら右から回り込みつつ、前肢に雷撃を溜めている。

 跳びかかりからの爪の連撃。それは青の雷光を纏い、実体以上の雷撃による攻撃範囲の拡大を伴っている。加えて濡れた地面と接触すれば端から拡散性して範囲攻撃となる。

 懐に潜り込むべきか? 巨体の獣相手ならば懐に入り込むのは定石だ。プレスと全体薙ぎ払い攻撃さえ注意すれば攻撃を集中できる。

 ここだ。右前肢の3連撃の狭間を縫うようにステップで潜り込み、そのまま体重をのせた左前肢を死神の剣槍の打撃ブレードで薙ぎ払う。相手はスケルトン系と同類ならば、打撃属性に脆弱のはず。予想通り、1本のHPバーは削れている……が思っていた程ではない。HPは伯爵領にいたオーガビーストと同程度だろう。弱点の打撃属性の通りを勘定に入れれば、ネームドではないにしてもHPは多い方だろう。

 だが、この手応え……憶えている。たとえ、オレの記憶が灼けて失われようとも、この血はあらゆる闘争を蓄積している。ザリアでも似た手応えがあった。恐らくは雷によるアーマー状態だ。ならば解除することによってダメージの通りが良くなると見て間違いないだろう。

 弱点はこれでもかと主張する頭部と見て間違いない。もう一撃と欲張るより先に、頭部に青い雷光が集まっていくのを確認するまでもなくステップで距離を取り、遅れて地面に巨大なクレーターを作る青い雷の全体薙ぎ払いのバースト攻撃を回避する。

 情報を残し過ぎだ。あのクレーターは明らかに全体薙ぎ払い攻撃の類のものだ。『命』はあるようだし、ハンターとしての気配の隠し方は一流であるが、実戦経験が蓄積されておらず、強敵とのやり取りに疎い事が窺える。やはり未熟な個体と見るべきか。

 だが、黒獣に一撃必殺の攻撃を回避されても驚きも怯えも無い。むしろ堂々と唸り声をあげ、その身に纏う雷光を強める。途端に黒獣周囲に雷柱が幾本も立つ。それは回転しながら広がっていき、通って抉れた地面は帯電する。

 攻撃判定の残留か。こちらの動きを阻害し、自分に有利なフィールドを作る。定石ではあるか。

 判定の残留は大よそ10秒程度。ダメージ量を確認したいが、余計なHP減少は避けるべきだろう。右手で贄姫を抜き、水銀の刃を放って牽制しつつ、死神の剣槍を中心にして攻撃を組み立てる。

 後ろ足で立ち上がり、両腕を大きく空に掲げた黒獣が地面に両手の爪を叩きつける。1拍遅れて巨大な雷の爆発が起こり、それは地面を炸裂させながら前面を破壊していく。紙一重で躱しつつ、雷爆風の中で迫る黒獣の左前肢の引っ掻きをステップですり抜けるように躱して再度懐に飛び込むも、今度は自らを呑み込む巨大な雷柱を生み出す。寸前で背後に回り込むようにカーブをかけたステップで雷柱の攻撃範囲の境界線をなぞるように躱し、贄姫で尾にあたる部分を斬りつける。

 ソードスキルのスプリットターン程の推力はないが、曲線を描くステップも割と慣れてきた。これも仮想世界における運動エネルギーの効率的運用を目指した賜物だ。よりこの世界に適した体の動かし方を着実に我が物に出来ている。

 雷を纏った爪で薙ぎ払いながらの反転。黒獣もまた攻撃を欲張れば容赦なくカウンターを入れるつもりだったのだろう。だが、既に退避済みだ。

 さぁ、どう攻める? 贄姫の反りで肩を叩きながら、オレは黒獣を挑発するように微笑む。無理して攻めて危機感を与え、逃亡させて馬車を追わせるのは駄目だ。最低限の距離を取れるだけ時間を稼いだ上で仕留める。なにせ逃げに徹しられては機動力の差で追いつけないかもしれない。

 だが、黒獣はオレの作戦に反して、後退るとそのまま身を翻す。そして、馬車を追うまでもなく、丘の向こう側へと駆けていく。

 

「誘っているのか?」

 

 何かしらの罠があるとみるべきだろう。本来ならば無理して追う必要はない。だが、ここで見逃してマウロたちの馬車を追いかけられても困る。つまり、オレには追跡という選択肢以外はない。

 だが、機動力の差もある。無理して追撃を仕掛けようと駆ければスタミナの消耗は増す。それは避けたいな。

 

「力を貸してくれ」

 

 ならばベストはこれだ。首にかけた狼の牙の首飾りを外し、地面に押し付けて灰色の狼を召喚する。遠吠えと共に出現した灰色の狼の背に乗り、オレは黒獣の追跡を命じる。

 速度はほぼ五分五分か? 巡礼服からナグナの狩装束に着替え、今度こそ戦闘準備を完全に整える。

 

「鬼が出るか蛇が出るか。どちらでも構わないさ」

 

 罠には慣れている。黒獣の背を睨みながら、オレは贄姫を鞘に戻し、左手にだけ死神の剣槍を携えて追跡を続ける。

 街道を外れているという事もあってか、途中でモンスターの影もあったが、黒獣に巻き添えにされる事を恐れてか、襲撃してくる様子はない。モンスターの巣窟に誘い込んで……というパターンも予想したのであるが、こうなると黒獣がどんな仕掛けをしているのかが読めないな。

 だが、ヤツメ様は鼻歌を歌いながらオレの後ろに腰かけて雷鳴轟く空に手を伸ばしている。

 嫌な予感がする。ここは追跡を諦めてマウロたちと合流すべきか? 葉もない枯れた林に逃げ込んだ黒獣は木々を薙ぎ倒し、あるいは雷で払い除けながらオレを何処かへと誘導しようとしている。ダメージ覚悟で背中に飛び乗り、【磔刑】で大ダメージを与える策もある。

 何にしても今は追跡あるのみか。マウロには鉄兜が護衛についている。大司教領までは余程の事が無い限りは無事に着くだろう。

 

「こっちもアテにしているさ」

 

 オレは黒獣を倒す。オマエはマウロを護衛する。適材適所の役割分担だ。そうだろう?

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「巡礼さん……無事、じゃないですよね? 死んじゃってますよね」

 

「心配すんな。白馬鹿は……クゥリはオメェが想像しているようなお淑やかな性別不明じゃねぇさ。正真正銘のバケモノだ」

 

 涙と鼻水でグシャグシャになったマウロを横に、鉄兜は苛立ちを込めて太鼓判を押す。

 出会った頃から何も変わっていない。あの微笑みだけは変わっていない。それが余計に彼の心を掻き毟る。

 まるで天使のようだった。アインクラッドで初めて遭遇した時、彼は仲間と共にダンジョンに潜っていた。そこで罠でも踏んだかのように、モンスターに包囲された1人の小柄の白い影を見つけた。

 10や20では利かない数だ。仲間は全滅したのか、ソロで身の丈ほどもある長剣を振るう姿はまるで獣のようであり、あまりにも我が身を鑑みない踏み込みと回避の連続だった。

 HPは3割以下であり、回復する余裕もない。なのに、そのソロプレイヤーには焦りも無く、淡々と目の前の危機を処理していた。まるで自分の命に無頓着なように、1歩の度に死が撫でるのに、平然と剣を振るい続けていた。

 純粋に恐怖心を覚えた。どんなプレイヤーとも似ても似つかぬ、まるで野獣のような動き。彼が知る「プレイヤー」としての立ち回りとは無縁の、剣技とも呼べない、自分達とは根底から立ち位置が異なる戦い方。そして、それを全身で芸術のように体現する姿がおぞましかった。

 それでも善意から割り込んだ彼は仲間と共にその窮地を救った。単身でダンジョンに潜って身の危険を晒すソロプレイヤーに拳骨を1発入れ、長々と説教を垂れたのは、その危うい姿にデスゲームの初日に出会った、【黒の剣士】として名の知れた1人のソロプレイヤーと重ねてしまったからだろう。

 頭を押さえて悶絶しながらも、天使としか表現できない容姿と温和な笑みで、何処か嬉しそうに彼の説教を聞いてくれたソロプレイヤーはクゥリと名乗った。その時、初めて彼は目の前にいるのが噂で『殺人を厭わない傭兵』や『人の形をしたバケモノ』という尾ひれか背びれかも分からぬ悪名ばかりが膨れ上がったプレイヤーだと知った。

 事情を聞けば、仕事でダンジョンに潜っている際に『騙して悪いが』とやらをされてモンスター召喚トラップを発動されたらしく、救援を感謝すると丁寧に頭を下げられた時は色々と度肝を抜かし、なおかつこんな可愛い子が『自称男子』などきっと何か深い事情があるのだろうと勘違いした。

 

『あの、その……ぼく、別に良いんです。「こういう事」には……な、慣れてます、から。ぼく、これで……良いんです。いろんな、ギルドやパーティから……お、おい……追い出され、て……だから、傭兵としてしか……誰かと、関われない、から……だから……』

 

 慣れている。それは何度も何度も騙されたという事に他ならない。そして、自分たちが助けなくても『いつものように』切り抜けたという表明のように、人と接し慣れてないかのように、たどたどしく喋りながら微笑んだ。

 だからもう1度拳骨を入れた。地面に埋まる勢いで蹲った傭兵に、彼は心底馬鹿を見る目をした。

 

『慣れてるとか慣れてないとかじゃねぇだろ! オメェは死にかけたんだ! その事にもっと怒れ! 騙されたなら仕返ししろ! オメェに出来ないなら俺が詫びを入れさせてやる!』

 

 きょとんとした様子で、だが傭兵は何かに納得したように背中で手を組んでスカートと思うほどに裾が長いコートを翻しながら、天使のラッパが聞こえてきそうな笑みを浮かべた。

 

『そう……ですよね。契約違反には罰を。「騙して悪いが」には相応の報いを。確かにその通りでした。あ、ありがとう、ございます。ぼく……ちゃんと「仕返し」してきます』

 

 何か見当違いな所で納得した様子だったクゥリの微笑みに、それこそ騙された彼は深く考えずに鼻を指で擦りながら兄貴面をして頷いた。

 

『おう。もっと堂々としろ! なんだ、その前髪はよぉ。陰気だぜ』

 

 顔の半分を隠すような乱雑に伸びたクゥリの前髪をつかむと、顔を赤らめて両手で振り払う仕草が愛らしくて、彼はこれが天使かと改めて心中で繰り返した。

 

『や、止めてください! その、みんな……ぼくが、怖い……って、だから……』

 

『……ったく、仕方ねぇなぁ。良し、これからは俺がオメェに「男」とは何たるかを伝授してやる。アインクラッドで最高と謳われるナイスガイの、この! 俺に! 任せとけ!』

 

 他の仲間が止めておけと肩を叩いた。だが、彼は目の前の傭兵に関わることこそが正しいとその時は信じたのだ。それは説教をした時と同じで『彼』と同じ危うさを……あるいは戦いの様から感じたおぞましさをこのまま放っておいたら『何か』が起こりそうな気がしたからなのかもしれない。

 また拳骨を喰らうだろう。そう少しだけ身構えた傭兵の頭をポンポンと2度叩いて撫でた彼を見つめる眼差しは……赤が滲んだ黒の瞳は無垢だった。まるで年の離れた兄を慕うような好意さえも滲んでいた。

 結末だけを言えば、彼は仲間の全てをあの日出会った傭兵に奪われた。目の前で皆殺しにされた。『あの時』の判断は間違いだったと神様に嘲われた気分だった。

 だが、結果を鑑みれば、自分の仲間を『排除』しなかった場合、自分の仲間が99層ボス戦に参加していた全プレイヤーの壊滅……いや、あの2人を除いた死を招いただろう事だけは同時に嫌と言う程に結論が出ていた。

 

「あの白馬鹿は何も変わってねぇんだよ。いつだって『独り』で何でも切り抜けちまう」

 

 きっと、あの日……あの出会った日、彼が恐怖心に負けて助けに入らずともクゥリは危機を切り抜けただろう。そして、いつの日か『彼』の相棒として自分の前に現れただろう。

 出会いさえなければ、積み重ねた時間さえなければ、皆殺しにされた時に憎悪のままに剣を向けられたのかもしれない。だが、それは仮定の話であり、彼にとって切り離せぬ縁になっていた。

 ただ思い知らされただけだ。『死神』とも揶揄される、関わった全てに死や不幸をもたらす災いを招く凶鳥……【渡り鳥】という異名とは何たるかを。それは諦観にも等しく、好悪の感情を突き抜けた境地だ。

 

「でも、心配なんでしょう?」

 

「負けると思っちゃいねぇだけだ。戦って殺す事に関してだけは、アイツの右に出る奴はいねぇからな」

 

 あの戦いの日々で、アインクラッド末期で、ただ1つだけ信じられる事があった。

 その傭兵はたとえ自分以外が全滅しても牙を剥き続けるだろう。心折れることなく、敵の喉元に喰らい付くだろう。それは敗北が死となって絶望を生む日々の中で、唯一無二の『勝利』の約束だった。

 絶望の底で黒が『希望』を見せたならば、白はその影で『勝利』を携えた。決して心折れぬが故に。必ず死をもたらすが故に。

 だからこそ苛立つのだろう。毎度のことではあるが、あの表情が気に食わなかった。

 あの寂しそうな微笑みを見ていると、どうしようもなく苛立つのだ。

 

「大司教領まで飛ばせ。予想が正しければ、もう1人の『馬鹿』も向かってるはずだ。困ったことに、俺もちっとばかしやることが増えたかもしれねぇな」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 予測的中か。自分の推測が狂いなくヒットした事に心底気分を害したのはこれが初めてであるとサクヤは舌打ちする。

 豪雨の中で聞こえるのは悲鳴の連鎖。耳を塞ぎたくなるほどの地獄の合奏だった。

 かつては牧畜によって質素ではあっても細やかな幸福があっただろう農村は今や青い雷が輝く度に肉片が散り、大地がひっくり返り、涙と血が混ざる。馬から降りて風紋の槍を抜いたサクヤは逃げ場を求めて村の外を目指す母子の背中に迫る雷球に対して、≪槍≫の突進系ソードスキル【クイック・ウェーブ】を発動する。祝福された武器でお粗末ながらの光属性攻撃力をエンチャントした槍で狙うのは相殺……ではなく地面だ。

 本来は斧槍などで適したソードスキルであり、ダッシュで前方の距離を詰め、穂先で地面を抉りながら斬り上げるソードスキルである。対人戦では直線的な動き過ぎるが故に効果的ではないが、高い火力ブーストを秘め、また軽い相手ならば命中で浮かすこともできる、仲間との連携を狙った突進に使える。

 そして、この場合のサクヤが狙ったのは巻き上げた地面による盾であり、それは雷球を少なからずの減衰に繋がり、なおかつ光属性がエンチャントされたことによって雷球とソードスキルの衝突はギリギリで攻撃相殺としても役立ち、HPを犠牲にした自らの肉体を壁にもして、母子2人を救うことに成功する。

 

(ぐっ……! いくら軽装とはいえ、オベイロンの装備をつけて『これ』か!?)

 

 土壁とソードスキルで減衰してもなおHPが3割以上減り、サクヤは万が一に備えてマントの下にアルフの衣装を装備しておいて正解だったと安堵する。これまた忌々しいことであるが、オベイロンは自らの手足となる兵には存分に装備を与える。結果的にサクヤは自分本来の防具以上の防御効果が望める装備を手に入れていた。

 それでもこの威力。減衰させずに直撃を受ければ、根っこからの近接ビルドではないサクヤでは大ダメージを避けられなかっただろう。レベルが10未満だろう農村の者たちは即死確定だ。

 村の中心、本来ならば憩いの場にもなるだろう井戸がある広場にて陣取るのは黒毛の巨獣。肉はなく、骨ばかりの異形であるが、四肢で地面を捉えて自らを支える姿は正しく獣と呼べるだろう。

 だが、恐怖感を募らせるのはその頭部だろう。まるで人間の頭蓋に似て、だが獣の輪郭を持つ。まるで人が獣に変質したかのような生理的嫌悪感を持たせる姿は、まさしく深淵の怪物としてあるべきものなのかもしれないと、サクヤは身震いと共に感想を呑み込む。

 

「救助を最優先しろ! 決死隊、私と共に黒獣を抑えるぞ!」

 

 大丈夫だろうか? 私の声は震えていなかっただろうか? 今にも呂律が麻痺死しそうになるほどに、全長6メートルだろう黒獣に気圧されたサクヤは、今まで経験した戦いで最大の死闘だろうと予感する。

 これまでサクヤが最も死を感じたのは、フェアリーダンスのレベリング中に遭遇した徘徊ネームドのドラゴン種【赤棘鱗の飛竜】だ。全身に鋭い赤い棘の鱗を持つ飛竜であり、リポップ型ではあるが、飛行能力と強力な火炎属性ブレスを持つ強敵である。当時はサクヤの指揮とリーファの斬り込み、ここぞという場面で爆発力を見せたレコンによって死亡者が出ることは免れたが、その強大さは得られた経験値はともかく、消費アイテムや損傷した装備の修理を差し引けば大赤字だった。

 DBOにおいて最も危険なモンスターカテゴリーの1つであるドラゴン。それにも匹敵する威圧感と恐怖感。黒獣と距離を詰める1歩を踏み出した瞬間に、サクヤは後悔することになる。

 黒獣が右前肢を地面に叩きつける。同時に5方向に分かれながら地面を抉って進む雷球が解放される。その速度たるや、サクヤが咄嗟に無駄と分かっていても行った槍のガードが間に合わなかった程だ。そして、彼女に直撃しなかったのは偶然に過ぎず、背後で自分の命令で救助・避難の時間を稼ごうとしていた面々の半数が文字通り『塵』になったことを飛び散った黒焦げの肉片と破裂して溢れた血によって理解させられる。

 途端に、黒獣の脅威を知ってもなお駆けつけた救助隊の胸で燻ぶっていた、微かとして存在していた精神の均衡が鎮火してパニックに陥る。

 

「はは……ははは……これが、黒獣?」

 

「勝てるわけねぇよ、こんなの」

 

「俺たちは何を夢見てたんだ」

 

 それは諦観という名の死。逃げることも立ち向かうことも出来ぬと悟った心弱き者には反抗の為に剣を握る気力さえ残らない。そして、それを見逃す程に黒獣は自らに挑んだ者を丁重に、五体無事に帰すほどに甘くない。

 黒獣が動く。木製の家々を破壊していくように、その巨体に見合わぬ機敏さで屋根に跳び、そのまま左前肢の爪で心折れていないサクヤを強襲する。咄嗟に我に返ったサクヤが直撃を避けられたのは、『いつの間にか』自分の足が前へと踏み込み、そのまま身を滑らせるようにスライディング気味に身を屈めながらの回避行動へと移れていたからだ。

 自分では全く発想すらしなかった、試したこともない回避方法。泥を飛ばしながら足裏でブレーキをかけ、回避と同時に黒獣の背後を取ったサクヤは自然な視線の動きで自分の槍のエンチャントが切れていない事を確認し、そのまま背後から突き刺す。それは正確に、見た目以上に攻撃を当てられる部分が狭い、黒獣の左後ろ足を突き刺す。ダメージは微々たるものであるが、回避どころか反撃してきたサクヤに、黒獣は爪で薙ぎ払いながら反転し、全身の黒獣で迸る青い雷撃を穿つ。それは荒れ狂う雷であり、およそ法則性は見えない。

 だが、サクヤには全てを『感じる』ことができた。何処に雷が落ちるのかが読めるような気がした。そして、それは彼女の足を動かす導きとなり、自分でも驚くほどに淀みなく黒獣の正面、その異形の頭部の正面まで踏み入ることに成功する。

 眼球の無い、青い雷光が目の代わりを果たしているのような黒獣に僅かな驚きが滲んだような気がした。サクヤは渾身の薙ぎ払いで槍の穂先を深く黒獣の顔面を抉る。そして、そのまま≪格闘≫が無いにも関わらず回し蹴りで追撃し、黒獣の威圧するような咆え声に怯むことなく宙で回転して遠心力を増した蹴りを……かつてない程に鋭く爪先を叩きつけ、流れる動作で着地までの落下時間を利用して瞬時に右片手だけに切り替えた風紋の槍を腕を伸ばしながら振り下ろし、退避行動を取っていた黒獣の顔面をまたしても捉える。

 

「姐さんの動き……スゲェ」

 

「人間じゃねーぞ」

 

「さすがはユージーンの旦那の愛人だ! 勝てる! 勝てるぞぉ!」

 

 あの黒獣が女1人に『退いた』。その事実に心が折れていた者たちが活気付く。だが、そこには半ばの恐怖心……サクヤへの恐れがあることも含まれていた。

 そして、サクヤの動きに最も恐怖し、最もおぞましく身震いしていたのは、他でもない彼女自身だった。

 

(違う。今のは……今のは『私』の動きじゃない。『私の戦い方』じゃない! レギオンプログラムに『引っ張られた』のか……!?)

 

 自分ではイメージすらできなかった。やろうとさえ思わなかった連続攻撃。もはや命知らずにも等しい攻勢。1度跳んだ間に攻撃を仕掛け続けるなどサクヤにできるはずがない。いや、上位プレイヤーでも数える程だろう。

 何よりも最初の雷撃の踏み込み。ランダムとは思えないが、それでも複数の雷撃パターンがあったとみるべきだろう。それを初見で、何ら迷いなく距離を詰めるルートを選べた。『選ばされた』のだ。

 

(これがレギオンプログラムの『力』なのか……?)

 

 何と甘美だろうか。恐怖心を毟り取るのは脳髄の疼き。サクヤは自分が『何』に怯えていたのかを忘れそうになる。

 黒獣の攻撃が激しくなる。他の有象無象ではなく、サクヤこそがこの集団で最も強いと判断したのだろう。周囲を薙ぎ払う雷爆発を威嚇代わりに発動し、次いでサクヤに反時計回りに回り込み、前肢の連撃を穿つ。それをサクヤは視覚で捉えるより先に体を左右に動かし、雷が付与されて範囲が拡大しているのも織り込み済みのように紙一重の回避を連発し、逆にカウンターで……長物の利点を活かして右前肢の1点へと丁寧に浅い突きを連発する。

 

(今はこの『力』に頼るしかない! 少しでも時間を稼ぐ! せめて避難が完了するまでの10分……いや、数分だけでも!)

 

 サクヤのように距離を詰められない救助隊の剣士たちは潔く救助活動に回り、クロスボウや弓矢を装備した遠距離攻撃が可能な者たちはお世辞にもならない援護射撃を行う。黒獣のHPは未だに1割と削れていない。その手応えにサクヤは焦りを覚えるが、サクヤの冷静な思考とレギオンプログラムは彼女の戦闘経験を即座に照会し、ドラゴン系の攻略法のセオリーを引っ張り出す。

 ドラゴン……飛竜やその上位である古竜の厄介な能力の1つとして『鱗』がある。これは半ばオートガード状態であり、この鱗がある限り、頭部でも狙い続けない限り、ドラゴンは怯まない。それどころかダメージすらもまともに通らない。だからと言って、鱗が比較的薄い腹部や胸部を狙うのはリスキーだ。何せドラゴンのブレスや叩きつけが連発される最大の危険地帯であり、頭部を狙い続けるくらいならば、翼を狙って飛行能力を封じる方が有意義である。

 だが、鱗さえ剥がすことができれば、ドラゴンへのダメージの通りは劇的に変わる。むしろ、ドラゴン退治の醍醐味とはいかに鱗を剥ぐかの戦略と駆け引きにあるだろう。

 余りにも手応えが硬質。それは武器の脆弱さを差し引いた黒獣の防御能力によるものだと半ば直感的に看破し、その上で情報の付箋を張り付けて確信したサクヤは、最も危険であるはずの黒獣の前面で攻撃を回避し続け、執拗に右前肢を狙い続ける。

 しかし、黒獣も負けていない。サクヤの狙いを察知したのだろう。スピードを活かして距離を取り、モンスター専用スキル≪ハウリング≫を伴った咆哮を発動する。その効果範囲は甚大であり、物理防御力ダウンをもたらす。

 アルフの防具とはいえ鎧ではない。布と革の複合の軽量系だ。軽度ではあっても、サクヤからすれば一撃死の危険性を高める防御力ダウンである。

 

「はぁあああああああああああああああ!」

 

 それがどうした!? 一切の精神的後退もなく、むしろハウリングのもたらす圧力に屈することなく、サクヤはソードスキルのモーションを立ち上げる。

 隙あり! サクヤは半ば獰猛に笑みを咲かせながら、≪槍≫のソードスキルの醍醐味……突進系ソードスキルの旨みを存分に活かす。

 突進系ソードスキル≪トライデント・ライン≫。最初の一撃から体の捻りを利かせて即座に引き抜き、そこから続く同所への浅い連続2連突き。それを黒獣の額に叩き込む。だが、黒獣はソードスキルの結果としてはダメージが低く、平然と動き回る。

 

(ソードスキルを打ち込んでも怯ませられないか。やはり刺突属性への耐性が高い!)

 

 見た目通りとはいえ、黒獣にはスケルトン系と同じで刺突属性に高い耐性がある。薙ぎ払うタイプの、穂先の斬撃・打撃属性を活かしたソードスキルを使うべきだったのだろうが、そちらのラインナップは≪斧≫のソードスキル……斧槍などで使用することを前提としたソードスキルで豊富だ。元が薙刀使いであるサクヤが保有する武器スキルは≪カタナ≫と≪槍≫であり、純粋な槍使いとしての時間は短く、どうしても≪槍≫単体の風紋の槍では彼女の得意とする戦法を活かしきれていなかった。何よりも武器の攻撃力が低すぎるのはここにきて致命的に足を引っ張っていた。

 これで通算2回のソードスキルの消費だ。高レベル帯になればなる程にスタミナの総量は増やせるとはいえ、中距離でのオールラウンダー指揮官であるサクヤはそこまでCONにポイントを振っていない。ソードスキルの連発は避けたいところだった。

 補助系を除く攻撃系列のソードスキルには連続発動するとスタミナ消費量が増えるというペナルティがある。故にこのペナルティが免除されるシステム外スキルのデュアルやコネクトは燃費改善にもなるのであるが、そんな絶技を戦闘中に容易く差し込めない一般プレイヤーからすれば、この連鎖スタミナ消費はスタミナ計算を狂わせる厄介な存在だ。また、戦闘系ソードスキルの使用後はあらゆるスタミナ消費量が増加する。それは継戦時間の減少に繋がり、それはそのままスタミナ切れというデッドラインへの距離を詰める事になる。

 必殺技。ソードスキルは高レベル帯になってもその存在意義を揺るがせない。武器の弱さをフォローする為にソードスキルを挟んだ分だけ、サクヤの焦りは大きくなる。さすがに数分と待たずしてスタミナ切れになることはないが、黒獣を相手にどれだけ粘れるかは重要だった。

 

(黒獣の動きが読める。次にどう攻めてくるのか、どう回避すれば良いのか、どう踏み込めば良いのかが感じ取れる)

 

 のめり込んでいく。レギオンプログラムの殺戮本能……それに付随した奇妙なまでに研ぎ澄まされた、未来予知と驕ってしまう程の先読み。そして、攻撃を当てる度にサクヤの内側で芽吹いていくのは悦楽。

 もっと血を。もっと血を。もっと血を! 戦いの中でこそ血の悦びはより美味となる! サクヤは恍惚とも思えるほどに黒獣との戦いに没頭していく。

 あと数撃でダウンを取れる。明らかに黒獣が右前肢を庇うような立ち回りに徹し始めたのは、その弱点を暴かせない為だろう。サクヤはラッシュをかけるタイミングに攻撃力を増加させる為に、祝福された武器を風紋の槍にエンチャントしようとした時だった。

 回避後に宙で1回転して姿勢制御し、足場に利用したボロボロの壁。それは収穫物を保管する為の倉庫だろう。逃げ遅れたのか、あるいはサクヤと黒獣の戦いが激し過ぎて逃げ出すタイミングを逸してしまっていたのか、まだ10歳前後だろう子どもが半壊の壁の向こう側で震えていた。

 自分はいつから『目的』を見失っていたのだろう? サクヤは自分が場所も考えずに戦いに意識を集中させたあまり、村中で黒獣を暴れ回らせ、救助活動を逆に阻害していた事実を突きつけられる。

 気づけば援護射撃も止まっている。自分と黒獣の戦いについてけず、あるいは巻き込まれて挽肉か雷で黒く焦げた痛々しい屍となっていた。遠巻きで見守っていた者たちも『サクヤと黒獣』をバケモノと見るような目をしている。

 

「違う。違う……私は……私は……そんなつもりで……」

 

 血の気が引き、サクヤは槍を握る手を震えさせる。先程まで昂る血の熱を冷ますのに心地良かったはずの豪雨が槍衾のように感じた。

 黒獣を引きつければ良かった。倒す必要など何処にもなかった。救助時間を稼ぐ。それを達成すれば良かった。

 だが、いつの間にかサクヤの中では救助よりも黒獣を倒すことこそが最大の目的となっていた。

 戻らないといけない。『私』に戻らないといけない。必死に自分へと暗示をかけるように、堪らぬ飢えと渇きを我慢しようとするが、もはや雷鳴が轟く度にそれは大きくなるばかりだった。

 目の前の子どもが御馳走に思えた。喉を潤す新鮮な水に見えた。サクヤは黒獣と子どもの板挟みで、自分が『自分』を見失っていく感覚に思考を停止させる。そして、サクヤの奇妙な静止に黒獣は頭部に青い雷光をチャージさせ、巨大な雷球を上空に生み出す。

 それは雷のメテオ。あんなものが解放されれば、この村を広範囲の雷属性攻撃が呑み込むだろう。サクヤは耐えられるかどうか怪しいが、彼女以外は全滅必死の一撃。

 潰さなければならない。雷メテオを育てている間は黒獣も動けないのだろう。今こそがダウンを狙うべき好機だ。

 だが、サクヤは動けない。武器を振るえない。これ以上『力』に手を出せば、本当に戻ってこれなくなると……最後の一線を感じてしまったからだ。

 

(……後悔はしない。私は『私』として正しい事をした。最後に手段を間違えたが……それは自業自得だな)

 

 1人くらいは守ってみせる。サクヤは取り残された子どもをそっと抱きしめ、黒獣に背を向ける。我が身を卵の殻のように覆い被せ、1人の子どもを救うために決死の盾となる事を決める。

 レギオンプログラムから『エラー』を感じる。判断ミスだという警告ブザーが鳴り響いているような気がした。だが、サクヤは奥歯を噛み、子供の喉を食い千切りたい衝動を堪えながら、瞼を深く閉じる。

 こんなの自己満足だ。自分が死ねば、この子どもも助からない。ならば、この行動に何の意味がある? 冷静な思考が導き出す結末は救いようがない終わりだ。

 だが、それでもサクヤは何となくだが、分かっていた。

 それはとても皮肉な事だった。活性化したレギオンプログラムだからこそ、『彼』の存在を耳より、目よりも、心よりも先に……感じ取れた。

 

 

 

 

 

 

「お膳立てご苦労だったな。あとはオレが引き受けよう」

 

 

 

 

 

 サクヤが狙っていたと分かっていたかのように、赤色は雷メテオを肥大化させていた黒獣の右前肢を大剣で薙ぎ払う。その一閃は蓄積していたダメージが噴出したかのように、黒獣の全身から青い雷光を霧散させる。

 それは余りにも弱々しい黒獣のもう1つの正体。逆立っていた黒毛は雨で濡れて……いや、それが当たり前であろうように重力に引っ張られて垂れ、あの雄々しくも恐ろしかった姿とはかけ離れた脆弱さを晒す。

 

「来るのが遅いぞ、『ランク1』」

 

 涙は雨が隠してくれるが、それは恥ではない。サクヤは安心感を募らせて、左人差し指で涙を拭う。

 そんな彼女に、いつものように傲慢不遜に右手で大剣を振るいながら、左手に呪術の火を猛らせながら、ユージーンは不敵に笑う。

 

「それは済まなかったな。貴様はもう休んでいろ。その子を連れて早くこの村を出るが良い」

 

 当然だ。これ以上はお荷物にしかならない。サクヤはまるでヒーローを見るようにユージーンの背中を輝いた目で見つめる子どもに手を差し出した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

(なるほどな。カラクリはまだ分からんが、ダウン状態を取れば黒獣は弱体化されるわけか)

 

 アルヴヘイムで最も危険視される深淵の怪物、黒獣。それが今や逃げ惑い、迫るユージーンを振り払うように前肢で引っ掻くばかりだ。遠目で見た速度は目を見張るものもあったが、今は見る影もない。

 この雨では呪術も下方修正を受けるだろうが、火炎属性ならば効果的にダメージも与えられる。そう睨んだユージーンは前肢の引っ掻きの間合いを正確に測って踏み込み、かち上げ斬りで弱点だと一目で分かる頭部を断つ。それは大ダメージをもたらし、1割と減っていなかったはずの黒獣のHPバーを大きく削る。そして、そこにすかさず大発火で追撃をしかけ、傷口に塩を塗り込むように、絶叫を上げる黒獣の頭部の傷口へと大火を流し込む。

 幾らサクヤの武器が弱くとも、彼女には武器をエンチャントさせる奇跡もある。激戦を繰り広げたならば相応の攻撃を加えたはずだとユージーンは勘定し、弱々しい黒獣姿と先程までの青雷を纏っていた姿を脳裏で交互に入れ替え、まずは雷光を剥ぎ取り、チャンスタイムを作ってダメージを与えることこそが黒獣の攻略法なのだろうと睨む。

 だがからこそ、ユージーンは無理に追わなかった。こうしたチャンスタイムを作るモンスターは決まって再強化した時に大ダメージを与える全体攻撃を保有する。ユージーンの戦闘経験は正しかったと証明するように、咆哮と同時に黒獣は全身に青い雷光を再度纏う。

 まだサクヤは逃げきれていない。ユージーンは子どもの手を引くサクヤの背中に、唇を緩やかに笑みで崩しながら、すぐに引き締める。

 

「サクヤ、『飛べ』! 最速でここから離れろ!」

 

 ユージーンの命令に、サクヤは大きく頷き、システムウインドウを開くと虹色の翅を展開する。翅の起動には時間がかかる。それまでの時間稼ぎはユージーンにも可能であるが、黒獣は目の前のユージーンとサクヤの両方を敵と認識しているらしく、逃亡しようとする彼女を先に倒すべく大きく跳ぶ。

 させるものか。ユージーンは常人離れした反応速度で大剣を開かれた扇のように反転しながら振るう。縦に振るわれたそれは黒獣の右後ろ足を刻む。それは雷の鎧を纏った黒獣にダメージを与えることはなかったが、凄まじい衝撃を宙で受けて黒獣の狙いは逸れ、サクヤの数十センチ前に前肢を叩きつけるのに止まる。

 それでも距離が近いのに変わりない。ダメージも厭わずに雷光渦巻く黒毛が靡く黒獣の背にのり、ユージーンは脊椎にあたる部分へと……その隙間に大剣の尖った剣先を突きつける。

 今度こそ漏れた黒獣の絶叫。ダメージも悪くないとユージーンは雷撃に焦がされながら振り落とされ、着地と同時に反転して前肢の引っ掻きからの地を走る複数の雷球を放つ黒獣を挑発するように手招きする。

 同時にサクヤは飛行準備ができたらしく、翅を持った彼女に唖然とする子どもを抱えながら空を飛ぶ。ALOと同じならば日光を得られないこの嵐では長時間の飛行は無理だろうが、村の外まで飛行するには余りある。ユージーンは2人の離脱を目にすると、向き直った黒獣に怒りを込めて睨む。

 

「よくもオレの女を苦しめてくれたな。貴様は万死に値する。ここで死ね」

 

 黒獣のHPは残り6割。1度のチャンスタイムで4割ほど削ることができた。ユージーンはそれを計算に入れ、次はダメージ覚悟で無理矢理突っ込んで大ダメージ狙いのソードスキルを弱点の頭部に叩き込んでやると怒りで焼かれながらも冷静な思考で戦術を組み立てる。

 

(あの手応え、雷光自体がアーマーとして働いているようだな。ダウンを取れば解除は定石であるが、それまでは余程の攻撃でない限りは怯まない。あの攻撃の苛烈さを考えれば、凶悪な防御能力ではある。だが、防御能力としてアーマー系はオートガードに分類されるはず。ならば≪剛覇剣≫で無効化すればこちらの攻め手に不自由はしない)

 

 とはいえ、安易にユニークスキルを解放するのは『今の』ユージーンには看過できない選択肢だった。温存の為ではなく、自らを猛らせる為には常に最強のカードを捲るわけにはいかない。それは甘えだ。まずは自身の剣を練り上げて解放する。それこそが≪剛覇剣≫を極めるのに必要不可欠だった。

 だが、自らの弱点を露呈した黒獣はその機動力を存分に披露するように動き回り、ユージーンの剣の間合いに入らせない。雷柱を周囲にばら撒き、地面にダメージエリアを発生させたかと思えば、荒れ狂う雷を周囲に解放する。

 

(攻撃ポイントが読めんな。だが、抜ける隙間はある。まずは雷撃パターンを見切る。それまでは範囲外で回避に徹するべきか)

 

 あの雷を潜り込んで斬ることもできるが、ユージーンは最低でも2撃はその身に受け止めることになるだろうと、期待できる攻撃チャンスでは受けるダメージと割に合わないと諦める。無理に突撃するのは無謀で愚行だ。

 

『ユージーン君、自らを万能と思うことなかれ。「出来ない」は恥ではない。自らの領分を活かす為には線引きが必要だ。それが出来ぬ者に「出来ること」を増やすことは「出来ない」』

 

 セサルの教えが蘇る。ユージーンは『今』の自分にはあの雷撃を無傷で潜り抜けるのは不可能だと割り切る。ダメージ交換も旨みが無いならば、大人しく次のチャンスを『作る』べきだと思考の流れを我が手に握る。

 左前肢の叩きつけ。そこからは発生した雷柱が連撃となって地面を穿つ。それはユージーンを追尾するが、その速度は鈍い。DEX特化ではない彼でも十分に余裕を持って逃げられる。だが、追尾中も容赦なく黒獣が襲い掛かるならば、それは回避ルートを絞る絶妙な味付けだ。

 

「どうした? 随分と焦っているようだな」

 

 明らかに余裕がなく、苛烈に襲い掛かる黒獣は救援直前に見たサクヤと戦っていた頃とは違う、逼迫した猛りを露にしている。それは弱点を晒したからだけではなく、全力のまた全力を尽くさねばユージーンを倒せないと黒獣も『覚悟』を決めたからだろうと彼は冷徹に見抜く。

 以前の彼ならばモンスター相手にそんな結論へと到達させることは無かっただろう。だが、今のユージーンは違う。このアルヴヘイムを通して……サクヤとの出会いを経て視野を広げ、DBOの真実に触れた。そんな彼には黒獣をAIに則ったモンスターではなく、アルヴヘイムで暴れ狂う災厄……伝説にも連なる事を許される怪物として黒獣を相手取る気構えが出来ていた。

 不意の黒獣の突進を大剣でガードし、折られぬように攻撃を流す。その衝撃に耐えながら、ユージーンは3人の人物を想像する。

 1人はUNKNOWN。彼ならば今の突進を人外染みた反応速度で回避し、あるいは見事な剣捌きで衝撃を2本の剣で受け流して黒獣が反転したタイミングを狙って追撃するだろう。

 1人はスミス。彼ならば最初から突進の範囲外まで余裕を持って立ち位置をズラし、弾丸の雨を浴びせるだろう。

 1人は【渡り鳥】。紙一重の回避からカウンターの挟み込み、そして追撃。命知らずを通り越した何かだ。

 

(オレには連中の真似はできん。する必要も無い! オレはランク1! オレはオレの戦い方を貫き通す!)

 

 自分の強みを活かす。それは戦闘において何よりも雄弁に語る自分に流れを引き込む手法だ。黒獣が地面に右前肢を叩きつけて雷撃の範囲攻撃で正面への防御と攻撃を両立させた瞬間を狙い、ユージーンは雷撃の中へと飛び込む。

 雷撃に焦がされ、雷属性特有の痺れを伴ったダメージフィードバックが全身を呑み込む。だが、怯むことなく、ユージーンは黒獣への左前肢を魔剣の神々しさすらも感じる刀身に青い雷光を映し込みながら両手持ちで薙ぎ払い、そのまま勢いを殺すことなく上段の構えから振り下ろしに繋げる。

 強烈な2連撃に黒獣が咆える。ここで退避せず、頭部に雷を蓄積させて全体を薙ぎ払うバースト攻撃を放つ黒獣に、ユージーンはアイテムストレージから燐光紅草を取り出して口に放り込む。

 それは≪両手剣≫の連撃系ソードスキル【アッパー・ガード】。剣を盾のように前で構えてからの回転斬りなのだが、このガード動作にはスタン耐性と防御力上昇効果があり、まさしく『肉を斬らせて骨を断つ』為のソードスキルだ。高VITかつ鎧装備でもなければまず使おうとは思わない、ましてや黒獣のような未知のモンスターに使用するなど正気の沙汰ではない。

 だが、ユージーンは耐えきれる確信があった。それは先程の雷の爆発を潜り抜けた時のダメージ量である。受けたダメージは2割程度。想像よりもダメージは少なかった。ここから計算し、アッパー・ガードによる防御補正を加えれば、黒獣の攻撃はいずれもHPを全損させるには足らないと見切った。

 加えてユージーンは我が身で雷撃を受けた時、黒獣の雷撃はいずれも単発ヒットであり、≪バトルヒーリング≫の効果を殺す多段ヒット系ではないと情報を得ていた。爪と雷撃の2つを合わせれば2連ヒットになるが、雷撃そのものは単発ヒットならば、≪バトルヒーリング≫の回復である程度補えると分かれば、より深く踏み込みやすくなる。また、ユージーンはHPが減れば減る程に防御力が増す補助スキル≪逆境≫を持ち、また指輪の1つは【古き青涙の指輪】だ。HPが3割以下になると物理・属性共に防御力が大幅にアップし、更に攻撃力も僅かだが増加する。HPが3割以下になるダメージを受けた時点で補正がかかる為に装備しておけばHPフルでも消し飛ぶ即死級の攻撃にも耐えられる事も多々ある優秀な指輪だ。近接プレイヤーにとっては指輪枠の1つを埋める常備指輪としても人気は高いが、一般的に流通しているのは防御力強化だけの青涙の指輪であり、ユージーンが所有するのはレアアイテムだ。

 攻撃を真正面から受けても斬る。それはデスゲームにおいて死の恐怖を乗り越えた者、相手の攻撃を正しく見切った者、そして備えを怠らなかった者だけに許された選択肢である。

 結果、それは必然にしてユージーンの狙い通りとなる。黒獣の渾身の雷爆発でユージーンのHPは7割以上消し飛ぶも、耐え抜いた彼はアッパー・ガードを左前肢にクリーンヒットさせる。2連回転斬りをまともに受けて黒獣はダウンし、その身から雷光が霧散する。

 

「貴様の雷撃など、キノコ王子の拳にも劣る。オレには力不足だったようだな」

 

 回復する時間も勿体ない。バトルヒーリングでじわじわと回復するHPを見せつけるように、ユージーンは逃げる黒獣へと左拳を唸らせ、その異形の頭部の顎を砕く。そして、そのまま右手の大剣を半ば殴りつけるように振るい、その動作の中で呪術の火を刀身に這わせる。

 エンチャント、混沌の武器。溶岩のような炎を纏った魔剣ヴェルスタッドの輝きに黒獣の雷光の眼が塗り潰される。そして、混沌の火を纏った大剣は黒獣頭部を縦に割り、そのまま永遠の沈黙をもたらした。

 システムウインドウが開き、相応の経験値が流れ込む。そして、黒獣の遺体から【黒獣の雷骨】なる素材系アイテムを入手したユージーンは大剣を背負い、威風堂々と腕を組んだ。

 

「……だが強敵と呼ぶには値した。それは認めてやろう」

 

 さすがに初見の相手に無理をし過ぎたか? バトルヒーリングでHPを3割ほどまで回復を終えたユージーンは魔剣ヴェルスタッドの能力で奇跡の中回復を発動させる。

 

(やはりオートヒーリングは今後の必須になるな。だが、貴重な指輪枠を失うことにもなるし、他の装飾品ではたかが知れている)

 

 ユージーンも≪バトルヒーリング≫や≪逆境≫などで粘り強さを獲得している。だが、≪バトルヒーリング≫はあくまで最後に受けた被ダメージの数割を回復させるものであり、大ダメージの一撃ならば恩恵も大きいが、細かいダメージが連発する多段ヒットや、今回の黒獣のように大ダメージ後に追加の小ダメージがある2段ヒット型の攻撃などには恩恵が薄い。また≪逆境≫も防御力強化はよりダメージ覚悟の踏み込みを生む心理的余裕を作るが、減ったHPを補うものではない。

 回復アイテムは激戦中には使う余裕もなく、また説明欄では確認できない隠れたデメリットも多い。パーティならばヒーラーによる迅速な回復や他のメンバーの援護でアイテム使用時間を得られるが、傭兵などにはそうもいかない。

 まだ噂の段階に過ぎないが、

 最初の一閃でダウンを取れていなければ、手探りでの戦いともなれば、より苦労を強いられたことになっただろう。また、ソードスキルはユージーンも短期決戦を仕掛けなければ黒獣の撃破はより困難になると判断したからこそだ。

 それでも≪剛覇剣≫を温存しての勝利だ。ユージーンは自分の実力が自己分析以上に高まっていると確信する。それはボスとのソロでの戦いを経て、このアルヴヘイムでの得難い経験、そしてサクヤとの繋がりが自分を成長させているのだと実感する。

 

(黒獣はスピードと多彩な攻撃で押し込めるタイプだろう。雷のバリアさえ剥げば脆い。火力不足に悩まされたアルヴヘイムの住民では倒すのは困難だろうな)

 

 だが、はたして『この程度』に深淵狩りの剣士たち……欠月の剣盟が総出で狩らねばならない程の相手だったのだろうか? 確かに危険なモンスターではあるが、ユージーンも彼らの装備は彼の目線から見れば一線級とは呼べないが、相応のものだったとみている。その力量と熟練した戦法があれば黒獣を最大の脅威の1つとみなしていたとは言い難い。

 もう1度中回復を使い、魔力を消費してHPを全回復させたユージーンはサクヤの飛んだ方向を見つめる。何処で合流するかは決めていないが、彼女ならば脱出した人々を伴って近くの町にでも避難するだろう。そう考えてユージーンが歩み出そうとした時だった。

 巨大な雷柱が立つ。それは地面を抉りながら……いや、消し飛ばしながら暴れ狂い、真っ直ぐとユージーンに向かう。咄嗟に赤い鎧を泥塗れにさせるように体を大きく右に投げて躱したユージーンは、己に無様な回避を強いた存在を睨む。

 それは村に隣接する林を吹き飛ばして正確にユージーンを狙った黒獣だった。体長は先程の黒獣よりも一回り大きく8メートルはあるだろう。その威圧感は先程の黒獣の比ではなく、ユージーンは奥歯を噛む。

 この感覚……ネームド級か! ユージーンは出し惜しみ不要と≪剛覇剣≫を発動させる。新しく出現した黒獣は、多くのボス・ネームドと相対したユージーンだからこそ分かる危険性を秘めていた。即ち、上位プレイヤーでも未知のまま遭遇すればパーティの壊滅もあり得る存在……ネームドにも匹敵すると。

 

(なるほど。奴が……奴こそが伝説の赤雷の黒獣にも匹敵すると謳われる黒獣パールなのか。確かにこれはなかなかの――ッ!?)

 

 だが、オレとてネームドやボスと単身で戦った経験はある。そう自らの闘志を燃やそうとしたユージーンは絶句する。

 先程の黒獣を凌ぐ巨体の新たな黒獣……その数は『2体』である。

 ランスロットの騎獣、黒獣パールではない。あれは『ただの』黒獣だ。ならばとユージーンは撃破した『小さめ』の黒獣と見比べ、1つの事実に直面する。

 

「オレが倒したのは……『幼体』というわけか」

 

 戦い方も、能力も、耐久力さえも未成熟。ユージーンは戦慄する。自分が倒した黒獣は決して舐めて相手できる程に弱かったわけではない。むしろ、その強さはリポップ型のネームドにも到達し得ると考えていた。そして、それすらも上回る黒獣が同時に2体。

 窮地。死にも瀕する危険。ユージーンは心臓の鼓動が加速している事に内側からバランスを崩しそうになる。

 だが、ユージーンは笑う。いつものように……『ランク1』として笑う。

 

「……クク……ククク……ハハハハハ! 面白い! このオレを滾らせるとはな。良いだろう。オレも全力だ。貴様らにランク1の……人間の強さを教えてやる! 舐めるなよ、黒獣!」

 

 切り抜けてみせる。そして勝つ。オレならばできる。ユージーンは同時に襲い掛かる2体の黒獣に猛進し、まるで野獣の如く咆えた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 強まる雷雨の中、『それ』は2つの戦いの行方を見守っていた。

 1つは逃走と追撃。若いが、スピードに長けた個体が誘導する者。狼を使い、こちらへと『計画通り』に誘い込んでいる。それに値する猛者であると誘導を担った個体は判断した。

 もう1つは成体2体と激闘を繰り広げる者。力に長けた剣士であり、2体相手に劣勢ながらも粘っている。逆に言えば、同時で挑まなければ危ういと2体は悟ったという事だ。

 どちらを先に仕留めるべきか。『それ』は小さな悩みを転がせる。

 長きに亘って『それ』は黒獣の王としてアルヴヘイムに君臨していたが、同時に自分に恐れなく立ち向かう存在をいつも心待ちにしていた。

 深淵狩り。深淵の怪物にとっては凶報とも言うべき剣士たち。自分たちの存在を感じ取れば、あの手この手で仕留めようと画策する集団だ。『それ』は幾度となく追い返してきたが、それでも手傷を負わないことは無かった。

 最近で最も激しかった戦いではあと1歩で壊滅まで追い込んだが、深淵狩りの長が転移の石を使って難を逃れた。その長は転移後も単身で挑み、腕が千切れても、最後に頭を失った後もまるで体が戦いを求めているように歩き続け、前のめりに倒れ、それでも剣を手放さなかった。

 あの時に仕留め損なった深淵狩りの長に連れ添っていた若者。彼が次なる長になった事も『それ』は知っていた。同朋が討たれたと知れば、あの時に真っ先に討つべきだったのは老いた長ではなく、継承者である若者の方だったと『それ』は自らを戒めた。

 心待ちにした再戦。だが、失われた。他の黒獣とは違い、『それ』は自らの誇りを確かなものにする為に此度の闘争を望んでいた。

 継承者。深淵狩りの遺志……その最後の1人。倒す。必ず倒す。『それ』は黒獣の王として成さねばならない責務だった。

 誰にも邪魔させない。自分を騎獣代わりにしていた、あの闇濡れの騎士にも絶対に。『それ』は雷雲すらも支配するような青い雷を上空に迸らせて動き出す。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「街道まで出ればもう大丈夫だ。町までは徒歩になるが、黒獣の心配はもう無いだろう」

 

「ありがとうございます! 何と申し上げたら良いか……」

 

 私は礼を言われる筋合いなど無い。最初に助けた母子の元に救った子どもを預けながら、10人にも満たない救出者と5人以下まで減った救助隊を見回し、サクヤは拳を握る。

 犠牲に対して助けられた命が割に合わない? 違う。それは勘定すべきものではない。彼らは全力を……命を燃やして助けるべき者たちを助けた。たとえ、世間から爪弾きにされた荒くれ者や居場所が無かった者たちでも、故郷を愛して立ち上がった。

 

(対して私は……無様だな)

 

 危険な代物だと、絶対に頼ってはならないと分かっていながら、レギオンプログラムに縋ってしまった。嫌悪していた『力』の魅入られた。

 もはや飢えと渇きは大きくなるばかりだ。助けられた彼らすらも血の悦びを満たす為の肉袋にしか見えない。舌なめずりしそうになり、サクヤは慌てて口元を引き締めた。

 

「しかし、姐さんがまさかアルフだったなんて。あの強さも納得だ」

 

 ここまで飛んできた姿を見られた時、要塞組は一様にして目を見張って跪く勢いだった。アルヴヘイムにおいて、アルフとはオベイロンに召し上げられるに足る功績と実力を示した者たちという認識なのだ。彼らがサクヤの強さに納得してくれたのは好都合だったが、同時にこれからの反オベイロンへと猛進する上では厄介な露呈でもあった。

 黒獣も強いが、ユージーンには及ばないだろう。サクヤは止む気配のない雨で意識を繋ぎ止めながら、早くユージーンに手を握ってもらいたいと両手を組む。

 奇跡がもう1度起こるかは分からない。だが、どちらにしてもいずれは訪れるタイムリミットだった。ならば、これからはこの飢えと渇きに支配されないように生きていくしかない。その為には自分を繋ぎ止めてくれる楔がいる。

 こんなものに耐えられない。耐えられるはずがない。誰かに頼り、傍に支えてもらって、ようやく正気を保てるか否かの境界線で我慢できるものだ。少しでも天秤が傾けばレギオン化してしまいそうで、サクヤは激しい頭痛と嘔吐感に襲われる。

 その時だった。遥か向こう側に落雷が……雷神が槍を大地に突き刺したとも見紛うほどの雷柱が迸る。それは村を越した地で落ちただろうことは明白であるにも関わらず、まるで暗雲を払って太陽が昇ったのではないかと思う程にサクヤ達を照らす。

 

「……黒獣パール」

 

 自分が対決した黒獣の比ではない強さを脈動させる雷光にサクヤが言葉を失う中で、救助隊の1人が感情すら起こせないほどに脱力した眼で雷光を見つめ、もは平伏すしかないとばかりに両膝をつく。

 黒獣パール。それは裏切りの騎士ランスロットの騎獣であり、黒獣の中でも群を抜いた強さを持つ、かつてアルヴヘイムに破滅をもたらした赤雷の黒獣と同列に扱われる深淵の怪物だ。

 ここまで黒獣パールが追ってくるかどうかは定かではない。だが、ユージーンが殿として残った村を強襲する危険性は十分にある。

 ユージーンの強さはサクヤも信頼を置いている。あの黒獣にも後れを取らないだろう。だが、2対1、それも他の黒獣とは比較にならないだろうパールも加わるとなれば、生存率は大きく下がる。

 どうするべきか? サクヤは深呼吸を挟む余裕もなく、不安に怯える救助者と救助隊を見て、ユージーンの背中を思い出し、レギオンプログラムが訴える『退避』という指示に否定の意思を宿す。

 

「このまま町まで逃げろ。私は……用事が出来た」

 

「無理だ、姐さん! ユージーンさんはもう助からねぇ! 黒獣パールだぞ!? 普通の黒獣を相手にしても町1つが簡単に滅ぶんだ! パールが通っただけで都市が1つ地図から消える。そんなバケモノなんだぞ!?」

 

「そうだとしても、私は『女』としてここで退くことは出来ない。愛する男の帰りを信じて待つのも女の甲斐性だが……私は我慢弱いんだ」

 

 自覚はある。ユージーンは絶対に来て欲しくないはずだと理解している。サクヤは空を見上げて、終わらぬ嵐に笑いかける。

 

(博打など性分に合わないが、ここが勝負の分かれ目だ)

 

 何処までレギオンプログラムに耐えられるか。たとえ、この『力』を使っても黒獣に対抗できるか、全ては不鮮明だ。それでもなお、ここで動かずして背を向けるなどあってはならない。

 サクヤは黒獣との戦いで早くも刃毀れが目立つ風紋の槍を握りしめ、残り飛行時間を全て費やす勢いで高速で飛び立った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「ようやく足を止めましたね」

 

 灰色の狼での追跡劇の幕閉じ。それは林を移動するが故にスピードダウンした黒獣の左後ろ足を集中して攻撃し続けた結果、ダウンで雷光を失うという形だった。

 木々を薙ぎ倒し、あるいは雷で破壊しながら逃げていた黒獣であったが、死神の剣槍の蛇槍モードは想定外だったのだろう。リーチが伸び、なおかつ効果的な打撃属性もあり、ついに倒れた黒獣はその全身から雷光を失った。

 ダウン状態にすれば攻撃力と防御力、それにスピードも大幅に減るらしく、むしろこのタイミング以外ではダメージを稼げないタイプなのだろう。反転し、オレを捉えながら、巨体を器用に木々の間に滑らせ、距離を取る黒獣の動きは時間稼ぎだ。

 何らかの罠に嵌める為にオレを誘導していたのは間違いないのだろう。それに乗ったのも承知だ。だが、倒せる時に倒しておく事に何を迷う必要があるだろうか? 雷撃という中距離攻撃手段を失った黒獣との距離を詰める為に、灰色の狼の背から跳び、木々の枝や幹を蹴って宙を舞い、黒獣の眼を欺きながらその頭上を取る。

 上空からの蛇槍モードから剣槍モードに戻してからの一閃。打撃ブレードは異形の頭部を深く砕き斬り、黒獣の絶叫が嵐の雷鳴を上書きする。両前肢を荒々しく振るい、オレを遠ざけようとする黒獣であるが、雷光を纏わなければ攻撃範囲の拡大もなく、叩きつけをしても濡れた地面に雷で伝播することもない。大幅なパワーダウンは明白だ。

 アルトリウスの剣技、左手を槍のように突き出して半ば滑るように迫りながら突く。見た目からして刺突属性は脆弱だろうが、口内にまで刺し貫き、そこからが右手を柄に這わせて斬り上げる。そのまま×印を描くように2連斬りをして、わざと大振りの振り下ろしを回避させる。剣先が地面に触れる寸前で半身を前に出すように踏み込み、横回避に合わせた黒獣の頭部目がけて振り上げる。

 トリスタンの半分以下だ。理性を失い、指輪への妄執に囚われた魔獣ではあったが、それでもザクロを追い詰めただけの実力は本物だった。

 再び雷光を纏うと同時の全体攻撃のバースト攻撃を仕掛ける直前で、アルトリウスの斬り払い後退で一撃を入れておく。相手を打ち上げるように斬り上げながら全身を後ろに跳ばせて着地し、バーストを回避した瞬間に鞘に収まっていた贄姫を抜き、ミラージュランで加速と隠密ボーナスを得て、黒獣がオレを捉えるよりさきに懐に入り込み、腹から見上げれば丸見えの脊椎、その接合の隙間をカタナの鋭さを活かして斬撃を浴びせ、開いた傷口に死神の剣槍のランスとしての鋭い切っ先を突き入れる。

 そのまま贄姫を手放し、両手でつかんだ死神の剣槍を、まるで無理矢理螺子を回して押し込むように回転させ、黒獣の絶叫と深淵の泥のようなドロドロの黒い髄液を浴びながら、そのまま分断する勢いで押し込む。

 雷光が霧散し、その場に崩れる黒獣に押し潰される前に離脱し、駆け寄った灰色の狼に微笑んで頷く。

 雨を浴び、青い雷を失った黒毛が抜け落ちていく黒獣に黙祷を捧げ、髄液を啜った死神の剣槍を振るい、強さを増す雨で清めて背負う。

 確かに強く、これならばレベルも装備も足りないアルヴヘイムの住人では対抗も難しいだろう。このスピードならば、1度攻め込まれれば防戦することも出来ずに蹂躙されるのもおかしな話ではない。黒獣を倒すには短期的に四肢のいずれかにダメージを蓄積させるか、先程のように脊椎の隙間から無理矢理攻撃を捻じ込む以外は無さそうだ。

 だが、強くともこの程度ならば、深淵狩り……欠月の剣盟が後れを取るはずもない。ならば、やはりこれは未熟な個体、オレの誘導だけを担っていたとみるべきだろう。アルヴヘイム中の黒獣が揃い踏みしたパーティにでも招待するつもりだったのだろうか。

 未熟でもこの強さ、成体ならば手古摺るだろうな。贄姫を拾いながら、オレはマウロたちへの合流を早々に目指すべきだと方針を定めた時、巨大な雷柱が空を焼くのを目にする。

 

「……なるほど、あちらが本命だったわけか」

 

 この個体の目的はあの雷柱の主の所までオレを誘導する事だったようだ。まぁ、失敗したが。

 思い出したのはランスロットの騎獣にして、アルヴヘイムで最大最強の黒獣と名高いパールだ。どれ程の強さかは気になるが、ランスロット戦で乱入されても困る。だが、一方で黒獣パールがいるならばランスロットも近くに控えているとも考えられる。

 ここで決着をつけても構わないのだが、今は時間も惜しい。約束の塔へと急行すべきだ。だが、背後を取られるのもつまらない。状況だけ確認すべきだろうか?

 灰色の狼の召喚を解除し、継続魔力消費をストップさせる。ザリアのエネルギー弾倉はフルの状態でセット済み。死神の剣槍は目立った破損無し。贄姫は薄っすらとだが、亀裂のようなものが刀身に確認できている。着実に消耗は重なっている証拠だ。

 

「……嫌な予感がするな」

 

 今回の黒獣の動き。決して暴れるだけが能ではない高い知性を感じた。しかも個の能力で押し潰すのではなく、誘導などの群れとしての意識の下で行動していた。

 度重なった黒獣の目撃情報。思えば余りにも目立ち過ぎていたが、これは1体が何度も目撃されたのではなく、黒獣が集結する過程を目撃しただけならば? あるいは、複数体の黒獣がわざと目撃情報をばら撒く為に街道近くに出没していたとするならば?

 目撃情報の割に被害がゼロだった事もおかしい。不安を煽るだけ煽り、彼らは『何か』を誘っていた?

 考えろ。この地には何かがあった? このアルヴヘイム東方には何がある? 決まっている。月明かりの墓所だ。そこに集結していた欠月の剣盟だ。黒獣からすれば、アルヴヘイムで唯一自分に牙を剥き、なおかつ狩られかねない相手である欠月の剣盟が集まった地にわざわざ姿を見せるメリットは?

 ……深淵狩りが滅んだと察知された? ならばこそ、生き残りがいないか確認の為に? 筋は通っている気がしないでもないが、わざわざ群れを成したのは……確実に『最後の生き残り』を狩る為か?

 

「オレを狙ってのことか」

 

 嫌な話であるが、オレは間違いなくアルヴヘイムで最後の1人……いや、終わりつつある街がDBOの歴史の最前線にして現在とも言うべき時間軸であるならば、DBOにおいて最後の深淵狩りとも言えるのかもしれない。そんな資格があるとも思えないし、深淵狩りの責務を正しく全うできているとも思えないし、そもそも深淵絶対殺すマンでもないし、色々と問題があるとは分かっているのであるが、それでも最後の深淵狩りだ。

 遺志の継承。ガジルは……欠月の剣盟は自分たちが脈々と受け継いできた遺志をオレに託した。オレの糧とした。

 

「行くか」

 

 黒獣の騒乱。それがオレに起因するものならば、随分と傍迷惑を振りまいてくれたものだ。

 だが、それは深淵狩りのあり方なのかもしれない。

 憎まれ、蔑まれ、それでもなお闇と戦い続けた者たち。彼らを導いたのは聖剣であり、終わらぬ闘争こそが使命だと信じたのだ。

 ならばこそ、ここで黒獣を討つべきなのかもしれないな。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 数は最たる暴力であり、最も分かり易い勝敗を決する要素である。

 レベル・装備的にも1段階低いステージであっても複数のモンスターを相手取るのは並大抵のことではない。何故ならば高レベル帯になればなる程にHP・攻撃力・防御力は劇的に変化することは乏しくなるからだ。だが、それ以上に複数体を相手取るともなれば、単純に攻撃される回数が増加して受けるダメージは大きくなり、回避や防御に割り振る分だけ攻撃チャンスは減ってスタミナ消費は嵩み、またスタンの蓄積や連続ヒットによる衝撃による体勢崩しなどの危険性が増えるからである。

 だが、ユージーンは傭兵であり、ソロで複数戦を多くこなしてきた。戦い方は熟知しており、それに対応できる精神力も備わっており、怯まずに僅かなチャンスをつかめる豪胆さも持ち合わせている。

 それでもネームド級を同時に2体相手取る機会はほとんど無かった。そもそもネームドが複数同時に出ることは稀であり、また依頼する側もそんなリスキーな依頼には協働を推奨するからである。よりハッキリと言えば、わざわざネームドと分かっている相手に傭兵だけを送り込むような依頼主がいれば、余程に嫌われていると推測できる。

 

(【渡り鳥】やUNKNOWNに出来て、オレに……ランク1に出来ないはずがない! あってはならない!)

 

 シャルルの森で、虚ろの衛兵3体相手に時間制限がありながらも制した【渡り鳥】。鏡の騎士との戦いでは、乱入してきた竜騎兵の半分をUNKNOWNは単身で抑え込んだ挙句に撃破したと聞いた。

 無論、それらを大きく上回るのが黒獣である事は、他の2人が見れば即座に肯定する事であり、ユージーンとて自分に雷撃を放ち、剛爪を振るう成体の黒獣は今まで出会ったネームドでも上位にランクインするだけの強さを持っている事も認める。

 だから諦めるのか? 否である。

 だから死を受け入れるのか? 否である。

 だから戦うのか? 是である。

 1体相手ならば黒獣にも優位を取れる≪剛覇剣≫が機能する。だが、2体がコンビネーションを組めば、そのアドバンテージは小さくなる。加えて環境コンディションは依然として最悪だ。雨は雷を拡散させて攻撃範囲を高めるだけではなく、ぬかるんで半ば泥となった地面はユージーンの剣技の軸である踏み込みを脆弱化させる。そして、豪雨は視覚と聴覚を阻害し、突風はバランスを狂わせ、そして終わらぬ嵐で濡れ続けるという行為そのものが精神を……集中力を蝕む。

 地を這い、5方向に分かれ地を走る雷球。それを躱したところに回り込んでいた別の黒獣による連続引っ掻き攻撃。ギリギリで大剣を構えてガードを取るも、激しい衝撃が突き抜け、豪雨でぬかるんだ地面では踏ん張りきれずに体勢を崩す。そこに容赦なくもう1体が咆哮をあげる。するとユージーンの足下で青い雷光が集まり、雷柱が発生する。寸前で躱したユージーンであるが、追尾効果があるのだろう、逃げた場所でも足下で雷光が集まる。

 咄嗟に選択したのは≪剛覇剣≫のEXソードスキル【ドラゴンスケイル】だ。直球の『竜鱗』の意味の通り、ドラゴンの鱗の如く武具のガード性能と自身の防御力を高める、俗称『ガードスキル』とも呼ばれる、攻撃よりも防御効果が売りのソードスキルだ。物理・属性の全ての防御力をアップさせるのだが、その上昇量の基準となるのは発動前の防御力に依存するので、鎧装備と相性が良い。ただし、発動には魔力消費が伴い、またスタミナ消費も伴うが性能の割には燃費も良いので多用できる。

 だが、ドラゴンスケイルはガード性能を高めるのが主であり、防御力アップは『保険』である。真下からの雷撃は当然ながら前方への構えではガードと判定されない。加えて鎧は……通常の金属系防具は総じて雷属性に弱い。ユージーンの鎧はクラウドアース謹製という事もあり、素材によって雷属性対策も施されているが、それでも属性防御力では最も低い部類だ。それは直ダメージだけではなく、雷属性専用のデバフ……感電への耐性という意味でも物語る。逆に炎属性は極めて高いのであるが、黒獣相手では役立たない。

 幸いにも雷柱のダメージを最低限で乗り越えたユージーンであるが、自分がレベル1の感電のデバフに陥った事に舌打ちする。感電はスタン耐性を大幅低下させるデバフだ。

 そして、最悪とも言うべき事に、成体の黒獣の雷撃は純雷属性ではなく、闇属性を含有しているらしく、闇術特有のスタミナが削れている感覚をユージーンは覚えていた。それはHPのみならず、スタミナという生命線すらも奪っていく。

 感電のデバフは時間経過で自動解除されるが、その間は鎧装備で大きく引き上げているはずのスタン耐性がごっそりと削られてしまっている。もう1体が全身の黒獣で雷光を集め、荒れ狂う雷を放出する。そして、先程倒した幼体ならば放出中は動けなかったが、成体は違うと示すようにスピードこそ落ちているが、雷撃を放出しながらユージーンに突進する。

 

「このオレが……いつまでも見切れていないと思ったか!?」

 

 黒獣の周囲への雷撃放出のパターンは全部で4種。無論、それを1度見ただけで記憶できるなど、高い記憶能力と集中力が求められる。それを複数戦における死地において、ユージーンは僅かと見逃すことなく暗記していた。最初の雷が落ちるリズムでいずれのパターンなのか把握し、彼はスタン耐性が大きく失われた状態で迫る黒獣の突進と交差する。

 放たれた雷撃の狭間を渡り歩き、右前肢を大剣で振るい抜き、そのまま股を抜ける。そして、もう1体が放った雷球をギリギリまで引き寄せてから最小限の動きで躱す。2体が射線に並んだと睨み、火蛇を発動して巻き込む。

 だが、雷光のアーマーを発動中では火炎属性すらも大幅にダメージが軽減されるらしく、黒獣たちは僅かと怯まない。だが、物理攻撃よりもマシな部分を見れば、黒獣の弱点の1つは火炎属性なのだろうと見抜ける。ならば、雨の日に出現するという黒獣の伝承は、雷の攻撃を強化するだけではなく、弱点をカバーする為でもあるのだろうとユージーンは見抜く。

 しかし、幸いな事もあった。本来ならば雷光のアーマーによってダメージを激減させるはずの黒獣であるが、≪剛覇剣≫のガード無効化はどうやら黒獣の雷光にも適応されたらしく、容赦なくダメージを与えている。そのせいもあり、黒獣は大きく動揺し、雷光のアーマーに物を言わせた荒れ狂うような攻撃をしてこない。下手を打てば手痛いカウンターをもらうのはどちらであるのか理解しているのだ。

 

(残りHPは6割か。≪バトルヒーリング≫の回復はありがたいが、やはり回復アイテムを使える暇は無いか)

 

 スタミナは既に半分を切っているだろう。せめて松脂を塗って火力アップしたいが、そんな動作を起こす暇もない。魔剣ヴェルスタッドには発火ヤスリを仕込んであり、瞬時の短時間の火炎属性エンチャントも望めるが、それは切り札であり、2体とも健在の今に発動させるものではない。また≪剛覇剣≫はエンチャント型であり、発火ヤスリの使用の為には解除せねばならない以上は、まさしく追い詰められた時に使うべき……使わないに越したことは無いカードだった。

 次は必ずオートヒーリングの強化を目指す。ユージーンはあくまで笑みを崩さずに、果敢に黒獣に斬りかかる。

 

 

 

 果たして『次』はあるのか? 脳裏で絶望に満ちた死の囁きが聞こえた。

 

 

 

 感電のデバフが解除され、余裕が出来たのに、ユージーンの踏み込みが甘くなる。黒獣の右前肢の叩きつけ、その間合いを測り損ねてカウンターで差し込むつもりだった両手斬り上げは先端が微かに掠るだけに止まる。その間にももう1体は背後に回り込み、全身に雷光を集注させる。

 自らが巨大な雷球となったようなタックル。咄嗟の回避が間に合わず、直撃こそ受けなかったが、纏った雷光に全身を焦がされ、唸り声を噛んで殺す。だが、スタンにならずとも体勢が崩れ、そこに別の黒獣の両手叩きつけが迫る。

 

「おぉおおおおおおおおおおお!」

 

 死への恐怖は背筋を撫でる。それをユージーンは雄叫びで封じ込めた。迎撃するのは≪剛覇剣≫の連撃系ソードスキル【レイズ・フィアンマ】。纏うライトエフェクトそのものに攻撃判定がある≪剛覇剣≫であるが、これは連撃系ではあるが特殊であり、最初の縦斬りが地面に接触した瞬間にライトエフェクトが爆ぜ、前方で火柱の如く立ち上がるというものだ。

 たとえ大剣そのものは直撃せずとも、≪剛覇剣≫の赤い光柱は大きく立ち上がり、叩きつけの為に重ねていた黒獣の両手を逆に弾き返す。

 スタミナの消費も厭わずに、ユージーンはそのまま肩で大剣を担いで迎撃されて転倒した黒獣へと渾身の袈裟斬りを穿つ。それはダメージが蓄積されていた右前肢に直撃し、雷光のアーマーが解除される。

 もう1体がフォローに入ろうと連続でその場で引っ掻き、雷球を地面に走らせる。だが、ユージーンは迫る雷球の1つを大発火で相殺し、ダウン状態から復帰しようとしている黒獣の頭部に右手だけの薙ぎ払い、そして即座に左手も柄に寄せて両手持ちに切り替え、強烈な縦斬りを浴びせる。それでもなお耐え抜いた黒獣は背後に下がろうとするも、ユージーンは≪格闘≫の単発系ソードスキル【虎爪】を発動させる。前方に瞬時に突進しての右膝蹴りは黒獣の額を捉え、砕き、残っていたHPを全壊させた。

 まずは1体だ。ユージーンは短時間でのソードスキル連発のツケと黒獣の雷によるスタミナ削り効果の厭らしさに嘆息する。これ程までに短時間でスタミナを失う展開は久しぶりだった。だが、≪剛覇剣≫のガード無効化によって黒獣にダメージを与えられたのは大きく、残りの1体もまたHPは半分を切っている。また、あくまでネームド級というだけであり、黒獣はネームドではない。HPバーは1本だけであり、また能力の解放などの危険性もない。

 このまま押し切る。ユージーンは唸る黒獣相手に呪術の火を見せつける。雷光のアーマーを剥ぐなど手間はかけない。既に魔力も危険域だ。ならば、最後の魔力を使って呪術と≪剛覇剣≫で無理矢理頭部にダメージを通してやるとユージーンは戦術を組み立てる。黒獣の成体とはいえ、1体相手ならばユージーンの勝率は高い。コンビネーションさえ使えなければ、≪剛覇剣≫のガード無効化は十全と黒獣を追い詰めるに足る『力』だった。

 

 

 

 

 

 そして、全身を撫でる突風が巨大な雷柱と共にユージーンの視界を覆った。

 

 

 

 

 

 それは仲間の窮地を誘う英雄のように、地面に巨大なクレーターを作った雷柱。ユージーンを狙ったものではなく、あくまで自らに落としたそれは全身にエンチャントをかけたかのように『それ』を青い雷光で包む。

 生き残った黒獣がまるで控えるようにお辞儀する。『それ』は巨体を揺さぶり、黒獣から散る雷光の雪を振りまきながら、ユージーンの目の前で咆えた。

 ただの咆哮。だが、そこにユージーンは竜の神と同質の誇りと暴虐を感じ取る。

 成体よりも更に大きい、全長12メートル……あるいはそれ以上だろう巨体の黒獣。全身を覆う黒毛は逆立ち、うねり、擦れては新たな雷の種を育てる。

 分かる。分かってしまう。この黒獣は特別であり、故に名前が与えられ、恐怖としてアルヴヘイムで語られているのだと。

 

(コイツが黒獣パール。なんという……なんという……!)

 

 常人ならば心折れるか砕けるだろう威圧感に、この嵐すらも黒獣パールが呼んだものではないかと錯覚する。だが、ユージーンとて猛者であり、すかさず構えを取れたのは並大抵ではない精神力があるからこそである。

 そして、目前の黒獣パールがHPバー1本だけの、ネームドですらないモンスターである事に、これほど狂ったことはないだろうと自らを奮い立たせるように笑おうとして、唇が引き攣ってしまう。

 多くのネームド・ボス戦を……ボスのヴェルスタッドを単独討伐したからこそ、ユージーンには理解できる。

 この存在がネームドではないなどあってはならない。間違いなくボス級だ。それも並大抵のステージボスすらも上回る脅威。HPバー1本だけなのは救いではなく不条理にすら感じるほどの強さの脈動を感じずにはいられない。

 ようやく覆した劣勢。雨天という不利な状況下で黒獣2体を同時に相手取り、既にユージーンは疲弊していた。

 HPはまだ回復アイテムを使えば補える。だが、スタミナと魔力はそうもいかない。特に魔力の残量は厳しい。しかもこの豪雨によって呪術の火力には下方修正が入っているのが輪をかけて彼を追い詰める要因にもなっていた。

 

「まだだ。オレは負けられん。サクヤを守る。オレが……必ず!」

 

 だが、それでも不屈。それでも闘志は折れず、むしろ猛る。この程度の窮地を切り抜けずして何がランク1だろうか。

 黒獣パールは牙を剥く。配下の黒獣は素早くユージーンの背後を取り、唸って全身の青い雷光を迸らせた。




まずは黒獣のターンです。

魔強化黒獣の中でもトップクラスのパールVS主人公モードのユージーン

勝利はどちらに?


それでは、275話でまた会いましょう!

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