SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

手持無沙汰な長期休暇に旅行はいかがですか?
美味しいご飯と夏祭りがあなたを待っている。
ひと夏のドキドキをあなたに。



そうだ。狩人の里に行こう。





Episode18-45 密やかなる脅威

 黄昏の光が満ちる都、アノールロンド。火の時代を作ったグウィンを王として頂く神々の都であり、【女神の騎士ロートレクの記憶】におけるイベントダンジョンである。

 DBOのステージは時間の経過に伴って1日……即ち、朝・昼・夕・夜をローテーションする。季節が変動するのは、ステージギミックを除けば基礎ステージである終わりつつある街と周辺フィールドのみであり、それ以外は季節は一定である。ただし、天候パラメータの変動によって空模様が移ろうのも特徴だ。

 だが、このアノールロンドにおいては全ての時間帯において黄金のような夕暮れの空であり、夜が訪れることもなければ朝を迎えることもない。

 人々は夕暮れに郷愁を抱き、その空に儚さを募らせる。そして、夜の訪れに恐れを生む。ならば、永遠に暮れぬアノールロンドの空が何を意味するのか、それはプレイヤーが自力で集めて考察すべき事柄であり、NPCは1人として語らない。

 これが大人の短い余暇の過ごし方として人気を博しているVRバケーションならば、現実では決してお目にかかれないだろう、神々の築いた世界遺産をじっくりと観光するなど出来るのだろうが、DBOにおいて美しいダンジョンは存在しても、手抜きされたダンジョンは皆無である。

 

「ぬぉおおおおおおおおお!」

 

 雄叫びを上げるのは聖剣騎士団の円卓の騎士にして【黒鉄】の異名を持つタルカス。全身に分厚い黒の甲冑を着込み、特徴的なバケツヘルムは彼の象徴であり、YARCA旅団の旅団長の証である。彼は聖剣騎士団が誇る精鋭タンク部隊の隊長でもあり、その大盾はあらゆる攻撃から仲間を守ってきた。

 DBOにおいてタンクは不人気職の1つだ。理由は単純明快である。死亡率が高いからだ。

 VRMMOのみならず、古き良きテレビゲームの頃からステータス・スキル・装備構成によって役割分担されるのは常である。だが、従来の手動操作を標準とした『画面を見る』という俯瞰視点を大前提としたテレビゲームと『体感』という現実の延長として本物の肉体同様にアバターを操作するVRゲームでは多くの点で異なる。

 そもそもとして、従来のテレビゲームはどれだけキャラメイクを行ってロールプレイに徹しようとも『プログラミングに従って最高のパフォーマンスを安定して行う』キャラクターを操作するものだ。彼らは恐怖心を抱かず、操作した通りに動く。そこに『キャラクター』の意思は存在する余地などなく、彼らはプレイヤーの代理人となって意のままにアクションを起こし続ける。

 たとえHPが1の死にかけであろうとも、たとえ敵がかつての友人であろうとも、たとえラスボスを倒せば自分が死ぬことになると『シナリオ』で定められているとしても、プレイヤーの操作・選択を忠実に反映し続ける。

 では、VRゲームはどうだろうか? 茅場昌彦がいかなる意図を持って、世界初の本格VRゲームであるSAOを開発したのかは多くの謎を持つが、彼は1つの点において見落としがあったのではないか、という論調はSAO事件を考察する多くの人々より意見されている。

 即ち、プレイヤー自身が『体感』するという部分におけるゲームという枠組みの決定的な限界である。

 仮想世界。完全なる体感ゲーム。聞こえは先進的であるが、体感ゲーム自体は決して真新しいものではない。VRゲームの先進性を象徴するのは、現実にあり得ない世界を構築し、現実ではあり得ない生物を登場させ、現実ではあり得ない能力をプレイヤーに与えるものだ。

 だが、『体感』するのは常に人間自身である。彼らには感情と思考があり、本能がある。それは『体感』であるVRゲームにおいて大きな影響を与える。

 たとえば、精密無比に再現されたトラックが正面から突進してきたとする。本人はどれだけポリゴンだと分かっていても、身構えずにいられるだろうか? 躱さずにいられるだろうか? 何の迷いもなく、動揺もなく、恐怖心もなく、自分に接触しようとするトラックを最後まで見つめることが出来るだろうか?

 過半においてそれは『否』である。SAOやDBOのみならず、現実の死亡リスクが伴わない通常のVRゲームにおいても、『デスペナルティ』が発生する理由の1つとしてプレイヤーのパニックが上げられる。これは初心者ほどに多く、そして熟練でも決して少ないわけではない、純然たる『死因』の1つだ。ならば、あらゆるタイトルどころか世界最先端すらも超えるリアリティを実現させて『現実以上の現実感』を実現して余すことなく知覚を刺激する……ダメージ時に多くの悪意的なまでのフィードバックが発生するDBOにおいて、目前の迫る攻撃に対してどれだけ冷静さと計算を保てるものだろうか?

 冷たく鋼の刃に、猛々しい爆炎に、涎で濡れた大顎に、何の感情も抱かずに『ダメージが入るだけ』と割り切れるだろうか? たとえ、HPが減るだけでゼロにはならないと頭の中では計算出来ていたとしても冷静に耐えられるだろうか? 古きテレビゲームでさえも……画面越しで我が身には何の影響を及ばなさないと分かっていても精神が変調する者が多い中で、完全なる意識の没頭……『現実の置換』とも言うべきVRゲームにおいてはどうなるかは火を見るより明らかである。

 ならばこそ、デスゲーム化したDBOにおいて真なるタンクは希少である。彼らに最初に求められるのは何よりも鋼の意思。仲間の為ならばネームドであろうとボスであろうと真正面に立ち、揺らぐことなく盾を構え続ける絶対的な精神力である。本来ならば優先的回復行動が求められるHPの半分以下であろうとも、タンクは己の意思と盾を信じて立ち続けねばならないのだ。その死に際においてまで背中を向けて逃げることは許されない。撤退時には殿を務めるのは常であり、職務は他者優先であり続けねばならない。我が身可愛さを優先した時、タンクという肉壁は失われ、後方に被害が及ぶ。それはたとえその場こそ生き抜いたとしても、最大の侮蔑を投げられ、また同情されることなく唾棄される。

 だが、DBOにおけるタンクの数の少なさは何もデスゲームだからではない。SAOには常に一定数のタンクがいたのは事実であり、彼らが攻略において大きく貢献したのは言うまでもないだろう。ならば、DBOにおけるタンクの希少さはゲーム難易度とシステムの関係上における『生存率』という分野を語るに尽きる。

 敵からの攻撃に対して起こるアクションは大きく分けて2つ、回避か防御である。回避は文字通り敵からの攻撃を躱すアクションであり、HPを減少させない究極の解決案と言えるだろう。だが、パターン化し辛い上に多くの能力・攻撃方法を持ち、なおかつプログラミングの域を超えた『意思を持つようなAI』が強敵として登場するDBOにおいて、回避は有効性こそあっても優先性は低い。

 生存率を高めるならば、まずはガード技術を身につける。それは隔週サインズでも掲載されている『死闘の心得』のコラムの序文を飾る『バトルの基礎5条』においても記載されてる。

 ガードすれば、耐久度とスタミナの減少が発生する。その代わりにダメージを無効化・減少することができる。即ち、生存率を大幅に高めることが可能だ。

 ただし、特大剣などを除けば大半の武器はガードする為に存在しているわけではなく、いずれもガード性能は決して高いわけではない。たとえ攻撃を無効化できても耐久度は大きく削れ、スタミナ消耗は著しい。また、防御面積も狭く、貫通ダメージなども考慮すれば心許ない。カタナなどでガードした日には一撃と耐え切れずに折れることも珍しくなく、『剣豪』を気取ったサムライ装備を整えたプレイヤーがDBO序盤で幾人も死亡した。これが軽量性・攻撃力・クリティカル性能の3本を高く有するカタナのただでさえ高かった敷居を更に引き上げ、明確なカタナ使いがDBOにおいて10人と満たない理由でもある。

 DBOにおいてはアバターへの攻撃判定の到達が無い限りはダメージも発生しない。故にガードは極めて重要だ。たとえ、ダメージが貫通してきても最小で抑えられる。一方でガードすればするほどにスタミナは消耗し、耐久度は減少し、またガードブレイク時には大きなクリティカル補正が入って大ダメージを受ける。故にガード技術を鍛えるのは重要だ。

 相手の攻撃を正しく見極め、全身を襲う衝撃に対して身構え、ガードブレイクされないように正確に力を込める。たとえガード性能が高い特大剣であろうとも、単純に構えただけでは雑魚相手にすら一撃でガードブレイクされることは珍しくなく、しっかりと防御の構えを取ることは大事なのだ。

 ならばこそ、≪盾≫はDBOでも屈指の生存率を高める有用スキルであり、人気が高い。武器枠の1つを盾で埋めるプレイヤーは少なくなく、近接プレイヤーにおいての基本スタイルは初期武器枠2つの内の1つは盾で埋めることである。

 盾は高いガード性能を持ち、武器に比べればスタミナ消耗もガードブレイクの危険性も格段に下がる。また、盾自体も多くが打撃属性を保有する為に咄嗟の武器としても扱える。また、ガード時には補正が入り、盾の性能と≪盾≫スキルの熟練度に応じて衝撃・スタン耐性・防御力が上昇する。『盾無くしては生も無し』はDBO初期の名も無い亡きプレイヤーの格言である。

 一言で盾と述べても、その種類は他の武器と同じように軽・中・重の3つのように、小盾・中盾・大盾である。

 小盾は軽量で防御面積も狭く、盾の中でも性能は低めである。総じて≪盾≫の特殊系にあたるパリィ関連のソードスキルにおいて補正が入るものは多いが、そもそもデスゲーム化したDBOでパリィという攻撃的防御手段を用いるプレイヤーは少なく、あくまで我が身を守る最小限の装備にして護身として人気を集める。また、敢えて物理防御性能を抑え、属性防御に特化させて魔法やブレス対策にするプレイヤーも多い。

 中盾は最も普及しているジャンルである。全てにおいてほぼプレイヤーが望む性能を保有し、一般的に盾といえば中盾を指す。程良い防御面積と優れたガード性能、実用性がある打撃属性攻撃力とどれを取っても不足はない。ただし、中盾を真に活かすならば相応の防具を身に着けることは必須であり、また盾における中量級の位置付けだとしても重量があるので装備負荷は決して小さくないものであることを念頭に入れねばならないだろう。

 そして、大盾はまさしく盾とは何たるかを語る盾である。ずば抜けたガード性能と防御面積を誇り、1度ガード体勢に入ればシステム補正もあって攻撃を受けても簡単には弾かれることはない。ただし、大盾は過半においておいてパリィ系ソードスキルが使用不可であり、ガードに徹するしかないという弱点とも呼べない弱点を持つ。また、いずれも重量があり、余程に他の武器や防具を蔑ろにしない限りには装備重量を圧迫し、スタミナ回復度は大きく落ち込むだろうことは否めない。

 無論、タンクが装備するのは3種の中でも大盾である。だが、それでもボスやネームド相手には不足も生じる。彼らの攻撃はいずれも強烈であり、システム頼りの生半可なガードなど剥がされるだけである。腰が引ければ軽々とガードブレイクされ、そのまま硬直状態のまま一撃を受けて死に至ることも珍しくない。何故ならば、ガード性能の高さとはそのままガードブレイク時の硬直時間の長さとクリティカル補正の高さを示し、大ダメージは必定だからである。また、例外として『意思を持つAI』の1部や極少数の卓越したプレイヤー……特に【聖域の英雄】が命中判定斬りと同じく得意とするガード崩しにして盾殺しの剣技、システム外スキル『ガードクラッシュ』と相対した時ほどに『剥がされない』為のガード技術は求められる。

 回避と機動力を捨てる防具と大盾。壊滅の危機に瀕しても逃げ出さずに殿を務める覚悟。強敵と強大な攻撃を前にしても怯まぬ心。そして、精神力があってこそ必要とされるガード技術。それらがDBOにおけるタンクの絶対的に必要な条件であり、どれだけ厳しいものかは言うまでもない。

 故にタルカスは不動。言動に難があり、また行動も時として奇々怪々の彼であるが、攻略という名の戦場においてはその2つ名……【黒鉄】の如く冷静そのもの。いかなる危機を前にしても彼の心は微塵と揺らぐことなく、仲間たちを守る大壁の如く立ち続ける。

 

「……凄い」

 

 それはアノールロンドのメインである大聖堂に至る為の道中、足を踏み外せば落下死確定の梁の迷路。登場するモンスターは人型にしてスピードを活かした二刀流曲剣と投擲攻撃をメインとする白装束、絵画守りである。HPと防御力は低いが、隙を見れば両手に持つ曲剣で華麗な剣技を披露し、また隙を見せればソードスキルを放つ。また、投げナイフによる間接攻撃も多く、こちらも≪投擲≫のソードスキルでブーストをかけて来るので危険な相手だ。

 だが、いかにスピードに優れて回避を得意とするとしても1体相手ならば、複数いたとしても情報を持っているパーティならば問題のない相手だ。ただし、それは広々とした空間ならばの話であり、1歩踏み外せば落下死する梁の上では回避も困難であり、たとえ一撃は軽くともガードした衝撃でバランスが揺らげばそのまま落下する。事実として、かつて聖剣騎士団は絵画守りが怒涛の勢いで波状攻撃を仕掛けてくるこの梁の上を突破するのに5名の死者を出す惨事を起こした。安全な足場から突破者の援護射撃をしようにも、仲間の攻撃にもしっかりとダメージ判定が存在して相打ちとなるDBOにおいては軽々しく行えないのだ。

 ならばこそ、タルカスは圧倒的であり、ラジードは唖然とする。彼は1歩1歩踏みしめて梁の上を進んでいた。いかなる攻撃を受けても大盾は揺るがず、その姿勢は崩れない。逆にシールドバッシュで押し飛ばして絵画守りを続々と落下死させる。それどころか、自殺のリスクが無い絵画守りたちの突撃を右手の特大剣でカウンターを決めて逆に吹き飛ばす。

 だが、タルカスが盾を構えられるのは正面のみ。ならば、その背後を守る者が必要だ。それを成すのは聖剣騎士団の円卓の騎士の1人、【灰の騎士】ヴォイドだ。フェンシングの世界選手なのではないかと噂される程の卓越した刺剣使いであり、極めてストイックなプレイヤーの1人だ。最前線でも彼は仲間を伴わずに、ほぼ1人でダンジョンに潜り続けて攻略に貢献している、DBOでも刺剣使い最強とされる男だ。

 軽量性の鎧を着込み、DEX頼りのスピード回避ではなく、体術としての足捌きによる華麗なる回避は彼が生まれる時代を間違えた本物の剣士だと物語る。彼の回避はラジードの目から見てもクゥリ独自のステップを多用した回避に近しいものがある。クゥリが実体が無いかのように攻撃を擦り抜けて翻弄する攻撃的回避であるならば、ヴォイドのそれは位置取りに近しい。言うなれば、攻撃特化と迎撃特化の違いである。

 ならば、ヴォイドはいかにして足場のない梁の上で回避しているのか。実に簡単である。彼がタルカスの背後を守るということは、彼の背後もまたタルカスに守られているということだ。故に、彼は前後の動きのみでおよそ常人の見切りの限界にある絵画守りたちの連撃を躱し続け、投げナイフの全てを刺剣で迎撃し、なおかつ的確に絵画守りの眼球、喉、膝の関節隙間を刺し貫き、HPを全損させるのではなく、一撃でバランスを崩させて落下死を誘発させて対処しているのだ。

 これが聖剣騎士団が誇る円卓の騎士……誰もが羨望するトッププレイヤーの姿! 感動を覚えるラジードは、自分も同じトッププレイヤーと呼ばれる1人になっていることを恥じる。彼らに比べれば、自分などまだまだ取るに足らない雑兵同然だ。

 

「悔しいです! このような命懸けの危険にこそ立ち向かってこそ本懐なのに! 騎士として! 騎 士 と し て! 騎 士 と し て! 非常に悔しいです!」

 

「グロやんは相変わらずのマゾだね~。ほら、ビールでも飲んで落ち着きなよ」

 

「おうおう、あの2人も凄いねぇ! これぞ人間の可能性って感じだねぇ! ギャハハハハ!」

 

 それなのにこの人たちはマイペース過ぎなのではないだろうか? 死地を突破するタルカスとヴォイドを羨むグローリーはどう考えてもズレており、寝そべってスルメを齧ってビールを飲むライドウはそもそも戦場であることを意識しているのかも疑わしく、神灰教会より参加した主任はどうしてバケツヘルムではなく穴が開いたバケツにしかみえないバケツを被っているのかを問いたい。

 

「彼らを気にしていたら胃に穴が開くぞ」

 

「ご忠告感謝します」

 

 煙草を吸いながらラジードの肩を叩くのは独立傭兵で『最も理想的な傭兵』とされるスミスだ。あらゆるミッションにおいて高いパフォーマンスを発揮することで知られ、独立傭兵でありながら大量の資金が必要とされる射撃メインの戦闘スタイルを貫いている。そして、その大人の色気で多くの女性プレイヤーをお持ち帰りしたとされる、多くの男性プレイヤーの密やかならぬ全面開放の怒りを買う『夜の傭兵』でもある。

 渋くて煙草が似合う色男。まるでハードボイルド小説から飛び出してきたようなスミスは、1部の男性プレイヤーからは憧れの的だ。機動性を重視した黒色のタクティカルアーマーと専用の機能性ジャケットは終末の時代基準に開発したオーダーメイドであり、アノールロンドという神々の時代の舞台とはアンマッチしているが、だからこそ彼の近未来的傭兵の如き立ち姿はこの場において最も浮いているように思えた。

 

「無事に突破したようだね」

 

 2人の英傑が難関たる梁の上を突破したのを見届けて安堵したのは、銀色の鎧とサーコートを身に着けた、まさしく騎士の長という風貌が似合うディアベルだ。今回のアノールロンド攻略部隊の総司令官にして3大ギルドの1つ聖剣騎士団のリーダーである彼はまさしく威風堂々。だが、その顔を険しく、また腕を組んでいたのは理由がある。

 この梁の上を突破するのには『かつて』5名の死者を出し、最終的にはタルカスとヴォイドの2名という半個人プレイで成し遂げられた。それを再攻略しなければならなかった理由はただ1つ、悪意ある何者かによってショートカットギミックが解除されていたからだ。

 最初は他の大ギルドの嫌がらせかとも思われたが、今回の攻略部隊は神灰教会の教会剣からも戦力が派遣されている。即ち、太陽の狩猟団にしてもクラウドアースにしても、利権こそ聖剣騎士団に渡すが、相応のリターンを狙っているのだ。ならば、難関イベントダンジョンの攻略などというリスクはディアベルに任せ、最大限に人的資源の損害を抑制して利益を得ようとする2つのギルドが裏工作するメリットは低い。

 考えられるのは反大ギルドを掲げるテロリストの妨害か、純粋に悪意を持った誰かだ。だが、そもそもギミック起動の所まで行くにしても相応の実力と規模が求められる。聖剣騎士団の監視下に置かれたアノールロンド道中において、彼らの目を潜り抜けるのは至難のはずだ。

 そうなれば、必然的に単独行動を得意とする手練れ……傭兵による妨害工作が最も有力である。ラジードも耳にした限りでは、今回のアノールロンド攻略を前にして突如として休業に入った傭兵が複数名いるのだ。彼らがサインズを通さず、テロリストの依頼を受けて……などという噂もある。

 

(こういう時こそキミの株を上げる時だろうに。どうして?)

 

 休業申請を出している傭兵は4人。ランク1のユージーン、ランク3のシノン、ランク9のUNKNOWN、そしてランク21のクゥリだ。そして、この中で必然的に疑いの目が向けられるのは1名だけである。

 まだ噂の範疇であるが、クゥリのマネージャーが聖剣騎士団と交渉して今回のアノールロンド攻略部隊の仕事を獲得しようと動いていたとラジードも耳にした。だが、最終的にはどういう経緯かは不明であるがお流れになってしまった。明らかに『誰か』が意図してリークした情報だとはさすがのラジードも気づいているが、だからこそクゥリの謎の休業入りとアノールロンド攻略不参加を残念に思っていた。

 ディアベルは犠牲無しの攻略が可能とは微塵も思っていない。死者は出る。必ずこの中から出る。だが、それでも最小限の損害で攻略するために戦力を集結させた。ならばこそ、クゥリが参加することには意味があるともラジードは思う。彼が参加し、少しでも犠牲を減らすことができたという『実績』さえあれば、少しは彼の悪い意味の知名度を回復させる事も可能ではないかと考えてしまうからだ。

 最近はイメチェンの影響や隔週サインズインタビュー事件もあり、多少の回復もあったかと思われたが、まさか自分とのバトル・オブ・アリーナのデュエルのせいでプラマイゼロに至るとは考えていなかったのである。自分が熱くなり過ぎたせいで彼のコツコツしたイメージ戦略を破綻させてしまったならば、相応の罪悪感を覚えるのがラジードという人間だ。

 彼と共に戦い、生還して隔週サインズのインタビューで堂々と彼の活躍を述べる。そうすれば、公衆の目も少しは偏見に変化が生じたのではないだろうか。そう考えれば考えるほどにラジードは口惜しかった。

 

「おお! これが高名なるグウィン王が築いたアノールロンドの中心! 太陽と光の王女グヴィネヴィア様の懐! このエドガー、これ程の間近で目にすることができるとは、感動以外の何物も覚えません! アンバサ!」

 

 そして、この人もある意味で通常運転だ。神灰教会より派遣されたエドガーは、いつもと変わらぬ分離型の両刃剣とショットガン装備である。防具も灰白色の神父服とコートであるが、それも防具として調整された拘りがある。彼にとっては防御力よりも信仰の方が実用性のある加護のようだった。

 盟友ウルベイン、そして円卓の騎士の1人であるリロイと共に、3人でアンバサなる謎の祈りを捧げる彼らに微妙な思いを抱きつつ、タルカス達が起動させた上下駆動する回転式の足場がせり上がってくるのを見守る。

 

「2人ともさすがだね。無事で何よりだ」

 

「フッ! 世辞は大いにもらい受けるぞ、団長! この私とヴォイドで無ければ、あの梁の迷路を突破するなど不可能だっただろう! なぁ、ヴォイド!?」

 

「…………」

 

「相変わらず寡黙な奴だな。フフフ、そこが良い漢なのだがな」

 

 ディアベルの賛辞に胸を張って偉業を主張するタルカスとどうでも良いと言った様子のヴォイドは対照的だ。そして、クゥリとの接触後は『男に対して』無害化していたはずのYARCA旅団の旅団長は、昨今まるでぶり返したように男たちに怪しい視線を送るようになった。密やかな噂によれば、最近のタルカスは【渡り鳥】に関して聞けば、何故か思考がフリーズしてしまうらしい。【渡り鳥】関連で受けたショックが彼を再びかつてのYARCAに戻したのではないかと危険視されている。

 

「皆! ここからがアノールロンドの本番だ! ハッキリ言おう! 今まで誰1人としてアノールロンドのメインダンジョン、大聖堂の内部に踏み入れた者はいない! それは3つの難関があるからだ!」

 

 レバーで上下する回転式の足場を渡り、いよいよアノールロンドの本番……荘厳にそびえる巨城にして大聖堂を背中に、ディアベルが厳しい眼で告げる。

 既にそれは周知の情報であるが、改めて確認する事には意味がある。ラジードは愛剣であるイヴァの大剣の柄に触れる。特大剣にしてユニークのドラゴンウェポンは、このアノールロンド攻略でも遺憾なくその性能を発揮するだろう。だが、それを操るのはラジードなのだ。

 1つ目はこのアノールロンド特有の敵、銀騎士だ。彼らはDBO各所に登場する非リポップもしくはランダム出現の人型モンスター、黒騎士と源流を同じくする神々の騎士、グウィン王の軍勢だ。重い一撃を旨とする黒騎士とは対照的に、マントを翻して華麗に長槍や片手剣を操る銀騎士たちは並のプレイヤー以上の動きをする。また雷属性で攻撃を強化してくることもあり、一撃の威力を瞬時に高めることも可能だ。

 だが、そんな銀騎士もこの場にいるプレイヤーならば1対1で後れを取ることは少なくともないだろう。ならば、突破を妨げる理由の2つ目は開かぬ正面の扉だ。これまでの調査で分かっている限りでは、レッサーデーモンとされる乳白色の肌をした悪魔の翼を持つモンスターが徘徊するエリアを抜けて大聖堂を回り込み、銀騎士が警備する細い屋根を伝っていく必要があるのだ。レッサーデーモンは『レッサー』という冠を外すべきだと思う程の強敵である。衝撃・スタン耐性・HPは低いが、強力な雷属性を帯びた骨を削ったような槍を操り、槍の挙動モーションで幻の槍を放つ。それにも雷属性が付与されており、なおかつ飛行可能であり、細い足場でも無数と群がってくるのだ。加えて正門の守るようにネームド級の耐久力と攻撃力を持つ巨人近衛騎士が控えている。

 しかし、これら前述した2つの難関は言うなれば前菜。真なる脅威は1つ目の銀騎士においても別種……竜狩りの大弓を装備した狙撃型だ。彼らは各所に潜み、あらゆる場所から狙撃して攻略を妨害してくる。その一撃は大弓らしく重い。たとえタルカスでも、細い足場で集中砲火を浴びれば軽々とガードブレイクさせられるか、それよりも前に転落させられるかのどちらかだろう。

 加えて凶悪なのは上空だ。そこに飛来するのは、幾度となくDBOに登場する鐘守のガーゴイルと同じ青銅色のガーゴイルだ。尾の先端は斧となり、左手には円盾を装備し、右手にはハルバードを持つ、まるで竜のような体躯と翼という姿をしている。ネームド版とモブの2種類存在し、ネームドの場合は数で押し込むパターンが多い。

 アノールロンドに登場するのは非ネームドであるが、その性能は高く、炎ブレス型と雷ブレス型の2種類が存在する。自由にアノールロンドの空を飛び回り、強襲をかけてくるのだから始末に負えない。だが、真に恐ろしきはガーゴイルの『乗り手』。竜狩りの大弓を装備した銀騎士たちだ。

 彼らは飛行するガーゴイルの背中から大弓で狙撃してくるのだ。地上の銀騎士やレッサーデーモンに気を取られていればいきなり大矢で貫かれてしまうのである。これが足場の狭い細い屋根を伝うアノールロンド潜入の難関で襲い掛かれば、どうなるかは言うまでもない。

 しかも彼はただ狙撃するだけではなく、投擲用の槍を上空から放るのだ。それは言うなれば絨毯爆撃であり、無数と銀色の槍が降り注ぐのだ。攻撃頻度は少ないが、これを使われた日には一網打尽もあり得る。

 およそ絶望的な難易度。ラジードが今まで経験した中でもトップクラスの難関である。それだけにショートカットはほぼ確定しており、1人でも突破できれば構わないのは後継者なりの難易度調整か、そもそも1人として突破させないという殺意の表れか。どちらなのかは言うまでもない事だろう。

 

「射撃部隊はガーゴイルのヘイトを稼いで地上に降ろすんだ。1度地上に降りれば騎乗している銀騎士も含めて低空戦闘モードに入る。そうなれば高度からの狙撃の危険性は大きく下がるはずだ。次に細屋根の突破だけど、1度でもガードをすれば集中砲火を浴びて落とされる危険性がある以上はタルカスさんを始めとしたタンク部隊ではなく、回避を主体とした突破力が求められる」

 

 説明するディアベルであるが、あくまで確認作業であり、既に役割分担は終わっている。突破を試みるのは回避を得意とするヴォイド、スミス、主任の3人だ。リロイやタルカスとった重装や主なアタッカー達はレッサーデーモンや銀騎士を集める役割を担う。前者は一撃でも狙撃を浴びれば落下死、後者は囲まれてタコ殴りの危険がある。

 ラジードの役割はガーゴイルの討伐だ。射撃部隊が降下させたガーゴイルを1体でも多く討伐し、彼らが襲撃されるリスクを抑える。ガーゴイルの強力な攻撃と騎乗する銀騎士の援護は生半可ではないので、彼の役割も重要だ。彼と仕事を同じくするのはエドガーとライドウである。どちらも細屋根突破チームに配属されていないのは、エドガーの場合はラジードと同じくガーゴイル討伐の為の戦力、ライドウの場合はクラウドアースのランク2を死亡率が高い難所にいきなりぶつけたとなれば対外的に聖剣騎士団の面目を保てなくなるからだろう。

 なお、好きにしろと言われているのがグローリーであり、彼ならばその規格外さで大いに戦場にプラスの意味で引っ掻き回すことだろう。断じて精密な任務を任せられるようなタイプではないからではない。

 

「気負わなくて良い。キミは自分の任務をやり遂げろ。これは私の仕事だ」

 

 緊張を見抜かれたのだろう。ラジードの肩を叩き、スミスはいつものように紫煙を漂わせる。今日の彼の装備は右手がライフル、左手がレーザーライフルだ。アノールロンドに場違いであり、そして彼の群を抜いた射撃中心の戦闘スタイルを象徴する。

 

「作戦開始! 各自健闘を祈る!」

 

 ディアベルの号令と共に射撃部隊が次々と矢を放ち、飛行するガーゴイルたちを誘き寄せる。さすがに距離があるのでダメージは期待できないが、ヘイトを稼ぐには十分であり、早速とばかりに7体のガーゴイルがこちらを向く。その際に投擲槍をばら撒き、地上に次々と槍が降り注ぎ、逃げ遅れた3名の射手が貫かれる。

 

「た、助けてくれ!」

 

 この投擲槍の真の恐ろしさは攻撃力ではない。高い貫通性能と拘束性能だ。分厚い鎧でも容易く貫き、そのまま地面に縫い付ける。身動きが封じられたプレイヤーなど幾らでも料理できるのだ。

迫る銀騎士の槍軍団。彼らは拘束されたプレイヤーに対し、独特の構えから突進突きを繰り出す。それは雷を帯びた高速突きであり、ラジードは咄嗟に前に出て特大剣で防ぎ、そのままかち上げ斬りに繋げる。さすがの銀騎士も特大剣の一撃を受ければ怯まずにいられない……わけでもなく、バランスこそ崩すがそのまま反撃に転じて来る。

 ただ特大剣を振り回せば勝てるほどにDBOは簡単ではない。それは分かり切っていることだ。特大剣使いはクレバーでなければならない。冷静さを失って振り回せば死ぬ。ラジードは4体の銀騎士に包囲されながらも、落ち着いて回転斬りで周囲を薙ぎ払い、そのまま1体に強烈な突きを繰り出して彼らが持つ銀の盾ごと押し飛ばして突破口を作る。

 ラジードが危険を受け持っている間に拘束されていた射撃プレイヤー達は救出され、ラジードに感謝の言葉も程々にして後退し、相討ちしない程度に攻撃を開始する。彼らもまた上位プレイヤーだ。腕は十分であり、集中攻撃された銀騎士は盾で守られていない各所を貫かれていき、ついに膝をついたところを1人がヘッドショットを決めてトドメを刺す。

 

「うへ~、狼くんは熱血だね~。こんな序盤に足手纏いになる奴なんてどうせ死ぬのに頑張っちゃってさぁ」

 

 訓練中はおよそ考えられない私服姿だったライドウであるが、さすがのダンジョン攻略では装備を整えている。だが、それでも尋常ではない。革製のズボンと格闘戦を目論んだノースリーブ型の薄い上装備。防具はそれだけなのだ。両手両足には暗銀色の手甲と脚甲を装備しているが、およそ防御という概念を捨てている。

 だが、それは彼の攻撃能力がランク2である証。銀騎士の剣を、槍を、飛来する大矢を次々と躱したかと思えば殴打し、蹴り倒し、吹き飛ばし、粉砕し、踏み潰す。

 喧嘩殺法でもない。かといって武術と呼ぶには言い憚れる。敢えていうならば、クゥリの戦い方……『殺し』に特化されているように思えた。

 これが格闘最強とも誉れ高いライドウの戦い方。彼の周囲には次々と銀騎士がポリゴンとなって砕ける光の粒子が舞い上がっている。攻撃速度が人外過ぎて、サウンドエフェクトを置き去りにしているように、彼だけが別次元にいるかのようだ。ラジードは言動こそどうであれ、見事としか言いようがないと納得する。

 

「ムムム! ライドウ、今日は『かなり調子が悪い』ようですね! ここは騎士として私が活躍するしかないようです!」

 

 銀騎士の狙撃を受けて膝をついた仲間の前に躍り出て大盾で雷を帯びた銀騎士の一閃を防ぎ、そのままシールドバッシュで跳ねのけたのはグローリーだ。彼はかつてSAOにいた1人のトッププレイヤーにして黒幕のように、大盾と片手剣を操る聖剣騎士団が誇るランク5だ。その態度は色々と問題を抱えているが、仲間意識が強く、騎士であらんとするが故にあらゆる窮地に駆けつける。

 

「今! 超必殺のグローリー☆ハリケーン!」

 

 大盾と片手剣を振り回しながら敵陣に突撃したかと思えば、銀騎士たちは次々と吹き飛ばされる。何をどうすれば、あんなふざけた攻撃が成立し、なおかつ機能するのか、ラジードには理解できない。およそ彼だけが別の理を生きているようだ。

 ポーズを決めるグローリーの背後に耐え抜いた銀騎士が迫る。だが、そこに跳び膝蹴りを食らわしたのはライドウだ。

 

「グロやんはやっぱり面白いね~。今度さ、一緒にプルプルバーガー食べ行こうよ」

 

「フッ! だったら替え玉3回でお願いしますよ!」

 

「モチモチで!」

 

「爆裂ゴー!」

 

 訳が分からない。だが、あの2人にはやはり奇妙な友情があるようだ。ラジードは降下と同時に青銅のハルバートを振り下ろしすガーゴイルの一撃を潜り抜け、逆にその頭部に特大剣を振り抜く。頭部攻撃で怯んだところに、背後にいた魔法使いプレイヤーの合図と共に左に移動する。唸るガーゴイルの胸部をソウルの結晶槍が貫き、更にそこに射撃部隊の矢や殺到する。

 

「ガーゴイルには魔法属性だ! 物理・炎は駄目だ! セオリー通りの雷は耐性が高いぞ! とにかく魔法属性攻撃を浴びせろ!」

 

「レッサーデーモンが12体! タンク共、踏ん張れよ!」

 

「ガーゴイルが降りるぞ! 今度は3体だ!」

 

 低空飛行しながら黄金の雷ブレスをばら撒くガーゴイルだが、影が舞い上がったかと思えばその尾をつかみ、騎乗する銀騎士が転落する。

 響いたのはショットガンの音色。エドガーが低空飛行したチャンスを狙って跳びかかり、そのままガーゴイルを操る銀騎士を至近距離からのショットガンで吹き飛ばしたのだ。背中から落下した銀騎士が復帰するより先に数人のプレイヤーが取り囲んでそれぞれの武器を振り下ろし、華美な銀の鎧を潰す。

 大聖堂の陰に隠れた銀騎士たちが次々と狙撃し、大矢がラジードの足下に突き刺さる。大聖堂まで駆け抜ければ、タンクの2人で何とか押さえ込んでいる巨人近衛騎士が祈りの姿勢を取っているのを確認する。

 

「奇跡だ! 回復されるぞ!」

 

 ラジードの指摘に対してタンク2人は慌てて武器を振るおうとするが、防御に意識が回り続けたせいで攻撃が遅れる。ただでさえ衝撃・スタン耐性に優れる巨人が全身に甲冑を余さず身に着けているのだ。装備している大盾と巨体に相応しい雷のハルバード、そして奇跡による全体回復。ネームド級は伊達ではない。阻止することができず、乱戦の戦場全体に奇跡の光が伝播する。

 超広範囲の回復能力!? ガーゴイルも含めてHPがほぼ全快するだけではなく、全てが奇跡の生命湧きのようにオートヒーリング能力を得たが如く山吹色の光を纏う。

 

「……まったく、見ちゃいられないわ」

 

 と、そこで巨人近衛騎士たちを囲んだのは、独立傭兵にしてサインズ唯一の複数名で構成された『傭兵団』。ギルド【アラクネ傭兵団】である。アラクネ傭兵団たちは一様にしっかりと防御を固めた黒の甲冑に旅用のマントを身に着けた姿だ。足回りを改良して機動力を確保した彼らは短剣や曲剣といったスピード重視の装備であり、リーダーの女の指示で素早く巨人近衛騎士たちに跳びかかっていく。

 

「野郎共! 脛と首を狙いなさい! それが巨人殺しのお決まりでしょうが!」

 

 男ばかりのアラクネ傭兵団に指示を飛ばす女頭領。彼女こそが傭兵ランク20の『3代目』アラクネである。アラクネ傭兵団は5つのルールに従って結成された変則的ギルドだ。

 

ルール1、アラクネ傭兵団は9名で構成する。欠員が出次第補充する。

ルール2、ギルドに加盟と同時に名前を捨て、以後は古株順に1~8番を以後の呼び名とする。

ルール3、最も強い者をリーダーとし、『頭領』と呼ぶ。

ルール4、メンバー全員は多数決による決議を求める権利がある。ただし、頭領は絶対的決定権を持つ。

ルール5、ギルド内恋愛禁止。

 

 サインズに登録できるのはあくまで『個人』の傭兵である為に、対外的には頭領が【アラクネ】となる。現在のアラクネ頭領は先代をデュエルで下してその座を奪い取った女傑だ。妙齢の女であり、混血であることを妖艶な顔立ちをしており、サインズの『「ブタ」と呼んでもらいたい女プレイヤーランキング』で第2位にランクインしたこともある。

 

「はい、頭領!」

 

「ハッ! 大ギルドのエリート様たちに傭兵の戦い方ってのを実演してやるぜ!」

 

「4番、毒を使え! コイツら毒耐性がかなり低いぜ! セオリー通りなら毒を使えば回復行動を取るはずだ! そこを狙うぞ!」

 

「油断するな! イレギュラーアクションに注意しろ! パターン化したと思ったところで一撃入れてくるのがこの糞ゲーの怖いところだからな!」

 

 リーダーは別格の実力者なのだろうが、彼女を含めた9名はいずれも大ギルドのスカウトを受けてもおかしくない程に場慣れしている。巨人のハルバードを軽やかに躱し、仲間の足が止まったところに突きが迫れば、小盾で身を挺して防ぎ、仲間が傷つけばアラクネの傍に控えるヒーラーが即座に回復させる。クロスボウ専門は着実にヘッドショットを決め、短剣二刀流は脛を中心に切り裂き、耐性が崩れれば傭兵団唯一の大物食いらしいランス装備が突貫して顔面を兜ごと潰す。

 彼らが次々と投擲するのは丸瓶であり、それは巨人に命中すればスライム状の紫の中身を付着させる。それはアラクネ傭兵団が用いることで有名な粘性薬品であり、アラクネ傭兵団が盗賊・テロリスト討伐で着々と功績を伸ばしている要因の1つでもある。

 レベル2の毒を発症し、巨人近衛騎士が奇跡を発動しようとする。デバフを回復するつもりなのだろう。だが、逆に言えばそれは絶好の攻撃チャンスであり、アラクネ自らが走り、ソードスキルの光を帯びた大斧槍の一撃を浴びせる。

 

「さすが最前線。タフね。でも……」

 

 ソードスキルを浴びてもなお健在の巨人近衛騎士に、アラクネ女頭領は大斧槍を突き出す。同時に先端がスライドして下がり、砲口が露になる。

 轟音と共に放たれたのはショットガン。ただし、それはキャノン砲であり、1発1発がプレイヤーならば装備・ステータス・当たり所次第ならば即死級である。元々は教会の変形武器の1つである銃槍だったらしいのだが、彼女好みの高火力に仕上げた結果、先端は大斧級の分厚い片刃の刀身を供え、ショットキャノンを搭載したものに仕上がっているらしいとの事だった。

 

「~~っつううう、手が痺れるわぁ。工房の連中にもっと反動抑制方面に仕上げろってオーダーしておかないと」

 

 胸部と頭部に大穴を開けて散っていく巨人近衛騎士を一瞥することもなく、アラクネ女頭領は指揮と戦闘を同時にこなすディアベルを睨む。

 

「こっちの仕事はアンタらがボスにたどり着くまでの道中の露払い。だけどね、攻略メインはアンタらなのよ。しっかりして頂戴。貰った金以上の仕事はしないわよ?」

 

「ははは、手厳しいね。だけど、キミが思っている程に俺たちは防戦一方というわけじゃないさ。そうだろう、皆!」

 

 ディアベルは苦笑しながら、想像以上に押し込まれている部隊を鼓舞するように敢えて大声を張り上げる。

 指揮官に求められるのは作戦立案能力と統率力、そして冷静な判断力だ。だが、それ以上に人々を鼓舞して士気を高めるカリスマ性は最も稀有な才覚にして必要な条件だ。

 特別な言葉は要らない。その一言が奮い立たせる。ディアベルの一声に部隊は活力を取り戻し、徐々にであるが、銀騎士とレッサーデーモン達を押し返す。

 ディアベルの声に力を貰い、その通りだとばかりにラジードは急降下してきたガーゴイルの胸部に、その降下速度を利用して特大剣を突き入れる。金属を擦り合わせたような絶叫を上げるガーゴイルにそのまま大剣を捩じ込んで振り抜けば、青銅の破片が飛び散った。

 まだ誰1人として欠けていない。このゲームでの真の敗北は心の敗北だ。絶望に呑まれた時に死は訪れる。最後まで諦めない者が、立ち上がれる者が、戦い続ける者が、生き残る権利をつかみ取る。

 

「あのガーゴイル、手強いぞ!」

 

「他とは動きが違う……『別格』かもしれない!」

 

 他のガーゴイルとは違い、あまりにも巧みに飛行するのが1体いた。それに騎乗する銀騎士は外観こそ同じであるが、ラジードは多くのネームドやボス戦で繰り返し体験した独特の悪寒……強敵特有の『視線』を感じ取る。

 まずい! あれは『意思持ち』だ! ラジードの焦燥はそのまま危機に直結する。あの銀騎士だけは陽動作戦に……ヘイト管理を利用した、スミス達の突破支援を正確に見抜いて誘導されていない。その狙撃精度も他の銀騎士とは格段に異なる。

 主任の武器、ピザカッターの愛称で親しまれる回転ノコギリが唸る。それは長柄のメイスと直結することで幾重の円盤状のノコギリが高速回転して刻む、独特のチェーンブレードだ。それは細屋根で次々と飛来する大矢を削っては弾き、削っては弾きを繰り返しているが、『意思持ち』の銀騎士の狙撃がヘッドショット寸前で掠める。

 違う。ギリギリで躱したのだ。どんな反応速度と察知能力なのか。主任は次々と飛来する『意思持ち』の大矢に完全対応し、自分が囮となる。こうなれば幾ら『意思持ち』でも簡単には撃ち落とせない。そうしている間にヴォイドが斬り込むも、道を塞ぐのは先程の梁の上とは違い、甲冑で身を守った銀騎士だ。幾ら貫通性能が高いとはいえ、衝撃もスタン蓄積も低い刺剣では怯ませられない。

 だが、ヴォイドの高速攻撃のテンポに完全に合わせるスミスの弾丸とレーザーが合わされば別だ。ヴォイドの一撃の度に正確にその攻撃点を銃弾とレーザーが射抜き、攻撃を倍化どころかそれ以上のものに仕上げている。ヴォイドも背後から自分ごと撃たれかねないリスクを承知で前に出続けるのは何たる豪胆か。

 

(あの場で1番地味なのはスミスさんだけど……あの人の腕前、人外だ)

 

 四方八方からの『意思持ち』を含めた大矢の狙撃を全て見切って囮に徹する主任も、狭い足場で盾も持たずに次々と現れる銀騎士相手に刺剣を振るうヴォイドも十分に凄まじいが、よくよく見れば彼らを援護するスミスは1番の規格外だ。彼はヴォイドの援護に並列し、飛来するレッサーデーモンすべての頭部に正確にヘッドショットを決め、なおかつ大矢に銃弾やレーザーを当てて軌道を狂わせて主任の負担を減らしている。それも気怠そうに煙草を咥えて揺らしたままだ。

 

「腕が。腕がぁあああああ!」

 

「あなたはここで死にません。まだ生きることが許されています。さぁ、共に祈りを。アンバサ」

 

 右腕を銀騎士に落とされて呻くプレイヤーが引き摺られて後方に下げられ、神灰教会の【聖者】ウルベインが奇跡で回復する。斬り落とされた腕はすぐに再生することは無いが、奇跡の回復にはダメージフィードバックを和らげる効果もある。また、ウルベインの落ち着いた声音で負傷者は冷静さを取り戻したようだった。

 他のヒーラーたちが魔力を惜しみなく使って援護で奇跡を使い続ける中で、ウルベインは温存しているのではなく、敢えて負傷者の治療に当たっている。パニックを起こした仲間は敵以上に危険であり、内部から崩壊させる。ウルベインが彼らを1人1人治療することによって全体の士気の低下も防いでいるのだ。

 そして、それを見抜いた『意思持ち』がガーゴイルに空を駆けさせる。地上を擦るような滑空と同時に青銅のハルバードを振るうガーゴイルによって陣形を崩され、囲もうとすれば斧が先端に付いた尾を振り回しながら炎ブレスを撒き散らす。それでも攻撃を仕掛けようとした1人に銀騎士は狙いを定め、至近距離からヘッドショットを決めた。

 血飛沫を思わす赤黒い光が散り、右目を中心として大矢で射られたプレイヤーのHPがゼロになる。緊迫感で満ちていた戦場に亀裂が入る音が聞こえる。

 

「【ウイロー】死亡! 団長、指示を!?」

 

 死亡した聖剣騎士団のメンバーの名前が叫ばれる。ボス戦でもない、アノールロンドの大聖堂に潜入さえも出来ていない。そんな場所で、これまで多く修羅場を潜り抜けてきた上位プレイヤーが脱落する。

 冷淡に告げるならば、ダメージを受けた時点で無理に攻め込まずに退いて回復手段を取るべきだった。無理に攻め込んだところをカウンターで狙われたのは自業自得だろう。だが、死亡したウイローも上位プレイヤーだ。多くの最前線を突破してきた猛者だ。ならば、十分に勝算とリターンがあり、最悪でも死亡することはないと踏んでいたはずだ。

 ならば、異常過ぎたのはあの銀騎士の対応力。彼は騎乗するガーゴイルに暴れさせるだけ暴れさせて、その上で正確に自分を討ちに来る敵を狙い定めて待ち構えたのだ。それは一般的に知られるAIの次元を超えた駆け引きである。

 

「回復優先しつつ、陣形を再構築するんだ! 誰でも良い! あの銀騎士を倒してくれ!」

 

 ディアベルの指示に真っ先に反応したのはグローリーであるが、彼は既に1人で巨人近衛騎士を相手取っている。8メートル超の長身に相応しいタワーシールドを備えた巨人近衛騎士は、並大抵では崩せないガード、高い防御力、膨大なHPを持つ。攻防の両面に優れている分、機動力は無いが、奇跡による広範囲回復持ちだ。率先して倒さねば戦場全体に影響を及ぼしてしまう。

 

「チクショウ! なんで、ここに巨人がいるんだよ!?」

 

 ラジードの隣で槍持ちの銀騎士の喉に相討ちで片手剣を突き刺し、左肩に突き刺さった槍を引き抜くプレイヤーが叫ぶように、巨人近衛騎士はアノールロンドに出現こそするが、大聖堂の門番として登場したことはなかった。考え得るとするならば、一定人数以上のプレイヤーが大聖堂前エリアに存在する場合にポップするように設定されていたのだろう。後継者の悪意あるトラップの1つ。多人数プレイヤーによる攻略部隊へのカウンターである。

 数の暴力には数の暴力を。ソロの場合でも大概にしろと言いたくなる戦力が出没するのは珍しくないDBOであるが、大規模で攻略部隊を派遣した日にはこうした大戦力とのぶつかり合いも珍しくない。特にソロとは違い、パーティどころかレイドクラスの攻略部隊なのだ。もはや、大聖堂前の大階段には銀騎士の軍勢が揃い踏みである。

 だが、それを抜きにしてもアノールロンドは異常だった。無限湧きとも思えるほどの銀騎士の大軍と次々に出没するレッサーデーモン。幾ら隠し扱いのイベントダンジョンとはいえ、リソースが異常過ぎる。ラジードは特大剣を振り回して銀騎士たちの盾を崩し、仲間にチャンスを作ってから『意思持ち』の銀騎士を見据える。

 

「こういう大きな階段見てるとさぁ、誰かの背中を蹴飛ばしたくならない? ならないの? なっちゃって良いよねぇ」

 

 だが、それよりも先にライドウが動く。ディアベルの指示に応えたとは思えないような、純粋に目障りだったとしか言いようがない跳び蹴り。それは再び高度を上げようとしていた『意思持ち』の銀騎士の背中に直撃して地へと叩き落す。

 主を失ったガーゴイルの背に乗り、ライドウは強烈な踵落としをその額に打ち込む。墜落して動けなくなったガーゴイルとは対照的に、『意思持ち』の銀騎士は軽やかに着地すると大弓を捨てて腰の剣を抜き放つ。

 それだけではない。狙撃主の為か、盾を持っていなかった『意思持ち』の銀騎士は今まさに散っていく仲間の手より剣を奪うと二刀流となり、迫るプレイヤー達を高速で薙ぎ払う。

 

「させない!」

 

 他の銀騎士とは性能自体は大差ない……いや、同じはずだ。ならば、この銀騎士がこれ程までに強いのは何故なのか? 陣形をたった1体で崩壊させていく銀騎士にラジードはイヴァの大剣を振り下ろす。それを流麗に左手の剣で受け流した銀騎士は、そのまま右手の剣に雷をエンチャントさせて振り下ろす。

 ギリギリで躱せたラジードはそのまま重心を落とし、腰で溜めた横薙ぎを繰り出す。特大剣の重みを乗せた剛閃を今度は受け流せないと判断したのだろう。銀騎士は軽やかに後ろに跳んで回避したかと思えば、瞬時に踏み込んで左右同時突きを繰り出す。特大剣の分厚い刀身を盾にしてガードする。

 乱戦状態の中の奇妙な一騎打ち。銀騎士は乱舞するように剣を振るう。対するラジードもまた手傷を受けながらも特大剣の一撃を叩き込まんと踏み込む。

 

「ぜぁああああああああ!」

 

 気合の咆哮と共に繰り出されたかち上げ斬りが銀騎士の両手の剣を跳ね上げる。無手となってもなお格闘術に切り替えて迫る銀騎士の手刀が喉に潜り込む。ダメージフィードバックに耐えながら、声帯が潰されたのではないかと思うほどの衝撃を喉に溜めて、彼は特大剣を振るうと見せかけて銀騎士の体重がのった足首を蹴りで『刈る』。

 転倒した銀騎士が階段から転げ落ち、立ち上がるより先にラジードは渾身の力を込めて特大剣を投擲した。それは銀騎士の胸部を刺し貫き、そのHPをゼロにする。

 

「……お見事」

 

 称賛するように銀騎士は讃える言葉を残して四散する。それがラジードの心を揺るがせる。

 いつからだろうか? 獣狩りの夜からだろうか? ラジードの心を引っ掻くのは、『意思持ち』のAIたちを倒した時の奇妙な感覚だ。

 かつては大きな達成感があったはずなのに、彼らの言葉に感情が宿っているような気がして、時として自分など足元にも及ばない高潔な精神があるような気がして、彼らを倒すのは『殺人』と同じなのではないかとさえ考えてしまう時がある。

 

(考えちゃ駄目だ。今は戦いに集中しないと! 生きるんだ。生き残るんだ! この世界を……!)

 

 完全攻略の目途は立っていない。それが表向きな大ギルドの発表であるが、実際に多くの攻略に携わっているラジードは、既にいずれの大ギルドも……太陽の狩猟団も含めてDBOの『ラスト』を視野に捉えているような気がした。

 その時まで戦い続ける。自分1人では無理だとしても、自分以外の強い人々と共にギルドで戦い続ければ、必ず完全攻略の日を迎えることができる。

 1人だけならば良いだろう。自分だけならば構わないだろう。そうやって足を止めて我が身可愛さに引き籠もることは簡単だ。だが、その『1人』が増えていけば停滞と諦観が始まり、誰もが完全攻略という希望の光を見失うことになる。

 SAOとの決定的な違い……『どうすればラスボスにたどり着けるのか』が明確に提示されていないDBOにおいて、常に前進し続ける『1人たち』が『英雄』と呼ばれるのだ。ラジードはそう信じている。自分『だけ』が『英雄』になれるのではなく、この場にいる全員が……いや、完全攻略に向けて戦い続ける大ギルドの、中小ギルドの、傭兵たちの全員が『英雄』と呼ばれるに足るのだと。

 

「ショートカットが開いたぞ!」

 

「やった……俺たちはやったんだ!」

 

 ヴォイド達が無事にあの難関を潜り抜けたのだろう。1人の叫びが伝播して喝采を生む。ショートカット開通がトリガーになったのか、銀騎士たちのリポップは緩やかになり、やがて最後の1体がディアベルによって討伐された。

 

「死者1名か。まさか序盤で犠牲者が出るとはな」

 

「ああ。だけど、俺たちは止まれない。全員、回復作業を済ませたら大聖堂内に侵入する。すでにヴォイド達がギルド拠点を確保している。そこまで行けば安全だ」

 

 その銀の大槌グラントでどれだけの銀騎士を潰したのか、黄金甲冑のリロイはオートヒーリング効果がある盾のサンクトゥスの傷を気にする様子を見せながら、仲間の為に哀悼の祈りを捧げる。ディアベルもまた散った仲間に黙祷を捧げるも、今は前進を命令せねばならないと決意の眼を向けていた。

 

「アノールロンド、これは予想以上の難関のようですな。このエドガー、少々見くびっていました。覚悟していたとはいえ、こうも早くに死者まで出るとは」

 

 負傷者をウルベインの元に運んでいたエドガーの言葉の通り、これほどまでに厳しい戦いはボス戦でもなかなか味わえるものではなかった。だが、口振りの割には笑顔を崩さないエドガーに、ラジードは本当にタフな神父様だと尊敬を覚える。

 

「その割には余裕ですね。僕はもうヘトヘトなのに」

 

 大ギルドの攻略ともなればバックアップは万全である。後方待機していた同伴する聖剣騎士団の下部組織、中小ギルド【虹色ハーモニー】がラジードのイヴァの大剣の耐久度回復を申し出るが、それをラジードはやんわりと断りながらエドガーに疲労をアピールした。たとえ、今回は肩を並べているとしても聖剣騎士団と太陽の狩猟団は根深い対立関係にある。武器の情報を渡すような真似をしてはならない……というのはミュウからの指示だった。

 修理の光紛もタダではないのに。十分なバックアップを何の迷いもなく受ける聖剣騎士団の面々に比べれば、教会剣として参加した他のギルド出身者達は自主的にサポートを断らねばならない。無論、ディアベルはそれを見越して十分な修理の光紛とエドの砥石を準備しているのだが、これらはNPC販売していないアイテムだ。市場に出回るにしても限りがある上に価格は常に『上位プレイヤー』を基準として変動する。故にDBO序盤から稀にドロップするアイテムにしては常に高額取引の対象なのだ。

 

「このエドガーもナグナの『生き残り』です。あの時と比べるまでもありません」

 

「へぇ、神父様はナグナ帰りってのは本当だったのね」

 

 ナグナのワードで亡きベヒモスを思い出したラジードの肩に物理的重圧がかかってバランスが崩れそうになる。同時に鼻を擽ったのは甘い香水だ。思わず心臓が跳ねて振り返れば、そこにはアラクネ女頭領がいた。

 

「傭兵は金にはうるさいけど仕事の流儀にもうるさいのよ。ウチは現場で有料サービスだけど武器の修理を行ってるわ。もちろん武器・防具の情報は漏らさない。相場は通常の5倍だけど、ちょっとレアな修理箱を使っていて、軽い破損なら素材次第で修復も可能よ。【若狼】もコスト度外視しても『生存』優先したいなら、私の紹介で1割引きにしてあげるけど? 耐久度は回復出来ても破損修理までは無理でしょうしね」

 

 アラクネ傭兵団には≪鍛冶≫持ちがいるのだろう。≪鍛冶≫があれば使用できる携帯鍛冶箱は特筆すべきアイテムだ。言うなれば持ち運びできる工房であり、さすがに破損した武器の修理までは難しいが、その場で耐久度回復などが出来るのは大きなサポートである。だが、破損修理まで可能な携帯鍛冶箱などラジードも聞いたことがなかった。

 イヴァの大剣は荒々しい使い方をしたが、そもそも滅多なことでは壊れることがなく、性能も下がりにくいのが特大剣の強みだ。ラジードは首を激しく横に振って無言でお断りする。というのも、アラクネ女頭領は他の面々と同じで黒色の防具ながらも、煽情的にボディラインを露にするデザインだからだ。特にその豊満な胸部は谷間が見えるようにわざわざ細工が凝らされており、否応なく目が行ってしまうのは男の性というものだろう。そして、それも含めて狙ったデザインなのは言うまでもない。

 

「傭兵の間でも噂なのよ。聖剣騎士団と太陽の狩猟団の精鋭部隊を丸ごと呑み込んだナグナ事件。私達も事件の調査で何度か派遣されたけど、感染システムが凶悪で、事前に薬を準備していなかったら欠員補充しないといけないところだったわ」

 

 アラクネの言葉通り、ナグナ事件として知られる聖剣騎士団と太陽の狩猟団に傷を負わせた精鋭部隊壊滅……特にノイジエルとベヒモスの死は衝撃的だった。事件に関与しているとされる【渡り鳥】ことクゥリは詳細を語らず、ただ彼らの死の傍らにいたことだけは間違いない。そして、もう1人の生存者とされるエドガーもまた口を固く閉ざしていた。

 ラジードはエドガーよりベヒモスの顛末を聞かされているが、それもナグナの全貌を聞かされたわけではない。彼が生き残るために……脱出のために勇敢に戦い、そして死んだことだけだ。ナグナで何が起こっていたのか、それはエドガーも語らない。

 

「申し訳ありません。ナグナの真実は誰にも明かすわけにはいきません。私の口より真実を語らせることが出来るのは我が聖女のみ」

 

 アラクネ女頭領の追及を軽やかに躱し、エドガーはショットガンに弾詰めを始めた。

 

「そう。まぁ、別に良いわ。それよりもディアベルさんからの伝言よ。『作戦の第2段階決行。我々はすぐにでも移動する』ってさ」

 

 面白くなさそうに、だが小話に過ぎないと告げるようにアラクネ女頭領はラジードに笑いかけて自分の傭兵団の所に戻る。どうやら短い休憩時間も終わりのようだとラジードは溜め息を吐いた。10分にも満たない休憩であるが、それでもスタミナの回復には十分である。特大剣はスタミナの消費が激しいのでこの回復時間は大きな価値があった。

 次なるアノールロンドの大聖堂内のボス部屋探索はパーティ単位の分散となる。さすがにレイド単位の大部隊では通路を圧迫し、またしても大部隊VS大部隊による消耗戦に持ち込まれかねないからだ。パーティ単位ならば隠密ボーナスも幾分か減るとはいえ機能する範疇であり、エンカウントを最大限に下げられる。

 ラジードが配属されているのは、エドガー、ライドウ、スミス、主任、グローリーという……多くの意味で精神にダメージを与えかねない『とりあえず問題がありそうな連中を纏めて調整役2人程を突っこみました』という注釈が付きそうなパーティだ。

 ラジードは善意の意味でスミスを抜いてあげて欲しいと願う。彼は傭兵だ。ソロ慣れしているはずだ。ならばパーティを組まなくても良いのではないだろうか? なお、同じ傭兵であるはずのグローリーが強制的にソロから外されている理由は言うまでもないことだろう。

 

「僕もナグナの事は知りたいのが本音です。でも、誰も語りがらないという事は……秘密にしておかないといけないことがあるからですよね?」

 

「ラジード殿、そうして私に問いかけること自体が秘密を探る愚行となるでしょう」

 

 やんわりとエドガーに諫められ、それもそうかとラジードは頭を掻いた。

 物事はシンプルではない。だからこそ、好奇心に任せて深みを探ることは止めるべきだ。だが、ラジードは敬愛するベヒモスの死を受け入れこそしても、彼が巻き込まれたナグナで何が起こっていたのか、僅かしか知らないのだ。知りたいという気持ちにはどうしても嘘はつけない。

 

「狼く~ん、面白いもの見つけたんだけど、こっち来ない?」

 

 と、そこでラジードを呼ぶのはあろうことかライドウだった。彼が誘うのはタルカス達が起動した、レバーを回すことで上下移動する回転足場である。幾らこの周辺が一時的に『枯れた』状態とはいえ、単独行動は危ない。だが、そこは傭兵なのだろう。緊張した様子もなく集団から離れてこの僅かな休憩時間中も周囲を探索していたようだった。

 エドガーもラジードを呼ぶ事柄に興味があるのだろう。ライドウの誘いに乗ってみれば、彼が誘うのは回転足場の螺旋階段、上下させることでそれぞれの場所と接続されるだろう通路が開いた大広間だった。

 それはタルカス達が攻略した梁の真下だろう。本来ならば絵画守りたちが防衛についているはずだろうが、この様子だとライドウ1人に殲滅されたらしく敵影はない。

 

「デカい絵だよね~。なーんか不吉っていうか、寂しそうっていうか、スゴーいって感じしない?」

 

 ライドウの評価はともかく、ラジードは余りにも巨大過ぎるが故に気づけなかった絵画に驚きを隠せなかった。それは礼拝堂、あるいは教会に続く吊り橋を描いたものであり、まるで冷気が今にも伝わってきそうな程に雪景色に肌寒さを覚える。

 ダンジョンを彩るオブジェクトの1つ。そう割り切るのは簡単であるが、どうしても目を惹き付ける存在感は確かに不吉と呼べるものかもしれなかった。

 

「ふむ、もしや『エレーミアス絵画世界』かもしれませんね。ライドウ殿、不用心に触ってはなりません。情報通りならば――」

 

「およよ?」

 

 どうやら何か情報を持っているらしいエドガーの忠告よりも先にライドウが油絵のような見た目をした絵画に触れ、その右手が光の波紋と同時に吸い込まれる。ぎょっとしたラジードは慌てて駆け寄り、腕を、頭を、上半身を絵画に吸い込まれていくライドウの右足をつかむ。エドガーも珍しく今にも舌打ちしそうな顔をするとライドウの左足をつかんだ。

 

「ぐっ、この吸引力。まさかダイ〇ン!?」

 

「お、狼く~ん? キミって意外と余裕ある人ぉ?」

 

 足をジタバタさせて暴れるライドウを吸い込む絵画の勢いは緩まず、徐々に足も太腿が、膝が絵画に消えていく。STRを全開にして踏ん張るラジードであるが、これは明らかにダンジョン侵入の演出だ。プレイヤーの力では抗えないのは明白である。

 

「ラジード殿、過去に【奇妙な人形】に触れたことはありますか!?」

 

「えーと……ありません!」

 

「……ならば致し方なし! このエドガーには触れた憶えがあります! このままライドウ殿を絵画世界に単独で残すのは見殺しも同然! 私はこのまま共に吸い込まれ、内部でライドウ殿と共に救援を待ちます!」

 

 完全に吸い込まれたライドウの足を手放したラジードが触れたのは油絵特有のザラザラとした肌触り。対してエドガーはライドウに巻き込まれたように光の波紋に呑まれ、そのまま絵画の内に消える。

 取り残されたラジードは茫然とするも我を取り戻す。エレーミアス絵画世界? 聞いたことが無いが、隠しダンジョンの類だろうか? だが、そもそもアノールロンド自体がイベントダンジョンなのだ。ならば、ダンジョンにもう1つ別のダンジョンの入口があったことになる。

 早く2人を救出しないと! ラジードは巨大な絵画を1度だけ振り返り、出発を待っている本隊に事態を報告すべく駆けるが、足に何かを踏みつけて滑り、危うく転びそうになる。

 

 

 ラジードが踏みつけたのは『泥』だった。不快なほどに悪臭がする……『何か』が蕩けてドロドロになった泥である。

 

 

 それは屋外の壁から滴っていたようであり、絵画を安置する大広間よりも下、恐らくは上下駆動の回転足場を更に下に動かせば行けるだろう、別の入口まで染め上げている。背筋を舐められたような悪寒がする中で、その正体を見極めたいと縁から身を乗り出したラジードであるが、今はそんな場合ではないと興味を振り払った。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 凍えるような寒さはまさに永遠の冬模様に相応しく、揺れる吊り橋の向こう側は吹雪となって望むことはできず、また歩いても何処にも到達することはないだろう。

 穢れを知らないような白雪に彼は己の『聖女』の白髪を重ね、踏みつけたくないと願うもそれも許されず、1歩の度に『聖女』を賛美して罪を贖おうと誓う。

 

「どうだったぁ? 迫真の『演技』でしょ~?」

 

 だからこそ、ヘラヘラと嗤って胡坐を掻いているライドウに殺意を覚えながらも、エドガーは深呼吸を入れる素振りも無く『にっこり』と笑う。

 

「彼は人を疑うのが苦手な御方です。彼は権謀術数を張り巡らせる組織の『頭脳』ではなく、あくまで『戦士』の器。よもや、これが『作戦』とは考えもしていないでしょう」

 

 そういう意味では『騙す』相手の選択は正しい。ラジードは善人であり、お人好しであり、そして組織を率いるには狡猾さと猜疑心が足りない。統率力も高いわけでもなく、人を惹き付ける才覚はあってもそれは組織を率いるものではない。

 あくまで『象徴』としてなり得るもの……【聖域の英雄】と性質は同じなのだ。『戦士』の器であり、戦場で『英雄』として人々の希望になれるタイプだ。それはエドガーも多いに評価している。だからこそ、裏で張り巡らされる陰謀や取引には疎い。

 何よりも今回の『作戦』の決行の為に、ライドウは事前にラジードについて調査し、絵画世界入りできないことを掴んでいたのだろう。戦闘狂ではあるが、馬鹿ではない。それがライドウという人物だ。

 エドガーが見回せば『先行潜入』したクラウドアースの部隊が既にキャンプを張っていた。

 今回のアノールロンド攻略作戦。その裏ではもう1つの作戦が『ディアベルの発案』で進められていた。それが『クラウドアースによる』エレーミアス絵画世界攻略である。

 アノールロンド攻略。その為には自陣営だけの戦力・情報では被害が大きくなり、来たるギルド間戦争に拭えぬダメージがあり得ると考えたディアベルによる、早期のアノールロンド攻略のための取引。それがクラウドアースにエレーミアス絵画世界の占有権……正確に言えば、内部の有用なアイテムなどを譲渡する代わりに、教会経由で戦力派遣の工作を行ってもらいたいというものだった。

 本来ならばクラウドアースでも神灰教会は容易に動かせない。だが、ディアベルがエドガーを動かす出汁にしたのは、エレーミアス絵画世界には彼が収集に熱意を注いでいる聖遺物が存在すると掴んでいたからだ。エドガーも聖遺物の回収を邪魔しないならば、教会剣の派遣にも協力を受け入れた。無論、これはエドガー以外の教会の人間は知らない。盟友にして【聖者】の異名を持つウルベインは露ほども疑わずに今頃エドガーの安否を心配して祈っているだろう

 しかし、これに面白くないのは太陽の狩猟団だ。教会剣としての参加は義務付けられていないが、『表面上でもギルドの垣根を超えて協力し合う』という融和アピールを先に提示した聖剣騎士団とクラウドアースに対して、被害を出したくないからと自陣営の教会剣は参加させないと宣言すれば、太陽の狩猟団は『ギルド間の友好を妨げているのは太陽の狩猟団の方だ』という攻撃材料になりかねないからである。

 それでも派遣するからには蜜を貰う。それは当然の権利であり、太陽の狩猟団も納得していたようだが、どうやら妨害工作を行っていたのは明白だった。もしかせずとも、既にアノールロンドの大聖堂内には太陽の狩猟団の者が忍び込むのは無理にしても、攻略部隊の中に潜んだ手の者が妨害活動を始めるかもしれない。

 だが、それはエドガーの興味の範疇外だ。アノールロンドのボスを倒した先に『何』があるのかは大よそ見当がついている。そして、その上でディアベルがどのような行動を取るのかも想定しており、また幾つかの『打診』も事前に受けている。

 

(……無論、並の者では【処刑者】スモウはともかく【竜狩り】オーンスタイン卿を倒せるとは思えませんが。【竜狩り】はアルトリウス卿も四騎士の長として認めた程の実力者にして、名を禁じられた太陽の長子の筆頭騎士。かの【深淵歩き】と同等とまでは思いませんが、最強格である事には疑う余地もありません)

 

 武勇だけならば四騎士最強の【深淵歩き】のアルトリウスに対し、あらゆる面で秀でた【竜狩り】オーンスタインはオールラウンダー。だが、単純にトータルスペックが高かったのではないことは多くの伝承で明白であり、彼は雷の如き速さを有しており、神々においても『高貴』とされる雷の力を使いこなす。

 人間の『限界』を突きつけられている。もはや数を頼りにした攻略の限界だ。今回の序盤で分かったように、もはや数を頼りにするならば相応の被害……死者は免れない。そして、現実の軍隊とは違い、DBOにおいて攻略参加級の戦力を増やすにはコストがかかり、また人的資源の限りもある。幾らDBO内の『人口』が増えているとしても、その過半は現実に肉体を持たない者たちなのだ。

 

(既に現実に肉体を持つ『帰る場所』があるプレイヤーはマイノリティ。ディアベル殿の生死がどうであれ、十分に利用させてもらいましょう。そう、全ては灰より出でる新たな神をお迎えする為に)

 

 その為にもこの絵画世界……『帰る場所がない者たちの最後の居場所』から探し出さねばならない。彼には必要なのだ。神灰教会の……いや、新世界の未来のために。

 

「さーて、それじゃあ、のんびりとぶち殺しちゃおうか? あ、神父。俺の邪魔はしないでね~。ボス級を1人で倒せるチャンスなんて滅多にない機会だしさ」

 

 そして、このライドウという男は馬鹿でこそないが、大局を見ない。見ようとしない。ただ自分の欲望のままに戦う傭兵だ。彼は自分の名誉や評価を気にしない。自分の価値観が全てだ。極論でも何でもなく、自分以外はどうでも良いのだ。極めて自己中心的であり、それ故に自己の価値観を決して崩さないグローリーとは気が合うのだろう。だからこそ、今回のような傭兵としての経歴に傷がつく『間抜け』としか言いようがない演技をすることも厭わない。

 彼の狙いはエレーミアス絵画世界のボス、【半竜プリシラ】だ。正確にはそのソウルを持ち帰ることが『傭兵として』与えられた仕事である。ただし、事前情報の限りではプリシラは好戦的な性格ではない。脱出方法が限られているエレーミアス絵画世界において、プリシラとの接触がそのカギとなるのだが、戦闘の必要性は『ボスとして』存在するかどうかは不明なのだ。

 たとえ、戦う必要がないボスだとしても、ライドウは躊躇なく攻撃するだろう。ソウルが欲しいから? 否である。彼は『戦いたいから戦う』のだ。『自分が戦うならば、相手は存分に応戦して楽しませるべきだ』と考えている。ただそれだけなのだ。

 正しく戦闘狂。自らの悦楽の為だけに闘争を貪る者。彼が渇望するのは死闘に次ぐ死闘であり、最上の殺し相手だ。ボスですら彼を満足させられなければ唾棄すべきゴミに成り下がるのだ。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 嵐が嘘のような晴天とアルヴヘイム史上最大のスキャンダルなど虚ろで見た夢だったような穏やかな風。目覚めたレコンは大きく背筋を伸ばし、欠伸を噛み殺す。

 現在、レコン……もとい、【聖域の英雄】ことUNKNOWN一行は西を目指して移動中である。アルヴヘイムを震撼させたティターニアの告白より既に3日が経過し、世は騒然としているかと思えば、元より暁の翅が起こした反オベイロンを掲げる大クーデターによって戦乱の世だったのだ。人々の生活に今更の変わりはない。

 レコンたちが目指しているのは黒鉄都市であり、オベイロンを守る結界を解除する『証』があるとされる黒火山だ。彼らはこれより暁の翅の軍勢に合流し、黒鉄都市の攻略戦に参加し、そのまま黒火山に侵入する予定になっている。

 既に暁の翅の総司令官にして新王であらんとするギーリッシュは、続々と傘下入りを表明する諸侯を等しく平らげる勢いだ。ティターニア教団も協調を示し、オベイロン打倒の際には戦列に並ぶことを約束している。とはいえ、昨日まで殺し合っていた間柄がいきなりスクラムを組んで一心同体の如く振る舞えるわけでもない。溝は深く、指揮系統は統一の様子も見せないという、下手をせずとも烏合の衆になりかねない状況であるが、それでも殴り合いを止めて手を組むことになったのは大きな進歩だろう。

 もはやアルヴヘイムで反オベイロン派に靡かない者は排斥の対象である。それは蔓延していた深淵への恐怖心とオベイロンへの密やかに募っていた先祖代々の不満、そして執政者の煽動が大きな要因だろう。

 オベイロンが深淵に与していた。それは『どうしてアルフは翅を持つのか』というアルヴヘイムの住民がどうしても口に出来なかった真実を解き明かすには絶好のストーリーだ。オベイロンは自らの権力を示す為にアルフに飛行能力を与えたのだろうが、それがそのまま裏目に出てしまったのである。

 いや、最初からアルヴヘイムの住民など歯牙にもかけていなかったのかもしれない。井戸から冷水をくみ取り、桶に張った水で顔を洗ったレコンは危惧するのは、この穏やかな時間そのものだ。

 もはやオベイロンがアルヴヘイムで再び返り咲くには世代交代を待つほどの時間が必要だ。彼の信頼は地に堕ちたのだ。ならば、もはやなりふり構わずに反抗勢力を根絶やしにする勢いで深淵の怪物たちを放つのかと思えば、それらしい事件は耳にしなかった。ティターニアの告白の翌日には都市の3つか4つは滅ぼされたとという大ニュースでも聞く事になるだろうと覚悟していたが、思わぬ拍子抜けにレコンは身震いしたほどである。

 

(オベイロンにはアルヴヘイムの軍団を纏めて相手取っても勝てる策がある? だったらこの静観も理由があるとするならば――)

 

 そこまで考えたレコンは頭を振る。余計なことを考えるべきではない。あれこれ頭を使った挙句に自分が引き起こした惨劇を忘れるなと、桶を浸す井戸水にロズウィックの末路……自分が叩いて、磨り潰して、砕き尽くした肉塊を思い出し、喉が引き攣って嘔吐しそうになる。だが、まだ嘔吐が実装されていないDBOにおいてはぜーぜーと呼吸と共に唾液が飛び散るばかりであり、胃液特有の喉を焼く感覚も舌を焦がす酸味も無い。

 

『そうか。ロズウィックは「戦死」したんだね? 尊い犠牲だ。彼の死は余さず活用しないといけない。そうだろう、レコン君?』

 

 まるで官軍の如く宗教都市に馳せ参じ、ティターニア教団と講和及び同盟を結ばんとしたギーリッシュはレコンを罰しなかった。彼からすれば、『自主的』にロズウィックを始末する為に奔走したレコンには『まだ』利用価値があるからだろう。事の顛末を知るのはレコンとリーファだけであり、それ以外の生存者はいない。

 ギーリッシュの肩を叩く手には、以前ならば歓喜しただろう労いと称賛が含まれていた。それがレコンには磔にされた自分に向けられた槍の如く死の恐怖を覚えた。

 恐ろしかった。自分がどれだけの命を奪ったのか、ロズウィックを殺した事実が、ただただ恐ろしくて気が狂いそうだった。

 残る『証』は2つ。穢れの火とシェムレムロスの兄妹だ。黒火山を守る黒鉄都市はオベイロンの保護下にあり、女王騎士団に匹敵する、あるいはそれを超える軍備を誇るアルヴヘイムのボスだ。その攻略戦は苛烈を極めるだろう。

 オベイロンを倒すにはどちらにしても必要な戦いだ。ギーリッシュの参加要請を蹴る理由は無かった。むしろ、アルヴヘイム中の戦力が集まりつつある現状こそ、ようやく黒鉄都市を攻略する目途が立ったと言うべきだろう。

 だが、今のレコンには派手に大軍がぶつかり合う戦争の風景に心躍ることは出来なかった。そこに広がる屍の数に恐怖を覚えることしかできないだろう。勝敗関係なく、戦場を浸す死に心を貪られるだろう。

 自分はこんなにも『弱い』のだ。零れる唾液もなくなり、ようやく喉の痙攣も収まったレコンは自嘲する。だが、負けるわけにはいかない。ロズウィックを殺した罪への償い。たとえ、誰も罰する者がいなくともレコンは渇望するだろう。贖罪を求めるだろう。それで許されることはなくとも、いつかは自分を許せる日が来るかもしれないと甘い幻想に縋るのだろう。

 罪と向き合う。それは途方もない重みを背負うことだ。そして、リーファが今もレコンの罪を隠してくれている意味を理解しない程に、彼は愚鈍でも自惚れてもいない。

 リーファは信じているのだ。自分の罪には自分で決着をつけるはずだとレコンを信じているのだ。ならば、それに応えなければ男では……いいや、『人』ではない。

 罪悪感を抱く。それはまだ自分の心が生きている証拠に思えた。罪を『罪』と感じられる心。それは苦痛を生むと同時にレコンに道を示す。何処に続くとも知れない、そもそも舗装さえもされていない、暗闇と濃霧に満ちた道をもたらす。

 

「それにしても不気味だなぁ」

 

 気持ちを切り替えろ。そう言い切れる程にレコンの罪悪感は簡単に拭えるものではない。だが、それに捕らわれて何も出来なくなるならば本末転倒だ。レコンは改めて周囲を見回したのは黒鉄都市に続く街道、その途中にあった農村である。だが、住人は1人としていない。彼らが訪問した時点で名も無き村の人々は老若男女問わずに失踪していたのだ。

 生活の名残はある。つい昨夜まで夕飯を囲んでいたように、畑を耕していたかのように、この村で確かに人々が息づいていたと示す証拠はある。だが、肝心要の住人が1人として残っていないのだ。

 歓待されるとは思っていなかったが、まさかの無人は恐怖心を煽る。それでも野営よりもリスクが低いならばと勝手に村の住居を利用させてもらっているが、レコンもそうであるが、彼らを黒鉄都市に送り届ける暁の翅の輸送部隊たちはオベイロンの密やかなる攻撃だと怯えていた。

 と、そこでレコンが耳にしたのは激しい衝突音だ。それは金属ではなく木材がぶつかり合うような乾いた音であり、それに誘われるようにレコンは無人の農村の、瑞々しい野菜が放置された畑の方に向かう。

 この村の特産品なのか、スイカと見紛うほどの巨大トマトが茂る畑で剣戟に興じるのは老若の2人。

 1人はアルヴヘイムでも有数の手練れにして老兵のヴァンハイト。左手にスモールレザーシールドを、右手には訓練用の木剣を装備している。木剣はリーチがやや乏しくも取り回しが良いショートソードを模したものだろう。

 対するのは仮面の剣士にしてDBOでも屈指のプレイヤーでもあるUNKNOWN。両手に長めの片手木剣を装備し、二刀流で果敢にヴァンハイトに斬りかかっている。

 互いに得物は訓練用。ならば、これは修練……目覚めて1番の朝練であることは容易に想像がつく。だが、それはレコンの目からすれば訓練の領域を超えた、互いの命を張った死闘にさえも映った。

 柔らかな畑の土を台無しにする強烈な踏み込みと同時に、ヴァンハイトの横薙ぎを躱しながら同時突きを繰り出すUNKNOWNに対し、老兵は巧みに左手の盾を利用して剣閃を逸らす。ガードではなく、傾斜に優れぬレザーシールドで息をするように受け流す様は見事だ。だが、そのまま木剣を弾き上げられて懐に入るより先にUNKNOWNは右手の木剣を切り返し、左手の木剣でヴァンハイトのカウンター突きを防ぐ。そのまま即座に再度右手の剣を振り下ろすも、これもまた老兵のガードを崩すに足らない。

 リーチも手数もUNKNOWNが上だ。だが、ヴァンハイトは左手の盾を巧みに操って攻撃を防ぎ、テンポを崩し、右手のショートソードを模した木剣で着実に隙間を縫うように攻撃を差し込む。

 不思議だ。レコンの目から見ても実力はUNKNOWNの方が上のはずなのに、戦闘も圧倒的にUNKNOWNの方が優勢のはずなのに、ヴァンハイトを崩せない。

 

「……ぐっ!」

 

 焦ったようなUNKNOWNの仮面に隠された口より漏れた吐息。それは彼の卓越した剣技にある種の強引さを生み出し、ヴァンハイトの突きを左手の木剣で弾き上げる。そして、そのまま右手の木剣がヴァンハイトを薙ごうとした時だった。

 目まぐるしい剣戟の全てを見切れなかったレコンでも分かる程に、UNKNOWNの剣速が落ちる。それを見過ごさず、ヴァンハイトは剣の間合いの更なる内に潜り込み、スモールレザーシールドによる強烈なバッシュを胸部にお見舞いする。

 吹き飛ばされたUNKNOWNは黒いコートを翻して姿勢制御し、無様に背中から倒れることは防ぐが、これにて訓練は終わりとばかりにヴァンハイトは剣を持たぬ右手を突き出した。

 

「そこまで」

 

「……ありがとうございました」

 

 約束の塔の1件で砕けた仮面の左目部分、そこから覗かせる黒の瞳は疲労感で滲み、また悔しさで震えているように思えたのは見間違いではないだろう。物陰から見守るレコンは思わず耳を澄ませる。

 

「二刀流よ、お前さんの悪い癖だな。なまじ実力が高過ぎるからこそ、焦ると強引な攻めに変じやすい。それは剣技に淀みを生み、死を呼ぶ隙を作る。何よりも、前にも増して『人を斬る』ことへの恐怖心が強くなったようじゃな」

 

 ヴァンハイトを斬るはずだった木剣。それがどうして目に見えて鈍ったのか。それは老兵の言う通りの『人を斬る』という対人殺傷への恐怖心が成すものならば、UNKNOWNは対人戦において大きな弱点を持っていることになる。だが、そのはずなのにヴァンハイトはむしろ嬉しそうに笑っていた。

 

「剣士はまず人を斬る恐怖心を踏破せねばならん。お前さんがワシを斬ることを恐れたということは、まさに剣士としての初心を取り戻したということだ」

 

「……ヴァンハイトさんはどうやって乗り越えたんだ? 人を斬る恐怖心をどうやって払拭したんだ? 殺したことに罪悪感は覚えなかったのか?」

 

「さぁな。ワシも初めて人を斬った時は無我夢中だったからよく憶えておらん。ただ『生きたい』という一心だった。誇りもなく、優越感もなく、生き残れた安堵以外に無かった。命を取り合っているんじゃ。相手の死の責任を背負うなどやってられんわい」

 

 腰を叩く老兵の言葉通りかもしれない。生存のためならば、あらゆる行為が肯定される。敵の死に責任を持つなど一々していられる程に余裕があるはずもない。

 だが、UNKNOWNが尋ねたいのはそんな事ではないのだろう。命と命の奪い合い。その中で感じる確かな罪悪感。どうして自分は剣を握っているのか。自分が殺すことに正義などなく、あるのは命を簒奪した咎ならば、それをどう消化していくのか。

 UNKNOWNが約束の塔で『何』をしたのか、それはレコンも知らない。何となく察しているが、レコンと同様に……いや、それ以上に精神の限界にあった彼の奇跡的な立ち直りに影響を及ぼさない為にも追及は控えているのだ。だが、彼の行いは少なからずの暁の翅とティターニア教団の軋轢の原因にもなっているようだった。

 ティターニアを取り戻す。それはUNKNOWNが何よりも優先していた目的だった。だからこそ、それを邪魔する警備の騎士や兵士、そして戦う術も乏しい聖職者さえも斬った。

 敵ならば排除しなければならない。それが戦場であるが、UNKNOWNの場合は言うなれば私闘だ。彼個人の大義はあるにしても、あの場での殺しを肯定する組織としての保証はなく、彼は私利私欲のままに斬り払った。

 

「人は千差万別。ならば戦場に立つ理由も十人十色。誰もが腹に覚悟を抱えてるわけじゃないわい。死に怯え、命乞いし、生き延びようと死力を尽くす。誇りを貫く為に、故郷や家族を守る為に、金を稼ぐ為に……多くの理由で戦場に立つ。二刀流よ、お前さんが人殺しをしたくないならば、道場の師範でも目指せ。それも立派な剣士の生き方じゃ。じゃがな、戦場で剣士として……戦士として生きるならば、『自分が生き残る』ことを肯定せねばならん。敵を殺した罪悪感以上に、自分を、仲間を、家族を生かして守る価値を知らねばならん」

 

「それが戦場の流儀なのかもしれない。ある人に教えてもらったんだ。能動的殺意……人殺しの肯定……きっとそういう事なんだと思う。誰かを殺してでも自分の命を守る。戦友や大切な人々を守る。だからこそ、自分を許す権利がある。でも……守る為でもなく、我欲のままに殺して奪うのは違う」

 

「なるほどな。私利私欲で殺せば盗賊と同列か。多くの戦場に列し、侵略に手を貸したワシには耳が痛いな」

 

 失言だと思ったのだろう。慌てた様子でUNKNOWNは弁明しようとするが、それを止めるようにヴァンハイトは首を横に振る。

 

「良い。二刀流よ、その感覚を大事にしろ。戦場で擦れてしまった老人にはもはや取り戻せぬものだ。じゃが、同じくらいに大局において自らの責任を問うなよ? 戦場の戦士にとって侵略も防衛も関係ない。自らの責務とは、自らが『何者』かで問われるだけじゃからな」

 

 UNKNOWNを畑に残して去るヴァンハイトは、物陰にいたレコンの隣を通り抜ける。その際に彼の眼はレコンも射抜いた。ロズウィックの死の真実はヴァンハイトも知らないはずだ。だが、そこに仲間殺しを咎める光を見たのはレコンの気のせいだろうか。

 取り残されたUNKNOWNは反復練習のように剣を振るう。それはヴァンハイトから学んだ騎士剣技。攻撃一辺倒ではなく、よりガードや受け流しを重視した型に思えた。ヴァンハイトの騎士剣技はオーソドックスな剣と盾を用いるものであるが、盾を持たぬUNKNOWNは早速それを二刀流に応用すべく噛み砕こうとしている。

 

「う~ん、やっぱり駄目か。そもそも盾を用いるのが女王騎士団の剣技だしな。こうなったら、俺も≪盾≫を――」

 

「いや、それは駄目でしょ!?」

 

 騎士剣技を使う為に、トレードマークにして【聖域の英雄】の代名詞でもある二刀流を捨てようとするUNKNOWNを止めるべく、見ていられなかったレコンは飛び出す。

 

「駄目か?」

 

 突然の登場に驚く様子もないUNKNOWNに、実は自分が隠れ潜んで窺っていたのは卓越した剣士2人には最初からバレていたのだと、改めてレコンは悶絶しそうになるが、それを抜きにして説得に取り掛かる。

 

「駄目ですって! 大体ですね、≪二刀流≫なんて強力なユニークスキルを持ってるんですから、それを活かす方法で強くならないと!」

 

 全プレイヤーが渇望する強大無比なるユニークスキル。所有しているだけで羨望と嫉妬を集める。そして、デスゲームと化したDBOにおいては何にも勝る英雄の証だ。それを捨てるなど勿体ない!

 枯れたと思った唾液を撒き散らす勢いのレコンの怒涛の叫びに、UNKNOWNは左手の木剣だけを背負い、右手の木剣を手元で弄ぶ。

 

「でも、別に二刀流に拘ってるわけじゃないんだ。むしろ二刀流よりも一刀流の時期の方が長いしさ。それに≪二刀流≫に頼り過ぎていた面も多い。それを見直す為にも初心に立ち戻るのも悪くないかなって」

 

「それと≪盾≫を取るのは別ですよ!? 大体、今から武器系スキルを取っても、どうしようもないでしょう!?」

 

「まぁ、確かに今から武器系スキルを取っても初期から獲得しているプレイヤーの熟練値に届くわけでもないけど、全くに無意味ってわけでもないさ。盾を使うなら≪盾≫スキルの有無はやっぱり大きいし、武器系スキルが無いとステータスボーナスも乗らない。スキル枠を消費して武器系スキルを増やすのも立派な戦略さ。それに武器系スキルを取れば裏ステで攻撃力に補正が――」

 

「でも、盾を使ったことがあるんですか!?」

 

 根本的な問題を突きつけるとUNKNOWNは顔ごと視線を逸らす。図星のようだ。

 

「昔はさ、剣1本で何処までも戦える。そんな世界に憧れていたんだ。平和な日常から抜け出して、『自分以外の誰か』になれる場所が欲しかったんだ。でも、デスゲームが始まって、生き抜こうと必死で、色々な人に出会っている内に、俺は『俺』として剣に生きることを心の何処かで欲していた。漠然とした『強くなりたい』って気持ちがあったんだ」

 

 レコンとUNKNOWNは顔見知りではない。むしろ、出会って数日どころか言葉を交わす回数も片手で足りるほどの関係だ。だが、UNKNOWNとレコンは既に互いが似た者同士だと察し合っていた。

 罪を背負う者。お互いの目を見た時に『同類』だと気づいてしまったのだろう。歩んだ道も、犯した罪も、そしてこれから目指す場所も違うとしても、彼らはシンパシーを覚えたのだ。

 

「今も同じなんだ。でも、『力』が欲しいとかじゃなくて、自分が何処までいけるのかを知りたいんだ。『力』に溺れるんじゃなくて、戦士として『強くなりたい』って気持ちは間違いじゃないはずだから。だから試したいんだ」

 

「そう……ですか。でも、それと≪盾≫を取るのは別ですから! もっと自分の適性と見つめ合ってくださいよ! あなたはどう見ても盾持ってガチガチにガードを固めるキャラじゃないでしょ!?」

 

 危うく感動のごり押しで流されるところだった! 胸倉をつかんで、実はまだ寝ぼけているのではないかと疑うに足るUNKNOWNを揺さぶるも、レコンの手を振り払った仮面の剣士は実に真摯な眼を輝かせる。

 

「でも、ヴァンハイトさんを見て思ったんだ。盾も悪くないんじゃないかって!」

 

「だ・か・ら! それと適性は別ですから! 大体、盾を持ったら≪二刀流≫使えないじゃないですか!? 剣と盾で≪二刀流≫って発動するんですか!?」

 

「いやさ、だからこの際もう≪二刀流≫は要らないかなーって」

 

「起きてください! ここ現実! 仮想世界でも現実ですから! 夢から帰ってきてください!」

 

 冗談だよ、冗談。そう言って息荒いレコンの肩を叩いたUNKNOWNに、絶対にジョークの類ではなかったはずだとレコンは確信を抱きながら膝に手をつく。

 

「僕も≪盾≫を持ってますけど、そんな良いものじゃないですよ。≪盾≫を持ってるだけで前に出されるし。そりゃ、UNKNOWNさんは接近戦慣れしてるかもしれないですけど、盾を持っているのと持っていないのとでは立ち回りが全然違うんです。意外と盾って重量があるから機動力も落ちるし……」

 

 盾でガード中は盾のみならず、全身にガード判定が及ぶ。盾とスキル熟練度に応じて防御力・スタン・衝撃耐性が上昇するのだ。これは武器によるガードにはない特典である。だが、その分だけ盾には相応の重量ペナルティが課せられている。機動力に影響を及ぼさない重量が低い小盾では恩恵が小さく、UNKNOWNが持ってはむしろ彼のスタイルを阻害するだけだ。

 

「レコンは≪盾≫も持っているのか? なんか一貫性が無いな。俺に忠告できないくらいにキミも色々と手を出し過ぎじゃないか?」

 

「……自覚はありますよ。見ます?」

 

 本来ならば、プレイヤーがステータスとスキルリストを見せるのは自殺行為だ。それは強みも弱みも明かすことになるからである。無論、スキル構成ならばある程度までならば推測もできるが、ステータスを含めた詳細を丸ごと明かすなど同じギルドの仲間でも滅多にないことだ。結婚によってアイテムストレージを共有した『夫婦』でも互いのステータスとスキルリストを自由に閲覧できないのである。

 それを抵抗なく見せるレコンの本意は別にある。というのも、彼は自分がUNKNOWNに適性を語れる立場ではないことは重々承知しているからだ。彼が≪盾≫を持とうなど言い出したのはある種の暴走かもしれないが、それを抜きにしても彼の抜きん出たバトルセンスには信頼を置いていた。

 

「≪戦槌≫・≪盾≫・≪魔法感性≫・≪信心≫……それに≪鍛冶≫か。ステータスもなんて言うか……」

 

 口ごもるUNKNOWNに、皆まで言うなとレコンは苦笑する。彼のステータスは極めて中途半端なのだ。

 生存重視にアンバサ戦士に落ち着いているが、だからと言って高位の奇跡を使えるほどにMYSが高いわけでもなく、仲間に惜しみなく援助できるほどにPOWがあるわけでもない。≪戦槌≫の火力を引き出す為のSTRも中途半端に高めたままであり、TECやDEXは最低限。ただし、生存重視の為にVITとCONは高めである。スキルもあれやこれやに手を出した挙句に極めるどころか二流のままだ。

 まさにレコンそのものと言うべきステータスとスキルリストだ。裏方で仲間への援助も中途半端であり、戦場では後方で奇跡を使ったヒーラーに徹することもできず、前線に立つには力及ばない。敢えていうならば、何処に配置してもそれなりの活躍は出来るかもしれない万能性かもしれないが、そもそも生存性を重視して高め過ぎたVITが妙に足を引っ張っている。

 

「僕に出来る事は少ないです。でも、何かがしたい。何かをしないといけない。UNKNOWNさんなら『何か』が見えるんじゃないかって思って……」

 

「このスキル構成とステータスなら……でも……」

 

 予想通り、UNKNOWNにはレコンを『活かす』方法が見えたようだった。だが、どうにも歯切れが悪く、破損した仮面から覗かせる左目には迷いがあるようだった。

 ハッキリ言ってください。そう伝えるべく、レコンは背筋を伸ばして正面から見据える。するとUNKNOWNは観念したように溜め息を吐いた。

 

「仮に『目指す』として、これからキミが得るべきスキルは大きく制限される。それに何より、大きな危険を担うことになる。それに何より、『これ』は誰にも強要することができない」

 

「言ってください。選ぶのは僕です」

 

「駄目だ」

 

 頑なであるUNKNOWNであるが、いずれはレコンも到達する回答だと察したのだろう。根負けして口を開く。

 

「……タンクだ。高VITとCON、それなりのSTR。MYSはそこそこあるから、装備条件が限定された、属性防御にも優れた盾も持てないことはない。ただし、STRが現行のタンク基準には及ばないだろうから、今のキミがタンクに転向した場合、DEXが低いキミの機動力はほぼ『死ぬ』ことになる。攻撃も回避も限りなく捨てた防御の『壁』。幸いにも≪ガード強化≫を持っているけど、≪盾≫を活かすスキルを本格的に揃える必要もあるから完全移行は遠い。それでも装備次第では可能なはずだ」

 

 それは確かにUNKNOWNの口からは言えないことだろう。なにせ『タンクをしろ』と告げることは『死んで来い』と命じるのと同義だからだ。だからこそ、大ギルドでもタンクだけは強要されない任意性となっている。

 ギルド内でステータスが条件的に満たしているからと嫌々押し付けられてタンクに転向したプレイヤーが何人も死んでいる。ならばこそ、たとえ可能性でも今のレコンに提示するのは危ういことだろう。

 タンクとは自己犠牲だ。揺るがぬ心を持って敵の攻撃を受け続けねばならない。自分の力で勝つのではなく、仲間が敵を倒すと信じて攻撃を受け続けねばならない。無論、補佐として攻撃手段を持つべきだろうが、それは二の次であり、タルカスのような高い実力者を除けばタンクはひたすらに防御に徹するべきなのだ。

 

「盾と奇跡による自己回復とバフ。それを完璧に使いこなせば、キミは『守護者』になれる。だけど、タンクは近接職でも1番死に近い。ましてや、キミの場合は機動力を大きく損なうのは確定だから退却も難しい。少しでも誰かに見捨てられたら、キミは戦場で1人だけ残されることになる」

 

 無論、フェアリーダンスの皆がレコンを見捨てて逃げ出すとは思えない。だが、UNKNOWNは『あり得るのだ』と釘を刺す。

 ごくりと生唾を飲んだレコンは、考える時間が必要だと思いながらも、同時にそれこそが贖罪の道に思えた。

 元より≪盾≫を持ったのは自己防衛の為だった。だが、ガードするとは敵の攻撃を受け止めるということであり、否応なく恐怖心が張り付く。故にレコンは盾を捨てた。武器を握り、奇跡を使うことによって敵との距離を取るようになったのだ。身を守るはずの盾を持つ恐怖を抱いてしまっていた。

 ロズウィックという仲間殺しの罪は、仲間を守り続ける肉壁となることでしか贖えない。いや、それは逃げ道なのだろう。そう思ってしまうのはレコンの『弱さ』なのだろう。

 ならば、必要なのは何だろうか? レコンがタンクを目指す上で必要な気持ちは何だろうか?

 仮にタンクを目指すならば、生半可な気持ちでは許されない。背を向けて逃げ出せば仲間の危険が増すのだ。

 

「……やります」

 

 今は分からない。だが、とにかく歩き出したい。罪から目を背ける為ではなく、自己満足のためでもなく、今の自分を変える為に……罪を贖う為に……戦いたい。

 栄誉など要らない。称賛も欲しくない。ただ胸を張って、自分を庇ってくれた……見捨てなかったリーファの信用に応えたい。だから、まずは『弱い』自分に楔を打ち込む為にも逃げ道を塞ごう。仲間の為に盾を構え続ける鉄壁であろう。

 リーファはきっと怒るだろう。死にたがりと罵るかもしれない。事実かもしれない。レコンも心の何処かで仲間を庇って死ねたらならば贖罪を成せるのではないかという想いが無いわけではないのだ。いや、むしろその気持ちが大きい。

 だが、いつかは贖罪意識と同じくらいに、真に仲間を守るという信念を宿して盾を構えられたならば、その時こそが本当の意味で禊の時を迎えるかもしれない。

 

「僕が死んでも責任を感じないでください。これは僕の決断です」

 

「そうは思えないな。だから……死なないでくれ」

 

 善処するとは言えない。そもそも、タンクなど今までの自分から最も程遠い役割だ。

 レコンは村の中央に戻ると運送部隊が黒鉄都市攻略を目指し、歴戦の戦士に譲渡する予定だった装備を馬車の荷台から引っ張り出す。それは約束の塔の内部で取り残されていた1人のアルフ……狂気的なまでのティターニア信仰者より剥奪された装備だ。

 重量ある甲冑はレコンの装備重量を限りなく圧迫する。超過こそしなかったが、これではメイスを握ることは不可能だろう。せいぜいが軽量な奇跡を発動する触媒であるタリスマンを装備するのが限度だ。≪格闘≫を持たないレコンは文字通りの攻撃手段をほぼ捨てたことになる。

 1歩が鈍い。この重量に慣れる必要があるだろう。顔面を覆うフェイスガードが視界を阻む。何よりも圧迫感があって呼吸が出来なくなるような錯覚に陥る。そもそもフルメイルなど初めてのレコンは、かつてこの装備を纏っていた者の狂信を示すようなティターニアの横顔が描かれた巨大な円盾を構える。

 自由に動くことは難しい。まさに生きた壁になることしかできないだろう。だが、今のレコンは短絡的であるとしてもこの道を進んでみたかった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

『夢だけど、クーに会ったんだ』

 

 その一言がシリカの『女』のプライドを木っ端微塵に砕いた。

 あの頃からそうだ。自分と『彼』の関係は傷の舐め合いから始まり、互いに依存し合って鉄の城で心を守った。だが、いつも彼を奮い立たせたのは自分ではなく、他の女でもなく、『彼』が唯一無二と認める相棒だった。

 ずっと分かっていたはずだった。『彼』が狂っていく様を傍で見続けたのはシリカだ。それでも『彼』を肯定し続けるのが正しいと信じた。それが『愛』なのだと思った。だが、それは結局のところ『彼』を苦しめる遠因になっていたかのかもしれない。

 ならばこそ、『彼』を立ち直らせるのが同じ『女性』ならば、まだ納得がいく。心に折り合いも付けられるかもしれない。

 だが、どうして、いつも、ここぞという場面で、自分でもなく、他の女たちでもなく、クゥリなのだろうか? しかも夢? あり得ない。あの白髪野郎のことだ。夜に忍び込んで、適当な誤魔化しを並べたのだろう。『彼』もそれが現実か幻か区別はついていないようだったが、それは重要なことではないのだろう。夢幻だとしても、『彼』はクゥリと出会い、語らい、そして立ち上がる事が出来た。それが『彼』にとって全てなのだ。

 感謝はする。だが、それと『女』としての敗北感は別である。ましてや、『彼』を愛してやまないシリカからすれば、自分の必要性を再度見直さねばならない事態だった。

 

「私だって頑張ってるのに……どうして?」

 

 そう溜め息を吐いたシリカがいるのは、ユージーンと作り上げた傭兵団の拠点である要塞跡だ。

 ようやくUNKNOWNと合流できたかと思えば、今度はユージーンが一筆も残さず失踪である。だが、街道での黒獣騒動は沈静化している以上は死亡したとは考え辛いが、生存者の報告によればランスロットの騎獣である黒獣パールが出現したらしく、高確率で交戦したと推測できた。そして、彼が戻らない理由は考え得る中でも最悪のパターン……サクヤの死を想像させる。

 レギオンプログラムに汚染されたサクヤを治療する。それはユージーンにとって自分の命以上に優先すべき事柄であったはずだ。サクヤはいかなる形であれ死亡し、もはや叶わぬ夢となったならば、彼は失意のどん底にあるだろう。

 だが、同時にユージーンという人物を少なからず理解したシリカに言わせれば、彼の反骨精神と闘争心ならば、サクヤを失った絶望をそのままオベイロンへの怒りにして滾っているはずだ。ならばこそ、オベイロン討伐に最も有力な暁の翅に合流することを拒む理由も見当たらない。

 ユージーンは単独で動いている。深淵狩りの契約を纏め上げ、対オベイロンに向けた戦力を結集させる。それが彼の目的であり、傭兵団もまたその1つである。その傭兵団は早速とばかりに暁の翅の吸収が始まっている。もはやユージーンが纏め上げる必要も無いだろう。

 それを見越して単独で動きやすくなって深淵狩りの契約を集めに? それとも、彼はオベイロンに立ち向かえぬほどに心傷ついているのだろうか? あるいは本当に死亡してしまったのか? 

 

「……私って無力だなぁ」

 

 最後の書類にサインを終え、あれ程に事務作業に従事していた木製の古びた長テーブルはすっかり片付いてしまった。もはや組織維持にシリカの奮闘は必要ない。

 テーブルに頬をつき、ぐってりしたシリカを励ますようにピナがテーブル上で翼を振るう。それはそよ風を運び、滲んだ汗が浮かぶ額を涼ませる。

 アルヴヘイムはともかく、現実世界と終わりつつある街はまさに夏真っ盛りだ。シリカも年頃の娘であり、本来ならばこんな埃っぽい要塞に引き籠もってなどいたくない。

 クーラーが利いたお店を回って買い物して、好きな人を誘ってプールや夏祭りに行って、そうでなくとも細やかな日常で好きな人の傍にいられる幸せを感じたい。それは間違いなのだろうか? 本来ならば弱き少女に過ぎない自分がSAO事件を生き抜いたこと自体が過ちだったというのか? シリカはぼんやりとピナの額を指で弄りながら、あったかもしれない平和な日常を思い浮かべる。

 それは自然と零れた自嘲。浅はかな自分の煽動によって、アインクラッドで多くの人々が死んだ。それは確かに攻略に必要な戦力を絶えず補充するというサイクルを作り上げたかもしれないが、その分だけ犠牲者の数は増えた。そんな自分が能天気に普通の女の子として生きられるはずもない。

 ただ『彼』の傍にいられたら幸せだった。この『愛』を貫き通して死ねれば満足だった。そのはずなのに、『彼』には自分など必要ないように思えてしまった。

 愛せれば満足だし、愛してもらえるならば至福だ。『彼』は決して自分には振り向かない。それでもサポートし続ける。いつか自分が死んだ時、彼の苦悩の中に自分の気持ちを刻み込む。それで良かったはずだ。

 だが、それでも、どれだけ悔しくても……嬉しかったのだ。朝の陽光の中で、仮面の砕けた左目から覗かせた、かつて自分が恋心を抱いた『彼』の眼差しを見た時……もはや記憶にしかない永遠に失われたと思った輝きが想起するがごとく蘇った姿を見て、心が震えてしまったのだ。そして、それをもたらしたのが白の傭兵だと思えば思う程に自己嫌悪してしまうのだ。

 

(私が行っても役立てることはない。もう……私にアルヴヘイムで出来ることはない)

 

 シノンやリーファならば戦闘で十二分に活躍するだろう。ならば、シリカに出来るサポートはもやはない。彼の心を支えることさえも叶わなかったならば、アルヴヘイムでの存在意義はない。

 傭兵団の管理の必要もない。交渉事も無し。戦闘では役立たない。

 ピナも随分と強くなったが幼体である事に変わりなく、残した成長した金竜と銀竜に比べれば戦力に劣る。だが、それはピナの余りある成長性でもある。

 シリカ自身は武器の扱いに長けているとは言い難いが、彼女の稀有なる才覚とはテイミングしたモンスターの指揮能力……もはやテレパシーの域にある阿吽の呼吸にある。元より準ユニークとさえ言われる希少な≪テイミング≫スキルを持ち、なおかつ竜種を率いる彼女は本来ならば十分に戦力になり得るのであるが、比べる対象が対象だけにどうしても見劣りするのだ。

 

「……ユウキさんを探さないと」

 

 黒鉄都市攻略に向けて出発する直前まで『彼』は自分が斬ったと告白したユウキの捜索を希望していた。自分が斬った相手を……それも彼女の友人であるアリーヤを確実に死に至らしめた自分で探すのは自殺願望にも映った。

 だが、『彼』は自分で斬ったからこそユウキともう1度会いたいのだろう。そして、傍らにいるだろう、チェーングレイヴのボスにしてかつての仲間であるクラインと言葉を交わしたいのだろう。その果てにあるのはユウキの誹りか、それともクラインの侮蔑か。

 何にしても、シリカは『彼』の意思を汲んでユウキの捜索を引き受けた。いいや、『逃げた』のだ。かつての『彼』に戻れた仮面の剣士に……今の自分を見て欲しくなかったのだ。

 だが、仮に生存したユウキを見つけ出したとして、自分はどんな顔をすれば良いのだろうか? シリカはテーブルにべったりと頬を擦り付けたまま、愛する人と死闘をした友人を思い浮かべる。

 ユウキのことは嫌いではない。むしろ、友人としては好感を覚えている。一方で『彼』と殺し合った事は断じて許せないという気持ちもある。そして、同じくらいに死ななくて良かったという安堵もある。

 それはクラインにも同じだ。リーファが駆けつけなければ、彼はUNKNOWNを殺していただろう。愛する人を奪おうとしたかつての戦友には怒りを覚える。その一方で、『彼』を止めてくれたことへの感謝もある。

 何もかもがグチャグチャだ。『彼』を想い、また奮い立たせられなかったからこそ、命懸けで『彼』の前に立ちふさがったユウキへの、その狂気を止めてくれたクラインへの感情が複雑になる。

 私の『愛』はこんなにも迷いに満ちていたものだろうか? 今も変わらずに『彼』を愛しているはずなのに……殉じる事は厭わないはずなのに……まるで瘡蓋のように多くの気持ちが重なり合って、純粋に『彼』に気持ちを捧げられなくなっている。

 ともかく簡単に終わらない仕事があるのは良いことだ。ユウキやクラインを探し出し、なおかつ関係修復を成すのは大仕事になるだろう。シリカ自身も刃を交えねば済まない案件のはずだ。ならば相応の準備が必要であり、思考を巡らせねばならない。それは彼女に余計なことを考えさせない役目を担うはずである。

 

 

 

 

「よう、シリカ。オメェの好きな蜂蜜たっぷり林檎ジュースの差し入れダイナミックエントリーだ!」

 

「ヤッホー、シリカ! キミの大好きなハニートーストで突撃☆隣のお昼ご飯だよ!」

 

 

 

 そして、突如として開かれたドアより、清々しい程に気合が入ったポーズを決めた犯罪ギルドのリーダー&幹部の乱入に、シリカは灰となる。

 私……何か悪いことしましたっけ? 全意識を集中させようとしていた最後の仕事まで、あろうことか仕事そのものに奪われる。これを悲劇と呼ばずして何が悲劇だろうか?

 

「……ひっく……えっぐ……もうヤダぁああああ」

 

 ボタボタと涙を零すシリカに、髪を掻き上げながら右斜め32度の流し目を決めながら右手でリンゴジュースを差し出していたクラインは頬を引き攣らせる。左手にホカホカのハニートーストをのせた皿を持ち、右手で顔を覆いながら絶妙に腰を逸らしたユウキは頬を膨らませる。

 

「ほ、ほら、やっぱり駄目じゃん! 何が『ノリで全部誤魔化せる』だよ! ボスのばーか!」

 

「何だと!? オメェが『シリカと顔を合わせるの気まずいよ。ボス、どうしたら良い?』なんて涙目で縋ってくるから、この俺が無い知恵絞ってだなぁ……!」

 

「えぐ……ひっく……どっちも……死ね!」

 

 ストレートに感情をぶつけたシリカは袖で涙を拭い、テーブルに置かれたハニートーストを添えられたフォークで一刺しで大口を開けて頬張り、喉に詰まるより先に林檎ジュースを喉を鳴らして飲む。たっぷりと沈黙の30秒を置いて早々と食事を終え、口元を汚したまま立ち上がる。

 クラインは壁にもたれかかって腕を組み、ユウキは目を逸らしながらもシリカの正面に立つ。

 

「……ご、ごめん。ボク、シリカの1番大切な人と……」

 

「許しません。あの人を傷つけたこと……一生許しません。たとえ、どんな理由があるとしても……!」

 

 罵倒は最初から受けるつもりだったのだろう。ユウキは顔を俯けながら小さく頷く。

 今の言葉に嘘偽りはない。何があろうとも、彼に剣を向け、あまつさえ殺そうとした彼女を許せるはずがない。

 

「だけど……ありがとうございます。あの人を止めようとしてくれて……ありがとうございます。そして、ごめんなさい。あの人に代わって謝罪を申し上げます」

 

「……ううん、必要ないよ。シリカも……『彼』も……ボクに謝る必要なんてない。だって、剣を先に向けたのはボクの方だし、ボクは『彼』を殺そうとした。だから……お互い様。主義も信念も関係なく、ボクが敗者で、彼は勝者。それがあの戦いの全てだもん」

 

 謝罪を拒絶するユウキに、シリカは不思議な違和感を……自分が知るはずのユウキとのズレを感じ取る。

 アルヴヘイムで再会した彼女は精神が擦り切れそうで、今にも砕けてしまいそうな危うさがあった。触れれば粉々になってしまいそうなガラス細工のようだった。だが、今の彼女は落ち着きを取り戻しているだけではなく、その微笑みにもアルヴヘイム以前から存在したはずの陰りがない。

 

「ボクを許さないで。シリカだけは絶対にボクを許しちゃ駄目だよ。それで……その……その上で図々しいんだけど、ボク達……まだ、友達で、いられるかな?」

 

「……もちろんです! 私とユウキさんは友達です! これからも、ずっと、何があっても……友達です!」

 

 ユウキは震えながら右手を差し出し、何を言うのかとそれをシリカは両手で包み込む。その様子を見守っていたクラインは安心したとばかりに息を吐いた。

 その後、クラインとユウキによって伝えられたのは、約束の塔での戦いの詳細である。ユウキは≪絶影剣≫という強力な魔法剣のユニークスキルを獲得し、またアリーヤという黒狼を失った。そして、『彼』と同じくして茅場の駒としてDBOにログインした彼女は病に蝕まれた身であり、特殊な治療を並列している関係でVR接続にリミッターをかけており、現在はその一時的な解除の影響で戦闘力は激減しているとの事だった。

 

「俺の見立てでは普段の半分以下ってところだな。それでもオメェよりは強いだろうが、愛剣は折れて、今は使い慣れてない新品だ。とてもじゃねぇが、ネームドやボスを相手にできる状態じゃない」

 

「ボス!」

 

「良いですよ。私が弱いのは自認していることですから」

 

 半分以下でもシリカよりもユウキが強いと評するクラインに、黒紫の少女は反論するように声を荒げるも、そもそも自分が『彼』と渡り合ったユウキの半分にも届くはずがないのは当然だと肯定する。

 だが、ユウキが戦力として機能しないのは大きな損失だろう。少なくとも黒鉄都市の穢れた火と北のシェムレムロスの兄妹の『証』が残っているのだ。『彼』の負担は大きなものになる。

 シノンは既にメインの矢が尽きてアルヴヘイムで仕入れた性能が低い矢でなんとか補っている。リーファはレベルも実力も十分かもしれないが、肝心の経験が大きく劣る。同行しているレコンは評価の対象外だ。ヴァンハイトも実力は高いが、老いた彼では不安が残る。ならばこそ、『彼』に匹敵する実力を持つユウキが参戦してくれれば、アルヴヘイム攻略の大きな助力になるはずだった。

 無論、何の遺恨もなく『彼』と肩を並べるのは不可能だろう。双方に心の整理が必要だろう。特にユウキはアリーヤという友人を失っている。シリカがピナを失ったのに等しいだろう。殺害した『彼』にユウキは『殺し合いだった』で区切れるかもしれないが、『彼』は生々しいどうしようもない罪悪感を覚えるはずだ。

 それでもユウキは貴重な戦力になったはずだ。それが機能しないのは間違いなく痛手である。

 

「でも、コンディションは悪いのは確かなんだ。体は濁ってる感じがして反応も鈍いし、何よりも凄い疲れやすい。とても眠くて、耐えられなくて意識を失うこともあるし」

 

 これでも少しはマシになった方だけどね。そう付け加えたユウキの苦笑いは、彼女が言葉で表現した以上の問題を抱えている事を示していた。

 シリカも繰り返したスタミナ切れの状態で行動した後遺症を今も引き摺っている。特に腕は敢えて痛覚遮断を限定的にオミットして補っている部分がある。それでも今は随分と回復したが、1度擦れたVR適性は簡単に回復するものではない。

 

「茅場曰く、ボクの肉体は遺伝子操作されたウイルスで『クリーニング中』なんだってさ。脳細胞まで余さずね。このウイルスが曲者で低体温状態でしか制御が利かなくて、しかも肉体にもかなりの負荷をかける。だからといってコールドスリープする程の低温環境では活動が逆に停止するし、平熱状態だと制御が難しい。だから、理想的な低体温を保ち、なおかつ複数の生命維持装置で肉体のコンディションをベストに保つ。だけど、VR接続のレベルを高めると必然的に脳とフラクトライトを活性化させないといけないから低体温状態を固定化する生命維持装置を解除しないといけない。だから限定60秒を3回で180秒。それ以上は体が耐えられる保証がないんだってさ」

 

「ちょっと待ってください。私をいきなりSFの世界に引きずり込まないでください」

 

 ユウキが大病を患っているのは分かった。だが、その治療法がウイルス療法など次元を超越し過ぎている。額を押さえてストップをかけるシリカに、ユウキは自分もあまり分かっていないと告げるように口ごもる。

 

「確実に『完治』させる方法らしいよ。余りにも『非人道的』ということで臨床試験も『表』ではされていない未発表最先端……ううん、きっと茅場じゃなくて後継者絡みのオーバーテクノロジー。たとえ治療に成功しても障害が残る可能性もあるってさ。歩けなくなる覚悟くらいはしているかな? まぁ、それも生きて現実に戻れたらの話だけど」

 

「くだらない心配すんな。オメェが現実に帰った時に最初に味わう二文字は『健康』だ。それに万が一でも足が動けなくなってた時は、俺の伝手で何とかしてやるぜ。俺で『実験済み』だし、オメェには高いVR適性がある。問題ないだろ」

 

 首の裏を摩るクラインの現実の肉体には『何か』が施されているのだろう。SAO事件後にバラバラになった戦友たちの道は余りにもかけ離れ過ぎているのだとシリカは改めて思い知る。

 薬茶を淹れて振る舞ったシリカは、思いの外にトラブルなくクラインとユウキに合流できたのは幸先こそ良いが、クラインは『彼』と肩を並べる気は無く、またユウキもコンディションはどうであれ、その気はないことを感じ取る。

 彼らは挨拶をしに来ただけなのだ。恐らくは最初からシリカが目的だったのだろう。自分たちの生存を報告し、そのまま別れを告げるつもりなのだろう。

 両手でティーカップを持ったユウキはやはり以前と変わったように映る。憑き物が取れたというのはこういう事を言うのだろう。シリカはその変化が喜ばしく、またそれは彼女が死闘の果てに得たものなのかとも気になった。

 

「……それで、ユウキさんはこれからクゥリさんを探すんですか?」

 

 シリカが『彼』に同行してアルヴヘイムに来たならば、ユウキがアルヴヘイムにいるのはクゥリを追いかけての事だ。ならばこそ、ここで別れるのは彼を追跡する為だろうとシリカは見当をつけたのだが、途端にユウキの顔から表情がどんよりと曇る。

 ユウキの背後で必死にハンドサインを送るクラインを見て、自分が踏んではならない地雷を見事に起爆させたのだと悟り、シリカは膝の上のピナを抱きしめて目を逸らした。自分は悪くない。悪いのは地雷を埋めている方だ。

 

「あー……うー……えーと……一応ね……会えたんだ。クーがいたから……立ち直れたというか……ようやく踏ん切りをつけることができて……」

 

「OK、理解しました。『こっち』と同じことがあったんですね」

 

 今度はこっちが話す番だ。シリカは『彼』が立ち直ったこと……そして、それは『彼』が体験した『夢』でのクゥリとの再会によるものだと、余さず詳細に説明する。その後の『彼』の清らかな姿も含めてオーバーリアクション込みで伝える。

 クラインもまさかこんなにも早期に、たった一晩で『彼』を再起させたのがクゥリだとは思いもよらなかったのだろう。同時に納得した様子を見せるのは、アインクラッド時代の白黒コンビを知るからこそだ。

 だが、ユウキは凹むのは必然だ。椅子の上で膝を抱えたユウキは元気なく視線を下げ、吐息を浴びせてティーカップを満たす薬茶に波紋を作る。その様子に嘆息したクラインは先に薬茶を飲み干してティーカップをテーブルに置いた。

 

「2人はこれからどうするんですか?」

 

「どうも何も、オメェらが頑張っているのを応援しておくさ。オベイロン討伐には協力するから仕事があるなら手伝うぜ。ユウキ、オメェもそれで『良い』よな?」

 

 語気を強めた有無を言わさぬ強制力を込めて確認を取るクラインに、ユウキは小さく首肯する。納得こそしてないが、同時に今の状態でクゥリを追いかけることは現実的ではなく、また彼女自身も彼を探すことに迷いを覚えているのだろう。

 自分と同じだ。シリカはユウキに自分を重ねる。彼女もまた考える時間が必要なのだろう。今ただ闇雲に好きな人の背中を追いかけても、傍にいようとしても何も出来ないと理解してしまっているのだろう。

 だからこそ、自分を見つめ直し、新たな選択肢を探したい。たとえ、追いかければ手を伸ばせる距離にいるとしても、今は別の道を進むべきなのだろう。

 

「アスナを助けたい。オベイロンを倒したい。ボクも同じ気持ちだよ。だから、協力できることがあるなら……協力する」

 

 ユウキの絞り出した決断にシリカも同調する。自分もまた今のままでは『彼』の傍にいる意味を失う。ようやく立ち直れた『彼』の為にも、シリカもまた選択肢を欲していた。

 

「だったら、深淵狩りの契約を集める手伝いをしてください。今は行方知れずになっていますが、ユージーンさんも生存しているならば、契約集めに動いているんです。私達はその中に深淵狩り達の武器を鍛え上げた鍛冶師がいると睨んでいて、その協力さえ得られれば、オベイロンを倒す大きな原動力になるはずです」

 

 言うなれば、欠月の剣盟の工房だ。彼らは独自の鍛冶屋衆を抱えていたが、アルヴヘイムでは高度な≪鍛冶≫を行使できる工房設備がない。ならば、アルヴヘイム基準のモンスターにも十全に通じる彼らの武器は何処で作り上げられたのか?

 答えは1つ。深淵狩りの工房がこのアルヴヘイムの何処かにあるのだ。それも高度な鍛冶設備が整った、オベイロンに改変される以前から存在する工房があるのだろう。

 既に深淵狩りが残した手帳から目星は幾つか付けてある。ならば、1つ1つ虱潰しに探していくだけだ。

 

「それに、実は前々から1つ考察していた案件があるんです。事の次第によっては、オベイロンを弱体化させられるかもしれません」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 早朝の澄んだ空気さえも脳をヤスリで削るようであり、一息の度に意識は切り刻まれる。

 視界から入る情報は全てが針の塊のようであり、視神経が溶解し始めているのでないかと思う程に眼球の裏が熱い。世界は突如として色を失ってモノクロになったかと思えば、セピア色に褪せ、また吐き気を催す極彩色となり、歪んで捩じれて形を失う。多重にブレたかと思えば、まるで網膜にスモークガラスが取り付けられたかのようにぼやける。

 いきなり耳鳴りがしたかと思えば雑音が混じり、それは明確な痛みとなって脳髄を掻き回す。音の方向性を失い、前後左右の何処から聞こえているのかが分からなくなる。

 両手の痛覚だけが失われた感覚の代用となる。それは脈動となり、脊椎に至るまで根を張っているかのように濃く深く痛みを送り込む。

 足は今にもバランスを失いそうであり、足首と膝の可動に難がある。特に右足の痺れが甚大であり、1歩の度にバランスを掌握し直さなければならない。僅かでも力の調整を誤れば転倒するだろう。

 内臓と神経が爛れるような熱を内側に巡らせ、逆に皮膚下は霜が詰められているように寒さを覚えさせる。熱と冷たさに挟まれて、それは止まることのない苦しみを生む。

 休息を欲するように心臓の鼓動は乱れ、呼吸も出来ぬ苦痛の中で戦意と殺意を昂らせて調律する。止まりかければ闘争心で再起させる。

 殺せ殺せ殺せと叫ぶのは本能。飢えと渇きは堪らぬほどであり、まるで何日も砂漠を迷い続けたように、癒す為の血の悦びを欲している。だからこそ、己を律する。気を緩めるな。『獣』になるな。

 贄姫の冷たい刀身に意識を擦り込み、そこに秘めた狩人としての殺意を楔にする。まだ目立ちこそしないが、細かな亀裂が生じている贄姫に、灼けた記憶の中で掘り返した故郷の風景を重ねる。

 大丈夫。まだオレは戦える。

 大丈夫。まだオレは『オレ』を見失っていない。

 大丈夫。まだオレは『1人』で戦える。だが、果たして『独り』ではないと言えるだろうか? 

 祈りは失われ、呪いばかりが残った。もはや赤紫の月は見えず、だが黄金の燐光は闇で舞う。その先に見えるのは故郷の風で踊る黄金の稲穂。その果てにあるのはヤツメ様の森。

 もはや悪夢を見ぬ一夜の微睡みさえもなく、祈りも呪いも無い安らかな眠りもまた存在しない。

 だからこそ、狩りの全うの意味を求めるのだろう。そこに『答え』があると信じて……狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺す。

 

「こんなものか」

 

 贄姫を鞘に収め、正面の数多の切断されて倒れた木々に瞼を閉ざしながら一呼吸を入れる。良し、落ち着いた。今も手当たり次第に殺したくて仕方ないが、それでも十分に耐えられる範疇まで落ち着いたはずだ。あのままユウキや『アイツ』の傍にいたらまずかったな。

 そして、ついに『アレ』を実用性のある範囲まで『調整』を済ませた。お陰で随分とコンディションは更に悪化したが、それに見合うだけの完成度には到達しただろう。まぁ、それでも目指す完成形の6割程度といったところであるが。

 霜海山脈……シャロン村にいた頃に発案して開発したものであるが、贄姫の性能を極限まで活かしたものだ。我ながら限界への挑戦ではあり、使用には条件も付くが、それでも十分過ぎるものだろう。対ランスロットで通じれば良いのだが、こればかりは分からない。

 

「じゅ、巡礼さん……これは一体?」

 

 と、そこに現れたのはマウロだ。野営を張っていたのだが、さすが商人の朝は早い……のではなく、倒木の音で起こしてしまったのだろう。

 

「ああ、おはようございます、商人マウロ。少しばかり稽古をしていまして」

 

 もはやマウロに無害な巡礼者のように振る舞う気はない。黒獣を相手にして生きて帰ってきた時点で言い訳できないだろう。

 

「チクショウ。世の中は不条理ばかりだ。アルヴヘイムは歴史の節目を迎えているのに、私はただの商人どころか巡礼さんの奴隷。ああ、悲しき定め。ああ、無情」

 

 そして、コイツは意外と大物で余裕もある。我が身の境遇を嘆きながら、焚火を起こして朝食の準備に取り掛かるマウロにはある種の称賛を覚える。あと、別に奴隷にした覚えはない。手形とか色々と便宜を図った見返りとして北までの交通手段を提供する契約だったはずだ。

 

「街道の封鎖を危険視していましたが、どうやらその様子はないようですね」

 

 野営の片づけをしながら、森を縫うような広々とした街道にオレは怪しんでいた。

 どうやらアスナはアルヴヘイム全域に大々的にオベイロンの正体を暴露したようである。お陰で世情は反オベイロンに傾き、諸侯は我先にと暁の翅に合流しようとするか、あるいは結託して新たな反オベイロン派を立ち上げようと必死のようだ。人と物資の動脈である街道は統制の為に封鎖されると思っていたのだが、ここに来るまでに検問らしい検問はなかった。

 マウロ曰く、アルヴヘイムでも東西は最も文化・経済が発展し、その煽りを受けた南もまた繁栄を得たようであるが、北は最も未開であり、また排他的であるという。無論、それはトータルの話であり、海岸線沿いの町々や都市ならば別であるが、内地ほどに鬱蒼と森は茂り、また山々の険しさが目立つらしい。

 シェムレムロスの兄妹が住まう白の森。それはアルヴヘイム北方で最も閉鎖的な土地、【濃霧のトロイ=ローバ】を通り抜けねばならないらしい。トロイ=ローバはアルヴヘイムでも呪われた土地の1つらしく、常に晴れることのない濃霧に覆われ、昼も夜も関係なく視界が制限される。そして、濃霧の先に失われた巡礼の街トロイ=ローバ、そして白の森があるらしいのだ。

 要はトロイ=ローバまで辿り着くことを目的とした旅だが、商人たちも滅多に立ち寄らず、また近寄らないというトロイ=ローバに続く街道。そこには亡霊が現れ、道行く者を喰らうという。

 無論、トロイ=ローバまでマウロに連れて行けとお願いしているわけではない。そこに至る為の街道の入口まで案内してもらえれば結構だ。

 だが、マウロとて商人。大司教領で砂糖の売却こそできたが、お目当ての大蠍の肝は仕入れられなかったらしく、積み荷もなく馬車を走らせている。鉱山送りに怯える……もとい、この世界情勢ならば、むしろ鉱山に籠った方が安全なのではないかと計算するマウロは逞しいが、同時に富豪になる夢を忘れたわけではない。

 トロイ=ローバは霊薬の地であり、万病を癒し、また死に瀕した者さえも長らえさせるという。それは『永遠』の巡礼の行き着く場所、白の森へと続く街だからこその発展といえるだろう。即ち、病の克服こそが『永遠』への道だと見出したのだ。

 だが、それは結果的に排他的な風習を生み出した。伝承ではいつの頃からか生じた濃霧はトロイ=ローバの住人がシェムレムロスの兄妹と契約して生み出したものだという。そして、霊薬の秘密を奪わんとしたあらゆる勢力はこの地に戦力を派遣したが、いずれもトロイ=ローバを占拠することは出来なかった。

 マウロの狙いはトロイ=ローバの薬品を持ち帰り、この戦乱に乗じて高値で貴族や騎士に売り捌くことだ。そして、その計算の裏にはオレという戦力がある。コイツは口ではあれこれ文句を垂れているが、要はオレを利用して大きなビジネスチャンスをつかもうと企んでいるのだ。

 揺れる馬車で緊張した面持ちで右隣のオレにチラチラと視線を送るマウロであるが、横を気にするよりも正面を向いていてもらいたい。手綱をしっかり握り、怯えた馬を制御してもらわねば困るのだ。

 

「ほら、見えるでしょう? あれは商人の間では『冥府への扉』なんて言われる渓谷ですよ」

 

 枯れ葉が積もり、また流入した泥土でかつて整備された街道はすっかり陰りを見せて寂れる。その奥を指差すマウロの言う通り、先の風景も見えぬ真っ白な濃霧に包まれた渓谷が視界に入る。

 馬車に取りつけられたランプに火を点し、徐々に視界を制限する霧が広がる街道を進むマウロが喉を鳴らす。オレは左目を覆う眼帯を撫でながら、彼に薄く笑いかけた。

 

「不帰の街ではないのでしょう? トロイ=ローバは伝説の存在などではなく、閉鎖的でも外部と全く交流が無いわけではないはずです」

 

「そりゃそうですけど、トロイ=ローバと取引しているのは北でも老舗中の老舗の商会だけだし、そこも元をたどればトロイ=ローバの出身者の一族で経営されてるんですよぉ! つまり、本当の意味で外部の奴らがトロイ=ローバと関わるのは稀なんですって」

 

「なるほど。ところで、マウロは随分と北の世情に詳しいですね。まだ商人としても駆け出しのはず。何か情報源でも?」

 

「商人は横の繋がりが命……ってのはマジですけど、元々北の出身なんですよ。東西の繁栄に挟まれて、南はどんどん発展していくのに取り残された北。みすぼらしくて、鬱屈として、でも愛おしい。そういう土地柄なんですよ」

 

 嘆息するマウロはどうやら故郷には愛着をそこまで持っているわけではないが、それでも北方の出身者として思うところは多いようだ。

 故郷……か。現実時間では8月だ。そろそろ祭りの時期だな。親戚は集い、招かれた客人たちで賑わい、祭りの準備で日々の夜は更ける。懐かしいな。随分と灼けた記憶だが、それでも故郷の風景は今も色濃く、まるで魂の……いや、血の原風景のように思い出せる。

 これもいつか灼けてしまうのだろう。思い出せなくなるのだろう。おばあちゃんがそうだったように、大切な記憶も等しく灰となる。

 

「……マウロは富豪になって、それでどうしたいんですか?」

 

 マウロの緊張を解す為ではないが、オレは彼が危険を顧みずにトロイ=ローバに赴く理由を知っておきたかった。いや、確かにオレとの契約は根底にあるだろうが、幾ら商売の為とはいえ、危険な土地に足を運ぶのはナンセンスだ。彼は商魂逞しいというわけでもないのに、危険に自ら飛び込んで富を築こうとする。

 商人だから? 違う。マウロには『何か』があるのだ。それは夢と呼べるものだろう。彼は自分の輝かしい未来を望んでいるような目をしている。

 

「ん~、別に大したことじゃないっていうか、私って前にも話した通り、農村生まれで土地も継がせてもらなかったからですね。長男以外はそれぞれで食い扶持を確保するしかなかったわけですよ! で、私は偶然手に入れたコイツで商人として食っていくことにした。でも、男として生まれたからにはそれだけで終わるのは勿体ないでしょう?」

 

 土地の存続に関する法整備は無いだろうが、古来よりそうであるように、土地を継げるのは男の長子なのが常だ。マウロは自力で食べていく方法を探さねばならなかった。そして、彼は行商人となる権利を得た。それは偶然の賜物なのだろうが、それは彼にとって正しく天啓だったのだろう。

 

「酒池肉林! 貴族様たちのように暮らした~い! 毎日毎日お高い酒を飲んで! 美女を侍らせて! 麗しい奥様&愛人を囲んでガハハのハ! それが男の夢ってものでしょう!?」

 

「清々しい程に『マウロらしい』ですね」

 

 うん、そんなことだろうと思っていたよ。マウロは歴史に名を遺す偉業を成し遂げたいとかいうタイプじゃない。何処までも俗世間的な思考で、だが羨ましいくらいに自己の幸福を追求できる。そして、それを公言して危険にも身を投じられる。それは立派で簡単には真似できないことだ。まぁ、根は小心者かつ小物かつやや外道な部分もあるが、それも愛嬌で済ませられる範疇だろう。

 オレはアイテムストレージに今も眠る闇朧を思い浮かべる。不可視の刀身を持つ≪暗器≫にして≪カタナ≫のユニークウェポン。その性能以上にザクロの遺志を汲み取る。

 ザクロ、いつかはオマエの事もオレは忘れてしまうだろう。記憶は灼けて思い出せなくなるだろう。でも、オマエの願いは……ユウキに光を見せたような気がする。平凡だけど、とても幸福に満ちたオマエの願い……誰かの妻となり、家庭を持つ。そんな当たり前の幸せである『お嫁さんになりたい』なんて願いは……確かにユウキに息づいた。

 たくさん探せば良い。たくさん自分がやりたい事をやって、笑顔を重ねて、そして願いを叶えれば良い。ユウキの無邪気な笑顔を思い浮かべれば、胸が締め付けられる。

 彼女の笑顔を壊したいと望んでしまう。苦悶と絶望に染め上げて、血と臓物のニオイに満ちた中で死に満たしてあげたい。刻み、千切り、抉り、砕き、壊し、壊し、壊し、壊し、壊し続けた果てに殺したい。悲鳴と慟哭と涙こそ、彼女を殺す最高の味付けになるだろう。

 殺しを楽しみ、また殺しそのものを求める。殺しに悦楽を求めるシリアルキラーは腐るほどいるが、殺しそのものに飢餓感を持つオレにとって、殺しのやり方や仕込みはより多くの血の悦びを得る為のものだ。単純に殺すだけでは満たされない。どんなに優れた肉でも生で喰らうより調理して美味にした方が良い。

 だからこそ、狩人として殺すことは血の悦びの否定であり、決して本能の飢餓を癒すには足りない。血の悦びを律する。血に酔わず、だが血の衝動を利用し、それでも命に敬意を払って狩りを成す。それが狩人なのだから。あくまで騙し騙しに過ぎない。

 かつてはそれで足りていたはずだ。だが、今では血のニオイを嗅げば本能が堪えきれなくなっている。狩人として律する程に、より膨れ上がった飢餓は……煮え滾るヤツメ様の獣血は闘争と殺戮を求める。

 ……違う。闘争を求めているのは血のせいではない。オレ自身も心の何処かで望んでいる。狩人として、より凄惨なる死闘を。本能と同じくらいに狩人として、血に酔いたくなるくらいの狩りを欲しているのだ。

 狩人の性なのだろう。それは獣性に似て非なるものであり、だが根底を辿れば同じものなのかもしれない。

 狩り、奪い、喰らう。それが狩人なのだから。戦い、そして殺す。それがオレなのだから。

 

「……ハァ」

 

「巡礼さんの溜め息……ヤバい。メッチャ色っぽいわぁ」

 

 やっぱりマウロは殺しても良いのではないだろうか? いかがです、ヤツメ様? オレの肩にもたれ掛かったままうたた寝するヤツメ様は何も答えない。今は落ち着いている。本能の衝動はない。だが、再びヤツメ様が目覚めた時に果たしてマウロを殺さないで済むかは疑問だな。

 少しでも良い。狩りを行わねばならない。限界ギリギリまで血の衝動に委ね、血の悦びを多く得られる凄惨なる狩りが望ましい。それが結果的に後々により大きい反動となって飢餓感を膨れ上がらせるとしても、今はそれ以外に方法はない。

 そういう意味ではシェムレムロスの兄妹は素晴らしい。人攫いをして身勝手に人体実験していたらしい外道だ。つまり、『人』としての敬意を払う必要性はないような輩なのは確定だろう! 命への敬意は払うが、存分に貪らせてもらうとしよう。素晴らしいな。やはり狩りとはこうでなくては。

 しかし、それはそうとしても武器にも限りがある。いざとなればパラサイト・イヴで幾らでも武器を現場調達できるとしても火力には限度がある。全ての武器が無くなろうとも蹴って殴って噛みついて戦えないこともないが、来たるオベイロン……いや、ランスロットとの戦いではどれだけ温存できたかが物を言うだろう。

 オレ自身は幾らでも灼こう。それでランスロットに届くならば、致命的精神負荷を受容しよう。だが、それで勝てるはずもなく、実際のところその状態でもランスロットのHPバー1本目と渡り合うのが限界だった。

 あれからトリスタンや欠月の剣盟と戦い、彼らを糧とした。狩りの業も高めた。高出力ステータスでの運動エネルギーのコントロール技術もある程度はつかんだ。それでも、あと2回も強化を控えているランスロットは……いや、『命』があり、意志と意思があり、砕けぬ忠誠と矜持があり、殺した深淵狩り達の為にも敗北が許されないからこそ裏切りの騎士は、その死が迫れば迫る程に本気という言葉も生温い戦いを示すだろう。

 勝てるのか? 狩りきれるのか? たとえ万全であろうとも厳しいだろう。負けるつもりで殺し合う気はないが、楽観視して自分の勝利を疑わずに胡坐を掻くなど出来るはずもない。むしろ、勝利のビジョンが見えない。そもそもオレにとって楽な戦いなどDBOでも数えるほどしかなかった。

 アドバンテージはない。だが、ランスロットは1度戦っている。ヤツメ様は……この本能は裏切りの騎士にして最強の深淵狩りの動きを覚えた。次は序盤から対応できる。だが、それでも問題となるのはランスロットの持つ瞬間移動能力。あれがある限り、こちらの大技はことごとく回避されることになるだろう。逆に言えば、1度でも瞬間移動を完全に封じた状態で足を止めさせることが出来れば……!

 ならばこそ思う。『アイツ』とならば、ランスロットにも勝てるだろうか? たとえ灼けようとも届かぬ算段が大きい相手、それがランスロットだ。どれだけ仕込みをしても確実に狩れる方法が思いつかない。むしろ、その全てを悠然と突破する姿ばかりが思い浮かぶ。

 だが、『アイツ』ならばオレには出来ない戦い方がある。オレには成せない事が出来る。逆は簡単だ。オレは所詮『力』に過ぎない。ならば、『アイツ』の持つ『強さ』こそがランスロットを仕留めうるのではないかとも思う。

 いつか『アイツ』の『強さ』は引力となって相応しい『力』も伴うだろう。そうして『アイツ』は今日まで強くなってきたのだから。ならば、それはランスロットにも十分に届き得るだろう。

 それに……だ。ユウキの話の限りではあるが、どうにも『アイツ』は後継者が中指を立てて罵倒を並べかねないくらいに『人の持つ意思の力』を発揮できたようだ。いや、それ以前でもデーモン化がカッコイイんだよ。ドラゴン系ってだけでカッコイイんだよ。畜生め。

 どれだけ考えても仕方ないことか。ランスロット戦に仕込めるだけ仕込んでいくが、何処まで通じるやら。いっそオベイロンに実行しようとしたウルの森に廃棄作戦を実行するか? あの空間崩壊の森ならばランスロットも十分に瞬間移動できないだろうしな。いやいや、そもそもランスロットをあそこに誘き出す方法がない。ヤツもウルの森の特性は熟知しているはずだ。わざわざ利も無い土地で戦う意義はない。

 むしろ、ランスロットが罠を準備した、廃坑都市のようにオベイロンの強大な協力下での戦いをこちらが強いられるかもしれない。それを念頭に入れねばならないだろうな。つまりはいかに消耗を抑えてシェムレムロスの兄妹を狩るかにかかっている。穢れの火はとりあえず保留だな。情報を収集してからだ。

 切り札はある。死神の剣槍も温存している能力がある。それにパラサイト・イヴで考案した『アレ』もある。贄姫を使った新技もある。結局は何処まで戦えるかはオレ次第だ。

 ……ユウキは無茶していないだろうか。リミッター解除とやらでかなりの負荷を強いたようだった。クラインがいる限りは大丈夫だろうが、それでも心配だな。オレ以外に殺されるなど我慢ならない……じゃなくて! アルヴヘイムの強敵とぶつかれば消耗した上に使い慣れた武器を失った彼女では危うい。アイツはようやく亡き姉たちの為ではなく、自分の幸せの為に生きることの意味を知ったのだ。ここで死んでもらいたくない。ザクロの二の舞など嗤えない。

 

『ところで、ユウキちゃんって好きな人はいるのかい?』

 

 ふと思い出したのは、夕飯の席で突拍子もなくグリムロックが振った話題だ。いや、藪から棒にって程でもなくて、グリセルダさんとの出会いの惚気話から派生したものだったのだが、キラーパスにも過ぎただろう。

 何やらグリムロックの妙な瞬きと顔を赤らめたユウキの間に無言のコミュニケーションがあったようで、あの2人もいつの間にあそこまで仲良くなったのかと感慨深かったものだ。

 

『う、うん。とても強くて……優しくて、温かい人。人と接するのは苦手なのに関わるお人好しで、凄い諦めが悪くてどんな相手だろうと立ち向かって、傍にいるだけで心が安らぐ人。でも、本当は傷だらけで、見ているのも苦しくて、だから少しでも癒してあげたい……人、かな?』

 

 好きな異性を、大人2人はともかく、異性かつ年頃も近いオレの前で告げるのは憚れたらしいユウキは顔を真っ赤にして俯きながら告白した。

 つまりだ。ユウキには好きな人がいる。それもかなりの熱を入れ込んでいる。オレとしては是非とも応援して、ザクロから継いだユウキの夢を叶えてやりたい。彼女の現実世界の境遇を考えれば、その下地はこの仮想世界……命のやり取りがあり、己が丸裸になって本性が露となり易いDBOでこそ望ましい。

 あの発言と経歴から察するに、ユウキの好きな人はDBO内にいる。そして、それは彼女の関係を考慮すれば限定される。

 クラインだろうか? あり得る。強く優しくて、温かい心の持ち主だ。候補者リストには入るだろう。なにせチェーングレイヴのリーダーにして、ユウキにDBO内での居場所を提供したのだから、恋心を抱いてもおかしくない。

 だが、ユウキがクラインに執着しているような素振りはない。むしろチェーングレイヴの脱退を視野に入れていたのだから、クラインへの仄かな恋心があるとするならば、もう少しは未練を見せるのではないだろうか? まぁ、そうした気持ちを隠していたとも思えなくもないが。

 そもそもオレもユウキの交流関係には余り詳しくないのだ。だから、実はオレが知らない場所で知らぬ関係が広がっているのは当然だろう。だが、ユウキが告白した時の態度から察するに、相応の執着を持っているようだった。

 ユウキが強い執着を持ち、なおかつ異性で、告白内容に合致する相手……かなり限定的なはずだ。

 そして、オレはあり得ないと思いながらも、到達する。むしろ、これ以外にないのではないだろうか?

 

 

 

 

 

「あー……『アイツ』か」

 

 

 

 

 

 

 強くて、優しくて、温かい心の持ち主。しかもコミュ障。諦めもかなり悪い部類なのは今回のアスナの件からも分かる通り。しかも傍にいて落ち着くというのはシリカが対応した数々の『アイツ』の女性関係からもリサーチされた心象。そして、どれだけ飄々として自信溢れた態度をしていてもその実はナイーブで、多くの出来事に深く傷つきトラウマを抱えている。それは母性を擽られ、支えたいと思う条件ではないだろうか? 同性のオレやクラインも、危うさを持つ『アイツ』にはハラハラして手助けしてしまう部分は多かった気がする。

 完全に合致した。しかもユウキは強い執着心を持っていた相手でもある。つまり、アレか? スリーピングナイツとして調べている内に惹かれていったというヤツか? フッ、王道だな。実に『アイツ』らしい黄金パターンか。

 だが、そうなるとユウキの殺意はどうする? 惚れた相手だぞ? オレのように愛情=殺意ではあるまいし。

 いや、待て待て。考えろ。アレか? いわゆる殺し愛系か!? SAOでも覚えがある。『アイツ』に執着するあまり襲ってきた女子を撃退したはずだ。乱入した『アイツ』によってトドメは刺さなかったが、お陰でストーカー被害が倍加した。

 思えばユウキも普通の女子とは言い難い。むしろ、その経歴を考えれば、愛に飢え、また固執するタイプのはずだ。ならば殺し愛系も考えられる。それならば納得もいくか。何よりもスリーピングナイツとしてアイツを縛っていた義務感が恋心を許容出来ていなかったとも捉えられる。

 ユウキの夢を叶えてやりたい。だが、『アイツ』の心にはアスナがいて、他にも女子が複数人も周囲でスタンバイ済み。そうなると突破口は何か?

 

「商人……いえ、男性としてお尋ねしたいことがあります、マウロ」

 

「はい?」

 

「男として愛人は何人まで許容できますか?」

 

「無限。愛人の数が男の格。可愛くて奇麗な女の子を囲みたいのは男の欲望」

 

「なるほど。清々しい程にゲスで参考になりました」

 

 オレには分からんが、『アイツ』もまた欲望を解放するならば愛人の1人か10人くらいならば許容できるという事なのだろうか? ならば、ユウキは愛人枠に収まることも可能……か?

 いやいやいやいや! 愛人枠ってなんだ!? そこに幸福があるのか!? 本人がそれで良いなら別に良いけどさ!? 大奥やハーレムには特有の幸福もあるだろうけど!

 そもそもユウキが『アイツ』を好きと決まったわけでもない。むしろ、今も当時の恋心が存続している保証もない。つまりはこれも保留か。まったく、色々と考えねばならない案件が多いものだ。

 さて、余計なことを考えている暇はなさそうだな。野草が茂り、捩じれた木々が生えた渓谷の道。それを濃く染め上げるのは霧だ。吊るされたランプの光さえも危うく、片目の有効視界距離しかないオレでは、更に視認距離は下がっているだろう。

 ソウルの眼を使うか? 義眼の能力であるソウルの眼ならば、霧があろうとも対象を目視できる。だが、あれは魔力の消耗が激しく長時間の使用に適さない。

 

「ヒッ! み、見てください、人影が……!」

 

 怯えたマウロの言う通り、オレ達の目前を影としか言いようのないものが通り過ぎる。それも1人や2人ではない。何十人もの往来だ。

 よくよく見る間でもなく、草木の間には白骨死体が転がっている。それらはいずれも蔦が絡まり、長年に亘って放置されていることは明らかだった。

 

「マウロ、警戒を」

 

 そして、ヤツメ様が目を覚ます。本能が嗅ぎ取ったのは濃厚な血のニオイ。渓谷の道の果てに露になった、白木で作られた巨大な門。門番の姿はなく、だがオレ達を静かに歓待するように馬車1台が通れるスペースだけ開いている。

 本来ならば街の往来を制限する為の大門のはずだ。マウロは喉を鳴らして鞭を打ち、老馬を駆らせた。オレは贄姫に触れ、一呼吸と共に本能を研ぎ澄ます。

 

「ここがトロイ=ローバ」

 

 無人なのか? いいや、『何か』が潜んでいる。そもそも伯爵領と違い、たとえ交流は疎遠だとしても確かに人々が暮らしていたのがトロイ=ローバのはずだ。ならば、無人である道理が無いのだ。

 それに何より、街全体に蔦が絡まっている。それは血管のように脈動し、極彩色の花を咲かせていた。ハイビスカスを思わせる形状であり、薄く発光している姿は妖艶なまでに人を惹き付けるが、それ故の毒性を示しているようだった。

 

「いったい何が……」

 

 呆然とするマウロは馬車を止め、衛兵の詰め所だろう建物の扉を開ける。本来ならば、街への入管手続きを行うだろう役所も兼ねているのだろう。寂れた雰囲気は元からだろう。だが、何十年も放置された様子はなく、程度こそあるが掃除も行き届いている。

 これが街の全体の地図だろうか? 壁に額縁入りで飾られた地図を失敬して広げる。

 渓谷を抜けた先にある山間の街。白の森を守るように築かれている。どうやらトロイ=ローバは巨大な大通りの1本道から構成されているようだ。メインストリートを真っすぐに進めば白の森に続く山道があるようだ。だが、地図の限りでは山道と白の森は大きな崖で分かたれている。これではたどり着けないだろう。

 詰所の奥に踏み入り、左右を慌ただしく見回すマウロに動かぬようにと視線で念押しする。蔦が壁で脈動し、まるで監視カメラのように開かぬ蕾が点滅している。オレはドアノブに手をかけようとして、だがヤツメ様に腕をつかまれる。よくよく見れば、ドアノブの鍵穴から植物の陰が見えていた。贄姫の柄で軽く叩けば、ドアノブより黒い針が飛び出す。毒針の類だろう。

 贄姫でドアを切断して内側に覗き込めば、鎧を脱いだ姿でくつろぐように椅子に腰かけたまま、全身を蔦で覆われた兵士の亡骸……いや、生きたまま『養分』にされた姿があった。まだ息はあるだろう。だが、全身に絡まった蔦は赤い針を突き刺し、体液を、肉を、あるいはもっと根源的な生命力を吸っているようだった。涙も枯れて痩せ細り、浅い呼吸を繰り返す兵士の前で手を振るが反応はない。

 意識はないのか、あっても反応できないのか。蔦を切断すれば解放されるのか? いや、早計だな。下手に刺激するのは止めよう。

 

「ひぃあああああああああああああ!?」

 

 マウロの悲鳴が聞こえて戻れば、先程までは蕾だった壁の花が開いていた。それはあの極彩色の花弁を広げている。何事かと倒れたマウロに駆けよれば、彼の首には青い針が突き刺さっていた。

 

「うぎ……ぐぎ……ぎぃあああ……!」

 

「マウロ、何がありました? しっかりしてください!」

 

「は、花が……開いて……は、針がぁあああああ!」

 

 暴れるマウロの首から毒針を抜くが、彼のカーソルに変化はない。グリーンのままだ。通常の毒のデバフではない? だが、マウロの暴れる姿は尋常ではない。

 だが、この悲鳴はまずいな。オレは加減を心得ながらマウロの喉に手刀を潜り込ませ、肉を抉らぬように注意しながら喉を潰す。呼吸が出来なくなったマウロは痙攣するも、これで悲鳴を漏らすことはない。

 

「静かに。誰か来ます」

 

 涙を流すマウロの理解を確認せず、そのまま彼を引き摺って奥の部屋に隠す。そして、オレ自身は詰所の壁際に積まれた木箱の陰で≪気配遮断≫と共に息を潜めた。

 悲鳴に誘われるように詰め所に入ってきたのは兵士……ではなく、平服を来たトロイ=ローバの住人だろう。だが、その目は虚ろであり、全身には青い蔦が絡まっている。何よりも目立つのは肩から生えた極彩色の花だ。

 なるほどな。寄生攻撃か。恐らくは青い針が突き刺されば寄生攻撃判定となるのだろう。時間差か? それとも蓄積か? 寄生は他種あるが、総じてレベルの高さがそのまま寄生攻撃への耐性になる傾向がある。

 そうなるとマウロは……まずいな。≪薬品調合≫ならば寄生状態を解除できる薬は作れなくはないだろうが、オレの知るレシピで効果があるかは不明だ。何よりもオレが持つレシピは虫下し系が主であり、植物の寄生は論外だ。

 だが、ナグナでの経験が役立つかもしれない。オレは詰所から出ていく寄生住人の背中を見送り、痙攣して泡を吹くマウロが意識を失っていることを確認する。これならば大丈夫だろう。

 詰所の台所でナイフを拝借し、青い針が突き刺さっていたマウロの首の傷口を確認する。そこは化膿するように膨れ上がっている。レベルが低いアルヴヘイムの住人では寄生攻撃に耐えられない。こうなるのは仕方ないか。

 考え得るレシピで薬を作るにしても材料がない。ならば、やるべき事は1つだ。患部を切除する。ナグナでは発想が遅れてギンジに処置を施せなかったが、この寄生攻撃がダメージ発生点より感染する類であるならば、その部位を切除すれば免れるかもいれない。

 マウロの口に千切ったカーテンの切れ端を詰め、首にナイフの鈍い刃を這わす。そのまま深く斬りつけて血飛沫を浴び、彼の絶叫を聞きたいという衝動を堪えながら、一呼吸を挟まずに傷口を抉る。

 意識を取り戻したマウロは暴れる。HPの減少が始まっている。流血ダメージを減少させる軟膏を塗って包帯を巻く。出血状態だが欠損状態にはなっていない。いずれはアバターの肉は再生するだろう。

 

「…………」

 

 何とか落ち着きを取り戻したマウロであるが、オレを怖がるように壁際まで離れて動こうとしない。いきなり喉を潰し、なおかつ治療の為とはいえ首の肉を抉ったのだ。仕方のないことだろう。言い訳はしない。

 トロイ=ローバか。一筋縄ではいかなさそうだな。白の森までどうやって行くのかも調べる必要がある。そうなると、この街の知識が集積されている場所を目指す必要があるな。それに寄生植物の原因も調査しなければならなさそうだ。

 

「トロイ寺院か。いかにも……だな」

 

 地図から分かる限りでは、この街の運営を担い、また薬の製造に携わる重要拠点だ。

 準備をしておくか。ドアノブから黒い針を拝借し、軽く指先を裂く。蓄積したのはレベル2の毒だ。青は寄生、黒は毒だな。

 寄生はともかく、毒ならば対処する方法はある。薬の研究が盛んならば準備も容易いだろう。

 

「マウロ、命が惜しければ街を出てください。良いですね?」

 

 彼の負傷はオレの責任だ。幾ら契約とはいえ、彼を危険地帯に誘ってしまった。オレが北に行くと申し出なければ、彼はトロイ=ローバに赴く事も無かっただろう。

 せめてもの路銀にと彼に残っていたアルヴヘイムの金を全額握らせる。これだけあれば十分に仕入れは出来るだろう。

 詰所を出て濃霧に呑まれた街に溜め息を吐く。この騒動は偶然か、オベイロンの仕業か、それともシェムレムロスの兄妹の……? どうでも良い。敵は薙ぎ払うだけだ。




アルヴヘイム後編のスタートです。

黒火山攻略組
主人公(黒)・リーファ・シノン・レコン

深淵狩りの契約回収組
ユージーン(単独行動中)
シリカ・クライン・ユウキ

白の森=シェムレムロスの兄妹ぶち殺す組
お独り様

番外:アノロン攻略組より
銀騎士:ダクソ3仕様および物量戦を学習済み。かつ個々にレドのような『英雄クラス』が混じっている模様。
ドロリッチさん:エントリー済み。

それでは282話でまた会いましょう!

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