SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

黒火山と白の森の同時攻略、始まります。なお、絶望のアノール・ロンド。




Episode18-46 濃霧の街

 かつて『永遠』を求めた者たちが定住し、病を克服するために薬学を発展させた街、トロイ=ローバ。その中にあった市民用の薬品保管庫に侵入したオレは情報収集次いでの物色に勤しんでいた。既に恰好は巡礼服からナグナの狩装束に着替えている。装備もフルセットだ。

 街とその周辺を覆う濃霧はシェムレムロスの兄妹が与えたものとされているが、真実は定かではなく、だが確かにアルヴヘイムでも有数の医療が発展した土地のようだ。

 老いも病もあるアルヴヘイムであるが、現実の肉体とはやはり異なる。外傷の治癒速度や肉体の再生などはその代表例であり、外科的処置が発展する余地は少ない。故にアルヴヘイムにおいて医者とは奇跡使いと薬師を示す。

 オレも≪薬品調合≫を持っているが、このスキルは汎用性が高い一方でプレイヤーの素質が大きく問われるスキルでもある。≪鍛冶≫のように設備投資しなければフルに活用できず、またレシピも独自で発見・発展させ、薬学書を手に入れて学習し、常に試行錯誤や発想が求められる。より本格的に活用しようとするならば、やはり拡張性を増す≪錬金術≫は不可欠となるだろう。

 調合道具も性能次第であるが、携帯用ならばアイテムストレージに負荷を相応に求めねばならない。オレは程度にもよるが、自給自足できる範囲以上の無理をするつもりはない。手頃に現地で薬品を調達できるのがこのスキルの素晴らしさだ。特にデバフ用の薬品を調達できるのは喜ばしい。だが、わざわざ調合の為に素材を持ち歩いては本末転倒なので戦略的に使うことは難しく、やはりサバイバルでこそ真価を発揮するだろう。

 初期から獲得しているスキルなので熟練度は相応に高いが、本職には及ばない。だが、熟練度の高さはそのまま成功率への補正にもなるので、調合が簡単なレシピならば成功率はほぼ100パーセントだ。

 たとえば、一般的に毒消しに使われるのは毒紫の苔玉だ。これならば低レベルの毒ならば蓄積を減らすことができるし、発症を回復させることもできる。だが、1度使えば蓄積ゼロになるわけではない。効率的に回復するならば何にしても素材のまま使うよりも加工した方が良いのだ。

 そういう意味ではトロイ=ローバは宝の山だ。DBOでは1度開発されたレシピにして登録時に作成者のサインを残せる。武器だろうと防具だろうとアイテムだろうと製作者の名を残せるように、レシピにもまた発見者の栄誉を示すが如く登録が可能だ。そして、そのレシピを元にして開発したり、少しアレンジした程度では簡単に履歴検索で遡れる。

 これが実は大いに厄介なのだ。DBOにおける市場は大きく分けて2つ。ドロップ市場とメイキング市場だ。

 ドロップ市場は主にドロップアイテムやトレジャーボックスから獲得した『ゲーム側が準備したアイテム』を売買する市場である。逆にメイキング市場とはプレイヤー・ギルドが作成した装備・アイテムが取引対象だ。

 そして、DBOは設備にもよるが、レシピがあれば簡易的に再製造が可能である。故にレシピさえ盗み出してしまえば、素材と設備があれば誰でも同じアイテムを作成可能だ。そして、意外でも何でもなく、プレイヤーが個人で保有できるレシピには限りがあり、取捨選択せねばならない。故にリストから削除する前にクリスタルなどの記録媒体に保存しなければならないのだ。

 そして、このリストが意外にも曲者で、熟練度が上昇してもそこまで劇的に登録可能数を増やさない。自分の頭に叩き込めば問題ないことなのであるが、レシピ生産と通常生産ではやはり成功率に差が広がる。

 たとえば、ヤスリなどはグリムロック曰く、その効果と相反して製造自体には設備にそこまで投資する必要はないらしい。レシピもそこまで複雑怪奇というものでもなく、性能に拘らなければ比較的簡単に素材アイテムを揃えられるそうだ。だが、実際には販売できるのはギルドだけであり、プレイヤーが個人間でも製造することはできない。これはレシピが秘匿されているだけではなく、DBOでは他ギルド・プレイヤーが占有権を獲得しているアイテム・装備を無断で開発した場合、『あらゆる報復行為を受けても仕方ない』という了解があるのだ。暗黙ではなく、実際にオレもそうした『間抜け』を正規の依頼で始末したことがある。

 まぁ、その大ギルドが情報を盗み取ろうと権謀術数を張り巡らし、スパイ合戦しているのは今更な話だ。盗まれる側が悪いとまでは言わないし、やはり盗む方が悪いのだろうが、現実でも法律は万能なる剣でも盾でもないならば、法整備などされていない大ギルドによる『支配』こそが秩序であるDBOにおいてはどうなるかなど言うまでもない。

 自衛しない者は同情を買えても、それ以上の不利益と喉元に突きつけられる短剣を得る。ならば、大ギルドに尻尾を振って守ってもらうも良し。良品が出来たならばレシピを高値で売り捌くも良し。善意を信じて無料公開するも良しだ。

 その点を考えれば、グリムロックもヨルコも上手くマネジメントが出来ているだろう。グリムロックは独自性の強い商品を続々と開発しているが、実質的に買い手はオレくらいしかいない。そもそも大ギルドが生産してもコストが見合わないものばかりを作る。鋸ナイフにしてもそうだ。精巧な外観と性能、しかし投げナイフである。単発消耗品である。これ1本の生産コストを聞いたら大ギルドも回れ右するぞ。

 ヨルコにしても色々な薬を調合しているようだが、グリムロックやグリセルダさんを経由して定期的にレシピを教会に横流し……もとい取引材料にしているようだ。そうして適度に蜜を提供することで価値を証明し、『潰されない』ように根回ししているらしい。

 あとは生産コストやノウハウが無いのもそうであるが、銃弾や矢、ボルトといった消耗品の開発には手を出さない。これは大ギルドの利権に関わるので藪蛇を突いてもつまらないし、そもそも無理に生産してもコストと労力に見合うものが出来るはずもないらしい。せいぜい実験的にハイエンド品の生産を試みる程度だ。

 レシピは開発努力と注いだコスト、そして才能の結晶だ。故に誰でも簡単に入手できるものではない。出来たとしても、それはメインフレームのレシピだけであり、そこから更に改良レシピが複数いる、そもそもレシピ化しておらず複雑な工程をプレイヤー個人の作業のみで行っている、なんてこともあるくらいだ。

 そして、今まさに有人ではあるが正気を失った人々ばかりとなった、しかも大ギルドが小うるさく権利を主張することもないトロイ=ローバは薬学の発展を示すが如く、多くの薬学書を保有している。

 伯爵領で得た伯爵家の秘薬書。これもまた多くのレシピが記載されており、HP回復速度を鈍化させる感覚麻痺の霧など凶悪なデバフ系アイテムを中心とした薬が揃っている。だが、このトロイ=ローバは医学の街だ。そのほとんどが治療目的のものである。

 伝染病から咳止めまで何でもござれ。その大半はアルヴヘイム限定であり、持ち帰っても有用性はないかもしれない。だが、中には筋力増強などのバフを付ける薬もあるようだ。まぁ、それでも大ギルドの製品の方が遥かに効果は強力なので無意味だな。

 だが、それでも使える薬が無いわけではない。たとえば、欠損状態の再生はバランドマ侯爵のトカゲ試薬が最も一般的であり、コストパフォーマンスも高いとされている。だが、バランドマ侯爵のトカゲ試薬は効果を発揮するまでのフィードバックと回復時間の長さがネックだ。だが、【トロイの再生薬】ならば、フィードバックを鈍くして欠損状態から回復できる。代わりに効果発揮までの時間は3日と長めであるが、フィードバックに苦しみたくなく、穏やかに療養生活を送りたいプレイヤーにはメリットも大きいのではないだろうか?

 

「あとは流血効果を鈍くする即効性の高い【トロイの止血薬】なんてものもあるのか」

 

 あくまで名前だけであり、そのレシピは一般公開されてないようだ。トロイ寺院に向かえば入手できるかもしれない。

 トロイの止血薬か。これさえあればザクロは……いや、考えても仕方のないことか。あの時、オレ達には解呪の術が無かった。その時点でザクロの死は決して抜け出せない確定事項だった。

 あれこれ過去を振り返っても仕方のない事はある。今ここにあの時のザクロを救える方法があるとしても、過去に戻ることは出来ない。ならば、ここで知識を収集するのは次なる戦いに備える為だ。

 

「しかし、さすがは薬の街。素材は山ほどあるな」

 

 DBOでは入手困難な【黒傘大針茸】まであるとはな。傘の裏側が黒く濡れ、なおかつ針のような突起がびっしりと生えたキノコが入った瓶を手に取り、オレは思わず顔をしかめる。この黒傘大針茸、特に有用な効果を付与できる素材ではないのだが、何でも強烈な……麻薬系アイテム1歩手前の媚薬の作成に必要らしい。

 スミス曰く『すんごい』とあの男らしくない爽やかな笑顔で述べたが、あのやさぐれ公務員はその『すんごい』のでどんな『すんごい』にゃんにゃんをしたのやら。駄目だ。経験がないオレでは想像すらできない。

 

『フッ、私も試したことがありますが、もう双方揃ってドロドロですよ。あの時ばかりは騎士らしく「こんな薬に負けたりなんかしない!」と私もお決まりの文句を言いました! 騎士として! 騎 士 と し て! 騎 士 と し て!』

 

 おい、黙れ。勝手に回想を差し込んでくるな。そもそもオマエは傭兵だろうが。まったく、隙あらば記憶の中でも自己主張の激しいヤツだな。

 まぁ、そんなこともあり、この黒傘大針茸は大ギルドでも処分対象になっており、ドロップアイテムを持って来れば報奨金がもらえる。幸いにも栽培には成功してないらしく、苗床も発見されていない。だが、嫌な噂も耳にした。あのYARCA旅団が最近このキノコを――

 

「ゆっくり考え事をする暇は無いか」

 

 背後から鎌を片手に襲い掛かった住人に嘆息を入れながら蹴りを穿ち、壁に叩きつける。カーソルは黄色に変色し、痙攣した住人は全身に纏わりつけた、そして皮膚下に張り巡らされた青い蔦を脈動させ、右肩から生やすハイビスカスを思わす極彩色の花を輝かせる。

 邪魔をするならば殺しても構わないだろう。だが、今は避けねばならない理由もある。何せ数が数だ。避けられる戦闘も避けずに殺してしまえば、今は目を擦って欠伸を掻いているだけのヤツメ様が疼いてしまう。

 アスナの時はギリギリ堪えられた。だが、今度は保てるか分からない。邪魔ならば殺すのも手であるが、自分のコンディションくらいは分かっているつもりだ。寄生された住人を殺害するのは最小限に抑えねばならない。

 だが、それでもこれまでの交戦で分かった事もある。薬品保管庫の窓から出て濃霧に包まれた、特徴的な網目模様の屋根が目立つトロイ=ローバの街並みを眺めながら情報を纏める。

 まずは街全体を支配する植物であり、蔦であるが、これらは接触しても問題ない。危険なのは蕾であり、これは一定範囲内に入ると花開いて針を射出する。だが、隠密ボーナスを高めた≪気配遮断≫状態のオレならば、感知範囲は狭い。余程に近寄り、なおかつ長時間止まらない限りはこのトラップに引っかかることはないだろう。

 だが、それは寄生針に限る。毒針に関しては感知範囲に入れば問答無用で針をショットガンの如く広範囲にばら撒く。トロイ=ローバの各所にある死体はいずれも毒殺されたものだ。彼らの皮膚には黒い針が突き刺さっていた。レベル2の毒ともなれば、低レベルであるアルヴヘイムの住人からすれば致死の猛毒だろう。

 そして、住人から寄生植物を切除するのは難しい。発症した状態となると本体はどうやら花を咲かせた部位に埋まっているようなのであるが、腐敗コボルド王の時と同じように、寄生対象とHPを共有している。寄生植物だけにダメージを与えるとなると、適度にHPを回復させねばならない。だが、HP回復アイテムが乏しいアルヴヘイムではほぼ不可能だ。

 そうなると、やはり必要なのはあの寄生植物に有効な薬の獲得だろう。レギオンではないのだ。治療方法はある。

 まず住人であるが、ほぼ全滅と見て間違いないだろう。寄生モンスターは少ないが多様だ、レギオンのように対象を内側から貪って宿主に擬態するものは稀であるが、寄生した宿主を喰らって成長して腹から飛び出す……なんてことは珍しくもない。その際に腹には大穴が開くので大ダメージが確定だ。

 寄生攻撃は1度喰らえばアウトではなく、レベルがそのまま耐性値の基準として働くことが多い。故に寄生攻撃持ちに比べてレベルが低ければ低いほどに寄生攻撃の脅威は増す。そして、対象を宿主として数が増えるのはまだ良い方だ。今回のようにコントロールを奪う場合、腐敗コボルド王の時と同じように最悪の場合は寄生対象ごと殺すしかない。

 面倒だが、血のニオイをあまり嗅ぐわけにもいかない。対処方法が明確に判明しているのだ。それを選択するのが『人』というものだろう。邪魔ならば排除するが、殺害する必要がない場面では無力化に止める。それが今のところの方針だ。無理ならば……1人残らず駆逐するしかないだろう。

 だが、面倒なのはこの濃霧において、寄生植物たちは視覚ではなく別の方法で感知していることだ。感知範囲はオブジェクト透過ではないようだが、彼らの感知範囲に多重で引っかかれば、幾ら隠密ボーナスが高くても発見されてしまう。

 傭兵らしく……いや、狩人らしく隠密行動で進ませてもらうとしよう。幸いにも『感知』に関してはこっちの方が上手だ。導きの糸が絡め取り、血の衝動と共に『獲物』の居場所を教える。

 路地は迷路という程に入り組んではいないが、寄生された住人も巡回しているというよりも濃霧の中を彷徨っているに近しく、またオレを発見しても仲間を呼ぶ様子はない。

 彼らは仲間を増やすでもなく、コミュニティを守ろうとしているのでもなく、まるで夢遊病のように街を歩き続けている。一応は『外敵』に対して反応を示すようであるが、それも乏しい。

 どうにも引っ掛かるな。だが、情報が不足している。推測は立てられても早合点すべきではないし、そもそもオレは頭脳労働担当ではないのだから、真相にぶち当たった時に考えれば良い。どうせ今はソロだ。前後左右を見ても自分だけだ。

 そう、誰もいない。壁にもたれ、Y字路の角から顔を出して濃霧の向こう側を探りながら、オレは失笑する。

 アルヴヘイムに来た時は3人と1匹だった。だが、廃坑都市でPoHと逸れ、イリスを失った。シャロン村では……霜海山脈ではザクロが死んだ。そして、いつものように1人で戦っている。

 考えたくない。あれこれネガティブな考えを巡らせれば気が滅入るだけだ。深呼吸を挟み、ようやく濃霧の壁を掻き分けて見えてきたトロイ寺院にたどり着く。

 寺院と聞いていたので聖堂のような外観を想像していたのだが、見た目は古めかしい病院のようだ。相変わらず蔦が絡まっているが、それ以前に壁は苔生し、屋根にも白いタンポポのような菌糸類が茂っているようだ。トロイ寺院全体は鉄柵で囲まれているが、いずれも蔦が絡みつき、あの極彩色の花を淡く発光させている。

 侵入しようにも寄生植物に支配された野犬……いや、番犬が見張りについている。その数は10頭だ。いずれも背中に巨大な極彩色の花を咲かせている。その唾液も変異しているのか、毒々しい黒色だ。攻撃の全てに毒の蓄積があるのだろう。

 さて、どうしたものか。正面突破も悪くないが、消耗はしたくない。何よりもご丁寧に番犬を配置しているのは何故だ? 寄生植物による対象の支配は腐敗コボルド王の時よりも強力な部類だ。寄生された彼らは意思のない人形に成り下がる。言葉を発することもない。だが、その一方で寄生してもそれで防衛網を築く様子もない。

 そのはずなのに、トロイ寺院にはこれだけの番犬を設置している。何かを守らせる為か? その割には寄生された住民がいないな。矛盾している。

 正面から戦っても旨みはない。何処か抜け道は無いかと探れば、物資搬入用だろう裏門を発見する。そちらにも番犬はいるが、数は3頭と少ない。こちらの方が侵入は容易か。

 霧の中で身を屈め、爆ぜるように跳んで番犬を襲撃する。1頭目を贄姫の居合で首を刎ね、続く2頭目が感知するより先に頭部を縦に両断する。3頭目が背中の花を輝かせて毒針をばら撒く。

 回避は容易。だが、丁度良い実験だ。オレは頭部だけは守るべく腕をクロスさせて構え、あえて毒針を全身に受ける。

 だが、ダメージは極小。元々デバフ蓄積を狙ったものとはいえ、低VITかつ防御力は決して高くないオレでもダメージは全身にフルヒットしても1割にも届いていない。

 それもそのはずだ。防御姿勢の状態のまま『ナグナの狩装束』を対象としてパラサイト・イヴの武装侵蝕を発動させた。今のオレの防具はどす黒い血のようなパラサイト・イヴによって侵蝕されている。

 パラサイト・イヴの発動条件はオレが『接触』していることにある。すなわち、元より接触状態の防具は常に対象だ。ちなみにガード時にはより発動を明確化するために袖をつかんだが、そこから侵蝕が開始されたことを見るに、正確には発動起点は両手である。

 名付けてパラサイト・イヴ=防性侵蝕。本来は武器化をもたらすものであるが、その強化を防具に施す。そうすることでガード効果を増幅させ、また貫通耐性・衝撃・スタン耐性を疑似的に高める。難点はパラサイト・イヴを発動させねばならないので反射的なガードには発揮できない点。また、通常の素手のガード以上にスタミナを奪われるので連用は出来ない点と発動時は動きが止まってしまう点か。

 だが、その効果はこの通りだ。ダメージは限りなく減少できた。死神の剣槍のアルフェリアの叫びと同じく、新たな防御能力として有効活用できるだろう。まぁ、さすがにドラゴンのブレスを真っ向から受け止めるのは避けたいが、それでも一撃でもまともに受ければ死ぬオレからすれば生死を分かつ能力になるだろう。何よりも素手のガードよりもマシだ。

 まぁ、そもそもオレは回避の方が性に合っているし、そもそもコイツを連用するような事態になった時点で死亡は確定だ。だが、コイツはオレのことを良く知る連中ほどに『仕込み』になる。

 オレは回避主体。わざわざ攻撃を『受け止める』ような真似はしない。即ち、オレが敢えて防性侵蝕で『耐え抜く』ことを選択するなど相手は考えない。つまり、暗器らしく『意識の死角を突く』のに役立つ。ランスロット相手にも有効だろう。まぁ、そもそもランスロットの攻撃はいずれも威力過剰なのでHPフルでも耐えられる保証はないのだが。

 防性侵蝕解除。そのまま番犬の喉を左手でつかみ、締め上げながら持ち、その胸に贄姫を突き刺して薙ぐ。血飛沫が散り、番犬の全ての排除に成功する。

 やはりパラサイト・イヴは応用性の高さが素晴らしい。使い手の発想次第で幾らでも新たな戦法を編み出せる。体内にある時点で発想はイカれているが、それが結果的に破損を免れる要因にもなっている。

 心臓部に本体を持ち、体内に浸透しているパラサイト・イヴに決定的な破損をもたらすにはオレの心臓を攻撃する以外に無い。そして、それも1度や2度の攻撃では駄目だ。つまりはパラサイト・イヴを破壊するより先にオレの方がHPゼロになる。これ程の傑作はないだろう。無論、笑い話という意味で……だ。オレより長持ちする武器をついにグリムロックは生み出したのだから。

 裏門を潜り、赤石が埋め込まれて舗装された道を進んでトロイ寺院の裏口から侵入する。内装は落ち着いた茶色である。内部は多くの個室があり、それぞれが研究施設のようだ。いずれも≪薬品調合≫や≪錬金術≫を活かす為の設備がある。

 寺院内はこうした研究棟と資料棟に分けられるようだ。研究棟を照らすのは天井に吊るされたランプであり、それは不気味な紫の炎を灯している。蝋燭はいずれも燃え尽きていない。寺院内も蔦の侵蝕を受けているが、少なくとも蝋燭が燃え尽きる程の時間は経っていないようだ。

 蔦が内部より溢れて鍵が壊れた研究室には、腑分けされただろう多くの内臓が毒々しい黄色の液体に浸されて瓶詰されていた。生首も1つや2つではない。彼らの研究はどうやら非人道的なものも含まれていただろう事は、手術台にのせられた……『生きたまま解剖』されていただろう、全身に赤い膿を溜め込んだ遺体からも明らかだ。彼らはアルヴヘイム特有の多くの病を研究していたようだ。

 通常ではあり得ない、オベイロンが狂わせたアルヴヘイム。それは限りなく現実世界に近しい。だから医療の発展のための犠牲は必要だろう。だが、これは必要な犠牲ではなく、好奇の狂熱がもたらしたものだ。

 遺体の傍の棚のファイルを手に取り、精巧に記された解体図や研究内容を読み取っていく。

 老化抑制。肉体の若年化。肉体再生。他にも諸々の研究が並列して行われていたようだ。それが目指したものは1つ。

 

「『永遠』……不老不死か。くだらない」

 

 ナグナと同じ顛末かもしれないな。あちらはカアスの導き手たちに唆されて深淵の主を復活させ、こちらは『永遠』の探究の為に良からぬものに手を出したのかもしれない。

 彼らの努力の結晶だろう研究ファイルを投げ捨て、解体途中で蔦の侵蝕を受けて絶命しただろう手術台の遺体を見下ろす。彼は自ら望んで肉体を差し出したのか、それとも無理強いされた哀れな犠牲者か。

 どちらでも興味はない。オレは『永遠』などというものを目指した彼らに呆れた。そんなものを求めても退屈なだけだろうに。健康長寿で満足しておけよ。どうして研究者というのは不老不死に興味が向いてしまうのやら。好奇心というのは度し難いものだ。

 不朽の古竜。最初の火が起こるより前の灰の世界の支配者。彼らは火がもたらした差異によって生と死を定められ、不死ではなくなった。その鱗は彼らに絶大な生命力をもたらし、朽ちぬ存在としたが、それでもグウィン達によって滅ぼされた。彼らもまた真の意味での不死ではなかったのだ。

 まぁ、システム的に言えば、ドラゴンの鱗はオートガード状態なので、攻撃をぶち当てても大幅に減衰されるんだがな。まずは弱点の雷属性で鱗を破壊する。これが竜狩りの鉄則だ。その点だとガード無効化の≪剛覇剣≫はやっぱりドラゴン殺しのスキルだな。ユージーン1人いるだけでクラウドアースのドラゴン撃破数が大幅に増加したのも頷ける。

 次は資料棟に赴くが、多量の書籍は蔦の侵蝕を受けて読めたものではなかった。徘徊する寺院の研究者たちも多い。どうやら蔦の侵蝕を受けた際にこちらに避難してきて一網打尽にされたようだ。

 

「『素材保管庫』ね。何があるのやら」

 

 そして、資料棟は地上の書庫よりも地下が本命のようだ。紫の炎で照らされた地下は薄暗い。

 地下1階と2階はまともな素材の保管庫のようだが、3階からは様相が異なる。より蔦の侵蝕が深刻であり、いかなる素材を収容していたのかが分からない。

 資料を持ち出そうとして死んだのか。研究員らしき男が全身に黒い針を突き刺した状態で壁にもたれかかったまま息絶えていた。彼が抱きしめた分厚い金装飾の本を開けば、トロイ=ローバの秘密……多くの薬のレシピが記載されている。

 

「寄生植物に関しては……特に無い、か?」

 

 じっくりと読み解けば、あるいは……いや、時間をかけるにしても場所を変えるべきだな。壁が崩れ、多くの資料やアイテムが散乱する3階は通り過ぎ、最下層らしき地下4階にたどり着く。

 そこは広々とした地下空間であり、寺院に相応しく荘厳な造りをしている。あるいは、地上は解体されて今の風貌となり、この最下層こそがトロイ寺院の本当の姿なのかもしれない。精巧なるレリーフが彫り込まれた柱に捧げられたのは竜の角を持つ乙女の像だ。

 血のニオイが酷い。それものそのはずだ。今までと違い、直接的な暴力で損壊した遺体が多く転がっている。首を千切られ、胴を抉られ、挽肉になるほどに潰された遺体が多い。そして、何かが暴れた後のように壁は抉れ、柱は倒壊し、床には傷痕が刻まれていた。

 そうした惨劇の跡地を踏み抜いた先にあったのは、巨大な祭壇の残骸だ。散らばるのは今や火が消えた蝋燭であり、瓦礫は冷たく湿っている。

 何か巨大な存在が祀られていた? だが、祭壇には大きな破壊の痕跡がある。何かが動いたようだ。加えて周囲には金属塊のようなものも転がっており、それは緩やかにポリゴンの欠片となって散っている。その様はまるで急速に風化して粉微塵となっているかのようだ。

 鎖の破片だ。それも対人でも猛獣でもない。それこそ巨人のような巨大な存在を繋ぎ止めておくための鎖だ。改めて周囲を確認すれば、祭壇の周囲には鎖を繋ぎ止める杭がある。

 何かを封印していた? それが動き出したのがトロイ=ローバの惨状の直接的原因と見て良いのだろうか? そうなると、この周辺の遺体はいずれも封印した何かが暴れるのを防ごうと奮戦した結果なのだろうか。その証拠のように祭壇の真上の天井は崩れている。何かはここから地下3階に移動したのだろう。

 情報を統合すべき段階に入っているかもしれない。崩れた祭壇から離れ、階段に戻り、崩落して探索が難しい地下3階を改めて確認する。微かに脈動する蔦は血管のようであり、この地下空間そのものが巨大な生物の内部のような錯覚に陥りそうである。

 

「この先に道があるか」

 

 崩落して通行止めになった道に触れ、下手に衝撃を与えれば更なる倒壊をもたらしそうな瓦礫の山に顔を顰める。この地下3階は広い。構造的にも保管庫というよりも、もう1つの研究区画と呼べるかもしれないな。もしかしたら、地上はあくまで表層的な研究に過ぎず、ここでこそ真なる永遠の探究が行われていたのかもしれない。

 冷たい石造りの地下空間を照らすのは紫色の火を揺らす蝋燭ばかりだ。蔦が垂れ下がってカーテンのようになって塞ぐ道を発見し、軽く足下の石を投げる。だが、特に反応はない。トラップの類ではないか。

 蔦を掻き分けて進むも、やはり道は倒壊して行き止まりになっている。だが、横壁が崩れており、そこから研究室らしき空間に侵入することが可能だった。

 そこはトロイ寺院でも高位の研究者兼聖職者の私室のようだった。豪奢ではないが、各調度品が凝っている。特に気になったのは壁にかけられた蛇が自らの尾を喰らうシンボルだ。確かウロボロス……永遠の象徴だっただろうか?

 DBOにおいて、蛇とは竜のなりそこないであり、貪欲を意味する。世界蛇なる存在がいて、神々や人の前に現れて多くの誘いや導きを与えるそうだ。なお、その世界蛇の1匹がナグナに滅びをもたらしたカアスの導き手……その大元となっている闇撫でのカアスである。

 主にDBOの歴史でも語られる世界蛇は2匹。カアスとフラムトだ。彼らは最初の火継に深く関与しているらしく、特にフラムトは太陽の光の王グウィンと深く親交があったようだ。だが、世界蛇に関しての情報はオレもあまり集められていないのだが、どうにも彼らは竜のなりそこないであるが故にコンプレックスのようなものを抱えていたようにも思える。

 即ち、時の権力者や次代の支配者に忍び寄り、密やかに自らの権威を獲得しようとする。そんな浅ましい貪欲だ。

 とはいえ、これは白竜シースに関して調査していた間に得た情報に過ぎない。世界蛇とはどんな存在なのかは謎のままだ。

 このDBOの『真なる完全攻略』。それは狂気に侵される前の白竜シースへの接触を成し遂げねば始まらない。恐らくだが、このままステージをひたすらに攻略しても出口はない。ラスボスには出会えない。

 いいや、違うか。恐らくはラスボス役は『複数』準備されている。要はマルチエンディング。プレイヤーは選択を強いられる。与えられた情報を吟味し、この世界に自分たちの……闇の血を持つ者としての『ロールプレイ』を成し遂げねばならない。そして、それを怠れば『詰む』わけだ。

 プレイヤーがこのまま謎を放置したまま、一刻も早く現実に帰りたい一心で攻略をしていても待つのは袋小路だ。全てのステージが解放されてもラスボスの影も形も見当たらない。その時になってプレイヤー間で蔓延するのは現実帰還できないという絶望だ。あるいは、もっと最悪な『バッドエンド』が準備されているかもしれない。

 恐らくだが、エドガーは既に『エンディング』を睨んで行動している。このDBOはヤツにとって過程のはずだ。目指すのは神灰教会の存在意義そのもの。故にヤツは危険であるが、その信仰心に基づいた善意の下での行動も読みやすい。それは一般的な道徳とは時として乖離するものであるが、その行動基準全てがヤツの信じる神にあるならば、その教義そのものがヤツの行動を予測する助けとなる。

 

「……面倒だな」

 

 どうして頭脳労働に精を出さねばならないのだろうか? こういうのは頭が良い連中に丸投げしたいのに、賢い連中はどいつもこいつも謀略に勤しんでいる。むしろ、オレが必死に暴こうとしている真実には既に辿り着いていて、それを前提としてあれこれ策謀を張り巡らしているかもしれない。

 誰かに任せられるならば、幾らだって丸投げしよう。だが、現状では攻略関連だけは自力で情報収集するしかない。もとい、どいつもこいつも腸に何を詰めているのか分かったものではないが故に情報提供できない。

 そういう意味では1番協力関係を築けそうなのはラジードとミスティア、それにサンライスだな。あの3人は純粋にプレイヤーの為に完全攻略を信念として戦っている。だが、困ったことにあの3人はいずれも太陽の狩猟団だ。

 ディアベルも信用したいし、信頼もしたい。彼の協力が得られれば、白竜シースに関する調査もよりスムーズにいくだろう。だが、アイツは個人である以上に聖剣騎士団のリーダーであることを選んでいる。故に安易に協力を申し出るわけにもいかない。

 だから、正直に言えば、オレはこの件を『アイツ』に丸投げしたいところだ。少しでも情報を集めたら、そっくりそのまま『アイツ』に渡すのも悪くないかもな。

 

「それにしても、かなり研究は進んでいたようだな」

 

 この部屋の本棚には多くの研究書が保管されている。彼らはアルヴヘイムのあらゆる病について調査し、標本を収集し、不老不死を目指していた。

 アルヴヘイム特有のコミュニケーション可能なモンスター群、魔族。彼らとの接触も繰り返したらしく、その過程で彼らは深淵も研究対象としていたようだ。

 黒獣の生態。アメンドーズの成長過程と精神感応。妖精たちが翅を失った推測。そしてオベイロンへの疑惑。彼らはかなり以前からオベイロンと深淵の癒着を疑っていたようだ。閉鎖的であり、オベイロンやティターニアへの信仰が薄い土地だからこそ、また狂気的ではあるが好奇心が研究を支えたからこそ、この世界の真理を暴こうと必死だったようだ。

 

「不老と不死に限りなく近い再生能力の獲得……モンスター化……その為の寄生モンスターによる人体変異、なるほどね」

 

 彼らは寄生モンスターを敢えて体内に受け入れ、モンスター化することによって限りなく不老に近づくことを目論んでいたようだ。独自の生態系を構築するアルヴヘイムだからこそ可能な種の配合と進化の誘導。彼らは寄生するモンスターを研究し続け、宿主となり、そして彼らの支配を受けず、逆にその能力だけを甘受することを『永遠』を成す方法として目指していたようだ。

 オベイロンめ、余計な真似をしてくれたものだ。これが通常のDBOならばこうもいかなかっただろう。モンスターは何処までもモンスターであり、プレイヤーを害する存在だ。無論、友好・敵対などのパラメータは存在するかもしれないが、基本的にプレイヤーからすればモンスターは経験値とアイテムの塊であり、モンスターはプレイヤーを排する攻略の妨害者だ。それは何をどう取り繕おうとも変わらない。

 だが、生態系を形成し、モンスターがまさに生物のように繁栄と破滅を繰り返し、更には深淵なんていう訳の分からないものが蔓延するアルヴヘイムは、もはやDBO以上にゲームの様相を失っている。

 今更か。DBOもまた少しずつ少しずつ、アバターを本物の肉体に近づけているのだ。もはや、プレイヤーの何人が現実世界に本気で戻れると思って行動しているだろうか? オレには本気でその為に戦っている連中は両手の指の数ほども思いつかない。

 それよりも、今回の事件を引き起こした原因はこの寄生モンスターと見て間違いないのか? 制御できなくてというオチもあり得るかもしれないが、それにしては違和感がある。もう少し調査が必要だろうか?

 いや、止そう。オレの目的はシェムレムロスの兄妹を殺すことだ。トロイ=ローバの事件を解決することではない。この街がどうして滅びた……いや、現在進行形で破滅に向かっているのかを探ったところで何かが得られるわけでもないのだ。

 他にシェムレムロスの兄妹に関する情報は無いだろうか。白の森にたどり着く方法が何処かに隠されているはずだ。最悪の場合は霧の中を歩き続けて陸路も……いや、止めておこう。行き当たりばったりで解決する事案もあるが、今回は手段を探らねばならなさそうだ。

 この部屋の主は聖職者だ。永遠の探究にして巡礼の末裔。ならば、何かしらの伝承でも残っていているのが筋だろう。

 手当たり次第に書物を開くが、いずれも永遠の研究ばかりだ。歪んだインテリ共め。そんなに永遠に恋い焦がれて何がしたいのだ?

 

「それ以上踏み込まないでください。斬りますよ?」

 

 次の本を手に取りながら、オレは背後を振り向かずに警告する。

 途端に忍び寄っていた襲撃者が息を呑むのが分かった。足音を立てないように努力したようだが、呼吸音がバレバレだし、何よりもヤツメ様の導きを欺くには練度が足りない。

 首を動かしてチラリと背後を確認すれば、そこには両手でナイフを握った少女が立っていた。髪は淡い金髪であり、ボサボサで手入れが足りていない。伸びた前髪の狭間から覗かせるのは翡翠の瞳であり、それは恐怖と焦燥で揺れていた。

 殺意はあるが、それは自衛のために近しく、衝動的で混乱が主なものと考えられる。攻撃に移られた場合、鎮圧もしくは殺害が望ましい。だが、相手は子どもだ。手足の1本や2本を折っても問題ないが、穏便に済ませられるならばそれに越したことは無いだろう。

 年頃は10歳前後……いや、10歳に届いていないな。痩身であり、首には拘束用の首輪。いや、服自体も拘束服の類か。この様子だと考えられるパターンは限られる。

 

「……あなたは誰? どうやってここに?」

 

 声は意外にも理知的で上手く感情を殺している。ナイフを持って忍び寄ったのは背後を取ってプライオリティを獲得する為か。コミュニケーションを図る際に自分が上位であると警告するのは、彼女からすればオレは体格に勝る年上であり、なおかつ武装をしているからこそ。合理的な判断に見えて短絡的。だが、相手との力量差を勘定に入れられないとは思えない。この事から察するに、彼女自身も追い詰められた境遇であると推測できる。

 子どもの相手はあまり得意ではないのだがな。開いた本で口元を隠しながら小さく嘆息する。だが、トロイ=ローバで初めて出会った生存者でなおかつ正気だ。ここで失うのは惜しいか。

 

「永遠の巡礼の者です。シェムレムロスの兄妹、彼らが住まう白の森を探して旅をしています。ここに立ち寄ったのは単に道中だったからですよ」

 

 ナイフを握ったまま警戒心を解かない少女に対し、オレは無言で本を捲って内容を確認する。これも永遠の研究に関するものだ。シェムレムロスの兄妹に関する記述はない。

 

「巡礼者? あなたも永遠を求めているの?」

 

 嘲うように口元を微かに、年齢不相応に色濃い影を滲ませながら歪める少女に、オレは馬鹿を言うなと目を細める。

 

「永遠など愚かしいものを求めていませんよ。ちょっとシェムレムロスの首を拝借しに行くだけです」

 

「シェムレムロスの兄妹を殺すつもり? 伝説に過ぎない永遠の探究者を? 面白いことを言う『お姉さん』ね」

 

 ……子どもの戯言だ。抑えろ、オレ。相手はチョコラテ君ではない。いきなりアイアンクローを炸裂すべきではない。

 深呼吸を1つ。流し読みで内容を確認した本を棚に戻し、次の分厚い革張りの本を手に取る。中身は……薬学書か。幾つか有用なレシピが得られそうであるが、1つ1つ読み取っていく時間が惜しいな。

 

「あれ? でも、声は……男っぽい? でも、高くて……とても奇麗な声。あなた……どっち?」

 

 何やら別の部分で困惑を募らせる少女に、オレは誤解を解くべきかと本格的に彼女と対話すべく振り返って右腕を横に振りながら腰を折って一礼を取る。だが、目線は相手から外すことはない。狩人の礼法である。

 

「改めまして、Little lady。オレは傭兵にして狩人、名をクゥリと申します。見ての通りの『男』ですよ」

 

 やや威圧を込めて微笑みながら告げれば、少女がガクガクと頭を縦に振った。少し威圧を込め過ぎてしまったか。少女は警戒心を高めたようである。

 この部屋にシェムレムロスの兄妹に関する目ぼしい情報はない。本棚にもたれ掛かり、腕を組んだオレに少女はナイフを向けたままだ。

 繰り返すが、子どもの相手は得意ではない。だが、子どもが嫌いというわけでもない。オレは視線を敢えて彼女から逸らした。

 

「このまま睨み合いをする気はありません。オレに問いたいことがあるならば、ご自由に。ところで、お名前は何と言いますか?」

 

 名前を問うと少女は心底驚いたように、大きく目を見開いて、視線を惑わせて、やがてこちらを少しだけ嬉しそうに見た。

 

「……私は【アメリア】。外の様子が知りたいの。トロイ=ローバはどうなってるの?」

 

「生存者はいますが、いずれも謎の植物に寄生されて無秩序に徘徊し、遭遇者を襲っています。ですが、そもそもは外界と交流を持たない閉鎖された街。被害はほぼ出ていないでしょう」

 

 マウロは危うく同類になりかけたが、それをわざわざ伝える必要もない。オレは元よりこの地に来たのは自発的だ。巻き込まれたとは思わないし、そもそも行く先でトラブルが起きるのは常だ。今更になって特に感情を抱くわけでもない。

 死神。災厄を運ぶ、凶事をもたらす【渡り鳥】。DBOでも大して変わらないだろう。グリセルダさんのお陰で幾らかのイメージ改善は出来たと思うし、1部の人間は幾らか好意的に接してくれているようだが、大勢は変わらない。

 ……少しネガティブになっているな。溜め息を隠しながら、オレはアメリアと名乗った少女を観察する。

 その瞳にあるのは動揺だが、それ以上に喜びだ。この少女はトロイ=ローバが壊滅したことに少なからずの歓喜を覚えている。

 

「狩人さん。あなたはシェムレムロスの兄妹を殺したいのよね? その為に白の森を目指している」

 

「ええ」

 

「行き方を探しているなら……教えてあげる。でも、条件がある。私を外に連れて行って。この街の外に」

 

 悪くない取引だが、安請け合いしたくない部類だな。顔を顰めたオレに、アメリアは自分の出した条件が何か不味いのだろうかと吟味しているようだった。まぁ、彼女に非はない。むしろ、オレが得られるものに比べれば慎ましい要望だ。

 問題はアメリアが本当に白の森への行き方を知っているのかだ。無理矢理この場で訊き出すことも出来なくもないが、わざわざ血を流す意味もない。

 

「良いでしょう。ただし、先に白の森への行き方……それに関する断片的でも構いませんので情報を貰えないでしょうか? 言うなれば報酬の1部前払い。それを受け取った上で、オレはキミと契約し、その依頼の達成に尽力しましょう」

 

「…………」

 

 沈黙は虚言だからか? それとも情報を僅かでも提供すれば取引の意味が無くなる類なのか? アメリアはナイフを下ろして左手の人差し指を立てた。

 

「白の森は暗闇の森。灯るのは青い炎ばかり。それは魔法の火。白の森は魔法で隠されてるけど、シェムレムロスの兄妹の使い魔である月光蝶だけが巡礼者を誘う。私は……お母さんにそう教えてもらった」

 

 俯いたアメリアから真偽を探ることはできない。だが、アメリアにとって母親は大切な存在だったようだ。その声には悲しみ、そして大きな怒りが秘められている。

 

「トロイ=ローバの先にあるのは断崖絶壁と底なしの谷。虹の光が見えぬ真実を暴く。これ以上は教えられない」

 

「十分です。では、アメリア。アナタを外までお連れします。ですが、エスコートには期待しないでくださいね」

 

 アメリアを外まで案内する、か。難易度は決して高くないが、それはオレ個人でここまで来たが故に感覚の差異はあるだそう。少なくとも、彼女はこのトロイ寺院地下3階から独力で抜け出せていないのだから。個人で脱出できるならば、わざわざオレを頼る必要はない。

 まだオレを警戒している様子のアメリアであるが、少なくともオレとの契約がある限りは殺されることは無いとある程度は信用したのだろう。ナイフを鞘に戻した。

 

「このトロイ=ローバで何が起こったのか、ご存知ですか?」

 

「……知らない。あなたはそれを知ってどうするの? ここの連中を助けても感謝の1つだってもらえないわよ」

 

 刺々しい物言いをするアメリアは、まるで手負いの子猫のようだ。牙を剥いて唸り、周りの全てを信じていないが、心の底では温もりを渇望をしている。それは怖がるようにオレの背後で5歩分以内から離れようとしない事からも察することができる。

 いつものことだ。信頼はないが、信用はある。それが傭兵としてのオレだ。むしろ、傭兵に信頼関係を求められても困るものかもしれないな。互いに利害を把握し、信用して仕事を任せる。それ以上の関係はむしろ邪魔なのかもしれない。

 だが、誰もがより踏み込んだ関係を……信頼を欲する。無条件で背中を任せられる相手を……打算なく信じられる友人を……窮地に助けに来る仲間を……決して裏切らない伴侶を欲している。

 寄生植物に蝕まれた研究員が2人、片手に点滴台のような長物を持って道を阻む。体を強張らせたアメリアに後ろに下がっているようにと左腕を横に伸ばして制し、オレは右手で贄姫の柄を握る。

 

 

 

 

 ああ、ようやく殺せるわね。そうやって、殺す為の言い訳を……建前を……『理由』を求める。それを縁と楔にしてあなたは『人』であらんとする。だけど、本当は違う。悦楽さえも超越した飢餓。血の悦びはひと時だけ喉を潤し、あなたを微かに満たす。でも、砂漠に雨が降っても海はできない。昼は飢えに炙られ、夜は渇きに凍える。それこそ『永遠』の殺戮の飢餓という名の本能でしょう?

 

 

 

 

 

 贄姫を抜こうとする右腕に縋りつき、甘い猛毒の蜜を流し込むようにオレの喉に触れるヤツメ様の囁きに、一呼吸と挟むことなく血の誘惑に抗いながら居合を放つ。水銀居合は研究員2人を真横に両断し、その肉体を胴から分かつ。だが、切断面は蠢いて植物の根が這い出し、上半身は這いながらオレに迫る。

 ステップで急速に間合いを詰めながら、バターでも断つように贄姫の鋭利な刃は床に切れ込みを入れながら研究員の1人を縦に切断する。そこから這うもう1体の頭蓋へと切っ先を突き刺して捩じって抉る。

 血が飛び散り、ナグナの狩装束を染める。呆気ないが、油断はしない。アメリアの背後から、何処に隠れていたのか、もう1人の研究員が姿を現す。その手に持つのは金属製の椅子。恐らくは実験に使う拘束椅子の類か。それを大きく振り上げている。

 問題ない。既に左手では鋸ナイフを抜いている。投擲は十分に間に合う。だが、アメリアに振り下ろそうとした椅子は一瞬だけ硬直する。それは溜めの動作ではなく、不自然な静止。それはアメリアに背後を気づかせて小さな悲鳴を上げさせる。

 放たれた鋸ナイフが研究員の右肘を貫く。よろめいた隙にステップで迫り、その顔面を左手でつかむと壁に叩きつける。そのまま顔面に贄姫の柄尻で連続で殴打して潰し、絶命に至らせる。

 

「狩人さん……凄い強いのね」

 

「彼らが戦い慣れていないだけです。こちらは数に物を言わせた戦いには随分と『慣れ』がありますから」

 

 数は戦術であり、戦略であり、定石なのだ。それを覆してこそ、高額の報酬と引き換えに依頼を成し遂げるDBOの傭兵だ。まぁ、限度はあるが、この程度の雑魚を相手に複数だから不利など思っても言葉にしてはならない。

 それよりも奇妙なのはアメリアに対する研究員の反応だ。あれは躊躇いか? だとするならば、寄生された人々には自意識が残っていて、ある程度の制御が利くのだろうか? だからこそ、子どもに攻撃することを阻んだ。

 分からない。だが、仮に自意識があるとするならば、オレが殺した彼らはこの世の理不尽を呪っていたのだろうか? 考えても仕方ないし、今はアメリアの危険を排除するのが先決だ。

 それよりもアメリアの反応だ。てっきり彼らを殺害した件を非難されるかと思っていたのだが、その双眸は年頃に似合わない程に擦れて冷たく、彼らへの慈悲はまるでない。むしろ、あるのは侮蔑ばかりだ。

 

「トロイ=ローバは嫌いですか?」

 

「大嫌い。年中通してジメジメして、誰も彼もが研究ばかり。他に興味を持つ人たちは迫害される。でも、外には追い出されない。街の秘密を持ち出すかもしれないから。だから、この街で生まれた人たちは同じ『色』に染まるか、それとも内に不満を溜めたまま生きていくか、酷い目に遭うか。どれだろうと反吐が出る」

 

 恰好からしてアメリアは尋常ではない扱いを受けていたことは察せられる。故郷を憎む理由は色々と考えられるが、彼女はこの街が滅びようとも……いいや、むしろ破滅することを望んでいるようだ。

 アメリアは装備もそうだが、≪気配遮断≫が無いので隠密ボーナスはかなり低い。それは索敵に引っかかり易いということだ。基本はオレが先行して安全を確保し、隠れていた彼女を呼び寄せる方針である。

 2階への階段に無事到着し、多数の薬品素材が陳列した棚にアメリアを隠しながら、オレは順調に脅威を排除していく。やはり贄姫の高い斬撃属性は植物系に対してはかなり有効だな。だが、贄姫にはあまり負担をかけられない。基本は徒手格闘で制圧していく。

 単調なテレフォンパンチと付随する蔦の鞭。それはレギオンの触手に似ているが、あちらが自律制御なのに対し、こちらは攻撃に付随するか、オートで迎撃するか、そのどちらかだ。花を潰せば感知能力は大きく下がり、また毒針攻撃も無くなる。既に攻撃方法は読み切っている。研究員の拳と蔦を躱し、その背後を取って首を絞め、捩じって折る。そのまま物陰から飛び出した解体用の……それこそ人間を刻むに相応しい大型鋸を持った研究員の膝を蹴って砕き、体勢を崩したところで両目の眼球を右手で突き潰し、そのままの勢いで壁に叩きつけながらSTR出力を引き上げて手刀を頭部の奥底に潜り込ませる。

 血と脳漿でべっとりと汚れた右手を引き抜いて振り払う。充満する血のニオイが昂らせる。

 血の香りとは腐敗の香り。血とは無菌であり、故に血の香りとは外気と触れたことによる『発酵』の産物だ。腐敗と発酵は表現の違いに過ぎず、どちらも細菌・酵素などによる化学反応だ。だから、オレが喉を鳴らすのは科学現象として解明され、また仮想世界でプログラミングされて再現されたニオイではない。それは五感としての刺激ではない。より本質的で、根本的な生命が死に触れて香しく醸し出す……本能が嗅ぎ取る生命が腐敗する血臭だ。

 狩人だけが嗅げる狩りの血臭。それは血の悦びを浸した香り。より濃厚な狩場を、自らの狩りの成果を、そして新たな獲物を教えてくれる。だからこそ、血に酔った狩人は度し難いのだろう。

 

「……うぇ……おうぇ……!」

 

 オレは発露しそうな笑みを隠し、また抑えるべく左手で口元を覆う。そして、体を折り曲げて呼吸困難寸前までに咽せているアメリアに目を細める。

 たとえトロイ=ローバの人々が死のうとも何とも思わないかもしれないが、正常なる意識は血と死に触れた時に拒絶を示す。アメリアはどれだけ子供らしからぬ達観と絶望を持っていても、その性根は『人』であるという事だろう。

 

「少し休みますか?」

 

 まだトロイ寺院も脱出できていない状況で休憩は些か早過ぎるのだが、アメリアのコンディションは最悪だろう。痩せ細った彼女は十分に食事も取れていないはずだ。オレの提案にアメリアは首を縦に振ろうとしなかったが、まともに立てる様子もなかった。

 これが現実世界ならば吐瀉物で悪臭が漂っていただろう。仮想世界に感謝だな。オレはアメリアを手招きし、比較的安全そうな保管庫に呼び寄せる。そこは薬草の貯蔵庫なのだろう。瓶詰めされた素材が棚に並べられている。

 

「どうぞ。水と食料です。毒は入っていませんよ」

 

 水筒と携帯食料を渡すと、アメリアはボロボロの前髪に隠された翡翠の瞳を大きく見開く。本当は食べたくて仕方ないのだろうが、警戒心が安易にそれを許さないのか。

 こういう時にどう対応すべきか。だから子どもの相手は苦手だ。エドガー曰く、笑顔を絶やさないのが1番らしいのだが、そもそも笑顔なんて無理に作ろうとした日にはオレの場合、引き攣り過ぎてホラーテイストになってしまう。

 だから、せめて微笑んでアメリアの警戒心を解こうと努める。すると彼女はオレの手からまず携帯食料を、次に水筒を奪った。

 ユウキにも振る舞ったカレー味の固形携帯食料だ。あの時はお湯で溶かしてスープにしたが、そのままでも十分に食べられる。味はスープ時より濃いだろうが、アメリアは夢中で頬張る様子を見るに、十分に食べられる部類だろう。

 

「……うぐ……ひぐ……お、美味しい! すごく……美味しい!」

 

 涙をボロボロ落としたアメリアを見るに、まともな食事は長年取っていないようだ。彼女がどんな生活を送っていたのかは不明だが、食事も水も満足に取れず、なおかつ自由のない日々だったのだろう。

 食事の風景に血は不似合いだ。ナグナの狩装束は随分と返り血を浴びてしまった。いや、その気になれば返り血を浴びない事は可能だ。だが、オレの場合はリゲインがあるし、何よりも少しでも箍が外れそうになれば、積極的に血に浸ろうとしてしまう悪癖が生まれ始めている。

 ここにも薬学書があるようだ。文字を目でなぞれば、少しは『獣』の顎も落ち着くだろう。文字は良い。それは文明の証明であり、文化の熟成であり、『人』ならではの芸術だ。

 

「狩人さんも薬を作るの?」

 

 ページをじっくりと捲っていると、両手で持てないほどあったはずの携帯食料を貪り終えたアメリアが駆け寄ってくる。何だ、その反応は? まるで懐いた子猫みたいではないか。

 

「ええ。お恥ずかしくも心得程度ですが。簡単な薬の調合は出来ます」

 

「気になるものはある?」

 

「幾らかは。ですが、わざわざ持ち帰るほどのものではありませんね」

 

 この程度ならば大ギルドでも販売しているし、ヨルコならば作れるだろう。トロイ=ローバは宝の山かと思ったのだが、やはりDBOの発展には届かないか。アルヴヘイムの方が歴史は長くとも、それは停滞の時代だ。オベイロンによって抑制された歴史、足りぬ設備、そしてメタ知識の不足が彼らから発展の土台を奪ったのだろう。

 だからこそ、伯爵領で得られた薬学書は大いに価値がある。感覚麻痺の霧を始めとした、対人特化の薬がずらりと記されていた。

 

「トロイの止血薬くらいは持ち帰りたいところですね」

 

 あとは魔力回復速度を高めるという【白木の蜜薬】か。指でなぞって内容を追うが、どうやらかつてトロイ=ローバの始まりとなった賢者……白の森からの生還者が生み出した薬らしい。

 だが、気になるのはその素材名……【ウーラシールの白木の樹液】だ。魔法国家として度々名が登場するウーラシールは多くの魔法を生み出したが、そのいずれも攻撃ではなく補助系が多い。そのウーラシールと言えば、深淵に滅んだという曰くつきであり、あのアルトリウスがその英雄譚の最後……彼が帰ることが無かった場所だ。

 アルトリウスはウーラシールを呑み込まんとする深淵の拡大を防ぐために単身で突入し、だが帰ることは無かった。深淵の拡大は防いだことから、深淵の主を倒しても、彼自身は深淵に呑まれて魔物になってしまった……というのが歴史の裏だろうか?

 そして、そのアルトリウスは魔物になったまま闇に取り残され、そしてナグナに現れた。騎士としての死に場所を求めていた。その本質は闘争を渇望する狂戦士だとしても、彼は騎士として死ぬことを望んだ。

 ……いかんな。良からぬ方向に思考が逸れそうだった。しかし、白の森、それを作っているのがウーラシールの白木ならば、永遠の暗闇に浸された白の森は深淵にあるのか? それは推理としては的を得ている気もするが、月明かりの墓所がランスロット……つまりは深淵と深淵狩り系列だ。

 バランスが悪い。穢れの火がイザリス関連で、シェムレムロスの兄妹が白竜シース関連だ。ならば、そこにわざわざ深淵を絡ませるだろうか? オベイロンならばともかく、後継者ならば、それぞれのネームドには関連付けを行いながらも独立した物語として準備するような気もする。

 そうなると、考え得るのはシェムレムロスの兄妹はウーラシールに関係がある、か? いや、早合点は止めておこう。シェムレムロスの兄妹は魔法分野だ。ならば、ウーラシールについて研究していた。その程度かもしれない。

 本を閉ざしたオレは出発の合図を送り、アメリアは萎びてしまったようなボサボサの金髪を指で弄りながら首を縦に振る。

 

「……私ね、初めてだった。誰かにあんな美味しい食べ物をもらえるなんて、ずっと無かった。外の人はみんなこんなに優しいの?」

 

「さぁ、どうでしょうね。自分の目で確かめればよろしいかと。ですが、1つ忠告を。オレは『優しい人』じゃありませんよ。オレが『優しい人』ならば、この世の全員が聖人になってしまいますからね」

 

 まったく、どうして懐いたのかと思えば、単なる世間知らずというわけか。彼女はこれまで誰かにまともに接せられたことが無かったのだろう。だから、オレに変な勘違いをしてしまったわけか。

 ようやく地上に到達し、図書館を思わす資料棟が目に映る。ここから街を脱出するのはなかなかに骨が折れる。外は濃霧だ。アメリアと逸れないように細心の注意が必要になるだろう。

 

「……そっか。そうよね。外にはたくさんの人がいる。私が会ったこともない、全く知らない……良い人も悪い人もたくさんいる」

 

 アメリアは外の世界に憧れを持っているのだろう。だが、何故かその瞳には諦観が宿っている。それを深く探るより先に、オレは違和感を覚える。

 遺体だ。この資料棟には徘徊する寄生された研究員が何人かいたのだが、そのいずれも血溜まりに沈んでいる。

 仲間割れか? いや、違うな。近くの遺体を調べれば、その喉は刃物の類で正確に裂かれている。

 ヤツメ様の導きが疼く。嗅ぎ取ったのは敵意にして殺意。瞬時に背中の死神の剣槍を抜き、アメリアの幼さと痩身に相応の小さな背丈、その頭上のギリギリを薙ぐ。

 弾いたのは毒々しい黄色に湿った刀身を持つナイフ……いや、妙な程に凝った金細工が施されたメスだ。医療用ではなく、メスの形状をした投擲武器と見るべきか。なかなかに趣味が悪く、同時に美学を感じる。

 アメリアを正確に狙って奇襲してきたのは、全身にフード付きの白装束を来た人物だ。顔にはペストマスクのようなものを装着し、両手は黒革の籠手。右手には紫色に湿った曲剣を持っている。それは本棚にのって身を潜めていたのだろう。

 その風貌はまさに暗殺者。そのイメージ通りに白装束は高いDEXを披露するように本棚から跳び、上空から毒々しい紫色のメスを放る。それを死神の剣槍で迎撃し、アメリアを守るように立つも、更にもう1人現れる。こちらも曲剣を持っているが、左手には先端にフックが付いた鎖を装備している。拘束道具? いや、暗器かもしれないな。

 毒メス使いが迫る。右手の曲剣は毒のデバフ付きと見て間違いないだろう。あくまで狙いはアメリアのようであり、オレの動きを阻害してもう1人が彼女を奪取、あるいは殺害するのが狙いか。

 問題ない。首を狙った曲剣の一閃に対して間合いを詰め、その腕の内側に入り込む。まさかの接近に予想外だったのか、白装束の反応が遅れた隙に空いた左手で右手首を掴んで捩じり、そのまま膝蹴りで肘を砕く。呻いた間にペストマスクで覆われた顔面に死神の剣槍を至近距離で強引に振り下ろす。

 肉が潰れる心地良い音が聞こえた。だが、一撃死はしない。それなり以上にレベルが高いようだ。いや、違うか。倒れた白装束から蔦が伸び、オレを捕らえようとする。レベルが高いのではなく、寄生植物でブーストしているわけか。

 本来はモンスターであるはずの寄生植物との共存にして強化の成功。それもまたトロイ=ローバの『永遠』の研究の成果か。だが、今の一連の動きで分かった。彼らは寄生植物の操り人形などではなく、明確な意思を持ってアメリアを狙っている。

 

「強い。桁外れだ」

 

「侮るな。『媒体』が最優先だ」

 

 なるほど。2人程度ではないか。何処に隠れていたのか、資料棟とのあちらこちらから白装束が現れる。

 その数は30人を超える。これだけの人数を同時に相手にして、なおかつアメリアを守るのは少しばかり辛いか。どうしたものかと考えていると、他とは違う、ペストマスクを装備していない、瘤だらけの顔をした老人が姿を現す。

 

「旅人よ、トロイ=ローバに何用かは知らぬ。だが、我らの英知を簒奪するならば、ここで骸を晒すことになる。その娘を渡し、この地で得た全てをこの場に置いて去るならば追わぬ。選ぶが良い」

 

「お断りします」

 

「ほう?」

 

 即答するとは思考の範囲外だったのだろう。老人は片目を潰す大きな瘤が痒いかのように指で撫でながら、その老体を支える杖を捻る。その内に隠された刃が露となり、毒々しい黒い液体が零れた。他とは違い、毒性が高そうだ。恐らくは街を覆い尽くす蔦、その毒針と同じものだろう。

 あの老人はかなりの手練れだな。レベルではなく、本人の技量の高さを感じる。だが、一方でオレを相手にすれば犠牲無しで仕留められないとも考えている。だからこその交渉だ。

 

「此度の悲劇はその娘が原因。ここに至るまでに目にしたはず。トロイ=ローバは今や破滅の危機……いや、終焉を迎えた。我らはこの地を再生させねばならぬ。その為にはこの街を蝕む病原……その患部を取り除かねばならん。その娘だ」

 

「…………」

 

「その顔だと何も知らぬようだな。大よそ、子供だからと善意で助けたといったところか。旅人よ、その娘こそがこの街の悲劇の元凶。貴様が守ったところで銅貨1枚の価値もない。かなりの手練れとお見受けしたが、この多勢を相手にするほど愚かではないはず。改めて申し出よう。その娘を渡せ」

 

 ふむ、やはりか。オレのコートの裾を掴んで震えるアメリアをチラリと見て、少なくとも老人の言葉には嘘など無さそうだなと納得する。

 あの時、寄生された研究員はアメリアを攻撃することを拒んだ。それは寄生植物にとって彼女が『仲間』だったからではないだろうか。

 

「か、狩人さん。私……」

 

 怯えたアメリアはごくりと喉を鳴らし、恐る恐ると言った様子で拘束服の襟を広げる。そこには皮膚下で文様のように浮かび上がる体内の蔦があった。それは彼女の心臓部を中心にして全身に広がっている様子である。だが、それは皮膚を突き破る様子はない。

 白装束と同じで寄生状態のまま、体内の寄生植物と共存している。まったく、オベイロンの改変は随分とアルヴヘイムを狂わせたようだ。後継者が寄生モンスターと共存してパワーアップなんで仕様を準備するとは思えない。

 

「……本当というわけですか」

 

 溜め息を吐くオレに、アメリアは項垂れて、力無く笑って前に出る。自らの意思で老人たちに我が身を差し出そうとする。だが、オレはアメリアの手を掴んだ。

 

「よろしい。ならば計画変更です。少し辛いですが、我慢してくださいね? あと、アナタは『安全』ですから、全力で何処だろうと走って逃げてください」

 

「へ?」

 

 オレはコートを脱いで翻し、同時に武装侵蝕させるとアメリアを包み込む。そのまま彼女の軽い体を持ち上げると全力で資料棟の窓へと放り投げた。

 これには白装束も老人も予想外だったのだろう。アメリアは悲鳴と共に窓を突き破って外に放り出される。武装侵蝕は手元から離れれば解除されるが、それでも数秒のラグがあるのは投げナイフを武装侵蝕した時から分かっている。これならばアメリアはコートの防御作用も込みでダメージは最小限に抑えられたはずだ。

 やれやれ。これでプランが一気に楽になったな。元から寄生植物はアメリアに対して攻撃意思がないというのならば、護衛は一気に楽になる。まったく、そういう情報はさっさと公開してもらいたいものだ。いや、あるいは彼女自身も気づいていなかったのか? あり得るな。

 何でも構わない。ノースリーブ状態の、より格闘戦に適した薄い黒のインナー装備状態となった上半身で肩を回す。左手に死神の剣槍、右手に贄姫。敵の数はおよそ30か。

 

「どういうつもりだ?」

 

「申した通り、お断りします。傭兵たる者、1度依頼を受けた以上は依頼主が裏切らない限り、私情で破棄することはあり得ません。そして……狩人は約束を守る。彼女を外に連れ出すと契約しました。そちらの事情など知りませんし、そもそもアナタ達もまた寄生植物を内に宿している。そのはずなのに、アナタ達は自意識を保っている。ここに至るまでにいくつかの研究資料を拝見させていただきましたが、アナタ達は『永遠』を得るために寄生植物を研究し、そして自らに成果を埋め込んでいる」

 

 ならば、アメリアを渡せという理由は1つ。この街の再生などが目的ではなく、『研究成果』の確保の方だろう。アメリアはより深く寄生植物と共存できているだろう事は、彼女を害そうとしなかった事からも明らかだ。この街の連中が1度滅びに直面した程度で殊勝に不老不死の研究を諦めるような連中ではないくらいはオレでも分かる。むしろ、これまで何度も滅びる度に再建してきたのではないだろうか?

 続きを述べないのはこちらが真意を把握しているという意思表示。それを正しく受け取ったらしい老人は毒剣を構えた。どうやら暴力での解決をお望みのようだ。

 

「貴様にとってあの娘は見ず知らずの他人のはず。命を懸けて守る理由はあるまい?」

 

「そうですね。アメリアを『守る』理由はないです。でも、彼女を害する敵を『殺す』理由ならありますから」

 

「なるほど。血に飢えた狂犬というわけか」

 

 老人の毒剣の一振り。それと同時に30人の白装束が同時に動く。彼らの目的はアメリアの殺害ではなく確保。最初に投擲した黄色のメスは麻痺の類だろう。麻痺状態になれば捕獲は容易だからな。

 全方位から迫るのはフック付きの鎖。それを跳んで躱し、今や蔦に覆われた長テーブルに着地すると頭上から飛来する毒メスを迎撃し、そのまま背後が迫る麻痺メスを死神の剣槍を盾にして防ぐ。

 接近するのは3人の白装束。1人目が大きく跳んでオレの首を狙った曲剣の一閃、2人目が回避・防御のいずれかをしたオレを横薙ぎ、3人目は万が一に備えた迎撃要員か。フォーメーションは悪くない。

 

「ところで、何年ほどですか?」

 

 だが、生温い。1人目を贄姫で縦に裂き、そのまま2人目の喉を死神の剣槍の打撃ブレードで砕き潰して振り抜き、3人目の心臓を贄姫で刺し貫く。絶命に向かってカーソルを赤色に変色させる白装束を突きさしたまま振り回し、毒メスを防ぐ盾にしたまま投げ飛ばす。

 アメリアを追うつもりか、割れた窓から飛び出そうとする白装束だが、それを待っていたとばかりに寄生された番犬が飛びかかる。ふむ、孤立無援かと思ったが、アメリアを守らんとする意思が少なからず寄生植物にはあるようだ。それはプレイヤー扱いではない、動物に寄生した方が濃く反映されているのか? だからこそ、アメリアをコイツらから守る為に番犬たちはトロイ寺院に集っていたわけか。

 

「寄生植物の研究をして、不老不死と肉体強化。それを目指して何年ほどですか?」

 

 6本のフック付きの鎖を体を捩じって躱し、そのまま地を這うような低姿勢のままステップで1人に迫って胴を贄姫で断つ。そのまま水銀の刃を散らして本棚の陰に隠れていた白装束を1人裂き、死神の剣槍のギミックを発動する。蛇槍モードとなり、蛇腹剣の如く分裂させると大きく横に払う。回避が遅れた3人が纏めて打撃ブレードの餌食となり、そのまま壁に叩きつけられて挽肉になる。

 純粋な蜘蛛糸鋼製のワイヤーで繋がった蛇槍モードの操作はもはや手慣れたものだ。自分の周囲を回転させ、迎撃と防御を並列させる。大きく振り上げて天井に突き刺さる程に伸ばし、そのまま叩き落せば轟音と共に逃げ遅れた2人が潰れる。そのままギミックオフにして急速に分裂した刀身を合体させ、その反動を利用して回転斬りをすれば、密やかに背後に接近していた1人を吹き飛ばす。

 窓から侵入した番犬3頭が背中の大輪を膨らませ、全方位に毒針をばら撒く。明らかにオレの立ち位置を把握した援護だ。回避できない白装束が次々と全身を刺し貫かれるが、毒状態にはならない。それでも怯ませるのは十分であり、1頭が喉に食らいついて仕留める。

 死神の剣槍をその場に突き立て、左真横から飛来した毒メスをつかむ。眼帯をした左側が死角と見たのだろうが、その程度では戦闘に入ったヤツメ様の導きを欺けない。そのまま投げ返し、ペストマスクで守れられた右目を刺し貫く。呻くところに寄生番犬が飛びかかり、絶叫を上げる白装束の臓物を貪る。

 急速に数を減らしていく白装束に、老人が痺れを切らしてオレに斬りかかる。単調な振り下ろしと見せかけたV字斬り。ソードスキルのヴァーチカルアークに似ているな。そこから更に派生した突きもなかなかに鋭い。

 

「賢者トロイがこの街を作ってから300年。貴様のような愚者には『永遠』の価値など分かるまい」

 

 老人の割にはよく動く。ふむ、そういえばアルヴヘイムにおいて老化はステータスに下方修正が入るのだろうか? まだ研究していなかったな。この老人を見るに、かなりの下方修正が入っていそうではあるが。

 毒剣を巧みに振るう中で、老人が左手を突き出す。飛び出したのは鉤爪であまり、オレの頬を裂こうとするも、首を軽く曲げて回避し、贄姫で逆に左腕を斬り落とす。

 

「ふむ、ではその300年の歴史……今日で幕閉じとしましょう」

 

 大量出血した老人の喉を発動したライフ・ドレインで左手でつかむ。そのまま締め上げながら持ち上げ、老人から溢れた山吹色の光がオレに吸い込まれていく。ライフ・ドレインによるHP吸収だ。

 本当ならばひと思いに殺すこともできる。だが、永遠を求めた研究者らしく、有限の死に際をじっくりと味わうのも趣があるというものだろう。

 暴れ回る老人は何かを叫ぼうとした。それはオレに対する呪詛だったのかもしれないし、命乞いだったのかもしれない。だが、締め上げた喉からは何も零れることはない。

 呆気なくHPを尽きてカーソルを消失させた老人を投げ捨てる。残りの白装束達はトップの死に動揺したようだ。番犬たちは全滅したようだが、生き残った白装束達も大多数が負傷している。

 1人ずつ確実に仕留めていく。逃げる者は背中から突き刺し、決死で挑む者は首をへし折り、近づかせまいと毒メスを放る者には逆に投げ返して毒状態にしたあとにじわじわと死に至るのを見物する。

 そうして最後の1人を壁際に追い詰め、オレは贄姫を喉元に突きつけた。

 

「あの娘を外に連れ出しても救われんぞ? 我々と同じでこの街以外に生き残るすべはない。交渉に応じろ。幾つかの薬学書を持ち出すことは許す」

 

「申し訳ありませんが、論外です。それよりも、アナタ達は先程から『あの娘』やら何やらと……もしかして、彼女の名前をご存知ないのですか?」

 

「…………」

 

「ああ、そうなんですか。アナタ達にとって、アメリアは……本当にただの『研究成果』以上ではなかったのですね」

 

 それが確認できただけで十分だ。別に義憤はない。ただ……少しだけ寂しくなっただけだ。アメリアがどうして名前を尋ねられた時にあんなにも嬉しそうだったのか、その理由が分かって、物悲しくなっただけだ。

 喉を刺し貫き、捩じり、抉り、斬り裂く。溢れた血を浴びながら、死に恐怖して暴れる白装束を見守る。その絶命の瞬間まで。

 

「祈りもなく、呪いもなく、安らかに眠れ」

 

 彼らはトロイ=ローバで正気を保っていた最後の住人だったのかもしれないな。

 だが、歯応えが無い狩りだった。寄生植物でブーストしていたとしても、レベル20前後の素体だろうから限度はあったのだろう。

 数を頼りにしても連携が疎かだ。確かに訓練の痕跡はあったが、やはり欠月の剣盟とは覚悟も練度も違うか。所詮は研究第一の学者連中だったということだろう。大人しく研究室に籠っていれば良いものを、下手に獲得した『力』の有用性に気づいたのがいけなかったのだろう。

 

「……狩り、か」

 

 狩りに悦楽を見出すのは血に酔う始まりであり、禁忌である。だが、狩人として狩りに何かを見出すのは定めのようなものだ。

 もはや血の赤色で染まり切った資料棟に、その死血に淀みを覚える。それは虫の如く蠢いているかのようだった。オレは今も床に広がる血を、まるで虫でも潰すが如く踏み躙る。そんなもの、存在するはずがないというのに。

 狩りは誰の為にある? 狩人は何のために存在する? もはや、狩人は不要な時代。たとえ、この仮想世界が闘争に溢れている狂気の髄だとしても、その中でもアルヴヘイムが異形の坩堝の底だとしても、狩人は必要なのだろうか?

 オレは深淵狩り達を思い出す。彼らは深淵に闘争を、使命を、聖剣を見た。最初の深淵狩りであるアルトリウスの背中を追った。だが、そのアルトリウスは闇に呑まれて魔物に成り果てた。その末路をなぞるように、深淵に挑み続けた深淵狩りに訪れる最期とは、力及ばずに骸を晒すか、魔物になるまで戦い続けるか、そのどちらかだ。

 そして、DBOにおける『現在』である終わりつつある街。その周囲のフィールドも含めて深淵狩りの痕跡はなく、またそう名乗る者はいない。継承は途切れ、深淵狩りはいなくなった。どうしてあれ程までに広大で、多くの時代と文明と文化を経た世界が僅かを残して霧に呑まれたのか。その謎は分かっていない。

 あれほどまでに世界が破滅するまで何があったのかは知らない。だが、きっと深淵狩りはいつの時代かは分からぬ時に不要となり、そして継承は途切れたのだろう。だが、ナグナがそうであるように深淵は残り続けていた。

 やはり深淵狩りは全滅したのか? 深淵に敗北し、ただの1人として残らぬ、伝承の中の存在になってしまっていたのか?

 所詮は傲慢だな。深淵狩りは万能ではない。彼らが存在したとしても破滅は免れなかっただろう。特に終末の時代とは技術発展した世界だ。魔法どころか剣技といった武技さえも廃れた。ボルトや矢の代わりに銃弾が、ソウルの矢の代わりにレーザーが飛ぶ。怪物に代わって人々に脅威を与えるのは自律兵器だ。

 オレの胸にあるナグナの赤ブローチ。それを生み出したのは深淵狩りの1人、紅玉の騎士アンタレス。彼はナグナの冒涜によって残っていたソウルを弄られ、機械と深淵の泥の塊となった、深淵の魔獣とさえも呼べぬ存在となっていた。それは禁忌だった。

 神は失われ、王は玉座を追われ、人は神秘を貶めた。それがDBOの歴史だ。どれだけ神々の栄光があろうとも、深淵と共に魔性が蔓延ろうとも、あらゆる時代を経てたどり着いた滅びは……いや、考えるのは後だな。

 今はアメリアの回収に向かわねばならない。だが、その前に白装束達の遺品を拝借し、毒メスをいただく。いずれもレベル1の毒を最初から帯びているが、デバフ攻撃よりも投擲武器の回収が目的だ。まったく、メスは医療道具なのに、わざわざ投擲武器にする意味が分からない。だが、そのセンスは大いに評価する。

 割れた窓から濃霧の世界に飛び出し、肌寒い空気を纏いながら感覚を研ぎ澄ます。仮想世界における五感は綻び錆びていようとも、獣血はより濃く、深く、熱くなっている。

 濃霧で視界は悪いが、空気から日暮れが近い事が分かる。寄生された住人は相変わらず右へ左へと迷うように歩いているが、先程に比べればオレに対しての反応が鈍い。まるでこちらを敵対視していないかのようだ。

 

「……狩人さん」

 

 見つけたアメリアが隠れていたのは、寄生された鶏が『餌』を突いている家畜小屋だった。微かな足跡を追うだけではなく、不自然に家屋や地面に刃物による傷がつけられていた。アメリアは賢い。オレならば、ナイフで刻んだ目印を追って来ると確信していたのだろう。

 今にも泣きだしそうなアメリアの年相応の不安そうな表情に、どうしようもない嗜虐の牙が涎で湿る。それを抑え込み、なるべく落ち着かせるようにオレは彼女のボサボサの髪の頭を撫でた。

 

「もう敵はいません。アメリア、外に行きましょう。アナタの望んだ外へ」

 

 アメリアからナグナの狩装束のコートを受け取って羽織ると、無言で頷いた彼女の手を引いてトロイ=ローバの唯一の出入口を目指す。アメリアに敵対しない寄生植物たちは、彼女を害さないように、まるで何者かの意思が働いているように、不自然なほどにオレ達と接触することを避けているようだった。

 

「1つ尋ねてもよろしいですか?」

 

 兵の詰め所にマウロの姿はなく、また荷馬車も見当たらない。彼は忠告通りに逃げ出したようだ。それで良い。だが、足が無い以上は徒歩になるだろう。アメリアの手を引いて、開いたままの街を固く閉ざすはずの扉の隙間から出る。馬車が1台通れるスペースだ。人間2人が並んでもお釣りが出るほどの幅がある。だが、アメリアはオレの後ろに隠れるようにして、コートの裾を掴んだままだった。

 

「アメリアは外に出て、何がしたいのですか?」

 

 最初はアメリアが自由を望んでいるのだろうと思った。『永遠』の研究に狂った薬学の街。寄生植物を用いてでも『永遠』になろうとした研究者たちの愚かしい姿。そして、自身も幽閉され続けた実験体であるならば、地下から外へ……トロイ=ローバとは無縁の大地を求めるのは当たり前のようにも思える。

 だが、アメリアは賢い子だ。自分の肉体が他所で受け入れられるものとは考えていないだろう。無論、オレの予想外に彼女が幼い心と頭脳で短絡的に外への憧れを持っているとも考えられる。しかし、オレにはアメリアが考え無しで外を望んでいるようには思えなかった。

 霧の中を暗闇のような影が歩む。それは幻影か、あるいは『永遠』を求めた者たちの末路の1つか、それともシェムレムロスの兄妹が生み出した監視者なのか。ただひたすらに、トロイ=ローバに続く谷間の道と森を横切り続ける人の形をした影たちは、大地を踏みしめる足音もなく、草木を揺することもなく、徐々に薄くなっていく霧の海を無のままに歩み続けている。

 

「狩人さんは太陽を見たことがある?」

 

 コートの裾を握るアメリアの手が強くなったような気がして、オレは少しだけ歩みを緩めた。だが、それでも進み続けねばならない。ここで立ち止まれば、アメリアは再びトロイ=ローバに囚われてしまうような気がしてならなかった。

 

「私は見たことが無い。地下で生まれて、お母さんに名前を貰った。『聖樹』から多くのことを教えてもらったけど、それでも太陽だけは本の中にしか書かれていなかった」

 

 聖樹? それはもしかして、あの地下の祭壇に祀られていた存在だろうか? 既に去った後だったようだが、あそこで祀られていた存在こそがトロイ=ローバに実質的な破滅をもたらした聖樹という存在なのだろうか?

 

「温かくて、大きくて、眩しい。霧の街では絶対に見れないもの。地下から出されて街の外を見た事は何度かあったけど、それでも霧の街では絶対に見れない光。ねぇ、狩人さん。太陽は……本当に奇麗なのかな?」

 

「…………」

 

「1度で良いから見たいの。空に輝く太陽を。霧の向こう側にある、外の世界を照らす大きな光を。それ以外は何もいらない」

 

 霧が薄らぐ中で、世界は光を増していく。だが、それは青空に輝く眩しき宝玉ではなく、間もなく闇が訪れると伝える警鐘のような……どうしようもない郷愁を誘う黄昏の光。

 オレはアメリアの手を取り、光に向かって誘っていく。それは谷間にある裂け目、常に湿って苔生した岩肌ではなく、可憐な赤い花が咲く野原だった。それは切り立った崖際でもあり、その先端では赤錆びた甲冑が……いや、ここで旅を終えた古の冒険者の亡骸が座り込んでいた。彼とも彼女とも知れぬ甲冑の冒険者は大剣を抱えるように座し、まるで今のアメリアと同じように太陽を望んでいたようだった。

 オレはゆっくりと手を放し、アメリアを見送る。立ち止まったオレと歩み続けるアメリアに、地平線へと沈もうとする太陽は平等に光を浴びせる。

 

「あれが……太陽。本にあった通りね。とても大きくて、眩しくて……でも、想像していたよりもずっとずっと切ない」

 

「夕日ですからね。昼間であれば、青空で煌々と輝く太陽が見れますよ」

 

 黄昏の光を背負うアメリアが振り返る。まるで濃い闇が蝕むように、影に移ろった顔には血管が浮き上がるように筋が張っていた。まるで、アメリアという苗床から体内の寄生植物が這い出そうとしているかのように。植物は光を求めて伸びるように、アメリアという豊肥な寝床から目覚めようとしている。

 あの白装束の言葉は、外で待つのは迫害などという意味ではなく、本当に……肉体的にトロイ=ローバ以外では生きられないという意味だったのだろう。そして、アメリアがそれを知らないはずもないだろう。たとえ知識として知らずとも、彼女と共にある寄生植物が太陽の光を浴びればどうなるかは分かっていただろう。

 

「私ね、ずっと嫌いだったの。あのジメジメして、『永遠』なんてくだらないものに狂った街が大嫌いだった。お母さんを殺したあの街が大嫌いだった。ようやく、私は解放される」

 

「そうですか」

 

「でもね、1つだけ嘘吐いたんだ。本当はね、外でやりたいことがあったの。歌手になりたかった。お母さんは歌が上手だったんだ。だから、私もいつか外に出て、好きなように歌って生きたかった」

 

「そうですか」

 

「だからね、願ったんだ。聖樹に『私を自由にして』って。そしたらね、本当に呆気なかった。どうして、誰も望まなかったのか分からないくらいに、聖樹はトロイ=ローバを滅ぼしてくれた」

 

「……そうですか」

 

 トロイ=ローバでしか生きられない彼女に、穏やかに……心晴れるまで歌を口ずさむことは出来ない。彼女にとって、トロイ=ローバは陰鬱なる牢獄なのだから。

 だからこそ、アメリアは太陽の下に出ることを望んだ。霧の街から去り、たった1つでも願いを叶えることを欲した。もしかしたら、トロイ=ローバの悲劇とは……そんな子供らしい願いによって引き起こされたのかもしれない。ならば、あの街を滅ぼしたのは、1人の少女の悲劇に基づいた喜劇だったのかもな。

 

「ねぇ、狩人さん。私が生まれた意味って……何だったんだろうね? 私が生まれた意味なんて……『永遠』の研究以上の意味なんて……無かったのかな?」

 

 涙を流しながら、今にも消え入りそうな夕日を浴びながら、アメリアは笑った。それは彼女の誇りか、あるいは諦観か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あるに決まってますよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、それは本当に嵐のようだった。

 呆然とするオレを後ろから突き飛ばす勢いで駆けたのは見知った人影で、それは今にも全身が破裂しそうなアメリアの手を引いて霧の海に戻っていく。

 

「え? ええ? えええええ!?」

 

 死を覚悟して、受け入れていた幼い少女。彼女の手を引いて霧の加護の下に戻したのは、トロイ=ローバから早々に逃げ出したと思っていたマウロだった。

 太陽光が途切れた為か、アメリアの全身を内側から破裂させようとしていた寄生植物は沈静化している。だが、今はそんなこと問題ではない。

 

「商人マウロ、状況説明を求めます」

 

「それはこっちの台詞ですよ!? 巡礼さん、アンタ何を考えてるんですか!? こんな可愛い女の子を見殺しにするつもりですか!?」

 

 鬼の形相でオレの胸倉をつかんだマウロは叫び散らす。顔面に涎が飛びかかるが、今は彼の言葉に耳を貸すとしよう。

 

「正直に言えば、何が何やら! だけどね、そんなことは『どうでも良い』んですよ! 大事なのは、1人の女の子が泣いているのに、どうして見殺しにしようとしていたのかって事なんですよ!」

 

 霧を大きく吸い込むように深呼吸して、マウロはオレを手放す。そして、口を開けたまま茫然としたまま座り込んでいるアメリアに跪いた。

 

「お嬢さんもお嬢さんだ。生まれた意味やら何やら並べ立てていますけど、要は『死にたくない』んでしょう!? だったら生き足掻いてくださいよ! もう、見てられないなぁ!」

 

 無知であるが故の愚行と捉えるか、それとも逆転の奇行と見るべきか。オレは袖で顔を拭いながら、ひとまずは太陽が完全に落ちて、夜明けまでは死ぬ機会を失ったアメリアに微笑んだ。

 マウロは大きな勘違いをしているようだが、別にオレはあのままアメリアを見殺しにするつもりはなかった。だが、ひとまずはこの勘違いを利用するのも悪くないだろう。

 

「アメリア、とりあえず彼に話をしてみては? 存外、彼のような『人』はあなたを救う『強さ』を持っているかもしれませんよ」

 

 その後、オレはマウロの案内で霧が薄い谷の狭間にあるキャンプに案内される。どうやら、マウロはあの後にすぐトロイ=ローバを出発したようだが、帰り道に迷い、馬車の車輪は壊れ、この谷の狭間でキャンプを余儀なくされたようだ。それで霧を歩む暗闇の人影に怯えている中で、他とは違う生気を帯びたオレ達の影を見て誘われるように追いかけたようだ。

 

「ほら、巡礼さんがくれた金もあったし。もしも旅の人なら、金を握らせて街まで護衛してもらおうかと」

 

 本当に逞しいヤツだな。厚かましいくらいに他人を当てにしているとも言えるかもしれないが、その原動力は揺らがない自己幸福の為か。

 オレの持つ携帯食とは違い、マウロの作る食事はより人間らしい。たっぷりチーズが入ったスープはドロリとしている。大きく角切りにされた野菜、そして骨付き肉とよく絡んで味も良いはずだ。オレはマウロから差し出された皿を受け取り、味のしないそれを口に運ぶ。食感だけが淡白に料理の風味を主張するようで、それは舌を不愉快なまでに無味で蹂躙する。

 

「つまり、トロイ=ローバは滅びて、アメリアちゃんは霧の中でしか生きられない体。治療方法も無い……と」

 

「そうよ。狩人さんは見殺しにしようとしたんじゃない。私は死ぬしかない。それだけなの」

 

 事情を知ったマウロは腕を組んで唸りながらも、夢中でスープを平らげていくアメリアをジッと見つめている。

 

「美味しいですか?」

 

「ええ、とても。狩人さんから貰ったご飯も悪くなかったけど、こんな温かな食事はもう何年も食べてなかったから」

 

 その様子を見たマウロは大いに満足した上で、オレを手招きする。壊れた馬車の傍でゆらゆらと燃える焚火の光から離れ、やや霧が濃い木陰でオレ達は向き合う。

 

「アメリアちゃんは生きたがってる。それが分からない巡礼さんじゃないでしょう?」

 

「ですが、アメリアには生きる場所がありません。トロイ=ローバは壊滅し、彼女は外で生きられない。それとも、一生あの霧の街で生きろと言うつもりですか?」

 

 マウロの言わんとすることも分かる。アメリアには生を選ぶことも出来る。外に出るという願いを捨て、希望も捨て、ただ絶望のままに、おぞましい記憶が徘徊するトロイ=ローバに引き籠もり続ける。滅びたトロイ=ローバにはいずれ外部の勢力が改めてその知識を奪うべく制圧しに来るかもしれないが、それはいつになるか分からないし、そもそも外部の人間が流れ込んでも彼女はまさに生きた標本扱いされるだろう。

 それはアメリアの望むことなのか? 彼女がそれでも生きたいならば文句はない。だが、彼女は『人』らしく生き、『人』らしく死ぬことを選んだ。あの太陽の光の中で、せめて叶えた1つの願いの中で死ぬことを望んだ。

 マウロも改めて話を聞かされて、彼女から死の機会を奪った重みを少なからず実感しているはずだ……と思いたいところだが、マウロはまるで自分の行動が何をもたらしたのか理解していないようにも見える。

 軽く外道であり、他人を利用することも厭わないが、根は小心者で、願望も俗物。それがマウロだ。トータルで言えば善人の部類だとも思う。だからこそ、アメリアの自死を見過ごすことが出来ずに動いた。

 オレは期待しているのかもしれない。狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺すことしかできないオレとは違う、マウロの『人』らしい回答を聞きたいのかもしれない。

 

 

 

「だったら、私がアメリアちゃんと結婚して幸せにしますよ。それで万事解決ですね」

 

 

 

 だから、余りにも突拍子も無くて、馬鹿にもほどがあって、でも思わず口がほころんでしまいそうなマウロの『答え』が心地良かった。

 

「体に植物が寄生されてるかどうかは別として、あんな可愛い女の子、そうそう見つかりませんって。それにトロイ=ローバが滅びたなら、薬学書とかもそのまま放置されてるってわけですよね? 外にはトロイ=ローバ出身者の商会もあるし、私がその英知を引き継いで財を成すことも難しくない」

 

 火事場泥棒並みにトロイ=ローバの遺産をそっくりそのまま懐に入れるつもりか、コイツ。逞しさにも程があるだろう。しかも捕らぬ狸の皮算用。外のトロイ=ローバとパイプがある商会は、場数も無ければ後ろ盾も無いマウロにプライオリティを握られる必要はない。むしろ、彼を排除してトロイ=ローバの再建に勤めれば良いだけだ。

 それを指摘すると、ふーむとマウロは腕を組んで、やがて指を立てた。

 

「ここの薬学書を1冊持ち出して、近隣の都市の貴族に献上します。そして、トロイ=ローバが壊滅した報せを伝えて軍を派遣させる。それで、この街を丸ごと治めてもらう。外道な研究資料に手を出した屑共の討伐。貴族様の好みの『正義』じゃないですか」

 

「アメリアの秘密がバレたらどうするつもりですか?」

 

「アメリアちゃんは私の妻ってことにします。トロイ=ローバの出身者ってバレない限り、いきなり身体検査なんてされませんよ」

 

「それが可能として、どうやってアメリアを幸せにするつもりですか?」

 

「そこはなるようになるですよ」

 

 後先を考えておらず、場当たり的で、なおかつ視野が無い。そんなマウロの発言に、オレは小さく溜め息を吐きながら、だが微笑んだ。

 

「どうして、そんなにも必死になるんですか? マウロには関係のないことでしょう? アナタの望みは大富豪。トロイ=ローバを利用して財を築くことは出来るとしても、アメリアを助ける義理はないはず」

 

「まぁ、確かに。巡礼さんのおっしゃる通りですよ。私が無理する必要もない。でもね……」

 

 頭を掻いて恥ずかしそうにマウロは、今も夢中でスープを食しているアメリアを木陰から見つめる。

 

 

 

「可愛い女の子に人生を変えるくらいの恩を売れば、マジ惚れしてもらえると思いません? ほら、やっぱりさ、愛のある関係って必要だと思うんですよ! 財力で妻や愛人を揃えても、こう……何て言うか……心の底から『マウロ』って男を愛してもらえる女性が1人くらいは欲しいっていうか!」

 

 

 

 ……本当に安心した。何処までも俗っぽくて、打算的で、自分勝手な願い。それにアメリアを巻き込もうとしているマウロが本当に羨ましかった

 マウロの見通しは甘い。甘すぎる。彼の望んだ通りの未来はきっと訪れないだろう。オレはマウロの肩を叩き、食事を終えて満足しているらしいアメリアの元に歩み寄る。

 

「治療法はないというのは本当でしょうか?」

 

「本当よ。あったとしても、それを探すにはとても長い時間が必要だし、きっとたくさん研究しないといけない」

 

 これがモンスターによる寄生攻撃による結果ならば、必ず寄生状態を解除する方法はある。それは寄生攻撃に特効薬となるアイテムを作成すれば良い。たとえば、腐敗コボルド王との戦いでもオレは寄生されたプレイヤーを無力化の為に四肢を切断したが、寄生状態を解除する薬自体はあった。植物系の寄生解除を行う薬にも目星はある。ならば、アメリアを救うこと自体は可能だ。他にも高位の奇跡である【太陽の治癒】ならば、確実に治療可能だろう。

 問題はオレにはそのレシピが無く、また素材を揃えるのも苦難であり、なおかつ太陽の治癒を持っているような奇跡使いは【来訪者】以外にあり得ず、なおかつ習得しているかどうかも不確かということだ。アルヴヘイムの外部の助けを借りれば容易だろうが、それはアルヴヘイムの攻略が不可欠。また、アルヴヘイムが攻略された時、この世界がどうなるかも分からない。

 普通ならばリセット。この世界は真っ白に戻され、再び『あるべき姿』のアルヴヘイムに戻る。オベイロンによる拡張の痕跡は全て抹消される。それは今まさにアルヴヘイムを生きる人々は消滅することを意味する。

 あり得るならば隔離。新しいアルヴヘイムが準備され、今ここにあるアルヴヘイムはDBOから切り離される。それはとても甘い幻想だが、捨てきれないものではない。

 どちらになるかは後継者と管理者次第か。そして、そのどちらにおいても、アメリアが外部の手助けを借りて治療できる出目はない。6面サイコロで7を出せと言うようなものだ。今から他の【来訪者】を探し出して、わざわざトロイ=ローバに来てもらうのもな。

 

 

 

 だが、そんな問題を根底から無視できる治療法は存在する。

 

 

 

 寄生攻撃は永続判定であり、治療しない限りに回復は見込めない。だが、例外的にアイテムや奇跡による治療以外の方法も存在する。

 それは寄生攻撃を行うモンスターの種類にもよるが、今回のようなある種の共同体を作り出すタイプならば、本体を叩きさえすれば自動回復するかもしれない。

 即ち、アメリアが言う聖樹が寄生植物の大元であるならば、それを倒せば彼女に寄生している植物もまた消滅する。無論、確率としては五分五分か、あるいはもう少し低いだろう。だが、決して勝機が無い確率ではない。

 

「アメリア、マウロは善良とは言い難いですが、少なくともアナタの面倒を見るに足る男です。媚びを売れとは言いませんが、仲良くできますか?」

 

「……狩人さんもそうだけど、ああいう人はトロイ=ローバにいなかった。嫌いじゃないわ」

 

「それだけで十分です。きっとマウロもアナタが困っているならば力になってくれるはずですよ。だから、せめて明日の朝を迎えるまでは……少しくらい決断を先延ばししても良いのでは?」

 

 アメリアは歌手になりたいと告げた。それは諦めの泥に沈み、決して叶えられるものではなかったはずだ。

 だが、仮に寄生状態から解除されたならば、彼女は本当の意味で自由になる。マウロと共に外の世界を旅して、吟遊詩人の如く歌を紡ぐことも可能だろう。

 

「……無理よ。狩人さんも人が悪いわね。ああ、そういえばお礼をしないと。白の森への行き方だけど、そこに通じる道を暴くのは月光蝶の羽ばたき、あるいは虹色の石。今はトロイの墓下にだけに鍵は眠る。絶壁にて道標を求めよ。お母さんはずっと前にそう教えてくれた」

 

 やがて疲れが溜まっていただろうアメリアは横になる。

 

「狩人さんは……とても優しい人ね。ねぇ、私……狩人さんと旅がしたいな。許してもらえるなら……狩人さんと……遠い何処かを……見てみたい」

 

 ああ、そうだね。それはきっと許されないだろう。オレはマウロから受け取った毛布を彼女にそっと被せる。

 オレと共に旅をするなど自殺志願も良いところだ。ならば、彼女が同行すべきはマウロであり、彼の珍道中を存分に見守ってもらうとしよう。

 2人だけとなり、オレは無言の……どんどん眠気を膨らませていくマウロに話しかけることにした。

 

「てっきり嫌われたと思いましたよ」

 

 先程もそうであるが、あの別れ際の割にはマウロの態度があまり変わっていない。オレの指摘に、今にも寝入りそうなマウロは口元をムニュムニュと歪めた。

 

「……今でも凄い怖いですよ。でも、巡礼さんは私を助けようとしてくれたでしょう? それは……やっぱり……感謝しないと……いけない、から」

 

 そのまま寝入ったマウロに肩を竦めたオレは、焚火に薪を新たに投じる。この森自体にはモンスターがいないのだろう。ならば、2人をこの場に残しても問題は無さそうだ。まぁ、それ以前に2人とも随分と図太いものだ。案外お似合いかもな。年齢的にはアウトかもしれないが、アルヴヘイムはそもそも現代ではない。アメリアでは少し若すぎるが、あと2年も待てば彼女もアルヴヘイムでの結婚適齢期に達するだろう。

 その時になって2人がどうなるかは……興味はあるが、それは聖樹を倒した結果を見てから想像するとしよう。そもそも確率は悪い勝負だ。たとえ大元を倒してもアメリアの寄生状態が解除される保証はない。

 オレは足音を立てないように努めて、マウロたちの野営から離れるとトロイ=ローバへと戻る。既にアメリアから情報は得た。あとはこれを頼りにして白の森を目指すだけだ。だが、その前にトロイ=ローバを破滅に導いた聖樹を始末してからにしよう。

 

「『仕込み』を済ませておくとするか」

 

 寄生植物の攻撃パターンは分かっている。ならば、相応の対策を準備しておくとしよう。再び濃霧に呑まれた薬の街に踏み入れるが、あれ程までに徘徊していた住人はいない。オレは地図を確認し、トロイ=ローバを一直線に横切る大通りを進む前に薬品保管庫に入り込み、お目当てを見つける。

 ……これで準備は良し。『仕込み』を終えると血管のように脈動する蔦が集中する場所を探るように、あるいは最初から道を阻むように、大通りを直進した先、トロイ=ローバの終わりにある白の森へと続くとされる崖際の道を塞ぐような蔦の塊を目にする。

 いや、それは巨大な球根だろうか? まるで触手のように蔦を動かして移動能力を獲得したようだが、現在は深く根を張っている。大きな緑色の芽は毒々しい紫色の液体を滴らせていた。

 いや、それは緑色の芽などではない。ゼリー状の生物だ。スライムに似ているが、あれ程に形状を失っていない。まるで女のような……少しだけアメリアに似た女体だった。下半身は完全に球根と一体化しているが、その上半身は間違いなく人間が変質したものだ。

 もしかしたら、アメリアが言っていた、彼女の拠り所でもあった母親だろうか? どうしてあんな姿なのか、それは分からない。だが、およそ聖樹とは呼べない禍々しい外観に、トロイ=ローバの連中の美的センスを疑いたくなる。

 聖樹を守るように、トロイ=ローバの住人は無数と群がっている。彼らは最初から、新たな侵入者を迎え撃つ為に集結していたのだろう。番犬も含めてその全身から突き出た蔦は活性化しているように膨れ上がっている。

 

「帰れ」

 

「旅人よ、帰れ」

 

「我らは種の繁栄を望む」

 

「それを妨げるな」

 

「娘を守った礼がある」

 

「此度は見逃す」

 

「だから帰れ」

 

 トロイ=ローバの住人たちの口を借りて、聖樹はオレに警告する。今すぐここから去れと忠告している。存外、話が分かるヤツなのかもしれない。無暗に侵入者であるオレを襲おうとしない時点で、理性的かつ知性ある存在なのかもしれない。

 だが、聖樹を倒すのは現状で最短のアメリアの治療法でもある。何よりも、聖樹は白の森に続く道を塞いでいる。すんなりと脇を通してもらえるとも思えない。

 右手に贄姫、左手に死神の剣槍。それらを構えると交渉決裂と見なしたのだろう。聖樹は震え、緑の女体は大口を開けて叫び、寄生された住人達は各々の武器を手に襲い掛かる。

 その数は100人以上。番犬は積極的な白装束殺しの為に数が減ったのか、10頭未満である。だが、その速度を活かして先行し、数でオレを囲い込もうとする。

 

「【磔刑】」

 

 出し惜しみは不要。その場に逆手で構えた死神の剣槍を突き立て、包囲して跳びかかろうとしていた番犬を一掃する。そして、【磔刑】の消滅と共に人海戦術で襲い来る寄生された住人の群衆に対し、蛇槍モードの死神の剣槍を振るう。

 まとめて十数人が吹き飛ばされ、腕を捻じ曲げ、あるいは首が折れる。蔦で覆って鎧のようになった数人が掴みかかろうとするが、それをステップで躱して背後に回り込み、贄姫で斬り払う。次々と飛来する手鎌を躱し、接近する寄生された住人の胸を死神の剣槍で串刺しにする。

 1人1人を相手にしても埒が明かない。隙間なく押し寄せる群衆の行進はまさに迫る肉壁だ。水銀居合で斬り払っても、その高い貫通性能を活かしても、数を減らすことは難しい。ならばと敢えて聖樹から離れ、街の横道に入り込む。咲き乱れる極彩色の花はアクティブになったのか、オレが迫る度に毒針や寄生針をばら撒く。それらを丁寧に避けていき、追いかける群衆を巻く。

 群衆の1人1人を相手にする必要はない。倒すべきは聖樹だけだ。壁を駆けあがり、屋根に立つと霧の向こう側より殺気の塊を感じ取る。ヤツメ様が腕を引くより先に右にステップを踏めば、毒々しい紫色の光が通り抜けれた。

 毒ブレスか。大ダメージは確定だろう。放たれた方向から察するに聖樹の攻撃のようだ。閃光が通り抜けた建物が爆ぜ、広範囲に毒霧がばら撒かれ、体を不快に濡らす白い霧と混じり合う。

 そうしている間にも、群衆は次々と武器を手にしていく。それはライトクロスボウ。装填しているのは安価なウッドボルトのようであるが、その一撃も数が集まればダメージも馬鹿にならない。また、スタン状態になったところに連発で浴びてまたスタンといった悪循環による嵌め殺しもあり得る。

 こちらは霧のせいで敵の位置を視認できない。だが、寄生された住人は視覚に頼らずともこちらを索敵する術がある。ボルトは着実に精度を増していくが、元は素人だ。動き回るオレを簡単に捉えることは難しいはずである。

 だが、今度はトロイ=ローバ全体を包み込んでいた蔦が動き出す。それは鞭となり、また捕縛の鎖でもある。振り回され、またオレの足や腕を絡め捕ろうとする。捕まれば終わりだ。助けは来ず、また抗う手段も限られる。

 ザリアを使うか? いや、温存だな。聖樹はネームドではない。HPバーは1本しか確認できなかった。ならば、あの1本を削れば良い。地面より次々と突き出した蔦は蕾をつけ、花開けば毒針を放出する。それは散弾であり、至近距離であればあるほどに回避は難しい。

 叫べ、アルフェリア。オレを囲むように石畳を砕いて伸びた蔦より放出された毒針を防ぐべく、逆手で持った死神の剣槍を盾の如く構える。ランスブレードの刀身にアルフェリアの泥が染み出し、苦悶の表情を作ると絶叫し、それは音の壁となって毒針を弾く。

 まだだ。アルフェリアの叫び、攻撃転用。叫びの斬撃。刀身で叫びを守ったランスブレードの火力を高めるものであるが、今回はそれを前面に放出する。叫びは拡散されながら、地面を抉るようにオレの前面を駆け抜け、群がっていた住人の骨や蔦を砕き、内臓を潰しながら吹き飛ばす。

 だが、さすがは数の暴力か。肩甲骨から分厚い蔦を伸ばした住人の背後からの接近を許してしまう。首を蔦で締められかけるも、即座に逆手持ちした贄姫を脇の間に突き刺し、そのまま背後の住人を貫く。

 引き抜いた滴る血を払い、倒れた背後の住人を蹴飛ばしながら、霧から飛来するボルトを贄姫を振るって弾く。だが、住人ごと吹き飛ばす毒ブレスが迫り、咄嗟に右ステップで躱そうとするも思わぬ広範囲に避けきれず、掠る形で浴びてしまい、その衝撃が全身を打ち付ける。

 レベル3の毒か。ダメージは回避もあって2割程度の損害の『掠り』で済ませられたが、これだけの数を壁にして聖樹の攻撃は辛いものがある。何よりも毒ブレスの蓄積が重い。直撃ならば即時にレベル3の毒状態確定だな。まぁ、そもそもHPが残るかも微妙だが。

 手抜きをするつもりだが、ザリアを温存するならば別の部分を捻出するしかない。ただでさえ後遺症と時間加速の影響が大きいのだ。

 ヤツメ様の導きをより濃く、広範囲に。一呼吸と共に霧に潜む『獲物』を探り取る。ステップでウッドボルトを躱し、地面を突き破る蔦の位置を『嗅ぎ取る』。

 五感は爛れて崩れ、視覚も聴覚も触覚さえも当てにならない。予兆を把握してからの回避にはVR適性の低さが運動への反応へのラグとなって間に合わない。必要とされるのは先読み。だが、それは確定的な情報からの推測をするには情報量が足りず、パターンの解析も無い。あるべきは研ぎ澄まされた直感からの情報という余りにも不確かで不明確で不鮮明な情報。それだけが狩人の予測を組み立てる唯一無二の源だ。

 不思議だ。血が臭う。血の香りだ。それがオレを狩りに駆り立てる。霧の中で住人を1人ずつ、あるいは纏めて襲撃して斬り、潰し、砕く。蹴りで首を折り、膝蹴りで喉を潰し、頭部が陥没するほどに踏みつける。

 蔦の軌道が感じ取れる。背後からの3連撃、それを軽いステップと共に踵で捩じれを加えて体を宙に浮かせ、その隙間を潜り抜けると猫のように体を回転させながら着地し、そのまま即座に死神の剣槍を蛇槍モードにして周囲を払う。迫っていた住人3人の内臓が骨ごと潰れる音が聞こえた気がした。

 ああ、とてもおかしいね、ヤツメ様。五感が頼りにならなければならない程に、この四肢が動きを鈍らせれば鈍らせるほどに、VR適性が朽ちて行けば朽ちていくほどに、『オレ』が灼ければ灼けるほどに、この獣血はそれを穴埋めするように昂っている。

 アメリアはきっと死にたくなかった。だが、諦観の中で死を選ぶことを望んだ。それは彼女の体は既に人外に近しく、誰にも受け入れらないと悟っていたからだ。だが、その心に『人』はあり、また幸福の未来を求める意思があった。

 聖樹に最接近する。オレの追跡の為に拡散させた肉壁。その狭間を抜けて、球根のような胴体を贄姫で斬りつける。ダメージは無し。あくまで本体はあの緑色のゼリーのような女体か。緑の女体は口を大きく開き、毒の紫色の粒子を散らす。

 放たれた毒ブレスが地面を突き破る。大きく爆ぜて瓦礫をばら撒き、土と石片が降り注ぐ。その中を駆け、接近を試みるが、戻ってきた住人たちが壁にならんとする。大きく跳んでその頭を踏みつけて足場にすると宙を跳ぶ。

 緑色の女体に今度こそ贄姫は届く。斬撃属性は大いに有効なようだ。HPが目に見えて削れる。だが、それはこちらをより危険度の高い敵と認識したに他ならない。苦肉の手段か、あるいは当然の攻撃手段か、住人たちに咲く極彩色の花が萎んでいく。それはエネルギーとなって聖樹に流れ込み、HPを回復させた。

 なるほど。寄生対象からのドレインか。下手に攻撃すれば、仲間に被害が及ぶ。まるで後継者が設計したような存在だ。だが、HP吸収の為にはある程度寄生対象と距離が近くなければならないようだ。これならばアメリアには影響ないだろう。

 ……アルヴヘイムがもたらした進化の結果でも納得か。種は反映する為に他の種を糧とし、利用し、排除する。この聖樹もまたそうした生物としての繁栄を望んだのならば、人間に兵隊と栄養源を求めた運用は至極まともだ。

 だからといって怯む理由にはならない。元の住人のレベルが低いこともあり、1度の回復で死亡する数は4、5人では足りないだろう。それでも、聖樹を排除するために何十人の犠牲が出ようとも攻撃を止める理由にはなり得ない。

 もっと加速を。求められるのはスピード。仮想世界の運動法則。出力された運動エネルギーの制御と運用。そのコツは掴めてきた。それを狩人の動きに限りなく利用する。

 贄姫を持った右手を水平に構え、高加速状態で大きく曲線を描きながら住人を纏めて斬り飛ばす。そのまま即座にアルトリウスの……いや、欠月の剣盟の剣技に切り替える。右足を軸にして左手の死神の剣槍による高速2連回転斬り。それで周囲から伸びた蔦を砕き斬り、更に回転エネルギーを利用した跳躍と側転を加えた渾身の振り下ろし。それは鍬をもった住人を頭から粉砕する。

 アルトリウスの剣技は元来深淵狩り為のものではなく、古竜との戦い、あるいはそれ以外の怪物……たとえばデーモンなどの巨躯を相手取ったものである。故に深淵狩りの剣技とは怪物を想定したものであるが、欠月の剣盟の剣技はより小型の敵……それこそ人間にも通じ得る。

 迫害される彼らの敵は決して深淵の怪物だけではなかったのだろう。深淵を狩る者でありながら、深淵を討つ為ならば都市1つさえも滅ぼす彼らの敵は、時として翅を失った妖精たちだったのかもしれない。

 まだだ。まだ完全なる実用化に至っていない。アルトリウスの剣技、シャルルの武技、そこに欠月の剣盟の剣技と体技を加える。彼らの真髄を同化させて纏め上げ、狩人の動きにアレンジする。それは狩りの業となる。

 死神の剣槍と贄姫による同時袈裟斬り。そこから即座に逆袈裟斬り。踏み込みからの交差斬り。左右の連続突きからの同時突き。流麗なる二刀流ではなく、ただひたすらに敵を狩る為の技術。それが狩りの業。剣士のような誇りと強さを求めた髄など必要としない。

 死神の剣槍を背負い、両手を這わせた贄姫で周囲の群衆を断つ。防御に利用される工具も、農具も、粗末な武器も意味を成さない。

 血だ。血が足りない。もっと血の悦びを! それが狩りの業を鍛え上げるのに必要なのだろう。

 住民がスクラムを組むように並び、開く花を輝かせる。それは肩、腹、頭部など咲いてる場所は違うが、放たれるのは同一で毒針の散弾。それは完全なる面攻撃だ。

 腕をクロスして頭部を守り、防性侵蝕でナグナの狩装束をパラサイト・イヴで侵蝕し、ガードを強化する。だが、それでも毒針によるデバフの蓄積は減衰できない。本来ならば、レベル2の毒に侵されるはずだ。

 だが、オレは発症しない。これには住民を通じて聖樹の動揺が伝わった。ふむ、分かっていた事であるが、やはり『仕込み』はかなり有効な戦術であり、防御策だな。 

 抜刀、水銀長刀モード。鞘に収めた贄姫を引き抜き、多量の水銀を纏わせて刀身を形成する。本来以上の刀身と荒い鋸のように返しを複数持つ禍々しい刃。純斬撃属性ではなくなるが、それでも鋭く、また相手の肉を醜く抉って削る。また一撃の威力も高い。問題は水銀ゲージの消費量の高さであるが、相手を攻撃すればするほどに回復するので攻撃し続ければ問題はない。

 血が香る。もはや足下には肉と臓物と血ばかりとなり、全身を染め上げるのは返り血ばかり。リゲインによるHPと魔力の回復。それを使ってミラージュ・ランで駆け抜けては攻撃を繰り返す。血飛沫を浴びる度にリゲインによるHPと魔力の回復作用はスタミナ以外の消耗分を穴埋めする。

 これで何度目になるかも分からない緑の女体への攻撃。だが、今度は水銀長刀を突き刺し、そのまま鋸の刃を高速で運動させる水銀チェーンモードを発動する。それは緑の女体を内部から削り、一気に引き抜けば体液となる緑色の樹液が飛び散った。

 それでもHPを回復しようとして、補填される住人たちは次々と倒れていく。だが、もはや回復速度が追い付かないだろう。オレは名残惜しさもなく、贄姫を振るう。水銀長刀モードを形成する、投身を覆う鋸状の刃を放ち、それは緑の女体と球根の繋がりを断った。

 HPがゼロになり、球根は急速に乾いて萎み、緑の女体はまるで炎天下に晒されて溶けていくように形を失っていく。アメーバのようにドロドロになりながらも暴れ回っていたが、やがてそれも失せ、完全な液体となった。

 住人に生き残りはいるのだろうか。霧の中で香るのは血ばかりであり、呼吸音はない。だが、足元の住人から蔦が痩せて朽ちていく様子を見て、聖樹の眷属にされていた寄生された住人たちの解放を理解する。

 分の悪い賭けだったが、何とか勝てたか。元々寄生攻撃がメインであり、敵としてはそこまでのものはなかった。レベル80もあれば十分に討伐可能な……準ネームドといったところだな。できれば弱点になるだろう火炎属性を準備したかったが、手榴弾にも限りがある。温存して正解だったか。

 霧の中を歩けども死体ばかりだ。生存者はいないのだろう。ならば、このトロイ=ローバは住民1人残さず滅んだということか。決して大きな街ではなかったが、それでも街1つが滅ぶのは決して容易いことではない。

 彼らを救う方法はあった。寄生状態を解除する方法はあった。腐敗コボルド王の時と同じだ。オレは手段を知っていたはずなのに、彼らを殺した。レギオン殺しとは意味が違う。

 

「……虐殺、か」

 

 ああ、そうなのだろうな。それ以外に意味を持たない。オレはアメリア達が待つ野営に戻る。全身血塗れであるが、トロイ=ローバで何が起こったのかは包み隠さず伝えねばならないはずだから。

 アメリアからすれば、最初から滅びが決まっていた、自ら滅ぼさんとしたトロイ=ローバが今度こそ息の根を止めただけだ。マウロからすれば、それは虐殺以上にはやはり映らないのだろう。

 誹りは受け入れよう。

 罵りも聞こう。

 

 だから、ヤツメ様。

 

 どうか違うと言ってくれ。

 

 この血を昂らせるニオイを否定してくれ。

 

 

 

 

「……本当に、どうしようもないな」

 

 

 

 

 たどり着いた野営は血臭で溢れ、霧の中で蠢くのは蔦だった。

 蔦はその先端で啜るように『肉』を突き刺す。まるで養分でも吸い上げる根のように、『肉』を余さず喰らっていく。

 それはマウロだった残骸。彼は何が起きたのか知ることもなく、眠ったまま殺されたことを示すように、肉と骨と臓物ばかりになりながらも、その血染めの衣服は毛布と共にあった。

 そして、広がる蔦の出所の周囲には、幼き肉体が散らばっていて、まだ小さな球根より伸びる緑の女体はアメリアだった。

 

「ああ、そういうことか」

 

 どうして、あの聖樹はアメリアに似ていたのか。それはアメリアの母親だったからだろう。きっと、聖樹は次世代へと寄生して、それを繰り返して成長するのだろう。ただし、似るのは外見だけで、それは寄生レギオンに似て、根本的に本人ではない、ただの寄生体が取った形に過ぎない。

 聖樹は種の繁栄を目指し、成長し、ついに生息域の『拡大』を試みた。それまでの有益な苗床だったトロイ=ローバを支配下に置き、次なる『女王』の為にアメリアを代替わりにすることなく、彼女をトロイ=ローバの外へと導いた。

 きっと、聖樹は彼女の願いを聞いたのは……母親としての情などでもなく、寄生植物同士の仲間意識でもなく、まるで血の呪縛のような……種としての繁栄の一環。

 オレが聖樹を倒した時、アメリアの内にあった『娘』は芽吹くべき時を感じ取り、そして花咲いたのだろう。種としての危機感がそうさせたのか、あるいはそれもまた聖樹の生き方なのかは分からない。

 オベイロンが作り出した、生物進化の箱庭。それは後継者が綿密に設計したパワーバランスや能力の枠を越え、アルヴヘイムで生態系を形成していった。

 緑の女体となったアメリアは無邪気とも思える表情でオレを見たような気がした。だが、それは外見だけだ。寄生レギオンが苗床とした対象の人格をコピーして振る舞うように、コイツは不完全な外観を模写するだけだ。あるいは、それが苗床とされた生物への敬意なのかもしれない。

 

「祈りもなく、呪いもなく、安らかに眠れ」

 

 だとしても、オレがすべきことは変わらないだろう。広がったマウロの血を踏みしめて、1歩で新たな聖樹に近寄るとアメリアの似非である緑の女体に居合斬りを放つ。それは球根と女体を分離する。先程と同じく女体はドロドロに溶けていった。

 緑の体液を払い、鞘に収めた贄姫はもっと血を寄越せと疼いているようだった。いや、そう感じるのはオレの血なのだろう。

 

「……いつものことさ」

 

 マウロは良いヤツだった。アメリアもきっと心の奥底では死を望んでいなかった。だが、それとは無関係に死は訪れる。それだけだ。

 あるいは、オレと関わったこと自体が死を運ぶのかもしれない。誰もがオレを死神と呼んだ。災厄を運ぶ【渡り鳥】と詰った。きっと……その通りなのだろう。

 彼らは未来を夢見ていた。

 貴族のように豪遊できる富豪の夢を。

 多くの人を魅了する歌手の夢を。

 彼らは幸福を願っていたのだ。

 

「ヤツメ様……オレには……何も見えないよ」

 

 分からないんだ。

 未来に何も求めていない。

 次なる狩りを。次なる戦いを。次なる殺しを! より死闘を! より強敵を! より血の悦びを!

 そんなものしか浮かばないんだ。

 自分がどうなりたいとか、ああなりたいとか、こんな未来が欲しいとか……まるで、分からないんだ。

 ヤツメ様は俯いたまま何も答えない。ああ、そうだよね。ヤツメ様の導きは戦いと殺し……狩りの為にある。その為に存在する本能なのだから。

 ただひたすらに強くあれ。そう湧き上がるのは血の衝動。

 

 歩き続けた。

 

 空が白んだことを示すように、明るくなった霧の中を歩み続けた。

 

 死体ばかりのトロイ=ローバを進み、聖樹の残骸を横切り、切り立つ崖の前に石碑の如く断つ賢者トロイの墓を見つける。

 アメリアの情報通りならば、この墓の下に白の森への道を探す方法があるのだろう。力を込めて墓を押せば、その下から小さな金の箱が現れる。中身は小さな麻袋に入った【七色石の粉末】だ。別段珍しいものではない。目印などに用いる七色石を粉状にしたものだ。

 それを手に崖際に立つが、先も見えない霧ばかりであり、その先には何も見えない。だが、地図には確かに白の森が描かれている。それはトロイ=ローバの住人が見た幻影だったのか。

 アメリアを信じよう。オレは風に乗せて七色石の粉末をばら撒く。それは濃霧で底なしに見えた崖に吸い込まれていく。だが、それは不自然に光をちらつかせる。明らかに宙で七色石の粉末が輝いている。

 ジャンプで届くかどうかの位置だ。風に流されれば着地も狂う。だが、オレは迷わずに崖際から大きく跳び、徐々に風に流されて消えていく七色石の粉末を目で追いながら、霧の中を落下し、そして僅かな落下ダメージと共に見えぬ足場に着地する。だが、足場は見えない。しかし、手で触れれば確かな足場が存在する。

 なるほど。濃霧の断崖絶壁。その中に隠された見えぬ足場か。それも一直線の橋のようなものではなく、まるで迷宮のように入り組んでいるのだろう。

 もう七色石の粉末はなく、また崖上に戻るのも骨が折れる。加えて、霧は足場を露にすることはない。この霧中の何処かに白の森があるのだろうのだろうが、手探りで進むしかないだろう。

 毒メスを試しに足場に突き刺そうとするが、貫くことはない。なるほど。矢やボルトで足場を事前チェックして進むことを禁じているわけか。七色石の粉末、あるいは月光蝶の羽ばたき……その鱗粉が見えぬ足場を暴くのだろう。

 長い旅になりそうだ。見えぬ足場を1歩ずつ確かめる他にない。落ちないように注意しながら、あるいは毒メスを投げて弾かれた足場を探すか。途切れてジャンプが必要になる時が1番大変そうだな。

 ひたすらに。

 ひたすらに歩き続ける。

 時には足を踏み外しそうになり、時には行き止まりとなり、時には見えぬ別の足場へと跳ぶことを強いられる。

 足下も見えぬ空中散歩。それは精神を削るものだろうが、オレにはどうでも良かった。落ちた時は落ちた時であり、その時は死ぬだけだ。ならば、足下が見えない程度で何を恐れる必要がある?

 やがて濃霧に思えたそれは暗闇となり、だがオレの存在だけを浮かび上がらせていく。何時間にも及んだと思った空中散歩の末に、オレが踏みしめたのは白い木々が茂る森。だが、その地面は銀色の砂であり、青い炎が無秩序に鬼火の如く舞っている。

 伝承では白の森とは迷いの森だ。誰もシェムレムロスの兄妹の館にはたどり着けない。だが、オレはかつてインプの地下都市で獲得した探索者の羅針盤を取り出す。それは北の方角を示す通常のコンパスとは異なるように、くるくると回った末にオレから見て左斜めに向いた。

 かつてシェムレムロスの館にたどり着いたとされる探索者のコンパス。後継者が本来のアルヴヘイム攻略用に準備していたアイテムだ。これで白の森において迷わずに進めるだろう。

 だが、それを阻むようにして現れたのは銀毛の狼。いや、その体躯は人に近しく、事実上の二足歩行だ。片手には白木の松明を持ち、青い炎を宿している。何よりも異常なのは頭部であり、それは顔を横に向けて口を大きく裂ける程に開いたものだった。そのあり様はよくよく見るまでは、縦割りの顎を持つ人狼であるが、その詳細に気づいた時には多くの者がおぞましさに恐怖を覚えるのではないだろうか。

 銀狼は1体や2体ではない。白の森から次々と現れる。そして、頭上を飛来するのは人の体躯をした、だが岩肌で蝙蝠の翼をもった悪魔のガーゴイル。その手に持つのは先端が捩じれた槍であり、より傷口を醜く抉り、多量の出血を強いる……流血を利用する為の槍のようだった。

 最初から盛大にお迎えか。視認できる範疇で銀狼は8体。悪魔ガーゴイルは7体だな。

 贄姫を抜こうとして、だが打撃ブレードの方が悪魔ガーゴイルには有効だろうと死神の剣槍1本に切り替える。銀狼は弱点が分からないが、あの青い炎は魔法属性のはずだ。注意が必要だろう。

 

 止まらない。

 

 痛みと『痛み』が止まらない。

 

 だから、せめてこの慟哭を狩りに捧げよう。

 

 

「大丈夫。オレはまだ『1人』で……戦える」




幸福を求める者に死を。
更なる血と狩りを求める者に死闘を。


それでは、283話でまた会いましょう。

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