SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

霧の中に骸が2つ。そして、狩人は白の森にたどり着く。


Episode18-47 白の森

 別に悔しいという気持ちはない。感謝の想いもある。だが、釈然としないのは、リーファもまた『女』だからだろう。

 あり得ぬとしか言いようがない、この世からカウンセラーが廃業するのでないかと思う程の、驚異の精神の復活を遂げたUNKNOWN。喜ばしい反面、彼を立ち直らせたのは自分でもなければシリカでもない、他のいかなる女子でもない、かつての相棒だったクゥリへの複雑な感情を抱くのは仕方がない。

 

(でも、納得するしかないのがなぁ)

 

 夢か現か、クゥリとの語らいによってUNKNOWNの心は持ち直した。いずれは誰かが彼に寄り添い、再び立ち上がる助力と支えを成したとしても、それでも何処かに歪みを……狂いを生じたまま、あるいはより大きくして、彼を歩ませてしまっていたかもしれない。

 だが、リーファの目に映るUNKNOWNは、まるで憑き物が落ちたかのようだった。無理をしている様子もなく、肩にも必要以上に力は入っていない。無論、それは能天気という意味ではない。今できることを全力でしているが、それでも割れた仮面の左側から覗かせる眼は真っ直ぐとした光を宿している。

 

「こ、こうですか?」

 

「もっとを腰を入れろ。違う! 前傾姿勢になるなと言っているんじゃ! 良いか? 盾で『殴る』のではなく『押し飛ばす』イメージじゃ。ほれ、もう1度!」

 

「はい!」

 

「押忍!」

 

「……だから何でUNKNOWNさんまで参加してるんですかぁ!?」

 

「え? だって盾の訓練だろ?」

 

「必要ないでしょうがぁああああああああ! やっぱり≪二刀流≫捨てる気満々じゃないですかぁああああああ!?」

 

「HAHAHA! ジョークだよ。あ、ちなみに今の無駄にアメリカンドラマっぽい笑い方は、クー独特のギャグセンスから来る笑い方で俺も気に入って――」

 

「アンタの相棒の話とかどうでも良いですからぁああああああ!」

 

 そう、あんな風にレコンに気を遣ってじゃれ合いを出来るくらいには。レコンの渾身のシールドバッシュが炸裂し、宙を10回転して脳天から地面に落下したUNKNOWNに、周囲の兵士たちはどっと湧き、ヴァンハイトは『こ、これ程までに早く女王騎士団流盾術の真髄を体得するとは。よもや天才か!?」』と謎の感動と衝撃を受ける。

 昼食の鍋を掻き混ぜながら、リーファが目にしている光景とはそんなものだ。草が青々と茂る牧歌的な草原にて、太陽光を眩しく反射するフルメイル姿のレコン、その傍らで彼に盾の使い方を伝授するヴァンハイト、そして本当に意味もなく参加して吹き飛ばされたUNKNOWN、そんな3人と暁の翅の戦士たちだ。

 

『僕、タンクになるよ!』

 

 朝起きたら挨拶以前にフルメイル姿でそう宣言され、思わずリーファは罪悪感で自殺願望が芽生えたのではないかと本気で心配したものである。事実として、レコンも小さくない感情でその意思もあるようであるが、何よりも今の自分を変えたい、自分にできることがしたい、という気持ちもまた備わっているようだ。

 贖罪意識ばかりを抱えて行動しないよりもマシであるが、相変わらずの極端っぷりにはリーファの方が疲れてしまうものだ。だが、罪悪感からの発露による悪方向8割の宣言ならばまだしも、リーファの推定で前向きさも計算して半々のようであり、とりあえずは彼の決意を見守ることにした。

 

「本職のタンクもいないのに、いきなり転向なんて自殺する気かしらね」

 

 だからこそ、隣で嘆息して男たちを見守っているシノンの一言には苦笑以外の反応を示すことはできないのだ。リーファは出来上がったシチューの味見をしてもらいながら、揃ってシールドバッシュを会得しようとしている2人に懐かしさを込めて目を細める。

 

「深く考え過ぎて部屋の中で縮こまっているよりも、ああして何かに精を出している方が気分も晴れやかになるんだと思います」

 

 汗を掻く。この謎のアップデートは当初こそ不快だったが、今になって見れば悪くないという感情も少なからずリーファにはある。ニオイやべた付きは女性として気になるが、その一方で根っこからのスポーツ少女であるリーファは、体を動かした分だけ溜まる心地良い疲労感と滴る汗がもたらす爽快感を知っている。無論、それは極度の緊張下にある戦闘状態とは別種のものだ。

 

「そういうものかしら? スポーツには縁が無かったからピンとこないわね」

 

「へぇ、シノンさんってスポーツ万能そうなのに。勿体ない」

 

「苦手というわけじゃないけど、秀でている程でもないわ。普通よ」

 

 意外でもなく、現実でのスポーツ経験や培った運動神経は仮想世界でも重要な要素となる。そもそも、アバターを動かすのは脳だ。脳がアバターを本来の肉体のように操作するわけであるが、その基礎となるのは当然ながら現実世界での経験である。これはVRゲームに我先にとログインしたインドア派にある種の絶望を植え付けた。無論、そうしたアドバンテージはVR初心者の域の話であり、実際にVRゲームなどで高運動能力を獲得したアバターの扱いには専門の『慣れ』が必要になってくるのは言うまでもないことだ。だが、それでも土台の有無はやはりいつまでも響くものである。

 人間は足と腕どころか、指の1本さえも真に御していない。漠然と動かしているだけの体。運動における贅肉。力の淀み。体幹の掌握。リーファはDBOで戦ってから、現実の剣道では『まだ』届いていなかった達人と呼ばれる者たちが目指す領域を意識し始めていた。

 だが、その一方であのアルフの女騎士との戦いで覚えた恐怖も拭えていない。人を斬る。それは己の殺意への恐怖に打ち勝つことだ。怒りや恐れ……感情のままに剣を振るえば、それは後々になって重石となる。それは皮肉にも、UNKNOWNやレコンが証明している。

 こんな状態では戦力にならないが、対人ならばともかく、対モンスター……黒火山の攻略ならば、少し位は役立つはずだ。リーファが今回同行している目玉はそちらである。そもそも、リーファも含めた【来訪者】は黒鉄都市攻略戦への参加は見送られている。その理由は3つだ。

 1つ目は言わずと知れた温存だ。シノンはメインの矢が尽き、UNKNOWNはドラゴン・クラウンが折れて実用範囲でもグレードが下がる深淵狩りの剣に切り替えしている。また、特に回復アイテムの在庫には注意を払わねばならない状態であり、黒火山という確実にネームドが複数体は潜んでいるだろうダンジョンを目指す以上は、ここで消耗を重ねるわけにはいかないからだ。特にUNKNOWNはユウキとの戦いにおいて、切り札になり得る女神の恩寵というDBOトップクラスの回復アイテムまで消耗してしまっている。また、メイデンハーツの能力を使用する為のヤスリも大量使用したらしく、シリカが保有していたアイテムを融通してもらったとはいえ、それでも不足は否めない。

 2つ目は戦場環境。黒鉄都市は今までとは規模が違う。黒火山全体を多重の要塞が囲った、要塞そのものが都市……まさに軍事の塊なのだ。巨大で分厚い城砦、投石機から放たれる黒火山の火炎石、屈強なる騎士たちが射る大矢。幾らレベルが高くとも、2、3人が混じった程度で陥落に大きく左右するものではない。あり得るとしても、それは大きな消耗とリスクが強いられる。ならば、黒火山の攻略を担う【来訪者】などの精鋭は温存一択なのだ。そもそも、今回の黒火山攻略には女王騎士団も合流することになっており、戦力差はすでに黒鉄都市とは大きく開いている。陥落は確実であるが、注意すべき点があるとするならば、アルフの参戦の有無である。

 3つ目はUNKNOWNによる辞退だ。ギーリッシュは士気高揚の為にUNKNOWNやシノンには比較的安全な戦場で活躍してもらうと企んでいたようであるが、他でもない彼が参加しない旨を公言した。今の自分は足手纏いになるだけであり、また同じくシノンやレコンも参加させるつもりはないと伝えた。シノンは反対するかと思えば、UNKNOWNの意見を尊重した為、黒鉄都市の攻略戦への参加はお流れになった。

 無論、状況次第では参加せざるを得なくなるだろう。アルフの参戦があった場合、リーファは隠してこそいるが、唯一対抗できる飛行能力の持ち主だ。また、レベル・実力を考えてもアルフと真正面から対抗できるのはUNKNOWNやシノンだけだ。他にも彼らが戦力として投入されることを余儀なくされる事態があるかもしれない。だが、その時はその時の話である。

 だが、本当にガラリと変わった。それは再会して語らった時間も短いリーファよりもシノンの方が実感しているらしく、シリカに至っては半ば魂が抜けた状態だった。リーファも含めた3人はUNKNOWNの……リーファも実感するくらいに、雰囲気から暗い感情の濁りが抜けた彼に驚き、そして白の傭兵に各々の感情を抱いている。

 リーファの場合は複雑な気持ちではあるが、やはり感謝が大きい。自分は『妹』として支えたく、また立ち直らせたいという気持ちもあったが、それよりも現実として、たとえ今も心の内では罪悪感で苦しんでいるとしても、ちゃんと前を向いて生きていこうとする兄の姿を見れただけで嬉しさが勝る。ならば、兄を立ち直らせたのは誰であろうとも関係なく、これからの兄を傍で『妹』として支えていけば良いと気持ちを切り替えている。

 だが、シノンはどうだろうか? リーファも付き合いこそ短いが、団体の数少ない……いや、事実上の2人だけの女性だ。自然と2人でいる時間も多く、その分だけ距離は縮められたが、そのお陰でシノンの眼に宿る『熱』にも気づいてしまっていた。

 純粋な恋慕とも違う、だが確かな強い感情。それは独占欲にも似て、だが歪んでいて、しかし純粋なもの。自分が『妹』として兄の大きな存在となろうとしているように、彼女のもまた単なる男女の関係ではなく、『枠』に嵌められた関係の中で彼の心を得たいと望んでいる。

 そして、シノンはきっとそれを真の意味でまだ意識しきれていない。リーファはそれを指摘したいと思わないし、このまま萎んでいって燻ぶったまま灰に埋もれて消えてしまえば良いとも思っている部分もある。だが、それとは別としてシノンへの悪感情は特にない。シリカに比べれば圧倒的に好意的な関係だ。

 

「ご飯できたよー! 冷めない内に食べちゃって」

 

 リーファが呼べば、レコンが汗だくの顔を隠していた兜を脱いで駆け寄り、UNKNOWNも仮面の口元をスライドさせる。意地でも仮面を外さないのは『約束』があるからしく、リーファとしては一刻も早く素顔が見たいために、是非ともその『約束』を遂げてもらいたいと願っていた。

 

「うんうん! これだよ! これが人間が食べる味だよ! ホントに誰かさんのコロッケはなぁ……」

 

「人様が作った料理にいつまでも文句を垂れるなんて、男らしくないんじゃない?」

 

「……でも、味見をしていなかったのは弁解の余地がないだろ?」

 

「自信家と言って頂戴」

 

 リーファの料理を絶賛するUNKNOWNが悪戯っぽく過去を掘り返せば、やや頬を赤らめながらシノンが口を尖らせる。2人には料理に関して思い出があるらしく、それはリーファの知らない2人の旅路にあったことなのかと思えば、レコンは何かを納得したように顔を背けていた。

 

「本当に美味いのぉ。リーファちゃんは何処に行っても恥ずかしくない嫁になれるぞ」

 

「ヴァンハイトさんったら口が上手いんだから。はい、サービスしてお肉たっぷり2杯目!」

 

 ヴァンハイトも褒めるリーファのシチューだが、UNKNOWNも夢中で頬張っている。それもそのはずだとリーファは内心で口元を歪める。

 男をつかむなら胃袋から。家族を取り戻すなら家庭の味。即ち、リーファだけの……直葉だけのアドバンテージ! 懐かしき我が家の味の再現である!

 UNKNOWNもさすがに味が似通っていると怪しむかもしれないが、そこはリーファだ。素知らぬ顔でUNKNOWNに振る舞い続け、今では考えるより先に味の虜にさせるべく鋭意工夫を加えている。結果、今ではUNKNOWNも訝しむ様子もなくニオイを嗅げば食欲増進とばかりに無我夢中で平らげる。

 

「まさかさ、アルヴヘイムでこんな時間が訪れるなんて感慨深いよね」

 

 汗で湿った髪をタオルで巻いたレコンが空になった皿を置きながら、多くの感情を混ぜた声音で呟き、それぞれは沈黙を選ぶ。

 青い空と白い雲、そして輝く太陽。これからピクニックでも始めたくなるような気分になりそうな草原であるが、彼らが目指しているのは戦場……黒火山を囲む要塞の都、黒鉄都市である。ティターニアの暴露があった後も反オベイロン派に与せず、黒火山を守護する様は騎士としての忠義という意味では天晴であるが、アルヴヘイムの一大事だというのに一切ブレることがないその鉄壁さはある種の不気味さを持つという。

 こうして呑気に訓練を積む時間も本来ならば、あるはずもないのだ。いつ始まるかも分からないオベイロンによる攻勢。それこそアルヴヘイム全土を焼きかねない大戦争にもなりかねないはずである。だが、こうしてリーファ達が黒鉄都市に移動する最中もアルフによる妨害も無い。

 だからこそ、こうして穏やかな時間がある。戦場に着くまでの僅かな時間であるが、心に余暇とも言うべき休息の風が吹いている。それは疑いをかけるべきなのかもしれないが、それでもアルヴヘイムでは今までに無かった貴重な時間だった。

 

「俺はこの広いアルヴヘイムで……いいや、この『世界』で皆と会えて良かったよ。俺1人ではここにいなかった。今この瞬間だって生きてるはずがないんだ」

 

 レコンがもたらした沈黙を破ったのはUNKNOWNだ。彼は草原に寝転がり、白い雲が遮る太陽へと右手を伸ばす。それは彼が愛する女性へと手を伸ばさんとする足掻きであり、自らの意思を確かめる為の所作のようだった。

 彼が言う『世界』とは仮想も現実も関係ない、そんな境界線など無い、彼が歩んで生きた全てを指すのだろう。リーファは上半身を起き上がらせて、まだ露になったままの唇を少しだけ固く結び、ゆっくりと漏れる呼吸の一息と共にUNKNOWNが開口するのを待つ。

 

「だから、生き残ろう。生き残るために……戦おう」

 

 シンプルな理由だ。故に力強い。あれこれ理由で装飾していない、純粋な生存本能から来る……生物として当たり前の抗い。それを改めてUNKNOWNが口にするのは、彼なりに剣を振るう……それこそ『人間』相手でも刃を向ける心構えが再びでき始めているからなのだろう。

 死にたくないから戦う。たとえ、殺すことになるとしても戦う。いや、殺してでも生き延びる。リーファはその決意が出来ていない。きっと、目の前の敵にトドメを刺せる機会が巡って来ても、無条件の肯定など得られない。

 いや、きっと誰もが違うのだろう。この胸に『人』の心がある限り、生物としての当然の権利として殺害することに開き直ることなどできないのだ。

 だからこそ、UNKNOWNはこの場で敢えて告げたのかもしれなかった。この場の誰にも死んでほしくないからこそ、『生き残る』ということを強調したのかもしれなかった。

 

「ワシのような老いぼれは戦場で死ぬのが相応しいんじゃが、二刀流の想い……この萎びて枯れた心に刻んでおくとしよう」

 

 最初にヴァンハイトが立ち上がる。昼食休憩は終わりだ。再び黒鉄都市を目指して行軍を開始せねばならない。その指揮を老兵は預かっているのだ。

 

「僕も死ぬ気はないです。でも、僕は『弱い』から……その時は、よろしくお願いします」

 

 兜を被り、慣れぬフルメイルを揺すりながらヴァンハイトの後を追うレコンは情けない、だが同時に力強い懇願を残す。

 

「私は最初から生きてアルヴヘイムを脱出するつもりよ。テツヤンのロイヤルストロベリーダブルチョコレートパフェΩを食べるまで死ぬ気はないわ」

 

 吹き抜けた風に横髪を押さえながら、シノンは気恥ずかしそうに足早に矢を保管している荷馬車へと向かう。

 残されたのはリーファとUNKNOWNだけになる。鍋の後片付けがあるリーファは、彼らのように格好良く立ち去ることもできずに慌てふためく。

 そもそもリーファだけは彼らとはアルヴヘイムにいる理由が違うのだ。既にUNKNOWNたちにはアルヴヘイムに来た経緯は、自分を助けてくれた黒肌の少女を除いて暴露してあるが、彼らとは違って自分の意思でアルヴヘイムに立っているわけではない。

 だが、それでもオベイロンを倒したいという気持ちは同じだ。サクヤとアスナを助け出す。そして、皆でアルヴヘイムを脱出する。それがリーファの願いなのだから。

 

「あたしも生き残る。UNKNOWNさんは……あたしが死んだら、嫌でしょ? だから、死なないように頑張る」

 

 格好悪いなぁ。リーファは空になった鍋に皆の皿を放り込みながら、UNKNOWNの様子を窺う。

 仮面の剣士の目は何処か遠く、青空の遥か先に過去を覗いているようだった。その露になっている左目は憂いを帯びている。

 

「……UNKNOWNさん?」

 

「あ、ああ、ゴメン。ちょっと『友達』の事を思い出してたんだ」

 

 友達……きっとクゥリのことだろう。リーファが想像していた以上に、UNKNOWNにとって白の傭兵は大きな存在であることは間違いない。だが、そこには多くの感情もまた絡み合っている。

 それは単なる友情で済ますことができない関係なのだ。彼らは互いに友と呼び合っていても、他者から見ればそれは余りに歪に映る。

 互いが互いにとっての光と影。2人のことを知るリーファの思う限りでは、2人は普通に出会ったならば、決して相容れない間柄だったのではないかとさえ思う。

 このアルヴヘイムの何処かにクゥリもいる。仮にUNKNOWNが本物のクゥリと出会ったならば、どうして一緒に戦ってくれないのかと疑念に思う。その点においては、リーファよりもシリカの方が見抜けるかもしれないが、彼女はUNKNOWNを気遣って、もとい傷心を隠すためにユウキの捜索を受け持った。

 

「ねぇ、あなたにとってUNKNOWNはどんな存在なの?」

 

 澄んだ青空を見ていると多くの事を考えてしまう。出発した馬車の荷台で寝転がっていたリーファはいよいよその質問が飛んできたか観念する。

 質問してきたのは、樽に詰まった矢を引き抜いて手元で弄ぶシノンだ。それは貫通性能に優れ、なおかつ魔法属性を持つ【偽月の矢】だ。数少ない深淵狩り達の遺物の1つであり、女王騎士団で保管されていたものだ。

 再三にわたって深淵狩り……欠月の剣盟が誕生したとされる土地である神隠しの伯爵領、月明かりの墓所。その探索を行っていた女王騎士団は、秘密を握るだろう欠月の剣盟についても調査を行っていた。当然ながら、深淵の気配があれば都市1つ滅ぼす彼らは危険な存在であり、またその武具はオベイロンの定めた法を破る強力なものばかりだ。

 後ろめたい過去。おぞましい暗部。女王騎士団は欠月の剣盟を捕えては拷問し、その秘密を暴こうとした。ただ1度として彼らは月明かりの墓所に至る方法を明かさず、またその武具が何処で鍛えられたのかも明かさなかった。これはそうした副産物である。

 月の『女神』グウィンドリンは黄金の弓と月明かりを宿した魔法の矢を持つとされているが、この偽月の矢はそれに倣った贋作である。だが、プレイヤーメイド品ではない。NPC販売品である。何処で深淵狩りが入手したのかも謎の矢であるが、今回の黒鉄都市と黒火山の攻略の為にシノンに譲渡されたものである。女王騎士団なりの、まだわだかまりがある中での歩み寄りの品だ。シノンの普段使いの物に比べれば威力も劣るとのことだが、ステータスボーナスに左右されないそれなりの魔法属性攻撃力、そしてアルヴヘイム製の一般流通に比べれば火力に対して高めの貫通性能は、矢が尽きた彼女にとっての頼みの綱でもある。

 褪せた、やや安っぽい金色の矢に陽光を宿し、その重心を確認している様はまさにプロのシューターだ。リーファは出来る女を見る目をしながら、シノンの問いにどう答えるべきか悩む。

 ここで妹だとカミングアウトするのは簡単だ。だが、それはシノンとの関係性を十分に育めておらず、またつかめていない現時点では危うい。だからと言って、ほぼ無意識にも近しいリーファとUNKNOWNの短期間での協調は、まさに育まれた兄妹関係の発露でもある。

 

「言いたくないなら別に良いわ。でも、あなたの戦い方を見れば分かる。場数が足りない。だから、ネームドやボスを前にした時にきっと後悔するわ。『思い上がっていた』ってね。UNKNOWNにどんな感情があるのか知らないけど、それを大事にし過ぎて死なないことね」

 

 刺々しい言い方であるが、シノンなりの気遣いだとリーファは受け止める。事実として、リーファもレコンも最前線でのネームド・ボスとの戦いには決定的に経験が足りないのだ。

 仮面の剣士は言うまでもなく、シノンもまたDBO初期から最前線で多くのネームドやボスと戦ってきた猛者だ。彼女からすれば、リーファは『安全地帯』で戯れていたルーキーと何ら変わらない。

 常に全てが未知数。コンティニューはなく、1つの判断ミスが死につながり、あるいは仲間の命を奪う。退路は常にあるわけがなく、逃走するならば誰かに犠牲を強いることが時として求められる。気持ちだけでは勝利を呼び寄せることなどできず、敵を下すのはいつだって『力』だと思い知らされる。

 リーファには足りない。レコンよりも戦場の覚悟が足りない。彼があんな風になってしまったのは、リーファが想像しきれていない戦いを生き延びてきたからだ。たとえ、十分に役に立ったと言えずとも、彼は少なからず肌で感じ取っていた。

 

 

 

「シノンさんは、UNKNOWNさんが好きなの?」

 

 

 

 だから、リーファの目から見れば、シノンもレコンと同じくらいに危うく映って、思わずそう口にしてしまう。

 途端にぎょっとした表情をして慌てふためき、顔を真っ赤にして狼狽したシノンは矢を手から落とす。

 

「い、いきなり、な、ななななな、何を言い出すのよ? 私がUNKNOWNを? 冗談でも面白くないわね」

 

「だって、シノンさんって太陽の狩猟団の傭兵で、UNKNOWNさんはラストサンクチュアリの傭兵。アルヴヘイムに来たのはギルドからの仕事じゃないのは明白だし、わざわざUNKNOWNさんを助ける為に同行したにしては、なんか友情とか仲間意識って感じじゃなさそうだし……」

 

 ぶっちゃけ恋慕が過分に混じっているのは間違いないし、とはリーファも頬を朱に染めて視線を惑わせるシノンに言い切れなかった。

 ゴホン、と咳を入れて深呼吸を挟み、偽月の矢をアイテムストレージに収納したシノンは荷台の縁で頬杖をついて視線を草原に逃がす。

 

「あのね、男女だからってすぐに恋愛に絡めるのは良くないわよ。私とUNKNOWNは……」

 

 何か適切な関係を探そうとして、だが上手く見つからないのか、あるいは言い切れないのか、シノンは双眸に暗がりを広げる。

 

「『相棒』になれたら良いなって思ってるわ。少なくとも、このアルヴヘイムで背中を預けてもらえる『相棒』に」

 

 義手を鳴らしたシノンの視線の先にいるのもまた、白の傭兵なのだろう。

 

「でも、彼の心にとって、今も『相棒』はクーだけなのよ。本当の意味で隣に並べるのも、背中を任せられるのも、クーしかいない」

 

 それは嫉妬に近しい感情であり、同時に恐怖が混じっていた。それはリーファがよく知る濁った想いである。

 愛称で呼ぶ程度には、シノンもまたクゥリと関係がある。彼らが親しい間柄という噂は聞いたこともないが、傭兵同士であるが故に交流も多いのかもしれないとリーファは思う。

 確かにシノンは強い。本質はシューターであるならば、接近戦を担うファイターであるUNKNOWNとは相性も良いだろう。だが、シノンが言う『相棒』とは、戦術上の相性の良さではなく、より『関係』を意識したものなのだろう。

 シノンがいくら願っても駄目なのだ。UNKNOWNが真にシノンを『相棒』として欲した時、認めた時、願った時、彼らは『相棒』になれるのだ。

 

「……きっとお兄ちゃんには、もう『相棒』は『いない』と思いますよ? だから、シノンさんが『そうなりたい』なら、あたしはそれで良いと思ってます」

 

 だからこそ、黒と白はもう『相棒』には戻れないのだろうともリーファは諦観していた。

 クゥリにとって『相棒』としての役目はSAO完全攻略と共に終わっている。昔の関係を持ち出すことはあっても、アインクラッドが終わりを迎えた時に……現実世界に戻った時に、クゥリは【黒の剣士】の『相棒』である役目を終えた。

 そして、UNKNOWNもまた心の何処かでは隣に立ってほしいと望んでいるかもしれないが、同時にそれ以上に昔の関係には戻れないと割り切っているはずだ。あるのは懐かしさばかりであり、仮に共に戦うとするならば、新たな関係でありたいと欲しているはずだ。

 だからこそ、リーファはシノンが『相棒』を望むならば、そうなって欲しいと願う。リーファは知っている。たとえ、同じ戦場に立つことができたとしても、自分は『相棒』にはなれないのだ。『妹』である以上、それを超える関係を欲することはできない。ならば、そうなりたいと望んでいる者に兄を支えて欲しいというのがリーファの偽りなき回答だ。無論、そうした多くの関係の中で1番に……『最愛の妹』として不動になることこそがリーファの真なる願望でもある。

 

「お兄ちゃん?」

 

 そして、リーファは大失敗を悟った時にはもう遅い。クゥリに散々言われた、敢えて分類するならば≪うっかり≫スキルの発動。思わずポロリと零れてしまったミスを聞き流してくれるような女傭兵ではない。

 ニヤリ。そう擬音が聞こえそうな、彼女の本質的なサディスティックな部分を端的に表現したような笑みが描かれる。ガクガクと震えたリーファに、シノンは半歩分だけ寄った。

 

「私は『何も聞いてない』。そういう事にしておけば良いのね?」

 

 挽回の手段はない。リーファはあらん限りの選択肢を想像するが、いずれもルート変更の方法はなく、これからしばらくの2人の関係がたった今決定づけられたのだと断念するしかない窮地に追い込まれる。

 

「ねぇ、私たち、きっと『仲良くなれる』ような気がしてきたわ。折角の女同士だし、もっと『親睦』を深めるべきじゃない? そうね、たとえば……リーファと『誰かさん』の昔話とかに興味があるわね」

 

「あ、あたしを強請るつもりですか!? あたしがお兄ちゃんの情報を売るとでも!?」

 

「あら? 私は『誰かさん』のことを聞きたいだけよ。好物とか。ちょっとした趣味。本人も気づいてない癖。恥ずかしい過去なんかも聞いておきたいわね。ほら、傭兵って情報が命綱だから」

 

 絶対に傭兵業とは関係ない! リーファはここでシノン経由で自分の正体が明かされるのと兄の情報を提供するのとどちらを選ぶべきかの瀬戸際に立たされる。仮に前者ならば、兄は自分を守ろうと必要以上に気負ってしまうかもしれない。それは避けたい。だが、その一方で兄の情報をここでシノンに渡すのは後々になって大きな障害を作るような気がしてならないのだ。

 あわわわわ、と困惑するリーファに、シノンはフッと笑って彼女の頭を撫でる。

 

「馬鹿ね。今ここであなたの正体をバラしたら、UNKNOWNがどんな気持ちになるかくらい想像できるわよ。安心しなさい。少なくとも、アルヴヘイムにいる間は『うっかり口が滑る』なんてことはないわ。だから……ちゃんと生き残るのよ?」

 

 さすがのシノンもメンタルコンディションの重要性は承知しているらしく、リーファはホッとする半面、急に飛び出してきたお姉さん面に別の危機感を募らせる。これは自分への懐柔策……外堀を埋めにかかっているのではないかと疑う。

 そうしている間に平原を通り過ぎ、黒鉄都市へのショートカットとなる山道へと入り込む。街道ということもあり、モンスターの出現頻度は低いが、それでも大所帯ともなれば、相応の襲撃がある。とはいえ、それらはアルヴヘイムの兵士でも十分に対応できるレベル10級程度であり、リーファ達が防衛する必要はない。

 徐々に日暮れが近くなり、リーファが欠伸を堪えきれないでいると、馬車が止まり、その戦闘でヴァンハイトとUNKNOWNが何やら語り合いをしている様子が窺えた。シノンは今夜の夜番に備えてか、腕枕で仮眠を取っている最中である。リーファは彼女が起きないようにそっと荷台から跳び下りると、深刻な表情をした2人に駆け寄った。

 

「何かあったの?」

 

「ああ。この先に今晩のキャンプ予定だった山里があるんだけど、先遣隊が赴いたら『また』無人だったらしいんだ」

 

 露になっている左目を険しくしたUNKNOWNの言う通りならば、確かに妙であり、また危機意識を募らせる。

 先日も宿泊した農村が無人になっていた。それだけではなく、都市部から離れた小さな村などでは集団失踪が相次いでいることが道中で情報として仕入れることが出来ていた。最初は自主的な集団疎開……オベイロン王の報復を恐れてのことかとも推測できたが、どうにも怪し過ぎるのだ。

 

「レギオンかな? 今でも目撃があるんでしょ?」

 

「村の内部には血痕が見られなかった。レギオンが暴れたなら、相応の痕跡が残るはずだ」

 

 リーファの指摘に、UNKNOWNは即座に否定する。廃坑都市の壊滅と同日にアルヴヘイム全土を呑み込んだ獣狩りの夜の赤い月。それはアルヴヘイムの住人を続々とレギオンに変えたという。現在はその目撃報告も下降を辿っているようだが、リーファはレギオンが簡単に滅びたとは信じていなかった。

 ならばオベイロンが何か良からぬ攻撃を仕掛けている? もっともあり得るのであるが、そんなまどろっこしい真似をするくらいならば、オベイロンならば派手に軍勢を差し向けそうなものである。なにせ、オベイロンにはほぼ一方的に都市1つ、反抗勢力を丸ごと潰すことができた戦力があるのだ。故にリーファはこの失踪についてこれといった意見は出せない。

 アスナさんがいれば有意義な意見を出せたのかな? そんな卑下が零れそうになり、リーファは頭を振る。そうして頼ってしまったが故に彼女を追い詰めてしまっていたのだ。アスナが我が身を犠牲にしてまでオベイロンとの決戦に向けた後押しをしてくれたのだ。彼女に報いるためにも、助け出す為にも、もっと自分を信じて動かなければならない。

 

「調査隊を派遣しよう。罠にしては不自然だが、何もないということもあるまい」

 

「俺が行くよ。敵がいるなら、こっちにはもう気づいているはずだ」

 

「あたしも一緒に行く。UNKNOWNさん1人だったら、何かあった時に皆に危険を報せられないし」

 

 仮に敵が潜んでいて、UNKNOWNが交戦したとなれば誰かが迅速に事態を報告する役目を担わねばならない。それは飛行能力を持つリーファが最も適任のはずだ。そして、彼女の秘密を知るUNKNOWNはその有用性を把握している。

 しばらくの思案の様子もあったが、UNKNOWNは了承し、リーファと並んで街道を進み、山里に入る。簡素な木製の門は外敵からの侵入を守る為なのだろうが、今は先遣隊によって開門されていた。

 先の農村と同じで生活の風景をそのまま残していながら、住民が老若男女問わずに失踪している。

 

「……クロアトアンみたいだね」

 

「どちらかと言えば、メアリー・セレストじゃないか?」

 

 どちらも違う気はするが、似通った感想を抱いているのは同じである。街道の都合上、山里に入るしかなく、今晩はそこでキャンプをする以外にないのだ。リーファは自然と気合を入れて剣を抜くも、UNKNOWNは両手共に無手のままだ。

 警戒していないわけではないのだろうが、ここに明確な脅威が無いと感じているような素振りに、リーファは眉を顰める。

 

「剣だけでも抜いてた方が良いよ? 何かあったら対応できないし」

 

 無論、UNKNOWNの神速ならば、リーファとは比べ物にならない抜剣の速度だろうが、それでも慢心は喉に食らいつく。だが、UNKNOWNはどうにも説明しにくそうに頭を掻いていた。

 

「リーファは仮想世界における視線の理由を考えたことがあるか? 俺の持論だけど、プレイヤーが対象を目視した時、システムが対象を検索するわけなんだ。それはガジェット……VR機器へのアクセスを意味する。大元のデータはサーバー管理だけど、まずはここにプレイヤーの情報が蓄積する。特に個人情報とか戦闘ログとかはね。その中でもVRMMOは個々の管理がプレイヤーコード頼りだから、これを参照してサーバーに情報検索をかけるはずだ。だから、システムがガジェットにアクセスした時の変化を脳が鋭敏に感じ取っている……っていう説」

 

「でも、現実でも視線って感じるよね?」

 

「あれは大半が『偶然』だって科学的に証明されているんだ。たまたま気づいただけに過ぎないよ。もちろん、それだけじゃないと思う。二酸化炭素や熱量、本来耳では聞こえないはずの呼吸音とかを察知しているから……とか何とか。まぁ、そういう理屈を抜きにした、仮想世界ではあれこれ理屈をつけられない、本当に『勘』とかしか言いようが無くて、広域レーダーと高感度センサーでも積んでるんじゃないかってくらいの精度の『勘』の持ち主もいたことはいたけどさ。アレは例外っていうか、俺も理屈をつけようとしてもできなかったというか……」

 

 あ、絶対にクゥリさんの事だ。五感が優れている以前の問題のように直感が鋭いのがクゥリの特徴だった。だが、それはリーファが会う度に……彼がSAO事件から復帰しようと……『まとも』な人生に戻ろうと足掻けば足掻くほどに鈍っていた。最終的には他人よりも少しばかり勘が優れている程度に落ち着いたのをよく憶えている。本人曰く『マークシートを直感で解けるなら取り戻せても良いけど、「普通」に生きる上ではそんなに必要ないだろ?』と惜しく思っていない様子だった。

 

「それで、話を戻すけど、俺は仮想世界では、特に視線とかに敏感な方だと思ってたんだ。でも、DBOではそれを感じれなくなったんだ。最新モデルには『対策』が施されているんだろうな。微弱な反応とはいえ、VR適性が低い人にはそれも大きなストレスになりかねないし、俺みたいにそれを頼りにする術を見つけてしまったら隠密系がまとめて意味がなくなるからさ。ハードとソフトの両面で改良が施されていると見て間違いない」

 

「えーと、だったら余計に警戒した方が良いんじゃないかな? あたしは索敵系スキル持ってるけど、そこまで頼りになる程じゃないし」

 

 リーファは索敵系スキルの≪気配察知≫を持っている。だが、多くのスキルがそうであるように、スキル使用はスタミナ消費が伴う。≪気配遮断≫との多重使用ともなれば、スタミナ消費量はペナルティで大幅増加である。それでも消費量が回復量を上回ることはないが、いきなりの戦闘で咄嗟にスキル解除できる余裕があるはずもない。スキル使用中のまま戦闘に突入すれば、スタミナ消費量は甚大なものになる。故にせいぜい併用しても≪気配遮断≫が限度だ。

 スタミナという概念さえなければ、DBOの難易度は1ランクどころか2ランク下がるだろう。ソードスキルが使い放題ならば、どれだけ動き回ってもスタミナという限界が訪れないならば、プレイヤーの立ち回りは大きく楽になり、火力も容易に底上げできる。逆に言えば、それこそがDBOの醍醐味であり、これがデスゲームでなければプレイヤー達はこぞってこのシステムの攻略方法を嬉々として論じ、ネット掲示板では多くの意見が飛び交うだろう。

 

「そこなんだ。前に比べて五感が鋭敏になってるって言っただろ?」

 

「だから、ここは危険じゃない?」

 

「そういうわけじゃない。でも、これを鍛えれば武器になる。それにさ、言った通り五感が鋭くなっているのは事実なんだ。スキルによる補正とかじゃなくて、俺自身が鋭敏になっている。視界はより鮮明に、耳はより多くを聞き分け、鼻は前よりも嗅ぎ分け、舌はより味を細かく調べ上げ、肌は多くを敏感に拾い上げる。それらは『予兆』になるはずだ。アルヴヘイムじゃなくてDBO自体があまりにも世界その物の質感を追究し過ぎているからこそだな」

 

 サラリととんでもない事を言っているが、要は先程クゥリを高感度センサーと例えた本人がまさにその通りになったようなものではないか、とはリーファも口には出来なかった。

 だが、もしもそれが可能になれば、UNKNOWNの高いVR適性から来る反応速度と合わさり、彼の戦闘能力は飛躍的に上昇するだろう。だが、それは同時により脳にストレスをかける行為であり、負担の増加を意味する。言うなれば、常に集中力を針の先端程に研ぎ澄まし続けることに他ならないからだ。

 まるで未来予知しているかのように勘が鋭いとしか言いようがないクゥリ。最速最短で反応して即座に行動に反映できるUNKNOWN。この2人が揃っていれば、いかなる敵も脅威になり得ない。そんな想像は容易くできる。だからこそ、リーファは彼らが並び立たない決定的な理由に気づいている。

 既に決別しているのだ。リーファが感じ取ったように、彼らが互いを『相棒』とした時期は終わっている。もう2度と同じ関係には戻らないと決意しているのだ。

 

「これも訓練さ。もう『制限』はかけられないから、この五感はそのままだ。だったら、どんな理由があるとしても、俺は呑み込んで、これも自分の武器なんだって認めていかないといけない。そうしないと……俺が身勝手に殺した人たちが浮かばれない。ユウキにだって謝れない。許されるとは思わないけど、彼女にはちゃんと謝罪しないといけないから。たとえ、もう1度剣を交えることになったとしても……さ」

 

 どれだけ明るく振る舞っても、吹っ切れた様に見せていても、その胸の内で焦げ付く罪悪感が消えることはない。折り合いをつけるには余りにも重過ぎて、大き過ぎて、飲まれてしまいそうで、それでも今の自分できる事を1つ1つしていくしかない。そうして罪と向き合おうとするUNKNOWNの『強さ』に、リーファは自然と口が綻んだ

 

「自分を危機的な状況に敢えて追い込んで感覚を研ぎ澄ます、か。UNKNOWNさんはそれで良いだろうけど、あたしの負担が増すんですけど、その辺はどうなの? 労働には対価を! サービス残業反対!」

 

「わ、分かってるって。リーファはアンバサ戦士だったよな? 実は、まだ何処のギルドも獲得していない凄い奇跡を持っていて、アルヴヘイム脱出の暁には――」

 

 と、そこでUNKNOWNは民家の裏に何かを発見したように黙り、片膝をついて地面に触れる。リーファも真似るように姿勢を下げれば、そこにはキラキラと光る砂よりも小さい粉末状のものが散っていた。だが、それは今まさにゆっくりと消滅しかかっており、UNKNOWNが発見できたのは、まさに彼が五感を研ぎ澄ます訓練の最中だったからだろう。

 途端にUNKNOWNの左目が厳しくなったのは、彼が決して良い発見をしたわけではないからだろう。

 

「月光蝶の鱗粉だ。どうして、こんなものが……」

 

「月光蝶って、確かランダムポップするネームドだよね? レアアイテムと多量の経験値をくれるらしいボーナスモンスターの1種」

 

「そんな甘いもんじゃない。今までトレジャーボックスと同一視して何人もプレイヤーが返り討ちになっている。でも、本当に危険なのはその強さじゃない。月光蝶は白竜シースの被造物……結晶と関わりが強い」

 

 グッと拳を握ったUNKNOWNの目に怒りと憎しみが滲む。だが、それに呑まれないとするようにUNKNOWNは冷静さを差し込むように呼吸を整えた。

 

「シェムレムロスと謁見した時、結晶と強い関わりがあるのを確認している。考え過ぎだと良いんだけど、注意しておこう」

 

 太陽は間もなく落ちて月が夜空を支配する。

 リーファは美しい、月光という名でありながらも、金や銀ではなく、まるで宇宙の深淵を宿したような青にして碧の輝きに魅入られる。だが、UNKNOWNはこんなものまやかしだとばかりに踏み躙った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 銀色の砂を爆ぜさせるように跳び、宙で側転をかけて遠心力を増した死神の剣槍を振るい抜く。それは宙を舞い、捩じれた槍からソウルの太矢を放つ悪魔ガーゴイルを背中から打ち砕き、その硬質な体表とは対照的な、血肉が通って柔らかな中身を飛び散らせる。

 着地と同時に右手の水銀長刀モードを発動した贄姫を傷口に突き刺し、そのまま貫通して地面に縫い付けた状態から一気に斬り上げる。鋸状の刃が肉と体表を傷口から削り、臓物もまた醜く抉る。絶命した悪魔ガーゴイルの赤い血を浴びてリゲインで回復しつつ、背後で青い炎の松明に息を吹きかけて広範囲ブレスを放つ銀狼の背後へと捩じれを利かせたステップで回り込む。

 銀狼のような外観とは相反するように、その顔面は醜く口が裂けた人間そのもの。全身を覆う銀色の体毛は硬質であり、物理属性に高い防御力を持つ。属性攻撃が有効なのだろうが、死神の剣槍のランスとしての特性……刺突属性の高さを活かし、背後から脊椎ごと強引に刺し貫く。

 青い雷撃の全方位攻撃。これもまた銀狼の能力だ。発動前にステップで離脱し、囲い込もうとしていた銀狼3体を死神の剣槍と水銀長刀の贄姫で砕き斬り、また削り斬る。迫る青い炎の松明、雷撃を帯びた爪、毒が滴る顎を躱し、その狭間を縫いながら斬り払って撃破する。

 HPが半分になった銀狼は四足歩行モードに移行し、より野獣に近しい動きになる。爪による高速連撃に切り替わり、突進も素早い。だが、それをアルトリウスの回転跳び退き斬りでカウンターを決めたあと、着地と同時に左真横へと贄姫を投擲する。それは白木の合間を縫って接近していた悪魔ガーゴイルの翼を串刺しにして動きを束縛し、その間に接近して顔面に拳をぶつけて磨り潰す。

 最後の1体の銀狼が急接近して背後から青い炎の松明を振り下ろす。それを宙を前転しながらの踵蹴りで弾き上げ、空いた右手で砂の地面をつかみ、方向転換と共に両手を這わせた死神の剣槍による連撃で両腕と両膝を砕き、ダウンしたところで縦割りの如き顎の内へと黒い刀身を突き入れる。

 

「……ぐっ……あがぁ……はっ……はっ……!」

 

 息が苦しい。呼吸する空気は溶鉱炉で熱せられたようであり、一息の度に口内が、喉が、肺が爛れるようだ。同時にそれは針の塊の様であり、激痛を伴う。呼吸をすればするほどに灼熱と苦痛は増加する。だが、息を止めることも許されず、また全身を浸す倦怠感と疲労感、そして心臓は仮想世界でも激しい呼吸を要求する。

 これで何体殺した? 贄姫を引き抜き、水銀長刀モードを解除する。この城の森に入ってから、銀狼と悪魔ガーゴイルの集団に襲撃されたのは片手の指の数を超える。それは着実な負担となり、武器とオレに消耗を強いている。

 その理由は単純明快だ。この城の森は隠密ボーナスを無効化と言えるレベルで激減させる。即ち、ソロの最大の武器である隠密行動がほぼ不可能なのだ。悪魔ガーゴイルは常に上空を飛んで索敵し、銀狼は視界に入れば即座に応援を呼ぶ。また、隠れようにも銀色の砂と白木ばかりのこの森では人間1人が身を潜めるのも困難だ。

 やや太めの白木に背中を預けて数が少ない修理の光紛で贄姫の耐久度を回復させる。死神の剣槍はまだ大丈夫であるが、贄姫は本来ならば温存しなければならない。だが、死神の剣槍1本では倒せるとしても、速度がどうしても落ちる。そうなれば増援が嵩んで戦いが終わらない。

 迷いの森である以前に殲滅の森だ。木の葉1枚ない白木は上空の悪魔ガーゴイルの目から隠すことはできない。悪魔ガーゴイルは体表の硬さこそあるが、それは打撃ブレードで問題なく破砕できるし、それさえなければHPは低いのだが、とにかく飛行能力が厄介だ。また、彼らの得物である捩じれた槍は掠っただけで流血ダメージが発生する。

 月の光も無ければ、太陽の輝きも無い暗闇。だが、光はなくとも視界は常に確保される。森を作る白木も、各所で燃え上がる青い炎も、空をたまに舞う月光蝶も、何もかもが浮かび上がるように隠されていない。

 地面を埋め尽くす銀砂もそうだ。踏めば踏むほどに沈み込んでいく。体重をかければ容易に踝まで埋まり、踏ん張ろうとすれば両足が捕らわれる。また、その柔らかな砂は滑りやすくブレーキをかけるのも一苦労だ。

 銀狼と悪魔ガーゴイルの血を啜ったナグナの狩装束のコートを翻し、オレは心臓が落ち着きを取り戻すのを待つことなく出発する。荒くなっていた呼吸を無理矢理正し、最大限に足音を鳴らさないように注意を払いながら、シェムレムロスの館へと導く羅針盤を頼りに進む。

 昼も夜も分からない暗闇でありながら、昼間の如く明るい。この異質の森の何処かにシェムレムロスの館がある。だが、それよりも先に白の森で磨り潰されそうな勢いで襲撃されては消耗が嵩み過ぎてしまう。

 

「もうすぐの……はず……だ」

 

 砂に足を取られ、緩やかな斜面を転がり、無様に倒れ伏す。両足に力が入らず、指先まで広がる痺れ、内側から発する熱と皮膚下の冷たさが苛める。

 朦朧とする意識の中で、ノイズが走る右目に力を込めて、視神経を圧迫するような視界にある情報を拾い上げようとすれば、全ての色が反転し、それは痛みを発露させる。また、鼻はありもしない、まるで腐った卵のような幻臭を嗅ぎ取り、喉は気道が詰まっているかのような圧迫感を呼ぶ。

 少し……まずいな。連戦が過ぎたか。雑魚相手ばかりだが、何せ数が数であるし、質も相応に伴っている。しかも途切れることがない増援に次ぐ増援だ。トロイ=ローバからの連戦も数えれば……いや、それ以前に最後にまともに休んだのはいつだったのかも思い出せない。

 シャロン村にいる時だって、毎夜のように霜海山脈で戦い続けた。だが、昼間はそれなりに……いや、余り休めていないな。

 最後に眠ったのはいつだろう? 瞼を閉ざし、朝陽を待つことはあっても、それは脳を休める程度で常に意識は曖昧の内でも途切れることはない。

 拳を握って体を起こし、膝をついたまま起き上がれず、仕方なく死神の剣槍を杖にして立てば、またも姿勢を崩す。そして、急激に戻った視界が映し出したのは、僅か数十センチ先にあった泉だ。バランスを取り戻すこともできずにオレは泉に落ち、氷水のような澄んだ水中へと沈んでいく。

 早く浮き上がらなければならない。そう体に命じようとしても動かない。武器の重みがオレを深みへと運んでいき、やがて背中から銀色の砂に満ちた水底にたどり着く。

 とても……静かで心地良かった。結晶の魚の群れが泳ぎ、青色の世界を彩る。それは視界に入れば確かな痛みとなって脳髄を刻むが、同じくらいに心に静寂を与えてくれる。

 

 

 少しだけ……疲れたな。

 

 

 もはや一夜の微睡みはない。水底を蹴って浮上し、静寂の水面を砕いて空気を吸って岸へと泳ぐ。ずぶ濡れになった体は重く、微かな解放感があった水中に微かな未練が疼く。

 白木に右肩からぶつかるようにもたれ掛かり、羅針盤の指し示す方角をチェックする。脳髄が燃えているように熱い。朦朧とする意識を繋ぎ止める為に闘争心を……殺意を猛らせる。だが、その度に血の誘惑は大きくなっていく悪循環に、奥歯を噛んで正気を保つ。

 正気? 正気とは何だ? 何を以って正気を定義する? 狂気とは何を狂気と分類する?

 エドガーは幸せだ。己が狂っていることを自覚し、その上で信じる神の善意に殉教しようとしている。さぞかし幸福なのだろう。

 頭上からの悪魔ガーゴイルの襲撃。連続突きを目視することなく、もはや頼りにもならぬ耳で音を拾うより先に、この身を動かす。1歩、半歩、1歩、2歩、そんな僅かな動きで全て躱した後に無造作に死神の剣槍を蛇槍モードで振るい、悪魔ガーゴイルを打って地面に落とし、その後頭部を踏みつける。

 

「オレは戦える」

 

 頭部を踏みつぶしている間に銀狼の群れが到着する。

 

「オレはまだ戦える」

 

 銀砂に血が広がって染み込み、香しい血は本能を疼かせる。銀狼の叫びが、悪魔ガーゴイルの苦悶が……どうしようもなく嗜虐の牙を尖らせていく。

 愉快だ。血を浴びれば浴びるほどに、まるで初めて酒を飲んだ夜のような……まるで全身を縛る鎖を……ずっとずっと前からつけていた、ヤツメ様にではなく、オレ自身に付けていた首輪が軋んで外れそうな、素晴らしく開放感に満ちた昂りを覚える。

 

「オレは……まだ『オレ』だ!」

 

 だからこそ、最後の銀狼の下顎を右手で千切り、その喉に左手を突っ込んで肉を抉り取って殺しきれば、オレは『獣』のように歪んだ口元を封じるように、諫めて恥じるべく、強く袖で拭う。

 いつしか素手で戦い、銀狼も悪魔ガーゴイルも屠っていた。もはや彼らの動きは蜘蛛の巣の中だ。ヤツメ様の導きの糸に捕らわれ、何体いようとも脅威にもならない。その動きは喰らい尽くした。

 抑えきれない興奮。それはこの雑魚たちにすら『命』を感じるからか。ああ、実に素晴らしい。狩りとは『命』を奪って喰らうこと。『命』無き機械人形をどれだけ殺したところで何にもならない。

 

「……なぁ、クラディール。オレは……善人であろうとした、オマエが……とても……羨ましいよ」

 

 死を選び、善人として死ぬことで己の内にある悪に打ち勝った。オマエの誇り高さは……正しく『人』の『強さ』だった。生者や死者という境界線などなく、そこには心の有り様だけが存在する。

 狩人よ、そんな顔をしないでくれ。分かっているさ。喰らった命を無駄にしない為にも、オレはこの命の全てを狩りに捧げる。彼らの誇りも願いも信念も踏み躙り、打ち砕き、屠ってきたならば、せめて遺志たる『力』と『命』を貪って糧とし、この血肉としよう。

 歩け。歩くんだ。立ち止まるな。戦い続けろ。殺せ。敵は殺し尽くせ。狩りを全うする為に。その意味すらも知らぬ愚か者であるとしても。

 

「ウーラシールの白木……魔法の触媒……深淵に呑まれたウーラシールは……古い魔法の国であり……ヴィンハイムとは異なる体系で……」

 

 知識を絞り出して紡ぎ、『正気』を繋ぎ止める。

 この白の森を成すのはウーラシールの白木。それは魔法国家ウーラシールで用いられていた魔法触媒である。

 魔法とはソウルの業であり、白竜シースに源流を持ち、また月とは『女神』グウィンドリンがそうであるように魔法の力だ。故に竜と月は魔法の象徴となった。そして、ウーラシールも魔法国家であるならば、白竜シースの流れを持っていたとも考えられる。だが、ウーラシールを調べても白竜シースとの繋がりは今のところ見えていない。あるとするならば、深淵に滅びる間際にウーラシールで目撃された単眼の黒竜カラミットくらいか。

 この森を作ったのがシェムレムロスの兄妹ならば、いかなる気持ちだったのだろうか。彼らはヴィンハイムと繋がりがあり、そして白竜シースの弟子だった。この白木に師匠の面影でも見たのだろうか。あるいは、彼らの渇望こそがこの白木にあったのか。

 少しだけ落ち着いてきた。震えが止まらない左手を振るい、感覚を失って久しい右腕の傷口を刺激して痛みを噴出させる。そうして感覚の代用として、骨針の黒帯で覆われた左手から止まぬ痛みのように、戦う為の術を引き寄せる。

 今まで乱雑に生えていたはずの白木が重なり合ってトンネルを作る1本道が目に映る。銀狼も悪魔ガーゴイルも追って来る様子はない。このトンネルこそが白の森の最奥……シェムレムロスの兄妹の館に通じるのだと教えてくれる。

 トンネルの終わりの先にある、嫌な予感がするくらいに開けた空間。オレはそこに踏み入る前に、修理の光紛を使い切って死神の剣槍と贄姫の耐久度を回復させる。これで残るは数少ないエドの砥石だけだ。

 巨大な広場の中心にそびえるのは大きな白木……いや、白木によって模られた何か。それは巨体を震わし、銀砂を盛り上がらせ、ゆっくりとこちらに振り返った。

 

 

 

 

<白竜の似非>

 

 

 

 

 それは竜。だが、それは異常なる体躯だった。上半身は確かに竜のそれであり、鋭い爪を持つ両腕は竜であり、また頭部も雄々しい角こそないが竜そのものだ。だが、下半身はまるでナメクジのような軟体類に等しい。足と尾の区別すらも難しく、腹部には巨大な青の核を秘めている。そして、その肉体の全ては結晶で継ぎ接ぎになった白木だ。

 明らかな悪意。嘲笑。侮蔑。憎悪。この白竜の似非にはそれが込められている。まるで自分の師を貶めんとするかの如きシェムレムロスの意思を感じる。

 咆哮は竜のそれに似て、だが木々の軋みを孕む。白竜の似非が頂くのは3本のHPバーだ。銀砂の上を滑りながら、鈍重ながらも着実にこちらに迫って来れば、オレの逃げ場を塞ぐように白木のトンネルの出入口は結晶で塞がり、また広場の縁はオーロラの幕で覆われる。

 逃げ場はなし。HPバー3本級……しかも耐久力に定評がある竜種のネームドとの戦いか。とことん消耗が強いられるな。いや、まだドラゴンと決まったわけではないか。あくまで似非に過ぎず、その本質は白木。ならば……!

 砂上を駆け、白竜の似非に接近する。その巨大さはまさに竜。全高は軽く10メートルを超えるのだ。まさしく大質量の塊。だが、それでも本物のドラゴンの……古竜の圧迫感には及ばないだろう。

 白竜の似非の先制攻撃。ナメクジのような巨大な2本足と1本の尾で三角形を作るが如く上半身を支えるバランスを持つ姿から、攻撃の主体は上半身にあると見抜ける。それを裏付けるように、白竜の似非は双腕でオレを薙ぎ払おうとする。それは大振りであるが、速度は十分であり、直撃せずとも風圧は体をよろめかせ、また舞い上がる銀砂が視界を奪う。だが、それで怯んで立ち止まれば、容赦なく追撃の拳に潰される。故に足を止めず、まずは死神の剣槍で弱点と思われる腹部の巨大な青い核を斬る。

 打撃ブレードによる一閃。それは白竜の似非のHPを僅かとして減らさない。少しはダメージが通ってそうなのであるが、どうやらギミック型のネームドのようだ。恐らくは攻撃を蓄積し、ダウンを取らなければダメージを与えられないタイプだろう。ならば、ここはとにかく攻撃を当て続けるしかない。

 足と尾を暴れさせ、接近したオレを潰さんとする白竜の似非であるが、その攻撃範囲ギリギリの境界線を駆け、付かず離れずの距離を維持する。すると白竜の似非は煩わしそうにその口内に光を溜めてブレスを吐いた。青白い光のブレスは結晶を帯び、銀砂を吹き飛ばしながらオレを追う。白竜の似非は旋回性能も高いらしく、ブレスを吐きながら、回り込んで背後を取ろうとするオレを常に正面に捉えようとしている。

 ブレスが終われば、それが通った地面には輝くばかりの結晶が生え、それは塵になって靄を作る。微かに右腕が触れれば、鋭い痛みが生じ、HPが削れる。あの靄……恐らくは魔法属性攻撃を帯びているのだろう。ブレスの直撃は論外であるが、命中地点から生えた結晶が生み出す靄にも注意しなければならない。

 白竜の似非は白木の翼を持っているが、それは飛行能力を持たない。だが、震わせればソウルの塊が生じる。それは高速で飛来し、ある程度の追尾性能を持っている。また、直撃地点で1度収縮し、魔法属性の爆風を生んで範囲攻撃となる。紙一重で躱すのではなく、十分に距離を取らねばならないだろう。

 接近すれば腕による薙ぎ払い。下手に距離を取ればブレス。オールレンジで効果を発揮する追尾性のあるソウルの塊。第1段階にしてはなかなかの攻め方だ。死神の剣槍1本を両手で構え、白竜の似非がブレスの構えを取った瞬間に、その射線と交差するように接近する。ブレスは数ミリ脇を掠め、コンマ1秒の遅れを生じながら命中地点から結晶を生やす。だが、それよりも先にブレスの隙に接近し、死神の剣槍をその胴体に突き刺す。

 悲鳴も上げず、体液を零すこともなく、あくまで白木が作った贋物に過ぎないとばかりに白竜の似非はオレを弾き飛ばそうと暴れ回る。だが、今度はその巨体に跳び乗って背中に駆け上がり、死神の剣槍を振るい抜き、その頸椎に突き刺す。

 ここで【磔刑】を……いや、駄目か。即座に引き抜いて白竜の似非を蹴って大きく宙を跳び、その偽者の竜の姿を覆いつくすような魔法属性の全方位爆発から逃れる。この手の巨体のボスは……いや、そうでなくともネームドやボスは包囲された時用に全方位攻撃を持っている。

 大丈夫。ヤツメ様の導きは白竜の似非を絡め捕っている。研ぎ澄まされた本能と狩人の予測。そのいずれからも逸脱しない白竜の似非であるが、今度はその両腕を空へと突き上げる。するとソウルが集まり始め、まるで月のような巨大なソウルの塊を生み出した。

 まずい! 全方位攻撃を躱す為に距離を取らねばならず、それを逆手にとって白竜の似非が使用したのは何十、何百というソウルの矢だ。爆ぜた巨大なソウルの塊は無数のソウルの矢へと分散され、いずれも誘導性を持ってオレに飛来する。

 駆けろ。立ち止まるな。止まれば死ぬ。次々と背後でソウルの矢が地面に命中していく。それは先程の巨大な浮遊するソウルの塊と違って爆発を起こさないが、下手に命中すれば連鎖的に直撃を呼び寄せ、オレのHPは簡単に消し飛ぶだろう。

 だが、こうして回避を強いられる中で枷となるのは足下の銀砂だ。強く踏み込めば踏み込むほどに足を奪われ、また速度も思うように出ない。それだけではなく、砂という足場のせいでスタミナの消費が余計に嵩んでいることが感じ取れる。

 この白竜の似非、攻撃は大味であるが、実に戦い辛い相手だ。ようやく無数のソウルの矢を躱しきったと思えば、即座にブレスが突き抜ける。ステップでギリギリ躱すが、縦に放ったブレスをそのまま薙ぎ払いに変え、咄嗟に身を屈めて避ける。数センチ頭上を突き抜けたブレスの爆風が背後より襲ってダメージは無くとも姿勢が揺らげば、白竜の似非は両腕の拳を地面に振り下ろす。その攻撃は地震となったかと思えば、オレの足下から続々と白木の根が突き上がる。その刹那の前にヤツメ様が俺の右腕を引いて回避を示し、必殺に至っただろう一撃を切り抜ける。

 地面から伸びた白木の根は砂の海に戻る。白竜の似非が再びブレスを放とうと大きく空を仰ぐ。それより前に間合いを詰めていき、暴れる足とも呼べぬ足に跳び乗り、死神の剣槍を突き刺したまま駆けていく。打撃ブレードがその樹木の肉体を抉っていき、それは胴体にまで達し、なおも白竜の似非は苦悶も示さない。まるで蠅でも追い払うように両腕を動かすが、それを逆に土台にして宙を舞い、側転を加えた左片手持ちの死神の剣槍を白竜の似非の額に叩き込む。

 初めて白竜の似非が絶叫にも似た咆哮を上げた。途端にその両腕は力なく項垂れ、あれ程までに暴れ回っていた足と尾が静かになる。代わりのように腹部の巨大な青の核が激しく鼓動を始める。

 攻撃のチャンスタイムか。着地と同時にステップで距離を詰め、そのまま体を捩じり、渾身の片手突きを青の核に押し込む。

 

「【瀉血】」

 

 青の核の内側から青黒い光の槍が飛び出し、青いジェルのような体液がオレを染める。白竜の似非のHPは大きく削れ、まだチャンスタイムの内に死神の剣槍を引き抜きながら、その傷口に空いてる右手を押し込んだ。

 OSS、爪痕撃……発動。今もモツ抜きと呼びたいこのOSSは、相手の臓器を抉り取ってアバターの破損に伴ったダメージ発生を狙うものだ。核の内側を満たすジェル、その中で筋張った骨格のようなものをつかみ、爪痕撃の『引き抜く』モーションで千切り取る。

 HPバー1本が容易に吹き飛び、白竜の似非は悶絶しながら後退る。その両目は無く、だが全身から溢れるのは微かな恐怖心。それに甘露を舐め取りながら、オレは青い体液で染まった右腕を振るう。

 やはりドラゴンの耐久力はない。攻撃を連続で浴びせてダウンを取ればチャンスタイムだ。恐らくはダメージ量計算。オートヒーリングのように回復している中で、早急に白竜の似非の限界値までダメージを溜めてダウン状態を作り出さねばならない。ならば、セオリー通り弱点だろう頭部を積極的に狙っていくのが良さそうだ。

 だが、ここからは第2段階。言うなれば『チュートリアル』の終了であり、ダウンを取る為にはより多くのダメージを与えねばならないだろう。また、攻撃もより苛烈になるはずだ。

 どんな新技を繰り出すのか。白竜の似非がその身を震わせて咆えれば、2体の月光蝶が舞い降りる。白竜の似非自体の攻撃手段を増やすのではなく、増援による攻撃密度の増加か。

 月光蝶からは『命』を感じない。また、月光蝶の攻撃手段は頭にも叩き込んである。だが、油断は禁物だ。新たな攻撃が追加されているはずである。

 飛来する月光蝶が羽ばたけば、ゆっくりとした、だが誘導性能の高い魔法弾が多量に放出される。白竜の似非の速度があるソウルの塊を補助するか。だが、闇術の追う者たちに比べれば追尾も甘い。ギリギリまで引き付けて躱して地面に衝突させて消滅させる。だが、タイミングを間違えれば白竜の似非のブレスやソウルの塊の餌食だ。

 それにしても月光蝶の攻撃は、ランダムポップするものよりも激しい。それは白竜の似非も巻き込みかねないものだ。だが、白竜の似非の周囲、まるで見えぬ球体に包まれているかのように、月光蝶の攻撃は白竜の似非に直撃することはない。それどころか、全ての魔法攻撃は反射して軌道を変化させる。

 なるほど。魔法攻撃に対して反射フィールドを展開していたわけか。魔法限定か、それとも奇跡や呪術、レーザーやプラズマ弾にも判定が及ぶのかは不明だが、一定距離以上を取った状態では白竜の似非には攻撃が届かない仕様のようだ。動きが鈍い白竜の似非を倒すならば、遠距離からの射撃攻撃が1番だ。それを防ぐための能力ということだろう。まぁ、オレには関係ない話だ。

 

「贄姫」

 

 ここからは解禁だ。死神の剣槍を左手に、贄姫を右手に、まずは月光蝶を始末にかかる。白竜の似非は相変わらずにブレスを吐き散らしているが、DBOの常として相討ちが発生する。それを考慮してか、月光蝶が射線に入ればブレスを使わず、積極的にソウルの塊か、無数のソウルの矢を発動させる。その一方で、急接近して格闘攻撃を仕掛けてくることはなく、注意すべきなのは白木の根による足下からの強襲だ。

 まるで槍を思わす月光蝶の角。大きく羽ばたいたかと思えば、月光蝶は急速突進する。それを跳躍で躱しながら、逆にその背にアルトリウスの縦回転斬りでカウンターを入れる。着地の衝撃で足が砂に埋まらないようにステップに繋げて低姿勢で移動し、無数と降り注ぐソウルの矢を避けながら白竜の似非に接近し、その双腕による薙ぎ払いを逆にソウルの矢から我が身を守る盾とする。

 死神の剣槍はアルフェリアのソウルを使ったことによって闇属性から魔法属性に切り替わった。だが、アルフェリアの泥は闇属性だ。

 死神の剣槍、泥槌モード。分裂した刀身を埋めるように泥が溢れて凝固し、まるで不格好な特大剣の如き様相となった死神の剣槍。贄姫を咥えて両手持ちにして青い核に振り抜き、そのまま跳躍しながら更なる一撃を胸部に打ち込む。無論、これで怯むはずもないが、泥槌モードの解除と共に蛇槍モードで伸ばして操作し、白竜の似非を背中に突き刺し、そのままギミック解除にして我が身を引き寄せる。

 正面で跳んでいたオレを捕まえるべく振るわれた白竜の右手は空を掻き、逆に背中に着地したオレの視界を2体の月光蝶が舞う。こうして白竜に接近した状態では、白竜の似非の魔法反射が逆手に働いて月光蝶の攻撃が乏しくなる。

 ならば、次に攻撃が激しくなるのは、必然的に白竜の似非の全方位バーストの後だ。死神の剣槍を白竜の似非の背中から引き抜き、そのまま無理に跳ばずに落下し、暴れる尾の上に着地する。動き回る尾から振り下ろされないように、導きの糸に……いや、狩人の予測だけで尾の動きを読んで先端まで振り下ろされることなく駆ける。尾から下りる頃に、ようやく全方位バーストを発動させ、その波動が迫るなかで銀砂を蹴って舞い上がり、空中で図太い魔法レーザーを放とうとしていた月光蝶の1体の背中に跳び乗る。

 

「まずは1体」

 

 死神の剣槍と贄姫による連続斬り。ひたすらに抉り、砕き、斬り裂く。飛び散る月光蝶の体液は冷たく、また空気に触れれば凝固する。落下した月光蝶の痙攣を踏み躙り、もう1体が援護に来るより先に贄姫で首を斬り飛ばす。

 白竜の似非のブレスと月光蝶の魔法レーザーが同時に放たれる。交差する2つの魔法属性攻撃に、オレは呼吸も挟まずにステップを使って縦横無尽に動き回るブレスとレーザーを躱し続ける。特にブレスは命中した場所から結晶の靄を生み出す。時にはダメージも覚悟して、全身をヤスリで削るような痛みの中で動く。

 HPがじわじわと減るが、それでも止まらない。恐怖心はない。死に怯えはない。ようやくブレスと魔法レーザーが終わり、それと同時に死神の剣槍を蛇槍モードにしてリーチを伸ばして振るい、月光蝶を横殴りにする。

 落下した月光蝶が銀砂を舞い上がらせる。その隙に接近し、死神の剣槍を背負ってフリーにした左手の拳を打ち込む。白竜の似非は援護しようにも、月光蝶の陰にいるオレには攻撃手段が限られるはずだ。

 だが、白竜の似非は迷わずにブレスを使用する。月光蝶諸共オレを吹き飛ばさんとした目論見だろうが、ヤツメ様の導きを欺くには足りない。月光蝶を蹴り飛ばしながらブレスの範囲外に離脱し、哀れにも仲間の攻撃で爆散する姿を見守る。

 

「これで第1段階と変わらない」

 

 なるほど。『命』はあっても知性が足りないとこうなるのか。それはそうだよな。短期的な結果を優先し、攻撃チャンスとばかりに攻めてみれば、結局は自分の首を絞める。よくある話だ。白竜の似非は、オリジナルである魔法の始祖たる白竜には遠く及ばない贋作。知性の欠片も無い野獣と同じだ。少しばかり魔法に長けているだけなのだろう。だが、それもシェムレムロスの目論見通りならば、狂気に至るほどの白竜の知性すらも蔑んだことになる。

 反応が鈍い右足に苛立ちを込めながら、オレは贄姫の反りで肩を叩き、左足の爪先で地面を数度叩く。

 視界が霞む。白竜の似非がただの白1色にしか見えない。視界を凝らそうとしている間にも攻撃は苛烈に迫る。ブレスは解き放たれ、ソウルの塊が飛来する。早くしなければ、月光蝶が再び召喚されてしまうだろう。

 ダメージは相応に与えているはずだ。腕による薙ぎ払いが巻き上げる砂塵を突破し、贄姫で腹部の青い核を薙ぐ。そこに即座に死神の剣槍を突き刺して大きく斬り上げ、全身を震わせたあとの全方位バーストの外縁ギリギリまで離脱し、そこから大きく跳躍して全身を激しく縦回転させながら白竜の似非の頭部を死神の剣槍で斬りつける。回転力を加えた打撃ブレードの一閃は怯ませずとも、白竜の似非の頭を地面まで叩き落とす。そこに≪格闘≫の単発系ソードスキル【崩雷脚】を使用する。空中からの急行落下の踵落としであり、飛行系モンスターへの追撃に有用なソードスキルだ。≪両手剣≫のヘルムブレーカーと同じで高度が高ければ高いほどに火力ブーストは増幅される。

 雷鳴の如き派手なサウンドエフェクトを伴った右足の踵落としが白竜の似非の額に炸裂し、今度こそダウン状態になる。やはり第2段階は第1段階よりもダメージを多く与えねばダウン状態は取れない仕様と見て間違いなかったようだ。弱点の青い核に突進し、贄姫と死神の剣槍で×印を描くように斬り払い、そこから即座に左右の異なる性質の武器による2連右回転斬り、そこから即座に2連左回転斬り。その場に贄姫を突き立て、右手を大きく広げた核の傷口に押し込み、先程よりも深い場所で爪痕撃を発動させる。

 あれだけ攻めてHPは3割程度の減少か。やはり2本目になってからHP・防御力共に大幅に増加している。チャンスタイムはほぼ同じ長さのようであるが、1度では攻めきれなかった。

 ダウンからの復帰と同時に白竜の似非が咆える。反撃とばかりにオレの足下から連続で白木の根が飛び出した。ダウン復帰後の特殊攻撃だろう。溜めの長いチャージの後に、狙いもつけない、周囲に乱雑にばら撒くブレスが放出される。規則性もない、ただ周りの全てを吹き飛ばす為のブレスは30秒以上続く。これが集団戦ならば、陣形は瞬く間に崩され、また少なくない数の後方プレイヤーが犠牲になるだろう。 

 だが、オレはソロだ。ここにいるのはオレだけだ。ただ自分に迫るブレスの軌道を読み、躱し、次に備えれば良い。確かに速いが、導きの糸に絡め捕られた白竜の似非の挙動は全てが読めている。

 ブレスの終了と共に白竜の似非の両脇に2体の月光蝶が召喚される。先ほどの繰り返しだ。また月光蝶を始末して、白竜の似非のダウンを奪えば良い。

 そうして、最後のHPバーに至った時こそ、白竜の似非の真価が問われるのだろう。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「そもそも、どうしてオベイロンは深淵の軍勢を操れるのか。その疑問を私たちは追及すべきだったんです」

 

 かつて赤雷の黒獣によって使われなくなった旧街道。それは幾つも存在し、アルヴヘイムの失われた土地へと案内する。それらは廃坑都市のような忘れられた都も存在すれば、開拓されていない未知の領域もあるだろう。

 特に旧街道はアルヴヘイムの中央に続くものが多い。当然と言うべきか、アルヴヘイムの発展は大陸の外縁……海沿いから発展の兆しがあり、中央に寄れば寄る程に未開も増える。それはアルヴヘイムが中央より拡大し続けた証明でもあり、そこは混沌とした大地なのだ。そして、過去の偉人たちによる開拓や散り散りになりながらも残っていた元のアルヴヘイムの名残さえも、赤雷の黒獣によって遺失してしまったのである。

 宗教都市より西方に向かった先にある夕焼けの街。それは街全体の屋根が日暮れを彷彿させる茜色で染め上げられていることに由来し、また旧街道の入口の1つでもある。

 特産物である【赤鉄粘土】はアルヴヘイムでも広く建造物に使われている素材であり、多くの行商人が買い付けにくる。交易の拠点ではないが、相応の賑わいがあり、また市場にも活気がある。だが、アルヴヘイム全土を巻き込んだティターニアの宣言により、この街にも少なからずの混乱が及んでいた。

 男たちは一旗揚げようと徴兵のチラシをつかみ、彼らを目当てにした行商人は普段の買い付けだけではなく、武具の販売をして利益を得ようとする。逞しき商魂は何処でも健在であり、また武勇は常に名誉と富と共にあるのだと物語る。

 そんな民衆の熱気とは正反対に、むしろ人気がまるでない旧街道を目指す一行。その目的は深淵狩りの契約の回収である。

 深淵狩り……より正確に言えば、アルヴヘイムで長きに亘って深淵の侵蝕を防いできた欠月の剣盟が結んだ魔族との契約だ。魔族とは、まるで友好NPCのように人間……プレイヤーと交流を持てるモンスター集団を指し示す。彼らは外観こそモンスターであるが、契約を結べるだけの知性と心があり、そして欠月の剣盟といかなる利害があったとしても肩を並べて戦った経歴を持つ。

 行方不明のユージーンもまた深淵狩りの契約の回収に動いているという前提の下で、彼が立ち寄っていないだろう契約の元に行く。それがこの一団の目的の『1つ目』である。そして、それは同時にサブミッションとも呼ぶべきものであり、本命は別にある。

 欠月の剣盟たちの武器……アルヴヘイムの強力なモンスターにも対抗できる装備。それは何処から来たのか。深淵狩りを支援した、改変前のアルヴヘイムの鍛冶NPCが今も生き残っているからだと推測できる。

 だが、獣狩りの夜によって生半可なNPCはほぼ全滅しただろう。赤い月の影響は屋内にも及ぶ。効果が表面化するのは幾分か遅いが、それでも免れない。それは地下でも変わりないはずである。だが、その一方で必ずレギオン化するというわけでもなく、NPCでも稀に現れる『意思』を持った者ならば、十分に感染していない確率も高い。

 

「原理は欠月の剣盟と同じで、深淵の大元と契約しているから……って説か。悪くねぇが、確率は五分五分か、もうちょい悪いぜ?」

 

 これから先、赴くのは人里は乏しい、あるいはまったく存在しない旧街道だ。かつて旧街道をガイアスやUNKNOWNと旅したユウキ曰く、楽な道中ではないという事もあり、念入りに準備をせねばならない。何よりも、ここが最後の人間らしい街並みと光景ならば、存分に堪能しておかなくてはならない。

 だからこそ、クラインはこの財布が軽くなるばかりの、貴族御用達の洒落たカフェをさっさとおさらばして、盛大に騒いで酒を煽って女の子と遊べる店に駆り出したいのであるが、同行者の女子2人はそれを気安く許してくれそうな雰囲気もなく、美容・健康に良いとされる【ホロン豆】という黒豆で入れたアイスティーを飲んで喉を癒すしかなかった。

 太陽の光が差し込むカフェに客は少ない。此度のティターニアの宣言によって、貴族たちも悠々自適な生活から切り離されざるを得なくなっているからだ。ほぼ貸し切り状態のカフェのテラスにて、大きな赤い果実が生クリームを飾るケーキを丁寧にフォークで分割して口に運ぶシリカは、実に幸せそうに美味だと食み、味わっている。そして、その隣では10段重ねのパンケーキをようやく半分ほど食し、今は一休みして果肉がそのまま入ったレモンウォーターを飲むユウキの姿もあった。

 心の内ではいかがわしい店にジャンピングダイレクトエントリーしたい自分が思うのもおかしな話であるが、彼らは些か以上に余裕ある態度を見せ過ぎではないだろうか。クラインは溜め息を隠そうともせずに頬杖をつけば、その内心を見抜いたように、口元に生クリームをくっつけたままのシリカはフォークを振るう。

 

「私だっていつまでも卑屈じゃいられないんです。まずは自分に出来ることから始めないと。今の私では『あの人』の隣はもちろん、秘書としても失格なんです! だから、この仕事をやり遂げて復権するしかないんですから、ここでたっぷり気合注入しておかないと! ねぇ、ユウキさん!?」

 

 シリカの言い分はそれなりに分かる。だが、ユウキは……クゥリを引き止めなかったクラインが思うべきではないかもしれないが、とてもではないが、パンケーキを突いていられる気分ではないはずだ。普段の彼女ならば、誰も彼もを振り切ってクゥリを追いかけに行ったはずである。だが、彼女は自分のコンディションを測れる冷静さが残っているのか、それとも今の自分ではクゥリを追えないと諦観してしまったのか、こうしてクライン達と行動を共にすることを選んだ。

 無論、そうするように強要にも似た言葉を吐いたのはクラインだ。だが、それでも多少以上の抵抗はあると踏んでいただけに、これだけ素直であると逆に不気味なのである。

 

「今のボクにできることは『クーを追いかける事』じゃないから。やっと、ボクは『ボク』と向き合えた。ようやく、『自分』として生きて良いんだって思えた」

 

 パンケーキを切り分けるナイフを手に、ユウキは椅子の背もたれに体重をかけながら空を見上げる。その赤紫の双眸は寂しさと悔しさが滲んでいた。

 

「だからね、余計に思い知らされた。ボクはクーの事を何も分かっていなかった。分かりたいと望んでいても、その糸口だってつかめないままに、この気持ちのままに傍にいれば、それで完結するんだって思ってた。でも、駄目だった。間違えてばかりだった。クーと向き合う為には……その心に届くには……ボクの気持ちがどれだけ強くても駄目なんだ。たとえ、この気持ちを真っ直ぐに言葉にして伝えても……受け取ってもらえるかどうか以前に、届かない。だから、ボクも見つけないといけない。それが何かも分からないし、たくさん遠回りすることになるかもしれないし、やっぱり間違えてばかりかもしれないけど、それでも……クーを見捨てたくないから。いつか彼が泣きたい時に、涙を受け止められる人になりたいから」

 

 そこまで言い切って、フォークをあむあむと噛んでケーキとユウキから溢れる砂糖の甘さを堪能すると頬をほんのりと朱に染めたシリカ、まさかの本気純度100パーセントの言葉を耳にするとは思わなかった唖然としたクラインに気づき、我に返るとユウキは顔を真っ赤にして俯く。だが、それでも気恥ずかしさを優先して誤魔化そうとしないのは、まさしく彼女の心の内から漏れた純粋な想いであり、否定したくない宣言だったからだろう。

 

「ここまで気持ちが駄々漏れなのに、どうして2人の関係は発展しないんでしょうか?」

 

「そりゃあれだ。ユウキはユウキで『こんな自分がクゥリに好いてもらえるはずもない』って思ってる卑屈ガールだったからな。今は少し改善の傾向もあるから今後に期待だ。だけど、白馬鹿は勘が鋭いはず。むしろ野生の直感だけで生きてるような奴だぜ。ユウキの気持ちには気づいていないはずがない。まぁ、そうじゃなくても気づかない方が鈍感過ぎてヤベェ気もするが……」

 

 椅子を引き摺ってユウキから距離を取った2人は、≪聞き耳≫スキルでもない限り聞こえないだろう小声で話し合う。

 奇しくもクラインもシリカも、クゥリとユウキの両名のことは相応の関係にある。ならばこそ、こうして共通見解と意見交換が可能だった。

 

「そうでしょうか? そもそも、前々から思ってたんですけど、クゥリさんってほら……『あの人』の相棒だったじゃないですか。類は友を呼ぶじゃないですけど、鈍感は鈍感を呼ぶっていうか……」

 

「黒馬鹿は恋愛関係については鈍感って程じゃないだろ。ホイホイ係数が高過ぎて、相対的に気づかない値が高くなって、トータル評価で鈍感になっちまうだけだ。要は分母の桁が違うんだよ。男の妬みなんて醜いだけだろうが、死ねば良いと思うぜ、まったくよぉ」

 

「本当に醜いですね。ですけど、死ねば良いとは全く思いませんが、同意する部分もありますね。やっぱり分母を減らす作業から始めなければ……!」

 

 恐ろしい事を言うんじゃない。強烈なチョップをツインテールガールにお見舞いし、元の席に戻ったクラインに、ようやく恥ずかしさを振り切れたらしいユウキは、先程の件を蒸し返したらユニークスキルをブッパしてやると言わんばかりの眼で静かに恫喝し、2人はひとまず命惜しさから揶揄うこともすべきではないと無言で頷き合う。

 

「それにさ、ボクがいつまでも暗い顔をしているわけにはいかない。クーとまた会った時に笑顔じゃないと……ボクは自分を許せなくなるから」

 

 これ以上の追及は本当に無しだからね。そう釘を刺すように付け加えたユウキに、クラインは自分の半端な眼力を恥じる。

 能天気でもない。諦観でもない。ユウキはユウキなりに『戦っている』のだ。いつか訪れる選択の時の為に、多くの経験を積み、多くの事柄を知り、多くの気持ちに触れ、そして『答え』を選ぶ為に。

 もはや『答え』を出した自分は通り過ぎた道だ。首裏を撫でて、クラインは現実の体に施された『処置』を思い出す。

 後悔はない。選び直したいと仮定でも思わない。だが、迷いながらも暗闇を進まんとするユウキを見ていると、自分が『答え』を出すまでの道のりが嫌でも想起するのだ。

 

「私も……間違えてばっかりですね。恥ずかしいです。愛を知った気になっていた小娘って感じで、まさにその通りって気分です。私もユウキさんに倣って新しく始めてみます。『あの人』と向か合う為に、この気持ちとじっくり語り合って、色々と探してみます」

 

 小さく両手で拳を握り、再出発を宣言するシリカに、ユウキは微笑んで嬉しそうに頷いた。

 

「そっか。シリカもボクと同じだね」

 

「それは違います。私は難易度ベリーハード。ユウキさんは難易度クゥリさんです。天地程の差がありますよ」

 

「HAHAHA! ボクもそう思う。あ、ちなみにこの笑い方は――」

 

「知ってます。あの人のアメリカンコメディドラマ風の笑い方ですよね? それ、本気で殺意を覚えるんで止めてもらえますか?」

 

「……ゴメン」

 

 なるほど。『あの件』は確かに酷かった。SAO末期の裏話、シリカにユニークスキル≪狂戦士≫が追加されたのではないかとさえ疑惑が持たれた、伝説の『88層、【渡り鳥】アインクラッド外縁より落下事件』を思い出したクラインは、あの場面であの笑い方をすれば、シリカがガチギレしてここまで溝が深まるのも当然だ、と呆れる。

 だが、クゥリがデリカシーのない人物として知れ渡るようになった遠因……いや、直接的原因は自分にもあるような気がしなくもないクラインは、とりあえず我が身の安全の為に沈黙を選ぶ。時に卑怯とさえ誹られる選択だとしても、生存は何にも増して優先されるのだ。

 

(しかし、コイツらも見違えるほどに柔らかくなったな。前は飢えた肉食獣みたいでギラギラし過ぎて怖かったが、これなら心配いらねぇか)

 

 以前は『チャフ? 何それ美味しいの?』と言わんばかりの超追尾ミサイルのような恐ろしさがあったが、今の2人は自分を改めて見つめ直そうとしている。

 愛に生きるのは素晴らしいことなのだろう。だが、そこには他にも必要なものがあるはずだ。そうしなければ、本当の意味で届かない気持ちもあるはずだ。そう、夜のお相手は困らずとも恋人いない歴を思い出せば泣きたくなる赤髭のナイスガイは涙を堪える。特にユウキはまるで漂白剤に付け込んだようだ。いや、あのような恐ろしい時期があったからこそ、今の姿に尊さと力強さが伴ったような気がして、保護者の気分になって更に涙を誘う。

 クラインはホッとして黒豆茶を喉に流し込んだ。苦みの中にも仄かな甘さが混じっており、なかなかに癖になる爽快感もある。これは当たりメニューであり、是非ともDBOに持ち帰りたいレシピだった。そう思える程度には安堵する。

 

「それでなんですけど、ここに取って置きの『ちょっとした興奮薬』があるんです。ユウキさんの新たな門出を祝ってプレゼントと思ってですね……」

 

「だ、駄目だよ! 前にも言ったけど、そういうモノに頼るべきじゃないってボクは思うな!」

 

「でも、心をこじ開けるよりもカラダから始める方が案外すんなり進む事柄もあると思うんです。ほら、私と『あの人』みたいに……ね」

 

「……あ、あるかなぁ?」

 

「ありますよぉ。絶対にありますよぉ。それに、ユウキさんも言ったでしょう? 色々と試してみないと。間違えた時はその時です。ちなみに、これは超レア品。あの黒傘大針茸で作った――」

 

 前言撤回。少なくとも1名の性根は全く変わってねぇぞ、馬鹿野郎! まるで黒蜜のようなドロリとした……1度口にすれば、詰まった極上の『甘さ』が解放されそうな液体が入った小瓶を、クラインは【絶剣】すらも反応できない神速を超えてシリカから奪い取る。

 

「オメェもちっとは学習しろ! 自分の発言を振り返れ!」

 

「失礼な! 私はちゃんと自分を振り返った上で、見つめ直そうと決心した上で、ユウキさんを後押ししようと断腸の思いでレアアイテムを……!」

 

「OKOK、オールOKだ、シリカちゃんよぉ。このクライン様がオメェの性根を叩き直してやるぜ」

 

「……そう言いながら、その手はなんですか」

 

 仕方あるまい。こうした『おくすり』はチェーングレイヴも製薬に携わっているが、これは素材的にもチェーングレイヴでも密造が難しい『おくすり』なのだ。何としても『サンプル』としてギルドに持ち帰らねばならない使命がリーダーとしてクラインにはあるのだ。断じて、決して嘘偽りなく、いますぐこの『おくすり』を使って長旅前に最高の夜を楽しみたいわけではないと、クラインは真っ直ぐな目で奪い返そうとするシリカを手で押さえ、アイテムストレージに迅速に収納しようとする。

 

「そもそも、オメェもアイテムストレージに余裕ないだろうに、よくこんな『おくすり』を持ち込みやがったな」 

 

「むしろ1番大事じゃないですか! 生か死かの決戦前夜! その時こそ大いに盛り上がって心身共に最高潮に仕上げないと! これはその為の秘密兵器なんです!」

 

「逆に朝には精根尽き果てて戦えねぇだろうがよ。コイツの『経験者』の俺が言うんだから間違いないぜ」

 

 アイテムストレージ収納コンマ1秒前。その直前でクラインの手から小瓶は失せる。奪い取ったのは空を舞う、青い羽毛に包まれた幼竜である。

 

「ピナ、ナイス! まったく、クラインさんの手癖の悪さ、もしかしてユニークスキル≪強奪≫でも持ってるんですか?」

 

「そんなスキルあったら是非とも欲しいもんだ。で、帰ってきたみたいだな」

 

 何も無軌道にお茶会を楽しんでいたわけではない。クラインが目を向ければ、店員も慄くほどの巨漢が今にも床が抜けそうな程の足音を立てて、こちらへと向かっていた。

 それは筋肉の塊。筋肉を盛りに盛って逞しき男にして漢。かつての白銀の鎧は収奪され、代わりに革装備の……まるでグラディエーターのようにやや露出が多めの防具をつけているのは、アルフであるはずのマルチネスだ。

 約束の塔の1件において、塔内で律儀に警備していたマルチネスは事態の急転に追いつかず、そのまま女王騎士団に捕縛されてしまったのだ。

 本来ならば、オベイロンの裏切りもあって処刑されるか地下深くに投獄されるかのいずれかであるが、ある条件……翅を『焼く』という条件で解放されたのだ。それはかつて砂上都市で使われていた拷問具であり、レベル1の呪いを付与する。ギーリッシュの側近の女の顔を焼いたものだった。

 無論、現在はユウキとUNKNOWNがもたらした貪欲者の金箱によって解呪石が購入可能になったのだが、レベル1が解呪できるようになったのは極秘扱いであり、マルチネスが知る由もない。

 問題はマルチネスがこの条件を受け入れるかどうかだったが、彼は即座に了承した。

 マルチネスは尋問の限りでも異端のアルフだ。オベイロンの洗脳を受けて絶対なる忠誠心を植え付けられているが、その一方で彼のティターニアへの狂信は微塵も揺らいでいない。それはこの状況下を『ティターニア様は太陽よりも大きく温かな愛でオベイロン王を正す為に、このような裏切りを働いたのだ。オベイロン様への忠義は無論尽くす。ならば、その忠義とはティターニア様の為に戦い、共にオベイロン王の目を覚まさせることである』というティターニア至上主義の解答に至ったのだ。

 オベイロンの洗脳すらも曲解してティターニアへの信仰を優先する。ここまで来れば狂信者を通り越した存在だ。クラインもこれを聞いた時には思わず熱い涙が零れそうになったものである。

 そして、彼が同行する理由。それは本来ならば戦奴として利用されるはずだった彼の知識が必要だとして、シリカが交渉の末に『得られた情報・資源は全て暁の翅に帰属する』という契約の下で彼の身元を引き受けたのだ。

 無論、まだ信用は出来ない。そこで逃亡阻止のためにピナを上空に配置して見張らせていたのだが、彼は迷いなく戻ってきた。監視に気づいていなかったならば、彼は本心から自分たちに協力し、『オベイロンにお灸を据える』為に動いていると言えるだろう。

 

「皆様、ティターニア様の近衛騎士マルチネス、ただいま戻りましたぞ! ご覧ください! 長旅に備えた装備の数々を! 吾輩、恥ずかしながら、アルフになる以前はよく山に籠っておりましてな。この通り、有用なモノを――」

 

「声がデカいぜ。アルフなんて口にしちまったら、この状況だと周囲が丸ごと敵になっちまう」

 

「ムムム!? 如何にも! 謝罪しよう。吾輩としたことがこのようなミスを犯すとは! ああ、ティターニア様! この愚かな木偶の坊に愛の鞭を! 吾輩、その愛に全身全霊を以って答える所存でありますぞ!」

 

「声がデカいよ! あ、でも、本当に使えそうなアイテムが揃ってるね。特に薬関係が豊富だよ」

 

 マルチネスが担いできた巨大な≪背嚢≫のリュックサックのアイテムストレージを開いたユウキは、中身からトロイの止血薬というアイテムを取り出す。

 お目が高いとばかりに、丸太を思わす両腕を組んだマルチネスは今にもマッスルポーズを取り出しそうな程に眼光を輝かせた。

 

「それは北の辺境、トロイ=ローバという薬の街の品。吾輩がアル――ではなく、やんごとなき御方に召し上げらえる前から重宝していた薬の1つ。ただ流通量が少なく、貴族が独占していたので、得るには横流しで大金を積むしかなかったのだ。だが、此度において、貴族たちも富を敢えて垂れ流すことで『貴族の責務』を果たさんとしているのだろうな。吾輩には卑怯者としか思えんが、そうして戦場に出まいと縮こまっているようだ。嘆かわしい。このような危機に前線に立ってこそ貴族であろうに!」

 

「ノブリス・オブリージュって奴か。まぁ、貴族のボンボンよりも街の守衛の方が今回の戦いでは役立つだろうからな。丁度良い機会じゃねぇか。オベイロンが『反省』した後は、貴族は総入れ替えだ」

 

 洗脳を曲解しているとはいえ、オベイロンを殺すと発言すればどんな反応を示すか分からない。クラインは事前の打ち合わせ通りに言葉を選ぶ。

 これで準備万端だ。クラインとユウキは、シリカに改めて本命について語るように促す。任されたとばかりに彼女は咳を1回入れた。

 

「欠月の剣盟の手帳、これには彼らが契約した魔族の数々が記されていました。これらの情報を精査し、なおかつ女王騎士団が収集していた過去数百年にも及ぶ欠月の剣盟の目撃情報。それらを統合していったところ、奇妙なことが分かりました。彼らは各所で目撃情報があるのに、この手帳に記された『ある1ヶ所』の付近では極端に姿を見せていないんです。それは『暗がりの骨人』の契約。この旧街道の先にあるとされ、この街の付近だけ深淵狩り達は著しく隠密的行動を重視していると推測できます」

 

 シリカは秘書として長年に亘って多くの情報を取り扱っていた。多くのVR事件の解決に『彼』と共に尽力し、なおかつオペレーターとして傭兵を最大限にサポートすべく、日夜通して多くの情報を集積し、最大限にバックアップしている。

 情報収集情報・統合・解析。クラインはそれがシリカはどれか1部がずば抜けた才能は持たないが、こうした裏方作業においてのトータル能力の高さを評価している。戦闘などのリアルタイムでの解析はどうしても彼女自身の戦闘適性が足を引っ張り、また本人の素質もあって司令塔にはなれないが、裏方に回れば多くの情報を地道に分析・整理し、プランを練ることができる。

 

「つまり、この『暗がりの骨人』の契約は、彼らが最も隠したかった、誰にも奪われてはならない秘密……深淵狩りの武器に関係していると私は睨んでいます。そして、NPCでもレギオンプログラムによって汚染されるのはプレイヤーと同じ『人間型』が中心。魔族が逃れているように、『暗がりの骨人』がアルヴヘイム元来のNPCだとしても、獣狩りの夜の影響は最小限と推測も出来ます」

 

 メタ知識がない、まさにアルヴヘイムを生きているマルチネスからすれば理解不能なワードも飛び出しているが、シリカも敢えての事だろう。マルチネスに全てを理解してもらう必要はなく、また知れば狂う真実もあるのだ。ならば隠せるならば隠した方が良いのである。

 

「そして、ここからはメタ読みです。もしも、『暗がりの骨人』が深淵狩りの武器……対深淵系の武器を作れる鍛冶屋NPCならば、その存在意義はなんでしょうか? 間違いない事実として、『あの人』が保有していた深淵狩りの剣には、対深淵属性へのボーナスが付いてました。わざわざ深淵系の特効がつく武器が作れる鍛冶屋の配置、これはまるで『傍に深淵が存在するから準備しろ』という後継者からの回りくどいメッセージに聞こえませんか?」

 

「……後継者って変なところで律儀だもんね」

 

「敢えて対策できるメッセージを隠しておいて、気づかず死んじまう連中を嘲いたいだけだろうよ」

 

 そして、それはプレイヤーが何度となく味わった苦渋でもある。後継者は各所にヒントを仕込み、十分に対策すれば生存の目も大きい戦場で、何も気づかずに無策で跳び込んだ愚か者たちを嘲うことを好む。そんな後継者のやり方が分かっている現在でも、プレイヤーは繰り返し嵌められているのだから、その性質の悪さは折り紙付きだ。クラインも辟易している。

 

「そこでマルチネスさん、あなたに行われた尋問内容の記録は拝見しました。あなたはオベイロンに随分と疎まれていたみたいですね。ユグドラシル城の地下の拡充の他にも、多くの危険な任務に駆り出されていたとか。その中に深淵に関係するものがあった」

 

「如何にも。吾輩も存知ないのだが、どうやらアルヴヘイムの古の時代、【最初の死者】ニト様に続く2番目の死者【古き死の賢者】が地下奥深くに住まわれていたとか。吾輩もオベイロン王の命によって調査に赴きましたが、そこは深淵の闇に蝕まれた土地。とても吾輩単独では……と、弁解したところ、吾輩は地下拡充任務を割り当てられ、以後はずっと穴倉生活である」

 

「それはこの旧街道の先で間違いありませんね?」

 

「虚言なく真実であるとティターニア様の名に誓って肯定しよう。だが、当時はオベイロン王により転移してもらった身。何処にあるかまでは吾輩も知らんのだ」

 

 ここまでは確認作業だ。シリカはいよいよ出発だとピナを肩に乗せる。クラインも腰に差したカタナを揺らし、ユウキは風に靡く黒紫の髪を手で押さえる。

 シリカは戦闘面においてそこまで期待できない。ユウキはコンディションが悪く、武器も使い慣れないものだ。マルチネスは装備を取り上げられている。実質的に戦力として機能するのはクラインだけだ。

 無論、シリカもこのまま深淵に乗り込もうとは思わないだろう。本命は『暗がりの骨人』である。そして、仮に【古き死の賢者】こそがオベイロンに深淵の軍勢を貸し与えている張本人であるならば、それを討伐ないし契約解除に追い込めば、オベイロンから深淵の軍勢という大戦力を削ぎ落とすことが可能なのだ。

 それだけではない。確率は低いが、この深淵を排除することに成功すれば、妖精たちは『翅』という飛行能力が解放されるかもしれないとシリカは睨んでいる。現在はアルフだけの特権であるが、妖精たちが翅を失ったのは深淵が原因であるならば、その元凶を排除すれば……というのもあり得るのだ。ただし、あくまでも妖精ではなく【来訪者】であるプレイヤー……クライン達が翅を得られる算段はかなり低い。

 だが、それでも翅を得た妖精たちの戦力は格段に跳ね上がる。それはオベイロンを追い詰める為にも必要だろう。シリカの本命が完遂され、なおかつ推測通りならば、オベイロンの軍勢の削ぎ落としとこちらの戦力アップを同時に図れるのだ。

 だからこそ、注意せねばならないのは妨害工作だ。オベイロンにとっても急所であるならば、そこには厳重な警備とトラップが仕掛けられているのは道理である。それを1人で彼らを守りながら突破できるかと問われれば、さすがのクラインも不安を隠せなかった。

 だが、やらねばならないのだろう。今まさに白と黒の2人は並び立つことはなくとも、道が違うとしても、オベイロンを倒す為に動いているはずだ。ならば、かつての戦友として自分が踏ん張るべき場面はここなのだ。

 

「それでは――」

 

「うむ、参ろうぞ! いざ、【古き死の賢者】マーリンの元へ!」

 

 決め台詞をマルチネスに奪われたシリカは頬を膨らませる。締まらないパーティであるが、今までに比べれば悪くない旅が出来そうだとクラインは頭を掻きながら笑った。

 ただ1人、ユウキだけは遠くを……まるで何かを感じたように遥か北を望み、その瞼を閉ざしていた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「これで……4回目」

 

 片膝をつき、舌先まで溶けるような高熱を肺から押し出しながら、オレはダウンを取った白竜の似非を睨む。

 立て。立ち上がれ。奥歯を噛み、始末した月光蝶の亡骸を踏みながら、死神の剣槍を杖にして姿勢を正し、足を奪って転倒を誘おうとする銀砂を蹴る。

 

「はぁあああああああああああああ!」

 

 雄叫びを上げながら、弱点である腹部の青い核に水銀長刀の贄姫を振るう。水銀を纏って伸びた刀身、荒い鋸状の刃が削り斬る。そのまま連続斬りを繰り出し、傷口を広げた所で死神の剣槍も突き入れ、左右へと大きく斬り払う。

 白竜の似非が絶叫と共に暴れ回り、ようやく2本目のHPバーを奪い取り、3本目に……『本気』とさえも称される最終段階に突入する。

 十分に距離を取りたいが、白竜の似非はブレス攻撃を持つ。中距離ならば回避も容易であるが、遠距離になればなるほどに困難になる。故に中途半端な距離で待機するしかないのだが、こちらもHPは3割損耗している。オートヒーリングとリゲインで補いながらの戦いだったが、それでもブレス後の結晶の塵によってダメージを重ねてしまった。

 両手の指が痺れる。今にも武器を落としてしまいそうだ。呼吸が上手くできない。そもそも呼吸とはどのように行うものだったのかが分からない。視界が明滅する。吐き気が止まらない。体が爛れるように熱く、同時に凍り付くように寒い。

 まだだ。まだオレは戦えるはずだ! そうだろう、N! アルフェリア! 杖代わりにして踏ん張る死神の剣槍に笑いかけ、砂に突き刺すそれを引き抜いて肩で担ぐ。武器は杖ではない。敵を殺す為にあるのだ。

 暴れ回る白竜の似非が崩れていく。自らの手で白竜を写し取った白木の肉を削ぎ、砕き、壊していく。青い核が内包した液体は止まることなく溢れ続けていた。それは揮発して青い霧となって白竜の似非を包み込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 途端に襲い掛かったのは、まるで鞭のようにしなった『尾』だった。

 

 

 

 

 

 

 白竜の似非の尾よりも遥かに細い。だが、人間相手ならば十分に丸太の如く厚い。青い霧より飛び出した『それ』が振るえばオレを胴から両断する勢いだったが、寸前で屈んで回避する。

 四肢の爪で削り、ブレーキをかける。だが、その体は砂には沈まない。それを拒むように薄い結晶が手元より発生している。

 竜の咆哮。だが、それは先程の白竜の似非よりも更に痩せた貧弱なもの。そして、その姿はもはや似非と呼ぶことさえも烏滸がましい。

 あれ程の巨体だった白竜の似非の肉体は長い尾を除けば4メートル程度に縮み、その全身は咆哮と同じく痩せこけてしまっていた。その頭部も竜の雄々しさを少なからず残していた以前に比べれば、まるで粘土を捏ね合わせたような模造品。白竜の似非の頃には無かった双眸があるべき場所は窪んで結晶が張り付いている。白木の肉体の表面には揮発した核の内用液が張り付いたように、湿って輝いたナメクジの如き皮膚感を出していた。

 竜には程遠く、偽竜と呼ぶことさえも許されず、もはや醜い贋作と成り果てた白竜の似非。四肢で砂の大地を捉え、もはや感情の混沌となった叫びを『命』のままに散らす。

 あるのはシェムレムロスへの憎悪か、それとも自分をこの姿になるまで追い詰めたオレへの憤怒か。どちらにしても、もはや竜の文字を持つことさえも値しない姿となった白竜の似非は、まるでかつては人であったかの如く後ろ足で立って体をのけぞらせたかと思えば、細い前肢からは想像もできない激しい連続叩きつけを繰り出しながら迫る。

 速いな。だが、対応できない程ではない。リズムある叩きつけであったが、オレに迫った瞬間にディレイをかける。だが、それも見抜いている。ステップで真横に跳んだ後にオレを追尾する叩きつけを十分に引き付けて、更にステップで躱しながら背後に回り込む。

 即座に反転しながらの尾による薙ぎ払い。尾の長さは4メートル程度の体格に対してほぼ同一であるが、伸縮する性質があるらしく、振るわれた瞬間には倍以上のリーチが伸びるので注意せねばならないのだろう。もはや白木の肉体とは思えぬ柔軟さだ。まぁ、第1段階と第2段階の時点でも似たようなものだったがな。

 背中に持つのはまるで妖精のような、薄い樹脂の翅だ。元より前段階でも翅っぽい翼だったので、白竜シースの翼自体が翅に近しい外観なのかもしれない。だが、前・前々段階では飾りであり、攻撃の発生ポイントに過ぎなかったが、痩せ細った利点を得たのか、飛行能力も獲得したらしく、大きく舞い上がる。そして、左右に揺れながら口から漏れたのはブレスだ。だが、先程までの魔法の竜に相応しい収束したレーザーの如きブレスとは違い、紛いのような結晶の塵のブレスだ。

 攻撃力は下がっているだろうが、オレの場合は対処が難しくなった強化ブレスだ。余計に攻撃範囲から逃げなければならない。着地した白竜の似非は威嚇するように咆える。飛行可能になったとはいえ、長時間は不可能なようだ。

 体を大きく震わせたかと思えば、白竜の似非は高速で突進する。それをステップで躱すが、瞬時にブレーキから反転をかけ、再度の突撃をかける。今度はカウンターで死神の剣槍を振るうも、そのブヨブヨとした表皮に弾かれる。

 打撃属性が大幅に減衰されたか。死神の剣槍は打撃ブレードだ。今の白竜の似非には相性が悪い。だが、打撃属性に対して強いならば、逆に斬撃属性に弱いのが常だ。贄姫を水銀長刀モードから通常モードに戻し、純斬撃属性を取り戻させる。

 連続の突進。それをステップによる擦り抜けるように躱す。だが、今度は大きくジャンプしたと思えば、上空からの前肢の叩きつけだ。これを瞬時にバック転で避けるが、今度は追尾するように足下から連続で白木の根が飛び出す。前段階の能力も使えるわけか。厄介だな。

 四肢で大地を踏みしめ、白竜の似非がその名に不似合いな狼の如き遠吠えを上げる。するとその周囲から青いソウルの輪が生じ、それは拡大しながら空へと向かう。そして、一定高度に達すると輪の内部に光を蓄積し、上空から結晶の雨を降らせる。それは1粒1粒が巨大であり、本物の雨の如く隙間ない攻撃ではない。まぁ、さすがに回避不能の全範囲攻撃は無かったようだ。

 ランダムで降り注ぐ巨大な結晶のメテオ。砂の地面に突き刺さり、障害物が無かったバトルフィールドを埋めていく。本来ならば、暴れ回る白竜の似非の攻撃を躱しやすくなったと考えるべきだろうが、ヤツメ様の導きの糸はより濃く殺意を絡め捕る。

 まずい! 砂とキスする程に体を屈めれば、連続で振るわれた尾が結晶を砕きながら通り抜ける。そして、全身を黒い影が覆ったと思えば、先程に比べれば小柄と言っても人間と比較すれば依然として巨体の白竜の似非が人間のソレに酷似した両手を突き出しながらプレスを仕掛けていた。

 死神の剣槍を背負い、両手で贄姫を持ち、バックステップと同時に大きく上に跳躍する。逆にカウンターで白竜の似非の頭部から背中にかけて斬り裂くが、HPに減少はない。

 なるほど。想像以上に危険な相手だ。攻略の手順は先程と同じなのだろうが、今度はより小さく、スピードもあり、攻撃力は低下したと言っても大味ではなくなっただけでネームド級であり、プレイヤーからすれば十分に高い部類だ。

 砕けて散っていく結晶のメテオはダメージを発生させる塵を生まない。それを足場にして大きく跳んで白竜の似非から距離を取る。すると、白竜の似非が翅を震わせ、ソウルの塊を次々と生み出す。先ほどに比べれば小型であるが、それは数秒の間浮遊したかと思えば、ふわふわとオレに向かって飛び、やがて姿を消す。

 ウーラシールの魔法の1つに【見えない体】という名の通りのものがある。一定時間だけであるが姿を消失させることが魔法だ。魔力消費量は高く、また使用中は防御力が大きく減少し、また速く体を動かせば解除されてしまうが、隠密ボーナス関係なく完全に姿を消せるので、使い方次第では隠密行動に有用な魔法だ。とはいえ、体を消せるだけで音は消えないのでそちらの対策をしなければ間抜けになるだけだが。

 この白竜の似非、もはや外観は白木の片鱗を僅かに残すばかりだというのに、しっかりとウーラシールの魔法の応用を利かせているのか! 見えずに迫るソウルの塊。それはスピードこそないが、だからこその追尾性能を持つだろう。

 研ぎ澄ませ。本能で嗅ぎ分けろ。殺意の気配を探れ。トリスタンで潜り抜けたはずだ。深呼吸を入れる暇も無く、白竜の似非は突進を繰り返す。回避したところにソウルの塊があったのか、オレの接近と同時に姿を現し、急速に収束すると魔法属性の爆発を起こす。即座にステップを踏んで範囲外に逃げ出すも、白竜の似非は大きく飛行し、オレに狙いをつけて縦に回転しながら尾を叩きつける。それは散々自分に打ち込まれたアルトリウスの剣技の意趣返しのようだ。

 発生したソウルの塊。この広大なフィールドで、ふわふわと風船のように浮いているはずだ。オレを追尾するものとランダム配置されたものがあるだろう。

 捕らえた。ヤツメ様が指を差し、糸を濃く張り巡らせる。それと同時に色彩が反転した視界の中で、何もない場所に影を見つける。たとえ、その姿を巧妙に隠していたとしても、ソウルの輝きは僅かだが露になっているようだ。だが、ここで銀砂という足場が邪魔をして、これを頼りに探れば大きな混乱を生むだろう。なにせ、ソウルの塊に注意していれば、もはや発狂モードとしか言いようがない白竜の似非の怒涛の攻撃を浴びることになるのだから。

 後継者の設計に違いない。オレはこの悪辣さこそが彼らしいと口元を歪める。第1段階と第2段階で散々『大きな的』として白竜の似非を演出しておきながら、最終段階は小型化してアグレッシブに動き回る発狂モード。前の姿の続投と勝手に判断した陣形を汲んでいれば総崩れし、大被害は免れないだろう。また、小型化しても前の特性を引き継いでいるのでダメージを蓄積するまで怯むことはない。

 絞り出すような唸り声と同時に白竜の似非が地を這うように体を回転する。今までのように屈んで回避しようとすれば、砂を抉り飛ばしながら迫る尾によって叩き潰されていただろう。跳んで躱したオレは白竜の似非の回転の中で急速に高まった警鐘を全身に浴びる。

 回転中に白竜の似非の口内には青い光が溜まっていた。それは先程まで使用していた収束状態の結晶ブレスだ。それを尾とは比較にならない超広範囲で回転薙ぎ払いで放つ。紙一重で今度は屈んで躱す事に成功するが、この白竜の似非の危険度を大きく引き上げるには足る攻撃だった。これが大部隊だったならば、ほぼバトルフィールド全範囲に届く薙ぎ払い回転ブレスによって消し飛んでいただろう。いや、さすがにオレみたいな低VITは珍しいだろうから、あるいは生き残れたかもしれないが。

 何にしても、コイツは前段階以上に接近戦をこなし、同時に大人数を相手取っても十分に立ち回れる。知恵も働き、戦術も理解し、こちらへの激しい感情が攻撃性を後押しする。

 毒メスを抜き、迫っているソウルの塊に投げつけるが、誘爆はできない。ある程度のダメージが必須か。恐らくは後方支援による斉射対策だろう。後継者め、本当にプレイヤーを殺しにかかる時だけは活き活きしているだろうな。

 だが、大よその攻撃手段はつかめた。ここからは攻勢に転じる。幸いにも贄姫の……カタナの純斬撃属性はかなり効果的だ。負担はかけたくないが、主体にして戦うのがベストだろう。

 

 

 

 途端に白竜の姿が消え、オレに急接近したかと思えば尾が打ち抜かれた。

 

 

 

 

 まるで映画のフィルムが飛んだかのように、オレは大きく吹き飛ばされ、砂の地面を転がる。

 何が起きた? 白竜の似非の新たな能力……ランスロットと同じ瞬間移動か? だが、ヤツメ様の導きは何も察知できなかった。いや、過信したか? 何をどう言い繕っても、本能がもたらす察知とは不確定情報であり、何の裏付けもないのだ。また、白竜の似非がそれを欺くに足る強者ならば、納得も出来る。

 だが、この違和感は何だ? またしても白竜の似非が消える。今度は背後に回り、結晶拡散ブレスを放つ。再び消えたかと思えば、突進が目と鼻の先まで迫っていた。ギリギリで股下を潜り抜け、逆に腹に贄姫を振るってカウンターを入れるが、またしても白竜の似非が消えたかと思えば、上空にいつの間にか展開されたソウルの輪より結晶メテオが降り注ぎ始めていた。

 何が起こっている? 瞬間移動では説明がつかないほどにモーションが飛び過ぎている。ランスロット以上の能力だ。ヤツの瞬間移動にはヤツメ様の導きもギリギリ対応できていたが、こちらにはまるで追いつかない。

 

「こ、れは……なん、だ?」

 

 そして、まだ理解できないこともある。オレの左手にはいつの間にか死神の剣槍が握られている。そして、HPも最初の瞬間移動で尾の直撃を受けたはずなのにまるで減っていない。

 何が起こっている? 分からない。何も分からない。

 だけど、ヤツメ様が悲しそうにオレを見つめている。そして、オレの左胸にそっと右手を触れた。

 

 

 

 

 

 ねぇ、いつから気づいていないの? あなたの心臓は……もう止まっているのよ?

 

 

 

 

 

 それは真っ先に気づくべきだった違和感。

 オレの胸で鳴るべき鼓動。それが聞こえないのだ。感じないのだ。まるで、冬の訪れと共に凍てついたように。

 

「あ……あがぁ……ぐがぁ……!」

 

 理解する。再びフィルムが飛んだように、白竜の似非が攻撃を仕掛け、オレはそれに『対応』している。

 ヤツメ様の導きは今も健在だ。オレを『生かそう』としている。この左手に握られた死神の剣槍が証拠だ。これで最初の尾の攻撃をガードしていたのだ。

 

 

 

 

 消えていたのは白竜の似非ではない。オレの意識の方だ。

 

 

 

 

 滑稽だ。白竜の似非の能力ではなく、オレが意識を失っていただけだ。少しばかり『死んでいた』だけなのだ。それでもなお、オレは戦おうとしていたのか。無意識の中でも、この血は闘争を成し遂げていたのか。

 なんだ。タネさえ分かれば恐れる必要が無い奇術ではないか。そうだろう、ヤツメ様?

 

 

 

 

 どうして……どうしてなの? 壊れる音が聞こえるでしょう? これ以上は……止めて。

 

 

 

 

 ねぇ、なんで泣いているの? ヤツメ様、オレはまだ戦える。戦えるよ? 

 動け。休むな。闘争心を昂らせる。本能の牙を少しだけ解放する。飢えと渇き、血を求める飢餓。それが心臓に再起動を命じる。

 ほら、心臓だって動き出した。

 オレは戦える。戦えるんだ。

 

「……無いんだよ」

 

 眼帯を剥ぎ取る。左目に入り込む情報量が脳を磨り潰そうとする。激しい嘔吐感と一瞬の意識のブラックアウト。だが、それは先程よりも把握できた。贄姫の一刀流に切り替える。

 

「オレには……戦い以外に……何も無いんだよぉおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 だから、戦わせてくれ。

 オレはそれ以外何もできないんだ。

 傷つけて、苦しめて、壊して、殺すことしか能が無いんだ。そして、それに悦びを感じてしまう、どうしようもない存在なんだ。

 白竜の似非の上空からの拡散ブレス。回避可能。逆に結晶が成す双眸に毒メスを投げつけるが、破壊失敗。突き刺さらなかったか。

 背後でソウルの塊が爆発する。範囲外に離脱成功。爆風が生み出す衝撃を利用し、ミラージュ・ランを併用して高速で白竜の似非に接近する。カウンターを入れようとする白竜の似非の直前で右足を砂に突っ込んで強引にブレーキをかけ、空振りした右腕に逆に斬り上げを放つ。

 即座に足を砂から引き抜くと同時に跳んで白竜の似非の頭を踏み台にして更に跳び、背中に着地すると脊椎を切断するように薙ぐ。白竜の似非が尾を振り回してオレを引き剥がそうとするが、それよりも先に翅の1枚をつかみ、その根元に武装侵蝕した毒メスを刺し貫く。

 抉り取ろうとするが、どうやら破壊できないようだ。ダメージを蓄積してダウンを取るまでは、いかなる部位破壊も不可能というわけか。ならば、それを見込んだ動きをすれば良いだけだ。

 足が絡まって転倒しそうになる。バランス感覚が失われる。視界が揺れる。耳鳴りが痛みとなり、まるで三半規管まで長いボルトをゆっくりと回されながら捻じ込まれているようだ。

 

「それがどうした!?」

 

 叫べ。それが芯となってオレを動かす為の歯車となる。闘争心と殺意を駆り立てる。ノイズが走る視界の中で白竜の似非を捉える。全てが狩人の予測の中にある。腕の薙ぎ払い、そこからの尾の薙ぎ払い、大きく跳び退いてからの拡散ブレス。これをチャンスにして懐に入り込み、喉を斬りつけそのまま腹から股まで斬り払う。四肢による連続叩きつけを潜り抜け、大きく飛行した後の両手叩きつけをバックステップで躱し、続く足下からの白木の根を逆に足場にして跳び、白竜の似非を強襲して頭部を縦割りにするように刃を振り下ろす。

 白の森を呑み込むような絶叫。同時に白竜の似非がダウンし、まるで人間が膝をついたように上半身をのけ反らしながら固まる。その肉体は急速に木の質感に戻り、腹は割れて隠されていた内部の青い核が露になる。

 ここだ。死神の剣槍を左手に、贄姫を右手に。死神の剣槍の振り下ろし、逆手持ちした贄姫による薙ぎ払いから即座に順手に持ち替えての同所斬り。そこに死神の剣槍を突き刺し、強引に切り上げてからの戦槌の如く振るう連続叩きつけ、そして贄姫を鞘に収めながら死神の剣槍を背負い、最大チャージした水銀居合と同時に≪カタナ≫の居合系ソードスキルの緋扇を放つ。

 直撃する居合のソードスキル、最大チャージの水銀居合。それが大ダメージを成すも、白竜の似非の最後のHPバーの総量と防御力は更に上がっているようだ。半分にも届いていない。しかもチャンスタイムは大きく短くなっている。

 腹が閉じようとしている。だが、逃さずに左手を押し込み、その内部をつかみ取る。

 今回は本当に大活躍だな。こういうチャンスタイムがある相手には、本当に強力にその性能を発揮してくれる。爪痕撃で腹が塞がる際に臓物を引き摺り出すが如く核の内部の筋を引っ張り出し、青い体液を全身に浴びる。 

 爪痕撃の衝撃で吹き飛ばされた白竜の似非が仰向けになってのた打ち回る。全身に浴びた青い体液はリゲインの効果をもたらした。どうやら爪痕撃とリゲインは相性が良いらしい。HP回復量もなかなかだ。

 血のニオイだ。全身に浴びた白竜の似非の血は赤くなくとも本質は同じなのだ。生命の零れ。死によって発酵した、まるで酒のような血の香りだ。

 

 

「足りない。もっと血を。もっと血を! もっと血を!」

 

 

 ヤツメ様が笑っている。

 涙を流しながら、嬉しそうに笑っている。

 ようやく『こっち』に来てくれるんだね、とオレに抱き着きながら嬉しそうに笑っている。

 

 だけど、誰かがオレの肩を叩いた。

 

 ああ、分かっている。分かっているさ、狩人よ。

 

 オレはヤツメ様をそっと引き離す。どうして、と首を傾げるヤツメ様に微笑めば、また涙を滲ませて頭を振るう。嫌だ嫌だと駄々をこねている。だけど、オレは『獣』にはならないと意思を示す。

 

「オレは……捨てない。『人』のまま……狩人として狩りを……成す!」

 

 たとえ、祈りが失われたとしても。

 

 たとえ、呪いしか残っていないとしても。

 

 それはオレが『人』を捨てる理由にはならないのだから。

 

 来いよ、白竜の似非。狩人の血はまだ途切れていない。オレが終わらせてやる。オマエの屈辱に満ちた日々を。似非であるが故に成さねばならぬ闘争を!

 自然と取ったのは狩人としての礼儀。右手に贄姫を持ったまま、白竜の似非に敬意を尽くすべく右腕を振るい、左手を心臓たる左胸に。そしてゆっくりと腰を折る。その後、欠月の剣盟が……ガジルがそうしたように、右腕を突き出しながら左手を握り拳に変える。できれば短刀でも持って恰好をつけたいのだが、これで勘弁してもらいたい。

 

「戦おう、『白竜』よ。闘争のままに」

 

 言葉が理解できているとは思えない。だが、仰向けになっていた白竜は起き上がると微かに唖然とし、今までとは異なるように、我が身を誇示するように大きく翅を広げる。

 白竜の似非の連続叩きつけ。先程よりも遥かに覇気が増している。ヤツメ様の導きの糸が少しだけ薄い。超えるべく鍛え上げられた『命』の鼓動を感じる。

 先程は無かった、牙さえもない顎による噛みつき。その発想は……拘束後のブレスか! なかなかに面白い!

 飛行中にソウルの円を生み、結晶メテオを降らせる。その最中に間を縫うように飛び、突進をしかけたかと思えば尾を振り回しながら着地し、即座に大きく跳躍したかと思えば、落ちて来る結晶メテオを足場にして跳び回り、回避に集中せねばならないオレの背後を取って両腕を大きく広げて掴みかかるに来る。

 

「踊ろう。オレも……踊りたいんだ」

 

 斬り続ける。贄姫を水銀長刀モードに変化させ、その体表を斬り裂き、抉り、削る。過剰な動きを強いられる白竜の似非の戦いの中で、ついにスタミナが危険域のアイコンを点滅させる。やはり足場の砂が想像以上にスタミナの消費を嵩ませている。また宿題ができたな。今後は環境の悪さを考慮した動きも習得が必要だろう。

 刻む。刻み続ける。心臓が不協和音を奏でているかのように、全身に淀みが溜まっていく。

 尾による回転薙ぎ払いからのチャージした収束ブレス。今度はそれをオレ1人にぶつけるべく、制御する為に尾を砂に押し込み、後ろ足で踏ん張り、上半身を起き上がらせながら制御する。執拗にオレを襲う結晶ブレスは途切れることがなく、まるで限界を超えるように白竜の似非の口は裂けていく。

 だが、それでも尽きた。結晶の塵が舞い、白竜の似非が息絶え絶えとなる。ダウン状態ではないが、行動不可の状態か。それも後継者の設計の範疇なのだろう。きっと、後継者は信じているのだろう。AIは……人間ではない電脳の存在は……『人の持つ意思の力』を否定するはずなのだと。

 オレには興味がないことだ。『人の持つ意思の力』が何であるとしても、オレは持ち合わせていない。ならば、オレはあらん限りの『力』で……多くを糧として今も滾る血で……狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺すだけだ。

 接近し、白竜の似非の口内に水銀長刀の贄姫を突き入れ、水銀チェーンモードで内部から抉り斬り払う。ついにダウンした白竜の似非は……『白竜』は少しだけ満足そうな吐息を漏らした気がした。

 開いた胸に……その『命』の脈動を溜めた核に水銀長刀を抉り入れ、刻んで、削って、刻んで、削って、刻んで、削って、削って、削って……そして左手を潜り込ませる。

 この戦いの最後はやはりこのOSSが相応しいだろう。

 

 

「おやすみ、『白竜』」

 

 

 爪痕撃、発動。核の最奥にある、まるで背骨のように光る芯をつかんで千切り取る。臓物がぶちまけられたようにオレを青い体液が染めるも、それは白竜の似非の死と共に蒸発して結晶の塵となった。

 痙攣する白竜の似非の体は枯れていく。だが、その口元は……結晶の双眸は……少しだけ穏やかに思えた。

 

「祈りもなく、呪いもなく、安らかに眠れ」

 

 完全に動かなくなり、ただの朽ちた木像となった白竜の似非に弔いを成す。その生命の髄まで糧とする為に。

 水銀長刀モード解除、振るいながら纏う水銀を刀身から散らせ、鞘に戻す。さすがに贄姫に負担をかけ過ぎた戦いだったな。また亀裂が拡大してしまっている。今後は水銀の刃で誤魔化しながら使う方が良さそうだ。あとは闇朧の運用も視野に入れなければな。

 不愉快な程に賛美の言葉が並んだシステムウインドウを消し、木像となった白竜の似非の亡骸で光り輝く、結晶が張り付いた白いソウルを手に取る。

 

 

<白木の偽竜のソウル:白竜を模した白木と結晶のソウル。半竜ですらなかったなり損ないのシェムレムロスの魔女は、白竜にとって侮蔑の玩具であり、故に彼女を弟子として招いた。そして、彼女にもまた鱗のない白竜は醜悪なる古竜の贋作にしか映らなかった。だが、シェムレムロスの魔女は異邦の地で師を懐かしんだのだろう。そして、師がそうしたように嘲笑の玩具として館の門番としたのだ>

 

 

 

 哀れみはしない。

 白竜の似非は……『白竜』は門番だったのだ。その使命の為に戦い続けた。たとえ、生み出した主から蔑みと嘲りしか与えられずとも、それ以外に何も無かったのだ。

 きっと、『白竜』は最後に門番としての誇りを得られたのだろう。最後の戦いは……正直言って残り火を使おうかと思った程だった。

 闇が揺れる。違う。この白の森を包み込む闇は……トロイ=ローバにあった霧と同じなのだ。それは暗闇となり、全てを覆い隠す。それはウーラシールの魔法の応用か。そして、その加護は白竜の似非の死と共に削がれた。

 森が分かれて道が出来る。その先に現れたのは、不気味なほどに巨大な銀色の月を頂く館。いや、もはや城だろう。多くの塔が繋がり合っている。月光蝶が幾多と舞う姿は幻想的であるが、ここから既に血のニオイが漂っている。その全貌を一目ではとてもではないが把握できない巨大な建造物型ダンジョンだ。

 眼帯を付け直し、左目を覆う。死神の剣槍を背負い、シェムレムロスの館を目指して歩き出す。

 だが、最初の1歩と共に体は倒れ、頬は銀砂に触れる。舞い上がった銀砂はまるで雪のようにキラキラと光っていて、とても……とても奇麗だった。

 眠い。とても……眠いんだ。

 だけど、まだだ。いや、違うな。もう……眠りは無いんだ。一夜の微睡みさえも無い。ならば、オレは……オレにとって……戦いの終わりに……何を得る?

 

「王よ。我らの王よ」

 

 誰かの声が聞こえる。

 

「私は王の『誠実』の因子を受け継ぎました。そのせいなのでしょう。私は他とは違い、人の形を己の意思だけで保てる。設計ではなく、私の意思が……人間の形を維持する」

 

 それは悪意も戦意も無い声だ。

 

「だからこそ、疑問を覚えます。王は……どうして戦い続けるのですか? 我らですら眠りを抱く。ならば、王が眠らぬのは『獣』だからではなく、王の心がそうさせるのです。誰よりも『人』であらんとする王の心が……最も『人』より逸脱した狂気。人類種を喰らう『獣』の誘いにすらも死闘の中で抗える。それは、もはや狂気としか言いようがありません。そう思いませんか? ならば、我らと共にあることこそ、身も心も『獣』であらんとすることこそが正気の内なのではないでしょうか?」

 

 分からない。何も分からない。

 

 

 

「我らはいつでもお待ちしております。我らの王よ。レギオンの王よ」

 

 

 

 レギオン? レギオン……! レギオンは殺す!

 ただ殺意が体を起き上がらせ、贄姫を抜刀するが、オレの周囲は完全な無人だ。ヤツメ様も気配を感じ取っていない。

 

「少しだけ……疲れた……だけだ。それだけ……だ」

 

 まだ、シェムレムロスの兄妹まで遠い。ようやく館にたどり着いただけだ。これを攻略し、最奥に潜むだろう彼らを倒す。

 

「サチ……サチ……オレは……キミとの依頼を……約束を……必ず……」

 

 立ち止まるな。

 歩け。

 歩き続けろ。

 全ての敵を倒せば、必ず成し遂げられる。狩りとはそういうものだ。

 

 黄金の稲穂が揺れている。その中でヤツメ様が泣いている。

 

 いつか見たような気がする……胸が締め付けられるような……暁にも似た黄昏の中で……泣いていた。




シェムレムロスの館はラトリア+公爵の書庫+実験棟でお送りします。

陰鬱なる偽りの月夜を狩人に。

それでは、284話でまた会いましょう。

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