SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
黒サイド、巨鉄のデーモンを撃破。主人公力上昇を確認。難易度変更します。



Episode18-50 黄の衣

 蛇人の結晶鉈、破損。2本ともオミット。ザリアに換装……完了。

 ドロップした武器では少々時間はかかったが、シェムレムロスの館に生き残りはいない。洗脳された狩猟者も、実験体も、何もかも殺し尽した。

 誰1人として生かしておくわけにはいかない。そこにいかなる悲劇があろうと、物語があろうと、生きる意思があろうと、等しく喰らうと決めたのだ。彼らがオレをアルテミスと重ねて死を願う姿に、そうであらんとする事の必要性を覚えたのだ。

 だが、隠せぬ本音が牙を剥く。ただ殺したかっただけだ、と嘲笑が聞こえる。それを嗤いで踏み躙る。

 血の悦びさえもひと時の癒しに過ぎないならば、終わらぬ飢えと渇きは何のためにあるというのか? 

 実験棟の最上階の扉にたどり着く。部屋の名は<秘匿の月光の間>か。

 開けば、まるでダンスホールのように巨大な円形の空間が迎える。壁面にはずらりと木製の椅子が並び、中央では幾多も重なり、まるで卵……いや、心臓のように膨れた黄色の衣があった。

 

 

<黄の衣>

 

 

 前口上などない。十数メートルまでに風船の如く膨れていく黄の衣に贄姫の冷たい刃を向ける。

 背後で扉が閉ざされる轟音が聞こえた。退路はなく、正面の黄の衣は肥大を続け、陽光を求める樹木のように伸び、そして実りを生らすように先端を垂らす。

 腐臭。それが零れ落ちる。それは蕩けた肉であり、多彩に幾何学模様が描かれた床を汚す。立ち上る蒸気は、透明なガラス張りの天井より降り注ぐ月光を濡らし、腐った臓物を煮込んだように空気を湿らせる。

 それは人の形を成さぬ赤子。堕胎された望まれなかった命たちのように、青白くブヨブヨとした半透明の皮膚を持つ。彼らは目も口もなく、脈動すべき心臓すらもなく、腐肉の土壌より這い出ては萎み、這い出ては萎み、這い出ては萎み、死骸を重ねて繭となる。

 繭が割れて、内側から這い出たのは赤子たちが求めた胎。再誕の器。頭部なき女の裸体が這い出す。だが、頭部もないならば四肢もなく、ただ胎に溜め込んだ赤子たちの揺り籠のように膨れ、やがて腹を突き破って多量の芋虫が溢れ出る。それらは口だけは幼子のようであり、舌を震わせ、母乳を求めるように泣き始めた。

 黄の衣より痩せ細った腕が無数と伸び、芋虫たちを丁寧に1匹ずつ拾い上げる。そして、再び内側に戻し、咀嚼する。ぐちゅり、ぐちゅり、ぐちゅりと柔らかい肉が磨り潰される音が絶え間なく続く。

 何かを作り出そうとしている? あの黄の衣自体が繰り返される生命の輪廻の再現であり、そして母なる胎なのだろう。

 そして、孵化する。悪臭が漂い、酸性の泡立つ液体が零れ、黄色を纏って現れたのは継ぎ接ぎの……いや、もはや形容することも難しい怪物だった。

 その全身を作り出すのは無数の生物。その過半は造形を半ば失った人間であり、それらは溶けて繋がりって肉を成す。だが、そればかりではない。心臓のように肥大と収縮を繰り返すのはアメンドーズの頭であり、胴体からも10本ほどのアメンドーズの腕が伸びている。だが、それらの腕はまるで巻きつけられたように黒毛が生えていた。それは黒獣の体毛である。よくよく見れば、全身にのいたる部分に黒獣の骨と頭部も埋め込まれており、それは耐えず青い雷光を発していた。

 瘤のように張り付いているのは、人間性が暴走して肥大化した人間の頭部か。それらは絶えず苦悶の呻きを漏らしている。そして、数多の生物が結ばれた異形の頂点、まるで自らこそこの怪物を支配する存在であると示すのは、下半身は完全に異形の中に埋まった、ヨボヨボのミイラになった老人だ。

 奇怪。ただただ奇怪。真性の怪物がそこにいる。だが、狩りを成さんとする心は冷たいまま滾らない。

 HPバーは1本。あれを削れば良いだけだ。いつもと何も変わらない。少しばかり外観がグロテスクなだけだ。たとえ、黄の衣を纏う怪物が……多くの命の継ぎ接ぎだとしても、それが今まで戦った連中といかなる差異がある?

 何もない。狩るだけだ。次々と振り下ろされるアメンドーズの手。それは虹色の空間を歪ませる爆発を生み、1拍遅れて青い雷光が爆ぜる。多段攻撃の上にディレイ付きで攻めづらくなっただけだ。

 腕を振り回し、もはやナメクジにしか思えぬ胴体を酸で湿らせながら動く。鈍重であり、スピードとは無縁。だが、内側から突き破って伸びたのは無数の手が重なり合って硬質化した節足であり、それはオレの接近を拒むように暴れ回る。

 全身を濡らす酸の体液はアメンドーズのものか。あれでは武器を長時間接触させれば耐久度が減少してしまうだろう。つまり、求められるのは一撃離脱戦法。

 

「馬鹿が」

 

 そんなもの知ったことか。怪物の至るところで脈動するアメンドーズの頭部、その網状の外殻の隙間から目玉が飛び出し、次々と紫色のレーザーが放たれる。それはアメンドーズが使用する強力な一閃ではなく、連射性に特化したものだ。小アメンドーズの攻撃に近しいが、着弾点に煌々とした輝きが残り、そこから紫色の爆発が起こる。常にその射線と着弾点を考慮して回避すれば良いだけだ。

 まずは腕を削ぐ。振り回されるアメンドーズの腕は常に青い雷光が帯電している。薙ぎ払い1つでも攻撃範囲が拡大している。

 

「…………」

 

 左手に死神の剣槍を抜き、カウンターを合わせ続ける。丁寧に1本ずつダメージを重ねる。すると黄の衣の怪物、その頂点たる老人が腕を掲げる。するとオレの頭上で空間が蠢き、無数の死骸が降り注ぐ。

 単純極まりない質量攻撃か。だが、問題なのはそれらが床に広がり、泡立ち、怪物に回帰する点だ。それだけで怪物のHPは回復し、また負った傷は再生してしまう。

 さて、どうしたものか。怪物の周囲に無数の雷球が展開されて回転する。それらが次々とオレを狙って放たれ、また雷爆発を引き起こす。回避したところにアメンドーズの腕が次々と振り下ろされる。

 方針変更だ。贄姫を口に咥え、死神の剣槍を背負って駆ける。一気に怪物との距離を詰め、次々とオレの頭上から降り注ぐ死骸と雷撃を躱し、その酸に塗れた体に接触する。

 皮膚が爛れる。焼ける痛みが脳髄を刺す。だが、この程度は問題ない。一気に怪物の胴体を駆け上がる。伸びる手がオレに襲い掛かり、表面を流動的に移動する怪物の1部となった人々が掴みかかる。それらを踏みつけて頭部を担う老人まで至った。

 亡者のように目は窪んで穴となり、まるで有刺鉄線のような痛々しい冠を戴く老人が呆けたような気がした。酸に塗れでダメージを与える肉体を、わざわざ駆け上がる馬鹿はいないとでも思っていたのか?

 

「こんばんは」

 

 そして死ね。咥えた贄姫を右逆手でつかみ、狙い澄ました一閃を浴びせる。それは老人の胴体、怪物との繋がりを緩める。すかさず空いた左手で老人の頭部をつかみ、力任せに怪物から引き離す。

 断面から黒ずんだ深淵の血が零れる。当然だろう。どれだけの人間と深淵の怪物を溜め込んだというのか。そして、自分だけは完全に同化しきれない浅ましさはいっそ嗤える。

 放り捨て、地面に転がった老人はミミズのように這って怪物に向かう。統制を失った怪物は暴れ回り、老人という頭脳を求める。させるものか。酸でHPが瞬く間に8割も削れてしまったが、こちらにはリゲインがある。

 

「あぁアアアアァああああ……おァああぁアアあアああア」

 

 怪物から跳び下りて踵落としを決め、そのまま萎びた老人の深淵に蝕まれた体液を浴びるように素手で殴りつける。老人は手を振るって抵抗するも、それを許さずに、皮膚を破り、骨を砕き、肉を引き千切る。体液を浴びる度にHPが回復し、またオレを染め上げていく。

 やはりこの老人こそが本体だ。与えられるダメージの量が違う。嬉々とオレは呻く老人の頭部を掴み、その喉に贄姫を突き立て、何度も地面に叩きつけた。だが、老人が大きく叫べば、遠隔操作されたようにアメンドーズの腕が伸びる。それは老人をつかみとり、再び同化させていく。

 HPは半分ほど削れたか。だが、こちらもリゲインで半分ほどまで回復済みだ。もう1度攻め込む為にはオートヒーリングを待たねばならないが、ここら辺で畳みかけさせてもらうとしよう。

 

「出番だ、ザリア」

 

 出し惜しみ不要。繰り出されるアメンドーズの腕と雷球、死骸の弾丸、そして追加されたのはソウルの結晶塊か。アメンドーズの腕を除けば、いずれも追尾性特化。足を止めれば死ぬ。また、全身からは耐えずアメンドーズのレーザーも垂れ流さている。数十のレーザーの雨と着弾点からの爆発を回避し続けねばならない。

 だが、まるでプレッシャーを感じない。死のニオイがしない。感じるのは醜い悪意に似た……欲望。いや、あの老人を起点とした何らかの強い執着心だ。

 ザリアから放たれる雷弾は怪物の巨体に吸い込まれる。元より回避を捨てた肉体だ。弱点を除いた耐久力の高さと常時回復できる能力を持っている。

 紫色の爆発は闇属性を帯びているだろう。爆炎が視界を阻害し、そこに結晶塊やレーザーが飛ぶ。跳躍と共に身を捻り、迫るアメンドーズの手首に雷弾を集中させ、肉を爆ぜさせたところに贄姫で断つ。

 

「まずは1本」

 

 さすがの遺体の状態ではアメンドーズの腕は簡単に再生できないようだ。いや、すでに斬り落としたアメンドーズの腕が腐肉となって回帰を始めているのだが、10秒そこらで回復するのものでもないだろう。

 黒獣の性質を帯びているせいか、雷弾のダメージは些か悪い。だが、それは雷光を纏っている部分だけであり、それ以外の肉は順調に焼き焦がせている。

 視界が揺らぐ。聴覚のノイズが激しくなる。だが、ここからはペースを上げる。眼帯を外し、視界を確保し、レーザーを潜り抜けて肉薄し、至近距離でザリアの収束雷弾を穿つ。外見通り、その肉体は柔らかい。再生力は見事だが、堅牢さとは無縁だ。

 収束雷弾は軽々と怪物に穴を開けた。飛び散った酸を躱す。今度は全方位に薙ぎ払いの波動を繰り出したところを見るに、極度の密着に対しては全範囲攻撃を持っているようだ。あれを出させない内に、もう1度老人を引き離せれば良いのだが、そうもいかないだろう。

 

「怖いのか?」

 

 ああ、怯えを感じる。老人の窪んだ眼に恐怖を舐め取る。先のご挨拶が随分とお気に召したようだ。

 ザリアをホルスターに戻し、死神の剣槍を抜く。蛇槍モードならば中距離でも攻撃できるが、酸とレーザーが厄介だ。特にレーザーで弾かれては軌道が歪む。だが、今は近接戦の手数が欲しい。不意に伸びた節足を身を傾かせて躱し、そのまま贄姫と死神の剣槍の同時斬りのカウンターで切断する。飛び散る体液は生温く、また深淵の闇に穢されている。

 心地良い。血を浴びれば浴びるほどに頭の芯が熱い悦楽を知る。リゲインはやはり相性が良い。

 さて、そろそろご老人にもザリアの攻撃がもたらした効果を実感してもらっている頃だろう。丁寧に1つ1つ、アメンドーズの頭部を焼き焦がさせてもらったのだ。レーザーの弾数は当初の半分以下だ。再生すれば再び弾幕も張れるだろうが、10や20のレーザーならば躱すのは難しいことではない。

 ヤツメ様の導きさえも不要。あまりにも愚鈍。あまりにも劣等。醜く肥大しただけの強欲。奪った力を何1つとして活かせていない。

 

「【瀉血】」

 

 収束雷弾で回復しつつある腹部に死神の剣槍を突き刺す。酸で侵される前に、その肉体のいたるところから赤黒い光の槍が突き出し、肉が血と共に飛び散る。バランスを保てなくなくなり、前のめりに倒れた怪物は、その頭部たる老人を床に垂らす。

 呆気ないものだ。オレが歩み寄れば、ビクリと老人が震え、助けを求めるように手を伸ばした。その手の甲を踏み躙り、頭蓋を砕くように死神の剣槍を突き刺す。

 

「【磔刑】」

 

 老人の全身から槍が突き出した。それは胴体にも効果が及び、【瀉血】で穴だらけになっていたところに、更に傷口が増える。バラバラに砕けるにも等しく形を保てなくなり、ドロリとした肉汁と化す。

 まだHPは健在か。意外とタフだな。オレは老人に死神の剣槍を突き刺す。その度に痙攣する老人も最後は動かなくなり、まるで爆弾が炸裂したように肉を飛び散らせた。

 これで終わりか? いいや、違う。今のはあの老人を狩っただけだ。戦っている相手は黄の衣。先程の老人はその憑代に過ぎないものだろう。その証拠のように、拡大と縮小を繰り返しながら上空で黄の衣は回転していた。

 そして、オレから数メートル先の床に黄色の魔法陣が描かれる。何者かを召喚しているようだ。その媒介として、老人が自らの血肉としていた怪物と人々の亡骸が集まり始める。それは圧縮され、1つの形を……人間を取っていく。

 黄の衣より何かが落ちる。それは遺骸を固めた異形の『特大剣』。深淵の呪いを帯びたようにどす黒いオーラを纏っている。骨の柄を握ったのは裸体の男。だが、その全身は数多の苦悶の人面である。また、その四肢と頭部の付け根には黄の縫合痕があった。

 虚ろな眼は左右非対称に別々の場所を見つめ、また焦点もズレている。裸体の剣士に黄の衣は纏わりつけば、操り人形が糸を得たように、剣士は特大剣を構えた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 ラトリアの老人。黄の衣の妄執、その原典とも言うべき思考ルーチンを担っていた残骸。それが狩られた。

 

「いやぁ、舐めていたわけじゃないんだけどねぇ」

 

 男は喉を鳴らして老人に鎮魂歌を奏で、だが、老人は黄の衣の隷属に過ぎないとも把握するが故に勝負は始まったばかりだと認識する。

 戦いは新たな展開を迎えつつある。男は円状の広間、それを一望できるガーゴイルの装飾に座って収集した戦闘情報を再確認する。

 シェムレムロスの館で得た、妖精と深淵の怪物の血肉。それらを集積した再誕者。それがあの老人だった。最初に黄の衣を得た存在であり、女王が支配する象牙の塔に魔性を蔓延らせた浅ましい妄執の塊。

 憑代に過ぎないと言えばそこまでだが、ほぼ一方的に滅された。

 

「黄の衣は憑依した対象の情報を蓄積し、それを利用して戦闘している。言うなれば疑似アーカイヴを持つようなものだ。だけど、今の戦いでラトリアの老人を含む大多数の媒介を黄の衣は失った」

 

 黄の衣自体は『妄執』というコード。それに呼応した老人と数多の犠牲者を今の戦いで損失し、故に黄の衣は次なる憑代を召喚するしかなかった。

 それはこの館での犠牲者。それの個体情報を引き出し、シェムレムロスが『弄った』遺体を転移させ、また老人たちのリソースを割いて再設計する。言うなれば、先程の怪物の小型版にして、より戦闘のプロフェッショナルを媒介として狩人に相対することを選んだ。

 

「さて、老人は殺せても『妄執』は滅ぼせない。この戦いは黄の衣を倒せるか否か。そこにかかっているんだよ、【渡り鳥】くん」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 目覚めた時に『それ』に自意識と呼べるものはなかった。

 成すのは『記録』に過ぎない剣技の連続。通うべき血も無い刃は鈍った軌道を描くばかりだった。

 眼前の敵。降り注ぐ銀色の月光に濡れた白髪を靡かせる者。それはどす黒い血を浴び、凄惨なる姿でこちらに斬りかかる。

 筋力は圧倒的にこちらが上だった。特大剣を振り下ろす度に轟音が響き、また剣の能力なのか、床に黒ずんだ亀裂が走り、そこより吹き出すマグマのように闇の爆発が起こる。更に周囲には常時ソウルの結晶塊が展開され、近接すれば自動で迎撃して追尾する。

 だが、目前の敵には刃も結晶塊も触れることはできない。まるで霞を相手にしているかのように、攻撃の全ては擦り抜けてしまうばかりだった。

 左手には異形の黒の剣、右手には鋭利な刃を備えたカタナ。だが、黒の剣は欠けた破損が目立ち、またカタナも亀裂や刃毀れが見えている。纏うコートは裾や袖が解れて破れ、ここに至るまでの激戦を潜り抜けた満身創痍であることをその装備が教える。そんな相手と斬り合っているはずなのに、まるで攻撃が届かない。

 ステップを利用した緩急をつけた翻弄。回避と攻撃の両立。こちらの攻撃の全てを先読みしているかのように、あらゆる動作が先んじている。

 その動きは武技? 違う。あれ程までに可憐なのに、流麗なのに、その髄となっているのは獰猛なる獣の如き爪牙の脈動。武人では到達できない領域にして、手を伸ばしてはいけない禁域。殺しに全てを注ぎ込んだような狩りの業だ。故にただひたすらに血に濡れている。

 最初に生まれたのは『苛立ち』と呼べるものだ。自分の剣に対する情けなさだった。

 豪快なのは見た目ばかりの横薙ぎ。それに対して白の狩人は踏み込みながら体を傾けて紙一重で躱し、逆にカタナで『それ』の胴を薙ぐ。半歩退けば、その時点で左手の黒の剣の突きが喉を刺し貫く。

 黒い血が泡立って口から零れた。そのまま脳天まで刃が元より鈍い黒の剣で強引に裂かれる。

 

「おがぁ……!」

 

 この無様は何だ? 苛立ちは強まり、『それ』は己の情けなさを恨む。憎む。蔑む。纏う黄の衣が蠢き、白の狩人に襲い掛かるも、いずれも空を薙ぐばかりであり、離脱した白の狩人は黒の剣を背負うと異形の武器を抜く。そこから次々と放たれたのは雷撃であり、それは青い雷爆発をもたらす。

 焼き焦がされる。獲物は逃げ惑うしかないのだと囁くように、『それ』が走れば瞬く間にこちらの動きを織り込んだ修正を入れた偏差射撃を繰り出す。着弾すれば肉が爆ぜ、ブレーキをかけて方向を変えればそこでは床に放たれていた雷爆発が歓迎する。

 逆にこちらから放たれる結晶塊は何の役にも立たない。白の狩人は可憐とも思えるほどに駆けて躱す。

 遠・中・近の全ての間合いにおいて、戦闘のプライオリティを完全に掌握されている。こちらの攻撃は全て躱されるならば、いかなる抵抗も無意味に感じてしまう。『それ』が次に獲得したのは『諦観』だった。

 さっさと終わらせてくれ。死なせてくれ。そう願うはずなのに、体は闘争を求めている。

 何故? 分からない。だが、『それ』に蘇ったのは『自分』と呼べるはずの存在の末路だった。

 少年と少女。どちらも心に枷を持ち、罪の意識に呪われている。まだ若く、未来もあるはずなのに、己を袋小路に閉じ込めている。

 老いも若きも関係なく、人は間違えるものだ。ならばこそ、誠意ある者は挽回のチャンスを与えられるべきだ。

 特大剣に闇を迸らせる。闇を纏った突進突きであるが、まるで最初から攻撃範囲を見抜かれていたように躱される。聞こえたのはダンスを踊るようなステップの音。途端に背後を取られ、カタナで背後から腹を貫かれる。そのまま心臓を通過するように肩まで斬り上げられる。

 強過ぎる。これこそがまさに怪物だ。人の形をしたバケモノがそこにいる。恐怖の権化そのものに怯えを禁じえない。

 そのはずなのに……愉快だった。これ程までに死力を尽くせる相手に巡り合えた事への『喜び』があった。

 意味もなく『力』を追い求めていた。その果てには何も無かった。だから、若者たちを導ければと望んだ。だが、それさえも果たせなかった。自らの培った武技に価値も意味もなく、ただ野垂れ死んだ。

 

「戦いたいんですね?」

 

 剣を突き立て、膝を付き、『それ』は黒い血を吐き散らしながら白の狩人を見る。

 先程までの苛烈で一方的な狩りから一変して、月光に濡れる狩人の瞳に静寂を見る。

 ただ全力で戦いたい。『自分』が生きた証を求めて、この時の為に己の武技は培われたのだと信じたい。『それ』は言葉もなく咆える。

 

「分かりました。踊りましょう。あなたが望む死の為に」

 

 優しく微笑んだ白の狩人に感謝を捧げ、見返りに刃で応える。

 脈動する。先程までの死んだ剣技に息吹が注ぎ込まれる。繰り出される斬撃の一撃一撃が必殺なのは変わりない。だが、白の狩人の動きを確かに追い、その切っ先が触れるか否かまで届く。

 次々と放たれる雷撃に臆することなく跳び込む。特大剣を盾とし、収束された雷撃を受け止める。全身が焦がされていく中で耐え抜き、接近成功して袈裟斬りを繰り出す。

 咄嗟に白の狩人は異形の射撃武器を捨て、背中の黒の剣を抜いた。特大剣と相対するには不足はあるが、繊細な力の加減は刃の軌道を歪める。渾身の一撃は受け流されるも、それも考慮して体を回転させて突きに派生させる。

 黒の剣と特大剣が衝突する。火花を散らし、刃をぶつけ合い、力と力がせめぎ合う、だが、拮抗したのは一瞬であり、『それ』は体を盛り上がらせて特大剣を振るい抜く。吹き飛ばされた白の狩人は器用に開脚しながら身を屈めてブレーキと姿勢制御を成した。

 カタナを収めて黒の剣の一刀流に切り替えた白の狩人は再度接近する。敢えて特大剣の間合いに入り込み、こちらの嵐のような斬撃を潜り抜けていく。そして、その中で挟み込まれる黒の斬撃の一閃は着実に『それ』を裂く。

 楽しかった。全力を尽くしてもなお足りぬ。闘争の高みはまだまだ上がある。『それ』は距離を取り、今度は自分の意識で結晶塊を放つ。飛来する結晶塊を避けていく中で回避ルートを絞り、特大剣に纏わせた闇を解放する。

 闇の突風とも言うべきものが突きより放たれる。白の狩人は立ち止まり、回転しながら迫るそれに対して何の迷いもなく正面に跳んだ。それは僅かにあった闇の突風の抜け穴。それを刹那とも呼べぬ時間で見切って潜り抜けることを成し、逆に『それ』との距離を縮めた。

 その瞳は微かとして己の死を恐れていない。いや、自死に意味を見いだせていない。故に恐怖が無い。何も失うものがないのではなく、死を当然の摂理として受容している。

 

「おぉおああああああああああああああ!」

 

 自然と漏れた雄叫びに、白の狩人は楽しそうに微笑んだ。『それ』は自分の胸を刺し貫く黒の剣を受け入れ、その瞬間を狙って特大剣で床に火花を散らしながら斬り上げる。白の狩人はギリギリで黒の剣でガードを取るも、大きく弾き飛ばされる。

 届いた! 黒の剣は手放され宙に放り出された白の狩人に残された得物は腰のカタナのみ。そして、『それ』は闇の突風を放つべく突きの構えを取る。対して宙で白の狩人は身を捩じって間合い外から居合を放つ。

 先んじたのは白の狩人の一撃だった。水銀の刃が舞い、『それ』を大きく薙ぎ払う。凄まじい衝撃と切断力に『それ』は姿勢を崩し、突きと共に放出された闇の突風は白の狩人の僅か右を掠めるまでだった。

 違う。こちらの体勢を崩す角度と攻撃を潰すタイミング、その両方を見極められた一閃だったのだ。『それ』は歓喜する。

 怪物だ。これこそが真性のバケモノ。目の前にいるのは恐怖の権化であり、足は自然と震えが止まらない。故に渇望するのは死闘であり、己の武技が何処まで届くのか知りたいと執着する。

 身に纏う黄色の衣が力を流し込む。これは自分の力ではない。自分が生涯をかけても得られない力だ。だが、『それ』は迷わずに黄色の衣の力を引き出していく。今はひたすらにこの戦いに没頭することだけを望む。

 自由自在に動き回る黄色の衣。それは盾となり、槍となり、そして翼となった。人体では不可能な動きを宙で成し、剣戟の度に黄色の衣が闇のオーラを纏って鋭く刃となって白の狩人を強襲する。

 だが、当たらない。重々しい特大剣の攻撃も、黄色の衣の連撃も、いずれも白の狩人に直撃しない。ただの1発でも当たれば勝ちが流れ込むはずなのに、『それ』の攻撃は幻を追いかけ続けているかのように無意味に垂れ流されるばかりだった。

 焦りはない。着実に相手の動きを読み、行動を制限し、体力を削り取る。そうすれば、いつか必ず足は止まる。攻撃を当てられる刹那の見切りが叶う。

 そして、それは訪れた。黄の衣による同時12方向からの攻撃。前後左右はもちろん、上方もカバーし、なおかつ床に潜り込ませて真下からも襲撃する包囲攻撃の完成。だが、これも回避されることは予測済みであり、白の狩人は『それ』の期待を裏切らずに、人外とも思えるほどの見切りの速度で全方位攻撃を潜り抜ける。そして、そのまま『それ』との距離を詰める。

 そう、『これ』だ。『これ』こそが白の狩人の最大の弱点だ。異常にして畏敬と畏怖を覚えるまでの過ぎた攻撃性。相手の喉元を食い千切らんとする獰猛さ。自死を恐れず、常に相手を殺しにかからんとする程に攻撃傾倒だ。故に『それ』はこの一閃のみは確かに白の狩人を上回ったと自負する。

 斬り上げと共に放出された地を走る闇の衝撃。それは白の狩人を真正面から迎え撃つ。僅かに目を見開いた白の狩人から血飛沫が上がる。

 これでも仕留められないか! 思わず『それ』は背筋を凍らせる。白の狩人はギリギリでカタナを盾とし、僅かに攻撃到達を遅れをもたらし、その間に回避を成し遂げた。だが、それは直撃を防いだということであり、手傷を負わないわけではなかった。その左腕からは血が滴り、また闇の衝撃波でカタナは奪われて遥か遠方に飛んでいく。

 もはや武器はない。後は奇策を打てぬ程に攻撃を詰めていけば勝てる。『それ』がそう確信した時、白の狩人は無造作と思える程に特大剣の間合いに入り込んだ。

 展開された結晶塊。自在に動く黄色の衣。そして一撃必殺の特大剣。3つの攻撃が同時に襲う間合いに無手で跳び込んだ白の狩人に、『それ』は血迷ったか、あるいは素手でもこちらを殺すに足ると踏んだかと、全力で応じるべく気を昂らせる。

 黄の衣と結晶塊は囮。狙うは脳天から砕く必殺の振り下ろし。『それ』は全身全霊をかけた、己の培った全てを注ぎ込んだ一撃を放つ。

 

 

 

 そして、火花と結晶が散り、特大剣の剣先は床にめり込んだ。

 

 

 

 何が起こったのか、『それ』には理解が追い付かなかった。だが、その眼が捉えたのは白の狩人の『左腕』。

 それは異形の籠手。肘から指先までにかけて、黒い血液のようなものが纏わりついている。その指先は山奥に潜む獣の爪の如く歪んで鋭い。それはまさしく黒血で成された獣爪の籠手。それが特大剣の刃を逸らしたのだ。

 刹那の見切り。最強の一撃を完全に威力・タイミング・間合いの全てを見切られた証明に、戦士として敗北を直感する。

 

「パラサイト・イヴ、武装侵蝕。対象『骨針の黒帯』……【血晶の獣爪】」

 

 まるで耳元で囁くように、いや実際に接吻でも出来そうな程に顔を迫らせながら、白の狩人は左腕の秘密を明かす。

 そして獣爪の左手が『それ』の胸の傷口に潜り込む。塞がり始めていた傷口を強引に獣爪が抉り開いて貫く。

 闇に侵された血反吐が零れる。だが、まだ攻撃は終わっていない。白の狩人はまるで歓喜でもするような可憐で残虐な笑みを浮かべながら、『それ』の拍動する心臓を抉り出した。

 

「ぐごぁあああああああああああ!?」

 

 体内から爆発するように血飛沫を放ち、また心臓を引き摺り出す攻撃がもたらした衝撃によって吹き飛ばされて床に背中から叩きつけられた『それ』は大の字になって倒れる。

 右手から零れ落ちた特大剣。失血がもたらす死の予感。そして、今も動き続ける心臓を左手に持つ白の狩人は『それ』の視界の中で心臓を容赦なく握り潰した。

 全てはこの為の仕掛け。『それ』は白の狩人から武器を奪っていたのではない。狩人は自ら『捨てた』のだ。この一撃を確実に叩き込む為に自らが追い詰められたように演出したのだ。最後の擦り込みとして、カタナでガードしたように見せかけて、本当は自分で放り捨てたのだろう。そして、それを疑われぬ為に敢えて左腕に浅からぬ傷を負ったのだ。

 

「私の……負け……か」

 

 最初から最後まで読まれていた。『それ』はまるで蜘蛛の巣にかかった哀れな獲物のような気分に陥る。

 

「この戦いに勝ち負けはありません。愉しかったか否か。それだけでしょう?」

 

 まるで狂った『獣』のような笑みは今や静謐の中に消え、慈愛に満ちた聖女のように白の狩人の微笑んでいた。それが今の戦いが一夜の夢だったように錯覚させ、心臓を失ったはずの胸に言い知れない充実感を覚える。

 そうだ。勝つも負けるも関係なく、己の全力を注ぎ込んだ、武勇の誉れに触れたと信じた自分の剣に意味を与えたかった。

 この戦いにこそ、人生の価値はあったのだ。『それ』は無邪気にそう信じることができた。

 

「ああ、そうか。キミなのか。キミが彼らの言っていた『クー』なんだな?」

 

「……2人は無事です。彼らは真っ当な道を歩めている。アナタのお陰だと思います。2人を助けてくれて……ありがとうございます」

 

「だったら、これはその恩返しか?」

 

「まさか。オレはそこまで器用ではありませんよ。ただ、アナタは『人』だったから。戦士としての誇りが確かにあったから。だから……」

 

 月明かりを見上げる白の狩人の儚い美しさに見惚れ、『それ』は満足そうに笑んだ。

 もう十分だ。もう戦わなくで良い。最後に素晴らしい夢を見る事が出来た。

 

「ああ、とても良い夜だ。もう1度死ぬには……本当に……良い夜……だ」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 彼は死んだ。死んでいたはずだった。ならば、彼が残した武技にこそ魂は宿ったのだろう。そこにいかなる摂理があったのかなど興味はない。彼は名も無き剣士として蘇り、たとえそれは『本人』でなかったとしても、『命』ある誉れ高い戦士として剣を握り、もう1度死んだ。それで十分だろう。

 特大剣は泥となって崩れ、戦士の亡骸も急速に腐敗して悪臭を漂わせ、黄の衣の内側へと吸い込まれていく。

 卵のように球体になった黄の衣が蠢く。だが、何をしようとしているのかには興味など無い。オレは緩慢な足取りで贄姫、死神の剣槍、ザリアの順で回収して装備する。

 

「…………」

 

 さすがに尋常ではない程に左腕が痛む。それは彼から受けた傷のみではなく、骨針の黒帯を対象として武装侵蝕を施して生み出した獣爪のせいだろう。

 パラサイト・イヴの武装侵蝕応用、血晶の獣爪。インスピレーション元はシノンの義手だ。あの爪を展開する義手はなかなかに面白く、オレも攻防一体の格闘兵装が欲しいと思っていた。そこで腕の内部まで外部骨格のように結晶の針を突き刺して根を張る骨針の黒帯に武装侵蝕を施した。

 武装侵蝕の特性として、対象の攻撃範囲の拡大がある。その範囲は侵蝕対象に依存する。そこで骨針の黒帯を対象とすることによって、疑似的な格闘装備……爪撃を可能とした獣爪の籠手を生み出せた。

 以前から疑問に思っていたこと。それは≪格闘≫とは武器スキルではないという事だ。格闘装具といった形で武器枠を消費するものはあるが、あれはあくまで≪格闘≫というカテゴリーが与えられているのではなく、≪格闘≫の補正が高い防具という位置づけだ。その証拠のように、通常防具にも≪格闘≫によるステータスボーナスは乗る。

 ここから推測できること。即ち、≪格闘≫は武器スキルではない。故にパラサイト・イヴの武装侵蝕のデメリットである≪暗器≫の上書きを受けても、≪格闘≫としてのステータスボーナスは乗り続ける。

 以上より本来ならば≪格闘≫のステータスボーナスが悪い骨針の黒帯を武装侵蝕による強化によって底上げに成功した。指先が爪状になってより攻撃的になったのは偶然の産物か、あるいは元がレギオンのソウルであるが故の影響か。また、骨針の黒帯自体が結晶の針で腕内部に根を張ることによってガード性能と強度を増幅させている。これもパラサイト・イヴの影響によって強化されている。

 難点があるとするならば、武装侵蝕の影響を受けた骨針は激痛をもたらす。起動状態の骨針も大概であるが、侵蝕状態ともなれば針が細動しているようであり、腕を余さずドリルで抉り続けられているような感覚だ。

 意識の全てが痛覚で塗り潰されそうになる。だが、この程度で新しい力を使えるならば実用性は十分だ。

 そして、もう1つの試したかった事もできた。それが爪痕撃の強化だ。

 以前までの爪痕撃の場合、対象の内部まで切り開かれた傷口が必要だった。だが、獣爪によって外皮を破って臓物まで届かせることも可能になった。相手の傷口が浅く、また閉ざされている場合に強引に指を押し込める場合も重宝するだろう。むしろ、こちらがより重要だ。

 そして、パサライト・イヴによって武装侵蝕されて≪暗器≫を獲得した獣爪状態ならば、爪痕撃の火力は絶大なものになる。≪暗器≫スキルが無いのは悔やまれるが、それでもクリティカル部位へのダメージボーナスはそれなりに乗るだろう。

 一撃必殺。正式に≪暗器≫スキルさえあれば、たとえ高防御力・高VITプレイヤーでも一撃死は確定だろう。

 

「リゲイン効果も上々。HPと魔力の回復効率も良い。隙さえあれば、積極的に爪痕撃は狙っていくべきか」

 

 そして、リゲインの発動時に微かに体内に流れ込む温もりが捕食の証明となり、血の悦びを昂らせる。

 さて、そろそろ準備は出来た頃合いだろう。

 まるで導師でも気取るように黄の衣を纏うのは青白い人型。大きさは全高3メートル程だろう。全身は血が通っていないと思う程に青白く、また伸びる腕は軟体類に近く、逆に手は硬質で間接が7つはあるだろう針金のような7本指。足と呼べるものはなく、無数の手が重なり合って花弁のように広がっており、ふわりと浮けば蛸のような大口が胴の真下に開かれていた。頭部に目玉と呼べるようなものはなく、無数の口ばかりが備わって青い舌を垂れ出していた。

 黄の衣。コイツはどれだけHPバーをゼロにしても新しい存在となって蘇る。違うな。本体はあくまで黄の衣であり、オレが殺してきたのは憑代に過ぎないといったところか。

 老人、戦士、そして今度は導師……いや、神の化身のつもりか? 異形なる神を気取り、そこまでして何を求める?

 数多の口が笑いだす。それは腐臭と血臭で満ちた空気を震わせ、冷笑と嘲笑と狂笑で世界を浸す。

 

「もういい。手品は見飽きた」

 

 死神の剣槍のみで問題ない。右手に握ったランスブレードを振るえば大気が割れたように静寂が戻る。

 HPを減らすだけでは黄の衣を倒すことは出来ない。どれだけ倒そうとも所詮は本体ではない。あの黄の衣を完全に殺しきる方法を考える必要がある。

 

「まあいい」

 

 明らかに黄の衣は追い詰められている。老人の段階で最初は仕留めるつもりだったはずだ。次にオレとの1対1に合わせて、個の力量が高い戦士を媒体として強化を施した。それでも殺しきれないならばと奥の手を引き出したはずだ。

 ああ、狂気を感じる。あの姿にどれだけの者が正気を保てるだろうか。再び笑い声と嗤い声が湧き水のように溢れ出す。

 黄の化身が腕を振るう。それは結晶と闇の風を呼び、渦を巻いてオレに迫る。躱しても躱しても風は放たれ、滞留し、やがて竜巻となって追尾する。

 

「…………」

 

 竜巻の回避自体は問題ない。だが、突如として黄の化身は加速して突進したかと思えば、ゴムのように伸びた腕を振るう。外観通り伸縮自在らしく、硬質の多関節の指は床を削って火花を散らす。だが、いずれも攻撃は速度ばかりで雑だ。先ほどの戦士の方が多芸で奥深さがあった。

 肩を大きく膨れ上がらせ、闇に侵蝕された結晶をショットガンのように拡散させながら放つ黄の化身は、頭部を覆うフード状の黄の衣を脱ぎ、舌を震わせて叫ぶ。それは空間に歪みを生み、周囲に拡大してオレに迫る。

 

「叫べ、アルフェリア」

 

 逆手に持った死神の剣槍を掲げ、刀身を覆った泥に苦悶の表情が生まれて叫びを成す。アルフェリアの叫びと黄の化身の叫びが激突し、相殺される。

 発生の速い闇結晶の風。滞留を利用した追尾性能の高い竜巻。伸縮自在な腕を利用した近接攻撃。肩を盛り上がらせて放つ闇結晶ショットガン。頭部に余すことなく備わった無数の口が叫ぶことによって生まれる空間を歪める全方位衝撃波。

 恐れるに足らず。いや、最初から恐怖心など無い。いつだってそうだ。死ぬことに恐れを覚えたことなどない。あるのは脅威か否かの区分程度だ。攻め易いか否か。躱し易いか否か。それ以上を求める意味もない。

 左手の獣爪で地をつかみ、姿勢を低くする。四足の獣の如く身に力を流し込み、溜めたエネルギーを爆発させて加速を得る。

 黄の化身のブヨブヨとした肉体には打撃属性は効果を発揮し辛い。故に打撃ブレードではなく、ランスとしての高刺突属性を活かす。

 死神の剣槍……ランスブレード。打撃ブレードによる攻撃は剣戟に適しているが、その本業はあくまでランスであり、スピードを乗せた一撃の突きにある。小型化によって通常ランス本来の特大剣すら上回る長大なリーチは無くなり両手剣サイズになっているが、サイズに見合わない重量化によって威力を確保している。その分だけ重心が歪んで取り回しが難しいが、使いこなせばランスではあり得ない高回転率の突き攻撃を連発することができる。

 ひたすらに攻撃を躱して、刺し貫く。刺し潰す。刺し削る。刺し抉る。振り回される黄の衣を躱しながら、黄の化身の肉体を擦り減らす。

 黄の化身が腕を伸ばして振るえば、逆にそれに乗って慣性を利用して背後に回り、後ろから獣爪で裂く。闇結晶ショットガンは死神の剣槍で弾き、またアルフェリアの叫びで防ぐ。

 両手を掲げた黄の化身が叫ぶ。フィールド全体の床のあらゆるところに青いソウルの光が凝縮し、結晶が霜柱のように突き出される。隙間は最小。だが、攻撃は終わらない。結晶を避雷針のようにして、青い雷撃が降り注ぐ。2段構えとは意地が悪い。

 目が霞む。耳にノイズ音が増える。1歩の度にバランス感覚を失う。だが、血の中で滾る殺意だけは際限なく先鋭化されていくのを感じる。

 黄の衣が大きく広がり、その内側から無数の白い腕が伸びる。それらの1つ1つに人間の顔が張り付き、終わることなくどす黒い血の涙を流す。掌に張り付いた瞳はまるでオレの胸中を透かし見ようとするように見開かれてる。

 

「【陽炎】」

 

 体を捩じり、死神の剣槍を写し取ったように赤黒い光の槍を突きの動作で飛ばす。それは腕を千切り飛ばして黄の化身の胴体を刺し貫く。

 まだだ。まだ【陽炎】の真価を明かすべき時ではない。ミラージュ・ランで燐光を散らしながらステップを踏み、高加速状態で黄の化身に張り付き、執拗に放たれる闇結晶ショットガンの射線に入らないようにし、背後を取って口だらけの後頭部を刺し貫く。

 

「【瀉血】」

 

 全身から赤黒い光の槍を飛び出し、黄の化身が震える。黄の衣自体にはダメージは与えられずとも、化身のHPは有限だ。着実に削られ続けて瀕死の黄の化身に対し、オレは獣爪を解除した左手でザリアを抜く。

 頭部に突き刺さった死神の剣槍から抜け出し、反転した黄の化身の口の1つに銃剣モードのザリアを突き刺し、雷弾伝導を穿つ。頭部が膨張し、破裂してどす黒い血がオレの全身を染めるも、黄の化身の全身から力が抜けて動きが停止した。

 HPゼロ。黄の化身の撃破を完了。煙を上げるザリアを払ってホルスターに戻す。残るはボロ布となって床に広がる黄の衣と化身の遺骸のみ。だが、黄の化身の方は今までと同じように腐臭を漂わせながら溶けて衣の内側に消えていく。

 全ては繰り返しか? いいや、もう黄の衣には打つ手がないはずだ。

 ふわふわと浮かぶ黄の衣は、途端に勢いをつけてオレに迫る。周囲を回転した黄の衣はオレに絡みつき、頭部を覆いつくしていく。

 なるほど。次はオレを憑代にしようというわけか。さて、どうしたものだろうか。これは予想こそしていたが、反撃の手段について心当たりがない。

 だが、特に気にする必要はないだろう。オレは黄の衣で視界が覆われる中で、嫌悪を露にするヤツメ様を見つめる。

 

 

 視界が暗闇となって曖昧となった意識の中で、オレは血の海に立っていた。

 無数の屍が血に沈み、月は真っ赤に染まり、空は青ざめた血のようだった。それは獣狩りの夜に似て、だが尚も暗く濃く深い……赤い月の夜。

 雲1つないはずの青ざめた血の空から赤い血の雨が降り続ける。膝まで浸す血の海からは肉が削げた腕が伸び、それは海藻を思わすように揺れていた。

 黄色の衣が視界を過ぎる。この世界を黄色で染めようとしている。だが、黄の衣が血に触れれば触れる程に、その黄色を血の赤色が侵蝕していく。

 必死に逃げ出そうとする黄の衣をオレは見つめ続ける。自我と呼べるものは黄の衣にあるとは思えない。だが、その様は必死に蜘蛛の巣から逃げ出そうとする獲物を思い浮かべさせて滑稽だった。

 これは何のイメージか知っている。アルヴヘイムを旅する中で見た、オレが最も望んだ願い。殺戮の夢。黄の衣は同じような状態にしてオレを操ろうとでも思ったのだろうか?

 興味はない。オレは朽ち果てていく黄の衣を淡々と見つめる。その黄色が失せ、血の赤に……ヤツメ様の獣血に喰い尽くされる様を眺めた。

 

 

 

 吐き気が押し寄せ、世界が元に戻る。オレは力なく垂れ下がっていく黄の衣を……いや、真っ赤に染まった衣を剥ぎ取る。

 放り捨てた赤の衣はもはや飛ぶこともなく、ただの布切れのように床に落ち、そして染み出した深淵の闇に蝕まれながら塵となって消えていく。残されたのは僅かな黄色ばかりの黒と赤で歪んだソウルだけだった。

 

 

 

<黄のソウル:かつてラトリアを貶めた老人、それがもたらした黄の衣のソウル。おぞましい妄執を成す黄の衣は、呪われた獣血と深淵の闇に濡れて朽ち果てた>

 

 

 

 この黄の衣がいかなる力を秘めていたのかは知らない。だが、最後は蓄えた深淵によって滅びを招いたか。まぁ、その切っ掛けを呼んだのはヤツメ様のようだが。俺の袖を引いて褒めてと自己主張しているので、とりあえず今回はありがとうと頭を撫でておく。どうやら、ヤツメ様は黄の衣にオレが苗床にされかけたのが大層お気に召さなかったようだ。

 シェムレムロスの館の異常をもたらしていたのが黄の衣であるならば、これ以上の異変はない……はずだ。何が起こるのか分からないのがアルヴヘイムだ。油断ならない。

 

「……ケホ」

 

 無機質なリザルト画面を整理し、大量に流れ込んだ経験値、コル、誓約ポイントを確認していれると、急に胸にせり上がるものを感じ、咳が漏れる。

 

「ケホ……ゲホ……ぐごぉ……!」

 

 喉から熱いものを感じ、立ったいられなくなって床に手をついて頭を垂らせば、口からボタボタと粘質な血が零れた。

 吐血? どうして? 確かに後遺症は最悪の部類だが、アバターに直接の破損をもたらすことはないはずだ。もしや、黄の化身による攻撃の影響か? それとも憑代にされかけたせいか?

 ……違う。オレは右手の指先にまでじわじわと広がる、まるで爛れるように闇色を秘めた赤……深淵を溶かして爛れるような赤黒さで血管が浮かび上がっている様に、自分の身に何が起こっているのか理解してしまう。

 

「深淵……か」

 

 誓約ポイント。それは深淵系モンスターを撃破した時に得られる。

 シェムレムロスの館で見つけた資料。人間性という闇。それはやがて増殖の限りを尽くして溢れ出し、深淵を生み出す。

 どうして深淵狩りの末路が深淵の魔物に成り果てることなのか。簡単だ。深淵に挑み続ける者とは、最も深淵に……人間性の闇に触れ、吸収し、刺激を受けるという事なのだろう。故に深淵狩りは深淵に呑まれる。自らの闇に蝕まれて堕ちる。

 それをシステム的に、プレイヤーに『無害』の形でフレーバー要素として表現していたのが誓約ポイントの在り方だったはずだ。だが、『何か』が壊れた。その垣根が崩れ、オレの身をDBOの『物語』の登場人物のように、深淵の闇が蝕んでいる。

 これもまた黄の衣を倒しきるまでオレもまた影響下にあったという事だろう。恐らくは、このシェムレムロスの館にいる時はずっと……か。

 

「深淵の病……か。ククク……クヒャヒャ……そうまでして、オレが……オレが『生きている』ことが……許せないの、か?」

 

 知っているさ。多くの人に呪われている。生きるべきではない。死ねと望まれている。恐れられている。それくらい……分かっているさ。

 零れた血反吐は赤く濁っていた。そして、微かに闇が泡立っていた。

 死神の剣槍を突き立てて背中を預ける壁代わりにしつつ、深淵の病が治まるのを待つ。さすがに一過性のものであると信じたいな。激痛をもたらす闇の侵蝕も加わり、痛覚だけで意識はもはや焼き切れる寸前だ。

 指を動かしてシステムウインドウを開き、ステータス画面を確認するが、防御力に変化はなし。深淵の病のお陰で闇属性には強くなった……という事はない。恩恵ゼロ。本当に……ただ病の如く、オレを蝕み、苦しめ、壊そうとしているだけか。深淵の魔物にすることもなく、深淵を生むこともなく、オレを殺そうとしているだけか。

 この世界において人間は闇を持つ存在だと知った。だが、その闇からさえも嫌われているとはな。何が闇の血を持つ者だ。これではただの病人ではないか。

 

「まあいいさ。好きなだけ苦しめてみろ。オレを殺せるものなら殺してみろ。オレはまだ死なない。死ねない。サチとの……ユウキとの約束が……残っている」

 

 もう少しだ。もう少しなんだ。オベイロンを倒して、アスナを生かしたまま『アイツ』の悲劇を止める。その為のプランも幾つか練っている。可能なはずだ。出来るはずだ。

 口元の闇が滲んだ血を袖で拭うも、再び口から深淵に蝕まれた血が吐き出される。HPは減っていない事だけは幸いか。深淵の病なんて意味不明のデバフでスリップダメージなど笑い話にもならない。だが、膨大に流れ込んだ闇は1つのことを意味するかもしれない。ならば……いや、確認は後か。

 眠い。眠りたい。だけど、眠るわけにはいかない。薄らぐ視界の中で奥歯を噛む。

 だが、何かが光っている。すぐ手を伸ばせるところに、暗い翡翠を思わす青にして碧の……まるで月光のようだった。

 その正体を見極めようと目を細めるが、明らかになるより先に輝きは失われる。

 まるで問いかけるような光だった。手を伸ばせと誘っているようだった。あれは……まさか……いや、考え過ぎだろう。

 ようやく深淵の病が沈静化する。浮かび上がっていた赤黒い血管は薄くなって消える。波はあるようだが、これからゲームクリアまで深淵の病とは付き合っていかねばならないのかもしれない。

 

「……深淵の病に効く薬とか探さないといけないな」

 

 ゆっくりと立ち上がり、シェムレムロスの館で探すものが増えたと諦めて嘆息する。黄の衣のせいか、オレのアバターは……いや、仮想世界の肉体は深淵の病を抱えた。ならば、ゲームシステムとしてではなくストーリーとして深淵に有効なアイテムを使えば、病の治療は無理でも抑制は可能かもしれない。

 黄の衣と戦っていた実験棟の最上階、月光を拝む為のドームの扉が音を立てて開く。1つは太陽、1つは月の紋章が描かれた扉だ。あの先にシェムレムロスの兄妹が待ち構えているのだろうか。

 死神の剣槍を抜き、右足を引き摺りながら月の扉を潜れば、更に高い塔を眺めることができた。だが、本来続くはずの階段はまるで幻のように半透明である。

 死神の剣槍を試しに振ってみるが、何かに接触する様子はない。そうなると、何かしらの秘密を暴かねばならないのだろう。

 階段の両脇には巨大な燭台がある。結晶松明を近づけてみるが、感応して結晶火が点る。すると半透明だった階段が実体により近づいた。だが、まだ触れるほどではない。

 行き方は分かった。より巨大な結晶火でこの階段全体を照らし、秘匿を破れば良いのだろう。そうなると、松明や燭台程度では明るさが足りない。より巨大な結晶火で偽りの月光を暗ませるほどに照らさねば駄目だ。

 

「……後継者め」

 

 階段からそう遠くない所、そこには尖塔があり、その屋上には古き時代の灯台の如く、注ぎ火を待っている巨大な受け皿がある。

 ルート的に太陽の扉の先を進まねばならないようだ。あの灯台までの道のりは大きく迂回するルートだと一目で分かる。だが、これがシェムレムロスの兄妹に挑む為のラストランとなるだろう。

 結局は隅々まで探索して死ねという後継者からのメッセージに思えて舌打ちを鳴らしたくなる。ここから遠投して結晶松明を投げれば感応しないだろうか? いやいや、さすがに対策済みだろうな。

 仕方ない。深淵の病を鎮静させる薬を探すついでにあの灯台を目指すとしよう。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「なるほどねぇ。黄の衣を文字通り『喰らい殺した』わけかい」

 

 事実上の巨大ボス、人型ボス、異形神格ボスの3連戦だったのだが、文字通りまるで歯が立たなかった。だが、それは表面的な問題でしかない。

 人間は常軌を逸した存在に対面した時、その内に狂気を発露させる。正気を失って狂うのだ。黄の化身は戦闘能力の高さ以上にそれこそが難問だったが、まるで影響を受けていなかった。

 まともな精神のプレイヤーならば……常人ならば発狂不可避だったはずだ。だが、それを何処吹く風で受け入れたのは、彼自身がそれ以上に狂ったものを内側に潜ませているからなのか。男はやはり自分と同じで、出会いがもっと早く、また違っていれば、とらしくない程に惜しむ。

 そして、HPを削り続けるだけでは決して倒せない黄の衣を、自らに寄生させて逆に滅ぼした。黄の衣の『妄執』が彼の内なる殺意に蹂躙された。感応はMHCPと同じであり、だが彼女たちのように特化された存在ではないが故に、殺意に呑まれて逆に自己崩壊を招いた。

 ソウル化は男なりの報酬のつもりだった。もはやコードとしての能力は失われているが、ソウル素材としては有効活用してもらえるだろう。あれ程の強敵を相手に無報酬など見過ごすことができなかった。

 

「深淵の病はキミを苦しめ続けるだろうねぇ。『物語』としての性質を優先するシミュレーションモードによる影響。それはファンタズマ・エフェクトと結びつき、キミの命をより侵し続ける。何1つの恩恵もなく、何1つとして益ともならず、何1つとして得とならない。それが病というものさ」

 

 闇の血を持つ者。人間性の全てを血に凝縮した『不死を捨てた』存在。あの世界の最果てで生まれた絶望を焚べる者。故に発症したのが血中より闇で蝕まれる深淵の病だ。

 惜しく思う。仮にこのシェムレムロスの館に踏み込んだのが彼以外ならば、気は狂い果てて壊れるだろう。深淵の病に蝕まれて耐え切れずに、黄の衣を倒す前に異形となっていただろう。正気などなく、ただ狂気に呑まれるが故に。

 

「さて、アルヴヘイムに残されたネームド・ボスは残り僅かだ。黒火山に挑む彼らは……きっと悲劇が待つだろうねぇ。ランスロット程ではないにしても『アレ』の強さは相当なものだよ? 生半可な連中を伴っては勝てなどしない」

 

 聖剣はやはりキミに微笑んだ。望むとも望まずとも、その手に顕現するだろう。黄の衣がキミに惹かれて自滅したように、聖剣もまたキミこそ相応しいと選んだのだから。男は鼻歌を歌いながら、黒火山とシェムレムロスの館、双方の最後の戦いは近いと嗤った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 黒鉄都市の占領は進んでいる。敵性残存戦力は相当なものであり、今もオベイロンへの忠義は揺るがないようであるが、指揮系統を担うトップの処刑との交換条件による一般市民と下級騎士・兵士の安全は約束され、事態は良し悪しこそ分かれても終息に向かっていた。

 結論から言えば、UNKNOWNの目的だった最小限の犠牲による黒鉄都市の武装解除は失敗に終わった。巨鉄のデーモンがもたらした被害によって味方陣営の犠牲は減ったが、理想とした双方より犠牲を抑える終わり方は得られなかった。

 黒鉄都市上層部の処刑は今日明日に行われるものではないが、その血で血を洗う終わらせ方はある種の鬱憤晴らしであり、また根切にしない事は後々になって禍根をもたらすとも言えるだろう。

 後味は悪く、およそ未来に幸福の展望が見えない中途半端な幕閉じ。レコンは黒鉄都市の顛末をシステムウインドウで開いたメモ機能に記載して保存する。

 アルヴヘイムの日々を綴る。それレコンなりのこの世界で生きている彼らとの向き合い方だった。アルヴヘイムのクリア後にどうなるかは定かではないが、彼が残す記録は、DBOに帰還した後に何かしらの意味を持ってくれるような気がしたのだ。

 

「クリスタル保存完了……っと」

 

 これで僕が死んでも遺品として記録は残るはずだ。メモ帳のログをすべて保存し、レコンはまるで遺書のようだと震える。

 黒火山の攻略。これからいよいよ黒火山そのものに侵入する。だが、強大なモンスターが跋扈する黒火山を攻略するともなれば、通常戦力ではどれだけの犠牲が出るかも分からず、結局は頼りの綱となるのはUNKNOWNや自分達といった少数戦力である。

 そもそも暁の翅の仕事は黒鉄都市の攻略までであり、今は統治が優先だ。まだ、どれだけ数は揃っていようとも、レベル80クラスのモンスターが大量に存在する黒火山のダンジョンにレベル10~20程度の彼らを伴えば、犠牲は多大なものになる。

 実を言えば、今回の黒火山の最奥までの攻略において、レコンは同行を渋られている。それは実力不足という切実な問題ではなく、穢れの火の特性に対してタンクは余りにも危険過ぎるからだ。

 今回の巨鉄のデーモンとの戦いで分かった穢れの火の特性。それは最大HP減少と行動の鈍重化だ。後者は比較的短期であるが、前者は穢れの火を受け続ける限り効果が続く。最大HP回復も遅々しており、戦闘中に全快は望めない。

 そして、穢れの火の影響はガード越しでも受ける。つまり、穢れの火対策は回避が最も有効なのだ。ガードを主行動とするタンクでは相性が悪過ぎるのである。

 だが、その一方で渋られているとは、決してガード自体は必要ないという事ではない。穢れの火の効果を最大限に低減させることができるので、いざという時の壁役としては間違いなく必須だろう。しかし、それはレコンに大きな負担をかけることになる。死を招く危険性が高まる。

 それを承知した上でレコンは同行を宣言した。先の巨鉄のデーモンでも死線を見たが、今回は巨鉄のデーモン以上が立ちふさがるならば、今度こそ死ぬかもしれない。それでも、その恐怖に屈して仲間だけを危険に送り出すことなど出来なかった。

 ルートは多数のモンスターが遮蔽物のない荒野に潜む地上になる。最初に陽動として、黒鉄都市より徴収した投石器などで黒火山周囲の平野に対して爆撃を行い、モンスターを誘導。更にルート上に残存したモンスターを騎馬隊が引き剥がし、そこにレコンたちは高速で黒火山の麓まで運搬される作戦だ。

 騎馬隊は全て志願した勇猛なる騎士であり、レコンたちを確実に黒火山まで届けると豪語している。彼らの危険を侵さずに済む方法は地下ルートであるが、肝心の地下は巨鉄のデーモン戦で水没したまま今は水が抜けていない。

 本来、ネームドにしてもボスにしても、多量の人員と回復アイテムを消費して挑まねばならない相手だ。それを実力で強引に覆せたのは、巨鉄のデーモンがそうであったように、UNKNOWNとシノンの働きが大きい。二刀流剣士が何十人分ものアタッカーとしての役目を担い、シノンの的確な援護と最後の大技があったからこそ、犠牲を最小限にして倒せたとも言えるだろう。

 だが、黒火山で今度こそ待つ『証』の守護者は、間違いなく巨鉄のデーモン以上の強敵だ。そうなれば、回復アイテム不足、人員も欠乏、回避重視で攻撃チャンス激減となる戦いはどう転ぶか分からない。

 レコンは黒火山を囲う円状の黒鉄都市の内縁の入口に向かう。普段は完全に閉鎖されており、市街にモンスターが流れ込むことを封じ込めている。だが、今は解放され、レコンたちを運送する騎馬隊が待機していた。

 それは今回の作戦を前にして急拵えされたチャリオットだ。レコンたちのスペースが確保されている大型である。騎手を務めるのはヴァンハイトであり、彼の≪騎乗≫ならば暴れ馬と評されたチャリオットを牽引する2体でも十分に操れることだろう。

 

「遅かったね」

 

「あ、うん。ちょっと時間かかっちゃってさ」

 

 声がやや上擦ったリーファに、レコンは不安を隠すように頷いた。

 既にレコン以外の面々が準備完了の状態でチャリオットで待機していた。レコンは台座に腰かけるとリーファが場所を空けるように身を縮める。自然と接触し合うのだが、レコンはフルメイルである為、リーファの布越しの体温を知ることはできない。

 たとえ鎧越しでもリーファと密着していることに、レコンは顔が赤くなっていないかと兜のバイザーが下ろす。対面するようにシノンとUNKNOWNも腰を下ろしているが、彼らはどちらも目を閉ざし、精神の回復に専念しているようだった。

 

「チャリオットを操るなど何十年ぶりか。ワシも昔は騎手として名を馳せたがそれも昔。今は何処までいけるものやら」

 

 口振りとは正反対に自信を隠しもしないヴァンハイトの口調に、レコンは頼もしいと肩の力を少しだけ抜く。

 爆撃が開始され、地響きと空気の破裂する轟音が鳴る。黒鉄都市の物資をこれでもかと使った誘導作戦だ。これは同時に黒鉄都市を疲弊させ、抵抗戦力の無力化を促す意図も含まれている。彼らは目の前で備蓄した資源を使い潰されるのだ。精神には大きなダメージがあるだろう。

 投石器で続々と火達磨の岩が放られる。それが平原各所に着弾し、同時に放たれる油が延焼させる。これで何処までモンスターを誘き寄せるかは定かではないが、作戦は開始され、チャリオットが出発する。

 2体の暴れ馬に牽引されるチャリオットは、道ならぬ道……凸凹の荒野を突き進む。途中で怪物の咆哮が聞こえる度に、護衛していた騎馬隊が1人、また1人と離れていく。彼らの安否は心配であるが、今はチャリオットがもたらす衝撃によって放り出されないように専念する方が優先だった。

 騎馬隊は全員散り散りとなり、チャリオットだけが徐々に大きくなる黒火山へと迫る。空より鋼の羽を散らすコンドルが強襲するが、シノンが矢を放って目玉を射抜き、一撃で墜落させる。倒せてこそいないが、引き離す時間は十分稼ぐ。

 

「到着じゃな」

 

 黒火山の麓に到着した頃には、幾度となく敵の攻撃を潜り抜けたせいでチャリオットは辛うじて原型を留めているに過ぎなかった。馬たちも大きく傷つき、そのカーソルは赤く点滅している。レコンが慌てて奇跡で回復を施そうとするが、それをヴァンハイトは手で制し、ショートソードで2体の喉を斬り裂いた。

 血が溢れる様にリーファが顔を背ける。ヴァンハイトは仕方がないのだと首を横に振った。

 

「いっそ楽にしてやった方がコイツらの為じゃ。時として死が救いになる時もあるものじゃよ」

 

「そうかもしれないけど、だけど……」

 

 では、馬を回復させたとして、どれだけのコストがかかる? 治療後、モンスターが徘徊する黒火山の麓に残した馬が果たして生き残れるのか? 計算すれば、ヴァンハイトが介錯した道理は立つ。だが、それを安易に認められないのも人の心だろう。

 思っていた程高くない。麓から見上げた黒火山は、その噴火口から煙を今も立ち上げてこそいるが、その高さは想像よりも低い。何よりも活火山の傍で、なおかつ近隣を溶岩が流れているはずなのに、レコンは汗1つとして掻かなかった。むしろ肌寒く、鎧の冷たさが心まで凍てつかせるような気分になる。

 

「先を急ごう。俺が先導するから、シノンは最後尾を頼む」

 

「了解したわ」

 

 黒鉄都市で得た資料によれば、黒火山の麓には火口に続く横穴があるとされている。そこを侵入路として探すのだが、黒火山自体が巨大である為に外周するのも一苦労である。

 大きな溶岩の川をリーファが飛行して1人1人運搬する。無言で仕事をこなすリーファであるが、その顔は若干以上に暗い。それもそのはずだ。リーファは巨鉄のデーモンと戦う為に、人々の目がある中で翅を使った。

 今やリーファは【裏切りのアルフ】と呼ばれている。味方ではあるが、信用成らない敵から寝返った裏切者だ。その扱いは一気に冷淡さを増した。少なからず、それは彼女の繊細な心を傷つけたことだろう。

 

「気にすることないよ。リーファちゃんは僕らの味方だし、皆の為に戦ってる」

 

「そうだね。でも、やっぱり怖いんだ。自分は違うって分かっていても、敵視されて憎まれるって……こんなにも怖いんだね」

 

 リーファが手放せばレコンは溶岩に飲み込まれる。だが、彼女はそんな真似をしない。するはずがない。レコンにとっても最も信頼に足る仲間であるリーファは、たとえ窮地に陥ってもオベイロンに跪くような真似はしない。

 だが、リーファのことを『アルフ』として見なすアルヴヘイムの人々は違う。彼女を【裏切りのアルフ】以上に見ることはできない。彼女の素性や本心は関係ないのだ。

 

「……俺もビーターなんて呼ばれていた時期があったよ。でも、人間の評価なんて気まぐれさ。あれだけ憎んで恨んで除け者にしていたのに、窮地になるとあっさりと手の平を返して救世主とか英雄呼ばわりする。それも人間の逞しい一面なんだと思う。まぁ、俺はどっちかと言えば呆れてるけどさ」

 

 リーファの優れない表情に、岩に擬態したデーモンを軽々と葬ったUNKNOWNは嘯く。

 

「だから、リーファもあまり気にするなよ。見ず知らずの万人がキミを敵だと言っても、俺達はちゃんと仲間だって分かってるし、信じてるから。だから今は目の前の危険だけに全力を注ごう」

 

「……うん!」

 

 UNKNOWNに元気づけられたリーファの様子を見守っていたレコンに、ヴァンハイトが無言で肩を叩いた。自分だって慰めようとしたのに、この補正の差は何なんだろうかと自問するも答えは出ない。

 地面から這い出す巨大な百足。それは全身を鋼で覆い、高い防御力を持つだろうことが窺える。だが、その胴体の繋ぎ目は柔らかいと瞬時に見抜き、UNKNOWNが瞬く間に刻む。鋼のコンドルは次々とシノンによって墜落させられ、その隙にリーファとヴァンハイトが囲んで倒す。レコンの役割は要所要所で彼らを守ることだった。

 巨鉄のデーモンとの戦いで度胸がついたのか、レコンは以前のようにパニックを起こすこともなく、冷静に分散した戦況を把握できるようになっていた。元より天才に及ばずとも軍略能力もあった彼だからこそ、敵の配置から攻撃に割り込むことができる。

 ようやく見つけた。シールドバッシュで2メートルほどの1本角の痩せ細ったデーモンを弾き返してチャンスを作り、そこにUNKNOWNが斬り込んで撃破した先に、まるで神殿のように荘厳な造りをした横穴を見つける。

 全身が錆付いたデーモン像が2体配置されている。不用意にレコンが踏み入ろうとすれば、UNKNOWNが右腕を伸ばして制する。トラップだ。レコンが目を凝らせば、今にも踏み抜こうとしていた地面に魔法陣が描かれていた。

 UNKNOWNは≪罠看破≫持ちである。≪暗視≫も有し、入口から先は溶岩の輝きも見えない暗闇をある程度までならば見通すことができるのだろう。

 

「みんな、気を付けてくれ。トラップが多い。赤外線センサーを想像してくれ。あれが網状になって動いてる感じだ。俺が先行して解除ボタンを探すから、ここで待っててくれ」

 

 UNKNOWNが黒コートを翻し、単身で横穴の奥に進む。彼の姿が見えなくなり、5分、10分と待機時間が伸びる度にレコンの心臓が高鳴る。

 どれだけ強力なプレイヤーでも単身では限界がある。もしもモンスターハウスや強力なモンスターに待ち伏せされていたら? そんな不安が過ぎる中で、20分ほど経った頃にUNKNOWNが戻って来る。

 

「トラップは解除した。先を急ごう」

 

 暗闇を照らすランプを腰につけたレコンは、一際大きい炎を燃やす松明を掲げるUNKNOWNの後ろに続く。横穴を進み続ければ、やがて溶岩の輝きを宿した鉱石が壁に散りばめられた空間が露になる。そこには20体を超えるあの1本角のデーモンの死骸が転がっていた。

 これだけの数を1人で制圧したのか。隔絶したポテンシャルの差は実感していたが、こうもまざまざと見せつけられると息を呑む。

 UNKNOWNの全身には山吹色のオーラが纏われている。それは彼が戦いの中で負ったダメージをオートヒーリングで回復させ、アバターの負傷治癒を促進させているようだった。

 

「≪集気法≫って本当に便利よね」

 

「あくまで緊急処置さ。回復アイテムをガンガン使えるなら使っているよ。それよりもシノン、索敵を怠らないでくれよ。どうにも静か過ぎる」

 

 そりゃアンタが周辺の敵を全滅させたからじゃないんですか、とはレコンも言えなかった。

 明らかに人工的な造りになっているが、炎を宿した鉱石が露出した壁面は、穴を掘り進めたのではなく、元からあった横穴を整備したようにも映る。鎧の擦れる音が反響しやすい閉鎖空間という事もあり、自然とレコンのペースに合わせた進行になるが故に、じっくりと周囲を観察する時間も多かった。

 左手に岩石の盾、右手に岩石のランスを供えた、全身が鋼に覆われたデーモンが立ちふさがる。蛇のような胴体で滑るように移動し、また壁を縦横無尽に移動できるこのデーモンに対し、ヴァンハイトはランスの一撃をスモールレザーシールドでパリィを決め、唯一の決め手となり得る斧槍で胸を刺し貫く。アルヴヘイム製の装備はいずれも貧弱であるが、それ故に技術を磨くしか無く、ヴァンハイトは≪盾≫特有のソードスキルである≪シールド・パリィ≫を極めている。

 だが、≪盾≫によるパリィの成功率は盾の性能にも大きく左右される。完全にタイミングを合わせても押し切られることも多く、またパリィ不可の攻撃か否かを見極めることも重要だ。とはいえ、大盾を扱うレコンには特に必要のない技術である。

 システム的に相手を行動不能にし、なおかつクリティカルが乗るパリィはガードブレイク狙いでごり押しさせない対人技術でもある。逆に言えば、パリィ不可の大盾は攻め込まれやすいのであるが、高いガード性能もあり、またソードスキルとしてのパリィだけではなく、盾技術としての受け流しは必須となる為に、レコンはまだまだタンクの道は先が長いと思い知る。

 大してUNKNOWNは下からの突き上げでデーモンの岩石の大盾による堅牢なガードを崩す。UNKNOWNが得意とする盾崩しは、彼が『大盾』のような堅牢な防御を固めた相手を想定して鍛え上げた『力』なのだろう。体勢が崩れて生まれた隙に二刀流で切り刻めばデーモンは撃破される。

 

「矢がそろそろ厳しいわ。道中の援護は期待しないで」

 

 シノンも接近戦に切り替えているが、元より耐久度に難がある曲剣かつ変形武器の為か、攻撃回数は明らかに目減りしている。リーファも慣れない最前線に疲労が溜まっているらしく、攻撃に精細さが欠けていた。

 本来ならば最前線に潜るにしても大ギルドはローテーションを組み、1度の攻略の後には長期休暇を取らせる。装備以上に精神が疲弊する。それが未攻略探索であり、ネームド・ボス戦なのだ。

 レコンも自覚が無いだけで疲弊は相当なものだったのだろう。岩を削り取ったような巨槌を装備した5メートル級の大型のデーモンの振り下ろしによってガードが崩される。鈍い灰色の炎を纏った巨槌は穢れの火の宿しているのか、一撃の度に炙られてしまい、レコンは灰色の炎の衝撃を受けて地面に倒れる。

 

「さすがは黒火山の最奥! 一筋縄ではいかんか!」

 

 ヴァンハイトがフォローに入って巨槌のデーモンの腹を斧槍で薙ぐも、怯まぬデーモンに肘打されて壁に叩きつけられる。だが、マグマのような血を零すデーモンは苦しむように雄叫びを震わせる。シノンが宙を舞い、両目を曲剣で裂き、UNKNOWNが懐に入り込んで乱舞してダメージを稼ぎ、リーファが喉を刺し貫いてトドメを刺す。

 

「……老いじゃな。昔ほどに集中力が続かんよ」

 

 先端が欠けた斧槍に顔を顰めながら、リーファに肩を借りて立ち上がったヴァンハイトは口から垂れた血を袖で拭う。

 UNKNOWNとシノンは、疲労こそ少しずつ濃くなっているようだが、動きに目立った落ち込みは見られない。だが、それでも影響は確実に表れているだろう。

 このままでは全滅する。レコンの危惧を先んじてUNKNOWNが休憩を取ろうと申し出る。リーファが準備したサンドイッチを振る舞い、分厚い牛肉を挟んだ固焼きパンをレコンは受け取った。

 DBOは食事情が幾らか改善されたとはいえ、貧民プレイヤーは今もひもじい食事で食いつなぎ、教会や大ギルドの炊き出しを楽しみにしている。低所得の下位プレイヤーも同様だ。

 アルヴヘイムは台所事情だけは豊かだ。レコンはサンドイッチを頬張り、やはり食こそが心の癒しになると実感する。そして、自分が所属していたフェアリーダンスがどれだけ恵まれていたのかを思い返す。

 デーモンの石像が彫り込まれ、マグマの輝きを宿した鉱石が煌き、空気には火の粉が舞い散る。およそ現実ではあり得ない幻想的な風景で簡素ながらも美味の食事を取り、仲間と共に苦労を分かち合う。

 こうした冒険がしたくて人々はVRゲームを求めたはずなのに、今もレコンが身を投じるのは生きるか死ぬかの戦いであり、むしろそれが当たり前となってしまっている。

 

「……生きたいなぁ」

 

 自然と漏れた一言は食事の咀嚼音が静かに広がっていた空気に完全な沈黙をもたらす。

 

「生きようよ。あたしは生きて欲しい。レコンには……生き抜いてほしい」

 

 罪悪感を抱えるレコンをこの中で1番よく知るリーファは、今にも泣きだしそうに涙を溜める。

 

「うん、頑張るよ」

 

 生きたい。あれだけの罪を犯したはずなのに、今こそレコンはそう強く思える。それが幸せというものなのだろうと噛み締めた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 休憩のお陰か、リーファとレコンの動きにも精細さが取り戻された。それに安堵しながら、シノンは確かに増していく火山とは思えぬ肌寒さに、いよいよ最奥が近いのだと感じ取る。

 矢の残数は1戦分こそ残しているが、それでも心許ない。義手に仕込まれた切り札も1回分であり、できればランスロット戦まで温存したいが、使うべき時は躊躇すべきではないと腹を括る。

 

「義手が痛むのか?」

 

 自然と右手の曲剣を使った立ち回りが増えたせいか、あるいは義手の動きがぎこちなかったせいか、シノンを気遣うように、他の面々には聞こえないように小声でUNKNOWNが尋ねる。

 こういう時は鋭いんだから。シノンは軽く左肩を揺すりながら、満更でもない気持ちで鼻の頭を掻きながら顔を背ける。

 

「痛みは無いわよ。ちゃんと痛覚遮断は機能しているわ」

 

「そ、そりゃそうか」

 

「でも、ちょっとフィードバックがね。あの不快感がじんわりしてる感じがするのよ。あまり良くない兆候ね」

 

 義手の動きは鈍り、また絶えぬフィードバックは集中力の欠如を引き起こす。自然と義手を庇い、また攻防に利用しなくなってきた立ち回りに、シノン自身が苛立ちを隠せなかった。

 

「これを渡しておく。万が一に備えてくれ」

 

 そう言ってUNKNOWNが握らせたのはエリザベスの秘薬だ。残数に限りがある強力なオートヒーリングアイテムであり、いざという時の切り札になる。スミスから餞別でもらった貴重なものであり、シノンはありがたく譲り受ける。

 この1つが命を繋ぐかもしれない。だが、最大HPを削る穢れの火の特性に対しては回復そのものが効果を発揮し辛い。戦いの基本である回復を徐々に封じ込められるのは脅威であり、また恐怖でもある。

 そして、凶悪な能力を持っているが故に基礎性能は疎か……というゲームでよくあるパターンはDBOにおいて当てはまらない。どれだけ強大な能力を有していても、基礎性能が恐ろしく高いネームドは多い。故に穢れの火がどのようなネームドなのかは戦うまで不明であるが、ランスロットと同じ位置づけであるならば、その前座がステージボス級だった巨鉄のデーモンを踏まえるならば、およそ尋常ではない相手であることは疑いようもない。

 だが、彼さえいれば勝てるはず。彼を全力で守り、勝利に貢献して見せる。シノンは先行する黒い背中に信頼の眼差しを向ける。

 そのはずなのに、その背中に酷く不安を覚える。まるで死の瘴気が彼をゆっくりと蝕んでいるように、これ以上先に進んではいけないとコートの裾を掴みたくなる。

 デーモン石像が灰色の火を掲げる通路を抜けた先にたどり着いたのは巨大な広間だ。マグマが壁を伝って上を目指す様は幻想的であり、常に大気には火の粉が舞う。だが、空気だけは温もりを失った地底の奥底のように凍えていた。見上げれば夕焼け色の空が広がっており、ここがまさに噴火口なのだと理解する。

 それは祭礼場。デーモンを祀る蛮族の神殿であるように、壁際をデーモン石像が並ぶ。それらの1つ1つが両手で守るように灰色の火を握りしめていた。そして、シノン達が入ってきた道と反対側には、まるで先に入ることを禁じるように無数のひしゃげた金属の塊があった。それがかつて鎧だったと気づくのに遅れ、シノンはあの先こそが黒火山の最深部であり、『証』があるのだと勘付く。

 

「来るぞ」

 

 気持ちが逸りそうになったシノンに対し、UNKNOWNは油断せずに行こうというように鋭く告げる。

 壁面に並ぶデーモン像より灰色の火が舞い上がる。そして、それに呼応するようにシノン達を『巨影』が陰らせる。

 大きく広げられたは鉄鱗に覆われた翼。その身もまた鈍い鋼鉄の塊のようだった。

 3つ首であり、それらの瞳はいずれも赤く、牙はまさしく獰猛なる王者の証。

 垂れる尾はその先端が竜の顎であり、灰色の火が混じった唾液を零していた。

 全高5メートル以上。尾を含めれば全長は20メートルを軽く超えるだろう巨獣。

 それは有翼にして竜頭の尾を持つ3つ首の獅子。伝承で語り継がれるキマイラの王と呼ぶべき風貌にして、全身に鋼鉄を纏った猛獣。HPバーは3本。

 

 

 

 

 

 

<穢れの火の守り手、竜喰らいの古獅子>

 

 

 

 

 

 

 竜すらも狩った本物の怪物。その翼を大きく広げて威嚇する古獅子の双眸にあったのは、明確な敵意だった。

 死ぬものか。死んでたまるものか。シノンは曲剣を弓に変形させた時、暗闇に満ちた最奥へと続く通路より飛来した銀光を目にし、咄嗟に身を翻す。間一髪で彼女の胸を貫く……いや、胴と泣き別れさせる勢いの大矢を躱す。

 

(これは……竜狩りの大矢!?)

 

 シノンが驚くより先に、まるで古獅子に加勢するように、最奥の通路より甲冑を鳴らした行進が聞こえた。

 現れたのは騎士達。そのいずれの甲冑の意匠も、アノールロンド……グウィンの軍勢である事を証明するように、銀騎士や黒騎士と似通っている。だが、それは焼かれて朽ち果てる寸前のような灰色であり、その姿はまさに灰騎士と呼ぶに相応しい。

 巨躯の古獅子と灰騎士の軍団。それが同時に立ちふさがり、シノンは唇を震わせた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 砕き、貫き、潰す。ガーゴイルの群れを殲滅し、灯台への最後の番人を務めていた巨大蛇人の頭部を刺し潰した死神の剣槍を引き抜く。

 通路を占領する人面虫、飛行するガーゴイルのクロスボウ、ただでさえ光源が少ないくせに手摺無しの狭い通路、何よりも上下移動するリフトの待ち時間とその間に迫るガーゴイルの軍団となかなかに歯応え……もとい厄介なエリアであったが、燭台の場所が事前に分かっていただけにルート的には問題なく進むことができた。

 最後は巨大な吊り橋の上で全身甲冑の巨大蛇人との対決であり、常時ガーゴイルの支援付きというこの上なく数の暴力を味わったが、巨大蛇人は大鉈と鎖鎌と魔法ブレスくらいしか攻撃法が無く、特に撃破は問題ではなかった。むしろ、際限ないガーゴイルの援軍の処理が大変だったものだ。

 最後のリフトに乗り、半透明の階段を眺められる灯台の屋上に到着する。原料が何なのか知るべきではないだろう透明な液体は油ではないだろう。結晶火の松明を近づければ感応し、大きく青白い炎を燃え上がらせ、結晶の塵を散らす。その大きな輝きは天上の欺瞞の銀月よりもなお明るく、半透明だった階段を完全に実体化させたようだった。

 ……普通ならば、ここからワープやショートカットで戻るがありそうなのであるが、このシェムレムロスの館にそんなサービスはない。あるとしても見逃しているので意味がない。結論として徒歩で戻る他ない。

 

「少し無理をさせ過ぎたな」

 

 無数のガーゴイルの遺体で埋め尽くされた横幅10メートルほどの吊り橋を渡りながら、剣先を引き摺る死神の剣槍を見る。打撃ブレードから黒い破片が零れ落ち、刃毀れは著しく、また亀裂も拡大している。

 蛇槍モードを起動させて振るうが、狙った軌道を描かない。また、変形時の高速突きが出来ない。これは大きな痛手か。

 

「…………」

 

 数度振るって変じた癖を掌握する。修正完了だ。壊れて変な癖がついたが、それを織り込み済みで使えば問題はない。

 黄の衣を倒す為にザリアを使った以上、その分のダメージソースとして死神の剣槍や贄姫に頼らねばならない。相手は魔術師だ。物理防御力が低いのは定番だが、そう一筋縄ではいかないだろう。

 

「ゲホ……ケホ……コホ……」

 

 咳が出た口を右手で押さえる。こびり付いた吐血はどす黒い赤だが、まるで闇が気化するように元の赤黒い……普通の血に戻る。とりあえず分かったことは、深淵の病は浮かび上がる赤黒い血管を除けば隠すのは難しくない。いや、これが最も困難なのだろう。

 だが、軽度の内は血管が浮かび上がることはない。元から肌を隠すような装備が多いオレならば、首筋や顔まで広がらなければ明らかになることはないだろう。問題はこの咳と吐血だ。なにせアルヴヘイムはともかく、DBOには風邪そのものが無いのだ。日常的に咳き込むのは違和感が大きい。

 ……そもそも無事にDBOにも帰れるかも怪しいのだ。後の心配はその『後』が来てから考えるとしよう。黄の衣を倒した今となってはこれ以上の悪化は無い、はず、だよな?

 

「いや……そうでもないか」

 

 ただでさえ致命的精神負荷の受容がもたらしたファンタズマエフェクトによって現実の肉体にも悪影響が及んでいる。この上に深淵の病なんてものを発症したのだ。

 精神が肉体に影響をもたらす。それをより明確化・増強化してハードに頼ることなく、ソフトウェアのみで死をもたらす事さえも可能としたファンタズマエフェクト。これによって、オレは殺意と戦意で心臓が止まりかけても、たとえ止まっても動かし直すことができる。だが、同じく深淵の病に蝕まれているという状態そのものが常に現実世界に残した肉体の更なる衰弱に繋がるかもしれない。つまりはオレの生存タイムリミットがより削れることとなったはずだ。

 

「……そんなこと『どうでも良い』か」

 

 元より時間がないことは把握していた。ならば問題視すべきは戦闘中の重度発症だ。コイツと後遺症がダブルで発症した状態では戦闘続行がより困難になる。ただでさえ、戦闘中は情報量が増加して不味いのに、その上で深淵の病とはな。

 深淵の病がもたらすのは内臓の痛みに近しい。病による痛みは外傷による痛みとは種類が異なる。なるほどな。致命的な精神負荷の受容なんて、人類でも数少ない痛みの経験者と思っていたが、病がもたらす痛みもなかなかに堪える。内臓の痛みは想像を超えるらしいのだが、これがそうなのかもしれない。腕が折れたり、腹の中身を潰されたり、窒息しかけたりと外傷諸々の痛みは経験済みだったが、病による痛みと区別できるのだから興味深い。痛みと一言で述べても多種多様で、しかもブレンドされたら倍化だな。

 せめて症状の緩和と隠蔽の為に、我が身で色々と実験を施す必要がありそうだ。深淵は闇属性だから……光属性に関するアイテムを使えば緩和できるか? もしくは、漂白剤を飲むが如く劇毒となっていたりしてな。

 

「馬鹿言ってる……暇も……無いか」

 

 オレの状態よりも装備が芳しくない。メインウェポンの贄姫も死神の剣槍もボロボロだ。防具も随分と痛んでいる。

 ようやく戻って来れば、最後の塔に続く、秘匿は破られて実体化した長い階段を上る。この先にシェムレムロスの兄妹が待っているはずだ。しかし、これだけ長いと辟易するな。

 灯台で燃え盛る結晶火が偽りの月光を陰らせる。はたして、シェムレムロスの兄妹はどのようにオレを迎えてくれるのだろうか。

 階段を踏み外し、危うく転げ落ちそうになるのを何とか堪える。この階段でガーゴイルの奇襲などあった日には後継者を絶対に殺すつもりだったが、さすがのヤツもダンジョン最奥への最後の1本道を汚すような真似はしないようだ。

 階段を上り終えれば、青銅を思わす巨大な両開きの扉が待っていた。右手を添えて押せば、STRに関係なく重々しい音を立てて開く。

 凄惨なる血の沼。亡者の監獄。陰惨なる研究棟。その全てを踏み越えてきた。いい加減に姿を拝ませてもらっても良いだろう。

 

 

「あら、とても濃い闇。何処から来たのかしら?」

 

 

 たどり着いた先にあったのは、まるで玉座の間を思わす広大な空間。結晶に蝕まれた円柱が並び、その最奥には積み重ねられた椅子がある。それは竜の巣を思わし、最上には天幕が張られ、誰かがオレを見下ろしていた。

 それは女。ベールのようなものを頭から被っているが、それを突き破るように伸びるのは結晶の竜の2本角。その全身の白い肌にも同じく結晶の鱗が生えている。だが、その双眸だけは紛いものではない本物の竜眼。

 

「訪問者よ、ようこそ我が館へ。私はアルテミス。この館の主です」

 

「初めまして、オレは久藤の……いえ、久遠の狩人です。アナタを狩りに参りました」

 

 右手を心臓に添えるように左胸に置き、腰を折りながら左腕を振るう。だが、目線だけは相手を捉え続ける。狩人の礼儀とは、礼節を弁え、また相手に安易に頭を垂らさず、獲物を捉え続けることにこそある。 

 

「あら、無粋ね。欲しいのはオベイロン王を守る『証』でしょう? だったら、取引をしましょう。私に穢れの火を――」

 

 オレは無造作にザリアを抜き、チャージしながら銃口を向けてトリガーを引く。放たれた収束雷弾はアルテミスに一直線に伸びるが、見えぬバリアに守れていたかのように弾かれた。

 先制打をお見舞いしようと思ったのだが、やはり前口上では無敵なタイプか。収束雷弾分の弾薬が無駄になったな。まぁ、元よりこの距離なので命中してもダメージは無かっただろう。最初から期待はしてなかった。

 

「何か勘違いされていらっしゃるのでは? 聞き漏らしたなら繰り言致しましょう、欺瞞の銀月よ。オレは久遠の狩人と名乗り、アナタを『狩る』と申し上げました」

 

 眼帯を剥ぎ取り、背負う死神の剣槍を右手で抜く。左手のザリアを沈黙するアルテミスに向け続ける。

 

「取引は不要。死んだアナタから剥ぎ取るなり、この部屋を漁るなりして『証』は拝借いたします」

 

 微笑みながら告げれば、アルテミスは愉快そうに口元を歪める。その竜眼に宿るのは好奇心。まるで新鮮な実験材料を見つけたマッドサイエンティストのような危険な光だ。

 

「濃過ぎる闇に紛れて気づかなかった。とても素敵な香りを漂わせているのね。我が師と同じ聖剣の……月の香り。ああ、素敵。なり損ないの不死、妖精、深淵の怪物、そのいずれにも勝る最も素晴らしい実験体が来てくれたのね。アナタ、聖剣に愛されているのね。なんて僥倖かしら! 師が知れば嫉妬で狂いそうね。ああ、もう狂っていた。これは失礼しました。フフフフ! フフ……アハハハハ! ええ、そうね! 月の香りの狩人よ。アナタとは確かに取引は不要ね」

 

 アルテミスの背後より何かが蠢く。それは巨影であり、甲冑を纏った人型。

 

「お兄様、壊し過ぎては駄目よ。後でじっくりと解剖したいの。大丈夫よ。私達はきっと永遠になれる。聖剣さえ手に入れれば……必ず」

 

 それは全長5メートルにも達する巨躯の騎士。その甲冑は結晶で強化が施された青色であり、顔を余さず隠すフルフェイスの兜は何処となく炎を模しているようにも思えた。右手に持つのは巨体にも匹敵する大剣。そして、左手に持つのは体格全てを守るには不足がある円形のスモールシールド。いや、あくまでヤツの体躯からすればスモールなのであって、プレイヤーからすれば大盾の数倍はある。

 大剣をその場に突き立て、言葉なく騎士は咆える。呼応するように大剣に結晶火が燃え上がる。

 

「では、狩人には失礼ですが、こう宣言させていただきましょうか。狩らせてもらいますよ、狩人さん」

 

 ソウルの輝きが騎士の全身を包んだかと思えば消失する。背後でソウルの発光がするより先に身を屈め、胴体を切断する勢いの大剣を躱す。

 ランスロットと同じ……いや、兆候がある分だけマシな程度に過ぎない、高速瞬間移動か。いきなり背後から奇襲をかけてくるとは、正攻法を好みそうな外観に反して奇策を用いるのか?

 いや、今の瞬間移動はアルテミスによるサポートか? まだ早計だな。戦いの中で解明すれば良い。

 騎士のHPバーは3本。外観通りの堅牢な防御力と高い攻撃力を誇るだろう。だが、兜で素顔を隠されているからではなく、この気配……いや、今は考えるべきではないか。

 

 

 

 

<結晶火の太陽、アポロン>

 

 

 

 

 まずは兄を殺せというのか? それとも途中から参戦してくるつもりか? どうでも良い。

 視界にノイズが走る。いつものことだ。だが、今はぼんやりとあの光が見える。

 

 手を伸ばせば今にも触れられそうな所に、青にして碧の……暗くも確かに輝く光が見えていた。

 屠った深淵狩り達の気高い魂が唱える。

 

 

 

 

 聖剣を求めよ。狩りを続ける為に。そう囁くのだ。




シェムレムロスの兄妹=ローリアン&ロスリックを魔強化インストール結晶エディション。
黒火山=絶望を焚べよ。今、進化した主人公力が試される。


それでは、287話でまた会いましょう。




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