SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

月光の聖剣、それは導きの月明かり。





Episode18-53 聖剣と妖刀

 暗い宇宙の闇を宿したような刀身には、まるで夜に輝く月光のような青にして碧の光によって構築されたような淡い光を帯びた大刃が形成される。それは銀色の剣を核として生まれた刃であり、光の凝縮された存在でありながら物質に近しく、まるでクリスタルのように半透明だった。

 神秘の輝きにばかり目を奪われずに刀身をよくよく見れば、銀の刃はもちろんのこと、青碧の大刃にも細やかなレリーフが彫り込まれ、それは1つの物語を描いているような神々しさが宿っていた。

 聖剣。まさしく月光の聖剣! 思わずリーファは見惚れてしまう。自分がよく正気を保てて……あの聖剣を我が物として奪取せずにUNKNOWNに届けられたのか、改めて不思議に思うほどに聖剣は魅惑に満ちていた。

 いや、きっとそうなのだろう。誰もがあの聖剣に触れてしまえば正気を失うほどに魅了されてしまうのだろう。あの聖剣を捨てられるのは正気の外にある者だけだ。どれだけ高潔な騎士であろうとも、あの聖剣を前にすれば飢えた垂涎の野良犬の如く求めるだろう。

 故にリーファは心配する。そんな聖剣を握った兄がはたして正気を保てるのかと。あの聖剣は常人が握ってはいけないものだ。いや、『人間』が振るえる枠の外にあるとしか思えないのだ。

 ただのパラメータや能力などが設定された武器などではない。ゲームという枠組みを根本から破壊しかねない。そんな気がしてならないのだ。

 

(……って、そもそも、いきなり出現した時点で……ううん、アルヴヘイム自体がおかしいんだもん。何が起こってもおかしくない……のかな?)

 

 リーファが愛する妖精の国、このように歪んでいないアルヴヘイムが舞台となるALOには、レジェンダリーウェポンとして聖剣エクスキャリバーが存在する。リーファがDBOにログインする直前まで発見されておらず、運営は実在することだけを発表している、ALO最強武器である。

 DBOのアルヴヘイムにおいても同じポジション……聖剣が存在するのでは、という気持ちはリーファにも少なからずあった。だが、これだけ改変されていたアルヴヘイムに残存しているかは、オベイロンが自分に脅威となる武器を残しているだろうかという疑念も少なからずあった。

 だが、こうして聖剣は現れた。それはUNKNOWNが何かしらの聖剣獲得のイベントフラグを立てていたからなのだろう。『常識』で考えれば、それ以外の何物も想定として浮上しない。

 だからこそ、リーファは考える。女の直感が囁く。あの聖剣は『誰か』によって『届けられた』のではないだろうか。UNKNOWNに切なる想いを抱く『誰か』がもたらしたのではないだろうか。

 普通ならば嗤われるだろう。あり得ないと馬鹿にされるだろう。だが、リーファにはこれこそが真実なのだと思えてならないのだ。元よりアルヴヘイム自体がDBOの異常にして異端であるならば、仮想世界でゲームシステムを超越する奇跡がもたらされても良いはずだ。

 メイデンハーツと聖剣を交差させて構えるUNKNOWNに対して、まずは試すようにスローネは両刃剣を振るって穢れの火を放出する。それは津波となってUNKNOWNを呑み込もうとするが、彼は躱しもせずに聖剣の一振りで灰色の炎を霧散させる。多少は穢れの火によって焦がされるも、減った最大HPは傍から回復して復元し、ダメージも強化されたようなオートヒーリングによって治癒される。

 穢れの火は最大HP減少と鈍足とは異なる動きの鈍化こそが凶悪であり、攻撃力自体は決して高くない。聖剣によってこの2つの特性が効果をもたらさないならば、UNKNOWNに対して穢れの火を使ったあらゆる攻撃は意味を成さない。せいぜいが雷に劣るエンチャント程度しか有用性は無いだろう。

 ならば当然のようにスローネはエンチャントを黄金の雷に切り替える。プレイヤーも含めて一般的に使われる黄金の雷は、純雷属性ではなく光属性を含有する。だからこそ深淵系などの光属性が弱点の相手に黄金の雷は特効作用がある。だが、あくまで光属性を持つというだけであり、その雷属性攻撃力は十分に高い。UNKNOWNのデーモン化がドラゴン系ならば雷属性防御力は低下しているだろう。聖剣を得たとしても依然としてスローネの持つ雷攻撃は変わらずして弱点のはずだ。

 勝負はまだ終わっていない。リーファはスタミナ切れで動けないレコンを引き摺って壁際に逃げながら、スローネとの最後の戦いを見届けるべく目を凝らす。既にスローネもまた彼女たちなど眼中にない。いや、聖剣を持つUNKNOWNに集中せねば『負ける』と確信して見逃しているのだ。

 先に動いたのはUNKNOWNだ。スローネが雷をエンチャントするまさにその瞬間に、間合い外で聖剣を振るう。同時に聖剣の刀身の闇は深まり、また月光は強く輝く。共鳴するような澄んだ高音を奏で、青碧の月光は刃となって……光波となってスローネに飛来する。

 まさかの攻撃にスローネは直撃し、その鎧に月光の刃が食い込む。だが、光波には高い切断属性がないのか、スローネを両断できないとなると形が崩れて爆散する。それが追撃となってスローネのHPが減少する。

 あの光波は投擲攻撃と同じく射撃属性ではなく近接属性扱いなのだろう。即ち、ネームドがほぼ標準装備している≪射撃減衰≫に類似したプレイヤーからの射撃攻撃を弱体化する能力の対象外だ。最後の爆発だけは火炎壺の爆発のように射撃属性扱いかもしれないが、それでも光波の直撃からの追撃としては十分過ぎる火力になるだろう。

 次々と光波を放つUNKNOWNに対し、スローネは雷光を纏って避ける。光波は確かにスピードはある。だが、目にしても臆さぬ意思と斬撃軌道を見切れる冷静さを兼ね備えた『並外れた実力』の持ち主ならば回避は可能だ。一般プレイヤーならば成す術もなく刻まれて吹き飛ばされるだろうが、スローネが躱せぬ道理もない。また、リーファも十分な距離、来ると分かって身構える回避専念の意識があれば、躱せないことはないとも分析した。

 光波は決定打になり得ない。だが、脅威にならないと無視するには余りにも強力過ぎる。スローネは間合いを取って跳び込むタイミングを探っていれば、UNKNOWNは全身に月光の粒子を纏い、ノーモーションの加速を使用する。

 速い! リーファの目と反応速度を完全に置いてきぼりにした、第3者の視点からでも見失う程の超加速。それは先程までよりも強化され、スピードも距離も引き上げられている。スローネは『消える』のとほぼ同義で懐に入り込んだUNKNOWNの攻撃を受ける。強烈な2本の刃の斬り上げに対して、ギリギリで後ろに退いて深く斬らせなかったスローネをむしろ賞賛すべきだろう。

 反撃すべくスローネは両刃剣を振るうも、月光を纏ったUNKNOWNはノーモーション移動で翻弄する。スローネからすれば、全方位にUNKNOWNがいるような……彼が何十人もいるような錯覚さえもあるだろう。

 だが、スローネは冷静に対処する。両刃剣を振るい続け、UNKNOWNを迎撃するに止まらず、見切ったとばかりに放った一閃が彼の仮面に横1本の傷痕をつける。あと半歩でも深く踏み込まれていれば、UNKNOWNの頭部は両断されていただろう。

 距離を取ったところでスローネは先程の礼をするように両刃剣から続々と雷刃を放つ。UNKNOWNも応じるように光波を使う。

 最初は拮抗していたが、徐々にスローネの雷刃が押し込み始める。連続で使えば使う程に聖剣が放つ光波の威力は落ちていく。よくよく見れば、大刃は色合いが薄くなっており、その半透明の刀身は朧に近づいているようにも思えた。

 何の代償もなく無限に使える攻撃ではない。それは聖剣の『武器としての性能』を示しているようだった。あるいは、UNKNOWNが現状で引き出せる聖剣の限界なのか。リーファには区別ができないが、兄の悔しそうな眼が割れた仮面の左側から漏れている事に気づき、聖剣の底知れなさを感じ取る。

 雷刃と光波の撃ち合いに敗れ、UNKNOWNが距離を取る。聖剣は大刃の色を濃く戻していくが、リーファに分析できたことをスローネが見落とさないはずがなく、聖剣が弱まっていると見て追撃をかける。雷光を纏ってスピードを上げて迫り、近接戦を仕掛ける。

 刃が踊り、火花と粒子が舞う。メイデンハーツと両刃剣が攻撃をぶつけ合って火花を散らし、聖剣は月光を漏らす。剣戟の果てに、UNKNOWNは薙ぎ払いと同時に聖剣から光波を放出し、スローネを強引に押し飛ばす。

 だが、これを読んでいたスローネの体勢は思いの外に崩れず、歴戦の剣士は雷撃を放出する強烈な突きを穿つ。これに対してUNKNOWNも聖剣の月光を強めて刺突を繰り出す。

 それはまさしく月光突き。放出される青碧の光によって刀身が何倍にも膨れ上がったのではないかと錯覚するほどの、月光の奔流を乗せた聖剣の突きは、スローネの雷撃の突きと拮抗して爆ぜる。

 威力は互角。パワーファイターである上にネームドのスローネの最大級の単発近接攻撃と互角! 幾らSTRが高いプレイヤーだとしてもあり得ない程の高威力を実現したのは、聖剣より放出された月光の奔流だ。

 

「……スゲェ。凄いよ! あれが聖剣! 凄い凄い凄い!」

 

 レコンから溢れ出た興奮に、リーファも首をガクガクと折れる勢いで縦に振って同意する。

 まさしく『英雄』の武器。このDBOにおいて頂点と呼ぶに相応しい美麗と神秘を兼ね備えた外観のみならず、性能も圧倒的だ。どんなボスを倒してもあれ以上の剣がドロップすることはないだろう。いかなる鍛冶屋でもあれに勝る刃を鍛え上げることはできないだろう。

 互いの突きの衝突点から雷光と月光の爆発が起き、2人の剣士は吹き飛ばされて……いや、その衝撃を利用して距離を取る。そして、即座に踏み込んで刃を交差せる。

 スローネの腹から灰で汚れた血飛沫が溢れた。聖剣で両刃剣をいなし、メイデンハーツで斬り裂いたUNKNOWNが先の交差の一閃を制したのだ。だが、その交差の瞬間に、少なくとも3回も刃が交えられたとリーファは数秒遅れで把握する。

 どちらも常軌を逸した剣豪。リーファはこの戦いに剣士として立ち会えたことに感謝する。

 

「アンタ……やっぱり半端ないよ。だけど、俺は勝つ。この聖剣にかけて、アンタを倒してみせる」

 

 そして、UNKNOWNは互角を演じるスローネに賞賛を送る。聖剣に勝利を誓う。それは傍目から見ればまさしく『英雄』の宣誓に映って心奪われるだろう。だが、リーファにはその姿が痛々しい茨に絡みつかれて自らを苦しめ、縛り上げているようにしか見えなかった。

 スローネの真なる恐ろしさは戦いにおける柔軟性。剛なる剣技に隠れた即応性にこそある。聖剣という驚愕のイレギュラーに対して即座に分析して冷静に対応するなど、プレイヤーに同じ事が可能な人物は果たして両手の指の数ほどもいるだろうか? 少なくともリーファは混乱のままに光波に刻まれて死亡していただろう。

 今でこそ勝敗の天秤は少しずつUNKNOWNに傾き始めているが、彼からすれば『聖剣によって覆された』としか言いようがない。スローネにそう唾棄されても仕方がない程に優勢に転じた。聖剣によって穢れの火の効果をほぼ封じられたスローネは事実上の弱体化にも近しいならば尚更だろう。

 先程まで魅了されていた聖剣の神々しさ。リーファは今そこに呪いを見出す。

 あの聖剣は『英雄』の手にこそ相応しい。そして、聖剣は英雄に勝利を約束する絶大な『力』をもたらす。それは剣士にとってどんな気持ちなのだろうか。自分の武技の意味を見失うのではないだろうか。

 今まさに兄は背負おうとしている。その覚悟を抱いて聖剣を振るっている。【聖剣の英雄】としての呪いを抱いて歩み出そうとしている。

 リーファの喉が痙攣する。

 どうすれば兄を救える? 大きな……途方もない【聖剣の英雄】という呪いを背負おうとしている兄を……どうすれば救える!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頑張って、『お兄ちゃん』!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、リーファに思い付けたのは、『兄妹』として一緒に呪いを背負ってあげる事だけだった。

 

「確かに聖剣がお兄ちゃんを強くしているのかもしれない! 凄い『力』をくれているのかもしれない! でも、誇って良いんだよ! だって、今ここで戦ってるのは『お兄ちゃん』なんだから!」

 

 確かにこの優勢は聖剣がもたらしたものなのかもしれない。だが、聖剣を振るっているのは兄だ。万人が『英雄』に賞賛と喝采を送ろうとも、リーファだけは『兄』に応援するのだ。

 

「……ス、グ? スグなのか!?」

 

「気づくの……遅いよ。本当に遅いよ! バーカ! バカバカ! バーカ! かが……じゃなくて、クゥリさんだったら10秒未満で気づくもんねーだ! 鈍感! 鈍感お兄ちゃん!」

 

 割れた仮面から覗かせる左目の瞳、今はデーモン化の影響で橙色になったそれを震わせるUNKNOWNに、リーファはここぞとばかりに胸の内に溜まっていた鬱憤を吐き散らす。

 

「お、俺をクーと一緒にするなぁ! 彼の野性的直感はだな、俺たちの常識外に――」

 

「べーだ! べーだ! バカお兄ちゃんの言い訳なんかに聞く耳貸しませーん!」

 

 死闘の合間とも思えぬ兄妹の口喧嘩。スローネがいつ斬り込んでもおかしくないはずなのに、リーファは不思議と大丈夫だと信じられた。2人の時間を守るように聖剣に満たされた月光が輝いてくれているからか、それともスローネに僅かな郷愁のような憂いが滲んでいたからか。

 慌てふためくレコンを尻目に、リーファは両手を組む。兄の為の祈りを紡ぐ。

 

「あたしは知ってる。お兄ちゃんが『強い』のは聖剣があるからじゃない。お兄ちゃんだから『強い』んだよ! だから【聖剣の英雄】はこんな所で負けない! だって……だって【聖剣の英雄】は……『あたしのお兄ちゃん』なんだから!」

 

 あの聖剣がどんな意思の下で届いたのかは分からない。兄もきっと全てを理解してあの聖剣を振るっているはずがない。だが、少なくとも覚悟を決めて握っている。このDBOにおいて最大の重みを持つ『英雄』の称号を背負うべく、自らを呪う責務と共に聖剣を振るっているに違いない。

 兄の覚悟を踏み躙る気はない。『英雄』になることが……【聖剣の英雄】であらんとする事が兄の望みであるならば、リーファは全力で応援しよう。

 

「忘れないで、お兄ちゃん。お兄ちゃんの『強さ』は……聖剣がくれたものじゃない。聖剣は……お兄ちゃんを『導く』だけだよ! どんな『力』をくれるとしても使うのは『お兄ちゃん』の意思なんだよ!」

 

 そして、『導き』のままに、自分の意思を捨てて歩めば、それこそが聖剣に対しての恥さらしとなるだろう。あくまで聖剣は『導き』を与えるだけなのだから。その道が『英雄』という呪いで舗装されているとしても、歩むのは自分の意思であらねばならない。

 故に『導き』の月光。リーファにはあの月光の本質がそう思えてならず、彼女の見抜きを賞賛するように聖剣が微かに呼応するような高音を響かせた。

 我に返ったように仮面の剣士は目を見開き、恥じるように苦笑する。

 

「ホント……俺は駄目だな。すぐ弱気になって、取り繕うとして……自分1人では背負いきれないくせにさ」

 

「そうだよ。世間では『英雄』だ何だともてはやされてるけど、あたしが知ってるのは家でヨレヨレTシャツと短パン姿でだらける『お兄ちゃん』だもん。だから……傲慢になって。ふんぞり返って! 自分は【聖剣の英雄】だって宣誓して! あたしの『お兄ちゃん』ならそれが出来るはず! いつもみたいに格好つけてよ!」

 

「……ああ! 任せろ! 特等席で見せてやる! スグの『お兄ちゃん』の恥知らずな傲慢さをな! それから! 正体を黙ってた事は後で説教するから覚悟しておけよ!?」

 

「ほ、程々でお願いしまーす」

 

 調子を取り戻した兄にリーファは安堵する。

 あのまま聖剣を使わせていたら、兄はいつか破滅を迎える。聖剣は『そう仕向ける』ような気がしてならなかった。女の直感だ。あり得ないと切り捨てることはできない。

 頑張って、お兄ちゃん! 必ず勝って! 話についていけないと茫然とするレコンの隣で、リーファは祈りを捧げる。

 

 

『祈りと呪いの本質は同じだ、って誰かが言ってたな。祈りは何かの拍子で簡単にひっくり返っちまうんだよ。だから、直葉ちゃん、簡単に祈っちゃ駄目だ。祈る時は「神様に」じゃなくて、自分の意思で「誰か」の為に、だ。そうすれば、きっと想いは届く……なんてな。そんな浪漫もあって良いだろ? オレは好きだよ。神様頼りじゃない、「誰か」の為に捧げる祈りは……さ』

 

 

 ふと思い出したのは、結局は兄を捕まえられないまま、1人寂しく参拝するはずだった初詣に同行してくれたクゥリの言葉だった。

 リーファは……直葉は知っている。クゥリは誤解されがちだがリアリストではない。どちらかと言えばロマンチストであり、理想や信念といった精神的なモノに対して敬愛を示すタイプだ。その上で叩き潰すので始末に負えないと度重なるリハビリという名の勝負で思い知らされた直葉は、クゥリのそんな部分が嫌いではなかった。

 祈りも呪いも本質は同じだ。ならば、今まさに兄が背負う【聖剣の英雄】という呪いを、リーファの祈りで変えて見せよう。万人を魅了する煌びやかな欺瞞の称号にではなく、『妹』に自慢できる嗤えるくらいに底が浅い……『兄』の誇りにしてみせよう。

 

(あたしは神に祈らない。聖剣にだって祈らない! あたしは……『お兄ちゃん』の為に祈る!)

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 余りにも凄まじすぎる聖剣がもたらす『力』。『名無し』には分かっていた。自分は聖剣の全てを引き出しきれていない。聖剣は『名無し』を惑わすように『力』を示しているが、それでも底知れない。この聖剣は『武器』の枠を超えた……『人の持つ意思の力』にも近しい……彼のそれを何倍にも引き上げる『導き』があった。

 ゼロ・モーションシフトは負荷が大幅に減った。『名無し』と繋がった聖剣が呼応して高負荷を受け持ってくれているのだろう。STRもDEXも、ユウキとの戦いの時と同じように無制限に引き上げられているかのようだった。これならば高出力化で脳を疲弊させなくて済む。

 呑まれろ。望め。そうすれば、お前を望むままに『英雄』に仕立ててやる。そんな誘惑を聖剣が囁いているような気がした。

 聖剣に対しての自分の非力さが後ろめたかった。スローネを圧倒出来ているのは聖剣のお陰だと卑下してしまっていた。

 だが、違うのだ。『名無し』は深呼吸を挟む。聖剣に浸された月光に、あの月夜を思い出す。

 

 

 

『オマエは「強い」から。たとえ心折れようとも、新たに芽吹いてより強く立ち上がる。そして、多くの人を支えて、支えられて、生きていけば良い』

 

 

 

 1人で戦い始めた。クラインを見捨てて始まりの街を飛び出した瞬間から『名無し』は罪の意識に囚われていた。どれだけの許しがあろうとも、自分の惨めさを噛み締めていた。

 許しではなく、再生。あの月夜で与えられたのは贖罪の機会ではなく、罪と向き合いながら再生する道を歩く後押し。

 闇を照らす月光が差し込む。ようやく歩き始めた道を……『答え』を探す暗闇の旅を淡く儚く照らし出す。それは形を成して、今まさに手元に聖剣として現れた。

 だが、古来より月光は魔性にして狂気の象徴でもあるならば、『導き』の月光に頼り、依存し、全てを委ねれば、聖剣は容易く破滅を呼び込むだろう。自他でも足りぬ悲劇をもたらすのだろう。

 

(お前……性格悪いだろ? 俺を試してるんだな?)

 

 この聖剣、果てしなく使い辛い! ようやく『名無し』は理解する。明らかに意思を持っている聖剣に、『名無し』は思わず脂汗を噴き出す。この聖剣は単に『名無し』を認めていないだけではない。全力で破滅をもたらすべく誘導を虎視眈々と狙っているのだろう。

 

(悪いけど、俺『だけ』だったら崖際まで誘き寄せるのも簡単だろうが、こっちには頼りになる連中がいるんだ。認めさせてやるさ、聖剣! 言っただろう!? この魂の慟哭に嘘偽りはない!)

 

 もう卑下などしない。そんな情けなさこそが託された聖剣への裏切りだ。この『力』も含めて俺は『俺』だと認めて戦う。

 

 

 

 

 

「決着を付けよう、スローネ。俺は……俺こそがこの月光に選ばれた聖剣の使い手だ!」

 

 

 

 

 

 この嘘を永遠に背負おう。

 聖剣を『託された』のではなく、月光より『見出して我が物にしたのだ』と誇り続けよう。

 だが、俺の嘘を簡単に見抜いてしまう人たちもいる。この仮面を本当は外したくて堪らないように、『英雄』の秘密を明かしたい人たちがいる。彼らは口が堅いかどうかは知らないが、俺はきっと伝えるだろう。聖剣の真実を教えるだろう。そして、どんな風聞が流れても吹き飛ばせるくらいに『英雄』を演じてみせる。

 こんな誇り高い呪い……贅沢過ぎて、重過ぎて、涙が出そうだ。でも、俺は聖剣を握り続ける。それが俺の『強さ』なのだろう。そう認めることにするさ。

 

 

 

 

「ナラバ、証明シテミセヨ! 我ガ剣ヲ超エテ!」

 

 

 

 

 極限まで覇気が束ねられたスローネの叫び。そこにあるのは【聖剣の英雄】を認めぬ否定の意思に他ならない。

 

「だったら勝負だ。言ったはずだ。俺はアンタを超える」

 

 勝利しろ。欺瞞の『英雄』であり続ける為に、【聖剣の英雄】として曇りなく剣を振るう為に、否定する全員を己の剣で下せ!

 張り詰める空気は槍衾のようであり、『名無し』とスローネは互いに構えを取ったまま動かない。いや、動けない。甘い初動は見切られ、必殺を叩き込まれると理解し合っているからだ。

 聖剣に怯まぬ胆力どころか、聖剣の『力』を真っ向から否定する気高さ。スローネは正しく伝説であり、『英雄』なのだろう。自分たちを死の縁に追いやった怒りはあるが、同じくらいに『名無し』は武人として敬意を払う。スローネの強さに自分の剣を試せる機会に感謝する。

 だが、敗北する気はない。負けを認める気もない。必ず生き残る。生き足掻く。武人ならば潔く敗北を認めて死ねと罵られるかもしれないが、それが『名無し』の武の頂への目指し方だ。

 

(……クソ! 何をしてもカウンターを入れられる! 斬り込めるイメージが湧かない!)

 

 焦りが生まれる。スローネは既にリーファ達を襲うような奇策はないだろう。それこそが隙となり、『名無し』の剣は届くのだから。ならばこそ、どちらが先に動くか、それが勝敗を分かつ。

 スローネは強い。桁違いだ。これまで出会った人型ネームドでも次元が違う。ならばこそ、スローネを倒せばランスロットの背中も見える。

 地上から手を伸ばしても月に触れないような、絶望に似た彼我の差などない。ランスロットにも刃は届くとはずだと、スローネを倒せば自分が高みに行けると確信する。

 

 

 だが、自分の『弱さ』が囁く。ランスロットの底は知れない。戦ったのは第1段階で、しかもランスロットは『お遊び』だった。本気の欠片も出していなかっただろう。それなのに、どうしてスローネを下せばランスロットを倒せる可能性が生まれると断言できる?

 

 

 至極その通りだ。自分はランスロットの強さを理解しきれていない。いや、そもそもあの時の自分にはランスロットに挑むだけの剣士としての資格さえも無かった。彼の強さを語る口など持ち合わせていない。

 だからこそ、スローネを超える。そこに聖剣の手助けがあるとしても、リーファが……直葉が言う通り……聖剣を振るっているのは『俺』なのだから。

 

 動く。

 

 先に動く。

 

 勝利の為に必要なのは勇気の1歩。恐怖を踏破し、恐怖を『強さ』に変える為の1歩。

 

 

 

 

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 

 

 

 

 

 

 互いの雄叫びが重なり合う。スローネの狙いは剣戟。いかなる剣技であろうとも真正面から捌き切り、その上で倒しきるという『名無し』を否定する刃。

 対する『名無し』が2つの剣……マユが仕立てた機械仕掛けの剣と月明かりの剣を濡らすのは、彼が練り上げた最高位の刃。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「≪二刀流≫前提OSS……【ソウル・ドライヴ】!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敢えて技名を名乗るのは、スローネへの挑戦。受けて立つとスローネの覇気が高まる。

 突撃からの×印を描く振り下ろしから派生する18連撃。OSSの登録に必要なのは、その系統となるスキルであり、だからこそ≪二刀流≫を有するUNKNOWNだけは左右の剣を用いたOSSを登録する事が可能だった。

 どうしてユウキのOSSは驚異的なのか? それは片手剣でありながら11連撃というあり得ない攻撃回数もさることながら、その『攻撃速度』に着目しなければならない。

 OSSはその気になればどんな動きだろうと登録することができる。理論上で言えば、100連撃だろうと1000連撃だろうと登録は可能なのだ。だが、ソードスキルは余程にモーションに対して阻害される要素がない限りは1度発動すれば止められない。攻撃速度が足りない100連撃などご丁寧に隙を作るようなものであり、またシステムがトータル性能を判別して付与する火力ブーストも上がらない。下手をせずとも通常攻撃よりも弱いものに仕上がるだろう。

 1度その身でユウキのOSSを受けた『名無し』は死を覚悟した。彼女のOSSは、システムが与えた火力ブーストは片手剣の域を超え、また攻撃速度も並のプレイヤーが使う単発系ソードスキルの発動時間にも匹敵した。連撃系でありながら単発系程の時間しかかからず、なおかつそこにモーションをなぞる自らの動きによって火力と速度に追加ブーストがかかるのだ。常人からは剣が分裂どころか同時に襲い掛かっているようにしか見えないだろう。なおかつ、あのOSSの最大の特徴は刺突攻撃にあり、軽量型片手剣の決定的火力不足を最大限に補う目的も担っていた。

 素直に『名無し』は剣士として認める。≪片手剣≫においてあのOSSを超えるものはない。≪片手剣≫に設定されたシステム準備のソードスキルも、EXソードスキルも、プレイヤーが切磋琢磨して生み出すOSSさえも、あの次元に到達できない。超えられるのは、彼女の剣才を同じ土俵で上回れる者だけだろう。

 ならばどうするか? 自然と『名無し』には以前からあった、アイディアの実現に移った。元よりOSSにはあまり興味が無かったが、≪二刀流≫で準備されているソードスキルだけでは、不足に及ぶ事態が必ず来る。否、自分の『力』を高める為には必要不可欠だ。

 黒火山までの旅の道中で、ヴァンハイトに稽古をつけてもらいながら固めたイメージ。登録についてもまだ試作段階であり、調整は必要だろう。だが、ユウキとの戦いで装着しているVR機器の軍用モデル、アドヴァンスド・ナーヴギアのリミッターを外した今ならば、より高みを目指せるはずだと編み出した。

 彼の代名詞ともなったスターバーストストリーム、それは≪二刀流≫の上位スキルであり、その攻撃回数は16回。だが、攻撃時のスタン耐性・防御力上昇などで『耐える』ことに特化されており、モーションをなぞるブースト無しでは攻撃速度において不満がある。

≪二刀流≫の最上位ソードスキル【ジ・イクリプス】。全ソードスキルでも堂々のトップの27連撃。高い火力ブーストを誇り、フルヒットすれば高耐久のボスでもただでは済まないが、攻撃回数に比例して発動時間は長く、また攻撃速度も特筆すべきものはない。見た目の派手さこそあるが、決定的な隙を晒したデカブツに命中させる以上の価値は無いと『名無し』は切り捨てた。いや、むしろ耐えることに長けたデカブツならば、攻撃中にも復帰して逃げられない自分を真上から潰しにかかるだろうとさえも危惧していた。

 対して、スローネ戦で使用したジャッジメント・アークなど、攻撃回数は≪二刀流≫にしてはそれなりであるが、攻撃速度に秀でたソードスキルである。特に2連撃しかないが、突破力と斬り込みに優れた突進系のブレイヴ・クロスなどは硬直時間とクールタイムの短さから差し込める機会は多い。

 故に『名無し』が求めたのは単純な攻撃回数や攻撃速度だけではない、より必殺技として昇華させる『自分の剣を相手に無理矢理押し付ける』OSSだった。

 そうしてたどり着いたものこそが刺突を排除した突撃剣技……ソウル・ドライヴだ。

 頭が焼き切れるのではないかと思うほどにSTR出力を高め、純粋にパワーとスピードだけを要求したソードスキル。初段で捕まえれば、盾を持つ相手ならばガードし続けるしかなく、剣戟で相対すれば応じ続けるしかない。逆に言えば『初段を死ぬ気で躱す』という突撃系への対策はそのまま弱点となる。だが、そもそも弱点が無いソードスキルなどあるはずがなく、ならば弱点を補う方法を編み出せば良い。

 そして、『名無し』にはあった。『人の持つ意思の力』が与えた彼だけの能力……ゼロ・モーションシフト。それはソウル・ドライヴの起動モーションを維持したまま敵へと高加速で接近しその推力を初動の突進に竜翼の加速も含めて上乗せする。

 スローネ、躱せず。ソウル・ドライヴの初撃が絡みつく。加えて聖剣からは月光の奔流が放出され、それは巨大な刃となる。メイデンハーツにも月光の粒子は流れ込み、同等とは言い難いが、同じく月光の奔流が放たれる。

 元来の蒼天のようなライトエフェクトを完全に塗り潰す青にして碧の月光。それはただでさえ強力なソウル・ドライヴの威力を飛躍的に高めていた。

 だが、恐るべきはスローネ。最初から躱す気などなく、両刃剣でガードし、続く連撃を捌き始める。

 ソウル・ドライヴは18連撃でありながら片手剣の標準的4連撃の攻撃速度にまで達する。ユウキのOSSには及ばないが、全OSSでも最高峰の1つであることは間違いない。それを一撃として通さないスローネはネームドという域を……『人間』が戦う相手として立ちはだかるには常軌を逸していた。

 残留する、まるで空間を斬り裂いたような月光の奔流。第3者から見れば、スローネはまさに聖剣が放つ月光の無数の刃に相対しているようにも映ったことだろう。

 

「そん、な……!」

 

 レコンの絶望が零れる。これ程の絶技を防ぎきれる相手を倒せるはずがないと恐怖を覚えるのは仕方がない事だろう。だが、両手を組むリーファの顔には僅かとして諦めも絶望もなく、ただ信頼の眼差しだけがあった。

 本当に自分には勿体ないくらいに出来た『妹』だ。『お兄ちゃん』として頑張らないとな。『名無し』は仮面の内で自然と笑みを零す。リーファの祈りが彼の心に恐怖に屈さぬ、臆さず、挑み続ける勇気を与える。

 必殺のソウル・ドライヴ。聖剣の加護で増幅されてもなお届かぬ刃。『名無し』はスローネの凄まじさを改めて理解する。自分がどうしてこのような相手に、それを上回るランスロットに生き残れたのかと思わず苦笑したくなるほどだった。

 18連撃の全てを両刃剣で受けきったスローネは、まさしく伝説と呼ぶに相応しい。スローネは『名無し』の剣技に応えるべく両刃剣を振り上げる。それは聖剣に選ばれたと傲慢無知に咆えるに足る程度には『名無し』にも実力もあるという賛美だった。

 

 

 

 

 

 

 

「【ソウル・ドライヴ=オーバーブレード】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪いな。【聖剣の英雄】としてアンタに認めてもらうつもりはない。称号は勝ち取らせてもらう。

 ソウル・ドライヴは強力だ。だが、それでも足りぬ敵は必ず現れる。だからこそ、『名無し』は満足しなかった。故にここからはスキル・コネクト。OSSにOSSを繋げる絶技であり、ソウル・ドライヴはそもそも『全て受け止められる』という前提として作り上げられている。受けきった相手に最適とされる派生OSSに繋げることこそがこのOSSのコンセプトなのだ。

 突進タイプ【オーバーブレード】。18連撃で最高まで上昇した剣速と突進力をそのまま更なる突進の斬り払いに繋げるものだ。左右同時の斬り払いであり、2つの刃であるはずなのに1つの刃にしか見えないような一閃は、ソウル・ドライヴを受けきりこそしたが、そこで限界に達していたスローネにはもはや完全に対応できる余力は無かった。

 

 

 

 

 

 月光のはずなのに、それは水平線から昇る暁を思うほどに眩しく、スローネは胴に刻まれた横一閃より灰で汚れた血と青碧の光を散らしながら壁に叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 

「……ぐっ! ハァハァ……ハァ……ハァ……と、どけぇええええええ!」

 

 スタミナを使い切って『名無し』は片膝をつき、だが完全に倒れるものかと聖剣を突き立てて堪える。聖剣の加護によってスタミナ回復速度も上昇していたのだろうが、錬生剄の影響によってスタミナ回復は停止している。聖剣は『自分で背負ったリスクまで打ち消すつもりはない』と示すように解除しなかった。

 故に最後は賭けに等しい。【オーバーブレード】に繋げられるスタミナが残っているか否かだった。また、スキル・コネクトはいかに『名無し』でも100パーセントの成功率ではない。前提で仕上げているとしても依然としてタイミングはシビアであり、僅かな集中力の欠如や失敗を恐れる不安があれば致命的な硬直時間によって敵前で我が身を晒すだろう。

 いかにソウル・ドライヴで高まった加速とパワーを乗せ、極限まで放出が高まった月光の奔流を乗せたオーバーブレードでも、攻撃回数で言えば2回。月光の奔流による追加ダメージがあるにしても、これまで1度もモンスター相手に試し斬りをしていない以上、威力計算も机上の空論に過ぎず、人型では最高クラスの耐久力を誇るスローネの残りHPを削り切れるかは定かではなかった。

 また、スローネは最後の一閃に両刃剣を挟み込んでいた。受け流すことは出来ていなかったが、それはガード判定となり、ダメージを軽減しているだろう。

 スローネのHPが削れ続ける。黄色から赤に変じ、残り1割未満を示す。その中でスローネは起き上がり、両刃剣を構える。

 戦いはまだ終わっていない。負けていない! 最後の最後まで戦い抜く! 穢れの火を守る! スローネは動けぬ『名無し』に全力で駆ける。

 HP減少が止まる。それはまさに1ドット。オーバーブレードはスローネのにHPを削り切れなかったという証明だった。

 届かなかった。目を見開く『名無し』の目前に達したスローネが自分こそ勝者だと叫ぶように両刃剣を振るう。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その刃が『名無し』の首を落とす直前で灰となって霧散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルヴヘイム特有のデバフ……流血。ほとんど胴を両断されているに等しかったスローネは流血のスリップダメージによって最後のHPを失っていた。

 退場しろ。そうシステムが告げるように【竜砕き】の武具は次々と灰になっていく。戦場に突き刺さった特大剣、地に放られた大弓、そして柄だけになっていた両刃剣もまた例外なく灰となって崩れていく。

 

「アンタ……本当に……凄いな」

 

 流血のスリップダメージが無ければ負けていた。そんな卑屈が鎌首を持ち上げる。だが、スローネの敗北をもたらしたのがアルヴヘイムのバトルシステムならば、同条件で戦っていた『名無し』の勝利なのだ。たとえ、聖剣の加護があったとしても、2人の武人の間に勝敗に対する泥を塗るような恥があってはならなかった。

 デーモン化を解除する。スタミナ切れで今にも倒れそうな体を聖剣で支え、顔を上げ続ける。

 宣誓しなければならない。たとえ、この息が途切れようとも、スローネに伝えねばならない。それが【聖剣の英雄】の役目なのだから!

 

「俺は……生き残る。生きて、生き足掻いて、自分が成したい事を……守りたい人を守り続けて……武の頂に立つ。だから……だから……俺は……アンタの理想とか! 信念とか! 使命とか! そんなの全部受け止めきれないけど! それでも、アンタに勝てたことだけは誇りに思う! 誇り続ける! だから……だから!」

 

 スローネは強かった。気高かった。剣技も信念も何1つとして馬鹿に出来るようなものはなかった。

 どれだけ名目を並べても武人が武人を下したならば……殺したならば……それを誇らねばならない。心が殺しを美化する気かと叫んでも、それが武の道を歩むと決めた者の……殺してでも勝利を得る為に剣を振るった者が宿し続けねばならない、『英雄』とは異なる呪いなのだから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お見事」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは灰を舞わせる拍手。これまでとは違うスローネの戦っていた間はまるで聞くことができなかった、しなやかで穏やかで気品に満ちた賛美。穢れの火の影響が抜けたのか、濁りも抜けてスローネ本来の声質が取り戻されていた。

 

「安心しました。貴公は穢れの火を用いて火の時代を終わらせる事を画策するような、深淵に与する下賤な盗賊などではない。誇り高き剣士だったのですね」

 

 獅子を模した兜が灰となって砕ける。

 解放されたのはウェーブを描く豊かな赤毛。それはDBOで入手できる四騎士の英雄譚、その挿絵に描かれる【竜狩り】に限りなく似た気高き赤。

 灰で汚れ、所々焼け爛れているが、その容貌は高貴なる血筋を継いでいると一目で分かる美を備えている。

 数多の古竜を岩の鱗ごと磨り潰した【竜砕き】のスローネ。オーンスタインの忠臣。『彼女』は優雅に微笑みを描いて、その身をゆっくりと灰に変じさせていた。

 

「お、俺は……」

 

「人間の英雄……いいえ、【聖剣の英雄】よ。全てを語らう時間はありません。人間性の闇。それはいずれ火継の終わりを望むはず。ですが、火を継ぐのもまた闇を持つ者。貴公にはきっと大きな選択が委ねられるはず。それが聖剣を持つ者の使命なのでしょうね」

 

 灰となって霧散していく中で、スローネは未だ立てぬ『名無し』の前に跪く。そして、彼女は静かに頭を垂らした。

 

「敗者として恥知らずなのは承知でお願い申し上げます。どうか、穢れの火をこのまま潰えさせてください。我が使命を全うさせてください。どうかお願いします」

 

「……勝者として約束する。穢れの火を悪用したりしない。アンタの願い通り、このまま消えるのを待つさ」

 

「ありがとう……ございます。これで、我が使命は……全うされる。誉れ高き【聖剣の英雄】に……どうか、火の……いいえ、聖剣の導きがあらんことを」

 

 涙を流すスローネは動けぬ『名無し』に祈りを捧げ、ゆっくりと立ち上がると天を仰ぎ見る。

 

「……皆の者、申し訳ありません。穢れの火を守り切ることはできませんでした。ですが、【聖剣の英雄】がその任を引き継ぐはず。我らの使命は今この時……終わったのです。たとえ、ソウルは帰らずとも、我らの遺志だけは……どうか、アノールロンドに……」

 

 スローネが崩れていく。灰となって散っていく。その最期を『名無し』は瞬きすることなく見つめ続ける。

 一瞬として見逃してはならない。誇り高き英雄の最期だ。どれだけ誉れに映っても、自分はこうなってはいけない。醜くとも生き足掻かねばならない。そして、いつまでも聖剣を携えて『英雄』を気取らねばならない。他でもない、自分がそう願ったのだから。そうありたいと求めたのだから。

 

 

 

 

 

 

「オーンスタイン様……スローネを、お許しください。貴方様のご期待を……裏切り、ました。ご、めんな……さい。オーンスタイン……兄……さ、ま――」

 

 

 

 

 

 

 

 完全に灰となったスローネの亡骸の中で、灰色に輪郭を縁取られていながらも、その誇り高さを示すように黄金色に輝いたソウルが残される。

 煩わしいファンファーレとリザルト画面を震える指で動かして確認する。撃破されたネームドの名前が並べられている。エンデュミオンとスローネ、そして古獅子だ。レコンの参戦で勘付いてはいたが、やはりシノン達で古獅子は撃破されたのだろうと安心して本格的に息を吐く。

 そして、『名無し』は生唾を飲んで、全てを見届けてやると覚悟を決めてスローネのソウルの説明欄を開いた。

 

 

<竜砕きのソウル:【竜砕き】のスローネのソウル。オーンスタインの異母兄妹であり、下級貴族の子として育てられたスローネは、兄に真実を告げぬまま忠誠を誓う従者となり、共に古竜との戦いに参じた。四騎士に足るとさえ謳われた彼女は誰にも秘密を明かすことなく、穢れの火の封印に旅立った>

 

 

 兄妹……か。『名無し』は瞼を閉ざし、開き、改めてリーファを見つめる。

 リーファの声援が無ければ、彼女の『妹』としての祈りがなければ、スローネに勝ったとしても聖剣に踊らされて破滅の道化にしかならなかっただろう。聖剣の手綱を握ることができたのは、『自分』を見失わないで済んだのは、リーファがいたからだ。

 もしかして、あの時にスローネが邪魔しなかった本当の理由は……いや、それは邪推であり、真実は探究すべきではないと『名無し』はソウルをアイテムストレージに収納する。

 祭壇で燃え盛っていた穢れの火。それは今や消えている。スタミナ切れの体ではまともに動けない。しばらくはスタミナも回復しない。だが、今は1歩でも前に……あの祭壇にたどり着かねばならないと聖剣を杖にして先に進む。

 岩を削った階段を上り、巨大な燭台の祭壇の前にたどり着いて両膝を折る。ぜーぜーと息を切らし、スタミナ切れの影響で精細さを失った震える指で、今は穢れの火は消えた、灰の山を掻き分ける。

 見つけたのは燃え殻。一息でも吹きかければ消えてしまいそうな穢れの火の……燃え殻だった。

 

 

 

 

<冷たい燃え殻:穢れの火、その最後の冷たき揺らぎを秘めた燃え殻。かつては首飾りだったものだろう。イザリスの罪の1つ、穢れの火はあらゆる生命から熱を簒奪する、生まれながらに凍えた炎である。スローネは穢れの火にアルヴヘイムのソウルを捧げて鎮火する秘儀を執り行い、オーンスタインより旅立ちの日に贈られた首飾りを核とし、自らを封印の楔とした。この首飾りはグウィン王族に仕える近衛の上級貴族、その淑女にのみ許された光の法具であるが、今はその力もなく、ただ最後の穢れの火の揺らぎを残すばかりである>

 

 

 

 

 

 誰にも秘密を明かさず、主への忠誠と兄への親愛の狭間で穢れの火を封印し続けたスローネ。彼女は……いや、彼女たちは負けられなかった。負けるわけにはいかなかった。何としても穢れの火を守らねばならなかった。

 だが、この戦いにおいて負けられなかったのは誰もが同じだ。『名無し』も、リーファも、レコンも、シノンも、ヴァンハイトも負けられなかった。負けるわけにはいかなかった。

 

「俺は……生き続けないと、いけないんだよな? 生き足掻いて、醜くても、罵られても、生きて……『英雄』であり続けないと、いけないんだよな?」

 

 だが、それも悪くないように思えたよ。『名無し』は聖剣に笑いかける。リーファは少なくとも俺が欺瞞の『英雄』だと知っている。レコンはガッツリと聞いてもらった以上は共犯者として墓まで持っていてもらわねばならないだろう。

 秘密は誰かと共有することで本当の意味で守られる。そんな秘密だってある。いいや、秘密だからこそ、大切な人たちには伝えておきたい。そうしないと、きっと見失ってしまうから。背負いきれないから。守り切れないから。俺は……誰かに支えてもらって、立ち上がらせてもらって、背中を押してもらって、ようやく前を向けるのだから。

 

 

 

 

 

<央都アルンを守る結界の1つが失せた> 

 

 

 

 

 そのメッセージはつかみ取った勝利。倒すべき敵、オベイロンへと近づく1歩。

 憎しみを滾らせろ。怒りを燃え上がらせろ。だが、忘れるな。俺がすべきことは皆を守ってアルヴヘイムから無事に帰る事。そして、アスナを取り戻す事だ。

 スローネとの戦いの舞台となった祭壇の間。その中央に淡い黄色の光の柱が立ち上がる。後継者は勝者には相応の報いをもたらす。この黒火山の脱出のワープ……だと信じたい気持ちが『名無し』にはあった。後継者ならば、最悪のパターン……ワープ先がモンスターハウスも十分にあり得るような気がしたからだ。

 残りのバランドマ侯爵のトカゲ試薬の数は幾つだっけ? リーファの両足に少なくとも2本使わねばならず、本格的に在庫が不味い事になり始めたと『名無し』は焦る。せめてスローネの『証』によって貪欲者の金箱に追加されるアイテムリストに有用なものがあることを願うばかりだった。

 

「レコン……シノンとヴァンハイトさんは? これは、外に通じるワープ……だと、思いたい。2人を……連れてこないと」

 

 古獅子は並のボスを遥かに凌駕する強さだった。2人とも無事では済まないだろう。リーファと同じように動けない状態なのかもしれない。確認の意味を込めて『名無し』が尋ねれば、レコンは涙を堪えるように俯いた。

 

「……シノンさんは左足が折れて、両腕を食い千切られて戦闘不能です」

 

「そんな……酷い!」

 

 自分の両足も無いリーファが我が身よりもシノンの身を心配する。その優しさは兄として誇らしいが、レコンがこうして駆けつけたならば、少なくとも最低限の治療は済んでいるのだろう。ならば、レコンが言い淀む本命は別にあるはずだと『名無し』は身構える。いや、半ば悟りながらも、どうか間違いであって欲しいと望む。

 

「ヴァンハイトさんは……古獅子にか、勝つ……勝つ為に! 戦って、自分を……犠牲にして……ううん、僕たちを『生かす』ことが『自分の勝ち』だって……言って……そう、言って……っ!」

 

「レコン……もう良い。それ以上は……言わなくて、良い」

 

 完全無欠の勝利。そんなのあり得ない。そう冷たい現実が囁くようにヴァンハイトの死を受け止めた『名無し』は仮面をつけていて良かったと安心する。涙を堪える為にどれだけ歯を食いしばっても……誰にも気づかれることはないのだから。

 振る舞わねばならない。『英雄』としてヴァンハイトの死より得られた『勝利』を引き継ぎ、気高く凱旋せねばならない。悲しむのはその後だ。涙を今は堪えて突き進まねばならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「泣いて良いんだよ、お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 だが、両足を失ったリーファが這って迫り、嗚咽を堪える『名無し』を抱擁する。その温かな人肌に、『名無し』の涙と叫びは決壊しそうになる。

 

「あのね、アスナさんが言ってたんだ。泣くのは悪い事じゃない。泣くべき時に泣かないと、後で悪い涙になっちゃうんだって。だから……今の内に泣いちゃおう? ちゃんと泣ける内に……泣いちゃおうよ。お兄ちゃんの涙も苦しみも悔しさも、今ここで……あたしが全部抱きしめるから」

 

「……スグ、俺……俺……俺は……!」

 

「うん、分かってる。やっと全部守れるって思ったんだよね? お兄ちゃんって欲張りだもん。守りたい人たちを全員守り切ったはずだって、今度こそ成し遂げたんだって、胸を張りたかったんだよね? 分かってる。分かってるよ。全部分かってるから」

 

 温かい。

 このまま眠りたい程に、温かくて、心に必死に封じ込めようとしていた『痛み』が溢れ出しそうだった。瘡蓋はリーファの……直葉の抱擁によって溶かされて、優しい言葉に情けないくらいに自分をさらけ出して甘えたくて、『名無し』は血が出るほどに噛んでいた唇を解く。

 

 

 

「俺は誰にも死んでほしくなかったんだ! 今度こそ、皆を守りきりたかったんだ!」

 

 

 

 涙と共に叫びが零れ、『名無し』はリーファの胸に縋りつく。そんな彼を温かく抱きしめるリーファは、全てを許すように頷いた。

 

「お兄ちゃんは頑張ったよ。こんなにみんなの為に戦って、傷ついて、心折れても何度も何度も立ち上がって、最後まで戦い抜ける人、あたしは他に知らない。お兄ちゃんだけだよ。お兄ちゃんだから、あたしが、レコンが、シノンさんが……生き残れたんだよ」

 

「でも、それでも……! 俺は誓ったんだ! 聖剣に――」

 

「聖剣なんて今は関係ない。今ここにいるのは【聖剣の英雄】じゃない。あたしの『お兄ちゃん』だもん。だから、好きなだけ泣いて良いよ。叫んで良いよ。あたしは……ずっとずっと、何があってもお兄ちゃんの味方だから」

 

 泣き続けた。

 

 泣き叫び続けた。

 

 心から決壊した『痛み』のままにリーファの胸の中で涙を流した。

 

「……ありがとう、スグ」

 

 そして、涙がようやく止まる頃には、たとえ『痛み』は洗い流されて傷痕だけが残る。涙は決して悪ではない。『名無し』はリーファにそう教えてくれたアスナに、そして自分を受け止めてくれた妹に感謝を捧げる。

 

「どういたしまして。お礼はお説教無しで良いからね」

 

「ちゃっかりしてるな。分かったよ。ただし! 全部キッチリと教えてもらうからな?」

 

「はーい」

 

 まるで我が家に戻ってきたようないつもの調子で受け答えするリーファに、『名無し』はもう1つ伝えなければならない事があると言い辛そうに頭を掻く。

 

「それと、俺の事だけど――」

 

「分かってる。その仮面を外すまでは『UNKNOWN』なんでしょ? あたしは知ってる。秘密には理由がある。それを無理に暴くのは駄目なことだって。だって、秘密は守りたいから秘密なんだもん。お兄ちゃんが秘密を明かしたくないなら、あたしは暴かない。その仮面……ちゃんと外せる日が来ると良いね」

 

「……あー、どちらかと言えば、外すというよりも砕かれるというか何とかいうか……かなり暴力的な予定なんだ」

 

「OK、理解したよ。絶対にか……じゃなくて、クゥリさんでしょ?」

 

「さすがだ、我が妹よ。これは男と男の約束なんだ。だけどな、本音を言おう。今から想像しただけでガクガクブルブルが止まらないんだ!」

 

「だ、だだだだ、大丈夫だよ、お兄ちゃん! ああ見えてかが……じゃなくて、クゥリさんはお兄ちゃんに甘いから! きっと顔が潰れるくらいで済むよ!?」

 

「ホントか!? お兄ちゃん、生きてられるか!?」

 

「…………」

 

「スウィート・マイ・シスター、何か言ってくれ。マジで何か言ってくれ」

 

「……が、頑張れば、生き、られる、んじゃない……かなー?」

 

 目線を逸らすリーファに、クゥリが拳を鳴らす姿を幻視して、この恐怖だけは並大抵の精神力では踏破できそうにないと、スローネを遥かに超える恐怖だと『名無し』は両手を地面について項垂れる。

 

「兄妹仲がよろしいことで、本当に羨しいなー。兄妹愛って美しいなー。あははのは~」

 

 そんな様を見守っていたレコンの魂が抜けた笑い声に、『名無し』はようやくスタミナが回復し始めて、立ち上がってもう大切な仲間に……いや、尊敬すべき『ヒーロー』に歩み寄る。

 

「キミがいなかったら俺もスグも死んでいた。心からお礼を言わせてもらう。ありがとう」

 

「ありがとう、レコン。でも、またあんな無茶したら、今度こそぶっ飛ばすからね!」

 

 動けないリーファが『名無し』の後ろで拳を握り、仮面の剣士は真摯に頭を下げる。レコンは動揺して、何か格好つけようと表情を作って、だが耐え切れない涙で顔はグシャグシャになっていく。

 

「ぼ、く……僕は……役に、立ち、ましたか!? 僕は……僕はここにいて、意味が、ありましたか!?」

 

「もちろんだ。キミの『力』が……『強さ』が……その『盾』が……俺達を守ったんだ。誇ってくれ。誇りにしていくれ。それがきっとヴァンハイトさんへの弔いになるはずだ」

 

「う、うわぁあああああああああ! ありぎゃとうごじゃいますぅうううううう!」

 

 兜を外して大泣きするレコンに動揺し、リーファを振り返れば微笑んで頷いている。今度は俺の番かとレコンの頭を引き寄せて胸を貸す。

 

「うわぁあああああん! 硬いよぉおおおおおおお! 男の筋肉の感触しかしないよぉおおおお! 腕も思ってたよりゴツゴツしてるよぉおおおお! 男の汗臭さしかしないよぉおおおおお! カム、リーファちゃん! あの時みたいに抱きしめて、オーライ!」

 

「良し! 思っていたより元気みたいだな! それと『あの時』について詳しく教えてもらおうかな!? ほら、『お兄ちゃん』って知りたがりなんだよ!」

 

 調子に乗って失言してしまったと顔を青くするレコンに、『にっこり』と仮面越しでも分かる程の笑みを描いた『名無し』は、1人残されたシノンの元に急がねばならないと暗闇の通路を見据える。

 だが、その1歩の瞬間に月光の聖剣より青にして碧の光がゆっくりと散っていく姿を目にする。

 月光が消えていく。そして、残されたのは暗闇の……宇宙の闇を浸したような漆黒の大刃だ。だが、微かにだけだが、あの青にして碧の光が輪郭だけを濡らしている。

 

 

 

 

<月蝕の聖剣:導きの月明かり、聖剣が月光を閉ざした姿。資格者の前にのみ顕現する聖剣は、資格無き者の手の内では月明かりを宿さず、ただ唯一無二の写し身の如く振る舞うだろう。資格無き者たちよ、月明かりを満たせ。真なる聖剣を得られる英雄はただ1人で良いのだ>

 

 

 

 

 

 聖剣は月光の名残を輪郭にのみ宿して真なる輝きを隠した。『名無し』は、聖剣が欠片として自分を所有者として認めていないのだと悟る。

 ここにあるのは僅かばかりの『力』を残した抜け殻のようなものだ。一応は聖剣本体に違いないが、あの時程の『力』は貸し与えないのだろう。

 そして、資格無き者『たち』という表現。即ち、聖剣を振るうべき『英雄』は別に『名無し』でなくても構わないと言っているのだ。『名無し』が敗れて聖剣を簒奪されようとも、彼が潔く身を引いて別の『英雄』の『候補者』に譲渡しようと一向に構わないという通達だ。

 

 

 

 

 

 お前が【聖剣の英雄】を名乗るのは勝手だけど、候補者は腐るほどいるんだ。せいぜい気張れよ、『英雄』さん。

 

 

 

 

 

 

 そんな風に聖剣が吐き捨て、いびきを掻いて寝ているような気がした。

 この聖剣を折って素材にすればマユがもっと使いやすく加工してくれるのではないだろうかと『名無し』は思わず夢想してしまう。聖剣を見せれば、マユは美少女フェイスを涎で冒涜してでも月明かり隠した聖剣を隅から隅まで舐め回すだろう。

 その時が来たら楽しみにしておけ。『名無し』は『英雄』に相応しくない悪党っぽさが滲む声音で喉を鳴らして笑えば、聖剣が微かに動揺したかのように、あの独特の高音を響かせた。

 これから【聖剣の英雄】と名乗る事。それは聖剣の名声を欲する者、聖剣の簒奪を目論む者、そして同じく【聖剣の英雄】の候補者と争い合う事を意味する。今は聖剣を有する『名無し』が『暫定』で【聖剣の英雄】であるだけなのだ。

 

(……【聖剣の英雄(仮)】かぁ。恰好悪い)

 

 月光の聖剣改め、月明かりを封じた【月蝕の聖剣】を振るえば、僅かに月明かりを残した漆黒の大刃は失せ、変わることなく銀色の輝きを浸す核となる刀身が露になる。こちらも十分に凄まじい性能を誇りそうだが、あくまで本分は月蝕の刃を展開した状態だ。

 月蝕の聖剣には微かに月明かりが帯びていた。ならば、いつかこの聖剣に完全なる月明かりを取り戻させる。その時こそ、本当の意味で所有者になれたという事なのだろう。『名無し』は面白いと聖剣の思惑と試練に受けて立つ。

 少なくとも聖剣は手元に残り続けた。資格者の元に戻ろうとはしなかった。それこそが『託された』証なのだろう。そして、聖剣は少なくとも自分を試すには足ると認めてくれている。

 旅路は暗闇の中にあり、『答え』は見えない。【聖剣の英雄】として歩み続けてもたどり着けないのかもしれない。だが、今は暗闇の中で月明かりが優しく照らしてくれている。

 

「帰るまでがダンジョン攻略……なんてな」

 

 だが、今は不確定の未来に想いを馳せるよりも、生き抜いた者たちで無事に脱出する方が先決だ。自分を待っているはずのシノンの元に向かうべく、今度こそ『名無し』は歩み出した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 残り火の使用……スタミナを残したまま致命的な精神負荷を受容する事が可能になったのは、即ちオレのVR適性が順調に摩耗し、より運動アルゴリズムと不調・変調・齟齬・乖離しやすい状態にあるという事である。その発露の1つが後遺症である。故に受容中は運動アルゴリズムがもたらす後遺症に限定して沈静化される。

 最初に使ったのはクリスマスの戦いだった。相手はケイタ……いや、彼を喰らい尽くしたレギオン。オレが初めて出会ったレギオン。あの時、オレは致命的な精神負荷の受容で激痛を覚えた。人格が……記憶が……精神が灼けていく感覚の中で気狂いしながら戦った。殺し合った。

 そして、Nとの戦い、シャルル、アルトリウス、ランスロット、トリスタン、欠月の剣盟と使い続ける度に、オレは膨れ上がる苦痛、より確かに意識できる灼ける感覚の中にありながら、以前のように我を見失うような事は無くなっていった。

 どうして? 理由は分からないし、探ろうとしてもオレでは知識不足で正答は得られないのだろう。だが、スタミナ切れの状態ではなく、残り火を使って完全なる自意識だけで灼ければ灼ける程に、獣血の昂りは大きくなる。

 灼ける。想いも記憶も灼けていく。ただ殺戮の本能だけが大きくなる。使えば使うほどに飢えと渇きは大きくなる。飢餓感の増幅が本能を刺激し、血の悦びを得るべく狩りの業は研ぎ澄まされ、ヤツメ様が張る導きの糸はより濃密になる。

 致命的な精神負荷の受容した状態とは、アバターの制御から環境情報に至るまで完全に素通しして脳で受容して処理するという事である。PoH曰く、パワーアップできるような作用は無い。あくまで『本来の肉体のように脳がアバターを扱えるようになる』だけだ。

 だから、これは予期しない副作用。獣血を昂らせる。ただでさえ精神が純化されて思考が崩壊しやすい致命的な精神負荷の受容状態だからこそ、より一層に本能は昂る。成長しようとする。苦境を打破しようと爪牙を研ぐ。

 使い続ければオレは『オレ』を灼いて灰へと変える。使えば使う程にオレを『獣』にしようとする血の誘惑は大きくなる。

 待っているのは栄光の『勝利』などではなく、飢餓に屈して貪り喰らうケダモノになるか全て灼けて灰塵となるかの『破滅』だけだ。

 だからこそ、愛おしいのかもしれない。この一瞬を本当は待ち焦がれているのかもしれない。アバターではまるで足りない。現実世界に残した、先祖より継いだ、両親が血肉を分けて作ってくれた我が身のように、全身全霊をかけて狩りに挑める時を欲しているのかもしれない。

 アポロンの刃を潜り抜ける。次々と飛来するソウルの連弾を躱す。いや、もはやアポロンもアルテミスもオレを追えていないと把握できる。獣にとって、相手を狩るのに意識の死角に潜り込むのは常套手段。呼吸よりも意識せずにできなくてはならない。それを狩人として狩りの業にして束ねる。決して獣血に全てを委ねてはならない。

 アルテミス、結晶の秘術の再展開中。まだ時間はかかる。だが、1分と残っていないだろう。

 アポロンの連続ワープからの結晶火のメテオ、大剣か放たれる炎の波、突きと共に穿たれる長大化した結晶火を避け、水銀の刃でカウンターを入れる。ヤツメ様の導きより逸脱無し。全ては『読み』の枠にある。

 ただの不確定情報。裏付けのない直感。信じるも信じないも個々の自由。

 科学者は勘などと嗤うのかもしれないし、あれこれ理由づけをしたがるかもしれないが、オレからすれば素粒子物理学とかいう訳の分からん哲学染みたモノよりもずっと理解しやすくて単純だ。

 ただひたすらに殺す。その為に研ぎ澄まされて、何代も何代も気が遠くなるほどに血を重ねて鍛え上げられた感覚。元来の生物が備わっているべき狩猟本能・生存本能を昇華させた本能。それ以上の理屈が必要だろうか? あれこれ深く考えてほじくり返そうとするから本質を見失う。昔のジャパニーズをみろ。鉄砲の理屈は分からんが、とりあえず模造しよう。量産しよう。品質向上しよう。それだけで突っ走ったHENTAI鍛冶屋の大名行列だぞ。

 たとえば贄姫。これにどれだけの想いがあろうとも、どんな意思をグリムロックが注いでいようとも、この刃ですべきことは敵を殺す事。必要なのは獲物を狩る能力と性能だ。それが武器の存在意義だ。

 ふわりと跳び、ワープしたアポロンの頭上を越えて背後を取り、死神の剣槍で後頭部を断つ。兜が砕けて露になったゼリー状の結晶肉の頭部は打撃ブレードで抉り斬られ、その血がリゲインの効果を生み、HPと魔力を回復させる。

 結晶の秘術の再展開まで推定45秒。あるいは1秒後? 要はコンマ1秒でも迅速にアポロンを狩れ。それ以上は不要。切り捨てろ。

 パワーとスピードが要る。残り火を猛らせ、より激しく灼けさせて、まだ入り切っていない本能のギアを解放する。

 8割の世界。グリムロック曰く、ステータス出力は直線ではなく曲線。3割台の1パーセントと8割台の1パーセント、発揮されるエネルギーには確固たる差がある。故に出力を高めれば高める程に1パーセントの引き上げが困難となり、その恩恵も大きくなる。

 

『良いかい? クゥリ君はステータス出力を高める事で運動能力を増加させている。だけど、それはキミの低いVR適性を傷つける行為だ。今のキミの限界が「7割」でそれを維持可能。その時点で「人間の限界点」を超過していると自覚しないといけない。仮にそれ以上が可能だとしても……分かってるね?』

 

 オレの『性能』をDBOで知るのは、装備を作成すべくデータを欲するグリムロックのみ。致命的な精神負荷を受容した状態ならば、8割まで可能な事も教えていない。

 いや、あるいは知っていて黙っているかもしれない。武器に残されたログは嘘を吐かない。ならば、致命的な精神負荷の受容は見抜く余地がないにしても、ステータス出力に関してはオレが隠している事を把握していて、その上で騙されたフリをして、忠告をしてくれていたのかもしれない。

 

「削れ、贄姫」

 

 それがどうした? 彼の意思を尊重するならば、オレも口を閉ざし続けよう。黙り続けよう。嘘は下手だから、いつまでも適当に相槌を打とう。水銀長刀状態の贄姫の鋸状の刃で、アポロンを削る。斬撃の合間を縫い、炎の隙間を通し、その結晶の血肉を削って、抉って、削って、抉って、削って削って削って……削り尽くす!

 完全に後れを取ったアポロンのダウンにトドメを刺すべく死神の剣槍を顔面に突き刺す。そのまま捩じって最奥まで押し込む。

 

「【瀉血】」

 

 頭部を破裂させるように赤黒い光の槍が内側から突き出し、アポロンのHPが潰えた。8割から撃破まで18秒。時間がかかり過ぎだ。これではランスロットに届かない。やはり贄姫の破損によって攻撃力がダウンしているな。出力増加で補うには限界があるか。

 

「お兄様!? お兄様ぁあああああああ!?」

 

 アルテミスが泣き叫んで涙を散らす。結晶の秘術の再展開を放棄して、杖を振るってオレに結晶火の火蛇を放つ。

 確かにアルテミスの魔法は脅威だ。多彩で数も多い。だが、結晶の秘術さえなければ戦力として半減以下だ。ステップで結晶火の火蛇を躱し、アルテミスに肉薄する。死神の剣槍を振り下ろせば、偽りの銀月は杖でガードするも、その上から磨り潰すべく8割のまま更にSTR出力を引き上げる。

 まだだ。まだ足りない。9割に届け。こじ開けろ。本能を……『獣』の顎を大きく開け。

 脳髄が破裂し、また脳細胞の1つ1つが縮小して乖離していくかのような頭痛。同時に多量の情報量の負荷が脳に死を錯覚させ、ファンタズマエフェクトをもたらして心臓の鼓動を阻害し、深淵の病がそのまま死へと縛り付けようとする。

 一瞬だけ腕の力が抜ける。いや、全身に虚脱感が押し寄せてバランスを崩す。

 限界。そんな単語が頭に過ぎる。致命的な精神負荷の受容……残り火という奥の手を使っても、この身を立て直すには不十分だというのか。

 情けない。袖で血を拭ってバランスを再掌握し、僅かな隙をつかんでワープしたアルテミスへと追撃をかける。もはや本能に頼らずとも何処にワープしたかは明白。背後も見ずに、水銀長刀を形成する水銀を放つ。

 視線だけで先に振り返れば、鋸状の刃を備えた水銀の刃はアルテミスの両足、その膝を後ろから喰らい付き、抉り、千切り飛ばしていた。やはり物理属性に対して脆いな。あるいは膝裏という脆弱な部位にクリーンヒットしたお陰か。

 彼女がワープしたのはアポロンの傍。もはや動かぬ『兄』の抜け殻の傍だった。

 

「ぐぎぃいいい!?」

 

 両足を失ったアルテミスから血が零れる。結晶で覆って止血するが、もはや機動力は無い。あのワープもアルテミス本人では連発できない。両膝を失っては満足に杖も振るえないだろう。

 

「バケ、モノ……バケモノ……が! お兄様、お兄様……助けて……助けて……バケモノが来る。怖い……怖いよ、お兄様ぁああ」

 

 もはや気丈にして狂った好奇心に満ちたアルテミスは存在せず、まるで1人の女の子のように泣いていて、兄の骸に縋りついて、助けを求めている。

 DBOの歴史に……アルヴヘイムに多くの狂気と悲劇をもたらした銀月の君。そんなものは、あの偽りの銀月と同じで何処にも存在しない幻のようだった。

 贄姫を鞘に戻し、死神の剣槍を肩で担ぐように構えて歩く。油断はしない。アルテミスはどんな反撃を試みるか分からない。彼女は白竜を師と仰いだ狡猾なる魔法使いなのだから。

 だが、本当は分かっている。

 あそこにいるのは、『永遠』の探究者などではない。銀月の君などではない。白竜の弟子でもない。

 寂しくて、悲しくて、苦しくて、怖くて……泣き叫んでいる女の子だ。

 灼ける。灼ける中で、ヤツメ様が泣きながら歓喜している。

 殺せ殺せ殺せ。『獣』として貪り喰らえ。最後の1滴まで血を啜れ。オレの胸に縋りついて、今にも握り潰しそうな黄金の稲穂を隠して懇願している。

 

「『永遠』など何処にもありません。あったとしても、オレが終わらせます」

 

 アルテミスの背中を踏みつけ、その心臓を狙って逆手で構えた死神の剣槍を振り上げる。彼女の『永遠』を求めた旅を終わらせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、気高く燃え盛る結晶火を宿した刃が死神の剣槍を薙ぎ払い、オレの手元から大きく吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胸から血が滲む。刹那の世界でヤツメ様がオレを突き飛ばすのが遅ければ、この身は胸より両断されていただろう。決して浅くない傷口から溢れた血が痛覚を誘い、その痛みが余計に精神を灼き焦がす。

 そのはずなのに、この胸の……心の……本能の……昂りはなんだろうか。

 ああ、それでこそだ。

 それでこそ、『人』の尊い意思であり、『強さ』の証明なのだ。

 オレの視界に映るのは、まるでアルテミスを守る騎士のように結晶火の大剣を振るったアポロンの姿だ。彼の頭部は死神の剣槍で陥没しているが、その目玉を成すような取り込まれた頭蓋骨、結晶火で燃え上がる目はオレを静かに睨んでいる。

 まるでアルテミスを守るように左腕で引き寄せて自身の背後に隠すのは、正しく『命』の猛々しい炎を宿した『兄』の意思。

 

「お、にい……さま?」

 

「隠れていろ」

 

 静かに、端的に、だが温かな感情が点った声音でアポロンが告げる。

 結晶ゼリーの肉。そこから際限なく零れるのは赤い粒子。それはエラーの光と同質のものだ。

 何が起こったのか? それは分からない。だが、1つの推理は成り立つ。

 このシェムレムロスの館は黄の衣によって過大な影響下にあった。それは狂気の研究を呼び、アルテミスはアポロンを『人形』から『兄』に昇華させようと得た研究成果の全てを注ぎ込んだだろう。

 それは元来のアバターに変化をもたらしたのかもしれない。本来のアポロンはもっと別の姿をしていたのかもしれない。全ては仮定にしか存在せず、だが仮にそうであるならば、アポロンもまた……いや、アポロンこそが最も黄の衣の影響を受けた存在という事に他ならない。

 それが狂わせたというのか!? それが繋ぎ止めたというのか!? アルテミスとアポロン……2人で1つのネームドだからこそ、『2人で生死を共有する』というシステムへの反逆にして道理を通したというのか!?

 ああ、何を言っているのだ。それこそ無粋な理屈付け。必要なのは兄妹愛。それ以上の何が必要だ!? 何も要らない! それ以外の何1つとして価値を持たない!

 

「お兄様……お兄様ぁあああ!」

 

 嬉し泣きして兄の背中に抱き着くアルテミスに、アポロンの表情を作れないはずの顔面が、微かに笑ったように思えた。

 

「……馬鹿な『妹』だ。だが、守ってやる。愚昧だとしても守ってしまうのが『兄』というものだからな」

 

 感じる。ここからが本当の戦いだ。

 今のアポロンはこれまでの比ではない。この胸の傷が証拠だ。あの攻撃の時、完全なる不意打ちとはいえ、ヤツメ様の導きを破った。この戦いで、結晶の秘術でさえも突破されなかった、アルトリウスとの戦いで成長したヤツメ様の導きを……!

 

「クヒ……クヒャ……クヒャヒャ……クヒャヒャヒャ!」

 

 ああ、これではオレが悪役だな。だが、それはそれで慣れているし、面白いものだ。主役に相対できるのは、いつだって物語を終わらそうとする悪役だけだからな!

 演目名はシェムレムロスの兄妹。描かれるのは麗しく儚い兄妹愛。妹の切なる願いが兄に魂を宿らせる。そんな御伽噺。オレは終幕で登場する、空気が読めなくて、観客からブーイングが殺到する、場違いな怪物役。

 それで良い。それでも良いのだ。彼らの兄妹愛を目に出来た……そこにある『人』の尊き意思に出会えた! それだけでこの戦いは、血の悦びを唾棄すべき屑に変えるほどの価値がある!

 

「兄貴、ねーちゃん。オレは……」

 

 末っ子のオレは2人の背中を見て育った。

 いつだって格好良くて、男らしくて、自分というものをしっかり持っていて、弟として誇らしかった兄貴。

 奇麗で、優しくて、自由奔放に見えて誰よりも家族想いの、弟として尊敬していたねーちゃん。

 でも、2人の顔を思い出そうとして……霞がかかっていて、ぼんやりと輪郭しか滲まなくて……『痛み』が火の粉のように胸の内で踊る。

 

「下がっていろ。奴は強い。私が――」

 

「いいえ、お兄様。アルテミスも一緒に戦います。もう離れません。共に生きましょう。死が2人を分かとうとも、共に……『永遠』に!」

 

 アルテミスが腕を伸ばし、アポロンが彼女を左腕で押さえながら背負う。妹をおんぶする姿はまさしく兄そのもので、オレは灼ける記憶の中で同じ思い出があっただろうかと探ろうとして、だが灰を掘ろうとする手を止める。

 灼けていようがいまいが関係ない。思い出す必要なんてない。兄貴もねーちゃんも確かに存在していた。オレにいつも笑いかけてくれた。それだけで……この『痛み』の分だけ、オレはまだ『オレ』だと自覚できる!

 もはや祈りは無く、灼ける世界でオレを『オレ』と繋ぎ止めるものはない。もしかしたら、もうオレは『オレ』じゃないのかもしれない。それでも、こうして確かに郷愁を過去に思えるならば、今はただ血に飢えた殺意と踊ろう。シェムレムロスの兄妹と踊ろう!

 

「さぁ、今度こそ踊ろう! この偽りの月夜で!」

 

「望むところだ、バケモノ! 妹を傷つけた借り、返させてもらうぞ!」

 

「お兄様! 私がサポートします! 狩人さんはかつてない強敵! 油断なさらぬように!」

 

 アポロンの連続ワープ。これまでとは違う単調な動きではない! アルテミスのワープも重なり、こちらを欺き、奇襲をかけようとする明確な2人分の殺意が宿っている!

 頭上!? いや、背後か!? 身を屈めて躱し、贄姫を背後に薙ぐ。結晶火の大剣が頭上を通り抜け、水銀の刃が結晶肉を散らす。

 だが、アポロンにはすでにHPが無い。いかなる攻撃を受けてもダメージは入らない! あくまで彼らの命を繋ぎ止めているのはアルテミスのHPだけだ! 

 故にアポロンは恐れない。自分がどれだけ傷つこうとも、どれだけ血を流そうとも、肉が削がれて抉られて千切れようとも『妹』を守ろうとするだろう!

 ザリア、残弾無し。死神の剣槍……回収するには遠過ぎるか。システムウインドウを開いて再装備する余裕はない。

 残っているのはボロボロの贄姫のみ。致命的な精神負荷を受容しても、これまでの無理のツケ、そして一層強く深淵の病は蝕もうとしている。灼き尽くされるよりも先に、『獣』に成り果てるよりも先に、この命の残量の方が底を見せ始めている! 

 死が迫る。これだ。この死闘の中でこそ、本能は成長する。ヤツメ様の導きの糸が強靭さを増すべく練られている。アルトリウスとの戦いと同じように、相手を殺すべくヤツメ様は一切の余念なく獣血から鍛え上げている。

 届いた。再びアポロンとアルテミスを導きの糸で絡め捕る。2連ワープもヤツメ様の導きの範囲内。読める。躱せる。後は殺しきるのみ!

 これまでとは異なる生の脈動で息づいたアポロンの剣技。振り下ろしからの突き、そこからの派生する薙ぎ払い。躱したところでカウンターを試みてもアルテミスが手を伸ばしてソウルの結晶槍を放ち、また追撃で結晶火を続々とオレの足下から発生させる。杖を捨てたアルテミスの攻撃は連射性能を失ったが、アポロンのサポートに限れば今までを遥かに超える厄介さを備えている。

 不用意に近づけばソウルの一閃で全体攻撃。それを躱して突撃しようとしてもアポロンの結晶火による範囲攻撃。定番の回避からのカウンターを差し込むには、2人になったお陰で全方位攻撃のインターバルを潰し合えるようになって隙が無くなったな。

 加えてアポロンの動きはオレの直撃以上に贄姫を折ることに執心している。贄姫の損傷をしっかりと勘定に入れた冷静な戦術。ダメージを担うのは背負うアルテミスの役目であり、彼女もじわじわと削るべく、無暗に魔法を使ってこない。

 結晶火を扇状に放つが、これはブラフ。狙いは結晶火で目を眩ませたところからのワープ。それもアルテミスを使った2連ワープで十分に距離を取ってからの最長攻撃! 結晶火の大剣を掲げ、放出した結晶火を刃としてそのまま振り下ろす。寸前でステップで回避したところに、回避ルートを見抜いたアルテミスの結晶槍が既に迫っていた。だが、これも読みの範囲内。贄姫で命中判定を斬って消滅させる。

 

「これも躱すか! だが!」

 

「それもこっちの読みの内よ!」

 

 オレの足下から続々と結晶火の火柱が立ち上がる。最長の結晶火の刃も、ソウルの結晶槍も囮。狙いは結晶槍を迎撃したところで足が微かでも止まったところでの足下からの攻撃か。

 

「それも読めています」

 

 回避は呪術の炎の嵐と同じ。冷静に、発生点を丁寧に避ける。そして、その分だけ敵に斬り込む時間が得られる。

 アポロン達に接近しての水銀の刃。だが、アポロンの方のワープはインターバルが短い。2人揃って距離を取られる。やはり狙いはこちらの疲弊。贄姫の破損、オレの体力の消耗、スタミナ切れ、そして水銀を使い切らせることか。

 残りは水銀居合1回分くらいか。アルテミスは傷が深く、HPも決して多くない。物理属性の大技を叩き込めば確実に仕留められる。だからといって、今の2人を相手取って切腹は隙になる。また鞘に戻して水銀の回復を図るには時間がかかり過ぎる。

 

「……コホ」

 

 咳と共に血が口から零れ、片膝をつく。体勢を立て直そうとしても遅く、ワープで正面に移動したアポロンが大きく斬り上げる。危うく股から両断されかけるが、右足首を軸にして体を回転させて刃を躱し、そのまま斬りつけようとするが、アルテミスのワープで離脱される。

 ある意味でランスロットよりも厄介な瞬間移動だな。2人分なのだから当然と言えば当然だが。だが、やはり早期決着しかないな。

 

 殺す。

 

 殺しきる。

 

 シェムレムロスの兄妹、その絆を……兄妹愛を……『力』で喰らい千切る。

 

 研ぎ澄ませ、獣血。

 

 本能の顎を大きく開け。

 

 落ちてきた出力を再上昇、8割を維持。

 

 贄姫を鞘に。痛みを伴う深呼吸を挟み、あえて死を望むように立ち止まる。

 

 シェムレムロスの兄妹は……強い。その実力にも『強さ』にも敬意を払おう。

 

「揺れる……揺れる……揺れるのは……『誰』?」

 

 少しずつ思い出せなくなる故郷の……とても懐かしい……神楽の夜に吹く……月光に濡れた風を感じる。

 

 くるくる回る。それは風車? カラカラ……乾いた音を立てて回っている。

 

 アポロンのワープからの強烈な斬り上げ。背後からの奇襲。だが、アポロンはそれを回避されることを前提に斬り込んでいる。本命はアルテミスが放つソウルの連弾。これによって左右から挟み込むように殺到させ、バックステップでの回避を誘発したところでの結晶火の突き。

 

 だから、落とす。1本分の粗鉄ナイフ。オレに迫る大剣との間に挟み込む。それは結晶火に炙られて呆気なく壊れる。刃に触れれば粉々となってポリゴンの塵となる。だが、その一瞬だけは確かに足場となって、オレはアポロンの斬り上げを利用して宙を大きく跳ぶ。

 

 

 

<央都アルンを守る結界の1つが失せた>

 

 

 

 

 タイミングよく、オレの目の前に1つのメッセージが現れる。それは『アイツ』が勝利した証。

 たとえ、大樹は腐って倒れようとも、それを苗床として新芽が伸びる。必ず『アイツ』は立ち上がれる。どれだけ心折れようとも、どれだけ絶望しようとも、必ず前を向ける。支えてくれる人たちがいるはずだ。

 やっぱり……もうオレに『相棒』としての役目は何も残っていないな。それで良い。それが良いに決まってる。

 

「はは……アヒャヒャ!」

 

 

 まるで宇宙飛行士のようだ。大きく弾き上げられているオレは、天井に描かれた……いや、幻術の類で天井に満たされた偽りの星空に手を伸ばして微笑み、そしてそのまま左手は腰に差す鞘に、右手は柄に添え、体を大きく捩じる。

 

 

 

 

 

 

 誰もいない。

 

 オレの隣には……傍には……誰もいない。

 

 なぁ、ギンジ。オレは……もう『仲間』は要らないって思った。今だってそうだ。結局は『1人』で戦っている時の方が気楽で、戦いやすくて、限りなく殺意を研ぎ澄ませられる。

 

 でも、こんなものは『強さ』なんかじゃない。誰も隣にいない、強敵を前にして支え合わず、助け合わず、信じ合わず、単身で戦い続ける。そんなの……愚かで、醜くて、唾棄すべき『弱さ』なんだ。

 

 瞼を閉ざしても赤紫の月光は見えない。それに安堵する。もう彼女を苦しめた甘さはこの心には無い。

 

 この身にある獣血を宿した狩人の血こそが一族より受け継いだ矜持であり、故に久遠の狩人に敗北は許されない。

 

 だから、喰らえ。

 

『死』を喰らえ。

 

 思い出せ。初めてニトと出会った時を。圧倒された死の権化。だが、恐怖はそこにあったか? 否! あったのはまさしく死の塊……死神を目にした背筋も凍るような神性への敬意!

 

 深淵の病よ。いや、こんなオレを嫌い続ける仮想世界の神よ。この心臓が欲しいか? 欲しいのだろうな。だが、渡さない。

 

 生への渇望など元よりない。ならば心臓を自分の意思で止めろ。そうすれば、『死』を利用できる! 使えるモノは何でも使うのが戦場なのだから! 致命的な精神負荷を受容した今ならば、それができるはずだ! ファンタズマエフェクトを使って心臓の鼓動を呼び覚ましたならば、強い殺意で心臓を無理矢理でも『止める』ことも可能なはずだ! そして、死を受け身ではなく、狩りに利用するならば、あの感覚を呼び寄せられるはずだ。いや、出来なければならない!

 

 

 

 

 大丈夫。私が必ずあなたを引き戻す。死から連れ戻す。だから、何も心配しないで! 今は殺しきりなさい!

 

 

 

 涙で濡れたヤツメ様が寄り添い、オレと共に殺意を研ぎ澄ます。今は『獣』の誘いさえも殺意の中で束ねられている。

 獣血がマグマのように熱く滾っている。殺意は心臓を握りしめ、ただでさえ弱々しい鼓動を強引に止める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 走馬燈。それは長き旅さえも刹那の夢に変える死に際の『有限』。それが開いた瞼の先で静止した世界を作り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 完全静止。否、脳が走馬燈の状態となって全情報を高速処理する、自発的な思考の超加速状態による静止にも近しいスローモーション。その膨大な負荷がオレを灼く。

 死に溺れる。戻れない。このまま眠れば、それは……きっと……安寧に近しいのだろう。

 アバターは静止した世界で動かせない。聖剣との旅ともMHCPが見せる夢とも違う。こちらの情報発信に対してDBOというシステム自体が受け付けないのだろう。こんなものは『想定していない』といったところか。だが、この『死の時間』にこそヤツメ様の導きは極限まで研ぎ澄まされるならば、動けずとも意味がある。

 深淵の病を逆に利用しろ。死をもたらそうとするならば、死にこそ活路を見出せ。何処までも横暴に『力』で蹂躙する。それしかオレには出来ないのだから。

 たった一挙動のみ。静止した世界で練り上げられたアバターに発信する運動情報。それの最大初速を練り上げる。

 イメージするのは『アイツ』やユウキの高VR適性であるが故の超反応速度。その初動の凄まじさ。あれを走馬燈で疑似的に再現して匹敵してみせる……いや、この1つの所作だけで構わない。彼らを超える。それが出来なければ死を喰らった価値がない。

 

 殺せ。

 

 殺しきれ。

 

 

 

 今この瞬間は……『力』こそが全てだ!

 

 

 

 ヤツメ様が死より引き摺り戻す! 心臓は止まったまま、限界を示すように走馬燈が崩れる! 本当の意味で死が迫る感覚によって全身が浸される。心臓が締め付けられる。内臓が溶けるように痛い。首筋に深淵の脈動を感じる。今まさに深淵の病によってオレの首から頬にかけて黒く血管は浮かび上がっているのだろう。

 知ったことか! この一挙動の為だけに走馬燈を作り出したのだ! ならば、後は抜き放つのみ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 贄姫前提OSS、【霞桜】……発動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空中での滞空時間とシェムレムロスの兄妹の虚をつくことで作り出した水銀居合のフルチャージ。そこから始まる居合のOSS。それは水銀の刃を大きく伸ばして相手を刻む水銀居合でシェムレムロスの兄妹を攻撃するだろう。

 だが、一撃では倒せない。いかに最速最高威力まで練り上げた水銀居合でも、たったの1発ではアルテミスのHPを削り切れない。アポロンが背負い、その身を盾としているならば、いかに貫通性能が優れた水銀居合でも十分なダメージは見込めない。

 カタナには鞘を収めた状態からの抜刀……即ち抜刀術には加速ボーナスが付与される。これはカタナ使いにとっての大きなメリットであり、後継者らしいゲームシステムだろう。そして、その加速を利用するが故に≪カタナ≫の居合系ソードスキルは、武器としての特性上の使い辛さに目を瞑れば、いずれも高威力を叩きだすことができる。

 その加速も利用した水銀居合の高威力、昇華させない理由は無い。故に生まれた『不発連撃系』OSSの霞桜。

 描かれる斬撃軌道は剣術において下の下。カタナの威力を引き出す為に刃を立てるものではなく、ひたすらに速度だけを追求した9連撃。直接命中させてもダメージは叩き出せないどころか、そもそも火力ブーストもまともに乗らないので、普通に振った一撃の方が遥かにダメージは出る。だからこそ、霞桜の場合は刃で直接斬るのではなく、『水銀居合の放出時間内に連続で振るう』ことを目的としている、言うなれば『間合い外からの攻撃』の為に生み出したOSSだ。

 だが、それでも足りない。水銀居合の放出時間はコンマ1秒未満。抜刀術による加速を乗せても、OSSによるモーション加速を上乗せしてせいぜいが3回が限度。モーションをなぞって更にブーストをかけても4回、STR出力を8割の世界に引き上げても5回が限界だろうと見積もっていた。故にまだまだ開発の余地があると思っていた。

 そのはずだった。だが、走馬燈の意図した使用、たった一挙動……霞桜の為の初速の獲得。後はオレの持ち味である運動速度で初速を余すことなく利用する。

 

 水銀居合の放出時間に、OSSのモーションをなぞり続けて更に加速した9連撃。放たれた水銀居合はもはや『線』の斬撃ではなく、斬撃の網……『面』で相手を強襲する、弾幕ならぬ斬幕。

 

 攻撃最高速度を誇るカタナの抜刀術。そこから放たれる貫通性能に優れてガードの上から刻む水銀居合。そして、超速連撃によって生み出される斬撃の網。

 霞桜。相手のサイズに応じて適性距離は変じるが、合致した間合いならば回避不能にしてガードを無意味化する面攻撃。ランスロット程にワープの発動速度に優れない以上、アポロンは結晶火を猛らせた大剣を超反応で掲げて防ごうとする。だが、水銀居合の斬撃の幕を大剣1本で防ぎきれるはずがない。大剣で幾らかは減衰された水銀の刃があるとしても、過半は彼の肉体、貫通して彼が背負うアルテミスに喰らいつく。

 着地し、弾き上げられた高さに応じた相応の落下ダメージを受け、モーションが終わった硬直時間を味わうように左膝をつく。それでもシェムレムロスの兄妹を見据え続ける。まだ戦いは終わっていない。アルテミスのHPは減り続けているが、まだゼロになっていない!

 

 

 

「……美しい。我が妹よ、そう……思わ、ない……か?」

 

「ええ、そう……ね。とても……奇麗だった……わ、ね」

 

 

 

 アポロンの体が分断されて崩れ落ちる。アルテミスの全身から血飛沫が噴き出し、アポロンの背中から剥がれ落ちながら、だがその手は兄への恋しさで伸ばされ続けていた。

 アルテミスのHPの全損を確認。致命的な精神負荷の受容を……停止。

 彼らに全身全霊で放ったはずの霞桜。それは彼らの兄妹愛への餞のつもりだった。狩人として、ヤツメ様の神子として、最大限にできる敬意のはずだった。

 だが、『不完全』だった。9つの刃による斬幕のはずなのに、走馬燈を使っても……7連撃までしか水銀居合で軌跡を描けなかった。せめて、もう少しでもステータス出力が足りていれば……!

 しかし、この霞桜……負荷が……凄まじい! ソードスキルの負荷も致命的な精神負荷の受容によって脳が受け止める以上、覚悟はしていたが……! 走馬燈と合わせねばならない以上、八ツ目神楽と同じように切り札としての運用以外は無理だな。というか、常態的に使えるようなOSSじゃない。やはり汎用性に優れた爪痕撃が最優か。

 

「うぐ……がぁ……ゴホゲホ! ハァ……ハァ……はぁ……は……」

 

 全身と心臓を蝕む深淵の病、一気に押し寄せる後遺症。立っていられずに体を傾けそうになるが、それを堪えて歩む。前に進む。シェムレムロスの兄妹へと迫る。

 もはやHPは尽き果てたシェムレムロスの兄妹。2人の最期を見届ける義務がオレにはある。

 

「狩人……さ、ん。あなた……見た目……だけ、じゃなくて……あんな、にも、奇麗な……剣技を……お持ち、なのね」

 

 息絶え絶えのまま血の海に沈むアルテミスは、ゆっくりと結晶の塵となっていた。この世界からの退場。死を待っていた。そのはずなのに、彼女の両目は血と涙で濡れて……幸せそうだった。

 

「剣技なんて尊いものではありません。殺しを極めるだけの、狩りの業ですよ」

 

「ああ、そう……なの。だから、とても……美しかった、のね。何の……邪念も無い……ただ、私たちを……殺しきる……為だけの……。はじめ、てよ……お兄様と、一緒に……感動できた……のは。嬉しかった。お兄様と……同じ気持ちを……共有……できた」

 

 そんな言葉を聞いて、オレはどう反応すべきなのだろうか。困惑が表情に出てしまったのか、アルテミスは何の狂気もなく、悪戯が成功したように笑う。

 

「可愛い、わ、ね。もっと、普通に……笑ったら、いかが……かしら? きっと、世の男が……放って、おかない……わ」

 

「オレは男ですが?」

 

「あら……それは、この数百年で……1番の……驚き、ね」

 

 全身が結晶化して何処からともなく吹く風の中で塵になっていくアルテミスは、血と結晶で濡れた右手を、同じく結晶の塵となっているアポロンに手を伸ばす。もはや声を発せられないアポロンもそれに応えて、彼らの手は繋がれる。

 だが、僅かにだがアポロンの方が消滅は早いだろう。それをオレが把握するよりも先に、アルテミスはオレを濡れた瞳で見つめた。

 分かっているさ。オレは贄姫の刃をアルテミスの首に這わせ、ゆっくりと振り上げる。刹那の狂いも許されない。全意識と殺意を贄姫に凝縮させる。

 

「ありが、とう。あなたは……やっぱり……バケモノ、ね。とても、強くて……悲しくて……優し過ぎる……バケモノ」

 

「礼を言われる筋合いはありません。オレはアナタ達を狩ると宣言し、実行した。それ以上もそれ以下もありません」

 

 もはや祈りは無く、呪いばかりとなった。

 だが、それでも狩人として弔いの意思を忘れてはいない。ならば、オレはまだ『オレ』のままなのだろうか?

 分からない。でも、分からないままで良いのだろう。今は戦い続けるしかないのだから。殺し続けるしかないのだから。

 

 

 

「お兄様……お兄様……アルテミスは……ずっと、探していました。ずっと……ずっと……! ああ、やっと、見つけました……この気持ちは……この想いだけは『永遠』に――」

 

 

 

 アポロンが消滅するまさにその瞬間、オレは寸分の狂いもなくアルテミスの首を刎ねた。

 転がる彼女の首は宙で塵となって消滅し、2人の結晶の塵は偽りの銀月の光の中で踊るように混じり合い、1つの……まるで結晶火に包まれたような青白いソウルとなってゆっくりとオレの手元に落ちた。

 贄姫を手放し、シェムレムロスの兄妹の血だまりで両膝をつき、虚しいファンファーレの中でソウルを両手で優しく包み込むように受け止める。

 

 

 

 

 

 

<シェムレムロスの魔女のソウル:白竜の弟子、アルテミスのソウル。ヴィンハイムの竜の学院の実験の末に生まれた出来損ないの半竜は、失敗作の腐肉を集めて人形を作り、兄と呼び慕った。白竜の弟子となった彼女は、崩れ続ける肉人形に『永遠』を与えるべく狂気の実験に繰り返した>

 

 

 

 

 

 

 

 魔法国家ヴィンハイム。それはDBOでも神々の時代より存在する、最古の魔法国家にして深淵に呑まれたウーラシールと並ぶ魔法の礎を成した国。その狂気の実験で生まれたのがアルテミスだった。

 だが、アルテミスは最初から狂っていた。あるいはまともな心は生まれてすぐに壊されていた。失敗作という自分の『前例』たちの腐った肉を集めて、それを兄と呼んで縋るしかなかった。助けを求めるしかなかった。愛を欲するしかなかった。

 全ては謎のままだ。シースに出会っても教えてくれることはないだろう。シェムレムロスの兄妹の物語は……ここで終わった。

 何よりも、このソウルは1つではあるが、まるで2つのソウルが絡み合って結びついているかのようだった。ならば、ここで彼らの物語は幕を下ろす。それが良いに決まってる。

 アルテミスは多くの悲劇を生んだだろう。彼女に苦しめられたのは1人や2人ではない。それがどうした? オレは彼女を憎めない。そういう感情を抱いて、断罪の意思で殺すのが『正しい』はずなのに最後まで、彼女を……彼女たちを憎めなかった。殺しきるという慟哭しかなかった。

 シェムレムロスの兄妹のソウルを抱きしめる。もう馬鹿には出来ないな。確かに、あの死の瞬間、アルテミスは見つけたのだ。『永遠』を見つけて、そして死んだのだ。それが何なのか、言葉にするのは……無粋というものだろう。

 

「おやすみ、シェムレムロスの兄妹。祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 アナタ達の遺志を……喰らった『力』を無駄にはしない。この戦いで見出した全てを注ぎ込み、次の戦いでも恥じることのない狩りを成すことを約束しよう。

 心臓は弱々しく、全身は後遺症と深淵の病で複数種の異なる痛みで浸されている。指先は震えて痺れ、肉体の内側は爛れるように熱く、皮膚は凍えるように寒い。

 それでも、まだ戦える。戦えるはずだ。ソウルをアイテムストレージに収納し、オレは血だまりに転がる、刃毀れした亀裂だらけの贄姫を拾い、血を払って鞘に収める。

 

「『証』は……あそこ、か」

 

 結晶の光が舞うのは、アルテミスが最初に待っていたこのボス部屋の最奥、多くの椅子が積み重ねられた山の頂上。それは玉座のようで、だが我が身を守らんとする竜の巣にも思えて、オレは何度か転げ落ち、幾度かの休憩を挟み、ようやく光の出所にたどり着く。

 それはアルテミスの寝床。羽毛が敷き詰められた彼女が唯一の安らぎを『命』の無い兄と過ごした場所なのだろう。そこに残されていたのは、小さな結晶が埋め込まれたピアスだ。

 

 

 

 

<白竜のピアス:魔法の祖、鱗の無い白竜が隠す原始結晶、その一欠片から作り出されたピアス。シースが自らかけた結晶の加護の魔法が宿っており、ただ1人の弟子をあらゆる危害から守る護符でもあるが、今はその力を失っている。好奇の狂熱の末に生まれた出来損ないの半竜を、白竜は嗤い、蔑み、哀れみ、そして愛した。彼女を腐肉の人形と共に攫った白竜は、弟子として育て、やがてこの護符と共に追放した>

 

 

 

 

 

 アルテミスを守るべく作られたピアスに、冷たい温もりを覚えたのは気のせいではないだろう。

 あらゆる危険から守る……それはアルテミスを守っていた半透明のバリアか? 分からないが、今はその力を失っているならば、このピアスは鱗のない裏切りの白竜と出来損ないの人造半竜の、歪ではあっても確かにあった師弟関係の楔なのだろう。だからこそ、アルテミスは捨てられなかったのかもしれない。

 恐らくまだ狂気に堕ちきっていなかった白竜は、多くの複雑な感情でアルテミスを攫ったのだろう。そして、自分の研究と魔法を授けたのだろう。

 これは秘匿されるべき物語だ。2人の師弟関係に立ち入るべきではないし、理解を示すべきではない。ただそうなのだと受け入れるべきだ。

 

 

 

 

 

<央都アルンを守る結界の1つが失せた。――3つの『証』は解き放たれた。世界樹ユグドラシルへと続く道は開かれる>

 

 

 

 

 月明かりの墓所、シェムレムロスの館、そして黒火山。3つのダンジョンに隠された『証』は全て解放された。

 ようやくか。長かったアルヴヘイムの旅にも終わりが見えた。だからこそ、オベイロンは全力で【来訪者】を……いや、アルヴヘイムの全軍を叩き潰そうとするだろう。

 オベイロンは自分の首を狙う全ての敵を迎え撃つ準備をしているのは確定として、それに対抗するだけの戦力が反乱軍……暁の翅にあるか否か。

 

「……どうでも、良いか」

 

 大軍VS大軍とか興味は無いのでご勝手に。オレがすべきなのはオベイロンを殺す事だ。せいぜい暁の翅には頑張ってもらって、ヤツの居城であるユグドラシルまでの道を切り開いてもらうとしよう。出来ないならば、いつも通りの隠密行動&強行突破で問題ない。

 この決戦ではオベイロンも勝ちを取りに来る。数もそうだが、最高の質……ランスロットも投入するはずだ。

 勝てるか? そんなのは戦ってみれば分かるだろう。オレが負ければそこまで。死ぬだけだ。

 だが、オベイロンと同じように、ランスロットを倒すべく意気込んでいる連中は多いはずだ。『アイツ』もその1人だろうな。それを上手く利用してランスロットに奇襲をかけることができれば、大きなアドバンテージになる。

 全てはただ1つの為の仕掛け。殺しきる為に、あらゆる仕込みを惜しまない。その為に今日まで苦戦の中でも温存してきたのだ。

 オレは馬鹿だから緻密な戦略を立てるなど出来ない。だが、ランスロット。オマエを殺しきる為に『温存』という形で『仕込み』を続けさせてもらった。このアルヴヘイムで熟成した殺意、必ず受け取ってもらうぞ。

 

「ザクロ、使わせてもらう」

 

 贄姫と死神の剣槍は限界が近いが、ザリアは温存のお陰で装填できるエネルギー弾倉2個をフルで投入可能。そして、今日まで使わなかった闇朧……≪暗器≫と≪カタナ≫の組み合わせを持つ不可視の刃を備えたユニークウェポンは、ザクロの形見にして彼女から継いだ『力』。闇朧は完全な状態でオレの手元にある。

 恐らくはダンジョン外に転送してくれるだろう、光の柱がボスフィールドの中央に現れる。月明かりの墓所とは違い、まだ原型が残っているから転送が可能か。霜海山脈と同じだな。この辺りは後継者らしい。あの野郎は勝者に報酬と労いを与えることは忘れないからな。

 

「少し……疲れた、な」

 

 まだ心臓は弱々しい。戦いに向けた準備とコンディション回復は必要だな。

 オレがユグドラシルを目指すべきなのは、暁の翅が動いた時だろう。その進軍に乗じるのが最もオベイロンの首を狙えるはずだ。

 いや、違うな。見てみたいのか。

 

 

 反乱の旗が靡く中で……聖剣を携えた『英雄』の姿を、この目で……1度だけで良い……見ておきたいのかもしれない。

 

 

 これでは……死ぬ前の戯言だな。笑いが零れそうだ。

 狩人が休むなと背中を蹴る。分かってるさ。ここで休んでいるべきではない。迅速に行動に移るべきだ。

 大丈夫だ。大丈夫だよ、サチ。オレはまだ……オマエとの約束を……この依頼を……忘れて、いないから。

 

「後継者は……どんな顔、している、やら……な」

 

 あの後継者の事だ。『アイツ』が聖剣を所有してたのなれば、それだけで憤死したのではないだろうか。まぁ、1人死んだところで新しい後継者が現れるんですけどね。あのプラナリアもどき野郎、本当にどうしてやろうか。殺しきるのは手間がかかるしな。とりあえず、聖剣やら黄の衣やら訳の分からんモノを突っこんだ理由を100文字以内に説明しやがれ。

 まぁ、正直に言えば、『アイツ』には『託す』のが半分、『押し付ける』のが半分だったんだよな。意思を持っている武器とか使い辛いことこの上ないザマスわよ、奥様!

 椅子の山を滑り降り、着地時に姿勢を保てずに右肩から倒れる。しばらく動けずにいた体に力を入れ、半ば足を引き摺るようにして転送の光を目指す。

 死神の剣槍を回収して背負い、転送の前に、最後にもう1度だけシェムレムロスの兄妹の血だまりを見つめる。掠れて多重となり、色彩を褪せさせる視界を凝らし、せめて彼らの死に様を記憶に残す。いつか灼けるとしても、今は憶えていたいから。

 

「『永遠』……か」

 

 くだらない。今でもそう思う。だが、多くの願いを抱いて『永遠』を求める者たちがいる。それはそれで……趣があることだ。そして、『永遠』とは個々で異なる意味を持つ。

 だったらオレにとって『永遠』とは? それに近しいものとは?

 そうだな。有限の命。それが喰われて糧となり、脈々と受け継がれ、輪廻の如く循環する。そうした、限りなく『永遠』に近しい摂理。それが良いな。だけど、何かが物足りない。

 無限にも等しく血の輪廻。終わらない狩りの夜。ああ、それだ。それこそ素晴らしい事だ。

 夜は終わらない! 狩りは永遠に続く! それは何と甘美だろうか! 終わらぬ夜で狩りに興じ、皆と遊びたい! 殺し合いたい! 永遠に踊りたい!

 

「…………」

 

 ああ、駄目だな。足りない。血の悦びがまるで足りない。飢餓感で狂いそうだ。だから……だから、こんな……こんな事を……!

 だが、まだ耐えられる、はずだ。そう……まだ……まだ……きっと……耐えられる。耐えなければ、ならない。

 

「贄姫、もう少しだけ頼む」

 

 鞘ごと腰から引き抜き、額を鍔に押し当てる。故郷でオレが神子として振るった祭具、贄姫。かつて自らの喉を裂いた神子の名を持つ御神刀にして妖刀。

 どうして、オレはこのカタナにその名を付けたのか、よく憶えていない。グリムロックが武器を命名することは大事だ何だと言って、だから……贄姫と名付けた。

 欲しかったのかもしれない。全てを忘れて灼き尽くされるとしても、故郷の名残を……血族の誇りを、久遠の狩人として、ヤツメ様の神子として、この手に持ち続けたかったのかもしれない。たとえ、オレ自身は誇れずとも、ヤツメ様と狩人の血だけは……先祖より継いだこの血だけは確かな誇りなのだから。

 ただ1つの誇りを胸に。聖剣など要らない。オレが愛した『人』とは誇り高い存在なのだから。だから、『人』の皮を被るんだ。オレは『人』として振る舞い続けたいのだから。無様で滑稽で皆から指差されて嗤われようとも、それだけが……『人』を捨てないことだけが……祈りすらも残っていないオレの……オレにとっての……!

 

「とりあえず、転送を終えたら髪を結う……か」

 

 血で汚れた髪の毛を弄りながら、オレは今度こそ転送の光に身を投げ入れた。

 さっさと忘れてしまえ。こんな想いなら灼けても構わない。

 でも、不思議とこの気持ちは絶対に灼けないと思えた。だって、これはオレの本質から際限なく湧き出す、本能がもたらす渇望なのだから。だから、きっとあの聖剣は叶えてしまっていただろう。

 

 

 人も魔も獣も神も関係なく狩りに興じて、死闘の舞踊を交わし、際限ない飢餓に血の悦びを浸し続ける。そんな終わらぬ狩りの月夜を……聖剣は生み出してしまっていただろう。

 

 

 ヤツメ様がオレに抱き着いて、今からでもそうしよう、始めよう、と誘う。聖剣無しでもきっとできるはずだと、そんな素敵な終わらぬ狩りの夜をきっと始められると、オレに甘い蜜のように優しく囁いた。

 転送の光が失せ、オレは草むらに着地して、大きくよろめいて倒れる。偽りの銀月の夜が続くシェムレムロスの館の外……白の森とも違う……夜明けに移ろう空が目に映る。

 ここは何処だろうか。トロイ=ローバでも無さそうだ。強引な拡張が続けられたアルヴヘイムだ。転送先が思いの寄らぬ土地もあり得るわけだが、また新たな土地でハードな展開は困る。

 

「……って思ったばかりなんだがなぁ」

 

 ゲコゲコ、という鳴き声が聞こえてきそうな慣れ親しんだ気配。全プレイヤーにとって悪夢的モンスターの代表。石化の呪いブレス持ち、バジリスク。その集団がオレを囲んでいた。

 

「バジリスクの縄張りに転送……か。後継者殺す」

 

 いや、この場合は、オベイロン殺す、だな。贄姫を抜こうとして、10や20のバジリスク相手ならば素手で構わないかと拳を握ろうとして、ヤツメ様の全力疾走ルートの提示により、即座に戦略的逃走へと意識を切り替えた。

 バジリスクの大軍を振り払うべく、DEX出力を引き上げて草むらを、木々が茂る森を駆けながら、オレは弱々しい心臓を抱く胸中で甘美な果実を弄びながら、朝陽で焦げ始めた空を見上げる。

 

「終わらぬ狩りの夜、か」

 

 夜明けが近い空が憂鬱で、それはどんなにすばらしい世界なのだろうかと……一瞬だけだが、オレは確かに求めたような気がした。




黒火山とシェムレムロスの館、攻略完了。

オベイロンとの最終決戦……の前に、1度現実世界に戻って狩人の里となります。


それでは、290話でまた会いましょう!

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