SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

暗躍せよ。勝利する為に。



なお、執筆は体力と精神力による等価交換なのだなと最近実感し始めた筆者です。


Episode18-56 回廊都市の決戦

 深淵。それはDBOでも謎に包まれる要素の1つであり、その多くは強大にして凶悪な脅威となってプレイヤーに牙を剥く。

 俗に深淵系と呼ばれるモンスターは、総じて闇属性に対して高い防御力を有し、グロテスクな外観と凶暴性が特徴である。弱点は光属性であり、光属性を含有した雷系奇跡や光属性と物理属性の複合ないし純属性が多いフォース系奇跡ならば効率的にダメージを稼げる。また、攻撃的ではあるが、その多くのAIは単調であり、また『生きたようなAI』であっても理性・知性と呼べるものは乏しい。

 闇属性防御力を十分に高め、光属性攻撃を準備し、なおかつヘイト管理すれば、深淵系は決して特別恐れるべきモンスターではなく、DBOに多数存在する危険な分類の1つ程度に収まるだろう。生理的嫌悪感を催す外見が多い為にプレイヤーは対峙する事を嫌う傾向もあるのはご愛敬である。

 だが、深淵系には幾つかの厄介な点がある。1つ目は深淵系が存在する場所はステージ・フィールド・ダンジョンそのものが深淵と関係した場所であり、深淵系は数で湧いて攻めて来る点だ。2つ目は深淵系はいずれも闇属性攻撃を有しており、闇術と同じようにガードブレイクやスタミナ削り効果を発揮する。3つ目は知性や理性に乏しいと感じられる単調なAIが多いのだが、理性はともかく知性は著しく高いタイプが存在しない訳ではなく、そのギャップの幅が大きい。4つ目は強大な深淵系ほどにタフであり、たとえ弱点属性を準備しても倒すのに時間がかかる。そして、5つ目が深淵系は厄介な能力を有する場合が多いのだ。

 特に深淵系ネームドの最高峰とされる『深淵の主』という深淵の発生源とも言うべきネームド・ボスは、他を隔絶しており、その攻撃性を存分に活かせる耐久力を備え、なおかつネームド・ボス特有の高火力を押し付けてくる上に、タフであることから弱点を狙うのが難しい。また、光・闇の2つの属性は希少性が高く、奇跡・闇術を除けば、最初から高い攻撃力を備えた武器はなかなかお目にかかれない。それぞれの松脂でエンチャントを施すのが基本対策であるが、それが劇的に効果を発揮するのは下級ステージくらいであり、現最前線では『使わないよりかはマシ』程度である。ヤスリならば話も違うが、極短時間エンチャントのヤスリでは心許ない。

 また、闇属性防御力を高めても、容赦なくガードブレイク性能やスタミナ削り効果でプレイヤー側を切り崩してくるので、常にプレイヤー側に被害をもたらし、安定性に欠けた戦いを強いられる。故に深淵系は倦厭される傾向があり、経験値を稼げる狩場の利用も腕に覚えのある者以外は安全性を考慮して手を出すことはない。

 しかし、その一方で深淵に関わる場所では、稀にであるが、深淵狩りというNPCや白霊サインを発見することも出来る。彼らはいずれも強力な助っ人であり、ボス戦に参加してくれた時などはプレイヤーそっちのけでダメージソースになる。故に深淵系ネームドに挑む前には深淵狩りの白霊サインを探すのは、攻略前の1つの定番となっている。

 

「うぇ……気持ち悪いです」

 

 シリカが口を手で押さえて顔を青くしているように、深淵の沼から湧き上がる異臭は、現実世界以上とも思える鋭敏な知覚を刺激する。ユウキは彼女の背中を摩りながら、なるべく泥を踏まないように、僅かな陸地を選んで先に進む。

 まるで世界を緩やかに溶かして呑み込んでいくような深淵の沼。それは希釈された深淵の泥であり、たとえ浅くとも足に粘りつき、DEXに下方修正をもたらす。環境によってDEXを左右されるのはプレイヤーのみならず、モンスターも同様なのであるが、そもそも生息しているモンスターが不利な場合はほとんどない。

 氷ならばスリップ、雪・水・泥などはスピード低下など見れば分かる特徴の通りにDEXに下方修正が入り、またコントロールが損なわれる。これらを解消する方法の1つがTECであり、これを高める事で環境によるDEXの下方修正を緩和させることが出来る。

 平面こそが最も運動するにおいて高効率なのは言うまでもない。石ころや地面、木の根などの凹凸は容易にスピードを落とす要因となり、コントロールを損なう原因になる。わざわざ人類が道路を整備したのは、移動の効率性を得る為だ。

 コントローラーを握る旧来のゲームであるならば、地面が何だろうと、スピードが落ちようとも、特に問題ないだろう。コントローラーで操作するキャラクターは、常に出力されたコマンドに応じて安定したパフォーマンスを発揮する。どんな環境でも走り、どんな場面だろうと回避し、どんな状況だろうと攻撃する。

 だが、体感型であるVRゲームはどれだけシステムの補助があったとしても、何処までもプレイヤーのセンスが問われる。泥に足を取られるならば、それを考慮した動きをしなければならない。氷でスリップするならば、自分の速度と慣性制御を計算して走らねばならない。森を駆け回るのも自分の足だ。石、雑草、木の根、ありとあらゆるモノがパフォーマンスを落とす障害なのだ。

 VRゲームが隆盛する中でも、テレビゲームが隅に追いやられることもなく、今も確かなジャンルとして市場でシェアを獲得しているのは、VRゲームの『体感』の部分が性に合わなかった、またはゲームに『体感』を求めなかった層が一定数存在するからである。それはゲームに求めるのは、コントローラーを動かせば常に最上の動きをしてくれるキャラクターの操作性にこそあり、また五感に訴えかけるリアリティで全身を襲う迫力・威圧・恐怖ではないのだ。

 

「この程度で狼狽えて、よくDBOで生き抜いてこられたものだぜ」

 

 気分の悪さを訴えるシリカに、PoHは馬鹿にするように鼻を鳴らす。何も言い返せずに先行するPoHから目を背けるシリカに代わり、ユウキは彼の背中を睨む。

 DBOの強敵は何もモンスターだけではない。悪辣なトラップもそうであるが、ステージやダンジョンを彩る特色もまた大きな枷となる。

 幽霊が怖いプレイヤーにホラー系ダンジョンは苦行でしかなく、虫が苦手なプレイヤーにその手のネームドは何よりも凶悪であり、五感を不愉快に擽る知覚情報は精神を苛む。それは精神や心と呼べるものがある限り、逃れられない制約である。

 

「『仲間』に対して口が悪過ぎるんじゃないかな? もう少しは気遣いを学んだらどう?」

 

「これは失礼した。『仲間』と書いて『駒』と読む人生しか歩んでこなかったものでな。これからは発言に気を付けるぜ」

 

 顔だけを少し振り返らせて、皮肉を込めた謝罪を述べるPoHに、ユウキはこのような異色のパーティが結成するなど前代未聞だと溜め息を吐きたくなる。だが、その一方でPoHと女騎士の参戦により、深淵の沼はスムーズに進めているのは確かだ。

 マルチネスは≪格闘≫を武器として、格闘装具であるセスタスを装備した近接攻撃を軸としているが、最弱の格闘装具であるセスタスではどうしても火力が伸びない。クラインは純斬撃・純打撃に切り替えられるカタナを武器とした近接型であるが、数に対応するために中距離での≪無限居合≫が基本となる。シリカはピナに指示を飛ばして適確な援護を行うが、スキル構成も含めてサポート特化だ。近接アタッカーであるユウキは≪絶影剣≫こそあるが使い慣れない武器とリミッター解除の影響で戦力としては大きくダウンしている。

 対してPoHはトッププレイヤー級であり、立ち回りもSAO時代とDBOでの発展性を取り込んだスタイルを確立した優れたアタッカーだ。HP回復効果のある≪戦斧≫の肉断ち包丁で高火力を引き出し、メイン火力としても牽制としても使える近・中距離で威力を発揮する重ショットガンを使いこなす。立ち回りも彼のキャラクター性を示すようにトリッキーであり、ここぞという場面では叩き、またアイテムを駆使して弱体化を狙うなど、『仲間』であるならば心強い。

 次に謎の女騎士。全身を真っ赤な甲冑で覆い、兜から束ねた赤毛を垂らした姿は威風堂々であるが、その戦闘スタイルは外観に反して、双剣タイプの短剣による連撃と鞭によるじわじわとした攻めである。短剣は炎と雷を発して刀身を形成し、リーチを大幅に伸ばすこともできるようであるが、攻撃力は低く見た目が派手なばかりであるが、その短剣捌きは一流である。また、瞬時に右手の短剣を腰の鞭と切り替える速度も凄まじく、また鞭を振るえば蛇が蠢いているかのように、竜が尾を振り回しているかのように、脈動を持っている。その実力はトッププレイヤーとも劣らない。

 PoHはともかく女騎士は何者なのか? 彼女の全身から発せられる不気味な気配。ユウキの視線に気づいたのか、女騎士は振り返るも、これまでと同様に一言も発さない。それはさながら沈黙を守る強者のようだ。

 彼女が見せる、まるでレギオンのような、相手の動きを先読みしたかのような超反応。だが、気配もレギオンに似てはいるが、何かが違う。クゥリという原液を薄めたのがレギオンであるならば、この女騎士から発せられるのは薄め過ぎて味も色も香りもほとんど失い、なおかつ余計な香料を混ぜ込んだ人工物。そんな印象を受ける。

 

「油断大敵だ。よそ見すんな」

 

 女騎士の正体を探ろうとしていたユウキに、深淵の沼から飛び出したワームの牙が迫るも、クラインが一刀両断する。深淵系特有の赤く光る感覚器官を全身に備えた、口内にびっしりと牙を備えた1メートルほどのワームは、耐久力こそ低いが、レベル2の毒を有する。また撃破時に溢れる体液が仲間を呼び寄せるので、倒した後は迅速にその場を離れなければならない。

 普段ならば難なく対応できた襲撃。だが、今のユウキは反応速度が大きく落ち込み、なおかつアバターの動きも鈍い。クラインの援護がなければワームに手痛い一撃をもらっていただろう。

 

「ご、ごめん、ボス」

 

「気にすんな。チームプレーだ。1人の弱点は皆で補えば良い。1人の強みは皆で活かせば良い。皆を支えるのは1人1人の努力……ってな」

 

 クラインの言う通り、今のユウキは普段のようにワンマンで斬り払える状態ではない。むしろ、積極的に仲間を頼り、自分の擦り減らした強みを活かせる場面を探さねばならない状態だ。

 こうして弱体化して分かる。反応速度が足らない。たったそれだけでこの世界の難度が大きく跳ね上がる。今までならば知覚してから即座にアクションを起こすことが出来た。攻防においても回避においても知覚から反応するまでの余裕があり、その分を相手の動きの読みや戦術・戦略の構築に回すことが出来た。

 ユウキは呼吸を入れて、相手の動きの観察に努める。小アメンドーズの多腕、その動きを精彩に見極めていかなる攻撃が来るのか予測する。

 だが、不足した反応速度の枷を如実に感じるのは、人間の予測能力には限度があるという点だ。左右非対称に合計7本の腕を持つ小アメンドーズ。その7本の腕の攻撃を全て剣で捌くとなれば、その腕すべての攻撃を予測して対処を組み立ててねばならない。これまでのユウキは高い反応速度を活かして知覚次第に即時対応できたが、現在はその比率が大きく予測に傾いてしまっている。

 どうして最前線からVR適性の低い者から消えていくのか。知識では分かっていても、体感せねば分からぬ理解の境地がある。ユウキは小アメンドーズの頭部を突き刺し、そのまま捩じって抉る。小アメンドーズは決して強い部類ではなく、頭部から放つ闇属性の高速レーザー弾と近接での多腕攻撃程度しか脅威はなく、知性も乏しい。耐久力も高くなく、1体では脅威にならないだろう。だが、それでも戦いにおける感覚がまるで違った。

 仮想世界における反応速度とは、運動アルゴリズムとの連動性にして同調性であり、これと一体化すればするほどに反応速度は高まっていく。知覚情報の獲得、脳の運動命令、アバターへの反映。この3つ、ないし運動から反映までの2つのプロセスを経る速度を俗称として反応速度と呼ぶ。故に高い反応速度を有すれば有する程に初動は加速化する。対して運動速度とはアバターが生み出すエネルギーの操作に由来するものであり、四肢はもちろん、肉体をいかに十全に動かせるかという脳そのものの適性が問われる。確かに高VR適性者ほどにアバターを精密に動かし易くなるが、肝心の本人の肉体操作が大雑把では意味がないのだ。

 その意味ではクゥリは反応速度こそ低いが、運動速度においてはずば抜けていた。だが、低VR適性の彼が千変する戦場で制御を緻密な制御を行うことは、それだけ脳に高ストレスをかけ、なおかつ針のように細く集中力を研ぎ澄まし続けるという事だ。

 左手の拳を握って開く。ユウキが大雑把にやっている行動さえも、低VR適性者のクゥリの場合は神経を尖らせねば同等の精度を出せない。そして、高VR適性者すらも上回る彼の運動速度とは戦闘適性の高さをそのまま示す。

 本当は最前線で戦い続けられるようなコンディションではない。それを運動速度、多種多様の使いこなし難い能力を有した複数の武器とアイテムの同時運用能力、未来予知にも等しい直感、高精度の予測能力、1度の戦闘で対応・吸収・反映・強化を行う学習能力、そして天性のバトルセンスならぬキリングセンスの高さ。

 VR適性も反応速度も仮想脳も『人の持つ意思の力』も関係なく、持ち前の戦闘適性だけで苦難と強敵を打ち破る。ユウキは自分がDBOにログインすることになった理由、茅場昌彦が求める『証明』において、クゥリはどれ程のイレギュラーに映るのだろうかと考える。そして、同じく『人の持つ意思の力』を憎み、その代表者である【黒の剣士】を殺すことに執着する後継者にとっても、彼は正しく異物に見えるだろう。

 言うなれば、高性能エンジンを積んだカーレースの中で1人だけ人体で参加して、脚力で参加者と並走するどころか追い抜いているようなものだ。それをイレギュラーと呼ばずして何と呼ぶのだろうか。

 ユウキは改めてPoHを睨む。復活した死者。アルヴヘイムにいる理由は不明。だが、彼はクゥリがアルヴヘイムにいる原因に少なからず関与し、また暗躍しているだろう。

 彼の唯一無二の信頼できる点は、クゥリの為に彼もまた動くという事だ。だが、それはユウキとは相容れない目的の為なのは詳細を知らずとも分かる。

 かつて深淵の沼を訪れた騎士の成れの果て。闇に満たされた彷徨う鎧。ユウキは雷刃ナイフを投擲してPoHの背後から斬りかかっていた鎧の腹部に突き刺す。発せられた雷爆発で彷徨う鎧は揺らぎ、背後からの攻撃に気づいたPoHが肉断ち包丁で砕き斬る。

 

「少しは様になってきたな」

 

「へぇ、褒めることってあるんだ?」

 

「俺はこう見えて褒めて伸ばすタイプだぜ?」

 

「だったら、ありがたく受け取っておこう……かな!」

 

 互いに対しては憎悪以外の感情を抱かず、だがその根源は同じであるが故の歪んだ信頼関係。小アメンドーズに包囲されれば、ユウキとPoHは自然と互いの背中を晒し合う。お互いの攻撃が命中すればそこまでの捨て身の連携。互いに配慮しない攻防。それが深淵の沼より湧き出す魔物たちを駆逐していく。

 

「ティターニア様の為に鍛えた我が拳、通らぬと思ったかぁああああああ!?」

 

 マルチネスもまたアルフ級のレベル、大きくSTRを注いだ肉体を活かす。下手に武器を有するよりも、≪格闘≫の補正を大幅に高める格闘装具のセスタスを装備した方が望ましいと判断したクラインの読み通り、彼の場合は下手にアルヴヘイム製の粗製武器を装着するよりも格闘攻撃の方が高威力だった。

 ダメージを多少受けても、ピナの加護によってHPは回復する。連発はできないようであるが、彼女のお陰で消耗が少なくなっているのは確かだ。だからこそ、シリカを要として守るフォーメーションも作られる。

 

「着いたぜ。ここが深淵の沼の中心部、【古き死の賢者】が潜む場所、【ヨツンヘイムの洞】だ」

 

 靄で覆われて時間感覚が狂うが、それでも世界を染める夕暮れの光は届く。1晩の休息を挟んだ深淵の沼の探索。いかに道順を知っているとはいえ、PoHも消耗を避けたいらしく、なるべく深淵の沼に浸かっていない陸路を選択し、交戦をなるべく避ければ、時間を大いに消耗するのは仕方がなかった。

 銀の蝋燭は間もなく燃え尽き、決戦が始まる。シリカの予想をPoHが補足した形となり、オベイロンの軍勢との戦いは今夜12時に火蓋が切られるだろう。今からユウキ達が急いでも転移ポイントまで辿り着けず、彼らの参戦はほぼ絶望的だ。故に自分たちがすべきなのは、早急にヨツンヘイムの洞を攻略し、オベイロンの軍勢……その一翼を担う深淵の怪物たちとの契約を断ち切ることだ。

 ヨツンヘイムはALOでも登場する地下空間であり、それ自体が巨大なダンジョンと呼んでも差し支えは無い。だが、ALOと違い、半ば深淵の沼、その泥水がゆっくりと流れ落ち続ける地下へと続く石造りの螺旋階段は、底を見せぬ闇によって浸されていた。

 

「ここは深淵に蝕まれてはいるが、死の領域には変わりない。尋常の光は使い物にならないのさ。ほらよ」

 

「ひぎゃあああああ!?」

 

 シリカはPoHに投げ渡された、干乾びた人間の頭をした【頭蓋ランタン】に悲鳴を上げる。さすがの彼女も不意打ちのDBO特有のグロテスクアイテムには対応できずに尻もちをついてしまっていた。

 髪を掴んで掲げる頭蓋ランタンは、最初の死者ニトの領域……尋常の光は届かない死の世界において光源となる数少ないアイテムだ。ただし、松明などと同じく使い捨てアイテムであり、NPC商人も販売していないが故に収集も難しいレアアイテムである。故にプレイヤーは、魔法の照らす光や他の特殊な光源の松明、ランプ、ランタンを使用する事が多いのであるが、時として死を守るとされるニトの眷属はそうした光を嫌って襲ってくるので注意せねばならない。

 死といえば闇に近しいイメージが湧くのだが、DBOにおいては事情が異なる。死とは差異の1つであり、かつて王のソウルを見出した最初の死者ニトによって拡大されたものだ。闇属性にはそれなりの耐性もあるが、深淵系のように光属性に弱点も持たない。

 

「準備が良いじゃねぇか」

 

 ユウキ達も特殊な光源を持たない訳ではないが、頭蓋ランタン以上のアイテムは持っていない。サポート役のシリカが今にも泣きだしそうな顔で左手で、頭蓋ランタンの束ねられた髪を握って掲げれば、彼女の周囲の暗闇は照らされて追い払われる。

 

「ううむ、しかし、何とも奇怪な! 吾輩がオベイロン陛下に派遣された頃よりも深淵の沼が広がっていることには驚きましたが、まさか伝説のヨツンヘイムが原因だったとは!」

 

「ヨツンヘイム自体は原因じゃない。ククク、ここはアルヴヘイムの深淵の始まり。妖精たちが翅を失った元凶。それが封じられた場所なのさ」

 

 先導するPoHはまるで物語でも聞かせるように語り始める。今にも崩落しそうな螺旋階段は手摺があるはずもなく、1歩踏み外せば底に急行落下である。即死は免れないだろう。

 

「かつてはこの場所だって深淵の沼に浸ってなかったらしいぜ? 拡大が進んだのはここ最近。オベイロンは決戦に向けて深淵の怪物たちを増産すべく、深淵の拡大を促進させているのさ。この螺旋階段も元々は深淵狩りが築いたものだ」

 

 言われてみれば確かに、これ程までに深淵に蝕まれた地であったならば、深淵を敵対視する欠月の剣盟が放っておくはずもない。ユウキ達がこの地に目を付けたのも、深淵狩りの武器を作れる工房があると睨んでのことだ。欠月の剣盟が健在だった頃は、この地にも深淵こそあったが、現状では排除するよりも監視を行うという判断に基づいていたのかもしれない。あるいは、彼らもまたこの地の深淵を狩るには力不足だと嘆いていたのか。

 

「随分と物知りなんだね」

 

「詳しい奴と知り合いなのさ。俺はお前と違って【黒の剣士】と遊ぶ為にアルヴヘイムに来たわけじゃない」

 

 ユウキは反論をすぐに述べようとする口を、舌すら噛み千切る勢いで歯を食いしばって堪える。

 ユウキの現状は、アルヴヘイム攻略ともクゥリとの再会とも関係ない、UNKNOWNとの死闘にして私闘によってもたらされたものだ。結果、UNKNOWNとユウキの双方は大きく疲弊し、貴重なHP全快アイテムさえ使い合う結果となり、メインウェポンを失った。2人はオベイロンを倒す為に協力し合える関係であったはずなのに、殺し合いにまで発展した挙句に消耗著しい損害を被った。遊びと言われても仕方がない事だろう。

 後悔はしていない。あのままUNKNOWNをアスナの元に行かせるべきではなかった。『力』に憑かれた彼を向かわせてはならなかった。だが、PoHに言わせれば、そんな内情など興味の範疇外だ。

 

「ウチの馬鹿娘をイジメるのは程々にしやがれ。人間なんだ。愚かだと分かっていても、行動しなきゃならねぇ時があるんだよ。合理的に判断し、合理的に行動し、合理的に結果を得る。そいつは機械と同じだ」

 

「気まぐれや遊び心が無いと退屈ってのは同意だ。完成された合理性は非合理的。機械は安定したパフォーマンスを維持する。それ以上もそれ以下も無い成果しか出せないからな。ククク、不安定……揺らぎこそ強みか。大人よりもガキの方が成長性はあるのと同じ理屈だな」

 

 意外にもPoHはクラインを肯定する。これには彼も驚きを隠せず、調子が狂うように頭を掻いた。シリカも気まずい空気を隠さない。

 リターナーである2人にとってPoHは、ユウキとはまた違った負の感情を抱く相手だ。アインクラッドに多くの悲劇と悪夢をばら撒いた犯罪王は、SAOを癌細胞のように蝕み、多くのプレイヤーを悪の道へと誘った。

 そんなPoHが固執するクゥリ。悪の道に誘い込みたいのではなく、彼のそれは信仰にも近しいモノをユウキは感じる。

 螺旋階段の底。たどり着いたのは深淵の泥水で浸された広大な地下空間だ。頭蓋ランタンの光では全てを照らしきれないが、まるで古代の遺跡のような石造りの都市であることは間違いない。だが、その過半は見える範囲だけでも深淵の泥水に水没してしまっている。

 1歩踏み外せば底なしの泥水に飲み込まれる。そんな恐怖心が疼くが、立ち止まる訳にはいかないとユウキは1歩目を踏み出す。

 出現するのは、深淵の泥で受肉した怪物たちだ。元々はスケルトンの類だったのだろうが、骨は歪んで膨張し、深淵の泥が内臓と肉となっている。赤く光る感覚器官によってこちらを捕捉すれば、その凶暴性のままに襲い掛かる。

 肋骨が長足のように変形し、蜘蛛のように迫る深淵の怪物は深淵の泥を吐く。高威力の闇属性攻撃であり、視界が悪く、また足下を浸す深淵の泥水のせいで思うように体は動かせない。だが、クラインの≪無限居合≫ならば間合いを詰めることなく攻撃でき、迫られてもPoHのショットガンがある。ユウキは≪絶影剣≫の黒紫の結晶剣による援護に徹する。闇属性攻撃である為に深淵系には効果も薄いが、刺し貫いて拘束し、なおかつ追撃の炸裂によるダメージは馬鹿に出来ない。

 

「チッ、思っていたよりも攻撃が激しいな。戦力がいるか」

 

 重ショットガンから排出される薬莢を蹴り飛ばし、PoHは舌打ちをすると立ち止まる。彼は泥水の底を掴むように右手を地面に押さえつけた。

 召喚されたのは重々とした黒い棺が2つ。PoHが有する≪死霊術≫によるリビングデッドの召喚だ。

 1つ目の蓋が吹き飛び、出現したのは2メートル半はあるだろう異形。右腕は3本あり、そのいずれも手ではなく円盤状の鋸が組み込まれている。左腕は1本だけであるが太く逞しく、また同じく手ではなくガトリングガンだ。頭部は人間ではなく金属質をした飛竜の頭である。毒々しい鱗に覆われた両足はリザードマンの類だろう。アンカーのように踵には鋭い爪も備わっていた。

 

「≪死霊術≫……【人為改造】。『仲間』の証に見せてやるんだ。特別だぜ?」

 

 ユウキやクラインのユニークスキルは直接戦闘タイプである。故にその幅はあくまで戦闘面のみに限定される。だが、PoHが有する≪死霊術≫はサポート方面の有用……いや、そちらが本領なのだろう。廃坑都市での殺し合いでは直接攻撃が可能な能力もあるようだったが、本領はスケルトン系の召喚や回収した遺体を繋ぎ合わせて戦力を生み出す事にある。

 もう1つの棺はゆっくりと開き、内部から現れたのは2メートルほどの男だ。

 眼球は白濁の義眼。全身は文字通りの赤い肌。黒の刺青が施された全身であり、スキンヘッドである。また革製だろう黒色のアーマーを取り付けているが、全体的な露出が大きく、イメージとしては古代ローマのグラディエーターを彷彿させる。その両手に握るのは分厚い片刃の戦斧だ。

 

「多腕は俺の試作品。攻撃力に特化させてある。こっちの赤肌は特別な遺体を幾つか使ってある」

 

 判明している限りでは、≪死霊術≫が操るリビングデッドには『材料』が必要になる。前ユニーク所有者のナナコが情報を割る前に殺害されてPoHに奪取された結果、チェーングレイヴも大ギルドも≪死霊術≫に関しての情報を集められていない。だが、分かっている限り、そのスキル名に恥じぬ死人を冒涜するものであり、材料となるのはプレイヤーも例外ではない。

 戦力は欲しい。だが、倫理観に何処まで抗えるか。ユウキは深呼吸を1つ挟むことなく、何の迷いもなく、目の前のリビングデッド2体を『戦力』と割り切る。

 禁忌など要らない。今必要なのはオベイロンとの深淵の契約を断ち切ることだ。その為ならば、この場でお荷物になる倫理観など不要。そもそも、倫理があらゆるものに勝るならば、元よりクゥリに惹かれることに禁忌を覚えて心は動かないはずなのだから。

 

「……チッ。つまらない女だ」

 

 ユウキにもう少し葛藤を持ってほしかったのだろう。PoHは退屈そうにリビングデッドに命令を下す。グラディエーター型は並のプレイヤーを軽々と凌駕する戦斧二刀流で敵を薙ぎ払い、大きく息を吸い込むと呪術だろう猛毒の霧を吐く。多腕はガトリングガンをばら撒き、接近されても3本の右腕の円盤カッターで刻む。

 発動には時間がかかるので即効性は無いが、少なくとも敵に回したら厄介な2体も召喚して戦力不足を補強したPoHの底知れなさは侮れない。

 

「それで、深淵の契約をどうすれば断ち切れる?」

 

「さぁな。俺も詳しくは知らないが、オベイロンは【古き死の賢者】と契約をしたのは間違いない。倒せば契約解除できる。シンプルだろう?」

 

「居場所は知ってるんだろうな?」

 

「……『元』のヨツンヘイムのマップは入手済みだ。だが、これだけの変質と深淵の拡大だ。ほぼ使い物にならないだろうな」

 

 クラインの質問に、PoHは実力行使あるのみとシンプルな回答を述べる。期待はしていなかったが、やはり強硬手段しかないのかとユウキは膨れる危機感を胸に秘める。

 元来ダンジョン攻略には時間をかけるものであり、場合によってもあるが、大ギルドは一般的にボスまでの到達に1週間ほどかける。これは隈なく探索してアイテムを取り逃さないようにすることもあるが、安全重視の面が大きい。デスゲームにおいて、敵との遭遇とはまさに命の取り合いであり、それが情報不足の最前線ともなればストレスも大きい。トラップの警戒も含めて精神の疲弊は大きいのだ。モンスター侵入不可エリアから次の侵入不可エリアへと探索を繰り返し、少しずつ探索完了範囲を広げるのが一般的である。

 ダンジョンを強引に突破する。それは最短ルートを見極め、なおかつ戦闘での武装・アイテム・精神の疲弊を厭わぬ覚悟が求められる。また、パーティならば人数分だけ隠密ボーナスも下がる為に、相応のエンカウントも覚悟せねばならない。

 黒火山の短期攻略に成功したUNKNOWN側も相当な消耗が強いられたはずだ、とユウキは危険視する。深淵の沼は正規ダンジョンでは無く、小アメンドーズも弱い部類だったので助かったが、黒火山は正規ダンジョンだ。敵の質が違う。武器を破損していなければ良いのだがとユウキは不安を募らせた。そして、同じくらいに、他の『証』を集めたかもしれないクゥリの疲弊は危険の域を超えていると危惧する。

 クゥリの強みの1つは、特異な能力・機能を備えた武器を多種使いこなす運用能力にある。水銀を使って攻撃できる贄姫、体内にあるパラサイト・イヴ、両手剣・槍・鎌に変形するアビス・イーターなどがユウキの知る代表武器だ。

 自分の体すら真の意味で操ることもできない人間が圧倒的多数なのが現実だ。それはステータスを向上させた分だけ高性能になるアバターでもそれは変わらない。むしろ、アバターが高性能になればなる程に粗が目立つ。そして、武器の扱いに関しては完全なシステム外スキル……個人の力量に依存する。

 プレイヤーの過半が武器枠を初期の2枠のままで満足するのは、2枠消費が多い銃などを運用しない限り、2枠で十分だからだ。武器1つを扱うのが精一杯。それを満足に扱えているかも怪しい。そして、それも自分に合った1つの武器を探すことから始めねばならない。

 変形武器が一般化しないのも、たとえ応用性の幅が広まっても、それを使いこなすプレイヤー側の力量が足りないからだ。手元の剣がいきなり伸びて槍になろうとも、≪槍≫スキルを持ち、なおかつ槍の扱いに熟達していなければ意味がない。ただ突くだけで勝てる程にDBOの敵は甘くない。

 対してクゥリは数多の異なる武器を同時運用し、なおかつそれぞれが多機能・多能力を搭載した、扱うのが人間だという点を明らかに度外視したオーバースペック装備を好む。正確に言えば、グリムロックはクゥリを基準にした武器しか作成しない為に、結果的に彼以外の使用は事実上不可の装備ばかりだ。クゥリが多数の武器スキルを有している事も関係し、その幅は他のプレイヤーよりも圧倒的に広い。

 そもそもとして、武器が破損するような状況は死亡とほぼ同じであり、そこから逆転・生存するのは難しい。仲間の援護が不可欠だろう。クゥリ自身の疲弊もそうであるが、武器の消耗が甚大であるならば、その分だけ彼の余力は失われることになる。

 たとえ、全ての武器を失おうとも戦うことは止めないだろう。敵を殺しきる為に突き進むだろう。それが悲しいくらいに簡単に想像できてしまう。それは悲劇だとユウキはハッキリと言い切れる。腕が千切れようとも、足が折れようとも、もはや喰らい付くことさえ出来なくなろうとも、止まらない。

 やがてユウキ達の目に、この地下空間に不似合いな明るい炎が入り込む。それは死の領域の暗闇でも輝く力強い炎だ。

 それは炉の光。ようやくたどり着いた深淵狩りの剣士たち……欠月の剣盟の工房にたどり着いたのだとユウキは小さな達成感を覚える。

 カンカンカン、と小気味の良い金槌を振るう音が響く。巨大な地下都市空間に設けられた工房の建物には、無数の鎖に作りかけられた様々な武器が吊るされている。そして、煌々と輝く炉の傍にいるのは、スケルトンと思えぬほどに分厚い体躯をした……まさしく骨太としか言いようがない者だった。

 

「ガキ共、また武器が欲しいのか。それとも武器を壊したか? どちらでも構わん。さっさと見せい」

 

 スケルトンの鍛冶屋は金槌を振るうの止めて振り返れば、当然であるが、皮膚も肉も目玉もない頭蓋骨の顔を向ける。だが、表情を作る頬肉も無いはずなのに、ユウキはこのスケルトン鍛冶屋が微かに驚き、また小さくない寂しさを抱いたように思えた。

 

「邪魔するぜ、オヤジ」

 

 気安く右手を掲げて挨拶するクラインに、スケルトン鍛冶屋は仕事を続けるとばかりに再び金槌を振り下ろし始める。

 

「そうか。深淵狩りのガキ共は死んだか。で、お前らは老骨に何の用だ? 武器なら好きなだけくれてやる」

 

 言うや否や、ユウキ達の前にNPC商人特有の販売アイテムを表示するシステムウインドウが展開される。貪欲者の金箱と同じでコルを消費して購入できる、DBOの由緒正しき売買だ。

 販売されているのは、深淵に挑む者シリーズという防具一式と深淵特効が付いた深淵狩りの剣、魔法ダメージが期待できる偽月の矢、光属性攻撃力を持った祝福ボルトだ。回復アイテムは売っていないが、闇属性防御力を高める【黒霊虫の髄薬】もある。後は縄で結ばれた連鎖火炎壺などの加工済み攻撃アイテムなども豊富だった。

 

「この矢さえあれば、シノンさんは……!」

 

 悔しそうにシリカが歯を食いしばるのも仕方がないだろう。道中が長く、補給が期待できないアルヴヘイムにおいて、弾薬・矢が補給できなければシューターは大きく戦力ダウンしていくのだ。シノンは曲剣に変形する弓を所持し、近中距離戦向けになったとはいえ、依然として射撃攻撃がメインなのだ。ここで一線級ではないとしても攻撃力を確保できる矢が無限購入できるのであるならば、立ち回りにも大きな変化があっただろう。

 ユウキは≪片手剣≫保有者として深淵狩りの剣に興味を持つが、装備条件STRが高過ぎて話にもならなかった。彼女が握っても持ち上げることさえできないだろう。

 

「深淵狩りがどうなったかは知らねぇが、俺たちはこのヨツンヘイムにいる深淵の元凶を倒しに来た。オベイロンは深淵と契約して怪物共を軍勢に加えている。どうにかして止めてぇんだが、何か心当たりはねぇか?」

 

 髄薬を購入したユウキの傍らで、クラインが交渉役としてスケルトン鍛冶屋に情報を求める。彼は軋む腰の骨を叩いて唸ると、深淵など興味がないとばかりに鍛冶仕事を再開する。

 

「深淵。深淵深淵深淵。どいつもこいつも馬鹿みたいに繰り返しおって。深淵が何たるかも知らぬガキが」

 

「ああ、そうだ。俺たちは深淵の正体なんざ興味ねぇさ。だが、仲間が今夜オベイロンとデカい戦を始める。一刻も早くオベイロンの力を削ぎ落さなきゃならねぇんだよ。頼む」

 

 頭を下げるクラインに、スケルトン鍛冶屋は首の骨を鳴らしたかと思えば、左手を差し出す。

 

「……見せてみろ」

 

「あ?」

 

「貴様の武器を見せてみろと言っている。金は取るが、構わんな?」

 

 それは修理画面。NPCによる修理・修復だ。ただし、クラインのカタナである羅刹丸はユニークウェポンであり、破損個所を直す修復には修復素材を持ち込まねばならないようだが、耐久度を回復させる修理に関しては多額のコルを積めば可能だった。

 アルヴヘイムの最大の問題点だった耐久度の回復。それが補填されようとしてクラインは目を輝かせるが、がっくりと項垂れる。何事かとユウキが有視界化されているクラインのシステムウインドウを覗き込めば、代金の高さにも驚いたが、修理完了予定は24時間後と表示されていた。現在時刻は夜の8時にも届く。修理をお願いしては決戦まで間に合わない。

 

「オヤジ、悪いんだが先を急いでるんだ。直す暇はねぇんだよ」

 

「フン! 武器を蔑ろにする者はいつか武器に泣かされるぞ。せいぜい死に際に裏切られんようにする事だな」

 

 武器への労わりの気持ち、か。ユウキはアイテムストレージに収まったままの折れたスノウステインを思い出す。

 

「おじさん、これって直せる?」

 

「ほほう。これは見事に折れた剣だな。それに……なんと軽い! ワシの性には合わん剣だな。やはり剣とは重くなければならん。ふむふむ……無理だな。ここまで見事に折れた武器など修復できん」

 

 期待はしていなかったが、修復不可の破損確定である。ユウキは返されたスノウステインに黙祷を捧げる。

 グリムロックが作成してくれたスノウステインの性能を、果たして自分は引き出しきれていただろうか。もっと大事に扱っていれば、UNKNOWNとの戦いで折れることも無かったのだろうか? 多くの逡巡の中で、全ては自分の力不足が原因だとユウキは折れた剣に心の中で謝る。

 その姿をジッと見つめていたスケルトン鍛冶屋は金槌を置いて立ち上がる。生前も人間ではないのだろう3メートルにも届く巨体だが、威圧感はなく、その硬い骨の手をユウキの頭に置く。

 

「奇麗に折れてはいるが、最後まで主人を裏切らない気合が籠ってた剣だ。そいつを見れば分かる。打った鍛冶屋は良い腕だし、お嬢ちゃんは良い剣士だ。しっかりと弔ってやんな」

 

「……うん!」

 

 良い返事だ、とユウキの頭を撫でるスケルトン鍛冶屋は小さく笑うように骨を鳴らした。

 

「前々から思ってましたけど、天然タラシなんですか? なんか『あの人』と同じオーラを持ってる気が……」

 

「馬鹿。今更だろ。ただし、あっちがホイホイなら、こっちはアレだ。無自覚魔性だ。さすがは俺の部下。おっかないぜ」

 

 なんか背後で凄い失礼なことを言われてる気が。振り返れば、不自然にクラインとシリカは目を逸らして口笛を吹いていた。PoHに関しては興味ないとばかりに、スケルトン鍛冶屋の販売アイテムと睨めっこしている。

 とりあえずオメェが話を進めろ、クラインに背中を叩かれ、仕方なくユウキは再び鍛冶仕事に戻ろうとしているスケルトン鍛冶屋に話しかける。

 

「ボスの言った通り、時間がないんだ。【古き死の賢者】について何か知っていれば教えて欲しいんだ」

 

「……ワシは見ての通り老骨だ。このアルヴヘイムで妖精たちが飛び回っていた頃から住んでおる。【古き死の賢者】マーリン様はワシの師であり、深淵狩りの始祖が有した聖剣を幾度となく鍛え直したという。いかに聖剣とはいえ武器は武器だったというわけだ。刃毀れもすれば亀裂も入る。師は【最初の死者】ニト様の直近の眷属であり、始祖の深淵討伐に幾度となく知恵を貸したという。闇と死は似て異なるものではあるが、通じる部分は多いからな」

 

 深淵狩りの始祖といえばアルトリウスだ。【最初の死者】ニトは王のソウルを見出した1柱であり、彼は死の力を得た。はじまりの火がもたらした差異の1つである生死。その内の死の力を獲得し、なおかつ拡大させたのがニトである。だが、それはニトが不死性を得たということではなく、死から戻る術の1つ、PoHが有する≪死霊術≫のように、このスケルトン鍛冶屋のようなアンデッドとして蘇らせる方法だった。 

 

「世界樹ユグドラシル。それは古竜ユグドラシルが変じたもの。いかに世界樹に変じたとはいえ、元は古竜。いつグウィン王の治世を揺るがすか分からないとマーリン様は危険視し、この地に至って監視をしていた。だが、それも杞憂に終わり、妖精たちは戦争を経てオベイロンがユグドラシルのソウルを得て王位についた。平和だった。あの裏切りの騎士が深淵をもたらすまでは」

 

 裏切りの騎士と言えばランスロットだ。ユウキは、UNKNOWNが敗れ、廃坑都市で転移の間際に確かに見たクゥリと戦っていた漆黒の騎士を思い出す。

 

「滴った深淵はこの地に根を張り、やがて呪いをもたらした。妖精から翅を奪ったのだ。マーリン様はこれ以上の呪いが広がらぬようにと自らを楔として封印した。ニト様から死の力を授かっていたマーリン様は、闇に近しい力を持つ。深淵そのものはともかく、呪いを封じ込められるのはマーリン様をおいて他にいなかったのだ。今でも憶えている。オベイロン王は涙を流して頭を垂らし、マーリン様に封印を願い出たのだ」

 

「オベイロンが……頭を下げて……涙を?」

 

 思わず唖然とした……いや、信じられないと顔面で表現したユウキに、コツコツと骨を鳴らしてスケルトン鍛冶屋は笑う。そんなユウキの後ろで、『まるでジジイの昔話に付き合う孫みたいだな』とクラインの余計な一言が聞こえて、ユウキは振り返ってジロリと睨む。

 

「昔のオベイロンは勇猛果敢にして公明正大。王に相応しき男だった。今は見る影もない。まるで中身が入れ替わったようだ。話を戻すが、マーリン様はヨツンヘイムを築かれてこの地に深淵を封じ込めた。誰も手出しが出来ぬように。誰も呪いに触れぬように。しかし、オベイロンの乱心と共にアルヴヘイムを天変地異が襲い、ヨツンヘイムは崩れ、深淵が漏れ始めた。やがて、聖剣の啓示を得たとのたまう深淵狩り達がこの地に眠る深淵の伝説を聞きつけて現れ、ワシに戦う為の武器を求めた。それがアルヴヘイムの深淵狩り……欠月の剣盟の始まりだ」

 

 ALOでヨツンヘイムは地下世界であり、最も広大なダンジョン……いや、フィールドに近しい。故にアルヴヘイムの強引な拡大の被害を真っ先に受けてしまったのだろう。本来のアルヴヘイムは、深淵ではなく、ニトの死の領域を軸としたアンデッド系が跋扈するダンジョンだったのかもしれなかった。

 

「結成の目的は2つ。この地の深淵を狩ること。そして、もう1つはアルヴヘイムに深淵をもたらした元凶である裏切りの騎士を倒すこと。だが、崩落したとはいえ、マーリン様が築き、眷属を解き放ったヨツンヘイム。そう簡単に最奥まで至れるものではない。ましてや、この地の深淵はマーリン様の封印で幾らか大人しい。ならば、先にアルヴヘイム各所で湧く深淵を狩り、力を蓄えることこそが目的を成就させる方法だと彼らは悟った」

 

 欠月の剣盟。もはや姿を現さず、全滅しただろう彼らの歴史に、ユウキは切なさを覚える。彼らはどんな想いでアルヴヘイムの深淵を狩り続けたのだろうか。自分たちを罵倒する声の中で、何を支えにして深淵と戦い続けたのだろうか。

 

「だが、ここ最近で深淵は拡大し始めた。深淵の沼もかつてはここまで広がっていなかった。オベイロンが深淵の怪物を利用しているならば、奴が深淵の拡大を図ったのは疑うまでもない。いかにして深淵の契約を結んだのかは分からんが、深淵の大元はこの地にあり、マーリン様はそれを封じ込める楔となって一体化した。深淵の拡大はマーリン様が深淵に呑まれた事を意味するだろう。言うなれば、深淵の憑代。主無く深淵がここまで拡大するならば、それに類する存在が不可欠。マーリン様を倒せば、あるいは……」

 

 言葉を濁らせたのは、師を倒してもらいたいと望む後ろめたさか、それとも確証が無いからか。だが、PoHの情報によれば、オベイロンが深淵の契約を結んでいるのは【古き死の賢者】マーリンだ。彼を倒せば深淵の軍勢を止められる算段は大きい。いや、そうでもなければPoHが力を貸すはずがないのだ。

 

「ボク達が倒す。深淵の拡大も食い止める」

 

「……ガキ共が粋がりおって。コイツを持っていけ」

 

 スケルトン鍛冶屋は工房の隅で埃被っていた木箱を運んでくると蓋を開けて中身を披露する。それは手書きの地図だ。最初はいかなる地図か分からず、全員で囲む。

 

「欠月の剣盟。連中は幾度となく、この地の探索を続け、マーリン様の封印の場所を探し出そうとした。馬鹿な連中だ。何代も何人も何代も何人も、死に場所でも探すように奥地を探る。たまに生きて戻ってきたと思えば血だらけで仲間に書き加えた地図を託してくたばる。そうして、この地図を作り続けた。深淵の泥に浸かり、ここ数日で崩壊も進んではいるが、逆に言えばマーリン様が解き放っている眷属も泥に押し流されたかもしれん」

 

「ありがとう、骸骨おじいちゃん!」

 

 地図の縮尺とルート探索を考慮すれば、深夜は無理でも、夜が明ける前までならば十分にマーリンの元にたどり着けるかもしれない! ユウキは嬉しさのあまり、スケルトン鍛冶屋に抱き着く。驚いて硬直したスケルトン骸骨だったが、温かくポンポンと彼女の背中を叩いた。

 

「無駄死にするんじゃないぞ」

 

「うん」

 

 やっぱり天然人たらし、とシリカが小さく呟く声が耳に入ることもなく、ユウキは地図を纏めると、PoHが所持している崩壊前のヨツンヘイムのマップデータを引き寄せて、頭の中で照合を開始する。確かに大きく崩落し、また潰れてしまっているが、欠月の剣盟が残した地図を使えば、最短ルートを割り出すことは難しくない。

 

「良い演技だ。あの骨ジジイからよく情報を引き出したな」

 

「え? 何が?」

 

「素か。やっぱりお前は俺の敵だ、怨敵」

 

「良く分からないけど最初から敵だよ、宿敵」

 

 PoHからの心証が更に悪くなろうと気にかけないが、不機嫌を隠しもしない彼に、ユウキは何か気を損ねるような真似をしただろうかと考える。

 

「開戦まで3時間と少し。ここからダンジョンに潜るとなれば、最短ルートを選んでも間に合いそうにありませんね」

 

 だが、シリカの嘆息で思考が逸れ、ユウキは同意するように頷くと≪暗視≫持ちの彼女にナビゲートを一任する。頭蓋ランタンを有した彼女を中心にしてフォーメーションを組み、慎重に最下層だろう、マーリンの封印を目指すのだ。

 

「吾輩の拳が何処まで通じるものやら」

 

「とにかく殴って避けるを繰り返せば良いよ。ううん、回避優先で誰かが攻撃したら重ねる感じで殴って」

 

「ううむ、なかなかに難しい。吾輩の本領は盾があってこそ。ああ、ティターニア様! どうかこの不甲斐ない吾輩に加護と慈悲を!」

 

 小アメンドーズを一方的に殴り殺していたのに、意外と慎重派な人だ、と涙を流してティターニアことアスナを賛美するマルチネスに苦笑したユウキは、スケルトン鍛冶屋の工房から見下ろせる、広大なヨツンヘイム、その過半が深淵の泥に浸かった闇を覗き込む。

 アルヴヘイムの日々が蘇る。クゥリを追いかけ、PoHに無知蒙昧を突きつけられ、穢れを自覚し、無力に貫かれ、アリーヤを失い、そして禊を経て『答え』を探すことが許された。

 

(今は全力を尽くす。このアルヴヘイムでの戦いを終える為に!)

 

 どうか死なないで。生き残って。ユウキは不安を隠すように胸に手を置いて拳を握る。クゥリは強い。だが、無敵ではない。だからこそ、いつも無理と無茶と無謀を繰り返す。だからこそ、止められないならば、せめてこの戦いが彼の一助になると信じるしかなかった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 深淵の沼から流入した深淵の泥水によって半ば水没しているが、決して溜まることはなく、底へ底へと流れ続けている。

 アルヴヘイムのイベントダンジョン、ヨツンヘイム。その難度は霜海山脈を上回り、ボスの【古き死の賢者】マーリンはかなりの難敵であるとPoHは教えられていた。だが、ダンジョンそのものはほぼ崩壊しているに等しく、PoHが持参した元のマップデータと欠月の剣盟が残した地図を合わせれば、十分なショートカットが可能だった。

 開戦には間に合わずとも、何とかオベイロンとの決戦の最中に深淵の戦力を削り取れるかもしれない。だが、マーリンを倒せるのかと問われれば、PoHはかなり厳しい戦いを強いられるだろうと覚悟していた。

 本来ならば、PoHとしてもユウキと組むのは下の下の選択肢だ。だが、勝率を引き上げる為には必要不可欠な判断だった。特にクラインの≪無限居合≫は中距離における範囲攻撃という点で群を抜いている。彼の有無でボス戦は大いに難易度が変化するだろう。

 

(だが、マーリンさえ倒せば用無しだ。ここでコイツらを殺す)

 

 チェーングレイヴのせいでDBOの犯罪ギルドは裏の統治が敷かれている。お陰でPoHの活動にも大いに制限がかかっていた。リーダーであるクラインを亡き者にすれば、その分だけ今後の活動が楽になる。

 シリカを殺せば【黒の剣士】は絶望を深めることになる。SAO時代からそうであったが、あの男はPoHの目的を頓挫させ、邪魔することには定評がある。この辺りで過去の落とし前をつけるのも悪くはない。

 だが、やはり1番に始末しておきたいのはユウキだ。この女は危険だと、PoHは再認識した。

 

(あのまま心が折れて腐れば良いモノを。チッ、上手くいかないものだな)

 

 PoHの目的は一貫して『天敵』を世に放つことにある。アインクラッドでクゥリに『天敵』を見た。今まさに卵の殻は割れ、雛鳥は飢えている。だが、雛は殻に居座り、餌を食さない。このままでは飛翔する日は来ない。人類種を喰らい、世界を焼き尽くすことはない。

 クゥリが死ぬならばそれまで。自分に見る目が無かっただけだ。PoHは自らの間違いに殉じよう。

 だが、PoHはアインクラッドで『本物』に出会ったはずだと信じて疑わない。あの無機質にも思える冷たい殺意、その内側に潜む混沌と焼き爛れた血と死を求める飢餓。だが、その本質は何処までも純粋にして平等なる殺戮のアガペー。

 神を見たのだ。クゥリに『天敵』という名の神性を見出し、自分は殉教者になろうと誓ったのだ。『天敵』を卵から孵し、雛を育て、世界を焼く飛翔の日を迎える。その為ならば、この命すらも使おうと決め、彼は事実としてアインクラッドで1度彼に殺されて死んでいる。

 だが、PoHもまた予定が狂った1人だ。本当ならば、念入りに成長を促すプランを組み込む予定だった。何よりも、クゥリが不得手とするVR空間での成長は考慮していなかった。何の因果か、クゥリはDBOにログインし、それは彼の計画に修正を求められた。

 いや、思い返せば、自分の見通しの甘さが招いたとPoHは己を叱咤する。

 傭兵業を促し、彼に人間の醜さと愚かさと脆弱さを学ばせ、『天敵』への成長を加速させるまでは良かった。だが、放任が過ぎた。彼はアインクラッドで、心強き者たちと出会い、そして【黒の剣士】の相棒になった。

 死と災厄をもたらす凶鳥。そのはずであったのに、最も傍にいたはずの【黒の剣士】は死ななかった。アスナを失った時にはすでに彼にとって破滅を迎えていたからか、それとも彼の英雄性のお陰か、それが【渡り鳥】の何かを変えた。

 バケモノは英雄を喰らい殺す。英雄はバケモノを殺す。本来ならば、決して混じることがない白と黒。それがアインクラッド末期において、何の悲劇にして喜劇か、PoHの計画に大きな誤算をもたらすように、手を組むのみならず、互いを意識し、そして良好と呼べる関係を築いた。皮肉にも、アスナの死によって、本来ならば【黒の剣士】が最も理解せず、手を結ぶこともない相手との繋がりをもたらした。

 友情。陳腐で使い古された、見ようによっては何の意味も持たない縁。それが【渡り鳥】にとって確かな楔になっていた。

 好き放題に利用され、理不尽に追いやられ、憎しみと呪いをぶつけられ、少しずつ少しずつ『天敵』として存分に餌を喰らう土台を作っていたはずなのに、理想と憧憬で汚れた友情が殻を割らぬように卵を塗り固めた。

 DBOにログインしていると知った時、PoHは今度こそと企んだ。【黒の剣士】はアスナを取り戻すという夢物語に狂い果て、その英雄性を失っていた。アインクラッドで見せつけられ続けた【渡り鳥】の『力』。今度はそれが逆に働き、いずれは破綻と自滅をもたらすだろうとPoHには見抜けていた。

 そのはずなのに、今度はユウキが現れた。【黒の剣士】では理解できなかった、彼の殺意の本質に触れてもなお恐れなかった。

 死よりも孤独を恐れ、故にクゥリの殺意に恐怖を抱けぬ者。そこにある愛を感じ取った者。PoHだけが知っていれば良かったはずの殺戮のアガペー。それを受け入れるのみならず、寵愛とも呼ぶべき特別な殺意にも気づいていた。

 

(純真。良くも悪くもコイツの魂は幼いまま『壊れてる』。だからこそ、狂信にして盲目にも近しく愛している。どんなにアイツが血に狂おうとも、ケダモノの如く殺し回ろうとも、アイツはクゥリの本質も含めて『女』として愛している)

 

 どれだけ周囲から狂気にして邪悪にして災厄に映ろうとも、ユウキにはクゥリの純粋さが見えてしまっている。だからこそ、理解を示して受け入れてしまう。歩み寄れてしまう。恐れず、怖れず、畏れずに、触れる事も、言葉をかける事も、殺される事さえも出来る。

 クゥリの殺意は、優しく切なく蕩けるように甘い。彼女はそう言って憚らない。だが、PoHからすれば、クゥリの殺意とは純潔にして無垢なる破滅だ。彼と彼女ではその本質を捉えていても、理解のあり方がまるで異なる。PoHが思想家として、ユウキは乙女として彼の殺意を理解しているのだから。

 だから崩しにかかった。彼女の無知を指摘し、心を刺し貫いた。そうすれば、その純真も腐って曇るほどに『大人』になってしまうはずだとPoHは睨んだ。『大人』は恋も愛も陳腐で現実的な打算に染め上げる。そこにあるべき純情は失われる。そうでなくとも、彼女はクゥリとの関係に依存性があった。そこを崩せば、彼女の心は別の誰かに傾くはあずだった。

 だが、蓋を開けてみればどうだろうか? 約束の塔で【黒の剣士】と殺し合うまでは良かった。アスナの援護に回るなど上出来だった。挙句にクゥリにも突き放されたはずだ。そのはずなのに、傷ついても汚されても純真を失っていない。

 

「泥から何か来るよ」

 

 ユウキは少し考えに耽り過ぎたPoHを諫めるように腕を伸ばす。彼女の指摘通り、泥水から巨大なワームが飛び出して襲い来る。まずは先制打でクラインが≪無限居合≫による空間斬撃を、シリカがピナに指示してブレスを吐かせてのけ反らせる。闇のブレスを吐くワームの攻撃に合わせてPoHが重ショットガンを放てば、ユウキがトドメとばかりに左手から銀糸を生んで刻む。

 水面からして淀んだ深淵の泥水には何が潜んでいるか分からない。水辺を警戒して進まねばならず、存外に進行速度は鈍い。

 

「ナイス援護」

 

 素っ気なくだが、ユウキはPoHを見もせずにそう告げる。だが、その赤紫の瞳にあるのは揺るがぬ『信頼』だ。

 PoHは裏切らない。少なくとも、マーリンを倒すまでは裏切るはずがない。『クゥリの為』という1点においてPoHの行動に嘘偽りないと信じているのだ。だからこそ、憎むべき敵と思っていても歩み寄れる。

 自分を責めて責めて責めて、自壊するまで自分を汚し続ければ良かったものを、『誰か』が彼女を清めた。彼女の呪いを解いてしまった。

 

「……チッ」

 

 苛立ちをいよいよ隠せず、いっそ泣き叫ぶまで体を嬲れば、少しはその目も汚れるのだろうかとPoHはワームの千切れた肉片を踏み躙ってストレス発散し、心の調律を行う。

 

(マーリンの次はお前だ。深淵の契約さえ断てれば、お前たちは必要ない。ここで始末してやる)

 

 こちらの戦力は自分を除けば素性を隠したロザリアだけであるが、今の弱体化したユウキならば不意打ちで仕留められる算段は高い。素性を隠したロザリアにクラインの足止めを頼めば、彼女だけならば確実に仕留められる。

 その時までは生かしておいてやる。PoHは肉断ち包丁を改めて握り直し、兜の下で『どうしてアタシがこんな目に……』と小声で啜り泣いているロザリアの腹に喝を入れた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 き、きまずい……! レコンは険悪とも違う、かといって健やかとも言い難く、なおかつ絶妙な多種の感情がブレンドされた緊張にプルプルと震えた。

 場所は転移先の外征門。暁の翅を筆頭とした反乱軍が決戦に備えて続々と橋を渡り、回廊都市アヴァロンにおいて陣地形成を行っている。

 ルールとして、反乱軍側は自由に3ヶ所の初期拠点の設定が許されている。無論、戦力分散という悪手を使うこともなく、橋を渡り終えたばかりの領事館を思わす白亜の建物を中心拠点として確定させ、そこから近隣2ヶ所の拠点として獲得している。

 このラストバトルは戦争ゲームであり、陣取り合戦の意味合いも持つ。拠点範囲内ならば制圧点を稼ぎやすく、それ以外にもバフなどの多くの有利な効果もある。与えられている初期拠点の3つはいずれも一定時間ごとのHP回復効果があり、5分ごとに1割のHPが回復する。負傷しても1時間もすれば戦線復帰できる計算になるが、実際には負傷や欠損、骨折などで長期の戦線離脱が想定される。

 総勢4万にも及ぶ大軍はまさしく壮観であるが、彼らの大半はクロスボウによる火力制圧が主な役目だ。近接戦で主力を担うのは、精鋭部隊である女王騎士団と砂上都市の騎士だ。前者は分厚い盾を用いた防御とエンチャントを施した武器、あるいは過去に深淵狩りより奪い取った深淵狩りの剣がメインの装備となる。対して砂上騎士は獰猛な地竜による突撃戦法によって敵陣を崩すことが目的だ。

 ヒーラー役も十分であり、反乱軍より選抜されたエリート神官ばかりであるが、彼らが使えるのは下級奇跡であり、回復量には期待できない。

 いかにして拠点を速やかに制圧し、陣形を築き、制圧点を稼ぎ、味方の損害を抑えるか。それが勝負の分かれ目であり、同時にオベイロンは必ず自分に有利になるような策と反則を駆使することは目に見えていた。

 本来ならば、アルヴヘイムの運命を決する……何よりも【来訪者】にとって長きに亘るアルヴヘイムの集大成となるべき最後の戦い。ゲロを吐くほどに緊張が高まっても良いはずなのであるが、レコンは別の意味で胃がキリキリと痛んでいた。

 理由は目の前の3人。UNKNOWN、リーファ、シノンである。

 

「えーと、シノン」

 

「忘れなさい」

 

「そろそろ準備を――」

 

「昨夜のことは全部忘れなさい」

 

 どうにかして雰囲気を盛り上がらせ、プラスの意気込みに変換しようとするUNKNOWNであるが、どんよりと表情を暗くしたシノンの双眸はもはや感情が読み取れない程に濁らせて膝を抱えて座り込んでいる。

 それも仕方ないだろう。リーファの裏拳によって、ダメージもそこそこであったはずなのに何故か意識を一撃で刈り取られたレコンが朝になって目覚めれば、シーツで全身を巻かれた上からロープで縛られたシノン、何故かUNKNOWNに馬乗りになって上着を剥ぎ取ろうとしているリーファの姿があった。

 どうやら強力な媚薬によって精神が昂っていたらしいシノンは落ち着きを取り戻し、昨夜の出来事を思い出して顔を真っ赤にして悶絶した挙句、自己嫌悪で顔を暗くし、そのまま自室へと潜り込んだ。

 兄妹の謎の攻防戦が繰り広げられたらしき仮面の剣士とリーファもまた、同じく部屋に籠り、夕方まで顔を見せることはなかった。

 少なくとも十分に休養は取れたらしく、昼過ぎからの仮眠を終えたレコンも合流する頃には、彼らのコンディションは整っていた。ただし、精神面においては、この苦境目前において何をやらかしてくれたのかと言わんばかりの、導火線に火が点いた爆弾状態である。

 ここは僕が何とかしないと! そう華麗に切り込めれば苦労しないのであるが、レコンとてわざわざ無防備に鉄火場に飛び込むほどに馬鹿ではない。

 

「ふ……ふふふ! どうせ淫乱だと思ってるんでしょう? 発情猫女って嗤ってるんでしょう? 好きにすれば? 何をイメージされようと自業自得。ふふふふふふふふふふふふ!」

 

「そんなことない。俺もあの薬が『すんごい』ことは身に染みて分かってるから。シノンが『あんな風』になるのも、その……本当に仕方ないんだ」

 

「なにそれ、聞いてない。お兄ちゃん詳細プリーズ。今すぐツインテール殺しに行かないと」

 

 必死にフォローしようとしている兄の腕に縋りつく姿はいじらしいが、その目は大きく見開かれているリーファは一切の抑揚がない声で特定の誰かへの殺意を募らせる。

 

(拝啓、過去の僕へ。リーファちゃんは何処で何を間違えてこんな風になってしまったんでしょうか? でも、僕はそんな彼女のことが好きだったんです。初恋だったんです。でも……この惨状はドン引きです)

 

 胃が痛い。胃薬が欲しい。レコンはリーファとシノンをUNKNOWNに任せ、回廊都市に築かれた陣地を見て回る。

 今回、拠点として得られた3ヶ所はいずれも指揮系統の中心を担うに相応しく、『軍師』が駐在するに適している。だが、それは逆に言えばオベイロン側に攻撃されるべきポイントを露呈しているようなものだ。ピンポイント爆撃でもされれば指揮系統は潰されることになる。

 軍師役は全部で5人。最初の3拠点それぞれに1人の軍師が配属され、残りの2人は拠点制圧次第に移動して新たな司令部を構築する。軍師役は常に新たな拠点へと移動し、オベイロンからの集中攻撃を躱す作戦だ。

 問題となるのは、オベイロン側が全ての役を把握できるのかという部分である。UNKNOWNとレコンが推論した結果、最低でも各員の居場所をリアルタイムで把握するマーキングは予想されたが、何処までスキャンされるかは不明だった。

 だが、念には念を入れるべく、役はあらかじめ先発しておくが、開戦前に1度解任させ、転移後の1時間前に改めて役を与えるという方針が取られた。更にUNKNOWNの要望により、賊王は最後まで伏せられ、彼が選抜することが決定している。

 反乱軍にとって最大の急所になる賊王は、最も生存率が高く、なおかつオベイロンの目を掻い潜れる人物でなければならない。UNKNOWN曰く、信頼の置ける人物を選定したという事である。徹底して伏せられているのは、何処にオベイロン陣営のスパイが紛れ込んでいるか分からないからだ。

 都市そのものが世界遺産に認定されてもおかしくない程に作り込まれている。ただし、変わらずしてオベイロンの賛美を中心としており、各所にアルフ像に並んで勇ましいオベイロンの石像があり、ステンドグラスもオベイロンの足にキスをするティターニアの図、道の石畳にもオベイロンを賛美する文句が彫り込まれている。

 ガス灯にも似た青銅色の街灯では光球が輝き、間もなく深夜零時を迎える回廊都市を冷たく照らし、入り組んだ路地は光が届き切らずに暗闇に浸されている。地下道も複数あり、それらは敵襲及び進行においての大きなカギになるだろう。

 果たして自分に軍師が務まるのか。レコンは今回の大きな仕事を任されるに足ると自分を信じ切れていなかった。それは他でもない、軍師気取りだった頃に犯した多くの罪のせいだろう。

 自分の考案で細やかに暮らす村々を襲撃させて凄惨に皆殺しにしたこともある。自分の地位を固める為に、利用されていると薄々気づいていながらも、ロズウィックの殺害にも及んでしまっている。

 こうして呼吸をしている事自体が……生きていることが恥知らずなのではないかと後ろ指を常に差されているかのような気分になる。

 

「やぁ、レコン君」

 

「ギーリッシュさん。指令本部にいなくてよろしいんですか?」

 

「釣れないな。キミと少し話がしたくてね」

 

 不安を無表情で隠すレコンに話しかけてきたのは、今回の反乱軍の中心となるギーリッシュだ。暁の翅の盟主である彼を旗印にして反乱軍は纏まっているが、その実は多くの有力者が最もアルヴヘイム新王に近しい彼を追い落とそうと画策している。

 本来ならば一致団結してオベイロンに挑まなければならない戦いであるはずが、友軍からの謀殺も苦慮しなければならない立場のギーリッシュに、レコンは権力者の哀れみを覚えた。

 王器と呼べるものがあるならば、その形も様々だろう。ギーリッシュは名君になれる素質がある。清濁併せ呑む器量があり、また陰謀を駆使しつつも正道を歩める胆力が備わっている。それもまた王器なのだろう。だが、それは万人を平伏せさせる格ではない。

 この場において最も有力なのは覇王の器。武と暴力で人々を束ねる王器だ。そして、致命的な事に反乱軍にその類の傑物はいない。

 

「3割戦死、3割謀殺、4割で生存といったところかな」

 

「な、何がですか?」

 

「ん? 決まってるだろう。私のこの戦いでの結末だよ」

 

 あっさりと6割の確率で、しかも戦死と謀殺を同割合で述べるギーリッシュに、彼の側近である老将軍と火傷のケットシーは露骨に顔を顰めた。だが、彼は笑いながら肩を竦める。

 

「まさかオベイロンとの戦いがこのような様相になるとはね。私が生涯で経験したいかなる戦争とも違う。そして、キミ達が危惧している通り、この戦いの本質が遊戯であり、それぞれが役割を果たす駒に徹しなければならないにも関わらず、仲間内で足を引っ張るだけではなく、新王の座を得たも同然とライバルを減らすことを画策している連中も多い」

 

「そういうギーリッシュさんはどうなんですか?」

 

「私は彼らほどに楽観視していない。精鋭4万の軍勢。確かにアルヴヘイム史上最強の軍隊であり、普通ならば多少の内輪揉めも気にせずに進軍できるだろう。だが、相手は長きに亘ってアルヴヘイムを支配し続けたオベイロン。これがキミ達の言う通り、限りなく盤上の遊戯に等しいならば、僕らには指し手が必要だ。だが、盤上を俯瞰できる者はいない。軍師が限りなくその役目に近しいが、ルールに支配される側だ。ルールを作り、ルールの抜け道を知り尽くし、盤外戦術も駆使できるオベイロンに対抗する為には、駒が駒として正しく動かねばならない。ただの1つとして隙を見せるわけにはいかない。せめて1年は時間が欲しかったよ。そうすれば、必勝の限りを尽くせたというのにね」

 

 やはりこの男は頭がキレる。この局面において、反乱軍が既に苦境に陥っていると正しく理解できているアルヴヘイム育ちの人間では彼だけなのだろう。他の有力者たちは百戦錬磨の軍略の使い手であるが、『ゲーム』は素人なのだ。4万の軍勢と装備、目と鼻の先に迫ったオベイロンの首に功名心が逸り、なおかつ新王という欲望をそそる玉座に浮足立っている。

 

「月が見えてきたね」

 

 ギーリッシュの指摘通り、これまで空を覆っていたはずのオーロラは少しずつ薄れていた。それは深夜零時まで間もなくと迫っていることを肌で感じさせる。

 

『オベイロンは環境ステータス、あのエフェクトに割り振っているリソースも使うはずだ。わざわざ権力を示す為だけに派手な演出をしているわけじゃない。アルヴヘイム全域を覆うほどの環境エフェクト。それがそっくりそのまま、開戦と同時に戦力の創出に割り当てられる気だろうな』

 

 ここまではUNKNOWNさんの読み通りだ。オベイロンは軍勢と自己強化のためにあらゆる手段を徹底的に準備している。

 オベイロンは強い権力欲と支配欲、そして自己顕示欲を持つ存在だと分析されている。だが、今回のオベイロンは勝ちを奪い取りにいくべく、一切の遊びなく準備をしているのは疑いようがない。

 

「オベイロンはまず『頭』を潰しに来るはずだ。私は目立つ囮の役目も担う。最初の局面さえ乗り越えれば、後は戦線拡大と拠点確保に応じて司令部を移動させていく。レコンくんの手腕に期待しているよ。他の連中と違って、キミはこの『ゲーム』を有利に戦えるはずだ」

 

「ギーリッシュさんもお気をつけて。アルヴヘイムの新王は誰が相応しいのかと聞かれたら、やっぱり貴方が1番まともな王政を敷くような気がしますから」

 

「消去法かい?」

 

「いいえ。あなた以外の有力者について深く知る機会がなかったので、せめて……今日までの戦いが報われるように、貴方に王様になってもらいたいんです」

 

 反乱軍として立ち上がり、多くの謀略を経た。多くの戦争で村や町を焼き払った。未来を憂いていたロズウィックを暗殺した。その犠牲が何1つとして意味がなかったとなどという結末は迎えたくないのだ。

 たったそれだけの、自分の道にも少しは意味があったと刻みたいだけの要望。レコンの眼差しに、ギーリッシュは少しだけ楽しそうに笑った。

 

「使い捨てるには丁度良い駒だと思ってたんだけどね。キミは……本当に変わったな。どうだい? 今度は本気で私の配下にならないか?」

 

「お断りします。胃薬が手放せない管理職はもうコリゴリなんですよ。今回の軍師でお役御免を願ってます」

 

「そうか。残念だ」

 

 別れの挨拶もなく、ギーリッシュは腹心2人を連れて去っていく。その後ろ姿に、未来のアルヴヘイムの王を思い浮かべながら、同時にレコンはもう2度と会うことはないだろうと心の何処かで確信した。

 アルヴヘイムの新王。この戦いが勝利に終わるとしても、それはレコンが知らぬ、どこの馬の骨とも知れぬ者が王位を得るだろう。ギーリッシュはこの戦場で死ぬだろう。彼はこの戦いにおいて、新王になるよりも、勝利を得る為に知略の限りを尽くすと覚悟を決めたのだから。王位を得ようとする欲望よりも、オベイロンを倒す礎になるべく駒に徹すると決めたのだから。

 自分たちの道のりに意味があったのか。それを証明するのはギーリッシュではなく、レコンだ。今日この日に向けて各々の道を突き進んだ【来訪者】だ。

 

「さようなら、ギーリッシュさん。貴方のこと、嫌いじゃなかったです」

 

 腹を括れ。どれだけの犠牲が出ようとも振り返るな。この戦いに勝利し、アルヴヘイムの未来を……自分の未来を切り開くのだ。レコンは『答え』を握りしめ、深夜零時の鐘を待った。

 たとえ、どれだけ嫌悪したとしても、この夜は命を駒とする軍師の役目に徹するのだ。どれだけの犠牲を出そうとも、重ねた死人が無駄ではないと示す為に、必ず勝利をオベイロンから奪い取るのだ。そうレコンは改めて心に誓いを彫り込んだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 深夜零時15分前。陣地は築かれ、開戦の鐘を待つのみ。シノンは今回の得物となるスナイパークロスを片手で担ぎ、今回担う役目の最終確認を行う。

 シノンが最優先すべきなのは自己生存。自分が死ねば反乱軍は無条件で敗北する。よって、交戦は限りなく避け、常に息を潜め、敵から逃げ続けねばならない。

 回廊都市は立体構造になっており、多くの塔が立ち並び、それぞれを繋ぐ空中回廊で繋がり合っている。回廊都市とは央都アルンに至る縦長の見た目と都市構造から抜き取られた二重の意味を有するのだろう。

 陣地形成に役立つ『将軍』、制圧値を稼げる『近衛騎士』、全体の戦力図を把握して指示を出せる『軍師』、そして反乱軍の生死を1人で握る『賊王』。オベイロン側が明確に勝利を得るには賊王の撃破が必須であるが、事はそう簡単ではない。

 制圧値は反乱軍で死者が出る度に、各々に振られた戦力値分だけ減少する。即ち、こちらに犠牲が嵩めば嵩むほどに制圧値は稼げなくなる。そして、反乱軍側に限界戦力が決定されていないという事は、余剰戦力いくらでも外部から投入できるという事でもあるのだが、逆に言えばオベイロン側も制圧値10万という勝利条件を【来訪者】側がクリアできないように、『制圧値を稼げるだけの自軍』を幾らでも生産できるという事なのだ。

 そこで成すべきことは3つ。拠点確保による獲得制圧値の上昇、陣地形成による被害抑制、そして大物食いによる莫大な制圧値を稼ぐことにある。シノンはこのいずれにも参加せず、賊王として生き延び続ける役目がある。

 信頼されている。それは重々承知している。だが、それでも戦いに参加できないのは歯痒かった。リーファとUNKNOWNは近衛騎士としてポイントゲッターだ。レコンは軍師として指揮に携わる。

 他の【来訪者】たちが参加する様子はない。外征門には【反乱の碑石】という反乱軍として参加する全員の名前が刻まれている石碑がある。4万人とはいえ、アルファベット順であり、アルヴヘイムの同姓同名も幾らか見受けられたが、選択すれば証明写真のような真正面から撮影したような画像も表示される。その中で、シノン達は知り得た【来訪者】の名前を全員打ち込んだが、少なくとも開戦1時間前に転移してきている者はいなかった。

 オベイロンの勢力を削ぐと言い残して姿を消したシリカ。UNKNOWNとの戦いに敗れて生死不明となったユウキと彼を倒した後に姿を暗ました赤髭。深淵狩りの契約を集めるべく旅立ったまま帰らないユージーン。彼らが参戦しないのは手痛い戦力減である。

 いや、それを言えばシノン自身の戦闘力はほぼ削ぎ落とされている。義手は半ばから千切れて動かず、弓剣は真っ二つに折れている。格闘戦ならばある程度戦えないこともないが、やはり隻腕では心許なく、また十全なる活躍はほぼ期待できない。それ故に低火力のスナイパークロスボウを担いで狙撃しつつ、逃げ回る役目しかこなせない。

 

(あと10分。胸が苦しい。こんなに緊張するのは、いつ以来かしら?)

 

 ネームドやボスに挑む時とは違う、自分の生死に反乱軍4万人の命がかかっている重圧。そして、生き残るにしても抵抗手段は乏しく足を活かして逃げ回るしかない現実。それが心臓の鼓動を速めて今にも胸から飛び出すのではないかという錯覚を生む。

 

「そろそろだな」

 

 シノンの緊張を見抜いたように、UNKNOWNが両手に剣を握った状態で歩み寄る。彼らがいるのは白石の塔の頂上である。全高100メートルはある建造物であるが、そうした建物が多く乱立する回廊都市は、まるで現代の高層ビルが立ち並ぶ都市を思い起こさせる。

 回廊都市のトレードマークとも呼ぶべき、中心に聳え立つ巨大な時計塔と12本の白亜のオベリスク。時計塔は回廊都市でも逸脱して巨大であり、300メートルにも到達するだろう巨大さを誇る。オベリスクも一回り小さいが、それでも200メートル近くあるだろう。

 

「…………」

 

 気まずい。シノンはわざわざ開戦前に会いに来てくれたUNKNOWNには悪いが、とてもではないが、正面から向き合えるような精神状態ではなかった。

 クスリのお陰で記憶は奇麗に吹き飛んだ……などという都合の良い展開は無く、シノンは余さず昨夜の己の痴態を鮮明に憶えていた。

 確かにUNKNOWNに魅力を感じるのは事実だ。スマートさを損なわない筋肉の盛り上がりにも惹かれる部分は大きい。その一方で決して威圧感を与えない柔らかな態度、何処か危なっかしてついつい支えたくなる母性の擽る脆さなど、シノンは考えれば考える程に自分の心拍が加速している事実を呑み込む。

 もっと親しくなりたい。もっと近寄りたい。もっと触れたい。もっと、もっともっと、もっともっともっと……! そんな気持ちがいつの間にか暴走して、あのような破廉恥な暴走に陥ってしまった。クスリのせいだと言い訳できない。なにせ、彼女は他の男には目もくれずに彼の寝室を目指してしまっていたのだから。

 

「あー……えと、ほら! 暗かったから!」

 

「……でも、見たんでしょう?」

 

「…………」

 

「ふふふふふふふふふふふふふふ!」

 

 沈黙以外に選択肢がないUNKNOWNに、シノンは右手で抉るように自分の胸に手を置く。しっかりと憶えている。上半身裸体だった。しかも、拘束しようという意図があったとはいえ、彼に押し倒された。悪い気分ではなかった。それらの否定要素がない事実と感情に、シノンは増々の鬱に転落する。

 そんなシノンを見ていられなかったのだろう。UNKNOWNは頭を掻くと膝を抱えて座り込んでいるシノンの頭を撫でた。

 

「俺が悪かった。でも、シノンも悪かった。昨日の事はアルヴヘイムから無事に帰ったらお互いに1杯奢ってチャラってのはどうだ?」

 

 本当にズルい奴。グリグリと頭を撫でられ、シノンは頬を小さく膨らませると彼の手を振り払う。ようやく調子が戻ったなとばかりに笑う彼に、まんまとペースを掴まれたとシノンは単純な自分に飽きれて溜め息を吐いた。

 

「お酒より甘いモノが良いわ。テツヤンの店でスイーツパーティよ。締めはワンモアタイムで最高級珈琲。それでどう?」

 

「お手柔らかにな」

 

 もう間もなく開戦だ。自分の配置に戻るべく、UNKNOWNは背中を向けて去っていく。彼の背には虹色の翅がある。飛行能力を与える妖精の翅だ。ポイントゲッターである近衛騎士だけは翅の獲得が許されている。

 アルヴヘイムの住人が欲してやまなかった、取り返したかった妖精の翅。オベイロンはそれを簡単に与えることができた。それはアルヴヘイムの屈辱と喪失の歴史を、正しく嘲う愚行にしかシノンには思えなかった。

 暁の翅。いつか翅を取り戻すという盟約から始まった反オベイロン派組織。その始まりの思想さえもオベイロンは嘲笑と共に踏み躙ったのだ。

 UNKNOWNも練習で飛行訓練を行ったが、熟練したリーファほどの技術は身に着けていない。それでも随意運動である飛行の基礎を修める速度は目を見張るものがあったとリーファは語っていた。他にも近衛騎士として選抜された戦士たちは、いずれも飛行技術の体得した実力者で編成されているが、その中でもダントツの習熟は彼だった。

 仮想世界の申し子。そう呼ぶべきなのだろう。だが、だからこそ危うさを覚えるのかもしれない。シノンはスナイパークロスボウを抱え、瞼を閉ざす。

 このアルヴヘイムでは多くの出来事があった。多くを失い、多くを得た旅だった。

 

「いつか罰を受ける日が来るのかしら」

 

 元より人殺しの手だ。シノンはアルヴヘイムの戦いの日々で奪った命を振り返る。彼らの顔を思い出そうとしても、垂れ流された血の赤色は見えても、彼らの苦悶と叫びまでは蘇らない。忘れたいという気持ちが少なからずあるからなのか、それとも人間とは苦悩を記憶したくないという抵抗を備えた生物だからか。

 深夜零時。空を覆っていた虹色のオーロラは失せ、天上で巨大な金の月が輝く。眩しいとも感じる月光の下で、大気を震わす鐘の音が響く。

 

 そして、アルヴヘイムの命運を決する『ゲーム』が始まった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 アルヴヘイムの運命を決する反乱軍とオベイロン軍の決戦。それは深夜零時に鳴り響いた乾いた鐘の音色と共に幕を開けた。

 虹色のオーロラの消失と共に現れたのは、まるで黄金を思わすような満月。それは銀月がアルテミスになぞられるのに対し、妖精王の王冠とも呼ばれる煌びやかな金月である。

 天上より情勢を読む占星術師は凶報だと嘆くだろう。星々がもたらす吉兆、それはオベイロン王の不動の勝利を謳ったのだと嘆くだろう。

 だが、迷信に呑まれるか否か。個々人の精神を問わずして生死の境は、続々と出現するオベイロンの軍勢によって定められる。

 深淵の闇。まるで泥沼のように白亜の回廊都市で泡立ち、次々と出現するのは小アメンドーズ。数えればその分だけ戦意を失うほどの深淵の軍団。独特の頭部と多腕、小と冠していても2メートルを超す人間からすれば十分に巨体。

 彼らは走ることもなく、頭部より深紫のレーザー弾を放つ。それは単発の速度は凄まじく、回避は難しい。また、着弾点から闇属性の爆発も起きるのでガードは望ましくない。

 だが、反乱軍は怯まない。彼らはまず大通りの全てにバリケードを設置していた。いずれも分厚く、また雄々しい棘がついており、並べれば槍衾としても機能するだろう。また、取り付けられた車輪によって移動も可能である。

 次々と放たれる闇のレーザー弾。それを防ぐバリケードという盾の隙間や上部より次々と放たれるのは炸裂ボルトである。それは突き刺されば爆発が起き、小アメンドーズの体を揺らす。特に弱点の頭部に命中すれば、ダメージも大きい。

 小アメンドーズは機動力に乏しい。それは廃坑都市を生き延びた旧暁の翅からもたらされた情報であり、それに基づいた射撃戦によって反乱軍はアメンドーズの軍勢に対して優勢を取ることに成功していた。

 だが、そもそも耐久力が違う。数も100を超える。ヘッドショットを数発決めた程度では倒しきれない小アメンドーズに対してはいずれ攻め切られるだろう。

 そこに降り注ぐのは無数の矢。バリケードの遥か後方より放たれる弓矢部隊による曲射である。文字通りの矢の雨であり、1本1本の威力こそ低いが、回避という概念がないかのように、上空から降り注がれる矢によって小アメンドーズは着実に削られていく。

 それでもバリケードに到達した小アメンドーズは至近距離での闇のレーザー弾、あるいは腕を振るって破壊にかかる。だが、バリケードの各所に拳大ほどの蓋が開き、銃身が突き出されたかと思えば、小アメンドーズたちにショットガンが浴びせられる。面で迫る散弾を回避できる道理もなく、小アメンドーズは衝撃によって押し飛ばされる。そこを狙い撃ちにされ、バリケード到達までに削られたHPもあり、その身は動かぬ屍となる。

 しかし、被害なしというわけもなく、バリケードから身を乗り出してクロスボウを撃っていた兵士たちにも負傷者・死者は現れる。胸を闇のレーザー弾で撃ち抜かれ、あるいはお返しとばかりにヘッドショットを決められた者もいた。そうした遺体は悲鳴と恐怖を伝染させるが、迅速に負傷者は担架で運び出され、遺体は引き摺られて脇に放置される。

 誰かが叫ぶ。戦友の無念を無駄にするな。小アメンドーズ1体を倒せば手から溢れるほどの報酬が貰えるぞ。武勲を挙げた分だけ地位が上がるぞ。情に、金に、名誉に訴えかけて士気を昂らせる。

 まずは小手調べとばかりに送り込まれた小アメンドーズの軍団。単純な行軍では、準備を進めた反乱軍を倒せるとはオベイロンも思っていない。廃坑都市とは違い、全方位からの投石器による殲滅も望めない。

 闇より溢れ出たのは、全身を闇で濡れた黒塗りの大犬。深淵の猟犬【ブラックドッグ】。古来より深淵狩りは狼と共にあり、時として相棒としたともされるが、深淵より這い出る闇の野犬は並の狼など上回る能力と動きを可能とする。

 ブラックドッグの群れは全身に闇の霧を纏い、それは並の矢を弾き、また姿を覆い隠す。ただ、闇の霧の中で除く2つの濃紺の瞳だけが暴力的に輝く。超スピードで迫り、市街の壁を駆け、軽々とバリケードを突破するブラックドッグを待っていたのは、本物の槍衾だった。

 パイク。長槍の決定版とも言うべき武器。アルヴヘイムの粗製とはいえ、それらは黒鉄都市より徴収された業物ばかりであり、火力は些か以上に不足にするにしても、バリケードを超えてきた相手を迎撃するならば十分だった。

 自ら剣山に跳び込んだかのように全身を刺し貫かれたブラックドッグは暴れ回り、槍から抜けて落下すれば、待っていたとばかりに大槌を有した屈強なる戦士たちに囲まれた殴られ続ける。止まることのない大衝撃とスタン蓄積。それによってブラックドッグはその性能を活かせぬままに、動くことも許されずに絶命していく。

 続いて出現したのは、まるで針金を集めたかのようなか細い体をした錫を思わす甲冑の弓兵。人型であるが、およそ中身が入ってるとは言い難いほどの痩身の甲冑姿であり、彼らは弦を引いて矢を空に放つ。それは曲射であり、上空から降り注ぐ矢に対して、傘上の展開盾を広げて防御を敷く。

 オベイロンの弓兵は建物の窓を割り、射線を確保して斜め上方より狙撃も開始する。だが、それを見越したように次々と砲弾が撃ち込まれ、弓兵の狙撃スポットは潰されていく。絶え間ない矢の雨、弾幕、砲撃はアルヴヘイム全土の物資の総消費でもあり、オベイロン軍はまともに反撃することさえもできない程の物量で個々の性能差を押し返す。

 一進一退の激戦区は進軍において最も激突しやすい大通りならば、真なる戦場は大軍が動けない、小隊クラスが動き回る入り組んだ裏路地、そして建物同士を立体的につなぐ空中通路である。

 オベイロンの槍兵。分厚い甲冑に包まれ、大盾と大型ランスを装備した重装歩兵。それは比較的動きやすい場所から攻め入るも、これを攪乱するのは選抜された、各都市で闇に紛れて多くの裏仕事に従事していた暗部の者たち。防御を捨てた黒ずくめの恰好で彼らが弄するのは毒ナイフであり、また呪術の毒霧のようにレベル1の毒を蓄積させる煙を発生させる毒煙幕

だ。また、その鉤爪には麻痺薬がセットされ、放たれる手裏剣もまた麻痺の蓄積に役立つ。

 個々の攻撃が通じないならばデバフにしてしまえば良い。1回の蓄積は薄くとも、その対応力が乏しいならば、数に物を言わせれば良い。それはアルヴヘイムという特異な環境において、強大なモンスターに立ち向かう為に弱者たる翅を失った者たちが研ぎ続けた戦い方。

 1人の英雄で怪物を打倒するのではなく、100人の凡人で怪物を罠に嵌める。そうしなれば生き残れない環境だったアルヴヘイムにおいて、彼らは強者と立ち向かう為に個々の力量を高め、また戦い方を学習していた。個人の力量がより求められる魔境・魔窟と呼ばれるダンジョンでは通じないが、十分に莫大な物資と後方支援を際限なく投入できる上に手慣れた市街戦ともくれば、アルヴヘイムで鍛え抜かれた反乱軍にはアドバンテージがあった。

 ついにオベイロンは飛行部隊も出現させる。だが、それはアルフではない。金属質の翼から更に翅を展開した全身甲冑の騎士。彼らは剣・槍などの近接装備のほかに大弓を有し、地上の攻撃が届かない高度から狙撃を行う。それは着実に反乱軍を削り取るほかに、低威力ではあるが攪乱に向いたばら撒き型の炸裂弾を上空は放出する。

 しかし、それを次々と狙い撃ちにするかのように、各所の建物に設置された大砲より撃ち出されるのはネット弾。大きく広がるネットで飛行体を絡め捕って落下させることを目的とした、旧暁の翅が対アルフで開発し、反乱軍が増産を行った対空兵器。これによって飛行兵は続々と落下し、その高度が仇となって落下ダメージを受ける。即死するか、脚部や腕部が折れた上での大ダメージともなれば抵抗手段はなく、弱兵に包囲されては各個撃破されていった。

 開戦より30分。反乱軍の優勢であるが、膠着状態に変わりはない。無限とも思えるほどのオベイロン軍の戦力増産に対してバリケードは破壊されていく。だが、すぐに新しいバリケードが運び込まれて穴を塞ぐ。それだけではなく、押し込んだ部分には即座に防衛陣地が形成され、簡易要塞化していく。

 これは【来訪者】がもたらした知識の1つ『一夜城』を元にして、アルヴヘイム……いや、DBOという『ゲームシステム』だからこそ可能とした戦略だった。その場で建設を行うのではなく、事前に作り上げた部品を持ち込んで『組む』だけにする。個々の結合は脆い使い捨ての要塞。大火力を受け止め続ける守りの要塞ではなく、常に進軍して得た陣地を広げる為の攻めの要塞。バリケードも車輪を取りつけ、任意の場所にアンカーを打ち込むだけの移動方式を採用し、大量に準備することによって随時補充を可能とする。

 また、スポッターと呼ばれる監視者たちも各所に配置され、彼らは消極的狙撃による援護をサブとして、メインとして敵の視認に務める。軍師役が敵の戦力確認をしてマップに反映する為には、反乱軍の誰かがフォーカスロックすることが条件だった。そこで、≪狙撃≫や≪遠視≫といった相手の隠密ボーナスを看破できる人員を配置することによって、情報収集を行っていた。彼らの役目は攻撃ではなく、戦略的指示を可能とする情報収集である。

 拠点の証であるフラッグを守るべく配置されるのは他とは一線を画す戦力が配置されるのは常。野外の開けた場所の拠点フラッグならば10メートル超の全身甲冑の巨兵、屋内ならばサーコートを身に着けた両手剣の騎士などが強敵として立ち塞がる。彼らを打倒するのは容易ではなく、そこに送り込まれるのは特筆されるべき戦力である。即ち、反乱軍より抜擢された、レベル80台の『伝説級』とまではいかずとも、レベル60程度まで自力で上り詰めた『伝承級』が、女王騎士団や各地の有力者が保管していた武器を投入する。その過半は深淵狩りの亡骸から、あるいは殺して奪った深淵狩りの剣。オベイロンの法の順守を謳い、民に圧制する傍らで『切り札』として貯蔵された一品ばかりである。

 故に『伝承級』の大半は≪片手剣≫を有する者が優先的に抜擢され、彼らは貴重な『地上』戦力となる。特に『伝承級』はソウルアイテムを使ってレベルを底上げし、モンスター退治による経験値収集を容易化した女王騎士団が多く確保しており、彼らは中心的戦力として機能を果たした。

 開戦より1時間。反乱軍側の死者は1200人を超した。対して獲得できた制圧値は約8000ポイント。入手できた拠点は3ヶ所。回廊都市の3割を制圧した事となる、積み重ねられた死者に値する滑り出しに対して、反乱軍の指揮官クラスと【来訪者】たちはいずれも難色を示す。

 

 これは『あまりにも順調すぎる』……と。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「ご自慢の深淵の軍勢と妖精王の軍団。どちらも大したことはないわね」

 

 両腕を黄金の鎖で両手首を縛られ、足の指先で地面に触れるか否かの高さで宙吊りにされたアスナは、じわじわと腕から脇にかけて溜まるフィードバックを表情に出すことなく、オベイロンに対して言葉の揺さぶりをかける。

 それは暗室。暗闇を照らすのは無数と展開されたシステムウインドウであり、それはアルヴヘイムでありながら、近未来SFを思わす電子の輝きをイメージさせる。そして、その中心に陣取るのは黄金の椅子に腰かけるオベイロンであり、傍らには淡い光を帯びた白髪を有する漆黒の肌の少女が腰を下ろして足を投げ出していた。

 展開されたシステムウインドウに表示されているのは、今まさに央都アルン……いや、世界樹ユグドラシルの間近となる回廊都市アヴァロンで繰り広げられる大軍同士の大激突、その戦況情報だった。

 オベイロンは転移して回廊都市に至ったすべてのプレイヤーカテゴリー……【来訪者】と他アルヴヘイムの住人に対してマーキングを行っている。即ち、4万人超の反乱軍全員の居場所を立体地図にて、回廊都市の何処にいるかまで把握できる。ただし、個々人の情報を引き出せるわけではなく、あくまで反乱軍に属するプレイヤーの居場所をリアルタイムで把握できるだけである。

 それはオベイロンの手抜きではなく『限界』だとアスナは見抜いていた。この男は万能などではなく、その実は限りある権限を弄して自分をさも全能のように振る舞っているだけだ。この男もまた著しく『ゲーム』という枠から逸脱できない『ボス』なのだと把握している。

 だからこそ、アスナには解せなかった。彼女が知る限り、須郷という人物は自分を有能だと示したがる自己顕示欲の塊であり、また実際に才気溢れる人物である。謙虚さと実直さを備えてさえいれば、稀代の天才にして災厄とも言うべきだった茅場昌彦には遠く及ばずとも、十分に『天才』と呼ぶに値する評価していた。

 また、須郷は傲慢で相手を見くびって失敗することは多々あるが、その一方で決して戦略眼を有していないわけではない。むしろ、その狡猾さによって相手の弱みを握り、欲望を擽って自陣営に取り込むことを得意とする。ただし、決定的に人心掌握の才覚……カリスマ性やリーダー性が欠如する為に、彼はトップではなくナンバー2でこそ能力を発揮するタイプだ。ただし、本人はあくまで頂点に立ちたがるのでこの強みはほぼ無いどころかマイナスに転じていると言っても過言ではないだろう。

 だが、相手の『弱み』を刺す事には長けた人物だ。それが圧倒的大軍を率いているはずなのに、真っ向勝負を続け、なおかつ徐々に押し込まれつつあるのは、余りにも異常に思えてならなかった。

 無論、理由は存在する。まずはオベイロンが使用している軍団であるが、深淵の軍勢のメインとなっているのは、小アメンドーズとブラックドッグの2種。歩兵と騎兵のようなものだ。彼らはレベル50程度の『弱兵』であり、故に反乱軍でも物量ならば押し返せる。だが、オベイロンが自軍の兵士として配備しているのは、彼が作ったオペレーションを搭載したAIであり、この決戦に向けて設計したものだ。

 出来上がりと言えば、素人目のアスナから見ても『お粗末』だ。DBOの生きているようなAIのモンスターとも戦闘経験を積んだ、そして途中で死亡したとはいえ、75層まで生き抜いた彼女から言わせてもらうならば、SAO基準にすら到達していない。完全に自己満足の品だった。これもまた、自分の有能性を証明したい自己顕示欲から来るものだろう。普通のゲームならば十分な質でも、本物のファンタジー世界を生きてきたアルヴヘイムの住人、そして高難度のDBOを生き抜いてきたとされる【来訪者】を相手にするには、余りにも平凡過ぎた。

 

「いやぁ、なかなかに反乱軍が強くて僕も予想外なのさ。まさか、弱兵ばかりの烏合の衆と思ってみれば、なかなかの練度と対策を準備しているじゃないか。これは1本取られたよ」

 

 アスナの懸念を察したように、オベイロンは椅子に腰かけたまま左半面だけ彼女に振り返る。だが、その表情には微塵も敗北感などない。

 

「どうでもイイわー。ねぇねぇ、もっと派手なパーティにしましょうよ。地味過ぎて寝ちゃいそう」

 

 指でくるくると髪の毛を弄りながら、HPバーに表示されるべき名前はバグを起こして文字化けしている、オベイロンがマザーレギオンと呼ぶ少女は欠伸を堪えもせずに文句を告げる。彼女は存在するだけでアスナの恐怖心を煽り、その精神を屈服させようとする。多重の円を描くその赤い瞳で見つめられれば、まるで魂まで貪られるかのように恐怖が湧き出すのだ。

 

「フッ、そう焦ることもないさ。いきなり圧倒的な力で押し潰すなんて芸がないだろう? 勝ち目を見せてから叩き潰す方がより絶望は濃くなる」

 

「それは同意するけど、精神的勝利を優先し過ぎて結果的勝利を逃すのは王様の悪い癖よ。まぁ、今回は王様に全部一任してるから、私は戦略に口出ししないけど、もっとエンターテイメントしないと見物として不出来よ。幾らドキドキワクワクの山があっても、そこまで平坦過ぎたら観客は寝ちゃうわ」

 

「マザーレギオンは分かってないな。弱者が必死になって築いた砂の城。それを軽々と踏み潰す快感。これこそが王の愉悦というものさ」

 

「王様らしくてス・テ・キ♪ でも油断したらダ~メ! 1万の蟻に集られれば象だって殺せるかもしれないわ♪ 集られる前に踏みつぶして威光を示す。それも王の責務ではないかしら? 見たいわ。王様の圧倒的な武力を示すところをハ・ヤ・ク♪」

 

「ふむ……キミには負けたよ。それで、どうしたいのかな?」 

 

「レギオンを投入させて頂戴♪」

 

「……やれやれ。やっぱり、それがお目当てか。反撃策は拠点を7割取られたら開始しようと思っていたんだが、前倒ししよう。すぐに出番が回るよ。キミを退屈にさせたら、後々の癇癪が酷くて僕も困るからね」

 

「さすが王様だわ♪」

 

 一見すれば、王に擦り寄るワガママで愛玩の少女。だが、その実はオベイロンの機嫌を損ねないように進言し、彼の弱点である傲慢さと自己顕示欲から発生するミスを潰すべく、巧みに言葉を弄しているのだとアスナは見抜く。

 かなり不味い組み合わせだ。アスナはオベイロンならば、どれだけの大軍を有していても、どれだけの切り札を有していても、その気質故に発生する隙があり、それは反乱軍にとって大きな勝機になるはずだと判断していた。だが、マザーレギオンはそれを補佐するように、いや、むしろ反乱軍の勝機を1つでも多く摘み取ろうとしている。

 アスナの視線に気づいたようにマザーレギオンは可愛らしく手を振る。それは無邪気に『遊ぶ』子どものような笑顔だ。彼女にとって、オベイロンも含めて、この決戦は『遊び』なのだろう。

 この少女は危険だ。アスナはもう少し続くはずだった反乱軍の優勢、それが少女の『遊び』で軽々と引っ繰り返るのだと予感した。

 

「……あら?」

 

 と、何故か漆黒の少女は眉を曲げ、視線を躍らせ、素足の踵で床を叩く。まるでイレギュラーな事態が起きたように、人差し指を顎に当てる。

 

「『あのコ』ったら、勝手に飛び出したのね。まぁ、これはこれで『面白い』ことになりそうね♪」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 白亜の都に闇が蠢く。

 それは深淵の淀み。そこから這い出すのは小アメンドーズ。人間よりも一回り大きい程度のこの深淵の怪物は、近接においては多腕を振り回すが、その主な攻撃方法は特徴的な、網がかかったような球体の如き頭部より打ち出す闇属性のレーザー弾だ。本体のスピードは大したことなく、突進力も無い為、レーザー弾を撃ちながら数でモノを言わせて押し込んでくるタイプである。

 これは陣取り合戦のゲーム。初期陣地を除いたすべてがオベイロンの保有エリア。リーファ達の読み通り、オベイロンが自軍を出現・配置させる為には拠点を保有しなければならない。即ち、全ての拠点を保有した場合、オベイロンは不可侵である回廊都市の最奥……央都アルンに続く境界線からの派兵以外の方法を失う。

 

『この「ゲーム」には2つの勝ち方がある。とにかく制圧値を10万まで届かせる力押しか、全ての拠点を確保してオベイロンの戦力増加を限定化する陣取りか。俺達はポイントゲッターであると同時に、敵地に斬り込んで拠点確保の道を切り開く突撃役でもある』

 

 兄の指摘通り、この『ゲーム』は制圧値を闇雲に稼ごうとすればするほどにドツボに嵌まる。なにせ、敵の攻撃を無限に回避し続けるのは土台不可能であり、必ず犠牲が生じるからだ。そうなれば、死者が出れば戦力値の分だけ制圧値が減少する。無限ループなどではなく、長期戦になって戦力消耗が嵩めば嵩むほどに反乱軍の勝ち目は薄くなる。

 6時間。夜明けまでがタイムリミットだと兄とレコンは判断した。それまでに勝利を確定できなければ、消耗のままに押し潰される。最初の2時間が勝負であり、ここでどれだけの拠点と制圧値を稼げるかにかかっている。

 

『この「ゲーム」の本質は、俺達が「防御側」である点だ。一見すれば、オベイロンに攻め入る反乱軍。攻撃側は俺たちのように映るけど、その本質は防衛戦。オベイロンは制圧値に余裕があれば幾らでも戦力を補充できる。対して俺たちは限れらた戦力しかなくて補充は見込めない。物資にも限界がある。湯水のように使えるのはせいぜい6時間。最初の2時間でいかに拠点を多く確保してオベイロン側の戦力召喚できる陣地を減らせるかにかかってる。7割だ。7割拠点を奪えば、ようやく勝ち目が見える。そして、オベイロンはその時を狙って必ず、こちらを徹底的に潰す策を実行するはずだ』

 

 オベイロンのプロファイリングを行い、彼のサディスティックな性格からして、反乱軍が勝利に手をかけた所で絶望的な反撃を開始するだろうというのは、【来訪者】のみならず反乱軍の総意だった。

 複数のオベイロンの反撃パターンに備え、通称『第2ライン』を超える前に迎撃準備を行うのが反乱軍の戦略である。

 持久戦になれば負ける。故に必要なのは速攻で必要となる拠点を奪い取ることだ。

 即ち、3割までは自陣から広げるように奪い取るが、残りは同時確保……オベイロンがこちらをマーキングして全戦力位置を把握しているという前提の下、反乱軍唯一の地形に左右されない機動力を有した近衛騎士役で形成された飛行部隊を中心にして確保困難な拠点に攻め入るプランだ。そして、オベイロンの残す拠点を囲むようにして反乱軍の設置兵器を配備し、廃坑都市とは真逆の物量任せの包囲攻撃で圧殺するという作戦である。

 無論、これで勝利を獲得できるわけではないが、オベイロンの反撃の出鼻を挫くことができる。それが重要なのだ。

 

「あたしに付いてきて! 前傾姿勢を崩さないように! 下を見ては駄目! 恐怖心でコントロールを損なえば、失速どころか滞空も出来なくなって墜落するわよ!」

 

 リーファは無数の高い建物が乱立する回廊都市にて、12人の近衛騎士に抜擢された反乱軍の戦士を率いて飛行する。彼らはいずれも高い実力と飛行適性を有した傑物であるが、それでも訓練時間が足らず、自在に飛び回るとは言い難い。また、過半どころか全員がリーファのトップスピードにも追いつけないのが実情だ。

 また、妖精の翅はALOと同じく、日光を浴びなければ飛行時間が回復しない。夜間の戦闘である以上、回復は見込めないのだが、例外的にこの決戦では倒して獲得した制圧値に応じて飛行時間も回復する。逆に言えば、弱い者ほど淘汰されて最終的には飛べなくなるのだ。

 だが、リーファは特別に、約束の塔で捕縛されたアルフより徴収したアイテムによって、太陽の加護を得ており、常に飛行時間が回復するというアドバンテージを貰っている。これは最も飛行能力に長けたリーファの強みを最後まで活かすという判断に基づいたものだ。表面上はアルフの裏切者としての扱いを受けるリーファであり、貴重な切り札を託すに足るのか、反乱軍では小さくない波乱もあったようであるが、UNKNOWNが黒火山でのリーファの活躍を強弁して託されるに至った。

 その期待を裏切る訳にはいかない! 白亜の塔の間を飛び抜けるリーファの視界に、同じく妖精の翅を有したオベイロンの軍団が現れる。

 だが、それらはDBOという地獄を今日まで生き抜き、なおかつ黒火山という修羅場を潜り抜けたリーファからすれば、余りにもお粗末なAIだった。まさに人形。対応力も乏しければ、型通りの攻撃・防御・反撃しかできない。まだDBOの低級ステージの雑魚モンスターの方が厄介だと感じる程だ。空中戦において、アルヴヘイムにおいて右に出る者はいない存在であるリーファからすれば、稚拙という評価さえも値しない。

 単身で12体のオベイロンの飛行兵士を撃破し、その残骸が地上に落下する様に、率いていた反乱軍騎士は歓声を漏らす。だが、稼げた制圧値は微々たるものだ。リーファの活躍で得られたのは、たったの244ポイント。厄介であるはずの飛行兵士1体が10ポイントしかなく、そこに近衛騎士の特典として1.2倍ボーナスがかかった数値である。

 だが、近衛騎士役は戦力値にプラス100ポイントの補正がかかる。リーファ達から1人でも脱落すれば、それだけでオベイロンの飛行兵士10人分の稼ぎが失われる計算だ。撃破し続けねば無限に飛行できないというデメリットを考慮すれば、近衛騎士はポイントゲッターであると同時に、撃墜されればそれだけで大きな損害をもたらす危険も有する。

 賊王によって配備できる近衛騎士は最大で100人。リーファは飛行不可になった人員補充を繰り返した3回目の出撃になる。その間に撃墜された友軍は8人。実に800ポイントも失った事になる。他にも各所での近衛騎士の損害を考慮すれば、飛行部隊だけで2万ポイント近い損害を出していることになる。

 

<リーファちゃん! 10時の方向から迂回してくる敵影あり! 数は2! 情報は有翼・蛇・ブレス! 迎撃準備を!>

 

 だが、それでも十分に損害を抑え込めている方だとリーファは巨大な塔から回り込んできた新手に対処する。それは深淵の怪物か、10メートルを超す大蛇でありながら、8対の闇濡れの翼を有する怪物だ。それも2体である。ブレスは霧状であり、ダメージは低そうだが、広範囲の空間に残留するタイプだ。仮に地上に向かって使用されれば、それだけで大損害が発生する。

 深淵の軍勢の特徴として、知性は備わっている素振りはあってもそれ以上の凶暴性によって誘導は簡単な点にある。逆に言えば、知性で凶暴性を飼いならしているタイプは極めて危険だ。その1つがアメンドーズである。

 アメンドーズの特徴は不可視化と発狂にある。至近距離でも気づくことはできず、攻撃してくるまで看破は難しい。また、その目は狂気を誘うとされており、直視すれば精神が錯乱すると恐れられている。

 塔に張り付いていたアメンドーズ。それが待っていたとばかりに、有翼大蛇の到着と共に現れる。これまで反乱軍はアメンドーズの奇襲によって多くの損害を出している。なにせ、目と鼻の先にいても気づけないのだ。不可視状態の彼らを目視するためには、一説では深淵に近づく必要があるとされているが、それがゲーム的にどのような手段を用いれば良いのかは謎のままである。兄は闇術の習得などが条件の1つではないかと予想していたが、リーファも含めて闇術の使い手は【来訪者】にも反乱軍にもいなかった。

 

「こんの……! デカいくせに速いなんて卑怯じゃない!」

 

 鱗は固く、頭部を除けばまともなダメージは与えられない深淵の有翼大蛇。これに勝つ為には正面から相対する恐怖を乗り越えねばならない。頭ではそれが分かっていても実施するには精神が追い付かず、生き急いだ1人が丸呑みにされる。

 これでまた100ポイント近い制圧値が失った。いや、1人の人間の命が失われた! リーファは焦りを覚えて突進し、1匹の有翼大蛇の額に剣を突き刺し、そのまま斬り払う。多量の黒い血が飛び散って暴れ回る有翼大蛇は闇霧のブレスを吐くが、砲撃の援護によって怯む。ダメージはなくとも衝撃は十分ならばと近衛騎士たちはそれぞれの得物を振るうが、決定打にはならない。

 そうしている間にもう1匹は体を捩じったかと思えば、翼を大きく広げ、そこから闇の飛沫を放つ。言うなれば闇の玉……闇属性のソウルの矢の散弾版が闇の飛沫であり、広範囲をカバーする援護射撃にも、またショットガンと同様に至近距離からのフルヒットによって大ダメージも狙える優秀な闇術なのであるが、それを真似たような有翼大蛇の闇の飛沫は余りにも広範囲過ぎる。優れた飛行技術を有するリーファでなければ回避はしきれないレベルであり、次々と近衛騎士は撃ち落とされる。逃れた近衛騎士もアメンドーズの頭部から放たれる、小アメンドーズとは比べ物にならない太い闇のレーザーによって消滅し、更に射線上にあった塔の表面がなぞられ、窓際で陣取っていた砲撃部隊も纏めて薙ぎ払らわれる。

 7人死んだ。 7人も死んだ! 砲撃部隊を合わせればもっと死んだ! リーファは奥歯を噛み締める。こんなにも簡単に人間は死んで良いのだろうか? こんなにも簡単に死ぬことが許されて良いのか? リーファは手負いの1匹を始末すべく、強引に近寄ろうとするが、2体は巨体を活かして長い胴体を振るい、塔に張り付いたアメンドーズの援護射撃は止まらない。

 

<熱くならないで! 援軍到着まで30秒! それまで耐えるんだ!>

 

 無暗に斬りかかろうとするリーファをレコンの声が諫める。軍師役の遠声能力によって、何処にいようとも反乱軍側は彼らの指示を受けられる。これは大きなアドバンテージであり、マップデータに敵影を反映させることさえできれば、リアルタイムで指示を飛ばせる彼らは無くてはならない司令塔だ。

 レコンは後方にいて生命の危険はこの戦場でも比較的低いとはいえ、彼は与えられた5000人近い戦力の管理を任されている。個々の将軍役が戦場で実際の指揮を執るとはいえ、戦略的方向性を示し、敵戦力を把握して随時各所に通達し、その場で数ある作戦から取捨選択して陣形変更を提案するなど、その仕事量は桁違いである。

 本来ならばリーファ1人に指示を飛ばしている暇などないはずだ。だが、それでも彼女を失うことはできないという個人の情と戦力価値からわざわざ指示を飛ばすだけではなく、援軍まで派遣してくれている。

 

「待たせたな。リーファ、無事だな?」

 

 颯爽と現れたのは黒衣を翻す仮面の剣士。最愛の兄はリーファへの挨拶も軽く済ませると、そのまま翅を羽ばたかせて有翼大蛇に迫る。リーファほどではないにしても、ALOならばまだ初心者レベルの時間しか経っていないにも関わらず、まるで本物の翅が自分の体にはあると言わんばかりに自在に動かす。やや体幹のブレはあるが、それもリーファ級の目線からであり、ALOでならば十分に上位クラスの飛行技術だ。

 左手のメイデンハーツで頭部を斬りつけ、そのまま乱舞するように胴体に着地したかと思えば硬い鱗ごと聖剣と共に斬りつけ、翼を根元から切断していく。8対あった翼の半分を失い、有翼大蛇はそのまま落下し、地上に堕ちるより先に小さな塔の尖った屋根に胴体を串刺しにされて絶命する。

 残った有翼大蛇は黒霧ブレスを吐き、アメンドーズも太いレーザーではなく、連射性に優れたレーザー弾をばら撒く。だが、兄はレーザー弾の軌道を読み、あるいは超反応で躱していく。その動きはもはや人外に近しく、また直撃しそうになれば剣で『弾く』という、本人曰くユニークスキルがもたらすガードスキルによる特殊効果で防ぐ。

 

「ぜぁああああ!」

 

 咆哮と共に聖剣が振るわれれば、独特の高音が鳴り響き、月蝕の光波が放たれる。それは有翼大蛇の頭部に命中し、深く押し込まれていく。一撃で撃破するには足らないが、その重さに耐えきれずに弾き飛ばされた有翼大蛇の喉元に達し、連撃を浴びせた挙句に蹴りを食らわし、更に連続月蝕光波を浴びせてアメンドーズに激突させる。

 2体揃って地上に落下する。こうなれば落下ダメージも含めて瀕死だろう。ほぼ1人で無力化に成功した兄は息1つ荒れていない。

 

(……こ、こうして改めて見ると、お兄ちゃんってもの凄く強いんだよね)

 

 聖剣も凄まじいが、スローネとの戦いを超えて兄の技量は大きく跳ね上がった。また大きく溝を広げられたと剣士として悔しさを覚えるが、それ以上に頼もしくて堪らないのが本音である。

 

「奇妙だ。リーファ、気づいてるな?」

 

「うん。やっぱり、制圧値が『低すぎる』よ」

 

 今の有翼大蛇が補正抜きで300ポイント。アメンドーズが600ポイント。兄1人で1200ポイントと補正分を稼いだ計算になるが、撃墜された近衛騎士は7人。大きな赤字である。事実として、拠点5割を抑えかけているにも関わらず、反乱軍が稼いだ制圧値は2万ポイントにも届いていなかった。既に死者は3000人を超えていた。たった2時間でこれならば、通常ならば撤退を視野に入れねばならないが、そもそもとしてこちらは退路がない背水の陣であり、総力戦なのだ。たとえ半壊しようとも戦い続ける他ない。だが、戦力が2万を切れば、その時点で勝機は無いにも等しい。

 だが、それ以上に彼らが懸念しているのは、小アメンドーズにしてもブラックドッグにしても、オベイロンが配備した各種兵士にしても、制圧値が著しく低過ぎるのだ。その分だけ弱体化されていると言われればそこまでであるが、それに納得できるほどに彼らは単純ではない。

 

「オベイロンはわざと弱兵を配備してる。それに戦力もこちらを物量で押し込まないように、それでいて適度に損害を与えるペース配分を崩さない。この意味が分かるな?」

 

「誘い出し……だね? オベイロンにとって厄介なのは、こちらが拠点に陣地を築いて引き籠もって迎撃に徹底すること。そうすれば、損害を抑え込みながら制圧値を稼げるもん」

 

「ああ。だが、それをすればオベイロンは次のステップ……拠点ごとこちらを蹂躙する策を実行するはずだ。そうなる前に、出現地点を絞り、物量による飽和攻撃でその策を最大限に封じ込めないといけない。たとえ損害を……いや、『死人』を多く出すことになってもだ」

 

 リーファがそうであるように、兄もまた現状の損害を単なる数字と割合として捉えられない。

 3000人。全体で見れば10パーセント未満の損耗。だが、3000人とは、DBOログインプレイヤーの約4分の1がたった2時間で死に至ったことを示す。そして、負傷者はその倍にも届くだろう。実際の戦力は大きく損耗していると言える。それでも『順調』という単語が飛び出すのは、いかに彼らが窮地の状況で開戦したかと示していた。

 反乱軍側が防衛戦の様相を呈し、また陣取り合戦故に敵陣を突破して拠点を確保しなければならない。少数精鋭が拠点を確保し、大部隊が陣地を築いて防衛に当たりながら、各種ボーナスの恩恵を受けて制圧値を効率的に稼ぐ。その循環をいかに作るかがこのラストゲームの『第1ライン』の鍵だ。

 そして、反乱軍が何としても突破しなければならない『第2ライン』……それはオベイロン側の蹂躙策をいかにして突破するかだ。そして、『第3ライン』……真打として登場するだろうオベイロンを全戦力を集中させて倒さねばならない。

 だが、何よりも兄と反乱軍が恐れているのはランスロットだ。廃坑都市で現れ、暁の翅の首脳部を暗殺したランスロットならば、こちらの軍師・将軍・賊王といった戦略の要をその瞬間移動能力で奇襲して殺害しかねない。そうなれば軍の指揮系統は総崩れとなり、オベイロンの勝利は揺るぎないものとなる。

 兄が請け負う役目の1つは、ランスロットの妨害だ。交戦経験があり、なおかつ高い実力と聖剣、そして妖精の翅を有する今ならば、たとえ撃破は無理でも時間稼ぎは出来る。その間にオベイロン軍を撃破し、制圧値10万を突破して戦略的勝利を獲得せねばならない。

 その上でランスロットをどう倒すかという問題もあるが、そこはリーファを含めた残存戦力を結集させるしかない。万規模の物量攻撃でランスロットを押し潰せないならば……それは本物のバケモノだと認めるしかないだろう。そして、その上で反乱軍で唯一の勝ち目がある兄に大きな負担をかける他ない。

 

「翅はスタミナを消耗する。危険域になる前にローテーション通りに休め」

 

「命令しないで。それくらい分かってるもん。そう言うお兄ちゃんもバテないでよね。あんな非効率の飛び方してたら、あっという間に飛行ゲージも無くなっちゃうんだから」

 

 兄妹の会話で精神の安定を自然と図る。兄は仮面に隠されながらも笑みを零し、リーファも強気で頷く。ここで死者たちへの悔恨に呑まれて戦意喪失するならば、彼らは無駄死になるのだから。

 今は出来ることをするしかない。2人が拠点確保のために空を駆けようとした時だった。

 

 大地が揺れる。

 

 大気が震える。

 

 恐怖が解き放たれる。

 

 リーファは『それ』を見て茫然とし、また絶句した。あらゆる感情と思考が真っ白となり、まるで黒いペンキを撒き散らされたかのように恐怖心が湧き出す。

 

 巨大。

 それは余りにも巨大すぎる怪物だった。

 全高は軽く50メートル……いや、80メートルはあるだろう巨獣。

 全身は硬質ながらも脈動する皮膚で覆われ、足は分厚い複数の節足。長い胴体の上半身はコブラのように反って空を目指し、だが太く厚い筋肉の塊。頭部と呼べるものは胴体と完全に同化しているかのように、巨大な1つ目が中心に鎮座する。それを守るように瞼を思わす殻が開閉し、更にそれを円で囲むように牙が並ぶ姿は、まるで顎を開いたまま無制限に獲物を飲み込もうとしているかのようだった。

 そして、胴体の頂点から花開くように何百本と伸びるのは赤い触手。それはイソギンチャクの捕食器官であるかのようにユラユラと揺れていた。

 レギオン。余りにも巨大すぎるレギオン。それは今や伝説にもなっている竜の神もこれ程の巨体だったのだろうかとリーファはぼんやりと考えた。

 

「……こんなの、卑怯じゃん。何なのよ、これ!」

 

 デカい=置物? 違う。大きさとは強さだ。耐久力・攻撃力の両面において優れた証。たとえHPバーは1本でも、そこに込められたHPの濃度が違う。

 巨大レギオンは近隣の反乱軍に目を付けたかのように、節足で大地を抉り、あるいは建物をその巨体で潰し、また乗り越えて迫る。

 ただの突進……いや、歩行。それだけで何十人と死んだかのように、一気に制圧値が減少する。そして、巨大レギオンがその反った上半身を屈め、背中の甲殻を開けば、そこから無数と光の玉が放出される。それは1度宙を飛んだかと思えば、一気に周囲に降下して爆発を引き起こす。

 

<被害甚大! 死者……2200!? う、嘘だろ……>

 

 レコンの被害報告は途中で茫然自失を隠せないとばかりに虚ろとなる。

 

「俺のミスだ。このケースは想定していたのに見誤った……っ!」

 

 巨大モンスターの投入。それは反乱軍も……いや、兄が予想していた『第2ライン』のオベイロン陣営の蹂躙策の1つだ。こちらを一方的に蹂躙できる大航空戦力か、単体で圧倒する巨大モンスターか。後者の確率が高いと兄が判断したのは、アームズフォートの運用がDBOでも既に始まっていたからだろう。巨大とはそれだけで脅威であり、物量攻撃なのだ。

 問題はいつ『第2ライン』に入るかであるが、オベイロンは肥大した自己顕示欲を有している。ならば劇的な反撃を試みるはずだと予見されていた。無論、オベイロンが普通のボスではなく、この戦いもイカサマが跋扈するならば、当然ながら何が起こるか分からない。しかし、これは余りにもイレギュラー過ぎる差し込みだった。

 これは戦争ゲームだ。だが、駒は全て生きた人間なのだ。たった1分足らずで2000人以上が死んだ事実にリーファは口を押える。将軍も何人か死んだのだろう。制圧値は軽々と1万を切っていた。

 最初からこの制圧値システムは圧倒的にオベイロン側に有利であることは目に見えていた事だ。本来、この制圧値システムはアルヴヘイムの住人のような『弱兵』ではなく、アルヴヘイム級のレベル80クラスのプレイヤーを並べて挑むべきものだ。それをカバーする為の絶え間ない物量攻撃だったはずが、アームズフォート的運用を目的としたレギオンの登場によって、こちらの物量攻撃を真っ向から物量で潰すという手法を取られた。

 まだ覆せる。リーファは兄の目に全く諦めがないことに、何とか心を折れずに巨大レギオンを睨むことができた。

 兄は単身で現状最強のアームズフォートとされるスピリット・オブ・マザーウィルの懐に入り込み、大損害を与えた実績がある。慣れない飛行戦とはいえ、同じ要領で懐に入り込み、≪二刀流≫と聖剣を合わせた攻撃で削れば勝機は見える。あれだけ巨大なレギオンなのだ。当然ながら、制圧値も莫大なはずである。1万ポイントは固いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、リーファの予想は誤りだとばかりに、新たに巨大レギオンが『2体』追加で出現する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 それは兄の口から漏れた、余りにも馬鹿々々しい程に圧倒的な……もはや、こちらを踏みつぶすべき蟻としか思わぬ巨象の行進を見上げたかのような声。

 ただでさえ攻略困難を極めるだろう巨大レギオンが3体。それも同時に出現だ。対してこちらの確保拠点は作戦実行中であるが故に3割しか確保されていない。既に軍師役の司令塔は既に押さえている拠点確保に動いているようだが、それでも5割が限度だろう。

 圧倒的な戦力差は分かり切っていた。だからこそ、勝機があるはずだと頭を捻り、犠牲を容認する覚悟を持ち、策を準備した。

 だが、そんなものは圧倒的暴力の前では無意味だとばかりに、これこそが王の進軍だと言わんばかりに、巨大レギオンはこちらの全軍を文字通り踏み潰すべく動き出した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 巨大な怪物の出現。ギーリッシュは最悪のケースが最悪の瞬間に現れたと額を押さえる。

 想定していなかったわけではない。それくらいの真似はオベイロンもするだろうと読んでいた。だからこそ、信頼できる精鋭部隊を先行させ、こちらの居場所が全て把握されているという前提の下で、同時に拠点確保を進めるという、個人の練度頼りの作戦を敢行したのだ。その補佐と攪乱の為に余計な犠牲も払った。

 最初からオベイロンに作戦が漏れていた? 十分にあり得る。オベイロン側のスパイが何人……いや、何百人と紛れ込んでも不思議ではない。むしろ、軍師役を得た司令塔を任せた有力者の内の1人か2人はオベイロンに寝返っているという想定さえギーリッシュは行っていた。その上で、こちらも各司令部に秘密裏にスパイを潜り込ませ、不穏な動きがあり次第に『排除』せよと命令を与えていたのだ。

 だが、今のところ、いずれの司令部も今回の巨大怪物の出現に対して困惑するばかりだ。唯一、レコンが率いる戦力だけは対巨大怪物を視野に入れ、防衛ラインを崩して強引に攻め入り、1つでも多い新拠点の確保を進めている。巨大怪物もそうであるが、オベイロン陣営の陣地を1つでも減らさねば、そこから新たな戦力が湧き出るのだ。これを止めなければ勝ち目はない。

 

「この司令部を放棄する。ここは近すぎる。現状、あの巨大怪物の遠距離攻撃手段は背面甲殻展開時の光球のみ。その射程は決して長くない」

 

 司令部を続々と移動させ続けてオベイロンを攪乱する。地図や資料を運ぶ必要はなく、物資は常に初期陣地から戦略的に確保した新陣地という動脈を通して運ばれ続け、また貯蓄されていく。

 物量には物量を。砲撃を集中させ、なおかつこちらの切り札である【来訪者】……聖剣を有する【二刀流のスプリガン】に斬り込ませる。また、移動手段が節足であるならば、これを破壊することさえできれば、少なくとも移動で押し潰されることもなくなる。また、回廊都市の建造物は外見以上に堅牢であり、内部にいれば、少なくとも巨大怪物によって倒壊刺されない限り、かなりの割合の攻撃を防いでくれるだろう。

 

「畏まりました。こちらへ」

 

「ああ――」

 

 長年連れ添った火傷のケットシーに誘われ、ギーリッシュが次の司令部に移動して、あの巨大怪物をどう葬るか策を練り始めた時だった。

 彼は喉に熱を覚える。

 赤色が溢れることを視覚で捉える。

 今にも息が出来そうな近距離で火傷のケットシーが顔を近づかせ、なおかつナイフを彼の喉に滑り込ませている事実を冷静に理解する。

 

「ぐがっ……!」

 

 他の重鎮が一斉に火傷のケットシーに対して槍や剣を突き刺す。喉を斬り裂かれたギーリッシュは声を奪われたまま転倒し、溢れる血に死の気配を覚えながらも、まだ傷は浅いはずだと自分の命の残量を勘定に入れる。

 どうして? どうして裏切った? オベイロンがもたらした差別によって、顔も耳も失ったケットシーの女。哀れと思い、また母の面影を見て救い、彼女こそ信頼の置ける臣下だと信じて連れ添った。

 そのはずなのに、彼女はどうして自分を裏切る? どうしてオベイロンに寝返った? それとも別の有力者か? 幾多の想定が彼の頭の中を駆け巡る。

 

「ギーリッシュ様! 幸いだ。傷は浅いですぞ。これならば!」

 

 重鎮の1人が駆け寄り、彼の上半身を引き起こす。そうだ。まだ傷は浅い。喉を潰されたのは大問題だが、まだ指揮を執れないことはないと彼は拳を握る。

 

 

 

 だが、自分を起き上がらせた重鎮は何の迷いも見せず、彼を心配する表情のまま、その胸にナイフを突き立てた。

 

 

 

 心臓にまで到達した刃が口から更なる血を溢れさせる。

 どうして? 考えろ。この頭でいかなる苦境も覆してきた。雌伏を超えてオベイロンにも牙が届く距離まで近づいた。ようやく母の復讐が成せると歓喜した。新王という座を巡り、反乱軍内で殺し合いが起こることも予期し、自分が死ぬ確率も高いと受け入れた上で、オベイロンさえ倒せるならばとも腹を括った。

 そうだ。あの聖剣を有した、『英雄』と呼ぶには何とも青過ぎる、だが理想に燃えた若者の視線に……らしくない程に賭けてみたいと思えたのだ。

 そのはずなのに、数少ない信じた仲間に裏切られるとは皮肉なものだ。ギーリッシュはせめて自分の人生を虚仮にしてやろうと嗤おうとした。

 だが、それすらも赦されないとばかりに異常が起こる。

 事態を理解できない他の重鎮たちの腹が刺し貫かれる。全身を串刺しにされたはずの火傷のケットシーが体を起こし、その頭部を爆ぜさせ、首の醜い断面から無数の触手を飛び出させ、それで彼らの鎧の隙間を刺し貫いたのだ。

 

「傷は浅いですぞぞぞぞゾぞぞぞゾゾゾぞぞぞゾゾぞぞzzzzzzzzzzzzzzzzz」

 

 そして、自分にトドメを刺したはずの重鎮もまた、こちらを本当に……『心の底から助けたい』と思った顔のまま、頭部は砕けて触手が飛び出す。

 

(私は……私は……『誰』を……彼らと思い込んで……いたの、だ……?)

 

 つい数時間前まで……いや、数十秒前まで死線を共にしていた仲間たち。そこに潜り込んでいた、おぞましい狂気の世界に、ギーリッシュの死に際は恐怖に塗り潰される。

 そして、その聡明な頭脳を欲しがるように、2体のかつての仲間の異形は彼に群がる。

 

 止めろ。

 

 止めてくれ。

 

 止めてくれ!

 

 こんな死に方は嫌だ! 多くの命を駒にしてきた。多くの人々を犠牲にしてきた! 勝つために! 生き残るために! それの何が悪いと開き直って! だからこそ、どんな死に方でも受け入れるしかないと覚悟していた。だが、これは……これはあんまりだ!

 

 涙と血に溢れて恐怖で塗り固まった彼の頭部は、かつて仲間だった怪物たちの触手によって皮膚を、肉を、骨を、その内側まで引き剥がされて、触手によってしゃぶり尽くされた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「ふむ、こんなものか。仕込みは全体の4パーセントしか間に合わなかったが、それでも指揮系統を破壊するには十分だったようだな」

 

 アルヴヘイムでは異端となる黒スーツで煽情的なボディラインを包むレヴァーティンは、表示される青と赤の点が入り乱れる回廊都市の全体図に満足した。

 レギオン・パラサイト。諜報を想定し、また内部攪乱を目的とした時限爆弾とも呼ぶべきタイプのレギオン。その戦闘能力は極めて低く、また感染にも時間はかかるが、こうした大勢を率いる相手には面白い程に効果的だ。

 レヴァーティンが行った仕込みは単純明快。少しずつアルヴヘイムに蔓延しているレギオン・パラサイトを反乱軍に潜り込ませ、感染を拡大させたことだけだ。そして、なるべく司令塔となる上層部に近しい人員への感染を優先するようにも命令を下した。無論、四六時中護衛が張り付くだろう上層部の人員に直接感染させる事が望ましいのだが、そこまでの高望みとリスクを冒す必要はない。

 ここぞという場面で相手を混乱させる。最も効率よく相手に被害をもたらす。それは一切の手抜きをしない、レギオンの王より『誠実』を受け継いだレヴァーティンだからこその確実性の高い策だった。

 

(レギオン・パラサイトで得た情報はオベイロンには回さない。これは盟約の範疇外だ。とはいえ、母上には既に情報がアップデートされていた。だからこそ、相手の策を完全に読んだ上でのオベイロン王への進言による計画の変更だったはず。フン、そもそもあの愚王は自分が策で弄されるという意識が欠如し過ぎている。強過ぎる自己顕示欲と自画自賛。愚物が)

 

 回廊都市の大聖堂、黄金の鐘の塔の屋根にて戦場全体を俯瞰するかのように、巨大レギオン……マザーレギオンが肝入りで作ったレギオン・タイラントを視認し、大きく溜め息を吐いた。

 美しくない。あのような鈍重なレギオンで蹂躙するのは、レギオンとしての美に欠ける。それがレヴァーティンの本音だ。

 レギオンは王よりいただいた、たとえ模されて劣化した、残骸とも呼べぬ屑であろうとも、殺戮本能を最大限に活かす機動戦こそが望ましい。あのような巨体では攻撃を一方的に受けるばかりで回避もできないではないかと、レギオンとしての矜持がレヴァーティンにストレスを与える。

 

(だが、あのような大型レギオンの運用は初の試みだ。知性は乏しいが凶暴性は十分。この運用データを基にして新たなレギオンを設計すれば良い。『素材』の希少性には目を瞑らなければならないが、その分だけ有意義なデータ収集になり得るか)

 

 だが、個人の有する美意識よりもレギオンの繁栄を優先するレヴァーティンは、レギオン・タイラントを容認する。何よりも、あのようなレギオンの既存コンセプトを総無視する母の発想には感服していた。

 

『巨大怪獣出現! これ! これなのよ! 特撮の醍醐味は! 逃げ惑う人々! 勇気を持って立ち向かう人間たちのドラマ! チープなくらいに災害的! ゴ〇ラ! ガ〇ラ! モ〇ラ! じゃぱーんが誇る特撮は巨大怪獣に集約するのよ! YES、着ぐるみ! NO、CG!』

 

 なるほど。確かにこれは災害級だ。素直にレヴァーティンはレギオン・タイラントの利点を認める。だが、あのレギオンを生み出す為のリソースは莫大だ。今回限りの使い捨てになるだろうとも諦めていた。あんな使いどころに困るレギオンは、この試験運用で得られたデータ分の価値以上は無い。

 

(レギオン・パラサイトによって指揮系統はほぼ壊滅。軍師役の2名の暗殺に成功。加えてレギオン・パラサイトが起こした騒動で防衛ラインは総崩れ。反撃を試みようにも反乱軍は仲間が怪物なのではないかと疑心暗鬼。そして、今からシュヴァリエ小隊を率いるミョルニルが突撃する。端的に言って『詰み』だな。現状戦力での勝率は無い。『英雄』ならば、どうやって覆す?)

 

 母上の自論では『英雄』を生むには悲劇が必要だとの事だ。数多の屍によって呪われ、『力』を渇望し、聖剣に溺れて破滅に向かいながらも自分を殺しに来る。そんなストーリーを母上は乙女が恋するように夢見ている。

 させるものか。レヴァーティンは母の抗えぬ願望を阻止せねばならないと目を細める。

 

(母上のように『勝てば良し、負ければ死ね』などの温い方針では、いずれ剣士殿は我らレギオンの大敵となる。奴は王も殺し得る危険な刃。今や聖剣も有している)

 

 母上の策は『遊び』が多過ぎる。無論、それが必要だともレヴァーティンは自覚している。だが、母上は自滅を望まずにはいられない。1人の英雄によって討たれる怪物でありたいという願望からは逃げられない。それはレギオンという種にとって危険そのものだ。そして、それは第1級の命令であり、全てのレギオンは『英雄』を謀殺することはできないという制約をかけている。

 だが、この多くのイレギュラーが交差する、この戦場ならば? 自分にかけられた制約の下で、いかにして『英雄』を死に追い込むかを思案する。

 

(1番はランスロットをぶつける事か。だが、どう誘導したものだろうか。やはり賊王を殺す方が効率は良いか。目星はついている。パラサイトでも特定できなかったが、選定は剣士殿に一任されていた。そして、彼が選抜するならば必然と【来訪者】に限られる。剣士殿と妹殿は近衛騎士。シールダー殿は軍師。そして、武装を失った隻腕であるにも関わらず参戦した猫殿。彼女の高いDEXを活かし、なおかつ賊王のHP上昇補正を見込んだ生存戦略。この程度は容易に読める。つまり、猫殿さえ殺せばこの戦いは終わる)

 

 戦況は圧倒的にオベイロン陣営が有利だ。もはや既存戦力での反撃はほぼ不可能に等しい。立て直しをする前にミョルニルが率いるレギオン軍団が蹂躙するだろう。

 

(王はまだ戦場に到着していない。あの疲弊だ。遅れるのも無理はないが、王は母上を上回る『馬鹿』だ。何をしでかすか分からないな)

 

 潜伏状態のレギオン・パラサイトによる情報収集は続けている。王の接近は気配でも分かるが、より確実だろう。レヴァーティンは悲鳴と血で溢れる戦場に、自然と口元を歪める。昂る本能を抑えられず、人間の姿が崩れそうになる。

 更に駄目押し。夜空を覆いつくす黒の雲……いや、月光さえも遮るほどの大軍を成すのは蠅。

 深淵の虫、人面蠅。それは群体であり、個々は脆弱であるが、その数は数万を超える。レベル3程度の脆弱なモンスターであり、大きさもバスケットボール程だ。初心者でも単体ならば十分に倒せるほどであり、スピードも無ければなおかつ攻撃力も防御力も低い。だが、これは女王蠅が生み出す群れであり、女王を倒さない限り制圧値は得られず、無限に湧き続ける。言うなれば群体とメインのセットで1体と呼ぶべきモンスターだ。その女王蠅が200体追加される。女王蠅は3メートルと大型であるが、その分だけ耐久力と攻撃力に優れ、オートヒーリングを始めとした自己治癒能力も有するので粘り強い。だが、それでも女王蠅自体は弱い部類だろう。だが、数が揃い、なおかつ生み出される蠅の群れは膨大となれば、元より弱兵の集団にして、深淵の魔物との戦いを全て深淵狩りに押し付けてきたアルヴヘイムの戦士たちは効率的な討伐法など知る由もない。

 そして、地上では深淵の泥が固まったスライム状の怪物、【アビス・コア】が出現している。アメンドーズや黒獣ほどではないが、上位種であり、泥に隠されたコアが露呈すれば闇属性のレーザーを周囲にばら撒く、言うなれば動きが鈍い戦車だ。コア以外にダメージが通らない為に、飽和攻撃に対しても強く、攻撃を潜り抜けてダメージを与える以外の戦法が通じない。逆に言えば、コアはそのまま弱点なのであるが、知識が足りないのだ。

 これまで単純な戦法ばかりだったブラックドッグも統制が取られる。ブラックドッグの上位種【アビスキーパー】が現れたからだ。全長10メートルを軽く超える巨獣であり、体内に黒炎を燻ぶらせた巨犬である。

 そして、深淵に呑まれた騎士団。もはや内側に肉は無く、深淵で満たされ、鎧に染み付いた記憶のままに戦う集団だ。オベイロンが作り上げた稚拙なAI兵よりも遥かに厄介なはずである。

 

「戦力差は圧倒的。指揮系統は半壊。さぁ、ここからどう覆す? 見せてみろ、お前たちの『強さ』を」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 死だ。

 一方的な蹂躙だ。

 もはや指揮をする余裕もなく、レコンは拠点となっていた聖堂内を走り回る。

 

「この! この! このぉおおお!」

 

 メイスを振り回し、窓を割って侵入してきた人面蠅を追い払う。一振りで簡単に人面蠅は潰れるが、数が多過ぎる。そして、その数に物を言わせた視界占有の陰からブラックドッグが、これまでにない統制の取れたフォーメーションで襲い掛かる。ブラックドッグを指揮するのは、闇で甲冑を満たされた騎士であり、それは振るう剣で猟犬を操るようにレコンへと続々と牙を剥かせる。

 こんなはずではなかった? いいや、想定していた。元よりオベイロンの方が圧倒的優勢であり、勝機は限りなく低いはずだと。あらゆるイカサマを駆使してこちらの弱点を突いてくるはずだとも覚悟していた。

 だが、突如として隣人の頭が破裂して触手を振り回しながら襲ってくるなど想定できるはずもない。こちらを気遣いながら、逃げ惑いながら、守るように振る舞いながら、何の前触れもなく襲ってくるのだ。

 生きろ。生きろ。生きろ! レコンは我武者羅になってメイスを振り回すが、元より武器が弱過ぎる。幾ら≪戦槌≫のステータスボーナスが乗るとはいえ、武器の基礎性能が低すぎるのだ。人面蠅ならば倒せても、ブラックドッグや闇の騎士を倒すには不足も良いところだ。

 ついに祭壇まで追い詰められたレコンは、軍師の特権として表示されるマップデータ、そこに表示される戦力配置を目にして、自分が……いや、自分たちが絶望的苦境にあることを改めて把握する。

 もはや陣形は総崩れ。稼いだ制圧値は減る一方。奪った拠点も取り返されて、残る陣地は4割。もはや統制無く、逃亡と奮戦の狭間で無意味に命を散らしている。

 

(ここまで……なんて、諦めて堪るか!)

 

 背中を祭壇に押し付け、自分に向かって唸り散らすブラックドッグ12体と闇の騎士1人、そして無数の人面蠅を睨む。

 レコンが把握する限りでは、もはや反乱軍の指揮を執れる者はほとんど残っていない。ギーリッシュとも連絡が取れず、なおかつ軍師死亡によるペナルティで少なくとも2度の制圧値の大幅減少が発生した。将軍クラスもかなりの数が戦死し、もはや制圧値は2桁まで落ち込んでいる。いや、増減を繰り返している様を見れば、僅かな反抗さえ崩れれば容易にゼロに落ち込むだろう。

 ここで立て直さねば負ける。ここで誰かが指揮を執り、残存戦力を纏め、反撃に転じなければ負けるのだ! そして、それが出来るのは最前線に立って苦境を切り開く役目を担うUNKNOWNやリーファではなく、司令塔となる役目を任されたレコンなのだ。

 ここで死んで良い。そんな諦観など無い。今は足掻いて、生き抜いて、反撃することこそが戦いなのだ。レコンの不屈の闘志に感応されたように、ブラックドッグは牙を剥いて咆える。

 

「おぉおおおおおお!」

 

 1匹目のブラックドッグの食らいつきを躱し、2匹目をメイスで迎撃し、同時に4体同時に襲い掛かられて肩を、右二の腕を、太腿を、横腹を牙で貫かれる。ダメージフィードバッグの不快感が神経を掻き回し、絶叫を上げるのをレコンは唇を噛んで堪える。

 次々とブラックドッグに群がられる。纏う革製防具は爪で引き裂かれ、腹に食い込み、内臓を食い荒らさんと頭が押し付けられる。

 

「うぎ……がぁ……あぎぃいいいい!」

 

 僕は負けない! 負けない! 負けられないんだ! 閃光爆弾を血塗れの左手炸裂させ、目を焼くほどの白光でブラックドッグを怯ませる。その間に拘束を解いたレコンは血塗れのまま、祭壇裏の扉に駆け込む。

 

「あ、あははは……お、おかしいなぁ。こんな、はずじゃ……」

 

 腹の肉が中途半端に喰われてしまった。喉を裂かれなかったのは幸いだ。これならば指揮が執れる。レコンは止血包帯を腹に巻き、奇跡の中回復で治癒するも、流血のスリップダメージでじわじわと減る様を苦笑しながら見つめる。

 扉は容易く破られるだろう。ここは聖職者の控室か。戦場の為だけに準備されただろう回廊都市は、もしかしたら元からモデリングされていた都市データを再利用しているのかもしれないな、とレコンはどうでも良いことを考える。

 体が上手く動かない。ダメージフィードバッグがもたらす神経をミキサーにかけるような不快感。それが全身を浸して体を動かすことを脳が拒絶している。

 

「考え……ない……と……どうする……どうする……どうす、れば……良い?」

 

 じゃないと僕は死ぬ。皆も死ぬ。

 勝ち目は残っている。ゼロじゃない限り、逆転を探す為に1人1人が抗わねばならない。そうして作り出した流れが勝利を呼び込むはずなのだ。

 扉が揺さぶられる。助けは来ない。ブラックドッグの群れが間もなく入り込んでくるだろう。控室の反対側の扉を開き、薄暗い廊下を歩む。左足を引き摺り、体を壁に押し付け、その度に血痕が追撃者を誘う道標となる。

 

「まずは……残存戦力を、結集させ、指揮を掌握。その為には……目印が……でも、どうやって反撃を……足りない。戦力が……足りない。これだけ、集めても……まだ?」

 

 4万。レベルが不足していたとはいえ、4万の戦力でも足りなかったというのか? それを補うための多量の物資による飽和攻撃。これさえも意味が無かったというのか?

 違う。断じて違う。レコンは深呼吸を挟み、この『ゲーム』の本質をもう1度洗い出す。

 

(制圧値は10万ポイントを稼げば反乱軍の勝利。増減システム上、反乱軍側が防衛的立ち位置になるのは必然。でも、オベイロンは無限に戦力を補充できる……補充が『可能』なのか? 本当に? 本当に『無限』に?)

 

 あり得ない。レコンは断じる。オベイロンも戦力は有限なはずだ。そうでなければ、オベイロンはわざわざ深淵の軍団を使ったりしない。全て自家製で賄えば良い。だが、そうしなかったのは何故だ?

 どうしてオベイロンの兵はあれ程までに弱い? どうして? どうして? どうして?

 

(思い出せ。何か見落としてる。何かが間違ってる。僕たちは最初から何かを間違えてるんだ。考えろ。考えろ。僕が今できるのは考えて、悩んで、打開できる『希望』を見つけることだ!)

 

 そもそも何かがおかしいのだ。

 オベイロンはどうして総力決戦という舞台を準備した? 自己強化を図る為ならば、他の手法もあったのではないのか? いや、そもそも互いに制限がかかるようなルールを敷くのは何故なのだ?

 オベイロンが正々堂々と決着をつけたがる勇士ならば、このルールも『ゲーム』も理解できる。だが、UNKNOWNの読み通り、入手したリソースによる自己強化を図る為だと言う為にしても、ここまでまどろっこしい真似をする必要があるのか?

 ルール。見落としがあるのか? レコンの思考は圧縮されていく。

 10万ポイントという制圧値。それに到達することによって得られる特典はアルンへの道の解放。

 

(前提条件を提示。『無限』のはずがない。オベイロンのリソースは『有限』で天井があるはず。そもそも、この戦力値に準じたポイント減少はプレイヤー側にとって圧倒的に不利。つまり、この事から分かるのは何? 何故、深淵の軍団を使ってる? それは『外部供給』だから? あれは本来のリソースじゃない? オベイロンにとって深淵の軍団を使う意味は?)

 

 参照。参照。参照! レコンは必死に記憶にあるこの決戦の細かなルールを洗い出す。

 圧倒的に不利に思えるプレイヤー側の苦境。それはオベイロンが既に使っている『イカサマ』の1つである深淵の軍団に要因がある。いや、むしろオベイロン側の主戦力はほぼ深淵の軍団が担っている。あれらが居座り続ける限り、こちらの被害は増えて制圧値はなかなか増加しない。

 

(リソース=制圧値じゃない! あくまでオベイロンは自己強化するために! 勝利を盤石にするために! 僕らの勝ち目を潰すために! この『ゲーム』方式を選んだだけだ! そこには美学も何もない! 敢えて言うならば征服欲! 僕たちを一方的に蹂躙したいというサディスティックな欲求だけ! 逆算しろ! 弱点を割り出せ! 近衛騎士100ポイント。最大登録数100人。将軍200ポイント。最大登録数15人。軍師300ポイント。最大登録数5人。役職トータルで14500ポイント。これの損失を前提に入れた場合、オベイロンが最低限に保有できる総ポイントは114500ポイント。これが最低ライン。ううん、これが勝敗を決定づける因子!)

 

 そして、オベイロンは決して雑魚狩りによって反乱軍に勝利させるような真似は許さないはずだ。

 オベイロンは必ず『最強の自分』を最後の砦に据えるはずだ。他の誰も信用していないのだから。ならば、自ずとオベイロンの戦略は見える。この総力決戦において、自分1人で過半の制圧値を占める存在として登場するはずだ。自分を倒さない限りに決して負けないという条件を準備するはずだ。

 オベイロンの戦力は有限。それはレコンの中で確証が得られた。だが、この土壇場でレコンは前提を破棄する。そもそも誓約書には1文字として反乱軍の勝利条件については触れていないのだ。触れられているのは、この決戦に勝利してユグドラシル城に赴けば、オベイロンとの『決闘』が可能になるという事だけである。これは1対1のデュエル方式であり、もはやイベントバトルに近しいだろうというのがレコンたちの見方であり、そこに間違いはないだろう。

 

「……違う。間違ってる。僕らは間違ってる。『制圧値10万達成』が勝利条件……じゃない! あれは、あくまで『残存戦力』の目安……なんだ!」

 

 システムを把握しろ。拠点制圧を行えば、拠点エリア内では新規のモンスターは出現しなくなる。要は安全エリアが確保される。

 制圧値10万を稼げば央都アルンへの道は切り開かれる。だが、それはオベイロン側の敗北=反乱軍の勝利を意味するわけではない。事実として、拠点エリア以外でも、回廊都市の最奥……央都アルンに続くだろう不可視の結界よりも戦力は登場している。

 即ち、たとえ制圧値10万を集めたとしても戦闘が続行する確率は十分に存在するという事だ。あくまでこの戦場は、オベイロンが強大な戦力を生み出す為の舞台装置に過ぎない。それが制圧値という隠れ蓑に潜むオベイロンの戦力値そのものだ。

 

「勝て……る。負ける、もん……か。まだ……勝ち目は……ある! オベイロンは……無限の戦力を……持ってる、わけじゃない! それさえ分かれば……!」

 

 このことを皆に伝えないと。誰もが絶望しているはずだ。目先の数値に踊らされているだけだ。レコンは震える体に鞭を打ち、残存戦力を結集させるべく動き出そうとする。

 

 

 

 

「へぇ、この状況から勝てるんだぁ」

 

 

 

 

 だが、レコンの行く手を阻むように、出口のドアの前に人影が立っていた。

 邪魔だ。レコンは身振りでそう訴えるが、人影は月光が差し込まぬ闇の中でドアに寄りかかったまま動かない。

 

「すごーい! この状況から勝ち目を拾えるの? ねぇねぇ、どうやって? どうやって勝つの? 教えてよぉ~」

 

 それは地獄のような戦場に不釣り合いな、まるで噂話を聞きたがるように甘える少女の声だった。

 こんな所で話をしている暇はない。もうすぐ扉は破られ、ブラックドッグが流れ込んでくる。そうなればレコンは終わりだ。だが、動かない素振りの相手に、レコンは命を懸けて早口での説明を試みる。

 

「オベイロンの戦力は……『有限』だ。当たり前だよ。最初から分かってたんだよ。だから、わざわざ外部の勢力を利用して、それを戦場に投入している。インチキさ。深淵の魔物は……きっと、この『ゲーム』の盤外から加えられた駒。オベイロンの本当の駒は限られてる。それを削り続ければ、いつか必ずオベイロン本人が現れる。チェックメイトの条件はキングを倒すことだ」

 

「ふむふむ」

 

「……結局は、皆に任せた力押し。数には数を。深淵の軍団を抑えながら、オベイロンの本当の戦力を削る。そして、オベイロンを出張らせて……倒す! それしか、この『ゲーム』の勝ち目はない。深淵の怪物をどれだけ倒しても意味がないんだ」

 

 僕は何をやっているのだろう? こんなことをしている暇があるならば、一刻も早く逃げるべきだ。そのはずなのに、どうして? レコンは自分の口を動かすのは『恐怖心』だと気づいたのは、月明かりで照らされた所に立ちふさがる人物が進み出た時だった。

 それは血のように真っ赤な髪をした少女だった。その瞳は金色で、キュートな八重歯は笑みより零れている。ショートパンツが映える紺色のレザーコートを纏っているが、その内側はインナー装備の胸当てしかなく、お腹は大胆にも露出されて臍も見えている。防御性能よりもファッション性を明らかに重視し過ぎた装備だ。

 それはアルヴヘイム的ではない、DBOプレイヤーだろう装備。カーソルが頭上に浮かぶとなれば、レコンは彼女が【来訪者】だと当たりを付ける。

 まだ認知されていなかった【来訪者】の1人が参戦する。それは十分にあり得ることだ。だが、その能天気とも呼べる笑みに、レコンは不気味さを覚える。

 

「すごい! すごいすごいすごーい! EXCELLENT! ああ、キミは諦めてないんだね! この苦境で! 絶望の底で! 死が迫る際で! 反撃の為に知恵を絞り! 仲間を信じ! 戦うことを決めたんだね! ああ、これが『人』! これこそが『人』! なんてステキ! なんて甘美! なんてなんてなんて尊い! お母様の株価表で爆上げ中だけはあるね! 観察してて良かった! キミなら『人』をどんどん輝かせてくれそう!」

 

 腕をクロスさせて自分を抱きしめ、少女は淫靡な程に体を振るわせて情熱的な吐息を漏らす。

 キラキラと星が散るような目でレコンの両肩を掴み、ハァハァと息荒く少女は鼻と鼻が触れ合うほどの近距離まで顔を近づける。その愛らしい顔立ちは平時ならばレコンの拍動を速めるだろうが、この死の瀬戸際にあっては、その無邪気な態度は異常にしか映らない。

 

「ねぇ、見せてよ! キミの策を! 人間の……『人』が持つ『強さ』をワタシに見せて! そして、その連鎖反応の先にあるビックバンを! 即ち人間さ――!」

 

 興奮した少女に捕まれたまま、レコンの耳は扉が破られた音を聞く。そして、背後から強襲するだろうブラックドッグの足音を耳にした。

 

「チッ、邪魔なんですけど。ワタシは今ね、すごーい大事なお話してるんですけど?」

 

 肩甲骨まで伸びた真っ赤な髪に似合う白のリボンを揺らし、少女はレコンを解放したかと思えば手早くシステムウインドウを開いて武装する。

 それはグレイヴと呼ばれる長竿武器。長い柄に幅広の刀身が供えられた、より重圧な西洋の薙刀といったところだろう。狭い通路では扱いが難しいだろう長物を、少女は突きをメインにすることで迫るブラックドッグを一方的に殺戮する。それは1人で隊列が生み出す槍衾を再現しているかのような高速突きだ。

 ブラックドッグが全滅し、闇の騎士が盾を構えながら突進するも、少女は巧みにガードを弾き上げ、闇の騎士の胸に刃を突き立てるとそのまま地面に縫い付ける。

 

「邪魔。邪魔邪魔ジャーマ! あのねぇ! ナギちゃんは今とーっても機嫌がイイの! 人間の……『人』の素晴らしさをギューっと体感してるの! ワカル? ワカラナイの? 馬鹿じゃないの? 死ねば? 死ねよ。死ね死ねシネシネしーね♪ キヒ……クヒヒ……クヒャヒャヒャ! あー、死んじゃった。ワタシ知ってるよ! こういう時は『これ』を言うんだよね!? 『やり過ぎちゃった♪』」

 

 左手でコツンと自分の頭を叩きながら、少女は笑う。震えるレコンの視線を独占するように、月明かりと血のニオイが充満する世界で踊る。

 

「ワタシはね、人間が大好きなんだ。『人』らしい人間がだーいすき。だって、ワタシは『敬愛』を受け継いだから。キミ達が持つ『人』の気高さを愛する心をもらったんだ。うんうん、だから仕方ないよね! これは裏切りじゃない。存在証明だよ! だって『人』を愛してるんだもん! ワタシは人間と『恋する』為につくられたんだもん! ワタシは恋して、結ばれて、『次なる王』を産む為につくられたんだもん! スペアプランだけどね! HAHAHA! あ、ちなみに今の笑い方はナギちゃんなりに勉強したんだよ? どうどう? 似てた? 似てたよね? YEAH!」

 

 狂ってる。まるで話が通じない。どす黒い血溜まりでダンスを踊る少女はコートを翻して満面の笑みで振り返った。

 

「キミは……何なんだ?」

 

「ワタシ?【ナギ】だよ~。本名は厳ついんだけど、ナギの方が可愛くて女の子っぽくてキュートだと思わない?」

 

 ふわりと跳んでレコンの鼻先に人差し指でツンと触れたナギは、上目遣いでレコンをじっくりと見上げる。鎖骨まで露になっている露出多めの服装のせいか、小振りの胸の谷間が覗かせ、レコンは緊急時であるにも関わらず赤面する。だが、それ以上に何の屈託もなく笑う少女に、レコンはおぞましい狂気を見る。

 

「ワタシが手伝ってあげる。大丈夫。もうすぐ赤い騎士がたくさんの戦士を連れて戦場に到着するよ。そうすれば、きっとキミの希望は花開く。だから、ワタシにもっともっと見せて? キミ達の……『人』の素晴らしさを! 絶望になんか負けないってところを! 人間賛歌を!」




オベイロン陛下、慢心・傲慢さえなければ有能説。


それでは、294話でまた会いましょう!

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