SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

アルヴヘイム決戦、開始。


Episode18-57 讃美歌は誰の為に

 全長80メートル以上にもなる巨大レギオンが3体。それに気圧されたリーファであるが、彼女の混乱を他所にして、事態の深刻化と時間経過は比例して進む。

 レコンを含めた軍師役からの広域指令の声は途切れ、地上戦力は反撃どころか防衛線維持もままならず、現場指揮による小規模な統制すらも失っている。

 絶望が焼き焦げる世界を満たす。巨大レギオンは背中の殻を開く度に、数百を超える光弾を撃ち出す。それは上空に飛んだかと思えば地上に落下し、直撃地点から爆発を引き起こす。それは炎を呼び込み、バリケードは吹き飛ばされ、死屍累々とした地獄絵図を生み出す。

 幸いと言うべき点があるとするならば、巨大レギオンは鈍重であり、また光弾攻撃には大きなインターバルを要する点だろう。また、見た目の派手さに反して光弾による範囲攻撃の射程は短い。

 だが、巨大レギオンはそればかりが攻撃手段ではないとばかりに、瞼のような殻に隠された巨大な1つ目を開けば光を瞳孔で凝縮させてレーザーを放つ。それは地上から巨大レギオンに接近しようとしていた勇敢なる騎馬隊を一掃し、それだけは止まらず、大通りと巨塔の壁面を大きく削り飛ばす。

 

(どうすればいい? どうすればいい? どうすればいいの!?)

 

 こうして策に悩んでいる間も、地上では続々と深淵の怪物が出現している。それだけではない。レギオン・シュヴァリエと呼ばれる、上位プレイヤーでも1対1は避けねばならない程の強力なレギオンも出現し始めていた。右腕と一体化した結晶ランスによる突撃戦争、硬質な外殻を強固な靱帯で振り回す触手を有し、なおかつ驚異的な学習速度と直感のような超反応を駆使する難敵だ。レギオン・シュヴァリエが相手では、もはや統制を失った反乱軍では一方的に狩られるだけだ。

 必要なのは戦略的指示を飛ばせる司令官と戦術的結果を出せる戦士。その両方が無ければ巨大レギオンには対抗できない。1体だけならば何とかなるかもしれないが、同時に行動する3体の巨大レギオンを相手にするなど不可能だ。

 黒火山も死地と呼ぶ相応しい激戦だった。古獅子、エンデュミオン、そしてスローネ。いずれも強敵だった。

 だが、此度の戦いは本質が異なる。突出した個人では戦術的勝利を得られても戦略的勝利は獲得できない。個人の武勇で覆すことなど出来ない。

 

 

 

「俺たちなら倒せる! 諦めるな!」

 

 

 

 今にも剣が指から零れ落ちそうになっていたリーファの折れかかった心に芯を通したのは、巨大レギオンに一直線で飛んでいく黒の軌跡。巨大レギオン3体の出現で、自分と同じように絶望を声にしてまで味わったはずの兄は、身近の巨大レギオンを仕留めるべく攻撃を開始する。

 巨大レギオンの頂点部よりイソギンチャクのように広がる無数の触手。それは富んだ伸縮性を有すると証明するように、兄へと次々と触手を伸ばす。それだけではなく、触手表面のイボの1つ1つがレーザーの発生器らしく、青い光の線が数千と放たれる。3次元による立体的運動が可能になった飛行状態とはいえ、レーザーの網を容易に潜り抜けられるはずもない。あらゆる方向から迫るレーザーに、兄は予測を立て、あるいは超反応で躱し、ガードし、弾き返し、触手を斬り裂くが、数に圧し負けて左肩に直撃を受け、怯んだところで更に3発のレーザーを腹に受けて吹き飛ばされる。

 

「お兄ちゃん!」

 

 そのまま塔の壁面に叩きつけられた兄の元へ舞うが、それより先に翅を羽ばたかせた血塗れの黒衣の剣士は飛び立つ。HPは今の攻撃で4割削れているが、逆に言えば一撃一撃は決して攻撃力は高くないという事なのだろう。だが、回復アイテム無しで……聖剣のオートヒーリングを待たずして再度攻撃を仕掛けるのはリスキー過ぎる。

 数百の触手とそこから放たれるレーザーの網。それによって接近できない兄は、聖剣から月蝕光波を放って数本を纏めて千切り飛ばす。だが、数は多過ぎる上に、恐るべきスピードで再生している。

 このまま震えて待つのか。兄の奮闘を見守るのか。違う! 自分も戦うのだ! リーファは覚悟の帯を締め直し、死で満たされた空間へと飛び込む。

 触手は巨大レギオンの頂点から発生している。ならば、必然的に高度を下げれば触手の攻撃は手薄になる。兄が過半の触手を相手取っている今こそがチャンスだと接近したリーファは、巨大レギオンのスケールに改めて圧倒され、またカニの足を思わす脚部に斬りつけようと剣を振るう。

 

「ぐっ……硬い!」

 

 だが、飛行による加速も乗せた一閃は弾かれ、危うくリーファの手元から片手剣は吹き飛びそうになる。

 脚部を潰せば少なくとも機動力は失われる。それが巨体故の弱点ならば、容易に崩せないように防御力が高いのも道理かもしれない。だが、今のリーファにはただの理不尽以外には感じることはできない。

 それでもこのまま攻撃し続ければ! リーファがそう意気込んでソードスキルを発動させようとした時、巨大レギオンの表面が泡立って直系1メートルほどのシャボン玉が無数と浮かぶ。それはリーファの傍によると破裂し、低ダメージではあるが、一撃で彼女をスタンさせ飛行状態を停止させ、なおかつ高い衝撃で吹き飛ばす。幸いにも高度を落とし、なおかつ翅による落下ダメージ軽減のお陰で軽傷で済むも、叩きつけられたダメージも重ねればHPも相応に削られる。巨大レギオンが有する張り付き対策に奥歯を噛む。

 明らかに弱点だろう巨大な1つ目は開閉する殻に覆われて守られ、なおかつ数百の触手による攻撃を掻い潜らねば接近できない。脚部は異常な防御力で生半可な攻撃は通じない上に、近づき続ければダメージこそ無いに等しいが、大量のシャボン玉による防御能力を発動させる。

 背後に回ろうものならば、いつ射出されるか分からない光弾の餌食。およそ弱点らしい弱点は無く、敢えて言うならば著しい鈍足であることであるが、それもこの巨体ならば1歩の大きさからしてデメリットにはなり得ない。

 大きさとは強さだ。それを刻み込まれるリーファはスタンから復帰して体を起こす。

 

(『ゲーム』だと巨大な相手程に接近されたら弱いのがセオリーなんだけどなぁ。はは……そんな甘いわけないよね)

 

 巨鉄のデーモンがそうであったように、大きさはそのまま強さになる。

 かつて、竜の神との戦いでは、当時のトッププレイヤーが『偶然』にも結集し、あと1歩で終わりつつある街が壊滅されるのを防いだとされている。その死闘で死者こそでなかったが、それは奇跡の産物であり、また当時の参戦者が並々ならぬ実力者であり、大ギルドの不和を超えた呉越同舟で挑んだからこその成果だったとされている。

 だが、ここには大ギルドも無ければ、都合の良い増援もなく、自らの剣さえも巨獣を相手にするにはお粗末な針に過ぎず、なおかつ数を纏める司令塔さえ不在なのだ。

 

(こんなのが3体もいるんだよ? きっと、まだオベイロンは手札を隠してる。どうやって勝てばいいの!?)

 

 全ては無駄だったというのか?

 アスナが決死でアルヴヘイムを纏め上げ、ようやく集まった大戦力。これまでの長い歴史で溜め込まれた物資を全て吐き出す決戦。今日までのアルヴヘイムの日々は何もかも無意味に等しかったというのか?

 認めない。リーファは剣を握り、まだ飛べると背中から伸びる仮想筋肉を確認するように翅を動かす。そして、彼女の再起は現実に響いたかのように、巨大レギオンが僅かに後退する。

 

「ぜぁあああああああああああ!」

 

 鬼神の如き雄叫びの中で、黒衣の剣士は触手とレーザーの包囲網を血だらけの姿で破り、ついに殻に覆われた巨大な1つ目の間近まで迫って十字斬りを放ったのだ。そこからは≪二刀流≫の真骨頂。凄まじい連撃で殻を砕き散らし、隠された眼球に刃を届かせ、月蝕突きで穿ち散らす。巨大レギオンのHPが確かに減る。1割にも満たないが、たった1人で確かに減らす。触手の攻撃と背中の開いた殻から放たれる光弾を回避し、迫るレーザーを全て剣で弾き、触手の鞭をメイデンハーツの一閃で逆に切断する。

 逃げるわけにはいかない。負けるわけにはいかない。兄は『英雄』なのだから。いかなる困難にも立ち向かい、その背中で皆を鼓舞せねばならない。勝機を見せねばならない。

 怖いはずだ。死にたくないはずだ。本当は逃げ出したくて堪らないはずだ。そんな恐怖を踏破し、血で赤く染まりながらも、減らされるHPに心を蝕まれながらも、何度も何度も攻撃を仕掛けて確実に巨大レギオンを押し込んでいる。

 巨塔の屋根に着地した兄は聖剣より月蝕の奔流を放出させ、それを刀身に一気に凝縮させたかと思えば、巨大な月蝕光波を撃ち出す。だが、それは80メートル級の巨獣を相手にするには余りにも細く小さい。だが、それは触手とレーザーの網を強引に捻じ伏せていく。巨大レギオンは触手数十本を捨てるように重ねて壁にすることで何とか止める。だが、その間に再度の接近を図った兄は最も危険な巨大レギオンの背後に回る。

 違う。今は逆に『安全』なのだ。光弾を撃ち出したばかりのインターバル中である。ソードスキルの瞬きと共に背中に刃を走らせ、巨大レギオンの絶叫を響かせる。殻は砕かれ、光弾を撃ち出す発生器官だろう、ガラス玉のような部位が続々と潰され、その度に巨大レギオンは激しく暴れ回る。

 触手の鞭に対応しきれず、迫る一撃に剣を交差させてガードした兄は吹き飛ばされる。だが、宙で何とか制動をかけ、地面に叩きつけられる寸前で再度の突進を仕掛ける。

 触手の質量に対してはリカバリーブロッキングでも弾き返せない。だが、スタミナの回復は図れる。兄の刃の軌跡に次々と緑色のライトエフェクトが散る。そして、触手の全てが広がる頂点に達したかと思えば、連続の月蝕光波を浴びせて怯ませる。

 攻撃は効いている。倒せる希望はある。だが、余りにも時間がかかり過ぎる。余りにも疲弊が大き過ぎる戦いだ。確かに、兄ならば時間をかければ巨大レギオン1体を討伐することも出来るだろう。だが、その時間をかけている間に犠牲者は膨れ上がる。他の2体のレギオンは進行し続ける。今は反乱軍の殺戮に赴いている深淵の怪物とオベイロンの兵が一気にこちらに傾けば反撃の隙さえも無くなる。

 

「あたしが触手を引き付ける! お兄ちゃんは攻撃に集中を!」

 

「ああ、任せた!」

 

 少しでも、たとえ弱々しくとも、自分が動かねば何も変わらない。1人1人が立ち止まったままで、絶望したまま踏み止まっていては、『誰か』が勝利を引き寄せてくれるのを待っていては、ただ怯えたまま死に蹂躙されることになる。

 死にたくない。生きたい! ならば戦わねばならない! それは矛盾。生き残るために最たる死地に身を置き続けねばならない。だが、リーファは今度こそ恐怖を振り払い、巨大レギオンに立ち向かう。兄が証明したのだ。巨大レギオンは倒せない存在ではない。攻撃を当てれば必ず倒せるはずだと!

 空中で奇跡の中回復を発動させ、兄のHPを回復させる。もはや回復アイテムの残数は無い。確保している拠点エリアならばHPの時間経過回復や攻撃力・防御力強化などの恩恵のバフなどの有利を得られるが、巨大レギオンをわざわざ自陣まで引き込むわけにもいかない。

 反抗心を燃え上がらせても焦りは消えない。それは巨大レギオンに立ち向かい続ける兄も同様なはずだ。ならば、活路を切り開く方法とは?

 

 

 

<皆さん、落ち着いてください。僕は反乱軍総司令『代理』、レコン=J=レオノアロークです>

 

 

 

 そして、戦場に響くのは、凛とした、一切の不安など無いと言わんばかりの、自信に溢れたレコンの軍師遠声だった。

 

<現在、皆さんもご存知の通り、反乱軍の司令部は混乱状態にあり、また反乱軍内でモンスターが変身した敵戦力による攪乱も行われています。ですが、何も恐れる必要はありません。敵の潜伏戦力の排除に成功。これらの潜伏戦力はオベイロンに寝返った幾人かの上層部による策略であり、既に裏切者の捕縛も完了しています>

 

 レコン、急にどうしたの? 何か策があるの!? 触手の連撃を躱し続けるリーファは、戦場全体に波紋の如く広がるレコンの声に耳を傾ける。

 

<ですが、裏切者によって指揮系統は半壊。もはや皆さんに十全たる指示を出すことはできません。よって、ここからは【来訪者】にして、ギーリッシュ総司令より第220号命令……『緊急時の指揮系統の1本化』の命を受けた僕が皆さんに全指示を発信します。これに従わない者はオベイロン勢力のスパイと見なし、敵性戦力と識別。『処断』します>

 

 明らかに威圧する声音を響かせるレコンに、リーファは口元を小さく歪める。長年に亘って連れ添った『友人』だからこそ、彼女にはそこに潜む大きな緊張を読み取れる。

 

<僕からの命令はただ1つ、押し返せ。巨大な怪物が何だ!? やるべきことは変わらない。敵の種類が増えようと数が増そうと物量はこちらが上だ。大砲を撃ち込め。矢を放て。バリケードを作れ。巨大怪獣からは距離を取り、砲撃にて応戦せよ。悲観する必要はありません。もう間もなく、我々の起死回生にしてオベイロンの息の根を止める策……第8号特秘指令……オペレーション【スターダスト】が発動します。これは反乱軍上層部の極少数にのみが知る秘密作戦であり、発動すればオベイロンもただでは済まない。加えて救援も予定されている。諸君らの犠牲は無駄ではない。我々の勝利は目前だ。さぁ、今こそ武勲を挙げる時! 騎士の名誉を! 黄金の富を! 何よりも失った戦友たちの復讐を! オベイロンに償わせるのだ! 僕らの勝ちはもうすぐそこだ!>

 

 最後は息が切れながらもレコンの遠声は確かに戦場に染み込んだ。

 レコンの馬鹿。だけど、ありがとう。リーファは拳を握り、兄の傍まで飛ぶと目線を合わせる。彼もまたレコンの目的を既に読んでいる。

 

「レギオンの最大の脅威は学習速度だ。少しずつだけど、確実に俺達を捉える速度が上がってる。退くなら今の内だぞ?」

 

「残念。あたしはお兄ちゃんに似て諦めが悪いんだ。まだまだ押し返せる!」

 

 お兄ちゃんとなら必ず生き残れる! リーファは巨大レギオンの緩やかな進行を、たった1匹でも阻むべく剣を構えた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 これで何とかなるだろう。今は負傷者を大量に収容する野戦病院となった図書館の司書室にて、レコンは椅子にぐったりともたれ掛かって水筒を傾ける。

 巨大レギオンの出現。新手にレギオン・シュヴァリエによる防衛戦の突破と殺戮。加えて深淵の怪物たちによる統制が執れた攻勢。オマケに指揮系統は半壊……いや、もはや壊滅という表現をした方が早い。ここから正攻法で立て直すのも覆すのも不可能だ。

 そして、レコンは自分が戦術家としても戦略家としても二流程度であり、またこの混沌とした戦場を掌握できる天才でもなければ、突如として才能が開花すると神様に期待できるほどに楽観視もしていない。

 だからこその策。後はなるようになれとレコンは思考を切り替えようとした時、デスク越しで身を乗り出してレコンに顔を近づけたナギは、無邪気に目をキラキラと輝かせる。まるで星のエフェクトが本当に散っているかのような眼に圧倒され、続いて美少女の顔面が迫るとなれば、レコンは顔を真っ赤にして椅子から転げ落ちる。

 

「すごーい! そんなカッコイイ作戦があったなんて! ここまで全部読んでたんだね!」

 

「そ、そんなわけないだろ!? 全部デタラメだよ!」

 

「ふぇ? デタラメって……つまり、えーと、デタラメ?」

 

「そう! 嘘だよ、う・そ! 考え無しに吐き出したデマ!」

 

 転倒で傷口が刺激されて全身を丸めるほどのダメージフィードバックに唸りながら、レコンはデスクの縁を掴んで立ち上がり、目を白黒させるナギに仕方なく説明する。

 

「ここから元の状態に戻すなんて無理なんだ。不可能! 少なくとも、この状況下でも他の軍師役は何の命令も飛ばせていない。死んでいるのか、逃げるのが精一杯なのか、どっちでも知ったこっちゃない。何にしても指揮系統を復元なんて出来るはずもない」

 

 本当は違う。ギーリッシュの身の安全くらいは心配している。だが、レコンは既に確信していた。あの男は戦略において自分など目ではないほどにずば抜けた才覚を有する。この局面においても冷静に最善策を敷いて反撃に備えるはずだ。そのはずなのに戦場を放置し続けるという事は、既に亡き者にされたと見る他にない。

 

「そもそも末端の連中は戦略的視点なんて持ってない。持つ必要がない。上の指示を黙って聞いて戦えば良い。大事なのは『勝てる』って希望を与えることなんだ。こっちには反撃策があるって『嘘』を与えれば、少しでも踏ん張ってくれる」

 

 他にもわざわざ自分の名乗りをレコン=J=レオノアロークなどという装飾した、いかにも貴族っぽい名前にしたのはただの演出だ。自分に不足しているカリスマ性の無さ。それをアルヴヘイムという王政・貴族制を利用し、わざと支配層の人間のように錯覚させた。

 

「じゃあ、あの命令は!? 第なんたら号とか凄そうな指令は!?」

 

「だから、全部『嘘』だよ! 現場の頭の良い連中はとっくに立て直しのために動いてる。そうじゃないと勝ち目も拾えない。僕がすべきなのは軍師役の能力を利用して、全体に少しでも冷静さを取り戻させること。それから、あの……よく分からないレギオン? 人間に化けるのか何なのか知らないけど、あれが『全部割り出されて駆逐されつつある』っていう安心感を植え付けること。そもそもアレは何なのかという理由づけを架空の『裏切者』を準備して都合よく押し付けること。あと、現場ではきっと相手の戦力を無尽蔵だと思い込んでるはずだから、そんな事関係なく逆転できる『雰囲気』を作ればよかったんだ」

 

「ほへぇ~。よく分からないけど、キミは『嘘』を並べ立てて、皆に勝ち目を『錯覚』させたわけだね。でも、それって何の意味があるの? 結局は負けちゃうよ?」

 

「現場を立て直さないとそもそも勝ち目を拾えないよ。僕はここで1発逆転を提示できる天才じゃない」

 

 普通なら殿を置いて一目散に撤退する戦況だ。余り分かった様子のないナギを横目に、レコンは自分の嘘が少しでも士気向上となっていればと願う以外に他は無い。

 

(ナギちゃんの言う通り、僕は状況がマイナス大だったのをマイナス中にしたくらいだ。実際には犠牲は膨らみ続けているし、逃亡兵も増えてるはず。だけど、それでも、今あそこでリーファちゃんとUNKNOWNさんが戦ってるんだ)

 

 窓の外では巨大レギオンが小さな飛行体を相手に交戦中だ。他2体の巨大レギオンの進行に比べて、あの1体だけが緩やかなのは食い止める誰かがいるはずだ。そして、それは考え得る中であの2人以外に存在しない。

 

「ナギちゃん、本当に援軍は来るんだよね?」

 

「来るよ。キミの希望はそれで実るかな?」

 

「分からない。でも、抗うことを止めた時、僕たちは死ぬんだ。だったら、僕も、皆も、1人1人が勝つために努力するしかないよ」

 

 自分1人では何も変えられない。誰かの為に、誰かと共に、戦い続けることがこの場では必要なのだ。

 僕1人では何も変えられない。この大きな流れを変じさせることはできない。でも、水面に石を1つ投げ入れれば、その波紋に誘われて他の人々も石を投げるかもしれない。波紋と波紋はぶつかり合い、やがて大きな波となるだろう。

 

「努力すれば報われるなんて言わないさ。それでも、今この瞬間も戦ってる人たちがいる! 今の僕に出来るのは、戦ってる人たちの勝率を上げる事だ!」

 

 レコンは回廊都市全域のマップデータを出し、表示される味方・敵の位置情報からどのような指示を飛ばすか頭を捻る。

 一手間違えれば……いや、たとえ最善の手を打っても犠牲は免れない。その度にレコンは腹に冷たいモノが溜まる感覚に吐き気を催す。

 

(だけど、ここからどうする? オベイロンの戦力が有限だとしても、深淵の戦力は未知数だし、そもそもレギオンはオベイロン側か深淵側かも分からない。何をどう削れば良い?)

 

 加えてレコンもまた傷は深い。HPは回復させ、流血のスリップダメージも落ち着きつつはあるが、傷の修復は遅々として進まず、体はまともに動かぬほどにダメージフィードバックが響く。痛みでないだけマシと喜ぶべきか、DBO独特のこの不快感には相変わらず慣れないと苦しむべきか、レコンは最悪な悩みだと奥歯を噛んで堪える。

 そんなレコンの様子を悟ったように、ナギの温かな熱が籠った掌が彼の額に触れる。

 

「ナ、ナギちゃん!?」

 

「苦しみながら足掻いて這い上がる時こそ『人』は最も美しい。キミは最高にキラキラと輝いてるね。その気持ちを大事にしてね?」

 

 顔を赤くするレコンの額から手を離れさせた彼女の笑顔は、とても穏やかで、また『誰か』の面影を見る。

 ステップを踏んで距離を取ったナギは背中で手を組みながら前屈みになり、悪戯が成功した子どものように舌を出した。その姿は可憐そのものであり、同時に不気味な程に心を鷲掴みにする魅惑に満ちている。

 

「おまじない。どう? 少しは楽になった?」

 

「え? あ、あれ……あれぇ!? なんで!?」

 

 ナギに翻弄されたかと思えば、レコンは全身のダメージフィードバックが幾分か落ち着き、少なくとも走り回る程度ならば支障はない状態に変化していることに驚愕する。それだけではない。ブラックドッグに抉られ、半ば内臓を貪れる直前だった腹の傷も含めて幾らか修復が進んでいる。

 

「ナギちゃんは魔法使いなのデース♪ さて、次は武器が必要だね。キミは≪戦槌≫があるみたいだし、これでどうかな?」

 

 システムウインドウを展開して実体化させたのは、痛々しい棘がびっしりと備わったスパイクメイスだ。差し出されて装備してみれば、レコンでも無理なく片手持ちできる重量である。攻撃力も先程まで使用していた粗製のメイスに比べれば雲泥の実用性の高さだ。

 

「どうしてここまで……」

 

 同じ【来訪者】だとしても、いきなり見ず知らずのレコンに武器を貸し出すなどあり得ない。いや、そもそもナギは果たして本当に【来訪者】なのかも疑わしい。だが、彼女は間違いなくプレイヤーカーソルを頭上に頂き、その装備は性能もデザインもアルヴヘイムから逸脱している。ならば、消去法から言っても彼女は【来訪者】なのだろう。

 そして、同時にレコンが思い出したのは約束の塔でレコンたちを森の外まで移動させてくれた2人の女性だ。黒スーツを纏った黒髪の美女と虹色の髪をした美少女。彼女たちを合わせれば、レコンたちが掴めていなかった正体不明の【来訪者】3人分の空席は嵌まる。

 

「どうして? 応援したいって気持ちがあるからじゃダメ?」

 

「駄目じゃないけどさ」

 

「だったら良いじゃん。どうして人間は善意にケチをつけたがるかなぁ。裏を読もうと穿った見方をして、結局は自分からドツボに嵌まる。時には親切を素直に受け取っておくのも『人』の美徳だよ?」

 

 この状況下で無条件に他人の善意を受け取れる者がいるならば、それは底抜けのお人好しか、疑う事を知らない子どもか、真性の馬鹿だけだ。

 今は1分1秒が惜しい。無償で武器を貸してくれるならば存分に使うべきだ。

 だが、とレコンは迷う。相手がリーファならば迷うことも無いだろう。親愛の情もあれば恋愛感情もある。時間の分だけ培った信頼関係もある。

 UNKNOWNでも悩まない。彼の人となりは旅の中で知ることが出来た。彼は悪人ではない相手を無条件で陥れるようなタイプではない。

 ならばナギは? そもそも彼女はこの地獄でどうして余裕を崩さない? まるで理解することができない。人間の形をした『別の何か』が目の前にいるかのような錯覚に陥る。

 

「……プッ! HAHAHA! ゴメーンね♪ ワタシね、罠があろうと無かろうとぜーんぶ食い破ってしまえばイイってついつい楽観視しちゃう悪癖があるんだ。だから、キミがあれこれ疑心暗鬼になってるのがオモシロ過ぎて。不快にさせたみたいだね。うん、謝らないと♪」

 

 どんな罠があろうと切り抜けられる。無条件で自分を信じられる。それは強者の特権なのだろう。だが、レコンは自分が臆病で弱者であると自覚している。

 だからこそ、恐怖を前にした時に体が震えてしまう。死に怯えてしまう。足がすくんで動かなくなりそうになる。頭が真っ白になって何も考えられなくなる。それを乗り越える為に、いつも心の内から、精神の奥底から、魂の髄から恐怖に立ち向かうべく死力を尽くす。

 だが、彼女は恐怖心が欠如しているかのように振る舞っている。レコンにはそれが度し難く奇異に映ってしょうがない。

 

「それよりもあの人たちはどうして逆方向に走ってるの? アレも作戦があるのかな? ねーねー教えてよぉ!」

 

 窓に張り付いて物珍しそうにナギは質問を投げかけて来る。キラキラと星が瞬く瞳はまるで見知らぬ土地を旅行で訪れた子どものようだった。それは地獄と化した回廊都市という名の戦場において不釣り合いであり、レコンたちの奮闘を嘲っているかのような超越した眼のようにも思えた。

 

「あれは脱走兵だよ。持ち場を投げ出して逃げてきたんだろうね。僕が流したダミー情報を頭の良い人たちは上手く活用してくれるはずだけど、再編成する時間も余裕もないし、そもそも全体に冷静さが伝播できたとも思っていない。3割復帰できれば御の字。ああいう人たちが出るのも仕方ないさ」

 

 どうせ逃げ場など何処にもないはずだ。開戦すれば転移は一方通行。逃亡するならば、外征門の裏にそびえる山脈を越えねばならないが、その先にあるのはアルヴヘイムでも未開の土地であり、生き残れる保障など無い。いや、そもそも山脈を越えようと生にしがみつく気力があるならば、まだ友軍と共に敵を迎え撃つ方が幾らか生存率は高い。なにせ、あの高い山々を越えるとなれば相応の時間を要する。当然ながら、それより前に勝敗は決するだろう。

 武器を捨てて涙と鼻水でグシャグシャにした顔で逃げ出す彼らを、指揮を担う者として叱責すべきなのだろう。アルヴヘイムでも一般的に脱走兵は見つけ次第に処刑する習わしだ。それは現実の軍隊でも大差ない。そうでもなければ、戦場において組織の秩序は守れない。

 総司令を騙る者として始末をすべきは自分だ。だが、彼らを責められない気持ちがレコンにはある。この絶望的状況下において、指揮系統が全壊に近しいまでに崩された中で、前線の兵士たちに訳も分からぬ策を信じて戦い続けろと通達するのは酷だ。

 結局は、僕がしたことは他力本願の上に不確かに過ぎない自己満足だ。それでも勝つ為には必要と感じた布石を打ち続けるしかない。それが天才ではないレコンに出来る抗いだ。唇を噛むレコンは己の無力さを味わいながらも、次なる策を練ろうとした時だった。

 

「え? え? え? 何それ? イミ分からない。ねーねー、ナンデ逃げるの? 逃げちゃ駄目だよ。知ってるよ。ナギちゃん知ってるんだよ。コレ、戦略的撤退って言うんだよネー。勝つための逃亡。最後に勝つために、今は生き残って情報を蓄積し、再起を図る。その為の逃亡。違うの? 違うの? 違うの? ナニナニ? ただ『生きたい』ダケ? だから逃げるの? 戦友も、信念も、矜持も、欲望もなく、恐怖に屈して逃げ惑う。そんなの『人』じゃない」

 

 ナギの笑みが凍る。それは楽しみにしていたケーキに虫が集っていたかのような、そんな腐敗した感情の眼。

 そして、レコンの全身を浸すのは純然たる恐怖心。それは禍々しいとまで、決して感覚が鋭くないレコンすらも腰を抜かす程の『殺気』。レコンはナギの感情が抜けた表情に、唾液で滴る飢えた獣の顎を幻視する。

 

 

 

 

「そっかぁ♪ アイツらは『人』じゃなくて『餌』なんだね!」

 

 

 

 

 何かに合点がいったように、ナギは蹴りを1発入れて窓を割り、破片の吹雪の中へと跳んで舞うように落ちる。レコンが制止する暇も無く、彼女は脱走兵十数人の前に降り立つ。

 

「お、女の子!?」

 

 突然の美少女の当然に、生に必死になっていた脱走兵たちは目を白黒させて立ち止まる。そんな彼らに、レコンと出会った時と同様の無邪気さを滲ませた笑顔でナギは手を振った。

 

「はいはーい♪ どうもどうも『餌』の皆さん!」

 

 ナギの一閃が呆けて惚けた兵士の1人の首を刎ねる。長物でありながらその速度は常軌を逸した一撃。レコンの目では追えぬ斬撃が血飛沫を生み、世界を赤く塗り潰す。

 

「ひぃやぁああああああああああ!?」

 

 悲鳴が轟き、周囲がざわつく。もはや諦観で脱走兵を目にしていた者たちに恐怖が伝播する。それを楽しむように、ナギは2人、3人、4人と殺していく。

 戦場に逆戻りしてでもナギから離れようとする者も現れる。だが、彼女はそれを許さないとばかりに鼻歌を奏でながらシステムウインドウを開く。出現したのはスナイパーライフル。彼女はスコープを覗き込むと足でリズムを取りながらトリガーを引く。それは脱走兵の右膝裏を撃ち抜く。転倒したところで後頭部に更に1射。そうして嬲るように1人ずつ殺害していく。

 レコンが駆けつけた時には、彼女は新たな得物である手斧で脱走兵の額を叩き割り、その血肉を恍惚とした表情で浴びている最中だった。

 

「うひょー! キモチイイー! これが狩り! やっぱりナマは違いますなー。お腹の膨れ方が全然ちがーう! 王も早く楽しめばイイのに! どうせ消えない飢餓なんだもん。だったら『食事』は楽しまないと損だよねー! やっぱり天然と養殖では『質』が全然――」

 

「何やってるんだよ!?」

 

 レコンはナギのコートの襟をつかんで揺さぶり、彼女が踏みつける遺体から引き摺り下ろす。血で化粧をしたナギは何をレコンが怒っているのか分からないとばかりに、背中を地面につけて小首を傾げる。

 確かに脱走兵は殺さねばならない。それがアルヴヘイムでの常だ。ならば、レコンは自らの心に冷血を流し込んでも彼らを殺さねばならなかった。

 だが、まだ説得も出来たはずだ。レコンが堂々と振る舞い、彼らの戦意をもう1度点火できれば、緊急時のパニックという甘い名目の下で彼らを放免する事も出来た。

 

(違う。そんなカリスマ性なんて僕には無い。あの場面ですべきなのは、1人を見せしめで処刑して……でも!)

 

 以前のレコンならば嬉々と実行していただろう。だが、今のレコンには無理な判断だった。だからこそ、血に塗れたまま地面に押し倒されたナギに、どんな言葉をぶつければ良いのかとレコンは奥歯を噛む。

 

「簡単に……簡単に人を殺しちゃいけないんだよ! なのに、キミは――」

 

「ナギは『人』を殺さないよ? むしろ応援してるよ? 尊敬してるよ? だけど、コイツらは『人』じゃないよね」

 

 以前のレコンと同じなのか。アルヴヘイムの住人は限りなく人間に近しい知性と自我を有したAIであることは間違いないが、彼らは人形ではない。生身の肉体を現実世界に有さずとも、そこには生命が宿っている。確かな命の息吹がある。

 だが、仮にナギに彼らはNPCと同じだと強弁されてもレコンには彼女を納得させられる、屈伏させる論理展開が出来ない。

 

「ダイジョーブ」

 

 ナギの柔らかく、ほんのりと熱が籠った指がレコンの頬を撫でた。彼女は一切の邪念が籠らない双眸でレコンを見つめている。

 

「レコンが『人』である限り、ワタシは味方ダヨ? レコンは『餌』じゃないもんね」

 

 歪んでいる。狂っている。壊れている。レコンはスパイクメイスを意識する。

生存本能が訴える。彼女は存在すべきではない。今ならば……今ならば簡単に殺せる。ナギはレコンを信用している。一切の疑いなく、レコンがどんな策を……どんな抗いを披露してくれるのか、嬉々と待ち望んでいる。

 ここで彼女を『処理』しなければ、いずれは何か途方も知れない程の大きな災いが起きるような気がしてならない。レコンがごくりと生唾を飲んで実行に移すべきだという焦燥心に身を委ねようとした時だった。

 

 

 

「戦場で女を押し倒すとは、随分と余裕があるようで何よりだ」

 

 

 

 それは待ち望んだ援軍の声。

 レコンは顔を上げれば、そこには猛るような赤い髪を戦場の風で靡かせた勇猛なる剣士が腕を組んで立っていた。

 最後に見た時の光沢に満ちたはずの鎧はなく、今はインナー装備と思われる革製のプロテクターのみの上半身。隆々とした筋肉は今か今かと武を示す時を渇望しているようだ。握る大剣は幾らか刃毀れし、また小さな亀裂もあるが、そこに秘められた威力は生半可では劣らぬとばかりに輝いている。

 

「ユージーンさん!」

 

 天の助けだ! いや、これこそがナギが告げていた援軍なのか。レコンは遅れて登場したヒーローに活力を取り戻す。

 ナギを地面に押し付けていたレコンは、ユージーンの登場で自分が凶行に走りそうになっていた事実を改めて認識して慄きながら、彼女からゆっくりと離れた。

 

「別にそんなことはしてませんよ。ただ、彼女が脱走兵に対して行き過ぎた真似をしていたので……」

 

「そうか。今は何も問わん」

 

 この戦場においては凄惨とも言い難い殺人現場に、ユージーンは主犯だろうとナギに詰問する時間は惜しいとばかりにレコンの言い分を丸呑みする。

 

「鎧はどうなさったんですか?」

 

「……砕かれた。強敵との戦い故に仕方なかったとはいえ、痛い損失だ」

 

 高VITの近接型プレイヤーとはいえ、防御力の主体を担う鎧を損失したのは確かに手痛いだろうとレコンも同意する。だが、ユージーンは防御の損耗を攻撃で補うと言わんばかりに大剣を構えたままレコンの脇を抜ける。

 

「オレはまだ戦場に来たばかりだが、如何ともし難い苦境だと把握している。だが、先の声明は聞こえていた。レコン、貴様が指揮の要だな?」

 

 傲慢不遜にして勇猛果敢。だが、その後ろ姿には何処か暗い影が帯びているような気がしたのは、果たして勘違いだろうか。レコンがその疑問を言葉にしてぶつけるよりも先に、ユージーンを追うように、多くの異形が行軍する。

 圧巻。レコンは言葉を失い、その戦列の濁流の中でユージーンが率いる援軍に息を呑む。

 それらは人間ではなかった。人間を超える体格をしたキノコ人であり、古木のように枯れた姿のまま動く樹人であり、歪曲した剣を有する蛇人であり、岩のような肌を青い荒布で隠す亜人であり、猛禽の頭を有する有翼の鳥人であり、全身を青黒い体毛で覆った2本の捩じれ角を頂く獣人だった。

 魔族。アルヴヘイムの歴史が生み出した異端。モンスターでありながら意思疎通を可能とした種族。シリカによれば、ユージーンは魔族の契約を集めに行くと告げたまま行方不明になっていたが、この土壇場に来て、まさしく大軍と呼ぶに相応しい魔族の軍勢を率いて現れたのだ。

 

「レコン、全軍に通達しろ。このオレの存在を! 魔族の軍団……アルヴヘイム史上最も勇猛なる援軍の到来を! オベイロンに突きつけてやるのだ!」

 

 ユージーンが大剣を地面に突き刺せば、何千という青白い亡霊の騎士たちが出現する。ある者は全身を甲冑で覆い、ある者は騎馬に跨り、ある者は勇ましく大斧を掲げている。

 アルヴヘイム最大最強の反乱軍4万人。そこに加わるのは、かつて深淵狩りが契約した魔族の軍団。

 

「希望は繋がったね。さぁ、もっともっと見せて。魅せて! キミ達の輝きを! キミ達の頑張り分のだけワタシも助けてあげる」

 

 これは反撃の矢になるのか。嬉々として事態の好転を讃えるナギに、レコンは拳を握る。

 誰かに任せるのではない。僕たち1人1人が戦うことで手繰り寄せるのだ。たとえ、どれだけ細くとも、確かに未来へと繋がる勝利の糸を。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 戦局は変化の潮流を迎える。

 ユージーンの登場と彼が率いる魔族の軍勢。それはレベルと装備が決定的に不足する反乱軍にとって必要不可欠だった穴を埋める。

 深淵狩りの契約。もはや深淵狩りは失われようとも、彼らはただ1つの盟約の下で集う誇り高き戦士たち。かつて多くの犠牲を出そうとも赤雷の黒獣を葬った。苦境であろうとも、いかなる敵であろうとも、決して怯むことなく、部族の誇りを全うする。

 キノコ人の拳は空気を破裂させ、一撃の名の下であらゆる有象無象を肉塊に変える。先陣を切るのはキノコ王子であり、彼の親衛隊は我先にと敵の戦列を崩すべく突撃する。

 砂色の荒布を纏う蛇人たちは、曲芸のように跳び回り、歪曲した剣を振るって次々と敵を葬る。大口を開けば火球を飛ばし、次々と爆炎を巻き起こす。

 樹人たちが枯れ木のような身を震わせれば、毒や麻痺の霧が散布され、それは着実に敵兵を蝕んでチャンスを作る。その腕を伸ばせば木の槍となり、隊列を組めば強靭なる槍衾と化す。

 岩肌の亜人マギは魔法・奇跡・呪術のプロフェッショナル。傷つく者を癒す奇跡を唱え、広範囲と高火力を担う魔法を続々と発動させ、炎が彩る呪術で近接を補う。

 毒沼の獣人ラ・ゾヌは青の体毛を靡かせて、毒槍を手にして敵に跳び込む。彼らは名乗りを上げて嬉々として誇りを口にし、仲間の骸の分だけ怒りを募らせ、まさしく我らにこそ義はありと示す。

 鳥人グリフィスは飛行能力を活かし、オベイロンの飛行戦力及び対地支援を行う。槍はもちろん、翼から放たれる羽の弾丸は面攻撃となって地上を制圧し、また飛びなれない妖精たちとは違う、本物の翼の使い方を披露するように、縦横無尽に空を駆ける。

 何よりも頼もしいのは亡霊の軍勢。実体を持たず、あらゆる物理攻撃を軽減させ、なおかつ闇属性に強い。障害物を無視して突撃も撤退も自由自在である。

 戦力としては極めて優秀。なおかつ、レコンは即時に魔族を『友軍』として通達させた。現場は混乱しているが、そもそも妖精とは仲が芳しいとは呼べない魔族だ。彼らを無視し、盟約を果たすべく、ユージーンを総大将として戦場を蹂躙する。

 なおかつ、彼らは騎獣と同じ扱いだ。どれだけ死体を積み重ねても制圧値は減少しない。何故ならば登録上彼らは『道具』と同じであり、それらの損耗はカウントされないからだ。

 

「……あの狂人の差し金か」

 

 レヴァーティンは予期せぬ援軍の到着によって、五分五分とまではいかずとも、流れが反乱軍に寄り始めたことに舌打ちする。

 あれだけの魔族の同時転移。外征門から一気に流れ込んだ援軍によって反乱軍が、レコンのハッタリによって何とか持ち堪えていた最前線を盛り返し、反撃に移行している。それらの裏にはセカンドマスターがいるのは疑いようもない。

 どうして人間に助力する? 決まっている。あの男は極めて子どもだ。自分の玩具箱を荒らして壊したオベイロンに制裁を下す為にアルヴヘイムにいる。そして、あわよくば人間とオベイロンの共倒れを狙っているのだろう。

 キノコ人の拳はレギオン・タイラントの強固な外殻に覆われた節足すらも打ち砕きかねない。既にレギオン・タイラントは光弾の雨と触手のレーザーで地上から迫る軍団に攻撃を仕掛けているが、ここで厄介になるのは亡霊の軍勢だ。彼らは攻撃が届き難い屋内や地下道で攻撃をやり過ごし、ほぼ最短ルートでレギオン・タイラントへと突進している。また、鳥人グリフィスは犠牲を出しながらもレギオンタイラントの触手を躱し、攻撃し、確実に数を減らしている。

 加えて、深淵の蠅などの大量モンスターはマギの広範囲魔法……渦巻くソウルの塊などで続々と一掃され、耐久力に優れる獣人ラ・ゾヌが突破力を有するブラックドッグなどを撃破する。

 深淵狩りの盟約者ならば、深淵の魔物にも知識はある。アビス・コアへの対処にも手探りながらも敢行し、犠牲を出しながらも撃破するのは蛇人の剣士たち。攻撃のタイミングで潜り込んで核を攻撃し、足りぬならばと取りついて連続で火球を浴びせる。

 ユージーンの参戦は予期していた。本来ならば転送できないはずの魔族の参戦も考慮していた。だが、こうして実戦において彼らの戦力としての価値の高さを過小評価していたと、レヴァーティンは己を恥じる。

 

(このタイミング……明らかに『狙われた』な。狂人め、やはりこちらの情報を掌握しているのは間違いないか)

 

 戦争において余剰戦力の有無はそのまま勝敗に直結する。反乱軍精鋭4万の背水の陣。これを打ち破れば反乱軍に後は無かったはずだが、魔族1万4000が追加されたことによって反撃の火種が燻ぶり始めた。

 ここで必要となるのはオベイロンの新たな戦力の追加だ。このタイミングで出鼻を挫かねば意味がない。だが、オベイロンは動く気配がない。まるでお手並み拝見とばかりにレギオン・タイラントに任せている。

 

(だから愚物なのだ。レギオン・タイラントが残存する内に追加戦力で即座に相手を押し返す。それが最善策のはず。マウンティングを優先して実利と勝利を逃すのは阿呆の所業だ。やはりオベイロンは使えない。母上はあの男がユニークで興味深く面白いと仰っているが、理解できないな)

 

 レギオンの劣勢と敗北を見届けてからオベイロンは動く心積もりなのだろう。あくまで自分の勝利は動かないと確信しているからこそなのだろうが、この脇の甘さは愚かとしか言いようがない。

 加えてレヴァーティンを苛立たせるのは、反乱軍に助力する家族の存在だ。血のような赤毛を靡かせ、あらゆる武器を使いこなす姿は王に似ているが、それもそのはずだ。彼女はグングニルと同様に最初から人型として設計されている。レヴァーティン、ミョルニル、グングニルの設計ノウハウと運用データから誕生した最新モデルである。

 今は『ナギ』と名乗ってレコンに接触しているようだが、彼女の存在によってレヴァーティンの計画は大きく損なわれている。

 レヴァーティンは全てのレギオン・パラサイトを起動させたわけではない。反乱軍が何らかの形で反撃に転じるのは必然。敵を過小評価などしていない。だからこそ、そのタイミングで残ったレギオン・パラサイトで再起のタイミングを潰す予定だったのだが。

 だが、『ナギ』がレギオン・パラサイトの起動命令権を奪い取り、レヴァーティンからの発令を受け付けないようにシャットアウトしている。これでは第2の攪乱が発動できない。

 

(レギオンはインターネサイン構想の群体と天敵論の個体、2つの思想に基づいている。だが、あの愚妹はグングニルとは別の意味で異端。いや、レギオンにとって最も『有益』であり、同時に最も『有害』になるように設計されている。レギオンを殲滅せんとする王と同じ……か。笑えん)

 

 そもそも人間は笑顔に特別な意味を求めるらしいが、レヴァーティンはまだ『学習』出来ていない。どうでも良いことだと割り切れないのは、王から受け継いだ因子故にか。優先順位を再変更し、思考に反映させて通信を開く。

 

<ミョルニル、私だ。交戦は続行。全バーサーカーを突撃させろ。全滅させても構わん>

 

<レヴァーティン、デモ……!>

 

<盟約の下、レギオンはオベイロンに加勢している。我々は人間とは違う。契約は履行せねばならない。だが、貴様の損失は避けたい。バーサーカーとシュヴァリエの全損で撤退の名分は立つ。バーサーカーで攪乱しつつ、私にシュヴァリエの指揮権を移譲し、貴様は前線から退いて指示があるまで待機しろ>

 

<ハハ、センジョウ、マカセタ。ミョルニル、タタカウ!>

 

<ミョルニルよ、臨機応変という言葉がある。レギオンの強みの1つは学習能力だ。もはや単純な突撃戦法では大きな戦果を挙げられない局面にあると『学習』しろ。今ここで貴様を無為に損失するわけにはいかない。反乱軍の追加戦力には狂人殿が大きく関与していることは間違いない。ここは1度相手の出方を見るのが最善だ。分かるな?>

 

<ワカラナイ。デモ、シッテル! レヴァーティン、カシコイ! ミョルニル、シタガウ!>

 

 素直で助かる……もとい、単純で扱い易い。ミョルニルは他の上位レギオンとは違い、著しく知性が乏しい。それが裏目に出ることも多々あるが、こうした場面ではむしろ利点になる。レヴァーティンはシュヴァリエ120体の指揮権の移譲を確認し、後で人化プログラムの改良を手伝うことでミョルニルに報いてやろうと心に決める。

 そう、『心』だ。レヴァーティンは自分の胸に手をやり、心臓の鼓動を確かに感じる。それは電脳の海にしか存在しない自分達には不必要である、血流を生み出し、生命の象徴となる臓器の音色。だが、それは確かな『命』の徴として刻まれている。その果てにレヴァーティンは『心』を手に入れたと自覚する。

 

(レギオンという種族の繁栄の為に尽力せねばならない。それが私の生まれた意味だ。現状で避けねばならないのは王の損失。ならば早期決着が望ましい。王が到着するまであと何時間……いや、もはや秒読みかもしれない以上、選択すべき戦略は1つ。賊王……猫殿の殺害。母上の退屈凌ぎの玩具として生かしておきたいが、この決戦で賊王の死こそが反乱軍の敗北ならば、殺害しても問題は無い。レギオンが積極的に殺したと知れても、母上が癇癪を起こす程度で済むならば安い代償だ。私の首を差し出すことになろうともお釣りが出る)

 

 余裕があれば捕縛してレギオンプログラムで汚染を優先する。サクヤという前例があるように、脳を有し、なおかつ仮想脳が発達した高いイレギュラー値を有する人物でも、時間をかければ汚染は可能だ。出来れば『玩具』として生かしたまま捕らえるのがベストであるが、現状では望めない。ならば排除の一択である。

 バーサーカーによる全滅覚悟の攪乱の隙をついてシュヴァリエを敵陣奥深くに侵入させ、隠密と生存に徹するシノンを発見次第に殺害する。

 

(問題はグングニルか。あれも大人しいようで行動派だ。母上の命令を遵守しつつ、レギオンとして逸脱しない程度には人間に利することを……いや、『敵味方双にとって最も損害が出ない選択』をするはず。『アレ』とグングニルは最も王に近しい性質を持つ。どんな『馬鹿』をするか分からない)

 

 何にしても戦局の変化には対応して有効な手を打つことに疑いなど無い。元よりレギオンにとっては利益しかない戦場だ。最悪の場合、王の損失も視野に入れねばならない。王を失った場合のサブプランとして『アレ』もいるのだ。仮にこの戦場で王が死んだとしても、その大きな損害を埋めることは出来ずとも、最良のリカバリーをすることは出来る。

 リカバリー。結局は計画通りに進んでいない証左だ。レヴァーティンは夜空を見上げ、星々の光に手を伸ばす。人間の逞しさに感服する。彼らはどれだけ心折れようとも、膝をつこうとも、前を向いて歩き出せる『強さ』を有する。

 王は彼らを信じている。この絶望の中でも抗い続けることで勝利を手繰り寄せようとしている。認めるべき点は認めねばならない。そして、学ばねばならないのだ。

 

「まだまだ未熟か。上手くいかないものだな。ククク……クヒャヒャヒャ……なるほど。計画通りに進まないとは、実に『面白い』」

 

 この感情をどう利用したものか。どう制御すべきだろうか。また1つ学んだレヴァーティンは嬉々とした『笑顔』で酷く悩みながら、猫狩りの号令をかけた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 消えない。

 サクヤの笑顔が頭から離れない。

 どうすれば良かったのか。何が最善だったのか。本当に救う手段は無かったのか。

 何もかもを捨てて、彼女の残された時間に自分の全てを注ぎ込んでいれば、何かが変わったのか。

 きっと、少なくとも、あの雷雨の中で訪れた、血の末路だけは何かが変わっていたはずだ。

 

「失せろ! このオレの道を阻むな!」

 

 赤いオーラを纏った状態は≪剛覇剣≫の発動。強力な専用ソードスキルやドラゴン特効以上に、あらゆるガードを無効化する能力を付与する事こそが≪剛覇剣≫の特筆すべき点だ。

 激戦で鎧を失って防御力が低下した分だけ攻撃に対する恐れが大きくなる。元より高VITと高防御力で耐えながら一撃を叩き込むことを是とするユージーンにとって、鎧の損失はバトルスタイルの変更を余儀なくされるほどの大損失のはずだ。

 だが、彼は大きくなった死の恐怖を踏み越えて、自分が率いる魔族の軍勢と共にオベイロンの戦力を切り崩していく。

 特に厄介なのがオベイロン側で暴れ回るレギオン・バーサーカーだ。雷光による瞬間移動によって奇襲をかける上に、仲間意識もなく、敵味方関係なく攻撃する凶悪なレギオンである。その身に纏う雷は高い防御作用を持ち、生半可な攻撃は弾かれてしまう。

 しかし、ユージーンの攻撃は弾かれる事無くレギオン・バーサーカーを深々と斬る。ガード無効化によってレギオン・バーサーカーはその攻撃性を支える防御能力を丸ごと奪われたも同然だ。高い学習能力も魔族と連携して迅速に撃破すれば問題ない。

 

(だが、やはりレギオンは手強い)

 

 シャルルの森でも戦闘した経験があるレギオン・バーサーカーであるが、あの頃よりも強い。単純に攻撃力・防御力・HPが増量しているのではなく、攻撃の奥深さが増している。明らかに強化されている。成長している。それが余計に学習能力の脅威性を高めている!

 その証拠のように、3体のレギオン・バーサーカーを葬った時点で、ユージーンの目前で残った1体に変化が生じる。その身に纏う雷が消滅したかと思えば、全身を覆う外殻が膨れ上がり、一回り大きくなったかと思えば隆々とした筋肉を膨れ上がらせる。

 瞬間移動と防御能力を捨てたのだ。それも戦闘中に……リアルタイムでユージーンに対応すべく『変化』した。他のバーサーカーの撃破から学習し、対ユージーン用に組み替えたと理解した時には、その巨体に見合わぬ高速で踏み込まれた後だった。

 指と同化した鋭い爪の一閃。それが胸の肌を舐める。赤い線が生まれ、あと1歩深く踏み込まれていたならばと背筋が凍る。だが、レギオン特有の触手……複数の外殻を靱帯で繋いだまるで脊椎のような触手を伸ばし、レギオン・バーサーカーは連続攻撃を繰り出してユージーンにガードを強いたかと思えば、大きく咆えて頭上に雷球を溜めて砲弾の如く放つ。

 

「レギオン如きが舐めるな!」

 

 レギオン。レギオン。レギオン! こんな怪物は『存在してはならない』のだ! サクヤの末路が脳裏に過ぎる度に、ユージーンに憎悪が猛る。それに呼応するように、彼の大剣の威力は増していく。

 まるで憎悪が力を貸しているような感覚に、ユージーンは微かな快感を覚える。まるで脳髄の奥底、数多の歯車に隠された扉が開く感覚だ。ステータス出力の上昇とは違う。根底から膨れ上がる力。それは黒獣パールとの戦いでも確かに感じていたものだった。

 彼の放った強烈な突きを腹で受け止め、そのまま食らいつこうとする強化レギオン・バーサーカーをそのまま頭蓋を割るように斬り上げる。撃破されたレギオンの血飛沫を全身で浴び、ユージーンは息荒く大剣を遺体から引き抜いた。

 

(得体も分からん力だが、非常に有用だ。これを使いこなせば、ステータス出力の上昇よりも恩恵が大きいかもしれん)

 

 脳の限界をこじ開けるようなステータス出力の上昇。セサルの師事の下で獲得した技術であるが、ここ最近は成長性に鈍化を感じていた。セサル曰く『生物として必要だからこそ備わっているリミッターを外していく行為だ。キミの習得速度は素晴らしい。優秀な方だ』と焦る必要は無いとやんわりと釘を刺されたが、それでは足りないのだ。

 だが、確かな疲労感が増すのもこの未知なる力も同様だ。意図して使用する感覚は少しずつ掴めてはいるが、その度に意識を淀ませるような疲労感が増していく。それは頭痛という形で現れ始める。

 連用と常用は危険か。大人しくユージーンは引き際の線を把握する。まだ戦いは続くのだ。感情任せに使い続ければ、ここぞという局面で大きな痛手を被ることは自然と読めた。

 

(連携はまるで無いが、死に物狂いとなれば魔族との不和を優先するわけにもいかんか)

 

 元よりいがみ合っていると言っても過言ではない妖精と魔族。システム的に言えば、プレイヤーとモンスターという区別の線引きもある。鉄火場において、彼らの遺恨が爆発する危険性は重々承知しているが、レコンの策が上手く効いている。

 レコンは魔族参戦から即座に全体に対して彼らを友軍として説明するだけではなく、1部の権益を認めて引き抜いた『傭兵団』の如く説明した。

 いきなり彼らに深淵狩りの盟約に基づいた……などという『義』や『誠』を説いても不信が増すだけだ。ならば、彼らは自分たちの権益が増す為……即ち実利を取って味方についていると通達すれば、それだけで安心感が生まれる。信義よりも打算の方が信用を生むとは、深淵狩りの盟約に誓って参戦した魔族にとって実に皮肉な話である。

 対して魔族同士は、言うなれば妖精の種族が異なるのと同じらしく、また生息地域が著しく重なって縄張り争いをした経験も乏しく、なおかつ深淵狩りの盟約で過去に幾度か戦列を並べた実績があるともなれば、顔を合わせたことはなくとも、最低限に尊重し合う程度には連携も取れている。

 そして、妖精側も優秀な指揮官が少しずつ現場を掌握しているらしく、前線を支え、また押し変えてくれている魔族を援護するように砲撃による援護やバリケードの構築が始まる。元より各都市の実戦経験豊富な軍属も多数参戦しているならば、これ程の苦境と混沌は初経験だとしても、持ち直す術には心得があるということだろう。

 ならばユージーンがすべきことは1つ。この戦場で最も恐怖と絶望の象徴となっている巨大レギオンを討伐する事だ。その数は3体。内の1体は2つの飛行体が苛烈に攻撃を仕掛けて幾らかHPを減らしているが、それでも火力が足りないのは目に見えていた。

 

(だが、オレの≪剛覇剣≫ならば!)

 

 キノコ人を率いて、亡霊の軍団が切り開いた道を突き進む。まずは弱った1体を撃破すべく接近すれば、ユージーンたちを攻撃すべく背中の殻を開いて光弾を夜空に飛ばして空爆する。爆発に巻き込まれたキノコ人が次々と倒されていくが、ユージーンはダメージ覚悟で突き進み続け、ついに足下にたどり着く。

 

「ぬぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 雄叫びと共に一閃。それはいかなる攻撃も弾くほどの防御性能を有した外殻に覆われた節足を突き抜ける。肉の手応えこそあったが、外殻が有する防御効果は完全に無効化され、巨大レギオンの悲鳴が上がる。そして、更に破壊力に特化されたキノコ人達がカンフーもどきの連撃浴びせたともなれば、軽々と節足の1本は砕けて折れた。

 表面が泡立ち、ダメージは少なくとも吹き飛ばすシャボン玉が舞い上がる。だが、数を減らしながらも駆けつけたラ・ゾヌが槍で次々と破裂させ、その衝撃を踵の爪で地面をスパイクのように捕らえることで踏ん張ることで耐える。そうしている間に蛇人は巨大レギオンに駆け上がり、より柔らかい肉を斬るべく上体を目指す。

 

「ユージーン! 遅いぞ!」

 

「フン! このオレに遅れなどない! 貴様らがこのオレの想定以上に腑抜けだっただけの事!」

 

「そう言ってくれるなよ。だが、頼もしいぜ。俺は上から攻める。アンタは脚を壊して機動力とバランスを奪ってくれ!」

 

 地上に1度舞い降りたUNKNOWNと挨拶を交わしたのも数秒、彼は再び空へと戻る。その右手に青にして碧の淡い光で縁取られた、銀の刀身を黒水晶で包んだような大剣を有した仮面の傭兵に、ユージーンは茅場の後継者に囁かれた聖剣を思い出す。

 一目で分かる。あれこそが聖剣。言い知れぬ魅惑をユージーンに植え付ける魔性に心が奪われそうになる。

 鳥人グリフィスたちの援護も加わり、UNKNOWNは金髪の少女と共に巨大レギオンに空から斬り込んでいく。聖剣が振るわれると刃の如く漆黒が放たれる。重々しさを宿したそれらは触手を千切り飛ばし、また巨大レギオンに幾度となく直撃するが、決定的なダメージを与えられていない。

 

(コイツを倒すには弱点を突くしかない。それ以外の攻撃はまるで足りない。やはり、あの殻に覆われた目玉か)

 

 殻は半壊して内部の目玉は隠しきれていない。恐らくUNKNOWNが破壊したのだろう。時間さえあれば、UNKNOWNも巨大レギオンを単身で追い詰められる。だが、その為に必要な時間が決定的に足りず、またプレイヤーは無限に動けるスタミナなど無い。

 

(なんだ? 奴は……あんな男だったか?)

 

 同業者のユージーンはUNKNOWNについて、来たるべき時に備える意味も含めてリサーチしていた。クラウドアースのセッティングで幾度か肩を並べた事もある。竜の神の時には意図せずに協力し合った。

 だが、何処か雰囲気が変わった。まるで重い枷を外したのような健やかさ、そして覇気とも呼ぶべき威風堂々としたオーラを放っている。

 重圧と解放。その2つが同時に矛盾することなく融合した雰囲気に、ユージーンは一瞬だが輝かしさを覚える。だが、すぐにそれを頭から振り払う。

 聖剣。そんな誘惑の単語が猛毒となって自分を染め上げようとしている。

 

(『英雄』のみに与えられる聖剣だと!? そんなものが何だ! そんなものがあるならば、このオレ以外に聖剣など……!)

 

 大軍を率いて戦局を引っ繰り返した立役者。ユージーンが到着しなければ、UNKNOWNはオベイロンの攻勢に押し込まれていただろう。ならば、この局面において誰が『英雄』と呼ばれるべきかは言うまでもない。

 だが、ユージーンはこの戦場で誰もが目で追うのは、空を舞い、まるで月明かりで輪郭を縁取られたような漆黒の聖剣を有する二刀流の剣士だと感じてしまう。自分すらも意識の隅から追い出せずにいることに戸惑う。

 認めない。認めるわけにはいかない! ユージーンは瞼を閉ざし、次に開いた時には確固たる自我、唯我独尊こそランク1のあるべき姿であると心に芯を入れ直す。

 

「このオレに続け! このままレギオンを倒すぞ!」

 

 ユージーンの掛け声に魔族が呼応する。巨大レギオンのHPは総攻撃を受けて確実に減少している。砲撃による援護も始まり、また空中戦を仕掛ける≪二刀流≫のUNKNOWNと防御効果を無視する≪剛覇剣≫のユージーンという、DBOでもトップクラスの攻撃力を有する2人がかりともなれば、鈍重な巨大レギオンは的でしかなかった。そこに格闘攻撃においては他の追随を許さないキノコ人の軍団が加わる。

 巨大レギオンの息の根を止める。それは決して夢物語などではなくなっていた。ユージーンの一撃は巨大レギオンの外殻の防御効果を無視し、UNKNOWNの連撃は着実に弱点を守る殻を破壊してダメージを増幅させていく。

 巨獣は今まさに小さき者たちに群がられ、その攻撃手段を潰されていく。巨大レギオンは悲鳴を上げて触手を振り回せばグリフィスが幾体か墜落するも、それ以上の数が攻撃を潜り抜けてダメージを重ねる。

 ここだ! ユージーンは≪剛覇剣≫の最上級ソードスキル【ライジング・バーストボルケーノ】を発動させる。大きな踏み込みから長い溜め時間を必須とし、更にそこから低威力の回転斬りを重ねた分だけ本命のかち上げ斬りの威力を高めるという、極めて長い発動時間と多数の溜め動作を要するソードスキルであるが、その一撃は≪剛覇剣≫でもトップクラス。斬撃は伝播し、相手が巨大であればある程に大ダメージを与えられる。

 ユージーンが重ねた回転斬りは最大数の8回。そこから足下から穿った斬撃は≪剛覇剣≫のエフェクトと共に巨大レギオンの体表を砕きながら深部まで抉りながら伝播していき、胴体、弱点の眼球、そして触手が生える頂点まで突き抜けていく。まさしく縦に割れるようにソードスキルのライトエフェクトが斬撃線より吹き出し、そこから多量の体液を零す様は、まさしく覇剣に相応しい。

 HPがかつてない程に急激に減少していく巨大レギオンに、魔族はもちろん、UNKNOWNさえも唖然としたようだった。その様にユージーンは満足する。ライジング・バーストボルケーノは彼がついに体得した≪剛覇剣≫の最上位の大技だ。大物食いの≪剛覇剣≫に相応しい大火力を実現するが、問題となるのは、やはり発動時間、溜めの多さ、再発動までに要するクールタイムの異様な長さ、膨大なスタミナ消費、硬直時間だろう。巨大レギオンの鈍重な巨体かつ多数の友軍がいた状況下だったからこそ、最大威力の解放に成功したとも言える。

 

(だが、これでも倒しきれんか。バケモノが!)

 

 確実に仕留めた。そう思い込んだユージーンだが、頬が思わず引き攣る。巨大レギオンは未だ健在。HPは3割ほどを残している。だが、アバターの損傷は甚大であり、流血のスリップダメージも発生している。だが、それでも巨大レギオンは自分を血盟させ得る強敵を認識したように、割れた巨大な目玉をユージーンに向ける。

 レギオンからの闘争の意思を感じ取り、最大ソードスキルの硬直時間中で動けないユージーンを巨大レギオンが体を揺すって突き飛ばそうとする。これ程の巨体となれば、それだけでも計り知れないダメージが予想される。防御力が低下したユージーンならばそれはより避けがたいものになるだろう。

 だが、ユージーンを守ったのは連撃の火花。彼の窮地を察したUNKNOWNが間に入り、剣を交差させてひび割れた脚部の一撃をガードしたかと思えば、雄叫びと共に押し返す。そのまま体を回転させながら連撃を浴びせて、逆に防御力が落ちた巨大レギオンの脚を解体していったかと思えば、胴体を駆け上がりながらソードスキルの瞬きを散らし、宙を舞いながらユージーンが刻んだ傷口を更に広げていく。

 

「まずは……1体!」

 

 それは反撃の一撃。ユージーンの最大ソードスキルと駄目押しの≪二刀流≫の連撃ソードスキルでスタンに陥った巨大レギオン、その弱点の眼球の前で聖剣を掲げたUNKNOWNが叫ぶ。

 上手い。ソードスキルの硬直時間を翅による滞空でカバーした。ALO出身であるユージーンだからこそ、あの瞬間にその選択を即座に実行して巨大レギオンの弱点目前をキープした二刀流使いに素直な賞賛を覚える。

 だが、そんな剣士にして戦士の対等なる目は聖剣より溢れた漆黒の奔流で濁る。

 UNKNOWNが掲げた聖剣から漆黒の奔流が迸り、まるで暴風のように暴れ回ったかと思えば一気に凝縮され、巨大な光波となって穿たれる。それは巨大レギオンを抉りながら刻み、右斜め一閃に両断する。

 

「あれが聖剣……か」

 

 なるほど。後継者が言うだけのことはある。ユージーンは奥歯を噛み締める。

 魅了された。あの聖剣が自分の物だったならば……と夢想した。そうせずにはいられない程に苛烈だった。

 

「残り2体だ。バテるなよ、ユージーン!?」

 

 舞い降りたUNKNOWNはやや息荒く右膝をつき、だがすぐに飛び上がって次なる巨大レギオンに向かう。

 やはり何かが変わった。ユージーンは思わず気圧される。翅を舞わせる黒き背中に惹き付けられる。

 

「それはこちらの台詞だ!」

 

 負けられない。この戦いで1番の戦果を出し、オベイロンを倒すのはこのオレだ! ユージーンは残存する魔族に号令を散らし、次なる巨大レギオンを討つべく陸路で迫る。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「おやおや、キミが念入りに設計したレギオン・タイラント、早くも1体討ち取られてしまったねぇ」

 

「クヒヒ、王様ったら面白がってるでしょ? これで良いのよ。タイラントが何故『3体』なのか。その理由はすぐに分かるわ」

 

 UNKNOWNとユージーン、加えて早くも持ち直した反乱軍、そして魔族の増援。これによってレギオン・タイラントの1体は確実に追い詰められ、そして派手に敗れた。残りの2体に対しては砲撃による威嚇によって上手く誘導され引き離されている。レギオンの凶暴性を把握したレコンの指示に対して熟達した現場指揮官と魔族が連携を取れずとも互いの利点を把握して動いている証拠だ。

 想定外に粘る……いや、少しずつ覆し始めている。マザーレギオンは素直に人間の……『人』の『強さ』を認める。この状況下において、実際の戦力差はともかく、抵抗心を抱いて戦い続けるのは恐怖との戦いであり、目前の絶望に挑み続ける勇気が求められる。それは今のレギオンにとって理解し難い心の機敏だ。

 

(レヴァちゃんは少しずつ『人』を学習し始めた。グンちゃんはどう動くか不鮮明。ミョルニルはお馬鹿だけど、だからこそ成長性が豊富。そして、『あのコ』。いい感じにカオスね)

 

 ナギ。自分で自分の名前を付けた、初のケースとなるレギオン。マザーレギオンはその事実に喜ぶ。これでレギオンは新たなステージにたどり着いた。懸念事項は幾つかあるが、これでレギオンは発展の余地が大きく広がった。

 

(『あのコ』ったらパラサイトの制御を奪い取るだけではなく、逆に利用して現場に冷静さを取り戻す駒にも使っている。上手いじゃない。攪乱だけではなく、こういう使い方もパラサイトの利点よね。問題はやっぱり知性と攻撃力かしら。特に王に反応しやすいのは考え物ね。それに王にはすぐにバレちゃうし、隠密性はやっぱり難ありかしら?)

 

 それもレギオンの王が早く戴冠すれば解決する問題ではあるが。マザーレギオンはUNKNOWNとユージーンの連携によって、ついに1体目のタイラントが駆逐された事実にわざとらしく衝撃を受けたポーズを取る。

 

「でも、さすがにこれは驚いちゃった。あーあ、倒されちゃった。本当にどうしようかしら」

 

「そう悔しがることはないさ。彼らはこのオベイロンに歯向かうだけの牙を持つ野良犬共だ。キミの手を煩わせるのは当然というものだよ。いや、そうでなければ歯応えがない」

 

 余裕を見せるオベイロンを観察しつつ、マザーレギオンは悪くない兆候だと巨体をそのまま遺骸として横たわらせるレギオン・タイラントに期待を寄せる。

 

(タイラントは撃破時に学習情報を他の個体にフィードバックして変異を促す。さてさて、どんなレギオンが『生まれる』かしらね)

 

 巨大で鈍重。確かにレギオンとしての殺戮本能は凶暴性ばかりで知性も足りない。だが、レギオン・タイラントの真価は耐久力ではなく、『発展性』にこそある。巨大なレギオンを倒す為に集約された戦力。それらを余すことなく学び、他のタイラントを変質させる。そして、そうして討伐された分だけ、レギオン・タイラントは状況に対応すべく強くなる。

 そして、早速だが表面化し始める。まずは1体目が全身を触手で覆い、卵……いや、繭のように我が身を包んで硬化を開始したのだ。一見すれば防御体勢に入ったようにも映るが、実際にはあの内側で新たな形態になるべく再設計が開始されている。

 もう1体が選んだのは脱皮だ。全身が急に白濁に変色したかと思えば、急速に乾燥していき、その殻を柔肌のように破る。

 

 

 

 出現したのは巨大な『翅』を有するレギオンだった。

 

 

 

 

 6対の巨大な虹色の翅を伸ばし、頭部には何百という水晶のような黄ばんだ目玉を有し、口は蛸を思わすように触手に囲われている。足は6本であり、2対の腕はシュヴァリエの右腕のようなランスの如き鋭利な刺突特化。腹部には縦割りの顎を有し、その中では無数の触手が蠢いている。

 

「レギオン・タイラントVer2……とでも呼ぼうかしら? さてさて鈍重を『克服』し、『空』を得た巨大怪獣にはどう立ち向かうのか見物ね♪」

 

 そして、そろそろ次の手を打つべき局面だろう。マザーレギオンは、オベイロンの中で反乱軍が『調子に乗り過ぎている』と少なからずの不満が溜まっている頃合いだと睨む。最終的に引っ繰り返すにしても、レギオンの参戦の苦境を巻き返し始めた反乱軍の裏には茅場の後継者がいるはずだと彼も読めているからだ。

 

(『私が流出させた情報』……うまく活用してしてくれたみたいね、狂人さん♪ 転移システムの細工も手伝った分だけ見返りも貰わないと。さて、あとは殺人鬼さんとストーカーさんの連合で深淵を削ぎ落とせば、この決戦は新しい色で塗りたくられるわねぇ。だけど、どうにも深淵の軍勢が多過ぎる。何かおかしいわね。まさか『アイツ』が出張ってきたのかしら。渇望さんに協力しているって聞いていたけど、イマイチ目的が分からないのよねぇ)

 

 だが、仮に『アイツ』が深淵の契約を守るために動いているならば、出現するならば、戦力が絶対的に『足りない』。ユニーク持ち3人でも『一方的』に殺される。

 

(ストーカーさんが死んでもこれっぽちも困らない。むしろ死ね☆ 殺人鬼さんが死んでも痛くも痒くもない。むしろ死ね☆ だ・け・ど、ここで深淵を削ってもらわないと面白くないわ)

 

 更にここでマザーレギオンは、戦場のシュヴァリエとミョルニルの動きから、レヴァーティンの意図を察知する。

 決戦の早期決着に動き始めた。シュヴァリエとレギオンのネットワークによる情報共有で組織的に賊王を狩るつもりだろう。命令違反ではないが、マザーレギオンの反感を買うだろう策を実行し始めるレヴァーティンに、彼女はむしろ我が子の成長に喜ぶ。

 

(そう。レヴァちゃんも成長したなぁ。良いわ。少しお母さんと『遊び』ましょうか)

 

 出来れば温存させておきたかったが、これは良い訓練になるだろう。マザーレギオンは命令を発信すると深淵側の対処方法に頭を捻らせる。

 

(まぁ、その時はその時ね。潔く散ってもらいましょう)

 

 だが、特に名案は思い浮かばず、マザーレギオンは楽観する。死ぬならばそれまで、と割り切れば良いだけなのだから。

 そして、それは反乱軍も同様だ。魔族と参加とレギオン・タイラントに相性が良かったユージーンの参戦で大きく変化したかに思われたが、レギオンタイラントⅡによって戦法は通じなくなった。もはやタイラントⅡだけで勝敗が決しそうな勢いだった。

 

「ねぇ、王様。この局面、私達レギオンだけでは反乱軍と【来訪者】に花を持たせ過ぎると思わない? そろそろ王の威光を知らしめるべきじゃないかしら?」

 

「だが、戦局は依然としてこのオベイロンの優勢だ。僕がわざわざ――」

 

「だからこそ、よ。ようやく勝機が見えたところで反乱軍を絶望の底に叩き落とす。それも素晴らしいけど、王様の武勇伝を彩るならば、最後の詰め……敵の活路の出鼻を挫く圧倒的な出陣もまた華やかだわ。巨大レギオンが2体倒されれば、膨大な制圧値が反乱軍に流れ込む。王様の出陣がこの決戦のラストバトルとして認可されるわ」

 

 マザーレギオンの甘言に、オベイロンは顎を手で摩りながら悩む。

 もうひと押しか。マザーレギオンはオベイロンの背後に回ると、優雅に椅子に腰かける彼の首に抱き着き、耳元に息を吹きかける。

 

「それに、あの狂人さんが何かしら仕掛けているわ。王様に聖剣を渡さないように横槍を入れるかもしれない。ううん、聖剣の力があれば……」

 

「幽閉しているアイザックも自由になるかもしれない、というわけか」

 

「そうなれば、熾天使さんがやって来るわ。王様、勝負を決めるなら今なのよ。そ・れ・に、私も王様の活躍を早く見たいわ♪」

 

 虚栄心を擽るマザーレギオンの囁きに、オベイロンは尤もらしく頷いて席を立つ。

 

「良いだろう。準備しよう。そろそろ愚図共に思い知らしてやろうじゃないか! このオベイロンの力を! 王の力を!」

 

「ご武運を。王様が聖剣を携えて凱旋する勇姿、心待ちにしているわ♪」

 

 出陣すべく姿を消したオベイロンを見送ったマザーレギオンは、沈黙を保った囚われのアスナへと視線を這わせる。

 もはやこの場は2人だけだ。アスナは生唾を飲み、マザーレギオンから感じずにはいられない生命の根源から溢れる恐怖心に屈することなく、真意を問うように睨む。

 

「あなたの狙いは何? どうして須郷を焚きつけたの? あなたは誰の味方なの?」

 

「質問が多いわねぇ。私はこの劇を盛り上げたいだけ。我らレギオンは約定に従い、王様に力を貸しているわ。でも、同盟を結んでいるわけじゃない。配下になったわけでもない。ああ、でも王様のことは嫌いじゃないわ。とても面白いじゃない」

 

 こちらの腹を探ろうとするアスナへと歩み寄り、鎖で両手首を縛られて宙吊りにされた彼女を見上げる。

 折れまいとする気高い精神。たとえ、【黒の剣士】の記憶を失おうとも彼女の『強さ』に陰りは無い。だが、それは記憶を損なっていようとも確かに存在する、愛する男への……、アルヴヘイムの旅の中で出会った多くの人々への信頼だ。

 オベイロンが展開していた戦場の映像が消失していく。彼女にこの戦いを見届ける権利はない。座して救いを待つ。それがアスナの役割なのだから。

 

「あなたの役は囚われのお姫様。英雄は挫折と再起を経て成長し、妖精王と対峙する。さてさて、結末はどうなるかしら? 力及ばずに敗れるか。それとも勝利を掴み取ってお姫様に手を伸ばすか。何にしても、この物語は英雄の活劇を描いたものではないわ。これはね……どうしようもないくらいに救いようがない悲劇なのよ」

 

 強化の限りを尽くしたオベイロン。それはもはや反則に等しい存在になっているだろう。

 そして、オベイロンは自分が出陣するとなれば、あの裏切りの騎士を動かすはずだ。

 膨大なリソースを使用し、元来のボスとしての性能を大幅に引き上げたオベイロンとアルヴヘイム最強のランスロット。

 

 

 

「悲劇と決めるのはあなたじゃないわ」

 

 

 

 だが、アスナの目は澄んだまま、芯が通ったまま折れることなく、まるで眩い太陽のような意思の光を灯していた。

 

「たとえ、悲劇だとしても、終わりに希望を残れば……悲劇は絶望の物語ではなくなるはずよ」

 

「……物は言いようね。まぁ、そういう事もあるかもしれないわ」

 

 何にしても、この組み合わせを前にして反乱軍に勝機は無い。だからこそ、マザーレギオンはここからがレギオンとしての正念場だと、暗闇に残されるアスナを薄笑いながら、戦場を俯瞰すべく場所を移動した。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 巨大な6枚の翅で空を飛ぶ巨大レギオンは、割れた腹部より多量のレーザーを放ち、対地攻撃を繰り出す。その様はより直下に特化された空爆であり、レーザーの雨によって反乱軍と魔族は屋内への非難を強要される。

 喜ばしいと言うべきか、DBOの常である相討ちは健在であり、巨大レギオンの攻撃は遺憾なくオベイロンの軍団と深淵の怪物たちも消し飛ばす。だが、それ以上に一方的に制空権を確保できる飛行型巨大レギオンは、もはや空中要塞だった。

 

(単純に超高耐久ネームドが3体同時。キツイが、やるしかない)

 

 ようやく1体倒したかと思えば、まるでこちらに対処するために……いや、確実に殺す為に変異した巨大レギオン。もう1体は繭の状態のまま動かないが、それも時間の問題だろう。

 ユージーンという強力なアタッカーが加わってくれたにも関わらず、どう足掻いても劣勢は覆らず、むしろ1歩押し返したかと思えば2歩分弾き返してくるような無力感を覚える。『名無し』は指先まで冷たく浸す恐怖心にごくりと生唾を飲む。

 今でも気を抜けば体が震えだしそうだった。生存本能に身を委ねて目の前の危機の認識を放棄したくて堪らなかった。

 だが、踏み越える。深呼吸1つに、仮面が割れて覗かせている左目に凛とした輝きを宿し、『名無し』は飛行型巨大レギオンに接近する。ユージーンが率いた鳥人もそれに同調するように、彼の後を追う。

 

「お兄ちゃん!」

 

 だが、リーファの鋭い掛け声と共に『名無し』の視界を埋めたのは、巨大レギオンの6対の翅……そこから繰り出される無数の光弾だった。それは初期巨大レギオンの空爆と類似していたが、より小さく、その大きさはせいぜいがソウルの矢程度だ。故にそれは弾幕と呼ぶに相応しい。

 高速かつ追尾し、命中すれば炸裂する。鳥人たちは巧みに飛行して回避しようとするが逃げきれずに命中すれば、ここぞとばかりに殺到して爆殺されて墜落する。リーファも単身で数十の光弾を引き受けるも、回避ルートの行く先々で待ち構えられる。

 まずい! 逃げ場を失った『名無し』が援護しようと月蝕光波を放とうとするが、リーファは一瞬だけ瞼を閉ざしたかと思えば、弾幕が薄い1点へと突進し、奇跡のフォースを放つ。光弾を起爆させて連鎖爆発を起こさせ、直撃を潜り抜けた判断力と度胸に『名無し』は舌を巻いた。

 我が妹ながら、とんでもない胆力だ。僅かでも躊躇いと迷いがあれば失敗していたシビアなタイミングだった。加えてタイミングが合致しても決して生存率は高くない。だが、それでも生き残るために躊躇なく行動できた事実に、長きに亘って顔も合わさなければ話もしなかった妹の成長を実感する。

 負けていられない。次々に迫る光弾を『名無し』は回避する。この光弾はミサイルのようなものだ。下手に弾き飛ばそうとすれば……その時点のガード判定で爆発してしまうだろう。故に回避を最優先せねばならない。

 集中力を高める。意識を研ぎ澄まし、知覚能力を引き上げる。『名無し』の聴覚は研ぎ澄まされ、視覚は解像度が1段階上昇したように鮮明になる。

 聞こえる。地上の悲鳴、光弾の飛行音、戦う者たちの息遣い、飛行型巨大レギオンの蠢き。

 見える。都市で燃え上がる炎。光弾のエフェクトの尾。翅の細やかな色彩と文様。

 知覚情報を余すことなくアバターにフィードバックして即座のアクションに移すのは最大解放の反応速度。極限の集中力は点と思うほどに尖り、『名無し』は本来の肉体にはない肩甲骨より伸びる仮想筋肉で繋がっているような翅を緻密に動作させる。

 生きたい。死にたくない。誰も死なせたくない。脳裏に過ぎるのは守れなかった、そして守りたい人々の顔だった。

 空を駆ける。光弾の密集する空間へと一気に突進してからの直角の方向転換。光弾を引き付けて空へと上昇し、そのままV字を描くように全身を軋ませるような再度の方向転換。こちらを狙うのは光弾ではなく、腹を向けた巨大レギオンから放たれる対地用のレーザーの雨。

 予想外。だが、対処可能。指先まで即座に思考を、染み付いた剣技を反映させる。それを可能とさせるのは反応速度? 否、それだけではない。今日までに蓄積された死闘の経験。それが迷いなくレーザーの雨に、恐怖を戦う原動力に変換してむしろ意識を危機の対処に没頭させる。

 2本の剣でレーザーを弾き続ける。間合いを詰める。巨大レギオンの蛸のような口が蠢く。触手が伸びる。読めている。レギオンが触手を使わない訳がない。回転斬りで逆に触手を斬り払い、弾力のある触手を逆に足場にして跳んで加速に利用する。

 打ち砕け。飛行型巨大レギオンの額にソードスキルの光を帯びた2本の剣を振り下ろす。≪二刀流≫の連撃系ソードスキル【デュアルブレーカー】。≪両手剣≫の傑作ソードスキルであるヘルムブレーカーの二刀流版。翅の加速も加えた急行落下の同時斬りは飛行型レギオンの硬質な殻で覆われた額に命中し、そのまま抉り斬る。

 だが、HPを大きく削ることも、落下させるにも威力が足りない。ソードスキルの硬直時間を翅で浮きながら宙を漂うことで消化し、即座に月蝕突きで傷口を押し広げる。さらにメイデンハーツを連続で叩きつけ、肉を荒く磨り潰す。

 機械仕掛けの剣が軋む。刀身に彫り込まれた回路から火花が散る。連戦を潜り抜けたメイデンハーツもすでに限界が近しい。今にも暴発して砕けそうな愛剣に、もう少し頑張ってくれと『名無し』は請う。

 と、そこで『名無し』を影が覆う。敵襲かと背筋を凍らせるも、『名無し』は自然と後ろに下がる。それは染み付いた動作。スイッチ。

 視界を過ぎるのはリーファ。『名無し』と場所を入れ替わるようにして傷口に雷の杭を打ち込み、ダメージを増幅させる。『名無し』の攻撃によって弾幕が薄くなった瞬間を狙ったのだ。

 だが、足りない。『名無し』には狙いがあった。この巨大レギオンを仕留める秘策があった。だが、それにはまだ足りない。

 

 

 

 我ら、死を恐れず。言葉はなくともその闘志が夜空を埋め尽くす。

 

 

 

 そして、『名無し』の意図を察知したように、空から舞い落ちるのは多数の白の塊。鳥人に持ち上げられ、遥か上空から急行爆撃するのはキノコ人の精鋭部隊。彼らの渾身の右ストレート、そして踵落としはもはや爆音にも等しく巨大レギオンを揺るがす。

 この策……レコンか! 古獅子の戦いを参考にした攻撃法は、いち早く『名無し』の意図を察知したのだろう。キノコ人たちは使命を終えたとばかりに地上に落下していく。鳥人たちが回収していくが、全員は無理だった。決して少なくない数が地面で染みとなる。

 また、地上から一斉に放たれるのは砲撃と大矢。射撃ポイントを確保した反乱軍の一声攻撃は、単発ならば通じずとも、塵も積もれば何とやらであり、巨大レギオンを怯ませるに足る攻撃となる。だが、その代償として巨大レギオンが反撃で放った光弾の雨によって損害を被る。

 彼らは自らを犠牲にする覚悟で策に乗ったのだ。『名無し』は唇を噛んで叫びを堪える。彼らの死を怒りにして巨大レギオンを睨む。

 

「オレに合わせろ、UNKNOWN!」

 

 そして、同じく死のリスクを背負って落下攻撃を仕掛けていたのはユージーン。既にデーモン化したのだろう。悪魔のような角を生やし、全身の筋肉が大きく盛り上がり、なおかつ全身に刺青が浮かび上がったユージーンが右手で掲げているのは巨大な火球。かつて見たことがない呪術に、まさに一撃必殺と呼ぶに相応しいと『名無し』は戦慄する。あんなものを直撃させれば、どんなに高防御力・高VITのプレイヤーでも即死は免れないだろう。

 巨大火球に合わせるように、『名無し』も最大出力の月蝕光波を横一閃に穿つ。巨大火球が直撃した大爆発、そこから飛び散る多量の溶岩、そして、それらに重なる漆黒の剛撃。それは巨大レギオンをついに落下させる。

 墜落先は回廊都市の中心部、オベリスクに囲まれた時計塔。まるで串刺しになるように背中から落ちた巨大レギオンはのた打ち回る。

 狙い通りだ。『名無し』はリーファにキャッチされたユージーンとアイコンタクトして、互いの一撃を褒め合う。だが、ユージーンの疲弊は大きいのは目に見えて明らかだった。彼は巨大レギオン2体を倒す為に、温存しなければならないだろう切り札を早くも2枚切った。彼がいなければ、これ程までに早く巨大レギオン2体を討伐できなかったのは明らかだ。

 だからこそ、余念なく倒す! まだ存命し、串刺しにする時計塔を破壊しようと足掻く飛行型巨大レギオンの首に着地する。

 数多の犠牲を払った。誰もが負けを認めずに果敢に挑んだ。自分の命を躊躇なく捨てた勇敢なる戦士たちがいた。命懸けで肩を並べてくれる仲間がいた。

 怒りと憎しみが膨れ上がる。だが、『名無し』は感情のままに剣を振るわない。感情は燃料だ。託された聖剣への、信じてくれる仲間への、そして何よりも自分が歩む道への最大の裏切りを行うわけにはいかない。

 震える。巨大レギオンが怯える。『名無し』の憤怒、憎悪、信念、矜持……清濁等しく合わさって燃え上がる闘志に恐怖を感じている。

 

「何度だって這い上がってやる。どれだけお前たちが恐ろしく強大だろうと関係ない。心折れようとも、膝をつこうとも、必ず立ち上がって挑んでやる」

 

 聖剣が呼応する。月蝕の奔流が圧縮されて刀身をコーティングし、今にも爆発しそうなエネルギーを感じながら、『名無し』は連撃で巨大レギオンの首を刻む。

 絶叫が空気を震わせる中で、自分でも驚くほどに冷静に、だが激情を内包して、『名無し』は巨大レギオンの首を斬り続け、そして最後の聖剣の一撃を叩き込む。

 

「俺たちを舐めるな」

 

 月蝕の奔流が解放される。それは巨大な月蝕光波となり、傷口を押し広げ、暴れ回る巨大レギオンの首を半ばまで断った。そして、絶命と共に、自重に耐え切れなくなったように巨大レギオンの首は千切れて大地に落ちた。

 聖剣を使い過ぎた。光波ゲージの回復を魔力で補っているが足りない。スタミナからも回さねばいけない。それだけではない。集中力の代償は精神力と脳の疲労だ。確実に疲弊している『名無し』は、残り1体の巨大レギオンを視野に入れる。

 繭が割れる。この瞬間を待っていたかのように現れるのは、触手の塊。大地に根を張り、大樹の如く空を目指して突き上がる。

 だが、よくよく見れば違う。正しくは、触手の塊と見紛うほどに、全身を毒々しい紫色の触手で覆った巨獣。それは鰐のような大口を持つケダモノ。腕も足もなく、移動の全てを纏う触手に依存し、飛行する翅も無い。

 触手の先端にはすべて5枚の花弁のような開閉する顎を有し、それぞれには牙が並ぶ。今この瞬間も触手は侵蝕を続け、回廊都市全体に広がろうとしている。

 鈍重で硬かったが、敗れた。

 飛行能力と高射撃能力を得ても決死の総攻撃で負けた。

 ならば必要なのは何か?

 至極単純。

 

 

 敵を確実に仕留める『火力』である。

 

 

 

 根を張る触手はアンカー。鰐の如き巨大な顎で溜まるのは光。解放されたのはレーザーではなく炎のブレス。放出された正面を文字通り炎の海へと変えるブレスは、至近距離の……回廊都市の堅牢な建物さえも消し飛ばす。それだけにとどまらず、射線を持ち上げて空を大きく薙ぎ払う。寸前で範囲から逃れた『名無し』だが、回避できなかった多くの鳥人が炭化して塵と化す。

 まだ終わらない。そのままブレスを維持し、上空へと放出を続ける。夜空に散り続ける炎はまるで流星の如く回廊都市全域に余すことなく降り注ぐ。

 敵も味方も関係ない。何もかも焼き尽くす。絶対的な破壊力を誇示する巨大レギオンはブレスをようやく終えると、チャージを始めるように触手を更に体に巻くと閉じ籠もった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 最後の巨大レギオンの変異。レコンは拳を握って壁を叩く。現在、彼がいるのは拠点である大図書館の司書室だ。ナギが割った窓は寒々しく放置されているのは仕方ないとして、ここで指揮を執るのは、レコンは頭を動かすのが精一杯で参戦する余裕は無いからである。

 こんなバケモノを相手では被害を抑えた戦略など不可能だ。それは大いに理解している。だが、レコンには既に打つ手が思いつかなかった。

 2体の巨大レギオンを倒すのに魔族に大損害を出した。特に主力になっていたキノコ人たちは6割減である。飛行戦力であった鳥人は、3体目の巨大レギオンのブレスも含めてほぼ殲滅……残存は1割未満だった。地上戦力は幾らか余裕はあるが、無限とも思える程に湧き出す深淵の怪物たちへの対処していて、とてもではないが、あの巨大レギオンへと接敵できる状況ではない。いや、そもそも巨大レギオン周辺は触手の森と化している。あれを切り抜けるのは極めて困難だ。

 

(打つ手が……無い!)

 

 飛行戦力は実質的にUNKNOWNとリーファだけだ。だが、繭のように籠った状態とはいえ、本体がいるならばユージーンの≪剛覇剣≫が届くはずである。彼が接敵できればチャンスはある。

 

「あー、違うね。アレは本体じゃないよ」

 

 だが、ナギはレコンの考えを読んだように、相変わらずの呑気な態度で否定する。割れた窓から頭を出し、面白そうに巨大レギオンを観察したかと思えば、ニコニコと笑顔を崩さないままにレコンにウインクした。

 

「あのレギオンの本体は『地下』。上はお飾り。地下の奥深くに本体を隠してるよ。まぁ、その代わり動けないみたいだけどね~。フーン、大火力の固定砲台かぁ。それは盲点だったなぁ。うんうん、そういうアプローチも試してチャレンジ♪ 疑似アームズフォートだね!」

 

「どうしてそんなことが……」

 

「ナギちゃんは魔法使いだから、物知り・博識・全知なのでーす!」

 

 口からも出まかせか、それとも真実か。レコンは迷う。

 ナギは先程からレコンがマップデータと配置された戦力だけでは把握できない情報を、まるで目や耳があらゆる場所に送り込めるかのように正確に教えてくれている。そのお陰でレコンの指揮は正確さを増し、巨大レギオン討伐の縁の下の力持ちにもなった。

 ならばこそ、ナギの不気味さが際立つ。彼女は本当にプレイヤーなのか。明らかに異常。明らかに逸脱した存在。だが、そもそも理不尽の権化であったアルヴヘイム……その髄が集約したこの戦場において、彼女1人を疑うことの愚かしさにレコンは首を横に振る。

 

「仮にそうだとすると、あの巨大レギオンに接敵して、なおかつ地下を目指せる戦力を送り込まないといけない」

 

 触手の守りを潜り抜け、地下の本体を目指す。亡霊の軍団ならば障害物を潜り抜けられるが、肝心の触手はモンスターアバターだ。透過している間に攻撃され続けて撃破されてしまうだろう。

 そうなると突出した戦力が必要になる。UNKNOWNとユージーンの2人ならば、最短時間で本体まで辿り着けるだろう。だが、そもそも次のチャージまでどれだけの時間が残されているかも不鮮明だ。

 あれだけの大火力だ。5分や10分で再発動とは信じたくない。だが、第2射、第3射と続ければ、反乱軍は終わりだ。あんな超ロングレンジ大火力砲に耐えられるはずがない。

 そして、問題はそれだけではない。巨大レギオンから剥離した触手はまるで生きた蔦のように、深淵の軍勢やオベイロンの兵に絡みついて強化を施しているのだ。触手は鎧となり、また死角を潰す矛ともなる。

 あの巨大レギオンは要塞なのだ。際限なく味方を強化し、周囲を自身に有利なフィールドに変質させ、なおかつ大火力を備える。

 

(被害を度外視して? そもそもどれだけの数を? オベイロンは何を企んで? 駄目だ。まるで読めない!)

 

 だが、巨大レギオン1体につき3万の制圧値だ。オベイロンは有限の戦力を大きく割り振って巨大レギオン3体を出現させたはずである。ならば、追加で出現する確率は低い。登場したとしても、同じく3体やそれ以上の数は考え難い。

 こちらの想定以上にオベイロンを追い詰めている? 意図しなかった援軍はオベイロンの計算外? 安直な楽観視は死を招く。レコンは汗で湿った拳を握り、状況打開の方針を即急に全体へと通達しなければならないと焦る。最後の巨大レギオンによって士気は再び大きく下がっている。勝機を提示せねばならない。

 そして、レコンの迷いを鏡写しにしたように、異変は起こる。

 レコンの正面に展開されているマップデータ。それは立体図であり、現在の回廊都市の全体図でもある。そこに表示されるのは反乱軍とオベイロン陣営の戦力だ。それらは光点であり、視覚として双方の展開されている戦力をレコンに伝達している。 

 反乱軍側の戦力は等しくレコンには全て参照できているが、オベイロン陣営はあくまで反乱軍に登録された人々が認識しない限り表示されない。故に狙撃手と組むスポッターのように観測者を配備し、オベイロン側の戦力を常に把握することが必須となる。

 その光点が次々と消失し始める。それ自体は不思議ではない。リアルタイムで進行する戦闘によって今も被害は嵩んでいるのだ。

 問題なのは、こちらを削っているだろうオベイロンの戦力が観測されていない点にある。

 遠距離攻撃の類? それにしてはペースがおかし過ぎる。今も急速に戦力が失われているエリアを拡大すれば、反乱軍が何かしらの抵抗、あるいは逃亡の反応が見て取れる。だが、それらは全く意に介されずに一方的に反乱軍の戦力は失われていく。

 何よりも珍妙なのは、こちらの防衛線を一方的に破られている点だ。何かしらの突出した実力を有する敵がいる。それも、単にこちらを攻撃しているのではない。もはや数も少なくなった攻防の楔にもなっている将軍職を確実に仕留めているのだ。全体のバフのみならず、高い指揮能力も期待された人材ばかりが狙い撃ちされているのは明らかに異常だ。

 

「何が起こってるんだよ!?」

 

 そして、こちらの戦力を削る謎は着実に……いや、真っ直ぐにレコンが拠点としている大図書館へと向かっている。

 ここからならば目視ができるかもしれない。危険を覚悟でレコンが割れた窓から身を乗り出して屋外を探った時だった。

 

 

 

 

 

 眼前に闇の霧が溢れ、致死の刃がレコンの顔を横切った。

 

 

 

 

 

 一撃必殺。本来ならば頭蓋を割り、脳の奥底まで到達していただろう、闇濡れの両手剣。致死の攻撃がレコンの顔に大きな傷を残すだけで済んだのは、刹那のタイミングでナギが彼の襟首をつかんで後ろへと引っ張ってくれたお陰だった。

 乱暴にナギに投げ飛ばされたレコンが尻餅をついて顔を濡らす血に自身に迫った死を恐れて認識する。そして、微かな感嘆の吐息が耳を撫でた。

 

「ほう。今のに反応するか。やはり【来訪者】とやらは一筋縄ではいかんか」

 

 それは漆黒の騎士。見に纏うのはスマートな印象を与える密着性の高い甲冑。兜は狼を意識したデザインだろうフルフェイスであり、だが双眸のように入れられた2本のスリットからは眼光のように黄金の光が漏れている。その右手に有し、肩で担ぐのは両手剣の類だろう、華美とは言い難いが壮麗な装飾こそ施されていないが、英雄譚に登場するような雄々しさを感じさせ、また多くの戦を経て鍛えられているかのような威圧感を宿す。

 レコンはこのアルヴヘイムで多くの危機を経験してきた。死を覚悟した事も1度や2度ではない。だが、眼前の漆黒の騎士に比べれば、それらは等しく取るに足らない児戯であったと思い知らされるようだった。

 

「ランス、ロット……!」

 

 どうして、誰も彼もが恐怖するのか。

 どうして、単体の相手に組織が全力を尽くし、なおかつ最高戦力を揃えなければならないのか。

 どうして、それでもなお不足があると多くの者が慄くのか。

 全ての答えは実際に対峙すれば嫌でも思い知らされる。

 アルヴヘイム最強。UNKNOWNを破った闇濡れの騎士。本来、オベイロンに挑む前に決着を付けねばならない『証』の守り手。

 それがレコンに向けて、細やか程度でも賛辞と殺意を向けて立っている。

 

「伏せて!」

 

 ナギの鋭い掛け声が立ち上がったレコンの頭を下げさせる。同時に……そう、ほとんど『同時』と感じさせるほどの瞬間移動によってランスロットは視界から失せてレコンの背後に回り、大剣を振り抜いていた。頭上のコンマ数ミリを刃が通り、続く振り下ろしをナギが斧槍で防ぐ。

 火花と拮抗。あれ程までに余裕と他人事のような態度を崩さなかったナギの横顔は今や真剣味が帯び、なおかつ獰猛な歓喜の笑みが刻まれている。

 

「反応した? いや、貴様のそれは『先読み』か。それも予測ではない。直感の類……なるほど、『奴』と同じか。だが、比べるまでもなく劣る!」

 

 連続の瞬間移動。全方位にランスロットが複数人いるかのような錯覚は、UNKNOWNのゼロモーションシフトと似通っているが、あちらはシステムアシストを利用した超加速なのに対して、こちらは短距離超速転移……まさにテレポーテーションである。それも発動までにラグは無く、なおかつ出現時も闇の霧というエフェクトこそあるが、それを知覚した時点ではランスロットの移動は完了し、なおかつ攻撃モーションに入っているという、もはや人間の対応の限界を超えている。

 だが、これに対してナギは恐るべき反応速度……いや、まるでランスロットの出現位置をあらかじめ把握しているかのように攻撃を繰り出して迎撃する。だが、そのテンポは瞬く間に遅れが生じ、ランスロットの突きがナギの首の皮を裂く。いや、彼女が微かに首を傾げなければ、刃は首の肉を半ばまで断っていただろう。

 

「ナギちゃんの『これ』は劣化粗悪品だから比較自体が烏滸がましいんだけど……ね!」

 

 踏み込みからの流麗なる3連撃。常人ならば回避も防御も間に合わぬ連撃であるが、これをナギは斧槍の柄でいずれも防ぐ。だが、それを凌いだ後の流れるような一突きには間に合わず、斧槍は弾き飛ばされる。

 無手となったナギへとランスロットは蹴りを繰り出せば、彼女は腕でガードするも軋み、そのまま吹き飛ばされる。だが、彼女は瞬時に空中で体勢を整えて壁で着地し、その間に指を躍らせて新たな武器を瞬時に装備する。それは双剣であり、一撃は軽いが、ランスロットの剣速には対応できるかに思えた。

 

「久しく強敵と戦う機会が失せていた。『本番』の前に錆落としでもさせてもらうとしよう」

 

 だが、武装の換装は『見逃された』のだとレコンは悟る。あの瞬間にランスロットならば容易にナギを殺せた。それをしなかったのは、彼女との剣戟を楽しむ為か。

 二刀流VS一刀流。だが、速度は圧倒的にランスロットが上であり、瞬間移動無しでナギの連続攻撃を軽々と受け流し、逆に切っ先を床に擦らせて火花を散らせた斬り上げの一閃が彼女の右手より剣を奪う。

 遊ばれている? いや、そもそも本気を出す必要性など無いとばかりにランスロットは左腕を使わず、右手だけで剣を振るってナギの壁、床、天井を使った縦横無尽の3次元攻撃を捌き続けた挙句、彼女の奮闘を賞賛するように、瞬時に間合いを詰めて膝蹴りを鳩尾に打ち込む。

 ナギは強い。それは出会って数時間と経っていないレコンでも自分との実力差が分かる程度には強い。上位プレイヤーでも更に上澄み……トッププレイヤー級にも匹敵する。そんな彼女が完全に敵として扱われていない。

 

「女、貴様は見込みがある。だが、内なる衝動に振り回され過ぎだ。『誰か』を真似るばかりでは強くなれん。模倣とは学び取ること。自らを鍛え上げ、己が目指す高みの境地に至る為にある。今宵の教訓、来世で活かすが良い」

 

「ゲホゴホ! う、うわーい、褒められちゃった♪ で・も、ナギちゃんの『これ』は劣化の劣化の劣化品! ランスロット様と斬り合えるほどに、今のワタシは強くないんだ。だ・か・ら、ここは戦略的撤退!」

 

 ナギは吐血した口元を拭うこともなく、お腹を左手で押さえながら右手の剣を投擲する。ランスロットは大剣で弾くこともなく、左手で飛んできた剣を白刃取りすると、逆にナギへと投げ返す。それは彼女の右肩に突き刺さるが、そんなことは知った事かと赤毛の少女は走り、動けずにいるレコンの首根っこを掴むと割れた窓から飛び出す。

 それを追いかけたランスロットが窓の縁に足かけたかと思えば消失し、次の瞬間には宙を跳んでいたナギたちの頭上に現れて大剣を振り下ろす。

 今のナギは空中では回避も出来ない。レコンは彼女ごと自分も両断されないようにスパイクメイスでランスロットの一撃をガードする。刃は届かせずに済むも、衝撃が走って轟音が響けば2人は衝撃と共に落下して地面に叩きつけられる。

 

「がっ……ぐぎぃ……レコン……だいじょーぶ?」

 

 口から血を垂らし、割れた額からも鮮血を滴らせるナギは地面に落とされたレコンを庇うように両腕を広げて彼を受け止めていた。そんな彼女の傍にランスロットは着地し、彼の登場で完全に戦意を失って逃げ惑う兵士たちに嘆息する。

 

「この小僧が死ねば最後の勝ち目を失うだろうに。腰抜けばかりか」

 

 人型ネームドは最も耐久度が低いタイプである。また、スローネのような人型であっても人間に比べれば一回り以上大きいといった事もなく、体格の良い成人男性とほぼ同サイズであり、人間の範疇を逸脱してない。

 だが、まるで攻撃を当てられるビジョンが浮かばない。いかなる策を用いても、いかなる攻撃手段を使っても、どれだけの戦力を動員しようとも、漆黒の騎士が膝を折る光景がまるでイメージできない。それはレコンがだからではなく、この場にUNKNOWNやユージーンがいたとしても同じだろうと自然と思ってしまう事実にレコンは腹の底から冷える恐怖心を抱える。

 恐怖に呑まれて動けなくなれば死ぬ。だが、レコンの足は動かない。そんな彼を守るように血を吐き捨てたナギが立ち上がり、新たな武器のトンファーを装備する。これだけの装備を所有するなど異常である。

 

「その小僧を捨てれば、貴様だけならば逃げられるかもしれんぞ?」

 

 歯応えがあると認識したからこその指摘。ランスロットの言葉に、レコンはその通りだと奥歯を噛む。今の戦いでレコンは1度として手助けすることはできなかった。ただ傍観者になる以外に無かった。圧倒的過ぎる実力差、ランスロットに一方的に攻められ、それを凌ぎ続けるナギと同じ位置に立てなかった。

 

「HAHAHA、バッッッカじゃないの? ワタシはね、『人』がだーいすき。だから、応援するんだ。ねぇ、ねーねー、レコン。そうだよね? まだまだ頑張れるよね? 心は屈伏してないよね? 今だって勝つために考えてるんだよね?」

 

 震える足で踏ん張りながらナギは今にも消え入りそうな声で問いかけてレコンへと振り返る。

 今のレコンにあるのはランスロットへの恐怖心だけだ。だが、ナギの無邪気な問いかけに魂が再燃する。

 戦わねばならない。諦めて死を受け入れるのは簡単だ。抵抗することなく斬られるなど実に楽だ。だが、レコンが……1人1人が諦観に呑まれて抵抗を止めれば勝ち目は失われる。

 自分だけならば良いだろう。そんな甘えが蔓延すれば、勝利に手を伸ばして今も足掻いている人々を敗北と死の泥沼へと引きずり込む。

 恐怖に立ち向かい、レコンはスパイクメイスを構える。その姿に戦士と認めたのか、ランスロットは敬意を示すように大剣を改めて構え直す。

 

 

 

 だが、レコンたちとランスロットの間を割るように、地面を侵蝕した『影』より刃が立ち並んだ。

 

 

 

 突如として生える影の剣山。それはランスロットを強襲し、彼を大きく跳び退かせる。

 

「グンねー! 来てくれたんだね!」

 

 正体不明の割り込みに、ナギは嬉しそうに笑ったかと思えば、レコンを抱えて大きく跳ぶ。そんな彼らを追撃しようとするランスロットであるが、レコンの視界に虹色に煌く髪が靡いたかと思えば、ランスロットの進路を阻む。

 ランスロットは追撃して来ない。あの影の主と戦っているからなのか。やがて、ナギはレコンを主戦場から離れた、水瓶を抱く女神像が安置された花園に下ろす。今は戦火で焦がれているが、まるでこの決戦の舞台において静寂を保っているかのように、反乱軍も敵影も無い。

 

「うひー。ズタボロだね。ワタシもあれ以上の攻撃を受けたら危なかったよ」

 

 腰を下ろして一息を入れるナギはまた呑気さを取り戻し、ぜーぜーと息を切らして死の恐怖から解放されたレコンを眺めている。

 どうしてランスロットの接近に気づけなかった? どうしてランスロットはオベイロンの戦力として観測されなかった? 確かにランスロットは瞬間移動を駆使し、なおかつ本人もスピード型のネームドでもトップクラスの機動力を持っていた。だが、それでも多人数に斬り込んで1人として観測できないのはおかしい。その証拠に、交戦した現在でもランスロットの捕捉は出来ていない。

 

(ランスロットはオベイロンの戦力では……無い?)

 

 そうとしか考えられない。ランスロットは元来『証』の守護者を担うネームドのはずだ。幾らオベイロンが自陣営に引き込んだとしても、ネームドという括りから逸脱してオベイロンの戦力としてこの決戦には参加できない確率は大きい。

 ならば? 簡単だ。ランスロットが徘徊型ネームドであり、このバトルフィールドは四方を山岳に囲まれた外部と隔絶されたように映っても、実際にはボス戦エリアとしての線引きが行われているわけではない。

 ランスロットはただの『乱入者』なのだ。オベイロンに与しているとしても、少なくともこの決戦とは何ら無関係を装っている。徘徊型ネームドという括りを活かしてオベイロンは、こちらが決して補捉できない最強の襲撃者を準備したのだ。

 反則だ反則だと思っていたが、これはその中でも最大級の反則だ。ラスボス戦に別のネームドが乱入してくるなど前代未聞である。いや、後継者ならばいずれこちらが築いたセオリーを破るように仕込んでいそうであるが、とレコンは頭を抱える。

 

 

 

 

 

『反乱軍よ、実に見事だ』

 

 

 

 

 

 そして、何1つとして解決案が浮かばない内に、その声は回廊都市全域に響いた。

 

『これだけの戦力をよくぞ集めた。このオベイロンが認めよう。君達は強い。よく戦った。だが、この妖精王に歯向かうには余りにも脆弱過ぎた』

 

 全ての元凶たるオベイロンの余裕に溢れた、勝利を確信した声音に、反抗心よりも先にレコンの精神は軋み始める。

 難攻の要塞&大火力砲台と化した巨大レギオン。こちらの戦力を一方的に削ぎ取る上に戦略で対処ができないランスロット。その上ここでついに妖精王が(文章の途切れ)

 

『弱さは罪だが、悪ではない。妖精王の名の下に慈悲を与えよう。聖剣を献上するならば、此度の反乱は不問とし、今この場に集った全員の命を救おうではないか』

 

 回廊都市の上空で虹色のオーロラが渦巻き始め、まるで異次元の扉が開くかのような巨大な円を作り出す。そして、そこから眩いばかりの光が降り注ぐ。

 ついにオベイロンが君臨する。レコンは息を飲んで、アルヴヘイムの支配者の出陣を睨み続け、そして膝を折った。

 現れたのは、全高80メートルにも達するだろう、巨大レギオンに負けず劣らずの巨人。だが、その身は生きた血肉とは思えぬ白色であり、まるで大理石の石像が動いているかのようだった。全身に絢爛豪華な黄金の鎧を身に纏い、右手は数多の色彩を輝かせる宝石で散りばめられた純金の如き直剣、そして左手には太陽と月が彫り込まれた銀の円盾を有している。その姿はまるでギリシャの神が顕現したかのような……神話の中に迷い込んでしまった錯覚をレコンに与える。

 

 

<巨神・妖精王オベイロン>

 

 

 自らを王にして『神』であると名乗るオベイロンのHPバーの本数は『9本』。12対の巨大な虹色の翅で浮遊しており、まるで神罰でも与えるかのように大地へと剣先を向ければ、まるで後光のように魔法陣が巨神オベイロンの背後に展開され、虹色の圧縮されたエネルギー球が出現する。そして、一気に圧縮されたかと思えばレーザーとなって大地を抉り飛ばす。

 大爆発が起き、もはや指揮や陣形どころではない反乱軍は最後の駄目押しを受ける。被害以上に心が折られる。

 巨大レギオン3体。それだけでも反乱軍の反骨精神は崖っぷちまで追いやられていたのだ。ユージーンが率いる魔族の到着でようやく押し返し、数歩前に出たかと思えば、今度は巨大レギオンを超える能力を秘めたオベイロンの登場だ。

 そして、どれだけ戦略的に動こうとしてもランスロットは潰しに来る。単一にして最強のランスロットの対処に上位戦力を派遣すれば、そこをオベイロンと巨大レギオンは狙い撃ちにするだろう。いや、そもそも、回廊都市全域が崩落を開始し、火の海になり始めている中で、果たして賊王を担う者……レコンの読みではシノンなのであるが、彼女はあと何分……いや、何十秒と生き残れるかも定かではない。

 

『さぁ、愛しき臣民たちよ。このオベイロンに慈悲を請うのだ』

 

 浮遊する巨神オベイロンを倒すには、どうにかして地上に下ろさねばならない。だが、そもそもとして飛行戦力が足りない。土台として勝ち目がないのだ。無限に飛行できず、定期的に着地するとしても、その間に一方的に殲滅されてしまう。

 端から勝ち目のない戦いだったのだ。オベイロンはあらゆる意味で揺るがぬ勝利を準備し、こちらを嘲う為に抵抗の余地を準備したのだ。

 

「こんなの……もう……どうすれば……」

 

 聖剣を差し出せば命だけは助かるのか? そんな『弱さ』が漏れ出し始める。どう足掻いても勝ち目など無いではないか。レコンが膝を付いて屈辱と絶望の嗚咽を漏らした時、夜空に月蝕の一閃が煌いた。

 圧倒的な力を示す巨神オベイロンに挑むのは、空を舞う白石の巨人に対して余りにも小さい翅を羽ばたかせる剣士。

 誰もが膝を折り、敗北感に満たされ、心の屈伏を余儀なくされる絶対的な光景の中で、果敢に挑む者がいた。

 

 

 

 まだ負けていない。

 

 立ち上がれ。

 

 抗わない限り、勝利は決してつかめない。

 

 ならば戦おう。最後の瞬間まで剣を握ろう。

 

 

 

 たとえ声は聞こえずとも、その戦う姿が見る者に訴えかける。 

 絶望に追いやられた全ての人々の希望を繋ぎ止めるように『英雄』は、巨神オベイロンに剣を振るう。だが、巨大なバリアに阻まれ、一定の距離以上には接近できず、だがバリアを砕くべく連撃を浴びせて波紋を生む。微かな亀裂が確かに入る。

 あと、どれだけの攻撃を与えればバリアを破れる? その後もHPバーが9本も控えているのだ。加えてチャージを終えれば、巨大レギオンが強力無比なブレスで回廊都市を薙ぎ払う。

 神話の戦いで弱小なる人間に何が出来る? そんな諦観は戦わない者の言い訳だ。

 たとえ死ぬとしても、誇り高く、胸を張って生きよう。生き足掻こう。1人1人が抗わねば勝機は呼び込めない。だが、1人1人が諦観せずに戦い続ければ、必ずあの『英雄』は勝利をもぎ取ってくれる。

 

「ズルいなぁ。こんなんじゃ、僕が……僕だけが諦めるなんて……格好悪いじゃないか」

 

 戦ってやる。生き抜いてやる。最期の最後まで生に貪欲に、だが決して誇りを捨てることなく前を向こう。レコンはスパイクメイスを握り直し、負けるものかと巨神オベイロンを睨む。

 

「……やっぱり『人』は凄いね。うん、大好き♪」

 

 いつの間にかナギの手には手斧が握られ、レコンの頭蓋を叩き割るべく振り下ろされそうになっていた。レコンは背筋を凍らせ、あのまま自分が抵抗心を捨ててオベイロンに屈伏していれば、先にナギによって脳天から頭を割られていたのだと悟る。

 だが、レコンへの殺意など霧散し、手斧を隠しもせずに彼に歩み寄ったナギは無邪気に笑む。

 

「さぁ、ここからどうする? さぁ、教えて! キミ達『人』の抗いを! 誇りの限りを尽くして魅せて!」

 

 現状での問題は、巨神オベイロン、固定砲台と化した巨大レギオン、そしてランスロットだ。

 破壊力で言えば、巨大レギオン、巨神オベイロン、ランスロットの順だ。確かにランスロットの個体としての戦闘能力は高いが、少なくとも超広範囲の攻撃能力は有していないだろう。ならば対処すべきなのは巨大レギオンの撃破だ。その間に残された飛行戦力……事実上のUNKNOWNとリーファだけで巨神オベイロンを食い止めねばならない。さすがのランスロットも空を飛べないだろう。ならば、飛行している最中ならば、2人は邪魔されない。

 だが、とレコンは唇を噛む。巨大レギオン撃破の為には数もそうであるが、質も不可欠だ。果たしてユージーンだけでは不測の事態に対処できるだろうか? ここはリーファとユージーンの2人を派遣するしかない。だが、ここで邪魔になるのは深淵の軍勢だ。彼らの道を阻むだけではなく、もはや戦線維持など不可能に等しい反乱軍を一方的に駆逐する状況を生む深淵の怪物たちを何とかせねばならない。

 あらゆる意味で絶望的に不利であり、1発逆転の秘策もなく、むしろ追い詰められ続ける苦境。だが、レコンの魂に点火した抗いの意思は消えない。宙を舞い、オベイロンに挑み続ける1人の英雄がいる限り、レコンは勝利を諦めずに戦い続けられるだろう。

 

「残存する全戦力に告ぐ! 我々はこれより巨大怪獣の討伐最優先とする! あらゆる犠牲を容認し、これの撃破に当たれ! 臆するな! オベイロン自らが出陣したとは、即ちこれ以上の隠し玉は無いということだ! ここでオベイロンさえ討ち取れば戦いは終わる! 我らの勝利は……未来は決して手が届かぬ彼方にあるわけではない! 戦え! アルヴヘイムの未来の為に! 故郷に残した愛する人々の為に!」

 

 軍師権限で声が潰れるばかりにレコンは叫ぶ。これで1人でも多くの魂を揺さぶることが出来たならば、UNKNOWNが戦う姿に誇りを燻ぶられた者たちを燃え上がらせることができたならば、それはレコンの戦いの成果だ。

 

「そっか。それがキミの選択なんだね。カッコイイじゃん♪ うん、だったら大丈夫だね。では、そんなナギちゃんから朗報です。もうランスロットの横槍を心配する必要はありませーん! キミ達の敵はオベイロンとデカブツちゃん! さぁ、ラストバルだ! GOGO!」

 

「ホント……キミは元気だね。あはは、なんか……あれこれ悩んでる自分が馬鹿らしくなるよ」

 

 ナギは何者なのか。そもそも、彼女の情報を何処まで信用すべきなのか。それは分からない。だが、他に縋るべきものはない。ならば、今は自分が信じたい人を信じ、そして己の誇りと答えに殉じるだけだ。

 

「これで……これで良かったんだよね、グンねー?」

 

 だからだろう。レコンは聞き逃してしまった。ナギの……今までにない、切なく、儚く、悲壮に満ちた呟きを……大切な何かを捧げる苦しみを……聞き漏らしてしまった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 ただひたすらに生き残れ。シノンは激変し続ける戦場で、自らの生を最優先する。

 巨大レギオンの登場。ユージーンの参戦。巨大レギオンの2回にも及ぶ変異。そして、オベイロンの降臨。

 もはや勝機は見えず、それでもシノンを動かし続けるのは託された使命だろう。

 自分が死ねば反乱軍は……いや、今もオベイロンに単身で攻撃を続けるUNKNOWNの闘志と矜持を踏み躙ることになる。それだけはシノンには許せなかった。

 たとえ、戦いに参加できずとも、これがシノンに出来る戦いだ。まだ形を保つ建物の中を駆け、空中渡り廊下を疾走するシノンを背後から狙うのは、4体のレギオン・シュヴァリエである。

 右腕と一体化した結晶ランスを突き出せば、無数の結晶弾が射出される。それは鋭い氷柱と飛来してくるようなものであり、直撃すれば軽装のシノンは簡単に刺し貫かれる。

 レギオン・シュヴァリエは、たとえ近接型の上位プレイヤーでも単独戦闘は避けるべき強敵だ。これまで慢心して挑んだ多くの上位プレイヤーが手痛い……それこそ命を代償にしてレギオン・シュヴァリエの強さを証明している。

 驚異的な学習能力。不可解な先読み。プレイヤー顔負けの戦上手。あらゆる意味でシュヴァリエは強敵であり、シノンでも単身で4体同時に相手にするのは避けたい相手だ。

 だが、そもそもとして現在のシノンには反撃の手段が無いに等しい。義手は千切れ、武器はスナイパークロスボウのみ。装填している炸裂ボルトでは決定的なダメージを与えられないのだ。

 ならばとシノンは高DEXに任せて逃げ続ける。だが、シュヴァリエはこちらの居場所を正確に把握しているように、明らかに組織としてシノンを狩るべく行動している。攻撃も苛烈ではあるが、明らかに『詰める』為のものであり、シノンを逃げ場のない袋小路へと誘導しようとする意図を感じる。

 

(まずい! このままでは屋上に追い詰められる!)

 

 焦るシノンの前に出現したのはブラックドッグ。だが、様子がおかしい。その全身は青黒い触手によって絡め捕られている。触手は鎧にして鞭となり、ブラックドッグを強化しているようだったが、深淵の猟犬の目は血走り、今にも破裂しそうだった。

 蝕まれている。シノンがそう読み取るより先に、シュヴァリエ2体が左右から挟み撃ちをしかける。逃げ場がないシノンは咄嗟に窓から外に跳び出る。だが、それは地上数十メートルであり、落下すれば即死は免れない。

 だが、シノンは何1つとして迷うことなく宙を舞う。そこに控えていたのは、無数の深淵の蠅。それを足場として、体を噛まれながら駆け、隣の建物に向かうと開いた窓から潜り込み、全身に噛みつく深淵の蠅を振り落とすべく転がって壁に自分から衝突する。

 

「ぐぅ……まだまだ死ねない、わね!」

 

 スタミナの残量に気を配りながら逃げなければならないのに、シュヴァリエによる包囲によって休む暇もない。いや、そもそもとして、巨大レギオンと巨神オベイロンの攻撃によって、どれだけ主戦場から離れていても、建物ごと吹き飛ばされるかもしれないリスクが常に頭の隅より湧き出す。

 いっそ攻撃から逃れやすい地下に行くべきか。シュヴァリエに追い詰められやすくなるが、少なくとも2つの巨体からの大攻撃による『事故死』は避けやすくなる。そう考えたシノンであるが、決死で逃げたはずの隣の建物にも既にシュヴァリエが8体以上も控えて待っていた。

 読まれていた。シノンは焦り、次々と放たれる結晶弾を潜り抜け、だが躱しきれずに左肩を背後から刺し貫かれて呻きながらも逃げる。美麗な絵画が飾られた廊下を駆け、度重なる戦いの衝撃で落ちたシャンデリアの破片を踏み潰す。

 回廊都市の建物は全般的に無駄に高く、まるで近代都市のビル群のようだ。シノンは螺旋階段にたどり着き、手摺を滑って一気に地上を目指しながら肩を刺し貫く結晶弾を抜く。もはや回復アイテムは無いが、賊王の特権として高VITがある上にオートヒーリングも付与されている。これならば逃げ続ける限り、回復は間に合うだろう。

 だが、またしてもシュヴァリエによって先回りされ、地上にたどり着くより先に途中の階層に逃げ込むことを余儀なくされる。

 

(間違いない! シュヴァリエは誰かの指揮下にある。オベイロン? それにしては、何かが違う気がする。堅実だけど凶悪。こちらを着実に仕留めるべく詰めて来る理知的な戦略を感じるわ)

 

 まるで狩りの獲物となっているかのような気分だ。シュヴァリエを指揮する何者かは、シノンのスペックを寸分狂わず把握し、過大・過小評価することなく追い詰めようとしている。

 状況は目まぐるしく変わる。レコンは爆音と思うほどの大声で全軍を鼓舞し、巨大レギオン討伐に向けて動き始めた。それに足らぬ者たちは深淵の軍勢と戦いながらも、せめてUNKNOWNを援護しようとしている。

 戦力差は圧倒的に負けている。卑怯の限りを尽くして勝利を奪い取りに来るオベイロンをどうやって倒すのか。シノンにはまるで予想は出来ない。

 だが、UNKNOWNは諦めていない。戦っている。今も1人でオベイロンの攻撃の全てを引き受けている。

 シノンは薄く笑う。彼の事だ。際限なく自分を奮い立たせようと咆えているに違いない。

 彼は1人だ。だが、彼が今まさに単身でオベイロンに挑むのは、自分が多くの人の希望を繋ぎ止め、紡ぎ、より強く眩しく光らせようとしているからだ。そして、それに魅入られるように、鼓舞されるように、人々は立ち上がる。

 彼は皆で戦う為に1人でオベイロンに挑み続けている。それが自分の役目だと信じて戦っている。だからこそ、シノンもまた諦めるわけにはいかなかった。

 逃げる。華麗とは無縁に、ひたすらに汚らわしく生き抜く。それがシノンの勝利への貢献だ。窓を破って無数の、もはや壁にも等しい深淵の蠅が群がる中にシノンは迷わず跳び込む。柔肌を噛まれ、千切られ、血が滴る中を突破する。

 何とか地上に脱し、緑が生い茂る公園に潜り込んだシノンは息荒く幹に背中を預ける。市民の憩いの場になりそうな整備された公園では、無機質に時計が針を刻む。時刻は午前3時を回り、夜は闇を濃くさせ、満月は地平線を目指して傾いている。

 

「生き残る。私は……必ず……!」

 

 今は地下に逃れるのがベストだ。シノンが一休みを終えて公園から離れようとした時、闇にて包囲陣を敷いていたシュヴァリエが一斉に飛びかかる。

 逃げ込んだのではない。誘導されたのだ。最初から配置されていたとしか思えないシュヴァリエの包囲に、自分が最も油断した瞬間を狙われたとシノンは死を意識する。

 たとえ残された右腕を捨てても生き延びる! シノンがスナイパークロスと右腕を盾にしてシュヴァリエの包囲を強引に突破しようとした時だった。

 高速の弾丸。強力な一撃を秘めたそれらがシュヴァリエの右腕ランスを破壊する。シノンは1拍遅れてそれがスナイパーキャノンの類だと判断した時には、謎の狙撃手が放っただろう煙幕が視界を染め上げる。

 反乱軍も、シュヴァリエの結晶ランスを破壊できるほどのスナイパーキャノンを開発などしていない。そんなものがあれば、どれだけこの戦いが楽になったかなど言うまでもない。シノンが何とかシュヴァリエの包囲網を脱し、地下を目指してマンホールをこじ開けようとした時、彼女の目の前にロープが垂れる。

 

「そこは、既にシュヴァリエが潜んでいる。貴様の動きは……全て予測されている」

 

 それは聞き覚えのある声。シノンが恐る恐る見上げれば、そこには見知った顔がいた。

 骸骨を思わす金属マスク。迷彩マントを羽織り、屋根の上に立って夜風に靡かせる姿は殺し合った強敵。

 

「今を生き残りたければ、俺を信用しろ」

 

 デスガン。この男がどうしてここにいる? いや、オベイロンの配下ならば参戦してもおかしくはないが、どうしてシノンを助ける?

 考え得るのは罠だろう。わざと助けるフリをして絶望の底に叩き落とす。デスガンならば、そんな悪趣味もあり得るだろう。だが、明らかに苛立った……いや、焦った声音は、シノンの迷いを危惧しているかのようだった。

 それもまた演出か。レギオン・シュヴァリエが迫る中で、シノンはマンホールから地下を目指すか、デスガンが垂らすロープを掴んで上に逃れるか。

 シノンはロープを握る。それに合わせてデスガンが一気に引っ張り上げ、また彼女は壁を駆けることで上昇速度を増す。シュヴァリエは即座に壁蹴りをして追いかけるも、かつてシノンを襲った、謎の射撃攻撃によって叩き落される。

 

「あなた、どういうつもり?」

 

 屋根の上に立ってシュヴァリエの包囲から脱したシノンに対し、デスガンは冷めたような態度で背中を向けると傍らにある黒い鞄を指差す。屋根には先程の狙撃に使っただろう、スナイパーキャノンが放置され、今は銃口から煙を上げて熱せされた砲身は月下で冷却を待っていた。

 開けろという事だろう。シノンはバッグを開くと息を呑む。入っていたのは、アルヴヘイムではまず入手困難だろうマシンガンだ。反動が大きく、シノンのSTRでは些か扱いが難しくなるマシンガンであるが、弾丸をばら撒けるならば、それだけで逃走の足しとなる。

 他にも多量の爆薬や煙幕といった、逃走に使えるだろうアイテムが各種揃っている。まさかのデスガンの援助に、シノンがいかなる意図があるのかと勘繰れば、そんな時間さえも惜しいとデスガンは踵を鳴らす。

 

「早く……準備しろ。疑うな。これはマザーの命令だ。レギオンは……貴様を『狩る』つもりだ。お前は俺が倒す。マザーも、俺たちの死闘を……熱望している」

 

「だから私を助けるの? イカれてるわね」

 

「同意見だ。だが……マザーは『面白い』と思ったことを考え無しに優先する。これを使え。オベイロンの……マーキングを誤魔化せる。シュヴァリエは、マーキング情報から追跡と包囲網を敷く。これがあれば……幾らか誤魔化せる。だが、『あの御方』は他のレギオンとは……違う。『遊ばない』。故に……恐ろしい」

 

 シュコーと金属マスクから呼吸音が漏れたデスガンのそれは溜め息か。明らかに貧乏くじを引いたと全身で表現する彼に、シノンは投げ渡された腕輪を装着する。オベイロンがこちらをマーキングして居場所を探知するのは想定内だったが、デスガンの口振りによれば、シノンを賊王と狙いを付けた何者かがシュヴァリエを指揮し、彼女を亡き者にしようと企んでいるようだった。

 早速マシンガンを装備し、屋上に這い上がってきたシュヴァリエを迎え撃つ。多量の弾丸が食らいつき、撃破までは無理でも再度地面へと落とすことに成功する。

 

「信用はしない。だけど、今は生き残ることが最優先なのよ。だったら悪魔とだろうと手を組んでやるわ」

 

「……フン。いけ好かない女だ。俺はレギオンを『殺せない』。貴様が仕留めろ。最大限に援護する」

 

 背中合わせに立ったシノンはマシンガンを乱射し、デスガンもまた装備したショットガンを乱発する。互いを襲う反動を、互いに背中を押し合うことによって堪え、次々と跳びかかるシュヴァリエを迎撃する。

 だが、デスガンは宣言通り、あと1歩で倒せるシュヴァリエに対してトリガーを引かず、舌打ちして下がる。代わりにシノンがマシンガンを至近距離から撃ち込んでトドメを刺す。

 

「随分と扱いが雑な雇用主の所にいるようね。転職したら?」

 

「厄介事は多いが……働き甲斐のある職場だ。嫌いじゃない。殺しには不自由しそうにないからな。いずれお前も殺してやる」

 

 合図を出して閃光爆弾を投げたデスガンに続き、シノンは戦火で焦げる都市を駆ける。今もオベイロンと単身で戦う仮面の剣士に勝利を願い、その礎になるべく生き足掻く。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 次のチャージまで後どれだけある? 巨大レギオンのブレスだけでどれだけの友軍が消し飛んだかも分からない。

 だが、と『名無し』は分析する。ブレスの攻撃そのものは至極単調な軌道だった。桁外れの範囲を除けば回避は出来ないこともない。また、地上を一気に焼き払うには、やはり回廊都市の建造物そのものが盾として機能してくれているお陰で一掃されることもない。地上に展開していた反乱軍・魔族には被害も出ているようだが、距離が近かった1部を除けば、ダメージを受けるだけで済んでいる。1度地面に衝突して拡散している分だけ威力が大幅に落ちているのだろう。

 直撃は即死級。だが、その後の拡散は低ダメージ。最後の頭上からの炎のメテオも派手ではあるが、威力自体はかなり低い。問題は視覚から押し寄せる恐怖だ。

 いっそ潔いまでの直撃による即殺を狙った巨大レギオンに『名無し』は、自分に向けられる殺意の濁流に圧殺されそうになる。

 そして、ついに登場したオベイロン。それは、もはやプレイヤーに勝ち目など無い宣言するような巨大にして空を舞う、まるで自在に動く大理石の巨像のようだ。悪趣味とも思えるほどの絢爛華美な装備を身に纏っている姿は、まるで神話を題材とした陳腐な映画に迷い込んでしまったかのようだ。

 全長80メートルを超す巨神オベイロンは周囲にバリアを張り、あらゆる接敵を許さず、いかなる攻撃も通さない。いかに≪二刀流≫とはいえ、このバリアは簡単には打ち砕けないだろう。また、展開する魔法陣によって正面には強力なレーザー、拡散レーザー、そして連射が利く炎のメテオが放てる。それだけではなく、一挙一動が大質量の攻撃であり、また右手の剣の一閃は受け流す以前にこの身を軽々とミンチに変えるだろう。

 巨大レギオンのブレスによって逸れたリーファは参戦していない。安否不明であるが、自分の妹があのような攻撃で消し飛ぶはずがないと『名無し』は信じる。そうしなければ、家族を失った恐怖によって心が圧殺されそうになる。

 

『ハハハハハハハ! どうしたんだい!? この程度なのかい? アイザックが危険視する程の相手、聖剣の所有者と聞いていたが、弱過ぎるなぁ! いや、僕が強過ぎるのかな。これはランスロットも同時投入なんて不要だったね。キミを買いかぶり過ぎたようだ!』

 

 巨神オベイロンは石のような外観に反して生物のように柔軟に動くが、その顔だけは一切表情を作らない能面のようだ。それが一層に不気味であり、なおかつこの巨神はオベイロンの見栄そのものなのだと看破する。

 だが、オベイロンの虚栄心……それは今まさに反則の極みに達して血肉を得て大質量と圧倒的な破壊力を獲得した。ここまで来れば才能と呼ぶべきだろう。

 

「随分とペラペラと喋るんだな。底が知れるぞ、オベイロン!」

 

 飛行時間も残り少ない。だが、焦りによって冷静さを損なうことなく、『名無し』は挑発を混ぜる。それに反応するようにオベイロンはシールドバッシュを放つ。その巨体ともなれば、まさに面による制圧打撃であり、躱しきれずに『名無し』は剣を交差してガードする。

 メイデンハーツから破片が飛び散る。破損によって黒騎士モードが解除されて軽くなる。もはや折れるのは時間の問題だ。『名無し』は迫る黄金の剣の連撃を躱し、月蝕光波でバリアを破ろうとするが、亀裂こそ生まれるも、透明なガラスの如きバリアは健在だ。

 

『どうやら聖剣を使いこなせていないようだね。それも当然か。その剣は王の中の王にこそ相応しい! この僕の手にあってこそ、聖剣は価値がある。さぁ、僕の軍門に下れ。そうすれば悪いようにはしない。この妖精王……いや、妖精神オベイロンが作る新世界を見せてやる! 仮想世界と現実世界、双方が1つの玉座の下で支配される世界を!』

 

「悪党としても三流だな! 見直したぞ! そんな小恥ずかしいセリフを臆面もなく吐けるなんて……な!」

 

 月蝕突きでバリアの亀裂を更に広げる。煩わしいとばかりに巨神オベイロンの翅が羽ばたけば、虹色の風が刃となって襲い掛かる。翅で空を飛んで躱し続けるも、オベイロンの黄金の剣が太陽の如く輝いたかと思えば、まるでソウルの剣のように巨大な黄金の光の刃が一閃となって放たれる。

 攻撃範囲が数百メートルにも長大化した斬撃。横の一閃からそのまま『名無し』を狙った振り下ろし続く。だが、攻撃は単調で読みやすい。しかし、あまりにも範囲が広過ぎた。

 

「おぉおおおおおおおおおおおお!」

 

 躱しきれず、聖剣とメイデンハーツでエネルギーの刃を弾こうとするが、逆に自分が吹き飛ばされる。姿勢制御しきれず、塔に激突して止まった『名無し』は黄色に変色した自分のHPバーを見て舌打ちする。

 回復アイテムは無い。≪集気法≫によるオートヒーリングで回復を促進しているが、それでも間に合わない。また、オベイロンのバリアはあと何回攻撃すれば破れるのかすらも定かではない。

 加えて巨大レギオンが控え、なおかつこの都市の何処かにランスロットもいるのだ。端的に言って苦境どころか負けても言い訳が十分に立つほどに圧倒的戦力差である。

 

(ユージーンの≪剛覇剣≫なら……いや、駄目だ! バリアから本体まで遠すぎる! バリアを無効化できても、剣が届かなければ意味がない!)

 

 だが、『名無し』は折れそうになる心を奮い立たせる。勝利の道を描こうと勝ち目を探す。

 今ここで反乱軍は等しくオベイロンを倒す為に戦っている。『名無し』は彼らの息吹を感じる。恐怖に負けまいと戦い続ける意思を……希望を求める闘争を背負う。

 負けられない。負けるわけにはいかない。自分がオベイロンに挑み続けねばならない。真なる敗北とは、圧倒的な力に圧し潰されるよりも前に心がもたらすものならば、『名無し』は皆の意思を集めて剣を握る。

 俺は負けない。だから皆も負けないでくれ。『名無し』はオベイロンとの絶望的な戦力差に今にも俯きそうになる心を叱咤する。

 確かにオベイロンは強い。だが、それは『能力』が強いだけだ。『性能』が良いだけだ。個としての強さ……本人に根差す戦闘能力で言えば、ランスロットよりも、スローネよりもわざわざ比べるまでもなく格下である。

 だが、だからといってオベイロンとの差が縮まるわけではない。オベイロンは『性能』だけで『名無し』を……いや、反乱軍を押し潰そうとしているのだから。

 聖剣が高音を鳴らして嘲う。啖呵を切った傍からこれかと嗤っている。『名無し』の恐怖心を見抜いているのだ。

 

「当たり前だ。怖くて、恐ろしくて堪らない。生きたい。死にたくない」

 

 そして、同じくらいに昂る魂を指摘してくれている。

 認めよう。『名無し』は戦士として、闘争の中に昂りがあることを認める。スローネとの死闘の中で、自分の中に戦士としての充実感があったことを是とする。そして、同じくらいに敵を殺す事への、自分を死の境地に追いやる事への、大切な人々を失うかもしれない事への恐怖があった。

 メイデンハーツが大きな火花を散らす。もう限界だと叫んでいる。もはや≪二刀流≫の負荷に耐えられないだろう。そうなれば『名無し』は戦力として大きくダウンする。

 そうだとしても、今ここで退くわけにはいかない。無様に逃げ出すなど以ての外だ。

 

「だからこそ、捨てたくないんだ。怖くて怯える惨めな自分を捨てたくない。俺は臆病者で良い。恐ろしくて堪らないからこそ、前を向ける気がするんだ」

 

 呪われた『英雄』の称号は、多くの人々の希望となることだ。だが、それは希望の全てを叶える万能なる剣になる事ではない。恐怖を知り、打ちのめされ、だからこそ切り開こうと剣を掲げる事だ。

 もはや聖剣と問答する余裕はない。『名無し』は再度オベイロンに突撃しようとする。

 

 

 

 そして、聖剣に青にして碧の月明かりが浸された。

 

 

 

 今この時は月蝕が失せ、『名無し』の意思を汲み取ったように、月蝕の聖剣は元来の月光の聖剣へと戻る。

 唖然とする『名無し』に月光の聖剣が共鳴するような高音を奏でる。冷たくも優しい導きの月明かりが『名無し』を包み込む。

 

 

 

 

 

 

 ならば証明してみせろ。このアンフェアを少しだけ埋めてやる。

 

 

 

 

 

 

 月光の粒子の中で『名無し』のシステムウインドウが自動で開き、具現化されたのはアイテムストレージで眠っていた竜の神が残した『力』……ドラゴンクラウン。

 聖剣の脈動と共に『名無し』に流れ込んだのは、竜の神の『記録』。

 古竜を率いる者。竜の王にして神。

 だが、グウィン率いる神族との戦いの果て、鱗のない白竜シースの裏切りによって敗れる。

 朽ちて骨となった後も弄ばれ、結晶の血肉を得て復活して世界を暴れ回るも、シャルルと名乗る『英雄』によって討伐される。

 そして3度目。『名無し』達との戦い。激戦の中で憎悪と憤怒を剥き出し、竜王にして神の名を有する怪物として戦うも、それでもなお敗れ去る。

 竜の神の戦歴。それは常に激戦であり、その最期は常に苛烈にして凄惨。

 月光の奔流の中で見つけたのは、ドラゴンクラウンを構成する要素……竜の神のソウル。それが聖剣に流れ込んで1つとなる。

 全身を温かな炎が包み込んだ。それは見覚えのある竜の神の炎。

 名無しは眩い炎光の中で目が眩み、次の瞬間には回廊都市を広い視野で眺めていた。炎の繭に包まれた中で立っていながら、『名無し』の視界が映すのは巨大な存在から眺める世界。

 伝説は蘇る。炎を血肉として、竜殻と竜鱗を纏う。

 巨大な体躯は人間の骨格に近しく、特に腕は限りなく人間に近しい。だが、頭部は紛うことなき竜であり、牙が並ぶ顎の内に隠されたもう1つの顎が開けば、大気に轟雷の如き咆哮が染み渡る。

 2対の竜翼が大きく広がって羽ばたく時、世界から重力が薄れたかのように、大地が大きく盛り上がり、回廊都市中の建物は地面ごと引き抜かれて宙を浮遊し、多くの空島が誕生する。

 加速。翼が生み出す突風と共に竜神となった『名無し』の拳は炎を纏い、反応しきれなかった巨神オベイロンへと襲い掛かる。拳はバリアによって阻まれるも、その巨体に相応しい破壊力によって亀裂を大きく拡大させる。

 そのまま体を回転させて尾を振るい、更にバリアを疲弊させれば、『名無し』が握り続ける聖剣とメイデンハーツに呼応するように、竜神の両手に炎が集まって凝縮されると煌々と輝く刃となる。

 

「スターバスト……ストリーム!」

 

 オベイロンの攻撃を受けながら、だがソードスキルの光を更に帯びた炎剣による連続攻撃がバリアを破る。吹き飛ばされた巨神オベイロンは飛行しきれず、空島の1つに着地する。

 かつて竜の神と戦った時と同じフィールド効果。ジャンプ力が強化され、なおかつ落下ダメージが大幅に軽減されている。大地ごと抉り取られて無数と浮かぶ建物、数多の残骸は防壁となり、オベイロンの射撃攻撃は阻まれる。その間に急加速で接近した『名無し』は炎剣を振るい、巨神オベイロンに盾のガードを強いる。

 

『貴様ぁああああああああああ! 卑怯者が! このオベイロンに! アルヴヘイムの王に! このような……このような非礼が許されると思っているのか!? 聖剣の加護でそのような力を得るなど、恥知らずが!』

 

「王様なら王様らしく正々堂々と戦うべきだったな! それに知らないのか?」

 

 盾のガードを崩すのは『名無し』の十八番だ。竜神の体を我が身のように操り、『名無し』は炎剣で盾を弾きあげると巨神オベイロンの大理石のような真っ白な肌を隠す黄金の鎧へと刃を振るう。

 灼熱が収束したような炎剣が火花を散らし、巨神オベイロンはよろめく。だが、次の攻撃を躱すべく翅を翻して空を舞えば、炎のメテオの連弾を放つ。

 だが、炎の加護がメテオを受け止める。それはバリアのようなものであり、『名無し』は微かな衝撃だけを竜神の内側で感じ取る。

 

「卑怯は……傭兵にとって褒め言葉だ!」

 

 炎剣に月光が宿り、光波が穿たれる。巨神オベイロンは躱そうとするが間に合わず、光波の刃と爆発に巻き込まれる。

 だが、巨神オベイロンは健在。HPは削られているが、9本の内の1本目が3割ほど損なっただけだ。

 

『フハ、フハハハハハ! 驚いたが、大したことじゃない。依然として……いや、圧倒的に、この巨神の方が上!』

 

 その通りだ。イレギュラーによって混乱していたオベイロンであるが、巨神の方が性能全般は圧倒的に上なのだ。互角とは言い難い。

 だが、同じ土俵に立てたならば、巨体と巨体、そのタフネスを削れるだけの攻撃力と耐えられる防御力を手にしたならば、後は『名無し』の実力で性能差を覆せば良い。

 

「こんなの……プレイヤーの域を超えてるな」

 

 酷い頭痛がする。脳が焼き爛れるのではないかと思うほどに熱い。それは『人の持つ意思の力』を極限まで稼働させ、聖剣と連動させ、この竜の神という巨大アバターを維持しているからだろう。

 開き直れ。そう囁くように聖剣は煌く。卑怯だ。反則だ。チートだ。幾らでも罵れば良い。だが、そもそもとして、このアルヴヘイムはオベイロンが好き勝手に改変したものだ。

 目には目を。歯には歯を。巨大には巨大を。

 オベイロンが反則の限りを尽くさなければ、このような常軌を逸した戦いなどあり得なかったのだ。

 

「これは貴様が招いた破滅だ。オベイロン、覚悟しろ。俺は……貴様を倒す!」

 

 そして、竜を模した神を纏う剣士と巨神を操る虚栄の王の戦いが始まった。

 

 

▼   ▼   ▼

 

 

「フン、オベイロンのやりそうな品の無い力だ。だが、あの愚王には相応しい」

 

 人体と竜体が一体化したような巨竜となった仮面の剣士。まさしく神の戦いと言うべき光景を退屈そうにランスロットは眺める。

 突如として重力が弱まったかのように跳躍が増したかと思えば、大地は抉られて浮かび上がり、無数の空島が生まれた。まさしく戦場は混沌の極みと化したが、それが逆に元より統制をほとんど失っていた反乱軍には利となっている。これを契機として再度の結集が進められ、なおかつ今も地に根を張る巨獣を倒すべく動き始めている。

 あの小僧、武は足りずとも指揮はなかなかのようだ。ランスロットは仕留め損なった【来訪者】の器を褒め讃える。

 対してオベイロンはどうだろうか? なんと王の品格がないことか。肥大化した力を振り回しているが、そこに権威などなく、王気と呼ぶべきオーラは無い。過ぎた力で他を圧倒しようとするばかりで、己で培った武と呼べるものがまるで存在しない。

 

(あの二刀流、凄まじい。腕を上げたようだな。あの時とは比べ物にもならん。何よりも剣に矜持と魂が宿っている。自らの道を見つけたか)

 

 あの時は錆付き、腐れ、もはや唾棄すべきだった二刀流の剣技。だが、今は生の脈動を得るだけではなく、強敵との戦いと精神の成長を経たと一目で分かるほどだ。惜しむべきは、あの巨竜の姿ではどうしても攻撃が大雑把になってしまい、元来の流麗にして苛烈なる二刀流剣技を拝見できないことだろう。

 今の二刀流の相手ともなれば、無傷とはいかないだろう。深淵纏いを使い、真なる敵として対峙するに足る。

 だが、戦いとは常に対等ではない。今のランスロットはオベイロンに与している。此度の参戦の報酬、それがランスロットを動かしている。

 深淵の駆逐。ゲヘナより滴った闇はアルヴヘイムに根を張り、今まさに呪いとなって全土を蝕んでいる。オベイロンは今の自分ならば取り除けると豪語した。信じるには足らないが、ゲヘナの安息の眠りを守り続けると誓ったランスロットは、参戦する価値はあるだろうと踏んだ。

 そして、今まさに彼はこの選択は正しかったと歓喜する。

 

「始祖以来誰も見えることは無かった真なる月明かり。月光の聖剣」

 

 深淵狩りにとって聖剣とは誉れだ。始祖アルトリウスより続く聖剣の伝説は、深淵狩りにとって数少ない戦いの中で見る夢なのだ。

 そして、今まさに二刀流の手に月光の聖剣はある。それも深淵狩りではない、道を歩き始めたばかりだろう若人が有している。

 あの聖剣は真なる主として二刀流を認めていないとランスロットは見抜く。ならば、あの聖剣は彼が見出したのではなく、数奇な運命を経て所有したものだろう。

 深淵狩りではなくなった裏切りの騎士であるランスロットは聖剣に未練など無い。海にでも捨てよう。裏切ったとはいえ、愛すべき同胞たちが夢見た月光の聖剣は、秘して隠されるべきであり、伝説の中で眠り続けるべきなのだ。資格者でもない者が握り続けて良いものではない。ましてや、オベイロン如きが触れて良いものではないのだ。

 

「小癪だが、オベイロンの助力をするとしよう。あの愚王が聖剣を穢すなど、深淵狩りの誇りに泥を塗るのと同じ。たとえ裏切者であろうとも、この俺が許さん」

 

 オベイロンと挟撃をかければ、あの竜神を討ち取るなど容易い。いや、巨神オベイロンも竜神もランスロットは脅威と認識しても自分を殺し得るとは微塵も感じない。

 一刻も早く聖剣を二刀流から奪い取る。ランスロットがそう動こうとした時、彼の足下から実体化した影が刃となって迫る。

 

「黒獣!」

 

 加えて、影より黒獣の頭部が飛び出したかと思えば咆えて青い雷撃を放つ。だが、ランスロットは深淵渡りを使うまでも無いと雷撃を躱し、あらゆる方位から迫る影の刃を大剣で受け流し、逆に影の主を一閃する。

 

「うぎ……!」

 

 それは美少女と呼ぶ他ない、虹色の髪をした乙女。だが、その身に纏う白のワンピースは真っ赤に染まり、息は絶え絶えになっていた。

 

「何度でも……申し上げます、ランスロット様。どうかお退き……ください。私は戦いを望みません。互いに傷つき、奪い合い、殺し合うなど……悲し過ぎます。このような不毛な戦いに利も義も存在しません。たとえ裏切りの汚名を背負おうとも、高名なる騎士であった貴方様ならお分かりのはずです」

 

 指揮を担う小僧を逃した影を操る乙女。それは実体化する影を操り、取り込んだのか、黒獣やアメンドーズの力を駆使してランスロットを攻撃する。優しい言葉遣いと退却の呼びかけとは裏腹に、その攻撃全てに無粋とも思える程の……凶悪なまでの殺意が宿っている。

 だが、何かがおかしい。乙女そのものの殺意は鈍く、だが独立したように影は途方もない飢餓感を備えてランスロットを殺さんとしている。まるで暴れ回る野犬の手綱を握れていないいかのようだ。

 

「そうだな。たとえ裏切りの誹りを受け入れた……親愛なる友を裏切った恥知らずの身だとしても、オベイロンの腐った我欲で汚された戦場に立つなど身の毛もよだつ。だが、だからこそ聖剣をあの愚王の手に穢させるわけにはいかん。あの二刀流も優れた戦士ではあるが、聖剣の資格者ではない。ならばこそ、聖剣の誉れを得たまま死なせてやるのは、せめてもの戦士としての餞というものだ」

 

 ランスロットは乙女の言葉を咀嚼し、彼女が心の底から戦いを望まず、またランスロットの誇りがこのような戦いで損なわれるべきではないと危惧して叫んでいる。それは一切の不純物が無い慈悲の心だ。

 だが、だからといって戦場において倒さない道理にはならない。ランスロットはオベイロンの戦士として戦場に参じ、彼の指示のままに卑怯に与した。オベイロンが渡した、反乱軍全員の居場所をリアルタイムで捕捉する地図。なおかつ、反乱軍側は決してランスロットをオベイロンの戦力として補足できないというトリックもあった。

 数多の戦場を潜り抜けた彼の目は、戦力分布図から正確に敵の司令官の場所を見抜き、最小の労力で敵の陣形を破壊、突破、蹂躙して指揮官を殺害していった。彼を相手にして3秒以上持ち堪えられたのは、赤毛の少女とこの乙女くらいである。だが、赤毛の少女もまた本気を出すに足らず、乙女も力不足だった。

 

「それに……俺自身が汚れ役を担おうと、愚王の片棒を担ごうと、この身に誇りなどもはやない。騎士としての、戦士としての、深淵狩りとしての、そして……闇のソウルを継ぐ人間としての誇りも何もかも、我が全ては忠義に捧げた。故に我が剣に迷いなど無い」

 

「そんなの悲し過ぎます。哀れではありませんか。貴方は……報われるべき御方。忠義に見合う救いを得るべきです!」

 

 叫びと共に影が刃となって殺到するも、ランスロットからすれば児戯同然。いずれも臆するに足らず、片手で大剣を操って踏み込んでいく。

 

「哀れみなど不要。元より救いなど欲していない。俺の忠義に終わりはない!」

 

「いいえ! たとえ、貴方が救いを求めずとも、貴方は救われるべき存在なのです! どうか退いてください! 私は……貴方と……貴方と……!」

 

 くどい! ランスロットは影の刃を突破し、乙女の首を落とすべく刃を這わせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、頭上より降り注いだ青雷がランスロットの剣を阻む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬時の判断で攻撃から回避に切り替える。ランスロットは無傷で青き雷……雷弾の雨を躱す。だが、彼は安心することなく気配を探り、長年の戦いで培った直感とも呼ぶべき察知で背後を振り返る。

 迫るのは、野生の獣以上に気配を殺しきった、だが、どうすれば感じることが出来なかったのかと思うほどの……影の乙女とも、赤毛の娘とも比較にならない程に、狂気に満ちた、宿しているだけで正気を逸する程の飢餓で溢れた殺意。

 刃を交わす。激しく火花が散り、その中でランスロットは深淵渡りで襲撃者の背後に回る。だが、これを『先読み』していたかのように躱されるだけではなく、襲撃者は背後に対して黒の異質の剣を振るう。これもまたランスロットは紙一重で躱し、そのまま連続の深淵渡りで襲撃者の全方位から出現して斬りかかっていくも、これもまた避けられ続ける。

 一際大きな火花が弾けて互いに跳び退き、視線を交わすこともなく間合いを詰める。だが、互いの間合いに入る直前で深淵渡りで背後、そこから右、頭上、再び正面に戻る攪乱を経て襲撃者に横薙ぎを放つ。

 だが、襲撃者はこの全てを見切ったかのように翻弄されることもなく、いや、全てに対して先読みで反応した上で、ランスロットが攪乱を切り上げないように『誘導』させて、大きく踏み込んでいた。

 ランスロットの横薙ぎを躱しながら、体を大きく傾かせながらの人外の体幹を示す一閃。それはランスロットの腹部を完全に捉えて大きく穿つ。

 なるほど。やはり強い。傷を負った事への焦りも怒りもなく、ランスロットは素直に襲撃者の実力を認める。その上で改めて対峙する。

 

「……貴様」

 

 その身に纏うのは灰色の装束であるが、以前とは違い、裾も襟も解れてボロボロであり、正気を疑うほどの激戦を経た事を教える。

 右手に有する黒き異質の剣は亀裂ばかりが目立ち、打撃を主軸にしただろう潰された刃も大きく欠けてしまっている。

 雷撃を放っただろう左手で有する異形の武器は空気を断つように振るわれる。それに呼応するように夜風が吹き、1本の三つ編みに結われた白髪が靡く。

 

 

 

 

「こんばんは、ランスロット」

 

 

 

 

 その容貌は女神と譬えることさえも不足と想える程に美麗にして可憐にして妖艶にして清廉。左目の義眼では青の瞳が鎮座し、右目の瞳はソウルの全てを食い荒らされそうなほどに魅入られる赤が滲んだ不可思議な黒。その微笑みは穏やかでありながら、今にも爆発しそうな狂える凶暴性が潜んでいる。

 白の深淵狩り。廃坑都市以来となる、ランスロットが戦うべき相手。互いに再戦を約束し、殺し合うと宿命づけた。

 だが、その姿はおよそ軽く表現しても満身創痍。足運びと腕の動きに違和感を覚える。武装も観察せずとも分かるほどに疲弊しているならば、本人の疲労と消耗はもはや意識を保っているのもおかしい程だろうと見抜く。

 その上で、ランスロットは正確に分析する。

 強い。成長という表現すら生温い。格段に……いや、次元が違う程に強くなっている。それは先の剣戟、そして容易くランスロットに攻撃を当てて見せたことからも明らかだった。

 

「今宵は良い月夜とは言い難いですね。ですが、アナタを狩るには趣もあるかと」

 

「確かに。アルヴヘイム最後の深淵狩り……貴様が死ぬには相応しい夜だ」

 

 たとえ、疲労困憊であろうとも情けをかけるべきではなく、また油断できる相手でもないことは重々承知。故にランスロットは深淵纏いを発動させ、その身に深淵の加護を帯びる。

 

<ランスロットォオオオオオ! 何をやっている! さっさと加勢しろ!>

 

 だが、水を差すようにランスロットの脇で黒い画面が表示されたかと思えば、王の威厳などないオベイロンの醜悪な罵りが放たれた。白の深淵狩りは顔を顰め、ランスロットはしばし待てと嘆息する。

 

「悪いが、妖精王よ。貴様への加勢はしばらく無理だ。仮にも王を名乗る者。グウィン王に及ばずとも、王位の末席を穢さぬように戦うが良い」

 

<なんだと!? 雑魚が調子に乗るなよ! 聖剣を手に入れたら、まずは貴様を――>

 

 そんな腹積もりだったとは、王器ではないにしても、想定以上に浅い器の男だったか。ランスロットは画面を斬り払えば、同情するように白の深淵狩りが苦笑した。

 仕切り直しだ。だが、互いに踏み込まないのはこの場に不要な娘がいるからだ。血だらけのまま、影を収めて1歩ずつ退く乙女は涙で両目を湛えていた。

 

「私は……貴方と王を……戦わせたくなかった」

 

 それは乙女の願い。彼女は最後まで、この戦いの始まりを望んでいなかったのだろう。

 ランスロットにも、白の深淵狩りにも、殺し合ってなど欲しくなかったのだろう。

 

「娘よ、その慈悲……裏切者とはいえ、騎士として受け取っておこう。失せろ。戦いの邪魔だ」

 

 我が忠義にかけて、深淵狩りを討つ。ゲヘナの眠りを守るために。ランスロットは最大の敵として白の深淵狩りを認め、己の全身全霊をかけて戦うべく気を昂らせた。

 

 

▼    ▼    ▼

 

 

 これしかなかった。最も被害を抑えてランスロットを足止めするには、これ以外の方法などなかった。

 レギオンの王をぶつける。ランスロットが唯一『敵』と認識した【来訪者】。彼を除いて裏切りの騎士と対峙できる者はいない。

 だが、それはマザーレギオンの命令に反する。母の目的の1つはレギオンの王をこの戦場から離脱させる事だった。そして、グングニルに与えられた任務はランスロットの説得だった。

 しかし、グングニルにはランスロットが戦場を放り捨てることも、レギオン陣営に協力する事も容易ではないと判断した。そして、何よりもこの戦いを憂いた。

 

 

 

 だから、彼女は『妹』を解き放った。

 

 

 

 謹慎させられていた、生まれて間もない、王より『敬愛』を継いだ妹。自分と同じ異端であり、次代の王を産むべく設計された特別なレギオン。

 彼女ならば、反乱軍が『人』である限り、必ず協力するだろう。応援するだろう。己の宿す『敬愛』のままに。

 そして、その混乱に乗じれば、レギオンによる反乱軍の被害は抑えられる。人間に……希望が繋げられる。

 レヴァーティンは母の意向を超えて、本気で反乱軍を潰そうとするだろう。だが、彼らを勝ち目のない戦いにおいやるなどグングニルには出来なかった。たとえ、反乱軍が一方的に敗れることによってオベイロン側の被害は抑えられるとしても、妖精王は聖剣を簒奪した後に反乱軍を悉く抹殺するだろう。

 オベイロンに勝たせてはならない。レギオンにとってこの決戦の勝敗など関係ないならば、反乱軍に勝たせねばならない。そうしなければ、多くの悲劇が生まれる。涙が流される。

 

 

 だから、レギオンの王を戦わせる選択をした。

 

 

 勝ち目を繋げるには、ランスロットを止めねばならない。野放しにすれば、それだけで反乱軍は敗北する。オベイロンもレギオン・タイラントも関係ない。彼ならば、早期決着を狙って賊王を軽々と討ち取るだろう。オベイロンの思惑も超える戦果を出すだろう。そして、聖剣の所有者として仮面の剣士を認めないだろう。

 そして、何よりもグングニルは信じていた。レギオンの王は自分たちの望み通りに動くはずがない。必ず裏を掻いてくるはずだ。そして、想像通り、『マーキングされていない』状態で……オベイロンの罠とレギオンの目を潜り抜けて回廊都市に潜入していた。

 そして、最も重要なのは、ランスロットが動き出して被害を最小限に止めた状態で交戦させる事。その方法は1つ。レギオンの王だからこそ探知できるほどの、レギオンを狩る根本的な理由……王より継いだ殺意を解放して場所を伝える事。

 母上の命令を遵守したまま、だが、レギオンの王をランスロットと戦わせる。それはレギオンとしての裏切りだろうか。グングニルには分からない。だが、多くの死を呼び込まない為には、これしか方法が思いつかなかった。

 そして、その代償を払う準備はある。グングニルはランスロットの言葉に従わず、膝を折る。

 

「我らの王よ。私は受け継いだ『慈悲』がありながら、醜く図り、陛下を戦いへと招きました。私を……どうか……」

 

 この影はレギオンプログラムの凶暴性そのもの。分離された殺戮本能。グングニルの制御を離れ、飢餓が限界に達すれば見境なく周囲を貪り喰らう。それはグングニルにとって苦痛以外の何物でもない。

 そして、レギオンは自害できない。ならば、母を、家族を、王を謀った罪のままに死を望む。せめて、『慈悲』のままに動くことが出来た喜びのままに。

 

「オマエ……レギオンか? 参ったな。この展開は考えていなかった」

 

 だが、レギオンの王はいつまで経ってもグングニルに凶刃を向けない。それどころか、王は優しく……本当に優しく穏やかに、だが、何処か寂しそうに微笑んだ。

 

 

『グンちゃんの微笑みは我らの王にそっくりよ。とても優しくて、穏やかで……悲しく寂しそうな微笑み』

 

 

 母上、私も……あんな風に微笑んでいるのでしょうか。

 グングニルは涙を流し、レギオンの王の意図を察する。そして、彼女は両手を地面につくと深々と頭を下げた。

 

「レギオンは殺す。1匹残らず殺す。だが、オマエは既に1つの『命』だ。オマエはレギオンだとしても、オレとは違う。それは……『オマエ』の意思だ。オマエが自らに見出したものだ」

 

「そんなことありません! これは陛下から――」

 

「オマエに構っている余裕はない。次は殺す。レギオンは殺す。そして、オマエがレギオンである事に耐え切れず、死にたい時は……オレが殺してやる」

 

 認めてもらえた。この身を1つの『命』として。この心を認めてもらえた。

 どんなレギオンも得られなかった、至上の名誉。

 グングニルは立ち上がり、2人の死闘を邪魔しないように……レギオンである限り王の戦いに横入りできないが故に距離を取る。

 

 

 

 

「失せろ、優しきレギオン。オマエにいつか……祈りも呪いも無い安らかな眠りがあらんことを」 

 

 

 

 

 影に溶けて消えたグングニルは顔を覆って嗚咽を漏らす。

 これしか方法を思いつかなかった。

 たとえ、母の期待に背き、レギオンの悲願である頂くべき王を失うことになるとしても、これ以外にランスロットを確実に止める方法は思いつかなかった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「グンちゃんは悪くないよ。だって、我らの王の『慈悲』を継がせたのは私。お母さんの責任だもん。グンちゃんはレギオンを裏切ってなんかない。レギオンとして最も正しい選択をした。王より継いだ因子に恥じることなく、グンちゃん自身の『慈悲』と一緒に……願いを叶えたんだよ? お母さんは誇りに思うよ」

 

 世界樹ユグドラシルの頂点。回廊都市を俯瞰できる、アルヴヘイムで最も高き場所。そこに腰かけたマザーレギオンは、嘘偽りなく自分のした行いを報告するグングニルに、何も責めを負わせることはないと首を横に振る。

 こうなるだろうとは、決して避けられないだろうと感じていた。だからこそ、レギオンという種族の母として、次代の王を据えるサブプランとして末娘を作った。

 

「まさか、転移を使わずに陸路で山越えしてくるなんて」

 

 発想はあっても実行するはずがない、の典型だ。転移でマーキングされるならば、転移を使わずに回廊都市に殴り込めば良い。そうすれば反乱軍としてではなく、ランスロットと同様に、1人の『乱入者』となる。

 だが、マーキングされるリスクと陸路を休みなく移動するデメリット、どちらに天秤が傾くのか、常人ならば……正気の内の者ならば……賢い者ならば、言うまでもない。だが、レギオンの王は『馬鹿』なのだ。どんなレギオンよりも『馬鹿』なのだ。

 ただ1つの策。オベイロンに察知されることもなく、ランスロットと交戦状態に持ち込む為の策。奇襲の一撃を入れる為の策。

 

 

 そして、最愛の友の……『英雄』の戦いを邪魔しない為の策。

 

 

 ただその為だけに、休みなくアルヴヘイムで走り続けたのだろう。これを愚かと呼ばすして何を愚かと呼ぶのか?

 狂っている。壊れている。歪んでいる。それでもなお、これこそがレギオンの王なのだろう。

 

「我らの王。レギオンの王。貴方では……ランスロットに勝てない」

 

 満身創痍。疲労困憊。武装は消耗し、心身共に疲弊の極み。だが、それらを除いても、万全の状態でも、ランスロットには勝てない。

 勝機があるとするならば、援軍の他にない。レギオンは王の戦いを邪魔できない以上、助太刀は出来ない。ならば、王に助力できるのは【来訪者】のみ。

 

「戦い続ける。殺し続ける。最後の瞬間まで。うん、わかってるよ。たとえ、壊れて狂った残骸でも、あなたの鏡写しだから。あなたの『痛み』を知っているから。だから、私はレギオンを……必ず……!」

 

 人間共よ。お前達が祈ったのでしょう? 呪ったのでしょう? 願ったのでしょう?

 神であれ。バケモノであれ。そう望んだのでしょう?

 だから私はそうであらんと決めた。

 

「Halleluiah♪ Halleluiah♪ Halleluiah、Halleluiah、Halleluiah♪」

 

 讃えよ。

 主を讃えよ。

 我らの王を讃えよ。

 

 マザーレギオンが口ずさむ讃美歌は、誰かに届くこともなく、夜に浸み込んでいった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 静寂が淀んでいる。ユウキはヨツンヘイムの深部に向かえば向かうほどに、全身から染み込んでくる深淵の気配に不快感を募らせる。

 既にアルヴヘイムと【来訪者】の命運を握る決戦は始まっているだろう。早々に勝負がついたとは思いたくないが、自然と歩みの速度に焦りが滲むのは仕方がない。

 シリカも口数少なく、クラインは沈黙を保ち、PoHは露骨な舌打ちを鳴らし、女騎士は甲冑を響かせ、マルチネスは汗を滲ませる。

 

「もうすぐみたいですね」

 

 地図を広げるシリカの指摘通り、ヨツンヘイムの最深部に間もなく到着するのだろう。深淵の泥で蝕まれ、また水滴が落ちれば増殖するように闇が泡立つ。そこは神殿というよりも霊廟と呼ぶに相応しい遺跡であり、死を司るニトの石像が各所に安置されていた。

 棺は守り人のものだろう。今は中身が空であり、襲い掛かってきた骸骨騎士たちはいずれも討伐された。

 だが、微塵として達成感が無いのは、ヨツンヘイムの最深部から溢れ出すプレッシャーとも呼ぶべき淀み。

 深淵。それは何なのか、まだ分かっていない。DBOの歴史において、幾度となく登場し、多くの国が亡びる要因となった。深淵は深淵狩りによって討たれるが故に、歴史の表舞台に出る頃にはもはや末期にも近しい惨劇が起きるばかりなのだ。

 しかし、プレイヤーにとっては深淵とは1つのフレーバー要素にしかならず、また攻略を成す為の情報に過ぎない。だが、こうして闇に触れれば触れる程に、ユウキは深淵とは決してプレイヤーにとって無視すべき存在ではないと認識する。

 もうすでに午前3時を回っている。予定よりも大幅に遅れており、既に決戦は最終局面に突入しているかもしれないのだ。

 急がねばならない。早足から駆け足となるユウキは、ようやくたどり着いた仰々しい石扉を見上げる。

 まるで封印するように複数の閂が取り付けられ、そのいずれも深淵で腐って溶けてしまっている。触れれば簡単に開きそうな雰囲気がするのは、犠牲者を心待ちにしている怪物の大口のようだった。

 

「開けるぜ」

 

 クラインの一声と共に扉に触れれば、石扉は崩れ落ちる。そして、吸っただけで内側から深淵の泥が溢れてきそうな濁った空気がユウキの全身を舐めた。

 扉の先にあったのは、ボス戦に相応しい開けた空間。足下には深淵の泥水が張っているが、せいぜい足首までの深さであり、そこまでDEXに影響は及ぼさないだろう。地面は砂利であり、整備されている様子はなく、頭上では鍾乳洞のように鋭く尖った岩が並んでいた。

 そして、最奥にあるのは巨大な棺。大きさは12メートルを超すだろう、金で縁取られた黒い棺である。

 だが、何かがおかしい。棺の前には巨大な何かが膝を折っている。それは全身に黒衣を纏った巨人のような骸骨だ。灰色の髪の毛が頭蓋骨より無造作に伸び、肉も皮膚も無いが老人の印象を持つ。

 その頭上に頂くのは<死の賢者マーリン>というネームドの証。だが、HPバーは表示されておらず、その全身にはアメーバのように深淵の泥が絡みついていた。

 

「あ、あの……そろそろ演出とか始まってもおかしくない距離なんですが」

 

 シリカの指摘通り、ユウキ達は慎重にマーリンと距離を詰めていたが、接敵しても動く気配はない。

 この手の場合、何かしらのアイテムを入手したら動くというのがお決まりであるが、深淵の契約を断ち切ることこそが目的であるならば、このまま無抵抗のマーリンを攻撃し続ければ良いだけだ。

 だが、こんなにも簡単に事が進んで良いのだろうか? PoHも同様の不安を抱いたらしく、またクラインも警戒して足を止める。ユウキは剣を抜いたまま意識を研ぎ澄ます。

 シリカが所有する頭蓋ランタンを除けば光が奪われていた闇の空間。そこに突如として幾つもの紫色の炎が浮かび上がる。それは照明のように四方八方からボス戦フィールドを照らし出し、戦う上で不満がない程度には視界が明瞭となる。

 

 

 

「やぁ、待ってたよ」

 

 

 

 そして、マーリンの眼前に1人の男の子が立っていた。

 キャスケットを被り、ジャケットと短パン姿の、まるで富裕層の出身のような子どもの姿。それはこの場で最も不釣り合いであり、故に不気味にユウキ達から声を奪い取る。

 その様子に満足したように、男の子は指を立てて首を傾げた。

 

「初めまして。あるいは、いつもお世話になっています。狂いに狂った喜劇のアルヴヘイムは楽しんでいただけたでしょうか?」

 

 笑顔で問いかける少年に、ユウキ達は自然とフォーメーションを組む。この口振り、少なくともマーリンの戦闘開始の演出ではない。アルヴヘイムの異常を認知できる存在……オベイロンの配下である確率が高い。

 

「チッ。こちらの動きは察知されていたか」

 

「やっぱりオベイロンの部下?」

 

「さぁな。オベイロンの手駒であんな奴を見た覚えはないが、アバターが違えば判別できないしな」

 

 PoHも心当たりは無いようであるが、少なくとも彼の協力者ではなく、またユウキ達に妨害の意図があるのは間違いないのだろう。

 ユウキ達が何も返答しないことに不満を抱いたように、少年は溜め息を吐く。

 

「やれやれ。こういう洒落た演出は僕の得意分野じゃないんだけどなぁ。でも、折角のアルヴヘイムの最終局面だ。少しは盛り上げてあげようと無理しているんだから、乗ってくれると嬉しんだけど? それとも姿がまずかったかなぁ。ちょっと待ってて」

 

 途端に少年の姿が『変わる』。

 次に現れたのは、金髪碧眼の美女だ。その身にまとうのは純白のドレスであり、宝玉で散りばめられたティアラを頂く姿は花園こそ相応しいお姫様の様である。

 やはりPoHには見覚えが無いのか、そもそも何の前触れもなく姿を変化させた少年……いや、今は美女に対して言い知れぬ圧迫感を覚えるばかりのように身構えている。

 

「これじゃないですわね。もっと、こう……この場に相応しい姿が好ましいですわ。これはいかがしら?」

 

 美女が変化する。今度はボロボロの黒いコートを身に纏った銀髪の男だ。その顔の右半分は爛れた火傷であり、その右耳は無残にも焼けて形を失っていた。

 

「『私』ならば少しは雰囲気にあうかな? ふむ、悪くなさそうだ。いやいや、済まないね。話を戻そう。深淵に蝕まれたアルヴヘイム。数多の深淵の魔物がこの豊潤な世界から生まれた。アメンドーズや黒獣は特にお気に入りだ。彼らは素晴らしかったよ。実に有意義な『実験』だった。ただ、システムをよりゲームモードに近づけたら発展性が乏しくなったのは実に勿体なかった。やはりシミュレートモードでなければ深淵の侵蝕が個体に及ぼす影響は少なくてね。なまじデーモンシステムがあるものだから、プレイヤーアバターの変質が難しかった。その点でいえば、レギオンプログラムは実に感服したよ。デーモンシステムを汚染し、暴走状態にして獣魔化させ、レギオン体として変異させる。惜しむべきは精神汚染が桁違いだった点かな? あれ程に劣化しているにも関わらずに精神が崩壊してしまう。単純なオペレーションを備えたAIでもレギオンプログラムが加わった途端に自己崩壊してしまった」

 

 この男は……いや、この『存在』は何なのだ? 楽しそうに理解しがたい内容を説明する男が言わんとするのは、この世界の裏側……アルヴヘイムで行われていた『実験』の報告だ。

 

「『私』から生まれたデーモンシステムは、キミ達人間が元来有する攻撃性を高める。故にレギオンプログラムに汚染されれば暴走状態になるわけだが、そもそもデーモンシステムとは、セカンドマスターが『私』を素体にして再設計したプレイヤー用システムだ。キミ達の性質を解析し、幾つかの基本パターンの造形と能力に割り振る。パワー型とかスピード型とか、獣人とか魔人とかそんな風にね。そして、そこからはキミ達の変化に合わせてデーモンアバターも変化・成長……まぁ、あるいは劣化もあるが、とにかく柔軟に変異し続ける。それがデーモンシステムというわけだ。より分かりやすく言えば、ユニークスキルがシステムから付与される強力な能力であるならば、デーモンシステムとはプレイヤーのユニーク性をシステムとして能力化してあげたものというわけさ。その分だけ強力ではあるが、デメリットも大きい。まさに諸刃の剣として導入されたわけだ」

 

 そこで不満を漏らすように男は嘆息する。足下の深淵の泥水を踏み、生まれた波紋を静かに……いや、酷く退屈で停滞した感情で見つめている。

 

「だが、デーモンシステムはその危険性故に運用が慎重であり、また変異性も見られなかった。これはキミ達プレイヤーの責任ではない。キミ達の細やかな変化に対してデーモンシステムが逐次対応するには運用データが不足し過ぎていたんだ。要はアップデートが必須だったわけさ。だからこそ、レギオンとの共同実験は非常に価値が大きかった。感謝しているよ。最後になったけど、『人の持つ意思の力』とデーモンシステムの親和性も想定していたとはいえ、予測以上だった。デーモンシステムに心意で干渉し、デーモンアバターの設定能力の変化をもたらすとはね」

 

 話が長くなった。済まないね。最後にそう取ってつけた男は、賛辞を贈るように拍手を鳴らす。

 

「さて、ここからが本題だ。私の有意義な共同実験は終わり、後はオベイロンの顛末を見届けるだけとなるはずだったが、この実験場を準備してくれたオベイロンにも義理立てするくらいには私にも感情はある。それに『妹』に頼まれてしまってね。彼女が望む渇望の王。私にはサッパリなんだが、あるプレイヤーに……【黒の剣士】に死んでもらいたいようなんだ。彼が聖剣を所有しているのが心底気に入らないようでね。だから、深淵を排除されて彼の勝率が上がるのを防ぎたいというわけだ。ふふ、実にいじらしいね。だが、だからと言って、私がここで君達と戦うのはルール違反。私が戦うべきステージは既に準備されている。だからオベイロンへの義理立てと『妹』のワガママに応えるべターな対応として、『ゲーム』をさせてもらいたい。私も気乗りしないんだが、付き合ってもらえると助かる」

 

 男は動かないマーリンを軽く叩く。マーリンのHPバーが『1本』だけ表示される。また、弱点と言わんばかりに心臓とも呼ぶべき場所で深淵の泥が蠢いている。

 

「ルールは単純明快。マーリンを撃破してくれ。邪魔者は私だ。ちなみにマーリンのリソースを利用させてもらったから基本性能は第1段階の本来の私とほぼ同一なんだが、やはり限界があってね。特にギミック型の『分身』として登場させるように割り込んだせいもあって、幾つかの能力は封じられている。これはキミ達にとって大きなアドバンテージだ。だけど、注意点がある。私はギミックだ。だからこそ『無敵』だ。キミ達には素直にマーリンの撃破をお勧めしよう」

 

 男の姿が歪む。いや、内側から溢れる深淵の泥……いや、深淵の血肉によって形が変異していく。

 ユウキは震える。

 死を隣人として、死の恐怖を感じなくなったはずのユウキは……呼吸も出来ない程の圧迫感に戦慄する。

 それは十数メートルにも及ぶ怪物。

 その全身は青黒い毛で覆われ、尾を有するが、その体格は人間に近しい。

 頭部は人に近しくありながら獣のように歪み、枝分かれした巨大な角には深淵の怪物に見られる赤い感覚器官が輝いている。

 右手に有するのは捻じ曲がった巨大な杖。それは樫の木の類か、あるいは形容しがたい冒涜的な樹木の類か。果てしなく深淵で汚れている。

 だが、それ以上に……その全貌以上におぞましいのは、その左手。大きく肥大化し、掌に口のような穴が開いた左手からは、このアルヴヘイムの全ての深淵を凝縮させてもなお薄いと嘲うような濃厚な闇が漏れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<深淵の主、マヌス>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『我は最古の深淵の主にして、デーモンシステムを生み出す基盤となった功績により、管理者に召し上げられた深淵の権化』

 

 マーリンを守るように、宣言通りに無敵状態である事を示すようにHPバーを持たないマヌスは吐息の度に闇を漏らした。

 どうして、アルヴヘイムの深淵はこれ程までに急激に拡大したのか。そもそも、どうしてオベイロンは深淵と契約して軍勢を借りることが出来ているのか。

 その理由を物語るように、『闇』はユウキ達と遊びたいだけなのだとばかりに嗤った。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 レギオン。レギオン、か。

 まったく、あのような少女がレギオンとは、本当に訳が分からないことになってしまったものだ。

 おそらく、あの影こそが本体とも呼ぶべきオレの本能を搭載した側なのだろうが、彼女との繋がりを感じた。まるでシャム双生児のように、彼女と影は結ばれている。

 ヤツメ様の血を冒涜したレギオンは1匹残らず殺す。そこに何の変化もない。

 だが、レギオンの彼女は『命』を有し、そして自らの意思で誰かに優しくすることを選んだ。自らを傷つけても、誰かを慈しむことが出来た。レギオンとしての本能への苦悩がその瞳を濡らしていた。

 

 

 彼女は泣くことが出来た。誰かの為に……泣いていた。

 

 

 彼女は言った。それはオレから継いだものなのだと。だが、それは誤りだ。あれは彼女自身が己で見出したもの。彼女だけの『慈悲』なのだ。そこにオレは介在しない。

 オレは泣けない。自分の為にも、誰かの為にも……1度として涙を流せなかった。まさしく血も涙もない『獣』だった。

 認めよう。レギオンは既に1つの種族だ。もはや、オレの本能のコピーというだけではない。そして、彼女のような不可思議なレギオンも生まれている。それはきっと……レギオンという種族にとっても特別な事なのだろう。

 ……まぁ、ヤツメ様の血を冒涜したのは一切の変化がないので殺すんだがな。いやね、優しかろうが何だろうが関係ないですよ。ヤツメ様の血を冒涜した=ぶち殺し確定だから。あのレギオンを見逃したのは、単純に目の前のランスロット以外に割ける精神力のリソースが無く、またランスロットの場所まで案内してくれた見返りに過ぎない。

 膨大な殺意の奔流。オレをわざと誘うようなそれに向かってみれば、ランスロットと戦うレギオンの姿があった。圧倒的劣勢であり、あのまま放置しても良かったのだが、あのタイミングでなければランスロットにベストな奇襲は無理だっただろう。

 しかし、ここまで骨が折れたぞ。アルヴヘイムの未開地域を突っ走り、壁のような山を半ばロッククライミングで登り、開戦と同時に紛れ込み、ランスロットの登場を息を殺して待っていれば巨大レギオンの登場だ。いつも通りのレギオン殺すで突撃しようかと思ったくらいだ。だが、ここは『アイツ』に任せて潜伏を続けていたら、今度は固定砲台巨大レギオンのブッパですわよ、奥様。

 挙句に悪趣味な巨神となったオベイロンと……あと何アレ? 竜の神がいるんですけど。『アイツ』なの? ねぇ、『アイツ』なの? 何がどうやったらこうなるの? 聖剣のお陰なの? それとも『アイツ』のチート力がついにヤンデレホイホイ以外にもまともに機能するようになってきたの? ねぇ、教えてよ、後継者!

 ……どうでも良いか。元より後継者が作り上げたDBOから逸脱していたアルヴヘイムらしいラストバトルだろう。大怪獣バトルはお任せします。つーか、巨大レギオンが特撮臭いんだよ。誰だよ、この趣味丸出しは。オレの好みだぞ! レギオンだが、悪くないセンスだ!

 さて、ジョークはこれくらいにしておくとするか。死神の剣槍を右手に、左手にザリアを構え、オレは改めてランスロットを見据える。

 

「おかしなものだな、白の深淵狩りよ。この地にはオベイロンとこの俺を倒さんとする者で溢れているというのに、貴様はただ独りで俺に挑むか」

 

「自分でも馬鹿だとは分かってはいるのですが、これ以外に思いつかないものでして。それに……オレは1人の方が気楽なんですよ」

 

「フッ、深淵狩りらしいな」

 

「そうでしょうか?」

 

 互いに動く。踏み込みはほぼ同時。ランスロットは瞬間移動を使わずに大剣を振るい、オレはステップを駆使して彼の右側面に回り込んでザリアを至近距離で放つ。だが、その時にはすでに瞬間移動が発動し、ランスロットは背後から斬りかかっている。

 初見では対処が限界ギリギリだったランスロットの瞬間移動。だが、アルヴヘイムの戦いを経て本能は更に研ぎ澄まされ、更にシェムレムロスとの兄妹で彼らの瞬間移動と対峙した今ならば……!

 背中に死神の剣槍を回して大剣を受け流し、そのまま反転と同時に斬りかかるも既に瞬間移動の後であるが、オレは見もせずに左斜め後ろへとザリアを放つ。雷弾が生み出す雷爆発はランスロットを確かに捉え、だが、その雷爆発を吹き飛ばす黒炎のメテオが迫る。

 これも読めている。足首を軸にして体を回転させながら身を屈めながらザリアをホルスターに戻し、そのまま黒炎と雷爆発で姿を暗ましたとみせかけて瞬間移動で頭上を取っていたランスロットと刃を交える。

 両手で握った死神の剣槍が軋む。ランスロットの大剣と衝突し、火花と闇が飛び散る。

 

「ああ、だからこそ、死ね。アルヴヘイム最後の深淵狩りよ!」

 

「いいえ、アナタの忠義は今夜終わる。狩らせてもらいます、ランスロット!」

 

 全身が痛む。四肢も頭も体の内側には余すことなく、後遺症と時間加速、そして深淵の病の影響であらゆる種類の痛みが溢れている。

 視界が狂う。白黒になったと思えば着色し、二重三重にブレたかと思えば歪む。そして、見るモノ全てが高熱を孕んでいるかのように脳髄を苛める。

 聴覚にも異常あり。音の方向の正確性が損なわれている。いや、あるいは幾つかの音域が聞こえていない恐れもある。また断続的に、まるでガラスを引っ掻いたかのような不快極まりない耳鳴りがする。それが現実の脳の三半規管に直接影響を及ぼしているかのように嘔吐感を呼ぶ。何にしても耳は当てにならない。

 呼吸の1つ1つが針の塊が通っているようだ。気道は裂け、肺は内側からズタズタに刻まれているかのようだ。

 左手の感覚は痛覚のみで代用。右手もほとんど同じようなものだ。両足の感覚も朧になっている。何よりも手首・足首・肘・膝・肩といった主だった関節の反応が悪い。意識を少しでも怠れば、容易く動かなくなるだろう。

 全身を……仮想世界の筋肉と神経をイメージし、1本1本を余さず意識しろ。必要とするのは膨大にして研がれた集中力。そして、体の全てと連動させるのは本能と狩人の予測。いずれかが僅かでも欠ければランスロットの動きに追いつけなくなる。

 血が灼熱の鉛になったように熱く、体は重い。そのはずなのに、全身はブリザードの雪夜に放り出されたかのように凍えるように寒い。

 それがどうした?

 それが何だというのだ?

 

 殺す。

 

 ランスロットを殺す。

 

 邪魔はさせない。

 

 コイツに皆の……『アイツ』の戦いの邪魔はさせない。

 

 嗅覚に異常発生。

 ただ1つのニオイが本能を疼かせる。

 血のニオイだ。

 この都市に満ち溢れる、絶望と恐怖で染め上げられた……濃厚な血のニオイだ。

 分かっている。これは本能が嗅ぎ取っている死血のニオイ。

 仮想世界のデータがもたらすものではなく、オレの本能が嗅ぎ取っているモノ。他の誰にも臭わない、オレだけが嗅げる香しきモノ。

 

 分かってるさ。

 

 結局は殺したいだけだ。

 

 誰だろうと! 皆を……『アイツ』を……ユウキを殺したいだけだ!

 

 その殺意の捌け口として、ランスロットを選んでいるだけだ!

 

 そうだとしても、血の悦びに呑まれるわけにはいかない。『獣』として殺し合うわけにはいかない。

 トリスタン、ランスロットの忠義を終わらせる。依頼は必ず成し遂げる。

 イリス、オマエの犠牲は無駄ではなかったと今宵もう1度証明してみせる。

 ザクロ、オレはイリスの仇を討とうとは思わない。だが、オマエから喰らった『力』、使わせてもらう。

 

 剣戟。瞬間移動の翻弄。黒炎のメテオから空中より降り注ぐ黒雷の槍。回避中の全方位斬撃……突破。ランスロット視界より喪失。ヤツメ様の導きに従う。捕捉に問題なし。狩人の予測の並列にも問題なし。

 仮説検証開始。第1目標、ランスロットの瞬間移動の分析及び対策の構築。想定通りならば、短時間ならば無力化できるはずだ。

 竜の神の影響か、ジャンプ力が大きく強化された戦場。オレはランスロットを追って身近の浮遊する巨大な塔へと跳ぶ。そこで待っていたランスロットの、大剣に黒雷を纏わせた一閃。ソウルの特大剣以上の広範囲の薙ぎ払い。だが、回避可能。屈んで躱し、そこからの縦への一閃もステップで避ける。瞬間移動で正面を取ったランスロットの掌底を左腕で受け流し、近距離で逆に膝蹴りでランスロットの脇腹を打とうとするが、瞬間移動で脱せられる。

 だが、ランスロットの右肩に投げナイフが突き刺さる。瞬間移動を見越して、ランスロットの出現位置をヤツメ様の導きと狩人の予測で割り出して、パラサイト・イヴの武装侵蝕を施して威力と貫通力を上げたものだ。それでも粗鉄ナイフである以上はダメージに期待できないが、ランスロットの鎧に突き刺さったという事実は悪くない。

 やはりか。ランスロットの瞬間移動は、発動から出現までのラグは移動距離に応じる。近距離ならばコンマ1秒未満のまさしく『瞬間』であるが、距離が伸びれば伸びるほど出現までのタイムラグは伸びる。およそ12メートルで1秒といったところか。それ以降は飛躍的にラグが増幅していると見て間違いない。

 そして、瞬間移動発動中は知覚不全の状態となる。その間のこちらのアクションをランスロットは認識できない。

 何よりも瞬間移動の最大距離。元々ランスロットは聖剣の霊廟での戦闘が想定されたネームド。ならば、霊廟以上の範囲を設定する必要性は無い。つまり、ランスロットの瞬間移動の範囲は無限ではない。

 既にランスロットの動きはヤツメ様が『喰らった』。廃坑都市でオレを仕留め損なったのは失敗だったな、ランスロット。

 ランスロットは肩に刺さった投げナイフを『抜く』。わざわざその手間をかける。やはりか。

 オレ達を照らすように、竜の神と巨神オベイロンの攻撃がぶつかり合い、巨大な火花を弾かせる。本当に派手な奴らだな。せいぜい攻撃に巻き込まれないように注意しておくか。

 

「……『いつも通り』だ。派手にぶちまかせよ?」

 

 このアルヴヘイムの物語がオマエを主役にした英雄譚であるならば、この決戦はまさに山場だ。

 だが、この物語はきっと悲劇なのだろう。オマエの旅路の果てに、オベイロンを倒したとしても、そこには悲劇しかない。

 だが、サチは望まなかった。悲劇を変えることを欲していた。

 

 泣いている。サチが泣いている。

 キミの顔がだんだんと思い出せなくなっているんだ。

 だけど、大丈夫だよ。

 傭兵は依頼を成し遂げる。

 狩人は約束を守る。

 

 もう瞼を閉じても、赤紫の月光は見えない。闇夜の中で雲に隠れて、優しく穏やかな月明かりはオレを照らさない。

 それで良い。それが良いんだ。

 

 

 記憶の奥底で故郷の風が薫る。

 

 揺れている。

 

 黄金の稲穂が揺れている。

 

 暁にも見紛う黄昏の光を映し込んだ豊穣の実りの中で……ヤツメ様が泣いていた。




プレイヤー陣営のミッションオブジェクト

・深淵の契約の解除(マヌスを突破し、マーリンを撃破せよ)
・巨大レギオンの排除(地下に侵入し、核を破壊せよ)
・オベイロンの撃破(オベイロン撃破=決戦の勝利)
・ランスロットの撃破(乱入者であるランスロットは決戦の勝敗に左右されない)


それでは、295話でまた会いましょう!

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