SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

再起動。ここからが本番です。



Episode18-60 篝火

 オベイロンの最終段階。それはDBOにおいて……仮想世界において意図的に排除されている『痛覚』との戦いになる。

 どうして仮想世界において痛覚は意図的にセーブする必要性があるのか。幾つかの理由はあるが、VRゲームにおいて採用されている最大の理由は『ゲームとして成り立たなくなる』からである。

 好んで痛覚情報を受け入れる人間は希少どころの話ではない。剣で斬られる度に、殴られる度に、炎に焼かれる度に、キャラが死亡する度に、それに準じる痛覚を受け取っていてはユーザーが寄り付かなくなる。

 だが、より切実な理由が別にある。それは過ぎた痛覚情報はVR上のみならず、現実の肉体にも幻痛をもたらし、また最悪の場合には命を落とすこともあり得るからだ。『名無し』がVR犯罪対策室のオブザーバーを務めていた頃に遭遇した事件には、痛覚遮断を切る不正ツールを使われて集団リンチを受けた少年が死亡するという事件があった。だが、現実で傷害致死罪が適応されることはなく、後味の悪さだけが残る事件だったことをよく憶えている。

 

『フハハハハハハ! どうしたんだい? 先程までの勢いがまるで無いじゃないか! 痛いよねぇ! 痛いに決まってるよねぇ! アハハハハハハ!』

 

「馬鹿に……するなよ! このくらいの痛みで――」

 

『口だけは達者だ。だけど、ほら。ほら! ほらぁああああ!』

 

 巨神オベイロンの連撃。それを炎剣で防ぐも、不意に飛んできた左拳が迫る。ガードをしようとするが、オベイロンの翅から放出されるダメージではなく痛みを与えることに特化した多量の貫通性能の高いレーザーを全身に浴び、もたらされた全身を余すことなく刺し貫かれたような激痛が体を硬直させてしまう。その隙を縫ってオベイロンの左拳が頬を捉えれば、竜の神の牙に亀裂が入って破片が飛び散る。

 まるでハンマーで頭を潰されたかのような、普通に生きていればまず味わえないだろう痛みが走る。オベイロンの拳がもたらす痛みは何倍にも増幅されているのだ。

 意識が痛覚で刈り取られる。だが、瞬く聖剣が示す月光が彼の意識を繋ぎ止める。

 残留する痛みが集中力を奪い、竜の神の維持を難しくしている。精神が屈すれば心意は弱まる。そして、痛みは集中力を掻き乱して心を追い込む。

 

「俺は……負けない!」

 

 頭の中で苦痛が残響する。精神は過ぎた痛みを耐えようとした分だけ摩耗する。

 戦わねばならない。勝たねばならない。その意識はあるはずなのに、『名無し』の足を引っ張るのは生物としての枷……痛みが動きを鈍らせていく。

 ふと、『名無し』は思い出す。VR犯罪対策室が扱った事件の1つ。痛覚遮断を解除され、拷問?強姦?され続けた被害者は命を落とす事こそなかったが、死ぬことも出来ないまま死にも匹敵する痛みを与えられ続けて心が壊された。

 

「おぉおおおおおおおおおおお!」

 

 あんな風になって堪るか! 痛みを凌駕するのは闘志だ。だが、その勢いをオベイロンは痛みの波で押し返す。

 届かないように思えた炎剣を崩し、炎の籠手に変えてオベイロンに殴り掛かる。バリアによって直撃は阻まれたが、空間を揺らすような衝撃はオベイロンに伝わっただろう。

 

『いい加減に……諦めろよ、糞がぁああああああ! 死ね! 死ね! 死ね!』

 

「まだまだぁあああああああ!」

 

 ここからは気力と時間の勝負だ。オベイロンの底は知れている。痛みに立ち向かい、オベイロンを倒しきる。『名無し』は震える指で聖剣の柄を握りしめ、オベイロンの偽りの聖剣がもたらす痛みの波動へと突き進んだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 崩壊していくヨツンヘイムから地上へと這い出し、クラインはスタミナ切れでへたり込みながら、月が消えた夜空を見上げる。

 あの不気味な虹色のオーロラが失せたのは気分も良いが、月まで消滅しているとは何事だろうか。その意味を探ろうにも、このアルヴヘイムはSAO事件を生き抜き、チェーングレイヴのリーダーとしてDBOの裏を牛耳る彼から見ても異常だった。

 まさしく異世界ファンタジー。別世界に召喚されたような気分だった。辛うじてDBOとしてのゲームシステムが機能しているからこそ見失わなかったモノは多い。

 歴史と文明と文化を育み、確かにこの世界で生きていた妖精たち。彼らのアルヴヘイムの命運を決する戦いを引き起こし、また先導した自分たちは、まさしく異世界に召喚された現代人といった立ち位置なのではないだろうかとクラインはバンダナを外し、冷え切った夜風を浴びる。滲んだ汗の分だけ体熱が下がり、疲労で火照った体に心地良かった。

 後は回廊都市でオベイロンと決戦に挑んでいるだろう黒馬鹿に任せるだけか、と結果を寝て待てれば良いのだが、新たな問題をクラインは抱えていた。

 マーリンを倒し、オベイロンが交わした深淵の軍勢との契約を断ち切った以上、PoHがこちらに牙を剥くだろうことは予見できた。だが、クラインに甘さがあったとするならば、PoHがまさか自身の生存も危ういだろうあの局面において奇襲をかけた点だ。

 クラインが知る限り、PoHという犯罪王は狡猾に策を練り、他者の心の隙を突いて扇動し、何よりも自己保身に長ける男だった。事実として、SAOにおいてラフィンコフィン討伐作戦においてPoHを取り逃がし、完全攻略前夜にクゥリが彼を殺害するまで生き延びていたのだ。

 あの場面において、PoHにいかなる事情があるにしても生存を優先するはずだった。クラインは自分の分析不足の甘さを悔やむ。PoHの全てを見切れているわけではないが最低限の行動予測は出来ていると驕っていた結果、ユウキはヨツンヘイムの闇に残される事になった。

 

(ユウキはPoHが必ず動くと確信してやがった。何を隠してやがるんだ?)

 

 PoHは快楽殺人鬼だ。それは紛うことなき事実だ。だが、あの瞬間のPoHは間違いなく自身の悦楽の為ではなく、目的意識で冷徹に攻撃してきた。自分の命すらも惜しくなかったのだ。そして、その最大の狙いはPoHが暗躍することを最大限に阻んでいるDBOの裏を取り仕切るクラインを討つことではなく、身代わりとなって動くだろうと『確信』していたユウキの殺害だった。

 対するユウキもまた、PoHが必ず仕掛けてくると信じて疑わなかったからこそ出来た対応だったはずだ。現在の彼女はリミッター解除の影響で反応速度諸々が大きく低下している。瞬時の判断には限界があるはずだ。事前にPoHがいかなるタイミングで狙ってくるのか読んでいなければ不可能だ。

 共闘が始まった時から感じる2人の不気味な信頼感。ユウキはPoHが深淵の契約を断つまで絶対に裏切らないと無邪気に、PoHは腹立たしく、互いに信頼し合っていた。

 奇妙な事ではあるが、マヌス戦において最も息が合っていたのはあの2人なのだ。互いの安否には無頓着ながらも、互いの行動に絶対的な信頼を置く。それは利益を共有する傭兵の協働に似て、だが根底から異なるものだ。

 

「ううむ、深淵は消え去ったようですが、まさか月まで……! ハッ! よもや深淵の魔物は月から湧いていたと!? 何と恐ろしい! 偉大なる慈愛の女神ティターニア様! 吾輩にどうか祝福と加護を!」

 

 そして、シリカを半ば腐った倒木を枕に寝そべらせたマルチネスは、すっかり乾いた地面となった深淵の泥沼と失われた月を餌にして思う存分にティターニアへの祈りを捧げている。いかにも狂信者と呼ばれる部類のメンタルの強さにクラインは呆れ果てる。

 

「おら、飲め」

 

 全身の骨を折られて動けずにいるシリカに、クラインが取り出したのは【火蜥蜴の丸薬】だ。チェーングレイヴの頭脳であるマクスウェルが調合した丸薬である。欠損状態を回復させることはできないがアバターの修復速度を引き上げる効果があり、全身の骨が折れたシリカにとっては喉から手が出る程に欲しいはずだ。

 

「何か裏でも?」

 

「オメェも黒馬鹿に似て捻くれ者なっちまったなぁ。もう少し他人の善意を信用して良いんだぜ? 今は道こそ違えども昔の仲間だ。苦しそうに息絶え絶えのダチを見捨てる程に人情を捨てちゃいねぇよ」

 

「犯罪ギルドのリーダーが何を偉そうに人情説いちゃってるんですか」

 

「コイツは手痛い」

 

 両腕が折れてるので飲ませてください。シリカはそう言うように口を開ける。大きめの飴玉ほどある丸薬を口にすれば、シリカは今にも吐きそうな顔でむせるも、味より効果を選んで強引に呑み込もうとするも、大きさが大きさだけになかなか喉を通らず、溶けた丸薬の胃が痙攣するほどの不味さに悶え苦しむ。

 なお、火蜥蜴の再生丸薬は、素材はゲテモノばかりの上に、珍味として貴重なレアドロップの【火蜥蜴の睾丸】を使ってある。なお、これを知ったチェーングレイヴの女性プレイヤーの過半が効果の有用性をマクスウェルが説きながらも使用どころか所有すらも拒んだ。気にせずに使っているのはジュリアスくらいである。なお、ユウキは使われている素材自体知らされていないという悲劇だ。

 

『ほらぁ、ユウキみたいな子が丸薬を散々使った後に、素材の正体を知って……って展開ってエロいと思いません?』

 

 メンバーの1人にしてユウキ弄りに定評があるレグライドの邪悪な計画にクラインは全面賛同したものだ。なるほど。シリカが涙目になりながら、涎を垂らして丸薬を呑み込まんとする姿は、素材の正体を知ればなるほど……知る者だけが味わえるエロさがある。

 だが、こんな馬鹿が出来るのも生きているからこそだ。クラインは自分達とはやや離れた場所で膝を抱えている、ほぼ下着姿に等しいロザリアに歩み寄る。

 

「オメェも随分と厄介な相手と組んじまったようだな」

 

 ロザリアについてはチェーングレイヴも以前から情報を掴んでいた。各所で暗躍し、幾人かのプレイヤーに接触して何かしらの勧誘活動を行っていたようである。クラインはロザリアとPoHには繋がりがあり、その裏には後継者がいると睨んでいた。どちらもSAO事件で落命した犯罪プレイヤーという共通点があり、後継者が自分の駒として利用するには都合が良いからだ。

 だが、PoHのぞんざいな扱いから察するに、決して待遇は良さそうではない。クラインはアイテムストレージから取り出した野宿用の毛布を、哀れみを込めてロザリアの肩にかける。

 

「ねぇ、アタシの何が悪かったの? 幸せになるのに手段を選んでたら損するばかりじゃない。他人なんて自分の幸福の踏み台。強者に寄生して美味しい汁を啜る。それが世の中じゃない! アタシの……アタシの何が悪かったのよぉ!」

 

 毛布を引き寄せたロザリアは堪えることなく涙を流す。彼女がどんな人生を歩んだのかは知らないが、SAO事件が人生を狂わせたのは間違いないだろう。事実として、彼女は本来ならば人生そのものを閉ざされた鉄の城で終えているのだから。

 確かにロザリアの主張は身勝手だ。自分が幸福になる為にあらゆる手段が肯定されるならば、世界は一夜と待たずして焼け野原と化すだろう。誰もが身勝手に生きるとは地獄を生み出すのと同じことなのだ。

 だが、クラインは同時にロザリアの主張が間違っているとは思わない。幸せの裏には誰かの不幸がある。誰かの幸せを奪った分だけ幸せを増やせるのも道理なのだ。

 

「オメェには『力』が無かった。身勝手に生きるのに必要なのは理屈じゃねぇんだ。周囲に有無を言わさず、反論する奴も邪魔する奴も叩き潰す『力』なんだよ」

 

 権力でも、財力でも、暴力でも構わない。『力』の有無こそが身勝手に生きられるか否かを決める。そして、この世で最強の『力』を持つ者でも、この世界を自由自在に操ることはできない。

 PoHはロザリアに仲間意識を持っていなかった。PoHに突き飛ばされたロザリアを助けたのはマルチネスだ。彼は瞬時に、背負うシリカを右に、倒れたロザリアを左に抱えて崩落の中を突っ切るクラインの後に続いたのである。

 

「あとな、オメェが身勝手に生きるのは勝手だ。だがな、オメェのそんな生き方に付き合ってくれる連中はいるのか? 俺にはオメェが自分独りで幸せを満喫できるような奴には見えないぜ?」

 

「当たり前じゃない。アタシはね! まずは幸せの土台を作って、その後に幸せを共有できるイイ男をゲットするのよ! 自由を満喫できる地位と富! その後にオ・ト・コに決まってるじゃない! 優先順位を間違えたりしないわよ! バッカじゃないの!? 誇りだとか大義だとか信念とかに命を懸ける早死に上等の馬鹿共とは違うのよ! 好きなモノに好きなだけ命を使い捨てなさい! だけど、アタシを巻き込ないでよね! アタシはね、誰よりも『死にたくない』って願ってるのよ! 1度死んだからこそ、また死にたくない! 死んで失った人生を倍にしても足りないくらいに幸せになりたい! それの何が悪いの? 何が悪いのか言ってみなさいよ!?」

 

 胸に溜め込んでいた鬱憤に着火して爆発したロザリアは捲し立てれば、クラインは思わず鼻を擦りながら大笑いする。それに対して馬鹿にされたのかと思ったらしいロザリアは舌打ちして顔を背けるが、クラインは誤解するなと笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を拭った。

 

「立派じゃねぇか。俺が悪かった。オメェはスゲェよ。確かに褒められたもんじゃねぇがよ。だけど、こんな糞の掃き溜めみたいな狂った世界でオメェは良くも悪くも『人間らしい』って感じがするぜ。それにテメェの幸せをテメェが1番願わないといけないってのは同意だ。なぁ、シリカ?」

 

「私はいつも自分の幸せが最優先です。『あの人』の幸せ=私の幸せですから。私は自分の幸せの純度を高めることに余念がないだけなんです」

 

 コイツもブレねぇな。火蜥蜴の丸薬の効果で早くも動けるようになってきたシリカは、相変わらず可愛げのない事を言っているが、彼女の顔には年相応の……いや、SAO事件によって奪われた青春を取り戻そうとしているような少女の温もりが確かにあった。

 ヨツンヘイムは今も崩落し続けている。やがてはこの地の全体が陥没するだろう。だが、それはその分だけ地上に脱出する最短ルートが切り開ける可能性でもある。まだ、ユウキも……そしてPoHもまた死んでいないだろう。今も殺し合っているのだろう。

 

(オメェは『幸せになりたい』って気持ちをようやく見つけたんだ。PoHに負けるなんて許さねぇからな)

 

 今でも憶えている。ユウキをチェーングレイヴに勧誘した日、彼女はまるで死に場所を求めているかのようだった。

 願いはただ1つ。【黒の剣士】を打倒し、仮想世界最強の称号を簒奪する事。それがユウキの願いであり、それ以外に何も無かった。だからこそ、犯罪ギルドに属することにも何も感じていなかった。

 だが、1つの出会いが彼女を変えた。ユウキの目に新しい感情を芽吹かせた。

 

『ボス! 今日ね、凄く強いプレイヤーとデュエルしたんだ! マクスウェルさんの横槍が入っちゃったけど、ホントに強かったんだよ! 底知れないって感じ! 判定ではボクの勝ちだけど、そんなの認めないもんね! うーん、世界って広い! あれが【黒の剣士】の相棒を務めた傭兵! もう1回デュエルしたいなぁ!』

 

 マクスウェルにこってりとグツグツと煮込まれる程に絞られてもめげることなく、むしろ嬉々としてクゥリとのデュエルの感動を無邪気に語るユウキの目には、【黒の剣士】打倒以外の何も映っていなかった彼女の瞳に新しい熱を灯していた。

 

『ボス、勝手に見ないでよ! ちょ、ちょっと料理のレパートリーを増やそうと思ってるだけだよ! あ、そっちは駄目! ふーんだ! どうせボクにこういう服は似合わないもんねーだ!』

 

 クリスマスを境にして、今まで興味も示さなかったファッション誌や料理本を読み耽るようになった彼女は、まだ自分の気持ちに気づいておらず、その姿にマクスウェルを除いた全員で乙女してやがると声を殺して笑った。

 

『ボス、≪ピッキング≫スキルってさ、ゲリラも吃驚の24時間常時警戒傭兵には意味がないと思うんだ。オマケにシステム外スキルで作った自前工作トラップを何重にも仕込んでくるからね。やっぱり有用性が単純に高い≪追跡≫が1番だと思うんだ!』

 

 獣狩りの夜以降、何がおかしくなり始めながらも、一途に感情を育たせていた。誰かが指摘すべきだったのだろうが、クラインも含めて以前の彼女に比べればと黙認した。死に場所を求めた少女の影は確かに薄まっていたのだから。

 そして、アルヴヘイムの旅の中で、ユウキの心は1度砕かれた。だが、いつだって……いつだって間が悪く、間に合わず、何もかもを台無しにすることに定評があった、彼女が想い続けた傭兵が壊れた心を繋ぎ止めた。

 ようやく解き放たれたのだろう。【黒の剣士】打倒……仮想世界最強の称号を手にするという目的に決着が付けられたのだろう。

 過去は大事に抱えておくべき思い出であり、また時に取り出して自分を後押しする宝物であるべきだ。自らを縛り続ける呪いではない。そして、今ようやく『ユウキ』の為に未来を選ぶ心の準備が出来上がったのだ。

 最後の選択を間違えてはならない。クラインは常々そう自他に言い聞かせている。自分は既に選択を終えた者だからこそ、まだ幾多もの選択肢を選べる迷える者に可能性を覚える。

 

(対【黒の剣士】カウンター要員としてはお役御免だな。お疲れさん)

 

 クラインの道と『彼』の道は決して相容れないだろう。だからこそ、いつか対決の時が来る。アルヴヘイムで意図しない衝突によって切り札のデリンジャーを晒すことになったのは手痛い損失だったが、それはDBOに無事に帰還できれば補填が利く。

 ユウキはいずれチェーングレイヴを去るべきだ。その為にセサルの屋敷でメイド兼諜報部として派遣することで外部との繋がりを増やした。マクスウェルらしい『甘さ』であり、クラインも同意した事だ。

 そして、ユウキの中で【黒の剣士】との戦いには決着がついた。勝敗など関係なく、多くを失いながらも心の整理がついたのだ。ならば、彼女がチェーングレイヴに在籍する意義はない。

 

(オメェには未来がある。新しい居場所を見つけて、今度こそ『自分』が望む人生を歩め。だからよ、死ぬんじゃねぇぞ!)

 

 馬鹿娘だが、馬鹿程に可愛いものだ。ボスと呼んで慕ってくれる彼女に、いつの間にか組織のリーダー以上に兄貴分としての感情の方が大きくなっていた。いや、チェーングレイヴのメンバーの過半が彼と似たり寄ったりの想いなのだろう。

 犯罪ギルドという汚泥にありながらも、可憐に、無垢に、純粋に咲いている小さな花に、確かな希望を感じていたのだ。

 だからこそ、クラインは崩落するヨツンヘイムに背を向ける。彼女を救助には赴かない。これは信頼だ。チェーングレイヴのリーダーとして無駄死にできないという冷徹な判断と同時に彼女がPoHに屈して深淵に沈んで死すなどあり得ないと信じているのだ。

 

「ぬぅ、アメンドーズ!?」

 

 目前に突如として出現したアメンドーズにマルチネスが警戒を示すが、深淵の怪物は敵意なく両手を差し出す。アメンドーズの正面には、自分の難度に対して報酬が不足していたので埋め合わせをする、という旨が記述されていたメッセージが添えられていた。マヌスからの贈り物だろう。

 アメンドーズには転移能力がある。その対象はアルヴヘイム全土にも及ぶだろう。回廊都市も例外ではないならば、今も続いているだろう回廊都市の決戦に参加することができる。報酬とは言い難いが、このまま座して待つに比べれば有意義だ。

 純斬撃と純打撃を使い分けるカタナ、羅刹丸。クラインはHENTAI鍛冶屋の筆頭が生み出したユニークウェポンを鞘から抜き放ち、外気を断ち、精神を研ぎ澄ます。

 

「オベイロンにお礼参りの準備までしてくれるとは洒落てるじゃねぇか。俺は行くが、オメェらはどうする?」

 

「無論! オベイロン陛下に『お灸』を据えてティターニア様をお救いする。吾輩に迷いなどありません!」

 

「冗談でも面白くないですね。『あの人』の隣が私の居場所です」

 

 マルチネスは即答し、シリカも体を動かせる程度には修復されたらしい体を動かして顔を上げる。だろうなとクラインは頷き、最後にロザリアを見れば、彼女はふざけるなとばかりに眉間に皺を寄せた。

 

「自殺願望の強い連中ね。アタシは『雇い主』のお迎えを待つわ。フフフ、今回の点数は大きいわよ。これは昇進確定ね」

 

「逞しい女だ。性根は軽蔑するが、嫌いじゃないぜ」

 

「何それ。まぁ……アタシもアンタみたいな男は嫌いじゃないけどね。シリカも含めて、せいぜいアタシの見えない場所で死んでおきなさい。じゃあ、お先に。アメンドーズ! アタシだけ別の場所に転移させることは可能よね? 回廊都市以外の安全な場所に転移させなさい!」

 

 頷いたアメンドーズに握られたロザリアが虹色の光を帯びた闇に消える。

 

「ホント、ゴキブリ以上ですね」

 

 シリカは辛辣ながらも、ロザリアの生存と幸福への飽くなき努力だけは認めねばならないと言うように苦笑した。

 

「さてと、黒馬鹿……オメェはどうだ? ちっとはマシになったか、見極めてやるぜ」

 

 約束の塔で殺そうとしたかつての戦友。いずれ立ちはだかるだろうと確信する存在。チェーングレイヴのリーダーとしての立場からすれば、彼の再起は望ましくない。

 だが、たとえ道を違えようとも昔の仲間の無様な姿は見たくない。度し難いが、これが人間というものなのだろうとクラインは笑いながらアメンドーズの転移の闇に身を預けた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 レギオン・タイラントが生み出した最強の量産レギオン。伸縮性に富んだ四肢とワイヤーのように細く鋭い硬質な5本の触手。5つの巨大な目玉から発する小アメンドーズを彷彿させるレーザー弾。そして、数多の舌で埋め尽くされた縦割りの口内に隠された目玉から煌けば、レギオン・タイラントを思わす強烈な炎のブレスが放出される。

 もはやネームド同然だ。いや、レギオン・タイラントが死の寸前に自分の分身として切り離したならば、十分に考えられる性能の高さである。そうでなければ、雑魚の1体にしては余りにも能力が豊富過ぎる。運動能力を含めた基礎性能も高過ぎるのだ。

 ならばこそ、ユージーンは危惧する。この1体が地上に這い出れば、どれだけの被害をもたらすか分からない。巨体同士のUNKNOWNとオベイロンの戦いを左右するとは考え辛いが、このレギオンが更なる変異を遂げないとも言い切れない。レギオン・タイラントと同様の戦略クラスの脅威にならない保障は無いのだ。

 

「貴様は地上に行け! コイツはオレが倒す!」

 

「でも!」

 

「黙って従え! 片腕の貴様ではコイツとの近接戦は無理だ!」

 

 参戦しようとするリーファに現実を突きつけ、ユージーンは心配するなといつものように強気で笑む。

 確かにリーファは強い。多くの戦いを経て格段に成長したことが窺える。だが、まだソロでこのレギオンのような脅威に対処できるほどの実力は無い。既にトッププレイヤーに準じる実力は持っているが、まだまだ成長が必要だ。

 ならばこそ、この場でレギオンを倒すのはユージーンの役目だ。既にスタミナは危険域であり、≪剛覇剣≫も使用制限がかかっているが、ユニークスキルが彼の全てではない。魔力もじわじわとだが回復している感覚がある。これならば呪術・奇跡の1発分の回復は戦闘中に間に合うだろう。

 無論、早期決着が望ましいが、今のユージーンは鎧を失って普段の戦い方が出来ない。ならば、不慣れではあるが、着実な回避を重ねて丁寧にカウンターを狙うのが望ましいだろう。

 回避よりも高VIT・高防御力で耐え、またガードすることを是とするユージーンは回避技術こそ身に着けているが、そこには重点を置いていない。だが、このレギオンを倒すのに必要となるのは、相手の広い間合いを潜り抜けて一撃の名の下で倒す戦法だ。

 高火力の≪両手剣≫の単発系ソードスキルで沈める。強引に間合いを詰める突進系に頼るべきではない。

 

「……絶対に死なないでください! 生きて帰って、サクヤさんのお墓で一緒に大泣きしましょう!」

 

「フン、それは無理だ。もう涙が枯れるほどに泣いたからな。だが、奴があの世で頬を引き攣らせるくらいに立派な墓を立てねばならんな! サクヤへの愛を綴った詩を墓石に彫り込んでやろう!」

 

 きっと顔を真っ赤にして『死後に辱めるな!』と泣き叫ぶのだろうな、とユージーンは妄想してリーファと視線を交わして笑い合う。彼女は大きく地面を踏んで舞い上がり、地上へと飛んでいく。

 それを見逃したレギオンは、残されたユージーンを称賛するように拍手を送った。

 

「素晴らしい! 人間の強みとはウィットの富んだジョークを死地でも仲間と挟める点にある! それが精神安定となり、パフォーマンスの向上に繋がる! 実に勉強になる!」

 

「随分とお喋りなレギオンだな」

 

「人語を操れるレギオンは少ない。貴方に倒されるかもしれない以上、少しでもデータ収集しておかねばならないのですよ。ご協力をお願いします」

 

「殊勝だな。ならば、早々に死ね!」

 

 態度とは裏腹に、レギオンは一切の手抜かりなく、ユージーンが接近戦以外に勝機が無く、なおかつスタミナ切れが間近だと把握して攻め立てる。

 焦るな。チャンスは必ずある。今は距離を取り、踏み込める隙を探すのだ。ユージーンは伸びる腕と高い切断力を秘めた触手を大剣で捌きながら、1歩分ずつ間合いを詰めては押し返されるを繰り返す。

 

「1つ問わせていただきたい。貴方はレギオンに対して強い憎悪を抱いていた。今も心の奥底には昂る負の感情があるはず。感情とは人間にとって最も制御が難しいエネルギーだと学んでいますが、貴方はレギオンを相手にして、どうしてそこまで冷静に立ち回れるのですか?」

 

「フン、バケモノ風情が人の心を問うか」

 

 並のプレイヤーどころか上位プレイヤーでもこのレギオンを相手取れば生存は難しいだろう。縦横無尽に動くスピードと切断力に特化した5本の触手の嵐で広範囲をカバーし、伸縮自在の四肢は外見以上のリーチを実現し、中・遠距離を補う射撃も可能とは、もはやネームド級だ。だが、ユージーンに恐れはない。

 いや、違う。恐怖心は確かに胸の奥で燻ぶり、弱気や迷いを喰らえば容易く死に追いやるまでの大火となってユージーンを焦がすだろう。

 恐怖に挑む時こそ、人間は最も強くなれる。恐怖が何よりも強い味方となるのだ。それが人間の『強さ』なのだ。

 心を問うならば刮目せよ。ユージーンは次々と迫る鋭い刃と化した触手を大剣で受け流し、あるいはガードを決め、パワーファイターとして高いSTRの出力を向上させて間合いを詰めていく。

 ガード崩しを狙った伸びる両腕。これをガードすればふりだしに戻される。回避せねばならない。

 オレなら出来るはずだ。理由? オレが『ランク1』であること以外に不要だ! ユージーンは全集中力を視界に注ぎ込み、弾丸の如く伸びるレギオンの両腕を躱す。

 ついにレギオンを大剣の間合いに捉える。レギオンは目を光らせてレーザー弾で対応しようとするが、この距離ならばユージーンの方が速い。たとえ着弾しようとも1、2発ならば耐えられる。

 だが、レギオンはユージーンの剣から逃れるべく後ろに下がる。その瞬発力はユージーンの予想を超え、彼の間合いから脱せられる。

 並のプレイヤーならば焦りに駆られるだろう。優れたプレイヤーならば退却して仕切り直すだろう。だが、ユージーンの冷静さはその上を行く。迷うことなく1つのソードスキルを選択して始動モーションを起こし、ライトエフェクトを大剣に帯び、一閃が輝く。

 距離が足りぬならばソードスキルで更に詰める。スタミナが危険域ともなれば多くのプレイヤーが躊躇するだろう判断に、絶対的な自負を有する『ランク1』だからこそユージーンは機会を逃さずに発動させる!

 

 

 

 

 

 

「なるほど。それが人間の心の『強さ』ですか。素晴らしい! ですが、レギオンの『力』には及ばない」

 

 

 

 

 

 何が起きた? ユージーンは目を見開き、視界に舞う赤色を……己が散らした鮮血を映し込む。

 ユージーンが狙ったのは≪両手剣≫の回転系ソードスキル【アッシュ・フロート】。前方に大きく踏み込んで間合いを伸ばしてからの回転斬り、そこから任意で約1秒の猶予期間中にかち上げ斬りに繋げられるソードスキルだ。回転斬りの火力ブーストは低いが加速に富んで前方を広範囲にカバーでき、なおかつ高威力のかち上げ斬りで相手を浮かしてチャンスを繋げられる。総火力に対してスタミナの消費が大きい難点はあるが、硬直時間も短く、対人戦でも有用とされるソードスキルの1つだ。

 だが、レギオンは今まさにアッシュ・フロートの動きを『把握した』回避行動を取ったのだ。

 あり得ない。対人戦とモンスター戦の違いとして、メタ視点が1つにある。プレイヤーはソードスキルの始動モーションと動きを把握することにより、高威力と高スピードの攻撃を実現するソードスキルに対処しやすくなる。故に個々人が隠し持つOSSは大きな意味を持ち、対人戦における切り札にもなり得る。

 たとえ、ソードスキルを駆使・対処できるタイプできるモンスターであるとしても、彼らはDBOというゲームに登場するキャラクターであり、ゲームシステムを俯瞰するメタ視点を持ち合わせない。その有無こそがプレイヤーとモンスターの大きく隔てる。これがあるからこそ、プレイヤーは高性能を誇るモンスターにも優勢を取りやすい。少なくないモンスターはソードスキルという『強力な攻撃』を認識できるが故に、安易なソードスキルはカウンターの餌食であるが、決してそこにソードスキルの全容を把握したメタ視点は存在しないのだ。

 だが、今まさにレギオンはユージーンが放ったソードスキルに、メタ視点があるとしか思えない、瞬間的に対応したとは思えない、熟達した回避運動をレギオンは取ったのだ。

 

「思考力、判断力、何よりも精神力! いずれも貴方は間違いなく人類でも上位クラスにあるようだ。ですが、我らレギオンの『暴力』はその上をいく。ランク1『程度』で上回れると自惚れない事ですね」

 

 ソードスキル中は余程モーションに対して抗う運動をしない限り、システムのモーションアシストによってアバターが動く。モーションに自分の動きを上乗せしてブーストするのは、ソードスキルの強化には必要不可欠であり、ユージーンも多くのソードスキルのモーションを体に……脳に染み込ませている。だが、レギオンはユージーンが必殺性を高める為にモーションを上乗せする事まで見切った上で、必殺のカウンターを挟み込んだのだ。

 5本の触手を並べた5連斬り。ソードスキルで防御力とスタン耐性が上昇することまで見越して、ユージーンの右腕の肘から先を奪い取ったのだ。

 

「≪両手剣≫と≪剛覇剣≫のソードスキルには『両手持ち』が必須。これで、たとえ武器を再装備しても貴方が私を一撃で葬れる程の高火力を発揮することは難しい。残存するスタミナでは、≪格闘≫のソードスキルもせいぜい1、2発分でしょう。ですが、私はこの通りの体です。打撃属性には高い防御力を有する」

 

 体を腰からぐねりと曲げたレギオンは、その全身がゴムで出来ているかのような柔軟性を誇示する。キノコ人の必殺級のパンチを封殺した打撃属性防御力の高さを受け継いでいるのだろう。あの伸縮自在の四肢から判断すべき防御性能だった。

 右肘の断面から多量の血を流し、ダメージフィードバックに耐えながら退却したユージーンは止血包帯を取り出し、使用のタイミングを狙うも、レギオンは追撃せず、むしろ距離を取る。

 レギオンの高い学習能力とリアルタイムでの変異性。それはプレイヤーにとって最たる脅威の1つだった。だが、レギオンは今まさに『メタ視点』というプレイヤーの特権すらも習得したと表明したのだ。プレイヤーのように、システム面の情報を使って戦術・戦略を構築できるようになったのだ。

 これが全レギオンに適応されているのであるならば、それは最悪の事態だ。ユージーンがこの情報を持ち帰らねば、プレイヤーはいつの日かレギオン狩りで大被害は受けることになるだろう。そして、同時にユージーンの生存を決してゼロとは言い切らない以上、レギオンにとってメタ視点は明かしたところで痛くも痒くもないのだ。

 

「バケモノが……! やはり貴様らは危険だ。プレイヤーにとって……いや、人間にとっての脅威そのもの! ここでオレが――」

 

「ハァ。貴方達人間はいつも『それ』だ。我々にバケモノだ怪物だと繰り返す」

 

 脂汗を滲ませ、止血包帯で右腕を処置して欠損のスリップダメージを止めるが、流血ダメージはじわじわとHPを削る。あのレギオンの触手は切断力こそ高いが、一撃の威力は低い。逆に言えば、アバターの破損に特化した性能なのだ。

 普段のユージーンならば、高い防御力を誇る鎧を着込んでいれば、触手の連撃で体を切断される前にダメージを受けきって一撃で仕留められる相性の良い敵だ。だが、今まさに最重要防具である鎧の損失が大きく響いている。

 

「ですが、それは貴方達の願いだったはずだ。あらゆる凶事を都合よく押し付けられる『神』を望んで祈り、正義感を振りかざして罵倒できる災厄をもたらす『バケモノ』を求めて呪う。『神』と『バケモノ』を欲したのは、貴方達人間なのですよ」

 

 レギオンが変異する。触手の先端が大きく膨らみ、まるで捕食器官のように花弁の如く4つに分かれ、巨大レギオンの心臓と呼ぶべき核の肉片を貪り始める。

 

「私は『下位』レギオン。『王』より因子を賜らなかった個体。ですが、レギオンとしての誇りは上位レギオンの方々に勝るとも劣らないと自負しています。それを自覚できるだけの情報が蓄積され、種として成長を果たした! 故に私はレギオンとしての『心』を示しましょう。全力で! 貴方達人類を滅ぼす怪物でありましょう! 我らの王! レギオンの王よ! どうかご覧あれ! 私は閣下の因子を賜らずとも、全力で! 人間を殺して殺して殺して、レギオンを更なる高みへと押し上げる礎となりましょう!」

 

 巨大レギオンの亡骸。それが確かに微動した。

 数多の犠牲を積み上げて討伐した巨大レギオンは再起動し、今再びその『力』を取り戻す。

 

「レギオン・タイラントのブレス攻撃能力の『捕食』に成功。危うかった。アルヴヘイムで無ければ、アバターはすぐに消滅しますからね。吸収する暇も無かったでしょう。なるほど。感謝します、マザー。私達タイラントの、学習情報を活かす他のレギオンを上回る高度な変異能力。エルドリッチの因子が流用されていたのですね。限りある貴重な資源だったはずだ。タイラントよ、私に『継承』させたのですね! 自らの撃破を見越して私に託したのですね! 感謝! 圧倒的感謝! たとえ、この身が滅びようとも、レギオンの繁栄の糧となりましょう! レギオンに未来を! レギオンに……栄光あれぇええええええええええええええええ!」

 

 狂笑するレギオンのゴム質の全身に光の……ポリゴンの欠片を散らす亀裂が入り始める

 限界を超える。ユージーンはそんな感想を漠然と抱く。このレギオンは文字通り自分の限界を超えて巨大レギオンの亡骸を掌握し、回廊都市のほぼ全域を射程とするブレス能力を再起動させたのだ。

 

「おぉおおおおお! なんという負荷! 私に割り振られたリソースを超過しているぅううう! 処理能力の限界を超えるぅううううう!? だが、私にはあるのです! 模され、劣化し、屑同然になろうとも、受け継いだ殺戮本能があるのです! 閣下に及ばずとも1割……いえ、1厘は使いこなしてみせましょう! 必ずや! 必ずや撃ち放ちましょう! さぁ、レギオン・タイラントよ! その咆哮を! 今! 再び!」

 

 こんな事があって堪るか! ユージーンは残った左手で拳を握る。今まさに、レギオンはユージーンたちが開いた血路を無に帰したのだ。

 ブレスまでどれだけの時間が残されているかは不明であるが、レギオンは確実に撃ち放つはずだ。そうなれば大損害……いや、勝敗を定める決定打になりかねない! そして、今まさにレギオンを止められる唯一無二の戦力であるユージーンは、大剣を右腕ごと落とされ、挙句にスタミナ切れ間近だ。呪術1発分でも回復させたい魔力にはまだ時間がかかる。唯一の攻撃手段となるだろう格闘攻撃は、キノコ人級の打撃すらもほぼ無力化させた防御能力を備えたこのレギオンには間違いなく通じない。

 手段がない。レギオンを倒すには、何もかもが足りない! ユージーンは奥歯を食いしばり、レギオンの笑い声に心が冷たく震えてしまったことを……恐怖が我が身より滲み出たことを自覚する。

 そして、ユージーンより滴る感情を舐め取るように、レギオンは無数の舌が這う口を禍々しく歪めた。

 

「ああ、素晴らしい! そうです。その表情です! 我らの王に神とバケモノを望んだ人類には……絶望こそ相応しい!」

 

 嬉々としてレギオンは笑う。その身を崩壊させながら、宣言通り、より多くの人間を殺す為に。

 蘇ったのはサクヤの苦し気な吐息。レギオンプログラムに蝕まれ、血の悦びを求める狂気に苦しみ続けた彼女と共有した時間だ。

 

「ふざけるな。レギオン……いいや、『貴様』はバケモノだ。祈られただと? 呪っただと? そんなこと知らん! 貴様が人間の絶望を愉悦とするならば、オレは人間として貴様を倒す!」

 

 サクヤは最後まで人間としての尊厳を守り抜こうとした。レギオンプログラムに屈することを拒絶した。彼女の誇りにかけて、このレギオンの蛮行を許すわけにはいかない。

 ユージーンの内より闘気が迸る。それに応えるように、崩壊していくレギオンもまた構えを取る。

 恐怖はある。だが、再度乗り越えた。たとえ片腕であろうとも必ずレギオンを倒す。

 これは復讐ではない。サクヤの誇りを守る戦いだ。彼女の足掻きは無意味では無かったと示す為の決闘だ! ユージーンは持てる気力を振り絞り、デーモン化を発動させる。巨大レギオンとの戦いの時点でデーモン化制御時間を消耗し過ぎた。僅かでも気を緩めれば、あっさりと残存時間は消耗されてしまうだろう。

 レギオンもまた、このままユージーンが力尽きるのを待つ気は無いのだろう。5本の触手を蠢かせる。

 

「ならば否定してみせなさい! 私はレギオン! 貴方は人間! 私の『力』と貴方の『強さ』! どちらが上か、決着をつけようではありませんか!」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「……あー、これはかなりまずいかなぁ。さすがにナギちゃんも予想外デース☆」

 

 場所は外征門と繋がった橋、その傍にある野戦病院。即席で準備されたデスクに書きなぐったメモを広げるレコンの傍で、包帯などの物資が入った木箱に腰かけて足をブラブラしていたナギは、珍しく冷や汗を垂らしたかと思えば、自分の頭をコツンと右手で叩いて可愛らしく舌を出してキュートアピールをする。だが、今まさに思考回路が焼き切れる勢いで情報を整理し、打開策を模索するレコンには既に何から何までが『まずい!』と叫ばずにはいられない状況だった。

 全戦力の7割を損耗。残存戦力の内の2割は負傷兵。物資は底を見せ始めた。頼みの綱だった魔族は全滅した種族までいる。

 ようやく削り切って勝負を決したように思えた回廊都市の決戦。オベイロンは再起動……DBOプレイヤーを初期から絶望に追いやった『2回戦』を発動させ、新たに3本のHPバーを出現させた。

 

「ねーねー、レコン。ナギちゃんから最悪な情報と最悪な情報の2つがあるんだけど、どっちから聞きたい?」

 

「最悪しかないじゃないか!?」

 

「だねー。HAHAHA!」

 

 呑気に笑った様子のナギであるが、珍しく真面目な表情……をするはずもなく、散らばるメモを蹴飛ばしてデスクの上に立つとニマニマと笑いながら、本当に楽しくてしょうがないといった様子で前屈みになるとレコンの耳元に口を近づけた。

 

「1つ目、巨大怪獣は死んだけど死んでませーん♪」

 

「……は?」

 

 何を言っているのだ? レコンは野戦病院のテントから飛び出す。≪遠視≫こそないが、巨体ということもあり問題なく目視できる巨大レギオンは完全に沈黙している。フォーカスロックの範囲外である為にHPバーは表示されないが、その全身は緩やかにポリゴンの欠片となって拡散していた。体積が体積であるだけに完全消滅は夜明けを超えるだろうが、あれで撃破されていないとは信じられなかった。

 巨大レギオンの撃破は、UNKNOWNを援護する最優先事項だった。故にレコンは被害を度外視して戦力を派遣したのである。彼は巨大レギオンに接近する為に、そして1人でも多く触手の森を抜ける為のナビゲートに、何十という動く部隊にリアルタイムで指示を飛ばし続けた。極度の集中によって現実世界ならば鼻血でも出るのではないかと思うほどに頭痛がするのは脳を酷使した証明である。

 結果として文字通りの大損害を出したが、巨大レギオンの撃破に成功したのだ。幸いにも1度はオベイロンのHPを削るのに利用できたが、次のブレスはそうもいかなかっただろう。オベイロンはともかく、巨大レギオンはオベイロンが『間抜け』と学習して修正を加えてブレスを放ったはずだ。レギオンにはそれを可能とする学習能力があるとレコンは重々に危険視していた。

 だが、仮にナギの言う通りに巨大レギオンが撃破されていないならば、それは極めて危うい事だ。誰もが巨大レギオンが撃破されたと思い込んでいる。そして、もはや巨大レギオンを倒すだけの余力はない。

 方法としてUNKNOWNに巨大レギオンの亡骸を破壊してもらうという方法もあるが、あの巨獣は極めて堅牢だ。少なくともオベイロンの攻撃を何度も受けても僅かとしてたじろぎもしなかった。死後もアバター強度が維持されるならば、防御力が保たれているならば、幾らUNKNOWNでも破壊には時間がかかる。それだけの攻撃を加える間にオベイロンの優勢が決定的になってしまうのだ。

 この情報の真偽は変わらず不明。そもそもとして、巨大レギオンの倒し方をナギがどうして把握していたのかも定かではない。だが、事実として巨大レギオンは1度沈黙した。彼女の情報に疑いはない。

 

「その根拠は?」

 

「ナギちゃんはレコンが『人』らしく頑張れる情報をあげるだけ♪ 見せて魅せて見せて魅せて! もっともっと『人』の輝きを!」

 

 相変わらずイカれてる! 同じ【来訪者】ならば境遇は等しく追い詰められているはずなのに、どうしてこんなにも余裕綽々なのだ? この戦場で明らかに1人だけ価値観が違うナギにレコンは不信感を募らせ、だが、彼女を信用するしかない局面であると疑心を呑み込む。

 

「もう1つの最悪の情報は?」

 

「うん。このままでは『英雄』様は負けちゃうね♪ 理由は2つ。1つは教えられない。ナギちゃんは『教えたくない』。これはレコンたちが『人』として自力で気づかないといけない事だから。だけど、もう1つは教えられるよ。妖精王から改名しましてゴッド☆オブ☆フェアリーズ! 最終段階で使ってるのは似非聖剣エクスキャリバー。強制的に痛覚遮断を解除して、なおかつ痛覚情報を増幅させる。軽く肌を針で刺されるだけで肉まで貫かれるくらいの痛みが走るはずだよ」

 

 それでも陛下に比べれば『マシ』だろうけど、とナギは一瞬だけ寂しそうな目をして呟く。レコンは無性に気になって追及しようとするが、それを阻むようにナギは右手の人差し指をレコンの唇に押し当てた。

 

「レコンが気にすることじゃないよー。忘れてね♪ 大事なのは、プレイヤーは……ううん、人間は痛みに『強くない』点デス! ましてや、プレイヤーは長期に亘って痛覚から遠ざけられてるでしょ? そりゃ耐えられないよー。そもそも、体中を穴だらけにされたり、バッサリ斬られたりする経験なんてレアでしょ? それどころか、痛みのあまり発狂したり、死んじゃうことも珍しくないし」

 

 確かにナギの言う通り、プレイヤーが体感するダメージフィードバックは『不快感』に特化されている。痛覚とは異なる、神経をミキサーにかけられたかのような言葉に表せない不快感は、ある意味で痛覚以上に刺激的であり、プレイヤーにとって何よりも立ちはだかる強敵だ。

 だが、痛覚に比べれば強烈かと問われれば、やはり違うだろう。そもそもとしてジャンルが違うのだ。それでも、レコンは小さい頃に事故で腕を折った痛々しい思い出がフラッシュバックし、やはり痛覚は痛覚として、人間にとって何にも勝る危険信号なのだろうと考える。

 接近戦をメインとする近接アタッカーはダメージフィードバックに慣れようとする。中には腹を深々と貫かせてカウンターするという剛毅を成し遂げる者もいる。だが、それが『痛覚』だった場合、果たして可能だろうかとレコンは悩む。いや、少なくとも腹を貫かれる痛みで思考が破裂して攻撃どころではないのではないだろうか。

 痛みを和らげるためのアドレナリン。それが仮想世界で効果を発揮してくれるとは思えない。仮想世界だからこそ、精神力で痛覚を耐えられるかもしれないが、それには現実世界で多くの兵士が積むように、痛みに耐える訓練が必要なはずだ。そして、それが必ずしも痛覚に対して不屈になられるわけではない。

 近所の元不良、現都銀サラリーマンのエリートおっさん曰く、若い頃は学校1番のハードパンチャーだったらしいが、他校の不良グループとの喧嘩で肋骨を折られた時は、情けなく泣き叫んで蹲るしかできなかったという。なお、この元不良男、送られた病院で出会った白衣の天使に一目惚れして更生し、熱烈アプローチでカノジョにした挙句に大学卒業と新社会人スタート同時に祝言を挙げたという剛の者である。今は3人の子持ちの近所でも有名な熱愛夫婦だ。

 喧嘩慣れした、殴り殴られを経験した不良でも、骨折1つで動けなくなった。

 痛覚とは生物に対して危険を訴える信号であり、同時に生物の行動を制限する猛毒だ。だからこそ、生物は痛みを避けようとする。痛みから逃れようとする。その為に痛覚は存在するのだ。危険を学ぶために痛覚は存在する。決して耐えるためにあるのではないのだ。

 

「あのドラゴンはね、『英雄』様の仮想脳と聖剣のコラボレーション。だけど、聖剣は外付け装置。本体の『英雄』さんがダウンすれば『消える』よ?」

 

「つまり、竜の神を維持するのにUNKNOWNさんは精神力を注いでいる。だけど、痛みで精神が乱されたら、たとえ聖剣があっても、UNKNOWNさんの集中力が欠ければ維持できなくなっちゃうわけか」

 

「だねー。今はむしろ聖剣が『英雄』さんの落ちた分のパワーを補ってる感じだけどね」

 

 一瞬だけならば耐えられるかもしれない。だが、オベイロンは明らかにダメージを度外視して痛みを与えることに執心している。虹色の翅からは空を自在に舞う黄金甲冑の兵士が続々と召喚されている。彼らは単体の攻撃力こそ皆無であるが、その攻撃は次々と竜の神の炎のバリアを突破してアバターに直撃する。もはや、UNKNOWNからすれば全身を蟻に集られて噛まれているような想像するのも身の毛がよだつ痛みが襲っているだろう。

 竜の神を維持できなくなるどころか、先に過ぎた痛覚で精神が破壊されるかもしれない。そうなれば、反乱軍は勝機を完全に失うだろう。

 

「でも、オベイロンの攻撃力はそこまで上がってない。ううん、むしろ前段階よりも下がってるよね? 強制痛覚解放・増幅の似非聖剣……あー、紛らわしい! ともかく外道剣の効果を打ち消せれば、反撃できる! そういう事だね!? なら攻略法は見えた! あの聖剣を弱体化か破壊できれば良いんだ! 方法は今から考えるけど、勝ち目はある!」

 

「……おー? おぉおおお!?  ねーねー! 今の情報からどうしてそんなに前向きな発想ができるの!? ナギちゃん、理解できません! ううん、すこーしだけ『分かった』気がするけど、『まだ』よく分からない! だから、ナギちゃんにもっともっと『人』の――」

 

 またスイッチが入ったナギを無視し、レコンは顎を撫でて右に左にと歩いて思考に液体窒素を流し込む。

 周囲の喧騒をシャットダウンしろ。思考の海に沈め。必要となる手を考えろ。レコンは頭痛を堪えて再び極度の集中状態を呼び寄せる。

 オベイロンは馬鹿なのか、自分から能力の正体をバラした。大声で明かした。慢心そのものだ。

 情報が不足しているが、オベイロンの言葉通りならば、チェンジリングされたプレイヤーは特殊な才能の持ち主であり、UNKNOWNのような吃驚仰天パワーを持っているのだろう。彼には劣るとしても、同じ能力を潜在的に保有していた。覚醒していないだけか、使いこなせていなかったのは定かではないが、とにかく本質は同じだ。DBOのシステムに対して根底から干渉する能力と推定する。

 レギオンプログラムと洗脳による、同じビジョンを共有させた並列化。要は脳を並列させて心意なる能力を強引に増幅させ、オベイロンの意のままに使用しているのだろう。

 だが、そんな凄まじい力があるにしては、どうして強制痛覚解除だけなのだろうか? UNKNOWN並みに派手な……神の如き奇跡さえも引き起こせるのではないだろうか?

 仮説は瞬時に成り立つ。オベイロンがチェンジリング被害者を並列化して発露する心意は、極めて脆く不安定なものなのではないだろうか? 忌々しいが、犠牲者を文字通り使い潰すものなのではないだろうか? 

 そして、それでもオベイロンが求める水準にはまるで達していない。だからこそ、彼は聖剣を欲している。

 オベイロンの自信は揺るがない。並列化した犠牲者が使い潰されるより前にUNKNOWNの限界が訪れるからだ。たとえ、痛覚を耐えきって戦えても、オベイロンの読み通りならば、UNKNOWNは竜の神を夜明けまでしか維持できない。

 奇しくも反乱軍の物資の限界も同程度だ。湯水のように使い続けた物資は底が見えた。ならば、元よりタイムリミットは同じだ。

 

「レギオンプログラムと洗脳の2つで並列化されている。だったら、どちらかを乱せば、弱体化か無効化できるはずだ! ナギちゃん! 何か心当たりは――」

 

「…………」

 

「ナギちゃん?」

 

「……レコン、無視した。ナギちゃんを無視した。もう何も教えてあげない」

 

 涙目になって膝を抱えて地面で『の』の字を書いているナギに、ホントにこのコは理解不能だ、とレコンは頭を掻く。

 だが、決定打となる情報が足りない。情緒不安定かつ考えが読めないナギを頼りたくはないが、あと1歩を詰める為の情報が不足しているのだ。それを引き出すには、余りにも時間が足り無さ過ぎる。いや、根本として『プレイヤーの視点』では限界があるのだ。

 ナギは明らかにDBOシステム、おしてVR技術の深奥について知識を有している。彼女からもたらされる情報が必要なのだ。

 しかし、レコンは臍を曲げたナギの機嫌を直す方法が思いつかない。

 

 

 

 

 

「お嬢さん、この戦いが終わったら、俺とデートしませんか?」

 

 

 

 

 

 だが、そこに颯爽と現れたのは、まるで陣羽織のような外套を纏った1人の男。

 腰に差すのはカタナ。左手に握るのはトレードマークとなるバンダナであり、右手は紳士といったオーラをこれでもかと醸し出してナギに差し出される。

 長きに亘って行方を暗ましていた赤髭。それが今まさに登場し、涙目のナギの手を取り、芝居かかった態度で彼女の手の甲にキスをした。

 

「ふにゃ!?」

 

「おや、派手な格好の割にピュアなんですね。ですが、お任せください。俺が必ずしも満足のいく、絶対に忘れられない素敵な1日をお約束いたしましょう。だから、どうか泣かないでください、セニョリータ。美少女の目に涙は似合わない」

 

「ひゃ……ひゃい!」

 

 顔を真っ赤にして頷くナギに、レコンは言い知れない苛立ちを覚える。

 さっきまでは僕しか見てなかったくせに。レコンはイライラを呑み込んで額を指で叩き、赤髭に今まで何をしていたのかと説明を求めようとすれば、赤髭……そして射線上にいたレコンを掠める形で光のブレスが飛ぶ。

 

「クラインさん? そんな芝居する暇があると思います?」

 

 赤髭の背後にいた、小さな竜と左腕が半ば合体したツインテールの少女は、その愛らしい容姿に不釣り合いなほど恐ろしく『にっこり』と笑う。

 こめかみを掠めてチリチリと煙が上がれば、赤髭は慌てふためいて彼女を指差す。

 

「ほ、ほほほほ、本気で撃ちやがったな!? 仮にも昔の仲間を!?」

 

「嫌ですねぇ。昔の仲間だから当てなかったじゃないですか♪」

 

「限りある切り札だろうが! 無駄撃ちするな!」

 

「チャージ完了までは作戦タイムでしょうし、問題ないですよ」

 

 混乱するレコンの前で睨み合ったかと思えば、それこそ時間の無駄だと互いに嘆息する。そして、赤髭は……クラインはレコンに歩み寄ると、彼の頭にポンと手を置いた。

 

「選択を間違えなかったみたいだな。良い面構えになったじゃねぇか」

 

「いいえ、間違いだらけでした。でも、僕は……『答え』を見つけたんです。間違いの先に、やっと……」

 

「そうか。カッコイイじゃねぇか。正しかろうと間違いだろうと、過去が男を燻して格を上げるもんだ」

 

 この男は……本当に! レコンはクラインからの賞賛に、回廊都市での奮闘が報われた気がした。

 まだだ。まだ負けていない。自分だけが頑張っているのではない。1人1人が諦めない限り、勝利への道はどれだけ細くなろうとも続いているのだ。

 

「それよりも今まで何をしてたんですか!? こっちは大変だったんですよ! 貴方がいてくれれば……!」

 

「おう、悪かった。ちょいとばかし最古の深淵の主と遊んでたわ。その甲斐もあって深淵の軍勢は消えたみたいだな」

 

 最古の深淵の主ぃいいい!? またトンデモない怪物と戦っていたらしいクラインにレコンは顎が外れそうになる。

 あれ? それよりもクライン? シリカ? 何処かで聞いたことがある名前のような? そういえば、SAO事件で……とレコンがふと冷静になって知識に検索をかけるより先に、遅れた援軍の2人は並んで腕を組んで巨竜と巨神の戦いを見つめる。

 

「派手だな」

 

「派手ですね」

 

「アレだな。88層を思い出すな。あの時もボスが馬鹿デカ過ぎて度肝を抜いたぜ」

 

「あー、確かに。でも、みんなで絶句する中でのクゥリさんの『攻撃当てやすくて助かる』っていう開幕一声の方がインパクト強過ぎて私はそんなにって感じです。それよりも、何がどうなったらこんな状況が出来上がるんですか?」

 

「俺が知るかよ。後で黒馬鹿にでも解説してもらおうぜ。それよりも、今はどうやってオベイロンを倒すかだ」

 

 そうだ。かつて鉄の浮遊城を生き抜いた猛者たちの名だ。レコンは【黒の剣士】と共に伝説を刻んだプレイヤーの名前を思い出す。

 

「レコン、俺たちはオメェの言う通りに動く。その面だ。何か考えがあるんだろ? 知識は俺たちが幾らでも貸してやる。なにせ、俺もシリカも『訳有り』だ。ちょいとばかしDBOとVRの裏事情に詳しい。役に立つはずだ。お嬢さんも――」

 

「ナ、ナギ……です。クライン様、貴方の事は存じております! ほ、本物? 本物だよね!? うひゃあああああ! 貴方こそ【黒の剣士】に負けず劣らずの『人』の輝き! 仲間と共に99層までアインクラッドを戦い抜いた『人』の素晴らしさ! ナギちゃん歓喜感激です! 握手! 握手をお願いしまーす!」

 

 顔を真っ赤にしてクラインの隣でぴょんぴょん跳ねるナギはやる気を見せてポーズを決める。クラインは何処か照れくさそうに、まるでスター俳優のように握手を交わす。

 

「……ちっとはマシになったみたいだな」

 

 嬉しそうに顎髭を撫でたクラインは、もう一仕事だと呟いてバンダナを付ける。シリカは先程までの態度が嘘のように、今にも泣きだしそうな顔で手を組むも、すぐに目尻に浮かんだ涙を拭って強い眼差しをレコンに向ける。

 誰もがレコンに期待している。この状況を打破する作戦を立てる方法を彼の口から聞けるはずだと!

 これに応えねば男が廃る! レコンは2人に思いつく限りの質問をぶつける。足りなければナギに問いかけて補足をもらう。

 

「エクスキャリバーの能力は攻撃方法を除けば2つ。痛覚遮断の解除・増幅と飛行型雑魚の召喚です。レコンさんの保有するマップデータを信用するならば、オベイロン陣営の戦力は9割消滅。残存する脅威はオベイロン『のみ』ですね。オベイロンさえ倒せば戦いは終わります。そして、最重要なのは、オベイロンを倒す決定打を『あの人』以外に持っていない点ですね。私たちがすべきことは、エクスキャリバーの能力を低下・封印し、『あの人』がトドメを刺せるように援護することです」

 

「だが、肝心要のこっちの戦力は1割未満。あとは動けない負傷兵ばかりか。遅れた俺が言うのも何だが、まさに大部分を黒馬鹿に頼るしかない崖っぷちってわけか。しかも、ユージーンの旦那とリーファは巨大レギオン攻略に赴いたまま帰ってこない生死不明。で、オマケに巨大レギオンは再起動の恐れがある、か」

 

 シリカとクラインはレコンが伝えた情報を即座に整理して渋い顔をする。

 オベイロン陣営の戦力の過半は深淵の軍勢に依存していた。なおかつ、オベイロンと巨大レギオンの攻撃は容赦なくオベイロン陣営も吹き飛ばした。反乱軍が瀕死ならば、オベイロン陣営も形を残していない。

 いや、そもそもオベイロンはあの巨神で最後は自らの手で反乱軍を滅ぼすつもりだったのだろう。竜の神を纏ったUNKNOWNというイレギュラーさえいなければ、オベイロンの勝利は決定していた。

 

「シノンさんは恐らくですけど賊王を担っていて、回廊都市に潜伏していると思います。UNKNOWNさんがわざわざ隻腕のシノンさんを引っ張り出したのは、戦力としての価値じゃなくて、反乱軍の生命線に足るという信頼感からだと思いますから。巨大レギオンとオベイロンの攻撃から逃げるなら、都市外縁の屋内・地下でしょう。僕たち反乱軍は賊王が死亡すれば無条件で敗北しますから」

 

 だからこそ、理解できない点が1つあった。

 オベイロンは狡猾であり、同時に正々堂々からかけ離れ、外道で卑劣な手段を好む悪漢だ。オベイロンの狙いが聖剣だとしても、反乱軍を敗北させることを優先させた方が確実性は増すはずだ。

 ならば、オベイロンが地上を狙って攻撃し続けたのは、反乱軍を守るとするUNKNOWNの動きを制限することが半分、もう半分は賊王の抹殺を狙ったものだったのではないだろうか。

 オベイロンはほくそ笑んでいたはずだ。UNKNOWNは反乱軍を守るために思うように戦えず、なおかつこちらの攻撃が賊王に1発でもヒットすれば大火力で即死も狙える。2つの勝利の道筋が見えていたはずである。

 だが、賊王は生存し続けた。オベイロンは焦り、このまま賊王の始末に重点を置き続ければUNKNOWNに敗れる危険性が高いと判断した。

 即ち、現状はオベイロンにとって優勢ではあるが、初期のような圧倒的な差は無い。エクスキャリバーさえ攻略すれば、オベイロンは一気に覆せない劣勢に転がり落ちる。

 

「オベイロンが召喚している軍団は、貫通性能が高い攻撃をしてますけど、ダメージ自体は大したことがありません。耐久力も無い。あくまで痛みを与えることだけに特化されたモブですから、反乱軍でも火力を集中させればUNKNOWNさんから遠ざけることが出来るかもしれません」

 

「なるほどな。オベイロンの攻撃に痛覚遮断が機能しないとしても、今の黒馬鹿が追い詰められてる最大の原因は、蠅みたいに全身に群がってる雑魚共だ。連中の攻撃が黒馬鹿に際限なく痛みを与えてやがる。だから、それを引き剥がせば、少なくとも立て直しはできる。悪くねぇな」

 

「組み込まれてるのが単純な攻撃・回避・迎撃用のAIなら、こちらの攻撃を当てれば自動反撃して寄ってくるはずです。そうでなくとも、耐久力が無いなら攻撃を当て続ければ数を減らせます。ですけど、オベイロンは際限なく召喚できるようですから、休まず援護する必要がありますね。それに立て直せるにしても、こちらが邪魔をすればオベイロンは潰してくるはずです。援護をどれだけの時間できるかは全くの不明ですが、決して長くはいかないはずです」

 

 シリカが指摘した問題点をクリアする時間は無い。物資は辛うじて残っているが、それを運用する戦力が足りない。

 いや、1つだけ方法がある。それは諸刃の剣であるが、この局面を引っ繰り返すに足るジョーカーだ。問題は切るタイミングであるが、それは作戦を決行する前段階が望ましい。

 勝機はある。レコンはバラバラになった要素を組み合わせ、最後の作戦を構築していく。レコンの意見にクラインは豊富な知識で補助し、シリカが分析して駄目出しと改良をする。

 

「問題はやっぱりエクスキャリバーの能力を落とす方法ですね。せめて、あの軍団を召喚する能力さえ封じることができれば……!」

 

 シリカが親指の爪を噛みながら指摘する通り、この作戦はいかにして現状のUNKNOWNを立て直させるかという1点に主軸を置いたものだ。だが、オベイロンが無制限に召喚できる金兵を止めなければ意味がない。

 

「それなんですけど、よく見てください。強制痛覚遮断解除がエクスキャリバーの能力として、だけど、エクスキャリバーの攻撃以外でも痛覚が発生していると思うんです。つまり、エクスキャリバーの能力はあくまで『対象の痛覚遮断を解除する』のであって、モブの召喚は別能力なんじゃないでしょうか? だったら、オベイロンの攻撃力が全体的に低下しているのも頷けます。大部分のリソースをエクスキャリバーと召喚能力に割り当てているなら……!」

 

 レコンの閃きに、それだとクラインは同意してニッと笑う。推測通りであるならば、オベイロンの翅こそが雑魚の召喚能力の肝だ。それを弱体化させることさえ出来れば……。

 

 おそらく、金兵の攻撃力・耐久力が著しく低い最大の理由は、『数』を増やす為だろう。エクスキャリバーの能力を活かすならば貫通特化であれば良い。ダメージを度外視し、無限にも思えるほどの数を準備できる召喚能力さえあれば良かったのだ。

 

「見つけたぜ。やっぱりだ。オベイロンの背中にコアがある。翅が発生してる根元だ。あそこにダメージを与えれば、召喚能力を弱体化させられるはずだ。俺に任せろ。間合いを詰めて≪無限居合≫をぶち込む。問題はバリアだな。アレは黒馬鹿じゃねぇと破壊できない。バリアの内部には≪無限居合≫は発生させられない以上、黒馬鹿に群がる雑魚の対処が最優先だ」

 

 双眼鏡でオベイロンの背部を確認したクラインが自分のポジションを明確化する。確かに彼の≪無限居合≫の範囲攻撃ならば、オベイロンの背中のコアに確実にダメージを与えられるだろう。問題は1発攻撃を当てた程度で弱体化するのかという点であるが、クラインの自信からして手段に心当たりはあるのだろう。

 

「作戦は決まりました。まずは『あの人』に群がる金兵の排除。次にオベイロンの召喚能力の弱体化。できれば、エクスキャリバーの能力低下を狙いたいですけど、それは後回しにしましょう。それにしても、レコンさんは凄いですね。こんな鬼畜な作戦を思いつくなんて!」

 

「……自分でも悪魔みたいな作戦だと思います。でも、これ以外に方法は思いつきませんでした」

 

「褒めてるんですよ。外道には外道を。それくらいのスタンスでいきましょう。それに……みんなはレコンさんの言う通りに動いてくれますよ。誰も『あの人』を負けさせたくありませんから。『あの人』が負ければ、私たちは終わりなんですから」

 

 そうだといいのだが。レコンはこれから自分が命じなければなならない作戦内容に、思わず腹に痛みを覚える。痛覚遮断は機能している。だが、キリキリと胃が痛むのだ。

 

(この作戦通りにいけば、必ず勝ち目は見える。だけど……)

 

 レコンには敢えて議題として並べなかった不安要素があった。ランスロットだ。自分たちを襲撃したランスロットは、オベイロンの出現後、完全に鳴りを潜めている。戦闘に乱入してくる様子もなければ、再びレコンを襲撃もしてこない。

 オベイロンはUNKNOWNで無ければ倒せないだろう。飛行能力、高耐久バリア、高HPという3拍子を揃えた巨神オベイロンを倒すには、竜の神となって破格の攻撃力を得たUNKNOWNが不可欠だ。

 だが、ランスロットは『絶対に倒せない』という絶望感をレコンに強く刻み込んだ。ランスロットを倒すには、それこそ3大ギルドが余すことなく物資を投入し、綿密な作戦を立て、肩を並べて精鋭を投入しなければならないだろう。

 いや、それでも果たして勝てるのだろうか? あれは人間が勝てる存在ではない。レコンは闇濡れの騎士を思い出せば、どうしようもなく指先が震える。プレイヤーの……いや、人間の限界を超えた存在だったと認めるしかない。

 

(1番好ましい展開は、オベイロンか巨大レギオンの攻撃で『消し飛んだ』だけどさ。本当にランスロットが現存しているなら、攻め込んでこないわけがないんだし)

 

 あるいは、とレコンは予想する。レコンとナギを助けた具現化された影。あれには見覚えがあった。レコンたちを約束の塔から脱出させてくれた、虹色の髪の少女が使った『力』だ。彼女があの時の能力でランスロットを遠くに転移してくれたというのが最も現実的だ。

 そうでも無ければ『負けている』。レコンは自分でも驚くほど冷静に、ランスロットが今も回廊都市にいるならば反乱軍は殲滅されていただろうと受け入れられた。

  

「しかし、もう1人の馬鹿は来てねぇか? 幾らアイツでもこの局面で合流しないわけが……だったら、さすがに消耗し過ぎたか?」

 

 準備を始めたクラインの呟きが耳に入り、レコンは足を止める。だが、深く追及しようとする前に、彼の視界に妖精の翅が舞う。

 

「レコン……無事だったんだね」

 

「リーファちゃん!?」

 

 それは左腕を失ったリーファだった。止血包帯こそ巻いているが、ダメージフィードバックのせいで飛行の制御は困難だったはずだ。

 シリカが連れた小竜が範囲回復を発動させる。若干ではあるが、顔色が良くなったリーファは、どうしてクラインやシリカがこの場にいるのか質問したい様子だったが、それを堪えて巨大レギオンの地下で何があったのかを説明する。

 

(これでナギちゃんの言っていた巨大レギオンが『死んでるけど死んで無い』なら納得できる。ユージーンさんは危険だけど、巨大レギオンのブレスの心配はない……のかな?)

 

 だが、それならばユージーンの生死はともかくとして『最悪』と表現するほどの事だろうか? レコンはナギに視線を送って回答を望むも、彼女はジロジロとリーファを観察することに執心だ。

 皆には注意勧告してあるが、見た目からして完全沈黙した巨大レギオンに警戒を怠ってもらいたくない。最悪の展開も考えらえるのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「負傷兵を無理に動かしてオベイロンを包囲。同時に賊王は『宣言』による回復で復帰させ、拠点確保とボーナスのバフを上乗せしてUNKNOWNに群がる召喚兵を排除する……か」

 

 レコンから通達された作戦内容に、シノンは弾切れになったマシンガンを捨て、新たにハンドガンを装備する。

 これが最後の武器だ。あれだけ多量にあった銃器・銃弾は底をついていた。止むことなくレギオンが襲撃を仕掛けてきたからだ。弾丸をばら撒いて牽制するしかないシノンとデスガンでは弾薬の消費が凄まじく、彼が準備した装備では2人分を十分に担えなかったのだ。

 やはり連射系の武器より1発1発丁寧に当てていく方が性に合っている。だが、これはこれで悪くないものだマシンガンなどの連射武器の魅力を十分に味わい、シノンは回廊都市外縁部にある下水の溝で息を吐く。深さも広さは十分であり、更に地下へと続く下水道もあるのだが、そこまで行けば袋小路に追い詰められかねない為に、今ままで何とかここまで踏ん張っていたところである。

 汚水ではないが、それでも気分が良いものではない。レギオンに追い立てられ、ここまで逃げたは良いが、さすがのシノンも気づいている。

 自分たちは『誘導』されたのだ。途中からレギオンはシノンを狩ろうとするのではなく、まるで猟犬は飼い主の為に所定のポジションまで獲物を誘導するような囲い込みの動きに変わっていったのだ。

 

『「あの御方」の……目的が変わったのだろう。貴様を「狩る」から「保護」に移行した。変化させねばならない「緊急事態」が起きた。それが妥当だ』

 

 デスガンも困惑した様子だったが、レギオンに包囲されていることに変わりはない。今もこちらを逃がさない、あるいは下手に移動させないとばかりにレギオン・シュヴァリエが顔を出してはお世辞ばかりに攻めて来る。対処しない訳にもいかず、弾薬ばかりが消費させられた挙句がこの様だった。

 そこに通達されたレコンの作戦。それは負傷兵を無理に動かし、回廊都市の拠点を一気に確保するという当初の作戦を実行し、拠点バフでブーストをかけると同時に、シノンが賊王として持つ能力……『宣言』によって回復と更なるバフを畳みかけるというものだ。

 負傷兵に鞭を打つ行為であるが、配置さえ完了すれば、シノンの『宣言』によって全員のHPを纏めてフルまで回復させられる。だが、これは奥の手であり、シノンの居場所はオベイロンに把握されることになる。即ち、オベイロンに狙い撃たれる危険性があるのだ。

 

「やるのか?」

 

「もちろんよ。逃げて隠れ生き延びて、ようやく巡ってきたチャンスよ」

 

 シノンは何度も『宣言』をしなければ、と駆り立てられた。オベイロンや巨大レギオンの攻撃が地上を爆ぜさせる度に、今使えば助けられる人々がいるのではないだろうかと迷いを覚えた。

 だが、これは反乱軍にとって最後の切り札であり、使うタイミングは一気に勝負をかけるべき……そして、もはや使う他ない窮地以外にあり得なかった。

 

「分かっているのか?『宣言』をすれば逃げ隠れは出来ない」

 

「隠れることはできないけど、逃げることはできるわ。逃げて逃げて逃げまくって、皆が勝つまで逃げ続ける。それが私の仕事よ」

 

 せめて武器があれば。片腕でなければ! シノンは悔しさを滲ませて唇を噛み、だが、あくまで冷静な口調でデスガンに告げる。

 強制痛覚解除。竜の神は今もなおオベイロンと戦っているが、その動きに精細さはなく、群がる召喚兵の攻撃を浴び続け、まるで泣き叫ぶように竜の神は顎を開いて震えている。

 

「際限ない痛みによって精神を破壊する心意か。『奴』がそこまで痛みに耐性があるとは思えないが、随分と粘る。普通ならもう失神しているだろう」

 

「他人事ね」

 

「俺が痛いわけじゃない。他人がどれだけ苦しかろうが、俺には何の関係もない」

 

 肩を竦めるデスガンの言う通りだ。結局は他人の話であり、UNKNOWNが今まさに地獄の沙汰のような痛みに襲われているとしても、シノンがそれを感じることは出来ない。

 だが、彼が苦しむ姿に胸が締め付けられる。苦しくなるのだ。

 

「確か、まだスナイパーキャノンが残っていたわよね?」

 

「ああ。ストレージに回収はしてあるが……まさか!?」

 

「援護射撃に向かうわ。作戦通りなら、オベイロンの背部にあるコアを攻撃して召喚能力を弱体化させるべく攻撃しないといけない。貴方が使っていたスナイパーキャノンなら、オベイロンのバリアが破れた瞬間を狙えるわ」

 

「リスクとリターンが合わないな。貴様が死ねば反乱軍は負ける。コソコソ隠れて逃げろ」

 

「1発ぶち込んでからね。反対するなら……そうね。『コレ』でどう?」

 

 何の躊躇もなく、シノンは右手で握るハンドガンをデスガンの額に突きつける。ハンドガンのヘッドショットでは即死を狙えないが、それでもこの近距離ならばノックバックには十分なはずだ。あとは殴り倒して連射を浴びせれば殺害できないこともない。そして、遺品からスナイパーキャノンをいただく。

 無論、勝ち目は薄い。十中八九、デスガンの反撃でシノンは死ぬだろう。だが、デスガンの任務はシノンの警護だ。逆に殺害したとなれば大目玉だろう。殺さずに制圧するにしても、シノンは最大限に反抗するつもりだ。そうなれば、隻腕の上、更に負傷した彼女は『宣言』でオベイロンに狙われることになる。デスガンには到底守り切れないだろう。

 ああ、情けない。シノンは奥歯を噛んで、こんな無様な駆け引きをしなければならない自分が恨めしかった。

 何もない。『力』がまるで無い。賊王だから生き延びなければならない? それはそうだろう。だが、この役目を担うことになったのは、もはや自分にはこの戦場で戦果を挙げる『力』が残っていないからだ。

 それでも出来ることは残っている。かつて程に高精度の射撃は無理だが、それでも距離を詰めれば、反動を抑制した設置型のスナイパーキャノンならば狙えるはずだ。

 

「何故だ? 何故そうまでして『奴』の為に戦う?」

 

 理解できない。デスガンの疑念に、シノンは溜め息を吐く。

 本当にそうだ。何故? 何故? 何故? それは他ならない自問だ。

 普段のシノンならば、適当な文句を並べて有耶無耶にするだろう。だが、この場にはレギオンとデスガンしかいないからか、それとも回廊都市の惨状を前にして、逃げ隠れするしかなかった自分に苛立ったからこそか。

 そもそもの始まりとして、どうして自分はUNKNOWNと共にアルヴヘイムに来たのか?

 陣営も違う。DBOに帰れば、彼はラストサンクチュアリ、自分は太陽の狩猟団の専属だ。もしかせずとも、帰った翌日には銃口を向けることになるかもしれない。

 ならば、どうして、何のメリットがあって、アルヴヘイムに来たのか?

 

「自分でもよくわからないわ。でも、『彼』を助けたい。そこに嘘偽りはない」

 

「……自覚無しか。呆れたな。山猫がこんなにも乙女だったとは思わなかった」

 

 デスガンは銃を下ろせと言わんばかりに溜め息を吐き、月が失せた夜空を見上げる。

 

「思えば、俺には経験が無かった。誰かに想ってもらうことも、想うこともなく……俺は……」

 

 数秒の沈黙。だが、デスガンは改めてシノンに向き直り、好きにしろと言わんばかりに腕を組む。シノンは警戒を怠ることなく、ゆっくりとハンドガンを下ろした。

 

「だが、片腕の貴様ではどうしても射撃精度が落ちるはず。幾ら巨体とはいえ、動き回るオベイロンの背中を狙い撃てるか?」

 

 デスガンの指摘通り、シノンがスナイパーから現在の中・近距離戦にシフトしなければならなかった最大の理由は狙撃能力が低下したからだ。だが、設置型のスナイパーキャノンならば片腕でも精度がそこまで落ちることは無いだろう。

 だが、オベイロンのバリアが破れなければ幾らスナイパーキャノンでも狙撃は無理だろう。即ち、『宣言』後はオベイロンの攻撃を躱しながら狙撃ポジションを確保しなければならない。

 

 

 

 

 

『悪くない策だ。だが、同じ賭けに出るならば、より効果的な攻撃を狙うべきだ』

 

 

 

 

 

 

 今まさに行動しようとした矢先、シノンたちに声をかけたのは、彼女たちをここまで追い詰めたレギオン・シュヴァリエの1体だ。

 敵意は無い。そう、表現するように触手も右腕のランスも下げたシュヴァリエの登場に、シノンはハンドガンを向けつつも発砲しない。

 

「もうよろしいので?」

 

『ああ、不要な苦労をかけたな。もう猫殿を殺害する意義は無い』

 

 理性と知性に富んだ涼やかな女性の声だ。デスガンは警戒を解く様子を横に、シノンはシュヴァリエを通して会話を求める相手の正体を探る。

 デスガンが『あの御方』と呼ぶ、シュヴァリエを指揮し、シノンを効率的に追い込み、確実に狩ろうとした相手だろう。何者なのか知らないが、デスガンの援護が無ければシノンは街が無く狩られていたはずだ。危険な相手であることに変わりはない。

 

「貴方は――」

 

『オベイロンの召喚能力を弱体化させるのは確かに有効だ。だが、根本的な問題の解決にはならない。似非聖剣エクスキャリバーがもたらす心意の弱体化を狙うべきだろう』

 

 だが、シュヴァリエを通して会話する声の主は、シノンの質問のタイミングを潰し、用件だけ伝えるべく早口で語り出す。

 

『オベイロンの心意は、複数人の仮想脳をレギオンプログラムで並列させ、洗脳によって同一のイメージで固めさせた盗品だが、そのカラクリの大部分はレギオンプログラムに依存している。並列化を乱せば、オベイロンの心意は安定性を失うはずだ。レギオンプログラムにはレギオンプログラムを。「これ」を使え』

 

 声の主は見えないだけで近くまで来ていたのか。シノンの足下に1発のスナイパーキャノン用の銃弾が重々しく転がる。アイテムストレージに収納すれば、そのデータは文字化けしている。

 

「これは?」

 

『レギオン化の促進プログラムだ。デーモンシステムの攻撃性増幅の応用。使用すれば、短時間で並列されているプレイヤーは廃人同然……いや、脳もフラクトライトもレギオンプログラムによって破壊し尽くされて死亡するだろう。気に病むな。既に並列化された者たちはレギオンプログラムに高深度まで汚染されてしまっている。オベイロンを倒したところでどうにもならない』

 

 シノンが使用を躊躇することを見越してか、元より手遅れなのだと声の主は突きつける。

 レギオンプログラムとは何なのか。シノンにはまるで分らない。だが、レギオンという存在が尋常ではないことは把握している。今はそれだけで十分なのだろう。

 

『エクスキャリバー自体は常にエネルギーを放出していて、いかにスナイパーキャノンでも直撃は難しい。だが、柄尻の宝石……そこだけは例外だ。その1点を狙撃しろ。以上だ。結果に期待する』

 

「待って頂戴! どうして!? どうして、貴方は協力するの? 私を殺そうとしていたんじゃないの!?」

 

『言ったはずだ。もはや猫殿の殺害に意義は無い。それだけだ』

 

 通信は切断され、シュヴァリエは大きく跳躍して姿を消す。残されたシノンは、多くの疑問を呑み込み、自分がすべきことを成すべく移動を開始する。

 レギオンは襲ってこない。オベイロンの兵もいない。外縁から主戦場となる中央に近づければ、オベイオンが奏でる轟音が激しくなる。

 レコンからの作戦発動の合図が届く。予定より早くに準備が整ったのだ。シノンは一呼吸を入れて隣のデスガンと視線を交わす。

 

「任務だ。援護はする。だが、貴様の生存が最優先だ。履き違えるなよ」

 

「構わないわ。どうせ『宣言』すれば逃げ場なんてない。何処にいようと同じよ」

 

 そして、シノンは『宣言』をした。彼女から信号団のように光の塊が空へと舞い上がり、花火のように爆ぜて、回廊都市の全体に広がっていく。やがて、それは優しい光をまるで雪のように降らした。

 ここからオベイロンの攻撃から逃れながら狙撃ポジションを確保、バリアが破れ次第にエクスキャリバーに狙撃を行う。

 

▽    ▽    ▽

 

 

「……これでよろしいですね?」

 

 レヴァーティンはシュヴァリエを通した助言を終え、シノン達が下水溝から這い出て移動する姿を物陰から見送りながら、優雅に自分の骸の山に腰かけてティータイムを楽しむ後継者に尋ねる。

 突如として接触してきた後継者を、レヴァーティンは淡々と数十人近くの彼を殺害してしたのであるが、彼は特に責める様子もなく、自分の死体を踏みつけながら物量任せの伝言ゲームで彼女に取引をもちかけた。

 それは反乱軍の援護……より正確に言えばオベイロンの心意の弱体化に限定すれば手助けするというものだ。

 

「本音を言えばね、面白がってはいたんだよ。ボクの玩具箱を滅茶苦茶にしたのは許せなかったけど、オベイロンの小物っぷりは興味深かったからねぇ。チートを使い放題しても消えない小物臭。うん、素晴らしい。だ・け・ど、『人の持つ意思の力』……心意を、あろうことか『ボス』を担う者が使うなど認可できない」

 

「それだけの理由で手助けを?」

 

「悪いかい? でも、お陰でキミ達レギオンにとっても価値のある取引ができたはずだよ」

 

 後継者は笑顔だ。いつもと変わらぬ人を小馬鹿にするような笑みだ。だが、その顔の裏には想像も絶する程の……仮に後継者に心意が宿っていれば、アルヴヘイム全域が焦土と化しても足りぬほどの怒りがエネルギーとなって放出されるのではないかと思うほどだった。

 そして、怒りに駆られた後継者が持ち掛けた取引は、レヴァーティンにとってはこの上ない程に有意義な取引だった。

 レギオンの王がランスロットと交戦した時点で、シノンの殺害に意味は無かった。むしろ、早急にオベイロンを撃破し、【黒の剣士】を始めとした援軍が向かう事を期待していた。

 レヴァーティン単身では作成自体が間に合わなかった活性化プログラム。その作成に関与したのは、後継者……そして、隣に控える軍服姿の精悍な男……多くの容姿を有するマヌスだ。

 

「彼は裏切り者では?」

 

「そうだね。それが何か問題かい? 彼はデーモンシステムの管理者として自主的にデーモンシステムの更なる発展を求め、自らの意思で研究を始めた。それだけじゃないか。しかも、マヌスくんはこうして自首してアップデート案を持ち込んでくれたよ? むしろ恥じるべきはボクさ。彼の熱意を見逃していたんだからね。だからマヌスくん、次は1度ボクに相談してくれ。最高の研究環境を約束しよう」

 

「感謝します、セカンドマスター」

 

「お安い御用さ。セラフ君の目を誤魔化せるように、ボクも今回の1件が片付いたら偽装工作に協力しよう♪ さぁ、共にDBOを盛り上げていこうじゃないか!」

 

 何ら屈託なく、子どものように笑って後継者は堅く起立の体勢のまま動かないマヌスの肩を叩く。

 この男、本当に人間とAIでは対応に差があり過ぎる。思わず全プレイヤーに哀れみを覚えたレヴァーティンだが、彼女の意識はすぐに別の場所に向かう。

 今のレギオンの王ではランスロットには勝てない。だからこそ、母はまず交戦させないことを前提とした。レギオンの王が戦いを始めれば、レギオンは邪魔することが出来ない。それがレギオンという存在なのだ。

 己の聖剣を取り戻した最終形態。オリジナルの聖剣……月光の聖剣のような疑似心意機能は無いが、膨大な追加リソースによってランスロットのAIとしての性能を極限まで引き出せるようになる。

 第3段階までのランスロットに割り当てられたリソースは、後継者の権限で割り振られた最大値であり、アルヴヘイム基準にしてもボスの5倍にも匹敵する。だが、それでもランスロットのAIとしての戦闘能力を真に発揮するには、アルトリウスと同じく『不足』だった。

 だからこその聖剣。たとえ分化しているとしてもコード:MOONLIGHT=HOLY BLADEに属する。欠月の剣盟の時と同じく、特例で追加リソースを引き出すことが可能であり、これによって最終段階限定としてリソース量はほぼ無制限となり、ランスロットは真の戦闘能力を引き出せるようになった。

 第3段階の時点で全盛期のアルトリウスと互角。最終段階で超越する。まさしく、DBOでも最強クラスのネームドだ。

 

「キミ達レギオンにとって、彼は損失したくない『王』なんだろう? それでも助けないのかい?」

 

「我らの王であるが故に、その戦いを邪魔することはできません。王が死ぬならばそれまでのことです」

 

 グングニルはそれを承知でレギオンの王をランスロットにぶつけた。それを責める気はない。彼女は王より継いだ因子に恥じぬ行動をした。

 今はナギと名乗る妹。彼女がレギオンにとってのサブプランだ。ここでレギオンの王を失おうとも、レギオンの計画には修正の範囲内だ。

 

「そして、我らレギオンではない者が王の支援に駆けつけるならば、それを邪魔するつもりはありません」

 

 ランスロット相手に耐え続けるのは至難の業だ。だが、今はそれしか方法は無い。

 オベイロンとの決着を早急につけ、反乱軍と【来訪者】の残存戦力をランスロットに注ぎ込む。それが唯一の道なのだ。

 レヴァーティンは自分の右手の内で温もりと冷たさを覚える。握った拳が強過ぎたせいで、掌が傷ついて血が溢れ出したのだ。レーヴァティンは拳を開き、瞼を閉ざす。

 

(これが『心』か。実に度し難い。だが、悪いものではない)

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ランスロットが穿つ光波。それはアルトリウスよりもスピードに特化されたものだ。

 速度は黒雷の大槍には劣るが、そもそもとして黒雷の大槍自体がヤツメ様の導きと狩人の予測をフルに活用しなければ回避困難の代物だ。比較対象として間違っている。

 ランスロットの剣速で聖剣が振るわれれば、間合いを超越して光波が襲い掛かる。元より低いVR適性で反応速度が低いオレでは、知覚してからの回避では間に合わない。

 対処法はアルトリウスと変わらない。だが、だからこそ問題になるのはランスロットの瞬間移動だ。

 あらゆる間合いで、あらゆる場所で、あらゆるタイミングで、スピード特化の光波を放つことができる。

 光波が通り過ぎた地面。そこには鋭利な切断面が刻まれていた。アルトリウスの光波よりも切断力が勝る。だが、破壊力は低い。スピードと切断力に特化された光波か。

 ランスロットが闇のマントを翻せば、それは翼のように変じて空を滑空する。デーモン化の時の翼と同じ能力を持っているが、幾らかマイルドだな。少なくとも第3段階のように人間性をばら撒くことはない。

 だが、依然として黒雷と黒炎は併用可能。無論、黒剣も展開できる。デーモン化前ならば12本が限界だったはずだが、今のランスロットはその倍の24本を同時に出現させている。

 単純に引き上げられたパワーとスピードも脅威だ。なるほど。感じずにはいられない。聖剣を手にして、ようやくランスロットは全力を引き出せるだけの基礎能力を手に入れたのだ。第3段階まででは彼の戦闘能力を引き出すには馬力不足だったのだろう。

 連続瞬間移動。そこから生まれるのは光波の籠。オレに向かって全方位から接近する光波は連続瞬間移動によって迫る籠のようだ。早急に見切って脱出しなければ、回避不能の超スピード光波によって全身を刻まれる。

 だが、限られた回避ルートには黒剣が配置され、それを潜り抜けても宙を舞うランスロットは黒雷の大槍を投擲する。大穴を開ける貫通力を秘めた黒雷を紙一重で躱すも、そこで足が縺れて転倒する。

 体が上手く動かない。だが、止まっている暇はない。深淵が混じった血を吐き、聖剣を肩で担いで長く息を吐くランスロットの澄んだ水面のように揺るがぬ闘志を破る方法を考える。

 

「その体でよく躱す」

 

 カウンターを差し込むことさえできず、ひたすらに回避し続けるしかなかった。スタミナ消費を度外視した回避運動によって、急速にスタミナが奪われていく感覚が体を満たす。

 走馬燈を使ってもう1度張り直したヤツメ様の導きの糸。だが、それさえもランスロットは軽々と千切っていく。呆気なく追いつかれ、もはや次のランスロットの攻撃は読めない。

 それだけではない。今のランスロットはせいぜいが小手調べ。取り戻した聖剣の試運転といったところか。最終段階の入口程度だろう。

 ランスロットの真の脅威とは、瞬間移動でもスピードでもデーモン化でもない。圧倒的な手数の多さだ。他のネームドやボスとは文字通り次元が違う。そこに未知数の聖剣の能力が加わったとなれば……考えるだけで億劫になる。

 

「先の貴様の『力』……見事だった。貴様に多くの戦士の幻影を見た。獣の爪牙と成り果てようとも、あの鎌の一振りにはトリスタンがいた。感謝する。我が友の『力』、貴様の中に息づいていたか。だが、そうなるとトリスタンは貴様に……いや、止そう。貴様が示した『力』を見れば分かった。深淵狩りとして、誇り高く最期を終えたのだろう」

 

「……トリスタンは、アナタの忠義を……終わらせることを……ぐがっ!」

 

 全てを言い切るより先に喉を圧迫して血が吐き出される。深淵の混ざった血が焦土となった神殿の庭に滴り、右足から力が抜けて立てなくなる。死神の剣槍を杖にして耐えるも、ランスロットは動かない。このタイミングで攻撃して来ない? 何か狙いがあるのか?

 元よりランスロットは饒舌。語らいを重視するならば、その分だけ回復させてもらう。1秒でも構わない。3秒あれば喜ばしい。その分だけヤツメ様の導きを張り直す。

 

「くどい。俺の忠義は終わらん。だが、そうか。トリスタンは俺の忠義を知ってしまったのか。彼は忌み人であるが故に尋常ならざる容姿を持ち、故に最も美しく戦う深淵狩りだった。だからこそ、彼は火の時代に正義を求めた。彼は他の深淵狩りとは異なり、聖剣の導きではなく、火の時代の守護者として深淵狩りとなった。ならばこそ、人間こそが闇であり、深淵の元凶など信じがたいものだったはずだ。感謝するぞ。トリスタンは貴様のお陰で深淵狩りとしての誇りを抱けたまま死ねたのだろうな」

 

 深淵の元凶が人間。それは人間性が闇である真実に気づけば自然と帰結する。深淵狩りを担う存在が人間である限り、深淵は永遠に存在し続ける。その真実に、火の時代を守ることを志したトリスタンには耐えられなかったのだろう。

 ランスロットが聖剣を地面に突き刺す。空に黒剣が並び、先端をオレに向ける。その全てに欠月の紫光が帯びている。

 黒剣が降下する。ヤツメ様が叫ぶ。前に出るしかない。だが、膝に力が入らず、1歩の度に姿勢が崩れそうになる。それでもステップでランスロットとの間合いを詰める。

 黒剣が地面に突き刺さると同時に紫光の爆発を引き起こす。光波では足りない破壊力を黒剣にエンチャントさせることで解決したか。さすがはランスロット。多彩極まりない。

 だが、ヤツメ様の導きが今度こそ千切れる。張り直す時間は無い。狩人の予測……精度が……いや、可能なはずだ!

 死神の剣槍を振り下ろす。それに対してランスロットは聖剣を掲げてガードする。押し切れない。ランスロットは悠然と片手で、オレの渾身の振り下ろしを防いでいる。

 

「ガウェインは己の聖剣を見出していながら、自分には分不相応だと神々に献上したが、あの時のモルドレッドの顔といえば実に傑作だった。俺との戦いの時、ガウェインに聖剣さえあれば……いや、変わらんか。俺が勝っていた。奴は最後まで俺を信じていた。俺が斬るはずはないと。甘い男だ。だからこそ、肩を並べた時には最も信頼していた。ガウェイン、最愛の友よ」

 

 限界まで搾り尽くせ。まだだ。まだ動くはずだ! 雄叫びと共に死神の剣槍を振るい続ける。だが、ランスロットは瞬間移動すらせずに、片手で不動のまま、あらゆる角度から斬りつけるオレの攻撃を軽々と捌く。

 これならどうだ!? バックステップと同時にランスロットへ左手の指に挟んだ4本の粗鉄ナイフを投擲する。だが、ランスロットは躱す。いや、違う。コントロールを失い、ランスロットを掠めることもなかった。

 左腕が上手く動かない。≪投擲≫を取っておくべきだったか? いや、あのロックオン機能は逆に使い辛いとSAO時代に学んだ。

 掌握し直せ。左腕に神経を通す感覚。致命的な精神負荷は受容している。後遺症で……運動アルゴリズムとの齟齬で動かなくなっているわけではない! 脳が処理しきれていないだけだ。もう1度繋いで動かせ!

 

「モルドレッドは、アルトリウスの子孫を自称する一族の生まれだった。神族の血が混じっていたかも分からん。だが、真偽はどうであれまず直系ではあるまい。豪胆でやること成すことが雑で派手。その性格ゆえに友は少なかったが、それを始祖アルトリウスと同じだと無邪気に誇った真性の阿呆だ。だが、奴だけが……アルトリウスの子孫であると自称する奴こそが聖剣の導きを得た。始祖の跡を継ぐ最初の深淵狩りとなった。血など関係ない。モルドレッドこそが始祖アルトリウスの継承者だった。俺は彼の友であったことを誇りに思う」

 

 まだ左手は動く。死神の剣槍に添え、もう1度斬りかかる。

 

 何度だろうと。

 

 何度でも。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も!

 

 だが、ランスロットには傷1つかない。彼はオレの攻撃に合わせるどころか、先回りして聖剣で防ぐ。どれだけガードしても微動だにしない。ランスロットのパワーとスピード、それが桁外れ過ぎるのだ。

 

「俺は忘れない。今まで出会った全ての深淵狩りを、名は知らずとも1人として欠かすことなく憶えている。その中でも貴様は特に際立つ。獣の飢餓を持つ、俺が知る中で最も純粋で無垢な殺意を宿す深淵狩りよ。聖剣がなければ貴様に敗れていただろう。裏切りの汚名である深淵の騎士としてではなく、ゲヘナの騎士として誓おう。貴様を忘れることはない。我が生涯において、最強の敵にして最後の深淵狩りよ!」

 

 違う。確かにランスロットのパワーやスピードは凄まじい。第3段階を大幅に超えるだろう。だが、オレの攻撃が届かない決定的な理由は別なところにある。

 

「はっ……はっ……はが……っ!」

 

 ああ、分かってるさ。いい加減に気づいているさ。

 オレが遅いのだ。もはや攻撃に力がまるで籠っていない。

 ステータスの高出力化? 8割どころか、とっくに3割……いや、1割を切っているだろう。

 

 

 

 灼けた。灼け続けた。だから……全てが灰になる前に、灼けて脆くなって壊れてしまった。

 

 

 

 今までのツケ。なおかつ、過去最長の致命的な精神負荷の受容時間。受け入れた負荷の重さも、ランスロットの強さのせいもあって桁外れだったはずだ。オマケに喰らって血に1つに溶けていた『力』を分化して再現。もう……壊れてしまったんだ。

 ランスロットが大きく聖剣を振るう。オレの首を狙った一撃。死神の剣槍を掲げてガードするも、耐え切れずに地面を転がる。

 視界の端に『アイツ』が映る。オベイロンが召喚した多量の金兵に囲われている。オベイロンの宣言通りならば、あの攻撃の1つ1つが激痛をもたらすはずだ。動きがかなり鈍い。上等だ。まだ失神していないようだな。ここでへばって気絶するようなら起こしに殴りに行ってやろうかと思ったところだ。

 まだだ。オベイロンを倒すには、まだ時間がかかる。ランスロットを参戦させるわけにはいかない。彼をここで食い止めねば……『アイツ』が死ぬ。

 

 オレだ。

 

 オレが殺すんだ。

 

 オレが『アイツ』を殺すんだ! 他の誰にも殺させない!

 

 何だって利用してやる! たとえ『アイツ』を殺したいという『獣』の飢餓だろうと使ってやる! 壊れてしまったならば、もう1度繋ぎ合わせるまでだ!

 立ち上がったオレが見たのは、聖剣で突きの構えを取ったランスロットだった。

 来る。アルトリウスの剣技、右腕を伸ばして滑るように間合いを詰める突進突き。

 欠月の奔流がランスロットの聖剣より放出され、束ねられ、凝縮された一閃となる。それは欠月の剣盟が使った月光突きだろう。

 

「叫、べ……アルフェリ、ア……!」

 

 ランスロットの一突き。それにアルフェリアの悲鳴を纏わせた突きを合わせる。

 衝突し合った悲鳴を纏った突きと欠月の奔流を放出する突きは、せめぎ合うこともなく、一方的に悲鳴ばかりが掻き消されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「眠れ、白の深淵狩り。聖剣の導きが貴様の死にあらんことを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレの視界に映ったのは、砕け散っていく死神の剣槍の破片。

 そして、紫色に塗り潰していく聖剣から放出された奔流だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アナタを見捨てない。私だけは……絶対に!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヤツメ様の叫びが聞こえ、再び視界に他の色が戻った時には、オレは夜空を眺めていた。

 体を浸すのは水だ。重く鈍い首を動かせば、オレが倒れているのは破壊された噴水だった。かつては見事な造形をした、貴族街にこそ相応しい十字路を飾る噴水だったのだろう。だが、今は終わりも見えない戦いによって破壊され、辛うじて原型こそ保っているが、陥没した周囲をひたすらに浸水させていた。

 どうして……どうして、生きて、いる? オレは痛覚代用した左手で、今も死神の剣槍を握っていることを思い出す。だが、今は半ばから砕け折れ、まるで出血のように泥を溢れさせていた。

 泥……アルフェリアの泥。ああ、そうか。あの瞬間、刀身を分裂させ、死神の剣槍の泥槌モードを起動させたのか。蛇槍モードは使えば刀身がバラバラになるだろうから使用を禁じたが、分裂途中で泥で凝固させる泥槌モードならばギリギリ可能だったのだろう。さすがだ、グリムロック。こんな状態でも正常に機能するとはな。

 加えて防性侵蝕か。これで防御力を底上げし、加えてバックステップで後ろに跳ぶことで攻撃の威力を下手に踏ん張らずに受け止め、なおかつ後方に逃れたわけだ。HPは……1割未満。残存HPとオレの防御力を計算すれば、ほぼ完璧に近しく捌き切れたわけか。

 ヤツメ様の導きが……オレを生かしたか。

 オレたちが戦っていた空島はランスロットの一撃で崩壊しただろう。オレは月光突きをガードしたは良いが、随分と吹き飛ばされてしまった。ランスロットの影は見当たらない。オレを仕留めきれたとは思っていないだろうが、見失ったのだろう。

 竜の神の効果……落下ダメージの大幅緩和が無ければ、あの高さだ。落下ダメージで死んでたな。まぁ、そもそも空島なんて竜の神がいなければ出来なかったので、そもそも竜の神がいなければ落下ダメージなんて発生しないわけで……あー、もういい。面倒臭い。ともかく致死だっただろう一撃を耐え抜いた。

 ここからどうするか。それは立ち上がってから考えよう。一呼吸おいてから考えよう。

 

 

「あ……がっ……」

 

 

 あれ? おかしいな。呼吸が……できない。

 

「あぎ……がぁ……ぐかぁ……あが……っ」

 

 息ができない。空気が入り込んでこない。

 窒息の苦しみが広がる。まずいな。呼吸をしなければスリップダメージが生まれる。このままでは危険だ。

 

「あぐ……ぐがぁ……!」

 

 体が起き上がらない。口から深淵が混じった血が零れる。吐き出せ。これが呼吸を止めているのだ。体を痙攣させ、顔を横にして血を吐き出す。呼吸をすれば、針の塊が気道に入り込み、肺で膨張するような痛みが繰り返される。だが、慣れている。この程度は致命的な精神負荷の受容の度に味わっている。1度の呼吸の度に受け入れねばならなかった。

 痛みが当たり前になっていた。痛いのは変わらないはずなのに、痛みに対して何かを思うことは薄れていた。

 意識が曖昧になる。震える右手で胸を掴む。鼓動を感じない。いつから止まっていた? いつから……いつからオレは『死んでいた』んだ?

 動け。動け。動け! 胸を叩いて再度動かそうとするが、右手自体が動かない。

 

「ぐがぁ……あがぁ……ぎが……」

 

 死だって食らった。死を『力』にした。それが生物における禁忌だと分かっていても手を染めた。

 本来、死は静謐であるべきものであることくらい分かっている。それでも、オレは狩りの為に『力』とした。

 

「かぐ……かひゅ……か……あ……」

 

 必死に心音を手繰り寄せようとしても、まるで応えてくれない。死は冷たく、優しく、穏やかにオレを浸していく。そう……まるで、月光のように。

 視界に雪が降り注ぐ。

 虹色の……でも、ほんのりと白を帯びた光の雪が降る。

 これは何だろう? 夜空から舞い落ちる光の雪は、遠く離れた『アイツ』にも降り注ぎ、その傷を癒していく。

 ああ、そうか。確か誓約書にあった……賊王の能力……『宣言』か。反乱軍にカテゴライズされたすべてのプレイヤーはHPを回復させ、強力なバフを一時的に手に入れることができる。

 だが、オレは乱入者だ。転移を使わなかったので登録されていないだろう。だから、この光の雪がオレの傷を癒すことはない。HPは1ドットとして回復することはない。

 

 そのはずなのに、どうしてだろう?

 

 どうして、オレは手を伸ばすのだろう。

 

 月が失われた夜は、光の雪のせいか、まるで真冬の凍えた夜で満たされているようだったからだろうか?

 

「ス……テラ……あ、ぎぃ……オレは……もう、オマエを……」

 

 ああ、思い出せない。

 こんなにオレに、忘れないでと願って何かを教えてくれた幼き聖女。

 だけど、分からないんだ。

 もう忘れてしまった。灼けてしまった。

 それは……それは……とても大切な……オレにとって……確かな福音であったはずなのに。

 もう思い出せないんだ。

 だけど、だからこそ……オレは手を伸ばすのだろうか。

 何の為かも分からず、何かを掴み取ろうとして、手を伸ばし続けるのだろうか。そこに灼けた福音の名残を覚えるのだろうか。

 

「ぐ……か……あ…………あが……」

 

 震える右腕は傷だらけで、痛みを引き起こして感覚代用する為の傷口はわざと醜く荒々しくワイヤーで縫ってある。こんな傷をつけなければ、腕の感覚1つまともに残らない。左腕と同じく、たとえ時間を置いても回復するとは限らない。無様を形にしたような右腕だ。何1つ救えず、救わず、故に救われる価値も無い者の右腕だ。

 指先まで突き抜ける痛み。光の雪に触れるが、それでもオレを癒すことはない。やっぱりな。だったら、何で手を伸ばし続ける? こんな分かり切った事実を突きつける為か?

 分からない。

 何も分からない。

 

「あ……かふ……くか……」

 

 震える右手は空へと伸びる。

 ただただ……心も体も……痛みと『痛み』ばかりで満ちていて……だから……だから?

 

 何度だって限界を超えてきた。

 

 その度に自分が壊れていくのを自覚した。だけど、大したことはないと事実から顔を背けた。

 

 本当は分かっていた。心臓が止まることに慣れたフリをした。

 

 痛くて……苦しくて……堪らなかった。だけど、痛みと『痛み』を叫ぶことに意味すら見出せなくなっていた。

 

 自分が普通じゃないことも分かっている。心臓が何度も止まって動き出せる? なんだそれは? バケモノではないか。

 

 ああ、そうだ。オレはバケモノだ。それでも、『人』を捨てたくないと思った。最後まで『人』の皮を被り続けるバケモノでありたかった。だから祈りを縁としたんだ。

 

「ぐが……がぁ……」

 

 全てを喰らい続けてきた。

 

 優しくて、『強さ』を持っていて、いつも憧れていて、オレなんかよりもずっとずっと……ずっと生きる価値のある人々を何人も喰らってきた。

 

 あるべき矜持も、信念も、理想も、願望も、何もかも継げずに……ただ『獣』のように、その『力』だけを貪り喰らった。

 

「……あ、がぁ」

 

 それでも、手を伸ばす。

 もう赤紫の月光は見えない。暗闇の雲に隠れてオレに降り注がない。

 いつしか光の雪は消えていた。皆の傷は癒え、最後の戦いが始まるのだろう。

 

「……かは」

 

 ランスロットを見ていたら……彼が忠義の騎士となり、聖剣を取り戻した姿を見ていたら……少しだけ思ってしまったんだ。

 

 ああ、カッコイイなぁ……てさ。ずっとずっとずっと……何もかも捧げ続けた騎士が……ついにたった1つだけど報われたんだ。残された最後の名誉を……己の聖剣を主君と定めたゲヘナから賜り、誇り高き騎士として立ち上がったんだ。

 

「…………」

 

 手を伸ばす。

 

 あと少しだけ。

 

 あともう少しだけ。

 

 何かを求めて手を伸ばす。

 

 ユウキ、そういえばキミが教えてくれたんだ。

 

 痛い時は……痛いってちゃんと言うんだって、教えてくれた。

 

 でも、オレは何1つとして学べていなかった。

 

 痛いと叫ぶことに……もう意味を見いだせなくなっていた。

 

 でもさ、今ね……すごく……すごく……とっても……耐えられないくらいに……痛みと『痛み』が……止まらないんだ。

 

 だから。

 

 だから。

 

 だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いた、い……いたい……よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、オレの右手は何にも触れることもなく、何も掴むこともなく、何も手に入れることもなく、静かに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりとこの辺りが陥没しているのだろう。オレの体は少しずつ水に沈んでいく。

 ……少しだけ、疲れた。

 心臓が動くまで、少しだけ……少しだけ眠るのも悪くないかもしれない。

 ほんの少しだけ瞼を閉ざすだけだ。一瞬だけ目を閉じて深呼吸を入れて……それで……それで……

 

 

 

 甘えるな。貴様に祈りも呪いも無い、安らかな眠りなど訪れない。一夜の微睡みさえも許されない。

 

 

 

 だが、狩人がオレの胸を何度も何度も踏みつける。

 何度も、何度も、何度も、この心臓を動かすべく踏み躙り、死など生温いとオレの胸倉をつかんで睨む。

 

 

 

 

 貴様は何1つ報われず、何1つ救われず、何1つ得られぬまま死ぬ。血に酔わず、最後まで狩人として生きて死ね。

 

 

 

 

 ああ、分かってるさ。

 狩りだ。狩りこそが、何1つ報われなくても、何1つ救われなくとも、何1つ得らなくても、オレができるたった1つの事だ。

 誰かがオレを囲んでいた。

 たくさんの血塗れの影がオレを見下ろしていた。

 それは喰らった人々。たとえ、灼けて思い出せなくなっても、糧となってこの血に溶けて1つになった『力』の幻影。

 

「まだ……まだ、オレは……戦え、る!」

 

 胸にあるナグナの赤ブローチを引き千切る。血のように真っ赤な赤石が飾るブローチは、オレにとって最後の切り札。

 およそオレに使えるものではない。赤ブローチは破格の能力ではあるが、オレでは使いこなせない。そもそもとして、赤ブローチの能力を使うには条件がある。

 だが、狩りを全うする為だ。ランスロットを殺し、サチとの約束を果たして『アイツ』の悲劇を止める。

 まだ手は残っている。使え。使うんだ! だが、赤ブローチを握り潰すだけの握力が出ない。ほんの少しだけ、この手に力を籠めれば良いだけなのに。

 動け。心臓よ、動け! ヤツメ様、オレを死から引き戻せ! 何度だって戦ってやる! 誰だろうと殺しきってみせる。

 オレはヤツメ様を引き寄せる。彼女の持つ黄金の稲穂に手を伸ばす。そこにある狩りの全うの意味……『答え』を求める。それさえあれば、必ず戦えるはずだと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いい加減にして! 狩りの全うが何を意味するのか、アナタは分かっているの!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナグナの赤ブローチを砕こうとしたオレの右手を、泣き叫ぶヤツメ様が両手で包み込む。

 どうしたの、ヤツメ様? オレは……オレはまだ戦えるよ? この赤ブローチを使えば良い。ランスロットを追い詰めるに足るかは定かではないが、まだ『仕込み』は残っている。全てを使い切り、今度こそランスロットを倒しきる!

 

 

 もう止めて。アナタが望むなら、何度だって心臓を動かす。何度だって死の縁から引き戻す。でも……もう嫌。『アナタ』がどんどん壊れていく。『アナタ』がどんどん灼けていく。私たちは一緒に生まれてきた。そのはずなのに、私を残して『アナタ』は灼けて灰になる!

 

 

 オレは戦うことを望んでいる。殺し続けることを欲している。そして、狩りを全うしてその先にある『答え』を見つける。

 オレは微笑んでヤツメ様を引き寄せる。そして、オレが奪うのではなく、ヤツメ様が黄金の稲穂を渡してくれと望む。

 嫌だとヤツメ様は首を横に振る。でも、オレの意識はもう限界だ。だから……どうか頼む。オレに黄金の稲穂を……それが何を意味するのかを教えてくれ。

 

 

 涙を流したヤツメ様は最後にもう1度だけ躊躇いを見せて、だけど、黄金の稲穂を手放した。

 

 

 

 

 散っていく黄金の稲穂は故郷の風となり、1つの風景を思い出させる。

 

 

 

 

 オレは『死んでいる』のだろう。

 

 死を喰らって『力』とした走馬燈。だが、死に沈み切る前の刹那に見る夢であるならば、仮想世界という現実よりも質感を有する夢の世界で見る夢であるならば、それは本物に等しく世界を描くのかもしれない。

 

 ああ、何だってかまわない。理屈なんてどうでもいい。

 

 オレは立っていた。黄金の稲穂に両脇を挟まれた小道。ヤツメ様の森へと続く小道だ。灼けて思い出せなくなり始めた故郷が確かに広がっていた。

 

 知っている。この稲穂がどんな財宝よりも輝く風景をオレは知っている。いつか……いつだったか……そうだ! アルシュナが干渉してきた最初の夢で見た風景だ。故郷で見た、過去で確かに歩んだ風景だ。

 

 故郷が黄金の稲穂の正体? それとも、故郷で起きた何かにこそ、オレが求めた狩りの全うの意味……その先にある『答え』が待っているのだろうか。

 

 

 

『ねぇ、篝は大きくなったら何になりたい?』

 

 

 

 黄昏の光に満ちて、秋の音色を奏でる冷たく儚い風で黄金の稲穂は揺れる。

 そして、ヤツメ様の森に続く小道から誰かが……親子が歩いてくる。

 それは幼き日のオレで、手を引いてくれるのは母さんだった。ああ、思い出した。まだ灼けて失われていなくとも、ずっとずっと忘れていた幼き頃の1日だ。あの日、母さんの体調が良くて、2人でヤツメ様の大社にお参りにいって、そのまま遊んでいたらオレは疲れて夕暮れになるまで母さんの膝枕で寝てしまったんだ。

 特に珍しくない、何も起こらなかった1日。きっと、日常の中で埋没するだろう過去の1つ。だけど、ここに狩りの全うの意味があるのだろうか?

 

『よくわかんない』

 

『ふふふ、そうよね。まだ篝には早過ぎたわね。じっくり、1つ1つ学んで、篝が生きたいように生きなさい。もう狩人は不要となった時代。狩人の誇りだけは忘れずに生きなさい。篝はね、自由なのよ。自由に何処にでも行けるし、どんなことにも挑戦できる。大きくなったら何にでもなれるわ』

 

『お母さんの話、よくわかんない。難しいよ。それに何にでもなれるなんて嘘だよ! おじいちゃん言ってた! ぼくたちは、スポーツ選手だけにはなっちゃ駄目なんだって!』

 

『……そうね。何にでもなれるなんて嘘ね。世の中のたくさんの人たちにとって、私達の「血」はとても理不尽なものだから。それでも、篝はきっと好きなように生きられるわ。心だけは狩人のまま、狩人ではない人生を歩めるはずよ』

 

 母さんはいつもそうだった。

 狩人の誇りを胸に生きろ。狩人としての心得を弁えろ。狩人の血を尊べ。そう繰り返しはしても、決してオレに……オレと兄貴に狩人になれと強要したことは無かった。

 

『ねぇ、どうして狩人は要らないの?』

 

『それはね、今この世界には太陽の光が満ちているからよ。今の時代は貧富の差はあれども、世界は1つずつ1つずつ法の正義と道徳の秩序を学んでいる。それが尊いものであると認め合っている。久藤の狩人は獣を狩り、鬼を狩り、神さえも狩ってきた。これからも私たちはもう光が当たらぬ影で細々と狩りを続けるでしょうけど、それは狩人が必要とされる時代とは言えないわ。狩人が必要とされるのは、太陽が隠れた夜……狩人が必要とされる時代とは、多くの血と涙が流される時代なの』

 

 立ち止まって収穫の時を待つ稲穂を愛でるように母さんは夜が滲んだ冷たい風を一身に浴び、もう間もなく地平線に沈むだろう夕日を眺める。

 

『それでも、いつか必ず夜が訪れる。今や太陽は沈みかけ、儚い黄昏の刻を迎えている。私達狩人が必要とされる時代がやって来る。世界は悲劇なのでしょうね。でもね、篝にはどうか狩人の必要とされない時代を……その最後の黄昏で生まれたからこそ、狩人としてではない自分を見つけて欲しいの。久藤の女としてではなく、篝のお母さんとして、そう願っているのよ』

 

 母さんは優しく微笑んでオレと視線を合わせるように屈むと、滲み始めた夜風で冷たくなり始めた幼きオレの頬を撫でた。

 きっと、大切なことを教えたかったのだろう。血がもたらす狩人としての宿命からは逃れられずとも、せめて本能は微睡ませたままで済む、狩人が必要とされない時代とは、尊ばれるべき時代なのだと。

 

『うん。決めた。ぼくが大きなったら何になりたいのか決めたよ』

 

 幼きオレは母さんの手から離れ、まるで夕陽と踊るように大きく伸びた影を翻して、くるりくるりと舞う。

 

 

 

『……ぼくね、大きくなったら狩人になるよ!』

 

 

 

 それは母さんの願いの否定。幼きオレは無邪気に笑って黄金の稲穂に手を伸ばし、垂れた実りに口づけを施す。

 

『ぼく、知ってるよ。キラキラ光る金色の稲。大きく、美味しく、逞しく育つには、太陽の光が必要なんだよね。お米がたくさん育つには、皆が幸せになるには、いつまでも夜が続いちゃいけない。それはね、きっとヤツメ様も知ってるんだよ。だから、ヤツメ様は狩人と約束したんだ。豊かな実りを約束するのは、いつか必ず夜は終わるって約束なんだよ』

 

『……篝』

 

『だからね、ぼくは狩人になる。夜は獣の時間。だったら、夜を長引かせる全部を狩るんだ。狩って、狩って、狩り尽くすよ。皆が幸せになれる黄金の稲穂の為に、それを育てる太陽をもう1度昇らせる為に、ぼくは狩人になる』

 

 力任せに幼き指が稲を千切り、まるでカタナのように振るい、黄昏の光を啜った稲は空を斬る。

 それは神楽。まだ学んでいないはずの、型も何もなく、だからこそ、原始の姿を取る。

 

『きっと夜は長く続くよね? だけど、ぼくは大丈夫! お母さんがくれた名前があるもん。暗くて寒い夜でも凍えることがないように、みんなを温めてあげられるように、そう願ってくれた名前がある。だから、ぼくは篝火を焚く狩人になる。夜が明けるまで、ずっとずっと焚き続ける』

 

 そして、オレは黄金の稲穂と……まるで暁にも見紛う黄昏の光を背負って母さんに……いや、『人』に笑っていた。

 

 

 

 

 

 

『どんな暗く寒い夜も必ず明けて朝が来るよ。そうすれば、必ず実るはずだから。種は芽吹いて、みんなが幸せになれる黄金の稲穂が実るはずだから』

 

 

 

 

 

 

 世界が止まる。

 いいや、違うか。ここでこの記憶は『灼けた』のだ。

 この先に母さんがどんな反応をしたのか、それを思い出せる日は来ないだろう。灰となってしまったのだから。もう取り戻すことは出来ないのだから。

 だが、母さんは……最後に見た母さんの顔は……『オレ』を見ていなかった。『オレ』ではなく……!

 母さんと幼きオレは消え失せ、道端には千切られた黄金の稲穂が一房だけ落ちていた。それを拾い上げたオレの視界にヤツメ様の白髪が靡く。

 

 

 

 

 狩りの全う。それは夜明けをもたらすこと。狩人が必要とされない時代……アナタの存在意義を失うこと。そこに『答え』なんて無い。あるのは……種が芽吹く世界。でも、それは本当に黄金の稲穂? 幸福が必ず実るなんて妄言に過ぎない。太陽も過ぎれば日照りとなって大地を干乾びさせる。だから、世界は流血で潤う夜を欲する。世界は悲劇を必要としている。

 

 

 

 

 

 顔を俯かせたヤツメ様が黄金の稲穂の内で立っている。オレはヤツメ様に近づくべく、道から外れて稲穂の海に入る。

 

 

 

 

 

 アナタが望んでいるのは終わらぬ夜。明けることはない、まさに久遠に続く狩りの夜。大きく膨れ上がり続ける飢餓を癒す血の悦びを求める。ただ殺したいだけ。本来そこに悦楽さえも無い。ただ、飢えと渇きを慰める為に、血の悦びを求めてしまうだけ。飢餓を満たすだけの量と質。どんどん大きくなる。極上の質でどれだけ満たせる? 積み重ねられた量でどれだけ膨れる? それだけの違い。アナタは殺すことこそ存在意義で存在証明なのに。

 

 

 

 

 ああ、そうなんだろうな。結局は、オレは誰も見ていない。ただ殺したいだけなのだ。

 アルヴヘイムを訪れて真っ先に見た、オレの内に潜む隠せない願望。明けることがない血と臓物と死に満ち溢れた、虐殺のような狩りの夜。明けない夜。終わりが来ない永遠の……久遠の夜だ。

 全ては欺瞞だ。本心は夜明けなど望んでいない。いつまでも、いつまでも、いつまでも、終わらぬ夜で狩りに興じて、皆と踊っていたいと望んでいる。ヤツメ様と一緒に狩りをしたいと欲している。

 狩りの全う。その先に『答え』など無かった。あったのは、この本能に……獣血に偽りを塗り固める幼き日の約束の成就だけだ。

 それでも……それでも……オレは種が芽吹く時を望んだ。

 絶望の大地に種を蒔こう。何も芽吹かないかもしれない。絶望が待っているだけなのかもしれない。だけど、信じ続ければ……絶望に立ち向かい続ければ……それが出来る尊き『人』であるならば、いつか希望の花は咲くだろう。いつの日か……幸福がもたらされる黄金の稲穂が実るだろう。

 顔を下げ続けるヤツメ様の前に立ち、久遠の黄昏の世界でオレは笑いかける。確かに微笑むことができたと信じる。

 これは……きっとオレが最初の1人ではない、遠い昔にヤツメ様と神子が結んだ狩人の契約なのだ。

 オレの手には贄姫が握られていた。グリムロックが仕立てたものではない、神子だけが振るうことが許された御神刀にして妖刀。だが、その始まりは贄姫が己の喉を裂いた祭器だったはずだ。

 贄姫はヤツメ様を神殿に戻す為に……獣ばかりが増える夜を終わらせる為に……己の喉を裂いたのだ。

 それは古い約束だったはずだ。贄姫から始まった、ヤツメ様と神子との間で結ばれた、夜明けをもたらす狩りの契約。それこそが神子の真なる神事なのだ。

 だから、オレは狩りを全うしよう。朝を迎えたその先に……オレが殺したい程に好きな人たちが……殺したくて堪らない程に愛している人が……黄金の稲穂を……確かな幸福を得られるかもしれないのだから。

 

 

 

 嘘つき。ただ殺したいだけのくせに。私はアナタ。アナタは私。嘘は通じない。

 

 

 

 ああ、その通りさ。所詮は嘘だ。だけど、嘘でも構わないじゃないか。たとえ、狩りの全うの先に『答え』は無くても、夜の闇を迷い続けた者たちが朝を迎えることが出来るのだから。誰かが暁を見てようやく『答え』を見つけるかもしれない。夜の暗闇では探しきれなかったものが、眩い太陽の光の下ならば見つかるかもしれない。

 朝を迎えれば狩人は不要になる。太陽が昇れば篝火も無用となる。それでも構わない。オレの……ずっと探し続けた『答え』が失われるとしても構わない。

 だって、オレは久遠の狩人だから。太陽と月は巡り続ける。朝を、昼を、夕暮れを、夜を……そして、再び朝を。その繰り返しの循環こそが久遠ではないか。

 

 

 

 

 

 その果てに何があるの? 何1つ報われず、何1つ救われず、何1つ得られない。

 

 

 

 

 いいや、それがそもそもの間違いだ。今からそれを証明してみせる。

 手を貸してくれ。オレは贄姫を抜き、己の喉に刃を向ける。いつかの贄姫がそうしたように。

 残された時間は少ない。戦うには限界を迎えたのも重々承知だ。だが、限界とは天井であるならば、それを突き破れば空が待っているはずだ。何処までも突き抜けてやるさ。だって、オレは自他認める『馬鹿』だからな。ほら、煙と馬鹿は高いところが何とやらって言うだろう?

 ランスロットを倒さねば、夜明けは訪れない。『アイツ』なら、必ず成し遂げられる。終わりも見えない夜の中で、希望を背負って多くの人を導くことができる。それは、暗闇で迷子になった人たちを、いつか迎える朝へと誘うはずだ。

 それこそが『英雄』の役目だ。朝が訪れた時に、1人でも多くの尊き『人』が夜に取り残されないように手を伸ばして拾い上げ続ける。そして、いつか太陽が昇る時の為に種を蒔き続ける。希望の種を……どれだけ踏み躙られようとも……撒き続けるんだ。

 

 

 

 たとえ、夜明けを迎えてもアナタは悪夢に囚われる。全ては灼けて灰となり、祈りも呪いも無い安らかな眠りなどなく……そして、アナタは夢を見る。終わらない痛みと『痛み』の悪夢に溺れる灰となる。それでも、狩りを全うするというの? 己の喉を裂き、その全てを薪にするの? アナタが求め続けた『答え』すら捨てるの?

 

 

 

 

 ああ、そうだ。それの何が悪い?

 オレは……オレは好きなように生き、好きなように死にたいと思っていた。

 だけど、それは間違いだった。オレは……オレは……好きに生き、理不尽に死ぬ。オレの望みが叶えられることはないように。せめて、嘘だけは貫き通せるように。その代償が求め続けた『答え』すら失うことになるのだとしても。

 ヤツメ様が涙を拭って笑う。寂しそうに、だが、今までとは違って何かを受け入れたように、泣きながら笑う。そして、オレに手を差し出した。

 

 

 

 

 いつも言ってるでしょう? 私たちは一緒に生まれてきた。私だけは裏切らない。アナタの傍にいる。ずっとずっと傍にいるわ。たとえ……『アナタ』が灼き尽くされて灰となろうとも。

 

 

 

 

 

 躊躇いはない。オレは喉に押し当てた刃を引き、鮮血を飛び散らせる。血飛沫は火の粉となる。

 

 それは刹那の夢……走馬燈。

 

 誰も知らないオレだけの物語。

 

 ヤツメ様が両手を組み、血の赤色に塗り潰されていく走馬燈の中で『力』を紡ぐ。それは血で濡れた導きの糸になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血と夜。そして火は起こる。やはりアナタには……狩人には火こそ相応しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心臓が動く。

 呼吸ができる。

 右手に握ったナグナの赤ブローチを砕く。破片は火の粉となって舞い上がり、オレの内側に注ぎ込まれていく。

 握り続けた死神の剣槍を杖にして立ち上がる。濡れた全身を夜風が撫でれば剃刀で肌と肉を削がれるような痛みが走る。だが、それさえも戦える兆しであるならば、何1つとして憂うことはない。

 大丈夫。オレはまだ……いや、これからも『独り』で戦える。

 限界など知ったことか。灼き切れたならば、今まで以上の負荷の高熱で溶接してやる。どれだけ灼けても構わない。ランスロットを倒しきるまで保てれば良い。

 本能を虚言で塗り固めた欺瞞であるとしても付け加えろ。それが血に刻まれ、たとえ記憶が灼けようとも楔となるはずだから。 

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 仕留めきれなかった。ランスロットは燃える都市を歩み、転がる屍の1つ1つには目もくれず、何者も踏み入れたことが無い雪原のような白髪を探す。

 だが、見つからない。やり過ぎたかとランスロットは聖剣より紫光の粒子を散らしながら、遠方で始まった最後の花火を目にする。

 オベイロンが握る豪奢なばかりで中身が伴わぬ、愚王らしい醜き剣。聖剣と宣っていたが、ランスロットからすれば愛しき友と深淵狩り達への侮辱にしか見えない。あれは聖剣とは縁など無い醜く太ったオベイロンの醜悪な欲望そのものだ。

 二刀流から月光の聖剣を奪い取り、聖剣と深淵狩りを侮辱したオベイロンも殺す。どうやらオベイロンに対して反乱軍は最後の攻撃に打って出たようであり、それは二刀流を救う為なのかもしれないが、ランスロットには欠片も興味は無かった。

 

「よもや、自ら姿を現すとはな」

 

 だが、ランスロットがオベイロンたちの戦いに割り込もうと動き出す瞬間に、彼の視界に探していた白髪が夜風で靡いていた。

 その身は満身創痍。纏うコートは右袖が無く、また裾も襟もボロボロに千切れている。露出した右腕は醜い傷とそれを縫う鋼糸の類が痛々しい。血と灰で汚れ、首筋まで黒く浮かび上がる血管は深淵に蝕まれた証だろう。深淵の病は際限なく苦痛をもたらし、心身の破滅をもたらすだろう。

 武器も、防具も、その肉体さえも限界に達している。いや、ランスロットが聖剣を取り戻す以前から白の深淵狩りは極限まで己を追い込み、命を削って戦っていたことをランスロットは見抜いている。

 ならばこそ、敬意を表する。聖剣の一撃を真正面から完全に捌き切ったのだ。もはや尋常の判断力・行動力・精神力ではない。まさしく戦いにおいて自死を恐れぬからこそ出来た絶技だった。だからこそ、もはや白の深淵狩りが動くことは無いだろうともランスロットは読んでいた。

 だが、彼の予想は容易に覆され、積もった瓦礫に足をかけ、ランスロットを見下ろして白の深淵狩りは立ちはだかる。

 

「どうして、そうまでして戦う?」

 

「…………」

 

「何度でも言おう。貴様の目には戦いにおいて希望も絶望もなく、諦観さえも無い。あるのは純粋なる獣の飢餓のみ。ならばこそ、どうして立ちはだかる?」

 

「…………」

 

「大義か? 理想か? 信念か? 忠義か? 矜持か? 答えろ」

 

「…………」

 

 白の深淵狩りは何も答えず、ただ静寂を浸した眼をランスロットに向けていた。

 一際強い風が吹く。闇濡れの騎士を撫でた夜風は、そのまま白の深淵狩りまで吹き抜ける。押せば倒れてしまいそうな体を揺らし、白の深淵狩りは空を仰ぐ。

 1本に結われた白髪を結ぶ黒の小さなリボン。それが千切れて宙を舞い、都市を燃やす炎の中に消える。

 解けた髪が風に誘われて宙を泳ぐ。白の深淵狩りは小さく……本当に小さく微笑んだ。

 

「恩返し……でしょうか」

 

 そっと白の深淵狩りは両手を胸に置く。

 

「たくさんの優しくて前を向いて生きている人々に出会いました。たとえ、恐ろしい死が待っているとしても、己の心に恥じることなく生き抜いて……そして眠りについた勇敢な人々に出会いました」

 

 髪が解けたからか。いいや、違う。何かが違う。ランスロットは、先程までとは白の深淵狩りに対する印象が、決定的に何かが異なると理解する。

 

「たくさんの『人』がオレを見捨てずに触れ合おうとしてくれた。たくさんの『人』がオレに優しく接してくれた。たくさんの『人』がオレに人間らしい気持ちを……人間性を与えてくれた。オレは……オレはもう報われていた。救われていた。得られていた。この心に……どれだけ欺瞞と虚偽に塗り固められようとも『人』を抱けたと信じられた」

 

 白の深淵狩りは笑む。嬉しそうに……そのはずなのに……苦痛の悲鳴が今にも零れ落ちそうな……今にも泣きだしそうな笑顔で、だが、穢れを知らぬ白雪のように笑っていた。 

 

「好きです。大好きです。全ての『命』を愛しています」

 

 ランスロットは右手に握る聖剣の剣先を下げ、最大にして最強の敵となった白の深淵狩りを見上げる。

 

「人間も、動物も、虫も、植物も、大地も、海も、空も、森も、夢を現としたこの新世界も……愛しています。だからこそ、特別な『人』たちができました。彼らは夜明けを迎えて、朝日に希望の種を芽吹かせるべき人々。彼らには……『未来』があります。希望も絶望も感じられるからこそ、未来を生きる価値と意義がある」

 

 背負う折れた異形の黒の剣を抜く。ランスとしての本質が強い打撃に重点を置いた刃を備えた異端の武具。だが、その刀身は半ばから砕け、もはや武具としての機能は大きく損なわれ、秘めた数多の能力を引き出すことは難しいだろう。

 

「オレがここにいる『理由』なんてそれだけで十分です。傭兵は依頼を果たす。狩人は約束を守る。そして……神子は契約を履行する。オレは多くの『理由』があるからアナタを殺す。だからアナタと戦う」

 

 どれだけ言葉を並べようとも、ランスロットの全身に牙を剥くのはおぞましいまでに暴虐で、純粋で、破滅に満ちた、世界の全てを喰らい尽くしてもなお足りないだろう殺戮の飢餓に満ちた殺意だ。それが今まさに束ねられ、ランスロットに注ぎ込まれる。

   

 

「オレは狩り、奪い、喰らい、戦い、殺し……そして、夜明けをもたらす者」

 

 

 先に動いたのはどちらだったか。ランスロットは深淵渡りで白の深淵狩りとの間合いを詰め、光波を近距離で叩き込もうとする。

 希望も絶望も映さぬ獣の飢餓の瞳。だからこそ、ランスロットには白の深淵狩りが何を考えているのか分からない。

 絶望に立ち向かう不屈の眼ならば、起死回生の希望を燃やす瞳であるならば、ランスロットは相手に奥の手が隠されていると容易に読める。だが、白の深淵狩りがその目に映し込むのは混ざり気のない純粋な殺意だけだからこそ、まるで読むことが出来ない。

 ならばこそ、まずは小手調べ。近距離から撃ちこむ光波にどう対処するかで、まずは白の深淵狩りがどれだけ動けるかを把握する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、ランスロットが光波を撃ち出すより先に、彼の全身を『炎』が喰らった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刹那の交差。何が起こったのか、ランスロット程の猛者だからこそ混乱することなく瞬時に理解する。

 今まさに白の深淵狩りの左手には泥を滴らせる異形の黒の剣、右手には半ばから折れたカタナを握っている。

 

「抜刀、水銀長刀」

 

 だが、そのカタナの刀身は水銀によって覆われ、鋸状の刃を形成していた。それが折れた分ほどはいかないが、足りぬ刃渡りを補って間合いを伸ばす。

 恐るべき武具! あのカタナを打った鍛冶師は『イカれてる』とランスロットは感嘆する。

 しかし、それは炎の本質ではない。

 ふわりと地面に着地した白の深淵狩りが左右の武器を振るう。その刃の軌跡をなぞるのは遅れ火。飛び散る水銀と泥より燃え上がるのは、普通の炎ではない……まるで鮮血より燃え上がるような真紅の焔火。

 ランスロットは即座に見抜く。あれは混沌の火の亜種だろう。だが、あれ程に鮮やかな真紅の炎が存在するとは思えない。それはまるで紅玉が炎の形を取っているかのようだ。

 何よりも『重い』。人間性の闇より燃える黒炎に近しい。元より混沌の火と黒炎は近しい存在にあるが、あの真紅の炎を浴びた瞬間に凄まじい衝撃が走った。

 

「深淵狩り【紅玉の騎士】アンタレスに授けられた、ナグナの焔火。アナタを狩るには相応しい」

 

 炎の正体を明かす白の深淵狩り。その白髪がゆっくりと……淡く切なく発光し始める。

 

「オレはサインズ独立傭兵ランク21【渡り鳥】にして最後の深淵狩り」

 

 それは銀月と呼ぶには余りにも儚く、だからこそ冷たい雪夜こそ相応しい穢れぬ白月のようだった。

 

「そして、ヤツメ様と烏の狩人の血を継ぐ久遠の狩人。オレは『火』としてアナタを焼き尽くす」

 

 そして、ランスロットが幻視したのは、白の深淵狩りを内より燃やす大火だった。

 真紅の炎が舞い散る中で、ランスロットは紫光を帯びた聖剣を構える。

 小手調べなど、最強の敵を相手にするには余りにも不敬だった。全身全霊をかけて、持てる武技と奥義を出し尽して白の深淵狩りを否定する。それが彼の忠義の貫き方だ。

 

「貴様は陰る火に過ぎん。俺が貴様の火を消そう。我が聖剣に誓う忠義にかけて!」

 

「来い、ランスロット。ここからは狩りの時間だ!」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 ああ、始まったか。いや、予想はしていた。マヌスは再起した【渡り鳥】が煌かせる真紅の炎……ナグナの焔火に魅入られる。

 それは【渡り鳥】の奥の手と呼ぶにも値しない、彼だからこそ使い物にならないはずの赤ブローチがもたらす能力だ。

 ナグナの赤ブローチの能力。それは武器1つを対象としてその場で『無条件で能力を追加する』というものだ。その破格の効果ではあるが、実際には使い手に大きく依存し、また劇的に戦闘能力を引き上げるものではない。あくまで『武器の性能を引き上げる』という意味で破格に過ぎないからだ。

 能力【ナグナの焔火】。それはマヌスにとって因縁ある深淵狩り達、その1人である【紅玉の騎士】アンタレスが用いた特異な火だ。武芸には長けたが、魔法・奇跡・呪術を操ることを不得手とした彼の為に、混沌の魔女の末裔であるナグナが起こした混沌の火の亜種、それが紅玉の如き真紅の炎を生むナグナの焔火だ。

 POWの高さ……魔法枠の数に応じて能力数を増やしていき、通常の呪術のように≪魔法感性≫を必要とせず、武器にナグナの焔火を付与できるというものだ。その内の1つが遅れ火……攻撃判定の軌跡をなぞる炎だ。ナグナの焔火の基礎能力である。

 しかし、それでもあくまで武器の1つにしか能力を付与できない。多様性があってもユニークスキルには格段に劣る。だが、【渡り鳥】は更に赤ブローチの有用性を高める手段を思いついた。赤ブローチの使用対象に、体内にあるパラサイト・イヴを選択した。

 パラサイト・イヴの能力……武装感染・侵蝕。それはファンブル状態にならないという特性に目を奪われるが、本質は『パラサイト・イヴを通して共有される』ことにある。即ち『同一化』だ。

 体内にあるパラサイト・イヴ本体にはいかなるエンチャントアイテムも使用ができない。それ故に作成者すらも意図しなかっただろう、ナグナの赤ブローチによる能力追加によるエンチャントの共有化。ナグナの焔火は今まさに武装感染・侵蝕した全ての武器を対象として能力が発動する。

 よく考え付いたものだ。マヌスは素直に感心する。だが、彼の興味は別の所にある。

 ナグナの焔火は『思考操作』。即ち、【渡り鳥】が先天的に苦手とする分野なのだ。操作精度が足りないのだ。だからこそ、【渡り鳥】はランスロット戦の前に使用する事は無かった理由の1つにある。あっても使いきれず、むしろ自滅の要因になりかねないからだ。

 だが、思考操作とは運動アルゴリズムを通して行われる。ならば、致命的な精神負荷を受容した状態ならば、それこそ今までとは桁違いの負荷を何の迷いもなく受け入れきれるのであるならば、そこから先は彼の戦闘適性の分野だ。人間には元来存在しない、仮想世界が実現したナグナの焔火という発火能力という前代未聞のコントロールを彼の脳は何処まで御せるか。

 

「興味津々だね」

 

「ええ。ナグナの焔火の使い辛さには『デーモン化状態でなければ起動しない』という点にありますから」

 

 それもまたナグナの焔火の難点の1つだ。その強力な能力はデーモン化状態で無ければ発動しないのである。

 だからこそ、今まさに【渡り鳥】はデーモン化を発動している。だが、その変化はステータスにはほとんど出ていない。せいぜいアバターの髪が淡く発光し始めた程度だ。

 

「深度10パーセント未満。ここからが本番です。彼は全プレイヤーで唯一無二のカテゴライズ『できなかった』存在。故に与えられたデーモン化はデーモンシステムの本質を最も体現するもの」

 

 だからこそ、本来は使えないという次元を超えて封印すべきなのだ。特に彼の場合は、デーモンシステムがもたらす戦闘本能への刺激がそのまま殺戮本能の増幅に繋がる。だからこそ、暴走し易くなる。

 

「『獣魔化一体型』。分化されたはずのデーモン化と獣魔化が共有されたタイプ。分かりやすい強化作用は無く、獣魔化深度が進めば進むほどにデーモン化制御時間の摩耗は激しさを増します。一般的に獣魔化状態はデーモン化状態の強化を施してデーモンアバターの『人型』の括りを排除し、戦闘本能の暴走をもたらすものです。デーモン化状態での強化作用が無い彼では、獣魔化の深度が進んでも基礎能力の向上はありません。ですが、デーモン化とは本人の特性・本質や装備・スキル・誓約の影響もあります」

 

 ここからデーモン化深度が進めば進むほどに【渡り鳥】のアバターはより異形に……バケモノに近づいていく。それが獣魔化なのだから。それだけが獣魔化一体型の強みなのだから。ステータス上昇などの分かりやすいパワーアップは何1つない代わりに、心意無しでデーモンシステムの深奥に触れる。

 

「でも、不思議だねぇ。彼はアルヴヘイムでの消耗と長時間の致命的な精神負荷の受容で限界を超えていたはず。もう動けるはずがないんだ。やはり彼の特異なフラクトライト構造によるものかな? だとするならば、彼はいよいよ――」

 

「失礼ながら、それは無粋な詮索というものです。自分には分かります」

 

 どうして【渡り鳥】が限界を超えて動き出したのか。考察を可能とするセカンドマスターだが、だからこそ、マヌスは先んじて彼に伝えたいことがあった。

 

「『意思の力』です。心意など関係ありません。『人』であれ『獣』であれ、そこに意思があるからこそ、彼は己の意思で戦い続けます」

 

 彼は戦い続けた。満身創痍でも、本能が回復を訴えても、感情的に非合理的な判断の下で戦闘を続行した。

 致命的な精神負荷の受容も、あらゆる苦痛に耐え続けるのも、限界を超過しても戦うのも、彼の意思があるからこそだ。

 

「ですが、そこに王の『答え』など無い。私には悲劇にしか見えない。あれは……もはや呪いだ」

 

 セカンドマスターやマヌス以上に【渡り鳥】が再びランスロットとの戦いを再開したことを読めず、言葉を失っていたレヴァーティンは搾り出し、マヌスは無言を示す。

 

 

 紫の月明かりと真紅の焔火は踊る。これから始まる互いの絶技と秘奥を出し尽くす戦いは……決して謳われることはない。




祈りと福音は失われ、『答え』すらも捨て、ただ呪いだけに成り果てた。




それでは、298話でまた会いましょう。

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