SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

アルヴヘイムの決戦、終幕。



Episode18-63 鎮魂

 彼の意識を引き戻したのは、右手から伝わる人肌の温もりだった。

 ゆっくりと瞼を開いた『名無し』の視界に最初に映ったのは、長い戦いの夜を越えた証のような、まるで海原のように雲1つない青空だった。

 真珠と見間違うほどに美しく輝く太陽は、たとえ仮想世界の産物だとしても本物の太陽と同じくらいに尊く、故に大地に生きる者全てを等しく照らす恩寵のような日差しに、自然と口元が綻んでしまうのは仕方が無いことなのだろう。

 

「うわぁあああああああああああん!」

 

「うぉおおお!?」

 

 だが、そんな感傷的な気分を軽々と引っ繰り返すのは聞き馴染んだシリカの泣き声であり、『名無し』はまだ戦いが終わっていないのかと聖剣を呼び寄せて戦闘モードに意識をシフトさせようとする。

 そんな『名無し』に無理をするなとばかりに、彼の顔に手を突き出して起き上がることを制したのはシノンだ。彼女の装備も血と煤で汚れ、なおかつ激戦を経たこともあって幾らか綻んでいるが、決戦前に失っていた左腕を除けば、目立った傷はない。

 

「ようやく目が――」

 

「目が覚めでよがっだぁああああああああ!」

 

 腰に手を置きクールに笑んだシノンの一声を塗り潰すシリカの絶叫が耳元で木霊する。彼の首に抱き着いたシリカは涙塗れの顔で頬擦りするが、リーファが何かを堪えるような暗い笑顔で彼女を引き離す。

 一体全体何が起こっているのか。オベイロンに竜神の拳をお見舞いして倒したところまでの記憶はハッキリと残っているが、それ以後の記憶はまるでない『名無し』は、声にして問おうとするが、途端に全身を襲った痛み……エクスキャリバーの効果を引き摺る幻痛に唸る。

 それだけではない。酷い頭痛と嘔吐感のダブルパンチだ。起き上がれずに、僅かに角度を上げた首の力を抜く。後頭部の感触は固くなく、自分が野宿用の毛布を敷かれた、即席ベッドで寝かされていることに今頃になって気づく。

 

「俺は……」

 

「気絶してたのよ。決着から約3時間ってところかしら。安心しなさい。オベイロンは貴方が倒したわ」

 

 気絶? ああ、そういうことか。『名無し』は最後の一撃を入れ、巨神オベイロンを倒しきって現れたリザルト画面、そして安っぽいファンファーレに安堵感を覚えて緊張の糸が切れたと同時に集中力も断たれ、そのまま意識を失ってしまったのかと納得する。

 夜明けまで維持し続けた竜の神と最後の一撃。聖剣の援護があったとはいえ、高密度情報を脳に処理を強いるDBOのバトルと『人の持つ意思の力』をフルに発揮し続けた代償だろう。クラインの言った通り、この力は無尽蔵ではないのだから当然の結果だった。

 

「倒したのは俺じゃない。『俺達』だ。全員の勝利だよ」

 

「臭い台詞吐かないでよね。貴方の手柄なんだから、謙遜しないで頂戴」

 

「本心だ。俺だけだったら負けてたよ。皆がいたから勝てたんだ」

 

「そ、そう? だったらありがたく受け取っておこうかしら」

 

 困惑する様子のシノンに、『名無し』は首を傾げて自分の傍らにある、今は月光を閉ざした銀の剣……聖剣へと顔を向ける。

 全身の虚脱感は脳の疲労だけではない。強い意思をそのまま仮想世界に干渉させる『人の持つ意思の力』、即ち心意の源となる仮想脳の酷使が原因だ。

 回復すれば元に戻るだろうが、それは一朝一夕で治るものではない。特に時間加速の影響下にあるアルヴヘイムを脱し、現実と同じ時間経過にあるDBOに戻り、しっかりと休養を取らねばならないだろう。

 だが、これ以上の無理を重ねれば……と『名無し』は自分が生命維持のために意識をシャットダウンしたのだろうと推測する。燃料が尽きればエンジンは動かない。それでも無理をするならば、それは仮想脳の崩壊……即ちフラクトライトの損傷という魂の破壊まで手を出さねばならないのだろう。

 

(分かってるさ。俺はそんな戦いをするわけにはいかない)

 

 自分を磨り潰してでも戦わねばならない時があるかもしれない。そうしなければ仲間を守れない時があるかもしれない。だが、今回は違った。それだけだと自分を卑下しようとする暗い心に楔を打ち込む。

 

「大丈夫ですか!? 気分は!?」

 

「目が覚めたんだな!」

 

「おーい! みんな、【聖剣の英雄】様が目を覚ましたぞぉおおおお!」

 

「良かった! 本当に良かった! ううう! アンタが死んだら全部台無しだったぜ!」

 

「とにかくメシだ! アルヴヘイムの英雄にメシを持ってこーい!」

 

 シリカだけではない。リーファだけではない。シノンだけでもない。生き残った反乱軍の面々が『名無し』の目覚めに喝采し、それは明るい笑顔を伝播させていく。自分が気絶している間にどれだけの心配をかけたのか、どれだけの人に守られていたのか、どれだけの繋がりがあるのかを身に染みて理解する。

 何でも『独り』でやり遂げようとすれば、それはSAOの頃から何も成長していない馬鹿なガキのままだということだ。たとえ、オベイロンのように青臭いと嗤う輩がいたとしても、この道を歩むことを誇りにして生きていけば良い。

 

「まだ痛みますか?」

 

「ああ。だけど、少しずつマシになってる気がする。痛覚遮断はもう機能してるし、残留してる痛覚情報もいずれは消えるさ。それよりもシリカ」

 

 桶に張られた湯にタオルを濡らし、彼の頬や首を拭くシリカの右手を掴む。途端に彼女はビクリと肩を震わせて俯く。

 ちゃんと聞こえていた。彼女の苦しみも、叫びも、未来への意思も……ちゃんと『名無し』に届いていた。だからこそ、彼は聖剣の試練に打ち勝ち、痛みを超えて未来を得る意思を示し、オベイロンを倒すことができた。

 だが、それとこれは別だ。『名無し』は労わるように彼女の右手を撫でる。顔を真っ赤にするシリカであるが、『名無し』は今までの感謝の限りを尽くして両手で彼女の右手を包み込んだ。

 こんなにも小さな手に多くの無理をさせていた。ずっと寄り添ってくれていたのに、支えてくれていたのに、ずっと抱えていた代償に気づいてあげられなかった。恥じる『名無し』は、だがここで謝罪するなど、それこそ彼女を愚弄することだと言葉を呑み込む。

 自分の心を許す為の謝罪の言葉ではなく、未来を切り開く為の言葉を。『名無し』は小さく笑んで、まだ煤で汚れているシリカの左頬を親指で拭った。

 

「これからは本当の意味で一緒に戦おう。キミは役立たずなんかじゃない。足手纏いでもない。俺たちはやり直すんだろう?」

 

「ごめ――」

 

「もう謝らないでくれ。シリカは何も悪くないんだからさ」

 

「……はい」

 

 涙を隠しもせずにシリカは嗚咽を呑み込む、笑顔を作って頷いた。その様子を遠巻きで見守っていたシノンとリーファはホッとした様子で笑い合う。

 

「状況は最悪と言うべきかどうか迷うところです」

 

 そして、空腹を満たすシチューを頬張っていた『名無し』の腹に強烈なブローを打ち込むが如く、疲れ切った顔でレコンは淡々と反乱軍の現状を報告する。

 ギーリッシュを含めたトップは軒並みに死亡済み。将軍は1名だけ生き残っているが、両足と喉を欠損して回復には時間がかかる。残存戦力を纏め上げる指揮官クラスは両手の指で足りる程度。万単位いたはずの戦力は、後方支援も含めて4000人超だ。魔族はほぼ全滅であり、辛うじて蛇人の部隊が残存しているが、それも7体ほどに限られている。

 アルヴヘイムの有史以来最強の軍隊がこの惨状だ。生き残れた者は奇跡であり、悲劇的なことにその内の1000人ほどは戦場から逃げ出して被害を免れた脱走兵だ。ハッタリをかまして反乱軍の指揮権を引き継いだレコンとしては、脱走兵の待遇も含めて頭痛の種だろう。

 

「とりあえず、銃殺刑で良いんじゃないかしら?」

 

「でも、さすがにあの状況で――」

 

「彼らは正規軍として参加したわ。私達【来訪者】の情で処遇を決めるのではなく、彼らが培った法の下で裁定すべきよ」

 

「だけど!」

 

 冷徹ではあるが正論を敢えて述べるシノンと冷酷過ぎると人情を示すリーファ。2人に挟まれた『名無し』は、このニンジン大き過ぎて食べにくいなぁ、という能天気とも言うべき大らかな気持ちで2つの意見を統合する。

 

「死刑は無し。ただし、反乱軍として参加した名誉と恩賞は取り消す、ってのはどうだ?」

 

「それで納得しますか? 僕たちは良くても他の人たちが――」

 

「【聖剣の英雄】か【アルヴヘイムの英雄】の肩書きを好きに使ってくれ。レコンのハッタリなら上手くやり込められるだろう? 俺も出来ないことはないけど、キミ程に上手くはないし、アドリブにも自信がないからな」

 

「無茶言いますね。言っておきますけど、僕に皆に押し通すカリスマ性はないんです。あれは緊急時だから通用しただけで、現状で僕の意見は通りませんよ。もっと別の人材に――」

 

 と、そこでレコンは見当がついたように、口元を悪辣に歪ませる。

 なんか大ギルド臭がするなぁ、と『名無し』はレコンのどす黒い一面に背筋をぞわぞわと凍らせる。

 

 

 

 

「このオレをスピーカー代わりにしようとは、随分と偉くなったものだな」

 

 

 

 

 そして、片腕を失ったユージーンが仁王立ちで未だに立てぬ『名無し』を見下ろしたのは、それから5分後の話である。

 あ、今の俺って動けないし瞬殺されるかも。かつてない程に覇気を漲らせた、彼もまたアルヴヘイムで実力も精神も大きな成長を遂げたのだと一目で分かるオーラを身に着けたユージーンに、『名無し』は仮面の裏で口をパクパクと開閉して誤解を解く言葉を探す。

 

「そんなぁ! 世に名声轟くランク1! 剛剣の使い手にしてランク9と傭兵業界の双璧を成し、唯一無二の好敵手と謳われるユージーンさんをUNKNOWNさんの拡声器代わりにしようなんて、そんな恥知らずなお願いするわけないじゃないですかぁ!」

 

 だが、2人の間に、今にも土下座しそうな勢いでレコンが割って入る。

 

「ほう? では聞かせてもらおう。どのような意図があるのか、じっくりとな」

 

「ええ。使うのは2つの権威です。【聖剣の英雄】と【巨獣討伐者】。『傷を負って動けない【聖剣の英雄】』の戦友として『腕を失おうとも健在である【巨獣討伐者】』ユージーンさんが、『2人からの恩赦』を伝えるんです。幸いにも指揮系統はほぼ壊滅。唯一残存する将軍は僕たちの知己でもないですが、上の立場かつ生き抜いた戦達者ならば、生存者の4分の1も達する脱走兵に無為な抵抗の意思を生ませず、戦後の混乱を最大限に抑えた方が良いと判断できるはずです」

 

「続けろ」

 

「だからこそ、ユージーンさんが必要なんですよ! この場面で皆を納得させるのは有無を言わさぬ豪傑のオーラです! つまりはカリスマ性! ここで皆を鶴の一声で納得させられるのは、ユージーンさんを除いて誰もいません!」

 

 う、上手い! レコンの捲し立てる理屈と煽てに、悪い気分では無さそうに鼻を鳴らすユージーンに、『名無し』を含めた【来訪者】の面々は、レコンに逆らえば政治的に抹殺されるのではないだろうかと危機感を覚える。

 ユージーンも煽てられていることは重々承知のはずだ。だが、負傷を対比にしてユージーンを持ち上げた上で、『名無し』の代理人になるというロジックは魅力的だ。そこに事実の齟齬が無いならば尚更である。

 これだけの政治パワーをいつの間に!? レコン……恐ろしい子! もしかしなくとも、アルヴヘイムで最強の成長を遂げたのはレコンなのかもしれない、と『名無し』はガクガクと震えが止まらなかった。

 

「だが、オレは巨大レギオンを倒せたかどうか怪しいものだがな」

 

 ならば穴があったとするならば、ユージーン自身の武人肌だろう。彼の気がかりの通り、1度は完全に沈黙したはずの巨大レギオンは、死に際の……いや、死後の執念のようにブレスを放とうとしていたらしいと『名無し』は聞いている。それを防いだのは、まるで夜空を塗り替えれた星雲の世界より降り注いだ光だったことも知っている。

 

「レギオンの執念は並外れていた。オレの油断が招いた危機だった。やはり、オレに【巨獣討伐者】などと名乗る資格はない」

 

「そんなことないです! 確かに最後のブレスを止めたのはユージーンさんじゃないとしても、レギオンを止めたのはユージーンさんの頑張りがあったからじゃないですか!」

 

 声を荒げてリーファは、ユージーンこそ【巨獣討伐者】と名乗るに相応しいと太鼓判を押す。

 巨大レギオンの地下であった戦いは、既に『名無し』もリーファ経由で内容は聞いている。多大な犠牲を払った戦いであり、ユージーン無しでは巨大レギオン撃破は無かっただろう。最後のブレスは、レギオンを甘く見た『名無し』も含めた全員の油断が招いたものだ。

 

「フン。そこまで期待されたならば、応えるのがランク1の使命というものか。良いだろう。【巨獣討伐者】の栄誉、確かに受け取った」

 

 背中を向けたユージーンは、納得こそしていないのだろうが、リーファの言葉が心に響いたのか、称号を冠することを甘んじた様子だった。

 だが、事実として彼が巨大レギオン撃破の功労者であることを疑う者など反乱軍にはいないだろう。【聖剣の英雄】と『名無し』を呼んで慕う者たちとは違い、ユージーンに対しては畏怖に近い英雄視の眼がある。レコンの言う通り、彼には豪傑の覇気が備わっているのだ。良くも悪くも『名無し』の雰囲気も容姿にも鋭さが足りないのだ。それを補う為の聖剣ではあるが、今ここで大立ち回りするのはユージーンの方が適材適所だろう。

 

「だったら、最後の攻撃は誰だったのかしらね」

 

 ようやく問題が1つ決着したところで、シノンは当然のように、巨大レギオンの最後のブレスを止めた謎を話題に浮上させる。

 痛みの暗闇に囚われていた『名無し』は実際に目にしたわけではない。だからこそ、想像するしか余地はないわけだが、情報の限りから推測することはできる。

 

「攻撃規模はユージーンの最大呪術とほぼ同等。総合威力は劣るけど、貫通力は上ってところかな。巨大レギオンは撃破後に崩壊が始まって脆くなったことも加味すれば、視覚通りの貫通力と威力とも考え難いし、実際はもう1、2ランク下のかもしれない。だけど、何にしても――」

 

「オレのイザリスの焔火と並びかねない攻撃であることに違いあるまい。そうなるとデーモンスキルで獲得した特殊な魔法だろう。あるいは、余程特別なソウルウェポンだな。だが、あの局面まで温存していたとは信じがたい。それに、聞いた限りではプレイヤーのスキル・魔法・装備よりもモンスターの能力に近しいな」

 

「同意見ね。あれはプレイヤーよりもモンスターの能力に近しいと思うわ。プレイヤーのスキルや装備とは別物ね。あるいは、貴方が使ってる心意とかいう吃驚能力と同じ類かしら?」

 

 ユージーンとシノンの意見に、『名無し』は言い知れない不安を抱く。

 少なくとも、謎の攻撃の主は反乱軍と『名無し』を危険から助けた。だが、それならば、どうして名乗り出ない? それに、あれだけの攻撃を可能としたならば、どうしてあの場面まで温存していた?

 俺は今まさに大きな見落としをしようとしているのではないのか? 大事な真実へと通じるドアに手をかけているのではないのか? 必死に『名無し』は頭痛が支配する頭を動かし、あらん限りの可能性を探す。

 

 

 

「もしかして、ランスロット……とか?」

 

 

 

 と、そこで別の切り口を示したのはレコンだ。

 途端に顔が凍てついたのはシノンだ。廃坑都市で圧倒的な戦闘能力で自分たちを一蹴したランスロットは、アルヴヘイム攻略において最大の生涯と目論んでいた。結果として、ランスロットの撃破をすることもなく、オベイロンとの決戦に駒を進めることが出来たが、それでも今ここであの闇濡れの騎士が立ちはだかるならば、武器・アイテム・体力・戦力も限界に達した自分たちに勝機があるとは思えない。

 だが、レコンは何の突拍子もなく、この場で混乱を招く意見を述べる男ではないと『名無し』は理解している。故に相応の根拠があるのだろう。

 

「実は僕……決戦中にランスロットから襲撃を受けたんです」

 

「嘘。よく生きていられたわね」

 

 シノンの反応は聞き方次第では侮辱にも捉えられるはずであるが、レコンはむしろ全面肯定するとばかりに、思い出しただけでも失禁しそうな程に顔を歪める。

 

「ランスロットによって、辛うじて保てれていた指揮系統は完全に破壊されました。僕もナギちゃんがいなかったら、どうなっていたことやら」

 

 ナギ。レコンが出会った謎の少女であり、今だ不明だった【来訪者】の1人だろう少女。数多の武器を使いこなし、なおかつ場違いな程に能天気な態度で周囲を混乱させたが、それでもレコンの話によれば、彼女がいなければオベイロンとの戦いにおける決定打を幾つか逃していたという。特に巨大レギオンの弱点を教えてくれたのは彼女であり、その貢献度は高い。

 件の彼女はこの場にいない。決着と同時に姿を暗ました。出来ればお礼を言いたかったのだが、生き延びたならば、いずれDBOで出会う機会もあるだろう。

 だが、ランスロットと切り結べるプレイヤーは決して多くないだろう。トッププレイヤー級でも特に近接戦に長けた者でなければ、ランスロットの剣を凌ぐことなど不可能だ。『名無し』自身、スローネ戦とオベイロン戦を経た今ならば幾らか戦える自信もあるが、あの3本のHPバーを完全にゼロにすることができるイメージは未だ湧かない。

 可憐な容姿も含めれば、必ず話題になっているはずだが、実力に相反して知名度が低いプレイヤーがいるのも事実だ。傭兵でもない限り、大ギルドの関与が無ければ目立つ機会を得られないのもDBOの特徴であり、また大ギルドが隠し玉として敢えて名が売れないようにしている戦力もある。

 

「少なくともオレは知らんな」

 

「私もよ。そうなると聖剣騎士団の差し金かしら」

 

 クラウドアースと太陽の狩猟団の専属トップが知らないともなれば、残るは聖剣騎士団なのであるが、それもまた根拠はない。

 ナギの正体の追究は置いておき、問題はレコンが交戦したランスロットだ。それが事実ならば、ランスロットもまた回廊都市でオベイロン側の戦力として参戦していたことになる。

 

「僕もランスロットと交戦扱いになっていたみたいで、オベイロン撃破から少し遅れてランスロット撃破のリザルトも入りました。まぁ、DBOは貢献度で経験値とコルが分配されますから、僕に入ったのはかなり少なかったですけどね」

 

「つまり、オベイロンとランスロットは連動していたって事かしら。オベイロンが倒されたから、ランスロットも自動的に撃破扱いになった」

 

「いや、その理屈はおかしい。ランスロットは情報の限りでは、アルヴヘイム全域を移動できる徘徊型ネームドだ。オベイロンは、拠点型ボスだから連動するなんておかしい……はずだ」

 

 最後に言葉を濁すのは、自分も言えたことではないが、オベイロンはこの戦いでチートの限りを尽くしていたからだ。型通りのロジックが通用しないとなれば、シノンの提示した連動による自動撃破の説得力は大きい。

 

「ランスロットの足止めをしたのは影でした。ナギちゃんは正体を知っていたみたいですけど、かなり強力な能力だと思います。変な話ですけど、規模は違うけど、先の話に出た巨大レギオンのブレスを止めた攻撃と似た、魔法とかスキルじゃなくて、モンスター能力寄りの気がします」

 

「影だと? オレを巨大レギオンの崩落から助けた少女も影を操っていた。虹色の髪をした美しい少女だったが。恐らくプレイヤーの1人だと思うが、容姿からして、貴様らの言うナギとは違うのだろう」

 

「待ってくれ。それは――」

 

 人型のレギオンだ。そう言おうとした『名無し』は口を閉ざす。

 レギオンとは、全プレイヤーにとって恐怖の象徴となっているモンスターの呼称だ。突如としてNPCはレギオンに変じて襲い掛かって来る。廃坑都市においては、プレイヤーカテゴリーであるはずのアルヴヘイムの住人にも被害はあったのだ。

 レギオンへの不安が蔓延る中で、人型のレギオンがいると公言するのは危険だ。カーソル以外でプレイヤー・NPC・モンスターの区別しか出来ない中で、仮にプレイヤーカーソルを付けたレギオンがいるならば、疑心暗鬼による殺し合いが始まりかねない。

 その証拠に、反乱軍の壊滅の原因の1つは、反乱軍内に潜んでいた、プレイヤーに擬態するレギオンだったのだ。これによって指揮系統は崩され、また不信を招き、多くの同士討ちまで呼び寄せた。レコンの機転が無ければ、あの時点で反乱軍は終わっていただろう。

 どうするべきか。ここで思い切って事実を明かすべきか? 悩む『名無し』であったが、彼らにこの情報を共有しないのは後々の不利と不和に繋がるかもしれないと覚悟を決める。

 

「人型のレギオンですか。だったらナギちゃんも……それなら情報通も当たり前だ」

 

 レコンは納得した様子だったが、ユージーンは手で顔を覆って感情を抑え込んでいる様子だった。だが、すぐに彼はいつも通りの様子で、だが立っていることに疲れたとばかりに腰を下ろす。

 

「ナギちゃんがレギオンなんて。でも、それってプレイヤーに友好的なレギオンもいるってことだよね!?」

 

「早計かつ危険な思考ね。私も今回レギオンの助けを借りたけど、彼らは独自の目的があるように思えたわ。たまたま今回は私達に協力することにメリットがあっただけ。レギオンは今まで通り、プレイヤーにとって脅威となる敵として認識した方が命取りにならないわ」

 

 明るい調子のリーファを窘めるシノンの言う通り、レギオンは基本的にプレイヤーにとっての脅威という認識で正しいのだろう。だが、ナギやグングニルといった特異なレギオンがいることも留意しなければならない。

 

「レギオンがランスロットの足止めをしてくれていたならば、巨大レギオンのブレスを止めたのもレギオンかもしれないわね。レギオンの内輪揉めがあったとか。あるいは、巨大レギオンの最後の攻撃は本意では無かったとか」

 

「分からんな。だが、レギオンはあらゆる情報を共有している。奴らとの交戦は残らず他のレギオンの強化にも繋がる。これからは手の内を隠して戦わねば、より強大なレギオンが現れた時に対処が難しくなる。注意するに越したことはないだろう」

 

 シノンの推測とユージーンからの情報提供により、レギオンの全体像が幾らか見えてきたなと『名無し』は情報を纏めていく。

 

「俺はレギオンが後継者やオベイロンの駒とはどうしても思えないんだ。レギオンは異質過ぎる。語弊はあるかもしれないが、DBOにおいてウイルスに近い存在なんじゃないか?」

 

「仮説と推論の域を出ませんね。だけど、今回の戦いでレギオンが暗躍していたならば、オベイロンとレギオンは組んでいるのではなく、利用し合っていると考えるのが自然かもしれません」

 

 シリカの言う通りだ。『名無し』も同意して、レギオンはオベイロンの主従関係もなければ、船を同じくする同志でもない。むしろ、ビジネスライクに近しいのではないだろうかと考える。

 シノンは集中的にレギオンに襲われたと述べ、またレギオンに与したらしきデスガンの協力を受けて生き延びた。レギオンにも内輪揉めがあるのかもしれないが、やはり情報が足りなかった。

 

「ランスロットが倒されたなら、ドロップアイテム……ソウルが残るはずよね?」

 

「探すのは無理でしょう。もう誰かに回収されちゃってますよ。もしくは瓦礫の下敷きで掘り返すのは無理そうですね」

 

 ランスロット程のネームドならば、ほぼ確定でソウルドロップのはずだ。ならばとシノンがソウル回収を進言するが、今になってランスロットのソウルの発見は無理だろう。モンスターは時間が経過すれば、アルヴヘイムの住人とは違い、ポリゴンに拡散して消滅する。ランスロットの遺体を発見するのも無理であり、仲間の救助や遺体の発見に尽力する生き残った反乱軍の誰かがソウルアイテムを見つけたとしても、全員のアイテムストレージを開示を強要すれば不和が生まれる。

 

「ランスロットを抑え込むほどのレギオンがいるなら、それはそれで脅威だけどね。あの殺意もレギオンのものだとしたら……」

 

 シノンが失った左腕を抱きしめるように、右手で左肩をつかむ。彼女が言わんとする殺意を『名無し』は明確に感じていない。痛みで朦朧とした意識はもちろんだが、痛みの暗闇に引きずり込むことで聖剣が守ってくれたからだろう。

 

「レギオンの王の殺意で間違いないだろう。理解しがたいものではあったが、オレが戦ったレギオンはそう呼んでいた」

 

「……レギオンの王、ですか。ナギちゃんも確かに同じことを言ってました」

 

「フン。無為に恐れるな。いかなるレギオンだろうと、このオレが倒す」

 

 深刻な表情をするレコンの背中を叩くユージーンの発言に揺らぎはない。彼は本気で全てのレギオンを倒す意気なのだろう。

 ランスロットは倒された。それは変わらない結果だ。だからこそ、『名無し』は永遠に廃坑都市での雪辱を晴らす機会は無いのだと、武人としての無念を抱く。だが、同じくらいにランスロットが大暴れしていたならば、反乱軍はどうなっていたかも分からないとも安心する。

 

「それはそうと、このソウルを」

 

 思い出したようにシリカがアイテムストレージから取り出したのは、今まで見たことが無い程に大きく、また虹色に光るソウルだ。バスケットボールほどの大きさをしたソウルを差し出され、『名無し』はこれこそが巨神オベイロンを撃破して得た戦利品なのだろうと理解する。

 

「ラストアタックを決めたのは貴方。それがルールよ」

 

 シノンの後押しもあり、『名無し』は自分が得て良いのだとソウルを獲得する。

 

 

<世界樹のソウル。古竜ユグドラシルのソウル。古竜ユグドラシルはその身を世界樹に変え、アルヴヘイムをソウルで満たした。やがて、妖精の王となったオベイロンは世界樹を奉じて守ることこそを王の使命とした。だが、盗人はオベイロンの皮と王冠を奪い、ユグドラシルのソウルを我が物とした。暗黒時代の始まりである>

 

 

 アルヴヘイムで賢王と謳われたオベイロンと今のオベイロンは全くの別物だった。今のオベイロンは須郷が成り代わった偽物であり、彼のアルヴヘイムでの名声も栄誉も何もかもが本物のオベイロンより簒奪されたものだ。

 須郷を倒す。それは本物のオベイロンの名誉を取り戻すことは出来ずとも鎮魂にはなるだろう。そう思えたのは、自分もまた武の頂を目指す者として成長できたからだろうかと『名無し』はオベイロンを……いや、須郷を倒さねばならないという義憤を燃え上がらせる。

 だが、このソウルによって決定的になったのは、やはり須郷はもはやボスとして抵抗できるだけのリソースなど残っておらず、ユグドラシル城でほぼ自動敗北が決定しているにも等しいという事だ。ここから先はイベントバトルのようなものである。

 だからこそ、注意を怠ってはならない。須郷は最大限の身の守りを固めているはずだ。いかなる卑劣な罠が待ち構えているか分からない。

 

「僕は残存戦力を纏め上げて出発の準備をします。動ける人員は少ないでしょうけど、僕らだけで進軍するわけにはいかない。そうですよね?」

 

「ああ。これは俺達だけの戦いじゃない。アルヴヘイムの皆の戦いでもあるんだ」

 

 本当はアスナの元に一刻も早く駆け付けたい。だが、そうした独りよがりで何度も痛い目に遭ったのだ。『名無し』は逸る気持ちを深呼吸で抑える。

 何よりも、これはもはや自分だけの戦いではない。アルヴヘイムの命運を握る戦いであり、勝敗は決したからこそ、アルヴヘイムの住人が関わるべきなのだ。

 それぞれが準備に取り掛かる。『名無し』もまた武器や防具もチェックを行うが、聖剣を除いて損耗が著しい。特にメイデンハーツはもう次の戦いを乗り越えられないのは明確だ。亀裂は全体に広がり、軽く振るっただけで破片が飛び散りそうである。逆に聖剣はコアとなる刀身は傷1つない。元より規格外の耐久度であるが故に、損壊には無縁だ。

 オベイロン戦で獲得した膨大な経験値とコルは過去類を見ないものだ。オベイロンもそうであるが、深淵の軍勢も含めれば膨大な数のモンスターを倒したことになる。それだけの経験値もまた貢献度に応じて分配されており、『名無し』は堂々の貢献度1位である。

 

「これは……」

 

 目を引いたのは≪二刀流≫だ。決戦で膨大な熟練度上昇のお陰もあり、新しいソードスキルと能力がアンロックされている。追加能力は≪二刀流≫ならではというべきものであり、スキルの成長性……特にユニークスキルはまだまだ先があるのかと思い知る。

 

「うーむ、吾輩の名前がちゃんと刻まれておりますな!」

 

「だが、さすがに遅れた俺たちは貢献度が低いみたいだな」

 

「何を仰られる!? 貴公はブロンズではないか。うぬぬぬ! 吾輩、これではティターニア様に顔向けできません。

 

『名無し』は皆に頭を下げられるのに一々応えながら、転移地点である凱旋門の傍にできた大きな人垣を見つけ、また聞き覚えのある声を耳にする。

 

「よう」

 

「あ、ああ」

 

 相手もこちらに気づいたのだろう。あるいは、『名無し』を英雄と呼ぶ声が大き過ぎて察せられても仕方なかったのかもしれない。

 クラインと筋肉モリモリの大男は同時に振り返る。

 

「おお! 貴公があの! 吾輩、ティターニア様の守護騎士を務めるアルフのマルチネスと申す! 貴公の名声、吾輩の耳にもしかと届いておりますぞ! ティターニア様を想い! 長き旅をした流浪の剣士! 聖剣の使い手! このマルチネス、ティターニア様をお救いする一助となりましょうぞ!」

 

「感謝する。だが、その……抱きしめないでくれぇえええええ! モリモリ筋肉の感触がぁあああああ!?」

 

 仮面で助かった! 分厚い胸板を押し付けられ、強烈なハグを受けて魂が抜けそうになった『名無し』を、苦笑した様子のクラインは助けもせずに見守る。

 3分以上の興奮のハグの末に、マルチネスは満足した様子で自らもユグドラシル城突入に参加すると表明しながら去っていった。

 

「オメェも大変だな。この人たらし」

 

 筋肉祭りで精神を擦り減らして動けなくなった『名無し』にクラインは手を差し出す。躊躇するも、そんな暇は与えないとばかりに彼は『名無し』の右手を掴んで立ち上がらせた。

 

「もうシリカから聞いたか? ユウキは無事だ。今はちょいとトラブルを抱えているが、あの馬鹿娘が簡単にくたばるはずがねぇさ」

 

「……許されると思っていないさ。でも、俺は――」

 

「その先を言う相手は俺じゃねぇだろ。その時まで取って置け」

 

「そう……だな」

 

 クラインに謝罪をしても意味がない。彼は自分と殺し合ったことなど気にも留めていない。互いに必要だった魂のぶつかり合いったのだ。どちらが死んでもおかしくなかった。

 だが、ユウキは最後まで自分を止めようとしてくれた。『名無し』は彼女の言葉にもっと耳を傾けていればと後悔する。

 今も『名無し』の足下は自分を呪う屍で埋め尽くされている。彼らの死と向き合い、その1つ1つを乗り越えていかねばならない。受け入れていかねばならないのだ。

 

「見ろよ。この碑石には、反乱軍として戦った全員の名前が彫り込まれてる」

 

 数万の名前が記された碑石が並ぶ。1つ1つの文字は小さいが、それでも欠けた者はいないのだろう。だが、その大半は名前に横1本の線も加わっている。

 

「貢献に合わせて文字に色が付くようだぜ。ほら、オメェの名前はピカピカのゴールド。ユージーンの旦那は輝かしいばかりのシルバーだ。それ以下の連中は控えめなブロンズだな」

 

 貢献度1位の『名無し』と2位のユージーンだけは特別ということだろう。だが、ブロンズの過半は横線が引かれており、その名誉を生きて受け取ることは出来なかったのだと悟らせる。

 自分だけが戦っていたのではない。誰もがアルヴヘイムの未来をかけたこの決戦に死力を尽くしていたのだ。

 

「やっぱり……無い、か」

 

 自分やリーファ達の名前はもちろんあるが、途中参戦のユージーンやクラインの名前もある。だが、そこに最も探したかった名前は無い。

 クゥリはやはりいなかった。その事実を『名無し』は重く受け止める。

 あの夢とも現とも分からぬ夜に、自分を再び立ち上がらせてくれたクゥリがアルヴヘイムの何処かにいるかもしれないと思い続けた。また、あの痛みの暗闇で出会ったクゥリは夢の産物だとしても、オベイロンとの決戦に参加してくれているのではないかと、一緒に戦えていたのではないのかとも期待していた。

 だが、こうして碑石に名前が無いという証拠が、自分はクゥリの幻影を求めていただけの甘ったれなのだと突きつけられているようで、『名無し』は自己嫌悪に陥りそうになる。

 

「俺もオベイロンをぶちのめす手伝いはしてやる。最後まで気張れよ」

 

「クラインこそ、最後にドジを踏まないでくれ」

 

 たとえ、かつての関係に戻れずとも、今は『仲間』なのだろう。『名無し』は右拳を、クラインは左拳を突き出して打ち合わせる。

 クラインと別れた『名無し』は戦場の跡地を見て回る。

 生き残った者たちの目に宿るのは希望ばかりではない。今も瓦礫の下敷きになっていた戦友が掘り返され、その亡骸に涙を流す者たちがいる。

 遺体だけでも故郷に帰れる分だけ良い方なのだろう。跡形もなく吹き飛んだ者。炭や灰となるまで燃やされた者。もはや判別できないほどの肉塊になった者。この決戦で多くの命が失われたのだ。

 彼らの犠牲を無駄にはしない。『名無し』は拳を握り、青空で輝く太陽を見上げ、その眩しさに右手をかざす。

 リーファやユージーンの腕の再生を待ち、戦力が整い次第に出発である。大半が進軍するだけの余力も残っておらず、故にこの戦いを生き抜いた心身共に逞しい精鋭だけが同行することになる。

 

「なぁ、俺のこと……少しは認めてくれたのか?」

 

 背負う聖剣に問いかければ、あの独特の共鳴するような高音が響く。

 

「そっか。まだまだ、か」

 

 だが、それでも少しは認めてくれたのだろう。これから幾つの聖剣の試練に挑むのかは定かではない。だが、聖剣の主であり続けるならば、真に聖剣の使い手となるならば、いかなる試練だろうと乗り越えねばならない。

 今回の須郷のように、聖剣を欲する者はプレイヤーのみとは限らない。聖剣の簒奪を狙う全てを打ち倒し、【聖剣の英雄】であり続けるのは厳しい戦いになるだろう。

 それでも望んだことならば、迷いも後悔も無い。『名無し』は天を貫くように聳え立つ世界樹ユグドラシルに右手を伸ばす。

 

「あともう少しだ。俺は必ずキミの元にたどり着く」

 

 どんな結末が待っているとしても、俺が始めた旅なのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 なるほど。迷宮だ。

 ようやくたどり着いたオベイロンの居城、世界樹ユグドラシル。その城下町は迷宮でした。

 オベイロンの時間稼ぎか、嫌がらせか、それとも元より設計されていた通りなのか。盛り上がった世界樹の根に侵蝕された城下町は、空間同士が継ぎ接ぎになっており、一筋縄では突破できない迷宮と化していた。

 オベイロンが伯爵領を真似て再現したものなのか。はたまた偶然か。まぁ、こちらは生命の危機がない分だけマシなのかもしれないが、面倒臭いことに変わりはない。

 見えない境界線があちらこちらに張られ、大通りの1本道さえも真っ直ぐ歩いても先には進めず、見当違いな場所と繋げられる。だが、不気味なまでに静まり返った城下町にはモンスターの影すらもない。だが、代わりに配置されているのは、この空間継ぎ接ぎ迷路のギミック解除の鍵である宝玉の守り手だ。

 体長6メートルにも達する巨兵。巨大な金属の塊のように分厚い鎧で覆われているが、中身は空洞である。言うなれば、動く鎧の巨大版だ。今回の相手は巨大なモーニングスターを装備した中距離型。まぁ、巨体が巨大なだけに攻撃距離が広いのは厄介だが、『命』の無いAIらしく、そこまで脅威ではない。

 円形広場で振るわれるモーニングスターは地面を打つ度に範囲攻撃の衝撃波をばら撒く。その攻撃の境界線は既に狩人の予測の範疇。回避してそのまま鉄球と繋がる鎖を駆け、巨兵の右手に達し、腕を駆け上がり、顔面に蹴りを入れる。振り落とそうとする巨兵の動きに合わせ、掴みかかろうとする左手を躱していく。

 

「これで……4つ……目」

 

 巨兵が守っていた黄金の台座に設置された宝玉をつかみ、地面に叩き落として砕く。これでまた城下町は正常化に近づいたはずだ。

 さすがに格闘攻撃主体だとこのデカブツを相手にするのは骨が折れる。だが、打撃属性は弱点らしく通りが良かったわけで思っていた程に時間はかからなかった。HPがゼロになった巨兵の遺体を漁るも、武器はドロップしなかったので溜め息は漏れるばかりであるが、鉱石系素材としてはレア度が高いアイテムが幾つか手に入った。すっかり容量が軽くなったアイテムストレージに詰める。グリムロックに良い土産になるだろう。

 回廊都市で反乱軍の遺体を漁り、幾つかの武器を回収したが、どれも粗製武器ばかりだ。今のオレの装備はバトルアックス、鉄棍、バスタードソード、連射式クロスボウ、そしてパラサイト・イヴだ。

 ……なにこれ、酷い。ブーツと革製の籠手なのに、見た目は鉄の塊のバトルアックスちゃんよりもダメージが出るんですけど。防具の≪格闘≫のステータスボーナス分の方が強いんですけど。どれだけ武器系スキルの熟練度が高くとも、元の武器が貧弱では得られるステータスボーナスなど知れている。武器はレベル帯に合わせて使いましょう、という見本だな。

 パラサイト・イヴの武装侵蝕の強化作用で幾らか実用性を得られるとはいえ、メイン武器としては心許ない。

 連射式クロスボウに装填しているのは爆裂ボルト。言うなればボルトとして射出できる火炎壺のようなものだ。回収できた爆裂ボルトはそこそこあったが、巨兵との戦いで使い過ぎた。あと3連射1回分しか残っていない。バトルアックスとバスタードソードはガード用と割り切った運用をしている。

 格闘攻撃のサブとして織り交ぜるならば、個人的には鉄棍はかなり使いやすい部類だ。……まぁ、装飾も何も無い、ただの長い鉄の棒なんだけどね! 鉄パイプと見間違えられてもしょうがないよね!

 ちなみにランスロット戦を経て、贄姫と闇朧は真っ二つ。死神の剣槍はバラバラ状態、ザリアはスクラップだ。傷だらけとはいえ形を残した連装銃は弾切れだ。鈍器くらいにはなるだろうが、わざわざ装備するメリットも無い。

 

「グリムロックに、殺される、かも……な」

 

 喉をせり上がって吐き出された血を右手で受け止める。深淵に侵された血は黒く、しかし闇は気化して血の赤色に戻る。

 後遺症はまだ全て把握しきっていないが、左足の痺れが酷いな。右手はまだ辛うじて感覚が残っているが、感度は落ちているようだ。

 問題は視覚……特に色彩だな。不定期であるが、ここに来るまでに幾つかの色が認識できなくなる症状があった。たとえば、赤を『赤』と認識できない、といった何色なのか脳自体が理解できないような状態だった。回復までに数秒から数分のラグはあるが、瞬時の色彩判別が求められる局面で症状が出れば、大きな命取りになるだろう。

 

(その時は私が教えてあげる)

 

 はいはい、そうですね、ヤツメ様。それが何色なのか認識できないならば、直感頼りで見当をつければよろしいだけですよね。寄り添うヤツメ様のフォローを流す。

 今までも視界が極彩色になったり、セピア色になったり、モノクロになったりといった異変は日常茶飯事だったが、色そのものが認識できなくなる症状は無かった。

 5体目の巨兵を発見し、まだ気づかれていない状態で建物の屋上から跳び下りて落下攻撃を仕掛ける。縦回転を加えた踵落としが脳天に命中するも、生物系ではない巨兵は大きく怯まない。

 今度は双剣タイプか。幅広い刀身と巨兵にしては短いリーチ……攻撃速度に注意だな。

 

「……チッ」

 

 目が霞む。呼吸が鉛を啜っているかのように重い。1歩の度に体幹が失われそうになる。

 だが、まだ動く。まだ戦える。心臓が止まろうが関係ない。

 しかし、やはり巨体の連中はタフで困る。HPの減り方で滅入ってしまう。打撃ブレードの死神の剣槍さえ健在ならば……完全消滅を免れただけマシか。だが、今回ばかりは幾らグリムロックでも修理は困難だろう。

 

「武器が……弱くとも……使い道はある」

 

 鉄棍で巨兵の重心を支える足首、その1点を狙う。火力と衝撃が足りないならばソードスキルで補う。≪戦槌≫の回転系ソードスキル【トリプル・ギア】。1回目の回転攻撃後、2回目、3回目の追加モーションへと派生させることによって火力ブーストが段階的に増す。対人ではモーションの立ち上げまでの遅さから狙いまで露骨にバレるので使い辛いが、こうした足下がお留守な2足歩行の巨体相手ならば、適時に使用すれば面白いように効果を発揮する。

 ソードスキルによるブーストを加えた足払い。背中から転倒した巨兵の胸に乗り、武装侵蝕で形成した左手の獣爪の籠手を主体にして連打を浴びせる。

 さっさと砕けろ。余り時間をかけている暇はない。こうしている間にも『アイツ』がここに迫っているかもしれないのだ。その前にアスナの元にたどり着かねばならない。

 

「これで、5体目だ」

 

 台座で眠る宝玉に歩み寄りながら、背後から駆け寄る巨兵を見もせずに連射クロスボウのトリガーを引く。3連射の爆裂ボルトの爆風を背に、巨兵の沈黙と共に台座のバリアが解除されて宝玉を手にすることが許される。

 これで連射式クロスボウはお荷物になった。宝玉を踏み砕きながらオミットしてアイテムストレージから排除する。

 巨兵の骸からドロップアイテムを漁るも、やはり武器は無い。鉱石系素材ばかりドロップしやがって。

 滴る汗を額から拭い、水を求めて井戸に近づく。桶で掬い上げた井戸水は冷たく澄んでいる。

 喉が渇く。

 足りない。

 血が足りない。

 もっとだ。もっと血を寄越せ。この飢えと渇きを満たす血を!

 

「…………っ!」

 

 桶に張られた水面に移るオレの顔は、まるで血に飢えた獣そのものだ。

 デーモン化が解除され、容姿は元に戻ろうとも、失った人間性は元には戻らない。

 

(たとえ、『鬼』の意思で『獣』から引き戻すことは出来ても、アナタは1度箍を外した。もう前には戻れない。終わらぬ飢餓はより強く、より大きく、際限なく膨れ上がる)

 

 黙れ。

 

(狩りを全うする為には私を……『獣』をもっともっと昂らせないといけない。ランスロットの時のような失態をまた繰り返すの?)

 

 黙れ。

 

(食べなさい。『人』の為の夜明けを求めるならば、獲物を喰らって少しでも空腹を紛らわしなさい。そうして、血の味を堪能しなさい)

 

 黙れ!

 

 鉄棍を振り回し、周囲を手当たり次第に破壊して、荒れ狂う飢餓を……『獣』の顎を抑えようとする。だが、湧き出す殺意に頭が塗り潰されそうになる。

 途方もない飢えと渇きが思考を溶けさせる。早く血を……血の悦びを! そう欲しているのだ。それだけが飢餓を慰めるのだと本能が分かっているのだ。狩人としてではなく、ケダモノとして、ただ殺意のままに凄惨に喰らえと血が熱く滾って求める。獣性が牙を剥く。

 井戸の周囲に破壊をばら撒き、倒れた桶から零れた水に左手を触れさせる。白石が敷かれた地面……青空を映し込む水面を覗けば、オレの右目は元に戻っていた。デーモン化も停止している。

 

「人間性の……消耗……か」

 

 今までよりも感情と殺意のコントロールが難しくなっている。理性の箍が外れやすくなっている。恐らくは自覚できない部分はより深刻な状態かもしれないな。

 殺すことに罪の意識も無く、元より抵抗感も無い。人間性を失っていけば、オレはどうなるかなど、分かったものではない。

 だが、獣性解放は今後の戦いにおいて必要不可欠になるだろう。ランスロット以上など想像もしたくないが、あり得る危険性は排除できない。特に管理者は未知数だ。

 

(誤解しないで。私はアナタ。アナタは私。私はアナタの意思を尊重する。狩りを全うするという契約の履行を拒まない。だからこそ、あんな醜態をまた晒すの?)

 

 腰を下ろして井戸に寄りかかるオレの胸にヤツメ様が跳び込み、首に抱き着いて耳元で囁く。

 ランスロットとの戦いで、オレは本能の絶食状態を見抜かれた。突如として落ちたパフォーマンスの低下は、この殺意を満たそうとしないストレスから生じたものだろう。

 分かってるさ。この飢餓に終わりはない。どれだけ殺しても高まり続ける。天井知らずだろう。だが、絶食状態は『一定の食事量』さえあれば回復できるはずだ。

 

「食事……ね」

 

 これも人間性を磨り潰した影響か? 前にも増して殺すことへの箍が外れやすくなっている。

 人間を殺すこと。それが食事と何の変わりも無いだと?

 これが生きる為であったならば、本物の飢えを満たす為であったならば、それは自然の摂理だ。だが、この殺意は違う。

 

(分かってるでしょう? このままでは、アナタは大切な人たちに牙を立てる。質で補えないなら量を。量で補えないなら質を。それも無理なら、粗食で少量でも食べないと)

 

 オレの頬に口づけをして、ヤツメ様は言いたいことだけを言って消えていく。

 シノンを殺しそうになった。彼女だからこそ殺意をギリギリで止めることが出来た。だが、見ず知らずの誰かだったら制御は利かなかっただろう。

 1番殺したい人。ユウキも、『アイツ』も、殺したくて堪らない。他にも殺したくて我慢が出来ない人たちがいる。

 

「それでも……オレは……」

 

 鉄棍を頼りに立ち上がり、1歩ずつ、1歩ずつ、ユグドラシル城を目指す。

 今は何も考えるな。サチの依頼を成し遂げることだけに集中しろ。

 ようやくたどり着いた。世界樹の根元にある、埋め込まれた宝石が煌く悪趣味な黄金の扉。ここがユグドラシル城の正門だろう。

 城下町の迷宮化は解除されていた。やはり全ての宝玉破壊が必須だったな。まったく、面倒なことになった。

 黄金の扉はオレが触れる間でもなく自動で開いて内部に招き入れる。そこは大樹の中身とは思えぬ、石とも金属とも違う不可思議な質感を持った、白を基調とした空間だった。道は無く、ただ吹き抜けのように天井は遥か頭上にある。

 いいや、違う。天井にこそ次なる扉がある。ロッククライミングの要領で壁を上っていけば良いのだろうか?

 試しに壁に触れれば、不可思議な密着が生じる。これは何かしらの仕掛けがあるな。右足を押し付ければ、まるで吸盤が備わったかのように足裏がぴったりと壁にくっつく。途端にオレは壁に向かって鼻から激突しそうになる。

 これは引力? ああ、なるほど。体重をかけた方向に合わせて、物理エンジンの『重力』の方向性が変化するのか。

 

「お出ましだな」

 

 1つの発見と同時に天井の扉を守るように、白い光が集まっていく。それは妖精の翅を有した2メートル超の守護騎士たちだ。動きからして『命』の無いAIのようだが、とにかく数が多い。目に入るだけでも数十といったところか。

 物量で押し潰すつもりか。だが、この光景……何かに類似するな。左手でソウルの矢に類似した魔法属性の光弾を次々と放ち、右手の片手剣を振るう守護騎士の攻撃を躱し、また鉄棍で打ちのめしながら、扉にじわじわと近づいていく。

 視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚。いずれも不調。義眼の破損により左目の視力は喪失。眼帯をつけているので無くても同じだが、オートヒーリングは停止している。ダメージは受けられない。

 

「問題ない」

 

 守護騎士の攻防は全てヤツメ様の導きの中にある。蜘蛛の巣は既に張られた。

 倒せなくて構わない。物量攻撃を突破し、扉にたどり着くことだけに集中する。魔法弾の雨を潜り抜け、守護騎士の連撃を捌き、背後からの突きに合わせて回し蹴りを打ち込んでダウンを取る。空中では重力の方向が床のままなのか、落下した守護騎士はダメージを受けているようだ。

 1体1体の耐久力はそこそこ。攻撃力も高い部類だろう。コートの裾を翻しながら刃を躱していく。

 時間加速と後遺症の影響、多大な疲労と深淵の病もある。長期戦は避けたい。

 

「面倒だな」

 

 走るよりも跳ぶか。左右から挟みこむように迫った守護騎士の剣を伏せて避けながら鉄棍で弾き飛ばし、そのまま頭上より降り注ぐ魔法弾の雨から連続バック転で脱し、膝を曲げて力を溜めると大きく跳躍する。

 守護騎士を足場にして宙で体を舞わせていく。コイツらの動きは見切った。扉を守るタイプと侵入者を排除するタイプの2種類に分けられている。活動的な排除タイプの動きは連動しており、幾つかのパターンがある。それを誘発し、特定の陣形を組ませれば足場にするのは容易い。

 扉を警護する守護騎士は魔法弾のみならず、魔法属性のエンチャントを片手剣に施す。火力増幅か。魔法はこういう汎用性が売りだよな。

 最初の3体の突き、続く8体の薙ぎ払い、最後に十数体が囲い込んでの魔法弾。粉塵が舞い上がる中でオレは守護騎士の包囲網を突破し、天井の扉にたどり着く。

 だが、扉が開く気配はない。代わりのように表示されたのは、システムウインドウであり、数百を超える点が星空のように表示される。指で触れれば線を描いて点同士を繋げ合わせられるようだ。

 足が動かない。なるほど。この作業中は移動不可になるようだな。背後から迫る守護騎士の攻撃を躱すべく1度指を離す。

 

<開錠に失敗しました>

 

 だが、途端にオレの体は転移され、ユグドラシル城の正門に戻されていた。

 これはどういうことだ? 再び開いた扉の中に入れば、守護騎士がいない吹き抜けのエントランスが待っていた。

 もしかしたら、1度でも失敗したら最初からやり直しということだろうか。だが、あの点は数百はあったぞ? あれを1つ残らず間違いなく正答通りに繋げるとして、どれだけの時間がかかる? その間に他の行動が不可になるならば、守護騎士から守ってくれる仲間が不可欠だ。

 ま、まさか……これは俗に言う『お独り様お断り』仕様なのか!? 皆で仲良くパーティプレイをしましょう、というオベイロンからの優しいご指導なのか!?

 あの守護騎士全部倒してから……いや、この手は無限湧きだな。そうなると、やはり仲間が必須か? そもそも正答は何処にある?

 

「この紋様……もしかして」

 

 と、そこでオレは床に描かれた紋様に気づく。それは無数の星を線で繋ぎ合わせたものであり、明らかにあの扉を開錠する為の正答だろう。

 全ての星を繋げるのではなく、せいぜい100程度か。フッ、お独り様ではやはりムリゲーだな。

 

 

<開錠に失敗しました>

 

 

<開錠に失敗しました>

 

 

<開錠に失敗しました>

 

 

<開錠に失敗しました>

 

 

 

 ……もう駄目かもしれん。ランスロット以上の強敵『お独り様お断り』という最強の敵が立ちはだかってしまった。ザリア戦もそうだが、こういうソロで攻略不可避なのは実に素晴らしいと思います。やっぱり、皆で仲良くワイワイとゲーム攻略こそが至高だよね!

 まずは正答を憶えることから始めるか。だが、床全体に描かれている以上、俯瞰する為にはある程度の高度が必要になる。そして、壁に足をつければその時点で守護騎士が出現する。奴らの攻撃を躱しながらでは時間がかかるのだが、今はこれが最短ルートか。

 

 

 

 

 

 

<開錠に失敗しました>

 

 

 

 

 

 

 だが、そんなに甘くないとういか、オベイロンの屑っぷりというか、彼の鉄壁の守りに正面衝突する。

 床の紋様はリトライの度に変更される上に、守護騎士の出現から時間経過で……具体的には1分ごとに変化するようだ。観測していないので断定はできないが、恐らくはランダム変化だろう。

 つまり、『お独り様』で突破する為には、あの守護騎士の包囲網の中で、1分以内に紋様を憶え、突破して扉にたどり着き、回避不能の状態で正確無比に正答通りに点を繋ぎ合わせるという難題をこなさねばならない。

 ……ムリゲーじゃね? 試しに守護騎士が全滅できるか、殴って蹴って減らし続けてみたけど、むしろ増産されたぞ? それどころか、天井に接近すればするほどに増産速度が加速していくので、とてもではないが、不動の状態で開錠など仲間がいても不可能に近い。

 

「ALOと同じか」

 

 DBOで地道に集めたアルヴヘイム……より詳細に言えばALOの情報によれば、ALOでは大型アップデートが導入されるまでは、アルフ転生を巡って、オベイロンへの謁見をかけたムリゲーがあったらしい。今回のような無限湧きで、異なる種族が連合を組んで大量資金を導入しても突破は困難であり、挙句に元よりクリアできない仕様だったとか。

 今回も似たようなものか。表面的にはクリアできるように装っているが、実際にはムリゲー同然。

 ……ヤツメ様、今こそ飢餓で冴えわたってる直感の出番では?

 

(戦いと殺し以外に役立つと思う?)

 

 デスヨネー。髪を指で弄って欠伸を掻いてるヤツメ様にやる気はほぼ無し。こういう場面で我が本能は無力なのだと思い知る。マークシート形式テストを直感だけで満点取れ、なんて明らかに舞台が違い過ぎる。

 いっそランスロット級100体配備されている方が幾らか勝機があるぞ。仮に1分以内に紋様記憶・守護騎士突破をしたとしても、やっぱり入力作業中は『お独り様お断り』なので攻略不可能だ。いや、そもそも何人いても攻略なんて出来るものではないだろう。

 こんな解除不能同然ギミックを後継者が仕掛けるとは思えない。そうなると、オベイロンが何かしらの不正行為を働いて仕掛けたと考えるべきか。おい、管理者共。攻略できない糞ゲーを何とかするのはオマエらの役目だろうが。さっさとアップデートして改善しろ。

 まぁ、今回のオレの仕事自体が改善アップデート作業みたいなものか。オベイロンという狂ったバグを排除してアルヴヘイムを正常化する。そう考えれば得心もいく……か?

 そういえば、アルヴヘイム出立前に後継者に渡されていたアイテムがあったな。

 妖精封じの琥珀。妖精王に至る為の鍵として渡されたのだが、もしかしなくとも、ムリゲーギミックの解除アイテムなのだろうか。だとするならば、後継者は最初から全て把握した上で? やっぱり後継者殺す。

 試すだけ試すしかないな。トライ&エラーだ。このままでは『アイツ』に追いつかれてしまう。それだけは避けたい。

 再びエントランスに踏み入れ、天井を目指して突撃する。守護騎士出現から起動までおよそ1秒。魔法弾は追尾性も高いのである程度の引き付けは必須だが、追尾性が低い代わりに弾速があるタイプもあるので注意が必要だ。近接攻撃は基本的に片手剣だけだが、魔法属性エンチャント時には、纏うオーラが変形・拡大して攻撃範囲を広げることもある。翅による3次元機動も厄介か。

 やはり聴覚も悪化しているな。元より不定期でノイズがかかっていたが、発症時間が確実に長くなっている。また耳鳴りも悪化しているな。情報量が増加する戦闘時には特に顕著だ。

 要らない。思い出せ。ランスロットとの戦いを。不要な部分を切り捨て、情報量を減らして負荷を軽減させていく感覚を。

 まるで泥酔したかのように意識が朦朧とし、頭痛と吐き気も更に大きくなる。筋肉に針が詰まっているかのように、挙動1つ1つが激痛をもたらす。だが、致命的な精神負荷ほどではない。

 天井の扉にまで達し、左手に持った琥珀を押し付ける。瞬間、琥珀は砕けて扉を侵食して溶解する。

 ギミック解除の影響か、守護騎士の動きは一斉に停止し、床に向かって落下する。次々と砕けてポリゴンとなって散っていく守護騎士を見送りながら、オレは扉の奥へと進む。

 途端に重力の方向が正され、危うく落下しかけるも、溶けた扉の縁につかまり、腕の力だけで体を持ち上げる。最後まで悪意を忘れなかったようだが、後継者の方が上だな。オベイロン、オマエの敗因は解除不能にこだわった点だ。『お独り様お断り』という最強の敵を配備していれば、オレに突破されなかったものを……なんてな。

 ここからがユグドラシル城の本格的な探索になるわけだが、全てのフロアと部屋を確認している時間は無い。トレジャーボックスがあるわけでもないし、この雰囲気から察するに、ダンジョンとして設計されている様子もない。本来はラストダンジョンだったのかもしれないが、今はオベイロンによって改悪されてしまっているだろう。

 赤いカーペットが敷かれ、大樹の内部であるにも関わらず、廊下の窓からは陽光が差し込む。ガラス窓を覗き込んでみれば、青々とした芝生が広がる草原だ。明らかにユグドラシル城の外周ではない。

 仮想世界だから、と言えばそこまでなのだが、整合性は余りにも欠如されているな。

 しかし、無人だな。これだけデカい城なのだから、オベイロンの事だから見栄でNPCの衛兵やらメイドを配置しているかと思ったが、豪奢な外見ばかりで実際には殺風景だ。

 いや、ここはユグドラシル城でも下層。オベイロンがまず足を運ぶことがないエリアのはずだ。奴は自分の目が届かない場所にわざわざ宝石を飾る趣味は無いのだろう。

 ユグドラシル城にようこそ。歓迎しよう、盛大にな! なんていう、サービス精神旺盛なのもいかがとは思うが、ここまで無人だと逆に気が気ではなくなってしまう。

 

「エレベーターまであるのか。世界観を考えろよ」

 

 明らかに慢心だな。もうダンジョンとしての体裁すら残っていない。オベイロンはユグドラシル城を改築して何がしたかったんだ?

 ああ、そういえば、この城の何処かにGM権限を持った後継者の個体も囚われているんだったな。オベイロンを倒せば勝手に助かるだろう。

 ロザリアから約束の塔の森で貰ったユグドラシル城の地図がある。何処まで信用できるか分からないが、とりあえずは使わせてもらうか。

 不思議だ。致命的な精神負荷の受容はアルトリウス戦を超えていた。1度は壊れてしまったはずだ。そのはずなのに、後遺症は軽い気がする。言葉を発するのに些か苦労はするが、アルトリウス戦後ほどではない。

 灼けて記憶を失う一方で、人間性と引き換えに獣性を解放した影響か? 今もほんのりと血は熱く滾ってる感覚がある。1度開いた獣性の扉は閉じられないのだろう。

 

「バケモノ、か」

 

 もう自分がどうなろうとも興味は無い。灼けて灰になっても構わない。幾らでも薪になろう。

 だが、心臓が止まることさえも平然と受け入れられるようになってしまった。こうしている時も心音は弱まっている。呼吸が出来なくなる。それでも平然としていられるのは、人間ではなくバケモノだ。

 考えるのは止めだな。エレベーターは動くようだし、とりあえず上に行くか。ボスは最上階に陣取っているのがお決まりだ。オベイロンもそれくらい分かっているだろう。

 

「おい、早くしろ!」

 

「だけどよぉ、逃げるって何処に!?」

 

 使用したエレベーターで目指す最上まで移動し、開いたドアから聞こえてきたのは、男性2名らしき焦った声音だ。忍び足で廊下に出て、曲がり角に身を隠す。

 ゆっくりと覗き見れば、白衣を纏った異様な2人組がいた。まるで蛸を思わすブヨブヨの体と触手の手だな。レギオンとは……違うようだな。

 

「もうじき連中がここにやって来る。オベイロン様が……いや、須郷が死んだら俺たちは破滅だ。研究資料を手土産にさっさと逃げ出すぞ!」

 

「そ、そうだよな。へへへ、この試作の軍用レギオンプログラムと洗脳技術さえあれば、何処にだって! とりあえず、まずはアメリカにでも――」

 

 あー、なるほどね。ここはそういう研究施設を担っているわけなのね。そして、オマエらは現実世界から派遣されたオベイロンに与した連中と。了解した。

 とりあえず、狩るか。

 角から飛び出し、こちらに気づく前に1人目の背中に左手の獣爪の籠手を突き刺す。呻き声が聞こえるより先に獣爪撃に繋げ、内臓を引き摺り出し、その血飛沫を浴びる。

 リゲインがもたらす興奮作用が獣性を昂らせる。もう1人が振り返る頃には、その頭部をつかみ、壁に叩きつける。

 

「ぐげぇ!?」

 

 この感触……打撃属性に強いな。見た目通りか。獣爪の籠手ならば、鋭い爪で刺し貫けるが、それでは面白味が無い。

 こういう類は『捩じ切る』。打撃属性無効化? HAHAHA! だったら捩じって千切っちゃえば良いじゃない! 

 

「うがぎぃいいい!? おま……だれ……たす――」

 

 指で触手を絡め、引っ張り、そして千切る。首を掴んで捩じり、皮が切れていく音を楽しむ。

 

「こんにちは」

 

「ひぃいいいいいいいいい!?」

 

 おいおい、わざわざ友好的に微笑んで挨拶しているのだから、相応の態度で返してもらいたいものだ。品の無い連中だな。

 

「ここはレギオンプログラムの軍事転用及び洗脳技術の研究施設で相違ありませんね?」

 

「うぎ……ぐぎゃぁああああああ」

 

 震える指で研究員はシステムウインドウを開く。警報アラートを鳴らさないだろうな? だが、正門は突破したのだから、既に城全体に認知されていてもおかしくないはずだが、この様子だと誰も知らないのか? またオベイロンの慢心なのか?

 

「鍵……パスコード……渡すから……助け――」

 

 そのまま首を捩じ切る。最初から遺体は漁らせてもらう予定だった。命乞いするなら情報にすべきだったな。

 クリスタルアイテム化されたパスコードを入手し、アイテムストレージに収容する。これだけ派手に暴れても増援が来る気配は無しか。

 この研究員たちの遺体から貰えるものは貰っていこう。あ、エロ本みっけ。しかも現実世界の最新版か。これ、裏市場に流せば高く売れるんじゃね?

 こっちの奴は見かけによらず……いや、今はタコ人間だから見た目も何もないか。意外と文学青年だったようだな。海外小説が幾つかあった。オレが好みなのは古典であって、現代小説はあまり興味がないのでパスだな。

 獣爪撃で即死した研究員の足をつかんで引き摺り、次なる角に投げ飛ばす。特に反応は無しか。

 パスコードに付随した情報によれば、ここが第3研究室のようだ。パスコードで開錠し、中に入れば、あの2人の研究員と同じような姿をした連中は……残念ながら4人ほどしかいなかった。だが、研究員の方々が数十名こちらを見て凍り付いている。

 

「いつもお世話になっています。傭兵派遣組合サインズ登録ランク21の――」

 

「侵入者だ!」

 

 ニコニコ・デス・デリバリーです☆、っていう渾身のデスジョークを聞かせたかったんだがな。我ながら滑りそうだし別にいいか。もう聞いてもらえそうにないし。

 とりあえず、1人残らず狩る。彼らの絶叫と悲鳴に浸りながら、唯一無二の出口で陣取り、1人1人の足や手を捩じって千切り、嗚咽の中で漏れる情報を統合し、1人1人の頭を丹念に踏み潰して遺体を山積みにしていく。

 緑の溶液に浸されたカプセルには無数の脳が浮かんでいる。研究のイメージ映像だろうか?

 

「洗脳技術について、か」

 

 どうやらオベイロンは、開発した洗脳技術の更なる改良を目指していたようだ。纏められた研究資料を見つけて内容に目を通す。中身は後継者が行っていた研究とオベイロンの研究の2つがある。

 現行の技術では完全洗脳は難しいらしく、何らかの切っ掛けで解除されることも珍しくないようだ。特に生きた人間の脳は想像以上に強固なプロテクトを持ち合わせているらしく、自己認識によって洗脳が解ける事例が多発している。

 記憶改竄も同様らしく、1つの破綻によって連鎖的に改竄部位が露呈し、自力で回復してしまうらしいな。これには記憶媒体でもあるフラクトライトによる浄化作用も……ああ、この辺りは専門用語だらけで分からん。

 だが、後半ではレギオンプログラムを組み合わせた洗脳技術に着手……いや、むしろ主流になっていたようだ。

 人格・記憶を改竄するのではなく、レギオン化して忠実な私兵に作り上げることを目的としたようだ。

 

「全研究室の位置をマップデータに反映……インストール完了。それから研究資料をクリスタル化」

 

 セキュリティが甘いのか、それともプレイヤーのアイテム収集システムの方が上位なのか、どちらかは分からないが、全て貰っていくとしよう。次の研究室だ。

 

「いつもお世話に――」

 

「ひぃいいいいいいいいい!?」

 

 また聞いてもらえなかったか。今度は先程のカプセルだけの部屋とは違い、手術台などが配置されたメディカルチックな研究室だ。冷凍保管されたような臓器などもある。わざわざ仮想世界で、それも現実世界出身の連中にとって、何の意味があるのだろうか。

 死体を隅に集めて研究資料を拝借する。ここでは電脳化の精度向上実験やフラクトライトについての研究が行われていたようだ。

 電脳化とは、意識や記憶などをAI化するものだ。ここでは連続した自意識について、特に熱心に研究されていたようだ。この分野は後継者が先んじていて、オベイロンはほとんど成果を出せていなかったようだ。

 単純に意識や記憶を仮想世界にデータ移行するだけではコピーと変わらない。それでは、肉体を有した生物として脳に宿った自意識とは全く別物になる。故に、自意識をそのまま電脳へとシフトさせることによって不老長寿と無限の思考能力を獲得する。それこそが人類の正当なる進化にして上位種である、という前提で成り立っている。

 自意識の連続性については技術的にはある程度クリアしていたようだ。茅場昌彦を筆頭とした幾人かが電脳化に成功したようだ。だが、失敗例も多く、電脳シフト後に人格や記憶の破綻などが見られるなど、成功率は乏しい。幸運も必要であるが、それ以上に処置を施している最中は脳を生きたまま焼かれるも同然であり、それに耐え抜かねば自意識の連続性を保つことはできないようだ。

 オベイロン……その正体である須郷という男も電脳化した存在らしいのだが、オレは小さな違和感を覚える。

 

「……推測に過ぎないが、十分か?」

 

 次にフラクトライトについての項目を発見する。要約文から察するに、これがアルシュナの言っていた、死者の復活の秘密か。

 フラクトライトとは『揺れる光子』と名付けられた、茅場昌彦によって提唱された、現代において最も魂と呼称するに相応しい情報体である。人格・記憶の保存媒体でもあり、まだ多くの謎を残す最先端分野のようだ。フラクトライト構造? 仮想脳? 素人にも分かるように専門用語を抜いておいてもらいたいものだ。

 内容はSAO事件まで遡る。どうやらナーヴギアによるマイクロウェーブによる脳の破壊はダミーであり、実際にはフラクトライトの抽出が行われていたようだ。現象は類似するからこそ発覚されなかったようだな。ナーヴギアの隠された機能だったようだ。

 

「抽出と複製は……違う?」

 

 単なるフラクトライトのパターンをコピーする複製には生命の危険は無い。これによって複製された個人は、あたかも本人のように振る舞うが、極めて脆弱であり、自己が複製された存在と認識すると崩壊する。参考資料にはサーダナ氏によるフラクトライト研究の公開データある。どうやら秋葉原で行われた講演会の動画のようだが、全てを拝見する時間は無い。

 要約は無いのか? ああ、これか。抽出とは、フラクトライトそのものを1度分解状態にして外部で再構築するものである、か。だが、抽出には大きなリスクが伴い、フラクトライトの破損が高い確率で発生する。特にフラクトライトは『死の情報』に敏感であり、これによって崩壊を開始する。故に、1度死を迎えた人体からフラクトライトの抽出を行うのは困難である。

 SAOにおいて、プレイヤーからのフラクトライトの抽出に失敗した最大の原因は、この時点で始まる抽出負荷による脳へのダメージによってフラクトライトが死を認識してしまった為である、か。これによって抽出速度を上回る崩壊によって、大多数の抽出されたフラクトライトは不完全な状態になってしまった。

 崩壊現象の大半は、死の原因に関与した記憶部位から始まり、人格崩壊に至ることも珍しくない。不確定要素……精神力による死の認識への抗い……強い精神性を持つ者ほどにより完全な状態でフラクトライトを抽出できている……実証失敗……成功ケースの研究体を求める、か。

 

「『抽出されたフラクトライトは、連続した自意識であり、魂を肉体から分離させる神の偉業に相応しい』ね。マッドサイエンティスト共が」

 

 次だ。ファンタズマ・ビーイング。抽出されたフラクトライトのAI化の実験。モデルケースとしての資料……月夜の黒猫団。

 

「サチ。これが……キミなのか?」

 

 付随した資料にあった写真。黒髪と泣き黒子の少女。ファンタズマ・ビーイングは、複製されたAIに高負荷の戦闘シミュレーションを重ね、優良なAIを更に複製を繰り返し、より強力な戦闘AIを作り出すことを目的とした技術だ。だが、複製された『サチ』の場合は破損されたフラクトライトより複製AIを作り出し、人工フラクトライトに変換して、オリジナルに移植することによって修復を目的とされたようだ。

 もうキミのことはほとんど憶えていない。声も顔も忘れてしまっていた。だが、こうして写真でもキミを見つけられた時、オレは……オレの血はキミをちゃんと喰らっていたのだと感じられた気がした。たとえ、灼けてキミの全てを忘れることになるとしても、キミを糧にしたことを血は憶え続けるのだろう。

 

「人工フラクトライトの移植の失敗。次世代ライトキューブの開発後リトライ……失敗。生体由来のフラクトライトとの違い? 心臓部に脳以上の中核を成すフラクトライト構造を確認。血中におけるフラクトライト……まだ研究途中か」

 

 細かい文字を読むのは負荷がかかり過ぎる。要は人工臓器の移植に失敗し続けたようなものか。それだけ分かれば十分だ。

 崩壊現象。抽出されたフラクトライトが破損していた場合、死の記憶……欠落部位を刺激することによって崩壊現象が生じる場合がある。記憶・人格の改竄などによって崩壊抑制を行えば、ある程度までならば対処できるが、1度でも崩壊現象が始まれば止めることは出来ない。

 特別研究対象:ティターニア。本名:結城明日奈。SAOで死亡し、フラクトライトが抽出された個体。フラクトライトの7パーセントを破損。特別警戒対象【黒の剣士】に関与した記憶に欠落あり。死亡状況よりの推察……【黒の剣士】を庇ったことが原因で、フラクトライトが死を認識した為ではないだろうか、とされている。

 

「『【黒の剣士】と接触した場合、欠落部位の刺激により崩壊現象が始まる危険性:大。ただし、名前程度ならば軽度の反応であり、実際の崩壊現象のトリガーは不明。だが、フラクトライトが精神に依存するものであるならば、仮想世界における実距離……対面などによって崩壊する恐れがある』か。仮説通りだな。忌々しい」

 

 つまり、アスナを『アイツ』から遠ざければ悲劇は免れる。名前や顔写真程度ならば問題ないか? だが、欠落部位を刺激することは控えた方が良さそうだな。やはりアスナを殺すのが最も適切かつ最速の解決案なのだが、それこそが『アイツ』にとって悲劇だろう。それにユウキとの約束もある。アスナはなるべく生かしておかねばならないな。面倒臭い。

 

「……心意?」

 

 心意とは『人の持つ意思の力』として提唱されている、仮想脳がもたらす仮想世界への干渉能力である。仮想脳とは、仮想世界との接続によってフラクトライトが特定の反応を示し、特異なフラクトライト構造を形成したものである。仮想脳は、仮想世界と接続することによって思考加速・反応速度の上昇などの恩恵をもたらす。これは、人間の脳が仮想世界に適応すべくフラクトライトに働きかけた結果とされている。その中でも特に高VR適性者の仮想脳は心意を発露させる。

 心意の発生源である仮想脳は、精神に感応し、また強い感情によって活発化する。感情とは、単なる電子信号やホルモンによる化学反応だけではなく、フラクトライトに基づいた別のアプローチが……ああ、もう! だから専門用語を並べるな! 辞書は何処だ!?

 要は心意とは『アイツ』が持っていた吃驚不思議能力のことだろう。約束の塔で殺り合ってたユウキの話とも合致する。

 心意は今のところ人間由来の仮想脳以外での発現は無い。オベイロンは特にこの分野の研究を進めていたようだ。高度な仮想脳保有者の洗脳……心意コントロール……失敗。洗脳では心意が発動しなかった? いや、オベイロンは諦めなかったようだ。求める心意パフォーマンスの不足を補う仮想脳の並列化……強い感情……レギオンプログラムによる解決案?

 レギオンプログラムによって汚染する事によって、仮想脳の並列化及び心意の発露に成功、か。ただし、被検体の脳とフラクトライトの崩壊を確認。レギオンプログラムによる汚染が強過ぎることが原因。軍用化レギオンプログラムによる解消……失敗。

 新アプローチ? ソフトではなくハードからのレギオンプログラムによる汚染された個体をベースにした研究。

 

「どうしてオベイロンは心意に拘る?」

 

 オベイロンは心意を神の因子と捉えていたようだ。人間に潜在的に与えられた神の権能であると。だが、心意を発動させる仮想脳はあくまで人間由来のフラクトライトであり、フラクトライトから解き放たれたAI化されたオベイロンでは獲得できない。情報体であるオベイロンはどうにかして自分の心意を獲得し、仮想世界をあまねく手中に収めたかったようだ。

 よく分からん支配欲だな。そもそもとして、人間由来のフラクトライト以外の仮想脳が心意を有さない理由はなんだ? ワンワンやニャンニャンを差別してるのか? ゴリラは? サルは? なんで人間だけだ? まだ研究途中? 使えん連中だ。

 抽出されたフラクトライトにも、再構築時に仮想脳の出現が見られている。人工フラクトライトにも同様の仮想脳に類似した構造は見られ、心意と類似した現象も確認されている。だが、現在のところ要求されるパフォーマンスを可能とするのは生体由来フラクトライトが形成した仮想脳だけである。

 なるほどな。つまり、復活した死者でも、死亡時に仮想脳を形成していた場合、心意を発動しうると。ただし、仮想脳に高負荷をかける心意の発動は欠損部位を刺激し、連動崩壊に直結する。完全な状態で抽出されることが前提となり、まだ仮説の域を出ない。

 仮想脳の心意活動値……DBOでイレギュラー値と規定。死神部隊……派遣……排除? 死神部隊の目的は『イレギュラー』と名付けられた心意保有者の排除だったのか。

 これ以上の研究資料を確認する時間は無いな。全部コピーだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

<我らの王。レギオンの王。アナタの戴冠の日をお待ちしています>

 

 

 

 

 

 

 だが、全研究内容が消去される。表示されたメッセージは、明らかにレギオンから送られたものだろう。 

 嫌な予感がする。急いで最後の研究室に向かうとしよう。別のフロアにあるようだが、次のエレベーターを使えばすぐだな。

 

「いつも――」

 

 だが、今度の研究室では反応を示してくれる人員自体がいなかった。代わりに迎えてくれたのは充満した血のニオイだ。

 まるで凶暴な肉食獣が暴れたかのような惨状だな。元はどんな研究室だったのかも分からない。生き残りはいないようだ。

 ここでの研究はレギオンプログラムについてだ。ある意味で、死者の復活以上にオレが知りたかった研究だ。

 

「研究内容は……やっぱり消去済みか」

 

 後手に回ったな。迂闊だった。無人だったのも、オレの侵入が研究員に伝わっていなかったのも、何者か……高確率でレギオンによる隠蔽だろう。ユグドラシル城の警報も切っていたのかもしれない。

 あの様子からすると、電脳化も含めた、オベイロンの研究の全てはオレの手元のコピーを除けば、レギオンに全て抹消されたとみるべきだ。オベイロンの研究全てを奪い取るつもりなのだろう。

 オレの手元にあるのは電脳化に関する研究データのみ。せめて、死者の復活に関するデータさえコピーできていれば……!

 

「レギオンは何を企んでる?」

 

 奴らにとって、オレを『王』と呼ぶのはオリジナルだからか? いや、それ以外の意味も込められていたはずだ。ここの研究データさえあれば、少しでも真相に近づけたはずなのに。

 頭を切り替えろ。殺し合いはともかく、この手の策謀系の攻防でオレが勝てたことは無いのだから。

 オベイロンの玉座の間まで突き進め。レギオンが障害を排除してくれたならば、ありがたく使わせてもらうとしよう。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 許さない。許さない。絶対に許さない!

 

「糞ガキ……がぁああああああ!」

 

 寝室のベッドで蹲り、消えぬ体の激痛に痙攣しつつ、オベイロンは涎と鼻水と涙で顔面を汚し、醜悪に人相を崩す。

 全身を竜神の拳でミンチにされる痛みは、生きていたならば決して味わうことができないものだ。自分が磨り潰されていく中で、膨大な痛覚情報が流れ込み、オベイロンの人格は崩壊寸前にまで追い込まれた。

 あと1秒でも遅く撃破認定されて拡散が始まっていなければ、ここにオベイロンという人格は残っていなかっただろう。

 

「何故だぁあああ!? 何で、痛みが……抜けないぃいいいい!?」

 

 これが心意の影響とでもいうのか!? エクスキャリバーの心意を使い、そっくりそのままオベイロンへと痛覚遮断解除と増幅を叩き込んだ【黒の剣士】に、言い知れない恐怖心を覚えたオベイロンは、もう時間が無いとどうにかして逃亡しなければならないと思考する。

 正門には攻略不能のギミックを不正で施してある。カーディナルに発見されたら修正される対象であり、せいぜい誤魔化せるのは現実時間にして1日が猶予といったところだろう。だが、それだけあれば逃亡準備は十分整えられる。

 だが、【黒の剣士】の心意ならば、あの解除不能ギミックも突破できかねない。むしろ、オベイロンはそれこそを危惧していた。

 今のオベイロンには既にボスとしての性能は無い。せいぜいがレベル100相当のNPC性能だ。とてもではないが、百戦錬磨の戦士に勝てるはずもない。

 

「失礼するわ」

 

 可愛らしくノックして扉を開けて寝室に入ってきたのは、オベイロンにとって最後の守護者であるマザーレギオンだ。

 

「どうして助けなかったぁあああああああ!?」

 

 だが、オベイロンは感情のままにベッドの脇にあるテーブルに置かれた水差しをつかみ、マザーレギオンに投げつける。彼女は器用に触手で水差しをキャッチすると、割らないように注意しながら床に置いた。

 

「レギオン・タイラントも負けちゃったし、私があそこで参戦して、万が一でも敗北していれば、アルヴヘイムを防護するレギオン・プログラムに穴が生まれるわ。そうなれば、熾天使さんが乗り込んでくる。それこそ王様が最も危惧すべきことじゃなかったかしら?」

 

 セラフの出現だけは何としても避けねばならない。マザーレギオンは最善手を打ったまでだと笑顔で告げる。だが、それを素直に受け取れるだけの余裕は既にオベイロンには無かった。

 

「だったら、今すぐ連中を皆殺しにして来い! 今すぐだ! それとランスロットを呼び戻せ!」

 

「あら、残念。彼はもう死んだわ♪」

 

 ランスロットが……負けた? まさか攻撃に巻き込まれたのか? 屑め! オベイロンは元より立てていたあの戦場でランスロットを抹殺する計画を棚上げにして、常に自分を馬鹿にしていたランスロットの死を嘲う。

 だが、バトルリザルトを確認して戦慄する。ランスロットはオベイロンやレギオン・タイラントの攻撃に巻き込まれたのではない。1人のプレイヤーとの殺し合いの末に敗北したのだ。

 またコイツか! 恐怖が溢れ出し、オベイロンは親指の爪を噛む。ランスロットを撃破したのは【渡り鳥】だ。

 ランスロットの単身撃破など人外だ。もはやバケモノだ。

 

「ちなみに、今まさにユグドラシル城に彼が侵入しているわ♪」

 

「馬鹿な! コイツに『人の持つ意思の力』は無い! あのギミックを解除できるはずがない!」

 

「狂人さんが派遣したなら、最初から対策済みだったんじゃないかしら?」

 

「ぐぅううう……PoHめ! どうして黙ってたんだ!? まさか奴も!?」

 

「さぁ? でも、王様が今すべきことは1つ、玉座で彼を迎え撃つことよ」

 

 たとえ、ボスとしての性能は失われようとも、オベイロンは今も『ボスとしての役割』に縛られている。【渡り鳥】が玉座の間にたどり着けば、彼は強制的にバトルイベントに突入しなければならない。妖精王とのラストバトルだ。

 

「逃亡するぞ。準備しろ。畜生がぁあああ! 聖剣さえあれば!」

 

「その件だけど、まずいことになったわ。渇望さんは裏切者なのがバレたし、外部の協力員も次々に排除されている。熾天使さんは用意周到ね。まずは現実世界の王様に協力した組織を排除したようよ。手も足も出ないと見せかけて、包囲網はもう完成していたようね。王様に逃げ場はない。世界12ヶ所に分散させていた資産は全て凍結。それどころか、王様が取引用に用いていた各ホットラインも掌握されたわ。私が気づいてレギオンプログラムで防護しておいたけど、あと1手遅れていたら熾天使さんが乗り込んでたわね♪」

 

 まるでこのタイミングを狙っていたかのように、セラフもまたオベイロンの排除の『詰め』に取り掛かっている。

 

「剣士さんのイレギュラー値で戦況を察したのかしら? もうすぐカーディナルは正式に死神部隊及びセラフの派遣を決定するはずよ」

 

 聖剣のサポートがあったとはいえ、竜の神を顕現する程の心意は高いイレギュラー値をマークしたはずだ。それがトリガーとなり、カーディナルがアルヴヘイムに死神部隊の派遣を決定したのであるならば、レギオン・プログラムの防護など無意味だ。

 

「どうにかしろ!」

 

「う~ん、さすがに時間がかかるわ。3時間もらえるかしら? そうすれば、王様が逃げられる手筈を整えられるわよ。でも、本当に良いのね? 逃げるということは、王様の野心を捨てるということ。再起はできないわ」

 

 マザーレギオンの言う通りだ。逃亡の秘策を使えば、ボスとしての役割から解き放たれる。だが、同時にオベイロンの目的である、仮想世界と現実世界を支配することは永遠に叶わなくなるだろう。

 歪んだプライドと野心がオベイロンの胸の内で渦巻く。

 

 

 

 

「知ったことか! 僕を生かせ!」

 

 

 

 

 生きたい! 生きたい! 生きたい! オベイロンは野心もプライドも捨てて、逃亡して生を繋ぐことを選ぶ。

 途端に、マザーレギオンの目が一瞬だけ冷たく凍り付いたような気がして、オベイロンは久しく感じていなかった彼女への恐怖心を抱く。

 

「そう、分かったわ。だったら『オベイロン』様。3時間よ。3時間稼いで頂戴」

 

 3時間は長い。【渡り鳥】はもう間近に迫っている。とてもではないが、時間稼ぎするには戦力が足りない。

 いや、まだだ。オベイロンは醜悪に口元を歪める。現在の【渡り鳥】の進行ルート上に『アレ』を配置すれば良い。確実に仕留めることができる。貴重な実験体であるが、逃亡すれば持ち出せないのだ。ここで使い捨てても構わない。

 何としても玉座の間にたどり着かせるわけにはいかない。オベイロンは禁断の防衛策を何の迷いもなく実行した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 しかし、この城はどうなっているのだろうか。今までのステージやダンジョンも難易度はイカれたものが多かったが、ここの場合は空間自体が破綻している感じだ。外観以上に広大化と思えば、城の内側に湖があったり、太陽が光り輝く庭園があったり、今度は夜空が素敵な砂浜があったり、何が何やら分からん。

 まぁ、仮想世界に現実世界みたいに整合性を取らねばならない理屈は無いのだが、ウルの森がそうであったように、破綻によって『データの無い闇』へと崩落する危険性を作り出すはずだ。まぁ、ここは構造体としては継ぎ接ぎではあるが、破綻はしていないのか? こういう理屈に詳しい『アイツ』なら何とか説明してくれそうな気がするのだが、どちらにしても理解できないだろうし、どうでも良い。

 マップデータによれば、オベイロンの玉座の間に通じるエレベーターまで、あと10分とかからないだろう。『アイツ』にどれだけのアドバンテージを得られたのかは不明だが、城下町攻略+正門攻略+研究データ拝借に時間を使い過ぎた。

 

「この先のはずだ」

 

 螺旋階段を上り、待っていた扉を開けば、場内であるはずなのに、冷たく荒んだ風が吹き荒れる。

 まだアルヴヘイムは真昼のはずだ。そのはずなのに、オレの目に移り込んだのは夕焼けの光だった。

 横幅5メートル、長さ20メートルほどの橋。赤錆びた鉄橋であり、左右の縁にはアルフを模った騎士像が並ぶ。橋の下はまるで油を浸しているかのような虹色に泡立つ水面だ。

 

「……オマエが最後の守護者か」

 

 そして、橋の中心では、オベイロンを守る最後の砦がオレを待ち構えていた。

 その全身は赤みがかかった金の甲冑。右手に有するのは両刃の巨大な戦斧。左手には2メートル半にも達する身の丈の過半をカバーする巨大な円盾。

 頭部を守る兜は、牛を思わす2本角を頂き、フルフェイスであるが故にその容貌は知れないが、T字型の覗き穴からは蕩けた瞳が覗いているのは間違いないだろう。

 

「遅くなったな」

 

 武器もろくに残っていないが、やり遂げねばならないだろう。

 人間の倍近い体格になろうとも、カテゴリーはモンスターであろうとも、冠するのは<狂縛者>というネームドとしての名前だとしても、まだ彼は己を蝕むレギオンプログラムと戦っているはずだ。

 

 

 

 

「エギル、殺してやるよ。オマエが『オマエ』である内に」

 

 

 

 

 それが……せめてもの戦友としての弔いだ。

 背後の扉が閉じる。オベイロンの策略か? 悪いが、逃げるつもりは毛頭ない。今度こそ、ここでエギルを狩る。

 重ねる言葉などない。エギルはふわりと宙を浮き、見えぬ推力を獲得したかのように突進する。

 呪縛者と同じ、重装備をまるで感じさせない機動力! 相変わらずの反則級だが、ネームドならば致し方ない。エギルの大戦斧を前ステップで躱し、鉄棍で腹を打ち抜く。だが、ダメージは低い。高い防御力と高HP、それに高火力。3高が揃った典型的なパワーファイターでありながら、機動力もある。

 厄介ではあるが、ランスロット程ではない。左手の獣爪の籠手を中心とした打撃攻撃で攻め、鎧を破壊して獣爪撃で仕留める。

 

「オマエは盾を使わない」

 

 こちらの攻撃を防ぐように大盾を構えているが、それはエギル本来の戦闘スタイルではない。彼は攻撃傾倒した、大型の戦斧1本で戦うパワーファイターだった。

 今度は着地し、踏み込みと腰を入れた振り下ろし。そこから派生する左右への2連撃の薙ぎ払い。

 体の動きが鈍い。後遺症の影響か。だが、まだ先読みと予測で補える範疇だ。

 シールドバッシュに合わせてステップで背後を取り、離脱されるより前に後頭部に肘打を穿つ。そのまま反転してきた所に宙回し蹴りで顔面を打ち抜き、斧の一撃を獣爪の籠手で受け流す。着地と同時にがら空きの脇にハイキックからの拳打、大盾による圧殺を股抜けで躱し、再び取った背後に穿鬼を放つ。

 吹き飛ばされ、橋の縁から落ちそうになったエギルだが、彼には見えない地面があるように浮遊して橋に戻る。高度は高くないが、橋を基準とした一定の高度までならば自由に浮遊可能といったところか。

 エギルの全身が炎で揺らぐ。彼の周囲に7つの火球が生まれ、オレへと放たれる。それらは着弾時に巨大な火柱を起こし、回避中を狙って黄金の雷を斧にエンチャントさせたエギルの一撃が迫る。

 落雷を帯びた振り下ろし。轟音が響くも、攻撃範囲からステップで脱したオレは、鉄棍の威力を高めるべく回転し、穿鬼で亀裂の入った背部を打つ。

 

「どれだけステータスが高くとも」

 

 踏み込みを乗せた連撃シールドバッシュ。だが、止まる一瞬を狙って踏み台として頭上を取り、膝蹴りを顔面に打つ。左手で抜いたバスタードソードで続く大斧の回転斬りを受け流し、兜と鎧の隙間の喉元に突き入れる。

 

「どれだけ能力を獲得しても」

 

 全身から神の怒りのような光の衝撃波を放つ。同時に彼の周囲で続々の炎の嵐のような火柱が立ち上がる。全方位薙ぎ払い攻撃はやはり持っていたか。

 

「あの頃のオマエより『弱い』」

 

 どんな出会いだったかはもう思い出せない。灼けてしまったが、【渡り鳥】として恐れられ、蔑まれていたオレに分け隔てなく、良くも悪くも商魂逞しく、他の人々と同じように接してくれた思い出はまだ残っている。薄っすらとではあるが、彼とどんな話をしたのか、ちゃんと記憶に残っている。

 大半が退屈を紛らわすようなどうでも良い話ばかりだった。だが、最前線で戦っていたオマエの話にはいつも『アイツ』が登場していた。

 たまにではあるが、仕事を頼まれ、アイテムの補充をした時もあった。求めてもいないのにボーナスを上乗せしてきたので、オレは『騙して悪いが』の前兆かとも疑ったが、純粋な善意だったことに驚いて、オマエはオレを失礼な奴だと怒った。

 他にも色々とあったはずなのに、思い出すことができない。やはり灼けている。薄らいでしまったものが多過ぎる。それでも、オマエとの決別はまだ忘れていない。

 

「もう眠れ」

 

 ようやく砕けた鎧の背面に、左手の獣爪の籠手を突き入れる。隠された背中の肉を突き破り、内臓をつかんで引き摺り出す。

 獣爪撃、発動。多量の血飛沫を浴び、HPを削り尽くされて転がるエギルを見つめる。まだだ。まだ終わっていないはずだ。彼の臓器を放り捨て、再起動する姿を淡々と見つめる。

 兜が割れ、レギオン化した者特有の蕩けた瞳を露にし、口から水銀の泡を吹くエギルは盾を捨て、両手で大戦斧を構える。同時に、割れた背面から突き出すように、水銀の触手が無数と伸びる。

 HP全快。再起動を確認。レギオン化が進行した姿で、エギルは先程よりも獰猛で野獣のような動きを見せる。その1歩の度に地響きが鳴り、前傾姿勢から一気にトップスピードに達するとオレの背後に回り込む。

 彼の得意とした≪戦斧≫のソードスキル……スラッシュ・ゼロ。ライトエフェクトを纏った一閃を、バック転でふわりと躱し、続く水銀の触手をバスタードソードで受け流す。着地切りで大斧から放たれた空間が歪んだ衝撃波の斬撃が迫るも身を屈めて躱しきる。

 彼本来の戦闘スタイルに戻った。それを水銀の触手とレギオン特有の凶暴性と先読みが強化している。

 だが、オレにレギオンプログラムは通じない。その先読みを逆手に取れる。水銀の触手が槍となって突きつけられるが、ステップで回避し、じわりじわりと間合いを詰めていく。エギルは大戦斧に雷をエンチャントし、落雷を帯びた振り下ろしからの全身を使った回転斬りに繋げる。宙を舞いながらの右斜めの回転斬りはそのまま追撃の振り下ろしに派生し、再び生じた落雷が土煙を舞い上げるが、オレを捉えてなどいない。

 その顔面を掴み、地面に叩きつける。エギルの口から水銀混じりの血が吐き出される。口内にバスタードソードを突き刺し、後頭部まで突き破って地面に縫い付け、その頭部に両拳を連打する。

 水銀の触手で薙ぎ払ってオレを遠ざけたエギルは、口内に突き刺さるバスタードソードを抜いて橋の外へと放り捨てる。

 

「AhaAAaaaaaaaaaaaAAaaAAAAAAAaaaAaaAAAAAaAAAAAAAAAAA!」

 

 もはや言語を成さない叫び。それ自体がエギルの最後の抗いなのだろうか。

 まだ『エギル』はそこにいる。レギオンプログラムに蝕まれ、狂縛者という器に押し込められようとも、確かにそこにいるのだ。

 

「オレ達は結局最後まで和解できなかったな」

 

 回転斬りからの突き、そこからのエギルが得意とした柄を短く持ったスピーディな連撃を避け、手首に膝蹴りを打ち込んで軌道をズラし、斧の刃が地面に突き刺さったところで脇を蹴り飛ばす。

 踏ん張るエギルは水銀の触手を更に増やし、また体表を水銀で覆って強化する。だが、完全に覆われるより先に腹の中心に穿鬼を打ち込んで砕いて穴を開ける。

 ここだ。≪格闘≫の連撃系ソードスキル【火影】。素早い3連蹴りからのミドルキック、そこから縦回転踵落とし・更なる追撃のミドルキック・足払いの3つのいずれかの派生に繋げられるトリッキーなソードスキルだ。

 浮遊できるエギルに足払いは通じない。選択するのは縦回転踵落とし。宙で1回転してからの踵落としがエギルの額を割る。血が飛び散り、覆いきっていなかった水銀が剥げる。

 怯むエギルの右腕に着地し、そのまま右手を突き出し、彼の両目を潰す。眼球を潰す感触は、まだ感覚が残っている右手より薄っすらと伝わる。

 

「GaaAAAAAAAAAAAAAAAAAH!?」

 

 絶叫を夕焼けに染み込ませるエギルの腹に、水銀が覆うより先に獣爪撃を決める。引きずり出した腸を強引に千切り、血溜まりで膝をついた彼の顔面に追撃の穿鬼を放つ。

 顔面崩壊したエギルが封鎖された扉に叩きつけられる。もうHPは残り数ドット。流血ダメージでも十分に仕留められるだろう。

 だが、悠長に感傷に浸るのは彼の苦しみを長引かせるだけだ。鉄棍を抜き、彼が復帰するより先に、目玉が潰れた右目に投擲する。鉄棍は頭部に突き刺さり、エギルのHPはゼロになって首の力は抜けて頭は垂れた。

 HPゼロ。再起動も含めて撃破完了。お別れだ、エギル。

 

「Aaaahahhahhaaaaaaah!」

 

 だが、エギルが『再起動』する。上半身の鎧が剥げ落ち、覆い尽くした水銀は変色し、赤錆の外殻となる。左腕は肥大化して指は鉤爪となり、掌には脈動する虹色の球体が現れる。

 球体から放たれたのは、魔法属性だろう、青いレーザー。圧縮された青光はそのまま薙ぎ払いに変じ、危うくオレの胴体を両断しかける。

 右腕も変異する。腕は3本に分かれ、真ん中の手だけは変わらず大斧を握っているが、上下の手は骨で形成した小回りの利くハンドアックスを握る。そして、まるで骨などないかのように、鞭の如くしなってオレを強襲する。

 

「クヒ……クヒャヒャ……クヒャヒャヒャ! コロス! コロス! コロスゥウウウウウウウウ!」

 

 頭部を覆う赤錆から目玉のように黒い球体が4つ出現する顎は大きく割れ、裂けた舌が長く飛び出し、歯という歯が肉食獣のような牙に変じる。

 レギオン特有の学習能力。変異したのか? オレを倒す為に……より強力に。

 だが、おかしい。≪狂縛者≫は1度再起動している。さすがに2度目は無いはずだ。だが、こうしてHPが全快している。

 脊椎から飛び出したかのように、先程の水銀の触手とは違う、赤錆色の金属質の触手が6本生じる。それらは靱帯で繋ぎ合わされた強固な外殻を示すように夕陽を眩しさを映し込み、先端の槍の如き鋭さを示す。

 速い。それに破壊力もある。6本の触手の攻撃は、最速・ディレイ・ホーミングに分かれ、オレのステップ回避を狩ろうとする。

 左手の球体からレーザーを乱射し、指で集中させるかのように青い光を溜める。

 脚甲と同化した赤錆の外殻は、その内側に血が通った筋肉を膨らませるかのように脈動する。

 丸太のように厚い太腿が爆発的筋力を発揮したかのような、今までにない豪速の蹴り。衝撃波が壁の如く押し寄せる。ダメージは無いが、強制的に吹き飛ばし効果を発揮するようだ。この狭い橋では、発動されたタイミング次第では容赦なく落下死に追い込まれる。

 もはや外観にエギルの名残は無い。エギルという名のレギオンがそこにいる。理性もなく、知性もなく、狂えるままに暴力を振り撒く怪物がいる。

 

「エギルを冒涜するな。彼は『人』だ。オレとは違う」

 

 まだだ。まだ感じる。『エギル』はまだレギオンの中で戦っている。だが、時間はもう残されていない。

 エギルの頬が膨らみ、1度閉ざされた口が開いた時、細い棘が散弾の如くばら撒かれる。瞬時にコートを裾を掴んで防性侵蝕を施して翻し、棘を弾く。だが、もうボロボロのコートでは何度も防げないだろう。

 この限定された空間で面制圧攻撃。残る武器はバトルアックスと転がっている鉄棍だけか。少々厳しいな。

 だが、仕留めてみせる。触手の連撃を潜り抜け、オレは再びエギルに肉薄する。そこに『エギル』の意思はなく、ただレギオンとしての凶暴性のままに、彼は怪物の如く牙を剥いた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「はは……ははは……はははは! やるじゃないか! そうだ! 殺せ! さっさと殺せ!」

 

 黄昏の橋における戦いは、狂縛者のレギオン化によって大きく戦局が変化した。

 オベイロンが心意獲得において、レギオンプログラムを使った実験は実を結んでいた。

 これまでは洗脳では心意を発動しなかったが、レギオンプログラムで汚染することによって、ある程度のコントロールを可能としたのだ。その成果物がエクスキャリバーだ。

 だが、エクスキャリバーは何らかのアクシンデントによってレギオンプログラムが暴走し、被検体はいずれも廃人……いや、脳が破壊し尽くされてしまった。元より時間限定の使い捨てだったが、最後はオベイロンに歯向かって【黒の剣士】に協力したのは予定外だったが、今回の【渡り鳥】は心意保有者ではない。

 現在、≪狂縛者≫は搭載されていた再起動プログラム……HPがゼロになった時、全快状態になって新たなモードに移行するプログラムを心意で支配している。レギオンプログラムによる際限ない変異によって新モードを追記し、心意によって何度も再起動する。

 究極のチート。不死にして無限の強化の怪物だ。問題点があるとするならば、高いイレギュラー値が検知されてしまう為に、カーディナルによって直接アルヴヘイムに死神部隊を送り込まれる危険性があったが、【黒の剣士】が盛大に心意を使ってくれたお陰で時間は元より存在しない。

 こうなったら形振り構わず、逃亡までの時間稼ぎさえ出来れば良い。狂縛者も長くはもたないだろうが、【渡り鳥】を排除するだけの時間は十分にある。3時間は稼ぎきれるだろう。

 

「あらあら、私に黙ってそんな玩具を作っていたの?」

 

「アハハハハ! ごらん! ランスロットを倒した程度で僕に勝てると思ったなんて、間抜けだねぇ! 僕はアルヴヘイムの王! ここでは絶対的な支配者! 神なんだよ! どれだけ強くても人間が神様に勝てるものか! アハハハハ! やはりレギオンプログラムは凄いねぇ!」

 

「それはもうレギオンじゃないから、興味ないわ」

 

 玉座で観戦するオベイロンに、まるで謁見を求める賢者のように足を運んできたマザーレギオンは、今までになく恭しく頭を下げる。

 

「オベイロン様。忠告しておくわね。心意は神の存在証明の因子だとしても、神は万能にして全能ではないわ。多くの神話において、神は上位者であっても絶対的な存在ではなく、むしろ彼らの脅威となるバケモノが記されているものよ」

 

「何が言いたいんだい?」

 

「油断しちゃ駄目ってこと♪ バケモノを倒せるのは英雄だけよ♪」

 

 意味深なことを告げるマザーレギオンに逃亡の進捗を報告させようとした時、映像で狂縛者が再起動する。

 これで7度目だ。倒せないと分かっていながら、懲りずに何度も挑む【渡り鳥】は滑稽だ。いずれはスタミナも尽きて嬲り殺しになるだけだ。

 

(まぁ、褒めてやるさ。無限に強化と再起動をする僕が改良を加えた、洗脳プログラムと組み合わせた心意コントロール特化のレギオンプログラム搭載の狂縛者。それを相手に、ここまで無傷で――)

 

 と、そこでオベイロンは喉を引き攣らせて呼吸が出来なくなる。

 そう、無傷なのだ。無限に強化されるはずの、それも対象を殺すべくメタ化していくはずの狂縛者が……掠り傷1つ負わせられていないのだ。

 それどころか、HPをゼロにされるまでのサイクルは徐々に短くなっている。強化されているはずなのに、HPを削る速度が増している。

 もはや武器1つまともに残っている様子がないはずなのに、【渡り鳥】の目は淡々と獲物を狩る静けさを湛えている。レギオンプログラムの成長速度がまるで追いつかず、逆に【渡り鳥】の殺傷速度は飛躍的に増しているのだ。

 口から放つ棘の散弾。だが、その時点ですでに懐に入り込まれ、逆に顎にアッパーを受けて自爆する。触手の攻撃は軽やかに、まるでダンスでも踊るように避けられる。追撃の触手の外殻から放たれたレーザーさえも見切られ、逆に伸びた靱帯をつかまえ、瞬時に捩じり、左手の爪の籠手で突き破って千切る。そして、千切った触手を逆に武器にするかのように狂縛者に突き刺す。

 絶叫をあげて逃げるのは狂縛者の方だ。背中に乗られ、根本から触手を引き千切られ、血塗れとなる。強化の中で獲得したオートヒーリングと再生能力はあるが、まるで追いつかず、生きたまま貪れるかのように、内側の肉を素手で抉り出されていく。

 これで8度目のHP全壊だ。そして、また全快する。勝ち目はないはずなのに、狂縛者が追い詰められているかのような錯覚がして、オベイロンは悪寒を禁じ得なかった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 やはり、何かしらのギミック……いや、トリックが使われてるな。撃破不能の不死属性に等しい状態に今のエギルはあるようだ。

 だが、オレのやるべきことは変わらない。死ぬまで殺す。何度でも殺す。殺す以外に能など無いのだから。

 

(殺しきれるわ。その時が来たら、私と共に……)

 

 ヤツメ様が寄り添い、倒れそうになったオレを支える。

 まったく、ランスロット戦から休みなく城下町攻略、ユグドラシル城探索、そしてエギルとの殺し合いとは……こんなハードになるとは予定外だったな。だが、問題はない。

 左目の眼帯を撫で、限界を迎えたバトルアックスを捨てる。残るは拾い上げた鉄棍のみ。右手で舞踊の如く振るい、エギルを見据えて息を吐く。

 

 

 磨り潰す。

 

 

 砕く。

 

 

 引き千切る。

 

 

 手順など無い。エギルに巣食うレギオンプログラムに教える。本当に『獣』とは何たるかを。

 

 

 殺す。

 

 

 殺す。

 

 

 殺す。

 

 

 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 何度でも殺す!

 

「100回超えた程度だぞ。もうグロッキーか?」

 

 まだこっちのスタミナは危険域にも達していない。鉄棍で肩を叩きながら、再起動の度に全快しているくせに、肩で息をして、立ち上がれずに膝をついているエギル・レギオンを睨む。

 既に体表がブヨブヨとした、打撃属性対策を施したゲル状になったエギル・レギオンだが、全く分かっていないな。だったら捩じ切るまでだ。磨り潰すまでだ。死ぬまで何度も殺すだけだと教え込んでやる。

 シャルルにも、アルトリウスにも、ランスロットにも及ばない。彼らには『強さ』があった。レギオン、オマエには『強さ』がない。『力』しかない者は『弱い』と学べないのか? 目の前に代表例のオリジナルがいるだろうに。

 

「クルナ……クルナ……クルナァアアアアア!」

 

 怯え切ったエギル・レギオンは触手を乱舞してオレを近づけまいとする。その姿は、先程までの凶暴性を示す威勢など欠片もない。

 ああ、そういうことか。コイツは……レギオンであってレギオンでは無いのか。レギオンとして分類するには改造され過ぎてしまったのだろう。

 哀れみなどしない。だが、せめてオマエもレギオンとして殺してやる。それが……オマエ達がレギオンの王と呼ぶオレの役目だ。

 

「エギル……オマエもこれで良いのか?」

 

 このままエギル・レギオンを殺し尽す。

 

「SAOを完全攻略しただけじゃない。たくさんの戦えない人々を救うために尽力したヒーローだ。『アイツ』と同じくらいに、オマエは英雄だった」

 

 どれだけ再起動しようと関係ない。必ず殺しきる。

 

「オレなんかとは違う……たくさんの人を守ったヒーローだろうが! 出来損ないのレギオン程度に後れをとるのか!?」

 

 あの日、オレはエギルに依頼を受けた。上層から流入するモンスターの大軍から守るために、転移が封じられ、逃げ場ない彼らを制限が設けられた転移結晶で1人でも多く上層の安全な街に逃がす為に手伝うことを求められた。

 オレはオマエの気持ちを分かっていなかった。オマエは……オマエはきっと、オレに……オレに人助けさせたかった! 血塗れの【渡り鳥】ではなく、弱き人々の為に尽力したクゥリというプレイヤーとして名を残させたかった。

 そんなオマエの気持ちを……オレはまるで理解できていなかった。

 オレ達に和解などない。出来るべきタイミングは逸したし、灼けて記憶が朧になってしまったオレでは、オマエにかけるべき言葉など見つけられない。

 だから、オレはいつものように殺す。ただ殺す。殺す以外に何もできないから……オマエだろうと殺す!

 エギル・レギオンの動きが止まる。痙攣し、舌を突き出し、酸性の唾液を滴らせる。

 決して沈まぬ夕陽が照らす鉄の橋は、オレ達の戦いで、手摺も、アルフの石像も、彫り込まれたレリーフも失われてしまった。それでも、オベイロンへの道を繋げている。

 

「オレは殺すよ。必ず……オマエを殺して止めてやる。だから、心配いらない」

 

 パラサイト・イヴで侵蝕された獣爪の籠手をエギル・レギオンに突き出す。殺意の限りを湛えて微笑みかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コロ、セ……オレヲ……コロセェエエエエエエエエエエエエ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔を覆う赤錆の外殻が剥がれ、瞳が蕩けたエギルは自らの胸に爪を立て外殻を、肉を、骨を抉り開き、脈動する心臓を露にする。

 それが彼に出来た最後の抵抗。レギオンプログラムに侵蝕される中で、ここぞというタイミングまで温存していた最後の精神力。

 

「ほらな。やっぱりオマエは『強い』よ」

 

 いつか井戸の底で……闇に呑まれた水底で……同じようにオレに死を願った『誰か』がいた気がする。

 それは『誰』だっただろう? でも、それこそが『誰か』にとって、大切な何かを守る為の唯一無二の手段だったはずだ。

 サクヤにしてもそうだ。彼女は自らの尊厳の為に、ユージーンの為に、死を選んだ。それが彼女の最後の戦いだった。

 

 オレは殺す。

 

 エギルの誇りを守るために? 違う。結局は殺したいだけだ。どれだけ言い繕っても、それがオレの本性なのだから。

 

 それでも『痛み』が生まれる。

 

 こんなにも血は……『獣』の顎は殺意で濡れているはずなのに、心臓が止まりそうな程に『痛い』んだ。

 

 致命的な精神負荷の受容開始。

 

 デーモン化発動。

 

 獣性解放。

 

 右目の瞳は7つに分かれ、視界の全てがクリアに映る。エギル・レギオンの心臓、その1点に殺意を集中させる。

 

 獣魔化制御……成功。獣血の狩人となり、獣爪の籠手にナグナの纏い火を発動させる。 

 真紅の炎を纏った突き手はエギル・レギオンの心臓を捉え、内側から焼き、そして獣爪撃は心臓を引き千切る。

 

 千切られてもなお脈打つ心臓を握る。

 

 殺す。

 

 今ここで『エギル』を狩り殺す。

 

 獣性解放で高まった殺意の全てをエギルの心臓に集中させ、握り潰す。 

 

 同時にエギル・レギオンはまるで焼け崩れていくかのように、内部から伝播した真紅の炎に呑まれて崩れていった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 熱い。

 全身が炎で焼かれる。

 耐え難い苦しみの中で、だが『彼』にあったのはようやく解放された安堵だけだった。

 もはや自分が何者かも分からない。どうしてこうなったのかも分からない。何もかもが分からない。

 だが、自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 空に浮かぶ鉄の城で、もう1人の自分にして、本当の自分でもあった名前を呼ぶ、とても優しい声が聞こえたのだ。

 

 熱い。

 

 ただ……ただただ熱い。

 

 焼けていく。灰になるまで燃えていく。

 

 だが、炎の中で耳を擽ったのは、下手であるくせに、美しいとしか言い表せない、歌詞などない、原始の歌とも呼ぶべき旋律。

 

 魂を冒涜するような慈愛の歌声であり、故に彼は眠気に抗って僅かにだけ瞼を開く。

 美しい。今も内側から焼かれ続ける『彼』を膝枕して、まるで子守唄のように……いや、これから訪れる死は恐ろしいものではないと教えるような鎮魂歌を紡ぐのは、ボロボロのコートを身に纏った、中性美の結晶のような容姿をした、白髪にして赤が滲んだ不可思議な黒の瞳をした『誰か』だった。

 いいや、自分は知っている。『彼』は思い出そうとして、だが、それは自分を内側から食い荒らした存在によって隠されていて、上手く声に発することができない。

 だが、ずっと謝りたかった。まだ幼かったはずの心を傷つけたことをずっと悔やんでいた。大人である自分がもっと別の形で言葉を投げかけていればと後悔していた。

 お前は何も間違っていなかった。理想通りに物事は進まない。自分の見通しの無い甘さの責任を押し付けるだけではなく、その時の感情の暴走のままに酷い物言いをしてしまった。

 

「もういいんだ。分かってるよ。オマエが言いたかったことは全部……ちゃんと分かってる」

 

 寂しそうに歌い主は微笑んだ。『彼』の真意をちゃんと受け取ったと伝えるように、自らも焦げることを厭わずに『彼』を抱きしめる。

 

「やっぱりオレは駄目だな。和解できるはずがないって思ってたのに、オマエの『強さ』はあっさりと踏み越えてしまう。オレにはない『強さ』だ」

 

 そんなことない。お前の優しさは誰にも負けない。

 ちゃんと知っている。初めてお前を見つけた日を憶えている。

 奇麗な白髪を日向で揺らし、始まりの街で子どもたちと遊んであげていたお前は、噂に聞く残虐非道な傭兵などではなく、心優しく世話焼きな少女にしか見えなかった。

 後にお前が男だと知って、可憐だとときめいていた自分を殴りたくなった。

 クラインの影響で、粗暴な態度の不良少年のようになった時など、あの男を本気で外縁から突き飛ばしてやろうかと思案した。

 それでも、お前は何も変わらなかった。優しく、世話焼きで、残虐非道に見えて筋を通し、裏切りを嫌った。

 

「もう疲れただろう? もう休んでいいんだ。もう……オマエの旅は終わったんだ」

 

 こうして、俺を焼き続ける炎も厭わずに抱きしめ続けてくれる。少しでも苦しまないように歌い続けてくれる。決して微笑みを絶やさないでくれている。

 

「オレハ……ダレ、ダ?」

 

「決まってるだろ。『エギル』だ。本名は知らないけど、オマエは『エギル』だよ」

 

 そうか。俺は勝ったんだな。最後まで、自分を貪り喰らおうとしていた怪物に、この心と意思を守り抜いたのだ。

 鎮魂歌が死に誘っていく。多くの心残り……現実世界に残した妻の顔が過ぎる。

 本当はやり直したかった。アインクラッドの悪夢に打ち勝ち、もう1度家族として暮らしたかった。

 今ならば出来る気がするのに、眠くて堪らないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おやすみ、エギル。祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、安息は訪れた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 マザーレギオンは、エギル・レギオン……いや、レギオンと呼ぶに値しない、オベイロンが作り出した玩具の末路を当然とする。

 玉座で狼狽え、怯え、理解できずに顔を強張らせて叫び散らすオベイロンに、もはや興味は無い。盟約は果たすが、末路はもう定まった。

 

(無限の再起動と強化。それを支えるのは仮想脳がもたらす心意。だったら簡単。『フラクトライトを破壊する』だけ。獣性を完全開放した王の殺意はフラクトライトに死を認識させ、自己崩壊させるレベルにまで達したわ。まぁ、気づいて実行したというより、本当に『死ぬまで殺し続けた』だけだと思うけど。王の脳筋思考、ここに極まれり……かしら♪)

 

 今回の場合、レギオンプログラムによる汚染と仮想脳の酷使でオーバーヒートさせて疲弊させ、獣性解放した殺意で玩具のフラクトライトに死を認識させた。心意の弱点……感情や精神に左右されるからこそ、王の殺意に塗り潰された時に、自らの心意によって自己崩壊したのだ。

 予定通り。計画通り。目的通り。心意を持つことができない王が得た心意殺し。ただ1つの殺戮本能が、獣性解放によっていよいよ『仮想世界を喰らう』段階まで成長を遂げた。それだけのことなのだ。レギオンからすれば、何1つとして驚くべきことではない。

 

 

「オベイロン様ったら、はしたないわ。王は堂々と玉座で反逆者を迎え入れるものよ」

 

 もう間もなくレギオンの王がこの玉座の間に到着する。オベイロンとの最終決戦、そして【黒の剣士】の悲劇を巡る物語にどのような結末を与えるのか、それはマザーレギオンも興味をそそられるところであるが、今は目下の問題の解決と盟約の履行を優先する。

 

「剣士さん達が城に侵入したわ。私は迎撃するからオベイロン様は彼を倒してね」

 

「ま、待て! 待ってくれぇえええ! 僕を置いてくなぁああああ!」

 

 縋るように手を伸ばすオベイロンに振り返りもせず、玉座の間を後にしたマザーレギオンは、扉の先に待っていた我が子たちに笑いかける。

 

「レヴァーティン、ミョルニル、グングニル……ナギは欠席かしら?」

 

「剣士殿たちの迎撃の任に興味が無いのでしょう」

 

「そう。あのコらしいわね♪」

 

 特に咎めなどしない。レギオンは個を獲得しようとも種として統一されている。個々の動きはそのまま種の損益であり、何1つとして反するものはないのだ。

 

「レヴァちゃんは赤髭さんを。貴方の成長した実力を見せてあげなさい」

 

「畏まりました」

 

「ミョルちゃんはランク1さんを。決して油断しないように。彼は強いわ」

 

「ワカッタ!」

 

「グンちゃんはそれ以外を。安心して。殺さない程度で良いから……ね?」

 

「はい、母上」

 

 そして、私は剣士さんを♪ レヴァーティンは理性で押さえきれぬ闘志を口元に描き、ミョルニルは戦を前にして喝采し、グングニルは憂いを帯びた微笑みで、それぞれがマザーレギオンからの命令を順守すべく、正門へと向かう。

 レギオンは人間とは違う。必ず約束は守る。これはオベイロンとの盟約を果たす最後の仕事だ。

 

「あーあ、それなりに面白かったのに、ざーんねん♪」

 

 最後まで野心家であってくれたならば、レギオン化してあげたのに。マザーレギオンは、オベイロンに訪れる避けられない死はどのようなものだろうか、と舌なめずりした。




たとえ、友を壊したのが己より生まれた怪物だとしても、彼は安息の死を歌った。



それでは、301話でまた会いましょう。

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