SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

24時間ミッション開始!


Episode19-02 挽歌の刃

 ようやく終わった。1時間程度ではあったが、太陽の狩猟団の副団長であるミュウを交えた尋問を終え、シノンは凝り固まった背中を伸ばす。

 場所はサインズ本部の4階。獣狩りの夜以降に改築が施され、より高層化し、また地下も拡大している。傭兵の宿泊施設としても利用されており、シノンも賃貸契約で私室を持っている。依頼開始までの休息や依頼後に帰宅が億劫である時に便利なのだ。

 だが、今回の場合は太陽の狩猟団が借りている大部屋に連行され、常駐の連絡員から丁寧にもてなされながらミュウを始めとした太陽の狩猟団の幹部の到着を待ち、そこから止まることがない質問の嵐だった。1時間で解放されたのは、シノンの疲弊が自覚以上に目に見える程に大きく溢れていたからだろう。

 休職していたとはいえ、シノンは太陽の狩猟団の専属傭兵だ。此度のチェンジリング事件並びにアルヴヘイムについて問い質されるのは仕方がないことだ。 

 いや、最悪の場合は裏切者として処断される恐れもあった。傭兵とはいえ専属であるならば、任務中に獲得した太陽の狩猟団の情報を流出させることはもちろん、私腹を肥やすことなど言語道断である。これはサインズの傭兵規約にも記載されており、反した傭兵はサインズからの保護を受けられない。それは大ギルドによる制裁から誰も守ってもらえないことを意味する。

 依頼中に獲得した情報で利益を獲得しようとした傭兵は後を絶たない。たとえば、ダンジョンの調査任務中に偶然見つけたトレジャーボックスの情報を隠匿し、後になって回収などは言語道断だ。傭兵は実力も大事であるが、信用は同等かそれ以上に求められる。

 今回の場合、シノンが尋問、もとい詰問された内容は、要は『太陽の狩猟団への裏切り行為は無かったのか?』という1点に尽きる。

 此度のアルヴヘイム騒乱は大ギルド内でも情報が錯綜している。シノンがDBOに戻って来れたのは3時間ほど前であるならば、太陽の狩猟団の動きは迅速と呼べる範疇かもしれないが、クラウドアースは1歩先を行く。ユージーンとレコン、そしてリーファは迅速に確保され、少なくともシノンよりも2時間前には『報告会』が始まっていた。

 ユージーンの場合、クラウドアースの正規の依頼でアルヴヘイムに突入した。同伴者のレコンも同様であり、リーファはチェンジリング事件の被害者として保護された扱いだ。既にクラウドアースはチェンジリング事件が『解決』した場合に備えた広告戦略を打ち出しており、事前準備していたかの如く、終わりつつある街では静かに、だが着実に、チェンジリング事件の真相とアルヴヘイムについての噂話が拡散している。

 情報戦略。クラウドアースは既に手を打っていた。ユージーンの帰還と同時に、彼をチェンジリング事件解決の『英雄』として大々的にアピールする為の会見の準備も並列して行っている。噂話も帰還前から念入りに仕組んでおり、好きなタイミングで拡散できるように仕込まれていたものだ。貧民プレイヤーは買収しやすく、また多くの飲食店を経営・出資しているクラウドアースならではの戦略だ。そして、その動きを迅速につかむ太陽の狩猟団もまた、あらゆる場所に自らの手の者を潜ませているに他ならない。

 手痛いのはチェンジリング事件については既にクラウドアースから情報提供を受けていたことだ。太陽の狩猟団も聖剣騎士団も半信半疑どころか、9割9分はクラウドアースお得意の情報攪乱……もとい、情報網を炙り出す為の稚拙な虚言だとばかり思っていた。クラウドアースは3大ギルドで唯一のチェンジリング事件解決の立役者としてアピールし、なおかつ他2つの大ギルドの責任問題を指摘し、自陣営の人気取りと他陣営のネガティブキャンペーンを同時に行うつもりだろう。

 だからこそ、太陽の狩猟団としては反撃のカードとしてシノンが不可欠だ。此度は休職中のシノンの独断であり、なおかつダンジョンどころか巨大ステージ1つの攻略にも関わったともなれば、是非とも利権は獲得したいところだ。なおかつ、チェンジリング事件の解決にシノンも一助を成しているならば、太陽の狩猟団は『クラウドアースとは別ルートでチェンジリング事件解決に尽力した』と宣伝できる。だが、その為にはシノンの説得と一芝居が不可欠だ。

 もしも、太陽の狩猟団を裏切ってクラウドアースと組んでいるならば……という不安が太陽の狩猟団には燻ぶる。シノンは否定したが、最終的な判断は太陽の狩猟団が決定することだ。

 

(軽率だったとは思わない。でも、組織って面倒ね)

 

 傭兵であるとしても専属契約を結んでいるならば、太陽の狩猟団との繋がりは断てない。分かってはいたことだが、アルヴヘイムから帰還したせいか、まるで夢の終わりを迎えたかのように、シノンは傭兵としての意識が思考を染めていくことに寂しさを覚える。

 DBOに帰ってくれば、UNKNOWNとは敵同士ではないが、味方でもない。『相棒』ではないのだ。シノンは太陽の狩猟団の専属であり、彼はラストサンクチュアリの専属なのだ。

 

『では、UNKNOWNさんはあくまで私用で、偶然発見したアルヴヘイムに侵入した。そして、シノンさんもまた、親睦を深める為に、私用で同行した。間違いありませんね?』

 

『間違いないわ。そうでもない限り、アルヴヘイムをたった3人で攻略しようなんて考えるわけないじゃない。まさか帰れないなんて知りもしなかったわ』

 

 目が一切笑っていないミュウの笑顔を前に、シノンはアスナの件を伏せた上で、嘘を交えながらアルヴヘイムに侵入した経緯を説明した。

 筋書きは『最近になって親交を温めているUNKNOWNに誘われ、アルヴヘイムに侵入。だが、クリアまで帰還不可ステージによって連絡も取れず、同時期にチェンジリング事件解決とアルヴヘイム攻略の先遣隊だったユージーンと合流。チェンジリング事件の危険度からプレイヤーの安全を優先し、また脱出の為に協力してクリアした』というものだ。これはシノン、UNKNOWN、ユージーンで口裏を合わせてある。まずバレることはないだろう。

 現在アルヴヘイムがどうなっているのか、それは分からない。太陽の狩猟団はアルヴヘイムの入口を確保していないからだ。だが、ミュウの口振りから察するに、今回は犬猿の仲である聖剣騎士団と手を組んでクラウドアースの独走を阻むことになるだろう。

 アノールロンド攻略で不在のディアベルの代理で副団長であるアレスがUNKNOWNとシリカを連行した。聖剣騎士団としては、今回のUNKNOWNの独断行動を聖剣騎士団の依頼という形に押し込みたいのだろう。今頃はラストサンクチュアリのトップであるキバオウも交えて協議しているはずだ。ラストサンクチュアリは欲して止まない支援を引き出せるならば断る理由も無いだろう。

 そして、聖剣騎士団は無論知ることになる。UNKNOWNが手にした、武器という枠を超えた……DBOを完全攻略に導く英雄の剣……聖剣の存在を目にする。それは大きな波乱を呼び寄せるだろう。

 隠せることでもない。だからシノンも聖剣については既に太陽の狩猟団にリークしてある。ユージーンも同様だろう。

 アルヴヘイムではオベイロン撃破で一致団結していたとはいえ、DBOに戻ればそれぞれが別陣営だ。手を取り合って仲良くできるはずもなく、特にユージーンがどんな行動に出るのかは読めない。

 太陽の狩猟団は聖剣騎士団に取引を持ち掛け、UNKNOWNが確保しているアルヴヘイムの入口を共用することになるだろう。最終的には『クラウドアースの単独作戦と聖剣騎士団・太陽の狩猟団の合同作戦によって、アルヴヘイムは攻略され、チェンジリング事件は終息した』という結果になるだろう。

 シノンも『経験者』としてアルヴヘイムの再突入部隊に組み込まれるだろう。正規の依頼がサインズ経由で届くはずだ。だが、シノンは破損した左腕の代用を早期に準備しなければならないので、第1次派遣に加わることはない。

 

「お疲れ様。随分と絞られたみたいね」

 

 1階の広々としたエントランスを通り過ぎ、お手頃価格の食堂を前にしても食欲が湧かずにソファに倒れ込んだシノンに、担当受付嬢のラビズリンが鼻孔を優しく擽る珈琲を持ってくる。

 

「ありがとう。うーん、この香り。これぞ珈琲って香りね」

 

 アルヴヘイムには珈琲が無かった。手持ちの珈琲などすぐに飲み干してしまったシノンは、久方ぶりの至高の香りを堪能する。

 

「……なんか雰囲気変わったわね」

 

 まだアルヴヘイム騒乱について無知なのだろうラビズリンは、だが目敏くシノンの変化に気づく。

 シノンはアルヴヘイムで人殺しをした。それはDBOプレイヤーではないが、確かに生きていた人々だった。

 能動的殺意の獲得。殺人というストレスと罪の意識。それはシノンが意識出来ない別の部分で滲み出てしまっているのだろう。

 

「別に。疲れてるだけじゃないかしら?」

 

「そう。シノンさんがそこまでボロボロになるなんて今までなかったし、余程にハードな休暇だったみたいね。まぁ、詮索しないけど、あのワーカーホリックみたいに無茶せずにちゃんと休みなさないよ。はい、領収書」

 

 サービスじゃないの!? ラビズリンに珈琲代の請求書をテーブルに置かれ、シノンは大した額ではないが世知辛いものだと、有料だと思うと味が変わったような珈琲を飲む。

 

「ワーカーホリックって誰のことよ」

 

 私はそこまで仕事にのめり込んでいない。過労死など真っ平御免だ。シノンは傭兵業界でそこまで勤労に勤しむような真面目な輩がいただろうかと考えるも想像できなかった。なにせ、傭兵とはその実力に比例したように癖の強い人物揃いだからだ。

 チェンジリグ事件もアルヴヘイムの顛末も全容がつかめぬままに、シノンの手が届かないところで事後処理とばかりに物事は進む。全てに携われるとは思っていないが、やるせない気持ちになるのは、シノンにとってそれだけアルヴヘイムで過ごした時間は特別だったからだろう。

 

「……ここ良いですか?」

 

 受付嬢を始めとしたサインズの従業員を除けば、ほぼ無人に等しい傭兵の談話エリアにて、そう断ってわざわざシノンの隣に腰かけたのはシリカだ。

 

「聖剣騎士団との協議に同席しないで良いの?」

 

「キバオウさんに追い出されました。さっさと帰って寝ろとか何とか言ってましたね。そんなに酷い顔してますか?」

 

 そう力なく笑ったシリカの顔は、疲労という疲労がダムの決壊で濁流となって溢れたかのような状態だ。目は死んだ魚のようであり、瞼を数秒でも閉じればそのまま寝息を立ててしまいそうである。

 

「ええ、かなりね」

 

「シノンさんも酷いですよ。早く帰られたらどうですか?」

 

「マユにアポを取ったのよ。義手の修理の目途をつけてからじゃないと寝るに寝れないわ」

 

 自分も似たり寄ったりか。シノンは珈琲カップを置き、この場にいないUNKNOWNはまだキバオウと共に聖剣騎士団の協議しているのだろうと察する。彼は聖剣の所有者として、今後の立ち振る舞いを明確に示す必要がある。聖剣騎士団としては、専属ではないが、ラストサンクチュアリと懇意のある大ギルドとしてUNKNOWNを【聖剣の英雄】として大々的に広告し、ユージーン以上の此度のヒーローとして宣伝したい目論見があるはずだ。

 オベイロンを倒した英雄でも、DBOに社会を作り出している大ギルドには逆らえない。ましてや、彼の双肩にはラストサンクチュアリがそのまま圧し掛かっているのだから。

 

「彼はどうなの?」

 

「表面上は、なんとか取り繕えているみたいです。でも……」

 

 アスナは死んだ。オベイロンに殺された。それはシノンも知っている。想起の神殿に到着したUNKNOWNは、もはや立つことも出来ない程に虚ろな状態だった。

 愛する人を今度こそ永遠に失った。いや、2度目の喪失を味わったのだ。むしろ、よくぞ正気を保ち、また外面を取り繕えるものだとシノンは驚いている。それはシリカもまた同様なのだろう。

 

「きっと、心の何処かでは……覚悟していたんだと思います。アスナさんを助けられないことも……死んでるだろうことも……きっと」

 

 アスナがどのような最期を迎えたのか、シノンもシリカも知らない。それを聞き出すだけの時間は無く、また愛する人の非業の最期を尋ねるなどという残酷な真似は出来ないからだ。

 

「自分が嫌になります。アスナさんが死んだと知って、あの人は本当に苦しんでいるはずなのに。心の何処かでホッとしている自分がいるんです。もう、あの人を……あの人を苦しめる『過去』は終わったんだったって……そう思っている自分がいるんです」

 

「女だろろうと男だろうと、色恋沙汰を簡単に割り切れるはずないわよ。シリカは普通よ。むしろ健全」

 

 今にも泣きだして膝を抱えて顔を埋めそうになっているシリカの頭を撫で、シノンは一息吐きながら天井を見上げる。

 

「アスナさんの代わりになろうなんて思っていないんでしょう? だったら、貴女のやり方でアスナさんを失った彼を今度こそちゃんと支えてあげなさい。私も私のやり方で彼に関わっていくわ。アスナさんを忘れさせるなんて無理でしょうけど、それでも、少し位は埋め合わせになるかもしれないわ」

 

 1度刻まれた傷を無かったことにするなど出来ないならば、せめて膿まないように、少しでも痛まずに治癒するように、願いと祈りを込めるのだ。シノンの言葉に、シリカは疲れ切っていながらも、少しだけ明るさを取り戻した表情で頷いた。

 UNKNOWNは言った。シリカとの関係は傷の舐め合いから始まったのだと。だが、今のシリカならば、そして今のUNKNOWNならば、新しい関係を始められるはずだ。ならば、シノンはそこに割り込もうとは思わない。

 

「言い方は悪いけど、アスナさんの死を今度こそ受け入れる時が来た。そういうことなんでしょうね」

 

 卑劣な他人事だ。自分が同じ立場だったならば、果たして素直に受け入れられるだろうか? シノンは己に唾棄したくなる。

 自分も疲れているのだろう。シノンは飲み干した珈琲カップの底を見つめながら、数秒だけ瞼を閉ざす。

 

「今日は帰りなさい。UNKNOWNもきっと同じ意見のはずよ。これからの事は明日から決めれば良いわ。帰って、彼を待っていてあげなさい。帰った時に迎えてくれる人がいると、誰でも安心できるものよ」

 

「……助言ありがとうございます。このお礼は必ず」

 

「期待しないで待ってるわ」

 

 立ち上がったシリカは丁寧に頭を下げて礼を述べると、サインズから傘を借りて去って行った。

 シリカも変わった。アルヴヘイム騒乱前とは別人のようだ。以前の彼女は強気で、だが何処かで無理をしていて、UNKNOWNの為ならば何でもするという自己主張で溢れていた。

 だが、今はまるで降り注ぐ雨に洗い流されたかのように、疲れ切ってはいるが、心は澄み切っているかのようだった。

 誰もが変わらずにはいられなかった。それがアルヴヘイムの時間なのだろう。シノンはいつの間にか新たに注がれた珈琲と追加領収書に苦笑しながら、マユの到着を待った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ダンジョン踏破率は92パーセントを超えた。ほぼ完成したアノールロンドのマップデータに、ディアベルはようやくボス討伐に乗り出すことができると嘆息する。

 その間に出た犠牲者は13名だ。内の7人は物資運搬を担う、下部組織の中小ギルドの人員だ。≪背嚢≫のリュックを背負い、アイテムの受け渡しを仕事とする。『損害としてカウントするに値しない』とディアベルは冷徹に7人の人的損害を判別してしまい、自分の眉間に寄った皺を丁寧に解す。

 一体いつからだろうか? 現場でもプレイヤーを……人間を数字として、戦力として、駒として管理するようになってしまったのは、一体いつからだろうか?

 彼らは人間だ。それぞれが人生を抱え、1つの命を燃やして生きている。だからこそ、最大限に犠牲を避けねばならない。それがディアベルのかつての心情だったはずだ。だが、今はまるで凍土に埋もれたかのように、心は並べられた犠牲者の名前に動くこともない。

 

「やはり銀騎士は上位プレイヤーでも単独で対処するには相手が悪過ぎた。団長よ、ボス攻略には支障こそないが、やはり1度撤退すべきではないか? 幸いにもショートカットはほぼ全て開通しているわけだ。1度退いて心身を休めてからでも良かろう」

 

「そういうわけにも行くまいさ。今回のアノールロンド攻略は大々的に告知した手前、ボスの首を持って帰らなければ聖剣騎士団の威信は地に堕ちる。特に今回は教会を通して太陽の狩猟団やクラウドアースの戦力も借りている。ここで撤退すれば、聖剣騎士団にはもはや最前線を攻略する自力は無いと表明するようなものだ」

 

 全身を黒鉄の甲冑で纏ったタルカスの撤退と黄金甲冑のリロイの攻略維持。どちらの意見も筋は通っている。ディアベルは腕を組み、暖炉で燃える火で体を温めながら、珈琲ではなくホットミルクを飲みながら『大ギルドのリーダー』としての意見を纏める。

 タルカスの言い分は正しい。攻略は既に2週目に突入している。広大なアノールロンドのダンジョン攻略を隅々まで、イベントアイテムを余さず回収となれば遅々とした進行になるのは必定だったが、それを抜きにしてもアノールロンドは濃度が高過ぎた。

 主な敵である銀騎士は、耐久力も攻撃力も他の最前線ダンジョンと比べても頭1つ抜けており、またAIも優秀だ。並のプレイヤーならば1対1の剣戟で競り負けるだろう。瞬間火力を高める雷属性エンチャントも強力であり、銀騎士の盾はプレイヤーで言う所の中盾サイズでありながら、モンスターの常として外見から想像も出来ぬガード性能を誇り、特大剣でも容易に崩せない。

 また、登場するのは銀騎士だけではない。王の刃なる暗殺集団も登場し、影から奇襲を仕掛けてくる。デバフと攪乱を駆使する王の刃たちは、プレイヤーの心理を的確に見抜いたように嫌らしい攻撃を仕掛けてピンチを招く。

 屋外に出れば、青銅のガーゴイルに騎乗した銀騎士の容赦ない狙撃だ。また彼らは窓を撃ち抜いて屋内にも攻撃してくるので警戒は怠れない。

 各所に配置された【楔のデーモン】は、レア素材をドロップする代わりに高い攻撃力と防御力を有している。撃破必須ではないが、見逃すこともできない。過去のステージやダンジョンにもランダムポップするモンスターであるだけに攻略法は熟知しているプレイヤー揃いだったが、オペレーションが大きく組み変わっており、かなりの苦戦を強いられた。

 そして、犠牲者の内の2名……教会経由で派遣された太陽の狩猟団のメンバーが犠牲になったのは、報告が遅れていた……正確に言えば意図的に聖剣騎士団への情報隠蔽が成された宝物庫の悲劇だ。

 トレジャーボックスに擬態するモンスターの代表例であるミミック。多くのゲームに登場するミミックであるが、DBOでは度肝を抜く異形だ。

 なんとトレジャーボックスに胴体と手足が生えて立ち上がるのだ。しかも8頭身であり、超攻撃力の体術を駆使する。つかみ攻撃の噛みつきは高VIT・高防御力でもない限りに即死級のダメージを叩きだす。

 2人は宝物庫を独占しようとしたのだろう。2人が行方不明になってから3日後に宝物庫が発見され、遺品ドロップから死亡とミミックが死因と判明した。

 トレジャーボックスの隠匿は大小問わずにギルド、またパーティにおけるトラブルの火種だ。人間に欲がある以上は避けて通れない。聖剣騎士団でも正規メンバーが密かに入手しただろうアイテムは幾つも確認している。

 今回はほぼ敵対しているに等しいギルドの所有物になるくらいならば、という意識もあったのだろう。それがミミックの警戒を怠らせたのだ。

 ミミックの数の多さもそうであるが、やはり問題点は銀騎士であり、極めて強力なAIが稀に出現する。トッププレイヤーでもない限りは、1対1どころかパーティ単位でも対処は困難である。英雄クラスと名付けられた銀騎士は他と同性能でありながら、図抜けた戦闘力を発揮し、プレイヤーを着実に切り崩し、殲滅しようとする。

 後は問題点として、明らかにアノールロンドに相応しくない、まるでドロドロに溶けた肉塊のようなスライムモンスターが出現しているが、炎属性に弱く、対処も容易であるので油断しない限りは死亡もない。

 朝も昼も夜もなく、永遠の黄昏が続くアノールロンドでは時間間隔が狂いそうになる。ディアベルはモンスター侵入不可エリアである、本来は客間なのだろう1室にて、最後の決断を下すべく眼を開く。

 

「攻略を続行しよう。準備が整い次第、アノールロンド最奥……ボスエリアに突入する」

 

 タルカスの意見は理解できる。だが、撤退しない為にも時間をかけて攻略を続けてきたのだ。確かに帰れないまま、長期に亘ったダンジョン暮らしは疲労を蓄積させているだろう。だが、1度ここで撤退すれば、それこそアノールロンド攻略は大きく離れることになる。それを見逃す他の大ギルドではない。

 

「分かった。ボス戦メンバーにはこれ以上の探索を止め、十分に休息を取るように伝える」

 

 ギルドリーダーの決断だ。タルカスに否を唱える気は無いのだろう。普段はYARCA旅団の旅団長として、危険な意味でプレイヤーに恐れられるタルカスであるが、攻略時には何よりも頼もしいタンクとして信頼を集めている。彼の一声さえあれば、多くのプレイヤーの士気は高まるだろう。

 黄金騎士のリロイもまた、自分の意見は通ったとはいえ、本音を言えば撤退派なのだろう。自慢の大槌グラントを担ぎ、同様にボス攻略の通達に向かう。

 

「団長は正しい。我々に退くことはできない」

 

 会議に加わっていなかった、DBO随一の刺剣使いにして、聖剣騎士団幹部でもあるヴォイドは、ディアベルの決断を後押しする。普段は無口の彼が言葉を発するともなれば、ディアベルの顔には苦渋が貼り付いていたのだろう。

 そんなものは演技だ。ディアベルは憎たらしく心の内で奥歯を噛む。プレイヤーの……攻略部隊の犠牲など勘定に入れていない。聖剣騎士団という組織の発展と存続……その為のリーダーとしての振る舞いを貫き通したという自負すらあったからだ。苦渋の決断を演じる表情は、彼らを騙し、自分を人格者として見せる為の手段以外の何ものでもない。

 自分はどうしてこんな風になってしまったのだろうか。誰もいなくなった暖炉の前で、ディアベルは右手を見つめる。

 

(ユイちゃん、俺はキミに約束した。帰ったら、今度こそちゃんとキミと向き合うと。俺の今までとこれからを全部キミに話すよ)

 

 恋愛感情があったわけではない。自分を肯定してくれるユイを失いたくなかった。彼女の精神など無視した、醜い独占欲と自尊心だけがあった。

 だが、この戦いが終われば、ユイに全てを話す。彼女には見せないようにしていた、自分の醜悪な大ギルドのリーダーとしての顔を語るのだ。そうして、彼女が自分の傍を離れることになったとしても、ディアベルは何かを得られるような気がした。失ってしまった大切なモノを取り戻せるような気がした。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「今、超必殺の……グローリー☆キック!」

 

 まるで1人だけギャグマンガから抜け出してきたようだ。楔のデーモンの腹に助走をつけた跳び蹴りを喰らわせ、そのまま壁に叩きつけて圧殺し、ポリゴンへと爆散させたグローリーの背中を見て、ラジードは思わず項垂れる。

 伸縮自在の杖を振り回し、隙あらば雷を飛ばし、なおかつ時間経過でHP回復能力まで有する楔のデーモンは、ランダムポップ型モンスターでも特に強力なタイプだ。

 ランダムポップ型として有名なモンスターは、黒騎士、月光蝶、ミミック、楔のデーモンであるが、ステージやダンジョンによっては1度だけの固定出現する場合がる。大抵はレアドロップするのでプレイヤーはこぞって撃破に乗り出すのであるが、通常のランダムポップよりも強力なのが通例だ。

 アノールロンドも例外ではなく、固定である代わりのように馬鹿げた耐久力と攻撃力、そして今までのセオリーが通じないオペレーションによって本来の隙である攻撃を誘いにしてプレイヤーを追い詰めて来る。幸いにも犠牲者は出ていないが、撃破には多量のアイテムを毎度のように投入した、じわじわと削る長期戦のチキン戦法を取らざるを得なかった。

 だが、目の前のグローリーは左手の大盾で巧みに楔のデーモンの攻撃を捌く……ということもなく、右手の片手剣で華麗に受け流す……ということもせず、いきなり姿を晦ましたかと思えば、全力疾走の助走をつけて楔のデーモンが居座る礼拝堂に突入し、その腹に跳び蹴りを喰らわせたのだ。

 ラジードが特大剣で削り、またスミスが適確な援護射撃でダメージを稼いでいたとはいえ、杖を振り回す乱撃を掠りもせずに突き抜けて跳び蹴りを浴びせて楔のデーモンのHPを奪った様は、もはや清々しいまでに馬鹿げている。

 

「フッ、騎士の足下にも及びませんでしたね!」

 

 額の汗を拭うグローリーに無言で銃口を突きつけたスミスであるが、何かを堪えるように煙草を咥えて火を点けようとして、だが攻略中ダンジョンということもあって煙草ケースに戻す。

 傭兵間では、グローリーとの協働は1度すれば2度とご免被るが通例とは聞いていたが、こういう事か。グローリーの型に嵌まらない破天荒っぷりに、思わずラジードは納得してしまう。

 

「グローリー☆ナイツも随分と連携が様になってきましたね! 射撃援護のスミス! 特大剣と双剣を使い分ける若狼くん! そして、騎士の中の騎士たる私! この3人組ならば天下無双! 最強無比! オーンスタインもスモウも敵ではありません!」

 

「私とラジード君の連携は相応に出来上がったと自負するが、キミとの連携は全く育まれた気はしないのは何故だろうね」

 

 グローリーに対する精神的疲労で濁った目をしたスミスから目を背けながら、ラジードは褒められて悪い気分ではないと、愛剣として手にすっかり馴染んだイヴァの大剣を背負う。特大剣にしては細身な印象を与えるが、能力解放で岩肌を纏って重量型特大剣に変じ、なおかつ竜の咆哮を放てるユニークウェポンは今ならばほぼ完璧に操れると自信がついている。

 だが、この2人を前にすれば、自分などまだまだ粗い未熟者だと痛感させられるとラジードは胸の内に疼きを覚える。

 完全我流かつ滅茶苦茶な動きでありながら、攻防を1人で完全にこなして場を支配できるグローリー。近・中距離において、1度の誤射もなく絶え間なく射撃攻撃でダメージを稼ぎ続けるスミス。どちらも常軌を逸した実力者だ。

 底知れない。2人の本気が想像できない。傭兵とは一騎当千であるのは当然であるが、1桁ランカーの実力はラジードの想像を遥かに超えるものなのだろう。

 本来ならば、このメンバーに更にピザカッターという愛嬌ある通称とは裏腹に、絶大な火力を誇るチェーンブレードを操る主任も加わるのだが、数時間前に突如として神妙な声を出して今日は調子が悪いと抜けている。彼も含めれば、パーティの中で最弱なのは自分なのだろうとラジードは憂鬱になった。

 

「キミも十分に強い。だが、どうしても動きが連携を前提としたものになってしまう。キミ自身の実力は間違いなくトップクラスだ。自信を持ちたまえ」

 

 ラジードの雰囲気から内心を察したのか、スミスは礼拝堂の調査を始めながら告げる。

 

「私達は傭兵だ。個人であらゆる状況の突破を求められる。最悪の場合は、単独でネームドとの戦闘もありうるわけだ。連携よりも個人の突破力が要求されるだけだ」

 

「ネームドと単独戦闘なんて考えたくもないです」

 

「だが、やらなければならない。死にたくなければ勝つしかない。私たちの実力はそのまま商品価値だ。強くなければ意味がない。上位プレイヤーに埋もれるような実力では、傭兵として食べてはいけないのだよ」

 

 ラジードも最前線の攻略に関わる以上、決して少なくない数のネームドやボスと戦ってきた。いずれも凶悪かつ強敵であり、楽勝と呼べる戦いは1つとして無かった。

 限界ギリギリまで精神を擦り減らし、極限の集中力を保っても、1本のHPバーを減らすことさえもが遠い。なおかつHPバーが減る毎にネームド・ボスは劇的に強化される。特に最終段階の苛烈さは想像を超えた域に到達する。

 1つのミスが容易く命を奪い取る。ソロでは立て直す時間を稼いでくれる仲間もいない。回復アイテムさえも使う余裕すらもほとんどない。コンマ1秒でも集中力の糸が途切れれば、それがそのまま致死の隙となる。

 

「だけど、こうして組ませてもらったら、僕はまだまだ実力不足なんだって痛感します」

 

「彼は普通の尺度で測れるタイプではないし、私にも『おじさん』としての意地があるからね。だが、それはキミ自身の至らなさの証明にはなり得ない」

 

 礼拝堂の祭壇の裏にある壁を怪しんだのか、スミスは軽く叩き、何かを確信したように爆薬をセットする。距離を取ってから右手のライフルで狙い撃ち、壁を爆砕する。

 ダンジョンの壁や天井のほとんどは破壊不能オブジェクトだ。だが、スミスは肌触りから破壊可能だと見抜いたのだろう。

 

「おお、こんな所に隠し通路が! やりましたね!」

 

 勇み足で壊れた壁の向こう側にあった地下へと通じる階段へと進むグローリーだが、スミスは嘆息して彼の首根っこを掴んで止めると、壊れた壁の破片を掴んで階段へと投げる。

 1つ、2つ、3つと投げ続ければ、石の重みで発動したトラップによって天井と壁から槍が突き出す。あのままグローリーが勇み足で進んでいれば、トラップに引っかかって大ダメージは免れなかっただろう。

 

「7段目だな。加圧式トラップだろう。注意したまえ」

 

「さすが抜け目がありませんね。ですが、あの程度のトラップでこのグローリー☆アーマーが貫かれる心配はありませんよ!」

 

「では踏んでみるかね? こんな典型的なブービートラップで死亡するプレイヤーを直近で見れるとは、私も幸運だな」

 

「……じょ、じょじょじょ、冗談ですよ。スミスったら目が怖いですよ? これは騎士ジョークですよ!」

 

 実力は確かだが、本当に傭兵なのかと思うほどに迂闊過ぎるグローリーに対して、スミスはあくまで慎重かつ絶妙なリスクマネジメントを心がけている。彼がいるだけで、パーティとしては少ない3人組にも関わらず、最前線ダンジョンでも精神に余裕が生まれる。

 階段を下りた先をランプで照らせば、トレジャーボックスが所狭しと並んだ宝物庫だった。

 

「ミミックかもしれませんね」

 

「ロイドの護符を使うか。手持ちはあるかね?」

 

「僕は生憎持ち合わせてないです」

 

「私が持っていますよ! 騎士として、ロイドの護符は欠かせませんからね!」

 

 ロイドの護符をグローリーが投げれば、霧が生じてゆっくりと広がる。この霧は回復アイテムの使用を一時的に封じるものだ。本来は誓約で白教を結ばねば購入できないアイテムであるが、ポピュラーな誓約である白教を選択しているプレイヤーは多く、関連する専売アイテムもまた多くプレイヤー間で流通している。

 効果時間は短いが、対人戦……デュエルではなく殺し合いでは特に猛威を振るうアイテムの1つだ。使用されたら最高クラスの回復アイテムである女神の祝福も含めて効果を発揮しなくなるからだ。ダメージを受けて距離を取り、慌てて回復しようとしたらロイドの護符を使われてパニック状態になってそのままトドメを刺される……といった末路は珍しくも無い。協力を美徳する白教でありながら、ロイドの護符はPK向けのアイテムなのである。

 そして、ロイドの護符にはもう1つ興味深い効果があった。使用すれば、トレジャーボックスに擬態するミミックを判別できるのだ。

 ミミックはロイドの護符を使用されると強制的に睡眠状態になる。こうすることによって、ミミックが隠し持つアイテムを安全に回収できるのだ。

 

「ミミックはいないようですね。では、早速御開帳といきましょう!」

 

 ロイドの護符を複数使い、ミミックの有無を判別したグローリーがトレジャーボックスを開けようとした時、スミスは腕を伸ばして制する。

 

「キミは本当に迂闊過ぎる。ミミックで無いにしてもトラップが仕掛けられているかもしれないだろう? 我々がすべきことはこの場で中身を確認することではない。この宝物庫の情報を持ち帰ることだ」

 

 スミス、グローリー、ラジードの3人は戦闘型プレイヤーであり、補助スキルは幾つか有しているとしても、探索系スキルは持ち合わせていない。本来ならば6人パーティで1人は探索特化プレイヤーを組み込むのが理想的であるが、主にグローリーのせいでこの3人組と同行してくれる者はいなかった。

 餅は餅屋だ。無理にトレジャーボックスを開けてトラップで死亡するのは避けたいのはラジードも同意だ。だが、グローリーは惜しそうに20は超えるだろうトレジャーボックスの中身を確認したい誘惑に後ろ髪を引っ張られているようだった。

 

「しかし、アノールロンドは豊作だな。太陽の狩猟団として、これだけの大物ダンジョンのリソースを聖剣騎士団に独占されるのは面白くないのではないかな?」

 

「今の僕は教会剣として派遣されたプレイヤーですから。それに、聖剣騎士団が強化されるとしても、その分だけ完全攻略の日が近づくなら本望です」

 

「……爽やかな男だ。だが、プレイヤーが一致団結して完全攻略を夢見ているならば、そもそもとして大ギルドなどというものが3つに分かれて勢力争いをしているはずもない」

 

 スミスの言い分は正しい。ラジードも同意見だ。完全攻略だけを真に目指すならば、全てのギルドは1つとなり、あらゆるアイテムも武器も情報も共有し、最高最強の戦力で常に攻略に乗り出すべきだ。

 どうしてこんな事になってしまったのか。地獄の底においても人間は争い合って1つになるなど不可能なのだろうか。ラジードは自然と拳を握り、己もまた勢力争いを成す大ギルドのメンバーの1人なのだという自覚を抱く。

 

「歴史を紐解けば分かるだろう? 民族滅亡寸前でも、亡国の間際でも、決して人間は一致団結できない。人間が真に団結するには、想像の余地を超える強大な敵が必要だ。それこそ、無条件で心から恐怖してしまうようなバケモノが要る。そして、それは人類史において1度として登場していない」

 

 架空のバケモノでも現れない限り、たとえ地獄の底であろうとも人間は1つに纏まらない。ラジードはそれもまた真実なのだろうと受け入れる。

 

「そんなに難しく考えることありません! 現に3大ギルドは戦争回避の努力を続けています! その間に完全攻略を成し遂げれば良いだけのこと!」

 

 そして、スミスの言葉を真に受けていないのか、あるいは心から断言できる程の大物なのか。まるで気圧された様子もなく、グローリーは無駄にポーズを決めて宣言する。

 そんなグローリーを相手にして真面目な会話などやっていられないのか、スミスは煙草が恋しいように唇を動かすと黙って宝物庫を後にする。

 

「グローリーさんが羨ましくなるなぁ。僕はどうしても物事を深刻に捉え過ぎているみたいだ」

 

「そんなことありませんよ。私は自分が難しい事を考えるのに適していないと自覚しているだけです! だからこそ、何事も全力で! 自分の至らなさも含めて、全力で物事に取り組めば、少なくとも後悔することはありませんからね」

 

 後悔をしたくない。それがグローリーの原動力なのだろう。騎士として、たとえ皆に呆れ果てられようとも、己の理想像を常に全力で体現しようとする姿は、ラジードには余りにも眩しく映った。

 強者の特権なのではない。グローリーという人間は、死の間際まで己の理想と信念を貫くのだろう。その精神力は何処から湧いてくるのか、ラジードは興味を持つ。

 未踏破の最前線ダンジョンでは常に気を張り詰めていなければならない。マッピングは90パーセント以上まで到達しているとはいえ、アノールロンドは強敵揃いなのだ。だが、スミスもグローリーも気負った様子など無い。

 最前線攻略が遅々として進まないのは、単純にモンスターが並のプレイヤーの手に負えない強さになっているからだけではなく、ダンジョン攻略において精神を摩耗され易いからだ。常に気を張り詰めていなければ、一瞬で落命するのではないかという恐怖心で精神力が削ぎ取られる。

 傭兵が傭兵たる由縁とはその精神力にこそある。彼らは時としてネームド相手でも単独戦闘しなければならないと覚悟している。自分とは土台が違うのだとラジードは痛感する。

 思えば、1人でダンジョンに潜って武者修行をした事はあっても、ネームドと対戦したことは無かった。そもそもとして、そんな機会に巡り合えること自体が異常事態なのであるが、ラジードは更なる強さを渇望して強敵を欲している自分に気づき、唾棄すべく額を叩いて戒める。

 強敵が現れるとは、その分だけ犠牲者が増えるリスクが高まるということだ。強敵の分だけ涙を流す者が数を増やす。大切な人を失う誰かがいるならば、強敵を歓迎するなど恥ずべきことなのだ。

 

「落ち込まないでください。この騎士たる私だって後悔したことはあります。人間生きていたら山あり谷あり落とし穴あり……ですよ。後は底なし沼も!」

 

 ラジードの沈んだ表情に、その心情は察せずとも、このまま沈黙を保つのは避けたいように、情けない声を出しながらグローリーは頬を掻く。

 

「私にも守りたい人がいました。でも、守り切れなかった。目前で死なせてしまいました。助ける方法はあったのに、私は迷ってしまった。騎士としての最大の汚点です。だから、私は次こそ迷わないって決めているんですよ! 騎士たる騎士である私の判断は、たとえ行動の結果が間違っているとしても、常に己の誇りと誰かの為に。それが騎士である私の存在意義ですから!」

 

「……グローリーさん」

 

 周囲の人間は彼を馬鹿な男だと指差して嗤う。自分色で染め上げた騎士道を滑稽な程に貫き通す彼を嘲う。だが、それでも惹かれてしまうのは、彼の生き方は決して間違っておらず、誰にとっても眩しいくらいに羨望を抱かずにはいられない程に自由だからなのかもしれない。

 仲間がピンチならば駆けつける。いかなる強敵であろうとも騎士道に誓って戦う。その盾は仲間の為に。その剣は不屈の勝利の為に。

 

「精神論を無条件で褒め讃えるのは愚の骨頂だが、彼の言い分には一理ある。己の選択を疑う者の末路など、総じて悲惨なものだ。たとえ、望んでいたはずの結果を得られたとしても、必ず不満が吹き出し、それは次なる敗北と死に繋がる。人生において迷うことは若者の特権であるし、迷わぬ者は危うい。だが、殺し合いにおいて迷いを抱くな。相手を殺す事だけに集中しろ」

 

 現れた銀騎士3体に対して、スミスはライフルで援護射撃をしてラジードが踏み込む隙を作る。重装甲冑ではないラジードでは、銀騎士の高衝撃の斬撃に完全に耐え抜いて特大剣を振るうことは難しい。だが、超絶した技量を有するスミスならば、ラジード越しで的確に銀騎士の膝、肘、手首を撃って攻防のテンポを外し、ラジードが特大剣を叩き込むチャンスを作れる。

 スミスを先に撃破しようと銀騎士2体が抜けようとするが、黄金の雷撃を纏った長槍の突き、そして片手剣の連撃をグローリーは余裕で左手に有する身を覆う程の大盾で受け止める。いかに大盾とはいえ、銀騎士級2体の必殺級の一撃と連撃をガードして全く揺るがないとは異常だ。それどころか、シールドバッシュで逆に弾き返し、右手の片手剣による、並のソードスキルを超越したスピードの回転斬りから、わざわざ剣を掲げるというポーズ付きからの縦一閃を見舞う。

 斬られていないはずなのに、剣風だけで吹き飛ばされたかのように銀騎士2体がまるでギャグ漫画のように廊下の天井や壁に激突しながら跳ねる。

 

「若狼! スミス! 合わせてください! 今こそ、超必殺の……グローリー☆ナイツ☆コンビネーション!」

 

 剣と盾を自ら捨て、身軽になって早々に体勢を立て直す銀騎士2体を巻き込むダブルラリアットで再度転がしたグローリーの掛け声に合わせ、ラジードは特大剣でダウン状態の銀騎士を串刺しにし、スミスは腹を踏みつけながら兜のT字型の覗き穴に銃口を突き入れると連射する。

 撃破されて銀色の粉微塵になった銀騎士たちの健闘を、そして仲間2人の活躍を賛美するように、グローリーはサムズアップを決める。

 

「キミの戦法は彼とは別の意味で自殺願望のようだな」

 

「あはははは! 私は【渡り鳥】のような戦い方はできませんが、騎士として優雅な戦い方は負けないつもりですからね!」

 

 信じられない。ラジードはまたしても驚かされる。

 クゥリのように効率性や即応性で剣と盾を捨てたのではない。『コンビネーションで倒す方がカッコイイから』という理由だけで、迷いなくグローリーは無手となったのだ。そして、コンビネーションの定義とは、グローリー独自のものであり、ラジード達が予め連携として動きを組み込んでいたものではない。あくまで自分が動けば、必ず2人も動いてくれるという無条件の信頼があったのだ。

 グローリーという台風に自然と巻き込まれてしまった。彼の強過ぎる我によって戦いの場は、まるでヒーローショーのように変じてしまったのだ。

 

「私やスミスの真似をしても虚しいだけですよ。己の理想を体現するのは、この世で己以外にいません! ラジードくんも、誰かを重ねた理想ではなく、心から迷いなく自分が成りたい理想を抱けた時こそ、真の騎士……グローリー☆ナイツの副リーダーの座を得るチャンスが巡って来るでしょう!」

 

 別に入った覚えも無いんだけどなぁ、とラジードは苦笑しながら、自分の内側に澱んでいた負の感情が清風で吹き飛ばされたように晴れやかな気持ちになる。

 

「ちなみに副リーダーは私とか言わないだろうね?」

 

「まさか。スミスは頼れる年長系ご意見番ポジションを確立していますからね! 私のような騎士の中の騎士に本当は憧れを持つけど素直になれない、紫煙と共に適確な援護で見せ場を作るクールキャラ! これは人気出ますよ! 私が1番人気なら、スミスは3番人気くらいですよ!」

 

「もう好きにしてくれたまえ」

 

 リザルト画面を確認するスミスは、精神疲労が限界に達したとばかりに、いよいよ懐から煙草を取り出して一服する。ダンジョンでは危うい行為だが、煙草を吸うリスクよりも精神衛生の方を重視したのだろう。

 常に完璧な戦果を約束する理想的な傭兵と破天荒でありながらも正道を突き進む傭兵。ラジードは彼らと組めて良かったと心から敬意を抱く。

 

「あ、スミスさんが違うなら、誰が副リーダーなんですか?」

 

 そろそろ探索を切り上げて1度戻った方が良いだろう。宝物庫の報告をすべく、ラジードたちは現在の拠点に戻る。その道中で問いかければ、グローリーは顎に指を当てた決め顔でウインクした。

 

「分かってませんねぇ。ナンバー2は謎に包まれている方がカッコイイ。登場するまで紹介は敢えて避けるのがお約束ですよ!」

 

 この人の自称騎士道は『自分が思うカッコイイ』で決定されているんだな、とラジードは今更ながらに真に理解して、それが最高にカッコイイと羨んだ。

 

 

▽   ▽    ▽

 

 

 エレーミアス絵画世界。それは世界から忌まれた者たちにとって最後の安住の地。雪と氷に閉ざされた絵の中の世界。

 崖際の半壊した教会をメインにした広大なダンジョンは、デバフ攻撃を誘発するモンスターやトラップによって疲弊を強いられる。クリアまで脱出不可能のダンジョンでは補給も難しく、また絵画世界にはモンスター侵入不可エリアもないので心身が休まる安全地帯は全く存在しない。

 クラウドアースの特殊部隊も人間だ。思わぬ程に難攻不落のダンジョンに精細さは日に日に欠けていく。

 故に心の寄る辺は求められる。エドガーは教会の聖典を片手に、洗礼と祝福を施し、新たな信徒の獲得に満足する。

 

「灰より出でる大火に祈りを。アンバサ」

 

『アンバサ』

 

 複数人の声が重なり合い、心地良いハーモニーが雪景色を溶かすのではないかと思うほどの信仰の熱気を生み出す。それを冷めた目で、未だに入信しない者たちが睨んでいる。

 哀れなことだ。エドガーは彼らを救うべき迷える子羊とも、神を解さぬ愚者とも捉える。その上で、機会さえあれば救済の道を示さねばならないと、不滅の信仰心から決心する。

 

「ねーねー、あのさぁ、灰から火が出るっておかしくないん?」

 

 そして、その様子を冷めたとも違う、1歩引いたとも異なる、独特の価値観で見守っていた、あるいは純粋に鑑賞していたライドウは、相変わらずのマイペースっぷりを崩さぬ様子で、真っ赤なキャンディを、わざとらしく舐める音を不快に奏でながら問いかける。

 

「灰って燃え尽きてるから灰でしょ? 火が出るわけないじゃーん。もしかして教会ってお馬鹿さんの集まり?」

 

「ライドウ殿にはご理解できないようですな。我らの信仰心は既に未来を予見しているのです。全てが燃え尽きた灰の中よりこそ、この新世界を照らす大火が現れる。それは古き世界を焼き払い、新たな秩序と未来を創造する火なのですよ」

 

「ふーん、それよりも祈りの言葉とか何かを基にしてアレンジするの?」

 

「……私も元々は――」

 

「それよりも神父って顔厳ついよね。それって神父ってキャラじゃないよね? むしろ、神父としては正しい?」

 

「…………」

 

 灰より出でる大火は告げております。いずれこの男に神罰を! エドガーは『にっこり』と笑って、元より会話が成立しないライドウとのコミュニケーションなど期待すべきではないと割り切る。

 

(しかし、信者を獲得できることは喜ばしい事ですが、攻略としては些か不味いですね)

 

 かれこれ1週間以上も絵画世界に閉じ込められたとなれば、常人ならば正気を失うだろう。なにせ、この絵画世界には朝が巡ることもなく、常に夜の冷たい雪夜なのだ。

 踏まれても踏まれても、いつの間にか新雪のごとく真っ白に地面は覆われる。彷徨うのは正気を失った亡者ばかりだ。頭部と腕がカラスという異形の者が空を舞って奇襲を仕掛ける。スライムのように溶けた亡者は、腐ったようなピンク色の胴体を震わせて盾と槍を構えて隊列を組んで迫る。

 それだけではない。巨大なゾンビドラゴンも徘徊しており、レベル3の毒を蓄積させるブレスを撒き散らす。とにかく配置が厭らしく、否応なく損害が嵩んでいく。

 特にエドガーの場合、戦闘スタイルは片手に重ショットガンを持った立ち回りだ。本命は双剣モードと両刃剣を使い分けらえる近接武器と攻撃性の高い奇跡のコンビネーションとはいえ、既に弾薬は尽きた状態で戦力としては低下してしまっている。

 1体1体に目を向ければ、決して強いモンスターではない。むしろ、アノールロンドに隠されたダンジョンとしては弱い部類だろう。だが、とにかく攻撃すれば痛手を被る場面が多過ぎるのだ。かといって逃げることも出来ず、突破する度に出血を強いられて衰弱していく。

 

(特にこの寒さ。寒冷対策アイテムも底を尽きかけています。定期的に火を起こして暖を取らねばならないとは不甲斐ない)

 

 侮っていたわけではない。だが、自分はダンジョン攻略向けの人材では無いのだろうとエドガーは再認識する。戦闘においては相応の自信を有するが、ダンジョン攻略においてはどうしても他に劣ってしまうのだ。特にエレーミアス絵画世界は、ボス部屋に到着するまでに複数のギミック……もしかせずとも全てのギミック解除が必須になるらしく、それもまた拍車をかけていた。

 だが、絵画世界攻略が進まない最大の理由は、ライドウがまるでやる気がなく、戦闘にすら参加していないことだろう。

 ボサボサの黒髪を肩甲骨まで無造作に伸ばしたライドウは、何かを思い出すように、あるいは何も考えていないように、雪景色をボーっと見ているばかりなのだ。自分を襲うモンスターだけを見もせずに一方的に叩きのめすだけである。

 ライドウが今回の作戦に参加した理由はたった1つ。猛者との戦いを求めたからだ。望んでもなかなか巡らないボスとの1対1の殺し合いができる絶好のチャンス。それ以外に興味が無いライドウは、攻略はエドガーたちの仕事だとばかりに何もしない。

 

「神父、やはりこの地下水道は難攻のようですね」

 

 信徒入りした、クラウドアースの特殊部隊の若者が申し訳なさそうに告げる。枯れた井戸にかかった梯子を下りれば狭い地下通路があり、その奥地にこそボス部屋に通じる最後のギミックを解除する何かがあると睨んでいるのだが、人間1人が通れる限界しかない通路の地下迷宮にはスケルトン系モンスターが巣食っている。

 特に凶悪なのが、まるで車輪と合体したかのようなスケルトンだ。通称、車輪骸骨と呼ばれ、車輪を回転させて突進攻撃をしかけてくるのであるが、その凶悪さは他の類に見ない。

 下手にガードすれば、たとえ大盾でもほぼ間違いなくガードブレイクさせられる。しかも多段ヒットであり、攻撃を受けながらゴリ押そうものならば、驚異の連続ダメージで簡単にスタン状態に持ち込まれて挽肉にされてしまう。

 既にこの地下迷宮の攻略に4人も犠牲になってしまった。通路の狭さで連携が取れないのが最大の難点なのだ。

 

「ライドウ殿、この地下迷宮こそが最後の砦。ここさえ突破すればボス部屋の道が開けるはずです。いかがですか? 本命の前にウォーミングアップでも」

 

「ふーん、だから? 神父なら突破できるんじゃない? ほらほら、神父の凄さ、見てみたーい!」

 

 手を叩いて軽いノリでエドガーの突撃を要求するライドウに、そのような挑発に乗るかとエドガーは顎を撫でて策を練る。

 自分ならば強行突破できないこともない。だが、やはりリスクが大き過ぎるのだ。スケルトン系に有効な高衝撃のショットガンの残弾が残っていれば、突破も容易なのであるが、ここまで攻略するのに、爆弾系アイテムも含めて使い果たしてしまった。ヒーラーが複数人いたお陰で回復アイテムは温存できているが、それでも心許ない残数である。

 

「ライドウ殿はまだアイテムも温存しているはず。ならば、せめて我々に分けてもらえませんか?」

 

「良いよ。ほい」

 

 そう言ってライドウがアイテムストレージから取り出したのは、スルメ、ビール、鶏肉の缶詰、干し肉といった、これから晩酌でも始めるのではないかと思うような飲食物のラインナップだ。

 お好きなモノをどうぞ。そう言うようにライドウは腕を広げて、雪の上に並べた食料の数々をアピールする。

 

「ふざけないでもらいたい。せめて回復アイテムくらい――」

 

「無いよ?」

 

「……なんですと?」

 

「そんな『つまらない』アイテムを持ち込んでるわけないじゃーん! 折角のソロでボス戦だよ!? 超楽しみ! 回復縛り、これ燃える!」

 

「…………」

 

「あ、全部取らないでよ? これさぁ、ボス倒した後の祝杯セットなんだー! 無傷撃破出来たら神父も1杯どう? ねーねー、それよりも神父も割と舌長くない? オレには及ばないけどべろちゅー上手そうじゃない?」

 

 分かってはいたが、やはり狂人か。エドガーは1秒間で心の内で100回アンバサと唱えて平静を保つ。

 目をキラキラと子どものように輝かせて、ボスとのソロマッチが楽しみ過ぎて『縛りプレイ』をしてしまったと告げるライドウは、デスゲーム化したDBOでも紛うことなき狂気の保有者だ。

 同じ陣営の傭兵でありながら異物を見るような目をするクラウドアースの面々には同情する。エドガーは胸元で十字を切り、白雪で膝をついて聖女の微笑みを思い出して覚悟を決める。

 

「私が行きましょう。皆さんはここで――」

 

「そうだよ! もうすぐボス戦じゃーん! テンション上がって来たー!」

 

 決死で地下迷宮に突撃しようとしたエドガーを押しのけてライドウは井戸の底へと跳び込む。

 この男は本当に度し難い! エドガーは慌てて後に続けば、ライドウがスケルトンを文字通り殴り倒しながら前進する姿に唖然とする。

 サーベルと盾を有した、パリィ狙いのスケルトンに対して、目にも止まらぬ神速の拳で脊椎を殴りつけたかと思えば、宙を浮いたところで止まらぬ連撃で文字通り磨り潰す。スケルトン系は打撃に弱いので、下手に斬撃や刺突の属性が高い武器よりも打撃属性の格闘攻撃の方が有効な場合はある。だが、ライドウは避けるまでもないとばかりに、手数だけで圧倒して前進していく。

 だが、連撃ならば負けていないと、躱しようがない狭い通路で車輪骸骨が回転しながら突進してくる。ライドウが潰れて轢き逃げされる光景を想像したエドガーであるが、彼は無造作とも思える、だがその実は正確無比に計算し尽くされた裏拳で車輪を迎撃して軌道をズラして壁に引っ掛けて強引に止め、本体のスケルトンの頭蓋を掴む。

 

「お邪魔はポーイポイっと」

 

 もう片方の手で首をつかんで頭蓋を引き千切り、動きを止めた車輪骸骨をつかみ、そのまま次に突撃する車輪骸骨に対しての盾とする。

 強引ではあるが有効だ。敵を倒すのではなく、盾として使って突き進む。これならば武器としての盾とは違い、ガードブレイクされる恐れも無い。盾に使っているスケルトンが撃破されたならば、次のスケルトンをまた盾に使うまでだ。

 ただ倒すのではなく利用する。それも躊躇なく死地で実行する。この男は狂っているであるが、それは『不真面目で依頼達成率が低いにも関わらず実力だけでランク2』を獲得しているという不動の事実に裏打ちされた、戦闘狂としての狂貌である。

 そうしてたどり着いたのは、かつては貯水槽か、あるいは別の意図があったのか、暗がりの広い空間だ。天井に穴が開いているのか、薄く外の光が差し込んでいるだけで視界は不明瞭だ。≪暗視≫スキルがあれば見通せるのだろうが、エドガーは持ち合わせていない。

 だが、ライドウは無造作に突き進む。お目当ては最奥に僅かに見えているギミック解除のハンドルだ。

 四方八方からスケルトンが、車輪骸骨が、そして踏まれて発動したトラップによる矢が襲い掛かる。

 しかし、一切命中しない。速度で躱すのではなく、あの傍若無人な男とは思えぬほどの、美しい足運びで軽やかに躱す。

 間合いを見切り、相手の動きを見切り、なおかつ自身の肉体の動かし方を完璧に把握しているからこそ叶う領域だ。基礎でありながら、多くの武人が奥義と仰ぎ見る世界に、この男は元より浸かっている。

 

(なるほど。これが『ランク2』ですか。我が聖女に匹敵する身体制御能力。ですが、ライドウ殿はVR適性も高い)

 

 VR適性が低ければ低い程にアバターの操作性は損なわれる。それを補う為には指1本の動きすら気遣う程の集中力が必要となる。そして、その集中力の維持を更にVR適性の低さがもたらす脳への高ストレスが阻害する。

 負のスパイラルに陥る低VR適性者とは違い、ライドウのような高VR適性者はより低ストレスでアバターを操作できる。そのアドバンテージは大きい。

 加えて近接戦を制する格闘戦は他の追随を許さない。スケルトンのサーベルを紙一重で躱しては適確にカウンターを入れている。それは戦槌が振るわれているかのように、スケルトンを砕いていく。

 

(しかし、格闘攻撃にしては威力が高過ぎる。やはりユニークスキルを――)

 

「ユニークスキルとか使ってないよー」

 

 心を読まれた? そう思うほどに、エドガーの胸中の疑念に対して、ライドウは殲滅したスケルトンの残骸がポリゴンになって吹雪く中を歩む。

 

「あのさぁ、馬鹿じゃないの? 素人とボクサーのパンチのどっちが強い? ゾウさんのお鼻アタックの方が強いに決まってるじゃーん!」

 

 ゾウは全く登場する余地がないのではないだろうか。エドガーは内心でツッコミながら、饒舌で語るライドウは本当に機嫌が良いのだろうと悟って沈黙を保つ。

 エドガーと距離があるにも関わず、彼に向かってライドウは拳を振るう。ふざけた態度とは裏腹に、その拳を振るう姿は、まるで数十年……いや、生涯をかけて鍛錬を積んできた老拳士を彷彿させる程だ。それは拳法を極めんとした者が幾星霜の積み重ねによって到達する世界だ。

 空気が爆ぜた。そう幻視するほどの威力を秘めた拳打と認めるしかない。エドガーはライドウの力量を……戦闘狂としての評価を改める。

 この男は強い。桁違いに強い。ランク2という称号すらも狂気を示すには不十分だ。

 

「神父もさ、いつまで『手抜き』してるわけ? 本気……見せてよ。ちょっとウォーミングアップしたいしさ」

 

「灰より出でる大火の名の下において、我が力は神罰を成す為に。とてもではありませんが、ライドウ殿を満足させられるようなものではありません」

 

「絶対に嘘だよねー」

 

「いえいえ、ライドウ殿にはとても及びませんよ。さぁ、ギミックを解除してボスの所に参りましょうか」

 

 この男、いずれは教会の障害になるかもしれない。組織に飼われていながら、組織の鎖を無視して行動できる者。破綻者であることを自ら望んでいる者。手綱を握れない狂犬は速やかな殺処分が望ましい。

 より猛者との戦いを。渇望するのは死闘であり、その為ならば自分の地位も命も捨てられる。神に喧嘩を売れるならば、喜んで世界の救済よりも破滅を選べるだろう男を、どうすれば後腐れなく始末できるだろうかとエドガーは『にっこり』と笑った裏で策を考える。

 今はクラウドアースとの関係も良好だ。ライドウがランク2として味わえる戦いを満喫している内は見逃すしかないだろう。だが、この男はいずれ我慢できなくなるだろう。ならば利用価値はある。

 

「ところで、ライドウ殿。あの噂をご存知でしょうか?」

 

「聖剣騎士団のリーダーがモーホーって噂?」

 

「違います」

 

「YARCA旅団の裏旅団長が聖剣騎士団リーダーって噂?」

 

「違います」

 

「えーと……えーと……知らないんじゃないかなー?」

 

「UNKNOWNがあの【黒の剣士】という噂です。仮想世界最強。強者との戦いを求める貴方ならば興味もあるのでは? クラウドアースは近々ラストサンクチュアリを崩壊に追い込む為に、苛烈な手段に訴えると聞きました。当然ながら、ランク9にして、ユージーン殿と傭兵最強の双璧を成すと謳われる彼もまた防衛として出陣するでしょう」

 

「だけど、俺は外されるだろうねー。なんか生中継するって話もあるし。俺は場違いっぽいし。あ、もしかして、神父が裏から手を回してくれるの?」

 

「いえいえ、教会は中立です。ラストサンクチュアリを崩壊に追い込むような真似などするはずもありません。ですが、教会と懇意の『誰か』がライドウ殿の活躍を望んで口添えすることはあるかもしれませんね」

 

「ほほーう」

 

 ライドウは狂人だ。およそまともに会話は通じない。それこそ波長が合う者……グローリーのような別の意味での狂人でもない限りには無理だ。

 だが、コントロールする方法はある。戦いを求めるならば『餌』をぶら下げれば良いのだ。罠だと分かっていても、誘導されていると見抜いても、ライドウはより強敵との戦いを望むならば、必ず食いつくのだ。

 蛇を思わす程に長い舌で唇を舐めたライドウは、まるで惚れた女を前にして欲情したかのような顔をする。

 

「ねーねー、神父様ぁ。俺たちって仲良くできる気しなーい? しちゃわなーい?」

 

「おやおや、私たちは既に『友人』でしょう? アンバサ」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 傷ついたデーモンはガル・ヴィンランドに任せ、オレはうろ底のデーモンと対峙する。

 ほぼ同一の外見をした、せいぜい違うのは体色くらいの双子のようなデーモン2体であるが、彼らは能力も同一だ。

 体内で混沌の火を猛らせたモードでは、苛烈な近接攻撃が主体となる。だが、これは時間経過によってパワーダウンし、それ以降は回避を主軸に置いた遠距離攻撃……レベル3の毒を蓄積させるゲロやブレスを使ってくる。

 本来ならば2体のコンビネーションで、近接モードと遠距離モードを交互に使い分け、あるいは同時に使用してラッシュをかけるタイプのネームドなのだろう。だが、この手のネームドは分断が最も有効的なのは今も昔も変わらない。

 鋭い爪によって足下の泥を抉りながらの腕を振るい、そのまま叩きつけによる炎の小爆発。大きく跳んで着地と同時に炎を纏った腕による薙ぎ払い。少し距離を取れば、強烈な連撃で間合いを詰める。うろ底のデーモンは確かに強いが、ネームドとしては平均的だ。

 ステップで背後に回り込みながらアサルトライフルを放つ。弾丸は次々と着弾するが、ダメージは伸びない。体表でほとんど銃弾が弾かれてしまっているからだ。

 やはりザリアとは勝手が違うな。雷弾……雷撃状のプラズマ弾を放つザリアならば、雷爆発による追加ダメージが主なダメージソースなので問題は無かったが、銃弾となるといかにして貫通できるかどうかに関わってくる。

 まずは連続着弾でダメージを伸ばして様子を見るか。弱点は頭部だろうし、そこに銃撃を集中させるとしよう。

 

『残弾70パーセント。ペースが……少し早い。撃ち過ぎに……注意』

 

「了解しました」

 

 ナドラの警告通り、アサルトライフルは与えたダメージに対して残弾の消耗が嵩んでいる。

 スミスのようにはいかないか。彼は的確に弱点を狙い撃ち、なおかつ連続着弾で相手の防御力を突破していく。下手な近接射撃は下手な近接攻撃にも劣るのだ。

 それに近距離射撃戦は大きなリスクを伴う。射撃攻撃中に受けた攻撃はスタン耐性や防御力が低下するのだ。この射撃攻撃中とシステム上判別される時間が曲者であり、トリガーを引いた、矢を射た瞬間だけではなく、その後も残留する。武器によって残留時間は異なるが、グレネード系やスナイパーライフル系はかなり長引く部類らしい。逆にマシンガンなどの近接戦型は短いが、連射系なので常に射撃中のようなものだ。

 また、近接射撃ではその反動によって体幹はブレやすく、スピードが出しづらく、回避も難しくなる。ならばガードすれば良いと考えて、マシンガン片手に大盾を構えるというスタイルで挑んだプレイヤーがいたらしいが、マシンガンの反動+敵の攻撃であっさりとガードブレイクされて即死させられたらしい。

 銃弾を命中させ続けたうろ底のデーモンの頭部が傷つき始める。その度にダメージが伸びていく。怒り狂ったようにうろ底のデーモンは大きく跳んだかと思えば、両手に混沌の火を滾らせて地面に叩きつける。

 周囲を薙ぎ払う爆発と同時に、足下の泥水すらも焼き焦がすような溶岩地帯がうろ底のデーモンの周辺に生じる。

 混沌の火とはデーモンを生んだ歪んだ生命の火とであると同時に、イザリスに端を発する溶岩の業でもある。プレイヤーでもモンスターでも使用すれば高い炎属性攻撃に加えて、あのようなスリップダメージを生じさせる溶岩地帯を一時的に作り出すことができる。

 プレイヤーが呪術等で生み出せる溶岩はせいぜい数秒、長くとも10秒前後とされている。だが、うろ底のデーモンが生み出した溶岩地帯はなかなか鎮火することがない。

 広大で障害物も少ないバトルフィールド。2体のデーモン。混沌の火。なるほどな。コンセプトが分かって来たぞ。下手に攻撃させ続ければ、その分だけプレイヤー側は自由を制限されていく。だが、対するデーモンはほぼ無効化にも等しい炎属性防御力のお陰で溶岩地帯でも何の不自由もなく暴れ回れる。

 いかに主導権を握らせないか。そして迅速に撃破するか。それがデーモンとの戦いにおける肝のようだ。

 アサルトライフルだけでは追い込むには火力が足りないか。軽やかに跳び回り、一挙一動の度に溶岩地帯を増やしたかと思えば、遠距離モードでゲロ弾と毒属性ブレスによる超射程攻撃だ。下手に躱せば、射線上にいるだろうガル・ヴィンランドを巻き込むことになる。

 やはりソロとは勝手が違うな。眼帯に覆われていない右目の端では、傷ついたデーモン相手に優勢を保つガル・ヴィンランドの雄姿が映る。

 強力な連撃は絶妙な間合いの見切りで躱し、着実に腹や頭部に巨槌を打ち込む。混沌の火を滾らせた傷ついたデーモンが連続で火球を投げても、決して高スピードではないが、回避するには足る脚力で躱しながら間合いを詰め、頭部に重たい一撃を浴びせてダウンを取り、そのまま泥土を抉りながらの振り上げた巨槌のアッパーで顎を撃ち抜いて、10メートル前後の傷ついたデーモンの巨体を浮かす。

 

「なんと脆い。幾らネームドとはいえ、正規ネームドには及ばない」

 

 そうだ。この2体のデーモンは確かに強い。だが、彼らには多くのネームドに施された調整が甘いのだ。

 DBOでは『命』あるAI程に強敵であることが多いのは、彼らの生きようとする意思、また敵たるプレイヤーを打倒すべく執念と闘志を燃やし、パターン化されないように思考を練り、また己の能力を解してより効率的に、強力に、凶悪に活かそうとするからだ。

 逆に言えば、己の能力を使いこなすだけの戦闘能力が無ければ、闘争心が足りなければ、生への執着が無ければ、『命』あるAIとはより丹念にオペレーションが組み込まれた『命』の無いAIに及ばないだろう。

 傷ついたデーモンとうろ底のデーモンは、まるで耐え難い憎しみを燃やしているかのように、苛烈にオレ達を攻撃してきてこそいる。組み込まれた能力も、後継者が手を加えていないにしても、なかなかに強力だ。だが、それを活かしきるだけの戦闘能力が不足している。

 どれだけ名剣を有しても使い手が未熟であるならば、粗剣を持った達人の方が遥かに強い。それと同じだ。まぁ、さすがに銃を持っていたら素人でも剣の達人に勝てる見込みは大きく増えるだろうがな。

 HPを減らすペースはガル・ヴィンランドの方が上か。ほぼノーダメージで立ち回り、傷ついたデーモンを追い込んでいる。対してオレのメイン攻撃はアサルトライフルだから、どうしても火力では及ばない。

 やはり近接射撃ではダブルトリガーが重要だな。だが、そうなると反動が倍化どころか乗算されるようなものだ。このコンディションでは避けたい。

 そうなれば、やはり火力を手っ取り早く高めるならば近接攻撃だな。アサルトライフルでボロボロになった頭部を垂れ下げ、傷ついたデーモンが咆えて威嚇した瞬間を狙ってステップで間合いを詰める。

 抜刀。アサルトライフルを左手に持ち替え、右手で居合抜きした蒼天の一撃がうろ底のデーモンの頭部を両断する勢いで裂く。盛大なブラッドエフェクトが迸るも、アルヴヘイムで本物同然の出血だっただけに物足りなさを覚える。

 足りない。もっと見せてくれ。もっと血を。もっと血を。もっと血を! 腕の連撃を掻い潜りながら左手のアサルトライフルを撃ち、右手の蒼天で刻む。泣き叫ぶように、痛みを怒りに変えるように、溶岩地帯を作りながらうろ底のデーモンは暴れ回るが、その1つ1つは導きの糸で絡め捕られている。何1つとしてオレには届かない。

 

『ダメージ分析完了。斬撃属性が……弱点。カタナの攻撃……極めて有効』

 

「そのようですね」

 

 ナドラの分析を待つまでもなく、カタナで受けた傷はより深くうろ底のデーモンを傷つけ、またHPを減らしている。純斬撃属性のカタナは、まさにこのデーモンにとって天敵のような武器のようだな。

 大きく跳んで距離を取ったうろ底のデーモンが内に宿す混沌の火を陰らせ、毒攻撃による遠距離モードに移行する。狙いはオレではない。ガル・ヴィンランドだ。彼を2体のデーモンで協力して倒し、オレに対して複数戦を持ち込むのが目的だろう。

 舐めた真似をしてくれる。アサルトライフルを宙に投げ、左手で投げナイフを挟み取り、ガル・ヴィンランドが相手取る傷ついたデーモンへと投擲する。

 クラウドアース生産、魔法属性を含んだ投げナイフのイワカゲは貫通力に優れるだけではなく、飛距離にも秀でている。頭部……特に目に集中的に突き刺さった投げナイフによって、傷ついたデーモンは大きく狼狽えて隙を晒し、その隙を逃さずにガル・ヴィンランドは盾を背負って両手持ちした巨槌のスタンプを連続で傷ついたデーモンに打つ。≪戦槌≫の連撃系ソードスキル【アクセル・ビーツ】か。初撃はソードスキルとは思えぬほどに鈍いが、スタンプする度に加速ボーナスが高まる5連撃は大型ネームド相手でも十分に通じる威力を持つ。

 頭部を破砕される勢いの連撃によって、傷ついたデーモンのHPバーの1本目は早々に消失し、傷ついたデーモン、第2段階に移行する。血のように全身に混沌の火が行き届き、一回り巨大化する。翼も大きくなり、体長は12メートルも超えるだろう。

 それに合わせて、まだHPバー1本目だったうろ底のデーモンもまた同様に巨大化する。なるほどな。どちらかが第2段階に移行すれば、もう片方も残量HPを問わずに2段階目に突入するわけか。味な真似をしてくれる。

 巨大化したうろ底のデーモンは飛翔し、その両手の爪で地面を抉りながら滑空する。爪が通った場所から溶岩地帯が広がり、熱気が呼吸から肺に入り込んで咳き込みそうになる。まずいな。ダメージは無いが、痛覚遮断が機能していないオレの場合、単なる息苦しさだけではなく、まるで肺を焦がすような大気の熱もまた攻め手となる。

 傷ついたデーモンはその両手に巨大な火球を生じさせ、まるで太陽のように宙に浮かせる。巨大火球からは誘導性の高い混沌の火球が次々と射出され、ガル・ヴィンランドとオレを狙い続ける。

 動き回ればその分だけ混沌の火球によってフィールドの溶岩地帯は増えていく。時間経過で鎮火するとはいえ、2体とも巨大化して攻撃がより苛烈化・広範囲化したせいで、足場を失っていくペースが速まる。

 多少強引に攻めることも必要か。持ち込んでいる白亜草は5つ。貴重なHP4割回復アイテムであるが仕方あるまい。

 

「ガル・ヴィンランド!」

 

「任せろ」

 

 刹那の交差。ガル・ヴィンランドとのすれ違い様に、2つの白亜草を投げ渡す。受け取ったガル・ヴィンランドは盾の裏に強引に捻じ込み、再び片手持ちした巨槌と盾を構えながら傷ついたデーモンへと突進する。

 巨大化したことでリーチが伸びた腕の連撃。だが、ガル・ヴィンランドは中盾とは思えぬほどに揺るがぬガードで正面から受け止め、踏ん張り、強引に懐に飛び込む。待っていたとばかりに傷ついたデーモンが両拳を振り下ろして混沌の火の大爆発を起こす。

 だが、それでもガル・ヴィンランドのガードは崩れない。盾の性能だけではない。桁違いのSTRとガード技術でガードブレイクされないように衝撃を受け止め切ったのだ。だが、あの爆発を盾のガードだけで完全に防げるものではない。彼のHPは4割以上も消し飛んでいる。

 だが、即座に回復する。兜の口元のカバーをいつの間に開けたのか、白亜草を咀嚼していたガル・ヴィンランドのHPは回復し始める。白亜草は10秒かけて4割回復だ。だが、戦いにおいて、特に近接戦において10秒は長い。また、回復アイテムの多くには相応のデメリットもある。

 本来ならば攻撃を躊躇するタイミングであるが、ガル・ヴィンランドは、右に、左に、右にと巨槌を振り回し、傷ついたデーモンの右足首を打って体勢を崩す。垂れた頭部を逃すことなく、恐るべき跳躍と共に顎を打ち抜いて怯ませる。

 

「強いですね」

 

『ガル兄様……戦闘用AI……ブラックグリント兄様には及ばないけど……強い』

 

 どうやらそのようだ。強化された傷ついたデーモン相手にも優勢は崩れない。やはりガル・ヴィンランドの方が先に片付きそうだな。

 強化されたうろ底のデーモンはあくまでガル・ヴィンランドを狙うつもりなのだろうが、オレが間合いを詰めるせいで思うように攻撃できないようだ。正直に言えば、常に混沌の火で強化された現モードよりも毒攻撃を有した前モードの方がオレにとっては厄介だった。毒のスリップダメージはやはり低VIT型にとっては慎重にならざるを得ない。

 ……まぁ、大して脅威にも感じていなかったけどな。ばら撒くだけのゲロ弾と直線的過ぎる毒ブレスだから見切るも容易い。

 アサルトライフル、残弾半分を切ったか。オートリロード中はなるべくカタナでダメージを稼ぐ。地団駄を踏み、その度に混沌の火の小爆発を起こすうろ底のデーモンは、翼で突風を起こして大きく後ろに跳ぶ。風圧をその場にカタナを突き刺して耐えれば、首筋に濃厚な殺意の予感を覚える。

 両手で地面を捉え、まるで四足歩行の獣のような体勢を取ったうろ底のデーモンより炎のオーラが溢れ、その口内より煌々と輝くレーザーが放たれる。高威力の炎属性だろう、混沌の火のレーザーは、湿った泥の地面を乾かし、また爆ぜさせ、溶岩地帯を作り出していく。

 振り回されるレーザーの範囲は、広大なバトルフィールドの半分以上にも及ぶ。幸いにもガル・ヴィンランドは範囲外のようだが、あちらはあちらで、傷ついたデーモンは同様に距離を取り、口から炎ブレスを吐いて巨大な火球を生成している。

 レーザーと巨大火球。どちらも止めねば待つのは死だ。人間1人を余裕で呑み込む図太い炎属性のレーザーの動きを狩人の予測で捉える。短距離加速のステップよりも純粋な脚力による高速移動の方が望ましいか。

 

「…………っ!」

 

 DEX出力を7割に到達させれば、頭痛で意識が明滅し、バランスを崩して倒れそうになる。

 ……当然か。アルヴヘイムの……ランスロット戦の消耗も回復していないのだ。

 振り回される炎属性レーザーを潜り抜け、溶岩地帯をステップで冷却した場所だけを正確に着地して越え、うろ底のデーモンの懐に入り込む。そして、胸に刃を突き立てて斬り裂けば、溶岩のように熱いブラッドエフェクトが零れる。

 ガル・ヴィンランドも巨大火球の阻止に成功したようだ。2つの宙に浮かぶ大火球から放たれる混沌の火球の誘導弾を見事突破し、懐に入り込んだところで両手持ちした巨槌を振り回し、遠心力を高めた一撃で強引に揺さぶって中断させたのだ。

 途中生成の巨大火球が破裂し、まるで隕石のようにフィールドへとランダムに数メートルの混沌メテオが落ちて来る。完全生成ならば、もしかしたら数十メートルの巨大な混沌火球が誘導性を持って落下してきていたのかもしれないな。

 STR出力をギリギリまで抑え、DEX出力制御に全てを回す。もうレーザーを撃たせない。飛行し、上空から混沌火球を放つうろ底のデーモンの着地点に先回りし、足首を薙ぐ。深く裂かれて転倒したうろ底のデーモンの背に乗り、翼の付け根を狙う。

 借りるぞ、アルトリウス! 本来ならば重厚な大剣ですべき縦回転斬り。それをカタナで成し、うろ底のデーモンの右翼の付け根を大きく斬り裂く。

 全身から火を起こして爆発で周囲を薙ぎ払ううろ底のデーモンから距離を取り、爆発範囲のギリギリからアサルトライフルを放つ。弾丸は右翼付け根の傷口に集中するが、千切る程に傷口を広げることはできなかった。やはりアサルトライフルの真の火力を出すにはより接近しなければ駄目か。

 失敗したな。連射性に特化した近接射撃戦ならばマシンガンにすべきだった。だが、今更になって後悔すべきではない。この装備でも十分にうろ底のデーモンを追い詰められる。

 やはりオレの場合、両手に2種類の銃火器を持ったダブルトリガーよりも片手に近接武器を持った立ち回りの方が性に合っているな。そうなると、やはりザリアは傑作だった。純雷属性の雷弾は着弾後の雷爆発で的確にダメージを稼げるし、収束雷弾ならば火力も引き出せる。近接戦ならば銃剣モードで突き刺して雷弾伝導もあった。そして一撃必殺のレールガン。その代わりのようにピーキー過ぎて安定性ゼロだけどな! しかも普通の雷弾1発1発でもショットガン級の反動だから制御が難しいのなんの。しかもレールガン扱いで射撃サークルも表示されないし、命中補正も無いしな。

 ……いや、どちらも要らんな。アサルトライフルの場合、射撃サークルが表示されているのだが、これがリアル頭痛の種だ。無駄に情報量を増やすな。オレの頭はそこまで処理ができる余裕はない。

 

『残弾……20パーセント』

 

「了解」

 

 うろ底のデーモンが手で地面を叩きつければ、巨大な火柱が誘導性を持って生じる。呪術の火蛇と同じなのだろうが、誘導性は低く、代わりに通過点が溶岩地帯になる。

 カタナを鞘に収め、右手で投げナイフを4本投擲する。飛行して両手に混沌の火を滾らせて叩きつけ攻撃をしようとしていたうろ底のデーモンの左目を刺し貫き、悲鳴と共に落下した所で居合斬りで今度こそ右翼を斬り落とす。

 これで機動力を削いだ。大きな跳躍も風圧を生じさせながらの後退もできない。

 そして、こちらは戦力増加だ。読み通り、オレより先に傷ついたデーモンを始末したガル・ヴィンランドが参戦する。

 

「一気に畳みかけましょう」

 

「承知した」

 

 コンビネーションなんて期待しない。オレはやりたいようにやるだけだ。ガル・ヴィンランドは隙があれば勝手に巨槌を叩き込んでくれるだろう。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

(ブラックグリントが興味を持つのも分かる。あのランスロットを単独で倒したイレギュラー。これが本物か)

 

 左手のアサルトライフルと右手のカタナ。いかにうろ底のデーモンは巨体とはいえ、常に動き回る相手に弾丸は喰らいつき続けている。それも1射の度に射撃精度は増しているかのように、着弾点のズレが修正されていく。

 高速で動き回り、うろ底のデーモンと近接戦を演じながら、ステップで軽やかに躱して間合いを調整してはアサルトライフルで手首や足首、喉を打って攻撃のテンポをズレさせる。

 また、アサルトライフルのような連射系武器は、1射ごとはショットガンにもライフルにも及ばない反動であるが、連続で生じることによって弾道はブレていき、また姿勢制御も困難となる。普通ならば銃器は両手持ちして使用するものであるし、立ち止まって踏ん張りながら使うものだ。動きながら撃つにしても、自然と射撃精度上昇と反動に耐える為にスピードを落とすしかない。

 だが、【渡り鳥】は止まらない。常にトップスピードを維持しているかのように、それどころか短距離加速に優れたステップで巧みな回避と懐への跳び込みを駆使している。うろ底のデーモンからすれば、どんなに攻撃しても当たらない幻が、血肉を削り取る弾丸と刃を途絶えることなく襲い掛からせているようなものだ。

 混沌の火を纏った拳で【渡り鳥】を殴りつけようとする間に、ガル・ヴィンランドは背後から右踵を剛打する。体勢を崩したうろ底のデーモンの顔面に【渡り鳥】はカタナを突き刺し、そのまま押し込んで捩じり、乱暴に斬り払う。

 カタナの扱いが粗い。だが、その刃筋は決して狂わない。常にカタナの最大威力を引き出している。カタナは刃を立てた、正確無比な攻撃角度で命中させた時に限り、クリティカルボーナスと耐久度減少緩和が付く。逆にいえば、この2つを十分に活用できなければ、カタナは高火力を引き出せない軽量武器であり、また呆気なく耐久度が摩耗していくだろう。

 顔面をカタナで抉られて後退りながら顔を両手で押さえるうろ底のデーモンの隙を逃さず、ガル・ヴィンランドは愛用の巨槌プラムドで顔を守る手ごと潰すフルスイングを浴びせる。

 疾走した【渡り鳥】が右逆手で握ったカタナで、倒れたうろ底のデーモンの股、腹、喉、そして頭部の順で斬り裂く。遅れてガル・ヴィンランドは真新しい傷口が刻まれた腹部を乱打し、うろ底のデーモンに苦悶の声を重ねさせる。

 混沌の火の大爆発と共に起き上がる頃には【渡り鳥】は爆発圏外に達して余裕を持ってプラズマ手榴弾を投げていた。爆発攻撃によって起爆したプラズマ手榴弾によって、うろ底のデーモンの潰れた顔面が更に雷爆発で焦がされる。

 もうHP残量も無いうろ底のデーモンは、せめて一矢報いるべく、近距離にも関わらず口内から溶岩を垂らしながら、大火力の炎属性レーザーを放とうとするが、殺到する投げナイフが次々と喉に突き刺さり、攻撃の軌道がズレて【渡り鳥】を掠めることもなかった。

 

「もらった」

 

 そして、これが最後っ屁であることは重々承知しているガル・ヴィンランドに懐に潜り込ませる隙を晒したのは言うまでもなく、彼の巨槌はうろ底のデーモンの腹を殴り潰して吹き飛ばす。

 倒れて動かなくなったうろ底のデーモンより混沌の火が絶える。完全に沈黙し、後はポリゴンとなって爆散するだけだろう。

 そう予見するのは、ここにいるのがガル・ヴィンランドと【渡り鳥】でなければ、という話だ。強大な2体ネームドとの同時バトル。これで終わりという甘い目論見を立てるはずもない。ガル・ヴィンランドは管理者であり、【渡り鳥】はDBOで幾多のネームドとボスを倒したからこそ、この2人には読めていた。

 

「お家芸はイレギュラーダンジョンでも健在というわけですか」

 

 茶化すように【渡り鳥】が苦笑すれば、混沌の火を王冠の如く頭部に猛らせ、更に一回り巨体化したうろ底のデーモンがHPバー1本と共に復活する。

 

 

 

<デーモンの王子>

 

 

 

 後から倒されたデーモンの方が、デーモンの王子とリネームされて再起動するのだろう。興味深い演出だと管理者らしく感心したガル・ヴィンランドであるが、デーモンの王子は再生しただけではなく、2対となった翼で先程までとは比べ物にならない速度で動き回る。軽やかに宙を舞い、混沌の火球を数発ばら撒き、腕の薙ぎ払いには周囲に火柱がランダムで生じることによって懐に潜り込まれることを防ぐ。

 大きく飛翔し、以前と同じように爪で地面を抉りながら滑空すれば溶岩地帯も生じるが、その範囲も拡大している。鎮火するまでの時間も伸び、より苛烈になった、そして増大化した機動力を獲得したことによって、広かったはずのバトルフィールドは秒単位で狭まっていく。

 それだけではない。ステップで【渡り鳥】が間合いを詰めようとすれば、デーモンの王子は右手に炎を宿し、それを鞭状に変じさせて迎え撃つ。回転しながら炎の鞭を使う姿は、デーモンでありながら、舞踊する人間のようでもあった。

 

「味な真似をする」

 

 炎の鞭を愛用の【暗銀の盾】でガードすれば、貫通ダメージでHPが僅かに削られる。ガードは禁物だろう。困ったことになったとガル・ヴィンランドは盾を背負い、火力に集中すべくプラムドを両手持ちにして突撃する。だが、炎の鞭も混沌の火であり、命中した場所に短時間の溶岩溜まりを作る。

 どうしても速度が足りない。2人に間合いを詰められるのを危険と悟ったデーモンの王子は、常に距離を取って戦っている。近接戦もまずは滑空爪攻撃によって溶岩地帯をつくってこちらの行動を制限した上で仕掛ける。また、周囲でランダムで生じる火柱が隙を潰し、距離を詰められる前に離脱する。

 

「鞭の範囲は『全域』か!」

 

 そして、何よりも不味いのは火の鞭は、炎属性レーザーを超えるバトルフィールド全域に及ぶ点だ。なおかつ速度もあり、鞭であるが故に軌道も読みづらい。無論、一方的に攻撃されるガル・ヴィンランドではないが、重装が仇となって間合いを詰めるには速度が足りなかった。

 右手の火の鞭を使いながら、左手で混沌の大火球を生み出して宙に投じれば炸裂して広範囲に降り注ぐ。ダメージは低いが、広範囲攻撃の連発は厄介だった。

 下手に逃げれば正確に火の鞭で狙われる。ガル・ヴィンランドはどうにかしてどうにかしてデーモンの王子を追い詰めるべく策を練る。

 翼を使った大跳躍で逃げ回り、着地すれば狙い済ました炎のレーザーを口内から放ち、近接戦を仕掛けてこないと油断すれば火の鞭を乱打しながら突進し、左手で混沌の大火球を作って飛翔と後退をしながら接近しようとしたガル・ヴィンランドたちへと投げつける。爆風で体勢を崩せば、炎のレーザーか火の鞭が襲う。無理に最短距離で詰めようにも溶岩が邪魔になる。

 デーモンの王子が左手の拳を握り、その場で地面を叩きつける。1テンポ遅れてガル・ヴィンランドを中心にして半径5メートルにも及ぶ範囲の地面が赤熱し、強大な火柱が立ち上がる。発動時点の対象の位置に強制発生させる火柱は、発動モーションを見逃せばダメージだけではなく大きく打ち上げられて隙を晒すことになるだろう。さすがに溶岩地帯は作り出さないようだが、連発されると他の攻撃との組み合わせが凶悪になる。

 デーモンの王子が左手を振るえば、ガル・ヴィンランドの傍で炎が収束して爆発を起こす。対象の傍で爆発を起こす呪術の【炎の槌】……それがデーモンの王子の場合は広範囲爆発バージョンに強化されている。発生と同時に逃げるのでは駄目だ。モーションが起きた時には全力で攻撃範囲から脱せねばならない。そして、その最中も右手に持つ火の鞭が狙い続ける。

 デーモンの王子が飛翔し、その左拳に大火を纏わせる。そして、急降下と共に狙うのは【渡り鳥】だ。対する彼は何を考えてか、カタナを鞘に収めて立ち止まり、デーモンの王子を見上げている。

 そして、【渡り鳥】が爆発に飲み込まれる。拳の直撃はギリギリで体を逸らして躱したようだったが、左拳が生み出す大爆発の範囲内からは逃げられなかった。

 自殺も同然の棒立ちと中途半端な回避。それが示すのは敗北を受容した諦めにも映る。だが、ガル・ヴィンランドには見抜けていた。

 

「捕まえました」

 

 振り下ろされたデーモンの王子の左拳。そこからまるで螺旋を描くように左腕が、まるで刃の嵐に呑まれたように刻まれる。それは高速でデーモンの王子の左腕を駆け上がり、カタナを乱舞した【渡り鳥】の攻撃だ。

 低VITかつ重装防具ではない【渡り鳥】が、あれ程の大爆発の直撃を受けて耐えられるはずがない。だが、ガル・ヴィンランドは見逃さなかった。爆発の寸前に【渡り鳥】は腕をクロスさせて頭部を守りながら、防具全体を黒い血液のようなもので侵蝕していた。

 それは【渡り鳥】が有する体内装備型の暗器による侵蝕強化作用。回避をメインとした【渡り鳥】が耐え抜いて反撃するなど想定外だったデーモンの王子は手痛い反撃を受ける。

 だが、今の【渡り鳥】のHP残量は1割を切っている。危うい賭けにも見えるが、実際には違う。

 ナドラはデーモンの王子を解析し、攻撃力から【渡り鳥】の体内暗器による強化を用いれば即死しないと計算して立案していた。必然の生存と反撃だった。

 ただし、それはデーモンの王子の攻撃に臆することなく真っ向からガードを崩さなければ、という前提で成り立つ。ましてや、【渡り鳥】は痛覚遮断が機能していない。全身を炎で焼かれる激痛に耐え抜き、なおかつ不動のガードと耐えるだけのSTR出力の維持しなければならなかった。

 死への恐怖心の欠如。否。断じて否。元より己の死を受容しているからこそ、迷うことは無いだけだ。

 デーモンの王子は人間の形をしたバケモノの接近を許した。それで勝負は決したようなものだった。大爆発で【渡り鳥】を振り払うも、軽やかに爆発範囲外に脱せられ、大跳躍で逃げても離しきれずに詰め寄られる。火の鞭はステップで潜り抜けられ、周囲に火柱を立ち上げても、罪の火の誘導火球も先んじて軌道を読まれているかのように捉えられず、そのスピードであるが故に炎の槌は意味を成さない。

 アサルトライフルの弾丸が顔面に集中していく。逃げても逃げても弾丸は命中し続け、傷は増えていく。炎のレーザーを解き放とうとすれば、既に懐に入り込んでいた【渡り鳥】の一閃が喉を裂く。

 カタナによる傷痕がデーモンの王子を染め上げていく。溶岩のようなブラッドエフェクトが挙動の度に飛び散る。

 そうして【渡り鳥】に翻弄されている内に、ガル・ヴィンランドは接近を果たし、左足首をフルスイングして転倒させる。地面に叩きつけられた頭部に【渡り鳥】の居合斬りが放たれる。雷光ヤスリを使っただろう、一際大きな雷撃を纏った居合斬りによってデーモンの王子はノックバックする。尾から背中を駆け、後頭部にたどり着いたガル・ヴィンランドの必殺の一振りが再びデーモンの王子の顔を地面に擦りつけ、そこで待っていた【渡り鳥】はアサルトライフルを捨てた左手に暗器の侵蝕を施し、大きく振りかぶっていた。

 

「獣爪撃」

 

 これが現実世界ならば、脳髄を引き摺り出されたようなものだろう。居合斬りで傷つけられた顔面に【渡り鳥】の突き手が潜り込み、中身を引き摺り出す。赤黒い光の塊を捨て、OSSの効果で吹き飛ばされて背中から倒れたデーモンの王子は起き上がろうとするが、そのHPはもう尽きており、ダメージを与えぬ炎となって爆散する。

 

「お疲れ様でした」

 

 残存HP1割未満でありながら、【渡り鳥】は死への怯えなど全く見せない様子でガル・ヴィンランドに微笑みながら労いの言葉を口にした。

 そして、その微笑みを崩さぬままに、ゆっくりと体を傾かせて倒れ伏した。

 

 

▽    ▽    ▽ 

 

 

「気が付いたか?」

 

「……ええ」

 

 デーモンの王子の撃破。それと同時に意識がシャットダウンしてしまったようだ。すっかり湿り気が失われた大樹の洞の底において、更に地下へと続く入口だろう横穴まで運ばれていたらしいオレに、ガル・ヴィンランドは声をかける。

 

「どれくらい……気絶……していた、でしょうか」

 

「1分ほどだ」

 

 嘘は言っていないだろう。良かった。これで実は半日経っていましたとか笑えないからな。

 

『気絶……じゃない。心肺停止……死んで、た』

 

 ナドラの補足の通りだろう。咳き込み、深淵に汚れた血を右手で受け止める。

 デーモンの王子を仕留めるのに無茶をし過ぎたな。致命的な精神負荷の受容はしていなかったとはいえ、ステータス出力を7割維持した状態で全力戦闘はまずかったようだ。特に終盤はステータスの高出力化が維持でできなくなってきたので、ナドラの策に乗って無理矢理間合いを詰めた。パラサイト・イヴの防性侵蝕の効果の高さはアルヴヘイムで実証済みだったとはいえ、ダメージ覚悟でガードしてデーモンの王子の方を誘き寄せるのは、結果的に成功だったとしても、避けねばならなかった戦い方だった。

 

「ここまでだな。休んでいろ。2人の救出は別の手段を考える」

 

「それは並列で……お願い……します。プランBは……必須ですから、ね。オレはこのまま、プランAを……続行します。次は……腐れ谷……でしたね。先を急ぎ……ゲホがはぁ……はっ……はっ……先を……急ぎましょう」

 

 退却を提示するガル・ヴィンランドに否を唱え、オレは両足に力を込めて立ち上がるも、まるで骨が通っていないかのように前のめりに倒れる。

 胸が苦しい。脳が焼き焦げているようだ。全身に余すことなく針が埋め込まれているかのように激痛が止まらない。深淵の病が内蔵全てを丹念に溶解させているかのような苦痛が途絶えることなく湧き続ける。

 分かっているさ。限界を超えた代償がどれだけ大きいのか……分かっている。だが、オレの命は勘定に入れる必要はない。依頼内容はアルシュナとユイの救出だ。

 記憶も、人間性も、生命も薪にして投じれば、まだ戦えるはずだ。

 白亜草を食べてHPを回復させる。5割まで回復すれば後はオートヒーリングで補う。左の義眼が破損しているのが手痛いな。指輪のオートヒーリングだけでは回復量に不満がある。

 デーモンの王子の戦利品は幾つか目ぼしいアイテムもあるが、アイテムストレージの残量を考えて厳選して要らないものは破棄する。アルヴヘイムとは違い、リザルトと同時に流れ込むのはやはり便利だな。

 

<デーモンの王子のソウル:全てのデーモンは1つの混沌の火から生まれたならば、全てのデーモンは1つの火を共有している。ならばこそ、いつかの時代、英雄によって倒されたデーモンの王子の誇りもまた、うろ底で傷つき、病に塗れたデーモン達の怒りと憎しみに灯ったのだろう>

 

 人間を呪い、怒り、憎しみの挙句に再び宿したのは、英雄に屈したデーモンの王子の誇りだったとはな。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 たとえ、イレギュラーダンジョンだとしても、2体のデーモンも、デーモンの王子もDBOに本来登場しないモンスターだったとしても、あの瞬間……確かに彼は『命』を持ち、また全力で生きていたのだ。ならば、彼らの『命』を糧にすることに何の迷いがあるだろうか。

 

「時間が……ありません。早く……2人の所へ……」

 

「お前にはそこまでする義理など無いだろうに」

 

「義理も人情も、1度引き受けた依頼を蔑ろにする……理由には……なりません。傭兵は……依頼を……成し遂げるのが、仕事です」

 

 良し。心臓も……少しだけ、落ち着いてきたな。脈拍のリズムが戻って来た……気がする。

 横穴を進めば、鼻孔を擽るのは、腐敗した卵をメインにして、生ゴミを真夏の日差しの下で放置し続けた後に、それらを無駄にハーブを効かせて鍋で煮込んだかのような悪臭だ。あるいは、オレの嗅覚が既に後遺症で狂ってしまったせいで、そんなニオイがしているのか。

 

「これはなかなかに堪える」

 

 ガル・ヴィンランドの反応を見るに、どうやらオレの鼻は正常だったようだ。

 大樹の洞底にあった横穴を歩き続けて十数分、耳を微かに彩るのは滝の音だ。だが、それは清水が流れるようなものではなく、どろりと粘質な下水が放出されているかのような汚れた音色だ。

 

「ここが腐れ谷」

 

『……ひ、酷い』

 

 思わずナドラも声に出してしまう程に、たどり着いた腐れ谷は、およそ人間の目には優しくない光景だ。

 灰色の空の鈍い光は微かに差し込んでいるが、それ以上に光源を成しているのは各所で焚かれている炎だ。それが露にするのは、何処までも深く、地下奥底まで闇に包まれた渓谷である。谷の側面を流れるのは、現実世界ならば公害どころの問題ではない程に、悪臭と猛毒を絶妙にブレンドした汚水だ。

 汚水で湿った水草は独特の光沢を持ち、また生物に嫌悪感をもたらすような極彩色と瘤状の突起物を備えている。足下で際限なく蠢くのは、親指程の大きさもある蛆であり、それらは芋虫のように這っていた。

 あらゆる所に、腐敗が進み過ぎたのか、あるいは排泄物なのかも判断できない濁った黒色の塊が散らばり、ゲジゲジのような虫を集らせている。また、30センチほどの大きさもあるだろう巨大な蚊も飛行しており、それらは下腹部に血を溜め込む為の巨大な肉袋を備えていた。

 駆け回る鼠は伝染病の媒介であることを主張するように、その灰色の毛は所々が剥げ、肉腫が膨れ上がっていた。目は黄ばみ、鼻を引きつかせては集団で駆け回っている。

 毒はともかく疫病は回復アイテムが無いな。避けねばならないだろう。オレは早速周囲の毒草を手当たり次第に集める。

 

「どうするつもりだ?」

 

「抗体を作ります」

 

 パラサイト・イヴの能力である抗体獲得は、セットしたデバフ薬と同種に限り、セットしたデバフレベル以下を無効化する。この腐れ谷はどう見ても毒が旺盛だ。早々に抗体を作っておくべきだろう。

 こういう時に≪薬品調合≫は活きる。レベル2の毒薬しか作れなかったが、無いよりはマシだ。

 

「これは酷い。こんな装備の開発を我々は想定していない」

 

「専属に褒め言葉として伝えておきます」

 

 まぁ、グリムロック曰く、パラサイト・イヴの開発コンセプトは『オレが死ぬまで壊れない』と『装備のスキル化』だからな。ユニークスキルを目指して開発されたのがパラサイト・イヴである。正直言って、普通に使う分には他の暗器の方が10倍使いやすいし威力も出るんだよな。だが、何でも暗器化できるパラサイト・イヴはかなり気に入っている。これ1つがあれば、最悪全ての武器を失っても何とかなる。しかもオレが死ぬまで、まず壊れることは無い。まさにグリムロックの傑作だ。

 

「しかし、下に進むしかないとはいえ、これは骨が折れるぞ」

 

 ガル・ヴィンランドの言う通りだ。病み村を彷彿させる立体構造であるが、あちらは最低限を下回っていながらも、村といった風貌が僅かなりとも残っていたのに対して、こちらは腐った木々で成された住宅が無秩序につなぎ合わされ、また今にも縄が千切れそうな吊り橋が幾つもかけられているが、もはや知性ある存在が住まう限界を遥かに突破している。

 毒と疫病に汚染された腐れ谷か。こんなものをダンジョン化、もしくはステージ化して実装すれば、さすがにプレイヤーも寄り付かないだろうしな。病み村も攻略された現在ではプレイヤーが立ち寄ることはない。レベリングやアイテム収集に向かう中位プレイヤーもいないと聞く。

 こうしたダンジョンのモンスターは炎属性に弱いのが定番だ。ならば、弾数が心許ないアサルトライフルよりも炎属性ダメージが強みのバトルライフルが良いだろう。

 

『マップデータの解析……失敗。少し時間が欲しい』

 

「対策されているようだな。妨害しているのはアルシュナか? それともユイか?」

 

『……不明。でも、1時間……ううん、2時間あれば……引き抜ける』

 

 ガル・ヴィンランドの懸念は十中八九当たりだろう。2人のどちらか、あるいは両方が妨害しているのは間違いないだろう。そして、2時間もこの場で悠長に待っている暇はない。特にガル・ヴィンランドの霊体は徐々に薄くなっている。召喚時間には明確なタイムリミットがあるはずだ。

 

「ともかく最奥を目指しましょう。毒耐性は大丈夫ですか?」

 

「このプラムドはレベル3までの毒・麻痺・睡眠とレベル2までの疫病を無効化させる。要らない心配だ。ちなみにこの暗銀の盾は魔法属性ならば近接・射撃問わずに完全遮断するし、甲冑も魔法属性防御力はほぼ無効化できる程に高い」

 

 そっくりそのまま言い返そう。これは酷い。そんな伝説級装備を涼しい顔して装備しないでください。まぁ、その分だけいかにも雷属性や闇属性に弱そうだがな。1つの防御力に特化されているとは、他の部分で明確な穴が出来やすいものなのだ。

 梯子もかかっているが、軽く蹴ればあっさりと折れて崩れる。ルートは慎重に選ばなければ落下死するだろう。

 

「ガル・ヴィンランド。貴方は特に重装です。足下には注意を――」

 

 くるりと振り返れば、特徴的なイカのような兜を被った暗銀の騎士の姿は無い。思わず目を白黒させれば、オレのすぐ後ろの腐った木の床には大穴が開いていた。

 

「…………」

 

『…………』

 

(…………)

 

「…………」

 

『…………』

 

(…………)

 

 おい、誰か喋れ。ヤツメ様さえも冷たい眼で、明らかに人間1人分の体積が突き抜けただろう穴を見つめて固まってるぞ。

 かなり深いな。覗き込んでもガル・ヴィンライドの姿が見えない。いや、有効視覚距離が制限されているのか? こういう時は≪暗視≫が欲しいな。自宅や黄金林檎工房ならばスペアの義眼に≪暗視≫効果付きもあったんだがな。

 

「……ナドラ」

 

『ごめんなさい』

 

「いえ、アナタが謝ることではありません。彼はまだ生存を?」

 

『生きてる……みたい。でも、合流は後に……した方が良い』

 

 穴に落ちておいかけようかと思ったが、ナドラがストップをかける。どうやら、ガル・ヴィンランドが落ちた先は良からぬ場所のようだ。思えば、何やらチューチューと鼠さんの鳴き声がしているような気がする。鼠パラダイスが待ち構えているようだ。疫病のデバフはさすがに対策していないので避けたい。無効化できるガル・ヴィンランドに任せるとしよう。

 

『ガル兄様とも通信は……繋がってる。アナタは別ルートで……下を目指して』

 

 それが得策のようだ。音もなく落下したガル・ヴィンランドの名誉の鼠パラダイス逝き……いや、行きに黙祷を捧げて再出発する。

 病み村の住人の外見も大概だったが、腐れ谷も同様だな。まるでペストマスクをそのまま肉付けしたような頭部をしている。赤銅色の肌はまるで爛れているかのようであり、また肌の所々は裂けて腐った肉や膿んだ瘤が見えている。その身には常に蠅が集り、まるで骨の髄まで毒されて苦痛を訴えているかのようだった。

 

「あ……アガぁ……」

 

「ひぃ……ひぃ……ひぃいい」

 

 だが、何かがおかしい。腐れ谷の住人は、モンスターではあるが、攻撃して来ない。いや、それ自体は珍しくない。敵対行動を取らない限りアクティブにならないモンスターは一定数存在する。最速かつ安全な攻略方法が『モンスターに攻撃しない』というダンジョンもあったくらいだ。

 腐れ谷の住人のおかしさとは、先程の吹き溜まり地表で出会った闇濡れ亡者に覚えた違和感をより鮮明化したものだ。

 恐怖とそれに由来する嫌悪と憎悪だ。彼らは明らかな敵意を抱きながら、オレを遠巻きに見て怯えているばかりだった。

 腐敗人の1体が石を投げる。弾くまでもなく避ければ、今度は腐った木片が飛来する。

 ダメージも期待できない投擲攻撃だ。明らかに力が入っていない。だが、それは1つ、1つ、また1つと増えていく。

 

「……シね」

 

「呪われたモノ」

 

「災いノ権化」

 

「存在ジタイが害悪」

 

「死神」

 

「破滅の兆シ」

 

「大厄ヲ運ブ凶鳥」

 

 そして、同じように、嫌になるくらいに耳に馴染んだ罵倒が聞こえてくる。

 それはSAOでもDBOでも欠かす事が無かった、オレに対する呪詛だ。

 腐敗人たちは恐怖に駆り立てられた忌避のままに、手当たり次第に物を投げつけて来る。

 どうして? 彼らはどうしてオレに怯えている? オレを恐れている? 彼らは奇怪な存在だ。個々に1つの『命』が宿っているのではなく、混濁した感情を湛えた1つの『命』を共有しているかのようだ。そう……まるで、先程の2体のデーモンのように。

 投擲攻撃で終わらず、先端を尖らせて火を点けただけの長い木の棒を槍に仕立てた腐敗人が攻撃してくる。バトルライフルで迎撃すれば、着弾と同時に炎属性の小爆発が起こり、腐敗人は苦しんで倒れる。

 バトルライフルの弾丸は物理攻撃力が低い代わりに着弾時に炎属性の小爆発を起こす。要は火炎属性版プラズマガンのようなものだ。貫通力には期待できないが、安定して炎属性ダメージを与えられるので、物理属性防御力が高い相手にも有効だ。ただし、反動に見合わぬほどに弾速が遅いので注意が要る。

 脆弱だ。炎属性は弱点だったのだろうが、倒されるためだけの存在のように弱い。だが、それこそが腐敗人たちの正体のように、彼は仲間1人の死によって悲鳴を上げて散り散りになる。

 

「……バケ、モノ……オマエは……生きてルことが……罪ダ」

 

 まだ息のある、バトルライフルの1発で胸の肉が吹き飛んで赤黒い光の塊の内部を……いや、まるでアルヴヘイムのように生々しい臓器を露にしている腐敗人は、血を撒き散らしながら、HPが残る限りに怨嗟を吐き散らす。

 

「ああ、分かっているさ。それくらい……ずっと前からな」

 

 蒼天を抜くまでもない。腐敗人の喉を踏み、そのまま首を折る。絶命したとは言い難い。そこには『命』は宿っているが、個々の『命』は無い。言うなれば、感情を宿らせた端末が壊れたようなものだ。

 

「トラッシュデータ……でしたね。彼らは……死者の感情、ですか?」

 

『……まだ推測の域。でも、トラッシュされた感情データであることは……間違いない』

 

「そうですか」

 

『惑わされないで。あれは……行き場のない負の感情の拠り所として……貴方を罵倒しているだけ』

 

「でしょうね」

 

 いくら死者のトラッシュデータとはいえ、オレが全員の死に関わっているわけではない。ならば、彼らは個々の思考すらも無く、ただ1つの『命』を共有する、混濁した感情を発露させる端末として稼働しているだけだ。

 感情のままに……その感情が生まれた『元凶』を求めているだけなのだろう。何の理由もなく、オレがいつも理不尽に誰かへと死を押し付けたように、感情の矛先を欲しているだけなのだろう。

 

「死ね」

 

「シね」

 

「しね」

 

「お前さえ……イなければ」

 

「誰モ傷つかない」

 

「誰も苦しマなイ」

 

「誰モ死ぬことは……無かっタ」

 

「病のように、死ヲ撒き散ラす」

 

 そうか。聞き慣れているよ。腐敗人たちの呪詛に浸された腐れ谷を、ひたすらに下へ、下へ、下へと進む。道を阻む腐敗人は例外なく殺していく。

 

『耳を貸さないで。私が……迂闊……だった。ミディールの時点で……気づくべき……だった。このダンジョン……貴方へのメタを……張ってる! これは……罠! 私が……誰かが貴方に依頼を持ち込むと読んで……』

 

「『騙して悪いが』は傭兵の華ですよ」

 

 どうでも良い。何処の誰かも区別出来ない程にミックスされた感情が向けられたところで、どんな感想を抱けば良いというのだ?

 そうさ。罵倒も呪詛も聞き飽きた。死神なんて表現は可愛らしいくらいだ。

 

「行き場のない感情の拠り所ですか。だったら、オレは彼らにとって、それ程までに恐ろしい存在に映っているのでしょうか」

 

『……惑わされないで。何か……フィルターがかかってる、だけ。解析して……すぐに、無力化する』

 

「無用です。それよりもマップデータの入手を優先してください」

 

『でも……!』

 

「大丈夫です。慣れていますから」

 

『…………っ』

 

 死ね。死ね。死んでしまえ。そんな呪詛を言葉にして、あるいは口よりも語る目で、いつだって受け止めてきた。

 でも、ちゃんと知っているよ。オレの死を望んでいる人ばかりではないって……ちゃんと分かっている。

 腐敗人の攻撃が激しくなる。素手で、あるいは錆付いた手斧で襲い掛かる。バトルライフルでほぼ一撃とはいえ、こう数が多ければ弾薬が減らされていくな。

 今にも縄が千切れて壊れそうなつり橋を渡り、数メートルの大きさもある血袋を抱えたノミを排除し、際限なく集る巨大蚊を撃ち落とす。歩く度に足下を覆う蛆の絨毯を潰す。

 蠅の卵が密集した扉を蹴破り、湿ってカビが生えた藁で覆われた屋根を慎重に進み、倒壊して梁だけが残った細道を進む。

 そうしていると、今度は今までの病み人とは違う、ペストマスクのような頭部ではなく、全身が黒ずんだ……いや、天然痘でも発病したかのように赤く爛れて瘤状の皮膚となった誰かが、まるで剣に見立てたような木材を振り回して襲ってくる。

 

「死にタク……ない……死にたクな……い」

 

 バトルライフル……いや、このペースはまずい。カタナを抜いて近接戦で対応し、木材を持つ右腕を肘から切断し、そのまま胸に刃を突き立てる。

 

「殺さナイで……」

 

「タスけて」

 

「帰リたい……おうちに……カエリたイ」

 

「なんで? ナにも悪いコトしてないのニ……どうしテ?」

 

 彼らをどれだけ傷つけても、ただ刃の痛みが、炎で焼かれる苦しみが、落命するという再現があるだけだ。

 そこにはあるべき意思も、誇りも、覚悟も無い。剥き出しの感情だけが宿っているのだ。そう、まるで……死者の残り火のように。

 

「痛い……止めテ……止めてぇええええ!」

 

 だったら邪魔をするな。道を阻むな。黙ってジッとしてろ。攻撃してくる病み人を倒す度に、彼らは悲痛な叫びを撒き散らす。

 どれだけ殺したところで飢餓の癒しにはならない。血の悦びは得られない。そこにはあるべき『命』など無いのだから。

 祈りも呪いも無い安らかな眠りを。弔いの意思を忘れることなかれ。だが、彼らは生者の死に際に漏らした感情という残響ならば、どうすれば良いというのか。

 

「……ハァ……はっ……ぐがぁ」

 

『少し……休んで! 今の貴方は、精神力だけで……動いているような状態!」

 

「大丈夫……です!」

 

『私はMHCP! 貴方の強がりは……通じない!』

 

「MHCPだったら……何だっていうんですか?」

 

『貴方は……ちゃんと傷ついてる。口汚く罵られる度に、呪詛を唱えられる度に、死を願われる度に……心は傷ついてる』

 

「…………」

 

『誰かを失った時、ちゃんと悲しみたかった。だけど、貴方の心は……動かない。何も感じない。それが貴方の苦しみ。だからこそ、いつも突き刺さる。自分への誹りも、罵りも、呪いも全て……正しいんだって』

 

「……容赦がないですね」

 

 ああ、その通りさ。ギンジの時も、ザクロの時も、マシロの時も……オレは悲しんでなんかいなかった。オレの『痛み』は……彼らは大切な人だったはずなのに、何も感じられない空虚なのだから。

 ギンジの時は殺した事への歓喜はあったのに、この心は罪悪感もなく、彼を失った悲しみすらもなかった。

 ザクロの時だってそうだ。彼女の死に心は欠落を覚えることもなく、殺せなかった口惜しさの方ばかりがあった。

 そんなどうしようもないバケモノの本性にこそ『痛み』を覚えるのだ。どうして、オレは彼らの死を悲しむことができないのだろうと『痛み』を覚えるのだ。だからこそ、バケモノ呼ばわりされる度に、罵倒される度に、呪われる度に『痛み』を感じるのだ。

 MHCPでも同情の価値すらもない。まさに生きてる価値もないろくでなし。それがオレなんだ。

 

「それでも……構わないんです。オレの『痛み』は……『それは悲しむべき事だ』ってちゃんと分かってることの証拠だから。だから、オレは……この『痛み』を得られて……良かったんです。良いに……決まってるんです」

 

 泣き叫んで命乞いをして、死に際の苦痛を叫び散らす病み人たちを殺す度にこの心は『痛み』を覚える。彼らは同情すべき存在なのだと。彼らを殺すことは……死という事象をもう1度突きつけることは……弔いですらない忌むべきことなのだと。

 ガル・ヴィンランドとの合流はまだか? ナドラはあちらもナビゲートしているはずだ。たとえ、マップデータの全容は分からずとも、オレ達が同時にマッピングしていれば大よその合流地点を割り出せるはずだ。

 

「ナゼ……なゼ、守レなかった?」

 

 ぴちゃりと、毒水に湿って金属が擦れる音が聞こえる。

 まったく、アルシュナか? それともユイか? 味な真似を……してくれる!

 

<闇霊【棘の騎士】カークに侵入されました>

 

 システムメッセージが表示され、毒水に濡れ、甲冑は綻び、砕けた兜が蛆が湧いた腐肉の頭部を晒すのは、かつて病み村でオレに殺されたカークだ。

 だが、彼本人ではない。彼の『命』は尽きた。これはトラッシュデータ……彼の死に際の感情の残響……断末魔が形を成しているだけだ。

 

「守リたかった。コんナ、希望モ光モ無い世界で……せメて……生キる……意味ヲ。戦ウ理由を……!」

 

 殺した。オレが殺した。記憶が灼けて朧になっているとしても、彼の最期は微かに残っている。

 バケモノ呼ばわりされて、オレは……自分をまだバケモノと認められていなくて、否定したくて、暴れる本能のままに……いいや、否定の意思でオマエを殺した。

 闇霊として赤黒いオーラで構成されたカークは、かつて敵対した病み村にも似た腐れ谷で、オレに襲い掛かる。

 情報によれば、病み村の最奥に隠されていた、カークが守ろうとしていた蜘蛛姫は、太陽の狩猟団によって撃破されたらしい。それは責められることではないだろう。プレイヤーの実利を最優先にすれば、NPCとも呼ぶべきDBOの住人に対してモラルを気遣うのは二の次だ。まぁ、『アイツ』は無抵抗のNPCを殺害とかキレそうだがな。

 だから、太陽の狩猟団に非は無い。あるとするならば、オマエを殺した……蜘蛛姫を守る唯一の騎士だったオマエを殺した……オレが彼女の死の原因なのだろう。

 バケモノ呼ばわりされて、否定したくて、だからこそ本能のままに暴れてしまったオレを引き留めてくれたのは、蜘蛛姫の言葉だった。アルシュナ曰く、あの時こそオレにMHCPが干渉して、精神の安定をもたらそうとしていたらしい。確かその時に関わっていたMHCPの名は……アストラエアだったか。

 ……まったく、ガル・ヴィンランドはアストラエアの命でここに来たと言っていたな。そうなると、今回は随分と因縁が絡み合っているものだ。オレらしくもない。いつだって、オレは蚊帳の外で、だからこそ好き勝手に、独りで、理不尽に何もかも踏み躙ってきたというのに。

 他の病み人と違って動きが良い。かつてのカークと同じだ。だが、それはAIの動きだ。彼の戦法をトレースしているだけだ。あるべき思考も意思も誇りも無い。

 だから、こんな風に簡単に防げる。彼が愛用としてた棘の直剣の一突き。それを左手で防ぐ。掌を貫通し、棘の刃が肉を醜く抉って焼けるような痛みを生む。だが、こうしてしまえば、簡単に剣技の派生を妨害できる。だが、彼の『命』があれば、すぐに対応してきたはずだ。でも、これは所詮トレースしただけの……彼の戦法らしくオペレーションを組み込まれた人形に過ぎないのだ。

 かつてと同じように、彼の胸を蹴り飛ばして踏みつける。そして、あの時とは違い、割れた兜より覗く、黄ばんで腫れた目を見る。

 

「マもり……たかッた」

 

「……すまなかった」

 

「どうシて……邪魔ヲするンだ……オマエさえ……オまエさえ……いなければ!」

 

「オマエの意思と誇りを踏み躙って殺したのに、ちゃんと喰らうことができていなかった。オレは……あの時……自分を受け入れることが……本質を認めることが……怖かったんだ」

 

「呪わレろ……忌むベキ怪物……がァ!」

 

「でも、今度は見失わない。オレはオマエの言う通り……『バケモノ』だからな」

 

 これは彼じゃない。彼の『命』は無い。だって、もうカークは……オレが殺していたのだから。

 それでも、今度こそ彼を糧に出来るならば、顎を開いて咀嚼しよう。意思も、信念も、矜持も継げずとも、『力』たる遺志だけは糧としよう。

 カークに微笑み、オレはカタナを抜いて逆手で構えて振り下ろす。あの時と同じように、彼を殺した時と同じように、その頭部に刃を突き立てる。

 痙攣する彼の体を踏みつける。鎧の棘が足裏に突き刺さる。だが、それでもカタナを押し込み続ける。

 

「恨みたければ恨め。呪いたければ呪え。オレの糧になれ」

 

 闇霊となったカークは消滅する。残響を掻き消したところで何の意味も無い。過去は変えられないのだから。彼の死に際において、オレは狩人としての弔いの意思もなく、獣として喰らうこともなく、ただ己の真実を否定したいだけだったのだから。

 それでも殺したこともまた変えられぬ事実であるならば、この血に溶かして糧とすることも出来るはずだ。

 ……『痛い』な。ああ、結局のところ、オレはカークの死に何も感じていないのだ。ただ殺せたという事実への血の悦びを得んとする獣の疼きばかりがあったのだ。

 

『貴方は……優し過ぎる』

 

「……それ、冗談ですか?」

 

 ナドラは知っている。MHCPとして理解してしまった。オレの『痛み』を。ならば、慰めにもならないのだ。

 

『……ううん、本気で言ってる。貴方は……とても残酷で……とても優しい』

 

「もう好きにしてください」

 

 訂正するのも面倒臭い。いつも言っているが、オレを優しいヤツなんて言い出したら、それこそ世界中のありとあらゆる人間、シリアルキラーから虐殺上等独裁者まで聖人扱いになってしまうではないか。そんな世界は狂ってるぞ。

 優しい人というのは『アイツ』とかザクロの事を言うのだ。心の底から誰かを気遣うことができる……そんな尊き『人』のことを言うのだ。

 

「ようやく合流出来たな。どうした? 疲れ切った目が死んだ魚の目になっているぞ」

 

「色々とありまして。そちらも……随分と酷い目に遭ったようですね」

 

 ご立派な暗銀シリーズの甲冑が汚れ塗れだ。どうやら鼠パラダイスだけではなく、腐敗人に随分と集られたようだな。

 だが、ガル・ヴィンランドとも合流出来た。これで腐れ谷の攻略は幾らか前進するだろう。

 アルシュナかユイ、あるいは両方がオレを殺したいと望んでいる、か。だからどうした? メタが張られていようが、精神攻撃してこようが、全部踏み躙って2人を連れ戻す。たとえ、足を引き千切ってでも連れ帰る。それがオレの仕事なのだから。




過去は必ず這い出て応報を求めるならば、その全てを狩り尽くせ。



それでは、306話でまた会いましょう!

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