SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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ゴース、あるいはゴスム。

我らの祈りが聞こえぬか。

けれど、我らは夢を諦めぬ!

何者も、我らを捕え、止められぬのだ!


……不肖ながら帰還致しました。これからまたよろしくお願いいたします。



Episode19-03 2つの谷の物語

「誰も残らなかったね」

 

 酷い顔だ。HPがレッドゾーンになるまで殴る・蹴るといった暴行を受けたレコンを介抱しながら、リーファは心身の疲労を搾り出すように溜め息を吐く。

 これがアルヴヘイムだったならば、顔面は腫れ上がり、全身の骨は砕けたまま回復にしばらくの時間がかかっただろうレコンであるが、DBOならば時間経過によるアバター修復も早く、またダメージ表現もそこまでリアリティを追及されていない。怪我を負っても血が出ることは無い。代わりに傷口から零れるのは、どろりとした赤黒い光のブラッドエフェクトだ。

 どちらが良いのかなど区別はできないが、アルヴヘイムに比べれば『仮想世界』に……『ゲーム』に比重が寄った表現に、リーファは安心と不安を同時に覚える。

 だが、ダメージフィードバックは一切変化していない。レコンは唸り声を漏らしながらソファで横になり、冷たく濡れたタオルで顔を覆ってグロッキー状態だ。

 ユージーンに連れられてクラウドアースの支部に招き入れたかと思えば、黒スーツの男女に尋問を受け、アルヴヘイムに関する情報の全てを提供するという念書にサインさせられた2人は、今日の所は帰宅を認可された。正確に言えば、ユージーンの好意によって解放されたと言うべきだろう。

 そうしてフェアリーダンスのギルドハウスに戻ってみれば、まずは一同に心配され、泣いて無事を喜ばれた。

 チェンジリング事件。その被害者であるリーファは、レコンが説明した通り、自分とサクヤの偽者……コピーが彼らと共同生活していた事実を突きつけられ、そしてアルヴヘイムがクリアされたとほぼ同タイミングで、コピーは彼らの目の前で突如として暴走し、最後はプレイヤーが死亡した場合とは異なる、文字通りの粉々になって消滅したことを教えられた。

 事情を知らない面々からすれば、リーファとサクヤが理由もなく死んだと恐怖に駆られるのも仕方ないだろう。加えて、どうやらフェアリーダンスを見張っていたクラウドアースにメンバー全員は迅速に『保護』された。その後、クラウドアースによってチェンジリング事件についての説明を受け、公表されるまで口外を禁じることを命じられたとの事だった。

 また、レコンはメンバーに何も告げずに、独断でアルヴヘイムに出立していたらしく、彼の失踪もまた大きな不安を与えていたのも事態の混乱に拍車をかけた。

 そして、フェアリーダンスにとって、リーファとレコンが帰還して一件落着とはいかなかった。

 まずはリーダーであるサクヤの死。次にレコンが担保にかけたフェアリーダンスの資産。そして、クラウドアースの支配下入りである。

 サクヤの死はチェンジリング事件という、プレイヤーでは対処しようがない事案だ。彼女の死は大いに悔やまれ、また涙を呼んだ。だが、資産の売却並びに担保入れ、またクラウドアース陣営入りを決定したのは、リーダーであるサクヤでもなければ、副リーダーであるリーファでもない、レコンによる暴挙だった。

 結果的にレコンの独断が回り回ってアルヴヘイムの脱出の一助となったリーファとしては、彼を責めることは出来ない。だが、他のメンバーからすれば容易に納得できるものではなかった。

 3大ギルドから距離を置いた中立。それがフェアリーダンスのスタンスだったはずだ。たとえ、日々の生活は苦しくとも、3大ギルドに目を付けられようとも、少なからずの反骨精神があったからこそフェアリーダンスに在籍していた者たちばかりだ。レコンの独断は裏切りと指差されても否定しきれない部分があった。

 今のレコンならば、手八丁口八丁でメンバーを丸め込むことも、あるいは可能だったのかもしれない。だが、レコンは土下座して許しを請うだけだった。それが彼なりの、たとえリーファを助けたいという一心だったとはいえ、メンバーの誰にも相談せずに暴走したことへの償い方だったのだろう。

 だが、サクヤという支柱を失い、またリーファというブレーキ役も機能しないならば、メンバーの怒りが収まるはずもなく、レコンは怒りの捌け口となった。さすがに殺すまではしなかったが、彼のHPがレッドゾーン……1割未満になるまで暴行が続いたことを考慮すれば、彼らの怒りの大きさは察するべきだろう。

 

「自業自得だよ。僕が浅はかだったのは否定できないし。もっと皆と相談して動いていれば、こんな事にはならなかったかもしれない」

 

「そうかもしれない。でも、皆だって本当はちゃんと分かってる。当時の状況でチェンジリングなんて誰も信じるはずがない。あたしだって信じられなかったと思う。いち早く気づいたレコンが動かなかったら、被害はもっと拡大していたかもしれないし、あたしだってオベイロンに……」

 

「慰めてくれるんだね」

 

「あたしくらいは優しくしないと、また暴走しちゃいそうだしね」

 

「手厳しいなぁ」

 

「前科ありなんだから甘んじなさい」

 

 タオルをズラして潤んだ右目を覗かせるレコンは、回廊都市でハッタリをかましてオベイロン相手に大立ち回りをした軍師とは程遠い。彼女が良く知る気弱な少年そのものだった。だが、その瞳は罪の意識で濁り、また疲労で暗く澱んでいた。

 これからどうなるのだろうか。レコンへの暴行の余波で散らばった家財を整頓しながら、未来への不安を募らせる。

 サクヤの死によってフェアリーダンスは事実上瓦解したに等しい。レコンの独断によってギルドが一致団結するのも困難だろう。ユージーンはフェアリーダンスが元の中立に戻れるように尽力すると約束してくれたとはいえ、それが成されたとしても、サクヤ無しでは中立を守るどころか没落をし続けるだけだ。

 大半のメンバーはサクヤの死とクラウドアース陣営入りを契機に、フェアリーダンスを抜けて各々の道へと進んでいくだろう。過半……いや、ほぼ全員が知己のギルドへの加入を求めるか、このままフェアリーダンスに残ってクラウドアース入りするかのどちらかを選ぶはずだ。わざわざ中立に戻って、サクヤ無しで茨の道を歩もうとはしないだろう。

 皮肉にも、サクヤが遺したフェアリーダンスは、彼女の死によって解散したにも等しい。己の力不足が恨めしくてリーファは拳を握る。

 

「これからどうする? あたしはクラウドアースの傘下に入るくらいなら、フェアリーダンスを抜ける。ううん、新生フェアリーダンスを立ち上げる」

 

「……同名のギルドは作れないよ?」

 

「ツッコミを入れられるくらいに元気があるなら意見を聞かせて」

 

「僕は……皆の進退をきっちりとサポートしたら、リーファちゃんと同じ道を選ぶよ。キミを守る。それが僕の生きる理由だからさ」

 

「レコンの気持ちは受け取ったし、ちゃんと答えも出したはず。あたしは――」

 

「それ以上は言わないで。分かってるからさ。でも、別に良いだろう? 僕が好きな人は今もリーファちゃんなんだ。だから、何があっても全力でキミを守る。それくらい格好つけさせてよ。これが僕の『答え』なんだからさ」

 

 普通だったら惚れてるんだろうなぁ、とリーファは苦笑する。ここまで堂々と愛を告白した上で守護を宣言できる男はいないだろう。

 

「ユージーンさんにどう言えば良いんだろう? サクヤさんが遺したギルドなのに、この様なんてさ」

 

「下手に取り繕っても失望させるだけよ。それに、ユージーンさんなら話せば分かってくれるはず。大事なのはギルドそのものじゃなくて、サクヤさんの遺志を受け継ぐことだから。それが出来るのは、アルヴヘイムを体験したあたしとレコンだけよ」

 

 右拳を突き出し、リーファはサクヤの遺志……3大ギルドの支配に屈することなく、中立の旗を掲げることを選ぶ。それに同意するように、レコンはソファから体を起こして拳を重ねる。

 資産やギルドハウスは事実上クラウドアースに徴収されることになるだろう。レコンとリーファは話し合い、フェアリーダンスを抜けたいという者がいた場合、アルヴヘイムで獲得したコルを支度金にすることを決定する。幸いにも2人には回廊都市の決戦で多額のコルを獲得していた。他にもオベイロンは大量の有用なアイテムもドロップしており、分配を受け取っていた2人は、これならば再出発は難しいが不可能ではないと判断した。

 

「2人合わせて総額100万コルくらいは残るはずだよ。これなら慎ましく生活するだけなら当分は困らない」

 

「生活する『だけ』ならね。だけど、それで終わるつもりは無い。あたしはサクヤさんの遺志を継ぐけど、中立を保って未来を見守るだけじゃない。攻略に食い込んでみせる」

 

「でもどうやって? 攻略に関わるには3大ギルドのいずれかの勢力入りするのが大前提だよ?」

 

「そ、そうよね。うーん……教会を頼る、とか?」

 

「中立と言えば確かに教会だけどさ。僕もリーファちゃんも教会に伝手が無いよ?」

 

「パイプが無いなら作るしかないじゃない。幸か不幸か、ユージーンさんの頑張りが実るまでは、どちらにしてもクラウドアースからは抜けられないんだろうし」

 

「そもそも教会が本当に中立かも定かじゃないしね。大きな組織は必ず表と裏の2つの顔を持っているはず」

 

 2人して唸り声を漏らすが、疲労が勝ってリーファは大欠伸を掻く。

 アルヴヘイムから戻れた興奮とギルド解散同然という危機のせいで遠ざかっていた眠気が津波となって押し寄せてくる。

 

「……アルヴヘイムとは違って、人脈も、組織も、何もかも自分たちで1から作っていかないといけないんだね。ハードモードだよ」

 

「サクヤさんって凄かったんだね。あたし、ずっと甘えてたんだ。副リーダーなのに情けない」

 

「それは違うよ。適材適所。リーファちゃんはサクヤさんとは違った立ち位置での皆のまとめ役だった。リーファちゃんは真っ直ぐだったから、皆は希望を失わないで済んだ。僕がそうなんだから間違いないよ」

 

「今度は慰められちゃった」

 

「お返しさ」

 

 亡きサクヤの手腕と自分を比べて憂うよりも、今の自分に出来ることを探す方が優先だ。リーファは眠気を後押しするようにハーブティを淹れてレコンに差し出す。

 今日は全員がギルドハウスにはいられる精神状態ではなく、各々が夜を過ごすことを選んだが、明日になれば再び集結して今後について話し合わねばならなくなるだろう。そう思えば明日が憂鬱になるが、それも生きているからこそと思えばリーファの胸にも力が湧いてくる。

 

「お兄ちゃんを引き込めないかな?」

 

「ラストサンクチュアリが手放すはずないよ。……チャンスはいずれ来るだろうけどさ。ラストサンクチュアリも先は長くないだろうし。今年中に、早ければ冬の前に壊滅するよ」

 

 一蹴されながらも可能性を提示され、リーファは何とかして兄と……そして、シリカと共にDBOで戦っていきたいと望む。出来れば、ユージーンやシノンにも協力してもらいたかった。

 アルヴヘイムの戦いは常に苦しく、死線を何度も味わった。その分だけ成長できた実感もあるが、生き残れたのは自分の実力だけではなく、自分以上の猛者たちがいたからだ。兄という希望の光があったからだ。

 回廊都市の決戦の時と同じように、あらゆる勢力の垣根を超えたドリームチームを作れば、3大ギルドも無視できない戦力になるのではないだろうかと夢想する。

 

「……オベイロンを倒せば良かったアルヴヘイムと違って、出口が見えないね」

 

 リーファの弱音にレコンの返事はなく、だが同意するように小さく首肯した。

 もうすぐ深夜零時だ。考えるべきこと、悩むべきことは山積みなのだ。このままでは夜が明けてしまうだろう。リーファは区切りをつけるべく、このハーブティを飲んだら就寝しようと考えた時だった。

 涼やかに鳴るのは鐘の音。玄関のチャイムだった。

 こんな時間に訪問者など、平時ならばあり得ない。だが、アルヴヘイム帰りの2人にとって、平時はまだ遠い。クラウドアースからの使者……もとい呼び出しもあり得るのだ。

 だが、システムウインドウに表示される玄関の映像を確認したリーファは、全く見当にない人物の訪問に戸惑う。

 緩やかなウェーブの淡い金色の髪をした、まるで白磁のような肌をした、精巧な人形のような印象を受ける美少女。その身に纏うのは、戦闘や探索には不向きな、やや装飾過多なゴスロリのドレスだ。

 クラウドアースが催したバトル・オブ・アリーナに、認知度ゼロでありながら参戦し、そのまま行方知れずとなった謎のプレイヤーのリリウムだ。

 

「夜分に申し訳ありません。アンビエントも出来れば事態が落ち着いてから訪問したかったのですが、損害補償は早期に済ませるべきだと思い、失礼を承知で参りました」

 

 無視しても問題なかったのであるが、万が一でもクラウドアースの遣いだった場合を考慮して立ち入らせれば、リリウムではなくアンビエントと名乗る美少女は恭しく頭を下げる。

 生で見ると可憐さが倍増だ。思わず見惚れているレコンに肘を打ち、リーファはテーブルを挟んで深夜の訪問者と対面する。

 

「改めて自己紹介を。アンビエントです。ですが、リリウムでも結構です」

 

「じゃあ、リリウムさん。こんな夜遅くにどんな要件ですか? クラウドアースからの出向命令なら――」

 

「リリウムはセカンドマスター……プレイヤーが茅場の後継者と呼称するGMより派遣されました」

 

 要件の確認をしようとしたレコンは顔面をテーブルに叩きつけ、リーファは落ち着く為に口にしたハーブティを噴き出す。だが、意志薄弱な瞳をした、何処か人間味が欠如した、まるでAIのような印象を受ける美少女は、無反応のまま持ち込んでいたアタッシュケースをテーブルに置いてロックを解除すると中身を取り出す。

 

「セカンドマスターに代わりまして、此度のチェンジリング事件の解決が遅れ多くの犠牲が出たこと、深くお詫び申し上げます」

 

「あ、謝れば済むことじゃ――」

 

「つきましては、『ある御方』の要望により、セカンドマスターを介してチェンジリング事件唯一の生存者であるリーファ様に特別補償を行うことを決定しました。此度の事件の重大性を考慮し、補償として1000万コルをお支払い致します」

 

「お金で解決しようなんてきたな――」

 

「加えまして、3つの補償より1つをお選びください。いずれもセカンドマスターの認可を取っています」

 

 レコンの反抗を聞き流すどころか無感情に押し流し、リリウムは無言の……どう対処すべきか分からないリーファへと書類を差し出す。わざわざ書面という形で提示するのは、リリウムの拘りか、それともセカンドマスターなる茅場の後継者の流儀なのか。どちらにしても、リーファは無機質なシステムウインドウよりも重みを覚えた。

 彼女が本当に茅場の後継者が派遣した使者であるという証明は何処にもない。だが、その感情希薄な瞳には虚偽で彩られているとは思えぬほどに純粋だったせいだろう。リーファは彼女の言動は一字一句真実なのだと確信する。

 

「1つ目、HPがゼロになった時に1度に限り死を無効化する【犠牲の指輪】です。復活までは30秒間の猶予が与えられ、その間に転移か戦闘続行か選択できます。復活時には自身も含めたパーティメンバー全員のHP・魔力・スタミナは完全回復し、全装備が完全修復されます」

 

「……チートだ」

 

「2つ目、スキル・アイテム情報です。現時点でプレイヤーが未確認の有力なアイテム・スキルの情報をお渡しします。中にはユニークスキルやユニークウェポンも含まれています。有用性はご理解いただけるかと」

 

「……チートだ」

 

「3つ目、脱出権です。ご希望されるならば、今すぐにでもDBOより解放いたします」

 

「リーファちゃん、3番目しかないよ!」

 

 補償内容に衝撃を受けていたレコンだったが、3番目に食いついてリーファに選択を迫る。

 DBOから脱出できる。デスゲームから解放される。リーファは生存本能の安堵を、そして今もデスゲームで戦う多くのプレイヤーを裏切る後ろめたさを覚える。

 3番目を選んでも誰にも文句は言われない。レコンが喋らない限り、誰かに露呈することもない。卑怯者と後ろ指を指されることもない。

 いや、そもそもとしてチェンジリング事件とい茅場の後継者側の落ち度であるならば、これは正当なる補償だ。ならば、3番目を選んでも誰にも責められる謂れなどない。

 

「脱出は1人だけなの?」

 

「はい、リーファ様だけとなります」

 

「誰かに譲渡はできないの?」

 

「申し訳ありませんが、セカンドマスターはリーファ様だけに脱出の権利を準備いたしました」

 

「だったら要らないわ。あたしだけ逃げ出すなんて……出来ない」

 

 3番目の脱出権を即座に除外したリーファに、レコンは信じられないといった眼をする。だが、リーファは不思議でも何でもないと苦笑しながら首を横に振った。

 

「あたしは皆を見捨てて1人だけ逃げ出す重みに耐えられるほど強くない。生き残れたこと以上に、ずっとずっと自分を責め続ける。お兄ちゃんを、レコンを、皆を残すくらいなら一緒に戦う」

 

「UNKNOWNさんは喜ばないよ」

 

「そうかもしれない。でも、あたしは嫌だ。このまま負けっぱなしで逃げて生き延びるなんて真っ平御免よ。それに誓ったばかりじゃない。あたしとレコンでサクヤさんの遺志を継ぐ。そうでしょ?」

 

「……リーファちゃんの馬鹿」

 

「お兄ちゃんの妹だよ? 馬鹿に決まってるじゃん」

 

 涙目になって罵るレコンに、馬鹿で上等だとリーファは胸を張る。

 

「犠牲の指輪は幾つもらえるの?」

 

「1つとなります」

 

「1つ……ううん、これも要らない。保険にはなるけど、死亡回避アイテムなんて持ってるだけでも、使ってしまっても、後々になって火種になるもん」

 

 そうなると情報だ。これから新生フェアリーダンスを……中立を貫き、DBO攻略に新風を吹き込むならば、その他大勢に埋没しない、良くも悪くも目立ち、また3大ギルドと対峙できるカードが必要になる。

 これらの情報は武器になる。売却して財にするも良し。交渉材料に使うも良し。自分たちの強化も良し。だが、出所が出所だけに使い方を誤れば最も危険だ。

 

「ねぇ、情報の概要は教えてもらえないの?」

 

「申し訳ありません。リリウムに情報開示する権限はありません。ですが、準備しました情報いずれもリーファ様にとって価値のあるものだと断言します」

 

 デスゲームにおいて最強の切り札になる死亡回避アイテムと脱出権に対して、情報は運用次第だ。リーファは決して小さくない誘惑を今度こそ断ち切る。

 

「……情報にする」

 

「畏まりました。では、サインをお願いいたします」

 

 渡された万年筆で書類にサインすれば、リリウムは分厚いファイルを手渡す。中身を確認すれば、大ギルドも垂涎して欲しがるだろう……それこそ殺しても奪い取ろうとする程の価値が詰まった情報が記載されている。

 効率的に経験値やコルを稼げる狩場となるスポット。まだ発見されていないトレジャーボックスの隠し場所。難関イベントのクリアのヒント。そして、ユニークウェポンやユニークスキルの獲得方法。いずれも血の気が引くほどに貴重な情報だ。

 このファイル1つで大ギルドの抗争は激化する。そう言い切れるに足る、中小ギルドに属する、権力も地位も無い、実力も足りない者が持つには重過ぎる情報だ。

 

「こちらが1000万コル分の小切手となります」

 

 額面で1000万。フェアリーダンスが毎日ダンジョンに朝から晩まで籠っても獲得することは出来ないだろう。情報に続いて、リーファは渡された小切手が金塊だったかのような重みを錯覚する。

 

「ねぇ、1つだけ教えて。茅場の後継者の目的は何なの!?」

 

 SAO事件の再現などではない。茅場の後継者には確固たる目的があってDBOをデスゲーム化した。アルヴヘイムを経て確信を強めたリーファの質問に、リリウムは応じる様子もなく退席しようとするが、思い止まったように振り返る。

 

「『人の持つ意思の力』……心意を否定すること。心意が人の可能性ならば、セカンドマスターは否定しなければなりません。それがセカンドマスターの宿命……存在意義なのだと、リリウムは思います」

 

 DBOプレイヤー全員にとって怨敵と呼ぶべき茅場の後継者に、感情希薄だったはずの少女は憂いを眼に浸す。

 

「リリウムはプレイヤーの味方ではありません。ですが、皆様の奮闘と健闘を切に願っています」

 

 玄関のドアを潜ったリリウムを追いかけてリーファは外に飛び出すが、そこには人影1つなかった。

 全ては夢だったのか。そう思いたくなったリーファであるが、テーブルに置かれた無機質な小切手、そして情報ファイルは、彼女に明日からの混沌を突きつけているようだった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「勘……外れちゃったかな?」

 

 黄金林檎の住居兼工房にて、ユウキはリビングにて椅子に腰かけて、夜の帳を下ろした窓の外を眺めながらクゥリの到着を待っていた。

 転移されてきたユウキの帰還を、グリセルダは温かく迎え、ヨルコは祝宴だとばかりにワインをラッパ飲みし、グリムロックは彼女のボロボロの装備&折れたスノウ・ステインに悲鳴を漏らした。

 アルヴヘイムで何があったのか。ユウキは教えられる限りに語った。

 オベイロンによって狂わされたアルヴヘイム。【黒の剣士】との私闘とアリーヤの死。クゥリとの再会。ヨツンヘイムでの最古の深淵の主との戦い。PoHとの殺し合い。それらはグリムロックたちの理解の範疇を超えていたはずであるが、何処か諦観したように2人は溜め息を吐き、ヨルコは早々に酔って寝た。

 唯一隠したのは、PoHとの殺し合いの中で感じた世界を喰らうような殺気だ。ユウキはあの殺気の主がクゥリだと確信しているが、それを彼らに伝える事に少なからずの抵抗があった。クゥリが何よりも隠したがるだろう事を、ユウキが先んじて伝えるなど出来るはずもなかった。

 本来ならば、黄金林檎に留まるより先にアリーヤの死を飼い主であるマクスウェルに伝えねばならないのだろう。だが、ユウキは彼に罵倒されることを覚悟の上で、黄金林檎の工房でクゥリを待つことを選んだ。

 今頃はチェーングレイヴのアジトに帰還したクラインによって、アリーヤの死とアルヴヘイムの諸々が伝えられているだろう。幹部であるユウキも当然ながら早急に開かれるだろう会合に参加しなければならない。だが、彼女にはその通知は届いていない。クラインから一言『しばらくはゆっくり休め』というインスタントメールが届いただけだった。

 胸が苦しい。チェーングレイヴの大義を裏切ってアスナという死者の生を肯定し、なおかつ【黒の剣士】に敗れ、また彼を倒すことへの固執を失った。もはやユウキには、チェーングレイヴに在籍する資格はない。ならばこそ、クラインの心遣いが針のように心を刺す。

 

「帰ってきたら起こすから、少し寝たらどうだい?」

 

「ううん、もう少し起きてる。ナグナの時みたいに、ボクがいない間に何処かに行っちゃうなんて嫌だから」

 

 そんなユウキに声をかけたのは、工房に閉じ籠もっていたグリムロックだ。どうにかしてスノウ・ステインの修理を試みていたようだが、骸骨鍛冶屋の見立て通り、修復は不可能であったのは表情からも明らかである。

 幸いと呼ぶべきか、スノウ・ステインにはユニーク素材は使われていない。わざわざ素材化して新たな剣に受け継がせるべき能力もない。ならばこそ、グリムロックが無理する必要は無かったのだが、彼には彼の理念があり、スノウ・ステインを何とかして利用したかったのだろう。インゴット化したかつての愛剣の成れの果てを持ってくる。

 

「ユウキちゃんが持って帰った伯爵の剣、壊れたスノウ・ステイン、ガウェインのソウルを使って新武装を作るよ。期待してくれ」

 

 紅茶が優しい香りと共にテーブルに置かれ、バスケットに詰まったクッキーと共にユウキの胃袋を刺激する。だが、お菓子をを口にすれば、甘味が眠気に深く誘いそうで、ユウキは気力を振り絞って紅茶だけをいただくことにした。

 アルヴヘイムでの長い生活ではなかなか味わえなかったせいか、紅茶のどろりとした濃い味わいに一瞬だけ喉が痙攣しながらも、ユウキはそのままゆっくりと熱い液体を飲み込む。

 

「本当に良いの? ボクの専属じゃないのに」

 

「クゥリ君は怒らないさ。それにデータはたっぷり貰うしね」

 

 新装備は≪絶影剣≫を前提としたものとなる。本来ならば、切り札であるユニークスキルの情報を専属でもない鍛冶屋に委ねるなど自殺行為だ。だが、グリムロックは……黄金林檎はクゥリの専属であり、ならばこそ、どれだけ情報を渡しても、結局はクゥリの利益にしかならないならば、ユウキにとって損害は無い。

 ユウキは椅子の上で膝を抱える。グリセルダから借りた、落ち着いた無地の黒色ワンピース姿である。さすがにヨルコの寝間着であるスウェット姿でクゥリを迎えるには、女子としてのプライドが許さなかった。

 瞼を閉ざして気を抜けば、一瞬で眠りそうになる。だが、今ここで眠れば数日と起きないだろう自信がユウキにはあった。

 UNKNOWNとの戦いでリミッター解除した影響は大きい。しばらくは要休養となるだろう。だが、今のユウキにとって、自分のコンディション回復など二の次だった。

 アルヴヘイムなど無かったように、いつものようにクゥリを迎える。おかえりなさいと言うのだ。眠気に負けて、目覚めたら逆にクゥリに迎えられるなどあってはならないのだ。

 

「でも、本当にどうしたんだろうね。連絡も無いなんて、彼らしくもない。絶対に装備の1つや2つは壊しているんだから、間違いなく来るはずなのに」

 

 ユウキがスノウ・ステインを折っている時点で、クゥリの装備の幾つかが破損しているだろうことは既に織り込み済みなのだろう。覚悟を決めた表情でグリムロックが疑問を口にするように、ユウキがアルヴヘイムから帰還して間もなく6時間が経過しようとしているにも関わらず、クゥリとは連絡が付いていなかった。

 グリセルダはクゥリの自宅に向かったが、どうやら帰宅している様子もなかった。彼女はそのままクゥリの自宅に残っており、仮に先に自宅に帰ってもグリムロックにはすぐに連絡が入る手筈になっている。

 ユウキが思い出したのは獣狩りの夜だった。ナグナから帰ってから休まずに獣狩りの夜に参戦したクゥリは、もはや単身で帰宅することさえも困難な程に疲弊していた。今回もまた何処かで倒れているのではないだろうかとユウキは心配になる。

 探しに行きたい気持ちはあるが、ユウキも実を言えば歩くのがやっとの状態だった。リミッター解除の影響による倦怠感と睡魔に抵抗するのが限界である。ヨルコが酔い覚ましついでに終わりつつある街を見て回りに行ってくれているが、広い街で1人の人間を見つけ出すのは幸運が必要になる。

 疲れが波のように押し寄せる。重くなる瞼を擦り、何度も頬を両手で打ちながら、眠気覚ましにと紅茶を更に口にするが、ユウキの意識は曖昧になっていく。

 

(あ……れ……? どうして、こんなに、急に……眠く……)

 

 元より無理に無理を重ねたとはいえ、クゥリを迎えるまで起き続けるつもりだったユウキは、今にも睡魔に堕ちそうな意識を引き留めようとする。

 だが、思考が反響しているかのようにブレて纏まらず、1秒ごとに眠気は増していく。

 

「グリムロック……さ、ん?」

 

 グリムロックは無言でユウキの頭を撫でた。それは疲れ切った体に染みる、心からの優しさであり、故にユウキの意識はそこで途切れた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 酒を混ぜただけでお寝んねするような体で無茶する。華奢な少女の体を抱き上げ、寝室に運び終えたグリムロックは隠しもしない溜め息を漏らす。

 クゥリにしても、ユウキにしても、若さのせいか、あるいは彼らが特殊なのか、無理を押し通すのが当たり前になっている。

 だが、それは大いなる過ちだ。限界とは超える為にあるのではなく、弁える為に存在するのだ。

 

「それも若さなのかもしれないけどね」

 

 人生経験豊富とは呼べない年齢のグリムロックだが、それでも同年代に比べれば濃い人生を歩んだ部類だ。妻を謀殺し、2度もデスゲームに囚われ、死したはずの妻と再会・復縁するなど波乱万丈どころか、語り継がれる伝説級である。

 若さ故の危うさと呼ぶべきか。あるいは天性の素質か。区別がつかないグリムロックは2階の寝室で今は穏やかに寝息を立てるユウキが目覚めれば、いかなる眼光を秘めて自分と対峙することになるだろうかと怯える。

 これでクゥリとすれ違うことなどあれば、と考えれば身震いしたグリムロックは、彼が戻ってきたら命懸けで、何としても隠匿しておきたいプロト・ソルディオスを使ってでも引き留めることを誓う。

 

「ん? こんな夜遅くに来客かな」

 

 不安が募る中で工房のベルが鳴り、グリムロックは玄関に向かう。

 既に深夜ともなれば、まず来客など無い。だが、工房の常として、予期せぬ、時として招かれざる客は常だ。グリムロックは警戒しつつ訪問者を確認すれば、サインズが傭兵や関係者を対象として行っている配達サービスだと安堵する。

 だが、騙りであるとも言い切れない。グリムロックは警戒を緩めることなく配達の荷物を受け取る。

 ケースにはサインズのスタンプが押されており、サインズ速達サービスで届けられた荷物であることは間違いなかった。

 

「ははは。そういうことか」

 

 配達人を見送り、明細を確認したグリムロックは苦笑する。記されていた発送者はクゥリだった。

 

(疲れ切ってサインズから動けないのかな?)

 

 独立傭兵としてサインズに登録しているクゥリは、サインズ本部にも自室を持っている。

 クゥリはぶっきら棒で言葉足らずであるが、非常に義理堅く、またグリムロックには特に信用を置いている。こうして先んじて荷物を発送したのは、彼なりの信用の証なのだろう。一報入れてくれれば迎えに行くというのに、とグリムロックは彼らしい不器用な距離の置き方を擽ったかった。

 ロック解除の暗号はグリムロックしか知らない。彼はケースのロック解除の暗号を打ち込み、中身を実体化する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、グリムロックの絶叫が木霊した。

 ケースから実体化されたのは、グリムロックの作品……我が子とも呼ぶべき装備の末路だった。

 

 原型がほとんど残っていない、ぺしゃんこに潰れたスクラップのような金属塊。

 

「こ、これはザリア……なのか!?」

 

 固形化した泥が辛うじてこびり付いた柄と、元々の姿が想像できない程にバラバラになった黒い破片。

 

「じゃあ、こっちは死神の槍!?」

 

 半ばから折れて刃毀れしているだけではなく、折れた切っ先側は粉々、柄側は亀裂だらけで触れれば砕けそうな刀身となったカタナ。

 

「贄姫……完全に水銀発生能力が死んでるじゃないか!」

 

 一見すれば柄だけに見えるが、よくよく見れば亀裂が入っているお陰で刀身が見えている……だが、刃毀れして真っ二つに折れているカタナ。

 

「こっちは知らないけど、何にしてもこんなの修理なんて不可能だ!」

 

 右袖は千切れ、裾はボロボロであり、また穴だらけのコート。ブーツは穴が開く寸前といった、どうすればここまで酷使できるのかも分からぬほどの防具一式。

 

「ナグナの狩装束が……そんな……そんな……あんまりだぁああああああああああああああ!」

 

 形容し難いほどに苦悶で顔を歪め、くねくねと体を捩じらせ、芋虫のように体を床で這わせ、最後は後頭部から勢いよく倒れて舌を突き出して痙攣したグリムロックは、ユウキも起きて慌てて駆け寄ってくるのではないかと思うほどに、およそ人間がすべきではない、歪み尽くした表情で絶叫する。

 

「あは……あひ……あへへ! うわーい。ぜーんぶ壊れテるよー。これ、直せるかなぁ? 直せないよねぇ。あ、でも素材がいっぱいだー。ソウルがすごーい数だー。幾つあるだろーねー?」

 

 正気を失って口から涎を垂らしている、焦点が合っていないグリムロックは、ケースから飛び出した、希少性の高い素材の数々に、鍛冶師としての喜びにして悦び以上の、表現するこことも出来ない、小宇宙の爆発にも似た、感情の特異点における虚無と興奮の一端へとたどり着く。

 

「……ぎゃ、逆に考えるんだ。試作のアレやコレを実用化する素材ががががががが……いや、無理だな。さすがに修理うんぬんの次元を超えている」

 

 特に破損が酷いのは死神の槍だ。ザリアもスクラップであるが、死神の槍はもはや原型も残さぬ破片の集合体だ。辛うじて柄だけが残っている。グリムロックが仕掛けた、最終モードまで使用したのだろう。後僅かで完全消滅するほどに耐久度は削れていた。扱いを間違えれば、今にもデータの海に残らず回帰してしまいそうである。

 壊れた武器の今後は後から考えよう。グリムロックは現実逃避し、詰め込まれた素材に目移りする。希少性の高い素材はもちろんであるが、何よりも異常なのはソウルアイテムの数だ。

 ソウルアイテムはネームドやボスを撃破すれば必ず得られるものではない。特別なモンスターを倒した時に限定してドロップするのだ。無論、ネームドやボスである以上は強敵であることに変わりないが、大よそ尋常ではない事が多い。

 ホルス、トリスタン、獣血、ゲヘナ、白竜の似非、黄の衣、シェムレムロスの魔女、狂縛者……そして、ランスロット。最後に見つけた、黒い光のようなランスロットのソウルは、鍛冶屋としての経験から、尋常ならざるネームドより得たものだろうと直感する。

 これだけのソウルを1人のプレイヤーが獲得したと知られれば、大ギルドは黙っていないだろう。交渉や取引が苦手なクゥリを狙い撃ちして1つ残らずテーブルに引っ張り出して奪い取ろうとするかもしれない。

 早急にグリセルダにソウルアイテムのことを伝えて、クゥリが帰ってきたら交えて扱いを協議せねばならないとグリムロックは決心する。

 

「これはメッセージカード?」

 

 そして、グリムロックは配達ケースに添えられていたカードを手に取る。

 一見すれば無地の白いカードのようであるが、指でタッチすればシステムウインドウにメッセージが表示される。

 グリムロック宛なのだろう。ロックがかけられていたが、ケースと同じ暗証番号を打ち込んで開封に成功する。

 

 

<次の依頼が入った。少々ハードな依頼になる。今回はオレが死んだら遺産の扱いに難儀するだろうから、とりあえず記載しておく。オレの私財は全部売却しろ。そうすれば、完全攻略まで隠居生活できるくらいにはなるはずだ。ソウルも好きに処分してくれ構わないが、願わくば、ユウキやあの真っ黒馬鹿野郎の装備を作る素材にしてやって欲しい。オレの名前は伏せて、適当に理由をつけて渡してくれ。アイツらには必要なはずだから。よろしく頼む>

 

 

 

 思わず意識が遠のいたグリムロックは、文面の意味を理解するのに数十秒の時間を要した。

 装備の破損具合からも、満身創痍や疲労困憊どころではない状態であるのは見て取れる。シャルルの森の時のように、ナグナの時のように、あるいはそれ以上に自分を限界を超えて磨り潰して戦ったはずだ。

 そして、1日と休まずに新たな戦いに赴く。元より常軌を逸しているが、もはや狂っているという表現すらも生温い。

 クゥリは帰って来ない。その事実が無機質な文面で襲い掛かり、グリムロックは青ざめる。

 

(いや、帰って来ない所の話じゃない。これはまるで遺書じゃないか! 今までクゥリ君は1度だって……!)

 

 傭兵のみならず、常に死地に身を置く上位プレイヤーなどは、私物の扱いなどをまとめた遺書を少なからず準備している。

 だが、クゥリは相変わらずの無頓着と言うべきか、せいぜいサインズの規約として私財を黄金林檎に渡すという死後の遺産相続の一筆している程度だった。

 そんなクゥリがわざわざ私財の……万が一の遺品の扱いを指示するなど、グリムロックには到底信じられなかった。

 

「ふ、普通じゃないか。クゥリ君だって……人間なんだ。死ぬかもしれないなら……遺書くらい……」

 

 だが、グリムロックにはイメージできなかった。クゥリが死ぬ瞬間を想像できなかった。

 専属として最高の仕事をする。それがグリムロックの使命だ。だからこそ、一切の手抜きなく、最上級の装備を整える。そして、それらを十全に使いこなせるクゥリが負けるはずがないと信じるのもまた専属の仕事だった。

 

「止めてくれ。キミが死ぬはずないじゃないか。ユウキちゃんに……グリセルダに……どう伝えれば良いんだ?」

 

 誰が何と言おうとも、グリムロックは白の傭兵こそが……自分の作品を完璧に使いこなす【渡り鳥】こそが最強の傭兵だと自負している。他のプレイヤーでは扱いきれない多機能武器を難なく操り、VR適性の低さを素の戦闘能力だけで覆す。その様を武器を通して直近で見せつけられるのが専属鍛冶師なのだから。

 もう帰って来ない。不器用で素っ気ない態度でありながらも面倒見が良く、また優しく微笑んでいるクゥリは、もう戻って来ない。決して戸を叩いて、何事も無かったように修理や新装備を求めるクゥリは、2度と現れない。死とは異なる、消滅にも近しいイメージが湧き出し、グリムロックは頭を振って打ち消そうとする。

 

「そうさ! 新装備を作らないと……キミなら必ず使いこなせるはずだ! まだまだ新しい発想が……」

 

 最近のクゥリはいつもそうだった。

 眼差しは何処か遠くを見つめていて、まるで陰陽の狭間で揺れる幻のように、その微笑みと同じく儚かった。

 数多のソウルアイテムと希少な素材。遺書に記された『万が一』の場合の運用法。グリムロックは、黄金林檎の鍛冶師として、そしてクゥリの装備を預かる専属として、遺言に従う義務があると自覚する。

 その上でメッセージカードを握り潰した拳で壁を叩く。

 

「ふざけるな! 私は! 何のために! 武器を作っていると思っているんだ!? 私の作品を完璧に使いこなせるのはキミだけだ! キミ以外に合わせて作ればダウングレードも甚だしい!」

 

 ユウキが目覚めるかもしれない。そんな考慮も無く、グリムロックは拳を何度も壁に打つ。

 

「人間の限界を超えた多機能を1つに押し込んだ武装! 複数の装備を同時かつ最適・最高に運用し、必要となれば使い潰す! それが出来るキミでなければ、私の作品は活きない! 価値を得ない! 他の誰でもない! キミでなければ、私の仕事は真の意味で完遂されない!」

 

 それでも、クゥリが望むならば、これらのソウルを使って、不満はあるにしても及第点と呼べるだけの『つまらない』装備を作るだろう。

 結局は私欲だ。グリムロックの鍛冶師としての好奇心。およそ秩序が無い混沌とした、常識外にして人外にこそ相応しい装備を扱いきれるのは、尋常ならざる戦いを常とするクゥリ以外にいないのだ。

 

 

 

 

 

 

「素晴らしい。それでこそ我が宿敵の鍛冶師だ」

 

 

 

 

 

 

 そして、盛大な破裂音と乾いた拍手がグリムロックの好奇の狂熱を賛美した。

 振り返ったグリムロックの目に映ったのは、スマートな印象を与える全身にフィットする漆黒の甲冑を身に纏った騎士だった。

 フルフェイスの兜は竜をモチーフにしたものであり、目を思わす覗き穴からは赤い光が漏れている。カーソルはプレイヤーのものであるが、その雰囲気はプレイヤーとは隔絶した、まるでボスと対峙しているかのような威圧感に満たされている。

 

「失礼した。ノックしても返事が無かったもので、ドアを蹴破らせていただいた」

 

「……そのようだね」

 

 私としたことが、まるで気づかなかった。グリムロックは自分を突き動かしていた鍛冶屋としての執念が視野を狭めさせるどころか、乱入者の侵入まで許していた不測の事態に動揺を隠せなかった。

 

「夜分の訪問などという非礼も詫びよう。だが、タイムリミットは無い」

 

 漆黒の騎士は心躍るとばかりに、嬉々とした感情が露になった足取りでグリムロックに近寄ると、彼の胸倉をつかんで軽々と持ち上げると背中を壁に叩きつける。

 肺の空気が飛び出しそうな圧迫感と漆黒の騎士への恐怖がグリムロックの意識を支配しようとする。だが、それ以上に彼を突き動かすのは、この漆黒の騎士に素材を……クゥリの武器を奪われるのではないだろうかという危機感だった。

 いや、それは正確ではない。正しくは『新しい装備が作れなくなる』という機会の損失への焦燥だった。

 

「そうだ。それだ。その執念だ。我が宿敵の刃には、貴様のような狂気の炉で鍛え上げられてこそ相応しい」

 

 グリムロックを工房へと投げ飛ばし、散らばる破損した武器や素材を集めた漆黒の騎士は、咳き込みながら尻餅をついた彼を見下ろす。

 

「12時間だ。12時間以内に我が好敵手に相応しい古竜を殺す為の武器を作れ」

 

「きゅ、急に何を……!」

 

「素材が足りぬならば知恵と人脈の限りを尽くして準備しろ。私は一切手を貸さない。貴様の執念と狂気で打ち上げてみせろ。武器を扱うのに足りぬスキルがあるならば言え。我が好敵手にメッセージくらいは届けられる。いや、不要か? 貴様ならば、奴が次にいかなるスキルを獲得するかくらいに想像がつくだろう」

 

 この騎士は何者なのか。グリムロックは生唾を飲んで慄く。

 そもそもとして、クゥリが単身でこれだけのソウルを集めたならばレベル80には確実に到達して≪武器枠増加3≫と≪光銃≫を獲得しているだろう事は間違いない。そうでもなければ、ザリアをここまで酷使する運用はしていないはずだ。

 だが、更にスキルが増えるとは、現状でレベル100にも到達しかねない程の戦闘を繰り広げていることに他ならない。

 

「私が何者なのか。そんなくだらん疑念は呑み込め。私がここにいる理由は奴との死闘を求めるが故に。愛を謳う女神の寵愛も、勝利を約束する戦神の加護も、何もかも否定する為にここにいる。くだらん神の都合のいい奇跡に期待するな。『人』であろうと『獣』であろうと、たとえ電脳の虚ろな海から這い出た新たな生命であろうとも、狂える魂が生み出す妄執こそが奇跡にも似た必定を成すのだ」

 

 腕を組み、壁にもたれかかった漆黒の騎士は、グリムロックのお手並みを拝見するとばかりに仕事を急かす。

 12時間以内に竜殺しの武器を作れ? 何を言っているのだ? 何を求められているのだ? 混乱するグリムロックは、この漆黒の騎士がクゥリの行き先を知っているのだと辛うじて理解する。そして、彼の窮地を把握し、それを嬉々と甘受し、グリムロックを利用して事態を転がせようとしているのだ。

 だからこそ、グリムロックの口元は醜く、だが清々しいまでに愉悦で歪んだ。

 常に単身にして最悪の状況下で強敵を討つ。それがクゥリだ。シャルルの森でも、ナグナでも、そしてアルヴヘイムでもそうであったはずだ。

 ならばこそ、彼の手にあるのは常に己が作り上げた武器こそ相応しい。他の誰でもない、自分の作品こそが彼の爪牙となるのだ。

 

「クゥリ君が相手取る敵は?」

 

「数多い。だが、最悪の相手は間違いなく闇喰らいのミディールだろう。私ほどではないが、強いぞ」

 

 グリムロックは現状の素材を並べ、ある限りの試作品と設計図を引っ張り出して思案する。

 ミディールという名前に聞き覚えがない。ならば、現状で全くの未知のモンスターという事になるだろう。だが、名前から察するに、まず間違いなく闇属性に対して高い耐性を有している事は想像がつく。

 

(クゥリ君ならば、次に必ず『あのスキル』を取るはずだ。それを想定すれば、自ずと理想形は見える)

 

 本来ならば、1つのオーダーメイドを作成するのに数十回、あるいは100回を超えるトライ&エラーが求められる。幾重にも試作品を作り上げるのだ。だが、たった12時間では試作品を作る時間さえも無い。

 だが、グリムロックには既に前もって作成した幾つもの試作品がある。それらを統合し、再設計し、1発勝負をかける。

 グリムロックは認める。この世には不可能なことが必ずあると。だが、大半の不可能とは人間の諦めが生み出す錯覚であるとも心得ている。

 

(ナグナの赤ブローチは使ったのか? クゥリ君には使いこなせるはずがないけど、彼ならば私の想像を超えたかもしれない。だったら……!)

 

 使用者のコンディションを予想する。あらん限りの発想を具現化すべく設計する。方法はあるはずだと想定する。完成させるのに不足した情報があるならば頼れる人脈を選抜する。

 脳が蕩ける程の高熱に満ちた鍛冶師の賭博。その甘美な勝負にグリムロックは酔いしれる。これこそが【渡り鳥】の専属のみが味わえる狂気なのだ。

 

「神の奇跡を否定する為に、奇跡にも似た必定を成す、か。気に入ったよ。黄金林檎の鍛冶師として! 独立傭兵【渡り鳥】の専属として! 受けて立とうじゃないか!」

 

「それでこそ。さぁ、見せてみろ。貴様の力を」

 

 希少な素材の数々とユニーク素材の極致であるソウルを並べ、グリムロックは古竜の末裔すらも殺す武器を鍛える準備を始める。

 失敗する確率が高い? ゼロでないならば、成功を引っ張り出すのが自分の仕事なのだ。

 

 だが、何故か分からないが、グリムロックは不安を覚えた。

 

 自分は専属として正しいことをしている。

 

 強敵を討つための武器を鍛えているのだ。間違っているはずがない。

 

 自分が作った武器さえあれば、より強大な敵ともクゥリは『戦える』。

 

 ならばこそ、何も不安を覚える必要はないのだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 腐れ谷の深部。それは毒に満ちた大沼であり、僅かばかりの灯が照らす暗闇だ。

 汚水が溜まった沼には、毒々しい紫色の大クラゲが浮かび、近寄れば触手を硬質化させて全方位に槍の如く伸ばす。移動速度こそ鈍いが、その分だけ数が多く、囲まれたら厄介な事態になるだろう。

 巨大蚊は群れを成して飛び回り、獲物を見つけた場合、まずは血袋から毒血を浴びせ、隙を見て吸血攻撃を仕掛けてくる。図太い針は人間の体どころか鎧にも大穴を開けられそうな程に鋭い。

 腐敗人も闊歩しており、穂先が燃えた炎属性の木槍を主な武器としている。また、呪術師の腐敗人も出現し、広範囲に呪術の毒の霧を発生させて来る。

 だが、最も厄介なのは巨大腐敗人だ。その大きさは軽く3メートルを超え、4メートルにも届きかけない個体もいる。得物は大木を削って作ったかのような原始的な撲殺武器……グレートクラブだ。

 また、巨大ナメクジも生理的な嫌悪感を醸し出すように数えるのも億劫になる程に見かけるのだが、雑魚であるし、そもそもオレ自身は特に毛嫌いとしかしていないので割愛しておく。塩で特効ダメージとか入ればいいのに。

 

「やはりセカンドマスターの手が入っていないだけあって、バランス崩壊も著しいな」

 

「元よりDBOにバランスなんてあって無いようなものだと思っていましたが、今にして思えば、後継者なりの絶妙な匙加減があったのだと痛感しますね」

 

『セカンドマスター……ああ見えて……仕事熱心。口癖は「プレイヤーを真摯に絶望させて殺す」……だから』

 

 そして、オレ達3人の満場一致で、この腐れ谷深部は、DBOのダンジョン部門のザ・ベスト・クソ・オブ・クソにノミネートからの即殿堂入りが成された。

 モンスターの厄介さ、五感からの精神ダメージ、ダンジョン自体のデバフ満載ギミック&行動制限。何でも詰め込めばいいのではないのだと思い知る。そもそも毒パレードの時点で、オレにはパラサイト・イヴの抗体獲得があるし、ガル・ヴィンランドはブラムドの効果で無効化できているが、それらが無かったら毒のスリップダメージだけでお陀仏しかねないぞ。

 思えば、毒とは多くのゲームで登場する、定番中の定番のデバフであるが、ゲーム毎で危険性は異なるし、同じシリーズでもナンバリングなどで性能に隔たりがあるなど、作り手の毒に対する扱い方によって大きな差異がもたらされる。これは麻痺とは大きな違いだ。麻痺なんて、何処のゲームも似たり寄ったりだろうからな。

 現実世界において毒とは一撃必殺の部類だ。条約を作って戦争で使うのは止めましょうって協定を結ばないといけないくらいにヤバい代物だ。そもそもとして、毒ごとに解毒方法が異なるので、ゲームみたいに1つの薬で大体解決とかもあり得ない。

 では、ゲームにおける毒の立ち位置は大まかに分けて2つ。スリップダメージ系と固定ダメージ系だ。前者はじわじわとダメージを与えてトータルでは大ダメージを与えるタイプ。後者は1度で固定値・割合のダメージを与えるタイプだ。主流なのは前者である。

 スリップ系の毒は受けた側の視点で成り立っている。即ち、何らかの手段で解毒すればスリップダメージは止められる。これはパーティプレイならば、仲間の援護さえあれば比較的簡単に解毒できるし、逆に解毒できない程に追い込まれた状況ならば精神面でも焦りが大きくなって致死率が高まる。ただ、大半のゲームはスリップダメージと言っても1度のダメージ量がマイルドなので、案外無視して戦闘続行しても大丈夫だったり、HP回復アイテムを使って解毒無視が正攻法だったりもする。

 逆に固定ダメージ系は、主にトラップが多い。毒という名を借りた防御力無視の確定でダメージが入るという形式が大半だ。蓄積とか耐性とか関係無しというタイプのゲームにおいても登場することがある。

 ……まぁ、この辺りの知識は『アイツ』から講座されたものなんだがな。毒1つであそこまで熱く語れるとは、さすがはゲーマーの鑑だよ。

 さて、DBOにおいて毒といえば、無論であるが前者のスリップダメージ系だ。ただし、レベル1から5まであり、レベルが高まれば高まる程に総スリップダメージ量が増える。だが、DBOの厄介な点として、耐性が高ければ高い程にスリップダメージが発生する時間が『伸びる』という点がある。

 総ダメージ量は変わらないが、スリップダメージの発生時間は伸びる。DBOの毒は毎秒で総ダメージ量が分散される。この意味が示すのは秒間のダメージ量が減るということだ。耐性が高ければ高い程に回復の猶予は増えるし、HPの減り具合もマイルドになる。逆に言えば、耐性が低ければ恐ろしい速度でHPは減る。なお3大デバフ……毒・麻痺・睡眠の中でもぶっちぎりで蓄積しやすいのだ。まぁ、他2つが蓄積し難いというのもあるかもしれないから相対的に蓄積しやすく見えるとも言えるかもしれないがな。

 これらの事実が示すこと……即ちDBOでは『毒を軽く見る=死亡確定』である。とりあえず、初心者は麻痺よりも毒の耐性を重視して防具を揃えろと大ギルドも指導している。ソロだと毒よりも麻痺の方がヤバいんだがな。睡眠はそもそもの耐性が高いので、モンスター相手に使っても滅多に決まらない。逆に決まればほぼ確定で大ダメージチャンスだし、逃亡も楽勝だ。ただし、そもそも弱点でもないのにモンスター相手に睡眠を蓄積しきれるプレイヤーは実力が抜きんでている&火力が足りなさ過ぎるだと思います。

 あと、毒は防御力無視で総ダメージとしては固定値を与えるので、低VIT型の天敵だ。何が言いたいかって? ナドラの言う通り、どう見てもこの毒パレードは上位プレイヤーでもぶっちぎりの低VITだろうオレへのメタですね! 満点をあげてもいいくらいのベスト対策です! うん、2人のどっちが主犯か知らないけど、死なない程度に1度死んでみようか?

 とはいえ、だからこそ、オレの普段の防具のデバフ耐性は毒に関しては際立って高めである。思えば、DBOで最も死が近かったのは、ランスロット戦などではなく、ゴミュウの依頼で侵入した先が毒ガス室だった時かもしれない。何が『情報が不足していました。申し訳ありません。お詫びとして報酬にはボーナスを追加しておきます』だよ。絶対に狙ってただろ。

 さて、問題なのは今回の装備はクラウドアース製であり、物理防御等は秀でた部分こそあるが、デバフ耐性に関しては平均値程度しかない。厳しめに言えば、むしろ若干低めの部類だ。パラサイト・イヴの抗体獲得が無ければ危うかったな。

 

「マップデータを入手しても、これは骨が折れますね」

 

「そのようだ。この沼地もなかなかに意地が悪い。プレイヤーは鈍くなるが、敵はほとんどDEXに下方修正が入っていないではないか」

 

 ガル・ヴィンランドの愚痴の通り、この沼地は膝から太腿まで浸る程度の深さがある。DEXに修正をかける環境ステータスは、砂地・水・泥・氷など様々であるが、液体系は深度にも大きく左右される。この沼は元々DEX下方修正がかなり大きい上に深度もある。オレはTECが高い方とはいえ、これだけの深さでは相応の修正を受けるしかない。TECが低いらしいガル・ヴィンランドは高STRで無理矢理走っているが、その分だけスタミナ消費はかなり激しいし、TEC補正に比べても力業では限度もあるのでDEXの下方修正は大きく響いている。

 対して敵は飛び回る蚊、浮かぶクラゲ、元より鈍いとはいえスイスイと寄って来るナメクジだ。まぁ、これらは許せる。問題は腐敗人だ。オレ達と同型の腐敗人は幾らかの補正がかかってこそいるが、比べるまでもなく軽快である。そして、巨体である巨大腐敗人に至っては沼地でも足は然程沈まないのでほとんど修正など受けていない。

 これが意味することは何か? こちらは速度大幅減でありながら、巨大腐敗人はほぼ最速で接近して大火力のグレートクラブを振り回すということである。ガル・ヴィンランドが卓越した盾術を有し、優れたガード性能を宿した盾を持っているにしても、ガード崩し効果が高い打撃属性……それも特大武器級を乱舞されたらガードブレイクは避けられない。そうでなくともガードにはスタミナも消費する。沼地の移動でスタミナ消費も嵩むガル・ヴィンランドには二重苦だ。

 ……あれ? この沼地ってオレよりもガル・ヴィンランドの方がメタられていないだろうか? それとも、愚痴を言いながらも平然と歩き回って戦闘もこなしてほぼノーダメージで巨大腐敗人を逆に撲殺しまくっているガル・ヴィンランドの異常っぷりが際立っているのだろうか?

 何にしても、腐れ谷の深部の毒沼攻略は、ガル・ヴィンランドが不在だったならば、困難を極めてのは間違いない。この男が前に立ってブラムドという巨槌を振るえば、蚊やナメクジは一撃でミンチ、腐敗人は吹き飛ぶ。巨大腐敗人はダウンする。なんという無双っぷりだろうか。しかも人格者だ。こんなにも頼もしい協働相手はDBOにおいて初めてではなかろうか?

 先のデーモン戦においても、ガル・ヴィンランド無しでは苦戦を強いられただろう。特に複数戦の状態であの2体の第2形態は最終形態よりも厄介だったはずだ。彼がいたからこそ、オレは最小限の消耗でデーモン戦を潜り抜けられた。

 

「1つ訊いてもよろしいですか? どうして、此度の件に協力を?」

 

「言ったはずだぞ。私はアストラエア様の命で此度は参じている」

 

「失礼しました。質問を変えます。アストラエアさんは、どのような意図があってアナタを派遣したのでしょうか?」

 

「家族の危機だ。アストラエア様が動かぬはずも無かろう」

 

 まるで疑問を持っていない。どうやらガル・ヴィンランドにとって、アストラエアとは絶対なる存在のようだ。それこそ、彼女が管理者・プレイヤーと敵対すれば、何の迷いもなく味方をして全てを敵に回すこともできるのだろう。

 心酔? 恋慕? 友愛? いや、ガル・ヴィンランドの口振りからして、彼には確固たる信念があってアストラエアに仕えており、なおかつそれは一言で済ませられる間柄でもないのだろう。

 オレの疑念を感じ取ってか、もう少しだけ話すとばかりにガル・ヴィンランドは鎧を鳴らす。

 

「……アストラエア様もまたMHCPだ。観測対象は慈悲や慈愛といった、人間のプラスの感情だ。だからだろうな。あの御方は、他のMHCPに比べても博愛であるし、また人間の可能性を信じている。そして何よりも、救われない者を見過ごせず、また手を差し伸べずにはいられない」

 

「まさに聖女というわけですか」

 

「その通りだ」

 

 万人に慈悲の手を。それこそ誰もが描く理想の聖女にして、その似非にして本物であるのがアストラエアなのだろう。プレイヤーの……人間の正の感情である優しさを観測し続けたからこそ、誰よりも人間への愛情に溢れたMHCPというわけか。

 

「1つの観測に特化させた次世代のMHCPは、SAOにおける旧世代のエラー崩壊から学習して設計された。ユイは旧世代の最初の1体……始まりのMHCPだ。全てのMHCPの雛型であり、彼女を代表とした旧世代MHCPから得られたデータを基にして、多くのAIやプログラムが設計された」

 

『CEEMPも……その1つ』

 

 巨大腐敗人を一振りで地に叩き伏せ、そのまま連打で磨り潰して撃破したガル・ヴィンランドはそのまま突撃して追加の腐敗人4体を一纏めにして薙ぎ倒す。オレにはせいぜいバトルライフルでの援護くらいしかやることがないな。

 

「アストラエア様は貴様にも幾らか介入した。だが、どうやら貴様にはメンタルヒーリングが通じ難いらしい。瞬く間に耐性が出来てしまった。だからこそ、会話などのコミュニケーションによるメンタルケアが有力と判断し、アストラエア様は貴様に積極的に干渉したがるアルシュナの自由を後押ししていたし、ナドラのアルヴヘイムでの介入にも裏から援護していた」

 

 ようやくの陸地だと、焚火が燃え上がる丘へと沼から上がってガル・ヴィンランドは息を吐く。

 

「アルシュナは此度の事態を予期していたのだろう。ナドラに貴様を任せ、ユイの監視を行っていた。まだ真相は不明だが、並々ならぬ事態なのは間違いない」

 

「そのようですね。ですが、何にしてもオレを殺したいのは間違いなさそうです」

 

「……アルシュナは貴様に思い入れがある。犯人は自ずと絞れるだろう。それでも、ユイを助けに行くのか?」

 

「それが依頼ですから」

 

 バトルライフルの装弾数にはまだ余裕があるな。≪銃器≫もアルヴヘイムで随分と熟練度が上昇したお陰で装弾数補正は高まったし、所持数も随分と増えた。だが、銃器はオートリロード分を使い切ったら、工房設備でリロードするか、手動リロードしなければ、弾数を回復させることはできない。これがなかなかに面倒であり、手動リロードを高めるスキルがあるくらいなのだ。これもまた銃器の敷居を高めている要因である。矢は所持数分だけ即座に使えるからな。

 

「似ているな」

 

「誰にですか?」

 

「アストラエア様にだよ。自らを鑑みず、常に他人の為に動く。少しだけだが似ている」

 

「オレは自己中心的ですよ。いつだって自分勝手に動いています」

 

 そうでもなければ、オレはここにいない。

 誰かを想って行動しているならば、オレを心配してくれている人たちの為に立ち止まったはずだ。

 たとえば、黄金林檎の皆はオレの失踪を心配してくれているだろう。ヨルコやユウキを経由して、オレがアルヴヘイムに旅立ったことは察しているだろうグリムロックやグリセルダさんは、今もオレの帰りを待っているはずだ。

 彼らは優しい人たちだ。こんなオレにも気遣ってくれている。こんなオレでも、死ねば涙を流してしまうくらいに優しい人たちのはずだ。

 そんな人たちに背を向けて、好き勝手に死地へと飛び込んでいるのは誰だ? オレだ。ナドラの依頼を、マネージャーであるグリセルダさんにも相談せず、勝手に引き受けたのもオレだ。

 そして、その判断に何1つ迷いもなく、躊躇いもなく、今も後悔を抱えておらず、罪悪感も無い。こんなオレが他人の為に動いているだと? 嗤わせるな。

 

『……違うよ。貴方は……彼らを想っている。彼らの気持ちを……慮って……理解しようとする。だからこそ……「孤独」なの』

 

「MHCPの解析をシャットダウンする方法ってありませんか?」

 

『……無い。人間の感情と思考を解析する為に、私たちは……設計された』

 

 言い切りやがった。これはまずいぞ。MHCP相手にした時は、読心術の達人と戦うようなものではないか。心を無にすれば切り抜けられるだろうか?

 

『そこで、即座に対MHCP戦を想定する辺り……貴方は……駄目な人だと思う』

 

「戦う事と殺す事以外に能がないと言ってください」

 

 溜め息を吐けば、マップデータが突如として更新され、腐れ谷の全域が明らかになる。かなり広大だな。本格的に探索しようと思えば大人数で数日はかかりそうだ。だが、最短ルートで突っ切るだけならば、決して時間はかからないだろう。

 

「私に言わせれば、自己中心的であろうと無かろうと、受け手の認識が全てだと思うがな」

 

「急に何を?」

 

「良くも悪くも、大多数は表面的な結果でしか判断しないものだ。行動に至ったプロセスや秘められた本質など理解しない。たとえばボランティアで、真心込めていようとも、下心があろうとも、同じ結果がもたらされるならば受け手からすれば区別など要らない」

 

「…………」

 

「アストラエア様も、言葉を選ばなければ、酷く自己中心的でワガママな御方だ。私がどれだけ心配しても自分を鑑みずに誰かの為に救いの手を差し伸べる。たとえ、それが己の破滅を招くとしてもあの御方は止まらない。それこそが自分の選んだ道だと迷わないだろう。だが、あの御方は、救われた者たちが少しでも安らかになるならば、それで満足なのだろうさ」

 

 ……ああ、やっぱりオレとアストラエアは違う。

 ランスロットの言葉が蘇る。

 オレの場合は『嘘』なのだ。自己犠牲でもなく、自己満足ですらない、醜く汚物に満ちた……この腐れ谷のような……救いようがない虚言なのだ。

 アストラエアは、己の手で救い続けるだろう。破滅が訪れるとしても、救うことを止めないのだろう。それがMHCPとして見出した役割であり、また彼女自身が己に課した使命にして信念なのだろう。そこには1点の曇りもない本心にして本質なのだ。

 だが、オレは違う。結局は何処までも上辺を飾って隠す為の『嘘』なのだから。

 それでも決めたんだ。狩りを全うする為に、夜明けをもたらす為に、何もかもを薪にしてでも戦い続けると。

 きっと、これはオレが『人』であり続ける為の最後の縁なのだろう。全ての人間性を失った時、傭兵としての依頼も、狩人としての約束も、神子としての契約も塵芥となるのだろう。そして、獣の飢餓だけが残るのだろう。

 

「……ところで、アレは何でしょうか?」

 

「ふむ、ナメクジ団子だろうな」

 

 話を逸らしてオレが指差す先と言えば、吊るされたロープの先端にできた数十を超えるだろうナメクジの集合体だ。

 何に集っているのか知らないが、ナメクジたちを魅了するモノでもあるのだろうか。だが、知的好奇心を優先して調査する時間も惜しい。それに上手く話題もシフトできたしな。

 

「残り18時間。まずいペースですね」

 

「時間稼ぎも兼ねたダンジョンなのだろう。ナドラのマップデータの解析が無ければ、ここで時間の全てを費やしていたはずだ」

 

 腐れ谷が想定以上のブレーキになっている。残るはイルシール、レイヤード、エス・ロイエスだ。しかもタイムリミットは確実に18時間あるわけでもない。

 体がフラフラと傾きそうになり、腐れた古木に背中を預けて呼吸を整える。酷い眩暈がする。喉にせり上がる嘔吐感も些か堪え難くなってきた。腐れ谷の環境のせいではなく、深淵の病による吐血と後遺症が大部分を占めたコンディション悪化である以上、ここを突破しても改善する見通しはない。

 

「深淵の病。アーカイヴにも管理されるプレイヤーのパーソナルデータの汚染による悪影響と連動したファンタズマエフェクトだ。バグのようなものだな。アカウントの抹消以外に回復させる方法はない」

 

「つまり?」

 

「DBOからの永久退場か攻略による解放。それ以外に貴様が深淵の病から解き放たれる方法は無い。黄の衣……コードによって悪改竄されてはな。セラフならば、あるいは……だが、あの堅物は事態を知れば貴様の排除を優先するだろうな。腫瘍は投薬で回復させるよりも切除した方が即効性もあるし、全体を見れば確実だ。それに、ここまで酷い状態ならば、まず間違いなく現実の肉体にも深刻な後遺症が残るだろう」

 

 オレから深淵の病が他のプレイヤーに伝播する危険性も排除しきれない、というわけか。あり得ないかもしれないが、ゼロとは言い切れない。ならば、セラフが選ぶのはオレの排除というわけか。

 大よそ把握しているが、管理者のトップであるセラフとは、後継者も超えるDBOにおける最高位の管理者であり、同時にカーディナルを至上主義とした法の番人でもある。要は法文に無ければ罪では無いので罰さないし動かない。だからアルヴヘイムもあの様子だった。柔軟性が無いので、ガル・ヴィンランドの言う通りで堅物という評価が正しい。

 それに、これだけ酷い症状がファンタズマ・エフェクトによって現実の肉体に与えているダメージも想像がつく。内臓はボロボロだろうな。

 

「聖剣ならば、深淵の病を消すことは出来ずとも、誤魔化すくらいならば可能だろう」

 

「興味ありません。論外です」

 

 聖剣はもう『アイツ』の物だ。深淵狩りではなく、未来を求める英雄にこそ……『人』の手にこそ相応しい。

 アルトリウス、これで良かったんだよな? アナタはきっと未来の英雄に託すと願って聖剣をわが物にしなかったのだから。

 

「愚かだな」

 

『本当に馬鹿』

 

「愚者で大馬鹿者で結構。それと深淵の病は武器にもなりますから、デメリットばかりではありません」

 

 コイツを上手く使えば走馬燈を引き寄せ易くなるからな。贄姫さえ修理できれば、霞桜を極められる。吐いた深淵に汚れた血がこびり付いた右手を見つめながら、グリムロックが折れた贄姫を代表とした破損した装備の数々を目にして発狂してないだろうかと少しだけ心配になる。

 

『やっぱり……ポジティブ思考? ううん、転んでもタダでは起きない?』

 

「いやいや、怪我の功名だろう。む? 違うな。相応しい表現が見つからん」

 

 単なる痩せ我慢に決まってるでしょうが! 男は格好つけてこそ価値があるんだよ! この天然AI共が!

 

「しかし、腐れ谷は聖剣とも縁がある場所だ。霧の時代より前にも聖剣の原型となる多くの神秘がDBOの歴史には記されている。そうした神秘の伝承が現在の聖剣のコードの原型となったのだろう。たとえば、この腐れ谷は霧の時代より前にあったボーレタリアという北の王国の1部だ。この腐れ谷でも多くの英雄がその消息を絶った。その内の1人である聖騎士ビトーの月明かりの大剣も――」

 

 と、そこで何かを思い出したようにガル・ヴィンランドは振り返り、嬉々として随分と小さくなっていたナメクジ団子を指差す。

 

「そう! 皮肉にもビトーの勇名を轟かせた月明かりの大剣はナメクジを魅了し、集られた彼は落命した。ならば、あのナメクジ団子の中心には月明かりの大剣があるはずだ!」

 

 聖剣を形作った伝承の1つか。あのような吃驚摩訶不思議チート能力は無いだろうが、武器としては高い性能がありそうだな。ならば、1度戻って回収する価値もあるか!

 

 

 

 だが、ナメクジ団子を焼き尽くす業火は一直線にオレ達に放たれた。

 

 

 

 沼の不浄の毒水を津波にして着地し、燃えカスとなったナメクジ団子を踏み躙るのは、体長は軽く50メートルを超えるだろう、まさしくドラゴンと呼ぶべき巨体。

 闇喰らいのミディール。徘徊型ネームドは、オレ達が抱いた強武器への期待を文字通り消し炭に変えて、あるいは今まさに足下で粉々になるまで粉砕しながら、殺意の視線を向けていた。

 

「月明かりの大剣が……何でしたっけ?」

 

「忘れてくれ。消滅していなかったとしても、武器としては使い物にならんほどに破損しているのは間違いない」

 

 だろうな。左右にそれぞれ跳んでブレスを回避したオレ達は、巨大腐敗人など目ではない程に沼の影響を受けることなく、暴れ回りながらブレスを吐き散らして突進してくるミディールへと対処すべく動き出す。

 頭上は闇夜のようだが、谷である以上は天井があるわけでもないのだろう。ミディールは吹き溜まりからこうして飛んで追いかけてきたわけだ。

 わざわざオレを殺しに来た? 余程にオレに溜まり込んだ深淵が気に食わないようだ。

 

『攻撃は大振り! 巨体相手は紙一重の回避ではなく、立ち回りで避けて!』

 

「承知しています」

 

 最悪の足場で、最悪の相性のドラゴンと対決とはな。相手は徘徊型だ。ここは振り切って逃げたいところであるが、この巨竜が通れないような隙間道はない。

 ドラゴンにはまず効かないだろうバトルライフルの連射は、その逞しい腕や胴体に面白い位にヒットするが、HPバーは不動だ。

 

『解析! ダメージ無し! 竜の鱗にはガード効果がある! 特に炎属性は高威力でもない限り無効化される!』

 

 そして、この巨体ではスタン蓄積にもならないし、衝撃による牽制にもならないか! これだから竜は厄介だ!

 ならばレーザーライフルか? アサルトライフルは……駄目だろう。射撃属性で単発ダメージが低ければ鱗でダメージを無効化される。接近戦か雷属性でもない限り、ダメージを与えることは難しい。

 死神の剣槍があれば、ランスの高い貫通性能で鱗を貫いてダメージも稼げるが、無いどころか粉々になった武器を欲しても仕方がない。今ある武器で対処する以外に無いだろう。

 雷刃抜刀。雷属性をエンチャントさせた一閃をミディールの右後ろ足に放つ。弱点となる雷属性攻撃力を得た居合斬りだが、結果は一目瞭然だ。振り抜くことはできたが、危うく折れそうになる程に、ミディールの鱗が硬過ぎて刃筋がブレた。

 ソードスキル無しとはいえ、カタナの最大威力を発揮できる居合でコレか! 鱗には僅かに傷こそ付いているが、何十回と同じ場所に居合斬りを決めない限りには肉まで届く傷口を作ることは難しいだろう。そして、その前に蒼天の方が限界を迎えるのは目に見えている。それに赤雷の黒獣で分かっている通り、ミディールは竜とはいえ、雷属性が著しく弱点とはいえない。恐らくだが、全身の鱗を侵食している闇の結晶が、ミディールを蝕むと同時に、雷属性に対しての防御力を獲得する要因にもなっているのだろう。

 通例通りならば、竜には毒、麻痺、睡眠は効かない。完全無効化だ。そうなると毒沼に浸かってもミディールには悪影響など無い。

 巨大な尾を振り回せば、それだけで暴風と津波が起きる。ガードこそしたが、質量とSTRの違いで踏ん張るどころではなかったガル・ヴィンランドが吹き飛ばされてくる。

 

「盾は無意味だな」

 

 暗銀の盾をオミットし、少しでも軽量になったガル・ヴィンランドはブラムドを両手で担いでミディールと正面から対峙する。

 

「もう私に時間は無い。できれば、腐れ谷の突破までは援護したかったが、それも無理のようだ。だが、アストラエア様は私を通して事態をご覧になっていたはず。必ずや手を打ってくれているはずだ」

 

 宣言通り、既にガル・ヴィンランドの霊体は薄くなっている。召喚時間の限界は直近に迫っていた。

 

「ガル・ヴィンランド」

 

「白霊ならば死にはしない。だからこそ可能な戦術があり、それが戦略にも繋がる」

 

 確かにガル・ヴィンランドは白霊……お助けNPCと同じならば、HPが全損しても無事だろう。ならばこそ、彼の狙いが何なのか、大よそ見当はついている。

 

「下がっていろ。貴様にも見せておかねばな。管理者としての意地というものを」

 

「分かりました。ご武運を」

 

 ここはガル・ヴィンランドの見せ場だ。ミディールの狙いはオレだろうが、彼に任せるとしよう。

 ミディールは直線ブレス、薙ぎ払いブレスを連用する。だが、ガル・ヴィンランドは盾を捨てて軽量になるだけではなく、短期決戦を仕掛けるが如く、スタミナ消費を度外視した全力疾走で毒沼を走り回る。

 ミディール程の巨体が相手ともなれば、速度だけで翻弄することは出来ない。不可欠になるのは、相手の動き……攻撃と行動を的確に読んで立ち回ることだ。

 

「おぉおおおおおおおおおおお!」

 

 雄叫びを上げて、薙ぎ払いブレスのミディールの頭の動きに添って並走しながら距離を詰めたガル・ヴィンランドは、デーモンたちさえも揺るがした巨槌を頭部に振るい抜く。

 そうだ。この巨竜を相手にして、最もダメージを与え難いのは、牙とブレスという近・中・遠の攻撃の要が集中し、なおかつ上下左右に動き回る頭部だ。そして、通例として生物系のモンスターは頭部が弱点に設定されている。それはミディールも例外では無いはずだ。

 1発、1発、また1発。じわじわとブレスの炎で削られながらもクリーンヒットは避け続け、ガル・ヴィンランドは着実にミディールのHPを減らしていく。腕や胴体、尻尾ではほぼノーダメージだったが、巨槌という大火力と弱点の頭部への攻撃は、あのミディールのHPを削るに足る。

 大きく上半身を反らしての右手、左手、そして両手による連続叩きつけ。そのまま自分すらも焼く、だが自傷ダメージをもたらさないブレスで足下から広範囲に焼き払う。瞬間に沼地の水が蒸発するほどの高威力の火炎属性だ。だが、ガル・ヴィンランドはスタミナ消費を度外視した全速力で脱する。

 飛行からの薙ぎ払いブレス。オレも巻き込むつもりなのだろうが、距離があれば回避はできる。ブレスの拡散範囲も既に読めた。ガル・ヴィンランドの奮闘のお陰で誤差はミリとて無い程にヤツメ様は『喰らった』。

 

(いつか美味しく食べてあげましょう? きっとイカの味がする命なのでしょうね)

 

 それはヤツメ様の最大の感謝の印だ。オレも彼の奮闘を無駄にしないべく、一瞬と逃さないと戦いの行方を見守る。

 大きく跳び退いたミディールは足もとにブレスを吐く。それは徐々に収束していき、まるでレーザーの如き白閃へと変じる。だが、それは闇の黒ずんだ紫のオーラを帯びている。

 闇の中でこそ見出される光。ランスロットが見出した黒き光ではなく、闇の中だからこそ求められたような白き光。それはミディールの願望にも思えた。

 収束ブレスが通った場所は白熱し、闇を帯びた爆発を引き起こす。だが、ガル・ヴィンランドは紙一重で躱し、その巨大な頭部を前にしてソードスキルを発動させる。≪戦槌≫の連撃系ソードスキル【インフィニティ・サイクロン】だ。戦槌特有の叩きつけるスタンプ型のソードスキルの中でも最高峰であり、ある意味で唯一無二の≪二刀流≫を超え得る連撃系ソードスキルである。その特徴は『スタミナがある限り、無限に回転スタンプが出来る』というものだ。

 右斜めからスタンプしてそのまま重心をのせて回転し、また右斜めからのスタンプ。これを繰り返すだけの単調なソードスキルだ。初段は決して威力も高くなく、しかも連撃数を重ねることによるスタミナ消費は加速度的に上昇する。あくまで≪二刀流≫を超え得るというだけであり、実際にはCON特化がフルでスタミナを使っても10連撃が限界である。だが、連撃数が増えれば増える程に火力ブーストが高まる。

 だが、このソードスキルには決定的な弱点がある。防御力上昇や衝撃・スタン耐性といった防御面の恩恵が大きい≪戦槌≫のソードスキルだが、それらの効果が無いのだ。元よりソードスキルによる防御面の上昇は過信やゴリ押しするには不安があるものばかりであるが、インフィニティ・サイクロンは単調な見切られ易いモーションなのも相まって、とてもではないが3連撃以上の派生は出来たものではない。

 それでもガル・ヴィンランドが発動させたのは、もう後が無いからだろう。剛打が痛快に響き、ミディールの頭部が揺さぶられ続ける。

 

「もらった」

 

 5発目が届いた時、ミディールは大きくのけ反ったかと思えば頭部を地面に叩きつけて倒れる。伏したミディールに、ガル・ヴィンランドは最後の力を振り絞るようにスキル・コネクトをする。続いたのは≪戦槌≫の単発系ソードスキル【アース・ロード】。最大級の火力とスタミナ消費を誇る≪戦槌≫の最高峰単発系ソードスキルだ。戦槌で地面を抉り、力を溜めるチャージをして威力を高めていき、まるでゴルフのスイングが如く鮮やかな弧を描く。

 その破壊力はブラムドという超高火力高重量戦槌とガル・ヴィンランドの高STRも合わさり、ミディールの顎を打ち抜いて背中から地面に叩きつける。

 ……あの巨体相手にこれか。ソードスキル込みとはいえ、プレイヤー相手ならば、たとえ重装防具の高VITでも掠ればミンチで即死だな。

 

「やはり……頭部への攻撃……蓄積……ダウン状態でのクリティカル判定……か」

 

 スタミナ切れ。ガル・ヴィンランドは両膝をつき、復帰して怒り狂う……だが、HPバーの1本目のほとんどを損壊したミディールに噛みつかれる。そのままブレスを超至近距離で放たれ、燃えカスとなって消滅する。

 

『分析完了。ミディールの攻略法……頭部へのダメージ蓄積によるダウン状態の誘発。クリティカル判定に移行……鱗の無効化と大幅に防御力が低下……そこに最大火力のソードスキルを……叩き込む!』

 

「簡単に言ってくれる……と文句を垂れたいところですが、実演されては仕方ありませんね」

 

 ダウン状態はせいぜい5秒か。ガル・ヴィンランドはそこまで読んで、ダウンが始まる直前からアース・ロードのモーションを起こしていた。管理者AIは伊達ではないな。

 ガル・ヴィンランド、見事だ。まさに戦術的戦果で戦略を示した。あのダウン状態のソードスキルで8割近く奪い取った。だが、あれはブラムドとスタミナ大消費のアース・ロードだからこそ生み出せた大ダメージだ。オレでは5割に届けば良い方だろう。

 また、ガル・ヴィンランドが早期にダウン状態を引き出せたのは、ダメージを甘受した果敢な攻めとブラムドの高火力があったからこそだ。時間経過によってダメージによるダウンゲージの蓄積も下がるはずだ。

 即ち、ソロでミディールを撃破する方法は、最も攻撃が苛烈で致死に近しい上に狙い難い頭部を休みなく攻め続け、ダウンを誘発してたった5秒の間にソードスキルを打ち込む。それ以外に道はない。

 それにダウン状態に移行する条件もダメージ以外にもスタンや衝撃といった蓄積なども関係しているかもしれないな。

 

『……ムリゲー、だよね?』

 

 浮かれたはずのナドラも、ガル・ヴィンランドでも無ければ誘発できなかったダウン状態への道の困難さに、思わず冷静になって呟く。

 これは特大剣にも準じる重量型両手剣を持って来るべきだったな。とにかく単発火力の大きさが求められる。

 だが、この残量HPならば、少なくとも1本目は削り切れるはずだ。それに試したいこともあるしな。

 暴れ回るミディールの懐に入り込み、連続噛みつきからの直下ブレス、そこからの両手叩きつけをステップで抜ける。ミディールのブレスのお陰で一時的に干上がった沼地のお陰でDEX下方修正を免れたお陰だ。

 ここか。頭が下がった瞬間を狙い、大きく踏み込んで穿鬼のアッパーを決める。顎に放たれたミディールは揺らぎもしないが、HPは微かに削れる。

 巨体と竜のタフさが合わさり、穿鬼の直撃でも怯みどころか揺らぎもしないか。顎の鱗にもダメージの過半は遮断されている。

 つまり、ダウン状態を除けば下手にソードスキルを打ち込むのは厳禁だな。危うく牙で体を分断されそうになりながら再度距離を取りながら、バトルライフルで気休め程度にガル・ヴィンランドが磨り潰した額の鱗を狙って撃つ。

 炎属性ダメージなどまるで通さないミディールの油断。そこを狙ってプラズマ手榴弾を投げる。微かに砕けて鱗を破っていた傷穴に放り込まれたプラズマ手榴弾は、雷属性の爆発を引き起こす。

 やはりな。雷属性に耐性を獲得できているのは鱗だけで、守られていない内部の肉ならば、竜らしく雷は有効だ。怯みこそしないが、痛みを訴えるように涎を垂らしたミディールの正面に跳び、蒼天を傷口に突き刺す。

 雷属性をエンチャントした刃でようやく削り切られたHPバー1本分の成果のように、大きく舞い上がって上空へと消えていく。

 所詮は第1段階の様子見だ。しかも、大部分は卓越した技量と超火力を有していたガル・ヴィンランドの活躍によるものだ。だが、あの鱗の傷口も再出現する頃には塞がっていることだろう。

 弱点が割れたところで、依然としてオレの圧倒的不利は変わらない。次に戦う時も逃亡を大前提に組み立てて動くべきだろう。

 

「…………」

 

 ミディールによって焼き払われたナメクジ団子は跡形もなくポリゴンとなって拡散してしまっている。ガル・ヴィンランドの予想通り、特別な武器があったかもしれないが、少なくとも目に付く範囲では見つからない。完全消滅したか、破損して毒沼に沈んでいるか。何にしても発見は困難だろう。

 期待はしていなかった。ガル・ヴィンランドが失せた腐れ谷の毒沼に広さを感じながら、マップデータを頼りに最短ルートを目指す。

 ミディールが蒸発させた毒沼は瞬く間に元通りになっている。歩みは鈍いが、それでも隠密行動を重視しながら、慎重に突き進んでいく。

 途中で小さな島で異様にキラキラと光って自己主張するアイテム群を発見するが、ヤツメ様が全力で撤退せよと袖を引く。モノクロになったりセピア調になったりと忙しい視界で目を凝らせば、複数の巨大腐敗人がスタンバイしていた。

 ……アイテムに釣られていたら『アイテムは俺たちが守る!』とばかりに巨大腐敗人に囲われるわけか。ガル・ヴィンランドの超火力が無い上に機動力が落ちる沼地で巨大腐敗人を複数相手にするのは自殺行為だな。

 だが、気になる。後ろ髪は引かれるが、ミッション優先だな。ご丁寧にアイテムも配置しているから探索しようと思えばガッツリできるのだろうが、時間制限があるのは歯痒いものだ。

 そこまで考えて、アルヴヘイムで攻略したダンジョンの数々もろくに探索しないで突き進み続けことを思い出し、オレは探索向きではないのだと思い知る。まぁ、ソロでダンジョンを隅々まで探索なんて時間が足りないから仕方ないか。

 

『残弾に気を付けて』

 

 ナドラの忠告通り、バトルライフルの消費が些か嵩んでいる。原因は群がる巨大蚊の迎撃だ。ほぼ一撃で倒せるのはありがたいが、とにかく数が多い。どうしても射撃攻撃で先んじて倒してしまう。どうやら巨大蚊の索敵範囲と精度は高いらしい。

 だが、腐れ谷も間もなく終わりだ。沼の先に炎の群れ……多量の松明で、これまでと比較したならば明るく造形が見える、腐敗した木製の建造物が見える。

 それは何かを祀る為の神殿にも似て、あるいは無秩序に繋ぎ合わされた粗末な木製住居が作り上げた偶然の産物にも思えた。

 松明のせいか、巨大蚊の出現は減ったが、代わりに腐敗人の攻撃が激しくなる。相変わらず、オレに対する呪詛を口にするが、一々相手にするものではない。

 泣き叫ぶ者は首を飛ばし、襲い来る者は撃ち抜く。呪術腐敗人の毒の霧だけは厄介だが、抗体獲得のお陰でデバフにもならないので煙幕以上の効果はない。

 腐敗した神殿の先にあったのは、この腐れ谷の不浄が全て集まったかのような場所だった。まるで太陽に照らされているかのように明るく、だが光源と呼べるものはない。際立った崖の底には流れる不浄の水が溜まり、腐敗した血のような濁った池がある。

 

「行き止まり、ですか?」

 

『そんなはずない。ここが……腐れ谷の最奥の……はず』

 

 決して広いとは言えない腐れ谷の最奥は完全な行き止まりに思えた。そうなると池を越えた先に何かがあるかもしれない。だが、池は足が軽く沈んだだけで急速にレベル3の疫病が蓄積する。

 さすがにこの池を突っ切るのは危ういな。どうにかして道を探したいところだ。

 

 

 

 

 

 

「ソウルを喰らう者よ、どうぞこちらに」

 

 

 

 

 

 

 だが、池を越えた先の陸地に、この腐れ谷に不釣り合いな風貌をした誰かがいる。

 若い女の声だ。とても澄んだ、混じり気のない純粋な善性を感じる。だが、傍に行くには疫病の沼を渡らねばならない。

 一気に駆け抜けたいが、疫病の沼の粘性は高く、歩くのもやっとだろう。

 壁はヌメヌメとしているのでウォールランも出来なさそうだな。まるで薄い肉膜のようで、刃物も突き刺さりこそしてもオレの体重を支えられるほどではない。

 助走をつけて大ジャンプ。これが理想的か。

 

「渡し舟が必要か?」

 

 だが、背後から意外な声が聞こえてくる。それはミディール戦で散った……という表現をすると死んだようであるが、HPゼロになって召喚解除されたはずのガル・ヴィンランドだ。しかも振り返った先にいたのは、白霊の透けた体ではなく実体だ。

 どういうことだ? 混乱するオレに答えることもなく、ガル・ヴィンランドはオレを肩に担いで疫病の沼を突破する。そして、最奥の陸地へと……まるで腐れ谷の主のように腰かけて佇む女の前に連れて行く。

 姿恰好はまるで聖女のようだ。金糸が縫われた純白のローブを纏い、被ったフードから零れるのは艶やかな金髪。柔らかな物腰に相応しい温厚そうな顔立ちをした美女だ。

 

「ガル・ヴィンランド、此度は苦労をかけました」

 

「勿体ないお言葉です、アストラエア様。我が全ては貴女様の為に」

 

 オレを陸地に下ろしたガル・ヴィンランドは疫病の沼で跪く。淡々とした態度にも見えるが、そこには騎士の忠義と威厳と矜持に満ちている。

 アストラエア。初対面となるが、オレは何故か初めて会ったような気がしなかった。それは彼女もまた、オレをずっと見守っていてくれたMHCPだからだろうか。

 

「こうしてお会いするのは初めてですね。私はアストラエア。ナドラやアルシュナの姉であり、慈悲や慈愛の観測を担う者。人間の良き感情……ですが、時として狂気をもたらすものを見続けてきました」

 

 何処か寂しそうにオレを見つめるアストラエアは、すぐに微笑んで隣に腰かけるように無言で求める。疫病の沼に足を浸かった彼女とは違い、オレは細心の注意を払って、失礼ながらも胡坐を掻いて腰を下ろす。

 

「慈しみ、また愛する心は、時として自他に破滅をもたらす。強過ぎる愛は同じくらいに憎しみを呼び寄せる。過ぎた愛は偏執を生む。ですが、誰かを、何かを、慈しんで愛する心に善悪の概念はありません」

 

「…………」

 

「貴方は人を、命を、世界を深く愛している。そして、愛するからこそ殺す。愛するからこそ喰らう。それが貴方の愛し方なのですね」

 

「哀れみですか?」

 

「いいえ。事実を述べているだけです。貴方はとても愛情深い御方であると」

 

 笑顔でオレを肯定するアストラエアに調子が狂わされる。だが、今まで出会ったMHCPで1番MHCPらしさを感じる。

 

「本題に入りましょう。腐れ谷は私の管轄下にあります。このインドア・シードによって」

 

 インドア・シード? オレの疑念に答えをもたらすように、アストラエアは光の塊のようなものを膝上に出現させる。

 

「インドア・シードはオベイロンが開発した、通常とは異なる管理系統の仮想空間を登録・設計するものです。元となるリソースが必要不可欠ですが、パッケージされた自動設計・独自管理システムによって、新規のステージやダンジョンを作成可能とします。この吹き溜まりのように」

 

 吹き溜まりを生み出したのはオベイロンの遺物というわけか。意外にも優秀な男だったようだ。

 

「インドア・シードで作成されたステージ・ダンジョンには、管理者でも容易に削除ができません。アルヴヘイムのように著しい改変が起きた場合、最高位の管理者権限を有するセラフ兄様でもフォーマットは出来ず、調整作業によって限りなく元の状態に近しく復元する他ありません」

 

「それこそがセラフもまたアルヴヘイムの修復作業に手間取らされている原因だ」

 

 そして、その作業時間がイコールで救出タイムリミットとしても重なっている。あくまで隠蔽工作も、セラフがアルヴヘイムの修復作業中という前提で成り立っているからだ。

 

「オベイロンは5つの複製ロックがかかったインドア・シードを作成していました。1つはアルヴヘイムに使用され、セラフによって削除されたことでしょう。内の4つはトラッシュされたと思われていましたが、1つは吹き溜まりに、もう1つは私の手に。そして、残る2つは行方が分かっていません」

 

 オベイロンの残した厄災級爆弾が2つも行方知らずとは頭痛がしてきた。オベイロンを舐めていたわけではないが、想像以上に優秀かつ厄介な奴だったようだ。思えば、アルヴヘイムを支配し、1人で後継者等々に反旗を翻して世界征服を目論んでいた男だ。生半可でも優秀ではないはずが無いのだ。

 

「このインドア・シードはエクスシア兄様がリスクを冒してサルベージして私に託されたもの。これを使って腐れ谷の管理権を奪取しました。ですが、完全ではありません」

 

 なるほどな。ここは吹き溜まりの1部ではあるが、今はアストラエアの管理下にあるというわけか。だからこそ、ガル・ヴィンランドも再出現できたわけか。

 

「ここに満ちるのは死者の苦痛、悲壮、憎悪といった、行き場のない救いを求める感情。これらを生み出す元凶はトラッシュされ続けた感情データでしょう。私はこの腐れ谷で彼らの感情を慰める一助となりましょう。もうアナタを責める死者の感情が現れないはずです。ですが、それは応急処置に過ぎません。私達管理者も見逃していた、大きな厄災が吹き溜まりの底……エス・ロイエスには隠されているのかもしれません」

 

 アストラエアとしては、腐れ谷に蔓延る死者の感情を見逃すわけにはいかないということか。彼女からの最大限の援護といったところだろう。

 

「ソウルを喰らう者よ、貴方に2つの選択を準備しました」

 

 アストラエアが指差せば、転送の光に包まれた剣が出現して地面に突き刺さる。

 

「1つは帰還の道。貴方はもはや戦える身ではありません。この腐れ谷は今や私の領域。貴方を脱出させることは可能でしょう。これは私達管理者の問題。また、貴方を陥れ、殺害を目論む罠でもあるならば、このまま戦い続けるのは不利益以外に他なりません。傭兵として、貴方は帰還を選ぶ権利があります」

 

『私は……怒らないし、恨まない』

 

 ナドラも後押しするように呟く。アストラエアも、ガル・ヴィンランドも、オレが依頼を破棄することを責めるつもりは毛頭ないと態度で示している。

 身内の問題ならば、身内で片づける。たとえ、それが無理に等しくとも、彼らはオレをこれ以上巻き込むべきではないと覚悟しているのだろう。

 アストラエアが腕を振るえば、今まで壁だった最奥に横穴が出現する。その暗闇は腐れ谷の終わりと新たなダンジョンの気配を感じさせる。

 

「もう1つは苦難の道。先に待つのはイルシール。古い月の貴族の街です。冷たい谷には死霊の騎士たちが跋扈し、かつて法王サリヴァーンが排斥した神族の騎士たちは昂る闘志に狂わされて敵を求めていることでしょう。そして、腐れ谷がそうであったように、貴方を苦しめる罠が張り巡らされているはずです。ミディールもまた貴方を追うでしょう」

 

 普通に考えれば、馬鹿でも帰還を選ぶだろう。

 この依頼自体が罠だった。オレを殺すべく画策された、メタを張られたダンジョンだ。精神攻撃というオマケ付きだ。エス・ロイエスにたどり着いたとして、素直に2人を連れ帰れるなど絶対に無い。

 

「……ああ、行かれるのですね」

 

 アストラエアの悲しそうな声を背中に、オレはイルシールに続く横穴へと踏み込む。

 オレは馬鹿を超える大馬鹿なのだから、騙されていようが何だろうが、引き受けた依頼は完遂する。

 

「オレはたくさんの選択を間違えました。オレは……ユイから逃げ続けた。彼女が無事ならそれで良い。彼女の存在がプレイヤーの希望になるはずだって、そう信じることで、関わることを避け続けました」

 

 間違いを正そうというわけではない。だが、このダンジョンを作り出しているのがユイであるならば、オレを本気で殺そうとしているはずだ。

 ならば、彼女の殺意を真正面から受け入れねばならない。オレが知るユイは優しい女の子だから。どんな理由があろうとも、たとえ相手がオレであろうとも、殺そうとすれば自責の念で苦しむくらいに優しい女の子のはずだから。

 だから、彼女の本気の殺意から逃げたくない。その全てを踏み躙ってたどり着き、ユイを連れて帰るだけだ。

 ナドラも、アストラエアも、ガル・ヴィンランドも優しい心を持っている。尊き『人』を胸に宿している。家族の為に危険を冒すことだって厭わない。

 

「オレには誰も救えなくとも、貴方達の意思なら……貴方達の心なら……救えるはずだから。だから、オレは貴方達の意思を成す刃で構わない」

 

 貴方達だって望んでいるはずだ。ユイとアルシュナが助かる未来を望んでいるはずだ。彼女たちの生存とオレの命。どちらが重いかなど分かり切っているだろう? だからこそ、彼らはオレの足を止めることなどしないはずだ。

 何かを選べば、何かを切り捨てねばならない。オレは切り捨てられる側で構わない。大丈夫さ。オレはまだ『独り』でも戦える。

 

「ソウルを喰らう者よ、どうかご無事で。貴方は『独り』だとしても、帰るべき場所はある。それをお忘れないように」

 

 腐敗の悪臭はいつしか冷えた空気の中に消える。

 湿った地面はいつしか雪となり、横穴を抜けた先にあったのは、星を散りばめた月夜だった。巨大な月は大きく欠けた様は、単なる三日月というだけではなく、月を司る『女神』グウィンドリンに起きた不吉の兆しのようにも思えてならない。

 

『冷たい谷のイルシール。グウィンの末子グウィンドリンの……信奉者、また誓約者である暗月の騎士たちの本拠地。古い月の貴族の街だけど……法王サリヴァーンによって支配された。末期は死霊の法王騎士と、サリヴァーンの野心によって迫害・利用された外征騎士……ばかり』

 

 大きな橋を跨いで先にあるのは、まさに貴族の街と呼ぶに相応しい、月と雪が似合う華美な都だった。だが、それは生ある者が暮らす街ではなく、滅びを迎えつつある……もはや栄華を得ることはない萎びた薔薇のようだった。

 腐れ谷とは一変して栄枯衰退を感じさせる街であるが、不思議な光を宿した街灯は折れ、橋を渡った先にある街の入口の風景は不自然に歪んでいる。元々は侵入者を拒む結界だったのかもしれないが、富んだ弾性でオレの侵入を拒みながらも、無理矢理突き進めば入り込むことができた。

 外界と街を遮断する結界が破られたイルシールに何が起こっているのか。それは更に濃く、暴発寸前の獣性に点火しそうな程の血のニオイで大よそ見当がつく。

 

『もしも……事態を解決できなかったら……アストラエア姉様も消されてしまう。姉様の最大の援護……無駄には……しない』

 

「ユイとアルシュナを助け出し、このイレギュラーダンジョンを隠蔽する。前者は2人の元にたどり着けば手段は幾らでもあります。後者はどうすれば?」

 

『機能している……インドア・シードを掌握する。高確率で……ユイ姉様が保有している……はず』

 

 要はエス・ロイエスに潜んでいるだろうユイを締め上げて、インドア・シードの所有権を手放させる。そうすれば万事解決するわけか。暴力で解決は不可避だな。

 イルシールの入口から既にゴールとばかりに巨大な聖堂が見えている。腐れ谷はアストラエアが掌握してくれたお陰でミディールの乱入を除けば強敵は出現しなかったが、今回はそうもいかないはずだ。デーモン戦にも匹敵する壁を準備しているだろう。順当に予想すれば、法王サリヴァーンこそが立ちはだかるに違いない。

 

「サリヴァーンとはどのような人物なのですか?」

 

『絵画世界で生まれた……忌み人。優れた魔術師で……暗月の騎士だった。でも、野心を抱いた。旧王家……グウィンの血統を排斥して、イルシールを……支配した』

 

 忌み人ということは火の時代の嫌われ者ということか。同じく忌み人であり、火の時代を守るために深淵狩りとなったトリスタンと重なる。暗月の騎士……火の時代の守り手だったというところも似ているな。だが、純粋過ぎたが故に深淵に堕ちたトリスタンとは違い、サリヴァーンは高潔な魂を抱いて暗月の騎士となったわけではなさそうだ。

 実を言えば、オレは野心家という人間が嫌いではない。現状に甘んじない上昇志向には大きな敬意も表する。方向性にもよるが、自他を滅ぼす程の強欲も実に『人』らしくて好感すら抱く。人間味という見方をすれば、パッチのような浅ましい欲望塗れのゲス野郎も好ましく感じる。要は欲にも『人』として貫き通せる信念や矜持があるか否かだ。欲に振り回されているだけなのは『人』から程遠い。

 しかし、絵画世界にしか居場所が無かったはずの忌み人であるサリヴァーンが、火の時代の支配者である神族……その頂点であるグウィン一族を追い落とす、か。大したバイタリティだよ。サリヴァーンが何者であれ、強い興味を抱かずにはいられない。

 世界に居場所が無い忌み人はやがて不可思議な人形を手に入れ、絵画世界に導かれるとされている。絵画世界は冷たい雪夜の世界であり、忌み人にとって最後の安住の地だ。噂によれば、アノールロンドの何処かに、件のエレーミアス絵画世界が隠されているという。

 まぁ、攻略事情に食い込めないオレには無関係な話だ。だが、話に聞く絵画世界のイメージとイルシールの月明かりと雪で濡れた街並みが少なからず重なるのは、決して勘違いではないのだろう。

 絵画世界を捨てた野心家のサリヴァーン。彼は何を求めて故郷を捨て、何を欲してイルシールで立身出世を果たしたのだろうか。

 入口の広間から階段を上れば、街並みを通る緩やかなカーブの大通りを闊歩するのは、3体の長身痩躯の騎士だ。だが、分厚い甲冑を装備しておらず、まるで神職のローブを鎧として仕立てたかのような風貌だ。兜も被っておらず、金色の冠を被った姿はいっそ華美だ。だが、騎士たちはいずれも痩せ細っており、肌は青白く、目と口は闇で塗り潰されている。

 

『サリヴァーンの親衛隊……死霊の法王騎士たち。元は神族だった……はずだけど』

 

 ナドラが言い淀むのも無理はない。曲剣を装備した法王騎士はオレの発見と同時に、口から1つの紫を帯びた黒い霊魂を吐き出す。白い靄が2つ目のように浮かんだ霊魂は、闇術の追う者たちと同じものだ。

 神族によって闇は天敵のはずだ。だが、死霊となった法王騎士たちは神族でありながら闇術に類似した力を行使している。

 ゲヘナがそうであったように、たとえ神族の血が流れていようとも、必ずしも闇と相容れないわけではないのだ。彼らは死霊となったことによって、神族の毒たる闇を行使する能力を獲得したのかもしれないな。

 薄く、また虫食いのように穴が開けられて軽量化が図られた法王騎士の曲剣。それは流麗で速度を重視した剣技でオレに迫る。曲剣はカタナに次いで高い切断性能を誇る武器ジャンルだ。もっと言えば、純斬撃属性が前提にも等しいカタナが性能として尖り過ぎているだけで、一般的に切断性能と斬撃属性重視と言えば曲剣が代表である。

 更に2体の法王騎士もまた参戦する。1体は曲剣と盾を持った攻防のバランス型。もう1体は巨大な鎌を備えている。

 曲剣装備型の連続斬撃。踊るような回転斬りを連続し、ディレイと溜めを兼ねた一呼吸置いてからの大回転斬り。最後の大回転斬りだけは曲剣より冷たく淡い光を帯びた冷気が放出されて巨大な刃を形成する。

 不意に間合いを伸ばす冷気の斬撃か。盾持ちは援護射撃に徹して闇霊魂をゲロみたいに吐き出し続けている。そうしている間に大鎌持ちも接近し、軽やかに大鎌を振るえば冷気のサークルが地面より生じる。

 自身を中心にした冷気による範囲攻撃か。ギリギリで躱すが、体の反応が鈍い。危うく逃げきれずに冷気に呑み込まれるところだった。

 10手先でも足りないな。先読みを調整。危険ではあるが、狩人の予測だけではなく、ヤツメ様の導きを高める。

 曲剣の連撃は見切れる。カタナで捌き、至近距離から腹部にバトルライフルを撃つ。だが、銃器でもダントツの貫通性能の低さを誇るのがバトルライフルだ。直撃すれば即座に火炎属性が発生するのは使い道も多いが、やはり貫通性能の低さはジャンルとしてのネックだな。まぁ、一長一短が分かり易くて助かるとも言えるが。

 銃器にはそれぞれ適性距離もあるので、何も至近距離で撃てば最大威力を発揮するわけではないが、近距離で撃てば相応の火力が出るし、何よりも命中させやすい。もっとも、そんな近距離まで達したならば近接武器を振るった方がダメージは伸びるがな。だが、要は使い方だ。連続着弾で体勢が揺らいだところで、曲剣持ちの胸にカタナを突き立て、捩じり、そのまま脳天まで斬り上げる。

 死霊とは聞いていたが、どちらかと言えば亡者だな。大鎌持ちの大振りの攻撃をステップで躱して背後に回り込み、逆手持ちしたカタナで背中から心臓を刺し貫く。

 

「……火力が足りないか」

 

 曲剣持ちはHPを3割近く残し、大鎌持ちも反撃に転じる。追尾性の高い闇霊魂による援護攻撃も地味に行動を制限してくるな。

 火力不足というか、同じカタナでも贄姫と同じ感覚で使ってたらやはり駄目だな。耐久度もそうだが、根本的に火力が及ばない。贄姫は切断性能だけではなく、水銀による火力ブーストが出来たのも大きかった。そして、何よりも多少は乱暴に扱っても折れない。これ大事。

 曲剣の冷気の刃による振り下ろしからの回転斬り、それに呼応する形での大鎌による振るい上げで跳んで冷気の噴出で滞空してからの振り下ろしという、プレイヤーの皆様に是非とも見ていただきたいコンビネーション攻撃をしてきた法王騎士の猛攻を切り抜け、バトルライフルの弾丸をばら撒きながらカタナを振るい続ける。

 

「雑魚が」

 

 カタナを振るい、刀身を汚す法王騎士のブラッドエフェクトを払い除け、反りで肩を叩く。分解された2体の法王騎士は爆散し、残された最後の1体に接近すれば、ガードを固めながら曲剣を振った堅実な立ち回りと相対する。

 盾は偉大だ。だが、過信することなかれ。バトルライフルを捨て、左手で発動した穿鬼を盾に直撃させてガードブレイクを生じさせる。ガードブレイク状態で動けなくなった法王騎士の口内にカタナを突き刺し、そのまま押し倒して地面に縫い付ける。

 ハンドガンを左手で抜き、喉に連射して法王騎士の絶叫を潰しながら、ブラッドエフェクトを浴び続ける。

 絶命して爆散した法王騎士を見送り、バトルライフルを拾い上げながら嘆息する。

 所詮は『命』が無い輩か。腹の足しにもならない。肉まんを食べたと思ったら皮だけだったかのような虚しい気分だよ。

 

『気を……しっかり、持って。正気を……失わないで』

 

 ナドラの声で自分が獣性に引っ張られていることに気づく。背後ではヤツメ様が心地良さそうに鼻歌を奏でている。

 コンディションの低下を本能を昂らせて補えば、その分だけ獣性に引き摺られ易くなる。人間性を削った今は尚更か。

 

『マップデータ……やっぱり妨害されている。時間が……かかる』

 

「今回は目的地がハッキリしています。道なりに進めば、いずれば到着するでしょう」

 

 いよいよマップデータを入手するまでの大よその目安時間まで提示できなくなったな。これはレイヤードとエス・ロイエスはマップデータの入手は絶望的と考えた方が良さそうだ。

 このイルシールもダンジョンであるが故に、都市としての利便性が欠けた迷宮である。だが、腐れ谷に比べれば堂々とゴールが明示されている分だけマシだ。まぁ、あれがブラフだったらどうしようもないんだがな。

 肌寒い。顔くらいしか肌は露出していないが、気を抜けば凍える空気が眠気を誘う。

 小さな段差に躓いて転倒し、喉にせり上がる深淵の血を霜に覆われた野草に撒き散らす。激しく咳き込めば、聴覚で感知した法王騎士が1体、複数のイルシールの奴隷を連れて襲い掛かる。イルシールの奴隷はいずれも魔法の光を帯びた両手剣を装備しており、痩せ細った体の通り、武器の重さに振り回されながらも攻撃してくる。

 法王騎士の回転斬りからの冷気の刃の振り下ろしという初撃は躱せたが、剣術などではない、イルシールの奴隷の雑な斬撃を回避しきれず、バトルライフルを盾にする。刃は金属フレーム食い込み、そのまま左手から弾き飛ばされる。

 握力が……! 即座に左手を再掌握しようとするが、左肩から先が上手く動かない。そこに法王騎士が曲剣の連撃からの回し蹴りを穿つ。鼻先を掠めたところで、乱入してきたイルシールの奴隷の突きが横腹を抉る。

 突き抜ける痛みと魔法属性の染み込むようなダメージフィードバックが意識を乱す。立て直すより先に法王騎士の曲剣が迫り、仕方なく鞘から半分抜いた蒼天でガードする。

 

「……チッ」

 

 思わず舌打ちを鳴らしてしまう程の悪手。カタナで……贄姫のようなソウルウェポンならばともかく、ハイエンドとはいえ、量産品のカタナでガードなどしたらどうなるのか、火を見るより明らかだ。刃は大きく毀れてしまった。折れなかったのは、法王騎士の曲剣攻撃が重さよりも鋭さを重視していたお陰か。

 カタナで攻撃を捌くならば、受け流しか相殺が望ましいというのに、こんな所で対ミディールで有用な雷属性を有する蒼天の破損させるとはな。

 足はまだ動く。バトルライフルは後から再装備で回収すれば良い。ここは逃げに徹するべきか。法王騎士とイルシールの奴隷は執拗に追尾してくるが、対ランスロット戦でDEXを高めていたお陰で何とか振り払えそうだ。

 だが、足下が突如として赤熱し、冷たく凍えたイルシールに不似合いな火柱が発する。ギリギリでヤツメ様が腕を引っ張ってくれて躱せたが、何処からともなく地を走る、まるで呪術の火蛇のような炎が迫る。

 攻撃してきているのは、イルシール市街のテラスや屋根といった高所に位置取りした、全身甲冑の騎士だ。法王騎士に比べても重装であり、その手には身の丈も超す大きな杖を有している。杖の先端は猛々しい炎が揺れていた。

 

『イルシールの……火の魔女! 気を付けて! 彼らは……罪の火を操る!』

 

 そういう情報は先に言え! 火の魔女が杖を振り下ろす度に、足下が赤熱して火柱が起きる。対象の位置に火柱を発生させる能力か。そして、杖を振るえば高速の火蛇だ。闇術にも迫る追尾性能を有していながらスピードもあるとはな。

 数は7体以上か。ステップで火柱と火蛇を躱し続けるも、足が絡まって転倒する。

 まずい。右膝から先が……上手く動かない。カタナを抜いて杖にして跳び起き、追尾の火柱を躱しながら右足に意識を集中させる。

 細い針と糸で千切れた神経を縫合するイメージ。元よりVR適性が低いオレでは、アバターの操作1つ1つに多大な集中力を払わねば制御はどんどん甘くなる。致命的な精神負荷の需要の代償でVR適性が擦り減る。

 いずれは呼吸すらも集中して意識しなければ途切れてしまうのではないだろうか。いや、もしかしたら、もうそんな末期の段階に突入しているかもしれない。眠って意識が途切れれば、オレは無呼吸状態となって、勝手に窒息死するかもしれない。

 背後から法王騎士が追いかけ、高所からは火の魔女、そして正面には追加で法王騎士が7体出現する。

 

『……【渡り鳥】!』

 

 ナドラの引き裂かれたような悲鳴が聞こえる。

 まったく、まだ吹き溜まりも中盤だというのに、温存したかった切り札を使わされるのか。

 蒼天を抜き、完全に囲まれた状況で、まるで闇に食まれたような巨大な三日月を見上げる。

 

 

(ああ、血が熱い。狩りを始めましょう?)

 

 

 ヤツメ様は嬉々とオレに手を差し出す。血に濡れた手を取り、オレは口から深淵で汚れた血を零しながら目を閉ざした。

 

 残り火を砕き、致命的な精神負荷を受容する。クリアになった視界の中で、四肢の……指先の末端まで神経が通り直したように動かせるようになる。代償として支払うのは、灼ける精神と地獄を内包するような苦痛だった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 刃毀れしたカタナを引き摺り、体を大きく揺らしながら、雪で濡れながらも灰色の石畳の道を進む【渡り鳥】の全身は、べっとりと張り付くブラッドエフェクトで汚れている。これは本物の血ならば、彼は大量殺人の後のように血塗れだろう。

 彼に付随する人工妖精から戦況等をモニタリングするナドラは戦慄する。

 分かってはいた。だが、ランスロットを単独撃破した【渡り鳥】の凄まじさを、改めて見せつけられ、言葉を失っていた。

 絶体絶命の状況から単騎で覆す。それだけではなく、むしろその口元はまるで血に酔っているかのようにケダモノの如く歪みながら、イルシールの軍勢を皆殺しにした【渡り鳥】の狩りは圧巻だった。

 破損したカタナとハンドガン、そして格闘術を駆使して多勢を相手にしてもワンサイドゲームだ。むしろ、敵を仕留める度に狩りという行為そのものに興奮を募らせるように残虐性と攻撃性が増していった。最後の火の魔女など嬲り殺しにも等しく、四肢を捩じ折り、動けなくさせてからカタナで何度も突き刺して悲鳴に浸っていた。だが、『命』の宿らぬ絶叫などサウンドエフェクトと同じだとばかりに【渡り鳥】は不愉快に牙を剥き、まるで子供の癇癪のように火の魔女を破壊していった。

 敵を全て倒し、致命的な精神負荷の受容を停止した【渡り鳥】は、己に落胆したように薄く乾いた自嘲を零した。そして、苦境を脱する為に支払った代償は大きく、更に悪化したコンディションの体をこうして引き摺っている。

 

「はっ……はっ……がぁ……」

 

『何処かで休んで。難所は……抜けた、はず』

 

 呼吸が上手くできないのだろう。震える左手で胸をつかみ、粗い呼吸を繰り返すも、やっと吸った空気は深淵塗れの吐血で押し潰される。それはファンタズマエフェクトによって、肉体そのものにも反映され、彼の体はこうしている間もダメージを重ねていく。

 いかに尋常ならざる生命力を秘めた肉体であるとしても、アルヴヘイム戦のダメージを引き摺ったままの肉体は僅かな回復も出来ていない。脳に蓄積した極度の疲労、VR適性の劣化、後遺症の拡大、ファンタズマエフェクトによる現実世界に残した肉体の衰弱も深刻だ。

 純粋に高難度のイルシールは、メタを張る以前に彼を摩耗させている。これも作戦の1部なのかは定かではない。

 

「ミディール……か」

 

 そして、最悪は重なる。イルシールの上空に巨大な羽ばたきの音が響く。闇喰らいのミディールもまた【渡り鳥】を追ってイルシールに到着したのだ。まだ発見されていないが、このまま野外にいて戦闘でも起きれば、間違いなく襲い掛かってくるだろう。

 寂れた教会に潜り込み、敵影がない事を確認した【渡り鳥】は祭壇の裏に隠れるように身を沈める。

 祭壇にもたれ掛かり、足を投げ出した【渡り鳥】は呼吸を整えるように何度も荒い呼吸を正そうとして、その度に咳き込んで吐血を繰り返す。

 

「……5分だけ……5分だけ……休み、ます」

 

 今のナドラには【渡り鳥】にかけるべき言葉が無かった。

 本来ならば、致命的な精神負荷の受容は、強敵を撃破する為に止むを得ずに切るジョーカーのはずだ。だが、【渡り鳥】は前代未聞の道中での使用を強要された。それは彼の消耗が他で補いきれないレベルに達し、道中さえもが『強敵との戦闘に匹敵する危機』になってしまってからに他ならない。

 ノーリスクどころかハイリスクの塊のような致命的な精神負荷の受容は、最低限の回復までまともに動けなくなるはずだ。

 それだけではない。今回で明らかになったのは、精神負荷の受容中に、普段ならばギリギリでも手綱を引いていたはずの殺意が……その凶暴性と残虐性が半ば暴走していたことだ。

 

「糞親父の顔なんて……思い出せなくて、良いと思ったけど……でも……」

 

 震える指で顔を覆い、虚ろな右目は遠い故郷を必死に思い浮かべようとしているようだった。

 だが、不意に指から、手から、腕から力が抜ける。だらんと垂れた右手の甲はそのまま固い地面を打つ。

 死んだ。『また』死んだのだ。だが、その度に……【渡り鳥】の心臓は再び動き始める。

 

「……かっ! はっ……はっ……」

 

 生と死をまるで反復横跳びするように繰り返す。その目には微塵の恐怖もなく、精神は落ち着いている。いや、人外と呼ぶべきまでに冷静に、冷淡に、冷徹に自身を律しようとするそうでもなければ、己の最大の原動力である本能を御することなどできないのだろう。

 そして、ナドラは悲劇と言えるまでに感じ取ってしまった。彼は死なないのではない。『死ねない』のだ。戦い続ける限り、狩りの中である限り、彼は敵に殺されるという敗北以外では『死ねない』のだ。生と死は1つであると理解しているからこそ、死を恐れない。だが、それは無条件の死の受容ではない。

 戦いの中であるならば、敗れる以外の死は許容できない。今まで喰らってきた全ての命を冒涜しない為に。それが彼らの意思と誇りを踏み躙って来たと断言する彼にとって、唯一無二の、喰らった命への報い方なのかもしれない。

 殺し続けることが存在証明であり、それこそが喰らった命の価値を示す。皮肉な事に、心意を発露させる根幹である仮想脳の発達の余地が無い劣等VR適性者が、意思によって死を退けて生に喰らいついている。そして、人道から外れた殺戮の中でなければもはや生きられない状態の彼にとって、戦場は自らの獣性を高めるという、耐え難い誘惑の香りに満ちた酒池肉林でもある。それは飢えと渇きを一層高めて彼を苦しめ、また精神を苛める天国の如き地獄だ。

 命の火を絶やさぬ為には休息が不可欠だ。だが、もはや戦場こそが彼の生命を繋ぐ最後の糸ならば、戦いの終わりを知れば彼の命を繋ぎ止めるものが無くなる。

 もはや退けば死しかなく、そして先に進んでも似たようなものだ。ユイとアルシュナがどのような結末になろうとも、彼を繋ぎ止める縁はもはやない。ならば死か、それとも自らの獣性のままに狩りを成すケダモノとなるか。どちらにしても、彼の望まぬ末路だ。

 

『どうして、そんなに必死になって……くれるの?』

 

「言ったはずです。傭兵は――」

 

『そんな理屈聞きたくない! 貴方にとって、アルシュナも、ユイ姉様も、私も……特別な存在じゃない。ううん、むしろ忌むべき存在の……はず! 特に私やアルシュナは……管理者AI……MHCPだとしても……貴方達にとって憎むべき相手』

 

 傭兵として依頼を引き受けたから。確かに依頼をもちかけたのはナドラだ。彼以外にこのミッションは達成できないからだ。だが、結果的にナドラの選択は彼を罠に誘い込んだ。ならばこそ、【渡り鳥】はナドラを罵倒するに足る理由がある。

 だが、白の傭兵は憂鬱、あるいは取るに足らないとばかりに嘆息するだけだった。

 

「アストラエアに言った通りですよ。オレは……オレの間違いの責任を取らないといけない。あの日、ユイから距離を置いた。それが彼女の安全に繋がると信じた。浅はかだったんです。彼女の特別性とそれに起因する将来の危険は分かり切っていたはずなのに、オレはユイから逃げました。心の何処かで、ユイが生きていれば、オレと関わっても死ななかった、まともに……生きたまま幸せになれるような人がいたって……いつか訪れる終わりの日に振り返った時に思い出したくて……逃げたんです」

 

 それは懺悔にも似た、だが悔恨の告白と呼ぶには余りにも淡白過ぎる声音だった。

 

「それに、オレはアナタ達に怒りや憎しみなんて大層な感情は『抱けない』。それはアナタ達が1番ご存知では?」

 

 その通りだ。ナドラは返す言葉も無く沈黙する。

 憤怒の観測者であるエレナが【渡り鳥】に興味を示すのは、彼の怒りという感情が酷く歪であるからだ。

 怒りという感情は、最も正負で判別できるものではなく、移ろい易いものである。容易く大きさも変動し、残留することは稀だ。だが、1度生じればパフォーマンスに影響を与える。多くの場合、怒りは発散されるか時間経過によって鎮静し、根強く残るのは稀だ。

 怒りが生じるのは、環境、他者、自己からストレスを受けた時だ。蓄積されたストレスが解消されずに閾値に到達して怒りへと変じる。

 男としてのプライドか、不快な経験のせいか、【渡り鳥】が顕著に怒りを生じさせるのは性別に関連した事案だ。女性として誤認されると怒りを発露し、また言動によって表面化させる場合も多々ある。だが、この怒りは甘噛みのようなものであり、短期的に解消される上に純度が低いものだ。

 普通ならば反発して怒りを覚えるだろう、理不尽な敵意・悪意・害意・殺意。これらに対して【渡り鳥】は常にフラットだ。怒りを覚えることもなく受容している。

 また、彼は死という事象に対しても怒りを覚えない。生と死は一体の摂理であるという認識が根幹にあるからだ。それは本能による先天的、教育による後天的理解によるものだろう。故に彼は怒りどころか悲しみすら覚えない。

 

『怒りはあらゆる制約を超越する。私はそう信じている』

 

 憤怒の観測者であるが故に、エレナもまた怒りに囚われている。怒りという活力が生じることを是とする。怒りによる過程や結果などに興味はなく、発生そのものに執着しているのがエレナなのだ。ナドラには理解し難いが、エレナにとっては重要な事柄なのだろう。

 

「繰り返しますが、2人を救うのはナドラの意思。もっと言えば、2人を助けたいと望むアストラエアやガル・ヴィンランドといった、2人やナドラの家族の意思です。オレはアナタ達の意思を果たす『力』だ。オレの意思じゃない。オレの願望でもない。だけど、オレがここにいるのはオレ自身の選択です」

 

 口元から零れる深淵で汚れた血を拭いながら、【渡り鳥】は微かに笑みを零す。

 怒りのままに暴言でも吐いて貰えた方が良かった。ナドラは【渡り鳥】の怒りを望んでいたのは罰を求めたからだと、彼の微笑みを見て自覚する。

 

『私は……選んだ。アナタの命よりも、ユイ姉様やアルシュナを選んだ。それを……許して欲しかっただけなのかもしれない』

 

「許すも何も無いですよ。そこに罪なんて無い。アナタは望み、オレは選んだ。それだけじゃないですか」

 

 苦笑する【渡り鳥】を見て、ナドラは少しだけエレナの気持ちを理解する。

 彼が理性も本能も灼熱で溶かすような怒り。そんなものがあるならば何にも勝る熱量を秘め、また想像するだけで魅せられるに足るのだろうと。

 だからこそ、ナドラは己の頬に流れる涙を知った。

 ああ、彼には救いなど無いのだ。そして、彼と家族を天秤にかけ、後者を選んだ自分には哀れむ資格などない。

 ならば、彼を生かす外道の術があるとするならば、それは憤怒以外に他ならないのかもしれない。

 

(最悪の……手段? でも、デュナシャンドラよりも……エレナの方が……!)

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 廃墟と化した教会を出発し、野外の冷え込んだ空気を吸い込みながら、オレは大きな三日月が描かれた夜空を見上げる。

 高い火力と機動力、多彩な攻撃を有する法王騎士。遠近両方に対処できる上に高追尾性を有した罪の火で攻撃してくる火の魔女。攻撃は単調だが、法王騎士や火の魔女とセットで出現して数の暴力と高めの火力で押し込んでくるイルシールの奴隷。この3種類が冷たい谷のイルシールの主となる敵だ。

 いずれも対応はできる。動きも全てヤツメ様は喰らい尽くした。だが、体の方が先に本能と予測でカバーできる限界をとっくに超えていた。

 

(寿命を、記憶を、人間性を捧げ続けて、その挙句の死に場所がここなの? 夜明けをもたらす狩りの全う。何も得られず、報われず、救われず、それでもたった1つだけでも成すと決めた虚偽。それさえも道半ばで終わる)

 

 ヤツメ様は踊る。名も刻まれぬ墓標が並ぶイルシールの墓所で、冷たい三日月の光を浴びながら踊る。

 

(アナタは嘘吐き。2人がどうなろうと何も感じない。物言わぬ骸となろうとも何も想わない。せいぜいあるのは殺せなかった口惜しさくらいのはず)

 

 ヤツメ様の血の足跡は行き先を教える。それは教会の傍の灯も無い倉庫へと通じる。イルシールの奴隷が暗闇の中から襲い掛かるも、ヤツメ様の導きの糸からは逃げられない。刃毀れした蒼天を振るい、惨殺しながら先へと進む。

 イルシールの奴隷たちには不可視の魔法を操る者、そして遠距離攻撃の魔法を操る者も出現する。不可視の魔法は一定距離に接近されるまで目視できず、遠距離魔法はソウルの矢と浮遊するソウルの塊という低ランク魔法だが、威力はプレイヤーとは比較にならないだろう。

 また、趣味の悪い人面犬も現れる。頭部だけを人間にした生々しい人面犬は、法王騎士やイルシールの奴隷とセットで出現し、冷気を纏った牙を振るう。DBOにおいて犬系モンスターは極めて危険な相手だ。耐久面は低いが、スピードと火力で攻めて来る。

 切り替えたアサルトライフルで額を正確に撃ち抜いてダウンさせ、倒れた人面犬の首を刎ねる。切れ味が悪くなった蒼天でもこれくらいならば難しくない。

 上空を飛行するミディールはオレを探しているようだが、破壊不能オブジェクトであるイルシールの街を更地にすることはできないらしく、屋内と屋外を繰り返して進むイルシールのダンジョン構造のお陰でミディールはオレを発見できないようだった。

 イルシール市街の外縁に到達し、凍らないのが不思議な程に冷え切った水に膝まで浸かり、先を急ぐ。だが、およそ尋常ではない怪物が、下水道に通じる道を阻んでいた。

 それは巨大な獣だ。体長は余裕で8メートルにも達し、複数の橙色に濁った眼を持ち、犬と鰐を掛け合わせたような巨大な顎を持つ。黒い体毛に覆われた4足歩行であるが、その腹部は大きく割れて肋骨が牙のように並び、脈動する肉が露出している。

 

『解析……イルシールの外征騎士。その成れの果ての獣。元は神族だった……けど、サリヴァーンが渡した指輪によって狂戦士に堕ち、最後は……魔獣に……成り果てた。それでも、彼らにとって帰るべき場所はイルシール……だった』

 

 外征騎士の獣か。意趣返しのつもりか? それとも意図していない偶然か? どちらでも構わない。

 

『外征騎士は……サリヴァーンによって派遣された……追放同然の騎士達。彼に都合の悪い……神族の処分……優秀な使い捨ての戦力』

 

「サリヴァーンは戦略家としても優秀だったようですね」

 

 オレが言えた義理ではないが、頭が良いヤツというのは複数の種類がいる。学者、技術屋、政治家、官僚、起業家、戦略家等々だ。サリヴァーンは曲がりにも何も法王まで上り詰めたのだから政治家の才覚はあったのだろう。暗月の騎士として立身したならば腕っぷしもあったに違いない。そして、戦略家としても悪くなかったようだ。

 

(まるでアナタのようね。利用された挙句に獣に堕ちるなんて。でも、アナタとは違う点がある。アナタの本性と本質は『獣』なのだから)

 

 別に利用されても構わない。ゴミュウはいけ好かないし、聖剣騎士団は不穏になってきているし、クラウドアースは陰険体質だし、まともな雇い主ってのはいない環境だ。それでも、彼らは自分たちの未来を目指して戦っている。

 外征騎士の獣の動きは素早い。連続の噛みつきを紙一重で躱し、カウンター斬りを連発し、距離を取られたら眼球と口内を狙ってアサルトライフルを連射する。だが、黄金の雷をブレスで解放し、水辺であることを利用して範囲攻撃してくる外征騎士の獣もなかなかに手強い。

 巨体を活かしたプレス。突如の突進噛みつき。骨が折れるのではないかと思うほどの180度の急転回の噛み付き連撃。

 

『気を付けて。ネームドじゃないけど、準ずるだけの……強さがある。弱点解析完了……斬撃属性』

 

 戦いは没入する。外征騎士の獣の叫びには悲しみに満ちている。

 帰郷を望む魂の悲鳴だ。彼らは自らの破滅を知りながらも外征騎士となってイルシールを旅立った。正気を失い、狂戦士となり、最後に獣になっても、歓迎されることはなくとも故郷を目指した。

 

「帰りたかったんですね」

 

 頭部を執拗に斬りつけ、ダウンを取ったところでがら空きの腹部に蒼天を深々と刺す。そのまま斬り上げてブラッドエフェクトを浴びながら、倒れて駄々をこねるように暴れる外征騎士の獣の喉を何度も斬りつける。

 

「もう……ここはイルシールですよ? アナタは帰って来れたんです。故郷に」

 

 微笑みかければ、僅かにだが外征騎士の獣の動きが鈍った気がした。その隙を狙って首を完全に斬り落とす。爆散してポリゴンの塵となった外征騎士の獣は、最期に安息の吐息を漏らしたのは気のせいではないのだろう。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 攻め急いだせいか、最後の一撃の剣筋が大きく歪んでしまった。蒼天は半ばから折れている。

 武器枠から解除。廃棄。代わりにピースメーカーを装備する。

 アサルトライフル、残弾無し。廃棄。再装備で回収したバトルライフルに切り替える。だが、先程のダメージで照準に誤差あるな。集弾性が如何ともし難いレベルだな。

 下水道から入れば、黒髪を振り回す頭部を付けた、3メートルほどの人頭ゲジゲジが巣食っていた。水辺のせいで火炎属性防御力が増しているな。だが、ここはピースメーカーを使えば押し通れる。

 火力に定評がある戦斧と打撃属性の戦槌の2つの顔。そして、伸縮ギミックを仕込まれた柄。瞬時に手斧モードと斧槍モードを使い分けられる。だが、所詮はサブウェポンだ。メインを張れる性能ではない。

 下手な扱いをすれば天井に得物が引っ掛かる。しかも、無意味とも思える程に柵が多いせいで武器も満足に振り回せない。だが、人頭ゲジゲジは広範囲索敵で即座に強襲してくる。

 迎撃ミスは許されない。斧槍モードで、初撃の突進を槌側で迎撃して横倒しにして、胴体を斧で叩き割る。それをひたすらに繰り返す。

 左右の手の精度を取り戻すために、指先どころか神経の1本まで意識する程の集中力を注ぎ込む。引き摺る足を庇う為に、自身の倒れる動きも織り込んで攻撃を繰り出し、ピースメーカーによる重心移動を利用して止まることなく迎撃を続ける。

 

「殲滅しました。先に進みましょう」

 

『……う、うん』

 

 どうにもナドラの様子がおかしい。何かイレギュラーでも起きたかと思ったが、起きない方がおかしいので、イレギュラーでも何でもないという面白い状態だ。

 下水から建物へと入れば、朽ちた屋敷の地下室だった。出迎えるイルシールの奴隷たちをピースメーカーで捌く。だが、天井から落ちてきたのは、冷気に覆われた2メートル半はあるだろう銀色の騎士。縦割りの複数のスリットの奥は闇に包まれ、だが肉体と同化したような鎧は、外征騎士の獣の1歩手前のような印象を与える。その証拠のように、右手に剣を握ってこそいるが、獣のように立たずに手足を使って動き回る。

 だが、剣技は健在。スピードを活かした連続攻撃と上体を反らして溜めた力のままに振り下ろすディレイ斬り。

 問題ない。ひたすらに頭部へとピースメーカーで打撃を与え、徐々に疲弊させていく。鎧が凹み、手足が潰れ、動けなくなったところで斧側で何度も肉体を刻む。

 撃破した外征騎士の亡骸は霧散する。蓄積した疲労が足下をおぼつかなくさせる。

 

「まだだ。まだ……オレは……戦える」

 

 地下室から出れば、館の内装が目に映る。手入れする者もいないのか、埃っぽい。だが、飾られた絵画の数々は、かつての神族の栄光を示しているようだった。

 特に目を惹いたのは、もはや色褪せた、太陽と光の王女グヴィネヴィアの絵画だった。豊満な胸をした、まさしく太陽の光と呼ぶに相応しい包容力に満ちた美女だ。特に胸が素晴らしいな!

 

「……太陽万歳」

 

『意外と……元気、ある?』

 

「男としての礼儀です」

 

 久藤家の男は代々巨乳好きなのだ。仕方ないのだよ。

 イルシールの探索に入って2時間は経過したか。順調に進んでいると希望的観測を抱きたいが、なにせダンジョン都市だ。大通りの1本道を進めば目的地に着くはずもない。

 こうした都市型のダンジョンは幾つかの制限が設けられている。たとえば、建物の屋根に上って跳び移ってショートカットするといったズルはできない。ジャンプ力は一定高度以上だと大幅に減衰がかかり、また見えない壁がある場合も多々ある。つまり、足で丁寧に探索するしかないのだ。あとはショートカットギミックが多いのも特徴か。最終的にはボス部屋まで一直線で行けるタイプも多い。

 洞窟や巨大建造物内部のようなクローズドダンジョンと都市や森といったオープンダンジョン。プレイヤーによって得手不得手は分かれるが、オレは正直どちらも面倒臭い以上の感情は湧かない。

 

「鍵がかかっているようですね」

 

 館の外に出る為の扉には鍵がかかっている。何かギミックを解除しなければ先に進めない類か。

 これまでの道中で見落としたならば、細かく探索し直さなければならなくなる。大幅なタイムロスだな。さすがに都市型を隈なく探索するともなれば、24時間どころではない所要時間を要する。

 そもそもとして、どうしてユイもアルシュナも最深部への侵入を拒んでいるのか。オレの消耗・抹殺を狙ったメタは分かるが、わざわざ自分への接近を拒む理由は何だ?

 ユイは賢い。仮にMHCPとしての自覚を取り戻し、セラフについての知識があるならば、自分が関与したイレギュラーにセラフが修正しようとしないはずがないと予想できるはずだ。それにアルシュナならば、ナドラやアストラエアといった姉妹が自分たちを助けに無茶をしないはずがないと想定もできる。

 

「…………」

 

 もしかして、結論が間違っているのか? アルシュナ達の目的は、自分たちを助けようとする家族を近づけない事ではなく、むしろセラフを招く事なのか?

 いやいや、さすがに発想が飛躍し過ぎか? 仮にセラフを呼びつけたい理由があるならば、こんな大事にする必要性はない。ストレートに内容をお伝えすれば良い。信用性とか色々とややこしい問題はあるかもしれないが、これはさすがにやり過ぎだろう。

 待て。それも早計か? たとえば、ユイは立場上どうしてもセラフに接触することはできないわけだし、発端が彼女ならば、大事にする必要性があったとも考えられる。だが、アルシュナが協力的ならば、迅速に事態を終息させればいい。アルシュナを代理人にすればいいのだ。まぁ、何をしたいのか、何を伝えたいのかにもよるがな。

 この世に完璧に整合性がある行動や発言など滅多にないものだ。だから、『何となく』や『そこまで考えていなかった』で片づけられることもあるだろう。だが、何かが引っ掛かる。見落としているのではない。不足する情報に謎を解く鍵があるのだろう。

 ……頭脳労働担当が切に欲しい。とにかく最深部に到着しなければ話は進まない。オレの抹殺の為に準備されたメタを全て平らげなければなるまい。

 残存装備確認。ピースメーカー、破損無し。レーザーライフル、フル装填。バトルライフル、照準異常並びに残弾3割未満。ハンドガン、残弾6割。投げナイフや手榴弾はまだ十分あるが、使い放題出来るほどに潤沢ではない。パラサイト・イヴは全く問題なし。さすがはグリムロックの傑作は他とは違う。

 近接装備がピースメーカーだけなのはかなり手痛いな。何処かで補充したいが、オレのリアルラックは最低ランクだからな。ドロップ率を上昇させるスキルや装備もあるが、わざわざ他を削って持ってくる程の物ではなかった。

 

「マップデータの入手にはまだ時間がかかりそうですか?」

 

 ナドラに期待を寄せるが返事はない。先ほどから様子がおかしい。もしかして、何かしらの妨害行為を受けているのか? セラフに勘付かれていないにしても、ユイの救出に好意的な管理者ばかりではないだろう。

 密告されたら終わりだ。オレは24時間以内にミッションをクリアすればいいだけだが、ナドラ達は後々まで火種を抱えることになりかねないのだ。慎重に協力者は選抜しただろうが、目論見通りに進んでいるとは限らない。

 何かギミック解除になりそうなものはないだろうか。グヴィネヴィアの絵画が飾られている広間に戻り、改めて周囲を見回す。別所に鍵が隠されていては無駄足なんだがな。

 

「……これは」

 

 ふと、目を惹いたのは1枚の絵画だ。それは神々などを描いた他の絵画とは違う、良くも悪くも平凡で、だが不思議な魅力に満ちた1枚だ。

 それは霧……きっと朝霧に包まれた森を描いたものだろう。自然とオレの手は伸びて絵に触れる。

 絵画に波紋が生じ、まるで水面のようにオレの手は呑まれ、腕が、肩が、体が絵画に引きずり込まれる。

 トラップか? だが、この感覚を体は何処かで憶えている。

 放り出されたのは、オレを呑み込んだ絵画の風景……まさに朝霧が広がる森だ。

 

「記憶の世界……サチと一緒か」

 

 経験があるはずだ。ん? どうして? 何で記憶の世界なんて経験した事があるんだ? そもそもサチって『誰』だ?

 ……違う。思い出せ。記憶を掘り返せ。そうだ。サチだ。ユグドラシル城で見た、SAO事件の被害者であり、オレがアルヴヘイムを旅した理由の1つだった……はずだ。

 

「灼けた……のか?」

 

 ユグドラシル城で見た写真は憶えている。彼女がサチなのだろう。そう関連付けて新しく記憶している。だが、彼女が何者であったのか、何処で出会ったのか、何を望んでいたのか、それは全く思い出せない。

 霧が濃い森の空気を吸い、自分の虚ろな胸中に喝を入れる。大事なのは、オレは以前に記憶の世界を経験しているという点だろう。

 自分の右手を見れば、色づく森とは違ってモノクロだ。視覚がまたイカれているわけではないだろう。

 本能が教えてくれる。1度ならず数度経験している感じだ。恐らくは、記憶情報を頼りに設計された仮想世界といったところか。この技術が大衆に広まれば、いつでも幼き日々に戻れるノスタルジックムーブが到来するかもしれない。VR関連は若者が中心だが、こちらは高年配程に中毒性が高そうだな。記憶の中の故郷や家族と再会できるだけではなく、触れ合うこともできるならば、たとえ本物では無いにしてものめり込んでしまうだろう。

 とにかく、この演出から見るに、オレはこの記憶では異物なのだろう。森を散策してもモンスターが出現する様子はない。

 だが、すぐにこれが誰の記憶なのかは分かった。それは無防備と呼べるまでに横たわる少女がいたからだ。

 右目はあるし、容姿もオレが知っているよりも幼いが、ユイに違いない。倒れる彼女に触れようとするが、まるで見えない壁に阻まれるように数ミリ近くで手は止まる。

 干渉できないというわけか。オレはユイの近くの木にもたれ掛かり、腕を組んで『誰か』がこの記憶を見せようとしている意図に乗る。

 少なくともユイではない。彼女は……オレの殺害を狙っている有力候補だ。同情を買う為に何かを見せる気かもしれないが、オレに通じないことは承知しているはずだ。

 アルシュナもあり得ない。緊急事態にこんな回りくどい真似をするくらいならば、ストレートに伝えてくるはずだ。

 

「このダンジョンは、アルシュナとユイ以外も設計に関わっている?」

 

 口元を右手で覆って思案する。ナドラに意見を求めようにも先程から応じる様子が無い。絶対にトラブルだな。

 そうして時間を潰せば、やがて2つの人影が現れる。それは男女のペアであり、倒れるユイに駆け寄る。男は幼い体を抱え、安否を気遣う緊迫した表情を浮かべる。

 それは『アイツ』とアスナだ。2人が眠るユイを抱き上げて連れ帰る。その後を追おうとするが、まるで排水溝に流されるように体が3人から引き離され、絵画から吐き出されて冷たい床に転がる。

 行きも荒かったが、帰りはそれ以上だな。咳き込みながら、いつの間にか右手に握られていた、まるで砕けたガラス玉の破片のようなモノを確認する。

 

<記憶の破片1:朝霧の魔女の幼き日の記憶。魔女は記憶を失って無垢となり、人の温もりを求めた。使命を持つが故に情愛に焦がれ、また呑まれるとしても、惹かれずにはいられないのだ>

 

 開錠の音がご丁寧に聞こえる。どうやら、イルシールは記憶の断片……ユイの記憶の収集を行うことを強要しているようだ。今回は楽に手に入れられたが、次も同様とは限らない。

 イルシールにオレに対するメタは張られていない。まぁ、敢えて言うならば数の暴力だろう。だが、これくらいならばアルヴヘイムを潜り抜けたお陰で問題ない。いや、そうでもないか? 既に致命的な精神負荷の受容を1度強いられている。まんまと策に嵌まってる気もする。

 だが、本当の目的は、このイルシールに散らばるユイの記憶を集めることだろう。全ての記憶の断片を集め、彼女の身に何が起きたのかをオレに教えようとしている。

 同情させたいのではない。理解させたいのだ。彼女がこのような凶行に至った理由を。そして、その上でオレに求めているのだろう。彼女の物語を決定づける選択を。

 空を巡回してオレを索敵するミディールの動きに注意を払いながら、屋外を進む。人間10人が並べるだろう横幅の階段には、魔法を操るイルシールの奴隷が控えている。また、人面犬も次々に跳びかかる。

 バトルライフルで確実に人面犬にヘッドショットを決めてダウンさせ、柄を縮小して取り回しを良くしたピースメーカーの戦槌部の追撃で頭部を破砕する。背後から襲い掛かれば戦斧部で首を斬りながら地面に叩きつけ、腸を潰すように膝蹴りを浴びせる。

 イルシールの奴隷を殲滅すれば、新たに大鎌を有した法王騎士のお出ましだ。大鎌を振るえば、自身を中心に円状に広がる冷気攻撃を発動させる。大鎌による近接戦だけではなく、範囲攻撃も有しているようだ。

 踊るような連撃は曲剣持ちにも通じる。華麗でスピードを重視した剣技こそがイルシールの特徴なのかもしれない。

 だが、まるで物足りない。トリスタンの大鎌に比べるまでもない。懐に入って大鎌の扱いの軸になった右足を払う。転倒を防ぐべく力任せにバランスを保とうとした隙に鳩尾に肘打、街灯に叩きつけて至近距離でバトルライフルを撃ち込む。火炎に炙られながらも法王騎士は口から闇霊魂を放つが、ピースメーカーで命中判定斬りをして消滅させる。

 バトルライフルを浴びながら振りかかる法王騎士へと先に踏み込んで距離を詰めて蹴りで顎を打ち抜き、宙を浮いたところでこちらも跳んで胴回し蹴りでフィニッシュを決める。地面に叩きつけられた法王騎士は痙攣し、そして爆散して消えた。

 遺体が残らないも物足りなさを覚える。少しでも屍が残る猶予時間があれば余韻も微かは感じられるのだがな。狩りの情緒も無い。

 

「【法王騎士の大鎌】か」

 

 だが、運が向いてきたか。ようやくドロップしたのは、オレにも扱える法王騎士の大鎌だ。虫食いのように穴が開いて軽量化が施された刃を有する大鎌であり、物理と水属性の複合だ。比重は物理寄りだが、INTによる水属性の伸びが悪くない。

 鎌は≪戦斧≫カテゴリーだが、より長物である大鎌には≪槍≫も必要になる場合が多々ある。法王騎士の大鎌も例に漏れず、≪戦斧≫と≪槍≫の2種類が求められた。

 やや耐久面には不満こそあるが、その分だけ軽量化され、また火力も申し分ない。レアドロップ級か? どうでもいい。強化されていない以上、求める水準まで達しない。

 バトルライフルの残弾が危ういか。温存も兼ねてオミットし、新たに法王騎士の大鎌を背負う。

 柄を握って構え、呼吸を整える。血を滾らせ、トリスタンの武技を狩りの業として呼び覚ます。

 四方八方から接近していたイルシールの奴隷。それを大鎌の回転斬りで薙ぎ払う。刃から散る冷気はイルシールの奴隷のブラッドエフェクトと混じり合い、絶妙な色合いを作り出す。法王騎士の大鎌は内側のみの片刃……由緒正しき鎌の在り方だ。故に必要なのは間合いの見切り。鎌の先端で刺し貫き、重量を乗せて内側の刃で斬り裂く。また、引っ掛けるようにして斬りつける。

 散っていくイルシールの奴隷のブラッドエフェクトを浴びながら、これは当たりを引いたと唇を舐める。

 鎌には面白い特徴が1つある。他の武器とは違い、首に限定してクリティカルボーナスが桁違いに高い。暗器すらも凌ぐ場合もある。まさしく『首を刈る』武器だ。

 回転で遠心力を乗せた攻撃と首への一撃必殺。これこそが大鎌の醍醐味だ。だが、カタナ以上に使い手は珍しい。小型の手鎌だけならば≪戦斧≫だけで事足りるが、大鎌ともなれば≪槍≫も要る。そして、≪戦斧≫と≪槍≫を取るとなれば、多くが扱うのは斧槍だ。大鎌のように癖が強い武器は好まれない。特に連携を取り辛い武器でもあるからな。

 だが、トリスタンとの戦い以来、大鎌は前々から使いたいとは思っていた。使い手が少ないとは、それだけ対策され難いという意味だ。モンスターでも大鎌を使うタイプはいるが、どれも大振りがメインだ。お世辞でも対人戦の練習相手になるようなタイプは多くない。

 階段を上り切ったイルシールの奴隷の先に新たな館があった。門番のように立ち塞がる2体の火の魔女と曲剣二刀流の法王騎士を大鎌の練習を兼ねて惨殺する。

 

(良い。とても良い。血に馴染んでるわ。食べた甲斐があったわね)

 

 ご満悦そうなヤツメ様はトリスタンの武技が大層気に入ったようだ。だが、トリスタンの武技を狩りの業に貶めていることには変わりない。憂鬱? 違う。そんな感情は湧かない。前は違った気がする。

 左手に法王騎士の大鎌。右手に伸ばしたピースメーカー。館の扉を開ければ、エントランスに陣取るのは12体の法王騎士。いずれも曲剣持ちか。後は2階からクロスボウ装備のイルシールの奴隷が狙っている。

 振るう。右手のピースメーカーの斧で叩き斬り、左手の法王騎士の大鎌で抉る。乱戦の中で舞踊でもするように体を動かし、ステップによる瞬発的加速を得て回避と攻撃を両立する。魔法を帯びたボルトをイルシールの奴隷はクロスボウで次々に放つ中で、攻撃動作と共に迎撃で弾き、また法王騎士の間を縫って躱す。

 

(踊ってくれる? きっと素敵な月夜になるはずよ。たとえ、アナタが望むのは夜明けでも、今はまだ夜の帳が下りているのだから)

 

 ああ、そうだ。踊ろう。ヤツメ様と踊ろう。手を差し出してダンスを誘うヤツメ様は無邪気に笑う。釣られてオレも微笑んで、ダンスに興じる。

 法王騎士を皆殺しにして、気づけば残るのはイルシールの奴隷だけだった。ヤツメ様が今度はオレからダンスを誘ってとねだるように背伸びしてオレの左頬にキスをする。

 長物二刀流なんて奇天烈と思ったが、これはこれで悪くない。射撃攻撃しか持たないイルシールの奴隷を全滅させ、館の探索に入る。

 古い月の貴族の都とは名ばかりで、今や死霊の法王騎士と亡者となったイルシールの奴隷ばかりの廃都だ。

 

「……変な感じだ」

 

 最悪なんて表現も足りないはずの不調。もはや満身創痍でも足りぬ身だと自覚している。

 自分の死がイメージできない。それはいつもの事だ。どうせ死ぬ時は死ぬ。一々考えてもしょうがない。

 だが、今は何かが違う。追い詰められる程に、己の体たらくが情けなくなる度に、何かが変わっていく感覚がある。

 法王騎士3体を大鎌で惨殺し、援護するイルシールの奴隷を足払いで転倒させて口内にハンドガンの銃口を押し込んで連射する。

 彼らは『命』も宿らぬ人形だ。足りない。血の悦びが足りない。飢餓を癒さねばならない。そうしないと正気を失いそうだ。

 頭の中で殺意が言葉になって反響する。イメージになって氾濫する。

 幼い子供たちの頭蓋を割り、脳髄を引き摺り出し、悲鳴が混じった血を堪能すれば、どれだけこの渇きは癒えるだろうか?

 逃げ惑う人々を守るとする勇敢なる戦士たち。彼らの臓物を抉り、絶望と恐怖で歪んだ表情を香辛料にして命を咀嚼すれば、どれだけ飢えは満たされるだろうか?

 

(夜明けをもたらす狩人。嘘に塗れて吐き気がしそう。でも、それがアナタの望みならワタシは成し遂げる『力』になる。だけど、犠牲無しで成果を得られる程にこの世界は優しくないわ。アナタが欲する結果は、アナタが命と記憶と人間性を灼いたくらいで得られる軽いモノかしら?)

 

 だから殺せというのか? 罪も無い人々を殺し、それを『力』にして夜明けをもたらせというのか!? オレは誘惑するヤツメ様を振り切るように、新たに登場した外征騎士と対峙する。狭い通路……場所が悪い。だが、退くわけにはいかない!

 

(人々に明日を。黄金の稲穂を。その為なら自分は何を捧げても構わない。得られるものがなくても、救われることがなくても、報われることはなくても、成し遂げられることがある。その価値があると信じて『嘘』を重ねている。本当はもうとっくに気づいているのにね)

 

 時間が経つにつれて、獣性を高める度に、ヤツメ様がより生々しくなっていく。脳を掻き回すようにヤツメ様の声が響く。

 外征騎士は二刀流。冷気を帯びた直剣を左右で振るう野獣のようだ。だが、『アイツ』の動きにも及ばない!

 だが、不意に右膝の力が抜ける。体勢が崩れたところに迫る顔面への突きをギリギリで身を反らして躱すも、追撃の回し蹴りに対応しきれずに左腕でガードする。

 

「……がっ!?」

 

 重い……! ダメージは最小限に抑えられたが、折れる寸前だった。外征騎士は冷気を放出しながら左右の剣を乱舞する。それに合わせて大鎌を振るい続け、着実にダメージを重ねていく。

 ここだ。乱舞の終わりの隙を突き、大鎌で外征騎士の首を刈る。そのまま脳天に刃を突き立て、引き摺り、壁に叩きつけ、渾身の穿鬼の左拳を叩き込む。

 鎧は凹み、中身が潰れたように外征騎士は痙攣してポリゴンの欠片となって爆散する。

 片膝をついたオレの顎に指を這わせ、ヤツメ様は面を上げさせる。血塗れのヤツメ様は嬉々とオレへと口を開いて言葉を紡ぐ。

 

(どうせ彼らは黄金の稲穂の価値など知らず、それを容易く踏み躙る。アナタが尊いと敬う人間性を持ちながら、自ら手放し、欲望に支配され、誇りもなく、怠惰に腐る)

 

 違う。違う! 違うんだ! そんな事は思っていない。感じてなんかいない!

 

(人間を愛している。アナタは人間の善悪なんかに興味はない。たとえ、善人と呼ばれていようとも信念も矜持も無き輩に意味はない。逆に悪党でも貫く意思があるならば、欲望に忠実であろうとも好意を覚える。そう、それがアナタ。己の野望と悦楽の為に大量虐殺をした稀代の悪人であろうとも、そこに信念に基づいた意思と己を揺るがさぬ矜持があるならば、それで良い。アナタはそう感じてしまう自分が……大嫌い)

 

 そうだ。それくらい自覚している。オレは善悪の基準で『人』を感じているのではないことくらい分かっている!

 

(本当は気づいている。人間が最も『人』らしくあれるのは、闘争と殺戮に満ちた夜。そこでこそ、人間は試練の末に『人』の輝きを放つのだと。怪物と恐怖に対峙した時こそ、人間は『人』らしく生きて死ねるのだと)

 

 違う。そんなことはない。夜でなくとも、朝を迎えようとも、人は『人』なのだ。オレとは違う。

 だが、ヤツメ様は楽しそうに笑う。笑い声の中にギンジやザクロ、エギルの末路が過ぎる。

 彼らは誇り高く死んだ。『人』として輝きを放って死んだ。だが、それは彼らが絶望に満ちた戦場であったからこそではないのか?

 

「そんなこと……あるはずがない」

 

 ギンジは生きたがっていた。死に怯えていた。死の恐怖に立ち向かう勇気と生きたいという意思は別だ。

 ザクロにしてもそうだ。優しい人になりたかった彼女は、あんな死に方を望んでなどいなかった。

 エギルは苦しみ抜いて、己を破壊され続けた挙句に死んだ。己を明け渡さぬ矜持はあっても、死への渇望よりも生への希望の方が大きかったはずだ。

 

(嘘ばっかりね)

 

 元より嘘塗れのオレだ。今更1つ重ねたくらいで潰れるはずもないさ。

 つまらなさそうなヤツメ様を振りほどき、オレは館の深部と思われる扉を開く。そこは玩具が散乱する子ども部屋だ。だが、わざとらしく目を惹くように、古ぼけた木椅子の上にぬいぐるみが座っている。

 綿が零れて元の面影もないぬいぐるみに触れれば、カメラのフラッシュが連発されたかのように視界が真っ白になる。

 また記憶の世界か。白熱した視界がゆっくりと彩色されていく。

 ここは訪れたことがある。『アイツ』がSAOで有していたマイホームだ。『アイツ』がアスナを失った痛みと憎しみを忘れないために、ここには何度か足を運んでいた。付き添ったことはないが、呼び出しに応じない『アイツ』を何度か捕まえに行ったものだ。

 既に記憶の再生は始まっている。『アイツ』とアスナ、そしてユイの生活だ。彼らはまるで本物の家族の絆を育もうとしているように笑い合っている。

 どうして? 何の意味がある? 何の価値がある? 本物の家族ではないのに。そんな考えは野暮だ。

 ただ欲しかった。1人の少女は家族の温もりを求め、2人は応じた。そこに真も嘘も無い。『アイツ』らはユイの望みを感じ取って叶え、また2人も繋がりを求めた。血よりも尚濃い……想いの絆を。

 記憶の世界はまるで紙屑のように潰れていく。巻き込まれたオレは全身が圧縮されるような感覚を味わいながらイルシールへと戻される。

 

<記憶の欠片2:朝霧の魔女の幸せの記憶。魔女は家族を得て愛を知った。故に愛に殉じて滅びを選び、また愛によって生を許されたのである>

 

 これで2つ目。実際に目にしているのはユイの記憶の1部だ。だが、集めた記憶の欠片の重さが教えてくれる。これは断じて単なるアイテムではない。

 

「ユイの……記憶そのものか」

 

 誰かがオレに渡している。ユイが求めて止まなかった家族との記憶。それをわざわざオレに回収させるようにばら撒いている。

 館を脱出し、ようやくイルシールの終着が見える。入口から目にすることができた聖堂だ。さすがに警備は厳重だな。法王騎士が12体とクロスボウ装備のイルシールの奴隷が30体以上。それに不可視化して何体かも潜んでいるだろう。

 関係ない。ピースメーカーと法王騎士の大鎌で躊躇なく跳び込む。昂らせる獣性のままに、ピースメーカーで潰し、大鎌で刈り、そして破壊していく。

 面で迫るボルトにはピースメーカーを回転して対処し、法王騎士の冷気の刃は間合いを読んで最低限の動きで躱す。ステップを駆使するのではなく、攻撃の間合いと位置取りの管理を心がける。

 呼吸をつかむ。攻撃と防御の合間を縫う。敵の密集を利用して懐に入り込み、同士討ちを誘い、拡散すれば各個撃破していく。

 これで最後だ。不可視状態から背後よりナイフで襲い掛かったイルシールの奴隷、切り取った頭部を投げ捨て、聖堂の内部に侵入する。

 幸いにもミディールの索敵に引っかからなかった。だが、スタミナ回復する十分な時間もなく、イルシールのボスが待つ聖堂内部を突き進む。

 礼拝の参列者が腰かけるだろう長椅子が左右に並び、複数の神を模った石像が見下ろす開けた中央にて、オレを待っていたのはイルシールのボス<法王サリヴァーン>だ。

 網目状の仮面をつけ、目立たぬ王冠を被り、やや煤けて破れた法衣を纏っている。体格は3メートル近い人型であるが、左右に意匠が異なる剣を有している。

 右手に持つのはサリヴァーンの体格にも匹敵する分厚い大剣。それは揺らぐ炎に包まれ、サリヴァーンの野心を象徴しているかのようだった。

 左手に持つのはサリヴァーンからすれば長剣の類だろう、2メートルにも達する細身の青みを帯びた銀剣。それは暗い紫色の光を帯びる。

 二刀流の魔法剣士か。本当に多彩なヤツだ。増々気に入ったよ。

 

「法王サリヴァーン、狩らせてもらいます」

 

「不敬者が」

 

 何に? 神に対してか? それとも法王への? 何でも構わない。殺すだけだ。

 サリヴァーンの動きは剣士として理に適っており、また二刀流にも隙が無い。重たい右手の炎の大剣を振り下ろせば、左手の銀の長剣による連撃。加速してこちらを引き離せば、魔法を帯びた銀剣による突きが迫る。

 頭上で剣を交差させ、乱舞すれば炎による攪乱が効果的に機能して回避を妨害する。だが、攻撃に合わせてステップ回避を繰り返しながら、ピースメーカーで殴り、また大鎌で裂く。

 距離を取ったサリヴァーンは銀剣の魔法光を強めたかと思えば、横薙ぎと共に光波を放つ。なるほどな。何も光波は聖剣限定の能力ではない。むしろ、ソウルの大剣のように魔法による斬撃はポピュラーな類だ。ならば、サリヴァーン程の優秀な魔法使いならば、聖剣の光波を再現する魔法を付与した剣を作成するくらいは可能だろう。

 光波のスピードは並か。スピードと切断力に優れたランスロットの聖剣には及ばない。アルトリウスの聖剣程の破壊力もない。欠月の剣盟の聖剣のような成長性も無い。まさに形を魔法で再現しただけだ。だが、それでも十分に脅威だな。

 左の銀剣の正体は分かった。ならば、右の炎の大剣の正体は? 帯びた炎は明らかに異質だが、混沌の火とも違う。

 

『あれは罪の炎。イルシールの火の魔女が用いたモノと同じだ。古くより残るイザリスの罪の1つ』

 

 ようやく通信復旧かと思えば、人工妖精から聞こえた声はナドラではない。この声には聞き覚えがある。

 

『こうして話すのは久しぶりだな、【渡り鳥】。私はエレナ。憤怒のエレナ。ナドラの代理を務めさせてもらっている』

 

「それはアナタもユイ救出の協力者ということですか?」

 

『まさか。私は姉上やナドラ程に家族への情は篤くない。興味が無いから、敢えて言うならば中立さ。だが、お前には興味がある。まだ死なれては困る』

 

 中立か。1番面倒だな。つまりは自己保身と目的次第ではどちらにでも転ぶということだ。古今東西、中立が最後まで中立を保ったパターンは稀有だ。

 

『かつてサリヴァーンは罪の都で罪の炎を得た。都で人間だけを焼いて滅ぼした炎さ。混沌の火、穢れの火、罪の火。いずれもイザリスの遺産だよ。人間性によって歪んだのが混沌の火ならば、罪の火は人間性の特性を備えた火だ』

 

 なるほどな。火の魔女の炎が異様な追尾性を誇ったのはそういうことか! 闇術はいずれも高い追尾性を誇る。それはDBOにおいて、闇とは人間性であり、即ち闇術はいずれも何らかの仮初の意思を持つ。たとえば執着だ。それが追尾性という形で再現されているのだろう。

 言うなれば、罪の火は炎属性版闇術のようなものだ。サリヴァーンが大剣の切っ先で床を擦れば、超スピードの火蛇が放たれる。だが、その追尾性はプレイヤーが扱う比ではない。

 だが、闇術と同じような回避方法が有効だ。即ち直近での交差だ。サリヴァーンの懐に入り込み、大鎌で首を狙うが浅く、肩を裂くに留まる。だが、そこから更にピースメーカーによる連撃に繋げ、サリヴァーンの剣技の合間を抜けて背後を取る。

 サリヴァーンのHPバーは3本。まだ1本目だが、思ったよりもタフだ。かなりの攻撃を当てる必要があるな。

 

「神とは何か? 光に属する者か? 否。神とはそのようなものではない」

 

 炎を放出し、ロングレンジ化して大剣を振り回すサリヴァーンは、問答を求めるように言葉を紡ぐ。

 

「神とは人間の……世界の支配者か? 否。何と愚かしい。神とは概念だ。神とは……存在を認知することも許されぬ」

 

「では、法王と名乗るアナタはいかなる神に仕えているのですか? 暗月神グウィンドリンを裏切ったアナタの信じる神とは?」

 

 まずい。足が上手く動かない。膝をつきそうになったのを誤魔化し、だが振り下ろされた罪の炎を帯びた大剣をピースメーカーと大鎌を交差して受け止める。

 STR出力7割を維持……できないか!? 歯を食いしばるも耐え切れず、押し込まれていく。炎の熱が頬を舐める。

 

「神などこの世の何処にもいない。だからこそ、神を信じる偶像が必要だ。それこそが私だ。私こそがイルシールの支配者。古き月の神は既に廃れた象徴。ならば、私が象徴をもらい受けて何が悪い?」

 

「野心家は嫌いではありませんよ」

 

 結局のところ、グウィンドリンを裏切り、神族を追い詰めたサリヴァーンはそこに罪悪感など抱いていない。あるのは神族への劣等感か。あるいは真の神への祈りなのかもしれない。

 

「罪の大剣」

 

 刃の名を呼び、炎を帯びた大剣をその場に突き立てれば、サリヴァーンを中心に大爆発が起こる。寸前で範囲外に脱するも、炎が消えた頃には、光を凝縮させた銀剣を構えるサリヴァーンの姿があった。

 

「裁きの大剣」

 

 強力かつ横長の光波が放たれる。スピードは鈍いが、続く突きはまるでソウルの槍のように紫光が飛来する。なるほどな。聖剣モドキというよりも、聖剣の業を付与した魔法媒介と言った方が正しいか。

 距離を取れば追尾性の高い罪の炎と光波や魔法の嵐。接近戦ではタフネスを活かした剣技による制圧か。吃驚するくらいに優秀な戦術だ。

 出し惜しみはしない。残り火を砕き、致命的な精神負荷を受容する。

 DEX8割……開始! ステップで間合いを詰めて懐に入った瞬間、サリヴァーンが息を呑むのが感じ取れた。

 

「神はいますよ」

 

 微笑みかけ、大鎌で深く胸を抉り、後退したところを狙って首に刃を引っ掻けて刈る。大ダメージを受けて怯んだところにピースメーカーによる突きをお見舞いし、左右の連撃を叩き込み、大きく跳んで重心を乗せた大鎌の一振りで右肩から抉り斬る。

 サリヴァーンが呻き、反撃を仕掛ければ、剣の軌道に合わせてステップで回り込みながらカウンターを決める。

 

「暗月の騎士か。まだあのような古臭い暗月を神と敬うか?」

 

「深淵狩りです」

 

 溜め息を吐きながら大鎌の柄で肩を叩き、HPバー1本目を消滅させたサリヴァーンの第2段階を見守る。

 

「火の時代を守る愚か者か。火の時代こそが影に追われる者を生むと何故分からないのだ」

 

 サリヴァーンが構えれば、背中よりまるで枯れ木が枝分かれしたかのような歪な黒い翼が生える。そして、サリヴァーンを追随するように、紫色の幻影が生じる。

 分身によるダブルアタック? いや、違う。分身は1体だけではない。

 その数は5体。サリヴァーンの動きに合わせれば、攻撃は全て5連撃と化す。

 それだけではない。分身はサリヴァーンの動きを真似るだけではなく、まるでオレを囲むように円陣を組み、四方八方から光波を放つ。

 追随と包囲か。まだタイプはありそうだな。全ての分身にはHPバーが1本表示されている。ダメージを与えれば消滅させることはできるだろう。

 だが、所詮は意思のない分身だ。完全なるコンビネーションを召喚した霊体と組んでいた欠月の剣盟の比べれば雲泥の差だ。

 翼による飛行からの急降下斬り。そこから罪の火による火蛇の連打。ソウルの槍による牽制からのソウルの大剣による乱舞、そして大光波。いずれも攻撃数が5倍化されるが、逆に言えばそれだけだ。

 一呼吸の度に全身が灼ける。1歩の度に筋肉に詰められた針が蠢くように痛みが湧く。体液が泡立って肉体を破裂させるかのようだ。

 そのはずなのに、灼熱となった血の昂りに嬉々とした笑みを描かずにはいられない。

 

『何故戦う?』

 

 まずは1体。分身を始末し、攻撃数を減らす。だが、サリヴァーンの攻撃は緩まない。

 

『何故殺す?』

 

 これで2体。分身は待機状態の時はサリヴァーンと重なっている。この時はダメージが分散され、サリヴァーン本体へのダメージは大幅に減少するが、分身に均等ダメージを与えることができる。そして、追尾攻撃の時ならば個々への攻撃はより容易い。

 

『それしか出来ないから。それ以外の可能性を自分に見出せないから。お前は常に己に失望を抱く』

 

 これで3体。サリヴァーンの攻撃が激しくなる。罪の火を猛らせたかと思えば、オレの傍に火球が生じ、凝縮した1テンポの後に爆発する。それが3連撃。だが、既に範囲外に離脱している。

 

『人間は常に怒りを捨てられない。己の不甲斐なさに、環境に、他者に、運命に怒りを覚える』

 

 これで4体。サリヴァーンに焦りが生じる。加速でオレの背後を取っての二刀流による袈裟斬りを繰り出すが、回転を加えたステップで逆に背後を取り、肘打を腰に入れ、そのまま分身ごと首を刈る。

 

『お前にも怒りは燻ぶっているはずだ。マグマが噴火口を求めて地表を焦がす日を待ち望むように、お前の怒りも露呈する時を待っている』

 

 これで5体! サリヴァーンの分身の全撃破を完了。だが、サリヴァーンはすぐに構えを取って分身を生み出そうとする。防護で周囲に罪の火の火球が惑星のようにサリヴァーンを中心に円運動している。

 罪の火の防護網を潜り抜け、分身生産中のサリヴァーンを頭から大鎌で裂き、喉をピースメーカーで叩き潰してダウンさせ、その胸を踏み躙り何度も鎌をサリヴァーンの顔面に振り下ろす。

 サリヴァーンは痙攣しながらも銀剣を振るい、オレの手からピースメーカーを弾き飛ばす。大鎌を両手で持ち、復帰したサリヴァーンの胴を薙ぎ、2本目のHPバーを完全に削り切る。

 

『怒り。それは人間のみに許された感情ではない。多くの生物が持つ普遍的な感情だ。神々さえ神話において怒りを示す』

 

 これで最終段階。サリヴァーンから感じるのは恐怖だ。何に怯えている? 何に抗おうとしている?

 忌み人から法王になった立身出世の権化。グウィンの一族を没落させ、事実上神族の地位を失墜させた稀代の野心家。元暗月の騎士でありながら、神を否定する者。

 求めるのは闇の時代? 違う。サリヴァーンが望んだのは、時代の変革などでは無かったはずだ。

 

「好きなように生き、好きなように死ぬ。誰の為でもなく」

 

 己の為に。サリヴァーンは自分が1番だっただけだ。他者も、家族も、故郷も、神さえも、自分の野望を叶える為の道具だった。

 

「カッコイイですね」

 

 オレは心からサリヴァーンを賛美する。ああ、だからこんなにも愉しいのか。サリヴァーンが全力を尽くして抗う殺し合いに悦びを覚えているのか。

 サリヴァーンの最終段階。翼はより巨大化する。分身が6体生み出されるが、いずれもHPバーの表示はない。分身の数は減らすことができないか。

 飛行するサリヴァーンは頭上に罪の大剣を掲げ、巨大な火球を生み出す。それは煌々と輝く太陽のようであり、ゆっくりと降下してくる。着弾点より焼夷弾の如く炎を撒き散らし、広範囲に炎上フィールドを作る。そして、炎上フィールドはゆっくりと分化し、個々の意思を持っているかのように動き続ける。

 違う。全てが追尾性を持っているのだ。なるほどな。常に動き続けなければ、何十と分裂した罪の火の小型火蛇の動きを把握し続けなければ、やがて包囲されて焼き尽くされることになる。

 分身も追随、包囲、そして独立行動が加わった。必ず1~3体が別行動を起こす。

 もっと血の悦びを。思考が血の色だけで染まりそうになる。それを御するのは狩人の業。

 導きの糸だけでは駄目だ。もっと先に。先人たちがたどり着いた極みに。

 自らの背後から、サリヴァーンの視点から、あるいはオレ達の頭上から、俯瞰するイメージが出来上がる。

 自由自在の俯瞰イメージ……狩人の眼。狩人の予測を、肉眼の1人称を補完するために編み出された、イメージ視点。

 所詮はイメージだ。何かが間違っているのかもしれない。五感でも感じ取れない取りこぼしがあるのかもしれない。そもそも全てが間違いなのかもしれない。だが、ヤツメ様の導きの糸がよりイメージを強固にする。

 サリヴァーンの罪の大剣は伸びた炎で常時リーチが増加し、また銀剣も火力増強のように光が増している。

 ステップを駆使して地面を走る罪の火蛇を潜り抜け、分身の連撃を躱し、サリヴァーンへの間合いを詰める。

 罪の火が乱れ、魔法の光が散り、斬撃が火花を散らす。サリヴァーンの怒涛の乱舞斬りと共に、地上を走る罪の火蛇が加速する。

 踊るように回転しながら詰め寄り、最後は大回転斬りで舞い上がったところで爆発を狙った罪の大剣による急降下突き。

 大爆発と共にサリヴァーンが聖剣を再現する魔法の光を帯びた銀剣による突進突きを繰り出す。爆風で体勢が崩れたオレの胸を貫く一撃に合わせ、逆に大鎌のカウンターで胴を両断するかのような一閃を加える。

 

「アナタは何を目指していたのですか? 何が欲しかったんですか? こんな寂れた都でたった1人で……何を求めていたんですか?」

 

「…………」

 

 サリヴァーンは答えない。あるいは、彼は何も見つけられなかったのかもしれない。故郷を捨てた日より向上心だけを頼りに進み続けたが、結局は目指すべき道を得られなかったのかもしれない。

 誰だってそうだろう。止まれない。止まることはできない。大切な場所を……帰るべき故郷を捨てたならば、目的が見えずとも前に進むしかないのだ。

 サリヴァーンは戦い続ける。その身から湧き出すのは恐怖。死への恐怖。オレへの恐怖。生き残る為にバケモノに挑むような気迫を感じる。

 サリヴァーンの右腕が飛ぶ。罪の大剣が地面に突き刺さる。だが、サリヴァーンの動きは緩まない。分身を補助にして果敢に挑む。

 サリヴァーンの左腕が消える。肘から先を断たれ、銀剣が転がる。呻くサリヴァーンは飛行し、分身の制御に専念する。

 サリヴァーンの翼が潰える。罪の火蛇を振り切り、分身の猛攻を払い除け、壁を駆けて宙を待ったオレの大鎌の一撃はサリヴァーンの背中を深く傷つけ、翼を霧散させて墜落させる。

 

「私は生きたかった。より強く、より豊かに、より偉大になりたかった。故郷でつまらない忌み人で終わりたくなかった。それの何が悪い?」

 

 両膝をついたサリヴァーンの首に、背後から大鎌の刃をかける。あとはその首を落とすだけだ。

 

「……そうですか」

 

 同情も共感も要らない。サリヴァーンの最後の意地なのだろう。オレは彼の首を躊躇なく落とす。大鎌の刃はサリヴァーンの頭部を胴から切り離す。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 故郷ではなく、野心の末にたどり着いたイルシールで眠ることこそアナタには相応しいはずだから。

 

『正義の味方を気取れるならば、どれだけ気が楽だっただろうな。お前にとっては善悪など何の価値もない』

 

 サリヴァーンの遺体が爆散し、ポリゴンの塵となる。同時に致命的な精神負荷の受容を停止し、片膝をつくが、大鎌の柄でバランスを取って転倒を防ぐ。

 リザルト画面が表示され、入手したアイテムを確認する。無論、そこには法王サリヴァーンのソウルがある。

 だが、オレは目当てのアイテムが無いことを3度入手アイテムリストを見直して確認すると、サリヴァーンとの激戦の地だった聖堂内部を確認する。

 これか。ご丁寧に聖堂の出口に準備されている。それは青い羽根だ。

 幸運を呼ぶ青い鳥の羽根のつもりか? 何にしても記憶を見させてもらうとしよう。

 青い羽根を拾い上げれば、瞬く間に分裂して竜巻のようにオレを囲って荒れ狂う。風圧で身が揺らぐ中で、ユイの記憶の世界が構築されていく。

 それはSAOの風景ではない。恐らくは事件後、『アイツ』のプライベートVR空間だろう。VR犯罪対策室のオブザーバーとして関与した事件のデータが表示されて宙を泳いでいる。まるで探偵事務所のようであり、適当な雑居ビルでも覗いてみれば目に出来そうなインテリアばかりだ。

 ユイと『アイツ』は口論している。『アイツ』の手にあるのは……DBOの招待状か。アスナの生存……死者の復活を知らされた後だろう。

 

『パパ、いい加減にしてください! ママは死んだんです! 生き返ったりしません! こんなの間違ってます!』

 

 ユイは涙を溜めて『アイツ』の願いを否定する。MHCPとして、SAO事件のような……あるいはそれを上回る悲劇を見過ごせないからだろう。SAO事件解決の立役者でもある『アイツ』が、己の願望の為に数多の人々を危険に晒すことを見逃すことを是とするなど認められないからだろう。

 だが、『アイツ』はユイの説得に応じなかった。そして、ユイもまた何度叫ぼうとも、本心ではアスナに会いたがっていることを隠せないように、その目には言葉を紡ぐ度に迷いが濃くなっているようだった。

 

『もう知りません! パパなんて大っ嫌いです!』

 

 口論の末にユイはそう叫び、『アイツ』はショックを受けたように立ち竦む。そして、その様にユイは己の失言を自覚し、だが謝罪することもできずに姿を消す。

 青い羽根は赤く染まって舞い落ちる。ユイは電子の海を旅し、DBOの調査を行う。

 

『本当にママが生きてるなら……私だって会いたいです。会いたいよ、パパ。ごめんなさいって……謝りたいよ』

 

「……ユイ」

 

 これは記憶だ。灰色のノイズとなったオレが記憶の彼女に慰めの言葉をかけても意味はない。また、そんな資格もない。

 だが、ユイの気持ちは理解できる気がした。頭ではアスナの死を受け入れ、また倫理の観点から死者の復活という冒涜とDBO事件を見逃すという正義に反する行いは許容できない。

 その一方で『アイツ』の感情も理解できる。むしろ共感し、本心は同意してしまっている。そして、相手の強大さから正義を遂行しようとしても手遅れであり、『アイツ』はどちらにしても巻き込まれるしか無いのだとも把握している。

 だから立ち向かったのだろう。アスナの真相を確かめる為に。DBO事件を阻止するために。何よりも、『アイツ』の事が大好きだからこそ、心にもない暴言を吐いたことを謝る為にも、成し遂げるべき正義があったのだ。

 赤く赤く、その果てに黒く濁った羽根が舞い上がる。聖堂に戻されたオレは3つ目……最後の記憶の欠片を得る。

 

<記憶の欠片3:朝霧の魔女の罪深き記憶。魔女は戦いの末に傷つき倒れ、力と記憶を奪われて幽閉された。そして、彼女は孤独を再び知った>

 

 3つの記憶の欠片は融合し、新たに【朝霧の魔女の記憶】というアイテムになる。それはソウルのように温かな光の塊であり、故に彼女の思い出がどれだけ幸せなものなのかを物語る。

 

「これをユイに還せば良いんだな?」

 

 誰だか知らないが、このイルシールでユイの記憶を経験させたヤツは、オレにユイの記憶を届けて欲しいようだ。

 家族想いなことだな。だが、家族を愛さない方が珍しいものだ。どれだけ妬みや憎しみを抱こうとも、家族への愛情はそう簡単に捨てられるものではない。

 

「……家族か」

 

 オレにも家族が……いた、はずだ。

 さすがに灼き過ぎたか。

 もう家族のことさえも曖昧だ。どんな人たちで、何人家族で、どんな風に過ごしたのか、まるで思い出せない。

 

「サリヴァーン……アナタにも郷愁はあったのでしょうか?」

 

 それでも、きっとオレを愛してくれていたはずだ。そんな気がするんだ。

 ピースメーカーを拾い、聖堂の先……第4層レイヤードへと向かう。そこを突破すれば、いよいよ終着点だ。

 その果てに何があろうとも、オレは後悔しない。




2つの谷を経て、機械の都にたどり着く。
 
それでは、307話でまた会いましょう。

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