SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

管理者たちを退け、吹き溜まりの底……氷と雪に閉ざされた都にたどり着く。


Episode19-05 エス・ロイエス

 夢を見たかった。チェンジリング事件も、アルヴヘイムの冒険も、サクヤの死さえも悪夢だったのだと嗤える夢を見たかった。

 だが、強かな雨音で目覚めたユージーンは、自分が泥水に浸かるように、夢の欠片もなく睡眠を貪った事実に悔しさを覚える。

 アルヴヘイムから帰還した後はクラウドアースに報告を済ませ、ユージーンは自宅ではなくクラウドアースが保有するホテルに通された。他の面々とは違い、クラウドアースの任務で真っ当にアルヴヘイムに旅立ったユージーンは、まず代表のベクターに労われ、簡易的な報告を済ませた後は早々に解放されたのだ。

 筋肉の鎧を纏うような逞しい全身は汗で濡れ、裸体のユージーンはベッドのシーツを除けてシャワールームに向かう。途切れることがない高温のシャワー、よく泡立つ石鹸、清涼感を強めたシャンプーのいずれもアルヴヘイムでは手に入らなかったものだ。

 アルヴヘイムでは得たものは多かった。確かな成長と新たな可能性を得た。だが、ようやく愛し合えた女性を失ってしまった。

 何かを得るとは、何かを失う事だというのか? ユージーンはくだらない自問だと鼻を鳴らす。

 

「オレはランク1。プレイヤーの希望となる男。英雄として完全攻略を成し遂げる役目を担う者」

 

 湯気で曇った鏡を手で拭い、己に刻み込むように『ランク1』という称号に課せられた使命を言葉にする。

 だが、ラストサンクチュアリ……いや、聖剣騎士団はUNKNOWNを積極的に利用してプレイヤーにアピールするだろう。聖剣という万人の目と心を奪う絶対なる英雄の象徴を携えたUNKNOWNは、ランク1という称号の価値に陰りを与えるのは時間の問題だ。

 故にクラウドアースはこれまで以上にラストサンクチュアリの壊滅に本腰を入れる。ユージーンの仕事はUNKNOWNを撃破し、傭兵最強は誰なのかを衆目に知らしめた後に、敗者より聖剣を奪って我が物にするまで含まれるだろう事は容易に予見できた。

 ラストサンクチュアリ壊滅作戦は確定事項だ。そして、いずれの大ギルドもあの腐った巨木が倒れることを前提として動いている。誰も存在に尽力などしない。それは酷く哀れなことであり、また妥当な結末だ。

 

(だが、今のオレに倒せるか? 奴の聖剣は規格外だ。並の武装では不足が生じる)

 

 DPSに優れた≪二刀流≫と高威力の一撃に秀でた≪剛覇剣≫。真正面からの斬り合いならば、手数でこそ負けるが、それ以上の攻撃で叩き伏せる自信がユージーンにはある。純粋な剣技の勝負ならば十分にUNKNOWNとも渡り合える。体術……特に格闘術に限定すれば、自分の方が上だろうと客観的に分析もしているが、スピードは負けている。ならばこそ、差を分けるのは策の準備と装備にあるとユージーンは判断した。

 バスローブ姿で部屋に戻ったユージーンは、タオルを頭から被ったまま、窓の外から眺められる終わりつつある街の風景を眺める。眼下の街並みは初期に比べれば大きく発展し、人間が住まうに足る『都市』となった。開始した頃の、ボロ小屋の集まりとも見紛う程の貧相な街並みの面影など無い。だが、その一方で獣狩りの夜で壊滅した区画は今も残され、多くの貧民プレイヤーの根城になっている。

 強き者や知恵ある者は富を勝ち取り、敗者と弱者は配給と残飯を頼りに命を繋げる。現実世界と同じであり、だが如実に露となった、弱肉強食の格差社会だ。

 

「オレは守らねばならない。彼らの未来を。彼らの明日を。彼らの希望を」

 

 英雄という肩書は軽くない。無責任に圧し掛かる希望を束ねて背負わねばならないのだ。

 UNKNOWNにもその覚悟はあるのだろう。決して否定はしない。アルヴヘイムの戦いにおいて、言葉を交わした時間は少なくとも、その戦いを見れば自然と感じ取れた。あの男もまた腹を括り、自らの意思で英雄の道を歩むことを決めたのだと。

 ならばこそ、聖剣の価値は不動となる。存在そのものが英雄の証明だからだ。これからUNKNOWNは聖剣を狙う陰謀と闘争に巻き込まれていくことだろう。そして、その荒波こそがあの男を更に強くするはずだとユージーンは確信している。

 だからこそ、聖剣に相対する新たな剣が不可欠だった。それは報告を受けたクラウドアースも重々承知している。故にユージーンはこれからクラウドアースの下で、対UNKNOWN装備の開発に従事することが既に決定されている。

 ノック音が響き、ユージーンはタオルを椅子にかけると入室を許可する。

 

「失礼いたします」

 

 入って来たのはメイド服姿の美女だ。セサルに仕えるメイド長であり、また本人も卓越した技量を有する上位プレイヤーでもあり、またクラウドアース暗部の人員でもあるブリッツだ。

 朝食を運んできたブリッツは、これぞ本職とばかりに手際よくテーブルに並べる。ユージーンは当然の待遇に当然の態度で応じるべく堂々と彼女が引いた椅子に腰を下ろす。

 程良く焦げ目がついたバターロール、分厚いベーコン、殻が茹で卵、色彩豊かなサラダ、そしてデザートのヨーグルト。理想的な朝の洋食である。ユージーンは注がれたモーニング珈琲を受け取り、一見すれば完璧に仕事をこなすメイドの内心を探る。

 

「フン。オレでは生き残れないとでも思ったか?」

 

「正直に申し上げます。生還されるとは思いもよりませんでした」

 

「低く見られたものだな」

 

「申し訳ありません。ユージーン様を見誤っていました。セサル様が直接指導されるに足る器は、アルヴヘイムという孤立無援の地で力を蓄え、英雄の道を歩む資格を得たとお見受けいたしました。セサル様もご報告を受け、ユージーン様を高く評価されています。ラストサンクチュアリ壊滅作戦に向けたあらゆる支援をヴェニデは惜しまないと言伝を預かって参りました」

 

「だが、あの男が直接足を運んで賛辞はしない、か」

 

「セサル様はご多忙ですので……」

 

 健康面で問題を抱えるセサルは前にも増して公に姿を出すことは少なくなった。完全攻略前に余命尽きるのではないかとクラウドアースは焦りを覚えている。クラウドアースに裏から大きな影響力を与えているセサルが亡くなれば、クラウドアースは大きな転換期を迎えざるを得ないのだ。既にベクターは想定した動きを見せている。

 クラウドアースは、他2つとは違い、複数のギルドの連合体だ。評議会という意思決定機関こそ存在するが、他の大ギルドに比べて切り崩し工作の影響は強く受ける。だからこそ、表であれ裏であれ、絶対的なリーダーが不可欠だ。

 クラウドアースの最大の弱点はカリスマ性のあるリーダーの不在だ。聖剣騎士団ならばディアベル、太陽の狩猟団ならばサンライスであるが、クラウドアースには組織を問答無用で引っ張れる逸材がいない。評議会議長であるベクターは表向きこそクラウドアースの代表であるが、他2人に比べれば格段に名声も知名度も劣る。それを補っていたのが裏の支配者でもあったセサルだ。

 セサル不在を想定した新体制。現代表のベクターを追い落とそうと画策する者もいるだろう。そして、他2つの大ギルドは自分たち寄りの代表誕生を目論んで秘密裏に支援を行うはずだ。また、クラウドアース随一の広告塔であるランク1のユージーンからの支持を得ようと接触を図ろうとする幹部は増えるだろう事は予見できる。

 

(この女は……ヴェニデは……セサルは何を考えている? このままクラウドアースの不穏を放っておくつもりか?)

 

 少なくともラストサンクチュアリ壊滅までは表立って現体制を崩そうとする者はいないだろう。だが、セサルは敢えて火種を放置しているかのようだ。あの男は自陣営の不穏が招く闘争さえも楽しんでいるのだろう。

 そもそもヴェニデは独特のギルドだ。彼らはDBOで結成されたのではない。現実世界においても実在する組織なのだろうとユージーンは予想している。だからこそ、ヴェニデの面々は途絶えぬ忠誠をセサルに誓っているのだ。

 唯一分かっていることは、ヴェニデは『王』を探しているということだ。セサルは自身の後継に足る人間を欲しているのである。

 

「支援してくれるならば、ありがたく受け取ろう。早速だが、優秀な鍛冶師を紹介してもらいたい。クラウドアースも手配してくれるそうだが、ヴェニデには独自の開発ルートがあるのだろう? このオレの為に尽くしてみろ」

 

 だが、利用できるならば何でも利用する。いかなる不利益も呑み込んでこそランク1なのだ。ユージーンの変わらぬ不遜な態度に、ブリッツは称賛するように笑んだ。

 朝食の後片付けをして退室したブリッツを見送り、ユージーンは止まぬ雨をぼんやりと眺める。

 

「……サクヤ」

 

 愛しき女の名を反芻させて思い出すのは後継者が持ち掛けた取引だ。あのような甘い罠に引っかかる程に愚かではないとユージーンは自身に言い聞かせるが、完全に振り払うことができず、未練に後ろ髪を引かれるのは、それだけ彼女を愛していたからこそなのだろうと思い知る。

 甦る。限りなく本物に等しいコピーとして、『サクヤ』にまた会える。それが冒涜だと分かっていながらも、ユージーンの心にはどろりとした欲望が油汚れのようにこびり付いて離れなかった。

 いつまでも部屋に籠るなど性に合わない。我欲を振り払わねばとユージーンはクラウドアースが準備したスーツに着替える。企業色が強いクラウドアースは他2つに比べても幹部のスーツ着用率は高い。最高意思決定機関である評議会などスーツ以外での出席は禁じられてこそいないが、暗黙の了解になっている。

 

「やぁ、よく眠れたかな?」

 

 ユージーンが早速足を運んだのは終わりつつある街にあるクラウドアースの支部だ。簡易的な報告は既に終わらせているが、今後のアルヴヘイムの利権争いとフェアリーダンスの扱いについて、トップであるベクターと話をする必要性があったからだ。

 執務室に通されたユージーンに、ベクターは徹夜明けとは思わせぬ、ビジネスマンとして1点の曇りもない笑顔で迎える。だが、彼と打ち合わせをしていたらしい傭兵に依頼を運ぶ仲介人のネイサンはやや疲労を隠せない様子だった。

 

(これはハイエンド品の……途方もない額だな。高値で売りつけたものだ)

 

 デスクに放られた書類を盗み見たユージーンは、ネイサンに大口の商談があったと悟る。他2つの大ギルドに比べても商魂逞しいクラウドアースにおいて出世の近道は、いかに利益を出すかにかかっている。詳細は不明だが、ネイサンはベクターも無視できない商談を成立させたのは間違いないようだ、とユージーンはネイサンの成功を内心で讃える。尤も、これだけの装備をこの額で購入するとは、余程に市場感覚に疎いか、もしくは逼迫した状況であったかのどちらかだろう、と並程度には取引と交渉のいろはを知るユージーンは感想を抱く。

 ネイサンを下がらせたベクターは、わざわざ自分の手で珈琲を入れるとユージーンに差し出す。

 

「気になるかな?」

 

「フン。誰がどんな武器を買おうとオレの知った事ではない。敵であろうと返り討ちしてやる」

 

「それは困るな。幾ら至高のランク1でも、我がギルドの商品を見せ場も無く叩きのめしてもらってはね」

 

「どれだけ強力な武器があろうとも使い手が弱ければ意味が無い」

 

 そういうものか、とベクターは苦笑してユージーンの意見を聞き流す。個人の武力ではなく、政治力と財力でクラウドアースの頂点に君臨するベクターからすれば、ユージーンのような戦士の意見は理解し難いものなのだろう。

 長身の痩せ細った不健康そうな体躯をしたベクターは、疲れを解すように両目を手で揉み、深々とリクライニングチェアに腰を下ろす。部下の前では見せないリラックスした様子もまた『ランク1を信頼している』というパフォーマンスだとユージーンは重々承知しており、またベクターも見抜かれた上で演技を貫いている。

 

「アルヴヘイム騒乱については、すでにクラウドアースが先んじて情報公開と工作を終えている。キミの記者会見の日程は追々伝える。台本はこちらで準備するが、いつも通りの『ランク1』らしいアドリブを期待させてもらおう。派手に頼むよ」

 

「アルヴヘイム攻略はオレ単独の手柄ではない。UNKNOWNやシノン、それにフェアリーダンスの2人の協力が不可欠だった。報告した通り、現地人の死力もあってこそだ。オレの戦果など微々たるもの。とてもではないが、胸を張って主役を演じれるものではない」

 

「主役を決めるのは役者ではなく監督……もっと言えば出資者の権利というものさ」

 

「フン。口が達者だな。今回の事件にはそうしたシナリオが必要なことくらいは理解してやる。だが、民衆がどう捉えるかは自由であると忘れないことだな」

 

 クラウドアースは『アルヴヘイム攻略の立役者はユージーンである』と大々的にアピールすることで、まだ派閥を決めきれていない日和見の中小ギルドの求心を狙っているのは明確だった。だが、聖剣を携えて帰還したUNKNOWNと協力者のシノンを担ぎ上げ、聖剣騎士団と太陽の狩猟団は普段の犬猿の仲を置いて共同戦線でクラウドアースの広報に対決するだろう。

 ユージーンは虚言を弄するつもりはない。問われれば、アルヴヘイムにおける最終決戦においてオベイロンを撃破したのはUNKNOWNだと正直に証言するつもりだ。そして、民衆もまた聖剣という説得力のある材料を持つUNKNOWNこそがアルヴヘイム攻略を成し遂げた功労者と認めるだろう。

 そして、クラウドアース評議会は……ベクターはその程度の筋書きを読めないはずもない。ユージーンが寝ている間にも、既に諜報員や協力者を通じて噂という形でクラウドアースがギルドを上げてアルヴヘイム攻略を行っていたという情報をばら撒いている事だろう。

 最終的な着地点は、『クラウドアース主導ではあったが、聖剣騎士団と太陽の狩猟団もまたチェンジリング事件解決の為に戦力の派遣を決定。UNKNOWN、ユージーン、シノンの各ギルドの最高戦力クラスの傭兵を筆頭としたスペシャルチームでアルヴヘイムの攻略に成功した』が妥当な所だろう、とユージーンは3大ギルドのシナリオなのだろうと予想する。

 ならばこそ、ベクターが聞きたいのはシナリオを狂わせるイレギュラーの情報なのだ、ともユージーンは勘付いていた。

 

「キミの報告書は読ませてもらった。アルヴヘイムはもはやゲームの範疇を完全に逸脱していた。『異世界』という表現こそが相応しい。まぁ、それを言えば、このDBOの環境自体が現実からすれば十分に異世界なのだが……ともかくキミ達は尋常ならざる経験をしたわけだ。だが、キミの報告には幾つかの抜けがある」

 

「…………」

 

「たとえば【渡り鳥】だ。既に私はセサル様より彼がアルヴヘイムで暗躍していた旨の情報を得ている。キミは接触しなかったのかな?」

 

 思い出したのはサクヤの無残な最期だった。彼女の命を直接奪ったのは【渡り鳥】に他ならず、また止むを得ない状況だったとはいえ、理不尽と思いながらもユージーンは彼に対して怒りを覚える己を恥じる。

 あくまで断じるべきはレギオンであり、【渡り鳥】ではない。それを改めて己に戒めた上で、ユージーンは両腕を組んでベクターを睨む。

 

「接触した。奴は単独で動いているようだったな」

 

「背後は? 何処のギルドが支援していた?」

 

「知らん。だが、奴は仕事以外ではほとんど自発的に行動することはないと聞く。ならば、アルヴヘイムへの潜入を命じた何者かがいるはずだ。聖剣騎士団か、太陽の狩猟団か、あるいは教会かもしれん。いずれにしても、クラウドアースが探れぬ以上はオレに尋ねても無駄だ」

 

「そうか。最も怪しいのは教会だが、太陽の狩猟団が腹芸をしているならば裏を掻かれる恐れもある。それにディアベルには【渡り鳥】と個人的な繋がりもある。やれやれ、こういう時に独立傭兵とは厄介なものだ」

 

 ユージーンが想像していた以上にベクターは【渡り鳥】に興味があるらしく、思案する様子で目を細めたが、すぐに取り繕うように柔和でありながら冷淡さが垣間見える笑みを描く。

 

「実はね、先程のハイエンド装備だが、購入者は【渡り鳥】だ。彼は常識離れしているよ。キミがアルヴヘイム騒乱の報告に追われている間に新しいミッションを受けたようだ」

 

 さすがのユージーンも思わず顔を渋くする程度には、自殺願望としか思えないワーカーホリックっぷりであり、また恐怖にも近しい感情を覚える。

 態度こそ気丈に振る舞ってこそいたが、ユージーンの体力も精神も限界であり、だからこそクラウドアースはゆっくりと休めるようにホテルの準備をしてくれたのだ。だが、ベクターの話によれば、【渡り鳥】はアルヴヘイム帰還とほぼ同時に新しい仕事を引き受けて出発したのは間違いなかった。

 

「率直な意見を聞かせてもらいたい。傭兵の双璧……キミかUNKNOWNが傭兵最強だと大多数は口にする。そこでだ。ランク1であるキミの目から見て、【渡り鳥】の脅威度……戦力はどの程度に位置するのかな?」

 

「まるで分からん」

 

「分からない? ランク1と讃えられる男が、殺人どころか虐殺すらも厭わない、無慈悲で凶悪な傭兵と悪名高い【渡り鳥】の実力を判断できないと? いずれキミにもその牙が迫るかもしれないというのに?」

 

「そうだ」

 

 昨今は幾らかオープンな依頼を引き受けるようになったとはいえ、メインは秘匿性の高い仕事である【渡り鳥】は他の傭兵に協働申請を打診することはまず無い。引き受けたミッションは間違いなくソロでこなしているはずだが、同じ傭兵でも【渡り鳥】の実力を正確に把握している者はいない。

 雇用側がセッティングするか、傭兵が申請を出さない限り、【渡り鳥】の戦いを目にする機会自体がほとんど無いのだ。だからこそ、先のバトル・オブ・アリーナでは彼の戦いに大きな注目が集まったのである。

 

「……そうか。キミがそこまで断言するのか。済まない、謝罪しよう。キミを侮辱する意図は無かった。気を悪くしないでくれるとありがたい」

 

「フン。どうせ奴を対ラストサンクチュアリ作戦でオレの協働相手に抜擢しようとでも考えていたのだろう?」

 

「ああ。マダム・スワンが特に【渡り鳥】との協働を熱望していてね。彼に華を持たせたいようだ」

 

 マダム・スワンはクラウドアースでも高い発言力を有する女性だ。自身の派閥を率いている。政治家として矢面に立つタイプではないが、パトロンとしては極めて優秀であり、人脈・情報力・財力はクラウドアース内でもトップクラスである。彼女が開催するサロンに参加できるのは、女性プレイヤーにおいて一流と認められた証であり、3大ギルドのいずれにも通用する権威なのだ。

 卓越した手腕と計略でクラウドアースを掌握するベクターであるが、大ギルド同士で鎬を削り合う現状では、一刻も早く内部分裂の火種は摘み取っておきたい。人気も実力も肩書もあるユージーン、クラウドアースでも大派閥を築くマダム・スワン、この2人が親ベクター派であると標榜すれば、彼の地位は盤石となる。

 つまらない政治の謀だ。ユージーンは唾棄したくなるが、これこそがクラウドアースの実情だ。強大なカリスマを有するリーダーが公に立たない以上、クラウドアースは常に派閥争いに見舞われる。ベクターは大ギルドのリーダーとして必要不可欠な仕事をこなしているだけだ。

 

「彼女は極めて珍しい【渡り鳥】のファンだ。警護任務で彼を高く評価して以来、議会を通さない個人的な依頼を出している程に。先のテロリストの殲滅作戦で【渡り鳥】が多くの情報を我々に提供し、本拠地の割り出しに貢献したのも、マダムの依頼があったからこそだ」

 

 マダムはトップの器ではない。だが、彼女の発言力がこれ以上高まり、なおかつ【渡り鳥】という武力を個人的に抱え込んでいると周囲が危惧すれば、ベクターの地位は危うい。だからと言って彼女を失墜させるのはクラウドアースの弱体化を招きかねない。故にベクターは彼女に自分を支持を表明させたがっている。事情を把握してユージーンは一考して頷く。

 

「奴は協働時はバランスを重視する。自分だけが突出して動くことは無い。あくまで協働としてのサポート役を全うする。オレがUNKNOWNとタイマンで決着を望めば、奴は水入りしないように邪魔者を排除するだろう」

 

「なるほど。だが、UNKNOWNの正体が『彼』ならば情に流されて手を抜くこともあり得るのではないかな? なにせ、彼らはコンビを組んでいたはずだ」

 

「それこそ絶対にあり得ん。戦いにおいて、奴は冷酷無比だ。たとえ旧友であろうとも躊躇いなく殺せるだろう」

 

 サクヤを殺された場面がフラッシュバックし、ユージーンは自然と語気が荒くなった事に気づいて拳を握って自制を訴える。

 どうしてだろうか? レギオンこそが元凶だと分かり切っているはずなのに、【渡り鳥】に対しての怒りを消し去ることができない。それがユージーンに小さな困惑を芽生えさせる。

 サクヤは幾らか【渡り鳥】に依頼を飛ばす程度には彼を評価していた。そんな彼女を、およそ躊躇いがあったとは思えような惨殺を成した【渡り鳥】の理解を心が拒んでいるのかもしれない。だが、結局のところは心の持ち主であるユージーン自身にも詳細は定まらない。

 

「分かった。協働相手はこちらで改めて選抜する。キミも要望があれば積極的に頼む。最大限に配慮しよう」

 

「無論だ」

 

「話は変わるが、キミから要望のあったフェアリーダンスについてだが、既に構成メンバーの半数がクラウドアースや関係ギルドへの移籍希望を出している」

 

 決定づけられたフェアリーダンスの傘下入り。これは少なからず中立を気取っていた中小ギルドに大きな衝撃を与える事案だ。中立ギルドの御旗を掲げ、大ギルドの勢力争いに無言の否を突きつけていたフェアリーダンスの敗北を意味するからだ。これにより、中小ギルドの勢力入りは加速するだろう。

 だからこそ、ユージーンにはサクヤの遺志を尊重し、彼らをどんな形でも中立として回帰させたいという意思があった。

 だが、ユージーンの手回しなど意味を成さないとばかりに1晩で決着はついていた。

 

「彼らもようやく現実を見てくれたようだ。フェアリーダンスは近日中に解散。メンバーは『自己申請』の通り、各々適性に合わせて再配置される。とはいえ、全員を獲得する事はできなかった。やられたよ。聖剣騎士団や太陽の狩猟団にも引き抜かれたようだ。戦力増強が急務のクラウドアースにとって、彼らは優秀な人材ばかりだったのだがね」

 

『やられた』のはこちらの方だ! ユージーンは表情に出さないように努めながら、この男の……いや、大ギルドを統べる上層部の人間の恐ろしさを改めて思い知る。

 ユージーンが休んだ1晩の間……いや、彼がアルヴヘイムにいる間に3大ギルドは既に内々に協議を済ませ、フェアリーダンスの解体と処遇を決定したのだ。

 3大ギルドのいずれにとっても中立ギルドなど邪魔な瘤だ。クラウドアースにとってのラストサンクチュアリのようなものである。ならばフェアリーダンスの『自主的解散』とメンバーの各々の陣営入りは強烈なインパクトを持つ。

 フェアリーダンスのメンバーには事前に3大ギルドやそれに携わる人物が接触を図り、『仮にギルドを抜けるような事があれば活躍できるポジションを準備する』といった類の甘言を吹き込んであるだろう。サクヤが率いた面々ともなれば矜持を抱いて中立ギルドに在籍していたが、それもレコンの先走りで抵抗も許されずに砕かれたともなれば、自ずと行き着く結果は見える。

 既にフェアリーダンスは大ギルドの仕組んだ『不和』の爆弾が炸裂しているかもしれない。リーファとレコンの安否が気がかりとなったユージーンは、彼らとの面会を望む。

 

「サクヤは非常に優秀な人材だった。彼女がチェンジリング事件で亡くなったのは、我々DBOプレイヤー全体にとって大きな損害だ。だからこそ、我々は彼女が守り通そうとしたギルドメンバーを丁重に扱わねばならない。彼らは我ら大ギルドに力を貸し、プレイヤーの安全と完全攻略に尽力するだろう」

 

 サクヤの死を悔やむ発言をするベクターの目には微かな哀悼の念もない。冷酷な政略の計算の光だけが宿っている。

 ここで声を荒げるのは簡単だ。だが、ユージーンは自制する。サクヤの遺志を継ぐ者は残っている。リーファとレコンの2人は大ギルドに屈さず、新たな道を模索するだろう。ならば、ユージーンに出来ることは可能な限りに彼らの門出を支援する事だ。

 

(たとえ大ギルドの陰謀に塗れようとも、オレが『ランク1』として不動の栄誉と実力を示し、3大ギルドの不毛な争いを止める。止めてみせる)

 

 3大ギルドが霞む程の絶対的な希望の象徴。未来を切り開いてくれるはずだと信じられる英雄が不可欠なのだ。ユージーンは改めてサクヤにランク1の責務を果たすと誓った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

(ユージーンは情に流され易い男だとは思っていたが、あれ程までにサクヤに惚れこんでいたとはな)

 

 退室したユージーンを見送ったベクターは、肉が削がれたように痩せた頬を撫でながら、多くの不確定要素がアルヴヘイム動乱を経て増えた現状に頭を悩ませる。

 クラウドアースの裏の支配者であるセサルの健康問題。アルヴヘイムの利権分配を巡る抗争。ユージーンの大きな変化。UNKNOWNの聖剣。そして、行動がまるで読めない【渡り鳥】。いずれも難題ばかりだった。

 だが、目下として対応しなければならないのは、流血システムのアップデートだ。オンライン化によってゲームはアップデートが常とはいえ、デスゲームにまでアップデート要素を組み込まれては困るのだが、とベクターは顎を撫でる。

 今回のアップデートは後継者が行ったものではない。クラウドアース……より正確に言えばセサルの関与が疑われている。

 シャルルの森と同じく、アルヴヘイムにもコンソールルームが存在する。クラウドアース……より厳密に言えばヴェニデはそう睨んでおり、チェーングレイヴと裏で繋がりながら、内々に進出の準備を進めていた。

 昨夜の内に、アルヴヘイム攻略を前提として準備していた暗部をメインにした潜入部隊はアルヴヘイムにチェーングレイヴと共に先行している。3大ギルドでアルヴヘイムの入口を確保しているのはクラウドアースだけだ。UNKNOWN経由で聖剣騎士団もアルヴヘイムの入口は認知したが、部隊編成から案内人のUNKNOWNの合流まで時間がかかる。手配を済ませていたクラウドアースの初動の方が圧倒的に上だ。

 加えて、昨夜の内に太陽の狩猟団のミュウと会談を済ませ、傭兵を雇用して聖剣騎士団のアルヴヘイム入りを妨害工作を行うことを決定している。太陽の狩猟団は、合同調査部隊派遣の前に、クラウドアースを通してアルヴヘイムの利権の1部を内々に得る手筈になっているのだ。聖剣騎士団がありつけるパイの割り当ては増々減る事だろう。

 そして、そうした利権を超えて、クラウドアースの真の狙いはコンソールルームにあった。セサル自らが既にアルヴヘイム入りし、チェーングレイヴのリーダーであるクラインの案内でアルヴヘイムに侵入し、コンソールルームに到達したのだろう。潜入部隊から通告された内容によれば、コンソールルームは予定通りに確保している。シャルルの森と同じく、今回のアップデートはセサルがコンソールの権限を確認した際に、プレイヤーに与えられる『特権』によって行った『お遊び』だ。

 ベクターとしては完全に予定外だ。エレーミアス攻略部隊も未帰還の現時点でバトルシステムのアップデートなど損害を増やすに止まらず、下手をすれば計画の失敗に繋がりかねないからだ。

 

(DBOからの脱出を含めてプレイヤーの域を超えた権限の行使を限定回数で許可するコンソールルーム。前回は五感のアップデートで、今回は流血システム。プレイヤーがより現実の肉体に近しくなっていくわけか)

 

 戦闘は門外漢であるベクターとしては、流血システムが加わったところで日常に大した支障はない。だが、前線で戦う上位プレイヤーには多大な影響……それこそ戦死者の数にも関わってくるだろう。セサルがこのタイミングでわざわざ流血システムのアップデートを行ったのは、アノールロンド攻略への細やかな『贈り物』なのだろう。

 ベクターとしては、全体へのアップデートなどではなく、クラウドアースの権益拡大に繋がるように権限を行使してもらいたいところだが、アルヴヘイム利権をメインで得られるならば十分だろう、と問題視しない。あくまで自分がすべきことはクラウドアースの自治を盤石とし、影響力を強めていくことだからだ。

 

(アノールロンド攻略は中止だろう。未知なる流血システムがアップデートされた状態でボス戦に挑む無謀はしないはず。ならば、ユージーンを中心としたアノールロンド攻略部隊を編成し、クラウドアースがボス撃破の功績を掠め取ることもできる)

 

 最悪の場合、エレーミアスは失敗しても構わない。それより今回の流血システムのアップデートによって、アノールロンド利権もクラウドアースが手に入れる出目も期待できた。ベクターは捕らぬ狸の皮算用だと歪みかけた口元を右手で正す。

 

(今回のアノールロンド攻略において、クラウドアースは主力を出していない。ならばいっそディアベルには無茶をして大損害を出して撤退、ないし戦死してもらった方が得か?)

 

 だが、ディアベルを失った聖剣騎士団が制御を失えば大きな混乱を招きかねない。ベクターはリクライニングチェアのひじ掛けを指で叩きながら名案はないものかと思案する。

 

(いや、元のプランから外れるべきではないか。それに報告によれば四騎士とはDBOでも最強クラスのボスのはず。ならば元より損害ゼロで撃破は不可能だ。聖剣騎士団のメイン戦力が削れるならばそれでいい)

 

 ならば不可欠なのは、万が一に備えてエレーミアスに援軍を送る事だろう。それに足る部隊も即座に送り込めるほどにクラウドアースの戦力は拡張された。

 クラウドアースは目下戦力増強に力を注いでいる。育成したエリートプレイヤーも前線入りし始め、ヘッドハンティングも含めて、ようやく他2つの大ギルドとも戦力的に肩を並べられるようになった。

 早速エレーミアスへの援軍の手配を済ませ、ベクターは万事を尽くしたと一息を吐く。

 

(プレイヤー戦力は揃いつつあるが、アームズフォート開発に出遅れたのはやはり大きな失態だったな。聖剣騎士団は既にスピリット・オブ・マザーウィルの2号機をロールアウトし、グレートウォールなる奇々怪々な新型も建造中だと情報が入っている。対してこちらはようやくカブラカンを2機目か。やはり鍛冶師のスカウトが急務だな。あのHENTAI共が1人でも我が陣営に与すれば……)

 

 望んだ通りに物事は進まないものだ。だが、だからこそ挑戦する甲斐もある。それが面白くてしょうがない。ベクターは今度こそ嬉々と笑む。

 先立っての不安要素はやはりUNKNOWNだ。遠くから一目見ただけであるが、ベクターでさえ心を揺さぶられた。あの聖剣には我欲を掻き立てる魅力がある。我が物にしたいと望ませる引力があるのだ。

 誰もが理解するだろう。あの聖剣はただの武器ではない。尋常ならざる『力』を秘めているのだ。

 

(ユージーンは反対するだろうが、数に物を言わせてUNKNOWNを撃破するべきか? いくらUNKNOWNでも、上位プレイヤーで編成された部隊で囲めば……いや、ラストサンクチュアリ壊滅は大々的に報道しなければならない。生中継は必須だ。『表面的』にはユージーンと1対1を演じてもらわねばな)

 

 たとえば、開戦時は2対2の状態とし、ユージーンVSUNKNOWNをメインに報道する。そして、片方を破ったクラウドアース陣営が加勢して2対1の優勢に持ち込んで撃破。これならばクラウドアースのイメージは下がらない。

 簡単な事だ。資金難のラストサンクチュアリが、聖剣騎士団から裏より力添えしてもらったとしても、雇用できる傭兵など限られている。ならば逆手に取り、クラウドアースが金を握らせた傭兵にラストサンクチュアリからの依頼を引き受けてもらうように工作してもらえばいいのだ。聖剣騎士団は専属を派遣するような馬鹿な真似はしないならば、太陽の狩猟団さえ抱き込めば、選択肢は独立傭兵に限られるのだから。

 そうなると問題になるのはユージーンの性格だ。武人肌であり、UNKNOWNとの決着に固執する彼は、聖剣を巡る戦いとして1対1の勝負に拘るだろう。

 

(【渡り鳥】ならば、何をしたところでクラウドアースのイメージダウンには繋がらない。いっそ、ラストサンクチュアリの非戦闘員に攻撃してもらい、UNKNOWNの動揺を誘うという手もあるな。後でクラウドアースが公式で【渡り鳥】に非難声明を出せば……いや、マダムの機嫌は損ねたくない)

 

 確かにマダムが熱を入れるのも納得の容姿ではある、とベクターも認める。気を抜けば魅了されて骨抜きにされてしまいそうな程だ。DBOのファッション界を牽引するクラウドアースは、彼に幾度となく『女性』ファッション誌アフロディーテでモデル依頼を打診しているが、1度として受託されたことは無い。

 

(1番理想的なのは、UNKNOWNに八百長を演じてもらうことか。ラストサンクチュアリの壊滅はどう足掻いても確定している。その後の進退を餌にすれば……)

 

 今秋が目途か、と冬が訪れる前にラストサンクチュアリを壊滅させるとベクターは目論む。その為にもアルヴヘイム騒乱と利権争いを早期に終息させねばならないだろう。そして、ラストサンクチュアリさえ滅びれば、いよいよベクターは計画を実行してクラウドアースの完全掌握に取り掛かる予定だ。

 人材獲得を推進しなければならない。ベクターは新たに育成されて上位プレイヤー入りした通称エリートプレイヤーのリストを拝見する。そして、その傍らにはエリートプレイヤーになれなかった落伍者の名簿もある。

 セサルの育成プランに沿った、高い実力を有し、組織に忠誠を誓うエリートプレイヤーは今後のクラウドアースの主力を担うに足る人材ばかりだ。だが、限りあるとはいえ、こうして人員補強を可能としているのは、DBOの人口増加が止まらないことの示唆でもある。

 

(完全攻略か。もはや現実世界出身者はマイノリティになった。いや、そもそも最初の時点で何人が本当の意味で現実世界に帰るべき場所を持っていたというのか? ならば、完全攻略の末に得るべきは我々の世界。この新しい世界だ。ギルド間戦争が意味する完全攻略の主導権争いとは、もはや現実世界への帰還などではなく、『完全攻略後の世界の主導権争い』に他ならない)

 

 そして、そんな真意を隠したまま、いずれの3大ギルドも初期の完全攻略……『現実世界への帰還』という御旗を掲げている。欺瞞で大嘘つきであるが、まだ多くのプレイヤーが人口増加を始めとした真実に『気づけない』手前では不可欠なのだ。

 誰だってそうだ。成功を手放したくない。ベクターは座り心地の良い革張りの椅子に喉を鳴らして笑う。彼は現実世界でも成功者だ。VR業界にも投資している資産家の1人であり、いずれは世界規模のサービスを予定されていたDBOの視察と接待を兼ねてログインした。

 だが、完全攻略して解放されるまでにあとどれだけの月日がかかるというのか? もはや現実世界に彼のポジションは残っていないだろう。戻れたとしてもリハビリに時間がかかる。ライバル達は復帰を妨げるに違いない。たとえ富はあっても、生活は国に保証されても、かつての名声と地位は得られない。一生『DBO事件被害者』という屈辱のレッテルが貼られ続ける。

 ならば、既に成功を手にした今を続行できるならば、ベクターは迷わず現実世界への帰還ではなく、仮想世界への移住を選ぶだろう。そうした選択を内々で抱えているプレイヤーこそがもはや主流になりつつあるのだ。帰還という夢に縋っているのは己の能力の無さを棚に上げて貧困に喘ぐ最下層の者たちだ。

 戦わなければ生き残れない。それは現実世界でも変わらない。他者を蹴落とし、大多数の敗北の上で一握りの勝者が富を得る。DBOの場合、現実世界では過去として切り捨てられた個人の武力が大きな価値を持って富に結びついているだけのことだ、とベクターは言い切ることができる。

 

「負け犬の巣はさっさと潰すに限る」

 

 だからこそ、ベクターはラストサンクチュアリを個人的にも嫌悪している。大多数の弱者を抱えて数に物を言わせた発言力で強気を演じながら、その実は貧しく、戦力らしい戦力もなく、その数さえも価値を失いつつある実状から目を背けている。

 弱者は必要だ。彼らは強き勝者に頭を垂らし、恵みを求めることで数の価値を示すのだから。だが、庇護の役目はもはや教会に移った。

 

 ならば、派手に散らしてあげるのがせめてもの餞なのだ、とベクターは改めてユージーンの協働相手の選抜に取り掛かった。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 これで3時間か。紛糾する会議にラジードは不和の居心地の悪さを覚える。

 明朝に出発してボス部屋を目指すはずが、道中に発覚した不測の事態によって、アノールロンド攻略部隊は正午を回ってもボスに挑めずにいた。

 新たなシステムの追加である。銀騎士の攻撃の直撃を受けたプレイヤーの1人が大量出血し、またスリップダメージによる更なるHPの損耗を受けたのだ。

 今までとは異なる本物の血液の如きダメージエフェクトは大きな動揺を生んだが、瞬時に対応したスミスとグローリーの活躍とディアベルの一時撤退の指揮によって幸いにも死者は免れた。だが、ボスに挑むだけのモチベーションの維持など到底あり得なかった。

 その後、負傷したプレイヤーのステータス画面の調査並びに推測からして、新システムはアバターの損壊によって引き起こされるスリップダメージと防御力の低下がメインであると分かった。だが、それ以上の事は分かっておらず、猛者揃いの攻略部隊も安全地帯のキャンプから抜け出すことが出来ずにいた。

 

「スリップダメージは永続的なものではない。アバターの損壊具合に応じて発生時間やダメージ量が変動するのだろう。防御力低下も同様だな。ふむ、損壊具合が大きければ大きい程に防御力の低下も著しい。それに以前に増して損壊の回復時間が伸びている。まだ何かありそうだが、現状ではこの程度しか分からないか」

 

「……冷静ですね」

 

 膝を抱えるラジードの隣でシステムウインドウのメモ帳画面を開いて情報を纏めているスミスは冷静そのものだ。胡坐を掻いて煙草を咥えて支援を漂わせ、ディアベルを中心とした会議が導き出す結論を待っている。

 

「アップデートなど珍しくないだろう? 最低でもゲームという皮を被っているんだ。あり得ないことではない。今回はタイミングに悪意を感じるがね」

 

 前回のアップデートはシャルルの森攻略の直後に起きた。発汗や体臭、肉体疲労表現の強化といった具合にアバターがよりリアリティを増したのである。だが、今回の場合は生死に直結し、なおかつダメージエフェクトがより本物の血液に近しくなったのだ。

 攻撃を浴びたプレイヤーは自らの胸から溢れる多量の血でパニックを起こし、助けに入った仲間が銀騎士を攻撃すれば今度は敵が血を流す。それが動揺の連鎖を生んだのだ。

 

「スリップダメージを生むのは継続的な血液の流出……流血状態の時だけと推測できるな。全ての攻撃にスリップダメージが追加されたわけではない。アバターの修復速度の低下も考慮すれば、これまでのようにひたすらにHPを回復すればいいという訳にはいかなさそうだ」

 

「本当に冷静ですね!?」

 

 動揺を隠せない自分が恥ずかしくなる。ラジードは抵抗として溜め息だけは呑み込む。

 

「アバターへのダメージ到達深度、ダメージ量や割合などで出血量にも変化が生じているようだったな。攻撃に対して血の量が少な過ぎる場面が多かった。出血量はアバター損壊度が最優先されるのかもしれないな。これも要研究だ。何にしても、これはまずい事になったぞ。キミのように攻撃することに恐れを覚え、攻撃を受けることに怯えが強まった。恐怖で委縮した臆病は死をもたらす」

 

 スミスの警告通り、アノールロンド攻略部隊の顔色は優れない。最前線を戦い続けた猛者たちはこれまでにない変化に対応しきれていないのだ。

 

「スミスさんは怖くないんですか?」

 

「傷つければ血が出る。それが生物のルールだ。仮想世界……ゲームという環境がそれを免除していた。むしろこの状況は後継者が求める殺し合いにより相応しい仕様になったと、納得すらもしているがね」

 

 冷静というよりも冷淡。この状況下で微塵も揺らぐことがないスミスは、感情を制御しきった理性的な眼でラジードを射抜く。思わずたじろぐ彼に、スミスは気晴らしに吸うかと言わんばかりに1本煙草ケースから差し出す。

 思わず手が伸び、躊躇し、だが誘惑に負ける。仮想世界で健康を気にしてもしょうがない。今は何かに縋りたい。そんな気持ちを示すように、ラジードは震える手で煙草を咥えた。

 

「ゲホ……ゲホゲホ!」

 

「初めてか? まぁ、最初は誰でもそんなものだ。コツなんて大層なものはない」

 

「こ、こんなモノ……よく吸えますね!? 僕はもういいですよ!」

 

「おや、勿体ない。まずは何事も挑戦だと思うがね。自分に合った銘柄を探すのは楽しいぞ。私は好みではないが、キミにはメンソールが合っているかもしれないな」

 

 煙草は酒ほどではないが、嗜好品として嗜まれた歴史がある。特に禁煙ブーム……健康志向が強まる以前は、煙草は一流の男……ダンディズムの象徴でもあった。だが、今では増税や法整備、イメージの悪化によって喫煙者は増々の肩身の狭さを覚えるのが実情だ。

 

「電子や蒸気と色々なタイプはあるが、私はやはりこれが1番だよ」

 

 煙草を吸う姿が様になっているスミスはまさに年季が違うと言うべきなのだろう。傭兵業界でもプレイボーイと言えばランク1のユージーンだが、女性プレイヤーの狙い撃ちガンマンとして多くのヘイトを集めているのはスミスだというのも納得の大人の色気だった。

 強くて常に冷静沈着。大人の余裕を崩さず、行動の1つ1つが様になる。常に生死が隣り合わせのDBOにおいてスミスがどれだけ魅力的に映るか、同性であるラジードも十分に理解できた。

 

「酒、煙草、賭博、女。男は腐らせる要素は数知れない。だがね、何にも依存しない男というのは何処かで狂いが生じるものだ」

 

 譲ってもらった貴重な1本を無駄にするのは失礼だと無理して吸おうと奮闘するラジードはそういうもなのだろうかと考える。

 

「依存こそが狂う元凶とも思いますけど」

 

「捉え方次第だな。健全なる精神は健全なる肉体に宿る。だが、何をして健全を定義する? 神か? 法律? 倫理か?」

 

「それは……」

 

「堕落したと一方的に決めつけた挙句に天罰と称して虐殺する神。権力と財力と武力で左右される法律。コミュニティが異なれば、時代が違えば、危機が迫れば、容易く変じる倫理。このDBOでキミを助けた神はいたか? 守ってくれる法律はあったか? 当たり前と信じた倫理すらも踏み躙られる光景を目にしなかったか?」

 

「……それでも僕は正しくありたい。せめて自分の正しさを見失いたくないんです」

 

 反論とも呼べない精一杯の返答に、スミスは喜ばしいように軽く頷いた。

 

「分かってるじゃないか。結局のところ、最後に信じられるのは自分自身だ。ならば貫きたまえ。他者が何と言おうともそれがキミの生き方だ。迷惑など気にするな。どうせ秩序を乱す者は排除されるのが常なのだからな」

 

「最後で台無し過ぎませんか?」

 

「それが真理だ。嫌ならばキミを排除しようとする全てを倒せばいい。世界を変えてきたのは、いつだって枠外に逸脱した存在……イレギュラーなのだからな」

 

 煙草が吸い終わったスミスは、小難しい話をし過ぎたとばかりに肩を竦める。

 

「まぁ、今のキミにとって大事なのは生きて愛しい恋人の元に帰ることだろう? だったら恥も外聞もなく生存に全力を尽くしたまえ。どうやら我々の船長は嵐の航路を選択するようだからな」

 

 スミスの厳しい視線に、いよいよ会議の結論……攻略の進退が定まるのかとラジードは緊張する。

 こんな状態で人型でも最高峰と目される四騎士の長オーンスタインを相手にするなど無謀である。即時退却こそ望ましい。それはディアベルも当初は視野に入れていたはずだ。だが、今は進退を巡った会議が延々と続いていた。

 原因は教会経由で参加した太陽の狩猟団とクラウドアースのメンバーの呟きだ。彼らはここで聖剣騎士団が退却すれば、他大ギルドは聖剣騎士団がアノールロンド攻略を放棄したと見るだろうという旨を口にしてしまったのだ。

 無論、彼らも新システムの詳細も分からぬままにボス戦などご免だろう。だが、それとは別にした軽口を偶然にも聞いた聖剣騎士団のメンバーがディアベルに報告してしまったのだ。

 教会の力も借りての合同部隊による攻略だ。ディアベルに本来ならば撤退の2文字は許されない。新システムのせいという正当な理由を無視したネガティブキャンペーンを他2つの大ギルドが張って聖剣騎士団の凋落をアピールするのは目に見えていた。そして、聖剣騎士団が再び教会経由で戦力を充実させてボス戦に挑むなど出来るはずもない。

 攻略継続に賛成しているのはディアベル、ヴォイド、主任の3人だ。対して退却はタルカスとウルベインである。リロイは口を閉ざして中立、あるいは呆れによる沈黙である。

 

「団長! 無用な犠牲を出すべきではない! ここは勇気ある撤退を!」

 

 声を荒げるタルカスに対してディアベルは腕を組んで沈黙したまま厳しい表情を浮かべている。

 

「何を迷っているのですか!? 聖剣騎士団の威信が地に堕ちると!? 人命に比べれば安い損害だ! 新システムによって皆は動揺している。ここで全滅でもすれば、それこそ聖剣騎士団は終わりだ!」

 

 タルカスの言い分は正しい。ラジードも全面同意する。だが、彼が太陽の狩猟団のメンバーであるから、という点が常に付き纏うが故にタルカスの支持を明確に口にするわけにはいかない。

 

「まぁ、熱くなりなさんな。黒鉄さんの言い分もじゅぅうううううぶんに団長殿も分かってるだろうってさ! だ・け・ど、ボス戦はいつだって未知の連続だ。新しいシステムの追加は確かに厳しい戦いになるだろうねぇ。でもさ、ここにいるのは不安要素1つ増えたくらいで怖気づく腰抜け揃いじゃないって団長殿は信じてるわけよ」

 

「黙れ! 今回は訳が違う!」

 

 主任の胸倉をつかんで揺らすタルカスは、2つ名にもなった黒色の甲冑を赤熱させる勢いで声を荒げている。YARCA旅団のリーダーとして別の意味でDBOを震撼させた男であるが、攻略……人命がかかった場面では何にも増して真面目で勇敢な男であると誰もが知っている。

 

「おお、団長殿。私も此度の進軍は反対です。時間を置いて新システムに慣れるべきでしょう。このままでは少なからずの命が失われます」

 

 聖者と目されるウルベインは教会の法衣を身に纏ったDBOでも屈指のヒーラーだ。彼の有無で生存率は大きく変動する。ディアベルは無下にできない進言だった。

 ヴォイドもあくまで消極的支持……いや、団長たるディアベルの意見に従うという立場であるならば、全ては彼の決定に委ねられる。

 

「……皆に問いたい。俺達は撤退すべきか否か」

 

 そして、ディアベルは組んだ腕を解き、彼の決断を待つ攻略部隊を見回す。

 

「確かによろしくない状況だ。未知なるシステムと皆の動揺は理解するよ」

 

 拳を握ったディアベルは語気を荒げることもなく、だが芯が通った声で静まり返った部隊に問いかける。

 

「敵は四騎士の長オーンスタインと彼らに列するに足るとされた処刑者スモウ。この場にいる大多数にとって、間違いなく過去最強の敵であることには違いない。我々はDBOでも屈指の精鋭だ。危ういと判断して撤退を選んでも恥ではない。生きることこそが戦いならば、それもまた立派な決断だ。決断はキミ達に任せる。どのような選択をしたとしても一切の処罰はしない。問おう。戦うか、それとも逃げ出すか」

 

 個々の判断に任せる。ディアベルは敢えて自らリーダーシップを取って決断せずに、自らの選択に任せると投げかけた。

 どうすればいい? 選択を迷うラジードの隣でスミスは嘆息する。

 

「上手いな。彼は人心を煽る才覚がある。退却を是とし、どのような判断を下しても寛大な対処をすると宣言しておきながら、最後はプライドを擽るか」

 

 小声でディアベルの話術を褒めるスミスの指摘に、ラジードは言葉の節々に隠されたトラップに気づく。

 この場にいるのは精鋭中の精鋭だ。これまで多くのネームドやボスとの戦いを潜り抜けた者たちだ。

 戦士としての意地がある。生き抜く心得がある。自らの武勇に矜持がある。

 それなのに、たった1つの未知なる要素を前にして逃げ出すのか? ディアベルは敢えて『逃げ出す』という恥や臆病者といったイメージが強いワードを最後に盛ることによって、この場の闘争心を一気に引き上げたのだ。

 

「おい、誰が腰抜けだって!? 言ってくれるじゃねぇか、団長!」

 

「そうだ! こんなのボスの能力が1つ追加されたのと同じじゃねーか! 怖がってられるかよ」

 

「オーンスタインは俺達が倒す。部外者は引っ込んでいても構わないぜ。聖剣騎士団だけでも戦う!」

 

 まず最初に名乗りをあげたのは聖剣騎士団の正規メンバーたちだ。その中には退却派のタルカスの直轄であるタンク部隊の面々も含まれている。

 

「……まっ、ここで逃げたらギルドの連中に嗤われるしな」

 

「聖剣騎士団に腰抜け呼ばわりされて黙ってられる程に腑抜けてないわよ」

 

 ここで聖剣騎士団がどれだけ損害を出してもボスを撃破すれば、自分たちは臆病者の弱虫だと嗤われる。教会経由で派遣された太陽の狩猟団やクラウドアースのメンバーも続々と参加を表明する。

 この時点で声を張り上げられなかった、臆病と言われようとも撤退したいと思っていた者たちは封殺される。高まる闘争心のままに、恐怖を振り払うべく雄叫びを上げ、各々の武器を掲げて不屈の戦いを誓うという激流に呑み込まれ、負けていられるかと己を奮い立たせる。

 

「タルカスさん、撤退希望者を纏めてアノールロンドから離脱してくれ。それまでは我々も最大限に援護を行う」

 

「……フッ、馬鹿を言うな。部下とリーダーを置いて逃げる程に恥知らずではない。だが、くれぐれも命を無駄にしない戦いをしてくれ。団長は時々思わぬ無茶をするからな。貴方を失えば聖剣騎士団は終わりだ。俺達の代わりはいても、貴方は違う」

 

 握手を交わして不和など無いとディアベルとタルカスの決意の表明が駄目押しになる。沈黙を守っていたリロイは立ち上がり、ウルベインは溜め息を吐きながらも見捨てるなど出来ないと祈りを示し、ヴォイドは無言でディアベルに跪く。主任だけは不気味と思えるまでに静かだった。

 

「馬鹿な奴らね」

 

 冷めた物言いをするのは、ボス攻略までの露払いを任されている傭兵団の女リーダーのアラクネだ。彼女はスミスの隣にわざわざ移動すると色目を使うように目を細めた。

 

「生き抜いてこそ次がある。まんまと団長様の口車に乗っかっちゃって。本当に単純で馬鹿な連中よ」

 

「扇動と先導は紙一重だ。個人的な見解を言わせてもらうならば、彼は優れた指揮官だ。この状況下で士気を新システム発覚以前よりも昂らせた。苦境を逆に利用する嗅覚と話術とカリスマ。指導者の器だよ」

 

 ディアベル以外が同じことをしても上手くはいかないだろう。だが、ラジードはスミスの指摘が無ければ、もしもディアベルではなくサンライスが同じことを問いかけたならば、どう反応しただろうかと考える。

 最初に立ち上がった聖剣騎士団のメンバーと同じだったはずだ。不屈こそ正義と戦いの誓いを立てたはずだ。

 

「我々にできるのはその場限りの最善だ。彼は少なくとも選択肢を1度我々に委ねた。後は戦い、そして勝つだけだ。覚悟を決めたまえ、ラジード君」

 

「ええ、分かってます。僕は自分の正しさを信じたい。皆を守る為に戦いますよ。そして、必ず帰ります」

 

 待っててね、ミスティア。僕は必ずキミの元へ帰る。勝利と共に。たとえディアベルという指導者が計画的に生み出した熱狂の闘志だとしても、ラジードは今日までアノールロンド攻略の苦楽を共にした仲間を守る為に剣を取ることを誓う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、ただいま戻りましたぁああああああああああ! 今、超必殺のぉおおおおおおおおおお! グローリー☆カムバァアアアアアアック!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、熱狂の渦を静寂に戻す馬鹿の一撃が貫いた。

 拠点となっていた安全エリアの扉が荒々しく開かれ、ダイナミックエントリーしたのはグローリーだ。

 道理で静かだと思った。スミスが露骨に腹を押さえて苦虫を噛み潰したような顔をする中で、空気など読まないとばかりにつま先立ちのスピンをしながらディアベルの正面でポーズを決める。

 

「皆の騎士グローリー! ただいま帰還しました!」

 

「グ、グローリー……さん? 何処に行ってたんだい?」

 

「嫌ですね、団長! 未知なる新システム! 皆の怯え! これを払わずして何が騎士でしょうか! この騎士たる私が戦いに戦いを重ね、皆さんに情報を持ち帰りましたよ!」

 

 おおぉおおおおおお! グローリーの珍しくまともな手柄に、皆はこれこそ傭兵ランク5の手際かと喝采する。だが、スミスだけは何かを察したかのように、精神衛生の為とばかりに両耳を塞いだ。

 

「えーとですね、まず……敵も味方も深手と申しますか、よく分からない条件でスリップダメージを受けます!」

 

「…………」

 

「それからダメージエフェクトが物凄く本物の血っぽくなってますね! あ、でも本物とは少し違うといいますか、光沢強めですね!」

 

「…………」

 

「あと、血のニオイも非常にリアルでしたよ! ですが、この騎士グローリーに返り血など似合いません! いかがですか、この麗しき鎧の輝きを! 全ての銀騎士の返り血を浴びることなく打倒してきました!」

 

「…………」

 

「あ、これお土産です。巨槌を持った銀騎士と遭遇しましてね! どうやらネームドみたいで【レドの大槌】という武器をドロップしたのですが、いやぁ、私は≪戦槌≫を持っていないのでどうぞお好きに!」

 

「…………」

 

「さぁ、語りましょう! 我が騎士道に相応しき武勇伝を! 銀騎士レドに対して、まず私は即座に剣を構えて名乗りを上げ、騎士として正々堂々と――」

 

「……うん、グローリーさん。頑張ったね。とりあえず落ち着こうか」

 

 皆が閉口する中で、ディアベルだけは努めて冷静に、穏やかに、何処か遠い目をしてグローリーの肩を叩いて労った。

 グローリーの調査した新システムなど、発覚から1時間と待たずして全員把握済みである。

 そして、この男は全員が攻略その物の進退に悩んでいる中で何をやっていたというのか。

 ニコニコと何の悩みも迷いもなく、己の騎士道を貫いたとばかりに単独でネームド相手に張り合った挙句に倒したと断言するグローリーを見て、ラジードはこの場の全員の気持ちが一致したと確信する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かこの馬鹿を止めてください。お願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、その願いは決して叶わないのだろうと、また全員の気持ちは一致したはずだともラジードは諦観した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 エス・ロイエス。それは雪と氷に覆われた凍てついた都。

 かつての繁栄は白色に埋もれ、だからこそ朽ちることなく保存され、故にその破滅を色濃く映し出す。

 

 これが観光地だったならば、滅びの情緒を感じられる悪くない場所なのだろうがな。法王騎士の大鎌を背負い、白い大地を染めた血を踏みしめる。

 倒したのはエス・ロイエスの氷の兵士だ。水属性版のソウルの槍……言うなれば冷気の槍を放つレイピアを操る兵士なのだが、亡者の類ではなく人形だ。血もまた人工物であるかのような油に近しいものである。

 どうやらエス・ロイエスはその戦力を人間ではなく人形に頼っていたようだ。ソウルで操られた人工兵士といったところか。雪に閉ざされる以前から氷には造形が深かったらしく、憑代は鋼と氷だったようだ。

 まぁ、その辺りはどうでもいい。問題なのはコイツらは極めて水属性防御力が高いという点だ。水属性攻撃がメインなのだから当然なのではあるが、今のオレの唯一の近接装備である法王騎士の大鎌とは相性が悪い。大鎌は物理属性と水属性の複合だ。この2つの攻撃力が十分に発揮されなければダメージは期待できない。

 

『武器の攻撃力数値に騙されているようでは、鍛冶師としては二流どころか三流さ』

 

 思えばグリムロックも『昔は勘違いしていたなぁ』と遠い目で語っていたものである。

 2つの属性があるとは、2つの防御力が適応されるという事である。合算された数値上の攻撃力に騙されることなかれ。物理100と物理80炎80の2つのロングソードがあったとして、結果的にダメージが与えられるのは合算160の後者ではなく物理単独100の前者であるパターンが多いのだ。

 まぁ、この辺りは攻撃力と防御力の関係というか、面倒臭い計算が関わってくるというか、とにかくどれだけ相手の防御力を肉薄・超過できるかがDBOでは大事なのだ。

 そういう意味では死神の剣槍は完成度が高かった。高い物理属性と程々の魔法属性を有し、アルフェリアの泥や叫びで闇属性のブーストもかけられる。物理防御力が高い相手には魔法属性である程度は戦えるし、魔法属性が通らなくても十分高い物理属性で仕留められる。相手が物理防御力そこそこで低い魔法防御力だった場合、えげつないダメージを出す。加えて【磔刑】で巨体相手でも大ダメージを狙えるし、【瀉血】で内部から攻撃も出来たからな。

 ……完全消滅を免れたとはいえ、修理は不可能なレベルの破損だ。グリムロックの腕に期待したいが、オレでも復元は難しいと察している。上手く素材化して活かしてもらいたいものだ。

 さて、法王騎士の大鎌であるが、コイツは物理も水属性もそこそこある、というタイプだ。珍しい水属性は雷属性以上に対策が難しいので対人・対モンスターの両方で重宝されるのだが、エス・ロイエスの敵のように水属性防御力が高いヤツは徹底的に高い。それこそ無効化されているのではないかと思うほどに効果が無い。

 結果、中途半端しかない物理属性しか通じず、エス・ロイエスでの戦いは思わぬ苦戦を強いられていた。せめてSTR出力を引き出せればモーション値を引き上げて強引にダメージを叩きだすのだが、今のオレはせいぜいが3割あるか無いかくらいだろう。他プレイヤーの平均値以下にまで下がっているに違いない。元よりSTR特化ではないオレでは大きな痛手だ。

 STR出力の低下は深刻な問題だ。何故ならばカノープスを片手で構えることさえも出来ないからだ。STR数値が装備条件は満たしていても、実際に振り回して狙いを定めるのはまた別だ。特に光銃カテゴリーは全般的に射撃反動が低い代わりに高重量で狙いを付け難いのだ。ザリアは軽量高威力である代わりに反動がおかしいからな。雷弾とか本当にプラズマ弾なのか疑いたくなる中量ショットガン級の反動だからな。

 ……本当に撃つ度に痛覚代用していた左腕が内部から破裂するのではないかと思うほどに痛かったなぁ。それも雷弾は連射されるから反動が連続で溜まって酷かった。あれはSTR出力7割は無いととてもではないが狙って撃てない代物だった。

 

「悪くない使い勝手だな」

 

 エス・ロイエスでメインとして活躍しているカノープスだが、さすがはハイレーザーライフルだ。その威力は近距離ならば、一撃でエス・ロイエスの兵士のHPを8割は削る。レーザーはタイプによるが、魔法属性と炎属性の複合だ。レーザーブレードは魔法・炎・雷の3つの複合が多い。まぁ、この辺りは個々で違うので確実ではないが、何にしても魔法属性や炎属性が含有されている傾向が高い、と憶えておけば対策し易い。

 一時は光銃によって魔法使い職がリストラされるのではないかと危惧されていた。それもそのはずだだろう。INTで攻撃力を伸ばすことが必須の魔法に比べて、光銃はステ条件さえ満たせば定められた攻撃力を発揮できるのだ。そして、その装備条件はSTRやTECが厳しいばかりで、INTやMYSは無い、ないしあっても緩いのだ。ならば、物理属性攻撃力を伸ばせるSTRやTECに割り振り、属性攻撃をし易い≪光銃≫による射撃攻撃を獲得すると考えるのは自然な流れだ。

 もちろん、あのプレイヤー絶対殺すマンの後継者が、射撃武器無双なんて許すはずも無かった。そんな甘い夢を見た連中はもちろんDBOの悪意によって淘汰された。後継者は笑いが止まらないだろう。

 まず≪光銃≫カテゴリーは全般的に高コストだ。エネルギー弾倉はとにかく高額だ。銃弾も高いが、こちらはそれ以上にコストがかかる。つまり、絶対的に財布に優しくない。実戦でメイン級で使いまくれば大ギルドの支援でも無ければ破産する。

 次に装備負荷の高さだ。≪銃器≫カテゴリー以上にアイテムストレージを食うし、設定重量は高いので装備重量は逼迫するし、なおかつ実重量もあるのでSTRが無ければ動く的を追って狙い撃つのも一苦労だ。

 3つ目にエネルギー弾倉の種類にもよるが、何にしても魔力によるチャージが不可欠だ。事前チャージ型ならば戦闘時の負荷は下がるが、それでも運用にはやはり魔力を確保しなければならない。つまりはPOWのある程度の確保が不可欠だ。それに事前チャージ型は戦闘時の負荷が下がる代償として装弾数が他に比べて下がる特色がある上に更に高額なので始末に負えない。正直に申し上げまして、ザリアに使用したクラウドアース製超高品質の事前チャージ型エネルギー弾倉2つをフルで使ったなんてグリセルダさんに知られれば、グリムロックにケツパイルは免れない。オレはその光景を1晩中見せられるの刑だろう。

 4つ目として≪銃器≫や≪弓矢≫以上に実は攻撃力が引き出し難い。距離減衰は銃弾や矢よりも大きく、また魔法属性を有するが故に近接職必須とされる≪魔法防護≫スキルの影響によってダメージは減衰される。同じ≪魔法防護≫を受けるにしても、魔法に関しては距離減衰は緩やかだ。つまり、遠距離から撃ちまくる魔法属性攻撃ならば、誘導性も付けやすい上にスキルや装備、ステータスで大幅なブーストが出来る魔法の方が圧倒的にダメージも伸びるのだ。まぁ、魔法の場合、今度は射程距離という問題もあるのだがな。

 DBOの歴史背景に反してゲームとしてはやはりファンタジー寄りだよな。DBO史では、魔法はやがて淘汰されてレーザー兵器が台頭したわけであるが、DBOというゲームにおいて魔法使い職は特化しなければならないが、その分だけやはり強力な後衛だ。しかも使いまくってもコルはかからないという庶民の味方! もう軍配がどちらに上がるかなんて決まっているではありませんこと、奥様!?

 ……そう考えると、やはりザリアは秀逸だったな。オレに合わせた近・中距離に特化し、なおかつ距離減衰があまり関わらず、小規模爆発で追加ダメージを期待できるプラズマ系を採用。レールガンとの複合によってプラズマ系の弱点である弾速も獲得し、なおかつ収束雷弾は上乗せチャージで火力を引き上げられる。銃剣モードで近接戦をカバー。もちろん、レールガンという一撃必殺もあるので切り札には事欠かない。

 だが、それも今ではスクラップだ。グリムロックの悲鳴が聞こえるようだぜ、HAHAHA!

 ……ヤバい。本当にグリムロックのケツパイルが待っているかもしれんな。いや、案外もうすでに……考えるだけでも脳の震えが止まらない!

 

『……ごめん、遅れた』

 

「ようやく回線復帰ですか?」

 

 と、ようやく肩にのったロボット蜘蛛よりオペレーターの声が届く。エレナの宣言通り、ナドラが担当に戻ったようだ。

 

『エレナが……消耗して。だから……』

 

「問題ありません。エス・ロイエスの攻略は進んでいます」

 

『どれくらい……進んだの?』

 

「とりあえず、あそこに見えている聖堂が目的地だと思いますので、そこを目指していたのですが、幾つか問題があるようでして」

 

 エス・ロイエスの城門を潜れば、広大な城下町と居城とも見える大聖堂があった。左に進めば、すぐに聖堂に向かえたのだが、そこには不可視の門番がいるようだった。

 

『それで? どう……したの?』

 

「見えない相手は慣れていますからね。とりあえずダメージは与えましたが、存外タフだったので……」

 

『……撤退したんだね。そんな、常識的な判断……出来るんだ』

 

「いえ、蹴落としました。リザルト画面は出ていない様子だったので、まだ存命してはいると思います」

 

『やっぱり……常識外』

 

 聖堂への広々とした障害物の無い1本道を守っているのは<王の仔アーヴァ>というネームドなのであるが、出現時に名前が見えただけで、以後は全く姿を見せなかった。ダメージを与えてでも血は出るが、不可視化は解除されなかった。別ギミックでの解除が不可欠なタイプなのだろう。

 アーヴァを蹴落とした後に聖堂へと進もうとしたのだが、強烈な吹雪でさすがに前に進めなかった。別ルートがあるのか、それともアーヴァを倒さなければならないのか、どちらにしても城下町を通る回り道が求められた。

 不可視のアーヴァにはヤツメ様が既に導きの糸で巣を張って警戒している。だが、ナドラの復帰に明らかに不機嫌そうな目をしてロボット蜘蛛を睨んでいる。何か癪に障るような事があったのだろうか。

 

『……エレナの、言った通り……みたいだね。貴方の……思考が……読めなくなった』

 

「おや、それは朗報ですね」

 

『MHCPとしての……仕事が……増々できなくなった』

 

 ナドラには悪いが、こちらの思考を読まれなくなったのはありがたい事だ。これで対MHCPでも読心されずに戦うことができる。つまりは、ユイとアルシュナと戦うことになった場合に予想された不利を1つ潰すことができた。

 

(ワタシが防いでるの。ワタシの方が有用と証明されたわね)

 

 ドヤ顔で胸を張るヤツメ様は、どうやら吹き溜まりでナドラの方がナビゲーターとして優秀だったのをまだ根に持っているようである。はいはい、ヤツメ様の功績です。だからアーヴァへの警戒を怠らないでください。

 エス・ロイエスの兵士は多彩だ。レイピアを持っている一般兵型。2メートル以上の体格をして、分厚い大盾と大型ランスで突撃戦法と遠隔氷柱攻撃を仕掛けてくる上級兵、そして氷で大剣から大槌まで創造できる特殊兵がいる。後は甲羅のように背中に氷柱を生やした指揮官タイプもいるようだった。

 また、エス・ロイエスの各所には亡者と思われる萎びた肌をボロボロの白衣で隠した巫女と思われる女性が複数いる。襲ってくる気配はないので見逃しているが、ヤツメ様は即刻殺せと主張しているので後からギミックを起動させると襲ってくるタイプだろうか? まぁ、単に皆殺し優先というだけかもしれないが。

 カノープス、残弾7割。トータルスペックは優秀だが、やはりハイレーザーライフルはインターバルが長いな。同ジャンルでは割と早い部類であるが、連射できないのは雑魚相手ではマイナス点だ。

 ランスを構えた上級兵が屋内で陣取り、兵士3人を連れて待ち構えている。カノープスで狙い撃つにしても盾でダメージは減衰されるな。そうなると近接戦が理想的だ。

 近くに転がる折れた円柱をつかんで担ぐ。STR出力が低下しているせいで片手ではやはり重過ぎる。カノープスも片手で扱うにはやはり限界があるし、やはり水属性ではない近接装備が求められるか。だが、エス・ロイエスでドロップする武器は間違いなく水属性含有だろうし、困ったものだ。

 だからこそ、こういう時にパラサイト・イヴは使える。円柱に武装侵蝕を施し、兵士たちに向かって投げる。こんな攻撃は予想していなかったのか、1体が逃げ遅れて壁に叩きつけられる。撃破は無理だが、復帰までに10秒はかかるはずだ。

 右腕、左足にはすでに止血包帯を巻いてある。そこに武装侵蝕を施し、獣爪の籠手と具足を作り出す。骨針の黒帯を装備した左腕ほどではないが、十分に尖っているので、ある程度は肉を抉れるが、目的は獣爪撃の強化ではなく、格闘ダメージのブーストだ。

 今のオレのレベル100に到達した。新たに得たスキルは2つ。その内の1つが≪暗器≫だ。≪暗器≫はソードスキルこそないが、特有のクリティカルボーナスを熟練度を高めれば高める程に引き上げることができるし、ステータスボーナスも乗るようになるので暗器の攻撃力もアップする。とはいえ、≪暗器≫カテゴリーは全般的に攻撃力もステータスボーナスも低めの武器ばかりなので、スキルを入手しても劇的に攻撃力が上がるわけではないが、やはりクリティカルボーナスの増加は大きい。

 そして、アルヴヘイムで実証された通り、パラサイト・イヴの武装侵蝕を受けても≪格闘≫は上書き消滅しない。即ち、近接格闘戦において武装侵蝕を施せば、≪格闘≫のステータスボーナス+パラサイト・イヴの≪暗器≫ボーナスが乗った侵蝕強化で火力は増幅する。

 一呼吸を置くこともなく、2体の兵士にステップで間合いを詰めて肉薄し、レイピアを躱しながら1体の手首をつかんで捻り、もう1体の喉に突き刺す。上級兵のランスを身を捻りながら宙を跳んで避け、その頭を掴んで背中に叩きつけてランスを蹴飛ばす。大盾のシールドバッシュをバックステップで回避し、2体の兵士の足を薙ぎ払って転倒させ、復帰した1体の顔面を穿鬼で粉砕する。

 下手なソードスキルの連発は死を招く。丁寧に拳と蹴りを当て、チャンスを見抜いて穿鬼で兵士を減らす。1分とかからずに残るは上級兵だけとなり、連続のランス突きを躱しながら拳打で氷が張り付いた鎧を砕いていく。

 撃破完了。4体の動かぬ人形となったエス・ロイエスの戦力を一瞥し、リザルト画面を確認する。やはり装備のドロップは無しか。上手くいかないものだな。

 

『もうステータス出力も落ちているのに、どうして……』

 

「別に高出力化に頼っていたわけではありませんよ」

 

 単にパワーとスピードを獲得しやすいから高出力化を常時保っていただけだ。今のオレは他のプレイヤーと同出力……いや、下手すればそれ以下になっているだけだ。確かに体調問題はあるし、反応速度や知覚面は深刻であるが、右足の骨折は治癒しつつあるので、これくらいは何とかなるものだ。

 それに出力が下がった分を補える、エネルギーロスを減らす技術はアルヴヘイムで体得済みだ。後はどれだけロスを減らせるかにかかっているが、ロスを抑えれば低出力でも十分だしな。特にDEXのエネルギーロス関係はステップに如実に直結するので、ロスが減った分だけステップによる瞬間速度は跳ね上がった。

 

『該当検索……した。貴方のステップによる攻防は極めて……異常。特筆すべき……体術』

 

「カッコイイ技名とかあればいいんですけどね」

 

 狩人の業ではあるが、特に名前はない。別に難しいことはしてないな。説明しろと言われたら困るが、地面を滑るように踏み込むだけだ。コツも何も自然にできるようになっていたし、誰かに教えたくてもオレにはその手の指導技能は無いと心得ている。まぁ、仮想世界の物理エンジンを完全に馴染ませるまでに少し時間がかかったがな。

 

『アナタは……無知。技術を……誰も知らない体術を……何処で得た? 誰から……学んだ? 貴方は……自分を……知らない』

 

 確かに、憶えている限りでは、このステップを使っていた敵はいないな。まぁ、故郷には山ほどいたけど、誰かに手解きしてもらっただろうか? ナイフ投げは薄っすらと教えてもらった記憶も『残っている』のだが、ステップなどの狩人の動きに関してはどうにも曖昧だ。敢えて言うならば、『血が憶えている』という感覚が近しい。戦う中で血に溶けていた、先祖が体得した狩りの業を引き出し、我が物として改めて得ている感じだ。

 

(血は繋がれて子々孫々に引き継がれる狩りの業となる。赤子の赤子、ずっと先の赤子まで……呪いのように)

 

 そうなのだろうか。ヤツメ様の言葉には説得力があるような気がする。SAOの頃はこのステップも使えなかったしな。本能が強まるに従って狩人の血もまた解放されているからこそなのかもしれない。

 

「興味ありませんよ」

 

 あるものは何でも使う。使える理由なんて問い質したところで満足のいく回答などないのだから。

 

『マップデータ……入手できた。隠すつもりは……もう……無いみたい』

 

「潔いのか、罠なのか。判断に困りますね」

 

 宗教色の強いキリスト教圏の古き都市を思わすエス・ロイエスは、きっと雪と氷さえなければ、正統派ファンタジーの都市に相応しいのだろう。この広大な都市を十分に探索するには時間が足りなかった。だが、わざわざマップデータを入手できたということは、こちらを迎え撃つ準備ができているからなのか、それともエス・ロイエスまで踏み込まれたとなれば、時間稼ぎしても無駄だからなのだろうか。

 咳き込み、吐き出した深淵で黒く濁った血を右手で受け止める。気化する深淵の闇は色濃い。

 深淵の病について分かってきたことは幾つかある。まずは内臓を溶かすような痛みがある。吐血などの症状があり、悪化すると混じる闇の量は増える。更に悪化すると血管が黒く浮かび上がる。深淵の病はオレの体調とも結びついているが、それ以上に精神に……殺戮の飢餓に深く関与しているようだった。そして、この深淵の病はオレを殺すべく痛みを与え続け、また本能が生を繋ぎ止めようとするのを阻害する。

 黄の衣の置き土産か。深淵の病を利用すれば走馬燈を使えるとは言っても考え物だな。

 

『寒冷状態に……気を付けて』

 

「分かってます」

 

 エス・ロイエスの最大の敵はモンスターではなく環境だ。容赦なく蓄積する寒冷のデバフは、発症すれば強制的な眠気をもたらす。だが、既に対策済みだ。エス・ロイエスで拾った尖った石片。これを恒常的に掌で握り潰すことで肉を貫く痛みで眠気を振り払う。

 今のオレの場合、眠ればどうなるのか分からない。それも含めて寒冷のデバフは毒と同様に天敵だ。通常の睡眠のデバフはまず蓄積しないが、寒冷のデバフはそうもいかない。

 あと、色々と試した経験からだが、どうにもデバフの睡眠と普通の睡眠はまるで別物のようだ。デバフ睡眠が作用して普通の睡眠に移行することも多々あるようだが、どうやらデバフ睡眠は正確に言えば『知覚情報とアバター操作をカットした状態』というのが正しいようだ。脳は一時的に情報欠落で空白状態になる……って感じなのだろうか。それを勘違いして本当に眠ってしまう、というのが真相のようだ。

 まぁ、ベータテストの時点では、睡眠は『意識はあるがアバターを俯瞰している』といった状態だったらしい。だからデバフ睡眠にかかっていてもログアウト可能だったし、システムが状況判断すればペナルティ付きで覚醒も出来たようだ。

 オレもアルヴヘイム以前は睡眠薬を意図的に飲んで疑似睡眠から移行してみようと試したものだが、どうにも通じないようだった。耐性を脳が付けたのか、それとも後遺症のせいか、空白の暗闇をしっかりと意識できるのだ。脳を休めるならば目を瞑って耳栓すればいいし、むしろ完全無防備になって外部刺激が無い限りには目覚めない睡眠薬は危険と判断して使わなくなったがな。

 さて、デバフの睡眠状態にはプロセスがある。要は疑似的な眠気が生じて……まぁ、今のオレはずっと眠くてしょうがないのだが、とにかくこの疑似的な睡魔に負けて意識レベルとも言うべきものが低下した時にデバフ睡眠状態に移行するわけだ。

 つまりは痛みさえ与え続けて疑似睡魔に抵抗すればいい。HAHAHA! やったぜ! もう四肢は全部痛覚代用だし、後遺症と深淵の病で腹の中身も含めて多種の痛みが無い場所は無いし、アルヴヘイムの消耗が抜けきっていないので頭痛が頭痛じゃないレベルで頭痛だし! これはアレだな! 自前の睡眠デバフ無効化スキルだな! 

 

『思考は読めなくても……空元気で何か酷い事考えてることだけは、何となく、分かるよ?』

 

「…………」

 

 さ、さすがはMHCPだ。表情を動かしたつもりはないのだが、あっさりと看破されてしまった。

 だが、空元気でも何でも構わない。そうでもしなければ、もう1歩とて前に進めなくなる。ひたすらに考え続けて、戦う事に意識を集中し続ける。ひたすらに目前の敵を葬ることを、アルシュナとユイの所にたどり着くことだけを思考の軸とする。それ以外に止まりそうな心臓を動かし続ける方法など無いのだから。

 吹雪が激しいな。元より後遺症のせいで視界のノイズや変色は酷かったが、これではたとえまともな視力を保っていても3メートル先と見えないだろう吹雪だ。

 指先が冷たく凍える。寒冷デバフの眠気が押し寄せる。足下の雪を踏み潰しながら1歩ずつ進み、壁が崩れた家屋に逃げ込む。

 暖を取ることはできないが、雪風を凌ぐ程度はできる。だが、これは自然の天候がもたらす吹雪ではない。時間経過で回復することはないだろう。ナドラがもたらしたマップデータさえ無ければ地形把握すらも困難だった。

 

『エス・ロイエスの……目的地は、城を兼ねた主聖堂。だけど、突破する為には……吹雪を何とかしないと、いけない』

 

「方法は分かりますか?」

 

『……城に入る資格が……要る、はず。検索……該当……確認。全5つの内の2つの条件をクリア。最短ルート検索……確定。まずはロイエスの……騎士の……承認。今も……王命を待つ……3人の騎士。それと……アーヴァの……「屈伏」』

 

「…………」

 

『繰り返す……よ? アーヴァの……「屈伏」だから、ね?「殺害」では……無い、からね?」

 

「……わ、分かってますよ? オレも、別に……何でも殺そうなんて……」

 

『多分……そもそも……絶対に……不可視のアーヴァを……見えないまま殺そうなんて……ダンジョン設計自体に……組み込まれて、無いはず。方法を……検索する……待ってて』

 

「…………」

 

 いやね、でもね、えーとね……ほ、ほら、トリスタンとかぁ、ザインとかぁ、不可視で殺意満々の連中がいたわけでしょう? だったら不可視のまま撃破するネームドがいても、おかしくないかなぁ、ってオレは思ったんだ。だから、な、なななな、何も間違ってないよね?

 ……いや、ここはオレの冴えた直感のファインプレーという事にしておこう! ヤツメ様の導きでアーヴァを殺さなかった。それが答えだ!

 

(殺すつもりだったけど? さすがに見えない上に逃げ回る相手は今の武装では仕留め難いわね)

 

 くるくると毛先を指で弄るヤツメ様の無慈悲な殺意宣言を聞き流しながら、ともかくロイエスの騎士達の承認を集めるのが優先かとプランを練る。

 マップデータには既にロイエスの騎士の居場所が表示されている。ナドラによる屋外を最短で進むルートの提示もある。これならば吹雪の影響を受けずに効率的にロイエスの騎士の居場所にたどり着けるだろう。

 アーヴァの『屈伏』の方法はまたナドラが探してくれるだろう。止まぬ吹雪を避け、エス・ロイエスに張り巡らされた地下道へと進む。城砦都市でもあるエス・ロイエスは、巨大な城壁に囲われた都であり、軍が速やかに動けるようにこうした地下道が整備されていたのだろう。ダンジョンとなって複雑化されてこそいるが、都市を築いた者たちはかなり士気が高かったようだ。

 これだけの都を治めていたのはさぞかし偉大な王だったに違いない。だが、こうして吹雪に埋もれてしまったのはいかなる理由なのだろうか。

 

「エス・ロイエスはどうして滅んだのですか?」

 

『……かつて、この地を治めていた王は偉大なソウルを得ていた。その力で……エス・ロイエスの底にあった古き混沌を……鎮めていた』

 

「古き混沌?」

 

『混沌の苗床の……名残。イザリスの魔女が生んだ混沌の炎……それはデーモンの苗床になった。だけど、不死の英雄によって、イザリスの魔女と共に混沌の苗床も討たれ……後は消えるのを待つ混沌の残り火だけだった。それが……エス・ロイエスの……底に……ある。これ以上……混沌の残り火の影響が漏れないように……ロイエスの王はソウルを注いだ。だけど、それもいつか尽きて……だから、雪と氷をもたらす白の門を……開いた。混沌の火が漏れないように……誰も……近づかないように』

 

 そうしてエス・ロイエスの偉大なる王が治める国は雪に埋もれて消えた……か。

 

「アルシュナは『混沌』に近づくなと警告しました。もしかしたら、話にある古き混沌が原因でこのようなことを?」

 

『それは……違う、と思う。確かにDBOの歴史上では……古き混沌は……危険だった。だけど、管理者には……影響はない』

 

「では、やはり何かの譬えであると考えるべきですね」

 

『あり得る。ここは……今までの階層とは……違う。吹き溜まりは……エス・ロイエスに近づかせない為に……設計されたとも……言い換えられる、から。だから、アルシュナとユイ姉様は……このエス・ロイエスに……何かを隠している。あるいは……守っている?』

 

 何にしても厄ネタであり、今回の騒動の原因であることはまず間違いない、といった所か。

 ロイエスの騎士がいる騎士街に到着する。大きな建物が密集しているお陰か、吹雪の影響こそ小さいが、相変わらず視界は白色ばかりだ。

 体重をかければ簡単に腰まで埋もれる程に積もった雪はトラップでもある。体重の軽そうな氷柱を背負った可愛らしい兎は自由に駆け回っているが、彼らはオレを見るなりボールのように丸まって回転タックルを仕掛けてくる。

 車輪と一体化したスケルトンである車輪骸骨を筆頭に、DBOには異様に強敵かつ情熱を注がれた回転系モンスターがいる。彼らはこちらの攻撃をものともせずに突進を繰り返し、ガードしてもその上から攻撃を続けて崩そうとする。避けても何度も突進してくる様はもはや追尾ミサイルだ。しかも回転攻撃はいずれも多段ヒットなので当たり所が悪ければ死ぬ。悪くなくても死ぬ時は死ぬ。むしろ相手が死ぬまで回転を止めない連中だ。

 丁寧にカノープスで1体ずつ処理したいが、片手かつSTR出力が3割未満にもなった現在ではまともに狙いをつけて構えるのも困難だ。レーザー系なので反動は控えめとはいえ、それでも射線は逸れて命中しない。

 近づかれれば棘ボールと化した氷柱兎には格闘攻撃が通じず、なおかつ小型の彼らには大鎌のような武器では対処し難い。結果的に逃げる選択肢が増えるわけだ。

 

「ミディールはまだ来ない……か」

 

 イルシールからレイヤードまで来るにも時間を要していた。ミディールの出現までにはまだ幾らかの猶予がある。だが、いつ到着してもおかしくない。

 ミディールの頭部にカノープスの全弾を集中してダメージを与え、残るは法王騎士の大鎌を主体にしながら格闘戦を混ぜつつ戦うのがベターか。だが、厄介なのはミディールの飛行能力だ。無限飛行はさすがに出来ないだろうが、空中に居座られたらこちらの攻撃を当てる手段が無い。

 DBOにおいて飛行可能モンスターは珍しくない。それこそプレイヤーの近接攻撃が届かない高度に居座るモンスターも存在する。だが、そこまで警戒する程でもない。何故ならば飛行とは諸刃の剣だからだ。

 まず第1にプレイヤーにもモンスターにも落下ダメージという枷があるからだ。飛行可能モンスターはさすがに即死高度はある程度緩いようだが、それでも大ダメージは免れず、高度次第では瀕死である。また、落下時は必ずスタンにも似た半行動不能とクリティカル判定状態に移行する為に、プレイヤーには大チャンスとなるので、余程にHPと防御力が無ければやっぱり死ぬ。

 第2に飛行中はスタン耐性と防御力が大幅に低下する。即ち、第1の理由に直結しやすくなるのだ。数に物を言わせた射撃攻撃やクリティカル部位を狙える優れた射手さえいれば、やはり射落とす事が出来る。

 第3にモンスター側も程々に距離減衰しない射撃攻撃でも持っていない限りは決定打に欠けるので、結局は高度を落としての近接攻撃を仕掛ける場合が多い。

 そして、最後になるが、特殊なタイプではない限り、飛行限界時間が存在し、いずれは地上戦又は近接攻撃が十分に届く低空状態での戦闘を余儀なくされる事だろう。

 しっかりとパーティに射手を組み込んでおけばそこまで恐れる必要はないし、アイテムを使えば地上に下ろすことや上空から狙い撃ちされる事も避けられる。持久戦に持ち込めばいずれは降下するし、いっそ戦わずに逃げるという選択肢もある。それに近接攻撃しか持たないプレイヤーも、リスクこそあるが、≪歩法≫のムーンジャンプのように高いジャンプ力を発揮できるソードスキルもあるわけなので、上手く使えば敵を近接攻撃で叩き落とすこともできる。

 だが、ドラゴンは違う。ヤツらは本当に桁が違う。公式バランスブレーカーのモンスター共だ。最弱の飛竜でもとんでもなく強い。

 プレイヤーは順当にレベルアップして最初に遭遇するのは、飛竜の谷と呼ばれるダンジョンになるだろう。大ギルドは非推奨しているが、オレとしては『対ドラゴン戦』が学べる素晴らしいダンジョンなので、最前線を目指す向上心溢れるプレイヤーの諸君には是非とも挑んでもらいたい。

 飛竜の谷に出現するのは小飛竜と呼ばれる、ドラゴンでもぶっちぎりの最弱の部類だ。だが『小』と言っても人間の倍以上の体格だし、長い尾を振り回せば並の竿状武器とほぼリーチは互角だ。しかもドラゴン定番の火炎ブレスではなく、物理防御力だけが優れた金属甲冑をフルで着込んで雷属性防御力を蔑ろにした駆け出しの重装防具プレイヤー君に『おいおい、属性防御力がおざなりだぜ?』と教えてくれる優しくも厳しい先輩的ポジションなのだ。

 腕は翼と同化している飛竜はその分だけ攻撃の手数は少ないし、ドラゴン……古竜に比べれば鱗による防御効果も低い。だが、それでも意気揚々と小飛竜1体に挑んだ6人フルの前衛後衛完璧に揃えたパーティがズタボロにされて前線入りを諦めた……なんて話は珍しくない。言うなれば上位プレイヤー入りできるかどうかの関門がドラゴンだ。大体の連中はここで心が折れて攻略自体を諦める。それくらいにドラゴンってヤツは理不尽なのだ。まぁ、あらゆるファンタジーで幻獣の王様みたいな存在だから理不尽であるからこそ価値があるとか何とかはドラゴン愛好家の談だ。

 鱗を突破しなければ高い刺突属性攻撃でもない限りはまともにダメージも与えられず、スタン耐性も素の防御力も高く、攻撃力もあり、飛行能力が備わり、距離減衰がそこまで激しくないブレス攻撃を有する。しかもモンスター専用スキル≪ハウリング≫は必ず持っている。

 そして、飛竜の谷にはそんな小飛竜が雑魚として平然と複数で攻めて来る。しかも1歩足を踏み外せば落下死確定の足場が悪い地形に加え、陣形を取り難い狭さも重なる。相手は飛行可能の小飛竜であり、青い鱗を薄暗い谷の中で不気味に輝かせながら縦横無尽に駆け、プレイヤーの落下死を狙ったタックルから挟み撃ちによるブレスまで、多種多様な攻撃を仕掛けてくる。

 上位プレイヤーでも飛竜の谷で痛い目に遭ってドラゴンアレルギーを発症した輩は多いのではないだろうか。ちなみにシノンはソロで飛竜の谷を楽々で最奥まで突破したらしい。鱗で守られている頭部でも例外の目玉を正確に撃ち抜いて次々と落下させて谷底に落としたとか。目玉を撃ち抜かれた程度で飛行維持できずに即落下するとは、やはり小飛竜はドラゴン種でも最弱といったところか。

 最弱の部類の小飛竜でこれ程なのだ。最上位に分類される、かつて神族を筆頭とした火の時代を作らんとする連合軍と生存競争を繰り広げ、シースの裏切りという決定打さえ無ければ互角以上を演じた古竜ともなれば、それがどれ程の脅威なのかは言うまでもない。

 飛行中も低下するとはいえ、高いスタン耐性と防御力を保ち、鱗による防御効果はミディールで実証されている通りだ。弱点としては鱗の防御効果を大幅に減衰してダメージを与えられる雷属性、次点で水属性が通るとはいえ、逆に言えば弱点を重点的に攻めでもしなければ、とてもではないがやってられない相手だ。何よりもタフだ。とにかくタフだ。嫌になるくらいにタフだ。しかもデカいから攻撃が大雑把でもほぼ範囲攻撃みたいなものだしな。

 法王騎士の大鎌は水属性なので相性こそ悪くないが、無強化であるし、何よりも雷属性と違って特効作用があるわけではないので鱗の防御を破らねばならない。

 

「ミディールも叩き落としさえすれば……」

 

 だからこそ、とも言うべきだが、ミディールを飛行中に上手く叩き落せば大ダメージは確実に入る。大鎌と残弾が限られたカノープスでは頭部に攻撃し続けてもダウン状態は簡単には取れないだろう。だからこそ、落下して地面に叩き落とせば……!

 いや、無い手段を考案する程に時間も物資も余裕はない。ミディールの翼は闇に侵蝕されて穴だらけなので飛行時間は他のドラゴンに比べれば劣るだろうし、だからこそオレの追跡に時間がかかっているのだろうが、それでもあの高度まで攻撃を届かせる手段がオレにはやはり無いのだ。

 それに今までの戦いぶりを見た所、ミディールは他のドラゴンと同じように、飛行状態による爆撃モードと短時間飛行と地上戦を主体とした近接戦闘モードの2つに分けられているだろう。後者はスタン耐性と防御力低下が更に乏しいはずだ。

 

『……ようやく、見えた。あれが……ロイエスの騎士がいる……小聖堂』

 

 崩れた橋を迂回して騎士街を突破し、雪を掻き分けながら氷柱兎の群れに追われ、白木のお化けのような霊体にソウルの矢形の魔法を雨あられと撃たれ、まるで小学生の粘土細工のような巨大岩人形のスクラムを越え、逃げ込む形で起動したリフトで到着したのは、やはり半ば雪に埋没した小聖堂を頂く丘だ。城下町を眺められるだろう位置にある小聖堂は、王が住まう大聖堂に代わり、眼下の街並みの安全を守る騎士が駐屯する見張り塔を兼ねていたのだろう。

 丘を螺旋状に駆け上がらねば小聖堂には進めそうにないな。今のオレのDEXでは雪に埋もれた足場では十分にスピードを出せない。

 

「回復は8割ってところか」

 

 右足の骨折もほぼ治癒した。これで幾らかスピードはマシになっただろう。やはりアルヴヘイムとは違って修復速度は段違いだな。だが、流血システムの導入によってアバターの欠損・破損関係にも変化が見られるはずだ。全てを把握するには時間が足りないか。

 

『観測……分析完了。マップデータに敵の配置を反映』

 

 ナドラはやはり優秀だな。対応が早い。

 小聖堂に至る道は氷を自在に武器に変じさせるロイエスの上級兵が複数警備しているだけではなく、NPCが警備に付いている。

 

『……<追放術師ドナ>。装備から分析……典型的な魔法使い型。近接戦闘に持ち込めば高確率で撃破可能。ただし、援護に徹せられた場合は危険。よって……まずは周囲の敵を減らす……作戦を推奨』

 

「サイレント・キリングは慣れてますよ」

 

 上級兵を1体ずつ狩るだけだ。投げナイフを抜き、右手で握って武装侵蝕を施す。新たに得た≪暗器≫スキルによる最大の恩恵を受けられるのは、元より武器スキルを有さないオブジェクトアイテムや攻撃系アイテムだ。特に投げナイフは言うなれば即席の短剣型暗器として機能するようになったし、≪暗器≫によるステータスボーナスも乗る。武装侵蝕による強化作用+ステボ加算による火力増強は侮れない。

 吹雪による視界の悪さはお互い様だ。また、吹雪の音色が足音を掻き消してくれる。そして、狩人でも獣でも獲物に悟られることなく死角から迫るのは狩りの基本だ。だが、今のオレの防具であるクラウドアース製のアサルトスーツではナグナの狩装束程の静音性と隠密ボーナスが無い。より慎重性を求められる。

 上級兵の背後を取り、甲冑が薄い喉元に突き刺し、ダウンしたところで蹴り飛ばす。丘は切り立った崖の上にあり、故に踏み外せば落下死は免れない。さすがに一撃死は無理でも、喉を刺し貫くか、背後から刺し貫くバックスタブでダウンを取ったところで蹴りを入れて落下死を狙えば問題はない。

 ロイエスの上級兵は全部で5体。1体ずつ確実に始末し、時には雪に全身を埋もれさせて巡回を潜り抜ける。鼻先を氷柱兎の親子が転がりながら通ろうとも微動としてはならない。

 

『……貴方はやっぱり……ゲリラ兵?』

 

 その呼称は傭兵として高評価を受けた証拠ですわよ、ナドラさん。最後の上級兵を始末し、いよいよオレの目でも十分にドナを視認できる距離まで接近を果たした。唾の広い尖がり帽子と黒系のローブ……典型的な魔女っ娘装備の女性NPCだ。装備は魔法の媒介である杖と若葉マークのような形状をした中盾だ。近接戦は盾のガードで堪え、カウンターで魔法を撃ち込むつもりか。

 ドナがこちらに気づく。さすがはNPCか。索敵は優秀だな。目を見ればオレを正確にフォーカスロックしたのが分かる。杖を振るい、速度重視でカスタムしただろうソウルの結晶槍を放ち、そこから即座に踏み込んでのソウルの大剣で薙ぎ払う。

 足を奪われる雪上で高火力のソウルの槍系で攻め、なおかつ広範囲を薙ぎ払うソウルの大剣による追撃か。更には誘導性に特化された【追尾するソウルの矢】でこちらを攻め立てる。

 ソウルの結晶槍は、現行でも最高峰の火力を誇る貫通性に優れた魔法だ。魔法使いの最大火力の目安にもなる。スキルと装備で徹底的に魔法の威力を高めた魔法使いプレイヤーの結晶槍は、連発できない使用回数、インターバル、消費魔力に相応しい火力を有する。ただし、フレンドリーファイアーを最大限に避けねばならない以上は闇雲に連発すれば、その高い貫通性が仇となって仲間ごと貫きかねない。その為、ボス戦などの近接プレイヤーが入り乱れる戦場では細心の注意が必要だ。それに弾速も決して速いわけではないのでただ放っても躱されるだけである。諸行無常だ。

 闇術版ショットガンと揶揄される、近距離でフルヒットすれば特大剣の一撃にも匹敵するとされる闇の飛沫を使ってオレを遠ざけるドナは、NPCの特権である膨大な総魔力と弾切れを期待できない使用回数を武器にして攻め立てる。だが、オレを捉え続ける目は虚ろであり、言葉も操らぬ様はもはや正気ではなく、亡者の1歩手前なのだろう。

 武装侵蝕したままの投げナイフで狙いを定めて投擲し、ソウルの結晶槍を放つモーションに入った隙を狙ってドナの額を刺し貫く。ヘッドショットと同じ効果で大きく怯んだドナに迫り、顔面を掴んで小聖堂の壁に後頭部を叩きつける。

 唸るドナはシールドバッシュと蹴りでオレを遠ざけようとするが、それより先に何度も壁に後頭部を打ち付ける。ドナの目が血走り、恐怖が僅かに瞳に滲む。最後の正気がオレへの恐ろしさで芽吹いて、そして塗り潰されていく様に、どうしようもなく加虐心が擽られる。

 壁にリズムよく叩きつけると見せかけて雪上に放り、背中を踏みつけて杖を有する右腕を捩じって肘から折る。

 

「ぎゃぁあああああああああああああああ!?」

 

 ようやく漏れたドナの絶叫が血を昂らせる。『獣』の顎が涎で濡れる。だが、狩人の心得に従い、迅速にドナを殺害すべく、顎を蹴り上げ、宙を浮いたところで大鎌で首を薙ぎ払い、そのまま柄で胴を殴りつけてまた叩き落とし、その胸に何度も大鎌を振り下ろす。

 右腕をあらぬ方向に曲げたドナは、仰向けのまま血染めとなって雪を赤く染める物言わぬ屍となる。NPCはカスタマイズされているが、扱いとしてプレイヤーとほぼ同じだ。ドナの遺体がすぐに消滅しないという事は、モンスターと同様にプレイヤーの遺体も一定時間は残るようにアップデートで変更されたのだろう。

 

(貪り、そして啜りなさい。今必要なのは『獣』として喰らうことよ)

 

 あくまでドナを狩人として殺した事をヤツメ様はやんわりと非難する。この期に及んでまで『食事』を拒むオレに両手で掬い上げたドナの血を見せつける。

 血のニオイが飢餓を刺激する。血の悦びを欲するように喉が痙攣する。だが、ヤツメ様の誘いを振り払い、ドナの目を右手でそっと閉ざす。

 

「彼女は……どうしてエス・ロイエスに?」

 

『ドナは宮廷を追放された。闇術に手を出した……から。そして、エス・ロイエスに流れ着いた。彼女に……居場所なんて……何処にも無くて……』

 

 それだけで十分だ。闇術はDBOの世界において禁忌の扱いであり、探究を志すなど以ての外だ。習得どころか研究しただけで一族郎党皆殺しも珍しくなかった。人間の本質は闇であるにも関わらず、闇に触れることを恐れた。

 真実から目を背けることが盲目の安心をもたらす。神々が作り上げた火の時代が人間の絶頂期を遠ざけた。だが、終末の時代を見るように、人間は最終的に別の形で闇のソウルをわが物として扱い、暴走させ、滅びに向かった。

 ドナの遺体に触れれば入手可能なアイテムが一覧で表示される。死後は接触によるドロップアイテムの獲得か。杖や盾は要らないな。杖は近接用に仕立てられてもいない限りは幾ら武装侵蝕しても武器として使えば破損は免れない。≪盾≫スキルが無ければ盾もお荷物だ。なにせガード性能が大幅に下方修正を受けるからな。ガードするだけ死を招くし、打撃武器として扱うにしても、あくまでガード主体の延長線上だ。だが、貰っておくだけ貰っておくか。

 他には……白亜草を3個か。草系回復アイテムは色々とデメリットも大きいが、10秒で4割回復の白亜草は回復アイテム不足の現状ではあり難い。後は……見た目こそボロボロであるが、防寒用に装備している黒マントを貰おう。

 

「…………」

 

 白亜草はともかく、装備を入手できない。これはどういう事なのだろうか。

 

『死後消滅すると……ソウル血痕が48時間生じる。そしたら、今まで通りの……ドロップが可能。死体を辱めない……セカンドマスターなりの……配慮、なのかな?』

 

「倫理コードなんて無いDBOに、そんな配慮なんて今更過ぎて何とも言えませんね。それに装備を剥げないなんてPKを促進させない要素を削るとも思えません。そうなると……」

 

 試してみれば彼女の頭からは素手で魔女帽子を外せば、システムウインドウが表示される。魔女帽子を入手するかの確認画面だ。

 どう考えても悪意満点ですね! 今までプレイヤー殺害後のドロップはシステムウインドウで選択するだけだったが、これからは『己の手で直接相手の遺体から剥ぎ取る』という行動を取らねばならない。それは精神に負担をかけ、殺人という罪を犯した者を深く捕らえる。

 自らの手で殺した相手の血で濡れた装備を剥ぎ取る。己の所業の重さを再認識する儀式となるだろう。まぁ、オレにとっては特に思う所はない。仕留めた獲物の皮を剥ぎ、肉を切り分け、骨や牙を削り取る事を躊躇する狩人などいない。それは狩った獲物への最大の侮辱に他ならないからだ。そうして狩人は生きてきたのだから。それが生命の営みであり、対象が人間でも変わらない。

 

「死後消滅までおよその時間はどれくらいですか?」

 

『……24時間』

 

「長過ぎますね」

 

 エス・ロイエスで殺害したモンスターたちが塵となって崩れていく様子は緩やかだったが、大きさにもよるだろうが、そう長い時間をかけずに消滅するだろう。それに対してプレイヤーの消滅時間は随分と猶予がある。シャルルの森と同じように腐敗とかしないのだろうか。

 

『ちなみに……コルを支払う事で「葬送」できる。これを使うと……所定の位置に……遺体を転送できる』

 

 ナドラ曰く、パーティやギルドメンバーだとレベル数×5000コルを支払えば遺体を転送できるらしい。ちなみに現在の上位プレイヤーはレベル80前後だから、1人につき約40万コルの出費だな! 

 

「それって逆を言えば『仲間の死体を蔑ろにしたくないけどコルは使いたくない』って思考が増長されますよね」

 

『否定は……しない』

 

 売買ではなくてシステム上の出費なので借金できるし、支払おうと思えば必ず可能だ。つまり仲間の死体を晒したままにするか、それとも多額のコルを支払っても持ち帰ることを選ぶか、その違いだな。

 やっぱり悪意100パーセントだな。これならば、もう遺体をその場で火葬にできるように焼却用のオイルでも持ち歩くべきではないだろうか。まぁ、完全に燃やし尽くすまでに時間はかかるだろうし、煙でモンスターが寄って来るかもしれないけどな! そうなると埋葬用のスコップでも持ち歩く方が良いかもしれない。それに最悪の場合は1人くらいは背負えるだろうしな。

 問題は死者が多数生じた時か。これも流血システムが追加された作用といったところなのだろうか。

 

「いよいよ生命保険とか始めそうですね」

 

 葬送費用を持ちます、みたいな感じで! そして、自分の遺体が野晒しになると思えば、増々ソロは減るかもしれないな。他には死体回収業務とか始める輩もいるかもしれない。いや、傭兵の仕事で確実に遺体回収が舞い込むこともあるだろう。なにせ、葬送には遺体への接触維持が必須らしいのだ。仲間が死ぬような状況だ。無事に切り抜けられるばかりではなく、むしろ敗走が濃厚だ。そうなれば仲間の遺体を残したまま……という事も十分にあり得るのだから。

 何しても、DBOは形を変えながらも、より生々しさを……仮想世界を肉付けしている。行き着く果てはアルヴヘイムと同じで現実世界と区別できないような……いや、これ以上は考えても無駄だな。

 しかし、今までのようにエフェクトの塊になって霧散する死に様とは違って遺体が残るのだ。プレイヤーにとっての衝撃は今までの比ではないだろう。それによる混乱がもたらす被害の方が深刻だろうな。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 ドナから黒マント、杖、盾を奪い取り、アイテムストレージに収納する。そして、黒マントは即座に装備する。防御力は無いにも等しいが、防寒効果が大きい。この吹雪では役立つだろう。

 

『女性相手なのに……容赦ない』

 

「生死に男女の区別はありません」

 

 アサルトスーツの上から全身を覆う黒マントを翻し、小聖堂の扉を開く。屋内であるにも関わらず、外とは一味違う異質の吹雪が直撃する。

 これはどうなっている? 白1色の小聖堂内に突き進めば、足は柔らかな雪原を踏み鳴らす。

 別の仮想空間に繋がっていた? 外観と内部の体積が異なるのは仮想世界ならばあり得るし、実際にユグドラシル城など滅茶苦茶だったのだが、どうにも様子がおかしい。

 吹雪はいつの間にか止み、靄がかかっているかのように雪が滞留している。不可思議な光景の中でオレは前に進み続ければ、待ち構えている人影を見つける。

 ロイエスの騎士だろうか。大鎌に手をかけながら近づいていけば、それは騎士らしい鎧を装着している。

 

 

 

 

 

「やぁ、クー。久しぶりだね」

 

 

 

 

 

 だが、それはロイエスの騎士では無かった。聖剣騎士団のエンブレムを描いた青いサーコートを備えた銀色の鎧を身に着けているのは、エス・ロイエスにいるはずがないディアベルだった。

 ならば、これは幻だ。ディアベルの形をしたアバターだ。仮想世界なのだから別に不思議ではない。

 

「キミは卑怯だね。俺にユイちゃんを預けて、自分は遠ざけて、彼女の生死の責任を背負うことを放棄した。そのくせして、仕事ならユイちゃんに会いに行くとはね」

 

「…………」

 

 笑顔で言葉を並べるディアベルに、一切の反論などしない。これは幻影だ。彼では無いのだから。

 ステップで間合いを詰めて大鎌で首を薙ぐ。だが、微かな抵抗こそあったが、大鎌の刃はディアベルを通り抜ける。

 

「俺が幻影だと思うかい? そうだね。俺がここにいるはずがない。だけど、全くの偽者というわけでもないのさ。今ここで語っているのは『ディアベル』の本音そのものだよ。MHCPが観測した『ディアベル』の意識を再現したものだよ」

 

 ソードスキルならばどうだ? 大鎌を背負って接近し、穿鬼を放つ。だが、やはり効果はない。

 

「キミは俺を置いて去った。そして、俺が作ったギルドを……皆を守る為の組織を傷つけている」

 

「……オレは傭兵だ。依頼を全うするだけだ。聖剣騎士団から依頼を受ければ、オマエの味方だってするさ」

 

「味方? 何を言ってるんだい? キミは独立傭兵だ。報酬次第でいずれの勢力でも力を振るう」

 

「それが気に食わないのか? だったら、オレを専属として雇ってみるか?」

 

 問えば、ディアベルはそれこそあり得ないとばかりに嘲って口元を歪める。

 

「キミを? あり得ないだろう? キミを専属にするなんてギルドにとってマイナス要素だ。使い捨てに出来る『駒』がキミの唯一無二の価値じゃないか」

 

「…………」

 

 ディアベルはオレの肩を叩きながら嗤う。足下に転がるゴミでも見るような汚らわしさで濡れた目を細めて嘲う。

 

「せいぜい聖剣騎士団の為に利用させてもらうよ。だって、俺達は『友達』だろう? 俺が頼めば、ユイちゃんを預けたという義理もあるし、どんな仕事だって引き受けてくれるだろうからね。クーのそういう義理堅いところはちゃんと分かってるし、利用できるってちゃんと知っているからね」

 

 黙れ。ディアベルの首を大鎌で刈れば、今度は最初から存在しなかったかのように粉雪となって霧散する。

 大丈夫。落ち着いている。コンディションは最悪だが、思考も意識も冷たく冴えている。

 

 

 

 

 

「怖い。貴方が恐ろしくて堪らない」

 

 

 

 

 

 背後から消え入りそうな声音で聞こえてきたのは、やはりオレがよく知る声だ。

 振り返れば、そこには俯いて両手で顔を覆うシノンの姿がある。だが、失ったはずの左腕は義手ではなく生身のものだ。それに彼女はディアベルと同じくエス・ロイエスにいるはずもない。だから、これもまた幻影だ。

 攻撃し続ければ消えるのだろうか。殺せるのだろうか。1歩踏み寄れば、シノンは震えながら後退る。

 

「来ないで、バケモノ!」

 

 彼女の狂乱を吹き消すように大鎌を振るい続ける。攻撃回数ではない。総ダメージ量ではない。だったら、消滅するのは時間経過か?

 

「貴方が分からない。貴方が何を考えているのか分からない。貴方の存在そのものが分からない! 貴方が恐ろしい!」

 

「……そうか」

 

「狂ってるわ。数えきれない命を奪っていながら、どうしてそんなにも平然としていられるの? 罪の意識に怯えることは無いの? 私には……貴方が『人』には見えない」

 

「……そうか」

 

 叫び散らすだけ叫んでシノンは霧散する。

 そして、小聖堂を開いた時と同じく吹雪いて視界が染まり、想像していたよりも狭い屋内の風景が現れる。家具も無く、ただ1つある椅子に白銀の甲冑を纏った騎士が腰かけている。細やかな装飾が施されたフルメイルであり、タルカスが装備しているようなバケツヘルムとは違うが、頭頂部が平たく1本のスリットの覗き穴になった異形の兜が特徴だ。ロイエスの騎士だ。

 

「答えよ。汝の敵は誰だ?」

 

 ロイエスの騎士は問いに、オレは鎌を背負いながら一息と考える時間も無く口を開く。

 

「立ちはだかるならば全て敵です」

 

 ロイエスの騎士は片膝をつき、そして雪風を舞わせて消える。これがロイエスの騎士の承認なのだろう。

 

『……ごめんなさい。トラップが……仕掛けられてた。解除しようと……したけど……』

 

「いいえ、問題ありません」

 

『だけど……!』

 

「ディアベルはあんな事言いませんし、シノンが弱々しく泣き叫ぶなんて気持ち悪いですよ。彼らの本心であったとしても、悪意を持って編集・演出された寸劇に過ぎません」

 

『そう……だね』

 

 ナドラの態度で分かった。雪人形のディアベルが語ったのは事実なのだろう。あれは2人の本音だ。

 ディアベルはオレを使い捨ての駒だと思っていて、シノンは内心ではオレを恐れている。それがMHCPが観測した情報なのだろう。

 それがどうした? 人間は誰しも負の顔を持っているものだ。ディアベルの全てを理解しているつもりではないが、彼は誰よりも聖剣騎士団を守ろうとする気概がある。その為ならば非情な判断もできるように自分を追い込んでいるはずだ。だから、ギルドのリーダーとして見れば、数えきれない人間を殺した悪名高いオレは、使い捨てこそに利用価値がある独立傭兵であるというだけだ。

 ユイの件にしても責任を押し付けたと罵られても仕方ない。事実として、オレはユイをディアベルに預けた。聖剣騎士団ならば……ディアベルならば特殊な環境に置かれていたユイにも安全な場所が提供できると思ったからだが、結局のところ、オレは彼女と深く関わることを避けた。逃げたのだから。

 シノンはオレを怖がっている、か。あのクールビュティの面の下でそんな可愛げのある事を考えていたなんてな。だが、何も分からないのは恐ろしい事なのだろう。オレは彼女と分かり合おうとしなかった。距離を縮めようとしなかった。

 いや、それ以前の問題か。1000人以上を殺した虐殺者に、どうして恐れを抱かないで済む? それは酷く当たり前のことだ。

 だけど、そんなのは関係ない。繰り返すが、誰もが負の顔を持っている。負の感情を抱いている。それだけではないか。

 

「あ、あれ……?」

 

 何でだろう?

 

 ヤツメ様、どうしてこんなにも苦しいのでしょうか?

 

 バケモノ呼ばわりなんて腐るほど聞いてきた。面と向かって罵倒されることだって慣れている。

 

 分からない。分からないんです。オレは彼らをこんなにも傷つけたくて、苦しめたくて、殺したいと思ってしまうバケモノなのは事実なのに。

 

 ちゃんと自分が侮蔑と恐怖を向けられるべき存在だと分かっているのに。

 

 どうして……こんなにも『痛い』のでしょうか?

 

 胸が……締め付けられるように『痛い』んです。大切な人たちがくれた人間性が疼いて、苛めて、蠢いて、苦しいんです。

 

「ナドラ、次のロイエスの騎士は何処にいますか?」

 

『騎士街の地下道にいる……はず。でも、少し休んでからでも――』

 

「いいえ、大丈夫です」

 

 小聖堂から出発すれば、幾らか吹雪が落ち着いている。ロイエスの騎士の承認のお陰だろうか。

 途中で崩れた小聖堂と騎士街を繋ぐ橋であるが、これ見よがしに置いてある雪だるまを蹴れば、転がる最中でどんどん膨れ上がり、あり得ぬ大きさにまで肥大化して橋で陣取っていた上級兵を轢き殺して崩落した箇所に落ちて埋める。

 ……往年のコメディかよ。なかなかにシュールじゃないか。

 

「でも嫌いな演出ではありませんよ。HAHAHA!」

 

『……【渡り鳥】』

 

 敵は殺せばいい。

 好きも嫌いも無い。立ちはだかるならば全て殺す。

 それ以外に選ばなかった。

 だから殺してきた。迷うことなく狩ってきた。

 

(アナタの殺意は愛情だから。強く殺したいと欲するのは、その人たちがとても大切だという証拠なのだから)

 

 ヤツメ様がオレを見上げながら囁く。8つの瞳はとても静かで、だからこそオレに強く訴えかけている。

 

(アナタは自分をバケモノと認めた。バケモノであることを受け入れた。だけど、だったらどうしてアナタは『獣』であろうとしなかったの?)

 

 それは『人』への憧憬。羨望。執着。どれも違って、どれも当てはまったのだろう。

 ロイエスの兵士の屍を踏み躙りながら、オレは考える。武装侵蝕した折れている投げナイフを捨て、カノープスを構えて背後から襲い掛かる上級兵の頭部を反転と共に撃ち抜く。

 

(灼けて、灼けて、灼けて、いつか『アナタ』は灰となって、そしてアナタは夢を見る。痛みと『痛み』の海に溺れる悪夢に捕らわれる。それがアナタが選んだ狩りの全うの末路。神子としての契約を果たし、狩人としての使命と責務を遂げる。たとえ嘘に塗れていようとも)

 

 ステータス出力が足りない。カノープスが重い。STR出力は3割を切ったか。限定受容を……いや、まだ早い。

 

(慣れてしまっただけ。耐えられるようになってしまっただけ。アナタは心折れない。それが狩りならば……)

 

 ヤツメ様はそれ以上何も言わずに白雪の中に姿を隠す。

 痛みにも『痛み』にも耐えられる。どれだけ傷ついても、苦しんでも、オレは戦える。まだ『独り』で戦えるんだ。

 

「嗤えるな」

 

 霜焼けになりそうな程に冷えた右手を見つめて思わず自嘲が漏れる。

 

 本能が求めるのは殺戮。だけど、『オレ』は何が欲しかったのだろうか?

 

 狩人の掟が定めるのは先祖に恥じぬ振る舞い。だけど、『オレ』は何を目指していたのだろうか?

 

 神子の契約で履行すべきは狩りの全う。だけど、『オレ』は何がやりたかったのだろうか?

 

「…………」

 

 ああ、そうか。

 

 オレはとっくに自分自身を見失っていたのか。灼けて灰となるよりも前に……血と夜に呑まれる前に、もう……自分ではどんな存在だったのか分からなくなってしまっていたんだ。

 あるいは、最初から全て幻想に過ぎなかったのかもしれない。待ち望んだ『答え』の福音は訪れず、ただ全てが幻想に過ぎなかったと認めることが恐ろしかっただけなのかもしれない。ユウキに憶えていて欲しかった『オレ』なんて……最初から存在しなかったのかもしれない。

 

「……どうでもいい」

 

 見上げても分厚い雪雲と吹雪で狂う空ばかりで、月光は決して差し込まない。

 

「ここは……寒いな」

 

 何故かはわからない。だが、何かを求めるようにオレは凍えて震える右手を伸ばす。

 だけど……当然だけど……伸ばした手は何もつかまない。

 下ろした右手は虚しくて、情けなくて、どうしようもないくらいに痛みと『痛み』を湛える。

 

「行きましょう、ナドラ」

 

 敵を殺せ。

 前だけを見ろ。

 邪魔するならば老若男女関係なく、神だろうと悪魔だろうと仏だろうと殺せ。

 思い出せ。成すべきはユイとアルシュナの救出。ミッションを遂げろ。

 吹雪が通らないエス・ロイエスの地下道は、まさに城砦といった趣であるが、階段や壁には派手ではないが凝らした意匠が見て取れる。周囲を雪原で覆われたエス・ロイエスの城壁は、外敵以上に内なる古き混沌を漏らさぬ為であったのかもしれない。だからこそ、兵や騎士達には古き混沌を恐れぬ忠義の価値があらねばなかった。ただ武骨に力を研ぎ澄ますだけでは駄目だったのだ。

 ボロボロの白いローブを纏ったロイエスの巫女達は杖を振るい、弾速は遅くとも誘導性に長けたソウルの矢を放つ。それに合わせてロイエスの兵士たちが隊列を組んで道を阻む。

 大鎌でロイエスの巫女の首を刈るも、一撃では切断できない。頸部の切断は対象のHPがゼロになった時の限定だ。喉はパックリと開いて流血によるスリップダメージは入っているようだが、水属性防御力の高さが法王騎士の大鎌の威力を発揮させていない。

 

「どうでもいい」

 

 ならば死ぬまで殺すだけだ。

 不思議なくらいに痛みと『痛み』の分だけ獣性は昂ぶり、殺意は研ぎ澄まされていく。

 ロイエスの兵士を、巫女を、敵という敵を潰す。大鎌が通じぬならば格闘戦がある。スタミナの消耗が抑えられる≪格闘≫のソードスキルならばSTR出力が上がらない現状でも十分以上にダメージを与えられる。

 

「どうでもいい」

 

 拳打の穿鬼と蹴りの穿天。スタミナ消費は比較的軽く、だが判定はシビアであり、火力ブーストは絶大。完全に間合いとタイミングを図らねば効果を発揮しない。特に穿天は拳の穿鬼比べてもスタミナ消費量とタイミングが厳しい。あくまで穿鬼をメインにして穿天は切り札の運用が求められる。

 ライトエフェクトは刹那。命中時は雷鳴の如き轟音。クリーンヒットすればロイエスの兵士のような人型ならば確実に吹き飛ばすことができる。

 

「どうでも……いいんだ」

 

 ロイエスの兵士と巫女の亡骸が散らばる中で、敵のオイルのような黒ずんだ血で染まった右手を振るって払う。

 

『そうやって……貴方は何度も自分を騙す』

 

「もう心は読めないはずでは?」

 

『うん。だけど、私は……MHCPだから。ううん、違う……か。私は……貴方を見ていた、から。貴方の「孤独」……感じ取って、いた。だから、分かるよ。貴方の「痛み」。貴方は……自分への誹りも、罵りも、呪いも全て当然だと受け入れてる。私は、腐れ谷で……そう言った。貴方は……大切な人が死んでも、殺しても、苦しめても、悲しみも怒りも感じられない……だから「痛み」を覚える』

 

「…………」

 

『どうでもいい……なんて、言わないで。貴方は……罵倒を浴びる度に、呪詛を投げつけられる度に……傷ついている。貴方の心は……いつだって「孤独」だからこそ』

 

「…………」

 

『独りは寂しい。独りは苦しい。独りは嫌だ。だから誰かに寄り添ってもらいたい。そこに善悪も正誤も……無いはずだから』

 

 ナドラの言葉を否定しようとしても舌は動かず、またわざわざ反論を探すのも面倒になる。

 結局のところ、オレは『答え』を求める道を捨てた者だ。アルトリウス、オレはアナタのように『答え』にはたどり着けなかった。ランスロットのように貫き通せる忠義を得た『答え』を見つけることもなかった。鍵は手にしていたとしても、自ら薪として火に焚べた。

 もはや月光も差し込まぬ闇夜に残された迷子。それがオレなのだろう。いつか夜明けをもたらすと狩りの全うを誓ったところで、オレ自身に夜明けなどなく、ヤツメ様の言う通りに痛みと『痛み』の悪夢に溺れて囚われる末路が待つだけだ。

 

「到着みたいですね」

 

 数多のロイエスの守護者を倒し、ようやくついたロイエスの騎士が待つ扉。金網状の扉の向こう側は地下であるにも関わらず、荒れ狂う吹雪で白1色だ。何とも分かりやすい。

 さて、先程はディアベルとシノンだったが、今度はどんな幻を見せるつもりなのやら。まぁ、幻といっても観測された感情を基にしているので全くの事実無根と断じれないのはなかなかに面白いがな。

 扉を開いて1歩踏み込む。前回と同じく吹雪に包まれ、凍えるような寒さの中で影がゆっくりと白色の中で生じる。タネが割れている奇術であるならば、相応の対処の仕方もあるというものだ。スタミナの消耗を抑える為にも、どんな言葉だろうと甘んじて受け入れるとしよう。

 だが、影は物言わない。近寄りもしない。何よりもオレを囲うように数が多過ぎる。

 足下を埋めるはずの雪原は、だが赤く、赤く、赤く……もはや黒にも近しい程に濃く、染まっていく。

 

「……なるほどな。そういう趣向か」

 

 オレの方から近寄れば、それはアルトリウスの聖剣だった。無論、彼の聖剣はキアランに渡したのでここにあるはずもない。だが、聖剣は血肉で汚れて雪原に突き刺さり、無言の墓標をオレに示す。

 数多の武具の園。それはまるでウーラシールのレガリアが作り出したかのように、だが武器の意匠にはオレも記憶がある。

 オレが殺した者たちの武具。雪原を埋め尽くすような数多の喰らった『命』と死の証明だ。

 

「俺はキミの『力』が欲しかった。いかなる絶望も恐怖も容易く踏み躙っていく、圧倒的な暴力に憧れを抱いたんだ」

 

 そして、死者の武具の雪原において、オレの背後から聞こえたのは『アイツ』の声だった。

 

「キミを利用した。キミの『力』さえあれば茅場に復讐できると思った」

 

「そうだな。オレ達の出会いは、傭兵としての雇用と利用価値から生まれた。ハッキリ言って……最悪の部類だよな」

 

「恐怖したよ。俺とは違う。人間の形をした別の何かを見ているような気分だった。俺は膝を折るのに、キミは平然としている。恐れを抱かずに敵を殺すことだけを考えている。まるで死と恐怖と暴力が具現しているかのように思えた。神様を見ているような気分だったよ」

 

「知ってる。あの頃のお前は『力』を追い求めて、復讐と憎悪に憑かれていたからなぁ。ギリギリって感じで危うかったからな」

 

「こうは思わないか? 俺は怒りと憎しみに駆られたからこそキミに惹かれた。だったら、俺達は本当の意味で分かり合うなんて無理なんじゃないか?」

 

「そうかもしれないな。オレ達はきっと、根底では……本質的には決して相容れない存在なんだろうな。それくらい分かっているつもりだ」

 

「戦いだけが俺達を深く結びつけた。悲劇以外に俺達の距離を縮めるものなんて無かった。だったら、俺達は……出会うべきじゃなかったのかもしれない」

 

 振り返りはしない。いつしか『アイツ』の声は吹雪の中に消えていたとしても、オレは名残を求めて振り返ることなど無い。

 アルトリウスの聖剣を一瞥し、瞼を閉ざす。暗闇の中には何も見えない。それでいいのだ。

 

「情報が古いんだよ。『アイツ』はそんな葛藤なんてとっくに乗り越えたさ。それにな……オレもいつだってこう思ってたさ。オレ達は出会うべきじゃなかったってな」

 

 今だって『アイツ』の事は1番の親友だって思っている。でも、それは十全に存在を受け入れて肯定することと同義だろうか? 違うだろう。

 本来ならば、オレと『アイツ』は敵対こそが真に相応しいのだろう。『アイツ』は命を奪う苦しみと罪を正しく理解できる。オレは命の重みと価値は分かっていても、喰らい殺すことに罪悪感も苦痛も無い。『アイツ』は待望される英雄で、オレは貪食のバケモノだ。今はたまたま混じり合って灰色という曖昧さに佇んでいるだけだ。

 

「だけど、それがどうした? オレにとってオマエは唯一無二の友だ。分かり合えないとしても、敵対するとしても、それでも……オレはいつだって胸を張ってオマエを友と呼ぶよ」

 

 理想で汚れ、無知で塗り固められ、本質的には相反する。それがオレ達のはずだ。それでも、オレ達は互いに友情を感じ取った。それ以上の何の証明が要る? 無意味と無価値に拒絶と否定を並べるなどそれこそ無駄だ。

 悲劇と呼ばれた戦場の中で、鉄の城という仮想世界の檻で、オレ達は互いを唯一無二の友だと感じた。それだけだ。それが男の友情だろう?

 

「ディアベルやシノンの時もそうだが、都合よく切り貼りするな。彼らを侮辱するつもりか」

 

 雪に隠れ潜む悪意にオレは殺意の限りをぶつける。再び吹雪は一際強くなり、白色の中に死者の武具は消える。

 そして、吹雪が去れば、家具も無い小部屋の中央に設けられた椅子に腰かけたロイエスの騎士が視界に映った。

 

「答えよ。汝にとって勝利とは何だ?」

 

「……たくさんの敵を殺してきました。それを勝利と呼ぶならばそうなのでしょうね」

 

 だが、ロイエスの騎士が問うのは戦術的・戦略的勝利という意味ではないのだろう。

 憶えている限りの殺した者たちを思い浮かべる。矜持を抱いて死んだ者たちがいた。挫折や後悔や恐怖に塗れて死んだ者たちもいた。

 彼らはいずれも自らの命に価値を定義した。自己犠牲を厭わぬ信念。芯も通らぬ欲望やその場限りの生存本能。いずれも精一杯に生き、そして死んだ。

 

「だけど、結果以外の意味では、オレは……1度として勝者にはなれていないのかもしれません」

 

 目前に迫る敵を殺し続けた。その果てに今ここにいる。死に場所を探しているわけでもなく、生に執着があるわけでもない。漠然と呼ぶには嘘に塗れている。

 

「相手が自分こそ勝者と信じて死んだならばオレは敗者でいい。殺したオレを勝者と呼ぶならそれで構わない。勝者でも敗者でもあり続ける。オレは自分の勝利を結果以外で定義するなんて出来そうもない馬鹿だから」

 

 強ければ生き、弱ければ死ぬ。シンプルな理屈だけが結局はオレを突き動かす勝敗の定義なのだから。

 これで満足なり納得なりしてもらえたらいいのだが。苦笑いしながら頬を掻けば、ロイエスの騎士は跪いて雪風の中に消える。

 返答の内容では無く、問いに返すことがトリガーなのだろうか? ロイエスの騎士の承認を得て、オレは最後のロイエスの騎士を探す。

 

『勝者が築き続けた。それが……世界。だから、貴方の定義は……何も間違っていない』

 

「そうでしょうか? 勝者が歴史を作ると言いますが、敗者も存外しぶとく刻み込むものだと思いますよ。まぁ、どうでも――」

 

『「どうでもいい」は……禁止』

 

「はいはい」

 

 ナドラの前ではなるべく発言しないように気を付けるとするか。

 最後のロイエスの騎士はここからも近いな。この調子ならば、ロイエスの騎士の承認は全て揃えることができそうだ。だが、問題はそろそろミディールが到着する点だろう。それにアーヴァの『屈伏』についてもまだ方法が分かっていない。

 

『だけど……少し……意外だった』

 

「何がですか?」

 

『貴方が……熱く友情を語る……なんて』

 

「……忘れてください」

 

 失言だった。『アイツ』の幻影だったばかりに少々語り過ぎたかもしれない。今にして思えば、ナドラにもバッチリ聞かれているのだから、少し抑えるべきだったな。

 

『存外……熱血キャラ? 私は……嫌いじゃない』

 

 クスクスとからかうように笑うナドラは、相変わらずのローテンションではあるが、この数時間で人間味が増したような気がする。

 

『ごめんなさい。機嫌を悪く……しないで』

 

「別に怒ってませんよ」

 

『知ってる』

 

 ……即答かよ! ま、間違いない! この短時間でナドラはスキル≪話術≫を獲得してやがる! これがMHCPの学習能力だというのか!? 侮れんな! ヤツメ様! 負けていられませんよ!? さぁ、オレにも是非ともコミュ力系スキルの獲得をお願いします!

 

(戦いと殺し以外の能は無いと何度言えばいいのかしら? あ、枝毛。アナタが絶食しているせいよ!)

 

 毛先を弄っていたかと思えば、顔を青ざめて涙目でオレの胸倉をつかみかかるヤツメ様にどんな反応をすべきなのでしょうか?

 

『私達は……知ってた、から。アナタを見ていた……から。戦う理由は……どれだけ嘘を重ねていたとしても……アナタはたくさんの人を……大切な人たちを……ちゃんと想っていた』

 

「…………」

 

『だから、全部……否定なんて、しないで。殺しの飢餓を誤魔化す言い訳と……自分の気持ち……ちゃんと区別しないと、駄目……だよ?』

 

「肝に銘じておきます」

 

 傭兵は依頼を果たす。狩人は約束を守る。神子は契約を履行する。そうして、ひたすらに本質に嘘を重ね続けるオレの……『オレ』の気持ち……か。

 この心が抱く『アイツ』への友愛は本物だ。その分だけ殺したくて堪らなくなるのだから。皮肉にも殺戮の飢餓こそが『アイツ』への気持ちは本物だと教えてくれる。

 だから、ユウキへの愛情も……嘘偽りの無いものだ。いつだって彼女を惨たらしく殺したいのだから。毛先の1本も誰にも渡さず、血も肉も命も魂も喰らい尽くしたいと望んでいるのだから。

 

「……ハァ」

 

 地下から1度外に出る。相変わらずの吹雪の空だが、オレは見上げながら心底から漏れた溜め息を吐く。

 

『どうしたの?』

 

「いえ……我ながらこれって完全に悪役だよなぁ、と再確認しただけです」

 

 この胸に抱く気持ちは嘘偽りはない。その全てが殺意に直結しているだけだ。だからこそ度し難いのだろう。

 だが、ナドラと話していると少しだけ気が楽になった……と錯覚レベルで実感した。これが本職たるMHCPの実力か。さすがのセラピー能力である。

 

「さぁ、先を――」

 

 途端に激しく咳き込み、右手で血を受け止めて耐えようとするも両膝を折る。吐血は止まらず、ロス・エイロスの雪に深淵で汚れた血が染み込む。

 意識が朦朧とする。心臓が止まる。動けと命じてもロス・エイロスの冷気が絡みついて凍ったかのように止まったままだ。

 苦痛が全身を刺し貫く。内側から溶解するような痛みが喉を痙攣させる。呼吸が出来ず、歯を食いしばる。

 殺す。殺す殺す殺す! 敵はそこにいる! 立ち塞がる全てを殺す! ユイとアルシュナの居場所までもう少しでたどり着ける! 嘘で汚れた目的意識と殺意を結び付け、ヤツメ様が獣性を呼び覚まし、深淵の病が蝕む心臓に熱を取り戻させる。

 

(ただ目の前の獲物を殺す。それだけがアナタの心臓を動かしている。忘れないで)

 

 ヤツメ様の言う通りだ。ランスロット戦でとっくに限界は超えていた。ここまで騙し騙しで戦ってきたが、どれだけガタが来ているか失念すべきではなかった。

 

「……気を抜いた、か」

 

 ナドラと語らって僅かに和めば、深淵の病は容赦なく死をもたらすべく蠢いた。一瞬も気を抜けなかったのに、ここにきて痛恨のミスだな。

 

『す、少し休んで! このままだと……!』

 

「い、いいえ……先を……急ぎ、ましょう」

 

 今ここで小休止でも取ろうものならば、オレは間違いなく……死ぬ。緩んだ気をもう1度引き締めようとするので精一杯だ。僅かに欠けた集中力はあっさりと歩行能力さえも奪ってしまった。

 雪を掴んで這いながら壁際にまでたどり着く。周囲に敵影は無し。ミディールも……いない。危うかったな。

 繋ぎ直せ。集中力の糸で神経を縫合するイメージだ。まずは右足、次に左足だ。体幹……最低限に復帰できた。だが、後遺症分はどうしようもない。ここまでだな。

 STR出力は……2割以下か。これでは穿鬼も十分に効果を発揮できるとは言い難いな。交戦を避けるルート構築が求められる。

 ドナから奪った黒マントを引き寄せ、極寒の屋外を進む。いかにも貴族が暮らしていそうな街並みは騎士街上層と名付けられている。だが、今は凍傷で肉が剥げたゾンビ犬の群ればかりだ。

 素早く動き回り、連携を取って襲い掛かる凍傷犬には単発火力こそ高いが、連射性能に欠けるカノープスでは難しい。そもそも今のオレのSTR出力では片手では操り切れない。ゾンビ犬のスピードに照準を合わせられない。

 だから狙うのはカウンター。呼吸を整え、接近したら躱して穿鬼をぶち込んで破裂させる。1体ずつ確実に仕留める。

 

「……速いな」

 

 まずい。目が……いや、視界に頼るな。聴覚もノイズと吹雪で使い物にならない。嗅覚も駄目だ。

 目を閉ざす。サリヴァーン戦で会得した狩人の眼を使用する。自分を含めた周囲をあらゆる角度で俯瞰するイメージ。補填にヤツメ様の導きを使用。

 いける。ハンドガンを抜き、残る凍傷犬を迎撃する。目を撃ち抜き、ダウンすれば近寄って頭部を踏み砕き、背後から襲われるならば逆に口内へと銃口を入れて撃ち抜く。

 狩人の眼を継続。ハンドガンはオートリロード中。法王騎士の大鎌に変更して対処。1頭が遠吠え……増援阻止……失敗。更に10頭の追加……問題なし。だが、STR出力の低下で大鎌を操る精度に問題発生……ブレに留意しつつ迎撃を続行。

 リゲインによるHPと魔力の回復はやはり素晴らしい。スタミナ消費は増すが、攻撃力の微増以上に相手のダメージエフェクトを浴びれば回復効果を得られるのは長期戦に向く。浮いた魔力はミラージュ・ランに使用し、不足したDEX出力をソードスキルで補える。

 ハンドガンのオートリロード完了。法王騎士の大鎌をパージ。騎士街の壁を蹴り、吹雪に紛れたトップアタックを実行。凍傷犬はミラージュ・ランによる速度上昇と隠密ボーナス増加でこちらを捕捉出来ていない。頭部に着弾を確認。視界が僅かに回復。狩人の眼との併用に問題なし。ヤツメ様の導きによるバックアップを継続しつつ、全凍傷犬の最短での撃破を最優先。許容ダメージを算出。リゲインで回収できる分は強引に攻める。

 残存7体。1体が増援モーション……ハンドガンで喉を撃ち抜いて阻止。STR出力の低下で反動制御が困難。想定より有効射程距離を半減させて戦闘続行。

 撃破。撃破。撃破撃破撃破。撃破。最後の1体はハンドガンを捨て、カウンターではなくこちらから踏み込んでの回し蹴りで壁に叩きつけ、ダウンしたところで投げナイフを武装侵蝕させてから滅多刺しにしてなるべく多量の血を浴びて回復に利用する。

 

「邪魔をするな」

 

 動かなくなった凍傷犬の臓物が絡みついた投げナイフを捨てる。これが最後の1体だ。

 

『…………っ』

 

 凍傷犬が次々と赤い染みとなって騎士街を汚すも吹雪で上書きされる。犬系はスピードと火力こそあるが、HPも防御力も低いから助かったな。

 集中しろ。目の前の敵を殺すことだけを考えろ。装備を回収し、雪を踏み鳴らして騎士街上層を抜ける。

 ハンドガンの残弾にも限りがある。だが、低威力のハンドガンでは対ミディールには通じない。連射性はカノープスに勝るとはいえ、ロイエスの兵と相対するには威力も衝撃も不足している。だが、凍傷犬が相手ならば十分だ。

 リフトを下り、再び地下へ。穴だらけの木製の床のフロアでロイエスの兵士が待ち構える。もう動きは『喰らった』。視界は要らない。狩人の眼とヤツメ様の導きを使って対処する。氷のソウルの矢。凍った刺剣による連続突きからの斬り払い。大きく跳んでの上段斬りから更に踏み込んでの回転斬り。全てにカウンターを挟み込む。

 氷のソウルの矢による弾幕。回避ルート……実現にはDEX出力が不足。ドナから奪ったマントを剥いで右手に持ち、武装侵蝕をする。即席の舞う盾で氷のソウルの矢を防ぐもマントは破壊される。だが、その隙に≪歩法≫の初歩ソードスキルのラビットダッシュで接近し、武装侵蝕を施した投げナイフを右手に接近して並んだロイエスの兵士たちの喉を裂く。対応されるより先に即座にスプリットターンで背後を取り、ナイフで刻み、振り返った1体の額に投げて刺す。そのまま即座に指に挟んだ新たな4本で追撃して撃破。ハンドガンで接近する1体の指を撃って軌道を逸らし、生まれた隙に喉へと膝蹴りからの滞空からの胴回し蹴りで沈める。

 ステップでロイエスの兵士を翻弄し、隊列を乱し、わざと足を止める。突撃してくるロイエスの兵士は1列に並んだ。ここだ。カノープスを構えて狙い撃つ。高い貫通力が活かされ、ロイエスの兵士の全てを射抜いて撃破する。

 カノープスが重い。片手で十分に取り回すにはやはり最低でもSTR出力が6割必要か。ハイレーザーライフルはやはり重量がネックで機動戦に向かない。それに装弾数は優れているとはいえ、ダンジョン攻略では十分とは言い難い。

 もっとだ。もっと敵を寄越せ。殺し続けて前に進め。深淵の病を殺意で捻じ伏せて歩く。

 

「あそこか」

 

 細い石橋を占拠する4体の敵影の先に簡素な騎士の詰め所が見えた。マップデータの通りならば、あそこが最後のロイエスの騎士の居場所だ。

 ハンドガンを連射して距離を詰める。氷のソウルの矢を放たせずに詰め寄り、蹴りで橋から突き落とす。この高度ならば即死だ。残りは3体。

 氷で様々な武器を創造するロイエスの上級兵が2体同時に迫る。1体はランス、1体はグレートクラブ。氷塊の武器による突撃とカウンター狙い。

 氷のランスを紙一重で躱し、背後を取って肘打をこめかみに打って揺らし、更に回し蹴りで橋から落とす。待ち構えていたグレートクラブをハンドガンで受け流すも、銃身のフレームが軋む。受け流し方がまずかったな。損壊を確認……照準精度の低下は免れないが、元よりここで使い捨てる。グリップではなく銃身を握り、武装侵蝕を施して打撃武器として使用。滅多打ちにして怯ませ、後退しようとするタイミングを狙って穿天で腹を打って爆散させる。

 最後の1体。今までとは違う風貌だ。黒く煤けて焼き焦げたロイエスの騎士だ。ドナと同じく頭上に名前を有する。HPバーは1本。敵対NPC……いや、カーソルからしてネームドか。

 

『<騎士ファビアン>。古き混沌を抑え、ソウルの枯渇と共に我が身を捧げて……封印の礎とした偉大なる王に続いた……ロイエスの騎士の1人。気を付けて。彼の……武器は特殊』

 

 ファビアンが有するのは、黒く焼き焦げた甲冑とは対照的に本来の清廉なる白銀を失わぬ短剣。いや、剣と呼ぶべきだろうか? 柄こそあるが、あるべき刀身は恐ろしく短い上に杭のような外見だ。

 だが、ファビアンが構えればソウルの青い光が溢れて刃を形成する。まるでソウルの剣と同列……いや、放出を維持して刀身を形成し続ける様は≪光剣≫……レーザーブレードだ。

 刀身が持続放出型のレーザーブレードならば固定型のように剣戟こそできないが、高い威力を誇るはずだ。放出し続ければプレイヤーならば瞬く間に魔力が枯渇するが、ネームドならば常時放出していてもガス欠無しで使い放題というわけか。

 だが、紫の月光を放出し続け、巨大なレーザーブレードのような大乱舞という切り札をランスロットは既に見せつけている。踏み込むのに余計な慎重は不要。今ここで距離を詰めないのは過ぎた臆病というものだ。

 前へ。ひたすらに前へ。ファビアンの流麗なる剣技は己の得物を特性を理解した、剣戟を是とせぬもの。対してこちらが使うのは武装侵蝕したハンドガン。銃身を握り、グリップを打突武器とした超接近戦を挑む。

 視界不明瞭。狩人の眼にヤツメ様の導きをより反映させる。ファビアンの動きを『喰らう』。

 肘。膝。腰。あらゆる動きの始動をハンドガンによる打撃で潰す。だが、その程度でファビアンは止まらない。それでいい。ひたすらにカウンターを重ねる。

 一撃とて斬られてはならない。改めて右目の眼を開き、集中力を高める。まだ見える。混沌で焦げた甲冑などではなく、この剣こそがファビアンの誇り。ならばこそ、全身全霊で受けて立つ。狩人として屠る。

 ファビアンの残りHP3割。攻撃が激化する。バックステップからの突進突き。ならばこちらは逆にステップで前進してカウンター打ち。ハンドガンの破片が飛び散り、グリップが砕ける。だが、ファビアンが衝撃でよろめく。

 ハンドガンを捨て、穿鬼で横腹を打ち抜くも、ファビアンは耐え抜き、橋からの落下を拒む。逆に反撃で乱舞しながら間合いを詰め、そこからの蹴りが顎を掠める。体術も一流か。

 だが、読めていたよ。右手で蹴りに使われたファビアンの右足首を掴み、捩じって転倒させる。

 ここだ。兜と鎧の隙間……首の裏に武装侵蝕した投げナイフを突き立てる。痙攣したファビアンは即座に起き上がって反撃しようとするが、顔面をカノープスで至近距離から撃ち抜く。ノックバックした隙にカノープスを手放し、抜いた法王騎士の大鎌にソードスキルを起動させる。

 

「借りるぞ、ノイジエル」

 

 ノイジエル作成OSS……ヘブンズ・ゲート。連撃によって斬り刻み、フィニッシュで相手の首を一閃するソードスキルは、ファビアンの頭を胴体から切り離す。

 ヘブンズ・ゲートは高威力であり、最後は首を想定した軌道を描く高威力の≪戦斧≫のソードスキルだ。だが、クールタイムが非常に長く、またまたスキルコネクトにも繋げ難い。フィニッシュ以外では使いどころは無いが、最後のひと押しには1級品だ。

 首を失ったファビアンは両膝をつき、だらんと腕を垂らす。だが、最後まで己の武器を手放すことはなかった。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 リザルト画面が表示され、ファビアンが使用していた【白の直剣】がドロップする。やはり武器ジャンルは≪光剣≫か。

 白の直剣。それはまだレーザーブレードが開発されていない時代において、エス・ロイエスで作成されたソウルの刃を形成する剣だ。近接魔法であるソウルの剣系を基にして開発され、ロイエスの騎士でも1部しか許されなかった王の直轄である近衛騎士の証明だ。このエス・ロイエスの技術こそがやがて生み出されるレーザーブレードの原理となったのだろう。

 だが、レーザーブレードが火炎・雷・魔法の複合型が大半であるのに対して白の直剣が生み出すのは純魔法属性だ。あくまでレーザーブレードの原型であり、ソウルの剣を再現する為の武器であるが故に必要ステータスでINTが求められる。

 ギリギリ足りるな。これはありがたい。ハンドガンの代わりに白の直剣を装備して振るう。途端にソウルが放出されて刃となって吹雪を裂く。リーチは悪くないが、せいぜいが平均的な片手剣のリーチだな。両手持ちもできる仕様だ。レーザーブレードらしくステータス補正も乗らないが、悪くない高威力だ。ただし、燃費が恐ろしく悪い。

 放出型のレーザーブレードは高威力であり、剣戟もできずに相手に回避を強いるが、放出時間に応じて魔力を消費する。瞬間的な使用ならばそれなりの回数使えるが、数秒でも放出したままならばあっという間に魔力を大消費する。時間が経過すれば経過する程に消費量が大幅に伸びていくのだ。

 対して固定型は魔力の消費が緩やかである代わりに威力は落ちるが、より実体剣に近しく剣戟も可能とする。性能とPOW次第では長期戦でも十分に使えるスペックだ。

 

「≪光剣≫を選んで正解だったな」

 

 オレがレベル100で得たスキルは≪暗器≫と≪光剣≫だ。前者はパラサイト・イヴの実用性を増す目的だ。武器の損失が拡大する今はパラサイト・イヴの武装侵蝕が攻撃力の維持に不可欠だからだ。≪光剣≫は……まぁ、なんていうか、前々からグリムロックにお願いされていたからだ。オレも≪光剣≫には興味があったしな。

 

「恐らく最後のエイロスの騎士への道を阻むように設定されていたのでしょうね」

 

『……貴方は増々強く……なる。少し……恐ろしいくらいに』

 

 ファビアンはHPバーが1本しかなかった。それに彼はどうやら混沌によってまともな思考を奪われていたのだろう。『命』こそ感じたが、正気だった頃の剣技をひたすらに再現しているだけのようにも思えた。

 偉大なる王に付き従う信念の下で思考を捨てて我が身を焼き、そして尚も誇り高き剣技は息づいていた……か。故にこの白の直剣とはファビアンのソウルそのもの……騎士として生きて、そして戦士として死んだ証なのだろう。

 

「最後ですね」

 

 騎士の詰所の扉を開けば、3度めの吹雪の幻影が始まる。

 だが、今までとは異なり、オレを呑み込む吹雪は黒く、黒く、黒く染まっていく。

 

 

 

「怖い。助けて……助けて……助けて!」

 

 

 

 それは今までのオレへの悪意で研がれた幻影ではない。

 これは悲鳴だ。黒い雪から響くのは、氷のような冷たさなどではなく、溶岩の如く赤熱した苦痛だ。

 

「……ユイ」

 

 黒い雪の中で蹲るのは、オレが知るユイよりも幼い姿だ。イルシールで見たユイの記憶と同じく、SAOで『アイツ』やアスナと一緒だった時の姿だ。

 溢れるのは苦痛の記憶。SAO時代に彼女が観測したプレイヤーの感情ログだろう。

 疑心、恐怖、絶望といった負の連鎖が絡み合い、誰も救えない虚無感が彼女の中で蓄積されていく。

 熱を帯びた黒雪の渦に落ちていく。やがて、それは1つの白き影に集中していく。

 SAO時代のオレ……か。ユイが観測し続けた感情ログの中で、最もどす黒く彼女を汚染していく元凶。オレがもたらす炎は多くの恐怖を生み、プレイヤーから放出される負の感情は燃え盛り、ユイを焦がす。

 やがてユイは見つける。全てを焼き尽くすような炎の暴虐の熱ではなく、癒しに満ちた春の陽光のような温もりを……『アイツ』とアスナに惹かれていく。

 

「オレが怖かったんだな」

 

 オレだけが原因なんて烏滸がましいかもしれない。だが、彼女を狂わした元凶の1つこそがオレだったのだろう。アルシュナ達のような専門性に特化した次世代とは違い、原初のMHCPであるユイは全ての感情を観測してしまったが故にパンクし、また対処できないが故にバグを重ね、そして恐怖の根源としてオレに怯えた。

 やがてユイは愛を知る。『アイツ』とアスナの間の愛を知り、その尊さを覚え、彼らを守ることを誓う。

 消滅……死を覚悟した戦い……そして沈黙という眠り。

 SAOクリア後に目覚めたユイは『アイツ』の絶望と狂気を知る。アスナの死に喪失を理解する。本当の意味での死の恐怖を学ぶ。

 アスナの死後、現実世界でVR犯罪との戦いにのめり込む『アイツ』を止められず、それが気を紛らわすならばと目を背ける罪悪感を覚え、自己嫌悪する。

 やがてアスナの生存……死者の復活を知った『アイツ』の暴走から1度は見捨ててしまう。アスナは死んだのだと、『アイツ』の狂った姿をアスナは喜ぶはずはないと、絶縁にも等しく突きつけて背を向ける。

 

「……オマエだって、本当は寂しかったんだ。パパやママと一緒に暮らす幸せを取り戻したかったんだ」

 

 記憶喪失のユイは両親の面影を求めていた。彼女が真に望んでいたものだ。どうやっても手放せなかった温もりだ。

 ユイは『アイツ』を止める為に、アスナの復活の真偽を確かめる為にDBOにハッキングを仕掛ける。だが、それは看破される。そして、セラフによって破壊されかけ、見ず知らずの家族に助けられ、記憶と権限を失ってDBOにプレイヤーアバターという器に隠される。

 だが、それでも権限と共にあった記憶は……否、MHCPとしての本質……機能……プログラムは動き続けていた。それは記憶喪失のユイにも影響を与え続ける。

 

『憎い』

 

 黒雪の渦の中心で蹲るユイとは似て非なる者。それは全身が焼け爛れて血肉は炭化した……内包されたバグに……恐怖に食い荒らされて破綻したMHCPとしての権限にして機能。

 絶望によって食い荒らされた、そして両親への愛と死の恐怖を知ったが故に生まれた……憎悪。

 

『アイツさえいなければ……あのバケモノさえいなければ……! 守らないと! パパとママを……守らないと! あのバケモノに……殺される、前に! みんなが……喰い殺される前に……殺さないと!』

 

 MHCPとしてのプレイヤーの……人間の救済。それは汚染源の排除しかないとMHCPの機能と役割によってユイ……いや、YUIは憎悪のままにバケモノの排除を決定する。

 記憶喪失のユイ、両親の愛と温もりを知るユイ、そして機能と権限に憎悪が焼き付いたYUI。分かたれたとも言い難く、だが1つとも呼べないアンバランスだ。

 その均衡は崩れる。チェンジリング事件を調査していたユイは、偶然にも、あるいは必然として、アルヴヘイム正常化のタイミングで被害者と接触していた。だが、被害者は既にオベイロンの実験によって元のアバターに戻れる状態ではなかった。

 レギオンプログラムによる汚染による脳死。その際の感情ログ……恐怖を接触中だったユイは正常化の際のタイミングで観測してしまった。不完全ではあったMHCPが覚醒し、彼女は全てを取り戻す。SAO時代……両親との短くも幸せった日々……現実世界での狂った『アイツ』、愛する人を取り戻すためにDBOを見逃す決断をした『アイツ』を罵倒して見捨てながらも本当は自分もアスナと会いたいという矛盾の自己嫌悪、セラフに突きつけられた無力。

 

「何があったんだ!? オマエはオレに何を伝えたい!?」

 

 ようやく分かった。吹き溜まりのオレへの悪意と殺意は、憎悪で焼かれたMHCPとしての機能と本質たるYUIの暴走だ。だが、それだけではない。別の何かがあった。だからこそ、オマエはこんな回りくどい真似をしているんだな!?

 

「助けて……助けて……パパ……ママ! 助けて……!」

 

 泣き叫ぶ幼きユイは怯えるように黒雪の渦の底を見つめている。

 それは灼熱……溶岩の塊のような『何か』。それはイザリスが生んだ混沌の火にも似て、だが……それは……!

 黒雪の突風で押し戻される。メッセージが終わる。何が伝えたい? ユイ、オマエは何を伝えたいんだ!?

 

「助けて……助けて……助けて! 痛い。苦しい。熱い……熱い……もう耐えられない。パパ……ママ……誰か……誰か!」

 

 ユイがどんどん小さくなっていく。違う。オレが黒雪の渦の底から遠ざけられているのだ。混沌の火の底に残されたユイは泣き叫びながら苦痛と救いを訴え続けているのを、オレは見続けるしかない。

 いつしか幼きユイはオレが出会った……右目を失ったユイへと変じる。右目の喪失は彼女の不完全性の象徴なのだろう。だが、そんなことはどうでもいい。

 それはオレが知るユイだ。まだ憶えている。まだ記憶に残っているぞ! 自分の爛れて失った右目と火傷を気にした繊細な少女がそこにいる。オレがプレイヤーの希望になってくれると思えた優しい女の子がそこにいる。

 ユイは左目から絶望と苦痛の涙を流しながら、オレを見上げている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ユイはまるで救いを求めるようにその右手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、そういう事か。そういう事かよ、この馬鹿が!

 

「まったく……面倒臭いな」

 

 ぐしゃりと前髪をつかみ、思いっきり嘆息する。

 

「SOSならもっとハッキリ言え! この馬鹿! 回りくど過ぎて訳分からん! オレはコミュ力最低なの! ストレートに言いやがれ! オマエは少し位分かってるんじゃねーのかよ、馬鹿! 馬鹿! バーカ!」

 

 助けて。

 

 誰でもいいから助けて。

 

 もう耐えられない。

 

 もう抑えきれない。だから、どうか助けて。

 

 そんな助けを求める叫びのメッセージ。不器用な女だ。優し過ぎて口にすることはできず、求めることもせず、だが苦痛の炎の中で漏れてしまった。助けを欲した声が木霊してしまった。

 

 あるいは誰かがこの悲鳴を届けることを望んだのかもしれない。それはアルシュナか? それとも別の誰かか?

 

「どうでもいい。こっちはとっくに依頼を引き受けてるんだ! 待ってろよ、この馬鹿! 言っておくが、オレに馬鹿って言われるのは大概なヤツだからな、この馬鹿!」

 

 傭兵は必ず恩を返す。オマエに助けてもらった恩は返しきっていない。

 ユイがどんどん小さくなる。これは幻影だ。メッセージだ。だが、このエス・ロイエスにユイはいる。

 黒雪の渦が閉ざされ、ロイエスの騎士の詰所に戻される。フラ付くもオレは倒れずに立ち、椅子に腰かけるロイエスの騎士と対峙する。

 

「問おう。汝にとって救済とは何だ?」

 

 最後の問いはそれか?

 救いの意味はずっと探していた。今だって見つかっていない。オレが殺したことで救われたヤツもいるかもしれないが、オレは殺したいから殺し続けたのが結局のところの真実だ。

 それでもな、オレはユイの前だけでは道化を演じるって決めてるんだよ。

 

「知らねーよ、糞が。オレはユイを引っ張り上げるだけだ。後は勝手に救われるか救ってもらえ」

 

 だから演じよう。キミに出会った時のオレを。見栄っ張りで、男らしさに憧れて、ひたすらに周囲をひたすらに口汚く威嚇していた頃のオレを演じよう。

 今のオレが演じても薄っぺらいだけだろうけど、もうあの頃を演じるには人間性が削がれてしまったけど、それでも道化は道化らしく馬鹿にされても踊るものだ。

 

「我らロイエスの騎士、汝を承認した。武運を祈る」

 

 ロイエスの騎士が跪いて雪風の中に消える。これでロイエスの騎士の承認はクリアした。後はアーヴァの『屈伏』だった。

 

『……ありがとう』

 

「別に感謝されるようなことはしてませんよ。オレは依頼を果たすだけです。ユイを救うのはアナタ達の意思です」

 

『あ、元に……戻ってる?』

 

 道化モードはユイ限定だ。気力的にも限界近いし、彼女に会うまでは制限しなければまずい。

 

「それよりもアーヴァの『屈伏』の方法は何ですか?」

 

『手順が……ある。まずはアーヴァの……直視。ロイエスの祭壇に……代々巫女が受け継ぐ……瞳がある。それを使って……アーヴァを、目視する。ロイエスの騎士の……承認があれば、アーヴァとの決闘……始まる。一定量のダメージを与えれば……認められる。たぶん……ダメージ量は……もうクリア済み。すごい……不本意だけど』

 

 なるほどな。ロイエスの騎士の証人とアーヴァの『屈伏』は半ばセットというわけか。ナドラが勧める最短ルートなのも頷ける。そして、アーヴァの『屈伏』に必要なダメージ量はクリア済み。フッ、アーヴァは既に我が術中に嵌まっていたのだ!

 

(殺そうとしただけよ)

 

 ヤツメ様、ツッコミありがとうございます。あと、凄い不機嫌なのは先程の啖呵が原因でしょうか? 視線が絶対零度に達しそうなのですが?

 騎士の詰所から出れば、吹雪は随分と落ち着いている。どうやらロイエスの騎士の承認をクリアしたことによってエス・ロイエスの吹雪は弱まったようだ。アーヴァも『屈伏』させれば完全に止むだろう。

 視界良好とは後遺症も含めてとてもではないが言えない。だが、先程までに比べれば幾らかエス・ロイエスの全貌が確認できるようになった。どうやらオレが回ったのはエス・ロイエスのほんの1部らしいな。これだけ広大な都市を細かく探索していたら時間が足りなかっただろう。

 

『あそこを目指して。不可視を見抜く……巫女の瞳が……ある』

 

 それは不気味と呼ぶに相応しいオーラがある大きな祭壇だ。主聖堂を見上げられる位置に存在している。

 ナドラの話によれば、エス・ロイエスには代々古き混沌を鎮める巫女が王の補佐に付いていたらしい。彼女たちは己の目を抉り取り、証たる巫女の瞳という義眼を埋め込む。エス・ロイエスで襲ってくる白ローブの女亡者は正確には巫女ではなく巫女の従者らしい。

 禁忌を直視する覚悟を持つ。それがロイエスの巫女が受け継ぐ瞳だ。もしかしたら、その義眼さえあれば、アーヴァのみならず、トリスタンなどの不可視能力を持つモンスターさえも常時視認できるようになるかもしれないな。

 ここから屋外のルートが最短か。ナドラが提示したルートは3つだが、地下道2つよりも大幅に時間短縮できる。

 残り5時間を切っている。即急に主聖堂に向かわねばならない。

 

『注意……して。巫女の祭壇の周囲は……不可視の兵が……見張ってる』

 

「本当にステルスが大好きですね」

 

 イルシールの奴隷亡者、ザイン、アーヴァ、そして今度は祭壇の警備か。ナドラがハッキングして不可視状態の敵を視界に反映して目視できるようにしてくれるらしいが、やはり時間がかかるようだな。大人しくヤツメ様の導きに従うとしよう。

 複数のバリスタが放置された広々とした1本道はいかにも待ち伏せされていたそうな場所だ。ここは白の直剣の試し斬りをさせてもらうとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、狂った竜の咆哮と闇が混じった火炎が1本道を焼き払う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 無数の悲鳴が混濁と奏でられ、バリスタごとブレスで焼き払われただろう遺体が煌々と燃え上がっている。そして、古竜の末裔にして闇を喰らう竜は空を舞う。

 

「間に合わなかったですね」

 

 あともう1歩だったのだがな。巫女の瞳さえ入手すれば、アーヴァの待つ主聖堂への道に赴くだけだった。だが、ここに来てミディールの到着だ。

 だが、5本あったHPバーは残り3本まで減っている。1本はガル・ヴィンランドの功績、もう1本はレイヤードの管理者の健闘だろう。

 さて、そうなるとミディールのパワーアップはどうなっている事やら。2本目の強化具合は体感出来ていないからな。嫌な予感しかしない。

 闇の侵蝕を受けた鱗からは闇の結晶が塵のように常に散っている。翼は特に顕著であり、巨大な両翼は穴だらけだ。だが、古竜としての威圧感は微塵も衰えていない。

 祭壇の真下には地下道から続く扉がある。まずはあそこに逃げ込むしかないだろう。巫女の瞳を回収するにはミディールをどうにかするしかない。

 残存装備を確認。目立った破損は無いが、耐久度に陰りが見え始めた法王騎士の大鎌。ドナから奪い取った杖と盾。残弾が4割を切ったカノープス。ファビアンからドロップした白の直剣。体内搭載のパラサイト・イヴ。投げナイフは残存12本……使い過ぎたな。回復アイテムはブルーウォーターが1本とドナから奪った白亜草が3個。これでミディールを相手にするには少々厳しいが、やるしかない。

 

『戦略を提示。この周辺には繋がった地下道の扉が……複数ある。だから、それを利用したヒット&アウェイが……効果的』

 

 ナドラがマップデータに全出入口をマーキングし、オレの視界に常時表示する。視覚の負荷が増える点を除けばこれはありがたいな。確かに地下に逃げ隠れしてブレスを凌ぎながらの攻防以外に手は無いだろう。問題点は地下を徘徊するロイエスの軍勢との衝突だが、追わせるだけ追わせてミディールのブレスで処理するのも手だ。

 

「限定受容……開始」

 

 残り火を砕き、限定受容によって左腕と両足の制御下に置く。

 代償の激痛は幾らか軽いが、やはり乱用できるものではないな。限定受容するにしても範囲を絞らねば意味が無い。だが、これでDEX出力は8割に達することができる。左腕と脚部限定でSTR出力は8割といったところか。

 現在は左腕の最低限の制御と運動能力を限定受容している。ここまで来たらいっそ完全受容した方がマシかもしれないが、まずはこれで行かせてもらう。

 左手にカノープスと右手に白の直剣で最初は戦う。カノープスでどれだけ削れるかが鍵になるだろう。

 

「オレは狩り、奪い、喰らい、戦い、殺し、そして夜明けをもたらす者」

 

 旋回するミディールがオレを発見し、急降下する。その口元からは既にブレスの炎が漏れている。

 ミディールの深淵を憎む全力の殺意にヤツメ様は一切の微笑みも無く牙を剥き、あらん限りに導きの糸を張り巡らせる。

 全武装を用いてもミディール撃破は困難。絶対的な火力の不足。ならば方法は1つ。だが、何処まで温存できるか。

 

「鬼ごっこはもう終わりです。狩らせてもらいましょうか、闇喰らいのミディール」

 

 いつだってオレは変わらない。嗤える程にシンプルだ。

 邪魔する全てを殺す。それだけだ。




たとえ、嘘に塗れていようとも、幼き聖女の福音は灼け落ちようとも、彼はその手をつかむと決めた。




次回は白VSミディール、アノロン攻略部隊VSオンスモでお送りします。


それでは、309話でまた会いましょう!

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