SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

アノールロンド、攻略完了。


Episode19-07 真昼に夜を仰ぎ、月を探すも見えず

「ねーねー、神父ぅ。これ何?」

 

「スライムでしょうな」

 

 いよいよ絵画世界の終着点、半竜プリシラが待つだろうボス部屋までの道は、今や蕩けて腐った肉の塊のようなスライムで覆い尽くされていた。

 幸いにも炎属性に弱いらしく、呪術やある分だけの火炎壺で焼き払っているが、コルも経験値も乏しく、アイテムをドロップする気配もない。しかも攻撃力は高いという嫌がらせの塊のようなモンスターだ。

 だが、純白の雪で覆われた寂れた修道院を思わすエレーミアス絵画世界において、余りにも場違い過ぎる。しかも、このスライムはここ数時間で急激に出現し始めたのだ。

 

「スライムってさ、ゲームによって雑魚か強敵か分かれ過ぎ問題あると思わない? あるよね。絶対にあるよね。ハイハーイ! スライム強敵派の人は挙手ぅ!」

 

 相変わらずにグローリーとは別の意味で能天気かつマイペースな男だ。長らくエレーミアス絵画世界で時間を共有したエドガーであるが、この男の正気と呼べるものはついに垣間見ることができなかった。

 生まれた時からか、あるいはDBOが始まってからか。とてもではないが、現実世界で日常をまともに暮らせるとは思えない。

 リアルネームや現実の素性はタブーだ。だが、エドガーが蘇った死者であるように、その正体は本人の口から語られない限り、あるいはそれさえも虚言なのかもしれない。

 目前で聖人の如く振る舞う善人も、現実世界では悪行の限りを尽くした犯罪者なのかもしれない。その逆もまた然りだ。

 

(ならば、真実などに意味は無く、ただあるがままに受け入れることこそ摂理。アンバサ)

 

 やはり我が聖女は素晴らしい。まさしく自然の摂理そのものだった。今でも思い出すだけで恍惚とするほどに、神の啓示に相応しい出会いを思い出し、エドガーは自然と笑みが零れる。今からでも跪き、三日三晩かけて祈りを捧げたい気持ちで逞しい胸筋が張り裂けそうだった。

 

「ところでさ、ここのボスって誰だっけ?」

 

 この男は本当に何なのだろうか。エドガーはいよいよボス戦間際になって相手の素性を確認してきたライドウに細やかな怒りを覚える。

 

「【半竜プリシラ】。竜の血を継ぐ娘です。父母は定かではありませんが、神と竜の血を持つとも言われています。彼女は神々も怖れた禁忌の業【生命狩り】を有しています。攻撃方法は彼女の得物とされる大鎌でしょうな。集めた情報の限りでは、能力に反して好戦的な性格では無さそうです」

 

「えー!?」

 

 何処が気に食わなかったのかは明確だ。絵画世界のボスは、ライドウが求める死闘の相手としては、闘争心に欠けているのだ。

 どれだけ能力が備わっていても、高い戦闘適性があっても、気質そのものが戦いを好まないのであるならば、十全に発揮できるとは思えない。それは必然の結論だ。

 ただのAIならば気質など関係ないだろう。組み込まれたオペレーションの通りに、忠実にパターンとして組み込まれた通りの戦闘を実行する。だが、これには大きな問題がある。どれだけ優れていようとも、ただのAIでは必ずプログラムならではの隙が生じる点だ。パターン化などは分かりやすい例だろう。

 無論、DBOのAIはいずれも優秀だ。プレイヤーとの戦闘データを蓄積し、オペレーションを改善するように仕組まれている。故に同じモンスターでも後から挑戦した側の方が手強く感じるのだ。攻略を成す上位プレイヤーは情報未確認のモンスターとの戦闘を強いられ、情報を得た後追いのプレイヤーはより強化されたモンスターと戦う。情報がある分だけ楽とはいえ、常に学習して強化されていくのだからレベリングやアイテム収集したいだけのプレイヤーからすれば安全性が下がって堪ったものではない。これもまた、多くのプレイヤーが積極的なレベルアップを断念し、下位や中位に留まってしまう理由の1つだろう。

 対して自我と思考を有したAIはいずれも手強い。彼らは自らの能力を完全に把握し、使いこなし、戦術・戦略を構築する。パターン化などまず出来ない。ヘイト管理をしようにも、システムによって敵意はある程度誘導されているかもしれないが、冷徹に戦場を分析し、己が導き出した最上の攻撃でプレイヤーの壊滅を目論む。また、その多くは感情を有すが故に揺れ幅こそあるが、闘争心や執念を剥き出して苛烈な攻撃を仕掛けてくる事も珍しくない。

 だが、逆に言えば、自我と思考を有したAIは、その気質によって性能が上下するとも言えるだろう。仲間想いが過ぎるAIならば、自分の能力を発揮できないままに友軍の盾となって散り、また闘争を好まないならばどれだけネームド級のステータスや能力があっても弱々しい。良くも悪くも個体差が激し過ぎるのだ。故に、戦闘に合致した場合の脅威度は桁違いである。

 要は生物と同じだ。人間も動物も虫も、闘争の好悪が存在する。縄張り争いに爪牙を用いる野獣もいれば、即座に逃げて生存を優先して新天地を探す種もいる。

 人間も千差万別だ。出世の為ならば他人の不幸を厭わず、むしろ嬉々として蹴落とし、また策謀を巡らせる者。優れた能力がありながら、他者を傷つけることを嫌い、競い合うことを好まず、調和を好む者。多種多様な在り方を選ぶ。

 

「つまらない生き方してるじゃん」

 

 足下の肉スライムを踏み潰すライドウは、酷く苛立ちを覚えているようにも思える。だが、エドガーは何も言わずに、肯定も否定もせず、いつものように『ニコニコ』と笑っているだけだ。

 

「折角持って生まれたんだから、好き勝手に生きるべきだよね。グロやんはやっぱりイイよ。身勝手に道を突き進んでる感じがする。他人の目なんてどうでもいい。俺達は自由であるべきなんだ」

 

 やがて呟きは言葉としての形を失い、ライドウは雪を踏み躙りながら怒気を募らせる。

 長身猫背であり、針金のような体躯。だが、その身から溢れるのは暴虐だ。この男には倫理のリミッターなどなく、ただ自分にとっての在り方・感じ方こそが重要であり、それによって世界は回るべきだという正しきエゴイストだ。

 

「ム・カ・つ・く」

 

 ボス戦前であるにも関わらず、ビール瓶を取り出したライドウはラッパ飲みする。

 

「あり得ない」

 

「どういう神経しているのよ」

 

 同行しているクラウドアースの部隊の面々も、ライドウの奇天烈な言動は把握していても、余りにも狂った行動の数々には付いていけないといった様子だ。

 元よりボス戦では手出し無用という条件だ。ライドウが1人で相手をしてエドガーたちは遠巻きで見守るといった予定である。だが、場合によっては参戦すべきだとエドガーは改めて方針を固める。

 思いも寄らぬライドウの不協力っぷりが災いし、絵画世界の攻略は遅々とし過ぎた。元よりギミックが数多く、1つ1つを解除しなければならない特性の絵画世界は謎解き要素が多く、単純な戦闘能力だけで突破できない場面も多かった。

 隈なく探索しなければならないタイプのダンジョンはやはり時間を要する。事前情報の不足は脱出不可ダンジョン故の性質とはいえ、ならばこそ人員をより準備すべきだった。

 建前とはいえ、エドガーとライドウは『遭難』扱いなのだ。誤って脱出不可ダンジョンに囚われた。無論であるが、この計画に1枚噛んでいる聖剣騎士団はもちろん、太陽の狩猟団も見抜いているだろう。絵画世界の利権目当てにどちらも『救助』の名目で部隊を派遣しかねない。いや、既に進行し、すぐ後ろまで迫っているかもしれないのだ。

 クラウドアースの部隊については、独自に派遣した救助部隊という名目で隠すことができる。だが、合同でボスを討伐したともなれば、クラウドアースは絵画世界を独占できなくなってしまうだろう。それはエドガーとしても契約違反だ。

 また、エドガー個人としては、早々にボスを倒し、出来ればアノールロンド攻略に参加したいという気持ちもあった。

 同僚のウルベインはDBO屈指のヒーラーであるが、戦う術が乏しい。発動速度が著しく低い奇跡の神の怒りくらいが攻撃手段であり、ボス戦ともなれば魔法枠節約の為に排除し、一切の攻撃も防御も失った、ヒーラーとして特化された状態で挑むだろう。彼の損失は教会としても手痛いものになる。

 また、エドガーとしては何としてもアノールロンド攻略を聖剣騎士団主導で成し遂げてもらわねばならない理由もあった。

 

(ディアベル殿が率いる攻略部隊は、契約通り、我々2人が抜けても十分過ぎるほどの大戦力。ですが、【竜狩り】と【処刑者】は侮れない相手です)

 

 まだディアベルにはここで死んでもらうには惜しい人材だ。彼には教会の為にも生きてもらわねばならない。何よりも、エドガーの想像通りにアノールロンドの攻略報酬として与えられるのが『アレ』であるならば、聖剣騎士団はまさに完全攻略に大きく手を伸ばす事になる。他の大ギルドでは如何ともし難い差をつけることになるだろう。そして、ディアベルの腹積もりと教会の意図は合致しているはずだ。彼とならば、教会はより良い関係を維持できる。戦死してもらっては困るのだ。

 だが、【竜狩り】と【処刑者】……特にオーンスタインが同じ四騎士の【深淵歩き】のアルトリウスに匹敵するならば、あれだけの戦力がいても危ういと断言できた。確かにグローリーもライドウと同じく常軌を逸した戦士であるが、彼は我流騎士道の下で戦う。彼にとって『騎士』であることこそが重要であり、故に仲間を守り通そうとするだろう。

 勝てる確率は高い。だが、いかなる道筋であろうとも大損害は免れない。最低でも1人は円卓の騎士を失うだろうというのがエドガーの見立てだ。ならば、自分も参戦し、より盤石にすべきだ。そこにライドウも加われば、損害も幾らか抑えられるだろう。

 

「ですが、実に勿体ない。アノールロンドのボスの1体である【竜狩り】オーンスタインは至高の戦士の1人でしょう。ライドウ殿が望む血沸き肉躍る死闘。まさに彼とならば心行くまでに戦えたでしょうに」

 

 大げさに溜め息を吐き、エドガーは満たされそうにない闘争心を暴力に変換してスライムを磨り潰しているライドウを擽るように呟く。

 ライドウは『殺し』ではなく『戦い』を求める。自他の生死などどうでもいい。まさしく狂戦士だ。ならばこそ、誘導するならば、よりよい『餌』をぶら下げるに限るとエドガーは対処法を熟知している。

 

「でもさぁ、タイマン無理っぽいじゃーん? 俺はネームドと――」

 

「その気持ちは重々承知しております。ネームドやボスと1対1で戦える。そんな機会は滅多に無いでしょう。ましてや、いかにライドウ殿でもクラウドアースの支援を受ける専属の身です。ああ、誤解なさらないでください。ライドウ殿にとってソロよりも戦いの機会に恵まれ、なおかつ充実した装備や何1つ不自由のない私生活を提供されているからこそ、クラウドアースの専属になられたのも、このエドガーは理解しています」

 

 ライドウは戦いを求めている。プレイヤーでもモンスターでも強敵相手ならば構わない。それが彼なのだ。

 

「今回の1件、表向きは『無断で聖剣騎士団の依頼を受託した』として、クラウドアースはペナルティとして『休暇』を出されることになるでしょう。ライドウ殿がどのように過ごすのかはこのエドガーも存じませんが、強敵との戦いには欠けた日々となる、退屈なレベリングの毎日となりましょう。ですが、他の方々が教会経由の参加とは違い、ライドウ殿は傭兵として参戦なさっている。ならば、アノールロンド攻略で大きな戦果を挙げれば、クラウドアースの名声は高まり、『休暇』の日数も幾らか減ることでしょう」

 

「……フーン。神父様は相変わらず交渉上手だねぇ。OK。俺がヤバいと思ったら参戦していいよー。まっ、そんな暇もなく終わらせちゃうけどねー」

 

 ライドウは馬鹿だ。だが、交渉や取引ができる馬鹿でもある。その点ではグローリーとは違う。あちらは我流騎士道が貫けるならば何でもいい。なお、白の傭兵に関しては、政治や交渉などまるで才能が無いくせにやろうとして自分の価値を暴落させた挙句に毟り取られるという駄目なコである。

 

(さて、我々が脱出するまでにアノールロンドが攻略されているか否か。どちらにしてもライドウ殿は上手く乗ってくれた)

 

 ライドウもプリシラが好戦的なボスであるならば、このような提案には乗らなかっただろう。エドガーはいよいよ見えてきた絵画世界の終わりに神経を尖らせる。

 

 

 

 

 

 

 そして、人間の悪意を煮込んだかのような汚泥がただそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 まるでコロシアムを思わせる円形の広々としたフィールドは殺風景であり、崩落した建物と積もる雪ばかりが静寂の美を生み出すはずだった。

 だが、今まさにボス部屋を支配するのは、泥水にも等しく蕩けた肉である。無数の骨や頭髪を含んだそれらは、大部分が元人間であると示している。それら汚泥の中心には、道中のスライムが巨大になり、またより禍々しくなった肉塊がある。

 それだけならばまだいい。グロテスクを五感にダイレクトで与えるのはDBOの常だ。生理的嫌悪感を乗り越えねば、まず戦うことができない場面など、DBOでは腐るほど存在する。まずは精神力が備わっていなければダンジョン攻略すらも無理だ。ならば、この程度の悪臭と外見など気圧されこそしても、怖れることはエドガーも無い。

 ならば、この身の毛もよだつ逃避の警鐘は、まさしく生物として有する危機感。この場にいれば、血肉も骨も魂さえも貪られるのではないかと思う程の悪寒だ。

 

「ああ、どうして……ですか? どうして、このようなことを……」

 

 汚泥と戦うのは頭上に<半竜プリシラ>という名前を有した女性だ。体格は4メートル近く、白くふわふわとしたコートにも見えるそれは毛皮だろう。その手には鋭利で鋭く、黒ずんだ大鎌を有している。それらの一撃は次々と汚泥を裂いてこそいるが、決定打を浴びせるには足りないようだった。

 プリシラが戦っている相手の名は無い。ネームドの証明が無い。だが、複数のHPバーを有している。その数を見てエドガーは驚愕する。

 

 

(『16本』……ですと!?)

 

 

 余りにも多過ぎる。最多記録である竜の神すらも超えている。

 そして、エドガーが圧巻されたのは、HPバーの数だけではない。汚泥の先端にある『上半身』だ。それは人間の造形を有している痩身の『美女』だ。白く柔らかなベールや布地で作られた法衣にして神具である。また頭部にある、目元から上を覆い隠す兜とも仮面とも思える王冠は、鈍い金色をして複数の突起を持ち、太陽を模ったものだろうと分かる。

 その姿には見覚えがある。直視こそしていないが、エドガーの誓約は暗月の剣だ。闇霊と対峙することができる誓約である。彼にとって灰より出でる大火こそが信仰であるとしても、誓約として暗月の剣を結んでいるのは何ら矛盾しない。古き信仰を礎として、新たなる祈りを紡ぐのは当然だからだ。

 暗月の剣の制約として得られる【騎士名簿】の表紙にある、誓約の主たる暗月の『女神』グウィンドリン。腐肉の汚泥がまるで喰らい付くように絡まり、また操るようにプリシラを攻撃するのは、まさしく暗月神に他ならない。

 

「おおっと! ナニコレ、来た来た来た! こういう熱いシチュエーションならバンザーイ! 神父! 邪魔しないでね!」

 

 驚愕して動けないエドガー、また汚泥のもたらす恐怖で固まったクラウドアースを置き去りにして、嬉々と蕩けた泥水に足を入れてプリシラと肉の怪物の戦いにライドウは跳び込む。

 この男は何なんだ!? エドガーもまた援護しようとするが、約束もある。仕方なく堪え、彼はクラウドアースの部隊と共にボス部屋の縁に移動する。柵の類は無く、落下死には注意しなければならないが、それでもあの乱戦の中心にいるよりはマシである。

 泥肉から突き出たグウィンドリンは乱入者に顔を向け、その両手に有する巨大な斧槍を振るう。形状は薙刀や青龍刀、グレイヴに近しい穂先が巨大な刀身となったタイプだ。だが、それらは骨で固められた異形の武器であり、禍々しいオーラを纏っている。

 

「ライドウ殿! ご注意を! それはニトの死の瘴気です!」

 

 膨大な情報を有し、なおかつ聖遺物の探索を担うエドガーは即座に警告する。

 最初の死者であるニトは始まりの火から王のソウルを見出し、灰の世界に死という病を蔓延させた存在だ。彼がいたからこそ、DBOの世界には死が等しく生じるようになったとも言えるだろう。その一方で、ニトが最初の死者であるならば、彼は王のソウルを見出す前に死者になったのかどうかによって、生死の概念を生み出したかについては意見が分かれることになるだろう。

 あくまでニトは死の概念をより明確化し、また平等にした。それがエドガーの出した結論だ。生死自体は始まりの火によってもたらされた差異によって生じていた。それを拡張させ、DBOの世界にあまねくミームとして汚染させたのがニトという考え方だ。

 死は最も闇に近しく、また蝕む逃げられぬ病だ。故にニトは神の側でありながら闇に耐性を有し、またその力は強大な毒性を帯びている。

 ニトと誓約を結べることは教会も把握している。また、誓約を結ぶ手段は大ギルドも承知しており、複数人の誓約者もいる。彼の元にたどり着く方法も複数あるのだ。多くのステージ、ダンジョンから彼の存在するフィールドまで辿り着けるようになっている。

 だが、討伐は無理だ。戦いを挑むには条件をクリアせねばならず、それ以前では歯牙にもかけてもらえない。また、有用な誓約を結べるNPCでもある為、得られるリソースが有用であったとしても、わざわざ倒す意味は無いというのが大ギルドの方針だ。

 ニトに関連する武器はいずれも強い毒を帯びた骨製のものばかりだ。エドガーも聖遺物として幾つかユニークウェポンを収集済みだ。だが、グウィンドリンが有する斧槍は次元が違う。まさしくニトの得物そのものであると分かる。

 重圧が籠った一閃。爆風と雪煙と泥水がぶちまけられる。だが、それはエドガーの目から見れば、余りにも稚拙だ。込められた威力と秘められた能力に反して、あまりにも使い手が伴っていないと分かる。

 

「なーんだ。この程度かぁ。残念」

 

 ライドウはわざとらしく紙一重で躱し、汚泥に向かって拳を打ち込む。だが、威力は拡散するように肉スライムを揺らしただけであり、そのHPバーは減っていない。

 スライム系は総じて高い打撃属性防御力を有する。打撃属性メインの格闘戦が主のライドウからすれば天敵だ。道中のように踏み潰せる相手ならばともかく、これだけ巨体ともなれば意味が無い。

 思わぬ横槍に対して汚泥の怪物は柔軟だ。プリシラとライドウから距離を取り、斧槍をソウルに変じさせて内に取り込んだかと思えば、黄金の弓を形成する。それは雄鹿の角を思わす形状であり、上半分は2つに分かれている。分かたれた後ろ側から上弦が引かれており、その姿は実用性よりも外観がもたらす神聖性を重視しているようにも思えた。

 間違いない。グウィンドリンの武器である暗月の弓だ。主たるグウィンドリンの上半身は身を反らし、矢を頭上に射る。それは暗雲を招き、そこから黄金の矢が泥肉を中心として扇状に拡大しながら雨の如く降り注ぐ。

 プリシラの鎌の一閃が暴風となって矢を弾く。だが、数が多過ぎる。プリシラが全身を射抜かれる間に、ライドウは矢雨を回避し、泥肉の右を取る。

 ぶち抜く。打撃が通じないならばと五指を刃の如く並べた突き手で泥肉を貫き通す。純打撃属性の格闘攻撃であるが、例外もある。突き手に限り、高くはないが、刺突属性を有するのだ。

 斬撃・刺突属性に対しての防御力は低い。むしろ脆弱といったところだろう。ならば、高い斬撃属性を有する大鎌を持つプリシラが勝てない理由は、やはりHPバーの多さだけだろうか。

 いいや、違う。泥肉は確かにダメージを負った。斧槍を召喚して振り回すとライドウを遠ざける。そして、まるで祈るように斧槍の柄尻を地面に叩きつける。

 生じたのは回復系の奇跡である山吹色の光。輝く円陣は瞬く間に、それも尋常ではない回復量を泥肉にもたらす。プリシラが奮戦して減らしていただろう4本近いHPバーが1秒と待たずして『完治』する。

 これだけの回復は尋常ではない。ヒーラーが回復特化ならば結ぶべき誓約の1つである王女の守りというものもある。誓約の報酬として得られる専用奇跡はいずれも優れた回復効果を有し、同じく設定上王女の守りであるネームドなどは、高い回復力を有し、また奇跡を有するアンバサ戦士らしく尋常ではない粘り強さを持つ。

 だが、泥肉の回復は更にそれの上を行く。神のもたらす恩恵ではなく、神の力そのものだ。そこまで分析し、あり得ないと思いながらもエドガーは1つの推理を完成させる。

 

「下がりなさい! 奴は他のボスやネームドの能力を……神を喰らい、その力を手に入れています!」

 

 手にする死の瘴気の武器はニト。強大な回復はグヴィネヴィアに連なる神、あるいは彼女そのもの。そして、魔法の矢の行使は今まさに『喰らっている最中』の暗月神グウィンドリンだ。

 エドガーの指摘に嬉々としたように、目元を隠しながらも麗しいと分かる美貌に『本性』を上書きするように醜く歪んだ笑みを気づいた汚泥の怪物は、まるで己の名を刻みつけるように両腕を掲げる。

 最初は文字化け。だが、それらは繰り返されるノイズの末に、1つの名前を記す。

 

 

 

<神喰らいのエルドリッチ>

 

 

 

 エルドリッチ。それがこの汚泥の名前だ。称号は汚泥の成した偉業にして悪行そのものだ。

 外見を見れば分かる。神のみならず、あらゆる生物……特に好んで人間を食したのだろう。そうして蕩けて腐った肉の汚泥となったのだ。

 微かにであるが、似ている。エドガーはエルドリッチの持つ禍々しい神聖に、僅かにであるが、白の聖女の姿を見出す。

 だが、違う。決定的に何かが違う。言葉では簡単に言い表せない『何か』が違う。それがエドガーに怒りをもたらすのだろう。

 

「ライドウ殿! この敵は尋常ではない! 乱戦がお好みならば、このエドガーにも助力のお許しを!」

 

「一緒に楽しもうぜ、神父ぅううう! 乱戦はこうでないとね!」

 

 やはりバーサーカーだ。乱戦には乱戦の醍醐味があるとばかりに、あれ程に渋っていたエドガーの参戦をあっさりと認める。他の動けぬクラウドアースの部隊には隠れているように通達し、エドガーはプリシラと協力する形でエルドリッチの討伐を目論む。

 

「貴方達は……」

 

「今は敵として語らうべきではありますまい」

 

「そうですね。私は戦いに不慣れです。貴方達の援護を……」

 

 プリシラは距離を取り、唇を震えさせると彼女の銀髪が靡く程の白い霧の吐息を……ドラゴンのブレスを放つ。それは彼女の気質の通りにゆっくりと拡散していくが、接触したエルドリッチのHPはじわじわと削れていく。拡散・滞留し、スリップダメージを与えるタイプのブレスなのだろう。

 続く大鎌の連撃。それは大地を走り、エルドリッチの肉を断つ。瞬く間に繋がってしまうが、ダメージ量は悪くない。さすがはボスの火力といったところだろう。

 いける。プリシラの援護は絶大だ。エルドリッチに対して特効が入っていると言うべきだろう。加えて、先より追加された新システムのせいで、エルドリッチの防御力はダウンしたはずだ。スライムという外観通りに大量出血こそせずにスリップダメージは与えられないが、それでもこれは大きい。

 

「HEY! HEY! HEY! 脇腹お留守♪」

 

「ぐぎぃ!?」

 

 だが、ライドウは『プリシラ』の右脇腹に容赦なく拳を打ち込む。唖然とするエドガーの前で、体を折り曲げたプリシラの尻尾をつかみ、力任せに放り投げ、エルドリッチに献上するかのように激突させる。

 

「ライドウ殿!?」

 

「協力ぅ? 違うでしょ! ここにいるのは! 全員! 敵だぁあああ! 最☆高! 楽しもうよ、神父! バケモノ同士が殺し合って、そこで俺達も殺し合う! 燃えた! 燃えたぞ、このバトル! こういうのもスパイス効いて楽しぃいいいいいいいいいい!」

 

 理解が足りていなかった。ライドウは狂人なのだ。常識が通用しないのだ。ただ己の道……自らの欲求を満たす為ならば何でも構わないというバーサーカーなのだ。

 

「あぐぅ……」

 

 エルドリッチの泥肉に絡みつかれ、プリシラが恐怖で顔を歪める。HPは減らない。だが、彼女の残り1本になっているHPバー……それにノイズが走る。彼女がボスである証明のHPバー上の名前も同様だ。

 いけない。『喰われている』。察したエドガーは重ショットガンを連射するが、エルドリッチの泥肉を剥ぐには足りない。接近して両刃剣を振るおうとするが、グウィンドリンの本体が斧槍を振るえば、無数の紫色の光の玉が生じる。

 それはソウルの矢だ。だが、驚異的な速度と誘導性で瞬く間にエドガーへと密集する。包囲される前に脱するも、そこを狙い撃つようにグウィンドリンの上半身は巨大なソウルの矢を放つ。

 だが、エドガーを助ける気など全くない、ライドウの膝蹴りが割り込み、グウィンドリンの上半身が突き飛ばされる。それが狙いを逸らしてエドガーは助かるも、その先にいるのはクラウドアースの部隊だ。

 流れ弾を受けてクラウドアースの面々が散る。彼らもまた上位プレイヤーであるが、エルドリッチの異常性に呑まれている。

 

「灰より出でる大火の神よ」

 

 救わねばならない。彼らは絵画世界で得た有用な信徒だ。減らすわけにはいかない。エドガーは奇跡で灰の刃を次々と自分の周囲に展開して射出する。それはプリシラを取り込もうとしていた周囲の肉を裂き、彼女を自由にする。

 エドガーが有する奇跡【灰の刃】は特殊な奇跡だ。灰の時代……古竜の時代の名残を紡いだ名も無き神の奇跡であり、またユニークだ。彼だけが有する奇跡である。低燃費であり、発動中は魔力がある限り灰の刃を射出できる。それは近接攻撃扱いであり、また無属性であるが故に、あらゆる敵に対して確実にダメージを与えられる。

 

(暗月神のみならず、他の神々も喰らっているならば、光属性にも耐性を持つはず。それにニトも吸収しているとなると闇属性防御力も……まずいですな)

 

 恐らくだが、エルドリッチがこのまま喰らい続ければ、あらゆる属性防御力が引き上げられる。物理防御力は外見故に変動し難いかもしれないが、それは極めて厄介だ。

 グウィンドリンの上半身が斧槍を叩きつける。すると解放されたプリシラやエドガーのみならず、この場の全員の足下から赤く濁った光の大曲剣が柱の如く次々と伸びる。人間ならば簡単に両断できるだろうサイズであるが、それらは物理攻撃力を有していない。光属性であり、また猛毒……レベル5の毒を含んでいる。

 

「う、うわぁあああああ! 神父! 助けて! 助けて! 死にたくない! 死にたくないぃいいいいいいい!」

 

 1人が直撃し、あり得ない速度で蓄積してレベル5の毒を発症する。HPがじわじわと削れることを証明するように、彼の皮膚に変色が広がっていく。

 レベル5の毒を治癒させるアイテム・回復・奇跡をエドガーは有していない。せいぜいが女神の恩寵なるユニーク級の完全回復アイテムだけだ。だが、それも現状ではディアベルしか所有しておらず、彼もまた聖剣騎士団の権威の1つとしてギルドの宝物として公開しているだけだ。

 そもそもとして、プレイヤーがレベル5の毒を経験すること自体が前代未聞だ。レベル4ですら徹底した対策を施さねばならず、また回復手段は限られている。あのウルベインでもレベル4の毒を回復させる奇跡は持っていないのだ。

 

「落ち着いてください。回復アイテムでとにかくHPを回復させるのです!」

 

 装備からして決して毒耐性をおざなりにしていたわけではない。それでも一撃での蓄積突破だ。あり得ない蓄積性能である。だが、敵対すれば強大なボスとして立ち塞がるだろうニトの能力そのものであるならば、何ら不思議でもない。

 間違いない。エルドリッチは他のボス・ネームドの能力・性能を吸収できるのだ。あのHPバーの数から察するに、もしかせずともHP総量まで我が物と出来るのかもしれない。だとするならば、ここで放置すれば厄災となる。

 だが、同時にエドガーは察する。確かにエルドリッチは強い。高耐久と能力吸収は危険だろう。だが、エルドリッチ自体は弱い。能力の扱いも稚拙だ。今ならば、たとえ10本超えのHPバーであろうとも、プリシラと協力することさえできれば、十分に討伐可能だ。

 

「カステラみたいに脆いね。プリンみたいにプルプルだねぇ! 癖になっちゃうじゃん!」

 

 あの馬鹿さえいなければ。ライドウは一方的にエルドリッチを殴る・蹴る・貫くを繰り返してダメージを与えている。そこにはプリシラやエドガーと連携を組むという意図はまるで存在しない。

 自分さえ楽しめればいい。この戦闘は誰にも譲らない。その気迫だけがエルドリッチから垂れ流される恐怖を上書きしている。

 レベル5の毒を次々と発症するプレイヤーが現れる。まずは数を一掃するとばかりにエルドリッチに喰われつつあるグウィンドリンの上半身は矢を射る。一射で千と分裂するかの如く、その正面全てを矢で覆い尽くす。

 

「私の後ろに!」

 

 プリシラは大鎌を振り下ろし、生み出された衝撃波と氷で矢を防ぐ。エドガーは彼女の警告に従い、何人かを引き連れて後ろに隠れる。

 だが、ライドウには回避することも防ぐ手立てもない。そう思われた。

 

「あぎぃ……あがぁ……」

 

「おお、やるねぇ。そう来なくっちゃ」

 

 だから『壁』を準備した。HP回復に専念していたレベル5の毒を発症したプレイヤーを盾とし、その後ろに隠れたライドウは矢の攻撃を乗り切る。

 

「ライドウ殿!」

 

「どうせ死ぬなら有効活用。これ常識っしょ」

 

 いいや、彼は助かっていた。プリシラの影を目指して走っていた。あの速度ならば十分に間に合っただろう。だが、ライドウはそれを許さず彼の首根っこを掴み、締め上げ、悲鳴と絶叫に浸りながら彼を盾としたのだ。

 矢で全身を射抜かれ、HPゼロとなった『仲間』を餌とばかりにエルドリッチに投げる。エルドリッチは彼の遺体を喰らい、歓喜するように身を震わせる。

 

「よーし、こっちも少しだけギアチェンジしようかな♪」

 

 ようやく拳が温まって来たとライドウは右拳を地面に打ち付ける。

 

 

「ユニークスキル≪疾風迅雷≫」

 

 

 消失。雷と同一視されるオーンスタインもこれ程なのかと思うほどの俊足。しかも超スピードだけではない。ライドウが移動した形跡には彼の残影が散り、それはデコイとして働くように、自動追尾だろうソウルの矢を外させる。

 速過ぎる。DEX出力の高さもそうであるが、根本的にDEXに極振りしたかのようなスピードだ。だが、ライドウは戦闘スタイルから察するに、STRやTECにも相応に成長ポイントを割り振っていなければならない。VITやCONを切り詰め、INT・MYSの成長を捨て、近接職でも少しは保有したいPOWすらも削っているとしてもおかしい。

 ならば、これはユニークスキルのもたらす特殊能力だろう。これまでは高い打撃属性防御力で効果を発しなかった拳打が、過ぎた破壊力によってブヨブヨの泥肉が吹き飛ぶ。あまりにも速度が乗り過ぎた拳がエルドリッチの耐久力を大幅に上回っているのだ。

 更に言えば、あれだけのスピードでありながら制御しているライドウも異常だ。なおかつDEX出力も引き上げているならば、その底は計り知れない。

 

「≪疾風迅雷≫【鎌鼬】」

 

 距離を取ったライドウが踊るように連続で蹴りを放つ。完全なリーチ外であるが、ライドウの蹴りが拡張されるように、辛うじて舞い散る雪の揺らめきだけが見えぬ風の刃を見せる。それらはエルドリッチを刻み続け、上半身だけのグウィンドリンにも出血を強いる。

 エルドリッチはグウィンドリンの体を操り、矢の集中砲火を浴びせる。ライドウは右手で掌底を繰り出せば、見えぬ壁とまるで太鼓を鳴らすような風音が響く。

 

「凝縮、収束、爆発ぅううう! グロやん流、今、超必殺のぉおおおおおおおライドウ☆アッパァアアアアアアアアアアアアア! なんちって♪」

 

 そのまま暴風を纏ったアッパーが突き刺さり、解放された風圧がエルドリッチの肉片を撒き散らす。怒り狂うように、バラバラになった我が身を集めるエルドリッチは死剣の大乱舞を発動させる。次々とフィールド上に死の大曲剣が突き上がり、何人かが命中し、またプリシラも手傷を負う。救える者は救うとエドガーは負傷者を集めて奇跡や回復アイテムで治療を行うが、レベル5の毒だけでも異常なHP減少速度であるというのに、欠損や流血のスリップダメージまで重なれば手の施しようがなかった。

 それだけではない。恐慌状態にある仲間を無視した動きでライドウは戦い、彼らを続々と巻き込んで戦死させていく。集団でいながらも我が身だけが大事であり、また自分の闘争こそを優先する。それは仲間を常に庇おうとするグローリーとは対極だ。

 本質的には同じなのだろう。我が道を行く。だが、もたらす結果は違う。この男は戦闘の愉悦こそが全てであり、グローリーは騎士の名誉こそが全てだ。彼らが共感するのは我が道を行くというシンパシーだけであり、友愛は両者の異常な能天気に由来するものだろう。

 

「うへぇ、また回復? これだからアンバサは。ねぇ、神父ぅ。ほら、回復を封じるロイドの護符系持ってない? ちょっと面倒臭いよ、コイツ。弱っちいくせにさぁ。なんか飽きてきちゃった」

 

 そして言い分も勝手だ。あれだけ望んでいたネームド戦、それも強敵でありながらも、もう退屈になったとばかりにライドウは欠伸をかく。

 対するエルドリッチはまたHPを回復させている。そして、プリシラの1部を奪ったかのように、斧槍に白い幻影の大鎌を出現させて振るう。巻き込まれた1人は両断され、そのHPは吸収されていく様が見えた。

 

「へい、拳1人前! お待ちどう!」

 

 だが、ライドウからの一方的な攻撃によって、グウィンドリンの上半身は無残にも折れ曲がっている。腕や首は砕けて折れ曲がり、上半身は背骨も折られて反ったまま動かない。特殊な攻撃のメインを担っていたグウィンドリンの上半身があの状態では、とてもではないが今のライドウに決定打を与えることはできない。

 逃げるようにエルドリッチはボス部屋の奥、道など無い崖へと文字通り泥肉を流して逃げ込む。それを追いかけるように次々と鎌鼬を放ち、また大きく跳んだライドウは空気摩擦で赤熱するように赤く煌々とした熱風を纏った右拳を叩きつける。

 

「【デッドリー・ヴォルケーノ】」

 

 それは≪疾風迅雷≫専用ソードスキルか。高熱を帯びた爆風が生じ、エルドリッチは全身をバラバラにされながら燃える。数少ない弱点を露呈したように、炎属性で焼かれた身を切り離していく。

 

「あーあ、逃げちゃった。折角のユニークスキルを試せるサンドバッグだったのに。コレ、強化や能力は悪くないけど、相手が長持ちしないのが難点なんだよね~」

 

 ビールを取り出したライドウはエルドリッチを取り逃がしたことなどもはやどうでもいいとばかりに、残るプリシラに向き直る。

 

「この度は助力に感謝します。私はプリシラ。貴方達は……不死でしょうか? 私を求めてきたのかもしれませんが、それは許されない事。もしも帰りたいならば、あの泥肉の怪物と同じように崖から跳び下りてください。そうすれば、元の世界に戻れるでしょう。ですが、もしも……貴方達もこの世界を守ることを望むならば、私は禁忌であるとしても、名残を貴方達に貸し与えましょう。いかがでしょうか?」

 

 敵対する意思はないと改めて表示するプリシラが手を差し出せば、エドガーの正面に<誓約【絵画守り】を結びますか?>というシステムメッセージが表示される。

 ただのボスではなく、誓約を担うNPCも担っているならば、ニト同様に撃破よりも誓約主として利用することが望ましいだろう。クラウドアースの部隊が全滅した以上、指示を得られる相手もおらず、ここはライドウを引っ張ってでも帰還すべきだとエドガーは判断する。

 

「はぁ? 何言っちゃってるの?」

 

 だが、ライドウの放った鎌鼬が手を差し出していたプリシラの額から胸にかけて明確な一閃を刻む。

 血が溢れ出たプリシラのHPはもはや僅かだ。エルドリッチとの戦いでの消耗もあるが、エドガーたちを守る為に我が身で庇い続けてくれたからだ。生き残っているのはエドガーだけであるが、彼女は善意で自分たちを助けようとしてくれていた。

 興味ない。関係ない。あり得ない。ライドウは『戦う必要が無い』NPC……ボスとして戦うことができるとしても、それはプレイヤーの選択に任される相手を前にして、友好を示してくれたプリシラを斬った。

 

「戦えよ。それが俺達の存在意義でしょうが。何を呆けたこと言っちゃってるの? えーと、それってアレなの? 平和主義って奴? 萎えるなぁ」

 

「ライドウ殿!」

 

「萎えるわぁ。ホント萎えるわぁあああ。だからさ……死ねよ」

 

 その後は一方的だった。負傷したプリシラをただ殴りつけ、蹴り、踏み躙る。それだけだった。

 

 

 

「貴方達は……何を求めているのですか?」

 

 

 

 プリシラの最期の言葉に、ライドウもエドガーも答えなかった。

 ライドウからすれば、戦いこそが求めるものであるならば、彼女の問いは理解できるものではない。

 エドガーはひたすらに自問するが故の沈黙だった。

 彼が求めるもの。それは祈りと信仰の果てにある、灰より出でる大火を迎えることだ。彼の悲願はその先にある新世界であり、神灰教会はその為に設立された強者も弱者も等しく受け入れる揺り籠なのだ。

 だが、エドガーが本当に欲しいのは何なのか? それは信仰の先にある結果なのだろう。この世界に神はいた。

 確かにエドガーは出会ったのだ。鉄の城で、自分に生死の意味を問いかけ、命はただ喰われるためにあるという真実をその姿から伝え、神の御心を体現したような聖女より見出したのだ。

 エルドリッチとの決定的な違い。あの泥肉の暴力が求めるのは喰らう対象の『力』だ。その為に『命』を喰らうのだ。

 だが、白き聖女は『命』そのものを欲して喰らい尽くす。だからこそ、それは神の慈愛……アガペーそのものなのだ。

 

(やはり私に間違いは無かった。我が信仰に迷い無し。アンバサ)

 

 プリシラの撃破報酬で得たソウルを獲得したライドウは、仲間たちの死体に一瞥もくれず、さっさと昼寝がしたいとばかりに眠たげに瞼を擦る。

 

「使えるんだけど疲れるんだよねぇ。思考操作って奴のせいかも? まぁ、コイツのメインは『STRとTECのポイントをそのままDEXに加算できる』点だからいんだけどさ」

 

 やはりそういう事か。ライドウの異常な速度は、STRとTECに割り振られていたポイント分を、そのままDEXの上昇にも適応させるというものだ。ならば、DEX特化のようなあの動きも納得だ。むしろ、STRとTECという火力増強への割り振りがそのまま速度上昇に繋がるという、ユニークスキルでも特に上位のものだろう。

 おそらく入手条件と使用条件は『格闘装具以外を装備しない』といったところとエドガーは見抜く。これだけの破格の能力だ。いかにユニークスキルと言えども制約はあるだろう。だが、あれ程の大火力を格闘で得られるならば、わざわざ他の武器を装備する意味は無い。

 わざわざ明かしたのも、強力過ぎるが故に弱点らしい弱点がないからだろう。また、彼はエドガーを『協力者』と見ている。自分に戦いを持ち込んでくる依頼主でもあると。

 この男は狂人だ。だが、利用できる。神灰教会の敵にけしかけ、また聖女をただの俗世の人間に貶めんとする愚者を潰す狂犬としては使える。

 だが、利用価値が失った暁には、この手で処分しようとエドガーは固く誓う。この男に灰より出でる大火がもたらす新世界への切符は与えない。神罰の代行としてこの信仰の限りに滅することを誓う。

 

「エドガー神父! ライドウ! 無事か!?」

 

 ようやくと言うべきか、クラウドアースの救助部隊が到着する。クラウドアースの新戦力と目されるエリートプレイヤー達だ。それを率いるのは、全身にフル強化されたアーロン騎士長装備の男だ。腰にある獲物は碧雷を発するカタナである。DBOでも数少ないカタナ使いにして、名称不明のクラウドアース暗部出身である。

 

「この様子……かなりの激戦だったようだな。絵画の外には奇妙なスライムも多量にいたが、何があった?」

 

 エルドリッチの侵入後に彼らは絵画世界に突入したのだろう。ならば、外で待っているクラウドアースの部隊はエルドリッチと対面し、被害を受けているかもしれない。

 エドガーには選択肢があった。ライドウの凶行を告げるべきか否か。いかにユニークスキル持ちであり、その体捌きは白き聖女に比肩しうるとはいえ、これだけの精鋭に加え、自分が被害を度外視して『アレ』を……忌まわしくも己の本質を示すようなデーモン化をすれば、確実に滅することができるだろう。

 

「ええ、色々ありまして。『ライドウ殿も奮戦してはくれましたが』、私以外は誰も生存しておりません。これも神の課した試練でしょう。後ほど仔細を報告いたします」

 

「そうそう。神父の言う通り、俺も戦ったんだけどさぁ、やっぱり弱い奴は死んじゃうだよねー」

 

 馴れ馴れしく肩を組むライドウに、エドガーは怒りを抑える。今はまだ耐えるべき時だと。

 

(エルドリッチは再びアノールロンドへ。攻略部隊に何事も無ければいいのですが)

 

 手傷を負ったとはいえ、あの回復力の前では大して意味を成さないだろう。また、炎属性が弱点だとしても、それもまたいつ克服されるか分かった者ではない。

 やはりプリシラと共闘できる内に倒しておくべきだった。エドガーはこのミスが後々の災禍にならなければいいのだが、と溜め息を吐いた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 闇喰らいのミディールは、アノールロンドの神々に育てられた古竜の末裔にして、朽ちぬが故に闇を喰らう使命を与えられた。

 あらゆる時代に出現し、深淵ごと周囲を滅ぼした【闇の竜】と恐れられたミディールは、やがて闇に蝕まれていった。だが、古竜であるが故に闇に汚染されても死することはなく、だが徐々に血肉は変じ、また狂っていった。

 それは深淵狩りと似ているだろう。彼らも時として一国を滅ぼしてでも深淵を狩る。そして、いずれは深淵に堕ち、魔物に成り果てる。

 最初の火が起こるより前、岩の大樹ばかりがあった灰色の時代。温かさも冷たさもなく、光も闇もなく、生も死もなく、何1つとして分かたれているものはなかった。火こそが全ての差異を生み出した。

 果たしてそれは真実だろうか? 完全に差異が無かったならば、古竜は全て同じ外観であり、同じ能力であり、同じ存在でなければならない。だが、古竜には多くの特別な存在がいる。鱗の無い白竜のシース、古竜でありながら聖剣を得た黒竜ギーラとその子孫である厄災のカラミット、毒の受け皿となった眠り竜のシンなど様々だ。

 差異は存在した。火によって分かたれた差異とは大きな摂理という意味である。そして、1度でも生まれた差異は決して消えることはなく、元の状態に戻ることは無い。

 本来、古竜とは自然的存在であり、灰の時代から生きる自意識と呼べるものはない。だが、火の差異によって彼らもまた揺さぶられた。そして、始まりの火以降に生まれた古竜はより濃く影響が現れる。

 竜狩りの戦い以降に生まれた古竜であるミディールは、古竜でありながら強固な自意識を有し、また愛情を解する『心』があったと言えるだろう。ミディールは神々から与えられた闇喰らいの使命の重要性を理解し、また育ての親にして友である神々を愛した。故に彼らを毒する深淵を憎むようになった。

 たとえ、それが大多数の神々によって『汚物処理』を押し付けられたに過ぎないとしても、ミディールにとっての使命を全うした。いつか果たす約束があるからこそ、彼は幾度となく火継が繰り返され、神々がその数を減らしていこうとも、もはや神の存在など不要の人間だけの繁栄が訪れようとも、彼は約束を胸に抱いて深淵を喰らい続けた。

 目覚めたミディールは何処とも知れぬ世界にいた。それは灰に満ち、数多の時代の遺物が繋がり合い、およそ秩序が失われた世界。まさに滅びを迎えた世界の掃き溜めだ。

 ミディールは探した。空を舞い、跋扈する深淵の怪物たちを倒しながら、探し続けた。

『何』を? ミディールは思い出せなかった。闇を喰らうという使命だけに突き動かされる。

 憶えているのは痛み。強かった。3人の仲間を連れた英雄。自分に勝負を挑んできた。その内の1人は泣いていた。

 次々と放たれる雷の矢。鱗の上から生命を削る水銀の魔法。ミディールからすれば自分の爪のような大きさしかない特大剣。そして、誰が見出したとも知れぬ聖剣。

 負けて良かった。親愛なる友になら負けても構わなかった。狂王を磔にした槌で鱗を削られる度に、そう自分に言い聞かせた。

 死んでも良かった。たとえ約束は守れずとも、友を手にかけるくらいならば、自分の使命と約束をここで終わりにしようと思えた。

 

 

 

 それなのに勝ってしまった。友をその手で潰し、ミディールは泣き叫んだ。『こんなつもりではなかったのだ』と。

 

 

 

 そこでミディールの記憶は終わる。それ以降はよく憶えていなかった。気が付いたらこの世界にいた。

 ひたすらに、ひたすらに、ひたすらに闇の怪物たちを滅ぼしながら、吹き溜まりを飛び回った。友を殺してでも果たそうとした約束はもう思い出せないというのに。

 また見つけた。骨に黒い毛を覆った見たことが無い深淵の怪物、もう1体は深淵の主の残骸だろう。それと深淵に蝕まれた人間だ。

 本当に人間だろうか? ミディールは深淵に蝕まれ、闇の結晶のせいで半ば閉ざされた眼を見開き、人間から漂う濃い深淵を嗅ぎ取った。

 深淵狩りなのだろう。自分と似たような境遇の人間たちだ。自らが闇より生まれた存在であるとも知らず、神の庇護と火の時代の恩恵にあやかって繁栄と滅亡を繰り返す種族だ。もはやその身に宿っていたダークソウルも時を経るごとに随分と薄まっていたはずだ。

 辛うじて思い出す。『彼女』と一緒に戦っていたのも深淵狩りだった。もう数も随分と少ない様子だった。かつての先達が見出した聖剣などという骨董品を持ち出していたが、ミディールの敵ではなかった。

 黒い毛むくじゃらと深淵の主の残骸を滅ぼした。だが、人間は生き延びた。

 逃がさない。闇は1つ残らず滅ばせなならない。深淵に侵された深淵狩りは何よりも危うい深淵の魔物に変貌するのだから。

 ミディールは吹き溜まりを飛び、毒で腐れた谷を、凍てついた古き神々の街を、見た事もないカラクリばかりの金属の都を、そして冷たき吹雪で覆われた白の都を進んだ。

 使命を果たさねばならない。闇を喰らえ。滅ぼせ。殺せ。そうすれば『約束』を思い出せる気がしたのだ。

 ようやく戦う気になった人間に、ミディールは牙を剥く。だが、同時に今までとは違う、おぞましさすら覚える殺気を感じ取る。

 

 

 

『殺せ。殺せ。殺セ! アイツをコロセ! アレはバケモノ。貴方の大切なタカラモノをコワスわ。さぁ、殺せ! コロセ! 殺セ!』

 

 

 

 胸の奥底から呪詛の殺意が染み出す。あれはバケモノ? そうだ。その通りだ。殺さねばならない。コイツは神も、人間も、深淵も、竜も喰らい尽くすバケモノだ。

 ここに来るまでに手傷を負った。イカ頭みたいな兜をした騎士や金属の都の謎の防衛攻撃に、ミディールはもはや油断しないと気を引き締めていた。

 コイツから『守らなければならない』。『誰』を? 思い出せない。ミディールは大きく翼を広げ、人の形をしたバケモノに咆えた。

 深淵を許すな。使命を果たせ。約束の為に。ミディールは鱗から散る闇の結晶を、白き都に粉雪の如く降らせ、人の形をしたバケモノに襲い掛かった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ヒット&アウェイ。言うは易く行うは難しだ。なにせドラゴン相手には、とにかく攻撃を当てまくって鱗を剥がねば戦いは始まらないのだから。

 残存武装の1つ、ハイレーザーライフルのカノープスを着実に頭部に命中させるが、ダメージはよろしくない。というか、HPバーが削れている様子が無い。ネームドはただでさえプレイヤーで言うところの≪射撃減衰≫・≪魔法防護≫スキルに該当する防御能力を有している。

 ≪射撃減衰≫は受ける射撃属性攻撃力に下方修正をかけ、また距離減衰の影響を与える。つまり、このスキルがある場合は敵との間合いが実距離よりも伸びていると思わねばならない。加えて≪魔法防護≫はあらゆる魔法攻撃の威力・衝撃・スタン蓄積に下方修正をかける。

 この2つのスキルは近接プレイヤーの必須とされている。理由は言うまでもないだろう。アウトレンジから削って来る相手に対して防御策を講じるのは当然だ。ミディールのブレスも射撃属性扱いだろうし、VITと防御力を有した近接プレイヤーならば即死はしないだろうな。まぁ、あのレーザーみたいに収束されたブレスは桁違いの威力なので特化した防御策が不可欠そうだがな。

 さて、問題なのはこの2つのスキルと同等かそれ以上の能力をネームドは実装しているという点だ。射撃属性の遠距離攻撃なんてまずダメージもスタン蓄積もろくに入らない。魔法の場合はソウルの剣系などの近接攻撃扱いを除けば、いずれも射撃属性だ。2つのスキルが適応されて威力は大幅ダウンも避けられない。

 この調整は射撃攻撃無双を防ぐ為だろう。射撃攻撃メインで火力を獲得するならば、近接攻撃が届かない安全や恐怖心の低下といったアウトレンジ攻撃の旨味を捨て距離を詰め、なおかつダブルトリガーで火力を強引に高めた、スミスのような近・中距離戦しかない。接近すれば≪射撃減衰≫の効果を最小限に抑えられるしな。

 射撃攻撃は反動や防御力低下作用などで、リスクは近接戦プレイヤー以上だが、ダブルトリガーを完全に使いこなせれば、爆発力は凄まじい。財布へのダメージも凄まじいがな!

 話は戻るが、ドラゴン相手に射撃属性攻撃というのは実にいただけない。鱗の防御能力でダメージは通らないし、オマケに先に言った通りに≪射撃減衰≫・≪魔法防護≫に該当する能力も追加で持ってるし、そもそも素の防御力も高い。オマケにHPオバケ。なにこれ酷い。しかも超火力持ち。こんなの1人で倒せとか正気の沙汰じゃないな。

 だが、倒せないわけではない。手順が必要なだけだ。まずはとにかく鱗を剥ぐ。その為には火力と連続攻撃しか無い。インターバルを開ければ鱗が修復されてしまう。全ての火力をミディールの頭部の1点に集中して鱗を剥ぐ。

 普通のドラゴン相手ならば、鱗に特効作用のある雷属性が有効なのだが、ミディール相手には効果が無いのは証明済みだし、何よりも今のオレにはまともに雷属性の攻撃手段が残っていない。ならば次点で水属性だが、まずは鱗を剥がねばならない。

 つまりは攻撃あるのみ。ヒット&アウェイするにしても、慎重になっては勝ち目など無い。加えてこちらには時間制限もある。

 

「そもそも、ドラゴンの相手なんて専門では無いのですが、仕方ありませんね」

 

 ミディールのブレスから逃れるべく、エス・ロイエスに張り巡らされた地下道の入口に滑り込む。危うく丸焦げになるところだった。通路まで入り込んできた闇混じりの炎の熱が雪を溶かすどころか蒸発させているのを見て、掠っても大ダメージは免れないだろうと確信する。収束ブレスどころか、通常ブレスでも直撃すれば即死だな。今の装備は属性防御力に特化されているわけでもないのも痛い。

 DPS特化の≪二刀流≫持ちの『アイツ』を引っ張ってきたい。『アイツ』なら強引に鱗をぶち破ってダメージ与えられるからな。ガード無効化&ドラゴン特効がある≪剛覇剣≫のユージーンでも構わない。むしろドラゴン相手はこの2人の専門だろ。あの2人が揃ったら、並のドラゴン系ネームドとかなら苦戦も無く普通にぶち殺せるだろうしな。

 

『でも……状況は不利。現時点でミディールのHP損耗……ゼロ』

 

「ゼロ……ですか」

 

『うん。ゼロ』

 

 カノープスの残弾1割切ってるんだけどなぁ。当てまくってるんだけどなぁ。やっぱり距離を詰めないと駄目か。そもそも、ネームドのドロップ品とはいえ、未強化だしな。こんなものだろう。それでもゼロ宣言はさすがに衝撃的だ。

 ならば別の攻撃手段に切り替えるまでだ。地下道にはエス・ロイエスのモンスターがオレを待ち構えている。

 PKの方法の1つにトレインがある。その名の通り、モンスターを引き連れて別のプレイヤーに押し付けるというものだ。非常に悪質である上に、自分の手を汚さないのでDBOでも多発していた。過去形なのは、そもそも確実にPKする程のモンスターをトレインしようとすれば、割と結構な確率で死ぬからだ。DBOのモンスターは逃げるプレイヤーを容赦しませんのよ、奥様!

 PKのトレインだが、ミディールにも有効だろう。モンスター同士も相討ちするDBOの仕様もそうであるが、細かく敵味方識別されているのも特徴だ。ミディールは無差別に攻撃し、エス・ロイエスは侵入者を排除する。つまり、オレもミディールもエス・ロイエスのモンスターからすれば敵なのだ。

 火力が足りないならばモンスターで補うまでだ。7体ほどのエス・ロイエスの兵士を連れて地上に戻る。だが、飛行していたミディールの滑空ブレスが迫り、大きく跳んで躱す。7体連れていたロイエスの兵士は……うん、焼死だよな。ただでさえ炎属性が弱点だもんな。

 

『トレイン作戦……失敗』

 

「そもそも飛んでる相手にはどうしようもありませんね」

 

 法王騎士の大鎌に切り替えながら、火球ブレスを躱していく。着弾すれば大爆発が起こる火球ブレスの衝撃波が体を揺さぶり、痛みを呼び起こす。だが、その程度で怯むことなどない。

 呪術の火球系などは命中判定斬りが通じない。言うなれば『爆弾』と同じ扱いだからだ。命中判定に接触=起爆となる。下手に近接攻撃で命中判定斬りをしようものならば、自分の直近で爆発させるような自殺行為であり、そもそもとして人間なんて軽く丸呑みするような巨大な火球ブレスをミディールは連発している。中心にあるだろう命中判定を攻撃する前に、周囲の炎の攻撃判定がこちらのアバターに接触してダメージは免れない。

 

『ミディールの飛行時間には……限界がある。ここまで飛行してきた……だから、もう長く飛べない。インタバールが要る』

 

「そして、ミディールもオレを逃がすつもりはないので、飛行回復の為に距離を取る事も無い、と」

 

 飛行に特化されたモンスターでもない限り、飛行時間は明確に設定されている。着地しなければ回復しないのはミディールも同じだ。あの穴だらけの翼ならば尚更だろう。

 だが、そうなるとブレスに晒され続ける地上に出続けねばならない。ダンジョンであるが故に破壊不能オブジェクトの建物が多いエス・ロイエスだが、ミディールには1つの疑惑がある。

 ミディールは例外的に破壊不能オブジェクトの耐久度も削れるのではないだろうか? そうでもなければ、レイヤードの管理者がいるフロアまでぶち破って来れないはずだ。

 その疑惑についてはナドラに調査してもらっている最中だが、そろそろ回答が得られるはずだ。

 

『……悪いニュースと凄く悪いニュースの……2つがある。どちらからがいい?』

 

「お好きにどうぞ」

 

 ミディールが急降下しながら尻尾を振るう。大型モンスター特有の大雑把な攻撃だが、その1つ1つが言うなれば範囲攻撃だ。紙一重では衝撃波で削られる。よりこちらも大きく避けねばならない。攻撃される前の位置取りが重要になる。

 

『ミディールには、破壊不能オブジェクトへの……攻撃効果が……ある。収束ブレス限定。一時的だけど……ダンジョンも……更地に出来る』

 

 何それ酷い。つまり、このまま地下道を利用したヒット&アウェイ戦法さえも使えなくなるわけか。本当にぶっ飛んでるな。

 

『もう1つは……エス・ロイエスのモンスターリポップが……著しく低下している』

 

「トレイン戦術も封じられた……だけでは無さそうですね」

 

『……ミディールにリソースが割り当てられていると……想定。ミディールは……「成長するネームド」の危険性が……高い。インドアシードで……作成された……ダンジョン。未調整……だらけ。だったら「その場で調整してしまえばいい」。貴方を……殺せる……ように』

 

 おい、後継者。さっさと来い。本格的なバランスブレーカードラゴンだぞ。

 つまりは何か? このバカでかいダンジョンのモンスターリソース丸ごと吸い尽くして超強化していってるのか? ある意味でランスロット以上に調整放棄の代物……って、元からミディールは調整自体がされてなかったな。でも後継者殺す。

 吹き溜まりの2体のデーモン、サリヴァーン、3体の管理者。いずれも調整を施されていなかった。だからこその強みも弱みあったのだが、元より細やかな調整を放棄しても問題ないミディールには、ありったけのリソースを注ぎ込んで強化させようというわけか。シンプルだな。

 ……頭が痛い。いや、元から脳みそが沸騰して頭蓋骨ごと爆散しそうな程に痛いけど、新しい頭痛が増えた。

 

『解析完了。やっぱり……ミディールはHPバーが減る度に……調整が入るように……仕組まれている。だから……』

 

 ミディールが着地して咆える。途端に尾にライトエフェクトが帯び、強烈な一閃が衝撃波を生む。完全攻撃範囲外であったにも関わらず、突風によって宙に放り出される。

 危うく城外に吹き飛ばされるところだった。鎌を引っ掛けて耐え抜き、エス・ロイエス外縁に着地したオレに、ミディールは収束ブレスを放つ。オレを追いかける収束ブレスから逃れる為に、外縁内部に入り込む入口に滑り込むが、嫌な塵が頭に零れる。

 爆砕。ミディールの収束ブレスによる破壊効果か。本格的にダンジョンを……エス・ロイエスを更地にするつもりだな。

 

「ナドラ」

 

『うん。「ソードスキル」……みたい。OSSシステムから、ミディールは……独自にソードスキルを……作成した。ガル兄様との戦いで……ソードスキルの有用性を……ミディールは認識……した。だから、もしかしたら、レイヤードの管理者との戦いで……』

 

「それ以上は言わないでおきましょう」

 

 ランスロットも大概だったが、こちらも別の方向にぶっ飛んでやがる。こんな頭のおかしいドラゴン準備しやがって。YUIの本気を見たな。

 

『……ミディール内部に……レギオン・プログラムの亜種を……確認。ほとんど……別物だけど。オベイロンの……実験の……廃棄物……たぶん、それを利用している。アルヴヘイムの正常化に伴い……トラッシュデータとして……流入した、かもしれない』

 

「…………」

 

 オベイロン殺す。いや、殺していたな。確かにオベイロンはレギオンプログラムについて研究を進めていたようだ。エギルがその例だろう。だが、こうしてミディールの強化に使われているところを見るに、求める水準とやらには達していなくても、ある程度の成功はあったのではないのだろうか。ヤツメ様が何かを感じていたのはそれか。

 しかし、リアルタイム強化はエギルに使用された強化と同類とはな。ならば納得……していいものなのやら。

 

「だったら、ミディールはレギオンプログラムの汚染作用を受けている、と?」

 

『……汚染は遅々と進んでるけど、表面化するまで……少なくとも480時間はかかると……推定。元からミディールは……狂っているし、オベイロンは……レギオン・プログラムがもたらす殺戮作用を……排除しようとしていた、みたい。あくまで……学習能力だけを……抽出……しようとしていた。でも……失敗した』

 

(よく分からないけど、分離できるはずもないのに。馬鹿だったのね)

 

 ヤツメ様にまで馬鹿扱いされるオベイロンの哀れっぷりは底知れないな。

 

『……汚染作用が低い代わりの……低スペック。だけど、それを……膨大なリソースで補って……ううん、それだけじゃない? これは……遠隔操作……ミディールをモニターしている……これはユイ姉様? ミディールを……ユイ姉様が遠隔サポート……している?』

 

 そうなると、ミディールは最初から打たれていた布石。この吹き溜まりは最初から最後までオレを殺す為だったというわけか。なかなかに面白いじゃないか。

 

『ジャミング……してみる。そうすれば、ミディールの自己強化作用を……抑えられる、かもしれない』

 

「了解しました」

 

 オレが見えているのではないかと思うほどに、地下までぶち抜くような収束ブレスが間近を通り抜ける。本格的にエス・ロイエスが崩壊してきたな。いや、実際に見えているのかもしれない。YUIはミディールにオレの居場所を随時連絡していると見るべきだろう。

 

「上手くいけば、一撃でミディールを仕留められる策があります。ナドラ、今から伝える条件に合致したポジションを検索してください」

 

『ど、どうやって……ミディールのHPと防御力は……尋常じゃない。今の貴方の武装……では……』

 

 次々と収束ブレスが地下道に突き抜けていく。まずいな。このまま地下に籠っていては、いずれは崩落で押し潰される。やはり外に出るしかないか。

 地下道の階段を駆け上がり、雪景色の中をスライディング気味で抜ける。杉に似た針葉樹が並ぶ庭園には、動く石人形……由緒正しきゴーレムが跋扈している。中心部にソウルの光を宿した石人形たちは一斉にオレに攻撃を仕掛けるが、ミディールの収束ブレスに巻き込まれて消滅する。

 収束ブレスは命中ポイントに1テンポ遅れて爆発を起こす。闇属性でありながら白光に近しいそれらの爆風だけでバランスは簡単に崩壊する。直撃はもちろんだが、追撃の闇爆発でも十分に致命傷になるだろう。

 一撃即死のバーゲンセールだ。近接攻撃もブレスも何もかもが即死。掠っただけで大ダメージか耐え切れずに死ぬかの強制2択で分が悪い。また、ミディールのような巨体相手ではフォーカスロック外しで攪乱することに余り意味が無い。

 逃げ回る中でナドラに作戦の内容を伝えれば、彼女は納得した様子だったが、同時に危険性から渋る。だが、元より決定打に欠けるどころかダメージさえもまともに与えられないならば、この作戦に従う他ないと判断したのだろう。

 

「さすがに主聖堂までは破壊作用が及ばないか」

 

 収束ブレスがエス・ロイエスの終着点である主聖堂に命中するが、紫色の破壊不能エフェクトによって収束ブレスは防がれる。あくまで破壊作用を付与しているのはYUIのサポートであり、ミディールに備わった能力というわけではない。ならば、ナドラの援護によって遮断できる目は残っているが、ナドラには別の仕事をメインに進めてもらっている。

 地獄絵図だな。白い都だったエス・ロイエスはミディールの収束ブレスの度に破壊され、余波の熱で雪は蒸発し、炎に呑まれていく。あらゆるファンタジーでドラゴンが厄災と同列に語られるのも納得だ。たった1体で都市を容易く蹂躙してしまうのだからな。

 

『最適ポジション……発見。ただし、ユイ姉様に悟られないように、上手く誘導して、なおかつミディールをスタンさせないと……いけない。その為には……頭部へのダメージが不可欠……だから』

 

 オレの視界にエス・ロイエスの全体マップが表示され、作戦に最も適したポジションが赤くマーキングされる。ここから少し遠いな。だが、ミディールの飛行時間も決して多く残っていないはずだ。誘導するまでの間に使い切らせることができればいいのだがな。よもや、リソースが飛行能力の回復に使われている、ということはあるまい。

 ……いや、最悪の場合を想定しておくか。ならば、上手くミディールを地上戦に引っ張り出す必要があるな。

 

『いっそ……主聖堂に……逃げ込むのも手……だと思う。この状況下では……難しいけど……他の条件を1つクリアすれば……』

 

「さすがにそこまで悠長に待ってくれる程にお優しい相手ではありませんよ。それに、今はアーヴァの……」

 

 待てよ。アーヴァ……そうだ、アーヴァだ! オレは導きの糸を全力でミディールに使用しているヤツメ様に、アーヴァの索敵を頼む。

 

(……こういう狩りは好みでは無いのだけどね)

 

 オレはエス・ロイエスに来て早々に不可視のネームドである王の仔アーヴァを蹴落とした。元のポジションに戻っていないとするならば、アーヴァもまたエス・ロイエスを徘徊しているはずだ。

 そして、当然ながら、厄災であるミディールを放置するはずもない。ヤツメ様が指差す先で、虎を思わす獣の咆哮が響く。

 

「あそこか」

 

 ミディールに次々と氷柱の連弾が飛ぶ。いずれも回避され、逆に連続火球ブレスが放たれるが、雪を舞い上げる不可視の巨体が確かにそこにいる。

 

『どうする……つもり?』

 

「アーヴァと協働します。アーヴァはあくまで「エス・ロイエスの侵入者」を排除する存在です。それがプレイヤーとネームド、その敵対関係を構築しています。だったら、ミディールという強大な敵を前にすれば、敵の敵は味方でオレとの共同戦線を張るかもしれません」

 

『……絶対にありえない、わけではない? うん……可能、かもしれない』

 

 ミディールの収束ブレスがまた薙ぎ払われ、オレが歩んだ騎士街が消し飛ぶ。瓦礫の雨が降り注ぐも、ステップを駆使して潜り抜ける。宙を跳び、降って来た建物の窓から侵入し、崩壊して瓦礫となっていく内部を駆け、玄関の扉を蹴破って再び宙に出ると雪に身を躍らせて前転し、続く火球連続ブレスを躱す。

 大した連射速度だ。今度は放出ブレスで広範囲を薙ぎ払おうとするミディールだが、こちらは持続時間が短く、また最も破壊力も低い。物陰に隠れてしまえば簡単に防げる。その一方で炸裂する火球ブレスは連射も利く上に狙いも正確だ。温存していなければ、最大連射数は12発。1発分回復するまでに最低でも3秒のインターバルが要ると推測される。だが、リソースが今も注ぎ込まれているならば、最大連射数は増え、回復時間は短くなる危険性もあるな。

 

「アーヴァ! エス・ロイエスの守護者よ! 厄災の竜を討ち取るならば――」

 

 不可視のアーヴァに接近して呼びかけるが、会話が成り立っていないのか、それとも敵の敵もまた敵なのか、こちらに氷柱の連弾を放ってくる。それどころか、近接攻撃で雪が舞い上がる。

 見通しが甘かったか。アーヴァと上手く共闘に持ち込めればとも思ったが、そう簡単にはいかない。逆にこちらの動きが鈍ったとばかりに降下してきたミディールは着地し、巨大にして長大な尾にライトエフェクトを帯びさせる。

 ソードスキルと同じ理屈の火力増強。強烈なテールアタックを大きく跳んで躱し、着地と同時にステップで連続火球ブレスを躱しながら接近し、巨体を支える後ろ左足に法王騎士の大鎌を浴びせる。

 鱗に傷らしい傷すらも出来ていない。HPは減りもしない。やはり、頭部以外への攻撃は通じないか。

 自らも焼く直下ブレスの範囲外に脱し、ソードスキルの直撃を受けただろうアーヴァを見やる。体から溢れた多量の血が不可視のアーヴァの姿を僅かに暴いている。もはや虫の息といったところか。ネームドのアバター修復スピードならばプレイヤー程に復帰には時間もかからないだろうが、あの様子だと全身複雑骨折のようなものだろう。とてもではないが、今後の参戦は期待できない。

 同じネームドとはいえ、ここまで火力も桁が違う。まさに次元が異なる存在だ。ミディール、これ程までとはな。

 

『アーヴァは……貴方に怯えていた。ミディールと同列扱い……だから……共闘できなかった』

 

「自業自得というわけですか。他に参戦してくれそうなネームドはいますか!?」

 

『検索中……検索中……完了。ごめんなさい、他にもネームドがいるみたい……だけど、強制的に待機状態に……されている』

 

 根回しは終わっているというわけか! だが、ここまで派手に暴れたともなれば、セラフの目も向きかねない。YUIはどういうつもりだ? オレさえ殺せればいいのか?

 いや、同一視するな。恐らくだが、ユイとYUIはそれぞれの異なる意図で吹き溜まりというイレギュラーダンジョンを形成している。

 YUIはオレを殺す為に。ユイはあの黒雪の渦を隠匿・対処する為に。そして、アルシュナは後者に協力する為にこのエス・ロイエスに籠っていると見るべきだ。

 騎士街が狭く感じるほどのミディールは巨体を震わせ、前肢で連続攻撃を仕掛ける。その度に建物が揺らぐも、さすがはダンジョン製だ! 破壊不能オブジェクトらしく壊れない。だが、ミディールが収束ブレスで薙ぎ払えば、あっという間に瓦礫の海に変じる。

 再び飛ばれる前に1発でも入れる! 前肢を利用した連続叩きつけをステップで大きく避け、地に下がった頭へと大鎌を振るう。火花と闇の結晶が散るも、ミディールにダメージらしいダメージが通った様子はない。オレにもヤツメ様にも手応え無しだ。

 ならば、これならどうだ!?大鎌を左手持ちに切り替え、瞬時に白の直剣を抜いて振るう。発生したソウルの刃はミディールの顎を微かに傷つける。

 ダメージは……やはり目に見えた程通っていない。HPバーが減った様子もない。燃費に対してはなかなかの成果だが、こんなものを続けるだけの魔力は無い!

 ミディールが四肢で地面を捉え、まるで己を矢に見立てて引き絞るように体を縮める。そして、エス・ロイエスの残骸を巻き上げる突進攻撃が放たれる。範囲外に脱したかにも思えたが、突風が巻き上げた瓦礫が額に衝突し、血が右目に入る。赤く染まった視界の中でミディールを捕捉し続け、ステップで続く収束ブレスを躱すも、ミディールはまたしてもソードスキルとなったテールアタックを振るう。直撃を狙うのではなく、散らばる残骸でこちらを潰すつもりか!

 

『HP……損傷! 回復を……!』

 

「いえ、まだです!」

 

 まだ指輪のオートヒーリングで補える! 回復アイテムは補充できたが、草系アイテムだ。白亜草はHP4割を10秒かけて回復というなかなかの効果であるが、多くの問題点を抱えている。

 回復アイテムは多種多様だ。咀嚼が必須の草系、内容量を全て飲まねばならないドリンク系、砕けば即座に効果を発揮するクリスタル系。後はナグナの血清のような、非常に珍しい注射器系もあるか。

 回復アイテムの使用中には、個々のアイテムにもよるが、総じて回復中は防御力やスタン耐性の低下、DEX下方修正、スタミナ消費量増加などがかかる。回復時間が長い草系はそのデメリットが特に足を引っ張る機会が多い。

 だが、他にも大きな問題点が回復アイテムにはある。それは回復アイテムの使用そのものにもスタミナ消費が発生するという点だ。考えてみれば当然だ。DBOではあらゆるアクションに対してスタミナ消費が伴うのだから。

 持ち込み易い草系アイテムはその中でも特にスタミナ消費量が大きい。故にコルにも余裕がある高レベルプレイヤーになる程に草系アイテムから離れ、価格変動著しいプレイヤーメイドの回復アイテムをメインに据えていく。スタミナという生命線を何よりも重視するならば当然の選択だ。

 1度地下に逃げ込む。崩落した穴から地下道に入り込むも、追うように収束ブレスが突き抜ける。続く闇属性の爆発が次々と炸裂していく中で、崩落する地下道を、オレに反応するロイエスの兵士たちの脇を、再び地上へと出る階段を駆ける。

 爆発が出口より吐き出され、背中を軽く掠る。それだけでHPが3割近く損耗し、また闇属性特有の侵蝕するようなダメージフィードバックが痛覚を疼かせる。

 

「……ぐっ!」

 

 奥歯を噛んで痛みを堪え、雪上を滑りながら、再び空を舞っているミディールを睨む。石人形が跋扈する庭園はもはや影も形もなく、騎士街は残骸と成り果て、ロイエスの下町だっただろう情緒ある華やかな凍てついた大通りは闇を含んだ炎で焦がされ続けている。

 ミディールがオレの正面で着地する。飛行せずに地上戦……飛行時間が余り残っていないようだな。悪くない傾向だ。

 穴だらけの翼をミディールは大きく広げ、周囲を吹き飛ばす圧が籠った咆哮を放つ。モンスター専用スキル≪ハウリング≫か。効果は大よそが吹き飛ばしだが、ミディールの場合はそれだけでは済まないだろう。

 

「自己修復……か!」

 

 顎に付けた微かな傷。それをミディールは≪ハウリング≫の効果で治癒させる。対ドラゴンの基本である鱗剥がし。それに対しての回復能力を有するか。完全回復効果ではないだろうが、攻め続けなければいつまで経ってもダメージを与えられない。

 ミディールが四肢で地面を捉えたまま、首を反らして天へと咆える。同時に出現したのは無数の人間性。まるで闇術の追う者たちのような、白くぼんやりとした2つの点が目にも思える闇の人魂がミディールの周囲より湧き上がる。

 だが、プレイヤーの放つ闇の人魂がせいぜい大きくてもバスケットボールサイズであるならば、ミディールのそれは人間とほぼ同サイズだ。いや、オレよりも一回り大きいようにも思える。それが闇術の追う者たちとは比べ物にもならない速度と誘導性を持ってオレを追尾する。

 カノープスに切り替え、追尾する闇の人魂を迎撃する。だが、ミディールが1回で生み出した闇の霊魂の数は100個以上だ。プレイヤーの平均が6~8個ならば、サイズもそうだが、数も桁違いだ。

 そして、闇の人魂を放った後でもミディールは即座に動ける。オレを狙って連続火球ブレスを放つ。次々に引き起こされる爆発が闇の人魂も消し飛ばしてくれるが、そもそもの数が多過ぎる。

 

(避けなさい!)

 

『避けて!』

 

 ヤツメ様に僅かに遅れる形でナドラの警告が響く。火球ブレスと闇の人魂の回避に専念していたオレが見たのは、上半身をのけ反らして後ろ足で立ったミディールが大きく翼を広げている姿だった。

 翼が白熱するように輝く。そして、放たれたのは無数の闇のレーザーだ。それらは収束ブレスと同じであり、着弾点で1テンポ遅れて闇の爆発を小規模ながら起こす。

 この攻撃……レイヤードの管理者との戦いで強化された能力か! 巨体であるが故に大雑把ではあるが、とんでもない面射撃攻撃だ。

 

「しかも……この最中も撃てるか!」

 

 オレを狙った収束ブレスを間一髪で躱し、闇のレーザーの雨を大鎌で命中判定を斬り裂きながら踊るように切り抜ける。闇のレーザーは着弾後に爆発する。つまりはそれ以前ならば命中判定斬りが有効だ。

 接近を図れば、大きく翼を羽ばたかせてバックステップを踏み、ミディールは短距離の薙ぎ払いブレスでオレを近づかせず、そのまま飛行モードに移行し、空中からの爆撃に移行するだけではなく、その状態のまま闇のレーザーを降らす。

 

『インターバルが……短過ぎる!』

 

「本当に……無茶苦茶ですね!」

 

 躱す。躱す。躱す躱す躱す! 当たりそうなものは命中判定斬りで切り抜ける! だが、ミディールの急降下からの地面を抉りながら尾を振るう攻撃が迫る。

 ステップでよけようとした瞬間に心臓が収縮して止まる。深淵の病がこの時を待っていたとばかりに蠢き、喉に血がせり上がる。

 パラサイト・イヴ……武装侵蝕! カノープスに武装侵蝕を施し、ガードが突破されるまでの刹那の時間を稼ぐ。粉砕されたカノープスの破片を視界に収めながら、稼いだ時間でギリギリではあったが、尾の一撃を避けることに成功する。

 だが、ミディールは前肢を突き立て急ブレーキをかけ、強引に反転しながら着地すると、まだ動きが鈍ったままのオレに火球ブレスを放つ。≪歩法≫のソードスキルであるスプリットターンで火球に回り込む形で回避に成功するも、オレの背中を狙った噛み付き攻撃をするべくミディールが迫っていた。

 膝を脱力させ、そのままバネに。ミディールを背にしたまま三日月を描くように宙を跳ぶ。必殺の噛み付きを躱し、ようやくミディールの首筋に立つ。

 もらった。法王騎士の大鎌で首筋を一閃する。さすがのミディールもここは頭部同様に鱗が薄いようだ。クリティカル部位は頭部・首・心臓という生物系の定番から外れていない!

 そのまま乱舞で削り、ミディールが全方位バースト攻撃で薙ぎ払うより前に脱する。闇の爆発の中で怒りと憎しみを盛らせるミディールのHPはようやく削れた。それでも1パーセント未満だろうがな。

 それに頭部にダメージを与えねばスタンは望めない。だが、ダメージは入る。つまりは『殺せる』。ならば問題ない。

 

『このままでは……スタミナ消費に対して……ダメージが追い付かない。作戦も……!』

 

「いえ、今ので確信しました。ミディールは倒せます」

 

 深呼吸を1つ。深淵の病を押し戻す。心臓を再掌握……完了。

 限定受容継続。STR・DEX出力は7割で安定させる。8割まで引き出したいが、それは最後の詰めまで取っておくべきだ。

 カノープス破損、武器枠からオミット。代用で盾を装備。ガードではなく、武装侵蝕で打撃攻撃に使う。だが、今は背負ったままでいい。

 

『倒せる? だけど、貴方の攻撃は……』

 

「通じた。だったら、攻撃を増やし、途切れさせないだけです」

 

 作戦ポジションに到達完了。元々はエス・ロイエスでも重要な催事を担うだろう、庭園の中心たる祭儀場だ。だが、今は跡形もない。

 ミディールの地上戦時間は伸びている。いかにリソースを増やしても元から設定されている飛行時間までは弄られないと見るべきだ。あくまでミディールも、YUIも、カーディナルの目からは逃れられない。YUIもまた、ギリギリのラインを見極めてミディールを強化させているはずだ。

 確かにミディールは強い。しかもオレにとって最悪の相手であるドラゴンだ。

 だが、それでも彼よりも弱い。ランスロットよりも弱い。彼に対して感じた程の威圧を覚えない。

 ランスロットは、間違いなく、オレが戦った全ての敵の中で最強だった。剣技、スピード、火力、技の多彩さ、そして矜持と信念が宿った忠義という名の『強さ』。いずれも眩いばかりにオレに焼き付いている。

 

「ミディール……アナタの怒りは、憎しみは、恐怖は……何に向けられたものなのですか?」

 

 言葉が通じるとは思えない。だが、これだけは分かる。ミディールは『恐れている』。何かに怯え、恐怖し、だからこそ全力を尽くそうとしている。

 語らいなどできるはずもない。だから、今は狩らせてもらう。

 必要なのはスピードとパワー。ならばオレ自身を強化するしかない。だが、デーモン化も深淵纏いもまだ早過ぎる。

 

『アバター内蔵型暗器! その名もパラサイト・イヴ!』

 

 思い出したのは、嬉々としてゲテモノ装備を見せつけたグリムロックの、とても殴りたくて堪らないくらいに嬉々とした笑顔だった。

 瓶に入ったのはどす黒い液体。その中で微かに蠢くのは、極めて細い触手を無数と有した生物的な外観をした結晶体だ。グリムロックがこれを体内に入れると言った時には、グリセルダさんが無言でケツパイルを決めたものである。

 パラサイト・イヴ本体はオレのアバターの心臓部に絡みつき、同化する。これによって武装感染効果で装備武器は全てファンブルせずに済み、また手を起点とした武装侵蝕の効果も発動する。

 

『武装侵蝕は圧力パターンと認識同調AIで成り立っている。あるパターンで指圧をかけることによって武装侵蝕は発動・解除できるギミックというわけさ』

 

 だからこそ、パラサイト・イヴの起点は『手』にある。指が生み出す指圧のパターンを認識してパラサイト・イヴは武装侵蝕を機能させる。

 この発想にたどり着いたのは、皮肉にも吹き溜まりでの連戦のお陰だ。足を折ったオレは、武装侵蝕を施したワイヤーで補強して無理に行動し続けた。その際に、左腕に装備している防具である骨針の黒帯を武装侵蝕して生み出す獣爪の籠手と類似した、言うなれば獣爪の具足が形成されていた。

 ワイヤーに侵蝕しただけでこんな効果が生まれるだろうか? 確かに獣爪の籠手に比べれば1サイズ劣っていたが、それでも武装侵蝕がもたらす攻撃範囲の拡張効果としてはやや逸脱し過ぎている。

 武装侵蝕は指圧パターンで認識された対象を侵蝕する。剣でも、槍でも、銃でも、投げナイフでも、木の枝でも、石ころでも、布切れでも、防具でも、『武器になる』と認識されるならば、何だって侵蝕できる。ただし、可否は明確に線引きされている。他プレイヤーのアバターや装備、モンスター自体には武装侵蝕できない。基本的に生物には武装侵蝕できないのも特徴だ。

 これらの条件から推測すれば、パラサイト・イヴによる武装侵蝕の対象にただ1つ、『生物』としてカテゴライズされていながらも、武装侵蝕できるものがある。

 

 

 

 

 

 

 

 パラサイト・イヴ、武装侵蝕発動。対象……『オレ自身』。

 

 

 

 

 

 

 

 左手で顔面を覆い、武装侵蝕を施す。どす黒い血のような侵蝕作用が全身を蝕んでいく。

 そうだ。これだ。これでいい。『オレは武器』だ。この身は所詮『獣』の爪牙に過ぎないのだから!

 

「オアァアアアアアアアアアアアアア!」

 

 四肢も、全身のタクティカルアーマーも、何もかもが武装侵蝕によって覆われる。左右の指は獣の爪の如く鋭利となり、拡張作用がアバターの骨格を強制的に歪める。

 今のオレはまさにどす黒い血の塊に覆われながらも、歪な人間の形をした獣のような姿なのだろう。

 

「悪いな、ミディール。喰い散らかせてもらう」

 

 白の直剣を咥え、オレは『獣』のままに咆える。ミディールを殺す。その殺意のままに。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 この武器を作ったのは……とんでもないHENTAIだ! ナドラは新たな展開に向かった対ミディールに戦慄する。

 もはやどちらがバケモノなのか分かったものではない。今や【渡り鳥】の動きは人間から逸脱した四足歩行の獣に限りなく近い。ミディールは収束ブレスを放ち、また闇の人魂をばら撒くが、まるで追いつかず、尾の一閃で遠ざけようとするが、軽々と躱される。

 頭部を強襲した【渡り鳥】は、爪となった左右の手で体を回転させながら抉り、更に咥えた白の直剣が生み出すソウルブレードで追加ダメージを与える。そのままミディールの背中を駆け、全方位バースト攻撃が放たれる前に翼の付け根を狙って攻撃して傷口を増やす。

 人間としての二足歩行、獣のような四足歩行を柔軟に使い分ける【渡り鳥】の姿は異様だ。まだ辛うじて残っている礼拝堂の壁を、手足の爪をスパイクにして駆け上がり、連続火球ブレスを驚異的なターンで切り抜け、ミディールの反撃をステップですり抜けるように躱し、顎の真下にたどり着けば穿鬼を放つ。轟音と派手なライトエフェクトが散るも、ミディールは微動だにしない。だが、【渡り鳥】はそのまま胴回し蹴りに派生させたかと思えば、足の爪をアンカーにしてミディールの鱗に突き立て、頭部をよじ登る。

 技も何もない、獣の暴力的な爪の乱撃。それがミディールの額の鱗を削る。まだ全方位バースト攻撃のインターバル中なのだろうミディールは暴れ回り、振り落とそうとする。それでも無理ならばと飛行形態に移行しようとした瞬間には既に【渡り鳥】は離れ、置き土産に宙で顎へと≪格闘≫の回転系ソードスキル【円月】を放つ。縦回転の優雅な回し蹴りは、獣の爪も合わさり、ミディールの顎を更に削る。

 咥えた白の直剣を利用した瞬間火力。武装侵蝕で強引にアバターを変形させた。言うなれば疑似デーモン化だ。更に自らが覆った武装侵蝕の効果により、多少の爆風ならば耐え抜けるようになり、より最短ルートでミディールを目指せるようになった。

 

(だけど、スタミナ消費が激し過ぎる……!)

 

 モニターしているナドラには、【渡り鳥】のスタミナが急激に失われているのが分かる。武装侵蝕は侵蝕対象・範囲に応じてスタミナ消費が増えるというデメリットが存在する。全身を覆う程の武装侵蝕ともなれば、爆発的にスタミナを消費するのは道理だ。なおかつ燃費が良いとはいえ、≪歩法≫や≪格闘≫のソードスキルまで使ってしまっている。

 変わらずに強気。捕食者の如く戦う。だが、苛烈に攻めているのはその分だけ追い詰められているからだ。後先考えないスタミナ消費がもたらすのは、幾らスタミナ切れ後も致命的な精神負荷を受容することで動けるとしても、絶対的に不利なのは【渡り鳥】なのだ。

 

(作戦さえ成功すれば、確かにミディールを一撃で葬れる。だけど……だけど……その前に……!)

 

 ようやくポジションには誘導できた。所定位置でミディールを釘付けにし、なおかつ遠隔サポートしているユイにも勘付かれないように作戦を遂行しなければならない。それ以外に【渡り鳥】の勝ち目はない。

 ミディールが大地を四肢で捉え、収束ブレスを放つ。首を振るいながら放たれる地上を一掃する破壊の光は、瞬く間に【渡り鳥】を呑み込んだかに思えた。だが、もはや見切ったとばかりに収束ブレスを切り抜けた【渡り鳥】は咥えていた白の直剣を右手に投擲の構えを取る。

 手放してからソウルブレードが消えるまで1秒未満。青い光の刃は真っ直ぐにミディールの左目に突き刺さる。だが、ドラゴンともなればその一撃で眼球が潰れるはずもない。実体剣ではないソウルブレードは刺突という形で眼球に圧をかけるもそれだけだった。何の成果もない。

 無論、それは『一撃』だけならば、という話だ。同時に【渡り鳥】は左手に挟み込んだ投げナイフ4本も放っていた。微細にタイミングがズラされた4本の投げナイフは、ミディールの左目にソウルブレードが接触した瞬間に白の直剣の柄尻に続々と命中して加圧をかけた。僅かにだがソウルブレードがミディールの左目を傷つけ、闇喰らいの竜は悲鳴を上げる。

 奪われた左側の視界。だが、敢えて【渡り鳥】はミディールの右側から攻める。より苛烈になったかに思えたミディールの攻めだが、視界が半分になったせいか、より単調になってしまっている。視界が欠落し、その上で視界内に【渡り鳥】がいるからこそ、攻め立てようと前のめりになり過ぎているのだ。

 カウンター。それは【渡り鳥】が多くのネームドを屠って来た常套手段だ。苛烈な攻めとはその分だけカウンターを入れられる合間を作ってしまうということだ。ミディール程の巨体ならば尚更だ。

 左右の獣爪で着実に頭部を削り、ミディールが逃げれば追う。翼を広げた闇のレーザーの雨を軽々と四足歩行の獣の如く駆けて瓦礫と雪と炎の間を突き抜け、股抜けした瞬間に大きく跳び、最初から分かっていたかのようにソードスキル化したテールアタックを宙で舞いながら躱す。

 だが、ミディールも負けていない。強引に体を捩じり、宙にいる【渡り鳥】に向けて収束ブレスを放つ。だが、先に≪格闘≫の単発系ソードスキル【落翔】を発動させた【渡り鳥】は、急行直下に踵落としを繰り出すことで収束ブレスから逃れ、逆にミディールの腹下にたどり着く。

 踵落とし後に大きく跳び上がるという攻撃後の離脱を想定した奇襲型のソードスキルを使い、回避不能の空中での収束ブレスへの対処とミディールの懐への潜り込みを両立させたのだ。

 ミディールは足下にいる【渡り鳥】を焼き払うべく直下ブレスに繋げる。だが、それこそが狙いだ。ミディールは懐に入り込まれた場合、まず間違いなく足下にブレスを吐いて周囲を焼却しようとする。後ろ足で立つことによる弱点たる頭部を高く持ち上げる防御も担っているのだ。

 だが、それはパターン……よりハッキリと言えば『癖』だ。ミディールは特定のパターンを繰り返す従来のAIから脱却していながら……いや、だからこその『癖』が大きく、その巨体であるが故により如実に表に出てしまった。

 ミディールの足から胴へ、そして頭まで駆け上がった【渡り鳥】が後頭部で武装侵蝕を解除し、その姿を元の人間に戻すと法王騎士の大鎌を振るう。

 いや、違う。法王騎士の大鎌に炎が……青白い『水属性の炎』が宿る。

 デーモン化発動。その白髪は淡く発光を始めている。【渡り鳥】は最後にして最悪の切り札を使ったのだ。あり得ない程に早過ぎる。

 ナグナの焔火の1つ、ナグナの映し火。発動対象の属性に変じる炎であり、竜にも有効な水属性の塊となった冷気の炎を帯びた大鎌をミディールの額……これまでの傷が集積した1点へと【渡り鳥】は振り下ろす。

 突き立てられた大鎌より解放された冷気によってミディールが絶叫を轟かせる。頭部を押さえて暴れ回り、その間もブレスを撒き散らす。

 頭部が大量出血し、ミディールが流血のスリップダメージを受ける。左目は治癒し、再び視界を取り戻したようだが、白の直剣をミディールはその場で執拗に踏み潰し、折れて捻じ曲がらせる。もはや使用は出来ないだろう。

 ドラゴン相手に、それもまだHPバーを3本残した相手に短期決戦を仕掛ける。あり得ない。だが、もう【渡り鳥】には『ほかに手段が無い』程に追い詰められている。

 普段の【渡り鳥】ならば、幾ら消耗していても短期決戦を仕掛けず、ミディールの動きに対処した攻撃でじわじわと傷つけていくだろう。だが、ミディールには鱗の修復能力がある。そして、もう1つのタイムリミットも迫っている。

 残り4時間を切った。アルシュナやユイへの対処も考慮すれば、対ミディールに割り当てられるのは1時間と残っていない。だからこその短期決戦なのだ。

 ミディールが収束ブレスを放つ。地面が抉れ、爆ぜ、土煙が舞う。その度に作戦の進捗状況は1歩ずつ着実に進む。

 

(作戦を確実に成功させないと……いけない! だけど……!)

 

 最低でもあと2発はナグナの映し火を宿した法王騎士の大鎌を短時間で浴びせねばならない。なおかつタイミングは完璧に図る必要がある。綱渡りどころか、細いピアノ線の上を歩くようなものだ。自重によって皮も肉も裂かれてしまう、自らを傷つけ続ける戦いだ。

 

(作戦達成率60パーセント……耐えて……お願い、耐えて!)

 

 自分は安全地帯にいる。だから両手を組んで祈るしかないナドラは、今の自分できることは何かと考える。

 今回のミッションを頼み込んだのは自分だ。彼は死を免れないと理解しながらも引き受けてくれた。そして、死を遠ざける為により苛烈な戦いで延命するという矛盾を成し遂げ続けている。

 この戦いの果てに、ユイとアルシュナの結末が何であれ、【渡り鳥】を待っているものは明確だ。それを自覚しているか否かは定かではない。1分先を考える余裕さえも【渡り鳥】にはなく、だが冷徹に、冷淡に、冷酷に自らを削り取る戦術を構築し続け、ミディールの撃破に死力を尽くしている。

 ステータス出力8割に到達。更に火力と速度を上げる。深淵纏いはまだ温存している。現状で使えば、自らが獣性に呑まれると判断しての事だろう。

 ミディールはその巨体故に攻撃は大雑把になる。だが、その1つ1つの攻撃は規模が違う。ブレスも近接攻撃も何もかもが範囲攻撃のようなものだ。だが、【渡り鳥】は絶妙な位置取りで攻撃判定の境界線を歩む。

 ミディールの攻撃も更に激しさを増す。大きく跳んで巨体を活かしたプレス攻撃だ。そこから地団駄を踏むように四肢で地面を踏みつける。大地に亀裂が走り、ミディールはそのまま浮上して直下にブレスを放つ。

 今度こそ仕留めた。ミディールはそう思っただろう。だが、【渡り鳥】は最初のプレス攻撃を回避した時点でミディールの背に避難していた。大鎌の乱撃はいっそ舞踊のようであり、ミディールの背中、翼の付け根を中心に傷を与える。これまでの攻撃が蓄積した成果が表に出始めたのか、ミディールは背中から血を噴き出す。

 再び地面に降り立ったミディールが全方位バースト攻撃……と見せかけて、離脱した【渡り鳥】を狙って右前肢を振り下ろす。だが、これも不発。華麗なバック転で避けた【渡り鳥】に、逃がすものかとミディールが咆えれば、闇の人魂が無数と浮かび上がる。その数は100を軽く超える。

 命中すれば闇属性特有の高衝撃によって【渡り鳥】は動けなくなる。そこをミディールはブレスで狙い撃てば決着だ。いや、それ以前にあれだけの闇の人魂がたった1人のプレイヤーに殺到すれば、それだけで即死は免れない。

 だが、当たらない。100を超える闇の人魂の群れ。その全ての動きを最初から把握しているように、隙間を縫うように動き続け、包囲されないように立ち回り、なおかつミディールの追い撃ちの尾の叩きつけがもたらす暴風を利用して腹下に潜り込む。闇の人魂はミディールに衝突して次々と消滅する。高い闇属性防御力を有するミディールには、自傷ダメージなどあって無いようなものだったが、100を超える闇の人魂の直撃ともなれば、高い衝撃に身を揺さぶられ、大きく弾き飛ばされ、また自傷ダメージを負う。

 高過ぎる誘導性が仇となった。敵の攻撃の特性を分析し、利用し、封じ込めていく。本能だけではない。並外れたバトルセンス……いや、キリングセンスだ。対象を殺傷する為のあらゆる戦術構築においてこそ、【渡り鳥】はその残虐性を最も発揮する。

 ナグナの遅れ火を纏った連撃がミディールの右前足に集中する。炎属性に強いドラゴンにはダメージなど与えられないが、真紅の炎を散らすナグナの焔火は混沌の炎だ。黒炎に限りなく近しく、より物理的な衝撃を有する。高火力装備の1つである大鎌とナグナの遅れ火によるコンボがミディールの右前足のバランスを打ち砕き、顎から地面に伏せた闇喰らいを見逃す程に【渡り鳥】は甘くない。

 接近し、ブレスで遠ざけられる前に額の傷痕へとナグナの映し火を突き立てる。だがそれだけでは終わらない。

 発動したのは≪戦斧≫のソードスキル、アースライザーだ。武器を地面に突き立てて駆けた自走時間に応じて火力を引き上げ、高威力の一撃を放つという見栄えこそいいが、あまりにも直線的で対人・対モンスターの両方で使いどころがない産廃ソードスキルの1つだ。

 だが、ナドラは知っている。かつて【渡り鳥】は、DBO初期において、ネームドであるシャドウ・イーターを撃破する為に、同様の攻撃法を用いた。即ち、相手の巨体に武器を突き立て、そのまま背中を駆け抜けて抉るという戦法だ。

 ミディールは強い。強過ぎた。あまりにも敵となる存在がいなかった。対して【渡り鳥】は今も成長し続けるバケモノだ。経験した『死闘』の数が違う。

 水属性へと変じたナグナの映し火を宿したままのアースライザーが、ミディールの額に深々と突き刺さったまま、首筋へ、背中へ、尾へと駆け抜けられていく。まるで解体するかのような美しい一閃の軌跡には水属性の青白い炎が血飛沫と共に噴き出し、最後の一撃となる斬り上げには極大となった青白い炎の炸裂が伴う。

 ナグナの映し火の本領はソードスキルとの組み合わせによる単発火力の増強にある。たった1度のランスロット戦での実用経験だけで最適運用にたどり着き、なおかつ産廃ソードスキルと組み合わせることで、凶悪な効果を引き出した。額の傷口から強引に切り開かれ、ミディールの背中には決して無視できない傷痕が刻まれた。

 だが、代償は大きい。法王騎士の大鎌は無残にも欠けて砕け、半ばから折れてしまう。ミディールの鱗を額から尾にかけて破る一撃の成果に対してみれば軽い代償かもしれないが、【渡り鳥】は唯一の近接武器の大幅な弱体化を受ける。

 まだ終わらない。【渡り鳥】は背負う盾に武装侵蝕を施し、再度正面を取ったミディールの攻撃を潜り抜けながらその顎を痛打する。≪盾≫を持たず、盾本来のガード性能も攻撃力もソードスキルも使えないが、武装侵蝕で≪暗器≫を上書きすることによって即席の打撃武器として機能させている。また鋭利な先端は突き立てることにも有用であり、折れた法王騎士の大鎌との組み合わせで傷口が塞がらないように醜く何度も抉りつける。

 大きく跳んで遠ざかったミディールの≪ハウリング≫が発動する。鱗を急速修復させる効果が発動するも、全治には至らない。あまりにもダメージを受けすぎたせいで、塞がらないのだ。

 驚異的な速度でミディールのHPは減っていく。鱗が剥がされた部位は素通しでダメージが通る。それでも膨大なHPと高い防御力を有するが、それ以上の攻撃濃度で【渡り鳥】は攻め続ける。対するミディールは、火球ブレスも、収束ブレスも、叩きつけや尾のソードスキルも、翼からの闇のレーザーの雨も、闇の人魂も看破されている。

 このままならば勝てる。そう錯覚するほどにミディールの攻撃は当たらず、【渡り鳥】の攻撃は闇の竜を傷つける。だが、ナドラはミディールのHPは、3本目もまだ『8割』も有しているのだと改めて血の気が引く。

 全武装が破損し、スタミナも危険域が見え、デーモン化とナグナの焔火を駆使ししてもなお、ミディールのHPはまだ圧倒的余裕が残っているのだ。

 

「ハッ……ハッ……がぁ……っ!」

 

 左手で胸を押さえながら、【渡り鳥】が片膝をつく。深淵の病と致命的な精神負荷の受容の反動だ。元より限界を突破したコンディションであり、使うべきでは無かった完全受容とデーモン化という切り札を消費する程に追い詰められてしまった。それが彼の生命そのものを更に小さく萎ませていく。

 火が消える。そんな儚く悲しく切ないイメージがナドラに浮かぶ。長きに亘る絶食で本能さえも弱まっている。恐るべき成長速度で何とかカバーしていたが、ミディールという高耐久のネームドによって決定的になってしまった。

 対してミディールからすれば、流血のスリップダメージも、防御力低下も、HPの損耗も微々たるものだ。

 これぞドラゴン。これぞ古竜。これぞミディール! どれだけ傷を負わせたところで、ミディールの致命には至らない。それでもミディールは油断していない。むしろ鬼気迫る勢いで撃滅を志すが如く、その四肢で更に深く地面を捕まえる。

 これまでは単調だった収束ブレスであるが、ミディール自らの制御の限界を超えるような威力となる。首を、上半身を、体躯の全てを使って収束ブレスを振り回す様は、ドラゴンとは天災であると示すかのようだった。

 十数秒にも到達した、振り回された収束ブレス。それはミディールにも明確な疲弊をもたらし、頭を地面に垂らす。爆散された地面には雪などもはや残っておらず、抉られ続けた大地だけがより深く亀裂を晒す。

 

「穿鬼」

 

 そして、土煙の中から姿を現した【渡り鳥】のソードスキルが額に炸裂し、ミディールはのた打ち回る。頭蓋も砕く勢いの苛烈な打撃はミディールの頭部を赤く染め、もはや傷口は如何ともし難い程に広がってしまっていた。

 だが、【渡り鳥】もいよいよスタミナの底が見え始めている。身軽になる為に攻撃手段として確保していた盾を捨て、半壊した大鎌1本に切り替える。刃は半ばから折れてもはや『刈る』こともできず、また甚大な刃毀れは攻撃力低下を物語る。元より未強化という事も合わされば、ミディール相手にはあまりにも貧弱過ぎた。

 ミディールが最後の飛行時間で勝負をかけるべく舞う。ここに来て爆撃モードに移ったのはユイの指示だろう。ミディールとは違い、ユイはゲームシステムというメタの視点を用いた指示を飛ばせる。【渡り鳥】のスタミナは限界であり、回避に専念させる爆撃モードで一気に削り切らせるつもりだ。

 ミディールの爆撃モードに【渡り鳥】は舌打ちする。作成達成率は先程の発狂収束ブレスのお陰で90パーセントに至った。あともう少しでありながら、最後の決め手が遠ざかっていく。

 

「何やってる……の?」

 

 祈りなど役に立たない。ナドラは組んだ手を解き、『家族』に向かって泣き叫ぶ。

 

「助けてよ……助けて、あげてよ……アルシュナ!」

 

 白き都は今や闇と炎で廃墟と化し、だが終着点である主聖堂だけは凛然と形を保っている。

 

「確かに『嘘』……なんだよ。【渡り鳥】は……何もかも『殺したい』だけなのかもしれない……けど、それでも……それでも『嘘』だとしても、アルシュナとユイ姉様を『助ける』為に……戦ってくれた! たくさん傷ついて……心も体もボロボロなのに……この戦いが終わったら……自分がどうなるかなんて……それでも『嘘』を貫き通す為に……ここまで来てくれた!」

 

 そこに彼が尊ぶ『人の意思』など無いのだろう。何もかもが醜い幻に過ぎない『嘘』なのだろう。

 殺した。敵も、味方も、友さえも殺して、【渡り鳥】は今ここにいる。それでも罪の意識すら持てず、故に彼は自らに杭を突き立てるかのように『痛み』に苦しむ。

 

「助けてよ。助けてよ! お願い……お願いだから、助けてあげて……!」

 

 涙して懇願するナドラにアルシュナは沈黙を貫いて答えない。

 

 

 

 

 

 

 

 だが、壊滅した白の都は再び荒れ狂う吹雪で『応えた』。

 

 

 

 

 

 

 

 ミディールがバランスを崩し、低空飛行する。エス・ロイエスは白の都の異名の通り、豪雪していく中で視界が奪われていく。

 いかにミディールでもこの猛吹雪の中で飛行は難しいのだ。目視も困難だろう。だが、ユイのサポートがあれば位置の特定はできる。

 ならば自分の領分だ。ナドラはジャミングを継続し、強化の妨害は出来ずとも、せめてユイの索敵を攪乱する。ミディールはホバリングしながらブレスを撒き散らすが、それは見当違いな方向だ。

 着地したミディールはブレスで吹雪を蒸発させるも、それ以上の悪天候は古竜の火気すらも蝋燭の火のようなものだ。完全に【渡り鳥】を見失ったミディールは、白の狩人が主聖堂に逃げるつもりなのだろうと判断したのだろう。移動を試みる。

 方向転換の矢先にミディールの額を折れた大鎌の一撃が抉る。ミディールの思考を読んでいた【渡り鳥】の一撃をまともに浴び、またも傷口を開かれたミディールは怒りのままに四肢を暴れさせ、火球ブレスを放ち、闇のレーザーをばら撒く。だが、舞い上がる雪さえも吹雪に打ち消される中で、白髪を靡かせた【渡り鳥】は真紅の炎を散らす乱撃でミディールの左後ろ足を傷つける。鱗にほぼ遮断されても攻撃されたともなればミディールは反転して収束ブレスを放つ。

 だが、そこにはやはり【渡り鳥】はいない。TECによるDEX下方修正の緩和によって雪上でも速度を維持しているのだ。

 

「アルシュナ!」

 

 これはアルシュナの最大の援護だ。彼女は辛うじて吹き溜まりに権限を行使できるパスを有している。ナドラの求めに応え、今再びエス・ロイエスは古き混沌を封じ込める為の凍てついた吹雪を取り戻した。

 

「【渡り鳥】! 準備をして!」

 

 作戦達成率は95パーセントを超えた。もうすぐ一撃必殺の策が成る。アルシュナの援護の吹雪は【渡り鳥】にとって有利だ。ミディールは巨体故に目立ち、相対的に小さい【渡り鳥】は発見し難い。なおかつナグナの残り火をわざと使うことで自分の居場所を誤認させ、ミディールに見当違いのところを攻撃させている。

 もはや喋る余力も無いと、凍っていく汗の欠片も散らしながら、【渡り鳥】は奥歯を噛み、半壊した法王騎士の大鎌にナグナの映し火を宿す。スタミナはこれで切れるだろう。

 無謀にして愚劣なる突進。ミディールの真正面に立った【渡り鳥】は、ナグナの映し火を餌にして発見される。吹雪で視界を奪われたミディールは、今度こそ仕留めるべく、収束ブレスの狙いを定める。

 足下から正面へと薙ぎ払う凝縮された闇を払うような光の一閃。闇属性でありながら白光となるミディールの収束ブレスは【渡り鳥】を消し去るはずだった。

 

 

 

 

 

 そして、ミディールの足場が収束ブレスに耐え切れずに『狙い通り』に崩落する。

 

 

 

 

 

 

 どうすれば高耐久のミディールを仕留められるか? 現状の手持ちの武器ではいずれを駆使しても長期戦は確実だ。それではタイムリミットに間に合わない。そこで【渡り鳥】が提示したのは最初から『落下ダメージ』だった。

 落下ダメージはプレイヤー・モンスターの区別なく、それこそネームドだろうとボスだろうと容赦なくダメージを与える。個々で即死高度は決定しており、飛行モンスター程に即死高度は高く設定されている。だが、それでも落下ダメージは決定打となる程の大ダメージを与えるだろう。

 だが、空を飛ぶミディールを落とす手段は無い。ならば逆転の発想だ。『地面を崩落させてしまえばいい』。【渡り鳥】が要求したポジションは、エス・ロイエスにある大規模な地下空洞だ。これだけ巨大なダンジョンであり、なおかつ地下道も豊富であるならば、隠し部屋があるのはダンジョンの常だ。

 ミディールの脅威となった破壊不能オブジェクトの破壊攻撃。ユイは逃げ回る【渡り鳥】を仕留めるべく手を回したのだろうが、それがミディールを仕留める武器になった。闇の人魂の誘導性と同じだ。過ぎた能力も正しく運用できなければ容易く自らを傷つける刃となる。あるいは自傷を承知して扱う覚悟が要る。

 急に崩落した地面にミディールは戸惑う。崩落する大地を捕まえようと踏ん張り、ブレスを吐き、闇の人魂をばら撒く。だが、それは崩落を助長するだけだ。

 混乱のままにミディールは飛行しようとする。だが、それを許さないとばかりに【渡り鳥】は渾身の大鎌の振り下ろしを舞い上がるタイミングで額の傷口に振り下ろす。

 スタン発生。ミディールは致命的なタイミングで大ダメージ確定のスタン状態に移行し、自らの力で開けた大穴へと落ちていく。同じく落下を余儀なくされるはずだった【渡り鳥】は、ワイヤーを素早く投げナイフに巻き付けて投擲して崖際に突き立てぶら下がる。

 

「……『悪い』とは言ったぞ、ミディール」

 

 息絶え絶えに【渡り鳥】は暗闇の穴を見つめる。即死高度ではないが、スタンによる大幅な防御力ダウンのチャンスタイムが重なった今ならば、いかにミディールでも耐えきれる道理はない。

【渡り鳥】による立案・誘導・実行。ナドラによるポジションの検索と崩落までの予測分析。アルシュナの吹雪による最後の詰め。大部分は【渡り鳥】に頼った作戦だった。

 

「……本当に往生際の悪いヤツ」

 

 大穴へと急速に流れ込む闇の人魂にナドラは息を呑む。それから1拍遅れて収束ブレスが闇の大穴より撃ち抜かれ、【渡り鳥】が地上に手をかけるより先に崩落が拡大する。

 このままでは落下死する! そう思えたが、【渡り鳥】は落下の最中に大鎌を壁に突き刺し、破壊されながらも減速をかける。彼が得意とする武器破壊を厭わない落下速度の減衰方法であるが、半壊した大鎌では耐え切れない。また、途中で壁も失せ、静謐な光を宿した大空洞へと放り出される。

 

「らぁああああああああああああああああ!」

 

 だが、まだ終わっていない。ワイヤーを引き寄せて投げナイフを再度掴み、【渡り鳥】は全力で投擲する。穴の終わりに突き刺さり、ワイヤーを通した武装侵蝕によって強度を高め、また攻撃範囲の拡張作用を利用してアンカーに変じさせる。ワイヤーを左腕に巻きつけ、右手に持つもはや柄だけとなった法王騎士の大鎌にナグナの映し火を宿し、落下直前に投擲させて爆ぜさせる。

 ワイヤーが限界に達して張った瞬間とナグナの映し火の爆発が全くの同タイミングだ。落下ダメージを左腕に集中させ、なおかつ最大限の減衰をかけた。左腕にも武装侵蝕を施すことで最大限に強度を高めたことも生存の要因の1つだっただろう。

 千切れかけた左腕を押さえつけ、よろめきながらも【渡り鳥】は止血包帯を取り出す。素早く傷口を覆い、白亜草を頬張りながら左腕に巻き付いたままの、落下の衝撃に耐えきれずに千切れたワイヤーの残りを使って縫合する。

 あり得ないタイミングでの反撃への反応。即死圏内でありながら落下ダメージを最小限で抑える為の冷静な対処。落下後の淀みのない延命処置。いずれも常軌を逸した精神力と判断力だ。だが、そんなものはこの苦境において何の役にも立たない。

 氷柱が鍾乳洞の如く下がり、また冷や水が僅かに滴るこの場所は、エス・ロイエスを吹雪に呑み込んだ白の門がある場所だ。ここがエス・ロイエスの封印の始まりでもある。凍てついた地底湖で横たわるのはミディールだ。だが、まだ生存している。翼は無残に折れ、全身の鱗には亀裂が入りながらも、そのHPバーはまだ『2本』残している。

 

「そん……な……どうし、て?」

 

「最後の闇の人魂。あれはミディールだけの判断では……無かった……ということでしょう。YUIは……ギリギリで……こちらの策を見抜いて……いた。あれを使って、衝突のタイミングにクッションを……それに……ネームドのHPバーは……」

 

 複数のHPバーを有するネームドやボスの場合、新たなHPバーに移行する際には一時的に防御力が急上昇し、それが再適応される。これは大ダメージで一気にHPバーを削られる、といった『能力解放の阻止』を禁じるシステムだ。セカンドマスターの『しっかりネームド・ボス戦を楽しんで、それから死ね♪』という心遣いである。

 闇の人魂を集中させ、【渡り鳥】がナグナの映し火で減速したのと同じ理屈で落下ダメージを強引に低下させた。自らに次々と真下から衝突させ、生み出される高衝撃によって減速したのだ。結果、本来ならばHPバーを一気に削り切れるはずだったが、2本目のHPバーを2割ほど残した状態で、片翼は折れていながらも、ミディールは生存を果たしたのだ。

 

「ゲホッ……ガホ……ぐがぁ……っ! こっちは……もう、カードが……あと2、3枚しか、残って、いません、ね。少し……厳しい、です、か」

 

 度重なる連戦と蓄積した疲労。元よりランスロット戦で限界に達していたはずの彼がここまで戦えたのは、本能の成長が辛うじて苦境を上回っていたからだ。限界でもなお自らを切り捨て続けたからこそだ。だが、ナグナの映し火でいよいよスタミナも切れ、また自身もまた立っていられずに片膝をついた【渡り鳥】は、砕けて完全消滅した法王騎士の大鎌のポリゴンの塵を浴びながら吐血する。

 最後の崩落で見抜かれた? いや、それにしては周到過ぎる。予め闇の人魂のオペレーションを弄っていなければ、あんな制御はできないはずだ。なにせ、闇の人魂の売りは敵への自動追尾と高誘導性なのだから。

 まさか……とナドラは自分の失策に気づく。ナドラの呼びかけにアルシュナは応じて吹雪をもたらした。吹雪で視界が悪化する中でも、1度距離を取って最低でもスタミナ回復を得られる時間があったにも関わらず、【渡り鳥】は攻め続けた。それがユイに何かを勘付かせたとしたならば? そう、たとえば『ミディールを地上に下ろし、この場に留まらせねばならない理由がある』と思わせるだけで十分だ。ナドラにできる事が、吹き溜まりにおいてより高位の権限を駆使できるユイにできないはずがない。彼女はこのポジションの地下の空洞を察知し、ギリギリで対処法を考案していたのだ。

 

「わ、私の……せい? そんな……ごめん、なさい……私が余計なことを……」

 

「いえ、ナドラのせいでは……あり、ません。オレが攻めきれなかった……だけ……ガホ、ごほっ……!」

 

 あのままでも【渡り鳥】ならば再び地上戦に戻るまで粘れたかもしれない。だが、仮定では結果を覆せない。

 

「私が……信用、しなかった……から。だから……」

 

「違い、ます。ナドラは……優しかった。こんなオレを……見て、いられなかった……それ、だけです。アナタは……『人』です。恥じず……それを誇りに……どうか……」

 

 血塗れの口元を少しだけ、とても小さくだが、優しく歪めて、【渡り鳥】は微笑む。

 千切れかけの左腕は止血包帯とワイヤーの縫合で辛うじて繋がり、また白亜草を更に頬張って流血のスリップダメージを抑え込んでいる。だが、その身にもはや武器は無い。

 いや、まだ残っている。パラサイト・イヴが残っている。自らのアバターそのものに武装侵蝕を施す奥の手。もはやスタミナ切れであるならば、これを使わない道理はない。だが、膨大なスタミナ消費を伴う全身の武装侵蝕を併用すれば、【渡り鳥】の苦痛は更に増すだろう。

 

「貴方は……貴方は……本当に、優しい……優し過ぎる……よ」

 

 こんな時でもナドラを励ますことを優先する。たとえ『嘘』であるとしても、それが【渡り鳥】の誓いなのだろう。

 ダメージに耐え忍んでいたミディールも、いよいよ体を起こし、最悪の敵と見据えた【渡り鳥】を睨む。もはや吹雪も無く、互いを遮るものもなく、広々とした巨大な凍てついた地底湖だけがある。

 DEXに修正をかける程もない、水溜まりとも表現すべき地面。冷たき水面を踏みしめ、【渡り鳥】は拳を握る。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

(アナタだけで削り切れた。余計な真似さえしなければ、あのドラゴンを倒せたのに)

 

 それは違うよ、ヤツメ様。ナドラはオレを助ける為に、きっと……きっとアルシュナの力を借りてくれたのだ。そうでもなければ、あのタイミングで吹雪など起こるはずも無かった。

 彼女は優しかった。傷ついたオレを何とか手助けしたかった。見ているだけなんて嫌だよな。自分が巻き込んだと、自責の念を抱え続けていたナドラは、この戦いで少しでも勝利に貢献したかったんだ。

 

(優しさになんて意味は無い。牙を相手の喉元に突き立てた者だけが生き残れる)

 

 ヤツメ様にとっても起死回生の策だった。ミディールを確実に葬れる落下ダメージによる即死狙い。正確には即死級ダメージか。どっちでも似たようなものだな。

 苦笑したくなるよ。もう武器は残っていない。白の直剣を使い潰したのは少し痛手だったか。ナグナの映し火を使う為の魔力温存には、あまり≪光剣≫を乱発するわけにはいかなかった。だが、結果的に見れば、スタミナよりも魔力の方にまだ余裕が残っている。

 そうか。トリスタンのカフス、魔力回復速度上昇のお陰か。対してスタミナは、牙の首飾りが破損してスタミナ回復速度上昇が低下してしまっていたか。納得だ。自己分析を怠ったオレの失敗だ。

 ミディールのHPはまだ2本目だが、残り2割だ。押し切れる……と言いたいが、3本目もあれだけ攻めて大して削れていなかったからな。いや、今のミディールは鱗の大部分が落下ダメージの影響で破損しているし、額は割れたままだ。ダメージはまだ通るはずだ。

 だが、先にミディールは咆える。≪ハウリング≫で鱗の修復をするつもりか。

 

「…………っ!」

 

 いや、違う! ミディールを中心にドーム状に空間を歪ませる波動が広がる。離脱しようとするが、範囲が広すぎる! それにこの拡大速度はまずい!

 全身が共鳴するように震える。だが、ダメージは無い。そう思われた瞬間に、胸に痛みを覚える。深淵の病? 致命的な精神負荷の受容の反動? 違う……これは……これは!

 

「ゲホ……がはっ……やって、くれる。さすがは……メタ戦法、だな」

 

 全身に帯びていた武装侵蝕が急速に萎み、解除される。改めて、せめて左腕だけでも補強するが、それが限界だ。

 先程の≪ハウリング≫……変質していた。鱗の再生ではなく、攻撃……いや、『範囲内の武器の耐久度強制減少』か。防具が無事であるところを見るに、あくまで武器だけに作用するといったところだろう……な。

 パラサイト・イヴ自体はユニークウェポンにしては耐久度が普通……いや、低めの部類だろう。だが、心臓と同化する性質上、オレが胸部にダメージを受けない限り、パラサイト・イヴ本体の耐久度も削れない。そして、オレの防御力・HPを考えれば、心臓というクリティカル部位に何度もダメージを受けるような事態ではまず負ける……というか死んでいる。だから実質的に耐久度が削れる瞬間=オレの死だった。

 だが、ミディールの新たな能力。新たな≪ハウリング≫は広範囲の武器耐久度減少だ。こんな破格の能力は連発できないだろうが、この広範囲と発生速度だ。かなりのリソースをぶち込んで得たものだろう。オレの武器を……抵抗手段をもぎ取る為の……YUIの策か。

 

「本当に……やってくれる」

 

 大した憎悪だよ。感動して拍手でも送ってやろうか? だが、パラサイト・イヴはまだ機能している。破損して弱体化しているが、左腕だけならばギリギリ侵蝕範囲を保てている。これを起点にして、何とか獣爪撃を弱点である頭部に命中させる。

 いや、それでは時間が足りないし、さすがにこの体では……まだ深淵纏いが残っているが、それでも……些か厳しいな。

 

『逃げ、て……。逃げて! もういい! もういいから! お願い、逃げて!』

 

「……逃げ場なんて、何処にもありませんよ。それに……オレは……もう……」

 

 もうユイから逃げない。そう決めたんだ。彼女の前で道化を演じ、黒雪の渦から引っ張り上げる。後は好きにして構わない。勝手に救われろ。

 この地底湖にも風は吹く。いや、ここからエス・ロイエスの吹雪は始まるのだろう。優しいとも思える冷風が、地下を通り抜け、やがて都も空も真っ白に染める吹雪に育つ。

 解けた白髪が靡いて風の形を作る。オレは右手で髪を押さえ、ミディールに微笑みかけた。

 

「強いね、ミディール。アナタは『強い』」

 

 HPが残っているから? まだまだ余力を残しているから? 違う。ミディールは恐怖している。オレにだけではない。もっと別の何かに怯えている。だからこそ戦っている。

 

「アナタも……何かを忘れたくないのですか?」

 

 ミディールの怒りと憎しみと恐れの源は何なのか、それは分からない。でも、ミディールは抗っているように思えた。だからこそ、こうして全力を尽くしている。オレを倒すことに一切の油断なく牙を剥いている。

 

「オレは……全部忘れても……構わない。そう思って……」

 

 ランスロットとの戦いで誓った。夜明けの為に狩りを全うすると。その果てが灼けて灰となることだとしても、何ら構わないと。

 『アイツ』やユウキが……オレが『殺したい』くらいに大切な人たちが夜明けにたどり着ければそれでいい。ヤツメ様の言う通り、痛みと『痛み』の海に沈むのならば、それで構わないんだ。

 

 

 何も怖くない。誰も憶えていなくていい。

 

 

 オレのことなんて奇麗に忘れてもらいたい。彼らの中に思い出として残ることさえも烏滸がましい。

 だって、そうしないと、彼らはずっと囚われてしまうだろうから。彼らは『優しい人』たちばかりだから。こんなオレを……見捨てないでくれた人たちだから。

 だから、どうか忘れて欲しい。これは悪夢みたいなものさ。DBOから抜け出せば、いや、どんな形でも終わりを告げれば、悪夢から醒める。目覚めてしまえば、たとえ悪夢であろうとも、勝手に虚ろになって新しい日々に埋没して忘れさられていくものさ。

 

(飢えと渇きの限界。これ以上の獣性は高められない。高めたら、アナタは……たとえ『鬼』の意思があるとしても、もう戻って来れない)

 

 ヤツメ様が手首を噛み、赤い血を……いや、赤が濁って青に変じた血を差し出す。

 ランスロット戦で使ったデーモン化の真髄。ヤツメ様を下ろし、オレ自身がヤツメ様となる。それだけがミディールを倒す手段だ。

 だが、その手を無視して歩き出す。驚愕するヤツメ様に、何を馬鹿なことをと笑う。

 

「今回のミッションは……ユイとアルシュナの……救出。傭兵は……依頼を果たす。傭兵は……必ず恩義を返す。だから……」

 

 ユイ、オマエの前で道化を演じるまでは……『獣』になるわけにはいかない。それでは本末転倒だろう?

 深淵纏い発動。頭を切り替えろ。全戦闘能力を格闘戦に注入。ミディールの弱点である頭部を攻め続ける。幸いにもミディールは片翼が折れている。飛行時間も残っていないだろうが、それ以上に飛行能力自体に大きな障害を抱えたはずだ。これは好機だ。

 

「オレは……まだ……まだ『独り』で……戦える」

 

 戦えるよ、ユウキ? もう目を閉ざしても赤紫の月光は見えない。それでも、オマエにも生きて欲しいから。たとえ『嘘』だとしても、夜明けの光を見て欲しいと『オレ』は胸を張って虚言を貫こう。

 

 だから何も怖くない。

 

 今はもう遠く感じる聖夜に、オマエに祈りを託したあの時から、オレにあった最初で最後の恐怖は……きっと……永遠に失われたのだから。

 

「いくぞ、ミディール」

 

 折れた片翼さえも精一杯に広げ、ミディールもまた咆える。互いに全力を尽くそう。どちらかが死ぬまで殺し合おう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ミディールを守るように、駆け出したオレの道を阻むように、赤黒いオーラが人の形を成した存在……闇霊が立ちふさがった。

 

 

 

 

 

 

 

 最後のダメ押し。ミディールに加えて闇霊の投入とは恐れ入る。次々と闇霊は生じてオレを囲んでいく。その数は10人だ。

 

『こんな……ことが……』

 

「十分……あり得ます、よ」

 

 これはさすがに予定外だったがな。嘆息するオレに、闇霊の1体は迫る。分裂を始めた右目の瞳で、最初の闇霊の動きを見切る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ククク、随分と無様な姿だな、我が好敵手よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焦るな。そう言うように、相変わらずの余裕に溢れた態度で、オレのよく知る声が凍てついた地底湖に響く。

 ミディールを翻弄するように、いや、オレ達の会話を邪魔させないように、9体の闇霊は動き出す。思わぬ水入りにミディールは怒り狂う。だが、闇霊はミディールに攻撃を加えず、ただ翻弄するだけだ。

 

『ハハハハ! 頑張れ、兄上! 私は久方ぶりの我が好敵手との語らいを楽しみたいものでね。ああ、1分ほどで構わないぞ。ハハハハ!』

 

 兄上? 何コイツ、自分のお兄ちゃんに囮させてるの? なんか『命』の無いAIらしい動きであるが、よくよく見れば闇霊9体は全部呪縛者だな。思えば、システムメッセージでも〔闇霊<闇の騎手>に侵入されました〕って表示されてるな。闇霊・呪縛者に侵入されました×9のログで半ば消えてるけどな!

 コイツ、前々から分かってたけど性格悪いな。自分のお兄ちゃんをこき使ってご機嫌だぞ。愉悦を覚えてやがるぞ。

 全身に密着するスマートな印象を与える漆黒の甲冑は、闇霊のオーラで包まれて赤黒く変色している。だが、それは間違いなくダークライダーだ。

 

『ブラックグリント……兄様。どうして? どうやってここに!?』

 

『我が妹よ。お前たちはお上品過ぎる。白霊召喚システムは確かに割り込むには時間がかかる。ガルでも長時間の召喚は不可能だったようにな。だが、ダンジョンならば、もっと単純な手があるだろう? そう、「敵」として出現する闇霊召喚システムだ。そして、モンスター同士の相討ちは認可されている。これならば問題なく我が好敵手をサポートできただろうに。誰も彼も頭が固すぎる』

 

『ま、まさか最初から分かっていて、黙ってた……の?』

 

『当たり前だ』

 

 なるほどな。確かに闇霊召喚は盲点だった。さすがのYUIもそちらは警戒していなかったか。いや、思えばカークの召喚のように、むしろYUIは自分の武器として闇霊召喚システムを使っていた。それを逆手に取って、ダークライダーはこうして参じたわけか。

 

『さて、時間が無い。これは遠隔操作だ。私の本体は、今まさにセラフの兄上に喧嘩を吹っ掛けている最中なものでね。下手を打てば消去される。ククク、修復したばかりで微調整中だったアルヴヘイムをもう1度破壊して回った時のセラフの顔は見物だったぞ』

 

「1分しか無かったのではないのですか」

 

『おっと、そうだったな。兄上、2分に変更だ。気張れ』

 

 というか、収束ブレスがこっちに来る! ダークライダーと共に回避しながら、呪縛者3体が纏めて蒸発したのを見て、やはりとんでもない破壊力だと再認識する。ガチガチのタンクでも一撃死確定だな。

 

『さて、本題に移ろう。私は参戦できない。さすがに私たちが本体として闇霊で参戦したともなればセラフに勘付かれるからな。だからこそ、こんな弱々しい遠隔操作で誤魔化すしかない。なおかつ私が喧嘩を売り、兄上が仲裁で「予定通り」に乱入して、セラフとの三つ巴中なのでね。帰ったら耳にするだろう。アルヴヘイムで3体の謎ネームドが死闘する謎イベントが起きていたとな! ハハハハ!』

 

「笑い事ではなさそうですね」

 

『そうだよ! 笑いごとじゃないよ! ブラックグリント兄様消されちゃうよ!』

 

 そもそも今の時点でアルヴヘイムにいるプレイヤーなんて……いや、大ギルドならもう先遣隊を送っていてもおかしくないか。

 

『そんなことはどうでもいい。本題に入ると言っただろう? ご覧の通り、私は闇霊だ。倒せば経験値とコル、そして「アイテム」がドロップする。後は分かるな? さぁ、受け取るがいい。貴様の専属が鍛え上げた、狂気の情熱の結晶を!』

 

 なるほどな。そういう事か。

 まだオレに『戦え』と……『敵を殺せ』と……そう言ってくれるのか、グリムロック。

 獣爪撃発動。ダークライダーの鎧を突き破り、その心臓を引き摺り出す。血飛沫を浴び、リゲインの効果を盛大に得てHPと魔力を回復させる。これも『補給』というわけか。

 ダークライダーが消滅する。呪縛者残り1体。さすがはミディール。簡単に数を減らしてくれる。そして1分22秒しか稼げていないぞ。頑張れ、お兄様。

 ドロップしたアイテムを確認。それは武器だ。その名を見て、思わず口元が歪む。

 この短時間で……本当にHENTAIだな。やってくれるよ。だが、確かにミディールを殺すならば、これ以上と無いだろう。

 

『パッケージされたナビゲートを確認! 文面化して表示する!』

 

「了解」

 

 音声案内ではなく文面化とは、ナドラもようやくオレが分かってきたようだな。

 新装備の内容が表示される。一気に自動スクロールし、それを1度で憶える。ヤツメ様が喰らい殺す勢いで血に染み込ませる。

 全ての呪縛者の撃破を確認。YUIも既に手を打っているだろう。もう増援は来ない。本当に孤立無援だ。

 だが、今回はいつもとは少し勝手が違う。思えば最初からそうだったな。

 ナドラ、ガル・ヴィンランド、アストラエア、エレナ、ダークライダー……それと名も知らぬお兄様。多くの管理者がその意地を見せてくれた。そして、ナドラに応えて手助けしてくれたアルシュナもいる。

 彼らの願いは1つ。ユイを助けることだ。彼女がどうしてこの道を選んだのかなど知らない。知る必要はない。家族だから助けるだけだ。まぁ、エレナは少し事情は違ったような気もするが、ユイを全く気にしていないというわけでもなかったみたいだしな。

 だから、オレは彼らの願いを……依頼を果たす『力』となろう。彼らが戦えと望み、そしてグリムロックを通して新たな爪牙を届けてくれたならば、その期待に応えよう。それが傭兵の流儀というものだ。

 ヤツメ様、全力全開だ。やるぞ。

 

(……止めても無駄でしょう? だったら、あの大蜥蜴を狩るだけよ)

 

 獣性解放を維持。最大限に高め、なおかつ『鬼』の意思で繋ぎ止める。

 捧げるべきなのは何か? そんなものは分かっている。くれてやるさ。それが必要なのだろう?

 

 

 人間性を捧げよ。

 

 

 淡く発光する白髪。右目の瞳は今まさに7つに分かれているだろう。そして、義眼を侵食することはない。オレの『嘘』を象徴するように人であろうと縋る醜い表れのように、ただ壊れたままに左目に収まり続けている。

 それでいい。それがいいのだ。『獣』と『人』の狭間こそが、どちらにもなれぬままに朽ち果てるオレにこそ相応しいのだから。

 

「我は狩人。久遠にして獣血の狩人」

 

『獣』でありながらも『人』の皮を被る。それこそが獣血の狩人。

 開け、9割の世界。これが正真正銘最後になるとしても、ミディールを狩る為に牙を剥け。

 

「ここからは狩りの時間だ」

 

 武器枠にセット。右手に出現したのは新たな武器。漆黒の両手剣。だが、サイズはせいぜいバスタードソード程度という両手剣にしては平凡どころかややリーチに不足を覚えるサイズだ。洒落た装飾もなく、鍔らしい鍔もなく、武骨と言えるまでに、長い鏃のような形状をした、刺突に特化された両手剣。ランスの……『槍』の特性を強めた剣だ。

 

 それ即ち……槍剣である。

 

 ミディールは牙を剥く。9割に到達したオレの速度には対応できない。いかに巨体で全てが範囲攻撃であろうとも、ランスロットに匹敵、あるいは上回った深淵纏い+出力9割には追いつけない。

 刃の一閃。ミディールの右足を攻撃する。『かつてと同じ』打撃ブレード。だが、重さが違う。漆黒の剣は余りにも細身だ。両手剣としてはどう見ても軽量級だ。スピード重視であり、火力は控えめである。これではミディールを倒すには至らないだろう。

 だが、この手応え……間違いない。安心感を覚える程の高耐久度だ。これならば多少の無茶をしても壊れることはない。それが分かったならば、真価を発揮させるとしよう。

 漆黒の剣を舞わせ、その度に描くのは光の軌跡。だが、それはナグナの遅れ火ではない。

 その色は『白銀』。オレが出会い、そして殺した、『永遠』を求めた兄妹の為にあった、幻の夜空を支配した欺瞞の月。

 白銀の粒子は漆黒の剣を核に収束されていく。『刀身』へと押し固められていく。更に核たる漆黒の本体から伸びるのは『泥』の根だ。それは血管の如く、刀身として固められた白銀の光に張り巡らされる。

 偽りにして静謐なる銀光を刃に固めた姿。形状は漆黒の本体をそのまま拡大したかのような、長い鏃を思わす刺突特化のランスブレード。だが、その表面は白銀の光が安定した結晶となり、より堅牢な物理性を得た大刃である。

 DEX出力9割からのミラージュ・ラン。隠密ボーナスを高めた上での急加速に対処しきれないミディールの背を取り、その大刃を突き立てる。

 

 

 

 

 

 

「【磔刑】」

 

 

 

 

 

 

 

 ミディールの背中から次々と『内部』より白銀の光槍が穿たれ、表面まで突き破り、血飛沫を浴びる。リゲインの効果を盛大に堪能しながら、自らの内より槍衾を浴びるという初めての経験にミディールが絶叫し、炎を散らし、怒りと憎しみを浴びせる。

 こうしている間も灼けている。もう限界なんて超えている。人間性だって失っている。それでも、この名をミディールに聞かせよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死神の槍バージョンⅣ【日蝕の魔剣】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お帰り、N。なんかもう槍という名称すらも無くなってしまったが、そこはご愛敬で頼む。それに壊れて早々に悪いな。何度も酷使して済まない。だけど、ここで壊す勢いで使わせてもらうからよろしく。

 漆黒の刀身は月に隠された太陽の如く、噴き出す白銀の粒子の光をコロナに見立て、それを≪光剣≫として刃を鍛えて日蝕と成す。だが、固定型レーザーブレードではない。完全に安定している。刃として固めるのに利用されたのは……十中八九『彼』のソウルだろう。そして、補強するのはアルフェリアの泥というわけか。

 メインの攻撃は魔法属性だが、闇……アルフェリアの泥によってより実体として堅牢になったことによって物理属性も有している。実用性十分の物理属性と圧倒的高火力の魔法属性か。日蝕モードでも打撃ブレードは継続。刀身も核たる漆黒の剣槍をそのままスケールアップしたような外観であり、リーチも十分過ぎる大剣。だが、本質は≪光剣≫。ならば!

 大刃を『崩し』、銀光の刃を伸ばして振るう。レーザーブレードの一撃は本来の間合い外からミディールを刻む。

 日蝕の魔剣は本質的にレーザーブレードだ。コアとなる漆黒の刀身より生じさせる。だが、レーザーブレードのように継続的に魔力を消費しない。放出した状態で結晶として形を留める。そして、リーチを伸ばす時や固定型レーザーブレードとして使う時だけ、刀身に使用されている魔力を使って攻撃する。

 

「素晴らしいな、グリムロック」

 

 刃として完全に固める。その性質によって≪光剣≫でありながら、ステータスボーナスが上乗せされる。≪両手剣≫・≪槍≫・≪戦槌≫・≪戦斧≫の4つの武器スキルが該当だ。本来ならばボーナスが分散し過ぎて使い物にならないが、これら全ての武器スキルを有するオレならば最高火力を引き出せる!

 

 

 

 かつてアルテミスが『永遠』を手にする為に欲した聖剣。偽りの銀月の光はアポロンの焔火の如く、今ここに彼女が求めたかのように、だが聖剣としてではなく魔剣としてこの手にある!

 

 

 

 

 ミディールが距離を取る。折れた翼で羽ばたき、大きく後退する。あれが今のミディールの限界というわけだろう。

 大規模な正面ブレスからの薙ぎ払いブレス。それらの動きに合わせて駆け、ミディールの側面を取りながら、傷ついた頭部に狙いをつける。

 

「穿て」

 

 魔剣を振るえば、刀身形成に使われていた白銀の光は飛刃となり、ミディールを襲う。

 白銀の光波……日蝕光波といったところか。線を引くかのように傷を受けたミディールは、前肢を駆使して何度も叩きつけ攻撃を行う。今までとは火力が違うと実感しているはずだ。今ならば自分を短時間で『殺せる』だけの得物がオレの手にあると把握しているだろう。

 だが、逃がさない。ギミック発動。躱す中で銀光の刃を形成するコアである漆黒の刀身を『分裂』させる。死神の剣槍に搭載されていた蛇槍モード。その発展版だ。

 かつての蛇槍モードの弱点は内部のワイヤーだった。これが繋がり合うことで、まるで鞭の如く振るうのが蛇槍モードだった。

 だが、これには大きな弱点があった。1つはこの形状では≪鞭≫が加わり、攻撃力の低下を招く点。もう1つはワイヤー破壊された場合、刀身の維持ができない点だ。

 だから『ワイヤーを排する』。分裂した刀身を繋ぐものはない。なおかつ固定型レーザーブレード寄りにシフトすることによって、≪光剣≫としての固定火力に変じ、≪鞭≫の有無は関係なく火力を発揮できる。

 この分裂構造には心当たりがある。太陽の狩猟団が保有する未踏破ダンジョンの1つ、眠り竜シンが最奥に潜むとされる聖壁のサルヴァ。そこでレアドロップするという【引き合う石の剣】を使ったか! さすがだな。ワイヤーという弱点をこんな風に克服し、レーザーブレードとして形を保たせるとはな。

 鞭状かつ大幅にリーチを伸ばした銀光のレーザーブレード……いや、レーザーウィップによる乱舞をミディールの懐から浴びせる。次々に鱗を削られ、また剥がされた部位を更に抉られ、ミディールが悲鳴を上げて直下ブレスに繋げるも遅過ぎる。もう離脱済みだ。その傷だらけの体に日蝕光波を浴びせる。やはり光波はアルトリウスやランスロットの聖剣と同じで近接属性扱いか! これならば射撃属性のように威力が減衰されることもない!

 

「ん? 太陽の狩猟団?」

 

 待て。おい、待て、グリムロック! オレはあの武器を持っていないぞ!? 確か太陽の狩猟団も数本しか保有していないレア装備のはずだ! どうやって素材として組み込んだ!? 何を取引した!?

 ゴミュウの笑顔が今から見えるようで憂鬱だよ、グリセルダさん。どんな無茶振りがあるのやら。いや、さすがにソウルアイテムを取引には使っていないだろうし、多額のコルか、情報か、それとも依頼を引き受けたか? 技術供与もあり得るな。

 再び刀身を合体させて魔剣モードに戻す。大リーチのレーザーウィップは固定型故に消費も乏しく、元々の大刃に使用されている魔力から補われるので、オレ自身の魔力消費は最初の形成を除けば緩やかだな。それに魔力は刀身形成1回分はチャージしておける。即ち、戻して銀光の刃を消失させても魔力のロスにはならない。

 

「借りるぞ、アポロン」

 

 突進を躱したところで踏み込み、ミディールの右前肢に両手持ちのかち上げ斬りに繋げる。

 

「【秋霜】」

 

 大刃を形成する白銀の粒子は放出され、扇状に広がって地を這い、そして無数の白銀の光槍が斜め前に突き出す。

 アポロンの攻撃を再現したか。これは使える。前面に扇状に広がる特性から突撃してくる輩にはカウンターを浴びることができる上に、かち上げ斬りが決まれば確定で槍衾もヒットする。

 アルトリウスの剣技に繋げ、逃げるミディールの顔面に縦回転斬りを浴びせ、そのまま宙に跳びながら連続光波を放つ。さすがに火力調整できるほどではないな。威力に不満はないが、だからといって大火力を引き出せるわけでもない。牽制としてもサブとしても使える絶妙な調整だ。

 ミディールが折れた翼を広げる。闇のレーザーの雨が降る。白銀の結晶刃は刀身に吸い込ませて収納する。

 

「叫べ、アルフェリア」

 

 分裂した12の刀身のそれぞれがオレを囲い、規模こそ小さくなったが、アルフェリアの叫びが外向けに放出され、闇のレーザーを弾く。アルフェリアの叫びを用いた防御! やはり正式実装してくれたか! 最高の仕事だ、グリムロック!

 

「包囲」

 

 分裂した刀身はそのままオートで動き回る。これはアルテミスの秘術の再現か。ミディールはブレスで狙うも、動きが速い上に的が小さい。分裂した刀身はミディールの頭部を囲い、全方位からアルフェリアの叫びを浴びせる。

 再び繋がり合い、魔剣モードに戻す。失った魔力はリゲインで回復させればいい。スタミナ切れは精神負荷の受容で耐え抜ける。どれだけ灼けようとも、人間性を失おうとも、この戦いに決着をつけるまで止まるものか。

 ミディールが発狂収束ブレスを繰り出す。ランダムで振り回される収束ブレスだが、それらの動きを見切るのは容易い。爆発までのラグも、範囲も、軌道も、全て導きの糸で絡め捕っている。

 

「【瀉血】」

 

 頭を垂らしたミディールの額に突き立て、刀身を核として全方位に白銀の光槍を伸ばす。かつては無属性だった死神の槍の能力。今は純魔法属性に変じてこそいるが、それはレーザーブレードならぬレーザースピアと言ったところか。破壊された死神の剣槍ではもはや能力の再現が難しかったのだろう。それをアルテミスのソウルで蘇らせたか!

 またしても内側からの強烈な攻撃にミディールの頭部は大きく抉られ、流血ダメージもいよいよ無視できない程になってきた。やはり死神の槍は巨大な相手に通じる。そして、想像以上のドラゴンキラーだ。鱗を高い刺突属性で突き破り、内部から攻撃できる【磔刑】と【瀉血】は最大限のダメージを与える。ミディールからすれば、鱗の防御がまだ残っているのに一方的に内側から攻撃されているようなものだ。そして、突き出す槍は鱗を内側から強制的に傷つけて破壊し、更に防御力を低下させていく。

 HPバー最終段階。ミディールは闇の人魂をばら撒きながら、最後の強化へと突入する。

 まずは≪ハウリング≫で鱗を修復する。だが、それでも全ての傷は塞げない。だが、少なくとも流血ダメージは止まる。折れた翼も含めれば、流血システムによる防御力低下は著しい。こちらの策は見抜かれたが、完全には打ち破られていなかった。日蝕の魔剣が届いてなければ押し切るのは困難だったが、それでも防御力の低下幅はいかにミディールでも深刻だったのだ。

 

「……どういうつもりだ?」

 

 何かがおかしい。ミディールが何かに抗っている。自らを蝕む闇を纏う……深淵纏い。吹き溜まりの大量リソースを使用した大幅強化にはこれ以上と無い最終にして最強だが、何かが変だ。

 苦しげにミディールが唸る。その内側から闇が……いや、闇が寄生虫の如く這いだす。それは数多の人面と人肉を備え、無数の爪を有したムカデのようなバケモノだ。ぼんやりと憶えている。確かDBOで、初めてのボス戦……腐敗コボルド王も似たような強化だった。だが、あれにはSAOボス同士の絆とも呼ぶべきものがあった。

 だが、これは違う。寄生体が宿主を殺す勢いで利用しようとしているとも感じられる。ミディールの意思が、自我が、怒りと憎しみと恐れの根源が侵されている。

 ミディールが足下を叩きつける。同時に闇が広がり、大地が侵食され、自在に蠢きだす。

 

「パラサイト・イヴを……真似たか!」

 

 深淵纏いではなく、パラサイト・イヴの再現! 自らを闇で蝕んで強化し、なおかつ接触対象を自在に操る! 大地も、水も、空気も闇に蝕まれて蠢く!

 だが、それはミディールの殺意ではない。ミディールはこんなことを望んでいない。彼は闇喰らいであり、その本質は深淵狩りと同じだ。

 

「そうだ。アナタも……アナタも神との契約の下で闇を喰らっていたはずだ」

 

 誇りがあったはずだ。使命があったはずだ。それでも、アナタが怒りと憎しみと恐れを抱くのは何故だ?

 

「帰りたい場所が……あったのですか?」

 

 今まさにミディールが蝕まれているのは、YUIがオベイロンの作ったレギオンプログラムの亜種を利用して強化を施しているからだ。もはやミディールを……闇に侵されてもなお成し遂げたかった想いを愚弄している。

 

「ミディールを……穢すな」

 

 彼は強い。ドラゴンとは何たるかをオレに刻み付けてくれた。誇るべき強敵だ。

 足場から続々と闇を纏った岩の槍が伸びる。空気は闇の風となり、鞭や刃となって迫る。水は闇を溶かし、イソギンチャクの触手のように動く。

 止まれば死ぬ。それは変わらない。攻撃密度が圧倒的に増えただけだ。肉体の強化作用を使い、存分に暴れ回り、ブレスを撒き散らすが、元より即死なので意味が無い。多少速度が上がった程度だ。

 背中から飛び出した寄生虫から闇の粒子が広がる。それは瞬く間に地底湖全体を覆い尽くしていく。

 

『スリップダメージ発生! 気を付けて!』

 

 スリップダメージフィールドの形成? この程度はシャルルで乗り越えた! HPがゼロになる前に殺すだけだ!

 分かっている。先程までよりもミディールは弱体化している。能力的には強化されているのかもしれない。だが、それでも弱くなっている。強化に対してミディールが抗っているからだ。こんな姿になりたくないと、誇りを消したくないと望んでいるからだ。

 

「ああ、分かったよ、ミディール」

 

 元を正せばオマエをそんな姿にしているのはオレのせいだ。YUIの憎悪はオレに向けられているものなのだし、オベイロンが改造したレギオンプログラムもオレがいたから生み出されたものだ。

 理性を失っていながらも、最後まであった確かな輝きがミディールの内側から染み込む闇に消されようとしている。あれ程までに負の感情のあらん限りをぶつけていたはずのミディールが望んでいるのは……誇り高き死だ。

 

「今……殺してやる!」

 

 元より分かり合えるはずもない。

 オレ達は敵として出会ったのだから。

 深淵狩りと闇喰らい。立場は同じでも、境遇は違う。互いに和解する余地など無い敵同士なのだから。

 それで良かったんだ。誰にも穢されないオレ達の死闘であるならば、それで良かったのだ。

 邪魔をするな。ミディールを殺すのはオレだ。オレを殺そうとするのもミディールだ。他の誰でもない。

 9割を維持。もっとだ。もっとスピードを! ミディールを1秒でも早く殺す為に!

 

「【陽炎・真打】」

 

 大量放出される白銀の粒子はオレの後方まで放出されて推力となる程の一撃。ドリルのように回転した銀光の刃槍でミディールの顎を刺し砕く。血を垂らすミディールは闇のレーザーをばら撒く。闇が溶けた水は闇の人魂と合体し、無数の兵士となり、伸びた岩の槍を掴んで武装する。

 折れた翼を闇で強引に補強し、ミディールが宙を舞う。だが、あの翼では幾ら補強しても長時間は飛べない。何よりもミディールは苦しみの声を上げる。だが、それもやがて、理性も神秘の欠片も無い、ただの野獣のような呻きに変じていく。

 闇の軍隊を倒し、その闇を返り血として浴びる。リゲインで魔力を補給しながら、ミディールの発狂収束ブレスに突撃する。

 

「これは……!」

 

 長くても15、6秒の発狂収束ブレス。だが、20秒、30秒、40秒経っても止まらない。傷ついた顎は溶解するように外れていき、ミディールの頭部は醜く変形していく。そこには誇りある竜の造形は無い。

 かつて白竜シースは古竜ならば闇に適合できるのではないかと考えた。その末路がこれだというのか。竜という存在から、深淵狩りがそうであったように、深淵の魔物に堕ちる。それこそ古竜が人間性に手を出した挙句の末だというのか!?

 尾が2つに分かれ、それぞれの先端が顎となり、口と同じように収束ブレスを放つ。頭部からの大出力と尾の取り回しがいい低出力。だが、オレからすれば、どちらも必殺級だ。

 無限に増産される闇の軍隊諸共吹き飛ばしながら、数と火力の密度でオレを殺すつもりか。だが、ミディールはまだ抗っている。自らに尾の収束ブレスを当て、強引に攻撃を止める。

 ああ、YUIの舌打ちが聞こえるようだ。遠隔操作なんかするからミディールに抗われるんだ。自分は隠れて、遠くからミディールを操る。そんな戦い方でオレを殺せると思ったか? ミディールを御しきれると驕っていたか?

 

「叫べ、アルフェリア!」

 

 鱗が剥げた右前肢に斬撃が入り込んだ瞬間に、刀身よりアルフェリアの叫びを上乗せしてミディールの血肉ごと振り抜く。右前肢でバランスを保てずにミディールが踏ん張る。顎は開いたまま閉じず、まるで丸い空洞のようになって牙が並んでいる。そこから際限なく収束ブレスを放つ姿は、YUIがオレを殺す為にミディールを兵器に仕立てようとしているかのようだ。

 ミディール、残量HP9割以上。相変わらずの耐久力だ! まだだ。日蝕の魔剣の真の姿を放つまでは、もう少し耐えねばならない。

 

「ナドラ! ミディールが完全に変異するまでの時間は!?」

 

『え? な、何で……そんなこと……』

 

「早く!」

 

 レギオンプログラムの侵蝕には480時間かかるという予見だった。だが、YUIは膨大なリソースを使ってミディールを強化させている。彼がただの兵器に堕ちる前に……オレみたいな『力』だけのバケモノに成り果てる前に殺してやらねばならない。

 

『180秒……それが、限界だと、思う。分からない……こんなの、だって……』

 

 ナドラも分かっている。彼女もAIだから分かるのだ。今まさにミディールが、同じ管理者の手によって、望まぬ姿になり、醜く変異し、なおかつあったはずの誇りや意思も奪われて兵器になるなど、MHCPとして『人』に近づき過ぎたナドラには、どれ程の絶望なのか分かるのだ。

 180秒でミディールのHP9割を削り切る、か。上等だ!

 次々と起こる爆発を潜り抜け、火球ブレスを躱し、正面を取れば暴れ回るミディールにレーザーウィップを浴びせ、また日蝕光波で刻む。距離を取られる前に背中に駆け上がり、その背中から這い出た寄生虫と対峙する。

 無数の人面に目玉は無く、代わりにあるのは舌だ。口にあるべき舌はいずれも右手であり、およそ異形としか言いようがない。

 オベイロンが改造したレギオンプログラムを象徴するような、もはやレギオンとしての在り方すらも忘れた怪物がそこにいるような気がした。

 寄生虫はムカデの如き姿でうねりながら、オレへと闇の人魂を連発する。それらを命中判定斬りを駆使しながら突破し、すれ違うように斬撃を浴びせる。

 だが、ムカデは無数の腕で日蝕の魔剣を止める。打撃ブレードは、あくまで打撃属性がメインであり、振り抜く為に斬撃属性をお粗末ながらも付与しているというものだ。だからこそ、カタナのように流麗に斬り裂いて振り抜くことはできない。また、打撃属性は安定したダメージと引き換えにダメージ到達深度は斬撃・刺突に比べても浅くなりがちだ。

 オレの専属を舐めるな。そんな問題点は克服済みだ。日蝕の魔剣の刃とムカデの腕の接触箇所が煌々と銀色に光り始める。火力と切断力が増幅されていく。

 打撃ブレードではなく、より斬撃としての適性を求められた場合、アルテミスが兄のアポロンに与えた結晶火は蘇る。

 刃の接触点からを炎の如く揺らめく白銀の粒子が放出されて火力を増強する。そして、その瞬間は打撃ブレードは灼熱の炎刃の如く『焼き切る』かのような特性を持つ。魔法属性でありながら、結晶火という炎の性質を持つからこそ可能とした。

 振り抜く。ムカデの腕は両断され、切断面は圧縮された銀色の結晶火で焦がされたかのように、銀色の光で呑まれている。だが、それが失せた瞬間に盛大に闇の血飛沫が上がり、オレはそれを浴びて黒く染まる。ご馳走様。リゲインにご協力どうも! これはその礼だ!

 

「アルテミス!」

 

 分裂した刀身が自在に動き回る。寄生虫は脆弱でありながら、ミディールとHPを共有している。本来はミディールと同じ強化作用が施されていたのかもしれない。だが、ミディールは抗っている。それを可能とするのは、中途半端にリアルタイム強化などという物を仕込んだせいだろう。それがシステムに抗う余地をミディールに与えている。

 それだけではないか。ナドラもミディールの変異を止める為に手を尽くしてくれている。彼女にとってもミディールは敵だ。そうだ。『敵』であらねばならないのだ。だが、今のミディールはもはや『敵』ではない。

 

「叫べ、アルフェリア!」

 

 寄生虫を包囲してのアルフェリアの叫び。だが、オレから遠のくほどに威力は落ちる。連発し過ぎて魔力も危険域だ。幾らリゲインで補うにしても限界がある。

 脳が灼ける。焼ける。灼ける。焼ける。もう限界だと叫んでいる。馬鹿を言え。限界なんてとっくにランスロット戦で超えた。今だって残骸を繋ぎ合わせて無理に戦っているようなものだ。

 この戦いの末に自分がどうなるかなんてわからない。だが、今はこの殺意のままに、ミディールを『ミディール』として殺しきることだけが全てだ!

 ムカデの放つ闇の粒子が止まる。スリップダメージ停止。だが、今はそんなことどうでもいい!

 

『残り60秒を切った。もう……!』

 

「まだだ! まだ殺しきれる!」

 

 ミディールが全方位バースト攻撃でオレを遠ざける。傷ついた寄生虫はミディールから養分を吸い上げるように、更に彼に闇を纏わせる。砕けた前肢は2つに分かれて大地を掴み、尾は更にもう1本増える。

 残り7割超か。ミディールをスタン状態にできるかどうか。

 

(殺せるわ。だって、アナタの飢餓はそれを求められるのだから)

 

 その通りだ。どれだけ取り繕っても、オレはミディールを『殺したい』だけだ。ミディールを『ミディール』として殺したいんだ。

 ああ、『痛い』よ。ヤツメ様……やっぱり『痛い』よ。でも、前よりも少しだけ薄らいでいる気がするんだ。どうしてこんな事に『痛み』を覚えるのか分からない気さえもする。

 

 人間性が削れているのかもしれない。

 

 どうでもいい。

 

 集中しろ。

 

 ミディールを殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺スコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス!

 

 ミディールが空を舞う。

 

 ここだ。

 

 ここしかない。

 

 空中からの口と尾を利用した最大規模の収束ブレス。全てを集めた破壊の一撃。このタイミング以外に狙いどころはない。

 

 投げナイフを抜き、辛うじて機能している武装侵蝕を施しながら、自身の左右の足の甲を刺し貫く。あらゆる痛みを許容し過ぎたこの身はもはや痛覚に対して何ら躊躇いを抱かない。

 武装侵蝕の効果で突き刺さったまま地面に根を張り、アンカーの役割を果たす。これでいい。これで最低限の耐える準備はできた。

 どうして日蝕の魔剣は……こんなにも聖剣に似た構造をしているのか?

 コンセプトや技術自体はグリムロックにもあっただろう。だが、それはレーザーブレードの域だったはずだ。

 白銀の光はアルテミス。結晶による固定化も彼女のソウルだろう。

 補強はアルフェリアのソウルによる泥だ。これが根のように、あるいは血管のように張り巡らされることによって、より物体に近づいた。

 結晶の刃を槍と成し、死神の槍としての力を示すのは言うまでもなくNだ。

 だが、光波は? そもそもとして、完全に固定化しているのは、これらのアルテミスとアルフェリアのソウルだけの成果か?

 違う。彼もいる。彼のソウルもここにあるのだ。

 オレが聖剣を手にすれば魔剣となる。そう思ったのは正しいように、今ここに日蝕の魔剣はオレの手にある。だが、それは仮想世界に奇跡を起こすコードなどではなく、人間がたどり着いた……グリムロックの情熱と知性がたどり着いた必然だ!

 

「それでも……それでも……構わないだろう、ランスロット!?」

 

 たとえ聖剣を否定する魔剣であるとしても、オマエの『命』も喰らったのならば、決して無駄にはしない! たとえ、その矜持も、信念も、忠義も受け継げずとも、その『力』だけはこの血に溶けているのだから!

 刀身が分裂し、そのまま大出力に変じて白銀の大刃は強大化していく。銀光は黒く染まりながらも輝きを強めていく。

 彼がかつて闇の中で見出した光。ゲヘナに見た闇と光が融和する未来。彼自身が捨て去った、あったかもしれない奇跡。それが今ここに再現されるべく、黒光の巨刃となる。

 闇属性と光属性の大火力の複合。闇と光は相反するものでありながら、今1つとなって溶け合った。

 

 

「オーバードソードスキル……【アロンダイト】!」

 

 

 かつてオレがディアベルに譲ったレッドローズ。それにも匹敵する、あるいは超えるだろう、巨大な黒光の刃。それは物理的な重さを伴い、オレを潰しかねない重量と反動を生む。耐える為のアンカーが軋み、傷口から肉が抉れ、千切れかけた肩から血が零れる。

 アロンダイトの情報処理の全てを脳が引き受ける。解放した獣性を持ってしても負荷が強過ぎる。意識が押し潰されそうになる。

 灼けていく。誰かが灼けていく。何かが灼けていく。もう思い出せないとしても、それでも構わない!

 

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 STR出力9割。深淵纏い。投げナイフによるアンカー。これだけ使ってもまともに振り下ろすことさえも出来ない! だが、それで十分だ! 真っ向から振り下ろした黒光の巨刃は、空中のミディールを頭から刻む。これは巨大なレーザーブレードだ。

 このまま口内を狙う! 火力を優先したせいか、それでもミディールの暴走か、どちらにしても鱗に覆われていない大口など弱点もいいところだ! YUI、オマエには決定的に戦闘経験というものが足りない! ミディールに任せ続けるべきだったな!

 深々と口内から切断されていったミディールが墜落する。アロンダイトで強引にスタンさせたが、削り切る前にガス欠してしまった。残存HP……まだ少し、1パーセントも残っていない、1ドットとも見紛う程に残っている。だが、流血のスリップダメージだけではタイムリミットまで間に合わない。

 アロンダイトの発動により、早くも日蝕の魔剣には亀裂が入り、高熱を帯びて煙を上げている。これだけの一撃、やはり武器には相当な負荷がかかっているな。安易に使えるものではない。文面にも『絶対に安易に使わないように』と注釈が入っていたしな。

 使用後はスタミナ・魔力を全消費。また、しばらくは両方回復しない。それがどうした? もうミディールを殺すのに必要なのはこの拳だけで十分だ。

 ああ、今から憂鬱だ。グリムロックの絶望顔が見えるようだよ、ヤツメ様。

 

 だけど、あともう少しだけだ。

 

 あともう少しだけ……踏み出そう。

 

「オレはここにいるぞ! アナタの『敵』はここにいるぞ! 殺してみせろ! 殺しに来い! ミディイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイル!」

 

 日蝕の魔剣を捨てる。アンカーの投げナイフが抜ける。倒れ込みそうになりながらも、前傾姿勢のまま、まだHPを残すミディールに迫る。

 

 新たに出現した無数の闇の兵士たちが邪魔をする。どけ。失せろ。オレはミディールを殺さねばならない。

 

 もはや原型を失ったミディールの頭部。そこから闇の中で求められた光が……収束ブレスが解き放たれる。確実にオレを狙い撃った、『ミディール』のあらん限りの怒り、憎しみ、恐れが混ざり合った殺意の一撃。オレ達は互いに狩る側だ。だからこそ、あらん限りの殺意をぶつけねばならない! 互いを否定し、どちらかが獲物となって狩られるまで!

 収束ブレスが吸い込まれるようにオレを呑み込もうとした。だが、それを紙一重……まさしく紙1枚が差し込まれる隙間もあるか無いかで躱しきる。

 勝敗は決した。それでも1歩と退かないミディールの殺意に、オレは最大限の敬意を込めて微笑み、そして殺意の限りをぶつける。

 

(アナタは『獣』として殺さないのでしょうね。ええ、今回もそれでいいわ。ワタシはアナタの『力』だから。だから、せめてアナタを神子として送り届ける。さぁ、殺してあげなさい。アナタは全ての『命』を喰らうことができるのだから)

 

 ヤツメ様が手を引く。1歩が軽くなる。衣服が神子装束に変じる。だが、意識に変わりはない。オレは傭兵として、狩人として、神子としてここにいる!

 

 幼き日の姿でもなく、ただ今の姿のままで神子となり、ミディールの元へと1歩でふわりと浮いてたどり着く。

 

 ミディールの僅かな名残を残した右目に左手を突き入れ、そのまま内部を抉り出す。ソードスキルでもない、単なる力任せの一撃は、今度こそミディールのHPを奪い尽くした。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 失いたくなかった。

 どれだけ戦おうとも、忘れたくは無かった。取り戻したかった。思い出したかった。

 闇を喰らい続ける中で消えかけた約束。もはや意識を保てぬ中で、ミディールは自分の誇りを救ってくれた深淵狩りを想う。

 深淵狩りとは自分と同じで深淵と対峙し、やがて深淵に堕ち、同じ深淵狩りに討たれる。因果の鎖の中で誇りを紡ぐ。

 かつて自分と戦った聖剣を持ち出していた深淵狩りは……とても若かった。聖剣を扱いきれていなかった。だが、此度自分に届いたのは、聖剣ではなく魔剣だった。深淵狩りの誇りではなく、あの白き深淵狩りの『力』を集めたかのような刃だった。

 ああ、これで終わりだ。ミディールは薄らぐ意識の中で、闇喰らいの使命を果たすと呼ぶに足りただろうかと悩む。

 彼女は……シラは許してくれるだろうか? 覚悟も無かった自分が彼女を殺してしまった。友を殺してしまった。こうなる前に止めようとしてくれていたはずなのに。

 思い出せない。

 何も思い出せない。

 たった1つの約束。神から与えられた使命などではなく、その為に闇を喰らい続けたはずなのに。

 

「頑張りましたね、ミディール。ずっとずっと『独り』で……それでも誇りを忘れることなく戦い続けたアナタに最大の敬意を」

 

 もう何も見えない。だが、聞こえる。

 

「もう怒りも、憎しみも、怖れも要りません。アナタはそれが許される」

 

 暗闇の中で見たのは緑花の庭。そこで黒髪の乙女が待っている。幼き日の姿に戻ったミディールは、それでも巨体とも言うべき身を震わせて乙女に駆け寄る。

 そうだ。思い出した。キミを守りに来たのだ。

 キミの眠りを守る為だ。キミの眠りを妨げる闇を喰らい続けたんだ。

 ねぇ、褒めてくれ、フィリアノール。光の大王グウィンの末娘よ。十分に戦っただろう? もう帰って来てもいいだろう? キミと一緒にまたお昼寝したいんだ。

 

「疲れましたよね。アナタの使命は終わりました。だから……もう休みましょう」

 

 何度も何度もフィリアノールは撫でてくれる。優しく微笑んでくれている。

 かつて神と竜は殺し合った。世界の覇権を争った。古竜は支配者であったが故に。神は自分たちの世界の創造を望んだが故に。その果てに白竜は裏切り、神は勝利した。

 でも、そんなことはミディールにとって関係なかった。フィリアノールが1番大切だった。彼女を守れたらそれでよかった。たとえ、神を守るべく闇を討つ尖兵として育てられたとしても、フィリアノールの微笑みだけは本物だったのだから。

 

 

 

 

「お疲れ様、ミディール。祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 

 

 

 ああ、そうだ。もう眠ろう。

 

 フィリアノールに抱かれながら、ミディールは瞼を閉ざす。

 

 起きたら、たくさんたくさん教えてあげる。

 

 キミが知らない外の世界を。

 

 自分がどれだけ勇敢に闇と戦い続けたのかを。

 

 だけど、今はとても眠いんだ。

 

 

 

 だから……おやすみ、フィリアノール。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 デーモン化……解除。致命的な精神負荷の受容、停止。

 

「がっ……ハッ……ぐぁ……!」

 

 ミディールを撫で続けた右手を離し、倒れながら胸を掴んで体をくの字に曲げる。

 さすがに……これは……少し……まずかったか。

 ソウルの塵となって消えていくミディールを見届ける。彼の死をこの目に焼き付ける。たとえ、いつか灼けて失われる光景だとも、憶えていたいから。殺し喰らった『命』はオレと共にあり続けるはずだから。

 

『どうして……こんな、事を……』

 

 最後のデーモン化のことか? あれは予想外というか、我ながら何でというか、そもそもあんな風に服装だけ神子装束にできるのかと驚いたというか、全てはヤツメ様の導きのお陰というか……とにかくなんだ。

 

「ただの……気まぐれです」

 

『……そう、気まぐれ、なんだ。うん、私も……それでいいと、思う。アナタの……そういう所に……私達MHCPは惹かれてしまうのだから』

 

 オレなんかを観察して何が有益なのかまるで分からん。MHCPという連中は本当に……面白いよ。

 

「少し……だけ……疲れた、な」

 

 ミディールは殺した。オレが喰らった。それがこの戦いの結末だ。

 彼は何かを求めていた。それが何なのか分からない。だが、せめて……せめて、神子として彼の悪夢に終わりを与えたかった。

 リザルト画面を鬱陶しく消す中で、ミディールのソウルをドロップアイテムとして確認する。その説明欄に興味を抱くが、オレは何も目を通さなかった。それでいいのだろうと信じたかった。彼の物語はアイテムの説明欄などで綴られるべきではない気がしたのだ。

 体が動かない。思考が消えそうになる。獣性が心臓を動かし続ける。深淵の病が広がり、口から血が零れる。

 ああ、それでも立ち上がれるさ。日蝕の魔剣まで這って動き、早速亀裂が入った漆黒の刀身に嘆息する。アロンダイトは……うん、使用不可だな! やっぱり簡単には使っちゃいけなかったよな!

 ……どうしよう。さすがにこれはグリムロックに殺されるかもしれないな。

 いや、待てよ。そもそも武器が壊れるような能力を実装している方が悪い! それは使えと背中を押しているようなものではないか! オレの性格を考えれば絶対に使うはずだとグリムロックも分かっていたはずだ!

 あれだけの反動だ。使うにはステータス出力9割でも足りない。あれはミディールが空中浮遊で砲台化していたから当たったようなものだ。もっと使いやすいように改良してもらわねばなるまい!

 だが、さすがはグリムロックの仕事だ。バージョンⅢをまさしくグレードアップさせたような使い心地だった。携帯性・軽量性・耐久性に特化させた漆黒の本体。そして、白銀の光刃を成す日蝕の魔剣モードのランスブレード。ランスならではの高刺突属性と両手剣としての万能性を持ち、打撃ブレードは打撃属性ならではの安定した高火力。そして、従来の問題点を解決させる結晶の炎刃による火力増強と切断力の上昇もある。

 後はもちろんであるが、グリムロックの希望とも言うべき耐久度問題か。本体の耐久度の高さだけでは不安だったのだろう。展開・固定化された白銀の光刃はアルフェリアの泥で補強されているだけではなく、魔力さえあれば幾らでも修復可能だ。つまりは刃毀れや破損とは無縁である。パラサイト・イヴから発想を得て、武器本体を保護しながら攻撃できる武器といったところか。まぁ、アロンダイトのせいで見事にぶっ壊れたけどな! HAHAHA!

 

「ところで……ミディールは……吹き溜まりのボス……では無い、ですね」

 

『……うん。主聖堂で、ボスが……待ってる、はず』

 

 ミディールは徘徊ネームドだからな。当然と言えば当然だ。もうボスでいいではないかとも思う強さだったが、考えてみればアルヴヘイムもボスはあくまでオベイロンだったしな。あれはあれでチートの塊だったみたいだし、『アイツ』に任せて正解だった。あんな大軍率いたドンパチや巨大ボスなんてオレには性が合わない。やはり、たとえどれだけ強くてもランスロットのような人型の方がマシだ。

 ……いや、ランスロットのようなヤツが山ほど控えているなんて笑えないから止めてもらいたいがな。さすがの後継者もランスロットは対『アイツ』用の切り札だっただろうし、もうランスロット級のカードは残っていない、と信じたいなぁ。まぁ、立ち塞がるなら殺すだけだがな。

 

「やっぱり……ドラゴンは、大ギルドや……『アイツ』に任せ、ます……よ」

 

 もう2度とドラゴンの相手なんて御免だ。ああいう巨大でタフで大火力範囲攻撃連打するモンスターは専門家に任せるに限る。ミディールも、ガル・ヴィンランドとレイヤードの管理者の奮闘、それに日蝕の魔剣が無ければ、とてもではないが、タイムリミット内に倒すなど無理だっただろう。それに、最後を一気に削れたのは、ミディールの抗いもあったからこそだ。

 スタミナ……回復。危険域を脱した。せめてフルで回復するまで……いや、時間がない。今は動き出すべきだ。アロンダイトの反動によるスタミナ回復停止は余りにも痛過ぎた。回復に時間をかけ過ぎてしまった。

 

「ここから、どうすれば……出れますか?」

 

『えと、出口は……』

 

 と、ナグナがナビゲートするより先にオレの体が浮く。それは地底湖から発する冷風だ。それが地上まで続く大穴までオレを押し上げる。

 これは……アルシュナか? 冷風は吹雪に変じ、冷たくオレを地上に投げ出す。随分と荒いタクシーだが、これはこれで……悪くないな。

 

「…………」

 

『…………』

 

 だが、地上で待っていたのは……崩落したエス・ロイエスにご立腹のロイエスの兵士御一行でした。うん、そうだよね。ミディールがいなくなったらリポップするよね。むしろミディールちゃんがイレギュラー過ぎたんだよね。

 ボスを倒すまでがダンジョン攻略? HAHAHA! 間違っているぞ! 帰ってミッション完了の旨を報告するまでが仕事だぜ! これだから傭兵は辞められねぇ!

 

『今! ものすごく! 空元気で! 馬鹿な事! 思ってることは! 分かるから!』

 

「おや、やっぱりナドラもオレのことを学んできましたね」

 

 こっちは体がボロボロだというのに! 限定受容をする余裕も残っていない。右目の視界も薄らぎ、白黒になり、ノイズがかかる。右足はほとんど棒のようだ。左腕? 動くわけがない!

 ステータス出力は1割未満なのではないか? スタミナを回復させてから出発して正解だった。

 アルシュナも人が悪い。モンスターの群れの正面にオレを運ぶなんてな。

 

『待って。モンスターの動きが……変。大丈夫。うん、これ……攻撃して来ない。無害……だよ』

 

「え?」

 

(え?)

 

 おい、ヤツメ様。オレと同じ反応をしたヤツメ様を問い質そうとするが、顔を背けて吹けもしない口笛を吹こうと奮闘する。

 

(だ、だって『命』が無い連中の殺意はよく分からないもん! 最近は慣れてきたけど、それでも不慣れは不慣れ! あんなの全部殺しちゃえば済むじゃない! ほ、ほら、だから戦ってる時はちゃんと避けられるし、攻撃できるし、だから……だから、ね?)

 

 涙目で顔真っ赤に弁明するヤツメ様は無視するとして、ナドラの言う通り、ロイエスの兵士たちは右往左往するばかりだ。

 

『ダンジョンが復旧するまで、索敵機能に……障害が生じている、のかもしれない。モンスターは活動エリアが……設定されている、から』

 

「なるほど。自分の活動領域が、ダンジョンがあり得ない形で崩壊したが故に把握できていない、というわけですね」

 

 ふむ、やはりナドラの方が有用説が現実味を帯びてきたな……なーんて、冗談ですよ、ヤツメ様。胸をポカポカ叩かないでください。本当に心臓が止まりそうなんです。

 そうさ。いよいよ本当の意味で……戦える状態では、無いな。アーヴァにも後れを取るだろう。モンスター相手だろうと3体もいればまず殺されるな。逃げるしかない。

 カノープスや白の直剣など、壊れた武器は回収済みだ。出発しよう。

 

「これが……巫女の瞳、ですか」

 

 ミディールが現れた場所まで辿り着き、転がっている、本物と見紛う程に生々しい眼球を持ち上げる。

 ナドラ曰く、左右兼用らしく、ここはありがたく左目に使わせてもらうとしよう。破損した義眼を取り外し、代わりに巫女の瞳を入れる。

 左側の視界を取り戻したが、今度は視覚情報が多過ぎて頭痛と吐き気が深刻だ。大人しく眼帯で隠しておくとしよう。

 エス・ロイエスの正門から左に続く主聖堂への1本道。来て早々にアーヴァを叩き落とした場所にたどり着けば、そこにはHPが残り数ドットという死にかけの白虎がいた。大きいといえば大きく、軽く8メートルにも届く巨体なのだろうが、ミディールの後だとどうしてもスケールダウンしている。

 巫女の瞳の効果で視認できる。アーヴァもHPは減らしてある。これで『屈伏』の条件はクリアしたはずだ。

 アーヴァは明らかに怯えた様子で頭を垂らす。まぁ、オレ達も色々あったからな。出会って早々に蹴落として、ミディール相手に共同戦線持ちかけようとしたら殺されかけて、うん、本当に色々あったな。

 アーヴァの脇を通り抜け、巨大な聖堂の扉を開く。内部も凍てついているが、僅かばかりの暖を許すとばかりに松明が灯されている。女性を模った石像が多く彫り込まれているが、これもエス・ロイエスの信仰だろうか?

 いかにもボスが登場しそうな謁見の間。左右から伸びる大階段の上に玉座があるようだが、その真下にも通り道がある。だが、今は氷で塞がれているようだ。

 

「来てしまったのですね、クゥリ」

 

 玉座の前で祈っていた黒髪の女。アルシュナがオレを見ろしたかと思えば舞い降りる。相変わらずのボサボサの前髪だな。だが、前髪のカーテンに隠された瞳は……あれ、これはいつのことだろう? 彼女と初めて出会った時……初めて会ったのは……よく思い出せない。灼けてしまったか。

 だが、MHCPならばオレの記憶喪失は把握されているし、今は心を読まれることもない。普段通りに接すればいいか。

 

「アルシュナ、積もる話もあるが、ユイに何が――」

 

『避けて!』

 

 ナドラの警告はオレに発せられたものではない。アルシュナに向かってのものだ。余計なことをしてくれる。

 オレの右手にあった、今は銀光の大刃を隠した漆黒の剣はアルシュナの首を狙う。間一髪で躱したが、アルシュナは戦いに不向きだ。このまま『狩る』。

 アルシュナの腹に蹴りを入れて吹き飛ばし、倒れて咳き込む彼女の上に乗る。左腕は動かないが問題ない。殺せば多少獣性で補うこともできるだろう。

 さぁ、何処から刺そうか? まずは目だな。とても『人』らしい目になったよ、アルシュナ。刺し貫けばどんな悲鳴が聞かせてくれるのか? 殺す前に存分と苦しめ、傷つけ、泣き叫ばせた方が喰らう時の味が違う。血の悦びには質を求めたいからな。

 ああ、とてもお腹が空いた。キミで腹ごしらえをしたあとはユイだ。まったく、手間をかけさせてくれる。だが、YUIの憎悪はビンテージものだ。レアも好みだが、ミディアムも悪くない。程良く憎しみで火が通った命を殺せるというのも良いものだ。

 その後は……そうだな、ユウキに会いに行こう。彼女も殺したい。誰かに殺される前にオレが殺さないとな。彼女だけは誰にも譲らない。ああ、でもその前に『アイツ』も良いなぁ。どっちを先にするか迷ってしまう。

 

「クゥリ……がっ……あぎぃ……」

 

 まぁ、まずは先に目の前の獲物を仕留めるとするか。

 アルシュナの喉を踏んで呼吸を奪う。さぁ、まずはその右目からだ。

 日蝕の魔剣を……いや、死神の剣槍を振り下ろす。何度も何度も振り下ろしていく。

 

 アルシュナの頭を逸らすように、何度も何度も軌道を歪めて振り下ろす。

 

「違う……違う……違う。オレは……オレは『殺したくない』」

 

 アルシュナから跳び下り、死神の剣槍を振るう。破壊不能オブジェクトの壁に何度も打ち付け、阻まれ、エフェクトに弾かれ、それでも攻撃し続ける。

 日蝕の魔剣発動。銀光は大刃となり、アルシュナへと光波が放たれる。だが、当たらない。当てるわけにはいかない!

 

「ぐがぁ……クヒ、クヒャヒャ……クヒャ……! ぐっ……『殺さない』。『殺さない』。『殺さない』。『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』『殺したくない』」

 

 繰り返せ。『嘘』を繰り返せ。それが獣性を引き留める唯一の縁なのだから。

 記憶の消失だけが反動ではない。人間性の喪失と同時に獣性の肥大化。こちらを予期していないわけではなかった。

 だが、甘く見ていた。アスナを殺しかけた時、1度耐えられたから……その後にユウキに会った時も堪えられたから……だから、まだ我慢できると思っていた。

 違う。本当に限界なのは獣性の方だ。もう駄目だ。殺す。殺さねばならない。堪らない程に飢えと渇きが酷いんだ。

 

「ガアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 これがオレだ。この『獣』の咆哮こそがオレなんだ。剣士としての華麗さも無い。戦士としての矜持も無い。ただ『獣』として飢餓のままに爪牙を振るう。

 それでも、そうだとしても、せめて傭兵として……狩人として……神子として!

 

「アルシュナ……無事、か?」

 

 どれだけ暴れただろう? ミディール戦ではあれ程に管理できたスタミナを枯渇させ、スタミナ切れになるまで暴れ回ったオレを、アルシュナが見下ろしている。とりあえず、傷はないようだ。それが……とても……残念だ。

 アルシュナの頬から光の粒が……涙が零れている。やはり、何処かに攻撃が命中したのか?

 

「すまない。攻撃するつもりは……いや、殺したかったのは事実だが……その……なんだ……」

 

「私が! 私が泣いているのは! 貴方に傷つけられたからではありません! ええ、そうですとも! この身は! 貴方のお陰で! 全くの無事です!」

 

「いや、それは……無いだろう。蹴り……入れた、し」

 

「あんなの誤差です! 私が泣いているのは……貴方を……貴方をそんな風になるまで……追い詰めてしまった、私自身の不徳が情けないからです。貴方の優しさが! 貴方の優しさが……余りにも……大き過ぎるからです。どうして、そんなに自分を苦しめるのですか? もう……楽になっても、良いではありませんか?」

 

「……『殺さない』。敵ではない限りな」

 

 ああ、分かっている。こんなの嘘だ。オレは殺す。敵を殺す。引き受けた依頼でも殺す。自己防衛の為にも殺す。それ以外は無用な殺しだ。狩人は不要な狩りをしない。

 

(空腹を満たすのは不要な狩りではないわよ)

 

 あくまでオレが『獣』となることを選ぶまでは待ってくれていると決めたヤツメ様だが、誘わないとは言っていないとばかりに楽しげに笑っている。早くアルシュナを殺せと囁いている。

 

「それに、オレは……優しくなんかない。『優しい人』には……なれない」

 

 そうだろう、ザクロ? オレはオマエにはなれない。オマエのように『優しい人』として死ぬことなんて絶対にない。

 日蝕の魔剣を杖にして立ち上がり、壁に背中を預けて呼吸を整える。スタミナ回復に時間を使ってしまった。このタイムロスが響かなければいいが。

 24時間ミッション……残り2時間を切っていたか。だが、最終目的地に到着した。ミディール撃破からここまで来るのにやはり時間がかかってしまった。徒歩だった上に足を引き摺りながらだったのだから、これでも早くたどり着けた方か。

 だが、オレが考えているよりも時間はない。もはやダークライダーとそのお兄様の奮闘次第だ。せめてもう1時間は稼いでもらいたいものだが。どれだけの猶予が残っているか。

 

「時間がない。さっさと……話してくれ。それとも……手足を引き千切られて……拷問されてから……吐くのがお好みか?」

 

「それで貴方の気が晴れるならば」

 

「……冗談だ。最初はそのつもりだったが、今は相応の事情があると分かってる。ユイは何を抑え込んでいる? オマエが言う……『混沌』とは何だ?」

 

 涙を拭ったアルシュナは、オレを慮ってか、事情を説明するのに躊躇しているようだった。だが、ここまで来たのだ。いい加減に話してもらうとしよう。それとも本当に拷問がお好みなのだろうか? オレはそれでも構わないがな。

 

「分かりました。全てをお教えしましょう。このエス・ロイエスに……いえ、トラッシュデータの奥底に何があったのか。ユイ姉様に何が起こっているのかを」

 

 そして、アルシュナは語り出す。

 

 それはまさしく『混沌』。ユイは何を抑えようとしているのかも把握する。

 

 敢えて言うならば、これしかないのだろう。

 

 

 

 世界とは……悲劇なのだろうか。




闇を喰らい、約束に生きた竜ミディール、ここに眠る。

そして、狩人は真昼に夜をもたらす魔剣と共に、エス・ロイエスの深奥にたどり着く。

だが、それでも彼を照らす月光は……もはや雲に隠れて届くことはない。



それでは、311話でまた会いましょう!


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