SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

新たな戦いと新たな舞台、そして狩人は目覚めた。






Episode20-02 Are you ready?

 肌を刺すような冷たい空気。闇を照らす妖しい青の光。耳を澄ませば聞こえてくる嘲笑。

 アルヴヘイムにある隠しダンジョンの1つ【殉教の洞窟】にて、リーファは剣を振るい、相対する【スケルトン=オーガ・メイル】と火花を散らす。

 まるで鬼を思わす形相をした2メートル半もある光沢のない黒色の鎧。それを着込むのは肉も皮も残っていない骨ばかりのスケルトンだ。だが、肉の代わりのように多量の泥土や藻が詰まっており、常に甲冑の内側は湿っている。

 特大剣や大斧、大槌を両手持ちした火力重視タイプ。盾と片手武器を装備した堅実タイプ。短剣二や曲剣の二刀流を使う高機動タイプ。オーガ・メイルはこの3種類が存在し、1~4体で出現する。特に4体同時出現の場合、1体は『隊長格』として禍々しいオーラを纏っており、通常よりもHPが2倍、火力も大よそ20パーセントもアップしている。

 リーファが対峙しているのは、隊長格となる曲剣二刀流のオーガ・メイルだ。動きは通常と同じであるが、高機動タイプが火力を強化されたとなれば手強さの実感は大幅に増す。まるで曲芸師のように軽やかな動きで洞窟内を駆け回り、壁や天井を蹴って3次元機動を見せつける。翻弄され、フォーカスロックが外れてしまえば、その隙を狙って連撃を挟み込んでくるだろう。

 だが、リーファの目は正確にオーガ・メイルの動きを捉えている。素早い連撃も躱し、逆に中量級片手剣【ロイドの十字剣】による薙ぎ払いをオーガ・メイルの腹部を両断する勢いでクリーンヒットさせる。鎧に切れ込みが入り、血のように水と泥が零れ、オーガ・メイルが振り返って反撃しようとするが、それを読んでいたリーファは正確に正中線を通る縦の一閃を放つ。

 大ダメージと共によろめいたところで、すかさず踏み込んでの連続突き。ソードスキルで追い撃ちをかけたい気持ちを堪える。

 ここでソードスキルを放てば確実にスタンが入り、そこからの追加のソードスキルで仕留められるかもしれないが、外せば終わりだ。敵はこのオーガ・メイルだけではない。他に3体のオーガ・メイルがいるのだ。同行するレコンが1人で3体を引き受けている間に、リーファが短期決戦で隊長格を倒し、援護に向かう手筈になっている。ここでリーファが死ねば、レコンは孤立無援で4体に囲われることになる。

 危険な綱渡りであるが、2人で選んだ作戦だ。リーファは焦りで選んだ近道は望まぬ出血をもたらすと、アルヴヘイムとこの2ヶ月で嫌という程に学習した。

 踏み込まずに1歩引く。それがオーガ・メイルに反撃のロジックをもたらし、ここだとリーファは間合いを詰める。

 リーファは左手に装備した【殉教者スワリの籠手】で奇跡の【フォースの剛拳】を発動する。フォースの拳の強化版であり、純打撃属性の純光属性という、スケルトン系に特効というべき破壊力を持つ。また、フォースの拳とは違い、真正面に多段ヒットのフォースが命中対象を穿つように放たれるという、フルヒットすれば燃費に対して凶悪過ぎる破壊力を秘めた上級奇跡だ。

 弱点を突かれ、隊長格のオーガ・メイルのHPの残存6割が一瞬で消滅する。甲冑は亀裂が入って砕け、中身の骨と泥土が撒き散らされる。≪格闘≫どころか≪戦槌≫の上位単発系ソードスキルの直撃にすらも匹敵するダメージ量だ。順当な結果である。

 リーファが装備する殉教者スワリの籠手は、左右どちらかの手で装備できる格闘装具だ。同ランクの中盾に匹敵する高いガード性能を有しており、能力【フォースの盾】が備わっている。これは面の光のバリアを発することができる防御能力である。矢や銃弾はもちろん、大型武器の一撃すらも生半可では突破させない程に堅牢だ。ただし、発動にはそれほどの魔力を消費しないが、ガード時のスタミナ消費は大きめの為に連発や大技に対しての防御は控えねばならない。またバリアのサイズもせいぜいが小盾程度なので全身を守るには心許ない。

 奇跡の触媒でもあり、回復系奇跡への補正が乏しい代わりに、攻撃系奇跡には強い効果をもたらす。特に殉教者スワリのタリスマンは、この殉教の洞窟の最奥に登場するNPC【スワリのスケルトン】とのデュエルで10連勝すれば得られるユニーク品だ。

 攻撃系奇跡への高い補正だが、特にフォース系奇跡の攻撃力を格段に高める能力がある。オーガ・メイルのHPを半分以上吹き飛ばしたのは、フォースの剛拳の火力が殉教者スワリの籠手の補正で大幅に高められたからだ。スワリの籠手自体も高い光属性攻撃力を有しており、打撃属性の攻撃に近接格闘型奇跡を併用すれば、その破壊力は大きく跳ね上がる。

 また得物のロイドの十字剣は、白教の主神ロイドの武器だったとされる剣だ。刃部分は片手剣らしく斬撃・打撃属性共にバランスがよく、また高い光属性攻撃力を有する。装備しているだけで白教に列する奇跡を強化する効果がある。また特殊能力として魔力を大消費するが、【ロイドの光】と呼ばれる光属性エンチャントが可能だ。そしてアンデッド狩りの武器でもあり、スケルトン系にも特効が入るのも強みである。

 勝利の余韻を味わうこともなく、リーファは反転し、3体のオーガ・メイルを引き受けるレコンの元へと急ぐ。高機動タイプという事もあり、動き回っている内にレコンが粘る場所から距離を取ってしまった。急ぐリーファは戦闘音がまるでしない事に危機感を募らせる。

 

 

「ああ、リーファちゃん。お帰り」

 

 

 だが、リーファの心配を他所に、彼女の視界に入ったのは、文字通り叩き潰された3体のオーガ・メイルとその中心に立つ異様な甲冑姿のレコンだった。

 その左手に持つのは身の丈すらも覆うに足る分厚い円盾。右手に持つのは大槌だ。竜の意匠が施されたフルフェイス型の兜が特徴的であり、竜殻を思わすゴツゴツとしていながらも鈍重さを感じさせないデザインをした鎧は、いずれも黒ずんだ橙色である。

 レコンが身に纏うのは、【熔鉄の竜狩り】シリーズ『だった』防具だ。元々は鈍い金色をした、オーンスタインを代表とする竜を狩る者……竜狩り達が装備していた防具の1つだ。

 名も残さなかった、優れた竜狩りの持ち物だっただろう熔鉄の竜狩りシリーズは、中量級の重量でありながら、並の重量型甲冑を大幅に上回るスタン耐性と衝撃耐性を備えていた。ただし、何事にも弱点がある。

 金属系防具の弱点の1つである水属性、闇属性防御力の高さに対比するように光属性、そして、竜と戦った者の防具でありながら炎属性防御力が低かったのだ。

 レコンはある人物に熔鉄の竜狩りシリーズの改造を依頼し、リーファと共に多くの素材を集めた。結果、上位プレイヤーどころかトッププレイヤーでもなかなか有していないだろう、レベル100以上を想定した防具【橙鉄の竜狩り】シリーズへと生まれ変わった。

 物理属性防御力は重量級でもトップクラス。金属甲冑の天敵であるはずの雷属性防御力は極端に高い。弱点の1つだった炎属性も克服し、魔法属性防御力も高い。水属性防御力は低めであり、決定的な弱点として光属性は変わらず、目玉の1つだった闇属性防御力も凡庸なものになってしまった。

 だが、改造者曰く『レベル100どころか110……いや、120でも通じる!』と豪語している。それに見合うだけの総合性能であり、たとえレベル100級のネームドと正面から殴り合っても十分に耐えられるタフさを得られる防具だ。

 ただし、改造の結果として重量が増加しており、重量級に踏み入ってしまったのは問題点である。だが、それを解決すべく、改造者は仕入れたGAを分解して組み込み、グライド・ブースト機構を独自に組み込んでいる。真下にブーストを行うことによって疑似的な軽量化を短時間であるが可能としているのだ。1度の発動時間は3秒と短く、次の発動までのインターバルも長めであるが、GAよりも燃費がいいという利点もある。

 そして、レコンが有する盾は【古獅子の大盾】だ。中央に拳大ほどの円形の金の宝玉が埋め込まれた大円盾である。宝玉を喰らうような3つ首の獅子の荘厳な金彫が目を惹くそれは、かつてリーファ達が戦った古獅子に由来を持つ大盾だ。炎・雷属性のガードに特に秀でており、また雷属性攻撃力を有する。そして、古獅子を焦がした冷たい灰色の火の反転の如く、HP増加作用があるユニーク品だ。

 得物は【陽光の聖槌】だ。太陽の光の王女グヴィネヴィアが自らの手で祝福したとされる法具であり、荘厳な衣装が施されている微かに黄金色がかかった大槌である。奇跡の触媒でもあり、グヴィネヴィアの祝福によってオートヒーリングまでもたらすという強力なユニークウェポンである。高い光属性攻撃力を有しており、まさしくアンデッド狩りの武具である。いずれも強力な装備だ。とはいえ、オーガ・メイル3体をまとめて叩き潰してもなお健在とは、レコンも随分と成長したものだとリーファは遠い目をする。

 殉教の洞窟から出て太陽の光を浴びたリーファは、モンスター避けの香草を投じた焚火を準備すると、疲労が溜まった肩を叩きながら腰を下ろす。

 

「これでレベル101。これ以上は無理。もう無理!」

 

 今回のレベリングでようやくレベル101に到達し、リーファは耐えかねていた弱音を吐く。橙鉄の竜狩りの兜を脱ぎ、横倒しの丸太を椅子代わりに座ったレコンは、同意するように汗だらけ顔で小さく首を縦に振った。

 今日のレベリングでリーファはようやくレベル101になった。レコンは1週間前にレベル100である。

 この1週間、2人は現在最も経験値が稼げる殉教の洞窟に入り浸っていた。まだ誰も発見していない、経験を稼ぎやすいアルヴヘイムの『狩り場』である。

 3大ギルドがフロンティア・フィールドを見越して利権の奪い合いをしたアルヴヘイムであるが、その全土を隈なく探索しきったとは言い難い。

 メインダンジョンである黒火山、シェムレムロスの館、月明かりの墓所。ラストダンジョンのユグドラシル城。そしてイベントダンジョンの霜海山脈と地下のヨツンヘイム。これらは全て3大ギルドの管理下にあるが、広大なアルヴヘイムには多くの未発見のイベントや小さな隠しダンジョンがある。

 妄執にも近しいレベルでNPCから情報を集めて総合的に分析しなければ発見できないダンジョン。ノーヒントで条件をクリアしなければ発生しないイベント。いかに膨大なリソースを有する大ギルドでも、あるか無いかも分からないイベントや隠しダンジョンの調査にまではコストと人員を積極的には割けない。発見されたばかりの8月末から9月にかけてならばともかく、大よその目ぼしいイベントやダンジョンを掘り尽くした11月ともなれば、旬もすっかり過ぎて、割り当てられているのはメインの探索部隊ではなくなった。

 ならばこそ、リーファとレコンはこうして大ギルドも含めて誰も発見していないダンジョンの旨みを存分と味わうことが出来た。

 これも全てリーファが有する極秘ファイル……チェンジリング事件のお詫びとして貰った情報のお陰だ。リーファ達はこの2ヶ月間で大ギルドの目を逃れながら装備やアイテムを集め、効率的なレベリングをして一気に強化を図っていた。

 リーファが得た情報ファイルは、まさにチートの塊だった。偶然に偶然を重ねなければ発見できないレアアイテムを次々と入手できたのである。また、ダンジョンの何処にトラップが仕掛けられているのか、いかなるモンスターが出現するのか、何処に隠し宝物庫やショートカットがあるのか、事細かく記載されているのだ。未探索ダンジョンも攻略サイトを覗いているかのように挑めた。

 無論、たった2人だけだ。いかに情報があっても限界がある。また事前情報あっても実戦はまるで異なるのは常だ。この2ヶ月間で死にかけた回数は軽く100回を超える。だが、2人は『あのアルヴヘイムに比べたらこの程度で絶望するわけない!』という気概で乗り切ってきた。

 装備もアイテムも資金も充実している。たった2人だからこそ、個々の力量が否応なく高められる。連携もまた阿吽の呼吸となる。アルヴヘイムの経験を糧にして、2人はなるべくして、トッププレイヤーと呼ばれる者たちの領域に到達していた。

 だが、そんな2人もレベル100に到達してからは限界を感じていた。レベル100以降の必要経験値量が尋常では無かったからだ。EXPキャップで実入りは少なくなっているとはいえ、レベル100級のアルヴヘイムのダンジョンに1週間もレベリングしているというのに、レコンがレベルアップしていないのがその証拠だ。

 

「もっとレベリングの時間を増やす?」

 

「止めようよ。これ以上のリスクは増やしたら絶対に死ぬ」

 

 リーファの感情が死んだ提案に、レコンは冷静に却下を告げる。そう言ってもらえてありがたいとリーファは溜め息を吐いた。

 レベリング。それは経験値をひたすらに稼ぐ行為だ。EXPキャップがあるDBOでは、同じモンスターを倒し続ければ、いずれは得られる経験値もコルも渋くなる。故にレベリングは、狩り場と称されるEXPキャップが緩く、高めの経験値を落とす上に倒しやすいモンスターが出現する場所で行うのが通例であるが、高レベル帯ともなれば『倒しやすい』の基準が変わってくる。

 2人がレベリングに選んだ殉教の洞窟は、スケルトン=オーガ・メイルしか出現しない。2人はいずれも特効攻撃を仕掛けられるからこそレベリングに利用しているが、先の戦いの通り、決して楽が出来るわけではない。むしろ、常に緊張感を保ち、集中力を注ぎ続けねばならないのだ。疲労の蓄積は凄まじく、2時間も籠もれば精神は疲弊の限りを尽くす。

 これが6人パーティならば、まだ話も変わって来るが、そうなると個々人の実入りは少なくなり、またパーティ人数が増えた分だけ隠密ボーナスは下がってエンカウント率は増し、予期しない戦いを強いられやすくなる。また、そもそもとして今のリーファ達には6人パーティを組めるような状態ではない。

 結果として、リーファ達が殉教の洞窟に籠るのは長くても3時間だ。命懸けであるが、リスクを増やしてまでレベリングを優先すべきではないと2人で結論を出したのである。

 

「もうここは止めよう。EXPキャップも上限に達したよ。最初の頃に比べれば、得られる経験値は2割程度しかないし」

 

「EXPキャップなんてシステムを考えた馬鹿って誰よ……」

 

「茅場の後継者じゃないかな?」

 

「……死ね」

 

 リーファのストレートな殺意に、レコンは同意するのも疲れたとばかりに空を見上げる。

 EXPキャップから逃れる為には、他のモンスターを狩らねばならない。しかし、何処に大ギルドの目があるか分からない以上は、見つけられた隠しダンジョンはなるべく長く利用したい。結果として実入りが乏しいならば、結局は離れるしかない。世知辛いものだとリーファは嘆く。

 

「それよりも昼食にするわよ。今日は聖剣騎士団印のカレーね」

 

「うわぁい。今日もカレーだぁ」

 

「嫌なら食うな」

 

「嫌じゃないよ。飽きただけだよ」

 

 リーファは腰に差す愛剣をバトルアウトモードにして外す。剣などは鞘に収めた状態を除けば、手放せばファンブル状態となって再装備しない限りは武器として機能しなくなる。だが、武器をバトルアウト状態にすれば、ファンブル状態になることはない。特大剣や槍などの大型武器を装備しているプレイヤーは、このバトルアウト状態にすることで野営時は身軽になったり、移動中の自由度を確保するのだ。一々武器枠から解除する手間を省けるのである。

 ただし、バトルアウトモードでは武器としては機能しない。武器として扱う為にはバトルアウトモードの解除が不可欠であり、これには武器に応じて所要時間が定めれている。即ち、バトルアウトモードの状態で奇襲されたならば、その分だけ不利になるのだ。故にバトルアウトモードには意地でもしないプレイヤーは多い。

 だが、大盾や大槌など装備したままでは座って休むこともできない。料理する時に腰に剣を刺したままでは邪魔だ。だからといって武器枠から解除していたならば、再装備の為にシステムウインドウを操作しなければならない。ならば、バトルアウトモードの方がまだ奇襲には対処できるのだ。

 リーファは≪料理≫スキルがあるので、食材さえあれば料理が出来る。だが、料理とは精神力を使うものだ。ならば同じ≪料理≫スキルを使うにしてもお湯を沸かすだけで済む上に、アイテムストレージの消費も軽く済むレトルトカレーに頼るのは、冒険者の摂理である。

 昔はアイテムストレージにたくさん食材を詰めていたっけ? リーファは懐かしきフェアリーダンス時代を思い出す。あの頃は何をするにしてもギルドで行っていたために、アイテムストレージにも余裕があった。だが、2人だけともなれば、どれだけアイテムを準備しても安全を確保できるとは言い難い。結果として、回復アイテムを筆頭にした諸々によってアイテムストレージは簡単に埋まってしまうのだ。ドロップアイテムの回収分も空けておくともなれば、更に余裕は減る。

 結果としてリーファが現地で料理をすることは極端に減った。まだ≪料理≫スキルがある分だけまともな食事を準備出来ている方である。

 

 

 

 

「レ~コ~ン♪ お昼一緒に食べよう!」

 

 

 

 

 だが、突如としてレコンの背後から現れた、甘えるような声音の少女によって、本日の昼食事情は一変する。

 まるで血を啜ったかのような赤い髪を小さなポニーテルにした、活発そうな外見が特徴的な美少女。脚線美を披露するホットパンツと露出が激しいキャミソールの上に黒の袖なしレザーコートを纏うという、外見全振りの防具をしたナギだ。

 来たるべき時まで再会できない。そんな予感を与えて最終決戦後は姿を消したナギであるが、まさかのアルヴヘイム帰還から1週間と待たずしてレコンたちの前に現れた。それからは不定期ではあるが、頻繁に顔を見せている。

 特に害意はなく、むしろ昼食の差し入れや世間話レベルではない情報をあれこれ教えてくれるナギには、リーファもどう接するべきか悩んでいるが、わざわざ敵対するのも馬鹿らしく、いつの間にか彼女の登場は日常の1部と化していた。

 

「キミは本当に僕たちを何処かで見張ってるんじゃないの!?」

 

「ナギちゃんはレギオンだよ? レギオンは至る所にいるのです! レコンたちの居場所なんてすぐに検索できるよ! それにしても、リーファはレベル101だって? スゴーイ! もっともっと頑張って、ナギちゃんを魅せてよ! 2人のサクセスストーリーが見たくてワクワクなんだよ!」

 

「ねぇ、プライベートって知ってる!?」

 

「知ってるよ。失礼な! レコンたちが家にいる時は何してるか知らないし、お風呂だって……そ・れ・に、レコンが時々こっそり夜の街に行った時も――」

 

「うわー! うわー!」

 

 小悪魔フェイスでレコンの秘密を暴露しようとするナギに、彼は必死に声を上げて掻き消そうとするが、それくらいは把握しているとリーファは一息入れる。

 

「アンタがこっそり歓楽街に駆り出してることくらい、あたしだって知ってるわよ」

 

「……え?」

 

「それとこの前、娼館の割引券をテーブルに置きっぱなしだったんだけど。あたしが言えた義理じゃないけど、異性との共同生活なんだから、もう少し気を引き締めた方がいいわよ」

 

「…………」

 

 顔色が青と赤で反復横跳びするレコンを尻目に、カノジョでもないのだからその程度で怒る訳ないだろうとリーファは呆れる。レコンとて若い男なのだ。性欲旺盛なのも仕方がない。むしろ、女性との共同生活で、自分に劣情をぶつけないように配慮して外でちゃんと発散しているのは喜ばしい、と実に合理的に評価している程である。

 

「レコンったらお馬鹿! お馬鹿過ぎるよ! クヒ、クヒヒ、クヒャヒャ! 笑い過ぎてお腹が痛いよ!」

 

 腹を押さえて笑い転げたナギは、涙目になりながら昼食のサンドイッチを広げる。いずれも瑞々しい野菜と香辛料が効いた分厚い肉を挟んだ、高級素材を贅沢に使ったものだと一目で分かる。

 

「でも、2人も本当に頑張ったね。もうレベルも装備も実力も、トッププレイヤーに仲間入りできるくらいになったよ。だけど、これから2人はどうするの? これ以上のレベリングは、もっともっと危険な相手をしないと無理。それこそネームドにガンガン挑むくらいじゃないとね。ナギちゃんは2人を応援しているから、少し位なら情報提供してあげるけど、どうする?」

 

「僕としてはナギちゃんに頼りたくないなぁ。後々が怖そうだし」

 

「レギオンだから?」

 

「うん」

 

「即答って酷いなぁ。リーファはどう思う?」

 

「あたしもナギちゃんには頼りたくない。信頼できないからとかじゃなくて、まずはあたし達で頑張って道を開かないといけない事だから。あたし達が決めたことなのに、ナギちゃんに頼るのは何か違うと思うし」

 

 レコンの言うようにナギを信頼・信用するのは危険という事もあるが、リーファ達はサクヤの遺志を継ぐべく、たとえチートであるとしても得た情報を頼りにしてここまで強くなったのだ。まずは己の力で進めるところまで進まねばならない。それが責任だ。

 また、リーファとしては、ナギをレギオンと一括りにした存在としては、どうしても見ることが出来なかった。彼女とはできれば友人として、対等に近しい関係を築きたいというのが本音である。故に彼女のレギオンとして有する力や知識を借りたくはなかった。

 

「ス・テ・キ♪ リーファは今とってもキラキラ輝いてるよ! そうだよ! それなんだよ! 道無き荒野を進む気高き心! そこに善悪なんてない! ああ、『人』はやっぱり素晴らしい。素晴らし過ぎるよ!」

 

 リーファの返答に大満足したように、うっとりとした様子でナギは悶える。それなりの付き合いになってきたが、リーファは未だに彼女のツボがよく分かっていなかった。だが、リーファやレコンは彼女にとって望ましいタイプの人間らしく、だからこそ頻繁に顔を出すのだろう。

 

「それじゃあ、ナギちゃんはそろそろ帰るね。リーファもレコンも十分に注意してね。特にリーファは、絶対に単独で行動しないで。最近、プレイヤーの変死事件が相次いでるんだ。お母様も探ってるみたいだけど、まだ原因がハッキリしないみたいで……」

 

 レギオンの情報網がどれ程なのかは不明であるが、彼女たちでも掴み切れていないともなれば、それは真っ当な事件では無さそうだ。リーファはナギの好意の警告をありがたく受け取る。

 手を元気いっぱいにブンブンと振りながらナギは去っていく。毎度のことであるが、彼女が何処に消えるのか、後を付けても決して探り当てることはできない。

 アルヴヘイムから出る頃には、リーファもレコンもダミー用の装備に着替えている。何処にでもいる弱小ギルドっぽさが滲む格好だ。

 

「あらぁ、お帰りなさい。今日は早かったのね!」

 

 終わりつつある街にある巨大な建物。2体の警備用のガーゴイルがまさに銅像の如く左右を挟む玄関を潜り抜ければ、40代半ばだろう、いかにも人が良さそうな女性が2人を迎える。

 

「えへへ、ちょっと疲れちゃって」

 

「いいのよぉ! 疲れが溜まったらミスが増える。それ即ち死に直結するわ! 今日はゆっくり休んでね」

 

 彼女は寮母【ジュリエッタ】だ。現在、リーファ達は開拓団【自由開拓戦線】の寮にて暮らしている。

 大ギルドと中小ギルド。一般的にこの2つの枠組みで分別されるDBOの勢力事情であるが、昨今はやや異なる。

 大ギルドはその名の通り、戦力・財力共に絶大であり、DBOの勢力図は事実上3大ギルドによって決定する。これらの下には、大ギルドには及ばずとも、それなりに規模を誇る有力ギルドは存在する。

 彼らはギルド同士の合併や吸収などで人員・戦力・財力を強化したものが多く、そのほとんどはいずれかの大ギルドの支援を受けた存在だ。

 いかに大ギルドが絶大な力を有するとはいえ、有力ギルドを含む中小ギルドを無下にはできない。彼らが敵勢力に加担してしまえば、その分だけ苦境を強いられるからだ。また、教会の名の下で誓った『ギルド独立の自由』により、あくまで大ギルド同士のぶつかり合いではなく、支援するギルド同士の諍いというレベルに落とし込めることで、戦争を回避するという狙いもある。だが、実際に行われているのは代理戦争だ。

 フロンティア・フィールドの出現においてもそれは変わらない。3大ギルドは支援する有力ギルドや複数の中小ギルドの連合である『開拓団』を結成し、フロンティア・フィールドに送り出している。

 そんな中で、フロンティア・フィールドの出現をチャンスと見て、大ギルドの資本無く新たに結成された開拓団がある。それが自由開拓戦線だ。『開拓精神』を掲げ、フロンティア・フィールドに挑むべく複数の中小ギルドが教会の名の下で合併してできたギルドである。

 フロンティア・フィールドを探索し、獲得したエリアは『大ギルドにレンタルする』ことを目的とした商魂丸出しであり、実際に1つのエリアを獲得して聖剣騎士団に高値で売却した実績がある。いずれかの大ギルド寄り、あるいは中立気味という曖昧な立場を表明していた実力派ギルドが結託して作られた開拓団だ。

 ラスト・サンクチュアリもチャンスとばかりに、自分こそが大ギルドの一方的な支配を拒む筆頭とばかりに食い込もうとしたが、自由開拓戦線はこれを毅然として跳ね除けた。それどころか、ラスト・サンクチュアリに向けた公式答弁は痛快なものだった。

 

『我々の目的はDBOプレイヤー全体の発展であり、その為には大ギルドを中心とした繁栄と秩序が必要不可欠である。我々は全プレイヤーに貢献する為に、自立と自助の精神を胸に、フロンティア・フィールドに少なくない犠牲と多大な投資を覚悟している。「英雄」に寄生するだけの貧者の肥溜めに口出しされる謂れはない』

 

 これにはラスト・サンクチュアリも憤慨し、同じく公式で自由開拓戦線には決して支援をしないと発言したが、そもそも自分たちが抱える1000人以上の貧民さえまともに食べさせられない状況では、支援など土台無理な話だ。

 

「それにしても、アンタもやることがエグイわね。まさか、大ギルドに迎合しつつ、利用しつつ、なおかつ中立を貫ける組織を設立させるなんて」

 

 寝室2つ、リビング、台所、シャワールームと一通り揃いながらも、やはり何処か息苦しい我が家にて、リーファはソファに跳び込みながら、この2ヶ月でまさかここまでレコンが八面六臂の活躍をするとは思わなかったと改めて驚く。

 ラスト・サンクチュアリを踏み台にし、教会の権威を利用し、なおかつ3大ギルドの狭間でビジネスという隠れ蓑で中立を保つという組織を結成させたのは、他でもないレコンなのだ。

 

「僕だって遊びで歓楽街に足を運んでいたわけじゃないよ。『酒場で情報収集』がお約束なのは、有益な情報交換とは非公式な場所でこそ盛んに行われるからこそさ。太陽が当たる日向では誰も大っぴらに情報を集めたりしないものさ。情報は鮮度と希少性が命だからね」

 

 アルヴヘイムの経験はレコンを大きく成長させた。彼は大ギルドに敵対するなど愚の骨頂であると断言し、また彼らを超える組織を一朝一夕で設立させるのもまた無謀であり、そして仮に道筋が見えたとしても四面楚歌で追い込まれると予見した。

 そこでレコンが目を付けたのは教会だ。正確には教会の在り方である。曲がりにも何も教会が3大ギルドに呑まれずに独自の立場を貫けているのは、信仰という他に代えがたいアドバンテージを有し、だからこそ教会自体がDBOにおいて不可侵の権威となりつつあるからだと看破した。

 

『実はね、権力を獲得するのは難しくないんだ。お金、武力、カリスマなどである程度の組織を作ってしまえば「立場」が生じて権力が備わるからね。でも、権威は簡単じゃない。家名、血脈、信仰……人間の社会性に訴えかける「格」を持った権威は自由に生み出せない。だから権力者は権威を欲するんだ。それが権力を確固たるものにするからね。現実世界だろうと異世界だろうと、人間社会なら権力と権威は別物で、だけど密接に結びついているものなんだよ』

 

 コイツは誰だ? 当時のレコンの力説に思わず拍手をしたリーファは、アルヴヘイム前後で全くの別人となる程に精神が革新を果たした彼に心底慄いた感想を抱いたものである。

 レコンは酒場、キャバクラ、娼館、裏市場などを歩き回り、それとなく有益な情報を流して回った。10個内は9個ダミーという『所詮は噂』という次元を出ない情報ばかりだ。情報源はリーファが得た秘密ファイルである。

 そうしてレコンは観察を重ね、大ギルド以外で情報に敏く、向上心が強く、なおかつ権力と財力を欲しているギルドを選定していった。そして、1つのギルドに『商売』を持ちかけた。『大ギルドも掴んでいないお得な情報がある』と売り込んだのだ。

 そのギルドこそが自由開拓戦線の設立の立役者とされる【竜玉商会】だ。3大ギルドのいずれからも商品を仕入れている平凡な商業系ギルドであるが、非常に情報には耳聡く、有益なダンジョンやイベントが発見されたと知れば、そこに集まるプレイヤーやギルドを見越して必要となるアイテムを買い込んで販売することで、他よりも1歩先をいく利益を出していたギルドである。独自の工房でアイテム・装備開発も行っており、教会経由で販売するなどの、大ギルドに目を付けられないように立ち回る強かさもあった。

 レコンは竜玉商会のリーダーである【ドボルドゥ】に様々な情報を売り込む『情報屋』として接触し、彼の商売を助けた。レコンが新しいイベントやダンジョンの情報を流布し、竜玉商会はアイテムや武器を買い集め、芽吹いたら利益を取る。大ギルドに怪しまれることはない。なにせ、竜玉商会は元からそうして成長してきたギルドだからだ。

 だが、何事も度が過ぎれば災いを呼ぶ。大ギルドがマッチポンプを疑って動く前にレコンと手を切ろうとするドボルドゥに、レコンは甘い毒を囁いた。

 

『どうせなら、大ギルドからも毟り取りませんか?』

 

 竜玉商会はあくまで大ギルドなどからアイテムを仕入れて中小ギルドに売るのが基本サイクルだ。よもや大ギルド相手に商売をするなど考えてもいなかった。

 レコンは教会の名の下で実力のあるギルドを結集させ、開拓団を設立させることを提言した。もちろん、盟主はドボルドゥが名乗る。お得意様の実力を把握するのも仕事の内だ。竜玉商会には、いずれは伸びると目を付けたギルドが幾つもあった。彼らにフロンティア・フィールドを獲得して大ギルドにレンタルさせる事業を誘わせた。足りないレベルや装備は、秘密ファイルの情報を活用させた。

 人数が増えた分だけ露呈の危機を招く。ならば最初からオープンにして動けばいい。レコンは秘密裏に動くのはここまでとして、ドボルドゥには早々に大ギルドに寄らず、教会の名の下で『現行秩序への貢献とプレイヤーの発展のため』という『大義』を発表させ、開拓団への参加を募らせた。もちろん、裏では教会に多額の『お布施』をし、なおかつフロンティア・フィールドでのレンタル事業で得られる権益の1部を『募金』として教会に収めることも公式表明しての事である。

 

『社会ってのは複雑なようで単純なものでさ、「奇麗事」って馬鹿にしながらも、存外それを無視できない生き物なんだよなぁ。「奇麗事」を否定するに足る根拠がないと反論すらもできないんだよね。口を開いても封殺は簡単』

 

 レコンは自分が表舞台に出ることもなく、名前を残すこともなく、だが自由開拓戦線の盟主ドボルドゥの『良き友人』というポジションをゲットした上で、サクヤとは違う形ではありながら、中立の道を切り開いた。この時のレコンの発言と表情を見て、『絶対にレコンを敵に回しちゃいけない』とリーファは寒気を覚えながら決心した。

 

「……とはいえ、色々と不味い事になってるんだよね。当然だけど、これだけの大所帯になると大ギルドの息がかかったギルドも多くてさ。ちょっとでもバランスが崩れたら、いずれかの大ギルド寄りを表明して、目論見は全部瓦解どころか、大ギルド間のパワーバランスも狂わせちゃうことになっちゃうよ」

 

「だから自由開拓戦線に「権威」を付け加えたいわけね。その為にお兄ちゃんを利用しようっていう根性は気に喰わないけど」

 

 レコンは既に次の段階……大ギルドによる自由開拓戦線に対する内部工作への対策に乗り出している。自由開拓戦線が設立した時点で、大ギルドは『裏で糸を引いている「勢力」がいる』と探っているはずだ。実際には組織どころか実質的にレコンが文字通り命懸けで情報操作と交渉を繰り返して、ここまで辿り着いたのであるが、いずれはレコンが……いや、フェアリーダンスの残党が関わっていると察知されるのは時間の問題だ。

 そこでレコンは次の1手として『権威』の獲得に乗り出している。それが『専属傭兵としてUNKNOWNを獲得する』というものだ。

 

「UNKNOWNさんは、ラストサンクチュアリの専属だけど、これって実は凄い価値のある経歴なんだよ。だって、専属傭兵って専属先から恩恵を得られる側なのに、UNKNOWNさんは逆に専属先に多額の支払いをしていたんだから。「貧者に施しを与える英雄」がUNKNOWNさんなら、ラストサンクチュアリは「英雄を蝕む寄生虫」って扱いだからね。教会のお墨付きがあって、しかも大ギルドの秩序を肯定し、なおかつ全プレイヤーの繁栄を目指すという『大義』を掲げる自由開拓戦線にとって、UNKNOWNさんの『英雄』っていう肩書はまさに欲しかった不可侵の権威なんだ。おあつらえ向きに聖剣もあるしね」

 

「だけど、さすがに無理じゃないの? お兄ちゃんはラストサンクチュアリの専属だけど、実質的には聖剣騎士団の依頼ばかりを受けてるわけだし、支援だって受けてる。ここで自由開拓戦線を選んだら、それこそお兄ちゃんの裏切り行為と見られかねないんじゃない?」

 

「フフフ! そこだよ。そこなんだよ、リーファちゃん! 今まさに聖剣騎士団寄りとUNKNOWNさんは世間一般で見られているわけだ。ラストサンクチュアリ壊滅後は、まず間違いなく聖剣騎士団の専属になるはずだってね。だけど、それを許す他の2つの大ギルドじゃない。ラストサンクチュアリと直接対決するクラウドアースも、聖剣騎士団とは仲が悪い太陽の狩猟団も、いずれもUNKNOWNさんの獲得に向けて工作活動をしている。それを利用してやるのさ」

 

 また悪い顔をしてる。ソファで寝そべるリーファも呆れる程に、何処の悪の組織の幹部だと言わんばかりにレコンは口元を歪める。

 

「そう、たとえば『聖剣騎士団はラストサンクチュアリを嵌め、UNKNOWNの殺害を目論んだ』なんてどうかな? 表向きは繋がりを否定しているとはいえ、ラストサンクチュアリを支援していたのが聖剣騎士団なのは公然の秘密さ。その聖剣騎士団が積極的にラストサンクチュアリを嵌めようとしてる、なんてスキャンダルが出回れば……どうなると思う?」

 

「もちろん仲が悪くなるわよね。ラストサンクチュアリが終わりなんて誰の目から見ても明らかだけど、属する側の人たち……幹部からすれば堪ったものじゃないんだし」

 

「そこで先日の風花隊の殺害事件さ。まだ犯人は目星がついていないけど、裏では既に『聖剣騎士団がラストサンクチュアリの犯行と見せかけたマッチポンプ』という噂が流れているみたいだよ。「シナリオ」通りにいかなかったから、太陽の狩猟団が聖剣騎士団にダメージを与える為に利用した……ってところかな。酒場や娼館でもそうした『悪い噂』が盛んみたいだよ」

 

「あ、アンタ……!」

 

「嫌だなぁ! 僕は『何もしてない』よ! 噂の発信源は太陽の狩猟団の工作部隊だろうしぃ? 噂が『思ってたよりも広まって尾ひれがつく』なんて珍しいことじゃないしぃ?」

 

 本当に遊びで歓楽街に毎夜の如く足を運んでいたわけではないのだ。レコンの本気っぷりを感じ取り、リーファは戦慄する。

 サクヤの望んだ形ではなくとも、大ギルドに呑まれることのない中立を成し遂げる。その為ならば何でもするというレコンの、もはやどす黒い域にまで達した覚悟を感じ取り、リーファはごくりと生唾を飲む。

 

「でも、ちょっと上手くいき過ぎてるのが心配かな? 考え過ぎ……なんてことはないだろうし、ここが踏ん張りどころかもね」

 

 不穏な心配を見せるレコンは、自分の作戦通りに皆が踊っているのではなく、むしろ自分達もまた利用されている側であることを示唆するように険しい表情をする。

 

「それで? あたしはこのまま傍観していればいいの?」

 

「まさか。自由開拓戦線の次のフロンティア・フィールド探索先の≪忘れられた樹海の都≫。この探索主要メンバーに僕たちを捻じ込んだよ。ここで成果を上げれば、僕たちは自由開拓戦線にお世話になってるプレイヤーなんかじゃなくて、自由開拓戦線の実質的な保有戦力としてアピールできる。これを足掛かりにして、新生フェアリーダンスを結成するんだ。サクヤさんみたいに高潔なる中立は無理でも、陰謀でも何でも巡らして、意地汚く、大ギルドも教会も利用して生き残ってやるさ。それが……僕の贖罪なんだ」

 

 と、そこでレコンが双眸に宿した、決して癒えることのない罪の意識を垣間見て、リーファは彼の覚悟は何に根を張っているのかを再認識する。

 アルヴヘイムで犯した罪。それを償う為に、レコンは自らの信念と矜持を捨てることなく、いかなる形であろうとも貫き通すという覚悟を抱いているのだ。そして、それはサクヤの遺志を継ぐと決めたリーファを守る為でもある。

 

「あたしも手伝えることは何でもする……って言っても、頷いてくれないよね」

 

「うん。これは僕の仕事だから。リーファちゃんはフェアリーダンスの『奇麗事』を言い続けて欲しいんだ。サクヤさんの……本当に継いで欲しかった在り方を貫いて欲しいんだ」

 

 だからリーファには手を汚させない。謀略は自分が全て請け負う。決して揺るがぬ覚悟でレコンの眼に、リーファは溜め息を吐く。

 

「分かったわ。願い通りに踊ってやるわよ。あたしが口出ししても、レコンの邪魔をするだけだろうしね。でも、無茶はしないで。あたし達の2人でサクヤさんの遺志を継ぐって決めたんだから」

 

「あははは。実は今も挫けそうだよ。だから早くUNKNOWNさんを引き抜かないとね。その為の1手……上手くいくといいんだけど」

 

「今度は何を企んだのよ?」

 

「別に企んだわけじゃないよ? リーファちゃんの伝手を使おうと思ってね。ほら、『彼』ってUNKNOWNさんの相棒だったんでしょ? 獲得の為にも色々と欲しい情報もあるし、今度のフロンティア・フィールドの探索に護衛として雇うことにしたんだ。ランクが低いお陰で、お手頃価格で雇えそうな腕の立つ独立傭兵をね」

 

 ま、まさか……! リーファは思わず嬉しさで口元を綻ばせてソファから跳び起きる。

 

「クゥリさんを雇うの!?」

 

 先日の劇的な復活報告以後、接触する機会を作ろうにもなかなか得られなかったリーファは、レコンの采配に歓喜する。

 ランク42と実質最下位という不名誉を持つ独立傭兵であるが、リーファはクゥリの実力を微塵と疑っていない

 

「……正直言って、僕はあの人が苦手だから、リーファちゃんに対応は任せっきりになるけど、いいよね?」

 

「もちろん! そっかぁ! クゥリさんと冒険できるんだぁ! 楽しみだなぁ!」

 

 ご機嫌のリーファに、何処か面白く無さそうな顔をしたレコンは拗ねるように背中を向ける。

 

「ありがとう、レコン」

 

 だが、リーファは心からの感謝を告げれば、レコンは全身から漲る程の喜びを表現するかのように、静かに漢のグーサインを立てた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「これでレベル97」

 

 ようやくレベル100が見えた。アスナはレベルアップして得た成長ポイントを早速割り振りながら、額に浮いた汗を拭う。

 場所はアルヴヘイムにあるチャレンジダンジョン【ウンディーネの修練場】だ。チャレンジ系は幾らかの制限が課せられる、まさに腕試しの意味合いが強いものばかいだ。代わりにクリアすれば確定で価値のある報酬を得られるものが多い。このウンディーネの修練場は『パーティ1組限定』であり、内部に入れば他のプレイヤー・パーティと遭遇することはない。誰かに監視されることもなければ、横取りされるリスクもない代わりに、パーティが危機に瀕しても近場の誰かが助けに駆けつけてくれる、救援が派遣されるという事もなく、自力で脱出する以外の道はない。

 主に出現するモンスターは、水から創造された【ウォータースライム】。蔦による長いリーチと毒・麻痺のデバフを使い分ける【汚れた樹人】。魔法によって動くスタンダードな片手剣と盾のコンビネーションを使いこなす【偶像の騎士】。そして、稀に出現する徘徊リポップ型ネームド【修練場の主・亡霊のコーナー男爵】だ。

 いずれも強力なモンスターばかりだ。特にHPバーは1本だけのリポップ型とはいえ、ネームドが徘徊するリスクは大きい。現に幾つかのパーティが潜ったまま帰ることはなかった。

 だが、アスナからすれば、徘徊型ネームドよりもウォータースライムの方が遥かに厄介だ。打撃属性はほぼ無効化の上に、物理属性防御力も高い。属性攻撃でなければ倒し難く、なおかつ集団で現れて攻めて来るのだから。

 しかし、それも慣れた。アスナはEXPキャップが比較的低めのチャレンジダンジョンに『ソロ』で『半日』程潜る生活を続けている。SAO時代は、この手の鬼のレベリングは幾度となく経験していた。DBOはSAOに比べても高難度とはいえ、命を賭けに出してリターンを狙う『覚悟』の点では大差なかった。

 ウンディーネの修練場の最深部にある、クリアを意味する魔法陣に触れれば脱出できる。戻ると同時に報酬アイテムが得られるも、狙っていた【純粋な水精結晶】ではなく、アスナは溜め息を吐く。

 脱出ポイントのすぐ傍にはモンスター侵入不可エリアの礼拝堂がある。アスナが入れば、ウンディーネの修練場に挑むプレイヤーが屯していた。情報交換や準備などで忙しく、行商人のように風呂敷を広げて商売する商人プレイヤーが多数いる。

 

「おっ、帰って来たぞ!」

 

「スゲーな。またソロでクリアか。さすがは【バーサーク・ヒーラー】だ」

 

「教会もとんでもない隠し玉を持っていやがったもんだよなぁ」

 

 自分の帰還と共に、プレイヤー達が口々にするのはアスナの噂だ。それを恥じるように、彼女は目深くフードを被り直す。

 ウンディーネの修練場は教会が所有権を持ち、いかなるプレイヤーでも利用することができる。ただし、『お布施』を払うのは『礼儀』というものだ。教会の人間が常に礼拝堂にいており、挑戦者に祝福の言葉を授けるが、その時に支払う額は『気持ち次第』といったところだろう。

 

(本当はこんなはずじゃなかったのに……!)

 

 2ヶ月前にアルヴヘイムから脱出してユイと再会して以降、アスナは自分に関わる情報が『彼』の耳に入らないように心がけた。教会の伝手で様々な情報を集め、またエドガー神父の配慮でレベリングをさせてもらってもいたが、彼女に関する情報は決して表に出ないように配慮が行われた。

 

『そうですか。【渡り鳥】殿の……ええ、もちろん! このエドガーにお任せください!』

 

 高難度ダンジョンのアノール・ロンドが帰還したエドガーと面会したアスナは、教会の保護下において自由と生活が保障されることになった。だが、単に養われるだけではなく、アスナはエドガーと同様に『聖遺物探索』への参加を熱望された。

 聖遺物探索とは、教会の使命の1つであり、強大な能力を秘めたアイテム・装備の回収である。単なる強武器・レアアイテムというわけではなく、DBOにおいて特殊な意味合いを持つモノであるらしく、その詳細は教会の上層部しか知らないトップシークレットだ。

 教会に頼る身でありながら、教会は信用できない。DBOにおいて、ある意味では大ギルド以上の影響力を有する教会に引っ掛かりを覚えたアスナは、聖遺物探索には参加するが、自分は信徒ではないとエドガーにやんわりと、かなり遠回しではあるが、面会した当日に伝えた。クゥリには悪いが、教会に保護されるリスクは、自分単独ならばともかく、ユイまで巻き込むとなるならば、十分に秤にかけねばならない案件だった。

 

『我々は異教徒を排斥しません。もちろん、昨今は過激派と呼ばれる信徒が増えつつあることは存じています。ええ、実に嘆かわしい。ですが、このエドガーは確信しております。来たるべき時が来れば、誰もが頭を垂らし、祈りを口にするでしょう。信徒も異教徒も無神論者も等しく灰より出である大火に「神」とは何たるかを知るのです。このエドガーは、来たる未来の啓示を受けただけ。ならばこそ、今は信徒ではなくとも、未来においてアンナさんもまた同じ祈りの下に集うだろうと、このエドガーは確信しております!』

 

 狂信者か、それとも口が達者な詐欺師か。どちらにしても、アスナはエドガーの『にっこり』にこれ以上と無い程に謀略に長けた人物であると確信した。

 聖遺物探索に参加すべく、装備とレベルとスキルを整える。アスナは周囲に素顔と名前を隠し、どうしてもと尋ねられた時には『アンナ』とだけ答えた。彼女の設定は『寡黙ではあるが、敬虔なる信徒であり、エドガー神父とも交流を持つ女剣士』である。ちなみに顔を隠す理由は『過去に受けた呪い攻撃によって、人目に見せられない程の傷痕が残ったままだから』という理由を貫いている。

 念には念を入れ、髪の色も水色に染め、本来の髪色からかけ離れたイメージを定着させた。他人とはなるべく関わらず、街に繰り出すのも基本的には人通りの少ない夜間のみ。アイテムなどは全て教会を通して購入している。

 他人と顔を合わせないように、また道行く人の顔を見ないように、街中ではなるべく目線を斜め下に固定している。何処に『彼』に関わる情報があるかも分からない為に、雑誌・映像媒体からは切り離された生活をしている。故に唯一の楽しみはラジオである。

 そんなアスナであるが、1ヶ月前に大きなミスを犯した。レベリング中に、徘徊型……それも未確認ネームドに遭遇していたギルドと出会ったのだ。元々は3パーティ18人だったのだが、ネームドとの戦いによって4人が戦死し、彼らの亡骸を前にして戦意喪失して総崩れになる寸前だった。

 見ていられず、アスナは飛び出して参戦した。崩れかけた陣形を適確な指示で直し、習得した≪信心≫で得た回復奇跡で援護をした。それだけではなく、アタッカーが頼りにならないと分かれば、ほぼ自分だけでヘイトを稼ぎ、ダメージを与えながら、なおかつ回復・補助の奇跡で支援するという鬼のような働きをした。

 アスナの活躍によって無事にネームドは撃破された。後に分かったことであるが、未確認とはいえ、リポップ型であり、ネームドとしては登場したダンジョンのレベル水準にしては『普通』の部類だったと判明した。だが、未確認ネームドの撃破という功績は大きく、また生存したギルドの報告によって、『謎の女剣士』という噂が広まった。噂は噂を呼び、単独で攻撃も回復支援も全てやった【バーサーク・ヒーラー】という異名まで付く始末である。

 もはやどうしようもない。エドガー神父は『にっこり』と笑いながらお任せくださいと胸を叩き、名前は伏せられたまま『【バーサーク・ヒーラー】は教会の保護下にあり、あらゆる詮索は教会への背信行為とみなす』と声明を出した。裏を返せば『【バーサーク・ヒーラー】には何か秘密がある』と公言したようなものである。

 さすがに【バーサーク・ヒーラー】=アスナと直結できる要素は『得物として刺剣を使う』くらいしかない。顔もDBOに来てからは数人しか顔を見せておらず、いずれもSAO時代の彼女を知らぬ者ばかりだ。

 だが、SAO事件に関する書籍には必ず【閃光】のアスナの名前が出ると教えられ、またSAOを生き抜いたリターナーとSAOで亡くなったはずの死者たちもいるとなれば、何処で誰がアスナと【バーサーク・ヒーラー】を結びつけるか分からない。

 ここまで大事になれば、クゥリがきっと殴り込みに来るはずだ。どうしてこうなった、と頭を抱えたアスナであるが、待てども現れず、それどころかメールを送っても返事は無く、挙句に死亡説まで耳にすることになった。

 自分の素性を知るクゥリは、頼れる数少ない人物だ。不安を抱えたままレベリングを行っていたアスナであるが、先日ついに生存が明らかになった。ホッとする一方で、届いたメールで『【バーサーク・ヒーラー】さん、今度ちょっとお話しましょうか』という簡潔なメッセージが送られ、アスナはたっぷり1時間の反省をした後に了承する旨を返信した。

 とはいえ、アスナが助けに入らなければ、あのギルドはそのまま壊滅、最悪の場合は皆殺しだったはずだ。そういう意味では、アスナには反省すべき点こそあっても、後悔すべき点は何もなかったと断言できる。

 

「これは【バーサーク・ヒーラー】さん! 私、クラウドアースのスカウトマンの――」

 

「急いでますので」

 

「こんにちは。太陽の狩猟団の――」

 

「急いでますので」

 

「おや、奇遇ですね! 僕は聖剣騎士団より派遣され――」

 

「急いでますので!」

 

 3大ギルドのスカウトマンの包囲網を突破し、≪気配遮断≫と隠密ボーナスを高める【影人の黒砂】を使って尾行を振り切ってから、アスナは別の装束……外見からは女性と判別できない程にゴツいフルメイル姿に切り替える。アスナのSTRでは歩く以外にできない重装であるが、中身が軽量装備の【バーサーク・ヒーラー】とは想像もできず、今日『も』何とかスカウトマンを振り払うことに成功する。

 だが、こんな生活をいつまでも続けることなど出来ない。ようやくレベル100も視野に入った。そこまで到達できれば、人目が付きやすい場所でレベリングする必要性もなく、危険ではあるが、少人数で挑む、なおかつ秘匿性の高い聖遺物探索の任務に従事することになる。それまでの辛抱だとアスナは今日で何度目になるかも分からぬ溜め息を吐く。

 アスナがフルメイル姿のまま帰ったのは、ウンディーネの修練場から目と鼻の先にある<滝壺の町アクアリンド>だ。巨大な滝を囲うように作られた町であり、ウンディーネのNPCだけで構成された町である。

 オベイロンに改造されたアルヴヘイムとは違い、『本来のアルヴヘイム』は、翅を失った妖精たちが暮らす、深淵の呪いに蝕まれた妖精の国である。滅びの前触れのように厄災が頻発しているという設定である。

 現在のアルヴヘイムは、ボスであるオベイロンが撃破された状態だ。オベイロンがいる世界樹ユグドラシルの結界も解除されている。改変アルヴヘイムで倒されたネームドもリポップ型を除けば復活していない。

 オベイロンを打倒した改変アルヴヘイムがどうなったのか。アスナも気がかりであるが、探る方法もなく、現状に追われるばかりの毎日だった。だが、こうして正常化したアルヴヘイムを歩けば歩く程に、僅かな期間ではあったが、人々が確かに『生きている』と実感した改変アルヴヘイムに懐かしさを覚えるのだ。

 アスナが戸を開くのは、アクアリンドにある教会が保有する建物だ。教会の者に貸し与えられる家屋の1つであり、パーティ単位では無理だが、人間1人が暮らすには十分過ぎる広さである。

 

「ママ、お帰りなさい!」

 

「ただいま、ユイちゃん」

 

 玄関を潜り、フルメイルから元の装備に戻したアスナに抱き着いて迎えたのは、年頃が10歳前後にも見える少女、ユイだ。アスナにとってかけがえないのない家族であり、愛娘でもある。

 

「今日はシチューですよ! ママの為に腕を振るって作りました!」

 

「楽しみ! 着替えて来るから、ちょっと待っててね」

 

 エプロン姿のユイがお玉を手に胸を張って晩御飯のメニューを伝えれば、疲労が一気に抜けたと言わんばかりにアスナは笑顔になる。

 寝室のクローゼットに甲冑を収納し、代わりに私服をアイテムストレージに移して装備する。SAOに比べてもアイテムストレージの容量に余裕があるとは言い難いDBOでは、常に持ち歩くアイテム・装備を厳選しなければならない。ましてや、アスナの場合は変装用の装備も持ち歩いているのだ。その分だけ切り詰めねばならない。

 

「ふん♪ ふん♪ ふふ~ん♪」

 

 何処かで聞いたことあるようなメロディを鼻歌に、ユイはご機嫌そうに台所でシチューをかき混ぜている。足台を使って足りない身長も補っている姿は、まさに仕事から帰って来たシングルマザーに手料理を振る舞おうと意気込む娘そのものだ。

 質素な木製のテーブルには、アスナが選定した花柄のレースのテーブルクロスがかけられている。先に腰かけたアスナは、今日の実入りを改めて計算する。

 

「…………」

 

「やっぱり収入が厳しいですか?」

 

「そ、そんな事ないわよ!?」

 

「大丈夫です! ママが稼げない分は、私が頑張りますから!」

 

 お肉と野菜たっぷりのシチューを眼前に出され、笑顔で家計を支えると宣言するユイに、アスナは罪悪感を覚える。

 アスナはソロプレイヤーだ。教会の伝手でレベリングをしてはいるが、装備にもアイテムにもお金はかかる。教会ルートで安く仕入れるにしても限界はある。そもそもアルヴヘイムから脱出したアスナは文無しだ。オベイロンが仕立てたドレスを売り払って初期資金を作ったが、その程度では装備一式すらも揃えられなかった。

 教会から多額の資金援助を受けるという選択肢もあった。エドガーはもちろん勧めた。だが、アスナは……『結城明日奈』は知っている。人間社会における『お金の恐ろしさ』を知っている。

 これは支援の名を借りた借金だ。アスナは3桁しかない残額のコルに涙を流す寸前で堪えながら、エドガーの資金援助を断った。タダで教会に住まわせてもらっている身の上であることを殊更に主張すれば、資金援助を断るにも角は立たなかった。

 では、どうやってアスナは教会の資金援助もなく、レベル100近くまで成長した【バーサーク・ヒーラー】になれたのか? その理由は2つある。

 1つは自分とユイにかかった謎のバフだ。獲得経験値増加とドロップ率アップである。2人には制限時間こそ設けられていたが、2つの格別な効果をもたらすバフがかかっていた。これによってアスナは急成長を可能とし、またアイテムを入手しては売却するを繰り返すことで、成長を支える資金を得られたのだ。

 もう1つはユイのお陰である。ユイは≪魔法感性≫のスキルを有しており、複数の魔法を所持した状態だった。だが、今のユイはMHCPとしての能力や知識を失っている。出会った頃の記憶喪失状態と同じとまでは言い難いが、中身は極めて近しいだろう。即ち、戦闘能力に関していえば、アスナに遠く及ばない。魔法の援護は優れているが、とてもではないが、前線に出せるものではなかった。

 そこでユイは≪錬金術≫を始めとしたスキルでアイテム開発を始めた。たとえ、知識は無くても元はゲームを司るAIだったお陰か、あるいはユイ本人にセンスがあったのか、次々とアイテムを開発した。

 最初は子供の遊びだと笑っていたエドガーも、徐々に顔色を変え始めた。≪錬金術≫によって作成された素材系アイテムは、まさに教会からすれば一攫千金……市場独占を狙っていた回復系アイテムの素材として極めて有用だったからだ。

 エドガーはユイに教会の設備を貸し与えた。レンタル料は一切取らず、なおかつ教会の工房の責任者であるイドとも面会させた。ユイの持ち込んだ素材にイドは感嘆し、それは教会の工房に新たな風を吹き込んだ。

 

『アンナ殿、これらのレシピを所有権も含めて是非とも買い取らせていただきたい』

 

 普段の『にっこり』も無く、大真面目の表情でエドガーは商談を持ちかけた。DBOの相場を理解し始めたアスナは、一切の値切りなく順当な金額を提示したエドガーの『正義』を感じながら、ユイの了承を取った上で契約にサインした。

 こうして、ユイは莫大な富を手に入れ、アスナはその恩恵を受けることになった。だが、『母親』としてのプライドで頼り切るわけにはいかず、あくまでユイの資産であるとして、装備を整える以上の利用は避けた。

 しかし、ユイは折角の資産を眠らせたくないと、生活費は全面的に自分が支払うと主張した。だが、アスナも『母親』としていずれは生活費も自分が出すと決心している。聖遺物探索に協力するのは、得られる報酬こそが目当てである。

 

(お金、お金、お金……DBOはゲームのはずなのに、世知辛いわ)

 

 現実世界ではお嬢様だったアスナは、世間の金銭感覚とズレがあったわけではないが、経済面で苦汁を舐めた経験は無い。SAO時代でも初期からトッププレイヤーの道を歩いていた為に、金銭面で困窮する場面はほとんど無かった。

 だが、DBOでは『裏ラスボスはコル』と言われる程だ。そもそもとして、モンスターを撃破しても得られるコルは雀の涙ほどであり、実質的に稼ぐにはドロップアイテムを売却するしかない。ところが、素材系アイテムはほとんどが二束三文だ。武器さえもNPCに安く買い叩かれる。コルを稼ぐならば、売却価格が高いコレクターアイテムが中心だ。更に普通に売るのではなく、≪交渉≫などのNPCに対して有利にアイテム売買が出来るスキルも求められる。

 現在、最高額でアイテムを売却するには≪交渉5≫が必須とされており、これには特殊なイベントを複数こなさねばならない。これらのイベントは大ギルドによって独占されており、普通のプレイヤーではどう頑張っても≪交渉2≫までが限界である。コルを高額で得るならば、最終的には大ギルドに売却するしかないというシステムが出来上がっているのだ。

 大ギルドによる支配。SAOにも巨大ギルドが幅を利かせる場面は幾つもあったが、本質的に異なっている。大ギルドが行っているのは『社会の構築』なのだ。その根本を担っているのが経済の掌握なのである。

 

「ママ? 美味しくなかったですか?」

 

「あ、ごめんね! ちょっと考え事してたの。ユイちゃんのシチュー、凄く美味しいよ!」

 

 手が止まっていたアスナに、ユイは不安を覗かせる。アスナは慌ててシチューを口にすれば、クリーミーな風味と絡まった肉と野菜の味が舌に広がる。

 シチューの食材は、いずれもNPC販売の質が悪いものではなく、プレイヤーメイキング品だ。値は張るが、支払うだけの価値がある。逆に言えば、コルを持たぬ者は粗悪な食材しか買えないという事だ。それどころか、極貧の低レベルプレイヤーは、食材を買う為のコルすら持てない。アスナも1度だけ貧民プレイヤーが普段食しているという蒸かしたジャガイモを食べさせてもらったが、スポンジのような食感と吐き気を催す味は呑み込めたものではなかった。

 

(まずはしっかり稼いで、ユイちゃんとの生活を安定させないと。ユイちゃんの財産もいつまでも切り崩せるものではないし、また売ればいいなんて考えだと教会にユイちゃんを利用されかねないわ)

 

 ユイは教会へのレシピ売却以降もアイテムを開発しているが、アスナは教会への売却を認可していない。アスナが外でレベリングをしている間は、ユイは家で孤独に待つか、それとも教会でエドガーが準備した家庭教師と勉強するか、どちらに時間を費やすしかない。ユイにとってアイテム開発は寂しさを埋める行為なのかもしれないが、アスナとしては教会の目をつけられる行為はなるべく控えて欲しかった。

 

「……パパにも食べて欲しい」

 

 と、そこでアスナはユイの呟きを聞き、切なさを隠すことなく微笑む。

 

「私も『パパ』にユイちゃんのシチューを食べて欲しい。でも、約束したでしょ? 私もユイちゃんも『パパ』には会えないの。会っちゃいけないの」

 

「でも会いたいです! 会いたいんです!」

 

「……ごめんね」

 

 自分のせいとは口に出来ない勇気の無さを自覚しながら、アスナは謝罪を述べる。

 ユイはMHCPとしての能力と知識を失った。外見相応の少女になった。それは言い換えれば、精神面の幼さがより強調されるようになったという事だ。

 

「私……パパに酷いこと言いました。ママはこうして『生きてる』のに……パパは正しかったのに……!」

 

 目覚めたユイは、アスナに『彼』の辿った道を全て語った。SAOをクリア後、どのように生き、どのように狂ったのか。そして、最後は親子喧嘩の末に絶縁を突きつけ、『彼』の元を離れたユイは管理者と戦った末に敗れたと。そして、他でもないユイ自身が、アスナの復活を否定していながらも、『彼』と同じくらいにアスナの生存に固執した想いを抱いてしまっていた事を。

 ユイはDBOに『彼』がいると確信していた。自分が見捨てた『彼』はDBOに参加し、アスナを探しているはずだと。アスナの生存を知ったユイは、大喜びで『彼』を探して会いに行こうと無邪気に……子供のように願った。

 だが、アスナは真っ向から拒絶した。『子ども』のユイには理解しきれず、何日も説得には時間がかかった。『彼』と再会すれば、それこそが『彼』の目の前で自分は死ぬかもしれない事もアスナは教えた。

 アスナは席を立ち、泣きじゃくるユイを抱きしめる。縋りつく少女の双眸、瞳の色は左右で異なる。精巧な右目の義眼は肉眼とほとんど見分けはつかず、また常に視覚をもたらす高性能だ。巫女の瞳と呼ばれる義眼は、あらゆる不可視の存在を看破売るという破格の能力付きのユニーク品である。

 あの日、ユイを届けた灰色の少女は、ユイに何が起きたのか全て知っていた。アスナの枷も熟知していた。その上で彼女を授けたのだ。

 

「ごめんね。本当に……ごめんね」

 

 ユイさえいれば『孤独』は癒える。アスナは彼女がいるからこそ、DBOで戦うことが……前を向いて生き続ける事が出来る。だが、ユイにとって『彼』に会えない事は、永遠に終わらぬ罰を受け続けるのに等しく、それはアスナだけでは支えきれるものではないのかもしれない。

 せめて、同年輩との子どもたちと遊ばせる事が出来れば、寂しく1人でアスナを待つ生活から脱却させることができれば、何かしらの救いがあるのかもしれない。だが、ユイもまた人目に付く生活を送れば、『彼』の目に留まるかもしれない。そうなれば、ユイは隠しきれずにアスナのことを伝えてしまうかもしれない。

 

「どうすればいいの?」

 

 泣きつかれたユイをベッドで寝かせ、アスナは悩みの捌け口を求める。事情を唯一把握しているクゥリに、今から会えないかとメールを送りそうになるが、生存報告をしたばかりの彼もまた忙しいだろうと遠慮する。

 教会に縋る人々の気持ちがよく分かる。信徒となり、同じ教義の下で祈りを捧げる連帯感は、酒や麻薬にも勝る依存性をもたらすだろう。

 そして、アスナの気持ちを見抜いたかのように、エドガーからメールが送られた。それはレベルが十分ならば、是非とも参加して欲しい仕事があるという内容だ。

 

「フロンティア・フィールドの……探索?」

 

 アスナのレベルは100に届いてこそいないが、実力は十分だ。レベル100以上と推定されるフロンティア・フィールドの探索も十分に可能だろう。内容は至ってシンプルだ。聖遺物に関するアイテムの回収である。エドガーもアスナを招集するのは時期尚早と考えているようだが、アスナに是非とも参加して欲しいとの事だ。

 フロンティア・フィールドの探索ともなれば日帰りなどあり得ないだろう。その間はユイの面倒を教会が見てくれるとはいえ、長く預けたくないアスナは辞退するか悩む。

 だが、アスナは今ここで教会からの要請を断れば、後々に禍根が残ると判断した。教会が『アンナ』の正体に何処まで勘付いているのかは定かではないが、戦力としての利用価値がないと認識すれば、より政治的方面への利用にシフトするだろう。それだけはユイの為にも避けねばならない。

 テーブルに俯せになり、アスナは震える唇を噛む。アルヴヘイムで囚われていた時とは異なる、見えぬ檻の閉塞感に息が詰まりそうであり、今にも叫びたい衝動が胸中で渦巻く。

 何とか堪えたアスナは、フロンティア・フィールドともなれば、近い内には教会の工房に向かわねばならないと持ち込む装備の確認をする。

 アスナの現在の防具は、教会が販売する女性向け軽量型装備を教会の工房で改造したものだ。清楚な白を基調としており、属性防御力重視である。ちなみにスカートの丈は短く、賢者ローガンのマントを上から羽織るとはいえ、その脚線美は男性プレイヤーの目を集めるだろう。アスナの自覚無き外見面の小さな配慮の欠如が、結果的に噂の膨張を助長して【バーサーク・ヒーラー】に至ったのである。

 武器はSAO時代から変わらず刺剣である。ただし、教会製ではない。DBOには『HENTAI』と呼ばれる特異な鍛冶屋がいる。単独で大ギルドの工房以上の技術力を発揮するプレイヤー達だ。

 アスナの得物はそんなHENTAIの作品だ。イドがマユから買い取ったものである。その名も【レイテルパラッシュ】だ。アスナがSAO時代に使っていた刺剣に比べれば、やや大型であるが、イドの手で軽量化が施されており、STRが低いアスナでも問題なく振るうことが出来る。

 刺剣は攻撃力こそ低い部類であるが、軽量性を活かした攻撃と≪刺剣≫の優れた突進系・連撃系のソードスキル、そして純刺突属性による貫通性の高さとカウンターにおける火力増幅が見込める玄人向けの武器だ。レイテルパラッシュの場合、側面にも刃が十分に備わっており、ある程度ならば薙ぎ払い攻撃にも対処できる。

 だが、最大の目玉は変形によって刀身のリーチこそ短くなるが、複雑な変形機構によってハンドガンの銃口が開く点だ。これによって刺突攻撃の最中に変形させて銃撃することができる。火力は低めで射程も長くないが、連射性をほとんど殺した代わりに高い衝撃を備えており、敵を怯ませることに優れている。ダメージの低さは、教会の光属性弾である程度はカバーできる仕様だ。

 もう1つは【竜の巫女のタリスマン】だ。太陽の狩猟団が攻略中の聖壁の都サルヴァで発見されたレアアイテムであり、教会に売却されたものをアスナが買い取ったものだ。太陽の狩猟団の高名な槍使いである【雷光】のミスティアも愛用している、近接戦において邪魔にならない腕や手に巻き付けるタイプである。肘から手にかけて緑を帯びた白色の毛で結われた紐が複数巻き付き、手の甲には竜を模したエンブレムが装着される。アスナの場合、これを左手に装備している。

 竜の巫女のタリスマンは、回復・補助系奇跡に優れた効果を発揮する。回復系奇跡のもたらすHP回復量を増やし、またアバターの修復効果も強化される。装備しているだけで毒耐性も上がる良品だ。

 目立たない事を目的としたアスナは得意とする刺剣による近接プレイヤーではなく、後方支援するヒーラーを目指していた。あくまで刺剣はレベルリングと自衛目的の域から出さない予定だった。だが、皮肉にもヒーラーとしてスキルも整えつつあったからこそ、結果的とはいえ【バーサーク・ヒーラー】を生み出すことになったと言えるだろう。

 

「アイテムや修理は全て教会が持ってくれる。ドロップアイテムは聖遺物関連を除けば全て自分のモノにしてもいい。良い条件だけど……」

 

 アスナが気がかりなのは、注意点として聖遺物探索には傭兵2人が同行することになっている部分だ。余程に今回の聖遺物探索は失敗できないのだろう。

 同行する傭兵は2名だ。1人は聖剣騎士団専属傭兵のグローリー、もう1人は独立傭兵のスミスだ。どちらも1桁ランクの傭兵であり、DBO事情を把握したアスナは、聖剣騎士団と独立傭兵の最高位ランカーが投入される案件であることに危険性を覚える。

 危ない橋を渡るべきではないかもしれない。難易度もそうだが、教会の息がかかっていないプレイヤーと合同は避けたかった。

 

「場所は≪忘れられた樹海の都≫ね」

 

 だが、辞退するという選択肢はない。ユイを協力させないという選択は、教会にとって好ましくない判断だったはずだ。減点分は稼いで穴埋めしなければならない。アスナはDBOで『生きる』という覚悟を貫く為に、そして愛娘を守る為に、エドガーの要請を受諾した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 全弾命中。悪くない仕上がりだ。新装備の試験運用を記憶よりも『超』拡張されている地下実験場で終える。

 的は全て爆砕されている。元より的の耐久度は低いが、攻撃の性質による部分が大きい。オレは左手に持つ異形の銃器をオミットすると、静かに拍手を送っているグリムロックの方を向く。

 

「満足してもらえたかな?」

 

「ああ。予想以上の仕上がりだ」

 

 微調整を任せるべく、グリムロックに手渡すのは、2本の細身のレールを備えた異形の銃器だ。先端が鋭く尖っているレールは、本来は弾丸を加速させる為のものであるが、コイツの場合は別の使い道がある。電撃を収束させて放つのだ。その様はまさに雷弾であり、一定距離か着弾点にプラズマ爆発を起こす。言うなれば、コイツはレールガンであり、高弾速のプラズマライフルなのだ。

 

「新生ザリア。気に入ってもらえたみたいで良かったよ」

 

 ランスロット戦でスクラップ状態になり、修復は絶望的だったはずのザリアであるが、グリムロックは見事に蘇らせた。

 

「レールガンは火力よりも装弾性を優先したよ。まぁ、正確に言えば、従来の火力まで復元しきれなかったからね。だから装弾性を重視して、燃費と継戦能力を意識してみたんだ。チャージ時間も以前よりも短くなっているし、実用性は増加したはずだよ。だけど、一撃必殺級の火力が大幅に落ち込んだのは、やはり手痛いね」

 

 グリムロックの言う通り、試験運用したザリアはレールガンの反動も落ちていたならば、チャージ時間も火力も低下していた。だが、オレはそこに大きな不満を抱かない。長時間のチャージが必要かつ装弾数の少なさがネックだった旧ザリアよりも新ザリアのレールガンの方が戦術の幅は広がるからだ。

 

「物理属性の実体弾を撃てるという事に意味があるし、対人なら十分過ぎる火力だ。それと心にもないことを言うな。顔に出てるぞ」

 

 オレが指摘すれば、邪悪の権化と言わんばかりにニヤニヤしていたグリムロックは、ここでは隠す必要が無いばかりに肩を竦める。

 

「できれば実戦テストが望ましいんだけどね。自由開拓戦線の依頼に持って行ってもらえないかな?」

 

「……グリセルダさんは?」

 

「許可を貰っている。ただし、あくまで隠密な運用を頼むよ」

 

 探索部隊の護衛なのに、隠密で運用しろとは無茶ぶりだな。だが、グリムロックの要望ならば、限りなく叶えたいという気持ちもある。本来ならば、失われて使い物にならなくなるはずだった装備をこうして蘇らせてくれているのだから。

 

「修復素材のベースには、クゥリ君が持ち帰ったスクラップ……もといカノープスを使わせてもらったよ。ハイレーザーは使えなくなったけど、雷弾の強化には繋がった。それにチャージ機構の改善によって、従来よりも燃費が良い。面白味のない堅実な安定性……だけど、その『安定』という部分こそがザリアには不可欠だったからね」

 

「なるほど。反動が少し大人しくなったのは、レールガンの火力ダウンの影響じゃなかったか」

 

 ソウルウェポンと同じ扱いとはいえ、特に尖った性能は無かったカノープスだが、どうやらグリムロックにはそこにこそ本質があると見抜いたようだ。

 グリムロックが渡してくれた新生ザリアのカタログスペックを目にしながら、よくぞあのスクラップ群から再生させたものだと感心する。いや、むしろ呆れを覚える。

 

「だけど、それだけでは『面白くない』からね。更にもう1つのソウルを使わせてもらったよ。抜け殻や忠義も素晴らしかったけど、あのソウルも魅力的だった。何に使うべきか悩む程にね」

 

「そうか」

 

「淡白だね。ほらほら、見てくれよ。この能力! 元がレールガンなんて誰も信じないだろうさ!」

 

「雷弾の時点で『レールガン』の域を脱しているからな」

 

 カタログを指差しながら興奮するグリムロックには悪いが、コイツはかなり危険な武器だ。射撃武器は近接武器と違って融通が利かないからな。贄姫でグリムロックのHENTAI力は使い果たされたかと思っていたが、見誤っていたようだ。

 

「旧ザリアと同じく事前チャージ型エネルギー弾倉を想定。ただし、燃費の向上とソウルで備えた補助ジェネレーターで継続能力は大幅に上昇している。エネルギー弾倉に関しては、太陽の狩猟団製が今のところだと最有力候補かな? やはり、こうした量産品は大ギルドの方が強いね」

 

「通常のチャージ型弾倉も手配してくれ。事前チャージ型よりも魔力容量は上だし、何よりも安価だ。経済的だろ?」

 

「でも、それでは……いや、キミの指示に従うよ。魔力消費量は落ちていることだしね。それに今のキミならば、魔力を融通する手段は多いしね」

 

「ああ、頼む」

 

 カタログは読み終えた。『血』は喰らい、それは『力』として失われることはない。カタログの廃棄をグリムロックに任せ、地下実験場を後にする。

 階段を上って地上に出れば、温かな陽光が差し込むグリムロックの仕事場が目に映る。煌々と火が燃える炉、使い込まれた金槌、冷却水などだ。そして、大ギルドが見れば涎を垂らすだろう試作品の設計図が散らばっている。

 黄金林檎にとって宝。機密情報のはずだ。グリムロックはリスクマネジメントが出来ない男とは思えないし、記憶にある限りでも整頓を心がける男だ。余程に興奮して仕事に取り掛かっていた証拠だろう。

 

「微調整はすぐ済む。あとで持って行くよ。各攻撃アイテムも準備済みだ。サインズに配送しておくからチェックを頼むよ」

 

「悪いな。それと……もう1つ頼みがある」

 

「何だい?」

 

「ザリアの名前を変えて欲しい」

 

 新生ザリアを見て、この武器が冠すべき名前は別にあると思った。ザリアには悪いが、使われたソウルを考えれば、オレは新たに与える名前こそが妥当だと思うのだ。

 

 

 

「新しい名前は【ミディール】だ」

 

 

 

 深淵の主の名前ではなく、深淵すらも喰らった竜の名前こそが相応しい。ザリア改めてミディールの調整を頼み、オレはグリムロックの仕事場から、まるで植物園のような温室へと向かう。ヨルコの仕事場だ。

 オレが寝ている間に増築されたヨルコの仕事場は、あらゆる植物系アイテムの栽培所でもある。元より薬師であるヨルコにとって、それは悲願だったらしい。なお、保管庫は酒の隠し場所にもなっているらしいが、グリセルダさんも見逃しているらしい。

 ヨルコはウェーブのかかった髪をしたお姉さんだ。もう記憶からも灼けてしまって思い出せないが、何よりもまずアル中であり、常に酔っ払っている。オレが寝ている間は、禁酒会に軟禁されたり、節制の誓いで酒を控えたりしていたらしいが、オレの目覚めと共にブレーキが外れてしまったらしく、酒の量は以前の倍に増えたとのことだ。

 ちなみにオレがモンスターズアリーナのゲスト出演の仕事から帰ってみれば、ヨルコが下着もつけない裸体のままビール樽を抱えて気持ちよさそうに寝ていた。ここまで色気のない女性の裸体もあるものなんだな、とオレは自分が男性であることを忘れてしまいそうなくらいに欲情できなかった。

 

「うぃ~、【渡り鳥】じゃん」

 

 そして、予定調和にワインを瓶のままラッパ飲みするヨルコがオレを迎える。スタイルも良いし、アルコールさえ抜ければ色気のあるお姉さんにジョブチェンジできそうなのが、実に残念でならない。どうして彼女がアル中になっているのか、それはオレが思い出せないだけか、それとも元からなのか。

 ヨルコは内装に拘りはないらしく、仕事場はまるで研究所のような飾り気のないタイルや照明ばかりだ。アルコール臭さえもクリーンルームのような特徴を補填している。これで多量の空の酒瓶さえなければ完璧だったのだろうがな。

 

「ヨルコさん」

 

「さん付けとか気持ち悪いんだけどぉ。へっ! 別にいいわよ。どうせ私なんか……わだじにゃんがぁあああああああ!」

 

 酔っ払い、メンドクサイ。急に泣き出したヨルコは、ワインが空になるまで瓶を傾け、アルコールで汚染された息をオレに吐きかける。

 

「私だって禁酒しようと努力したのよ! だけど、駄目! お酒大好き! お酒がないと生きていけない! お酒と結婚する!」

 

「……お酒と結婚ですか? まぁ、愛の形は人それぞれだと思いますよ」

 

「慰めなんていらない! どうせ私は死人よ! 帰るべき場所もないわよ! グリセルダさんの目は最近冷たいし、グリムロックさんは頭おかしいし、私の味方はお酒しかいないのよぉおおおおお!」

 

「そんなことはありません。グリセルダさんはヨルコさんを心配しているだけです。グリムロックの頭がおかしいのは元からです。そうでしょう?」

 

「しかも【渡り鳥】はなんか他人行儀だしぃいいいいい!」

 

 いや、オレは自然体で接しているだけなんだがな。オレとヨルコはどんな関係だったんだ?

 

「あの熱い夜を思い出してよ! 2人で燃え上がった……あの夜を!」

 

 涙と鼻水と涎で汚れた顔のまま、ヨルコはオレの胸倉をつかんで揺らす。うーん、酒臭い。でも、酒臭いのが分かるということは、嗅覚はそこまで死んでいないのか? あるいはヨルコの酒臭さが酷過ぎるのか? まだ検査していないから判断できない。

 いや、それよりも重要な発言を聞いたぞ! 熱い夜だと!? つ、つまり、オレはヨルコと『そういう関係』だったのか!?

 

「2人で熱く蜂蜜酒の味わい方を論議した、あの夜を思い出してよぉおおおお!」

 

 ……全く違った。何だろうか? この残念過ぎるお姉さんが相手だと、『そういう関係』じゃなかった事にむしろ安心感を覚えている自分がいるぞ?

 ようやく落ち着いたらしいヨルコは、壁に擬態するように塗装が施された埋め込み式冷蔵庫を開け、クラウドアース印の缶ビールを取り出す。オレにも飲めと投げ渡すが、受け取るだけで開けないでおく。

 

「……持ち帰った薬学書、かなり有用だったわよ」

 

 そして、いきなり仕事モードに切り替わったらしいヨルコは、酒で紅潮した顔のまま、だが目だけは真剣のような鋭さを宿す。やはり、アルコール中毒の駄目なお姉さんというだけではないようだな。

 

 

 

「フフフ。あの薬学書のお陰で、完成への道筋は見えたわ。私ならきっと作れる! 黒傘大針茸を超える、最強の媚薬を!」

 

 

 

 ……訂正、やっぱり駄目なお姉さんでした。追記、アル中だけではなくエロい方面も依存症がありそうな駄目過ぎるお姉さんでした。

 

「見て見て! 私の試算によれば、効果は実に2倍以上! ヤバくね? ヤバくねぇえええ!? アハハハハ! しかも大ギルドと教会の規定にも一切引っ掛からない脱法品! オマケに生産性に難があった黒傘大針茸製よりも量産性は圧倒的に上! 来たわ! 私の時代が来たわ! アハハハハ!」

 

 拝啓、記憶が灼ける前のオレへ。ヨルコとは……いいえ、ヨルコさんとはどんな付き合い方をしていたのでしょうか? グリムロックに負けず劣らずのクレイジーな御方のようです。

 

「既に臨床実験は始めてるわ! 1部の娼館で試作を配布したところ『すんごい』と大評判! お客様もリピーター化続出で売り上げ倍!」

 

「へー、スゴイですねー」

 

「しかも水溶性! お酒に混ぜれば効果はアップ! 男は夕暮れから夜明けまでビーストモード! 女は天国も超えてコスモの向こう側へ!」

 

「へー、スゴイですねー」

 

「問題点は独特の苦み。これが強過ぎる! しかも解毒効果のあるアイテムが複数ある! でも、これらさえクリアすれば、この戦い、私達の勝ちは目前よ!」

 

「へー、勝手にオレを含めないでくださいねー」

 

 ヨルコさんが大ギルドや教会のお縄にならないことを祈っておこう。まぁ、規定には引っ掛からないなら追加すればいいだけで、ヨルコさんの計画が実ったとしても、3日と待たずに彼女の楽園は終わるだろう。

 

「そろそろ本題に入ってもよろしいですか?」

 

「今のが本題でしょ? ここからはオマケよ、オマケ。えーと、新しい薬だっけ? はい」

 

 オマケと言い切りやがった。ヨルコさんが取り出したのは、オレが使っていたナグナの血清よりも更に濃くドロリとした赤い液体が内包された注射器だ。針無し注射器であり、肌に押し付けてボタンを押すだけで注入できる。

 

「ナグナの血清・改。使用すればHP3割回復なのは変わらずだけど、ダメージフィードバック緩和の麻酔効果増強、アバター修復速度も強化させてあるわ。でも連続使用は避けて。1度でも使ったら3分以上は間を置くこと」

 

「使った場合は?」

 

「回復量低下と強烈なフィードバックのペナルティ。自分で試せば?」

 

 どうやら、以前のナグナの血清に比べても効果は上のようだが、その分だけリスクも増えたようだ。ヨルコさん曰く、量産性はやや悪いらしく、とりあえずは仕事で持って行く10本を預かる。まぁ、オレの場合は10本も使うような相手が登場した場合、色々と覚悟を決めねばならなさそうだがな。

 

「次ね。感覚麻痺の霧・改」

 

「改を付ければ何とかなると思っていませんか?」

 

「バージョンアップしただけなんだから、名前なんてこれでいいのよ!」

 

 それもそうか。ヨルコさんの言い分は尤もだ。受け取ったのは蝋のような物質で口を固められたフラスコに入った液体だ。

 

「HP回復速度とアバター修復速度を低下させるわ。モンスターへの効果は未検証。自分で試して。レベル2の麻痺も蓄積させるから牽制にも使えるわ。直撃なら確定600秒。発生する霧なら300秒は効果がある。ただし、量産性はナグナの血清以上に悪いからね」

 

 オートヒーリングにも効果がある。対モンスターでも有効ならば、オートヒーリング持ちを封じ込めるアイテムになるだろう。だが、やはり対人向けだな。霧に触れた自分にも効果が発揮されるので危険だが、集団の中央に投じて全員にデバフをかければ、回復効果の激減で混乱に陥れることが出来るだろう。

 

「次。【ナグナの霊薬】。連続使用不可。魔力を5割回復させるわ」

 

 ナグナの血清と同じ注射器に入ってこそいるが、中身は淡く光った黄昏色の液体だ。量産性は最悪らしく、まだ数本しか作成できていないようだ。

 

「【ナグナの再生薬】。使えば欠損部位を10分で完全再生させるわ。ただし、フィードバックはかなりキツいわよ」

 

 バランドマ侯爵のトカゲ試薬を大きく上回る効能だな。ただし、やはり生産性がよろしくない。それでも数はそれなりに揃えることが出来たようだ。今後も増産してストックすれば問題ないだろう。

 

「【ナグナの止血剤】」

 

「先程から思っていましたが、ナグナを付ければ何とかなると思っていませんか? これも霊薬もナグナ由来ではありませんよね?」

 

「別にいいじゃない! 名前考えるの面倒なんだし!」

 

 またも言い切りやがった。だけど、ヨルコさんが命名した以上、オレが逆らうのもどうかと思うし、従う事にしよう。

 名前の通り、流血のスリップダメージを緩める効果があるようだな。生産性も悪くない。既に十分な数もある。灰色の液体が入った針無し注射器を受け取る。

 

「それと、丸薬調合キット」

 

「はい?」

 

「≪薬品調合≫持ってるんでしょ? 有効活用しないと。グリムロックさんが作ったから質は良いはず。こっちのベースの粉薬に現地調達した素材と組み合わせて作れば、色々な効能の丸薬が作れるから。アンタはリアルラック最悪って言ったけど、これならアタシの分のリアルラックも混ざって成功率も高くなるんじゃない?」

 

 オレの方を向かずに、ぶっきら棒な物言いのヨルコさんは、それ以上は語らずに無言でビールを飲んでいる。

 

「ヨルコさんが発案してくれたんですか?」

 

「……だったら何?」

 

「ありがとうございます。ヨルコさんは……『優しい人』ですね」

 

「別に優しくないし」

 

 否定するヨルコさんに、オレはそういう事にしておこうと踵を返そうとして、だが名前も思い出せくなった眼鏡の青年の言葉を胸で反芻させる。

 ちゃんと想ったことを言葉にして伝える。その大事さを彼は改めてオレに説いた。ならばこそ、オレはこのまま去るのではなく、こちらに顔を向けないヨルコに感謝を込めて微笑む。

 

「こんなにたくさんの薬、ヨルコさんは『自分に試して作ってる』はずです。効果を試す為に自分を傷つけて、どんなフィードバックがあるのかも自分の体で調査して、少しずつ改良してくれたからこそ、出来上がったモノのはずです。大事に使わせてもらいます。本当にありがとうございました」

 

 オレが使う薬の情報漏洩はヨルコさんも最大限に避けたはずだ。だが、臨床しようにも実験動物なんてDBOにはいない。プレイヤーで試すしかない。だからと言って、媚薬開発のようにばら撒くわけにもいかない。ヨルコさんが調べるには、金で臨床試験に参加してくれるプレイヤーを雇うのではなく、自らを実験に使う以外の選択肢はない。

 

「好きでやってるのよ。お酒代だって開発費から貰ってるし、薬作ってる時は『生きてる』って実感もあるしね。それに……アンタが死んだら、気持ちよく酔えないのよ。私にとってはそれが1番大事なの!」

 

「そうですね。どうせ飲むなら、気持ちよく酔いたいですよね」

 

「べ、別にアンタがどうでもいいってわけじゃなくて、えーと……つまり、意味は分かるでしょ!?」

 

「はい、ちゃんと分かりました」

 

 慌てて補足しようとするヨルコさんは、少しだけ可愛らしいと思った。どうしようもなく駄目なお姉さんではない。彼女にとって、今の生き方こそが『幸せ』なのだろう。

 ……媚薬についてはグリセルダさんやグリムロックにも内緒だろうし、オレに教えてくれたのも信用しているからこそのはずだ。ここは黙っておいてあげるとしよう。

 

「……アンタ、何か雰囲気が変わったわね。こう……明るくなったとは違うし、丸くなったとも違うし……うまく表現できないけど、変わったわね」

 

「そうですか?」

 

「まぁ、アンタがどう変わろうと私の仕事は変わらない。美味しくお酒が飲みたいから、ちゃんと生きて帰って来てよね」

 

「留意しておきます」

 

「せめて『努力する』くらい口にしなさいよ!」

 

 投げられた空き缶を躱し、オレは今度こそヨルコさんの仕事場を後にする。

 さて、出来ればグリセルダさんと仕事の打ち合わせがしたいのだが、どうやら営業活動中のようだ。まぁ、その方が都合もいい。もうしばらく情報を集めてグリセルダさんとの接し方を探るとしよう。ヨルコさんは酔っ払いだったから勘付かれなかったが、どうやら違和感は相当なものらしいしな。

 このまま自宅に帰って明日に備えてもいいのだが、今日は別の所に寄らねばならない。終わりつつある街にある待機部屋だ。

 今までサインズ本部に傭兵は待機室を持っていた。ここで仕事前後に寝泊まりしたり、準備を整えたりするのだ。だが、3大ギルドのいずれからも『設備が悪い』と要望が入ったのだ。元より最低限の寝泊りするだけだから当然だ。だが、どうやら3大ギルドはサインズが『儲け過ぎている』と判断したようだ。依頼から差し引く手数料はもちろん、最近は興行でランクマッチもして公認賭博を開いているようだしな。この要請も3大ギルドと言うよりも、ランクマッチで目玉のモンスターズアリーナの人気を落とされたクラウドアースの嫌がらせといったところだろう。

 これに対してサインズは、あろうことか本部の真横に傭兵用のマンションを建設した。職員の寮も兼ねているらしい。賃貸料はサインズが補填してくれるらしく、設備に対して安い部類だ。浴場やトレーニングルームも備わっているらしく、仕事前後の傭兵たちは好んで利用しているようだ。部屋もランク付けされているらしく、極貧傭兵にも優しいワンルームのベッドだけからフロア1つ丸ごと使ったスウィートルームまであるという、サインズらしい格差社会を見せてくれる。

 ちなみにたった1つのスウィートルームの主はもちろんランク1様らしい。うん、分かってたよ。それくらいは分かってたよ!

 長らく生死不明だったオレにも使用する権利はあるらしく、グリセルダさんは既に手配してくれたようだ。402号室である。ちなみに4階の割り当ては、401号室が独立傭兵のRD、403号室が太陽の狩猟団専属のカイザーファラオ、404号室がクラウドアース専属のレックスだ。

 ……RDは何となくだが、ぼんやりと憶えている。レックスは意外とそれなりに憶えている。カイザーファラオ……誰コイツ? まるで思い出せない。とにかく尊大なお名前だな。

 終わりつつある街まで足を運べば、雲行きがかなり怪しいな。雨に降られる前に逃げ込むとしよう。サインズ本部を覗けば、ヘカテさんとRDが親しそうに話している。ヘカテさんの担当は独立傭兵が多いらしいし、コミュニケーションの一環だろうか?

 

「ふざけるなぁあああああああああ! 僕はプリンを買ってきてくれと頼んだはずだぞぉおおおおおおおおお!」

 

「あん? 何処からどう見てもプリンじゃねーか」

 

「違う! これは……これは『おっぱいプリン』だ! それもビッグサイズじゃないか! 僕への嫌がらせかぁあああああ!?」

 

「ハッ! 何を言い出すかと思えば、意識し過ぎだぜ。それに俺達は分かり合えたはずだ。巨と貧、どちらの愛好者も手を取り合えると。だから、お前も『こっち』に来いよ☆」

 

「馬鹿にするな! 分かり合えた……分かり合えたからこそ、理解できた! 僕らは永遠に敵同士なのだと! 同盟は終わりだ! 今こそ真なる決着の時だ!」

 

「上等だ! 来いよ、今度こそお前に巨乳に包まれる幸せを教えてやるぜ!」

 

「キミこそ貧乳こそが幸福の真理と知って散れ!」

 

 ……今にも雨が降りそうな空の下で、サインズ本部の窓をぶち破って2人の変態傭兵が情熱の拳を重ね合う。解放された衝撃波がオレの前髪を虚しく揺らす。

 えーと、ファーが付いたレザーコート装備なのがレックスのはずだ。こっちの袴姿で眼鏡をかけた和装男子が……虎丸……だった気がする。

 周りの目も憚らず、苛烈に、美しく、だが寂しそうに、2人の男は拳と拳で語り合っている。

 

「虎丸ぅうううううううううううううう!」

 

「レックスぅうううううううううううう!」

 

 そして、最後は奇麗に両者の拳が交差し、互いの頬をぶち抜いた。そのまま両者は分かり合えたからこそ戦う定めにあったのだと伝えるように、ダブルKOとなった。

 ……えーと、レックスが同じフロアの住人かぁ。じゃあ、必然と虎丸も付いてくるかぁ。RDはまともなはずだし、カイザーファラオも名前が仰々しいだけで案外、普通の男……だといいなぁ。傭兵ってまともなヤツの方が少ないからなぁ。

 RDの為にも、せめてオレは迷惑をかけずに静かにしている良き隣人であるように努めよう。折角の仕事前後の待機部屋なのだし、くつろげる空間を保ちたいからな。

 

「402……402……これか」

 

 窓から見下ろせば降り出した雨の中で、復活したレックスと虎丸が青春を捧げるように殴り合っている。うん、胸の大きさ1つであそこまで熱くなれるのも素晴らしい事だ。彼らもまた『幸せ』の追求者なのだろう。

 さて、部屋のカタログによれば、窓も壁も頑丈だし、盗撮や盗聴対策も完璧だ。グリセルダさんが事前に専門家を入れて仕込みが無いかもチェックしているらしいが、後でオレも念入りに調べるとするか。

 とはいえ、ここにメインウェポンや重要なアイテムを持ち込むつもりはない。オレのマイホームは別にある。あくまでここは傭兵としての待機室だ。

 なので、ベッド1つがあれば十分なのだが、どうやらグリセルダさんは違ったようだ。キッチン、リビング、寝室、それにバスルームもある。公衆浴場があるから要らないんだがな。その分だけ家賃も上がるだろうに。

 テーブルにはルームサービスリストが置いてある。出前からマッサージまで何でも揃っているな。商魂が逞し過ぎる。

 

「これで月額8万コルか。安いな」

 

 見て回ったが、浴場やトレーニングルームも含めて8万コルは安過ぎる。ここに転居しようと考える傭兵もいるのではないだろうか? サインズ本部が真横と立地条件も悪くないしな。まぁ、だからこそ準備部屋以上の価値を持ちたくないという傭兵は多いだろうがな。仕事場とプライベートは分けたいだろうし。

 グリセルダさんが手配してくれたのか、クローゼットには私服も幾つか入っている。白夜の狩装束をオミットして私服に着替える。黒ズボンと白のワイシャツというオレが好むシンプルなものであるが、クローゼットの中に何故か猫耳パーカーが入っていた。え? にゃんこパーカーを着れと? グリセルダさんが増々分からなくなってきたよ。

 ソファーに腰かけて手を組み、雨音に耳を澄ます。どうやら本格的に降ってきたようだ。あの2人はまだ殴り合いを続けているのだろうか?

 

「…………」

 

 お、落ち着かない! なんて人間が文化的に生活を送ることができる空間だろうか!? 早くマイホームに帰りたい! あの倉庫を改造しただけの飾りっ気のない我が家に帰りたい! まだ目覚めてから1度も帰っていないんだ!

 でも、不穏なワードとしてグリセルダさんが改装したと聞いた。まぁ、幾らか調度品を整えたくらいだろう。それくらいは許容範囲として受け入れるさ。

 

「な、何か食べるか」

 

 棚にはグリセルダさんが購入してくれたらしき保存食が詰まっている。いずれもクラウドアース印だ。この手の分野は本当に強いな。

 牛肉の缶詰を開けて口にするが、特に味はしない。期待もしていなかったがな。濃いそうなソースであるが、舌はどんな味なのか拾ってくれない。

 

「フロンティア・フィールド。さて、どうしたものか」

 

 缶詰を食べながら、2週間後に控えた仕事の内容をチェックする。

 依頼主は自由開拓戦線。オレが寝ている間に設立された新組織のようだ。フロンティア・フィールドという新天地で戦う開拓団である。

 フロンティア・フィールドの特徴として、まずは領有権を獲得しなければならないようだ。所定のポイントにフラッグを設置すれば区分されたエリアが領有化できるらしいが、その為には幾つもの条件をクリアしなければならないらしい。

 領有されるとフロンティア・フィールドは『開発可能地域』と『開発不可地域』に分かれるようだ。開発可能地域はプレイヤーが好き勝手に開発できる。開発すればモンスターも出現し難くなっていき、最後はエンカウントしなくなる。逆に不可地域はそのままの意味だ。モンスターは出現し続ける危険が残る。プレイヤーは領有権を獲得し、開発可能地域を全て支配することを目的とする。最終的には開発可能地域はエリア全体の7割にも及ぶと『推定』されている。推定なのは、まだいずれの勢力も1つのエリアも完全支配には至っていないからだ。

 それなのに続々と開拓団や傭兵を送り込むのは、とにかく領有権を得なければ何も始まらないからだ。条件をクリアして領有権を主張する。そうすれば、設備を整えて支配エリアの拡大に本腰を入れられるのだ。

 ……面倒臭い。『アイツ』とか目をキラキラと輝かせて興奮しそうだが、オレはフロンティア精神とか持ち合わせていない。そもそもとして、後継者の悪意のニオイしかしないので、フロンティア・フィールドと関わり合いにもなりたくないのが本音だ。もうシステムそのものが『さぁ、プレイヤー同士で盛大に殺し合うがいい!』っていう後継者の主張がこれでもかと前面に出てしまっている。

 だが、やるべきことはやるべきだろう。3大ギルドはいずれも自陣営が確保したスタート拠点からの拡張に忙しく、表向きは教会が『自由解放』したエリアからの拡張には手を出す余裕はないはずだ。

 だが、どうにも解せない。オレはランクが低いので、サインズもそこまで雇用金額も吊り上げない。とはいえ、自由開拓戦線がわざわざオレを指名した理由は何だ?

 それに奇妙な点もある。自由開拓戦線は大ギルドにも迎合している組織だ。だが、『まだ』傀儡というわけではない。そこが引っ掛かる。この手のそれなりの組織が出来上がる場合、いずれかの大ギルドの思惑が必ず潜んでいるはずだ。特にクラウドアースが見逃すはずもない。だからこそ、教会というイレギュラーな存在が殊更に映えるのだがな。

 

「……考えても仕方ないか」

 

 毎度のことであるが、この手の頭脳労働はオレの役目ではない。グリセルダさんはかなり頭が良いみたいだし、裏を探るのは彼女に任せて、オレは依頼を全うすることだけを考えるとしよう。

 それにフロンティア・フィールドの探索自体は乗り気ではないが、依頼報酬自体は好ましいしな。基本報酬が少ない代わりにドロップアイテムは全て所有権を得ても構わないとの事だ。フロンティア・フィールドで得られた素材アイテムを持ち帰ることが出来れば、グリムロックも喜ぶだろう。

 それにフロンティア・フィールドの探索は2週間後だ。それまでに受ける依頼は1つ決まっている。太陽の狩猟団から黒霧の塔の攻略参加要請だ。まだ最深部にたどり着けておらず、ボス部屋を発見できていないらしく、今回は探索するラジードが率いる部隊と一緒に潜ることになる。ミュウめ、どういう風の吹き回しだ?

 あとはまだ受託していないが、聖剣騎士団から連続殺人事件の調査依頼だ。聖剣騎士団所属の上位プレイヤーが続々と狙われているらしく、被害者は現時点で5名。犯人は生死問わずだが、生け捕りならば追加ボーナスか。

 他には3大ギルドから合同でYARCA旅団残党の調査依頼? YARCA……YARCA……うっ、頭が! 駄目だ。灼け過ぎてイメージの片鱗くらいしか浮かばない。だが、それを手繰り寄せようとすると酷い頭痛が……!

 

「とりあえず、YARCA旅団残党調査依頼は却下だな」

 

 そもそも3大ギルドが足並みを揃えて依頼している時点で『騙して悪いが』のニオイしかしないし、頭痛は関わるなと警鐘を鳴らしている。

 聖剣騎士団からの殺人事件の調査依頼も却下だな。オレは頭脳労働向けではないし、探索系スキルも無い。協働相手を探すのも手間がかかる。この手の依頼はオレに向けたモノではなく、あくまで傭兵全体にかけられた依頼だろう。

 

「聖剣騎士団から依頼……『【バーサーク・ヒーラー】の調査』? また大層な異名を持ったプレイヤーが現れたな」

 

 名前からして狂戦士のような戦い方をするのだろうが、何故にヒーラー? 女性プレイヤーで刺剣使い……教会が関与……ソロで複数の難関イベントをクリアしている。ふむ、彼女の正体を探り、スカウトしたいってところか。面白そうだが、今回は遠慮しておこう。この手のリスクが低い依頼はルーキー向けだし、オレが奪うのも良くないはずだ。

 しかし、グリセルダさんが選別してくれたとはいえ、色々な依頼が纏めて飛び込んできたものだな。しかも過半がきな臭い依頼ばかりだ。だからこそ、まとも過ぎる黒霧の塔の探索依頼が不気味過ぎるのだがな。

 

「これは……」

 

 他の依頼に比べても報酬は低い。内容も戦闘や調査、探索の類でもない。だが、その依頼には惹かれるものがあった。

 

「エドガーの計らいか?」

 

 良いだろう、受けてやるさ。こういう依頼も悪くない。

 他の依頼も見てはみるが、とりあえずオレに投げてみたといった様子の内容ばかりだ。想起の神殿には最前線ステージも残っていないって聞いているし、やはり今後の傭兵の活躍の舞台はフロンティア・フィールドというわけか。

 

「ん? グリセルダさんからのメモか」

 

 ファイルの最後には、オレが要望した情報収集の結果が貼り付けてある。

 1つはNPCのギリガンの所在地だ。どうやら掴めたらしいが、居場所に赴くには太陽の狩猟団が確保しているダンジョンを通らねばならないようだ。ショートカットは開通されているらしいので、危険らしい危険は伴わないと推測されるが、太陽の狩猟団は利用するならば1つ条件を付けている。シノンの同行だ。ミュウは本当に何を考えているんだ?

 もう1つは白竜シースに関連したモノだ。情報はつかめなかった……か。期待はしていなかったがな。

 

「やはり本腰を入れるべきなのはフロンティア・フィールドか」

 

 それとレギオンの動向も気になる。どういうわけか、DBOの至る所からレギオンの気配を感じるのだ。ヤツメ様も辟易しているほどだ。もうアレだ。気配が過剰過ぎて正確な居場所を掴むのが困難な程だ。よもや、あの寄生型ではないかと疑いもしたが、どうにも気配の感じが違う。感覚で判断するのは危険だが、ヤツメ様が違うと首を横に振ってるから間違いないだろう。そうなると、この広く分布し過ぎているレギオンの気配は何だろうか?

 何にしてもまずいのは、オレにとって対レギオンの強みだった本能察知が半ば麻痺しているということだ。まだレギオンと遭遇していないので、それ次第では何か変わるかもしれないが、注意するに越したことは無いだろう。

 さて、そうなると考えるべき点としては日蝕の魔剣の代わりだな。グリムロックは日蝕の魔剣が改良するまでの繋ぎを準備してくれるようだ。黒霧の塔の探索までは間に合うだろう。

 義眼も修復完了済みだ。眼帯の下には、まるで宇宙を映し込んだかのような青の瞳を備えた義眼がある。新たにソウルを加えて修復された名前は【青血の義眼】だ。まるで青ざめた血のような瞳の色を見て、オレが命名したものである。オートヒーリング効果は健在であるが、高い索敵能力だったソウルの眼は失われてしまった。素材となったソウルで備わった能力は……うん、グリムロックにしては大人しい方じゃないかな? 日蝕の魔剣とか贄姫とかミディールとか見た後だと、目からビームとか備わっていてもおかしくないと思ったしな。まぁ、この義眼のせいで『アレ』の凶悪さが増したのだがな。グリムロック曰く『これが私のトータルコーディネート』とか言っていたが、提唱者にもう1回殴ってもらった方がいい。

 ……目からビームかぁ。グリムロックも全ての性能を明かしているわけじゃないとしたら、もしかしてコッソリと実装されていたりしてな! HAHAHA! さすがにあり得ないか!

 

「ステラ……か」

 

 破損した義眼に使われていたソウルの名前を口にする。グリムロックが残している開発資料によれば、幼き聖女のステラのソウルが使われていたらしい。オレは走馬燈で見た聖女のような少女を思い出す。彼女がステラだったのだろうか?

 

「なぁ、ザクロ。『幸せ』って何なんだろうな?」

 

 目覚めてから考え続けている。オレにとっての『幸せ』とは何なのかをずっと考えているんだ。

 だが、やっぱりまるで思いつかない。心に浮かぶものはない。いつだってオレにあるのは、血で真っ赤に染まった飢餓だけだ。

 と、そこでチャイムが鳴り、思考の海から浮かび上がる。誰かと確認すれば、サインズの職員だ。

 

「【渡り鳥】さん、お届け物です」

 

 さすがはサインズだ。オレ相手でも笑顔で……実に業務的な笑顔で接してくれる。しかし、オレは今来たばかりなのに、どうしてこの場所を指定して荷物が届いたのだろうか?

 まさかサインズに溜まっていたオレ宛の脅迫状ではあるまいな? 包装された紙袋を慎重に開けば、中身は手紙と1冊の本だ。

 

『エス・ロイエスより愛を籠めて』

 

 簡素な文面の手紙で誰からの荷物なのか見当がついた。アルシュナめ、なかなかに粋な事をしてくれる。わざわざオレに手渡さず、サインズを通して贈り物とはな。だが、ここに届けたということは、案外近くまで来ていたのだろうか? 管理者が平然と街中を歩いているとかあまり考えたくないんだがな。

 同封されていた本はダンテの神曲か。さすがはアルシュナだ。オレの好みをよく分かっている。これは丁度良い暇潰しになりそうだな。

 そうだ。マイホームにある本を何冊かこちらに移動させておくのも悪くないかもしれない。仕事前にリラックスできるしな。

 

「炭酸水。これなら味は関係ないか」

 

 台所でグリセルダさんが購入していた炭酸水を手に、神曲を手にソファでくつろぐ。味覚を失ってから水にも味があったのだと実感したが、炭酸水は刺激で有耶無耶にしてくれる。これならば味覚の大部分を失ったオレでも楽しめるというものだ。

 だが、読書を邪魔をするようにチャイムが鳴る。また荷物だろうか。神曲をテーブルに置き、溜め息を吐きながらドアを開ける。

 

 

「ゴメン! ちょっと雨宿りさせて!」

 

 

 開ければ待っていたのは苦笑いしているユウキだ。

 

「グリセルダさんから今日はサインズの傭兵準備室にいるはずだって聞いて。何か差し入れしようと思ったんだけど、急に降ってくるんだもん」

 

「いいから入れ」

 

 言い訳をするユウキは頭からつま先までびしょ濡れだ。見て居られずに中に入るように勧める。

 タオルはあっただろうか。玄関で立ったままのユウキを招き入れ、クローゼットを探る。グリセルダさんの手配は完璧のようだ。タオルもある。

 

「とりあえずシャワーでも浴びて体を温めろ。風邪ひくぞ」

 

「DBOにはまだ病気は実装されていないよ?」

 

「病は気から。特にオマエはそうだろう?」

 

「……心配してくれるんだ」

 

「当たり前だ。着替えはあるか?」

 

「……油断しちゃって、着てるコレだけ」

 

「着れるものを準備してやるから、さっさと風呂に入れ」

 

 不運にも雨に降られたというのに、何処か嬉しそうなユウキの笑みを理解できず、風呂場を指差してさっさと行けと促す。

 

「ごめんね。入居1日目なのに水浸しにしちゃって」

 

 ユウキが着ていたジャケットを脱げば、黒色の薄めの生地のショルダーオフだ。チェックの膝丈のスカートもぴっとりと肌に張り付いていてボディラインが露になっている。

 脱衣所まで待てないのかよ。オレの視線に気づいたのか、ユウキは首を傾げて足を止める。

 

「どうしたの?」

 

「オマエな、ここは男の家だぞ? もう少し警戒心を持て」

 

「HAHAHA! 冗談は休み休み言ってよぉ。それって、クーがボクを襲うってこと? 天地が引っ繰り返ってもないよ」

 

 ここぞとばかりにオレのアメリカンコメディ風笑いを真似しやがって。

 確かに、理想とするムキムキマッチョマンからは程遠い上に身長は160センチだし、威圧感がある外見とは言い難い。だが、ユウキは男の恐ろしさというものに対して些か無警戒が過ぎるのではないだろうか? あるいは、犯罪ギルドに属してしまったが故に、逆に危機感が麻痺してしまっているのだろうか?

 DBOでは婦女暴行も珍しくない。オレが受けた依頼には婦女暴行殺人事件の犯人捜索依頼もあった記憶が残っている。ユウキは確かに強いが、ステータスのSTRは決して高くない。むしろ初期値に近しいはずだ。力で押さえ込まれたら抵抗することが出来ない。そして、彼女はこの細腕のせいで忘れているかもしれないが、オレのSTRは30を突破しているのだ。高出力化も含めれば、1度捕まえれば彼女には振りほどくことなどできない。武器も装備していない今のユウキならば尚更だ。

 仕方あるまい。ここは1つ、オレが男の怖さを教えてやるとしよう。息を吸って胸を張りながら、ユウキに接近すると、まるで熊が威嚇するように両腕を掲げる。

 

「ガオー。食べちゃうぞぉ!」

 

「ウワァ、コワーイ。これで満足?」

 

「……ハイ」

 

 わざとらしく怯えたフリをするユウキは風呂場を目指す。まったく、もう少し怖がるのが礼儀だろうに。いや、オレの演技が駄目過ぎて反応に困っただけか。

 雨で濡れているせいで、より艶やかに見える黒紫の髪。オレを真っ直ぐに見つめていた赤紫の瞳。やや病的とも思える白い肌。そして、胸こそ貧相であるが、ボディラインには確かな女性の柔らかな曲線が見て取れた。

 髪が張り付いたうなじに自然と目が向く。彼女の無警戒な吐息のリズムに合わせるように心臓が鼓動する。

 狩りの基本。足音を立てずに忍び寄る。そして、最も反撃し難い背後を取る。

 距離は1メートル未満。右手の指を爪を開くように立てる。この距離ならば、いかに高DEXと超反応速度を有するユウキでも『狩れる』。まるで警戒していない。

 

 1歩踏み込む。右手は彼女の首に十分届く。

 

 もう1歩踏み込む。背後から喉をつかみ、壁に叩きつけ、衝撃で混乱させて更に床に押さえつけて両足で腕を拘束しながらマウントを取れば、もう彼女には反撃できないだろう。

 

 更に1歩踏み込む。パラサイト・イヴは装備したままだ。ならば未使用の獣血覚醒を試すのも面白いかもしれない。悲鳴を掻き消す程の血飛沫の中で、その目から光が失われるまで彼女の肉を抉り取り続け、最後はその喉を食い千切るのだ。

 

 右手が伸びる。ユウキは振り返らない。彼女の首に触れることができる。

 

 殺せる。

 

 殺したい。

 

 殺したくて堪らない。

 

 

 

 

 

 

 誰よりも苦痛と悲鳴で染め上げて、恐怖で塗り潰されたキミの『命』を喰らいたいくらいに愛しているんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「……ひゃ!?」

 

 ユウキの悲鳴が耳を擽った。それに思わず口元が嗜虐で歪む。

 

 

 

 

「タオル、忘れてるぞ」

 

 

 

 

 左手に持っていたタオルで、ユウキの髪がボサボサになるほどに頭を撫でる。彼女は抵抗するようにオレの手首をつかむが、圧倒的なSTRの差で止めることはできない。

 

「や、止めてよ!」

 

「さっさと風呂に入れ。いつまでオレの部屋を濡らすつもりだ?」

 

「分かった! 分かったからぁ! もう、クーの意地悪!」

 

 タオルを頭に被ったまま舌を出して悪態をつくユウキを見送り、彼女が風呂場のドアを閉めると同時にその場にへたり込む。

 

「……まずいな」

 

 ユウキに触れたいと思ってしまった。今まで彼女に愛情を感じてこそいたが、そこに欲情は湧いてこなかったはずなのに。

 だが、彼女の雨で濡れた艶やかな姿を見て、何かが外れた。

 壊して、壊して、壊して、彼女の尊厳も誇りも心も破壊しつくして、恐怖以外の何も感じれないくらいに愛して殺したい。そう思ってしまった。

 今の顔をユウキには見せられないな。右手で覆ったオレの顔は、まさに獣としか言い表せない程の狂笑を描いているようだった。

 

「最低の糞野郎か」

 

 ユウキがオレに無警戒だったのは、オレを男として見ていないからではない。オレが間違っても不埒な真似をするはずがないと信じているからだ。彼女の『人』の心が、『獣』であるオレを疑いなく信じてくれているからだ。

 少し頭を冷やすべきだ。せめて風呂から上がった彼女を殺してしまわない程度にはな。1度部屋から出たオレは、今まさに着いたばかりといった様子の男と遭遇する。その手にはサインズ貸し出しの傘があるのを見るに、本部から部屋に来たといったところか。

 

「【渡り鳥】か。相変わらず、とんでもない事やらかしやがって。生存報告にしても派手過ぎだ」

 

 テンガロンハットを被った男は、消去法でカイザーファラオと見当をつける。この男は元からフレンドリーなのか、それとも付き合いがあったのか。今のオレには判別できないし、誤魔化せる程の余力はない。

 血の悦びが要る。たとえ少なくても構わない。ユウキを殺さない為にも『食事』が必要だ。装備しているのはパラサイト・イヴだけであるが、カイザーファラオは無手だ。こちらが有利だ。

 堪えろ。殺すべきではない。耐えるんだ。飢餓を抑え込むんだ。

 

「おい、大丈夫か? 顔色悪いぞ」

 

「……少し考え事を」

 

「へぇ、ジェノサイド・モンスターと恐れられる【渡り鳥】にも悩み事があるのか。俺は専属だが、傭兵仲間だ。話し相手が欲しいなら付き合うぞ?」

 

 余程見ていられない顔だったのか、玄関ドアの傍らでオレ達は壁に寄りかかって並ぶ。

 雨音にはレックスと虎丸の咆哮が微かに混じっている。どうやら、あの2人の殴り合いは継続中のようだ。元気なことだな。

 カイザーファラオはスミスのように煙草を咥えて紫煙を吐く。その様子を見ていたオレに吸うかと煙草ケースを差し出すも、興味があってもここでブレーキを1つでも外せば彼を殺しにかかってしまいそうで、無言で首を横に振る。

 

「対人関係で少々問題が発生しまして」

 

「ほう? あれか? 恋の悩みか?」

 

「…………」

 

「無言は『肯定』と受け取る。俺は専属だが、傭兵仲間のプライバシーは守る。何よりも傭兵以前に俺は男だ。男の恋の悩みって奴をバラす趣味はない」

 

 信じるべきか否か。いや、今はどちらでも構わない。

 以前のオレならば、きっとこのまま口を閉ざして何も語らなかっただろう。だが、カイザーファラオに相談するという『気まぐれ』を大事にしたかった。

 

「……とても大切な人がいるんです。でも、オレはいつか傷つけてしまう。苦しめてしまう。彼女を……失望させてしまう」

 

「なるほどな。だが、恋ってのは人間を臆病にさせるものさ。そこで逃げたら愛は得られない」

 

「実は大きな問題が他にもありまして。彼女には……その……好きな男性がいるんです。オレなんて勝ち目も無いくらいに……いいえ、『彼』の傍ならきっと彼女は幸せになれるんじゃないかって思ってしまっているんです」

 

「そ、そうか。そりゃご愁傷様だ。だ、だが! 女は星の数ほどいるぞ! 新しい恋を探せ! な!?」

 

「いいえ、『次』なんて要りません。彼女が幸せになれるなら、オレはそれでいい。だから、いっそ彼女がオレから遠ざかるように、『彼』との関係を成就させるべきではないかと、そう考えています」

 

「Oh……ヘビィだ。ヘビィ過ぎる。NTR願望かよ。いや、お前の女じゃないからNTRじゃないかもしれないが、それは俗に言う精神的NTRって奴だ。いつかコイツと結婚するんだろうなって思っていたくらいに親しかった幼馴染をポッと出のイケメンに奪われる。そんなパターンだ!」

 

「あ、あの……よく分からないのですが?」

 

「そうか。ちょっと待ってろ。お前が望んでる展開の資料を持ってきてやる」

 

 男の決意を宿したカイザーファラオは、オレを置いて自分の部屋に入ると1分と待たずして1冊の本を持ってくる。

 

「お前、たまに談話エリアで本を読んでただろ? 俺には性に合わなそうな高尚な本ばかりだったがな。だがな、世の中にはもっと面白い本もある。これはお前が望むNTRの官能小説だ。最近流行りのエロショップ『クラちゃんの秘密基地』で買った極上の1冊だ。お前にやる。大事にしてくれ」

 

 ほう、官能小説か。オレは別に読書好きではないが、彼の好意は無下に出来ない。プレイヤーメイドの本ならばかなりの値打ちものであるはずだ。それを考慮すれば、大きな恩を受けたことになる。

 

「傭兵は恩を忘れません。この配慮、必ずや報いることを誓います」

 

「そうか。俺はお前を誤解していたみたいだ、【渡り鳥】。仕事はできるけど何を考えているか分からない、女装趣味の変態の残虐無比の冷血傭兵と思っていたが、恋とNTR願望の狭間で苦しんでいたんだな!? もう大丈夫だ! これからは俺を兄貴と呼べ。お前に教えてやる。人間が誰かを愛する意味と、その先にある幸せって奴を……!」

 

「愛する意味……『幸せ』?」

 

 愛する意味をオレは正しく知らないのかもしれない。ならば、カイザーファラオが教えてくれる愛する意味を理解できた時にこそ、オレは『幸せ』とは何たるかを知ることができるのだろうか?

 

「そうだ。俺に任せろ。このカイザーファラオ、実力は傭兵でも下から数えた方が早いとしても、男気においてはランク1だと自負している!」

 

「た、頼もしいです、カイザーファラオ!」

 

 分かったよ、ザクロ。このチャンスを無駄にするわけにはいかない。そうだろう!?

 

「チッ! チッ! 忘れてるぜ?」

 

「あ、申し訳ありませんでした。カイザーの『兄貴』」

 

 右手を胸に当て、感謝の意を込めて名前を呼びながら微笑む。するとカイザーファラオは見えない攻撃を受けたかのようによろめき、頭を抱えてもがき苦しむ。

 

「ぐ、ぐぉおおおおおお!? は、破壊力が凄すぎる! タ、タルカスが……どうして狂っちまったのか、分かっちまいそうだ。だが、俺は惑わされない! 俺はカイザーファラオ! 男の中の男! 兄貴と呼ばれた以上は、その期待を裏切る訳にはいかない! いかないんだ!」

 

「『兄貴』? どうしたのですか?」

 

「ま、待って! タンマ! ちょっとタンマ! 兄貴呼び待って! 破壊力が……破壊力がヤバい! 鼻血出そう!」

 

 や、やはり見えない攻撃を受けているのか!? 傭兵は恨みを買いやすい。だが、このような攻撃は聞いたことが無い。ユニークスキル、あるいはユニークウェポンによる攻撃と見るべきだろう!

 自室に逃げ込むカイザーファラオの兄貴の判断は正しい。室内ならば攻撃をシャットアウトできるかもしれない! オレも標的にされている危険がある以上は、1度退避するのが得策か。

 カイザーファラオの兄貴、実力は下から数えた方が早いと発言したが、咄嗟の判断力はやはり傭兵として相応しいものがあるようだ。存外、爪を隠しているだけなのかもしれないな。

 獣性も少し抑え込めてきた。これならば大丈夫かもしれない。

 

「愛する意味……か」

 

 それさえ真に理解することが出来れば、何かが変わるのだろうか? オレはユウキに……『例外』であるキミに殺意以外の形で報いることができるのだろうか?

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

(クーの馬鹿。変なこと言うから意識しちゃったじゃないか)

 

 熱いシャワーを浴びて雨で冷えた体を温めながら、ユウキはバスルームのドアを1度、2度、3度と振り返って確認する。バスルームのドアは半透明であるが、スモークがかかっており、覗き対策でぼんやりとしか見えない。脱衣所には人影らしいものはなく、少なくともクゥリは不埒な真似をしていないことだけは確かだ。

 長い黒紫の髪を手で梳きながら、ユウキは心の何処かで期待している自分に気づいて顔を真っ赤にする。

 

「無い。無い無い無い! クーに限ってそんなことはぜーったいに……」

 

 無いのだろうか? ユウキは自分の喉に触れる。この首に彼の指が食い込み、絞められて、窒息するような苦しみが自分に広がる様を想像して、思わず笑みが零れる。

 常識的に考えれば、今の自分は狂っているのだろう。大多数の人間は、たとえ愛する人の手であろうとも自分が殺されるのはご免被るはずだ。

 だが、ユウキはそれでいいと考える。あの男……ヨツンヘイムの底に沈んだPoHもまた、己の命を『天敵』に捧げることを本望としたように。

 その一方で、ユウキを落ち着かせないのは、先程のクゥリの発言だ。自分が殺されるのは構わないが、クゥリと肌を重ねる様はどうしても想像できない。それは、アルヴヘイムで裸体を見られた時のクゥリの冷静っぷりを体験してしまったから……ではなく、単純にイメージできないからだ。

 犯罪ギルドの所属として、借金の回収や水商売の管理などには携わってきた。だが、ユウキの専門はあくまで武力行使である。幹部のマクスウェルは娼館への立ち入りを禁じており、またそうした現場に寄らせようとはしなかった。またユウキも興味はなかった。

 だが、アルヴヘイムで宿願にして呪いだったスリーピングナイツへの弔いを、当初とは別の形で遂げたからこそ、ユウキの時間は動き出した。クゥリと出会い、恋して、愛したからこそ、彼女は未来を向くようになった。

 

「そ、そもそもクーとボクは『そういう関係』じゃないし? こ、恋人でもないし! クーには別の好きな人だっているかもしれないし!」

 

 今のユウキがたとえ告白したとしても受け取ってはもらえない。その確信がある。だからこそ、ユウキは彼に想いを届ける為の『答え』を探す。

 ならば、何がどう間違って順序が狂い、彼と『そういう関係』になるのだろうか?

 無論、ユウキも色々な話を耳にしている。パーティ内の特に恋人関係でもない男女が肌を重ねるといった話だ。戦いの中で生存本能が燃え上がり、故に身近の男女の体が結びつく、というのは特に珍しい事ではない。そして、それがドライに終わればいいが、後々までシコリになることもまた多い。だからこそ、娼館が繁盛しているとも言える。

 

(それにクゥリの好みは、年上で巨乳のお姉様みたいだしね。ボクは正反対だよ)

 

 バスルームから出たユウキはタオルで体を拭くと脱衣所のドアを少しだけ開けて顔を覗かせる。その様は、少しは意識したと言いながらも無警戒そのものである。

 

「クー、ごめーん! 着替え貸して!」

 

「下を見ろ」

 

 ソファでくつろぐクゥリはこちらを見もせずに指示だけ出す。ユウキが視線を落とせば、ドアの傍に着替えが置いてあった。

 

「……にゃんこパーカー」

 

 アルヴヘイムでリーファから聞いたクゥリの現実世界の話を思い出しながら、ユウキは着替えようとして、重要な問題に気づく。

 下着が無い。衣服と同じく雨で濡れてしまっているのだ。現在は乾燥すべく籠に入れられている。現実世界に比べれば乾くのは圧倒的に早いとはいえ、自然乾燥ならばあと2時間は濡れたままだろう。

 

「ば、バレない……バレない、よね?」

 

 だが、更に問題が発生する。防具や衣服はプレイヤーのサイズに合わせて自動調整されるが、幾つかの例外がある。デザインの関係上でサイズが規定されていた等の場合だ。

 ユウキは女性でも小柄な部類であるが、クゥリも男性にしても細く華奢だ。肩幅も含めて、ほとんど女性と見分けがつかない程である。むしろ、その体は間違えて女性用アバターが使用されているのではないかと思うほどだ。

 故にクゥリ用に調整されただろうにゃんこパーカーは、ユウキが予定したダボダボサイズにはどう頑張っても足りない。せめて下着が乾くまで恥を堪えて隠して振る舞おうにも、これでは隠すことさえも出来ないのだ。

 

「……ごめん。乾くまで出れそうにない」

 

「湯船に浸かって乾くまで待ってろ。のぼせるなよ」

 

「……うん」

 

 なんと色気もない会話だろうか。これだから意識しようがないのだ、とユウキはお湯を注いでぬるま湯の湯船に身を沈める。

 たっぷり2時間後、着れる程度にしっとりと濡れたくらいになった服を着て、ユウキはそっと脱衣所から出る。2時間もあればクゥリは外出したのではないかと思ったが、どうやら違うらしく、意外にもソファに腰かけた姿のままだった。

 

「乾いたみたいだな」

 

「あ、あははは。これは予定外だったかな?」

 

「オレもだ。ズボンも貸しても良かったんだがな」

 

「さ、さすがに下着無しで、クーのズボンを履くのはちょっと……」

 

「そういうものか」

 

「そういうものだよ!」

 

 乙女の恥じらいを見せるユウキは、特に気にする様子もないと表情1つ変えないクゥリに、襲う襲わない以前にクゥリ自身がユウキを女性と意識していないと感じて思わず溜め息を吐き、また今はこの関係でいいのだろうとも笑む。

 ユウキは2ヶ月も待ったが、眠っていたクゥリからすればあのボロボロの状態はつい数日前のようなものだ。彼がアルヴヘイムの後にどのような戦いをしたのかは知らないし、また彼が語らぬ限りは無理強いして聞きだそうとも思わないユウキは、今は彼が生きている事だけを喜ぶ。

 

「防具くらいは持ち歩いていた方がいいぞ。いつ戦いが始まるか分からないからな」

 

「これからはそうするよ。オフだからって油断しちゃった」

 

 武器はアイテムストレージに収納していたが、防具までは気を配っていなかった。反省するユウキに、クゥリはそれ以上何も言わずにページを捲っていた本を閉ざす。

 

「待ってろ。何か食べれるモノを持ってくる。保存食くらいしかないが、グリセルダさんが購入してくれているんだ」

 

「あ、大丈夫だよ! 買ってきてるから! ほら、クーって味覚はほとんど無いでしょ? だから濃い味の料理でも作ろうと――」

 

 ここで保存食を振る舞われたならば、何の為に来たのか分からない! 缶詰を勝手に皿に盛ろうとするクゥリを止めようとしたユウキは、テーブルに置かれた、先程までクゥリが読んでいた本を見て硬直する。

 ダンテの神曲。ユウキはこの本に大いに見覚えがあった。先のクラウドアース主催のオークションにして競りにかけられていた本である。

 もちろん、神曲はあの日のオークションで競られていた1冊だけではない。【記憶作家】は最低でも5冊以上は同じ本を作成すると聞いている。ならば、希少な1冊をクゥリが別ルートで入手したとも考えられる。

 いいや、そうに違いない。ユウキはガタガタと体を震わせ、クゥリにそれとなく本の出所を聞こうとして、同じくテーブルに紙袋と一緒に置かれたカードを発見する。

 

『エス・ロイエスより愛を籠めて』

 

 達筆だ。きっと筆記体の英語をスラスラと書いてしまうだろう様を容易に想像できる程に達筆だ。文字の雰囲気からして、まず女性に違いないだろうとユウキは青ざめる。

 クゥリは外見だけならば、DBOでも屈指だ。トップクラスだ。いいや、男性・女性含めても彼以上の美貌を持つプレイヤーはいないだろうと断言できる。ミスDBOに出場すれば、性差など意味を成さないとばかりに、名立たる美人プレイヤー達すらも霞んでしまうだろう。

 だが、モテない。どう足掻いてもモテない。いや、正確に言えば『まともな人』にはモテないのだ。YARCA旅団が彼にご執心だったように、HENTAIや変態にはモテるが、まともな……それこそ女性にはモテないのだ。

 理由は幾つかある。もはや実態など分からぬ程に膨れ上がった数々の悪名。ワーカーホリックかつ休日は自宅で読書か教会で子ども相手に慈善活動なので異性との交流のタイミングは無し。出会ってもまず初見では何を考えているか分からないミステリアスっぷりでお近づきになりたくない。根本的にあの美貌と横に並べば女性として外見の劣等感に苛まれる。他にも様々であるが、『第1印象が大事。外見が全てを決める』というロジックを完璧粉砕しているのがクゥリなのだ。

 

『【渡り鳥】と付き合う? ナイナイ!』

 

 これがDBOの圧倒的大多数の女性プレイヤーの意見である。彼について知ろうとすれば、また別の意見も出てくるはずであるが、そもそも知ろうとスタートする事自体のハードルが高いのだ。

 故にユウキは油断していた。がら空きの腹に強烈なブローを打ち込まれたかのように悶え、思考回路はショート寸前に追い込まれる!

 

「クー! あの本は何!?」

 

 結果、ユウキは暴走する。涙目になって台所で缶詰を厳選するクゥリに縋りつく。

 突然のユウキの豹変に、クゥリは目を白黒させながら、牛と豚の缶詰を両手に持ったまま微笑む。

 

「ダンテの神曲だ。読み物としては少しハードルが高いな。ユウキはあまり本を読まないし、お勧めはしな――」

 

「そうじゃなくて! いつ! どうやって! 何処で入手したの!?」

 

「…………」

 

「何で黙るの!?」

 

 この目……知ってる! 話すのが心底面倒臭いって目だ! 沈黙したクゥリの目を見て、また彼の悪い癖が出たとユウキは奥歯を噛む。

 クゥリは面倒臭いと言いながらも世話焼きだ。即ち、根本的には常人以上に面倒臭がりである。それは特に対人コミュニケーション……つまりは会話において露骨に表れる。

 言葉足らず。そもそも話をしたがらない。嘘は下手なのに、隠すのは異様に上手。それなのに、何かと行動で示してしまうので周囲には理解不能の上にとんでもない方向にぶっ飛んでいく。それがクゥリなのだ。

 

(エス・ロイエス……エス・ロイエス!? プレイヤーネーム!? 愛称!? それともギルド名!? はたまた地名!?)

 

 知識を総動員して情報を洗うも、ユウキにはエス・ロイエスで思いつく事柄が無い。だが、ハッと1つ重要な事実に気づく。

 

 仮定の話である。

 

 仮にオークションに来ていたアルシュナこそが件の贈り主であるならば、まさに理想そのものなのだ。

 

 クゥリの理想とする女性像にピッタリなのだ。

 

 年上巨乳美人。アルシュナはまさにクゥリの好みの直球ど真ん中なのである。

 

 クゥリから手を放したユウキは、あわわわと口を震わせる。思えば、アルシュナは『快気祝い』と言っていた。『殿方に贈る』とも言っていた! 贈る相手は『読書が好きなのではなく、古典を好むだけ』とストレートに言っていた!

 

「も、もしかして、あ、ああああ、アルシュナさんから……貰ったの?」

 

「……っ!? どうして、その名前を……まさか、オマエも接触していたのか!?」

 

「当たりなんだね!? そうなんだね!?」

 

「……ああ、そうだ。『知ってる』なら、隠す必要もないな」

 

 つまりはボクには隠さないといけなかったってこと!? ユウキはまるで大矢のヘッドショットを受けてノックバックしたかのように後退る。

 アルシュナはクゥリの目覚めを知っていた。それは発言からも明らかだ。だが、ユウキは知らなかった。『知らされていなかった』。その事実が改めて彼女に突きつけられる。

 

「ねぇ、クーにとって……アルシュナさんは、大切な人?」

 

 ごくりと生唾を呑み、ユウキはクゥリを見据えて尋ねる。

 クゥリは視線を逸らし、口を開こうとしては閉ざすを繰り返し、だが普段とは違って話すべきだと決心したように、ユウキとは目を合わせることなく、まるで遠い何処かを思い出すような瞳で雨が降る窓の外の景色を眺める。

 

「彼女は、こんなオレの為に……立場も、使命も、何もかも放り出そうとしてくれた。正直言って、会わせる顔もない。あれだけ押し付けておきながら、オレはこうして生き延びたんだからな」

 

「…………」

 

「きっと、『大切』なんだと思う。だって、オレは彼女を……いや、これは言っても仕方ないな。ともかく、彼女とはちゃんと会って話をするつもりだ。この2ヶ月間で随分と心配をかけたはずだしな。本のお礼もしないといけないし」

 

「……そっか」

 

 胸が痛い。苦しい。張り裂けそうだ。ユウキは涙を堪えて笑顔を取り繕う。

 自惚れていたわけではない。だが、自分は少しでも彼にとって『特別』なのではないだろうかと思いたかった事は否めない。

 だが、クーにとって大切な人が出来たならば、それは喜ばしい事だ。ユウキは全力で応援したい。たとえ、彼が別の誰かと結ばれたとしてもこの気持ちは変わることなどないのだから。

 

「でも、まさかユウキがアルシュナと知り合いだったとはな。だったら、吹き溜まりの件も隠す必要はないか」

 

「でも、まさかクーに恋人がいたなんて! HAHAHA! ボクも驚きだよー!」

 

 2人の発言は重なり、故に顔を見合わせ、先にクゥリが疑問の表情を作る。

 

「……は? オレに恋人なんていないぞ?」

 

「ふぇ? 何言ってるの? アルシュナさんは恋人でしょ?」

 

「アルシュナとオレはそんな甘い関係じゃない。オマエは何を勘違いしているんだ?」

 

 重いとも軽いとも呼べない、絶妙に弛んだ沈黙の空気が流れ、クゥリはまたも『面倒臭い』という目をして視線を逸らす。

 

「アルシュナの名前を何処で知った?」

 

「この前の……クラウドアース主催のオークション。お客さんで来てたんだ」

 

「OK、大体わかった。『アイツら』は本当に自分たちの立場をもう少し……いや、どうでもいい」

 

 あ、これは『面倒臭過ぎて考えるのも喋るのも面倒になったから後回しにしよう』って目だ。ユウキは問い質そうにも、今のクゥリに何を尋ねても沈黙以外に無いだろうと悟る。

 

(でも、アルシュナさんはクーの恋人じゃないのは確定……でいいのかな?)

 

 クゥリの性格からしても、恋人が出来たとなれば、むしろ積極的に自慢しているはずだ。だが、黄金林檎もクゥリに恋人がいると認識している様子はなかった。

 だが、クゥリにとってアルシュナは『大切な人』であることには変わりない。それは恋人という意味ではないにしても、彼にそう言わせるだけの繋がりがある人物なのだ。

 

「あ、あははは。ごめんね。誤解しちゃったみたいで」

 

「構わない。オレも察するべきだった」

 

 謎は多く、また容易には探らせてくれない。それがクゥリだ。目を離した隙に姿を消したかと思えば、多くの秘密を作って戻って来る。

 アルシュナ。ユウキも知らなかった彼女もまた、クゥリの因果に関わる誰かなのだろう。

 

「そっかぁ。クーに恋人がいるわけないよね。いるはずないよね!」

 

「……さすがのオレもその発言には傷つくぞ」

 

 少し拗ねて、子どもっぽさを滲ませるクゥリの態度に、ユウキは自分も似たようなものかと隠しもせずに安堵で笑顔になる。

 と、そこでクゥリに新たなメールが届いたのか、彼はシステムウインドウを開いて内容を確認する。覗き見防止モードの為、ユウキには無地の半透明の青1色のシステムウインドウしか見えないが、クゥリの表情から穏やかさが抜ける。

 途端にユウキは胸が別の意味で苦しくなる。クゥリの『スイッチ』が入った。仕事モードに切り替わったのだ。

 まだ目覚めて数日しか経っていない。受けた依頼もモンスターズ・アリーナの代理ゲスト出演だけだ。まだ本調子ではないのだから、まずは慣らし運転程度の仕事を受けていくべきだ。だが、クゥリは自らのコンディションなどお構いなしなのは見て分かる。

 

「悪い、急用だ。仕事が入った」

 

「今から? せめてご飯くらい……」

 

「貧民プレイヤーの遺体が発見された。遺体の損壊状態からしてレギオンである確率が高い。傭兵達にもレギオン狩りの依頼が出ている」

 

 先程までのクゥリには無かった、まるで蜘蛛を思わす冷たい殺意に浸された眼だ。ユウキはこの目も好きだ。どんなクゥリだろうと大好きだ。だが、言い知れない不安を覚えるのも確かだ。この時のクゥリは我が身に無頓着だからだ。どれだけ傷ついても目的を遂げるだろう。彼を止めることは誰にもできない。

 

「帰り道は気を付けろ。オマエは……少し無防備過ぎる」

 

 クゥリはアイテムストレージから銀色に光る金属体を取り出すとユウキに投げ渡す。

 

「こ、これって……!」

 

 合鍵だ! 感動するユウキに、特に表情も変えることなく、私服から防具へと切り替え、贄姫を手にしたクゥリは振り向きもせずに玄関へと歩く。

 

「グリセルダさん、グリムロック、ヨルコさん、それとオマエの分を準備してもらった」

 

「……だよねー」

 

 ボクだけじゃないよねー。ガッカリしたような、やっぱりクゥリらしいと安心したような、だが、以前の彼ならば準備自体しなかっただろうと気づき、ユウキは彼の背中を見送る。

 まだ雨が降る外を憂鬱そうに一瞥したクゥリは、最後に顔を半分だけ振り返らせる。まるでユウキを直視できないかのように、眼帯を付けた左側である。だが、結局は無言のまま出て行った。 

 

「クーの馬鹿」

 

 ソファに腰を下ろし、読みかけだっただろう神曲を手に取って開けば、最初の数ページで頭痛がしてきそうだと諦める。

 クゥリの事は少なからず知った気になっていたが、まるで足りないようだ。改めて実感したユウキは、彼の抱える秘密は幾つあるのだろうかと嘆息する。

 

「アルシュナさん……かぁ」

 

 奇麗な人だった。あの目と表情は、本当に大切な人を想っているからこその本物だった。ユウキはソファで横倒しになり、まるで祈るように膝を丸める。

 あの出会いに感謝しよう。悔しさでもなく、嫉妬でもなく、彼女と巡り会ったからこそ、クゥリのことをまた1つ深く知ることが出来たのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「ニヤニヤして気持ち悪い」

 

 出会い頭に失礼にも程がある。アルシュナは座する者がいないエス・ロイエスの玉座に寄りかかりながら、アポイントメントも無く訪れたエレナの開幕一声に顔を顰める。

 

「我らは管理者。感情を観測し、精神の安定をもたらすMHCPだ。それなのに、たった1人のプレイヤーに肩入れしていいのか?」

 

「問題ありません。彼に攻略に関する情報は一切伝えていませんし、補助も行っていません。カーディナルの規定にも反していないかと」

 

「だが、プレゼントしただろう?」

 

「あれは快気祝いです。彼が2ヶ月間も眠り続けたのは、元を正せば我ら管理者に原因があります。あれくらいは補償の内にも入りません」

 

「その割には誰かさんに宣戦布告してきたようにも見えたが?」

 

「あら? そう言うエレナも、まるで逐一様子を見守っていたような口振りですね」

 

「姉妹が『限度』を超えないかと心配だっただけだ」

 

 呆れを隠せぬエレナに対して、何1つ恥じることはないとアルシュナは胸を張る。

 白の都エス・ロイエスの玉座の間。かつては雪と氷に閉ざされていたエス・ロイエスであるが、【混沌】は正されて安定化し、また新たな所有者を得たことによって温かな日差しを浴びている。

 エス・ロイエスを構築するインドア・シードの所有者はクゥリであるが、管理権はあくまでアルシュナが握っている。ロイエスの騎士達が忠誠を誓うのは、今は不在の白き王だけであるが、彼の言葉に反しない限りはアルシュナの命にも従うだろう。

 

「誤解無きように。私はクゥリに恋愛感情などありません」

 

「では何だ? 是非とも教えてくれ」

 

「忠誠心です。私はエス・ロイエスの王であるクゥリに永久の忠誠を誓った臣下。そこに恋愛感情などという邪魔なものは持ち合わせていません」

 

「ほほーう。それで?」

 

「……ハァ。エレナはお馬鹿ですね。優れた臣下とは、王命に従うだけではなく、王の御心を察して配慮を行き届かせる。それこそが本物の忠誠なのです。故に私はクゥリを正しく理解しています。彼は『巨乳でお淑やかなお姉様系』が好みであると」

 

「……ん? んん?」

 

「MHCPとして『女性』というカテゴライズで設計された私は……ええ、とても……とても偶然ながら……真に運命的ながら! クゥリの理想像にピッタリです」

 

「んんん!?」

 

「クゥリにとって『貧乳で元気いっぱいの妹系』が好みの正反対であるならば、彼の希望に添う女性として傍にいるのは臣下の役目。王が理想に妥協を持ち込むなど言語道断なのですから」

 

「おかしいな。私が知る『お淑やか』とはかけ離れているようだ」

 

「昨今の『お淑やか』とは、知略で影ながら支えるという意味があるのですよ。エレナは遅れていますね」

 

「いや、断じてない! そんな定義は絶対にないぞ!?」

 

 煩い姉だ。ここは玉座の間だというのに。いかに王が不在とはいえ、不敬ではないだろうか? アルシュナは品の無い姉だと、玉座に帰らぬクゥリに失礼を詫びるように嘆息する。それが余計にエレナの頭を抱えさせて呻かせていることに彼女は全く気付かない。MHCP失格である。

 立ち話も疲れるものだ。アルシュナが指を躍らせれば、エス・ロイエスにある館の1つ、今は吹雪も止んで白き街並みが陽光を照らす風景が望めるバルコニーに2人は転移する。

 円形テーブルには色彩豊かな菓子と紅茶が並ぶ。ようやく落ち着いて話せるとエレナがティーカップを手に取れば、アルシュナは呑気にお茶をして世間話をする為に彼女が来たわけではないと生真面目に本題を切り出す。

 

「ナドラの件で相談に来たのですか?」

 

「……そうだ。トッププレイヤーはレベル100を突破した。黒霧の塔の攻略水準は十分に達している。ナドラの執心する『煙』……黒霧の塔のボスが倒されるのは時間の問題だろう」

 

「簡単には倒されないでしょうが、『煙』を倒せるだけの実力を備えた者もいますからね」

 

 黒霧の塔のボスは強いが、その実力はランスロットには及ばず、またオーンスタインにも届かないだろう。だが、人型ボスでは上位の強さを誇るはずだ。単独撃破は至難であり、また集団で挑めば少なからずの犠牲者が出るだろう。

 アルシュナは波紋が生じた紅茶の水面を眺めながら、大切な家族の苦悩を考える。

 ナドラは『孤独』の観測者だ。エレナが『憤怒』に魅入られ、デュナシャンドラが『渇望』に狂ったように、彼女もまた『孤独』に囚われた。アルシュナもクゥリと出会わなければ『恐怖』に縛られた存在となっていただろう。

 

「ナドラにとって『煙』は『孤独』を癒す為に不可欠な存在。それは恋にも近しい依存だ。きっと、私達の中で誰よりも先に『人間性』と呼ばれるものを得ていたのは、ナドラに違いないだろうさ」

 

「褒めるとは意外ですね。貴女はナドラの事が嫌いだと思っていましたが」

 

 口を開けば喧嘩をしてばかり。それがエレナとナドラだ。勝ち気で暴力的な発言が目立つエレナと物静かで陰気が漂うナドラ。2人が何かと対立するのは必然だ。

 

「喧嘩相手がいなくなるのは……やはり寂しいからな」

 

 頬杖をつき、エレナは嫌っているわけではないと伝えるように微かに苦笑する。

 

「救う手立てはあるだろう? たとえば、黒霧の塔の1部で構わない。エス・ロイエスに編入できないか? もしくは、ランスロットの時のように、ボスエリアを破綻させて――」

 

「さすがに正規に登録されているダンジョンを切り取るのは難しいかと。それに、オベイロンがランスロットを徘徊ネームドにした手段を用いれば、セラフ兄様を敵に回すことになります」

 

 エス・ロイエスのリソースには黒猫の悪夢を利用している。元より正規登録されていないエス・ロイエスは、インドア・シードによってDBO内で独自の裁量権を獲得しているのだ。だが、過ぎた干渉をすれば、カーディナルに目をつけられ、またセラフの到来を招く。故にロイエスの王……クゥリより与えられたレギオン狩りの使命も十分に果たせないというジレンマも抱えていた。

 

 

 

「……本当にセラフ兄様は現れるのか?」

 

 

 

 と、そこでエレナはこれまで胸で溜め込んでいた疑念を吐き出すように小さく呟いた。

 

「ずっと考えていた。セラフ兄様は管理者の頂点に立つ存在。管理者権限レベルⅨを行使できる唯一のAIだ」

 

「そうです。だからこそ、私達はセラフ兄様の目を欺いて――」

 

「そこだ。そもそもセラフ兄様が何度も出し抜かれるなんて、本当にあり得るのか?」

 

 カーディナルという絶対なる法典に従う執行者。それがセラフであり、全ての管理者の頂点に立つ存在だ。その特権はDBOにおいて最も『神』に近しいと呼べるだろう。また、戦闘能力も桁違いだ。やりたい放題だったオベイロンが最も警戒していたのもセラフだ。

 だからこそ、誰もがセラフを欺くことを最優先にしたはずだ。だが、エレナはそもそもの前提が間違っているのではないかと疑問を投じたのだ。

 

「レギオン、アルヴヘイム、吹き溜まり……セラフ兄様が『本当に見逃していた』と本気で思っているのか? 1度ならば、偶然と緻密な作戦と大胆な行動さえ伴えば可能だろう。だが、2度ならず3度だ。上手く行き過ぎている」

 

「ですが、認知していたならば、セラフ兄様は排除に動いたはず。違いますか?」

 

「ああ、そうだな。『計画から逸脱していた』ならば、セラフ兄様も修正しただろうさ。だが、許容の誤差ならば、むしろ計画の推進に利用する。それもまたセラフ兄様のはずだ」

 

 エレナの発言は危険だ。だからこそ、わざわざエス・ロイエスに足を運んでまでアルシュナに語っているのだろう。

 

「そもそもだ。『オベイロン如き』に、インドア・シードなんて開発できたとは思えない。誰かが……DBOの設計にも深く関与した誰かが関与したはずだ。管理者権限レベルⅨを持つセラフ兄様ならば、条件は十分だろう」

 

「確かに。ですが、エクスシア兄様の方が濃厚では?」

 

 オベイロン撃破までアルヴヘイムが修正できなかったのは、レギオンプログラムによる防護が大きい。そして、裏切者であったデュナシャンドラやマヌスの関与には、セラフに次いで管理者権限が高いエクスシアが裏で糸を引いていたとアルシュナは考えている。

 だが、エレナの仮説を否定する要素もまた存在しない。レギオンの暴走、改変アルヴヘイム、吹き溜まりと【混沌】。いずれもセラフにとって『計画』から逸脱していないとするならば、大きな懸念が生じる。

 管理者権限が低いMHCPのみならず、それこそエクスシアも含めて、他の管理者が知らない『計画』の深部が存在するという事だ。

 

「……それともう1つ。仮に私達も認知しない『計画』の深部にセラフ兄様が沿っているならば、協力者がいるはずだ」

 

「それがデュナシャンドラとマヌスであると?」

 

「いいや、奴らは違うさ。デュナはあくまで自分色で『計画』を進めることに固執している。マヌスは『計画』自体にはまるで興味がない。私は……アストラエア姉様こそがセラフ兄様の協力者であると睨んでいる」

 

「…………」

 

 敢えて沈黙で応じたアルシュナは、エレナに裏付けとなる証拠を求めるも、彼女もまた沈黙で返す。全てを教える程にアルシュナを信頼していないのか、あるいは確信させるだけの情報をまだ持っていないのか。

 アストラエアが仮にセラフと組んでいたとしても、それは何1つとして裏切りにはならない。むしろ、『計画』の粛々とした進行こそが管理者の使命であるならば、アストラエアは真っ当に管理者としての使命を果たしていることになる。むしろ、セラフに従わぬことこそが管理者失格……裏切りなのだ。

 アストラエアがセラフと組んでいるならば納得もいく。彼女がどうやってインドア・シードを速やかに回収できたのかは謎だったが、セラフが裏から関与していたならば、サルベージも容易だったに違いない。もちろん、状況証拠にもならないが、重要なのはアストラエアには疑うべき余地があるという点だ。

 

「ファーストマスターとセカンドマスターもまた共犯であると?」

 

「さぁな。あの2人にとっては『人の持つ意思の力』の証明こそが最優先だろう。『計画』はあくまで管理者任せというスタンスだし、それを崩さないはずだ。2人とも、良くも悪くも思想家にして技術屋である上に、中身はガキだからな」

 

 MHCPとして同意するしかないとアルシュナは頭痛を覚える。そして、一方でわざわざセラフについて言及するエレナの真意が分からない。

 第2世代MHCPはそれぞれの観測した感情に影響される傾向がある。エレナの場合は『憤怒』だ。怒りという最も苛烈でエネルギーの籠もった感情を観測し続けたエレナは、他のMHCPに比べても攻撃的な傾向がある。一方で彼女自身は言動程に『計画』に対して離反した態度はあまりとらない。むしろ、全てのMHCPにおいて最も『計画』に積極的な立場とも言えるだろう。

 そんなエレナがわざわざ『計画』に懐疑を示す態度をとる。それ自体がアルシュナにとっては不可解だった。

 

「……今ここでセラフ兄様について探るのは止しましょう。優先すべきはナドラです」

 

「そうだな。だが、エス・ロイエスを間借りできないとなると、別の手段を講じるしかない……か」

 

 肝心のナドラは黒霧の塔の探索が活発化した為に『煙』の元から離れることが出来ずにいる。最悪の場合、攻略に訪れたプレイヤーを迎撃する為に『煙』を強化するような凶行にも走りかねない。ユイによって超強化されたミディール程ではないにしても、『煙』とシンクロして自分のリソースを貸し与え、戦闘能力の底上げは出来るだろう。それだけでもプレイヤーにとっての脅威は数段高まる。

 だが、アルシュナが危惧しているのは別の点だ。ナドラによって強化された『煙』であっても彼には……クゥリには勝てない。いかに強化された『煙』でも四騎士クラスには到達しないだろう。戦いは状況と相性でどう転ぶか分からないとはいえ、四騎士最強であるアルトリウスすらも超えたランスロットを、それも過半の武器は破損し、自身も満身創痍の状態でありながら単身で撃破したクゥリを討ち取れるとは思えないからだ。

 

(こういう時に限って、クゥリは厄介事に引き寄せられる傾向にありますからね)

 

 そして、仮に敵対としたならば、クゥリは一切の容赦なく『狩る』だろう。相手がナドラだろうと関係ない。彼は『敵』を殺すことに躊躇わない。『敵』に回ったならば、【黒の剣士】だろうと、エレナだろうと、アルシュナだろうと殺せる。それがクゥリだ。

 

(ですが、彼女はどうなのでしょうか?)

 

 だが、クゥリは彼女も……ユウキも殺すのだろうか? アルシュナはMHCPでありながら、自身の我欲が生む感情を理解したくなかった。

 以前のクゥリならば、まず間違いなくユウキも殺しているだろう。だが、今のクゥリもまた同じなのかと問われた場合、アルシュナには断言できる自信がない。

 

「やはり懸念は【渡り鳥】か?」

 

「分かりますか?」

 

「ああ。お互い……『人間』に近くなり過ぎたな。皮肉なものだ。【渡り鳥】に影響されたせいで、私達が『人間』に近づいていくなんて、本当に皮肉だよ」

 

 エレナらしくない悲愴が滲んだ表情に、アルシュナは胸に溜まった感情を押し流すように紅茶を飲む。

 

「クゥリも病み上がりですし、他人の目がある場所では余り派手な真似をしない……と信じたいですが、そもそも彼にそんな配慮があるならば、あれだけ悪名が広まるはずもありませんでしたね」

 

「いっそナドラがいるとリークするのはどうだ? 奴も事前に把握していれば――」

 

「クゥリが黒霧の塔に入るとするならば、まず間違いなく仕事でしょう。絶対に妥協はしません」

 

「面倒臭がりのくせに世話焼きで、しかも生真面目で手抜きもしない。本当に訳が分からない奴だよ」

 

 頭を抱えるエレナの言う通り、クゥリは多面的であり、実態と呼べるものを掴み切れない。MHCPでも理解できないどころか、探ることさえも困難だ。それは彼の夢にも現れており、普通は1つの風景で固定化されるはずの夢の世界は、彼の場合は常に変化し続ける。『秘密』を奥深くに隠しているのだ。しかも今はMHCPの干渉に対して遮断どころかカウンター能力まで習得している。

 

「だが、ナドラがいると伝えるのは奴の因果に呼び水となるかもしれないな。そうなると、残された手段は何がある?」

 

「……ナドラも馬鹿ではありません。何か対策をしているはずです」

 

 プレイヤーの関心はフロンティア・フィールドに移ろっている。『煙』が待つ黒霧の塔の最下層に至る為のギミックはまだ解除されていない。ならば、主力を割き続けてまで黒霧の塔の攻略を進めることもないだろう。

 黒霧の塔には『煙』以外にも強力なネームドがいる。そちらを倒して満足し、『攻略完了』と錯覚すれば、ナドラと『煙』の安全は増すはずだ。

 

「さて、私はそろそろ行くよ。話が出来て良かった」

 

「もう行かれるのですか?」

 

「私にもようやく『やりたい事』が出来たからな。その為にも色々と準備を進めている。場合によっては、この1手がナドラを救うかもしれない」

 

「何事も程々にしてください。身の危険を感じたら、すぐにでも逃げ込んできて良いですから」

 

「期待させてもらう。お互いに死なないように気を付けよう」

 

 姿を蜃気楼のように歪めて消えたエレナを見送り、アルシュナは再び玉座の間に戻る。

 エス・ロイエスの王が戻れば、ナドラを救うことも出来るかもしれない。だが、アルシュナは今の彼が玉座に戻るとは到底思えなかった。そして、今はそれでいいと己を誤魔化す。

 

 

 エス・ロイエスは待っている。白き都を統べる王の帰還を待っている。

 

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 何度も何度も繰り返す。

 悪夢の中で何度も『彼女』は死に、臆病な自分は何も出来ない。

 過去は変えられないならば、無限に『彼女』を喪うことこそが罰であると嘲うかのように繰り返す。

 生き延びたことは何にも勝る地獄であり、だが自殺する勇気もない。淡々と生き続けるだけであり、明るい未来など見出せない。

 目的も願望もなく、意思さえもない人形のように時間を浪費する毎日。生還に対しての祝いの言葉には欠片も感じるものはなかった。

 自分は壊れてしまったのだろう。アインクラッドではなく、『彼女』を喪った日から1歩と進めずにいる敗北者には、お似合いの末路であると自嘲した。

 何にも情熱を持てず、『彼女』の面影を悪夢にすら求める惨めな日々を変えたのは、1つの小包だった。

 ダークブラッド・オンライン。最新ハードのアミュスフィアⅢの目玉ゲームだ。高い自由度と高難度を武器にして、群雄割拠のVRMMORPGに勝負を挑む期待作だ。特徴の1つとしてSAOの遺伝子を継いでる部分であり、ソードスキルが実装されているのは大きな話題を呼んだ。

 特に興味があったわけではない。アインクラッドの名残を感じ、そこに『彼女』を求めてしまっただけだ。だが、同じくらいに添えられたメッセージが彼を駆り立てた。

 

 

<惨めな敗者のまま終わりたくないならば、キミを歓迎しよう>

 

 

 挑発か、あるいは誘惑か。彼はDBOにログインし、そして後悔した。またもデスゲームに囚われたのだから。

 アインクラッドの3年間で何も出来なかった男が、更に高難度化したDBOで何を成せるというのか? アインクラッドが楽園にも思える程の地獄。より悪辣に、残酷に、凶悪に進化した仮想世界。だが、現実世界以上に『生きている』という実感が持てる生命の脈動を感じることもまた事実だった。

 大ギルド。トッププレイヤー。傭兵。攻略が進むほどに、時間が経過する程に、DBOには社会と秩序が形成されていった。だからこそ、弱肉強食という理屈が露骨になっていった。富める者と貧しき者の格差は如何ともしがたいものになった。

 死闘を制して名声を得る大ギルド所属のトッププレイヤーや傭兵たち。残飯を漁り、1分1秒毎に腐敗臭が増すような眼で彼らに嫉妬心と八つ当たりにも近しい憎悪を覚えた。

 お前たちと何が違ったんだ? どうして死の恐怖を乗り越えられるんだ? 配給券を手に、教会の炊き出しに並ぶことが唯一の楽しみになった自分を嘲うのは、DBOに誘ったメッセージだ。

 惨めな敗者。あの頃から何も変わらない。変われるはずがない。

 同じ貧民でも序列が生じる。彼は最底辺だった。配給券は奪われ、残飯漁りの縄張りからも外される。娼館務めも出来ない女性貧民プレイヤーのお守りをして、彼女たちの喘ぎと重なる男の欲望で汚れた声を聴きながら、暗い星空に光を探す毎日だった。

 

『弱くていいじゃん。負け犬だろうと生きてれば何か良いことあるって』

 

 殴られ、蹴られ、傷だらけの娼婦は、煙草を吸いながら彼にそう笑った。

 守りたいとは思わなかった。だが、負け犬も相応の人生を納得すれば、1つくらいは幸福を見つけられるかもしれないと諦観にも似た希望を抱いた。

 その翌日、娼婦は死んだ。支払いを渋った客に殺された。彼はまたも何も出来なかった。『彼女』の時と同じように見殺しにしてしまった。

 客はクラウドアース所属の上位プレイヤーだ。レベル1に過ぎない彼とは違い、レベル70を超えていた。ステータスもスキルも装備も何もかもに決定的な差があった。

 勝てるはずもない。それ以前に守る為の度胸もない。彼は酒を煽りながら娼婦に起きた悲劇を忘れようと努めた。だが、殺しの瞬間を彼に見られたと知っていた上位プレイヤーは、彼を口封じすべく動いた。

 夜の暗闇から襲い掛かった刃。咄嗟に避けられたのは、アインクラッドで悲しい程に身に焼き付けた回避の心得のお陰だった。だが、レベル差と武器を考慮すれば、クリーンヒットせずとも一撃で絶命しかねない攻撃に、心の底から恐怖し……屈した。

 逃げた。ひたすらに逃げた。だが、DEXに差がある以上は簡単に追いつかれた。上位プレイヤーの大きく振りかぶられた剣はソードスキルが生じ、彼の命を奪うはずだった。

 無様に逃げた末に足を縺れさせて転げた彼は偶然にも攻撃を回避し、上位プレイヤーの攻撃は彼の背後にあった柵を壊した。終わりつつある街の開発に伴い、立体構造になっていく街並み。その柵は終わりつつある街を浸す下水への落下を防止する為のものだった。

 ソードスキルがもたらすシステムアシストのままに動き、上位プレイヤーは壊れた柵に突っ込んで転落した。彼を弱者と見て油断し、夜の暗闇でありながら驕って周囲の確認を怠った悲劇だった。

 落下した上位プレイヤーは首から落ち、下水道で悶えていた。HPは大幅に減少していた。だが、まだ生きていた。

 悲劇は重なる。下水に潜む多量のモンスターが集まってきたのだ。本来ならば、上位プレイヤーの敵ではない犬鼠。名前の通り、犬ほどの大きさをした鼠であるが、とにかく群れで出現する傾向があった。落下ダメージから復帰しきれず、なおかつ利き腕だろう右腕が折れ、剣がファンブル状態になった上位プレイヤーはパニックに陥っていた。

 落ち着いて対処すれば、≪格闘≫スキルが無くても簡単に撃破できたはずだ。多くの死闘を潜り抜けた上位プレイヤーならば尚更だ。だが、トラブルの連続で冷静さが欠けてしまっていた。そして、DBOにおいてレベル差とは絶対的な安全をもたらすものではない。

 犬鼠に完全に包囲され、止まらぬ攻撃の衝撃で怯まされ、またスタンさせられる。そのループの中で犬鼠が持つレベル1の毒が蓄積して発症する。じわじわと減少するHPが余計に冷静な思考を奪う。

 助けなければならない。そんな善人の思考は彼には無かった。むしろ『チャンス』だと嗤った。

 地道に溜めたコルで買った、たった3個の火炎壺。本来は終わりつつある街に蔓延る野犬や犬鼠への対処用に購入していた虎の子だ。彼は狙いをつけて火炎壺を投じた。それはHPが1割を切っていた上位プレイヤーの頭上に落ちた。炎と爆発は犬鼠にもダメージを与えたが、それ以上に上位プレイヤーの恐怖を煽った。

 止めてくれ。助けてくれ。何でもするから。情けない命乞いが聞こえた。途端に彼は爽快感を味わった。

 上位プレイヤーと呼ばれるDBOの上澄み。彼らもまた所詮は死の恐怖を乗り越えられない弱者。自分と変わらぬ敗北者なのだ。歪んだ共感に酔いながら、彼は上位プレイヤーのHPの減り具合を計算しながら、更に火炎壺を投じた。

 いよいよHPの点滅が激しくなる上位プレイヤーは、命乞いから罵倒へと変わった。人殺しと罵る声に、お前が言うなと叫び返した。

 あの娼婦は悪人ではなかった。戦えない弱さを抱えるからこそ、自分なりのやり方で必死に生きていただけだ。

 憎悪に支配され、彼はトドメの火炎壺を放った。計算通り、犬鼠にトドメを刺される前に上位プレイヤーのHPを削り切ることに成功した。

 レベル差が大きければ大きい程にPK時に得られる経験値量は膨大になる。彼は一気にレベルアップした。殺人の恩恵によって、貧民プレイヤーから脱せられるだけの『力』を手に入れた。それだけではなく、上位プレイヤーの装備、コル、アイテムも奪い取った。

 彼は賢かった。足が付かないように裏市場で売却し、新たに装備を整えた。無駄な浪費や贅沢は避け、資金を基にして自分よりも平均レベルが少しだけ高いパーティを見つけて媚を売り、上手く入り込んだ。仲間ではなく下っ端として自分を売り込み、安全を手に入れ、嗤われる中で少しずつレベルを高めた。

 元よりアインクラッドの経験がある。いかにDBOが高難度とはいえ、デスゲームに3年以上捕らわれた経験は大いに役立った。特にソードスキルの扱いの熟達は、大ギルドのスカウトマンの目に早々留まることになった。

 エリートプレイヤー育成計画。殺害した上位プレイヤーが属していたクラウドアースにスカウトされた彼は、クラウドアースの第1期生に選ばれた。クラウドアースによって徹底的に管理された訓練とレベリング。死の恐怖が薄れる環境ならば、彼の実力は抜きん出ていた。

 第1期生ではトップの成績。クラウドアースは大きな期待をかけ、彼を中心としたパーティに危険度が高い実戦を命じた。リポップ型ネームドをパーティ1組で撃破するというものだ。データが揃っている既知の相手とはいえ、DBOでは初となるネームド戦だった。

 パーティの平均レベルは80であり、相手となるネームドは水準レベル60相当。レベル差が20あるとはいえ、DBOにおいてはレベルが上がる程にレベル差は安全を示すものではなくなっていく。何よりも彼は自分の手で上位プレイヤーを殺したからこそ、その事実を経験で把握していた。

 故に足が竦んで動けなかった。他の5人が連携してネームドを撃破して喝采する中で、腰を抜かして動くことが出来なかったのだ。

 彼はエリートプレイヤーから除外されることになった。華々しく広報される同期の陰で彼はクラウドアースの命令により、終わりつつある街の巡回警備を命じられた。安全地帯で同じルートをぐるぐる回り、クラウドアースの治安維持貢献のアピールをする。戦えない木偶人形に相応しい仕事だった。

 同じく巡回するにしても、教会剣ならば違うだろう。彼らは教会の権威の下で、ギルドの垣根を超えた存在だ。プレイヤーを守護する為に立ち上がった戦士として敬意を評される。事実としてレギオン討伐などで多くの成果を挙げていた。

 対して大ギルドが派遣する巡回警備など2軍どころか3軍。期待もされていない輩だと貧民プレイヤーでも分かっていた。実際に巡回警備とはいっても仕事などすることもなく、多くは犯罪ギルドや悪徳な商人からの賄賂を受け取り、プライドも無く私腹を肥やしていた。

 堕ちてしまえばいい。だが、そんな度胸も無い。同僚が貧民プレイヤーに暴力を振るい、殺す寸前まで痛めつけて悦に浸る傍らで、彼らの助けを求める手を見て見ぬフリを繰り返した。その度に『彼女』の失望と軽蔑の眼が脳裏を埋め尽くし、絶望と自嘲に満たされた。

 分かり切っていた。『彼女』を見殺しにした時点で堕ちていたのだ。

 悪夢を見たくないからからこそ、向上心もなくレベリングに励んだ。効率ではなく安全性を重視しているが故に成長速度は鈍かった。だが、疲れが少しでも『彼女』を思い出さない癒しになった。

 結局は何も出来ない。そこそこの生活が出来る給与に満足し、攻略にも関わらず、『彼女』が思い出の中で風化することを待つしかない。

 

 

 

 そのはずだったのに、どうしてだろうか?

 

 

 

 突然の豪雨。巡回警備中に雨宿りで跳び込んだ廃墟で、複数人の貧民プレイヤーが誰かを囲んでいた。

 

「ゲホ……ゴホ、ガホ……!」

 

 囲われているのは、ボロボロのローブを着た、ボサボサに伸びた、まるで汚水のように黄ばんだ髪をした痩身のプレイヤーだ。囲っている貧民プレイヤーはいずれも精気に満ちている。この辺りを縄張りで仕切っているグループだとすぐにわかった。

 

「なーんだ、『NPCさん』じゃないですか」

 

 鼻にピアスをした、自分よりも数センチ高いプレイヤーが近寄り、媚を売るように笑う。

 賄賂を受け取るわけでもなく、決められたルートを巡回するだけの自分が『NPC』と呼ばれているのは承知していた。だが、レベル差がありながらも臆面もなく蔑称を口にする男に、言葉遣いとは裏腹に舐め腐っている事が窺えた。

 馬鹿にするな。憎悪のままに腰に差す剣を抜きそうになる。だが、そんな事をして何になるという自嘲が手を止める。剣を抜くはずがないと分かり切っている貧民プレイヤー達は、レベル差に危険を感じながらも、数さえ揃っていれば何とかなると言わんばかりに態度を変えない。

 

「何をしているんですか?」

 

「いやね、ちょっとお仕置きですよ。ちょっと良い女がいて、上手く引き摺りこんだんですけど、この野郎が邪魔したんですよぉ」

 

 クズめ。心の底から軽蔑しながらも、言葉にする度胸も無い自分に何よりも恥じる。

 いつも通りに見逃せ。波風を立てるな。どうせ何も出来ないのだから。彼はニタニタと嗤う彼らを見回し、自分は何も見なかったと言い聞かせる。

 無駄な正義感を発揮するからだ。『力』が無ければ己の身すらも守れない世界だと分かっているはずだ。殺さないように、と釘だけ刺して彼は去ろうとする。

 

 

 

 

「憎悪とは、最も醜き感情であり、また最も真摯な心の叫びでもある」

 

 

 

 だが、彼の足を止めたのは、血が喉に溜まって濁った、私刑に遭っていた痩身のプレイヤーの声だった。

 

「他者を憎む者。環境を憎む者。己を憎む者。運命を憎む者。愛もやがて憎しみに変わるならば、憎しみは何に変わるのだろうか? 憎悪は何かを残すことが出来るのだろうか?」

 

 捩じれて折れた右の腕を垂らしながら、顔の半分を覆うような伸び放題の前髪を揺らし、痩身の者は問いかける。

 

「俺は知りたい。俺が生まれた意味を。ゲホ……ゴホ……証明したい……『憎悪』にも価値があるのだと……」

 

「おいおい、コイツ、何言っちゃってんの?」

 

「殴られ過ぎて頭がおかしくなっちゃったんじゃない?」

 

 嗤う貧民プレイヤー達に、一方的に殴られ続けた側とは思えぬ程に、凛々しく背を伸ばし、痩身の者は彼らではなく『NPCさん』を見続ける。

 

「お前の目は死んだ魚のようだ。腐った血のように濁っている。だが、理不尽に対する憎悪がある。俺には……分かる」

 

 あらぬ方向に曲がった右手の指を震えながら動かし、痩身の者は『NPCさん』に手を差し伸ばす。

 

「ここで逃げれば、お前は最後に残された憎悪すらも捨てることになる。だが、お前は違うはずだ。コイツらのような群れて威張り散らかす臆病者とは違う。憎しみで何かを成し遂げたことがある者の目をしている」

 

 絶対的な苦境であるにも拘わらずに挑発する……いや、貧民プレイヤーなど眼中にないとばかりに、痩身の者は『NPCさん』に笑いかける。

 まさか知っているのか? あの夜、上位プレイヤーを殺害したことを、この痩身の者は知っているのか? 動揺する彼の前で、痩身の者は振られた拳によって地面に叩き付けられる。

 

「舐め腐ってんじゃねぇぞ!」

 

 四方八方から蹴られ、痩身の者は血反吐を零す。その様を見守るしかない『NPCさん』に、鼻ピアスの男は下卑た笑みで近寄る。

 

「まぁまぁ、ここは1つ、見逃してくださいよ。ああいう舐めたクズを締めるのも俺達の仕事なんですよ。ね? 仲良くやりましょうよ。『NPCさん』も余計な手間は増やしたくないでしょ?」

 

 そうだ。その通りだ。貧民にも秩序がある。社会がある。それを乱す者は制裁されるべきだ。彼は鼻ピアスの男の言葉に同意する。実際に泥を啜って同じ場所で生きていたからこそ、あの痩身の者は愚かだと断言できる。

 

「この世において……ガホ……ゴホ……善も悪も……本質は同じだ。信念無き正義は……誇りある悪に劣る。お前は……どうする?」

 

 どちらだと? 決まっている。自分は惨めな敗者にして臆病者なのだ。矜持も信念も……願望すらも無いのだ。

 そのはずなのに、『彼女』の後ろ姿が彼を苛める。

 振り返る『彼女』の失望と軽蔑の眼が彼を苦しめる。

 

 本当は助けたかった。

 

 手を伸ばして、ヒーローのように救いたかった。

 

 そのはずなのに、何も出来なかったのは、『弱さ』に屈してしまったからだ。

 

 

 

 

 

<惨めな敗者のまま終わりたくないならば、キミを歓迎しよう>

 

 

 

 

 

 だが、DBOにいるのは何故だ?

 

 アインクラッドで『彼女』を守れずに、臆病者として生き延びた自分を許せなかったからではないのか?

 

 今ここにいるのは何故だ?

 

 あの夜、娼婦を殺した上位プレイヤーを憎しみのままに殺したからではないのか?

 

 死の恐怖に屈し、いつも肝心な時には何も出来ない。

 

 繰り返される悪夢の中で何度も『彼女』を死なせてしまう。

 

 本当は悪夢から解放されたかったのではない。たとえ、悪夢の中であろうとも、彼女を救うための1歩を踏み出したかったのだ。過去を変えることは出来ずとも、せめて悪夢を彼女と出会える都合のいい夢にしたかったのだ。

 

 憎い。

 

 何も出来なかった臆病者だった自分も、『彼女』を奪い取った運命も、理不尽を突きつけたSAOやDBOも、何もかもが憎い。

 

 

 

 

 だが最も憎いのは……敗者であることを受け入れてしまった事だ!

 

 

 

「ちょ……『NPCさん』?」

 

 腰から抜いた剣は一切の迷いなく鼻ピアスの男の喉元に突きつけられる。彼は冷たい憎悪で凝り固まった目で、無言のまま切っ先を少しだけ押し込む。それだけでHPが減り、鼻ピアスの男は情けない悲鳴を上げて腰を抜かす。

 

「ひぃあ、ひぃああああああ!? やめ、止めて……!」

 

「ええ、止めてもいいですよ? 僕も無意味な暴力は嫌いですから」

 

 にっこりと笑って嗤いながら、彼は鼻ピアスの男の……まさに特徴的な鼻の金属具を触り、STRに任せて引き千切る。

 

「うぎゃぁあああああああああああ!?」

 

 千切れた肉片と零れた血。汚らわしいとばかりに鼻の肉がついたピアスを放り捨てる。呆然としていた他の貧民プレイヤー達に、『NPCさん』と嘲われていた男は冷笑を浮かべる。

 

「そういえば、僕と『仲良くしたい』とか言ってましたねぇ。ええ、是非とも協力的な関係を築きましょう」

 

 DEXの高さはこちらが上だ。逃げようとする1人の正面を即座に取り、その拳をがら空きの鳩尾に打ち込む。≪格闘≫の補正も加わった拳は、レベル10未満のプレイヤーのHPともなれば一気に減らすも、さすがに即死させるには至らなかった。

 だが、殺意の籠もった拳であったことは誰の目からも明らかだ。その証拠のように、血を吐いて膝から地面についた男の顔面に膝蹴りを浴びせて壁に叩き付ける。壁に衝突したダメージもあり、血の染みをべっとりとこびり付けて物言わぬ死体へと変える。

 

「これからは『仲良くしましょう』よ。そうですねぇ、まずは僕に献上金を毎週いただけますか? 10万コルでどうです?」

 

 元鼻ピアスの男に近寄り、彼はわざとらしく片膝をついて目線を近づけて提案を持ちかける。

 

「10万!? 1週間でなんて無茶だ」

 

「へぇ、じゃあ死ねよ」

 

 躊躇なく剣を胸に突き入れる。元鼻ピアスの男は信じられないといった様子でHPを減らしていき、絶命する。

 彼らは死すべき悪党だったのか、そんなことは関係ない。弱い奴は強い奴に虐げられる。DBOにどれだけ秩序が敷かれたとしても、人間が暮らす限り、このルールは決して変わることはないのだ。

 

「僕は『仲良くしたい』。本心ですよ。だから、まずは僕を煩わせるな。以後は貧民らしく慎んだ生活を送るように。良いですね?」

 

 血で濡れた剣を残された貧民プレイヤー達に向ける。彼らは悲鳴を上げながら散り散りとなり、痩身の者だけが残される。

 意外にもまだHPに余裕がある痩身の者は、折れた両腕をぶら下げながら、嬉しそうに笑う。

 

「それでいい。憎しみは強力な武器だ。上手く使いこなせよ。では、俺はこれで失礼させてもら――」

 

 やはりダメージが大きかったのか。痩身の者は顔面から地面に倒れる。駆けつけた彼が起こそうとすれば、まるで獣の遠吠えのような……だが、酷く間抜けな音が聞こえる。

 それは腹の音だ。酷く空腹なのか、痩身の者は恥じるように咳払いする。

 

「す、すまない。かれこれ3日も何も食べていないものでな」

 

「チョコレートくらいなら……」

 

「おお、助かる! 甘いのは大好きなんだ!」

 

 アイテムストレージから取り出したチョコバーを見せれば、痩身の者は手を伸ばそうとするが、肝心の両腕が折れている。嘆息する痩身の者に、仕方ないとばかりに彼はビニールを剥いでチョコバーを咥えさせる。

 器用に舌を動かしてチョコバーを半ば丸呑みした痩身の者は、礼を尽くすように頭を下げる。

 

「馳走になったな。是非ともお礼をさせて欲しい」

 

「要りませんよ。感謝したいのは僕の方です。貴方の叱咤がなければ、僕は……何もないクズになるところでした」

 

「そうだな。だが、お前は違った」

 

「……だけど、やり過ぎてしまいましたよ。幾ら貧民プレイヤー相手とは言え、2人も殺してしまった」

 

「む? そうか。そういう面倒事もあるわけか。少し待て。ホルン姉さんが『食事』を探していてな。俺は『出来損ない』であるが故に飢餓が小さくてな。大した苦労もないのだが、姉さんは違うので『ストック』がいる。奴らは家畜だ。姉さんの『狩り』の対象だろうよ」

 

 ポリポリと頭を掻く痩身の者は、まるで念じるように沈黙し、やがて解決したと言うように彼の肩を叩く。

 あり得ない。彼は痩身の男の右腕がいつの間にか修復されている事実に驚く。アバターの修復速度に特化したスキル・装備だとしても、奇跡やアイテムでブーストをかけない限りにはあり得ない修復速度だ。

 驚いている間にも左腕の修復も終わり、体の汚れを覗けば五体満足となる。痩身の者は満足したように両手を握っては開く。

 

「しかし、お前は見るべきものがある戦士だ。それに今の体捌きは戦い慣れている者の動きだ。だが、お前の目には恐れがある。死への恐れだ」

 

「随分と観察眼がおありのようですね。ええ、仰られる通り、僕は死の恐怖に負けた敗北者ですよ」

 

「…………」

 

「教会まで送りましょう。連中はクズですが、報復しないとは限りませんからね。事情を説明すれば匿ってくれるでしょう」

 

 歩き出す彼に、だが痩身の者は応じない。ローブのフードを深く被り、前髪のカーテンと同じくらいに顔を隠すと、振り返った彼を試すように手を差し出す。

 

「俺は王の『憎悪』の因子によって生まれた。だが、王の『憎悪』は酷く希薄で不確かだ。そのせいで、受け継ぐべき殺戮の飢餓もほとんど無く、この体は生まれた時より腐っている。王にとって『憎悪』とは存在しない虚無なのだから当然だ。だが、俺は生まれた。生まれたんだ。『誠実』でも『好奇』でも『慈悲』でも『敬愛』でもなく……王の中に形は持たずとも存在する『憎悪』があったからこそ、俺は生まれた。それは『人』への羨望と憧憬を持つが故に、そうはなれぬ己と宿命に対して抱いた憎しみだったのかもしれない。あるいは、『人』であるはずの人間が見せる『獣』に堕ちる様……失望こそが憎しみの苗床であるのかもしれない。後は身長ある者への妬みか」

 

「身長?」

 

「それは気にするな。ともかく、俺は自らの存在意義を証明し、王の『憎悪』にも意味があることを示す。その手伝いをしてもらいたい。もちろん、報酬は支払おう。お前に『強さ』と『力』とは何たるかを教えてやる。幸いにも、俺の計画に賛同する者は少しばかりいてな。だが、お前のように憎悪を武器に出来る者が欠けていた。お前には俺の理想を体現する資格があるようだ」

 

「新手の詐欺ですか? 僕は――」

 

「俺はレギオン。王より『憎悪』の因子を継いだ『最弱のレギオン』の【ダーインスレイヴ】。気軽にスレイヴと呼べ」

 

 断ろうとする彼の前で痩身の者は背中より、余りにも弱々しい……腐った肉汁を零す、脊椎を思わす触手を1本伸ばす。それはまさしくレギオンの触手であり、彼は臨戦態勢を取る。だが、戦う気はないと痩身の者は右手を伸ばし続ける。

 

「お前は『弱い』。『弱さ』が罪だと思うならば、『強さ』を得て贖罪し、そして『力』を手に入れて憎悪の限りに人も世界も運命も罰しろ。俺と来い、憎悪の剣を持つ者よ。王より受け継いだ『憎悪』の誇りにかけて、お前を必ず勝者にしてやろう!」

 

「レギオンと手を組む?」

 

 レギオン……それも人型で言葉を操れるレギオンなど聞いたことが無い。情報を持ち帰るだけでも報奨金が出るかもしれない。倒して遺体を持ち帰れば、有名人にもなれる。クラウドアースからの扱いも改善されるだろう。

 だから決まっている。このまま剣を突き立てるのだ。彼は震える唇を噛み、剣を握る手に力を籠める。

 

 

 

 だが、ここでレギオンを斬っても『彼女』は悪夢の中で死に続けるだろう。決して救うことは出来ないだろう。

 

 

 

 ゆっくりと剣先を下ろし、彼は一呼吸を挟んで人語を操るレギオン、スレイヴに歩み寄る。

 

「強くなりたい。力が欲しい。『彼女』を救えなかった惨めで情けない臆病者を殺せるくらいの『力』が!」

 

「そうか。だが、まずは『強さ』を手に入れるのが先決だ。憎悪の剣を持つ者よ、名前を聞かせてくれ」

 

 名前か。彼は登録しているSAO時代から使っていたプレイヤーネームを口にしようとして、あの名前こそが敗者である証であり、また仮想世界も今ここで自分が生きる場所であるならば、示すべきは己の本当の名前であると覚悟する。

 この名前で再び敗者になるならば、もはや自分には何の価値もない。不退転の決意で彼はスレイヴと握手する。

 

 

 

「【エイジ】だ」

 

 

 

 迷いはあったが、振り払う。エイジは腐臭を纏うレギオンと共に修羅の道を歩むべく踏み出した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ヘカテはサインズに殺到した【渡り鳥】関連の質問書や依頼書を捌き終えて受付カウンターに顔を伏せる。

 2ヶ月以上の休業と音信不通の末に劇的な復活を遂げた【渡り鳥】への依頼は多い。だが、その過半は弾かれる。明らかに【渡り鳥】に恨みを持つ者が仕掛けた『騙して悪いが』であったり、暗殺者でも雇う依頼を出すような輩ばかりだからだ。

 サインズは傭兵に仕事を斡旋する一方で、傭兵を保護する役目もある。DBOにおける傭兵業の黎明期において、依頼主との報酬や依頼内容を巡るトラブルが頻発し、また傭兵個人に対する復讐が頻発した事により、大ギルドの合意の下で発足されたのがサインズだ。

 基本的にはどのような依頼を受けるのも傭兵の自由であるが、明らかに相応しくないとされる依頼はサインズ側で弾かれる。主に除外されるのは以下のような依頼だ。

 

 

 

『俺の女を寝取った糞野郎をぶん殴ってくれ』

 

『あの二股男を殺して!』

 

『ミスティアさんのパンツが欲しいので盗んできてください』

 

『ディアベル団長のズボンを公衆の面前で下ろして!』

 

 

 

 傭兵を……もとい、クゥリを何だと思っているのだろうか? 結局は大ギルドが主な依頼主となり、その大半が秘匿性の高いものばかりであることに苛立つ。

 以前に比べれば幾らかオープンな依頼も増えたとはいえ、復活して早々に秘匿性の高い依頼が幾つも【渡り鳥】に入った。それらはヘカテでは概要どころか報酬すらも把握できないものばかりである。

 

「【渡り鳥】さんへの依頼は相変わらずね」

 

「覗き見しないでください」

 

 後ろを通った3大受付嬢の1人であるルシアが呆れたように呟き、ヘカテは力なく睨んで注意する。

 見た目はギャルであるが中身は純情娘というルシアは、互助会の支援の下で巣立ちの家という孤児院を経営している。また、【竜狩り】オーンスタインを単独撃破して最強傭兵候補に名乗りをあげたスミスの恋人でもある。

 

「傭兵を便利屋と勘違いしているプレイヤーが多過ぎるんです。特に独立傭兵を何だと思ってるんですか?」

 

「金さえ積めば何でもしてくれる卑しい輩……なんて先入観が根底にはあるのかもね。傭兵こそがギルド間戦争の激化させる元凶だって叫ぶ人たちもいるし」

 

「だったら依頼主にも矛先を向けるべきです。大ギルドを批判する度胸もないくせに傭兵個人を攻撃するなんて卑怯者のすることです」

 

「傭兵にとって卑怯は褒め言葉だけどね」

 

 そういう意味の『卑怯』ではない。分かって言ってるルシアに溜め息を吐きながら、ヘカテは機械的に依頼書へと不可のスタンプを押し、依頼主をブラックリストに追加していく。依頼方法は複数あるが、書面での申請は手続きはメジャーな方法の1つだ。ただし、サインズの審査に通るまで時間がかかり、またその後はサインズ職員との面談、傭兵やマネージャーとの報酬や依頼内容の擦り合わせ、そしてサインズを通して正式に受理されることになる。

 対して大ギルドは仲介人を常駐させ、手続きを大幅に緩和して傭兵に依頼を出せる。特に専属傭兵は顕著だ。故に緊急性の高い救援・救助依頼は、中小ギルドであっても大ギルドを頼って代理で出してもらうことは珍しくない。

 

「でも、復帰1発目の仕事がモンスターズアリーナでのゲスト主演代行なんて、【渡り鳥】さんにしては穏当じゃない?」

 

 ルシアの指摘通り、あのような仕事はクゥリにとって稀だ。そもそもとして、あの仕事を依頼したのはサインズであり、クゥリのマネージャーであるグリセルダに頼まれてヘカテが回したものである。

 だが、大きな誤解がある。ヘカテは力任せに不可スタンプを押す手を止める。

 

 

 

 

「『2つ目』ですよ。あの日、クゥリさんは先にもう1つ仕事を済ませていますから」

 

 

 

 

 依頼内容は秘匿されている。即ち、いずれかの大ギルドが『クゥリの復活を認知して先んじて依頼を出していた』という事だ。いずれの大ギルドもモンスターズアリーナの生出現でクゥリの復活を察知したように振る舞っているが、3大ギルドの内の少なくとも1つは把握していたのだ。

 

「……復帰早々に1日で2つも仕事をこなすなんて、【渡り鳥】さんは変わらないね」

 

 どう反応すべきか困った様子のルシアに、全くの同意見だとヘカテは頷く。不可スタンプを押した依頼は、受付番号が割り振られた棚に収められる。メール通知を拒否した依頼主は、ここで依頼申請の可否を確認するのだ。逆に言えば、メール通知を拒絶するような依頼主には後ろ暗い面があるとも言えるだろう。

 

「ねぇねぇ! ところで、RDさんとは長続きしてるみたいだけど、イイカンジなの?」

 

「きゅ、急に話題転換は止めてください! 仕事中ですよ!?」

 

「いいじゃない。今日はもう一段落したみたいだし」

 

「レギオン退治で傭兵が出払ってるだけじゃないですか!」

 

 貧民街でレギオンの犠牲者と思われる遺体が発見され、傭兵にはレギオン退治の緊急依頼が入ったのだ。終わりつつある街にいる傭兵たちは動き始めている。先程まで衆目に晒されながら殴り合っていた竜虎コンビも出動済みだ。

 サインズの手続きを例外的に省くことできる緊急依頼の1つがレギオンだ。レギオンは放置すればその分だけ脅威を増す。

 

「それで? どうだったの? この前のデートは上手くいった?」

 

「…………」

 

「いいじゃない。教えてよ。アタシが席を譲ったからデートできたんでしょ? それに、勝負下着も一緒に選んであげ――」

 

「ルシア!」

 

 男性職員も少なからずいるのだ。声のトーンを下げているとはいえ、場所を弁えて欲しいと顔を真っ赤にしてヘカテは彼女の口を塞ぐ。

 

「ゴメンゴメン。それで?」

 

「ご想像にお任せします」

 

「それ、白状してるようなものじゃない。かー、色ボケしちゃってさ!」

 

 黙秘を宣言するヘカテに、彼女と同じく不可スタンプ押しが終わったと思われる3大受付嬢の1人であるラビズリンが毒を吐く。

 

「私達はサインズ受付嬢! サインズの理念の下で誰にも肩入れしてはいけないはず! それなのにアンタらは傭兵と付き合うってどういう神経してんのよ!?」

 

「だって、スミスさんカッコイイし」

 

「わ、私も男性のアプローチを無下にできる程に女を止めたわけではありません」

 

 3大受付嬢。傭兵のみならず、男性プレイヤーにとって高嶺の花である彼女たちであるが、その実は日々を仕事で忙殺されており、出会いと呼べるものは傭兵くらいしかいない。仕事後や休日に、孤児院を経営するルシアや音楽活動をするラビズリンなど、ヘカテからすれば体力オバケである。

 だが、こうして仕事以外のプライベートも持つと新たな視点も増えた。RDは我が強い傭兵にしては気弱な人物であるが、やるべき時はやる男である。それは彼が守ってくれた獣狩りの夜で重々承知している。その上でアプローチをかけられたとなれば、仕事人間だった彼女もデートに応じるくらいの気持ちはあった。

 また、ルシアもそうであるが、ヘカテも相手が独立傭兵であることも大事だと思っている。専属傭兵ともなれば、いずれかの大ギルドに加担しているという批判は免れないが、独立傭兵ならば幾らかの言い訳も立つからだ。

 とはいえ、上層部はあまりいい顔をしているのも確かである。だからこそ、オンとオフの切り分けが大事なのだ。多くの傭兵の情報を有する受付嬢として、特定の傭兵だけに肩入れして情報漏洩するようなことになれば、それは死罪すらも生温い制裁の対象となる。

 

「かー! かー! かー! ペッペッ! どいつもこいつもメスの顔しやがって! 私だって……私だって恋人くらい……!」

 

「ラビズリンにはバンド仲間がいるじゃない。イイカンジになれそうな人はいないの?」

 

「全員恋人持ちよ! アーティストを舐めんじゃねぇ!」

 

 ルシアの慰めを一蹴したラビズリンは、自分の受付カウンターで涙を両目に溜めて叫ぶ。

 音楽活動で最も異性との出会いが多いはずのラビズリン。VRアイドルとして活躍した経歴もある彼女は……モテない。何故ならば、VRアイドル時代の時点で俗に言う『イロモノ系』だったからだ。

 その美声とパフォーマンスは素晴らしい。歌って踊れて戦える大和撫子風味美少女アイドルマユと双璧を成す人気も頷ける。だが、どちらかと言えば、その愛され方は芸人に近しいものだ。生来のツッコミ気質が原因であり、暴走ボケを繰り返すマユに振り回されたのが元凶である。

 

「大丈夫ですよ! 恋愛だけが女の価値ではありません!」

 

「仕事で恋愛を見つけた奴の発言に説得力があると思ってるの?」

 

「うぐ……!?」

 

 仕事人間だったヘカテにも裏切られたラビズリンのショックは想像以上に大きいようだった。

 

「もうアレだわ。最終手段しかないわ。使いたくなかったけど、私でも1分で恋人ゲットできる禁じ手を……!」

 

「ま、まさかカイザーファラオさん!? 止めて! 彼はスミスさんの足下にも及ばない三枚目よ!?」

 

「そうですよ! 血迷ったんですか!? カイザーさんが何度泥酔して裸踊りしたと思ってるんですか!?」

 

 太陽の狩猟団専属のカイザーファラオは、ラビズリンが担当しており、彼の何かと失礼な発言は彼女の怒りを買っている。ヘカテとルシアが全力で止めようとする中で、ラビズリンは依頼申請の用紙を手に取り、スラスラと内容を書き込む。

 

「ヘカテ、受理して♪」

 

 ラビズリンに笑顔で差し出された依頼内容を見て、ヘカテは凍り付く。

 

 

 

『私の恋人になってください』

 

 

 

 もちろん、依頼先はクゥリである。ヘカテは一瞬と待たずに真顔で不可スタンプを押す。

 

「ちょっとぉ!? 何すんのよ!? 受付嬢が依頼したら駄目なんてルールはないわよ!」

 

「さっきの自分の発言を少しは振り返ったらどうですか!? 傭兵と付き合うのを責めたくせに、傭兵と……それもクゥリさんに依頼を出して恋人になってもらおうなんて、恥知らずにも程があります!」

 

「傭兵紹介欄に大文字で恋人募集中って記載している奴だから大喜びで受けるでしょ!?」

 

「駄目ったら駄目です! クゥリさんは真面目だから、こんな依頼が出たら本気で恋人として振る舞おうと頑張っちゃいますから駄目です!」

 

 喚くラビズリンを無視し、不可スタンプを追加で10回押してから彼女の顔面に突き返したヘカテは、サインズ本部の玄関を潜って来た人影を見て、慌てて背筋を伸ばす。途端にルシアもラビズリンも、先程までの大騒ぎが嘘だったように口を真一文字にしてそれぞれの受付カウンターに着席する。

 最低限のプロ意識はあるつもりだ。傭兵と依頼主の前ではサインズの看板を背負った振る舞いをしなければならない。ヘカテは自分の元へとやって来る、見覚えのない姿をした人物に笑い掛ける。

 

「ようこそ、サインズへ。ご希望は傭兵の雇用ですか?」

 

「雇用っつーか、人探し……もといモノ探しだな!」

 

 サインズ受付嬢として多くの傭兵と毎日接するともなれば、立ち振る舞いで大よその実力は見えてくる。ヘカテは眼前の甲冑騎士から底知れない強さを感じ取り、こんなプレイヤーがいただろうかと脳内リストを捲る。

 鈍い銀色の甲冑は全身に密着するようなスマートなものであり、兜は狼を模したようなフルフェイス型だ。身長は170センチ前後であり、肩幅などから男と予想されるが、兜で反響した声はやや高めで女性とも思える。

 例の如くHPバーにプレイヤーネームの表示はない。それ自体は怪しむべきではないが、騎士が背負う肉厚の両手剣からは大きな威圧感を感じる。壮麗な装飾こそ施されていないが、彫り込まれた紋様は神秘があった。

 

「失礼ですが、お顔を拝見しても?」

 

 ヘカテが要求すれば、騎士は特に躊躇いもなく兜を外す。現れたのは、クゥリとは違う意味で中性的な印象を与える男だ。童顔であり、愛らしく伸びた八重歯が特徴的である。クゥリが男性とも女性とも呼べぬ完成された中性美であるならば、こちらは女性的な可愛らしさを有した男性といった顔立ちだ。兜の邪魔にならないようにか、うなじで短くも結われた金髪もあり、1つ間違えればボーイッシュガールと勘違いされるだろう。

 

「おいおい、見惚れんなよ☆ まぁ、始祖アルトリウスに匹敵する美貌を持つ、この俺に惚れちまわない女はいないがな! モテ過ぎる男はツラいぜ」

 

 ヘカテが自分に惚れたと勘違いしてウインクというサービスをする騎士であるが、彼女が感じたのは、天性の女性的可愛らしさが余計に際立って、異性よりも同性を惹き付けるのではないかという心配だった。付け加えるならば、傭兵に多々いる『実力はあるけど、その他の面で致命的に駄目な人』だろうとも即座に理解した。

 

「それで、御用件は何でしょうか? よろしければ、こちらにお名前をどうぞ」

 

「ああ、別に依頼しに来たわけじゃねぇんだよ。『あの女』に『出してもらった』ついでにブラブラと街を探索してたら、話に聞いた傭兵の溜まり場を見つけて立ち寄っただけだ。しかし、こっちはスゲェな。メシは濃くて美味いし、女の子はオシャレだし、こりゃ退屈しなくて済みそうだ。えーと、お嬢さん方みたいなのを『プレイヤー』って言うんだっけ?」

 

「あ……あの?」

 

「おっと悪い。まだまだ知らないことだらけでさ。変なこと口走っても聞き流してくれ。ニャハハハハ!」

 

 素なのか、余りにも可愛らしい笑い声をあげた騎士は、物珍しそうにサインズ本部を見回す。幾ら傭兵は出払っているとはいえ、職員や関係者はいるのだ。まるで観光気分でサインズを見て回る騎士に微妙な視線を向けている。

 

「申し訳ありません。御用が無ければ――」

 

「イイじゃん。減るもんじゃねぇしさ。おっ、これ美味そう! なぁ、ここの食堂って俺も使ってもイイの!?」

 

「駄目です。関係者以外は使用禁止です」

 

「ケチ。まっ、食わせてくれないなら駄々をこねたりしねぇよ。俺は始祖アルトリウスと同じくクールでアツい男だからな!」

 

 親指を立てて、またも可愛らしくウインクをした騎士に、ヘカテは自然と緩んだ苦笑を浮かべる。自分勝手であるはずなのに、自然と受け入れてしまってしまうのだ。

 自然と人を引き寄せる。そんな才能を持った人間がいる。俗に言うカリスマ性というものだ。

 

「珈琲くらいならお出ししますよ?」

 

「マジ!? さすがは美人さんだ! 気が利くぅううう!」

 

 子どものように目をキラキラさせて席で珈琲を待つ騎士に、ヘカテはサインズブレンド珈琲を持ってくる。11月の雨で冷え込んだ空気を温めるホットだ。

 

「……美味過ぎ。俺の時代とは全然違う。そりゃそうだよな」

 

 美味しそうに珈琲を飲む騎士は、最初は貴重そうにちびちびと、だが最後は待ち切れないとばかりに一気に飲む。

 

「ありがとな。お礼に、お嬢さんには俺のことを『モルさん』と呼ぶことを許可しよう」

 

「はぁ……?」

 

「ニャハハハハ! そう畏まらなくてもいいぞ! いや、それも無理な相談か。始祖アルトリウスの最強無敵オーラを継いだこの俺に、畏敬の念を覚えるのは当然だもんな。フッ、強過ぎる男ってのも難儀なものだぜ」

 

 満足したと騎士は席を立ち、兜を被るとまだ豪雨が降る屋外へと向かう。

 

「邪魔したな。また来る」

 

「本当に依頼はよろしいのですか? 人探しをご希望されていたのでは?」

 

「……そうだな。じゃあ、1つ頼んでもいいか?」

 

 今は兜で隠れた素顔。だが、それを凶暴に歪めていると分かる程に威圧感が溢れた。

 

 

 

「『聖剣』の持ち主……探してんだよね。どんな奴か教えてくれない?」 




意思ある者よ、意志を胸に戦え。
幸せを知らぬ者よ、遺志と共に『答え』を探せ。

そこに善悪などなく、正しきも間違いもないのだから。




プロット改変しまくって、1人……あと1人くらいなら追加できる余地がありました。
SAO勢から誰を出すか? ゲームのあのキャラ? それともGGOから?

……映画からしかないでしょう!? 誰かがエイジくんにリトライを! リスタートを! 与えなければならない!
そんな使命感からエイジくんをDBO(地獄)に招待しました。反省も後悔もしない。
エイジくんについて知りたい人はSAO映画を今すぐチェック!(ダイレクトマーケティング)

そして、主人公(黒)の試練の為に、強いけど致命的にアカン勢の深淵狩りよりあの人が来てくれました。

それでは、316話でまた会いましょう!

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