SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

黒霧の塔は謎を残し、戦士たちは帰還を果たした。


※筆者からのお知らせ
祝! SEKIRO発売!
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1ヶ月間はネタバレ禁止。筆者との約束です!



Episode20-07 心の軌跡

 現実世界の記憶はあるのに、帰るべき故郷はなく、DBOで未来を描くしかない。

 選択肢を持てるのは幸福な事である。だが、選ぶ自由が無い事を不幸と定めるのは心の在り方次第である。

 聖剣騎士団はアノールロンド攻略で最精精鋭部隊を失った。タルカス、リロイ、ヴォイドというトッププレイヤー3人の死もまた大きな影響を与えた。

 これまでは数も質も3大ギルドでもトップの戦力を誇っていた聖剣騎士団は、その方針を変えるしかなかった。

 高水準の実力者を揃えるのではなく、装備で質を補い、物量で押し潰す。それが聖剣騎士団の新たなスタンダードとして確立が目指されたのは、クラウドアースのエリートプレイヤーの本格的な活躍に裏打ちされた精鋭主義、太陽の狩猟団のバランスが取れた質と量、それらに対抗する為の必然的な帰結だった。

 今も聖剣騎士団の人気は高い。アノールロンド攻略から始まった『帰還』と『永住』の摩擦を生み出した原因でありながら、マジョリティである肉体を持たないプレイヤーを優先する永住表明を掲げたからだ。

 白とも黒ともつかぬ灰色の立場を取る、まだ内部意見を纏め切れていない他2つの大ギルドと違い、貴重な戦力の流出も覚悟した『永住』の表明をした聖剣騎士団を、むしろ好意的に捉えたプレイヤーは多かった。

 肉体を持つプレイヤーであるとしても、スムーズに社会復帰できる保証も無ければ、家族などの人間関係がDBO開始以前と据え置きされているはずもない。暗雲が立ち込める、もはや秩序という名の既存の社会によって固められた現実世界よりも、立身出世を目指せるDBOの方がフロンティア精神を刺激されるものである。ならば、家族や友人との別れはつらくとも、DBOを選ぶという者は少なからずいた。

 いや、むしろ生死が常に関わるDBOで築かれた人間関係の方が、現実世界よりも濃く大切であると考えるプレイヤーも多かった。

 聖剣騎士団は『永住』を望む、現実肉体を持たないプレイヤーの支持を多く集めた。だが、彼らの多くは流民プレイヤー……DBO初期から存在しなかった、後々の緩やかな……そして今は加速度的に増加する『新規』である。古参の現実肉体を持つプレイヤーと比較しても、実戦経験という点で決定的に劣るのは否めなかった。

 レベルや装備、スキルは補えても、経験だけは数と濃度が物を言うのだ。初期から激戦を生き抜いたプレイヤーは、多くの不足した装備・情報の中でDBOの強敵を倒してきた者たちである。聖剣騎士団はそうした古参プレイヤーを呼び込み、戦力を補充することが難航していた。

 だからこその新装備にして新規格。それがGAである。アノールロンドのボス戦で【竜狩り】オーンスタインを単独撃破したスミスの装備を再現・模倣し、不完全ながらも機動力を獲得することが出来た全身防具の開発に成功した。

 そして、GAの成功は瞬く間に他の大ギルドや実力ある鍛冶屋にも伝播し、GAを解析し、新たな規格を作るに至った。

 DBOは新たな時代を迎えた。それはプレイヤーが仮想世界の……否、肉付けされて本物以上の質感を得た『新たな現実』で生きる為の戦いである。

 誰もが直感する。3大ギルド間で起きる完全攻略を巡る戦いとは、もはや主義・思想・方針の違いなどではなく、DBO完全攻略後の未来の支配体制を巡る戦いなのであると。既存の社会インフラを持たず、制定された法も無い。そんなDBOにいかなる秩序をもたらすのか、それを決定する戦いなのだ。

 愚かしい。馬鹿々々しい。阿呆だ。そう口にする者がいた。だが、ふと振り返れば現実世界の歴史も似たようなものだと気づく。資源・宗教・思想・経済などの他分野の譲れぬ主張と支配権をめぐる戦いなのだ。それに付随するのは人間の感情であり、憤怒、悲愴、憎悪などが闘争の火に油を注ぎ、多くの悲劇を生むのだ。

 だが、誰かが言う。戦いこそが人間の可能性なのだと。人類は同じ種の内側で切磋琢磨することによって、技術も、思想も、社会体制も成長させる生物なのだ。闘争こそが一致団結を生むのだ。結束無しで困難に立ち向かえる程に人間という種は個体として突出した能力を持っていないのだ。

 新時代の幕開け。新たな歴史を刻むのであるならば、そこには確固たる団結の意思が求められる。象徴となる支配者が必要となる。3大ギルドはその資格を持ち、教会は信仰と道徳の担い手として権威を与える。そうして、『永住』の選択の先に人類は未来を得られるのだ。

 だが、まだ早過ぎる。まだ睨み合いの中で、腹の探り合いの内で、剣を研がねばならない。故に必要なのだ。貧者の揺り籠という腐った幻想を根っこから排除し、悪しき遺物として葬り去らねばならないのだ。

 

「悪いね、キバオウさん。聖剣騎士団としては、非公式でもこれ以上の援助は出来ない。だけど、クラウドアースが作戦を決行した時には、こちらもアームズフォート部隊を展開して牽制をかけよう。『勝負』の結果はどうであれ、1000人以上の貧民を見殺しにはできない。迅速な保護も約束するよ」

 

「恩に着る! さすがはディアベルはんや!」

 

 聖剣騎士団とラストサンクチュアリの非公式会談。聖剣騎士団のトップであるディアベルは、土下座する勢いで頭を下げるラストサンクチュアリの代表であるキバオウに、にこやかに援助と保護の約束を交わす。その様子を【ソフィア】は冷めた目で見つめていた。

 ソフィアは現実肉体を持たないプレイヤーであり、今は傭兵となったアレスの下で研鑽を積んだ女剣士である。そして、アレスの推薦もあり、ディアベル直轄の親衛隊のメンバーである。

 戦略指揮も戦術指揮も適性無しと判断されたソフィアであるが、悲観はしてない。自分に求められるのは、聖剣騎士団の……いや、ディアベルの敵を倒す鋭利な剣であり、ディアベルを脅威から守る堅牢な盾であると理解しているからだ。

 そんな彼女から見ても腐敗の限りを尽くしたラストサンクチュアリは、ディアベルの理想に不要な悪性腫瘍そのものであり、代表であるキバオウにも良い印象は持っていなかった。

 ラストサンクチュアリは、SAOリターナーであるキバオウが結成したギルドであり、その由来を辿れば、VRの戦い方に慣れていないプレイヤーに技術や知識を与える活動である。それがやがて多くの貧民プレイヤーの保護に乗り出し、キャパシティの限界を超え、成長性を完全に失い、上層部の腐敗を招いた。

 多くの商店にも保護という名目で警備活動を行って資金調達も行っていたが、それもやがて大ギルドの秩序と自治努力によって不要となっていった。そして、獣狩りの夜における無能っぷりを晒した事が拍車をかけ、致命的な堕落をもたらした。

 上層部の腐敗は極まり、喧嘩を売った相手であるクラウドアースとは和解の道筋も見えず、挙句に私腹を肥やそうとした上層部メンバーの悪行も明らかになったのだ。クラウドアース主導であり、信憑性に欠けた情報も混じっているとはいえ、それらの報道は既にDBO中で行われ、ラストサンクチュアリを排除すべきという機運は十分である。

 だが、あくまで腐敗しているのは上層部だけであり、貧民プレイヤーからすれば腐った寝床でもラストサンクチュアリの崩壊は困りものだ。ならば、ここは穏和に事を進めるべきではないかと考えるプレイヤーも多い。

 クラウドアースとしては、これまで唾を吐きつけてきたラストサンクチュアリを潰し、また3大ギルドでも存在感をアピールし、来たる戦争に備えたい。他の大ギルドとしても、数といっても今では『1000人程度』が路頭に迷ったところで特に変わらない。むしろ、保護の名目で半ば強請りをかけるラストサンクチュアリよりも、今後を考えれば、教会に『お布施』という形で支払った方が遥かに価値がある。

 

(キバオウ。SAOリターナーにしてラストサンクチュアリの設立者。大物であるとは期待していませんでしたが、このような方がトップでは腐敗するのも当然ですね)

 

 カリスマ性も、指揮能力も、先見性も無い。プレイヤー個人の実力も抜きん出たものはないだろう。貧者の守護を謳い、数を集めて交渉を望み、攻略される日まで少しでも戦えないプレイヤーの生活レベルを上げるという狙い自体は悪くなかったが、他上層部の暴走を抑えきれずにキャパシティを超えた挙句に、レギオンや人口増加などの異変にも対処しきれなかった凡庸さは否めない。

 

(ディアベル様は『まだ』利用価値があると思ってるのかもしれないけど、私には分からない。さっさと切り捨てるべきなのに)

 

 ラストサンクチュアリを非公式とはいえ、長年に亘って支援してきた実績がある以上、クラウドアースの作戦前にして冷淡に手を切るなど印象が悪い。それはソフィアも重々承知している。清濁併せ呑まねば、魑魅魍魎渦巻く政略の海で沈没するのは目に見えている。だが、それらの理屈を抜きにしても、ラストサンクチュアリとこれ以上関わるのは、聖剣騎士団の名を汚すような気がして腹立たしかった。

 もう1つ看過できないのは、キバオウの護衛として非公式会談に参加しているランク9のUNKNOWNだ。

 聖剣騎士団の実質的な専属と言われる程に、仕事や利便を図ってもらっている立場であり、貧者の守護者にして【聖剣の英雄】として名を馳せる男だ。ラストサンクチュアリの腐敗は重々承知しても、自分が抜ければ多くの貧民プレイヤーが居場所を失うならば、名誉よりも実益を取る気高さもソフィアは尊敬している。

 だからこそ、許し難いのはラストサンクチュアリ壊滅後の移籍先を表明していない点だ。

 クラウドアースはランク1のユージーンをぶつけてランク9のUNKNOWNを倒すことを是といている。最強の傭兵を擁し、なおかつラストサンクチュアリの守護者を倒してこその『エンターテイメント』なのだ。

 ラストサンクチュアリを単に壊滅させるだけならば、四方八方からの飽和攻撃で済む。だが、それをしないのはイメージダウンを避ける為だけではなく、クラウドアースこそが3大ギルドの闘争を制する存在であると全プレイヤーにアピールするためだ。おあつらえ向きに聖剣まで所持してくれたお陰で、UNKNOWNを倒すメリットは増したのである。

 だが、クラウドアースはあくまでUNKNOWNの排除が目的であり、殺害は『不運な事故』でもない限りは起きないだろう。UNKNOWNの人気の高さを考慮すれば、生放送を予定するラストサンクチュアリ壊滅作戦で、彼の死が放映されるのはよろしくないからだ。

 一方で現実世界のモラルから解き放たれたDBOでは、かつてローマよろしく、より過激なエンターテイメントを欲している。現実世界ならば映像媒体、昨今ならばVRゲームで満たされた『安全を確保して楽しむ闘争』にもまた飢えているのだ。クラウドアースの狙い通り、『最強の傭兵候補による最高の舞台における生死をかけた決闘』を、既に全プレイヤーが待ち侘びている。

 勝つのはどちらか? ソフィアは五分五分であると見ているが、どちらであるとしても生存したならばUNKNOWNは専属先を失うだろう。そして、独立傭兵でも目指さない限りは、新たな専属先を探さねばならない。

 ならばこそ、こうした非公式会談の場で、UNKNOWNは聖剣騎士団への移籍を約束しておくべきなのだ。恩義のある聖剣騎士団を裏切り、仇敵である太陽の狩猟団に移籍するなどあり得ないと信じたいが、ここ最近はランク3のシノンとの協働が目立つ。クラウドアースも水面下で工作を行っていることだろう。

 無論、安易に聖剣騎士団への移籍を約束できない理由もある。風花隊の事件の裏には聖剣騎士団が関与しているという噂から始まり、UNKNOWNの聖剣騎士団移籍を阻む情報が錯綜しているのだ。他2つの大ギルドの工作にしては『広まり方がこれまでと異なる』というのが聖剣騎士団の情報部の見解だ。

 

(確かに信用しきれない要因も増えたと言えるでしょう! それでも、聖剣騎士団に属することこそ貴方の役目! DBOの未来を憂うならば、何を迷う必要があるのですか!?)

 

「親衛隊の切り札殿、俺の顔に何かついてるかな?」

 

 と、そこでソフィアは己の失敗に気づく。感情が睨む形で露になっていたのだ。キバオウも怪訝な表情をしており、ソフィアは素直に感情を御しきれなかった自身の能力不足を恥じる。

 

「ははは。面白いジョークだね。キミの顔は仮面で隠されてるじゃないか」

 

 ソフィアが謝罪を述べる前に、ディアベルは肩を竦めて指摘する。途端に空気が緩む。

 守る立場のはずが、逆にディアベルにフォローされた。ソフィアにウィンクして責めないディアベルは足を組み直す。

 

「ソフィアも優秀な戦士だからね。UNKNOWNさんとは是非とも手合わせしたいのさ。どうだい? 最強の傭兵決定戦の前に模擬戦というのは?」

 

「俺は構わない。むしろ、親衛隊と手合わせできるなんて金を払いたいくらいさ」

 

 噂通りのバトルマニアか。余計な傷を負って警護に支障をきたしたくないソフィアであったが、他でもない自分の失態をフォローしてくれたディアベルの発案であるならば、断る理由などもちろんない。

 非公式会談の場所となった、終わりつつある街にある聖剣騎士団支部の館に設けられた訓練用の広大な広間は、特に屋内戦を想定したトレーニングに適している。円柱が並んで隠れる場所も多く、発想次第で幾らでも戦い方は広がるだろう。

 21歳のソフィアは170センチもある女性にしては身長の高い部類であり、UNKNOWNとは背丈も差ほど変わらない。だが、男女の対格差は明確だ。とはいえ、DBOでは体格や見た目の筋肉よりもステータス上のSTRが重要であるので、見た目で相手のパワーを予想するのは難しい。

 やや童顔であり、年齢よりも若干低めに見られる傾向があるソフィアは、肩まで伸びたセミロングの黒髪をゴムで縛って小さなポニーテールにする。元々は地毛と同じ茶色を採用していたのであるが、ディアベルのスキャンダル……コスプレキャバクラで黒髪少女に膝枕要求事件から彼女の髪色は黒に変更されている。なお、豊かとはいえずともそれなりにある胸部装甲の為か、あるいはリーダーと親衛隊という立場のせいか、休憩時も膝枕を要求されないのは、ソフィアの最近の苛立ちの理由の1つでもあった。

 

「へぇ、スピードタイプって聞いてたけど、GAを使うのか?」

 

 興味深そうに装備を身軽な屋内警護から実戦用に切り替えていくソフィアを見守るUNKNOWNは、代名詞とも呼ぶべき≪二刀流≫を体現するべく左右に片手剣を装備している。右手には彼の象徴となった月蝕の聖剣、そして左手にはハンドガードが付いた重量型片手剣【ブレイクダウン】だ。太陽の狩猟団製であり、先端にレベル2の麻痺蓄積能力があり、≪暗器≫でなくともエンチャント無しの刺突攻撃で麻痺を蓄積できるのが特徴だ。

 全体的に軽装であるが、UNKNOWNの防具の真価は外見では分からない。靡く漆黒のロングコート、四肢を守る鈍い金色の籠手と脚甲、顔全体を覆うスライドギミック付きの仮面、胸部を保護する銀色の胸当て、いずれも特注のオーダーメイドである。傭兵でも防具全てをオーダーメイドで仕立てられるのは、十分なバックアップを受けられる上位の専属傭兵か、荒稼ぎしている上位の独立傭兵くらいである。

 

「その剣は本命ですか?」

 

「さぁ、どうだろうな?」

 

 ブレイクダウンは高値であり、希少素材も使っている少数量産品である。だが、防具も含めてフルオーダーメイドのUNKNOWNが、≪二刀流≫の生命線である剣を蔑ろにしているとも思えなかった。

 手を抜くというならば後悔させてやる。ソフィアは全身装着型機動防具、GAを纏って剣と盾を構える。

 

「ヘビィメタルじゃないな」

 

「ご明察。貴方のお陰で獲得できた塔の騎士のソウル。それを利用した新たなGAの開発、その試作1号を私専用にチューニングを施してもらったものです」

 

 塔の騎士のソウルは既に種火へと加工され、ヘビィメタルの次世代モデルの開発へと利用されている。ソフィアが装備しているのは、早速出来上がった試作1号を彼女のバトルスタイルに合わせて改造されたものだ。

 無論、あくまで未完成であり、これも実戦テストを兼ねている。雑魚相手では十分な性能を発揮できたが、UNKNOWNのようなトッププレイヤー相手の対人テストはまだだった。

 ヘビィメタルはまさしく鈍重で堅牢な外観であったが、試作1号はその逆だ。流線形のフォルムは機動力の高さを想像させ、また装甲もヘビィメタルよりも薄くて軽量だ。頭部も同様の流線形のフルフェイス型である。

 従来のフルフェイス型は、覗き穴による視界の制限と飲料系アイテムの使用の難しさが課題だった。これらは技術的に少しずつクリアされ、ヘビィメタルではカメラアイの採用によってほぼ克服したが、試作1号はサブカメラを側面にも取り付けることによって、肉眼以上の視野を獲得できるのが強みだ。その分だけ視覚情報量が増え、プレイヤーの負担は増大するが、ソフィアならば問題ない。

 

(欠点はやはり肉眼よりも有効視界距離が短い点ですね。だけど、近接戦闘だけならばこちらの方が有利!)

 

 肉眼以上の視野の広さには最初こそ戸惑いを覚えたが、今では訓練のお陰で不慣れも無い。

 

「デュエルはハーフでいこう。ダメージカットもあり。5割減衰なら死にはしないさ。それと決着後は120秒のバトルアウトも設定しておくよ」

 

「お気遣いどうも。ですが、デュエル後に不意打ちを狙うような恥知らずな真似は致しません」

 

「でも、連撃系ソードスキルは止まらないからな。安全第一だよ」

 

 それは私が≪二刀流≫のソードスキルに捕まるという宣言ですか? ストレスを加算させたソフィアは、逆に≪二刀流≫のお株を奪うように連撃系を叩き込んでやると意気込む一方で、対人戦は対モンスター以上にソードスキルの扱いには細心の注意を払わねばならないと気を引き締める。

 デュエルは施設次第で多くの設定を付与できるが、今回の内容はスタンダードである。故に『万が一』もあり、死の緊張感を捨てきれない面もあった。連撃系はバトルアウトでダメージが発生しないにしても、単発系や突進系は当たり所次第では即死級のダメージも出るのが対人戦である。

 対人と対モンスターの違いとは何か? 対人戦の勝手は人型ネームドを相手取る時とも異なる。その理由は幾つかあるが、メタ視点の有無、プレイヤー専用のシステムの差、そして何よりもペース配分にこそあるだろう。

 対モンスターではスタミナや魔力の管理がより厳しく求められる。特にネームド戦で最初からフルスロットルでは、どれだけCONを高めてもガス欠はすぐに訪れる。だが、対人戦は対ネームドと比べても短期勝負であるが故に、スタミナも魔力も存分に投入できるのだ。

 デュエル開始。ソフィアは右手の重量型片手剣【ガーディアン・ブレード改】と左手の複合型シールド【試作バトルシールド】を構える。

 ガーディアン・ブレードは親衛隊標準装備であり、最高純度のイジェン鋼を使用している。更にソフィアは剣先付近の希少素材【白竜の冷結晶】で改造を施してあり、剣先限定であるが高い魔法属性攻撃力を有しており、特殊攻撃として魔法弾を放つことも出来る。完全なワンオフのオーダーメイドではないが、専用改造を大々的に施したものだ。

 UNKNOWNは高いSTRに相応しく重量型片手剣を扱う。だが、盾を装備しないことでDEXの下方修正効果もなく、また防具も軽量の部類もあってか、高いスピードを誇る。DEXにも相応のポイントを割り振っているのは明確だろう。

 近接ファイターは、VITとCONの割り振りが必須だ。UNKNOWNがレベル100を超え、多くの成長ポイントを集めているとしてもこの2つを蔑ろには出来ない。DEXも高めで維持する為ならば、切り捨てたステータスは間違いなくTECだろう。

 TECは技量系武器のステータスボーナスに関与するが、攻撃力の上がり幅はSTRに比べて抑えられている。単純に火力と耐久度の両立を求めるならば、STRボーナスに傾倒した重量型武器を選ぶのが最適解だ。だが、それがDBOにおけるバトルの正解ではないのは言うまでもない。

 TECは多くの補正をかける。高めればスタミナ消費量が抑えられて持久力が付く。環境ステータスから受ける影響が減って泥、砂、氷上などでも制動が利くようになる。有効視界距離も伸び、フォーカスロックにも少しばかりの補正がかかる。クリティカルダメージも伸びやすく、またスピードを乗せた攻撃には等しくTEC補正もかかるので、高速戦闘程にTECは輝く。

 直接的な恩恵は目立たずとも、STRに負けず劣らずに役立つ。それがTECなのだ。

 冷静にUNKNOWNのステータス構成を分析するソフィアであるが、他でもない彼女もまたTECを投げ捨てた側である。TECなど要らない。STRこそ正義なのだ。

 クリティカル補正? 高DEXの恩恵をより攻撃に引き出す? 環境ステータスの影響を受けない? そんな甘えは要らない。純然たる高火力を己の技量で操る。それだけで十分過ぎる程にダメージは出るのだ。

 UNKNOWNの華麗なる二刀流の連撃。まるで踊るようでありながら、脈動を感じる生きた剣技だ。単純にユニークスキルや聖剣のお陰ではなく、彼自身の剣士としての力量の高さをソフィアは体感する。

 まるで剣士系の人型ネームドと戦っているかのような威圧感だ。本当に人間なのかと疑いたくなるほどの反応速度であり、ソフィアは盾がなければ今頃既にデュエル敗北のシステムメッセージが表示されていただろうと驚嘆する。

 

(通常攻撃がまるでソードスキル並みのスピード!? システムアシスト無しなのに! これでソードスキルを使われたら見切れる保証が無い!)

 

 対人の近接戦闘では、ソードスキルの読み合いも重要だ。発動モーションがあるとはいえ、熟達したプレイヤーならば、発動モーションを見切れぬ速度で、相手にも意識されない自然な動作で行う事が可能だ。否、それが出来てこそ真の意味でソードスキルを使いこなした近接ファイターなのだ。

 ソードスキルの弱点はスタミナ消費、固定モーション、使用後の硬直時間だ。

 短期勝負ではスタミナ消費に関してそこまでデメリットはない。そもそもソードスキルで大半のスタミナを使うのは乱発のし過ぎである。

 固定モーションは、動きが定まっているが故に、モーションを知るプレイヤー相手ではカウンターの餌食になりかねない点だ。特に連撃系や突進系はこのリスクが大きい。

 そして、硬直時間はその名の通りに我が身を無防備にさらす事になる。カスタム次第で短縮できるとはいえ、モーションを把握したプレイヤーが相手ならば、硬直と同時に攻撃を入れるのは容易い事だ。

 

「ガードが堅牢だな! さすがは団長殿のボディガード!」

 

「警護はあくまで任務の1つです!」

 

 だが、UNKNOWNは試すとばかりに≪片手剣≫の連撃系ソードスキルの【シャープネイル】を放つ。前方に爪が振るわれたかの如く3連撃を叩き込むソードスキルであるが、その発動時間は呼吸1回分も無い。モーションをなぞってソードスキルを加速させたのだが、それが人外過ぎる域に達しているのだ。ソフィアがシャープネイルだと気づけたのは、ガードで防いだあとのライトエフェクトの軌跡で判断できたに過ぎなかった。

 しかも硬直時間が余りにも短い。ソードスキルの硬直時間を短縮するようにカスタムしているのだろうが、それだけではない。

 

(これが噂に聞くシステム外スキル【パージアウト】!?)

 

 UNKNOWNがDBOで編み出したとされるシステム外スキルだ。硬直直前にスキルコネクトの要領で別のソードスキルの発動モーションへと繋げ、それを更に強引にキャンセルすることで硬直時間を劇的に短くするというものだ。今のところ成功者はUNKNOWN1人だけである。そもそもスキルコネクト自体が超高難度であり、それを実戦投入レベルで安定して可能なのは更に一握りであり、そのスキルコネクトからモーションキャンセルで強引に硬直時間を消化するなど、ソードスキルに対する愛着と研究が狂気の域の所業だ。

 だが、耐え抜いた。ソフィアの盾は分類上中盾であるが、大盾に迫る勢いで幅拾くガード性能も高めである。

 まずは距離を取る! 片手剣から魔法弾を放ち、UNKNOWNに回避を強いる。如何に命中判定斬りができるUNKNOWNでも、無理にそれを行うよりも回避の方が優先するのは当たり前である。

 POWをほとんど成長させておらず、魔力回復速度を上昇させるバフを装備やアクセサリーで付与していないソフィアでは、魔法弾の連発は出来ない。そもそも魔法弾はINT補正であり、INT初期値の彼女では牽制以上の効果はない。

 

(ですが、この距離はこちらの間合いです!)

 

 試作バトルシールドは、傭兵エイリークの盾仕込みのキメラウェポンを再現したものだ。ソフィアのバトルシールドは、盾と重ライフルを仕込んでいる。1発の威力を重視した重ライフルならば、距離次第ならば≪射撃減衰≫があろうとも1発で与えられるダメージは馬鹿に出来ない。

 安定性が乏しいが、高いSTRで強引に堪え、射撃サークル内にUNKNOWNを捉える。DBOではGGOのようにバレットラインは表示されない。射線を視認できるようになるスキルは存在するが、GGOと違って射撃の優位性が高くないDBOでは、余程に射撃攻撃を警戒したプレイヤーくらいしか獲得しないだろう。

 フォーカスロックと射撃サークルの連動を意識する。心拍の分だけブレが大きくなるサークルを御し、有効射程距離内でトリガーを引く。命中補正がかかり、銃弾はサークル内に捉えたUNKNOWNへと飛ぶ。

 

「……ふぅ。盾仕込みにしては、良い命中精度だな」

 

 だが、UNKNOWNは軽々と防ぐ。あろうことか、飛んできた銃弾を聖剣で切断したのだ。銃弾は即座に耐久度を失ってポリゴンの欠片となり、その光の塵が余計に眼前の二刀流剣士の超絶した技量を物語る。

 1発だけならばマグレ、あるいは極度の集中力で成せるだろう。だが、如何に重ライフルで連射性能は低めとはいえ、銃弾が相応の量が吐き出される。だが、UNKNOWNは駆けながら自分に命中する弾丸だけを正確に見切って切り払っている。

 近接ファイターが対人・対モンスター問わずに連射された射撃攻撃に晒された時の選択肢は大きく分けて4つだ。

 盾や≪射撃減衰≫で高VITを活かして接近戦を仕掛ける。遮蔽物を利用して被弾を最小限に抑えながら接近戦を仕掛ける。爆弾などの攻撃アイテムを使って射撃を中断させる。仲間の射手・魔法使いによる援護に期待する。そのいずれかだ。

 だが、銃弾を斬りながら接近するなど、見切れる目、精密無比な剣技、戦闘経験、何よりも度胸が求められる。

 いかに射撃が優遇されていないとはいえ、ヘッドショットが決まればダメージは伸びる。デュエルとはいえ、自分のアバターに銃弾が食い込む感触は恐ろしいはずだ。だが、UNKNOWNは平静そのものだ。

 戦闘を別室でモニターしているだろうディアベルを意識し、ソフィアは奥歯を噛む。如何にデュエルとはいえ、親衛隊でもトップクラスと自負する自分が何も出来ずに敗北するなど、ディアベルの顔に泥を塗ることになる。

 それだけは断じて許すことが出来ない! それは崇拝に近い敬愛であり、故にソフィアは装弾数が元より少ない重ライフルをここで吐き出す勢いで乱射する。

 円柱を利用して回避し、また銃弾を切断しながら、UNKNOWNは再度の接近を軽々と成し遂げる。重たい2本の片手剣をバトルシールドでギリギリ受け止めるも、途端にガードが崩されそうになる。

 UNKNOWNは盾のガードブレイクを得意とする。剣が盾に接触した瞬間、巧みに相手の盾を払い除けるように斬撃を変質させることで、相手のシステム上のガードバランスを効率的に削っていくのだ。

 ガードが崩れる!? ギリギリで膝蹴りを繰り出してUNKNOWNを遠ざけるも、ソフィアは今ので勝負は決まっていたかもしれないという恐怖心に襲われる。

 

『奴が相手では、この私の盾も盤石とは言い難いな』

 

 亡きタルカスはUNKNOWNの盾崩しをこう評した。UNKNOWNの正体が『彼』であるならば、その盾崩しは天才が復讐心を糧にして研鑽を積んだ鉄の城の魔王さえも殺した剣技なのだから。

 

「最初からすればいいものを! 遊んでいたんですか?!」

 

「いや、アンタのガードが思っていたよりも隙が無かっただけだよ。でも、もう癖はつかんだ」

 

 重ライフルを放って牽制をかけるも、UNKNOWNは≪歩法≫のソードスキル【オムニア・ヴァニタス】を発動させる。直線的ではあるが、発動中は射撃攻撃に限定して耐衝撃・対スタンを高める。シビアではあるが、最大で3回の追加発動が可能であり、俗に『射撃殺しの歩法』とも呼ばれている。これを使えば、生半可な弾幕を受けても揺らぐこともなく、スタンする心配もなく、正面から斬り込むことが可能だからだ。

 普通のプレイヤーならば1回、熟練した使い手でも2回が限度だが、UNKNOWNならば当然のように3回使って来るだろうとソフィアは信頼を込めて読む。

 予想通り、1回目で射線を抜け、2回目で視界外に脱し、3回目で背後を取って来たUNKNOWNへと反転しながら突きを繰り出す。

 完璧に決まったように思えたカウンターであるが、そこにUNKNOWNはいない。拡張された視界の中で、UNKNOWNはソードスキルの軌跡で三日月を描くようにソフィアの背後を取っていた。

 それは≪歩法≫のソードスキル、スプリットターン。三日月を描くようなターンで相手の背後を取るソードスキルであるが、最も有名な使い手は、敵・味方区別もなく死と破滅をもたらすとされる白の傭兵である。

 他とは違い、≪歩法≫のソードスキルはクールタイムも硬直時間も短い。だが、直接的な攻撃ではなく機動力に関わるソードスキルばかりであり、生死がかかる戦闘では他のソードスキル以上に安易に使えない。特に離脱はともかく、戦闘に用いるのは高い状況判断力が必要だ。故に大半のプレイヤーは≪歩法≫を獲得してもDEX補正上昇効果にだけ恩恵を覚える。

 背後からのクリティカルダメージ。それも二刀流による連撃ならば、勝負は決するだろう。ソードスキルを使いこなす最強の傭兵に数えられる二刀流の剣士に、ソフィアは最後まで抵抗の意思を示す。

 

(ディアベル様が見ている以上、負けられない! 無様な敗北だけは……絶対に!)

 

 斬られながらも反転して突きを繰り出せば、剣先はUNKNOWNの肩を掠める。そのままソードスキルに繋げようとするも、途端にUNKNOWNは左手の剣を放り捨て超接近する。

 腹に放たれたのは掌底。同時に黄金の……いや、灰色の雷撃がソフィアのアバターを突き抜ける。

 

「ぐふ……っ!?」

 

 今の攻撃はソードスキルではない。UNKNOWNの新たな装備であるスローネの能力だろう。

 吹き飛ばされて床を滑ったソフィアは、何が起きたのかと目を白黒させる。スタンこそしていないが、体は上手く動くことが出来なかった。

 スタンではない。麻痺とも違う。まるで体の動きがスローモーションにされてしまったかのようだ。

 

「まだやるか?」

 

 倒れた彼女の喉元に聖剣が突きつけられる。誰の目から見ても勝負ありだった。

 だが、それ以上にソフィアの心を折ったのは、UNKNOWNの聖剣が『白銀の刀身のまま』だったことだ。

 月蝕の聖剣は、白銀の刀身を核にして覆うように黒真珠のような漆黒の大刃を纏ってこそ本領だ。UNKNOWNは聖剣の力をまるで発揮していないのである。

 

「……参りました」

 

 ソフィアの降参によって勝敗を分かつシステムウインドウが表示される。蓋を開けてみれば、ソフィアに出来たのはUNKNOWNの肩に浅い傷を与えることだけあった。それもアバター破損の様子もないことから大したダメージを与えていないのは、ほとんど減っていないHPも含めて明確だ。

 

「い、今のは何ですか!? 麻痺でもスタンでも鈍足でも無かったようですが!?」

 

「傭兵として黙秘するよ。使い続ければ、嫌でも情報収集されるだろうしな」

 

 その通りではあるが、自分の敗因を知りたいソフィアは項垂れる。

 その後、デュエルの結果に満足した様子のキバオウと共にUNKNOWNを見送る事になり、敗北感だけがソフィアを浸す。

 

「申し訳ありません。ディアベル様の顔に泥を塗ってしまいました」

 

 どのような処罰でも受けよう。親衛隊から外されても文句が言えない失態だ。涙目で項垂れるソフィアに、ディアベルは執務室で椅子に腰かけながら優しく笑む。

 

「UNKNOWNさんはネームドだって単独討伐できる猛者だ。幾らキミでも、未完成の試作GAでは勝てないよ」

 

「ですが……!」

 

「確かに実力差はある。装備の差もある。経験の差もある。だけど、それを埋める手段は幾らでもある。現にキミはUNKNOWNさんに必死に喰らい付いたじゃないか。キミはまだ成長途上だ。それに実戦ではキミだけが戦うんじゃない。多くの仲間がいる。キミの役目は、その中でも特に鋭い剣となり、硬い盾となることだ」

 

 ディアベルに激励されてソフィアは折れた心を繋ぎ止める。

 そうだ。確かにUNKNOWNは強い。今はほとんど手も足も出なかった。だが、鍛錬と経験を積み、次世代GAが完成し、十分な戦力さえあれば『実戦』ならばUNKNOWNを仕留められる。無論、闘争心に任せて敵対するなど愚の骨頂であるが、そのような未来もあり得るのだ。

 

「期待しているよ、ソフィア」

 

「お、お任せください! 必ずや、ディアベル様のお役に立ってみせます!」

 

 聖剣騎士団の未来はディアベルの双肩にかかっている。ならば、その理想に尽くすことこそが自分の使命であるとソフィアは敬礼した。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「昨夜は随分とうなされていたな」

 

 朝食のフレンチトーストを齧る寝惚け眼のスレイヴに、エイジは思わず顔を顰める。

 

「また『彼女』の悪夢か」

 

「……嗤いたければどうぞ」

 

「俺が嗤うはずないだろう。知ってるくせに」

 

 嗤われると思ったんだがな。エイジは慣れ始めたスレイヴとの共同生活に危機感を覚えながら自分の珈琲とトーストを嗜む。

 侘びしい朝食だ。食意地の張ったスレイヴのせいで、ただでさえ余裕のない家計はいよいよ限界を迎えつつある。

 スレイヴの朝食が300コル、エイジは80コル。食べているパンもエイジの方が安価であり、食感も悪く、また味も薄い。珈琲は買い溜めしていたものであるが、新しく1袋仕入れる余裕もない。

 だが、大金が入る目途は立っている。グローリーとの協働依頼だ。成功すれば10万コルの収入が約束されている。諸々の経費を差し引いても手元には十分に残るだろう。成果次第ではボーナスも期待できるが、そこまで高望みすることなく、今回は堅実に仕事をこなすのがエイジの目標だ。

 

「しかし、黒霧の塔で3番隊の暗殺未遂事件か。世間はラストサンクチュアリ壊滅の秒読みで騒がしいというのに、何処の誰が火に油を注いだのやら」

 

 報道ギルド【セブンスカラー】が発刊している【虹色新聞】を広げ、スレイヴは椅子の上で胡坐を掻きながら感想をもらす。

 

「セブンスカラーはクラウドアースの資本が入っていますが、比較的中立寄りの意見と裏が取れたネタの報道に定評があります。サインズでもマルドロの死亡は確認されたようですし、事件内容は概ね記事の通りでしょう」

 

 新聞1部で150コル。スレイヴにはエイジが仕事でいない間の生活費を渡してあるが、この様子だと既にかなり使い込んでしまったのではないだろうかと危惧する。

 今では各大ギルドの資本が入った多くの報道ギルドが存在する。それぞれが各大ギルドのスピーカーであることは容易に想像もつくが、セブンスカラーのように世間向けに敢えて中立を装わせた報道ギルドもある。また、ほとんど力はないが、大ギルドの支配を受ける事が無い弱小報道ギルドも存在する。

 半ばゴシップ雑誌である週刊サインズも時には鋭く真実を掲載している時も多く、こうしたプレイヤーによって広められている情報は決して無視できるものではない。

 

「エイジも気を付けろ。今日の協働相手は明日の強敵かもしれないのが傭兵だからな」

 

「ランク無しの僕を警戒している輩がいるとは思えませんけどね。クラウドアースからの評価もどん底で、将来も期待されていないはずですから」

 

「表面的にはな。支配者とは臆病であらねばならない。僅かでも危険を感じたならば排除するものだ。権力を行使できる者なら尚更だ」

 

 不穏な発言をするスレイヴに、レギオンとして何か情報を掴んだのだろうかとエイジは緊張で顔を強張らせる。

 

「安心しろ。そういう情報が入ってきたわけじゃない。前にも言った通り、俺は安易にレギオンネットワークから情報を得られない。最大限にお前のことを隠匿したいからな。まぁ、俺とお前が組んでいることは、既に姉さんたちの耳にも入っているだろうが、少なくとも俺達の計画がバレていることはないだろう」

 

 そもそも僕は『計画』の全容をまるで知らないぞ。不満こそないが、知らない計画について他のレギオンに問い詰められる……もとい拷問を受けるなんて勘弁だとエイジは嘆息し、そもそもレギオンと拷問という形でもコミュニケーションが成立することを平然と認識できている自分は、プレイヤーでもかなり逸脱した存在になってしまったことに気づく。

 朝食の後片付けをしたエイジは、防具へと着替え、腰に邪剣ダーインスレイヴを差す。

 資金難という事もあり、何とか取り揃えられた防具は、裏市場に流れていたクラウドアース製の【タクティクス・アーマー・CT9改】である。全身に密着する薄型防具であり、デザインは終末の時代……近未来的なものである。物理属性防御力は重量に比べて総じて優秀であるが、属性防御力全般の低さが目立つ。だが、これは改造品であり、ボディアーマーと一体化されたバトルコートによって魔法・炎属性防御力だけは補完されている。

 裏市場に流れていたということは、盗難や死体から剥ぎ取られてたなど、不穏な要因であることには違いない。だが、今のエイジには防具を安値で調達できるだけの伝手はなく、故に裏市場を漁るしかなかったのだ。

 最前線級でこそないが、エイジのバトルスタイルにも合致する。見た目に反して重量がそこまで低くないが、それでも機動力を確保できるのはありがたかった。ただし、古巣のクラウドアース製であることは、エイジに何とも言えない表情を強いる。

 

「俺は戦いでは役立てない。留守番してるから、しっかり生き抜いてこい。目指せ、ネームド単独討伐だ!」

 

 スレイヴに激励されて送り出されたエイジは、腰のポーチに仕込んだ回復アイテムを確認する。

 クイックアイテムストレージのアイテム枠はたったの5枠だ。ここにどんなアイテムをセットしておくかで戦闘における生存率は大きく変わる。たとえば、毒状態の時に一々アイテムストレージを開いて実体化するなど現実的ではない。素早く選択して実体化できるクイックアイテムストレージに回復アイテムや攻撃アイテムをセットして使用するのが一般的である。

 だが、スキルで増加させなければ、たった5枠しかない以上、戦闘で用いれるアイテムの数は限られる。そこで利用されるのが防具へのアイテム装備だ。有名なのは投げナイフホルダーや爆弾ホルダーである。ただし、こうしたアイテム装備はその分だけ装備負荷が増すことになり、アイテムストレージの使用容量やスタミナ消費量が増えるので、実装は計画的に行わねばならない。

 投げナイフにおいて特に有名なのは【渡り鳥】だ。防具には必ず複数の投げナイフホルダーを装着しており、近・中距離で対峙すれば投げナイフが正確無比にあらゆるタイミングで正確な狙いを付けて放たれる。その精度から相当に熟練度が高い≪投擲≫スキルを有していると目されている。

 エイジの場合、防具に元から付いていたアイテムポーチであり、排除するにしても鍛冶屋で金がかかるということで活用させてもらっている。ストレージは小さいが、アイテムを最大で2種類まで収納できるのは、クイックアイテムストレージの節約になるだろう。

 エイジが収納しているのは回復アイテムだ。深緑霊水ばかりであり、即効性はあっても回復割合は乏しい。今のエイジにはより強力な回復アイテムを仕入れるルートも資金も無く、その貧弱っぷりは涙を誘うだろう。

 

(集合時刻まで余裕がある。街でも散策してリラックスするか)

 

 時刻は午前9時、多くのプレイヤーが各々の目的に合わせて活動を開始している。エイジはグローリーとの待ち合わせまで緊張を解そうと戦いから意識を切り離すことにした。

 DBOプレイヤーはレベルに合わせて下位、中位、上位の3種類に自然と分類されている。だが、下位プレイヤーだからといってDBOに全く貢献していないわけではない。

 レベル20まで到達すれば、相当数のスキルが確保できる。それらで≪採取≫・≪耕作≫などの基礎スキルを獲得し、更にそれらを専門的に強化するスキルを獲得することさえできれば、最低限の収入を得られる職につくことも可能だ。

 

「うーし! 今日のノルマは【赤波大マグロ】を3匹だ! 気合入れていくぞ!」

 

「ちょ、3匹はさすがに無謀ですよ!」

 

「そうそう!」

 

 たとえば、エイジと今まさに通り過ぎたのは、漁業ギルド【海坊主】のチームである。彼らは養殖不可な様々な海鮮素材を市場に卸すプロフェッショナルだ。全員が日焼けした筋肉ムキムキマッチョマンのような風貌であるが、実際にはトップでもレベル30程度しかない。

 彼らは≪釣り≫スキルから派生する様々な上位スキル・EXスキルを獲得し、徹底的に漁業に特化させている。戦闘に有用なスキルなどほとんど所有しておらず、せいぜいが初期選択スキルで得た武器スキルとそれに関連したもの程度だろう。スキルという限られたリソースから『戦闘をするという選択肢を捨てる』ことを選んだのだ。

 海坊主はDBOでも希少性の高い素材を卸すことで莫大な利益を得ているギルドの1つだ。1匹で100万コルもするという赤波大マグロの供給を担っている。彼らの活躍によってDBOでも脂が乗りに乗った大トロが食べられるようになったのは周知の事実だ。

 戦闘が出来ないからといって稼げないわけではない。要は覚悟の問題なのだ。海坊主も元を正せば、貧民プレイヤーで腐るしかなかったレベル1の3人の男たちが現状を脱しようと死に物狂いで保有していた≪釣り≫スキルを駆使して稼ぎ始めたのが出発点とされている。元手を運用して護衛を付けてレベリングをしてスキル枠を増やし、営業活動で投資を募り、多額の借金をして設備を整え、何度も博打に勝って今の地位と富を手に入れたのだ。

 今や海坊主のリーダーは、大ギルドの幹部も出席する富裕層のパーティにも出席できる身分だ。そして、富裕層とは上位プレイヤーで形成されているわけではなく、むしろ中位・下位プレイヤーといったレベル的にはそこまで高くない者たちが中心なのだ。

 事実としてクラウドアースの評議会メンバーのほとんどは上位プレイヤーではない。議長にして代表でもあるベクターなどレベル20程度だろう。それでも大ギルドの幹部どころかトップになれるのだ。

 彼らを見て憂鬱な気持ちになるのは、エイジが元貧民プレイヤーだからだろう。誰しもが成功者になれるわけではないが、最初の1歩を自分自身で踏み出せない者に富も栄光も与えられない。運命の女神は微笑まないのだ。

 今の自分はどうだろうか? エイジはスレイヴとの出会いで一変した己の道を振り返る。

 殺人で成り上がり、クラウドアースで再び心折れて腐り、だがスレイヴによって不退転の道を選んだ。

 1度として富も栄誉も手に入れたことがない。スレイヴの言う『強さ』と『力』の意味すらも分からない。そんな自分が本当に覚悟を示せるのだろうかと不安が過ぎる。

 邪剣ダーインスレイヴによって、エイジは障害のハードルが若干下がっている。だが、解消はされていない。あくまでエイジ自身が戦う意思を固持しなければならない。

 スレイヴが再三に亘って求めるネームドの単独討伐。だが、エイジがネームドと単身で遭遇した時、はたして冷静でいられるだろうか? 闘志を保てるだろうか? 逃げたいという気持ちを欠片でも抱けば、障害は容易くエイジの自由を奪い取るだろう。

 

「……チクショウ」

 

 考えただけで右手の指が震えていた。どれだけ強がっていても、エイジに深く刻まれた『彼女』の喪失に起因したトラウマは消えていない。障害を後押ししているのは、他でもない『彼女』を見殺しにした事実であり、それがエイジの可能性を奪っているのだ。

 今回の仕事は絶対に失敗できない。噂のグローリーとの協働とはいえ、ここで彼に好印象を与え、また平凡でも成果を残せば、決して小さくない足掛かりになる。そもそもとして、この仕事に失敗すれば、今後は傭兵業などやっている暇もない程の金銭難に陥るのだ。

 こういう時は成功のビジョンを思い描くべきだ。いずれ大金が入ったら引っ越さねばならないのだからと、大ギルドの傘下にも入っていない不動産屋の前にエイジは立つ。なお、貼り出された目玉物件はいずれもエイジではとても購入など出来ないものばかりである。

 

(賃貸ならそれなりに良い物件も揃っているな)

 

 家1つ買うだけでもDBOでは大金が必要であり、また様々な維持費がかかる。ならばいっそ管理をオーナーに任せた賃貸の方が気楽だ、というプレイヤーは多い。それでも優良物件ともなれば馬鹿にならない家賃であるが、その分だけ安易に引っ越しも出来るフットワークも得られる。

 だが、やはり傭兵には拠点が必要だ。エイジは格安で得られる手頃な物件はないかと探す。

 やはり辺境ステージの物件は安いが、こうも利便性が悪いと意味が無い。特にアピールされているのは、まだほとんど攻略が進んでいないフロンティア・フィールドの物件だ。だが、今のエイジでは装備全てを売り払っても購入は不可能である。

 と、そこでエイジと隣に立ち、同じように貼り出された物件を吟味する者が現れる。

 身長175センチとバランスの取れたボディをしたエイジは、本人の卑屈過ぎる程に捩じれた精神を除けば、容貌も含めてモデルでも通じるだろう。そんな彼からすれば、明らかに小柄で儚い。

 纏うのは教会の装束なのだろう、戦闘に適さない白のローブだ。質素に見えて、その実は金糸が縫い込まれており、特に襟や袖の意匠は見事なものだ。襟がやや広く、鎖骨が露になっており、覗き込めば胸が見下ろせそうな危うさがある。

 白桃のような唇は見ているだけで接吻を迫ってしまいそうになる。幼さが濃く残る10代半ばだろう容姿は可憐にして美麗であり、妖艶にして清廉である。腰まで伸びた白髪は1本の三つ編みに結われていた。左目は眼帯で覆われており、片耳にしかしていないカフスも含めてアシンメトリーを強調し、それが余計に美貌を際立てている。

 だが、何よりも心を掻き乱すのは、右目に座する赤色が滲んだ黒の瞳だ。不可思議な色合いをした瞳であり、覗き込めば決して戻れない深淵に引き摺りこまれてしまいそうだった。

 天使のように性別が存在しない中性美の極致がそこにいる。少女でありながら少年、少年でありながら少女という矛盾がそこにいる。

 

「……【渡り鳥】!?」

 

 週刊サインズの表紙とインタビューで容貌は十分に把握していたが、生で見ると可愛さと美しさが尋常ではないとエイジの心は揺さぶられる。

 屋敷の書庫で静かに詩集を捲っているのがこれでもかと似合う容姿でありながら、DBOで最も恐れられるプレイヤーとは、エイジには到底信じられなかった。

 冷酷にして冷徹にして冷淡なる傭兵。3度の飯より殺しが好きな残虐無比のジェノサイドモンスター。敵味方区別なく破滅と厄災をもたらす死天使。女装好きのド変態。実質最下位のランク42。YARCAを滅ぼし、YARCAを新生させた元凶。

 DBOにおいて、およそ関わりを持つことが不吉であるとされる白の傭兵がそこにいた。

  

「おはようございます。えーと……」

 

 思わず呼んでしまったエイジに、【渡り鳥】は曖昧な微笑みを浮かべる。だが、彼らの間に面識は一切ない。

 エイジも【渡り鳥】もSAOサバイバーであり、再びDBOに囚われたリターナーだ。だが、片や世間にも知れ渡った虐殺者、片や心が折れた名も無きプレイヤーである。

 SAO時代、エイジは『彼女』を助けてくれなかったギルド風林火山のメンバーの暗殺をお願いしようと探したことこそあったが見つけられず、そもそもとして依頼するだけの資金もなく、SAO末期では暗殺依頼を出来るような状況でもなく、エイジ自身もほとんど抜け殻状態だったことも合わさり、およそ対面することはなかった。

 DBOでも噂こそ聞いても接点がない以上はわざわざ会いに行くこともなく、傭兵業を続けていればいずれは顔合わせするだろう、くらいの気持ちだったのがエイジの実状だ。

 

「いえ、初対面ですよ、【渡り鳥】さん。僕はエイジ。【黒の剣士】さんと相棒だった貴方からすれば、攻略組にもなれなかった取るに足らないお粗末な男ですが、SAOで生き残り、こうしてDBOに囚われたリターナーですよ。ちなみにサインズに登録しているランク無しです」

 

 悪癖が出てしまい、エイジは内心で舌打ちする。

 口は災いの元。スレイヴにも注意されているが、咄嗟に悪態をつくのはエイジの癖……もとい自己防衛のようなものだ。簡単に言えば威嚇である。

 エイジ自身は【渡り鳥】に対してネガティブな感情を特に抱いていない。【渡り鳥】が攻略組に加わったのは75層の悲劇以降であり、その時点で攻略組にあったのは栄誉などではなく、死に満ちた地獄だけだったからだ。

 だが、ここに第3者がいれば、エイジの蛮勇に対する敬意を覚えるだろう。なにせ、初対面でありながら悪態をついた相手はDBOで最も恐れられる虐殺プレイヤーなのだ。エイジの豪胆っぷりに感動の拍手すら禁じえないはずである。

 ある種の偉業を成し遂げていながら、エイジが【渡り鳥】に対して露骨な危機感を露にしないのは、あまりの可愛さと美しさに思考が麻痺したこともあるが、それ以上に何処か眠たそうなとろんとした【渡り鳥】の雰囲気にあるだろう。

 エイジにもうまく表現することは出来ない。だが、敢えて言うならば『ふわふわ』という擬音こそが最も似合う状態である。事実として、【渡り鳥】はエイジとやり取りしている間も数度は眼帯に覆われていない右目を眠たそうに、それは愛らしく擦っていた。その仕草の1つ1つがエイジに危険な性癖を開かせようとする魅惑の塊である。

 あ、もう性別なんてどうでもいいや。そのような諦めをエイジが抱かなかったのは、彼もまた常識外のネガティブの塊であるからだろう。ポジティブに諦めることが出来る人間ではないが故に助かったのである。

 隙だらけだ。これが本当にジェノサイドモンスターと恐れられる【渡り鳥】なのだろうか? SAO時代に【黒の剣士】の相棒を務めた以上、その実力に疑う余地などないと断言できる。だが、果たして悪名に相応しいだけの実力があるのかと問われれば、この姿を見ていると自信が持てなくなった。

 

「ランク無し……ですか。では、今日も仕事でここに?」

 

 エイジの先制パンチに対して【渡り鳥】は特に嫌な表情もしなければ、悪感情を抱いた様子もなく、むしろ穏やかに微笑む。

 

「……いいえ。仕事前に、気分転換で良い物件が無いか見に来ただけですよ」

 

「そうですか。オレも同じです。今住んでいる場所は売りに出そうと思っていまして、新しい住処を探しに来たのですが、どれもピンと来るものがありませんね」

 

 DBOの目ぼしい物件は既に大ギルドや関連ギルドに押さえられている。穴場となれば、探す手間は相当なものだろう。だが、大ギルドの手が入っていない物件を探したいという気持ち自体は、エイジにも理解できた。

 触らぬ神に祟りなし。挨拶程度ならば厄ももらわないだろうと退散を決め込んだエイジであるが、これはチャンスなのではないだろうかと余計な考えが芽生える。

 エイジの胸の内の秘密となっている【バーサーク・ヒーラー】の正体。ここで何かしらの情報を得られるかもしれないという欲が芽生える。

 危険な賭けだろうか? エイジは『ふわふわ』という擬音を発生し続けているような【渡り鳥】を改めて見て、少し位は鎌をかけても大丈夫なのではないかと考える。

 DBOでも【黒の剣士】と【渡り鳥】が組んでいる様子はない。だが、元相棒ならば、ある程度の事情は通じ合っているかもしれない。このまま『【バーサーク・ヒーラー】=アスナ』という情報を眠らせ続けるわけにもいかないのだ。ならば、とエイジは慎重に口を開く。

 

「僕も早くマイホームが欲しいのですが、ランク無しだと稼ぎがどうしても足りません。先日も【バーサーク・ヒーラー】の調査依頼を引き受けたのですが、これがサッパリで、僕には探偵の才能は無いのだと痛感しましたよ」

 

「傭兵にも多様性が求められる時代ですからね。オレも補助スキルが欠如しているので、その手の仕事では活躍できそうにありませんし、素性調査なんて出来るリアルスキルも持ち合わせていません。気にする必要はないと思いますよ。自分に合った仕事を1つ1つ確実にこなすのがよろしいかと」

 

 意外にも傭兵としてのステップアップについて親切にレクチャーされ、エイジは横っ面を思いっきり叩かれたように戸惑ってしまった。

 

「エイジ……とお呼びしてもよろしいですか?」

 

「は、はい」

 

「アナタの方が年上でしょうし、それに傭兵間はランクの有無にかかわらず対等であるべきだとオレは思うので、無理する必要はないですよ。肩肘張っても疲れるだけでしょう?」

 

「……嬉しい申し出だとは思いますが、ランクを持ち、正式に傭兵になってこそ、僕たちは対等であるべきかと」

 

 一切の皮肉も嫌味もなく、エイジという人間を尊重してくれている。不思議とエイジにその確信が持てたのは、【渡り鳥】の存在感に惹き込まれているからだろう。それはスレイヴに対する信頼にも似て、エイジは何処となく雰囲気も似通っているような気がすると感じ入る。

 

「ランク持ちになったら改めて挨拶させていただきます。その時に今の申し出はありがたく受け入れさせてもらいますよ」

 

「そうですか。期待していますね」

 

 無造作に【渡り鳥】は握手を求める。エイジはぎこちなく交わせば、これが本当に『自称・男性』の手なのかと驚愕する。いつまでも握っていたい程に癖になる柔らかさである。アバターの質感パラメーターが根本的に違うのではないかと疑心を持つ。

 

「あ、あの……」

 

「失礼しました」

 

 30秒……いや、1分は握手していたのだろう。【渡り鳥】の困惑した声でエイジは我に返って手放す。

 目的を忘れるな。今はアスナについて探りを入れるべきだ。取っ掛かりとしては十分ではないかと、少し悩みを抱えた青年……といった表情を作る。この男、意外と演技派であるが、本人はその才能にまるで気づいていない。

 

「【渡り鳥】さん、少し悩み相談に付き合っていただけませんか? 同じSAOリターナーとして話を聞いてもらいたいのですが」

 

「オレでよろしければ構いません。ですが、オレの悪名はご存知のはず。あまり良い思い出話など出来ませんが……」

 

「正直言ってSAOで胸を張って言えるような戦績は僕にありません。血盟騎士団にも所属していた時期はありますが、結局は諸々の事情で攻略組に加わることはありませんでしたからね」

 

 演技の苦笑の裏で、エイジは『彼女』の死に様を思い出して強烈な嘔吐感に襲われる。

 だが、堪える。ここで少しでも情報を得る為なのだ。エイジの自己紹介に、SAO末期でも最前線で見たことが無いと判断したのか、やや悩んだ素振りを見せながらも、納得したように【渡り鳥】は頷く。

 エイジは何も嘘を吐いていない。情報を簡略化しただけである。含まれる情報の密度が減れば印象が変化するのは当然なのだ。

 今の【渡り鳥】のエイジに対する評価は『攻略組にもなれなかった落第者』といったところだろう。それが事実であり、だからこそエイジは今ここで成すべきことを迷わない。

 スレイヴにばかり負担をかけさせるわけにはいかない。アスナの件は自分だけでも少しくらい探りを入れておかなければ、いつまでも彼女と『対等』にはなれないのだ。

 

「【渡り鳥】さんは既にご存知だと思いますが、SAO死者が多く蘇っています。僕も前々から気づいてはいましたが、目を逸らしていました。『そんなことあるはずない』と。ですが、聖剣騎士団の声明以後は、そんな逃避も許されなくなりました。僕は怖いんです。自分が守れなかった……見殺しにしてしまった……SAO死者の事を思い出してしまうんです」

 

 これは演技だ。そのはずだ。だが、エイジは自然と『彼女』に対しての罪悪感が胸で溢れていることに気づく。それが表情を演技から『本心』へと歪めようとする。

 拳を握って『本心』の露呈を堪える。それすらも『演技』として上手く利用し、本気で悩んでいるのだという説得力に変える。

 

「特にアスナさん。僕は彼女にとてもお世話になりました。色々とレクチャーしてもらったにもかかわらず、彼女の期待に何も応えられませんでした。75層で亡くなられたと聞いた時から、己の無力さを痛感しない日はありません」

 

 違う。己の無力さを呪い続けたのは『彼女』を喪った時からだ。あれから1日としてエイジの悪夢は消えない。胸に開いた喪失の穴には憎悪だけが溜まり、彼をどす黒く蝕んでいった。

 

「そのせいか、声明以後は女性プレイヤーを見ると面影を重ねてしまって……情けない話です」

 

「それは……オレにはどんなアドバイスをしたらいいのか分かりませんね。アナタのような心の問題を解決する『専門家』には不本意ながら……本当に不本意ながら、心当たりと伝手があるのですが、これまでの実績から色々と期待できそうにない方々でして。むしろ、火に油を注ぐような真似すらしそうな気もして紹介できそうにありません」

 

 精神科医のプレイヤーと交友でもあるのだろうか? リアル職業を大っぴらにすることはDBOでも滅多にないが、リアルスキルを活用しているプレイヤーは多い。むしろ、現実世界でも成功した者は、その成功経験と培った技能でDBOでも活躍している事が多いとも言えるだろう。

 本来ならば鬱屈した現実から目を背けるのに相応しい『別の誰か』になれるVRゲームでありながら、デスゲームと化したことでむしろ現実世界同様に本人の実力と技能が問われるなど、どんな皮肉だろうかとエイジは憂鬱になる。

 

「実は先日も【バーサーク・ヒーラー】の正体がアスナさん……なんて阿呆な報告をして、サインズにも依頼主にも嗤われたばかりなんですよ。『これで何回目なんですか?』って……」

 

 これは嘘である。だが、そもそも初対面であり、2ヶ月にも亘って休業していた上に、ランク無しであるエイジの登録時期など知っているはずもないだろう【渡り鳥】には、それらしい失敗談に聞こえるはずである。無論、この後に調べられて嘘だとバレる確率も決して無いわけではないので、フォローも欠かさない。

 

「実は最近何かとアスナさんを絡めてしまって、仕事にも失敗してばかりなんです。ははは、お恥ずかしい」

 

 精神的にイカれていると評価されてしまうが、それくらいに追い詰められていると思ってもらった方が好都合だ。相手は最も危険なプレイヤーとして恐れられる【渡り鳥】である。仮にアスナの隠蔽にも関与していた場合、エイジが明確に『【バーサーク・ヒーラー】=アスナと気づいている』と思われるよりも、精神的に狂っていて本人も信憑性もなく判断しているだけ、と思われた方が生命の安全は保てる。

 

「……似ていたんですか? その……【バーサーク・ヒーラー】とアスナがそんなに?」

 

 釣り上げた。【渡り鳥】の反応が明らかに今までと違う事に、エイジは察知しながらも気づかないフリをして、情けない表情を作りながら頭を掻く。

 

「ええ。SAOでは≪細剣≫が撤廃されて≪刺剣≫カテゴリーに統合されてしまっていますので、分類上は得物が異なっていますが、同じレイピア系の剣を使っていましたからね。動きもスピード重視に見えましたし、女性プレイヤーであるともなれば、余計に重なってしまって……ははは、本当にお恥ずかしい。刺剣装備ならスピード寄りのバトルスタイルのは当然ですし、SAOでの【閃光】の活躍にあやかってバトルスタイルを真似た女性プレイヤーも多い。自然なことなのに、過去の悔恨とは本当に度し難いものですね」

 

「そ、そそそそ、そうですね。まさにその通りだと思いますよ! そもそもアスナが復活しているならば、まず間違いなく攻略に参加して、何処かの大ギルドのエースになっているはずです。あの攻略の鬼が1度死んだくらいで性格が変わる訳がありません! エイジ、気にしてはいけません! それは気のせいに決まってます! 絶対にそうです!」

 

 エイジに迫って見上げる、焦りを隠しきれていない【渡り鳥】の殺人的な可愛らしさに、エイジは呼吸が止まりそうになる。

 

「え、ええ。僕もそう思っています。でも、やっぱり、こういった悩みはなかなか口に出せなくて。【渡り鳥】さんはリターナーですし、つい……」

 

「オレでよろしければ、いつでも……いつでも! 相談に乗りますよ! アスナが復活しているはずはありません。絶対にあり得ません!」

 

 あ、なるほど。致命的に演技と嘘がヘタクソなのか。エイジは【渡り鳥】のお粗末過ぎる嘘と演技に、エイジは思わず満面の笑みを浮かべそうになってしまう。この人、決定的に交渉や取引に向かないタイプなんだとも確信する。

 アスナは蘇っており、【バーサーク・ヒーラー】の正体である。そして、その事実を【渡り鳥】は高確率で認識している。ならば、古い付き合いであり、相棒でもあった【黒の剣士】も知っているのは道理だ。エイジはそう判断し、この情報をどう扱うべきかは、それこそスレイヴと協議すべきであると今は保留する。

 

「あ、そうだ。時間はありますか? 実はこれから教会の仕事が入っていまして、特に戦闘も何もない安全なものなのですが、エイジも参加致しませんか? 悩みの解決には心のリフレッシュが大事ですからね」

 

「ですが、ランク無しとはいえ、仕事に僕が同行しては、依頼主に報酬の支払い義務が生じるのでは?」

 

「では、オレとの協働という事にしましょう。報酬は折半、ないし見合うだけのアイテムをお渡ししますよ?」

 

 可愛らしく両手を合わせ、小首を傾げながら【渡り鳥】は提案する。それこそ必死さが見え見えに持ち掛けてくる。

 ……誘導までヘタクソだ。エイジがこれ以上深くアスナと【バーサーク・ヒーラー】を絡めて考えさせない為の話題転換なのだろうが、余りにもお粗末である。しかもエイジに棚から牡丹餅で報酬まで渡してくれるとまで自発的に申し出ている。そのポンコツっぷりにエイジは思わず涙が出そうになる

 やはり【渡り鳥】の悪名はでっち上げなのではないだろうか? こんなポンコツで可愛くて奇麗で愛らしい人物がDBOでも恐怖の権化として、死天使信仰まで生み出すとは到底思えず、むしろ人間離れした美貌のせいで勘違いされてしまっているだけなのではないかと疑う。

 

「僕も午後からではありますが、依頼を控えているので、長くは協働できませんよ?」

 

「大丈夫です。これは仕事というよりもボランティアのようなものですから。途中で抜けても、先のお約束は守ります。この身に流れる血の誇りにかけて」

 

 大袈裟だ。だが、エイジは【渡り鳥】の微笑みに言い知れぬ気迫を感じ取る。それはスレイヴが決して契約を違えないと宣言した時に似て、絶対なる履行を感じさせる覚悟があるような気がした。

 

「サインズを通していない協働になりますが、依頼主は少しくらい気心が知れた……知れた……知れ……た? と、とにかく、融通は利く方なので問題はありません。ただし、正規の協働ではないので、サインズからの評価対象にはならないことを留意してください」

 

「教会の仕事に携われるだけでも、僕のような新人には大きな利益となります。お気になさらずに」

 

 不動産屋の前から教会がある大聖堂まではそれなりの距離がある。【渡り鳥】はローブに着脱式フードを付けて被り、1本に結われた白髪を肩から垂らし、エイジの隣を歩く。

 フードを目深く被っているお陰か、大通りを歩いても【渡り鳥】と気づく者はいない。いや、【渡り鳥】は≪気配遮断≫を使用し、なおかつまるで風景の1部と化しているかのように気配を殺して歩いているのだとエイジは理解する。

 仮想世界であろうとも存在の息吹と呼べるものがある。エイジは隣を歩いているはずの【渡り鳥】を思わず見失いそうになってそうになる。

 

「普段から変装を?」

 

「まさか。いつもは仕事かホームにいますから、街を出歩くことなんて稀ですよ。ですが、そのせいで普段着をほとんど持っていなくて。部屋着のまま外に出るわけにもいかないですし、防具では何かと不都合なこともありますから、オフの時は動きやすくてカモフラージュも効く、エドガーが仕立ててくれたこれを着ることが多いですね。ああ、今日は教会の仕事だから別ですよ? これが仕事着です。実は意外と属性防御力も高めなので戦闘服としても十分使えるんですよね」

 

 本人は利便性と着易さ以外に注目していないが、事情の知らない者からすれば『教会には【渡り鳥】との強固な繋がりがある』という反教会を掲げる不逞の輩へと脅しに他ならないのではないだろうか、とエイジはごく普通の政治のバランス感覚で思う。だが、当の本人はまるで気づいている様子が無い。

 とはいえ、この素のステルスっぷりならば、あまり問題にもならなさそうである。エイジは自分たちに見向きもしない通行人を視界に入れながら、大聖堂を目指して歩き続ける。

【渡り鳥】が纏っているローブの裾が長いせいもあり、まるで足首まで隠すロングスカートのようだ。それはエイジに聖女のエスコートをしているような気分に陥らせる。

 

「……1つお尋ねしても? 本当に【渡り鳥】さんは男性なんですか?」

 

「男性ですよ」

 

「そうですか」

 

「そうですよ」

 

 無事にエイジは大聖堂にたどり着けば、意外にして妥当な人物が両腕を広げて待機していた。

 

「【渡り鳥】殿、お待ちしておりました!」

 

「エドガーも元気そうで何よりです」

 

「ええ、実に2ヶ月以上も【渡り鳥】殿の安否も分からず、このエドガー! 己の信仰心が足らず、御身に何かあったのではないかと、いかなる自罰が相応しいか自問する日々が続いたものです。ですが、こうしてご無事な姿を再び目にすることが出来た。おお、灰より出でる大火に我が祈りを捧げましょう! アンバサ!」

 

「はいはい」

 

 フードを外した【渡り鳥】の何処か冷淡と思える対応を全く意に介さず、教会の切り札とされるエドガーはその筋肉を震わせて、まるで神と幻視したかのように絶叫と共に祈りを口にする。

 配給で何度かエドガーを目撃したことこそあるが、会話した事がないエイジと面識があるはずもない。そう思いながらエイジが自己紹介しようとすれば、祈りでトリップしていたはずのエドガーは『にっこり』と笑う。

 

「貴方は確か貧民街にいらっしゃった……御名前は存じ上げませんが、その様子だと努力を惜しまず、こうして教会に足を踏み入れることができる立場となられたようですね。努力と同じく弛まぬ信仰が貴方にもあらんことを。アンバサ」

 

「僕を……どうして?」

 

「このエドガーにとって、信仰を知らぬ迷える子羊は等しく救済の導きの対象なのです。貴方もまたその1人である限り、どうして忘れることがありましょうか?」

 

 エドガー神父、想像以上に厄介な人物のようだ。エイジはエドガーの『にっこり』に微塵も心を許せそうになく、むしろ警戒しながらも『無警戒』を装う演技力を発揮する。

 

「感激しました。今日は仕事が詰まってるので教会のお話を聞ける時間こそありませんが、是非とも神灰教会の信仰について心身共に深めたいと興味を持ちました」

 

 エドガーは騙されたのか、それとも看破したのか。どちらにしても、表面上は友好を取り繕い、【渡り鳥】がエイジを仕事に同行させたいという要求を快く引き受ける。

 あのエドガー神父と【渡り鳥】にこのような関係があったとは。エイジは驚きを胸に秘めながら、静謐にして荘厳な雰囲気で満たされた大聖堂内へと案内される。

 増築が繰り返され、下手なダンジョン以上に複雑怪奇な構造をしている大聖堂は、たとえ信徒であっても踏み入れない領域が数多と存在する。とはいえ、最近はフロンティア・フィールドへの転移の為に門を潜るプレイヤーは激増しており、大聖堂も以前に比べればオープンだ。なお、その分だけ信徒も増えている、とも言い換えることが出来るだろう。

 

「遅いぞ、女男シスター!」

 

 そして、花が野に咲き、泉から清水が溢れる広々とした中庭に案内されれば、そこには多くの子どもたちが待っていた。その中の1人……良くも悪くも活発そうな男子が【渡り鳥】に駆け寄る。

 

「…………」

 

 微笑んだまま黙る【渡り鳥】に、少年は腕を組んで怒りを露にする。

 

「2ヶ月程度で名前を忘れやがったのかよ! チョコラテだよ、チョ・コ・ラ・テ! ほら、お前がスカート巡り騒動で捕まえた!」

 

「……ああ! チョコラテ……君、ですか? 全然気づきませんでした。もしかして、背が伸びましたか?」

 

「お、やっぱり気づいちゃうぅぅうう……って、ふざけんな! たったの2ミリしか伸びてねーよ! からかうのもいい加減にしろよな!」

 

「そうですか! そうですよね! うんうん! 背なんて伸びなくてもいいんですよ! 男の価値は身長で決まりません!」

 

 何やら嬉しそうに頷いてチョコラテ少年の頭を撫でる【渡り鳥】を見て、エイジはすぐに悟る。なるほど、身長がコンプレックスなのか……と。

 

「それで、僕は何をすれば?」

 

「子ども達の相手をしてあげてください。オレの授業は退屈だと思いますので……」

 

 エイジが協力するのは、教会が催している『青空教室』である。

 傭兵たちを雇い、孤児たちに授業を開く。内容は傭兵任せであるが、概ね好評である。

 なお、報酬自体は支払われるが、その大半は『寄付』という形で教会に還元される。即ち、高ランクの傭兵であろうとも実際に得られる報酬は少なく、ほぼボランティアに近しいのが実態である。

 増え続けるDBO人口だが、その中には当然ながら戦うことも出来ない幼い子供たちも含まれている。彼らには明確に帰るべき現実など無く、このDBO以外に居場所はなく、そして頼れる家族もいない事が多い。

 両親を亡くした者、捨てられた者、元よりいなかった者など様々だ。貧民街について詳しいエイジは、ストリートチルドレンとして逞しく生きる子ども達の一方で、犯罪ギルドや悪意を持ったプレイヤーの餌食となった子どもの末路も多く目撃している。

 行き場がなく、生きる術も力もない子ども達。彼らの保護は教会の役目だ。決して少なくない数の孤児が教会に助けを求め、その庇護下に入っている。ただし、教会の恩恵の下で生きるとは、教会の為に奉仕する人生を選択したも同然であり、故に既に『縄張り』を持っているストリートチルドレンは教会入りに反発している。配給こそ受け取るが、孤児院の門を叩くような真似をすれば、たとえ仲間であろうとも私刑は免れず、そのまま死刑になるケースもある。

 DBOの惨酷な真実にして正体……暴力による横暴が赦される無秩序を、恐らく何の言い訳も無く肌で最も痛感しているのは、こうした孤児たちなのであろうともエイジは元貧民プレイヤーとして考える。

 中庭に集まっている孤児は40人ほどである。これで全員というわけでもなく、エドガー曰く定員は決まっており、複数回に亘って行われる青空教室に均等に割り振られているとのことである。

 

「つい先日はUNKNOWN殿の授業だったのですが、女子が参加枠を巡って喧嘩にまで発展してしまいまして。いやはや、UNKNOWN殿の人気……特に女性を狙い撃ちにするのは才能ですな」

 

 ちなみにUNKNOWNが行った授業はズバリ『ソードスキル』だったらしく、その華麗な剣技は瞬く間に女子たちの目を釘付けにしたらしい、ともエドガーは付け加えた。

 ……噂通りなのか。エイジも【黒の剣士】に関する噂は幾つか耳にしている。その中でも特に驚いたのは、9:1という圧倒的に低い女性比率のSAOでありながら、次々と女性プレイヤーとの面識・交友関係を広げていったという【黒の剣士】のシステム外ユニークスキルの噂である。

 あのアスナさんのハートを射止めた【黒の剣士】か。エイジは今までとは別の意味で興味を抱くも、今は仕事に集中すべきだと、怯えながらも自分に寄って来た6歳程度だろう女子の視線に合わせるべく屈む。

 

「あの……お兄さんのお名前は?」

 

「エイジです。僕なんかと話しても退屈でしょうが、我慢して――」

 

「エイジ殿、最初から否定に入ってはいけません。コミュニケーションとは歩み寄る相互理解なのです」

 

 背後のエドガーに窘められ、無茶を言うなとエイジは睨みたくなる。『彼女』の死以来まともに対人コミュニケーションを積んでいないエイジにとって無理難題である。貧民時代も、エリートプレイヤー候補生時代も、巡回警備『NPCさん』時代も、エイジはおよそコミュ力があるとは言い難かったのだ。最近はスレイヴのお陰で錆も落ちてきてはいるが、それでも子ども相手だろうと……いいや、子どもだからこそ、どう対応すべきか悩み、答えは出ないのだ。

 歩み寄る、か。エイジはぎこちなくも微笑めば、女の子も笑い返してエイジの手を引く。

 

「お兄さんもこっちに来て。一緒に聖女様の授業を受けよう?」

 

「聖女様?」

 

「うん。とっても奇麗で優しいからね、皆ね、聖女様って呼んでるの。エドガー神父も呼んでるよ? あ、でも聖女様はそれを聞いたら無言だけど、すごーく怖くなるから気を付けてね?」

 

 ここでも男性扱いされていないのか。哀れみではなく納得しかなかったエイジは、子ども達に囲われながら中庭に腰を下ろす。

 

「お兄さんモデルみたい! もしかして芸能人?」

 

「その防具、何処製? なんかスゲー」

 

「剣だ! うひょー! これってユニーク!?」

 

「聖女様と同じで傭兵なの!? カッコイイ!」

 

 子どもは苦手だ。1秒単位で憂鬱になっていくエイジは、『彼女』ならばむしろ嬉々として上手く溶け込み、また相手もできるのだろうと気分を暗くする。

 

「へっ、この時を待ってたぜ。【聖剣の英雄】に負けず劣らずの争奪戦に勝っただけの価値はあった! これで俺もビクトリーロードが開かれるぜ!」

 

 生意気なオーラを全開にしたチョコラテ少年がエイジの隣に腰を落ち着ける。前後左右を子どもに囲われ、まるでモンスターハウスに放り込まれたような気分のエイジを尻目に、大人しく座った孤児たちの正面へと【渡り鳥】は立つ。

 

「皆さん、おはようございます。本日の青空教室を担当する、サインズ独立傭兵ランク42のクゥリです」

 

「よっ! 実質最下位!」

 

「うん、チョコラテ君は少し黙ろうか?」

 

 特に怒る様子もなく、苦笑とも捉えられる微笑みのままに【渡り鳥】は授業を始める。

 どんなPK手法を……殺人術を教えるのだろうか? エイジはごくりと生唾を呑む。

 

「DBOはどれだけ現実に近しい質感を持っていても、ゲームシステムが採用されていることを忘れてはいけません。普通の人間ならば、心臓までバッサリと斬られたら、銃でヘッドショットされたら、高熱で炙られたら、大抵は死にます。でも、DBOではHPがある限りは死亡と認定されません。HPがある限り、生きることが許される。生存が絶対的に肯定される。それがDBOです」

 

 普通だ。余りにも普通の出だしだ。肩透かしを受けたのはエイジだけではないらしく、どんな刺激的な講座が待っていたのだろうと期待していたチョコラテ少年も困惑しているようだった。

 

「さて、相手のHPを減らす方法は幾つかありますが、最も代表的な行為は『攻撃する』ことです。その為にプレイヤーがすべきことは、高い攻撃力を発揮できる武器を装備することですね。では、ここで問題です。物理攻撃力100のブロードソードと物理攻撃力70+炎属性攻撃力70のブロードソード。どちらが強力でしょうか?」

 

 傭兵であるエイジには簡単な問題だ。だが、生徒役ではない以上は答えるわけにはいかない。

 

「楽勝! 後のブロードソードだ! 70+70で140だからな!」

 

 立ち上がって断言するチョコラテ少年に、エイジは内心で溜め息を吐く。

 大間違いだ。答えは前者の物理単体のブロードソードである。確かに後者は単純表示の攻撃力は上であるが、物理と炎の2つの防御力によって減衰されてしまう。物理も炎も攻撃力が低めである為に、実際に与えられるダメージは伸びないのだ。対して表示攻撃力では劣るが、単一物理属性であるが故に前者の方はダメージが伸びやすいのだ。

 多くのプレイヤーが痛い目に遭う武器の攻撃力の罠である。今でも表示攻撃力に騙されるプレイヤーは多く、詐欺で弱武器に大金を支払ってしまった被害者は後を絶たない。

 

「正解は『相手次第で決まる』でした。相手が物理属性に弱ければ前者のブロードソードの方が効果を発揮し、逆に炎属性が弱点ならば後者のブロードソードの方がダメージは大きいでしょう。そうした条件下では、物理属性防御力が高い相手にはチョコラテ君の言う通り、後者のブロードソードが有効です」

 

「卑怯者ぉおおおお!」

 

 叫んで抗議するチョコラと同様にエイジも呆れるも、実戦を想定するならば当然のように頭に入れておかねばならない情報だ、とすぐに改める。

 あくまで穏和そのものであるが、【渡り鳥】が行おうとしているのは『実戦を視野に入れた座学』なのだとエイジは理解した。だが、それは孤児を相手にする青空教室でするものでもないだろうとも考える。

 

「他にも斬撃・刺突・打撃・射撃などの攻撃属性も関与してきます。まずは敵を分析し、いずれが最も有効か探る。これが基本になります。そして、何も弱点を突くばかりが戦いではありません。むしろ、弱点を自覚している者は対策もしており、狙い過ぎれば逆に罠に嵌まるリスクもあります。あくまで敵の弱点を把握しても参考程度に留めるべきです」

 

(確かに。無理に弱点を狙い過ぎてはDPSが落ちるかもしれない。だからこそ、安定したダメージを与えやすい物理属性は重宝される)

 

 物理属性は基本であるが故に大抵の敵にそれなりの効果を発揮する。斬撃・刺突・打撃・射撃の4種類もあるとなれば、いずれかは突出した防御力を有していることがあっても、物理属性を完璧に遮断できるモンスターはそれ程に多くない。せいぜいが実体のないゴースト系くらいである。

 

「そして、何も高いダメージを与えるばかりが戦いではありません。欠損や流血状態にすることも重要です。想像してください。腕を折られたら、足を切断されたら、目を潰されたら、それだけで戦いは不利になります。プレイヤーはステータスの有無にかかわらず、レベルアップすればアバター強度が増します。VITやCONにポイントを振ればもっと頑丈になります。鎧を装備すれば増々の堅牢となるでしょう。HPがある限りは生存できる一方で、HPがあろうとも死に近しい状態は存在します。武器も大事ですが、同じくらいにステータスや防具にも気を配りましょう」

 

 まともである。思わずエイジもメモ帳を開きたくなるほどにまともで真面目だった。

 流血システムも加わる以前から、DBOの戦いとは単にHPの減らし合いではないことは当たり前だった。

 武器毎に設定されている斬撃・刺突・打撃・射撃の属性攻撃力。その高さと割合、ダメージ判定、対象とのレベル差等々が関与し、アバターの破損が決定される。

 片腕でも失えば、たとえ上位プレイヤーであっても戦意喪失は免れないだろう。SAOでも四肢の損傷はあったが、DBO同様に危機的な状況だった。特に回復手段の数々がお世辞でも優れているとは言えないDBOでは、欠損は大きなディスアドバンテージとなり、死に直結するだろう。

 

「加えて武器の外見に騙されてはいけません。たとえば、剣が相手の腕を通過しても確実に切断されるわけではありません。アバター損壊率次第です。腕を斬り落とす勢いで振るっても、相手は僅かな傷しか付いていなかった、なんて珍しくもない普通の事です。逆に言えば、この見極め出来るか否かで戦術も戦略も大きく変わるでしょう」

 

 限りなく現実の質感を持ち、また肉付けされていくDBO。だが、生死を分かつ分野はあくまでゲームシステムが支配していることを強調し、だからこその知識の保有と分析力の研鑽を推奨する【渡り鳥】は、静まり返っている孤児たちを見回す。

 

「ここまでは『相手を傷つける』ことを主眼に置いて話をしました。ですが、逆転させれば、これは皆さんの身を守る為の術そのものでもあります。ここにいる皆さんのどれだけが戦いを望んでいるでしょうか?」

 

「俺はやってやるぜ!」

 

「うん、チョコラテ君は勇敢だね。だけど、誰もが戦えるわけではありません。誰もが剣を握って敵に立ち向かえるわけではありません。オレは……それでもいいと思っています。戦わないと生き残れないかもしれませんが、だからこそ戦えない人々を守ろうとする尊き人々の必要性もまた求められるのですから」

 

 戦わなくてもいい。エイジは『彼女』の死をフラッシュバックしながら、もしも……もしも自分が『弱さ』に屈して始まりの街に留まったままだったならば、『彼女』は死なずに済んだのだろうかと考える。SAO末期という地獄が待っているとしても、それまでは生き延びることが出来たのではないだろうか?

 戦うという選択肢をしたからこそ、『彼女』を見殺しにしたという結果がもたらされたのではないだろうか? エイジは戦うことを絶対的な肯定としない【渡り鳥】を注視する。

 

「で、でもよ! 確かに、強い奴が守ってやればいいけど、自分の身は自分で守るしかないのも事実だろ!?」

 

「そうですね。オレも同意見です。ピンチに陥ったら助けに来てくれる都合のいいヒーローに期待なんてしてはいけません。いつだって皆さんには理不尽がもたらされます危険性があります。このDBOに真の平和と秩序と安定がもたらされるのは……もう少し先の話でしょうからね。だから、自衛する術を身に着けるのはいいでしょう。ですが、それも本人の心持次第ですし、何よりも『敵を傷つける』ことを肯定できる精神力が求められます。それが無い場合、自分の命がかかった土壇場でもまともに戦えないでしょうし、出来たとしても後々まで心に傷を負うことになるでしょう」

 

 一瞬だけ【渡り鳥】は右目から感情の色が失せて伏せられる。だが、すぐに微笑みは戻り、【渡り鳥】は右手の人差し指を立てた。

 

「さて、問題です。戦いにおいて最も重要なことは何でしょうか?」

 

「へっ! もちろん、武器だ! UNKNOWNみたいに聖剣があればサイキョーさ!」 

 

 即答するチョコラテに【渡り鳥】は何も答えない。正否は告げずに、孤児たちに近寄っていく。

 

「えーと、何があろうとも生き残る事……かな?」

 

「違うよ! 敵を倒すことさ!」

 

「仲間やお友達を守る。それが大事だと思う」

 

「うーん……強い敵に出くわしたら逃げることじゃないの? ちゃんと自分の実力を考えないと」

 

「はーい! 好きな女の子のピンチを救う! これしかない!」

 

「馬鹿ばっかりね。やっぱり小まめな回復よ。HPが無くなったら死ぬんだから当然じゃない」

 

「優れたリーダーだね!」

 

「えー!? 違うよ。それよりも数! とにかく数を揃えるんだよ!」

 

 孤児たちが次々に意見を述べていく。その1つ1つを耳にしていたエイジの正面に【渡り鳥】は立ち、優しげに見つめる。

 

「エイジはどう思いますか?」

 

 戦いにおいて最も重要なこと? エイジは自分の胸にぽっかりと穿たれ、憎しみに満たされた穴を見下ろしながら悩む。

 分からない。障害のせいでエイジは戦う事が許されなかった。大切な人が目の前で死に瀕しているのに動くことさえ出来なかった。

 スレイヴと手を組み、邪剣ダーインスレイヴを託され、傭兵としての道を歩み始めた。

 だが、戦いのロジックはSAOから培っていても、DBOでも鍛えていても、根底となる戦いにおける美学や信念はまるでなかった。

 後悔することさえも許されない事実がある。それでも、エイジが今ここにいるのは……傭兵となったのは、スレイヴに導かれたからだ。

 たとえ、憎しみに染まった魂であるとしても叫んでいる。たとえ、過去は変えられないとしても、もう『彼女』は助けられないとしても、本当の敗者にはなりたくない。たとえ、憎悪の塊となってしまった自分が『彼女』にとって軽蔑の対象であるとしても、『彼女』を見殺した事実は変わらずとも、戦いに臆して動けなかった自分に最大限の憎しみを持って乗り越えるのだ。

 憎い。憎い。憎い。『彼女』を殺した運命も、理不尽も、何もかもが憎い。そして、何よりも見殺しにした自分自身が憎い。『彼女』の為に剣を振るえなかった己が憎い。『彼女』の為に傷つくことも出来なかった己が憎い。

 たとえ、手は届かずとも『彼女』を救おうと戦うことさえ出来たならば、無力感に苛まれようとも、僅かでも己を肯定する種は残っただろう。だが、何も行動することが出来なかった者は過去に仮定を持ち込むことさえも許されず、死という事実の墓標に頭を垂らして謝罪することさえも許されない。

 自罰さえも烏滸がましい。それでも……憎しみによって腐った魂だとしても、確かに叫んでいるのだ。

 

 

 戦え。『力』を求めろ。敗者であることを許容するな。

 

 

 正誤など関係ない。エイジにはもはやこの道以外に残されていない。だからこそ。戦いにおいて問われるものは1つだ。

 

「臆さず、退かず、怯えず、戦い抜く覚悟。僕たちは恐れを知らない機械ではない。心と感情を持った人間だからこそ、それが必要ではないでしょうか」

 

 今の自分に覚悟があるだろうか? 強敵を前にして、障害を乗り越えられる程の闘志を紡ぐ精神力は……意思はあるだろうか? エイジはスレイヴの期待さえも裏切ってしまうのではないかと己の脆弱さを自覚する。

 どれが正解なのか? 再び孤児たち全員の視界が集まる正面に戻った【渡り鳥】は、嬉しそうに頷いた。

 

「どれが正解なのかと言えば『全部』です」

 

「卑怯者ぉおおおおお!」

 

 またしてもチョコラテが叫ぶも意に介した様子ない【渡り鳥】を見つめながら、エイジは自分の回答を反芻させる。

 

「生き残る。死んでも勝つ。仲間や大切な人を守る。皆さんは考えたはずです。そして、そうした考えの根底には、皆さんの戦う理由があったはずです。他人の意見を参考にしても構いません。真似してもいいです。大事なのは抱いた意思の源泉は何なのか? それこそが魂の叫び……自らの本質です。アナタ達は『何の為に戦うのか』を本当の意味で知った時、そこに尊き『人の意思』があるならば、きっと『強さ』を得られるはずです」

 

 何の為に戦うのか。エイジはスレイヴとの出会いから始まった運命の流転を振り返る。だが、その源流はDBOへログインしたことだ。

 敗者でありたくない。どうして? エイジがそれを深く掘り返そうとしても、『彼女』の死が脳裏を埋め尽くして、心の傷を広げようとする指を止めさせる。

 

「精神論なんてどうでもいいの! もっと役立つテクニックとか教えてくれよぉおおお!」

 

「そうですね。チョコラテ君の意見も正しい。では、座学はこれくらいにして実技に入りましょう」

 

「よっしゃぁあああああ!」

 

 ガッツポーズするチョコラテは、ようやく退屈な座学から解放されたと立ち上がる。

 

「さて、DBOはプレイヤーのステータス・スキル構成・装備等々の多くの要素によって千差万別のバトルスタイルを目指せます。まずは自分のバトルスタイルの模索しましょう。他人の模倣から始めるも良し。自分の理想を突き詰めるも良し。適性を考慮して合理性を重視するも良し。皆さんの自由です」

 

 そう言って【渡り鳥】が取り出したのは木製の短剣だ。投擲武器なのだろうが、安全性を考慮して殺傷性の低いものを準備したのだろう。

 

「ですが、1つだけ忘れないで欲しいことがあります。スキルによって得られたシステムサポートを活用するのは当然ですが、依存してはいけません。ソードスキルは強力ですが、それに頼るだけでは勝てないように、己の研鑽を怠らないでください」

 

 的として配置されたのは風船だ。色彩豊かに中庭を飾り、子どもたちは配られる木短剣を手に、これから始まることに期待を膨らませている。

 

「エイジは皆のサポートをしてあげてください」

 

「僕は≪投擲≫を持っていないので、教えられることはありませんが?」

 

「問題ありません。≪投擲≫は使いませんから」

 

 耳打ちされた内容にエイジは困惑する。

 DBOには多種の攻撃アイテムがある。その中でも投げナイフ系と爆弾系は≪投擲≫スキルの有無が実用性に大きな隔たりをもたらす。

 相手との距離と速度、環境ステータスを計算し、STRを制御して目標に向けて投擲する。爆弾系ならば爆発範囲によってある程度の外れは許容されるが、投げナイフの場合は先端が正確に命中しなければ効果を発揮しない。

 だからこそ≪投擲≫の必要性は増すのだ。ステータス補正は微々たるものであるが、システムサポートによるロックオンと自動軌道修正、ソードスキルによる追尾性能の強化などがあってこそ投擲系攻撃アイテムの実用性は広がるのだ。そうでもなければ動き回る相手には命中させられない。現実世界では不可能な動きをするような相手に直撃は望めない。

 

「さて、今日は皆さんの幅を広げる為に、≪投擲≫スキル無しで投擲攻撃をする練習をしましょう」

 

「よーし! このチョコラテ様に任せな!」

 

 自信満々に5メートル先でふよふよと浮かぶ風船に狙いをつけたチョコラテは、握りしめた木短剣を思いっきり投げる。

 結果は大外れ。宙で風に揺れて動く風船を掠めることもなかった。

 笑いが溢れ、チョコラテは顔を真っ赤にして無言でもう1本寄越せと要求する。【渡り鳥】は手渡すと、チョコラテは今度こそと全力で放つ。

 やはり大外れ。むしろ前よりも軌道は大きく外れている。

 

「チクショー! どうして!? ちゃんと狙いを付けてるのに!」

 

「もしかして、チョコラテ君は≪投擲≫スキルを持っていますか?」

 

「お、おう! だったら何だよ? 不正はしてないぞ! 今はちゃんとオフにしてるぞ!? う、疑ってるかよ!?」

 

「まさか。チョコラテ君はそんなの事するはずないと信じてます。だけど、キミの投げ方は≪投擲≫に依存しきってしまっているものですね」

 

 エイジは≪投擲≫のロックオンと自動補正がもたらした、プレイヤー個人の投擲技術の成長阻害と低下の危険性に気づく。

 フォーカスロックと連動し、狙いをつければシステムサポートによって自動軌道修正してくれるのが≪投擲≫だ。TECを高めれば、その分だけ命中精度も上昇するが、それ故に投げ方が雑になってしまうのだ。

 その証拠に、チョコラテと違って短剣の投擲など初めてといった様子の女の子の方が偶然もあったとはいえ、見事に風船に命中させて割ることに成功する。

 

「せい……わ、【渡り鳥】さん。当たったよ!」

 

「その調子です。今度はあの風船を狙ってみましょう」

 

 女の子の頭を撫でる【渡り鳥】を見て、悔しさを露骨に示して顔を真っ赤にして涙目になるチョコラテは我武者羅になって次々と木短剣を投げるが、一向に当たる様子が無い。

 なんだ。単に【渡り鳥】に褒めてほしいだけか。呆れたエイジは、そのまま見て見ぬフリをしようとするも、胸に引っかかりを覚え、頭を掻いて悪戦苦闘する少年に近づく。

 

「な、何だよ!? 言っておくけど、俺だってすぐに――」

 

「無駄な力が入り過ぎだし、そんなに体を大きく動かす必要はない。僕に貸してみろ」

 

 エイジは≪投擲≫スキルこそ持っていないが、だらこそ自前の投擲技術はそれなりに磨いてある。動き回る相手に投げナイフを命中させるような真似は出来ずとも、距離次第ではあるが、爆弾系を狙ったポイントに放ることは可能だ。

 力まずに自然な動きで握った木短剣を投げれば、それは吸い込まれるように風船に命中する。エイジからすれば特に難しいことはしていない。

 思えば、貧民プレイヤーから脱出する契機となったPKも、火炎壺による投擲が命中していなければ成功しなかっただろう。虎の子の火炎壺を命中させる為に、≪投擲≫を持っていないことに恨み言を口にしながら、石を片手に練習を重ねたものだ。

 

(……存外、諦めが悪かったのか)

 

 障害のせいで戦えない。それが免罪符になるならば、貧民プレイヤーから這い上がろうなど考えなかったはずだ。練習に時間を費やすことなど無かったはずだ。

 必死になって這い上がろうとした。クラウドアースの目に留まり、エリートプレイヤーとして訓練とレベリングに励む毎日でも、誰よりも研鑽を怠らなかったと自負している。

 だが、いつだって最後は台無しになる。この足は動くことを拒否し、無様を晒す。その繰り返しが『結果』として積み重なり、努力という『過程』に無価値の烙印を押す。

 それでも、それでも、それでも、と心の何処かで抗い続けた。だからこそ、スレイヴと出会えたのだ。

 

「て、天才……か!?」

 

「これくらい難しくない。練習次第だ」

 

 VR適性次第であるが、VRならば習熟速度も現実とは違って段違いだしな。エイジはチョコラテに手取り足取りレクチャーしながら、彼の投擲が是正されていく様を見守る。

 苦闘することで1時間。ついに木短剣が風船を捉えて心地良い破裂音が響く。

 

「よっしゃぁあああああああああああああ!」

 

 ガッツポーズして全身で歓喜を表現するチョコラテに、大袈裟だと冷めた気持ちで、エイジは腰に右手をやりながら頷く。

 

「今の感覚を忘れるな。後は練習あるのみだ」

 

 素の投擲技術を磨いたところで実戦では≪投擲≫スキルの補正の方が有用だがな、とはエイジもチョコラテの喜びっぷりを見て言うことは出来なかった。

 

「サンキューな! カッコイイ兄ちゃん!」

 

 満面の笑顔で感謝するチョコラテは、【渡り鳥】に早速披露すべく駆け寄る。

 だが、たった1度成功しただけだ。掠めこそするが、1発で命中することなく、他の子ども達に笑われながらも、4本目でようやく当てる事が出来た。

 俺はやった! ジェスチャーで成功をアピールするチョコラテに、【渡り鳥】は頭を撫でて褒める。

 冷たく乾いていたはずなのに、胸の内に蝋燭の灯のような小さな熱を覚える。

 チョコラテに感謝された時、彼が成功した時、我が事のように確かに喜びがあった。

 

『エーくん、すごーい! どうやったの!?』

 

 SAO事件以前の……もう取り戻すことが出来ない『彼女』との思い出がフラッシュバックする。

 キミに恋心を覚え、それを伝える契機になればとSAOにログインした。そして、自分はキミの隣に立つなど出来ない情けない男なのだと思い知った。

 

(キミは強かった。僕よりもずっと強かった。死の恐怖に立ち向かって、誰かを救いたいと望んで、最後まで自分の信念を貫いて死んだ)

 

 僕は違った。いつも独りよがりだった。エイジは右手に残る木短剣を見つめる。

 SAOの攻略などどうでも良かった。キミに認めてもらいたかった。そうすれば、この気持ちが伝えられる勇気が持てたと信じた。

 今では彼女への恋心さえも憎しみで醜く歪んでしまっているのだろう。もう『彼女』への愛を叫ぶことさえもできず、それでも抗うことを望むのは、死した『彼女』への弔いなどではないつもりなのか。

 

(キミはいつも僕を真っ直ぐに見てくれた。誰よりも認めてくれた。僕はそれに気づけずに……キミを喪ったのか)

 

 キミの最期は今も目に焼き付いている。何かを言おうとしていた。手を伸ばしていた。

 助けて欲しかったのか? ヒーローのように駆けつけて欲しかったのか? ならば、僕はキミからの信頼すらも裏切ってしまったのだろう。

 涙で溜まった彼女の目を浸されていたのは、どれだけの絶望だったのだろう。

 

「ありがとうございます、エイジ」

 

 エイジに我を取り戻させたのは、いつの間にか隣にいた【渡り鳥】の声だった。

 

「急に何を? 僕は何もしていませんよ」

 

「チョコラテくんを指導してくれたではありませんか」

 

「あの程度で――」

 

「ほら、自慢してますよ。アナタのお陰だって、あんなにも嬉しそうに」

 

 本当に噂とは違う。まるで母が我が子の成長を讃えるような横顔をした【渡り鳥】に気恥ずかしさを覚え、エイジは腕を組んで顔を背ける。

 

「どうして、このような授業を? ハッキリ申し上げるなら、毎日トレーニングを積むよりも≪投擲≫スキルを獲得した方が実用性は上です。彼にしても≪投擲≫を所有しているのですから、今更になって投擲技術を学ぶ意味があったとは思えませんが?」

 

「そうですね。チョコラテ君には≪投擲≫がありますし、もしかせずとも無駄かもしれません。でも、あんなに嬉しそうじゃないですか」

 

「それが何の役に立つんですか?」

 

「スキルのシステムサポートなんかじゃない。自分の手だけで確かに成し遂げたという実感は大切です。システムサポートを『操る』のと『操られる』のとでは大きな差があります。いつか、今日の経験が大きな財産になる……とまでは言いませんが、彼らの『未来』に少しでも役立つかもしれません」

 

 それはスレイヴの言うところの、エイジに乏しい成功経験のことを言っているのだろう。

 チョコラテは『出来なかった』事が『出来る』ようになった。それはいつか彼が大きな壁を前にした時、諦めるか否かの瀬戸際で彼を支える経験になるかもしれない。

 たったそれだけの事を皆に教えたかったのか。口で説明するのではなく、回りくどい行動で彼らに学ばせたかった【渡り鳥】に、エイジは今日だけで幾度となく印象が変わっただろうかと奇妙に感じる。

 

「さて、そろそろ休憩にしましょう。お昼前ですが、今日は特別にお菓子タイムです」

 

 手を叩いて告げる【渡り鳥】に子供たちは集まる。彼がアイテムストレージから具現化させたバスケットの中には、見ただけで柔らかいと分かるマシュマロのような白いお菓子がたくさん詰まっていた。

 

「うわぁ、美味しい!」

 

「あま~い!」

 

 我先にと取り合いになるのを【渡り鳥】は無言で諫めながら、1人ずつに配っていく。

 

「エイジもどうぞ」

 

「いえ、僕は結構ですよ」

 

「遠慮せずに。たくさん作っていますから」

 

 誘いを無下にも出来ず、エイジは子どもたちに囲われながらマシュマロのようなお菓子を口にする。

 見た目の印象通りの柔らかさだ。だが、食感はどちらかといえば餅に近しい。中身はどろりとしたジェルになっており、それが優しい甘さを舌に広げながら生地と絡み合う。

 絶妙だ。エイジは驚嘆する。単に≪料理≫の熟練度が高いだけではたどり着けないだろう。

 口振りからして自作なのだろうが、これだけ美味しいならば、店を開いても食べていけるだろう。スレイヴのお土産にしたいと思い、エイジはアイテムストレージに収納しようとして驚愕する。

 

 

 これは『お菓子』ではない。『バフ系アイテム』だ。

 

 

 丸薬の1種なのだろう。どんな調合をしたのか不明であるが、通常の≪料理≫で調理したお菓子よりもハイコストであることには違いない。効果は『攻撃力と防御力を180秒間微増させる』という乏しいものであるが、それでも100個以上作っているのだ。どれだけのコルがかかっているのか、考えるだけでも恐ろしかった。

 1個500コル……いや、800コルは下らないだろう。それを100個単位準備して、価値も知らない子ども達に配るなど気が知れない。驚くエイジを尻目に、バスケットの中身は瞬く間に無くなってしまう。

 

「ふむ、これは美味ですね」

 

 1つ摘まんだのだろうエドガーも甘みを噛み締めていた。

 愕然としたままのエイジと共に中庭を囲う廊下の円柱の影で並び立ち、子ども達に囲われた【渡り鳥】を見守るエドガーは『にっこり』とは違う、本人の善性……いや、真摯な信仰そのものとも呼ぶべき笑みを描いていた。

 

「戸惑っていらっしゃるようですね。このエドガーには、エイジ殿の気持ちが手に取るようにわかります」

 

「……ええ。噂と印象が違い過ぎますので」

 

「多くの悪名を持つ。それもまた【渡り鳥】殿の事実です。エイジ殿も戦場に立つ【渡り鳥】殿を見れば、今日の印象に懐疑を覚えることでしょう。このエドガーは知っています。戦場の【渡り鳥】殿は……本当に恐ろしい御方です。敵にとっても、味方にとっても、あの御方は余りにも異質に映ることでしょう。かつて、真なる信仰を見出していなかったエドガーも同様でした。なんと愚かしい」

 

 本当だろうか? まだ手の内に残る菓子もどきを見つめる。相変わらず『ふわふわ』という擬音を大量放出しているような【渡り鳥】に、エイジはランク42がそのまま実力を示しているのではないだろうかとさえ思ってしまう。

 

「子ども達に好かれているのも意外でした」

 

「【渡り鳥】殿は子どもの相手が苦手らしいですよ」

 

「……信じられない」

 

「苦手意識はあっても、それ以上に【渡り鳥】殿は彼らと真っ直ぐに向かい合っていらっしゃるのですよ。子どもは自分と同じ目線に立ってくれる者を慕うものです」

 

 要は子どもと波長が合う程に【渡り鳥】は幼いという事だろう。外見は10代半ばにしか見えない【渡り鳥】は、エイジに比べれば子どもにとっても親しみやすいかもしれないが、それを差し引いても彼らが【渡り鳥】と触れ合うことに躊躇いが無い様子が信じられなかった。

 彼らも知っているはずだ。【渡り鳥】の悪名の数々を耳にしているはずだ。何百人も殺戮した、血という血で汚れた傭兵だと分かっているはずだ。

 

「【渡り鳥】殿は水鏡のようなものだと、このエドガーは考えております」

 

「水鏡?」

 

 エイジの疑念を感じ取ったのか、エドガーは尤もらしく頷く。

 

「ええ。見た者が望んだ姿を映し、ですが触れようとすれば波紋が生じて歪み、近づき過ぎれば影で覆われて何も見えなくなる。子ども達は正直なのですよ。羅列された情報に過ぎない悪名よりも、【渡り鳥】の微笑みと温もりが彼らにとって実感のある真実なのです。優しく気遣ってくれて、一緒に遊んでくれて、知らないことを教えてくれて、何よりも彼らから失われた母の抱擁のような温もりがある。彼らは孤児であるが故に『甘えたい』のです。ただそれだけなのです」

 

 両親という庇護の翼を失い、残酷なDBOの雨風に晒されることしかなかった彼らにとって、【渡り鳥】は自分を受け入れてくれる温もりなのだろう。それはエイジ自身が思わず感じてしまったことだ。

 まるで、暗く寒い雪夜に見つけた篝火のような……惹かれずにはいられない温かさがある。エイジはエドガーの言わんとすることが理解できずとも感じ取れたように頷く。

 

「ですが、あの子たちも戦場の【渡り鳥】殿を見れば、どれだけが同じように接することができるか分かりません。成長すれば【渡り鳥】を見る目も変わるでしょう。子どもの眼はいつまでも残すことはできませんから」

 

 孤児と戯れる【渡り鳥】と戦場の【渡り鳥】。それはどれだけの違いがあるのだろうか。エイジには輪郭すらも見えない。

 だが、DBOでも多くの混乱と厄災をもたらした存在として【渡り鳥】は恐怖の対象となっているのも事実だ。それは単なる悪意ある虚言などではなく、根底には事実の積み重ねがあるならば、とエイジは身震いさせる。

 まるで理解できない。【渡り鳥】の真実と呼べるものが、僅かな時間とはいえ接したにもかかわらず、むしろ謎が深まって困惑ばかりを増やす。まるで合わせ鏡の迷宮に放り込まれてしまったかのような……万華鏡の内に閉じ込められてしまったのような感覚だった。

 エイジの困惑を知る由もない【渡り鳥】は、女の子が作った花冠を頭に頂き、やや驚きながらも上手に出来たねと褒めて微笑む。

 間もなく冬がやって来る。寒さが滲んだ風が中庭に吹き込み、花弁が舞い上がる中で【渡り鳥】は花冠が映える白髪を靡かせる。

 女神だ。思わず見惚れたのはエイジだけではなく、中庭の子ども達も視線を外すことが出来ない様子だった。

 

「……アンバサ!」

 

 だが、エイジは隣で鼻血を垂らしながら跪いて手を組んで祈るエドガーを見て、自分は何を考えていたのだとエイジは頭を振って正気を保つ。

 

「これは失礼。信仰心が鼻から溢れてしまいました。何と勿体ない」

 

 ハンカチで溢れた鼻血を拭っていたエドガーに、そんなわけあるかとエイジは内心でツッコミを入れる。

 

「エイジ、時間はよろしいのですか?」

 

 と、そこに花冠を被ったままの【渡り鳥】が歩み寄り、エドガーより信仰心が再び溢れ出る。それを悟られまいと彼は背を向け、エイジはもうそんな時間かとシステムウインドウを開いて時刻を確認する。

 あっという間だった。悪くない気分転換にはなったが、これから危険な任務に向かうには気が抜け過ぎてしまったという危惧もあった。

 

「そろそろお暇させてもらいますよ」

 

「そうですか。報酬の件ですが、こちらをどうぞ」

 

 差し出されたのは青いリボンで閉じられた布袋であり、解いて中身を確認すれば、まるで真珠のようなキャンディが詰まっている。

 

「難度が高かったせいで数は揃えられませんでしたが、それなりに希少な素材を使ったものです。エイジの仕事に役立てばいいのですが」

 

「……感謝します」

 

 効果は一時的にソードスキルのクールタイムを短くするものだ。SAO出身ということもあり、ソードスキルの扱いにも慣れたエイジならば有用な扱いが可能になるだろう。ただし、効果時間は決して長くないことを留意しなければならない。

 

「生きて帰って来れたら、足りない分の報酬を準備しておきますよ」

 

 再び子どもたちの輪に戻った【渡り鳥】の背中を見送り、エイジは大聖堂を後にする。

 神灰教会という大ギルドも安易に手を出せない宗教組織。DBOが現実の如く肉付けされていく中で、人の心が求めた救い……即ち信仰が形を成した存在。エイジは今1度振り返り、荘厳なる大聖堂に複雑な感情を抱く。

 時間潰しのつもりが、エイジの心は矛盾を抱えている。嵐のように掻き乱された混迷と波1つない大海原のような平穏だ。

 世間では完全攻略の先にある未来の在り方で議論に留まらず、多くの対立を生んでいる。ラストサンクチュアリの滅びが間近となり、緊迫に浸されている。

 だが、エイジはいずれも関係なく、求めるものさえも定かではなく、敗者であることを否定するべく憎しみに焦がれて目的地も見えないままに闇の中を歩いている。

 それはスレイヴも教えてくれない、エイジ自身が見出すべきものなのだろう。

 

 

「やぁ、ランク無しくん! お待たせしました!」

 

 

 だが、それ以前に乗り越えねばならない苦境がある。集合場所となった想起の神殿において、赤褌1枚だけという現実世界ならば通報不可避の恰好をしたグローリーに、エイジは顔を覆って泣きたくなる。

 

「失礼ながら、僕たちはこれから最前線級のダンジョンの赴くのですよね? どうして防具を装備されていないのですか?」

 

「私の到着を待ち侘びた鎧を思えばこそ、この身に仮初であろうとも防具を纏うなど騎士として到底容認できません!」

 

 本当に常識が通じない。エイジは教会で得た癒しを一瞬で帳消しにする胃痛を覚えて体をくの字に曲げそうになる。

 ランク5のグローリー。1人だけ別の法則で生きているかのような戦い方と生き方をする男。あのアノールロンドを生き延びた猛者であり、ネームドの単独討伐経験もあり、ユニークスキル≪神聖剣≫の保有が明らかになった傭兵だ。

 SAOで最強候補だったヒースクリフ……もとい、黒幕だった茅場昌彦が所有していたのと同名のユニークスキルであるが、単純に同一性能というわけではないらしく、多くの点で強化が施されていることは間違いないだろう。エイジもさすがに詳細は知らないが、自分よりも遥かに高みに立つ男であることは認めるしかない。

 だが、良くも悪くも常識外過ぎる。明らかに変態を見る目とグローリーと気づいて諦めた視線に晒され、エイジは今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。

 何の罰ゲームだ。赤褌1枚の男と同類に見られるなど精神を鋸で削るように苛める。

 

「ははは! 私がいる以上は無用な緊張など不要ですよ。ですが、キミにとっては初の大仕事でしたね。私がバッチリ完璧にフォローしますから、大船に乗った気持ちでリラックスしてくださいね。ただし、油断禁物ですよ」

 

 油断の塊のような姿で何を言っているのだろうか? まさかジョークではなく本気の発言なのだろうか? エイジは戦い以前に腹痛を伴った精神の乱調で死にそうだった。

 

「おー、グロやーん! 何処に行くのーん?」

 

 と、エイジたちの進路を遮ったのは、スルメを咥えてビール缶を片手という風貌をした、傭兵のアンタッチャブルの1人であるライドウだった。

 1日で3大危険人物と立て続けに絡むというある種の偉業、もとい不運に見舞われたエイジは、悪態をつく精神的余裕もなく、無言で頭を垂らして挨拶する。

 

「俺は仕事帰りなんだけどさ、暇なら1杯付き合わない?」

 

「昼間からですか? それは魅力ある提案ですが、私はこれから仕事でして」

 

「別にいいじゃん。どうせ退屈な探索任務でしょー? あ、それともネームド倒すんの!? だったら俺も付き合うけど! むしろ寄越せ!」

 

「確かに聖剣騎士団からは倒しても構わないと認可はもらっていますね。チャンスがあれば討伐も悪くないでしょうが、今回はグローリー☆アーマーの回収が最優先目標ですよ。それに、今日はランク無しくんとの協働ですので、私も慎重にやらせてもいます」

 

 その格好の何処に慎重の要素があるのだろうか? グローリーに腕を肩に回され、男の体熱をねっとりと感じたエイジの精神力は底を尽きそうになる。

 

「ふーん、ランク無しねぇ」

 

 咥えたスルメを、思わず驚くほどに長い舌で器用に巻き取って呑み込んだライドウは、まるで品定めするように、ボサボサの髪の狭間から覗かせる危うい光を湛えた目でエイジを捉える。

 瞬間、エイジの体は『動かなくなる』。まるで『彼女』を見殺しにした時のように、エリートプレイヤー候補生の時にリポップ型ネームドを前にして腰を抜かしていた時のように、ナギというレギオンの本性を垣間見た時のように、まるで石化状態になったかのように動かなくなる。

 腹に炸裂したのが蹴りだと分かったのは、エイジの体が宙を浮いた時であり、想起の神殿に立ち並ぶ円柱に激突する寸前にグローリーが間に入ってクッションとなる。

 グローリーの逞しい胸筋で受け止められたエイジは、ガードすることが出来なかった高速の蹴りを穿ったライドウを睨む。だが、何も言葉を発せられなかったのは、今も障害のせいで体が震えて動かないからだ。

 

「グロやん、そいつは止めた方がいいよ。どうせすぐに死ぬような雑魚に、わざわざ構う必要なんてないじゃーん」

 

「だからといって、私の協働相手に暴力を振るうのを認可できませんね」

 

「へぇ、じゃあ『喧嘩』でもする? グロやんと本気70パーセントの殴り合いとか楽しみ過ぎて涎垂れそう」

 

「私は騎士として優先すべき使命があるので、今日はご遠慮しますよ。さぁ、行きましょう、ランク無し君。立てますか?」

 

 差し出された手を掴むことなく、エイジはよろめきながら立ち上がり、グローリーと共にライドウの脇を通り抜ける。

 

「気にしてはいけませんよ。ライドウはいつも悪気100パーセントですから」

 

 悪気しかない男か。エイジはまだダメージフィードバックが残る腹部を摩りながら、減ったHPを確認する。≪格闘≫の補正が乗った、隙だらけの腹部に命中した蹴りはHPを少なからず削っている。

 あのままグローリーがフォローに入ることなく攻撃を畳みかけられていたならば、エイジは何1つとして反撃もできないままに死んでいただろう。

 雑魚。そう言ったライドウの弱者を蔑む眼が意識に焼き付いている。

 どれだけ啖呵を切ったところで、戦場でこそエイジの真の姿が露になる。情けなく動くことさえ出来なかった結果だけが刻まれる。

 

「私はキミには十分な成長の余地があると思いますよ」

 

 ようやく体の自由が利いてきたエイジに、グローリーは左手に大盾、右手に片手剣を装備しながら告げる。

 

「並のプレイヤーならば、ライドウの不意打ちに反応は出来ません。キミは咄嗟にガードしようとしていたように見えました。ですが、何らかの理由で体が動かなかった。違いますか?」

 

 あの一瞬でエイジの一連の反応を完璧に把握していた。吹き飛ばされたエイジをフォローするだけではなく、何が起こったのかまで精密に見切っていたグローリーは、ランク5に相応しい……いや、『馬鹿』だからこそランク5に甘んじている男なのだとエイジは理解する。

 

「フッ、上等ではありませんか! キミの騎士☆ロードはここから始まるのです! ライドウを見返してやろうではありませんか! 微力ながら、先輩騎士である私がお手伝いしましょう!」

 

 だが、やはり『馬鹿』だ。男の……いや、漢の苦しさをこれでもと表現する胸筋の脈動から目を逸らす。

 そうしてエイジがグローリーと共に訪れたのは、フロンティア・フィールドを除いて聖剣騎士団が保有する未攻略ダンジョンの数少ない1つである【ボーレタリア王城深部】である。

 ボーレタリア。それは色の無い霧によって滅んだとされる、最初の火が見出される以前に存在したとされる時代にあった王国だ。

 古い獣を目覚めさせた老王オーラントによって、ボーレタリアは色の無い濃霧に呑まれ、デーモンが跋扈する魔境と化した。この時代のデーモンとは、火の時代以降のイザリスに由来を持つデーモンとは異なり、ソウルを集めて古い獣に供給する怪物であり、偉人や伝承、民話がソウルを通して歪んで具現化された存在である。

 火の時代以前のエリアに限定して色の無いデモンズソウルという特殊なソウルアイテムも入手可能だ。きわめて希少なアイテムであり、使用すればセレクト・デーモンスキルを選び直せる他にも様々な特典に用いれるが、そもそもとしてドロップする【幼体デーモン】がレアポップであるが故に、大ギルドも片手の指の数ほども確保していないとされている。

 

「このダンジョンのボスは既に判明しています。ボーレタリアの英雄の1人であるメタスを模したデーモン【つらぬきの騎士】ですね。私の仕事は、ボーレタリア深部のボス部屋前まで辿り着き、ショートカットを開通させ、余力があればボスを撃破することにあります」

 

「ボスを? まさか本当に単独討伐を!?」

 

「ええ。これ程の大命を任されるのは、私の騎士としての実力が認められてこそ! もちろん、私も無理をするつもりはありませんよ? ランク無し君にも手伝いを強いるつもりはありませんのでご心配なく」

 

 この差は何だ? エイジは奥歯を噛んで拳を握る。

 ネームドの単独討伐をスレイヴに提案される度にそんな馬鹿な事を言うなと否定するエイジ、対して嬉々と名誉として成し遂げんとするグローリー。それは実力差だけではない、明確な『何か』の違いを見せつけられる気分になる。

 実質的にUNKNOWNがほぼ単独で撃破したに等しい塔の騎士のボス部屋に転移し、その先の開かれた扉を前にしてエイジは足の震えを自覚する。

 負けられるか。エイジは【渡り鳥】や孤児達の前で口にした覚悟を胸に、邪剣ダーインスレイヴを抜く。淡い灰銀色の刀身は、冬の太陽のような温もりに欠けた日の光を浴び、薄く青色の煌きを見せる。

 途端にエイジの足の震えは止まる。ダーインスレイヴがエイジの1部となるかのように握りを通して存在感を伝えてくれる。

 

「良い剣をお持ちのようですね。ですが、この私の真☆グローリー☆ソードも負けていませんよ!」

 

 グローリーのバトルスタイルは、かつてのヒースクリフと同じで、取り回しの良い片手剣と大盾を用いたものだ。そして、本人の発言の通り、一目でただの剣ではないと分かる程に刀身は輝いていた。

 

「フッ、これはソウルウェポンでして、この騎士の中の騎士である私に相応しい特殊能力の数々を秘めています。その時が来たら披露して差し上げましょう。ですが!」

 

 開かれた城門を潜れば、ソウルに飢えた兵士たちが現れる。彼らも分類上は亡者であるが、火の時代以降とは異なり、萎びたミイラのような外観をしておらず、目は虚ろで正気も意志も宿してこそいないが、人間とほとんど変わらない。

 流血システムのアップデートと共に変更されたダメージエフェクトの強化。これによって、多くのプレイヤーが精神的に病むことになった。敵の傷から溢れる生々しい、本物の血液のようなブラッドエフェクト、ニオイ、そして傷口に耐えられなかったのだ。

 結果、近接ファイターの少なくない数がカウンセリングの必要な状態に陥るだけではなく、近接ファイター希望者が低下し、いずれの大ギルドもガンナーが急増する事態に陥っている。

 だが、スミスやシノンといった特異な例を除けば、ガンナーはあくまで後方支援なのだ。どれだけ数を揃えても近接ファイターの代理にはならない。

 その点を考慮すれば、GAの開発成功と専用戦力の育成に力を注いでいる聖剣騎士団は、今後は他の大ギルド以上に近接ファイターの保有において有利になるだろう。だが、他の大ギルドも指を咥えているはずもなく、GAを解析して独自路線の開発に勤しんでいるとエイジも巡回警備時代に耳にしている。

 数は視界に入るだけでも7人以上だ。たった2人ならば撤退一択であり、早くもエイジの心は軋みそうになり、それは如実に足の動きが鈍る形で表面化する。

 ダーインスレイヴはあくまでエイジの心理とスレイヴが託したレギオンプログラムをリンクさせているだけであり、抜けば障害を克服できる便利な武器ではない。エイジ自身の精神力が何よりも求められる。ダーインスレイヴはそれを手助けし、障害を乗り越えるハードルを下げるだけなのだ。

 

「さぁ、華々しく私達の任務開始を宣言しましょう! 今、超必殺のグローリー☆エンジェルバァアアアアアアスト!」

 

 途端にグローリーの全身を奇跡特有の山吹色の光が包んだかと思えば、無駄に極まったポーズと共に彼は浮かび上がり、周囲に光柱が生じる。

 その奇跡の名は【天使の光柱】。長い溜めの後に周囲へと光柱をランダムで発生させるという奇跡だ。

 聞くだけならば範囲攻撃に優れているようにも思えるが、満場一致で『産廃』扱いされている奇跡である。

 純光属性であるが攻撃力は低く、あくまで高い衝撃で体勢を崩す、ないし吹き飛ばすことを目的とした奇跡であるのだが、魔力の消費量に反して効果範囲も発生数も少なく、しかもランダムではあるが、発生ポイントの地面が事前に発光するのでプレイヤーはおろか、モンスターでも軽々と回避できる。しかも発動前・中・後の全てにおいて無防備。なおかつDBOでは相討ちするので、発動すれば仲間の動きも阻害してしまう。何1つとして良い点が無い奇跡だ。

 いや、1つだけあるだろう。それは演出力の高さだ。光り輝きながらポーズを決めて舞い上がり、周囲に光柱を降り注がせる。それは見方を変えれば、赤褌1枚の男が筋肉美を見せつけながら、まるで天から降臨したかのような輝かしさをアピールできるのだ。

 

「決まりました! ああ、これぞ我が騎士道! 光が……溢れる!」

 

「何処が騎士道だ!?」

 

「ランク無し君……いいえ、エイジ君。騎士は『カッコイイ』を全てにおいて優先しなければなりません。それがグローリー☆ナイツの必須条件ですよ。いずれキミにも分かります!」

 

 分かっている。分かっていたさ! コイツが馬鹿の中の馬鹿だということくらいな! エイジは迫る亡者兵士たちの剣や槍を捌いてグローリーをカバーしながら、先の協働で精神を病んで傭兵を引退した先人がどれ程の悪夢を見たのか、ようやく実感する。

 だが、悲しくもエイジの協働は始まって1分と経過しておらず、だが彼の心は別の意味でヒビが入り始めていた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 孤児たち相手の青空教室も無事に終わり、オレは大聖堂の応接室にて、エドガーとテーブル1つを挟んで対峙しながら、紅茶を片手に書類の確認を行っていた。

 内容はサインズに提出するオレの本日の業務内容だ。責任者であるエドガーのサイン入りであり、これが無ければ仕事は完了したことにはならないのだ。

 

「不備はないようですね」

 

「それは良かった」

 

 相変わらず胡散臭い笑顔だな。エドガーは『にっこり』と笑いながら、皿に盛られたクッキーに手を付けないオレを見つめている。

 口にする紅茶も相変わらず味はない。毒が入っているとは思わないが、警戒するに越したことはなく、食事の際にはデバフ蓄積アイコンが表示されていないか確認を怠らない。

 ……まぁ、ヤツメ様が欠伸を掻いているので、その手の危険が迫っているとは思わないがな、だからといって注意を怠る訳にもいかない。

 

「【渡り鳥】殿の授業は子供たちからも好評です。スキルのサポートに頼らずに、自分の技術だけで成し遂げた達成感は、今後の彼らにも良い影響を与えることでしょう」

 

「そうですね」

 

 とはいえ、チョコラテ君のように派手な授業を期待していた子には肩透かしだっただろうな。彼の指導をしてくれたエイジに感謝しなければならない。

 だが、少し危険でもあるか。SAOリターナーである上にアスナとも面識がある。彼女の存在を察知し、公にするような真似をされたら、オレとしても大いに困るところだ。

 いっそ狩ってしまえば済む話であるが、これはエイジに限ったリスクではない。思えば、SAOリターナーや復活した死者がどれだけ存在するかも分からないのだ。エイジを始末したところで変わることはない。

 ……いやいや、それ以前に【バーサーク・ヒーラー】がアスナだと!? 何をやってるんだ!? どうして大ギルドに目をつけられるような真似をしたんだ!? 頭痛の種を増やさないでもらいたい!

 

「ところでエドガー。アンナの様子はどうですか?」

 

 エドガーはアスナ、もとい謎の女性プレイヤー・アンナの保護のお願いしている。ユイも一緒のはずなので、母子揃って教会の保護下で静かに暮らしてもらいたいのがオレの希望だが、まず間違いなく裏切られるだろう。

 その証拠にエドガーは何とも言えない表情で紅茶を飲んで数秒の間を置く。

 

「……アンナ殿は【バーサーク・ヒーラー】として少々有名人になってしまいまして。このエドガーも苦心しております」

 

「アナタに責任はありません。しかし、やはりそうでしたか」

 

 エイジはこのオレの華麗なるフォローで上手く誤魔化せたはずであるが、大ギルドの目は腐っていない。SAOリターナーや復活した死者次第では【バーサーク・ヒーラー】の正体を看破できるかもしれないリスクがある。

 だが、エドガーより聞かされた事情によれば、アスナにとっても不本意な異名が広まったのは想定外だったようだ。

 人助けして自分の首を絞める……か。お人好しだな。少し話し合いはしないといけないが、責めるべき案件でも無さそうだ。これからはもう少し大人しくしてもらうようにお願いするくらいに留めておくとしよう。

 

「【渡り鳥】殿とエイジ殿はどのようなご関係で?」

 

「今朝からの付き合いですよ。初対面です」

 

「なんと! これは【渡り鳥】殿には珍しいですね」

 

 まぁ、エイジがどのような人間か知りたかったからな。少なくとも本人の言葉通り、精神はそれなりに病んでいるようにも思えた。

 彼の目は似ていた。アルヴヘイムで再会した『アイツ』の目と同じで、際限のない自己憎悪に染まっているような気がした。

 アスナの喪失から狂い果てた『アイツ』と同じように、エイジも己にとって大切な誰かを喪ったのかもしれない。だからだろうか? あの目を見ていたら、どうにも放っておけなかった。面倒臭いが、アスナの露見に関わるかもしれない人物だ。その胸の内を少しでも探りたかった。

 人間嫌いではないのだろうが、オレとは違う意味でコミュ力に問題があるタイプのようだ。人間関係も広くなさそうだし、雇い主ともドライな関係を好むタイプだろう。

 

「無用な忠告かもしれませんが、彼は危険ですな。このエドガーも多くの人間を見てきましたが、彼は強い負の感情に呑まれています。悪しき道に踏み入れ、多くの人に害をもたらすかもしれません」

 

「そうかもしれません。ですが、不特定多数の人間に被害をもたらすという意味では、オレも同類です。そうなると、エドガーの基準ではオレも悪人……いいえ、それ以下の害獣といったところでしょうか?」

 

「……失言でした。どうかお許しを」

 

「謝らないでください。そういう考え方もあるだろうと納得していますよ」

 

「いいえ、なりません!」

 

 それこそ必死になって頭を下げるエドガーだが、別に怒ってもいないんだがな。そもそもオレの心象なんて、信仰第一のコイツからすればどうでもいいだろうに。

 だが、エドガーの忠告は的を得ている。エイジは危険な精神状態だ。いつ爆発してもおかしくないだろう。

 一方で、エイジは『アイツ』と似て非なるタイプなのではないだろうかとも思う。

 正と負の感情。多くの人間は正の感情を無条件で良しとするが、オレは負の感情もまた人間にとって大切な意思の源であると考えている。

 自他の為に怒り、悲しみ、憎む。それが誤りだろうか? 確かに負の感情は誰かを傷つけ易いかもしれない。『アイツ』のように暴走を招くかもしれない。

 だが、負の感情を糧にして前に進める人間もいる。人間らしい、どうしても捨てることが出来ない憎しみの感情こそが原動力となる者もいる。彼らは切り捨てられるべき悪などではない。それもまた尊き人の意思であり、譲れぬ信念であるならば敬意を表したい。

 本質的に『アイツ』やラジードは正の在り方にこそ相性が良いだけの話だ。『人』であることに正負のベクトルなど関係ない。

 

「左腕の調子がよろしくないようですね」

 

 新しい紅茶を注ぐエドガーの言う通り、左腕はまだ回復しきっていない。簡単で大雑把な動作は出来るが、少なくとも武器を振るえる状態ではないのは確かだ。

 

「マルドロの武器に付与されていた特殊能力のせいでしょうね。傷の治りも悪くて困っています。まぁ、再生しない左目に比べれば不便ではありませんよ」

 

 もうすっかり記憶も灼けてしまったが、どうやらオレの左目は病み村で【棘の騎士】カークに受けた傷が原因らしい。レベル3の呪いであり、治癒はほぼ不可能に等しい。まぁ、義眼のお陰で困ることはないし、むしろ視覚面の情報量を減らす上でも普段は眼帯を着用する理由にもなるし、問題はないがな。

 だが、この先も左腕の調子が悪化する度に誤魔化すのは大変なのでストーリーを作ることにした。それがマルドロの武器の特殊能力というものだ。武器は『破壊された』ので正体も分からず、オレの左腕はよろしい状態ではない、という相変わらず今後の評価を下げそうな内容である。ああ、ランクアップがまた遠のいた。

 ちなみにマルドロの暗器ランスは無事にグリムロックの元に届けられ、日蝕の魔剣の修復素材になった。

 

『クソ! これでは駄目だ! 日蝕の魔剣に獣血侵蝕して≪暗器≫と両立させる為には、適合する全ての武器スキルと両立できる≪暗器≫複合武器が要る!』

 

 だが、グリムロックの計画は上手くいかなかったようだ。日蝕の魔剣を贄姫と同じように≪暗器≫を両立させて獣血侵蝕させるには、残り≪両手剣≫・≪戦斧≫・≪戦槌≫・≪鞭≫・≪光剣≫のそれぞれに≪暗器≫が複合した武器が素材として必要なのだ。つまり、マルドロのランスで≪槍≫はクリアしたが、まだまだ道のりは遠い。

 

『そうだ! チェーングレイヴのメンバーは全員が暗器使いのはず! つまり――』

 

『チェーングレイヴをどうするつもりなのかな? ボクにも教えて欲しいなぁああああ?』

 

 思わず邪な考えを口にしてしまったグリムロックは、背後に立っていたユウキに気づけず、割と本気で怒られたのでした。めでたしめでたし。

 ……まぁ、チェーングレイヴを狩れば、必要素材の半分くらいは何とか集まりそうな気がしないでもないがな。だが、集まるかも分からない素材を待つよりも、いい加減に日蝕の魔剣の修理を終わらせてもらいたい旨は伝えてあるので、グリムロックも何かしらのアンサーを出してくれるだろう。

 白夜の狩装束も未完成ということもあり、改良をお願いしてここ数日はグリムロックに預けておく予定だ。

 

「マルドロですか。このエドガーの耳にも噂は入っています。あの事件のせいで、ラジード殿の戦線復帰はしばらく無理だとか」

 

 ラジードが戦い、見逃した煙の騎士が討伐されたという情報は入っていない。彼らの企み通り、暗殺騒動は太陽の狩猟団の内外に広まっているからだ。

 太陽の狩猟団は手引きした裏切者探しに躍起になっていると聞くが、犯人は捕まらないだろう。なにせ、関与していた黒幕は管理者だ。まだアルシュナとコンタクトが取れていないので犯人は不明だが、プレイヤーが尻尾を掴むのはほぼ絶望的だろう。

 どうでもいい。面倒臭い。そもそも狙われたのはオレで、巻き込まれたのはラジード達なんて説明するのはもっと面倒臭い。

 それよりもラジードの状態が深刻だ。オレが言えた義理ではないが、致命的な精神負荷の受容なんて阿呆な真似をやらかしたせいで、まともに歩くことさえもできない状態である。見舞いにも訪れたが、どうやら味覚障害と左足の感覚不全に陥っているらしい。回復の余地はあるかもしれないが、完治は期待できないだろう。

 グリムロックには話を通してあるので、何かしらのサポートをしてくれる手筈にはなっている。グリセルダさんも今回の件でバランスがどうたらと言っていて、太陽の狩猟団には技術協力したいらしく、タイミングがいいらしい。

 

『いやぁ、まさか甘味が感じ取れなくなってるなんて。僕もちょっとショックかな? あははは』

 

 空元気で強がってはいたが、涙で目を赤くしたミスティアを傍らに、ラジードも少なからずの衝撃を受けている様子だった。

 

『でも、後悔はない。僕は自分が信じられる道を貫いた。その上で対価を支払ったんだ。だから皆も自分を責めないで欲しい。これは僕のやりたいようにやったからこそ、正当に支払わないといけなかった対価なんだからさ』

 

 隠すことなく味覚障害や左足の感覚不全、そしてその原因をミスティアとオレに明かしていたラジードは、ベッドから動けない状態でありながらもハッキリと告げた。

 自覚があるかどうかは不明であるが、記憶の欠落もすでに始まっているだろう。オレの場合はファンタズマエフェクトを引き起こしやすい体質のせいで、致命的な精神負荷の受容がもたらす身体的負荷も相当なものだが、ラジードの場合はその点において心配はないようだ。だが、彼が想定・自覚している以上の対価が支払われたはずだ。良からぬところで問題が起きなければいいのだが。

 しかし、致命的な精神負荷の受容をデーモン化との合わせ技でやり遂げるとはな。オレのように本能ではなく、システムを利用し、ミスティア達への想いで己を繋ぎ止め、彼は灼ける中で戦い抜いた。

 やはり『人』は素晴らしい。ラジードの容態は心配であるが、彼の行為にケチを付ける気にはならない。

 それに最も信頼し、最も心配させる事になるミスティアにも、自分の状態も含めて全て打ち明けていた。

 羨ましいとは思わない。オレは隠すことを選び、ラジードは明かすことを選んだ。それだけだ。

 オレは……ユウキに知って欲しくない。もう出会いも思い出せない。あったかもしれない思い出さえも灼けているかもしれない。

 怖いのか? 恐ろしいのか? いいや、違う。灼けることに恐怖なんて無い。あったのかもしれないが、もう感じることはない。

 だったら、どうしてオレはユウキに知って欲しくないんだ? どうして誰にも打ち明けられないんだ?

 同情されたくないからか? 心配をかけたくないからか? それとも話したところで何も変わらないからか?

 キミは泣いてくれるのだろう。怒ってくれるのだろう。悲しんでくれるのだろう。でも、その度にオレの殺意は疼く。キミの優しさに触れる度に、それに値しない自分を思い知る。

 オレは生まれるべきではなかった。愛される価値なんてなかった。それでも『優しい人』はオレに手を差し伸べてくれる。その度にオレは彼らの愛と慈悲を裏切り、流血と破滅をもたらすしかなかったというのに。

 ザクロ、オマエが言う『幸せ』とは何なのだろうか? 今もオレには分からない。だけど、こんなオレでも探さないといけないのだろう。『獣』として喰らったオマエ達のお陰で、こうして今も生きているのだから、この命がある限り……探さねばならないのだろう。

 

「そういえば、【渡り鳥】殿はレベル100で解放されたシステムはご存知ですか?」

 

「ええ、つい先日知ったばかりですが……」

 

 OSSやデーモン化など、レベルが20の倍数ではレベルアップ必要経験値の大幅増加のみならず、プレイヤーを強化するシステムのアンロックもあり得る。

 だが、レベル100以降はどのようなシステムが解放されたかは分かっていなかったが、大ギルドは既に把握済みであり、精鋭部隊や専属傭兵を中心に広まっている。

 それがソウル・ブースト・マテリアル……SBMだ。レベル100以降のプレイヤーはソウルが特殊な形で物質化したとされる【霊晶石】と呼ばれる特殊なアイテムを装備することが可能となり、強化を施すことが出来るのだ。

 霊晶石はメインが1つ、サブが最大で2つの効果がある。全部で3種類あり、メイン効果が攻撃の【放射の霊晶石】、防御の【円の霊晶石】、補助の【三角の霊晶石】がある。プレイヤーは各1種類ずつ装備することが出来る。

 霊晶石の厳選作業は難航を極めるらしい。ちなみに着脱は可能であるが、1度装備すると外すのにレベル×5000コルが必要らしく、安易に着脱出来ないのが指輪との最大の違いだろう。ただし、装備中は指輪と違ってアイテムストレージを消費しないメリットもある。

 正直言って、グリムロックは霊晶石にまるで詳しくない。むしろ興味が無い。何故ならば鍛冶屋として関与する余地がないからだ。

 SBMの解放条件は、デーモン化と同じく特定の聖杯の儀式を行うことらしく、今のところは大ギルドによって独占されている。だが、ミスティアが今回の件も含めた『諸々のお礼』として教えてくれたのだ。太陽の狩猟団側の了解も取っているらしいので、情報漏洩にはならないはずであるが、だからこそ色々と疑わしい点が多い。ミュウの腹の内が分からない。

 霊晶石はSBMが解放状態だとモンスター・プレイヤーを問わずに撃破時に低確率で、通常ドロップとは別枠でドロップするらしい。強力なモンスターを撃破すれば、その分だけ強力な霊晶石が得られる『かもしれない』のだ。ちなみにネームドを撃破しても確実に得られるわけではないのもミソらしい。完全にドロップ率とリアルラックの勝負である。つまり、オレは圧倒的に分が悪い。

 だが、そんなリアルラック最悪なプレイヤー向け……もといゲーマー大好き厳選作業向けのダンジョンがある。それが聖杯ダンジョンだ。

 どうやら特定の場所で聖杯の儀式を行うことで開かれる特殊ダンジョンらしく、出現するモンスターの強さの割に経験値もドロップアイテムも著しく乏しい代わりに、霊晶石のドロップ率が大幅に上昇する。

 ただし、聖杯ダンジョンは入る度に構造が変化する。帰還ポイント以外で脱出することは出来ず、補給もできない。しかも最大でパーティ1組しか入れず、複数パーティで数のごり押しも効かないのだ。また、最大地下5層まで存在するらしく、深く潜る程に難易度が上昇して霊晶石のレアドロップ率が高まり、最下層にはネームドでこそ無いが、それに準じる強力なモンスターが出現する。

 また、聖杯ダンジョンは多くの制約をかけることでドロップ率やレアリティの上昇、望んだメイン効果を引き当て易くする調整が可能だ。つまり、ソロで制約特盛でいけば、死亡のリスクは高まるが、より強力な霊晶石を入手できる『かもしれない』のだ。うん、確率って怖いよね。『かもしれない』だもんね。

 まぁ、普通は厳選などせずに適当な効果で満足するのだが、何処にでも廃人とはいるものだ。初心というか目的を忘れて、より優れた霊晶石を求めて聖杯ダンジョンに籠る『地底人』なるプレイヤーもいるらしい。

 ……『アイツ』とか嵌まってそうだな。なんか心配になってきた。いや、さすがにデスゲーム中に厳選作業にのめり込むとか、そんなアホな真似をするわけないか。HAHAHA!

 オレも素材が集まったら聖杯の儀式をして解放しようとは思っているのだが、関連素材は大ギルドが独占しているので、グリセルダさんに交渉を任せて集めて貰っている所だ。近日中には解放できる予定である。

 

「どうやら大ギルドはSBMについて正式公表を12月に予定しているようです。レベル100以上のプレイヤーも限られていますし、デーモンシステムと違って危険性から拡散を防止するという建前も使えませんからね」

 

「なるほど。それで、その情報をオレに渡すメリットとは?」

 

「教会はクラウドアース回復アイテムの開発・販売をリーディングする立場となりました。次は優れた霊晶石の売買に関して占有する方針で話が進んでいます。【渡り鳥】殿も霊晶石が必要となるはず。その時は是非ともこのエドガーを頼っていただければ、と思いまして」

 

 要らない霊晶石を闇雲に売却するよりも、教会の管理下に置きたいという大ギルドの狙いか。政治的な意図があるのだろうが、オレには裏が読めそうにないな。グリセルダさんに分析は任せるとしよう。

 だが、エドガーが強力な霊晶石を優先的に回すにしても相応の対価を要求してくるはずだ。コルか、仕事か、あるいはもっと別の『何か』か。どちらにしても、ろくでもない事になりそうだし、自力で集めるのが1番だな。

 

「オレ個人としては【巨人の種火】が欲しいですね」

 

 巨人の種火とは、グリムロック念願の装備を+9まで強化できるようになるアイテムらしい。獲得方法は聖剣騎士団が独占しているという噂であり、他2つの大ギルドは何とか得ようと熾烈な情報戦を繰り広げているとか何とか。なにせ、更に3段階も強化が可能になるのだ。その差は決して小さくない。

 ただし、+9まで強化できたという噂も聞こえていない以上は、聖剣騎士団も巨人の種火をまだ入手できていないのかもしれない。まぁ、所詮は噂だ。フロンティア・フィールドの開拓に出遅れている聖剣騎士団の情報操作という見方もあるらしいので、何処まで真実か分かったものではない。1番乗りなんて考えず、今はのんびりと後報を待つとしよう。そもそもこっちは後ろ盾もない独立傭兵だしな。

 

「いやはや、【渡り鳥】殿とは楽しいお喋りが出来て、このエドガーも高揚します」

 

「オレもエドガーとの情報交換は有意義であると感じていますよ」

 

「何と嬉しいお言葉でしょうか。このエドガーでよろしければ、お耳を汚すことになるやもしれませんが、幾らでも! ああ、そういえば、このような噂をご存知ですか?」

 

「知りませんし、聞きたくもありません」

 

「そう遠慮をなさらずに」

 

「いえいえ、結構です」

 

 クッキーを齧りながら、エドガーは『にっこり』と笑う。今度はオレをどんな事件に誘う気なのやら。その手には乗らんぞ。オレは次のフロンティア・フィールドまで仕事は引き受けないことが決定しているのだ。

 

『教会やフロンティア・フィールドの仕事はもう引き受けたんだから仕方ないけど! 左腕が治るまでお仕事は禁止! 約束だよ?』

 

 ……可愛い顔して鬼みたいな要求しやがって。だが、ユウキと約束した以上は療養優先だ。何が起こるか分からないフロンティア・フィールドに左腕もまともに動かない状態では踏み入れたくないし、大人しく約束を守ろう。

 それに切実な問題として、今のオレには色々と不足が生じている。メイン防具の白夜の狩装束は絶賛改良中だ。メインウェポンの贄姫は改造入り、日蝕の魔剣も修復出来ていない。使えるのはミディールくらいであるが、あれは色々な意味で日蝕の魔剣の比ではない殺傷性能なので扱いに困る。

 そこでサブウェポン開発も並列で進めてもらっているが、やはりイジェン鋼は素晴らしい。STR補正特化であり、基礎物理攻撃力も高められる素材だからな。イジェン鋼の大剣に続き、バトルアックス、大型メイスも開発してもらっている。まぁ、グリムロック曰く『素材をそのまま活かしただけの刺身みたいな退屈な武器』らしい。ふざけるな! 刺身を舐めんじゃねぇ! あれは板前さんの技術次第で幾らでも化ける最高峰の料理だ!

 ギミックも何もなく、ひたすらに頑丈で破壊力がある。うん、素晴らしい。武器なんて最終的にはこれでいいんだよ。オレの要望でイジェン鋼を使ったカタナの開発も進めている。贄姫以外のカタナは脆くて困る。要望した時のグリムロックは絶望フェイスだったが、そんなの知った事か。とにかくサブウェポンは頑丈でないと困るのだ。そうでないと狙った通りに使い潰すことさえ出来ない。

 しかし、今後を考えるとやはり特大剣は欲しいな。ラジードを見ていたら、特大剣には魅力を感じずにはいられない。敵をまとめてなぎ倒す豪快な戦い方は特大剣の醍醐味だな。まぁ、大槌や大斧でも出来ないことはないのだが、デカい剣を振り回すのがやっぱり良いんだよな。何よりも壊れ難い。

 でも、レベル120は随分と先になりそうだしな。それに武器枠はもっと増やしたいし、いい加減に補助系スキルを取っていないと本格的にスキル脳筋扱いされそうだし、シノンと話したみたいにフレーバースキルを取るのも悪くない。

 

「【渡り鳥】殿にとっても有益な情報に違いありません。なにせ、あのフロンティア・フィールドの噂ですからね」

 

「……話したければお好きにどうぞ」

 

 情報をタダで渡してくれるはずがない。そうなるとエドガーの狙いが何なのか気になるが、『独り言』に1コルとして支払わないというスタンスを見せる。

 

「フロンティア・フィールドのモンスターが異常に強いのはご存知ですか?」

 

「ええ。何でも熟練の上位プレイヤーのパーティでさえ全滅しかけたとか」

 

 もちろん、そんな強敵ばかりではないが、総じて今までよりも強力なモンスターが跋扈しているのは間違いない。そもそもレベル100以上推奨だからな。

 フロンティア・フィールドとは違い、フィールドとダンジョンの線引きが曖昧なのも特徴と聞いている。エリア毎によって特色こそ異なるが、総じてプレイヤーの安全地帯を明確に確保する方法が乏しい。代わりにクリアさえすれば領地化が可能だ。開発可能領域をどんどん拡張させれば、その分だけプレイヤーにとっての安全地帯も増える仕組みである。逆に言えば、エリアを領地化しない限りは明確な安全地帯が無いとも言える。

 まぁ、領地化しても開発可能領域を拡張させる条件をどんどんクリアし、なおかつ安全率を高めて維持しなければならない。しかも開発不可領域は最後まで残り続けるらしいので、エリア全域を完全な安全地帯には出来ない。

 つまり、フロンティア・フィールドの領有後も、顎が外れるみたいな開拓コストと維持コストがかかるのだ。たとえトッププレイヤーで結成された少数精鋭ギルドが実力に物を言わせて確保しても、そこから先も馬鹿みたいな人員と資本が求められるのだ。

 まぁ、本来ならばここでギルドNPCの出番なのだろうが、DBOはレギオンの脅威があるせいで、安易にギルドNPCを増やせないという実情がある。だからといってゴーレムではコストがかかるし、細かい仕事までは不可能だ。

 そこで財団製のドールの出番なのであるが、まだまだ実績が足りていないのが実状だ。ただ、保有数をギルド規模に応じて厳格に定めたので、実用性に足る運用は大ギルドと有力ギルドくらいしか不可能だ。

 グリムロックも仕入れたドールのオペレーションを組んでいるが、なかなかに興味深いらしい。メモリを割り振ることでどんどん性能は上昇し、専用防具の開発も進んでいるとか。グリムロックも黄金林檎の資金稼ぎでドール用の装備を開発した事もあるらしいしな。だが、グリムロックの技術はワンオフに特化され過ぎて生産性や整備性を度外視しているので、プロトタイプとしては有用であるが、即戦力とはならないらしいな。

 生産性や整備性では、やはり大ギルドの工房の方が上だ。だが、ここ最近は大ギルドの工房も主義や思想で分裂しているらしい。グリムロック級のHENTAIは少なくとも、準HENTAIクラスは大ギルドも揃えているという事だろう。

 

「フロンティア・フィールドでは、人型といえばロボット系のモンスターですね。その厄介さはお分かりのはずです」

 

「ええ。特にヒューマノイドが多く出現するとか」

 

 フロンティア・フィールドで出現するモンスターでも、人型で特に多いのがロボット系のヒューマノイド・タイプだ。

 主に終末の時代に登場するヒューマノイド系は、外見こそ差異はあるが、人間同様の四肢を持っている。体格は標準で2メートルでプレイヤーよりもやや大きめといった所か。頭部も人間のような顔をしているわけではなく、流線形の角ばったヘルメットのようなタイプが多いが、正面に可動性に富んだスフィアタイプのカメラ・センサーを装着していることが多く、索敵・攻撃精度は高い。

 主に出現するのはガンナー型である。実弾からレーザーまで様々であるが、近接メインのDBOでガンゲーでも始めようと言わんばかりの勢いで弾丸をばら撒いてくる。

 まぁ、他にもバリア発生器付きの実体シールドを装備していたり、レーザーブレードを振り回したりと様々であるが、総じて厄介だ。だが、ドロップするアイテムはそれなりの旨みもある。素材にこそ出来ないが、そこそこの価格で換金が狙えるコレクターアイテムが割と高確率でドロップする。まぁ、それでも倒すまでに受けた被弾の分だけ、回復アイテムや修理費も嵩むから、一概に狙って倒せとも言えないがな。

 正直言って、ヒューマノイド系は面倒くさい。人型の雑魚にしてはタフだし、単体ではまず出現しない。1体見つけたら何処かに5体待ち伏せしているんじゃないかと疑わないといけないくらいだ。ドロップアイテムは換金性が高くとも、有用な素材はなかなか落とさないし、武器のドロップ率も悪いし、経験値やコルも渋い。

 フロンティア・フィールドではNPCも含めて『人間』を発見できていない。まるで人類の代わりにヒューマノイドが終わらぬ任務を果たしているかのような印象を受ける。だが、だからといって生物が全く存在しないわけではなく、むしろ凶悪なモンスターが山ほど出現する。

 大ギルドはフロンティア・フィールドの謎を解き明かせば、完全攻略最後の鍵が得られると踏んでいるようだが、そんな生易しいものではないようだな。今までのようなダンジョン攻略とは勝手が違うし、大ギルド同士の凌ぎ合いも顕著に出るしな。

 オレも自由開拓戦線の依頼で踏み込むことになるが、気合を入れておかなければならない。モンスターだけではなく、プレイヤーの襲撃リスクも高い。それがフロンティア・フィールドなのだから。有力ギルドを挟んだ代理戦争か。本当に面倒臭いな。

 

「ですが、まだ未確定情報ですが、フロンティア・フィールドで『人型の生物モンスター』を目撃したという報告があります」

 

「プレイヤーを見間違たのではなく?」

 

「ええ。ですが、非情興味深い報告でして。その容姿は人型でありながら、人間とは違って黒ずんで硬質な皮膚をしており、口は裂け、目は退化し、赤い感覚器官が複眼の如く並んでいたとか」

 

 ……深淵系の特徴だな。また深淵か。懲りずに深淵か! 本当に何処からでも湧いてくるな!

 だが、フロンティア・フィールドはプレイヤー間の考察では、終末の時代以降、人類にとって最後の土地である終わりつつある街以外の、霧の中に呑まれた世界なのではないかとも推測されているらしい。ヒューマノイドなどのロボット系が跋扈するのも終末の時代からの延長であるならば、十分に説得力のある証拠になる。

 そして、オレは知っている。終末の時代には、ダークソウルを用いたジェネレーターが使用されていた。強大なパワーをもたらす一方で、ダークソウルによる世界の汚染は拡大していき、人類の生存圏を狭めていった。ダークソウルによる汚染とは、即ち深淵を招くということだ。それならば深淵系が登場してもおかしくない。

 だが、それにしては深淵系モンスターが多く出現したという報告は上がっていない。それもまた妙な話である。だからこそ、エドガーはわざわざこの価値ある情報をオレに教えてくれたのだろう。

 

「狙いは何ですか? 情報料は支払いませんよ?」

 

「……先日、あるプレイヤーが『処分』されました。そのプレイヤーは急速に成長し、いずれは上位プレイヤーになるのではないかと期待されていました。ですが、そのプレイヤーはPKを繰り返していたのです」

 

「別に珍しいことではないでしょう。PKすれば経験値が得られるだけではなく、相手のコルもアイテムも装備も奪える。そのプレイヤーがダークレイスの誓約を結んでいたならば、恩恵は更に高まったことでしょう」

 

 PK向けの誓約であるダークレイスは結んだだけで、問答無用で殺害が認可されている。なにせ、無差別殺人を行いますと看板をぶら下げているようなものだからな。

 だが、ダークレイスの誓約程にプレイヤーを強化させるものも無い。ダークハンドによる特殊攻撃・防御も可能であり、プレイヤー撃破時の経験値習得量にもボーナスが付くのだ。他にも強力な誓約スキルを得られるので、リスクを理解しながらもこっそりとダークレイスの誓約を結んでPKに勤しむ者は多い。特に上位プレイヤーに追いつこうとする中位プレイヤーやどん底から這い上がろうとする下位プレイヤーで多いらしい。

 ちなみにオレは深淵狩りの誓約を結んでいるわけであるが、ダークレイス誓約者も誓約ポイント入手の対象だ。ダークレイス誓約者を倒すことで利益が得られる誓約もまた多い。PK御用達の誓約は、その代償としてPKKされるリスクも背負うのだ。

 

「ええ。ですが、問題なのは別なところにありました。処分される寸前に捕縛されたプレイヤーは、未知の誓約を結んでいたのです」

 

「未知の誓約もまた珍しくありません」

 

 これまでクリアしたステージでも、探索率100パーセントではないはずだ。今でも大ギルドが掘り尽くしたと思われていたダンジョンに潜った中小ギルドのパーティが、未発見だった固定トレジャーボックスを発見するのも珍しくない。

 

「そうですね。ですが、その誓約が不気味なのです。【焔狩り】と呼ばれる誓約でして、大幅な強化をもたらす【深淵の指輪】を授けるのです。この指輪を何処で手に入れたのかと詰問したところ、フロンティア・フィールドでNPCと誓約を結んで入手したらしいのです」

 

「……それも珍しいことではないでしょう」

 

「ええ。ですが、件のプレイヤーが『処分』され、残された深淵の指輪は教会の下で管理されるはずが、人知れずに消えていたのです。指輪を保管しするはずだったプレイヤーは失踪し、同行していた彼の同僚5人は遺体で発見されました」

 

「まさか、指輪がプレイヤーを操った……と?」

 

「そこまでは言いません。ですが、デーモン化によってプレイヤーの闘争心が刺激されるならば、同様の理屈でプレイヤーのモラルを低下させ、PKに走らせるシステムを起動させる指輪があってもおかしくないのではないか、とこのエドガーは危惧しております。なにせ、DBOでは何が起こっても不思議ではありませんからね」

 

 確かに何が起こってもおかしくはない。まだ調査していないが、黒霧の塔の素晴らしいチェスターの件もある。

 NPCの『中身』が入れ替わり、本物がプレイヤーアバターで闊歩する。あり得ないとは言い切れない。

 もちろん、あのチェスターが完コスしていただけとも考えられる。だが、ある種の凄みとも言うべきものがプレイヤーの質とは違っていた。

 プレイヤーはどれだけDBOに染まろうとも根底には現代社会で得た倫理観が存在する。だが、あのチェスターからはそれが感じられなかった。殺し合いが日常の世界で生まれ育ったから得られた雰囲気を纏っていた。

 気のせいだといいのだがな。単にプレイヤーと同等のステータスだけならば脅威度も落ちるが、仮にNPCとしての特権の高ステータスを発揮できるならば、それは敵対NPCの猛威がそこら中に潜んでいることになる。

 個体差こそあるが、敵対NPCの中にはネームド級もたまに潜んでいたりするものだ。NPC殺害でアイテムやコルを儲けようと企んだパーティが、喧嘩を売ったNPCが人型ネームド級の強さを発揮して全滅した……なーんて事件もあったくらいだしな。

 

「『火はいずれ陰り、闇ばかりが残る。故に我らは火を狩る者なり』」

 

「……それは?」

 

「件のプレイヤーの遺言です。指輪を奪われた後は正気を失っていましたが、処刑前にこのような発言を……」

 

「『火』を狩る者……故に焔狩りですか」

 

 深淵狩りが火の時代を守る為に闇を狩る者であるならば、焔狩りは闇の時代をもたらす為に火を狩る者ということか。

 

「神灰教会とは、灰より出でる大火を迎えることこそが絶対の教義です。このような誓約者を野放しには出来ません。故に独立傭兵と立場を活かしてフロンティア・フィールドに潜る事になるだろう【渡り鳥】殿に情報収集をお願いしたいのです。正式な依頼が必要であるならば、サインズを通させていただきます。ですが、まずはご一考をと思いまして」

 

「他の独立傭兵にも同じ依頼を?」

 

「いいえ。このエドガーが真に信用できるのは【渡り鳥】殿だけ。依頼である限り、【渡り鳥】殿は決して裏切りませんから」

 

「……まずはサインズを通してください。貴重な情報をいただいた以上、必ず引き受けさせていただきますよ」

 

「【渡り鳥】殿のその律義さこそ、このエドガーが信じるに足る根拠ですな」

 

 はいはい、どうせオレは扱いやすい傭兵ですよ。だが、裏を掻こうとしても失敗するだろうし、そもそもとして引き受けた以上はどんな形だろうとやり遂げる。それが傭兵の流儀だ。

 エドガーに見送られて教会を後にし、間もなく訪れる夕闇を見て、1日とはこんなにも早いものかと溜め息を吐く。吹き溜まりという濃すぎる24時間を経験したせいか、1日の時間の流れに対してどうにも調子が狂うようになった。

 フードを装備して目深く被り、すれ違う人々の視線を避けるように隅を歩く。1日も終わりが近づけば、終わりつつある街もプレイヤーで賑わい始める。1日の疲れを食事や娯楽で洗い流すのだ。

 昼夜問わずにモンスターは出現するし、ダンジョンには潜れるし、イベントに挑戦だって可能だ。むしろ、夜間にしか出現しないモンスターや発生しないイベントもある。

 だが、多くのプレイヤーは朝起きて、夕暮れには帰り、夜には眠る。それが自然と1日のリズムとなっている。もちろん、目的次第で夜に活動する者もいるが、あくまで生活のリズムは太陽と連動している。

 DBOは現実世界と入れ替わるように肉付けされていくが、それ以前からプレイヤーはこの生活リズムを自然と刻んでいた。肉体の有無にかかわらず、それが生物の証明であるかのように、朝に目覚め、夜に眠るのだ。

 

「…………」

 

 飢餓は今日も抑えられている。だが、それは単に表面化しないだけだ。

 いつも、いつも、いつも、本能が……魂が咆えている。殺戮の飢餓を訴える。

 また飢えて痩せ細れば、ランスロットや吹き溜まりの時と同じように、ここぞという場面で深刻なパフォーマンスの低下を招くだろう。だが、それは至急解決すべき問題ではない。

 もう抑制も限界だ。1度『命』を喰らい、『獣』の顎は日に日に御しきれなくなっている。

 終わりつつある街の灯を眺めることができる円形公園の縁に立ち、街灯に照らされる。ここはカップルのデートスポットであり、今日も多くの男女のプレイヤーが仲睦まじく歩いている。お独り様はオレくらいのようだな。

 それにしても、11月にしてはフライング気味な寒さだな。息まで白く濁ってしまう。

 

 

 

「よう、今日は良い夜だな」

 

 

 

 

 隣に知らぬ男が立ち、不意打ちのような呼びかけにオレの喉は硬直する。

 本日2度目だな。エイジに続いて、オレに声をかけたのは、男らしい野性味ある、だが人を寄せ付けない冷たい印象を持った顔立ちの男だ。

 さて、どう反応したものか。エイジのように初対面なのか、それとも灼けて思い出せなくなった知人なのか。

 

「……すまない。困らせたようだな。俺達は『初対面』さ。馴れ馴れしく声をかけたこと、詫びさせてくれ」

 

「構いません。別に謝られることではありませんしね」

 

 ふむ、エイジと同じパターンか。しかし、今日は珍しいこともあるものだ。オレの場合、悪名のお陰で面識も理由も目的も無いのに声をかけようなんて奇特な人間は滅多にいないからな。

 だが、エイジの時と違って今はフードを目深く被っているので顔は見えないはずなんだがな。

 

「しかし、『噂通り』か」

 

「良い噂だといいのですが」

 

「どうだろうな。噂の良し悪しなんて、立場と主観で幾らでも変わる」

 

「誰かにとっての凶報は、誰かにとっての吉報ということですか」

 

 確かにそういうものかもしれないな。ならば、この男にとってオレに関わる『噂』は、どちらに分類されるものなのだろうか。

 しかし、なかなかに高身長で体格もいい男だ。身長180センチオーバーだし、並ばれたらオレの貧相な体躯が余計に強調されてしまうではないか!

 

「ククク! 身長なんて気にしてもしょうがないだろうに!」

 

「なっ……!?」

 

 オレの思考を読んだ!? まさかプレイヤーアバターで接近してきた初の男性型MHCPなのか!? それとも本物のエスパーさん!?

 

「別に不思議な事は何もしちゃいねぇさ。お前に似た奴とは少しばかり長い付き合いでな。『ソイツ』も顔と身長をよく気にしていたから、分かるだけだ」

 

「……親近感が湧きますね」

 

「そうだろうな。だが、俺に言わせれば余計な事を気にし過ぎだ。顔も身長も世間が押し付けた余計な評価基準だ。それでも『ソイツ』には必要だったんだろうさ」

 

 大切な人なのだろう。だが、その口振りは故人なのではないかと感じさせる程度に切なさの欠片が埋め込まれているような気がした。

 街の灯に興味など無いとばかりに落下防止の柵に両肘を置いて背中からもたれ掛かり、男は夜空を見上げる。星を探すならば街灯の下など不適切だろうに。

 だが、男が探しているのは夜空を埋める星でもなく、輝く月明かりでもなく、もっと別の『何か』であるような気がして、オレも見上げてしまう。だが、オレの眼には、男が探している『何か』は決して映らない予感があった。

 それは男の目に決して崩れぬ『人の意思』があったからだろう。それはエドガーの狂信にも似て非なる、決して譲れぬ我欲で塗り固められているようだった。

 

「『ソイツ』は俺の求めた世界の真実そのものだった。その出会いが俺にとって生まれた意味を与えてくれた洗礼になった。俺の生も死も全て『ソイツ』の為にあったんだと理解できた。いや、そう信じたかったんだ」

 

 言い直した男の目に憂いが滲む。それでも、男は決して夜空から目を離さない。だから、オレもせめて彼の顔をこれ以上眺めるのは非礼であると考えて、同じように夜空を見上げ続ける。

 

「俺は正しかった。だが、同時に間違ってもいた。『ソイツ』が『本当の自分』を曝け出して自由になる為には、何よりも『ソイツ』の在り方を認めてあげないといけなかったんだ。どれだけ傷つこうとも、苦しもうとも、蔑まれようとも、恐れられようとも、『ソイツ』はこんな俺だって愛してくれる。他でもない、『ソイツ』の今の在り方こそが隠し続ける『本当の自分』の断片なんだと、屈辱の底でようやく理解できた」

 

 きっと大切な人なのだろう。彼にとって自分の存在意義にも等しいのだろう。決して譲れない想いに満たされた言葉の1つ1つに、オレは彼の意思の強さを感じ取る。

 

「……悲しいんですか?」

 

「そうだな。俺は何も見えていなかった。自分の『答え』を証明したいばかりで、『ソイツ』の在り方から目を背けていた。自分の正しさに固執して、本筋って奴から遠ざかった」

 

 ふわりとオレの顔を隠すフードが男の手で優しく外れる。敵意も殺意も害意もなく、だからこそ払い除けようとは思わなかった。

 

「俺はもう満たされていたんだ。俺にとって『ソイツ』との出会いは、俺の生と死の全てを肯定してくれる洗礼だったんだからな。だから、忌々しいが、今はあの糞女にも感謝の念しかない。俺がやるべき事、それは……他でもない『ソイツ』の『生まれた意味』にこの命の全てを捧げて意義を刻み込むことだ。『ソイツ』にとって『本当の自分』を曝け出して自由になることこそが……誰よりも『ソイツ』にとっての救いにして幸せであるように、な」

 

 男の手は大きくて、オレの頭をすっぽりと覆ってしまう。

 

「俺はもう諦めない。死ぬにはまだ早すぎる。何を犠牲にしても必ずやり遂げてみせる」

 

 そのまま優しく撫でる男の目は、顔つきに反して、何にも勝る決意を秘めた父性の優しさで溢れた微笑みがあった。

 

「あ、あの……!?」

 

「ククク、悪いな。余りにもお前が『似ていた』から、つい感傷に耽っちまったのさ。しかし、撫で甲斐のある頭だな。髪もふわふわで癖になりそうだぜ」

 

「止めてください。止めて。や、ややや、止めろぉおおおおお!」

 

 オレの抵抗の効果もあり、最後に2度だけやわらかくオレの頭を叩いて手を離した男は、変わらぬ笑みのまま、だが揺るがぬ覚悟を根差した眼だった。

 

 

 

「じゃあな。また会おうぜ、未来の虐殺者様」

 

 

 

 オレの悪名高さを意識してか、最後にそう言って男は立ち去っていく。

 勝手に話しかけて、勝手に語って、勝手に頭を撫でて、勝手に去って行った。身勝手な奴だ。

 だけど、どうしてだろうか?

 撫でられた頭が……とても懐かしい気がする。

 昔もこんな風に頭を撫でてくれた『誰か』がいたような気がした。

 

「……帰るか」

 

 人目が集まる前にフードを被り直し、帰路を目指す。

 フロンティア・フィールドの探索依頼まで猶予は残っていない。左腕の回復が最優先だ。

 それとアスナにメールを飛ばすのを忘れない。釘くらいは刺しておかないとな。




今再び覚悟は試され、誓いは捧げられる。

祈れ、『答え』の為に。



それでは、321話でまた会いましょう!

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