SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

弱者たちは、間違いを正すことを選んだ。


Episode20-13 反逆の日

「第8次連絡を行う。なにせ連絡は一方通行だ。お前たちが真面目に聞いてくれていることを願う」

 

 その男は目立った戦果を残さない。 

 

「ターゲットを捕捉した。発電施設への侵入を確認、≪追跡≫による尾行は継続可能。勘付かれた様子もない」

 

 その男は戦力として軽視される傾向にある。

 

「ユージーンとアラクネ傭兵団も発電施設に侵入した。詳細は不明だが、アラクネ傭兵団は半壊している模様。ターゲットが被害を与えたとは考え難い。コピー・ネームドとの戦闘で犠牲者が出たと予測される。山猫が危険視したランスロットとエンカウントした確率が高い」

 

 その男は手堅く仕事をこなし、だが常に大金を動かす。

 

「それと他にもおかしな連中が何人か潜り込んでる。肉スライムを操るガキと火力馬鹿の騎士様だ。どちらも情報にないが、後者はここ最近でサインズ本部や終わりつつある街で目撃例のある詳細不明プレイヤーと見て間違いない」

 

 その男は密やかにダンジョンに、敵陣に、謎に潜り込む。

 

「これからユージーンとアラクネ傭兵団のターゲット捕獲の妨害を行う。俺だけでも捕まえられない事もないが、ランク1と正面からぶつかりたくないからな。ターゲットの離脱を援護し、予測目的地の更新を行う。捕まえるのはお前たちの仕事だ。頼んだぜ。エイリーク、お前の出番はもうすぐなんだから、今は逸るなよ。山猫にはいつも通りの仕事を期待する。以上」

 

 背負った大型通信機を揺らし、男はトレードマークでもあるテンガロンハットを被り直す。一見すれば、西部劇に登場するガンマンのようでもあり、事実として腰のホルスターには大経口のリボルバーが装備されている。

 サインズ傭兵ランク10、カイザーファラオ。彼の仕事はとにかく密やかに行われねばならない。

 敵に気づかれてはならない。モンスターと戦うのも最低限にこなさねばならない。全てが終わった後も痕跡を残してはならない。そして、得た情報とアイテムの対価として十二分な報酬を得る。

 

「やれやれ、因果な仕事だぜ。俺の予想では、ターゲットはシロだったんだがなぁ。ミュウも『疑わしきは捕まえる』程度だろうが、それで人生設計吹っ飛ぶ奴さんのこともちっとは考えてやれねぇもんかねぇ」

 

 あのグローリーと組んで精神を病まず、なおかつネームド撃破に貢献。将来性は十分であり、経験さえ積めば、同じ専属先ならば良き協働相手として、敵対先・独立ならば手強いライバルになっただろうに。カイザーファラオはターゲットの写真を手に、可能性のある傭兵候補がまた1人消えることになったと、DBOの今後を考えて純粋に悔やむ。

 

「フロンティア・フィールドはキツ過ぎんだよ。潜在的に味方だろうと敵だろうと、とにかく『個人』として優秀な奴が1人でも欲しいんだよ」

 

 単独でフロンティア・フィールドを探索する成果を評価されてランク10という地位を得たカイザーファラオは、言い換えれば他の誰よりもフロンティア・フィールドの高難度を熟知しているとも言い換えられる。

 各大ギルドはフロンティア・フィールドの探索に注力しているが、その陰では多数の犠牲が積み重ねられている。最近になって名を上げてきた自由開拓戦線にしても相応の死者が墓標に名を刻んでいる。

 優秀な奴は1人でも欲しい。将来性のある奴は大切に育ててやらねば勿体ない。それがカイザーファラオの本音だ。

 

「まったく、どいつもこいつも狂ってやがる。人材が無限に生える雑草とでも思ってんのか?」

 

 探索専門であるカイザーファラオ。彼は自分にランク10という地位を過大評価と考える。戦闘に秀でた1桁ランカーに比べれば、個人の戦闘能力は傭兵でも下から数えた方が早いと自負している。正面から戦えば、現傭兵の大多数に負けるだろうとも確信している。

 だが、カイザーファラオもまた傭兵として基準を満たした実力の持ち主である。ランク持ちとは、最低でもネームド相手に単独で粘り、生存を可能とする実力を有していなければならない。いかに探索専門とはいえ、全くの戦闘皆無ではない。時として強敵と遭遇した時には、確実に生存して情報を持ち帰らねばならない。

 傭兵としてやっていける者は実力が飛びぬけ、なおかつ頭のネジが外れていなければならない。まともな精神の者はまともらしくギルドに属しているべきなのだ。そういう意味では、グローリーは丁度いいテストになるだろう。彼と協働をして精神を病んで傭兵を辞めた者は数知れないが、逆に言えば、傭兵の非凡性を端的に示すグローリーとの協働を乗り越えられない者は、どちらにしても傭兵業の内に精神がおかしくなるだろう。

 大ギルドも度重なる攻略で古参を失ってしまった。経験という貴重な財産を積んだ戦士の損失を補う為に、最新装備を与えられた最前線の恐ろしさも知らない新兵が送り込まれる。フロンティア・フィールドには、名ばかり上位プレイヤーの悲鳴と血がたっぷりと染み込んでいる。カイザーファラオは仕事だと自分に言い聞かせ、彼らの危険を見過ごした。何度も見殺しにした。

 才能が無いならば十分な訓練を積んで基礎を鍛え上げ、実戦を経て成長するしかない。そういう意味では、クラウドアースのエリートプレイヤー制度は、他の大ギルドにはない『優秀な戦士』の量産に適しているだろう。選ばれた才能あるプレイヤーを多様な訓練で鍛え、実戦経験で成長を促す。時間をかけた価値はあり、クラウドアースの戦力の『質』は飛躍的に向上している。対して、かつては少数精鋭主義だった聖剣騎士団が『数』に頼るようになってしまったのは、DBOの変遷を物語っているだろう。

 

「……だが、これも仕事だ。恨み言は聞かないぜ」

 

 それでも、雇い主のオーダーならば従わねばならない。それも傭兵だ。カイザーファラオはターゲットを捕縛するべく、打てるべき手は打つと動き始める。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「ねぇ、『悠那』さんってどんな人だったの?」

 

 発電施設は無人化が進んでいるのか、NPC職員はほとんどいない。だが、代わりに巡回ロボットの数が多く、またセンサーによって多くの進路が事実上封鎖されている。エイジはユナを引き連れながら、楽譜が示す方向へと慎重に潜入していた。

 そんな時に、半ば呑気とも言えるユナの質問に、エイジは思わず心臓が口から飛び出しそうになる。

 危険地帯でも度胸があるというべきか、あるいは危機感が足りないというべきか。もしかしたら、自分の緊張を解そうとしてくれているのだろうか、とエイジは溜め息を堪えながらユナの質問を噛み締める。

 

「何のことだい?」

 

「とぼけないでよ。私はペイラーみたいに賢くないけど、エイジが思ってる程に馬鹿じゃないんだから!」

 

「誰もユナが馬鹿なんて言ってないじゃないか」

 

「ホントに? なーんか、エイジってたまに私のことを救いようのない馬鹿を見るような目をしているような気がするんだよね」

 

 ユナのことを馬鹿だとは1度も思ったことはない。ただし、ライドウの時のように後先を考えていない無謀はなるべく控えてもらいたいとは切に願っている。エイジは自分の実力不足をペイラーの記憶で思う存分に味わっているのだ。彼女を守ろうとしても、彼の剣はどれだけの脅威を斬り払えるか分からない。

 また、今のエイジは視界も半分だ。レギオン化の進行を抑える処置の為に右目を摘出されている。再生可能とはいえ、レギオン化の進行もあり得る為にトカゲ試薬は使用していない。故にただでさえ低い戦闘能力は更に減少しているのだ。

 手に入れなければならない楽譜はあと1枚。だが、コピー・ネームドとの対決が不可欠だ。右目を失い、なおかつダーインスレイヴとのリンクも限界を超えた今のエイジには、もはやユナを傷つけずに守り切るなどという過信は持てなかった。

 

「知りたいの。エイジにとって、きっと大切な人なんでしょう?」

 

 パイプが連なり、蒸気が噴き出る区画に踏み入れば、天井に張り付く6脚型ロボットの赤いカメラアイが輝く。咄嗟にユナの頭を掴んで姿勢を低くし、物陰に隠れたエイジは右人差し指を口に当てて沈黙を指示する。

 まるで蜘蛛のように天井を這う6脚ロボットは背負う2連装キャノン砲を左右に動かしながら巡回する。エイジたちの頭上に達すれば、カメラアイの駆動音が耳を掻き毟ろうとする。

 10秒、20秒、30秒……1分。ようやく6脚ロボットが去り、エイジはゆっくりと息を漏らす。

 

「足下に気を付けて」

 

「うん」

 

 エイジはユナの手を引き、左右に簡素な柵しかない金網の橋を渡る。見下ろせば、白い蒸気の海が広がっていた。落ちた先にも地面はあるだろうが、およそ生存できないだろうという確信もあった。

 右手に握るダーインスレイヴの脈動は、いつしか心臓の鼓動と深く結びついている。ダーインスレイヴと1秒経過する毎に一体化しているかのようだった。あるいは邪剣に『喰われている』のか。どちらが正解なのか、エイジには判断することができない。

 

「『ユナ』は……悠那は、僕とは何もかも違ったよ」

 

「どんな風に?」

 

「僕と違って、いつも冷静で、ここぞという時にはいつも正しい行いが出来た。時々、無謀と思えるくらいに感情的な行動を取っているように見えるけど、それは彼女が冷静に周囲を見ているからこその結果に過ぎないんだ。いつもその場凌ぎしかできない僕とは違って、先のことを……皆の未来を考えて動ける人だった」

 

 あのドローンの群れは破壊しなければ先に進めない。エイジは爆発音が響くデメリットを承知で、残り少なくなったプラズマ手榴弾を投げる。起爆ボタンを押してからタイミングを計って放られたプラズマ手榴弾は、ドローン7機の中心で雷爆発を起こしてまとめて撃墜する。

 ドローンは経験値は低いが、その分だけ倒しやすい。攻撃力の低いドローンの役割は、他の警備ロボットなどの応援を呼ぶことだからだ。つまり、先手を打って迅速に処理しなければ、瞬く間に大軍に包囲されかねないのだ。

 

「僕と違って、頭がとても良かった。小さい頃から勉強では1度も勝てなかったし、パズルやクイズみたいな頭を使うゲームでも負けてばっかりだったよ。でも、それだけじゃない。僕が短絡的に間違いを犯すと、いつも悠那は僕の道を正してくれた。僕が迷った時、悠那はいつも先を進んで手を差し出してくれた」

 

 この通路は駄目だ。エイジは舌打ちを堪え、ユナに引き返すようにアイコンタクトを送る。楽譜の示す方向への最短ルートを通ろうとすれば、警備やセンサー、監視カメラなどで妨害される。リスクを抑える為に遠回りをしなければならず、その分だけ焦りは増すが、ユナが手を力強く握り返して不安を落ち着けようとしてくれる。

 

「僕と違って、誰にでも優しくできた。困っている人がいたら躊躇なく助けて、苦しんでいる人がいたら一緒になって真摯に悩んであげて、たくさんの人たちを助けたいと願っていた。僕とは本当に……大違いだよ。僕はどうでもよかった。自分と……悠那以外は、どうでもよかったんだ」

 

 SAOで最前線に立とうと足掻いたのも、悠那を現実世界に返すと……彼女を守ると誓ったからだ。だが、悠那は違った。SAOをクリアし、多くの人々が救われる為に尽力することを願い、行動し、そして死んだ。

 

「それが僕の知る悠那だよ」

 

「……エイジ」

 

 上手く笑うことは出来ただろうか? エイジは自分の頬の痙攣具合から、また笑顔は失敗したのだろうと自覚する。その証拠のように、ユナは今にも泣きそうな顔で笑い返してくれる。

 

 苦々しさすらも憎しみに塗り潰された過去の記憶を掘り返したエイジは、STRを込めてバルブを閉じ、噴き出していた蒸気を止める。高熱の蒸気で封鎖されていた下層への道が開くが、トラップを警戒して10秒程待てば、再び蒸気が噴き出す様を見て安堵する。他にもバルブを閉じなければ発電施設下層には行けないのだろう。あるいは、防護服などを手に入れることができれば、ギミックを解除しなくても進めるかもしれないとエイジは壁にかけれられた施設内地図を頭に焼き付ける。

 地下には物資搬入用の地下道がある。楽譜を手に入れたら、あとは祭壇を目指して走り抜けるだけだ。警戒度を無視し、スピードに全振りして突破するしかない。

 狭まる包囲網とタイムリミット。スレイヴとの合流時間までの猶予はもう残されていない。

 だが、エイジはスレイヴとの合流を優先する選択肢は捨てている。だが、もしもユナがNPCの枠を超えて自由になれたならば、彼女の生きる居場所を残さなければならない。DBOを何も知らない彼女には時間と庇護が必要だ。

 

(スレイヴ、悪いな。僕は……ここまでかもしれない)

 

 レギオンになるならば、約束通りにギャラルホルンが殺しに来る。大ギルドに捕まれば、たとえ冤罪でも再起不能は確定する。今のエイジには、たとえこの先のコピー・ネームドを含めたペイラーの記憶の脅威を突破できたとしても、末路は2つしか残されていない。

 諦めているのだろう。エイジは苦笑する。そうだ。いつも、自分は諦めて、腐ろうとして、それでも、這って、這って、這って前に進んでいた。そんな情けない真実をエイジに気づかせてくれたのは、人間ではなくレギオンのスレイヴだ。

 最後まで抗い抜いてやる。それが邪剣ダーインスレイヴを使った責任であり、待ってくれているはずのスレイヴへの礼儀だ。

 

「弱いくせに強く見せかけようとして、先のことを見通せないから取り繕う『演技』ばかり上手くなって、裏を掻こうとして相手の心を傷つける。そんな僕とは何もかも違ったのが悠那なんだ」

 

 僕はクズだ。自分と世界を呪って憎んだ先でしか剣を握り続けられなかった最低のクズだ。エイジは失った右目に今までの人生を押し込めるように深呼吸する。

 それでも、スレイヴはこの憎しみを尊んでくれた。意味と価値があると信じてくれた。だから、彼女が期待したクズとして、ダーインスレイヴを使いこなす資格はなかったとしても、それでもせめて彼女の『憎悪』が意味と価値のあるものだったと示さねばならない。

 新たなバルブを閉ざし、今度こそ蒸気を停止させる。これでコピー・ネームドが出現するだろう、楽譜の示す下層に入れるはずだ。

 

「僕は、悠那のことを何も知らなかった。ずっと一緒にいたのに、いつも歌っていたのは、彼女が歌手になりたくて、たくさんの人の前で歌いたくて、多くの人々を自分の歌で救いたいからなんて……まるで知らなかったんだ。そんな事も知らずに彼女のことを……」

 

「好きだったの?」

 

「そう……なのかもしれないな。好きだったとは思うけど、今の僕には……どれだけ思い出そうとしても……あの頃に抱いていた感情が分からないんだ」

 

 過去の記憶の全てを……悠那との思い出と彼女の夢さえも憎しみで塗り潰してしまった。

 

「ユナ、お願いがある。僕のことは忘れてもいい。だけど、悠那のことだけは……彼女の願いが、キミの願いと同じだったことだけは憶えていてほしいんだ」

 

「嫌」

 

 即答された。エイジは無言でユナをしばし見つめたが、彼女は頬を膨らませてそっぽを向き、頷こうとは頑なにしなかった。

 

「自分で憶えていてよ。私、エイジが思ってる程に記憶力がいいわけじゃないからね?」

 

「先を急ごう」

 

「あ、無視しないでよ!? 絶対に憶えていないから! 絶対に!」

 

「そうか。ところでユナ、悠那の夢は?」

 

「みんなの為に歌いたいでしょ……って、エイジぃいいいい!?」

 

 楽譜が感応している。冷めた水蒸気が充満する広い空間にたどり着き、エイジはダーインスレイヴを構え直す。いよいよ最後の1つとなったお陰か、楽譜同士は共鳴して居場所を示すまでになった。

 壁に張り巡らされたパイプ。足元は分厚いパネルが敷き詰められ、非常灯のような足りぬ光量で空間は薄暗い。およそ視界は悪いが、元より右目を失って半減しているのだ。誤差であるとエイジは割り切る。

 虹色の球体が出現し、最後の楽譜の入手を阻む最後のコピー・ネームドが形作られていく。エイジの背後でユナの歌が紡がれ、楽譜の獲得に向けた最後の戦いの前触れとなる。

 これまでの2戦で分かったことは、ユナが楽譜を入手する為には、いかにユナの歌を妨害させないかにかかっている。湖獣戦では上手くヘイトを集めたことによって、最短時間……約5分で楽譜を獲得することが出来た。

 300秒。なんと短くも長いだろうか? 極限の集中力とは、特異な状態を除けば、決して長続きしない。人間は訓練と経験を積むことによって集中力の最大値を引き上げるのだ。

 特異な状態とは様々だ。DBOにおいて最も一般的なのは、本来は逸脱して然るべきである、生死のかかった極限状態だ。だが、それでも集中力が切れる時は切れるものである。

 ならば、エイジがすべきことは? 幼き日々、悠那との思い出、SAO、帰還後の現実で待っていた地獄、DBOにおける苦難と挫折と絶望。全てが憎しみに染められて逡巡し、スレイヴの差し出された手が失われた右目に映し出された気がした。

 スレイヴの手を握った時からまともな死に方が出来るとは思っていない。だが、後悔はしても何度でも同じ選択をするとエイジは迷わず断言する。

 ユナの歌声が響く。楽譜を形成する彼女の歌声は、レギオン化に抗っていた現実と夢の狭間の時とは違い、憎しみをほんの少しでも忘れさせることはない。それが何故なのかエイジには分からないが、小さな安堵を覚えた。

 この憎しみだけは途絶えてはならない。消えてはならない。忘れてはならない。悠那の願いを継げるユナを守る為に! 彼女が歌う為に!

 

(もっとだ。もっと『力』を……! ダーインスレイヴ!)

 

 ここで終わる訳にはいかない。彼女を祭壇に連れて歌わせるまで、『エイジ』という人格が……いいや、憎悪が残っていればそれでいい!

 騎士の忠告が蘇る。だが、エイジは躊躇わなかった。

 

 この世界はいつだって残酷で無慈悲だ。

 

 たった1つの『覚悟』を決めた程度で、絶対的な『力』の差は覆らない。

 

 だが、エイジが求めるのは『敗者にならない』ことであり、『勝者になる』ことではない。

 

 

 迫る刃を弾く。大きな火花が散り、ユナを狙って伸びた刃を弾くことに成功する。

 立ち塞がる最後のコピー・ネームドの名は<写し身・古い勇士>。両目を布で覆った半裸にして半透明の巨人であり、右手には刃毀れして今にも折れそうな、その巨体を基準にした大曲剣を有している。

 古い勇士。このネームドは位置探知の発動を除けば、音に反応して攻撃対象とするプレイヤーを決定する。ギミックは外観からも分かる通りであり、音を消せば優位を取れるネームドである。

 ただし、剣の間合いに入れば、等しくプレイヤーの位置を正確無比に特定して苛烈な攻撃を仕掛けてくる。ゴースト系であるが故に物理属性攻撃の通りが悪いのはゲオルグと同じであるが、古い勇士の強みはパワーとスピードがハイレベルで融合した剣技である。

 位置探知を除けば、特殊な能力は一切存在しない。それ故に『強い』。エイジが知る限り、このネームドを撃破した方法はタンクがひたすらに間合い内で耐え、その間に≪消音≫スキル持ちや静かに眠る竜印の指輪装備者が背後から奇襲をかけ、魔法の音消しを使った魔法使いプレイヤーが高火力魔法をひたすらに叩き込むというものである。

 定期的な位置探知さえ凌げば、ジッと動かなければ生き残ることが出来るネームドだ。

 音さえ立てなければ、生存への道は楽となるネームドだ。

 そう……『歌い続けるユナ』さえ見捨てれば、エイジが生き残ることは決して難しくないのだ。

 

「お前の相手は僕だ!」

 

 大声を張り上げ、優先的にユナへのヘイトが高く設定されているだろう古い勇士の間合いに自ら踏み込む。

 自ら踏み込む死地にFNCの兆しが生じるも、今まで以上にダーインスレイヴがもたらす闘争心とのリンクが打ち消す。

 古い勇士は右手で軽々と振り上げた大曲剣で、瞬きする間に3連撃を繰り出す。それに対してエイジが取ったのは、失われた右目を庇うべく、左半身を前に傾かせた異形の構え。

 元より我流。誰も師などいなかった。基礎となる武道も学んでいなかった。

 悠那を現実世界に返す。必ず守る。ただその為だけに、情けなさと無様さによって鍛えられた、だが何も守ることが出来なかったSAOで形作られた『弱者の剣』。

 敗者にはならない。負けるわけにはいかない、という抗いの所在すらも分からぬままに、嘲笑と侮蔑と憎悪によってDBOで培われた『愚者の剣』。

 救いようがない程に『力』も『強さ』も無かった、愚かな弱き者の刃。

 

 

 

 もうダーインスレイヴの『警告』さえも感じない。

 

 

 

 違う。もはや不要だと、ダーインスレイヴはエイジに『最適化』される。

 

 

 

 

 良過ぎた目は、何も出来なかった自分の手と彼女の死を映し込んだ。伸ばされた悠那の手を鮮明に記憶した目は、エイジにとって呪いに等しい才能だった。

 古い勇士の次々と繰り出される斬撃。それに反応し続けるエイジの脳は、まるで幻想のように、古い勇士がもたらす『濃い死の気配』を視界に示す。

 時間にして刹那。エイジは古い勇士の刃に濃い存在感を覚える。それはフォーカスロックシステムに似ていた。フォーカスロックは、対象の解像度が上昇し、プレイヤーのハイスピードバトルを補助する、意識の追尾性が生じるDBOのバトルシステムである。それが古い勇士の刃に適応されたかのように、大曲剣に対して異様な存在感を覚える。

 エイジは理解していない。ダーインスレイヴの『警告』が皮肉にも自分のFNCと結びついたことを理解していない。

 エイジは知らない。RDという【運び屋】の2つ名で知られる傭兵は、自らに対する死の気配に敏感であり、それ故の驚異的な察知能力で生存を可能とすることを知らない。

 FNCの『死』に対する過剰反応。『這い続けた』が故にエイジはFNCではなくとも悠那の死がトラウマとなって蘇り、死への恐怖を乗り越えられないと自らの心に責め苦を与え続けた。そうなるほどに、FNCを何度も、何度も、何度も発症させた。FNCが発症する程に戦おうとした。

 逆を言えば、エイジはFNCの過剰反応を、無様でも前へ、前へ、前へと、『這い続けた』が故に『育てた』。

 本来ならば症状の悪化。だが、憎悪とレギオンプログラムが手を取り合って乗り越えられるならば、それは意味が変わる。

 FNCの過剰反応を、ダーインスレイヴはフォーカスシステムを通して、エイジが戦う為の『力』へと組み替える!

 古い勇士の攻撃は元より全てが必殺。だが、それを凌ぎ続ければ特にFNCが過剰反応する『死』の気配がある。ダーインスレイヴは、エイジに悠那の鮮明な死という地獄を見せた目と合わさり、彼の『FNCという才能』に基づいた『視覚警告』へと昇華する!

 相手の必殺の中の必殺。それさえも凌げた時、相手の喉元に牙を突き立てる資格が与えられる!

 

「らぁあああああああああああああああああ!」

 

 だが、エイジは牙を剥かない。

 ただひたすらに防ぐ。弾く。躱す。

 ダーインスレイヴで、視覚警告を利用し、耐え抜くことを選ぶ。

 防ぐ。防ぐ。弾く。躱す。防ぐ。弾く。躱す。躱す。弾く! 弾く! 弾く!

 一切の『勝利』を排除した弱者の戦い。敵を打倒しようとする戦士としての矜持すら捨て、背後のユナの為だけに時間を稼ぐことに思考を尖鋭化させる。

 振り下ろしを躱し損ねて胸が裂ける。だが、深くはない。HP減少ではなく、血の量とダメージフィードバックでダメージ量を計算し、躊躇なく戦闘続行を決定する。

 突きを弾き切れずに脇腹が抉れる。肉が飛ばされた。だが、まだ戦える。戦える。戦える! エイジは奥歯を噛み、姿勢を崩さない。相手も目が見えないからこそ、エイジが片目だと気づけない。故に死角から攻めれば簡単に殺せるはずのエイジを仕留めきれていない!

 強烈な斬り上げに破壊した地面による石礫。弾丸の如く胸や脇腹の傷口に入り込み、また喉を豪打して呼吸を潰そうとする。だが、エイジは意識的に呼吸のリズムを正す。

 劣勢。決して覆らぬ弱者の地位。『敵を倒す勝利』などない刃は、それでも『時間稼ぎを是とする弱者』の刃として、エイジを剣風の中に立たせることを許す。

 攻め切れない為か、古い勇士のオペレーションが切り替わる。アクロバティックに飛んでの超速の振り下ろし。経験不足のエイジでは、たとえ優れた反応速度があっても、本来ならば捌ききれなかったはずの攻撃である。

 だが、FNCという、他のプレイヤーが持たぬ唯一無二にして、鍛え抜かれて『極み』の扉に手をかけていた才能が、ダーインスレイヴによって機能したことによって、エイジは躱しきる。

 

『強みを伸ばし、弱みを潰し、新たな領域を手にする。それこそが成長だ』

 

 騎士の言葉が蘇る。

 エイジの強みは何か? 他でもない死に過剰敏感であったFNCだった。

 エイジの弱みは何か? そんなものはあり過ぎるが、FNCもその1つだった。

 エイジが手にするべき新たな領域とは何か? 強みにして弱みでもあったFNCを、ダーインスレイヴを通して我が物とすることだった。

 這い続けた日々が強みを伸ばし、スレイヴとの出会いが弱みを潰し、ダーインスレイヴとのリンクを自発的に高めた『覚悟』が新たな領域を手にさせた。それこそが成長だと、エイジは右腕から全身に広がる侵蝕の感覚の中で知る。

 もっと早くに知りたかった。

 もっと前にこれこそが成長なのだと知ることができれば、『何か』が変わったのだろうか?

 古き勇士の連続回転斬りを弾き、弾き、弾き、弾き、最後の大振りの一閃からの連続振り下ろしを躱しきる。だが、やはり反撃はしない。それだけの余裕などない。窮鼠は猫に噛んではならない。

 薄れる意識の中で、エイジの目はそれでも古き勇士の斬撃を見切り続ける。大きく跳び退いた古き勇士の大曲剣に濃い視覚警告が生じる。まるで大曲剣そのものが死の気配で構築されたかのようであり、全身が震えそうになる。

 だが、堪える。アクセルを踏み続け、ダーインスレイヴとの一体化を促す。止まった震えの中で、視覚警告はより洗練されて粗が削ぎ落とされる。

 それは『レギオンプログラムがもたらす警告』ではなく『鍛え抜かれたFNC』をダーインスレイヴによって昇華されたもの。ならばこそ、エイジは自分の『弱さ』を直視する。

 

 何も怖くない。

 

 死んでも構わない。

 

 救われなくてもいい。

 

 我が身に宿った憎悪がダーインスレイヴを通して、愚かな弱者をここまで戦わせてくれた。それだけで、きっとスレイヴの『憎しみ』に意味と価値はある足掛かりになるはずだ。

 

「ユナは……僕が……守る!」

 

『スバラシイ!』

 

 古き勇士が高々と咆える。確かに、今までとは違う『何か』が古き勇士で膨れ上がり、それが視覚警告により反映をもたらす。

 

『ユウシャ、ワガトモ! ナノレ!』

 

「僕は……」

 

 分からない。

 

 自分の名前がよく思い出せない。

 

 右腕から広がった侵蝕は胸の全て、左腕、両膝、喉まで感じる。『彼』は自分が何者だったかも思い出せぬままに剣を構える。

 

 

「エイジ! 彼は『エイジ』だよ!」

 

 

 だが、ユナの呼び声が……呼ばれた名前がエイジに我を取り戻させる。

 まだだ。まだ負けられない。ダーインスレイヴに『喰い尽くされる』わけにはいかない!

 楽譜は完成した。これ以上の戦いは不要だ。だが、古き勇士は逃がすつもりなど無いとばかりに、声を張り上げたユナではなく、真っ直ぐとエイジだけを布に覆い尽くされた眼で睨むように両手で握った大曲剣を構える。

 まるで野獣のように姿勢を低くしてからの、竜巻と化したかのような回転斬りによる突進。古き勇士にあった本来の気迫と脈動、それが乗った連撃だ。ガードも弾きも通じはしないことは明白だと視覚警告で察知した。

 だから、エイジはダーインスレイヴを咥えると迷わずユナへと向かって走り、彼女の細い体を腕で抱きかかえると『跳ぶ』。

 

 

『ミゴト』

 

 

 竜巻の中心は無風。エイジは連続回転斬りを繰り出す古き勇士を踏みつけ、ユナを抱えたまま大曲剣の剣士の反対側に着地すると迷わず背を向けて走り始める。

 

「あ……が……ハァハァ……ユ、ナ……楽譜は……手に、入れ……!?」

 

「しっかりして! 凄い熱! 左目は……ま、まだ崩れてない! 大丈夫! エイジは負けてない!」

 

「それよ、りも……楽譜は!?」

 

「手に入れたよ! ほら!」

 

 巨体の古き勇士の追撃を振り切れる細い通路に逃げ込んだエイジは、情報通りだと安堵する。ゴースト系ではあるが、より実体を持った古き勇士はゴースト系特有のオブジェクト透過能力を持っていないのだ。代わりにあの苛烈な破壊力を持った斬撃ならばお釣りがくるだろう。

 瞬間にダーインスレイヴの侵蝕に脱力したエイジはユナの叫びを聞きながら、倒れまいと剣を床に突き立てて堪える。

 まだだ。まだまるで届いていなかった。スタミナは呆気なく危険域アイコンを点滅させている。あのまま戦い続けていたならば、やはり負けたのは自分だ。聖水ボトルでHPを回復させ、エイジはそれでも耐え抜いた事実を見る。

 だが、この戦いは楽譜を手に入れるか否かが全てだ。剣の誇りも、勝者の栄誉も、生存の満足感さえも要らない。

 

<転魂の楽譜:歌声を捧げるとは、生命とソウルが人魚と1つになる名誉である。歌声は主の似非に収められ、楽譜を集め、祭壇にて自らを捧げる。仮初の意思を持つ歌声は、己の意思であるべき姿に帰り、故に儀式は完遂されるのだ。だが、いつの世も我が子とは可愛いものである。ならばこそ、神官には刃の守りが不可欠なのだ>

 

 最後の楽譜を手に入れた。エイジはついに最終段階に入ったと己に芯を入れ直す。

 限界ではない。まだだ。まだ戦える。まだ前へ、前へ、前へ……! エイジが新たに表示されたシステムメッセージを確認する。

 

<3つの楽譜は集まり、灯台の封印は解かれ、祭壇へと導く。灯台にて楽譜を祭壇に捧げて儀式を果たせば、ソウルの憑代は歌声として解き放たれるだろう。だが、3つの楽譜の力を祭壇に捧げずに取り込めば、ソウルの憑代は現に残り続けるだろう>

 

 3つの楽譜が指し示す方角を割り出し、エイジは最後の目的地だろう灯台の形をした中央塔を思い浮かべる。

 選択を迫られる。ユナを歌わせるか、それともユナを現世に残すか。

 エイジはユナを歌わせる為にここまで来た。だが、ユナが歌えば、今ここにいるユナは消えることになるのだろう。

 ユナの声は悠那の声でもある。ならば、彼女が歌うことは悠那の願いを叶えることでもある。

 だが、その一方で今ここにいるユナの意思はどうなるのか? 本物の歌声を受け継ぎ、また同じ願いを持つ彼女を無下になど出来ない。

 

「ユナは……みんなの為に歌いたいか?」

 

「急にどうしたの? 私達はその為に戦ってきたんだよね? もちろん! 私は歌うよ! それがエイジの願いでもあるんでしょ?」

 

「……僕の願いじゃない。僕に『願い』なんて大層なものは残ってないんだよ。僕は……悠那の夢を……汚している。憎しみで……醜く、歪めて……汚して……」

 

「でも、『私の夢』は違う」

 

 意識が途切れそうになっていたエイジに、ユナは笑い掛けると、彼の震える右手を握ると自分の頬に当てる。

 

「私ね、みんなの為に歌いたい。なんとなくだけど、分かるよ。感じるの。祭壇にたどり着けば、私は消える。それがきっとペイラーの願いだった。私が消えて、みんなが救われる未来の為にペイラーは戦った」

 

「……僕も同類だ」

 

 ユナが消える。その為に必死に戦い続けたことになる。彼女の死の為に戦っていたのだ。だからこそ、エイジは彼女には選択肢があるはずだとここに来て委ねる。

 憎悪がここまで辿り着かせてくれた。だが、あの時……ダーインスレイヴに呑まれた時、僅かでも憎しみを忘れさせてくれた歌は……目の前にいるユナから紡いだものであるはずなのだから。

 

「街の外が、不安……なら、伝手がある。少し癖が……強いが、悪い奴じゃ……ない。僕の名前と……この剣を見せれば……きっと助けてくれる」

 

「エイジ」

 

「それが……嫌なら……あの男を……頼れば、いい。仮面をつけた……黒衣の……剣士だ。僕よりも、ずっと……頼りに、なる。悪いようには……しない、はずだ」

 

「エイジ」

 

「キミには選ぶ権利が――」

 

「エイジ!」

 

 張り上げられたユナの声がエイジの言葉を切り裂く。彼女の真剣な眼差しに、エイジは喉を引き攣らせ、弱々しく頭を垂らす。

 

「ペイラーは『みんなを救う』為に戦った。エイジは『私を歌わせる』為に戦った。まったく違うよ。エイジは『私の夢』の為に戦ってくれたの」

 

「でも……」

 

「『でも』じゃない。私は歌いたい。みんなの為に歌いたい。みんなにはエイジも含まれてる。どうか聞いて欲しいの。私の最初で最後の大舞台を特等席で。だから、私を連れて行って。私達の冒険の終着に」

 

 本当にワガママだ。エイジは震える足を叱咤し、もう少しだけ耐え抜けと意識を張り詰める。

 そうだ。ユナと自分の終着はもうすぐそこなのだ。ならば、後は駆け抜けるだけだ。

 

「外に……レンタル・バイク……スタンドがある。そこまで、行けば……僕の≪騎乗≫スキルで……街の中心の……灯台まで!」

 

「それは叶わぬ夢だ」

 

 ユナに支えられながら発電施設からの脱出を目指すエイジの前に、赤き鎧を纏った豪傑の剣士が立ち塞がる。

 同時に首に縄が巻き付き、エイジは派手に転倒して後頭部を打つ。呻く彼がダーインスレイヴで切断しようとするよりも前に、新たな人影が手首を踏みつけ、邪剣を蹴り飛ばす。

 

「はい、残念」

 

 エイジの手首を、そして胸を踏みつけるのは、アラクネ傭兵団を率いる女頭領のアラクネだ。彼の首に縄を巻き付けているのは彼女の団員なのだろう。別の男はユナを背後から掴み、両手首を拘束している。

 

「ちょ、止めて! 離して!」

 

「大人しくしやがれ! この! NPCのくせに!」

 

 男はユナの額を荒々しく壁に叩き付ける。額が割れたユナの顔が血で赤く染まる。

 

「ユナ!? お前ぇえええええええええええ!」

 

「暴れるんじゃないわよ」

 

 呻く彼女の声に、エイジの血は沸騰しそうになるが、胸を起こそうとする彼の喉をアラクネが踏みつける。

 

「ほんっっっとうに手間取らせてくれたわね! アンタのせいで! アンタのせいで! アンタのせいで!」

 

 アラクネはエイジの頭蓋骨を砕く勢いで何度も踏みつける。床との間に挟まれ、何度も後頭部を打ってはリバウンドしたところを踏まれ、口内に血の味が広がる。

 

「アンタのせいでこっちは仲間を3人も喪ったわ! アンタのせいで! アンタのせいで! アンタのせいでぇえええええ!」

 

「それくらいにしておけ。死なれては、UNKNOWNとの約束も守れなくなる」

 

「はぁはぁ……そうね。生かしておく方がコイツには地獄よね。クラウドアースがどんな責め苦をアンタに課すのか楽しみよ」

 

 3人死んだ? 僕のせいで? 何のことだか分からないエイジに、ユージーンは驚きを見せ、やがて心底の軽蔑の眼を見せる。

 

「貴様がこのイベントを引き起こしたのだろう? 我々を嵌める意図はなかったのだろうが、コピー・ネームドとの戦いでアラクネは仲間を3人喪った。その責任の一端は貴様にもあるだろうな」

 

「何それ!? よく分からないけど、貴方たちがエイジを勝手に追いかけていただけでしょ!? 自業自得はそっちじゃない!」

 

「NPCは黙りなさい! お人形の分際で人間に口答えするんじゃないわよ!」

 

 人形? 違う。ユナは……ユナは『生きている』のだ。エイジは奥歯を噛み、今は手から離れた、だが一体化が進んで繋がりを感じるダーインスレイヴに呼びかける。

 どうせ残り時間は少ないのだ。ならば、何を迷う必要がある? たとえ、レギオン化が進行してでも窮地を脱さねばならない!

 

「そうだな。我々の都合といえばそれまでだ。死んだのも力不足ならば言い訳できまい。だが、それはノーチラス、貴様も同じことだ。ここで捕まるのは貴様の力不足。我々が追ったのは、貴様がクラウドアースの機密を盗み出したからだ。欲に目がくらんだか? それとも金か? つまらんな。貴様ならば、良き傭兵になっただろうに」

 

「僕は……機密、なん……か……」

 

「あるいは、そうなのかもしれん。だが、真実はどうであれ、貴様は力無き身でありながらクラウドアースを……3大ギルドを敵に回した。それが結果だ。己の運命と力不足を呪うことだな」

 

 力不足を呪え? もう呪ったさ。何回も、何十回も、何百回も、何千回も、彼女が死んだ時からな! エイジはダーインスレイヴに呼びかけてレギオン化を促進させようとするが、朦朧とする意識はそれさえも許さない。

 限界はまだ来ていない。そう『思い込んでいた』だけだった。とっくに限界は訪れていた。ダーインスレイヴを通して、FNCを視覚警告という形で昇華させた時点で、エイジは唯一の戦う術であるダーインスレイヴとのリンクにすら限界に到達してしまっていたのだ。

 

「NPCは連れていかせてもらう。このイベントを終わらせねばステージ外に移動できんからな」

 

「おら、立てよ。ノロマ!」

 

 戦うだけの体力も気力もほとんど残されていなかったが故に、本来ならば発電施設からの脱出には時間をかけねばならなかった。だが、皮肉にも捕まったことで、ランク1というネームドすら単独討伐する豪傑にして本物の英雄のお陰で、守られながら最短で屋外に出ることが出来た。

 同じく縛られたユナは、だがまだ諦めていないとエイジにアイコンタクトを送っている。エイジも同様だ。チャンスさえあれば抜け出すが、縄の破壊に必要なSTRは満たしていても時間がかかる。少しでも素振りを見せればアラクネの制裁が待っているだろう。今は連行の為に足を折られていないが、必要なら折るどころか切断くらいはするはずである。エイジだったら迷わず斬っているので断言できた。

 

「UNKNOWNと連絡は?」

 

「こちらも入手したアクティブ・メールで連絡してある。奴が探していたNPCも『想定通り』にこの発電施設にいた。得た情報も渡してある。このまま奴と合流するぞ」

 

「ヒュー♪ さすがはUNKNOWN! 大した洞察力! これで仕事も終わりですね、姐さん! コイツをクラウドアースに引き渡して、たんまり報酬をもらったら死んだ奴らの墓を建ててやらないとな」

 

「気が早いわよ。まずは脱出してから――」

 

 と、アラクネの言葉を切ったのは、発電施設を出ると同時に足下から噴き出した白い煙幕だ。

 トラップ!? いいや、『システム外トラップ』だ! スキルの≪罠設置≫ではなく、プレイヤーが自作したトラップであり、故に≪罠感知≫には引っ掛からない!

 

「ぐっ! アラクネ! ノーチラスを逃がすな! NPCもだ!」

 

 ユージーンの代名詞でもある≪剛覇剣≫が振るい抜かれ、一撃で煙幕は吹き飛ばされる。だが、その時にはエイジもユナもロープを抜け出していた。

 否、正確に言えば、ロープが切断されたのだ。片目かつ疲弊したエイジが微かに見たのは、煙幕の中を駆ける男性と思われる人影だけだった。

 この機を逃す訳にはいかず、エイジはユナの手を掴むと全力で駆ける。もはや警戒度など関係ない。最速最短ルートで移動するだけのことだ。

 夕陽は落ち、夜の帳が落ちた都市は、人工の光で満たされ、車道は無人車だけが等間隔を守って走っている。エイジは迷わず1台の車のボンネットに飛び乗り、そのままハイウェイへと連れていかれる。

 ユージーンはDEX特化型ではない。アラクネにしてもそうだ。だが、エイジはSTRもDEXも均等に高め、なおかつ防具は軽量寄りである。アラクネ傭兵団ならば、DEX特化型もいたかもしれないが、それは亡き3人に含まれていたのかもしれない。何にしても、エイジの捨て身の逃亡策は実った。

 そう思われたが、ユージーンは平然と、車から車へと跳び移り、大型トラックのコンテナの上に着地して隣を走る車の屋根で片膝をついていたエイジを見下ろす。

 

「やはり貴様は良い傭兵になっただろうな。このオレの目に狂いはなかった。だが、やはり愚かだ。このオレを侮るとは!」

 

「侮っていません。僕は、誰かを侮れる程に……強くない!」

 

 正面から戦えば敗北必須。ならば『逃げる』。スレイヴが最弱のレギオンでありながら『逃げる』ことに秀でていると胸を張ったように、エイジは気力を振り絞って視覚警告を再発動させ、ユナを抱いて車上から跳び下りる。

 

「べーだ! アンタなんかにエイジは捕まらないんだから!」

 

 一切の迷いなく、エイジに身を委ねたユナは、目を見開くユージーンに舌を出す。

 エイジは宙を舞い、道路に激突するより先に、迫っていた警備ロボットに蹴りを喰らわせ、サイレンを鳴らすバイクを奪う。

 衝撃で転倒するより先に、ギリギリで制御を奪い取り、≪騎乗≫スキルで乗りこなす。

 

『≪騎乗≫スキルを持っているならば、敵モンスターの騎乗物を一時的に奪う事が出来るだろう。バトル範囲外に出れば使用できないが、一時的に諸君らの強力な武器になるはずだ! フィールドで乗り回すだけが≪騎乗≫スキルの全てではない。時として相手の機動力を我が物と出来る! これもまた≪騎乗≫スキルの強みなのだ! ただし、騎乗対象が生物である場合は注意しろ。当然だが、主でもない諸君らを認めることなどない!』

 

 あの無駄に大声を張り上げる熱血教官は、本当にここぞという時に大切なことを思い出させてくれる。エイジはエリートプレイヤー候補生時代の日々に感謝を忘れることなく、フルアクセルで車の間を縫って走り、ユージーンを引き離す。

 だが、すぐにバトル範囲外となり、バイクは駆動しなくなる。止まるより前に、エイジはバイクを乗り捨て、ユナの手を引いて走ってハイウェイを囲う壁をウォールランで駆け上がり、そのまま跳び下りる。

 音で真下にもハイウェイが通っているのは分かっていた。この高さならば! エイジは跳び越えた壁に爪を突き立て制動をかける。爪が剥げ、指の肉が削れるダメージフィードバックに堪え、タイミングを見計らって壁を蹴って更に跳ぶ。

 

「ぶげ!?」

 

 ユナは顔面から、エイジは尻からゴミの山に突っ込む。幸いにも生ごみではないが、泥土などの建築用の廃材である。その悪臭たるや、下水道にも負けない。

 

「うぅ……! エイジは臭いのが好きなの!? 私、そういうフェチには理解がないからね!?」

 

「何の……話……?」

 

「何って……知らない!」

 

 頬を赤らめたユナは顔を背け、エイジは今の彼女の心情を察する余裕などなく大の字で倒れる。

 もう視覚警告は使えない。再装備でダーインスレイヴを手元に戻すが、辛うじてFNCに対抗できるだけのリンクが残っていることが奇跡に等しかった。

 このゴミ集積車のルートは中央の灯台に直接向かってこそいないが、最接近することはできる。

 

「……見て、奇麗な月」

 

「ああ、そうだね」

 

「ゴミの山で見るなんて、本当に勿体ない。あーもう! また臭くなっちゃった!」

 

「また雨が降ればいいんだけどな」

 

「今度こそ熱いシャワーだよ!」

 

「……善処するよ」

 

 エイジたちの到着を待つかのようにライトで照らされた灯台に似た中央塔が迫る。楽譜を改めて使用すれば、間違いなく中央塔……それも最上階を示している。高さは200メートルを超えるともなれば、最上階に達するのは一苦労となるだろう。

 もうすぐだ。

 もうすぐたどり着く。

 もはやコピー・ネームド相手に抗うことは出来ない。それでも、この手の限りに剣を振るおう。この足の限りに走ろう。

 必ずユナを連れて行く。彼女が歌える舞台へと……必ず! エイジは震える右手を月に伸ばし、そして拳を握った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「……『覚悟』か」

 

 ユージーンは理解している。

 どれだけ『覚悟』があろうとも絶対的『力』の差は覆せない。ランク1として多くの戦場を経験し、アルヴヘイムでサクヤを失い、その後も戦い続けた彼は思い知っている。

 だからこそ、『覚悟』こそが道すらもない暗闇を歩むのに不可欠であることをノーチラスに見せつけられた。

 ランク1たる自分とは、戦っても勝ち目はない。ならば『逃げる』。迷うことなく、自分の為すべきことを、どれだけ無様で無謀でも実行する。見事と認めるしかない『覚悟』だった。

 

「ノーチラス……いいや、エイジだったか。貴様の名前は憶えておこう」

 

 何処に逃げようともエイジは必ず捕まる。もう包囲網から脱することは出来ない。

 それでも彼は確固たる目的の為に、ランク1から『逃げる』ことを選んだ。そして、成し遂げたのだ。

 だが、逃がしはしない。1度や2度逃げたところで袋の鼠だ。いずれは必ず捕まるのだ。だが、エイジの『覚悟』を認めたユージーンは、自分の手で彼を捕まえることを是とする。それがせめてもの、彼の『覚悟』に対する礼儀だった。

 

「しかし、あの煙幕、それに奴らを逃がした腕前。何者だ?」

 

 このオレの目を完全に欺いた鮮やかな手口、並大抵の者ではない。だが、わざわざエイジを逃がしたのは、決して善意ではなく、彼を逃がしたところを捕らえる為だろう。ならば、既に彼の逃走経路に目星をつけて待ち伏せしていると見るべきだ。

 間に合えばいいのだがな。UNKNOWNとの約束もある、とユージーンは夜空を見上げ、悪くない月夜だと微かに笑った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 当たりだな。都市の東部にある倉庫街にて、『名無し』は確信を得る。

 

「何か分かったんですか?」

 

「色々だよ。まず今回のイベントだけど、まず間違いなくコンソールルームがある」

 

「それは思いました。幾らコピーとはいえ、あれだけ作り出すとなると膨大なリソースが不可欠ですからね」

 

 同意するシリカを傍らに、色々な輸入物資を補完する倉庫街を見て回る『名無し』は、何処かに『目当て』があるはずだと探る。とはいえ、幾ら放置されていたステージとはいえ、怪しいところは大ギルドが一通り調査済みのはずである。ならば簡単には見つからないだろう。

 

「特にランスロットは、他のコピー・ネームドと違って都市内を自由に動き回れる特権が与えられていたしな。もしかしたら、ランスロット……いいや、赤マーカーの特別コピーを倒すのが、コンソールルーム開放の条件なのかもしれない。これも実際には分からないけどな」

 

 ランスロットを倒したことによって、赤マーカーの正体が彼だと分かった。他とは異なる特別製であり、都市内全てを移動できる徘徊型である。狙ってのことか、あるいは偶然か。アルヴヘイムを自由に動き回れた本物のランスロットと同じ仕様である。

 

「だったら、先にランスロットの出現ポイントだった中央塔を確保しますか? ターゲットも来るかもしれません」

 

 拳を握るシリカに、『名無し』は静かに首を横に振る。

 

「いいや、まず俺達は『ここ』を調べないといけない」

 

「どうしてです?」

 

「それは後から説明するよ。でも、やっぱりシノン……いや、太陽の狩猟団の動きが気になるな。ユージーンたちが妨害されていなければいいんだけどな」

 

 シノンの狙撃を警戒し過ぎてピナの飛行探索が出来ないのは大きな痛手だ。いっそシノンにも協力を呼びかけようとは思ったが、アクティブ・メールは都市内でプレイヤー同士が接触しなければ解禁されない。身を隠している彼女、あるいは協働相手と遭遇しなければ連絡は取れなかった。

 だからと言って大声で呼びかけるなど愚の骨頂である。シノンも仕事となれば『名無し』はライバルだ。エイリークと組んでいるならば、尚更のこと、こちらの陽動だと無視するだろう。

 

「ユージーンからメールだ。発電施設内でNPCのルージュと接触できたみたいだ。俺達が与えた情報を開示したら、ペイラーが人魚信仰に基づいて都市の解放を企んでいたことを教えてもらえたみたいだな」

 

 ペイラーの同僚でもあったルージュは、元々はかつて彼と同じ志……ディストピアの破壊を目論んでいたようだ。

 この都市がディストピアである理由。それは都市の住人からソウルを吸収しているためだ。ソウルを奪われた人々は思考を欠落させていく。まるで亡者のように感情を失っていくのだ。この症状を隠蔽するために、敢えて人間の感情が表面化する活動の全てを封じたのだ。

 ディストピアによって人々の感情が封じられたのではない。人々が感情を失い始めたからこそ、ディストピアを形成して隠蔽せねばならなかったのだ。

 では、どうしてソウルを集めねばならなかったのか。それには切実な理由があった。外部から攻め込む軍勢から都市を防衛する為である。

 鉱物資源は豊富にあってもエネルギー資源は乏しい。ソウルの消費が激しい様々な兵器を運用する為には、より膨大なソウルを独自に補充しなければならなかったのだ。だからこそ、島で最大のソウル資源……市民から『徴税』するしかなかったのである。

 これを企てたのは、都市の上層部とマザーコンピュータである。上層部は島外で定期的に離れることで回復と裕福な生活を送る一方で、管理を任せるマザーコンピュータに徹底したソウルの徴税による都市の管理を命じたのである。

 全貌を見抜いたペイラーは、どうにかしてマザーコンピュータを破壊しなければならないと考えた。そして、ある作戦を思いついた。

 ソウルの徴税には、灯台の祭壇をコアブロックとして組み込まれている。ならば灯台伝説の儀式を成就させることによって、祭壇と灯台を起動させ、都市内のソウル・パイプラインに歌を共鳴させて都市を破壊するというものである。

 生贄の資格を持つ少女を手に入れたペイラーは計画を実行しようとしたが、計画によって経済が麻痺して結果的に多大な犠牲が出るかもしれず、体制側に密告したルージュの通報によって阻まれたのだ。しかし、既に儀式の過半は終わらせていたらしく、ペイラーは口を割らせる為に処刑されることなく監獄の最下層に封じられた。そして、彼は怪物となり、このステージのボスとして君臨したのである。

 

「これで確信したよ。やっぱり、ここがペイラーの計画の『始まり』にして『終わり』だ」

 

「あの……まるで分からないんですが?」

 

「そうだな。ヒントは都市の開発史と灯台だ。この2つを照らし合わせて考えてみれば『当たり前の事』だったんだ」 

 

 この都市だからこそ酷く不自然であるはずなのに、イベントの表面をなぞれば納得してしまう。故に騙される。『名無し』は後継者の悪意ある戯れを感じずにはいられなかった。

 

「このイベントの終わらせ方は2つ。ペイラーの計画を成就させるか、頓挫させるかだ。十中八九、ノーチラスは前者で動いている。目的は不明だけど、あのNPCが関係していることは間違いないだろうな」

 

「だけど、肝心のターゲットは逃げ回っていて事情は聞けませんし、今更になってクリアの為に協力しようなんて私達が打診しても受け入れるはずありませんよね」

 

「……ユージーンが確保してくれたら、少なくとも話は聞けるかもしれないけどな」 

 

 だが、『名無し』とユージーンが手を組んだように、ノーチラスをイベントクリアの為に仲間にするのは難しい。なにせ、イベントクリアと同時にノーチラスは捕縛され、クラウドアースに引き渡されてしまうのだ。彼からすれば、『名無し』達と手を組むのは自殺行為なのだ。

 ユージーンがノーチラスを確保できたならば、それで良し。イベントクリアの為に不可欠なのはノーチラス自身ではなく、あくまで連れているNPCのはずである。彼女の協力を取り付けることができれば、また別の解決の道も見えるかしれない。あるいは、彼女を殺害すれば、イベントは自動失敗となって強制終了となるかもしれない。だが、いずれも『名無し』の手元には無いカードである。

 何にしても、これ以上このイベントを長引かせるわけにはいかない。『名無し』やユージーンたちならば、第1段階限定のコピー・ネームドならば対処も出来るが、補充無しでは限界もあるのだ。ランスロット級がまた現れるとは考え難いが、『名無し』も相対したくないネームドは幾らか心当たりがある。他にもイベントに巻き込まれたプレイヤーが今も生き延びて何処かに隠れているかもしれない以上、早急に事態を終息させねばならない。

 

「俺達が動くのはノーチラスの逆なんだけど、まだ方法は確定していない。ともかく『ここ』を詳しく調べてみれば、何かが分かるはずだ」

 

「でもターゲットは中央塔を目指している確率が高いんですよね!? だったら、先を越される前に私達も急がないと!」

 

「ノーチラスがイベントを何処まで進めているか分からないし、いつ来るか分からない中央塔で見張っているわけにもいかない。彼がもう中央塔に向かっていたとしたら、ここからだと遠過ぎて間に合わない」

 

「冷静に……じゃなくて、呑気に分析してる場合ですか!?」

 

「別にノーチラスがイベントをクリアしても問題ないんだ。都市機能が麻痺するとはいえ、ここは記憶の世界だからそれ以上の時間は進まない。アルヴヘイムのように、1つのアクションでステージそのものが大きく変動することはないんだ。ペイラーの記憶……彼の記憶を軸にした世界である限りさ」

 

 ペイラーの計画が成就するのは正史か否か、それは関係ない。ここが記憶の世界である限り、たとえ多少の変化は起きたとしても、その先へと進むことはないのだ。

 それは虚しいくらいに、想起の神殿から進めるステージとは、誰かの記憶であり、また組織や物質の記録に過ぎないのだ。あくまでDBO世界の歴史の最前線は終わりつつある街であり、またフロンティア・フィールドなのである。

 

「ユージーンとは協定を結んである。太陽の狩猟団にさえ先を越されなければ、俺達の目的は達成されるんだ。キバオウは納得しないだろうけど、少なくとも交渉のテーブルは持てる。それよりも、俺達がやるべき事は、ノーチラスの行動と目的に関わらず、イベントを早期に終息させることなんだ」

 

「だからって、何でこんな場所に……」

 

「それが分からないようじゃ、シリカもまだまだ――」

 

 ノーチラスの確保は時間の問題であり、イベントクリアの道筋も見えた。

 だが、『名無し』は自分こそが追い詰められた立場であるとようやく理解する。

 怒りに猛る闘志。それが倉庫街を覆い尽くし、発生源は今まさに『名無し』たちの進路を塞ぐように立っていたからだ。

 

 

 

「なんだぁ? 俺は月光の聖剣を拝めると思っていたんだがなぁ」

 

 

 

 全身甲冑の騎士。背丈は『名無し』とほとんど変わらないだろう。狼の意匠のフルフェイスの兜が特徴的であり、全体のデザインはランスロットの甲冑と似通っている。だが、闇濡れの騎士が速度を重視して軽量化と密着性を高めているのに対し、こちらは鎧としての高い防御性能を窺わせる。何よりも本来の輝きだろう、銀色である。

 頭上で輝くのはプレイヤーカーソルであるが、その全身から放たれるオーラは、『名無し』がこれまで対峙した人型ネームド……特にスローネやランスロットといった強者特有の覇気が備わっている。

 そして、何よりも異常なのは、騎士が右手に持つ大剣だ。肉厚の重量型両手剣だろう、橙色の光を浸した銀の大剣である。

 

「何者だ? 俺に何の用だ?」

 

「何者かと問われたら、俺こそが始祖アルトリウスの後継であるモルドレッド様だ! 何の用かと聞かれたら、分かるだろ? 俺達の聖剣は共鳴してやがるんだからよ」

 

「……共鳴?」

 

「あん? 俺の聖剣と共鳴したんだ。お前だって感じたはずだろ?」

 

 聖剣からは何も伝わっていない。右手で構える聖剣は、変わらず月光を閉ざしたまま、月蝕として大刃を形成している。

 

「オイオイ。オイオイオイ! ちょーっと待てよ。お前が資格者じゃないってのは分かってたんだがよ、だがすこーしばかり『誤解』もあったのかなぁって俺も思っちゃったわけよ。だから聞かせろ。そいつは間違いなく始まりにして真実……月光の聖剣だ。だが、その姿は何だ?」

 

 聖剣同士は共鳴するという発言からも、騎士……自称モルドレッドが有するのもまた聖剣の類なのだろう。

 DBOには聖剣と名のつく剣は複数ある。有名なのは、聖剣騎士団の名の由来にもなったアストラの聖剣だ。だが、今やDBOにおいて聖剣と言えば、『名無し』が有する月光にして月蝕の聖剣のことである。

 

「お前こそ何なんだ? NPCのモルドレッドの完コス……ってわけじゃなさそうだしな」

 

「か、かんこす? なんだ? 褒め言葉か? よく分からんが、この俺以外にモルドレッドと名乗る不遜な輩がいるなら今すぐ教えろ。ぶった斬ってやる!」

 

 話が通じない。ただの自分をモルドレッドと思い込んでいる狂人か、あるいはまさかの本物か。

 思えば、ランスロットも消える間際にモルドレッドについて言及していた。『名無し』はまさかの事態に呼吸が乱れそうになるが、クールになるように思考に訴えかけ、シリカを庇うような位置に立つ。

 あり得ない。そんな思い込みはDBOで最も危険だ。故に『名無し』は真実が何にしても、本物のモルドレッドとして対処することを決定する。

 

「俺達の聖剣が共鳴したとして、お前の目的は?」

 

「決まってる。お前が月光の聖剣の所有者ならば、始祖アルトリウスと同じくらいに優しい俺様は、1度だけ口で要求してやるってことだ。『月光の聖剣を渡せ』ってな。それは俺達深淵狩りのモノだ。始祖アルトリウスが巡り会った導きの月光なんだよ。深淵狩りでもないお前が触れていい代物じゃない」

 

「要はお前も盗人じゃないか。俺から聖剣を奪おうとしているだけだ」

 

「言うねぇ。だがよ、お前も分かってるはずだろ? 月光の聖剣はお前如きでは扱いきれないってな」

 

 モルドレッドの言う通り、『名無し』は聖剣を使いこなしきれていない。

 どれだけ振るっても月蝕のままであり、決して月光を浸そうとはしない。頑なに月明かりを隠し続ける。

 

「確かに、今の俺が扱えるのは、月光が閉ざされた月蝕だ。でも、必ずたどり着いて見せる。月光の聖剣を使いこなしてみせる」

 

「……あー、なるほどな。『そういうこと』かよ。こりゃ、とんでもないアホに月光の聖剣も渡っちまったもんだ。始祖アルトリウスが聞いたら泣いちまうぜ」

 

 モルドレッドは大剣の切っ先で地面を撫で、火花を散らしながら無造作に『名無し』へと歩み寄る。

 

「腕ごと聖剣を返してもらうくらいで済ませてやろうかとも思ったが、止めだ。お前に聖剣など、始祖アルトリウスが許しても、この俺が認めん。ここで死ね」

 

 瞬間の踏み込みからの振り下ろし。速い……が、ランスロットには及ばない! シリカは既に距離を取り、『名無し』は右サイドに回りこんで躱す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、途端にモルドレッドの前方が一直線で『爆ぜた』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言葉すらも失う破壊の一撃。眩い橙色の光波だと『名無し』が気づいたのは、モルドレッドの前方が遥か先まで抉れたからだ。そして、光波が掠めただろうシリカは、信じられないといった様子で硬直している。

 

「あらら? あぶねー! 女の子に命中しちまうところだっただろうが! 躱すんじゃねぇよ、アホ! おーい、そこの可愛い子! この辺ぜーんぶ吹っ飛ぶ予定だから、遠くに急いで逃げてねー!」

 

 『名無し』などまるで敵と認識してない態度でモルドレッドは、またしても無造作に横薙ぎを繰り出す。

 同時に放たれた光波は、屈んで回避した『名無し』を衝撃波だけで吹き飛ばし、数十というバウンドの末に倉庫の壁の1つに激突させる。

 

「がっ!?」

 

 肺の空気が押し出された『名無し』は、すぐに体勢を立て直すも、モルドレッドは意に介さないとばかりに大剣を数度振るう。それだけで、『名無し』の全力月蝕光波の何十倍もの破壊力を秘めた巨大光波が穿たれる!

 月蝕突き! 咄嗟に『名無し』は自分を呑み込まんとする光波に月蝕突きで穴を開け、ギリギリで破壊の光に全身を砕かれることを防ぐ。だが、たった1度の月蝕突きで、構成されていた半透明の黒クリスタルの大刃は消失し、核である白銀の刀身は煙を上げて亀裂を露にする。

 また、『名無し』自身も無傷とはいかなかった。余波だけで全身は耐えきれずに裂け、彼の足下には大きな血溜まりが生じ、それに相応しいだけのHPも奪われていた。

 

「へぇ、形を残すだけじゃなくて、生きてやがったか。なるほどな。刀身自体は月光の聖剣そのものってわけか。だから助かったわけかよ」

 

「がっ……ぐぁ……がぁ……!」

 

 喉に血が溜まって上手く呼吸が出来ない。喋るなど以ての外だ。麻痺状態になったように動けない『名無し』に、モルドレッドは無造作に近寄ると裏拳を繰り出す。

 動け! 裏拳を後ろに跳んで躱すも、生み出された風圧が『名無し』を揺るがし、つづく縦振りが脳天から割ろうとする。咄嗟にリカバリーブロッキングで弾こうとするも、光波さえも放たぬ単調な一撃は、もはや巨人の拳すらも上回る衝撃をもたらす。

 そして、リカバリーブロッキングに使用した左手の剣は、モルドレッドの刃に耐えきることができずに砕け散る。リカバリーブロッキングなど無意味と化した衝撃は『名無し』に突き抜け、そのまま彼を地面に叩き伏せる。

 これまで『名無し』が戦った中で、純粋にパワーが凄まじかったのは妖精神オベイロンだ。次点で竜の神である。前者はアルヴヘイムの膨大なリソースを貪ったイレギュラーボスであり、後者はDBO正規における最大級のサイズのネームド・ドラゴンだった。

 だが、目の前の男の剣は、もはや次元を超えた破壊力だった。

 純然たる剣技・速度は間違いなくランスロットが上だ。ならばこそ、パワーの1点。破壊力において追随を許さない。

 モルドレッドに多彩な武技など不要。剣を振るえば、それで勝敗は決する。蟻を相手に象が技を繰り出すことなどしない。ただ踏み潰すのみ。

 

「おいおい。こんなの準備運動にもな・ら・な・い・ぜぇええええええええええええ!」

 

 これまた無造作な蹴り上げ。咄嗟にガードに用いた聖剣の刀身が軋む。あわや砕けるのではないかと思われたが、さすがの聖剣は頑丈らしく、破片が飛び散る程度で耐えきる。

 だが、これ以上は刀身にダメージを負わせるわけにはいかない! 自動修復能力があるとはいえ、それで聖剣は復元できても『名無し』が死ぬ! 月蝕ゲージを消費し、再び月蝕の大刃で白銀の刀身を覆う。

 発動させるのは治癒勁と金剛勁。オートヒーリング強化と防御力・衝撃・スタン耐性上昇である。

 空中から繰り出す4連月蝕光波。まずはこれでモルドレッドを動かし、隙を突いて月蝕の奔流で急降下して斬りかかる! そう目論んだ『名無し』に対して、モルドレッドは不動。

 

 

 

 

「しゃらくせぇ!」

 

 

 

 

 踏み込みからの咆哮。ただそれだけで、モルドレッドに命中するはずだった4発の月蝕光波は文字通り『霧散』する。

 

 あり得ない。

 

 あり得ない。

 

 あり得ない!

 

 これまで月蝕光波を躱した者はいた。耐えた者もいた。相殺した者もいた。だが、何もせず、ただ咆えただけで……『気合』だけで打ち消す者などいなかった。

 

「おいおい、今のは攻撃のつもりかぁ? 違うよな、聖剣の盗人さんよぉおおおお!」

 

 別次元。ランスロットとは異なる意味で、完全なる規格外の存在。

 人間の形をしたドラゴン……いいや、ドラゴンすらも捻じ伏せる全く別の生き物。

 それこそがモルドレッドだった。

 

「くたばりやがれ」

 

 単なる左チョップ。それが『名無し』の右肩に迫る。咄嗟にガードに用いた聖剣は、月蝕の大刃を消し飛ばされ、また刀身は容易く押し込まれる。

 

 

 

 

 

 そして、『名無し』は地面を突き抜けていった。

 

 

 

 

 

 倉庫街の地下は立体駐車場だったのだろう。都市内に物資を運搬すべく、無人のトラックが何百台、何千台と控えていた。

 複数の層を突き抜けた先、トラックのコンテナを破壊してようやく止まったのは地下5階。突然の侵入者にドローンはけたたましくサイレンを鳴らす。

 

(生きて……いる)

 

 単なる左チョップ。それが大斧……いいや、もはやそのような次元すらも超えていた。事実として『名無し』の右肩はまるで竜爪で抉られたかのような深手を負っている。

 辛うじて生きていたのは、背中に集まった月蝕の奔流がクッションになってくれたからだ。だが、『名無し』は聖剣を操作していない。聖剣の意思が『名無し』を庇ったのだ。

 残存HPは1割未満。流血によるスリップダメージは治癒勁と聖剣のオートヒーリングで緩和できているが、じわじわと減っている。肉は抉れ、砕けた骨は露出しており、ダメージフィードバックは意識を刻む。

 近接アタッカーとしてVITに成長ポイントを割り振っていなければ、金剛勁で防御力を引き上げていなければ、ソウル素材を使用したマユ謹製の防具がなければ、何よりも月蝕の奔流によるクッションがなければ、まず間違いなく即死は免れなかっただろう。

 

「ぐ……あが……」

 

 何がどうなっているのだ? 仮に本物のモルドレッドであり、カーソル詐称でその正体は人型ネームドであったとしても、このパワーは明らかにおかしい。何かカラクリがあるはずだ。それを暴かなければモルドレッドには勝てない! まずは秘密を解き明かす為にも体勢を立て直さねばならない。

 まだモルドレッドは追って来ていない。余裕か、油断か、あるいは両方か。『名無し』はまず傷を癒すべく、立体駐車場の陰に隠れ、白亜草を食み、止血包帯で肩から胸にかけたの傷口を覆う。

 10秒かけてHPが4割回復するが、HPが回復しても負傷による防御力低下は継続している。聖霊石を更に砕いてHPを回復させる『名無し』は、モルドレッドの追撃の手が緩んでいなければ、こんな回復の暇はなかっただろうと息荒く肩の傷口を撫でる。

 聖剣に再び月蝕を宿すが、2度も剥がされて月蝕ゲージの消費は激しい。魔力を月蝕ゲージに転換して回復させているが、刀身自体のダメージが大きく、次に月蝕の大刃を打ち砕かれた場合、白銀の刀身自体が折られる危険性もある。

 だが、これだけ派手に暴れたならば、警戒度の上昇は免れないはずだ。モルドレッドもモンスターに包囲され、またコピー・ネームドとの戦闘を強いられているかもしれない。そのチャンスさえ逃さなければ、と『名無し』が思案した時、彼はようやくHP下に表示されていた警戒度が消滅していることに気づく。

 戦闘前には間違いなく存在したはずだ。だが、モルドレッドの戦いの最中に消えてしまったのである。

 考えられる理由は、この立体駐車場が警戒度上昇対象外エリアであるか、コピー・ネームドが出現するギミックが解除されたか、イベントがクリアされてしまったか。いずれにしてもコピーネームドにモルドレッドの足止めを求めることは出来ない。

 いいや、そんな消極的な思考では駄目だ! ここでモルドレッドに退くようでは、DBOを攻略するなどできない! 託された聖剣に見合うことも、月光を引き出すこともできない!

 戦うのだ。モルドレッドを打倒するのだ。ようやくHPがフルで回復した『名無し』は、再びモルドレッドと戦おうと動こうとして、だが体が微動しないことに驚く。

 まさか麻痺状態か? あるいはモルドレッドの聖剣の力か? 1センチとして柱の陰から動かない己に動揺した『名無し』は、ようやく自分の状態に気づく。

 

 

 

 膝が震えていた。聖剣を握る右手は恐怖と怯えで凝り固まっていた。

 

 

 

 確かな恐怖心が『名無し』を支配し、金縛りをかけているのだ。

 SAOでも、廃坑都市でランスロットと戦った時も、黒火山でスローネと対決した時も、妖精神オベイロンとの決戦の時も、『名無し』はいつだって動くことが出来た。その刃は届かずとも、仲間や大切な人を守れずとも、力及ばずに敗北を喫した時も、いつだって『名無し』は戦うことができたはずだ。

 だが、『名無し』の心は恐怖で塗り潰されていた。それが全身の自由を奪い取っているのだ。

 どうして? モルドレッドは確かに強い。あの桁外れのパワーは度し難い。攻略法もまるで見えない。だが、それは本物のランスロットも同じだったはずだ。コピーなどではなく、オリジナルのランスロットには底知れなさを覚え、倒せるビジョンがまるで浮かばなかったはずだ。

 それなのに、どうしてモルドレッドにはこれ程までに恐怖を覚えるのだ?

 動け。動け。動いてくれ! 何度も『名無し』は恐怖を引き剥がそうとする。だが、まるでカビのようにこびり付いて根を張り、抗おうとすればするほどに深みに嵌まる沼のように、滴る汗の分だけ恐怖は濃くなっていく。

 

「やり過ぎちまった。だが、邪魔は現れねぇみたいだな。ラッキー」

 

 穿たれた大穴を跳び下りてきたモルドレッドは、着地と同時に大剣を振るって自分を囲うドローンを一掃する。

 

「オラオラ! ビビってんじゃねぇぞ! 死んだフリは通じねぇ! 感じるぞ! 近くにいやがるな!」

 

 聖剣同士が共鳴している。モルドレッドはそう口にした。『名無し』は感じないが、モルドレッドには『名無し』……正確に言えば、聖剣の位置と方向が分かるのだろう。

 だが、それは大雑把である物なのは間違いない。わざわざ大声を散らして『名無し』を探すモルドレッドは、明らかに『名無し』の居場所を見失っていた。遠ければ大まかな方向は分かっても、接近してしまうと『周囲に存在する』程度しか感じ取れなくなってしまうのだろう。

 逆に言えば、『名無し』が逃げようとして距離を取っても、モルドレッドはその動きを感知して追跡可能であるということだ。逃げることが出来ない事実に、『名無し』はガチガチと歯を鳴らす。

 恐い。恐い。恐い! 自分は何を恐怖しているのだ? 目尻に涙が浮かぶことを自覚し、己の情けなさに『名無し』は舌を噛み切りたくなる。

 これまで何度も死の恐怖を乗り越えてきた。強敵からの圧力にも耐え抜いてきた。絶望的な状況でも剣を振るい続けることが出来た。

 それなのに、どうして恐怖するのだ? ランスロットの時すら感じなかった恐怖に、『名無し』は何かを思い出そうとする。

 そうだ。これに似た恐怖を『名無し』は知っている。小刻みに震える左手を見つめ、彼は今にも呼吸が止まりそうなほどに喉を引き攣らせる。

 

「盗人だろうと、聖剣の所有者だろうが! 正々堂々と戦って死ぬ気概もねぇのか!? 玉無しの腑抜け野郎が! 聖剣も使いこなせないくせにイキりやがってよぉ!」

 

 モルドレッドの1歩の度に、彼の足下のコンクリートが爆ぜる。猛る憤怒の闘志がそのまま圧を得たかのようだった。

 聖剣の火力で周囲を吹き飛ばさないのは地下だからだ。生き埋めになることはモルドレッドとしてもよろしくないのか、あるいは完全に吹き飛ばした『名無し』から聖剣を奪うのが面倒臭いからなのか。どちらにしても、モルドレッドはストレスをぶつけるように、だがまるで赤子を扱うような手心を加えているように、トラックを破壊して回っている。

 

「何処だ!? 何処にいやがるんだぁああああああああ!」

 

 ストレスに耐え切れなかったモルドレッドは、鬱憤を晴らすように咆える。『名無し』は≪気配遮断≫で隠密ボーナスを高めるも、もう彼とモルドレッドの距離は数メートルまで近づいていた。

 戦え。戦うんだ! モルドレッドの前に飛び出し、聖剣の所有者として、彼の言う通り正々堂々と戦うのだ! だが、瞳を濡らす涙は止まることなく、今にも泣きだしそうな程に喉は嗚咽を求める。

 武の頂に立つのだろう? ならば戦え。モルドレッド相手に逃げるなどあってはならない。『名無し』は自らを何度も叱咤するが、近づくモルドレッドの気配を直で浴び、虚しく意思は心で乾いた反響だけを生む。

 戦えない。勝ち目など無い。たとえ、モルドレッドに挑んだとしても、どうやって倒せというのだ? どうやって抗えというのだ? 人間が爪楊枝でドラゴンをどうやって打倒しろというのだ?

 折れた心は逃避を求める。それならば聖剣を捨てればいい。モルドレッドが追うのは聖剣ならば、手放せば逃げ切る事ができる。

 だが、右手は決して聖剣を手放そうとしない。まるで石化したかのように、剣技を為すには適さないほどに固く柄を握りしめている。

 5メートル……3メートル……1メートル! ついに『名無し』が隠れる柱の前まで達したモルドレッドの息遣いが消えるようであり、『名無し』はバレると分かっていながら生唾を呑もうとしてしまう。

 

 

 

 

「あなたの相手は……私です!」

 

 

 

 

 だが、大穴から舞い降りたシリカは、左腕に止まって合体したピナのブレスを放ち、モルドレッドを強襲する。

 どうして!? 唖然とする『名無し』は、シリカの行動が理解できなかった。彼女は自分の実力を重々承知しているはずだ。『名無し』が手も足も出ない相手に、シリカが勝てる確率など無い。

 光属性のブレスに対してモルドレッドは大剣を振るうことさえしない。背中を向けたまま軽く足を踏み鳴らせば、それだけで彼に触れることもなく霧散する。

 

「女を殺すのは趣味じゃねぇ。失せな」

 

「戦場で男女差別ですか? 大層な御身分ですね」

 

「馬鹿にするなよ。女でも『戦士』なら斬るに決まってる。だが、お前は『ただの女』だ」

 

 溜め息を吐いたモルドレッドは、シリカに振り返ると大剣を担ぎ、無防備に歩み寄る。シリカはまだチャージが足りないピナのブレスに代わり、短剣を抜いて駆ける。

 

「まぁ、悪くないスピードだな。素人の女にしては、だが」

 

 あっさりとシリカの顔面をつかみ、モルドレッドはまだ原形が残っているトラックへと投げ飛ばす。フロントガラスに背中から叩き付けられたシリカは呻き、口から血を零す。

 何をやっている!? 早く逃げるんだ! 声も発することも出来ない『名無し』は、シリカを助けに出ようと足を動かそうとしても、意思に反して体の自由は利かない事実に打ちのめされる。

 

「俺で良かったな。ランスロちゃんやガウェインだったら死んでたぜ? アイツらは戦場に立ったら皆平等って精神だからな。ガキだろうと女だろうと容赦がねぇんだよ」

 

「わ、たしだって、『戦士』です! 貴方の……『敵』です!」

 

 起き上がったシリカは右手に握る短剣を輝かせる。

 シリカの短剣は、アルヴヘイムで入手したマーリンのソウルを素材にして作成された【ヨツンヘイムの短剣】だ。深淵を長らく封じていたマーリンの封印術が宿っており、相手のクリティカル部位に突き刺せば全防御力・デバフ耐性を低下させる。また傷つける程に、スタミナ・魔力回復速度を低下させる効果もある。いうなればデバフ特化の武器である。

 だが、ヨツンヘイムの短剣にはもう1つ恐ろしい能力がある。それが【相互封印】だ。相手を突き刺した状態で発動させれば、結界内に封じ込めるというものである。封印された場合、両者は互いに傷つけられず、また外部からの干渉も受けなくなる。だが、永続するわけではなく、魔力、スタミナの順で消費していき、2つともゼロになった時に自動解除される。

 自らを楔にして深淵を封じ続けたマーリンの自己犠牲そのものであり、故に使用者は1度使えば、封印解除された時に完全に無防備な状態で相手に自らを晒すことになる。そこで待つのは確実な死であり、仲間の勝機、あるいは逃走の為に己を差し出す覚悟が無ければ使えない能力である。

 

「逃げてください! 私が足止めします! その間に遠くへ……!」

 

 無理に決まっている。『名無し』でさえ傷つけることができなかったモルドレッドに、シリカの攻撃が届くはずがない。

 だが、シリカは額から流れる血を拭うこともなく、左手と一体になっていたピナを宙に舞わせ、呼吸を整えるとともにモルドレッドに斬りかかる。

 

「玉無し盗人野郎には勿体ない女だな。少し寝てな」

 

 シリカの動きに合わせて左手のデコピン。モルドレッドの攻撃とも呼べぬ1発がシリカの額で炸裂し、あっさりと彼女は吹き飛ばされる。

 壁に叩き付けられたシリカは、火花を散らす天井照明の光を浴び、だが不敵に笑っていた。それはデコピンのタイミングで彼女が投げた手榴弾がモルドレッドの足下で転がっていたからだ。

 モルドレッドが鬱憤晴らしで破壊して回った多数のトラックは、まるで体液を零すようにオイルを垂れ流していた。まさにその中心にいたモルドレッドは、何十倍にも威力を高めた手榴弾の爆発に呑み込まれる。

 

「……これで満足か?」

 

 だが、モルドレッドに通じず。そのHPは1ミリと削れていない。月蝕光波やピナブレスと同じように、爆発を軽々と消し飛ばしていた。

 まさかのノーダメージに、シリカは大きく目を見開く。足は震え、もはやHPや体よりも心の方が軋んでいる。

 それでも、シリカは短剣を構える。どうして逃げないのだと『名無し』は熱風で咳き込むことさえも堪えようとしている我が身に情けなさを覚え、また恥じながらも、彼女の無謀が理解できなかった。

 

「まだ近くにいるな。聖剣を捨てたって線も考えたが、あり得ない。俺には分かる。アイツは聖剣に『呪われてる』んだよ。そりゃ当然だよな。資格もないのに手にしちまったんだ。聖剣の重みを理解できない無知ってのも悲しいもんだ」

 

「知ったような……口を……利かないでください!」

 

 ピナの燐光でHPを回復してもらい、シリカはそれでも短剣を構えて突撃する。無謀と分かっていても攻める。

 

「あの人はずっと苦しんでいた! 自分では聖剣を扱いきれないせいで、救えない人が現れる度に! 助けられなかった人に願いを託される度に! 無責任な人たちに希望を背負わされる度に! それに応えようと必死だった!」

 

 短剣は決して届かない。ユージーンが言って、『名無し』も同意した。『覚悟』がどれだけあっても絶対的な『力』の差は覆らない。それがDBO……いいや、『現実』なのだ。

 

「それでも、戦うことを選んだ! 本当は分かってるくせに!『みんなの英雄』なんかにあの人がなれるはずがないんです! おとぎ話の中だけの勇者様のように、『みんなの為』にって剣を振るえる程に……あの人は『自分を殺す』ことはできない!」

 

 ピナの援護ブレスがモルドレッドの頭上から放たれる。だが、これも届かない。モルドレットの一息と共に散る。それだけではなく、大剣の切っ先はピナの右翼を容易く切断し、流血と共に墜落させる。

 

「でも、あの人は『仮面』を被り続けるしかなかった! もう外してもいいのに、約束だからって馬鹿みたいに拘って……本当は怖いだけのくせに。『本当の自分』が晒されて、みんなが自分に重ねてる【聖剣の英雄】なんて何処にもいないってバレるのが怖いだけのくせに!」

 

 ピナを抱きかかえ、シリカはモルドレッドから距離を取りつつ手榴弾を投げる。だが、オイルの強化もない爆発はモルドレッドを傷つけるはずもなかった。

 燃え盛る炎がコンクリートの地面を舐め、火の海でモルドレッドは大剣を肩で担ぐ。

 

「で? 何が言いたい? 好きな人の不幸自慢なら聞く気はないぜ?」

 

「あの人は自分を不幸だなんて欠片も思っていない! だから『馬鹿』なんです! 勝手に託されたんだから、好き勝手に利用して、自分が思うままに生きればいいのに! それなのに、自分自身に聖剣を通して幻想を……理想を押し付けて、そうであろうと演技し続ける……『仮面』を外し方を思い出せなくなった、ただの……お馬鹿さんなんです」

 

 短剣を逆手で構え、姿勢を低くしたシリカはソードスキルの輝きを浸す。≪短剣≫の突進系EXソードスキル【ロゼ・ノワール】。黒い輝きのライトエフェクトを得た刃は、火力ブーストこそ低いが、高い貫通性能をもたらす。モルドレッドの謎の防御を突き破る為に、シリカは捨て身の『覚悟』を示す。

 

「あの人は多くを望んでなんかいない。『万人の英雄』なんかじゃなくて、何よりもたった1人の大好きな人の為だけの英雄であれば、それでよかった。だけど、助けられなくて、たくさんの間違いを犯した先でようやく手を伸ばせたはずなのに、やっぱり届かなくて……! 心の傷と痛みを、必死に【聖剣の英雄】なんてくだらない称号と呪いを瘡蓋にして隠して……!」

 

 涙と血を混ぜ、シリカはソードスキルがもたらす黒い渦でツインテールを結ぶリボンを弾き飛ばす。解放された髪は渦巻くように靡き、ソードスキルが本来以上の破壊力を引き出そうとしていることを証明する。

 心意。シリカの意思に呼応し、ソードスキルが本来以上の火力ブーストを引き出している。心意とは意思がもたらす『力』であるならば、モルドレッド相手でも立ち向かうシリカの意思は正しく聖剣の如き輝きを有する。

 

「私にあの人の『仮面』は外せない。悔しい位に、外してあげることはできない! 私にクゥリさんみたいな『力』があれば、無理矢理でも剥がして終わらせてあげることができるのに! 私に……私にアスナさんみたいな『強さ』があれば……傷の舐め合いなんかじゃなくて……上辺だけの癒しじゃなくて……あの人の脆さと涙を包み込んであげることができるのに!」

 

 泣き叫ぶシリカはモルドレッドを『封じる』べく、全身全霊……己の命と意思を捧げるように『強さ』に浸された眼を輝かせる。

 

「私はクゥリさんになれない。だって、あの人にとって、クゥリさんは誰かの代わりになれるようなものじゃないから。誰よりも対等でありたい友人で、張り合いたいライバルで、心を許して全力で応えたいって望む……唯一無二だから」

 

 SAOの日々を懐かしむように、シリカは血と涙を流しながら笑む。

 

「私はアスナさんになれない。あの人は、過去も、現在も、未来も……ずっと『アスナさんの英雄』でありたいと望み続ける。だって、それが『愛してる』ってことだから」

 

 だから『それでいい』とシリカは諦めではなく、心からの祈りを束ねた願いのように笑む。

 

「私が知っているあの人は、『アスナさんの英雄』でありたいからこそ、仲間の為に戦える! たくさんの人の為に戦える! だって、救いようもないくらいに、格好つけたがる優しい馬鹿な人だから!」

 

 揺らぐ炎の中で伸びたシリカの影は濃く、深く、だがまるで翼のように揺らめく。それは彼女の次なる1歩を無限に伸ばすかのように大きくなっていく。 

 

「私は……上辺だけで良い。ずっと、ずっと、ずっとあの人に寄り添い続ける! 救えなくてもいい。私の手が届かなくていい! きっと別の『誰か』があの人を救ってくれる! 私は……あの人が救われる時まで、一緒に闇の中にい続ける! それが『私』だから!」

 

 シリカの魂の叫びを黙って聞いていたモルドレッドは、肩で担いだ大剣を浸す橙色の光を強める。

 

「……認めよう、女。お前は『戦士』だ。始祖アルトリウスの後継たる俺が認めてやる。我が聖剣で誇り高く散るがいい!」

 

 周囲の損害を無視した聖剣の一撃が来る。ここで助けにいかなければシリカが死んでしまう!

 動け! 動け! 動け! 震える足に訴えかける。このままではシリカが死んでしまうのだ! 助けに行かないといけないのだ!

 どうしてなんだ? 聖剣を捨てれば、あるいはシリカも助かるはずなのに。『名無し』は聖剣を手放そうとしない右手を見つめ、そして嗤う。

 

 

 

 

 ああ、そうか。聖剣を捨てたら【聖剣の英雄】ではなくなってしまうからだ。

 

 

 

 

 託されたから。だから【聖剣の英雄】であろうと誓った。

 スローネを倒して武の頂に立つと決めた。それこそが【聖剣の英雄】としてあらねばならない姿だからだ。最強の武に至ってこそ【聖剣の英雄】なのだ。

 だから月光の聖剣を呼び覚まそうとした。認められようと足掻いた。もう間もなく、背負ったラストサンクチュアリの人々の為の決戦が迫っているのだ。万全を尽くし、【聖剣の英雄】として勝利しなければならない。

 そうだ。【聖剣の英雄】として、【聖剣の英雄】として、【聖剣の英雄】として!

 

 

 

 

 

 

 誰よりも聖剣に対して幻想と妄執に捕らわれているのは、他でもない自分自身だ。

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてランスロットではなくモルドレッドの恐怖に屈する?

 簡単極まりない。モルドレッドの方が聖剣に相応しいと頭ではなく、心で……魂で理解してしまったからだ。

 使いこなしているかどうかなどではない。モルドレッドは己の聖剣とまさしく一心同体。聖剣の極致に至るに相応しい、まさしく月光の聖剣を手にするに相応しい【聖剣の英雄】の器だからだ。

 だから怖かったのだ。必死に被り続ける【聖剣の英雄】という仮面が、モルドレッドのせいで意味と価値がないものになるような気がして……モルドレッドに負ければ【聖剣の英雄】という欺瞞と嘘だけが残されて聖剣が奪われるのが怖かったのだ。

 ランスロットの言葉が蘇る。【聖剣の英雄】という『嘘』に殉じようとしている自分は……救われたがっていた。

 聖剣を残したまま、『仮面』を砕かれて自由になる……そんな都合のいい救済を欲していた。誰かに『嘘』を否定してもらい、止めてもらいたかった。

 託されたから。だから聖剣に見合おうと頑張って、だが悲劇の後ばかりに聖剣は月光を宿して『お前は【聖剣の英雄】ではないのだ』と嘲う。

 月光を閉ざした月蝕の聖剣を見て、『名無し』は嗤う……いいや、笑う。これだ。これこそが俺の『真実』だったのだ。

 

「……行こう」

 

 俺は聖剣に誓いを立てた。『英雄』であろうと祈り、呪い、願い、そして戦うことを選んだ。ならばこそ、だからこそ、今度こそと無様な程に繰り返し続けるのだ。

 熱風で黒衣を翻し、柱の陰から姿を現した『名無し』にモルドレッドは一瞥もくれない。だが、シリカはどうして逃げなかったのかと非難するように目を見開く。

 

「失せろ、玉無し盗人野郎。始祖アルトリウスの後継として、俺は礼儀を尽くして『戦士』を葬るのに忙しいんだよ。お前の相手は後でしてやる」

 

「逃げてください! 私が時間を稼ぎます!」

 

 意味は違えども、2人はこの場に『名無し』は不要と口にする。だからこそ、彼は聖剣を手に、シリカの前に立つ。モルドレッドと対峙する。

 

「おい……おいおい………おいおいおい! ほんっっっとうに腹立たしい野郎だなぁああああああああああ! そこをどきやがれ!」

 

「どかない。俺はシリカを助ける」

 

「あぁ!? ビビりのイキったアホが今更になって大口叩くんじゃねぇぞ!」

 

「何やってるんですか!? 今は逃げてください! 私が必ず時間を稼ぎます! あなたならきっとモルドレッドを倒す方法を――」

 

「逃げない。俺はシリカを助ける」

 

 だって、それが『俺』なのだから。『名無し』は自分でも馬鹿々々しいと思うくらいに苦笑する。

 いつも間違えてばかりだ。自分勝手に走れば、いつも躓いて、傷ついて、蹲って、皆に迷惑をかけてしまう。

 

「モルドレッド、お前の言う通りだよ。俺は聖剣を使いこなせていない。だから、聖剣に見合おうとした。月光の聖剣に認めてもらおうと足掻いた。そうした『言い訳』を重ねて自分が【聖剣の英雄】なんだって信じ込もうとした」

 

 余計な肩の力が抜ける。腹の中に溜まっていた澱みが呼吸の度に吐き出されていく。

 

「どうして聖剣を託されたのか? ずっと考えていたよ。俺には相応しくないって時間が経てば経つほどに思い知らされた。当たり前だよな。俺は資格者じゃない。ただの所有者なんだ。月光の聖剣に見合うのは、たった1人だけ……この聖剣を託してくれた資格者なんだ」

 

「物分かりがいいじゃねぇか。だったら何だ? 命乞いして聖剣を渡す気になったら聞いてやらないことも――」

 

「だからこそ、月光の聖剣は渡せない。託された理由なんて関係ない。俺は……俺の願いの為に! 俺の理想の為に! 俺の目的の為に! 俺の意思の為に! 月光の聖剣を振るう! 月光の聖剣の意思!? 俺を認めない!? 勝手にしろ! 知った事じゃない! 俺は『託された』! それ自体が俺にとって……『導きの月光』なのだから!」

 

 思い出したのは、アルヴヘイムで出会った、夢とも現とも思えぬ白き友の笑みだった。

 月明かりを背負い、水面に沈んだ花畑でクゥリは笑った。

『名無し』はただ『アスナの英雄』でありたかっただけではないかと。

 救いたい。守りたい。助けたい。それが『名無し』の魂の叫びであり、『アスナの英雄』とはそのあり方だった。

 たとえ、アスナがいなくても、『名無し』の魂の叫びは変わらないならば、『アスナの英雄』であることもまた変わらない。たとえ、彼女がいない世界であってもだ。だからこそ、『名無し』は何処までも身勝手に走り抜けることが出来るのだ。

 駆けた果てに『万人の英雄』と呼びたいならば好きにすればいい。期待も失望も自由だ。だが、俺は自由にやらせてもらう。救いたいならば救おう。守りたいならば守ろう。助けたいならば助けよう。それが俺の魂の叫びなのだから! それがアスナが信じてくれた……愛してくれた……恰好ばかりつけたがる『英雄』なのだから。

 

「そうかよ。だったら……ここで死ね!」

 

 モルドレッドは踏み込んで迫る。何者も阻害することは出来ぬ破壊の一閃が繰り出される。

 だが、『名無し』は恐れなかった。

 今ならば分かる。『感じる』のだ。モルドレッドの聖剣との共鳴を感じる。

 何故? 月光の聖剣が認めたから? いいや、違う。『名無し』は鼻で嗤う。月光の聖剣の性悪さは折り紙付きだ。この程度で月光を満たすはずがない。

 

 

 

 

 モルドレッドの破壊の一閃は、『名無し』の聖剣によって逸らされ、彼の肉体を微かと傷つけることはなかった。

 

 

 

 

 

 これまで翻弄されるだけだったモルドレッドのパワーに対して、『名無し』は『受け流した』のだ。

 

「シリカのお陰で、やっと分かったよ。モルドレッドのパワーの正体が」

 

 シリカが決死の時間稼ぎで攻め続けた結果、地下駐車場は火の粉と煙と塵で充満している。それがモルドレッドを纏う、見えぬ力の流れに姿を与えていた。

 モルドレッドは巨竜を上回る膂力を持っているのか? そんなはずがない。モルドレッドは確かに高STRだろうが、それでもプレイヤー……いいや、人型ネームドの域のはずである。

 これがトリックだ。モルドレッドはまるでパワードスーツのように、全身に纏う聖剣の加護で力の流れを生み出し、自らのパワーを補助していたのだ。仕組みでいえば天雷装具スローネに近しいだろう。

 そう、力の流れだ。戦いにおいて、防ぐ、弾く、そして『受け流す』。巨大なパワーを受け流すならば完全に見切らねばならない。その力の流れを完全に把握しなければならない僅かのズレも許されない。

 だが、『名無し』には出来る。培った剣技だけではなく、信じるに足る聖剣がいる。相手が聖剣の力であるならば、同じ聖剣が手助けしてくれる。

 ふざけた程に強大過ぎる聖剣の力そのものがモルドレッドのパワーの正体だ。あらゆる攻撃を霧散させるのは、身に纏う聖剣の力を放出して掻き消していただけだ。

 たった『それだけ』だ。だが、だからこそ聖剣の扱いは『名無し』と天地の差があると理解できる。この男以上に聖剣の深奥を引き出せる者など果たしているのだろうかと疑いたくなる。聖剣を使いこなす【聖剣の英雄】にまさしく相応しい。

 モルドレッドより繰り出される連撃。だが、それは無造作であり、剣技と呼べるものではない。だが、その1つ1つが特大剣すらも軽く上回る破壊力である。そして、躱そうとすれば生み出される衝撃波によって強制的に吹き飛ばされる。攻撃こそが最大の防御を体現するのがモルドレッドである。

 全て受け流すしかない。1ミス即死の糞ゲーだ。だが、『名無し』は笑う。自分を鼓舞する為に笑う。更に強くなる為に笑う。

 

「はっ!」

 

 そして、ついに出来た刃が届く隙間。連撃を受け流し切られてもモルドレッドの姿勢は崩れない。だが、それでも攻撃の隙間は大きくなる! ならばそこに刃を捻じ込むなど『名無し』ならば造作もない!

 聖剣の刃がモルドレッドの胸を刻む……ことはなかった。モルドレッドが纏う力の流動。それは言うなれば不規則な激流だ。刃は触れれば押し流される。

 

「へぇ」

 

 少しだけ感心したようにモルドレッドは声を上げ、大きく跳んで距離を取る。だが、『名無し』は追いすがり、月蝕突きを放つ。

 斬撃が流されるならば、激流を突き破る!『名無し』が持つ最大威力の刺突攻撃である月蝕突きは、モルドレッドが纏う力の流動を突破しようとする。

 

「悪くはないが、威力が足りねぇな」

 

 だが、時間がかかり過ぎた。月蝕突きを解除し、モルドレッドの拳を躱す。大剣に比べれば生み出される衝撃波は軽い。紙一重ではなく、臆病な程に距離を取れば問題ない。

 

「俺の聖剣の加護をこんなにも早く見切るとはな。ランスロットとガウェイン以来だぜ」

 

 聖剣の斬撃も月蝕突きもモルドレッドの聖剣の加護を破れない。だが、無敵ではないはずだ。

 あともう少しだ。あともう少しで勝利のビジョンが見える。ランスロットとの戦いでは、決して見えなかった勝利の光を感じ取れる!

 

「玉無しは撤回してやるよ、盗人野郎。だが、ここまでだ。今ので分かっただろ? お前では俺を傷つけられない。何をやったところで無駄だ。大人しく聖剣を渡せ。聖剣の加護を見破った褒美だ。生かしてやるよ」

 

「どうかな? 確かに今の俺とお前では、聖剣の技量に超えられない差がある。だが、それが敗北を認める理由にはならない。俺は負けられない」

 

 シリカを庇うように立ち、『名無し』は呼吸を整える。もっとだ。もっと月蝕の奔流を練り上げ、最速で月蝕突きを最大威力に到達させるのだ。

 スローネ発動。黄金の雷を四肢に纏い、『名無し』は雷の加速の力を得る。

 黄金の雷を散らし、『名無し』は高加速を得て斬りかかる。だが、モルドレッドの大剣はその全てを軽々と迎撃する。その度に『名無し』の姿勢は崩れる。こちらから攻めるとなれば、モルドレッドの刃とかち合うことになる。あくまで受け流しとは防御技術であるからだ。

 絶対攻勢。全てが攻撃とも呼ぶべきモルドレッドは、あらゆる場面で常に攻勢を獲得できる。巨竜の進撃は誰にも止められない。

 

「神族を殺して奪った能力か! 見所があるじゃねぇか、盗人野郎!」

 

 この男、ただのパワー馬鹿ではない。『名無し』の攻撃全てを、およそ剣術とは呼べない、まるでバッドでも振り回すような動きで迎撃している。ランスロットのような超絶した武技の持ち主ではないが、それでも並み居る天才を凡人に貶める程ほどの武を持っている。

 『名無し』はスローネの雷を左拳に凝縮させ、雷拳を放つ。モルドレッドは避けもしない。雷もまた力の流れに押し流されて霧散させられる。力の流動で雷が磨り潰されてしまうのだ。

 斬撃・刺突・打撃のいずれにも盤石。最も突破するのに有効なのは刺突だろう。だが、『名無し』はそれもまたフェイクだと見抜く。

 狙うべきは1点。足を止めた『名無し』に、今度こそ終わりだとモルドレッドが斬りかかる。有無を言わさぬ大剣の大横薙ぎに対して、『名無し』は月蝕の奔流を纏わせた聖剣で相対する。

 モルドレッドの大剣を月蝕の奔流で受け流し、これまでの高速移動で散らした黄金の雷の粒子が暴く力の流動を視界で捉え、針の穴に糸を通すような精密な軌道を描く一閃を繰り出す。

 そして、モルドレッドの左腕は僅かに裂けて血が零れる。月蝕突きですら破れなかったモルドレッドの聖剣の加護を、『名無し』は無駄な力を省いた流麗の一閃で、何の抵抗も受けることもなく突破した。

 やはりモルドレッド攻略の鍵はカウンターだ。モルドレッドは攻撃を繰り出す中で、全身に纏う力の流動を攻撃に合わせる。即ち、普段は不規則で、まるで乱気流のような力の流れが攻撃の時だけは統一された方向性を持つ。

 モルドレッドの力の流れに逆らうことなく刃を乗せる。そうすれば、何の抵抗もなく刃はモルドレッドに届くのだ。

 言うのは簡単だが、実行するには卓越した技巧が求められる。まずモルドレッドの攻撃を完全に受け流し、なおかつ力の流れを見極め、寸分の狂いもなく力の流れに合わせて剣を振るわねばならない。僅かでもタイミングが遅れたならば、元に戻った力の流れに弾かれてしまうのだ。

 ようやく入った一撃は、これまで減ることはなかったモルドレッドのHPを削る。騎士は微かに血で汚れた左手を見つめる。

 

「これで満足か? 傷をつけられたのは久方ぶりだが、この程度は掠り傷だ。とはいえ、深淵狩りでもない盗人野郎にしては上出来だ。褒めてやるよ」

 

 モルドレッドの言う通り、削ったHPは大したものではない。1割にも届いていない。だが、無敵ではないと証明された。

 だからだろうか。『名無し』は思考はクールに、ハートは熱く、と自らに冷熱の心得を反芻させながら口を開く。

 

「お前は俺のことを散々盗人って言ってるけど、月光の聖剣に選ばれなかった『自分』を憎んでるだけなんじゃないのか?」

 

「…………」

 

「アルトリウスの後継ならば、月光の聖剣に見えなければならない。だけど、お前は出会えなかったんだ」

 

「黙れ」

 

 モルドレッドは聖剣の扱いに長けている。もはや聖剣と一心同体とも呼べるだろう。

 ならばどうしてモルドレッドは月光の聖剣を有していないのか? 深淵狩りの伝説と共にあるのが月光の聖剣であるならば、彼がどうして手に入れることが出来なかったのか?

 聖剣の扱いに長けるかどうかは資格ではないのだ。モルドレッドは【聖剣の英雄】と呼ばれるに相応しく聖剣を使いこなすだろう。だが、彼もまた月光の聖剣を手懐けることはできない。資格者ではない限り、誰もが所有者に過ぎないのだ。

 そして、所有すらも資格者より譲渡されなければあり得ない。決して姿を見せぬ聖剣を手にする方法は、資格者を介して得る他にないのだ。

 

「だから妬ましいんだ。それなのに、深淵狩りですらないのに、月光の聖剣を託された俺を許せないんだ!」

 

「黙れ! この俺こそが月光の聖剣を継ぐ! 俺は……俺は【反逆の騎士】なんかじゃない! 俺こそが始祖アルトリウスの遺志を継いだ、唯一無二の後継だ! コイツは【反逆の聖剣】なんかじゃねぇ! 俺は……『俺達』は必ず月光の聖剣を手に入れる!」

 

 もはや生き埋めなど知ったことではない。モルドレッドは大剣に橙色の奔流を束ねる。斬撃と共に奔流を放出し、周囲全てを吹き飛ばすつもりなのだろう。

 月蝕の奔流で全ての力を受け流しきれなければ死ぬ。もちろん、シリカも死ぬ。2人の戦いに入り込むことが出来なかった彼女に、顔を半分だけ……まだ仮面に覆われたまま振り返り、見えぬと分かっていながら笑い掛ける。

 

「大丈夫。俺が守る」

 

「……はい」

 

 シリカは何の心配もしていないと微笑む。完全な信頼が『名無し』を支えてくれる。命を背負う重圧よりも、恐怖に立ち向かう勇気をくれる。

 だが、モルドレッドの破壊の一撃を完全に受け流す為には、『名無し』の聖剣の使う技量が足りない。聖剣のサポートが無ければ、月蝕の奔流で全ての力を受け流しきれない。

 ランスロットが告げた、既に『名無し』の手にある『真実』。それはもう分かり切っている。皮肉にも、モルドレッドが理解の最後のひと押しをくれた。

 だが、これまで冷たく無視し続けた自分に、はたして今更になって応えてくれるのだろうかと『名無し』は不安を覚え、だがシリカが信じてくれたように剣を握る。

 あの時……モルドレッドに地下へと叩き落とされた時、『名無し』は聖剣を操っていなかった。『彼』の意思に反して、聖剣は月蝕奔流でクッションを作った。

 繋がり合っている。まだ断ち切れていない。俺にはまだ『資格』がある。本当に甘やかされているな、と『名無し』は一呼吸と共に聖剣に意識を集中させた。

 

 

 死をもたらすモルドレッドの一撃が振り下ろされ、『名無し』は月蝕の奔流を纏った聖剣で受け流そうと刃を重ねた時、火花ではなく光が満ちた。まるで、暗闇を照らすような……月明かりが視界と意識を埋め尽くした。

 

 

 浮かぶ。

 

 あるいは落ちる。

 

 月光に満たされた世界で『名無し』は、モルドレッドが持っていた聖剣を見る。銀色の大剣は橙の光を帯び、まるで『名無し』を引き寄せるように輝きを強める。

 

 

 

 

 

 

『この俺こそがアルトリウスの子孫! 深淵狩りの使命を継ぐモルドレッド様だ! お前ら、ロードランを目指すなら俺の子分にしてやるよ! この先の渓谷は入り組んでいて、道を知ってる俺以外だと抜けるのに10日はかかるぜ。だから……め、メシ……メシを……くれ。腹が減って動けねぇんだ』

 

『ほう、コイツが酒場で噂になっていた自称アルトリウスの子孫か。だが、聞きしに勝る馬鹿のようだぞ、ガウェイン。どうする?』

 

『どうするもこうするも無いでしょう。私は王に進言して不興を買って、貴方は領主の病を治す薬を求めて、ロードランの探索を命じられた身。この馬鹿がロードランにあるというアルトリウス伝説の地、黒い森の庭を目指すというならば、ご一緒させてもらいましょう。少なくとも道案内と剣の腕は期待できますから』

 

 少女のように愛らしい顔をした金髪の少年剣士は腹を空かせて倒れ、2人の騎士と出会った。

 煌びやかな金髪をした爽やかな青年騎士と氷のような印象を受ける顔立ちをした黒髪の騎士。若き2人の騎士にモルドレッドは、憧れにも似た気持ちと共に伝説の地を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ま、まさか本当に実在したとは! これが……これが聖剣! モルドレッド、もっとよく見せてください!』

 

『驚く事でもないだろう。俺達は伝説の地ロードランにいるのだ。何が起こってもおかしくない。だが、よもや本当にアルトリウスの後継になるとはな。フッ、馬鹿には勝てぬか』

 

『にゃはははは! 褒めろ、褒めろ、もっと褒めろ! これで俺が始祖アルトリウスの後継だと分かっただろ!』

 

 夢物語を実現したモルドレッドは、2人の騎士より武の高みを学び、ついに神々の地ロードランで聖剣の導きを得た。

 モルドレッドは深淵狩りの剣技と使命を復興させた。ランスロットとガウェインはそれに続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『深淵狩りの甲冑の試作ができました。いかがでしょうか? アルトリウスの象徴である狼をモチーフに、私なりに個々に向けて調整したものなのですが……』

 

『ほう、よくできているではないか。貴様には鍛冶の才能もあるようだな。薬学、医学、神学、鍛冶、そしてヴィンハイムすら超えるソウルの業。真の多才とは貴様のことだ。何処かの馬鹿とは大違いだ』

 

『ええ、素晴らしい。何処かの馬鹿と違って、貴方は文武両道を心得ている。トリスタン、貴方は私が認める数少ない騎士の1人です』

 

『にゃはははは! この俺を褒めるにしても、もうちょっと言葉を選べよな! おい、それよりも俺の甲冑はもっと格好よくしてくれよぉおおお! 頼むよ、トリスタン!』

 

 絵画世界から深淵狩りに憧れてやって来た忌み人のトリスタンは、決して素顔を明かさぬ全身甲冑の騎士だった。

 3人の深淵狩りは新たな仲間を加え、深淵狩りの剣技と狼の意匠の甲冑を纏い、世界を脅かす深淵へと戦いを挑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『おい……痛むか?』

 

『気にするな。友を守った傷だ。名誉でこそあれ、恥ではない』

 

『でも……』

 

『悔やむならば、強くなれ。貴様の才は間違いなく聖剣の扱いにある。極めれば、今の俺やガウェインとも並べるだろう』

 

『並べるだけかよ』

 

『フッ、当然だ。お前が強くなる頃には、俺は更なる高みに至ってみせる。ガウェインすらも手が届かぬ高みにな』

 

『言いやがったな。へっ! すぐに追いついてやるぜ!』

 

『期待しているぞ、我が友よ』

 

 顔に右斜めの傷痕を刻んだランスロットに、モルドレッドは更なる力を求めることを決心する。

 聖剣の扱いを極める。始祖アルトリウスすらも超える程に力を引き出してみせる。モルドレッドは聖剣と共に生き、共に死ぬと誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『酒、煙草、賭博、女! モルドレッド、貴方は騎士としての振る舞いがまるでなっていない! 何度言わせれば気が済むのですか!?』

 

『そう言うなよ、ガウェインちゃんよぉ。だってお酒美味しいもん。煙草はなんつーか嵌まっちまってさ。賭け事くらいの息抜きしてもいいじゃん。女は……ほら、俺も男だからさ』

 

『貴方は始祖アルトリウスの後継として、神々より賜った深淵狩りの使命を担う大黒柱! 騎士の中の騎士として後世まで語られる存在とならねばなりません!』

 

『お前って糞真面目過ぎて、時々ウザいよなぁ。だからアストラの王にロードラン巡礼なんて死刑宣告くらったんだよ。俺達以外に友達いないんだから、もう少し優しくしておいて損はないと思うぜ? それに女に関してはランスロットにも文句を言えよな。これで既婚者と付き合ったの、何人目だよ』

 

『あれはもはや呪いですね。ランスロットに言い寄る女とは、どうして既婚であることを隠すのでしょうか。彼、いよいよトラウマになって生涯独身の誓いを立てる神はいないか、トリスタンに相談してましたよ』

 

『マジか』

 

 ガウェインの説教を聞き流すモルドレッドは、こんな日々が続けばいいと願う。

 モルドレッドが聖剣で過ぎた破壊をもたらせば、賠償請求にトリスタンが苦悩し、ガウェインが怒り、ランスロットが手厳しい指摘はあれども庇う。

 誇り高き深淵狩りは、始祖アルトリウスの人と神を守り続ける尊き業を受け継ぐ。

 時に罵倒と呪詛を浴びながらも、神々より与えられた使命として闇と戦い続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『パーシヴァルが聖杯探索に出立し、ガラハッドも連れて行ってしまいました』

 

『……そうかよ』

 

『深淵に呑まれ、魔物に堕ちた深淵狩りも増えてきました。戦友の名誉を守るためとはいえ、心苦しいですね。ですが、嘆いている暇はありません。深淵狩りの更なる戦力増強の為、前々より計画していた騎士団の設立を検討しましょう。これまで我々は個々の武力に頼り過ぎていました。ですが、これからはより集団で行動し、確実に深淵を討ち、また深淵に堕ちた同胞を速やかに解放せねばなりません。神々の許しも得た今、貴方を騎士団長に据えて一刻も早い結成を目指しましょう』

 

『戦力ねぇ。なぁ、ガウェイン。どうして聖剣をアノールロンドに捧げたんだ? 俺程じゃないにしても、お前が聖剣を持てば……』

 

『その話はもう済んだでしょう。神々より聖剣を捧げよと命じられたならば、喜んで献上します。始祖アルトリウスより継いだ深淵狩りの使命とは、神々より賜った尊き業。元より私は貴方程に聖剣に拘りはありません。我が剣は神への信仰。信仰に迷いがあってはなりません』

 

『馬鹿が。聖剣あってこその深淵狩りだろうに』

 

『この話も平行線ですね。それはそうと、気がかりはランスロットです。最近の彼はどうにも様子がおかしい。もしかしたら、深淵の魔物に堕ちるのは近いのかもしれません。その時は私が討ちます。手出しは無用ですよ』

 

『1番の友達を斬るのか?』

 

『それが名誉を守るということ。彼とは反りが合わないことも多かったですが、貴方以上に友が少ない私にとって、親友と呼べる存在は彼だけです。そして、彼を倒せるのも私だけですよ』

 

 だが、モルドレッドの理想の日々は続かなかった。

 ランスロットが突如として深淵に寝返ったのだ。ガウェインと双璧を成した男の裏切りに深淵狩り達は衝撃を受け、怒りと憎しみを露にして追撃した。だが、誰1人として生きて帰ることはなかった。

 あのランスロットが裏切るはずがない。ガウェインはそう言い残して裏切りの騎士を追って消息を絶った。トリスタンも時を同じくしてモルドレッドの前から姿を消した。

 ただ1人となったモルドレッドは考え続けた。その末に、半ば直感的にたどり着いた。

 ランスロットが裏切るはずがない。自分以上に深淵狩りの剣技を極めて最も始祖アルトリウスの領域に近づいていた。隠してはいたが、聖剣も見出していたことは分かっていた。仲間の名誉の為に率先して深淵に堕ちた者たちを討ち、友の為ならば傷を負うことを躊躇わず、深淵狩りの使命を体現した男が裏切るはずがないのだ。

 そう、ただ1つの例外……彼が忠誠を誓っていた太陽の光の王女グヴィネヴィアの命令でもない限りは、絶対に深淵狩りの使命と友を裏切ることはないのだ。

 理由は定かではない。だが、ランスロットの忠誠は利用されたのだ。深淵狩りの使命を裏切らせ、なおかつ仲間同士で殺し合わせた。

 ガウェインの聖剣にしてもそうだ。深淵を討つ強力な武器である聖剣を、どうしてガウェインから取り上げる必要があったのか。

 モルドレッドは自分をも蝕む闇に答えを見た。そして、誰も伴うことなく、だが常に共にあった聖剣だけを手にして、1人でアノールロンドに攻め込んだ。

 これまで深淵を討伐し続けた。結果、深淵狩りの多くは闇に呑まれて魔物となった。神々にとって闇は天敵であり、猛毒なのだ。恐怖にして迫害の対象である。

 深淵狩りは強かった。強過ぎた。いずれも古の神すら殺し得る一騎当千の猛者たち。深淵に呑まれ、神殺しの尖兵になるかも分からぬ潜在的脅威だ。ならば、神々が信頼を寄せるはずなどないのだ。

 全盛期ではないとはいえ、当時はまだ最初の火の陰りも小さく、アノールロンドには英傑が揃っていた。

 だが、いずれも等しく斬り伏せられる。古竜討伐で名を挙げた古の英雄たちは、たった1人の人間を前に倒れていった。

 

『何処だ!? 何処だ!? 何処にいる、グヴィネヴィアぁああああああああああ!』

 

 古竜との血戦にも参列した歴戦の銀騎士の軍団を葬り、巨人近衛騎士すらも捻り潰し、レッサーデーモンの雷を聖剣の力で掻き消しながら、モルドレッドはアノールロンドの中心である大聖堂を目指す。

 だが、かつて世界の支配者だった古竜を殲滅したアノールロンドは、たった1人で陥落するなどしない。何重もの奇跡でモルドレッドの聖剣の加護を弱らせ、また飽和攻撃によって確実に傷つけていく。

 ガーゴイルに騎乗した銀騎士の大弓による狙撃。降り注ぐ雷の槍。絶え間なく襲い掛かる銀騎士たちの剣と槍。多量の血を流したモルドレッドは、息絶え絶えになりながら、それでも屍の山を越えて大聖堂に続く大階段にたどり着く。

 だが、そこに立つのは四騎士と並び称されると謳われた【処刑者】スモウ。侵入者を処刑すべく、無慈悲に巨槌が振るわれる。

 

『邪魔するんじゃねぇえええ!』

 

 モルドレッドの聖剣はスモウの大槌すらも真っ向から軽々と弾き返し、そのまま胴を薙いで重傷を負わせる。四騎士に並ぶとされたスモウすらも相手にならないと見せつけるは、満身創痍のモルドレッドであり、これぞ深淵狩りと神々に恐怖を与える。

 だからこそ、アノールロンドの守護者が立ちはだかる。黄金獅子の甲冑を纏った四騎士の長にして【竜狩り】オーンスタインだ。

 

『騎士モルドレッドよ、貴公は自分が何をしているのか分かっているのか? 神々への反逆とは、アルトリウスの使命への反逆。後継であった貴公の反逆とは、全ての深淵狩りの反逆。深淵狩りは神々の後ろ盾と未来永劫の名誉を失うことになるのだぞ』

 

 人々が深淵狩りを見る目は冷たい。いつだって恐れと蔑みばかりだ。闇に挑む彼らは人々からすれば狂人であり、深淵を狩った末に魔物に堕ちるともなれば、決して『英雄』にはなれない。

 それでもモルドレッドは深淵狩りの使命を掲げ、また誇りを抱いていた。だからこそ、彼は志を同じくする者たちと共に戦い続けた。

 

『反逆だと!? 違う! 俺は始祖アルトリウスを裏切っていない! 始祖アルトリウスは、友の名誉の為に剣を取る騎士の中の騎士! お前たちは俺の仲間の……友の誇りを利用し、名誉を踏み躙った! その裏切り、万死に値する! アノールロンドよ! グヴィネヴィアよ! グウィンよ! 貴様らの首、この俺の聖剣で刎ねてくれる!!』

 

『なんと幼稚な怒りか。だが、確かにな。アルトリウスは騎士の中の騎士としてあろうとした男。友の誇りと名誉の為に剣を取る貴様を、私は「敵」として認めよう、【反逆の騎士】モルドレッドよ。この四騎士の長オーンスタインが相手だ! 誰も手を出すな! これは騎士の決闘だ!』

 

『四騎士最強アルトリウスの後継である俺が、四騎士の長を超えるのは必然の定め! 倒させてもらうぜ、オーンスタイン!』

 

 雷の力を使った高速戦闘を仕掛けるオーンスタインの槍は、弱り切ったモルドレッドの聖剣の加護を容易く突き破る。だが、彼もまたオーンスタインと互角に渡り合う。大剣と十字槍は激突し合い、火花と雷光が重なり合う。

 だが、突如として空は夜となり、大きな月が浮かぶ。何かを察したオーンスタインが大きく跳び退けば、モルドレッドの頭上より黄金の矢が降り注ぐ。

 

『グウィンドリン様!』

 

『下がりなさい、オーンスタイン。神々への反逆者を討つのは暗月の使命』

 

『ですが!』

 

『下がりなさい』

 

『【反逆の騎士】よ、大聖堂の門で待つ。そこで決着を付けよう』

 

 微かに非難の色を滲ませたオーンスタインは、無念そうに槍を下げて退く。矢の雨を受けたモルドレッドは、全身に突き刺さる矢を聖剣の加護で吹き飛ばし、多量の血を零しながら、それでも前に進む。

 だが、次々と現れる青い霊体……暗月の騎士達が弱り切ったモルドレッドを攻撃し続ける。剣が、槍が、斧が、魔法が、奇跡がモルドレッドの血肉を削る。それでもモルドレッドは屈することなく、全てを倒していく。

 空より降り注ぐ黄金の矢がモルドレッドの左腕の肘から先を落とす。

 銀騎士の槍が胸を、腹を、足を、首を刺し貫く。

 巨人近衛騎士のハルバードが兜を砕き散らして頭蓋まで抉る。

 真鍮の甲冑を纏った暗月の女騎士の刺剣が右目を奪う。

 それでも、モルドレッドは止まらない。

 

『始祖……アルトリウス……その闇を……ここに!』

 

 モルドレッドは深淵を纏う。これだけ傷ついた状態で深淵纏いを使えば、深淵に堕ちる危険があったが、彼は躊躇わなかった。

 階段を昇り続ける。剣を、槍を、大矢を体に突き立てたまま、闇が混じった血を流し続け、モルドレッドは大聖堂の前に立つ。

 だが、そこにアノールロンドを見下ろす山に設けられた大書庫より、結晶が混じった光が一直線に放たれる。巻き込まれた銀騎士たちは結晶の力で呪死したが、モルドレッドは聖剣の奔流を解放して耐え抜くだけではなく、逆に結晶の光を押し返し、そのまま大書庫に破壊をもたらす。

 

『シースめ、贋物とはいえ聖剣を欲したか。【反逆の騎士】よ、感謝するぞ。貴公がシースのブレスを押し返していなければ、玉座の間まで消し飛んでいただろう』

 

 白竜シースの横槍に最後の力を振り絞ったモルドレッドは、大聖堂で待っていたオーンスタインの攻撃に対応できなかった。

 心臓を刺し貫かれたモルドレッドは、それでも聖剣を手放すことなく、前へ、前へ、前へと進もうとする。傷口が深く広がり、雷撃に内側から焼かれながら、オーンスタインに斬りかかる。

 

『もう止せ。貴公の負けだ』

 

『俺は……俺は……まだ負けて、いな……い!』

 

『せめて、我が全力の雷で葬ろう。散れ』

 

 十字槍から放出された巨大な雷。それがモルドレッドを吹き飛ばす。本来ならば塵も残さぬ雷撃だったが、聖剣は彼を守った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『馬鹿だねぇ。全盛期ではないとはいえ、あのアノールロンドを単騎で堕とせるわけないだろうに』

 

『……馬鹿、で、悪かった……な』

 

『本当に馬鹿さ。これで深淵狩りはずっと日陰者さ。神々から賜った使命という御旗すらも無くしちまったじゃないか』

 

『そう……だ、な。でも、俺達は……そんなもの……要ら、な……い。聖剣の……導き……それだけが……深淵狩りを……』

 

 いつまでも太陽の光が届かない黒い森の庭にて、アルトリウスの墓に背中を預けたモルドレッドは、大きな白猫アルヴィナと灰色の大狼シフに囲われながら、息を引き取ろうとしていた。

 どうやってここまで来たのか彼は憶えていなかった。あるいは、聖剣が彼をここまで逃がしたのかもしれなかった。

 

『でも、馬鹿にしては上出来さ。アンタが暴れ回ったお陰で、神々もおいそれと深淵狩りにちょっかいを出そうとはしないはずさ。アンタは馬鹿な【反逆の騎士】として汚名を残し、深淵狩りの恥として語り継がれる。それで手打ちってところだろうね。神々にとっても深淵狩りはいなくなったら困るだろうしねぇ』

 

『お、れの……名誉、なんて……どうでも、い、い。俺は……始祖アルトリウスの……後継。全ての深淵狩りの為に……聖剣……の導き……を』

 

 だが、モルドレッドは途端に恐ろしくなった。彼の右手にあるのは『自分の聖剣』だ。アルトリウスがかつて出会った月光の聖剣ではない。

 もしも、仮に別の……『深淵狩りではない誰か』が月光の聖剣を手にしたならば、深淵狩りは唯一の拠り所を失ってしまう。

 自分が残さねばならない。後に続く深淵狩りの為に、始祖アルトリウスの後継である自分が月光の聖剣を残さねばならないのだ。モルドレッドは己の聖剣を通して、月光の聖剣へと呼びかける。始祖アルトリウスの使命を継いだ深淵狩りの為に顕現を望む。

 だが、月光の聖剣は応えない。モルドレッドに『資格』はなかった。

 

『俺が……必、ず……聖剣を……手に、いれ、る。必ず……だ』

 

 もはや立てる身ではない。本来ならば死して当然の傷を何十と受けている。それでも、モルドレッドは深淵と聖剣の力で立ち上がる。

 

『俺は……俺は……まだ、戦える。俺は……【反逆の騎士】なんか……じゃない。コイツは……反逆の聖剣なんかじゃない! 俺こそ、始祖アルトリウスの……後継!』

 

 まだだ。まだ戦える。アノールロンドを滅ぼす。月光の聖剣も手に入れる。モルドレッドは聖剣を夜空へと掲げて笑う。

 ほら、俺はまだ戦える。戦えるんだ。そうだろう? なぁ、ランスロット。ガウェイン。みんな。

 

 

 

 

 

 

『俺は……まだ負けて、いな――』

 

 

 

 

 

 

 

 月光の奔流の中で『名無し』は腹を、胸を、喉を抑える。月明かりの中で対峙したモルドレッドの聖剣が見せた、彼の生涯に涙する。

 アルトリウスの伝説を信じて駆け続け、友を愛し、そして【反逆の騎士】として汚名と共に死んだ深淵狩りのモルドレッド。

 モルドレッドの聖剣は語り掛ける。月光の聖剣の所有者として、モルドレッドの願いを否定することができるのかと問いかける。

 託されたならば、また別の誰かに託せばいい。後に続く深淵狩りの為に欲し、また聖剣の力を使いこなしている彼こそ【聖剣の英雄】として月光の聖剣は相応しいのではないだろうか。『名無し』は迷い、だが首を横に振る。

 

「渡せない。『託されたから』じゃない。俺の願い、俺の目的、俺の意思、俺の祈り! 俺の魂の叫びの為に……渡せない!」

 

 資格者に『託されたから』と言い訳などしない。【聖剣の英雄】の責務だからと宣う気もない。何処までもエゴに塗れて『名無し』は、モルドレッドの生涯と最期を知った上で、月光の聖剣を渡さない選択をする。

 ああ、それが聞きたかった。嬉しそうにモルドレッドの聖剣が消える。残された『名無し』は、月光の奔流の中で、改めて自分の手にあるものを見つめる。

 それは月光を宿さぬ月蝕の黒。月光の聖剣を使いこなせていない証。そう思い込んでいた。

 だが、違うのだ。資格がないからこその月蝕なのだ。月光はただ資格者の為だけにあるのだ。

 

「ごめんな。俺……ずっと『キミ』の声を無視していた。月光の聖剣にばかり耳を傾けて、ずっとずっと俺に『力』を貸してくれていたのは『キミ』だったのに、見向きもしなかった!」

 

 資格者の為にある月光の聖剣。確かにそれは強大だろう。仮想世界において、絶対的な【聖剣の英雄】にするのだろう。だが、所有者は月光の聖剣の主にはなれない。月光の聖剣は気まぐれに、『所有し続ける資格があるか』を試す為に月光を差し込ませるだけなのだ。いつか新たな資格者の現れる……その時までの仮宿として、所有者を選ぶのだ。

 ならばこそ、月光の聖剣に覚醒させるものは何か? それは『名無し』の意思だけではない。もう1つ不可欠なものがある。

 聖剣同士は共鳴する。モルドレッドの言葉が全てを物語る。

 

「あの性悪な聖剣に一泡吹かせてやろうぜ。俺達ならきっとできる。俺達ならきっと認めさせることができる」

 

 月光の聖剣は『俺の聖剣』ではない。託された月光を映し込むのは、資格など無かった俺が見出した、俺だけの唯一無二の贋作なのだから。

 

「俺の魂は叫んでいるんだ。『救いたい』!『守りたい』!『助けたい』! 何処までも身勝手に! 恥知らずに! 愚かしい程に!」

 

 それこそが『俺』なのだ!『名無し』は他でもない……月蝕の聖剣へと手を伸ばす!

 

 

 

 

 

 

 ああ、やっと声を聞いてくれたね。月蝕の聖剣は『名無し』の言葉に応えるように、光無き月蝕で彼を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 激突する聖剣と聖剣。溢れる月蝕の奔流がモルドレッドの聖剣より放出される奔流を受け流す。

 月蝕の性質はその重さにある。重圧でより物質的である。その流れはまさしく荒れ狂う河川の如き濁流であり、あらゆる力を押し流す。

 『名無し』が剣士としてもたらす繊細な受け流しと月蝕による豪快な押し流し。その2つが合わさり、モルドレッドは聖剣の刃は逸れ、彼は致命的な隙を晒す。

 

「なに!?」

 

「うぉおおおおおおおおおおおおお!」

 

 モルドレッドが聖剣を求める理由も知った。固執の裏にある深淵狩りへの深い愛情と使命感も分かった。だが、『それがどうした』のだ?

 スローネの時もそうだ。自分は背負えない。彼らの願いも、使命も、誇りも、ちっぽけな自分では背負いきることはできない。それでも踏み越えていく。彼らの『力』と『強さ』に敬意を払って、武の頂に立つ為に……そうして自分の在り方を貫く為に……彼らとの戦いを誇りながら生き抜く!

 聖剣の形状が変化する。スローネの時は月光の聖剣が『名無し』に合わせて最適化された。だが、今度は月蝕の聖剣が『名無し』の為に姿を変える。

 核となる刀身はより長く、だが重くなる。鍔の形状も変化する。そして、銀色の刀身を核として覆う月蝕の大刃は、より凝縮され、銀の刀身の表面を薄く覆うに留まる。

 その姿はかつて鉄の城で『名無し』と共にあった剣、エリュシデータに限りなく酷似していた。

 

 

 それは取り戻せない過去への憧憬であり、だからこそ未来の礎なのだ。

 

 

 どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ祈りを捧げても、どれだけ決別を志しても、過去があるからこその現在であり、そして未来へと繋がるという証明である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斬。モルドレッドが纏う力の流れに合わせて腹を薙ぐ全身全霊の一閃は、モルドレッドへと届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 より物質的で重圧を伴う月蝕の力。その奔流を極限まで凝縮されて纏った刃は、鋭利な傷口に相反し、モルドレッドの周囲の皮を、肉を、骨を引き摺りこもうとする。それはもはや重力と呼ぶに等しい。

 モルドレッドの聖剣の加護と同じ、力の流動。だが、『名無し』にはモルドレッド程に聖剣の力を引き出すことはできない。ならばこそ、限りある月蝕の力を凝縮して高める。周囲を滅する圧倒的な破壊には至らずとも、刃の届く範囲ならば必ず敵を討つ。剣技とはそれでよいのだ。

 

「ぐ、ぐがぁあああああああああ!?」

 

 モルドレッドは呻き、腹の傷口周囲の肉と骨が引き摺りこまれるダメージに呻く。『アバターの強制崩壊』による追加ダメージは、モルドレッドのHPを奪い取っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、月蝕の黒が傷口より消えた時、モルドレッドは血飛沫を上げてその身を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、モルドレッドは血溜まりで踏みとどまる。『3割』ほど減らしたHPの通りに、まだまだ余裕はあると言わんばかりに、『名無し』へと『両手』で握った聖剣を掲げる。

 

「やるな。今のは……効いたぜ! 久々に両手で聖剣を使える相手に巡り合えるとはな! アノールロンドと戦争した時以来だ!」

 

 いうなれば、それはネームドにおける『第2段階』だ。モルドレッドは今まで片手で、それも子どもの遊びに付き合うように、武技の欠片も見せることはなかった。

 これがモルドレッド。単身でアノールロンドを相手に『戦争』を成立させた深淵狩り! 

 今度は両手で聖剣が振るわれる。モルドレッドの言葉の通り、両手で振るえば強いに決まっている。なにせ、ゲームシステムの観点から見ても、モルドレッドの聖剣は大剣……『両手剣』なのだから。片手剣として『名無し』が全能力を発揮すべく最適化された月蝕の聖剣とは根底が異なる。

 最強の一撃の為に月蝕ゲージは使い果たしてしまった。刀身は月蝕の黒を失い、白銀の刀身だけとなっている。

 退くな。逃げるな。戦え! 気圧されかけた『名無し』は、尽きかけた精神力の限りを振り絞る。スタミナと魔力の限りを注いで再び月蝕を成し、それだけではなく、己の仮想脳の限りに訴えかける。

 

「俺は負けられないんだぁあああああああああああ!」

 

 心意は目覚め、最大出力の月蝕の奔流と共に、『名無し』はモルドレッドの刃を迎撃した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 やり過ぎた。崩落した天井の瓦礫を拳で打ち砕いたモルドレッドは、重なるように倒れ伏す2人の男女を見下ろす。

 気絶した黒衣の剣士を庇うように少女は覆い被さり、その上で片翼の幼竜がバリアを張って瓦礫に潰されるのを防いでいた。

 モルドレッドが両手で振った聖剣の一撃を、黒衣の剣士はもはや受け流しきれないとみるや、真っ向から打ち破ろうとした。あの一瞬だけ、モルドレッドの聖剣とほぼ互角の出力となり、逃げ場を失った力は周囲を吹き飛ばしたのである。

 黒衣の剣士は少女を聖剣の破壊から守り抜いた。少女もまた瓦礫の崩落から彼を守ろうとした。そして、幼竜は2人が完全に潰されるのを防いだ。

 

「おいおい、『負けられない』んじゃなかったのか?」

 

 大口叩いておいて、あれだけ啖呵を切っておいて、負けていいのか? 自分が勝ってしまったことにモルドレッドは、らしくない申し訳なさを覚える。

 負けてやる気など微塵もなかったが、この男ならばもう1つくらいならば深手を負わされるくらいの期待感があったが、この結果には失望感もまた無かった。

 

「まぁ、ガッツと……少し位は実力を認めてやるよ」

 

 気絶した黒衣の剣士だけではなく、2人と1匹も含めて称賛したモルドレッドは、それはそれとして聖剣を奪い取ろうとする。だが、黒衣の剣士は手放そうとしない。

 さすがにもう殺す気はない。モルドレッドは手首を切って聖剣を持ち帰ろうとするが、彼の聖剣は途端に重くなる。

 あの瞬間、黒衣の剣士は完全に『己の聖剣』を我が物にした。気づいていなかった『真実』に到達したのだ。

 黒衣の剣士が握るのは月光の聖剣であり、また同時に彼の聖剣でもあるのだ。ならばこそ、かつて神々がガウェインより聖剣を奪い取ったのと同じことをモルドレッドの聖剣は良しとしないのだ。それはモルドレッドの誇りを汚すことになるからだ。

 

「『負けていない』と『負けられない』。どっちも救いようがない『馬鹿』の道なのかもしれねぇな。賢く生きれないもんだ」

 

 負けていないと、破滅しかないと分かり切っていても前に進み続ける者。

 負けられないと、死が待つと直感しても前に踏み込む者。

 どちらも救いようがないのかもしれない。それでも、とモルドレッドは薄く笑う。

 コイツも同じだ。自分やガウェイン、それにランスロットと同じなのだ。ならばこそ、モルドレッドは闘志を鎮める。

 

「おい、女。お前は意識があるんだろ? コイツが起きたら伝えろ。次に『自分の聖剣』を蔑ろにした時は、今度こそぶち殺してでも月光の聖剣を奪い取るってな」

 

 傷を負っているせいか、喋ることができないらしい少女は、だが了承したように、あるいはそんなことあり得ないと言うように、モルドレッドを睨んでいる。 

 それでいい。モルドレッドは聖剣を背負うと大きく跳び、地上へと戻る。彼が開けた大穴は徐々に塞がりつつあった。この世界の理屈は学んできたが、やはり奇怪なものだとモルドレッドは眉を顰める。

 始祖アルトリウスはどうして月光の聖剣を手にしなかったのか。それくらいはモルドレッドも理解している。

 彼もまた次なる世代の為に託したのだ。深淵狩りの為ではなく、いつか月光の導きが必要な戦いに参じる者の為に、導きの月光に触れなかったのだ。

 

「あの女の言った通り、最後の深淵狩りが聖剣をあの男に託したのならば、深淵狩りに聖剣の導きは……もう不要なのかもしれないな」

 

 神々の使命が無くても、聖剣の導きが無くとも、最後の深淵狩りは戦い続けることができるのだろう。それならば、モルドレッドはもはや何も言うことはない。

 

「腹減ったし、帰るか」

 

 今は保留だ。あの男の歩む先を見届けてからでも遅くはない。何処かで敗れたならば聖剣を回収するだけであり、つまらない男だったならば今度こそ殺して奪えばいい。モルドレッドは機嫌よく帰路に立つ。

 

 

 願わくば、あの男がまた次なる世代へと月光の聖剣を……導きの月光を託す未来があらんことを。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 黒紫の結晶剣が手斧を持った男の右腕を刺し貫き、そのまま壁に拘束する。

 

「お前たちの拠点は何処?」

 

「地獄に……堕ちろ! 信仰を知らぬ愚図共が! お前たちのような下劣が……黄金の稲穂に相応しい……選ばれた我々を――」

 

「バイバイ」

 

 よく喋る舌だ。ユウキは黒紫剣で男の舌を貫き、そのまま口内から頭部を串刺しにする。

 絶命した男が四肢を力なく垂らし、黒紫剣は消滅した屍を地面に倒れ伏させる。

 

「ユニークスキル間でも、ここまで殺傷力に差があるとはな」

 

「便利過ぎるのが逆に難点なんだよね。それに闇属性単体だから対策されたら火力を発揮し難いし」

 

「弱点をバラしていいのか?」

 

「これくらい分析済みでしょ? 今更だよ」

 

 元より暴力と不道徳で満ちた終わりつつある街の裏通りであるが、ここは常軌を逸している。口笛を吹くPoHを睨みながら、ユウキは頬に付着した男の血を汚らわしいと袖で拭う。

 裏通りに1歩踏み込めば、DBOの本来の暴力が支配する世界が露になる。チェーングレイヴによって犯罪ギルドの統制は敷かれているとはいえ、それも完全ではない。人口増加に対してチェーングレイヴの増員と戦力強化は間に合っておらず、少なくない犯罪ギルドやプレイヤーが野放しにされている状況だ。

 とはいえ、この辺りの一帯は明らかに方向性が異なる。欲望に従っているのでもなく、暴力至上主義でもなく、確固たる『信仰』によって支配されているのだ。

 教会のように大ギルドにすら物申す勢力になるのは例外中の例外であるが、プレイヤー達は密やかに多くの信仰を見出している。それはDBOに元から設定された様々な誓約であり、あるいは教会のようにプレイヤー自身が打ち立てた宗教だ。

 

「黄金の稲穂に心当たりは?」

 

「無い。だが、コイツらが一連の事件の実行犯だとすると、【渡り鳥】に関したことだろうな。マザーからも聞いていないし、アイツは自分のことをほとんど話さないからな。さすがの俺も見当がつかない」

 

 本当だろうか? ユウキが殺害した男の髪を掴み、≪死霊術≫を使用するPoHは、虚ろに話し始める男の話に耳を傾ける。

 

「白……猫……導かれ……神の子……菓子を……甘く赤い菓子を、菓子を、菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子菓子! ひぃあああああああああああああ!?」

 

「駄目だ。コイツも自己崩壊しやがった」

 

「便利なユニークスキルだね。≪絶影剣≫よりも汎用性が高くて羨ましいよ」

 

「『素材』集めは大変だがな。それにこの通り、まともな自我は得られない人形だ。まぁ、コイツらの崩壊具合は別の理由がありそうだが。だが、コイツが動こうとした方向……やっぱり重なるな。絞れてきたぜ」

 

 マップデータに遺体が動こうとした方向を更新し、PoHはユウキにこれまで倒した狂信者の遺体が、一様に同じ方向へと動こうと……『戻ろう』としていた情報を共有する。

 この区画に入ってから、2人は……正確にはユウキを狙って何度も狂信者が奇襲を仕掛けてきた。だが、その程度で後れを取る2人ではなく、等しく返り討ちにしていた。

 ユウキの≪絶影剣≫は剣に幻刃による追撃を加え、また自分の周囲に黒紫の結晶剣を展開して自由自在に動かすユニークスキルだ。剣陣と呼ばれるソードスキルに値する様々な効果を発揮する能力も発揮できる。攻防において隙はないが、使いこなす為には高いVR適性に基づいた精密な思考操作が不可欠だ。

 一方のPoHの≪死霊術≫は純粋な殺傷能力こそ≪絶影剣≫に劣るが、厭らしいデバフ効果を持った様々な攻撃を可能とし、スケルトン系やゴースト系モンスターを召喚できるだけではなく、『素材』から強力な配下を生み出すこともできる。また、殺したプレイヤーをリビングデッドにすることによって情報収集も可能だ。

 

「悔しいが、俺よりもお前の方にアイツも語ることは多いだろうよ。お前こそ、何か心当たりはないのか?」

 

「残念だけどね」

 

「期待しちゃいないさ」

 

 クゥリは嘘も演技も下手ではあるが、常に『秘密』を隠す。自分の事ならば尚更だ。

 PoHやユウキでも見通すことが出来ないクゥリの深奥には、いかなる『秘密』が隠されているのだろうか。そもそもとして、彼はほとんど自分の過去を語らない。自分が『何者』であるのかを口にしようとしない。聞けば当たり障りのないことは教えてくれるが、それは断片的で、決して真実にはたどり着かせないものだ。

 日も暮れて夕闇が終わりつつある街を呑み込み始めている。一見すれば穏やかな夕焼け空であり、冬の濃い雰囲気を孕んだ秋の切なさを感じる風である。だが、荒廃した裏路地には物乞いも貧民プレイヤーもいない。木材が燃やされたドラム缶は置かれていても、暖を取る者たちの姿はない。

 

「もう時間が無い。急ぐぞ」

 

 余りにも静か過ぎる。だからこそ、終わりつつある街の破滅がもう間近に迫っているのだと感じる。

 ここまで妨害と呼べるものがあったとするならば、ユウキ達に襲い掛かった狂信者くらいであり、肝心の白猫のぬいぐるみは姿を見せない。レギオンとは違い、ユウキ達を敵視していないからか、それとも別の理由か。どちらにしても、悠長に時間をかけて捜索する暇はない。

 

「これまでの情報を統合した限りだと、俺が作ったリビングデッドはいずれもこの廃神殿に向かおうとしていた。拷問で得た情報も合わせれば、ここが奴らの拠点である確率は高い」

 

「外れだった場合、次の目星を探す時間は無さそうだね」

 

「その時はその時だ。俺達でアイツを止めればいい。止められたら……の話だがな」

 

 PoHもユウキもDBOでもトップクラスの実力者だ。だが、その2人があらゆる遺恨を捨ててタッグを組んだとしても、はたして止める事ができるかどうか怪しい。

 廃神殿の扉をゆっくりと押し開ける。光源が地平線に落ちようとしている夕陽以外にないせいか、内部は薄暗くてよく見えない。PoHが先に行けと顎を向ければ、元よりそのつもりだとユウキは足を踏み入れる。

 かつては信徒によって祈りを捧げられていたのだろう。だが、今は瓦礫ばかりであり、およそ廃墟としか言いようがない。

 そのはずなのに、1歩踏み込んだだけで理解する。どうして入るまで気づかなかったのかと思うほどに、クゥリの殺意に浸されている。

 

「まるで『聖域』だな」

 

 満たされた殺意に酔ったように、PoHは正気を保とうとするかの如く眉間を揉む。

 狂信者の姿はない。ユウキたちによって全滅させられたのか、それとも新たな被害者を増やしているのか。どちらにしても、静寂と殺意が融合した廃神殿に侵入しても妨害はない。

 雨水が溜まっているのか、廃神殿には水が張っており、白い蓮が咲き乱れていた。いずれも嗅覚を刺激する甘く儚い香りを漂わせている。だが、それ以上の別の濃い香りに、ユウキも、あのPoHさえも耐え切れずに咳き込む。

 

「なにこれ……こんなに濃い……血のニオイ!?」

 

 凄惨な戦場でさえも嗅ぐことが出来ないだろう、充満した血のニオイは嗅覚を刺激して彼らの足を止める。

 死体。死体。死体。ひたすらに死体ばかりが転がる。胸を裂かれ、心臓を抉りだされた犠牲者の遺骸が山積みにされ、本来は清廉なる透明だった水を濁らせ、白い蓮を赤く、あるいは変色して黒く染め上げている。

 どれだけの人間が犠牲になったのか、数えるのも億劫になるほどの屍の山。その最奥にて、崩れた屋根より差し込む夕闇の僅かな光が差し込む奥地にて、苔と蔦に覆われた半壊の祭壇にて眠る人影があった。

 

「クー!」

 

 見た目こそ10歳にも満たない幼き姿。辛うじて神道をベースにしていることが分かる、あらゆる宗教要素が組み込まれた異端の装束。本来ならばあり得ぬ……ユウキが誰よりも否定できる『眠った』状態。だが、それでもクゥリは深緑の揺り籠に抱かれるようにそこにいた。

 

「ああ、神子様。神子様ぁああああ。またお眠りになってしまった! どうして? 菓子を……菓子を持ってまいりました。どうか我らの祈りと呪いを! 我らに黄金の稲穂を……!」

 

 そして、幼きクゥリに縋りつくように、抉り出したばかりだろう、血の赤に染まった心臓を跪きながら両手で差し出す男。ユウキはおよそ見覚えがなく、またPoHも同様のようだった。

 男は侵入者に気づき、ゆらりと揺れながら振り返る。虚ろな眼に正気と呼べるものはない。だが、絶えず流れる涙は、眠れるクゥリの目覚めの切望だった。

 

「ここは聖域。黄金の稲穂をもたらす神子様の寝所。貴様ら……導かれていないな? 黄金の稲穂の価値も知らぬ、救われるに値せぬ選ばれなかった愚者共が」

 

 犠牲者から心臓を抉り出す為の得物か、刃毀れした短剣を右逆手で握りしめた男は罵倒する。

 だが、途端に笑みを浮かべる。まるで神への不敬……その贖罪の機会を与えようとする神官のように、何1つの迷いも疑いもないように笑む。

 

「しかし、喜ぶがいい。貴様らの血肉は……心臓は菓子として神子様に献上される。ああ、実に羨ましいよ。これ程までに幸福な死はない。貴様らは黄金の稲穂を得るに相応しくないが、その命は神子様の慰めとして活用されるのだ! あぁ、神よ! 神よ! 神よ! 我らの声が聞こえぬか!? 今再び、神子様の目覚めを!」

 

 狂笑した男に、PoHは溜め息を吐き、ユウキは剣を抜く。

 

「さっさと済ますぞ」

 

「うん」

 

 言い分を聞く余地はない。あるいは、今まさに語ったのが全てなのかもしれない。何にしても、ユウキとPoHのやるべき事は変わらない。

 

「それ以上近寄るな、不敬者が! 貴様らに死を――」

 

 屍の山を下りた男は、短剣を構えて斬りかかる。それなりの実戦は積んでいるが、戦い慣れた動きではない。せいぜいが中位プレイヤーといったところだろうか、と分析したユウキは宵の明剣を抜く。宵色の刀身をした細身の軽量型片手剣は、≪絶影剣≫の効果で幻刃の追撃を帯び、1度の攻撃で2度の斬撃を与える。まともな防具も纏っていなかった男は、短剣を握っていた右手首を切断され、傷口から血を溢れさせる

 

「ぎぃああああああああああああ?! 俺の手! 俺の手がぁああああ!」

 

「だからどうしたの?」

 

「愚者が! この俺の手首を! 神子様に選ばれた、この俺の手を!」

 

「ふーん。それで?」

 

 だから何が言いたいのだろうか? ユウキは心底『どうでもいい』と切り捨てる。コイツが何を言っていようとも、ようやく間近に迫ったクゥリ以上に優先する価値はない。むしろ進路を邪魔する障害物だ。不快感を抱く以外に何もない。

 黒紫剣が男の両膝を刺し貫く。あっさりと膝を折った男は、信じられないと言った様子で小柄なユウキを見上げる。

 その目に映るのは死への恐怖だ。あれだけユウキ達の死がどれだけ幸福なものなのか説いていながら、自分自身の番になると耐え難い怯えを見せる。

 

「狂信者としても三流だな。死んで出直せ」

 

 男の右側頭部に重ショットガンの銃口を押し付けたPoHは、何の迷いもなくトリガーを引く。HPがゼロになった男は、名も残さぬままに、頭蓋の中身を散らしながら倒れ、他の屍と同様に水底へと沈んだ。

 

「で、今の奴は誰だったんだ? 今回の黒幕か?」

 

「知らないよ。でも、クーに『何か』を見て、縋って……救われたかったのかもしれない」

 

「もしかしたら、もうとっくに救われてたかもしれないな」

 

 何にしても、あの男はPoHの言う通り、狂信者として三流だったのだろう。クゥリが信仰の対象としても、いざ自分の死の番となった時、我が身可愛さで死の恐怖に怯えたのだから。

 他の狂信者はいない。慎重になるのに越したことはなく、ユウキ達は水没していない瓦礫と積まれた屍を足場にして、女神像で眠るクゥリに近づく。

 クゥリが『眠る』。それはあり得ないことだ。そもそも自分で眠ることが出来ないからこそ、彼はユウキを楔にして微睡むのだ。もしも自力で普通に眠ることができたならば、彼のコンディションはもう少しまともになっているはずだ。

 だからこそ、ユウキが警戒するのは狂信者以上にクゥリだ。このまま安易に近づけても『目的』を果たすことができない。

 

(『目的』? あれ? ボク……どうして、クーに……)

 

 まだ熱が残っている頭にまた靄がかかる。ぼんやりとした思考が高熱で溶けたように纏まらず、意識が曖昧になっていく。

 

「どうした?」

 

「な、なんでも……ない。ちょっと気分が……」

 

「フン。血のニオイにやられたか。軟弱だな」

 

「確かにちょっとキツいけど、そうじゃなくて、まだ体調が……」

 

 無防備に眠っている。今だ。今がチャンスだ。さぁ、『目的』を果たそう。ユウキは震える右手で握る剣を見つめ、刀身に映った自分の口が嬉々と……まるで『自分』ではないかのように、狂った歪みの笑みを刻んでいることに気づく。

 満たされたクゥリの殺意。いつもはあれ程に愛おしく感じるはずなのに、感情に不純物が混じっている。それが動悸を荒くする。

 この地を満たす殺意を許すな。いつも抱く愛情の裏側のように、まだ名前をつけることができない濁った黒い感情がこびり付く。それは頭の隅から染み出して心を侵蝕しようとする。

 

「チッ! そこで待ってろ。俺がアイツを起こしてくる。目覚めてどうにかなればいいが、何もしないよりマシだ」

 

 全身が震えて両膝をついて動けなくなったユウキに舌打ちしたPoHは、先んじてクゥリに迫る。

 

 

 

 

 

 

 だが、まるで最初からそこにあったかのように、PoHの進路を塞ぐように白猫のぬいぐるみが転がる。

 

 

 

 

 

 血の赤色で染め上げられた廃神殿にて、異端と呼べる純白は1つだけだった。クゥリの白髪である。そして、PoHの進路を邪魔するのは、クゥリの白と同じ色を持つ猫のぬいぐるみだった。

 デフォルメされており、両目はなく綿が飛び出している白猫のぬいぐるみ。外観だけならば、ゴミ箱に入れられていてもおかしくはない。だが、2人は前情報としてレギオンを狩っていた存在を知っているが故に戦慄する。

 あのPoHが脂汗を滲ませ、ゆっくりと慎重に距離を取る。安易に近づくのは自殺行為であるからだ。

 

 

 

 

 

 

 そして、気づけばPoHは両手で白猫のぬいぐるみを掴んでいた。

 

 

 

 

 

 

 現れた時と同様に、まるで映画の1シーンをスキップしてしまったかのように、PoHはその手に白猫のぬいぐるみがあった。

 

「ば、馬鹿な!?」

 

「早く捨てて! 早く!」

 

 ユウキの警告を聞くまでもないとPoHは数多と屍が沈む水面へと白猫のぬいぐるみを投げる。

 水飛沫をあげることもなく、白猫のぬいぐるみは血で醜く汚れた水底へと沈む。息荒くPoHは周囲を見回す。

 だが、いつの間にかPoHの足下には白猫のぬいぐるみがあった。彼は頬を引き攣らせ、捨てるのではなく破壊すべく腰の肉断ち包丁を抜く。

 PoHはギリギリで攻撃を止める。白猫のぬいぐるみがいかなる存在なのかは分からない。レギオンに対して特効を持っていること以外は未知数だ。少なくとも、PoHにもユウキにも現時点で危害を加えていない。

 分析できない。白猫のぬいぐるみの正体が分からない。DBOでは何が起こってもおかしくないとはいえ、これは明らかにクゥリに関連した『何か』だ。ならばこそ、ユウキもPoHもここで選択ミスをすることは出来ない。

 1ミス即死の糞ゲー開始だ。ユウキはそんな喝を自分に入れて立ち上がる。

 

「ボクもそっちに行く。動かないでね」

 

「業腹だが、仕方ない。待っててやるよ」

 

 摺り足気味で動きながら、ユウキはPoHとの……クゥリとの距離を詰めていく。足場から足場へと跳び移る。

 そして、足裏から伝わるのは、屍とも違う柔らかなものを踏んだ感触。恐る恐る見下ろしてみれば、ユウキの右足は白猫のぬいぐるみを踏みつけていた。

 確かにPoHの傍にあったはずなのに! ユウキが見れば、彼の足下にも同じく白猫のぬいぐるみが横たわっている。

 誰が1つだけと決めた? そう嘲われたような気がして、動揺が表面化しそうになる。

 

「ゆっくりだ。いいな?」

 

「……うん」

 

 PoHの指示通り、まるで地雷を踏んでしまったかのように心拍数が上がりながら、ユウキは踏みつけた白猫のぬいぐるみから足を離す。

 

「少しだけ! 少しだけ理解してきたぞ! コイツは俺達に積極的に危害を加える気はない。『今のところ』はな。だが! 俺達が【渡り鳥】に近づくことを良しとはしない!」

 

 あの狂信者は触れることができる距離までクゥリに近づくことが出来た。だが、PoHとユウキは拒まれているのだ。

 差異は何にある? 白猫は何を基準にして狂信者が近づくことを許し、ユウキ達を拒絶しているのか。まるで読み取ることができなかった。

 

「まずは俺のところまで来い。少なくとも、俺の立ち位置まではセーフのはずだ」

 

「分かった。すぐに行くから――」

 

 そして、ユウキが1歩踏み出せば、その手に白猫のぬいぐるみが握られる。先程までなかったやわらかな感触に、ユウキは息が止まりそうになる。

 

「止まれ!」

 

 反射的に白猫のぬいぐるみを手放し、剣で斬りつけようとしたユウキをギリギリでPoHの警告が押し止める。

 

「攻撃はするな。絶対にな。お前のヘマで俺まで死ぬのは御免だ」

 

 頷いたユウキは、手放した白猫を見つめながら、また出現する白猫を踏まないように、足下を睨むようにして時間をかけてPoHとの距離を詰める……クゥリに近づいていく。

 もう少しだ。

 もう少しで届くのだ。

 ユウキは息荒く、徐々に近づいていくクゥリに嬉しさを覚える。

 あともう少しで『目的』を果たせる。今はチャンスなのだ。為すべき事を為さねばならない。それが使命なのだ。

 使命? 使命とは何だ? そもそも『目的』とは何か?

 

(あ……れ? ボク……どうして、ここに……そうだ。クーを……助けに……助ける? そうだっけ? あれ? 違う……ボク……)

 

 頭痛が激しくなる。意識が高熱を帯び、思考が纏まらなくなる。

 先程から精神を蝕む感情の不純物。それが心を焦がし、溶かし、爛れさせようとしている。

 

 殺せ。

 

 殺せ。

 

 殺せ。

 

 それが『ボク』の使命だったはずだ。

 パパの為に、ママの為に、皆の為に……必ず殺さねばならないのだ。

 

(パパ? ママ? だ、れ……それって、だれ? ボク……)

 

「おい、しっかりしろ! 何フラついてやがる!?」

 

 PoHの声が妙にハッキリと聞こえる。だが、その一方で言葉の意味を上手く噛み砕けず、ただ頭の中で反響している。

 殺す?『誰』を殺さないといけないのだ? ユウキは震える左手を見つめ、やがて皮膚が焼け爛れていく様を見る。

 敷き詰められた屍が、まるで助けを求めるように……恐怖を終わらせてくれと切望するように動き始める。ユウキに纏わりつく死体たちは死と呪いを訴える。

 

「やめ……て! ボク……ボクは……!」

 

 使命とは何なのか。『誰』を殺さないといけないのか。分からない。分かりたくない! ユウキは『恐怖』する。廃聖堂を満たすクゥリの殺意ではなく、自分の内側から湧き上がる意味も分からぬ殺意に恐怖する。

 

 汚さないで。奪わないで。壊さないで。それはたった1つの宝物……やっと見つけた大事な気持ち。ユウキは過呼吸になり、涙を流しながら頭を振って抗う。

 

 頭の奥底から響く囁きが、意識を焦がす高熱が、心を爛れさせる不純物の激情が、まるで水を濁らす血のように広がっていく。

 

 

 

 そして、ユウキは意識を失い、体を傾かせるとそのまま屍が眠る廃聖堂の水底へと沈んだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 調子は悪いと聞いていたが、これはどういう事だ!? ユウキが突如としてフラつき始めたかと思えば、そのまま血で汚れた水面に派手に倒れて沈む様に、これも白猫のぬいぐるみによる攻撃なのかと奥歯を噛む。

 ユウキが死のうと知ったことではない。だが、この状況を打破するのに自分だけでは、不愉快極まりないが、力不足なのだ。ユウキの助力が不可欠だ。PoHは彼女を助ける為に屍が眠る水底まで潜るべきか悩む。

 だが、すでに夕陽は落ち、夜の闇が訪れている。天井の穴から差し込む星の光だけでは廃神殿の暗闇を照らせない。

 マザーレギオンは夜になるまでがタイムリミットだとPoHに念押しした。それまでに事態を解決することができなかった場合、終わりつつある街は壊滅するのだ。

 無論、PoHは終わりつつある街のプレイヤーが何人死のうと……それこそ全滅しようとも知った事ではない。だが、【渡り鳥】の意思の果てで『天敵』にならなければ意味が無いのだ。

 たとえ、この夜に『天敵』が目覚めても、【渡り鳥】は必ず自らを御すだろう。そして、再び『天敵』は隠れるのだ。それはPoHの望むところではない。【渡り鳥】もまた『天敵』の1部であるならば、その在り方もまた『天敵』であるのだ。

 

 

 

 

 

 そして、赤い月の光が降り注ぐ。レギオンの獣狩りの夜よりも鮮やかな青ざめた血の夜空に、獣狩りの月よりもなお赤い……いいや、これこそ真実であるべき濃く赤い月が現れる。

 

 

 

 

 

 PoHは1度『天敵』の殺意を味わっている。アルヴヘイムで全身を浸した、生ある者は逃れる事ができない殺意を感じている。だからこそ断言できる。

 まだだ。まだ間に合う。まだ『天敵』は顕現していない! PoHは赤い月光を浴びる、眠る幼き姿の【渡り鳥】を見つめる。

 もはや【渡り鳥】の記憶にPoHはいない。失われてしまったのだ。もう思い出すことはないだろう。死に満ちた出会いも、2人だけの密やかな交流も、鉄の城で最後に自分を殺したことも、【渡り鳥】は思い出すこともないだろう。

 それでも、PoHの意思は変わらない。たとえ、思い出から失われようとも、PoHは『天敵』の為に生き、『天敵』の為に死ぬのだ。

 そして、まだ『死ねない』。死ぬわけにはいかないのだ。【渡り鳥】が今も貫き続ける在り方の先に『天敵』が顕現する。それこそがPoHの悲願であるならば、『天敵』が真に覚醒を果たす時まで死ぬわけにはいかない。

 死にはまだ早すぎる。PoHは足下で自分を不動にする楔の如き白猫のぬいぐるみを睨み、汗で濡れた顔面を左手で拭う。

 

「『覚悟』だ」

 

 恐怖はある。ユウキとは違い、PoHはどうしようもなく【渡り鳥】の……『天敵』の殺意に恐怖を覚える。

 

 だからこそ歓喜するのだ。

 

「俺は既に『覚悟』を決めたぞ! 何があろうとも、『天敵』を真に羽ばたかせるその時まで、必ず生き残る『覚悟』を!」

 

 駆ける。白猫のぬいぐるみがどうして【渡り鳥】に近づけさせまいとしているのかなど知る必要はない。この状況を打破する為には、眠る【渡り鳥】を起こす他にないのだ。

 なんとも呆気なくPoHは半壊の女神像にまで辿り着く。苔生し、また蔦で覆われた自然の揺り籠をよじ登り、【渡り鳥】の傍に至る。多くの心臓が捧げられた【渡り鳥】は、幼き姿のままに、無垢な寝顔を見せている。

 

「起きろ! 起きるんだ、【渡り鳥】!」

 

 気が抜ける程に穏やかな表情だ。PoHは【渡り鳥】の肩を揺すって目覚めを訴える。だが、この程度で起きるならば、三流狂信者は目覚めを切望しなかったはずだ。

 手荒い手段に訴えるべきか? 悩むPoHは、とりあえず彼を抱えて廃神殿の外へと連れ出そうとする。

 

 

 

 

 だが、PoHが抱き上げているのは【渡り鳥】ではなく、白猫のぬいぐるみだった。

 

 

 

 

 

 まただ。またしても妨害された。歯ぎしりを堪え、ならば何度でも捨ててやるとPoHは水面に白猫のぬいぐるみを叩き付けようとする。

 しかし、それは叶わない。『掴まれた』からだ。

 白猫のぬいぐるみ……デフォルメされた可愛らしい口をこじ開けて伸びた白い手によって顔面を掴まれたからだ。

 

「ぐ、ぐがぁあああああ!?」

 

 なんだ、これは!? 強大なSTRを秘めた手はPoHの顔面を掴み、そのまま頭部をトマトのように破裂させるべく力を込めていく。咄嗟に肉断ち包丁を振るって白猫の口から伸びる腕を切断しようとするが、更に伸びたもう1本の手が右手首を掴んで拘束する。

 

 ぐちゃり。

 

 ぐちゃり。

 

 ぐちゃり。

 

 ぬいぐるみとは思えぬ、まるで肉を掻き分けるような音と共に、白猫のぬいぐるみより『何か』が這い出て来る。

 赤い月の光を浴びるのは、【渡り鳥】と同じ……白猫のぬいぐるみと同じ……純白の髪。

 両目を覆うのは包帯であり、顔の造形は美しい女。だが、真一文字の口が吐息と共に開けば、およそ人間離れした牙が並ぶ口内だった。

 纏うのは着物であるが、まるで色町の女のように着崩しており、肩まで露出して豊かな谷間が見えている。同じく崩れた裾からは生々しい皮膚の光沢を帯びた足が露になり、戦いに適さぬ漆の下駄が献上された心臓を踏み潰す。

 人間とは思えぬ鋭い爪が伸びた指はPoHの顔を掴んだままだ。謎の女は優雅と思える程に笑うと、彼を軽石の如く投げ飛ばす。

 死体の絨毯に激突したPoHは、すぐに立ち上がるが、女の姿はない。代わりに白猫のぬいぐるみが落ちてきて彼の視界に映る。

 そして、一瞬で白猫のぬいぐるみは女となり、逆さになりながらも笑う女が爪を振るう。

 

「がっ……!」

 

 一瞬にして喉を深く切断され、PoHは左手で喉を押さえようとする。だが、『動かない』。いつの間にか彼の左腕は肩から先が凍てついてしまっていた。

 PoH程の猛者でも対処することが出来ない高速攻撃。何が起こったかも分からない彼の前で、またしても女は姿を消す。瞬きすらもしていないのに、まるで最初からいなかったかのように消える。

 

 ぷかり。

 

 ぷかり。

 

 ぷかり。

 

 水底から泡のように浮き上がるのは白猫のぬいぐるみ。その1つ1つから白い腕が伸び、まるで水草のように揺れる。

 ゆっくりと凍解し始めた左腕の動きを確かめながら、PoHは止血包帯を喉に使用する。HPは大きく削られたが、まだ7割ほど残っている。【渡り鳥】ならば、今の一瞬で首を確実に切断したはずならば、女の戦闘能力はカラクリ込みでも【渡り鳥】以下だろうと判断できる。

 眠れるクゥリの傍らにいつの間にかいた女は、右手に氷の爪を、左手に炎の爪を纏う。

 

「目覚める時まで、夢と夢を巡り続ける。誰にも我が友の邪魔などさせない」

 

「知った……こと、か。【渡り鳥】は……こんな、事態……望ま、ない。ならば、俺は……」

 

「私は我が友の『痛み』に肉付いた幻。お前たちの言葉は届かない。友を守る為、お前たちには死んでもらう」

 

 ぺろりと、人間ではない……まるで猫のような舌で唇を舐めた女は、妖艶に、だが残虐に笑う。それは何処となく【渡り鳥】に似て、だがレギオンよりも濃く殺戮の牙を感じる。

 PoHは直感する。この女はレギオンプログラムなどという模倣された劣化品などではなく、『オリジナル』と繋がっている。

 

「さぁ、ここからは狩りの時間だ」




青ざめた血の夜空に赤き血の月は浮かび、双眸無き白猫が牙を剥く。


それでは、327話でまた会いましょう!

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