SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回は前・中・後の3本仕立て!

お間違いのないように!



Episode20-17 人心迷宮 中編

 後悔とは手遅れだから後悔なのであり、過去を変えることはできない。

 転落先もまた腐肉の絨毯だったが故にか、落下ダメージは最小限に抑えられたが、全身が埋まってしまったレコンは何とか這い出ると口内に入り込んだ腐肉と菌類を吐き出した。

 

「……リーファちゃん!」

 

 どれだけ落ちたのか。HPは3割ほどしか残っておらず、本来ならば落下死も避けられなかっただろう。レコンは腰にぶら下げた聖水ボトルを口にする。幸いにも四肢が折れている様子はなく、HPさえ回復すればすぐにでも動ける状態だった。

 油断は無かった。慢心も無かった。そして、経験もまた無かった。故に隙は生じた。

 直感。そんな当てにもならないものを信じて探索を取りやめることは出来ない。だが、歴戦の傭兵である【渡り鳥】の忠告も侮れない。そこで提案した3時間案だったが、そもそもとして立ち入る事そのものが間違いだった。

 アルヴヘイムの経験と帰還後の潜り抜けた死線。その両方がレコンに確かな自信を与えていた。だが、アルヴヘイムにおいてはUNKNOWNなどの『超人』と呼ばれる、まさしく英雄クラスのお陰で生き残れたのもまた事実であり、帰還後も攻略本という絶対的情報源のお陰で比較的安全と対策を立ててから挑める事が大半だった。

 情報が全くない未知の探索。ましてや、大ギルドも詳細を掴めていないフロンティア・フィールドだ。万全など幾ら準備をしても程遠く、故に臆病と罵られようとも慎重さを欠けるなど愚の骨頂であり、何よりも多くの未知と相対した経験者の発言を軽んじるべきでは無かった。

 

(僕のせいだ。僕がリーファちゃんの背中を押してしまった。僕が……!)

 

 いや、後悔を抱えるのは当然として、今は迅速に行動するべきだ。あのネームドは【渡り鳥】の発言通り、この地下を狩り場としてプレイヤーを待ち伏せしていたのだ。【渡り鳥】がついているとはいえ、リーファの安全が保障されたわけではなく、一刻も早く合流しなければならないとレコンに焦りが生じる。

 この地滑りも狙われたものだ。あのネームドは明確な意思を持って罠にかけ、パーティを分断したのだ。リーファも手練れとはいえ、ネームド相手に単身で何処まで持ちこたえられるか分からない。レコンが落下した後に更なる分断策で【渡り鳥】とも離れ離れにされてしまっていた場合、リーファの生存率は大きく下がる。ましてや、ここがあのネームドの狩り場であるならば、隠れる場所など無いに等しいかもしれないのだ。

 レコンの認識する範囲内では、少なくともメタトロンは死亡し、ジャイロも負傷したはずだ。あのネームドの攻撃性を考慮すれば、ジャイロもまた死亡した確率は高い。

 パーティに2名の死者。もはや撤退は不可避であるが、無事に帰還できるかも怪しい。よしんば、生きて戻れても失態の2文字が刻まれる。

 何としても実績が必要なのだ。今回の1件にしても、リーファや自分に発言力さえあれば防げたかもしれないのだ。少なくとも、リーファは【渡り鳥】の判断を選択しようとする素振りがあった。

 だからこそ、レコンはリーファに毒を注ぎ込んだ。彼女もまた実績が不可欠であることは承知しているはずだ。安全重視からリスクを背負ってでも探索を優先する選択をするように、それとなく誘導した。

 その結果がこれだ。パーティは分解どころか、守ると誓ったリーファとすら逸れてしまった。レコンは自嘲すら漏らすことが出来ない。

 何もかもが上手くいかない。周囲を警戒しながら、共に落ちただろうハボックやノイジーの姿を求めながら、レコンは上へと続く道はないかと探る。

 幸いというべきか、地下空間にはモンスターがまるで存在しない。それどころか、<忘れられた樹海の森>でのモンスターとのエンカウントも異常に低かった。【渡り鳥】の先行警戒もあったとはいえ、レコンのせいで隠密ボーナスも落ちた集団移動で、ほとんどモンスターに遭遇しないなどあり得ないのだ。

 フロンティア・フィールドはまだ多くの謎を隠している。大ギルドも教会も十分な調査を達成しておらず、領有権だけでも先に我が物にしようと画策している状況だ。それは自由開拓戦線とて変わらない。

 いつの間にかプレイヤー目線で語ることが増え、フロンティア・フィールドそのものの脅威を、これまでのステージ制と同列で考えている部分があった。レコンの場合、改変アルヴヘイムの経験から、あれ以上の異常性は無いだろうという判断を招いてしまった。

 むしろ、プレイヤーに向けられた悪意の総合量でいえば、改変アルヴヘイムよりもフロンティア・フィールドの方が膨大だろう。改変アルヴヘイムは、オベイロンによってもたらされた異変に起因した、まさしく『異世界』と呼ぶほかない脅威であるのに対して、フロンティア・フィールドは1から100まで茅場の後継者によって設計された悪意の塊なのだから。

 

(息が苦しい。背中がぞわぞわする。仲間がいない事が……こんなに怖いなんて……!)

 

 気を緩めれば震えて、情けなく歯を鳴らしてしまいそうだ。レコンは自分の背中を守ってくれる者もいなければ、駆けつけてくれる助っ人もいない事に恐怖心を芽生えさせる。

 これまでも単身でモンスターと相対することは何度もあった。特に地獄のレベリングでは1人で複数のモンスターと戦うのは珍しくなかった。持ち前の高VITと防御力とガードで耐え抜き、大槌の反撃でモンスターを逆に叩き潰すことも1度や2度の経験はレコンを支える血肉となっている。

 だが、常にリーファと共に行動していた。彼女を守り、また守られるのがセットだった。純然たる単独行動は、謀略を除けば、彼にとってあり得ない判断だった。なにせ、彼の戦闘スタイルはタンクであり、仲間と共に戦ってこそ輝くものだからだ。

 レコンは自覚する。自分は英雄の器ではない。UNKNOWNやユージーンは英雄の域に到達しており、リーファも資格はある。だが、自分は決して英雄になれないと理解している。

 実力の問題ではない。英雄には素質が不可欠なのだ。存在そのものが周囲を鼓舞し、導き、為し遂げた偉業と共に名を刻む者。それが英雄なのだ。どれだけ実力があっても、英雄の資格を持たない者はなることができない。

 リーファは真っ直ぐだ。亡きサクヤの遺志を正しく継いでいる。何よりも自分の理想を抱き、信じて歩める強い心がある。そんな彼女が好きだからこそ、恋心のみならず、レコンは彼女を支えたいと望むのだ。

 このままでは自由開拓戦線にレコンたちは埋もれるだけではなく、居場所を失い、その他大勢として取り込まれることになる。レコンは裏から糸を引いて自由開拓戦線の設立を画策したが、1度生み出された組織は個人の制御下を抜けるものだ。上層部はいずれレコンの排除に動くだろう。そうでなくとも、大ギルドが自由開拓戦線を自分達にとって都合のいい存在として操ろうとするならば、レコン達は邪魔者だ。

 自由開拓戦線の設立はラッキーパンチに過ぎない。大ギルドにはないアドバンテージをフルに活用しただけだ。リーファが持つ攻略本の情報を使い捨て同然で利用したから出来たものだ。

 レコン自身にどれだけ策があろうとも個人である限りは限界がある。手足のように動かせる人員はなく、張り巡らせた情報網も個人レベルだ。

 だからこそ不可欠なのだ。容易く排除されないだけの表の地位を獲得しなければならない。自由開拓戦線を揺るがされない権威を持った象徴的存在……英雄が不可欠なのだ。

 リーファを旗印にして新生フェアリーダンスを結成して自由開拓戦線の要とする。専属傭兵として英雄たるUNKNOWNを獲得することで、自由開拓戦線の理念を不可侵とし、大ギルドの謀略で揺るがされないように芯を通す。そうしなければ、自由開拓戦線を待つのは大ギルドの謀略のゲーム盤という末路であり、レコンたちは2度と浮上することは出来なくなる。

 タイムリミットはラストサンクチュアリ壊滅作戦までだった。それまでに実績を得て表の地位を確立し、堂々とUNKNOWN獲得に乗り出さねばならなかった。そうしなければ、仮に自由開拓戦線がUNKNOWN獲得を目論んでも、大ギルドの妨害工作が上回って立候補することすらできなくなるだろう。レコンが想定した以上に、自由開拓戦線に潜り込んだ大ギルドの息がかかった者は多いのだ。

 今回のスリーパーなどその最たるものだ。始まりからしてケチがついていた任務であり、本来ならば延期も辞さない慎重さが求められた。だが、レコン達には猶予など残っていなかった。

 謀略を嗜む者は決して沼から這い出ることは出来ない。レコンは覚悟を決めて泥沼に入り込んだ。それが自分の手にある、大ギルドにも歯向かえる武器であると信じた。だが、沼は想像よりも早く彼を呑み込んでいった。

 レコンには知略の才覚がある。だが、人心掌握の才能はない。利害関係を計算して惑わすことはできても、人を纏め上げる能力はない。

 虎の威を借りることによって人々を動かす知略を発揮できる他人依存の才能。それも天才と呼ばれる者たちには届かない。それもまたアルヴヘイムで味わった自分の器だ。

 

(騙して、偽って、謀って……そんなのばかりだ)

 

 満足感や達成感がないわけではない。自分の選んだ道であり、また多くの人の命を自分の命令で失った責務として、これからも泥沼に浸かり続ける覚悟がある。

 だからこそ眩しいのだ。リーファの常に真っ直ぐな眼差しにいつも惹かれるのだ。

 実績がないからといってリーファは転落していい人物ではない。彼女ならば、DBOの運命に一石を投じることができると信じているのだ。

 

「うわっ!?」

 

 足が滑り、レコンは腐肉の大地を転げる。身軽になったとはいえ、鎧の重量は彼の動きを鈍らせており、むしろバランスの悪い防具の組み合わせは姿勢制御を1度崩せば立て直せないデメリットもあった。

 本当に嫌になる。レコンは仰向けに倒れ、昼夜の区別もつかない地下の闇を見上げる。苔やキノコの光を乱反射する胞子は美しいが、これもまたバム=ルークの狩り場の特徴だと思うと恐ろしさが上回る。

 早く立ち上がらねばならない。レコンは両手を支えにして起き上がろうとして、右手に付着した熱を帯びた液体に目を向ける。

 それは血だった。まだ菌類が群がっていない、生々しい赤い血である。瞬間に何処か負傷したのかと自身のHPバーに目を向けたレコンであるが、HPは1ポイントも減少していない。

 だったら、この血は? 恐る恐るレコンが血の源流を辿れば、思わず息をのむ。

 それは眉間に穴を穿たれ、四肢を投げ出して絶命したノイジーだった。落下の影響か、折れた左足は建材を巻いて補強し、杖代わりにしただろう鉄筋も近くに転がっている。死体の表面は薄くだが菌類の侵蝕を受け始めており、彼女もまた腐肉の大地の仲間入りするのに時間はかからないだろう。

 落下した場所がレコンと違って硬質だったのだろうか? いいや、違う。確かにレコンよりも落下ダメージによる負傷は著しかったようだが、応急処置の痕跡がある。彼女もまた上を目指し、孤独に脱出を志していたはずだ。

 口を抑え、血の気が引いた頭を無理に動かし、震える指でノイジーの遺体に触れる。レコンは彼女の遺体の損壊が骨折のみならず、眉間を含めた複数の穴……銃創によるものだと判別した。

 DBOのダメージ表現からは多くのものが見て取れる。たとえば、HPを削りきった攻撃はアバターを大きく損壊させる作用がある。またクリティカルダメージ部位……急所である頭部や頸部はダメージが伸びやすい一方で損壊し難く設定されているのだ。また、頭部の完全破壊、頸部や胴体の切断などはHPがゼロになるダメージでなければ生じない。

 

(眉間の銃創が特に酷い! ほとんど『中身』が……!)

 

 撃たれたのがもう少し下の方であったならば、ノイジーだと判別できるほどに顔は原形を残していなかった事だろう。死体撃ちをしたのでないならば、致命傷は眉間の1発であると判断できる。

 悪態ばかり吐いていたとはいえ、苦手意識はあっても悪人とは捉えていなかった。スリーパーである危険性も考慮して慎重に接していたが、ノイジー自身は真っ当な人間であり、また戦闘を引き受ける者として至極当然の指摘しかしていなかった。

 どんな人だったのだろうか? どんな食べ物が好きで、どんな未来を描いて自由開拓戦線に参加して、どんな気持ちで今回の探索に挑んだのだろうか? 思い返せば、レコンたちは出発前の訓練でも連携の確認や探索の打ち合わせばかりであり、個人的な会話はほとんどなかったことに気づく。

 遺体を転送しようにもコルが足りない。せめて遺品だけでも、とレコンがノイジーの遺体を漁ろうとして、その前に警戒を強める。

 この地下空間ではバム=ルークを除いてモンスターは出現していない。ノイジーの遺体からして、彼女が銃撃……それも実体弾によって殺された事が分かる。ならば、彼女を殺したのはヒューマノイド系が濃厚だ。

 だが、バム=ルークの狩り場にヒューマノイドがいるならば、あの3時間で1度くらいは遭遇してもいいはずだ。バム=ルークは獲物を油断させる為にも地下空間のモンスターを排除していたならば、尚更おかしい事になる。

 あるいは、この地底にはバム=ルークが狩り漏らしたモンスターがいるのだろうか? そもそもとして、今のレコンの発想は正しいのか? モンスターがモンスターを排除する……まるで生態系を築くかのようだ。改変アルヴヘイムの経験があったからこそ、レコンは自然とその発想に至れたが、それもまた奇怪であった。

 DBOではモンスター同士が対立することは珍しくない。神族と深淵が相容れないように、時としてプレイヤーを無視して争っている時もある。だが、この腐敗した地下空間に、そして<忘れられた樹海の都>にモンスター数が極端に少ないのには、何かしらの共通点を感じずにはいられなかった。

 思考が逸れた。レコンは目前のノイジーの遺体という危険性に対してその場に止まってしまった。

 衝撃。次いで広がるダメージフィードバック。喉を貫通した攻撃がレコンにノックバックを強いる。

 HPが減少し、それが狙撃によるものだと把握した時には遅く、2発目が右肩に命中するも着込んでいた鎧のお陰でダメージは最小限に抑えることができ、盾を構えて片足をついて身を屈める。

 ヒューマノイド・スナイパー!? レコンは真っ先に最も確率の高いモンスターを想定して盾に隠れながら周囲を確認するも、フォーカスロックでモンスターを捉えることはできない。だが、別の存在を認識することに成功する。

 視界に映し出されたのはプレイヤーカーソル。この攻撃はモンスターではなくプレイヤーによるものだ。レコンは盾に隠れながら喉の損壊状態を確認する。流血のスリップダメージは生じているが、減少HPは想像していた程ではない。4割ほどの減少で済んでいる。高防御力・高VIT・≪射撃減衰≫スキルによってダメージが緩和されたお陰だろう。また、狙撃に用いられているスナイパーライフル自体が連射性能重視で火力が低く、また≪狙撃≫スキルも発動していなかった事も関係しているかもしれなかった。

 あくまで遠距離狙撃援護用のスナイパーライフル。この時点でレコンは狙撃手が誰なのか予想がついた。

 パーティの荷物持ち兼援護を務めるハボックだ。彼女は戦闘の際にスナイパーライフルによる遠距離援護を役目とする。

 パーティ内でも自分達に唯一友好的な態度を取っていたハボックの裏切りに、レコンはあまり衝撃を受けなかった。彼女もまたスリーパーの容疑者であり、油断させる為にわざと友好的な演技をしているかもしれないという懸念があったからだ。

 だが、どうしてこのタイミングで裏切る? バム=ルークという脅威まで織り込み済みで裏切ったとは思えない。あるいは、もはや自身の生死を問わずして任務を達成しようとする、覚悟が決まったスリーパーなのか。大穴として脱出の手筈が整っているのか。何にしても事態は膠着状態だった。

 ハボックの狙撃位置は苔に覆われた木の根の陰だ。彼女のスナイパーライフルではレコンの大盾を撃ち抜けない。大盾の性能が大きく上回っている為に貫通ダメージも生じない。もちろん、撃ち続ければレコンのガードバランスを崩し、あるいはスタミナを削りきる事も出来るかもしれないが、その前に装弾数が少ないスナイパーライフルの方が底を見せるだろう。また、レコンは盾を構えたまま物陰に移動すれば彼女の狙撃の脅威を下げることもできる。

 シノンのような超人的な狙撃の腕前ならばともかく、彼女の狙撃の腕前は凡人の域を出ない。ノックバックしたところを狙った2発目がレコンの急所を撃ち抜けなかった時点で膠着状態は決定したようなものだ。

 レコンは喉の治癒を待てばいい。機動力に置いてはどっちもどっちであるが、大量の物資が入ったバックパックを捨てればハボックの方が上だろう。だが、彼女のアイテムストレージは確認済みであるが、大量にはスナイパーライフルの銃弾を持ち込んでいない。仲間でもいない限り、スナイパーライフルではフロンティア・フィールドから単身の帰還は絶望的だろう。

 やはり命を捨ててでも? このタイミングで裏切ったハボックの意図が分からず、時間ばかりが経過して喉の治癒も完了する。その間も銃弾は襲い続けたが、むしろ動かないレコンを外すことが増え、彼女が冷静さを失っていることを如実に表す。

 

「ハボックさん! 僕です! レコンです!」

 

 喉の治癒すると同時にレコンは叫ぶ。するとこれまで途絶えることが無かった射撃は止まる。

 

「どうしてこんな事を!? あなたがノイジーさんを殺したんですか!?」

 

 分かり切っていることだ。ノイジーの死因は間違いなく狙撃によるものだ。軽装であった彼女は最初の狙撃で急所を撃ち抜かれ、ノックバックしているところに銃弾を浴び続けたのだろう。折れた足ではまともな回避行動も取れなかっただろう事も要因となったはずだ。

 DBOにおけるスナイパーライフルは非常に癖があるジャンルだ。極端に火力が高い代わりに機動性がほぼ死ぬ固定設置型か、火力・射程が控えめである代わりにある程度は動ける機動力型か。また、プレイヤーは≪射撃減衰≫スキルを始めとした射撃属性に対しての防御策が豊富である。≪狙撃≫スキルと併用しても1発限りの奇襲が限界である。また、長距離狙撃はプレイヤースキルに依存する部分も多く、現実世界以上の運動能力や豊富な索敵スキル・アイテムがあるプレイヤーによって距離を詰められ、また追跡されて仕留められることも多いのだ。

 ただし、スナイパーライフルは全銃器でもトップクラスにヘッドショット判定が高く、急所部位に命中させれば衝撃値のボーナスが付く。先のレコンのように衝撃耐性を突破してノックバックさせる事も可能だ。ただし、衝撃ボーナスは連続着弾する毎に低下していく為に嵌め殺しはできない。もっとも、その前にHPが尽きるか、あるいは仲間の援護で窮地を脱するのがほとんどである。

 DBOにおいて優秀な狙撃手として有名なのはシノンだ。義手になってからは狙撃手としての能力が低下したとされているが、それでも依然として彼女を超える狙撃手を探すのは難しいだろう。長距離狙撃だけではなく、ネームド相手の乱戦においても相手の弱点を正確に撃ち抜き続けてダメージを稼ぎ、ノックバックやダウンなどのチャンスタイムを作ることが出来る稀有なプレイヤーだ。

 対してハボックはあくまで援護としてスナイパーライフルを使っているに過ぎない。距離を置いて、モンスターのヘイトを稼ぎ過ぎない程度に、フレンドリーファイアを避けながら、多少のダメージを与える。それが彼女の戦闘スタイルだ。それもまた立派な援護である。

 外し具合から察するに、本来の技能を隠していたわけではない。ハボックはレコンの知る通りの腕前しかない。ならば、裏切るにしても別のやり方があるはずだ。この状況下ならば背後から刺すのも、更なる深みへと突き落とすのもやりたい放題のはずだ。

 何かがおかしい。歯車がかみ合わない。ハボックがスリーパーであり、裏切りは確定であるにしても、納得できない点が幾つも浮き彫りになるのだ。

 

「お前の……お前のせいだ!」

 

 そして、木の根に隠れていたハボックの叫びがレコンを揺さぶる。

 

「お前のせいだ! お前たちのせいだ! 私はこんな危ない探索に参加したくなかった! フロンティア・フィールドに少数で潜り込む!? 自殺願望も甚だしい! それなのに、どうして私が!?」

 

 スナイパーライフルではすべきではない乱射。銃弾は1発もレコンの盾にすら掠ることなく、彼の周囲の腐肉だけを飛び散らす。

 

「大ギルドの犬め! 醜い裏切者! 死ね! 死ね! 死ね!」

 

 どちらかと言えば温厚の部類だったはずのハボックは汚く大声で罵っている。だが、狂乱した発言にレコンはまるで理解を示せなかった。

 ハボックは今回の探索に乗り気ではなかった。それはいい。確かに少人数によるフロンティア・フィールド探索は大きなリスクがある。だが、その一方で少人数だからこそエンカウント率が低下し、探索に成功するのではないかという実験も兼ねている。逆に言えば、ハボックは推薦されるだけの実力は持っていたともいえる。

 そう、それは見方の『1つ』に過ぎない。失敗する確率が高いか低いか、それは個人の定規で変化するものである。

 今回のパーティメンバーはレコンが選抜したわけではない。自由開拓戦線の上層部がレコンの意向を受けて編成したものだ。バランスは整っており、フロンティア・フィールド攻略経験者を副隊長につけるなどの配慮もあり、期待感も窺えるものがあった。

 だが、上層部は1枚岩どころか多くの思惑が入り混じっている。レコンが自分の目的の為に自由開拓戦線の設立に糸を引いたように、個々の胸の内にはそれぞれの野心、信条、計算、妥協が存在する。

 立役者といっても、逆に言えば設立後まで義理立てする必要はない。レコンも設立の際に幾らか弱みを掴んで保険にしているが、死人に口なし。自由開拓戦線内にもまた大ギルドの干渉のみならず、元より幾つもの火種を抱えている。

 絶対的な支配者の不在。それこそが自由開拓戦線が決して一致団結できない理由の1つでもある。それはレコンが意図するところでもある。聖剣騎士団がディアベルというカリスマあるリーダーの下で団結するのに対し、自由開拓戦線はギルド連合という性質上、あくまで金儲け……3大ギルドのいずれにも与しない営利目的団体という立ち位置につけることによって、中立を確立させた。

 人類史において金とは悪魔の果実だ。金儲けの為ならば家族だって裏切る。国だろうと潰す。平和な大地を荒廃させて戦争と汚物に塗れさせる。金もまた『力』であり、故に人は魅せられるのだ。

 上層部にとって、今回の探索は成功した方が儲かる勢力がいる。失敗した方が都合のいい陣営もいる。また、組織運営に不必要な人材を『廃棄』することも視野に入れねばならない。

 ハボックは『切り捨てられた』と考えた。今回の探索は彼女にとって自殺にも等しかった。それでも、彼女なりの善意でレコンたちに優しく接していたのかもしれない。あるいは、想定よりもモンスターが出現しないという安全が死への絶望と緊張を解したのかもしれない。

 ならばこそ、バム=ルークの襲撃によって彼女の心のバランスは決壊した。

 別に彼女の心が弱かったわけではない。それが普通なのだ。レベルアップすればスキルも得れて職を得られるチャンスが増えるのに、多くの貧民プレイヤーが存在するのは『戦えない』者がいるからだ。そうした心の根の者が多く存在するからだ。自分の命をかけられるだけの土台を持ち合わせていないのだ。

 

「防具が壊れた時点で取り止めればよかったのに! それなのに……それなのに……!」

 

「あなたがトラップを!?」

 

「知らない! 私はやってない! でも、どうせお前は私達を……! 死ね! 死ね! 死んでしまえ!」

 

 やはり歯車が噛み合わない。レコン達のことを大ギルドの犬と呼ぶのもおかしい。何か勘違いが生じている。

 弾が尽きたのだろう。射撃は止まる。オートリロード分を使い果たしたならば、手動リロードするしかないはずだ。レコンは大盾を背負って一気にハボックへと駆け寄ろうとするが、彼女は木の根から飛び出すと走り出す。重荷になるバックパックを捨てて身軽になった彼女には追い付かない。

 

「待ってください! 僕の話を聞いてください!」

 

「来るな! 来るな……来るな……来ないで! 私に近寄らないで! 助けて! 殺される! 殺されちゃう!」

 

 レコンを残忍な殺人鬼と思い込んでいるようにハボックは泣き叫び、スナイパーライフルも捨てて更に身軽になる。レコンも大盾を捨てようとするが、それより先に更なる地下深くへと続く崖際にハボックを追い詰めた。

 涙と鼻水と涎でぐしゃぐしゃになったハボックは、背後を見て絶望し、だが振り返ればレコンもいて、怯えを見せて立ち止まる。

 落ち着け。判断を間違えるな。レコンはスタミナ消費を表すように汗で湿った顎先を拭う。

 

「僕は大ギルドの……手先じゃないですよ。なんで、そう思ったんですか?」

 

「実績もないのに、どうしていきなり隊長に抜擢されるというの? それに武装も……トッププレイヤーが装備するようなユニーク品ばかりじゃない。アンタたちの名前なんて、ほとんど聞いたことがなかった! 調べてみたら、あのフェアリーダンスのメンバーだったらしいじゃない! 大ギルドに反発した挙句にリーダーが死んで、ギルドメンバーは離散! ほとんどの奴らは大ギルドの傘下入り! アンタたち……怪しいのよ!」

 

「違う! 僕は……僕たちは大ギルドに支配されたくなくて、こんなの間違っているって信じたサクヤさんの理念を――」

 

「嘘吐け! だったら、その装備は何!? それだけの装備をどうやって調達したの!? どうやって上層部に働きかけたの!? どんなコネがあるっていうのよ!?」

 

「そ、装備は攻略本があるからなんだ! チェンジリング事件があっただろ? それで――」

 

「嘘はもうたくさん! みんな……みーんな、嘘吐きじゃない! メタトロンだって、何が攻略経験ありよ!? 別動隊を率いて本隊の露払いをしていただけじゃない! ノイジーだって大ギルドの攻略部隊にもなれずに爪弾きにされて、自由開拓戦線なんていう田舎の山で『エース』にでもなって気持ち良くなりたいだけのお猿の大将! ジャイロは借金塗れで、自分の所属ギルドの物資を横流ししていた糞じゃない!」

 

 自由開拓戦線の設立の為に、レコンは欲を刺激して人心を操り、パワーバランスを計算して策を練った。利害関係によるビジネスライクを重視し、自由開拓戦線を立ち上げた。

 だが、組織とは生き物であると同時に、構成する細胞たる人間には心がある。

 レコンはまるで見えていなかった。自分たちの都合で自由開拓戦線を操ることに終始して、そこに属する人々がどのような意思を抱いているのか、まるで想像できていなかった。

 実績さえあれば自由開拓戦線の表の地位と発言力は得られるだろう。だが、彼らにとって自分たちがどのように見られるのか。どのような印象を与えるのか。利害関係は計算出来ても、心の色合いまでは頭が回らなかった。

 結局は凡才。レコンは天才たちに及ばなかった。それだけの事だった。

 聖剣騎士団はディアベルの卓越した統率力とカリスマ性に惹かれた優秀な人材が組織運営に尽力している。太陽の狩猟団はクリーンイメージを崩さないサンライスとあらゆる知略と組織運営を一身に背負うミュウのコンビによって大ギルドとして軌道に乗せた。自由開拓戦線と同じギルド連合でもあるクラウドアースは、各分野のスペシャリストが議会制の下で経済を中心にしてDBO内に影響力を高めて大ギルドとして名乗りをあげた。教会は不安と恐怖が尽きぬDBOだからこそ、人々の心の拠り所として信仰を集め、権威に至るまでに成長して不可侵化した。

 

「落ち着いて! 僕の話を聞いてくれ!」

 

 そういうお前は彼らの何を知ろうとした? この中にスリーパーがいると疑うばかりで、彼らの信頼を勝ち取ろうとせず、実績さえあれば黙らせる事が出来ると上から目線で語っていただけではないか。己の心に響く嘲りに立ち向かうように、レコンは大盾を捨ててハボックに歩み寄る。

 

「僕はスリーパーじゃない。大ギルドの犬じゃない! キミたちを捨て駒なんて思っていない!」

 

 ハボックは誰も信じられなかった。いいや、もしかしたらパーティメンバー全員が疑心暗鬼だったのかもしれない。口出しばかりのメタトロンも、悪態ばかりのノイジーも、フォローを欠かさないながらも距離を置いていたジャイロも、全員が互いに疑っていただけなのかもしれない。

 レコンの防具破壊工作も、スリーパーの仕業などではなく、パーティメンバーの誰かがハボックと同じように今回の探索を絶望視して、取り止めにする為の嫌がらせに過ぎなかったのかもしれない。

 全員の心がバラバラだった。辛うじてリーファやレコンへの疑いだけが彼らを繋ぎ止め、現地ではさも最低限は協力し合うように取り繕っていただけだ。

 

「話をしよう。僕たちは……敵じゃない。分かり合える仲間だよ」

 

 ホールドアップしたレコンの呼びかけに、ハボックは奥歯を噛み、嗚咽を止め、迷うように鼻を啜る。

 ノイジーを殺害した凶行は許されるものではないかもしれない。だが、彼女を責めることなどレコンには出来ない。アルヴヘイムで幾度となく間違いを犯し、今もまた新たな間違いを繰り返した彼には彼女を裁く権利などない。

 レコンの歩み寄りの1歩。それをハボックは受け入れるように、だが怯えて肩を揺らす。

 きっと分かり合える。そう信じた1歩は、ハボックの立つ地面を崩落させる。

 レコンたちが分断された斜面と同じく、この崖際もまた腐肉が積み重なっただけのハリボテだった。ハボックのみならず、鎧を着たレコンの体重に耐え切れずに崩落してしまったのだ。

 辛うじて腐肉が層となっているだけでちゃんと足場があったレコンは崩落で体勢を崩しながらも落下は免れる。だが、ハボックは大きく目を見開くとそのまま地下の闇へと呑み込まれていく。

 手を伸ばせ! レコンは上半身を乗り出して右手を伸ばす。ハボックも同様に彼の手を取ろうとする。だが、手が届くには余りにも距離が離れており、また行動が遅かった。

 悲鳴もなくハボックは地下の闇へと消えた。底が見えぬ闇は今度こそ彼女に落下ダメージという避けられぬ致死をもたらしただろう。

 騙して、偽って、謀って……その挙句がこれか。レコンは両膝をついて項垂れる。

 

「僕は……何をやってるんだ?」

 

 アルヴヘイムで学んだはずだった。命の重さを知り、だからこそ自分の言葉1つで人が死ぬ意味を理解しているはずだった。それなのに、組織という枠組みの中で生きる人々の心をまるで知ろうともしていなかった。

 自分は違う。大ギルドの言いなりにはならない。自分を特別視し、自由開拓戦線に集った者たちがどのような夢を描いているのか知らず、自分が作り上げた自由開拓戦線の理念という虚構の内で彼らの意思を勝手にイメージして作り上げていた。

 体は大きくなった。戦える実力も身に着けた。以前のように自分には才能があると驕らなかった。だが、肝心の部分でレコンは大きな間違いを犯していた。

 

「リーファちゃん……合流……しないと」

 

 きっと無事だ。きっと生きているはずだ。自分のせいで彼女を苦しめた。サクヤの理念を受け継ぎ、正しくあろうとした彼女に無用な重荷を背負わせた。

 レコンも分かっている。リーファはリーダーの素質がない。決断力はあっても統率力がない。人を惹き付ける魅力はあっても、それは個人の繋がりを増やすものであり、組織に働きかけるものではない。

 サクヤはちゃんと分かっていた。だから、彼女を副リーダーに据えた。その魅力は誰かを繋ぎ止める楔であって、指揮を執り、戦略を練るのには適さないからだ。

 

「何処から上に……上に……上に……」

 

 上に行って何になる? 更なる惨酷な結果を突きつけられるだけなのではないのか?

 リーファの無惨な骸を見る事になるかもしれない。たとえ、生きて地下から脱出できても、帰還することができても、その後に待っているのは失態の2文字からの叱責だ。レコンの裏の影響力も尽きることだろう。

 いや、そうでなくともレコンたちは膨大かつ精密な攻略情報を持つ。情報源がまさかチェンジリング事件の補償とは想定外だろうが、自由開拓戦線設立の為にばら撒き過ぎた。情報源を狙って自由開拓戦線の上層部は動くだろう。あるいは大ギルドと共謀もあり得る。

 結局のところ、個人では組織には歯向かえない。自分で設立した組織に追い詰められるなど、歴史を辿ればよくある話であり、レコンも同じ結末に向かって歩いているだけだ。

 大失敗して、それが死に繋がるとしても、リーファだけは巻き込むわけにはいかない。

 

「まだだ……失敗したけど、まだ抗えるはずなんだ」

 

 考えなければならない。足を止め、思考を濁らせた時こそ終わりなのだ。レコンは上を目指して地下を進み続ける。

 だが、上に至る道などない。腐肉ばかりが敷き詰められた地底はまさしく墓場である。

 戻って来てみれば、腐り始めたノイジーの遺体には菌類の侵蝕が激しかった。地上に比べれば涼しいとはいえ、高温多湿の環境は変わることはない。菌類の大繁殖も納得の環境だった。

 何のモンスターの頭蓋かも分からぬ傍に腰を下ろし、レコンは保存食に齧りつく。救いがあるとするならば、腐敗臭がしないお陰で嗅覚が苛まれることはない点だろう。逆にいえば、澱んだ甘ったるい悪臭は、地下に空気の流れがないこともまた示していた。

 来た道を戻れば帰れる。ならばリーファを探し出して帰るだけだ。もしも彼女が死んでいたならば……その時はどうすればいい? レコンは保存食を噛み潰さずに丸呑みする。メタトロンの、ノイジーの、ハボックの死が頭から離れない。

 

「僕は……どうすればいいんだ!?」

 

 頭を抱えるレコンは自問するも答えなど出ない。誰も答えてくれない。道を示してくれない。レコンは涙が滲む顔を右手でつかみ、狂うように絶叫する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そっか。泣きたいなら、ナギちゃんがお胸を貸してあげましょう♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぽふり、とレコンの頬が柔らかい何かに触れる。頭を優しく引き寄せられ、レコンは目を白黒させる。

 ゆっくりと視線を動かせば、いつの間にか隣にいたのは、濁った血のような赤色の髪をしたナギだった。相も変わらず、見た目重視の防具であり、ショートパンツとキャミソール、その上から袖無しレザーコートと、これからバンド活動でも始めそうなファッションである。

 

「ナギちゃん!? どうしてここに!?」

 

「レギオンはいつでも何処でも皆の傍に☆ 神出鬼没の美少女といえば、ナギちゃんのことだよ♪」

 

「いや、時と場面を考えようよ!?」

 

「うわぁ、いつも通りにキレキレのツッコミだね。うんうん♪ レコンはやっぱりそうじゃないとね! すこーし背が伸びて、顔つきも随分と精悍になってきたけど、やっぱりナギちゃんは慌てふためくレコンがしっくりくるなぁ」

 

 誰だって驚くし、ツッコミを入れるよ! 別の意味で泣きわめきたいレコンであるが、優しく頭を撫でられて怒鳴り声を封じられる。

 

「……止めてよ」

 

「だーめ♪ ナギちゃんはギューってしてあげたいからギューってするの♪」

 

「止めてくれよ! 僕は……僕は……慰められる資格なんて……」

 

「あるよ。レコンはたくさん頑張っていて、これからもキラキラ輝く『人』をナギちゃんに魅せてくれる。だけどね、時には立ち止まりたくなるよ。苦しくて、泣き叫びたくて、蹲りたい時もあるよ。ナギちゃんは知ってるよ? そうやって蹲った人がまた立ち上がる時は、とーっても奇麗なんだって!」

 

 相変わらず価値基準は意味不明だ。だが、レコンは離れてくれないナギを押しのけることもできず、溢れる涙で彼女の胸を濡らす。

 嗚咽に塗れた叫びは言葉にもならず、ただ死の重みと失敗を身勝手に吐き出す。

 こんなはずではなかった。自分は必死に頑張った。足りないものばかりで、失敗して、それでも何か方法はあるはずだと探す為に。

 

「うわぁ、レコンの体液でベトベト。レコンのせいでナギちゃん汚れちゃった♪」

 

「言い方ぁああああ!?」

 

「HAHAHA! 元気チャージ完了だね☆ いつものレコンに戻ってよかった♪」

 

 だが、確かに盛大に泣き喚いたせいで、涙のみならず、唾液や鼻水でナギの黒いキャミソールは汚れていた。ほのかに頬が朱に染まり、レコンの唾液とも涙とも分からぬ何かを指先で拭って舐め取ったナギは、余りにも煽情的であり、まるで男の劣情を意図して高める淫魔のようだった。

 

「あれぇ? もしかして、ナギちゃんに欲情しちゃった? さすがは【娼館通い】のレコンだね! 年頃なのは分かるけど、時と場面を考えてエロは自重しようね?」

 

「止めて! なんか2つ名みたいに呼ぶの本当に止めて! あれも計画の1部だから! いや、確かに男として通ったこともあるけど、それでも回数的には普通だから! 常連じゃないから!」

 

「ほ・ん・と・う・に? ナギちゃんに嘘吐いたら、頭からもぐもぐしちゃうよ?」

 

 顎に指を当てて愛らしく首を傾げながら真偽を問うナギを前に、レコンは男らしく土下座した。

 

「ごめんなさい。サービスしてくれる女の子がいて、普通に通ってました……って、なにこれ!? 僕はナギちゃんの何!? 何で土下座してるの!?」

 

「それはナギちゃんにも分からないなぁ」

 

「だよね! そうだよね!? 本当にごめん!」

 

 息荒く、状況を整理しようとして、だが出来るはずもないとレコンは頭を振る。

 相変わらずであるが、心臓に悪い子だ。自称通りの神出鬼没であり、レギオンだからと済ませられない部分もあるが、こうして登場したのはレコンを慰める為だという『善意』であることは間違いないと感じ取れた。

 プレイヤーにとって……人間にとって避けられぬ敵対者であるレギオン。見た目は人間でも人肉を貪り喰らう怪物と同類だ。回廊都市の決戦にて、ナギは嬉々と『人』ではないとした者たちを殺していた。それもまた彼女の顔だ。

 

「レコンは本当に面白いね! うんうん、それでこそレコンだよ! 他人を支配した気になって、でもすぐに慌てふためいて、何だかんだで責任感が強くて潰れそう。それがレコンだもん」

 

 だが、今ここで楽しそうに笑うナギはレギオンにはまるで見えない。レコンはひとまず深呼吸して落ち着くと、改めて彼女の隣に腰かける。

 

「どうしてここにいるの?」

 

「だから、レギオンは――」

 

「レギオンは何処にでもいるかもしれないけど、ナギちゃんは違うだろ?」

 

「……うーんとね、レコン達が心配で……ちょっと遠くから見てたんだ。フロンティア・フィールドはレギオンもまだ分からない事が幾つもあるしね」

 

 見守っていた。だが、助けには入らなかった。それはレギオンとしてのスタンス故にか。何にしてもレコンには助けに入らなかった彼女を責めることはできず、また責めようという発想も浮かばなかった。

 だからこそ、問わねばならない。ナギというレギオンを……いいや、女の子を少しでも理解していたと思うからこそ、レコンは口を開く。

 

「どうして、出てきたの?」

 

「だから、レコンが泣いてたから……」

 

「でも、今までのナギちゃんなら、そんな理由で現れることはなかった……と思う」

 

 捉え方次第ではナギを傷つける物言いだ。だが、レコンはある種の確信を持っていた。

 ナギは『人』の輝き……正確な基準は不明であるが、人間賛歌とも呼ぶべき人間の素晴らしさを強く愛している。それは曖昧な概念的なものであるともレコンは捉えていた。

 だからこそ、今のレコンは彼女の視点からすれば失格のはずだ。失敗によって落ち込み、打開策も見いだせず、地の底を迷う姿など論外であるはずだ。

 ナギは立ち上がると、腐肉の地面に立ち、舞う胞子たちを集めるように踊る。

 

「ねぇ、どうして『鬼』は生まれるんだろうね?」

 

「え?」

 

「ナギちゃんは『人』が大好きなのに。どうして、『鬼』は生まれるの? 縛られ、囚われ、堕ちて……あんなにも素敵な『人』の輝きを持っていたはずなのに」

 

 ナギの発言に理解が追い付かないなど今に始まったことではない。だが、今の彼女は何かを悲しみ、哀れみ、嘆き、そして苦しんでいるようにも思えた。

 

「『鬼』になるくらいなら『獣』になってくれた方が分かりやすいのに。嫌だよ。ナギちゃんは……『人』が好きなの! だから……だから……だから!」

 

 踊る足を止めたナギの顔には、自分でも理解できない感情に振り回されているような苦悩が色濃く滲んでいた。

 

「だから……レコンには『鬼』になって欲しくない。そう思ったら、レコンを見ていられなかった! ねぇ、ナギちゃんは悪いの!? 悪い事をしたの!? だって、ナギちゃんは『敬愛』を継いだレギオンだよ!? 陛下の『人』を敬い愛した因子がナギちゃんの核なんだよ!? だから『人』から『鬼』になってほしくない! 変わってほしくない!」

 

「待って! もっと……もっと分かりやすく説明してよ! 何を言ってるんだ? ナギちゃんの言う『鬼』って何なんだよ!?」

 

「……レコンが知らなくていいもの。レコンに堕ちてほしくないもの。だから、ナギちゃんはレコンが『獣』に成り下がるのは止めないけど、『鬼』にはさせない」

 

 バイバイ。そう言葉に発することなく口だけ動かし、ナギはまるで謎を解くヒントのように上を指差す。次の瞬間に彼女の周囲の腐肉が舞い上がり、その姿は消えていた。

 

「本当に……キミは何なんだよ」

 

 レギオンとは何なのか? ナギを会う度に考えさせられる。

 彼女の発言は抽象的過ぎて理解に苦しむが、今回はレコンの為に現れてくれた。他の理由ではなく、レコンの涙を受け止める為だけに。

 これ以上は考えたくない。レコンは頭を掻き、ナギの残したヒントを探る。彼女は理由なく上を指差したわけではない。

 見上げれば、そこには光る苔やキノコ、舞う胞子の輝きと木の根ばかりだ。

 レコンはもう何時間も地底を迷っている。だが、出口は何処にもない。探索が甘いのかもしれないが、そもそも上へと続く道が準備されているとも限らない。

 

「……そうか!」

 

 そう、ご丁寧に上へと続く道は準備されていないならば、自分で這い上がればいい。木の根や人工物だと、上へと這い上がる為の取っ掛かりは幾つもあるのだ。

 道も階段もないならば、己の手を使って這い上がれ。レコンは邪魔となる防具を全て脱ぐと苔生した木の根を掴む。ぬるりとした感触は気持ち悪いが、半ば腐った木の根の表面を指先が潰せば、まだ硬い感触が残っている。

 少しずつだ。少しずつ這い上がれ。レコンは地底から脱出を開始した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 耳を擽るのは清らかに滴る水の音色。

 頬を撫でるのは澄んだ空気。

 眼が映し込むのは変わらぬ地下の闇。

 目覚めたリーファは自分が五体満足で眠っていたことを把握する。

 慌てて確認するが、防具の腐食はまだ解除されていないが、皮膚や肉、骨まで根を張っていた菌類は取り除かれている。顔も首も滑らかだった。折れたはずの手足も修復済みである。逆に言えば、骨折が治癒する程の時間を眠ってしまったのだ。

 ここは何処だろうか? まだ寝惚けた頭を少しずつ覚醒させながら、リーファは周囲を確認していく。地下空間であることは間違いないようであるが、植生が全く異なる。リーファが寝そべっていたのは、青々とした柔らかな芝であり、傍の水辺には無色透明の澄んだ小川が流れている。どうやら抉れた人工物の溝を流れているらしく、表面は苔生しているが、地下空間を覆っていた発光性のものとは異なるようだった。

 同じ地下でも別の場所なのだろうか? 一瞬であるが、死んであの世にいるのではないだろうかと疑うも、システムウインドウを開けたことでDBOに囚われたままであると確認することができる。

 

(手も足も動く。防具はボロボロで腐食だらけだけど、破損しているわけじゃない。腐敗状態が解除されたら自動修復されるのかな?)

 

 攻撃を喰らって防具が傷ついても、それはダメージ表現であるアバター損壊度を示す場合と実際に防具が破損した場合の2種類がある。今回の場合は前者に近しい状態であり、耐久度減少は見られず、破損の確認もシステム上は見られない。よって、バム=ルークの防具腐敗はやはりデバフのようなものなのだろうと判別できた。

 こうして生きていられるのもジャイロが助けてくれたお陰だ。彼女の記憶にある限り、彼の断末魔は確かに聞こえた。もう生きてはいないだろう。

 

(ジャイロさん、ありがとうございます)

 

 謝罪よりも感謝を。それがジャイロの勇気に報いる事になるはずだ。リーファは次に眠っていた自分にかけられていたコートに目を向ける。それはクゥリのコートであり、彼がここまで運んでくれたことを意味していた。即ち、バム=ルークとの戦いにおいて落命せず、無事に逃げ切ることができたという事である。

 兄の相棒を務めたクゥリであるが、その実力については正確に把握しきれていない。SAO関連の書籍でも、彼の具体的な活躍については明記されておらず、また本人もSAOにおける戦果については語ることもなかった。

 だが、兄に匹敵する程の実力者であることは間違いないとリーファは確信している。そうでもなければ相棒が務まるはずもない。ならば、バム=ルークも倒してしまったのではないだろうかという敵討ちの淡い期待を抱く。

 

「ちょっと恥ずかしいけど……」

 

 防具が半壊どころか面積にして2割も残っていない為に、リーファは恥ずかしさを堪えてクゥリのコートを羽織る。灰白の目立たぬ色合いであるが、よくよく見れば生地に光を反射しない銀色にて草紋が描かれている。また、袖のボタンなども1つ1つが希少な素材が用いられていた。腰回りの2つのクロスさせたベルトよって緩やかに固定することもでき、これは戦う中でコートの内側に隠されたナイフホルダーが投げナイフを抜きやすく、だが動き回る中でも相手に裏地が露呈しない為である。

 

「な、なにこれ」

 

 ナイフホルダーを防具にカスタムするのは珍しくないが、問題は数だ。コートの裏地には左右にそれぞれ4本分のナイフホルダーがある。そこにはギザギザの刃が付いた鋸のような細身の投げナイフが収められていた。クゥリの得意とする投げナイフは、瞬時にこのナイフホルダーから抜いているのだろう。だが、合計で8つもナイフホルダーを装備するなど尋常ではない。装備負荷が高まるからだ。小さなスタミナ消費量増加も積まれればそれなりに重たくなり、何よりも修理費が嵩むことになる。

 また、意外にも着心地は悪い。素肌であることもあるが、裏地が触れる度に皮膚に引っかかるような感触があった。素材の関係か、実用性を選んで着心地は後回しにされているのだろう。

 華美ではないが、武骨とも言い難い。戦場を是とする貴人にこそ相応しいようなコートだ。裾の切れ込みなど、帯刀した武器の携帯も考慮されており、1から100までオーダーメイドであることは間違いなかった。

 このコートだけでも小さな財産ができそうだ。なにせ傭兵のオーダーメイドである。だが、もちろん盗み取ろうという暗い欲望などリーファは持ち合わせていない。純粋にこれだけの装備を平然と身に着けられるクゥリは、やはり相応の修羅場を潜り抜けているに違いないと改めて確信が持てたのだ。

 なお、本来ならば『男性用』であるはずなのであるが、肩幅も含めてリーファが着ても胸回り以外は特に問題なかった。やはり男性にしては著しく小柄であると苦笑する。

 

「クゥリさん、何処に行ったのかな?」

 

 防具を脱いだまま遠出はしていないはずだ。ここが同じ地下空間ならば、バム=ルークにまた襲撃される危険性もある。だが、不思議とここは安全であるという予感もあり、足取りも自然と軽かった。

 

「……もしかせずとも見られてるよね」

 

 防具が腐敗した結果、リーファは裸体とまでは言い難かったが、ある意味でそれ以上にまずい姿になっていたはずだ。体面積の幾らかは菌類に覆われていたとはいえ、異性に乙女の肌を見られたとなると羞恥する部分があった。だが、緊急事態であった以上は仕方ないと諦めている部分もあり、またわざわざ問い質すことでもない。

 清水の上流を目指せば、小さな滝のようなものが見えた。どうやら頭上の大樹の根には大きな空洞ができているらしく、地上の水が内部を通って流れ出ているようだった。これが清水の理由とはいえ、何もかもが腐敗した地下空間では逆に異様であった。

 流れる清水が落ちる場所は柱が幾つも突き出した、かつての地下空間に広がっていた都市の1部を思わせる。だが、リーファの目が奪われたのは流れる水で白糸を編むクゥリだった。

 純白の雪のような髪を流水に濡らして丁寧に指で梳き、あらゆる女性が羨望するだろう白磁という表現すらも足りぬ細やかで透明感のある白い肌を冷たい水面に浸している。無駄な贅肉がない華奢な体躯ではあるが、1度触れたら戻れない柔らかさは視覚だけでも伝わってくる。

 だが、リーファが着目したのは何といっても尻だ。あらゆる女性が渇望する、控えめな小ぶりでありながら完璧すぎるヒップラインである。後ろ姿だからこそ拝めた奇跡である。

 もはや神の不公平と呼ぶしかない。男女問わずに虜に出来る、あらゆる芸術家が追い求めた美がそこにあるのだ。

 

「……乙女が男の水浴びを注視するんじゃない」

 

 髪を肩で1本に纏めて梳いていたクゥリは、顔を半分だけ振り向かせて嘆息する。途端にリーファは隠れることなく熱視線を送っていたことに気づき、顔を真っ赤にして背を向けた。

 

「ひゃ、ひゃい! ごめんなひゃい!」

 

「よろしい。今回の件は黙っていてあげるよ」

 

 苦笑するクゥリが飛沫を上げることなく陸へと歩く気配を感じる。芝に水滴が落ちる音が誘惑し、振り返りたい衝動に駆られるも、何とか乙女の意地でリーファは堪え抜く。

 

「いいよ」

 

 了承が得られて振り返れば、そこにはズボンとブーツを履き、上半身には黒色のインナー装備をつけたクゥリの姿があった。まだ髪はほんのりと濡れており、十分に体を拭かずに急いで着替えてくれた様子が窺える。

 体の柔軟性を阻害しないノースリーブのインナー装備は、厚さこそないが防御面を重視していることが窺える。彫刻を思わす硬質感を帯びた茨を思わす紋様が灰黒色で薄く描かれている。コートでは足りぬ物理防御力を補完する狙いがあるのだろう。二の腕を露出しており、指の可動性と自由性を重視した籠手は、手首側にはナイフ射出機構が組み込まれており、その小型に思わずリーファは驚いた。あれではコートの袖の内に隠されたならば、事前に把握しない限り、まず想定できないだろう。

 コートを纏えば戦場の貴人、脱いだ姿はどちらかと言えば機敏な格闘士といった印象を与えるデザインとなる。製作者は実用性と同時に、他者に与えるインパクトも重視してデザインしたのだろうとリーファは想定した。なお、彼女の知る由もないことであるが、これらの防具のデザイン面はグリムリック作成後にグリセルダが幾度となく駄目出しして無駄に経費を嵩ませて、繰り返された選考の末に決定されたものであり、むしろ製作者の意図よりもマネージャーの広報戦略といった面が強い。

 

「あの、別に覗き見したわけじゃなくて、その……偶然……!」

 

 あたしは風呂覗きしてしまった馬鹿男子か!? 顔を赤くして弁解を垂れるリーファは自身にツッコミを入れたい衝動に駆られる。

 

「別にいいよ。まぁ、リーファちゃんは『アイツ』の妹だし、そういうシステム外ユニークスキルがあるものとして諦観の域に達しているだけだからさ」

 

「あたしとお兄ちゃんを同類にしないでください! た、確かにお兄ちゃんはそういうラッキーに遭遇する確率がなんか異様に高い気もするけど、悪気があるわけじゃないし!? あたしはむしろ滅多にないというか……!」

 

「…………」

 

「うぅ……! そんな目で見ないでください! あたしは違うんです! 篝さんが奇麗過ぎて反則なだけなんです! 篝さんのお尻が魅惑過ぎたのが悪いんです!」

 

「OK、少し黙ろうか。あとリアルネーム禁止な」

 

 正座したリーファの前で、鉄筋が剥き出しの倒れた柱に腰かけたクゥリは白髪を編んで1本の三つ編みにする。今は左目も眼帯で覆っておらず、まるで宇宙の神秘を宿したかのような煌きを散りばめた青い瞳の義眼が露になっている。

 

「とりあえず、元気になったみたいでよかった」

 

 ホッとした様子を見せたクゥリに、リーファは項垂れる。

 クゥリは優しい人だ。基本的に冴えるツッコミを繰り出して、その関係で声を荒げることはあっても、他人に対して本気で怒鳴り散らすことはない。

 だからこそ、リーファはあの冷たく無感情な発言が突き刺さった。クゥリはリーファを邪魔だと言い切り、実際に彼女の無謀はジャイロの死を招いたからだ。

 ネームド相手に、兄と同じように単独討伐できるなどと驕っていたわけではない。だが、戦力としてカウントされる程度には自分も鍛え上げたつもりだった。だが、実際には何の役にも立てないどころか窮地を招き、死者を増やしただけだった。

 

「怒ってますよね? あたしが勝手をしたせいで……そもそも篝さんの忠告をちゃんと聞いていたら……」

 

「だからリアルネーム禁止……って言いたいところだけど、今は別にいいか。別に怒ってないよ、直葉ちゃん。何も怒ってない」

 

 編んだ三つ編みの先端に小さな黒のリボンを結んだクゥリは、落胆も失望も見せる様子はなく、正座するリーファと視線を合わせるように片膝をつく。

 

「オレは直葉ちゃんも含めて全員を納得させるだけの説明もできなかったし、証拠も提示できなかった。実力行使しても止めるべきか悩んで、だけどリーファちゃん達の選択に同意した。だからオレに謝ることなんて何1つないし、オレに怒る資格なんてない。邪魔とか言ったのは……単にオレの口が悪かっただけだ。リーファちゃんを遠ざけるのに、適切な発言はもっと他にあったはずなのに、思いつかなかったオレが悪い」

 

「でも、あたしがちゃんと……ちゃんと聞いていたら! あたしは隊長なのに、それなのに皆を危険に巻き込んで……死なせて……!」

 

「DBOは元から危険だらけだし、フロンティア・フィールドなら尚更だ。レコンの言葉を真似するわけじゃないけど、フロンティア・フィールドにいる時点で死のリスクは背負うべきだ。少なくとも『死ぬかもしれない』という覚悟だけはするべきだ」

 

 クゥリはレコンが発言した『死ぬ覚悟』に対して珍しく反論した。それは彼が多くの『死ぬ覚悟』を見届けてきたからなのだろう。安易に『死ぬ覚悟』など使うべきではない。それは死の恐怖を踏破し、それでもなお自分を呑み込む死を諦観とは異なる輝く意思で受け入れて、何かを残し、あるいは為し遂げ、または誰かを守り、繋げることに死ぬことを選んだ者たちだけが許されるものなのだろう。それがクゥリの『死ぬかもしれない』というあくまで生を前提とした覚悟には込められている気がした。

 フロンティア・フィールドに踏み入った時点で『死ぬかもしれない』覚悟はあるべきだ。だが、だからといって彼らの死が自己責任で済まされるものでは断じてあるはずがない。

 

「あたしのせい……なんです」

 

 リーファは止まらぬ涙をせき止められず、断罪を求めるように小さな声で紡ぎ始める。

 自由開拓戦線の裏の成り立ち、リーファ達に必要不可欠な実績、そして今回の探索。その全てをリーファの主観の下で隠さず吐き出す。

 クゥリは黙って聞いていたが、特に呆れる様子はなかったが、全てを聞き終えると渋い顔をして眉間に右手の人差し指を押し当てた。

 

「待った。少し待ってくれ。オレ、そこまで頭が良いわけじゃないから。政治うんぬんは1番の苦手分野だから!」

 

「うん、知ってます。篝さんって本当にそういう方面って弱いですよね」

 

 あたしも得意な部類じゃないけど。むしろ苦手だけど。真っ向勝負を是とするリーファはやはり搦め手が苦手だ。今回のバム=ルークなど、ドラゴンにあるまじき搦め手使いであり、リーファとの相性は最悪である。それもまた彼女のピンチを招いた理由でもあった。

 

「えーと、つまりだ。自由開拓戦線はレコンが裏から糸を引いて設立したもので、だけど今は大ギルドが好き勝手に手先を潜り込ませていて、乗っ取られるかもしれない危険もあって、だから設立理念でもある中立を守る為に【聖剣の英雄】という権威を持つ『アイツ』が必要だから専属にしようと企んでいて、直葉ちゃん達は新生フェアリーダンスを結成して表舞台に出て、『帰還』と『永住』の両立させる道を探す……と?」

 

「大まかに要約するとそうなります」

 

「今の大ギルドは『永住』に傾きつつあるのは知ってるよな?」

 

「聖剣騎士団が1番に表明して、教会も事実上の『永住』側。太陽の狩猟団もクラウドアースも表明は時間次第……だと思います。あたしは政治とかよく分からないけど、レコンの予想ではラストサンクチュアリ崩壊以後から時間はかからないだろうって……」

 

「レコン……なかなかに頭がいいな。ちゃんとした組織さえあれば、ミュウとも張り合えるかもな」

 

 褒めているのだろう。レコンを高評価したクゥリは口元を手で隠し、何か思案している様子だった。

 

「……本当にスリーパーなんているのか?」

 

「え? だって、レコンが……」

 

「レコンは全知全能か? 違うだろ。直葉ちゃんを筆頭に、オレは自分を客観視できていないって指摘する連中は結構な数いるが、今の直葉ちゃん達はハッキリ言って、傍目から見たらかなり怪しいぞ?」

 

「あたし達が……怪しい?」

 

「だってそうだろ? 実際にリーファちゃん達は自由開拓戦線設立の黒幕で、しかも上層部に働きかけて、精鋭で結成すべき少人数の探索部隊の隊長を実績なしの直葉ちゃんが任命される。しかもオレという傭兵付きでな。怪しさ満点だ。裏工作してますって首に看板をぶら下げているみたいなものだろ?」

 

「い、言われてみれば、確かに……。だけど、レコンは――」

 

「だから、レコンは全知全能か? 直葉ちゃんから聞いた限りでは、レコンは割と限界ギリギリに思えるけどな。そんなヤツが正常に自分を客観視できるか、疑わしいものさ。まぁ、オレが言えた義理じゃないけど、自己分析ってのは簡単に思えて難しいからな。都合のいい補正が入るものだし、思い込みを剥ぎ取るのも一苦労だ。ましてや、自分たちは正しい事をしているんだって全力で走っている連中は尚更な」

 

「さ、さすがは大学入試で学力以前に面接の自己分析の方で思い悩んでた篝さん!」

 

「……そうだっけ?」

 

「そうですよ! いつの間にか怪しい自己啓発本を山積みしてヤバい目つきだったじゃないですか!」

 

「そうなんだぁ」

 

 さすがは自信満々で自分を客観視できていないと宣う男だ。レベルが違う。リーファはすっかり大学入試時のあれこれのトラブルを忘れた様子の篝を思い出して心が緩みながら、改めて自分たちを見つめ直してみると、メタトロン達からすれば怪しいとか疑わしいのレベルではないと気づく。

 

「も、もしかして、あたし達の勝手な思い込み? でも実際にレコンは破壊工作を受けて……それにメタトロンさんだってスリーパーについて話したいことがあるって……!」

 

「そもそもとして、直葉ちゃん達は仲間内でしっかり情報交換ができていたのか? 信頼関係も築けていないのは、リーファちゃん達と彼らの間だけじゃなくて、全員だったんじゃないのか? オレには野良犬が集まって見栄えばかりの群れを作っているようにしか見えなかったけどな。チームワークを崩すまでもなく殺せる。その破壊工作もスリーパーなんかじゃなくて、今回の探索を取り止めさせたかったパーティの誰かが仕組んだ妨害だったんじゃないか?」

 

 SAOにおいて対人戦最強。最多PK数を誇り、多人数もこなした経験を持つクゥリがチームワーク皆無と言い切ったのだ。プロの目から見てもリーファ達のみならず、メタトロンたちの間にも僅かとして信頼も信用も無かったのだろう。

 訓練ばかりを積み、連携こそ確認していたが、互いについては何も語らなかった。食事にも1度として全員で行ったことはなく、訓練終了と同時に全員がバラバラの帰路についた。

 

「メタトロンはパーティとして機能していないのが分かっていたみたいだけどな。リーファちゃんを無能な隊長っていう悪役にすることでパーティを纏めようとした。生き残る為にな。でも、それも上手くいかなかったんだろうな」

 

「だから……篝さんを危険視して纏まるようになった。うん、もしかして篝さんがそう仕向けたんですか!?」

 

「……オレは仕事で『戦った』だけだ。それだけだ」

 

 素っ気ない態度で否定しているが、少なからずの意図があったのは間違いないだろうと、クゥリの視線の動きから即座に断じる。やはりこの男、嘘が致命的に下手であり、それなりに付き合いの長いリーファには見抜くなど簡単なことだった。

 あの場でわざわざクゥリが単独でモンスターを撃滅する理由などなかった。リーファ達が参戦してより安全・確実に倒す方法を選ぶのは普通だ。クゥリは敢えてパフォーマンスすることで彼らに恐怖心を植え付けたのだろう。

 だとするならば、自分は恐怖の対象であると自覚した上での行動だ。自己分析できていないと自信満々に言い切るクゥリの方が、自分の悪名が与える影響を少なくとも理解して行動した事になる。

 

「篝さんってずるいです」

 

「傭兵にずるいは卑怯と同じくらいに褒め言葉だ」

 

 外見はどう見ても年下なのに! むしろ弟っぽさが滲んでいるのに! それなのに所々ではお兄ちゃんオーラを発揮するなど始末に負えない、とリーファは悔しがる。

 

「オレに言わせれば、今回の顛末は直葉ちゃんのせいじゃなくて、なるべくしてなった、避けられないものだった。DBOは残酷で、悪意に満ちて、糞ゲーで、だからこそ仲間が要るんだ。自分だけではどうにもならないから、助け合える仲間が不可欠なんだ。オレは……そういうものだと信じている」

 

「でも……」

 

「そう、『でも』だ。裏切りが常で、誰が敵かも分からなくて、弱みを見せれば利用されそうで、だから信頼できる仲間を見つけるのは難しい。でもさ、リーファちゃんは他人の心の氷を溶かしてあげられる温かな優しさがあって、心の底から信じて手を差し出せる『強さ』がある。だからこそ、リーファちゃんを掛け値なしで信頼してくれる人たちが必ず現れる」

 

 クゥリの右手がリーファの頭に触れ、優しく撫でる。それは慰めにも似て、だが励ましと呼ぶべきものなのだろう。

 

「直葉ちゃんは自分を信頼してくれた人たちの手を取ってあげてほしい。『アイツ』と直葉ちゃんはとっても似ていて、だけど少し違う。『アイツ』もリーダーなんて柄じゃないけど、でも身勝手なくらいに前へと走り抜ける背中に皆が惹かれていく。でも、直葉ちゃんは突っ走るんじゃなくて、誰かと誰かの間に入って自分の両手で他人同士を繋げてあげられる人なんだと俺は思うよ」

 

「……篝さん」

 

「まぁ、逆に言えばリーダー気質じゃないから隊長とか指揮官とか、無駄に他人の人命に責任がかかる立場は自縄自縛に入っちゃうタイプなんだろうけどな。つまりは適性がございません。とりあえず帰ったら隊長なんて2度とやりたくありませんって表明するように」

 

「篝さん!?」

 

 清々しい程にハッキリと断言され、だからこそリーファは胸の濁りが耳をくすぐるせせらぎと共に清められ、洗い流されたような気がした。

 

「死者は祈らないし、呪わない。彼らが生前に残した祈りと呪いに耳を傾けるかは直葉ちゃん次第だけど、親しくもない彼らのそんなものまで抱え込む必要なんてないだろうさ。ただ……彼らの死を悼む気持ちがあるならば、忘れないであげてくれ。彼らが生きていた事を……どんな形であれ、必死に生きようとしていた事を……。そして、願わくば彼らの命を糧として、前に進んでくれ。それが弔いになるはずだから」

 

 リーファは頬を流れる熱い涙を止めることなく、唇を噛みながら何度も頷いた。

 やっぱりずるい。こんな時ばかりは本当にお兄ちゃんのように振る舞う。思えばいつもそうだ。現実世界でも、リーファが……直葉が落ち込んだり、悩んだりした時は、いつの間にか相談に乗ってくれて、あれこれ実になるかも分からないし、毒にしかならないようなアドバイスをくれて励ましてくれた。

 そして、いつも決まって最後は同じだ。

 

「だからさ、落ち込むな。直葉ちゃんは笑顔が1番なんだからさ。可愛いおんにゃのこの条件は笑顔だぞー! ただでさえ可愛い直葉ちゃんだから、可愛さ2乗だぞー!」

 

「や、止めてください! 髪がぐしゃぐしゃになります! 止めて! 止めてください! 篝さーん!?」

 

 こうやって頭を撫でて、髪を掻き毟るように荒々しく頭を撫でてくれるのだ。それが堪らなく嬉しくて安心するのだ。男のような大きな手ではなく、まるで少女のように小さくて柔らかな指先が確かな慈しみを持って触れてくれているのを感じてしまうのだ。

 

 きっと、兄がいなければこの人とは出会わなかった。だから、どれだけ想像してもあり得ないIFにしかならない。

 

 優しい笑みで、いつだって自分を勇気づけてくれて、『直葉』という人間は決して無価値などではないと励ましてくれる、もう1人の兄のような人。

 

 嘘が下手で、胸の内にはたくさんの苦しみや秘密があって、だけど決して明かすことはない人。

 

 天然で、無鉄砲で、自己評価もいつだって最低で、出会う度に変化が著しくて、女であることに自信を失ってしまうくらいに奇麗で可愛くて、だけど凄く男らしい所もいっぱいあって、不思議が詰まった宝箱のような人。

 

 もしも、もしも、もしも……そうやって仮定を重ねる。

 

 兄への想いに気づいてさえいなければ、この人に恋をしていただろう。大好きになっていただろう。愛していただろう。何にも勝る傍にいてほしい人になっていただろう。

 

 

 

 とても身勝手な女だ。だが、リーファはクゥリの優しい手に甘えることにした。彼が自分を『兄の妹』としか見ていないように、自分もまた彼を『兄の元相棒にして友人』としか見れないのだから。お兄ちゃんと呼んでしまいたいくらいに親しんで心を許してしまっているのだから。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 ……うん、久々に話し過ぎて疲れた。精神的に疲労困憊だ。こんなにも長々と言葉を並べたのは久しぶり過ぎて顎が壊れるかと思った。

 だが、その甲斐もあってか、何とかリーファちゃんは元気づいたようだ。良かった。さすがのオレも『アイツ』の妹に暴力でO・HA・NA・SHIとかは避けたかったからな。物分かりよくて助かる。うんうん、記憶は灼けてしまっているが、やはりリーファちゃん、もとい直葉ちゃんは良い子だ。

 記憶が灼けてしまって曖昧なのだが、もしかしてオレにも弟か妹がいたのかもしれない。こう、リーファちゃんには兄貴風を吹かせることに我ながらに慣れているからな。

 

「あたし、頑張ります! メタトロンさんやジャイロさんの死は否定できないし、してもいけない。彼らの死に責任が無いとも言わない。だけど、それでも、あたしは自分の信じた道を進みます」

 

「うん、それでいい。オレは前を向いて諦めない直葉ちゃんが好きだな」

 

「……篝さん、女の子相手に好きとか気軽に言っちゃ駄目ですよ。勘違いさせちゃいますから」

 

「男と違って女は勘違いしないだろ」

 

「しますよ! クゥリさんって、変なところで女性観が捻じ曲がってますよね。こう、根本的な部分では女性不信というか……」

 

 呼び方がリアルネームから切り替わったな。もう大丈夫というサインだろう。オレは両手を挙げてこの話題は終わりにしようとポーズをとる。

 

「安心しろ。オレは『アイツ』と違ってシステム外ユニークスキル≪ハーレム≫も≪ヤンヤンホイホイ≫も所持してないから」

 

「ヤンヤンホイホイ?」

 

「あー、リーファちゃんは気にしなくていいよ。うん、気にしなくていい」

 

 さすがにまだ灼けていない。リーファちゃんがお兄ちゃん(異性)LOVEだということもな! ある意味でシリカ以上に恐ろしいからな。油断したら、瞳がぐ~るぐるっと深淵も可愛いくらいの煮え滾った愛で濁っているからな。

 

「お兄ちゃんをハーレム糞野郎みたいに言わないでください! 少しばかり女性との縁が多くて、お兄ちゃんの優しさを誤解して、甘い所に付け込む糞女が多いだけです!」

 

「リーファちゃん、言動には気を付けような! 言葉は選ぼうな! オレも口は禍の元だって常々思ってるからさ! ね!?」

 

 リーファちゃんのお目目がぐ~るぐる♪ うーん、やっぱり病んでるなぁ。拗らせてるなぁ。関わり合いになりたくないなぁ。妹がこれとかもう『アイツ』の生まれ持った才能だなぁ。『アイツ』に絡む、もっと酷いヤンデレとかいないだろうなぁ?

 

「でも、大丈夫! 自由開拓戦線の専属になったら、あたしが『掃除』しますから! 兄に群がる悪い虫には殺虫剤を吹きかけてやりますから!」

 

「ねぇ、それって殺すって意味じゃないよね? そんな物騒な比喩じゃないよね!?」

 

「それよりも、今は皆との合流について考えないと」

 

 いやいや、それよりも、じゃないから! むしろ、オレにとってはそっちの方が重大だから!

 ……いや、やっぱり今は忘れよう。確かに最優先すべきなのは分断されたレコンたちとの合流だ。『アイツ』のヤンヤンホイホイなんて知らん。ギャルゲーよろしく、好感度管理はご自身でなさってください。

 

「バム=ルークはどうなったんですか?」

 

「ひとまず撃退した。すぐには襲ってこないだろう」

 

「……やっぱり傭兵って凄いんですね」

 

(アナタがいなければ、追撃して仕留めることもできたけどね♪)

 

 はいはい、ヤツメ様。厭味ったらしくリーファちゃんの頬を指で突きながらオレを睨まないでください。逃げる獲物を追うよりも優先すべき事があっただけなんですから。いや、確かにバム=ルークを仕留められなかったのは問題かもしれないが、あのままリーファちゃんを放置するのは依頼に反する。

 

(まぁ、そうよね。だってこんなに美味しそうなんだもん。熟れ頃よ。食べ頃よ。きっと頬が蕩けるような素晴らしい血の味がするわ♪ そう思わない?)

 

 そうだな。確かに、油断しきったリーファちゃんの口に刃を入れ、舌を裂き、そのまま次は……そうだな。豊かな乳房を削ぎ落とすなんてどうだろうか? きっと心地いい悲鳴を上げてくれるだろう。甘く熟れた『命』は美味に違いない。上質な血の悦びが得られるだろう。

 

「……クゥリさん? どうしましたか? なんか目が怖いですけど、何か悪い情報でもあるんですか?」

 

「何でもないよ。悪い情報はあり過ぎて困ってるけどな」

 

「ですよねぇ。確かに、状況を打開する要素は1つも無くて、悪い情報しか手元には残ってないですよね」

 

 ……危なかった。声をかけられるのがあと1秒遅かったら贄姫を抜いていたかもしれない。

 深呼吸をして殺意を抑える。『獣』の顎を閉じさせる。まだだ。まだ……大丈夫だ。

 

「まずはリーファちゃんの防具だけど、どうだ?」

 

「えーと……修復は進んでるみたいです。耐久度が減ったわけじゃないし、やっぱり時間経過なのかな?」

 

「そうか」

 

 もしかしたら、地下空間を満たしていた甘ったるい悪臭。あれが腐敗状態の維持させる効果があるのかもしれない。この一帯はバム=ルークと共生関係にある菌類は群生しておらず、地上に似た植生である。だからリーファちゃんの防具の修復も進んでいるのかもしれない。

 

「でも、奇妙なんです」

 

「奇妙?」

 

「えーと、バム=ルークってフロンティア・フィールドに出現する、空中戦を得意とするドラゴンでネームド級って言われているんですけど、ネームドではないんです。それなのに、ガス能力を持ってネームドとして現れた。そういうマイナーチェンジもゲームとしてはありだと思いますけど、なんか奇妙で……」

 

 確かに奇妙だな。変異種としてネームド化させて登場させるにしても、茅場の後継者ならば、もっとストーリー性を凝らすのではないだろうか? このバム=ルークに有利な環境にしても、茅場の後継者が設計したというよりも、バム=ルークが自身の能力を活かして築いた狩り場である。

 フロンティア・フィールドはまだ謎が多い。どうにも嫌な予感がするのだがな。なにせ、大ギルドとの見解の1つでは、フロンティア・フィールドはゲームにおけるエンドコンテンツ的立ち位置ではなかろうかというものだ。

 モンスターがほとんど出現しなかった理由。ネームドとして出現したガス能力を持ったバム=ルーク。つまりは……いや、止めておこう。まだ確定したわけではない。むしろ外れて欲しいとすら思っている。つまり、この時点でオレの中ではほぼ確信なのであるが、何事にも悪い方には底がないものだ。確定情報を得られるまでは口にしないでおくべきだ。

 

「その件は後で調査するとして、今はレコンたちとの合流だが、リーファちゃんの防具が完全修復してから動く。彼らには悪いが、リーファちゃんが最低限戦える状態を確保してからじゃないと動けない。焦りも逸りも禁物だ」

 

 はたして遺体は回収できることやらな。まだ敢えて教えないでいるが、レコンたちが落ちた穴はかなりの深さだった。落ちた先が衝撃を和らげるものでもない限り、3人ともお陀仏だろう。

 

「分かってます。3人とも無事だといいけど……」

 

 3人全員無事なんてまずあり得ないだろう。1人でも生きて合流できたならば奇跡だ。

 その点で言えば、最も生還率が高いのはレコンだろう。重武装かつ耐久面でも十分に耐えられる。それにリーファちゃんの話の限り、頭の回転も悪くないし、精神面も相応にタフだ。なにせ、大ギルド相手に自由開拓戦線を設立する大立ち回りをほぼ1人で為し遂げたのだ。並の精神力ではあるまい。まぁ、精神力で何とかなるものではないがな。レコンが裏で糸を引いていたこと、はたして大ギルドは何処まで掴んでいたやら。もしも尻尾を掴まれていたならば、設立時点で……いいや、これ以上は止そう。

 

「あと、奇妙といえば、どうしてここだけ腐敗の影響を受けていないんですか? もしかしてクゥリさんが何かアイテムを?」

 

「いいや、オレが発見した時はこの状態だった。リーファちゃんの腐敗状態もここに連れて来てから回復の傾向が見られたな」

 

 バム=ルークの腐敗状態を解除する効果があるとして、こんなにも分かりやすい回復ポイントを茅場の後継者が設計しているとは思えない。やはり何か秘密があるな。

 リーファちゃんの防具修復が完了するまで、オレたちはこの安全地帯(仮)を探索することにした。ヤツメ様の導きを張り巡らしているが、敵意も殺意も感じない。それにバム=ルークの殺意はもう喰らった。次は奇襲前に先手を打てる。

 この安全地帯は意外と広いが、植生の変化から影響度合いが分かる。より地上の植生に近しい方へと向かえば、何かしらの原因にたどり着くだろう。

 だが、この植生もまた奇妙だ。ここは太陽光が届かない地下だ。それなのに、植生がまるで地上と変わらない。種子などは水で運ばれてきたと仮定しても奇妙だ。だが、これはフロンティア・フィールドが茅場の後継者によってデザインされたという不動性よりも、常に変化する環境性に軸を置いていることになる。性質で言えば、改変アルヴヘイムに近い。まぁ、あちらは完全野放しの自然状態だったのに対して、こちらはあくまで茅場の後継者の設計の下での、ある意味でデザインされた自由性と言うべきか。

 

 

「1つ質問があるんですけど、いいですか?」

 

「どうぞ」

 

「クゥリさんは……アルヴヘイムにいたんですか?」

 

「…………」

 

「ごめんなさい。今の状況に不適切な、全く関係ない質問って思われるかもしれないんですけど、フロンティア・フィールドに、あたしが経験したアルヴヘイムの冒険に似通っている部分がある気がして……」

 

「そうか。噂では聞いている。大変だったみたいだな」

 

 何か手掛かりを残してしまっただろうか。ユージーンが情報を漏らしたならば、サクヤの件でもっと糾弾されているはずだから考え難いしな。だが、それくらいしか思いつかない。

 まさかランスロットとの戦いを見られた? いやいや、それならもっとストレートに尋ねてくるはずだ。リーファちゃんの質問はまだ確信が持てないからこそだろう。だが、火のない所に煙は立たないものだ。質問するに至っただけの何かがある。

 

「だけど、どうしてオレが? リーファちゃんはアルヴヘイムでオレを見たのか?」

 

「……いいえ。見てはいないですけど、お兄ちゃんがその……色々あって、立ち直れないでいた時に、クゥリさんと会った夢を見たんです」

 

「『アイツ』に言っておけ。夢の中くらいはハーレム糞野郎として素直に往生しておけってな。夢に野郎を出勤させるなとも付け加えてもいいぞ」

 

「だからお兄ちゃんはハーレム糞野郎じゃありません! 少し女性と縁が多いだけです!」

 

「はいはい」

 

「……って、そうじゃなくて! お兄ちゃんは夢って言ってましたけど、どうにも曖昧みたいで、やっぱり本当にいたんじゃないかって思ってるみたいなんです。正直言って、あたしも同意見です。でも、クゥリさんなら、お兄ちゃんのピンチには必ず駆けつけてくれているだろうし、凄い大きな戦いにも参加した様子もなくて……だから……あたしにも分からないんです」

 

 凄い大きな戦い……ああ、回廊都市の件か。まぁ、ランスロットとの殺し合いで精一杯だったからな。いやね、再起動とかなければ少し位は手伝えたかもしれないけど、まさかまさかの聖剣を持ち出してきたからな。正直言って、あれ程にギリギリだったのは……うん、何度かあったな! ミディールちゃんとか本当にどうやって倒したものかと悩んだからな。手札ってやっぱり大事! 

 しかし、『アイツ』を立ち直らせた? 立ち直らせた? 立ち直らせた!? 待て待て。本気で思いつかないぞ。ヤツメ様、何かありましたっけ!?

 

(ワタシはアナタ。アナタはワタシ。アナタが憶えていない。それが全てよ)

 

 つまりは灼けたかもしれないし、そもそもリーファちゃんがカマかけているかもしれないというわけか。そういうわけですね、ヤツメ様!?

 

(もうそれでいいんじゃない? ワタシに戦いと殺し以外のことを尋ねたところで解決しないわよ)

 

 芝生の上でゴロゴロ転がるヤツメ様は酷くやる気がない。リーファちゃんを殺さない事にご不満のようだ。

 まぁ、確かに戦いと殺し……つまりは狩り以外でヤツメ様が役立ったことはないし、ここは順当に記憶がない件を改めて探ってみよう。

 ……駄目だ。まるで思い出せん! オレが『アイツ』とアルヴヘイムで接触したのは聖剣を託した時と『アイツ』が痛みに溺れて聖剣の夢に閉じ込められた時だ。もしかして後者の事なのかとも思ったが、どうにもニュアンスが違う。

 まずいな。アルヴヘイム関連も割と本気で記憶の所々に穴が開いているから思い出せない部分がある。やっぱり吹き溜まりで無茶をし過ぎたか。

 

「いや、オレと『アイツ』はDBOではまともな会話なんてしていないからな」

 

 嘘ではない。『まとも』とはとても呼べない状況での会話ばかりくらいだ。

 オレの正面に回り込んだリーファちゃんはジッとオレの顔を見つめている。そんなに見つめられたら殺したくなるので是非とも止めてもらいたい。あと、ヤツメ様も急にやる気を出してシャドーボクシングしないでください。

 

「……嘘は言ってないみたいですね。クゥリさんって嘘吐く時は本当に分かりやすいし」

 

 どうやら納得してくれたようだ。ひとまずは誤魔化せたようだな。

 オレがアルヴヘイムにいた事がバレた場合、色々と困ることになる。後継者の依頼を受けた件も隠しておきたいしな。何よりもアスナ生存も嗅ぎつかれるかもしれない。

 それにオレは結局のところ、アルヴヘイムでは殺し続けることしか出来なかった。アルヴヘイムの物語は、アルヴヘイムを救う為に戦った彼らとあの世界で生きた人々で綴られるべきであり、オレなんて痕跡を残さないくらいで丁度いい。

 さて、この辺りが中心のようであるが、何があるやら。見渡す限り、残骸、残骸、残骸だ。元は都市の地下部であり、相応の発展をしていたようだ。広大な地下都市でもあったレイヤード程ではないにしても、何重にも階層があったようだな。居住空間でもあっただろうし、人口は相当数だったと予想できる。

 この都市が滅びた理由は分からない。戦争かもしれないし、何らかの理由で住人が移動を余儀なくされたのかもしれない。フロンティア・フィールドにはあらゆる時代の建造物や土地が見られると聞いている。だが、その中でもやはり最も多いのは終末の時代という先進文明のものであり、これが土台にあるのは間違いない。

 バム=ルークは退化こそしていたが、四肢と翼を持っていた。即ち、古龍の末裔の1つである飛竜ではなく、正当なる竜の造形を受け継いでいる。弱体化していたが、鱗にもドラゴン特有のガード効果があった。そして、リーファちゃんの説明によれば、バム=ルークは偶然生き残った最後の1匹というわけではなく、フロンティア・フィールドにおいて竜種は1つの勢力を築いているということになる。

 

「うわぁ、昼間のように明るいですね」

 

 リーファちゃんの言う通り、この辺はまるで真昼のように明るい。周囲を瓦礫が繭のように囲んでいるので分かり難かったが、ここだけは太陽の光が届いているかのようだ。

 時刻はもうすぐ夜明けであり、尚更おかしい。それにこの周辺は他に比べても植物の成長も著しく、種類も豊富だ。それも明らかに多種多様……生態系というものを無視して混ざり合っている。

 生態系とはつまるところ命の循環の見方の1つだ。植物も熾烈な競争が存在し、太陽光、土壌、水の奪い合いだ。だから他の植物から栄養を奪う植物から食肉と呼ばれるものまで存在する。

 だが、この周辺は生態系という理屈を超越している。競争が存在せず、だからこそ狂っている。それを可能とするだけの豊富なエネルギーが供給されているようだ。

 

「見てください!」

 

 リーファちゃんの呼び声に応じれば、バム=ルークの狩り場に異変をもたらした原因を発見する。

 見た目はレアモンスターの幼体デーモンに近い。まるでクジラのようなフォルムであり、ヒレのようなものも生えているが、目も口もない。やや光沢のある皮膚は滑らかである。大きさは全長50センチほどと小さい。だが、何よりも特徴的なのはチョウチンアンコウのように、頭部とも呼ぶべき場所がから生えて垂れている輝く球体だろう。

 HPバーが表示されていて、カーソルはモンスターか。ただし、HPカラーはイエローで残量2割程度か。簡単に狩れそうだが、敵意も殺意も感じないな。

 どうやらぶら下がってる球体がこの現象の原因のようだな。倒せばアイテムとしてドロップしそうだな。

 

「篝さん、まさか……殺さないですよね?」

 

「リアルネーム禁止」

 

「こんなにも可愛いのに、殺さないですよね!?」

 

「敵対するなら可愛いとか関係な……」

 

 ……ちょっと待て! 可愛い!? カワイイ!? 可愛い!? カワイイ!? これ、可愛い部類なの!?

 改めてモンスターを確認する。た、確かにクジラに似たフォルムとか、触ったら冷たくブヨブヨして夏の抱き枕には適してそうとか、目も口もないけど愛嬌も……ある……のか!?

 正直に言って、さすがのオレも他人とは何かと感覚がズレている自覚はある。もしかしたら、これって世間一般でいうところの可愛いなのか? もしかしたら、女性目線から見たら可愛いに分類されるのか?

 

「か、可愛い外見で騙して攻撃してくるモンスターもいる。見た目に油断しない方がいい」

 

「確かに、見た目は世界遺産級美少女の篝さんが言うと説得力が違いますね」

 

「だからリアルネーム禁止。それと喧嘩売ってるのか?」

 

「でも、時々見せる男らしい顔とか、外見と中身のギャップとかが篝さんの魅力だと思うんですよね。なんでモテないんだろ? やっぱり内面の問題?」

 

「だからリアルネーム禁止。それと心を抉るのは止めて」

 

 まぁ、今更になってカノジョ募集なんて微塵も思わないけどな。そういえば、サインズの傭兵紹介欄に最大サイズでカノジョ募集中とか、過去のオレは何を考えてたんだか。もう思い出せないから当時の意図が全く分からん。

 それよりも目の前のモンスターだな。名前は表示されていないし、ネームドではなさそうだな。

 モンスターにも敵対・中立・友好の3種類が存在する。積極的にプレイヤーを攻撃してくる敵対、プレイヤーから手出ししなければ無害な中立、プレイヤーにとってプラスの行動をする友好。この3種類の見極めは意外と大事だ。たとえば、こちらから攻撃しない限りには襲ってこないはずの中立モンスターに先制攻撃をかけたり、同じく友好モンスターに敵対行動を取ってしまったり、といった具合で全滅した事例もあるくらいだ。

 逆に中立や友好を装って、プレイヤーが油断した時に……というタイプもいないわけではない。

 だが、ヤツメ様は無警戒で欠伸を掻いている。今すぐ襲って来る意図はなさそうではあるが、油断は禁物か。

 

「リーファちゃんはどうしたい?」

 

「あたしは……えと……かが……じゃなくて、クゥリさんが決めてください。あたしだと……」

 

「リーダーの素質が無いと言っただけで、リーファちゃんの選択・判断を全否定するつもりはない」

 

「……殺したくないです」

 

「そうか」

 

 だったら、リーファちゃんの判断に従おう。選択の正誤なんて結果が出るまで分からないものだからな。

 嬉しそうにリーファちゃんはモンスターを抱き上げる。見た目を除けば、大きめのぬいぐるみのようなものか。暴れる様子もない。あるいはダメージが大き過ぎるのだろうか。

 

「回復アイテムを使ってみるか」

 

 とりあえず、このHPは瀕死の1歩手前だ。口が無いので飲用系アイテムは使えないが、注射器タイプのナグナの血清ならば使用できる。針なしの加圧注射器のようなナグナの血清をモンスターの推定腹部に打ち込むが、HPが回復する兆しは見られない。

 回復アイテムはあくまでプレイヤー用だしな。リーファちゃんも奇跡を発動させて回復を試みるが、結果は同じだった。

 

「モンスターを回復させるアイテムが無いわけじゃないんだがな。さすがにそんなマニアックなアイテムは持ち合わせていない」

 

 モンスターの捕獲用で、弱らせ過ぎないようにHP回復させるアイテムは存在するにはするのだが、そんなものをわざわざ持ち歩くプレイヤーはいない。それこそ捕獲目当てでもない限りはな。

 だが、モンスターがHP回復を禁じられているわけではない。戦闘せずに時間経過したり、奇跡などの回復能力が使えたり、食事をしたりなど様々だ。

 外見の限りで言えば、このモンスターは経口摂取出来ない。捕食器官も見当たらない。さすがにモンスターは食事による栄養補給が必須というわけではないので、別に問題はないし、どちらかといえばソウルによって諸々が解決するのがDBOでもあるので食事不要生物でも不思議ではない。

 むしろ、気になるのはこのシェルターだ。明らかに意図して生み出されたものであり、恐らくはこのモンスターが外敵から身を隠すために築いたものだろう。これによって球体から発せられる光を隠しているつもりだったのだろうが、影響による地下環境の変化までは隠しきれなかったといったところか。

 地下はバム=ルークの狩り場、減少したHP、隠れるという行動。統合するとこのモンスターはバム=ルークに襲われ、命からがらに何とか逃げ延びて隠れていたとも推測できる。断定するには情報不足だがな。

 バム=ルークの狙いがこのモンスターであるならば、連れて歩くのは襲撃されるリスクを背負うことになる。だが、このモンスターの能力はバム=ルークに対して有効だ。菌類による相乗効果を無効化させることができる。

 だからバム=ルークはこのモンスターを襲ったのか? 自分の能力に対する天敵を消す為に? あり得るが、やはり情報が足りないか。

 

「まずはこのモンスターの回復を試みよう」

 

 幸いにもオレには≪薬品調合≫があるからな。モンスター用回復アイテムも調合できないこともない。熟練度も上がって来たし、薬学書で基礎となるレシピを増やしてプレイヤー用回復アイテムの現地調達も可能ではあるが、効果は低いからな。そもそもとして、プレイヤー用回復アイテムの素材調達自体が難しいからな。

 だが、HP回復自体は難しくとも、止血、バフ、ダメージフィードバックの緩和等々の恩恵が得られるアイテムを現地調達できるので、やはり≪薬品調合≫はヨルコのように拠点を持った開発・生産とサバイバルの2つにおいて強みを発揮できる。

 ……とはいえ、オレはリアルラックが低いから、成功確率が高いアイテムでも失敗頻度が多いんだけどな。しかも何故かここぞという場面ばかりで。そういう意味でも、ヨルコがくれた丸薬調合キットは喜ばしい。これを使えば、現地調達においてもより有効なアイテムを作れるし、しかもオレ以外のリアルラックも加算されるという期待もある。

 やはり、菌類とバム=ルークの能力を打ち消せるのか。モンスターを抱えるリーファちゃんの防具の修復速度は飛躍的に高まり、30分と待たずしてほぼ完全修復される。コートを返してもらい、オレたちはようやく出発しようと離れれば、地下の清涼なる癒し場は瞬く間に陰りを見せた。やはり、このモンスターが……正確に言えば、もたらす光があの場を清めていたのだろう。

 

「見てください! このコの光で……!」

 

「ああ、どうやら光に弱いみたいだな」

 

 モンスターの光を浴びたら片っ端から菌類は死滅していく。正確に言えば日光に弱いのかもしれない。これらの菌類は地上では見かけなかった。バム=ルークの飛行能力は高度に制限がない地上の方が遥かに活かせるはずだ。菌類との共生間関係こそがバム=ルークの強さを支えているならば、強みの1つである飛行能力を殺してでも狩り場を地下に形成したのも頷ける。

 だから自分の能力を封じるこのモンスターを? だとするならば、このモンスターは出現率が低いレアモンスター? あるいは、ユニーク・ネームドのような1体だけの存在? 何か引っかかるな。

 バム=ルークがこの地下空間に群生する菌類と共生関係であるのは間違いない。そして、バム=ルークは胞子を纏う能力がある。これは胞子が舞う地下空間において、バム=ルークの体色に合わせた迷彩効果を高めるものであるが、同時に胞子を遠くまで運ぶためではないのだろうか? 群生する地下空間のみならず、バム=ルークが菌類を拡大させて能力を発揮する為に備わったならば頷ける。

 だが、少なくとも地上でバム=ルークと菌類による拡大の痕跡はなかった。フロンティア・フィールドにも元に戻る復元性があるにしても気になるな。

 他にもある。フロンティア・フィールドに先んじて探索していたプレイヤー達だ。<忘れられた樹海の都>のマッピングは自由開拓戦線が最も先行していたはずだ。この都市にほぼ真っ直ぐ至れたのも過去の派遣があったからこそである。

 つまり、自由開拓戦線内の、それも攻略情報を獲得できる身分の者がリークしたのは間違いない。大ギルド程に情報統制は取れていないだろうし、漏洩し放題だろうな。そもそもとして、大ギルドの手先が幹部に何人潜り込んでいるのやら。

 だからこそ、レコンは組織を縛る楔……設立理念の具現化として『アイツ』の権威を利用したいってところか。オレも悪名に何かと振り回されているが、『アイツ』も肩書が大変だな。

 

「深そうだな」

 

「…………っ!」

 

 オレたちがバム=ルークに襲撃された地点まで辿り着き、改めてレコンたちが落下した崖を見下ろす。やはり衝撃を和らげるクッションか、落下速度を緩和させるアクションを起こせてもいない限り、まず間違いなくレコンたちの落下死は確定だろう。

 リーファちゃんは放置されたままだったジャイロやメタトロンの遺体の前で跪き、手を組んで黙祷を捧げていた。その両目には涙が溜まっており、少しして小さな嗚咽が漏れる。そっとしておこう。今は静寂こそが彼女には必要なはずだ。

 モンスターを連れて歩く影響で、バム=ルークの狩り場は浄化されている。だが、バム=ルークは姿を現さない。傷が癒えていないのか、それとも奇襲のタイミングを窺っているのか、あるいはこちらを厄介な獲物と判断して見逃すことを選んだのか。

 だが、バム=ルークの能力の性質を考慮した場合、ヤツは夜間限定ならば胞子をばら撒いて能力を強化できるはずだ。そうなると、狩り場を出て油断すると睨んで先回りしている危険性もある。

 その一方で、やはり道中のバム=ルークの痕跡がなかったことも怪しい。もしかしたらバム=ルークが地上に出られるルートが無いだけかもしれないが、どうにも嫌な予感がする。

 あとはジャイロとメタトロンの遺体か。どちらも腐敗が酷く、また菌類の苗床になっている。損壊も激しい。まぁ、ジャイロの頭部の完全破壊はオレがやったんだがな。

 気になる点もある。死後遺体が残るのは24時間までだ。その後は48時間のソウルの血痕が生じる。つまり、フィールド・ダンジョンにおいて、プレイヤーの死を視覚で確認するのは72時間が限界という事になる。もちろん、ソウルの血痕はアイテム回収されるなどで消滅するのだがな。

 ここに埋まっていた、腐肉の大地の1部と化していたプレイヤーの遺体。彼らは24時間以内に死んだのだろうか? 少し考えづらい。フロンティア・フィールドの復元性がどれ程のものかはまだハッキリとしていないが、24時間以内の痕跡ならば何かしら残りそうなものだ。

 もしかしたら、特殊な倒され方をした場合は半永続的に遺体が残るという事だろうか? どうにも気になるな。

 

「あの、クゥリさん……遺体を……その……」

 

「転送費用も馬鹿にならないからな。分かった」

 

 オレならば支払えるし、リーファちゃんに免じてポケットマネーでも構わないのだが、少なくとも今回の探索においては隊長である以上、オレの私費で遺体転送をするなど是とはしないだろう。

 ……まぁ、リーファちゃんは色々あり過ぎて頭が回っていないようだが、オレが立て替えて後で自由開拓戦線に請求するというやり方もある。だが、それはリーファちゃんの評価を大きく下げることになるだろうし、オレの財力についても情報を明かすことになる。

 遺品回収されるだけでも十分過ぎるだろう。最近は遺体回収を専門とするプレイヤーもいるが、最前線のここまでは派遣できないだろうし、こんなボロボロの遺体を転送したところで弔う方も困る。

 

「遺品回収は済ませたか?」

 

「アクセサリーとかは。でも、武器や防具は……」

 

「それでいい。後はオレがやる」

 

 リーファちゃんの意向で武装の回収はしない事になった。それが彼女の選んだ弔いならば、とやかく口に出すことではない。だが、それ以外は別だ。回復アイテムや指輪などの貴重品の回収は欠かせない。だが、指輪はアイテムストレージの消費が重たいからな。それに大した指輪も装備していない。大ギルドが市販しているものだ。売っても二束三文であるし、遺品選定は既にリーファちゃんが済ませている。

 遺品回収の定義も人それぞれだが、あくまで葬儀用で遺品として回収するプレイヤーも多いらしい。防具はともかく、武器は受け継ぐというパターンも多い方と聞いた。アイテムストレージも有限なのだ。全てを回収することは、ドロップアイテム目的の殺人を除けば難しいものだ。

 食料品を始めとしたアイテムが腐ってやがるな。バム=ルークの腐敗能力は、本来はこちらがメインだったのかもしれない。草系アイテムは全滅か。それに1部飲用アイテムもか。リーファちゃんに指摘してみると、どうやら状態は同じだったらしい。

 

「食料品などの腐敗状態はバム=ルークの能力の特権じゃない。不味くても保存性や防腐性に優れた携帯食料は必須だ」

 

 オレが愛用しているゴムの塊のような携帯食料を融通すれば、リーファちゃんは顔を青くした。まぁ、味覚がないオレが言うのもなんだが、かなり不評らしいな。味は最悪で、食感もまさしくゴムを噛んでいるかのようだ。だが、アイテムストレージはまるで圧迫しないので大量に持ち込める利点がある。しかも保存性・防腐性は完璧だ。

 特に腐敗関連はアップデートのせいで飲食業を中心に悲鳴を上げているらしいしな。とりあえずアイテムストレージや棚に入れておけば腐らないという時代は終わったのだ。おのれ、茅場の後継者! このようにプレイヤーを苦しめる事には余念がないな! まぁ、何処かの誰かがコンソールルームでアプデしたからこうなったんだから、悪意ある何者かの仕業でもあるだろうけどな! あるいは、やるしかなかったならば、やっぱり後継者のせいか。

 だが、このフィールドは食料調達も容易であるし、リーファちゃんがわざわざオレの保存食を口にすることはないだろう。まぁ、オレは食料調達に関するスキルが無いから、色々と散々な結果になりそうだがな。

 

「終わった」

 

「はい」

 

 リーファちゃんは震える指で具現化させたのは、教会が販売している火葬用オイルだ。転送できない仲間や道中で遭遇した遺体を火葬にする為の、教会が洗礼を施したという売り文句のオイルである。洗礼はともかく、遺体の燃焼性に特化されているらしく、時間をかけずに遺体を火葬にできる。まぁ、つまりはゾンビなどのアンデッド系にも効果を発揮するのであるが、それはまた別の話だ。

 ジャイロ達だけではなく、先の犠牲者にもオイルをかけるリーファちゃんの目に嘆きと憂いが帯びる。唇を噛み、マッチを擦るが、オイルに放り込むことはできず、指は震えたまま動くことはない。

 あわや、自分の指を焼く前にマッチを奪い、オイルで濡れたジャイロの遺体に放る。燃え上がる彼の遺体から目を背けようとしたリーファちゃんに、目を逸らすなと言い放ちそうになったオレは唇を真一文字に閉ざす。

 どれだけ『強さ』を持つ輝かしい『人』だって、どうしようもない脆さを抱えている。そこにぽっかり穴が開いて『強さ』が腐っていくことだってある。『人』だからこそ持つ脆さだってある。それは『弱さ』ではないとオレは知った。

 大事なのは心折れようとも立ち上がること。それこそが『強さ』なのだ。『強さ』と『脆さ』は矛盾することなく存在する。だからこそ、『人』が立ち上がる姿にこそ讃美歌は相応しいのだ。

 オレはリーファちゃんの頭を抱き寄せると胸を貸す。彼女はバム=ルークをおびき寄せるのではないかと思うほどに号泣した。それでいいのだろう。今はそれでいい。どれだけ覚悟を決めても、改めて決心しても、死と向き合うのは苦しいはずだから。

 

「……ありがとうございます」

 

「可愛いおんにゃのこに胸を貸すくらい、お安い御用だ」

 

「そういう調子のいい事ばかり言っちゃうから、モテないんですよ。あと……」

 

「あと?」

 

「やっぱり身長が足りませんね!」

 

「うん、喧嘩売ってるね!」

 

「あははは! 違いますよ~! 篝さんは今くらいの身長が丁度いいと思いまーす♪」

 

「リアルネーム禁止。次言ったら罰金」

 

「え!? 酷い!」

 

 ……とりあえず、空元気くらいは振り撒けるようだな。

 また後でたくさん泣くのだろう。それでいい。涙は悪ではないのだから。そして、きっとリーファちゃんの涙を受け止めてくれる人がいる。それこそ『アイツ』とかな。

 オレは誰も救えない。それでも、水底から引っ張り上げることくらいは出来るはずだ。後は勝手にしろ。自力で陸まで泳ぐも良し。通りがかった誰かに助けられるも良し。

 また溺れるかもしれない。疲れ切って、諦めてしまって、また沈んでいくかもしれない。それでも、水面で揺れる光を求めて深みから手を伸ばすのであるならば、オレは……オレは……オレは……?

 オレはどうして伸ばされた手をつかむ? どうして引っ張り上げる? 分からない。でも、胸が苦しくなるんだ。とても……とても大切な何かを……2度と取り戻せない何かを……思い出そうとしているかのように。

 伸ばされた手を掴め。たとえ、何者も救えないとしても、身勝手に引っ張り上げろ。まだ薪になっていない人間性が……そう訴えるのだ。そこにどんな意味があったのか、もう分からないというのに。

 だったら、オレは人間性が尽きる時まで、伸ばされた手を掴み続けたい。決して救えないオレでも、彼らが自力で、あるいは他の誰かによって救われる為に。たとえ恨まれ、憎まれ、蔑まれようとも、身勝手に手を掴んで深みから引っ張り上げよう。これこそ誰かが与えてくれた人間性なのだと信じよう。

 

「……無責任にも程があるな」

 

「そうですよ! いきなり罰金なんて無責任過ぎです!」

 

「そっちじゃなくて……いや、どうでもいい」

 

 溜め息を1つ。さて、ここからの選択肢は2つ。リーファちゃんを連れて1度帰還するか、それともレコンたちの救助……もとい、遺体・遺品回収の為に降下するかだが、生存率も低いので、とりあえずリーファちゃんの生還を優先させたいところではある。だが、それで納得する子ではない。手足を折って連れ帰るにしても距離がある。

 悩んでいたら唐突にリーファちゃんの手からモンスターが離れる。身を震わせたかと思えば、その体はまるでポンプで空気が送り込まれたかのように膨らみ始める。

 風船のように浮かんだモンスターに呆気を取られたリーファちゃんの手を掴み、オレはモンスターの背中に飛び乗る。するとオレ達を運ぶ意思を示すように、モンスターはバム=ルークの狩り場を泳ぐ。

 それだけではない。チョウチンアンコウのように垂れ下がった球体から発せられる光は強くなり、先程とは比べ物にならない程の範囲を照らす。瞬く間に菌類が死滅されていく姿は、いっそ清々しさすら覚えた。

 

「HP回復がしてる。だから……」

 

「だが、いつの間に回復をした?」

 

 オレは特に何もしていない。時間経過にしても回復速度がおかしい。オレたちが発見した時点でモンスターのHPは3割未満。リーファちゃんを休ませていた時間を計算すれば、あそこで休んでいた時間の方が遥かに長いのだ。

 あの時との違い……リーファちゃんが抱き上げていたか否か。もしかしたら、このモンスターはプレイヤーと……いいや、まだ情報が足りないな。仮説の1つとして胸に留めておこう。

 

「お願い! あたしの仲間が下に落ちたの! 一緒に探して!」

 

 リーファちゃんの言葉が理解できるのか、モンスターはゆっくりと降下していく。膨らんだ体は全長10メートルにも達する巨体となっており、オレ達を乗せてもまだ背中には余裕がある。3人が無事だったならば乗せて帰ることもできるだろう。

 

「DBOはとても残酷で、たくさんの悪意に満ちていて、多くの人が苦しみながら死んだけど……嫌いになれない。あたしが変なのかな?」

 

「リーファちゃんはおかしくなんかない。『アイツ』だって同じ気持ちのはずさ。『アイツ』は誰よりも仮想世界を愛していて、どれだけ絶望と悪意と悲劇を味わおうとも冒険心を捨てられない、しかも重度のゲーマーの……大馬鹿だからな」

 

「あははは! もう! 最後のゲーマーで台無しですよ!」

 

「糞ハーレム野郎はそれくらいで丁度いい。バランスが取れてる」

 

「お兄ちゃんは糞ハーレム野郎じゃありません! 次に言ったら罰金ですからね?」

 

「はいはい」

 

 それでいいさ。現実世界だろうとDBOだろうと、善意も悪意もある。悲劇と絶望があって、同じくらいに幸福と希望があるはずだ。区別は必要かもしれないが、感じるものに真偽を定めるなどくだらないだろうとオレは思う。

 

「やっぱり、かが……クゥリさんって、お兄ちゃんのことを話している時は楽しそう」

 

「そうか?」

 

「やっぱり、お兄ちゃんのことを話している時のクゥリさんが1番好きかなぁ」

 

「好きなんて軽々しく使っちゃ駄目だって自分で言っただろうに」

 

「あははは! それもそうですけど、あたしはクゥリさんが好きですよ? もちろん、LOVEの方じゃないですけど」

 

「それはどうも」

 

 まったく、この兄妹はオレのペースを掻き乱すことに関して才能があるな。

 

「見つからないですね」

 

「この広い地下で人間3人を見つけるとなると骨が折れるな。コイツがもうちょっと速く飛べればいいんだが」

 

 なにせ風船みたいにぷかぷかと浮いているようなものだからな。本物の風船のように風に流されるままではないが、それでも移動速度は遅すぎる。高速空中戦を得意とするバム=ルークに狙われたならば、よくぞ生き延びられたものである。

 

「お願い、もう少しだけ速く飛んで! 仲間がピンチなの!」

 

 リーファちゃんがモンスターを撫でれば、やる気を出したように、本当に少しだけ速くなる。

 やっぱりリーファちゃんはすごいな。もしも、レコンの狙い通りにいけば、『アイツ』とリーファちゃんが組めば……この兄妹ならば……そう思えてくるから不思議だ。

 

「頑張れ! 頑張れ! えーと……えーと……名前どうしましょう?」

 

「ネーミングセンスがないオレに任せていいのか?」

 

「ごめんなさい」

 

 だが、すっかりモンスターを気に入ったらしいリーファちゃんは、あれこれ指示を飛ばして地下空間の探索を進めていく。結果、モンスターの光を浴びて地下空間の浄化は効率的に進んでいく。

 これでもバム=ルークは現れない。それだけ傷が深いからなのか? だが、自分にとって有利な狩り場を荒らされてもなお黙るとは思えない。

 と、リーファちゃんがオレの袖を引く。どうやら何か見つけたようだ。同じくヤツメ様もだ。だが、ヤツメ様……その目は何ですか?

 視線を追えば、そこには木の根に張り付く人影があった。それも肌色率が高い姿である。パーティで最も露出度が高かったのはノイジーだったが、彼女よりも更に高い。

 モンスターの光を浴びてか、人影が振り返る。汗と泥と腐肉塗れの顔を歓喜で歪める。

 

「リーファちゃん! 無事だったんだね! よ、よかったぁ……!」

 

 それはパンツ1枚の姿のレコンだった。装備を全てオミットし、最軽量の姿になって木の根にヤモリの如く這い上がってきたのだろう。しかもパンツは半ばズレて、尻が半分見えてしまっている。

 

「……ヘンタイ」

 

「え!?」

 

「ヘンタイ。ヘンタイ。ヘンタイ。ヘンタイ……! クゥリさん、あたしにあんなヘンタイの仲間なんていません! 撃ち落としちゃってください!」

 

「了解」

 

「待って! ちょっと待って! 少しだけ話を聞いて! これには深い訳があるんだ!」

 

「一思いに楽にしてやる。遺言はあるか?」

 

「【渡り鳥】さんまで!? 冗談ですよね? 止めて。本当に止めてぇええええええええええええ!」

 

「……はぁ。分かってるわよ。今すぐ助けるから。もう少しの辛抱だから落ちるんじゃないわよ」

 

 身長は伸びたし、顔も男らしく精悍になったし、色々と個人的に思うところがあったのだが、とりあえず機会があったら首の骨を折る勢いで峰打ちしようとも企んでいたのだが、この痴態に免じて止めてあげよう。

 

「……あ」

 

 リーファちゃんの顔を見て安堵してしまったからか。両手から力が抜けて、レコンは張り付いていた木の根から落下する。とりあえず、袖から投げナイフを取り出すと投擲し、伸ばしたワイヤーでレコンの手首を巻き取る。

 無事にレコンを引き上げることに成功したが、コイツ……意外とガッシリしていて筋肉が……! どうしたものだろうか。思いの外に雄々しい体になっていて、パンツ1枚の露出状態程度で峰打ち免除は……しかし……あのレコンがこのような体になれたのならば、オレも……! そうだ! そもそもSTR値的には十分過ぎるはず! ならば、DBOのマッスルは他の要素も絡んでいるのではないだろうか?

 やはり、噂のマッスル講座に参加をするべきか。だが、あそこはどうにもなぁ。オレが列に並ぼうとすると、変な目をして鼻息荒くする連中がたくさんいるんだよなぁ。

 我ながら細い腕と足だ。腹も贅肉があるわけではないのだが、筋肉の象徴たるシックスパックはない。

 ムキムキマッチョマン。オレの理想の男の姿。ランスロットとミディールと同時に戦って殺す以上に険しい道のりの予感しかしないのは何故だろうか。だが、どちらかといえば貧相な体躯だったはずのレコンがオレよりも遥か高みへと階段を駆け上がっている。

 

「……………」

 

「あ、あれ? 何だろう? か、かかかか、体の震えが止まらないよ!?」

 

「アンタがほとんど裸だからでしょ!? ほら、もう! さっさと服を着てよね!」

 

 防具を装備したせいか、重量が一気に増加してモンスターが数秒降下するもすぐに高度を取り戻す。

 しかし、地底から木の根を伝って這い上がってくるとはな。レコンめ、なかなかにガッツのあるヤツだ。嫌いではない。

 その後、レコンよりノイジーとハボックの死が伝えられた。だが、物言いには隠しきれない濁りがあった。ただ落下死したのではない事はリーファちゃんも勘付いている様子だったが、今は敢えて問わないことを選び、改めて再会を喜んでレコンをハグした。

 

「そっか。バム=ルークは撃退して、ジャイロさんも……」

 

「あたし達は生きて帰らないといけない。罵倒されるとしても、馬鹿にされるとしても、もう次のチャンスは無いとしても、せめて遺品だけでも彼らの帰りを待っている人たちに届けないといけない。それが『隊長』として出発した、あたしの責任だから」

 

「リーファちゃんだけの責任じゃない。僕も失敗したよ。間違えてしまった。ハボックさんの遺品は回収できなかったけど、せめて……」

 

 レコンも地下でやはり何かがあったのだろう。素直に探索失敗を受け入れて帰還を望んでいる。

 オレの依頼は探索補助であり、探索達成ではない。2人がオーダーするならば、彼らを帰還させた後に改めて探索するのだがな。だが、追加オーダーは無さそうだ。

 間違いを正す……か。リゼットさん達がそうであったように、間違いは正すことができる。間違いを認め、自らの手で正そうとする尊き『人の意思』がある限りな。

 話を聞いていたのか、オレたちを乗せて浮かぶモンスターは高度を上げていく。やがて地下空間の天井にたどり着いたかと思えば、木の根はまるで触手のように動き、地を割って空へと通じる穴を開ける。

 環境に影響を与える能力。太陽の光で実りをもたらすならば、木の根の成長を制御して道を作るくらいは造作もないということか。このモンスター、見かけ以上の潜在能力を持っているようだな。

 バム=ルークの奇襲はなく、地上に出れば大きな月がオレ達を迎える。だが、モンスターのお陰で昼間のように明るい。

 

(来るわよ!)

 

 だが、昼間の如く明るい夜を楽しむ暇などなく、ヤツメ様の警告が迸る。贄姫を抜き、血刃居合で迫る攻撃……銃弾を弾く。だが、狙われた的が大き過ぎた。モンスターに次々と着弾し、銀色の体液が溢れて萎むと勢いよく落下していく。

 

「捕まっていろ。オレは撃退する」

 

 撃墜され、まるで空気が抜けた風船のように飛び回りながら落下するモンスターにしがみつく2人を残し、オレは宙へと身を翻す。

 襲撃者は2人……いいや、3人。1人だけずば抜けてヤツメ様の巣から逃れるのに長けたヤツがいるな。危うく逃しかけた。

 

(極上の獲物が3人。困ったわ。1度に食べるのが勿体ない)

 

 はふぅ、と息を吐くヤツメ様は導きの糸を張り直す。落下地点を修正、天蜘蛛は使わず、ワイヤーナイフを大樹の幹に突き刺して空中移動を開始。

 敵影を補足。フードを深く被ったマント姿の女剣士。得物は≪銃器≫と≪刺剣≫のキメラウェポンと推定。他2名は別方向からモンスターに接近しているのか。

 遠心力を利用し、空中から女剣士の背後に斬りかかる。贄姫の一閃に対し、女剣士はギリギリで反応し、剣で弾いて大きな火花が散る。

 着地し、茂る草と泥土を散らしながら制動をかけると即座にステップで女剣士に迫る。悪くない反応速度と勘だ。『アイツ』やユウキに近しいものを感じるが、1歩足りないといったところか。

 女剣士が構えを取る。そして次の瞬間の超加速の突きが迫る。驚きだ。今の動き……ステータスの高出力化だ。

 だが、溜めの予備動作があり、しかも動きは正面のみの直線的動きでブラフは無し。スピードはランスロットにも比肩しうるが、ヤツに比べれば動きは読みやすい。迫る突きを躱し、女剣士の右手首を掴んで捻るとそのまま地面に叩きつける。

 

「……かぁ!?」

 

 女剣士の口から衝撃で息が漏れる。オレは女剣士の顔面を足裏で潰そうとするが、身を転がせて回避される。ほう、やはり戦い慣れているな。少しギアを上げていくか。

 体勢を立て直される前に接近戦を仕掛ける。背負うイジェン鋼の大剣を左手に抜き、右手の贄姫の一閃を躱したところで大剣で斬りかかる。女剣士は紙一重で回避すると鋭く踏み込んでオレの胸の中心を狙った連続攻撃を仕掛ける。

 斬撃と刺突を織り交ぜた連撃……何処かで覚えがある。それにこの動きはSAOの細剣使いに類似したものだ。

 分かりやすい顔面を狙った突き、これは陽動だ。わざと大きな動きで躱せば、女剣士は刺剣を変形させる。リーチは短くなる代わりに、刀身と一体化していたハンドガンの銃口が露となり、大きな発砲音と共に弾丸を放つ。

 連射性能はなく、1発の威力、あるいは衝撃に重きを置いた銃撃だろうことは予見できる。射線を見切り、女剣士の首を狙ったイジェン鋼の大剣の分厚い刃は、あとわずかの所で両手持ちした刺剣に阻まれる。

 

「ぐっ……!?」

 

 STR勝負に持ち込まれ、女剣士は耐えきれずに片膝をつく。じわじわと大剣に押し込まれ、刃が首に侵入していき、HP減少が始まる。女剣士の死の恐怖をヤツメ様は舐め取って嬉しそうに顔を歪める。

 さて、忘れてもらっては困る。女剣士は全力で堪えているが、防ぐ大剣を振るうのはオレの左手のみ……右手はフリーのままだ。無防備な反対側の首を狙い、贄姫の刃をわざと女剣士の視線に入れ、死の恐怖を煽る。

 まずは1人……とはいかなかった。背後から迫る、隠す気ゼロの、正々堂々とした闘志。だが、かなり強い。バックステップで女剣士から離れ、背後からの襲撃に備える。

 

 

「今、超必殺の、グローリー☆バスターキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイック!」

 

 

 意味不明だ。ただの跳び蹴りだろうに。宙で大きな三日月を描くようにバック転をし、背後から参戦してきた、馬鹿の代名詞の攻撃を躱しながら贄姫で斬りかかる。だが、大盾できっちりと防がれたか。出鱈目な動きをしているのに、どういうわけか噛み合っている。相変わらず理解し難いな。

 

「ご無事ですか、アンナ!? ですが、この騎士たる私が! 騎士たる! 騎士たる! 騎士たる! この! 私が! 騎士たる私が来たからには! 心配無用です!」

 

 相変わらず自己主張の激しいヤツだ。無駄にポーズを決めて女剣士の前に立ちはだかる。

 どうでもいい。敵なら殺す。イジェン鋼の大剣を背負い、贄姫を納刀する。【斬撃結界・弐式】で2人纏めて……ん、ちょっと待て。

 

「……『アンナ』?」

 

 首を斬り落とそうとした女剣士を改めて確認する。うん、あのマントには見覚えがあるな。なんたってオレが正体露見を防ぐために譲ったものだ。

 それにあの動き……もしかせずとも? だが、敵ならば殺す。躊躇う必要はないか。何の因果か知らないが、こうして戦場で出会ったのだ。仕方ないだろう。

 

「やれやれ、まさかキミがいたとはね。これは予定外だった」

 

 だが、3人目の襲撃者が姿を現す。ヤツメ様が目を見開いて振り返る。ギリギリまで接近を探知できなかった。3人の中でずば抜けて戦い慣れている。

 

「……スミス」

 

「やぁ、クゥリくん。こうして戦場で会うのは久しぶりかな? それとも初めてだったか。どちらでも私は構わないがね」

 

 迷彩服姿のスミスは、ライフルの銃口を下げたまま森の闇から姿を示す。戦意はない? いいや、この男は勝つ為ならば平然と偽れる。油断は禁物だ。

 前にはグローリーと推定『彼女』の2人。背後にはスミス。オレが知る限りでもトップクラスの実力者が3人か。『彼女』はまだDBOの戦いに、特に対人戦に慣れてないとしても、その実力を疑う余地などない。グローリーはよく分からんが強い。スミスは面倒臭い上にとんでもなく強い。

 少々ハードだな。さて、白夜の魔獣を使うか。それとも贄姫の『真の能力』を使うか。あるいは『アレ』ならば、3人相手でも同時に戦うことも可能であるが、まだ実戦テストが不十分でもある。

 ……面倒臭い。どんな方法でも構わないだろう。3人纏めてここで殺す。死人に口なしだ。

 

「3人相手の劣勢でもお構いなしか。だが、如何にキミでも私達3人を同時に相手取るとなると厳しいはず。それに、こちらが3人だけと決めつけるのも問題だ。キミのお仲間は今頃には捕縛されているかもしれないよ?」

 

「…………」

 

 その通りだ。この3人だけとは限らない。ヤツメ様は導きの糸を張り巡らしているが、今のところ捕捉できていないだけで、身を隠すのが上手なヤツもいるかもしれないからな。

 だが、リーファちゃんも腕は立つ。簡単に負けはしないだろう。レコンも相応の実力はある。だが、対人戦慣れしているとは言い難い。

 

「え!? 私達以外にも仲間がいたのですか!? 初耳ですよ!? もしや援軍を!? いやはや、さすがはスミス! 頼りになりますね!」

 

「「「…………」」」

 

 オレ、スミス、アンナの3人の同質の沈黙が流れる。うん、オレも馬鹿と連呼されてきた身であるが、コイツと同レベルだとは思われたくない。

 スミスの手がプルプルと震えながら、ライフルを構えて銃口をグローリーに向ける。え? もしかしてオレを放っておいて仲間割れを始めるの?

 と、そこに森の闇から刃の光が煌き、咄嗟に動いたアンナが迎撃する。黒髪を揺らしながらリーファちゃんは苛烈に斬りかかり、アンナはそれを軽やかに捌く。押し切れないリーファちゃんが距離を取ろうとすれば、その動きを予見したアンナが踏み込んで≪刺剣≫の連撃系ソードスキル【スクエア・フロウ】を繰り出す。四角形の頂点を穿つような高速4連撃を防ぎきれず、右肩、左脇腹、左肘、右太腿を刺されたリーファちゃんは驚きを隠せなかったが、戦意喪失せずに左拳を握る。

 

「こんのぉおおおおおおおおおおおおお!」

 

 リーファちゃんより繰り出されたのは奇跡のフォースの剛拳。刺剣はカタナ以上に衝撃・スタン蓄積が低い。カウンター性能が高い一方で、強引に攻め込まれたら滅法弱い。リーファちゃんはそれを理解し、ソードスキル後の硬直を狙ってアンナの腹にフォースの剛拳を叩き込む。

 炸裂したフォースの光と拳の圧によってアンナは吹き飛ばされ、大樹に背中から叩きつけられる。

 

「ぐっ……!?」

 

「ハァ……ハァ……ハァ……!」

 

 リーファちゃんはHPを大幅に奪われ、アンナもカウンター補正が入った大ダメージを受けた。とはいえ、優勢なのはアンナの方だ。リーファちゃんの方が受けたダメージは大きいからな。

 だが、アンナに食い下がるとは……強くなったな。それだけDBOの過酷な経験によって洗練されたリーファちゃんの成長が窺える。対するアンナはSAOの経験があるとはいえ、DBOにはまだ適応しきれていないといったところか。あそこでソードスキルを撃つべきではなかった。リーファちゃんクラスの実力者ならば、ソードスキルのダメージを計算して反撃に出れる。SAOの経験が邪魔をしているようだな。まだ脱却しきれていない。

 

「お嬢さん、暴れるのもそこまでですよ。騎士たる私が――」

 

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 アンナの代わりとばかりに剣を抜いたグローリーに、森の茂みから突っ込んできたのはレコンだ。大槌、大盾、全身甲冑というフル装備である。まぁ、甲冑の音で奇襲も何も無かったのだがな。

 グローリーは大槌の一撃を大盾で軽やかに受け流すとそのまま片手剣の連撃を浴びせる。だが、レコンは高防御力・高衝撃耐性を活かして怯まず、リーファちゃんの前に立ちはだかる。

 

「遅れてごめん!」

 

 さて、数だけならば並んだのだがな。オレがスミスに視線を投げれば、眉間に皺を寄せた彼は意外にもホールドアップをする。

 

「我々に敵意はない。先ほどは不運な事故だ。まさかキミたちが我々のターゲットに騎乗していたなど予想もしていなかった。謝罪しよう」

 

「……それを受け入れるとでも?」

 

「受け入れるしかないと思うがね。なにせ、私達も少々厄介な事態になっている。君たちにとっても避けがたい危機的状況だ。ここで無駄に争って消耗するなど愚の骨頂。何よりも、私とキミが本気で殺し合ったならば、この場の何人が犠牲になるか分かったものではないしな」

 

 コイツ……少し雰囲気が変わったな。あるいは、記憶が灼けているせいで印象が変化しているだけか?

 停戦の申し入れか。だが、確かに受け入れた方がよさそうだ。リーファちゃん達が来たせいで、使えるカードが少なくなった。なにせ、オレのカードのほとんどが周囲の被害を考慮しないお独り様仕様だ。斬撃結界は特にその傾向が顕著だ。

 

「オレの依頼主は彼女たちです」

 

「ふむ、そうか。では……おや? キミは何処かで……」

 

「あ、お久しぶり……です」

 

 どうやらスミスとリーファちゃんは知り合いのようだ。リーファちゃんはまだ状況を呑み込めていないようだが、とりあえずスミスの言葉を信じたらしく剣を下げる。だが、レコンは警戒を保ったままだ。

 

(ご馳走を逃がしちゃったわね)

 

 ……ヤツメ様、女剣士の正体に最初から気づいてましたよね? 目を背けないでください! こっちを見てください!

 まったく、何が何やら。ともかくオレはアンナに目を向ける。もちろん、彼女もまた全力で顔を背けた。フードの陰に隠れて表情は見えないが、明らかな動揺がある。

 後で『お喋り』が必要だな。どうしてここにいるのか、きっちりと問い質さねばなるまい。なぁ、【バーサーク・ヒーラー】さん?




心を惑わすは己であるならば、今一度見つめ直すべきも己である。


後編……331話にてまた会いましょう!

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