SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回は前・中・後の3本仕立て。

お間違えの場合は前編からどうぞ!



Episode20-18 人心迷宮 後編

 DBOでは何が起こってもおかしくない。だからこそ、何が起こっても対処できる適応能力が求められる。

 アルヴヘイムでも散々味わった。常識という名の思い込みが引っ繰り返される連続であり、激流の如く想定外が舞い込む。

 押し流されれば待っているのは最悪の事態。だからといって最善を尽くしてもベターにすら届かない。

 DBOも現実世界も同じだ。多くの因子が絡み合い、変化し続ける状況と個々の思惑で動く人間によって描かれるのは混沌だ。

 

「まずは再度謝罪を。こちらから先制攻撃を仕掛けたのは紛れもない事実だ。キミたちを害する意図はなかったが、反撃されても文句は言えない。補償を望むならば、後ほど応じるが如何かな?」

 

「補償なんて、そんな……。あたしも焦って場を混乱させてしまったみたいですし」

 

 相変わらず甘い。謝罪を受け入れ、補償を不要とするリーファの判断に対し、レコンは内心で舌打ちする。得られるモノは得るべきなのだ。恥も義理も要らない。

 だが、それはレコンの黒い顔が囁くものであり、リーファの清廉な姿に魅了されるのもまた確かだ。彼女が政治を持ち出し、駆け引きにのめり込み、利害関係の調整に奔走する姿など見たくないのも事実である。

 場所は赤い果実がぶら下がる、毒々しい紫の葉を茂らせた大樹の根本。野獣の寝床にこそ相応しい洞であり、触れれば火傷するのではないかと思うほどに真っ赤な茸が群生していた。

 辛うじて人間6人が入り込めるスペースであり、野営するには些か手狭だ。だが、今は萎んで体長50センチほどになった、発光球体を備えたモンスターを隠すには仕方がなかった。

 

「我々のターゲットはそのモンスターだ。正確に言えば、発光体だな。譲渡してもらえるならば、相応の見返りを――」

 

「お断りします。あたし達を助けてくれた友達を売る気はありません」

 

「ふむ、そうなると我々としても手段が限られてくるのだが……」

 

「スミス! まさか善良に! ただ冒険しているだけの! 何の罪もない! しかもこんな可愛い女の子から奪い取ろうなど考えていないでしょうね!? そのような悪鬼の如き所業、騎士として断じて容認できません!」

 

「傭兵ならば、まず依頼達成を最優先にすべきなのだろうが、キミに何を説いたところで無駄なのだろうな」

 

 傭兵のロジック通りならば、スミスはリーファからモンスターを奪い取ればいい。だが、同じ傭兵であるグローリーは自らの信念を優先して否を唱える。彼らの関係性を把握したレコンは、次に顔を目深く被ったフードで隠す女剣士……【バーサーク・ヒーラー】ことアンナに視線を向ける。

 

「アンナくん、キミの意見を聞こう」

 

「不本意ですけど、グローリーさんと同意見です。交渉の余地があるならば、まずはそちらを優先すべきです」

 

 加工されているが、隠しきれない育ちの良さが口調と佇まいから感じる。噂の【バーサーク・ヒーラー】とこのような形で接触することになるなどレコンとしても驚きであったが、彼女が2つ名に反した理性的判断を下したことに感謝した。

 頭数ではイーヴンとはいえ、相手が悪過ぎるからだ。グローリーもスミスもネームド単独討伐者であり、アンナは軽く見積もってもリーファと同等以上の実力者だ。こちらも傭兵の【渡り鳥】がいるとはいえ、スミスとグローリーには及ばない。彼らの抜きん出た実力はUNKNOWNにも匹敵しうるからだ。特にスミスは人型ネームド最強と評価された【竜狩り】オーンスタイン討伐者だ。装備は探索優先のようだが、それでも実力・実績共にこの中で抜きん出ている。

 

「……多数決に従おう。あと、私は何も暴力に訴えたいわけではない。犠牲は出したくないからな」

 

 腕尽くで奪い取ることを全否定したわけではなく、あくまでカードの1枚に過ぎない。スミスの警戒はどうやら【渡り鳥】に向いているらしく、ここで暴力沙汰に発展することを是とはしていない様子だった。

 レコンは最後に到着した身であるが、アンナは【渡り鳥】から強襲を受けてあと1歩の所で首を刎ねられる寸前だったのだ。モンスターから跳び下りてそのまま地上のアンナの居場所を正確に捉えて地に足を着くこともなく襲撃するなど、およそ尋常ではない攻撃性だ。

 本人は特に興味も無さそうな顔をして、先程まで殺しかけていた【バーサーク・ヒーラー】の隣をキープしている。彼の放つ無言の威圧感のせいか、彼女は若干何かに怯えている様子もあった。

 

「さて、そうなると、そのモンスターから球体を摘出できるかどうかだが……」

 

 腰のマチェットを指で叩いたスミスは、リーファ達の鋭い視線を浴びて、これまた断念するように溜め息を吐く。

 と、瞬間に何かが煌き、モンスターの頭部と球体を繋げる触角を通過する。それが刹那の居合であるとレコンが把握した時には、モンスターのHPが減少を始めていた。

 

「クゥリさん!?」

 

「切断はできないようですね。やはり、仮に入手できるならば、撃破によるドロップでしょうね。あるいは攻撃し続けて部位破壊すれば、入手も可能かもしれませんが」

 

 リーファの非難を何処吹く風だとばかりに、誰の了承も得ずに攻撃を仕掛けた【渡り鳥】は冷徹に取引を進展させる。

 力業ではあるが、必要な処置ではあった。少なくとも全武器でも最高峰の切断性能を誇るカタナでも一撃で切断できず、撃破ドロップ入手の確率が高まった。

 

「……【渡り鳥】くん、キミの判断は合理的であるように見えて非合理的よ。場の了承無しに、それも暴力的行動に取るのは、連帯感を崩し、結果的に事態を悪い方向へと転がせるわ」

 

「失礼しました。ですが、一刻を争う状況ではないかと思慮したものでして」

 

「そうだとしても、最短距離で進めるだけなのが話し合いじゃないの。私達が追及すべきなのは妥協点。双方にとって損得のバランスが取れた選択をすることよ」

 

「……かしこまりました、【バーサーク・ヒーラー】さんに従いましょう」

 

 おや? レコンはアンナの物言いに違和感を覚える。

 非は先制攻撃を仕掛けたアンナ側にあったとはいえ、自分を殺しかけた相手に取る態度ではない。普通ならば、より攻撃的……あるいは恐怖が先行した非難が飛び出すはずだ。だが、彼女はまるで弟でも諫めるような、ある種の親近感を覚える物言いだった。

 2人はまるで互いに他人のように振る舞っているが、その実は知人関係にあるのではないだろうか? 特に【渡り鳥】側は……レコンどころかリーファすらも明らかに怪しむ目を向けている。態度で【バーサーク・ヒーラー】を気にしているのがバレバレなのである。むしろ、だからこそレコンはアンナの口調の違和感を拾い上げることができたとも言えるだろう。

 この人、嘘や演技が致命的に下手なのでは? レコンは【渡り鳥】にそんな評価を下す一方で、今は優先すべき議題があると思考を切り替える。

 

「僕たちも貴方達と争うのは不毛だと考えています。ですが、リーファちゃんの要望もあるので、このモンスターの撃破は容認できません。そこでどうでしょう? このモンスターを生かしたまま連れ帰る、というのは?」

 

「ふむ、テイミングか。続けてくれ」

 

「ありがとうございます。僕もリーファちゃんもモンスターの捕獲に不可欠な≪調教≫スキルは持っていません。ですが、このモンスターの友好性から判断するに、高い熟練度を持つ≪調教≫スキルを持ったプレイヤーさえいれば、捕獲は容易だと思います。そこで、僕たちはこのモンスターを警護しながら転移ポイントまで移動します」

 

「貴方達は見返りとして何を求めるの?」

 

「……僕たちは仲間を失い、帰還できるかどうかの身です。3人には僕たちの警護をお願いしたいんです」

 

 確かに【渡り鳥】は強い。だが、護衛に適していないというのがレコンの総評だ。思えば、彼はフロンティア・フィールドに入った時から、先行偵察、単独によるモンスター撃破など、単独行動が目立っている。本人も自分の適性を判断しての事だろう。

 このモンスターの光は目立つ。特に夜間では隠しきれるかも怪しい。今も光に釣られた他のモンスターが忍び寄っているかもしれない。ならば、より強力な護衛がいなければ転移ポイントまで帰還することは難しいのだ。

 その点でいえば、馬鹿の代名詞であるとしても仲間意識が強く、また大盾による堅牢なガードを得意とするグローリー、あらゆるミッションを完璧に遂行する理想的な傭兵と評されるスミスの2人がいれば心強い。【バーサーク・ヒーラー】は奇跡の使い手でもあるならば、回復要員も増えて生存率は劇的に高まると期待できた。

 

「ふむ、妥協点としては悪くない……か。だが、もしも捕獲できない類のモンスターだとするならばどうするのかね? それに、私の依頼主がモンスターという付属物を欲しないと判断した場合は、キミたちの望むモンスターの生存は難しくなるぞ?」

 

「だからこその妥協点です。僕たちもそこまで無理は言いません。可能性を残したいんです。それでいいよね、リーファちゃん」

 

「嫌。このコを……トンキーを殺させたりしない!」

 

 いつの間にか名前まで付けていたリーファの拒絶に、レコンは彼女もまた交渉事に適していない人物であると改めて理解する。だが、こうした真っ直ぐな気質こそが彼女の美点でもあるのだとも羨ましく思った。

 

「約束してください! トンキーを絶対に殺さないって!」

 

「それは――」

 

「良いでしょう! 騎士としてお約束します!」

 

「…………」

 

 顎を撫でて思案するポーズのまま硬直したスミスは、そのまま無言でアイテムストレージを開こうとして、だが一足先に胃薬らしき錠剤が入った小瓶をアンナから渡される。

 

「すまない」

 

「いいの。気にしないで」

 

 ああ、この2人はグローリーに振り回されてるんだなぁ。レコンは憐憫の情と共に最強候補にも名が挙がる傭兵と今DBOで注目を集めるプレイヤーの1人を見つめる。

 だが、こちらにとって最も利益のある妥協点に到達できたのも確かだ。グローリーは馬鹿が人間の形を取ったような輩であるが、その一方でDBOでも稀有な誠実かつ正義感の強い……まさしく物語の騎士のような人物であるとも知られている。なにせ、報酬にはうるさい傭兵の中でも、良い意味で人情で動いてくれる筆頭だからだ。彼のお陰で聖剣騎士団は多大な+イメージを稼いでいると言っても過言ではない。

 なお、悪い意味で人情……もとい、自身の欲望と興味で動くと評価されているのがライドウだ。そして、傭兵の中でも依頼主には忠実であるが、同時に何を考えているか分からない不透明さで不気味がられているのが【渡り鳥】である。

 

(まぁ、グローリーさんの人徳と実力があるとしても、実際の判断を下すのは依頼主だろうし、事が起こってしまったら僕らにはどうしようもない。グローリーさんが頭を下げに来るだろうけど、それはそれで利用価値もあるか)

 

 ああ、自分が嫌になる。他人の善意に素直に身を委ねられないどころか、後々の利用価値まで損得勘定してしまっている。

 だからこそ、裏切りたくない。この身を盾にし続けると決めたのだ。リーファちゃんと彼女が守りたい人々と理想の為に、あらゆる害意から守る盾になろうと決めたのだ。

 

「1つお伺いしてもよろしいですか? スミスさん達は誰から依頼を受けて樹海に?」

 

「悪いが、傭兵として依頼主の秘と――」

 

「教会ですよ! 我々は崇高なる使命! 聖遺物探索に赴いていました!」

 

「…………」

 

「待って。1回3錠までよ。6時間後まで待って。お願い」

 

 小瓶を振って錠剤を更に取り出そうとするスミスの手をアンナが最大限の同情を込めて止める。

 

「別に口止めされていませんし、いざとなれば教会の権威を使って争いを避けてもいいとも言われたではありませんか。依頼主からの好意は最大限に活用するべきですよ!」

 

「キミには副音声というものが全く聞こえていなかったようだな。私としたことが、当然の事なのに失念していたよ」

 

(うん、そりゃ口止めなんてわざわざ要らないだろうし、教会の名前を出す許可は僕たちみたいな窮地の弱小相手の交渉じゃなくて、大ギルド直属の部隊と遭遇した時とかの為だよね)

 

 哀れだ。だが、教会が依頼主だと分かっただけでも十分過ぎる情報である。グローリーならば嘘である確率も皆無だ。

 

「方針は決まりました。私達は貴方達を護衛する見返りとして、そちらのモンスターを譲り受ける。その際には≪調教≫による捕縛を試み、またその後も可能な限り生存を最優先させる。ただし、≪調教≫による捕縛が出来なかった場合は……また別の手立てを考えます」

 

 手を叩いて締めに入ったアンナに、リーファはおずおずと頷き、レコンも了承し、グローリーは満足そうに無駄なポーズを決め、スミスは嘆息する。

 

「捕縛できなかった場合は依頼主を交えて取引か。今回のミッションの評価は低そうだな」

 

「評価ばかり気にしてもしょうがありませんよ! 皆が幸せになれるならば、それでいいではありませんか!」

 

「まったく、キミの能天気さには殺意と同じくらいに敬意を覚えたくなる時があるよ」

 

 傭兵だからこそ評価を気にしなければならない。スミスの方が圧倒的に正しい。なにせ、評判によって依頼の質と頻度が激変するのは、業界人ではないレコンでも理解できる。

 そして、傭兵としての評価はある意味で底値と呼んでもおかしくない【渡り鳥】は、今回の取引に一悶着こそ起こしたが、その後は特に何も口出しする様子はなかった。それが不気味で、実は何か腹積もりがあるのではないだろうかとレコンは警戒する。

 

「ああ、気にしないで。クゥリさんって、こういう交渉とか取引が大の苦手だから、ああして口出ししないだけだから」

 

「…………」

 

 リーファの容赦のないネタバラシ、もとい先程のバイオレンスに対するお返しが炸裂し、特に反論するでもなく【渡り鳥】は目を背ける。

 

(あれ? この人もしかして……どちらかと言えば、グローリーさん側の残念な御方?)

 

 いやいやいやいや! ジェノサイド・モンスターと恐れられる、あの【渡り鳥】の実態が、その実は口下手のコミュ障で、交渉・取引に滅法弱い残念ちゃんとか、あり得るわけがないだろうに。レコンは危うい思い込みになりそうだったと情報を整理し直す。

 

「さて、次に我々に迫った危険について語ろう」

 

 そうだ。スミス達が停戦を優先したのは、危機が迫っているからだ。レコンは次なる議題に身構える。

 

 

 

「我々は現在、少なくとも3体のネームドとエンカウントする危険性がある」

 

 

 

 ネームドが3体? レコンはバム=ルークを思い浮かべ、改めてネームドの脅威を振り返りながら、身震いを堪える。

 

「キミたちも把握しているだろうが、このフィールドは極端にモンスターとのエンカウント率が低い。これには理由がある。モンスターがモンスターを撃破し、言うなれば経験値稼ぎをしているからだ」

 

「ちょっと待ってください! 飛躍し過ぎです!」

 

「そうだな。順を追って説明しよう。アンナくん、頼めるかな。私は少し……胃を休めたい」

 

「分かりました。あのね、スミスさんの言う通り、このフィールドでエンカウント率が低いのは、特定のモンスターがモンスター狩りを行っているからなの。言うなれば、特定のモンスターがリソースを吸い上げている。それが樹海……ううん、フロンティア・フィールドの特性なのだと私達は結論付けたわ」

 

「どういう事ですか?」

 

「特定のモンスターは『ネームドに成長する』ことができるの。同じモンスターやプレイヤーを撃破することによって経験値を稼ぎ、一定値に達すればネームドとして強化される。具体的にはHPバーの増加やステータスの向上、外観の変化や能力の獲得ね。特定のモンスターと定義したのは、全てのモンスターに同条件が課せられているとは考えにくいから。だけど、もしかしたら、あらゆるモンスターがネームドになり得る。それがフロンティア・フィールドなのかもしれないわ」

 

 そんな事があって堪るか。レコンは叫びそうになり、だがあり得ない事でもないかと冷静に受け止める。

 誰かがフロンティア・フィールドはある種のエンド・コンテンツであると評した。プレイヤー同士が無限に領土を奪い合えるGvG想定であり、レベル100オーバーのモンスターが跋扈する魔境だからだ。

 だが、モンスターという点において、いずれプレイヤー側の研究が進めば脅威度は必然的に下がる。特にリポップ型を除けば、強力なネームドはいずれも1度撃破すれば復活しないユニークであり、故にゲームという視点から見れば何度も『楽しめる』ものではない。もちろん、デスゲームと化したDBOにおいて、プレイヤー側からすれば強力なネームドと何度も戦えるなど、とてもではないが『楽しめる』ものではないが。

 もしもフロンティア・フィールド内でモンスター自体が成長してネームドになるならば、ほぼ無限供給が可能だ。それも成長の方向性がランダムであり、なおかつバム=ルークのように環境適応して、自らの狩り場を形成するならば、プレイヤー側は常に未知との遭遇を『楽しめる』ことになる。

 それならば納得できる部分もある。バム=ルークは本来ネームドではなかったモンスターだ。ネームドに位置づけられる変異種とレコンは想定したが、アンナが提供した情報が正しいならば、あのバム=ルークはネームドへと成長を遂げた存在なのだろう。

 

「本来ならば、モンスターのエンカウント率が極端に下がるほどの、モンスター同士による共食いなんて起きないと思うの。だけど、偶然か、それともバグが起きたのか、現在この樹海では複数体のネームドが急速に生まれつつあるわ」

 

「だから3体もネームドが……」

 

「ええ。しかもネームド同士の戦いも起きている。ネームドがネームドを倒せば、より強大なモンスターになるはず。私達が発見したネームドも、他のネームドを襲っている最中だった。漁夫の利も考えたけど、戦いが激しくて、私達は任務を優先したの」

 

「あの、その件なんですけど……実は……」

 

 リーファは挙手し、バム=ルークの発見を伝える。するとアンナは大きなため息を吐いた。なにせ、3体もいたネームドが4体に増えたからだ。

 

「単純にモンスターが枯渇する程の貪欲な成長性を持っている。しかも、この都市部にネームドは集結しつつあるようだ。これは私の予想だが、そのモンスターは誘蛾灯のような役割を果たしているのかもしれない。ネームドになり得る強大なモンスターを引き寄せる能力だ。広範囲の発光能力もそれで説明がつく」

 

 スミスの仮説はあり得ないことではない。なにせ、バム=ルークの狩り場にこのモンスターはいたのだ。他のモンスターを集め、また襲われることが能力であるならば、十分に頷ける。

 あるいは、某国民的ゲームに譬えるならば、メタル系のようなものだろう。攻撃面は脆弱であるが、倒し難く、また経験値が膨大だ。今はリーファに懐いているので倒すのも簡単そうであるが、本来は恐ろしく逃げ足が速いモンスターなのかもしれないとレコンは推理する。

 

「だったら、早く……!」

 

 始末した方がいい。そこまで言おうとして、レコンは慌てて口を押える。リーファは守るように、だが状況を考えれば最善策だと理解するように、命名トンキーを抱きしめる。

 

「僕たちの転移ポイントまで、夜通し歩いても丸1日はかかります」

 

「ふむ、そこまでネームドの強襲を耐えながら護衛するのは骨が折れるな。誰かしら犠牲になるかもしれないし、離散もあり得るだろう」

 

「ご安心を! 騎士たる私ならば、あらゆる脅威から皆を守れる……と言いたいのですが、さすがに4体同時に現れた場合は困りますね。まだ超必殺のグローリー☆分身は習得していませんから」

 

 むしろ分身なんて出来て堪るか。ツッコミを堪えたレコンは、だがグローリーならばスキル無しで本当にやってしまいそうな何かがあった。それは馬鹿特有の無限大の可能性というものなのだろう。

 

 

 

「だったら簡単ですね。4体のネームド全てを討伐すればいいだけです」

 

 

 

 と、そこに最速最短かつ最悪の解決案を提示したのは【渡り鳥】だ。

 

「キミは話を聞いてたの? 如何にしてネームドとの交戦を避けて――」

 

「スミス、アナタの私見をお聞かせください。遭遇したネームドの強さはどの程度のものですか?」

 

 アンナの発言を遮り、【渡り鳥】はスミスに問う。最も理想的な傭兵と評される男は、侘びしい口に煙草を咥えさせたいような素振りを見せ、やがて冷徹と思える程に目を細めた。

 

「私が遭遇したネームドは、リポップ型の平均以上、ボス・ネームドの平均以下といったところだろう。HPバーは2本だけだが、あれから更なる成長を遂げている危険性もある」

 

「現状の装備で単独撃破は可能ですか?」

 

「……今回はグローリー君とアンナ君のバックアップをメインに考えていたものでね。倒せないこともないが、些か火力不足は否めない。時間制限付きならば、1体が限界だろう。グローリーくんはどうだね?」

 

「そうですね。あのレベルならば、2体同時ならば請け負いましょう!」

 

「無用なリスクを背負うべきではないが、キミならば可能だろうな。そちらの戦力は?」

 

「リーファちゃんもレコンも実力は十分でしょう。ですが、搦め手使いのネームド相手では経験不足と思われます。3体のネームドと発言されましたが、つまり少なくとも3体とも視認ないし別の手段で補足したと判断しました。その中で正攻法タイプは?」

 

「確実に1体いるな。他に比べれば些か自力は劣っているようにも見えた」

 

「では、アンナの指揮の下でリーファちゃんとレコンで討伐を。ただし、撃破を最優先するのではなく、時間稼ぎに重点を置いてください。スミスとグローリーはネームド撃破後に速やかに援護へ」

 

「キミはどうするのかね?」

 

「地下に降りてバム=ルークを撃破します。それに、恐らく転移ポイントでもある楔の残滓は地下にあると思われます。同時に探索も行いますので、終わり次第に援護をお願いします」

 

 話がトントン拍子に進み、レコンは我に返る。いつの間にか、たった3人でネームド撃破を要求されていることに動揺する。

 確かにアルヴヘイムでは少数でネームドに挑んだ経験がある! だが、あの時は歴戦の猛者がいた! さすがに古獅子と同格ではないはずだが、それでもたった3人でネームド撃破など難題過ぎる!

 

「ま、待ってください、クゥリさん! そんな無茶をしなくても、その、トンキーを……」

 

「諦めるのか?」

 

「……え?」

 

「『危険だから』といって『仲間を殺す』のか? それならそれでいい。安全策を選ぶまでだ」

 

 途端に【渡り鳥】の目に無機質な殺意が宿る。

 殺す。1秒の躊躇いもなく、それこそ抱きしめるリーファちゃんの腕を斬り落としてでもトンキーを殺す。レコンは迷いなくそう信じられた。

 それは確かな失望だ。リーファは改めてトンキーを抱きしめ、沈黙し、だが真っ直ぐな……レコンが好きな眼で【渡り鳥】を睨む。

 

「馬鹿にしないでください! あたしは……あたしはどんな状況だろうと仲間を見捨てない! 友達を切り捨てない! やってやる! やってやりますよ! 他の人たちが1体ずつ! あたし達は3人で1体! 楽勝じゃないですか!」

 

「……そうか」

 

 僅かにであるが、【渡り鳥】は嬉しさを滲ませるように微笑んだ。

 僕の意思決定は? そんなの決まっている。リーファちゃんが選んだならば、全力で守り抜くまでだ。レコンは深呼吸をして、この程度の危機はアルヴヘイムと地獄のレベリングで慣れたと自分に言い聞かせる。

 

「皆して……本当に馬鹿なんだから」

 

「申し訳ありません、【バーサーク・ヒーラー】さん。アナタに負担をかけます」

 

「気にしないで。誰かの命を預かるなんて久しぶりだけど、でも……やり遂げてみせるわ」

 

 やはり、この2人は何かがある。だが、今は追及すべきではない。

 

「【渡り鳥】さん、どうして地下に楔の残滓があると思われるんですか?」

 

「……あの地下空間は恐らく都市とほぼ同規模。しかも深さも相当なものです。何も無いとは考え難い。今はバム=ルークの狩り場と化して変質していますが、最下層までいけば何かしら得られるものはあるでしょう。確証などありません。強いて言うならば……直感でしょうか」

 

 いやいや、それは何の根拠にもならないから! せめて嘘でも何でもいいから並べてよ! そうツッコミを入れたいレコンとは相反し、スミス、グローリー、アンナはそれぞれ納得するような態度を見せる。

 

「ふむ、キミの直感がそう言うならば、最低でも手がかりくらいは得られるだろう」

 

「ですね。当てにしてますよ!」

 

「直感……ね。私はそんな曖昧なもの信じたくないけど、でも……」

 

 いずれも肯定の立場を取り、レコンは何とも言えない気持ちになった。【渡り鳥】の直感を信じず、彼なりの根拠を並べられても、自分たちはバム=ルークの狩り場に立ち入った。結果としてパーティは壊滅してしまった。

 

「作戦はモンスター……いいや、トンキーの発光による誘導効果が薄い夜明け後に行う。それまでは、他のネームドに見つからないように、最大限に光が漏れるのを防ぐしかないが、余り期待できそうにないな」

 

 大樹の洞に隠していても、周囲は明るい。夜明けまでは間もなくといっても、少なくとも3時間はネームドの強襲に備えねばならない。

 

「そうなると、重要なのはネームドの分断ね。貴方達が遭遇したバム=ルークは地下を縄張りとしているから出てこないとしても、こちらのネームドは上手く分断しないといけない。プレイヤーもモンスターも関係ない乱戦なんて危険極まりないわ」

 

「その件ですけど、ネームドの特徴を教えてもらえませんか?」

 

「ほう、何か考えがあるのかね?」

 

「考え……ってほどではないです。でも、バム=ルークのように、環境に左右される性質をフロンティア・フィールドのネームドが有しているならば、そこを突き、トンキーを上手く使えばいけるかもしれません」

 

 僕は僕に出来ることをしないといけない。各々のマップデータを確認し、教えてもらったネームドの特徴を整理していく。

 

「スミスさんが担当する【泥潜りのグリン・ロー】は、周囲の土を泥化させる能力を持っています。だったら、より能力を活用しやすい水場を選ぶはず。飛行能力もありませんし、このビル崩落地帯に呼び寄せます。ここは半ば水没していてグリン・ローに有利ではありますが、その一方でビルの崩落残骸は泥化対象外のはず」

 

「ふむ、その根拠は?」

 

「スミスさんの目撃例によれば、グリン・ローはネームド同士の戦闘中に何度もコンクリートや鉄柱に激突していたんですよね? 泥化能力があるならば、ぶつかることなんてありません。オート発動じゃないにしても、スミスさんの目撃情報によれば、明らかに避けていたと思われます。根拠はまだ乏しいですが、グリン・ローにとって有利であり、だけど同時にスミスさんが足場を奪われることなく射撃戦に持ち込めるのはここが最適かと」

 

「……従おう」

 

「次にグローリーさんが担当する【獣骨のギャレンダー】はケンタウロス型。左腕は獣頭部のような骨に覆われ、右腕は骨のランスのような形状。これから突撃戦法が得意なのは明白でしょう。そこで、この大通り地帯に呼び寄せます。先んじて爆薬を仕掛け、突撃戦法をしかける前に左右のビル表面を爆破。これによって足止めしたところをグローリーさんがタイマンに持ち込んでください。崩落による足場の悪化によって突撃戦法の封印を一時的にできるはずです。スピード勝負となりますが……」

 

「お任せください! 騎士として! 騎 士 と し て ! 騎 士 と し て ! 必ずや討伐してみせましょう!」

 

「最後に僕たちの担当する【剛腕なるモーラー】は……この密林地帯に呼び寄せる。モーラーは2足歩行の巨体で機動力は最も低い。ここなら隠れる場所も多いし、十分にパワーを発揮できない……はず」

 

 自分の請け負う場所だけ自信が持てないのは、何よりも実力不足を痛感しているからだ。この場にいる面々で最も戦闘能力が低いのはレコンだ。

 フル装備のタンク。隠れ潜みながら戦うのではなく、自分が積極的に囮になる。それはリーファもアンナも把握しているはずだ。

 

「アンタを死なせないわよ。あたしとアンナさんに任せなさい」

 

「でも、無茶はしないでね。命あってこそなんだから」

 

 優しい2人に励まされ、レコンは最後に4体ネームド同時討伐という無茶を提示した張本人を見据える。

 

「最後に【渡り鳥】さん。僕たち地上組が済むまで、誰も援軍にはいけません。本当にバム=ルークを単独で任せてもいいんですか?」

 

「ヤツの底は見れたとはいいませんが、1度は撃退に追い込んでいます。何とかなるでしょう」

 

 傭兵3人の中では最も実力が劣るはずの【渡り鳥】は最もリラックスしているようにも思えて、レコンはやはりこの傭兵はよく分からないと混乱する。

 

「しかし、どうやってそんなにも都合よく奴らを移動させ、分断させる?」

 

「トンキーを使います。あの飛行能力でわざと目立ち、ネームドを呼び寄せ、皆さんが待ち構えるポイントに誘導します」

 

「できるのか?」

 

「最大限に効果を発揮できるように、夜明け間近に作戦を開始します。後は……神に祈るしかありません」

 

「なるほどな。キミは戦略家に向いていないな。神に祈ったところでどうにもなるものでない」

 

「ですね。僕もそう思います。でも、やるだけやったなら神頼み。それくらいの気持ちの方が成功すると思いませんか?」

 

 レコンの物言いに、スミスは小さく笑ったようにも思えた。

 自分は天才ではない。できるのはいつだって精一杯の背伸びであり、相手の裏を掻く為には何だってやるが、その実は自分の指揮でどうこうするのではなく、あくまで皆の手腕を頼りにするしかできない。

 盤上を操る策謀家としての才能もなく、大軍を指揮するカリスマ性もなく、謀略に猛る政治家にもなり得ず、現場で指示を飛ばす指揮官としても不十分。だからこそ、背中に隠したナイフで突く心構えを持ち、皆が最善を尽くせる環境を整えねばならない。

 

「……トンキーに乗ってルート指定するのは僕がやります」

 

 その為には1番のリスクを背負うことだ。それしかレコンには出来ないのだから。

 

「ばーか。アンタの命令を素直にトンキーが聞くと思う? あたしも一緒よ」

 

 そして、そんなレコンを素直に放っておいてくれないのもリーファだ。分かってはいても、嬉しくて涙が出そうになる。

 断らねばならない。だが、リーファは絶対に譲らないだろう。

 

「あたしのワガママで皆を危険に晒すんだから、あたしも大きなリスクを背負う」

 

「……ワガママではあるが、好意は持てるがね。こんな世界だ。命を天秤にかけるよりも、キミのように真っ直ぐな人間の方が気も休まる」

 

「おや、スミスにしては珍しい発言ですね。ですが、訂正を入れましょう。仲間を守りたいという意思はワガママなんかではありませんよ! お嬢さんとそのモンスターの間には、確かな友情があるとお見受けしました! たとえ、時間は僅かでも育まれた想いがあるならば、それを無下にすべきではありません! 騎士として、強く助言しておきますよ」

 

 馬鹿の代名詞にしては立派な事を言うものだ。やはりただの馬鹿ではない。レコンは最後にアンナへと視線を送れば、彼女は軽く肩を竦めた。

 

「仲間を見捨てる判断を是とするなんて、私は認めない。協力するわ」

 

 DBOは多くを狂わせる。

 人として持ち合わせていたはずの良心は陰り、道徳心は腐れ、諦観が幅を利かせ、剥き出しの欲望が露になり、悪意が咲き誇る。

 だが、それだけではない。レコンは自分が利用しようとしていた自由開拓戦線の人々にも、そしてこれから加わろうとしている人たちにも、そして輪の外にいる人たちにも、志を同じくする者たちがいるのではないかと思う。

 たとえ嗤われてもいい。誰もが幸福になれる結末を求めて前に進める人たちがいるのではないだろうか?

 サクヤが目指した理念を守るだけではなく、その先へ。きっとリーファと彼女が手を繋いだ人々ならば、たどり着けるのではないだろうか。

 奇麗事だけでは終わらない。泥に塗れねばならない。牙を剥く謀略と欲望と悪意に抗う為には、不本意な盤上の遊戯に加わらねばならない。

 そうだとしても、とレコンは今回の探索で失った人命を嘆く。彼らとも分かり合えたかもしれない。もしかしたら、同じ道を歩むことができたかもしれないのだから。

 

「私はグローリー君のポイントに爆薬をセットしてくる。キミたちはここからは離れるな。【渡り鳥】くんが警戒してくれているが、漏れた光はやはり目立つ。ネームドが接近してこないとは限らないからな」

 

 都市の呑み込んだジャングルの夜明けは待ってくれない。スミスは先んじて作戦の段取りをすべく出発する。

 如何にネームド単独討伐経験者とはいえ、絶対はない。これが今生の別れにもなるかもしれない。改めて今回の作戦……ネームド4体同時討伐の無茶苦茶っぷりをレコンは思い知る。平時で正常な思考であったならば、まず全力で却下するだろう。

 

「……あの、出発前に1つだけ教えてくれませんか?」

 

「何だね?」

 

「どうして、【渡り鳥】さんの作戦に乗るんですか? アンナさんはよく知らないし、グローリーさんはともかく、貴方は……」

 

「冷徹な傭兵……か?」

 

「い、いいえ! そうじゃなくて……」

 

「意地悪をした。すまないな。キミが言わんとすることは分かっている。私の判断はこうだ。『あのモンスターを撃破して目当てのアイテムだけ回収して速やかに撤収する』。ここでネームドを倒しても評価されず、報酬が上乗せされるわけでもない。ドロップアイテムは期待できるが、どれだけの補填になるやら」

 

「だったら、どうして?」

 

「……彼が本格的に悪名をDBOで浸透させた事件を知っているかね?」

 

「それは腐敗コボルド王の……」

 

 そうだ。【渡り鳥】は寄生状態の仲間を殺害している。攻略部隊の壊滅を防ぐ為だったとはいえ、一切の躊躇なく仲間を斬りまくった所業はまさしく怪物に等しく、【渡り鳥】ここにありとDBOプレイヤーに瞬く間に噂となって広まった。

 今回も同じだ。危機的状況である。ネームドを呼び寄せる能力を持っているかもしれないトンキーなど、たとえ友好的でも真っ先に始末すべきだ。あるいは、プレイヤーに友好的なのもモンスターを呼び寄せるという能力を持つからこそなのかもしれない。

 それでもリーファの判断を優先した。トンキーの触角の切断という、誰に問うでもなく無断実行した【渡り鳥】がわざわざリーファに尋ねた。アンナの指摘があったとはいえ、【渡り鳥】ならば依頼を……リーファやレコンの身を安全を優先してトンキーを殺害してもおかしくないのだ。

 だが、そうしなかった。それどころか危険へと追いやるような選択をした。

 

「彼なりに信じているのだろうさ。自分の冷たく惨酷な選択ではなく、たとえ無謀で愚かと嗤われようとも、キミたちの選択がより良い結果を招き寄せるのではないかとね。だったら、おじさんとして乗らせてもらったまでだ。若人の可能性とやらにね」

 

「あ、あははは。信じたからネームド倒せって無茶ぶり過ぎませんか?」

 

「それくらい出来なければ、キミたちの選択の先に未来はないということさ。この世界は誰でも我を通すことはできる。なにせ、法の秩序はなく、建前という薄皮の下では『力』こそが物言うばかり。だからこそ、気を付けたまえ。君たちの自由の対価に何を支払うことになるのかをな」

 

 そう言い残してスミスは出発した。次に会う時は作戦が成功して互いに無事だった時だ。スミスの実績を考慮すれば、倒せない相手ではないかもしれないが、過去の積み重ねなど何処まで役立つだろうか。

 アンナとリーファは話し込み、限られた情報から対ネームド戦についての段取りを整えている。戦術的判断はレコンよりもアンナが上らしく、彼女が立てた作戦に従ってネームド討伐を試みる。

 結果的にではあるが、今回の作戦が成功した場合、教会と合同とはいえ、多数のネームドの討伐とフロンティア・フィールドの謎の1つを解明したという実績……代えがたい箔が付くことになる。それも踏まえて【渡り鳥】はネームド4体同時討伐を持ちかけたのだろうかとも思えた。

 周囲を警戒しているとは思えない、木の幹にもたれかかったまま目を閉じている【渡り鳥】に歩み寄る。すると彼は目を開くことなくレコンの方を向いた。

 

「何か御用ですか? 作戦前です。アナタは1番危険な囮役だ。休んで英気を養った方がいい」

 

「グローリーさんのように……ですか?」

 

「あれは異常なだけですので真似しないでください」

 

 グローリーは作戦前だというのに大飯を喰らったかと思えいびきを掻いて眠ってしまった。大胆不敵というよりも油断が服を着ているようにしか思えなかった。

 色々と尋ねたいことがある。だが、どうにも言葉が出ない。

 リーファちゃんが兄の次に信じている人物。バム=ルーク撃退からも実力は十分だ。だが、その腹に何を抱えているのか、まるで分からない。

 今回の探索に【渡り鳥】を雇用したのは、UNKNOWN専属化に向けた布石を打つ為でもあった。だが、蓋を開いてみれば、そんな余裕など全くなかった。

 レコンは考える。この人は何なのだろうかと。多くの人間を駒扱いした罪人。今も間違いを重ね続ける自分の濁った眼では、この人の正体がまるで分からない。

 ナギの言葉が蘇る。レコンには『鬼』になってほしくないと彼女は泣いていた。彼女の言うところの『鬼』とは何か分からない。だが、それは到達してはならない、哀れでおぞましいものであるような気がした。

 

「あの……『鬼』って何ですか?」

 

 だからだろうか。腹の内に何を住まわせているかも分からない【渡り鳥】に尋ねたのは、彼ならば何か知っているような気がしたからだ。あるいは、ナギと何処か似た雰囲気があったからなのかもしれない。

 愛らしく、飄々として、だが絶対に自分の内側を見せようとしない、不可思議なレギオンに似ている気がしたのだ。

 

「妖怪や死霊……といった意味で尋ねているわけではないようですね」

 

「えと、ごめんなさい。僕もよく分からなくて、今の質問は忘れて――」

 

「情念や約定に囚われた者。願望や理想、あるいは何かへの渇望がもたらす末路。要は執念の塊のようなものです」

 

「……それって悪い事だけじゃないですよね? つまり、諦めが悪くて、何があろうとも頑張れる人ってことですよね?」

 

「そうですね。そういう言い換え方もできるかもしれません。ですが、『鬼』とは自らの本質を歪ませた、あるいは壊れた存在。あるべき支えの柱もなく、鎖だけが冷たく肉と骨に食い込み続ける。『鬼』に至ることを1つの理想と捉える武芸者もいるようですがね。武に固執し、『力』を欲し、剣に憑かれ、他の尊き全てを蔑ろにし、己の本質すらも曇らせれば、それはもはや剣鬼であるようにね。そうした者は修羅とも呼ばれます。分かりやすいでしょう?」

 

 何か1つにのめり込むのとも違うのだろう。曖昧であるが、隔絶した線引きが確かに存在する。レコンは【渡り鳥】の言う『鬼』こそがナギの言っているものと同一なのではないだろうかと感じる。

 

「割れた盃に酒を注ぎ続けて満たそうとする者。それこそが『鬼』です。注いでも零れ続ける。満たされて心地良く酔えることは決してない。『鬼』とは渇き狂った存在。『鬼』とは執念だけで動く虚ろ。定めた枠の外側には目もくれない。まるで火に焚べる薪のように……灼き続ける。それが確かにあった大切なものだったはずなのに」

 

 何処か遠い目をして、まだ来ない夜明けを求めるように【渡り鳥】は空を眺めた。

 

「難しいですね。僕には分からないや」

 

「分からないならそれでいいです。それがいいに……決まってる」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 間もなく夜明け。作戦決行間近であり、各々は緊張した面持ち……というわけでもなく、アスナは半ば呆れを覚える。

 リーファとレコンは顔も強張っているが、グローリーは腹いっぱいにカレーライスを頬張ったかと思えば所定の位置に向けて出発し、【渡り鳥】は起きているのか眠っているのかも分からない瞼を閉じた状態で木の幹にもたれ掛かったままだ。

 爆薬をセットしに赴いたスミスもまるで散歩気分の様子だった。命懸けとは思えないリラックスを見せる3人は、いずれも傭兵であり、この程度は窮地の内にも入らないだろうことは肌で感じ取れた。

 リーファやレコンを交えて作戦の頭の中でアスナは再確認を行う。

 アスナ達が迎え撃つネームドはモーラーと呼ばれるネームドだ。レコン曰く、同名のモンスターに心当たりがあるらしく、予想通りにネームドに成長したタイプだろう。発達した前肢による攻撃が特徴であり、特殊攻撃はないが、とにかくタフである。

 そもそもとして、ネームドをたった3人で倒すことは無謀な事だ。アスナも【バーサーク・ヒーラー】を拝命することになった事件……リポップ型ネームドとの対決以外に経験はない。だが、ネームドはまさしく次元が異なり、プレイヤーが単身で撃破できるものではない。

 今回相手取るモーラーは、あくまでスミスの分析ではリポップ型ネームドの平均を超える程度であり、経験豊富な精鋭の6人組パーティが2組いれば、犠牲は考慮しないものとして、倒せるだろうとの読みである。ただし、ネームドはHPバー減少と共に能力を解放していくために、これはあくまでHPバー1本目の分析に過ぎない。

 リーファもレコンも強いだろう。アスナも自信はある。だが、絶対的な安全など何処にも存在せず、情報不足も否めない。それでも戦うしかない。

 

「少しいい?」

 

 リーファとレコンが十分に離れていると確認した上で、アスナは【渡り鳥】に話しかける。一般の基準からすれば、妖精と呼んでも差し障りがない程に群を抜いた美貌を持つアスナであるが、白の傭兵には思わず女として嫉妬と羨望を抱き、また魂を呑み込まれたかのように魅了されてしまいそうになる。

 出会う度に変化が著しい。SAOの頃から変わらず、まるで掴みようがない。飄々とも異なる、まるで霞に包まれているような、瞬きすれば姿形を失っているかのような危うさがある。

 

「色々と言いたいことはあるとは思うけど、ちゃんと説明させてほしいの」

 

「教会の仕事だったんだろう? アナタの立場も承知している」

 

「……それだけ?」

 

「それだけだ。他に何か要るのか?」

 

 アスナがDBOで生活基盤を辛うじて確保できているのは教会のお陰であり、彼女と教会を繋げるパイプを担ってくれたのが【渡り鳥】だ。『彼』との接触を避けねばならないアスナの名が売れることも、また不特定多数の人間と接触して正体がバレる危険性を増やすことも彼は良しとしないはずである。

 だが、意外にも【渡り鳥】は冷静であり、怒りなどを示す様子はなかった。多少の困惑はあったようであるが、アスナの立場を慮っているようであり、教会の仕事ならばと受け入れている。

 

「……スミスさんとグローリーさんに知られてしまったわ」

 

 正直に伝えたい。アスナは正体がバレた経緯を説明すれば、さすがの【渡り鳥】も溜め息を吐いたが、特に暴言も暴力もなく、淡々とした眼で白み始めた空を眺めている。

 

「スミスはビジネスライクなので契約で縛れば信用できる男だし、グローリーは馬鹿だけど人格者にして善人だ。バレた相手が彼らで幸いだった」

 

 アスナの四肢を千切って監禁するといったバイオレンス発言も飛び出さず、【渡り鳥】は何処か迷うように視線を足下に投げ、改めてアスナを真っ直ぐに見つめる。

 

「……『会いたい』ですか?」

 

 誰に? もちろん『彼』にだろう。アスナは心臓が締め付けられそうになり、口を半開きする。

 ユイも会いたがっている。自分だってもちろんそうだ。だが、【渡り鳥】との約束があり、また自身の生存の為にも再会は望めない。また、『彼』の悲劇を止めたがっている【渡り鳥】も何としても阻止するはずだ。

 では、どうしてわざわざ質問するのか? 何か試しているのか? 慎重に返答を選ばねばならない……と頭を回転させようとしたアスナは、【渡り鳥】の迷いと憂いが同居したような眼差しに、思考よりも感情が優先される。

 

「『会いたい』。今すぐでも……『会いたい』」

 

 会いに行きたい。名前も思い出せない、疼く記憶の欠落を埋めるだろう『彼』に会いたい。胸を占める強い感情は、切望し、渇望し、絶望する。

 

「『彼』は露出が多いらしいから、何処がギリギリのラインなのか探っているの。山奥に引き籠もって暮らすわけにもいかないしね。私は攻略から離れたくない。こうして蘇って生きている意味を見つけたい。精一杯ちゃんと生きたいの」

 

「…………」

 

「……ごめんなさい。半分は嘘。醜い建前。SAOでは見届けられなかったプレイヤーの行き着く先が見たい。自分たちが生きれる世界を手に入れたい。攻略の一助になりたい。それも本心だけどね、きっと……何処かで期待しているんだと思う。何か奇跡が起きて、『彼』と少しでもいいから……互いに気づくこともなくていいから……触れ合うことができないのかなって」

 

 不思議だった。まるで懺悔のように、アスナは胸中に溜まっていた醜く汚れた泥を吐き出す。

 子どものように泣いて『彼』と会いたがるユイを諫める一方で、アスナはユイと同等以上に『彼』を求めている。まるで生まれる前に離れ離れになった片割れを欲するかのように望んでいる。

 自分でも驚く程の醜悪なまでに強欲な本音。だが、【渡り鳥】はむしろ微かな嬉しさすらも滲ませる微笑みを描いた。

 

「そうか」

 

 それ以上は何も言わなかった。相変わらずだとアスナは思う。彼は口数が少なく、何を考えているか分からず、感情表現や発言も突拍子がない。SAOでは幾らか濃い経験を積んでるとはいえ、トータルでいえば付き合いは短いこともあってか、彼の感情の機敏を拾い上げることがアスナには些か難しかった。

 無感情ではない。無表情でもない。だが、その胸中に何が潜むのかはまるで見えない。澄んだ水面かと思って覗き込めば、余りにも深くて光が届かずに闇が渦巻いているかのように、【渡り鳥】の本心と本音はまるで見抜けない。それもまた彼が誤解され易い理由なのだろう。

 だが、また何かが変わった。アルヴヘイムでアスナを連れだした時とはまた何かが変わっているのだ。

 まるで果てしない星空を映し込んだ、底知れない海を前にしているかのように、人間よりも大自然と語り合っているかのような気分になるのだ。

 そのはずなのに、相反するように、目の前にいるのは月光も星明りすら届かぬ闇夜に取り残された小さな迷子のようにも思えた。

 

「ねぇ、どうしてこんな無茶を?」

 

 だから問うのだ。アスナは今回の作戦……3+1体のネームドの同時撃破という無謀な策を掲げる【渡り鳥】の思惑が分からなかった。

 

「可能だからだ。スミスとグローリーなら、リポップ級のネームド相手ならば1対1ならば勝ち目はある。アナタの指揮下ならばリーファちゃんとレコンも本来以上の実力を発揮できる。特に彼らには功績が必要だ。アナタには悪いが利用させてもらう」

 

「『勝ち目がある』のと『絶対に勝てる』は違う。HPがゼロになれば死んでしまうのよ? 不要なリスクは避けるべきよ」

 

 蘇った死者であるアスナが言うのも奇妙である。彼女自身はこのような無謀を是としないタイプであり、徹底した情報収集をした上で戦力を揃え、勝つべくして勝つことを良しとする。

 だが、同時に理解もしている。リスクを背負わねば勝てない。SAOで何度も犠牲者を目にしたように、死者と敗北という出目がある賽を振るしかない。アルヴヘイムで味わったように、どうしようもない程の命懸けの殺し合いなのだから。

 自分は必ず生きる。大切な人は死なない。仲間は失われない。そんな甘い魅惑に満ちた幻想に囚われてはならない。いつだって前に踏み出さねば勝利を得られず、1歩前進した分だけ死神に生死を問われるのだ。

 

「……彼らの選んだ道は険しい。だから、ここで敗れるならば、それまでのことだ。死ぬ時は死ぬ」

 

「それは――」

 

「だから、アナタに任せる。2人が死ぬと判断したら、有無を言わさず撤退させてくれ。オレよりもアナタの方がラインの見極めに長けているはずだ」

 

 だから私と組ませたの? アスナは増々困惑する。【渡り鳥】の腹の内が読めない。

 

「2人を死なせないでくれ。アナタなら『生かす』ことができるはずだ。任せたぞ」

 

 それは懇願に似て、どうしようもない自嘲のようでもあった。

 だからだろうか。仕方ないばかりにアスナは年上風を吹かすように苦笑する。

 

「任されました」

 

 そっちも無茶はしないでね。そう付け加えなかったのは、心の何処かで諦観にも類似した予感があったからだろう。

 強い。桁違いに強い。いよいよ出発した【渡り鳥】の背中に、敗北の2文字は見えず、故に自分たちが死んだとしても、彼だけは生き残り、全ての敵を屠るだろうという破滅の想像が容易に出来たからだろう。

 それはとても悲しくて、寂しくて、儚くて……だが、何にも増して哀れだった。

 

「2人も気を付けてね」

 

「ありがとうございます。アンナさんも作戦位置で待っていてください」

 

「必ず倒しましょう!」

 

 レコンとリーファは風船のように膨らんだモンスターの背に乗って出発する。彼らはこれからネームド3体を誘導し、各々を作戦位置で待ち構えたスミスとグローリーにぶつけなくてはならない。

 アスナが待機するのは、都市内でも特に大樹が茂るポイントである。まるで屋久杉を彷彿させるような太い幹は鋼のような硬質な樹皮で覆われており、根は幾重にも重なり合っており、まるで凹凸のあるコンクリートの上を歩いているような気分になる。昇った太陽から降り注ぐ光は茂る木の葉で遮られ、だが薄暗さは不思議と感じさせない。耳を澄ませば流れる小川のせせらぎすらも聞こえてきそうである一方で、ラフレシアのような異臭を漂わせる大輪の花が咲き乱れ、毒々しい紋様の蝶が群れを成して舞う。

 枝から垂れる蔦にはウツボのような食虫植物が口を広げ、水溜まりは苔に満ちて斑のカエルがアスナを睨むように見つめている。孤独に森の中にいると、古い記憶が引っ掛かれるようであり、アスナは深呼吸を繰り返す。

 山育ちとは言い難いアスナは、こうした自然に囲まれた経験は疎い。SAOでは似たようなフィールドは幾度となく経験したが、どうしてもゲームとしての小奇麗さがあったのだと改めて感じ取れた。それもまた『ゲーム』という視点では醍醐味になるのだろうが、DBOの場合は純粋なる自然の再現を求めており、故にゲーム性という意味では失敗にも思えた。

 あくまで求められるのはリアリティであってリアルではない。その点においてDBOは奇妙だった。ゲームシステムによって成り立っていながら、世界は限りなくリアルに近しく構築していながら、だが幻想に近しい虚構が肉付けされてそこにある。

 現実世界を否定する為に形作られた、仮想世界という名の『現実』。アスナがDBOで感じるのは、矛盾と呼ぶべきかも分からぬ何かだった。

 

「……そろそろね」

 

 感じずにはいられない地響き。巨体が駆ける轟音。アスナは腰の剣に指をかけ、その瞬間を待つ。

 大樹が乱立する森は、だが都市を呑み込んだ証のように標識や街灯を緑の内から僅かに覗かせる。身を潜ませるには十分過ぎる環境であり、小回りも利く。対して巨体では動きが制限され、十分に行動できない。

 

「うわぁあああああああああああああ!?」

 

 レコンの悲鳴と共に、半ば墜落するようにして、萎みながらモンスターが木の葉の天井を突き破って降下する。地面に放り出されたレコンとは真逆に、リーファは無事に着地する。

 リーファ達を追って姿を現したのは、<剛腕なるモーラー>という名を頂いた2本のHPバーを持つモンスターだ。全高は軽く10メートルを超え、2足歩行する姿はゴリラにも似ている。だが、頭部は爬虫類に近しく、下顎が著しく突き出ている。黄金色の犀角もあり、全身は赤紫色の体毛に覆われていた。また、拳から肘は籠手のように棘がついた硬質な外殻が備わっており、同じく胸部にも類似した外殻が備わっている。尾は細長く先端だけ毛が茂ってふわふわした柔らかさがあった。

 怪物らしい怪物のデザインもそうであるが、何よりも圧巻なのは存在感だ。まるで本当に実在する生物であるかのような生命の脈動を感じずにはいられないオーラがある。目を合わせていないアスナであるが、まさしく森の王……暴虐の覇者と呼ぶべき風格は、SAOにおけるフロアボスすらも上回るのではないかと威圧される。

 ボス・ネームドには遠く及ばない。スミスはそう評したが、アスナには信じられなかった。あのマリモも大概な強さであったが、こちらとは正しく格が違う。アスナの見立てでは、レイドで挑まねば討伐不可能である次元だ。

 こんな怪物との戦いをDBOプレイヤーは平然と求められる。プレイヤーの質が向上しているとはいえ、傭兵を筆頭にしたDBO最上位に君臨するプレイヤー達がどれ程の死闘を経たのかは言うまでもないことだろう。

 モーラーはまだアスナを捕捉しておらず、バトルシステムは起動していない。リーファやレコンを探して森を徘徊している。

 今ならば奇襲によるボーナスも乗せたダメージを与えられる。大樹の枝にて身を屈めて待ち構えるアスナは、モーラーが頭上に到達するのをジッと堪える。

 心臓が爆発するのではないかと思うほどに高鳴る。顎まで汗が滴り、死の予感が抜けない。モーラーの剛腕によって潰れた肉になるイメージが脳裏にこびり付く。

 戦え。恐怖を乗り越えろ。死に怯えて1歩を踏み出せず、後退すれば死神の鎌は容易く首を切り落とす。

 今回の作戦において、ネームドを分断する狙いは分かっている。ネームド同士が争い合っているならば、消耗したところを叩けばいい。だが、ネームドが成長するのがフロンティア・フィールドであるならば、ネームドがネームドを狩るということは、より強大な成長を遂げる危険性がある。また、ネームド同士がプレイヤーを共通の敵と認識して共同戦線を張られた場合のリスクも勘定に入れねばならない。

 その上での分断作戦。狙いは分かる。だが、戦力が余りにも足りない。本当にスミスやグローリーは勝てるのか? 同じく単身で地下に潜り込んだ【渡り鳥】は? 自分たち3人だけでネームドを倒すなど無茶も過ぎる。

 即時撤退を推奨。アスナが戦いの内で培った生存のロジックは結論を出す。だが、その一方で【渡り鳥】の儚さすら感じさせる微笑みと遠い眼差しが頭から離れない。

 

「はぁああああああああああああ!」

 

 アスナは枝から跳び下り、≪刺剣≫の連撃系ソードスキル【オーシャン・ダイヴ】を繰り出す。≪両手剣≫のヘルムブレイカーと同じく、落下高度によってダメージが上昇するソードスキルである。だが、ヘルムブレイカーが斬撃であるのに対し、オーシャン・ダイヴは刺突である。

 そして、決定的な違いは追加入力によって、まるで大海原に飛び込んで引き起こされる飛沫の如く、7連撃の乱れ突きを繰り出せる点だ。計8連撃はモーラーの頭部に全て叩き込まれ、理想的な先制攻撃に成功する。

 だが、モーラーは怯まない。犀角を中心として、頭部も毛に覆われて隠された強固な外殻があったのだ。まるで兜のように頭部を守っているのである。刺突によって外殻を貫通してダメージを与えることは出来たが、モーラーは怯まずにアスナへと反撃を仕掛ける。

 これもまたSAOとの違いだ。ソードスキルをいかに使いこなして打ち込むのかがモンスターとの戦いで明暗を分けるSAOとは違い、DBOはソードスキルというスタミナ消費が伴うカードを有効な場面で切れるかが問われる。通常攻撃のように乱発するものではない。より本人の技量が直接問われる。

 先制打でソードスキルによる大ダメージを狙ったが、モーラーのHP減少は思ったほどでは無かった。奇襲によるダメージボーナス付きかつ弱点の頭部にダイレクトヒットさせたとは思えないダメージ量である。これは根本的な刺剣カテゴリーの攻撃力の低さを示している。カウンター性能の高さと手数を活かしきらなければ、刺剣は総じて低火力の弱武器という地位から脱することはできない。

 だが、逆に言えば、使いこなしさえすれば、全カテゴリーでもトップクラスの性能を引き出せるのもまた刺剣の特徴だ。カタナと並ぶ玄人武器である。運用はSAOにおける細剣に近しいが、より刺突に重視した戦いが求められ、それ自体はアスナ本来の戦闘スタイルとも合致する。

 求められるのは正確無比にカウンターを狙う技量。より火力を引き出すスピード。僅かな隙を逃さずソードスキルを放つ大胆さ。そして、武器の脆さをカバーする回避力と受け流しの技術。アスナはモーラーの反撃の連拳を軽やかに躱し、逆に刺剣で横腹を刺し穿つ。

 刺突武器の危険点として、刺し過ぎれば抜けなくなる点がある。故に勢い任せに刺し過ぎてはならない。肉に捕まる前に抜き取らねばならない。より深く刺してダメージを稼ぎたいという欲との戦いでもある。元が低火力であるが故に、1回に与えるダメージを大きくしたいという願望は焦りであり、蓄積した時に死が訪れる。アスナがこれまで何度も味わった手痛い経験だ。特に槍使いはリーチがある安心感もあってこの落とし穴に嵌まり易く、抜けない槍に手間取って反撃で死亡するといった事例はSAOでも幾度となく繰り返された。

 モーラーは腕を振り回して暴れるが、アスナは欲張らずに距離を置いて大樹の陰に隠れる。レコンの狙い通り、大樹が乱立する環境はモーラーの動きを制限し、拳もまた大樹を揺らしこそしてもアスナには届かせない。

 そして、アスナが隠れればリーファがモーラーの背面を斬りつける。分厚い体毛によって守られているが、リーファの斬撃は深く入り込み、モーラーのHPを確かに削る。振り返ったモーラーは特徴的な顎を震わせて口を開き、蛇を思わす長い舌を見せつけて威嚇する。だが、ビジュアルで怯える程に経験は浅くないリーファは片手剣を巧みに操ってモーラーの両足首を薙ぐ。だが、転倒することも怯むこともなく、モーラーは尾を振り回す。

 回避しきれず、リーファは左手を突き出すと光の盾を生じさせる。だが、たとえ尾でも破壊力は高いらしく、堪えきれずに吹き飛ばされる。空中で姿勢制御したリーファは身を翻して幹に着地すると、そのまま反動を利用してモーラーに斬りかかる。

 対するモーラーはカウンター狙いの右ストレート。空中では回避できないリーファは直撃するかに見えたが、リーファを相手取る間に接近したレコンの大槌がモーラーの左足首を揺らす。リーファの先の攻撃もあってか、僅かに体勢が崩れたモーラーの拳は逸れ、リーファは逆にモーラーの右拳を裂きながら腕に着地すると連撃で刻み続け、そのまま跳んでモーラーの頭部を縦に一閃する。

 圧巻。SAOの攻略組でもほんの数人の上澄みにしか出来ないだろう、巧みで流麗な動きだ。そして、まだまだ伸び代がある。より強くなる! リーファもまた選ばれた者……天賦の才の持ち主であると感じ取れた。

 だが、それ以上にアスナが驚嘆したのは2人のコンビネーションだ。レコンがモーラーの体勢を崩せていなければ、リーファはカウンターの餌食になっていた。だが、彼女はコンマ1秒のズレもなく、レコンが割り込むと信じていたのである。

 互いへの揺るがぬ信頼とリスペクト。今の一瞬にて、彼らの間には多くの苦難があり、それを乗り越えてきたのだろうと予感させる。

 勝たなければならない。そして、それ以上に2人を死なせてはならない。アスナはどうして【渡り鳥】が2人を自分に任せたのか、改めて実感する。彼らならば、閉塞した未来を変えてくれるのではないかという活力を感じずにはいられないのだ。

 リーファの連撃を浴びてもモーラーはやはり怯まない。巨体とパワーとタフネス。この3つが揃っているだけで強い。シンプルに強い。着地したリーファを狙った連拳が繰り出され、周囲が衝撃波で抉れていく。だが、アスナはフォローに入り込まない。

 レコンは大盾を構え、リーファの前で不動の壁となっていた。モーラーの巨体から繰り出される連拳を受けてもなお揺るがず、リーファを守り切る。それだけではなく、お返しだとばかりに駆けると大きく踏み込んでシールドバッシュを浴びせ、モーラーを押し返す。

 

「リーファちゃん!」

 

「了解!」

 

 レコンを何ら躊躇なく踏み台にして、押し返されたモーラーの隙を狙って腹部に繰り出されたのは、≪片手剣≫の連撃系ソードスキル【クロス・ノヴァ】だ。縦・横という十字を描く高速2連撃の跡に、十字の交差点に渾身の突きを放つ。特徴は最後の突きに高い吹き飛ばし効果がある点であり、ソードスキルの硬直時間中に敵との距離を取ることができる。

 モーションをなぞる高速化が上手い! クロス・ノヴァはリーファの得意技なのだろうとアスナは見抜く。1つのソードスキルを極めれば、それだけでここぞという場面で必殺に昇華させることができる。先のクロス・ノヴァの発動時間は通常の半分以下だ。それだけリーファが正確かつ素早くモーションをなぞって高速化させ、威力を増幅させているのである。

 だが、モーラーも負けていない。アスナが背後を取って連続突きを浴びせても意に介さず、両拳を地面に叩きつける。それだけで地面が揺れ、踏ん張り切れなかったアスナ達は体勢が崩される。

 アスナのSTRは低い上に軽装であり、故にSTR制御による体勢崩し対抗の余裕がない。動きを止められた瞬間にはモーラーが地面を抉りながら右拳を振るい、アスナは内臓が飛び散ったのではないかと思うほどの衝撃とダメージフィードバックを受ける。

 リーファはギリギリでレコンによって守られたが、アスナは急速に減るHPに舌打ちを堪える。VITにはそれなりにポイントを振っていたお陰で即死は免れたが、モーラーはまさしくパワーファイターだ。1発で引っ繰り返される。

 まずは回復を……! 大樹に隠れて回復を図ろうとすれば、モーラーは胸をドラミングする。それは周囲を吹き飛ばすダメージを伴う衝撃波を連続発生させる。衝撃波圏内にいたアスナは全身を打ちのめされ、HPは更に減少して赤く点滅する。

 3秒にも満たずして絶体絶命の危機。呆気なく訪れる死の予感であるが、アスナは冷静さを失うことなく、モーラーの尻尾の振り回しを躱す。アスナのフォローに入るべく、リーファは左拳に雷を収束させ、モーラーの左踵に奇跡の雷の槌を振り落とす。

 雷鳴の一撃はモーラーの片膝をつかせ、だが尾の振り回しがリーファの腹を薙ぐ。何度も地面を転がったリーファは血反吐を垂らし、震える膝で上半身を起こした頃には、モーラーは大きく跳んで全身を使ったプレス攻撃を仕掛けていた。

 

「リーファちゃん!」

 

 アスナが悲鳴を上げる。とてもではないが、回避できなかったはずだ。リーファがミンチになった姿を想像して、だがゆっくりとモーラーの巨体が浮き上がる姿に目を見開く。

 

「リーファちゃんにぃいいいいいいいいいいい! 触れるなぁああああああああああああああ!」

 

 ギリギリで間に合ったレコンが大槌を捨て、両手で構えた大盾でリーファに跨るようにして立って間に入っていたのである。そして、モーラーの巨体を使ったプレスを見事に凌ぎ切ったのだ。

 

「うぉりゃああああああああああああああ!」

 

 そのままモーラーを投げ飛ばそうとしたが、さすがに無理があったが、リーファはすかさず奇跡のフォースの剛拳を叩き込む。それに合わせてレコンもシールドバッシュを繰り出し、モーラーを大きく浮かせて尻餅をつかせる。

 だが、代償は大きかった。甲冑は無事であるが、関節部などから血が零れている。巨体のプレスを不完全な姿勢で受け止めたばかりに、体の方が耐え切れずに関節部を中心にして破壊されてしまったのだ。

 モーラーのHPバーは1本目がまだ健在だ。これだけの攻撃を仕掛けても、まだ1度としてまともなダウンすら取れていない。

 分かってはいた。レベリングの間も実感していた。だが、やはり難易度が桁違い過ぎる! リーファもレコンも、SAOならばトップクラスに属する。彼らがいるだけで戦局は変化すると言っても過言ではない程の実力者だとアスナは評価する。 

 それがどうした? モーラーは大自然の脅威を具現したかのように立ち塞がる。

 モーラーにとって不利な環境でありながら、実力者が3人揃った程度で覆るものかと暴力で嘲う。

 

「散開! まずは体勢を立て直すのよ!」

 

 アスナは指示を飛ばし、2人は命からがらといった様子で大樹の陰に隠れる。モーラーは咆哮と共に彼らを追おうとするが、大樹が邪魔で巨体では通れず、遠回りを余儀なくされる。その間に小回りが利く3人はモーラーから距離を取ることに成功する。

 レコンは奇跡による回復を断り、回復アイテムでHPを回復させる。だが、破損したアバターの修復にはまだ時間がかかる。先程までの動きは不可能だろう。アスナはモーラーの残存HPを計算し、もう1度大ダメージを狙えるアタックに成功すれば、1本目は削り斬れるはずだと確信する。

 

「レコンくん、貴方の大槌ならモーラーの頭部外殻を破壊できるはず。頭部の防御力さえ落とせば、今後はかなり楽になるわ。いけそう?」

 

「……どうでしょう。【バーサーク・ヒーラー】さんの奇襲のソードスキル、リーファちゃんの攻撃を立て続けに浴びても破壊できる兆候が見られません。もしかしたら、属性ダメージじゃないと破壊出来ない類なのかもしれません」

 

「情報不足だね。あたしだと光属性と雷属性、あと1度きりだけど水属性まではカバーできますけど、アンナさんはどうですか?」

 

「……私も光属性くらいしか属性攻撃は期待できないわ」

 

「外観からして、炎属性の通りが良さそうなんですけど、僕は手榴弾くらいしか持っていないですし」

 

「あたしも牽制用の火炎壺くらい。使った隙の方が大きいかも」

 

 考えねばならない。ここが撤退のラインか否か。ネームドの実力は想像以上であり、3人でも倒しきれるかどうか分からない。

 アスナが回復・支援に割り切ってヒーラーとして徹すれば、生存率は飛躍的に高まる。だが、そうなると火力不足は否めない。リーファの片手剣ではダメージが足りず、また奇跡も決定打にはなり得ない。大ダメージを与えられるレコンの大槌は攻撃スピードが遅くてモーラーとの殴り合いでは勝てず、何よりも彼にはタンクに徹してもらわねばならない。

 安定した攻撃力を確保できる両手剣使い。ダメージ、牽制、チャンスタイム作りなどで活躍できる後方支援の要である射手。大火力による逆転を狙える大砲役の魔法使い。何にしても不足が生じる。アスナは唇に親指を当てながら、どうすればモーラーを撃破できるか考える。

 アスナ達を心配してか、すっぱり萎んで小さくなったモンスターがすり寄ってくる。このモンスターを倒せば……いいや、殺せばこんな無理をしなくてもいいのだ。何の情が要るだろうか?

 リーファも分かっている。自分のワガママだと自覚している。それでも裏切りたくない。たとえワガママでも、肯定して戦うことを選んだのはアスナ達だからだ。

 それは己の人間性が問われる扉だ。いずれを選んでも構わない。だが、それでも選びたい扉はどれなのか、間違えてはならない。

 他の戦いの激しさを伝えるように、大きな煙と爆音が生じる。グローリーか、あるいはスミスか。どちらも類似した実力を持つネームドが相手ならば、相応の激戦は間違いないだろう。特にグローリーは搦め手に弱い。アスナとしても心配だった。

 

「……1つ方法があります。ここからそう遠くない場所に、油袋虫が群生していると思われるポイントがあります」

 

「油袋虫?」

 

「モンスター……というよりも、ただの虫ですね。主に高湿な環境を好んでいて、じめじめした地下ダンジョンとかに出現したかと思えば、松明で着火して……ドン! なんてこともあるくらいで」

 

 いわゆるギミックの1つなのだろう。トラップとも言い換えられる。アスナはレコンの狙いを読み取り思案する。

 モーラーと渡り合えているのは、巨体であるが故に動きを制限できるこの乱立した大樹のお陰だ。だが、レコンが目指すポイントは開けており、モーラーの猛攻を受けて体勢を崩されたならば、そのまま押し切られて死ぬことになる。

 

「たぶん、1本目のHPバーは僕たちなら削り切れます。でも、第2段階で能力を解放された場合、どうなるか分かりません。そこで、第2段階に入ったらこのポイントまで誘導し、油袋虫を爆薬代わりに利用します」

 

 それでも大ダメージが限界で倒しきれないでしょうけど、ともレコンは付け加えた。だが、アスナはやる価値自体はあると判断する。

 問題はモーラーをおびき寄せる方法だ。モンスターに騎乗して誘導するにしても、今の苛烈な攻撃を仕掛けるモーラーが相手では撃墜される恐れがある。ならば、最も有効なのは誰かが囮になることだ。

 

「私がやるわ」

 

 ならば、最もスピードがあるアスナの仕事だ。リーファは自分が代わろうと挙手しようとしたが、彼女は首を横に振る。

 

「リーファちゃんの仕事はモーラーの誘導が逸れないようにすること。あくまでモーラーの狙いはそのモンスターよ。私もなるべくヘイトを稼ぐけど、リーファちゃんはルートから外れないように、そのモンスターを使ってバックアップをお願いしたいの」

 

「分かり……ました」

 

「レコンくんも回復は十分ね? さぁ、倒しにいくわよ」

 

 まずは1本目を削り切る。アスナは大樹を押しのけるようにして近づくモーラーの地響きに、強気の笑みを浮かべる。

 思い返す。どうして今ここに自分はいるのだろうか?

 蘇ったから? 違う。それは結果に過ぎない。自分が剣を握った原初を思い返す。SAOに閉じ込められた日に抱いた意思を蘇らせる。

 負けたくない。惨めに腐っていく自分の魂に否を唱えたい。だからこそ剣を持ったのだ。

 閉じた瞼をこじ開けろ。戦いの中で生を掴み取る感覚を思い出せ。アスナはマントを靡かせながらモーラーの背後から迫る。

 2度も3度も奇襲は受けない。モーラーは予期していたように地面を抉りながら左拳を振るい、衝撃波と土煙を撒き散らしながら、足を止めたアスナを狙って右拳を振り下ろす。

 モーラーの右拳はアスナを叩き潰すはずだった。彼女の足が止まっていれば、確かに死を与えていた。だが、衝撃波の範囲を見切り、なおかつ土煙に惑わされることなく走り抜けたアスナはモーラーの真下を取り、素早い連撃で両足首を薙ぎ、通り過ぎる間際に右踵を狙って連続突きを穿つ。

 モーラーは怒り狂い、背中によるプレス攻撃を仕掛ける。だが、それは諸刃の剣だ。ギリギリでアスナが避ければ、枝を跳び移ってきたリーファががら空きの腹に剣を突き立てる。モーラーは悲鳴を上げて唸り、起き上がろうとすればレコンの大槌が顔面を潰す。そのまま≪戦槌≫の回転系ソードスキル【ジャイアント・ビューティ】へと繋がる。大槌に振り回されるような4連続回転攻撃から、勢い任せに自分自身も宙に浮き上がる捨て身の一撃。さすがのモーラーも顔面が凹み、犀角に亀裂が生じる。だが、大きな硬直時間を晒したレコンの背中へとモーラーの蹴りが命中し、まるでサッカーボールのようにレコンは大樹に激突する。HPが大幅に減少し、兜の隙間から血反吐が漏れるも存命だ。高いHPと防御力を活かした捨て身の攻撃でもモーラーのHPバーは削り切れない。

 ドラミングによる連続衝撃波で近寄らせず、両拳を地面に叩きつける地面揺らしによる拘束を仕掛けるモーラーであるが、アスナもリーファも同じ手は2度も喰わない。タイミングを見計らって跳び、左右から斬りかかる。2人の斬撃は交差するようにモーラーの腹を薙ぎ、ついにダウンして頭を垂らす。そこにレコンが大盾を捨て、両手持ちした大槌による≪戦槌≫の単発系ソードスキル【メテオ・インパクト】を繰り出す。

 その一撃はまさしく隕石の衝撃。長い溜め時間から大きく跳躍して渾身の振り下ろし。溜めと硬直時間の長さ、予備動作の多さ、攻撃命中距離の固定など、対人戦のみならず、対モンスターでも使いどころが難しく、その性質から連携にも不向きであるが、ここぞというチャンスでは大火力を発揮する典型だ。

 大槌によって頭部が地面にめり込むほど叩かれ、象徴的だった犀角は砕け、頭部を保護する外殻も弾け散る。直撃のみならず、周囲に放つ衝撃波にも巨体を揺さぶられ、モーラーのHPバーの1本目は削り切られる。

 スタミナの大消耗と長い硬直時間。レコンは動けないままにモーラーの正面に立ち続けねばならない。それも回復をおざなりにしたままだ。その恐怖はどれ程のものか、言うまでもない。

 だが、アスナがここにいる。彼女は即座に大回復でレコンのHPを大幅に回復させる。奇跡による回復はアバターの修復効果もあるが、レコンの負傷を考慮すれば完全回復できるものではない。それでも多少はマシになったはずである。

 いよいよ第2段階……最後のHPバーになったモーラーが咆える。同時に肩から骨が棘の如く突き出す。犀角と同じ黄金色であり、呼応するように籠手の如き外殻に覆われた両手が脈動する。

 拳が振るわれると同時に籠手の外殻についていた棘が射出される。1本1本がドリルのように回転し、これまでモーラーの動きを制限していた大樹を容易く削り、倒木させる。真正面から直撃を受けたレコンは声にもならぬ悲鳴を上げて吹き飛ばされる。

 

「レコン!?」

 

「リーファちゃんは彼の援護に! 作戦を決行するわ!」

 

 レコンがやられてパニックに陥りそうになったリーファに、アスナは素早く冷静さを促すべく指示を飛ばす。

 まるでボクサーのように構えるモーラーの籠手の外殻では、捩じりを加えた棘が今か今かと射出を待つかのように生えている。インターバルが短すぎる! およそ5秒置きにあれ程の高威力の範囲攻撃が発動可能ともなれば、拳の軌道を完全に見切り、なおかつ付随する棘射出まで計算に入れて立ち回らねばならない。

 だが、発動の兆候はある。肩の黄金の角の蠢きだ。それに連動して外殻が膨張する。それさえ見逃さなければ、戦い方自体は変わらない。

 モーラーはレコンにトドメを刺すべく駆けようとするが、アスナは正面を陣取る。モーラーは邪魔だとばかりに棘を射出するも、巧みな体捌きで紙一重で躱し、逆にカウンター斬りを決める。

 浅い! アスナは舌打ちを鳴らしそうになる。あと半歩深く踏み込めていればと焦る。モーラーはアスナの攻撃を意に介さず、リーファが援護に向かう、鎧は傷つき、左腕は肩から千切れたレコンへと突撃する。

 間に合わない。そう思われた時、モーラーの足が一瞬だけ止まる。不自然な制止に、アスナは危険を感じながらも、全身の血管を膨張させるように意識を集中する。

 SAOで培った、DBOではステータス高出力化と呼ばれる技術。それは死しても尚、アスナの中で息づいている。【渡り鳥】には一瞬で見切られたのは溜めの静止が不可欠だからだった。まるで弓の弦を引き絞るように力を溜めねばならないのだ。

 直線のみの瞬間加速。瞬間だけ引き上げられるDEX出力は9割の域にも達する。そこから繰り出される、最も鍛え上げられたソードスキル……リニアーは、最初から使用できる基礎ソードスキルでありながら必殺の域にある。

 それがモーラーの首裏……頸椎にあたる部位へと直撃し、刀身は深く潜り込み、鍔が激突する程に刺し貫く。

 全身全霊を注ぎ込んだ突き。だが、それ故に深く刺さり過ぎた。アスナのSTRでは容易には抜けない。

 だが、アスナの得物であるレイテルパラッシュは変形武器だ。ギミックを起動させ、銃撃による反動によって刃を引き抜き、モーラーに捕まれる間際に逃れる。

 さすがのモーラーもこの攻撃には小さくないダメージを負った。だが、どれだけ鍛え上げても基礎の、それも単発系ソードスキルのリニアーでは限界がある。無論、リニアーにしては出鱈目の域に達するダメージを与えているが、根本としてモーラーがタフ過ぎるのも原因にあった。

 しかし、モーラーの目をアスナに向けるには十分過ぎる成果だ。レコンからアスナへとその凶暴性の矛先を向ける。

 ここからは鬼ごっこだ。アスナは凸凹した地面のせいで走りづらさを感じながら、モーラーが追えるギリギリを見極める。

 そんな中でアスナの目が捉えたのは、倒木した木々の茂み……そこに立つ1人の少女だった。まるで血のように赤黒い髪をした彼女に、どうしようもないくらいに不安を駆られたアスナは1つの想像を思い浮かべる。

 もしかして、モーラーの動きが止まったのは、彼女の視線に気づいたからなのではないだろうか。

 

 

 

 その余りにも大きく、おぞましいと呼べる程に濃い殺気に……耐え切れなかったからなのではないだろうか?

 

 

 

 今は掘り下げるべきではない。瞬きする頃には少女の姿もなかった。故にアスナはモーラーをおびき寄せることに専念する。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「レコン! 大丈夫!?」

 

「な、なんとかね……! 腕……持っていかれ……ちゃったけどさ!」

 

 兜を外せば、レコンが涙を浮かべて歯を食いしばっている。あのドリルのように回転した棘で左肩ごと腕を抉り飛ばされたのだ。ダメージフィードバックがどれ程のものだったのかは言うまでもないだろう。

 HPは数パーセント。高防御力の甲冑とレコンの高HP、そして【バーサーク・ヒーラー】の奇跡による大回復がなければ耐え切れなかった。

 反撃される恐れがある。それを込みにしたレコンの捨て身の策だ。リーファは涙を堪えることなく、奇跡の中回復でレコンのHPを補充し、また止血包帯で醜く抉れた傷口を覆う。リーファの両腕と防具はレコンの血で瞬く間に赤く染まるが、それでもまだ死なないとばかりにレコンは笑む。

 

「すぐに……僕も行くよ! だからリーファちゃんは先に! 早く【バーサーク・ヒーラー】さんの援護に!」

 

「……分かった! 死んだら承知しないからね!?」

 

「あ、あははは。普通なら、失血死確定だけど……DBOは、何だかんだで……ゲームシステムが……!」

 

「アンタ、気づいてないから言っておくけど、流血ダメージが酷いからね!?」

 

「うわぁ……こんなに……減る、の? 止血包帯……使ってる、のに?」

 

「だから、ちゃんと回復しておくこと。いい!?」

 

 回復アイテムをレコンの胸に放り、リーファはトンキーを呼び寄せると脇に抱えて走り出す。

 モーラーはスローネにはもちろん、古獅子にも及ばない。だが、第1段階を削る為だけでこの死闘だ。どれだけ兄が遠くにいるのかを実感する。どれだけ自分の経験が足りなかったのかを……このレベルに到達するまであの攻略本に頼ってたのかを理解する。

 それでも届く。自分だけでは無理でも、レコンやアンナの手助けさえあれば! もっと仲間がいれば! 必ず届くと分かった!

 まだ勝利していない。だが、それでも届くと分かってリーファは喜びを捨てられない。これまでの歩みは無駄ではなかったのだと、メタトロン達の死に報いる為にも1歩ずつ進めているのだと実感する。

 トンキーは身を揺すってリーファを鼓舞する。自分の為に戦ってくれてありがとうと言っているかのようだ。

 見捨てるのは簡単だ。長年連れ添った仲間ではない。ましてやモンスターだ。誰も責めなどしないだろう。

 それでも、リーファは選んだ。仲間と呼び、切り捨てないことを選択した。

 あの暗い地下で、偶然とはいえ、リーファが助かったのはトンキーのお陰だ。彼のお陰で地下を飛び、レコンとも合流ができた。地上にも脱出することができた。それなのに、もう用済みだからと切り捨てるのか?

 確かに結んだ絆があるのではないかと信じたい。それは細くて、後からすれば意味のないものだったと嗤われたとしても、『今』は違うはずだと信じたい。

 だからこそ、クゥリのくれたチャンスに報いたいのだ。

 

(走りづらい! 地面が……足下に集中して……!?)

 

 そういえば、兄は山を走るのがとても上手かった。元々はアウトドア型だったはずなのに、1つ1つの積み重ねの末に、今では仮想世界にどっぷりだ。

 感覚を研ぎ澄ませ。足裏ではなく、全身で地面を捉える感覚だ。ただ前に足を突き出すのではなく、地面の凹凸を、柔らかさを、脆さを、粘りを余さず捉えるのだ。全身の体幹を御して筋を通すように走るのだ。

 1歩が加速する。少しずつだが、走りやすくなる。リーファはモーラーの背中に追いつき、ウォールランで蔦で覆われたビルの壁をかけ、首筋を狙って斬りかかる。アンナの与えた傷口が残る首はダメージが大きく、逃げる彼女へと猛攻を仕掛けていたモーラーの意識が逸れる。

 空中では躱せないドリル棘の射出。だが、リーファは火花を散らしながら片手剣で逸らし、続くモーラーの左拳に対してフォースの剛拳を重ねる。空中では踏ん張りも利かず、パワー負けして吹き飛ばれる。ビルのガラス窓に背中から激突し、割れた破片が肉に突き刺さり、植物の楽園と化したかつての造形も分からぬフロアに転がる。

 強いなぁ。まだまだ遠い。でも、届く。リーファは嬉しさが勝り、血で濡れた唇を歪める。

 リーファに対処した隙にアンナは回復を済ませ、モーラーの気を引くべく攻撃を仕掛けていた。割れた窓から顔を出したリーファに、援護を感謝するように背中を向けながら手を振っている。

 彼女の動きには何処か覚えがあるような気がした。だが、上手く記憶と重ならない。リーファは作戦ポイントへとショートカットするべく、ビルからビルへと跳び移る。そうしている間にも、別所で大きな爆炎が上がる。

 スミスもグローリーも戦っている。彼らほどの実力者でも相応の時間がかかる。それがネームドなのだ。

 きっと地下ではクゥリも死闘を繰り広げている。自分たちが勝てば終わりではない。まだ続く戦いへと援護に向かわねばならない。

 見つけた。それは地下へと続く医療施設の傍である。道中において、メタトロンが口にした油袋虫の指摘をレコンは忘れていなかった。彼はしっかりと皆の話を聞き、少しでもパーティを纏めるべく策を練ろうとしたのだろう。

 今の自分に出来る事を全力でやり遂げるしかない。それすら出来ない者に、未来を選択する権利などない。リーファは火炎壺を準備し、まるで腹が膨れたテントウムシのような油袋虫が群生する半ば腐った樹木を見上げる。樹皮を捲れば、そこには肥え太った油袋虫がたっぷりと詰まっていた。引火させれば大爆発は間違いないだろう。

 樹木が腐っている原因は足下のぬかるみにあるようだった。下手に止まれば半身浴してしまいそうである。リーファはアンナを信じて火炎壺の投擲に適した位置を取る。

 来た。アンナはマントをボロボロにしながら、モーラーをおびき寄せるギリギリの距離を保ちながら、所定のポイントに到達する。

 やるべき事は分かっている。リーファは大樹より垂れる蔦を握ってぶら下がると、勢いをつける。彼女の意図を悟ったアンナは、ぬかるみと分かっていながら大きく跳ぶ。

 モーラーは膝まで大きくぬかるみに埋まり、蔦と共に振り子のように現れたリーファの手をアンナは握る。そして、そのまま勢い任せに跳ぶ間際にリーファは火炎壺を投げた。

 

「リーファちゃん!」

 

 起こる大爆発から守るべく、アンナがリーファに覆い被さる。予定より十分に距離が取れていなかったが故に、爆風が2人を撫でるも、アンナのお陰でダメージは最小限に済む。

 想定以上の火力。キノコ雲が出来る程の……周囲を文字通り消し飛ばす程の爆発だ。これはレコンも想定外だったに違いない。リーファは焦げた皮膚に呻きながら、倒れ伏すアンナを揺する。

 

「う……うぁ……」

 

「しっかりしてください!」

 

「だい……じょう……ぶ。少し、頭と耳が……」

 

 フードは焼き焦げたせいか、これまで暗闇に隠されていた正体不明の【バーサーク・ヒーラー】の口元が目で見て分かる。そこにリーファは既視感を覚え、だが掘り返そうとするより先に暴力の蠢きを感じ取る。

 炎に包まれた拳が接近し、2人が回避行動を取るより先にトンキーが体を膨らませて盾となる。あっさりと風船が弾けるようにして吹き飛ばされるも、しっかりと2人を守り抜いた仲間のお陰で2人は体勢を立て直す。

 まだだ。まだ終わっていない! リーファは炎に呑まれ、HPも残り2割ほどとなったモーラーを睨む。

 弱点は炎属性だったのだろう。炎上によるスリップダメージも大きい。だが、ドラミングをすれば毛を焼く炎も掻き消され、息絶え絶えながらも戦意を捨てないモーラーの姿があった。

 倒しきる! リーファはアンナと肩を並べ、剣を構える。彼女と一緒に戦える喜びが気を昂らせる。

 

「どりゃぁああああああああああ!」

 

 先に動くのはモーラー……と思われた時、レコンがモーラーの正面を横切る。腕を千切られただけではなく、兜も籠手も鎧も脱ぎ捨て具足だけの軽量になった、YARCA旅団残党と勘違いされるおかしくない恰好となった彼の後を追うように、モーラーを巻き込む銃撃が放たれる。

 モンスタートレイン。そうだ。傍には医療施設を守る固定配置のヒューマノイドがいるのだ。レコンは身軽になって2人に追いつくだけではなく、我が身の危険を顧みずにモンスタートレインをしてきたのだ。

 モーラーのHPが削れ、邪魔だとばかりにヒューマノイドたちは叩き潰される。だが、その隙にアスナは右足首を攻撃し、リーファは股から胸の中心にかけて斬り上げる。

 生き残ったヒューマノイドの銃撃はモーラーの巨体を削り、尾の振り回しで破壊される間際に【バーサーク・ヒーラー】の≪刺剣≫の連撃系ソードスキルであるスタースプラッシュがモーラーの背中を抉る。そこに片腕のレコンが大盾をブーメランのように投げ、側面で傷内に突き立てる。

 あともう少し! あともう少しで届く! モーラーはダウンするものかと踏ん張り、正面から迫るリーファへと棘を射出しようとし、だが阻まれる。モーラーの背中に突き刺さった大盾を足場として利用し、大きく跳んだ【バーサーク・ヒーラー】の2度目のオーシャン・ダイヴが、今度は外殻に守られていない頭部に突き刺さったからだ。

 悲鳴を上げるモーラーの顔面に、駄目押しの変形射撃が浴びせられ、大きく出来た隙にリーファは取って置きを放つ。≪片手剣≫の連撃系EXソードスキル【ロスト・アクアマリン】。片手剣は澄んだ青の光に浸され、それは実在の水となり、澄んだ水面を纏った刃と化す。

 リーファが誓約である≪水乙女の契り≫にて、誓約レベル3に到達することで挑めるイベント≪水乙女の剣技≫をクリアすることで習得できるEXソードスキルは、高い水属性を付与させるだけではなく、清水の刃を波の如く放つというものだ。ただし、1度使用すると72時間のクールタイムが課せられ、またスタミナと魔力を大幅消費する。

 だが、EXソードスキルというだけあって、その威力と範囲は絶大だ。オーバードソードスキルほどではないにしても、広範囲の水の刃によってモーラーの全身は斬り刻まれる。

 スタミナ……ゼロ! リーファは剣を突き立ててスタミナ切れによる転倒を防ぐ。対するモーラーはHP減少しながらも右拳を大きく振るう。

 モーラーの右腕が肘から落ちる。胴体が割れる。頭部が右斜めに両断される。それはロスト・アクアマリンが刻んだ部位であった。

 HPゼロ。モーラーはその巨体を最後に1度だけ身震いさせると倒れ伏し、勝利のリザルト画面が表示される。

 

「……勝った?」

 

 たった3人で勝てた。アルヴヘイムの時のように兄をメインに据えるのではなく、各々が全力で前に出続けて……自分も確かにメインアタッカーの1人として活躍して……倒せた。

 気が抜けて大の字になって倒れたリーファを影が覆う。

 

「おめでとう」

 

 賛辞を込めて【バーサーク・ヒーラー】が手を差し出す。スタミナ切れによって1歩も動けないどころか、手を伸ばすことさえ難しいリーファは、それでも応えたくて、涙を流しながら剣を手放した右手を震わせる。

 瞬間、大きな地響きと共に安定感が消える。

 油袋虫による大爆発。それによってぬかるみも含めて周囲を吹き飛ばしたまではよかったが、この周囲は特に地盤が脆かったのだろう。あるいは、あの油袋虫は意図した群生であり、もう1つの『入口』を開く為だったのかもしれない。

 崩落という形で地下への入口は開かれる。スタミナ切れで動けないリーファの手を掴んだアンナと共に、闇へと落ちていく。

 そのはずだった。寸前で半ばタックル同然にアンナをレコンは突き飛ばす。アンナに手を握られていたリーファは、一緒に崩落外まで弾き飛ばされるも、取り残されたレコンは闇へと消えていく。

 名前を呼ぶ暇もない一瞬の出来事。だが、レコンを死なせないとばかりにトンキーもまた闇の穴へと消えていく。

 

「お願い……レコンを……レコンを助けて!」

 

 リーファは涙ながらに願い、彼女の震える肩を【バーサーク・ヒーラー】はそっと抱いた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 情けは人の為ならず。レコンはクッションになったモンスター改めトンキーのお陰で一命を取り留め、地底で倒れ伏していた。

 また地下に逆戻りだ。レコンは鎧と兜を装備し、疼く左肩を摩る。生存を重視して右手には大盾を装備し、すっかり萎びたトンキーの前に片膝をついた。

 

「助けてくれて……その……ありがとう!」

 

 口も無いトンキーは鳴き声も上げないが、だが嬉しそうに体を膨らませた。だが、レコンの落下を受け止めるには膨らみ切れていなかったせいか、ダメージも受けており、今は萎んだままで浮遊することは出来ない様子だった。

 地下はバム=ルークの狩り場だ。他のモンスターは出現しないだろう。だが、どうやらレコンは最下層……真なる地下まで落ちてしまったようだった。トンキーがいなければ即死は確定だっただろう。

 周囲は菌類もなく、腐敗の影響もない。バム=ルークの狩り場は地下でも上層であり、この最下層は別のようだった。レコンは最下層へと落ちたハボックを思い返し、彼女の亡骸もここにあるのだろうと顔を曇らせる。

 腐肉で覆われていた地下上層とは違い、最下層は剥き出しの赤岩によって出来た渓谷だった。まるでグランドキャニオンを想像させるも、赤岩の表面は冷たく濡れている。地下水が伝っているのだ。だが、地下水で川ができていないのは足下の砂のお陰だろう。異様に吸水性が高く、岩肌を伝う地下水は1滴残さず吸い取られていた。

 

「そういえば、【渡り鳥】さんの予想では地下に楔の残滓が……」

 

 地下ではあるが暗くない。トンキーのお陰ではなく、水を啜った砂が発光しているからだ。どうやら吸水することで、逆に熱と光を発しているらしく、むしろミイラになってしまいそうな乾燥した暑さがレコンを苦しめる。

 兜を外したい。だが、左腕がない今の自分が防御力を下げるわけにもいかない。レコンはトンキーを頭にのせ、大盾を構えながら慎重に進む。

 とりあえずはトンキーの回復を待てば脱出できるのだが、何が潜んでいるか分からない以上、隠れ場所を探さねばならない。トンキーには周囲に植物を生み出し、水を清める能力があるとのことだったが、この空間には効果がないらしく、ただの光源としてしか機能しない。

 もしかしたら、ここは生物が誕生するのに適した環境ではないのかもしれない。そう思わずにはいられないほどの殺風景だった。砂から突き出すのは鉄材などであり、いずれも朽ちることなく、むしろ高質化し、表面は錆など無縁とばかりの光沢を帯びている。他にも歯車、パイプ、電子パーツなどの残骸が壊れながらも朽ちることなく砂に埋もれ、だが生命の気配は一切存在しない。

 まるで地獄だ。まだバム=ルークの狩り場の方が息ができる。レコンと同様に、環境によって弱らせられるようにトンキーもまた増々萎む。

 

「うわぁ!?」

 

 そして、地震が起き、レコンは転倒する。流砂によって僅かな斜面を転げ落ち、頭から砂の海に落ちる。

 今回の探索は踏んだり蹴ったりだ。兜を外して入り込んだ砂を取り出しながら、レコンは自分が落ちたのは地下の大渓谷の開けた場所だと理解し、そしてもう1つの光景に頭が拒絶を示した。

 黒い外皮を持つドラゴンの遺体だ。全身は穴だらけであり、傷口は焼き焦げている。何らかの高出力の……レーザーの類によって全身をハチの巣にされたバム=ルークの亡骸だった。そして、その傍にいるのは、HPバーが3本もある、乾燥した地下大渓谷の主に相応しい怪物だった。

 ダチョウを思わす逆関節。1対の大型金属翼。猛禽の嘴とも、野獣の牙とも捉えられる流線形の頭部。全身には幾つもの砲門を備えるだけではなく、周囲に浮くのは全方位攻撃を可能とするだろう、目玉が浮遊しているかのよう、無数の小型ユニットがある。全長は12メートルにも達する巨大にして異形の金属ロボットである。

 それだけではない。青い雷の粒子によって包み込まれ、周囲には金属物の残骸が磁力で操られているかのように浮遊している。それらはまるで重力を感じさせないかのように高速で動き回るだけではなく、時に合体して大きくなると隕石のように落下し、あるいはロボットの頭上に集まったかと思えば花火のように破裂して全方位に突き立つ。

 また幾つあるのか数えるのも億劫になる程の小型ユニットは高速で飛び回るだけではなく、同じく磁力で周囲の残骸を集めると、まるで1つの生命体のように活動する。それぞれ異なる姿をしているが、総じて何処か甲殻類を想像させる外見だった。

 頭部には一際巨大な砲門が隠されているらしく、スライドして露になったかと思えば、余りにも太い青い雷を収束させて放つ。通り過ぎた部位には雷撃が残留する。砂が吸収し、電撃地帯を生み出しているのだ。

 その名は<雷災のカースドロッド>。HPバーの数は『3本』という、標準ネームドと同数である。そして、その威圧感はレコンたちが戦っていたモーラーを大きくしのぐ。

 アルヴヘイムを経験したレコンは分かる。これこそが真のネームドなのだと。モーラーはまだリポップ級の域を脱し切れていなかった。だが、カースドロッドは1体しか存在しないユニーク級のネームドであり、これを単独撃破することこそが『ネームド単独撃破』という偉業として数えられるのだと。

 だが、レコンには死の恐怖も諦観もなかった。

 あったのは全く別の恐怖。

 自分たちの努力の日々も、積み重ねた策も、築いた仲間との絆さえも、全くの無意味にして無価値であると嘲うかのような……絶対的な『暴力』がそこにあったからだ。

 カースドロッドは一方的に追い詰められていた。

 小型ユニットによる数の暴力も、多数の砲門によるほぼ全方位に対応した攻撃も、電撃で操る残骸も、何もかもが全く通じず、一方的に踏み躙られていた。

 

「脆い」

 

 悲鳴のようにも聞こえる金属音。それが鳴るはカースドロッドの背部。突き立てられるのは緋血を纏い、荒い鋸状の刃となった長刀を振るう白き者。

 

「脆い」

 

 斬られ、削られ、抉られる。火花を散らしながらカースドロッドの背部は一閃される。反撃の連続砲撃は、空中で生じた蜘蛛の巣模様の赤い足場を利用してステップを踏んだ白き者に躱される。そのまま足下に潜り込まれたかと思えば、連続斬りによってあっさりと転倒に追いやられ、生物ならば喉元に当たる部位へと血刃長刀を突き入れられる。

 

「脆い」

 

 内部の部品やコードが千切れ、鋸状の刃に引っ掛かりながら抉り取られる。文字通りの足掻きで逆関節を暴れさせるもあっさりと躱される。隕石のような残骸も、砂上とは思えない、全く減速しない巧みな足捌きによって次々と躱され、迫る数の暴力は文字通りの目にも留まらぬ斬撃によって等しく斬り伏せられる。

 

「脆い! 脆い! 脆い! まるで足りない! さぁ、もっと反撃してこい! 隠している能力があるならば使え! バリアの再展開はどうした!? まだまだ戦える! 戦えるだろう!? そうだろう、カースドロッド!」

 

 まるで手負いの獲物を甚振るように踏み躙り、何度も何度も血刃長刀を突き立てる。

 

「さぁ、殺してみろ! オレを殺してみろ!」

 

 全人類が嫉妬し、羨望し、魅了されるだろう中性美の結晶の如き容貌はそのままに、まるで血肉に飢えた、人類を喰らい尽くしても腹が満たされない飢餓のケダモノの如く笑い、嗤い、笑い、嗤い、笑う。まるで楽しくてしょうがない子どものように、遊戯に興じるかのように、無邪気に嗤って笑う。

 そして、ゆらりと幽鬼の如く白き者の顔が動く。プレイヤーが徒党を組んで、アイテムと戦術と情報を揃え、犠牲を出してでも倒すという決意の下で打倒するネームドを蹂躙するのにも飽きたかのように、新しい『玩具』を見つけた子どものように、白き者がレコンを見つめる。

 

「レコン、こんな所でどうしたんですか? もしかして、迷子ですか?」

 

 カースドロッドから跳び下りた白き者は、レコンの名を呼ぶ。

 

「ああ、もしかしてモーラーを倒したんですか? 3人ならきっと出来ると思っていました。信じていましたよ」

 

 目をキラキラと輝かせ、レコンたちの勝利を直感して賛辞を並べる様は、いっそ虚しい程に純粋さに満ちていた。

 

「リーファちゃんも無事ですか? あと【バーサーク・ヒーラー】も。スミスやグローリーも大丈夫ですか? まぁ、あの2人ならばなんとかなると思いますが」

 

 レコンに話しかけながら、白き者は片手間の如くカースドロッドの攻撃を躱す。

 刀身に纏う緋血を凝縮させ、納刀した白き者は居合の構えを取る。カースドロッドと小型ユニットは散開するも、白き者は大きく跳ぶ。カタナを手放し、無手のままにカースドロッドに迫る。

 刹那の交差。その時には全てが終わっていた。白き者の手には冷気が凝縮した、半実体だろう大鎌が握られていた。冷気の斬撃は、これまで執拗にダメージを受けた首元から侵入し、そのままカースドロッドの金属の首を刈り取っていた。

 

「祈りもなく、呪いもなく、安らかに眠れ」

 

 HPゼロ。3本のHPバーを持つカースドロッドは倒れ伏した。

 

「さぁ、皆を招きましょう。ここに楔の残滓はあるようですから……ね?」

 

 優しく微笑む白き者が……ようやく【渡り鳥】だと気づいた時、レコンは絶望した。

 

 

 ネームドと戦っていたはずの【渡り鳥】は、まるで無傷であった。返り血のように、カースドロッドのオイルだけがべっとりと優しく穏やかな微笑みにこびり付いていた。

 

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 さて、これはどういう状況だろうか? 無事に地下へと侵入したオレは、最下層にてバム=ルークと<彷徨う遊撃機・カースドロッド>という2体のネームドの激戦と遭遇していた。

 どうやら縄張り争いらしく、地下上層を支配していたバム=ルークの狩り場にカースドロッドが侵入してきて、そのまま最下層まで戦場が移動した……いいや、カースドロッドに追い込まれてしまったといった所か。

 地下最下層の大渓谷には、地上の都市から崩落してきただろう、様々な残骸が散乱していた。いずれも錆びておらず、異様に高質化している。バム=ルークを始めとして、フロンティア・フィールドのネームドは自分に有利な環境を発見する、あるいは変化させることができるならば、ここはカースドロッドにとって有利な狩り場ということになる。

 共にHPバーは2本であるが、劣勢なのはバム=ルークだ。能力である腐敗ガスはロボットであるカースドロッドに通じないらしい。まぁ、腐敗と錆は違うしな。対防具ガスも効果がないようだし、ほぼ一方的である。

 カースドロッドの主兵装は翼にも似た左右の大型ユニットから放出される浮遊小型ユニットと全身に備わった砲門だ。浮遊小型ユニットは周囲の残骸を集め、金属甲殻類にも似た外観となる。個々は脆いが、とにかく無限再生モンスターのようなものであり、しかも青い雷を集めると金属物をレールガンの如く射出してくる。うん、放置は非推奨だな。

 バム=ルークは得意の空中戦を仕掛けようとしても、ダチョウのような逆関節を利用して大きく跳び上がったカースドロッドは、全方位にレーザーをばら撒く。まるで花火のようだ。バム=ルークは必死になって回避して斬翼によるカウンターを狙うが、逆関節の脚部には近接戦対応のクローも備わっており、逆に斬翼を掴むと自重に任せて地面に叩きつける。そのまま何度も何度も踏み潰し、クローでバム=ルークの肉を抉り、翼を折る。

 もう勝負はついた。逃げねば死ぬ。バム=ルークは片翼を羽ばたかせるも、圧倒的強者としての貫禄を見せつけるようにカースドロッドは回り込む。ガスを噴出して抵抗するも、レーザーによって無情にも穴だらけにされる。

 HPがゼロとなり、バム=ルークは絶命する。対うるカースドロッドはHPバー1本目が残り2割といったところか。能力諸々の不利がありながらもあそこまで追い詰めたとなれば、やはりバム=ルークの方が戦闘能力自体は上だったのだろう。だが、能力の相性を覆しきれなかった。

 バム=ルークを倒したからか、カースドロッドに変化が起きる。ロボットでありながら、その表面が大きく泡立ち、変形していく。ロボットというよりも金属生命体のようだ。一回り大きくなり、更に頭部にも変化が見られた。あの形状……スライドするな。何かを隠しているようだ。

 HPバーも1本増えて、しかも名前も<雷災のカースドロッド>と改められた。やはりスミス達の予想は正しかった。フロンティア・フィールドでは、ネームドは成長し、徐々に強化されていくようだ。

 まだカースドロッドはオレに気づいていない。バム=ルークを仕留め、上層まで支配領域を拡大させるつもりなのだろう。このまま放置するのは論外であるが、カースドロッドについてもう少し情報を揃えたいな。

 

(そんなに悠長でいいの? 折角のビンテージが壊れちゃうわ)

 

 ……リーファちゃんなら大丈夫だろう。アスナもいるし、レコンも頭が回る。HPバー2本でも油断はできないが、それでも十分以上に戦えるはずだ。何よりも、この程度の脅威も乗り越えられないならば、彼女たちの望む場所にはたどり着けない。『帰還』と『永住』の両立は可能だとしても、それは茨の道という表現すらも生温いはずだ。なにせ、相手はあの後継者だからな。

 だから、彼女たちの勝利を信じるしかない。何かあったとしても、アスナならば退き際を誤ることはない……と思う。まぁ、死んだ時はそれまでの事だ。

 

(それまでの事……ね。本当に? 少し不安そうに思えるけど? やっぱり殺した方がいいわ。誰かに殺されるくらいなら、アナタが全部食べてあげ……ふぎゅ!?)

 

 ヤツメ様、そろそろ学習しましょうよ。狩人に頭をトマトみたいに握り潰されるのはこれで何度目ですか?

 濡れた岩肌の表面を滑り落ち、赤砂の上に着地する。この砂はどうやら高い吸水性を持つだけではなく、発熱・発光も行うようだ。吸水している場所に触れたら火傷しそうだな。

 カースドロッドからは『命』の気配がする。1つの『命』として、電脳世界で育まれている。それはバム=ルークも同じだった。やはりフロンティア・フィールドは、これまでと比べてもアルヴヘイムに性質が近しいのかもしれない。あるいは、アルヴヘイムの方が似ていたのか。

 カースドロッドは大渓谷の中心部を根城にしているようである。そして、そこには奇妙なオブジェクトがあった。輝く石に突き刺さった剣にも似た何か……敢えて表現するならば楔だろう。だが、それは半ばから折れて今にも朽ちそうだ。

 楔の残滓。あれがそうなのか。だが、どうやらカースドロッドの根城でもあるようだ。撃破しなければ解放は無理か。

 そもそもとして、この大渓谷は何なのだ? 上層はまだ都市の地下部が崩落して出来たものだと分かる。だが、この大渓谷は全くの別だ。地下水が流れていた痕跡とも捉えられるが、どう見るべきか。

 まぁ、その辺の調査は今回の仕事ではない。まずはカースドロッドを仕留める。バム=ルークの亡骸が転がる開けた場所にて、オレは背後から接近する。

 

「……気づいているんでしょう?」

 

 普通ならば先制攻撃で血刃居合を仕掛けるところであるが、この開けた場所に移動された時点で追跡は悟られたと判断できる。

 勘がいいのか。それともロボットらしくセンサー性能がいいのか。どちらでも構わない。カースドロッドは振り返り様に全方位にレーザーをばら撒く。1本1本がオレの頭程の太さもある大出力レーザーだ。砲門は全身にほぼ備わっている。脚部だけが別だが、クローを備えた近接戦対応だ。迂闊に潜り込めば危うい。

 左右の金属翼の如き大型ユニットから浮遊小型ユニットをばら撒く。それらは砂に埋もれていた金属物を引き寄せ、纏い、甲殻類のように変じる。まぁ、こうなってしまえば自重のせいで浮遊できなくなるのだがな。

 放置していればレールガンが放たれる。まずは耐久面がどれ程のものか調べるか。バム=ルークとの戦いでは、斬翼に刻まれていてよく分からなかったからな。

 左手にイジェン鋼の大剣を。右手に贄姫を。迫る金属甲殻類を大剣で叩き斬れば、あっさりとHPはゼロになる。1体の耐久面は貧弱か。だが、とにかく数が多いな。囲われたら厄介だ。

 ステップで間を縫い、カースドロッド本体に接近する。贄姫による一閃は、だが青白いバリアによって阻まれる。なるほどな。近接攻撃も減衰させるバリアを標準装備か。そうなると収束解放による全方位攻撃を警戒しなければならないが、そもそもとしてほぼ対応できるレーザー砲門を備えている。そうなると防御だけに偏重させているかもしれない。

 バリアによる持久戦。全方位対応のレーザー。浮遊小型ユニットによる数の暴力。厄介だな。仕方ない。削るか。

 贄姫を納刀し、右手に構えるのはサブマシンガン。バリアを削るならばマシンガン系に限る。ばら撒かれる大量の銃弾は、次々と着弾してバリアを削る。次々と襲い掛かる金属甲殻類は大剣で叩き潰し、あるいは回転斬りで薙ぎ払う。

 カースドロッド本体の機動力も高い。ブースターでふわりと浮いたかと思えば、高速移動してオレの背後を取り、クローによる掴みかかりを狙う。回避したところで全方位レーザーをばら撒き、回避ルートを搾って頭部をスライドさせ、巨大な砲口を露にさせる。

 瞬間に見たのは光。凝縮され、収束された雷だ。青い雷はレーザーの如く突き抜ける。

 危うかった。あとコンマ1秒回避が遅れていれば、HPごと体は消し炭となっていたかもしれない。しかも雷撃が砂に吸収され、放電地帯と化している。連射は出来ないようであるが、下手に撃たせると足場を奪われる。

 だが、別段として問題はない。戦場は幸いにも広いし、連射も利かないならば戦い方は幾らでもある。サブマシンガンで金属甲殻類を始末しながら、イジェン鋼の大剣でカースドロッドを刻む。バリアに阻まれているが、質量のある大剣は確実に届いている。減衰されてもダメージは重なる。

 クローによる抵抗をステップで躱し、レーザーを避け、サブマシンガンで金属甲殻類を撃破する。特に金属甲殻類はサブマシンガンでも十分に対処できるな。

 しかし、毎度のことであるが、連射系銃器はどうにも反動がな。STR出力を高めているとはいえ、片手では暴れてしょうがない。やはり片手撃ちするならば、相応に反動抑制すべきなのだろうが、そうなると火力が落ちる。

 今回のホワイト・ラビット改もグリムロックの実験のようなものだし、これを機会に実弾系の幅を広げてもらいたいな。期待しておくか。

 

「どうしましたか? そろそろバリアが剥げますよ?」

 

 レーザーを掻い潜り、足払いするように大剣を振るう。バリアが消失し、巨体に向かってサブマシンガンを撃ち込む。さすがにネームド相手では火力不足著しいか。雑魚を相手にするならば丁度いいんだがな。

 だが、要は使い方だ。距離を取ってフリーになっていた金属甲殻類から続々とレールガンが放たれる中をステップで進み、カースドロッドのクローを大剣で受け流し、銃撃を至近距離で浴びせる。装甲を貫けず、ダメージも微々たるという表現すらも届かないものであるが、微かに削ったところに大剣を突き刺す。

 連続着弾で脆くなったところに、高重量のイジェン鋼の大剣による突き。これはさすがに効果あり……か。

 銃器や光銃には幾つかの厄介な制約がある。その内の2つが初弾ボーナスと連続着弾だ。

 初弾は命中時にダメージと貫通性能アップのボーナスがある。そして、初弾が命中した場合、一定時間内に初弾ボーナス判定部位に命中させればダメージ・衝撃ボーナスが付き、またボーナス時間が回復する。また、連続で着弾すればするほどに貫通力やアバター破壊性能も上昇する。

 問題はこの初弾ボーナスのインターバルとボーナス時間だ。マシンガンのような連続射撃武器程に初弾ボーナスのインターバルは短く、ボーナス時間もまた短い。逆にスナイパーライフルは初弾ボーナスのインターバルが長く、ボーナス時間も長い。

 如何にして初弾判定の射撃を命中させ、次弾以降をボーナス時間中に当て続けるか。これが出来ないと射撃武器でダメージを稼ぐのは難しい。むしろ、これが必須であり、できないならば牽制か、雑魚などの露払いか、大人しく初弾判定とか面倒臭いのがない弓矢やクロスボウに切り替えるべきか。むしろそっちの方がダメージは伸びる上に武器枠は1つで済むしな。

 つまり、連射武器あるあるのトリガー引き続けてばら撒きなどは、見た目は派手だけどダメージは全く伸びない。特に酷いのはガトリングガンだな。あれは例外的に初弾ボーナスのインターバルが長く、ボーナス時間が短い。結果としてダメージが伸びない! まぁ、その分だけ装弾数と連射性能でカバーして削り殺せるんだけどさ。あれもある意味で数の暴力か。

 他にも有効射程距離の計算とか、実有効射程距離とか、面倒臭いことが多過ぎる。その点ではミディールは喜ばしい。ピーキー過ぎる性能ではあるが、メインの紫雷弾は雷爆発もあってか、初弾ボーナスなど無いに等しいが、その分だけいつでも安定火力。直撃と雷爆発の2段ダメージはプラズマ系列の特権だな。まぁ、元を正せばレールガン何だか、もうレールガンらしい働きとかあまり……だしな。いざとなれば収束モードがあるし。ミディールの白光とかいう戦略級もあるし。

 どうでもいい。何にしても鈍すぎる。バム=ルークは突撃戦法しか近接手段がなかったのでカウンター決め放題だっただろうが、カースドロッドの近接戦はお粗末だ。引き剥がしの全方位レーザーも砲門の位置さえ把握すれば回避は容易い。クロー攻撃も素早いが、掴むか、払うか、叩きつけるしかないのか?

 

「まずは1本」

 

 ホワイトラビットを砲門の1つに押し込み、至近距離で弾丸を吐き出す。そのままレーザー放出と同時に手放せば、サブマシンガンが塵となって消えるも、砲門の1つは火花を散らして潰れる。修復されるだろうが、1丁犠牲にした価値はあった。

 それにもう1丁あるし、雑魚の始末には十分だ。できれば、サブマシンガン2丁を左右で持って立ち回るとかやってみたかったが、雑魚はともかくネームド相手では火力不足も著しいな。まだ連装銃の方が火力面でも期待できる。所詮は武器枠1つ消費で連射武器を使える程度の価値か。まぁ、それはそれで対人戦や牽制では有難みもあるだろうがな。

 2本目のHPバーに突入し、カースドロッドの大型金属翼が振動する。周囲に青い光の粒子……雷撃を纏う砂粒が舞い上がる。これは範囲攻撃……いいや、違うな。まるでサルベージされるように砂から巨大な金属物が引き上げられ、引力に捕まったように渓谷中から鉄骨やトラックの残骸、コンテナなどがカースドロッドの周囲に集まる。

 

「面白いですね」

 

 この手の能力は初めて……だろうか? ヤツメ様も楽しそうな顔をしている。うん、灼けたわけではなく、本当に初体験のようだな。

 隕石のように残骸が降り注ぎ、鉄骨が宙で振り回される。それだけではなく、金属甲殻類も水中とばかりに浮遊して襲い掛かる。

 これが第2段階。磁力操作か。サブマシンガンをばら撒けば、カースドロッドに命中する前に止まるか逸れる。どうやら至近距離でもない限り、金属製の銃弾は通じないようだ。もしかしたら矢も鏃が金属製ならば同様かもしれないな。射手封じの能力でもあるかもしれない。

 頭部がスライドし、雷撃砲が放たれる。図太い雷撃の射撃時間も伸びている。回避も考えねば、次々に帯電地帯が増えるか。面倒臭いな。

 振り回される雷撃をステップで躱し、接近戦を仕掛けるも迫る鉄骨に阻まれる。咄嗟にイジェン鋼の大剣で弾くが……なるほどな。カースドロッドに近づく程に運動性能は飛躍的に増すようだ。だからといって射撃は通じ難い。

 やはり面白い。攻防共に秀でている。接近した金属甲殻類を大剣で潰し、あるいはサブマシンガンで迎撃しながら、カースドロッドを潰す手段を考える。

 色々とカードはあるが、ここは天蜘蛛の精度を高めておくか。大きく跳躍し、オレに残骸とレーザーが殺到したところで天蜘蛛を発動させ、ステップを併用して雷撃のように左右へと高速移動しながらカースドロッドの頭部へと大剣を叩きつける。

 これにはさすがに予想外か? 通常落下を予定していたカースドロッドは距離を取ろうとするが逃がさない。バリアの再展開にどれだけ時間がかかる? さぁ、やってみろ。

 クローを潜り抜けて連撃を浴びせれば、薙ぎ払おうと頭部砲門を開く。それは悪手だろう? 大剣を突き入れ、そのまま斬り上げる。ダメージと共に砲口は上に逸れ、雷撃だけが空へと突き抜ける。地上まで届いていなければいいのだがな。

 天蜘蛛のお陰で3次元運動がより容易になり、戦術の幅も広がった。クローをステップで躱し、そのまま跳んで天蜘蛛で空中ステップでサイドを取って斬りつけ、着地と同時にステップで背後に回り込んで刻み、レーザーを躱したところでサブマシンガンで左右から挟み込もうとした金属甲殻類を撃破。頭上から落ちる集合して隕石のようになった金属残骸をイジェン鋼の大剣で斬り払い、再度カースドロッドに接近して斬りかかる。右脚クローの連撃で対応してきたところで砂を巻き上げるようにしてステップで曲線を描いて左側を取り、重心を支える左足を斬り払う。転倒したところで空中縦回転斬りを3連撃でお見舞いし、そのまま跳び退き回転斬りで距離を取る。

 

「やはり良いものだな」

 

 何の能力もない、重たく、分厚く、頑丈で、リーチもある大剣。やはりイジェン鋼シリーズは悪くない。破損も切れ味も関係なく、思う存分に使い潰せる。

 再びカースドロッドが雷撃砲を放つ。そこに磁力で操る残骸を組み合わせて来たか。跳んで宙に舞い、そのまま天蜘蛛で逃れようとするが、思いの外に追尾してくるな。

 試すか。天蜘蛛を発動させ、ステップせずにそのまま『滑る』。天蜘蛛の証である蜘蛛の巣紋様は広がり続け、空中でアイススケートでもするかのように滑りながら回避し、ステップで急降下からの片手突進突きで間合いを詰める。

 天蜘蛛の発動時間内ならば、発動させた足場は滑れば2次元的に拡大し続ける。発動して制動をかけずに滑り、ステップで強襲。うん、悪くないな。やはりネックは連続発動による魔力消費の増加だな。後は高度上昇しようとすると疲労感からしてスタミナ消費が増しているか。やはりその手の制限はかかってくるようだが、バム=ルークのような空中戦メインの相手ではない限り、高度制限も許容範囲内だろう。

 そろそろ潰させてもらう。接近する鉄骨を斬り払いながら進もうとすれば、途端に足が止まる。

 いいや、違う。まるでイジェン鋼の大剣が固定化されたように、その場から動かない。これは……!

 

「なるほど、そういう能力ですか」

 

 大剣を手放し、レーザーと金属甲殻類に圧殺される前にステップで脱する。どうやら、磁力で操られた物質と接触した金属系の武具は、少しずつ磁力が蓄積し、限界を超えるとカースドロッドの支配下に置かれるようだ。

 そうなると、実体ではなく固定・結晶化されたレーザーブレードである日蝕の魔剣ならば、どれだけ切り払っても磁力制御下に置かれなかったかもしれないな。まぁ、そこは考えてもしょうがないことだし、能力の磁力がどれくらい拡大解釈されるかもわからない。なにせDBOだしな。現代科学がそのまま適応されているわけでもないだろうし。

 愛用していたイジェン鋼の大剣が回転しながらオレに斬りかかる。使っていた武器が襲い掛かるとかなかなかに面白いシチュエーションだな。

 大剣が無くなった分だけ始末しきれなくなった金属甲殻類よりレールガンも放たれるが、その射線も直線ではない。カースドロッドの支配下にあるように、曲線を描き、執拗に追尾してくる。さすがに減速はしているが、それでもこの追尾性能は厄介だ。しかも、レールガンに気を取られていれば、本体によるレーザー、雷撃砲があるし、浮遊する金属塊による攻撃も苛烈になっていく。

 

「邪魔だ」

 

 とりあえず、回転して来たイジェン鋼の大剣の柄を掴み、STR出力7割で強引に振るう。やはり威力は落ちるな。しかも気を抜けば自分が斬られそうだ。だからといって、武器枠から排除も今は出来なさそうだし、そうなると……潰すか。

 迫る金属甲殻類を斬り払いながらカースドロッドに接近するが、その度にイジェン鋼の大剣は制御が利かなくなる。

 

「……ん?」

 

 いいや、違う。左腕のSTR出力が落ちている。危うく首を落とされそうになった。

 面白い……が、面倒臭い能力だな。搦め手使いは嫌いではないのだがな。

 

「まだだ。まだやれるだろう?」

 

 左腕限定受容。STR出力8割。これならば操り切れる。大判振る舞いだ、カースドロッド。これ程の能力を鍛え上げたオマエに敬意を評そう。ここで死ね。

 雷撃砲を天蜘蛛ステップで躱しながら接近する。雷撃砲が掠めるギリギリで落下と天蜘蛛ステップを組み合わせて攪乱させ、背部に着地すると同時にイジェン鋼の大剣を突き立て、そのまま大きく跳びながら強化手榴弾を放る。爆発を待たずにサブマシンガンで起爆していき、突き刺さる大剣を起点にして連続爆発が傷口を広げる。

 もう少しか。そのまま降下して着地と見せかけて天蜘蛛ステップで突き刺さる大剣の柄へと穿鬼を放つ。大剣は砕けながら更に押し込まれ、カースドロッドは耐えきれずにダウンする。

 

「贄姫」

 

 左逆手で血刃居合を放ちながら抜き、イジェン鋼の大剣で生み出した背部の傷口に突き立てる。そのまま血刃を放出しながら更に切り払う。

 限定受容停止。大剣は犠牲になったが、大ダメージを与えることはできた。復帰したカースドロッドの太いレーザーを斬り払い、左右に分けて接近していた金属甲殻類を一掃する。

 贄姫の表面の水銀コーティングはレーザーなどのエネルギー系を受け止める。少ない水銀も使いようだ。あれだけの高出力となると連続で切り払うことは出来ないが、ここぞという時にはこのような使い方もできる。とはいえ、あんな太いレーザーを正面から切り分けても自分も命中してしまうので、回避には向かないがな。グリムロックの素材を無駄にしないエコ精神には本当に頭が下がる。

 

「さてと……これはどうですか?」

 

 カースドロッドの戦い方を見て、オレも試したくなってきた。近くの操られていない……つまりは金属を含有していない、砂上に転がる赤岩の塊に右袖から伸ばしたアンカーナイフを突き立てる。そして、獣血侵蝕をワイヤーを伝って発動させる。

 緋血の血管模様に覆われた赤岩をフレイルの如く振るう。操って止めることも減速させることもできない、大質量攻撃にカースドロッドは揺さぶられる。投げナイフは金属なので磁力の対象かもしれないが、根本的な赤岩の質量のせいで止めきれないようだな。それにワイヤーも金属製ではない。蜘蛛姫のソウルによって生み出されたものだ。これも幸いだったな。

 獣血フレイル……とも呼ぶべきか。更にここに獣血覚醒を仕掛ける。ワイヤーの表面で緋血が泡打ち、脈動し、赤岩を緋血が覆い尽くして血獣の牙と爪が伸びる。まるで異形のモーニングスターだな。殺傷能力が高そうだが、スタミナ消費が大き過ぎる。覚醒は控えて、通常の獣血フレイルで我慢すべきか。

 

「ああ、これはいい。手軽に中距離武器が作れる」

 

 手頃な柱や岩などの質量あるオブジェクトにアンカーナイフを突き立て、ワイヤーを通して獣血侵蝕し、≪暗器≫ボーナスで強化されたフレイルとして振り回す。純然たる質量武器をその場で生み出せるのは大きな利点だ。

 

「ほら、ほら、ほら! どうしたんですか!? アナタの十八番でしょう!?」

 

 獣血フレイルを操り、防衛に回そうとする残骸を潜り抜けさせてカースドロッドを執拗に叩きのめす。もう金属甲殻類などどうでもいい。獣血フレイルで潰し、接近するものだけを贄姫の血刃で斬り払う。

 HP2本目も終わりだ。退屈だ。もっとだ。もっと殺意を見せてみろ。フロンティア・フィールドという弱肉強食の世界で培った爪牙をオレに突き立ててみせろ

 叫ぶようにカースドロッドの全身が震える。更に浮かぶ残骸が増えただけではなく、青い雷撃も纏っている。なるほどな。雷属性を付与したか!

 加えてレーザーも曲がる! レールガンのような追尾こそしないが、直線と曲線を使い分けるか!

 バリアも再展開したか。いいぞ! いいぞ! それでいい! さぁ、存分に殺し合おうじゃないか!

 獣血フレイルは十分に性能を試せた。ここからは殺し合いを楽しませてもらおう。

 

「抜刀、血刃長刀」

 

 さぁ、オマエは耐えきれるか? 血肉を削り、骨を抉り、臓物を引き摺り出す鋸の血刃はオマエのような金属体にも有効だ。

 レーザーを掻い潜る。雷撃砲の軌道はもう『喰らった』。ステップを併用し、踊るように躱しながら接近して、回転斬りで両足を薙ぐ。地団駄を踏むようなクロー攻撃をステップで離脱しながら躱し、迫る金属甲殻類を連続突きで串刺しにし、獣血侵蝕をかける。

 やはりな。ワイヤー越しで出来たならば、贄姫でも可能! 撃破し、オブジェクトになった浮遊小型ユニットが纏う金属物は侵蝕対象! そのまま斬り払いで散弾の如くばら撒き、残りの金属甲殻類を一掃する!

 とはいえ、侵蝕時間がかかり過ぎたな。ああ、そうか。アンカーナイフの場合、対象の内部に突き立てられる。だが、贄姫では刺し貫いただけ。その違いが侵蝕スピードにも違いが生じさせているのかもしれない。

 ふむ、ではこれはどうだ? 四方八方から迫る追尾レールガンを贄姫で全て絡め取る。刃に半分だけ突き立てて並べ、侵食させ、払い撃つ。これも可能か。敵の銃撃を絡め取り、侵食し、弾き返す。1度制止した銃弾は例外的に武器としてカウントされていないかもしれないな。思えば、放たれた矢も掴めば侵蝕対象だった。当然といえば当然か。

 

「クヒ、クヒヒ、クヒャヒャヒャ!」

 

 ああ、やはり戦いは良い。特にまだ開拓の余地がある武器を扱っている時は楽しいものだ。

 

「ああ、失礼しました。アナタとの戦いが……少々……趣があるものでして」

 

 ランスロットやアーロンのようなまさしく武を極めた達人との殺し合いもいいが、バム=ルークやカースドロッドのような搦め手使いとの戦いには新たな発見が多い。どちらも悪くないものだ。

 

「さぁ、もっと見せてみろ。オマエの『力』を……!」

 

 刻む。刻む。刻む。

 鋸の刃が削って、削って、削って、抉る。

 飛び散るのは血? いいや、オイルか。ああ、とてもクサイ。そうなのかな? あまり嗅覚も機能していない気がする。どうでもいい。

 何度も何度も傷口に突き立てる。血刃チェーンモード……いいや、勿体ない。もっとだ。もっともっともっと見せてみろ! オマエの能力の深みを! 全部喰らってやる!

 

「脆い」

 

 飢えるんだ。

 

「脆い」

 

 渇くんだ。

 

「脆い」

 

 余りにも美味しそうなんだ。ああ、食べたい。食べたい。食べたい! ああ、なんて素敵なんだろう! どうして、こんなにも魅力的な『命』で溢れているんだろう!?

 

「脆い! 脆い! 脆い! まるで足りない! さぁ、もっと反撃してこい! 隠している能力があるならば使え! バリアの再展開はどうした!? まだまだ戦える! 戦えるだろう!? そうだろう、カースドロッド!」

 

 さぁ、その全力の殺意でオレの喉元に喰らい付いてこい! フロンティア・フィールドという大自然で鍛え抜かれた生命の顎を開け! もっとだ! もっと見せてみろ!

 

「さぁ、殺してみろ! オレを殺してみろ!」

 

 殺してみろよ。

 殺してみろよ!

 だって……だって、分からないんだ。

 オレは夜明けの為に狩りを全うする。だけど『幸せ』になれとザクロの呪いが苛めるんだ。

 リゼットさん達が教えてくれた。『幸せ』の意味。だけど、オレは……どうすればいいんだ?

 喰らい続けてきた。矜持も、信念も、願望も、何もかも踏み躙って『力』を喰らってきた。

 挙句にザクロ達を『獣』として喰らって生き延びた。

 ねぇ、ヤツメ様。どうして『鬼の意思』なんですか?

 オレたちの祖先は、ヤツメ様と交わって生まれた鬼なのでしょう? それなのに、どうしてオレは『鬼』にすらなり切れないんですか?

 

(分かり切っているでしょう? どれだけ『血』を歪めて縛る『鬼の意思』であろうとも、アナタ自身は生まれた時からずっと変わらず『獣』だからよ。『人』の皮を被り続けるしかできない……『獣』よ)

 

 ヤツメ様が指差す先には、見知った男がいた。あの甲冑……そうだ。レコンだ。

 ああ、その目は何だ? オレをそんな目で見るな。

 分かってるさ。どうせバケモノにしか見えないのだろう? それがオレなのだろう!?

 どうすればいいというのだ!? 誰もが本質を解き放ち、揺るがぬ矜持と信念で生きて死ねば、善悪など関係なく『人』として光り輝けるというのに!

 

 

 

 どうして……オレは飢餓に満ちた『獣』なのだ?

 

 

 

 いっそ『鬼』に堕ちることができれば楽なのだろうか? ああ、違うのだろう。『鬼』とは哀れなものだ。『人』であるからこそ『鬼』に堕ちる。そこには異なる苦しみがあるのだ。

 きっと、狩人達の始まりとなった鬼は……『人』と『獣』の2つを持って生まれたからこそ、苦悩したのだろう。『獣』という本質に呑まれない為に、『人』から『鬼』に堕ちたのだろう。そうして獣血を縛るしかなかったのだろう。『人』への憧憬と尊敬と羨望と嫉妬のままに……『鬼』に堕ちたのだろう。

 それは哀れなことだ。『鬼』に堕ちなければ獣血が受け継がれることもなかったというのに。オレのような……『人』の皮を被り続ける、醜い『獣』など生まれることはなかったというのに。

 あるいは血族とはそうして生まれるのかもしれない。人間性の変質こそが『鬼』に至るということなのだから。

 

「レコン、こんな所でどうしたんですか? もしかして、迷子ですか?」

 

 見れば分かる。激戦だったのだろう。左腕を失い、このような地下の奥底まで至った。

 

「ああ、もしかしてモーラーを倒したんですか? 3人ならきっと出来ると思っていました。信じていましたよ」

 

 素晴らしい。素敵だ! きっと倒した分だけ3人はとっても、とっても、とっても美味しくなったね。

 殺したい。食べたい。殺したい。貪り喰らいたい! ああ、今のレコンはとってもいい。バケモノを前にして絶望と恐怖を知った顔だ。悲鳴に浴されて喰らえる血の悦びはどれだけ深みがある味わいなのだろうか?

 ……落ち着け。冷静になれ。ここでレコンを殺してはいけない。そんなの勿体ないじゃないか。

 いいや、違う。思い出せ。オレは……オレは……ただ……ただ……何のために?

 ねぇ、リゼットさん。教えてよ。オレは……アナタを殺したかった。

 殺したいほどに愛していたんだ。

 アナタとの時間は『幸せ』だったと思いたいのに……どうして!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうして、こんなにも空っぽなんだ? どうして、『獣』の醜い飢えと渇きの涎に塗れた咆哮しか聞こえないんだ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 血刃居合と見せかけた氷雪の大鎌による一閃。カースドロッドの首は落ち、絶命に至る。

 

「祈りもなく、呪いもなく、安らかに眠れ」

 

 カースドロッドは必死に生きようとしていた。弱者を貪り喰らい、より強者として己の育み、フロンティア・フィールドという世界を生き抜こうとしていた。

 それが羨ましくて堪らないのかもしれない。ただ生きる。それだけに必死な彼らは美しく尊い。

 だから、レコンやリーファちゃんの行き着く先を見てみたいのかもしれない。彼らの『人の意思』が……世界を変えていくと信じたいのかもしれない。

 いつだって『人』を信じるという『嘘』に縋り続けたからこそ、オレは強く思うのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何処もかしこも『獣』ばかりだ。どうせ貴様らもそうなるのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 信じたい。信じさせてくれ。『人の意思』こそが世界を変えるはずだと……信じ続けたまま、オレに狩りを全うさせてくれ。

 

 そうすれば、いつか訪れる死の間際に『幸せ』は見つけられるのだろうか?

 

(あるわけないじゃない。狩りの全うの末にアナタは夢を見る。醒めることがない、痛みと『痛み』の海に溺れる悪夢を見る)

 

 ああ、そうだろうな。それならそれでいいさ。

 

「さぁ、皆を招きましょう。ここに楔の残滓はあるようですから……ね?」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 フロンティア・フィールドから帰還し、リーファは自由開拓戦線に報告を済ます。

 死者4名と損害は大きかったが、楔の残滓を発見して帰還のみならず、教会と協働して計4体のネームドを撃破。フロンティア・フィールドのネームド成長ロジックについての情報は高く評価される事になった。

 噂はどうであれ、狙い通りとまではいかずともリーファ達は相応の評価を受けることになるだろう。

 グローリーとスミスは難なくネームドを撃破したらしく合流した。その前に別のマントで顔を隠したアスナは、幸いにもレコンにまでは顔を見られていなかったらしく、彼女の正体について言及は特になかった。

 レコンは地下に落下した後に何かあったのか、やや様子はおかしかったが、気にしないでくれと、夜の街に消えた。彼なりに思う所はあったのだろうとリーファも追及はしなかった。

 犠牲が多過ぎた。どうして他プレイヤーの遺体があれ程に多くあったのかも含めて謎は多い。だが、全ての謎を解く為の鍵はリーファの手にはなく、また陰謀は多く渦巻いている。

 クゥリにしても仕事が終わればそれまでと早々に分かれた。グローリーとスミスは、無事に≪調教≫によって捕獲できたトンキーをひとまずは教会に運送し、今後の処置については連絡すると告げた。アイテム回収のために殺処分するにしても、その時は無断ではなく、リーファ達との協議を行う旨も教会から別途で連絡があった。

 グローリーはやたらと宴会を開きたいと切望したが、4名の死者を出したリーファは乗り気になれず、空気を読んだスミスは彼の耳を引っ張りながら、あまり気にするな、とだけ告げて去って行った。

 考える。今回のフロンティア・フィールド探索は、得るものと失うものが大きかった。だからこそ、歩みを止めてはならないのだとリーファは強く願う。

 部屋に帰り、ベッドに倒れたリーファは見慣れた天井に問いかける。

 焼き焦げたフードから露になった口元。【バーサーク・ヒーラー】に感じる既視感。リーファは右手を天井に伸ばして問いかける。

 

「馬鹿。アスナさんは……死んだのに」

 

 でも、名前が『アンナ』とか余りにも……と思う一方で、仮に【バーサーク・ヒーラー】がアスナであるならば、そんなバレバレの偽名を使うはずでもないと自嘲する。まるで気づいてくれと看板をぶら下げているようなものだ。

 だから、これはただの勘違いなのだろう。何処かで兄が報われる幻想を夢見ているだけなのだろう。

 リーファ達が帰還した時には、既にラストサンクチュアリ壊滅作戦に向けて、クラウドアースが本拠地をアームズフォートで包囲しつつあると報道されていた。1000人規模の貧民プレイヤーを残したまま、ラストサンクチュアリ本拠地である、湖上の白の都が戦場となる。

 クラウドアースはユージーンにベストな協働相手を確保できなかった。呑気に観戦する側からは喜ばしいかもしれないが、最強の傭兵候補がタイマンで激突することがほぼ決定したのである。

 早くても3日後にはDBO史上初となる、ギルドの命運をかけた、トッププレイヤー同士の命懸けの戦いが始まる。もはや見守る事しかできないリーファは、激励を込めたフレンドメールくらいしか兄には送れない。何も支援はできない。

 それでも祈ることはできる。応援することはできる。勝利を信じることはできる。

 だが、今は疲れて眠かった。

 何も考えずに眠りたい。リーファは体を丸めるとそのまま寝息を立て、深い眠りに落ちた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ネームド単独撃破。それを為し遂げられる者は英雄視される。

 ならば【渡り鳥】もそうなのだろうか? レコンは否と答える。

 実際にUNKNOWNの戦いを目にしているレコンは、彼もネームドを単独撃破できる実力者ではあっても、そこには恐怖などない。どれだけ超人的であっても、どれだけ常識はずれな事を起こしても、彼自身は人間の域にあると感じ取れるからだ。奇妙な話であるが、戦いに人間味があるとも言えるだろう。

 だが、【渡り鳥】の戦いは、言うなればケダモノの狩りのようだった。まるで舞踊のような美しさがありながら、だが野獣の爪牙そのものであり、むしろ美麗な戦いであればあるほどに人間が鍛え上げた技術を貶めているかのような錯覚すらもあった。

 レコンはカースドロッドとの戦いについて誰にも話していない。何が起こったのかさえ告げていない。【渡り鳥】は脅威を排除したとだけ告げた。リーファに関してはバム=ルークの遺体も見ていない為に、彼が倒したのは仇の黒竜とすらも思っているかもしれない。

 

「お客さん、飲み過ぎじゃないですか?」

 

 あの戦いを見て分からなくなった。自分たちが積み上げてきたものに価値があるのだと信じられなかった。

 UNKNOWNのようなずば抜けた武才があるとは思わない。だが、それでも最前線で戦えるだけの実力は身に着けたはずだ。その証拠としてモーラーも撃破できた。【バーサーク・ヒーラー】込みだったとはいえ、たった3人でモーラーを倒せたのは大いなる進歩だろう。

 まだまだ強くなれる。その確信があるはずなのに、【渡り鳥】の戦いを見てからは、ただ絶望と恐怖ばかりが胸を占めるのだ。

 たとえ、どれだけ強くなろうとも、絶対強者を前にすれば喰われるだけの餌に過ぎないという諦観が心を満たそうとするのだ。

 どうすれば強くなれる? どうすれば、この諦観に抗える? レコンは分からぬままに酒を煽れば、人肌がグラスを今にも割りそうな右手の甲を撫でる。

 

「飲み過ぎ、ダメ絶対」

 

「……キミは本当に何処でもいるなぁ」

 

「言ったでしょ? ナギちゃんはレコンに『鬼』になってほしくないって」

 

「……ならないよ。そんなよく分からないものなんかにさ」

 

「どうだろう? レコンもキラキラした『人』を持ってるからね。『人』じゃないと『鬼』に堕ちないから、やっぱり心配だよ」

 

 こんな安っぽい酒場で、飾り気のないカウンター席で、まるで宝石のように輝くナギを隣に座らせる。レコンは周囲の男の羨望の眼差しを受け、小さく鼻を鳴らす。

 

「僕は……ちっぽけな人間だよ」

 

「そうだね」

 

「そんなの、当たり前じゃないか。人並みに悩んで、人並みに諦めて、人並みに……頑張るしかできない」

 

 それなのに、あの戦いを見たら、何もかもが無駄だと嘲われたような気がした。

 同じ人間とは思えない、怪物の王の如き暴虐の化身。全てを焼き尽くす業火と呼んでも不思議ではない程の恐怖の塊だった。

 立ち向かいたい。否だと叫びたい。自分達の……いいや、『レコン』の頑張りは無駄ではないと咆えたい。

 だが、どうしても出来ないのだ。立ちはだかる事さえも非礼にして傲慢と思える程に圧倒的な暴力には挑めない。

 

「でもさ、レコンは……諦めていないでしょ?」

 

「…………」

 

「お酒を飲んで、気を紛らわして、絶望しても……信じる人がいるから、また頑張れる。自分は無理でも、誰かと一緒ならって……そう思ってさ。それも『人』かなってナギちゃんは思うよ?」

 

「なんで……そんな事……僕は……」

 

「分かるよ。ナギちゃんは知ってるもん。レコンはとーっても頑張り屋で、そのせいですーぐ暴走して調子に乗ってやり過ぎて、きっちり痛い目に遭って再出発までがセットだからね」

 

 何も言い返せない。レコンは自分の右肩にもたれ掛かるナギの顔を見る事が出来ず、涙混じりの鼻水を啜る。

 

「だからさ、『鬼』にはならないで。ナギちゃんはレコンが『鬼』になったら……どうすればいいのか分からないから」

 

「だからならないよ。そんな訳の分からないものにさ」

 

「ホントかなぁ? ナギちゃんはとっても心配です」

 

「ならないよ」

 

 他でもない【渡り鳥】が教えてくれたものがナギの言う『鬼』と同一なものならば、何と悲しく哀れな存在だろうか。

 そんなものになりたくない。レコンは強く願い、空のグラスに新しい酒を求めるも、マスターは首を横に振る。

 

「ねぇ、戦いの後にあれこれ悩んでお酒に溺れるのも悪くないけど、火照る体を慰めるのも……レコン的にはどう?」

 

「……誘ってるの?」

 

「誘ってるの」

 

「や、止めておく。なんか怖い。後が怖い!」

 

「……ヘタレ」

 

 だって、そんな事したらもうレギオンとかどうでもよくなってしまうくらいに、ナギにのめり込んでしまいそうで怖いのだ。レコンは必死になってリーファの顔を思い浮かべ、だが隣でニヤニヤと小悪魔フェイスを浮かべるナギに頭を掻く。

 今日はとりあえず2軒目だ。飲んで飲んで飲みまくって気を紛らわすしかない。

 

「それじゃあ、2軒目にゴー! もちろん、レコンの奢りね♪」

 

「や、止めて! 当たってる! 小さい膨らみが……!」

 

「当ててるんだよ?」

 

「だったら尚更止めてぇえええええええ!」

 

 酒場で屯していた男たちの舌打ちが露骨に聞こえ、レコンはむしろ助けを求めたい気持ちだった。

 このコ、凄い可愛いけど……認めるしかないくらいに可愛いけど……レギオンだから! レギオンだからね!?

 レコンは必死になって抱き着くナギを振り払おうとして、だが上目遣いで自分を見つめる彼女の真剣な眼差しに硬直する。

 

「ねぇ、レコンはナギちゃんのこと……嫌い?」

 

「嫌い……なわけ……ないだろ!」

 

「そっか~♪ レコンはナギちゃんのことが大好きなんだぁ♪」

 

「そこまで言ってないよ!」

 

 今夜は振り回され続けそうだ。だが、それもまたナギの心配りなのだろう。

 そうまでして『鬼』に堕としたくない。ならば、やはり鬼とは悲しく哀れな存在なのだろうか。

 だが、それでも求めるモノが手に入るならば、堕ちていくのもまた『人』なのかもしれないとレコンはぼんやりと頭に過ぎらせた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 考えて、考えて、考えて……たどり着く。

 すぐに思い至った。抵抗はなかった。だから足取りは重くも軽くもなかった。

 ピンク色のライトで照らされた、甘ったるい香が焚かれた店内。度数の高いアルコールのニオイで満ち、半透明のカーテンが妖しく揺らめく内では男女が互いを貪るように交じり合っている。

 だが、何も感じない。彼はお目当ての人物を探し求める。店員の呼びかけにも応じない。正面や間を通り抜ける彼に客たちは非難の眼差しも向けない。薬と酒で『行為』に夢中になっているからだ。

 虚ろに見えて、だがその実は濁りきった眼で、彼は店の最奥の扉を叩く。

 そこには1人の男がいた。退屈そうに、眠る裸体の女たちに足をのせ、天井に設けられた窓から月を見上げていた。

 不思議とその男は、彼が知る顔とは違い、何処か切なさを抱いているようにも思えた。決して手の届かない何かを欲して止まない夢追い人のようだった。

 だが、どうでもいいのだ。彼が1歩近寄れば、上半身裸体の男は喜ばしそうに顔を歪める。

 

「いやぁ、まだ時間はそんなに経ってないのに、ガッツがあるじゃん! そういうヤツは大好きだよ♪ ねぇ、雑魚くん」

 

「…………」

 

 ライドウ。傭兵の3大アンタッチャブルの1人であり、欲望のままに動く最も危険なプレイヤーにも数えられる狂人にして『ユナ』の仇がそこにいる。

 だが、彼は……エイジは特に動揺などなかった。『ユナ』を殺された事実は何度も噛み締めてこの場に立っている。

 

「いやぁ、楽しかったよねぇ。うんうん! 傑作だったよ。キミの頑張りとあのコの死に様。あんなにも満足できたのは久しぶり。まぁ、キミが弱過ぎて肝心のバトルの方が全然だったけど、コピーネームド食べ放題ってのも悪くなかったしさ」

 

「…………」

 

「それで? リベンジマッチはどうする? 場所はここでいい? 俺はいいよ☆ こういう人間の浅ましい欲が集まった、痰壺みたいな場所で殺し合うのも悪くないじゃーん」

 

「…………」

 

「黙ってないでさ、こう……復讐の前口上とかないの? あ、もしかして、このコたち邪魔? だよねぇ。ちょっと待ってて」

 

 まともな正気も残っていない、心身共にライドウに嬲られただろう裸体の女2人にライドウは近づき、何の躊躇もなく頭部を踏み潰す。水風船が割れたように脳漿が飛び散る。

 だが、エイジは平然と立ち続け、背負う邪剣ダーインスレイヴを抜く。ライドウは嬉々と武装どころか上半身裸のままかかって来いと手招きする。

 

「考えたよ。何度も何度も……何度もな」

 

「へぇ、俺を殺す方法を? まるで熱愛じゃーん!」

 

「そうさ。お前を殺す方法を……考えて……考えて……考えて、気づいたよ。僕にはどうしようもなく『力』が無いんだってな」

 

 ライドウに『ユナ』を殺されて、ユナが歌声を奪われて、もう憎しみは失われることがないと安堵した。その安心感すらも憎悪を招く。

 憎い。憎い。憎い。ひたすらに何もかもが憎い。

 エイジはダーインスレイヴを構え、そしてその場に突き立てる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕を弟子にしてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、女たちの脳漿が広がる床に額を擦りつけ、土下座して師事を乞う。

 

「……は?」

 

 これにはさすがのライドウも面食らったらしく、目を白黒させ、やがてつまらなそうに鼻の頭を掻いた。

 

「あー、キミってそういうタイプだった? もう自分は負けましたから舎弟にしてくださいーみたいな? 俺さぁ、そういうのはさすがに好みじゃないんだよねぇ。まぁ、弱者らしく頭を擦りつける情けない姿に免じて今日は帰してあげるからさ。さっさと失せな」

 

「く、くく……クハハハ! 何を勘違いしているんだ?」

 

 土下座したまま、ライドウの思い違いをエイジは嗤う。

 

「僕はお前に復讐する為に、弟子にしてくれって頼んでいるんだよ」

 

「えーとさ、どういう意味?」

 

「『ゲーム』だよ。『復讐者育成ゲーム』だ。暇なんだろ? 弱者で遊ぶのが趣味なんだろ? だったら、このゲームを『クリア』してみろよ。僕は全力でお前から学んで、全力でお前を殺しにかかってやる」

 

「……それに俺の何のメリットがあるわけ?」

 

「暇つぶしになる」

 

 ライドウは戦闘狂だと呼ばれているが、実態は異なるとエイジは分析した。

 確かに戦いは好きだ。だが、ならば狂犬のようにDBOの強者に喧嘩を売らないのか。自分が勝てないと分かっているからか?

 違う。ライドウが本当に望んでいるのは、自分が満足できる死闘だ。強者と強者のぶつかり合いを経て、全力の相手を倒すことこそをライドウは至福している。

 弱肉強食を謳うからこそ、強者には相応の態度を取り、相手も尊重して戦いの場にも慎重になる。彼なりのこだわりであり、故に弱者は容赦なく踏み躙って遊ぶことはあっても、強者には彼なりの配慮を持つのだろう。その分かりやすい例がグローリーとの関係だ。

 ライドウはひたすらに退屈なのだ。自分の弱肉強食の掟に従うが故に強者との戦いには恵まれず、だからこそ弱者を踏み躙る娯楽に興じる。支配欲のままに弱者を弄び、同等の強者との対等な悦楽を求める。

 

「殺してやるさ。全力でお前を殺してやる」

 

「出来るわけないじゃーん。雑魚くんは弱者。俺☆強者。弱い奴が何をやったって……」

 

 と、そこでライドウは何かを考えたように黙ると、エイジの後頭部を踏みつける。

 

「お前さ……もしかして、本気で俺を殺すつもり?」

 

「当たり前だ」

 

「俺に育ててもらって?」

 

「そうだ」

 

「馬鹿じゃない? どうして、俺が自分を殺す相手を育てないといけないわけ?」

 

「『ゲーム』だからだ。それとも、お前は怖いのか? 僕を育てれば、自分を殺す程に成長するってビビってるのか?」

 

「おーう、挑発するねぇ。その手には乗らない……って言いたいけど、ここまで奇麗な土下座されたらなぁ。俺もちょっと考えちゃうなぁ」

 

 ライドウはエイジの頭を踏みつけ、鼻が砕ける程に床に押し付けながら、やがて思いついたように潰したばかりの女の頭部を蹴り飛ばす。

 

「それ、喰ってみなよ。まだ新鮮な『弱者』の脳みそ♪ 喰えたら、弟子入りも本気で――」

 

「喜んでいただきます」

 

 エイジは何の躊躇もなく、割れた頭蓋骨に顔を突っ込み、禁忌たる人食いで口と腹を満たす。どうしようもない嘔吐感すらも憎しみで焼き尽くし、唖然とするライドウの前で犬の如くむしゃぶり尽くす。

 

「うそーん」

 

「他には何を? 裸になって、3周回ってワンですか? それとも足を舐めますか?」

 

「うーん……じゃあさ、幾つか教えてくれない? 今どんな気分?」

 

「割と最悪です」

 

「人肉喰った感想は?」

 

「吐き気がする」

 

「今から俺が大通りで人を殺せって言えば実行する?」

 

「お断りだ。すぐに捕まってしまう。それでは強くなれない」

 

「うーん、なんと意外! コイツ、意外にも冷静! でーもーさー、狂ってやがるねぇ」

 

 ライドウはソファで足を組み、頬を掻き、ボサボサの黒髪をゆっくりと掻き上げる。値踏みするようにエイジを見つめ、やがて口元を小さく歪めた。

 

「キミは俺に復讐したい。でも、勝てないよ? 俺は強いよ? お前がどれだけ頑張ったところで無駄だよ?」

 

「殺してやるさ。必ずな」

 

「へぇ、でもさ、それはキミにとって何? 俺を殺すのはゴール? 違うでしょ。こう見えても人を見る目はあるんだよねぇ。言ってみなよ。それ次第で弟子入りについては決めてあげる」

 

 ライドウの問いかけの通りに、エイジにとってライドウへの復讐など通り道に過ぎない。それは1つの領域……ライドウと並ぶ、あるいは超えた強者に至れたという証明を得る行為に過ぎない。

 死んだ。『ユナ』は死んだ。もう帰って来ない。ならば復讐に何の意味がある?

 ああ、あるともさ。この憎しみが求めているのだ。復讐することで示せと欲しているのだ。

 

 

「『力』だ。『力』が要る。立ち塞がる全てを……踏み潰す『力』が!」

 

 

 心を満たして染め上げた憎悪は『力』が要ると叫んでいる。

 もう魂の叫びなど聞こえない。だが、そんなものは聞こえなくて構わない。

 邪剣ダーインスレイヴを手にした時から生き方も死に方も決まっている。我が身を焼く憎悪に殉じて生き、憎悪より何かが生まれるのを求める。だが、それは選んで突き進むものではない。道無き道を求めて荒野を進むのではなく、行く当てもなくひたすらに、這って、這って、這って進むことなのだ。

 

「……いいねぇ。いいね! いいね! 悪くないね! 復讐すらも道具に『力』を求める! 最低だよね! 救いようがない糞で屑だよね!? 自分でそう言っちゃうわけだよね!?」

 

「そうだ。何度言わせれば気が済む? 100回か? 1000回か?」

 

「いやいや、もういいよ! すごーく笑わせてもらったからさぁ! OK! OK! キミを弟子にしてあげるよ。まぁ、技術を教えるってよりも、キミのちっぽけな『力』を鍛え上げるってのが正しいかもね。復讐者育成ゲーム……悪くないじゃん。殺してみろよ、雑魚君♪」

 

 ライドウは大笑いして、再び土下座したエイジを踏み躙る。弱者から強者へと這い上がってみろと嘲う。

 必ずだ。必ず『力』を手に入れる。エイジは突き立てたダーインスレイヴの脈動を感じながら瞼を閉ざす。

 

 

 もう聞こえない。何も聞こえない。ほんのひと時でも憎しみを忘れさせた歌声は聞こえない。




人心迷宮を脱し、だが心は晴れず、迷いは残る。


次回はいよいよラストサンクチュアリ壊滅作戦編です。
黒の正念場……お送りします。


それでは、332話でまた会いましょう!

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