SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
心の迷宮は、フロンティア・フィールドよりも遥かに怪奇にして複雑である。


いよいよ今回のエピソードのラスト、ラストサンクチュアリ壊滅編です。
エピソード20のテーマは『主人公力』。
よろしくお願いします。


Episode20-19 聖域の黄昏 前編

 世間はラストサンクチュアリ壊滅作戦……より正確に述べるならば『ランク1VS【聖剣の英雄】』の対決という、DBO始まっても類を見ないPvPに向けて大きな盛り上がりを見せていた。

 酒場を覗けば勝者はどちらかなのかと議論が繰り広げられ、広場に赴けばトトカルチョが行われ、大通りを歩けば2人の記事を載せた号外がこれでもかとばら撒かれる。

 ランク1のユージーン。サインズ傭兵ランク制度導入以来、ランク1を守り続ける男。クラウドアースによる政治的加入があるにしても、彼が全傭兵でもトップクラスの実力者であることは誰だろうと疑う余地はなく、同業者でも彼を類稀なる強者であると認める。特大剣の域に近い重量型両手剣を好んで用いるパワーファイターであり、同時にSTR補正がつく剛なる呪術の火によって炎属性をメインにより苛烈な攻撃を可能とする。代名詞とも呼ぶべきユニークスキル≪剛覇剣≫は攻撃特化であり、ガード不可効果も合わさって誰も彼の剣を止めることはできない。鎧装備ということもあり、スピードには難こそあるが、補って余りあるパワーと剣技によって数多の敵を斬り伏せてきた、まさしく豪傑である。

 ランク9のUNKNOWN。ラストサンクチュアリ専属と言う事もあり、政治的配慮によって1桁台最下位のランクを与えられた男。実際の実力と実績を鑑みれば、最低でもランク3が相応しいというのが大筋の評価である。常に仮面で顔を隠しており、その正体はSAOを完全攻略に導いた【黒の剣士】その人であると噂されているが、正式発表は今のところなく風聞の域を出ない。重量型片手剣を左右に装備して発動するユニークスキル≪二刀流≫は、高められた攻撃力と専用ソードスキルによるラッシュによってネームドのHPすらも瞬く間に削り尽くす程である。また謎が多いもう1つのユニークスキル≪集気法≫も所有している。アルヴヘイム事件以降は、聖剣なる極めて特異な装備を獲得しており、彼こそがDBOを完全攻略に導く真なる英雄であると叫ぶ者は多い。

 ラストサンクチュアリの末路など誰も興味は抱かない。既に決定しているからだ。決闘の勝者がどちらであろうとも、ラストサンクチュアリは滅びる。ラストサンクチュアリを包囲したアームズフォートは、その気になれば一方的にラストサンクチュアリ本部を攻撃できるのだ。

 敢えてランク1をぶつける意味とは、UNKNOWNすらも下す個人戦力を有するという宣伝であり、また決闘という形でラストサンクチュアリにも抗う余地を残すことによって、大ギルドが持つ暴力性の露出を下げる狙いがある。

 ランク1が【聖剣の英雄】を倒せば、名実共に最強の地位を手にした傭兵を擁する事になり、またDBOの全プレイヤーにこれからの攻略を牽引するのはクラウドアースであると大々的にアピールすることができる。仮にユージーンが負けたとしても、アームズフォートによる包囲という『詰み』の状況は変わらず、ラストサンクチュアリは白旗を挙げるしかない。

 聖剣騎士団は『DBO内の秩序を維持する』というディアベル団長の発表の下で、クラウドアースのアームズフォート部隊と睨み合う形で同じくアームズフォート部隊を派遣した。だが、2つの大ギルドが互いに砲口を向けても撃ち合うことはないだろう。どちらかが撃てば、その日がギルド間戦争の開戦日になるのだから。

 太陽の狩猟団は両者の争いには言及せず、人道的見地からクラウドアースがアームズフォート部隊による攻撃を開始した場合、ラストサンクチュアリ所属の約1000名にも及ぶ貧民プレイヤーの救助を目的とした部隊を遠巻きにながらも配置することを決定した。

 同じく神灰教会もラストサンクチュアリ壊滅後に1000名規模の貧民プレイヤーが流入するだろう終わりつつある街の混乱を予想し、貧民プレイヤー同士による争いを避ける為に教会剣による治安維持活動の強化を発表した。また、エドガー神父は全プレイヤーに寛大なる心で街に加わる新たな仲間を受け入れて欲しいと願い出た。

 世界は変わらない。ラストサンクチュアリが潰れたところで大河の流れに変化はない。1000名の貧民プレイヤーが加わったとしても、攻略には何の影響もなく、貧民プレイヤー同士の縄張り争いや上下関係などのパワーバランスが変化するだけである。

 それでも個人は変わる。ランク1や【聖剣の英雄】はもちろん、クラウドアースやラストサンクチュアリに属するプレイヤのみならず、全てのプレイヤーに大小関係なく影響を与えていく。

 1つの石では足らずとも、数万の石を投げ込めば、川の流れも変わるのだろうか? 川底で積み上がった小石は水の流れを変えるのだろうか? ならば、やはり世界は確かに変わるのだろうか?

 誰にも分からない。予想した未来は容易に覆され、否定された過去は掘り返され、今は混迷に満ちる。ならばこそ、重要なのは己自身である。たとえ川に流されるままであろうとも、沈没することがない船を操るのだ。決して揺るがぬ意思を持つのだ。

 

「くぅうううう! 美味い! エイジのホットケーキは格別だ! なぁ、ユナ?」

 

<本当に美味しい。エーくんはやっぱり料理が上手だね!>

 

 そう、たとえ貧乏であろうともだ。のどかな朝食風景にて、エイジはコルの残額を見て顔を苦汁で歪めそうになった。

 ユナとエイジは教会の保護下に入ることになったが、それは永続的処置ではない。ユナの体調が回復すれば、それとなく『自立』を促されることになるだろう。その間は衣食住が保証されているが、今後の自立を考慮した場合、絶対的に金銭面に問題があった。

 先日、早速であるがスレイヴの協力者より返済通知が届き、なけなしの財産は全て支払いに充てねばならなかった。

 私物はほぼすべて売却したがそれでも足りなかった。古錆の呪術の火も売らねばならなかった。ダーインスレイヴと防具以外は何も残っておらず、普段着は教会支給の質素なものである。

 協力者の催促には慈悲の欠片もなく、たとえ鉱山に出稼ぎに行っても返済は間に合わない。大金を得ようにも傭兵復帰はもちろん不可能である。教会は仕事を準備してくれるとの事であるが、まともな稼ぎではとてもではないが次の返済には足りないだろう。

 

(次の返済は60万コル。それも12月以内か。返せなかった場合……どうなるんだろうな)

 

 借金は総額560万コル。しかも月利15パーセントである。クラウドアースからは補償……もとい口止め料&手切れ金の小切手を渡されたが、それも即座に借金返済へと充てられた。

 借金残額380万コル。これでもまだ半分も返せていない。金利も考慮すれば、何としても短期間で大金を稼がねばならない。

 先立つものは金だ。せめて傭兵業を続けることさえできれば返済の道は残っていただろう。エイジはマグカップを満たす冷え切った珈琲のどろりとした水面を睨み続ける。

 と、そこでエイジの袖が引っ張られる。どうやら朝食は終わったらしく、椅子に座ったまま思考の海に沈んでいたエイジを気にした面持ちで見つめていた。

 ユナは何か喋ろうとして、だがカエルが潰れたような空気音と共に咳き込む。

 

「落ち着いてくれ。ほら」

 

 エイジはテーブルに置いたままのスケッチブックをユナに手渡す。彼女は感謝を述べるように笑むと受け取った。

 そんな優しい顔をしないでくれ。キミの声を奪ったのは僕なんだ。キミに笑顔を向けられる資格なんてないんだ。エイジはユナの笑顔を向けられた事実を憎む。彼女の優しさの分だけ心の内の憎悪が荒れ狂うのを感じる。

 

<ずっと怖い顔してるけど、悩みがあるなら聞くよ?>

 

「悩みなんて大なり小なり誰でも持ってるものだろ。僕のは大したことはないさ」

 

<幼馴染に嘘は通じないからね>

 

「本当に大丈夫だ。寝起きで少しボーっとしていただけだよ」

 

 最近は寝つきが悪い。上手く眠ることができない。

 前から悪夢は見ていた。ユナが殺される夢だ。いつも体は動かず彼女を見殺しにする。

 だが、最近の悪夢は違う。『ユナ』の首がない遺体がエイジに手を伸ばしているのだ。彼はその手を掴み、そして床は崩れて落ちていく。

 そこは色のない炎の海だ。『ユナ』の遺体は瞬く間に焼き付くされる。そして、エイジは色の無い炎の内で揺らめく、ユナがSAOで死んだ場面を何度も何度も見続ける。そうして彼も焼かれ続けていく。

 やがて炎の海の底でエイジは血の海に浮かぶ『ユナ』の生首を拾い上げる。彼女はエイジを見つめて、そして嗤うのだ。

 

『エイジは弱いね』

 

 そして、エイジは目を覚ます。『ユナ』があんな風に馬鹿にして嗤うはずがないと頭では分かっているからこそ、彼女に投影して自分の弱さを罵る己を憎む。

 その繰り返しだ。何度眠っても同じ悪夢しか見ない。脳の疲労は回復しても心は休まらない。むしろ起きている方が精神の健全を保てるだろう。

 

(健全……ね。人間の脳みそを犬みたいに喰った奴が精神の健全性を語るとかジョークにもならない)

 

 いっそ夢も見ない程に深く眠ることが出来ればいいのだが。エイジは眠気覚ましも兼ねた珈琲を飲んでユナの眼差しから逃げる。

 

「ユナこそ調子はどうなんだ? 首の傷痕は……疼くか?」

 

<頻度は減ったみたい。これもエーくんとスレイヴさんのお陰。2人がいると気が楽になって症状が落ち着くみたい>

 

 ユナは首の傷口を隠すチョーカーを撫でる。声帯を抉り取ったかのような醜い傷痕は今も痛々しく、また人の目に触れていいものでもなかった。

 

「そうか。僕はともかく、スレイヴは良い奴だし、話し相手としても退屈しないだろうな」

 

<私はエーくんとのお話も好きだよ>

 

「……止してくれ。僕は退屈な奴だよ。この通りに他人と話をするのも億劫なんだ」

 

<昔から社交性に欠けてたもんね>

 

 言い返す余地もない。年を重ねる毎にエイジは周囲から孤立し、ユナは逆に人の輪の中心に入っていった。

 あのまま時間が進めば、幼馴染という関係も薄れ、ただの友人……いや『元』友人といった程度の他人になれたかもしれない。そうなれば、自分が抱いていたはずの恋心も風化したのかもしれない。そんな未来があったならば、彼女もまた死ななかったはずだ。

 

<冗談だよ! エーくんは何でも真面目に考え過ぎ! 昔からの悪い癖!>

 

 慌ててフォローに入るユナに、エイジは気休めなど要らないと嘆息する。今はどうでもいい事だ。過去の自分も、あったかもしれない仮定の未来も、何もかもが価値などない。

 今のエイジの価値はガラクタ同然だ。ユナを見殺しにした。『ユナ』を己の愚かさと弱さで殺した。そして今再び目覚めたユナから歌声と夢さえも奪った。

 今も死なずに、恥知らずに生きている理由が『憎悪』であるならば、それに見合うだけの『力』があらねばならない。『まだ負けていない』のだから、這い続けてでも進まねばならないのだ。

 

「分かってる。『冗談』だよな」

 

 エイジは一気に珈琲を飲み干す。これが彼の朝食のようなものだ。教会から支給された朝食の食材は2人分。エイジとユナの分だけだ。エイジの分はスレイヴの朝食に使われている。

 

<悩みがあるなら相談に乗るから話してみて。エーくんは昔から思いつめると想像できないくらいに馬鹿で危ない真似をするから心配なんだ>

 

 椅子から立ち上がったエイジにスケッチブックを見せるユナの顔を見て、彼は後悔なく彼女の脇を通り抜ける。『大馬鹿』ならば既に済ました後なのだ。もはや止まることはない。

 

「教会の敷地の外には出ないでくれ。ユナはまだDBOについて学ばないといけないことがたくさんある。ここはSAOよりもずっと危険なんだ。スレイヴが色々と教えてくれるはずだ」

 

 ユナを置いて部屋を去ったエイジは、廊下で待っていたスレイヴの苦笑に迎えられる。気を利かせて外に出ていただろう彼女を、エイジは恨めしそうに睨んだ。

 

「俺はお前の味方だが、ユナの友達でもあるからな。2人の関係が少しでも改善すればと思ったんだが、見当外れだったみたいだな」

 

「当たり前だ」

 

 ユナの笑顔は自分に向けられていいものではない。そして、彼女の言葉が今の自分の心に響くこともない。

 壁にもたれたスレイヴは、通り過ぎる教会関係者が十分に距離を取った頃合いに小さく口を開く。

 

「近い内にユナには自傷症状について詳しく説明する。俺も説明は得意ではないが、彼女に理解してもらえるように努力するつもりだ」

 

「よろしく頼む」

 

「相棒だからな。お前が『鬼』の道を行くというならば、俺は見届けてやるし、サポートもするさ」

 

「……軽蔑しないんだな」

 

「ライドウに弟子入りか? それくらいの気概があってこそ『憎悪』の申し子さ。しっかり牙を研いで奴の喉仏を食い千切ってやれ」

 

「やってやるさ。必ずな」

 

「それでいい。心砕けようとも這い進む者よ。たとえ、お前の行く道に救いはなくとも、俺の『憎悪』はいつだって共にあることを忘れるな」

 

 ダーインスレイヴの脈動を感じ、エイジはスレイヴに別れの言葉もなく出発する。

 スレイヴ曰く、ダーインスレイヴはエイジに同調してレギオンプログラムを再構成し、全く別物になってしまった。結果、レギオンプログラムがもたらしていた危機感知能力は失われてしまった。代わりに得たのは、エイジが患っていたFNCを『武器』へと変える視覚警告だ。大きな危険をもたらす攻撃を視覚で察知することができる。とはいえ、色付くということではなく、視覚の内で存在感が増して見えるのだ。故にフォーカスロック関連のシステムと連携しているとスレイヴは推測した。

 

『視覚警告……繰り返し発症したせいでFNCが「鍛えられた」からこその産物か。文字通り、お前の足掻き続けた道のりが生み出した、誰も真似ができないお前だけの武器だ。だが、注意しろ。これまでダーインスレイヴがお前に伝達していた警告はレギオンプログラム由来のものだが、視覚警告はあくまでお前のFNCに依存する。それに視覚が発動の起点である以上は目を潰されたら終わりだ。オマケに目で捉えることが出来なければ察知はできない。それと忘れるな。レギオンプログラムはお前に最適化され安定したことで、もはやレギオンプログラムですらなくなったわけだが、だからこそ影響は未知数だ』

 

 スレイヴ曰く、レギオンプログラムとは全ての大元であるレギオンの王の殺戮本能の劣化模造品とのことだ。常に学習・対応・変異を繰り返す。代償として極めて高い殺戮衝動が発露することになり、戦闘能力の高いレギオン=殺戮衝動の高さとも言い換えられるとのことだった。だが、レギオンプログラムはその殺戮衝動故に自己崩壊するという致命的な欠陥も抱えている。

 自己崩壊を防ぐ為の処置として、レギオンには殺戮衝動に対する理由付けとして食人が組み込まれている。人間を糧とするロジックを与えることによって殺戮衝動による自己崩壊を抑制しているのだ。ただし、これは王の因子を持たない下位レギオンに限定される。上位レギオンは王の因子を持つが故に自己崩壊しないが、いずれも殺戮の飢餓を発散しなければ、いずれは自己崩壊、あるいは暴走状態に入る。

 エイジがダーインスレイヴによってFNCを克服できるのも、この殺戮衝動……極めて高い攻撃性とリンクすることによるものだ。とはいえ、出来損ないのレギオンであるスレイヴの殺戮衝動は無いに等しく、故に薄まった毒を薬として扱えていたようなものだった。それも侵食されてしまえば、殺戮を振りまくレギオンへとエイジは変異してしまっていたとのことだった。

 今更ではあったが、やはりダーインスレイヴが劇物であったかは言うまでもないことだった。だが、こうでもしなければ戦えない程に枷となっていたのがエイジのFNCでもあった。

 ダーインスレイヴ以外の武器を持つことは許されず、ならばこそダーインスレイヴを活かす戦闘を極めることこそがエイジの取るべき道だ。元より選択肢がなかったのだ。不自由などなかった。

 急がねばライドウとの待ち合わせに遅れる。早足になって教会の敷地外に出ようとしたエイジであるが、背後から腕を掴まれて足を止める。

 振り返れば、走ってきたのだろう、息が上がっているユナの姿があった。

 何の用だろうか? ユナが自分を追って来た意図が読めずにいれば、彼女は白い包みを差し出す。

 

<私のパンケーキの残りだよ。ちゃんと食べないと駄目だからね>

 

 金欠などの事情は把握しきれておらずとも、エイジが朝食を抜いていたことを気にしていたのだろう。ユナは自分のパンケーキを取っておいたのだ。

 相変わらずだ。ユナは優しい。誰にでも優しくできる。それが彼女の美点だった。エイジは半ば押し付けられるように包みを受け取った。

 

「……ありがとう」

 

 作り笑いすらも出来ない自分が憎たらしかった。そして、『ユナ』が望んだような笑みは描ける日が来ることもないだろうとエイジは勘付いていた。ユナと『ユナ』が絶対に否定し、拒絶し、軽蔑する道を自分は歩んでいるという自覚があったからだ。

 それでも選んだ道に後悔はない。ダーインスレイヴの脈動が足を止めるなとエイジに訴えかける。微笑みながら見送るユナに背を向けて再び歩き出す。

 たとえ、どれだけ後悔することになっても、時を巻き戻すことができても、エイジはスレイヴが差し出した手を必ず握った。そして、何度繰り返すことができるとしても、憎しみのままに『力』を求める道を選ぶだろう。

 ライドウとの待ち合わせ場所は、<華麗なるチャーリーの記憶>である。終末の時代のステージであり、かつては海溝だった、だが今は干乾びた砂の渓谷に築かれた旧巨大軍事要塞が舞台である。生体融合金属の研究が行われていた場所でもあり、モンスターも金属生命体がメインである。モンスターは総じて物理属性防御力と魔法属性防御力が高く、物理戦士と魔法使いは苦戦を強いられやすい。

 

「おー、来た来た! 待ってたよーん」

 

 そして、エイジはライドウの姿を見て思わず硬直した。

 ライドウとは格好も含めて、他者を挑発するような男だ。戦場であろうともよれよれTシャツとスリッパ姿で闊歩し、相手に屈辱を味合わせる。

 だが、今日のライドウはクラウドアースの正規メンバーのようなスーツ姿だった。しかも普段はボサボサの黒髪を奇麗に整えてオールバックにしている。およそ別人と呼んでも差し障りのない清潔感があった。

 戦場に出る格好とは言い難い場違い感は拭えないが、動揺しないなど不可能だった。

 

「なーに? 俺が真面目な格好しているのが気に喰わない? 俺なりに『先生』の恰好してきたのにさぁ」

 

「わざわざ?」

 

「恰好から入るのが俺のやり方なんだよねぇ。文句ある?」

 

 色々と言いたいことはあったが、エイジは呑み込むことにした。

 

「ここにさ、クラウドアースが準備してくれた俺の『別荘』があるわけなのよん。あまり使わないんだけどさ、これからの雑魚くんとのトレーニングには持って来いかなーって思ってさ」

 

 元が軍事要塞という事もあり、錆びた鉄色が目立つ街並みは、露店を開くNPCが溢れている。ライドウが案内したのは入口からほど近い場所に設けられた、下は将校が使用していただろう、広々とした部屋だ。

 元は軍人に相応しい厳格な雰囲気が漂う空間だったのだろう。だが、今はライドウの好みに模様替えされており、およそ俗世と欲望に塗れた、良くも悪くも軽薄さを感じさせる調度品ばかりだった。特に獣人であるラーガイの毛皮を繋ぎ合わせた絨毯は、ライドウの悪趣味を端的に物語っていた。

 トレーニングルームもおよそ整頓されていない。ライドウはエイジにくつろぐように促すが、座れる長椅子は1脚しかなかった。ライドウの隣などご免であるエイジは、そのまま立ち続けることを選ぶ。

 

「それじゃあ、まずはステータスとスキルリストを見せてちょーだい♪」

 

「どうぞ」

 

 ライドウが指導するにあたって公開を要求するのは当然のことだ。エイジはプレイヤーにとって生命線とも呼ぶべき情報を開示する。

 

「ふむふむ……ステータスもスキルもバランスがいい。キミは典型的な堅実型だね。武器スキルは≪片手剣≫と≪両手剣≫か。≪魔法感性≫もあるけど、魔法剣士をするにはPOWもINTも低めかな? 燃費の良い低級呪術をサポートに回す選択肢は悪くなかったよ。特に爆薬とのコンビネーションはキミのオリジナルでしょ? スキルもステータスも堅実だけど、キミ自身の戦闘スタイルはトリッキー型だね。ステータスやスキル構成よりも、戦闘スタイルの見直しからやっていこうか」

 

「……意外と真面目に批評するんだな」

 

 ライドウの事だから適当に済ますかと思えば、普段から想像できない程に真面目な表情で批評され、エイジは面食らう。

 

「あのさぁ、不真面目にやってキミが強くなれるわけ? なれないでしょ。キミは弱者。弱者が俺に復讐するくらいの強者にならないといけない。そんな激ムズのゴミゲーに挑むんだよ? 真面目になるに決まってるじゃん。雑魚くんはやる気あるわけ? ないなら死ねよ」

 

 立ち上がったライドウは、慣れないネクタイで息苦しいとばかりに首元を緩める。

 

「まずは生存能力の底上げから始めようか。痛覚遮断機能があるでしょ? あれ完全解除して」

 

「……分かりました」

 

 ライドウに言われるままに、エイジはシステムウインドウを開いて痛覚遮断を解除する。これでダメージを受ける毎に生じるのは本物の痛覚だ。その間に、ライドウが装備したのは桃色のグローブと具足だ。トレーニングルームの絶妙に明るさに不足がある照明に照らされ、革製特有の光沢を示す。

 

「3秒」

 

「え?」

 

「3秒以上膝をついたら殺す。3秒以上地面に手をつけたら殺す。スタンしても殺す。とりあえず300秒1セットね」

 

 瞬間にエイジの顔面を衝撃が襲う。鼻が潰れるのではないかと思うほどの痛みに意識が揺さぶられる。

 

「攻撃はしちゃ駄目だからね♪ ひたすらに躱してねー! あ、HPは安心して! これ、ダメージカットとスタン蓄積減少効果がある格闘装具だから、キミのHPなら100発浴びても死ぬこともないでしょ。まぁ、受け続ければ死ぬけどね♪」

 

 容赦のないラッシュが顔面を、喉を、腹を打ち抜く。衝撃耐性を削られ、エイジは片膝をつく。

 立て。立ち上がれ! 痛みで意識が削れ、正常な思考が妨げられる中で、エイジは精神力だけで再び立ち上がるも、その最中も容赦のないライドウの蹴りが側頭部に命中して吹き飛ばされる。

 ライドウは明らかに手を抜いている。それは分かる。だが、根本的な戦闘能力の差を示すように、エイジは繰り出される拳と蹴りを浴び続ける。

 このままではスタンする。スタンすれば殺される! 恐怖心が湧き出せば、FNCが発症して足は動かなくなる。それは余計にライドウの攻撃が当たる悪循環を生む!

 咄嗟にエイジはライドウの拳を受け流した。攻撃は禁じられているが、それ以外は許可されているのだ。正解だとばかりに、ライドウは更に攻撃を加速させていく。

 

「痛いよねぇえええ! 痛いからこそ、避け方を! 守り方を! 戦い方を学べるってものさ! DBOのダメージフィードバックは面白いけどさぁ! 結局は痛みが無いと駄目なんだよねぇ! 殴られたら痛い! 蹴られたら痛い! 貫かれたら……!」

 

 ライドウの貫手がエイジの右肩に潜り込む。肉を突き破る感触と共にエイジは奥歯を噛んで悲鳴を堪えるが、ライドウは痛みを引き摺り出すかのように指を暴れさせる。

 

「もちろん痛い! 痛くて死んじゃいそうだよねぇ!」

 

 ライドウの手が引き抜かれる。だが、実際に肩には穴が開いていない。あくまでライドウの貫手はアバターを貫通しただけであり、破損まで生じさせていないのだ。

 痛い。痛い痛い痛い! 顎を打ち抜かれ、床に転がったエイジは立ち上がろうとするが、痛みで刻まれた脳髄は拒絶するようにアバターを操作してくれない。

 ずっと忘れていた、現実世界に置き去りにしていた痛覚が牙を剥く。エイジは震える足に喝を入れて膝を浮き上がらせ、両手を床から持ち上げる。だが、彼の根性を嗤うようにライドウのミドルキックが鳩尾に打ち込まれる。

 躱せ。防げ。受け流せ! エイジはライドウの嵐のような乱撃に、ダーインスレイヴがもたらす視覚警告を用いようとするが発動しない。

 FNCが反応する、身の危険を及ぼす攻撃に対して視覚警告は生じる。だが、逆に言えば、エイジ自身の能力が低ければ危険の閾値もまた下がっていく。

 今のライドウにはまるで機能しない。ライドウがまるで本気を出しておらず、またエイジの能力がまるでライドウに追いついていないからこそ、FNCが反応し続けて視覚警告が役に立たないのだ。

 ライドウの回し蹴りを防ぎきれず、横腹に受けたエイジはついにスタンする。宣告通りにライドウに殺されると思われたが、彼はエイジに背を向ける。

 

「はい、300秒。ゴングに救われたねぇ。60秒休んだら再開ね」

 

 回復アイテムを投げ渡され、エイジは自分のHPが3割を切っていることに背筋を凍らせた。ライドウの拳も蹴りもHPは1パーセントも削っていなかったはずだ。

 生存能力。ライドウは痛覚を利用することで、エイジの回避・防御能力を鍛え上げるつもりなのだ。ライドウはわざとエイジが回避・防御ができるよりも1段階上で攻撃を仕掛けている。

 エイジが成長しなければ死ぬだけである。ライドウは何の未練もなく、せいぜいが『ゲームオーバー』程度の気持ちでエイジを殺すだろう。だが、同時にライドウは本気で鍛え上げるつもりなのだという確信も持てた。

 痛みがあるからこそ成長できる。それがライドウのやり方なのだろう。痛みが伴うからこそ、生物は全力で成長しようとするのだ。より強くなるべく自らに訴えかけるのだ。

 今日を生き残る為には昨日よりも強くならねばならない。それだけの事なのだ。

 

「…………っ!」

 

 全身を殴打された痛みが残留する。奥歯を噛んだエイジは心で燃える憎悪の炎で痛覚に抗う。

 痛みに怯んだ分だけ死に追い込まれる。

 痛みを恐れた分だけFNCは発症しやすくなる。

 痛みに抗えなかった分だけ生はつかめなくなる。

 

「はい、2セット目。気張っていこうか♪」

 

 殴られる。

 ひたすらに殴られ、蹴られ、痛みが奔流となって意識を塗り潰そうとする。

 その度に繋ぎ止めるのは憎しみだけだった。ライドウの喉元に喰らい付けと叫ぶ憎悪だけがエイジを奮い立たせる。

 ライドウのリーチを把握しろ。腕も足も長さは決まっている。足運びから間合いを割り出せ。体捌きから軌道を読み取れ。そうすれば生き残る道は開かれる!

 

「弱い。弱いねぇ、雑魚くん♪」

 

 10セットが終わった時、エイジは全身を血塗れにして大の字になって倒れていた。

 もう1歩も動けない。スタミナ切れではなく、残留する痛覚が暴れて体の自由が利かないのだ。息をする度に喉から押し出された血が溢れ、小刻みに痙攣する胸はライドウに踏み躙られる。

 

「弱者に価値などない。何の権利も持たない。強者だけが生を許される! 強者だけが掴み取れる! 強者だけが思想を! 信念を! 矜持を持つことが許される! 分かるぅ? 今の雑魚くんは人間じゃない。蛆虫ですらない。利用価値もないゴミ屑なんだよ」

 

「が……ぐがぁ……かは……!」

 

「今日はこれくらいにしようか。言っておくけど、これはウォーミングアップ程度だからね。俺と稽古するときは必ずやってもらう」

 

 倒れたエイジを残し、長椅子に腰かけたライドウはドリンク代わりに缶ビールを飲み、スルメを齧る。まだ痛みが残る体を起き上がらせたエイジは、フラフラと壁に向かうともたれ掛かった。

 これは肋骨が折れているのだろうか? エイジは胸を摩り、激痛に咳き込み、そのせいで更なる痛みを招く。

 頬骨は間違いなく砕けている。鼻も潰れているだろう。およそ無事な場所はないが、ライドウがデバフ付きの装備でなければ……素手であったならば、何十回殺されたか分からないのだ。湧き上がる情けなさは憎悪の炎に投じて燃え上がらせる。それがエイジに戦う『強さ』をくれるのだ。

 まだだ。まだ負けていない。エイジは震える指で痛覚遮断をひとまず機能させ、途端に噴き出す神経をミキサーにかけたかのような不快感に……DBO特有のダメージフィードバックに喘ぐ。痛覚からいきなり切り替わったことによって、脳が処理しきれずに体が傾いて、エイジは顔面全部を使って床にキスをした。

 

「あ、言い忘れたけど、痛覚遮断は痛みが消えてからにした方がいいよ~」

 

 わざと指摘しなかったのだろう。悶え苦しむエイジを肴に、ビールを美味そうに飲むライドウはオールバックに固めていた髪を掻き、いつものグシャグシャの髪形に戻す。ネクタイも脱ぎ捨て、シャツのボタンも息苦しいとばかりに第3ボタンまで外した。

 

「想像していたよりも筋が悪いかなぁ。明日からは『1秒』の予定だったけど、とりあえずしばらくは『2秒』でいこうか」

 

 ライドウも指導など初めてなのだろう。今日は手探りということで3秒だったが、本来は1秒を予定したと聞いてエイジは光量が足りない照明が埋め込まれた天井を見上げる。

 天地程の実力差があることは自覚している。そして、自分のペースで進んでも一生かけてもライドウと同じ次元には到達できない事も重々承知している。

 万事を尽くしても届かぬ境地があるとしても、必ずたどり着いてみせる。かつて人は見上げることしか出来なかった天上の月にも叡智の集積の末に辿り着き、ただの岩の塊であると暴いたのだ。月という名の神を殺したのだ。

 翅すらも持たない地を這う虫けらであるならば、神すらも殺す毒虫になるまでだ。エイジは癒えつつある傷を撫でながら、その時が来るまではいかなる屈辱も侮蔑も取るに足らないものであり、あらゆる苦難に挑む不退転の覚悟を決める。

 そうだ。『覚悟』とは、強敵を屠ることが出来る万能の御業ではない。敵を殺すだけの刃を、毒を、策を持った時、初めて有用となるものなのだ。

 あの日……『ユナ』を殺された時、エイジには自分の命を捨てる覚悟があった。ダーインスレイヴに『エイジ』を喰らい尽くされても構わないという覚悟があった。だが、そんなものは絶対的な力量の差の前では何の役にも立たない。ライドウが言ったのは全くもって正しかった。

 だからこそ、今度は誤ってはならない。たとえ、今まさに自分が歩んでいるのは外道の類であるとしても迷いはないのだから。

 

「さて、雑魚くん。キミの問題点は多々あるけど、とりあえず借金だっけ? これの返済かなぁ。先立つものは金、金、金! お金だよぉ。金が無い貧者が強くなるとか幻想だからね? 金が無いとその日暮らしすらもままならない。腹を空かせて痩せ細った奴が勝てるわけないんだよ。たくさん食べて、しっかり鍛えて、ちゃんと武器を揃える。その方が強いに決まってるんだよ。これ、戦の常識だから」

 

 マネーはパワー。スレイヴの言葉を思い出し、まさしくその通りだとエイジは心の内で首肯する。ただし、ライドウに常識を語られるのは著しく腹立たしかった。

 何1つとして否定はできない。結局のところ、貧民プレイヤーの過半が底辺より這い上がれないのは、根本的な資金不足からくる慢性的な諦観だ。たとえチャンスが巡ってきても掴むだけの気力が残っていないのだ。

 貧民プレイヤーから曲がりなりにもエリートプレイヤー候補生まで這い上がったエイジは、自分にそれだけの気力が残されていたのは、『まだ負けていない』という這い続ける意思があったからだと考えている。それがどろりとした重油のように心に流れ続け、憎悪という活力を燃やし続けてくれているのだ。だからこそDBOの招待状にも応えたのだ。

 

「安心しなよ。雑魚くんみたいな経歴ズタボロの屑野郎でも稼げる上に訓練にもなる方法をちゃーんと考えてあるからさ」

 

 何にしてもライドウの笑みを見る限り、およそ真っ当な手段ではないことだけは間違いないだろう。そして、わざわざこの場で説明しないのも、その時になってエイジがどんなリアクションをするのかも含めて遊びだからだ。

 

「ああ、それと3日後はオフにするからね。ほら、例の大イベント……ほぼ間違いなさそうだからさぁ。キミもテレビに齧りついて見たいでしょ?」

 

「UNKNOWNVSユージーンですね」

 

 まだ日取りは決まっていないはずだが、ライドウは機密も何もないとばかりに明かす。クラウドアースは3日後、間違いなくラストサンクチュアリ壊滅作戦を開始するのだ。

 

「俺もお呼ばれしたかったなぁ。ランク1が負ければ、そのままUNKNOWNと殺し合えるわけじゃん?」

 

「大っぴらにそんな発言をしていたから、ユージーンの協働相手から外されたのでは?」

 

「雑魚くんってさぁ、なんか物怖じしないよね。もう振り切れちゃってる感が出てるよね。俺、そういう反応が塩な奴は好きじゃないなー」

 

 ライドウに対して何処までならば発言をしても問題ないのかの見極めが出来つつあるだけだ。エイジは自分なりに分析したライドウという人間像がほぼ当たりなのか、答え合わせのためにわざと発言を選んでいる。

 ライドウはふざけた態度がデフォルトであり、遊びと称して嬉々として弱者を嬲ることを楽しみ、なおかつ戦闘に悦楽を求めるという狂戦士でもある。だが、同時に彼は損得勘定もしっかりと持ち合わせた人物でもあるとも分析できた。真の狂犬であるならば、そもそも傭兵にも、ましてや専属にもならないはずだ。

 自分が楽しむ為の計算はできる。ならばこそ、ライドウは一見すれば制御不能の狂犬であるが、行動ロジック自体は決して読み切れないものではないのだ。だからこそ、クラウドアースもライドウを専属として保有する選択を取り続けているはずである。

 エイジはライドウが今まさに始めたばかりのゲームの駒だ。ライドウはあの手この手でエイジを育て、自分の復讐者として成長させようとするだろう。

 タイムリミットがあるとするならば、ライドウが飽きるより先に基準をクリアすることだ。ライドウの喉元に喰らい付けるだけの『力』を手に入れることだ。故に呑気にやっている暇はなく、ライドウの命懸けのスパルタ方式はエイジにとってもむしろ有難かった。

 

「まぁ、あの2人の戦いなら、見るべき者が見れば大きな利益になるはずだ。雑魚くんも見逃さないようにね♪」

 

「ちなみに、ライドウさんはどっちが勝つと思っているんだ?」

 

「『さん』付け止めてよね。そこは『ライドウ様』でしょ~?」

 

「ライドウ様はどちらが勝つとお思いで?」

 

「……ごめん、やっぱ無しで。雑魚君に様付けとか本気で吐きそう」

 

 わざとらしく嘔吐するフリをしたライドウは、新しい缶ビールを開けると喉を鳴らして飲み、泡が付着した口元を袖で荒々しく拭う。

 

「どっちが勝っても面白いし、わざわざ予想なんてしないよ。俺はあの2人の戦いを肴に酒を飲んで楽しむだけだしねぇ」

 

 ライドウらしいと言えばそれまでだが、エイジは溜め息を堪えた。

 3日後、DBO中のプレイヤーは……貧民から富裕層、悪党から聖職者まで、全員が2人の戦いを注視するだろう。

 彼らの『力』をこの目に刻み込まねばならない。エイジもまた勝者に興味はなく、彼らの戦いからどれだけ学び取れるかだけが重要だった。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 弔いとは生者が死者に示す敬意の儀式だ。リーファはフロンティア・フィールドで死んだ4人の墓前で黙祷を捧げる。

 彼らがいかなる宗教であり、いかなる神を信じていたのかは定かではない。たとえ知っていたとしても、DBOにおいて実在する宗教の作法に則って葬儀を行うのは思いの外に難しいものであり、ならばこそDBO流に自然と行き着いてしまうものである。

 現在、DBOで最も主流なのは神灰教会式である。元々はクリスチャンだったと噂されるエドガー神父が基礎から築いたものであり、故にキリスト教と似通った部分が多く、リーファには馴染みこそないが、大よその雰囲気は映画や本などで感じ取れていた類のものだ。

 神灰教会が新たに建設した大霊園はいかなる出自、経歴、宗教、ギルドのプレイヤーだろうと受け入れる。大ギルドはそれぞれ神灰教会の管理下に個々の霊園を有しているが、それ以外のプレイヤーは大霊園に弔うのが今のDBOである。

 とはいえ、個々の墓となればスペースを取り、相応の経費がかかる。4人の関係者はいずれも『安いから』という理由で、名前だけ記載される共同墓標を希望したが、リーファの強い希望……もとい経費を全額持つという条件で、彼らは個々の墓が立てられることになった。

 葬儀に参列した4人の関係者の態度は、悪い言い方をすれば素っ気ないものだった。リーファは知らなかった。4人はいずれも実力こそ評価されていたが、ギルドの寄せ集めである自由開拓戦線においても居場所があると呼べる立場ではなかった。

 彼らもそれぞれの悩みと願いを抱いてフロンティア・フィールドに出発したのだろう。死に際はどれだけ恐ろしく、また無念だっただろうか。彼らの遺体が埋まっているわけでもない、オブジェクトに過ぎない墓標を撫でながら、リーファは頬を涙で濡らす。

 刻まれているのは、本名ではなくプレイヤーネームだ。彼らは自分たちの本当の名前を誰にも語ることなく、DBOを生きる者として死んだ。そして、彼らに現実世界の肉体があったかどうかもリーファには分からない。教会に頼めば調べることも出来るが、それは彼らがこの世界で生きた価値を奪うような気がして拒絶した。

 

「リーファちゃん。そろそろ行こう」

 

「あたしはもう少しここにいる」

 

「……そっか」

 

「レコンは行きなよ。色々大変なんでしょ? あたしは政治とかさっぱりだけど、アンタの愚痴くらいは聞いてあげられるし、泣きたい時は一緒にいてあげられるから、あまり無理しないでよね」

 

「無理なんてしないよ。背伸びし過ぎて痛い目に遭ったばかりだからね」

 

 黒スーツの喪服のレコンは4人の墓前に最後の一礼を取るとリーファを残して去っていく。彼はこれから自由開拓戦線の上層部との話し合いがあるのだ。

 リーファ達は結果的に見れば、4人の戦死と引き換えに楔の残滓を発見し、教会と合同でフロンティア・フィールドの謎の1つを暴いた扱いである。

 だが、そもそもとして今回の4人の死には、リーファ達があまりにも不透明のまま立場と権力を得ようとした事が起因となっている。

 リーファ自身には権力欲などないつもりだった。だが、自由開拓戦線で発言力を得る立場を手に入れるとは、即ち権力を渇望するのと同じなのだ。その重みを理解していなかったからこそ、今回の惨事を招いてしまった。

 フェアリーダンスの再建。リーファは今もそれを強く願っている。だが、今までのやり方では駄目だ。むしろ、今回は教会と結果的とはいえ協働した形になってしまったが故に、増々の不信の種をばら撒いたことになる。

 

「ねぇ、みんな。あたしに出来ることって……何だろうね?」

 

 レコンみたいに政治の世界を泳ぐこともできない。兄のような独特のカリスマ性で人を惹き付けることもできない。卓越した指揮力も持たない。商才があるとも言い難い。実力は確実に伸びていると自信はあるが、それでも突出した存在……人々を導けるような『英雄』にはなれない。

 リーファ自身は強く思い悩むが、それも仕方のないと言えば仕方ない事でもあった。彼女はまだ10代の少女であり、本来ならば学生だ。親の庇護の下で心身を成長させ、才覚と向き合いながら社会へと羽ばたく準備をしなければならない身である。だが、DBOに囚われたことによって、命を奪い合う暴力と策謀と欲望が渦巻く、法も無ければ道徳もまともに機能するかも疑わしい世界で生き延びることを余儀なくされたのだ。その上で不特定多数の人々の未来をかけて、『永住』と『帰還』の両立を求める荒野を進みたいと願う時点で、彼女は十分過ぎる程に輝かしい精神を持っていると言えるだろう。

 だが、彼女は自身を客観視しきれていない。いいや、そんな甘えを是とはしない。『リーファ』と名乗ってDBOで生きていく限り、彼女は剣を握って戦場に立つ。ならばこそ、追い求める理想を捨てるなど出来ず、目指すべき場所を変える気はない。

 

(篝さんはあたしなら誰かの手を握ってあげられるって言っていた。誰かと誰かの間に入って、あたしが手を取り合わせることが出来るのかな?)

 

 レコンにはレコンのやり方があって、だからこそ今回の結果に行き着いた。レコンも悩み苦しんでいるが、現在のリーファ達の立場が改善される余地はほぼ残っていない。

 だからこそ、リーファは独自のやり方で何とかして荒野を切り開けないかと悩む。だが、どれだけ考えても思いつかない。当然だろう。死者に問いかけて思い悩むだけで答えが出るならば、墓場は静寂さを失う程に人で賑わうことになるはずだからだ。

 

「貴様は……」

 

「……ユージーンさん」

 

 だからこそ、生者同士ならば? 花束を持った、普段の鎧姿ではなく、霊園に相応しい黒スーツ姿のユージーンにリーファは会釈した。

 

「仲間が死んだか?」

 

「……はい」

 

「まさかレコンか?」

 

「い、いいえ! レコンはもう殺しても死なないんじゃないかってくらい元気ですよ!」

 

「そうか。だが、泣き腫れる程だ。さぞかし仲が良かったのだな」

 

「……そうだったら、良かったんですけどね」

 

 リーファも喪服の黒1色のワンピース姿だったからか、涙もあって察してくれたユージーンと共に、そのままサクヤの墓前へと移動する。彼女もまたこの大霊園で弔われている。ギルドハウスに残っていた私物を遺品として墓標の材料として溶け合わせている。

 ユージーンが多額の金を支払って建造したお陰で、もはや霊廟と呼んでも差し障りの無い規模である。実際に彼女の墓標は2体の女神像と薔薇の生垣で覆われており、なおかつユージーンが彼女に捧げた詩が石碑に刻まれている。サクヤの霊魂が今もDBOにいるならば、顔を真っ赤にして今すぐ取り壊せと絶叫する程の豪華絢爛っぷりは、これで何度目の墓参りかも分からないリーファの頬を今日も引き攣らせる。

 

「なるほどな。オレにも分からない悩みでもない」

 

「ユージーンさんが? 冗談でしょ?」

 

「本当だ。オレもサクヤに悩みを打ち明けて……救われたことがある」

 

 リーファはサクヤの墓前でユージーンに今回の1件を語った。彼ならば酒の席であろうと誰かに漏らすような真似はしないはずであり、また真剣に受け止めてくれるはずだと信頼することも出来たからだ。

 都合がいい。ユージーンは兄と間もなく本気で戦うというのに、妹である自分は兄の敵に悩みを吐露して相談を持ち掛けている。まさに卑怯者だと自身を唾棄する。

 

「自惚れるな。サクヤの仲間である貴様がこのオレを頼るのは至極当然。むしろ、それこそがプレイヤーの絶対なる権利! 何も恥じることはない」

 

 カッコイイ。純粋に男として頼りになる発言に、リーファはこの男が週刊サインズの『モテる傭兵ランキング』でトップ3入り常連なのも頷けた。ワイルドな男気は、常にあらゆる不安が押し寄せて命の危険も伴うDBOだからこそ、何にも勝る魅力なのだろう。蛇足であるが、黒色大好き仮面の二刀流はトップ5常連であり、白の傭兵はランキング開始以来ずっと圏外である。

 

「自分のできる事をやるしかない。自分が決めた重荷ならば背負い続ける。己の選んだ道ならば、何があろうと胸を張って生きる。オレは『ランク1』としての責務を果たすと『覚悟』を決めた。誰もが頼れる……未来を託したいと思える希望の象徴である『ランク1』にな。たとえ、今の地位は政治的配慮によるものだとしても、UNKNOWNを倒せば、オレこそが『ランク1』であると認めぬ者はいなくなる」

 

「……そうでしょうか。ランク1でもランク9でも……ランク42でも、頼れる人は頼れるし、頼られてばかりの人だって誰かに頼りたい時がある。あたしはそう思います」

 

「ランク42……フッ、【渡り鳥】か。そういえば、今回の件にも奴が関わっているのだったな。不思議なものだ。奴は何故かいつも死に関わる。とても……とても悲しく、哀れで、無惨な死ばかりにな」

 

 不思議だった。聞き方次第では不吉の象徴の如く語っているはずなのに、ユージーンの目には切なさばかりがあるような気がした。

 

「傭兵という仕事柄、多くの死に直面する。このオレとて守り切れなかった者は両手の指の数でも足りん。その度に己の無力さを痛感する。誰かの死を嘆く涙を見る度に、我が身の至らなさを噛み締める」

 

「…………」

 

「たとえ『最強』の称号を得たとしても、それは変わらんのだろうさ。個人では守るのにも限度があり、たとえ『英雄』と謳われる者でも救える範囲はたかが知れている。だが、『英雄』という名の偶像として……象徴となって進み続ければ、続く者たちもまた似た意思を持ち、それが誇りとなるだろう。オレは『ランク1』として全ての希望と絶望を背負いたい。人々にとって都合のいい『偶像の英雄』として……未来を掴み取りたい。それがオレの『答え』だ」

 

「……カッコイイなぁ。悔しいくらいにカッコイイじゃないですか」

 

「そうでもない。それこそが『ランク1』の使命だと自負しているだけだ。それに、口で理想を語るのは容易いものだ。実際にその道を歩んでみれば、重みで歪んで踏み外すこともあるだろう。いや、DBOのみならず、現実の歴史でもありふれた1つの末路なのだろうな」

 

 サクヤの墓標に跪いたユージーンは、あらん限りの愛を込めるように微笑んで冷たい白石に彫り込まれた彼女の名前を撫でる。

 

「だからこそ、支えてくれる者が必要なのだろう。諫めてくれる者が不可欠なのだろう。共に歩んでくれる者が励みになるのだろう。たとえ、いつか失うことになると恐れたとしても、それ以上の前を向いて立ち上がる意思をくれるはずだ」

 

「ユージーンさんにとって、それがサクヤさんだったんですか?」

 

 ユージーンは何も言わなかった。だが、その背中から溢れんばかりの覇気は全てを物語っていた。

 

「オレはUNKNOWNを倒し、聖剣を継ぐ。聖剣の『力』を欲しているのではない。聖剣がもたらす権威……【聖剣の英雄】という称号を得る為だ。オレが目指す『偶像の英雄』にこれ以上と無い程に相応しい。実に都合のいい眩しい光だからな。それに、ハッキリと言わせてもらうが、奴は聖剣を背負えない。バトルセンスは非凡。特に剣技はまさしく剣聖となるべく生まれた才能だろう。だが、奴は……」

 

「知ってます。ユージーンさんの言う通り、聖剣なんて重過ぎるものを持ってしまったばっかりに、ちょっと目を離したらあっさり道を踏み外すどころか崖から転落死しそうですもん」

 

「辛辣だな」

 

 妹ですからね。リーファは自信満々に胸を張り、だからこそユージーンの言葉に閃きを得る。

 

「だから……支える……諫める……共に歩む。あたしは……あたしに出来ることを……」

 

 兄だけではない。このDBOには、どれだけ強くても、心の内に苦しみを抱いてもがいている人々がいる。彼らは時に孤独に生きて死に、あるいは宗教などの心の支えを求める。大ギルドのプレイヤーでも神灰教会にのめり込んでいるのがいい証拠である。

 旧フェアリーダンスを思い出せ。大ギルドの嫌がらせを受けながらも、サクヤが存命の内は誰もギルドの脱退も裏切りも考えていなかった。フェアリーダンスこそが居場所だと信じていたからだ。

 

「フッ、見つかったようだな。貴様の進むべき道が」

 

「まだ曖昧だけど、やりたいって思えることは見つけました! ありがとうございます」

 

「オレは持論と信念と理想を語ったまでのこと。それで貴様の悩みが少しでも晴れたならば、サクヤに感謝しろ」

 

「そうですね。サクヤさんは幸せ者だなぁ。ユージーンさんみたいな人に死んだ後もずーっと愛してもらえるなんて!」

 

「当然だ。だが、この愛が永遠など吐けば、奴はオレの頬を殴りつけるだろうさ。『死者にいつまでも囚われるな』とでも怒鳴ってな。だから……次に来るのは、UNKNOWNに勝利した報告だな。それでようやく区切りがつける。オレもサクヤを『過去』として生きていける」

 

「健闘をお祈りします」

 

「ほう、意外だな。貴様はてっきりオレの敗北を願うものかと」

 

「もちろん、どっちが勝つかなんて決まってますし、信じて疑いません。だけど、ユージーンさんが負けろなんて願わない。サクヤさんに誓って……絶対に」

 

 リーファが願うのは『兄の勝利』であって『ユージーンの敗北』ではない。だからこそ、ユージーンの全力の闘志にはむしろ敬意を払わねばならないとすら感じている。

 

「そうか。謝罪させてくれ。貴様のみならず、サクヤの誇りにすら危うく泥を塗るところだったようだ」

 

 2人の勝敗に関わらず、ラストサンクチュアリは終わりだ。大きな流れは変わらない。

 だが、戦いの末にどちらかが命を落とすことになるかもしれない。あるいは、勝っても負けても得るものは何もないという無惨な結末もあるかもしれない。

 それでもリーファは願うのだ。『兄の勝利』を。そして、同じくらいに『ユージーンが威風堂々と戦う勇姿』を。そうすれば、生きてさえいれば2人ならば歩めるような気がするのだ。

 兄では決してなれない『偶像の英雄』を……サクヤを愛してくれたこの男ならば、きっとやり遂げられるだろうと信じられるのだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 暇だ。太陽の狩猟団より待機命令を受けているシノンは、今日も時間を潰すべくサインズ本部の談話スペースで雑誌を捲る。

 クラウドアースが発刊する月刊アフロディーテこそが女性ファッションの最先端であるが、その覇権は絶対ではない。他大ギルドもクラウドアースのお株を奪うべく出資し、また鬼才が率いる中小ギルドが立ち上げたブランドなども着実に業績を伸ばしているからだ。特にアフロディーテで紹介される衣服やアクセサリーは素材の関係上どうしても値が張る傾向にある。それに対して新興のブランドは、いずれも低価格素材を用いたお手頃ばかりであり、なおかつデザインも悪くないともなれば、自然とシェアを伸ばすものである。

 シノンとて女子だ。ファッションに無関心というわけではない。優先順位が低めであっただけだ。過去形である。

 それもこれもあの仮面野郎のせいだ。先日、シノンは飲みまくって悪酔いした挙句にUNKNOWNに背負われて帰宅するという屈辱を味わった。補足するならば、UNKNOWNは必死になって彼女を傭兵寮に運び入れようとしたが、彼の髪の毛を掴んでハンドル代わりにしたシノンが断固として拒否し、自宅へと招いてしまったのである。

 そして、UNKNOWNを待ち構えていたのは、服が脱ぎ散らかされた汚部屋4歩手前だった。最近は仕事で忙しかった事もあり、精神もダウナーともなれば掃除する余裕もなかったと言えばそれまでだが、男子を入れていい状態ではなかった。

 それも恥ずかしい。だが、シノンは改めて脱ぎ散らかされた服を見た。長袖・半袖などを除けば、似たり寄ったりの服ばかり。もちろんクローゼットの中身も同様だ。

 女子としてオシャレの欠片もない。普段は気にも留めないことであるが、何故か無性に恥ずかしくなった。シノンは鬼の笑顔のシリカに連行されるUNKNOWNを見届けたあと、1つの決心をした。

 今回の待機命令はラストサンクチュアリ壊滅作戦を控え、専属・独立も含めて、あらゆる手段でラストサンクチュアリが雇用できない孤立状態を示すものである。太陽の狩猟団も歩調を合わせており、シノンも壊滅作戦決行の日までレベリングすらも出来ない状態である。

 独立傭兵たちも危険を伴わずして楽に稼げるとばかりにクラウドアースによる依頼の受諾と待機を実施しており、サインズ本部には特に暇そうな傭兵で溢れている。

 今回の待機中に支払われる額は、ランク3のシノンともなれば相当である。彼女はこれを今まで大して金をかけていなかったファッション面に投資しようと考えていた。

 

(彼も作戦が終わったら専属先も失って、再出発まで暇だろうし、時間潰しに付き合ってあげるだけ。レベリングとかばかりじゃないだろうし、街とかだったら私服が要るし……)

 

 とはいえ、シノンはファッション初心者。GGOでもNPCに言われるままにコーディネートされ、以後は彼女の特徴のように似通ったデザインの衣服・防具を着てばかりのことだ。現実世界では環境もあって、ファッションに意識など向ける余裕もなかった。

 だが、相談しようにも友人がいない。アルヴヘイム関連のお陰でリーファなどはフレンド登録されているが、友人のように語り合えるかと言えばそうでもない。

 シノン。【魔弾の山猫】の異名を持つランク3であるが、その実態はオフになるとキノコが生えてもおかしくないくらいのぼっち女だった。何処かの白い傭兵といい勝負で、仕事関係以外では自ら交流関係の輪を広げるのが致命的に苦手な女だった。

 

「おいおい、アイドルデビューの次はモデルデビューか? 傭兵の本業を疎かにしちゃ駄目だろ」

 

 と、そこに茶々を入れてきたのは同僚のカイザーファラオだ。同じく太陽の狩猟団の専属とはいえ、仕事以外ではほとんど交流の無い相手である。だが、元よりフレンドリーである彼は同じ専属だから、傭兵だからと何かと声をかけてくることが多い。もちろん、7割以上は下心なのは言うまでもないことである。

 

「私だって女よ。ファッション雑誌くらい読むわよ」

 

 わざと荒々しく閉ざしてテーブルに放れば、カイザーファラオは表紙の美女に鋭い目線を送る。

 

「ミニスカート特集ねぇ。山猫の足も奇麗だとは思うが、俺は個人にあったファッションをオススメするがな。あと、こういう大人しめの文学少女系を目指すのもアリだと思うぜ」

 

「足うんぬんは聞かなかったことにしてあげるとして、ナシ寄りのアリでしょ?」

 

「あ、バレた?」

 

「バレバレよ。私に似合わないわよ」

 

 カイザーファラオが捲って開いた、ロングスカートのモデル写真のページから目を背けたシノンは、そのまま受付カウンターで暇そうにするサインズ3大受付嬢に目を向ける。

 いずれもサインズの制服であるが、看板と言う事もあり、これまで何度か週刊サインズでも特集を組まれている。特にバンドを組んでいるラビズリンはファッション系の露出も多く、先日もマユと並んで月間アフロディーテでモデルを務めていた。

 

「まぁ、俺も男だからな。女の化粧や服のことは同じ女に聞くのが1番だと思うぜ」

 

「……女友達いないのよ」

 

「そりゃ……なんていうか……ご愁傷様だな」

 

 マユとはそれなりの仲であるが、やはり仕事関係……装備のことばかりだ。酒が入れば別であるが、それでは完全に脱線する。しかもここ最近は、シノンがミニスカアイドル衣装で歌って踊って演奏したと聞いて、防具までスカート系に変えるべく画策している始末である。

 今ここでマユにファッションの相談をすれば、防具をスカート系にすべく全力で誘導されるだろう。それだけはシノンとしても避けたかった。

 シリカにしてもUNKNOWNを挟まねば会うこともない。嫌いではないが、どうしてもシノンには社交性が欠如してしまっているから、彼女から近づいて来ても踏み込み切れていないのだ。

 

「で? 何でまたいきなり服に興味なんか持ったんだ?」

 

「別にいいでしょ。私の稼いだお金なんだから、好きに使わせてもらうだけ」

 

「ははーん。男だな?」

 

「違う」

 

「否定しなくてもいいじゃねぇか。どんな理由だろうと、俺達は大金稼いだ分だけ派手に使うのも仕事なんだからな」

 

「ちゃんと使ってるわよ。欲しい楽器とか買ってるし……」

 

「へぇ、アイドルデビューするだけの下地はあったわけだ」

 

「そのネタっていつまで続くの?」

 

「ミュウ副団長様がライヴ第2弾を計画している内は無理じゃねぇのか?」

 

「……最悪」

 

 1度目は追い詰められて仕方なく引き受けたが、2度目はない。あんな短いスカートかつヒラヒラいっぱいのアイドル衣装など2度と着るものか! シノンは笑いを堪えきれていないカイザーファラオを横目で睨んだ。

 

「ジュピターとかに相談してみたらどうだ?」

 

「あのアマゾネスに?」

 

 シャルルの森以降、それまでの堅実スタイルをかなぐり捨てたジュピターは、まさしくアマゾネスと言わんばかりの過激戦闘スタイルに移行しているだけではなく、装備も何処のジャングル出身だと言わんばかりのものだ。フェイスペイントも合わさり、隙を見れば肉を焼いて貪っている、まさしく肉食ガールである。

 

「そのアマゾネスだが、オフの恰好は甘ロリだって知ってたか?」

 

「……嘘」

 

「本当」

 

「信じないから」

 

「本当だって。アイツ、ああ見えて仕事とオフの切り替えヤベェんだよ。傭兵業から離れたオフは、凄い丁寧で物腰穏やかで恰好がアレだろ? 結構モテるらしいぜ。まぁ、その正体がアマゾネスって知って大体は逃げるんだけどな」

 

「…………」

 

 同じ専属として何度か組むことはあったが、事務的なやり取りばかりだった。思えば打ち上げも太陽の狩猟団が企画したものばかりで仕事モードは抜けない。言われてみれば、何かと話しかけてくれるカイザーファラオも含めて、本当のオフの状態というのは想像がつかない傭兵ばかりである。

 そういえば、UNKNOWNも、ダサTシャツで、ダサいサングラスで、麦わら帽子を被って釣竿を武器代わりに背負っているというオフの姿がある。≪釣り≫スキルは魔性の類。多くの釣り人をDBOでも量産しているが、そこでも最先端を走るブラッキー先生を思い出し、シノンは泣きたくなった。

 

「オンとオフの切り替えといえば、【渡り鳥】もスゲェがな。いやぁ、仕事以外で付き合いはなかったんだが、まさかあんな天然キャラだったとはな。正直、俺もYARCA面に堕ちそうだったぜ」

 

「それ、本当にオフか分からないけどね。彼について知った気になると後々になって引っ繰り返されることばかりよ」

 

「確かに。アイツってオフの時は教会でガキ相手に遊んでるって噂だしな」

 

「万華鏡みたいな人なのよ。覗き込む度に印象が変わってしまう」

 

「実感籠もってるな」

 

「すっかり薄味になってしまったけど、付き合いだけは長いのよ」

 

 だからこそ、これからはもっと深く知りたいと思っているが。UNKNOWNの仮面を無事に砕いてもらった暁には、彼とクゥリを含めて何か出来ないだろうかともシノンは考えている。正確に言えば、あの2人を放って置いたら遊びに行くどころか、レベリングやフロンティア・フィールド、はたまた未知なる何かへと旅立ってしまいそうな気がするからだ。

 

「こんな仕事だ。金を使って憂さ晴らしをして、仕事がないオフはきっちりと区別するのも精神衛生上も良いと思うぜ? 俺だって2枚目ダンディは傭兵モード限定だしな」

 

「つまらないジョークね」

 

「世辞でも笑ってくれてもいいんじゃねぇのかい?」

 

「嫌」

 

 だが、確かにオンとオフ……傭兵業や戦闘時と平時は切り分けられるようにならないといけないのだろう。先に聞いたジュピターなどは極端過ぎるが、ある程度の切り替えをする為にも、形から入るファッションには別視点からの興味も持ったシノンだった。

 

「オンとオフの切り替えをしなくてもいい奴なんて稀さ。アイツらみたいにな」

 

 カイザーファラオが指差す先では、今日も胸の大きさ1つで、どうしてコンビを組んでいるのか分からない程に殺気を爆発させて殴り合っている竜虎コンビがいた。なお、彼らが喧嘩で破壊したサインズ本部の調度品の修繕請求はクラウドアースに行われる。

 

「羨ましくはあるんだがな。アイツらみたいに、ありのままの……馬鹿々々しいくらいに真っ直ぐな素顔を晒し合える仲ってのはな」

 

「そうね」

 

 他人には高圧的な態度を取ることが多いレックスと後方支援に秀でているが故に調整役を担う虎丸。だが、その正体は胸の大きさで本気の殴り合いをする馬鹿共だ。そして、その分だけ2人の絆の深さも分かる。

 

(私も、彼とそんな……そのままの素顔を晒せるような絆があれば……)

 

 何を考えているのだ。馬鹿々々しい。シノンはソファで膝を抱えて顔を埋める。断じて思考が甘酸っぱくなって頬が赤らんだのを周囲に悟らせない為ではなく、そもそもとして仮面という『嘘』を被り続けたUNKNOWNへの溜め息を呑み込む為である。

 もう彼に仮面は要らない。それでも被り続けるのは、約束でも何でもなく、クーに殴られる時の保険の為というダサさの極み。だが、それも彼なりのクーへの友愛表現だと思えて、だからこそ羨ましかった。

 

「……ユージーンがあのいけ好かない仮面をぶち砕いてくれないかしら?」

 

「お? なんだ。山猫はてっきりランク9にベットしているもんだと思ったんだがな。まぁ、オッズはほぼほぼ互角だ。どっちが勝ってもおかしくないが、やっぱり協働数が多い身としてはランク9に賭けていると思ってたんだがな」

 

「そうよ。彼は『負けられない』。だから勝つ」

 

「そりゃユージーンも同じだろ。これで負ければ、アイツのランク1はハリボテの称号に早変わりだ。次のランク変動では剥奪もあり得るだろうな。そうなれば、次のランク1は誰になることやら」

 

「……そう言われてしまうと、ユージーン以外にランク1って称号を背負えそうな傭兵って案外いないものね」

 

「そりゃそうさ。ランクなんて飾りとかほざくヤツもいるが、名目上は傭兵のトップに君臨するんだ。重くて反吐が出るだろうよ。俺なら願い下げだ」

 

「私も興味ないし、くれるって言われても断るわね」

 

 シノンは考える。こうしてファッション雑誌を捲っていたのも現実逃避の為なのかもしれない、と。

 世間はユージーンVSUNKNOWNの1色であり、右を見ても左を向いても同じことで盛り上がっている。

 この戦い、どちらが勝っても大きな流れは変わらない。だが、UNKNOWNは変わってしまう。そうなると、自分と彼の関係はどうなるのだろうか?

 そんな身勝手な感情が忌々しくて、目を背けたくて、ただ彼の勝利だけを願いたくて、だから別の事を必死に考えようとするのだ。

 

「なぁ、前言撤回して悪いが、ミニスカも試してみないか」

 

「死ね」

 

 だから、今だけはカイザーファラオの軽口が嫌になるくらいに気を楽にしてくれて、シノンは増々の憂鬱を味わうのだった。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

「フロンティア・フィールド、やはり興味深いね」

 

 最終報告書に目を通し終わったディアベルは眉間を解しながら、執務テーブルに書類の束を置くと椅子に深く腰掛けた。

 3大ギルドのトップが座するにしては質素な椅子である。親衛隊であるソフィアは背中で手を組んだ不動の起立の姿勢を崩さないままに、立場に相応しい豪奢なものにして権力をアピールするべきだと思う一方で、自身もまた最前線に赴く戦士であるという表明しているようで好意を持って心酔する。

 

「ネームドの成長と変異。これまでのように情報収集による事前準備による優位の確保が難しくなりました。これらのほとんどがフィールド全体を動き回る徘徊型であり、また自身に有利な環境を構築する特性を持っているならば、脅威度は場合によってボス・ネームド以上かと」

 

 今回の報告書は自由開拓戦線に潜ませたスパイと教会から『お布施』の返礼として受け取った情報を統合したものである。

 フロンティア・フィールドにはネームドに成長できるモンスターが存在し、それらはプレイヤーのように経験値を稼ぐことによってネームドに至る。その場合、ネームドの証明であるHPバーと同時表記される名称には、モンスター本来の名前に2つ名のようなものが与えられる。

 教会はフロンティア・フィールド特有のネームドを『異名持ち』というネームドの新たな区分として呼称することにしたらしく、後々のDBOにおけるスタンダードとなるだろう。

 

「ネームド化による攻撃力・防御力・HP総量の増加だけではなく、個体差によって能力に違いがあるのも危険だね」

 

 報告書には主な例として、自由開拓戦線が遭遇したバム=ルークについて記載されている。特異なガスを操る能力を持ち、それらを利用した空中での精密な動き、防具の腐敗による防御力ダウン、肉体の腐敗ガスを菌類の連携による強化など、既存のネームドとは一線を画す、環境を利用して襲い掛かる生態について纏められている。

 このバム=ルークと初見で遭遇すれば、たとえボス・ネームド討伐を目論んだレイド級の部隊でも大損害は免れないだろう。逆に言えば、よくぞ生存者が残っていたものだと称賛すらも出来るのがソフィアの感想だ。

 だが、逆に言えば情報が揃い、対策さえ揃っていれば、このバム=ルーク相手でも今の聖剣騎士団の精鋭部隊ならば、パーティ2組分……12人もいれば十分に討伐可能であるとも分析できた。

 十分な対策さえできれば生存率は大きく高められる。雷属性を主体に使う敵ならば雷属性防御力を、遠距離魔法主体ならば魔法属性・射撃属性防御力を、それぞれ高めて挑めばダメージが引き下げられる。

 故にネームド戦は危険である。どれだけ情報を集めても、HPバーが移行する毎に解放される能力は未知数だからだ。第1段階では炎属性主体だったはずはずが、第2段階からは水属性に切り替わり、対策不十分で大損害を引き起こしたこともあった。

 

「やはりフロンティア・フィールドの探索は今までのようにはいかない……か。やはりラムダの提案通り、これからはサポートに特化した調査員を組み込んだ、機動力と隠密力の高い少数部隊による先行探索が不可欠になるね。6名フルメンバーのパーティで、調査と最低限の戦闘を両立させ、なおかつ生還率を高める……か。GAシリーズには向かないな」

 

 ラムダの発案。その言葉の通り、今回の自由開拓戦線の少数による探索部隊派遣の裏では聖剣騎士団の暗躍があった。実験の成功率を高める為に、傭兵でも特に単独行動による高い生還率を誇る【渡り鳥】が依頼を受託できるように、聖剣騎士団からも働きかけておいたのだ。自由開拓戦線側の部隊員が全滅したとしても、【渡り鳥】が生還して情報を持ち帰るといった算段である。

 ディアベルの執務テーブルには写真付きの資料……自由開拓戦線が派遣した探索部隊員の生還者であるリーファとレコンについて纏められた資料がある。両名共に元フェアリーダンスのメンバーである。そして、レコンについては自由開拓戦線設立までに至る暗躍についての調査資料も添えられていた。

 自由開拓戦線を設立させられたのはイレギュラーではあったが、大ギルドからすれば新たな謀略の場が増えただけのことだ。これまでと同じく、如何にして利益を確保し、勢力を拡大させるかに終始するだけである。

 名目上の中立地帯とは増える分には問題ない。大ギルドは直接衝突せずに友好と平和を訴える一方で、それぞれの勢力下による有力ギルドなどによる代理戦争によって削ぎ合いを続けているのだ。自由開拓戦線はそうした謀略の盤の1つとなったに過ぎない。

 

「クラウドアースはGAシリーズに倣った独自路線の開発が進んでいるようだし、太陽の狩猟団は例の新型クロスボウがいよいよ実験的に導入されるようだからね」

 

「GAシリーズは元々探索向けではありませんから。それなのに、最近の開発部は浪漫だ何だと……頭がおかしいです!」

 

 物理属性や重装備開発に重きを置く聖剣騎士団の武器・防具は、どうしても身を隠しながら行う探索調査には向かない。その一方で、際限なくモンスターが襲い掛かるダンジョン攻略、強力なモンスターやネームド戦における生存率は高い。何事も一長一短である。

 だが、GAシリーズの開発が好調だったせいか、最近の聖剣騎士団の工房では浪漫主義が徐々に勢力を伸ばしており、汎用性に欠ける装備ばかりに注力されている。

 重過ぎてスピードが無くなる上に携帯性も絶望的かつ装弾数も少ないグレネードキャノン。

 腕とほぼ一体化するほどの、やっぱり機動力が死ぬ、超連射性能特化ガトリングガン。

 爆薬による圧倒的破壊力と炎属性を付与した、自爆率が高過ぎて運用に難がある、まだ試作品とはいえ少数配備され始めた狂気の品、爆発金槌。

 これはいずれの大ギルドでも巻き起こっていることであるが、工房で様々な派閥が誕生した。良い言い方をすれば切磋琢磨、切実な問題として技術交流の断絶が発生している。

 聖剣騎士団でも、いよいよ工房という大きな枠組みは残しつつも、それぞれの開発グループ……傘下ギルドとして独立した上でのコンペ制に移行する動きがある。彼らの装備・アイテム開発への情熱は何処から来るのか全く不明であるが、その最先端を走るHENTAIたちが刺激を与えているのは間違いない。

 ソフィアとしては、あくまで量産性と安定した性能を重視しつつ、個々に合わせて強化していくスタイルの方が望ましい。事実として、汎用性と拡張性の高さが売りの装備はいずれの大ギルドの商品でも人気である。

 

「ははは。まぁ、浪漫は悪くないんじゃないかな? 装備開発は情熱が無いと続かないからね。それに爆発金槌……いいよね」

 

「ディアベル様!?」

 

「冗談だよ」

 

 一瞬だが、ディアベルの目に危険な光が灯ったことにソフィアは危機感を抱く。あくまで装備開発は生存性と堅実路線を是とするディアベルであるが、その心には小学生の男の子のような浪漫が詰まっているのかもしれなかった。

 

「何しても、英雄とは象徴であるべきであって、個人から逸脱した戦力ではない。それが俺の持論だよ」

 

 話が切り替わり、ソフィアはディアベルが今回のラストサンクチュアリ壊滅作戦へと視線を向けたことに気づく。

 

「UNKNOWNもユージーンも『英雄』の器だよ。聖剣の有無に関わらず、彼らの存在そのものが周囲を鼓舞し、精神に指向性を持たせる。彼らは個人で『流れ』を生み出せる。1つの主義に、理想に、願望に、不特定多数の人間を収束させることができる」

 

「戦力価値は関係ない……ということですか?」

 

「全く関係ないとは言わないよ。彼らはネームドを単独討伐できる。その戦力価値そのものが魅力を生み、英雄に引き上げる要因の1つになっているのは間違いないからね。でも、その一方で彼らは決して個人の枠から逸脱していない。ドラゴンをたった1人で討伐できる傑物だとしても、10人の武装した戦士に必ずしも勝てるわけじゃない……ということさ」

 

「お言葉ながら、彼らならばレベル100の十分な武装をした10人を相手しても勝てる気がしますが……」

 

「そうだね。俺も勝てると思うよ。だけど、そういう次元の話をしているのではないんだよ、ソフィア。個人と集団では戦力評価の基準が異なるというわけさ。10人分の戦力価値がある個人だからといって、必ずしも10人を相手取って勝てるわけではない。DBOはゲームシステムが根幹にあるから勘違いしがちだけど、その1点に変化はないよ。むしろ、他のゲームに比べても極めてシビアさ」

 

 これまで何度もボス戦を生き延びた精鋭プレイヤーが、何の変哲もない雑魚を複数相手取っただけで戦死した……などは珍しくもないことだった。ソフィアはディアベルが言わんとすることを噛み砕いて納得して頷く一方で、自分はディアベルにとって代替不可の懐刀になりたいという欲望もまた疼く。

 

「今、ネームド戦では特に個人の実力が最優先されている。強力な個人でないと強大なネームド相手には生き残れないからね。だからこそ、いずれの大ギルドも装備開発に更なる投資と人材確保の動きが強まった。どれだけ犠牲が出たとしても『集団』こそがメインでなければならないんだよ。突出した個人だけで成立する優勢とは、その1人を失っただけで瓦解する。代替可能な戦力があってこその組織だからね。それを忘れてはいけない」

 

「……肝に銘じておきます」

 

「責めているわけじゃないんだよ。言っただろう? 必要なのは象徴性だ。ソフィアにも『聖剣騎士団のソフィア、ここにあり』と皆に喧伝できる存在になってもらいたいからね。円卓の騎士も少なくなってしまった。今の聖剣騎士団は戦力面における象徴が欠けつつある。代替不能な個人への依存は論外だとしても、象徴性を持った強力な個人の不在もまた組織としては頭を悩ませるものさ」

 

「は、はい! ありがとうございます! 必ずや、ディアベル様の期待にお応えします!」

 

 自分にこれ程までに期待をかけてくれるなんて! ソフィアは頬を紅潮させながら敬礼すれば、更なる励みを期待するようにディアベルは優しく微笑みながら頷く。それが組織のトップとしてのリップサービスだとしても、ソフィアからすれば勲章級の激励だった。

 

「話を戻すけど、UNKNOWNもユージーンも極めて突出した戦力なのは間違いない。そもそもネームドを単独討伐できる時点で超人だからね。実力はもちろん、精神力も含めて人間としての極みに到達しつつあるはずさ。まぁ、これは真改の言葉を借りているだけなんだけどね」

 

 残り少なくなった円卓の騎士の1人にして、寡黙なサムライである真改は『いたの?』と呼ばれるほどに影が薄い男だ。象徴性という意味合いでは全く仕事をしていないが、実力は1級品である。

 ソフィアも経験はあるが、ネームド戦においてはまず精神力が奪われていく。通常とは比較にならない死のプレッシャーが圧しかかるのだ。それだけではなく、自分の1ミスで仲間が即死するかもしれないという恐怖も芽生える。

 単独討伐とは、ネームドが隠し持つ未知も含めて対応しきるのはもちろん、集中力が途切れることなく、あらゆるプレッシャーに打ち破る精神力が求められるのだ。むしろ、ネームドの単独討伐を考えた上で、ソフィアがまず実感するのは実力以上に彼らの精神力がどれだけ高いのかだった。

 そもそもとして、常に死のリスクがあるともなれば、レベリングすらも毎日できるものではない。探索も同様だ。そして、ごく普通のモンスターを1体……それも集団で囲って倒すだけでも精神の摩耗は恐ろしく大きいのだ。

 そういう意味では、レベルや装備ばかり見繕ったプレイヤーは精神面が貧弱だ。限りなく生命が保全された安全な環境で育った『養殖』よりも、日々を死闘の中で鍛え上げた『天然』の方が戦力価値は高いのも納得である。そもそもとして心構えの時点で違うのだ。

 そこでこそGAの出番だ。精神面が貧弱なレベルばかり高い輩にも高い生存率を与える。蓄積された集団戦法を通して、確実に『精神の経験値』を積み重ねる。そうして前線に出られる成熟した真の戦力となるのだ。

 だからこそ必要なのは『兵士』である。クラウドアースのエリートプレイヤー制度に倣い、聖剣騎士団や太陽の狩猟団も戦闘技術と同等の精神面の育成にも注力し始めた。度重なる戦死によって初期からの叩き上げが減り、また中小ギルドから引き抜ける『天然』にも限りがある以上は、育成によって戦力を担える『兵士』の補充は不可欠なのだ。

 

「2人も実力も精神も人間の極みに近い。でも、あくまで『個人』の範疇……人間1人である事にも変わらない。だから英雄とは本質的に象徴性を持った、むしろ功績よりも周囲の精神に与えて目的意識を束ねる指向性にこそある……という事なんですね」

 

「そういう事さ。だから、極論を言えば英雄の条件に戦力価値は関係ないのさ。DBOの場合、どうしても戦力価値が英雄として引き上げるのに大きな要因を持っているだけに過ぎないんだよ。大事なのは周囲に影響を与える象徴性さ」

 

「では、今回の戦いとは、UNKNOWNとユージーン、どちらが真の英雄なのかを巡る戦いでもあるということですか?」

 

「そうなるね。聖剣もランク1も英雄性を高める要素だ。2人も功績として英雄の地位には十分。だからこそ、勝った方が相手の影響力を奪うと言っても過言ではない。クラウドアースとしても、わざわざ完勝できる戦いにユージーンとUNKNOWNの決戦を設けた理由は、クラウドアースに歯向かう者の末路を示す完全勝利、存在感をアピールするエンターテイメントだけではなく、クラウドアースが『【聖剣の英雄】すらも超えたランク1』という資産を得る為の戦いでもあるからなのさ」

 

「べ、勉強になります!」

 

 何事にも多くの側面がある。大ギルドを率いるディアベルの目には、語った分だけではない多くの糸が今回のラストサンクチュアリ壊滅作戦に絡んでいるのが分かるのだろう。

 

「あ、そう言えば『極みに近い』ということは、極みには到達していないってことでしょうか?」

 

「これも真改の言葉だけど『極みとは近づけば近づくほど遠退くもの』らしいね。簡単にたどり着けるはずもないさ」

 

 ほぼ単語以外で会話を成立させたことがないと噂の真改と、どうすればそこまで語り合えるのだろうか。ソフィアとしては、むしろその点の方に強い興味が湧いた。

 

「あの、もう1つよろしいでしょうか?」

 

「なんだい?」

 

「英雄とは象徴であるべきであって、個人から逸脱した戦力ではない。そうであるならば、個人から逸脱した戦力とは何なのでしょうか?」

 

 ソフィアはディアベルの執務テーブルから資料を回収しながら問えば、彼は両手を組んでしばし考え込んだ後にゆっくりと口を開く。

 

「個人という戦力の『枠』から外れたイレギュラーな存在か」

 

 ディアベルは小さく口元を歪めて冷たく笑う。彼らしくない、そんなものは存在して欲しくないというような嘲りにも似ていた。

 

「それこそバケモノだろうね」

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 フロンティア・フィールド特有のネームド、異名持ち。彼らから得られる素材は、特異素材と呼称されることになった。

 リーファちゃん達が倒したネームドからは、個々の素材に特異性を持った素材がドロップアイテムとして入手できた。どうやらネームド化して元来の素材がランクアップ……とは少し違うな。新たな性質を得たらしく、より稀有な素材となったのである。

 まだ情報不足であるが、異名持ちにも段階があり、HPバー2本の状態ならば、個々の成長の方向性によって元素材が変質するといったところか。準ユニーク級素材かもしれないな。まぁ、ケースが増えれば似たり寄ったりの性質の素材も増えるだろう。

 そして、HPバーが3本に増えるとソウルを入手することができる。オレが撃破したカースドロッドからは【雷を帯びたカースドロッドのソウル】が得られた。グリムロック曰く、ユニーク級ソウルとはまた違うらしい。あくまで言うなれば、特異素材のソウル版といったところか。ユニークソウル程に元来のネームドの性質・能力を引き出すことはできないと涎を垂らしながら嘆いていた。うん? 嘆いているのか? よく分からん。

 どちらにしても、雷を帯びたカースドロッドのソウルは、その特徴だった磁力を大きく引き出せる程の潜在能力はないということだ。また、そもそもとして今後もHPバー3本級の異名持ちを倒したからといって確実にソウルをドロップするかも分からない。今回はあくまで運が良かっただけなのか。まぁ、カースドロッドから得られたそれ以外のアイテムは割と貧相だったし、十分にあり得そうだな。

 カースドロッドのソウルは吹き溜まりで破損した狼の首飾りの修復に充てられた。グリムロックめ、どうして修理を渋っていたのかと思えば、なかなかに驚くプランを練っていた。彼のHENTAI魂は何処まで行くことやら。

 新生した狼の首飾りは、依然と同じくスタミナ回復速度上昇に加えて魔力上限を高める効果もある。これもカースドロッドのソウルの影響のお陰だが、魔力上限アップは微々たるものなので誤差だ。まぁ、その誤差で大きく変わるんだがな。あくまでカースドロッドのソウルがもたらした効果は別にある。というか、色々とツッコミどころがあり過ぎる。他にどれだけの素材をぶち込んだのか、グリムロックから吐かせてやろうかと思ったが、オレのコルを大量消費しただけの研究成果はあったようだ。

 さて、次はこれか。フロンティア・フィールド探索は、結果的とはいえ、教会から派遣されたスミス達との協働となった。まぁ、現場で手を組むなど敵対する大ギルド同士でもあり得ることなので珍しくともなんともないが、それなりの返礼……もとい、聖遺物探索の口止め料を貰うことになった。

別に厳選とかしていないし、呪い付きとかも興味がないので、ごく普通の霊晶石だが、これでようやくレベル100突破の恩恵をオレも得られるわけだな。

 まず霊晶石自体のランクは0~+10まである。ランクが高い程にメイン・サブの恩恵は高まるが、同じ効果であってもサブはメイン時の半分程の効果しかないらしい。呪い付きの場合、固定効果のバッドサブが付与される代わりにメイン・サブの効果を高め、また確定でサブ効果が付く。

 当然ながら最高の効果が望めるのは+10かつ呪い付きであるが、そんな霊晶石は高難度聖杯ダンジョンでも滅多にお目にかかれない。そもそも+10自体が極レアだ。そして、同ランクの同効果であっても個々によって性能が異なる。+10、狙ったメイン・サブ効果、更に理論値最大を目指すともなれば、厳選作業はまさしく地獄である。地底人に敬礼だな。

 オレが教会にもらった霊晶石はもちろん地底人が持つようなレアの中のレアではないが、それなりに実用性のあるものだ。

 攻撃メイン効果の放射の霊晶石+6。メインが全攻撃力上昇。サブがクリティカルボーナス上昇、スタミナ消費量減少の2つの効果だ。オレは色々な属性を使うから、補正自体は控えめでも全攻撃力上昇が望ましいのである。

 次に防御メイン効果の円の霊晶石+5。メインがアバター強度上昇。サブが治癒力上昇だ。できればサブが2つ欲しかったところであるが、そもそもサブ効果付きでも割とレアリティが上がるらしく、提供リストでは他に良さそうなのがなかった。ちなみに治癒力上昇とは、アバター自動修復速度上昇とオートヒーリング強化の2つを合わせ持った効果である。単体の方が強力であるが、セットだと効果弱めでも2種類の恩恵が得られる。どちらにも善し悪しがあるな。

 最後に補助メイン効果の三角の霊晶石+5。メインは魔力回復速度上昇。サブはアイテムドロップ率上昇が2つ。うん、これはね、グリムロックの強い希望によるものなんだ。攻撃系サブ効果もあったけど、グリムロックの土下座があったからなんだ。そこまでして素材が欲しいか。

 とりあえず、1度装備してもコルを消費すれば変更は可能であるし、わざわざ厳選するまで待つのも煩わしい。まぁ、オレとしては全て攻撃特化の霊晶石で揃えたかったのだが、それは後々になって聖杯ダンジョンに潜ったり、市場に出回ったので探せばいいだけだ。え? そんな消極的なんて地底人に喧嘩売ってる? 知らん。デスゲームで厳選作業している奴らに何を言った所で無駄なはずだ。

 日蝕の魔剣も無事に修理が半強制的に完了した。グリムロックは何処に行きたかったんだろうね。日蝕の魔剣はもうバージョンⅤ-βとかだよ、まったく。まぁ、相変わらずアロンダイト禁止令は入っているのが、まだ問題解決できていない証拠でもあるんだがな。だからこそ、フロンティア・フィールドで異名持ちを狩りまくって素材を集めて欲しいというグリムロックの熱望があるのだろう。

 蜘蛛姫のソウルで得た天蜘蛛も悪くない。蜘蛛姫のソウルの白夜の狩装束はただでさえ高かった炎属性防御力は更に上昇だ。オマケにデーモンの王子と蜘蛛姫のソウルの2つのお陰で、【混沌の加護】なる能力が追加され、炎属性によるスリップダメージがほぼ無効化に等しい程に緩和される。スリップダメージ系は炎属性攻撃が多いし、悪くない防御能力だ。まぁ、グリムロック的には天蜘蛛も混沌の加護も副産物に過ぎないがな。

 ふむ、防御面か。まぁ、元より低VIT型のオレの場合は直撃したら死ぬのスタイルなので、どちらかといえば削り殺されることを防ぐ意味合いが強い。基本的に回復アイテムなんて緊急手段だし、オートヒーリングとリゲインで削られたHPを補っていくスタイルだしな。回復アイテムはスタミナ消費を始めとしたデメリットも多いので、お独り様には色々と厳しいものがあるのだ。そういう意味では霊晶石でオートヒーリング強化は美味しいな。

 そもそもとして、DBOにおいて回復アイテム切れで殺されることは滅多にない。まぁ、ダンジョンやフィールド探索中に迷子になって帰るに帰れず、回復アイテムが枯渇して死亡というのもあるにはあるのだが、回復することもできずに殺されるケースがほとんどだ。だから後方支援大事。ヒーラーはいつだってパーティの要なんだよな。

 そして、レベル100以上ともなると、近接ファイターともなればVITにたっぷりポイントも振っているし、防御力も高いし、オートヒーリングなどの補助回復関係も充実してくるのだ。噂によれば、霊晶石の1番人気もオートヒーリング強化らしいからな。とりあえずアクセサリーや防具でオートヒーリングを得て、あとは霊晶石で上乗せすれば、それなりの回復量になるオートヒーリングの獲得ができるのだ。まぁ、コンマ1秒単位で争うのがデフォルトのDBOバトルにおいて、悠長にオートヒーリングでHP回復を待つなんて貧乏性はすぐにでも払拭すべきだがな。あくまでオートヒーリングは戦闘後の回復アイテム節約か戦闘中に回復する暇が無い場合に頼るべきものなのだ。

 さて、そうなってくると戦闘も色々と変わって来る。特に対人戦が変化してくる。なにせ回復系能力やスキルの充実によって、ダメージを与えた瞬間からHPは回復されてしまうのだ。ダメージの蓄積がし難くなる。これでは火力が低い武器ジャンルほどに勝ち目が薄くなって、特大武器による1発屋の有頂天時代が始まるか戦いは泥沼化だ。そこで重要になるのが流血システムだ。

 流血状態……つまりアバターが大きく破損して一定量以上の血液流出が発生した場合、スリップダメージが生じる。また、アバター破損によって防御力もダウンする。そもそも対人戦において、特に1対1の近接戦の場合、回復アイテムを使う隙はほとんどない。大前提として回復アイテムや回復奇跡を使うこと自体が隙になって死ぬ。慈悲はない。

 DBOにおいて、どうやら対モンスターと対人では攻撃によるアバター破損性能に差があるらしい。具体的には対人攻撃にはアバター破損に対して上昇修正が入っているのだ。つまり、対人への攻撃はアバターが破損しやすい=防御力低下・スリップダメージ増加しやすくなるようなのだ。オレが寝ている間に、流血システムの研究も随分と進んだものだな。

 流血のスリップダメージでHPがゼロになっても即死するわけではなく、そこから最大HP減少が始まって、それでゼロに至って本当の死だ。それまでは実質戦闘不能状態であり、どうとでも料理できる。ちなみに流血スリップダメージでHPゼロになった状態を、プレイヤー間では瀕死状態と呼んでいる。瀕死状態でプレイヤーを攻撃すると物凄い勢いで最大HPが減少して死が迫る。まぁ、普通に攻撃受けたら即死するから、救済処置でもなんでもないんだがな。

 一撃の攻撃力が低い武器ジャンルならば、相手を流血状態にしてスリップダメージ増加か防御力低下を狙う。高火力武器ならば相手のHPを一気に削りきれるし、1回の攻撃で相手のアバターを大きく破損できる確率が高まる。流血システムは対人戦における戦略・戦術の幅を大きく広げたことになるだろう。

 ……まぁ、流血システムだろうと何だろうとHP削り尽くすまで攻撃すればいいだけなのは変わりないがな。

 グリムロックも流血システムについてはいろいろ勉強してくれたようであり、何かと対策も練ってくれている。ヨルコも回復アイテムはオレの戦闘スタイルから判断して、回復量増加よりもアバター修復速度に重点を置いた開発にシフトしているしな。だけど、効果が高まるとスタミナ消費量が増えたりとデメリットも大きくなるからな。やはり自然治癒が1番か。

 

「ねぇ、クー。どっちにする?」

 

 ……さて、現実逃避もいい加減に限界だろう。必死になって、武装やら戦いやら何やらと思考にどっぷり浸かってみたが、今日ばかりはオレを逃がさないとばかりに、清々しいくらいにゲスな……もとい、とっても良い笑顔をしたユウキが迫って来る。

 愛らしく上目遣いしながら、ユウキはオレに距離を詰め、いっそ拍手したいくらいに彼女らしさの欠片もない悪意100パーセントの、だがとても彼女らしさがある純度100パーセントの笑顔でオレを追い詰める。

 

「クーもボクと同じ気持ちだよね?」

 

「…………」

 

「黙ってるなら行動で示してみてよ。言葉よりも行動で示すタイプでしょ?」

 

「最近は……なるべく……言葉を尽くすようにしている……つもりだ」

 

「そっかぁ。だったら、言葉にした上で行動に出ようよ」

 

 ほのかに興奮した朱色の頬、甘えるような浮ついた声音、そしてやっぱり笑顔。コイツ……まさか、本気か? 本気なのか!? 本気で……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ、クーもユージーンさんに賭けようよ! ほらほら、ボクなんてユージーンさんの勝ちに10万コルも賭けちゃった! ねぇ! ねぇ! ねぇ! クーも、もちろんユージーンさんに賭けるよねぇえええええ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 うん、まだ憶えてるよ。そりゃそうだよな。アルヴヘイムでユウキと『アイツ』は一悶着どころじゃないくらいにあったもんな。アリーヤもぶっ殺されてるもんな。両者が正々堂々とした対決なら『アイツ』を応援する義理なんてないよな!

 場所は黒鉄宮跡地。そこではここぞとばかりにトトカルチョが開かれているが、ついにはサインズ公式かつ教会公認まで発生しやがった。傭兵同士のぶつかり合いだから、10歩譲ってサインズはいいとして、教会は何してんの!? しかもエドガーの『にっこり』写真付きの看板で『教会も公認で安心・安全・御利益間違いなし! 収益の1部は孤児院拡張に充てられるので、実質的に寄付なのでは!?』というよく分からん……いいや、分かりたくない文句付きだ!

 他にも当日に向けてクラウドアース系列のチャンネルで放送が決まっているだけではなく、あちらやこちらで実況・解説まで開かれる予定だし、これもう何なの!? お祭りなの!? ランク1VSランク9とはいえ、普通のランクマッチじゃなくて、互いに命懸けの対決だぞ!?

 ……落ち着け。こんなの今に始まったことじゃない。DBOの日常だ。分かってる。分かってはいるんだ。だが、こう、なんていうか……ツッコミを入れないわけにはいかない。そんな気がするんだ。

 まぁ、それだけ人間の死が日常ということもあるのだが、それだけではない。クラウドアースがラストサンクチュアリを潰すという、本来はセンセーショナルな事件を、ランク1VSランク9という劇的マッチングをメインにして、クラウドアースが積極的に上手にデコレーションしてエンターテイメント化してしまったのだ。やっぱり政治力が高い奴らって面倒臭いことこの上ないわぁ。本当にどういう頭してるの?

 

「クラウドアースに踊らされてるみたいで気に喰わない? 別にいいじゃん。クーは関係ないんだし」

 

「関係ある」

 

「分かってる。クーの友達だもんね。でも、素直に彼の応援をしないのは、ユージーンさんも気にかけているからでしょ? それに、実力的にはどっちが勝ってもおかしくないとも分析している。他にも色々と考えてるから、安易に賭けに興じる気分でもない」

 

「…………」

 

「だけどさ、ボク達はもう見ていることしかできないんだから、クーもその他大勢の無責任な観衆として楽しんでいいんだよ。ボクも不謹慎だって分かっていても、この戦いは結構ドキドキしてるんだ」

 

「……ユウキ」

 

「ユージーンさんがあのキザな仮面野郎の顔面を、熱い拳で整形不可避までぶっ壊してくれるはずだってね!」

 

「ユウキ!?」

 

 うーん、歪んでるなぁ。これも愛の裏返しなのだろうか? ユウキの想い人たる『アイツ』に向ける気持ちは色々と歪んでるな。いや、オレが言えた義理じゃないけどね。

 ともかく『アイツ』にもユージーンにも賭けない。オレが踵を返せば、ユウキは慌てた様子で追いかけてくる。ちなみに公式は1口2000コルからだ。馬鹿高いな。

 

「ま、待ってよ! ちょっと悪ノリし過ぎたよ!」

 

「知らん」

 

「お、怒らないでよ! 本当にごめん! 謝るから!」

 

「別に怒ってない」

 

 オレに追いついて前に回り込んできたユウキは、本気で気にしているようで、オレは溜め息1つに顔を背ける。

 傭兵寮でボーっとしていた、もとい負のスパイラル思考中だったオレを見ていられずにか、外に引っ張り出してくれたのがユウキだ。彼女なりの気遣いだとは承知している。

 エドガー謹製の教会のローブのフードを深く被り直し、ユウキの視線から逃れようとして、だが今は真っ直ぐ見つめ返すべきなのだろうと思い止まる。

 涙目のユウキに、オレはなんとか微笑み返そうとして、だが上手くいかずに俯いた。

 

「ごめんね。やっぱり、外で楽しく遊ぶなんて気分じゃ……なかったよね」

 

「いや、少し気が楽になった……と思う」

 

 本当だ。部屋の中ではずっと考えるしかなかった。

 どうして、自分はどうしようもなく『獣』なのだろうかと。

 オレに確かに人間性をくれた、たくさんの輝かしい『人』を持った者たちがいたはずなのに、どうして誰も彼もが『獣』に堕ちると思ってしまうのか。

 そして、それすらもただ殺したいだけの殺戮の飢餓を覆う欺瞞だと気づく。

 ひたすらに、ひたすらに、ひたすらに考えては欺瞞の失望を人々に抱き、己にそれ以上の真実を突きつけられる。

 これまでオレに人間性をくれた人々を愚弄してしまう。ザクロの呪いにオレは報いることができずにいる。リゼットさんが教えてくれたことを全くの無下にしてしまっている。

 飢餓ばかりが強くなっていく。周りの人間を殺したくて、殺したくて、殺したくて、何よりも目の前のユウキが殺したくて堪らなくなる。

 だから、どうせ飢えて渇くならば、ユウキに外に連れ出された方が気楽になるのは確かなのだ。何も考えずに、彼女に振り回されるのも……悪くない。思えば、『アイツ』に振り回されるのも嫌いじゃなかったのは、ひたすらに『アイツ』がトラブルに突っ込むのを対処するのに全力を尽くしていたからなのかもしれない。『アイツ』は本当に自分から地雷原に突撃する馬鹿野郎だったしな! 特にどれだけヤンヤンを呼び寄せれば気が済むんだ!?

 

「悪いな。オレが相手だと何をしたらいいか苦心しただろ? 食べ歩きもまともに出来ないしな」

 

「そ、そんなこと……ないよ?」

 

「目を逸らすな」

 

「え、えへへへ。でも! 考えるだけで楽しかったし! 実際にこうして今とっても楽しいし! クーと一緒なら……そ、それだけで、飽きないし……?」

 

「そうか」

 

「……うーん、ここぞという場面でこの淡白な反応。凄いクーらしいよね! 心が折れそうだよ!」

 

「そうなのか?」

 

「そうなんだよ!」

 

「確かにな。オレもユウキと一緒にこうして外を出歩くだけで……悪くない」

 

 キミとはずっと一緒に歩いていけない。それくらいは分かっている。ユウキがいつか暁の向こう側にいくとしても、オレは狩りの全うの末に夜明けの先に行くことはない。

 それでも、今だけは少しだけ……そんな気持ちになってしまうんだ。

 

「……今更だけどさ、ツンデレと見せかけたクーデレだよね。クーだけに」

 

「オレってクールキャラか?」

 

「あ、思えば全然違ったね。前言撤回するよ」

 

 まったく、どいつもこいつも好き放題に言いやがって。まぁ、別にどうでもいいがな。

 

「食べ歩きは出来なくても、クーと一緒に行って楽しい場所なんてたくさんあるよ。それに、クーはレベル120に到達したらフレーバースキルを取るんでしょ? だったら、色々とお試ししてみないとね! 最低ランクの釣竿だったら、≪釣り≫無しでも気分だけは楽しめるし!」

 

「なにも釣れないらしいけどな。何故か穴の開いたバケツとか空き缶とかしか釣れないらしいけどな」

 

「あ、あははは。それも体験だよ! あ、そうだ! マユとか瑠璃色楽団とかのライヴもあるし、またシノンさんのライヴもあるかもしれない! クーもきっと楽しめるよ!」

 

「……オレが客席にいたら、シノンはステージから跳び下りて殺しにかかりそうだけどな」

 

 全力で笑って指差してあげるのが礼儀だろうか。機会もあるかもしれないし、考えておくとしよう。

 

「あと≪演奏≫もいいよね。ボクもレベル100のスキル枠に空きがあるし、そこに新しくフレーバースキルを入れようと思って探してたんだけど、こう……かっこよくギターを……ジャーンって感じで演奏するのって楽しそうだし悪くないかも! クーもやろうよ!」

 

「駄目だ。オレがやったら死人が出る。自殺者が大量出没する」

 

「は? 出るわけないよ。クーはもう少しジョークセンスを磨いた方がいいよ。HAHAHA!」

 

「HAHAHA!」

 

 ジョークじゃないんだがな。今も隣でヤツメ様がもの凄く殺る気なんだがな。

 

「そうか。ユウキも色々と考えてるんだな」

 

「うん。やっぱり、戦闘関連や補助スキルを取るのが正しいのかもしれない。でも、それが『正しい』って思いたくないんだ。だって、ボクは『生きる』って決めたんだもん。戦う為だけに生きてるんじゃない。ボクは『ボク』であって、だからこそ生きてるんだ」

 

「…………」

 

「前は違ったよ。生きた証を残そうと、戦う事だけに没頭していた。【黒の剣士】を倒さないといけないってずっと思ってた。でも、負けちゃって、何処に進んだらいいのか分からなくなっていたボクに『ボク』として生きていいって教えてくれたのは……クーだもん。スリーピングナイツの皆を弔って、『ボク』として前に進ませてくれたのはクーだよ」

 

「オレは何もしていない。何か見つけたとするなら、オマエが勝手に見つけただけだ」

 

「何を言っても無駄だろうし、『今』はそういうことにしておいてあげる♪」

 

 何故にそこで機嫌がよくなる? 今にも鼻歌でも奏でそうな笑顔で、ユウキはステップを踏みながらオレの前を歩いて振り返る。

 

「さぁ、今日は思いっきり遊ぼう! 大体ね、クーは傭兵なのに生活が清貧なんだよ! もっとお金をかけて過ごさないと駄目だよ! 傭兵はお金をどんどん使って経済を回すのも仕事の内だよ!」

 

「使ってる」

 

「装備だけじゃないか! しかもグリムロックさんに言われるままにお金を渡してばっかり! あの人、クーの装備以外に『あんなもの』の開発とかにも投資してるんだよ!? 許せるの!? ヨルコさんはヨルコさんで結構な額をお酒代に使ってるし!」

 

「どうでもいい。研究の1部もオレの装備に転用されてるしな」

 

「それだと駄目だよ! もっと自分の為に……ううん、自分を楽しませたり、癒したり、喜ばせたりする為に使わないと! ほ、ほら、傭兵の人たちって……そ、その……娼館の常連ばっかりだし?」

 

「つまり娼館に行けと?」

 

「違うよ! クーはそういう所が苦手だろうし、仕事以外ではまず立ち入ろうともしないだろうし、でも……ボク達の出会いも思えば娼館だし……」

 

 顔を赤くして頭を抱えるユウキであるが、オレとしては衝撃の事実だ。オレとユウキの出会いが娼館!? オレの灼けた記憶に何があったんだ!?

 ユウキがまさか娼館で働いていたわけではないだろうし、チェーングレイヴ所属時代であるならば関連の仕事でいた確率は高い。だが、オレは何故!?

 ま、まさかオレはもう……童貞卒業済みだった? いや……いやいやいや! だったら、あそこまでエレナに煽られるはずがない。そうなるとオレが娼館にいたのは何故!?

 いや、待て。そこじゃない。大事なのはオレとユウキのファーストコンタクトだ。危うかった。とりあえず、これでユウキから初めての出会いが何処だったのか話題を振られた時に、上手く切り返せるはずだ。

 

「あのね! ボクが言いたいのは、折角フレーバースキル取ろうとか思っているんだし、クーも自分の為に、装備以外で! お金も使っていいんだと思うんだ!」

 

「…………」

 

「あー、うん。その顔、大体分かるよ。『まるで思いつかない』って顔だよね」

 

「……そんなことないぞ」

 

 いや、1秒くらい前までは何も考えつかなかったが、今はちゃんと何に使えばいいのかハッキリと分かっている。

 ここからだと近いか。オレはユウキの手を掴むと早足で歩き始める。

 

「え? ええ!? クー……! あの……手……手ぇえええ!?」

 

「手? それがどうした?」

 

「握ってる! 握ってるよ!?」

 

「それがどうした?」

 

 別に今更だろうに。ユウキはオレに抱き着いたり何たりしているのだから、今更になって恥じらう意味が分からん。いや、女心として、腐っても人前で惚れた男以外に手を握られるなど心外なのだろうか? 十分にあり得るな。これは失敗だった。

 だが、あれこれ考えている内に目的地に着いてしまった。何やらボーっと自分の手を見つめているユウキには……まぁ、ここで傷ついた女心分の穴埋めもさせてもらうとしよう。

 

「ここって……楽器屋?」

 

「≪演奏≫を取るんだろう? だったら、好きなのを買ってやる」

 

 入店すれば、やる気なくカウンターで『ランク1VSランク9! 勝つのはどっちだ!?』という煽り文句が表紙を飾る隔週サインズを読み耽る店主がいた。まったく、まさしくお祭り状態だな。

 

「ま、待ってよ! まだ≪演奏≫を取るって決まってるわけじゃなくて……それにボクが言いたかったのは、クーが自分の為に――」

 

「『オレ』の為だ。ユウキが演奏しているところを見てみたい。だから買う」

 

 ユウキが楽しそうに笑ってくれるならば、オレはそれでいい。これも嘘だとしても、オレはキミが笑顔でいられる夜明けが来てほしい……そう信じて嘘に溺れたい。

 

「…………」

 

「なんだ?」

 

「……クーって卑怯。本当に卑怯!」

 

「褒め言葉だな」

 

 頬を膨らませたユウキは、だが嬉しそうに楽器を選び始める。どうやら手を握った分の補填は出来そうだな。

 

「これ。これにする!」

 

「へぇ、宣言通りにエレキギターか。携帯性に難はあるし、熟練度を高めないと使えないが良いのか? それに、≪演奏≫をまだ取る気がないなら――」

 

「クーが『クー』の為に買ってくれるって言うんでしょ? だったら、これがいい。スキルなんて……ほら!」

 

 こ、コイツ、一瞬の迷いもなく≪演奏≫をこの場で獲得しやがった……! 後で後悔しても知らないぞ!?

 

「ふんふんふーん♪ 早く熟練度を高めて弾けるようにならないと! そうだ! 折角だし、ボクもバンドに入ろうかな!? 暗黒楽団とゼツボーンのお陰でブームも来てるし!」

 

 ……だから暗黒楽団とかゼツボーンとか何なんですか!? オレが寝ている間に、なんか歌は世界を救うんだー的なノリとか、突如としてシノンまでアイドルデビューするまでの事態に発展してるって、本当に何が起こったんですか!?

 

「なぁ、ゼツボーンって何なんだ?」

 

「思い出しただけでも身震いするよ。ある意味でアルヴヘイム以上に危機感を味わったね」

 

「そんなにか」

 

「うん。今でも鮮烈に思い出すよ。スミスさんの……情熱のフラメンコ! UNKNOWNのキレキレのバックダンス! そしてマユの歌がゼツボーンのもたらす暗黒旋律を打ち破って……!」

 

「OK、もう十分だ」

 

 知りたくない。知ってしまったら、色々と後戻りが出来ない事件がオレの寝ている間にDBOであったのだ。まったく、そんなふざけたイベントを起こすなんて、茅場の後継者に何の変化があったのだろうか? 何であれ、元凶には顔面パンチを入れたくなってきた。

 

「でも、とりあえず熟練度を高めて、後は練習かな。リアルでは楽器なんて学校の授業でしか触れたことなかったし、VRでも機会はなかったしね。システムサポートがあると言っても、まずは自分のスキルを磨かないと!」

 

「いい心がけだ。システムを活用するのもいいが、技術を体得すれば一生ものだし、何かと応用も利くからな」

 

「……≪投擲≫スキル無しで投げナイフを実戦運用できる人の発言はさ、やっぱり重みが違うよね」

 

「むしろ、ロックオンとか命中補正とかあった方が使いにくい」

 

「それはクーだけだからね!?」

 

 そうしている間に日も暮れて、オレは傭兵寮に帰り着いた。今日はダラダラと街を歩いてばかりだったが、悪くない気分転換になった。

 

「ただいま~」

 

「オマエの家じゃない」

 

 そして、平然とオレより先に玄関を潜るユウキは、やっぱり男の家に入り込む年頃の女子としての自覚が足りない。

 

「ふへぇ……疲れたぁ」

 

「オレのベッドだぞ」

 

「いいでしょ? グリセルダさんチョイスだけあって、やっぱり質がいいなぁ。ボクの家のベッドよりふかふかだぁ……」

 

 ベッドに飛び込んだユウキに呆れつつ、オレはもう顔を隠す必要が無いのでフードを脱ぐ。

 

「ねぇ、新しい家は見つかりそう?」

 

「候補は幾つかあるが、妥協はしないつもりだ」

 

「心配だなぁ。クーって放って置いたら、また味気の無い、コンクリート色だけの倉庫みたいな場所で暮らしそうなんだもん」

 

「実用性と隠密性が最優先だ。どうせ、装備やアイテムを保管する倉庫みたいなものだからな」

 

「その考えが駄目なんだよ。『帰る場所』……それこそが我が家なんだから」

 

「……どうだろうな。オレにとって戦場の方が――」

 

 と、そこでユウキの右手の人差し指がオレの唇に触れて先の言葉を封じる。

 

「戦場『も』帰る場所だよ。戦場だけが……クーの居場所じゃない」

 

 指を離したユウキの言葉に切り返そうとして、だがそれは彼女に非礼だと呑み込む。

 

「グリセルダさんも凹んでたよ? 気合を入れて改装したのに、クーが気に入ってくれなかったって」

 

「あれはやり過ぎだ。地下にプラネタリウムとか意味不明だ」

 

「た、確かにやり過ぎだね」

 

 そうだろう? まったく、アレでは落ち着こうにも無理な話だ。

 欠伸をしたユウキは眠たそうに体を揺らす。今日は戦うわけでもないので私服なのであるが、肌寒くなってきたこともあって彼女も厚着だ。黒スカートはベッドで身をよじらせて捲れ、艶めかしく太腿まで露になっていることを彼女は気にもしない。

 ……本当にコイツは異性に対して無防備すぎるのではないだろうか? それともオレをそもそも異性とカウントしていないのか? 後者が十分過ぎるほどにあり得るだろうし、そもそもオレがそんな不埒な真似をしないと信じているのもあるのだろうが、何にしても警戒というものをもう少しだな。

 もういい。考えるのも疲れた。それに目にも毒だ。彼女がうとうとしている内にメシでも作ろう。まぁ、缶詰の盛り合わせなんだがな。

 

「……≪料理≫も選択の1つか」

 

「絶対に駄目だからね!≪料理≫だけは駄目だからね!?」

 

 眠気も何処かに吹き飛ばして跳ね起きたユウキの言う通り、確かにほぼ味覚が死んでいるオレでは≪料理≫も無駄かもしれないな。だが、今のユウキがわざわざオレも味わえる料理を作れないかと試行錯誤してくれているように、オレ以外に振る舞うことを目的として≪料理≫を取るのも悪くないんだがな。

 あと、切実な話として≪料理≫で作った食べ物は素材次第で様々なバフを付けることもできるしな。ここぞという戦いの前に料理バフするのも戦いを優勢に進める下準備になる。味わえずともバフの獲得という意味合いでも≪料理≫は……ああ、こういう思考だから駄目なのか。あくまでフレーバースキル。戦いの枠外ということを忘れてはならない。

 

「そうだな。もう少し真剣に考えてみる」

 

「うん。ボクも協力するよ。クーが素敵なスキルを――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「クゥリくん! 新しい装備のアイディアが浮かんだんだ! 是非とも次は≪ヒートパイル≫を取ってくれないかな!? あと、日蝕の魔剣の更なる強化プランの為にも≪刺剣≫は欠かせないと思うんだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 玄関を蹴破る勢いで乱入してきたグリムロックに、ユウキは笑顔を硬直させたまま、ゆっくりとオレに背を向ける。黄金林檎が誇る、DBOでも屈指のHENTAIへと顔を向ける。

 あれ程までに無邪気に目を輝かせていたグリムロックは、一瞬の内に顔を青ざめさせると錆びた歯車を動かす機械仕掛け人形のように、軋む音が聞こえそうな動作で踵を返し、そのまま開けっ放しの玄関を走り抜けていく。

 

「……クー、少し待ってて。帰ったらゴハンにしよう? 新しいレシピがあるんだ」

 

「そうか」

 

「うん。それじゃあ、ちょっと『野暮用』を済ませてくる。あ、そうだ。グリセルダさんにも連絡しないと♪ あとヨルコさんにも『例のクスリ』を持ってきてもらうようにお願いしておかないとね!」

 

 今日1番のどす黒い笑顔でユウキはゆっくりとした足取りで玄関を潜り、そして消えた。うん、アイツもすっかりDEX高出力化を我が物にしているようだな。だが、玄関ドアを開けっぱなしは止めてもらいたい。

 

「お、【渡り鳥】じゃねぇか」

 

「カイザーの兄貴」

 

 玄関ドアを閉めに行けば、カイザーファラオと出くわす。彼もまたラストサンクチュアリ壊滅作戦を控えて待機命令を受ける身で暇なのだろう。その手にはダース単位のビール缶が買い抱えられていた。

 

「今のはお前の知り合い……だよな? スゲェ速度で窓から飛び出していったぜ。急用か?」

 

 ここ……4階なんだけどなぁ。廊下の開けられた窓を見て、訝しむカイザーの兄貴にオレは誤魔化すように笑む。

 

「きっと『野暮用』ですよ」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「ああ、そうだ。解体業務は既に委託してある。ラストサンクチュアリの拠点を潰した後は、クラウドアース主導の下で、魚類の養殖研究施設と並列して釣り堀経営を……聖剣騎士団? 連中よりも我々の方が経営のノウハウは上だ。弱気になるな。また話はあとで……ああ、よろしく頼む」

 

 終わりつつある街のクラウドアース支部の執務室にて、通話を切ったベクターは眉間を解すように指を当てる。

 ラストサンクチュアリ壊滅作戦後もやることは山積みだ。腐敗した聖域も拠点だけは一丁前だ。安物素材とはいえ、それなりの規模の湖の上に建設されている。当日はアームズフォートで包囲する為に、いざという時は集中砲火すればいいだけなのであるが、仕事を振り分けて経済を回すのも大ギルドの務めだ。解体業務を委託し、その後はラストサンクチュアリの拠点があった湖一帯の占有権の確保。そして、運用を軌道に乗せねばならない。

 

「まったく、仕事とは減らないものだな」

 

 だが、先日の情報漏洩『未遂』事件に比べれば嬉しい悲鳴だ。ベクターはラストサンクチュアリ壊滅作戦で発生する利害を計算する。

 ランク1VS【聖剣の英雄】という大イベントでカモフラージュした、貧者の巣窟の『清掃』。2人のどちらが勝とうとも、最終的な勝利者はクラウドアースだ。

 だが、ユージーンには何としても勝ってもらわねばならない。なにせ生中継である。専属傭兵とはいえ、クラウドアースの実質的最高戦力だ。彼の価値を高める為にも必須だ。

 また、ベクターとしてはUNKNOWNが死ぬ結末も是としている。生存した場合、クラウドアースの専属傭兵として獲得したいが、雲行きはよろしくないからだ。最有力は聖剣騎士団であり、次点で太陽の狩猟団である。クラウドアースが獲得できる確率は低い。

 クラウドアースとしても聖剣は確保したい垂涎の品だ。見ただけで分かる、DBOというゲームにおいて明らかに枠外にある超越した武具。あれこそが万人を導く英雄の剣であるとベクターですら心を揺れ動かされた。

 聖剣を持つ大ギルドは絶大な求心力を得るだろう。ユージーンがプライドから聖剣を継ぎたがらないならば、相応しい傀儡を準備するまでのことだ。聖剣を持つ英雄は、必ずしも最高戦力である必要はない。

 

(放映もクラウドアース系列が独占する。人工妖精による生中継だ。集音性に難はあるが、下手な会話が流れて価値を下げることもない。画質も十分だな)

 

 聖剣騎士団も太陽の狩猟団も『人道的配慮からの監視』という名目で人工妖精を放っているが、クラウドアースによってほぼシャットアウトされている。当日の生中継はほぼクラウドアース系列で独占されることになるだろう。既に生中継の視聴予約だけでも莫大な利益が生じている。当日は駆け込みも合わさって更なる利益増が見込めた。

 アームズフォートは運用するだけでコストがかかる。だが、配備しているのは旧式であり、現在では廃棄処分を待つものばかりだ。聖剣騎士団もポーズでアームズフォートを派遣しているが、同様に旧式である。

 不気味なのは太陽の狩猟団だ。人道的配慮から救助部隊を後方待機させているが、今のところ最も動きが読めない。

 ラストサンクチュアリ拠点、通称・白の都の貧民プレイヤーの約9割が既に脱出準備が済んでいるとラストサンクチュアリに潜ませたスパイから報告が上がっている。これもトップであるキバオウとの非公式協議で決定したものだ。当日まで最大限に脱出者を出さず、ラストサンクチュアリの体裁を保ちつつ、クラウドアースが『人道的見地から1000名規模の貧民プレイヤーを保護して終わりつつある街まで届けた』という、決戦後のアフターフォローを欠かさない為である。

 当日は脱出艇によって約1000名の貧民プレイヤーが陸で待つクラウドアースの『救助部隊』に救われる光景も生中継で配信される。現在、ラストサンクチュアリに同情的な勢力も人間もほぼ皆無だ。ラストサンクチュアリを応援するのは、ほとんどが『腐った聖域に縋るしかない貧民を守る英雄』の為である。

 既にラストサンクチュアリ幹部の半数は逮捕済みだ。禁止されているドーピング麻薬系アイテムの栽培と売買。女性貧民プレイヤーへの、貧民の保護者という名目で脅して繰り返した暴行。更には反大ギルドのテログループへの武器・情報供与など、次々と悪事が明るみに出た。クラウドアース系列のみならず、とっておきのネタに報道ギルドはいずれも食らいつき、連日報道でラストサンクチュアリは完全に見限られた。

 UNKNOWNへの応援は同情であり、むしろユージーンの勝利によって彼を貧民の守護者という背負わされた枷から解放すべきだという意見も多く聞こえている。無論、そうした雰囲気作りもクラウドアースが地道に仕込んだものでもある。

 

(問題はユージーンが負けた場合だが、致し方あるまい。当初のプランの通り、空砲で改めて威嚇。それに対して『予定通り』にラストサンクチュアリも実弾で応戦。これに対して正当防衛としてアームズフォートによる実弾による攻撃を開始。だが、『老朽化による思わぬ射程不足』で届かず、湖水面に着弾。ラストサンクチュアリは震え上がって白旗を挙げ、貧民プレイヤーは一斉に脱出艇にて……か。あまりスマートではないが、体裁は保てるか)

 

 ラストサンクチュアリの降参。ランク1を破ったUNKNOWNを専属として有したままの解散ともなれば、クラウドアースは勝者であっても敗者として人々の記憶に強く刻まれる。それを差し引いてもエンターテイメント化による印象操作の恩恵は大きいが、ベクターとしては好ましくない。

 あくまでユージーンの勝利こそがクラウドアースの勝利なのだ。だからこそ、勝敗を曖昧にさせる、いざという時はUNKNOWNに対して2人がかりにできる協働相手を探していたのであるが、いずれも相手が【聖剣の英雄】ともなれば首を縦に振らず、また要件を満たした傭兵も雇用できなかった。

 理想で言えば【渡り鳥】なのであるが、彼は当日既に別の依頼を引き受けている。漁業ギルド海坊主の警護だ。

 HENTAIとして名高いGRは、現在終わりつある街から南方にある海上にてメガフロートの建造実験を行っている。海坊主に提供する移動型水上拠点としてという名目であるが、実際には3大ギルドへの技術力アピールである。高く売りつけて資金を獲得する狙いがあるのだろう。HENTAIの技術開発には相応のコストがかかるのである。

 当日はメガフロートのお披露目として、3大ギルドの幹部も視察に赴く。彼らの警備が【渡り鳥】の仕事である。ちなみに、わざわざお披露目をラストサンクチュアリ壊滅作戦の日取りに被せ、海坊主に視察中の幹部の警護の名目で【渡り鳥】を雇用するように入れ知恵をしたのも太陽の狩猟団と分かっている。クラウドアースの内部情報もしっかり握っているという諜報戦において負けていないどころか、先の機密漏洩未遂事件の発端でもあるクラウドアース内の権力争いの隙に1歩先んじているという、ミュウらしいねっとりとした嫌がらせである。

 

(【渡り鳥】を協働相手として選定できなかったのは誤算だったが、彼もUNKNOWNの元相棒。土壇場の行動は分からない点もあった。ミュウの嫌がらせは癪だが、それだけのことでもある。いや、やはり【渡り鳥】ならば……!)

 

 結果はどうであれ、依頼を確実にこなす傭兵であるのが【渡り鳥】だ。ユージーンが危うくなったら援護しろとオーダーしておけば遂行しただろう。その結果がどうであれ、場を滅茶苦茶にしてくれれば、全てのヘイトは【渡り鳥】が被ってくれて、勝敗によるクラウドアースのイメージはうやむやになる。言うなれば、完全勝利できない場合の保険になった。

 ライドウではさすがに制御が利かなさすぎるので却下した。結局のところ、無難と言うべきか、ユージーンと組んだ経歴も多い、援護専門である魔法使い型のエイミーが協働相手として選ばれた。彼女ならば、いざという時は『長年連れ添った協働相手が危うくなって見ていられなかった』という女の涙と腹芸、そして通じるだけの容姿もある。加えて、彼女の魔法援護と合わせれば、ユージーンの勝利は不動となるだろう。トップクラスの前衛と後衛、加えて組んだ回数の分だけ培われたコンビネーションは並のネームド相手ならば一方的な展開にすらもなり得ると評判だ。

 だが、エイミーもユージーンとの付き合いは長い。彼の要望を最大限に反映させるだろう。やはり万全とは言い難い。

 よりクラウドアースに忠実な専属傭兵の確保も今後の課題か。ベクターは何事にも不足が生じるものだと溜め息を吐く。

 

「やるべきことはやった……が、やはり見切れない伏せ札があるな」

 

 聖剣騎士団も太陽の狩猟団も教会も、それぞれが腹の内で何かを企んでいる。ベクターはあらん限りの情報を並べて精査するが、これ以上のカードは捲る時間は無いと嘆息した。

 だが、それは全て作戦後に分かる謀略の開花だ。まずはユージーンとUNKNOWNの対決に委ねられる。

 戦闘のスペシャリストではないベクターには、彼らの戦いがどのようなものになるかなど想像もできない。だが、過去類を見ないほどの熱狂をDBOにもたらすことだけは間違いないと確信した。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

「侘びしいですね」

 

 4つあった連絡橋の内の3つを意図的に陥落させ、残るは1つ。月明かりの下でシリカは急ピッチで進められる防衛戦力の配備に冷めた視線を送っていた。

 指揮を執っているのは、トレードマークであるトゲトゲ頭を黄色のヘルメットで隠したキバオウだ。

 拠点防衛用のキャノンやミサイル、レールガン、そしてバリスタだ。なお、キャノンの過半は弾薬無し。ミサイルも威力は火炎壺程度かつ追尾性も劣悪。虎の子のレールガンに至っては、UNKNOWNが勝利した場合の『白旗プラン』用で1発分だけ購入しているだけだ。バリスタだけが辛うじて正常稼働できるが、射角もまともにとれず、もちろん陸に配備されているクラウドアースのアームズフォートまで届くこともない。

 他にも旧式の、せいぜいがレベル20を相手取るのが精一杯のゴーレム、そして僅かばかりの最新鋭のドールが装備もおざなりの状態で配置されている。

 プレイヤーによる防衛戦力はより貧相だ。レベル50に到達している者さえも僅かであり、武装も聖剣騎士団に言われるがままに買わされたアサルトライフルだ。とはいえ、彼らの仕事は当日の脱出艇の警護であり、実戦に出ることはない。そもそもとして、もはや士気は無いに等しく、敗北を受け入れている清々しい表情でもあった。

 幹部も半数が電撃逮捕されて悪事が露呈し、関わっていなかった半数のまた半数はなけなしの資産を持って我先に雲隠れ。残りは自室で震えて、幹部から最底辺まで堕ちるのを夢だと現実逃避している。

 

「キバオウは頑張っているよ。どう足掻いても負け戦だからこそ、せめてラストサンクチュアリの設立にも意味があったんだって残す為に。何よりも1000人の貧民プレイヤーに希望を残す為に」

 

 防衛戦力配備の光景を眺めるシリカの傍らに、黒衣を夜風で靡かせた仮面の剣士が立つ。最終調整の鍛錬を終えたばかりなのか、汗のニオイがシリカの鼻孔を擽った。

 

「分かってますよ。なけなしの資産どころか借金までして、ハリボテの防衛戦力を整えて……馬鹿みたいです。勝っても負けても鉱山送りで、街には一生戻って来れないのに」

 

 正直に言って、シリカはキバオウのことを人間として好んでいない。彼はSAO末期には我が身大事さで多くのやらかしがあるからだ。たとえ、それらを現実世界に戻ってから反省した上でDBOにて弱者と貧者の保護に努めたとしても、どうしても印象は覆らない。

 だが、認めるべき点は認めている。力不足であり、知恵を借りる幹部にも恵まれずに矢面に立たされ続け、使える部下は等しく大ギルドに引き抜かれた。彼に残されたカードはUNKNOWNだけであり、他の協力者もいない中で聖剣騎士団相手に必死に交渉し、先の機密漏洩未遂事件で奇跡的に手繰り寄せた糸でクラウドアースとの非公式会談にて、ギリギリの落としどころを掴み取った。

 その結果として得るのは鉱山送りだ。多額の借金を背負わされ、2度と表舞台に出る事はない。それはクラウドアースなりの慈悲でもあるのだろう。ラストサンクチュアリによるクラウドアースの肥料技術の盗用から始まった因縁であるが、それでもキバオウのスタンスは一貫して変わらず、それに敬意を少なからず示したのは、驚くことにクラウドアースの裏の支配者であるセサルだった。

 

『持たざる者がどれだけ頭を下げた所で意味はなく、憐憫しか誘わない。ベクター、哀れんでやりたまえ。それもまた強者の役割だ』

 

 圧倒的強者からのお情け。たまたま暇潰しで同席していたセサルの一言によって、ラストサンクチュアリ壊滅後の1000名規模の貧民プレイヤーの待遇は多少の光が差し込んだ。キバオウの今までの必死の抗いと美しいまでの土下座がセサルの気まぐれを引き寄せた。

 

「鉱山仕事では一生かかっても返せるか分からない額らしいけど、キバオウは気楽そうだったよ。『これでやっと解放される』だってさ。鉱山送りになったら、タコ部屋にいる借金塗れの負け犬たちを牛耳って、楽して仕事しながら、僅かな小遣いで安酒と焼き鳥を頬張るのが目標らしいぞ」

 

「何ですか、それ? 少し位なら泣いてあげようと思ったのに」

 

「……やるべきことはやった。だから悔いはないんだろうな。むしろ楽しそうに聖剣騎士団のカタログを開いていたよ。どうせなら外見性能重視のレールガンだってさ」

 

「スペックじゃなくて外見で選んだんですか!?」

 

「大事だろ?」

 

「ま、まぁ、華々しい最後の花火と思えば、外見も大事かもしれませんけど……」

 

 だが、シリカには納得できなかった。今もラストサンクチュアリに必ず勝てると言わんばかりに配備指揮を執るキバオウは、どんな気持ちなのか分からなかった。

 

「『帰還』と『永住』を両立させることができれば、肉体があるキバオウも解放される。現実世界に戻れるんだ」

 

「だから、鉱山送りも怖くないんですか?」

 

「それはまた別さ。だけど、彼がずっと鉱山に囚われることもない。そう思えば、俺は選んだ道を迷わず進むことができる」

 

「まぁ、私達が悩んだところで、本人は鉱山送りされたらタコ部屋の大将になってやるくらいの意気込みなら、気にするだけ無駄なのかもしれませんね」

 

 たとえ、それが本当はただの強がりだとしても、彼の覚悟と男の意地を汚してはならないと汲み取れる程度にはシリカにも女としてのプライドがある。

 

「……宴でも開きましょうか」

 

「おっ、いいな! そういえば、俺達3人って割と長い付き合いなのに、1度も揃って飲んだことなんて無かったしな」

 

「だったら、折角だし取って置きの高級酒を振る舞いましょう。これから安酒しか縁がないキバオウさんの為にもね」

 

「こ、高級酒……! ちなみに銘柄は?」

 

「飲む時までお楽しみです♪」

 

 月明かりに照らされる貧者の白の都は、実に安っぽくて、今にも瓦解しそうな程に弱々しくして、そして胸を締め付けられる愛着があった。

 さっさと自由になってここから出たい。そう思っていたはずなのに、シリカは間もなく跡形もなくなると思うとどうしようもない寂しさを抱く。

 自然と頬を涙が流れる。UNKNOWNはシリカの肩を抱かない。声をかけることもない。その優しさが嬉しかった。今は誰にも触れられることなく、語り掛けられることもなく、1人でこの寂しさを涙で満たしたかった。

 

「みんなは……どうなるんでしょうか?」

 

 終わりつつある街のキャパシティは限界にあり、貧民街の縄張り争いは凄まじい。新参者である1000名は貧民街に新たな火種を持ち込むことになるだろう。そして、そこには必ず血が流れる。どれだけ犠牲を抑えようと奮起しても死者が出るはずだ。

 

「たとえ自己満足だとしても、俺は……守りたい。助けたい。救いたい。だから教会剣の活動を続けるよ。そうすれば巡回パトロールで、少しでも皆を安心させられるかもしれない。もしも危険な目に遭っていたら、この手が届くなら、守ってあげたいんだ」

 

 責務でもなく、使命でもなく、継承でもなく、贖罪でもなく、魂が望むからこそ。かつてとは違う、傲慢とも呼べる守護の志を口にするUNKNOWNに揺るぎはない。

 

「俺は欲張りだから、零れ落ちるとしても拾い上げ続ける。だけどさ、俺はシリカも知っての通り、情けない奴なんだ。自分が傷つくと分かっていても進んで、心が折れてしまう時があるんだと思う。その時はよろしく頼む」

 

「はい! 背中を思いっきり蹴飛ばしてやります!」

 

「ああ! 思いっきりな!」

 

「……冗談ですよ。貴方が蹲っても、沈んでも、震えていても、私はずっと傍にいます」

 

 どれだけ愛していても、私は立ち上がらせることはできない。だからこそ、貴方がその足で立ち上がる時まで、誰かが貴方の手を取る時まで、貴方が再び前に進む時まで、私はずっと傍にいよう。たとえ、それが自業自得の末路であり、万人に嘲われたとしても、貴方ならば必ず立ち上がって前に進めるはずだと信じて傍にいよう。シリカはこれこそ自分の愛し方なのだと信じて疑うことなく、今宵も彼の傍らに立つ。

 

「それが出来るのは、あんな情けなさ過ぎる姿を見た私だけですからね♪」

 

「モルドレッドにはいつかリベンジするさ」

 

「その為にも勝たないといけませんね」

 

「勝つさ。必ずな」

 

 貧者の掃き溜めにして腐敗した聖域は、UNKNOWNとユージーンの決闘の結果を問わずして消滅する。

 だが、UNKNOWNが勝てば残せるものが増える。

 キバオウが最後の抗いで残そうとするのは、自分のやり遂げたことは無駄ではなかったという咆哮であり、これから苦難に挑む1000人の貧民プレイヤーへの希望の光だ。どれだけ暗闇の中にいようも、足掻き続ければ必ず何かを為せるはずだと心に刻み込む為だ。

 キバオウの想いは届かないのかもしれない。1000人の内の1人だって受け取ってくれないのかもしれない。

 それでも、彼ならばきっと届けられるはずだ。シリカはUNKNOWNの勝利に祈りを捧げた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 装備の最終点検は依頼前の傭兵の務めだ。ユージーンはクラウドアースが手配したホテルの最上階にて、清々しい目覚めと共に朝のトレーニングと朝食を済ませると丹念に装備のチェックを始めた。

 トレードマークである、猛々しい炎の如き赤の鎧、籠手、具足は、カラーリングに反して黒獣パールのソウルが素材として使用されている。結果として、高い物理属性防御力はもちろん、雷属性防御力も金属製の外観に反して極めて高い。また、混沌のデーモン系のリポップ型ネームドを撃破し続けて収集した、混沌のデーモン系ソウルを素材として複数組み込んであり、炎属性も抜きん出ている。その名も【赤熱の雷装】である。パールのソウルで得た能力は使いどころが限定されるが、対UNKNOWNにおいて極めて有効であるとユージーンは判断していた。

 兜を装備せずに視界確保と装備重量を抑えるユージーンであるが、頭部の防御を疎かにはしない。ユニーク品である【暗殺封じのピアス】を装備している。これは頭部へのクリティカルダメージとスタン蓄積を減少させる効果があり、下手な兜よりも防御効果が期待できる。

 中距離攻撃、火力増強、補助の3つをこなす呪術は、長年に亘って愛用している剛なる呪術の火があってこその運用だ。STR補正が付く希少な呪術の火であり、彼の戦闘に多彩さをもたらす。

 そして、メインウェポンは妖精王剣サクヤだ。愛する女の名を冠し、なおかつ偽者に玉座を簒奪された真の妖精王の無念が籠もった、まさしく王者の剣である。≪信心≫無しで奇跡を発動できる他に、オートヒーリングの付与を始めとした、様々な能力が備わっている。重量型両手剣ではあるが、もはや軽量型特大剣の域に達する基礎性能である。

 指輪の1つは【城塞の指輪+3】だ。属性も含めた全防御力を高める効果があり、なおかつ+3は今のところユージーンしか所持していない。全防御力上昇であるが故に1つ1つの上がり幅は小さいが、+3ともなればその恩恵も相応のものとなる。

 もう1つは【戦士狩りのモガの指輪】だ。ユニーク品であり、ソードスキルによって受けるダメージ、衝撃、スタン蓄積を減少させる効果がある。≪二刀流≫のソードスキルを真っ向から受けながら逆に斬り伏せるという、対UNKNOWN用に準備したものである。

 霊晶石もこの日の為に揃えた、ユージーンも納得の品ばかりである。

 放射の霊晶石+8、呪い付きだ。メインは物理属性攻撃力上昇、サブはソードスキル強化、オートヒーリング強化。バッドサブはスタミナ回復速度減少。呪い付きということもあって効果は上昇しており、特に物理属性攻撃力上昇には目を見張るものある。ただし、スタミナ回復速度減少によって継戦能力の低下を招いた。だが、近接ファイター同士の対人戦は短期決戦であり、スタミナが枯渇する前に勝負は決するので問題はない。

 円の霊晶石+7、ノーマル。メインは衝撃耐性上昇。サブは全属性防御力上昇が2つ。メインの衝撃耐性上昇によって重量防具の揺るがなさを更に高め、なおかつサブは全属性防御力上昇がダブルという、滅多にお目にかかれないレア物である。

 三角の霊晶石+8、呪い付き。メインは装備重量減少。サブはオートヒーリング強化、斬撃耐性上昇。バッドサブはバフ効果時間減少。メインの装備重量減少のお陰により多少とはいえ身軽になっている。また斬撃耐性上昇によって、剣をメインとしたUNKNOWNの攻撃を弱めるだけではなく、四肢が切断される危険性もまた下げている。ただし、バッドサブによって、時間設定があるバフの効果時間が短くなる。

 徹底してUNKNOWN対策を施すのは礼儀であり、敬意である。そして、シンプルに己のバトルスタイルの強化を施したのは揺るがぬ自己があるからだ。

 ランク1としての財力、伝手、バックアップの全てを注ぎ込んだ。これ以上は望めるものがない。

 瞑想すれば勝利のビジョンが浮かぶ。だが、僅かでも心が揺らげば敗北へと切り替わり、靡く黒衣と掲げられた聖剣がUNKNOWNの勝利を描く。

 ならばこそ不動。ユージーンは深呼吸をして、己の勝利のビジョンを確固たるものにする。戦う前から心が負けているなど論外だ。だが、気を抜けば一瞬で敗北のイメージがチラつく程の強敵でもある。

 認めねばならない。UNKNOWNはまさしく強者である。だからこそ勝たねばならない。それがランク1を背負う者の使命なのだ。

 

「オレは負けられない。サクヤ、どうかオレを……!」

 

 出立し、エレベーターで1階のエントランスに到着すれば、出口までの両脇をヴェニデのメイドたちが固めている。彼女たちは恭しく頭を下げ、ランク1の出発に敬意を払う。セサルからの激励であり、彼女たちもまた自分をランク1と認めているからこその行動であることに間違いはない。ならばこそ、彼は普段と変わらぬ威風堂々と、傲慢不遜なまでの笑みで歩き抜く。

 ホテルの外では、ヴェニデのメイドたちとは反対に極めてやる気のない、欠伸を噛み殺した女がいた。煽情的な白魔女風の防具で豊満な胸部を強調するのは、これまで協働回数が最も多いエイミーだ。ランク12であるが、それは協働専門だからこそのランクでもあり、彼女という後衛がいればユージーンの戦闘能力は大幅に跳ね上がる。だが、今回の場合、彼女は邪魔者以外の何者でもない。

 クラウドアースの装甲車に乗り込めば、隣に座るエイミーは酷く退屈そうな視線を向けた。

 

「はー。貧乏くじだわー。どうして私がランク1様の御守なんてしないといけないわけ?」

 

「貴様は一切の手出しをするな。たとえ、オレが死にかけようともな」

 

「仕事放棄はできない主義なのよねー。これがアンタじゃなくて【渡り鳥】きゅんのお願いだったら聞かないでもないけどねぇ」

 

「ならば、現場に到着次第、貴様の足を断つ。それでどうだ?」

 

「嫌よ。まぁ、『死ぬギリギリ』までは待ってあげるわ。それが妥協点。ランク1様の救助を優先。それならいいでしょ?」

 

「フン。そのようなこと、まずあり得んがな」

 

「相変わらず自信過剰だわー」

 

「それがこのオレだ」

 

「まぁ、そんなランク1様のこと、嫌いってわけじゃないけどねー。好きでもないけど」

 

「それはそうと、貴様に頼みたいものがある。『これ』を預かっておいてくれ」

 

 ユージーンはあるアイテムをエイミーに渡して用途を伝える。すると彼女は心底嫌そうな顔をした。

 

「はいはい、私はランク1様のプライドを守る安全装置ってわけね。嫌になるわー。ランク1様のプライド高過ぎて嫌になるわー」

 

 嘆息したユージーンは、終わりつつある街からフィールドを駆け抜け、築かれたクラウドアースの陣地に党略する。

 大型アームズフォートであるランドクラブ。配備された3機は強化された新型ではなく、最初期の旧式である。これらが湖上の白の都へと砲門を向けており、威嚇するように聖剣騎士団のアームズフォートも配備されていた。

 クラウドアースの兵士たちはもちろん、≪奇跡≫や≪薬学≫を有した医療スタッフに至るまで、全員がユージーンに敬礼する。彼らにとってもこの戦いはまさしくクラウドアースの誇りをかけた戦いだ。たとえ、アームズフォートの配備など茶番に過ぎないと重々承知しているとしても、ユージーンを全力で鼓舞するのが役目なのだ。

 

「ミッションを説明します。ターゲットはラストサンクチュアリ専属サインズ傭兵ランク9、UNKNOWNの無力化です。ランク9はこれまでネームド単独撃破を始めとして、多くの功績を挙げた極めて優秀な傭兵です。戦闘スタイルはユニークスキル≪二刀流≫をメインにした、ラッシュ力に重きを置いたものです。パワーはもちろん、スピードも十分に確保しており、ユニークウェポンの天雷装具スローネがもたらす雷強化によるスピードアップは脅威です。一方で防具は比較的軽装の部類であり、防御面はそこまで恐れるものはありません。ランク12のエイミーと協働し、ランク9を無力化させ、ラストサンクチュアリに降伏を促す。それはランク1である貴方にしかできない仕事です。クラウドアースからの評価を高める、またとない機会です。そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが?」

 

 わざわざ待っていたのだろう。クラウドアースの代理人であるネイサンは、特徴である厭味ったらしい物言いも鳴りを潜ませてミッションを改めて説明した。

 湖上の白の都には複数の連絡橋があるはずだが、今は1つを残して全てが陥落している。ユージーンが迷わず乗り込めるようにするためだ。

 決戦の舞台は既に定まっている。連絡橋には多数の防衛戦力が割かれているが、それらは問題ではない。

 

「時間通りッスね」

 

「フン。貴様も傭兵なら承知のはずだ。傭兵は時間にうるさい」

 

 優秀な運び屋がいるからだ。今回の為にわざわざ雇用されたRDの仕事は、ユージーンとエイミーをUNKNOWNとの決戦の場に送り届けることだ。それが終われば、即座にUターンして帰還する。決戦の邪魔にはならない。

 良い夕陽だ。白の都と湖に美しく映える。まさしくユージーンが望んだに相応しい戦いの舞台である。

 モンスターバイクに跨ったRDは、後部座席にユージーンとエイミーを乗せるとエンジンを噴かす。

 

「ランク1、光栄ッスよ。俺にとって、今日は忘れられない日になるッス!」

 

「当然だ。このオレが真に傭兵の頂点に立つ日だからな」

 

「はー。相変わらず自信満々で嫌になるわー。そもそも、最強候補には他にもスミスやわ――」

 

 エイミーが全てを言い切るより先に、RDはアクセルを踏んで一気に連絡橋を爆走する。

 次々と飛んでくるミサイルはいずれも低威力であるが、ユージーンに掠り傷1つ付けずに送り届けることこそが仕事であるRDは、【運び屋】の異名に相応しい走りで白の都まで突き進む。

 

「と、止まれ! 止まるんだ!」

 

 ラストサンクチュアリの警備部隊がアサルトライフルによる弾幕を張るが、RDは高重量のモンスターバイクをドリフトさせて後輪を持ち上げると盾として防ぎ、そのまま回転しながら彼らを薙ぎ払って連絡橋から水面へと突き落とすと再加速する。

 

「大丈夫ッス! クラウドアースや聖剣騎士団の救助部隊がすぐに彼らを助けるッス!」

 

「……フン。そうか」

 

「何だかんだで気にしちゃうのよね。ランク1様は」

 

 余計なお世話だ。だが、これで後顧の憂いもない。

 白の都までに至る連絡橋を渡り抜け、白の都の入口に到着する。都を支える為の多くの柱が乱立していた。

 モンスターバイクの停止と同時に、エイミーは宙へ舞い上がるとソウルの槍を放つ。それは待ち構えていたキャノンとミサイルポッドを破壊する。着地と同時にソウルの大剣で挟撃してきたドールを薙ぎ払い、また回し蹴りで先程のRDのように湖面に突き落とした。

 

「これで邪魔者はいないわね。はー。ランク1様の御守りってやっぱり大変だわー」

 

 去っていくRDに手を振りながら、エイミーは文字通りユージーンを妨害する最後の防衛を撃破し、彼に一切の消耗をもたらさないという最高の協働を実行する。

 

「ご苦労だったな」

 

「……褒められるなんて気持ち悪過ぎるんだけど。でも、有難く受け取ってあげるわ。さぁ、ランク1様の最大の晴れ舞台よ。勝利……もぎ取ってきなさい」

 

 エイミーに背中を押され、ユージーンは白の都の王だと見紛う程に堂々と先へと進む。

 都を支える多くの柱の影と鮮やかな夕陽のコントラスト。そして、都の奥へと続く道を塞ぐように黒衣が靡く。

 

「手厚い歓迎に感謝しよう。だが、ランク1たるオレを満足させるには足りなかったようだな」

 

「そいつは残念だ。趣向を凝らしたんだけどな。でも、パーティはこれからだ。失望はさせないさ」

 

「ほほう。それは楽しみだ」

 

 この時を待ちわびていた。ユージーンは背負う大剣を構え、≪剛覇剣≫を発動させる。

 

「サインズ傭兵ランク1にかけて、貴様を倒す」

 

「俺が『俺』であるからこそ、お前を倒す」

 

 今こそ証明の時だ。ユージーンは抑えきれぬ戦士の昂ぶりを解き放つように咆えた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 空は夕焼けに染まり、いよいよその時が来た。

 最後の連絡橋を駆け抜けて、間もなくユージーンが現れる。

 間違いなく強者であり、ランク1に相応しい男だ。実力のみならず、精神も含めて敬意を払うに値する戦士である。

 故に一切の手抜きはしない。最高最強の状態で迎え撃つのは、ランク1という重荷にして矜持を背負う傭兵への最大限の礼儀である。

 顔を覆う仮面は脆いが、頭部へのあらゆるダメージ、衝撃、蓄積を大幅に低下させることができる。視界も極めて良好に確保できる優れものであり、スライド機能によって迅速に口元を露にすることで飲用系アイテムもスムーズに使用できる。

 纏うのは鉄の城から変わることなく黒。竜騎兵のソウルのみならず、新たに得た人魚像のソウルを組み込んだ【夜想曲のコート】だ。軽量な見た目のコートに相反し、斬撃・刺突・打撃・射撃のいずれにも高い防御力を発揮する。斬・刺・打・射のいずれにも穴が無いのは、瞬間硬質化機能と圧力拡散機能のお陰であり、これらによってコートではあり得ない程の防御性能の獲得に成功した。石像でありながら生物の如き柔軟な動きを発揮した人魚像のソウルがもたらしたものである。物理属性防御力を重視しつつ、各属性防御力を平均的に高めている。また、隠密ボーナスを、特に光量が少ない環境下において高める効果もあり、静音性も高く、戦闘・探索のどちらにおいても穴はない。

 夜想曲のコートと同じくズボンやインナー装備も同性能である。これらは一式として開発されたからであり、【夜想曲の装束】と呼ばれる。特にインナー装備は極めて柔軟でありながら、攻撃を受けた時だけ対象の攻撃属性に合わせた防御機能が発動する為にまさしく理想的である。

 四肢に身に着けるのは、黒ずんだ鈍い金色の籠手と具足。その名も天雷装具スローネだ。格闘装具であり、≪格闘≫のボーナスを高めるだけではなく、様々な特殊能力を持つ。代表であるスローネの雷は、雷を操る神族……特にオーンスタインが連なる一族が得意とする雷強化を可能とし、発動すれば魔力消費と引き換えに高スピードを獲得できる。もちろん、防御面でも穴は無く、高い雷属性防御力を持つ。一方で闇属性には脆弱であったが、マユが耐闇属性コーティングを施したことで改善が施されている。ただし、コーティングが剥げていくと闇属性防御力が低下するので、長期間の運用の場合、やはり闇属性防御力の低さがネックとなる。

 右手に有するのは月蝕の聖剣。『名無し』が見出した聖剣であり、かつてアインクラッドで長らく共にあった愛剣エリュシデータに酷似している。本物よりもやや細身であるが、それは黒曜石にも似た月蝕の刃を纏うからであり、解放したその姿はまさしく月光を宿らせぬ月蝕そのものである。高い物理属性とそれなりの月光属性の2つの攻撃力を持つ。所持しているだけでオートヒーリング、スタミナ回復速度上昇、防御力上昇が付く。だが、最大の特徴は月蝕光波にある。思考操作とモーションの2つによって制御が可能であり、高い打撃属性を有した、より実体に近しく重たい月蝕光波は攻防両面で活用できる。

 1つ目の指輪は【剣王の指輪】だ。ネームド【剣王バシャクガルマ】のソウルから生み出された指輪であり、『剣』から受けるあらゆるダメージ・衝撃・スタン蓄積を軽減する。また『剣』に属する全ての攻撃力を上昇させ、スタミナ消費量を抑える。シノンと共に討伐したネームドの性質が色濃く現われている。

 2つ目の指輪は【不屈の狂戦士の指輪】だ。ネームド【主無き狂戦士】の撃破報酬で得られたユニーク指輪である。効果は攻撃力、防御力、スタミナ回復速度上昇である。最大の特徴はHP減少、スタミナ消費、魔力消費、アバター損傷などを戦闘時に繰り返すことによって、指輪の効果が増幅されていく点にあり、最大で5段階まで強化される。あらゆるものが爆発的に消耗する対人戦、長丁場になりやすい対ネームド戦、極めて危機的状況に陥りやすい連戦のいずれにも適応できるのが強みである。

 廃人級の地底人と呼ばれるまでに聖杯ダンジョンに潜った成果も如何なく発揮してある。

 放射の霊晶石+10、呪い付き。メインは全攻撃力上昇。サブはスタミナ消費量低下、魔力消費量低下、クリティカルダメージ軽減。バッドサブはコル入手額低下。呪い付きで強化された全攻撃力上昇によって月光属性も引き上げているだけではなく、サブも穴はない上に至高の3つ付きの+10だ。しかもバッドサブはリザルト時のモンスターから得られるコルの額が減少するものであり、戦闘面にまるで影響を与えない。まさしく『神霊晶石』と呼ぶに相応しい奇跡の具現である。

 円の霊晶石+8、呪い付き。メインは全防御力上昇。サブは全攻撃力上昇、オートヒーリング強化。バッドサブは空腹。満遍なく防御力を上昇させつつ、サブではしっかり全攻撃力を引き上げ、なおかつオートヒーリング強化も忘れない。バッドサブの空腹は、その名の通り空腹に陥りやすく、食事量とサイクルが増えるリスクこそあるが、これまた戦闘面には影響を及ぼさない。

 三角の霊晶石+9、呪い付き。メインは魔力回復速度上昇。サブは魔力消費量低下、オートヒーリング強化。バッドサブはデバフ時効果時間延長。スローネや月蝕の聖剣による魔力消費を念頭に置いた補助である。唯一、戦闘に影響を与えるバッドサブであり、デバフが長期化するものである。麻痺を代表とした定められた時間内だけ影響を与えるデバフがより深刻化する恐れがある。

 攻撃アイテムも最大12まで分裂して追尾・爆発する人工妖精の完成形【ネオ・アグニ】。雷属性スリップダメープを与える空間が数秒間展開される【プラズマ・フィールド手榴弾】。対呪術として、炎属性ダメージ減少と炎上によるスリップダメージを防ぐガスを展開する【消火ガス爆弾】。いずれも攻撃アイテムとして高値過ぎるものばかりだ。

 この日の為に準備した全てを投入する。そして、今日ここに至ることができたのは自分だけではなく、多くの人々の協力があったからこそであると忘れてはならない。

 最後の連絡橋を越えて、ついに現れたのは燃え盛る炎の如き赤の鎧をまとった男だ。『名無し』がどちらかと言えば防御面を落としてもスピードを確保しているのに対し、高防御力を備えたタフさを武器にして圧倒的なパワーで捻じ伏せることこそ彼のバトルスタイルだ。

 

「手厚い歓迎に感謝しよう。だが、ランク1たるオレを満足させるには足りなかったようだな」

 

 問答無用など無粋だ。そう言わんばかりにユージーンは不敵な笑みで笑いかける。彼の背後では協働相手のエイミーが邪魔をしないとばかりに両手を挙げて大きく距離を取った。

 

「そいつは残念だ。趣向を凝らしたんだけどな。でも、パーティはこれからだ。失望はさせないさ」

 

 心臓がうるさい。血流が頭で響いている。骨の髄まで燃え上がるように闘志が爆発しそうだ。『名無し』はユージーンの語らいに応じながら、月蝕の聖剣を構える。

 

「ほほう。それは楽しみだ」

 

 ユージーンもまた考え得る最高の装備と最大の対策を備えているはずだ。それがお互い様であり、卑怯も何もなく、この戦いの末にどちらかが勝者となる結果だけが残る。

 

「サインズ傭兵ランク1にかけて、貴様を倒す」

 

 背負う大剣を両手で構えれば、禍々しいオーラが刀身を覆う。ユージーンが持つユニークスキル≪剛覇剣≫は、攻撃力増加のみならず、ガードを無効化する。そして、対ドラゴン特効がついており、『名無し』のデーモン化である竜人型に対して絶対的な優位性を持つ。

 ランク1の誇り。背負う義務。己に課した使命。その全てをこの戦いにぶつけるユージーンに、自分はどのようにして応えられるのか? 彼に相対するに値するものは何なのか?

 考えても無駄だ。ユージーンにぶつける為だけの口先だけの薄っぺらな言い分など、それこそ彼に対して非礼なのだから。

 戦った相手の矜持も、理想も、信念も、願望も背負えるような器ではない。だが、それでも刃を交えた戦士には敬意を払いたい。どんな犠牲を払う戦いだったとしても、誇りを抱いていたい。そして、何よりも生きる。自分が死ねば悲しむ人たちがいると分かっているからこそ、生きる為に前進し続けて戦い抜きたい。それこそが『名無し』の武の頂への目指し方なのだ。

 

「俺が『俺』であるからこそ、お前を倒す」

 

 ユージーンが咆え、『名無し』は白の都への入口……連絡橋との狭間にて、都を支える柱が乱立する広々とした空間の大気を全て吸い上げるように深呼吸する。

 発動させるのはユニークスキル≪集気法≫。オートヒーリングとアバター修復速度を高める治癒勁とDEXを高める【烈風勁】だ。ユージーン相手に真正面からのダメージ上等の斬り合いでは捻じ伏せられる。ならばこそ、彼に上回っているスピードを高める。

 激突する月蝕の聖剣とユージーンの大剣。漆黒と火花が散り、両者は弾けるように距離を取る。≪二刀流≫を始めとして強化され、なおかつSTRを成長させ、ステータス出力を常時5割維持できる『名無し』ならば、パワーでもユージーンにも見劣りはしない。だが、武器としては片手剣と両手剣という差がある。

 思い出したのはDBOで出会った強敵だ。聖剣を完璧に使いこなした、存在そのものがドラゴンすらも超えたタフネスとパワーを兼ね備えたモルドレッドだ。戦い方は違えども、同じ両手剣使いのパワーファイターだ。

 ユージーンの≪剛覇剣≫はガードを無効化する。相対するには常に攻め続ける姿勢が求められる。一瞬でも消極的になってガードに逃げれば、全く意味を為さずに『名無し』は斬り捨てられる。

 どうすればもっと強くなれるのか。アルヴヘイムを経て『名無し』は自身を見つめ直し、1つの結論に至った。

 剣士として新たな領域に至る。剣に新たな『力』を組み合わせる。それがDBOでは可能であり、為し遂げてこそSAOから真の脱却が出来るのだと。

 この日の為に温存し続けた。隠し通した。信頼できる僅かな人々以外は知らない、取って置きだ。

 コートに隠れた、左の太腿のホルスターから抜いたのは、メタリックグレーの金属塊。

 マユが素材と情熱と全技術と伝手と睡眠時間を捧げて完成させた、聖剣との同時運用を前提とした最高傑作。

 ユージーンが大きく目を見開く。さすがの彼も完全に想定外だったのだろう。まず訝しんでいたはずだ。≪二刀流≫を持つ『名無し』が月蝕の聖剣だけで相対したのは何故なのか、何か策があるからなのか、探ろうとしていたはずだ。だが、『名無し』が『剣士』であるという固定概念を捨てきれなかったことが彼の表情から窺い知れた。

 

 

 

 

 

 これが新たな始まりだ。産声の如く銃撃が鳴り響く。

 

 

 

 

 

 信じられない。だが、だからこそ興奮を抑えきれない。ユージーンもまた『名無し』と同じく、バトルジャンキーという側面を持つように、弾丸が掠めた頬より流れた血を手の甲で拭いながら笑う。

 

「『銃』……だと? 純然たる剣士だった貴様が銃を!?」

 

「ああ、俺も信じられないよ。だけど、これが俺の新たな……DBOでの戦い方だ!」

 

 右手に持つのは鉄の城の愛剣に酷似した月蝕の聖剣。そして、左手に持つのは近未来的デザインをした大型ハンドガン【メイデンハーツ=ユグドラシル・カスタム】。

 アルヴヘイムで折れ砕けても最後まで共にあった、マユが授けてくれた機械仕掛けの剣は、姿形を変えて『名無し』と共にある。

 

 新バトル・スタイル、ガンズ&ソード。SAOから彼を助け、同時に縛り続けた≪二刀流≫は、DBOの数多の強敵たちと出会った人々の洗礼を経て、腐敗した聖域が朽ちる最後の黄昏の下で暁を見る。




譲れぬものがある。ならばこそ、勝者は1人のみ。


<システムメッセージ>

強制イベント『ラストサンクチュアリ壊滅作戦』が開始されました

主人公(黒)
勝利条件:ユージーンに勝利せよ

ユージーン
勝利条件:主人公(黒)に勝利せよ


それでは、333話……後編にて会いましょう!

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