SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

黒VS白……続行!


Episode20-22 月と太陽

「予定通りにはいかない……か」

 

 終わりつつある街、聖剣騎士団支部の執務室にて、ディアベルは壁掛けテレビに映し出された【黒の剣士】キリト対【渡り鳥】クゥリの死闘が新たな局面を迎えたことに苦笑を投じる。

 

「申し訳ありません。責の一切はこの私にあります」

 

「ラムダさんの責任じゃない。ラストサンクチュアリ壊滅を利用してクラウドアースの評判を落とせればいい。『その程度』の作戦なんだ。気に病むことはないよ」

 

「ですが……!」

 

「状況は変わったんだ。俺達も対応を変えなければならない。そうだろう?」

 

 土下座する勢いで頭を下げているラムダに、ディアベルは穏和な笑みで此度の失敗は不問にすると告げる。

 騙して、欺いて、出し抜いて、だが建前を何よりも重視する。すっかり馴染んでしまった澱んだ世界だ。

 

「我々もクラウドアースも、今回ばかりは太陽の狩猟団に踊らされていた……ということかな?」

 

「そうでしょうね。当初予定していた『突入部隊』の強襲船には破壊工作が施されていました。どうやら整備員が買収されていたようです。既に検挙していますが、太陽の狩猟団との繋がりを明確にするのは困難でしょう」

 

「……買収か。大義や志ではなく、欲で動く人間とは必ずいるものだしね。こればかりは防ぎようがないか」

 

「だからこそクラウドアースは与しやすいのですが。奴らはギルド連合。それも議会で強い発言権を持つのはいずれも商業・金融ギルドばかりです」

 

 聖剣騎士団も太陽の狩猟団もDBO完全攻略を志して発足したのに対して、後発のクラウドアースは完全攻略を掲げながらもその実は戦力不在だった商業・金融ギルドが寄せ集まって多額の資本によって戦力を収集したという経歴を持つ。即ち、DBOにおける支配力を得るという目的の下で結成されたのがクラウドアースなのだ。

 謀略・知略はお手の物であるが、その一方で明確な支柱が存在しない。彼らを統率する理念と人物が不在だ。軍事面はセサルという突出した逸材によって急成長できたが、彼は政治に対して何も口出ししない。むしろ、クラウドアースの窮地すらも楽しんでいる節がある。また、ここ最近は健康面に問題があるらしく、表舞台に出ることもほとんどなくなった。

 だからこそ、聖剣騎士団も太陽の狩猟団もクラウドアースの切り崩し工作が以前よりも遥かに容易になった。セサルという『王』がいたからこそ、クラウドアースはここまでのし上がれたが、彼が手綱を離してからはギルド内の権力争いが如実に表面化してしまったのだ。

 ベクターは優秀な政治家であり、経営者でもあるのだろう。現代の視点から見れば、実に優れた『上』に立つ者なのだろう。

 だが、『王』の器ではあらず。DBOの行く末を支配するのは『王』なのだ。

 ディアベルは自身が『王』の器であると驕ったことはない。だが、周囲の目と期待で嫌でも実感した。聖剣騎士団を率いる自分は新世界の王になる権利を得たのだ。いや、いかなる手段を用いてでも新世界の王にならねばならないのだ。

 肉体を持たない人々に帰るべき場所はない。そして、他者の手に支配を委ねることも是とはしない。自らの手で新たな時代の幕開けをもたらすのだ。既存の法の加護もないこの世界に、新たな秩序を敷くのだ。

 ミュウもまた『王』の器ではない。彼女もベクターと同じく政治家タイプだ。だからこそ、彼女は分を弁えている。自らが壇上に立つことを是とせず、サンライスという輝かしいばかりの英傑こそが『王』であるとして、万の策で内外に支配の根を広げる。たとえ、それが主君が最も嫌うやり方であり、いずれ断頭台に上ることを命じられるとしても、彼女は最後の瞬間まで陰謀を巡らし続けるだろう。それこそが『臣下』としての在り方なのだ。

 

(ラストサンクチュアリ内に蜂起したスリーパーと買収者を【聖剣の英雄】と共に成敗する。キバオウがどう喚こうと生き残った貧民プレイヤーを考慮すれば、こちらの策に乗るしかない。そのはずだったんだけどね)

 

 後は『予定通り』にラストサンクチュアリ本部を陥落させようと集結したスリーパーや買収守備隊諸共口封じする。ラストサンクチュアリの瀬戸際の防衛は聖剣騎士団と【聖剣の英雄】によって果たされる。それが聖剣騎士団のプランだった。

 聖剣騎士団としても聖剣の保有者でもあったキリトは是非とも専属傭兵として得たいカードだった。彼さえ獲得できれば、もれなく『英雄』という権威を得ることになる。彼は彼自身が望まずとも在り方そのものが『英雄』となる。ある種の呪われたような存在だ。

 聖剣騎士団は手厚く生存したラストサンクチュアリ出身貧民プレイヤーを『保護』する。彼らの今後の安全を保障する見返りとして、【聖剣の英雄】には聖剣騎士団の専属になってもらう予定だった。

 教会が代理として貧民プレイヤーを保護する。その決定自体は一見すれば何の不思議もない。事実として、今や大ギルドは『お布施』をして貧民プレイヤーへの炊き出しから孤児院の経営等々の各種慈善活動を教会に行ってもらう立場だったからだ。

 だが、今回に関しては教会を利用して他2つの大ギルドが横槍を入れて推し進められたものだ。聖剣騎士団としてはDBOの人口増加前……最初期から保護されていた1000名以上の『肉体持ちプレイヤー』を保護するという事には、『永住』を推し進めている聖剣騎士団にとっても大きな意味があった。

 ラストサンクチュアリと聖剣騎士団は密な関係にある。1000名とは馬鹿にならない数であるが、【聖剣の英雄】という権威獲得と多数の肉体持ちプレイヤーの保護という価値からすればお釣りが出る。1000名の中にはラストサンクチュアリという閉塞した環境だったからこそ埋もれていた、戦力ではなく『労働力』となれる基準を満たせる人材は少なからずいるだろう。ならば長期的視野から見れば、悪い買い物ではない。

 だが、キバオウの形振り構わない土下座外交が思わぬ成果をもたらした。クラウドアースを動かしたのだ。太陽の狩猟団もここぞとばかりに乗っかり、教会が統括して保護することまで発表することになった。教会の声明を引き出した裏には太陽の狩猟団の暗躍があったのは言うまでもない。

 キバオウには頼る者などいないはずだった。聖剣騎士団以外にはあり得なかった。だが、自由開拓戦線の【聖剣の英雄】を獲得しようとする動きを利用した、太陽の狩猟団の裏工作がここぞとばかりに炸裂していった。

 いいや、違う。そもそもとして自由開拓戦線の設立には教会が大きく関与している。自由開拓戦線設立に関与したと思われる旧フェアリーダンスのメンバー……レコンは既に特定済みであるが、彼は思いもよらなかったはずだ。自分が進めていた自由開拓戦線の設立、その肝だった教会との握手の裏には太陽の狩猟団の根回しがあったなど露とも知らないだろう。

 自由開拓戦線を設立させて大ギルドのパワーバランスを崩させると見せかけてその実は骨抜きにした、中立層の『ガス抜き』の場にする。加えて自由開拓戦線が【聖剣の英雄】獲得に動く工作を始めたらすかさず支援して聖剣騎士団との不和の噂を立てる。特に風花隊の事件は聖剣騎士団がラストサンクチュアリの裏で関与したと実しやかに囁かれた。だが、その実態は太陽の狩猟団が仕組んだものでもあった。

 1つ1つの小石を投げ込んで荒波を作っていった。そして、キバオウの土下座外交の裏で暗躍し、聖剣騎士団の目論見を破綻させた。それどころか、ラストサンクチュアリ拠点の破壊工作を進め、2人の英雄候補の決闘後にクラウドアースに罪状をなすりつけて爆破し、1000名規模の貧民プレイヤーを教会と連携して保護することまで視野に入れていた。

 ならば、と聖剣騎士団は今回のシナリオを書いた。クラウドアースの評判を落とし、内部抗争を激化させて切り崩しを行う。貧民プレイヤーには犠牲も出るが、当初の予定通りに纏めて口封じも含めて突入部隊に抹殺させ、『【聖剣の英雄】と連携してクラウドアースの悪事を阻む』という勧善懲悪の茶番劇を生中継する予定だった。

 聖剣騎士団は大多数のラストサンクチュアリ出身者を保護できる。【聖剣の英雄】も馬鹿ではない。聖剣騎士団の裏工作を察知するだろう。だからこその犠牲者だ。示威行為であり、また自分たちを裏切ればどうなるのかという警告にもなる。

 この計画には『ユージーンが勝利した場合』もあったが、その心配は要らない。もしもユージーンが勝利しかけた場合、ラストサンクチュアリの各ブロックに仕掛けた爆弾を炸裂させて足場を崩し、2人まとめて落下させてシナリオ通りに進めていただけのことである。元よりユージーンには『正々堂々とした決闘の勝利』などなかったのだ。

 

「我々がラストサンクチュアリに潜り込ませていたように、太陽の狩猟団やクラウドアースも同様のはず。だからこそ、ラストサンクチュアリ内の他スリーパーの排除・買収などにも注力し、万全に至るまでわざわざ延命させたというのに。本当に、何とお詫び申し上げたらいいのか……」

 

「言っただろう? 謝罪したところで状況は変わらないし、ラムダさんにミスもなかった。俺達は裏を掻かれた。それだけのことさ」

 

「ですが……!」

 

「本当に気にしていないさ。今回の件で次の方針もハッキリしたしね。ミュウさんやベクターさんとも是非とも協議したい案件もできた。それにね、悪い事ばかりじゃないさ。聖剣を有した【黒の剣士】キリト。これ以上と無い程に劇的な登場をしてくれたじゃないか」

 

「正直に申し上げまして、【聖剣の英雄】の獲得は絶望的です。今回の工作が聖剣騎士団であると確証は持てずとも、我々への不信感は元よりあったはず。これでは……!」

 

「『それでいい』のさ。彼の態度を見れば分かったさ。ラストサンクチュアリが滅びれば、元より3大ギルドの忠実な専属になるつもりなどなかっただろうからね。だからこそ、1000名の貧民プレイヤーを『保護』して専属契約に臨むつもりだったけど、それも失敗したならば、別のプランに移るまでさ。それに今回の件で3大ギルドへの不信感は強まり、元より可能性は低かった、太陽の狩猟団やクラウドアースの専属になる流れもほぼあり得ない。だからこそ、太陽の狩猟団……いいや、ミュウは教会との合同でラストサンクチュアリ避難民の保護を行っているんだ」

 

 そうなると、ミュウの狙いは『想定通り』にキリトを自由開拓戦線の専属にさせる方針なのだろう。これまで以上に自由開拓戦線への工作を惜しまず行わねばならない。

 

(しかし、そうなるとミュウの狙いは飼い殺しか? それとも自由開拓戦線を太陽の狩猟団の傀儡に? 後者では【聖剣の英雄】は開拓戦線との専属契約を断るかもしれないな。少し探りを入れる必要性がありそうだね)

 

 ミュウ。やはり一筋縄ではいかないどころか、恐ろしく権謀術数に卓越した女だ。ディアベルは惜しく思う。サンライスではなく自分に従ってくれていたならば、聖剣騎士団は不動にして最強・最大のギルドとしてDBOに君臨できただろう。

 

「これから俺達が協議しなければならない最重要案件は2つ。1つは実在した心意の解明と早期実用化。もう1つは……ハァ」

 

 ディアベルの口から思わず漏れた溜め息に、ラムダは心中を察するとばかりに頷く。

 

「黄金林檎と【渡り鳥】……ですね? ミュウから既に『招待状』は届いています。3大ギルド合同で南海の黄金林檎製メガフロートの『接収』とVOBなる技術の共有化。黄金林檎からは既に売却案が持ち出されています。アームズフォートの爆撃に用いられた使い捨て爆装は既に回収されましたが、まだ未確定ではありますが、工房の見解としては先の太陽の狩猟団の暗部アジトに用いられたものに近しいとのことです」

 

「そうなると、先の太陽の狩猟団爆撃事件を実行したのは、高確率でスミスさん……というわけか。依頼したのはクラウドアースかな?」

 

「あるいは太陽の狩猟団の自作自演もあり得ます」

 

「要調査だね。頼むよ、ラムダさん」

 

「お任せください。ノーチラス……今はエイジと名乗っているようですが、彼の再調査も並行して進めなければなりませんね。今は教会の保護下にあるようですが……」

 

「好きにしてくれ。彼とは1度会ったけど、もう底は見えたよ。傭兵になればそこそこ使い勝手のいい人材だっただけど、それだけだ」

 

「ええ、確かに。駒としても価値があるとは思えない小物ですね。ですが、念には念を。ベクターのように小石を軽んじて躓くのもつまらないものですから」

 

 それよりも黄金林檎とクゥリが問題だ。特に黄金林檎は前々からDBOでも変人集団……あの【渡り鳥】を『プロデュース』するという前代未聞の立場を表明したギルドだ。

 グリセルダはマネージャーとして3大ギルド相手にも臆さず交渉を行う女傑だ。優れた政治バランス感覚、卓越した情報収集能力、何よりも3大ギルド相手に喧嘩を吹っ掛けるギリギリのラインまで卓上の戦争を続けられる胆力と交渉力。政治力・交渉力ゼロの【渡り鳥】を見事に傭兵という『商品』に仕上げた。

 グリムロックはHENTAI鍛冶屋でも最も大ギルドに協力的である一方で、クゥリの装備の開発者でもある。今回のキリトVSクゥリの戦いで見せた彼の数々の作品は、いずれも常軌を逸したものばかりであり、およそ使い手を考慮していない『作品』であるというのが工房の見解だ。逆に言えば、使い手を無視したが故の暴走であれだけのトンデモ装備を生み出せる狂気の天才とも呼べるだろう。

 ヨルコは酒浸りの典型的なアル中であるが、≪薬品調合≫のスペシャリストである。ここ最近は娼館などに怪しい媚薬の横流しなどをしている一方で、彼女は教会の断酒会を通して、戦闘の恐怖や仲間の死で傷を負った者たちに調合した薬による精神安定を図り、事実として少なくない人数を戦線復帰をさせているという隠れた実績を持つ。彼女の調合センスはレシピ通りの作成だけではなく、好奇心に基づいた様々な研究、緻密な配合計算と調合センス、そして効果を様々な角度から検証する臨床実験によるものであると見られている。グリムロックが装備開発のHENTAIならば、ヨルコはDBOで最も貴重な人材でもある薬学スペシャリストだろう。

 彼らがここまで急成長かつ危険な集団になったのは、やはりクゥリから提供される多額の資金にあるだろう。クゥリはほぼ仕事漬けであり、得た報酬のほぼ全てを黄金林檎の資金と環境整備に充てている。しかもVSキリト戦を見る限り、聖剣騎士団が想定した以上のユニークソウルも収集していた。どれだけの資金、情報、素材を黄金林檎が獲得していたか、考えたくもない域である。

 天才を自由にさせる資本と環境を与えたらどうなるのか。分かりやすい見本である。浪漫は認めるが、やはり御すべき部分は御さねばならないのであるとディアベルは強く決意する。

 

(グリムロックさんの技術はワンオフばかりで汎用化できるものが少なすぎる確率が高い。そうなると、他大ギルドも狙っているのはヨルコさんの方か。だから断酒会を通して教会と……なるほどね。グリセルダさんはどうやらキレ者のようだ。ヨルコさんに手出しをしたら、彼女から各種協力を得ている教会が黙っていない、というわけか)

 

 天才2人をその実は『守っている』のはグリセルダの政治・交渉の手腕である。そして、自分も含めた黄金林檎を害するならば、狂犬の『首輪』が外れることになると最大の脅しもかけている。それが今回の殺戮ショーでもあるわけなのだ。自分も含めて黄金林檎を『暴力』で害そうとするならば、『首輪』が外れたバケモノが『形振り構わず』に殺しにかかるぞ。そう脅迫しているのだ。

 クゥリを敵に回した場合、最も恐ろしいのは『暗殺』だ。これまで多くの暗殺を依頼した3大ギルドだからこそ、彼が制御の利かぬ暗殺に乗り出した場合、どれだけの被害が出るか分かったものではないと熟知している。

 そういう意味では、今回のキリトVSクゥリは……いいや、【渡り鳥】にしては意外にも『正々堂々』の部類であるとディアベルは評価していた。彼ならば、あんなわざとらしく見通しのいい広場で待ち構えなどせず、事前に罠を仕掛け、火災と夜の闇に紛れた強襲で殺しにかかるはずだ。

 これらの事から、キリト……【聖剣の英雄】との交戦、あるいは殺害に関してはクゥリに与えられた依頼には正式に含まれていないと考えられる。あるいは、交戦だけして適当に報道されるという路線も考えたが、その割には容赦が全く存在しない。ディアベルも驚く程の……よもやこれ程とはとテーブルの下で握る拳を震わす程だった。

 依頼に踊らされるわけではなく、依頼と依頼主すらも利用して立ち回るグリセルダの手腕は見事であるが、彼女もクゥリの暴れっぷりは想定外だったのではないだろうか? 仮面を砕き、その素顔を晒して【黒の剣士】として戦うランク9に世間は熱狂しているだろう。まさにバケモノ退治だ。だが、英雄の刃を退け続け、圧倒的な暴力で追い詰める様は、もはや理不尽にも等しい。

 よもや殺すのか。キリトの首が落とされかけた時、新たな能力が発動した。キリトが元から隠し持っていたとは考え難く、その能力はユージーンが発現させたものに近い。そこから、明らかに動きが格段に良くなり、クゥリを一気に追い詰めていく。

 そして、ついに灰色の雷がクゥリに叩き込まれた。危うい綱渡りの連続であったが、まさしく『英雄』の使命としてバケモノ退治を為し遂げた。ディアベルすらもあらゆる策謀を超えて応援してしまっていた程だった。

 だが、クゥリは終わらない。足下から緋血の怪物の顎を無数と生み出してキリトを遠ざけ、ソフィアの動きを奪った灰雷の効果が途切れたと見せつけるように悠然と歩み出した。

 そして、折れたカタナを再生させ、魔剣の能力を発動させ、緋血は濁った炎を発火する。

 

 どう足掻こうとも『英雄』は個人の域を出ない。たとえ、天災にも等しいドラゴンを1人で対峙できるとしても個人の領域を脱しない。

 

 ならばこそ、クゥリは余りにも異質で、おぞましく、恐ろしく……個人という概念から逸脱した天災にも等しい『バケモノ』に見えてならなかった。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

「ユナは?」

 

「落ち着いた。今は眠ってる」

 

「……そうか。まぁ、ユナにはさすがに早過ぎたかな。いや、最前線を潜り抜けた歴戦の猛者でも顔を背けるだろうし、無理からぬことか」

 

 ユナを自室のベッドまで運んだエイジは、自分の迂闊さを殺したくなるほどに憎む。

 ランク1VSランク9の決戦からラストサンクチュアリの真の壊滅、そして【渡り鳥】の登場。エイジはいずれかの大ギルドの書いたシナリオだろうと裏を読むことに意識を集中させていたが、同席していたユナからすれば、スプラッターものなど生温い殺戮現場は刺激が強過ぎた。

 ユナは元より戦いに興味を持つタイプではない。だが、世間が熱狂していることを感じ取り、最強プレイヤー候補の大決戦をエイジと見てみようという好奇心程度だったはずだ。よもや、血と臓物と死が円舞する殺戮の様などを見ることになるとは予想外もいいところだろう。

 狂乱したユナを何とか落ち着かせたエイジは、半ば気絶したに等しい彼女を自室のベッドまで運ぶと、改めてスレイヴを傍らに小さな画質の悪いテレビに目を向ける。スレイヴが教会からタダで借りてきたものらしく、画質は悪いが、こうして仮面を砕いた【聖剣の英雄】……【黒の剣士】キリトと【渡り鳥】の戦いを見ることが出来ていた。

 

「…………」

 

「……憎いか?」

 

「当たり前だ。どうして……どうして、アイツには許される? どうして、あんなにも……都合のいい奇跡が起きる!?」

 

 憎しみのままに牙を剥くエイジは、隣の部屋で眠るユナを目覚めさせまいとギリギリで荒げる声が大きくならないように抑制する。

 エイジは自覚する。自分は弱い。何もかも足りない愚かな弱者だった。だからこそ、『ユナ』は死に、ユナの歌声と夢も奪い取ってしまった。全ては『力』が足りなかったからだ。

 だが、アイツはどうなのだ? 破滅を免れない腐った聖域で、まさしく英雄の如く戦う【黒の剣士】キリトはどうなのだ? エイジの見た範疇では、彼の優れ過ぎた目が映す限りでは、どう足掻いても【渡り鳥】との間には隔絶した戦闘能力の差……絶対的な『力』の差があるように思えてならなかった。

 多少の策や物量、技術で覆すことができない絶対的な『力』の差。まるで生身で虎に挑むかのような無謀すらも覚える。あのライドウですらも【渡り鳥】を相手にするならば、普段のふざけた戦いなど鳴りを潜ませて、最大の準備を整えて全力で挑むだろうという確信すらもあった。

 それ程までにあったキリトと【渡り鳥】の差。だが、それはまるで魔法がかかったかのように縮んだ。まるで幻影のような輪郭だけのキリトが出現した時から怒涛の反撃が始まり、今まさに追い詰めようとしている。

 そんな生易しいものではないはずだ。『力』の差とは常に惨酷に立ちはだかる真理であるはずだ。そうでなければ、どうしてユナは死んだ!? どうして『ユナ』は死んだ!? 僕を嘲っているつもりなのか、【黒の剣士】!? エイジは拳を握り、ユナがいないと分かっているからこそ牙を剥いて顔を憎しみのあるがままに歪める。

 

「ふむ、そうだな。丁度良い。お前にもそろそろ教えておこう。茅場の後継者が目の敵とする、現時点では人類のみが発現できる特殊能力……心意について」

 

「心意? それが【黒の剣士】の強さの秘密か? どういうものなんだ?」

 

「ユナが起きるかもしれないから声のトーンを落とせ……って、うわぁ、ちゃんと声『だけ』は冷静に戻ってるな。お前は本当にユナの事になると……それだけは『鬼』になっても……いいや、だからこそか? ふむ、お前に増々の興味が湧いたぞ」

 

「どうでもいい。さっさと教えてくれ」

 

「せっかちだな。ふむ、そうだな。簡単に説明すれば……」

 

 砂糖をたっぷり入れた珈琲を啜りながら、スレイヴは勿体ぶるように溜めを挟み、沈黙を保つエイジの耳元に顔を近づける。

 

「心意とは主人公補正だ」

 

「……ふざけてるのか?」

 

「いいや、大真面目だ。あ、もしかして主人公補正って分からないか? アニメとか漫画とかだけじゃなくて、映画やドラマでもよくある――」

 

「イメージは大体つく。主人公特有の現象みたいなものだろう? いきなり前触れなくパワーアップするとか、奇跡が起きるとか」

 

「んー、まぁ、そんな認識で十分だろう。ただ、俺自身は自然発生的奇跡も嫌いではないんだがな。ほら、偶然の神秘って素敵じゃないか。俺とお前の出会いみたいにな!」

 

「…………」

 

「え、えいじぇ? なんでそんなに目が冷たいんだ? 俺との出会いは、お前にとって奇跡……だよ……な?」

 

「それよりも心意の説明をしてくれ」

 

「……泣くぞ。本当に泣くぞ!?」

 

「さっさとしてくれ」

 

「えいじぇえええええええええええええ!?」

 

 涙目のスレイヴは珈琲を啜り、少しばかりの嗚咽を挟んだ後に、左手の人差し指を立てた。

 

「心意とは、VR環境によって構築される特殊なフラクトライト・ネットワーク……仮想脳に由来する、心や精神の働きに基づいて仮想世界に干渉する特殊能力だ」

 

「意味不明だ」

 

「だよな。まぁ、システム外スキルとかステータスの高出力化とか、そういう『抜け穴』とか『バグ』とか『仕様』とかじゃない。システムやプログラムそのものに干渉して『奇跡』を起こす。それが心意だ。厄介なのは、コイツにはチートツールとかそういうものは要らない。仮想脳さえあれば、理論上は誰でも発動できる」

 

 もちろん、使用すれば相応の消耗は避けられないがな。そう付け加えたスレイヴは面白そうに笑う。あるいは嗤う。

 

「心意が発動する前提として、まずは仮想脳が極度の活発状態に入る。要は覚醒だな。これによって反応速度と思考速度が常時以上に引き上げられるはずだ。【黒の剣士】のVR適性はSSSであり、反応速度も人類最高峰だ。仮想脳に由来した思考速度もトップクラス。仮想脳の覚醒状態に入れば、それだけで恩恵は計り知れない。まぁ、覚醒状態でも疲労は相当なものだが、ここからが心意の本番だ」

 

 心意。それもまた有用な『力』であるはずだ。エイジはテレビの画面から目を離さないようにしつつ、スレイヴの語りに耳を傾ける。

 

「心意とは仮想世界に干渉する特殊能力だが、『心意顕現』と『心意強化』だな」

 

「どう違うんだ?」

 

「焦るな。1つ1つ教えてやる。まずは分かりやすい心意顕現からだな。ほら、【黒の剣士】やランク1が使っていただろ? ノーモーションでテレポートの如くシステムアシストで移動する能力や複数の分身を召喚して使役する能力だ」

 

「……やっぱりか」

 

 最初はスキルや装備能力の類かと思ったが、大きな違和感があった。確信に変わったのは、【黒の剣士】がユージーンの分身能力を発動させた時だった。これはプレイヤーが行使できるシステムの枠外から発動しているのだと悟った。

 

「僕の視覚警告も心意の類なのか?」

 

「分かってるくせに尋ねるなんて悪趣味だなぁ。答えは『ノー』だ。お前の視覚警告は前にも説明した通り、あくまで原理の根底にあるのはFNCだ。FNCの過敏反応とフォーカスロック・システムがダーインスレイヴを通して合わさった結果……分類するならば『バグ』に近い。事実として、お前は仮想世界に干渉できているわけではない。ダーインスレイヴという補助装置があるとはいえ、あくまでお前自身で完結している能力だ」

 

 単なる確認作業だ。わざわざ説明してくれたスレイヴに、エイジは肩を竦めて感謝を示せば、スレイヴは頬を膨らませながらも律儀に心意の説明を再開する。

 

「DBOにはプレイヤーからモンスターまで様々な能力が存在する。だが、そのいずれにも『土台』が不可欠だ。モンスターならば、DBOの根幹を司るカーディナルに登録された能力以外は発動できない。どれだけ無限の可能性を秘めているように見えても『設定された能力』以上は発動できない。自由性と拡張性は個体差もあるだろうがな。プレイヤーに関しても、たとえユニークスキルであってもスキルとして設定されたものだ。【渡り鳥】の装備だって一見すれば出鱈目にも見えるかもしれないが、あれはいずれもベースとなった能力と高度な加工自由性を持った素材があってこそ実現するものだ。つまり、どんな能力である装備であるとしても『素材』が不可欠だ。これに関してはレギオンであっても逃れられないルールだ」

 

「レギオンでも?」

 

「そうだ。誤解され易いが、俺達は万能じゃない。まぁ、レギオンは『群体』であるが故に『素材』を共有化できる強みもあるが、それ故の個々に割り当てられるリソース問題があったりな。まぁ、レギオンの場合は大元である殺戮本能のお陰で拡張性と成長性が半端じゃないんだが、それでも必ず始まりとなる『素材』が不可欠なんだ。特に上位レギオンの場合は設計時の基礎となる能力設定の時に下位レギオンとは違う工程が……まぁ、色々あるんだ」

 

「なるほどな。だから『土台』か。無から有を作っているわけではない。種が無いと花は咲かない。そういうことか」

 

「お前は相変わらず呑み込みが早いなぁ。それはそうとして、心意顕現は無から有を『創造』する。正確に言えば『素材』となるのは、心意の原動力である心と精神だ。願望、信念、理想、悔恨、本質……そうしたものが能力の『素材』となる。言うなれば、心意保有者は『自分自身』を素材にして能力を生み出しているようなものだな。だから、システム上は無から有を創造するようなものだ。それ故に心意顕現を複数持つことはあまりない。まぁ、複数保有者がいないわけでもないがな」

 

「……詳しいな」

 

 ふざけている。余りにもふざけ過ぎている。エイジは拳をテーブルに叩きつけようとして、だがそんな大音を立てればユナが目覚めるかもしれないと堪える。

 冷静さを失うな。エイジは拳を1回開き、スレイヴの視線を意識しながら、眉間に皺を寄せるに止める。

 

「続けてくれ」

 

「……心意顕現が『精神を反映させた奇跡の結晶』であるならば、心意強化はまさに『精神を反映させた奇跡の恩寵』を得るものだ。バフ・システムに干渉すれば、御覧の通りにステータスが強化される。あとは五感を通して『エネルギー』を感知する事もできたりもする。要は知覚の拡張だな」

 

「エネルギー?」

 

「そうだ。仮想世界におけるあらゆるエネルギー……プレイヤーにはクローズされた情報だな。相手の体内を巡るSTR・DEXエネルギーを知覚できれば、それらが生み出す運動エネルギーを感知できれば、より精密に次の動きを予測できるようになるだろう。このように、カップを落とした際も落下エネルギーが生じている。あらゆるエネルギーの流れの知覚を可能であるならば、周囲の環境に満ちるエネルギーさえも掴み取れば、仮想脳の演算能力と合わされば、理論上は限りなく正確な未来予測が可能となるはずだ。エネルギー知覚を研ぎ澄ませば、飛んでくる銃弾の軌道は手に取るように分かり、竜のブレスの予兆は体内に渦巻くエネルギーで察知も可能だろう。まぁ、『知覚しているという認識』に至るのは少々困難だろうがな。あの様子だと【黒の剣士】もまだ『認識』には至っていないようだ」

 

「……まるでレギオンプログラムみたいだな。まさか――」

 

「ちなみにレギオンプログラム……王に由来する直感は、この知覚とは全くの無関係だぞ。俺達はまさに『勘』だ。それ以上もそれ以下もない。残念だったな」

 

「……そうか」

 

「まぁ、即座にレギオンプログラムと結びつけたことは褒めてやるが、我らの王の殺戮本能は『その程度』で追い付けるものではない事だけは忘れるな。理論化しようとすればするほどに馬鹿を見るぞ。あるがままを受け入れろ」

 

 レギオンという種の『秘密』に迫れるかもしれないが、そもそもどうでもいい事か。エイジはスレイヴから珍しく立ち入らない方がいいと警告を受けているように感じ、また大した興味もないことから追及を避ける。

 

「『無から有を創造する』のが心意顕現ならば、心意強化は『存在する有を操作する』といった感じだな。心意顕現のように明確な形を持たないが、それ故に心意強度……イレギュラー値の差は露骨に出るぞ。スピードが足りないならば『DEXを増やせばいい』。パワーが足りないなら『STRを増やせばいい』。そして、HPがゼロになってしまったならば『ロックされている蘇生システムを活用すればいい』」

 

 最後の蘇生という部分にエイジは、スレイヴにしては珍しい厭味ったらしさが滲んでいるような気がした。エイジの察知に気づいたのか、濁り腐ったような金髪に隠された、中性的な顔立ちを『レギオンらしさ』で歪めた憎悪の君が禍々しく笑って嗤う。

 

「知っているか? DBOはβテストの時点から、その場における蘇生システムが存在しなかった。DBOにも犠牲の指輪という自己蘇生アイテムもあったが、あれは正確に言えば『デスペナルティ発生時に、HP回復等を特典として死亡した場所に転移する』というものだ。なんでそんな回りくどい真似をしたと思う? どうして、βテストの頃から、高難度とは謳っていながらも『客寄せ』の為の蘇生アイテムすらも無かったと思う?」

 

「……まさか!」

 

 エイジは理解した。心意強化とは『存在する有を操作する』ものであるならば『元より存在しない蘇生システム』は使用できない。心意強化を想定した対策だとすれば納得がいく。

 

「まぁ、それでも抜け道は存在するだろう。たとえば、デスペナルティの発生自体を阻止するといった具合にな。だが、その次元に到達する為には心意を発動させるに足る『死の恐怖の完全な消滅』が不可欠だろう。『踏破』ではないぞ。『消滅』だ。旧来のテレビゲームのように、自分を画面の向こう側のゲームキャラのように『命が元より無くて復活出来て当然の存在』と完璧に見なすということだ。あるいは、『死の恐怖そのものが本能レベルから完全に欠落した存在』になるかだな。前者の精神状態では、そもそも心意なんて発動しない。なにせ『繰り返せる』という侮りがそのまま心意強度を下げる」

 

 では、後者は? エイジは尋ねられなかった。それはスレイヴが『レギオン』の顔をしたままだったからだろう。彼女の触れてはならない琴線に関係しているのは間違いなかった。

 

「蘇生システムが無いDBOで蘇生を為し遂げるならば、それこそ『無から有を創造する』心意顕現しかない。だが、何事にも類似性とは存在するものだ。【黒の剣士】の高速移動能力も、ユージーンの分身も、DBOには『類似した能力』が登録されていたはずだ。だからこそハードルは下がる。だが、元より存在しない蘇生機能すらも『創造』するとなると……ああ、なるほど。だからこそのDBOか」

 

「1人で勝手に納得しないでくれ。僕にも説明しろ」

 

「いやいや、こればかりは説明したくない。俺にそんな惨酷な真似をさせないでくれ。いやはや、人でなしだとは思っていたが、茅場昌彦は本当に……まったく、これだから技術屋というものは。好奇の狂熱の先に何が待つかも知らぬ……だからこそ恐ろしい死を……おっと、まずいな。王の因子に少し引っ張られている。俺としたことが、少し危うかった」

 

 珈琲を飲んで落ち着こうとするスレイヴは、長く……とても長く息を吐く。そうしてスレイヴの表情から『レギオン』が抜け落ちる。エイジがよく知る、レギオンらしからぬレギオンたる普段のスレイヴに戻る。

 

「心意とはまさしく『人の持つ意思の力』だ。心が、感情が、精神がそのまま『力』となってくれる。足りぬ『力』を補ってくれる。確かに【黒の剣士】は【渡り鳥】を倒すべく、ラストサンクチュアリの皆を守るべく、恐るべき速度で成長した。だが、追いつくには余りにも戦闘能力に差があり過ぎる。それを埋めてくれるのが『人の持つ意思』を『力』にする能力……心意というわけなのさ。【黒の剣士】は戦闘能力+心意+聖剣で、ようやく【渡り鳥】に勝てるか否かまでに持ち込めた。それ程に『力』に差があった。でも、あるいは、だからこそ……『人の意思』こそが……いや、それは余りにも悲しい。余りにも……余りにも……哀れじゃないか。今まで『力』及ばずに死んでいった者たちだって、確かにそこに『人の意思』があったはずなのに」

 

 エイジは意外だった。口振りからして、心意に肯定的な立場を見せていると思われたスレイヴの口から出たのは悲哀だった。

 

「心意だ何だと言っても、その大前提にはVR適性という壁がある。仮想脳の発達という条件がある。そして、それらが揃っても心意が必ずしも発動するわけじゃない。どれだけ『人の意思』があろうともな」

 

「…………」

 

「だが、『バケモノ』を倒すには必要なんだろうな。『奇跡』を起こせる『英雄』が必要なんだろうなぁ」

 

 それは悲哀に埋もれていた、これまで感じた事もない、スレイヴの『憎悪』だった。

 

「これまで多くの『人』が歩んだからこそ、挑んだからこそ、立ち向かったからこそ、『英雄の物語』を持つ者が現れたんだ。分かっている。ちゃんと分かっているさ」

 

「…………」

 

「心意は主人公補正のようなものと言っただろう? 誰だって『自分の物語の主人公』なんだ。『自分の物語』ならば、少しでも幸福になりたい。ハッピーエンドを迎えたい。でもな、『自分の物語の主役』であっても『役割』はまた違うんだ。村人Aの『役割』の奴だっている。兵士だったり、王様だったり、魔法使いだったり……色々さ」

 

 形を持たないが故に苛まれるスレイヴの、その胸の内に潜む『憎悪』を、ダーインスレイヴを通して少しだけ感じ取れたような気がした。

 

「『バケモノ』を倒せるのは『人の意思』なのか? それとも『人の持つ意思の力』を使える『英雄』なのか? どれだけ尊い『人の意思』であろうとも、それを『力』に変える資格がなければ意味がないのか? だったら、『人の意思』があっても資格を持たなかった者の屍をどれだけ積み重ねればいい? いつの日か『人の持つ意思の力』を『バケモノ退治の英雄の物語』で振るうことができる者が現れるとしても、それでは……あまりにも哀れじゃないか。たとえ、失われようとも、踏み躙られようとも、潰えようとも、彼らが歩み続けた足跡には確かな意味があったからこそ、『英雄』の刃が『バケモノ』に届くとしても……」

 

 エイジには何も言えなかった。スレイヴの伝えたいことは漠然と感じ取れたとしても、彼女を慰める言葉も、癒す理想も持っていなかった。

 

「……僕は違う」

 

 だから、エイジにできるのはいつだって強がりだけだ。

 

「少なくとも僕は『英雄』じゃないからな。スレイヴの期待通りにいかなくて残念かもしれないが、僕は『英雄』なんかにはなれない」

 

 ユナを守れず、『ユナ』を救えず、挙句に『負けていない』と這い続ける者が『英雄』の資格など持つはずもない。それくらいはエイジも自覚している。

 

「強者は生き、弱者は死ぬ。それだけが真理ならば、『絶対的な暴力』も『人の持つ意思の力』もどうでもいい。何1つ関係ない。僕はたどり着いてみせる」

 

「……何処へ?」

 

 スレイヴには何か計画があるのだろう。あるいは、それはレギオンを裏切るものなのかもしれない。そうだとしても、彼女は探している。自分が生まれた意味を……唾棄される忌むべき『憎悪』でも何かを生み出せるはずだと足掻いている。

 虚ろで形が定まらない憎しみを持つが故に存在意義に苦しむスレイヴと何もかもを憎悪の炎で焼き尽くしてしまったエイジ。2人は似ているようで決定的に違う。スレイヴにはたどり着きたい場所があって、エイジには何もない。あるのは『負けていない』という這い続けても進む、憎悪を武器にする妄執だけだ。

 

「『何処か』だ。スレイヴの『憎悪』に意味があったんだと見つけられる何処かへ……」

 

 無責任だとしてもエイジは言い放つ。選択の時はすでに終わっているのだから。あの日、スレイヴが手を差し出してくれた『奇跡』がなければ、『負けていない』という妄執すらも腐り落ちていたのだから。

 

「……そうか。ありがとう、エイジ」

 

 スレイヴは一瞬だけ驚いたように目を見開き、やがて嬉しそうに笑った。それは『スレイヴ』であり、同時に『レギオン』でもあり、故に彼女の本心と本質の両方が笑っているのだと感じ取れた。 

 

「気にするな。僕たちは相棒だろ?」

 

「HAHAHA! そうだったな! では、まずはライドウをぶっ殺すことから始めよう。『ユナ』を殺した落とし前をつけないとな」

 

「……『ユナ』を殺したのは、僕の弱さだけどな」

 

「えいじぇぇえええ、お前って……本当に面倒臭い奴だな」

 

 灰色の雷を受けて動きが鈍ったはずの【渡り鳥】は、血の怪物で【黒の剣士】キリトを追い払うと、ここからが真の殺し合いだと言わんばかりに笑っている。『バケモノ』を殺すのに『英雄』が必要ならば、『英雄』を喰らい殺すのもまた『バケモノ』の特権であると言わんばかりに笑っていた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 スタミナは危険域。メイデンハーツの残弾ゼロ。月蝕ゲージも大して残っていない。エスト弾も僅かだ。およそ戦闘継続は不可能に等しい。加えて心意の反動か、頭痛と倦怠感が否応なく津波の如く押し寄せている。

 およそ勝機はない。だが、それは諦める理由にはならない。折れそうな心を叱咤し、キリトはクゥリの連撃に相対する。 

 一挙一動がまるで獣の爪牙の如き荒々しさを持ちながら、いっそ舞踊のように美しい。それは剣技ではなく、純粋なる殺意によって形作られた暴力である。

 クゥリの贄姫から飛び散る緋血は次々と発火し、毒々しく濁った炎を揺らめかせる。どうやら延焼系らしく、緋血が付着した場所を焼き焦がすように長々と濁った炎は燃え上がり、徐々に戦場から自由を奪い取っている。

 喉を狙った苛烈な突きをギリギリで月蝕の聖剣で弾いて逸らせば、胴を両断するのではないかと思うほどに重たい蹴りが脇腹を打ち抜く。吹き飛ばされたキリトに対し、クゥリは居合の構えを取り、血刃居合で広範囲を薙ぎ払う。寸前で躱したキリトであるが、血刃居合が命中した背後の支柱からも濁った炎が発火する。

 病魔ノ火。クゥリがそう口にした通り、まるで病気が蝕むかのように濁った炎は消えることなく延焼し続ける。攻撃力や衝撃は無いに等しいが、それ故に不気味な能力だった。広範囲を炎上させる能力であるにしても攻撃力が低過ぎる。夜想曲シリーズは属性防御力が平均的に整っているが、逆に言えば特定の属性に対して秀でた防御効果は発揮しない。天雷装具スローネのお陰で雷属性防御力だけは高めであるが、炎属性に対してノーダメージにも等しいなどあり得ないのだ。

 考えられるのはフィールド破壊効果であるが、それでもやはり奇妙だった。白の都は脆く、火災だけでも崩落が進行している状況だ。だが、病魔ノ火で燃やされている部位からは崩落の兆候すらも見られないのだ。

 名前だけの、炎で相手を幻惑する能力とも推測できるが、やはり判断材料が乏し過ぎる。絶対的な情報不足がキリトを束縛する。

 だが、能力の解析だけが難関ではない。むしろ、能力はオマケにも等しい。キリトは防戦一方……いいや、攻撃に転じることができないほどにクゥリの猛攻を凌ぐことしかできなかった。

 ひたすらに防御と回避に偏重してようやく生存を可能とする状況だ。それほどまでにクゥリの刃は正確無比に命を奪い取ろうとしている。背後に燃え上がる濁った炎を意識して踏み止まろうとすれば、クゥリの贄姫は幻惑するように襲い掛かる。

 押し込まれる! 背後の濁った炎に自ら踏み込む形になるが、炎属性特有の熱を帯びたダメージフィードバックも微々たるものである。近接ファイターのステ振りをしているキリトは高VITとはいえ、HPバーがまるで減少しないほどに攻撃力が低過ぎる。

 病魔ノ火の解析を並列しながらクゥリの攻撃を凌ぐのは至難を超える。故にどちらかに天秤が傾くのは必然であり、刹那の後の生死に直結するクゥリの猛攻への対処に専念しなければならないのは必然である。

 

「凌ぐ! 凌ぐ! よく凌ぐなぁ、キリト♪」

 

 男女の垣根なく苦悶させるほどに愛らしく嬉々と笑うクゥリは、先程までよりも言動に幼さが濃い。

 クゥリは見た目以上に中身も年齢不相応に幼い部分が多かった。だが、キリトが交流したのはSAOの頃であり、あれから時間も経てば大人になった部分も増えたはずであり、事実としてこの戦闘中も、外見はともかくとして、少なからずの大人びた雰囲気を感じ取ることができた。

 だが、今のクゥリは表情や言動も含めてどんどん幼さが増している。先程までクゥリが『傭兵』として『仕事』に徹している一線を保っていたはずが、今はキリトとの『殺し合い』が楽しくてしょうがないと子どもが嬉々と遊びに興じているかのようだ。

 首を狙った横薙ぎかと思えば、その反動を利用した胴回し蹴り。寸前で左腕でガードしたかと思えば、恐るべき体幹制御で宙で体を捩じりながら左手の魔爪でキリトの喉を狙う。月蝕の聖剣で弾けば、衝撃を利用して飛び退かれて追撃の機会を失う。

 およそ尋常ではない戦い方だ。これまでもそうであったが、より人間離れした戦法に変じている。だが、ギリギリで凌げている。それもまた事実だ。キリトは消費スタミナ量と回復したスタミナ量を計算し、結果はプラスだと判断する。不屈の狂戦士の指輪の効果と少なからず成功したリカバリーブロッキングのお陰だ。逆に言えば、この2つがなければ、スタミナは瞬く間に削り尽くされるほどにクゥリの攻撃は凄まじい。

 少しずつスタミナを回復させて立て直す。メイデンハーツは銃弾精製能力によって装弾数を回復させつつあるが、1度残弾ゼロになると最大装弾数の3割が回復するまで再使用できない。この戦闘中に回復するのはほぼ絶望的である。

 魔力切れによってスローネの雷も停止済みだ。対するクゥリも魔力節約の為か、炎の加速を控えている。クゥリもまたスタミナや魔力が無限にあるわけではない。

 

(だけど、どうして俺は耐え抜けるんだ?)

 

 今のキリトには奇妙な感覚によって浸されていた。確かに以前よりもクゥリの動きは苛烈に、また変則的になっている。だが、その一方でキリトの反応は追いつけている。だからこそ、崖際でも堪えることができている。

 俺は『何』を感じ取っている? クゥリのように直感と呼べるような曖昧なものではなく、もっと別の『何か』だ。それはユージーンから受け継いだ心意を発動させた時からより濃く鮮明になっている。

 意識しろ。この『気付き』を手放すな。キリトはクゥリの血刃で左肩を裂かれる中で月蝕の光波を穿つ。三日月を思わす漆黒の刃をクゥリはまるで舞う木の葉のように軽やかに躱すが、その動きの行き先にキリトは踏み込んでいく。

 もっとだ。もっと……もっと……もっと『深く』だ! キリトは視覚というコインを引っ繰り返して『裏』側を見る。

 いや、それは『見る』とはまた違うものだった。敢えて表現するならば『情報』以外の何物でもない。だが、それは確かに視覚の延長線上から収集されたものだった。

 クゥリの体内を……いいや、周囲の風、炎、塵の1つまで、現実以上の現実らしい質感を持った仮想世界の裏側だ。

 クゥリの動きの1つ1つに込められたエネルギーの流れだ。出力されたSTRエネルギーがクゥリの体内を駆け巡り、腕を伝導する。1歩1歩に込められたDEXエネルギーの流れを知覚すれば、クゥリがどのように動くかが分かる。

 心意がもたらす疼きが大きくなる。これもまた心意がもたらす知覚なのだと理解する。だが、拒絶はしない。持てる全てをぶつけなければクゥリには勝てない。

 濁った炎の揺らめきすらも予測できる。キリトはクゥリが連続ステップで攪乱して右側面から来ると明確に予測できた。

 一瞬の交差。月蝕の刃は贄姫を真っ向から捉える。クゥリは嬉しそうに口元を歪め、即座に踏み込んで近接格闘戦に持ち込もうとするが、キリトはその動きを予測してメイデンハーツで魔爪を防ぎ、続く膝蹴りを身を捩じって躱す。

 だが、まだ終わっていない。クゥリの左手から冷気が生じる。そのエネルギーの流れを感じ取り、首を刈らんとする氷の大鎌から逃れる。

 カタナと大鎌の二刀流攻撃はキリトが過去経験したことがないものだった。贄姫の鋭い斬撃と刺突、大鎌による『刈る』攻撃の組み合わせである。大鎌に注意を払えば贄姫に対処しきれなくなる。贄姫を警戒すれば大鎌が大型獣の爪のように体を削ぎ、また首を刈るだろう。

 だが、凌ぎきる。贄姫の連撃を月蝕の聖剣で防ぎきり、大鎌の回避に成功する。クゥリは跳び退きながら大鎌を振るい、足下を走る冷気という置き土産を残す。それは足場を侵食して広がった後に冷気爆発を起こすが、範囲外にキリトは脱し切れていた。

 拡張された知覚が収集した情報は攻防の幅もまた広げる。そして、即座に動きに反映できる反応速度がキリトにはある。あとは思考速度が……情報処理能力が追いつくかどうかである。

 正直に言って綱渡りだ。キリトは拡張された知覚を自発的に利用したとしてもクゥリの動きを読み切るのは困難に近しいと断じた。何よりも知ってしまったからこそ、どれだけ自分とクゥリにどれほどの戦闘能力の差があるのかも理解してしまった。

 クゥリの一挙一動において流れるエネルギーには『無駄』が限りなく存在しない。生み出されたエネルギーの全てが『殺し』の為に利用されている。それを可能とするのは、VR適正ではなく、クゥリ自身の戦闘能力だ。

 あれだけ動いてスタミナが残るのも納得である。なにせ、エネルギーロスもなければ、生み出されたエネルギーを御する為のエネルギーもまた最小限なのである。

 

「やはりオレの動きを……いいや、オレも含めた世界の『流れ』を感じ取っていた! しかも動きが変わった! 明確に自分の意思で利用した! ああ、素晴らしい! そうだ! それでいい!」

 

 やはりバレていた。キリトが自覚するより先にクゥリは彼が無意識下にあった拡張知覚に感づいていた。

 

「さぁ、踊ろう、キリト! まだまだ夜は明けないのだから!」

 

 恍惚に身を震わせたクゥリは妖艶と思えるほどに、だが幼さ濃く笑って牙を剥く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、クゥリを囲う円陣の如く8本の氷剣が展開された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「借りるぞ」

 

 クゥリの顔に一瞬だけ切なさが生じるも、それはすぐに凶暴な幼き笑みに塗り潰される。

 瞬間に氷剣は自由自在に宙を飛び回る。キリトは視覚を……いいや、聴覚を通してエネルギーの流れを捕まえるが、その尋常ならざる速度と軌道に翻弄されれば、クゥリの接近を許してしまう。

 キリトはこれに似た攻撃を知っている。約束の塔でユウキが使った黒紫の結晶剣だ。だが、彼女は初めて使ったような手探り感があった。

 だが、クゥリが飛び回らせる氷剣はまるで演舞のようだ。定まった『パターン』の通りに動いているかのようだ。そのはずなのに、まるで1本1本を精密に操作しているかのような錯覚だった。

 操作はクゥリの左手で行われている。よくよく見れば、クゥリの左手は攻撃の合間に微細に、まるで演奏でもするかのように踊っている。そのせいで贄姫は片手で扱っているが、それは攻撃の苛烈さを弱めるものではなく、むしろ激増させている。

 四方八方から迫る氷剣を躱しきれるのは、拡張知覚によって聴覚を通してエネルギーの流れを捉えているからだ。だが、視覚に比べても漠然とし過ぎている。また、位置まで把握しきれるものではなく、故に拡張知覚があるからこそ死の圧迫感が増す!

 知り過ぎれば余計に恐怖は増す。それもまた真理だ。キリトの体が恐怖で硬直しそうになる。堪えようとする刹那をクゥリは見逃さない。

 贄姫の一閃が右太腿を薙ぐ! 危うく膝を裂かれるところだったのを、キリトは寸前で恐怖を克服して体の制御を取り戻す。

 だが、クゥリの攻撃は雪崩だ。1度崩されたらリカバリーは絶望的である。

 キリトが距離を取ろうと大きく跳び退いた瞬間に氷剣が一斉に襲い掛かる。月蝕の奔流を渦巻かせて身を守ろうとするが、迎撃できたのは5本だけであり、左肩、右脇腹、左脛を氷剣が刺し貫いた。

 クゥリが悠然と開いていた左手を握る。それが合図となって刺し貫いていた氷剣が爆ぜて水属性の冷気爆発を起こす!

 

「ぐがぁあああああああああああ!?」

 

 口から漏れた悲鳴と冷たく凍えた血が飛び散る。転倒を堪えてエスト弾を即座に撃ち込むが、クゥリは新たに生み出した氷剣を回転させながら射出していた。キリトは身を隠すことができる支柱が乱立した、区画の境界線の基礎ブロックに逃げ込み、この攻撃を躱す。だが、8本すべては避けきれず、背中を抉られる。

 

「本当に……何枚……手札を持ってるんだ!?」

 

 エスト弾だけでは回復が間に合わない。≪集気法≫の烈風勁を解除し、【増強勁】を発動させる。これは発動している他のパッシブ系を強化するものであり、今回の場合は治癒勁の効果を高める。とはいえ、増強効果はあまり高くなく、無いよりマシ程度だ。しかも烈風勁を解除したことによってキリトのスピードは落ち込むことになる。

 デーモン化制御時間のリミットは残り半分。まだ余裕はあるが、獣魔化を危険視するならば解除しなければならない頃合いだ。だが、今ここでデーモン化を解除すれば、キリトはそれこそ10秒とかからずしてクゥリに殺される確信があった。

 どうすれば勝てる? あの氷剣はクゥリの左手と連動して軌道パターンを変化させているのだろう。問題はその数が幾つあるのかだ。キリトにとってパターンの解析は得意分野であるが、相手が相手であるだけに専念することもできず、またどれだけの時間がかかるかも分からない。

 だが、このまま隠れていたならば、キリトは『障害』として認識されなくなる。そうなれば、クゥリはラストサンクチュアリ壊滅の為に本部を狙うだろう。回復もままならないが、飛び出すしかないと思っていたキリトは、聴覚が拾い上げたエネルギーの流れに慄く。

 

「かくれんぼ、好きだったのか?」

 

 上空から逆様のクゥリが降ってくる。目線があった瞬間にクゥリはサプライズに成功した子供のように笑い、一切の躊躇なく贄姫を振るう。

 喉が僅かに裂ける。咄嗟に発動させたゼロ・モーションシフトがなければ、キリトの首は両断されていただろう。

 支柱が乱立した基礎ブロックはプレイヤー同士が戦うにしても狭い所だ。クゥリの動きも制限される。だが、それは支柱が一定の強度があればの話である。脆さにかけては自信を持って言える白の都だ。クゥリとキリト、どちらの攻撃だろうと受ければ容易く破砕されるだろう。

 この辺りの支柱ならば破壊しても影響は最小限のはずだ。キリトは月蝕ゲージの残量に汗を垂らしながら、月蝕剣技ストーム=シャドウを放つ。荒れ狂う月蝕の奔流は周囲を破壊しながら着地寸前のクゥリを襲う。同時に破壊されていく支柱の残骸もまた月蝕の奔流に押し流され、さながら山崩れの濁流のようだった。

 だが、クゥリは宙で躱す。足下から生じた、蜘蛛の巣文様を足場として、空中で連続ステップをして、渦巻く月蝕の奔流と支柱の残骸の合間を容易く縫ってキリトに接近する。

 贄姫が来る! キリトが聖剣を掲げた瞬間に見たのは白銀の光だった。キリトが基礎ブロックに逃げた間に、クゥリは魔剣の回収を済ませていた。

 贄姫の斬撃を囮にした魔剣の強烈な横薙ぎが胴に決まる。何とか後ろに跳んで深く斬られるのは防ぐが、そもそもとして安定したダメージと衝撃を与えるのが打撃ブレードだ。キリトの体勢が明確に崩れる。

 夜想曲シリーズと同化した竜鱗越しでも感じ取れる恐るべき攻撃! キリトは黒騎士ブレードに切り替え、贄姫と魔剣の同時振り下ろしに対して剣を交差させて防ぐも、その重さに歯を食いしばる。

 そして、防ぐことで足を止めた時にはすでに遅い。クゥリの背後から追随していた氷剣が両腕を塞がれたキリトに襲い掛かる。

 2体の幻影キリトが召喚されて剣で氷剣を薙ぎ払う。心意の反動で意識が刈り取られそうになる。反撃しようにも、クゥリは空中ステップで3次元運動を可能とし、もはやまともに攻撃を当てることさえも難しい。

 空中という本来ならば回避困難な位置であろうとも行動制限されない。それだけでどれだけ恐ろしいことになるか、言うまでもない。クゥリは得意のステップ移動を使い、3次元的にいつでも攻撃と離脱が可能であるということだ。しかもクゥリは近・中・遠の全ての攻撃を使いこなす。

 黒騎士ブレードを解除し、エスト弾を撃ち込んだキリトは、次なるクゥリの攻撃に備える。だが、どうやっても勝てるイメージが湧かない。

 恐怖が圧迫する。死神の鎌を首筋に感じる。どれだけ払いのけようとしても『自分の死』のイメージが消え去らない。

 自分の敗北のイメージに囚われた者に勝機はない。ましてや、心意は応えてくれない。まるで暗闇に放り出されたかのように、幻影キリトは消失し、またエネルギーの知覚もできなくなる。

 空中で納刀したクゥリはまだまだ遊び足りないとばかりに笑う。

 

 

 

 

 

 

 

「斬撃結界・特式【煉獄】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 クゥリより空間を揺らす波動が広がり、抜刀と同時に緋の幻刃が乱舞される。

 先にクゥリが見せた斬撃結界・壱式よりも波動の広がりが速いが、代わりに空間を埋め尽くすほどに幻刃は暴れない。ただ乱雑に周囲を巨大な幻刃が刻んでいき、故にキリトにも回避は簡単だった。

 

 

 

 

 

 

 だが、幻刃によって刻まれた部位全てより濁った炎が発火し、まさしく炎の海……煉獄と化した。

 

 

 

 

 

 

 否応なく濁った炎にキリトは呑み込まれる。だが、それは今までと同じくダメージは全く無いと呼べるものだった。

 まだだ! まだ戦える! 恐怖を振り払うべく踏み込んでいくキリトは穏やかに納刀しながら落下するクゥリへと接近する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、キリトの全身は裂傷を生じさせ、文字通り全身を己の血で染めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは……なんだ? キリトはデバフ発生のメッセージを理解できなかった。

 発生したデバフの名称は……劇毒。発動と同時にキリトのHPは削られ、また全身に生じた傷からは止まることなく血が流れ出し、これまでの攻撃の蓄積もあってオートヒーリングを上回る流血のスリップダメージが生じる。全身に生じた裂傷による防御力の低下も無視できない域だろう。竜鱗が塞ごうとしているが、全身をまるで刻まれたかのような、だが内側から裂けた傷口はあまりにも多すぎた。

 

「デバフ耐性も良い防具だな。なかなか蓄積しないから斬撃結界【煉獄】を使ってしまったよ」

 

 着地したクゥリは自分には無害な濁った炎の中を悠然と歩いてくる。対するキリトは全身の裂傷の影響でまともに体すらも動かない。

 濁った炎はこの謎のデバフを蓄積させる効果があったのだろう。クゥリはキリトを確実に仕留めるべく、謎のデバフを発症させたのだ。だが、その代償として緋血がまた枯渇したらしく、クゥリはまた躊躇なく自分の腹に刃を突き入れる。

 

「キリト、キリト、キ・リ・ト♪ これで『終わり』じゃないよな? もっと……もっと『遊ぼう』! オレ、今ね、もの凄く楽しいんだ!」

 

 自分の血で濡れた贄姫を腹から抜いたクゥリの髪が『発光』する。まるで冷たい冬の夜の、銀よりも白と呼ぶに相応しい月の光のように……淡く光り始める。

 同時に始まったのは、クゥリの身体的な変化だった。徐々に背が低くなっていく。顔立ちも幼くなっていく。キリトが見ている前でSAO時代の頃まで幼さを取り戻していく。

 何が起こっている!? だが、キリトは漠然と直感する。今すぐ『止める』のだ。そうしなければ、取り返しのつかないことになる!

 だが、どうやっても自分の死のイメージが振り払えない。むしろ、クゥリが幼くなった分だけ……むしろ、記憶に刻まれたSAO時代と同じくらいの外見年齢に戻って親しみが増したはずなのに、逆に自分が知る『クゥリ』からの逸脱を強く感じ取ってしまう。

 

 殺せ。生物としての本能が忌避が叫ぶ。目の前の存在を許してはならない。『存在を認めてはならない』。

 

 だが、『キリト』は拒絶する。違う。何であろうとも目の前にいるのは『クゥリ』ではないか。殺したいのではない。負けたくないだけだ。『クゥリ』に勝ちたいだけだ! これは『俺』の戦いだ! 邪魔をするな!

 

 戦え。戦え。戦え! 自分は何の為にここにいる!? キリトは月蝕の聖剣を握りしめる。

 自分だけではたどり着けない場所がある。届かない領域がある。いつだってそうだ。心意をどれだけ使ったところで、キリトだけではクゥリに届かない。

 

「俺は……負けられない」

 

 だから頼む、一緒に戦ってくれ。キリトは月蝕の聖剣に語り掛ける。応えるように月蝕の聖剣は漆黒を深める。

 もう恐怖はない。いいや、恐怖は踏破した。目の前の存在が何であろうとも知ったことではない。キリトが戦っている相手は『クゥリ』だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 勝ち目があるとするならば、間合いを詰めてのソウル・ドライヴ以外にはない。だが、使えば今度こそスタミナ切れからの復帰は不可能だろう。廻天勁もクゥリに2度目は通じないはずだ。

 再び視覚からエネルギーの流れが情報として取り入れられる。パンクしそうな頭の中身をひたすらにシンプルにしていく。

 構えを取ったキリトに、クゥリは何処か名残惜しそうに居合の構えを取る。淡く光る白髪は熱風で揺れ、炎の輝きに埋もれることなく、鮮やかにキリトの目に焼き付く。

 

 駆ける。

 

 駆ける。

 

 駆ける。

 

 もう手段など残っていない。秘策もない。それでも立ち向かうことしかできない。

 

 自分が死ぬイメージはもうない。心は負けていない。

 

 ゼロ・モーションシフトを発動しようとしたキリトは、ふと体に違和感を覚える。

 

 肩や太腿に突き刺さるのはまるで細身の銀色の短剣だった。

 

「対【黒の剣士】想定、水銀短剣改・【鉛錨短剣】」

 

 裂傷で開いた傷口に突き刺さった短剣は溶けてドロリとした灰色の液体を零し、傷口からキリトの体内に根を張る。それはキリトの体を重くする『錨』となる。

 鉛錨短剣。おそらく貫通力は低い上に脆い。全身の裂傷がなければ効果を発揮することはなかっただろう。クゥリはキリトを殺すための策を幾つも準備していたのだろう。

 やられた。自分から間合いを詰めたタイミングでの致命的な減速だ。ゼロ・モーションシフトで逃れようとしたが、それより先に居合の構えを取ったクゥリの全身に殺意が収束して濃縮されていくかのような気配を覚える。

 

 

 

 

 

 

 

 

「霞桜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 居合と共に繰り出されたのは乱雑な斬撃。だが、生み出されるのは一切の回避を許さぬ血刃居合による斬撃の壁……『斬幕』。

 人類最高峰のVR適性を持つキリトだからこそ、自身が刻まれる前に迫る斬幕を知覚することができた。

 知覚できても反応できない。いや、思考速度が追いつかず、回避手段を選択できない。これこそがクゥリの言うところの反応速度を焼き切るというものなのだろう。

 だからこそ、キリトが率直に得たのは1つの感想だった。

 

 

 

 

(綺麗だ)

 

 

 

 

 

 アインクラッドから今日に至るまで、多くの敵が立ち塞がった。才能と研鑽の粋たる武技を幾度となく味わった。

 だが、これは武の研鑽とは全く異なる……純粋なる殺意の結晶に思えた。

 ただひたすらに殺す。味方や敵といった線引きすらも超えた殺意の純血を感じずにはいられなかった。

 生ある者は必ず死ぬ。それこそが定めであるといわんばかりの純粋なる殺意のみが成す形を持った死。血刃居合の斬幕にそこまで感じ取れてしまったからこそ、キリトもまた武の頂への到達という戦士なら逃れられぬ渇望を抱くからこそ、恐怖や諦観よりも先行して感動を覚える。

 これほどの美麗な『死』に喰い尽くされるならば悔いはない。むしろ誉れである。そう思ってしまいそうになる程に美しかった。

 だが、不思議だった。もはや斬幕に全身を解体される他にないというのに、武人としての精神は命を喰らう死の斬幕に感動すらも覚えているというのに、根柢の部位……魂とも呼べる深奥は醜かろうとも足掻くことを欲する。

 

 だからこそ、自分の死のイメージはない。

 

 同じくらいにクゥリを倒せるビジョンもまた見えない。

 

 だったら、何処までも身勝手に想像しよう。

 

 自分の勝利を。あらゆる筋書きを無視してたどり着く絶対的勝利を。傲慢なまでに求めよう。

 

 たとえ、最期の瞬間が一呼吸と待たずに訪れるとしても、敵にも運命にも自分にも『負けられない』と足掻き、誰よりもクゥリだけには『負けたくない』と意地を張るように咆えるのが『キリト』なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇に立つ。

 

 何処にたどり着くかもわからない夜の闇にキリトはいて、求めるように空を見上げる。

 

 天上に月明かりはない。だが、そこに確かに月はある。欠けて見えないだけだ。月蝕であるだけだ。

 

 俺だけでは月明かりを満たせない。

 

 月蝕はいつか満たされる月明かりの為の予兆なのだから。

 

 暗闇を歩いていく。月蝕の聖剣こそが自らの聖剣だと誇りを胸に闇の果てに向かう。

 

 誰かが待っている。暗闇の中で月光を散らしながら現れたのは巨大な黒竜だった。

 

 火によって差異が生まれた星空の下で黒竜は月光と出会う。月光を『満たしてしまった』黒竜は月明かりに姿を与えた。それは武具……剣という形だった。だが、黒竜は月光を手にしようとはせず、誰かが聖剣を振るうことを望んだ。黒竜は自らの翼で夜を駆け、神々の雷と裏切りの白竜によって堕ちた。

 

 屍に満ちた戦場で1人の騎士が月光の聖剣と出会った。月光を『満たしてしまった』騎士は血塗れの己を恥じ、聖剣をいつかの誰かの未来に託すことを選び、水面より月明かりを掬い取った。騎士は自分の使命を継ぐ者たちが現れる未来を見ることなく闇に呑まれたが、それでも聖剣は分かたれて多くの騎士達が己の聖剣を見出していった。

 

 血の海に1匹の『獣』がいた。獣と称するしかない、だがよくよく見れば幼い少女のような輪郭だけの影のような『獣』がいた。血に染まって元が何色か分からぬ痩躯の『獣』もまた月光を『満たしてしまった』。だが、『獣』は聖剣の行方を『人の意思』に託すことを選んだ。

 

 雷と裏切りに滅ぼされた黒竜の屍の先に、闇に呑まれた騎士の骸の先に、血染めの痩身の『獣』の眼前に月光の聖剣は突き立っている。

 

 だが、キリトは手を伸ばさない。いつだって夢の中で月光の聖剣に伸ばしていた右手には、今は月蝕の聖剣がある。

 

 ああ、そういう事だったのか。キリトはようやく理解する。月光の聖剣は姿を見せなかったのではない。『見せられなかった』のだ。

 

 キリトでは月光を満たすことはできないのだから。自分は月蝕なのだから。いつの日か月明かりを満たす予兆に過ぎないのだから。

 

 振り返れば、闇の中にたくさんの人々がいる。

 

 自分を支えてくれる人たち。助けてくれる人たち。期待してくれている人たち。見捨てないでいてくれた人たち。誰もがキリトの後ろに立っていた。

 

 アルヴヘイムで夢とも現ともわからぬ夜に出会った白き友が教えてくれた月光の意味はこういう事だったのだ。

 

 キリトが守りたい、助けたい、救いたいと魂の叫びのままに身勝手に望んだように。

 

 スローネとの戦いでは資格者の月光が宿っていただけだ。

 

 オベイロンとの決戦では、あの場にいた多くの人たちの月光が集ってくれただけだ。

 

 それ以後だって、必死に自分だけで月光を満たそうとする喜劇に踊る道化を信じてくれた悲劇の犠牲者が月光を満たしてくれただけなのだ。

 

 誰かが託してくれた聖剣だからこそ、託された人の意思こそが月光を満たす。

 

 俺はもう月光の聖剣に手を伸ばさなくていいのだ。空に月明かりはなくても、それは月明かりに満たされていない月蝕があるだけで、振り返れば進むべき闇を照らしてくれる月光である人々がいるのだから。

 

 さぁ、所有者よ。今こそ抜くがいい。お前を『英雄』にしてやろう。聖剣の囁きに、キリトは馬鹿々々しいと鼻で嗤う。

 

「俺は皆が望んだとおりに、お前が企んでるように、『誰か』が託したように、『英雄』として月光を振るわない」

 

 聖剣の困惑を感じる。お前はずっと月光を望んでいたのではないのか、と。お前は自らの聖剣の意味を知り、だからこそここにたどり着いたのではないのか、と。

 

「俺は『俺』だ。『英雄』なんかじゃない。『キリト』だ。だから、『キリト』として好きなように生き、好きなように死ぬ。誰の為でもなく、自分自身の魂の叫びに従って……守りたい人を守り、助けたい人を助け、救いたい人を救う」

 

 傲慢であれ。それが『俺』なのだから。目の前に魂の叫びを成し遂げる方法があるならば、我武者羅に手を伸ばせ。それが『俺』なのだから。

 

 月光の聖剣が散る。それは欺瞞たる罠……聖剣が仕掛けた醜悪な試練だった。自らに『英雄』の資格があると驕り、聖剣を手にしていたならば、キリトはまた自滅の道を歩んでいただろう。

 

 闇を照らす月光は自分の内になどない。だからこその月蝕なのだと知った。ならばこそ、『本当の月光』は手が届くすぐそこにある。

 

 キリトは自分を捕らえる闇夜より深い月蝕で暗黒の空を穿ち、裂けた切れ目より溢れた月光を浴びる。

 

 

 

 そして、月光の聖剣の祝福の音色が魂を満たした。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 

「これは……何!?」

 

 システムウインドウが魚のように泳ぎ、DBOのあらゆる集計された情報をモニターできる暗室にて、神代凛子は信じられないといった顔でその現象を目にしていた。

 来るべくして訪れた【黒の剣士】対【渡り鳥】の戦いは、【黒の剣士】が心意を発露させたことで逆転したかに見えたが、結局は【渡り鳥】を超えることはできなかった。

 左腕の限定受容をして以降など目も背けたくなるほどに一方的だった。『人の持つ意思の力』でも……心意でも【渡り鳥】との隔絶した戦闘能力の差を埋めることはできなかった。それが『殺し合い』である限り、【渡り鳥】を討ち倒すことはできないのだと改めて示した。

 加えて武装がまずかった。【渡り鳥】が戦闘能力を活用できるだけの装備が揃ってしまっていた。あのグリムロックという狂人さえいなければ、≪鍛冶≫がウェポンクリエイティブシステムをそのまま転用したものでなければ、数多の強敵を屠って素材を手に入れてさえいなければ、あれほどまでの凶悪さを手にすることはなかっただろう。

 もはや勝敗は決した。あとは生存率の話であるはずだった。

 だが、【渡り鳥】のOSSを受けた瞬間にその現象は生じた。夜の闇に浸されていたDBO中に『月光』が溢れたのだ。それはオーロラのように空を靡き、束ねられ、窮地の【黒の剣士】に集められている。

 

「これに類似した現象は2度目だな」

 

 暗室の主……茅場晶彦の冷静な声音は、この現象のある種の予測が含まれていた。

 2度目? こんな現象が2度目であるはずがない。そう思おうとして、神代は自分が何か致命的に嫌な思い出を忘れている……いいや、忘れようとしていることに気づく。

 

「過去に1度だけ同様の現象を引き出した者がいる。タルカス君だ。彼は自分と志を同じくする者たちとリンクすることで心意を発現させた。彼もまた高いイレギュラー値を引き出せるだけの逸材ではあったな」

 

「こんな時に冗談は止めて」

 

「だが、現象としては同種のものだ。どうして月光の聖剣が『英雄の証』として認知されているのか、疑問に思ってたことはなかったか?」

 

 茅場に指摘され、言われてみれば確かに、と神代は疑問を覚える。

 月光の聖剣……コード:MOONLIGHT=HOLY BLADEが初めて検知されたのは光の黒竜ギーラの時だった。DBO史で言えば、竜狩り……古竜との血戦の頃合いである。光の黒竜ギーラは月光を聖剣という形に変じさせ、だが背を向けて夜空を駆け、グウィンとシースによって討たれた。

 次に月光の聖剣の資格者となったのはアルトリウスだ。彼は月光の聖剣を手にすることなく、水面に映し込まれた月明かりを掬うことを選んだ。自らが聖剣の主になるのではなく、未来のより相応しい者こそが聖剣を手にするべきだと望んだ。

 そして、DBOにおいて【渡り鳥】こそが月光の聖剣と出会った。アルトリウスが出会った月光の聖剣はまさしく英雄の武器だった。だが、人々を妄信させるようなものではなく、伝説の武器に過ぎないものだったはずだ。

 だが、今やDBO中で聖剣こそが英雄の証だと信じて疑わない。それどころか、改変アルヴヘイムですらその傾向があった。

 

「月光の聖剣は全ての者たちと潜在的にリンクしているとしたらどうだ? 彼らはいずれもコード:MOONLIGHT=HOLY BLADEと接続されている。だからこそ、月光の聖剣こそが英雄の証だと無意識に信じ込んでしまう。もちろん個人差はあるだろうがね」

 

「待って! 飛躍し過ぎよ! た、確かに今の月光の聖剣はDBOのほぼ全プレイヤー……それこそフラクトライト・プレイヤーともリンクしている! でも、それは――」

 

「月光の聖剣。その本質はキリト君のお陰でようやくわかった。彼がユージーン君の心意を継承したのは、月光の聖剣が『新たに得た機能』だ。月光の聖剣は……『資格者の特性・願望を反映させた能力を継承する』ものだからね」

 

「どういう……こと?」

 

「ギーラが望んだのは始まりの火が生んだ差異のように『形』だった。だから『聖剣』となった。アルトリウスが望んだのは『次代の受け継ぐ者たち』だった。だから『自分自身の聖剣を見出す者たち』が現れた」

 

 そうだ。思えばその通りだ。どうして月光の聖剣はただ1つであるのに、資格者ではない者たちが1部とはいえ聖剣の力を写し取った己の聖剣を得ることができた?

 継承。それこそが『導き』のコードの本質なのだ。月光の聖剣は資格者を渇望する。だが、月光の聖剣の資格者は決して聖剣を欲しない。彼らは託していくだけだ。それこそが資格者たる理由だからだ。

 

 今ここにはいない誰かに。

 

 いつか現れる未来の誰かに。

 

 自分が信じる誰かに。

 

 彼らは託していった。そうして、月光の聖剣は資格者ではなく所有者を得るに至ったのだ。

 

「【渡り鳥】君が信じたのは『人の意思』なのだろう。だからこそ、月光の聖剣は『心意の増幅』を得た。心意が起こす現象をアシストする。『人の意思』こそが……理不尽な世界を……理不尽な暴力を覆すはずだと【渡り鳥】君は信じている。【混沌】の件で彼はそういう人物なのだと……私も分かった。その性質を月光の聖剣は反映させた。そして、月光の聖剣は【渡り鳥】君が信じるあるべき姿を体現している。彼はいつだって『仲間と戦う者たち』こそを是としている。『孤独』に戦う己を決して認めずに唾棄している」

 

「だからこそ……聖剣は……人々を繋げている?」

 

「そうだ。月光を満たせない者たちがいる。だが、1人では足りずとも、託せる人がいるならば……月光は集う。タルカス君がYARCAの理念を体現したが故にYARCA旅団の心意を束ねたように、キリト君に『英雄』を見た者たちによって月光の聖剣は起動し、集積した心意が共鳴してキリト君自身の心意の能力を高めている」

 

 茅場の説明通り、キリトは検出されている仮想脳の活性による干渉を示す数値……イレギュラー値以上の能力を発揮している。自らの心意と繋がった心意を共鳴させて増幅させ、実数値以上の能力を発揮しているのだ。それを更に月光の聖剣の心意補助によって高めている。

 月光の聖剣はリンクしたプレイヤーに干渉することで『聖剣の英雄という名の偶像』を共有させる。そうすることで月光の聖剣を起動させる『条件』を個人ではなく集団で満たせるように『継承』されたのだ。そして、それは同時に数多の心意を束ねて共鳴させて自らを高みに押し上げる、心意保有者でも極めて希少な才覚……まさしく『人の持つ意思』によって選ばれた『英雄の証』たる心意共鳴の発動ハードルを下げ、また月光の聖剣という媒体によって強化するという、想定されていなかった奇跡も生んだ。

 英雄の証である心意共鳴を現時点で発動できたのは、心意が発動しやすいように仮想脳を成長させる要素が詰め込まれたDBOでもたったの2人だ。それこそがアインクラッド完全攻略の『英雄』たる【黒の剣士】キリトと『YARCA旅団、始まりの1人』たる【黒鉄】タルカスだった。

 

「YARCAで台無しね」

 

 まさか亡きタルカスがあんなふざけた事で心意保有者でも類稀……まさしくイレギュラーたる心意共鳴を引き起こしていたなど想像もしたくなかった。だが、今にして思えばタルカスの謎の心意も、またその割に死神部隊が派遣される程にイレギュラー値が高まっていなかったのも納得できるものだと神代も認めるしかなかった。

 イレギュラー値自体の高まりは【黒の剣士】においては微々たるものだ。彼の最大値を検出した魔王ヒースクリフ戦にも届いていない。だが、仮想世界に干渉するには足りないイレギュラー値の心意が月光を通して集積して心意共鳴を起こして強大になっていく。

 そして、皮肉にも【渡り鳥】の戦いが生中継されたことによって、全プレイヤーが【黒の剣士】に『英雄』を見出した事で月光の聖剣の覚醒と心意共鳴の増幅を果たしていた。

 

「フラクトライト・プレイヤーからも心意と類似した反応が見られているわね。これも貴方の予想通りなの?」

 

「仮想脳自体は生きた人間の脳がなければ構成されない。抽出されたフラクトライトならば、元より形成されていた仮想脳が再稼働することもありうるし、純正フラクトライトのみの者も心意と同等とまではいかずとも類似した現象自体は検出されていた。アイザック君が頑なにフラクトライト製AIを拒んでいた理由でもある」

 

「……アイザック君がキレそうね」

 

「そうだな。だが、今回の心意共鳴の発動にはもっとわかりやすい理由がある。ラストサンクチュアリ約1000名の貧民プレイヤーはいずれもDBO初期に保護された『現実世界に肉体を持つプレイヤー』ばかりだ。彼らは現実の脳を持つが故に真の心意に到達することができる可能性を持っている。腐って滅んでいく運命とはいえ、自分たちの居場所を破壊する『バケモノ』と戦う【聖域の英雄】を応援しない理由もないだろう?」

 

 たとえ欺瞞であるとしても、どんな理由があるにしても、【黒の剣士】がラストサンクチュアリの守護者であった日々には意味があったのだ。今ここで束ねられていく心意には、ラストサンクチュアリ1000名の願いも込められている。

 

「月光の聖剣は『継承』する。ユージーン君の心意顕現の『型』を記録し、キリト君は月光の聖剣を通じて心意顕現の『型』に自らの心意を注ぎ込む。心意継承は月光の聖剣の所有者だからできるのではない。キリト君やタルカス君のような心意共鳴できる『体現者』だからこそ可能なのだろうな。本人が望もうとも望まずともな」

 

 決して振り払えない【聖剣の英雄】という名の呪い。聖剣に呪われた【黒の剣士】は自らの意思で進むことを決意したとしても、彼自身の在り方は本人が望もうと望まずとも人々に『英雄』という体現者として映り込む。

 

「あるいは、呪いもいつかは祈りになるかしらね」

 

「キリト君にとって、もう呪いだろうと祈りだろうと関係ないだろうさ。彼は『自分の意思』で立ち向かうだけだ」

 

 神代は集積されていく大小様々な心意を確認して哀れみを抱く。

 月光の聖剣はあらゆる者とリンクしているが、1人だけ完全に断絶している者がいる。他でもない【渡り鳥】自身だ。

 資格者が代々受け継がせた月光の聖剣。その最後の資格者は所有者に託し、自らを決して月光で繋がらぬ存在とすることで、月光の聖剣を完成させた。

 

 

 それはまるで……自分こそが『人の意思』に討たれるべき存在だと叫んでいるかのようだった。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 全身から放たれた月光の奔流はクゥリのOSSを掻き消す。

 月光が全身を満たす。夜を照らす光はキリトの全身を活力を漲らせる。

 メイデンハーツより黒騎士ブレードが排出される。代わりに形成されるのは、かつて白銀の刀身に形成されていた月光の大刃だった。右手の月蝕の聖剣はそのままである。

 

 

 

 お前の聖剣は月蝕であり、お前は束ねられた月光を振るう者。故に『所有者』である。月光とは何たるか、その真実の一端に触れた者よ、共に行こう。

 

 

 

 

 これまで悪態ばかり吐いていた月光の聖剣の全幅の認可を感じ取る。自分が聖剣の試練の1つをクリアしたのだと悟る。

 

「メイデンハーツ・【月光ブレード】モード」

 

 全身の傷が癒える。HPも完全回復した。だが、そんなものは些細なことだ。キリトは歴代の己の聖剣の所有者が等しくたどり着いた聖剣の奥義の1つ……聖剣の加護を得る。

 脳が焼き切れるのではないかと思うほどに熱い。これはノーリスクで発動している心意ではない。

 月光の聖剣を通して感じる。多くの人々の心を……自分の背中を押す想いが溢れ出ている。

 

「……素晴らしい」

 

 月光がもたらした突風で飛ばされていたクゥリは空中で姿勢制御し、魔爪を柱に突き立ててキリトから吹き荒れる月光を帯びた突風を堪えている。

 

「素晴らしい! 凄いじゃないか、キリト! さぁ、もっともっと『殺し合おう』!」

 

「…………」

 

「オレはここにいるぞ! オレはここにいるんだ! オマエが――」

 

「違う」

 

 生み出されるのは黄金の雷ではなく月光の雷。再び起動した天雷装具スローネは青にして碧の雷を放出し、キリトを加速させる。

 再生した竜翼が羽ばたけば、月光の粒子が放出されて加速をもたらす。宙を自在に飛ぶかのように高速接近したキリトに、クゥリは恐るべき先読みで迎撃する。

 正確無比の日蝕の魔剣の日蝕突き。対するキリトはメイデンハーツを包み込む月光の大刃を煌めかせ、月光突きを繰り出す。

 競り合ったかのように見えたのは一瞬だけだった。月光突きの破壊力に耐え切れず、日蝕の奔流は掻き消され、白銀の大刃すらも粉々に砕け散る。本体である漆黒の刀身も無事とは言い難く、小さい亀裂が入っていた。

 月光の奔流……それそのものが束ねられた心意そのものだ。キリトはその心意を自分自身の心意で導いているだけだ。

 

「俺は『殺し合い』がしたいんじゃない。俺はキミに『負けたくない』! キミに『勝ちたい』! だけど、1度だって……『殺したい』と望んだことはない!」

 

 本家にしてオリジナルである月光波と自身が見出した月蝕光波を同時に放つ。スピードが上の月光波をクゥリは軽々と躱すが、背後で起きた巨大な月光爆発が身を揺るがし、遅れてきた月蝕光波の回避が揺らぐ。

 だが、クゥリは空中に蜘蛛の巣文様の足場を生み出し、月蝕光波を躱して接近する。だが、その動き……生み出されるエネルギーの流れをキリトは観測できる。

 月光の聖剣を通して繋がった心意がサポートしてくれる。クゥリの動きが分かる。どのように動くのかが感じ取れる! ならば、あとは自分自身の反応速度の勝負だ。観測されたエネルギーから算出された無数の未来の1つを己の手でつかみ取り、己の足で踏み出すだけだ!

 クゥリが氷剣を生み出して射出する。ならばとキリトは幻影キリトを出現させる。彼らはいずれも月蝕光波を放って氷剣の軌道を制限する。

 月光の一閃は無数に分かれて暴れ回る月光の風に変じる。全ての氷剣を破壊し、それらは1つ1つが槍の如くクゥリに降り注ぐ。それらをクゥリはすべての攻撃軌道を先読みしているかのように躱していく。

 クゥリは贄姫から濁った炎を散らす。だが、濁った炎はキリトに届く前に霧散する。

 月蝕と月光の聖剣から放出される奔流を纏った連撃がついにクゥリに迫るも、彼は嬉々と笑いながら全てを躱す。恐るべき回避能力であるが、生み出されたエネルギーは観測されていた。キリトは追いつくべく自身を追い込む。

 反応速度を焼き切る。クゥリはかつて過去にそう説明した。たとえ、どれだけ反応速度が優れていても思考速度が追いつかなくなった時に死は訪れるというものだ。たとえ反応になっても反射的行動に過ぎないならば、それは何の脅威にもならないというクゥリらしい攻略法である。それは先程体感したばかりだ。

 だが、それは事実だ。反応速度が優れていれば生き残れるものではない。DBOでこれだけの死者が積み重ねられるわけではない。

 クゥリはキリトに何の恐れもなく攻めかかってくる。冗談のようにクゥリの刃はキリトの首を撫でそうになる。事実として掠めたように月光の加護が僅かに散った。

 

「あぁ、それでこそだ。こんなにも楽しいのは久方ぶりだ! オマエは本当に驚くことばかりしてくれるな!」

 

 およそプレイヤーの域を超えた月光の聖剣がもたらした心意の極致。それに平然と食らいつこうとするクゥリは贄姫で苛烈に斬りかかる。キリトはそれを二刀流で捌く。月光の聖剣と衝突する度に贄姫の水銀被膜は剥げていく。純粋に月光の圧に堪え切れていないのだ。

 

「【磔刑】」

 

 クゥリが不意にその場に贄姫を逆手で突き立てる。周囲に続々と血槍が突き上がるも、キリトは生じた瞬間に竜翼を羽ばたかせて上に逃げる。対するクゥリは蜘蛛文様を生じさせ、宙を蹴ってキリトを追撃する。

 繋がり合った支柱を足場にして、クゥリは飛行するキリトに何度も襲い掛かる。それを迎撃したキリトは今ならばとゼロ・モーションシフトを発動させる。

 これまでは直線的移動しかできなかったゼロ・モーションシフトが『成長』する。曲線を描いてクゥリの強襲を躱して背後を取り、がら空きの背中に月光の聖剣を振るう。

 

「……っ!?」

 

 咄嗟にクゥリは日蝕の聖剣を盾にして防ぐ。再び白銀の刃は形成されていたとはいえ、月光の刃には耐え切れずに再び日蝕は破壊する。そのまま下まで吹き飛ばされたクゥリはギリギリで姿勢制御して着地するが、キリトはかつてない程に巨大な月蝕光波を放つ。

 

「贄姫・【悲鳴ノ唄】」

 

 クゥリが漆黒の刀身だけとなった魔剣と贄姫を重ね合わせ、巨大な月蝕光波を受け止める。

 

「叫べ、アルフェリア!」

 

 魔剣と贄姫の両方から放出される、苦痛に悶える女の悲鳴。それが巨大な月蝕光波を受け止め、そのまま逸らすことを成功させる。

 水面に命中した月蝕光波は巨大な水飛沫を上げる。巻き上がった白の都の瓦礫を飛び移り、クゥリは魔剣を捨てて贄姫だけで斬りかかる。

 

「クヒヒ! まさか【二重悲鳴】を防御に使わされるとはな! しかも、苛烈な攻撃に対して周囲の破壊がほとんどない! 素晴らしい制御だ!」

 

 贄姫の能力が切り替えられたせいか、白の都を侵食していた濁った炎が消失している。どうやら濁った炎は贄姫を病魔ノ火で維持しなければすぐに消えるようだった。

 空中でクゥリは血刃居合を放つ。キリトはそれに合わせてシャイニング・ホライゾンを放つ。ただし、月蝕の聖剣と月光ブレードによる同時発動だ。血刃居合はキリトの月光の加護に阻まれ、対するクゥリは空中で足場を生み出してシャイニング・ホライゾンを躱す。

 だが、その動きを生み出すエネルギーも観測されている。キリトは月光ブレードと月蝕の聖剣を大きく振りかぶる。

 放出されたのは月光の奔流と月蝕の奔流、それぞれで生み出された竜神の拳だ。聖剣が吸収したドラゴン・クラウンによって受け継がされていた能力であるが、今は月蝕の聖剣のみならず、月光ブレードでも発動できる。

 竜神の連拳。巨大な拳をクゥリは足場を生み出したステップと袖から飛び出た投げナイフを突き刺してワイヤーを巻き取ることで躱していく。だが、回避ルートにキリトから飛来した幻影キリトが先回りし、月蝕の奔流を纏った刃を振るいぬく。

 クゥリはこれを受け流しきれず、贄姫は大きく刃毀れするも、それで終わることなく、魔爪で幻影キリトの頭を掴んで潰す。

 クゥリの正面に着地したキリトに、クゥリは消失するステップで攪乱しながら迫る。だが、空間を満たす月光の粒子がレーダーのようにクゥリの居場所を正確に教えてくれる。

 頭上だ。キリトは月蝕の聖剣を振るい上げる。

 

 

 月光波は身を捩じって躱したクゥリであるが、真横から迫った竜神の拳には対処しきれなかった。

 

 

 それでも恐るべきはクゥリだ。瞬時に左腕と左足をガードに用いてダメージを最小限に抑える。だが、キリトは振るい抜く。『殺したくない』としても『負けたくない』。何よりも勝たねば守れない。ならばこそ、キリトは迷わない。それこそがクゥリへの最大の礼儀であると知っているからだ。

 竜神の拳の圧が高まり、クゥリは目を見開く。ガードした左腕と左足が潰れ砕けて吹き飛ばされ、背中から、酷く嬉しそうな笑みのまま……倒れた。

 

「……やっぱり『強い』な、キリト」

 

「キミが……キミが俺に『強さ』とは何なのかを教えてくれたんだ、クー」

 

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 静まり返るワンモアタイムは、突如として爆発的な歓声に包まれた。

 何が起こったのかなどどうでもいい。DBOという地獄に『英雄』が現れた。人々は無責任な喝采を上げる。

 人々は自分たちを照らす月光を知り、それが聖剣と繋がったことを理解せずとも感じ取っていた。

 

「【黒の剣士】キリトの勝ちだ!」

 

「ふ、ふぅ……冷や冷やさせやがって。まぁ、俺は信じてたけどな!」

 

「つーか、何が起こったんだ?」

 

「そんなの分かるわけないじゃない。でも、確かにユージーンとの戦いの頃から色々とおかしかったような……」

 

「それよりも【渡り鳥】だ! ぶち殺しちまえ!」

 

「そうだ! 殺せ!」

 

「殺せ!」

 

「早くトドメを刺すんだ!」

 

 痛い。

 ただひたすらに痛い。

 自分にも月光を通じて繋がっているせいか、ユウキは月光に渦巻く死を求める呪詛を感じ取る。

 ユウキの脳に……いいや、魂とも呼ぶべき部位が月光の中に満ちる死の呪詛を『観測』している。

 それが頭痛となって押し寄せ、ユウキは頭を押さえながら店外に転げ出る。

 

「どうして?」

 

 どうして、そんなにも死を呪えるの?

 クゥリを『バケモノ』と呼んで死を欲するの?

 

 

 

 それが正しい事だから。災いと死をもたらす怪物は死を望まれ、英雄がそれを成し遂げるのが世界の求める『答え』だから。

 

 

 

 違う。違う。違う! ユウキは頭の中で響く『自分の声』を振り払う。クゥリの死を望み、【黒の剣士】に『英雄』を見出した者たちと同じように月光を通じて自分の心意も繋げようとする『自分』に抗う。

 だけど、今ここで『バケモノ』を殺さないとパパが危ない。早く殺さないといけない。そうしないと、いつかママも危険になるよ? それでいいの? これは『使命』だ。

 そうだ。ボクの心意も繋げれば、きっと『バケモノ』でだって倒せる。そうすれば、皆で『幸せ』になれる。もう『バケモノ』に脅かされることはない。

 頭痛はやがて快感にも近しい共感になる。呪詛を心地よい歌声のようであり、ユウキは間違っているのは自分の方だと路地裏の闇で笑う。

 

 笑う。

 

 笑う。

 

 笑う。

 

 そして、嘲う。

 

 汚物に塗れた路地裏に散らばるガラス片に……雲を裂いて注ぎ込まれた月明かりを映し込まれ、ユウキは自分の歪んだ笑みを染める涙に気づくことができた。

 腰の剣を抜き、ユウキは自分の首に押し付ける。溢れた血がHPを削っていき、迷いなく刃を押し込んでいく。

 

「ふざけるな。『ボクの意思』は『ボク』のものだ! 渡さない! 出ていけ! 出ていけ! お前なんか『ボク』じゃない!」

 

 ボクは知ってる。

 とても不器用で分かり難いけど、誰かの為にいつだって優しくあろうとするクーを知っている。

 死を求めて呪詛を叫ぶのが『人』であるというならば、ユウキは喜んで『人』を唾棄して止めよう。

 この口が愛する人の死を望んで叫ぶならば、この喉を裂いて己を死で満たそう。

 

 パパが死んでいいの?

 

「死んでしまえ! クー以外の他の誰が死のうが関係ない!」

 

 嘘だよ。本当はパパのことがとっても大事。ほら、思い出してみて。あんなにも『ボク』を愛してくれたじゃない。

 

「違う! これは『ボク』じゃない! ボクの思い出じゃない!」

 

 大好きなパパの為に『バケモノ』を殺そう。立派な親孝行をしないと娘として誇れないよ?

 

「やめて……ボクから『クーへの想い』を奪わないで……!」

 

 刃が首の半ばまで侵入し、HPバーが黄色に変色し、瞬く間に赤く点滅する。

 死が訪れる。だが、ユウキは怖くなかった。

 もうクーに会えない。でも、キミの死を求めて呪うくらいならば、ここで死んだ方がマシだ。

 

 

 

 

「大好きだよ、クー」

 

 

 

 

 

 心と言葉が一致し、ユウキは茫然と自分の血で濡れた剣を見下ろしていた。膝を曲げて汚れ尽くされた路地裏にへたり込み、自分の血と雲間から差し込む月光で染まったガラス片を見つめていた。

 ボクはこんなところで何をしているんだろう? ユウキは自分の首に手をあて、べっとりと付着した己の血に言いしれない安堵を覚える。

 

 ああ、ちゃんとクーを愛せている。分かり切っているのに、どうしようもなく安心する。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 左腕と左足の骨は粉々だな。張り巡らした白木の根が獣血侵蝕のお陰でダメージは最小限で抑えられ、潰れはしたが原型は保てたか。防性侵蝕の応用であるが、実用範囲内であることは証明済みだったからな。

 だが、HPは3割未満。左腕はともかく、左足が潰れている。そうなればキリトはオレをどう料理するのも自由だな。

 

「まったく、これなら出し惜しみなどするべきじゃなかったな」

 

 キリトならもっともっと深奥を見せてくれるはずだと遊び過ぎた。ようやくVOBの体内破損が回復してきたところだったのに。

 白木の根……体内補強開始。潰れて砕けた左腕と左足を内部から『補強』する。

 さすがだ、グリムロック。痛覚代用の為だった骨針の黒帯からよくぞここまで技術を昇華させたものだ。痛覚代用という本分を超え、『全身が砕けて潰れようとも戦闘続行を可能とする』次元まで高めてくれた。まぁ、低VITのオレではさすがにHPの方に限界もあるがな。それに四肢の切断に関しては蜘蛛姫のソウルのお陰で……まぁ、それは別の話か。

 跳び起きたオレにさすがのキリトの反応が遅れる。距離を取り、ナグナの血清を使って回復を図る。

 

「たとえ全身の骨を砕き、肉を潰そうとも『戦闘不能』にはできない。残念だったな」

 

 とはいえ、傷口を修復できるものではない。事実として左腕と右足からは打撃属性攻撃だったというのに、潰れて破裂したお陰で流血状態だ。

 オートヒーリングは……ほぼ死んだか。これ以上だとマイナスだな。HPが減るか。

 贄姫は刃毀れが酷い。狂縛者のソウルがもたらす【刀身再生】も使用には魔力消費が伴うし、しかもクールタイムを置かないと再生速度が露骨に落ちるからな。まぁ、刃毀れ修復程度ならば隠せるだろうがな。

 

「クー、それしか……それしかないのか!?」

 

 折れた支柱の上に立つオレはキリトを見下ろしながら薄く笑う。彼の苦渋に満ちた表情がとても愛おしくて堪らない。

 オマエはそういう奴だよな。好悪がハッキリしていて、自分の中でプラスに傾いている奴にはとことん優しくなってしまう。甘さにも似た優しさで……そのせいで何度も馬鹿な選択をして命取りになりかけて……でも、そんなオマエに好意を抱くんだ。

 ああ、楽しくてしょうがない! もっとだ! もっと、もっと、もっと殺し合おう!

 限定受容では今のオマエを殺しきるのは難しい。ならば迷いはない。

 

 

 

 

 残り火を砕く。受容した致命的な精神負荷が『オレ』を灼いていく。

 

 

 

 

 ここで全てに決着をつけよう。もうデーモン化は発動してしまっている。

 深淵の病すらも喰らい、深淵纏いを発動させる。オレの全身を赤黒いオーラが包み込む。

 さて、ここから殺しきる手段は幾つかあるが、どれにしようかな。

 

(とても楽しそうね)

 

 うん、楽しいよ、ヤツメ様! だって、ずっとずっと我慢してたんだもん! やっとキリトと殺し合えた!

 分かるだろう!? アイツは聖域の貧者を守る為に立ち上がった『英雄』であり、オレは聖域を破壊しにきた『バケモノ』だ! アイツは好悪を超えてオレと殺し合うしかない! こんな絶好の機会はもう2度とないかもしれない! アイツの甘さにも似た優しさでは、どうしてもオレとの殺し合いに二の足を踏む! それではポテンシャルを十分に発揮できない!

 見て見て! キリトは人々の心意を束ねたんだ! だって、感じるだろう!? あの月光の1つ1つから感じる『英雄』の勝利を求める声を! 何よりも『英雄がバケモノを殺す物語』を欲しているんだ!

 

(だったら、思いっきり遊ぶ? まだまだ『夜』は続くのだから。夜明けは遠いのだから)

 

 ヤツメ様が手首を噛み切れば、宇宙の深淵を宿したような青ざめた血が溢れる。オレもまた自分の手首を噛み切り、血を合わせる。

 

 そのはずだったのに。

 

 血の海が広がる、終わらぬ夜の底で、血の雨が降り続ける空を見上げていた。

 

 何かを探している。

 

 そうだ。かつては、そこに赤紫の月光があったのだ。それがオレを優しく照らしてくれていた。

 

 祈りは呪いとなって失われ、もう2度と赤紫の月光は届かない。

 キリトを前にして、隙を晒すとわかっていながら、己の内の夢とも呼ぶべき血の海ではなく、仮想世界という名の現の滅びゆく白の都で空を見上げる。

 雲は裂けて差し込むのは僅かな月光だ。

 たとえ、見えずとも、月明かりはいつだってそこにある。

 オレを照らすことはなくても、確かにそこには赤紫の月明かりがある。

 

「そうだよな。約束……したもんな」

 

 オレが『オレ』である限り、ユウキの味方であり続ける。

 ここで獣性に呑まれてしまったら、いつだって殺したかったキミを喰らってしまうだろう。

 

「オレは……狩り……奪い……喰らい……戦い……殺し……そして……」

 

 この先をキリトたちが知る必要はない。

 ああ、そうだ。約束はまだ忘れていない。

 誰よりも愛しているキミだからこそ、夜明けの向こうで黄金の稲穂を知ってほしい。ユウキに『幸せ』になってほしい。

 キミが夜明けの先で『幸せ』だったら、オレは『自分の幸せ』なんて見つからなくてもいい。そう思えるほどに。

 

「グリムロックに怒られるな」

 

 まったく、なんか体のいつの間にか小さく……いや、幼くなっていたのか? オレの馬鹿野郎! 死んでも身長だけは手放すなよな!

 よし、体も元に戻ったか。うむ、やはり視線は高いに限る! 目指せ、身長170センチ!

 贄姫を納刀する。キリトは月光の加護に身を包み、竜翼を羽ばたかせて迫る。まったく、なんという無自覚ムーブだ。そんな姿を見せたら、誰もが『英雄』を重ねちゃうでしょうが。この無自覚たらしめ。そんな風だからヤンヤンホイホイなのだと何度言えば……あ、そういえば身長も何気なく170オーバーだな。よし! 殺そう!

 しかし、月光の聖剣を完全に……そうか。まぁ、いいだろう。こんな時に到達するからこそオマエなんだもんな。

 だけど、オレも退けない。ユウキと食事の約束をしているんだ。オレの為に店をピックアップしてくれているらしい。

 こんな事件の後ではオレの入店は断られるかもしれないけど、でも、凄く楽しみにしているみたいなんだ。話していた時の笑顔は……本当に殺したいくらいに素敵でさ。

 ユウキはオレにとっての月光だった。いつだって暗闇を照らしてくれる赤紫の月明かりだった。

 キミの言葉だけが、キミの温もりだけが、キミの眼差しだけが……『オレ』を繋ぎ止めてくれたんだ。

 

 夜明けの為に狩りを全うする。たとえ、すべてが『嘘』だとしてもキミを愛しているという真実だけは殺意があるからこそ変わらない。

 

 だからこそ、キミに見た月光は何だったのかが今ならばわかる。

 

 かつて、人は月という名の神を殺した。ただの岩の塊だと暴いた。

 

 月明かりは太陽の光の反射だ。温もりを失った夜の陽光だ。

 

 

 

 

 オレはキミに……太陽を見ていたんだ。狩りを全うするからこそ、オレ自身は夜明けには決してたどり着けないからこそ、キミに夜でも照らしてくれる太陽を見出したんだ。たとえ、オレは闇夜に燃える篝火であるとしても、見上げればそこに夜の太陽があると知ったんだ。

 

 

 

 

 

 だからこそ、キミに捧げよう。オレが『オレ』である限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 居合と共に放たれた刃は月光の聖剣と衝突し、そのまま押し返した。

 

 

 

 

 

 

 

 空中で身を翻したキリトと対峙するように着地し、今度は見上げる形となったオレは、抜き放たれた贄姫を構える。

 緋血はまるで焔火のようにエネルギー状に変質して禍々しく刀身に纏わりついている。それこそがオレの本質であるというかのようだ。

 贄姫は基本的にソウル能力を『1つ』しか発動できない。だが、多重発動できないわけではない。同時に『2つ』使用した場合、贄姫は一時的にソウル受容能力が失われるという大きなデメリットがあるがな。しかもソウル同士の相性も影響するので正常に能力が発動するかもわからない。

 贄姫に受容させたのは2つのソウルだ。

 たった1人の男への愛の為に苦しみ続けた、たとえ偽物だろうともその愛は本物だった虚ろのゲヘナ。そこに合わせるのは、ゲヘナへの忠義に殉じた闇濡れの騎士ランスロットのソウルだ。そして、合わせるのは……闇を喰らい続けるという使命に殉じた古竜の末裔ミディールのソウルだ。

 ゲヘナの虚ろを満たすのは忠義と約束。オレが相対した2つの『最強』の極致。ランスロットが裏切りの末に取り戻したのは忠義の刃であり、ミディールは闇の中で光を求めるほどに約束の為に戦い続けた破壊の光。その2つが1つの能力となって顕現する。

 たとえ、どれだけ獣血を使おうとも、たとえ瞼を閉ざしても赤紫の月明かりは見えずとも、キミは変わらずにオレにとって夜の太陽だ。

 だから、この刃は……オレがキミとの約束を決して破らないという誓いの証だ。

 

 

 

 

 

 

「贄姫【旭光ノ妖刀】」

 

 

 

 

 

 

 

 ランスロットの忠義の証であった紫光はゲヘナのソウルがあるからこそ顕現し、贄姫の刀身の溝を満たす緋血は『赤紫』に変じて刀身そのものを淡く照らす。たとえ、牙を剥くのは禍々しい獣血の赤だとしても、贄姫が映し込む旭光はオレが『オレ』である限り果たし続ける約束を思い出させる。

 人間性を捧げよう。キミを殺せなくても、オレが『オレ』としている愛しているからこそ。

 ステータス出力……9割到達。ランスロットとミディールのソウルを合わせた能力である旭光ノ妖刀を御する為には、9割は不可欠となる。何よりも思考操作が前提だから獣血を高ぶらせねば使えない。

 

「獣血光波」

 

 赤紫の刀身から放たれるのは、禍々しい鮮血の赤たるエネルギーに変じた獣血だ。ランスロットの聖剣の光波と同じく切断特化の高速タイプだ。ただし、ただの1発でもオレを襲う反動はミディールの白光にも匹敵する。

 キリトは回避しきれず月光の聖剣で受け止める。だが、それは悪手だ。獣血光波はミディールが闇に求めた光と同じく、隔絶した破壊力を秘めている。無理に受け止めれば、どうなるかは言うまでもない。

 獣血光波は炸裂し、キリトが纏う月光の加護が削れる。だが、まだ健在か。ランスロット並みかそれ以上に堅牢そうだな。

 人間性と記憶がこの瞬間も灼けている。皆がオレに渡してくれた大切な人間性だ。無駄にはできない。悪いが、すぐに決めさせてもらう。

 贄姫の切れ味はランスロットが闇の中で見出した光……黒光の如き極みに至り、獣血エネルギーはミディールが闇の中で求めた光……白光の如き破壊力を秘める。それこそが【旭光ノ妖刀】だ。 

 獣血光波無しで制御が困難であり、まともに扱うには確実に9割到達のステータス高出力化が大前提となる。炎のように溢れ続ける禍々しい深紅の獣血エネルギーはそれだけでオレの手元から弾け飛んでいきそうな程に暴れている。

 思考操作かつステータス出力9割が求められる為に使用条件が厳しく、なおかつ『爆弾』を抱えているが、相応に強力だ。

 キリトが受けに回る。深淵纏いとステータス高出力化9割でも反応するか。当然だな。だが、思考速度は果たして追いつけるかな? 心意と聖剣を上乗せしてもオマエはまだランスロットの域に到達できていない。

 何よりも感じるぞ。月光を満たす呪詛を。オレを殺せと叫ぶ呪いを。

 

(ワタシ達に『死ね』と呪ったところで逆効果よ。逆に殺し尽くしてやるわ!)

 

 オレにはお前の知覚のようにエネルギーの流れはわからない。だが、殺意の流れは感じ取れる。

 贄姫、獣血光波・【鋸】。放出した獣血光波は鋸状の刃となり、対象を抉り喰らう。簡単には弾けない。月光を食い破り、キリトの胸部に命中する。だが、まだ月光の加護は剥げない。

 

「……クー!」

 

「キリト」

 

 深淵の病は侵食を続けている。心臓を止めようとしている。

 だが、何度だって味わってきた。もう慣れたさ。痛みを感じても、『痛み』はどんどん感じなくなる。その方が……ずっと苦しいんだ。いつか、この苦しみさえもなくなってしまうのかもしれないけど、それでも……まだ!

 キリトはまだ喰らい付く。反応速度を焼き切れない。だが、こちらも時間がない。旭光ノ妖刀では周囲を斬り過ぎるし、破壊が伝播し過ぎて仕事に支障があるからな。

 走馬燈発動。体感時間は凝縮され、世界は時を止めたかのように意識は加速する。発動時の挙動に限定すれば、キリトやユウキのような最高クラスの反応速度だって上回れる。

 

 

 

 

 

 死という眠りの『夜』で踊ろう。これから10秒……走馬燈を継続する!

 

 

 

 

 ずっと疑問に思っていたよ。

 多くの『力』を喰らい続けていたように、1番長く隣で戦い続けていたオマエの『力』は学び取れていないのは何故だろうかってな。

 間違っていた。『血』は学び取っていた。オマエの最大の武器である反応速度を……我が物にする方法を探し続けていた! そして、たどり着いていた! それこそが走馬燈の発動と継続だった!

 

 

 

 

 

 

 対【黒の剣士】OSS【八ツ目神楽】……発動。

 

 

 

 

 

 

 同時発動。ナグナの焔火の1つ、ナグナの遅れ火。贄姫の攻撃軌道をなぞる、遅れて生じる紅玉の如き真紅の炎を合わせる!

 追加発動。氷雪のレガリア、思考操作モード。これまでは指と腕の動きで『指揮』を執っていた氷雪剣を全て思考操作で制御し、神楽の合間に放ち続ける。

 全方位から斬り続ける八ツ目神楽、放出され続ける獣血の奔流、斬撃と獣血攻撃の両方の攻撃をなぞるナグナの遅れ火、そして神楽と併用発動することで相手の防御・回避の隙間を完全に潰す氷雪剣。これら4つを重ね合わせれば、早々にキリトの迎撃は間に合わなくなる。

 反応速度を焼き切った。神楽の刃と破壊の獣血とナグナの炎がキリトの全身に喰らい付く。

 だが、まだだ。まだ足りない。月光の加護は剥ぎ取り切れない。ならば、取って置きだ。

 生み出されたナグナの映し火の色は、血質属性に変じた禍々しい深紅である。強烈な斬り上げと共に放出されたナグナの映し火はまるで火柱のようにキリトを呑み込む。

 だが、これでも仕留められないだろう。重要なのはナグナの映し火による火力によって、神楽によって得た加速によって瞬時に相手の頭上を取ることにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走馬燈継続、贄姫【旭光ノ妖刀】、ナグナの焔火、氷雪剣前提、【八ツ目神楽】スキルコネクト専用OSS【神楽終譜・蓮花】。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 欠月の剣盟が編み出した側転斬りを応用した、回転居合斬り。だが、ミディールのソウルの影響によって神楽によって短時間にばら撒かれて空間残留している獣血エネルギーの『全て』が鞘の内で収束して放たれる。

 だが、これで終わりではない。神楽の加速に居合を上乗せした剣速を全身を利用して御しながら『舞う』。

 神子は神楽を舞い、ヤツメ様を下ろす。ならばこそ、そこに『己が編み出した神楽の終わり』に繋げる。これまでのように『終わりがない神楽を舞い続ける』のではなく、『神楽に終わりをもたらす』。

 神子としてヤツメ様と契約したからだけではなく、キリトにも……ユウキにも夜明けを迎えてもらいたい……そんな『嘘』に殉じる為に狩りを全うするという契約を結ぶ神楽だ。

 まぁ、それをキリトに放つのはご愛敬だな。死ぬ時は死ぬ。だから、これで死ぬならば死ね。それまでのことだ。

 斬りながら氷雪剣を射出し続ける。キリトからすれば連撃と同時に雪崩の如く氷雪剣が殺到しているように感じるだろう。だが、フィニッシュは一味違うぞ?

【神楽終譜・蓮花】は8連撃でフィニッシュは突きだが、同時にナグナの纏い火を氷雪のレガリアに発動。結果、純水属性の氷雪剣は相反する炎属性の真紅の炎を纏って放たれる。突きと同時に繰り出すのは、全加速を乗せた獣血の奔流を収束させた獣血突きだ。

 開いた蓮の花の如く、獣血突きとナグナの纏い火を帯びた8本の氷雪剣がキリトを穿つ。獣血エネルギーと真紅の炎の爆発の後で、まるで蓮の花が浮かぶ冷たき水面のように、ナグナの纏い火によって脆くなった氷雪剣による冷気爆発が瞬時に生じる。

 これぞ、強者を次々と仕留めそこなった【八ツ目神楽】を『必殺』に押し上げるものだ。聖剣持ちランスロットと再戦しようと確実に殺しきることで考案したが、威力は十分だな。フィニッシュが突きならば、これまでのように凌がれる確率は大きく低くなった。まぁ、カタナ特有の純斬撃属性を活かせないのは残念だがな。

 

「ぐ、ぐがぁああ……あぁああああああああああああああああああ!?」

 

 ……『必殺』のはずなんだがな。さすがだな。ギリギリで月光波を被せてきたキリトは存命だ。とはいえ、代償として周囲に散るのは月光の刃の破片だ。月光の加護は完全に剥いだだろうし、月光の聖剣も破損させただろうが、『必殺』には届かなかったか。

 キリトの≪二刀流≫に合わせて【蓮花】の方を使ったが、やはり【旭天】の方を使うべきだったか。だが、万全の【旭天】を使うにはもっと神楽を舞って加速を溜めねばならなかったしな。斬撃結界・特式【彼岸花】の方がこの場面では『必殺』だったかもしれないな。

 と、さすがに走馬燈の連続使用は反動がまずいな。軽く死にそうだ。ヤツメ様、停止した心臓の再起動は任せます。オレの方は始末しなければならない案件を済ますとしよう。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 これが……これがクーの『本気』か! 月光の加護は剥ぎ落され、最後の斬幕とも呼ぶべき攻撃は月光ブレードに多大な破損をもたらすだけではなく、キリトも深く刻み付けた。

 全身から裂傷が生じて血が零れるだけではなく、月光を……心意を破壊している。心意が無効化されている!

 キリト自身が恐怖せずとも、クゥリの存在に恐怖を覚えた人々は心意の繋がりを保てない。恐怖に屈すれば心意は応えないのだから。

 絶対的な暴力で、それも完全なる真っ正面から心意を無力化している! 吹き飛ばされた先の瓦礫から這い上がったキリトは、月光の聖剣が弱まっていることに、自分の至らなさを食いしばる。

 まだ戦える! キリトはクゥリを探そうとするが、それより先にクゥリは円筒を投擲する。それは高濃度の煙幕であり、キリトの視界は瞬く間に覆われる。

 エネルギーを知覚できるとはいえ、それは五感の延長だ。最も正確にエネルギーを観測できる視覚を潰される。月光の粒子を拡散させて知覚範囲を広げようとするが、それより先に煙幕の中でも煌々と輝く贄姫が迫る。

 煙幕ごと吹き飛ばす! キリトは破損した月光ブレードの修復を促すべく、月蝕の奔流で周囲を煙幕ごと巻き込んで消し飛ばす。

 

 

 

 

 だが、赤紫に輝く贄姫は投擲されたものであり、月蝕の奔流に巻き込まれて高々と舞い上がった。

 

 

 

 

 瞬間にキリトは悟る。

 クゥリはおそらく贄姫でも最大の能力を使ってきたに違いない。これで仕留めきれなければ勝ちを失うほどのカードを切ったはずだ。

 だからこそ、理解できるはずがない。あっさりと手放すなど思い至るはずがない。

 だが、それをできてしまうのがクゥリでもあった。

 彼は戦場において何にも固執しない。殺しきる為ならば何でも利用する。

 舞い上がった贄姫より赤紫の輝きが『消える』。それが何を意味するのか、キリトが理解したのは吹き飛んだ土煙から迫るクゥリを見た瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは鉄塊。『何の能力も持たない』巨大な……素材特有の黒光りを湛えた『イジェン鋼』の巨大メイスだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シンプルな質量攻撃。クゥリは長柄を持ち、先端に膨れ上がった巨大な金属の塊を振りぬく。それは月光ブレードに命中し、そのままキリトを押し潰す。

 これこそ狩りの業。武技の欠片もない力任せの連続振り下ろし。巨大メイスの破損も厭わない連撃が月光ブレードと地面の間に挟まれたキリトに叩き込まれていく。

 強烈な振り下ろしからの打ち上げ。宙に舞い上がったキリトに、クゥリは無表情とも呼べるほどに静謐な顔で……贄姫・旭光ノ妖刀を抜いた時から一貫した、あらゆるものを斬り伏せる日本刀のような男性特有の鋭利な美貌で、破壊の槌を振るい抜く。

 

 

 

 

 月光ブレードは砕け散り、巨大メイスはキリトの左腕の骨を粉砕して潰した。

 

 

 

 

 十数回の転倒の末にキリトはデーモン化が解除されると同時に立ち上がる。

 もう月光の加護はない。月光がもたらしていた心意の集積は機能していない。

 何の力もないイジェン鋼の巨大メイス。これこそがクゥリの切り札か。あの煙幕は武器枠を変更し、ミディールと名付けられたあの奇怪な銃器をオミットする為だろう。その間にクゥリは高純度のイジェン鋼の巨大メイスに切り替え、キリトの最大のジョーカーを『何の変哲もない普通の武器』で破壊した。

 

「聖剣だろうと何だろうと……武器は武器だ。壊れるのが摂理だ」

 

 聖剣破壊の為の巨大メイスを捨て、クゥリは傍に突き立っている贄姫を抜くと納刀する。

 クゥリが抜くのはもう1つの武器……太刀。これもまたイジェン鋼製なのだろう。カタナにしてあまりにもリーチがある長刀だった。ひたすらに重量とリーチを増加させるというシンプル過ぎるやり方で、本来は繊細な武器であるはずのカタナをより暴力的に仕上げていた。

 もう心意のブーストはない。キリトはまともに立っていられるのもおかしい程に曖昧な意識で、残された最後の武器……クゥリとは違い、最後の瞬間まで傍にいると確信を持てる月蝕の聖剣を構える。

 

「悪いな。最後まで……付き合ってくれ」

 

 月蝕の聖剣が応えるように、月蝕の奔流を刀身に束ねていく。

 これが最後の攻撃だ。月蝕の奔流を極限まで凝縮させて放つ月蝕の一閃。残された心意を全て注ぎ込んで最高収束まで到達した破壊の刃は、触れた部位を全て抉り取る月蝕の極みだ。

 クゥリの髪の発光が止まる。そして、彼の右瞳……7つに分裂していた瞳が1つに合わさる。纏っていた赤黒いオーラも消失した。

 一手……足りないな。キリトは苦笑する。イジェン鋼の太刀は囮だ。本命はちゃっかり背負っている日蝕の魔剣だろう。白銀の大刃も形成済みだ。

 キリトの月蝕の一閃をイジェン鋼の太刀を犠牲にして捌き、本命の日蝕の魔剣でキリトの顔面か心臓を刺し潰す……といったところだろう。クゥリも見抜かれていることを承知するようにイジェン鋼の太刀をこれ見よがしに構えている。

 キリトに勝機があるとするならば、イジェン鋼の太刀を破壊した勢いのままクゥリに刃が届くか否かだ。限りなく分の悪い勝負になる。

 崩落が進んでいく白の都ではあちらこちらで破壊音が響いていた。今まさに水面の下に崩れ散っていく白の都で、キリトはこれが最後の戦いだと呼吸を整える。

 最大収束の先へ。月蝕の聖剣が限りなく漆黒を深める。モルドレッド戦以上の収束に到達し、キリトは今ならばクゥリの策を超えて届くと『自分』を信じる。

 そうだ。勝敗のビジョンなど見えなくてもいい。いつだって信じるのは『自分』だ。

 今日ここまで自分を連れてきてくれた人々がいるからこそ、クゥリの存在ではなく『自分』を信じて勝敗をつかみ取るのだ。

 

「……なるほど。来いよ、キリト。オレが『オレ』として、オマエを斬る」

 

 クゥリはイジェン鋼の太刀を捨て、贄姫の居合の構えを取る。奇策無しにて応じると無言の宣誓を果たす。

 絶対に騙りはない。クゥリは殺し合いにおいてはあらゆる策を惜しまない。だが、この瞬間だけはキリトに付き合ってくれている。

 何故か? 簡単だ。それが『クゥリ』だからだ。彼の不器用で……分かり難い……思いやりの見せ方だからだ。

 キリトは理解しない。自覚ができていない。この瞬間、自分はようやく『殺し合い』から『決闘』という舞台にクゥリを引き込むことができたのだと。

 友情に応えて全力で殺す。クゥリの真摯な殺意だけを理解して、キリトは苦笑する。

 キリトは変な友情だと笑った。これだけ派手に殺し合っても、微塵として彼への友愛の気持ちは変わらなかった。

 届くか。いいや、届かせてみせる。キリトは駆け出し、クゥリの神速の居合が待つ間合いへと迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「た、助けて……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間合いまであと1歩の瞬間にキリトが聞いたのは助けを求める、あまりにも小さい声だった。

 逃げ遅れた脱出艇だ。崩落した支柱に挟み込まれて動けないでいる。その頭上から迫るのは崩落した居住区の巨大な瓦礫だ。

 もう足は止まらない。今ならば届くかもしれない。クゥリに最後の一撃が……届くかもしれない!

 

 迷い? そんなものがあるはずもない。

 

 キリトにとってこの戦いは……クゥリに勝つことも『手段』に過ぎない。

 

 

 

 

 

 ラストサンクチュアリの皆を守る! だから、俺は戦っているんだ!

 

 

 

 

 

 キリトは体に強引に反転をかけ、月蝕の刃を振るう。最高の一閃の為に鍛え上げられていた月蝕の奔流は巨大な瓦礫を完全に消し飛ばす。

 ああ、無事だ。キリトは飛び散る血の中で安堵の吐息を漏らす。

 

 

 

 

 

 右肩から斬り飛ばされた自分の右腕が視界で宙を舞う中で、ちゃんと守り抜けたと笑う。

 

 

 

 

 

 右手が握ったままの月蝕の聖剣に笑いかける。気にするな。俺はこれでいい。ここでクーに剣を振るっていたならば、それはクーが認めてくれた『キリト』からほど遠いはずだから。

 それにしても遠慮は無しか。躊躇なしで右腕を斬り飛ばすなんて、キミは本当に相変わらずだよ。

 誰かが叫んでいる。崩落する足場が重力を感じさせる。

 

 ああ、届かなかった。悔しいなぁ。でも……俺は『俺』を貫いた。だから……これでいいんだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 間に合わなかった! 頭上から放ったピナのブレスは足場を破壊したが、それよりも先にクゥリの一閃がキリトの腕を斬り落とした。

 崩落する足場から飛び移るクゥリの冷たい眼差しにシリカは怯えながらも、だが今は優先すべき人がいると落下しているキリトへと竜を飛ばす。

 水面落下直前で竜の背中でキリトをキャッチしたシリカは、愛しき人から溢れる血で赤く染まる。

 全身に裂傷と右腕の切断。だが、傷口を月蝕が覆って流血を止めようとしている。月蝕の聖剣の意思がキリトを死から救おうとしている!

 

「キリトさん! キリトさん、しっかりしてください! 死なせません! 絶対に……絶対に死なせません!」

 

 こんなことならキバオウさんに女神の祝福を使うんじゃなかった! 深緑霊水を口移ししたシリカは微々たるHP回復だと歯を食いしばりながら、ピナの燐光で更に回復を促しつつ、止血包帯で最もダメージが深い右肩を、次に上半身から順に覆っていく。だが止血包帯は瞬く間に赤く染まっている。

 早く治療しないといけない! だが、シリカにはまだ仕事が残っている。崩落に押し潰されることを免れたとはいえ、運航することができない救難艇の救助だ。

 

「シリカさん!」

 

 救難艇の乗組員は12名。竜ではつかんで飛ぶには重量があり過ぎる。だが、シリカは避難艇の後部に着地すると右腕と合体するように降り立ったピナと息を合わせる。

 

「いっけぇええええええええええええええええええ!」

 

 ピナのブレス最大出力で放出! ピナの口から光属性のブレスが吐き出され、それが起こす爆発が避難艇を挟み込んでいた崩落した支柱から脱出させる。

 だが、それだけだ。エンジンそのものが動かない救難艇は崩落を続ける白の都から脱することはできない。

 

 

「来い、聖剣……!」

 

 

 だが、まだ終わっていない。そう励ますように、血だらけのキリトが覆いかぶさるようにシリカの後ろに立つ。

 飛来してきた月蝕の聖剣を咥えてキャッチしたキリトは、そのまま核である白銀の刃の状態から剣先より月蝕の奔流を放つ。だが、それはあまりにも弱々しい。

 

「ピナぁあああああ! 根性ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 ブレス! ブレス! ブレス! ひたすらブレス! これが最後の救難艇のはずだ! 彼らさえ守り切れば『勝ち』なのだ! ピナはインターバルが終わると同時の連続ブレスで息も絶え絶えである。

 急げ! あともう少し! あともう少しで安全圏に出るはずだ!

 

 

 

 そして、白の都の敷地外に到達すると同時に月蝕の聖剣は零れ落ち、キリトはシリカに寄り掛かった。

 

 

 

 

「スタミナ切れ……ですか?」

 

「……ああ」

 

「私も精神的にギリギリです。あ、皆さん、あとはオールで何とかしてください」

 

 助かったと抱き合う人々にシリカは淡白に指示をするとキリトを竜の背に乗せて舞い上がる。

 癪ではあるが、この場面で最もキリトを安全に治療と休養を取らせる為に頼れるのは、太陽の狩猟団と合同で救助活動をしていた教会以外にないだろう。

 

「クゥリさん……容赦がない冷血仕事マシーンと思っていましたけど、ここまでするなんて……!」

 

「は、はは……まぁ……クー……らしい……よ」

 

「それでいいんですか!? キリトさんは甘過ぎます! クゥリさんには特に甘々です!」

 

「んー……だってさ……俺……死んでないし……ラストサンクチュアリの皆も……シリカが来てくれたってことは……何とか、無事……ってことだろ?」

 

 シリカが避難誘導を投げ出して助けに来るはずがない。キリトの信頼しきった発言に、全くその通りだったが故にシリカは言い返せなかった。あの場にいたのも、最後の救難艇を安全圏に誘導する為だった。

 

「2人の馬鹿みたいに派手な戦いさえなければ、もう少しスムーズにいったんですけどね」

 

「……耳が痛い」

 

「でも、相手が相手ですし……ちゃんと……ちゃんと生きていてくれたから……許してあげます」

 

「……ありがとう」

 

 私も安い女だ。他の皆とは違い、それなりに素顔は拝んでいるはずなのに、こうして仮面を完全に脱ぎ捨てたキリトの笑顔を見ただけで、何もかも許してしまう。

 惚れた弱みだとして受け入れよう。この人の笑顔の為に私はいつだって寄り添い続けると決めたのだから。シリカは零れる涙を指で拭い、ラストサンクチュアリに壊滅とキリトに重傷をもたらしたクゥリに、たった1つだけ感謝する。

 あの人が来なければ、キリトは絶対に自分の手で仮面を砕くことができなかった。自分の手で成し遂げたからこそ、シリカが好きだった『キリト』が本当の意味で帰ってきたのだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 少しだけ残念だ。スタミナ切れの体を歩ませながら、オレはミディールを再装備してラストサンクチュアリ本部を正面に捉える。

 さすがに【旭光ノ妖刀】でスタミナも魔力も使い切ってしまった。オマケに残り火の反動だ。正直言って気を抜いたら倒れそうだ。

 まぁ、今回はオレの完全なる自業自得なんだがな。キリト相手に残り火使用と人間性損耗とか本末転倒過ぎる。アイツの目的は時間稼ぎなんだから適当なところで切り上げられるようにしてやればよかっただけだろうに。オレがやり過ぎた余りにアイツも必要以上に追い詰められて、もう訳が分からない心意のオンパレードだよ!

 うん、茅場の後継者の気持ちが少しだけ分かったぞ。なんだよ、心意って。相手にするのも疲れるよ。確実に仕留める為に贄姫のソウル受容でも最強の切り札を使っちゃったじゃないか!

 

「お腹……空いたな」

 

 まだだ。合図はまだだ。撃つな。撃つなよ? でも、今ここで撃てば、キリト諸共……いや、アイツは悪運強いし生き残るか。なら、守りたかった人は死ぬのかなぁ。そしたら、また殺し合え……いやいや、駄目だ。落ち着け。

 左耳に装着されているインカムの通話をオンにする。

 

「オレです。ポジションに到着しました。いつでも実行できます」

 

『最後の救難艇の脱出を確認しました。ラストサンクチュアリは完全無人です。ミッションの最終段階への移行を認可します』

 

「了解」

 

 さて、後はどうなることやら。スタミナも魔力も尽きた以上はミッションを達成するにはミディールしか残っていないのも実に情けない。

 ミディールの白光はエネルギー弾倉の全エネルギーを消費する。消費したエネルギーに応じて破壊力は変化するが、今回は撃つ前にリロードしているからフルパワーが可能だ。しかも経費で落ちるから金銭面の配慮も要らない。

 

『全カメラが配置済みです。では、お願いします』

 

「咆えろ、ミディール」

 

 2本のレールの狭間で充填された破壊の白光が解放される。【旭光ノ妖刀】とは違い、ミディールの白光は長射程かつ追撃の破壊も半端じゃないからな。ただし、耐久度がフルの状態でも2発も撃てば自壊する威力というのもなぁ。グリムロック曰く、カノープスを素材にしているお陰で2発も耐えられるとも言えるらしいがな!

 ステータスの高出力化、7割維持。それでもミディールの白光を制御するのは難しい。まともに狙って撃つには両足で踏ん張れる状況でなければならない。うん、それを考えたら射程・範囲は大きく落ちているとはいえ、ミディールの白光級の獣血エネルギーを放出する【旭光ノ妖刀】がどれだけイカれてるかが分かるな!

 ミディールの白光によって縦に半ば裂かれたラストサンクチュアリ本部は、続く闇属性の大爆発によって完全陥落する。これによって白の都全体の崩落も一気に始まる。

 

「……ミッション完了」

 

 あの時、キリトを仕留める方法は他にもあった。【旭光ノ妖刀】を使わずとも日蝕の魔剣、もとい死神の槍の【天堕】を使えば……いや、うん……あれはあれでなぁ……破壊範囲がなぁ……しかも使ったら日蝕の魔剣が確実に壊れるしなぁ。

 崩落する白の都で足場が失われる浮遊感の中で考える。今回は色々と教訓があった仕事だな。うん! やっぱりアイツの相手は面倒臭い! 1000万コル積まれても足りないな! それにアイツの相手だとつい楽しくなってあれこれカードを切ってしまうのも駄目だな!

 まぁ、隠したカードも十分にあるし、仮にキリトと『次』があるならば狩れる『仕込み』も済ませた。それに試したいこともできたしな。パラサイト・イヴにはまだ先があると確信も持てた。想定通りの運用ができるならば……クヒヒ、楽しみだなぁ。

 水没。崩落する瓦礫の中を泳ぐ。夜間の、しかも冬直前の水泳とか殺す気か。しかも1つ間違えれば瓦礫に潰されて水底行きだ。

 水中で待っていたのは、潜水装備を纏った者たちだ。彼らはオレを回収し、ボンベと呼吸器を渡す。彼らの案内でオレは泳ぎ、湖の底に穿たれた穴へと入り込んでいく。

 そこからは緩やかな流れに乗り、すぐに水面に顔を上げる。それは天然の地下道だ。依頼主によれば、これが終わりつつある街の外縁まで続いているらしい。まさかこんな地下道があったとはな。

 潜水装備を纏った者たちは無言でオレを案内する。まぁ、お喋りしたいとは思わないが、こうも静かだと『騙して悪いが』を警戒してしまうので、報酬面とかの話をしてもらえると大変ありがたいんだがな。

 どれだけ歩いただろうか。この地下道は1本道ではなく、割と複雑に張り巡らされている。出現するモンスターもレベル40クラスだ。オレが戦うより前に始末してくれている潜水装備のままの人たちは……ねぇ、無言はいいけど、いい加減に装備を変えませんか? その姿で先導されるのって物凄くシュールなんですけど?

 

「到着です」

 

 先導していた1人は梯子がかかった縦穴にオレを誘う。お先に……というわけか。梯子の先はガトリングガンが整列していたりしてな。

 だが、意外にもオレを待つ凶弾もなく、天然の洞窟を利用した神殿が待っていた。まだ地下のようだが、終わりつつある街の周辺フィールドにこんなものがあったとはな。初期に探索し尽くされたと思われていたフィールドがこれだ。まだまだ隠し要素は多い……というわけか。後継者め、無駄に手抜きしないヤツだ。

 祀られているのは、祭具や偶像からして罪の女神ベルカのようだ。だが、オレが気になったのは祭壇の傍らに隠れている影の方だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやーん! 今日の【渡り鳥】きゅん、最高に暴虐の王し過ぎ! さすがだわー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 掴み攻撃、回避成功。祭壇から飛び出してきた、白魔女装備かつ胸部重装甲型傭兵のエイミーの抱きつきを躱す。

 

「げへへへ! 躱すなんてさすがよ、【渡り鳥】きゅん!」

 

 ……涎、すごいなぁ。この人を見ているとどうにも寒気がするというか、ヤツメ様がすごく苦手意識を露骨に見せているというか、とにかくお近づきになりたくない。

 

「エイミー、それくらいにしてください」

 

 オレを先導していた潜水装備の1人がマスクを外せば、露わになったのはバトル・オブ・アリーナに出場していたメイド……いやいや、よく思い出せ。そうだ。クラウドアースの暗部であり、セサルの側近であるブリッツだ。

 潜水装備の方々は全員がヴェニデの面々である。誰も彼もが熱量こそ違うが、エイミーと似たり寄ったりの視線をオレに向けている。

 

「あーら、ブリッツじゃない。何? アンタが【渡り鳥】きゅんの回収任務を仰せつかったわけ? アンタの澄まし顔を見てると胸糞悪いわー」

 

「……仕事中に公私混合の発言は控えるべきかと」

 

 ふむ、この2人は仲が悪いな。そして、今更であるが、エイミーはブリッツと……いや、ヴェニデとグルである、と。しかも今回の1件にも噛んでる。相変わらず真っ黒な世界だな。

 

「とりあえず、【渡り鳥】きゅんが勝手な真似をして、DBO中を更なる混沌に叩き落す前に、私が責任を持ってセーフハウスまでご案内するわー。ゲヘヘヘ! ほんの2、3日よ。お姉さんと共同生活、楽しみましょうねぇ?」

 

 今回はミッション達成後は世間が落ち着くまで、もとい大ギルドによる情報操作が終わるまで、オレは姿を消さねばならない。

 エイミー曰く、DBO中はある種のパニック状態らしい。依頼主の予想以上の混乱具合のようだ。要約すれば、オレがやり過ぎて、アイツもやり過ぎて、更にオレがやり過ぎたといった感じだ。

 知らん。オレはちゃんと仕事を果たしたし、文句ならば依頼主の太陽の狩猟団……もとい、ミュウに言え。

 

「いやー、それにしても簡単な仕事だわー。ランク1様が戦っている間に『【渡り鳥】きゅん用の通信人工妖精』を散布するだけだもん。これだけで【渡り鳥】きゅんのお迎えとかセサル様からのボーナスだわー」

 

「……そういう事でしたか」

 

 オレが現場でも問題なく『依頼主』と連絡が取れたのは、水中に潜んでいたヴェニデと地上でエイミーが散布した通信用人工妖精によるものか。

 

「ユージーンが負けると……分かっていたのですか」

 

 だが、その行動は『キリトの勝利』が前提に無ければ無意味だ。いいや、オレの襲撃だけではなく、ラストサンクチュアリ内のスリーパー蜂起も含めて『ユージーンの敗北』があってこそ成立するのだ。

 

「『あの程度の男』が勝てるわけないわー。『ランク1』なんてハリボテに拘ってるような小さい男よ?」

 

「…………」

 

 なるほどな。ランク1『様』とはエイミーにとって最大の嘲りだったわけか。ユージーン……相当数組んでいた相方がこれとは哀れだな。

 

「あ、誤解しないでね? ランク1様を気に入っていたのは本当よ。『道化』としてね。セサル様が多少目をかけていた程度には『力』も持っていたけど、私たちは全員がセサル様から直々の指導を受けている。『私たちと同程度』なのよ、ランク1様は。その程度で仮にもセサル様が『英雄』の称号を持つと認めている【黒の剣士】に勝てるとかないわー」

 

 嬉々と笑うエイミーに、悪趣味だとばかりにブリッツが嘆息する。

 人間の本心は容易く分かるものではない。自分自身すらも欺くことがあるのだから。自分自身ですら分からなくなる程に隠してしまうのだから。だから、エイミーは嘲る一方で、本当はユージーンを認めていたのかもしれない。あるいは、本当に道化だと馬鹿にして嘲っていたのか。それは誰にも分らないことだ。

 

「ユージーンは……『強い』人ですよ」

 

「……もう! もう! サイコーだわー! 暴虐の王でありながら、ゴミカス弱者を労わるなんて、【渡り鳥】きゅんったら可愛すぎるわー!」

 

 だから抱きつこうとしないでくれ。心臓停止も含めて疲労が溜まっているのだ。飢餓も酷くて殺したくて殺したくてしょうがないのだ。

 しばらくして、地下洞窟神殿の壁がノックされる。どうやら、この神殿は内側からしか開かない仕組みらしく、ブリッツが壁をスライドさせて開けば、スカーフェイスの男が感情を殺した事務的な表情でオレを迎えた。

 ……一方通行か。これは確定かもな。謀略、陰謀、裏切りは常とだとしても、これではあまりにも……あまりにも哀れではないか。キリトとユージーンの戦いは何だったというのだ?

 いいや、彼らの戦いを台無しにしたのはオレだ。たとえ、依頼であろうと何だろうと実行したのはオレだ。だから、彼らを辱めたのは……オレなのだ。

 長い石階段の先にあったのは、終わりつつある街の外縁にある朽ちた石造りの見張り塔の地下倉庫だ。探索され尽くしたと思われていた場所であるが、どうやら階段側から開けなければ出入口が解放されない仕組みのようだ。

 つまり、『潜水して地底湖を捜索し、なおかつ地下道を発見し、終わりつつある街の付近にある見張り塔までのルート情報』がなければ、オレの回収はできなかった。

 このままでは目立つ。エドガー謹製の教会服に着替える。とはいえ、これって襟が大きくて鎖骨が露わになるから冬には向かないんだよな。マフラーを巻こうにもデザインがそもそも防寒向けではないし、新たに仕立ててもらうか。

 

「エ、エロ……! 清廉無垢な教会デザインなのに……なに、この……この絶妙な……! しかも髪が解けてるせいで更に……!」

 

「…………」

 

「気にしないでください。彼女は不治の病にかかっているだけです」

 

「そのようですね」

 

 ブリッツの言葉通り、わざわざ気にしても無意味だ。

 エドガーもだが、オレを見るとたまに鼻血を出す連中がいるんだよな。DBOは仮想世界らしく感情のオーバー表現も多々あるのだが、鼻血が出るとかどんな感情だよ。

 フードを被って見張り塔で待っていれば、クラウドアースの軍用車が現れる。ここでブリッツ達とはお別れらしく、渋々であるが、エイミーと同席して終わりつつある街へと向かう。

 

「……騒がしいですね」

 

「そりゃそうよ。【渡り鳥】きゅんの大暴れと【聖剣の英雄】が見せたプレイヤーの域を超えた能力。どちらもこれからのDBOを大きく変えるわ」

 

 普段から眠らぬ街ではあるが、今日は特にそうなのだろうな。だが、何があろうともいずれは元通りの『日常』が戻ってくるだろう。

 

「ねぇ、質問してもいいかしら?」

 

 両腕で胸を抱えるようなポーズをして、無駄にバストアピールをするエイミーに、オレは好きにしてくれと残り火の反動で視力が落ちた目を擦りながら頷く。

 

「【渡り鳥】きゅんが聖剣を『破壊』したのは、【黒の剣士】の為じゃない?」

 

「……どうして、そう思うんですか?」

 

「私はこれでもそれなりの修羅場を『現実』でも潜ってきた。だからこそ断言できる。【渡り鳥】きゅんのメイス攻撃は明らかに聖剣の破壊を狙ったものだったわ。【黒の剣士】の腕を潰したのはあくまで副産物」

 

「…………」

 

「聖剣は凄まじいわ。それこそ『【黒の剣士】だけが戦えばいい』なんて無責任な弱者の期待が『英雄の使命』になっちゃうほどにね。【渡り鳥】きゅんはそれが嫌だったんじゃないかなーって思ったのよ」

 

「…………」

 

「だから『破壊』した。『聖剣なんてただの武器に過ぎない』って知らしめて、無責任で無能な弱者の幻想を打ち砕いた。これから先、【黒の剣士】が聖剣で今日と同じことができなくて、そのせいで誰かが死んでも、『救えなかった理由』を準備するために。友達なんでしょ? そんな呪いみたいな使命に縛りたくないわよね」

 

「…………」

 

「自分の力不足を棚上げして救えなかった責任を問う。愚かだわー。でも、それが『弱者』というものだわー。でも、【黒の剣士】は『聖剣を破壊された』。聖剣が再生するにしても『破壊された』という事実は残り続けるわー」

 

「……興味ありませんね」

 

「もう! 反応が分かりやす過ぎて可愛いわー! 暴虐の王なのにピュアピュアのツンデレなんて悶えるわー!」

 

 しまった! この閉所では抱きつき回避が……ヤツメ様なんで察知を怠ったんですか!?

 

(気持ち悪すぎて糸で絡めとりたくないわ)

 

 ご無体な!? いくら殺しが関わらないからって怠慢過ぎるのでは!?

 

「はふー! 頬もスベスベ! 髪もサラサラ! まだ消えていないほのかな血のニオイまで香水みたいに色気たっぷりになっちゃう汗! なにこれ、奇跡の産物過ぎるわー!」

 

 もういい。飽きたら解放するだろ。それよりも今は別件だ。

 オレはスリーパーのリストと攻撃ポイントを事前に通達されていた。そして、太陽の狩猟団やヴェニデによるジャミングや火災があったとしても、スリーパーたちの通信が著しく阻害されていたのは出来過ぎている。

 それにジャミングにしても散布するには白の都は広範囲であるから時間がかかるし、何よりも目立つ。そうなるとスリーパーたちがジャミングを察知できなかった理由が分からない。

 考えられる理由は1つ、『事前にラストサンクチュアリの各所の建造物に仕込まれていた』としか思えないのだ。それもスリーパーたちに勘付かれないように、壊滅作戦直前に仕込めるように全体指揮を『スリーパー以外に指示を出せる』人間でなければならない。

 次にオレの脱出路。オレが通った湖底からの地下道は出口が一方通行だった。つまり、白の都が建設されていた湖の調査が不可欠だ。そして、湖はラストサンクチュアリの根城でもある。大ギルドが調査するにしてもラストサンクチュアリを欺かねばならない。だが、そもそもとして、ラストサンクチュアリは自分たちの拠点を設置する環境に対して全くの調査をしていないという事などあり得るのだろうか?

 ……まぁ、慢性的な人手・技術・資金不足だったから否定もしきれないが、どうにも納得できるものではない。そうなると、ラストサンクチュアリ側は湖の地下道を把握した上でヴェニデに利用させた事になる。

 以上から『真の黒幕』、あるいは『不可欠な協力者』とも呼ぶべき存在が浮かび上がる。

 

 

 

 

 

 

 今回の『真・ラストサンクチュアリ壊滅作戦』にはラストサンクチュアリ上層部が関与している。

 

 

 

 

 

 

 しかもジャミング装置ともなれば、バレないためにも直近……それこそクラウドアースを迎え撃つ為の『ハリボテ』であったはずの防衛改修の指揮を執れていた人物でなければならない。未確定であるが、ラストサンクチュアリ上層部でまともに現場指揮を執っていたのは、それどころか各勢力との調整で奔走し、依頼主である太陽の狩猟団とも何ら疑われることなく複数回の『密会』の場を持てるのはただ1人……キバオウだけだろう。

 だが、それはとても残酷で……哀れなことだ。

 キリトは大ギルドの思惑に踊らされただけではなく、共に戦っていたキバオウに裏切られていたことになる。

 太陽の狩猟団から取引を持ち掛けられたのか、それともキバオウから結託を? いいや、もしかしたら邪推かもしれない。

 全ては予想の域を出ない。あれこれ考えたところで意味はない。裏側を知ったところで定まった結果を覆すことはできない。

 だが、1つだけ真実はある。1000人という弱者を守ろうと戦って血を流したのは、キリトとユージーンだ。彼らは自分たちの決着で、因縁も謀略も何もかも始末をつけようとしたかった。

 

「ああ、もう着いちゃったわね」

 

 軍用車のドアが開き、オレが招かれたのは小さな館だった。エイミーとはここでお別れらしく、彼女は涙目になってようやくオレを解放してくれた。

 館の内外はそれぞれ敢えて所属を明確にしないように統一されていないデザインの防具を身に着けたプレイヤーが警備していた。彼らはオレの姿を見た瞬間に顔を引き攣らせるが、特に何も言わずに館の奥へと案内する。

 広々とした談話室は暖炉の火が猛り、冬を迎えるに相応しい暖色で統一された調度品で揃えられていた。長テーブルには酒から菓子に至るまで、過剰とも呼べるほどの嗜好品が並べられている。

 談話室に先んじて到着していたのは黄金林檎の3人だ。グリムロックはシステムウインドウを開いて眉間に皺を寄せ、ヨルコさんは革張りのソファでだらしなく横になりながらワインを器用に煽っている。

 

「クゥリ君、お疲れ様」

 

 そして、ピンク色のレディーススーツに身を包んだグリセルダさんが労いの笑みでオレを迎えた。

 ここはセーフハウス……もとい『大ギルドで協議するから勝手な真似をするな』の監獄である。VOBの処遇からラストサンクチュアリ壊滅に関する調整まで、彼らはこれから即急に処理しなければならない課題が山盛りだ。そして、それ次第でオレ達の処遇も変わることになる。

 この館の警備対象とは黄金林檎……より正確に言えばオレ個人だ。彼らは全員が3大ギルドより派遣された暗部の人間であり、場合によってはオレの始末も命令に入っているはずである。

 

「すみません。色々と巻き込んでしまって……」

 

「別にいいわ。むしろ、独断実行するより前にちゃんと相談してくれただけ進歩していると褒めてあげたいくらいよ」

 

 うん、本心とここまで乖離した笑顔も珍しいな! グリセルダさん……いいや、鬼セルダさんの『にっこり』にはさすがのヤツメ様も回れ右ですよ。だけど逃がしません。さぁ、一緒に地獄を味わいましょう!

 鬼セルダさんはしばらくオレをジッと見つめた後に小さな嘆息と共に目を背けた。

 

「これでよかったのよ。貴方の実力をDBO中のプレイヤーは知った。これまでのように、貴方を狙う無謀な暗殺者は減るわ」

 

「そうでしょうか? 復讐とはどのような相手であれ、相討ちになってでも殺すという気概から生じるものだと思いますが」

 

「普通ならね。でも、貴方は……」

 

 グリセルダさんには『事実』として述べねばならない義務がある。黄金林檎を率いる者として……グリムロックとヨルコさんを守る立場として……ハッキリと言わねばならない責務がある。だからこそ、オレは彼女の発言を受け止めねばならない。

 だが、グリセルダさんは『優しい人』だ。この期に及んでも、言い切りたくないように唇を噛んでいる。だから、オレは微笑むことにした。

 怒らないし、憎まないし、悲しまない。だから、どうかそんな顔をしないでほしい。泣かないでほしい。苦しまないでほしい。オレは言われて当然のことをしたのだから。

 

「貴方は普通じゃない。『人間』の域を超えているわ」

 

「……ありがとうございます」

 

「どうしてお礼を言うのよ?」

 

「グリセルダさんが……ハッキリと言ってくれたから。だから、謝るよりも……お礼を言うべきかと思いまして……」

 

 突きつけられないといけない。もう戻ることはできない。隠れることもできない。これから先、どれだけの血を流すことになるとしても夜明けをもたらす為に狩りを全うしなければならない。

 だから決別が必要なのだ。『オレの幸せ』は『普通』と呼ばれる場所にはない。『人並みの幸せ』なんてものは『オレの幸せ』にはきっと存在しない。だからこそ、オレを『普通の人間』として扱おうとして、傭兵としてプロデュースとマネジメントをしてくれていたグリセルダさんに断言してもらわねばならない。そうしないと、グリセルダさんはいつまでもオレを『普通の人間』として扱おうとするはずだから。それはこれからの仕事には大きな障害となる。

 もう『普通の人間』らしさを求めた仕事の取り方をしないでもらいたい。どんな仕事だろうとこなしてやるさ。

 

「本当に……お馬鹿なんだから。救いようのない大馬鹿よ」

 

「ごめんなさい」

 

「コラ。謝るよりもお礼……でしょ? 気にしていないわ。今回の依頼は……やっぱり私たちにとっても不可欠な事だったのよ」

 

 オレ達とは違い、大ギルドとの調整にはグリセルダさんも出席しないといけないのだろう。彼女にはこれから不眠不休の大仕事が待っている。グリセルダさんは談話室から早々に退室した。

 今回の真・ラストサンクチュアリ壊滅作戦はオレが独断で受注したものだ。依頼主は太陽の狩猟団……もとい、陰謀大好き女のミュウだ。

 

『このままではクラウドアースの評判は落ち、聖剣騎士団の1人勝ちとなるでしょう。1000名の貧民プレイヤーの保護を盾に、【聖剣の英雄】は聖剣騎士団の専属となり、聖剣の権威はそのまま聖剣騎士団の強化に利用される。大ギルド間のバランスも大きく崩れ、戦争までのカウントダウンは大きく減ることになるでしょう。もちろん、太陽の狩猟団としても指を咥えて見ているわけにはいきません。クラウドアースの切り崩し、喜んで参加させてもらいましょう』

 

 謀略女が珍しく自分から『裏』をバラし始めた。その時点で詰んでいるのだ。オレは依頼を引き受ける以外の選択など残っていないのだ。

 

『ですが、太陽の狩猟団としては末長い「平和」を希望します。2強よりも天下三分……互いに牽制し合い、本気で殴り合わない関係というものこそが「平和」なのですよ。私は太陽の狩猟団が支配する天下を望んでいません。聖剣騎士団やクラウドアースは違うようですがね。彼らが求めるのは突き詰めれば自陣営による支配体制の確立です。我々が欲するのは現状維持からの緩やかな秩序の獲得です』

 

 ミュウが語ったのは理想を秘めた本心か、あるいは毒に塗れた嘘なのか。どちらであるとしても、オレ達にとっては何の価値もないことだ。本音であろうと建て前であろうと、ミュウが求めるのは全く別のことなのだ。

 

『故に太陽の狩猟団が欲するのは此度の「真の元凶」の排除です。【渡り鳥】さんには「聖剣の権威の失墜」をお願いしたいのです』

 

 UNKNOWN……キリトという『戦力』自体は何処までも『個人』であり、故に大ギルドからすれば確保するに越したことはないが、不可欠な存在ではない。代替可能な戦力の獲得はいずれの大ギルドも推し進めていることであり、それは確実な進歩と共に実っている。

 だからこそ、大ギルドが恐れるのは教会という宗教団体とは違い、制御が利かない個人が権威を持つことだ。

 いつだって支配者が危惧するのは革命だ。神灰教会という存在は3大ギルドによる支配体制を揺るがしかねなかった。もしも教会が3大ギルドの支配体制を否定して『神の名の下に』というお決まりの合言葉で扇動したならば、3大ギルドは権力を持ちながらも『支配者の頂点』という地位から失墜していたのだろう。なにせ、どんな組織でも個人の集団なのだ。個人の心に……魂に深く根を張る宗教にはそれだけの恐ろしさがある。現実の歴史でもどれだけの国が宗教によって崩壊したか、数えられたものではないのだ。

 だが、教会は支配を求めなかった。3大ギルドを支配と秩序の担い手として信任する立場を示した。これだけでも恐ろしいことだ。教会の信任がなければ、3大ギルドはあっさりと支配者の地位から転げ落ちかねないという事なのだから。これこそがギルド間戦争の抑止力にもなり、代理戦争という名の『平和』を維持している理由でもあるのだがな。

 

『UNKNOWNさんとユージーンさんの対決を「無意味」にし、ラストサンクチュアリ壊滅を目論む聖剣騎士団のスリーパーを排除し、白の都を完全破壊する。聖剣騎士団のシナリオは【聖剣の英雄】との共同作業によるスリーパーの排除という自作自演でしょうが、我々が欲するのは「聖剣などユニークウェポンの1つに過ぎない」と全プレイヤーに知らしめることです』

 

 たとえ聖剣を持っていてもラストサンクチュアリを守ることもできない。ミュウが欲したのは『【聖剣の英雄】の完全敗北』だ。ユージーンに敗れるのではダメなのだ。それでは『担い手の問題』になりかねない。

 最強プレイヤー候補であるユージーンを破ったキリトが陰謀によって右往左往した挙句に守るはずだったラストサンクチュアリを壊滅させられる。1000名のプレイヤーの保護を実行したのは大ギルドであり、たとえ聖剣を持っていても『個人』に過ぎないと知らしめることこそがミュウの計画だったのだろう。

 

『【渡り鳥】さんが引き受けないならば結構です。口止め料はお支払いしますので、事が起きるまで遠方で待機を改めて依頼させていただきます。ですが、此度の依頼を引き受ければ、ギルド間戦争を引き延ばし、1000名にも及ぶ貧民プレイヤーの保護を聖剣騎士団に利用されない形で行い、なおかつUNKNOWNさんを「聖剣」という重荷から解放できることになります。如何ですか?』

 

 代償として支払うのは、あらゆる陰謀を霞ませるほどの過激なパフォーマンス。『いつも通り』の血と死と破壊に塗れた戦場を生み出すことだ。

 引き受けなければ、ミュウには『プランB』があるだろう。それは『プランA』よりも犠牲を求めるものなのかもしれない。ミュウは少なくとも1000名の保護を前提とした『プランA』を提示した。

 

 

 

 

『報酬が妥当ならば、傭兵として依頼を引き受けるだけです』

 

 

 

 

 それがオレの回答だった。これを聞いたグリセルダさんの開口1番は『貴方は本当に交渉の才能ゼロよね』という乾いた笑い声だった。

 ……まぁ、だからオレは1000名の貧民プレイヤーが保護されるまでラストサンクチュアリ本部を破壊するわけにもいかなかった。だから、キリトが上手く立ちはだかるようにタイムスケジュールを計算したんだがな。ミュウからもなるべく派手に暴れて大ギルドへのヘイトが集まらないように演出することを要求されていたしな。

 オレは依頼を果たしただけだ。『なるべく派手に暴れて、スリーパーを皆殺しにして、ラストサンクチュアリを壊滅する』という与えられた作戦目標を完遂した。付随していた『聖剣の権威失墜』に関しては知らん。アイツが心意のオンパレードなんかやらかしたせいで、むしろDBO中が聖剣万歳になっていようとも依頼の範囲外だ。その辺りの調整は自信満々だったミュウさんが何とかしてくれるでしょう。

 ……だが、癪ではあるが、ミュウが言わんとすることも少しだけ理解ができた。

 聖剣を覚醒させたキリトは確かに素晴らしかった。だが、致命的な欠点もあった。

 人々が求めるのは『英雄の勝利』であらねばならない。『バケモノの討伐』は『勝利の結果』であらねばならない。『バケモノの死』を欲する呪詛で満たされた、まるで洗練されていない粗悪な殺意が聖剣の過半を占めたが故に、ヤツメ様の導きの糸で絡めとるのは容易だった。

 もしも『英雄の勝利』だけで月光が満たされていたならば……考えても意味のないことだ。キリトは『まだ』たどり着けなかった。それだけのことだ。

 そもそもとして、キリトからすれば月光の聖剣なんて要らなかったのかもしれない。月光は確かにキリトの心意を助けたかもしれない。だが、それは無責任な祈りと呪いを束ねるものでもあった。

 だから、ミュウの意図とは別にして……壊さねばならなかったんだ。『聖剣なんてただの武器に過ぎない』のだから。大切なのは聖剣そのものではなく、使い手の信念、理想、矜持、願望……人が『人』である所以たる『人の意思』なのだから。

 オマエが『オマエ』として歩むならば、そこに【聖剣の英雄】なんて呪われた称号は不要だ。オマエが『オマエ』たる証は【黒の剣士】という在り方なのだから。いつだって格好ばかりつけて、我武者羅で、たくさんの失敗を繰り返しながらも突き進む姿なのだから。

 

「ふ、ふふふ、フハハハハハ!」

 

 と、そこで何やら発狂ボイスを響かせたのはグリムロックだった。血走った目でガッツポーズをして立ち上がったかと思えば、首を360度1回転させる勢いで背中を反らしながらオレを凝視する。うん、ホラー映画か何かかな?

 

「確かに予想外だった。心意! あれ程とは舐めていたよ! 能力獲得は心意の1つの側面に過ぎなかったとはね! だが、クゥリ君が見せてくれた本気と私の作品が合わされば心意も敵ではなかった! フハハハハ! まさか【旭光ノ妖刀】まで解放するとは予想外だったがね!」

 

 足がガタガタとまるで酩酊した千鳥足のようだ。グリムロック、精一杯の強がりのようである。まぁ、オレも心意の相手はもうやりたくないって思いました。後継者が心意大嫌いになるのも分かるくらいに相手をするのは面倒臭い。対心意の経験が足りずにヤツメ様も最初は上手く導きの糸で捕まえられなかったしな。

 

「その件ですけど、さすがに負荷が大き過ぎたみたいで……」

 

 贄姫を抜いて改めて刀身をグリムロックに見せれば、澄んでいた刀身は濁り、何処か脆さを感じさせる。グリムロックは顎を撫でると贄姫を預かり、≪鍛冶≫で改めて贄姫の状態を確認した。

 

「……全能力にロックがかかっているね。やはり【旭光ノ妖刀】を1度発動するとちゃんとした工房設備での修理が不可欠みたいだ」

 

 グリムロックの顔は険しい。まぁ、ソウル能力の同時使用は贄姫の許容限界を超える荒業だ。ましてや、ランスロットとミディールのソウルの影響を色濃く反映させるのである。『深淵の騎士』と『闇喰らい』……相性は考えるまでもなく最悪だ。

 

「あとでパラサイト・イヴの状態も見ておこう。むしろ、そちらの方が問題は大きいかもしれない。贄姫自体は修復可能な範疇だ。むしろ、贄姫がこの状態ならば、一体化していたパラサイト・イヴの方に問題が生じているかもしれない。なにせ、【旭光ノ妖刀】の発動によって血刃ゲージが超回復する。これはパラサイト・イヴ本来の血刃ゲージの回復能力を暴走……臨界状態に入るわけだからね」

 

 まぁ、だからこそあれだけ派手な攻撃を繰り返すことができるんだがな。そうでもなければ早々にガス欠だ。

 

「血刃ゲージは自動回復を除けば、パラサイト・イヴが関与した攻撃によって回復できる。【旭光ノ妖刀】でも敵を攻撃することによる血刃ゲージの回復はできるけど、自動回復量が常軌を逸した速度で上昇したログがある」

 

「…………」

 

「クゥリ君自身のバトルログも提出してくれ。詳しく分析しておくよ。それと今後は安易な発動は絶対に控えてくれ。使う時は他の手段がない時だけに限定しよう。パラサイト・イヴはその性質上クゥリ君の心臓と同化している。贄姫はともかく、パラサイト・イヴ側の問題が生じたならば、最悪の場合は自爆もあり得るからね。ユージーン君の二の舞は嫌だろう?」

 

「分かった。あとでパラサイト・イヴのチェックも頼む」

 

「了解だよ。いやー! しかし、まだまだ改善点はたくさんあるね! 今回のVOBの技術供与で巨人の種火も入手できた! ヘンリクセンも珍しく上機嫌だったよ」

 

「……確か共同開発だったな」

 

「とはいえ、私たちではどうしても資本と人員が足りないから実現不可能だったけどね。こればかりは個人の技術屋の限界という奴かな?」

 

 ヘンリクセンと共同開発……か。あちらの了承を取り付けたのは、しばらくは大ギルドが独占するだろう、装備を+9まで強化できる巨人の種火をいち早く入手する為か。そうだとするならば、今回の真・ラストサンクチュアリ壊滅作戦の裏ではあの男も……いや、止そう。考えてもしょうがないことだ。

 それにヴェニデの協力の真意も分からない。クラウドアースがダメージを負う作戦にどうして参加したんだ? 情報を入手したならば、むしろクラウドアースを利するように立ち回るはずだ。だが、結果的に見れば、ヴェニデは作戦の成功に協力しただけであり、目的がまるで分からない。

 

「これから大ギルドでも技術革新が始まる! ワクワクするじゃないか! 互いに切磋琢磨してこその進歩だよ!」

 

「…………」

 

「ああ、こうしてはいられない! 少し席を外すよ! 今は1分1秒が惜しいというのに閉じ込められているなんて! せめて……せめて市販流通素材リストだけでも取り寄せしないと!」

 

 相変わらず装備が関わると熱っぽくなるな。まぁ、そこがグリムロックの良い点なんだけどな。

 談話室に残るのはヨルコさんだけであるが、相変わらずの酔いどれなので相手にするのも無駄だろう。

 あとは時間を潰すだけだ。3大ギルドがどんな結論を出すかは分からないがな。

 敵に回るならば全員殺す。3大ギルドの全てを殺し尽くす。それだけだ。だが、黄金林檎の皆には『死んでほしくない』。だから、ミュウのプランから外れることなく、オレに関してはしばらく干すという方針になってもらいたい。

 ああ、わかってるよ。『嘘』だ。黄金林檎の皆が死んでも……きっと何も感じない。

 どんどん『痛み』が消えていく。体の痛みはどんどん大きくなるのに、心は……『痛み』を感じてくれなくなっている。『痛み』がなくなる程に、人間性に頓着しなくなっていく。

 前ならば、もっと躊躇ったはずだ。わざわざ人間性を捧げずとも月光の聖剣を破る方法はあったはずだ。最低限の消耗で済まそうとしたはずだ。

 もしも『痛み』が完全に消えたならば、『獣』として『夜』に残り続けるのだろうか。夜明けをもたらすこともなく、ただひたすらに喰らい続けるのだろうか。

 どうでもいい。残り火やらなんやらの反動がキツいのだ。珈琲でも飲んで落ち着こう。いや、味なんて感じないから無意味なのだろうが、何かを口に入れておきたい。それだけでも飢餓を紛らわすのに役立つ。

 

「ねぇ、アンタ……死にたかったの?」

 

 ソファで寝そべっていたヨルコは、オレの方を見ることもなく、気怠い様子で呟いた。

 

「【黒の剣士】に殺してほしかったの?」

 

「さぁ、どうでしょうね」

 

「はぐらかすな」

 

「……分かりません」

 

 今まで喰らってきた全ての為にも殺されるつもりはない。だが、全力を尽くしても足りずに殺されるのは命の摂理だ。強きは生き、弱きは死ぬ。それだけである。

 キリトは届かなかった。心意と聖剣を合わせても、オレの首を落とすことはできなかった。アイツがたとえ殺すことになるとしてもオレに勝とうとする機会は……もう2度とないかもしれない。あるいは、アイツにとって大切な人を全て殺せば……いいや、1人だけ残してやれば『守る』為に本気で挑んでくるかもしれない。

 キリトとの殺し合いは楽しかった。いつまでも『夜』が続けばいいと思うほどに……楽しかった。キリトを殺して、殺して、殺し尽くして……『命』を貪りたかった。

 忘れてはならない。狩りの全うの途上でキリトを殺すことになったとしても、為すべきことを為さなばならない。夜明けをもたらさねばならない。

 だから、これで良かったのだ。キリトと殺し合えたのは夜に見た夢に過ぎず、故に目覚めの朝を目指す。

 夜明けの光を迎える時、オレはそこにいない。狩りの全う……最後に狩らねばならない者くらい……ちゃんと分かっている。

 

「私たちは後悔していない。グリセルダさんだって、アンタが独断せずとも、今回の依頼は引き受けていたって言ってたわ」

 

「…………」

 

「アンタが依頼を引き受けなかったら、もっと酷いことになっていたかもしれなかった。アンタは……アンタの戦いは……きっと、結末は変わらなくても、『何か』を変えたはずよ」

 

「『何か』を変えたとするならば、『オレの戦い』ではありません。『キリトの戦い』ですよ。オレは……オレは……ただの……」

 

 オレがやったのは必要以上に暴れただけだ。それも獣性を制御しきれずに殺し合いにのめり込んでしまった。

 ヨルコが静かに退出する足音だけが残響のように談話室に染み込んでいく。

 長テーブルを飾る砂糖と蜜をたっぷり使われた菓子。気高い香りを浸しているだろう果実酒。だが、そのいずれにも魅力を感じない。何を口にしたとしても味わうことはない。

 空腹を満たすための作業だ。活動を続けるためのエネルギー補給だ。パラメータとして設定されているから食すだけだ。

 だが、どれだけ食べたところで、本当に食べたいものは得られない。飢餓が欲するのは豊潤な『命』だ。気を抜いた瞬間に頭の中身も……魂さえも血の色だけで塗り潰されそうになる。

 大丈夫。大丈夫。大丈夫。オレは……大丈夫だ。

 再び談話室の戸が開く。ヨルコが酒を取りに戻ったのか。まぁ、オレと2人だけの空間で晩酌など嫌だろうからな。

 

「お客様、お菓子がお気に召さないならお夜食でも作りましょうか?」

 

「…………」

 

「それともお休みになられるならば、寝室までご案内いたしますが?」

 

「…………」

 

 ……うーん、なんだろうか? この! とても! 怒気を! 感じる! 背後のオーラは!?

 ふと、オレは手に持っている珈琲カップの素晴らしい意匠に気づく。まさしく匠の力作! プレイヤーメイドだろうか? ギルドのシンボルが刻まれてるぞぉ? おやぁ? 上品な珈琲カップに似合わない爆弾を模したシンボルだぁ! うわぁい! これ、ヴェニデのシンボルだぁ!

 そういえば、ヴェニデでメイド業に勤しむ人物に1人だけ心当たりがあるぞぉ。あ、思えば、この屋敷自体にこのシンボルがたくさんあるなぁ! そっかぁ! ここってヴェニデの屋敷だったんだぁ!

 

「なんかさ、いつも、いつも、いつも……こんなのばかりだよね」

 

「…………」

 

「ボクは何も知らないで、クーは戦っていて、帰ってきたキミを何も知らないまま迎えるんだ」

 

「…………」

 

「そんなのばっかりで……本当に……自分が嫌になる」

 

「オマエは……何も……悪くない。関係ないだけだ」

 

 黄金林檎はオレの傭兵業に深く関与する立場だから依頼を受理した後も調整を取っただけのことだ。彼らが協力的だったのはかなり予想外だったがな。

 だが、オマエは何も関係ない。オレに関われば関わるほどに、きっと……きっと……深く『夜』に囚われてしまうんだ。

 いつかは黄金林檎とも別れねばならない。だが、グリムロックの武器、ヨルコさんの薬品、グリセルダさんの交渉術は狩りを全うする上で役に立つとしても、何処かで区切りをつけなければならない時が来る。彼らもきっと言葉にせずともいつかは別れの時が来ると理解している。まぁ、最近のグリムロックは……いや、どうでもいいか。

 

「関係ない……か」

 

「そうだ」

 

 だから、傷つけるとしてもハッキリ言っておきたい。オレの為すべきことに、オマエはまるで無関係なのだ。

 狩りを全うした先にオマエがいるのは夜明けの光。それだけでいい。

 

「でも、ボクにとってはいつだって『関係ある』よ」

 

 後ろから抱きつかれて温もりが伝わる。

 止めてくれ。優しくしないでくれ。

 慰めも労いも要らない。いつものように罵倒と呪詛と恐怖だけがあればいい。

 

「言ったでしょ? キミが死んだら、ボクは泣くよ。大泣きするよ」

 

「…………」

 

「キミの為に泣くんだ。それだけでもう無関係じゃない」

 

 そうなのだろうか? オレは振り返ろうとして、だが彼女の顔をまともに見れない気がして、それでも向き合うことを決める。

 振り返れば、仕事着であるメイド服姿のユウキが『にっこり』で迎えてくれた。うん! 声はすごく優しかったけどさ! 怒りのオーラはやっぱり嘘を吐かないよね!

 

「やっと振り向いてくれた」

 

 頬を膨らませたユウキに、オレは即座に視線を逸らすも、器用に入り込まれる。

 

「どうやってこの場が分かった?」

 

「職場のコネ」

 

 ……コンマ1秒の躊躇いもなかったな。何なの? もしかして、オレの居場所って大ギルド……というか、ヴェニデでもシークレット扱いじゃないの? 割と雑に情報管理されてるの? それとも『ユウキさーん、ゲストがいるからお仕事頑張ってー』みたいなノリで送り出されてるの?

 

「ちなみにお外をご覧ください。スプラッター映画も真っ青な殺戮を生中継してしまった【渡り鳥】さんの写真に飢えた報道ハイエナ様たちに360度包囲されています」

 

「……本当だな。まったく気づかなかった」

 

 え? 何なの!? これも大ギルドの策略なの? 本当に意味不明なんですけど?

 

「あ、窓際に立たないでね。カメラに狙われるから。窓全てが撮影不可だけどさ、≪撮影≫スキルの熟練度が高いと盗撮用の高性能カメラが使えるから」

 

 スナイパーではなくカメラマンの心配ですか。そうですか。何かが狂ってやがる。

 

「……詳しいな」

 

「メイドですから」

 

 あれ? ユウキさんの目から一瞬だけぐ~るぐるになったような……いや、気のせいか。ヤツメ様も全力で見て見ぬふりをしているし、きっと勘違いだろう。

 もう嫌だ。そもそも謀略本気組相手に頭脳戦とかオレには無理なのだ! 頭脳労働担当はグリセルダさんなので全力で頑張ってください!

 

「世間は大騒ぎだよ。クーもしばらくはお仕事が入らないだろうし、ゆっくり休めそうだよね」

 

「どうだろうな。敏腕マネージャーがいるからな。新しい仕事をすぐにでももぎ取ってくるかもしれない」

 

 もしかしたら、明日には新しい仕事が入っているかもしれない。ここがヴェニデの屋敷ならば脱出用の地下道の1つや2つはあるだろうし、問題なく外に出られるだろうしな。

 

「……【黒の剣士】は強かった?」

 

「ああ、あそこまで喰らい付いてくるとはな。予想外だった」

 

 ユウキも腹が減ってるだろう。皿に焼き菓子を盛って差し出す。

 

「そっか。クーから見ても、やっぱり強かったんだ」

 

 焼き菓子を摘み取ったユウキは嬉しそうに頬を綻ばせる。それは菓子の甘みにか、それとも愛しの人を褒められてか。どちらにしても、小さな疼きを胸に感じた。

 

「……少し休む」

 

「でしたらお客様、お部屋を準備しましょうか?」

 

「いや、ソファでいい」

 

「えー」

 

「ソファでいい」

 

「……クーらしいなぁ」

 

 ソファはヨルコの残り香のように酒臭いな。実際に酒を零した痕跡もあるが気にしない。

 腰を下ろせば、ユウキも隣に座る。ポンポンと膝を叩く様に、絶対にするもんかと顔を背ける。

 2人で並んで暖炉で燃える火を見つめる。何の理由もなく、夜が明けるのを待つように、いつかは必ず消えることになる火を見つめ続ける。

 

「……あの氷の剣って≪絶影剣≫を参考にしたの?」

 

「開発自体はな。だが、使い方は……別だ」

 

 絵画世界出身であり、氷と冷気の魔法に長けたサリヴァーンのソウルだったからこそ可能だった氷雪剣だ。彼は郷愁と一緒に捨て去ったが、それでもソウルには色濃く反映されている。また、飛来する剣はトリスタンの剣技の影響だ。結果的にユウキの≪絶影剣≫の再現にグリムロックは迫ったのだが、運用についてはランスロットを参考にさせてもらっている。

 左手のモーションに対応した固定パターン操作だが、パターン数が桁違いに多く、キリト相手でも早々に見切られることはない。また、義眼と併用することによって白夜の魔獣形態におけるワイヤーブレードと同じく、レギオンプログラムによる先読み操作も可能となるが、こちらはまだ不安要素が多い。本領発揮はデーモン化状態における思考操作である。

 ランスロットの黒剣の完全再現は8本までしか展開できない性能からも不可能であるが、黒剣を用いた戦闘技術の数々は『血』が喰らっている。我流化させてもらっているが、キリトにも通じたのは大きな情報だった。

 

「落ち着いたらさ、食事に行こうよ。クーでも楽しめるかもしれない店を調べたんだ」

 

「……どうだろうな。もう入店お断りかもしれない」

 

「逆じゃないかな? 殺されたくないってVIP対応かも」

 

 実際にはどうなるかはわからない。だけど、ユウキは茶化すように笑って気楽にしてくれる。

 その笑顔を壊したい。殺して喰らい尽くす前に、涙と悲鳴と恐怖で塗り潰したい。

 ほのかに香るのは甘い血の香りだ。襟に隠されたのは痛々しい包帯であり、彼女が深手を負った証でもある。

 何があったのかは聞かない。オレがユウキに何も語らないように、彼女もまた明かせないこともあるだろう。秘密とは線引きであり、好奇心で踏み入るならば相応の報いを受けねばならない。

 オレは誰かの秘密に興味はない。秘密を暴くのはそれが必要不可欠である時だけでいい。好奇心で触れてもろくでもないことにしかならない。

 好奇のままに科学を発展させた挙句に破滅の未来を生み出すならば、秘密に浸された停滞というのもそれはそれで悪くないものなのだろう。

 だが、禁忌を犯してでも進歩を求めるのもまた『人』であるというならば、それは……とても業深いものである。

 

「変な感じだね。世間はクーや【黒の剣士】で大騒ぎなのに、ここは……とても……静かだよ」

 

「窓を開ければ記者の皆様の大合唱が聞こえてくるぞ」

 

「ムードがないなぁ」

 

「オレだからな」

 

「それもそっか」

 

 妙な納得をしやがって。だが、確かに静かで心地いい。

 瞼を閉じれば、何処か懐かしさを覚える風景が脳の奥底から湧き上がる。

 

 

 

 苔生した朽ちた社。朱色を失った鳥居。蜘蛛の巣が張られた灯篭。夜の闇にも似た木々に覆われた暗がりに差し込むのは微かな木漏れ日。

 

 

 

 それが何なのか、オレには分からない。あるいは灼ける前のオレだったならば、理解できたのか?

 

 それは切なさにも似た郷愁であり、故に喪失は確かな苦しみを伴い、僅かな困惑を生んだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「素晴らしい。想像以上だ」

 

 これで3回目となる【黒の剣士】対【渡り鳥】の熾烈な激闘の録画の視聴に、ブリッツの主は最大の感服を示した。

 

「【黒の剣士】、想像以上でした。心意……あれ程とは」

 

「VR・AR技術は軍事、経済、文化に至るまで根深く浸透するでしょう。心意がVR・ARに干渉して制御を奪い取る能力であるならば、極めて脅威となることは間違いないかと」

 

 スカーフェイスは心意に感服し、ブリッツは危険性を端的に説く。

 心意とは仮想世界に干渉する能力であるが、ヴェニデの視点は全く異なる。

 現在進行形で恐るべき速度でVR・AR技術は拡散している。心意があらゆる対策を無視してVR・AR技術が導入された全てに干渉できるのであるならば、ハッキング・クラッキングは自由自在だ。

 

「対策はある。逆に言えば、VR・AR技術が伴わなければ無力という事だ。この世から仮想世界という存在そのものを抹消すればいい」

 

「セサル様らしい大胆な発想です」

 

「言うは易しだ。最先端技術とは最先端軍事でもある。VR・AR技術の導入が遅れた旧来の兵器はソフト面のみならず、多くにおいて後れを取るだろう。それに心意が何処まで干渉できるのかも、発動条件についても未知数だ。憶測ではいくらでも脅威を高められる」

 

 少し興奮し過ぎた。そう告げたセサルは嬉しそうに笑いながらブリッツにお茶を要求する。彼女は恭しく紅茶を注げば、芳醇な香りが包み込む。

 

「【黒の剣士】が見せた可能性もそうだが、私が何よりも驚嘆したのは【渡り鳥】君だ。あれでもまだ発展途上だろう。ククク、あるいは無限に成長し続けるのかもしれないな。死ぬ時まで高められる戦闘能力……まさしく私が探し求めていた存在だ」

 

 セサルの執務室にいるのは4人。セサル本人、側近であるブリッツとセサル直属の暗部を率いるスカーフェイス、そしてベクターだ。

 

「ベクター、私がどうして此度の件を君にリークしなかったのか、理由はわかるかな?」

 

「私の実力不足を咎める為……でしょうか?」

 

「まさか。誰にでも失敗はあるし、完璧など存在しない。どれだけ対策を積んでも致命に至る穴は生じるものだ。重要なのは何処までリカバリーできるかだ」

 

「……お、仰られる通りです」

 

「クラウドアースはヴェニデの思想から大きく乖離した存在。それ故に設立した。理解しているな?」

 

「もちろんです」

 

「世界とは理不尽なものだ。自分にとって都合のいい存在だけで固めれば、極めて脆弱な存在となる。不測の事態に対処できなくなる。それ故にクラウドアースはヴェニデにとって有益な存在だ。キミたちはヴェニデにはない様々な発想で今日に至るまで組織を拡充してきた。我々が軍事面の拡張を支援したとはいえ、よくぞここまで育て上げた」

 

「で、では、私の何が至らなかったのでしょうか?」

 

「何が? 全てだ。君たちはこの局面において政争による内紛という最も愚かしい選択をした。敵対勢力の分断は基本中の基本。だが、君たちはクラウドアースという小さな世界における権力闘争に没頭した。実にくだらない」

 

 セサル様も酷な事を仰られるものだ。板についたメイド服に一切の隙もないブリッツは、これが3大ギルドでも最大の資本力を持つクラウドアースのトップの姿か、と項垂れて脂汗塗れのまま直立不動のベクターを哀れむ。

 ベクターはよくやった方だ。クラウドアースというギルド連合の特性上、合議によって方針を決定しなければならない。最大派閥を率いて議長の座を有するベクターは、これまであらゆる手段を用いて政敵を排除し、時に懐柔して引き込むという優れた政治手腕を発揮した。

 だが、政治家は『王』ではない。故に味方であるはずの存在に常に敵を抱えねばならない。味方という名の政敵こそが不可欠だ。

 

「此度の件はすでに太陽の狩猟団と協議済みだ。クラウドアースのダメージは最小限に抑えられるようにな。あちらもギルド間戦争は時期尚早だろう。聖剣騎士団の1人勝ちを防ぐためには、クラウドアースの弱体化は喜ばしくない。打てる手は打ったが、大負けだな。ここから損を取り戻すのは君の仕事だ」

 

「かしこまりました」

 

「しかし、ミュウ副団長……実に優秀だ。あれ程の女傑に不動の忠誠を誓われる男、サンライス。侮れんな。いつの時代も『天才に慕われる才能』ほどに厄介なものはない。君にはない才能だな、ベクター」

 

 辛辣だ。プライドの高いベクターを正面からここまで貶すことが出来るのはDBOでもセサルだけだろう。

 

「私もクラウドアースを統べるつもりはない。これまで通りに『評議会』に任せる。だが、ヴェニデの害になるならば、相応の対処が不可欠になるだろう。肝に銘じたまえ」

 

 セサルがあくまで全権を託すのはクラウドアースの評議会だ。ベクターは議長として評議会の信任を受けたトップである。故にセサルが言わんとすることをベクターは重々承知したはずである。セサルは決してベクターを贔屓にしているわけではないのである。

 

「……申し訳ありませんでした」

 

 退出するベクターに、セサルは何処か楽しそうな視線を投げる。主の悪い癖がまた出てしまったとブリッツは嘆息した。

 

「ヴェニデが情報を掴んだ段階だったならば、ベクターにも幾らかの手は打てたでしょう。傷口を広げたのはセサル様なのでは?」

 

「優秀な男ではあるが、実力以上のプライドの高さを克服せねばそれまでだ。あらゆる手段を講じているように見えて、その実は自分にとって都合のいい手札しか集めない癖がある。此度の件は良い薬になっただろう」

 

「……反感を強めるだけなのでは?」

 

「銃口を向けるならば相手になろう。むしろそうでなくては面白くない。口うるさい老人を黙らせるのは今を生きる若人の役目だ」

 

「内側で争うなと申し上げた傍から矛盾していますね」

 

「ブリッツよ、セサル様は何1つとして矛盾されていない。クラウドアースは元より我らの仲間ではない。我らヴェニデにとって仲間の判断基準は、セサル様の思想……『暴虐の王』にこそある」

 

 スカーフェイスに窘められ、それもそうだとブリッツは首肯する。少しばかりクラウドアースで仕事をし過ぎた。要らぬ情が混ざっていたのかもしれない。

 

「異なる目的を掲げる者たちが同一の組織に属せば、敵は必ずその軋轢を突いてくる。故に必要不可欠なのは共有されるべき理念だ。理念さえ共有していれば、反発し合うことはあっても、敵ではなく切磋琢磨できる仲間となるのだからな」

 

「その辺りにしておきたまえ。ブリッツも重々承知のはずだ」

 

 セサルは温和な声音でスカーフェイスに沈黙を求め、跪くブリッツに手を差し出す。

 

「私にはもう時間がない。ブリッツ、お前を戦場で拾ったのが昨日ではないかと思うほどに、私の眠りは日に日に深くなっている」

 

「……セサル様」

 

「無理をさせたな。【渡り鳥】君が死闘を演じるならば【黒の剣士】以外にないと確信していた。友だからこそ、彼は牙を剥き出しにするはずだとね」

 

「セサル様の見立て通り、彼こそがセサル様の思想を継ぐ者……後継たる暴虐の王の器です」

 

 クラウドアースにリークしなかった理由は幾つかあるが、いずれも建前に過ぎない。ヴェニデにとって太陽の狩猟団に協力した【渡り鳥】を【黒の剣士】にぶつけることこそが有益だったのだ。彼らが繰り広げる死闘そのものを欲した。ブリッツはセサルの願望こそヴェニデの総意であるとして従ったまでである。

 

「ああ、そうだな。だが、彼はヴェニデという組織そのものは継がないかもしれない。ククク、それも良かろう。意図して支配するのではなく、生態系の頂点に立つかの如く君臨する。それこそが暴虐の王のあるべき姿だ」

 

 ヴェニデが此度の件に関与した理由はたった1つだけだ。『【渡り鳥】の本気を見たかった』。それ以外など取るに足らないものだ。

 

「彼を見ていると思い出す。決着をつけられなかったあの男を……【黒い鳥】を……」

 

「……きっとセサル様が勝っていました」

 

 セサルはまるで孫でも可愛がるようにブリッツの頭を撫で、そのまま眠りに落ちた。

 あまりにも静か過ぎる寝息にスカーフェイスは身を乗り出したが、ブリッツがまだ生きていると視線で伝えれば胸を撫で下ろす。

 

「ご子息には何と伝える?」

 

「『変わりない』と」

 

「……それで良いのか?」

 

「子をまともに愛するには……セサル様は老い過ぎました。もはや交わすべき言葉などないのでしょう」

 

「老いたからこそ、伝えられる想いというものもあるのだろうがな」

 

「ヴェニデらしからぬ会話ですね」

 

「無情の輩が暴虐の王を頂こうなどとは思わぬさ」

 

 それもそうだ。ブリッツはブランケットを手に取るとセサルにそっとかける。

 セサルが求めるのは後継たる暴虐の王であり、欲するのは夢の続き……【黒い鳥】との決着なのだろう。

 仮想世界で人は夢を見る。現実ではありえないことを実現できる仮想世界においても、人は夢を見るのだ。まるで決して叶わぬ願望を秘めているかのように。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 シナリオ通りとはいかなかった。ミュウは眼鏡を外して眉間を揉みながら、これから出席する教会立ち合いの下で行われる3大ギルドの協議資料の最終確認を行う。

 場所は大聖堂という事もあり、協議が行われるまでは控え室で待機となるが、宗教色の強い空間はミュウには居心地が悪かった。

 宗教が嫌いなのではない。宗教という存在の意義は理解できるにしても、神を信仰する人の在り方を理解できないのである。

 神に祈って何になる? いつだって世界を変えるのは神ではなく人間だ。信仰など道具に過ぎず、人の意思こそが進歩と変革をもたらすのである。

 

(いけませんね。神灰教会とは今後も良き関係を築かねばなりません。私心を挟むべきではありません)

 

 やるべきことは山ほどある。多忙の12月になるのは間違いない。ミュウは現在の状況と手札を確認していく。

 各種情報操作はもちろん、メディアを利用した印象操作の準備は万全だ。240時間以上の緻密な報道スケジュールも組んでいる。各報道ギルドに【渡り鳥】が匿われた館はリークさせており、3大ギルドの厳重な警備体制も撮影させてある。これによって『【渡り鳥】は3大ギルドの管理下にある』とアピールすることができる。

 

(聖剣、心意、【渡り鳥】さんの本気……いずれも想定以上でしたが、プランの大筋に変化はありませんね)

 

 UNKNOWNの正体が【黒の剣士】キリトだったのはどうでもいい。100パーセントと断言できる程度には確定情報だった。問題は彼がこれ以上となく劇的に素顔を晒し、心意という未知なる能力をユージーン戦も含めて人々に知らしめ、聖剣の覚醒も伴ってプレイヤーの域を超えた……まさしく『英雄』の具現となった事である。

 だが、英雄の象徴だった聖剣もまた破壊された。全てを焼き尽くす暴力……【渡り鳥】によって打ち砕かれた。それも何の変哲もない鉄槌によってだ。

 

(聖剣が再生可能であるか否かは重要ではありません。鍵となるのは『破壊された』という点です。耐久度が明確に設定されている武器であるということですね。加えて聖剣は破壊されたことによって不可侵性が失われました。『英雄の象徴』であり、『英雄の武器』ではあっても『万能なる剣』ではない。【聖剣の英雄】は完全無欠の救世主ではないと、人々の見た夢に過ぎないと、【渡り鳥】さんによって否定された)

 

 これによって危惧していた【聖剣の英雄】という権威による個人を発端にした革命のうねりは回避できるだろう。大ギルド内でも【聖剣の英雄】を信奉する輩は増えていた。だが、今回の戦いのお陰で夢は醒め、新たな幻想が生み出された。

 

(偶像……まさに『アイドル』ですか。【黒の剣士】というネームバリューもありますし、人々に夢を与えてもらうとしましょうか)

 

 敢えて【黒の剣士】に『自由な不自由』を与えるまでだ。人々は大ギルドの管理・支配へのヘイトを募らせるとしても、相反する存在……自由の象徴として【黒の剣士】に無責任な期待を寄せるだろう。彼が完全攻略に挑み、また3大ギルドとは異なる道を選べば選ぶほどに、大ギルドからすれば丁度いいガス抜きになる。

 その為に準備した自由開拓戦線だ。レコン……実に上手に踊ってくれる道化だったとミュウは拍手を送りたかった。彼があれこれ行う裏工作を利用するだけでいいのだ。これ程に楽なことはない。望んだとおりの形に自由開拓戦線は出来上がった。ミュウが教会との調整も先んじて済ましていたからこそ、自由開拓戦はあれ程までにスムーズに設立できたのである。

 反大ギルドを掲げる程ではないが、不満を持つ者たちの拠り所。これ程までに【黒の剣士】が適したポジションもないだろう。『英雄』とはそれでいいのだ。

 

(【渡り鳥】さんの実力は想定以上でしたが、逆に言えば、それを管理下に置くことが出来るというだけで3大ギルドへの反逆心は折れ、3大ギルドという『個人では対抗できない組織力』をより強調させることができる)

 

 そして、反大ギルドを掲げる活動家からすれば『撃たれる核弾頭』のようなものだ。存在そのものが反大ギルドに流れることを抑止し、そして反大ギルドになれば惨たらしい死をもたらす。

 手放してはならない。3大ギルドの管轄下に置くのだ。

 ミュウが分析した限り、【渡り鳥】には私欲というものが極めて薄弱だ。依頼達成において『やり過ぎる』ことによって依頼主の意図を超えた結果をもたらすことになるとしても、彼自身は驚くほどに依頼に対して、依頼主が裏切らぬ限り、実に従順である。依頼主と傭兵という関係で黄金林檎を通して『首輪』を嵌めた『バケモノ』として……『首輪付き』として管理するのだ。

 存在は人々の恐怖心を煽り、管理下に置く大ギルドの威信を高める。なおかつ反大ギルドや表向きは公表できない案件を任せられる。『その時』が来るまで最大限に有効活用できるだろう。

 また【渡り鳥】の戦闘能力は凄まじく、聖剣を振るった【黒の剣士】すらも倒したが、その一方で大ギルドの組織力の方がまだ上回っているのも確かだ。

 

(……『まだ』ですか)

 

 指先の微かな震えは、ミュウ自身が不覚にも【黒の剣士】に『英雄』を見てしまったからだろう。『バケモノ』を討ち倒す『英雄』の姿を求めてしまった。

 技術革新は続いている。太陽の狩猟団も先日、ついに極めて強力な武装が正式に生産を決定したところだ。後は実戦運用を待つばかりである。

 だが、神話に登場するような『バケモノ』を倒せるのは『英雄』だけだ。100万の兵ではなく、たった1人の『英雄』こそが『バケモノ』を倒せる。

 もしも『首輪』を外れたならば、人間の手に余る『バケモノ』が世に放たれる。ミュウはそんな神話に描かれる終末を想像し、震えを握り潰す拳と共に馬鹿な妄想だと自嘲した。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 連日の取材に疲弊したキリトはサインズにて死体のように机に顔を伏していた。

 ラストサンクチュアリ壊滅から早3日。ギルド解散によって専属契約は打ち切られ、晴れて身分は独立傭兵となったキリトは、報道員から次の専属先は何処かと詰め寄られ続け、また連夜の如く3大ギルドも含めたあらゆる勢力から専属契約を結ばないかと契約を持ち掛けられた。

 

「俺……しばらくは独立傭兵でいい」

 

「古参のくせに舐め腐った発言ね。独立傭兵がどれだけ厳しいか、分かってないんじゃない?」

 

「シノンだってずっと専属傭兵じゃないか」

 

「専属傭兵だから重々承知しているのよ。支援無しがどれだけお金がかかるのか、身をもって味わえばいいわ」

 

 手厳しい。だが、キリトはこれまでラストサンクチュアリの専属だったとはいえ、実質的に聖剣騎士団から多大な支援を受けていた。此度もこれまでの支援実績をわざわざ文面で準備した上で聖剣騎士団は専属契約を破格の条件で持ち掛けた。

 とはいえ、キリトには聖剣騎士団とは契約できない理由もある。考えれば考える程に、ラストサンクチュアリ壊滅の初動……スリーパーの決起は聖剣騎士団による工作が濃厚なのだ。1000名規模の貧民プレイヤーを犠牲にしかねない作戦を実行し、なおかつ長年に亘って支援をしてきたラストサンクチュアリを裏切る行為である。キリトとしても納得できるものではない。とはいえ、確証となる情報はなく、疑惑の域を出ないのもまた、キリトからすれば歯痒い事である。

 クラウドアースは論外。ならば太陽の狩猟団は一瞬だけシノンと組むのも悪くないと思えたが、そもそもとして大ギルドに属してはキリトの目的は果たせない。

 目指すのは『永住』と『帰還』の両立だ。今の大ギルドの体制では、どちらか片方……いや、ほぼ『永住』に傾くことになるだろう。

 

(だけど、自由開拓戦線もなぁ……。まるでテーブルに並べられた料理みたいで……誘導されている気がする)

 

 自由開拓戦線からも打診はあり、待遇は大ギルドに比べれば劣るが悪くない条件も提示されている。また、リーファやレコンも所属していることもあり、専属契約を結ぶのもやぶさかではない気持ちはある。だが、どうしても乗り切れないのは拭えない引っ掛かりがあるからだ。

 確信はない。だが、大ギルドは言葉や待遇で誘う一方で、キリトを引き込む餌にパンチ力を利かせていない。無論、それはキリト視点であり、彼が提示された数々の超が7つ付いても足りない好待遇条件を知れば、シノンは一切の躊躇なく顔面を殴り抜くだろう。

 

「だったら、太陽の狩猟団はどう? 太陽の狩猟団の傭兵は前衛アタッカー不足なのよ」

 

「……そのお誘いトークに幾らかかってるんだ?」

 

「10万コルよ」

 

 きっちり仕事で自陣営に引き込もうとしていると明かすシノンに、キリトは改めて自分には傭兵適性が無いのではないだろうかと若干の自覚を芽生えさせた。

 キリトは別にソロが好きなわけではない。SAOでソロ歴が長かったのは『ソロであろうとした』からだ。

 本当はいつでも機会はあったのに、差し出された手はあったのに、怖くて握れなかった。それが自分なのだ。キリトは改めて周囲を見回す。

 傭兵たちはいずれもギルドという枠組みに適合できなかった者たちだ。専属傭兵たちでさえ、その根底にはギルドに属せなかった理由がある。心では自分が所属できる場所を欲しているキリトとは違うのだ。

 

「……前向きに検討するよ」

 

 それでもサインズ傭兵として籍を置き続けねばならない理由がある。傭兵という立場にこそ許されたフットワークの軽さがある。傭兵だからこそ入手できる情報と発見がある。

 自分で選んだ道だ。自分の足で踏み出していかねばならない。だからこそ、同じ志を共有できる仲間を求めるのだ。自分だけではたどり着けないから。自分だけで手が届くとは驕って痛い目を見たくはない。

 

(大ギルドは俺を利用するだろうな。まずは『都合のいい道化』と思わせるところから始めないといけない。事を急いで失敗したら、俺だけの命では済まない)

 

 月光の聖剣はキリトが自由に扱えるものではない。月光とは雲間より降り注ぐ、闇を払い退ける導きなのだから。自分から求めて振るうのではなく、降り注いた月明かりを束ねて手に取る……それこそが月光の聖剣なのだ。

 何よりもクゥリに打ち砕かれてからは小言すらも吐き捨てない。月蝕の聖剣が月光の聖剣本体に映し込まれたものである以上、月光の聖剣が完全破壊されたわけではないが、何かが起こっているのは間違いないだろう。

 

「よう、【黒の剣士】。ウチのランカーとデートの打ち合わせか?」

 

「あら、よく分かったわね。キリトに次の依頼の協働申請でもしようと思っていたところよ」

 

 紙袋いっぱいに肉まんを詰めたカイザーファラオが通りかかって茶化せば、キリトが口を開く前にシノンが厄介払いをする。

 

「フロンティア・フィールドの短期調査依頼が入ってるのよ。貴方が協働相手なら心強いわ。専属うんぬんは抜きにしてもね」

 

「悪いけど、最初の仕事は決めてあるんだ。マネージャー無しだと大変だったけど、これだって依頼を見つけたよ」

 

「あら? シリカはマネージャーを継続しないの?」

 

「……色々と考えがあるのさ」

 

「そう。でも、マネージャー無しで傭兵業は無謀よ。早めに雇うことね」

 

「分かってるさ」

 

「そうそう。お! だったら、美人で器量の良いフリーのマネージャー希望がいるんだが、特別にお前に紹介してやっても……ぐぎ!?」

 

 是非とも詳しく聞かせてもらいたい。真剣な眼差しでカイザーファラオと内々の会話ができる別室に赴く気満々だったキリトであるが、シノンがカイザーファラオの脛を強烈に蹴りつけて阻む。

 

「……マネージャーは貴方の仕事の全てを管理する立場よ。容姿ではなく、信頼・信用で選びなさい」

 

「冗談さ。ちょっとフレンド登録してお近づきになりたいくらいだよ」

 

「……貴方って似なくていいところがお師匠さんに似てきてるんじゃない?」

 

 そうか? カイザーファラオの面前である為にスミスの名前を出せないシノンに、キリトは自覚なく頭を掻く。

 サインズは今日も平常運転である。世間はラストサンクチュアリ壊滅の熱を漂わせているというのに、傭兵たちは何ら変わることなく仕事をこなしている。

 サインズ本部で取材が許されているのは週刊サインズだけであり、サインズ敷地内にいる限りはキリトも報道ギルドに追い回されることはない。また、傭兵たちは基本的に我が道を行くスタンスである為に過干渉してくることもない。カイザーファラオのように傭兵との潤滑な関係構築を目指す者でも線引きをしている。

 足を引きずっていくカイザーの背中を見つめたシノンは、珈琲を静かに飲むキリトを改めて正面から見据えると、感情が読めない眼を向ける。

 

「……気分はどう?」

 

 シノンは淡白に、だがキリトの状態を問う。

 ラストサンクチュアリが滅び、1000人の貧民プレイヤーは教会が準備した臨時キャンプで生活を送っている。だが、早くも現地人……終わりつつある街で暮らす貧民プレイヤーとの間に軋轢が生まれている。

 腐敗していたとはいえ、ずっと聖域に引きこもっていた貧者と汚れた裏路地で生き延びてきた貧者。決して相容れない境界線がある。

 ラストサンクチュアリを畳んで終わりではない。ラストサンクチュアリの専属ではないとしても、彼らと一切の関わりがないわけではないのだ。

 

「正直言って分からない」

 

「貴方はやるべき事をやった。全てを抱え込むべきじゃない」

 

「俺は聖者じゃない。自分にできることをしたいだけだ。本当にそれだけさ」

 

「そう。だったら、そんな顔をしないで。腹が立つ」

 

「悪い」

 

 思いつめていない。気負い過ぎてもいない。自分の為すべきことを為すだけだ。魂の叫びに従い、目指すべき場所に至る。

 それでも『他に方法はあったのではないだろうか?』と自問するのだ。

 あの時、ラストサンクチュアリを滅ぼす為に現れたクゥリ。そもそもとして、彼の登場自体を阻止する手段が何処かにあったはずだ。

 自分は万能ではない。仲間を集めたとしても完全ではない。

 利害関係に基づいて、己の信条に従って、あるいは善悪という在り方のままに、多くの人々が絡み合っている。その中で完璧な結果を得るなど不可能なのだから。

 それでもたどり着かねばならない。もう裏切りたくないから。たくさんの人たちが信じてくれた……支えてくれた……助けてくれた『キリト』を裏切りたくないのだ。

 たとえ、どれだけ間違えたとしても、困難と苦難に心折れようとも、その度に立ち上がって前を向いて歩き出す。最愛の友がそれこそ『キリト』だと信じたのだから、自分が信じないなど恥知らずもいいところである。

 

「ねぇ、最初の仕事って何を引き受けたの? 協働相手が欲しいなら私が――」

 

「いや、もう誰を指名するかは決めてあるんだ」

 

 サインズ本部の出入口から広がるざわめきの波紋に、キリトはいよいよ登場かと弾けるように席を立つ。

 サインズの職員やランク無し、依頼人たちの視線が注ぎこまれるのは、1人の傭兵だ。1本の三つ編みに結われた白髪を尾のように揺らし、赤が滲んだ黒の瞳は覗き込めば2度と戻れないかのような不可思議な深みを潜ませている。可憐にして美麗にして清廉にして妖艶である『美』という概念の具現とも呼ぶべき容姿であるからこそ、纏わりつく血と死と恐怖に塗れた悪名を彩るのに相応しい。

 だが、キリトからすれば全てが『どうでもいい』ことだ。

 

「3日ぶりだな、クー!」

 

「……キリト」

 

「いやー、あそこまでボコボコにされるなんてな。正直言って生きた心地が今でもしないよ」

 

「…………」

 

「あ、それはそれとして、実は依頼を抱えていてさ。お願いしたいことがあるんだ」

 

 無造作とも呼べる程に、あるいは無警戒とも嗤われる程に、キリトは何の迷いもなく無表情のクゥリに歩み寄る。

 

 

 

「協働を申請したい。俺を手伝ってくれないか、クー?」

 

 

 

 キリトが差し出した手に、クゥリはしばしの沈黙の後に苦笑した。

 

「オマエは……本当に……本当に……馬鹿なヤツだよ」

 

「キミほどじゃないさ」

 

「……協働申請はサインズを通して行うものだ。正式に申請が来たら引き受けてやるよ」

 

 握手には応えず、キリトの脇を通り抜けたクゥリの声は何処か楽しげだった。

 キミは本当に相変わらずだ。キリトは振り返らないクゥリの背中に笑いかける。

 

「へぇ、気に入ったよ。これから楽しくなりそうだね、レックス」

 

「だな。『昨日の敵は今日の協働相手』が傭兵ってもんだ。お前をいつかぶちのめしてやるから覚悟しておけ、【黒の剣士】」」

 

 UNKNOWNではなくキリトを傭兵と認めるように、彼の肩を左右をそれぞれ虎丸とレックスが叩いて祝う。

 自分は傭兵としての適性がない。そう自覚するキリトであるが、同時に傭兵とはDBOでも数少ない自由を求める者たちでもあるのだと再認識する。

 

「好きなように生き、好きなように死ぬ。誰の為でもなく……か」

 

 それはいつだったか、クゥリが鉄の城で口にした生き方の1つだ。

 ラストサンクチュアリ壊滅作戦の真相が語られることはないだろう。

 だが、どんな裏があろうと関係ない。命の奪い合いがあろうとも、これから何が起ころうとも、クゥリは変わることなくキリトにとって大切な人だ。

 

 

 いつだって勝ちたくて、いつだって笑い合いたくて、いつだって信じたい……最愛の友である。




聖域は滅びようとも、歩みは止まらない。

ならばこそ、光を知るのだ。

自らの足で突き進み続ける為に、闇を切り裂く月光を。

夜明けをもたらす為に、闇に濡れた陽光を。



これにて、エピソード22は終わりです。
テーマは『主人公力』でした。
次回は安心・安全・平和な現実世界編です。


それでは、336話でまた会いましょう!

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