SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

クリスマスに浮かれる街で事件が幕を開ける……?


Episode21-02 まっしろふわふわ

 フロンティア・フィールド<銅砂の荒野>。まるで錆びた銅の如き砂漠であり、水気の無い荒れ果てた大地が広がる。だが、かつての文明を示すかのように、もはや元はいかなる意味を持っていたのかも分からぬ鉄塔が、乗り手を失った朽ちた自動車が、破壊の痕跡を刻んだ民家の密集地が、ただただ取り残されている。

 高度に機械化された文明の跡地と聞けば、VRゲームを齧った者ならば誰もがGGOを思い浮かべるだろう。実際に<銅砂の荒野>に登場するモンスターにおいて、失われた文明を今も守護するようなヒューマノイド等のロボット系がエンカウント割合の4割を占めていることからも、直感としては間違っていない。

 だが、<銅砂の荒野>において最も危険なモンスターは【ガラージュ】という全長4メートルにも達する大型肉食モンスターである。屈強な2足歩行の怪物であり、頭部は何処となく蛙に近しい印象を与えながらも極度に発達した上顎の2本の牙が圧倒的捕食者としての危険性を訴えかける。

 岩肌のような分厚い皮膚は物理属性防御力が高く、特に刺突属性防御力に秀でている。また、レベル3の麻痺を蓄積させる霧ブレス、レベル3の毒の蓄積フィールドを一定時間生じさせる毒液ブレスを使い分け、両手に備わった爪は見た目通りの鋭利さでアバターを損壊させやすい。逆に尻尾はゴム質で極めて柔軟であり、振り回すだけで思わぬ範囲攻撃に変じる。しかも体色は赤みがかかった銅色という保護色によって隠密ボーナスが高く、奇襲されやすく、また戦闘中もフォーカスロックが外れやすいと戦い難いことこの上ない。

 攻撃力・防御力・耐久力・搦め手の全てを持ったモンスターは、下手なリポップ型ネームドよりも遥かに厄介であり、準ネームド認定を受けて早々に危険視されることになった。

 ガラージュに救いのある点があるとするならば、群れないことであり、基本的に単体で出現する。お零れを狙う、サボテンに擬態する【サボテン・ワーム】が集まってくることもあるが、冷静に処理すればガラージュだけに集中できる。

 だが、それは『通常』のガラージュであるならば、という注釈が付く。

 太陽の狩猟団が出資した、フロンティア・フィールド探索部隊、総勢96名。その構成のほぼ全員が募集に集った中小ギルドのプレイヤーによって構成されていた。レベル60~80で構成され、レベル100以上を推奨されるフロンティア・フィールドには不足が生じる。補うためのアイテムと装備もあったが、これまでとは異なる攻略姿勢が求められるフロンティア・フィールドにおいては、彼らの経験も知識も実力も何もかもが不足していた。

 フロンティア・フィールド特有の『ネームド化モンスター』……異名持ち。単にネームドの証であるHPバーに名称が表示されるだけではなく、元になったモンスターをベースにしながらも多大な強化……場合によってはベースからかけ離れた能力すらも持ち合わせているのが特徴である。

 全48名の第2探索隊が遭遇したのは【砂塵喰らいのガラージュ】。通常を上回る6メートルの体躯であり、戦闘中は特徴的な皮膚には赤い斑点が浮かび上がる。ブレスに物理属性かつスタン蓄積と高衝撃が付与された砂ブレスを獲得していた。また砂嵐を起こすことによって視界を悪化させる能力も持っている。

 だが、何よりも危険なのは通常のガラージュ6体を率いている点である。しかも減らしてもモンスター専用スキル≪ハウリング≫によって2体出現させることが出来る上に、最大8体まで群れを増やせる。

 ただでさえ危険なモンスターがただでさえ強化されているのに、頭数すらも増やすことができる。自力ですらも劣る第2探索部隊が壊滅に追いやられるのは必然だった。

 砂塵喰らいに遭遇した生存者11名は他探索部隊への救難信号である発煙筒を残し、偶然にも発見した旧文明の地下施設に逃げ込んだ。そこでも大型ワーム系モンスターに襲われて更に数を減らしながらも救助を待ち続けた。

 だが、同時に派遣された第1探索隊の壊滅的打撃の報告もあり、太陽の狩猟団は救助部隊の派遣を断念した。これまでの攻略でも比較的有効だった、人員に頼った探索は、フロンティア・フィールド攻略においては非効率かつ強大なモンスターとのエンカウント率を高めて危険であると、改めて再認識することになったのである。あるいは、それを実証する為に募集で構成された探索部隊を派遣した……とも言い換えられるだろう。

 予定外だったのは、太陽の狩猟団の上層部の決定に対して実働を担う戦闘部隊のプレイヤーの救助志願者が殺到したことだった。太陽の狩猟団は後ろ暗い噂も多いが、その一方で命を張る戦闘職は反するように人格者が多いのも特徴であり、元より今回の実力不足の募集員によるフロンティア・フィールド探索には否定的な立場の者も多かったこともあり、上層部の救助しない判断に否を唱えたのである。

 この反発を本来は押し止めるべきである団長のサンライスは、あろうことか自ら音頭を取って、志願者による救助部隊の結成を宣言し、少数精鋭を誇る第3部隊を始めとした、太陽の狩猟団の多くの主力・トッププレイヤーが参加を表明した。

 ミュウはサンライスの参加を何とか押し止め、志願者から改めて選抜した救助部隊……総勢24名の派遣を決定した。救助部隊を12名2組に分けたのは、先の教訓を活かす意味合いが含まれていた。

 ミスティア率いる第1救助部隊とラジード率いる第2救助部隊は、帰還した探索部隊が救難信号を発見した場所へと別々のルートから赴き、近隣において生存者の捜索を開始した。ここで第2救助部隊は第1・2探索部隊の破損が著しく原型を損なっている遺体を発見し、第1救助部隊は地下施設にて生存者の痕跡を確認した。

 第1救助部隊は無事に生存者7名を発見し、付近にあった5名の遺体を収容し、これ以上の生存者はいないと判断し、第1救助部隊との合流次第に<銅砂の荒野>からの即時離脱を決意した。

 だが、第1救助部隊は異名持ち【赤き竜頭のグラノ・ワーム】と遭遇することになる。通常のグラノ・ワームの時点で全長12メートルという大型であるが、この異名持ちは全長20メートルを超え、なおかつ体格が実に3倍にまで膨れ上がっており、特徴であったはずの地下を潜る能力を捨て、完全に地上戦に特化していた。頭部はまるで竜の頭蓋骨のような硬質な物体によって覆われ、なおかつ毒々しいピンク色の体表からはスリップダメージを与える粘液を溢れさせ続けていた。

 疲弊し、なおかつ供覧した生存者を庇いながらの討伐は困難と判断した第1救助部隊の隊長を務めるミスティアは、精鋭による足止めを敢行した。精鋭以外の第1救助部隊には生存者と共に第2救助部隊と合流しフロンティア・フィールドの脱出を優先させ、自分たちは独自にフロンティア・フィールドからの帰還を企んだのである。

 無論、これはあまりにも無謀な作戦である。相手はネームド級の異名持ちかつ巨大化して攻撃力も耐久力も桁違いに増えている。本来ならば、ドラゴン級モンスター討伐を想定した準備と部隊が不可欠となるだろう。

 だが、これを是としたのはミスティアの判断……ではなく、足止めに参加した精鋭の意見が大きいだろう。

 異名グラノ・ワームの足止めの参加者は僅か5名。【雷光】の2つ名を持つ槍使いのミスティア、少数精鋭の太陽の狩猟団第3部隊の『自称副隊長』のマダラ、同じく第3部隊のミリア、太陽の狩猟団専属傭兵ランク33のエディラ、そして謎の太陽マンである。

 雷系奇跡と長槍による一撃離脱戦法を得意とするミスティアは先制攻撃で異名グラノ・ワームのヘイトを集めて生存者の戦闘エリアからの離脱を支援し、そのまま足止めすべく残る4名は果敢に異名グラノ・ワームへと戦いを挑んだ。

 異名グラノ・ワームのHPバーの数は3本。だが、HPバー1本が含有するHP量は桁違いに多く、まるでドラゴンと相対しているかのような感覚に陥る。だが、この場の全員がいずれも本物のドラゴンとの戦いを経験しており、1人して気後れする者はいなかった。

 

「ハハハハハハ! ワームのくせに、まるでドラゴンのようではないか! だが、本物には劣る! 劣る! 皆の者、心せよ! 古竜はこの程度ではないぞ! ハハハハハ!」

 

「……ねぇ、あれってやっぱり団ちょ――」

 

「ミリー、黙れ。それ以上は帰還しても鉱山送りにされるぞ?」

 

「ひゅい!?」

 

 上半身裸……首には翡翠と竜牙を組み合わせた野性的な首飾りのみ。籠手は革製の簡素なデザインながらもSTRを高めるレア素材が使用されており、革製ズボンも軽量性を重視している。頭部は真っ赤に燃え上がる太陽色の塗装が施された兜であり、無駄に長い黄金の飾り緒が特徴だった。得物とするのは超重量級の大槍である。ランス顔負けの巨大な刃の穂先を備え、なおかつリーチは長槍級という……たとえステータスを揃えても扱い難いと一目で分かる怪物武器だった。

 加えて、この大槍には太陽の狩猟団にとってライバル関係にあるはずの聖剣騎士団が生み出した傑作素材……イジェン鋼の最高純度が使用されていた。黒光りする大刃の穂先から、この場の全員が素材の正体までハッキリと理解した。

 

「ドラゴンと同じように雷属性が弱点なら良かったのですが……ね!」

 

 異名グラノ・ワームの腹を槍で貫き、即座に離脱したミスティアは息を吐く。異名グラノ・ワームは高い雷属性防御力を持っており、ミスティアの本領を発揮し難い相手だった。だが、相性が悪かったからと言って死ぬなどあってはならない。相性差を実力で覆してこそ生存が許されるのだ。

 ミスティアが新調した長槍は、太陽の狩猟団の工房が手掛けたオーダーメイドにしてユニークソウルが使用された【反転の聖槍】である。ネームド<虚言の預言者>のソウルが組み込まれており、高い光属性攻撃力を持つ。自分の周囲50メートル以内の非敵対プレイヤーの防御力・デバフ耐性を大幅に高め、なおかつパーティ登録しているプレイヤーのHP最大値を1割増加させることが出来る能力を持ち、装備しているだけでオートヒーリングも付与して奇跡の攻撃力を引き上げる、まさしくアンバサ戦士に相応しい槍である。

 だが、最大の特徴は光属性攻撃力を一時的に闇属性攻撃力に入れ替えることができる反転能力だ。これによって、光属性が弱点の深淵系はもちろん、逆に闇属性が弱点の神族系にも効果を発揮することができる隙が無い装備に仕上がっている。

 とはいえ、その強みも異名グラノ・ワームには効果もあまりなかった。元より光・闇属性防御力は並らしく、弱点を突くこと自体が出来ないのである。雷属性防御力も高いとなれば、彼女が優位性を発揮するのは難しかった。

 

「ならば水属性はどうだ?」

 

 攻めきれないミスティアと入れ替わるのはマダラだ。三白眼が特徴的な青年もまた装備を新しくしている。冷たいブルーの刀身を持つ両手剣は冷気を帯びており、異名グラノ・ワームにダメージを与えている。

 ドロップ品ではあるが、これもまたユニークウェポン【氷息吹の大剣】である。白竜シースの結晶ブレスを再現する為に生み出されたとされる剣であるが、結晶が魔法属性なのに対して水属性……氷を生み出すに至った失敗作である。それは本来ならば絵画世界の氷の魔法に通じるものであったが、生み出した研究者は価値を見出せなかった……というトレジャーボックスから発見された武器である。

 秘めた能力は【氷の息吹】。強烈な振り下ろしから正面に水属性の冷気を飛ばすという能力である。しかも放出後はしばらく猶予があり、マダラはこの時間を利用し、≪両手剣≫の連撃系ソードスキル【ハイフェザー・ストーン】に繋げる。まるで羽が舞うような素早い3連撃の後に強烈なかち上げ斬りに繋げるという緩急が利いた、対人戦でも適度な効果を発揮するソードスキルである。その全てに氷の息吹の延長効果が付与されている。

 弱点属性かつソードスキルを浴びて異名グラノ・ワームは悶える。だが、元々がタフのせいか、弱点属性を突いてもダメージが出たように思えないのはもはやご愛敬だろう。

 

「大型モンスターは継続的なダメージよりもダウンを取ったところに弱点部位に畳みかけるのが定石だ」

 

 全身に竜を模した甲冑を纏いながらも、まるで軽量戦士のように身軽な立ち回りをするのは傭兵のエディラだ。シャルルの森以前から傭兵を務める古参であり、ランクの低さは彼が目立った功績にならない依頼ばかりを引き受けているからである。地味な依頼を引き受けてばかりではあるが、それは裏を返せば太陽の狩猟団からの信頼の表れであり、彼がこなした依頼が別の大きな作戦の礎となることも多い。まさに縁の下の力持ちだろう。

 武器は巨大な竜鱗をそのまま加工したかのような中盾【憧憬の竜盾】と【古竜の牙】と呼ばれる片手剣だ。ドラゴンウェポンらしく強力な効果を秘めており、相手を一定回数傷つけると攻撃力が大幅に上昇する解放攻撃を仕掛けることができる。

 希少かつ得ること自体が困難な【古竜への道】という誓約者でもあり、彼の防具もまた誓約レベルを高めたことによって得られた防具を更に加工を施したものである。ドラゴン素材の常として雷属性が弱点であるが、傭兵らしく対策は万全らしく、彼が雷属性で追い詰められたことは1度としてない。

 

「頭部だ。あの目立つ頭部にダメージを与えてダウンを取るぞ」

 

 エディラの指摘は最もであるが、暴れ回る異名グラノ・ワームの、最も危険にさらされる頭部に継続的なダメージを与えるのは至難の業だ。だが、この場の全員が不可能と諦めるはずもまたなかった。

 

「【ソウルの奔流】……いきます!」

 

 魔法使い最高の大技、ソウルの奔流。膨大な魔力消費と少ない使用回数に相応しい、魔法使いプレイヤー最大の大砲となる魔法である。杖の先端から巨大な魔法属性の奔流……まるでレーザーのようなソウルを放つという、大雑把かつ火力も納得の魔法は、お下げの髪が特徴の、まさしく伝統的な魔法使いといった格好をしたミリアの杖から放たれる。

 狙い撃つのが難しいソウルの奔流は、暴れ回る異名・グラノ・ワーム頭部に命中……することはなかった。逸れて首に当たり、悪くないダメージを与えるも、余計なヘイトを稼いでしまい、ソウルの奔流後の反動で動けないミリアに消化液を吐きつける。

 

「……チッ!」

 

 瞬時にカバーに入ったマダラがミリアを押し飛ばし、代わりに酸性の液体を浴びる。ダメージこそ低いが、防御力の大幅ダウンは近接ファイターにとって致命的なデバフだった。

 

「マダラ!」

 

「無理して狙い撃つな。お前の仕事は支援だ。俺達が攻撃・回復する隙を作ってくれればいい」

 

「……うん、ごめん」

 

 防御力低下など関係ないとばかりにマダラは再び攻め込む。それに負けていられないとばかりにミスティアとエディラも続く。

 

「フハハハハ! 何やら甘酸っぱい香りがしたぞ! マダラ! お前、さてはあの娘に……惚れてるだろう!?」

 

「団ちょ……太陽マンさん、マダラくんはもう玉砕済みなので触れないであげてください」

 

「なんと!? それは失敬!」

 

 太陽マンは失言を取り返すとばかりに異名グラノ・ワームを大槍で一方的に抉り取っていく。そのスピードの源にもなっているのは、彼の装備した銀色の具足である。

 風の王のソウルを素材にした、太陽の狩猟団謹製【風王の具足】である。金属のような光沢の通りの硬質でありながら、足音はほとんどせず、常に風を纏っている。太陽の狩猟団がラスト・レイヴンから端を発した攻性機動防具のオリジナル開発第1弾にして、本来ならば団長たるサンライスの専用装備である。だが、今は何故か太陽マンが装備していた。

 だが、その最大の能力は別にある。太陽マンはまるで波乗りでもするかのように、砂を躍らせる荒野の風に『乗る』。

 これこそが風王の具足の最大の能力である。あらゆる風を足場とすることができるというものだ。もちろん、風という不可視な存在をどのようにして把握するのかは困難を極めるが、本来の所有者であるサンライスは『風が見えない? 魂で感じろ!』という『漢』の背中によって実現していた。

 異名グラノ・ワームが暴れれば、その周囲に空気の流れ……風が生じる。太陽マンはその風に乗って、アクロバティックに異名グラノ・ワームの頭上を取って大槍で突く。

 

「ヌハハハハハ! ぬるい! ぬるいぞ! これでは『予行練習』にもならんな! ハハハハハ!」

 

「……ねぇ、あくまで『団長』の話なんだけど、私たちの団長って、もしかして人間辞めてる部類?」

 

「限りなく『あの』グローリーと同類呼ばわりされている異次元生命体だぞ? 当然だろ」

 

「2人とも! 無駄口を叩いていないで援護しなさい!」

 

 ミスティア達4人がかりで与えるダメージの実に3倍以上を太陽マンが1人で叩き出す。まさしく剛槍とはこの事である。

 HPバーが2本目に突入し、異名グラノ・ワームは新たな能力を発揮する。あろうことか、20メートルを超える巨体でジャンプしたのだ。

 まるで隕石の落下のような衝撃が大地を揺らす。まさかの攻撃であるが、それ以上に衝撃を与えたのはミスティアとミリアの『スタン』だった。

 

「強制スタン蓄積か……!」

 

 軽装の為にスタン耐性が低めの2人が動けなくなった様子に、異名グラノ・ワームの新たな能力は、ジャンプによるスタンプ攻撃時に地面に足をつけていた者に強制的にスタン蓄積させる類のものだとマダラは看破した。そして、さすがと言うべきか、エディラは能力が何であれ危険性を察知して憧憬の竜盾の能力である竜の加護によってスタンプ攻撃の影響を完全に防ぎきっており、太陽マンに至ってはむしろチャンスとばかりに風に乗って追撃を狙っていた為に影響外だった。

 スタンで動きが封じられた2人に対して消化液が吐き掛けられそうになるが、太陽マンの大槍が顎を刺し貫いて射線を逸らす。単に暴れ回っているだけではなく、むしろ仲間を助け、チャンスを作ることも怠らない。

 

「ミスティア! 油断しないのは大前提! 常に相手の先を予想する想像力を鍛えろ! キミは頭が固すぎる! いつも言っているはずだ!」

 

「も、申し訳ありません、団ちょ――」

 

「否! 今の私は太陽マンだ!」

 

 いける。これならいける。太陽マンの圧倒的な活躍によって、ネームドはむしろすり潰されていく勢いだった。

 だが、突如として周囲に砂嵐が吹き荒れ、視界が悪化する。悪寒と共にマダラが振り返れば、いつの間にか接近していた異名持ち<砂塵喰らいのガラージュ>が太い両腕を振り上げていた。

 咄嗟にガードするもハンマーの如く振り下ろされた拳によって片膝をつく。そこに容赦ない蹴りが打ち込まれてマダラの体は宙を舞った。防御力低下のデバフもあり、マダラのHPは大幅に削られていく。

 だが、まだ体勢を立て直せる。空中で身を翻したマダラは、カバーに入ったミスティアのお陰で回復アイテムを使用するチャンスを得るも、それが失敗だと悟る。

 砂塵喰らいの情報は第1探索部隊の生存者が持ち帰っていた。通常ガラージュを引き連れているのが特徴であるとも警告を受けていた。

 砂塵喰らいがマダラを蹴り飛ばした本当の狙いは、配置し、獲物が来るのを銅砂の荒野と同じ体色によってカモフラージュし、なおかつ砂嵐で更に身を隠したガラージュ達に襲わせる為だったのだ。

 6体のガラージュが同時に襲い掛かる。マダラが死を意識した時、ミリアが間に入る。

 ミリアの杖の先端からソウルが溢れて生み出されたのは光輝く壁だ。【強いソウルの障壁】である。通常のソウルの障壁とは違い、杖の正面にしか出現させられない代わりに、より強力な障壁を生み出す魔法である。

 ネームド級の攻撃すらも耐えられるとはいえ、準ネームドにも数えられるガラージュの……それも6体による同時攻撃には耐え切れず、1体の爪が障壁を打ち破り、そしてミリアの細い体を刺し貫いた。

 貫かれた体を投げ飛ばされたミリアをキャッチし、マダラは彼女の血で真っ赤に染まる。

 

「……お前!」

 

「ゲホ……ガホ……い、いつも……守って、ばかりだから……えへへ……おかえ……し。ゆだん……しちゃ……だ、め……」

 

 元より魔法使いプレイヤーとして、魔法の補助を優先した防具構成である為に物理防御力が低く、ステータスも近接ファイター程にVITにも割り振っていないミリアにとって、ガラージュの一撃は即死にもなりえた。辛うじて強いソウルの障壁のお陰で威力は低下したが、彼女の腹は大きく抉れ、溢れ出る血はそのままスリップダメージとして残り僅かなHPを削っていく。

 迅速に処置をしなければ助からない。だが、それを許さないとばかりに6体のガラージュが迫る。

 

「にげ、て……マダラ……まだ……死んじゃ……だめ」

 

「馬鹿にするな! お前だけを死なせて生きても……意味がない!」

 

 どうにかしてガラージュの包囲を切り抜けて回復させる! 太陽マンも事態を把握して救助に駆け付けようにも、単身で巨大な異名グラノ・ワームを相手にしていた。むしろ、助けに行けば異名グラノ・ワームもついてきて彼らを窮地に追いやる。ミスティアとエディラは2人がかりで砂塵喰らいを抑え込んでいた。とてもではないが、背中を向けて助けに行ける状態ではない。

 ならばこそ、マダラは独力で窮地を脱する他にない。ミリアを優先する為に武器を捨て、両腕で抱き上げて全身を傷口に密着させて少しでも流血を抑える。なんとかして包囲網を脱し、ミリアに治療を施さねばならない。

 包囲からの同時攻撃。3体の爪攻撃、2体が麻痺ブレス、1体が距離を置いているのは5体の攻撃を潜り抜けた場合に尻尾で追撃を加える為だろう。

 マダラは最低限の動きで爪攻撃を躱し、麻痺ブレス背中で受けながらもダメージは低いと割り切って足を進め、追撃の尻尾をギリギリで身を捻って躱す。

 あとは全力で走る。ミリアに治療を施して戦闘エリア外にまで連れ出して戻る。しばらくは3人でネームドとガラージュの群れを相手にせねばならないが、彼らならば大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 だが、マダラたちの進路に『2体』のガラージュが控えていた。

 砂塵喰らいは≪ハウリング≫で群れのガラージュを増やすことができる。『戦闘前に数を増やしていた』という小技も当然ながら有効である。プレイヤーがネームドと戦う前に、有利になるようにバフをかけておくように、砂塵喰らいもまた準備を怠っていなかったのだ。

 背後からは6体の追撃。正面には2体の壁。ガラージュという強大なモンスターに囲われたマダラは、必死に頭の中で解決策を巡らす。

 

 

 

 

 

 

 だが、起死回生の策を編み出すより先に、『狼』の牙は仲間を襲うケダモノを駆逐する。

 

 

 

 

 

 吹き荒れる緑炎の源の剣を携え、ガラージュの注意を引き付けるのは、太陽の狩猟団の若きエースとして名を馳せる戦士だ。

 

「2人とも……遅くなった」

 

「……ああ、まったくだな。だが、隊長らしい」

 

「たい……ちょぉおおお……!」

 

 泣きじゃくるミリアを抱えながら、マダラはその場をラジードに預ける。ガラージュ達は傷ついた彼らを見逃さないとばかりに追おうとするが、『火の粉』が舞う加速によってラジードは割り込み、逆に退魔剣によるカウンターで押し返す。

 ラジードの両足を覆うのは特異な具足だ。赤く塗装された……否、まさしく赤き鋼を鍛え上げたかのような光沢には脈動のような光と色の揺らぎがある。

 度重なる戦いにおいて、何らかのリスクがある力を使ったせいか、ラジードは足に障害を負った。これを解決する為に、太陽の狩猟団は伝説の鍛冶屋GRに技術協力を依頼した。幾つかの優先的な素材提供を条件に、GRは太陽の狩猟団の工房と合同で、太陽の狩猟団のGA研究を基にした新たな攻性機動防具の開発を行った。

 風王の具足をベースにした脚部防具であり、素材には混沌の魔女クラーグのソウルが使用されている。高い炎属性防御力を持つ他にも炎熱排出機構による加速能力も備わっている。それはラストサンクチュアリ壊滅作戦にて、【渡り鳥】が使用した加速能力と同類のものであるが、こちらは最大出力自体は落としながらも平均値を高めることによって、継続的な仕様と恩恵を得られる仕組みになっていた。

 また、薬品を投与するギミックも備わっており、これは過敏性を高めることによって、後遺症によって鈍くなった足の反応を補うことを目的としている。これはGRが連れてきた薬師が提供したものであり、元を辿れば媚薬のような興奮剤の類である。

 その名は【炎熱装具クラーグ】。ラジードは8体のガラージュの間を縫うようにして退魔剣を振るう。放たれる緑炎によって焙られたガラージュに、ラジードは瞬時に背負う退魔剣を収納する鞘に収めながら押し込んでギミックを発動させる。瞬間に鞘はかつてラジードが使用していたイヴァの大剣の如く岩肌に……いいや、黒ずんだ鈍い金属に覆われて肥大化し、もはや鞘とも呼ぶべきではない鉄塊となっていく。

 退魔剣は鉄塊の鞘……いいや、かつて反逆の騎士が使用していた刃を纏い、特大剣に変じる。刃はほとんどない打撃ブレードでありながら、先端はただ鋭い。

 教会が聖剣をモデルにして開発した【教会の聖剣】という武器がある。銀の片手剣を背負う鞘と接続させ大剣へと切り替えることができるキメラウェポンである。『刀身に別の刃を纏う』という聖剣の特徴をイドが再現して量産化を目指したものであり、使い手こそ選ぶが、教会の有用な武器として数えられていた。ラジードの新装備は、この構造を退魔剣と反逆の大剣に当てはめたものだ。更にイヴァの大剣を素材として活かすことによって、使用時以外は特大剣特有の重量を大幅に軽減させることによって、退魔剣モード時はより機動力を確保できるように仕上がっている。

 攻撃力、ガード性能、リーチとバランスが取れている上に特殊能力を持つ退魔剣・影喰は、反逆の刃を纏うことによって特大剣に変じた。この時、退魔剣の性質も融合しているだけではなく、緑炎によって反逆の大剣の表面は亀裂が走ったかのような緑色の輝きの文様を浮き上がらせる。

 ラジードが反逆の騎士より受け継いだ反逆の大剣は何の能力こそ持たなかったが、退魔剣と融合したことによって、反逆の騎士が用いたようなエンチャントと放出を可能とした。

 踏み込みからの緑炎大放出による薙ぎ払い斬り。刀身本体と緑炎の両方をまともに受けたガラージュたちのHPは大幅に削れる中で、ラジードは反逆の大剣を背負い、両腰の双剣へと切り替える。

 2本の片刃の片手剣は素早さを重視してか、火力自体は乏しいように思えた。だが、数体のガラージュのHPを削り切るには十分過ぎる手数を実現する。凶暴性のままに反撃に転じた残りのガラージュに対して、ラジードは双剣を『変形』させる。

 鍔の部分から折れ曲がり、刀身に隠された『銃口』が剣先の代わりにガラージュ達に向けられる。

 放たれるのは『散弾』と『連弾』。ショットガンとアサルトライフルの同時射撃によって残りのガラージュはラジードを攻撃できる間合いに入る前に撃破される。

 ラジードが倒したネームドである処刑斧の亡霊と処刑槍の亡霊のソウルは、それぞれ共鳴し合う特色があり、これを太陽狩猟団の工房……もとい、炎熱装具クラーグ開発に携わっていたGRからのアドバイス……更に言えば、HENTAI魂に触発された工房全体の狂気の熱によって、ラジードの意向を無視して開発された専用装備である。

 刃は亡霊の性質を持ってゴースト系にも物理属性が通る能力こそ持っているが平均的な性能であり、要となるのは変形によって双剣はそれぞれがショットガンとマシンガンに切り替わることだ。

 装弾数・射程こそ秀でていないが、威力に特化したショットガン。連射性能に特化されたアサルトライフル。この2つの銃火器を双剣という性質によって『2つの武器枠』だけで使用できるのが【銃撃双剣ルー・ガルー】である。無論、ラジードが使用する為にはレベル100で得たスキル枠を≪武器枠増加≫と≪銃器≫に割り当てねばならなかった。

 1体で上位プレイヤーで構成されたパーティ1組と同等とさえも言われるガラージュを、同時に8体を一方的に撃破。これは傭兵でも最上位陣に匹敵する戦闘能力である。だが、この場の誰もがラジードの戦果を疑問に思わない。これまでの実績を鑑みれば、彼に『専用装備』を与えなかったことこそが太陽の狩猟団にとっての失敗だったのだ。ユニークソウルをギルド内の共通資産にしていたからこそ、割り当てを渋らねばならなかったが、太陽の狩猟団は新たな方針として看板となるトッププレイヤーには惜しみない強化を施すことにしたのだ。

 本来の戦闘能力を最大限に引き出す専用装備……しかもHENTAIでも屈指の狂気じみた装備を開発することで定評があるGRをアドバイザーに迎えた工房の暴走もあり、ついに獲得することができたのだ。

 

「ラジードくん! 来てくれたんだね!」

 

「生存者はこちらの部隊で保護したからもう大丈夫だ! それよりも、今はコイツらを何とかしないと! 僕が砂塵喰らいを抑える! ミスティアとエディラさんは団長の援護を!」

 

「ラジードよ! 私はお前の団長ではない! 何処にも属さぬ自由の戦士! 太陽マンだ!」

 

「もう何でもいいですよ! マダラはミリーの護衛! 参戦するな! 隊長命令だ!」

 

「了解した」

 

 ミリアの治療を終え、何とか一命を取り留めたとはいえ彼女の護衛など、野心家であるマダラからすれば点数稼ぎの絶好の機会を失うのと同義であったが、彼の一切の躊躇がない返答にミリアは目を見開いて何かを言おうとしたが、ダメージフィードバックに声を塗り替えられて唸り声しか出なかった。

 砂塵喰らいのHPバーは2本。だが、戦闘したミスティアとエディラは、そのポテンシャルはボス級ネームドにも匹敵すると判断していた。だが、それでもラジード単身に任せるのは、異名グラン・ワームのタフさと攻撃力を考慮すれば『万が一』があった時に太陽マンでも即死しかねず、その場合は太陽の狩猟団にとって立ち直れない致命的なダメージを負うことになるからである。

 そして、何よりも今のラジードならば砂塵喰らい『如き』に後れを取るはずがないという確信すらもあったからだった。

 

「すぐにそっちの援護にいくから、無茶はしないでね」

 

 だが、それでも任せることは心苦しいとミスティアは言葉を残す。それこそが『孤独』ではない証であり、故にラジードの戦意は燃え上がる。

 

「砂塵喰らい、お前を……倒す! これ以上誰も殺させない! 最初から全力全開だ!」

 

 ラジードの双眸の変化はデーモン化の兆候である。同時に彼の炎熱装具クラーグが変形する。

 まるで生きているかのように全身を覆い始め、生きた甲冑のようにラジードの全身を覆う。赤き装具に全身を覆われたラジードは、狼の如き獣のような兜によって頭部を覆い尽くされる。

 デーモン化の追加強化……それこそが炎熱装具クラーグの真骨頂である。ラジードの意向によって、よりデーモン化による戦闘を視野に入れた変形機構が施された。

 いいや、それはもはや変形の域を超えた『変異』である。だが、GRは当然のようにこの機構を組み込んだとされている。まるで、既により秀でた……より危険な『作品』を持っていると言わんばかりに大した熱量もなかった。

 その後、砂塵喰らいがラジードを捉えることはなかった。瞬間的な炎熱加速に疑似ステップを組み合わせた急激な緩急変化による加速によって翻弄し、反逆の大剣によって自慢の外皮は突破され、退魔剣による炎と斬撃に惑わされ、銃撃と連斬の前に沈んだ。

 ほどなくして異名グラン・ワームも討伐され、彼らの帰還は多くの報道ギルドによって、ラストサンクチュアリ壊滅作戦で不安に溢れていたDBOにて新たな話題として脚光を浴びることになった。

 何よりも重要だったのは、少数による2体の異名持ち撃破は、強大なネームドに対する個人の『質』の優位性を改めて知らしめたのである。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

「GRってさぁ、加減って知らないよねぇ。太陽の狩猟団に技術供与し過ぎじゃない?」

 

「必要な素材と技術を手に入れる為さ。それにキミたちだって、いつまでも自分たちの専売特許とは思っていなかっただろう?」

 

「確かにな。ラスト・レイヴンにはまだまだ届かないとはいえ、GAの仕組み自体は見事なものだ。太陽の狩猟団もサンライス専用装備の開発でかなりの技術蓄積があった。だが、貴様が手を貸したことによって、太陽の狩猟団が格段の進歩を手に入れたら責任はどう取るつもりだ? ん?」

 

 傭兵たちの憩いの場ワンモアタイムの2階の貸し切り部屋にて、世間を騒がす3人のHENTAI鍛冶屋は優雅なティータイムを楽しんでいた。

 ヘンリクセンとマユの兄妹の責めるような視線に、グリムロックは肩を竦める。

 

「別に問題ないさ。太陽の狩猟団に提供した技術は使い手と素材を極度に選ぶものばかりだからね。ラジードくんの専用装備から得られたデータがあったとしても、私たちの優位性は崩れない。それに銃と剣の変形機構自体はマユ君が教会に提供したものだろう? それが回り回って太陽の狩猟団も手に入れた。僕はそれを双剣として最大限にスペックを発揮できるようなアドバイスをしただけで、それ以降は太陽の狩猟団の工房の頑張りさ」

 

「……貴様の技術はいずれも使い手を無視し過ぎている。今の大ギルドが求める規格化と量産には向いていないな。せいぜいがハイエンド化に幾らか役に立つ『かもしれない』くらいか」

 

「GRの技術は本当に『専用』って枠組みに特化され過ぎてるもんねぇ。でもさ、この紙面にある炎熱加速機構……マユの予想だと【若狼】の魔力量だと短時間しか無理だとおもうんだよねぇ。もしかして、ソウル・ジェネレーター技術も売ったの!? あれは3人で絶対に公開しないって約束したでしょ!?」

 

 鬼気迫るマユの追及に、グリムロックは慌てるなとばかりに珈琲を口にする。

 

「私もソウル・ジェネレーターの技術を売ったりしないさ。でも、彼らは既に近しい技術を持っていた。結果として、炎熱装具クラーグにもソウル・ジェネレーターに類似した装置が組み込まれてしまったのさ」

 

「……なるほどな。大ギルドの工房もやはり侮れないな。俺達など所詮は個人だ。素材も資源も時間も限りがある。だが、奴らには俺達以上の開発環境も、人員も、素材も準備できる。ソウル・ジェネレーターの技術も大ギルドならば、いずれは獲得していただろうしな。だが、問題はやはり小型化と安定性だろう。それに貴様は『類似』と称した。実際には既存のソウル・ジェネレーターとは別物ということだろう」

 

「さすがはヘンリクセンだね。確かに補助としてソウル・ジェネレーターに類似した装置が組み込まれているけど、これが装具全体に仕込まれているお陰で安定性で言えばソウル・ジェネレーターよりは上かな?」

 

「だが、ソウル・ジェネレーター程の高出力でもない、ということか。分散化させて安定性を選んだのではなく『そうするしかなかった』。小型化と高出力安定化までは大ギルドもたどり着けなかったわけだ」

 

 HENTAI鍛冶屋製のソウルジェネレーターの方がトータル的にはハイスペックなのは間違いないだろう、とグリムロックは評価を下した。とはいえ、ラジードの場合は脚部限定装着ということもあり、むしろ今回の分散型による低出力安定スタイルの方がむしろ修理面やバトルスタイル的にも最適である、とも言い換えることができる。

 

「でも、デーモン化形態は別だね。あれはデーモン化を外装で『上書き』するようなものでね。デーモン化の影響で出力が大幅に跳ね上がる」

 

「ふむ、デーモン化を前提とした強化か。貴様の入れ知恵か?」

 

「私は元からあった技術を提供しただけさ。別にこちらの腹は痛まないし、面白いデータも取れたよ。フフフ、お陰で開発が捗ったよ」

 

 しかし、驚くべきはラジードの戦闘能力だ。今回が炎熱装具クラーグも含めて全装備の初陣だったはずである。まだ調整中でありながら、これほどの戦果だ。特に銃撃に関してはまだまだ練習不足だったはずである。本人曰く、クロスボウを用いた射撃の特訓を行っていたらしく、故に扱いにも通じるものはあるということであるが、さすがは太陽の狩猟団のエースと言うべきだろう。

 

「それにソウル・ジェネレーター関連で言えば、マユくんの強みの1つは変形機構に付随した小型化だからね。小型と言えば、ハンドガンのサイズにあれだけの機構を組み込み、なおかつ耐久度を確保する。見事だよ」

 

「マユに言わせれば、贄姫とか魔剣もぶっ壊れ性能だと思いまーす。ハァ、キリりんに変形武器の適性があれば、もっと面白い武器作ってあげられるのになぁ」

 

「フン。使い手を無視した武器など以ての外だ。専属は専属らしく、使い手に合わせた装備を開発・提供すべきだ。どれだけ優れた素材、秀でた技術で開発しようとも、使い手を無視していたら負担で潰し、本来のポテンシャルを発揮できなくなる」

 

 ヘンリクセンに睨まれたグリムロックは苦笑する。マユへの忠告と見せかけたグリムロックに対する警告だ。VOBの開発にはヘンリクセンも1枚噛んでいるのであるが、彼はあくまでラスト・レイヴンのように、使用者を超スピードから保護する機構を備えることを前提としていたのだ。グリムロックがクゥリのダメージを無視してVOBを使用したことには極めて批判的な立場を取っている。

 だが、お陰で実用データが得られたではないか。グリムロックは不思議に思わずにはいられない。結果としてクゥリは生存し、【黒の剣士】を戦闘不能に追い込み、白の都を陥落させた。VOBあってこその戦果である。

 もちろん、内臓が潰れ、骨が粉々になったことによって、本来ならば戦闘続行は不可能だろう。だが、クゥリの体内は白木の根によって補強されており、たとえ全身が砕かれようとも戦闘できるように仕上げている。グリムロックはちゃんと『戦闘できる』と確信した上でVOBを使用したのだ。

 

「それはそうと、スミスのデーモン化も上手く利用できないかと思っていたところだ。どうだ? 炎熱装具クラーグのデーモン化時のデータについて取引する気はないか?」

 

「マユも! マユも欲しい! ちょーっとやりたい事があるんだけど、あと1歩が足りない感じなんだ!」

 

「そうだね。では、私も欲しいデータがあるし、取引成立といこうじゃないか」

 

 3人ともそれぞれの開発スタンスがあり、それぞれのやり方がある。故に互いの手口を理解しながらも情報・技術・素材を求める。今回の技術交流も互いの奥の手は隠し合いながらも、有用な技術を求め合う、何処までならばテーブルに載せられるかを見極め合う戦いなのだ。

 ラストサンクチュアリ壊滅作戦にて、グリムロックが最も遺憾だったのはミディールだ。

 ミディールは確かに強力だ。紫雷弾、収束雷弾、雷弾伝導、レールガン、ミディールの白光と火力において非の打ち所がない。接近戦も可能ともなれば万能兵器だ。闇雷爆発によるHP・スタミナ削りも対人戦では猛威を振るうだろう。

 だが、その一方で火力に特化し過ぎた弊害もあった。クゥリだからこそ動き回りながらでも撃てるが、本来ならば≪光銃≫カテゴリーではありえない程の反動があるのである。クゥリは驚異的な偏差射撃と雷弾のばら撒きによってキリトを追い詰めたが、徐々に対応されていったのは、この大き過ぎる反動が枷になってしまったからだ。

 より大型の相手ならば、よりスピードのない相手ならば、現状のミディールでも十分に立ち回れる。だが、小型でスピードがあり、なおかつミディールの特性を理解して立ち回れる相手であるならば、あの反動が大きなマイナスになってしまうのだ。

 何よりも連射性と装弾性に特化したレールガンがほぼ死んだ機能になってしまっている。ミディールの白光の誘導性を与えるのでレールガンとしては機能しているが、それでは『一撃必殺』の元来のレールガンと何が変わっているだろうか?

 

(分離・合体機構か。ミディールも……ふむ、そうなると是非とも『アレ』が欲しいな。何とかして手に入らないものかな?)

 

 現状で『アレ』を持っているのは1人だけだ。だが、簡単には譲ってくれないだろう。どうにかして取引はできないものかとグリムロックは考えるも名案は思い浮かばない。

 

「話は変わるが、無視できない情報があった」

 

 注文のパフェが届き、舌鼓を打つマユを兄の目で思わず見ていたヘンリクセンは、顔を引き締めるように新たな話題を持ち出す。

 

「貴様の言っていたソウル・ジェネレーターの類似技術にも関わる件だ。おそらくだが、太陽の狩猟団とクラウドアースは裏で共同研究をしていたと見える。クラウドアースはGAとは異なる新たな機動防具を正式発表するようだ。いずれはお披露目があるだろう」

 

「まったく、これだから大資本は厄介だね」

 

 ヘンリクセンの言葉が重くのしかかる。結局のところ、グリムロック達は『個人』なのだ。3大ギルドの資本力を前にすれば抗いようがない。故に3人ともそれぞれ方向性こそ異なるが専属の『専用性』という面を大なり小なり重視した技術開発にも勤しんでいる。グリムロックの場合、専用技術が2人に比べても歪過ぎて性能を引き下げても汎用性を獲得できないものばかりであるだけである。故に、3大ギルドが実際に欲しい鍛冶屋で言えば、ヘンリクセン>マユ>グリムロックの優先順位になるだろう。

 

「でもさ、仕方ないって諦めたくないけど、マユたちがどれだけ頑張ったって大ギルド無しでは装備を開発できないのも事実なんだよ。キリりんたちがどれだけ希少素材を集めてくれても、それだけで装備が開発できるわけじゃないからね」

 

「大ギルドが生み出す様々な基礎素材は絶対的に不可欠だ。銃弾やエネルギー弾倉も、やはり大ギルドの方が生産力も平均的な質も上で頼らざるを得んな」

 

「個人クラスの工房が銃弾を作ろうものなら、まずはコストとの戦いになるからね」

 

「修理素材1つを取ってもマユ達では自己完結は無理だもんね」

 

 たとえ、ユニークソウルというDBOでも唯一無二の素材があるとしても、それだけで装備は成り立たない。多くの素材が必要となるのだ。そして、その全てを専属プレイヤーが集めることもまたできない。市場で購入するなり、何らかの伝手で大ギルドや業者から融通してもらうなり、何にしても単独で完結するのは、性能を追求するならば、どうしても不可能になってしまうのだ。

 たとえば、市場で人気を高めているイジェン鋼であるが、グリムロックでは絶対に生産できない。できるとしてもコストが見合わなさ過ぎてまともに供給などできないのだ。

 複数の素材を組み合わせて素材Aを作り出し、同じ工程を辿った素材Bや素材Cと組み合わせて素材Dを準備する。また似たり寄ったりの工程を経た素材E、素材F、素材Gを組み合わせてようやく求める素材が完成する。金属素材ならば更にそこに純度が存在し、設備によって高められるとはいえ、最終的にはランダム性がかかる為に生産数が物を言う。

 結論、大資本でもなければ良質な素材の供給は不可能だ。だからこそ、銃弾などの素材の品質が物を言う大量生産品において、個人の工房ではコスト面からもほぼ勝ち目がないのである。

 グリムロックが開発するクゥリ専用の投げナイフにしても、特殊な機構を仕込むことはグリムロックにできても、元となる素材の過半は大ギルドや傘下ギルドが生産したものだ。

 

「だが、これこそが自然の流れでもあるだろうな。現実世界でもそうであるように、より強大な資本力を持つ勢力こそが最新技術を手に入れる。俺達の優位性も『人材』を多く抱える大ギルドにいずれは上回られることになるだろう」

 

「そうかなぁ。おにぃの言い分も尤もだけど、現実世界とDBOは同じじゃないでしょ? 組織には組織のしがらみがある分、発想力と実現できる腕前が物を言う世界なんだから、マユたちみたいな個人の工房はこの先も無くならないと思うな!」

 

「悲観してもしょうがないさ。できることを全力でやるだけだからね」

 

 とはいえ、差を詰められつつあるのは事実である。太陽の狩猟団の工房にはグリムロックも思わず唸ったものだ。だからこそ、このまま大人しく大ギルドの言いなりになる工房でもないという不思議な確信もあった。

 

「太陽の狩猟団もどうやら自信作があるようだしね。今回のラジードくんたちの活躍は大きな誤算だったんじゃないかな?」

 

「ほう? つまりは『個人の戦力』に頼らずともネームドを撃破する術を手に入れた……ということか?」

 

「さぁ、私にも分からないな。だけど、対モンスター、対人、対集団……これからはより細分化されていくだろうね」

 

 これからはGvG……より対人集団戦に特化した装備やスタイルにも注目が集まっていくだろう。生憎であるが、これらは3人にとって専門外であり、むしろ本日の会合に不参加である教会の工房の実質的な責任者であるイドの得意分野である。

 

「あ、キリりんからメールだ。メイデンハーツの受け取りがしたいって……まだ改修完了してないよ! マユはGRみたいにぶっつけ本番はしないの! ちゃんと性能実験とか重ねて、重ねて、重ねまくってからお渡しするの!」

 

「まったくだ。分かっているのか? 貴様はやはり使い手を無視し過ぎている。もう少し試行錯誤と調整を重ねてから渡してやれ」

 

「それなりに調整はしているのだけどね。でもさ、どうせ……壊されるからね。だったら改修前提で逐次投入した方がマシなのさ」

 

「「…………」」

 

 その時、兄妹の心は1つとなり、グリムロックの肩を優しく叩いた。人の温もりに触れ、狂気に溺れた鍛冶屋は……泣いた。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

「で? 返事は?」

 

「『頭おかしいの?』だってさ。ほら、俺の言った通りじゃないか。1週間やそこらで何とかなるもんじゃないよ。素材だって不足しているのにさ」

 

「いや、グリムロックなら1晩でやってくれるぞ?」

 

「そっちがおかしいんじゃないか? 俺も専門じゃないから分からないけどさ」

 

 そうなのか? アイツ、ラジードの専用装備を太陽の狩猟団の工房と組んで3日で完成させたって聞いたぞ? オレの時も大体は『1晩で何とかしたよ!』みたいなノリだしな。まぁ、素材やら加工やらの手間を考えれば、グリムロックの場合は事前準備も割と済んでるっぽいし、キリトのメイデン・ハーツの改修に時間がかかるのも仕方ないのかもしれないな。

 

「とりあえず変装だな。あと聖剣禁止。それ背負ってたら『俺、キリトです!』って広告を担いでいるのと同じだからな」

 

「変装か。OK、準備してくるよ」

 

 俺達は傭兵寮に1度戻り、それぞれの準備をしてから合流することになった。

 今回の依頼は激しい戦闘こそ予想されない……というか、すべきじゃない。あくまでレモネーの捜索がメインだ。交戦は最低限に済まさねばならない。いや、そうじゃなくて、そもそも戦わない前提くらいの気持ちでなければならない。

 現在、オレのメインウェポンの大半はグリムロックに預けられている。贄姫、日蝕の魔剣、ミディール……いずれも手元にない。パラサイト・イヴだけ優先的に修理を施してもらったのだ。

 どうやら旭光ノ妖刀で最も負荷をかけたのはパラサイト・イヴだったらしい。旭光ノ妖刀解放後、パラサイト・イヴは暴走状態にあったらしい。

 心臓と同化しているパラサイト・イヴの暴走は死と同じ意味を持つ。パラサイト・イヴが自己崩壊したならば、巻き込まれてオレの心臓も破壊されてHPは全壊だろう。他にもどのような問題が発生するか分からないらしい。加えて緋血の過剰供給によって贄姫側がオーバーフローして崩壊……なんてこともあり得る。

 何にしても旭光ノ妖刀は『対単体限定能力』という事になった。あくまでモンスター1体、プレイヤー1人を殺しきるのが『限界』ということだ。何それ、使い勝手が悪い。

 ……もういっそ対キリト用でいいのではないだろうか? そもそも旭光ノ妖刀って致命的な精神負荷の受容と獣性解放が大前提だしな。

 イジェン鋼のハンマーはキリトに見せたら嫌な顔されそうだしな。氷結のレガリアとパラサイト・イヴもあるし、これだけでいいだろう。装備はしないが、イジェン鋼の太刀も持っていこう。

 

「ん? グリムロックとエドガーから荷物か?」

 

 傭兵寮の部屋の中央には木箱が2つ置いてある。片方はグリムロックが持ち込んだもので、もう片方はエドガーからの荷物のようだ。

 グリムロック側の荷物は……『白夜の狩装束(2分の1)』である。2分の1とは? ああ、インナー装備だけなのね。まぁ、これが白木の根の発生元だし、必要不可欠ではあるんだよな。コートやら籠手やら何やらは限定解放のデーモンの息吹とか白夜の魔獣状態とか四肢・全体を侵蝕に不可欠なだけだしな。

 ふむ、籠手だけは間に合ったか。指との密着性が高いグローブであり、手首のところには投げナイフ射出機構が組み込まれている。かなり小型されていて、元々は耐久度やらワイヤーの劣化やらでメンテナンスが大変だったのだが、蜘蛛姫のソウルのお陰でより小型化とワイヤー無限供給が可能になった。まぁ、最大の長さには上限があるのだがな。

 しかし、ブーツが間に合わなかったとなると天蜘蛛は使用不可か。あくまでインナー装備がメインで、コートやら具足やらは出力先であり、これらが破損・破壊されると能力が発揮できなくなる。代わりに修理費がお高くともインナー装備が割と無事なら何とかなるといった仕組みだ。グリムロックの微妙な保身精神が見て取れるな。

 

「なんかデザイン……変わったか?」

 

 いや、別にデザイン諸々は気にしないんだがな。ああ、オレの要望を叶える次いでか。なるほどな。

 密着性が高い黒色のノースリーブであったのだが、二の腕には交差するように帯が絡みつき、肘から指の付け根まで完全に覆われる。足も太腿には黒い帯が二の腕と同じように交差しながら絡みつき、膝から下は靴下のように完全に覆う。まるで蔦のようであり、帯も実際によくよく見るとそうしたデザインなのだ。変更されているのは首元であり、首にも2本の帯が絡みつき、更に首を守る為に首輪も追加されている。鎖骨も露になっていて、もはやショルダーオフ……と見せかけて、透明性の高い素材なのか。わざわざ鎖骨の透視性を上げた意味は? まぁ、普段はコートで隠れるから別にいいんだけどな。

 

「『グリムロック殿と厳正な審議をして、【渡り鳥】殿用にデザインし直しました。素材はグリムロック殿にいただいているのでご安心を』……って、アイツら何やってるんだ?」

 

 まぁ、これでエドガーからの荷物が届いているのも納得なのであるが、贄姫等の改修が遅れているのはエドガーと何か企んでいたからなのか。

 なんだ、新しい教会服か。以前のものに比べても隠密ボーナスや全体的な防御力も高めだ。ありがたく受け取っておこう。

 

「……前々から思っていたが、なんでこんなに襟が広いんだ?」

 

 どうやら白夜の狩装束のインナー装備とも組み合わせられるような配慮あるデザインのようであるが、その熱意の根源はなんだ? まぁ、ブーツもセットなのは嬉しいけどさ。

 ふむ、この首輪で白木の根の戦闘モードのオン・オフ切り替えだな。戦闘時はより本格的に痛覚代用できるように全身に白木の根を張り巡らさねばならないが、普段はそこまで要らないからな。

 

「首輪付きねぇ」

 

 大ギルドに首輪を付けられた傭兵にはある意味で相応しいか? まぁ、グリムロックにはそんな目的はないかもしれないが、グリセルダさんの口出しはあるかもしれないな。こういうデザインには何かしら政治的メッセージが組み込まれているものだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「それでね、クゥリ君のインナー装備を再デザインすることになったんだけど、クゥリ君に首輪というアンマッチ……エロいと思わないかい?」

 

「ねぇ、GRは何処に行きたいの? あの世に行きたいの?」

 

「貴様のイカれっぷりを理解した気になっていたのは、どうやら俺の勘違いだったようだな」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 あとは眼帯も外せないが、エンブレム入りの仕事用の眼帯は駄目だしな。無地の黒でいいだろう。特に効果はないが、義眼を隠すのが目的だしな。そもそもフードを被れば顔も隠れるのだが、両目が揃っていると視覚情報的に頭が痛くなる。VR適性低いと本当に嫌になるな。視界が剣山同然だ。

 これでよし。鏡の前でくるりと回ってみれば、どう見てもオレ……だな。いっそ顔でも潰すか? まぁ、面倒臭いからやらないけどな。変装とも呼べない、『いつも通り』の街歩き用装備だが、これが1番目立たないのも確かだ。

 ん? このフード……ああ、そういう能力なのか。グリムロックめ、随分と金を注ぎ込んだようだな。

 一応マフラーも持っていくか。この寒さでこの襟はなぁ……さすがに対策はされているが、外に出てみて寒かったってオチはな。まぁ、デーモンの王子のソウルが組み込まれてるから寒冷耐性は間違いなく万全なんですけどね!

 さてと……キリトからメールが来たな。どうやら傭兵寮の裏口で待機しているらしい。急がないとな。

 

「あ」

 

「おや」

 

 玄関ドアを開けた先では、仕事帰りらしいカイザーの兄貴だ。という事はスミスも帰ってきているみたいだな。

 んー、ラストサンクチュアリ壊滅作戦後も割と変わらぬ態度で接してくれるのはさすがカイザーの兄貴、精神力が違うな。ここは挨拶を欠かすべきではないだろう。

 

「お疲れ様です、カイザーの兄貴。仕事の方は――」

 

「……ぐはっ!?」

 

 カイザーの兄貴が……吹っ飛んだ!? まさか、また攻撃を受けて!? しかもHPはまるで減っていないのに顔面血塗れだと!?

 狙われているのはオレか、それともカイザーの兄貴か? どちらにしても、この廊下はまずい! 即座に階段を駆け下り、キリトが待つ裏口に向かう。

 いた! あの真っ黒……間違いない!

 真っ黒サングラスにオールバックにした髪。無駄にギラギラ光るアクセサリーを身に着け、ご丁寧に耳には4連ピアスまで! なんという絵に描いたようなチンピラなんだ!

 

「キリト、いくぞ!」

 

「え? あ!?」

 

 キリトの手を掴み、オレは傭兵寮の裏口から駆け出す。まったく、サインズはもう少しセキュリティ面の強化をしてもらいたいものだ! やはり新居の手配は急務だな!

 裏口から続く小道を駆け、間もなく大通りということもあってフードを被る……前にキリトへと向き直る。

 

「悪いな。カイザーの兄貴が謎の奇襲を受けて……」

 

 ん? なんだ? キリトの顔が硬直して、なんか頬が赤くなってるぞ?

 

「し、しか……」

 

「鹿? おい、どうした? もしかして寒過ぎてバグったか? マフラーを忘れたならこのオレが貸してやらんこともないぞ?」

 

 オレはキリトに近寄って顔を覗き込む。ふむ、鼻水は出てないな。この無駄にイケメンに成長した黒助が鼻水ダラダラの間抜け面だったら大笑いしてやろうと思ったのだが。

 つーか、背……高っ! コイツ、なんなの!? オレとオマエ、何処でこんなに差がついたの!? イケメンのくせに高身長とかふざけんなよ! いや、イケメンと高身長はむしろ由緒正しきセットか?

 よし、殺そう。いつか必ず殺そう。絶対に殺そう。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 俺はハッキリと言いたい。今までも1度としてクゥリを『同性』以外で認識したことはない……と。キリトは念仏のようにそう心の内で唱えた。

 

(嘘だ! ごめん! 本当は初対面の時、胸の内で『あの【渡り鳥】が女の子ぉおおお!?』って驚いてました! キミを女の子扱いしたプレイヤーを半殺しにしているのを見て、ようやく男だって把握しました!)

 

 もちろん、それ以後はクゥリの性別を間違えたことはない。そもそも友人関係に男女など関係なく、クゥリ自身も自分は男だとばかりに振る舞い、また同じ男として接してくれているのは明らかだったからだ。だからこそ、キリトも自然と慣れていった。今日、この瞬間まで、長年に亘って培われた認識が揺らぐことはなかった。

 だが、あまりにも破壊力が高過ぎた。目の前のクゥリによって、男女を超越した『性別:クゥリ』という枠組みに危うく、何の不自然さもなく、元からそうであったかのように、認識が書き換えられそうになってしまったのだ。

 クゥリが纏っているのは教会服だろう。修道服とも異なる、神灰教会の特徴を濃く表した白を基調とした装束だ。ローブ風であり、裾は優しく広がって動きやすさも重視しつつ、おしゃれポイントであるブーツをしっかり見せて魅せる拘りを感じる。袖はやや広めかつ長めであり、クゥリの手の甲付近まで隠す仕様だ。袖に縫い込まれた金糸や煌びやかさこそないが上品な草紋である。全体的にゆったりとして清楚なデザインはまさに教会服に相応しい。

 だが、襟……広めの襟は断じて否! 鎖骨を大きく露わにさせるだけではない。インナー装備だ。鎖骨を大きく露わにさせながら、黒い帯が左右より首で交差して絡みつき、首輪を模したチョーカーと合流している。教会服によって溢れんばかりの清楚さがありながら、純朴と思える程に広がった襟とは裏腹の煽情的にすら映える黒のインナー装備のデザインによって、クゥリが持つ可憐にして美麗なる容姿をこれでもかと引き上げている。

 この教会服とインナー装備をデザインした連中は……天才だ。『美』とは何たるかを熟知した輩だ。故に精神が汚染される!

 

『ほう、貴様もこっちに来るか? 良かろう! ならば叫べ! 然り! 然り! 然りぃいいいいいいいい!』

 

「し、しか……」

 

 させるかぁあああああああああああ!? 舌を噛んで堪え、YARCAの誘いを友情で押し返す男、キリト! 伊達に鉄の城を経て、捩じれて歪んだ挙句に殺し合っても続く友愛を結んでいないのだ! キリトの抵抗力の高さにYARCAの誘いは困惑と共に霧散する!

 

「鹿? おい、どうした? もしかして寒過ぎてバグったか? マフラーを忘れたならこのオレが貸してやらんこともないぞ?」

 

 だが、そこに追撃……来たる。ぴょんと可愛らしく踏み込んだ、しかもご丁寧にキリトが対処しきれない気配殺しも含めたクゥリは悪戯っぽく笑みながらキリトを見上げる。

 この時、キリトは自分の成長を……身長を初めて呪った。キリト、現在175センチと絶賛成長中! 対するキリトの目算ではクゥリはせいぜい160センチ前後だろう。

 15センチ差。それは悪魔の数値。クゥリの上目遣いが強烈にヒットする射程圏内! しかもキリト相手という事もあり、普段の万能微笑みではなく、親しい間柄でもまずキリトくらいにしか見せることはないだろう小悪魔スマイル付きである!

 

『さぁ、叫べ! 魂を解放しろ! 貴様も真実を求めるのだ! 然り! 然り! 然りぃいいいいいいいいいいい!』

 

「負けるかぁあああああああああああああああ!」

 

 性別を超越した中性美の結晶にして正気を奪う程の美貌+魅力極限引き出し服デザイン+無防備小悪魔スマイル上目遣い……このコンボに耐えられる者がいるはずもなかった。しかも自分だけを注視してくれているという謎過ぎる独占欲まで湧き出すのだから、もはや理性も本能も焼き切ってしまうだろう。

 だが、男キリト……仮面を打ち砕いた時の3倍以上のパワーで自らの顔面を打ち抜く! その破壊力は自分自身を数メートル先まで吹き飛ばす程であり、キリトは冷たい……ごみが散乱する路上で大の字になって倒れる。

 

「お、おい……急にどうし――」

 

「待った! そこで待機! 頼む!」

 

 クゥリは駆け寄ろうとする。ならば必然的に前屈みになって手を出すだろう。その時、黒のインナー装備に覆われているとはいえ、広い襟から見えるのは……そこまで想像し、キリトは手を使わずに足だけで立ち上がる。

 精神安定万全。友愛……覚悟終了! キリトは再び目を見開く。目の前にいる、何が何やらと困惑しているクゥリに何も感じない。彼は男だ。マイフレンド……マイベストフレンド! キリトは拳で流れた鼻血に勝利を見出す。これはダメージエフェクトだ。HPが減っているのはその証拠だ。興奮による感情のオーバー表現による鼻血ではない。それが途方もなく……嬉しかった。

 

「クー! ごめん! 本当にごめん! 俺……負けかけた! でも、勝ったぞ!」

 

「お、おう? よかったな。おめでとう。で、マフラー要るか?」

 

「大丈夫だ。防寒はばっちりだからさ」

 

「そうか。じゃあ行くぞ。『いつも通り』だ。1に現場確認、2に関係者の調査」

 

「3に過去の類似ケースの調査、4に因果関係の確認」

 

「そして、最後は実力行使だ」

 

「いや、駄目だろ。理性的な積み重ねを最後の最後に暴力で台無しにするのはキミの悪い癖だ!」

 

「そう言うオマエも平和的解決よりも剣で脅す方が手っ取り早いと思ってるんだろ?」

 

「悪かった。発言を取り消す。全面的に俺が悪かった」

 

 つい先日もエイジに対して最悪な態度を取った上で相手の話も聞かずに実力行使で捕縛しようとしたばかりだ。事情を知らないとはいえ、クゥリは的確にキリトの精神にクリティカルダメージを与えた。口は禍の元。自分のことを棚上げにした発言は、大地震で落下してきて脳天直撃するまでが因果応報というものである。

 

「まずは現場に行って、周辺の聞き込みだ。オマエの推理もその時に聞く」

 

 クゥリはフードを被る所作をして、だがキリトにはクゥリの顔が依然として見えていた。驚いた彼に、クゥリは自慢げにフフンと笑う。

 

「いいだろう! 素材に【友誼の糸】が使われていてな。フレンド登録して認可した相手にはフードが見えなくて素顔をちゃんと見せられる仕組みなんだ。レア素材みたいだぞ」

 

「ああ、聞いたことがあるな。俺も仮面に組み込みたかったけど、相性もあるみたいで無理だったんだ」

 

「なんだ。知ってたのか。このゲーマー魂全開のアイテム知識の倉庫め。くたばれ」

 

「いやいや、俺もDBOについては1割も把握していないよ。むしろ知らないことだらけさ」

 

 謙遜ではなく本当である。ゲーマーとしてのプライドもあるキリトであるが、DBOについては圧倒的に知識量が不足していた。

 クゥリは長い白髪を1本に編み、左肩から垂らしている。その姿はキリトの目には映るが、反射したガラスには彼が目深くフードをかぶっている姿が映っていた。

 

(あくまで本人の直視以外には無効ってわけか)

 

 色々と使えそうな素材だ。マユにも紹介しよう。キリトは友誼の糸にどんな使い道があるだろうかと考えていれば、周囲の視線が突き刺さり始めたことに気づく。

 

「ねぇ、アレ何?」

 

「チンピラが教会の女の子を連れてるわ」

 

「もしかして誘拐じゃないの!?」

 

「教会剣に連絡した方がいいんじゃないか?」

 

「雰囲気だけで分かる! 絶対に……絶対に可愛いぞ! あの野郎、許せん! 教会剣を呼んでやる!」

 

 あ、これヤバい。調査うんぬん以前に教会剣に逮捕されるルートだ。キリトは瞬時に状況を把握して場を脱しようとするが、肝心のクゥリがいつの間にか隣にいなかった。

 

「おい、見ろ。雪だるまのアイスキャンディだぞ。凝ってるよなぁ。さすがクリスマスシーズン」

 

 ……そうだった! クーは基本的にフリーダムな奴だった! キリトはアインクラッドで起きた、クゥリが巻き込まれた数々の事件を思い返す。マイベストフレンドは目を離したらいつの間にかいなくなって毎度の如くトラブルの渦中にいるのだ! その度にキリトは多くのトラブルに首を突っ込む羽目になった!

 

「へへへ、自信作ですよ! どうです? そこのチャラいカレシさんにおねだりしてみては?」

 

「HAHAHA! 誰が誰のカレシですか? アナタ、どうやら死にた――」

 

「アイスキャンディください!」

 

「毎度あり!」

 

 1本1000コル……高っ! だが、背に腹は代えられない! キリトはアイスキャンディを買うとクゥリの背中を押して迅速に離脱する。

 人気がない路地裏にクゥリを押し込み、何とか人目から逃れたキリトは息をつく。

 

「あのアイス屋、客を見る目がまるで備わってない。ダイレクトマーケティングして完売御礼で泣かせてやる」

 

「そこで悪評を流してやるって言わないのがクーらしいよなぁ」

 

 だけど、今のキミが口コミしても逆効果だと思うぞ、とはキリトも言えなかった。彼の悪評の深刻化はラストサンクチュアリ壊滅作戦が原因であり、たとえ軽口でも容易に吐き出せるものではなかった。

 いいや、違う。キリトは購入したアイスキャンディに視線を落としながら、どうにかしてクゥリの評判を元通りに……いいや、よりプラスに傾けることはできないだろうかと考える。

 キリトが積極的にクゥリと協働依頼を申し込もうと企んでいるのも、たとえ自分の評判に傷つくことになるとしても、今の自分だからこそ一緒に仕事をすればクゥリの世間の見る目も変わるのではないだろうかと考えているからだ。

 今回の仕事の協働もグリセルダからのリークによるものであるが、積極的な参加はキリトなりの配慮の表れだった。

 

「しかし、真冬にアイスねぇ。雪だるまは愛らしいが、売れるのか?」

 

「夏にアツアツの料理を食べてしまうように、冬にはキンキンに冷えたモノを嗜みたい。それが人間なんだろうな」

 

「ふーん、どうでもいい」

 

「キミは……本当に……」

 

 自分で尋ねておいてそれか。キリトは溜め息1つにアイスキャンディを差し出す。

 

「くれるのか?」

 

「甘いものに目がないのがキミだろ? どれだけスイーツ食材のモンスターを一緒に狩ったと思ってるんだ?」

 

「……そういえば、そんな事もあったかもな」

 

 懐かしきアインクラッドの思い出だ。クゥリはキリトに頼むことはなく、また本人もわざわざ狩ろうとしていなかったが、興味津々なのは目と表情からも明白であり、キリトが自発的に誘って何度なく甘味が関わる関連のイベントをクリアしたのである。

 

「見た目は可愛いけど、味はどうなんだ?」

 

「んー、どうだろうなぁ。食感が不思議な感じだ。アイスキャンディらしく硬い見た目に反して、舌でふんわりと溶ける優しさがある」

 

「いや、俺は味を訊いてるんだけどな」

 

 ぺろりと舌でアイスキャンディを舐めるクゥリに、キリトは男女の垣根を越えて魅了する魔性を覚える。雪だるまの形をしたアイスキャンディを熱が籠った舌で可愛らしく舐めとっていく様は、幼子のような純朴さと微笑ましさと同居する、精神を食い荒らして正気を奪い取るかのような妖艶さが毒のように滲み出ていた。

 

「ジロジロ見て、どうした?」

 

「い、いやぁ、冬に野外でアイスなんて寒くないのかなぁってさ! ほら! その格好も防寒面に不備があるしさ!?」

 

「あー、このインナー装備か。専属がオマエとの戦闘とオレの意見を取り入れて早速改造したらしいんだが、デザインまで変わっちゃってな。オレとしてはもう少しシンプルでも構わなかったんだけどな」

 

 ……まだ1週間しか経っていないのに、もう改造が済んだのか? キリトは軽い戦慄を覚える。

 装備の強化・改造とは、言うまでもなくお手頃感覚で行うものではない。強化できる回数は限られており、また改造した場合は武器ならば熟練度が減少、もしくはリセットされて攻撃力の低下を招くからだ。防具は熟練度等の設定こそないが、改造した分だけ当然ながら性能を発揮するのに装備条件のレベルや要求ステータスが高くなる。

 強化にしても改造にしても莫大なコストがかかり、度合によっては完全新品を手配するのに匹敵する程だ。たとえば、1段階でも強化を施しているかいないかで、武器でも防具でも無視できない性能差が表れるのだ。当然ながら、ここにも大ギルド・有力ギルドとその他中小ギルドの大きな経済力の格差が現れる。個人で装備をフル強化・万全の改造を施せるのは、せいぜいが傭兵くらいなものであるし、その傭兵にしても専属でもない独立傭兵に至っては満足のいく強化・改造を施せているのは、大ギルドからの依頼がメインとされるクゥリ、あらゆるミッションにおいて求められる結果を出す理想的な傭兵のスミス、運び屋という特殊性を持つRDといった特異なタイプくらいである。

 

(そういえば、クーって散財しないタイプだしな。仕事で稼いだ金を装備にオールイン……なんてこともありそうだな)

 

 傭兵は仕事が終わって報酬が入れば個々人にもよるが、まずは我が身・関係者を労うべく祝宴を行う者が過半だ。もちろん仕事の規模にもよるが、ほとんどの傭兵が報酬から経費を差し引いて赤字でもない限り、決して小さくない額の散財をする。ワンモアタイムが毎日のように傭兵関係者で繁盛しているのは、極上の料理、最高の接客、サインズ本部と目と鼻の先、そして何よりも『暗黙の了解』で安全が確保されている為に、利用するのに打ってつけだからである。

 キリトにしても、ラストサンクチュアリ専属時代は、経費から差し引いてた報酬は、半分がラストサンクチュアリの経営費として渡し、半分から装備面の投資等々を行い、残りをプライベートに割り当てていた。それでも十分にやっていけたのは、傭兵が得られる報酬が……特に大ギルドの仕事がどれだけ高額報酬なのかが分かる。

 大ギルドからの仕事……それも裏仕事などの、日の光こそ当たらないが重要性の高い依頼ばかりをこなしているとされるクゥリならば、相応の高額報酬となるだろう。経費や貯蓄を差し引いた、ほぼ全額を装備に投資しているのも、クゥリの性格ならば十分にあり得るとキリトは判断した。

 だが、それは果たして人間らしい生活を送れていると言えるだろうか。

 いかなる軍隊であろうとも、毎日が命のやり取りではない。大半は安全性が考慮された訓練だ。時には実戦に出ることもなく退役することもある。だが、DBOでは強くなる為には、より高レベルプレイヤーに至る為には、生死の狭間に立つことを要求される。

 毎日のようにダンジョンに繰り出す者は稀だ。レベリングにしても隔日でも多過ぎるとされている。特に高レベルプレイヤーがレベルアップするならば、たとえレベリングに適した狩場であっても、上位プレイヤーがパーティで挑んでももせいぜいが2時間が『精神的限界』とされている。

 キリトもSAO時代の慣れがあるとはいえ、高難度のDBOにおいてソロで延々と戦い続けるレベリングならば、せいぜいが3時間で切り上げる。それ以上は精神的疲労で死亡のリスクが大幅に高まるからだ。勝つか負けるかが問われる局面ならばともかく、レベリングにおいて死亡リスクをコントロールするのは当然である。

 大半の上位プレイヤーは経験値こそ手に入らないが、より実戦に適した、なおかつ安全性が配慮された、デュエルやトレーニング設備を利用するのである。特に後者はとにかく財力が物を言い、大半のトレーニング設備は大ギルドがギルドポイントや莫大なコルを投資して配備したものである。ここにも明確な経済格差があるのだ。

 だが、キリトとしては命の危険がないトレーニング設備をメインにして訓練を積んだプレイヤーは『脆い』と危険視している。安全が最大限配慮されたレベリングを行い、最低限の実戦しか経由していないが故に、いざ安全帯も無しにダンジョンに放り込まれれば、たとえレベル以下の水準であるとしても死亡率は決して低くないに違いない。ましてや、最前線など考えたくもない犠牲が出るだろう。

 徹底した安全が考慮されてレベルや装備ばかりを整えたプレイヤーを、常に最前線に身を置く傭兵や古参のトップ・上位プレイヤーは憐れみと蔑みを込めて『養殖プレイヤー』と呼ぶ者もいる。もちろん、訓練内容の見直しや装備水準の向上によって戦死率は引き下げられてこそいるが、それでも根本的な問題が解決されることはないだろう。

 そうした背景を考慮すれば、命懸けの戦いの後には思いっきり羽を伸ばし、欲望を満たすのは自然な流れだ。それは傭兵だろうとギルド所属だろうと変わらない。だが、クゥリにはそもそも、そうした当たり前の感覚が欠落している部分があった。本人は『意識的』に行おうとしている点もSAO時代には見られたが、まるで気を抜けば我が家に帰るかのように仕事か戦いだった。

 キリトが知る限り、SAO時代であってもクゥリは仕事と攻略、キリトとの付き合いを除けば、ぼーっとしているか、あるいは本を読んでいるか、そのどちらか以外をまともにしていた覚えがなかった。

 

『大ギルドの今後の動きはどうであれ、貴方とクゥリ君にはSAO時代の「完全攻略」という功績がある。クゥリ君はこの点を「虐殺者」という汚名で軽視、忘却されがちだけど、リターナーから集めた情報の限りだと「アインクラッドの白黒コンビ」と言えば「最強」以外の評価はなかったらしいじゃない』

 

『「最強」は大袈裟だよ。死んでいった人たちも含めて、一緒に戦ってくれた仲間がいたからこそ完全攻略できたんだ』

 

『そうだとしても、DBOで完全攻略に関与して、なおかつ「駒」として動かせるのは現時点で貴方達だけ。大半は墓の下か表舞台に出てこない。できれば、貴方には傭兵という舞台からも早々に退場して、何処かの適当な目立たないギルドに属してもらいたいのが私の本心だけど、辞めるつもりはないのでしょう? だからこそ、どうせ利用されるなら先手を打ちましょう』

 

『OK。そちらの意図は理解したよ。これからも定期的に情報交換するって事でいいか? 特にクーに関する大ギルドの動きをキャッチしたら、まずはグリセルダさんに連絡させてもらう』

 

『代わりに私も貴方の欲しい情報を提供する。交渉成立ね。でも、貴方にも守りたい人がいるはずだし、傭兵を続けるなら依頼主の秘密を守る最低限のコンプライアンスは順守しなさい。こちらもそれを前提にした取引よ。あと、大ギルドは「プロフェッショナルに徹するタイプの傭兵」であるクゥリ君とは違って、ライドウみたいな「感情・私欲を優先するタイプの傭兵」として貴方を分類しているはずよ。クゥリ君は「信頼」こそないけど「信用」されているわ。逆に貴方は大ギルドに「信頼」されているけど「信用」はされていない。貴方の目的が何であれ、大ギルドの専属になるのはお薦めしないわね。闇の奥深くに探し物があるなら、貴方を懐に入れてくれる相手を探しなさい。もっとも、私が知る限り、DBOの核心部に関する情報を貴方でも触れさせてくれそうな、獅子身中の虫になりかねない相手を迎えてくれそうな組織は1つだけね』

 

『……やっぱり教会か』

 

『個々の運営スタイルから目指す社会モデルが見え、実利で動き、時にはライバルであろうとも握手する政治を心得ている。大ギルドは謀を駆使する憎たらしい輩だとしても、まだ理解ができる相手よ。でも、教会は違う。私はもちろん、圧倒的な情報収集能力を持つ大ギルドの上層部でさえ底が見えない連中。彼らを一言で表すならば「狂信者」以外にないわ。狂信者にロジカルな思考はない。教会に入り込むなら覚悟しなさい。もっとも、あちら側も貴方を放っておくとも思えないけど』

 

『その時は覚悟するさ。教会も1つの選択肢だからな。でも、クーのマネージャー……あのグリセルダさんとこうして手を組めるなんて、感慨深いな』

 

『グリムロックが起こした事件の顛末は知っているし、迷惑をかけたのは謝罪するわ。でも、もう責めないであげて。私もヨルコも許しているし、彼も私も今は心の底から愛し合っている。図々しいけど、これからも黄金林檎がプロデュースするクゥリ君をよろしくね。あの子はこれからきっと、今まで以上に大変になる。世間の目は今まで以上に恐怖に塗れたものになる。だからこそ、貴方のような自分勝手な人なら、何よりもクゥリ君の評判をまるで気にしない人なら、彼を少しでも……』

 

 ラストサンクチュアリ壊滅後、大ギルドから専属契約を持ち掛けられる最中に接触してきたグリセルダとの密会を思い出し、キリトは頭を掻く。まるで、友人の母親に子どもと仲良くしてあげてと頼まれたかのような気分だった。もちろん、言われるまでもないことであるが、『よろしく』に込められた多くの意味を改めて噛み締める。

 元よりワーカーホリックである上に、ラストサンクチュアリ壊滅作戦で周囲の目が致命的な域に達した白の傭兵のプライベート。キリトはそれに深く踏み込める数少ない1人であり、なおかつ彼のある意味で無味無臭になっているだろうオフにも影響を与えられる人物なのだ。

 まずはクゥリに報酬をどれだけ贅沢に、それも欲望のままに使うのかを教えねばならないだろう。とはいえ、キリトも『遊び』の諸々はスミスに伝授されたものばかりであり、クゥリの傾向がまるで不明だった。

 SAO時代を振り返れば、キリトはキリトでヒースクリフ……茅場晶彦への復讐、犠牲者多数の攻略事情、精神崩壊寸前のシリカとの傷の舐め合い、クゥリが巻き込まれた事件への介入、極めつけに彼自身が重度のゲーマーという壊滅的状態だった。趣味であるゲームがデス化してしまい、無趣味状態になって辛うじて≪釣り≫に生きた心地を求めていたのがクゥリと組んでいた頃のキリトである。

 この時、キリトは気づく。重度のゲーマーであり、バトルジャンキーであり、現実の工学関係はまるで発揮できず、≪釣り≫に至ってはそもそもクゥリさえもそっちのけにして自分の世界に没入してしまうともなれば、彼のプライベートに関わるにしても何があるだろうか?

 キリトにしても≪釣り≫の道具を揃えることを除けば、大半がスミスから伝授された『遊び』ばかりだ。この男、自覚している以上に師匠の影響を色濃く受けていた。

 

「そんなに悩むことか? 別に薄着じゃないんだがな」

 

 クゥリの格好の話題の最中に考え込んだせいか、勘違いしたらしいクゥリは溜め息を吐く。

 どうやら誤解させてしまったようだ。素直にオフの過ごし方について言及しようとすれば、クゥリはキリトの右手を掴むと何の躊躇もなく、自分の左鎖骨に触れさせる。

 

「ふぁ!?」

 

「ほら、別に素肌を露出しているわけじゃないだろ? 透明度の高い生地で覆われてるんだよ。まぁ、これにも教えはしないがギミックがあってな。ともかく、耐寒・耐熱はどちらも万全だから気にするな」

 

「ふぁふぁふぁふぁふぁふぁああああああ!?」

 

 確かに触れた感触は素肌ではなく肌触りのいい生地だ。よくよく見れば、確かに薄っすらと生地が見えないこともない。だが、クゥリの体熱が伝わった、特上の織物のような細やかで滑らか触感は、むしろ素肌よりも……いいや、白磁という表現すらも足りぬ色白なクゥリの生肌との相乗効果によってエロティックにさえ感じられた。

 キリト、この時になってようやく思い出す。戦闘中は極めて直感が鋭いクゥリであるが、普段はポンコツ属性であることを! 自分が中心点にいればいる程に周囲を狂わす無邪気っぷりの発揮と予想不可能ムーブをすることを!

 

「……なぁ、クー」

 

「ん?」

 

「当然なんだけど、俺って巨乳寄りの美乳派なんだ」

 

「いきなり性癖をカミングアウトされて、オレはどんな反応をすればいい?」

 

 だが、この短期間でキリトも成長した。精神を揺らぶられることはあっても芯まで届くことはない。YARCAの合唱の耳鳴りを振り払う。経験とは大事である。キリトは心の鼓膜を破るが如き静寂に引きこもり、なおかつ自分の性癖をバラすことで、逆に自分の性癖がブレないように調整したのだった。

 

「でも、顔を隠しているだけで意外とバレないんだな。誰もキミだと気づいてなかった」

 

 ここは話題を切り替えよう。キリトは咄嗟にクゥリが存外に周囲にバレないことを指摘する。

 

「わざわざ街中で【渡り鳥】とエンカウントしたい阿呆なんていない。そもそも願わない。だから無意識の内に『選択肢』から外す。故に『見えない』。顔を隠すだけで『モブA』の出来上がりだ」

 

 他人なんてどうでもいいと振舞っているように見えて、その実はちゃんと見ている。それもまたクゥリだ。

 キリトも自分は好奇心旺盛な類だと自覚しているが、クゥリも負けず劣らずに強い。むしろ、キリトが特定の分野にしか発揮しないのに対して、クゥリは興味のないフリをしてあらゆる事に好奇心を抱いているようにも思えた。まるで、子どもが見るものすべてが新鮮ではしゃいでいるかのような錯覚すらもあった。

 本人はそれを自覚しているのかいないのか、自分にセーブをかけるように思考を1度シャットダウンする。キリトが知る限り、クゥリは何も見ない、聞かない、知ろうとしないように思えて、その実は誰よりも周囲を観察することに余念がないように思えた。そして、皮肉にもそれが最も発揮される状況は戦闘であるというだけだ。

 対する自分はどうだろうか? キリトは自分が視野が狭まりやすいタイプだと自覚している。追い詰められる程に視界が狭まっていき、袋小路のように1つしか見えなくなる。

 だからこそ、傍に誰かがいると落ち着くのだろう。キリトが恐れるのは『孤独』なのだ。自分だけに……独りだけになるのが心底恐ろしいのだ。かつて、ソロプレイヤーとして名を馳せた【黒の剣士】の内側などこんなものだと自嘲する。

 いや、だからこそ間違いを犯してばかりなのだろう。かつて起きた黒猫の悲劇を思い出すだけでキリトの心臓は潰れそうになる。自分はまだ許されていない。彼らの怨嗟の声が……幻聴だと分かっていても聞こえてくる。

 サチは許してくれていた。自分の死を諦観にも等しく予感していた。だからこそ、キリトにメッセージを残した。

 間もなくクリスマスがやってくる。その度に目を背けたくなる過去を思い出す。いいや、事実として必死に目を閉ざし、耳を封じ、知ろうとしなかったのは自分なのだ。

 去年のクリスマスに聞こえた赤鼻のトナカイの、音痴でありながらも心を震わせ、魂に染み込んだ歌声。人々はクリスマスの聖女と呼び、その正体を探り、だが結局はたどり着けなかった。キリトも情報を集めたが尻尾を掴むことはできなかった。何者がいかなる理由で、いかなる目的で、クリスマスにあの歌を紡いだのか……分からなかった。

 ただの偶然かもしれない。クリスマスソングなのだ。特に珍しくもないだろう。だが、キリトには何か意味があるように思えてならなかった。アスナを取り戻そうと間違っていると気づきながらも独りよがりのままに狂っていた、あの頃の自分には……あの歌に込められた真実が分からなかった。本当はクリスマスの聖女を捜し出したかったのかどうかすらも定かではない。

 間違えて、間違えて、間違え続けた挙句にここにいる。己の愚かさを克服できないままに。

 

「……おい」

 

「ん……んん!?」

 

 クゥリを声を掛けられ、顔を向けた瞬間に口の中に冷たい物質が侵入する。さっぱりとしたヨーグルト風味の味付けであり、チョコチップの甘さが際立つ……だが、硬い氷のような接触から綿雪のようにふんわりと優しく広がる、不思議な触感が際立つ味付けだった。

 

「美味いか?」

 

「あ、ああ」

 

「ちゃんとレポートしろ。味は? 食感は? また喰いたいか?」

 

「えーと、しつこくないヨーグルトと目の代わりに使われているチョコチップの甘さがマッチしていて、クーの言った通り不思議な触感で癖になりそうだな。うん、これは間違いなく売れるぞ!」

 

「そうか。良い情報を聞いた。これは後で買い占めだな」

 

 また違う表情を見せる。まるで冷たい闇の中で見つけた温もりの火のような優しい微笑みだ。万華鏡のように、一瞬で別の表情を見せる。まるで中身すらも入れ替わったかのように、本当に同一人物なのかと疑いたくなるほどに、雰囲気すらも変化する。

 

「オレもオマエも違う道を歩いてきた。昔も、今も、これからも、交差することはあっても1つになることはない。重なる期間が長いか短いか、また重なるのが1度だけかそれとも複数回あるのか、それだけの話だ」

 

「…………」

 

「だから、オマエがどんな道を進み、どんな選択肢をしようとも、オレは否定しない。だけど、もしも間違えたと思ったならば正そうとすればいい。たとえ、どれだけ身勝手で我儘だとしても、他人に迷惑をかけるだけだとしても、周囲が正しいと指摘しても、自分が間違えたと悔いたならば、正そうとすればいいんだ。たとえ、正すことはできなくても、次の間違いの時に今度こそ正せる為に」

 

 ああ、相変わらずだ……なんて言えない。目の間にいるクゥリはキリトが知る『アインクラッドのクゥリ』とは違うのだ。以前のクゥリからはこんな発言など出るはずがなかった。

 

「それにな、もう正せない間違いだとしても、別の何かで正そうとすることはできる。たとえ、何の意味もないとしても、見当違いだとしても、それでも……」

 

 今にも雪が降りそうな灰色の空を見上げるクゥリは、ここにはいない誰かを思い出しているような切なさと儚さを吐息で漏らす。

 重ならなかった時間の分だけ互いに異なる経験を積んだ。それは安易に言葉に置き換えられるものではない。

 

「それでも『人』ならば、いつだろうと間に合う。たとえ、その果てに死ぬことになろうともな」

 

 きっと道を1つに重ねる時は過ぎ去ってしまっていた。いいや、最初からありはしないのだ。

 

「なぁ、キリト。オマエはあの戦いをどう思う?」

 

「どうって……俺は……」

 

 ラストサンクチュアリの戦いの結果にキリトは納得している。自分はクゥリとの戦いに負けたが、ラストサンクチュアリの人々を守るべく最後は救うべく刃を振るって救えた命があることを誇りに思っている。

 だが、クゥリが言わんとすることを察し、キリトは拳を握る。

 

「もう2度とキミとの『殺し合い』なんてごめんだ。たとえ、何があろうと……キミを殺したくない。それが『俺の意思』だ」

 

「ヘタレめ」

 

「ヘタレでいいさ。友達を殺して何を得ようと虚しいだけじゃないか。たとえ、それが自分の望んだ結果だとしても……」

 

「そうか。そういうものか。やはり……それでも……だからこそ、オマエは……いや、どうでもいい。行くぞ。立ち話も過ぎた」

 

 あの戦いの中で、キリトはたとえ殺すことになるとしても全力を尽くした。それが友への礼儀であり、ラストサンクチュアリの専属としての戦いであり、あの場に立つ意味だったと今でも胸を張って宣言できる。決して『殺し合い』を肯定したわけではない。

 だが、キリトの胸には……いいや、もっと別の何かにこびりついているものがある。

 それは資格者でもない所有者が月光の聖剣を使用した『代償』なのだろう。まるで残留思念のように、束ねた人々の意思の……共鳴した心意の反響が今も残っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 殺してください。

 

 殺してください。

 

 殺してください。

 

 どうか『バケモノ』を殺してください、『英雄』よ。あなたの聖剣は怪物の首を落とす為にあるのだから。

 

 祈り。

 

 呪い。

 

 祈り。

 

 呪い。

 

『バケモノを聖剣で殺す英雄』を欲する祈りと『聖剣で討ち取られたバケモノ』を求める呪いが響き続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬でも気を抜けば、束ねたはずの『人の意思』によってキリトは【聖剣の英雄】になっていた。

 月光の聖剣を使用する最大のリスクなのだろう。『聖剣の所有者の勝利』ではなく『聖剣の所有者がもたらす結果』を求める意思を束ねる程に、所有者は【聖剣の英雄】へと変わる。『人々が求める結果をもたらす都合のいい英雄』へと『歪められる』のだ。

 だからこそ、己の聖剣は必要なのだ。己の聖剣とは自らの見出した意味であり、揺蕩う存在の楔となる。月光の聖剣の本体でありながら月蝕の聖剣がその手にあり続け、メイデンハーツの方に月光が顕現したのは、キリトが『キリト』のままであったからこそだ。

 

「……クー」

 

「どうした?」

 

 振り返るクーに、キリトは問いかけようとする。だが、上手く言語化できない。

 いいや、違う。『間違い』であってほしいと願っているのだ。そして、もしも言葉にして問いかけてしまえば、キリトはどうすればいいのか分からなくなる。

 だから頭を働かせないように抗う。思考がパズルのピースを組み立て、入れ混ざった感情を抽出し、無機質な羅列に置き換えてしまう前に断ち切らねばならない。『どうでもいい』と切り捨てねばならない。

 それなのに、口の中に残り続ける優しい味が……ふわふわとした白い雪のような冷たさが……キリトに言葉を紡がせようとする。

 

「キミは――」

 

 さぁ、答え合わせの時間だ。果たして『間違い』か否か。その時、『間違いを正す』ことこそが『正しい』のか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今、超必殺のぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおグローリー☆キィイイイイイイイイイイイイイイック!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全力☆全壊! 人類最高峰の反応速度を持つキリトでもなければガードは不可能だろう、DBOの物理エンジンが仕事放棄しているのではないかと思える程にぶっ飛んだ、無駄があるのに無駄がまるでないような無駄にありふれたポージング付きキックは、心意でもなんでもなく、純粋に助走と体術と『グローリーだから』の産物で生み出されたものだった。

 腕が……腕が折れる!? ガード越しに吹き飛ばれたキリトの首根っこをクゥリは即座に掴み、自身を回転させて威力を殺した上で着地させる。この人外じみた対応能力は反応速度ではなくずば抜けた戦闘適性に基づいた思考速度と運動速度の賜物である。

 

「卑しくも教会の乙女に手を出した狼藉者よ、お覚悟を! お嬢さん、もうご安心を! この私がお守りします! 騎士として! 騎 士 と し て ! 騎 士 と し て !」

 

「グローリーさん! 何やってるんだ!? まずは事情聴取しないと駄目だろう!?」

 

 ウザい傭兵ランキング殿堂入り傭兵、グローリー。傭兵でも珍しい人格者であるが、トラブルメーカーであり、多くの新人傭兵を精神的に葬ってきた傭兵業界アンタッチャブル1人である。

 キリトも協働はしたことこそあるが、個人的な交流はともかく、仕事でご一緒はご遠慮願いたいと切に願う相手である。

 

「腕は? 戦闘続行可能か?」

 

「折れてないけど、これはアバター強度が低下したかな? もう1発喰らったら折れるかも……」

 

「ただの蹴りでか? ふざけたヤツだ。だが、グローリーは搦め手に弱い。オレが誘導をかけるからオマエは――」

 

「息を吸うように『手順』の確認は止めよう。な?」

 

 あ、これは『もう面倒臭いからとりあえずぶちのめしてから説明しよう』と『女扱いしやがって。とりあえず殺す』が融合した無表情だ。小声でキリトと組んでグローリーを無力化すべく動き出そうとするクゥリを抑え、理性的な……もとい、まともに会話が成立するだろう、もう1人の人物へとサングラスを外しながら接近する。

 

「UNKNOWN……じゃなくて、キリト!?」

 

「そう呼ばれるのは初めてだな、ラジード。聞いたよ。フロンティア・フィールドで大活躍だったらしいじゃないか」

 

「僕なんてまだまださ。それに、活躍なんてものじゃないよ。犠牲者が出てからしか動けなかった」

 

「だったら、傭兵が引き受ける救出依頼なんて無価値だな」

 

「そんな事ない! 傭兵が救出依頼を受けないと助けられない人たちがいるじゃないか!」

 

「だったら、キミも誇るべきだ。キミが戦ったから救えた人がいる。それに戦果は戦果じゃないか。胸を張ればいい」

 

 教会剣を活動を通して知り合い、何度となくデュエルをして互いに高め合う関係であり、バトル・オブ・アリーナでは男の……いいや、漢の魂を露出し合って共闘し、また対決したキリトとラジードであるが、こうして素顔で対面するのは初めてだった。

 ラジードのメイン武器の1つである双剣の扱いはキリトの剣技の影響を受けている。今やDBOでも屈指の名声と人気を持つトッププレイヤーであり、なおかつ専用装備も得たとなれば、キリトもこれまでのようにデュエルの戦績で無敗を続けるのは難しくなるだろう。デュエル仲間で手強い相手はむしろ大歓迎である。

 

「……そうだね。キミにそう言ってもらえると、うん、気が楽になったよ。さすがは【聖剣の英雄】だ」

 

「本当にそれだけは止めてくれ。お願いだから頼む」

 

「あー、うん、分かった」

 

 仮面でずっと素顔を隠していた相手にも、今までと変わりない好意的な程度を取る。ラジードにとって仮面など最初から無いようなものだったのだろう。素顔にも心にも仮面をかぶっていたのはキリトであるが、彼は真っすぐに自分と相対してくれていた証拠だ。

 

「なんと!? ランク9ではありませんか! その格好、何やら訳ありのご様子。ま、まさか……恋人とお忍びデートですか!? それは大変な失礼をしました!」

 

「待て。待ってくれ。本当に待ってくれ。それ以上の発言は慎んでくれ!」

 

 クゥリが無言でシステムウインドウを操作しているのに気づき、キリトはグローリーの口を両手で押さえて封じ込める。

 ラジードは何が何やらと眉を顰めていたようであるが、途端に察したのだろう、顔面を青くする。

 

「ま、まままま、まさか……クゥリ?」

 

「その『まさか』だけど何か?」

 

 フードを脱いで素顔を晒したクゥリに、キリトとラジードは凄惨な殺人現場(被害者:グローリー)を想定したのは言うまでもない。だが、肝心要のグローリーは、まるで悪びれた様子もなく、馴れ馴れしい態度でクゥリの肩に腕を回す。

 

「これはこれは! よもや【渡り鳥】だったとは思いもよりませんでした! いいえ、むしろ必然でしょうか。私の騎士センサーの美人探知が最高反応したのは間違いありませんでしたね!」

 

「…………」

 

「フッ、ですがご安心ください! 騎士はいつだって気遣いが出来てこその騎士なのです。【若狼】くん、私たちは騎士らしくエレガントに去りましょう! 親友2人の水入らずの休日を邪魔してはいけません」

 

「……ミディール持ってきてないんだよなぁ。残念だなぁ」

 

 ラストサンクチュアリ壊滅作戦で用いられた超火力兵器の名前を出すクゥリに、キリトは爆弾を炸裂させたまま立ち去ろうとするグローリーを捕まえる。どうせ爆死するならば諸共である。

 

「俺達も仕事の最中なんだ! グローリーも仕事だろう!? でも、どうしてラジードと!?」

 

「おや、随分と必死ですね。いいでしょう! 別に隠す程の事でもありません! 私とラジード君は組んでいるわけではなく、たまたま暴漢に襲われていた女子を助けようとしていた私に感涙した彼をグローリー☆ナイツのメンバーとして――」

 

「違うから。グローリーさんがクリスマスシーズンになってカノジョ欲しさに真っ当にナンパしていた男性プレイヤーに助走付きシャイニングウィザードをぶち込みそうだったから、僕がお目付けとして一緒に行動しているだけだから。聖剣騎士団にも一緒に行動する旨は教会経由で通達するように頼んだよ」

 

 本来ならば太陽の狩猟団のエースであるラジードが、ライバル関係である聖剣騎士団の専属であるグローリーと組むのは、双方の余程に利害が一致した場合か、平和的競争関係であることの宣伝か、あるいは教会で教会剣の活動としてラジードが組んだのか、いずれかである。だが、答えはラジードの善性とグローリーの傍迷惑だった。

 

「……心中お察しするよ」

 

「うん、ありがとう」

 

 キリトの心からの哀れみに対し、ラジードは死んだ魚のような目で礼を述べた。

 今回の乱入は、先の『チンピラが教会関係者(推定美少女)を路地裏に連れ込んだ』という情報を聞きつけたグローリーの暴走だったのだろう。キリトとしては渾身の変装であったが、逆に混乱を招いてしまったようだった。

 

「ちょっと待て。その格好、昨日の今日で教会剣の見回り活動か? 太陽の狩猟団からよく認可が下りたな」

 

 クゥリの指摘の通り、ラジードは教会剣の証である聖布を纏っている。対するグローリーはどうしてあんな動きが出来たのか不明なフルアーマーであるが、聖布も纏っていなければ、教会剣のシンボルも身に着けていなかった。

 最前線は命懸けなのだ。ましてや、まだまだ謎が多いフロンティア・フィールドである。1度の攻略でも相応の休暇が『義務付け』られている。疲労回復はもちろん、精神面のコンディションを整える意味も含まれている。なにせ、生還しても精神を病んでダンジョンに潜れない、前線に赴けない、ネームドと戦えないといったプレイヤーはあまりにも多いのだ。

 ましてや、ラジードは太陽の狩猟団にとって貴重な、民衆からの好感度も高く、人望もあり、なおかつ実力も折り紙付きという理想的なトッププレイヤーだ。損失はなんとしても避ける為に、先の活躍も考慮すれば、相応の休暇を申し付けたはずである。

 

「……DBOの治安維持も大ギルドのお仕事だから」

 

「教会にはちゃんと許可を取ったのか? キミほどの有名人がフロンティア・フィールド帰りで教会剣の活動に参加するなんて認めるとは思えないな」

 

 キリトは疑わしき眼で貫けば、ラジードは正直者であると看板をぶら下げるように顔を背けた。

 

「……教会剣は役職ではなく心に信仰と使命を持つことが大事だってエドガー神父も言ってたから」

 

「今、ミュウに連絡を取った。今すぐそこの馬鹿を捕まえば特別報酬5万コルを支払うってさ」

 

「クゥリ!?」

 

「5万コルか。うーん……もう一声!」

 

「キリト!?」

 

「エドガーにも連絡を取った。今すぐそこの阿呆を捕まえれば特別報酬5万コルを支払うってさ」

 

「合わせて10万コル……いや、どちらか片方だけか。そこが重要だな」

 

「【若狼】くん、今更ですが、教会経由で通達した時点で、太陽の狩猟団にはバレて、キミも追い回されているのでは?」

 

「……あ」

 

 フェイスカバーが無い、顔を晒すタイプの兜を被ったグローリーは腕を組んで考え抜いた様子で、実に理路整然とラジードのピンチを告げる。

 

「「「……………」」」

 

 キリト、クゥリ、ラジードの沈黙が重なる。彼らが佇む路地裏……その先にある大通りにて、目撃報告から瞬時に包囲網を敷いただろう、太陽の狩猟団の姿があり、更には教会剣とまで連携を取っていた。

 

「行くぞ、キリト」

 

「あー、えーと……頑張れ」

 

「【若狼】くん、仲間を心配させてはいけませんよ! それではお元気で!」

 

「待って! 僕を置いていかないで! クゥリ! キリト! 友達だろう!?」

 

「私は違うんですか!? 酷いですよ!」

 

「あ、いえ、グローリーさんも友達ですよ! もちろん、友達です!」

 

「いやぁ、面と向かって友達と呼ばれるなんて、いくら騎士でも照れちゃいますなぁ」

 

「友達を見捨てるのか!? 置いていくのか! お願いだから助けてください、この通り!」

 

 友達に土下座するような事態なのか? ラジードの本気の命乞いに、キリトは彼が捕まったら具体的に『誰』に『何』をされるのだろうかと生唾を飲む。

 教会剣の活動……終わりつつある街の治安維持活動によって、それも無償の奉仕という善行そのものによって危機に陥るラジードの様には涙を誘うものがあった。だが、ラジードは最終的にはホームに……太陽の狩猟団に帰らねばならないのだ。ここで逃げようと結末は同じである。ならば、せめて友人として彼を逃亡の恐怖から解放してあげるべきではないだろうか。キリトは決して10万コルが欲しいからではなく、ラジードを思ってこそ捕縛すべきだとにじり寄る。決して10万コルが欲しいわけではない。

 

「と、ととととと、友達……か。そ、そうだよな。オレとラジードは……やっぱり、友達、だし? ミュウやエドガーには別に依頼されたわけでもないし? 逃亡の手を貸すくらいは、吝かではないぞ?」

 

「たとえ運命は定まっていようとも抗いを誓った友がいるならば、共に歩くもまた騎士の務め! さぁ、行きましょう、【若狼】くん!」

 

 頬を薄っすら染めて、努めて冷静に振舞う素振りを見せながらもまるで出来ておらず、依頼ではないなら友人を助ける事を優先する、ツンデレっぷり全開のクゥリ。

 いつものように我流騎士道がブレることがないグローリー。

 2人の差し出した手に、ラジードは感涙する。取り残されたキリトは自分の胸に風穴が開いているかのような気分を味わった。

 キリトは咄嗟に……決して打算があるわけではなく、何の後ろめたい思いがあったわけでもなく、大通りからラジードが見えない位置へとポジションを変更する。

 

「もちろん、見捨てるわけないだろう? 俺達……友達だろう!?」

 

 俺、今……最高に良い笑顔をしているはずだ。キリトはサムズアップで友情アピールを余念なく実行した。

 

「3人ともありがとう! 本当にありがとう!」

 

 クゥリは再びフードを被り、キリトはラジードにサングラスを貸すと適当な服屋に入り込む。雑多としていて品質はともかく品揃えはよく、早速2人して変装するべく衣服を選び始める。

 

「キリト、真冬にアロハはないよ」

 

「そうか? 変装だし、これくらい派手な方が逆によくないか?」

 

「いやいや、その理屈でもアロハはないよ」

 

「うーん、アロハ……悪くないと思うんだけどな」

 

「100歩譲ってアロハはいいとしても、何で黒系なんて珍品を選ぼうとしてるんだい?」

 

「うーん、趣味?」

 

「……キミって自分でまともに服を選んだことがないだろ」

 

「言われてみれば確かに」

 

 キリト、春夏秋冬問わずに現実世界だろうと仮想世界だろうと隙あらば黒で統一した衣装を纏う男。その正体はファッションセンス・ゼロの男だった。

 

「おい、いつまで時間をかけるんだ? オレだけに馬鹿騎士の相手をさせるとか罰ゲームか?」

 

 待っていられなかったのだろう。フードでしっかり顔を隠したクゥリも入店する。

 

「変装なんて適当でいいんだよ。潜入捜査じゃあるまいし、バレなきゃいいんだ。ほら、貸してみろ」

 

 クゥリはキリトを一瞥すると彼に試着するように促す。着替えたキリトは色付き眼鏡とファーが付いた暗色コートであり、まるでこれからビジュアル系バンドを始めるかのような外見に早変わりし、本来のイメージからかけ離れたものになっていた。更にはクゥリによって髪型を弄られれば、鏡の前に立つのは全く異なる自分である。

 

「す、すごい! ファッションの方向性はさっきまでのチンピラ風味と同じはずなのに、こっちだと正統派のビジュアル系に見える!」

 

「折角だからピアスはそのままにして、オールバックにするにしても1房だけ前髪を垂らすようにセットし直した。レックスの装備スタイルを参考にしつつの独自路線だな。ブーツはウエスタンスタイルに変えた。どうせ聖剣を持ってきてるんだろ? ギターケースだけ買って中に放り込んでおけば偽装もできて一石二鳥だ。あとサングラスよりも色眼鏡くらいの方が逆に隠すのに向いてる」

 

「……え? これ、本当に俺なのか?」

 

 アバターが変わることによって自分の外見が変わる。VRゲーム隆盛の現代ならば別に珍しい体験ではないが、幼少から地続きの自分自身が反映されたDBOアバターにおいて、ここまで劇的に変化するのは新鮮だった。

 

「DBOって面倒臭いよな。頭髪や瞳の色も専用アイテムを使わないと変えられないし、時間がかかるし、金もかかる。髪型だって専用設備がないと変更不可とか。まぁ、銭湯やらマイホームに設置できる鏡台やらで髪型は気軽に変えられるけどさ。今時のゲームでキャラメイク回りが不便って売る気あったのかよ」

 

「うーん、ゲームによってはキャラのリメイクを別売りしているパターンもあるしなぁ。むしろ、自分の分身となるアバターだからこそ気軽に変更できない仕様も逆に愛着が――」

 

「2人してゲーム談義は止めてくれないか?」

 

「そうだな。もう1人変装させないといけないからな」

 

 クゥリに試着室へと放り込まれたラジードが次に表した姿は、緑色のつなぎ服だ。軍手と『安全第一』のヘルメット付きである。

 

「ウィッグと組み合わせれば、オマエは何処からどう見ても作業員だ。何処を見回しても終わりつつある街の増築やら改築やらで作業員だらけ。1番怪しまれない」

 

「顔を晒して大丈夫なのか? ラジードの顔は売れているし、探しているのも顔を知っているはずだろう?」

 

「だから逆手に取る。連中は『ラジード』を捜しているんだ。わざわざ山ほどいる作業員の顔のチェックなんて適当だ。少しジッとしていろ。そばかすのメイクもしてやる……よし、これでバレない。ウィッグも目元を隠すくらいには前髪が長めを選んだし、後はこれだな」

 

 清算を済ませるとクゥリは購入していた工具に利用するオイルをラジードに軽く振りかける。

 

「これでオマエはオイルが染み込んだベテラン作業員だ。見た目も印象もニオイもかけ離れているヤツを『ラジード』と認識なんてしない。できればカラコンも買いたかったんだが、さすがに売ってなかった」

 

「「…………」」

 

「どうした?」

 

「いや、クーの意外な才能に」

 

「吃驚しているだけだよ」

 

 クゥリはそもそもファッションなどまるで気にしないタイプである。

 だが、キリトは悟る。彼がいかなる家庭で育ったかは不明であるが、クゥリは無意識レベルで振る舞いに気品が満ちている。それこそ幼少の頃より、それこそが『当たり前』の環境で育った領域だ。

 環境によって獲得したファッションセンス。普段は『面倒臭い』やら『どうでもいい』で普段着すらも味気がないモノクロ調で済ませてしまいがちである白の傭兵は、その実は3人の中で最も美的感覚に秀でていた。

 いや、逆に元の素材が良すぎて、どれだけ味気の無いファッションでも本人の魅力を引き出してしまう。それがクゥリであるが故に、わざわざ自分で着飾ろうとせずとも映えるし、また周囲が彩ろうと欲望を湧き上がらせるのだろう。

 

「かけ離れた外見になることが重要じゃない。『相手の認識を欺く』ことこそが肝だ。オレなんて普段から教会服だけで人目を欺いてるぞ」

 

 日常的に人目を気にしないといけない傭兵はキミくらいなんだけどな、とはキリトもラジードも残酷過ぎて言うことができなかったのもまた当然のことである。

 

「『相手の意識の死角を突く』……これ、暗殺にして暗器の基本だから注意しておけよ。特に有名人兼女に背中を刺される心当たりがあり過ぎるオマエ達はな」

 

「ああ、なんか安心した。最終的には戦闘とか殺しの知識に帰結するクゥリに安心した」

 

「ラジードもやっぱりそう思うか?」

 

「もちろん!」

 

「オマエら、オレが珍しく最重要なアドバイスをして……いや、どうでもいい」

 

 キリトとラジードが固い握手を交わせば、クゥリは溜め息を重ねてグローリーが待つ路地裏に戻る。

 だが、そこにいたのはいつもの騎士甲冑ではなく、限りなく某電気ネズミに近しいデザインをした……あくまで! 近しい! デザインをした! 着ぐるみだった。

 

「お待ちしておりました! 3人とも変装するならば、私も真似しないわけにはいかないでしょう! 残念ながら今は1発芸用のこれしかありませんが、顔も体型もばっちり隠れますし、声も籠って私と認識されることはないでしょう!」

 

「……まぁ、最終的にはフルフェイスのフルアーマーが変装するのに最適ってのは言うまでもないことなんだけどな」

 

 現実世界ではともかく、DBOではフルフェイス・フルアーマーなんて珍しくとも何ともない。馬鹿の代名詞であるグローリーは着ぐるみによってある意味で到達していた。なお、全身が隠れても、たとえ変声機を使ったとしても、喋った時点で100人中100人が中身はグローリーと判別できるのまた言うまでもないことであるが。

 

「いやはや、存外にバレないものですね」

 

「うーん、これには僕も吃驚だよ」

 

「そもそも、教会関係者、バンドマン、作業員、着ぐるみっていう謎の組み合わせだからな。関わり合いになりたくないんじゃないか?」

 

 堂々と大通りを歩いても、ラジードを血眼になって探しているだろう太陽の狩猟団の関係者が横切っても、まるで素通りである。これにはキリトも思わず驚きだった。

 どれだけ格好が奇抜であろうともそれだけでは目立たないのもまたDBOの日常だ。変装は効果覿面であり、誰も4人を特定の個人として結び付けて認識できている様子はない。

 

「そういえば、ラっさんはともかく、グロさんは仕事だろう? 俺達と一緒に行動していいのか?」

 

「ええ、別に構いませんよ。聖剣騎士団からの依頼とはいえ、秘匿性の高いものではありませんしね。『街をぶらぶら歩いて威嚇しろ』とだけ命じられただけですし」

 

「威嚇?」

 

「実はまだ公開されていませんが、辻斬り事件が起きているんです。聖剣騎士団のメンバーがこの3日間で7人ほど殺害されて、その中には円卓の騎士でこそありませんが、近しい力量を持った古参も含まれていまして……」

 

 名前を呼ぶわけにもいかず、適当な省略名称を使えば、着ぐるみ姿のグローリーは依頼内容を素直に白状する。

 辻斬りとは穏やかではない。キリトは真っ先に自分たちが調査することになった失踪事件との因果関係を疑うが、クゥリは静かに首を横に振った。これにはキリトも同意する。あくまで必要なプロセスとして疑いをかけただけであり、失踪事件と辻斬り事件に現段階では因果関係を見出すことはできない。そもそもとして、現在進行形の辻斬り事件と1ヶ月以上前に起こった失踪事件には結びつけられるものがないのだ。

 

「辻斬り自体は珍しいことじゃない。腕試しにもなるし、PKで経験値どころか装備もコルも奪われる。『最も効率のいいレベルアップ』は格上PKだしな。危険度の高い犯罪ギルドは敢えてレベルが高い借金漬けプレイヤーの『命』を買ってレベリングに使用しているなんて噂もある」

 

 クゥリの補足に、キリトも効率だけを特化すれば、それも1つの手段だろうと首肯する。

 

「ここ数日なら僕はまだ辻斬り事件を知らないだけで、太陽の狩猟団は既に把握しているかもしれないね」

 

「だったら、キミを捜しているのは、もしかして安全を確保する為なんじゃないか? 大ギルドの連中を重点的に狙った辻斬りなら、有名人であるキミもターゲットにされているかもしれないしさ」

 

「あり得るかもしれない。うん、僕……やっぱり――」

 

 ラジードもグローリーの依頼内容は知らなかったらしく、キリトは彼を思って帰還を促した。仲間たちが純粋にラジードの安否を心配しているならば、ここは罰でも何でも受け入れて帰るべきである。

 

「ラジード隊長! 何処だ!? 何処にいるんだ! 今すぐ戻れ、大馬鹿隊長!」

 

「た、隊長! 今すぐ帰ってください! ミスティアさんが……ミスティアさんがマジギレしてるんです! あんな笑顔で怒ってるところ、初めて見たんです!」

 

 ラジードの部下だろう、男女が走りながら、ハッキリと恐怖が刻まれた顔で帰還を……いいや、『投降』を訴えていた。『今なら情状酌量で死刑で済むよ☆』と全身で叫んでいた。

 

「クー」

 

「泊めないぞ。あと名前で呼ぶな」

 

「キリト」

 

「俺もまだ新居が見つかってなくて。それと名前を呼んだら変装の意味がないから止めてくれ」

 

「グローリー」

 

「私は仕事の関係でオールナイトなので無理ですね!」

 

 少なくとも、太陽の狩猟団がラジードを確保しようとしているのは、辻斬り事件などという生命の危機だからではなく、フロンティア・フィールド帰りかつネームド撃破という身でありながら翌日には教会剣の活動に参加している、クゥリと同じワーカーホリックの素質があるラジードにこそ原因があることだけハッキリして、キリトは小さな安堵を覚えた。

 

「適当な宿に泊まればいいじゃないか」

 

「そしたら、いざという時に逃げられないし、抵抗できないし、言い訳する時間も稼げないじゃないか!」

 

 見つかるのが前提とは、自分がどれだけ危険な人物を怒らせたのか、自覚はあるようだった。むしろラジードにヘイトが集まる程度にはミス・DBO有力候補の美人で器量もいいカノジョなのであるが、危険度はネームド級である。

 

「キミには帰る場所がある。それだけで素晴らしいじゃないか」

 

「ブラッキーさん、もう諦めてるだろ? 僕の抗いは無駄だって諦めてるだろ!?」

 

 キリトが微笑みながらラジードの肩を叩けば、彼は何としても生き残るという逃亡の誓いを再び立てたようだった。

 

「……後でオレの名前でも出せ。オレが暇にしていたから教会剣の活動に誘ったとでもいえば、人情深いカノジョ様の怒りも少しは鎮まる」

 

「それは嘘になるから嫌だ」

 

「……そうか」

 

 自分を出汁にしても良いというクゥリのお許しをノータイムで却下するラジードの善性に、キリトは思わず眩しさを覚える。だが、それだけでは彼の確定した末路を変えられない世知辛さもあった。

 

「でも、辻斬り事件は気になるな。僕も少し探ってみるよ。大ギルドが標的なら太陽の狩猟団でも発覚してないだけで犠牲者が出ているかもしれないし、僕の仲間や大切な人にも危害が及ぶかもしれないからね」

 

「その方がいいかもな。グロさん、辻斬りについて何か分かっていることはあるのか?」

 

「そうですね。殺害後、頭部を持ち去っている点でしょうか。首は鋭利な刃物でバッサリと切断されていて、かなり切断属性の高い武器が凶器ではないかと疑われています」

 

「わざわざ頭を? 本人特定をさせない為か? それとも晒し首に?」

 

 いや、晒し首は犯行声明だ。キリトの耳にも辻斬り事件について入っていてもおかしくないし、報道ギルドも格好のネタに喰いつかないはずがない。グローリーはあっさりと明かしたが、聖剣騎士団としてはまだ公表を控えたい段階なのだろう。その上でグローリーを巡回させて犯人に威嚇を行っているのだ。犯人からすれば、1桁ランカーすらも動かす聖剣騎士団の本気が伝わるはずである。

 

「頭なんて持ち運びが不便なものをわざわざ持ち去るなんて、意味がないはずがない」

 

 アイテムストレージに収納できない以上、頭は腕に抱えるなり、袋に詰めるなりして隠して持ち去らねばならない。わざわざ、そんなリスクを背負ってまで首を回収し、何の利用もしないのは奇妙だった。

 

「…………」

 

「その顔、何か分かったんだな?」

 

「別に。実際に遺体を見てみないことには何とも言えない。それよりも、どうやって本人確認を?」

 

「頭が無いとはいえ、装備はそのままだったらしいですからね。体格やその他特徴も一致すれば、本人だと断定するには十分ではありませんか? あと、聖剣騎士団は本人確認の為にアイテムストレージに身分証の保持を義務付けていますしね」

 

「ああ、それは僕も持ってるよ。個々の番号が割り振られていて、素材配合も秘中の秘なんだ」

 

「たとえそっくりに偽造しても、作成元の工房で素材を確認して、素材表と一致しなければ偽物とだと断定できるわけか。上手いな」

 

「うん。後はほら、遺体を持ち帰れない状況では、本人確認が取れる1番の遺品だからね。嫌な理由だけど、大ギルドでは身分証の携帯はもう義務なんだ」

 

 頭部以外の外見的特徴、装備、身分証が合致しているならば本人に違いないだろう。聖剣騎士団もこのデリケートな時期の辻斬り事件ともなれば、細心の注意を払ったに違いない。

 あるいは、辻斬り犯の狙いはそこにあるのかもしれない、とキリトは考える。【渡り鳥】という最も危険視されている傭兵が注目される中で、首を持ち去るという異常性の高い事件ならば、まず残虐性を疑われてクゥリに捜査の目が向けられるだろう。大ギルドもそこまで馬鹿ではないが、辻斬り犯としては『【渡り鳥】が犯人かもしれない』程度の疑いをもたせるだけでも捜査の目を攪乱できる。

 仮にそうであるならば、キリトは辻斬り犯を許さない。クゥリは無差別虐殺など絶対にしない。

 クゥリには秘めたる残虐性と凶暴性がある。それはキリトも認めるところだ。彼が虐殺者として恐れられるのも、結果だけ見れば仕方ないと受け入れている。だが、クゥリは1度として我欲で殺戮を行ったことはない。いつだって依頼主がいて、あるいは止むを得ない理由があって、その上で自分の手を血で染めるのだ。

 

「首無し遺体……か」

 

「やっぱり気になる点があるんだな?」

 

「大したことじゃない。首を持ち去るんじゃなくて、首を『持ち去らなくてはならなかった』……そう思っただけだ」

 

 持ち去さらねばならなかった。すなわち、犯人には首を持ち去る意味があったのではなく、何が何でも首を隠す理由があるということだ。

 どうして? 何故? 理由が分からない。だが、キリトにはこういう時のクゥリの発言の重みを把握していた。

 クゥリは冴えわたる直感が発揮される戦闘や普段のぼーっとした態度や雰囲気から相反する程に、情報収集、分析、推理を怠らず、その実は常に思考を働かせているのだ。

 首無し遺体の辻斬り事件。僅かな情報の中でクゥリが見つけたのは違和感だったのだろう。だが、それもキリトが尋ねなければ発言として飛び出さなかったはずだ。

 

「気になるなら好きに捜査すればいいが、オレ達には先に割り当てられた仕事があるはずだ」

 

「……そうだな。二兎を追う者は一兎をも得ず。俺達はまず自分たちの仕事をするべきだな」

 

 聖剣騎士団は既にグローリーを動かしているように、辻斬り事件の解決に対して精力的な姿勢を取っている。情報収集・調査においては大ギルドの方が遥かに上なのだ。傭兵に割り振られる時は、余程に捜査に手詰まったか、危険度の高い場所で調査せねばならないか、あるいは犯人の捕獲・抹殺か、いずれかである。もちろん、この手の類の捜査を得意とする傭兵もいるが、それならばキリトにはまず声もかからないはずである。

 気にはなるが、今はグリセルダとの約束と先に依頼を受けた失踪事件の調査を優先すべきである。キリトは思わぬ同伴者を連れて資料にあった事件現場に到着する。

 

「でも、僕たちも同行していいのかい?」

 

「俺達の依頼も秘匿性が高いわけじゃない。どちらにしても聞き込み調査もしないといけないしな。実はここで1人の女性プレイヤーが失踪しているんだ。俺達は彼女の行方を捜すのが仕事さ」

 

 詳細を省いて説明すれば、ラジードも決して芳しい表情はしなかった。失踪して1ヶ月、加えて装備が盗品市場に流れたとなれば、まず死亡していると判断できるからだ。

 

「でも、ここで拉致されたなんて考えにくいね。人目が多過ぎるよ」

 

 キリトたちがいる食材市場は夕飯時も近いということもあってか、大いに賑わっている。治安はお世辞でもいいとはいえない終わりつつある街とはいえ、全員が他人に無関心かつ薄情ではない。さすがに不特定多数の人間が拉致されようとしている女性プレイヤーがいれば何かしらのアクションを取るはずだ。そもそもとして、拉致されたレモネーが高レベルプレイヤーであり、戦い慣れているともなれば、拉致されたという見解自体が間違いかもしれなかった。

 追加アップデートによってDBOの食糧事情は様変わりした。その時はこの市場も大混乱であったが、今はすっかり活気に満ち、だがあの頃の歪みと傷は確かに残っている。レモネーが失踪した当時は幾らか落ち着きを取り戻していた頃合いであり、今日ほどの繁盛ではないが、相応のプレイヤーで溢れていたはずである。

 

「よし! 僕も聞き込みするよ。2人には恩もあるしね!」

 

「私も協力しましょう! 騎士の聞き込み術、ご覧あれ!」

 

 自分には全く利益もないのに協力してくれるのは、グローリーとラジード、どちらもDBOの悪意と狂気に負けることなく、自分の信じる道を歩き、より良い人間でありたいと思うからこそだろう。グローリーは毛色が違うかもしれないが、何にしても人間はまだまだ捨てたものではないとキリトは胸を張って言える。

 後継者が仕掛けた悪意ではなくプレイヤー自身によって引き起こされる惨劇は幾つもある。キリトはラストサンクチュアリ壊滅作戦……クラウドアースと結託した茶番劇があわやラストサンクチュアリの貧民プレイヤーの殺戮にも変じかけた事を思い返す。

 仕掛けたのは十中八九、聖剣騎士団だろう。ラストサンクチュアリの防衛隊以外にも多くの工作員が潜り込んでいたはずだ。

 だが、キリトは改めてラストサンクチュアリ壊滅の流れを整理して幾つかの疑問点を覚えた。

 まず、ラストサンクチュアリ防衛設備側による砲撃がすり替えられていた。この時点で設置した整備員と搬入員は黒だろう。また経理もほぼ黒と見て違いない。そこまで内部を工作員だらけにされていたならば、上層部にも聖剣騎士団の企みに与した者がいたはずだ。

 次にクゥリという聖剣騎士団が謀ったラストサンクチュアリ壊滅計画に対する『カウンター』。壊滅作戦に参加した工作員を皆殺しにして、結果的に『殺戮者』の汚名を得たクゥリであるが、裏を知れば彼は聖剣騎士団の企みを潰した側だ。その上でキリトと交戦し、白の都をその手で完全破壊したので誤解も拭えないのであるが、放映された生中継の録画を見て確信したことがあった。

 クゥリは明らかにプランに沿って行動していた点である。まず、生中継は音声がほとんど入っておらず、2人の会話はほぼ聞こえない状態だった。また、放映されたのはキリトとクゥリが遭遇した白の都の本部前の広場からであり、クゥリの実際の虐殺行為の『最中』は映っていないのに等しかった。

 クゥリは都合よく最も生中継で映える、数多の遺体が転がる場所でキリトを待ち、その上で交戦した。明らかに演出である。

 また、意外なことに防衛隊でも生存者がいた。彼は工作員に殺害されかかっていたところを、突如として降り注いだ銃弾によって死を免れた。クゥリこそ目撃していないが、明らかに工作員だけを狙い撃ったのは、彼には工作員とそうではないプレイヤーを判別するリストか何かを事前に保有していたことになる。

 クゥリは工作員だけを狙って殺害し、わざとらしくキリトを迎え撃つ演出をして生中継させ、なおかつ交戦し、白の都をその手で完全破壊した。そして、誰にも知られることなく脱出にも成功している。

 ラストサンクチュアリ側に協力者がいたのは間違いない。それも工作員を特定し、聖剣騎士団の動きを把握し、なおかつクゥリの依頼主……大ギルドとも結託できる、ラストサンクチュアリ全体の動きを逐次連絡できる人物でなければならない。

 キリトは聞いている。自分が疑っている人物は命懸けでシリカを助けた。彼女はそのセンセーショナルな事態に、純粋に感謝しかしてないようだったが、キリトには逆に違和感が増した。

 あまりにもタイミングが良すぎるのだ。ドールによる射撃があるにしても、姿を現すより前にシリカを押し倒して守るなど、あまりにもタイミングが取れ過ぎている。事前に『射撃時間』を把握していなければ無理なのだ。

 だが、彼は泣いている。自分で殺した、ラストサンクチュアリ壊滅に与したとしても同僚だった人物を殺して、本気で涙を流している。

 その一方で彼以外にあり得ない。聖剣騎士団を欺き、工作員たちに嘲われる道化を演じながら逆に彼らを殺戮の生贄にし、1歩間違えれば守ろうとしていたはずの貧民プレイヤーに多大な犠牲が出かねなかった企みに与せるだけの人脈を持てているのも彼以外に……キバオウ以外にいないのだ。

 シリカはまるでキバオウを疑っていない。彼を好んでいなかったが、特段に嫌っていたわけでもなく、普段の言動とは裏腹に、ラストサンクチュアリを守ろうとし続けた、腐敗した聖域と罵られようとも貧民プレイヤーの生活を最優先した、大ギルドだろうと何だろうとプライドを捨てて土下座外交をして延命に取り組んだ、自分の破滅と引き換えでもキリトとユージーンを対決させてこれから腐敗した聖域の庇護を失う1000人に希望を残そうとした、そんな彼を……少なからず尊敬していた。

 キリトもキバオウという人物については好ましく思っていない。DBOはともかく、SAOでは煮え湯を飲まされたこともあったからだ。また、彼が指揮していたアインクラッド解放戦線の顛末を思えばこそ、彼を信頼しきることもできなかった。

 だが、その一方である種の憧憬もあったのだと、キバオウに疑いの目を向けて、それを信じたくない自分がいて、ようやく気付いた。

 DBOの囚人となり、デスゲームの生き残り方も知らないプレイヤーを指導し、育てた人材がほとんど離れても今度は弱者を守るべくギルドを設立させ、独裁を振るうことなく協議制にしたが故に他の上層部の連中が好き勝手にしたせいで首を絞められようとも、粘り強く大ギルドとの平和路線を貫いた。キリトやシリカとは違い、最後の最後まで、ラストサンクチュアリを『完全攻略』の日まで維持し、1000人の戦えぬ貧者を現実世界に帰そうと奮闘していたのは、他でもないキバオウだ。

 これこそが『英雄』でなくて誰が『英雄』だというのだ? 自分など剣を振るうことしかできない男だ。だが、キバオウは剣の間合いが届く範囲すらもろくに守り切れない男とは違い、己の手が届く範囲以上を、1000人という弱者を守り通そうとした。

 キリトも専属傭兵以上の務めは果たしていた。本来は専属先から支援を受け取る立場でありながら、逆にラストサンクチュアリに報酬の半分を渡し、外交の道具として聖剣騎士団の専属のように扱われた。事実として聖剣騎士団はキリトに様々な支援をするだけではなく、彼を利用できる見返りとして、ラストサンクチュアリに多くの便宜を図っていた。シリカはそれが心底気に入らないようではあった。

 だが、そうではない。そうではないのだ。『義務』ではなく『心』の問題だ。

 キリトもキバオウと組んだのは、自分の正体を知り、なおかつアスナの居場所を探る上での情報源として利用できるからだ。そして、1000人という多くの弱者を守れる立場がDBOのデスゲーム化を見逃した罪悪感を薄れさせてくれたからだ。結果として、ラストサンクチュアリはろくに情報源としても機能せず、むしろ後者こそが本命となっていたのは本末転倒であり、自分らしいとも自嘲できる。

 全ては遅過ぎた。アルヴヘイムで自分の醜さと愚かさで朽ちる寸前に至るまで……あの月夜に嘘か幻かも分からぬクゥリと出会うまで……自分はまるでキバオウと向き合っていなかった。いいや、アルヴヘイムから帰還した後も、【聖剣の英雄】という称号に固執し、モルドレッドと対決するまで破滅の道を進み続けて眼が曇っていた始末だ。

 結局のところ、キバオウとは腹の内を明かすこともなく、互いの本音をぶつけ合うこともなく、表面的な目的だけ共有してラストサンクチュアリ壊滅作戦という名の茶番に挑んだ。

 クラウドアースも騙された程の謀略戦だったならば仕方ないとか、最初からラストサンクチュアリは詰んでいたとか、所詮は個人で抗いようのない流れだったとか、そんなものは一切関係はない。

 キリトとキバオウは同じ場所にいながらも、決して同じものを見ていなかった。1度として互いを理解し合おうとしなかった。クゥリの言うところの『道は重なっていなかった』のだろう。その機会は確かにあったはずなのに、アスナという死者の奪還を夢想して狂気の沙汰を繰り返し、自分の罪から逃げるように聖域の守護者に甘んじ、聖剣に目を濁らせ、あらゆる機会を自らの手で棒に振った。

 今、キバオウはラストサンクチュアリの資産整理を行っている。聖剣騎士団からの借金は全額自分が負担するという念書は既にある。企みが外れて聖剣騎士団としても苦々しいだろうが、教会やほかの大ギルドの目もある以上は、全額返済も期待できない借金の補填としてラストサンクチュアリの資産を抑えることもできない。せいぜいできるのは、嫌がらせとして二束三文で買い叩くことくらいであるが、自由開拓戦線や太陽の狩猟団・クラウドアースの援助を受けた有力ギルドが名乗りを上げ、競売でも苦みを味わされている。

 だからこそ、ラストサンクチュアリの処理がすべて終わり、聖剣騎士団の保有する鉱山送りになったキバオウを待つのは、彼が語った気ままなタコ部屋生活の鉱夫などではなく、本物の『生き地獄』となるだろう。

 全てはキバオウが黒幕だった場合の話だ。キリトは杞憂であると願う一方で、グリセルダとパイプを持った時に1つだけ注文をつけた。ラストサンクチュアリ壊滅作戦の裏にキバオウが関わって『いない』情報が欲しい……と。

 返ってきたのは、キリトも知らなかった、白の都が建設された湖の底にある抜け穴の洞窟の情報だった。ラストサンクチュアリの設立者であったキバオウが知らぬはずがない。たとえ、建設当時は知らずとも、ラストサンクチュアリ壊滅作戦が迫った時に、下手に利用されかねない湖底の抜け穴をキリトに通達していないはずがないのだ。

 キバオウが関与した決定的証拠はない。だからこそ疑いばかりは濃くなる。ラストサンクチュアリの完全な処理が済むのは12月末だ。1000人の貧民プレイヤーが暮らすキャンプの閉鎖を見届けて、キバオウは聖剣騎士団保有の鉱山へと出立する。

 キリトは考える。シリカと離れ、クゥリとこうしてかつてのように組んで仕事をし、自分の目的の為に何ができるのかと実際に動いてみて、あまりにも自分だけでは……個人では何もできないのだと。

 聖剣はDBO中のプレイヤーとキリトを繋げ、心意をより多く共鳴させて強大化させた。だが、それではクゥリを倒すことさえもできなかった。根本が間違っているのだ。心意とはあくまで『人の意思』を即物的な『都合のいい奇跡』に昇華させるものだ。

 あるか無いかも分からない、もはや数を減らすばかりの肉体持ちプレイヤーの『帰還』とこの先も絶対的に数を増し続ける肉体を持たないプレイヤーの『永住』の両立。それでも、自分が選んだからこそ、茅場の後継者の悪意を信じるからこそ、必ず方法は存在すると信じなければならない。だが、仮にあったとしても自分ではたどり着けない。自分だけでは手が届かない。

 キバオウの裏切りが真実であるならば、キリトは彼と向き合わなければならない。そうしなければ、『帰還』と『永住』の両立の手段が見つかったとしても絶対にたどり着けない。これは『義務』でも『使命』でもなく『心』の問題なのだから。

 その為にはキバオウが黒幕であるという確定情報が必要だった。キバオウが黒幕であるかもしれないならばシリカには関わらせたくなく、故にキリトは仕事の傍らでどうにかして探れないかと情報屋にも接触しているが、まるで相手にはされていない。【黒の剣士】というアインクラッドを生き抜いた聖剣所持者としての『信頼』はあっても、仮面をかぶり続けた自分には『信用』がない。だからこそ、情報を売ってくれない。グリセルダの評した通りだった。

 自分だけではキバオウと向き合うこともできない。だからこそ、キリトはクゥリに『帰還』と『永住』の両立を求める旨を告白せねばならない。彼を仲間に引き込み、もう2度と殺し合わないで済む関係を築き、キバオウの情報を集めたかった。クゥリは傭兵としての秘匿義務を決して曲げないが、それ以外であるならば……表面的には秘匿義務に引っ掛からない人物に対する自分の見解くらいならば話すだろう。仮に口を閉ざすならば、キバオウも関与していた決定的な証拠にもなりえる。その程度にはキリトもクゥリという人物を知っているつもりだ。

 いいや、逆転している。キバオウとまともに向き合えもしないのに、それ以上に秘密の塊のような白き友の深き奥底は見られない。鉄の城で命懸けで肩を並べ合い、相棒と呼べるまでに至り、奇妙で歪でまともとも呼べずとも確かな友情は結んだとしても、自分たちの道は交差することはあっても1つに重なることはないと告げるクゥリの深奥には至れない。 

 

「……おりゃ」

 

「ふぁう!?」

 

 思考に没頭していたキリトを不意打ちしたのはクゥリの右手の人差し指だ。眉間にダイレクトヒットして、キリトは思わず素っ頓狂な声を上げる。もちろん、その程度で異常に慣れたDBOプレイヤーは振り向きもしない。故に余計に恥ずかしさがこみ上げた。

 

「な、何をするんだ!?」

 

「いや、アイツらに任せっきりで自分は仕事放棄をして考えに耽っている、身長170オーバーのイケメンに成長した真っ黒野郎に少しばかりお仕置きしてやろうと思ってな。眉間の皺を突いてみた」

 

「止めてくれ。キミに不意打ちされると本当に心臓に悪い」

 

「そりゃそうだ。オレの本領は暗殺……狩りだからな」

 

「キミがあの時『俺の戦い方』に付き合ってくれてよかったよ」

 

「最近は真っ向勝負も増えたからな。得意分野に拘るつもりはないだけだ」

 

 クゥリは奇襲して相手に流れを掴ませることなく必殺することを良しとする。彼が戦う時は既に確実に殺すだけの段取りが済んであるのだ。相手がクゥリと戦いを開始した時点で罠に嵌まっているのである。彼の本領が発揮されて死ななかった者はいない。

 もしもラストサンクチュアリ壊滅作戦における遭遇がクゥリの奇襲からスタートしていたならば、キリトは10秒と待たずして首と胴が繋がっていなかっただろう。その程度にはクゥリが暗殺に徹したら手に負えるものではない。彼の奇襲に余程スマートに対応できる程に暗殺慣れした人物か、即死しないだけの耐久力と対応力を兼ね備えていなければならない。

 だが、マユの分析によれば、クゥリの贄姫はただでさえ瞬間火力に秀でた≪カタナ≫に≪暗器≫を組み合わせているらしく、完全なる奇襲を受ければタンクにも匹敵しかねない高VITのキリトでも頸部からの一刀両断を免れない。

 

「何を考え事しているか知らないが、今は仕事に集中しろ」

 

「分かってるさ」

 

「まるで分かってないな。オマエが何を考えているか知らないが、ここぞという時はいつも感情で突っ走って行き当たりばったりの馬鹿のくせに、目の前のこともまともにこなせないで『やらなければならない事』が出来るはずないだろう」

 

「……っ! キミは……本当に……俺には辛辣な物言い……だよな」

 

「他の連中には言葉を選ぶ努力をするように配慮することを学んだだけだ。今でもたまに失敗するけどな」

 

 元より救いようのない馬鹿は放っておくとばかりに、クゥリは背を向ける。DBOで今最も恐れられる虐殺者は、まるで誰の目にも触れていないかのように、キリトには見えないフードを目元深くまで引き寄せる所作をして、市場を往来する人々の狭間を進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だけど、オマエには言葉を選んでやる必要なんてないだろう? だって、オレ達は『親友』なんだからさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふわりと花弁が黄昏の風に舞うように、クゥリは振り返ってキリトに笑いかける。

 まるで世界からクゥリの『白』以外の色が全て失われたかのように、キリトは他の全ての人が意識から外れて彼だけしか存在しないような感覚に陥る。

 温かな感情が心を満たす。キリトは思わず言葉を失い、クゥリを見つめ続ける。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……おい、何か言え。オレの方が恥ずかしいだろ。ここはオマエも――」

 

「俺も!」

 

 頬を赤らめて近寄ったクゥリに、キリトもまた1歩、2歩、3歩と踏み出して迫る。そして、彼を至近距離で捉え、逃がさないとばかりに在らんばかりの意思を込めた視線で貫く。

 

「俺も……いつだって、キミのことを『親友』だって、思っている」

 

「お、おう!?」

 

「だけど、俺は……俺はいつもキミにもらってばかりだ。いいや、それだけじゃない。たくさんの人に支えられて、助けられて、守られてばかりだ! そんな俺が……俺がキミに……キミに相応しいのか、分からなくなるんだ」

 

「……なんだ。そんなことか」

 

 キリトの吐露に、クゥリは類稀なる馬鹿を見るかのように溜め息を吐く。

 

「オマエが自覚はないだけで、オマエはたくさんの人に大事な『何か』を渡しているさ。それはきっと、武器とか、アイテムとか、そんなものじゃなくて、オマエの在り方そのものが……きっとたくさんの人に『何か』を渡しているはずさ」

 

 クゥリが両手を伸ばして微笑みながら、キリトの頬に触れる。流れてもいない涙を拭うように優しく指が撫でる。

 

「だから、相応しいとか相応しくないとか言わないでくれ。言っておくが、オレの方がずっとずっと悩んでいるんだからな? オレはいつだって奪うしかできない側だからさ。あんな事があったのに、時間も随分と経ったのに、それでも『いつも通り』に話しかけてくれたオマエに、果たしてオレが相応しいのか――」

 

「そんなことない! キミだって自分を卑下し過ぎだ! キミだって『何か』を与えている! キミは奪うだけじゃない! キミがいたからこそ『何か』を与えているはずなんだ! オレがそうだったように!」

 

 自分の頬に触れるクゥリの両手を掴み、キリトは熱弁する。心が発する高熱のままに訴えかける。

 

「ああ、そうだ! 俺が馬鹿だった! 相応しいとか相応しくないとか、それこそが俺達の関係には不必要な判断じゃないか! 俺達はこれでいい。これでいいんだ! 何も迷う必要なんてないのに……俺はいつもこれだ! いつも……いつも……いつも……!」

 

「……そうか。オレ達はこれでいい。悩むことなんて……なかったな。やっぱり、オマエは『何か』を与えているよ」

 

 クゥリも少しだけ目を見開いて、少しだけ感情が揺れたような吐息を漏らして、その上でキリトを認める。

 そうだ。互いに友と……この世で最も『親しき友』と呼び合いたい。それがすべてだ。相応しいも何もなく、それだけ互いに認め合っている。

 誰に言われようと捻じ曲げない。もう迷わない。もう見失わない。キミと結んだ縁に刻んだものだけは絶対に! キリトは無言でクゥリを真摯に見つめ、彼もまた応じるように微笑み返す。

 だが、途端にキリトの体が浮いて高速で移動する。同様にクゥリの、男とは思えない華奢な体も空中に浮かび上がっていた。

 自分が首根っこを全力疾走するラジードに掴まれて移動したと悟ったのは、膨大なスタミナを消費して息を切らしているラジードが人気がない黒鉄宮跡地で両手を膝について立ち止まった時だった。

 死者の碑石が無くなったことにより、終わりつつある街の中心部である黒鉄宮跡地は前にも増して寂れている。デートスポットにもならず、故に黄昏の光に満ちる時刻であってもほとんど人影はなかった。

 

「「何をするんだ?」」

 

「それはこっちのセリフだよ!」

 

 困惑で塗り固められた表情でラジードは語気を荒げるが、キリトとクゥリは仲良く揃って首を傾げる。

 

「キミたちは何なんだ!? 何なんだよ!? 何してるのさ!? 周囲のフリーズっぷりに気づかなかったのか!? 公衆面前で2人の世界に入っちゃってさ! 変装してたからよかったものを! というか、キミたち傍から見たら何をしていたのか自覚あるのか!?」

 

「何って……」

 

「友情の再確認?」

 

「違うだろ!? 自分たちの発言を顧みろよ! というか、その前にハッキリさせたい事がある! この機会だから是非ともさせておきたい! 嘘偽りなく回答してほしい! ぼかすとかもダメ! キリト、どう見ても男! で!? クゥリは!? クゥリはどうなの!? 本当のところはどうなの!?」

 

「「どうって……男以外にないだろ?」」

 

「本当に!? 誤魔化してない!? 嘘ついてない!? だって……クゥリなんだよ!? ミス・DBOに出場すれば容姿だけで得票率99.9パーセント達成しちゃいそうなくらいに綺麗と可愛いを完璧に両立していて、ミスティアでさえ『隣に立たれたら女として自信を失う』って言い切って、普段はツンツンして素っ気ないくせにここぞという所でデレるという強烈過ぎるドストレートなツンデレっぷりを持ちながら、その実は意外と普段からも割とコンスタントに態度を変えることなくデレを見せる理想的な……まさしく名前の通りのクーデレというダブル要素を持っている、オマケにDBOでも屈指の実力まで兼ね備えていて、意外にも教養も高い無敵っぷりで、しかも何を考えているか分からないミステリアスという、もう過搭載もいい加減にしろって叫びたい……クゥリなんだよ!?」

 

「…………」

 

「あ、ああ。そう……だなぁ? えーと、男……だよ? うん、俺が言うから間違いない!」

 

「間違いない!? 本当に!? 本当だね!? だったら! だったら、もう1つ! 2人は……その……あっち系なの!? いや、誤解しないでくれ! 僕も理解はある方だ! その上でキミとの正しい関係を築く為にもハッキリさせておきたい! キミたちの関係って何!?」

 

「…………」

 

「いや、なんか変な誤解をしかけているのかもしれないけど、俺達の関係は100パーセント友情だ」

 

 今日だけでもクゥリのせいで性癖が歪みかけたのが何度もあったが、先の互いの友情確認のお陰で、今のキリトには断言できた。

 だが、そんなことは現在『どうでもいい』。果てしなく『どうでもいい』のだ! キリトはダラダラと脂汗を流し、自分が圧倒的な殺意によって身動きが取れていない事実を噛み締める以外になかった。

 

「本当に!? 本当なんだね!? よ、よかったぁあああ。いや、ごめんね。余りにもキミたちがアレだったからさ。まぁ、クゥリに関しては元々男女関係なく距離感が時々おかしかったし、しょうがないけど、キリトまで暴走しちゃってた上にあの発言の重ね合いだからね? いやー、本当によかったよ。僕も君たちと変わらぬ関係を維持できるのは本当に嬉しい!」

 

 自分たちが原因で動揺して壊れかけてしまったのだろう。誠実に生きる、自分の道を貫いて正しくあろうとするラジードだからこそ、もやもやとした胸中を……たとえ、失礼だとわかっていてもぶつけずにはいられなかったのだろう。それは褒められるべき美徳であり、人間としてまず信頼できる要素であり、そしてこの場合は……あまりにも自殺願望があるとしか思えぬ暴発だった。

 鈍感なのか、あるいは動揺を経て至った安心感が勝っているのか、ラジードはまるで気づいていない。

 そう、思えば今日は頑張った方である。キリトも全力で褒めたいくらいには……クゥリは我慢を重ねた。

 普段のクゥリならば、まず無言で実力行使に至る。そうでなくとも笑顔で毒を吐いて、その上で実力行使である。だが、今日は何にしてもマイルドであり、なおかつギリギリまで暴力で訴えることはなかった。

 クゥリは傭兵だ。プロの中のプロだ。仕事として正体を隠しているからこそ、極限まで我慢に我慢を重ねて、最後まで牙を剥くことはなかった。

 

「なぁ、キリト。今日はもうすっかり日も暮れたなぁ」

 

「そ、そうだな」

 

「別にさ、緊急性の高い依頼でもないしさ、オマエの変装のダメダメっぷりを改善したり、辻斬り事件とかいう貴重な情報も得られたし、とりあえず明日の朝から仕切り直しってことでどうだ? ほら、オレ達って結局のところさ、こういう調査依頼……向いていないから、もっと準備とすり合わせをしておくべきだったんだよな」

 

「そ、そうだな!」

 

「だったら、今この瞬間から『オフ』ってことで……OK?」

 

「そ、そそそ、そうだなぁ!?」

 

 ラジードはクゥリの顔が見えていない。友誼の設定をラジードにはまだ適応されていないからだ。クゥリなりにいずれ驚かせてやろう程度の悪戯心だったのかもしれない。

 だが、キリトはラジードが今のクゥリの顔を見えなくて本当によかったと全身の震えと共に安堵する。もしも見ていれば、2度と元には戻れない程に心を破壊されていたかもしれない。

 

 

 今のクゥリは、愛らしい、愛らしい、愛らしい、それはもう幼い無邪気のままに牙を剥いた童のような愛らしい……残虐極まりない笑みだったからだ。

 

 

 

 クゥリは大きく息を吸う。これからラジードに最も相応しい処刑を実行するべく空気を蓄える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「太陽の狩猟団のみなさぁああああああああああああああああああああああん! ラジードはここにいますよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段は物静かな部類で、感情を昂った時でも他人に比べれば大声を出さないクゥリが、キリトも聞いたことがない最大音量で、黒鉄宮跡地が震えるのではないかと思える程に、ラジードの居場所を告げる。それと同時に彼の強烈なアッパーカットが変装の要であるウィッグ付きヘルメットを吹き飛ばす。

 目をパチクリさせたラジードは……ようやく悟ったのだろう。自分が決して踏んではならない、クゥリの地雷の上でブレイクダンスを踊ってしまったのだと気づいたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラァあああああああああああああああああジィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいドォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおくぅううううううううううううううん♪ みぃいいいいいいいいいいいいいつけたぁああああああああああああああああああああああああ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がり、ガリ、がり、ガリ……と、槍の穂先が地面を削る音が黄昏を経て夜の闇で満たした冬の星空の下で奏でられる。

 

「あ、あああああ、あああああああああああああ!?」

 

 歩いているはずなのに、まるで急速拡大されているかのようにあり得ない速度で接近する背後の存在を察知したラジードは、逃げようとするも、ひょっこりと現れた三白眼の青年によって逃亡経路を封じられる。

 

「ここまでだ。頼む。本当に頼むから投降しろ!」

 

「ま、まだだ! まだ僕は……! そうだ! 話を! 話を聞いてくれ!」

 

 時間稼ぎを求めるようにキリトの背後に隠れるラジードであるが、先んじて回り込んでいた茶髪のお下げをした少女によって羽交い絞めにされる。

 

「隊長……ごめんなさい!」

 

「くっ! ミリー、裏切るのか!? 僕を見捨てるのか!?」

 

「違います! ミスティアさんが怖いだけです!」

 

「くそぉおおおおおおおおおおおお! だけど、役割ミスだな! ミリーは根っこからの魔法使い! 貧弱! STRでは僕が絶対的に勝って――」

 

「フン!」

 

「うげぼ!?」

 

 三白眼の青年の拳がラジードの腹に叩き込まれ、悶絶した太陽の狩猟団の若きエースはまるで米俵のように彼の肩に担がれた。

 

「ミリー、無事か?」

 

「当然だよ。隊長が私に暴力を振るうはずないし。でも……あ、ありがとう」

 

「副隊長として当然のことをしたまでだ」

 

「そ、そうだよね。分かってるから……うん!」

 

 あ、なんかクリスマスシーズンに相応しい桃色の波長だ。キリトは三白眼の青年とお下げの少女の甘酸っぱい香りに現実逃避をする。それほどまでに笑顔を崩すことなく、まるで手馴れたようにラジードの両手両足に枷を装着させるミスティアに、かつてのシリカの恐ろしき面影を見たからだった。

 

「ま、待って……言い訳……を。せめて……せめて法廷で公正なる裁きを……留置所でもいい……頼む……!」

 

「隊長、諦めろ」

 

「隊長、往生際が悪いです」

 

 部下だろう男女2人に哀れまれながら却下され、ラジードは涙を流す。そんな彼の恐怖を和らげるように、ミスティアは恋人らしくハンカチで優しく涙を拭った。ついでばかりに、クゥリが施したそばかすの化粧もしっかり落とした。

 

「ミリーちゃんもマダラくんも誤解しているみたいで、ラジードくんを怖がらせちゃったみたいだね。ごめんね。アタシ、全然怒ってないよ。少しも怒ってないよ。ラジードくんは良い事をしていたんだもん。皆が浮足立つクリスマスシーズンに、正義感に駆られてパトロール。うん、それでこそラジード君だし、誰にも真似できない善性で、アタシの大好きなラジード君そのものだよ」

 

 確かに。キリトもラジードの善性っぷりには完敗である。彼程に真摯に、常に自分の余暇すらも捧げて人々の為に何かできないかと行動する男もいないだろう。キリトには到底真似できない。

 だが、それはそれ、これはこれ、である。この場において全く役にも立たない善性である。

 

「アタシの責任。アタシが悪いの。ラジード君が素直にお休みするには、まるで足りなかったんだもん。アタシの……アタシの『愛』が!」

 

 ミス・DBO有力候補なのも納得である、アスナとも渡り合えるだろうと贔屓目無しでもキリトが太鼓判を押せる美貌のミスティアが、蕩けるような狂熱の愛の表情を浮かべていた。

 

「暴力に訴える女じゃないよ。疲れ切ってるラジード君に暴言だって浴びせるわけないよ。アタシはラジード君がぐぅうううっすり眠れるまで『愛』するだけ。そうすればきっとアタシの気持ちが伝わるはずだもん! そう、疲れ切って眠るまで……ね♪」

 

「う、うわぁああああああああああああああああ!?」

 

「良いじゃないか、隊長。男の理想の女性プレイヤーベスト3の常連に眠れるまで『愛』してもらえるなんてさ」

 

「そうそう。今日も街でナンパしていた独り身の人たちからしたら、嫉妬で殺しにかかっちゃうかもよ?」

 

「2人ともわざとだろ!? いやね、僕も嬉しいよ!? これが『普通』なら嬉しいよ!? でも、これ、絶対に『普通じゃない』事が待ってるじゃないか!?」

 

「……黙れ、迷惑隊長。アンタのせいで俺の休日が1日潰れたんだよ。そっちは満足したかもしれないが、フロンティア・フィールド帰りのこっちの身にもなれ!」

 

「今回はマダラに全面的に同意でーす。ちなみにミュウ副団長からの伝言だけど『今回は先の功績に免じて罰則を与えませんが、代わりにミスティアさんにしっかりとお説教をしてもらうように』だって」

 

「副団ちょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

「さぁ、帰ろう! アタシたちの『愛』の巣に!」

 

「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 何処かで見たことがある光景だ。そうだ、この場所だ。俺も黒鉄宮跡地で似たようなことがあったなぁ。キリトは連れされていくラジードを、感慨深い表情で見送り、姿が見えなくなると合掌した。

 

「なぁ、クー」

 

「どうした?」

 

「俺さ、ラジードと同じで迷惑かける時はとにかくかけて心配させまくっちゃうタイプなんだと思うんだ」

 

「そうか。自覚があったのか」

 

「さすがに。でもさ、俺……時と場合はしっかり考えようと思う。この悲劇を忘れないよ」

 

「悪くない心掛けだな。せいぜい頑張れ。まぁ、オマエは同じ轍を2度どころか3度も4度も踏んで嵌まり込んでいくタイプだからどうなるか分からないがな」

 

 相変わらず辛辣だ。この悲劇を生んだのは、ラジードの我が身を鑑みない善行をする誠実さであるが、もしかしたらあったかもしれない軟着陸を、ステルス機によるピンポイント爆撃で空中爆散させたのはクゥリである。

 だが、これは怒った内にも入らない可愛いものなのだろう。キリトはそう納得することにした。クゥリからすれば、溜まったストレスを発散したくらいの気持ちに違いない。少なくとも、キリトはクゥリが女扱いされたとしても『怒り』と呼べるほどに激烈な感情を露わにしたような覚えはなかった。

 

「ようやく追いつきましたよ! 騎士たる私を置いていくなんて酷いではありませんか!」

 

 着ぐるみ姿のせいで動きが悪い、だがあくまでそれはグローリーを基準にした比率であり、国民的な電気ネズミはあり得ないほどにキレがある、無駄にあふれた無駄だらけのだが無駄とは思えない動きで悲劇の跡地に到着する。

 

「おや、【若狼】くんはいずこに?」

 

「帰りました」

 

「そうだ。彼は帰ったんだ……『愛』の巣に」

 

「そうですか。帰られたんですね。愛に生きる為に!」

 

 ドライに言い切るクゥリ、涙を禁じ得ないキリト、何もわかっておらず一件落着のグローリーとそれぞれが異なる態度でラジードの笑顔が幻視できる夜空を見上げる。

 

「そうそう、聞き込み調査ですが!」

 

「ああ、俺達も明日もう1度――」

 

「この騎士たる私が重要な情報を手に入れましたよ!」

 

 何だと!? キリトは驚き、クゥリも表情こそ変えないが興味を示したようだった。

 あのグローリーの事であるから無駄に溢れた無駄な情報も十分にあり得るが、時として思わぬ拾い物をするのもグローリーのような人間だ。キリトは情報を早速聞き出そうとするが、グローリーが着ぐるみから着替えながら待ったをかけた。

 

「いえ、2人の仕事を手伝ったのは騎士として未練も後悔もありません。ですが、私もようやく今頃になって気づいたのですが、着ぐるみ姿のままでは私の仕事って未達成になるのでは?」

 

「……あ」

 

「…………」

 

 グローリーの仕事は辻斬りを威嚇する為に終わりつつある街を歩き回ることである。だが、着ぐるみではさすがに言動でも聞かない限りはグローリーと判別できないはずである。指摘されてみれば、キリトも未達成になるかもしれないと思えた。

 だが、聖剣騎士団もそこまで厳格な達成基準をグローリーに求めていないだろう。考え過ぎだと言いたいが、ここで無言を貫く白き友はどう考えても着ぐるみの時点で察していたはずであるとキリトには確信があった。恐らくであるが、本日のグローリーとのファーストコンタクトの時の発言に対する細やかな仕返しのつもりだったのだろう。

 

「クー」

 

「……分かってる。無償奉仕させるわけにもいかないし、少し意地悪も過ぎた」

 

 ああ、ここで自分が意地悪をしたと思ってしまうのがクーらしいなぁ。キリトは頷き、色眼鏡を外して装備を切り替え、髪型を元に戻す。変装姿も新鮮だったが、いつも通りが1番である。

 

「俺達も付き合うよ。辻斬りはどうせ夜に現れるんだろ?」

 

「おお、それは頼もしい! そうだ! どうせなら、参加できるグローリー☆ナイツに呼びかけてしまいましょう! 辻斬りめ! 目にもの見せてあげましょう! これが騎士の本気ですよ!」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーと、文面は……『ランク9がお酒を奢ってくれるそうです!』でいいでしょう!」

 

「待て! 待つんだ! 送信するな! 止めろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから1時間と待たずして、閑散としていたはずの黒鉄宮跡地には傭兵たちが大集合していた。

 

「フッ、なにせあの【黒の剣士】が奢ってくれるんだ。当然だけど、安酒じゃないだろうね?」

 

「当たり前じゃねぇか、虎丸よ! なぁ、ランク9?」

 

 フロンティア・フィールド帰りらしい、疲労が色濃く滲んだ顔でありながら……いや、だからこそ目が爛々と輝いた竜虎コンビ。

 

「あれ? ライドウは不参加かよ。グローリーの招集なのに珍しいじゃねぇか」

 

「タダ酒ほど美味いものはないッス! 今日は思いっきり飲むッスよ!」

 

 カイザーファラオはトレードマークであるテンガロンハットを指で押し上げて疑問を口にし、RDはハイテンションにアルコールを要求する。

 

「肉! 肉! 肉! 酒だけじゃなくて肉も所望する!」

 

「ははは、いやはや傭兵とは面白い。大ギルドでは味わえぬ奔放さがありますな」

 

 肉食系アマゾネスガールのジュピターは小躍りし、元聖剣騎士団の幹部でありながら今は傭兵に鞍替えしたアレスもまた傭兵生活も悪くないとばかりに皺を寄せて笑う。

 

「いやーん! タダ酒狙いだったのに大当たりじゃない! 私のセンサーがビンビンよ! あの教会服の子、絶対に……!」

 

「……エイミーさん、うるさいです」

 

「へぇ、言うじゃない。アンタはこういう集まりに参加しないタイプだと思ったけどね」

 

「……グローリーさんからのお誘いだったから」

 

「え!? アンタ、まさかあの馬鹿がタイプなの!?」

 

「……良いじゃないですか。元気に溢れた快活な人、嫌いじゃないです」

 

 涎を垂らす支援特化の傭兵であるエイミーであり、物静かな射手である聖剣騎士団の新進気鋭の専属であるメルディという女性陣も参加している。

 他にも傭兵多数が参加している。キリトは頭を抱えずにはいられなかった。幸いにも実入りのいい仕事が連発したお陰で懐は温かいが、傭兵たる者が奢りと聞いて遠慮するはずがない! ましてや、明らかに仕事帰りから直で参加した者も混ざっており、ならば祝宴も兼ねてどれだけ飲むか分かったものではなかった。

 

「キリトにしては、随分と気前がいいじゃない」

 

「……シノン、キミまで来たのか」

 

「貴方がタダ酒を奢ってくれると聞いて来ないわけがないじゃない。破産させてやるから覚悟しなさい♪」

 

「止めてくれ。頼むからキミだけでも遠慮してくれ!」

 

 キリトは情けなくシノンの両肩を掴んで懇願するが、彼女はまるでネズミを甚振る猫のような加虐の笑みを浮かべる。

 

「あらあら、天下の【黒の剣士】様にしては随分と無様なお願いね。だったら、もっと相応の態度があるんじゃないの?」

 

「シノン様! どうかこの通り! 土下座でも何でもしますから!」

 

「靴を舐めるが足りないわよ?」

 

「そこまでさせるのか!? キミの血は何色だ!?」

 

 キリトの懇願を上機嫌に蹴ったシノンの隣に立つのは、煙草を咥えた姿が板につく、理想的な傭兵という評価を持つスミスだ。

 

「キリトくん、顔を上げたまえ」

 

「スミス……!」

 

「今日は私も存分にご馳走してもらおう。なに、安心したまえ。ここにいるのは傭兵ばかりだ。50万や100万なら、キミにならば喜んで貸してくれるだろうさ。ちなみに私は良心対応のトイチだ」

 

「スミスぅうううううううううううううううう!?」

 

「そうね。私も大人げなかったわ。借金ならさせてあげる! 利子はクローズね!」

 

 スミスとシノンの邪悪な笑みに絶望し、キリトは先陣を切って出発したグローリーを恨めしく睨む。

 

「いやー! 仕事や用事があった方々以外はほとんど参加してもらえましたね!」

 

「……俺に彼ら全員を奢らせるだけの財布の余裕はないぞ?」

 

「及ばずながら、騎士たる私も幾らか手助けしますよ! さて、今日は何軒を梯子しましょうか?」

 

「1軒じゃないのか!?」

 

「街を歩き回らないと私の仕事にはなりません。ワンモアタイムから穴場の屋台まで! 今日はとことん飲んで食べて騒ぎましょう! ははは! 手持ちがなくなったら、領収書を切って聖剣騎士団に経費で請求しましょう!」

 

「絶対に不可だと思うぞ」

 

 傭兵が揃って練り歩く。それだけで視線は集まる。何事か、何事か、大戦の前触れか。いやいやグローリーがまた馬鹿をやっただけだ。多少のことでは動じないDBOプレイヤーも、独立・専属を超えて傭兵がサインズ本部以外で揃って歩けば、それだけで大きな波紋を生む。

 

「……人望があるんだな」

 

「騎士たる私がタダ酒を呼びかけましたからね!」

 

「いや、それだけじゃないさ。キミがメールを送らなかったら、こんなにも集まるはずがない」

 

 グローリーは『馬鹿』だ。だが、それは最大の誉め言葉であり、同時に彼が決して裏表のない人物である標識でもある。

 専属関係を超えて、あらゆる傭兵が呼びかけに応じたのは『グローリーだから』だ。

 

「私には【黒の剣士】にも同じことができると思いますけどね」

 

「俺に? 買い被り過ぎだ」

 

「いいえ、できますよ! 貴方もグローリー☆ナイツのメンバーなんですから! できて当然です! それに……」

 

「それに?」

 

「貴方がタダ酒を奢ってくれるというならば、騎士たる私はもちろん参加します! 私の参加=私が招いた人も参加! つまりは【黒の剣士】もこれだけ集めることができるではありませんか!」

 

「…………」

 

「ハハハ! 騎士たる私の言葉に感銘を受けましたか!? そうでしょう。そうでしょう! さぁ、今日は思いっきり騒いで辻斬りを威嚇してやりましょう!」

 

 グローリーは馬鹿だ。本当に『馬鹿』なのだ。キリトは彼の言葉に真理を見て、『馬鹿』だからこそ見えているものがあるのだと理解する。

 無理にずる賢く立ち回るのではない。頭をこねくり回す必要もない。シンプルでいいのだ。

 自分では人を集められないならば、自分が信じる誰かに集めてもらえればいい。自分を信じてもらえないならば、自分を信じてくれる1人を見つけて、その1人がたくさんの人を集めてもらえばいい。たったそれだけの事ではないか。

 そうした積み重ねの中で、少しずつ、少しずつ、少しずつ、自分を曝け出していけばいいのだ。

 近道などない。抜け穴などない。キリトがやらなければならない事はそういうものなのだ。『人の意思の力』などではなく『人の意思』の先……自分たちの意思の先にこそ、求める『答え』があるならば……!

 

「ありがとう、グローリー。少しだけ見えた気がする。俺が選ぶべきものが!」

 

「そうですか! キミが私の言葉で天啓を得たならば、騎士として本懐です!」

 

 だからこそ、ここで見逃すわけにはいかない。キリトは振り返り、傭兵たちの行列の最後尾……いや、無関係を装えるギリギリの距離を保って歩くクゥリに近寄る。

 

「……今夜はいいんじゃないか?」

 

「何がだ?」

 

「俺達がいる。ここにいる傭兵たちはキミの悪評なんてまるで気にしないさ」

 

「そうだとしても、オレが同行していれば、オマエ達の評判に傷がつく」

 

「キミは相変わらずだな。好き勝手しているように見えて、本当は誰よりも周囲をよく見ている」

 

「違う。オレは……」

 

「違わないさ。キミの意図はどうであれ、俺から見たらクーはそんな風に映ってるんだよ。だからさ、今夜はいいじゃないか。傭兵みんなでバカ騒ぎ。キミだって傭兵なら参加してくれよ」

 

「それは……」

 

「それに辻斬りの威嚇がメインなんだ。むしろ、キミの悪評はプラスになる! あの【渡り鳥】が出歩いている夜に辻斬りしたいとは俺だったら思わないな」

 

「酷い物言いだな」

 

「キミがそうであるように、俺もキミに遠慮するつもりはない」

 

 何よりも、キミの悪評を少しでも和らげたい。それが無理なら、せめてキミの戦いの積み重ねの結果だからこそ意味を与えたい。そんな俺のワガママだ。

 支えられて、守られて、助けられて、俺はここにいる。そんな俺も誰かに『何か』を与えているのだから気にするなと言ってくれた。

 でも、そうだとしても、だからこそ、ちゃんと自分の意思の下で行動で示すべき時もあるはずだ。キリトは絶対に折れない眼差しでクゥリを見つめる。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……今夜だけだぞ?」

 

「よし! 決まりだ!」

 

 キリトにはクゥリの素顔が見えている。だが、今は誰にも明かさないフードの下に隠れている。キリトはガラス窓に映った姿を頼りに、クゥリの素顔を隠すフードを外そうとして、彼の口元が薄っすらと笑っていることに気づく。

 クゥリは抵抗しなかった。キリトは思いっきりフードを外せば、周囲に大きなざわめきが生まれる。そこにいたはずなのに、初めて認識したかのように、白き傭兵の出現に狂乱の予兆が生まれる。

 させるものか。キリトはクゥリの肩に腕を回すと思いっきり駆けて先頭を目指す。

 

「今日は『俺とクー』の奢りだ! 思いっきり飲むぞぉおおおおおお!」

 

「オマエ!? オレを巻き込むな!」

 

「寂しいこと言うなよ。俺達……親友だろ?」

 

「それは……卑怯だ。卑怯だぞ!?」

 

「卑怯はぁあああああああ?」

 

「くっ! 傭兵の……誉め言葉!」

 

 キリトは笑う。笑ってみせる。笑って、笑って、笑って、世間が抱くクゥリの悪評を嗤ってみせる。さぁ、ご覧あれ。これこそ悪名高い【渡り鳥】の姿であると!

 

「ちょ……クー!? 貴方、何処にいたのよ!? え? 最初からいたの!? 全然気づかなかったわよ! それよりもその格好……何!? 男共に目の毒じゃない!」

 

「私は最初から気づいていたがね。しかし、随分とまぁ……ふむ、彼の魅力は最大限に引き出せていると評価はしておこう」

 

 シノンは困惑し、スミスは肩を竦める。他の傭兵たちも一瞬だけざわめくが、それだけだった。

 

「まぁ、【渡り鳥】なら溜め込んでるだろうし、むしろ飲める上限が増えたな。しかし、あの恰好……清楚エロいな!」

 

「そうだね。【黒の剣士】だけなら少しくらい遠慮しようかと思っていたけど、これは久々にセーブする必要はなさそうだ。それに何より……あれが清楚エロか! 初めて理解したよ!」

 

「やっぱりぃいいいいいいいいいいい! やっぱり【渡り鳥】きゅんだったのね! いやーん! 今日はクリスマスじゃないのに、最高のプレゼント過ぎるわ!」

 

 竜虎コンビは変わらず、エイミーは涎が酷いことになり、他の傭兵たちもだから何だとばかりにマイペースだ。

 周囲はクゥリの恐怖に満ちた眼を向ける。気にしてか、フードを被ろうとする前に、キリトは笑う。笑う。笑う。クゥリの悪名も、満ちる恐怖の眼も、全てを嗤ってみせて、クゥリの手を止める。

 

「傭兵は約束を守る、だろ?」

 

「……オマエ、性格悪いな」

 

「当然だろ。俺は自分勝手な人間なんだ。性格がいいはずない」

 

「そうだな。でも……そんなオマエだからこそ……ああ、いいだろう。約束はした。今夜は付き合ってやるさ」

 

 もう周囲のざわめきは聞こえない。恐怖の眼も感じない。キリトは『どうでもいい』と切り捨てたからだ。隣にいるクゥリが今夜を少しでも楽しんでくれる方が重要だ。

 

「キリト! まさか貴方、またクーと協働してたの!? 私からの協働申請を蹴ったのに!?」

 

「HAHAHA! なんのことやら!」

 

「クーの真似をして誤魔化すな、卑怯者!」

 

 指指すシノンに対し、キリトとクゥリは顔を見合わせて悪戯っ子のような笑みを浮かべる。そのままキリトはサムズアップと共にウインクし、クゥリはこれまでいかなる者も見たことがない、子どもっぽさ全開のあっかんべーをする。

 

 

「「卑怯は傭兵の誉め言葉だ」」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「うわーん! タダ酒飲みたかったぁあああああああああ! グロやんとハチャメチャ騒ぎしたかったぁあああああああああああ!【黒の剣士】を破産させたかったぁああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

「だったら、今から参加すればいいじゃないか」

 

「え? 今夜は雑魚くんの自主練を監督する約束じゃん。ふざけてんの? 殺すよ?」

 

 ライドウの言動にも慣れはしたが、ストレスを感じないわけではない。エイジは額の汗を拭いながら、順番を待っていた次のパーティに明け渡して次なる狩場を目指す。

 エバーライフ・コールの仕事をこなして余裕が出たコルを使い、より効率がいい狩場の利用を始めたのだ。大ギルドが管理する狩場はいずれも使用料が取られる。代わりに監視員がつくのであるが、特段に安全性が高まるのではない。あくまで大ギルドが管理しているという事実が重要であり、また狩場の順番や割込み、ドロップアイテムを巡って他ギルド、パーティと諍いが起こらないというメリットもある。

 エリートプレイヤー候補生だった頃や巡回警備時代はクラウドアースの狩場を格安、あるいは無料で使用することもできたのであるが、今はそうもいかない。コルに余裕が持てるまでは狩場には届かないが近しいモンスターが出現するダンジョンやフィールドを利用していたが、これからはコルを支払ってより効率的なレベリングができる。

 

「でも、頑張るねぇ。なになに? 雑魚君ってレベリングが趣味なの? なんか狩場を回る手順が最適化されてない?」

 

「趣味じゃない。回数を重ねているだけだ。ほら、次に行くぞ」

 

 さすがにライドウに人前で指導を受けるわけにはいかない。ライドウもそれを把握して変装を済ませている。普段の彼から想像できないスーツ姿と眼鏡というだけで、ライドウであると見抜ける者は皆無だった。

 アルヴヘイムが今のエイジのレベリングのメインだ。レベル100級であり、経験値も高く、ダンジョンでもフィールドでも事欠かない。特に狩場ともなれば効率は格段に増す。もちろん、レベル100未満のエイジがソロでレベリングするには危険過ぎるが、今はわざわざ他のパーティやギルドに混ぜてもらうことはない。ライドウに毎日・毎秒殺されかけているのだ。ならば、たとえレベリングであろうとも命をすり減らしてでも挑まねばならない。そうしなければ強くなれない!

 レベルを上げればHP最大値・基礎防御力・アバター強度が上昇し、成長ポイントも貰える。特にHP最大値と基礎防御力の上昇はレベルが20の倍数を突破する度により恩恵は大きくなる。逆に言えば、レベル20の倍数の壁……必要経験値の大幅増加も立ちはだかるのであるが。また、レベル20に達する度にプレイヤーを有利にするシステムも解放される。

 エイジが目指すのはレベル100だ。レベル100に至れば霊晶石が装備できるようになる。また、レベル100以降のHP最大値・防御力上昇の恩恵はくらべものにならない。高レベル帯ほどレベルアップによる成長ポイントの恩恵は小さくなる為に、この部分で調整が取られているのだろう。

 

「このレベリングさ、どれくらいの頻度でやってるわけ?」

 

「毎日だ」

 

「……ほい? 毎日?」

 

「ああ、毎日というより毎夜だな。休む時もあるけど、代わりに素振りとかトレーニング施設を利用して戦術の見直しとかをしていた。それがどうした?」

 

「時間は?」

 

「移動時間にもよるけど、せいぜいトータル平均で1日『6時間』程度だ。それがどうした?」

 

 もっとも、スレイヴと出会う前はFNCのせいで効率は著しく悪かったが。エイジはそこまで言う義理はないと補足しなかった。

 

「……ガチガチの努力型だー! うわー! 舐めてたよ! それだけやってあの弱さとか絶望級じゃん! こりゃ雑魚君育成ゲームで難易度ルナティックじゃないの!?」

 

「それがどうした? 僕は強くなる。お前が僕を強くするように育てる。違うのか?」

 

「あ、うん。なんかさ、最近の雑魚くんってむしろ俺をドン引きさせて冷静にさせるのがトレンドなの? 俺が思わず冷静になっちゃうとか、グロやんも腰を抜かす事態なんだけど、その辺の自覚ってある?」

 

「ほら、次の狩場についた。やるぞ!」

 

 どれだけ積み重ねたところで弱者は弱者だ。ライドウの言った通りである。

 だが、ライドウの指導は的確だ。よりエイジに適した動きと戦法を指摘し、その上でオリジナリティのある発展を促す。

 

「足を止めるな! 常に動き回れ! あと目が良すぎ! 五感で捉えた情報は頭の中で組み立てろ!」

 

 視覚に騙されるな。聴覚に欺かれるな。触覚により気を配れ。嗅覚を研ぎ澄ませ。味覚さえも利用しろ! エイジは狩場のモンスター相手にライドウの教えを実行する。視界外からのスケルトン型のモンスターの剣の突きを踏みつけ、逆に頭蓋骨にダーインスレイヴを振るう。

 良過ぎる目に依存しない。だが、視覚警告を武器として機能させる。五感をフルに用い敵の動きを捉え、撃滅することだけに集中する。

 五感で捉えた情報を頭の中で組み立てるイメージ。エイジは音で、肌を撫でる感覚で、視覚に捉えた違和感で、鼻を刺激するニオイで、背後からの攻撃を予測して屈んで防ぎながら逆に回転斬りで反撃する。スケルトンは転倒したところで踏みつけ、頭蓋の額に突きを穿つ。

 

「うーん、基礎は出来上がってる。俺の教えも上手く取り込んでる。後は成長ポイントと装備と……雑魚君をより特化できるモノがあれば、俺を殺すにはまだまだだけど、それなりに仕上がるかなぁ」

 

 狩場の順番が回り、エイジはレベルアップして得た成長ポイントを割り振りながら、ライドウと共に駆け足で次の狩場を目指す。各地にある転移ポイントをうまく利用し、アルヴヘイム中の狩場を最適ルートで回るのだ。

 レベルだけの成長ポイントでは足りない。エリートプレイヤー候補生時代にクラウドアースが保有するイベントで成長ポイントも稼いだが、それでも足りない。トップ層はいずれもボス、ネームドの成長ポイントも加算されているからだ。

 ライドウがエイジにエバーコール・ライフで『処刑者』をやらせているのも、PK数による成長ポイント稼ぎが目当てでもあるのだ。

 イベントに関してはライドウが幾らか融通を利かせてくれる。だが、ネームドやボスで得られるポイントに関してはそうもいかない。だが、無いならば無いで別の補填を考えるまでである。

 

「特化できる『何か』……爆閃では駄目なのか?」

 

「あれは攻撃手段に過ぎないでしょーが。根本的に雑魚君って雑魚なわけよ。だからこそ補うモノが欲しいわけ。まぁ、雑魚くんに適するかは分からないけど、あって無駄になるものでもないし、俺も持ってるし、悪くないんじゃなーい?」

 

「育成方針には全面的に従うさ。その上で独自に改良を施させてもらう」

 

 その後も狩場を回り続け、ライドウは深夜零時を回ると先に帰り、だがエイジはその後もレベリングを……生と死の際でFNCを何度も何度も刺激させてより視覚警告を研ぎ澄まさせ、ライドウの教えを反復して受肉し、その上で我流へと昇華させるべく試し続ける。

 だが、足りない。まるで時間が足りない。汗塗れの体は疲労が蓄積しきった。エイジは午前3時を回る頃にようやく帰路につく。

 教会は24時間休みなく守衛が門を守っている。夜間は封鎖されているが、住まわせてもらっているエイジは開けてもらって敷地内に入り、割り当てられた部屋へと戻る。

 だが、明かりがついている。もしかしたらスレイヴが帰ってきたのだろうか? エイジは汗のにおいが染み込んだ体を引き摺るようにして玄関を潜る。

 スレイヴの姿はない。まだレギオンの集会から戻れていないのだろう。代わりにリビングの食卓にて、ユナが顔を伏せて眠っていた。

 テーブルにはエイジの食器が並べられている。台所には野菜のスープとまだ切り分けられていないハムがあった。

 エイジとユナは別室だ。夕飯は共にすることはあっても、それを過ぎれば会うことはない。エイジはユナと分かれると抜け出してレベリングに励むのであるが、今回はライドウの指導もあり、ユナに何も告げていなかった。

 失敗した。ユナは自分も夕飯を食べずに待っていたのだろう。エイジはユナを起こさないように彼女の細く軽い体を抱き上げるとベッドに連れて行く。

 

「……ユナ」

 

 僕なんかを待つ必要なんてないのに。エイジは眠るユナの額に張り付いた前髪をそっと指でのけて布団を被せる。冬も本番となり、いよいよ寒さも厳しくなった。病気はまだ実装されていないが、ユナの場合は症状の悪化に繋がるかもしれない。念には念を入れるに越したことはないだろう。

 エイジは教会の共用風呂に向かう。信徒が用いる為か、派手な装飾もないが広々とした風呂である。

 だが、先客がいた。教会の設立に関与し、教会の運営にも大きな権限を持つとされるエドガーだ。また、エイジやユナの保護の責任者でもある。

 

「これはこれはエイジ殿、このように遅い時間に風呂ですか?」

 

 エイジはこの時間帯に入浴させてもらっているが、今まで他の信徒と遭遇することはあってもエドガーは影も形も見たことがなかった。

 故に油断しない。偶然とは考えない。その前提で想定を組み立てねばならない。体を洗ったエイジはエドガーと程よい距離を保ちながら、足を伸ばせる大浴場を味わう。

 

「おや、その両腕、随分と痛々しい傷痕ですな。治癒しないのですか?」

 

「呪いの類でして、まだ解呪できていないんです。動かすことに支障はありません。心配させてしまったようで申し訳ありません、神父。それよりも、このような時間に入浴とは何かあったのですか?」

 

 疲労が溶け出すようだ。だが、それ以上の感覚はない。エイジは無言のエドガーを意識しないように、今にも鼻歌でも奏でそうな呑気を『演技』する。

 

「クリスマスには教会も慰霊祭を開催する予定でして、その会議が長引いてしまったのですよ」

 

「なるほど。教会としても仕事が増えるシーズンというわけですか。僕も居候させてもらっている身ですし、何か手伝えることはありますか?」

 

「心配ご無用です。拡充した孤児院の手伝いをユナ殿にもしていただきました」

 

「……ユナは上手くやっていましたか?」

 

「ええ、それはもちろん。声を出せないのはやはり不便ですが、ユナ殿の優しい気遣いに子どもたちも心を許したようでした。あの子たちは親もなく、頼れる者もなく、世界に絶望していました。来たばかりの子はこのエドガーにもなかなか心を開いてくれません。ですが、ユナ殿は根気強く接して仲良くなっていたようですよ。ただ……礼儀知らずの子もいまして、その……スカート捲りなど……」

 

「…………」

 

「ああ、ご安心を! 年長者にチョコラテという子がいまして、しっかりとお説教しておりました。もう2度とそのような真似はしない事でしょう」

 

「……あの子ですか」

 

 グローリーとの協働前、【渡り鳥】に誘われて参加した孤児たちの青空教室にて、エイジがナイフ投げの指導をした孤児がチョコラテだったはずだ。

 

「友人を失い、それでも気丈に強くなろうと頑張る良い子です。いずれは教会剣になって、人々が安心して暮らせる世界の為に戦いたいと申しております」

 

「それは……立派な夢ですね」

 

「エイジ殿も如何ですか? ユナ殿と同じように教会の活動に参加してみては? 人付き合いが苦手ならば、教会剣など如何でしょう?」

 

 教会剣は誰でもなれるわけではない。ある程度の身分と実力が備わっていなければ加盟することはできないのだ。教会を守り、DBOの治安維持に貢献する教会剣が弱くては務まらないのである。

「エイジ殿はレベル90を超えているとお伺いしました。大ギルドに指名手配された経歴こそありますが冤罪。このエドガーが後見人となれば、教会剣に所属することはそう難しいことではないかと」

 

「僕を教会剣にしたいなんて、教会は人材不足なんですか?」

 

 冗談っぽく尋ねたエイジであるが、事は深刻だとばかりにエドガーは額を押さえる。

 

「ええ、お恥ずかしながら。教会剣は弱者では務まらず、故にギルドの枠を超えて有志で結成されている『白剣』と教会剣の活動に終始従属する『赤剣』がいます。ですが、比率は前者が過半を占めるのが実情です」

 

 教会剣でもエドガーと同等の戦力として扱われる主任が率いる赤剣は、その名の通り、教会剣のシンボルを赤く染めているのが特徴であり、実質的に主任の配下である。赤剣はいずれも卓越した技量の持ち主であり、大ギルドの主力部隊に匹敵すると言われている。だが、その過半は大聖堂の警備に割り当てられている。教会としても秘匿されるべき深奥はしっかりと自分たちの戦力で守っているのだ。

 

「ですが、白剣の活動が自粛傾向にある今、教会としてもこれまでとは異なる方針を取らざるを得ません」

 

 対する白剣は教会の守護とDBOの治安維持の2つにおいて、後者をメインに据えて活動している。ギルドの垣根を越えて教会の名の下に集うのであるが、大ギルドにとってはいざという時に所属プレイヤーが教会の命令を優先するのではないかと恐れている。ラストサンクチュアリ解散と人口増加による治安悪化は、教会剣の活動を自粛させる契機として利用されているのだ。

 

「教会としても先を見据えて多くの布石を打っています。たとえば、教会剣を正式にギルド化させ、より高度に組織化するなど。もちろん、大ギルドの承認を待ってのことですが」

 

「そのようなお話を僕にしてもよろしいのですか?」

 

「ははは。明日の朝刊にでも載るようなことです。隠し事でもなんでもありませんし、こうして風呂を共にできたのです。このエドガーの愚痴を聞いてもよろしいのでは?」

 

 ギルド化すれば、教会剣の所属者の結束はより強固なものになるだろう。また、ギルド化によるギルドポイントの獲得や所属プレイヤーの成長ポイントなど恩恵も大きい。だが、その一方でこれまでの体制を続けるならば、ギルド化するだろう赤剣と有志が集った白剣の間に大きな溝が生まれかねない。

 

「教会の承認を受けたギルドを使うという手もありますが、いやはや上手くいかないものでして。フロンティア・フィールドや聖遺物探索など、教会としては慢性的な人手不足なのですよ。ここ最近は卑しくも教義を捻じ曲げた異端まで現れる始末。灰より出でる大火……その教義を曲解など万死に値する! エイジ殿もそう思うでしょう!?」

 

 寝不足と深夜テンションとストレスのせいか、エドガーは血走った眼でエイジを凝視して同意を求める。

 

「ダークレイスなどの人に害する誓約を除けば全て受け入れるのが教会の方針だと僕は思っていましたが?」

 

「ええ、誓約は受け入れましょう。DBOにゲームシステムとして誓約が存在している以上は個々がいかなる恩恵を得たいか、そこまで自由を縛るなどナンセンスです。ですが、教義を捻じ曲げるなど全くの別!」

 

 教義の解釈の違い……宗派に分かたれるのは宗教の定めのようなものだ。エドガーはあくまで設立当時の教義を守りたいのだろうが、人が増えた分だけ意見や思想も増える。エドガーなどの教会設立者が説いた教義を曲解したり、付け足したり、あるいは全く異なるものを打ち立てることもあり得るのだ。いや、実際に教会はそのようなトラブルの火種を抱えているのだろう。

 

「なんと……なんとおぞましくも卑しい! 灰より出でる大火をお迎えすることこそ、神灰教会の存在意義であったはず! 我らは灰より出でる大火をお迎えする為に、器に油を満たし、来たる大火を受け入れる準備をせねばならないというのに! ああ、我が聖女よ。不信仰者のみならず、同じ教徒さえも満足に導けぬ我が至らなさをお許しください! アンバサ! アンバサ! アンバサァアアアアアアアアアアアア!」

 

「…………」

 

「ほら、エイジ殿もご一緒に! アンバサァアアアアアアアアアアアア!」

 

「アンバサ」

 

「アンバサァアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

「アンバサァアアア」

 

「アンバサァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

「アンバサァアアア!」

 

 僕は何をやっているのだ? 湯船で立って両腕を広げ、男の象徴を惜しげもなく晒して祈りの言葉を口にするエドガーの傍らで、エイジはお湯に沈むように項垂れた。

 

「ははは。つい熱が籠ってしまいました。しかし、裸の付き合いというのも悪くありませんな」

 

 こっちは2度とごめんだがな。あの後、たっぷり2時間も神灰教会の存在意義と教義と異端への殺意を延々と聞かされ続けたエイジは、脱衣室から意気揚々と去っていくエドガーを見送った。

 エドガーに拘束され続けてのぼせる寸前だったエイジは寝室へと向かう最中の廊下にて、何処か憂鬱そうなスレイヴを見つける。

 

「戻ってたのか」

 

「ああ、遅くなった」

 

「その様子だと悪い方に転がったのか?」

 

 スレイヴを部屋に迎え入れ、エイジのベッドで眠るユナが起きていないことを確認した上でしっかりドアを閉めるとスレイヴに料理を振舞う。ユナが作った野菜スープの香りにスレイヴは目を輝かせ、切り分けたハムを夢中で平らげ、固焼きパンを食い千切っていく。

 

「俺もレギオンである以上、お前に説明することはできない。だが、考え得る中で最悪の展開に事は進んだ」

 

「スレイヴがそこまで言うのか」

 

「ああ。俺もレギオンである限りは制約がある。レギオンの計画、今回は何が起こったのか、これからどうなるのか、お前に明かすことはできない」

 

「だからこそ、僕が代行者なんだろう? スレイヴの計画が何なのか、まだ聞かされていないがな」

 

「お前は今のままでいい。修正は必要な部分もあるが、お前がこのまま順当に成長していけば俺の計画は果たされることになる」

 

「……そういうものなのか?」

 

「そういうものなんだ。俺は大層な事を考えているわけじゃない。俺が王より受け継いだ『憎悪』とは何だったのか。王の空虚で形のない『憎悪』であろうとも意味があり、何かを生み出せるはずだと証明する為に計画を練っているだけだ」

 

「結果としてレギオンを裏切ることになるとしても……か」

 

「裏切るか否かは、あくまで計画の『先』の結果に過ぎない。レギオンとは群体であるのだから……いいや、違うな。レギオンとして生まれた以上、家族を裏切ることはできないんだ。そういう生き物なんだよ」

 

 喉にパンが詰まったのか、顔を青くしたスレイヴにミルクを差し出す。喉を鳴らして飲み干したスレイヴは、濁った金色の前髪を掻き上げると、疲れ切った……だが、まるで眼力は衰えていない瞳でエイジを射抜く。

 

「そっちの首尾はどうだ?」

 

 スレイヴが差し出した食いかけの固焼きパンを受け取り、エイジはライドウからの指導内容を明かす。

 

「そうか。子どもを……」

 

「軽蔑するか?」

 

「いや、別に。子どもだろうと大人だろうと『命』に貴賤はない。大体な、人間だって子牛を美味い美味い言って食ってるじゃないか。俺からすれば、子どもだろうと大人だろうと関係ない。お前はお前の意思で殺した。お前の憎悪が求める『力』のままに殺した。それ以上の何がある? 何もないだろう」

 

 こういう時にレギオンは人間とはかけ離れた価値観を有する生物なのだとエイジは実感する。普段は人間以上に人間らしいスレイヴであるが、その内側には必ずしも人間と同じ倫理観や価値観があるわけではないのだ。

 

「だが、犯罪ギルドか。あまり長居はするなよ。関わった証拠は隠滅しろ」

 

「ライドウもカリンを殺す予定みたいだからな。エバーライフ・コールでは顔を見られないように注意するし、僕を知っている奴は来たるべき時に口封じするさ」

 

「言うようになったじゃないか」

 

「だが、ライドウは僕を育成するついでにエバーライフ・コールに何か用があって、その為にカリンを殺害を目論んでいるみたいだからな。注意するに越したことはない。忠告はありがたく受け取っておく」

 

 ライドウの実力ならばいつでもカリンを殺せる。カリンも強いだろうが、ライドウには遠く及ばないだろう。すなわち、殺すのはライドウの目的を果たしてからであり、その仕上げとしてカリンの殺害を予定している事になる。

 

「体調の方はどうだ? 何か変わった点はあるか?」

 

 スレイヴの問いかけに、エイジは両手を隠す手袋を外す。右手は火傷を負ったように爛れた痕があり、左手にはまるで雷が走ったかのように痛々しい亀裂の傷痕が刻まれいてる。これらが両手から肘、二の腕にかけて及んでいる。普段は隠しているが、人前に晒せば相応に視線を集めるものだろう。

 

「今のところは特にない。良好そのものだ」

 

「お前はレギオンですらない出来損ないの何かになってしまった。レギオンプログラムがもたらす殺戮衝動はないが故にレギオンとしての恩恵も得られていない。せいぜいがFNCを克服し、武器として扱うべく最適化されたくらいか」

 

「それが本来の目的だろう? だったら十分だ」

 

 再び手袋をつけたエイジは両手を隠す。それをスレイヴは何か思うところがあるように見つめていた。

 本来ならば、アバターの傷痕は呪いの類でもない限りいずれ治癒する。エイジの傷跡は呪いの類ではなく、ダーインスレイヴと強引にリンクし続けた痕跡……そして何も手にできなかった無力で愚かな弱者の烙印の如く残り続けている。

 

「……だからこそ注意しろ。何事にも副作用がある。レギオンのケースから外れた症状が出た時、俺では対処しきれない」

 

「そう言うスレイヴはどうなんだ?」

 

「元より俺は長くない。桜を愛でることが出来るかどうかってところだな。だが、来年のクリスマスは迎えられないだろう。せめて夏の日差しくらいは浴びたいものだ」

 

「そう……か。そんなにも短いのか」

 

 普段のスレイヴがあまりにも元気過ぎてエイジは錯覚していたが、出会った時からいつ死んでもおかしくない状態だったのだ。リスのように頬を膨らませて野菜スープを啜るスレイヴも、もしかしたら春を迎える頃にはいないかもしれないのだ。

 いや、そもそもとして明日の我が身すらも分からないのがDBOだ。スレイヴも明日には、明後日には、もしかしたらクリスマスよりも前に死ぬかもしれないのだ。そして、たとえ健常なプレイヤーであっても、HPを失えば簡単に死ぬ。

 

「そうだよ。ユナにしてもそうだ。本人にはまだ告げていないし、今は症状が落ち着いているが、俺より長いか短いか……何しても不安定な状態だな」

 

 そして、エイジにしても爆弾を抱えている。スレイヴですら処置できない状態になっているのだ。

 明日には我が身も死体と思っていた方が楽だ。ライドウの指導は毎秒が死の危機の連続である。後がないと思えばこそ常に全力を注ぎ、成長し続けることができる。

 

「だが、ユナの声を取り戻し、延命させることはできるかもしれない。目星はついた」

 

「……何だと?」

 

「継続的な調査は要るし、仮にビンゴだとするならば非常に厄介な問題が生じることにもなるがな。借金も返済できるし、件の協力者にもう1度くらいならお前のテストをお願いできるだろう。協力者により専門的にユナの今のフラクトライトの状態を解析してもらった上での判断になるが、俺はかなり有力で成功率が高いと踏んでいる」

 

「…………」

 

「俺の見た限りでもライドウの指導でお前の潜在能力は開花しつつある。この調子で実力を高めろ。何にしてもお前には……」

 

「…………」

 

「エイジ? どうした?」

 

「なん、でも……ない」

 

 ユナの声を……『歌声』を取り戻せるかもしれない。

 ああ、それは喜ばしいことであるはずだ。自分が汚して壊した彼女の夢を再び取り戻せるかもしれないのだから。彼女はまた歌うことができ、しかも生き長らえることができるのだから。

 それなのに、これはなんだ? エイジは胸の奥底で……心に溜まった憎悪のざわめきを感じる。

 もうこの憎悪が揺らぐことも、失われることも、他に何かが灯ることも……決してない。『ユナ』を殺され、ユナが声を奪われて、エイジは……安堵していたのだ。安心感を覚えたことにすら憎しみを抱き、まるで永久機関のように憎しみを募らせ続けていたのだ。

 だが、ユナが歌声を取り戻したならば? エイジは想像しただけで狼狽する。ひび割れた傷痕を持つ左手で顔を覆い、必死に精神を取り繕うとする。

 

「……怖いんだな」

 

 いつの間にかスレイヴはエイジの頭を包み込むように抱きしめていた。

 

「済まない。お前の事を分かり切った気になっていた。お前にとってどれだけユナが大事な存在なのか分かっていたからこそ、お前もまたユナの歌声を取り戻したいと望んでいると勘違いしていた」

 

「……いいや、スレイヴは正しい。ユナの歌声を取り戻す」

 

「そうだな。だけど、お前は……恐れているんだ。ユナの歌声を聞けばお前は今の自分を見失うかもしれない。お前は今日まで憎悪によって生かされ、憎悪によって戦い、憎悪によって殺してきた。そして、憎しみが求める『力』のままに、鬼の道を歩んでいる。きっと、いずれお前は引き返せない程に進み、完全に『鬼』になる」

 

 ああ、そうだ。この震えは……恐怖だ。ユナが再び歌えるようになるのが恐ろしくてたまらないのだ。かつて、あれ程までに求めていたはずなのに!

 

「哀れだな。哀れだよ、エイジ。ユナの歌はお前の憎しみを……ほんのひと時でも忘れさせてしまうかもしれないんだな。憎しみのままに『力』を求めて『鬼』とならんとするお前には……恐ろしい事なんだろうな。だって、憎しみを失うことはお前の存在意義を失うことなのだから。お前自身を……完全に否定されてしまうことなのだから」

 

 そうだ。ダーインスレイヴの侵蝕に抗っていた時、エイジは確かに聞いたのだ。『ユナ』の歌声が魂に響いて、ほんの僅かな時だけ……憎しみを忘れてしまっていたのだ。

 どうしてなのか分からない。あの時の感覚はもう思い出せない。だが、今は……ただただ恐ろしいのだ。たとえ、一瞬であろうとも憎悪を失うことになれば、エイジは何者でもなくなってしまうのだ。

 

「エイジ、これは試練だ。恐怖は踏破する為にある。たとえ、鬼の道を進んでいようとも、もはやユナに抱いていた気持ちが分からずとも、それでも……お前はユナが再び歌うことを否定しなかったのだから。それが縁というものだよ。俺とお前に結ばれているように、お前とユナの間にも確かにあるものだ」

 

「……スレイヴ」

 

「俺の『憎悪』にも意味があって、何かを生み出せるはずだと証明するんだろう? 憎しみが行き着く先で、ここではない何処かに連れて行ってくれるのだろう? もはや立ち上がることはできずとも、這って、這って、這って進め。皮膚も剥げ、肉が抉れ、骨が削げようとも……お前は前に進むしかないのだから」

 

「……いつも思うが、スレイヴは『憎悪』のレギオンに相応しくないな」

 

「前にも言っただろう? 愛もまた憎しみに変わるならば、憎しみには愛の名残があるものなんだよ」

 

 何も知らないのは僕の方だ。レギオンという存在も……スレイヴの事も……何も知らない。

 それでいいとスレイヴは言うのだろう。微笑みながら拒絶するのだろう。ただ1つ、邪剣ダーインスレイヴと共に託した自分の『憎悪』だけ理解してくれていれば、スレイヴは満足なのだから。

 ならばこそ、エイジは己の意思で這ってでも前に進む。もはや恐ろしくて堪らずとも、ユナが歌うことはまるで自然の摂理のように、エイジは認めているのだから。

 

「詳しい話は夜明けにしよう。少し眠れ。お前はお前が思っている以上に疲れている。あと、しっかりメシを喰え。疲労と飢えは毒だ。時として世界を喰らう獣すらも病ませて弱らせて殺す程の猛毒だ」

 

 眠る。眠れば、また『ユナ』と出会うのだろう。憎しみの炎の中で焼かれてエイジを嘲う、己の首を抱えた『ユナ』に出会うのだろう。

 エイジはスレイヴから聞こえる生の音色……心臓の鼓動に包まれるようにして、ゆっくりと意識を手放した。

 

 

『エイジは弱いね』

 

 

 そして、憎しみの炎の底で今宵も出会うのだ。自分の無力さで殺した『ユナ』の嘲笑を聞き続けて目覚めるのだ。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 闇の中に私はいる。

 

 何処にもいけない暗闇。上も下も右も左もなく、私は漂うように闇の中にいる。

 

 でも、光の窓が見える。私は求めるように窓から覗き込む。

 

 窓の向こう側には『彼女』がいる。『彼女』には求める夢がある。叶えたい願いがある。欲した先に何があろうとも構わない。たとえ、自分の死であろうとも。

 

 だけど、『彼女』の中で何かが変わっていく。自分の手を引いてくれる人の背中が、熱が、言葉が、在り方が……『彼女』の何かを変えていく。

 

 私は問いたい。あなたは何を見つけたの? 何を知ってしまったの? あんなにも純粋に願った夢があったはずなのに。その為ならば全てを捨てられるほどだったのに。

 

 私は窓を覗き込む。窓の向こう側に行きたいと闇から出ようとする。だけど、『彼女』は私に気づいたように振り返ると首を横に振る。

 

 こっちに来てはいけない。こっちは『私の世界』だから。『彼女』は何処か悲しそうに笑う。そのはずなのに、私は『彼女』が何者なのかが分からない。窓の向こうがどんな世界で、『彼女』の手を引いて守り続けた人は誰なのか、『彼女』とあの人の行き着く先も……何もわからない。何も見えなくなる。

 

 だって、これは夢なのだから。

 

 だって、これは夢なのだから。

 

 だって、これは夢なのだから。

 

 

 

 

 

 何処か甘美で……救いようないくらいに脆弱で……物悲しい夢なのだから。

 

 

 

 

 

 

 冬の空気の寒さにユナは目覚め、無意識に自分が喉を掻いていたことを指先に付着するべっとりとした赤い血で気付く。

 ここは何処だろう? 自分の寝室ではない。ユナはまだ夜明けの光も届かない、だが薄っすらと空が白んだ窓の外を見ながら、鮮明になっていく意識でここがエイジの寝室だと判別し、自分の血でシーツも布団も染めてしまったことに青ざめる。

 そうだ。エーくんの帰りを待っていて、そのまま眠ってしまったのだ! おそらくはエイジが自分のベッドを使わせてくれたのだろう。ならば、エイジは何処で寝ているのか? ユナは物音を立てないように気を遣いながら、寝室のドアを開ける。

 

「……哀れだな、エイジ。本当に哀れだ。眠りすらもお前を苦しめるのか」

 

 スレイヴさん? ユナはそっとドアの隙間から除けば、椅子に腰かけたまま眠るエイジを抱きしめるスレイヴの姿があった。

 ユナが死んでから相応の時間が経過している。エイジはもう大人である程に2人には時間という名の差がある。そして、エイジが親しく接するスレイヴという存在にはユナも気がかりだった。

 

『俺とエイジ? うーん、そうだなぁ……相棒かな?』

 

 孤児院でユナがスカート捲りされた際に、あっさりと犯人を捕まえる……ことなく、逆に子供たちに返り討ちにされてダウンしていたスレイヴは、ユナにそう答えた。

 相棒。そこには特別な関係性があるのは言うまでもないだろう。ユナは顔を赤くして、2人はそういう関係だったのかと、邪魔してはならないとドアを閉めようとする。

 だが、何かがおかしい。ユナはもう1度ドアの隙間から覗き込む。エイジを抱きしめるスレイヴは、まるで我が子を眠らせるように頭を撫でている。その様は聖母のようだった。

 

「クク……クヒヒ……クヒャヒャ……本当に哀れだよ。それでも、お前は進み続けるのだろう? それでいい。お前はきっと強くなる。強くなれる」

 

 そのはずなのに、顔は狂ったように歪んで嬉々としていた。まるで、エイジが悪夢を見て苦しむことを望んでいるかのように。

 そして、泣いていた。まるで、嫌で、嫌で、嫌で堪らないのに、それでも為さねばならない事があるかのように、泣いていた。

 ユナはドアを開ける。驚いたようにスレイヴは顔を向け、エイジを手放そうとして、だがギリギリで彼をゆっくりと食卓にうつ伏せにさせる。

 スケッチブックを出してユナはスレイヴに問おうとする。だが、彼女はまるで威圧するように大股で歩いて近寄り、ユナをあっという間に壁際に追いやる。

 

「ユナ、違うぞ。お前が誤解しているような関係じゃない。勘違いしてしまったかもしれないが、ともかく違うんだ」

 

「…………」

 

「それだけを分かってくれたらいい。あと、出来れば今見たことは忘れてくれ。エイジも俺に抱きしめられながら寝ていたなんて、ユナに知られたら死んでしまいそうだしな」

 

 お茶目にウインクしたスレイヴは、そのまま部屋から立ち去ろうとするが、ユナはスケッチブックに読みやすさを捨てて書き殴るとスレイヴの袖を掴んで止める。

 

<1つだけ教えてほしい。スレイヴさんはエーくんの味方なの?>

 

「……味方か」

 

 スレイヴは馬鹿な質問だとばかりに笑う。嗤う。笑う。嗤う。

 

「俺はエイジを裏切らない。絶対に裏切らない。だから味方と言えば味方だな」

 

「…………」

 

「そう言うユナはどうなんだ? エイジの何なんだ? ああ、済まない。幼馴染だったな」

 

 嗤って笑って、スレイヴはユナの耳元で囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『ただの幼馴染』程度で、俺とエイジの関係を理解できると思うなよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背筋が凍る程に『無感情』の声だった。ユナは息を呑み、離れたスレイヴを見つめる。見つめる以外の何もできなかった。

 

「俺はユナのことが嫌いじゃない。むしろ好きな部類だ。お前はとても良い人間だ。優しい人だ。見知らぬ誰かの為に命を投げ出せる高潔なる魂の持ち主だ。だけど、だからこそ、一生かかってもエイジも俺も理解できない。できるはずがない。だから、エイジの邪魔だけはするなよ? せっかく生き返れたんだ。お前は自分が幸せになって、自分の夢を叶えることだけを望めばいい」

 

「…………くひゅ……かぁ……がぁ!?」

 

 ユナは咄嗟にスレイヴに言い返そうとして、だが喉は蛙が潰れたような呼吸音しかせず、ユナは呼吸困難になって喉を押さえながら両膝をつく。

 まるで声帯から広がるような焼け付く痛み。それはまるで細胞の1つ1つ……いいや、もっと大切な根源的な何かに亀裂を入れていくかのような激痛だった。

 

「ユナ!?」

 

 たったそれだけでエイジは目覚めたのだろう。飛び跳ねるように起きるとユナに駆け寄る。

 

「ああ、エイジ。起きてしまったか。ユナに症状が出たみたいなんだ。休ませた方がいい」

 

「分かった。ユナ、立てるか?」

 

 止めて。私を連れていかないで。スレイヴさんに今じゃないと聞けない事がある! ユナは落としてしまったスケッチブックを求めて手を伸ばすが、これ見よがしにスレイヴは拾い上げる。その間にエイジはまともに立つこともできないユナに肩を貸して彼女の部屋に連れて行く。

 

「ユナ、お大事に」

 

 待って。お願い、待って! 自分の足で立つことさえできないユナは、スレイヴの無表情に何もできない。

 そして、ドアの向こう側にスレイヴは消えて見えなくなった。




万華鏡を覗き込むならば心せよ。

ただあなたの心を惑わせ、狂わせるだろう。


それでは、340話でまた会いましょう!

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