SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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長かったボス戦もようやく終わりです。
二転三転した戦いでしたが、見届けていただければ幸いです。

今回は前書き詐欺じゃありません。本当です。



Episode6-9 そして安息は訪れる

 クラディールの夢の中で、その男は狂人だった。

 傲慢で、強欲で、自らの力に酔った男だった。

 元々は違った。男は仲間とその日の勝利を分かち合い、自分より強き者に憧憬を抱き、鍛錬を怠る事が無い、まさしく理想的な戦士だった。

 だが、日に日に男の中で何かが変化し続けた。

 あれは救った弱いプレイヤーが泣き縋りながら、まるで自分を神のように見上げていた時だっただろうか。

 自分は強い。そして、弱い者は自分に跪いてお零れを預かるしかないゴキブリだと感じるようになっていった。

 最初は男も否定し続けた。自らの汚らしい部分を封じ込め、理想を追い求めようと必死に毎日を生き抜く事ばかりを考え続けた。

 しかし、時が経てば経つほど、敵が強くなればなるほど、仲間達は自分の強さについて来れなくなり、男は彼らの憧れとなった。戦友はいつしか崇拝する信徒のように、自分の強さを崇めている事を悟った。

 だが、上には上がいる。男は戦士の中でも屈指の強さを持つ男に認められた。

 その男の名はヒースクリフ。血盟騎士団の団長と名乗った。

 血盟騎士団は強者ばかりが揃い、自分がいかにまだ弱小であるか思い知らされた。だが、男は戦いの中で自らの腕を磨き続けた。そうしなければ、肥大化したプライドに押し潰されそうだったからだ。

 やがて、男は血盟騎士団でも上位に君臨する戦士となった。もはや自分に敵う者を探す方が大変であるほどに、男は強くなり過ぎていた。

 その強さを見込まれ、男は何かと物騒であるからと副団長の護衛を任された。

 副団長は男からすれば小娘と言っても問題ない年齢だったが、その強さは彼を遥かに凌駕し、何よりも戦う姿も何もかも美しかった。

 彼女に認められたい。たとえ小娘でも美しい女を振り向かせたいという男心故か、男は夜が明ける度に腐っていく心に鞭を打ち、彼女への崇拝にも近い理想を胸に腕を磨き続けた。

 だが、女は男に振り向かなかった。それどころか、その存在を鬱陶しく思うようにすらなっていった。

 何故だ? 女に届くとまではいかずとも、これ程までに鍛え上げた力を、強さを、何故見てくれない?

 理由はしばらくして分かった。女には想い人がいた。多くの者に蔑まれる称号を得ながら、その汚名を遥かに覆す程の名声と力を持つ男、まだ少年とも言うべき、黒ずくめの剣士だった。

 その強さは伝説にして、その偉業はまさしく英雄と呼ぶに相応しい。男は黒き剣士に羨望を抱きそうになる度に鍛錬を励んだ。

 強いのは自分の方だ。いずれ決着をつける。そうすれば、彼女も自分に興味を持ってくれるはずだ。男は我が身を呪うように、そう言い聞かせ続けた。

 だが、男は敗北した。黒き剣士に剣を折られ、女の前で膝をつく事になった。

 固執。それによって男は形を残さず腐敗していた。膨れ上がったプライドと欲望が破裂し、男は狂気に囚われた。

 そして、仲間を騙し、黒き剣士を陥れ、後一歩で殺せるまでに追い詰め、助けに入った女に成す術も無く敗れ、振り向いて欲しかったはずの女に剣を向け、心の何処かで本当はその強さを認めていた黒き剣士に殺され、呪詛を吐きながら死んだ。

 それが夢の全てだ。

 夢の度にクラディールは、夢の中の男が自分なのではないかと思うようになった。

 今ここにいるクラディールこそが偽物で、夢の中の男こそが『本物のクラディール』なのではないか、と。

 恐怖した。仲間を狂喜しながら殺した自分が、また仲間を持てば殺してしまうかもしれない。その恐怖が彼にソロの道を歩ませた。幸いにもソロで戦い抜くのは、決して難しい事ではなかった。

 だが、新しいステージに到着すると劇的に変わった難しさに、より安全に立ち回る必要性を感じ、情報共有も兼ねて偶然出会った2人のソロと共に冒険する事にした。

 キャッティは底抜けの善人であり、クゥリは子供っぽさが目立つ一方で今まで見た人間にない異質な目をしていた。

 2人といる間は気分が晴れた。自分を見失わないで済んだ。

 だが、眠る度に夢の存在感は増し、起きる度に自分がどちらなのかが分からなくなる。

 あの日の夜、クゥリはクラディールを善人だと呼んだ。それを標に、クラディールは自分自身を見失わないように、霧の中で己というものを保ち続けた。

 だからだ。あの時、黒騎士に剣を折られかけた時、何故自分が呆けてしまったのか、深く追求しないようにしていた。それを探れば、夢の中の男が自分に成り代わってしまいそうで怖かったからだ。

 だが、思えばそれこそが間違いだった。

 真実から目を背ける者に待つのは破滅。夢の意味や正体、そこに隠されたものを探ろうとしていれば、あるいは立ち向かえる術もあったかもしれない。

 そうすれば、こんな事にならなかったのかもしれない。

 リ・ラーガイに剣を折られた時、夢と現が重なってしまった。

 圧倒的な強さを持つ者に剣を折られた。黒き剣士に敗れた。それは夢の中の話ではない。クラディールの身に起きた出来事……彼の中で息づく記憶なのだと。

 夢は果たしてどちらだったのか。今ここにいるクラディールこそが『夢の中のクラディール』であり、あの残虐で仲間殺しを喜ぶ男こそが『本物のクラディール』なのだと。

 そこからは記憶の逆流だった。クラディールは『夢』となり、男が『現実』となった。二つは混濁し、一つとなった。

 そして、『本物のクラディール』は今も狂い続けている。腐ったプライドと欲望に支配され、それらを毒のようにまき散らしながら、まるで子供のように負の感情を攻撃に変えてぶつける対象を欲していた。

 それはすぐ傍にあった。自分の手届く場所にいる。自分を信頼している馬鹿な女。その真っ直ぐな瞳をぐちゃぐちゃになる程に絶望と恐怖で歪ませれば、どれ程愉快だろうかと。

 だから『本物のクラディール』は彼女を殺す事にした。『夢の中のクラディール』は所詮夢だ。何も干渉することなどできない。

 彼女は何が起こったのか分からないという顔をしていた。喉を裂かれ、押し倒され、一方的に刻まれた。

 ようやく抜け出した左手は『本物のクラディール』に伸びた。それは必死の抵抗なのだろうと、『本物のクラディール』は可愛らしいものだと嘲笑った。

 だが、彼女は触れるだけだった。まるで、泣いている子供をあやすように、頬に触れただけだった。

 そして、彼女が触れたのは『本物のクラディール』ではなく、『夢の中のクラディール』だった。

 

「ク、ラ、ディール……どう、して?」

 

 涎を垂らし、『本物のクラディール』は彼女の顔を潰し、その命を奪い取った。

 まるで血飛沫のように赤黒い光が舞い、『夢の中のクラディール』を包み込んだ。

 絶頂の喜びと共に『本物のクラディール』は彼女の最期を嘲笑する。実に無様で、哀れで、愚かな死に様だったと、彼女の心を侮辱する。

 許されるはずがない。『夢の中のクラディール』は『本物のクラディール』を否定した。

 

 

 

『クラディール、オレが保証してやるよ。お前は善人だ。だから、その心を捨てるんじゃねーぞ?』

 

 

 

 最後の戦いがこんな形になるとは思わなかったと、『夢の中のクラディール』は目を閉ざし、自らを線引きする。『本物のクラディール』を否定し、切り離そうとする。

 だが、すでに混濁し、分離することができなくなった二つは離れられない。元をたどれば同じ存在なのだろうと『夢の中のクラディール』は結論付けた。

 もはや『本物のクラディール』は害悪だ。ならば、終わらせる方法は一つしかない。

 それこそが自分が善人である証だ。善であるならば悪を否定する他ない。

 あの時、死ぬ間際でさえ、キャッティの目にはクラディールに対する怒りも憎しみも無かった。あったのは、何故自分を殺そうとしているのかという疑問だけだった。

 疑問の先に彼女は『夢の中のクラディール』に対する邪悪さは微塵も感じておらず、それこそが彼の善性の証明に他ならない。

 

 所詮は『夢』も『現』も紙一重。だが、その一枚分の紙が自分たちを区分する。

 ならば、その境界線をもう一度引かせてもらう。『夢の中のクラディール』は覚悟を決めた。

 

 

Δ     Δ     Δ

 

 

 壁に叩き付けられ、オレが顔を上げた時には、既にキャッティは赤黒い光と化し、クラディールを呑み込むように漂っていた。

 死んだ。キャッティが死んだ。殺された。その事実は不思議なくらいにすんなりと喉を通り、腹に収まる。

 立ち上がったオレは自分のHPがイエローゾーンに到達しているのを見て、半ば作業的に燐光紅草を食べる。

 リ・ラーガイは回復中なのか、動く気配は無い。毎秒回復しているが、仮にフル回復するまで動かないならば、あと60秒は動かないままだろう。

 苦痛のアルフェリアのレーザーのような魔法攻撃を回避し、オレはレベル1の毒にならないように岩場を跳びながら、クラディールの傍まで近づく。

 黒い水をゆっくりと歩くクラディールはレベル1の毒を発症している。順調にいけばクラディールのHPを残り1割まで削ることができるだろう。

 

「クラディール」

 

 オレは彼の名前を呼ぶ。それに反応したクラディールの顔は、オレの知るものではなく、まさしく悪鬼の面をした、涎を撒き散らして狂気を垂れ流す男のものだった。

 

「くひ、くヒャ、ふひhihiひひ! 本当に筋肉馬鹿だねぇええええ、ゴドフリーさんよぉおおおおおおおおおお! あっりゃ死んじまった♪ 死んだ、しんだァ? 死死死死し死ししし死んじまったかァ?」

 

 首を左右に、メトロノームのように何度も傾けながら、だらんとした手で折れたフランベルジュを持つクラディールは、まさしく正気を失っていると言えるだろう。

 しかし、ゴドフリーか。何処かで聞いたことがある名前だな。確かSAOでそんな奴から依頼を受けたことがあるような無いような……

 何にしても、オレのプレイヤーネームはクゥリだし、ゴドフリーが誰か知らないが、この様子だと死人だろう。

 リ・ラーガイの復帰まで推定45秒。オレは右手の鎌を意識する。

 

「クラディール。何でキャッティを殺した?」

 

 オレの問いに反応し、瞳孔が開いたクラディールの首の動きが右に傾いたまま止まる。オレ達の距離は3メートル弱。その間を苦痛のアルフェリアの魔法攻撃が通り過ぎ、激しい水しぶきが上がる。

 オレ達の間には、両者の道がもはや決して交わらないかのように、岩場と岩場の間に黒い水が広がっている。

 

「何でかってぇええ? 殺スのが楽しいに決まってからだろ。俺より弱いくせに威張りやがってよぉおおお」

 

「別に威張ってねーだろ。戦いの最中は誰でもちょいと口調が乱暴になるだけだ」

 

「ウルセーなぁあああ。オマエもなんだよぉおお。ガキのくせに、オレに指図するんじゃねぇよぉおおおおおお! つーか、ココは何処なんだよぉおおおおおお!? アインクラッドじゃないのかよ!? 地獄なのか!? そうか! そうだよなァ! クヒャはhaはははハ! ダッタら皆死ンだ死ん死ンだァ!」

 

 クラディールは黒い水を走りながら渡り、オレに折れたフランベルジュを振るう。

 破壊された武器ではまともにソードスキルのモーションは起こせない。オレは折れたフランベルジュを弾き、反対の岸へと跳躍する。

 再びオレとクラディールは向かい合う。やはり、その目に正気と呼べるものはない。

 

「クラディール。オレはさ、お前の事を善人だと信じていたんだ。お前が良い奴なら、こんなゲームでも、どれだけ人の心が廃れても、擦り切れても、オレが知っている人間には必ず1人は善人がいたって思えるから」

 

 それは間違いだったのか? オレに見る目が無かっただけなのか? オレはクラディールに眼差しで問う。

 答えは無い。あるのは沈黙だけだ。

 リ・ラーガイの復帰まで推定で20秒。

 クラディールは再び、フランベルジュを持ち上げる。答えなど無い。あるのは、先程までの技巧に溢れた深みのある剣技ではなく、快楽に溺れた殺戮の剣……もはや見切るまでも無い、野蛮で粗野な攻撃。

 

「分かった。それがお前の答えか」

 

 もう時間が無い。早々に終わらせるとしよう。オレはキャッティの死んだ場所に残った彼女の装備やアイテムのドロップ品を横目で見ながら、一瞬だけ黙祷を捧げる。今のクラディールならば、これを隙と見て襲ってくるはずだ。

 

 赤黒い光が舞う。ポリゴンの肉体を突き破り、傷口を押し広げる、肉を裂くような不快な音が響く。

 

 だが、それはオレの鎌がクラディールを裂いた音ではない。

 反対の岸で、他でもないクラディール自身が、折れたフランベルジュを胸に突き立て、押し込んでいた。

 

「うひゃひゃきひゃぁ!? くひゃはハhaハハハhaははは!? ぐりぐりしてマジで何やってんだよなぁああああ!?」

 

 舌を突き出し、涎で喉まで汚し、瞳を忙しなく上下左右に動かしながら、クラディールは自らの胸に、キャッティを殺した刃を押し込んでいく。

 だが、所詮は破損した武器の上、クラディール自身が随分と傷ついてこそいるが鎧を着ている。それではレベル1の毒が効いているとしても、全てのHPまで奪いきる事ができない。

 それを知ってか……クラディールはゆっくりと、震えながら、首へと刃を近づける。だが、その手は突如としてフランベルジュを投げ捨てる。

 

「違う違ウ違う! 俺はこの邪魔くさいガキを……こロす? な、んで!? ちが、俺は……俺はぁあaアああaあアあああ!」

 

 リ・ラーガイの体が揺れる。復帰の前兆が起こり始める。

 オレは動かない。今ここでクラディールを殺すのは簡単だ。だが、今は見届けねばならない事がある。

 

「お前は『そこ』にいるんだな、クラディール?」

 

 ふらつきながら、まるで自らの死を求めるように、クラディールは黒い水へと足を運び、オレに近寄ってきている。だが、その一方で表情はオレから逃れようとしているかのように恐怖が張りついている。

 

 

「ガキぃいいいいいいい、殺ス! コロ、ココ、こコ……ころセ。俺が、俺で……あ、あるぅ、内にぃ……俺が、罪を……キャッ、ティを、殺したって罪を、感じ、られる、俺の内にぃいいいいいいいいいい! お前をコろスゥウうううううう!」

 

 

 そうか。それがクラディール……お前の答えなんだな。

 自分で決着を付けたくても、もうどうしようもできないんだな。

 

「お前に何が起こったのか、オレには分からない。でも、お前はキャッティを殺した。そして、罪を贖いたかった。自分の手で自分を殺したかった。自分が善人だと分かっている内に」

 

 それができないから、オレに頼むんだな?

 なら、手を貸してやるよ。オレはクラディールがキャッティにそうしたように、闇雲に暴れながらオレに拳を振るう『クラディールじゃない何か』を蹴飛ばし、黒い水の中に背中から叩き付ける。

 倒れた『クラディールじゃない何か』は起き上がろうともがくが、それよりも先にオレは彼の胸を踏みつけ、その首に鎌の刃を当てる。

 汚らわしい。お前如きがクラディールの姿で、自分こそがクラディールだと主張するように振る舞うな。見ているだけで吐き気がする。

 今救ってやる。それしかお前の心が救われないなら、オレがお前を殺してやる。

 

「おやすみ、クラディール」

 

 微笑み、オレは鎌を振り上げる。

 途端にクラディールはそれまでの狂気が嘘のように静かな顔になり、オレに笑いかけた。

 

 

「ごめんな。押し付けちまって。ありがとう、クゥリ」

 

 

 そして、オレはクラディールの首を斬り飛ばした。

 宙を舞い、クラディールの頭部が水面に触れると同時に砕ける。肉体も同時に赤黒い光となってオレを包んだ。

 クラディール。お前はあの夜、オレに救いを求めた。自分が悪人になったならば、どうか殺してほしいと。

 オレは間違っていたのか? あの時、殺してやると言っておけば、こんな結末は訪れなかったのか?

 

「最期の最後に……人様の名前を、ちゃんと言いやがって」

 

 背後から襲い来る斬撃。オレはそれを紙一重で回避し、逆にクラディールの首を刈った鎌で斬りつける。

 リ・ラーガイ。既にHPは全快したようだ。オレは毒になる1歩手前で岸に上がる。

 

「ガキって言えよ。オレはさ、お前からすれば子どもなんだよ。大人ぶれよ」

 

 背後からの魔法攻撃を身を転がして回避し、飛来する雷の刃を体を捻って避ける。掠めた碧の雷がHPを削るが、もはや興味は無い。

 オレに襲い掛かる堕ちた英雄。その姿をクラディールと重ねる。

 クラディール。お前は最後に勝ったんだ。『クラディールじゃない何か』に勝てたからこそ、罰という死を受け入れ、笑顔で死ぬ事ができた。

 キャッティ。クラディールを許せとは言わない。好きなだけあの世に着いたアイツを殴り倒してやれ。でも、きっとお前を殺したのはクラディールじゃないんだ。だから、好きなだけ殴ったら、言い訳くらいは聞いてやってくれ。

 

「ああ、独りぼっちになっちまったなぁ」

 

 慣れたはずだったのに。

 どうせオレは元からソロだ。誰の声も聞こえない。この戦場こそ、常に不利で、絶望的で、悲観的で、足掻いて生き抜く他にないこの場所こそ、オレの居場所だ。

 リ・ラーガイは猛攻でオレを壁際まで追い詰める。彼の斬撃は一発一発が重く、そして鋭い。鎌も悲鳴を上げ、亀裂が入り始めている。もう何度も受け流せない。

 苦痛のアルフェリアは溜めモーションを起こしている。あの口内からの黒い閃光を放つつもりだろう。

 黒い水を跳ねさせながらオレは後ずさり、ついに体が壁に触れる。リ・ラーガイの2メートル以上の巨体、そこから必殺の突きが放たれる。

 

「所詮は死体か。シャドウ・イーターに及ばないな」

 

 できれば、生前のお前と戦ってみたかったよ。心臓を狙った突きを足の脱力で身を屈めて避け、そのままリ・ラーガイの脇を潜り抜ける。その際にオレは『あるもの』を水中から蹴り飛ばす。

 カタナを抜き、即座に振り返ってオレに突進してくるが、それよりも先にオレは双子鎌の能力を起動させる。

 スミスに教えられた魔法の紐の機能。双子鎌同士の柄頭はいつでも実体化できる魔法の紐で繋がっている。

 オレが蹴り飛ばしたのは、シャドウ・イーターに捕縛され、自ら切り離した左手が握っていた双子鎌の片割れだ。オレはあえてリ・ラーガイにシャドウ・イーターに左腕を燃やされた壁際まで追い詰めてもらい、このもう1本の鎌を得られるチャンスを得た。

 だが、それは振るう為ではない。蹴り飛ばされ、せいぜい10メートル程度の魔法の紐が最大限に伸びて張る。オレは手元の鎌を身を反転させながら振るって遠心力を引き起こし、蹴り飛ばされた鎌は弧を描く。

 背後から斬りつけようとしていたリ・ラーガイと対峙したオレは、手元の鎌と繋がりながら弧を描くが故に、魔法の紐に巻き込まれ、瞬く間に回転する鎌によって魔法の紐で捕縛され、短くなっていく魔法の紐によってついに鎌の先端がラーガイの心臓を貫くまでを見届ける。

 上半身と腕を魔法の紐に束縛され、バランスを崩したリ・ラーガイがその場に転倒する。それと同時に長らく黒い水に浸ってしまったオレもついにレベル1の毒を受ける。だが、岸に上がって毒を回復するのはまだ先だ。

 シャドウ・イーターの火球は苦痛のアルフェリアに命中してダメージを与えた。苦痛のアルフェリアの魔法攻撃はリ・ラーガイに命中して同じくダメージを与えた。

 つまり、モンスター同士の攻撃でも同士打ちは発生するという事だ。これさえわかれば、たとえ火力が乏しい、なおかつ独りになったオレでも、リ・ラーガイの動きを止めるタイミングさえ誤らなければ、一つの方法でコイツを始末できる。

 苦痛のアルフェリアの口から解放された黒い閃光。破壊的な攻撃力を秘めたそれは、一撃でオレのHPはもちろん、直撃すればリ・ラーガイにも十分過ぎるダメージをもたらしてくれるだろう。

 発射ギリギリまで引き付け、黒い閃光の解放と同時にオレはラビットダッシュで離脱する。遅れて立ち上がったリ・ラーガイはオレを狙った射線の先にいる。

 命中し、巨大な黒い水柱が走る。その飛沫の中には赤黒い泥が混じっていた。

 岸に上がったオレはレッドゾーンに到達したHPを癒すべく、燐光紅草を食す。

 リ・ラーガイの攻撃を受け過ぎた鎌はもう武器としては限界であり、軽く振るっただけで折れてしまった。修復困難だろうが、直る見込みがある事を願うとしよう。

 

「アルフェリア。もうお前を守るものは何もねーよ。友達も、英雄も、皆死んじまったんだ。もう、お前を守るのはお前の苦痛しかない」

 

 苦痛のアルフェリアは叫び、暴れ、魔法を放ち続ける。だが、腕は3本しかない上に元々飽和攻撃を前提としたそれは命中精度が低い。オレは歩きながら、キャッティのドロップしたアイテムを回収できる余裕すらある。

 ドロップ品から即座に武器枠に移行させ、装備したのは彼女の得物である赤蛇刀だ。

 もはや岸はほとんど残っていない。アルフェリアの傍など全て水没してしまっている。つまり、毒に侵されながら戦わねばならない。ならば求められるのは火力だ。

 

「力を貸してくれ、キャッティ。オレが生き残る為に」

 

 更に燐光紅草を頬張り、オレは苦痛のアルフェリアに挑む。

 狂乱し、魔法を放ち続けるアルフェリアの懐に入り込み、一閃する。即座に離脱し、どす黒い波動を避け、腕の追撃を前転で回避し、多関節のそれを斬りつける。ダメージが蓄積していたのか、ついに最後の多関節の腕を失い、苦痛のアルフェリアは元から備わっている太い、人間的な腕だけが残る形となった。

 もう苦痛のアルフェリアのHPも1割を切った。オレもまたレベル1の毒をもらったが、もはやデバフ回復も面倒なので燐光紅草を食し、強引に回復してスリップダメージを抑え込む。

 10秒間で2割の回復。対してレベル1の毒はおよそ30秒でオレのHPを3割奪う。そして、毒の蓄積から発症までは40秒。このサイクルを頭に叩き込み、1発も苦痛のアルフェリアからダメージを受けなければ良いだけだ。

 

「ああ、そうさ。簡単だよな、クラディール?」

 

 こんな事、オレでなくともできる。クラディール、お前ならもっと効率の良い斃し方が思いついたんじゃないか?

 不恰好に、ひたすらに、オレはカタナで斬り続ける。思えば多くの武器を使ってきたが、SAOでもカタナは使った事が無かった。

 

「そういえばキャッティ、≪カタナ≫スキルって具体的に誰から教えてもらうんだよ? 訊くのをすっかり忘れてたんだけどさ、教えてもらえるか?」

 

 オレの斬り方がまずかったのか、刃毀れしていたカタナがついに折れる。だが、もはや苦痛のアルフェリアのHPはゼロに等しい。どす黒い波動のモーション中に彼女の体を駆け上がり、その額へと折れたカタナを突き刺す。強引に、力の限り、クラディールが自らの胸を折れたフランベルジュで貫こうとしたように、押し込んでいく。

 オレを引き離そうと伸ばしていた手が下り、彼女を中心に溜まっていたどす黒い光から拡散する。

 

「もう痛いのは終わりだよ、アルフェリア」

 

 ドロドロと溶けていく苦痛のアルフェリアの体。そのムンクの叫びのような顔が安らいだように見えたのは気のせいではないだろう。

 落下したオレは無様に頭から黒い水に……いや、苦痛のアルフェリアの死と共に浄化された清廉な水に落下する。

 立ち上がったオレは黒い泥のように溶けた苦痛のアルフェリアの肉体の中、全身を八つ裂きにされた女性の遺体を発見する。

 バラバラにされた彼女の亡骸は、背中の皮を剥がされ、目玉をくり抜かれ、歯を全て奪われ、舌には釘が刺してあった。

 

「痛かったんだね。苦しかったんだね。でも、もう眠っていいんだ。もう……ゆっくりと、何にも邪魔されずに、友達と一緒に眠ってていいんだよ。アルフェリア」

 

 腰まで水が浸す中オレは彼女の元へとシャドウ・イーターの核となった幼体のマッド・イーターの亡骸を持ってくる。せめて彼女と一緒に、いつまでも居られるように、寄り添わせる。

 いつからあったのか、場違いな『congratulations』というシステムウインドウをオレは消す。

 入手したアイテムはいろいろあるが、その中でも特に目立ったのは【苦痛の乙女のソウル】、【影を喰らう者のソウル】、【ガルム族の英雄ラーガイのソウル】だ。だが、その中にオレ達が望んだアイテムは無い。

 ふと、マッド・イーターと並べたアルフェリアの胸で光る物を見つける。それは血を啜って汚れた金の指輪だ。

 名称は……約束の指輪。オレ達が探し求め、この井戸の底のダンジョンに来た理由のアイテムだ。

 

「悪いが、貰っていくぞ。アンタの恋人に渡さないといけないんだ」

 

 アルフェリア。あの武器屋の店主の恋人であり、ガルム族と恋に落ちた人間の乙女。恐らく、彼女は八つ裂きにされて井戸に放り込まれ、それでもなお死ねなかったのだろう。その理由は分からないが、苦痛のままに井戸の中でもがき、壁を引っ掻き続け、たまたまこの地下空間へと繋げる穴を開けてしまった。あるいは、ここで祀られた『何か』が彼女を殺さず、生かし、この地まで呼び寄せた。

 そんな彼女に寄り添い続けたのは同じ人間でも、ガルム族の恋人でもなく、斃されるべき存在であるはずのモンスターの友達だった。

 依頼完了。オレはもう一度アルフェリアとシャドウ・イーターに祈りを捧げる。

 

「おい、クラディール! 指輪を手に入れたぞ。これでお前の武器も新調できるよな」

 

 あの破砕の石剣を使う為にはSTRをかなり上げないと無理だろうな。今のクラディールじゃ到底使えないだろう。

 

「さっさと街に戻って風呂でも浴びようぜ。おっと、キャッティ! 先に言っておくけど、風呂上がりに珈琲牛乳は無いからな。文句は茅場の後継者に言えよ?」

 

 オレにはフルーツ牛乳が待っているけどな。やっぱり風呂上がりはフルーツ牛乳だろ、絶対に!

 

「おい……どうしたんだよ……」

 

 何で、こんなに、静かなんだよ。

 もっと喜べよ、クラディール。

 いつもみたいに不機嫌そうに文句を垂れろよ、キャッティ。

 

「返事くらい……してくれよ」

 

 慣れていたはずなのに。

 これまで仲間を失った事は幾らでもあったはずだ。救えなかった者たちもたくさんいたはずだ。オレ自身の手で何人も他の奴等から仲間を奪ってきたはずだ。

 だから……オレが……こんなに風に、なってはいけないはずなんだ。

 受け入れろ。キャッティは死んだ。クラディールに殺された。

 受け入れろ。クラディールは死んだ。オレが殺した。

 

「ああ……そうさ。オレだ。オレだけだ。オレが生き残ったんだ! 2人は死んだ! 死んだんだ! だけどオレは生き残ったぞ、糞ったれが!」

 

 2人の生きた証はアイテムとして残され、その血肉は経験値として既に、苦痛のアルフェリア、シャドウ・イーター、堕ちた英雄リ・ラーガイの経験値と混ざり合い、オレのレベルを大幅に上げている。

 早く脱出しなければオレも溺れ死ぬ。そうなれば、2人の死も無意味になる。

 ボス部屋の出口に立ち、オレは振り返る。

 

「戦い続けてやる。生きる為なら奪って、喰らって、狩り続けてやる! それが生き残るって事なら、何があっても……何があってもだ!」

 




クラディール様、お疲れ様でした。
彼とキャッティの最期は登場させた段階から決めていたのですが、いざ書いてみると物悲しさを覚えました。

今後とも彼らは主に回想で活躍して頂こうと思います。

それでは主人公のSAN値が36話でもガリガリ削れる様を想像しながら、

Let's MORE DEBAN!

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