SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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マギーちゃんはCEが弱点ですが、個人的にはCE以外に弱点が無いと思っています。
今でもマギーちゃんだけには安定して勝つ事が出来ません。
三連バトライを使えば良い? ヒトマシで瞬殺? なんの為のCEミサイル?
それはマギーちゃんの優しさに甘えることになるのでやりません。


なので今日もJアセン軽量機でマギーちゃんのトラウマをほじくり返したいと思います。


Episode7-4 悪女と聖女

 濃厚な赤ワインが風味と共に口内に広がり、肉汁とソースが絡み合った子牛の柔らかい肉が舌を震わせる。

 今まで多くの男と付き合いがあったが、彼女はこれ程までの待遇を受けた事は無かった。夜の海と交わった月光、人々の営みの光を湛えた都市、そして貸し切られたホテル最上階に設けられた高級レストラン。

 給仕の男女もまるでモデルのような美形ばかりであり、単に造形が美しいに留まらず品格を伴っている。彼らはまるで姫を扱うように恭しく彼女を最大限にもてなす。

 グランドピアノで壮年の紳士が演奏するのは『エリーゼの為に』だ。その旋律は音楽に精通していない彼女にも一流と分かる物であり、その精密極まりない演奏は人の領域を超えているとも言えた。

 

『どうだい? 満足してもらえたかな』

 

 彼女は向かい合うように席を共にする男は、にこやかに彼女に問う。

 その男の容姿について彼女はよく憶えていない。だが、子どもっぽさが滲む顔立ちの男だったような気がする。

 男は板についた白いスーツと青のネクタイを身に付け、無邪気に笑む。彼女は惚れっぽいわけでもないにも関わらず、思わずその笑みに心を奪われそうになる。

 彼女は問う。何故自分をこれ程までにもてなすのか、と。

 すると男はワイングラスを揺らし、中身の血とも見紛うそれの香りを嗅ぐ。

 

『ボクはね、キミと話をしてみたかったんだ。キミのログは見せてもらったけど、なかなかに興味深かったからね』

 

 興味深い。それは褒め言葉のはずなのに、彼女は背筋におぞましい恐怖感を覚える。まるで怪物の舌の上で弄ばれているかのような気分だった。

 それを隠すように、彼女はワインを一気に煽る。マナーも何もない、アルコールによって心を支えようとする。唇から垂れ、顎から滴ったワインが、男が買い与えてくれた真っ赤なナイトドレスに深紅の点を作る。

 

『ヒトはボクを枯れ木と呼ぶよ。財にも、肉欲にも、権力にも興味が無い、枯れ木のような男だとね。だけど、それは大きな間違いだ。ボクは自分の興味のある物に対してはとても積極的にアプローチをかける情熱的な存在だよ』

 

 手を組んでその上に顎をのせ、男は可愛らしいとも言えるほどに軽く首を傾げた。

 毒が混じる。男の仕草一つ一つがまるで彼女を蝕むように、その存在に注目せずにはいられなくなる。

 

『カーディナルが測定したキミのイレギュラー値は最大で132.33。人類平均値が38だから、キミは立派なイレギュラーというわけだね』

 

 イレギュラー。その言葉には彼女が単語として知る以外の意味が込められている事は明白だった。

 彼女は恐る恐る尋ねた。自分に『新しい人生』を与えてくれたのはどういう意図なのか、と。

 以前までの彼女はそれなりの美貌があるだけの、人生に疲れ切ったダンサーだった。夢を追いかけて上京したが、才能が出ず、苦心の果てに仮想世界に囚われた哀れな女だった。

 アインクラッドでの生活はただでさえ捻じれていた彼女の精神に深刻な影響を与え、欲望を満たす為ならば犯罪も厭わない存在へと変えた。

 

『ちなみにあの【黒の剣士】の最大値は1096.54、【閃光】が741.99、【竜の聖女】が142.18だよ。ふざけた数値だと思わないかい』

 

 楽しげに男は笑うが、その目には一切の正の感情は無い。あるいは、憎悪や憤怒といった表現を通り越した黒い感情だ。

 普通の人間ならば心の奥底まで瞬く間に支配されるだろう事は簡単に想像が付く、果てしない激情。だが、男はそれを完全に飼い慣らしているようだった。

 

『でも、今のキミはイレギュラーであってイレギュラーではない存在だ。ボクはキミを観測し、情報を集めたいんだよ。だからこそ、キミに何ら手を加えずに機会を設ける事にしたんだ。選択を与える機会をね』

 

 男は銀の呼び鈴を鳴らす。デザートのアイスクリームが運ばれてくると、彼は美味そうにスプーンで掬って口に運んだ。

 溶けたバニラアイスの液体が付着した唇を舌で舐め取った男の姿は、まるで蛇を彷彿させる。その光景を見た彼女が思い出したのは、小さい頃に読んだ絵本の聖書に登場した、楽園でイヴを誘惑した蛇だ。

 楽園の追放の元凶。悪魔の仮初めの姿。蛇は世界中で時として神に、怪物に、悪魔に姿を変える。それは蛇に人は根源的な恐怖を抱いているからだろうか。

 

『計画の始動まであと1年と4ヶ月。できれば世界中で派手にやりたいんだけど、SAO生還者を確実に巻き込みたいから日本に限定する。キミの母国だよ』

 

 日本。母国。故郷。彼女は胸の内で反芻させる。もう2度と目にできるはずがないと思っていた光景を思い浮かべると、思わず涙が滲む。

 帰る事が出来る。地元で田を耕し続ける両親にも、やんちゃだった弟にも、初恋のクラスメイトにも、もう1度会う事が出来る。それだけで彼女は嗚咽を漏らした。

 男はポケットからハンカチを取り出し、彼女に手渡す。彼女は目元を拭って男に返し、向かい合う。

 帰ることができるのか。帰っていいのか。彼女は男に確認を取る。すると男は無論だと頷いた。

 

『もちろんだよ。ボクに協力してもらえる事が前提になるけどね。それに親族や知人との接触の際には、少々「処置」もさせてもらう。安心して良いよ。キミの大切な人たちを傷つけるような物じゃないから』

 

 彼女の覚悟は決まった。元より自分は善人である事を止めた人間だ。ならば、男に協力する事に今更良心の呵責を覚える必要などない。

 

『好きに生き、理不尽に死ぬ。「彼」の口癖だけど、キミもどうやらその類のようだね。ボクの目に狂いはなかったわけだ』

 

 そして、男は立ち上がると、彼女に手を差し出した。この手を取れば、もう戻ることはできない。だが、彼女はもう引き返す気は無かった。

 握手を交わす。同時に給仕たちが彼女を讃えるように拍手を響かせる。そんな中で、男は無邪気な悪意に満ちた笑みを浮かべる。

 

 

 

 

『歓迎するよ。一緒に滅茶苦茶にしようじゃないか♪』

 

 

 

 

 それは彼女の新たな始まり。

 これは幸運ではなく必然だ。彼女は上機嫌に回想を終え、仮想世界の大気を深呼吸で取り込む。

 想起の神殿の外縁部に赴いた彼女が目にしたのは、その場に座り込んだレイフォックスだ。

 

「終わったみたいね。どう? 作戦通りに行ったでしょう」

 

 満面の笑みで彼女はレイフォックスを見下ろす。まるで人形のように、心が虚ろになった顔をしたレイフォックスが彼女を見上げる。

 復讐心だけを支えにして、ありとあらゆる手段を用いた女の末路がコレか。いたぶって傷口を広げ、顔を歪めてもがき苦しむ様を観賞したいところだが、残念ながら彼女は入念に仕込んだ駒だ。完全に壊すわけにはいかない。

 赤のウェーブの髪を靡かせ、まるで崖のように垂直な外縁へと彼女は足を運ぶ。闇を浸された穴は見つめ続ければ落ちてしまうような錯覚がある。

 

「あなたの……言った通りにやったわ。あは、あはは……アははは! あの【渡り鳥】を殺せたわ! グリズリーの仇を討ったのよ!」

 

 2、3度転げながら立ち上がったレイフォックスは、狂ったように唇を吊り上げて高々と笑う。

 それも仕方ない。彼女は文字通り全てをこの作戦に捧げた。好きでもない男と体を重ね、良心を殺し尽くし、必殺の意思で臨んだ。

 

「当然よ。アタシは【渡り鳥】の弱点をちゃーんと知ってる。彼は持久戦に持ち込まれることを何よりも嫌うわ。でもね、1番やってはいけない事は彼を追い詰める事。苦境であれば苦境であるほど、彼は本能を冴えさせる。誰の手にも負えなくなる。だから適度に気を『緩める』必要があるのよ。それも意図したものは駄目。彼の嗅覚はこちらの作戦を鋭敏に感じ取るわ。あくまで自然にできる『余裕』を彼に与えないといけない」

 

 とはいえ、別所で【渡り鳥】の戦いをモニターしていた彼女は大いに手に汗握った。

 これまでの【渡り鳥】の戦闘データを分析し、彼女が選んだ綱渡りではあるが、最も確実性が高い作戦。

 それは捨て駒を使って【渡り鳥】を適度に追い詰め、なおかつ【渡り鳥】自身で状況を打破させ、捨て駒を使って所定のポジションまで誘導するというものだ。捨て駒自体は作戦の真相を知らされていない為、その動きから【渡り鳥】に作戦の肝が読まれることはない。

 その上で1番厄介なポイントは生半可な接近戦も奇策も通じない事だ。【渡り鳥】の真骨頂はステータスで与えられた運動能力を最大限に発揮し、こちらの想像を絶する多彩な動きで攻撃と回避を仕掛けてくる事だ。これによって彼の殺気や戦意を敏感に読み取る見切りを十全に活かすことができるのだ。

 よく勘違いされるが、同一ステータスだからと言って同一のパフォーマンスを万人が発揮できる訳ではない。

 たとえばDEXに高いポイントを振れば、それだけスピードを出せる。だが、自分よりDEXで劣る者とのスピード戦に必勝かといえばそうではない。もちろん、ポイント差が大きければ別だが、僅差の場合は往々にして覆ることがある。

 仮想世界のアバターは搭載された運動アルゴリズムと脳をリンクさせる事により、人間と同じ可動域を持ち、重心を持ち、様々な筋力ベクトルを生むアバターを自分の肉体と同じように操ることができる。

 STRとDEXは、この運動アルゴリズムに直接影響を与えるステータスだ。STRが高ければ筋力ベクトルのオブジェクトに対する干渉値が高まり、DEXを高めればアバターの速度上限と跳躍力が増加する。

 武道の達人と素人の動きがまるで異なるように、単純に性能を高めても体の動かし方が十全でなければ性能を活かし切れない。むしろ、普通の自動車よりもF1カーの方が運転技術が問われるように、ステータスが高くなればなるほどに要求される肉体操作能力は高まる。

 そして、SAOと同様に個人のモーションによってソードスキルをブーストできるように、この肉体操作能力はSAOを前身とするDBOでも極めて重要だ。いや、仮想世界では最大のシステム外スキルと言える。

 彼女が知る上で、この肉体操作能力が最も高いのが【渡り鳥】だ。ふざけていると言っても過言ではない。あの【黒の剣士】は反応速度がバケモノで、【閃光】はステータスを利用した瞬間加速が人外染みているが、【渡り鳥】はこの肉体操作能力の桁が違う。

 その繊細なバランス感覚、重心移動、筋力ベクトル調整、それらがAIですら容易には再現できないクラスなのだ。

 遺伝子の進化。彼女の雇用主は【渡り鳥】の戦闘データからそう判断した。【人の持つ意思の力】でも、仮想世界への順応による脳の変質でもなく、純然たる人間の肉体に由来する能力であると。

 それゆえに厄介だ。まさしく本能の一言で済ませられるが故に封じることが難しい。

 それが不可能ならばどうするか? 簡単だ。現実世界で培われた遺伝子がもたらした本能であろうとも、仮想世界にはそれを殺し切れるスキルが存在する。

 そして、この肉体操作能力は、超絶した反応速度とも、仮想世界に適応した脳の変質とも異なり、そこまで劇的に戦況を変える能力ではないのだ。ステータスによる基本性能の差で押し込むことはできる。むしろ付随している危険察知や異常な戦闘意欲、独特の思考の方が危険である。あるいは、この肉体操作能力こそがこれらのオマケなのかもしれない。

 何にしても、これに対する策の一つが≪狙撃≫だ。情報によれば【渡り鳥】はまだ≪狙撃≫スキルによる攻撃を受けた事が無い。いかに本能で察知できようとも、経験したことがない攻撃を、それも殺気と戦意が渦巻いているせいで潜む攻撃意思の位置が見極められない殺し合いの場で、なおかつ捨て駒を使って限りなく自然に生み出した気の『緩み』の中ならば、確実に命中させることができる。

 だが、それでも念には念を。彼女は対【渡り鳥】用の切り札を準備していた。

 

「れ、レイフォックスさ……ん」

 

 燭台の陰から姿を現した、まるで雨の中で捨てられた子犬のように震えたツバメを、彼女は狂ったレイフォックスに代わって優しい笑顔の仮面で迎える。

 左腕をつかみ、歯を鳴らす少女を満たすのは恐怖だ。自らが犯した罪、そして今も彼女にこびり付いた【渡り鳥】対する恐怖心だ。

 

「わ、わわ、私……ひ、ひと……こ、ころ、ころし……っ」

 

「もう終わったわよ、ツバメちゃん。あなたの『怖いもの』は死んだわ」

 

「し、死んだ? わ、たしが……ころ、した?」

 

 頭を抱え、涙を流しながらツバメはその場に頽れる。その姿はあの【渡り鳥】を射抜いた名狙撃手とは思えない。

 良い傾向だ。彼女は内心で鼻歌を歌う。これこそが彼女が準備した切り札だ。

 最初から狙撃主を潜ませていれば、下手すれば【渡り鳥】に勘付かれかねない。戦闘中に狙撃するチャンスを狙い続けても同様だ。

 故に彼女に課したのは人を撃つのではなく、狙った『空間』に矢を飛ばす事だ。

 ツバメには目を瞑り、矢を構え、撃つ。ひたすらにその練習だけをさせた。

 レイフォックスがフレンドメールで矢を向ける方向だけ支持し、以後は彼女の右手だけを注視する。絶対に【渡り鳥】を見ず、指示された方向に精密に矢を放つ。

 ツバメは恐怖心のままに指示された方向に盲目的に矢を撃っただけだ。殺意や戦意は限りなく薄い。

 言うなれば狙った流れ矢だ。矛盾しているが、これこそが彼女が導き出した【渡り鳥】を確実に殺せる最後の詰めだ。

 結果は上々。1から10まで作戦通りに事は運んだ。

 

「大丈夫よ、ツバメちゃん。ほら、『これ』を使えば怖い物はすぐ無くなるわ」

 

 アイテムストレージから彼女が取り出したのは、茶色の薬包紙だ。折りたたまれたそれには、白濁の粉が内包されている。

 震える手でそれを受け取ったツバメは一つまみ手に取って舐める。途端に彼女の震えは止まり、赤子が母乳をもらうかのように安らぐ。

 

「安心しなさい。まだまだたくさん【良質な白濁粉】はあるわ。でも、お仕事をしない人にはあげられないのよ。だから、これからもレイフォックスさんと一緒に私のお仕事を手伝ってもらうわ。良いわね?」

 

 夢中で粉を舐めるツバメは壊れた機械のように何度も頷く。すでに彼女はこの粉の虜……いや、奴隷だ。

 壊れた心は安定を求める。それは仲間であり、友人であり、異性である。人は何かに依存する事で精神を保てるのだ。彼女は壊れかけたツバメの心の接着剤に、この麻薬系アイテムを用いただけの話だ。

 彼女は優秀な狙撃主だ。これならば【魔弾の山猫】も狩れる。狂ったレイフォックスには戦力としての価値は無いが、せいぜい駒を集める為の『肉餌』となってもらうとしよう。

 彼女は邪悪にほくそ笑む。全ては雇用主の目的通りに進み、【可能性】の排除は順調だ。評価が高まれば、それだけ彼女が与えられる恩恵は増える。

 と、その時だ。彼女は一心不乱に良質な白濁粉を舐めるツバメの背後に空間の揺らぎを感じ取り、咄嗟に鞭を振るう。

 何もない空間で鞭が叩いたのは、煌めく短剣だ。あと一瞬、雇用主に特別に与えられた、回数制限がある【システムアシスト】を使用しなければ、まず間違いなく短剣はツバメの喉を斬り裂いていただろう。

 

(どういう事かしら? アタシは≪気配察知≫と上位の≪存在感知≫のスキルを持っている。いかに成長しててもこれ程に接近されて≪気配遮断≫や≪隠蔽≫に気づけないはずがないのに)

 

 空間の揺らぎはまだ残っているが、少しずつ小さくなっている。ここで見失えばまだ奇襲されかねない。彼女はツバメが奇襲されてもまるで反応を示さず笑い続けるレイフォックスに舌打ちする。

 

「レイフォックス! 奇襲よ! あの揺らぎを撃ちなさい!」

 

 大きく目を見開いたレイフォックスは完全に精神がイカれているが、彼女の声に反応を示し、矢を揺らぎに放つ。それは短剣に弾かれるが、より空間の揺らぎを鮮明な物にする。

 これならば十分だ。彼女は≪鞭≫の単発型ソードスキル【スネークバイト】を発動させる。蛇のように左右に揺れながら鞭の先端が空間の揺らぎを叩いた。

 防がれた。不十分な手応えに彼女は苛立つが、襲撃者の透明化が解けて姿を露出させる事に成功した。

 

「なるほどね。【イーアの試作型光学迷彩】を使ってたわけね。それに、その足元の青い光……【静かに眠る竜印の指輪】かしら」

 

 まるで宝石のように光を発する端子が無数と取り付けられたマント、そしてブーツを纏う青い光。その両方から彼女は即座に相手がどうやって奇襲を仕掛けたのかを理解する。なるほど。スキルではなく、ユニークアイテム級の1桁台の個数制限があるレアアイテムで身を隠したわけだ。

 雇用主が少しばかりアイテムやスキルの情報を渡されている彼女でなければ、まず即座に気づく事はできなかっただろう。

 

「残念だったわね、暗殺者さん。イーアの試作型光学迷彩と静かに眠る竜印の指輪はDEXに大幅なマイナス補正をかけるわ。もう逃げられないわよ」

 

 薬で腑抜けになっているツバメは使い物にならないが、レイフォックスは狂っているとはいえ、その方向性は攻撃的な物のようだ。彼女自身の戦闘能力も加えれば、数の利もあって勝ちは揺るがない。

 目深くフードを被った暗殺者は逆手で短剣を構え、僅かに腰を下ろす。どうやら諦める気はないらしい。彼女は無謀だと嘲笑う。

 

 だが、次の瞬間には暗殺者が彼女の懐に入り込んでいた。

 

 油断。それが彼女の心臓を≪短剣≫の単発型ソードスキル【キラービー】で貫いた。クリティカル率と弱点のダメージボーナスを高める『暗殺ソードスキル』とも言われるものだ。

 最も火力が低いはずの短剣の一撃で、フルだった彼女のHPは8割も減少する。短剣を深く押し込まれるより先に彼女は腰の曲剣で暗殺者を追い払い、レイフォックスの背後へと隠れる。

 矢を放ち続け、レイフォックスは暗殺者を仕留めようとする。だが、2つの大幅なDEX下方修正アイテムを装備しているにも関わらず、暗殺者のスピードはまるでそれを感じさせない物だ。

 まさか。彼女は1つの可能性を思い付く。いや、それしか考えられなかった。

 これほどまでの速度を現段階で引き出すには、最初のポイントとレベルアップのポイント、その全てをほぼDEXに振る以外に不可能だ。なおかつ防御力がほとんどない最軽装で、武器も最軽量の短剣だからこそ出せる驚異的な速度。

 燐光紅草を食べて回復しながら、彼女は通常攻撃でも数発、ソードスキルならば威力が低めの鞭でも一撃で殺せると判断する。

 

「レイフォックス! 無理に狙う必要はないわ! ばら撒きなさい!」

 

「あはハハハハハ! わカったわ!」

 

 狂気じみた首の角度だが、レイフォックスは従順に矢をばら撒く。その間に彼女はツバメを引き寄せる。

 心なしか暗殺者のスピードが落ち始める。なるほど。どうやらCONにもほとんど振っていないようだ。ソードスキルを使用した直後だ。スタミナがほとんど無いのだろう事は容易に想像が付く。

 一撃で殺しきれなかったのが誤算だったようね。彼女は鞭で狙いを付けて振るう。ソードスキルは必要ない。

 

「ルイン!」

 

 だが、暗殺者の、可愛らしいとも言える若い女性の、それも何処か聞き覚えがある声と共に彼女の背後に衝撃が走り、鞭はあらぬ方向に向かう。

 振り向けば、そこには黄金の光があった。それは彼女を背後から襲っただろう山吹色の炎を振りまきながら高速で飛び回り、彼女が正体を見極めるより先に暗殺者の傍による。

 

「この……っ!」

 

「アクア!」

 

 彼女が苛立ちを言葉にするより先に、今度はレイフォックスの弓を氷の弾丸が弾き飛ばす。それは宙を舞い、外縁から闇の中へと落ちた。

 冷たい氷のような銀の光を纏った何かが金色の光と共に暗殺者に寄り添う。

 光の正体は幼体のドラゴンだ。それぞれが金の鱗と銀の鱗を持ち、火と氷の力を迸らせている。

 

「まさか……≪テイマー≫スキルを持っているというの!?」

 

 準ユニークスキルとも言われる≪テイマー≫は、モンスターをテイミングして初めて獲得を許可されるスキルだ。それは天文学的な確率で設定されており、雇用主も≪テイマー≫スキルの所得者が現れるのは最低でもデスゲーム開始から1年後だろうと予測していたはずだ。

 この≪テイマー≫スキルの下位互換とも言うべき≪調教≫というスキルがあるが、この≪調教≫にしてもより上位のステージでNPCが教えるものだ。まだ現状では習得不可能である。

 だとするならば、現実を認めるしかない。目の前の暗殺者は≪テイマー≫スキルの獲得を……それも最もテイミングが難しいドラゴン種で成功したのだ。それも2体もだ。

 

「相変わらずですね。人を使うのと騙すのはとてもお上手です」

 

 暗殺者は彼女の動揺を悟ってか、余裕を見せ付けるように歩み寄って来る。

 彼女のHPは6割程度まで回復させてある。短剣の通常攻撃とソードスキルならば十分耐えられるが、キラービーをもう1度受ければ死あるのみだ。彼女は雇用主によって不死にされたわけではないのだ。HPがゼロになれば、他のプレイヤーと同様に死ぬ事になる。

 思い出せ。この暗殺者の声を彼女は憶えている。どうしようもない屈辱と共に記憶されていたはずだ。

 だが、それよりも先に暗殺者が再び消える。スピードを目で追えず、気づいた時には既に彼女の背後を取っていた。

 雇用主に与えられたシステムアシストは5回。既に1回消費してしまった彼女の切り札。迫るキラービーの輝きが自分の喉元に迫るのを見ながら、彼女は鬼札を切る。

 あの【黒の剣士】すら破ったシステムアシストは、彼女を暗殺者から引き離す。キラービーは不発に終わり、ソードスキルのモーションによってがら空きの暗殺者に、彼女はスネークバイトを発動させる。

 

「残念だったわね! ここで死になさい!」

 

 もはや逃れることはできない。暗殺者へと鞭の先端は蛇の如く襲い掛かり、牙を剥く。

 だが、冗談のように彼女の光学迷彩マントから飛び出した青の光が鞭を弾き飛ばした。

 それもまた幼体のドラゴンだ。だが、金竜や銀竜よりも一回り大きく、輪郭にも丸みがある。そして、その姿は多少以前と異なっているが、彼女に暗殺者の正体を思いださせるには十分過ぎた。

 

「いつもありがとう、ピナ」

 

 光学迷彩のマントの紐を解き、その身を明かした暗殺者は3匹の竜を引き連れ、彼女の記憶よりも大人びた姿となり、いつかのように眼前に立つ。

 

 

 

「シリカァアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 

 

 彼女は怒りと憎しみを込めてその名を絶叫する。彼女にとって【黒の剣士】と同様に許す事ができない存在が眼前にはいた。

 だが、シリカは極めて冷めた目で作り笑いを浮かべる。そして、彼女の名前を優雅とも言える程に憎たらしく小首を傾げながら呼ぶ。

 

「こんにちは、ロザリアさん。お久しぶりですね」

 

 相変わらずのツインテールかつ身長も少し伸びた程度であり、顔立ちも幼さが強い。だが、その立ち姿には以前とは比較にならない程のプレッシャーがある。

 当然だ。ロザリアなど目ではない程に、SAOで彼女は死線を潜り抜け、あのヒースクリフ戦に参加する程の猛者となったのだ。それだけではなく、VR対策室で様々なVR事件の解決に尽力し続けたのだ。蓄積された修羅場の経験が違う。

 しかもシリカは【可能性】だ。その証拠に、宝くじに当たるようなものであるテイマーでドラゴン種を3体も連れている。こんなもの、【人の持つ意思の力】で呼び寄せた奇跡としか思えない。

 

「あ、紹介しますね。この子は知ってますよね。ピナです。このDBOでは魔法攻撃が得意なブルードラゴンって種で、テイミングした子にピナのAIを入れたんです。それでこっちは新しい子のルインです。炎が吐けるけど、ちょっと臆病で優しい子です。こっちはアクアって言って、氷の攻撃ができるんですけど、ちょっと攻撃的なんですよね」

 

 まるで世間話でもするようにテイミングしたドラゴンの紹介をするシリカには、強者の余裕がある。

 あの【黒の剣士】には劣るが、シリカもまた【可能性】に部類される存在だ。策無しで挑むのは無謀だ。ロザリアは撤退するしかないと冷静に判断し、レイフォックスとツバメを引き寄せる。

 

「逃がすと思ってるんですか……って言いたいんですけど、逃げて良いですよ。私もスタミナが危険域なんです」

 

 明らかな挑発だ。ロザリアは深呼吸を挟み、後ずさりながら外縁部から唯一逃げ出せる出入口へと移動する。それをシリカは笑顔で見守っている。

 

「殺せれば殺すつもりでしたけど、失敗した時点で興味はありませんから。どうぞ逃げてくださいね」

 

「そうさせてもらうわ。安い挑発に乗って死ぬ気はないもの」

 

「少しは成長したんですね、ロザリアさん。でも、本当に不思議ですよね。『私に殺されたはずの』あなたが今も目の前にいるなんて」

 

 苦々しい記憶を引っ張り出され、理性が焼き尽くされそうになるのをロザリアは歯を食いしばって耐える。

 黒鉄宮は95層攻略と同時に解放され、全ての犯罪プレイヤーが自由になった。だが、彼らは等しくステータスにマイナス修正を受け、安全圏の消失と共に混迷を極めたプレイヤー達に惨殺された。何とか逃げだしたロザリアは再び力を蓄え、生き残った仲間と共に犯罪ギルドを再結成した。それは一時的な成功を収めたが、彼女の噂を聞いたシリカが巨大なドラゴンへと成長したピナを引き連れて強襲。彼女を含めたギルドのメンバー全員を殺害した。

 そして、彼女は自分の屈辱的な最期を思い出す。だが、それを晴らすべき機会は別に設ける。ロザリアは自らに誓い、今は撤退すべきだと判断を揺るがさない。

 ロザリアの意思を感じ取ってか、つまらなさそうにシリカは嘆息する。そこに、かつての弱きで守られるしかなかった少女の姿は無い。あるのは可憐な大人になりながら、笑顔で命を奪える死の女神だ。

 

「今は他にやる事がありますから、さっさと逃げください。私のお仕事はあなたと接触して『確信』を得る事までなんです。幾らクゥリさんでも、ちょっとくらい手助けしないと戦線復帰するまで時間かかるでしょうから」

 

「……ちょっと待ちなさい。【渡り鳥】は死んだわ」

 

 聞き捨てならない。ロザリアは思わず反論するが、それを馬鹿にするようにシリカは演技かかった溜め息を吐いた。

 

「クゥリさんを『あの程度』で殺せるなら誰も苦労しませんよ。クゥリさんを殺すなら策を弄するよりも、素直に消耗戦を挑む方が圧倒的に確実なんです。あなたの『確実』の定義には無いでしょうけど。その証拠にそこの2人には経験値もコルも入ってないんじゃないですか?」

 

 ハッとしたようにレイフォックスがシステムウインドウを開いて確認を取る。その顔はみるみる歪み、小さく唸るような叫び声を彼女は上げる。どうやらシリカの言う通りのようだと、ロザリアはシリカから逃げる屈辱だけではなく、【渡り鳥】まで殺しきれなかったという敗北感を味わう。

 今回の1件は雇用主の忠告に反する行動だ。彼が傭兵業を行えば、いずれ【可能性】のあぶり出しと排除を行う自分たちに牙を剥くだろうことから、将来の安全性の為に決行したものなのだ。

 墓穴を掘ったかもしれない。ロザリアが恐れるのは失点し、雇用主の信用を下げる事だ。それだけは避けねばならない。

 

「あの人のバケモノっぷりも大概ですよね。攻略向けじゃないですけど、対人……というよりも対生物ではトップクラスなんじゃないですか? お陰で私の秘書兼相棒の立場がいつも危うくて仕方なかったじゃないですか」

 

 一方のシリカは忌々しそうに可愛らしい眉を歪める。どうやら【渡り鳥】との関係は良好というわけではないようだ。あるいは、彼女が一方的に反感を抱いているだけかもしれない。何にしても、ロザリアにはその情報を活かせるとは思えなかった。

 これ以上話に付き合うのは危険だ。シリカがいるということは、当然ながら『彼』もいる。全プレイヤーで間違いなく最強。仮想世界を愛し、愛され、そして死すら覆す奇跡を起こすことを許された男がいる。

 捨て台詞は無い。ロザリアは再戦を誓い、シリカの視界から足早に去った。

 

 

Δ    Δ     Δ

 

 

 ハッタリは上手くいった。ロザリアが完全に失せた事を3度確認した上で、シリカは胸を押さえてその場に倒れ込む。

 

「はっ……はっ……はっ……き、気づかれなくて……よ、よかったよぉ、ぴなぁああ」

 

 息苦しく、胸と心臓が潰されそうな圧迫感。典型的なスタミナ切れによる症状だ。二発目のキラービーを外した段階でシリカはスタミナ切れとなり、いつ倒れてもおかしくない状態だったのだ。

 現実ならば無呼吸に近しい状態のまま、シリカはロザリアを欺く演技を見事やりきったのだ。今の彼女ならば、挑発すればこちらに罠があると勘違いし、確実に撤退の判断をすると見当を付けての作戦だった。

 仮に一瞬でもスタミナ切れの症状を見せていれば、間違いなくロザリア達に捕らえられ、情報の全てを吐かされていたに違いない。

 SAOならば倫理コードがあった場所には痛覚遮断解除コードが存在する。これを解除すれば、現実同様の痛覚がアバターに解放される。それが意味するのは、回復と攻撃による終わることがない拷問だ。

 特にロザリアは自分の事を恨んでいる。たとえ情報を吐き終えても、一生『玩具』にされていただろう。

 シリカは頬を舐めてくれるピナを撫でる。ルインとアクアは翼をはばたかせて心地良い風を送ってくれる。彼女はしばし瞼を閉ざし、スタミナ切れの症状と『後遺症』と戦い続ける。

 スタミナ切れであるにも関わらず普通に振る舞う。それはシステム内でも許される行為だ。

 スタミナ切れとは決して行動の強制停止ではない。あくまでアバターの運動アルゴリズムと脳の繋がりを乱すものである。つまり、耐えることはできるのだ。もちろん、それは言う程簡単にできるものでもない。シリカもせいぜい棒立ちで演技をするので精いっぱいだった。

 本来ならば修正されるべき点だろうが、恐らく茅場の後継者はあえて放置している。無理をすればプレイヤーがどうなるのか、楽しみながら観察する為に。

 当然ながら代償は大きい。アバターに搭載された運動アルゴリズムを言うなれば脳が強引に引き受けるようなものだ。ただでさえ仮想世界のログインで通常と異なる状態にある脳には看過できない過負荷がかかる。彼女が倒れた要因はスタミナ切れよりも、それに強引に耐えた事による一時的な後遺症によるものだ。

 アバターの肉体なのに、まるで血が澱んでいるようだった。視界も不明瞭で色彩異常を起こし、右足と左足の感覚が入れ替わり、バランスが欠如している。

 シリカはルインとアクアに支えられながら何とか立ち上がる。

 シリカがDBOが始まってから脳にダメージを与えたのはこれが初めてではない。まだ深刻な障害は起きていないが、いずれVR適性に関わる致命的な何かが壊れる。そして、その先はゲームでの敗北による死ではなく、脳そのものに対する損傷による死が待っているだろう。

 シリカには戦う為の選択肢が少ない。故に身を削らねばならない。

 彼女には【黒の剣士】のような反応速度やずば抜けたセンスも、【渡り鳥】のようなバケモノじみた本能も無い。

 そして……【閃光】のような仮想世界に脳が適応して得たスピードさえも、彼女では追いつけない。ステータスを高めて模倣してみても所詮は偽物だ。決して及ばない。

 

「……キ……ト、さん。わた、しは……それ、で、も……」

 

 弱気を呑み込み、シリカは後遺症が和らいだのを自覚すると、アイテムストレージから100メートル単位のロープを取り出す。これを適当なものに結び付けて垂らせば、後は自力で上ってこれるだろう。

 

「あ……」

 

 だが、後遺症が抜けきってなかったシリカの震える手からロープが落ち、そのまま闇の中へと消えていく。そして、残念な事に彼女にこれ以上手持ちのロープは無い。

 しばし悩んだシリカだが、これで良いかと諦める事にした。大よそクゥリが落ちただろう場所にロープも落ちたのだ。後は彼のなけなしの天運を搾り尽くして上手く利用してもらうとしよう。

 今回、ロザリアが良からぬ事を企んでいることを知り、上手く先回りして現場に潜むことができたが、結果的にだがシリカはクゥリを見殺しにした事になる。

 

(まさかクゥリさんが負けるとは思わなかったんですよ。やっぱり、あのツバメって人は仕留めておくべきでしたね)

 

 モンスター相手ならばともかく、対人戦では絶対の信頼をシリカはクゥリに置いている。だが、どうやら彼女が想定したよりもDBOのプレイヤーはSAOとは桁が違うようだ。

 SAOの頃とは異なり、VR技術が蔓延して人々に影響が出始めている。やはり『彼』の言った通りかと、シリカは嘆息した。 

 シリカは疲れ切った表情で肩に止まったピナの顎を掻く。

 

「ピナ、大きな情報だね。茅場の後継者に通じているプレイヤーの幹部は、システムアシストを持っている。他にも何か秘密があるはず。私たちの仕事は情報収集なんだから、頑張らないと」

 

 ルインの黄金の光とアクアの銀色の光に誘われ、シリカは光学迷彩マントを起動させると、フラフラと体を揺らしながらその姿を消失させた。

 




まさかの主人公不在回。
今後はキャラの増加に伴い、展開次第では不在回が増えるかもしれません。

それではシリカ(真主人公)の増々の活躍を41話に願って、

Let's MORE DEBAN!

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