SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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早くも、というべきかどうかわかりませんが、エピソード数も8個目となりました。話数も40話を突破してしまいました。
そして、お気づきだと思いますが、本作内での経過時間はまだ3ヶ月程度です。

……おかしいですね。投稿前は50話くらいで最終回を迎えるだろうと思っていたのですが。


Episode8-1 穢れた羨望者

 見事だ。オレはレイフォックスとツバメちゃんの見事というべき戦略に賛辞を送り、頭から真っ逆様に暗い闇へと落ちていく。

 よく練られた作戦だった。まさか≪狙撃≫スキルで射抜かれるとは思いもよらなかった。

 だが、やはり詰めが甘かったとも言える部分もある。落下を狙った為にノックバックが大きい鉛の矢だった事、そしてソードスキルを併用しなかった事だ。

 オレのHPは辛うじてレッドゾーン一歩手前を残している。実に1割弱だが、元よりVITが低いオレにとってイエローゾーンまでHPが残っているのは多過ぎる程だ。お陰で射られた時も意外と平静を残せた。

 ……いかにギリギリの戦いばかりしていたのか、反省点があるな。これからは少しHPに余裕を持つような立ち回りを心掛けるか。あくまで心掛けるだけであるが。

 さて、現実逃避はこれくらいにして、真面目にどうやって生き残るか、早急に方法を編み出さねばならない。オレは頬を痙攣させながら、我が身に迫る死をどう回避すべきか必死に考える。

 既に落下から100メートルは落ちただろう。随分と深い穴だが、底がまだ見えない、あるいはそもそも光源が不足しているので底が迫っているが気づけていない。これが現状だ。

 オレはすぐ傍の、外縁から直角に下へと伸びる壁に目を向ける。素材は硬質だが、亀裂が多い。恐らくこの古びた想起の神殿の演出がご丁寧に施されているのだろうが、これを利用させてもらうとしよう。

 ネームレスソードを抜いたオレは亀裂にその切っ先を突き立てる。刃は亀裂を広げ、刀身は軋み、広がった亀裂から壁の破片が飛び散る。

 

「頼む! 折れないでくれよ!」

 

 いかに耐久値性能がクレイモアの倍以上あるとはいえ、この硬質素材の亀裂に落下速度が乗ったまま突き刺せば、その衝撃でクラディールの遺品は砕け散ってしまうかもしれない。

 武器の耐久値には大きく分けて二つある。総耐久値と短期耐久値だ。

 総耐久値は文字通りの意味だ。この数値がゼロになれば武器は完全に砕け散ってロスト状態だ。欠片一つ残さず消え去る。対して短期耐久値とは、いわゆる破損状態に深く関係する耐久値だ。

 総耐久値と短期耐久値は同時に減少する。総耐久値よりも低い数値で設定されている短期耐久値は武器の各所に存在し、攻撃や防御に用いた部位の短期耐久値が減少する。この短期耐久値はスタミナと同様に回復していくが、ゼロを下回ると武器を破損させていく。1度破損すると短期耐久値は最大値が減少し、ゼロを下回り易くなる。そうして破損が進行すれば、刃毀れや亀裂では済まず、武器が折れてしまう。こうなると修復困難、ないし修復不可の状態になる。

 つまり、耐久値を指針にして武器を選ぶ場合、総耐久値による継戦能力、短期耐久値の高さ、短期耐久値の回復力の三つを見なければならない。更に耐久値の減少量を増減させる属性要素もあるのだが、それは割愛する。

 この耐久3要素だが、大よそ武器で把握することができる。

 たとえば、片手剣や両手剣は耐久3要素が極めてバランス良い。カタナは総耐久値と短期耐久値は低いが、短期耐久値の回復力はずば抜けている。戦槌は逆に総耐久値と短期耐久値が高いが、短期耐久値の回復スピードが遅い。

 もちろん個々の武器によって設定されているので一概に言える事ではない。その証拠にネームレスソードの総耐久値は並みの戦槌を上回っている。だが、短期耐久値と短期耐久値の回復スピードは並だ。

 つまり、こうして短期耐久値がガリガリ減る乱暴な使い方をすれば、最悪折れる。そうでなくとも刃毀れや亀裂などの破損状態は免れない。

 オレの落下スピードは少しずつ緩やかになっていく。だが、ネームレスソードの腹には小さな亀裂が入り、刃毀れは甚大だ。もう長く耐えられない。

 思わず目を瞑りそうになるが、自分の命を預けるネームレスソードから目を背ける事は命を諦める事に等しい。たとえ折れようとも、オレの命を繋ぐ為に悲鳴を上げるこの剣を見守らねばならない。

 願いが通じたのか、オレの落下は止まる。

 

「た、助かったか……マジで危なかったな」

 

 体を振り子にしてネームレスソードが抜けないように亀裂に押し込む。

 破壊不能オブジェクトだったらこんなにハラハラする必要が無かった。亀裂が広がらない為、突き刺した時点でオレの落下衝撃が全て剣に伝わり、即座に折れるか否かの判定が出ただろう。だが、どうやらこの壁は破壊不能オブジェクトではなく、再生型オブジェクトのようだ。見上げれば、オレが広げた亀裂は緩やかに修復されている。20分もすれば元通りになるだろう。

 逆に言えば、オレが今突き刺す亀裂も修復対象である為、下手すればシステムに弾き飛ばされて再落下も考えられる。何とか一命を取り留めたが、助かったわけではない。

 いつまでもぶら下がっているわけにもいかず、オレは逆上がりしてネームレスソードの柄に腰かける。

 まずは回復だ。オレは燐光紅草をひたすら食し、HPを完全回復させる。落下ダメージは馬鹿にならない為、気休めにしかならないが、それでもHP1残るか否かの瀬戸際に立った時にフル回復しているか否かは大きい。

 じわじわと回復するHPを横目に、オレは次に松明とマッチをアイテムストレージから取り出し、火を点すと下に落下させる。

 松明の光はどんどん小さくなり、突如として消える。落下距離が長過ぎたわけではない。文字通り、いきなり光が消えたのだ。

 

「無の世界とかじゃねーだろうな」

 

 茅場の後継者が面倒になって『ここまで落ちたら強制死亡ね』っていうライン引きをしている危険性もある。もう1度松明を取り出し、今度は複数本を投げる。

 やはり同じ場所で全てが消える……というわけではなく、1本だけは小さく光を残し続けている。どうやら強制死亡ラインは引かれていないようだ。さすがは茅場の後継者だな。茅場晶彦も『ちゃんと手抜きしなかったね』って褒めてるぞ。

 さて、そうなると何故松明の火は消えたのか? 大よそ見当はつく。恐らく下には多量の水があるのだろう。今も消えていない火はたまたま陸地に落ちたものだろう。

 

「底までの距離はおよそ100メートルってところか」

 

 外縁部からオレがいる場所まで200メートルはあるだろう。という事は、この壁は大よそ300メートルはある超巨大なものだ。

 ……東京タワーって333メートルで正解だっただろうか。オレは額を叩き、どうしたものかと悩む。

 方法が無い訳ではない。幸いにも演出としての亀裂はかなり多い。これに双子鎌をピッケル代わりに引っ掛け、上り続ければ無事に戻ることができる。だが、オレの体重を支えて200メートル近くを双子鎌だけで上るのは些か不安だ。そもそも元が武器である以上、専用の道具でない為に成功率は高くないだろう。

 ならば、いっそ底まで下りるという選択肢もある。少なくとも陸地はあるのだ。何処かに地上……というべきかは分からないが、ともかく想起の神殿の1階相当まで戻る為の道があるかもしれない。だが、その為には100メートル近く下りねばならない。

 だが、オレの手持ちのロープはせいぜい30メートルだ。圧倒的に長さが足りない。

 

「フレンドメールは……圏外かよ。使えねーな、おい」

 

 オレがフレンド登録しているのはディアベルとミュウの2人だ。イケメン騎士のディアベルならば、あんな別れ方をしたオレでも助けに来てくれるだろう。ミュウは信用できないので頼りたくないが、対価としてソウル系アイテムを払うと言えば笑顔で受託してくれるはずだ。

 だが、肝心要のフレンドメールの送信が不可状態だ。フレンドメールが送信できないのはここがダンジョン区画である証拠だ。ダンジョン区画でフレンドメールを使う場合は【友情の証】という消費アイテムを使う必要がある。

 薄く青みがかかった白のクリスタルである友情の証は【放浪商人のエンバー】が販売している。1人1個以上の保有ができず、保有状態では2個目が買えない。しかも買う度に値段が倍額になっていくと小耳に挟んだ。

 どうせ要らないと購入しなかったロンリーウルフ気取りの過去のオレをぶん殴りたい。アイテムストレージも大して圧迫しないのだから素直に買っておけば良かった。

 と、オレがどうすれば良いんだと頭を抱えていると、頭上よりロープが落ちてくる。100メートル……いや、200メートル以上はあるそれを咄嗟にオレはつかみ取って見上げる。

 遥か頭上の外縁を視認するには望遠鏡か≪遠望≫スキルが必要になる。だから誰がロープを落としてくれたのかまでは確認できない。

 オレが思い出したのは芥川龍之介の蜘蛛の糸だ。

 地獄に堕ちた悪党が生前に1匹の蜘蛛を見逃した善行から、地獄から抜け出して極楽に行ける蜘蛛の糸をお釈迦様は垂らしてくれる。だが、悪党以外の地獄に堕ちた罪人も蜘蛛の糸に群がり、今にも切れてしまいそうになる。それを見た悪党は蜘蛛の糸を自分のものだと主張する。途端に蜘蛛の糸は切れ、悪党は地獄に戻される。

 差し詰め、オレの場合は極楽まで上らせる価値も無いから、中途半端なところにいないで地獄の底までいけと切れた蜘蛛の糸を放り投げられたってところか。

 そういえばヤツメ様の本性は蜘蛛だったな。ならば、これはヤツメ様の思し召しってところか。

 ネームレスソードの柄にきつくロープを縛りつけ、底まで十分に垂らしていることを確認するとオレは覚悟を決め、底へとロープを使って下りていく。

 約100メートル。オレがゆっくりと、オレの体重がかかったネームレスソードが亀裂から抜けないように祈りながら、慎重に地下へ地下へと進む。

 あと10メートルといったところで、ついにネームレスソードが抜け、オレは水面に叩き付けられた。幸いにもそれなりの深さがあり、落下ダメージはかなり緩和されて無事である。

 ネームレスソードを回収して背負ったオレは、胸まである水の冷たさがオレにデバフ『寒冷』を与えている事に気づく。この寒冷は毒のようにいきなりHPを削らないが、終わりつつある街にいるNPC【雪を知る者モース】の話によれば『体力が失われれば抗えない眠り、そして死があるだけだ』という話を聞ける。オレとディアベル達はこの情報から、寒冷状態ではCONに応じて耐久時間が決定し、これがゼロになると特殊な睡眠状態になり、HPが削られていくのではないかと考えた。

 仲間がいれば特殊睡眠状態でも体を温めてあげて寒冷状態を解除すれば助けられるが、ソロでは耐久時間ゼロ=死亡だろう。オレは慌てて松明がある陸地まで水を掻き分けてたどり着く。

 陸に着いたオレは震える手に白い吐息を吹きかける。茅場の後継者め。ここまでリアルにする事ないだろうが。

 3分ほどしてオレの寒冷状態は解除される。どうやら火で温めずともアバターの持つ体温によって解除する事が可能のようだ。ただし、火などを使えば迅速に解除はできるのだろう。

 オレは左手に松明を持ち、右手で抜刀した羽織狐を持つ。ここはダンジョン区画だ。モンスターがいる確率は極めて高い。

 恐らくは隠しダンジョンの類だろう。システムウインドウでは『想起の神殿‐地下区画』と表示されている。

 マッピングも開始されている。オレはカタナの反りで肩を叩く。アイテムの在庫は充分だ。どちらにしてもこの手のダンジョンは地上から地下へと潜るタイプのはずだ。だが、オレはイレギュラーな方法で最下層まで来てしまった。そんなところだろう。

 松明で周囲を照らすと、水底には三つのアイテムの山がある。恐らくは底まで一直線に落下したスカイピア、アイアンハンマー持ち、バトルアックス持ちの3人のアイテムドロップだろう。言うなれば彼らの遺品だ。

 

「……回収するだけしておくか」

 

 ダンジョンから脱出ともなればアイテムはあればあるほど良い。3人の遺品を水中から回収したオレは、有用なアイテムが無いか選別していく。

 回復アイテムや武器、衣服、食糧、いろいろあるが、幾つか目を惹いたアイテムがあった。

 恐らくスカイピアの遺品だろう。【錬金術師アンドロメダの教本】だ。内容はスキル≪錬金術≫の初級錬金術の紹介、それに幾つかの薬品の調合レシピだ。その中でも特に興味を持ったのは、燐光草を加工して作れる【深緑霊水】だ。いわゆるポーション系のアイテムであり、僅か1秒でHPの15パーセントの回復を行うことができる。

 燐光草が1つで10秒かけて1割回復できるが、この深緑の霊水さえあれば、より簡易的に回復が行える。1個調合する為に五つの燐光草と素体霊水が一つ必要になる為に単純にコストは悪いが、それ以上のパフォーマンス力だ。

 他にもレベル2の毒薬や麻痺薬の作り方が記載されている。だが、やはり≪錬金術≫を前提としたものが多い。当然と言えば当然か。

 折角オレも≪薬品調合≫を持っているのだ。相性の良い≪錬金術≫を覚えるのも悪くないかもしれない。ただし、エクストラスキル扱いらしく、覚える為にはこの教本に全て目を通さねばならないようだ。

 ハッキリ言って、文字が小さく、なおかつびっしりと記載されているコレを全て読まねばならないというのは、オレには≪カタナ≫を得る為の修行以上の苦行だ。大人しく教えてくれるNPCを探した方がオレには良さそうだ。

 どうやらスカイピアは≪錬金術≫と≪薬品調合≫を所持していたらしく、深緑霊水が5つもある。それを全てアイテムストレージに収め、オレは厄介な産物へと目を向ける。

 他の2人の所持品に大した物は無い。だが、多量の粗悪な白濁粉とそれの上位版である良質な白濁粉が幾つかあった。

 麻薬系アイテムの蔓延は初期から危険視されていたが、連中もどっぷりと浸かっていたらしい。この様子だとレイピア持ちも同様だろう。

 だとするならば、レイフォックスやツバメちゃんもまた麻薬系アイテムに手を出したのだろうか? 仮に手を出したならば、その要因はオレにもある。彼らの仲間、グリズリーを殺し、彼女らを追い詰めたのは他でもないオレだ。特にツバメちゃんはオレにかなり強烈な恐怖心を抱いているようだった。

 ……考えてもしょうがない事だ。オレに責任が無いとは言わないが、いかなる経緯であれ彼女らは復讐の道を選んだ。ならば、オレを殺しきれなかった事を悔やみながら死んでもらう。それだけの話だ。

 それ以外に何もない。目を瞑り、オレは麻薬系アイテムを全て水の中に放り投げる。悪いが、オレはこんな物に頼る気はない。まだ酒に溺れた方がマシだ。

 そろそろ出発するとしよう。オレは島とも言うべき陸地から冷水へと足を浸す。井戸の底で味わったよりも遥かに冷え切った水は即座に氷の結晶と雪達磨が合わさった寒冷状態を示すアイコンを表示させる。

 松明で照らし、なるべく浅瀬を歩いていく。澄んだ水のせいか、水底まで松明の光で露わにある。

 白骨ばかりだ。頭蓋骨や肋骨、骨盤がありとあらゆる場所に転がっている。定番ならばコレらが動き出すといったところだが、今のところその気配は無い。

 水には流動がある。どうやらこの水は外縁の壁から更に外にある壁、微弱に光る青い血管のようなものが走る壁の方へと流れているようだ。

 水流に逆らう。どうやら水源は想起の神殿の内部らしく、外縁の壁側から流れている。オレは冷えに震える体に活を入れ、巨大な円柱である想起の神殿の底を探索する。

 それはすぐに見つかった。格子がはめられた用水路から水は流れ出ていた。とてもではないが、人間が入れる隙間は無い。試しに蹴ってみるが、破壊は可能のようだ。恐らく壁と同じで再生型オブジェクトだろう。

 先程の耐久値の話だが、3要素は武器や防具に限るものであり、こうしたオブジェクトは正真正銘全ての耐久値を削らねば破壊できない。これを破壊してオレが通れる道を作るのは骨が折れる。

 それに破壊するにしても、ネームレスソードは刃毀れして亀裂が入った破損状態。カタナと双子鎌はそもそも耐久値に難有り。このように、どれ程の耐久値があるか分からない格子を破壊するのは不安が残るものばかりだ。

 だからといって素手で壊すのも……

 

「あるじゃん。丁度良い武器がさ」

 

 オレは先程の陸地に引き返し、アイテムストレージに入りきらない事から放置した彼らの遺品からバトルアックス持ちが使っていたバトルアックス2本を拝借する。できればアイアンハンマーが望ましいのだが、オレのSTRでは装備しても持ち上げることすらできないだろう。

 格子の元に戻ったオレはバトルアックスを両手で持って攻撃する。ソードスキルを使えば耐久値も一気に削れるのだが、今のオレは寒冷状態だ。まだ寒冷状態がいかなる影響を与えるのか、全てが分かりきっていない状態でスタミナの消耗は避けたい。

 5分後、ようやく1本目の格子が破壊される。あと1本破壊すればオレの……忌々しいが、男にしては小柄に部類される体格ならば十分に通るだろう。

 元より使い捨てのつもりだ。乱暴に扱ったバトルアックスの刃が欠ける。それを放り捨て、次のバトルアックスを持つと同じように叩き付ける。

 1本目と同じく5分後、2本目の格子が破壊される。再生しない内に潜り抜けたオレは用水路の内部を松明で照らす。

 横幅はおよそ大人2人分といったところか。膝まである水の深さは相変わらずだが、先程までは水底が土と岩肌だったのに対し、こちらは想起の神殿と同じ材質のものだ。繋ぎ目がないが、長年の経過を示すように亀裂が入り、そこから水草が生えているようである。それに藻も多い。

 唇が震える。まだ眠気は来てないが、それも時間の問題だろう。早く水から抜け出し、体を温めねばならない。

 だが、元より広大な想起の神殿だ。地下の用水路……というよりも排水路か。まぁ、何にしても、これも入り組み、複雑な迷路となっている。恐らく、外縁の各所にある格子がはめられた排水口は全て繋がり合っているのだろう。

 ならば水流を辿ればいずれ何処かに着く。

 と、オレは曲がり角で立ち止まる。嫌な予感がする。そっと角から覗くと、水路を塞ぐように巨大な植物が水面から顔を出している。

 緑色の茎と床に張りつく為の根、そこまでは巨大さを除けば植物の範疇だ。だが、茎の先、花ともいうべきそれは、茶色の体色をした人間の上半身だ。目玉があるべき場所からは蔦が伸び、口からは蜂蜜に似たどろりとした液体を零している。

 差し詰め人体花といったところか。オレは松明の残数が十分にある事を確認し、先手必勝で角から飛び出すと松明を投げる。

 休眠状態だったのか、鈍い人体花は顔面に松明を受けてたじろぐ。その隙に羽織狐を両手で構え、一気に茎を薙ぎ斬る。切断は発生しなかったが、純斬撃属性であるカタナの一撃が利いたのか、それとも元よりHPが低いのか、人体花のHPは半分近く減る。

 反撃に出た人体花は、口の蜜を吐き散らす。足下の水で移動制限が課せられているオレはコートの裾を翻して盾にすることで直撃を免れるが、命中であることに変わらずHPが僅かに削れる。

 恐らくはデバフ攻撃だ。何度も受けられない。観察に撤するべきではないと判断し、人体部分へとカタナを突き差し、捩じり、斬り払う。それで人体花は撃破され、砕け散った。

 然程強くないモンスターだったのが救いだ。オレはシステムウインドウを開き、ステータスを確認する。見ればレベル1の麻痺が蓄積していた。どうやらあの蜜は麻痺攻撃だったようだ。

 それに加えていつの間にかレベルが1上がっているのは、上位プレイヤーであるスカイピアと中堅プレイヤー3人を殺害して得た経験値のお陰だろう。もう間もなく更にレベルアップしそうな程に経験値が溜まっている。

 こうしてみると、やはりPK推奨と言われるだけはある。単純にレベルを上げる為だけならば、自分と近しいレベルの者や少し劣る者を狩れば、モンスター狩りよりも効率的にレベリングができるだろう。だが、それは人肉を貪る怪物の生き方だ。

 

「オレは違う。違うんだ。襲ってきたのはアイツらだ。オレは返り討ちにしただけだ。そうだろう?」

 

 余計な事を考えるな。今は安全圏でもなければ、街中でもない。ソロでダンジョン内にいるのだ。思考を余計な事に割くわけにはいかない。

 だが、オレの頭は思考を止めない。止める事を拒絶している。

 そもそも、レイフォックス達が復讐を志したのは、オレがグリズリーを、クローバーを、ラインバースを殺したからだ。ならば、オレが彼らを殺したのは、まるで死肉に群がるハイエナを狩ったようなものなのではないのか?

 オレは『狩り』をしただけなのではないのか? 正当防衛や傭兵のやり方だとか言って、彼らの屍を貪るだけなのではないのか?

 スカイピアの遺品は、今ではオレの所有物だ。オレは嬉々としてそれを入手した。そこに、彼らを哀れみ、悼む人の心はあったのか?

 

「……ヤベェ。頭がぼーっとしてきやがったな」

 

 こんな余計な事を考えてしまうのも、この頭に靄がかかるような気怠さにも似た眠気のせいだ。寒冷状態が、ゆっくりとオレを蝕んでいる。

 手が震え、カタナを落としそうになる。鞘に収めようにも、こうも震えていては上手く切っ先が入らない。

 新しい松明を点し、オレは薄い光の中を歩む。藻は微かに青く発光し、足下を照らしてくれる。試しに手に取ってみると【青月の藻】というアイテムを入手できた。

 オレは口に藻を放り込む。ほのかな甘さがオレに小さな元気を与えてくれる。

 

「そういえば、良くおじぃちゃんと山菜取りに行ったっけ」

 

 タケノコやキノコ、それに野草を山ほど籠に入れ、おじぃちゃんと一緒に神社の境内で食べた幼き日の記憶が蘇る。

 おじぃちゃんの弟は間違って毒キノコを食べて、三日三晩嘔吐に苦しめられたらしい。おじぃちゃんはその様子を見て『食えるかどうかくらい鼻で判断しろ』と弟を叱ったそうだ。

 そうして、オレは水流が流れる階段を見つける。どうやら、これは排水路として建造されたのではなく、水が流入して排水路に改築せざるを得なかったといったところなのだろう。

 幸いにも激流という程のものではない。全身で水を浴びながら、オレは階段を上り、ようやく1階へと戻る第一歩が成ったと安堵する。

 その後も人肉花と幾度か遭遇したが、いずれも休眠状態にあり、余程接近しない限り襲ってくる様子はない。

 なるべく交戦は避ける。既に指の震えが深刻な段階にあり、意識も何度か途切れている。上手く真っ直ぐに歩けず、何度か転倒して顔面を冷水に叩き付けるが、それでも眠気は消え去らない。

 あと何階ある? あとどれだけ上の階層にいけば良い? ついに水流に足を取られ、立ち上がることもできずに膝ほどまでの深さしかない冷水の中から起き上がれなくなる。このままでは窒息状態で死んでしまうと分かっているが、上手く体に力が入らない。排水路の壁の亀裂に双子鎌を引っ掛け、強引に立ち上がる。

 ここから先は壁に体を預けながら進んだ方が良い。体を擦りながら、オレは一歩一歩を確実に踏みしめながら前へと進む。

 そして、オレはようやく周囲より1段高く、水没していない場所を見つける。そのすぐそばに穴があいた天井があり、そこから勢いよく水が流れ落ちていた。

 

「ゴールか。ようやく、陸に、上がれる……な」

 

 水没していない場所は半壊して水場には青月の藻が群生している。それだけではなく、何やら植物の根や苔で覆われた次なる階へと続く階段も見える。

 間に合った。オレは口元を緩める。だが、その油断が命取りとなった。

 足に何かが巻き付き、オレの体は倒される。振り返れば、根を足代わりにして移動していた人肉花が、目の部分から伸ばした蔦でオレの左足首を絡め取っていた。

 これ程までに背後に接近されて気づかないとは、オレも限界みたいだな。苦笑し、オレはカタナを抜いて蔦を切断する。

 温存していたスタミナを解放するならば今だ。動きが鈍い人肉花に突進型ソードスキルである猪突を放ち、オレの羽織狐の切っ先が蜜で濡れた人肉花の口内にソードスキルの紅の光と共に侵入し、頭部を串刺しにした。

 だが、2割程度しかHPを減らせずにソードスキルに耐えた人肉花は堪えた様子も無く、逆にオレを腕で殴りつけてくる。呆気なく吹き飛ばされたオレは何とかカタナを手放さなかったが、お返しとばかりに突進してきた人肉花に突き飛ばされ、その根で体を絡め取られる。

 オレの倍近い体格がある人肉花に馬乗りになられ、根によって膝と肘を拘束される。

 何故ソードスキルが通じないのか、もはやブラックアウトする時間の方が増えた意識の中で、恐らくコイツはソードスキルを無効化する特殊なモンスターなのだろうとオレは見当をつける。

 根はとても柔らかいが、STRが決して高い部類ではなく、なおかつ寒冷状態で特殊睡眠寸前のオレでは振り払えない。

 呼吸できない窒息状態が60秒経つと1秒ごとにHPが0.5パーセント減少する。オレの残存HPは5割程度か。約160秒しか脱出の猶予は無い。

 ぼんやりと、オレはかつてシノンに止められて見逃した、この世界で初めて出会ったPKの2人組の片割れを思い出す。

 あの時、オレは槍持ちの首を絞め、恐怖の限りを与えて殺そうとした。それが当然だと考えた。シノンが来なければ、オレは間違いなく彼を最大限に苦しめながら殺していただろう。

 そうだ。あの時、オレは迷わなかった。殺そうとしたならば相応の覚悟があり、敗北すれば相応の報いを受ける。自身に絶対なる掟があった。

 随分と弱くなったものだ。オレは自嘲する。いつの間にか、オレは迷う人間になってしまった。あの頃のような、シンプルな狩るか狩られるかの心は何処に行ったのだ?

 過ぎったのは4人の顔だった。

 

 多くの人を惹きつけ、そして導く存在になった、オレとは決定的に違う英雄の器であるディアベル。

 自らが求める『強さ』を欲し、それは殺人の果てにないと言い切る心の力の求道者だったシノン。

 見捨てられた者を救う為に命を懸けることができ、常にその明るさと優しさで人を救わんとしたキャッティ。

 たとえ狂い果てようとも、自らの善なる心で以って狂気を払い除け、自死の意思によって善人である事を証明したクラディール。

 

 彼らとの出会いが、オレを変えてしまったのか?

 オレの何を変えてしまったというのだ? オレを弱くしてしまったのか? 彼らとの出会いが、オレから狩人の強さを奪ってしまったのか?

 認めない。オレは減少が始まったHPを睨む。彼らがオレの弱さになったなど、絶対に認めない。

 カタナは突進攻撃を受けて落としてしまった。肘が拘束されているので両手剣と双子鎌は抜けない。だが、武器はまだ残っている。

 折れて修復不可となった鉤爪。それを手首の動きで起動させ、半ばから折れた2本の爪で根を裂く。植物系モンスターなので痛覚は無いだろうが、オレの反撃によって拘束を解除した人肉花に、オレは飛びかかって背後を取り、その首を左腕で絞める。

 人肉花はオレを振り落とそうとするが、オレは折れた鉤爪を人肉花の胸に突き刺してアンカー代わりにする。

 

「オレは狩る者! 奪う者! 喰らう者! そうだ! オレは狩人だ! いつだって! どんな時だって! オレは『オレ』だ!」

 

 認めよう。ああ、そうさ。オレは殺す事に罪悪感を抱くフリがしたいだけだ!

 アイツらみたいになりたいと心の何処かで望んでしまったオレの弱さは、オレの生き方を否定したがっていた。

 ふざけやがって! オレがクラディールとキャッティの力を得ようとしたのは、アイツらと自分を重ねる為ではない! アイツらの存在を忘れたくなかったからだ! アイツらみたいになれないと分かってたからこそ、その上辺の暴力を手にした! 何を勝手に勘違いしていた!?

 ディアベルやシノンみたいになりたい!? 夢を語るのもいい加減にしろ! アイツらの強さは、アイツらだからこそ得られたものだ! 自らの祈りを知り、弱さを認めずに立ち向かおうとしたからこそ得た強さだ!

 

 オレは狩る側だ。裏切者だろうと復讐者だろうと、生き残る為ならば狩り尽くしてやる!

 オレは奪う側だ。善人だろうと悪人だろうと、斃したヤツの全てを奪い取ってやる!

 オレは喰らう側だ。老若男女関係なく、オレは殺した奴らの血肉を残さず喰らってやる!

 

 人肉花の首に喰らいつく。木が軋むような悲鳴を上げ、人肉花が一層オレを引き剥がそうともがくが、オレは寒冷状態で点滅を繰り返す意識の中で人肉花の首の肉を食い千切り、胸に突き刺す折れた鉤爪を捩じった。

 HPがゼロになり、人肉花が赤黒い光となる。オレは口内の人肉花の木片を吐き捨てる。その赤黒い光を見届け、オレは……きっと寒冷状態で震えている……そうに決まっている右手を見つめる。

 この手でオレは多くの命を奪ってきた。現実でも、SAOでも、DBOでも、獣も人も区別なく殺してきた。狩り、奪い、喰らってきた。

 夢から醒める時間だ。オレは右手で顔を覆う。もう迷わない為に……自らを戒める為に……

 

「オレは……オレは……お前らと違うんだ……違うんだよ」

 

 こんな風に思うのは初めてだよ。おじぃちゃん。

 オレはおじぃちゃんみたいになりたかった。

 ヤツメ様に認められる狩人になりたかった。

 あの猪の命を奪った日、あの夕暮れの中での自分に流れる血を誇りに思っていた。

 

 

 

 なのに今この瞬間は、幼き日に願った夢も、ヤツメ様も、この血さえも……何もかもが忌々しくて堪らないんだ。

 

 

 

 だけど、オレの強さはコレしかないんだ。コレ以外に何も無いんだ。

 もはや意識を保てない。オレは最後の力を振り絞り、陸地を目指す。

 

 オレははたしてたどり着けただろうか? それは分からない。ついに訪れた完全なる暗闇の中で前のめりになったオレは眠りに落ちた。

 




希望「まだだ。まだ慌てるような時間ではない」

救済「私たちには他にやるべき事がある。そうでしょう?」

喜劇「所詮、俺は日常回担当だ。ダンジョン攻略中に出張る程空気が読めないわけじゃない」

奇跡(今日の晩御飯はお寿司が食べたいなぁ)

絶望・悲劇・苦悩・恐怖「「「「駄目だ。コイツら、早く何とかしないと」」」」」


思えばDEBANさんは出番があったので、本作ではDEBANさんではなくなった事になりますね。
ですので、最後のお別れの言葉を変更したいと思います。
それでは42話にも増々の主人公のご健闘をお祈りして、

Let's MORE!

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