SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回は前回の後書きで告知しました通り、サイドストーリーとなります。
基本的にサイドストーリーは現実世界の話となります。


Side Episode1 現実世界の反逆者たち

 須和 巽(すわ たつみ)は『神童』であり、『悪童』だった。

 幼少より頭脳明晰で容姿端麗。何1つとして欠点が無い理想的な人間として生を受けた。

 だが、巽には致命的な欠点があった。それは異常な好奇心である。際限なく湧き上がる知的欲求に対する抑制が利かなかった。両親の歪んだ溺愛が巽の人格を矯正せず、年齢を重ねるごとに自らの意思を行動に反映させる事が出来る範疇が広がる度に、彼は静かに暴走するようになった。

 彼が特に興味を持ったのは生命についてだ。虫、魚、獣といった、辛うじて学術的興味に基づいた解剖から、両親の経営する病院に忍び込み、遺体を解体するという所業にまで及ぶようになった。

 誰も自分を止める事が出来ない。いずれ自分は殺人に手を染めるに違いない。自らの醜悪さを理解し、止める手立てを持たない彼は、ある種の嘆きを抱いていた。

 そんなある日、彼はいつものように、新しく『遺体』になりそうな患者を物色していた。だが、目ぼしい候補者はおらず、病院を自由に歩き回る事を許可していた両親が唯一強く巽に立ち入る事を禁止していた特別病棟に忍び込んだ。

 いわゆるVIP待遇の人間が、世間から身を隠しながら治療を行う病棟だ。両親が法外とも言える報酬で人目を憚る政治家や資産家の治療を行っている事を、巽は熟知していた。まだ10歳にも満たない少年にしては達観し過ぎていたとも言える。

 黄昏の光が満たす中、彼が侵入したのはメルヘンチックな、レースが病室中にあしらわれ、大きなテディベアが飾られた、まるでお姫様のような子供部屋だった。

 ベッドで眠るのは、彼が今まで見たことが無い程に美しい少女だった。年齢は同い年くらいだろう。長い髪を伸ばし、肌は異常に白い。まるで今にも消えそうな儚く燃える蝋燭のような少女だった。

 少女は薄目を開けて、巽へと視線を運ぶと、ぞっとする程に優雅な微笑を浮かべた。

 

『私を殺したいの? 無理よ。貴方には出来ない』

 

 一瞬で心にある欲望を見透かされた巽は、恐怖に呑まれて逃げ出した。

 だが、彼にもプライドがあった。だからこそ、翌日も、翌々日も、ほぼ毎日のように少女の元に足を運んだ。だが、少女の眼が向けられる度に、どうしようもない恐怖が巽を襲った。

 

『あなたは「命」って何だと思う?』

 

 いつものように少女と対峙した巽が、新記録の1分を堪えるのに成功すると、少女は巽に優しくそう問いかけた。

 

『私はね、「命」とは救われるべき物だと思うの。でも、同じくらいに「命」は奪われる為に存在するとも思っている。「命」ある者は「命」を喰らう事で生きながらえ、次世代に同じ業を継がせる。そうして、ずっとずっとずっと、遺伝子の螺旋みたいに私達は「命」のルールに縛られ続けるの』

 

 本当に同い年なのかと思う程に、達観していると思っていた自分が恥ずかしくなるくらいに、少女は持論を展開し、巽と語らう事を望んだ。

 生まれつき体が弱く、少女は長く生きられない。巽は看護師などから秘密裏に少女の情報を集めていた。父と懇意にある男、その男の遠い親戚だという少女は独りで毎日病室から窓を眺めるばかりの生活をしていると聞かされた。

 哀れとは思わない。むしろ、彼女は恵まれている境遇のはずだ。頭ではそう分かっているのに、巽は彼女が救われる事を望んでいるように思えた。

 

『あなたは院長先生のお子さんなのでしょう? 看護師さんから聞いたわ。だったら、やっぱりお医者さんになるの?』

 

『たぶん、ね』

 

『そう。あなたは救う人間になれるのね。「命」のルールに抗える者。とても羨ましいわ。私には……無理だもの』

 

『どうしてだい? 君だって医者になろうと思えばなれる。それに、医者だけが人を救う仕事じゃない』

 

 自分らしくない慰めの言葉は、巽の幼き心が少女に魅入られている証明だった。

 まるで蜘蛛の巣に引っ掛かった蝶のように、巽は少女という蜘蛛を引き寄せたいかのように、蜘蛛の巣を揺らす言葉を並べた。

 

『私は奪う者、喰らう者、狩る者。誰かを救えるはずが無いわ』

 

 それは少女の悲痛な叫びのような気がしてならなかった。

 この少女は救われたがっているのだ。自分の忌まわしい生き方、あるいはより大きな流れに抗いたいと望んでいるのだ。

 その日から巽は心を入れ替えた。自制する事を学び、少女の為にあらゆる希望に満ち溢れた物語を知り、彼女と語らう為の知識を備えた。

 1年経つ度に、少年は少女に強く惹かれていった。

 1年経つ度に、少年は自らの心に抱く気持ちの正体を知った。

 1年経つ度に、少年は青年になり、逞しく成長していった。

 だが、少年が青年となり、立派な医師となって故郷に戻って彼女の病室を覗くと、そこに彼女の姿は無かった。話によれば、少女は遠い親戚の家に嫁入りしたという。体は変わらず弱いままだが、せめて生きている内に母親になりたいと望み、縁談を受けたとの事だった。

 自分が救うまでも無く、彼女は自分を救う生き方を見つけてしまった。父の書斎で彼女の花嫁姿の写真を見つけ、巽は大いに泣いて笑った。そして、彼女の元を訪ねて、あの日の質問の答えを述べる事にした。

 自分との思い出を一つとして忘れる事無く、少女だった女性は、あの頃と同じ儚い美しさを残した容姿で彼を迎えてくれた。

 

『答えが出たよ。俺はね、「命」とはこの世界に存在する為のもの。それ以上もそれ以下も無いと思う。医者としては失格の答えかもしれないけど、「命」なんて何ら貴賤も無い物さ。救うのも奪うのも自由だ。「命」に本質なんて存在しない。大切にしたければ大切にすれば良いし、腐らせたければ腐らせれば良い』

 

『あなたらしい回答ね、須和くん』

 

『だろう? だから、俺は俺の思うままに「命」を相手に戦うさ。「命」が大切だって思っている人たちを救い続ける。それが俺の生き方だ』

 

 満面の笑みで女性は須和を祝福した。それを見た瞬間、もう少し早く自分の心を素直に打ち明けていれば、彼女の人生の伴侶に自分がなれたのではないだろうかと、淡い夢を刹那に脳裏に過ぎらせた。

 全ては叶わない幻だ。だが、だからこそ、巽は素直に今ある自分が何よりも誇り高いと信じられた。

 

『ありがとう。あなたのお陰で、私は救われたわ。私は「命」を大切にしたい。そう願って良い人間なんだって……認めることができた』

 

 その後、巽は彼女とその夫と夕食を共にした。正直な話、彼女の夫は限りなく善人でお人好しで、自分みたいな欲望を自制する術を身に付けただけのクレイジーなイカれた野郎よりも、ずっと彼女を幸せにできる男だろうと安堵した。

 

『そうだ。ねぇ、須和くん。もう少ししたら3人目が生まれるの。あなたの病院で産ませてくれないかしら? あなたみたいな「良い人」になるように』

 

 ああ、それは素晴らしい事だ。巽は喜んで彼女の申し出を受けた。

 体が弱く長く生きられないと言われた少女は立派な母親として生き長らえ続け、かつては自らの欲望のままに「命」の解体と解明を望んだ男は天才脳外科医としてメディアからも注目を集めた。

 全てはハッピーエンドで終わる。そう信じていた。巽があの男に出会うまでは。

 

『須和先生。天才脳外科医である貴方の著書を拝見させていただきました。是非とも私にご教授をお願いしたい』

 

 妙な高校生が真夏の日にいきなり家にアポイントも無しに訪ねてきたかと思えば、恥も外聞も無く土下座をして教鞭を乞いて来たのだ。

 暇潰しに自費出版した程度の、本屋でひっそりと埃を被るだろう、あの分厚い著書にこの高校生は感銘を受けたのか。素直に巽は驚いた。

 ほんの一週間だったが、巽は自分の知識を彼に与えた。著書を記した時と同じ暇潰しだったが、高校生の不気味なまでの熱意に押されたからと言えるだろう。それに、高校生がまるでスポンジが水を吸収するかのような学習能力の高さに興奮を覚えたというのもあるだろう。

 高校生が特に興味を持っていたのは、巽がアメリカ留学時代に研究した、脳を生体器官としてではなくコンピュータとして捉えて、脳の五感を意図的に支配できるか否かという点だった。あくまで脳外科医であって脳科学者ではない巽の拙い理論に過ぎなかったが、高校生は彼の理論を一つ聞く度に、まるで幼き頃の夢を叶える方法を見つけたかのように、その目を輝かせた。

 あまりの熱心さに心打たれた巽は、高校生に留学時代に交流を持っていたこの手の分野のアメリカの専門家を紹介する事にした。彼は泣いて喜び、感謝の言葉を述べてその日の内にアメリカへと飛んだ。

 あんな高校生がいるならば、日本も安泰だろう。漠然と巽は自分の暇潰しも世の中を変えているのかと、その程度の感想を抱いた。

 

 

 だが、それこそが全ての間違いだった。

 

 

 それから数年後、高校生は稀代の天才たる茅場晶彦として日本どころか世界中に注目される存在となった。彼のVR技術に関する論文を読んだ時、自分が与えた知識は立派に肥やしとなり、世紀の大天才を生み出したのかと思うとこれは何たる人生の喜劇だろうかと思えた。

 彼から高校時代のお礼として届けられた、彼の作品であるソードアート・オンラインのソフトとナーヴギア。だが、医師として多忙だった巽は、それを長らく遊び相手をしてあげていられない、彼女の第三子に送ることにした。丁度中学生に上がったばかりのあの子ならば、きっと世界初の本格的VRゲームのプレゼントを喜んで受け取ってくれるだろうと信じての事だった。

 結果、彼が次にその子と出会ったのは、日本政府の依頼で訪れた病院の一室だった。

 仮想世界に囚われて眠り続ける我が子に泣き腫らした目を向けた彼女は、まるで抜け殻のようだった。だが、何ら巽を責めることなく微笑んで迎えてくれた。

 

『須和くん、心配しないで。この子は必ず生きて戻るわ。必ず……生きて戻って来るわ』

 

 VR専門家など世界の何処にもいなかった。日本政府は茅場晶彦に関与した巽の協力を求めた。それを受託した彼は今まで築いた地位を捨て、日本政府専属のVR技術専門脳外科医へと鞍替えした。だが、日本中のあらゆる天才が挑んでもナーヴギアの安全な解体は叶わず、3年と7ヶ月の時間が流れ、アインクラッド完全攻略と共に僅か438名の生存者の現実世界への帰還を見守る他なかった。

 もう二度とあんな悲劇を起こさせない。その決意を巽は胸に秘め、世界初となるVR犯罪を専門に取り扱う警視庁のVR犯罪対策室のオブザーバーとなった。彼は以後、アインクラッドで【黒の剣士】と謳われた、完全攻略の立役者のサポートを務めながら、様々なVR犯罪に医師の観点から立ち向かった。

 だが、またしても巽は悲劇を見守る他なかった。

 日本某所、その施設には400名近い患者……いや、仮想世界の囚人が眠りについている。

 3ヶ月前、茅場晶彦の後継者と名乗る人物がアミュスフィアⅢの最新VRMMORPGタイトルであるダークブラッド・オンラインにログインしていた1万2682名をログアウト不可の状態とし、デスゲームを開始したのだ。

 既に死者は2000名を超え、ペースは落ち着いているが、SAO以上の高難易度を謳うDBOの完全攻略は絶望的であるという判断が強まっている。

 そこで日本政府が取った方針は二つ。今回の殺害方法である『致死を及ぼす脳の錯覚』に関する技術の解明、そして首謀者たる茅場の後継者の確保だ。巽に期待されているのは前者であり、彼は死者の脳髄を解体し、分析し、技術の深淵を解き明かそうと日夜苦闘している。

 その度に吐き気が催す程に、解体と新たな技術への挑戦への喜びが駆け抜ける。たとえ自制心を覚えようとも、巽という人間の本質は全く変わっていない証明だった。

 そして、自己嫌悪に陥る度に、巽はある病室を訪れる。

 その病室では、半透明のサングラスのような装置、ナーヴギアからここまで軽量化が成された最新の仮想世界へのログインを可能とする機器、アミュスフィアⅢを装着した1人の人間が眠っている。

 今回の事件の特徴として、多くのSAO生還者……俗にサバイバーと呼ばれる者たちが、再び仮想世界の囚人……リターナーとなった事にある。そして、この人物もまた、DBO事件の被害者となったリターナーだった。

 

「須和くん、また来てくれたの?」

 

 SAO事件の時と同じように、彼女もまたその人物の傍らで我が子の目覚める時を待っている。その様子を見て、巽の胸は無力感で締め付けられる。

 彼女は3人の子持ちの、既に40は軽く越えているにも拘わらず、あの頃と同じ儚い美しさはまるで陰りが見えない。まるで彼女だけが時の流れに取り残され、過去の思い出の中で生きているかのようだった。

 

「定期健診だよ。ナーヴギアと違って、今回の手口はどんな風に脳に悪影響を及ぼしているか分からないからね」

 

 もちろん嘘だ。そして、嘘だと見抜いた上で彼女はそれを指摘しない事も巽は理解している。

 これが自分たちの距離感だ。伴侶でもなく、友でもなく、仲間でもない。理解者同士のあるべき距離だ。

 

「今度も生き残るさ。彼は強い。そうだろう?」

 

 巽は彼女の肩を叩き、ベッドの上で眠る、まるで少女のような少年を見下ろす。

 3ヶ月の間に随分と髪が伸びたせいか、元より幼さと女性的な印象が強い容姿は、それこそ事情を知らない者が見れば男性と一目で判断できない物となっている。

 久藤 篝。巽と旧知の仲である彼女、久藤 光莉(くどう ひかり)の第三子にして、SAOで241名ものプレイヤーを殺害した、法で罰する事ができない殺人鬼。

 

「さっきね、政府の人が来たの。ログを確認したらね、篝はまた殺しているそうなの。もう9人も」

 

「……そうか」

 

「それでね、他のプレイヤーの安全の為に、篝のアミュスフィアⅢを外させてほしいってお願いされたわ。もちろん、内々の秘密の話よ? でも、須和くんには知っててもらいたかったから」

 

「……そうか」

 

 それ以上の事を巽は言えなかった。

 たとえ息子を殺させて欲しいと頼まれたとしても、慈悲と慈愛に溢れた光莉の眼差しはまるで曇りが無い。逆に言えば、それは人間離れしているとも言えた。

 まるで『命』に対する考え方が、光莉と現代日本人とでは違い過ぎる。彼女には人間すらも生き残る為の『糧』に過ぎないという考え方が根底にあるのだろう。そして、それを許容してしまっている自分もまた狂人である事に疑いないと巽は嗤う。

 

「専属の看護師を24時間付けるよ。俺自ら信頼できる者を配備する。篝君がどんな『事故』にあって、アミュスフィアⅢが外れるか分からないからね」

 

「迷惑をかけてごめんなさい」

 

「何も謝る事は無いさ。俺は光莉さんの味方だよ。過去も、今も、未来もね。でも……何で篝くんはDBOにログインしたんだろうね?」

 

 あれ程までに仮想世界を嫌悪していた篝が何故再び仮想世界に舞い戻ったのか、それは今以って謎だ。だが、余りにも多くのリターナーがいる為、茅場の後継者が何らかの画策を成しただろう事はVR犯罪対策室の総意だ。

 茅場晶彦の目的は仮想世界の実体化……アインクラッドに『命』を吹き込む事にあった。だからこそ、1万人近いプレイヤーをアインクラッドに幽閉した。少なくともVR犯罪対策室のオブザーバーである【黒の剣士】はそう断言した。

 だが、今回の茅場の後継者と名乗る人物はデスゲームと殺害方法を告知こそしたが、その理由を明言していない。せめて、それさえ分かれば事件の真相も解き明かせると思うのだが、それを探る事は巽の専門外だ。

 

「大丈夫よ、巽くん。『あの子』に必ず犯人を見つけるようにお願いしておいたわ。何処の誰か知らないけど、私から二度も息子を奪った事を後悔させてやるわ。必ずね」

 

「おお、それは朗報だね」

 

 まるで声音も表情も変わっていないが、光莉の目だけは普段と異なる、まるで蜘蛛が獲物を狩る時のような人間味の無い光を宿している。思わず巽は身震いした。彼女は『命』を大切にする善人であろうとするが、『命』など所詮彼女……いや、彼女達からすれば生き残る為の糧に過ぎない。

 同じ人間でありながら精神構造がまるで異なる。巽は光莉の脳髄を解体し、解析できれば、その遺伝子に刻まれた『本能』と呼べる分野の、彼女達の進化の歴史を解き明かせるかもしれないと好奇心がくすぐられる。

 思えば篝も小さい頃から似たような目をしていた。目元は父親似だが、やはり『眼』は光莉さんによく似ていると、巽は眠れる殺人鬼の額を愛おしそうに撫でた。

 

 

Δ    Δ    Δ

 

 

 人生は何が起こるか分からない。陳腐な言葉だが、何よりも簡潔に示された真理であると『彼女』は考える。

 どれほど綺麗なレールが敷かれた人生であったとも、そのレールは容易く曲がり、列車は脱線する。重要なのは、レールの外に放り出された列車からいかにして生き延びるか、という点だ。

 その点で言えば、『彼女』は間違いなく歪められた人生を、それなりに謳歌している成功者と言えるだろう。だが、本人からすればこれ以外の生き方など考え付かなかっただけであり、羨ましいと言うようなヤツがいれば頭蓋骨を叩き割る程度の暴力は許されるだろうと断言する。

 だが、一方で自分はまだマシな部類であるとも彼女は分析する。今回のDBO事件によって『同類』達の大半が巻き込まれてしまったが、自分は今も安全な場所で呑気に大学の講義を受ける事ができるからだ。

 モダンなデザインをした食堂にて、『彼女』は課題のレポートを記述する為の資料を広げながら、今日も無線イヤホンを耳に付けて菓子パンを齧る。

 短めの赤と黒のチェックのスカートと黒っぽいジャケットはパンクな印象を与え、その印象を派手にピンクに染色した肩まで伸ばしている髪がより強める。それらは『彼女』の周囲の人間を威嚇し、近寄らせない為の防衛手法だ。これまで何処から噂を聞きつけたのか、野次馬根性みたく『彼女』の繊細な過去をほじくり返そうとする愚か者が多過ぎた為、こうした自衛手段を取らせてもらっている。

 ところが、最近はこの恰好が逆に男心をくすぐるのか、勇敢な男子の告白を幾度となく受けているが、『彼女』はそれらを等しくお断りしている。悪いが、自分の過去と現在を簡単に受け止めてもらえるとは思えないからだ。

 それに何より、別の男と付き合おうにも頭から離れない、理想とも言うべき人物が今も心に残っている。その限り、『彼女』は恋愛に手を出そうとは思っていなかった。

 

「……なんて、あたしが根性無しなだけか」

 

 恰好付けているが、結局は過去に縛られている方が心地良いだけだ。イヤホンから流れるお気に入りの曲……あの黒ずくめの剣士が口ずさんでいた曲を、『彼女』もまた、何よりも生きている実感があった懐かしき記憶を思い出すように口にする。

 

「I'm a thinker. I could break it down. I'm a shooter. A drastic baby~♪」

 

 足を組み、流暢な英語でやや物騒な歌詞を口ずさむ姿を、男子よりも女子の方が憧れに近い眼差しで『彼女』を見ているのだが、その何処となく身の危険を感じそうな視線を無視しつつ、『彼女』は自分の世界に浸る。

 だが、無遠慮な来訪者が彼女の向かいの席に腰かけ、ひと時の安らぎは粉々に破壊される。

 

「やぁ、お久しぶり」

 

 それはスーツを着た青年だった。年齢は20代後半くらいだろうが、それよりも若々しさに溢れ、大学生ばかりがひしめく食堂にいても不思議と浮いておらず、スーツ姿も相まってまるで就活生のようだった。

 最悪だ。『彼女』は携帯端末を操作してイヤホンから流れる音量を増加させる。だが、それを見越しているかのように青年は『彼女』の右耳からイヤホンを一つ拝借すると、その音楽を鑑賞し始める。

 

「相変わらず渋い曲聞いてるな。これってなんて曲だったかな?」

 

「教えないし、教える気もないわよ」

 

「そして相変わらずつれないな」

 

 にこにこ。そんな擬音が纏わりつく笑みに『彼女』のストレスは急速に蓄積していく。だが、これで怒鳴っては負けだ。深呼吸を挟み、『彼女』は手元のコーラを飲んで落ち着く事にした。

 炭酸混じりの黒い液体が体を駆け巡り、安心感をもたらしてくれる。彼女は長い吐息と共に冷静さを取り戻した。

 

「それで何の用よ。大学には来ないって約束でしょ?」

 

「もちろん、デートのお誘いさ」

 

「死ね」

 

 僅か2文字で『彼女』は的確に青年に対して感情表現を行い、荷物を纏めて席を立つ。それを当然のように青年は追いかけてくる。ストーカーのような行動なのだが、それを訝しむ者は誰1人としていない。

 理由は簡単だ。これは彼女が大学に通ってからの日常茶飯事であり、誰もが見慣れた光景だからである。

 

「アハハハ! ごめんごめん。冗談じゃない、冗談じゃない。僕はいつでも本気だ」

 

「増々最悪ね」

 

「それはどうも。でも、キミも物好きだな。就職先は決まっているのに、わざわざ大学に通うなんて」

 

「あたしの勝手でしょ。あと、あたしはあたしの人生を歩むつもりだから」

 

 隣を通り過ぎる女子大生に笑顔で手を振って挨拶する青年に、『彼女』は更に苛立ちを覚える。自分のテリトリーを汚される事への怒りなのだが、青年はそれを嫉妬と感じ取ったのか、懐から二枚のチケットを取り出す。

 

「分かってる。素直になれなかったんだろう? ほら、これ今日のデートの先のチケット。有名な劇団の……」

 

「だからそういう話じゃないわよ! もう茶番は良いから、さっさと本題をして頂戴!」

 

 無人の講義室に青年を連れ込み、『彼女』はついに牙を向いて青年のネクタイをつかんで怒鳴り散らす。唾が飛び散る勢いのそれを涼しげな表情で受け止め、青年は暴れ牛を落ち着けるように両手を掲げた。

 

 

 

「OK、了解了解。デートは変わらず本気だけど、今日来たのはVR犯罪対策室オブザーバーたるキミに協力を打診する為だ、篠崎 里香ちゃん」

 

「リアルネームで呼ばないで。仕事の時は【リズベット】よ。VR犯罪対策室第3班、久藤 光輝警部補さん」

 

 

 

 光輝は笑みを崩さず、リズベットは睨みを利かす。そこには2人の間の信頼感と連帯感の無さばかりが漂っていた。

 

「あ、ちなみに降格人事で巡査部長になりました」

 

「それはご愁傷様。祝ってほしいならチ○ルチョコあげるわよ」

 

「り、リズベットちゃんの……手作りチョコだって!? ご、ごくり……」

 

「やっぱり死んでもらえる? あたしも暇じゃないのよ」

 

 光輝のネクタイを思いっきり絞めて窒息を狙うリズベットだが、ひらりと彼女の手を回避した彼は講義室の長テーブルに腰かける。

 懐から煙草を取り出して咥えるも、リズベットが『ここは禁煙だ、ゴミ屑』と眼光で語り掛けると、寂しげに懐に煙草を戻した。

 

「あたしと組むときのルールその1!」

 

「『絶対に煙草を吸わない』だったな。了解了解。将来の奥さんの頼みとあらば禁煙も辞さない。これが僕の愛の証明だ」

 

「もう……なんか疲れたからツッコミも止めるわ。それで、VR適性B+程度しかないあたしとVR犯罪対策室の暴れ馬のアンタ。この組み合わせで上は何をさせるつもりなのか教えてもらえる?」

 

 今から約2年前、アインクラッドから帰還を果たしたリズベットは、ほとんど抜け殻のような状態だった。

 共に生き抜いていた多くの知人を失い、自らも末期には幾度となく命の危険に曝された彼女は、もはや現実世界で生きた【篠崎 里香】ではなく、アインクラッドを生きた【リズベット】と成り果てていた。

 泣いて生還を喜ぶ両親、僅かばかりの同じ生存者との対面、そのいずれもリズベットの心を癒す事は無かった。

 やがて、多くのサバイバー達がそれぞれの人生を選択し始める頃、リズベットが選んだのはVR犯罪対策室のオブザーバーになる事だった。

 SAOという史上初の電脳犯罪の被害者、その多くが高いVR適性を持っている。VR犯罪を追う上で、長時間ストレス無く、またアバターの運動アルゴリズムの連動がよりスムーズに可能である事は捜査の必須となっていた。

 とはいえ、リズベットのVR適性はB+。平均値がCである事を考えれば、常人よりもやや優れた程度である。あくまでリズベットはオブザーバー登録をしているだけであり、SAOでの経験を元にした軽犯罪捜査に駆り出される程度である。

 

「もちろん、DBO事件の捜査だ」

 

「……今更ね」

 

 3ヶ月前に起きたDBO事件。多くのサバイバーが巻き込まれる中、リズベットは運良くこの目の前の男とGGOサーバーの現地調査にアメリカに赴いていた為に、自宅に送り届けられていたDBOログイングッズに手を出すことなく、難を逃れていた。

 多くのサバイバーの元にアミュスフィアⅢとDBOソフトが届けられ、今や再び仮想世界の囚人となっている。

 疎遠になろうともアインクラッドを共に生き抜いた仲間達だ。リズベットはオブザーバーとして捜査協力を申し出たが、重要人物でもなければ、能力が特別高い訳でもない彼女は無視され続けた。

 もちろん、再び世界を震撼させた最悪の電脳犯罪の再来だ。自分程度を相手にする暇はないのだろうとリズベットも割り切った。だからこそ、歯がゆさはあるが一般人として大学生活を送っていた。

 なのに今更捜査協力とは虫が良過ぎる話である。リズベットは腕を組み、間違いなく自分とタッグを組まんと画策しただろう眼前の青年に問う。

 

「で、捜査方針は?」

 

「『好きにやれ』。ただし、3年以内に成果を挙げないと僕は離島に左遷だ」

 

 要は邪魔だから独りで捜査しろ、というわけか。リズベットは哀れみと共に嘲笑しようとするが、同時にこの男の上司は彼の特質を見抜いているとも納得する。

 今から6年前、誰もが茅場晶彦の消息を辿れていなかった頃、当時はまだエリートコースのキャリア組を走っていた光輝はSAO事件の捜査官として全容解明に奔走していた。だが、1年、2年と経つ事に天才たる茅場晶彦の隠蔽工作を暴けず、捜査は行き詰まりになっていた。

 そんな時、光輝は独自に捜査を展開。本人曰く『鼻が利く』らしく、理論立てない直感に従った捜査を行い、茅場晶彦が潜伏していた山小屋を暴き出す事に成功した。

 あと1週間。あと1週間あれば、警察は茅場晶彦の身柄確保が叶っていたはずだった。だからこそ、SAO事件終息後も警察は威信を残したまま、大々的にVR犯罪対策室の設立を発表することができたと言える。

 ところが、肝心要のこの男は組織だった捜査ではまるで役立たずであり、オマケに捜査の大半は直感頼りである為に信憑性が欠ける。その結果、VR犯罪対策室のエースとして期待された男は、物の見事にお荷物となってしまったのだ。

 とはいえ、リズベットは彼と組んだ事が一度や二度ではないので把握しているが、この男の犯罪や悪意に対する『嗅覚』は本物だ。リズベットの役目は、不本意としか言えない捜査における彼との相性の良さから、彼が嗅覚で探り当てた手がかりを解析すること、そして必要とあらば仮想世界にログインして捜査官となる事にある。

 

「当然だけど、目星はもうあるわよね?」

 

「もちろん。とりあえず、今の僕らの捜査の対象は三つ」

 

 自信満々に光輝は右手の指を三本立てる。

 

 

 

「一つ目、DBO事件発生直前に消息を絶ったVR犯罪対策室オブザーバー桐ヶ谷和人及び綾野珪子の両名」

 

「二つ目、SAO事件最重要参考人、神代凛子が手がけた【メディキュボイド】」

 

「三つ目、SAOの管理システムとして開発された【カーディナル】」

 

 

 

 思わずリズベットは眉を顰める。いつものことながら、まるで関連性が見えない三つの捜査の糸。だが、これを上手く一本の『紐』にすることがリズベットの役割だ。

 相変わらず無理難題だが、リズベットとて伊達にこの男と幾度となくタッグを組んだわけではない。必ず真相に繋がる『紐』にしてみせる。

 またしばらく……下手すれば3年も大学を休学する事になるが、どうせ仮想世界から離れた生活など、この歪んだ人生では土台不可能なのだ。リズベットは盛大に溜め息を吐いて覚悟を決める。

 

「さっさと解決するわよ、『相棒』」

 

「もちろん。よろしく頼むよ、『相棒』」

 

 仮想世界で1万人以上のプレイヤーが死闘を繰り広げる中、現実世界でたった2人の反撃が始まる。




MOREさんサイドストーリーのメインヒロインになる、の巻。
本編は殺伐とし過ぎてヒロインがヒロインとして機能しない不具合がありますので、いっそサイドストーリーの方でリズベットにヒロインらしい活躍をしてもらいたいと思います。
次回からまた本編に戻りますが、時折サイドストーリーを挟みます。

それではMOREさんの末永い活躍を48話に祈って、

Let's MORE!


追伸.MOREさんにも出番が回って来たので、↑の締めも今回で終わりとなります。

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