SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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サイドエピソードは基本的に本編と時間軸がリンクしています。
本編が1ヶ月進めば、サイドエピソードも1ヶ月経っています。
そして、重要な事は『双方』がつかんだ情報が共有される事は無いという点です。


Side Episode3 捜査線上の未来

 メディキュボイドとは、簡単に述べるならば医療用に開発されたナーヴギアのようなものである。

 アミュスフィア系はもちろん、ナーヴギアも上回る出力を持つとされており、今では多くの医療の現場に実験的に投入されている。

 とは言え、既にVR技術先進国の御株を日本から奪いつつある米国では民間用の低コスト化されたメディキュボイドの開発に成功している。ドイツはAR技術分野での先進性を伸ばし、義眼開発に至っては他の追随を許さない。これらに比べれば日本はVR技術とAR技術の市場開拓にも技術開発にも出遅れているのが実情だ。

 現在、日本で技術開発が推し進められているのは第2世代型のメディキュボイドだ。日本お得意の小型化と省エネ化を目指したものらしく、結果は上々らしく、3年後には実用化にこぎつけて流通を開始させる予定だった。

 過去形なのは、米国で一足先に省エネ化された次世代型メディキュボイドはリリースされたからだ。しかも日本企業が推し進めていたものよりも更に小型化され、スタイリッシュなデザインも合わせて、医療機関のみならず、富裕層からより優れたフルダイブ機器として注文が殺到している。

 日本がVR技術開発に出遅れた理由は大きく分けて2つある。1つはSAO事件に発端した仮想世界に対する偏見が一定以上あった事。そして、VR技術という未知の分野に対して二の足を踏んでいた事だ。

 この状況を打破すべく、政府主導で立ち上げられたのがVR技術研究所である。AR技術の開発も行っているが、そちらは今1歩というのが実情である。

 仮想世界と現実世界の融合。これが現在のVR技術研究所が目指す理想である。世界有数の大都市たる東京を大幅な都市開発によって先進VR技術とAR技術が融合する事を目的としている。

 その1つが世界初の低コスト高性能のホログラム技術だ。立体映像技術は世界各国がそれなりに研究していたが、実用化には今1つだった。だが、VR技術研究所は低コストかつハイスペックのホログラム技術の開発に成功した。

 もちろん民間も負けていない。自動車産業ではAR技術をいち早く取り込み、相互リンクする環境情報集積システムの導入に成功した。これはある種の透視機能であり、光学ガラスによってコンピュータと同化したフロントガラスに全自動車の配置情報のみならず、生体反応を読み取って事故を未然防ぎ、また目的地への最短ルートなどをより視覚的に伝えるものである。かつてのカーナビはどうしても余所見による事故が発生し、また平面地図による分かり辛さがあった。だが、このシステムによって運転している風景に進路情報や交通規制が立体的に表示されるようになったのだ。これに加えてUNACシステムによるAIサポートも加わり、システム圏内ならば『絶対安全圏』とさえ言われるほどである。正式リリースはまだだが、モデル車は既に街の至る所で見られる。

 世界は加速し続ける。恐ろしい程に人間を置き去りにしていく。リズベットは薄ら寒さを禁じ得ない。ナーヴギアの登場が……いや、茅場晶彦という稀代の天才が人類史を変えてしまった。彼はいずれ人類の変革者として、犯罪者の汚名としてではなく、未来を作った偉人として語られるのではないだろうかとさえ彼女は思っていた。

 いいや、違う。リズベットは自らの間違いを認識する。人類は飢えていたのだ。21世紀から続いていた静かなる停滞の時間。そこに投じられたVR技術という新たな果実は技術者・資本家・夢想家たちの欲望を満たすには余りにも甘美過ぎたのだ。それが、このあり得ない技術開発速度と熾烈な競争の正体なのだろう。

 

「間もなく紺野家に到着するけど、1つ訊いて良いかな?」

 

 運転する光輝の声でリズベットは思考の海から浮上する。これから彼らは紺野木綿季の両親と面会する事になっている。もちろんアポイントメントは取っていない。だが、情報では紺野木綿季の母親は専業主婦との事だ。正午前ならば自宅にいる確率は高い。普通ならば門前払いだが、こういう時こそ国家権力の出番である。

 

「どうして紺野ちゃんが怪しいと思ったんだい?」

 

「……大前提として、アンタがメディキュボイドを疑ったから。あたしはね、アンタの直感をそれなりに信じてるの」

 

「愛故の信用か。嬉しいね。結婚しよう」

 

「死ね」

 

 短く簡潔に拒絶し、リズベットは話を続ける事にした。リズベットの根拠を伝えているか否かで現場での対応は大きく変わるのだ。情報交換は疎かにできない。

 

「第1世代型メディキュボイドは合計32機製造されたわ。その第1号被験者が紺野木綿季だった。そして、それの前段階の第零号被験者が紺野藍子。ここまでは良い?」

 

「もちろん。でも、そこからリズベットちゃんは『死亡』した被験者から更に抜粋して数名を選択した。その心得は?」

 

「VRMMOよ。『死亡』が確認された11名の被験者の内の7名がVRMMOに長期間に亘ってログインしていた記録が残ってたの。これって結構な確率よ? ザ・シードの登場で仮想世界は無秩序に拡大していた状況を加味してもね」

 

 仮想世界といえばゲーム……それもVRMMOというイメージが世間一般……特に日本では根強く残っている。その原因は無論SAO事件のせいなのだが、それ以外にも仮想世界が世に現れた最初の形がゲームだった事にある。

 だが、仮想世界はあらゆる可能性を秘めている。たとえば、最近はVRT(ヴァーチャル・リアリティ・トラベル)というのが世界中で流行している。

 これは文字通り、仮想世界で作られた世界を観光するといったものだ。スキャンされた世界遺産や美術館を自宅にいるまま堪能したり、世界の何処にもない自然溢れた無人島でバカンスを楽しんだりするものだ。リズベットも何回か体験した事が……というよりも犯罪捜査でログインしたのだが、VRMMO程に癖がない為に万人向けである。特に日々休む暇が無い社会人には良いストレス解消にもなるだろう。

 他にも長距離恋愛者向けの個別面会用のVRR(ヴァーチャル・リアリティ・ルーム)やVRお見合いなども盛んになっている。

 

「なるほど。でもさ、口が少し悪いかもしれないけど、彼らは健全な体を持っていなかったわけだし、アバターとは言え体を思いっきり動かせるものが多くて刺激溢れるVRMMOにのめり込むのは当然じゃないかい?」

 

「もちろん。でも、その7名全員があるVRMMORPGタイトルにログインしていたわ。その名はALO」

 

 アルヴベイム・オンライン。略称はALOで、日本で最も愛されているファンタジー系VRMMORPGだ。通称『妖精の国』である。残念ながらリズベットは未ログインであるが、飛行する事が出来る浮遊感が病みつきになるらしい。

 

「だけど、ALOと言えば最大手だ。VRMMOを好むならばログインするも当然じゃないかい?」

 

「そうね。でも、ALOはレクトプログレスが運営しているゲームよ。『あの』須郷伸之も関与していたらしいしね」

 

 途端に光輝は露骨に表情を歪める。常に笑顔と微笑を世の女性の為にと絶やさないこの男が露骨に嫌悪感を示すのは、相手を文字通り殺したい程に憎たらしい同性である場合のみだ。

 それも当然か。リズベットも思い出しくもない男だ。彼はSAO時代からVR技術の軍事転用を画策し、SAO生還者を実験材料にしようと計画していた。だが、それがSAO事件の長期化によって頓挫するや否や、今度はレクトが回収した生産中止のナーヴギアを流用して海外で非合法の実験を行っていた。これをいち早く察知したVR犯罪対策室が調査に乗り出したのだ。

 特に光輝とリズベットは海外捜査で12カ国以上も飛び回って証拠を集めに集めまくり、最後はラスベガスまで当人を追い詰め、熾烈なカーチェイスを繰り広げたのである。この時にリズベットは左脇腹を撃ち抜かれる大怪我を負った。

 ちなみに須郷の最期はモーテルに立てこもり、ネバタ警察の狙撃班に射殺されるという哀れな最期だった。美しい程のヘッドショットである。これ以前に光輝と須郷の部下たちによる熾烈な銃撃戦もあったのだが、思い出すだけで横腹の傷痕が痛むのでリズベットは記憶の発掘を中止した。

 

(……あれ? というよりも、思い出せば思い出す程に、あたしってアインクラッドから帰って来てからの方が人生ハードモードじゃない?)

 

 DBO事件が起きている真っただ中で彼女らはGGOサーバー調査にアメリカに渡ったのだが、これまたPMCやら何やらが裏にあり、非合法な真実を知った為に消されそうになった挙句にハリウッド映画級のアクションの連発だった気がする。幸いにもFBIやらCIAやら映画やドラマの中でしか知らないアメリカン達の協力を得て事件解決に至ったのだが、あの時もリズベットは人質に取られて24時間も爆弾と一緒に倉庫に閉じ込められたり、70階建ての高層ビルの屋上からダイブしたり、敵とドア1枚挟んだ状況で決定的な証拠を探るべくサーバーのVR管理システムにログインしたりと、散々な目に遭っていた。

 もしかせずとも、【黒の剣士】も真っ青なレベルの、命の危険の意味で人生ハードモードある。全サバイバー中で、現実世界で命の危機を10回以上迎えているのはリズベットだけである。そして、そのトラブルの大半は隣で運転する男と共に潜り抜けている事にも気づいていない程度には感覚が麻痺している。

 

「リズベットちゃんを撃った糞野郎だ。僕の手で殺したかったよ」

 

「アンタ……アイツの部下を何人射殺したと思ってるのよ? それにあの事件のせいで、ただでさえ外れてた出世コースから完全に除外されたんでしょ?」

 

「僕の出世よりもリズベットちゃんが血を流した事の方が1万倍重大だ」

 

 さらりと、しかも真顔で述べる光輝に、不覚にもリズベットは呆れて笑んでしまう。彼の事は全般的に嫌いと苦手で構築されているが、こういう真っ直ぐな所に惹かれないわけではない。もちろん、だからといってマイナス評価がプラスに転じることは一切ないが。

 

「話を戻すけど、結局のところ、あたしはアンタの直感から探れるものを探ろうとしているだけ。でも、須郷の実験と茅場の後継者が今回殺人に利用した脳の誤認による人体破壊は関係している。なら、1番怪しいレクト関係のALOとアンタが直感で導き出したメディキュボイドを繋げる糸を放置する道理はない」

 

 須郷の実験とは思考と記憶操作の技術開発だ。これはVR犯罪対策室の総合見解であるが、この技術の数世代先に当たるものが茅場の後継者が使っている誤認情報による人体に多大な影響を与える技術、ファンタズマ・エフェクト・テクノロジー……PE技術であると考えられている。

 脳科学者やVR技術研究者によれば、PE技術自体は過去より研究されていた分野の1つであるらしい。簡単に言えば、PE技術とは強力な催眠だ。それも肉体の細胞レベルにまで影響を及ぼすものである。

 ホルモンバランスの崩壊、細胞が生み出す熱量暴走、キラー細胞による無作為の細胞破壊、白血球の異常増加、赤血球の自己崩壊。PE技術によって死に至らしめられたDBO被害者の遺体はいずれも見るに堪えない惨たらしい状態だ。その状態は様々だが、大半は全身が爛れるか、そうでなくとも脳が融解し、またエボラ出血熱のように全身が血を吹き出して死に至らしめられる。

 

『PE技術を応用すれば、多くの投薬治療で苦しむ人々を救うことができるでしょう。癌の自然治癒すらも可能かもしれません。実際に人間のメンタル能力が多くの医療分野で奇跡的な回復力を発揮している例が絶えません。ハッキリ言って、この技術を開発した茅場の後継者は茅場晶彦並みの天才と言わざるを得ませんね。たとえ開発途上で非合法な研究を行ったとしても、VR技術と同様に未来永劫に人類に豊かさを与える可能性が満ちています』

 

 VR技術研究所でも、元脳外科医の肩書を持つリズベットと同じオブザーバーの須和巽はそう宣言した。ちなみに須和家と血筋を同じくするのが須藤家らしく、巽も須郷伸之とは面識があったらしい。彼を追い詰める時はその思考をトレースし、随分と追跡捜査で活躍したナイスなおじさんであるとリズベットは記憶している。

 蛇足だが、須郷の事件は表に出ていない。須郷が開発していた思考・記憶操作技術は各国からすれば喉から手が出る程に欲しい産物だ。日米政府間で何かしらの取引があったのだろう。この1件は闇に葬られ、レクト自体には何らお咎めなしとなった。

 茅場晶彦も、その後継者も、須郷すらも、恐らくは何らかの形で天才だ。だが、天才とは頭のネジが何本も抜けていないと成立しないものなのだろうかと、リズベットはVR犯罪対策室のオブザーバーになってからより悩むようになった。ちなみにこの3人の中で1番まともと言えるのが須郷の時点で基準がおかしいとも言えるだろう。

 

「それで、アンタこそ何で紺野木綿季が1番『臭った』のか分かる?」

 

「さぁ? それこそ僕の脳を解体してみないと分からないな。そもそも直感に一々裏付けを求める方が間違いだろう」

 

 その通りだ。だからこそ直感には信用が足りない。その信用を補うのがリズベットの捜査と推理による証拠集めだ。

 探偵役はあくまでリズベットであり、光輝は彼女を守る役目を持った犯人を追いつめる万年発情中の警察犬といったところか。

 

「でも、僕の『鼻』は疑うに足るかな?」

 

 目的地に到着し、有料駐車場に駐車した光輝に悪戯っぽく問われ、こればかりは否定しようがないとリズベットは強気に笑む。

 紺野家は高層マンションの13階にある。リズベットとしては、先日の高層ビルからのダイブのせいで若干の高所恐怖症気味なのだ。

 

「どーも、紺野さん。警察です。ちょっとDBO事件に関してお聞きしたい事があるんですが、お時間頂いても良いですか?」

 

 インターホンを押してカメラに警察手帳を向ける光輝の態度は相変わらず軽い。公務員……というよりも警察として許されるべきでないレベルだ。思わずずっこけそうになる挨拶であるが、どうやら紺野木綿季の保護者だった彼女の叔母は懐が広い人物らしい。マンション内部へと導く分厚い自動ドアが開く。最近は何かと物騒になっているせいか、防弾仕様のようだ。

 

『警察とは存在そのものが警戒される。たとえ無実の人間でも警察手帳を見せられれば体が硬直する。そして、それは無用なストレスを生んで関係の進展を阻害する。僕が上の人間に求められているのは、「僕」のスタイルなのさ』

 

 以前だが、光輝は自分の事をそう分析していた。リズベットもその点は大いに同意だ。だが、仮に彼女が『上』の人間ならば問答無用でこの男を資料管理の窓際に押し込んで腐らせておくだろう。こんな男が国家権力を振り回すのはそれだけで評判が悪くなる。

 エレベーターが13階に到着し、『1303号室』へと2人は向かう。セキュリティ面でも分かるように高級マンションの部類である。どうやら紺野家は相応に裕福であるようだ。逆にそうでもなければ、最新医療機器たるメディキュボイドの被験者権利を獲得するなど不可能なのだろう。どれだけの諭吉が積まれた事やらと、リズベットは我が身の庶民感情を卑下した。

 迎えてくれた紺野木綿季の叔母は、僅かにだが写真の中の彼女と輪郭が似ている気がした。だが、逆に言えばそれだけであり、見る者によっては血縁とは認識できないだろう。

 穏やかな人だ。紺野は無礼の領域にある軽薄さを持つ光輝と見ず知らずの小娘であるリズベットにお茶を振る舞い、微笑みながら応対した。

 

「HIVウイルス……AIDSで他界されたのでしたよね?」

 

「ええ。今でも、どうしてこんな事になったのか分かりません。神は理不尽です。何故、貴き善人の命を奪うのでしょうか。世界には悪人で溢れていると言うのに」

 

 悲しげに紺野は目を伏せる。膝の上で拳を握るのは理不尽な現実に対するものだろう。リズベットは紅茶を飲みながら黙って事の流れを見守る。あくまでリズベットはオブザーバーだ。下手に口出しして警察ではないという弱点を露わにしても困るだけである。

 

「それで刑事さん。DBO事件に関して藍子が何か関係しているんですか? あの子が亡くなったのはもう3年以上前の話です」

 

「ああ、気にしないでください。いやね、ここだけの話なんですが、警察も手も足も出てないので、それはもう片っ端から関係者を当たっているんですよ。ほら、今回の首謀者は茅場晶彦の後継者と名乗っているでしょう?」

 

「そうらしいですね」

 

 あまり感情が宿っていない目を細め、紺野は紅茶を口元に運ぶ。元の造形が美しいせいか、それとも動作に人間味がないせいか、リズベットはその一連の動きに肌寒さを覚えた。

 だが、そんな事お構いなしに、美人と見るや否や光輝の眼光は輝きを増している。どうやら俄然やる気になっているようだと、リズベットは静かにストレスを蓄積させる。この男は何処まで国家権威を汚せば気が済むのだろうか。

 

「メディキュボイドの開発者が茅場晶彦の恋人だった神代凛子だというのは有名な話です。ですので、こうして被験者とそのご家族にも一応の聞き取り調査をしているんですよ」

 

「そうだったんですか。でも、何にもお役に立てないと思いますが」

 

「いえいえ。形式的なものなんですよ。言ったでしょう? 手も足も出ないから、マスコミ対策の為にもポーズだけ必要なんですよ。しかし、素敵な御家ですね。僕も彼女も今度籍を入れるんですけどね、こんな場所に住みたいなぁ!」

 

 光輝に肩を抱かれ、リズベットは我が身と心に演技を貫けと緊急命令を発信する。その一方で紺野に見えないテーブル下で光輝の足を踏み潰す。

 笑顔の2人に、紺野は僅かに温かな光を眼に宿す。騙されたとも知らずに祝福しているようだ。こんな茶番で騙して申し訳ないとリズベットは内心で土下座する。

 

「写真もたくさん飾られているんですね。あ、これは藍子ちゃんですか?」

 

 勝手に立ち上がった光輝が棚に飾られていた写真を手に取る。そこにはまだ幼い、恐らくは入院前だろう、麦藁帽子を被った少女が川遊びをしている姿が映されていた。

 

「ええ。私が姉と似ていないものですから、藍子と私もあまり似て無くて」

 

「確かに、あまり似てませんね。でも、共通点はある。あなたは美人で、藍子ちゃんも綺麗な子です。大人になれば、さぞや美人だっただろうに。僕としても残念でなりません」

 

 誰かこの男を黙らせてくれ。顔を手で覆いたくて堪らないリズベットの心中など察する気もないとばかりに、光輝はそれからしばらく紺野と飾られた写真の思い出を語るだけ語り合う。

 15分も経つと満足したのか、光輝は帰りの準備を始める。だが、何かを思い出したように、困った顔をした。

 

「ああ、そう言えば1つ確認してもらいたい情報があるんです。よろしいでしょうか?」

 

「ええ、もちろん。お役に立てれば良いんですか」

 

「先程も申した通り、あくまで形式的な捜査ですから。三代くん、鞄から『ファイル』を取って」

 

 みしろ? ふぁいる? 一瞬だが何を言っているのか分からなかったリズベットだが、いつの間にか光輝の眼差しが切り替わっている事に気づく。

 GGOサーバーを巡ったPMCとの騒乱や須郷を追いかけた死に物狂いの調査の時に見せた、冷たく人間味の無い目だ。以前何処かで見た覚えがあるのだが、思い出す事ができない。まるで捕食者のような眼だ。

 だが、決まって光輝がこの目をする時は、いわゆる『キレている』という状態だ。彼の指示に従い、リズベットは鞄を漁ってメディキュボイドの患者情報を集積したファイルを取り出す。恐らくファイルとはコレの事だろう。

 ファイルを手に取った光輝は1ページ目を開くと、そこに懐から取り出したペンを走らせる。

 

「少し文字が小さいですし、量が量ですからね。マークした部分に関してお読みなってください」

 

 ファイルを受け取った紺野は沈黙のままに長い黒髪を垂らして内容を熟読する。それはたっぷり120秒かかり、やがて彼女はゆっくりと面を上げた。

 それを見届けた光輝は、ぞっとするほどに完成された微笑を浮かべる。

 

「いかがですか?『1番』の項目に心当たりは?」

 

「いいえ」

 

「では、『2番』はどうですか?」

 

「そうですね。少し気がかりではあります。でも気のせいでしょう」

 

「なるほど。では『3番』は?」

 

「分かりません。申し訳ありません。お力になれそうにありません」

 

 ファイルを返した紺野に、光輝は元に戻った眼差しを向ける。そこには敵意や悪意といったのはない。

 紺野宅を離れた光輝とリズベットは駐車場に戻り、一段落したように溜め息を吐き合う。

 

「で、何か分かったの?」

 

「それなりに。ファイルを見てくれ」

 

 光輝に促され、リズベットは鞄の中のファイルを開く。その1ページ目には光輝の軽薄な態度に不似合いな活字印刷されたかのような文章が書きこまれていた。

 

 

『1番「隠しカメラ」、2番「盗聴器」、3番「監視」』

 

 

 最後の質問のカラクリをリズベットは瞬時に理解する。光輝が何処のタイミングで紺野と自分たちの接触が危険であると判断したのかは定かではないが、少なくとも彼はあの場面で最善の攻め手を打ったようだ。

 紺野返答は1番が否定、2番が肯定、3番が曖昧だった。つまり、紺野宅には確実に盗聴器だけは仕掛けられており、彼女は自分が何者かに監視下にあると考えているとの事だ。

 

「リズベットちゃん。僕らはどうして紺野家を訪れたかな?」

 

「それは……紺野木綿季が何かしらの形でDBO事件に関わっていると判断したからでしょう?」

 

「じゃあ次の質問。メディキュボイドの被験者は紺野家で何名?」

 

 顎に手をやり、リズベットは質問の意味を吟味するが、回答が出ずに事実だけを述べておくにした。

 

「第1被験者の紺野木綿季と第零号被験者の紺野藍子の2名」

 

「じゃあさ、仮に僕らが『メディキュボイド関連で捜査に来た』って言ったら、普通は2人の名前が出るはずだよね。でも、紺野さんは藍子ちゃんと断定していた」

 

 背筋に冷たい物をリズベットは感じ取る。普段の軽薄な態度も微笑も今の光輝には無い。あるのは刑事というよりも、獲物の尻尾をつかんだ獰猛な猟犬の如き無表情だ。

 思えば、光輝は警察手帳を見せるだけで名前を名乗らなかった。リズベットの事も、特定されないように偽名で呼んだ。彼は最初からこの展開を危険視していたとでもいうのだろうか?

 

「あの写真は木綿季ちゃんの写真だった。だけど、紺野さんは藍子ちゃんと思い込んでいた。よく似ている双子だ。付き合いが薄ければ見間違えるのも仕方ない。まぁ、僕の目は誤魔化せないが。双子程度で女の子の区別が付かない程に節穴じゃない。でも、保護者である紺野さんが見分けが付かないはずが無い。ましてや、写真を撮ったんだ。その時のエピソード込みならば勘違いするのもおかしい」

 

「全てを台無しにする部分があった気がするけど、続けて」

 

「紺野さんは盗聴されている自覚がある。監視されているかもしれないという危機感もある。だが、精神は安定していた。異常な程に。一方で木綿季ちゃんに関しては異常な程に意識が希薄だ。まるで『最初から藍子ちゃんしか知らない』かのように」

 

 発進する自動車の中で、リズベットは今まさに立ち入っていた高級マンションが大蛇の大口であったのだと理解する。

 リズベット自身が紺野木綿季とDBO事件を繋げたのは、メディキュボイドとALOに関わった須郷に結びつきがあると推測したからだ。そして、その須郷が開発していた技術はPE技術の前身に成り得る『思考と記憶の操作技術』だ。

 

「紺野さんは……何者かに思考と記憶を操作されている。そういうわけ?」

 

「確証はない。でも、あの場で僕らが『何かを知っている』素振りを見せていたら、どうなっていた事やら。僕らも、彼女も……」

 

 今までは霧の中で答えを探り続けていたが、今回の事件も相変わらずのように地雷原を歩き回らねばならないようだ。

 ようやくつかんだ真実に1つ目の至るヒントだ。決して潰すわけにはいかない。リズベットは震える右手を握りしめ、ようやく自分たちが前進を果たしたのだと確信した。




次回から、また仮想世界に戻ります。
サイドエピソードも混沌の様相になってきましたが、今後も現実世界と仮想世界の両方から真実を追っていく形にしたいです。

それでは、68話でまた会いましょう。

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