SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回は少しグロテスクな表現が含まれるかもしれません。

いつものことかもしれませんが、衛生的にちょっと駄目なお話かもしれないのでお気を付けください。


Episode11-4 人食い

祈れ。

祈れ。答えの為に。

祈れ。答えの為に。救いの為に。

祈れ。答えの為に。救いの為に。守る為に。

 

「やれやれ。随分と手酷くやられたようじゃな」

 

 背負うように背中を盛り上げる黄ばんだ卵では、静かに寄生した命が脈動する。背負った卵の重みで這うしかできない老人は、手元の粗末な工具で武具と防具を修理する。時間はかかるが、老人の腕は一流である事を男は疑わない。

 今は全身の鎧を外し、外気に肌を触れさせる。この地に満ちた熱を孕んだ瘴気は肌を焼くようである。だが、それは敵意を持つ事無く、男の周囲で静かに火の粉となって漂い続けている。

 男の目の前……この地に突き刺さる剣を焦がす炎の揺らぎの先、手を組んで祈りを捧げる少女によって、この地は癒された。未だに毒に溢れた土地であるが、それでも歪んでいようとも命が育まれ、生が存続されているのは、この少女が全ての苦痛の源を呑み込んだからである。

 我が身を捧げる献身、そして今も苦しむ者達へと捧げられる曇る事のない祈り。その代償と払い続ける永劫に続く苦痛。それを取り除くことができない自身の無力さが恨めしいと男は拳を握る。

 ならば、せめて彼女が救ったこの地に平穏を。何よりも細やかな幸福の守護を。男は腕を組んで白い卵が埋め尽くされた壁にもたれる。

 

「仕留めきれなかった。私の責任だ。心の何処かでカラスなど所詮1羽と過小評価していた。数の利と地の利、これだけ活かしても賊1人を討つ事も出来ぬとは」

 

「【渡り鳥】だったか? お主程の武勇を誇る男が、決闘ではなく策を弄して討たんとしても斃せぬ相手じゃ。ワシに責める権利はない。それに、あと1歩だったのじゃろう? ならば次にまみえればお主の勝ちは揺るぎはせんじゃろうに」

 

「……ヤツは強い。策士策に溺れるという諺もある。下手に罠にはめるよりも、私自身の手で命を奪いきる。いかなる手段を使おうともな」

 

 男が取り出したのは血が拭われないままに黒ずみ錆びた短剣だ。それを見た瞬間に老人は顔を顰める。

 

「『それ』を使わねばならん程の相手なのか? 騎士としての誉れを捨てねば勝てぬとは……。それに人を呪わば穴2つ。代償を払うことになるぞ」

 

「構わん。騎士とは主に尽くす事こそ本望であり矜持だ。私の誉れは『姫様』に仕える事。それ以上もそれ以下もない。『姫様』を守れること以上の名誉などありはしないのだ。その為ならば、この身に呪いを宿す事も厭わん」

 

「ワシにも戦う事ができれば良いのだが。この老いぼれではお主どころか『姫様』の役にも立てんわい」

 

 悔しげに呻く老人に、男は僅かに笑んで首を横に振る。それは確固たる否定の意思だ。

 

「違う。『姫様』は目も耳も聞こえぬ身ではあるが、あなたの労わりの意思は届いている。よく仰られているよ。『いつも自分を励ましてくれている誰かを感じる』とな」

 

 赤い古ぼけた指輪を握りしめながら、男は昼も夜も途絶えることなく祈り続ける少女へと手を伸ばす。

 だが、触れる事は決してない。手を伸ばそうとも届かぬ距離こそが我が身に相応しく、またその病的な白き肌に触れたいというのは邪な欲望に他ならないからだ。

 必要なのは祈りのみ。それ以上など不要だ。

 

「今重要なのはカラスよりも鼠だ。カラスは仕留めきれなかったとはいえ、片翼は折れ、再び舞うには時間がかかるはず。その間に随分と深く潜り込んでしまった鼠共を始末する。特に古巣の同朋共もおいでになっているようだ。歓迎せねばなるまい」

 

「盟約に祝杯を、裏切りには刃を……か。お主ばかりに気苦労をかけてるのぉ」

 

「気にするな。死に場所を求めていた私に生きる意味を教えてくれたのが『姫様』であり、導いてくれたのは他ならぬあなただ。『あの御方』も本来争いを好まぬ方だ。ならば、元より血に塗られた私が剣を振るえば、その分だけ『あの御方』の心も傷付かずに済む」

 

 修理が終わった甲冑を身に付け、男は白の少女に跪く。

 必ず帰るとは約束しない。だが、この祈りだけは成就を果たすと誓う。

 

「行くが良い。ワシは『姫様』とお主の帰りを待っておるぞ。まだ『しんかんせん』の話を聞いておらんからな」

 

「ああ。『姫様』を……頼む」

 

 祈れ。

 祈れ。答えの為に。

 祈れ。答えの為に。救いの為に。

 祈れ。答えの為に。救いの為に。守る為に。

 

 

Δ   Δ   Δ

 

 

 痛みと疼き。それがオレの目覚めを促し、瞼をこじ開ける。

 頬に触れるのは湿った岩肌であり、視界に移るのは揺れる炎だ。耳を擽るのは肉を細断する、肉の繊維が千切れるような不愉快な音である。

 未だに芯まで染み出すような頭痛が残っているが、意識は鮮明だ。スタミナ切れの症状は抜けきっていないが、動くだけならば支障はないだろう。

 

「ここは……」

 

 何処だ? オレは大樹の幹に寄りかかり、丸太のように太い枝の上で意識を失ったはずだ。だが、ここはどうやら病み村にある多くの横穴の1つらしい。恐らく巨大な生物がねぐらとして掘ったものだろう。人工的な横穴や縦穴が多い病み村にしては珍しい。

 手元に武器は無い。あるといえば、傍に強化スナイパークロスが転がり、左手には爪撃の籠手が装備されている。システムウインドウを開き、オレはファンブル状態にあるカタナと斧を回収し、再装備する。

 

「何で助けた?」

 

 その上で、オレは炎の傍で人肉……なのかは定かではないが、大きな肉の塊を肉断ち包丁で捌くミルドレットへと問う。

 今のミルドレットは交戦した時とは異なり、オーラの塊ではなく生身だ。闇霊ではなく本体である。混沌の三つ子の例からダンジョンの何処かに本体がいるとは思ってこそいたのだが、こんなにも早い再会になるとは想定外だった。

 距離にして数メートル。オレはまだ立ち上がってはいないとはいえ、即座に斬りかかるには十分すぎる距離だ。何よりもミルドレットはオレに背を向けている。先制は確実にオレになるだろう。

 

「折角の活きの良いごはんですもの。新鮮な方が美味しいじゃない」

 

「納得だ」

 

「冗談よ。助けたかったから助けたのよ」

 

 半ば鞘からカタナを抜いたオレに、ミルドレットは何ら警戒することなく『料理』を続ける。その後ろ姿に戦意はない。

 どうやら本心のようだ。何よりもオレを縛らず、武器を奪っていない事が証拠だろう。

 

「感謝する。アンタは命の恩人……なのか?」

 

 疑問形なのは、ミルドレットとオレは1度殺し合った関係だからである。素直に感謝することができない。とはいえ、命の恩人を無下にするなどオレにできるはず無いし、恩を返さぬのは傭兵の流儀に反する。

 

「恩人なんてむず痒い事言わないで頂戴。殺し合った仲じゃない」

 

「それとこれは別だ。傭兵は……カラスは恩を忘れない」

 

 それに傭兵ならば昨日まで敵対していた相手が今日の相棒なんて珍しい事でもない。もちろん、それは依頼というビジネスライクだからこそ成立するものであり、ミルドレットとの関係のように、喰うか喰われるかの場合は定かではない。

 だが、ミルドレットに敵意が無く、そしてオレもまた今のミルドレットを斬ろうとも思わない。ならば、オレはオレのやり方を通すだけだ。それでも純粋な感謝の念を抱けるわけではないのはご愛嬌である。

 

「意外と律儀で真面目な子ね。いつか食べた男の子を思い出すわぁ。とても泣きべそで、足を断つ時に失禁しちゃったけどね。確か貴族の子だったかしら。とても美味しくて絶頂しちゃったのを今でも憶えてるわ」

 

 今にも穴が開きそうな鍋に肉を放り込み、赤黒い液体を注ぎ込んで火にかける。煮立った頃合いに苔を一掴み放り込み、黒い甲虫を素手で握り潰して体液を搾って加える。お世辞でも人間が食べるべき食事では無さそうだが、ミルドレットは器に注ぐ。

 これはスープと呼べるものなのだろうか? 甚だ疑問であるが、異臭を漂わせる液体を料理の中で分類するならばスープ以外に無さそうだ。

 

「ん~♪ 良い香りだわぁ。新鮮なお肉ならもっと美味しくなるんだろうけどねぇ」

 

 残念そうなミルドレットの視線がオレに突き刺さる。やはり斬るべきかと悩むが、面倒なので無視する事にした。

 

「あなたも食べる? ご飯を食べないと力が出ないわよ」

 

「ノーサンキュー。オレはカニバリズムの趣味はねーし、そこまで飢えてもねーよ」

 

「飢えてたら食べるの?」

 

「生き残る為なら喰うさ。でも、今は自分のメシくらい自分で用意できるからな」

 

 躊躇わずに答えたオレに対し、何故かミルドレットはずた袋の中で笑う。相変わらずの美声なのだが、不思議と背筋を引っ掻かれるような不愉快さを感じるのは、声とはその美しさよりも込められた感情こそが重要だからだろうか。

 

「あなたみたいな人は初めてね。普通は『イカレてる』とか『人間じゃない』とか言って嫌悪感を丸出しにするものなのに。だって共食いですもの」

 

「喰う為に殺すのは上等な事さ。たとえ共食いだろうとな。オレにどうこう言えることじゃねーよ。そういう批判はお偉い学者さんや宗教家とかに任すさ」

 

「なるほどねぇ。あなた、私と同じで『イカレてる』人間だわ」

 

 だろうな。とはいえ、オレは捻くれているわけでも達観しているわけでもない。単に共食いなんて自然界じゃ珍しくない。だからこそ、カニバリズムに対する感情的・社会的批判は相応しい立場の人間がやれば良いと丸投げしているだけだ。

 要約すれば一々面倒だから関わり合いたくないだけである。降りかかる火の粉は払うし、カニバリストに襲われているのが悪人でもなければ助けを求められれば助けるだろう。だが、カニバリズム自体に批判する程にオレは上等な人間ではない。

 

「狩り、奪い、喰らう。それがオレだ。アンタは人を喰らう為に殺す。オレは『オレ』である為に殺す」

 

「私の方が野性的なだけって事ねぇ。面白い考えだわぁ」

 

 ずた袋を捲り上げ、口元だけを露出したミルドレットが美味そうにスープを啜る。艶のある膨れた頬を揺らし、肉を奥歯で磨り潰し、喉を鳴らして呑み込んでいく。

 オレも食事を取るとしよう。アイテムストレージから糞不味い乾パンを取り出す。缶の蓋を開けたオレはパサパサとしたそれを手に取り、口元へと運ぶ。

 だが、乾パンは手元から落ちた。乾パンを取ったオレの右手は僅かに痙攣している。

 

「…………糞が」

 

 スタミナ切れ状態で脳に過負荷をかけた行動、それが今もアバターの運動アルゴリズムとの同調を妨げているだろう。ある種の後遺症だ。意識を割けば震えも収まるが、どうやら想像していたよりも脳のダメージは大きいようだ。

 乾パンを拾い、今度こそ食す。しばらくは要経過確認だな。どの程度の時間で後遺症が抜けるかは知らないが、数十秒の過負荷でこれだ。より長時間、より回数を重ねればいかなる症状が出るか分からない。

 あくまで緊急時、それ以外に手段が無い時の最後戦法だ。たとえスタミナ切れの状態で戦えたとしても、数十秒無茶しただけでこの様だ。今後ともスタミナ管理を念頭に入れた戦いを重視せねばならないだろう。

 だが、スタミナ切れという致命的な隙こそが、戦う相手の大きな油断を生み出す。その油断に喰らいつけるだけ動ける『やり方』を習得した。今後はよりスタミナ切れの状態に慣れるように、意図的にスタミナ切れになる訓練を重ねるのも悪くない。とは言え、スタミナ切れの苦しみは並みではない為に慣れるとも思えないが、体……いや、脳に染み込ませれば『もしも』の時に動ける時間はより伸びるかもしれない。

 

「そういえば、助けたいから助けたって事だけど、オレを喰うつもりじゃなかったのかよ?」

 

「自分に勝った相手を食べるような無粋な真似はしないわ。弱肉強食。私はあなたより弱いから、あなたを食べる資格は残念ながら無いのよねぇ。まぁ、自分なりに決めた最低限のルールってやつかしら?」

 

 律儀なのはどっちなのやら。だが、それならば尚更の事、今のミルドレットは警戒すべき相手ではないという事か。本能も特にミルドレットに牙を剥こうとしない事からも信用して良いだろう。

 カーク戦の影響か、随分と本能のギアが入っている。ユイを怯えさせて以降はなるべく本能と理性のバランスを取って戦うようにしてきたが、やはり1度ギアが段階を上げていくと感覚の鋭さが全く違う。

 バランスを取るとは、結局のところオレの強みである本能の抑制だ。何とか上澄みだけを利用しようと心掛けているが、どうにも目指している理想的な状態は確立できていない。

 

「そう言えば、あなたって病み村にわざわざ何の用で来たの? 見たところ呪術を学びに来たわけじゃないでしょうけど、この地に目ぼしいお宝なんて無いわよ? あるのは毒と病と行き場を失った貧民ばかり」

 

「へぇ、病み村って呪術が有名なのか?」

 

「知らないで来たの? 呆れたわねぇ。この病み村は元を辿れば呪術の祖たる大いなる魔女が興した地の1つなのよ。だから、地下へ行けば行くほどに昔の名残である遺跡が多くなるわぁ」

 

 そう言えばカークも呪術を使ってきたな。その辺りも関係しているのか。オレは不味過ぎる乾パンに喉を引き攣らせる。ネイサン曰く、クラウドアースはこの乾パンの味を改良すべく奮闘しているらしいが、早くリリースしてもらいたいものである。

 2杯目のスープをいただくミルドレットはふくよかな体通り大食いらしい。スープの傍らで虫の死骸をこねた赤い団子を貪る。

 

「でも、大いなる魔女は神も人も存在しなかった古き時代、その頃からあった火を呪術で再現しようとしたらしいわ。もちろん、そんな大それた真似は失敗。大いなる魔女が支配していた地は繋がった火を通して次々と呪われ、彼女の娘達も火の呪いに呑まれたらしいわ」

 

 ラーガイの記憶のサブダンジョン、忘れる事などない井戸の底にあった聖書で似たような神話が書かれていたな。

 

「この地が毒だらけなのも呪いのせいなのか?」

 

「でしょうねぇ。あ、でも病は後から見たいよ? 病み村の連中が皆人間離れしているのは病のせいらしいわねぇ。アイツら肉が筋張ってて美味しくないのよ。まぁ、ともかくこの地は呪いで毒に覆われ、後から持ち込まれた病によって滅びかけたよ。それを救ったのが『お姫様』ってわけねぇ」

 

「『お姫様』?」

 

 随分と病み村に相応しくない身分の人間がいる物だ。いや、元は大いなる魔女が治める場所の1つだったのだから、いてもおかしくないのか? きっと大いなる魔女って女王様みたいなものだろうし、自分の娘を領主にさせていてもおかしくないか。

 

「本名は誰も知らないわぁ。もう口も利けないし、耳も聞こえないし、動くこともできない。『お姫様』は大いなる魔女の娘の1人で、この地を支配していた娘の1人であるクラーグの妹なのよ。彼女は病に苦しむ者達を救う為に病の源を食し、この地を救ったそうよ」

 

 今でも毒だらけの惨状で救われたとは、それ以前のこの地は文字通りの地獄だったのだろう。現在ですら人間が生きていけるとは言い難い環境だが、こうしてミルドレットも元気そうである事から、病はもはや蔓延していないのだろう。それだけでもマシという事か。

 しかし、クラーグと『お姫様』の姉妹か。どちらも大いなる魔女の娘であるならば、何かしら特別な呪術を教えてくれるNPCなのだろうか? だとするならば、ミルドレットの言う通りレアアイテムが無くとも攻略する価値はありそうだ。

 

「それから『お姫様』の信徒は多いわねぇ。病み村の住人は全員そうだし、もっと信心深いヤツは『お姫様』の苦痛を知る為に寄生虫を体に飼って『卵』を体に張り付けるのよねぇ。痛みを肩代わりするでもなく共感する為に自分を痛めつけるなんて、面白いと思わない?」

 

「同じ立場にならねーと見えないものもあるんじゃねーのか? まぁ、話す事もできない相手がどれだけ苦しんでいるかなんざ分からねーだろうけど、それが信仰ってもんだろうしな。要は祈りさ」

 

「祈り?」

 

 訊き返すミルドレットに、オレは大したことじゃないと炎へと視線を投じる。

 

「ああ。善人だろうと悪人だろうと祈りに貴賤はねーからな。祈れば救われるわけでもねーが、祈らないと何も始まらない事もあるだろうし」

 

 人は祈る。愛する者の幸せの為に。自らの成功の為に。明日の平和の為に。亡き者達の安息の為に。

 そう言えばユイが言ってたな。『人に祈られるから神は万能であらんと振る舞う』とか何とかだったか、そんな話をしていたはずだ。

 あの時、オレは強き者だけが勝つと考えた。神だろうと弱ければ死ぬ。そして、強き者だけが生き残る。鍛錬も、信念も、経験も、技術も、本能も、臆病も、祈りも、全ては強さだ。どちらが強いか、ただそれだけのシンプルな世界が闘争だ。それ以上の理屈など無用だ。

 

「そういや、アンタは何でこの地に?」

 

 ミルドレット自身が言ったように、この地には呪術以外に目ぼしいものはない。彼女の人肉嗜好を満たすにはこの地が最適とは思えない。もちろんゲームの都合という事もあり得るだろうが、命あるNPCには等しく背景と理由が存在するはずだ。そうしなければ、彼らはファルコンのように破綻しかねないリスクが高まるはずである。

 

 

「人を食べたくないからよ」

 

 

 だが、ミルドレットの言葉は意外極まりないものだった。

 

「私って昔から食にはうるさかったのよねぇ。より美味しい物を。珍しい味を。そうやって探究を続けていたわぁ。そしたらね、ある日ふと思ったのよ。『そういえば、人間ってどんな味がするんだろう?』って。だから、生まれたばかりの弟をね、ちょっと台所で捌いて食べてみたのよ。意外と美味しくて驚いたわぁ」

 

「いきなり弟をぶっ殺して食べようって発想が驚きだよ。そこは貧民とか奴隷とかにしておけよ」

 

「ぷにぷにの赤ちゃんを食べたいって思ったんだから仕方ないじゃない」

 

 開き直りとは違うのだろう。ミルドレットはきっと本気で、赤ん坊を食べたいと衝動に駆られ、たまたま産まれたばかりの弟が傍にいただけの話なのだろう。

 

「でね、当然両親からは殺されかけたし、警備隊にも追い回されるしで大変だったわぁ。何度も死にかけたけど、それでも1度食べた人の味は忘れられない。もう私は人以外では満足できない。それが分かっちゃったのよねぇ。人を食べたいという欲求はある。でも、人を食べるべきではないという道徳知識もある。だから、なるべく人が来なさそうな場所で人を食べる事にしたのよ」

 

「矛盾だな。自分の性質を受け入れて、その上で否定もするのかよ」

 

「ええ。それの何が悪いのかしら? 食欲に従って人を食べたいから人を殺す。道徳知識のせいで人を殺したくないから病み村に住む。折り合いよ、折り合い。あとは病み村の連中は見境なく襲ってくるから正当防衛で殺せて手頃に人肉っぽいのも手に入るのが来てから気づいた魅力かしらねぇ」

 

 それを折り合いと呼べるのだろうか? だが、ミルドレットの美声に苦悩の色は無い。彼女は本心から今の生活を気に入っているのだろう。

 食べる為に人を殺し、殺したくないから人が集まらない場所に住む。変な話だが、彼女なりの全人類という『餌』に対する優しさというヤツだろうか。そう考えれば、彼女流の弱肉強食ルールも分からないでもない気がする。

 要は自分を満足させられればそれで良い。ミルドレットはそれ以上も以下も考えていないのだろう。そして、その生き方で死ぬならばそれすらも幸福と考えているのかもしれない。

 好きなように生き、好きなように死ぬ。誰の為でもなく。

 

「オレはアンタみたいになれそうにねーな」

 

「人間なんて最初から矛盾だらけなんだから気にしてもしょうがないだけよ?」

 

 その会話を最後に、オレとミルドレットは黙り合った。

 ミルドレットは自身のルールに従い、気まぐれでオレを拾った。オレは彼女を斬らないで良いと判断したから斬らなかった。故にこれ以上の発展はあり得ない。

 地下へと続くルートを教えてもらい、オレはミルドレットに別れを告げて横穴を出立する。彼女への恩返しだが、久しぶりにたっぷりと会話できただけで十分との事だった。まぁ、よくよく考えてみればオレもミルドレットの家(?)に担ぎ込まれただけで命を救われたわけじゃないし、それで良いならオレの恩返しはせいぜい糞不味い乾パンの現代の味だとして彼女に賞味いただくくらいだった。もちろん大不評だったが。

 

「恩返しの話だけど、本当はね、もう満足しているのよねぇ。あなたの歌、とても綺麗だったわよ。少し物悲しい気がしたけど。あの歌のお陰であなたを見つけられたわ。こういうのを神の思し召しと言うのかもしれないわねぇ。この呪われた地の神様は意地悪そうだけど」

 

 そう笑いながら、ミルドレットは別れの言葉を告げた。

 本当に、人生とは何があるか分からないものである。




戦いの後の小休止、という事でミルドレットさんの話でした。

それでは72話でまた会いましょう。

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