SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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続・準備回です。

ちなみに筆者の初プレイ時の病み村攻略は飛竜の谷ルートでした。狭間の森から下りていくルートですね。お陰で種火で強化できていない武器で戦う事になり苦労しました。


Episode11-8 決戦の前に

祈れ。

祈れ。答えの為に。

祈れ。答えの為に。救いの為に。

祈れ。答えの為に。救いの為に。守る為に。

 

「侮りか。そうじゃな。ワシもお主も正義こそ我らにあると信じ過ぎたのかもしれんな」

 

 バランドマ侯爵のトカゲ試薬による再生時間は8時間。男は副作用で漏れそうな唸り声を抑えながら、鎧と武具の修復を行う老人に首肯する。

 

「驕りは無い。そのつもりだった。だが、何処かで傭兵を見下していたのだろうな。騎士であろうとする自分に酔いしれていたのかもしれん」

 

「それに気づけただけでも儲けものじゃな」

 

「だが、正義は我らにある。それだけは変わらん。ヤツらは野心でこの地を荒らし、復讐心で私を討たんとするだろう。私の死は自業自得だ。甘んじて受け入れる覚悟もある。しかし、何としても『姫様』と『あの御方』だけは守らねばならん」

 

 今のところ、【渡り鳥】との勝敗は1勝1敗である。男は右腕と盾を失った。【渡り鳥】は左目と斧を失い、攻撃用アイテムも在庫の底が見えてきたところだろう。

 現状で戦えば男の敗北は濃厚だ。左目を潰されたとはいえ、五体満足であり、武装も残された【渡り鳥】。対して男はガードによる堅実な戦術を支え続けていた盾を失ったばかりか、利き腕すら奪われてしまった。

 残り7時間弱。右腕の再生を済ますまでの7時間を手をこまねいている程に【渡り鳥】は甘くない。

 加えて人を呪わば穴2つ。黒ずんだ短剣で治療不可の呪いを【渡り鳥】に与えたまでは良いが、代償として男は短剣を解除することが出来なくなってしまった。貴重な3つしかない武装枠の1つを、攻撃力も無ければ耐久値も無い、呪い以外に秀でたものがないこの短剣で埋めてしまったのは痛手である。

 短剣を見つめた男は1つの考えを過ぎらす。この武器にもはや価値は無い。残り7時間を耐えきれば、再び天秤は男へと傾く。

 策を打たねばならないが、もはや自分を駒として動かす事も出来ないのが歯がゆい。

 

「1つ訊きたいことがあるのじゃが、良いか?」

 

「ん? ああ、構わない」

 

「お主は何故『姫様』の為に戦う? 帰るべき場所も、戦うべき場所も、肩を並べる友もいたはずじゃ。なのに、何故それらを捨てて『姫様』に仕える道を選んだ?」

 

 今更の話だ。では、老人は何を言わんとしているのか、男は察知する。

 今ならば身を引いて隠れれば命だけは助かる。老人は男の身を按じてくれているのだ。

 その必要はないというのに。男は老人の心遣いに感謝しながら、混じり気のない本音を吐露する。

 

「私が戦うのは『姫様』への祈り。それ以外に何物も無い。私は戦う。その選択肢の他は何1つとしてあり得ない」

 

「……忠義者じゃな」

 

 老人からはそれ以上の言葉は漏れなかった。もはや言葉を重ねねばならない程に男と老人との間に意思がズレる溝はない。

 負けるわけにはいかない。男の敗北はすなわち『姫様』にもたらされる新たな苦痛であるのだ。動く事も、見る事も、聞く事も出来なくなった『姫様』に抗う術など何もない。下手をするまでもなく、男の双肩には『姫様』命すらかかっているのだ。

 

(外道な力に頼ってまで貴様を討たんとした私の覚悟では不足だったというのか? 私の祈りでは貴様に届かないとでも言うのか、【渡り鳥】よ……。それとも、貴様にもあるいは祈りがあるというのか? 全身全霊を以ってしてでも戦わねばならない理由が)

 

 もはや形振り構わない。【渡り鳥】を討つ為に外道の力を頼った。それが『姫様』を守る為と信じて。ならば、プライドなど不要だ。全てを焼き尽くす死を告げる鳥を討つ為には、彼の予想を上回る他ない。

 男はシステムウインドウを開き、最後の奇策を用いる事を決意した。

 

 祈れ。

 祈れ。答えの為に。

 祈れ。答えの為に。救いの為に。

 祈れ。答えの為に。救いの為に。守る為に。

 

 

Δ   Δ   Δ

 

 

『まぁ、軽く見積もってもボス戦に参加したヤツの半分は死ぬだろうな』

 

 ラジードはつい先程行われた、太陽の狩猟団と聖剣騎士団の合同による脱出作戦、その肝である病み村の深部到達及びボス討伐部隊の編制についての説明で行われたクゥリの開口1番を思い出す。

 

『ボス情報は皆無。お前らは疲労困憊で武器も防具も消耗して、アイテムの備蓄もギリギリ。どう足掻いたって死人が出る。半分は死ぬ。だけど、半分は生きて帰れるだろうさ。だから選べよ。ここで座して飢えと渇きに苦しみながら淡々と希望の報せが来るのを待ち続ける恐怖を味わうか、それとも未知のボスに挑んで死ぬか生きるかも分からねーような最高にアンハッピーな殺し合いをするか。どっちを選んでも地獄だろうけどな』

 

 控えめに言っても士気を叩き折ったとしか言い様がない。ただでさえ窮地であるというのに、救いも希望も与えぬ容赦のない言葉だ。

 だが、これはクゥリが事前にミスティア達幹部に、作戦を説明してボス討伐部隊を編成する際に、最大限に被害を抑える為に必要な処置として提案したものだ。

 ここにいるのは皆DBOの上位プレイヤーか、それに準ずる者たちだ。プライドがあり、仮にボス討伐部隊を編成するとなればその多くが立候補するだろう。だが、それはミスティアがカークに軽々と捻られて負傷したように、自身のコンディションを見極められないまま未知のボスに挑むという状況において、多大な死者を出すことになる。下手すれば数の多さが逆に混乱を招いて全滅もあり得る。

 故に試す。最初から死人が出る事を前提とした戦いに挑めるか? 戦友が死ぬ中で戦えるか? 自分は生き残れる半分をつかみ取れるか? あるいは、客観的に自分を見て死ぬと分かっていながらも戦友に脱出の未来を託す為に死地へ赴けるか?

 クゥリの士気破壊から数秒後にボス討伐部隊への参加者募集が即座に行われた。この際に躊躇った者は選考から落とす。そのような自信の無い、プライドと連帯感に押し流されて選択した者は戦死するだけだという判断によるものだ。

 結果、クゥリは『1人居れば良い方だろ』と言った参加者募集の挙手は6人も手を挙げるという彼の予想を大きく上回った。

 これによりボス討伐部隊は、参加を確定しているミスティア、ノイジエル、ラジード、クゥリを合わせた10人となった。ベヒモスは今回のボス討伐部隊には不参加である。理由は彼自身が重装備である為に行軍に著しいタイムロスが生じかねない事と、全ての指揮官級のプレイヤーがいなくなった場合、ギルド拠点に残されたプレイヤー達が恐慌状態になって暴走する危険性があるからだ。

 聖剣騎士団唯一の指揮官であるノイジエルは参加確定である為、必然的にミスティアかベヒモスのどちらかが残らねばならない。ベヒモスは悔しげに、だが冷静に己の領分を判断して、下手をすれば臆病者と陰口を叩かれかねない居残りを選択したのである。

 ちなみにラジードが参加したのは、そもそもクゥリに本作戦を提案させる事になった脱出支援依頼を持ちかけたのは彼である事、カークと交戦していながら生存している事を踏まえての事だった。

 後悔は無い。だが、恐怖はある。ボス戦に参加した事は数度しかないが、いずれも激戦であり、仲間が死ぬところを目撃した事もある。しかも、今回は絶対的な強さの象徴である団長のサンライスを欠け、しかもミスティアやノイジエルといったトッププレイヤーが疲弊した状態でのボス戦である。恐れる物が無いとは口が裂けても言えない。

 抑え込めない恐怖が漏れ出せば指が震え、足が動かなくなる。本来ならば居残り組こそが相応しい。

 出発まで残り10分。ここからボス部屋までどの程度の距離かは不明である。だが、既に深部には到達しているのだ。精鋭部隊による強行軍ならば5時間から5時間半で到達できるという見積もりである。そこから休む間もなくボス戦だ。当然ながら、疲弊しているプレイヤーに鞭を打って山積みの荷物を積んだ荷車を泥道の中で押せと命じるようなものだ。

 ラジードは心を落ち着かせるように分厚い黒糖パンを齧る。ボス討伐精鋭部隊はいずれも残された僅かな食料と水を提供してもらい、飢えと渇きを満たす事を命じられている。それ即ち、ギルド拠点での待機組は正真正銘ここから飲まず食わずで救出を待ち続けねばならないのだ。

 

(作戦の肝は2つ。1つはカークの撃破による安全の確保。もう1つはショートカットの探索だ。最深部に到達してカークの目を欺く。言うなれば、僕らボス討伐組は『囮』だ)

 

 クゥリの提示した作戦は背水の陣で以ってボスを撃破し、またボス撃破を阻止しようとするカークを誘き寄せる事ばかりではない。実を言うと、ボス討伐部隊への参加を表明した6人の内の3人はミスティアとノイジエルが事前にフレンドメールで仕込んだものだ。彼らはいずれも≪気配遮断≫や≪消音≫、≪暗視≫や≪千里眼≫といった隠密系や索敵系のスキルが充実した者達である。

 ボス部屋があるだろう最深部に到達次第、仕込みの3人は部隊から分離し、最深部でショートカットの探索を行うのだ。カークの目はボス討伐側に向くだろう。そうなれば最深部にカークの監視の目は無くなる。探索部隊はその間にショートカットを発見し、迅速に太陽の狩猟団あるいは聖剣騎士団の救出部隊を呼び込むのだ。

 既にフレンドメールで両ギルドには作戦内容が通達されている。今から3時間以内に救出部隊を編成してエンジーの記憶内部で待機し、ショートカットの位置情報が分かり次第、病み村最深部に侵入し、探索部隊から受け取ったマップデータを利用してギルド拠点に残る待機組を救出する手筈である。仮にそれまでにボス討伐が成し遂げられていなかった場合、ボス討伐組への救援にも赴く事にもなっている。

 だが、だからと言ってボス討伐部隊はカークを誘き寄せる為の囮というわけではない。クゥリは作戦を明かした時にこうも口にした。

 

『カークはショートカットを利用している。これは確定だ。そして、ショートカットの利用条件はボス撃破じゃない。ヤツは十中八九オレ達にボスを撃破させない事が目的だろうからな。だから、ショートカットはボス部屋の反対側にあるか、あるいは最深部の何処かに隠されているだけのはずだ』

 

 あくまで探索部隊は保険だ。仮に失敗して死亡しても、ボス討伐組がボスとカークを撃破すれば救助を呼び込むことはできる。だが、逆はそうもいかない。最低でもカークを釣り上げて撃破を成し遂げねばならない。

 身震いする。ラジードはそれを武者震いだと思い込むことにした。残りの黒糖パンを口内に押し込み、落ち着かないように周囲を見回す。

 目についたのは亀裂が入ったカタナの刀身を覗き込むクゥリの姿だ。黒糖パンを喉に流し込んだラジードは躊躇いながらも彼に近づく。

 

「酷い亀裂だね」

 

「修理の光粉を使ったが、耐久値を回復させるだけで破損まで治せねーからな。カークだけならともかく、ボス戦まで耐えられねーだろうな」

 

 レアアイテムの修理の光粉は1割だけ耐久値を回復させる事ができる応急アイテムだ。だが、元の耐久値が低いカタナでは伸ばせる継戦時間は短い。

 カタナを鞘に収めたクゥリの目は静かだ。この先に待つ死闘にまるで不安を感じていないかのような、不気味ささえ感じる程に感情が凪いでいる。だが、それはまるで深海の奥底にて怪物が嵐の日を待ち焦がれて息を潜めているかのような、見る者に不安を与える静けさだった。

 声をかけたは良いが、何を話すべきだろうか。ラジードは思い悩む。2度も命を助けてくれたこの傭兵に、ラジードとしてもいろいろと話してみたい事があったはずなのであるが、状況も状況であるだけに相応しい会話が思いつかない。

 

「あのさ、クゥリさん」

 

「呼び捨てで良いぞ。言い難そうだしな」

 

 先程ミスティアと同じような会話をしたな。ラジードは頭を掻きながら、下手に取り繕うのは止めようと意識を切り替える。同性で年頃も近い……いや、むしろ自分の方が年上のはずだ。少しは年長者としての余裕を見せるべきかもしれない。もちろん、そんな余剰の精神力などラジードには微塵も残っていないのだが。

 

「クゥリ、キミは素直に受け取ってくれないだろうから、勝手に言わせてもらう。2度も助けてくれてありがとう」

 

「…………」

 

「あれからキミの事は調べたよ。悪い噂ばかりだった。でも、僕はキミに助けられた。たとえ依頼であろうと何だろうと、この命はキミの力で救ってもらった。その事実だけは、絶対に変わらないし、変えちゃいけないはずだ」

 

 だからこその感謝。ラジードは深く頭を下げようとしたが、それより先にクゥリの目が左右上下に泳ぎ、酷く落ち着きが無い事に気づく。

 もしや、とラジードは思いつく。彼はこうして感謝を述べられる事に慣れていないのではないだろうか、と。

 

「お、おおお、オレは、傭兵だからな! ほ、ほら! 依頼は達成するのが当たり前だし? だから、だ、だだ、だから、気にするなよ? 恩とか感じる必要ねーからな!」

 

 どうやら当たりのようだ。ラジードは自分が勝手に作り上げていたこの白髪の傭兵のミステリアスなイメージが粉砕される音を耳にする。

 笑いが零れそうになるのを抑えながら、ラジードは握手を求めて手を差し出す。

 

「改めて、ラジードだ」

 

「……クゥリだ。その、よろしくな」

 

「フレンド申請して良いか?」

 

「もう勝手にしろ」

 

 溜め息を吐かれながらも承諾され、ラジードはフレンド申請をする。クゥリは一瞬だけ逡巡を見せたが、申請を受理する。

 フレンド一覧の1番上に新たにクゥリの名前が加わった事を確認する。フレンド申請を許可したという事は、クゥリは人付き合い自体は嫌いではないという事なのだろう。そんな推測を立てながら、ラジードは胸の内の不安を少しだけ打ち明ける。

 

「ボスとカーク、同時に相手をして勝てるかい?」

 

 クゥリの読み通りならば、ボス戦でカークは乱入してくるはずだ。それすなわち、ボスとカークは共同戦線を張る確率が高いことを示している。

 未知のボスと凄腕のカーク。カークを討つのはクゥリの仕事だ。だが、肝心の彼は左目を潰し、武装も斧を失い、カタナは破損している状態だ。仮にカークが右腕を欠損しているとしても、ボスと共に襲いかかられれば敗北も濃厚だ。

 

「強い方が生き残る。それだけだ。お前が気にする事じゃねーさ。それよりも、お前の方こそ恋人を上手く守ってやれよ。あれ、かなり無茶する女だからな」

 

 恋人? ラジードは一瞬誰の事か分からなかったが、すぐにクゥリがミスティアと自分の関係を勘違いしていることに気づく。

 

「恋人じゃないって。僕とミスティアはただの上司と部下。そういう関係じゃない」

 

「……何でも構わねーけど、気がある女なら死なせないように気を配れ。それだけだ」

 

 ミスティアとは出会ってまだ短く、会話を重ねたのも数度だ。そこに恋心があるかと問われれば定かではないとラジードは答えるだろう。彼とて今年で21歳だ。異性関係は相応に積み重ねている。

 DBOという殺し合いの世界で、ラジードは今日までひたすらに自分を保つ為に力を追い求めてきた。現実世界の帰還を目指して戦う事を決意していた。だが、もはやそれだけではないのかもしれない。命を投げ出してミスティアを守ろうとした時点で、自身の力を新たな事の為に使おうと心は訴えているのかもしれない。

 ノイジエルと作戦の再確認を行うミスティアを遠目に、ラジードはこんな事に現を抜かしている場合ではないと高鳴った心臓を叱咤する。

 

「ラブコメ臭がウゼェな、おい」

 

 そんな彼に対し、知り合いから少しだけ友人に歩み寄れたような気がする傭兵は、ぼそりとそう零すのだった。

 

 

Δ   Δ   Δ

 

 

 ギルド拠点を出発してから数時間、オレ達ボス討伐部隊は会話らしい会話もせず、ひたすらに地下へ地下へと潜っていく。

 途中で幾度となく病み村の住人に襲われたが、さすがはかつて2大ギルドとして覇を競い合い、今も3大ギルドとして数えられる太陽の狩猟団と聖剣騎士団の精鋭だ。数の不利もない為、ほとんど苦戦らしい苦戦も無く、慎重に、だが迅速に最深部へと突き進んでいく。

 やがて最深部の、泥沼に満ちた地面へとオレ達は到着する。血を撒き散らし、また吸血攻撃をしてくる蚊のようなモンスターの発生地点でもあるらしく、泥沼からは次々とボウフラが羽化するように蚊のモンスターが湧き上がる。経験値もコルも少ないそれらを無視し、オレ達は泥沼の陸地を歩みながら、不自然なまでに明るい最深部を探索していく。

 ボス部屋と思われる場所がすぐに見つかった。小高い丘に開いた洞窟、白い球体……卵のようなものがびっしりと張り付いた場所である。洞窟の前には2メートル以上の体格をした、病み村の入口を守護していた人型に似た、大岩を抱えた人型、それに泥沼には毒々しい緑色の人間と同じサイズがそれ以上のヒルが多量に陣取っている。

 

「強行突破は厳しいな。別の侵入ルートを探そう」

 

 ノイジエルはそう提案するが、ミスティアは望郷の懐中時計を確認して首を横に振る。オレも彼女に同意見だ。既にタイムリミットまで1時間を切っている。カークを右腕が欠損状態でおびき出す為にも、ボス戦に割ける時間は限りなく多くなければならない。

 

「火炎壺の爆発音でまず誘導してみましょう。それが通じなければ別の作戦を考えます」

 

 ミスティアの作戦に従い、部隊の中で1番≪投擲≫スキルとSTRが成長しているプレイヤーが火炎壺を取り出して遠投する。泥沼を弾けさせる爆発音は、あまり知能が高くない人型、そして大型ヒルの群れを誘き寄せるには十分だったらしく、彼らは洞窟への進路を開ける。

 冷静な判断だ。待機組から回復アイテムや攻撃系アイテムを譲ってもらい、在庫は十分とはいえ、ボス戦を控えている以上は最大限に温存せねばならない。何よりも最深部に至るまでの5時間の強行攻略からのボス戦だ。これ以上の戦闘は精神力の消耗が大き過ぎる。

 本来、ボス戦前には十分な休息を取り、万全のコンディションで挑むのが普通だ。ただでさえ強力無比のボスを相手にするのに、精神が摩耗した状態で挑むのは自殺行為に等しいからである。

 そして、その愚者の挑戦をこれからオレ達は実行する。オレが提案した作戦ではあるが、我ながら鬼のような所業だなと呆れざるを得ない。

 無事に洞窟に潜り込んだオレ達は光源を必要としない不可思議な光に包まれたそこを歩んでいく。だが、突如として現れた、黄ばんだ卵のようなものを背中から生やし、その重さで虫のように地を這うことしかできない人々を目にする。

 

「攻撃はしてこないみたいだね」

 

 ホッとラジードは胸を撫で下ろす。その油断が命取りになると言いたいが、どうやら本当に卵背負い達はこちらを攻撃する意思が無いらしく、ただひたすらに、洞窟の奥へと祈りを捧げるだけだ。

 祈り。またしても祈りだ。オレはこの先に何が待っているのか、何となくだが分かった気がした。この卵背負い達も恐らくは病み村の住人、あるいはカークと同じように後から病み村を訪れた者達という設定なのだろう。すなわち、彼らが信仰する対象は1つしかない。

 空間を歪ませる白く半透明の霧。そこにボス戦参加人数を制限する数字は『5』と浮かんでいる。6人パーティ5組の30人レイドを上限としたボスという事だろう。もちろん、これは強さの目安ではない事はこれまでのボス戦の情報からも分かりきっている。重要なのは、この霧は恐らく一方通行であり、入れば勝利する以外は命は無い事だ。

 誰が1番乗りだったかは分からない。あるいは全員同時だったかもしれない。オレ達は探索部隊と別れ、霧の中に入っていく。

 霧の奥は遮蔽物となる柱1つない、広々とした空間だった。だが、壁にも天井にも洞窟と同じ白い卵がびっしりと張り付き、その異様さが恐怖心を胸の内から染み出させていく。そして、空間の先にあるのは塔にも似た遺跡であり、その階段から何かが……重量がある何かが下りてくる。

 

「構えろ。来るぞ」

 

 ノイジエルの号令と共に、僅か7名のボス討伐部隊はそれぞれの得物を手に身構える。

 情報は一切なし。何が弱点で、いかなる攻撃を仕掛けてくるかも不明。これ程に不利なボス戦もそうないが、思えばオレの場合は苦痛のアルフェリアやシャドウイーター、成り損ないの苗床と情報無しのボス戦を体験している為か、差ほどのストレスは無い。

 あるのは飢えにも似た何かの沸き上がりだけだ。それは血を駆け巡り、脳髄に押し込められた本能を加熱させ、アバターを焼き焦がすかのような勢いでオレに脈動をもたらしていく。

 そして、その声は響いた。

 

『愚かな闇の血を持つ者達よ。強欲なその身で何を欲する? ここにはお前たちを満たす物など何もないと言うのに』

 

 それは美しい、若い女の声。

 

 

『祈りを知らぬ者達よ、魂も残さず灰となり、この地を癒す糧となりなさい。その引導、このクラーグが渡しましょう』




次回はいよいよダクソ美女界のお姉様系担当のクラーグ様との戦いです。
彼女の容姿はムービーでは唇までしか確認できないのですが、死を覚悟して望遠鏡を覗き込めばそのご尊顔を拝見できます。

一言で述べるならば……美しい。

それでは、76話でまた会いましょう。

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