SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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何とか退院の目途が立ちました。
皆さんの温かいお言葉に随分と励まされました。ありがとうございます。

今後もどうぞ本作をよろしくお願いします。


Episode11-12 人と獣の境界線

 刃毀れしたカタナの切っ先で地面を叩き、オレはクラーグと激戦が繰り広げられたボスフロアに続々と到着するプレイヤー達を観察する。

 いずれも疲弊しきった顔をし、まともに歩く気力も残っていない者には肩を貸しながら、ベヒモスに率いられた待機組は泣きながら生存を喜んでいる。

 

「クゥリさん」

 

 と、オレに話しかけてきたのはミスティアだ。今にも倒れそうな面なのだが、気丈に振る舞おうとする雰囲気に、オレはなるべく友好的な笑みを浮かべる。

 

「まずは感謝を述べます。あなたのお陰……と言い切って良いかは分かりませんが、犠牲は最小限に抑えることはできたとは思います」

 

「礼は要らねーよ。オレは依頼を遂行しただけだし、3人も死なせちまったからな。3人分の18000コルは後できっちり返金させてもらう」

 

 前金として貰った以上全額懐に入れても問題ないのだが、オレもさすがに救出依頼で死なせてしまった人間の分まで報酬を得たいとは思わない。

 だが、ミスティアからすればオレの申し出は意外だったのだろう。やや目を見開いた後に、言い辛そうに口を開く。

 

「今回の1件、どう思われますか?」

 

 壁に背中を預けるオレの隣で、ミスティアは地上へと続くショートカットを利用する前の最後の休息を取っている皆を眺める。そこに宿る感情は安堵、そして懐疑だ。即座にショートカットを利用しても良いのだが、その先に何が待ち構えているか分からない以上、現状の万全を尽くそうというベヒモスの意見によるものだ。

 ボスフロアはボスさえ撃破さえすればモンスター侵入禁止エリアに変じる為、安全と言えば安全なのだが、この場では既に数時間前に3人のプレイヤーが死亡している。故にミスティアにしてもラジードにしても居心地が良いわけではないだろう。ちなみにラジードは疲弊しきっていながらも、ボス部屋までの移動でダメージを負い、また気力が尽きた者達を介抱している。何処にあれだけの精神的体力があるのか不思議なものだ。

 

「何が『どう』なんだ? オレは分からねーなぁ」

 

「あなたは愚鈍な方じゃない。アタシが言いたいことが分かるはずです」

 

 はぐらかそうとするオレに、槍の矛先のように鋭い視線を向けるミスティアから察するに、彼女は気づいてしまった人間なのだろう。

 さすがは太陽の狩猟団の幹部クラスといったところか。単に武勇に優れるだけではなく、相応に頭もキレるらしい。オレよりも得た情報は少ないはずだが、手元のカードだけで真実の仮定にたどり着いてしまったか。

 

「別に。傭兵やってれば陰謀の1つや2つ珍しくねーよ」

 

「ですが……」

 

「それ以上は止めておけ。あの糞女は……容赦ねーぞ?」

 

 あくまで追求を欲するミスティアに、オレは一応釘を刺しておく。

 今回のカークによる襲撃事件。それはカークが【混沌の従者】であるが故の祈り、聖剣騎士団との約定、そして太陽の狩猟団による第2ルートの発見の3つがトリガーとなって引き起こされたと表面上は見える。

 だが、ミスティアには既に今回の一連の裏に潜んでいた策略に勘付いたのだろう。それはオレとは別視点ではあるが、答えとして到達できた人物は同一のはずだ。

 

「口をつぐめ。見ざる聞かざる言わざる。そうする事で逃れられる問題もある」

 

 オレはアイテムストレージから最後の水を取り出し、彼女に放り投げる。中身は【キリルの葉】を混ぜたものである。ほんのりと柑橘系の酸味が利いた味わいがする、疲れを癒すのにぴったりの品だ。

 

「終わった事をとやかく言っても誰も救われない。お前が行動を起こしたところで、あの糞女の方が1枚も2枚も上手だ。今回の事は綺麗さっぱり忘れちまえ。そうする事で余計な被害を生まないで済む」

 

 傍から聞けば、オレの意見は臆病者のそれだ。だが、この女は賢しい。ならば、オレが言わんとする警告も伝わるはずだ。

 無暗に真実を探り出し、追求しようとすれば、待っているのは慈悲の欠片も無い報復だ。情報操作を得意とするミュウを敵に回す恐ろしさは、同組織の幹部であるミスティアならば熟知しているはずである。

 

「ただ黙って従い続けろ、と? 今回だけでどれだけの死者が出たか、あなたも分かっているはずです。なのに耐えろと?」

 

 拳を握り、歯を食いしばるミスティアに、オレは面倒な女だと頭を掻く。だが、こういう真っ直ぐな心根は嫌いじゃない。オレ自身が捻くれ者のせいだろうか、惹かれない部分が無い。

 

「知らねーよ。オレは嫌われ者の傭兵で、お前は大ギルドの幹部で屈指の有名プレイヤー。そもそも立場が違うんだ。立ち位置が異なれば、できる事もしたいと望む事も違うだろーが」

 

 忠告はした。無鉄砲な行動に出るか、それとも熟慮するか、それはミスティア次第だ。

 オレが渡した水筒をしばし眺め、蓋を外してミスティアは気持ち良いくらいに中身を一気に飲む。

 

「お水ありがとうございます。少しだけ、頭を冷やそうと思います。いずれまた戦場で」

 

 いずれ……ね。随分と高く買われたものだ。オレは喉を鳴らして僅かに笑い声を漏らす。

 だが、あの糞女は目敏い。自身はともかく、太陽の狩猟団に不利益を被るような真似をすれば、待っているのは粛清だろう。はたしてミスティアが切り抜けられたものだろうか。どうにも彼女は生真面目みたいだからな。本人にその気なくとも、誰かに担がれて行動に出るということもあり得ないわけではないだろう。

 

「仲直りできたみたいだな」

 

 と、そこに一通りの皆の元気付けを終えたラジードが近寄って来る。

 

「仲直りって……オレとアイツは別に喧嘩してねーぞ」

 

「でも馬が合っていたわけでもない。違うか?」

 

 ラジードの言う通りではある。オレとミスティアは別に犬猿ではないし、反発し合うわけでもないが、手を取り合う事は決してできないタイプ同士なのだろう。どちらも歩み寄ろうとせず、誰かを解さねば妥協点を探るのも難しい。

 良く見ているヤツだ。オレは不機嫌そうに鼻を鳴らす。それを見て、ラジードは疲れ切った微笑で先程までミスティアがいたオレの隣に腰かけた。

 

「正直に言いたい。僕はキミが怖い」

 

「いきなり酷いな」

 

「取り繕うのは嫌いなんだ。自分に正直でいたい。僕は迷いたくない。自分の気持ちを忘れて、押し込めて、生きたくない」

 

 覚悟を決めたラジードの静かな眼に、オレは若干気圧される。それはオレを見ているわけでも無いというのに、まるで自分の心の奥底に触れてくるかのような、強き魂の光を感じずにはいられない眼光だった。

 

「キミがカークを斃して帰って来た時、表現するのが難しいけど、まるでキミに食い殺されるんじゃないかって不安になったんだ。変だろ? あの時、僕らとキミは共闘関係にあったのに、僕はキミに剣を向けそうになっていたんだ」

 

「…………」

 

「今もそうだ。多分、この場の皆がキミに何か『怖いもの』を感じてしまっている」

 

 コイツは喧嘩を売りに来たのだろうか? 苛立ちを覚え始めたオレは目を細めて隣のラジードを睨む。

 だが、次の瞬間にオレは毒気が抜かれた。向き合ったラジードが右手を差し出して握手を求めたからだ。

 

「だからこそ、僕はキミと向き合いたい。僕には必要なんだ。キミみたいな『恐ろしいもの』とも手を取れる力が」

 

 ああ、そういう事か。オレは自分の愚かしさに苦笑する。コイツは宣言しに来たのだ。

 これで終わりにしたくない。オレと友好を持ちたい。だからこそ、包み隠さず自らの心の内を明かしたのだ。そして、それを成す意味とは、コイツがこの世界で目指すべきものが見つかった証拠でもあるのだろう。

 あの日、太陽の狩猟団の依頼で助け出した時、コイツの目にあったのは、その場限りを生き抜こうとする刹那の生存願望だった。だが、今のラジードにあるのは、未来を見据えて、周囲に手を伸ばし、自らを強めたいとする崇高なる意思だ。

 

「……今の言い方、オレじゃなかったらぶっ殺されても仕方ねーぞ?」

 

「安心してくれ。理解した上で言ったつもりだ。キミなら気にしないだろ?」

 

 悪戯っぽく切り替えしてきたラジードに、オレは完敗だと諸手を挙げて、そして末永い友好を望んで握手を交わす。

 そして、オレはそのままラジードの腕を引っ張り、耳打ちする。

 

「ミスティアに目を配れ。絶対に目を放すな。惚れた女を死なせたくないだろう?」

 

 オレは即座にラジードを解放する。ラジードの真意を問うような眼差しをあえて無視する。

 らしくない行動だとは分かっている。だが、どうせミスティアには忠告をしたし、ラジードがオレみたいな糞野郎と関わり合いたいと望んだならば相応のサービスで応えるまでだ。

 だから、ここまでがオレが手助けできる崖っぷちのラインだ。これ以上の干渉は、オレがあの糞女と本格的に対峙する事態を生みかねない。

 その後、オレはカークを討ち取った塔の遺跡の下層へと皆を案内する。青銅のような円盤、その中心部にある炎が踊る球体に触れると転送機能が解放される。円盤に乗れるのはせいぜい15名が限度である為、2度に亘って転送を繰り返す事になった。転送先はどうやら地上の鬱蒼と茂った森の中にある半壊した神殿のようである。周囲に敵影はない事も確認済みだ。

 

「本当に残るのか、【渡り鳥】?」

 

 ノイジエルに死亡したプレイヤー分の前金を返金したオレは、彼にそう尋ねられる。

 今のノイジエルは兜を外し、その素顔を曝している。やや厳つさが目立つが、それでも皆を引っ張るリーダーに相応しい凛々しさがある。

 

「ああ。救助依頼はお前らをショートカットに連れて来て終わりだし、病み村に来たのはカーク討伐依頼があったからだしな。カークの死に様とかの報告書とか、まぁ……傭兵もぶっ殺して終わりじゃねーんだよ」

 

 言葉を濁してオレはノイジエルの追及を振り切り、彼を転送で見送る。

 これで全員か。オレは改めてボスフロアを見回り、塔の遺跡の陰に誰か確認していないかチェックする。ラジードやミスティアも無事に地上にたどり着き、今頃は救出部隊と合流すべく位置情報をフレンドメールで送っていることだろう。

 これから病み村の管理はどうなるだろうか? カークの1件は聖剣騎士団を糾弾するには十分過ぎる材料だ。そうなると、結局は折り合いを付けて、太陽の狩猟団が病み村の管理を行う事になるかもしれない。特に、今回のカーク討伐とクラーグ撃破には太陽の狩猟団が派遣したオレが深く関与している。ミュウがその功績を利用して病み村利権の獲得を目指すのは目に見えている。

 アイテムストレージに収められたカークの遺品をチェックする。今回の依頼にはカークの武装を持ち帰る事にもボーナスが付いている。これらをミュウに渡せば、オレの報酬はさらに跳ね上がるだろう。

 棘の盾と棘の直剣は修復不可、棘の甲冑一式は修理さえすれば新たな持ち主の元でその恐ろしい能力を発揮することができるだろう。だが、カーク以上に棘シリーズを使いこなせるとは思えない。

 これら棘シリーズはカークの手元にあったからこそ最大限に力を発揮された。もはやこれらは死んだ装備だ。新たな持ち主の元でも真価を発揮できるかどうか疑わしいが、それはオレの心配すべき事ではない。

 

「……やっぱり無い、か」

 

 カークが使用していた短剣が存在しない。オレの左目を貫き、再生不可の呪いを与えた短剣がアイテムストレージに残っていないのだ。

 呪いの正体を探る上でも短剣を得たかったのだが、やはり『先手』を打たれたと見るべきか。

 他に目ぼしいアイテムがあるかと探ると【老魔女の指輪】が目に留まる。アイテム説明文によると特別な力は無いとの事であるが、病み村は魔女と深い所縁があるダンジョンだ。この手の代物には何かしらの意味があると考えるべきだろう。

 試しに装備してみるが、ステータスには特に変化はない。あるいは呪術を強化する指輪なのかもしれない。オレは指輪をそのままに息を吐く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足り足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足り足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足り足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足り足りない足りない足りない足りない足りない。

 脆い。脆弱だ。あの程度では満足できない。

 オレは顔面を手で覆う。漏れ出しそうな笑い声を抑え込む。

 必死に耐えるのが大変だった。さすがにラジードに『恐ろしいもの』と呼ばれた時は上手く誤魔化せてなかったものだと肝を冷やしたものだ。何せ我慢も限界だったからな。早く行動に移りたくて、首筋に痒みすら覚えていた。

 クラーグを殺しても乾いたままだ。飢えたままだ。彼女も獲物としては悪くなかったが、それでもオレを満たすには不十分だった。彼女自身の攻撃には躊躇いこそなかったが、侵入者を排除する為に戦わざるを得ないという、消去法によって見出された選択による闘争だった。戦う事はあくまで彼女にとって最終手段だったのだろう。それこそがクラーグの善性であると言えばそれまでだが、そんなことはどうでも良い。

 

「カーク、楽しかったよなぁ……カァアアアアク」

 

 ここでお前と殺し合った。ああ、何と甘美だっただろうか。オレは転送用の円盤の上でくるくる回る。

 あの時のお前は牙を剥く猛獣そのものだった。オレの為に必殺を意思を以って力を振り絞った。それが敗れた時に感じたお前の絶望……あの瞬間こそ、まさに喉元に牙を食い込ませて獲物の肉を抉り取る愉悦そのものだ。

 屈服させた獲物の血肉を食い千切る瞬間にこそ、捕食者は自らの存在意義を確認できる。敵の知略と武勇を破り、我が身の強さを証明できた時、オレはお前の血で潤い、肉で腹が満たされる。

 より強き者で飢えと渇きを満たす。それこそがオレの生き甲斐。オレが『オレ』である証明だ。再生したばかりの左手を噛み、オレは鼻歌でも歌いたい気分で周囲の壁を探る。

 カークをここに誘き寄せて戦った理由はただ1つ、ここにカークが守ろうとする『お姫様』がいると判断したからだ。

 仮にカークが奇襲を仕掛けるならば、ボス部屋への入口の方から出現するはずだ。そうすれば、より高確率でオレ達の背後から奇襲がかけられるからだ。だが、カークは塔の遺跡側から身を現した。クラーグも同様だ。

 動く事も、見る事も、聞く事もできない『お姫様』を守るには傍に控える他ない。何故ならば逃がす事ができないのだから。だからこそ、クラーグはオレが塔の遺跡に向かって駆けた時に焦りを見せてカークに追跡を命じた。あの時点でオレの中で、この場所に『お姫様』がいる事は確信に変わっていた。

 

「殺してるんだ。殺されもするよなぁ」

 

 守りたい者の為に多くを殺したんだ。カーク、負けた以上お前の守りたい者が奪われても仕方ないよなぁ?

 お前は敗者だ。死人だ。無様な負け犬だ。怨嗟の声だけ撒き散らし、お前の守りたかった『お姫様』が成す術も無くぶち殺される様を見届ければ良い。ああ、それならば、いっそお前を生かしたまま四肢を断って、目の前で処刑した方が楽しめたかもしれない。そうすれば、お前は怒りと憎しみで更に強さと力を求め、オレを殺しに来るはずだ。そうなれば、もっと殺し合いを楽しめたかもしれない。

 

「何処だぁ? 何処にいる?」

 

 白い卵のようなものが張りついた壁を1つずつ、オレはカタナの切っ先で叩いていく。必ずこの場所の何処かに『お姫様』はいるはずだ。

 やがてカタナから伝わる手応えがおかしい壁を1箇所発見する。試しに手で触れてみると、そこだけは他のような岩石の感触ではなく、まるで発泡スチロールのように軽い質感だ。

 ここだ。オレはカタナの斬撃を浴びせる。すると壁は霧散し、隠し通路を露わにする。

 恐らくカークは地上でショートカットを発見してこの地に至り、偶然この隠し通路を発見したのだろう。そして、彼は【混沌の従者】となったのだ。

 

「ここは通さんぞ、卵も背負わぬ半端者がぁ!」

 

 だが、人1人がせいぜい通れる狭い通路を塞ぐように、黄ばんだ卵を背中から生やし、その重さで這うしかできない芋虫のような老人がオレの道を妨げる。

 

「どけ、じーさん」

 

「ぐがぁ!?」

 

 邪魔だ。こんな野郎を斬っても面白くもなんともない。オレは老人の顎を蹴り、そのまま通路の奥の開けた場所まで吹き飛ばす。背中から叩き付けられたせいか、老人が背負う卵が破裂し、中身が飛び出す。それは赤黒いドロドロとした肉であり、それを揺り籠にして成長した人間の腕ほどの太さもある寄生虫だ。赤い頭部に備わった顎を鳴らして数体の寄生虫は白い芋虫のような胴体をくねらし、オレに飛びかかる。

 1匹目をカタナで迎撃して切断し、2匹目を噛みつかれるより先に胴体をつかんでSTRを最大限に活用して柔らかい肉を潰して絶命させる。3体目を飛びかかるより先に踏み潰し、4体目を膝蹴りで叩き上げた後にカタナで縦に割る。

 

「面白い奇術だったよ、じーさん。ほら、他に何か見せてみろよ? こんなんじゃ退屈で死にそうだ。クヒ、クヒャ、クヒャハハ……ッ!」

 

 オレは倒れたじーさんの胸を踏み、その痩せ細った体をゆっくりと押し潰す。潰れた卵が更に地面に押し付けられて中身を撒き散らす。それに伴って痛むのか、老人が苦痛で喘ぐように呻く。

 どうやらNPCのようだが、コイツも『命』があるタイプのようだ。ならば、その『命』は1つだろう。ここで殺せば、たとえ復活しても同一人物ではない。単に保存された情報から構築された『命』が無いNPCに成り下がるだろう。あるいは、まるで別の『命』が与えられた存在になるのか。興味があると言えばある。

 

「カークを……カークを殺したのは貴様か!? この狂人がぁ!」

 

「狂人とは失礼だな。オレはいつだってマトモさ。それよりも、さっさと死ねよ。お前もどうせカークが守ろうとしてたヤツの1人なんだろう?」

 

 カタナを振り上げ、オレは老人の喉元に狙いを付ける。

 

 

『そこにいるのは誰?』

 

 

 だが、途端に聞こえた、静寂の水面に広がる波紋のような声音がオレの手を止める。

 何処だ? 何処からだ? オレは周囲を見回し、そして『それ』を目にする。

 それは白だった。壁や天井に張り付いた無数の白い卵……その全ての母。

 下半身はクラーグと同じ大蜘蛛であるのだが、その姿は余りにも弱々しく、色素の全てが抜けて真っ白になっている。脚も痩せ細り、自ら立つこともできず、複眼も白く濁っている。

 そして、大蜘蛛の背中からはクラーグと同様に女体が生えていた。それは大蜘蛛や卵と同じ白色をした……病的なまでに白い少女だった。髪も、肌も、何もかもが真っ白になった娘だった。

 一目で理解した。これが『お姫様』だ。その手を胸元で祈る裸体の少女は扇情的な美ではなく、病んだ清らかさを纏っている。

 

「姫様に手を出すな、この外道がぁ! ワシを……ワシを殺せ! それで良いじゃろう!? 姫様に手を出すな!」

 

「ちょっと黙れ」

 

 老人を蹴り飛ばして壁に叩きつける。アイツの始末は後だ。

 オレはカタナを引きずり、少女の前に立つ。その姿は余りにも弱々しい。恐らくだが、この刃毀れしたカタナの攻撃1発にも耐えられずに死に至るだろう。

 

『カークさんのお友達なの?』

 

「ああ……ああ、そうさ。オレとカークは『オトモダチ』さ」

 

 さっさと済ませよう。オレはお喋りしたくてアンタを探していたわけではない。何故話すことも聞くこともできない『お姫様』と会話が成立しているのか少し疑問だが、もしかしたら装備している指輪のお陰だろうと見当を付けておく事にした。大事なのは、こうして話せるという事は断末魔も耳にすることができるという点だ。

 カタナを振り上げる。抵抗する術もない少女の柔肌は簡単に裂くことができるだろう。

 さぁ、死ぬ時間だ。こんな弱り切った少女を斬ってもオレは満たされないだろうが、飢えと渇きから来る鬱憤は少しくらい晴らせるだろう。何よりもカーク、これはお前に対するオレなりの礼だ。

 殺しているのだから殺される。だから、お前の元に、お前が守りたかったヤツを送ってやるよ。彼女もどうやら『命』があるようだ。あの世で騎士ごっこでもして守ってやれば良いさ。

 そしてオレはカタナを振り下ろした。

 

 

 

 

 

『なんで……泣いてるの?』

 

 

 

 

 

 だが、オレのカタナが『お姫様』を斬るより先に、祈る為に組まれた少女の手がオレに触れる。

 泣いてる? オレが? 何を言ってるんだ?

 

『とても辛そうな声……痛い痛いって言っている……姉さんと同じ、優しいのにたくさんの痛みで心を塗り潰した声』

 

 姉さん……クラーグの事か。オレは僅かにたじろぐ。

 

「はは……ハハハ! お前の姉さんならオレ達が殺したぞ!? クラーグの事だろ! そうさ! オレ達が……オレが殺したんだ! 殺したようなものさ! カークもだ! カークもオレが殺した! ハハ……クヒャ……クヒハハヒャ!」

 

 思い出す。必死に炎の刃を振り回し、慣れない剣術でオレを仕留めようとしたクラーグの必死な表情と、ラジードに横腹を貫かれ、死ぬ時に見せた絶望の眼。全てはこの『お姫様』を守る為だったのだろう。

 恨め! 憎め! 叫べ! それごと斬ってやる! その方がずっとオモシロイ!

 だが、少女は悲しげに眉を曲げ……そして、微笑んでオレの頬を再度撫でた。

 

『……姉さんは私を守る為に戦ってくれました。カークさんも同じです。でも……戦う以上は誰かを傷つけていた。あなたも傷つけられた。だから戦った。そうである以上、私はあなたを責めません。だって……あなたはこんなにも泣いているんですから』

 

 泣いている?

 オレは頬に触れる。だが、そこには涙など無い。ただの1粒として、オレは悲しみの感情を流してなどいない。

 だったら、この少女はオレの何を見ていると言うのだ?

 病に侵された者達の為に身を捧げ、祈りを忘れぬこの少女は……オレの何を見て泣いていると言ったのだ?

 

「止めろ、止めろ止めろ止めろ! オレを罵れ! 呪え! 死を望め! その全てを踏み躙ってやる!」

 

『……可哀想な人。戦い続ける事しか知らないのですね。誰も……あなたが泣いている事に気づいてあげられなかったんですね?』

 

「止めろぉ! オレは……オレはぁああああああああああああああァアアアアアァああアアぁああああアアア!」

 

 振り上げたカタナを下ろし、頭を抱えて少女の声を振り払おうとする。

 だが、少女の祈りが脳髄で反響する。途絶える事のなく、オレの内側へと押し寄せてくる。

  

 止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ!

 

「オレは『オレ』だ! 狩り、奪い、喰らい……そして戦う! それが『オレ』なんだ!」

 

 何だ……お前は何なんだ!? いつの間にか、オレは少女の前で膝を着いている。

 ゆっくりと少女の瞼が開く。そこに白目は無く、全てが黒く塗り潰されていた……いや、黒の中に赤い光が瞳のように揺らいでいる。まるで闇の中で温もりを与える火のように。

 

『答えはあなたの中にあります。だから、どうか「全て」を否定しないで。祈ってください、あなたの「答え」の為に』

 

 そして、少女は微笑んだ。

 この少女は全てを受け入れるだろう。オレが刃を振り下ろしても、きっと愛する者達の名前を呼ぶ以上の事はしないだろう。

 

「……はは……ハハハ……そっか。そうだよな」

 

 飢えと渇きを抑え込む。無理矢理首輪に嵌めて、檻に閉じ込める。自制心で本能の奥底に潜んでいた、全てを焼き尽くそうとするものを鎮火する。

 こんな少女を斬る事に何の意味も無い。そんな事は分かりきっていたはずだ。

 戦えぬ者を……戦う意味もない者を斬るのは……人のすべき事ではない。獣の所業だ。オレはそこまで堕ちていない。

 

「……じーさん、ごめんな。オレ、どうかしてたみたいだ」

 

 許されるべき事ではない。背中の卵を破裂させた老人にオレは歩み寄り、深緑霊水を傍に置く。

 こんな事をして許されるとは思わない。だが、オレは『オレ』だ。オレは……自分の中にある『恐ろしいもの』に振り回されたくない。

 

「……行け、2度と顔を見せるな、バケモノが」

 

「ああ……ああ、そうだな。オレは……『バケモノ』なのかもなぁ……」

 

 老人に罵られ、オレはカークが何でオレをバケモノ呼ばわりしたのか、少しだけ理解できた気がする。

 人の心を失い、ただひたすらに『命』を貪るだけの存在になった時、オレは人から獣になり、バケモノに身を堕とすのだろう。

 それでも構わない。オレは戦い続ける。その果てがバケモノならば……その時はきっと、人の英雄に斃されるはずだ。たとえば、『アイツ』のように……多くの人の希望を背負ったヤツに討たれるはずだ。

 オレは通路から出て振り返る。新しく幻影の壁が生まれ、『お姫様』に通じる道が隠される。

 もう2度とここに来る事は無いだろう。オレは老魔女の指輪を外し、その場に投げ捨てる。カークへの弔いの意思を込めて。

 

「……許せとは言わない。殺してるんだ。殺されもするだろ? オレは何1つ間違った事はしていない。だけど……それでも……」

 

 狩り、奪い、喰らい、そして戦う。カーク、お前のお陰でオレはようやく自分を受け入られた。

 だからこそ、お前に『バケモノ』呼ばわりされたからこそ、オレは分かったんだ。

 

「オレは……オレは『人』でありたいんだ。良いよな? それがオレの『祈り』でも」

 

 これからも殺す。殺してやる。立ち塞がる者は1人として容赦なく。【人の持つ意思の力】があろうとなかろうと。

 だが、それでもオレは『人』であり続けよう。オレはヤツメ様じゃない。バケモノではない。

 それがオレの祈りだ。

 

「……さてと、帰るか」

 

 最後に1つ仕事が残っている。

 あの糞女への報告と……パートナー契約終了の別れの挨拶だ。




希望「まだだ。まだやられるわけにはいかんのだ!」

救済「何とか応急処置完了ね」

喜劇「フッ! 安心しろ! この程度で俺たちが負けるわけないだろ?」

奇跡(いや、むしろ抑え付けた分だけ次の爆発がヤバいんじゃ……)


ちなみに狂気モードが消えたわけじゃありません。あくまで『無差別攻撃』をしない程度の自制心を取り戻しただけです。

それでは80話でまた会いましょう。

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