SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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新エピソードの前に現実編です。
現実世界は緩かったりシリアスだったりといろいろありますが、こちらもこちらで謎を追う展開を本格化させたいと思います。


でも、今回はほとんど進展しませんが。


Side Episode4 雪幕の悩み

 世間はクリスマスのムードが滲み出し、例年よりも駆け足で積雪が日本各地で観測された12月。リズベットは薄く積もった汚れた雪を踏みしめて愛車から降り、首に巻く黒のマフラーを口元に引き寄せる。

 冬は嫌いだ。雪は好きだが、寒さは身を縮こまらせて筋肉を硬直させて体の動きを鈍らせる。それは疲労感をより強め、思考と行動力を奪ってしまう。だからと言って夏が好きかと問われれば断じて違う。真夏の日差しは日焼けの元であるし、何よりも留めなく流れる汗は不快だからだ。

 だが、冬が嫌いな理由はより根本的な部分にある。即ち、好意的に抱いているはずの雪が1つの記憶を刺激してしまうからだ。

 思い出すのはドラゴンの巣で過ごした1晩だ。アインクラッドでリズベットが『彼』と過ごした冒険である。

 

「だから嫌いなのよ……。湿っぽくなって仕方ないじゃない」

 

 リストバンドで覆われた手首を撫で、リズベットは早歩きで駐車場を横切り、目当ての建物の中へと駆け込む。

 都心の喧騒から離れた郊外、かつてはベットタウンであり、そしてゴーストタウンのように人気が失われた土地だった。だが、現在は増加する高齢者というニーズに合わせて介護施設が立ち並び、また様々な先進・複合医療を提供する病院が複数立ち並ぶメディカルタウンである。

 その中の1つである須和如月病院が今回の目的地だ。この地が開発される以前からあった病院であり、分院であり、本院は関西にある。外観は真新しいが、これは昨年新しく建てられたものであり、その陰にある歴史ある2回りどころか3回り程小さい建物が旧施設である。

 須和という名前の通り、この病院はVR犯罪対策室のオブザーバーである須和 巽の一族が経営している。須和家は須郷家と血筋を同じくし、須郷家は結城家と縁がある。その結城家と言えば大企業レクト、つまり現日本における民間VR技術特許最多所有企業にして多くのVRゲームを提供する日本屈指のVR先進企業である。政界や経済界との繋がりもあり、須和如月病院はSAO事件の際にも被害者を収容スペースの提供に大きく尽力してくれた。今回のDBO事件でも迅速にレクトと連携を取り、政府や警視庁からの要望があるよる先に受け入れ態勢を整えてくれたのである。

 世の中は狭い。結城家と言えば、リズベットの亡き親友であるアスナの実家だ。生還してから知った事であるが、アスナは結城家のご令嬢であり、正真正銘のお嬢様だったという事を耳にした時にはコンマの時間もかけずに納得したものである。

 その結城家は関西の地方銀行を仕切る金融一族であり、アスナの父親はレクトの取締役。本当に自分には縁のない世界の人間が傍にいたものだとリズベットは苦笑する。純粋培養のお嬢様と庶民の自分、よく馬が合ったものだとアインクラッドの日々が回想として流れそうになり、リズベットは慌てて自動ドアを潜って暖房が利いた、まるで高級ホテルを彷彿させるようなエントランスに到着する。

 最新医療の提供を掲げる須和如月病院は、政財界の人間がよく『雲隠れ』をするのに使われる為にネット上でも余り良い噂は流れていない。だが、従事するスタッフは厳選に厳選を重ねられたエリートばかりであり、看護師の女性達は外見も採用基準なのではないかと疑いたくなるように容姿の基準値が高い。

 

「VR犯罪対策室オブザーバーの篠崎 里香です。須和 巽先生をお願いします」

 

 受付で身分証明書を提示したリズベットは看護師に案内される。通されたのは地上12階に設けられたVR治療区画である。ここではメディキュボイドを始めとしたVR技術を使った医療器具の他、AR技術を用いた視力や聴力の回復やその他様々な臨床などが行われている。

 その中でも異質、セキュリティカードと指紋認証とパスワードの3重措置が施された扉の先がリズベットの今日の目的だ。

 

「やぁ、久しぶりだね、リズベットちゃん」

 

「須和先生もお元気そうで何よりです」

 

 リズベットを迎えたのは50代前後だろう、やや白髪が目立つ温厚そうな男だ。白衣が板についたこの男こそが須和 巽、VR犯罪対策室でも伝説になっている世界中で大捜査が繰り広げられた須郷事件において須郷の思考をトレースして解決に助力し、そして高校時代の茅場晶彦にVR技術を生み出させる土壌とも言うべき知識と環境を提供してしまった『元凶』の1つと揶揄される人物である。

 

「今日は寒いね。珈琲とココア……それとも温かいお茶が良いかな?」

 

「ココアでお願いします」

 

 通された須和の部屋は山積みされた資料やファイルが散乱している。その様子に恥ずかしそうに須和は笑い、リズベットをソファに腰かけさせた。彼女をここまで案内した看護師は須和の部屋の惨状を見て、『また掃除が大変だ』と物語る疲れ切った目をして退出する。

 マシュマロが入った糖尿病にもなりそうな程に甘いココアを飲み、舌にどろりとしたゼラチンが絡む。そこに安心感を覚えたリズベットは一息吐いた。

 

「大学の方はどうだい?」

 

「あまり顔出せてないです。でも、あたしは単位とか関係ないですから。在籍しているだけで卒業できますし。それに、今はやらないといけない事がいっぱいありますし」

 

「そうか。でも、若い内から仕事仕事じゃ人生が凝り固まるだけだよ。たまには存分に羽を伸ばした方が良い。無力な私が言うのもなんだが、SAO事件の頃と違ってVR事件に対応できるスタッフも随分と増えた。思いつめ過ぎて体と心を壊してしまう方が大変だよ」

 

「……ありがとうございます」

 

 ココアのように温もりがある言葉にリズベットは自然と感謝の言葉を述べる。だが、今日は人生相談をしに来たわけでもなければ、雑談をしに赴いたわけでもない。

 今回の目的は先日接触した紺野 木綿季の叔母についてだ。訪問後、VR犯罪対策室は彼女の身柄を正式に保護し、この須和如月病院へと搬送したのである。目的はもちろん、彼女に施されたと思われる思考と記憶の操作の治療である。

 須郷が残した負の遺産、思考と記憶操作の技術。茅場の後継者が用いているPE技術に至る為の原点と目されているこの技術は、今や世界各国が手を焼いているVR犯罪の目玉である。

 幸いにも簡単お手軽な処置ではない為相応の資金と規模が求められる上に処置後は脳波の乱れなどで判別が可能であるが、某国などではこの技術を用いて洗脳スパイを作り上げているという噂が絶えない。

 とはいえ、その精度は必ずしも高いものではない。思考を操作するにしても善良な人間を殺人マシーンにできるわけでもなく、また記憶操作にしても人間の脳に収められた膨大な情報を矛盾なく書き換えるなど不可能であり、必ず何処かが破綻してしまうのである。せいぜい1時間でもまともに操作できれば良い方である。また、社会的混乱を抑える為に表向きは都市伝説のような物として扱われている。

 

「彼女の状態だが、レポートにも書いた通りだ」

 

 溶けきっていないマシュマロをスプーンでかき混ぜながら、須和は話を切り出す。

 

「思考と記憶の操作はPE技術の基礎とされているけど、これらの技術的精度が低いのは人間の自意識によって、どれだけ上書きしても元通り復元されてしまう事にある。この問題を解決する手段は1つしかない。脳に直接思考と記憶を支配下における装置を埋め込むんだ」

 

「インプラント技術。まるでSFですね」

 

 レポートに付随した紺野 木綿季の叔母のレントゲン写真。その脳には何らかの金属物が埋め込まれていた。須和の見立てによれば、この金属物は脳細胞と拒絶反応なく結合し、完全に同化してしまっているとの事だ。外科的に取り除く事も天才脳外科医と謳われた須和でも不可能らしい。

 

「インプラント自体は以前からあった古い発想だ。驚くに値しないよ。それにSFと言うならば、10年前からすれば現代などSFを通り越してファンタジーのようなものさ。平然とVR空間で会議が行われ、地球の反対側にいる恋人とテレビ電話やメールではなくVR空間で逢瀬する。私のような半世紀生きた人間からすれば全てが異常だ」

 

「そう言われればそうですね。あたしも小学校の頃は、自分が20歳になった時にこんな未来が待っているなんて想像していませんでしたし」

 

 素直にリズベットは同意する。今やVR技術とAR技術の氾濫は常軌を逸しているレベルで進行している。10年後にはVR技術やAR技術に接触せずに生きるには困難な時代がやって来るだろう。

 

「ただ、不思議なのは一切の手術痕が存在しない事。そして、いかにして脳を傷つけることなくインプラントを埋め込んだのかということだ。技術的に不可能なんだ。少なくとも私の知る限りではね。アメリカの友人などにもそれとなく聞いてみたが、心当たりは無いらしい。インプラント技術と言えばAR技術先進国のドイツならば何かしら情報が得られるかもしれないが、残念ながら伝手が無くてね。私個人では探れそうにないな」

 

「その件はあたしと光輝さんが来週からドイツとイタリアに行く事になったので調査してきます」

 

「また海外か。羨ましいね。私も世界中を旅したいものだよ」

 

「憂鬱なだけです。なんであんな色魔と一緒にいかないといけないんですか」

 

 それにリズベットはVR犯罪対策室のオブザーバーになってから軽く10カ国を飛び回ったのだが、その全てにおいて良い思い出が無い。須郷事件を初め、先日はGGOサーバー事件、VR通貨詐欺事件などなど、いずれも命懸けの大捜査&アクロバティックアクションの連続である。お陰で預金通帳の残高が恐ろしい額になっているのだが、それを差し引いてもストレスで胃に穴が空きそうだ。尤も、須郷事件では横腹に銃弾で穴が開き、GGOサーバー事件では危うく右腕の生皮を剥がされそうになったのだが。

 

「VR技術展覧会が今度イタリアであるらしいからね。私もできれば足を運びたいんだけど、今はここを離れられないからね。一刻も早くアミュスフィアⅢに仕込まれたPE技術を解析しないといけない」

 

 須和の主な仕事は茅場の後継者が作り上げた自己破壊プログラムのワクチン作成だ。だが、土台となっているPE技術自体が未知である為か、成果はまるで挙がっていないのが現状だ。

 

「それはそうと、リズベットちゃんも余り光輝君に辛く当たらないでもらえると嬉しいね」

 

「無理です」

 

 話題を切り替えてきた須和に対し、リズベットは刹那の逡巡も許さずに即答する。

 リズベットの反応は予想通りなのか、須和はココアを飲み干すと困ったように頬杖をついた。

 

「そう言わないでくれ。君達の出会いと関係はそれなりに知識があるが、彼も悪い男じゃないだろう?」

 

「悪人じゃないけど、好きにはなれません。あたしとアイツが組んでるのは、何ていうか……単に捜査の上で相性が良いだけです」

 

 本当はそれさえも認めたくないのだが。リズベットはヘラヘラ笑って、いつものように口説いてくる光輝を思い浮かべて苛立ちを募らせる。

 だが、須和は微妙な表情をして、1つ溜め息を吐く。

 

「……その様子だと、彼はまだ話していないようだね。やれやれ、相棒の君くらいには説明しておくように念を押しておいたんだが」

 

 躊躇いを1つ挟み、須和は窓の外の雪景色へと視線を移す。

 

「光輝の弟さんなんだがね、DBOにログインしているんだよ」

 

 危うくリズベットはマグカップを落としそうなるも、何とか握力を強めてそれを堪える。

 

(あの馬鹿! 何でそういう大切な事言い忘れてるかな!?)

 

 この数ヶ月の能天気な光輝の姿を思い出し、リズベットは額を押さえる。

 家族がDBOに囚われていて、それを今まで態度に出していなかったとは恐れ入る。まるで他人事、あくまで仕事上で関わっているだけ、そんな雰囲気でDBO事件について語っていた光輝の顔を思い出し、随分と道化が上手い物だとリズベットは薄ら寒い怒りを覚える。

 

「私は個人的に光輝君の家族とも付き合いがあってね。仲の良い兄弟だったよ。彼は余り態度や表情では語らないタイプだし、弟君の事をそれなりに信頼している。特に生存する事に関してはね。だが、何が引き金でストレスが爆発するか分からない。相棒として、少しでも良いから彼を気遣ってくれるとありがたいよ」

 

 紺野 木綿季の叔母の医療記録を貰い、リズベットは須和と別れの挨拶を終える。

 所詮は職場での付き合いだ。互いのプライベートなどほとんども知らない。だが、仮にも共に捜査する事件の被害者に身内がいるならば、相応の態度を示してくれればこちらとして接し方を考えたというのに。リズベットは奥歯を噛みながら、今日も何処かで能天気に女口説いているのではないかと思える緩み面を披露しているだろう光輝を思い浮かべる。

 

「そう言えば……あたしもアイツも、互いの事をほとんど話した事ないんだっけ」

 

 家族構成などはSAO事件を追っていた関係上、リズベット側は光輝に把握されている。だが、逆にリズベットは彼について職場で流布されている事以上は無知だ。

 互いに必要とされているのは能力のみ。それでも深く関わって来ようとする光輝に疎ましさを覚えていたが、もしかしたらリズベットのそうした態度が、今回のような重大な秘密の未開示に繋がったのだろうか?

 それならば、少しくらいは態度を改めるべきなのかもしれないと、リズベットは須和のアドバイスを渋々受け入れようかと迷う。

 

「困ったわね。どうしましょう……」

 

 と、リズベットの悩みとリンクするように、病院の談話室から1人の女性が姿を現す。

 年頃は20代半ば……あるいは後半だろう。色素が薄い、まるで生まれてから日陰から出た事が無いかのような、深窓のお嬢様のような印象を受ける美しい女性だった。

 

「どうかしたんですか?」

 

 思わず同性と分かっていながらも見惚れてしまったリズベットは反射的に声をかける。すると女性は彼女に気づいたのか、困ったような顔で笑んで手元の携帯端末を見せる。表面のタッチパネルに傷こそないが、裏のカバーとバッテリーが外れていた。

 

「落として壊れてしまったのよ。私、こういう機械には疎いから直し方が分からなくて」

 

「貸してもらえますか? バッテリーが外れただけだから直せると思いますし」

 

「あら、じゃあお願いできる?」

 

 女性は談話室に戻り、リズベットは長椅子に腰かけて女性から携帯端末を受け取る。随分と古い型だ。フレームには細かい傷が目立っている。確かこのモデルが発売されたのは自分が生まれるより前だったのではないだろうかと、リズベットは骨董品でも見るような珍しがる目で携帯端末を眺める。

 隣に腰かけた女性は不思議そうにリズベットが慣れた手つきでバッテリーをはめ込み、裏のカバーを取り付けるのを見守る。

 

「できました」

 

「あら、本当ね。こんなにも簡単に直っちゃうなんて、やっぱり若い人は強いわね」

 

 いえいえ、あなたも十分若いでしょう。リズベットは内心でそうツッコミを入れつつ、起動させて光が灯った画面をぎこちなさそうに操作する女性を見て、本当に機械に疎いのだろうと感じる。

 

「壊れてないみたいですね。良かったです」

 

「本当にありがとう。何かお礼しなきゃいけないわね。ジュースで良いかしら?」

 

 バッテリーをはめ込んだだけでお礼を言われるような真似はしていないのだが、ココアのべっとりとした甘さが残る口内を洗いたい気持ちがあったのでリズベットは彼女の好意に甘える事にした。

 冷たいスポーツ飲料水を自販機で買ってきた女性はリズベットにボトルを手渡す。

 と、そこでリズベットは女性の瞳に違和感を覚えた。

 色素が薄く、病的に白い肌なのだが、その瞳……黒目の部分が薄っすらと赤いのだ。瞳の色素が薄く、内部の血管の赤色が僅かにだが露わになってしまっているのだろう。アルビノと言う程ではないが、その神秘的な黒色に混じった赤は人を惹きつけるものがあった。

 

「あら、気づいちゃった?」

 

「す、すいません! じろじろ見るなんて失礼ですよね」

 

 スポーツ飲料水を受け取ったリズベットは慌てて頭を下げようとするが、女性は慣れているのか、笑ってそれを許す。

 

「良いのよ。小さい頃から慣れてるわ」

 

「……その、綺麗ですね」

 

 世辞ではなく本気でリズベットは女性の瞳に隠された赤色に魅入られそうになる。魔性の輝きと言うべきだろうか、覗き込めば帰って来ることができないかのような深みを彼女の目の中に映し込んでいるかのようだった。

 

「遺伝なのよ。私の家系では女性ほど色素が薄く、体が弱いの。私も色素が薄いせいか、小さい頃から目が悪いのよね」

 

 困ったように頬に触れて首を傾げる女性の反応から察するに、本当に苦労が多かったのだろう。

 改めて女性の顔を眺めたリズベットは、その容姿に何処か既視感を覚える。初対面のはずであるが、どうにも女性の輪郭や顔立ちは見覚えがある気がした。だが、それは記憶にひっかき傷を残すも思い出すには至らない。

 

「あなたも誰かのお見舞いに?」

 

「そんな……ところです」

 

 さすがに仕事とは言えない。リズベットは適当に女性と話を合わせることにした。スポーツ飲料水のボトルの蓋を開け、中身の冷たい液体を口にする。口内に残っていたココアの甘さが洗い流されていく。

 

「あまり思いつめちゃ駄目よ?」

 

「え?」

 

「悩むのは若い子の特権だけど、時には考えるより行動した方が良い時があるわ。もしくは誰かに打ち明けてみるのも良いかもしれないわね」

 

 もしかして、光輝の扱いについて悩んでいるのが顔に出ていたのだろうか? リズベットは急に心の内を見ず知らずの女性に見透かされた事に少なからずのショックを受けるも、自分が余り隠し事が上手ではない類である為気にしないことにした。

 

「……仕事の相棒の話なんですけど、聞いてもらえますか?」

 

 出会ったばかりの女性に、いきなり悩み事を打ち明けるなどおかしいだろう。リズベットは自身を叱咤する。だが、女性の穏やかな雰囲気、全てを受け入れてくれそうな微笑、その身から溢れんばかりの母性が、リズベットの口を軽くしてしまう。

 

「あたしと相棒はそれなりに修羅場を潜って来たんですけど、お互いの事はほとんど話をしない間柄なんです。相棒は何ていうか……女性にだらしないというか、とにかく軽い男で、毎日あたしにちょっかいかけてくるんです。あたしの事を『好きだ』って、呆れるくらい繰り返すんですよ」

 

 こんなあたしに、だ。リストバンドに隠された手首を撫でながら、リズベットは視線を床に落とす。

 

「でも、あたしはいつも相棒の事を拒んでた。じゃれ合いみたいなものですから。だけど、今相棒と一緒にある仕事を手掛けてて、その仕事のせいで相棒の家族が入院してたんです。でも、あたし、そんな事知らなくて、アイツが馬鹿みたいに明るいのは、もしかして、あたしを心配させまいとしてくれたからなのかと思って……、もう、良く分からないんです。話してくれなかった相棒にも腹立たしいし、自分にも苛立つし」

 

「……その相棒さんの事、好きなの?」

 

 直球で女性はリズベットの答えを尋ねてくる。

 嫌いだ。いつものように、率直にリズベットは光輝への嫌悪感を露わにしようとした。だが、どういわけか、表情にも言葉にも出てこない。

 まるで頑なだった心が、この女性が隣にいるだけで溶かされてしまいそうだ。リズベットはスポーツ飲料水が半分近く残ったボトルを握りしめる。

 

「分かりません。あたし、好きな人がいて……その人には無二のパートナーがいて、自分はその人と一緒にいられないと分かっていて……。それに、あたしみたいな色気も無くて、愛想も無い女の何が良いんだか……」

 

「ふふふ。素敵な青春をしているのね」

 

 青春の一言で片づけられることだろうか? リズベットは妙に年を食ったような言い回しを先程から繰り返す女性に不可思議なアンマッチを覚える。

 

「何も気にする事は無いわ。あなたの答えはもう出ている。過去を大切にするのも大事だけど、今のあなたを真っ直ぐに好きだって言ってくれる人がいる。そして、あなたはその人の事を少なからず気にしている。それが全てよ。後は、あなたが受け入れるか否か、それだけでしかないわ」

 

「そんなものでしょうか?」

 

「ええ。あなたは彼が秘密を抱えている事が腹立たしい。相棒さんの事をもっと知りたい。踏み込みたい。ほら、答えが出たわ」

 

 言われてみれば確かにそうだ。リズベットは思わず納得する。

 まだ異性として好きかと言われれば断言できないが、これまでのように表面的な仕事の付き合いで終わらしたくないという気持ちは、自分の中で埋もれる事無くあったのは確かなのだ。

 少しは向き合ってみるとしよう。リズベットは軽くなった心に合わせるように、スポーツ飲料水を飲み干す。

 

「ありがとうございます。見ず知らずのあたしの相談に乗ってくれて」

 

「良いのよ。青春だもの。恋せよ乙女。『命』はいつだって儚いものよ。だから、精一杯に使い切りなさい。自分の望むままに」

 

 女性に頭を下げてリズベットは談話室を出て行く。

 とりあえず、VR犯罪対策室に戻って資料をファットマンに渡したら、光輝と一緒に夕食でも取って、何で自分の弟が被害者としてDBOに囚われている事を話さなかったのか問い詰めるとしよう。

 そして、罰として奢らせよう。それから……少しだけ自分の話をしよう。リズベットはそう決心し、歩を速めた。

 

 

Δ    Δ    Δ

 

 

「おや、光莉さん。随分とご機嫌そうだね」

 

 ココアでどろどろになった口内を洗浄すべく、談話室の自動販売機に飲み物を買いに来た須和は、上機嫌そうな光莉と出会った。

 

「ええ。ちょっと若い女の子の悩みに乗ったのよ。良いわね。私にはああいう恋の悩みの時間は無かったから、ついつい話し過ぎてしまったわ」

 

 20代後半でも十分通じるだろう美貌をした光莉は嬉しそうにクスクスと笑う。

 相談相手が幾つなのか知らないが、彼女が50歳手前とは絶対に気づいていないだろうな、と須和はミネラルウォーターを口に含みながら、彼女に相談を持ち掛けただろう女性が、さぞや奇妙な違和感を覚えただろうなと苦笑する。

 

「良いわね、若いって」

 

「そうだね。若さは無謀もできる特権だ」

 

 僕も君とそんな恋がしたかったなぁ、と久々に須和は悔恨の念を胸の内で弄んだ。




次回からはまた仮想世界編です。

それでは82話でまた会いましょう!

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