SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

82 / 356
今回のエピソードは主人公ではなく、他のキャラに焦点を当てたものとなります。
全体的に派手さは余り無いかもしれません。


Episode12
Episode12-1 One day~ディアベルの場合1~


 午前5時半。ディアベルは今日も執務室で覚醒を果たし、アバターではなく現実の肉体ならば寝涎で酷い事になっているだろう顔面を叩く。

 今日もまた寝落ちか。最近は設けられた私室ではなく、執務室で目覚める事が多いディアベルは椅子から立ち上がると思いっきり背中を伸ばす。アバターである以上血行が滞ったり、筋肉が凝り固まることはないのだが、こうしてストレッチをした方が動きのキレが良くなることを経験則で知っているのだ。

 首を数回ゆっくりと回し、肩を上下させてじっくりと解したディアベルは石造りの四方と設けられた窓から注ぎ込まれる光を目にする。

 まずは日課だ。ディアベルはシステムウインドウを表示し、現在使っている片手剣である【エリンシアの剣】と盾の【金獅子の盾】を装備する。

 エリンシアの剣は刀身に妖精文字が刻まれた、魔法属性と物理属性のバランスが取れた剣だ。ロングソードよりも拳1つ分は長いリーチ、片手剣にしては平均的な重量、高い耐久値と、総合力に優れた片手剣である。その最大の特徴は隠し性能の【妖精の寵愛】であり、装備しているだけで秒間で自分とパーティ登録しているプレイヤーのHPを微量だが回復させる効果がある。その効果は目に見えるものではないが、塵も積もれば何とやらであり、決して馬鹿にできるものではない。

 金獅子の盾は形状がカイトシールドであり、ブルーコーティングされた上に黄金の獅子の横顔が描かれているものだ。高い魔法防御力と雷防御力を備えた盾であり、そのガード性能は大槌ならば1度はガードを崩される事無く耐えられる程である。一方で火炎防御力にやや不安が残るが、それでも対策がし辛い部類である雷属性に対して強いこの盾は極めて重宝する。

 どちらも個数制限が設けられたレア装備であり、最大限に強化されているものはディアベル以外に所持していないだろう。まさしく聖剣騎士団のトップに相応しい、最前線で活躍する為の武装である。

 ディアベルはふと壁に立てかけられた思い出の片手剣、レッドローズへと視線を移す。

 デスゲーム開始から相棒だったレッドローズだが、強化素材がなかなか得られない事も加わって今では第1線では活躍する事は無い。隠し性能のオーバード・ソードスキルは極めて有効なのだが、根本的な火力が不足している以上、こうしてオブジェクト化して思い出の品として調度品のように飾る以外の用途が無くなってしまった。

 脳裏に過ぎるのはシノンやクゥリと過ごした、デスゲームが始まったばかりの、右も左も分からぬままに、我武者羅にレベリングに励み、北のダンジョンを目指していた頃の日々だ。 

 あの頃は毎日が絶望であり、同時にひたむきに努力を重ね続けていれば必ず実りが得られる、前向きな苦悩の時間だった。そして、何よりも今のように立場から来る重圧や責務に双肩が潰されそうになる事も無かった。

 考えるのは止めよう。ディアベルは執務室を出ると、まるで中世の城のような廊下を歩む。

 現在、ディアベルが率いる聖剣騎士団は【竜の探究者ワズールの記憶】に本拠地を構えている。切り立った山々が連なり、敬虔なる竜を信奉する信徒のNPCが多いステージである。その中にある【古竜礼拝の聖堂】を買い取ったのである。

 古竜礼拝の聖堂は連なる山々という天然の城壁、そして周囲からの侵入が厳しい切り立った山の頂上に設けられている。外観はまさしく小さな城、そしてその荘厳さと古びた様は聖堂である。環境パラメーター次第では周囲が深い霧に覆われ、まるで雲海の中にある浮遊城のような姿になる。

 聖剣騎士団本部に至る方法は2つ。ギルドメンバーのみに許された転送装置を用いるか、古竜礼拝の聖堂と繋がったロープウェイを用いるか、山を登るかである。ただし、登山路は極めて足場が狭く、1歩踏み外せば落下死も免れない。加えて多数のトラップも設けられており、まず安全に頂上にたどり着く事は不可能である。また、古竜礼拝の聖堂の周囲には多数のバリスタや大砲が設けられており、万が一でも飛行手段で近づく者がいれば容赦なく撃ち落とせる。

 まさしく城塞。正しく難攻不落。現在は山をくり抜く形で、まるでアリの巣のように地下を拡大させている。日々買い込まれた食料や各種アイテムが貯蔵されている。

 元々は何ら武装も施されていない聖堂に過ぎなかったものを、莫大なコルと素材アイテムでここまで強化した理由はただ1つ、他ギルド……特に太陽の狩猟団やクラウドアースとのGvG……ギルド間戦争に備えての事である。

 ディアベルとしてはこれ程の過剰な防衛設備は逆に緊張状態を呼ぶと考えているのだが、日々激化するギルド間の軋轢と抗争は彼の理想を許さず、現実的な判断を強要している。まだギルド同士の直接衝突にこそ発展していないが、既に下部組織同士の諍いは日常茶飯事になり、傭兵を用いた狩場や占有ダンジョンへの威力偵察や襲撃も珍しくなくなってしまった。

 朝から頭を酷使するのは止そう。ディアベルは到着した中庭で深呼吸して、冷たく澄んだ空気を取り入れる。想起の神殿から転送可能なステージの大半は環境パラメータが現実の季節と連動していない。終わりつつある街は例外的に現実の季節と同じように四季が移ろうが、ワズール記憶は2週間に1回嵐が来るか否か程度しか環境パラメータの変動は無い。安定していると言えば安定しているのだが、山岳地帯……それも山の頂上ともなれば当然ながら気温も低く設定されている為、朝は肌寒く、夜は暖炉で暖を取らねばならない。

 中庭には転送用の黄金色をした炎を灯す剣が差してある。ギルドのホームハウスにのみ設置することができる転送用の金剣だ。聖剣騎士団のメンバーはこの金剣を用いて帰還する。そうでなければ、毎回手間のかかるロープウェイか命懸けの登山をせねばならないからだ。ただし、あくまで使用できるのは聖剣騎士団の正規メンバーだけであり、配下にある下部組織のギルドなどはゲストとして申請してからでなければ転送は許されない。蛇足だが、この金剣を設置するだけでも莫大なギルドポイントとコルを支払っている。

 剣と盾を構え、ディアベルは8体の大理石を思わす白い石像が立ち並ぶ場所でシステムウインドウを開く。

 

「訓練モードで起動。状況は対多人数戦。平均レベル35。防音レベル5。制限時間は300秒」

 

 ディアベルは口で設定内容を確認しながら、システムウインドウを操作する。すると石像が音を立てて動き出し、台座から跳び下りる。人間と同じ大きさをした石像の重量は中庭を揺らすには十分だ。それも1体のみならず、5体同時ならば尚更である。

 石像たちの手にそれぞれ槍、戦斧、戦槌、両手剣、ナックルを装備している。そして、メッセージウインドウで〈訓練開始!〉という文字の表示と同時に、ディアベルを囲んで動き出す。

 まずは槍持ちの石像が踏み込んで2メートルにも至る槍をディアベルの心臓に向かって突き出す。それを彼は盾の丸みがある表面で器用に受け流し、逆に右手の剣の剣先を地面に触れさせるギリギリのところから振り上げる。それは白い石像の表面を削り、内部にまで至らせ、白い破片を撒き散らす。だが、片手剣の一撃では石像のHPは削りきれない。

 背後から両手剣持ちが豪快に横薙ぎを放つ。それを寸前で盾で防ぎ、続いてナックル持ちの連続パンチを頭を左右に振って華麗に顔面コースのそれを回避する。続いて高々と飛び上がって急降下する戦槌持ちの落下攻撃に対し、≪片手剣≫の対空ソードスキル【エア・リフレイン】で迎撃する。直上跳躍と同時に半円を描く斬撃のソードスキルは戦槌持ちを深々と斬り裂いた。

 着地と同時に戦斧持ちが地面を抉りながら両手で持った戦斧で逆袈裟斬りを狙う。それをギリギリまで引き付けたディアベルは盾でパリィを決め、大きく隙が出来た胸部へと剣を突き刺す。そのまま薙ぎ払いへと派生させて背後から迫ったナックル装備の首を斬り、さらに槍持ちの連続突きに派生させる気だろう軽い初撃をシールドバッシュで跳ねのけて潰し、十分に周囲に石像が引き付けられていることを確認して、盾に隠された【古き竜のタリスマン】を手にし、腕を振るって十字を切る。

 放たれるのは奇跡の1つ【凝縮するフォース】だ。ダメージ無く周囲全方位を吹き出す奇跡の【フォース】、フォースに高い魔法攻撃力を付与すると引き換えに発動までの時間が長い【神の怒り】、それらに対して凝縮するフォースは発動が極めて速い。全ての魔力を消費し、使用した魔力とMYSの高さに応じて攻撃力と攻撃範囲を決定する。ただし、当然ながら1度しか使用できない事実上の1発逆転の切り札である。

 ディアベルを中心にしてフォースが解放され、再び彼に収束し、再度外部へと放出される。それはもはや白き極光であり、周囲3メートルを消し飛ばさせる。今のディアベルのステータスでは、せいぜい3メートル周囲が限界であるが、4体の石像はいずれも凝縮するフォースの範囲に誘い込まれていた。その破壊力に耐えきれず、石像たちは次々と白い破片となって砕け散る。唯一逃れていた両手剣持ちが怯むことなくディアベルに突進をしかけるが、1対1となれば地力が圧倒的に勝るディアベルに勝てるはずも無く、数十秒の攻防の末に撃破される。

 

〈訓練終了! お疲れ様でした〉

 

 メッセージウインドウが表示されると同時に、荒れた中庭が元通りに戻り、石像たちも復元されて台座で、先程まで動き回っていた事が嘘のようである。

 これら動く石像もまたギルドとして調達した訓練用設備だ。経験値やコルは得られないが、様々な実戦的な訓練を単身で安全に積む事ができる。

 と、一息吐いたディアベルの背後で拍手が響く。振り返るとそこには厳つい顔をした、ディアベルよりも一回り大きい、大男と評しても何ら問題が無いノイジエルが立っていた。鎧などを装備した万全の姿であるが、普段は素顔を隠す兜を今はギルドハウスという事もあって外している。

 

「さすがだな、団長。5体同時を無傷かつ50秒で捌けるのは貴方しかいない」

 

「世辞は良いよ、ノイジエルさん。貴方なら同じ条件で30秒かからないだろう?」

 

「もちろん。だが、無傷はどう足掻いても無理だ。俺の戦いは雑だからな」

 

 賛美するノイジエルは戦斧使いではDBO最強と目される男だ。この男の戦いが雑ならば、それ以下の戦斧使いは全員ヒヨコ以下という事になるだろう。ディアベルは剣を腰の鞘に仕舞いながら、彼に首を横に振る。

 

「実戦ではこうもいかないさ。プログラム通りに動く相手だから何とかなるだけだよ」

 

「団長が囲まれるような事態にはならんさ。それは聖剣騎士団が終わりの時だからな」

 

 ご尤もだ。ディアベルも戦いに参加こそするが、それはどちらかと言えば士気向上の面が大きい。彼の仕事は指揮であり、リーダーとして周囲に安心感を与える事である。仮にディアベルが包囲されるような事態に陥った場合、それは聖剣騎士団が壊滅の危機にあるに他ならない。

 とはいえ、ディアベルも単身で敵の集団に突撃する事は無い訳では無い為、こうした訓練は決して無駄ではない。

 少数精鋭主義として出発した聖剣騎士団は、大組織化した現在でもその方針を変えていない。1部の優れたプレイヤーが戦場で縦横無尽に暴れ回り、それを他の者達が補佐するというスタイルを取っている。必然、癖の強い者が多く、他人の指示など受け付けない我が道を行く者の比率は高い。ノイジエルは協調性が高い部類であり、部下と連携を取ることを第1とする聖剣騎士団の幹部、円卓の騎士でも稀有な人物だ。

 そんな我の強い連中を纏める為には、単に指揮能力が優れていたり、カリスマ性を備えて人気があったりするだけでは足りない。十二分に自身の実力を見せつけねばならないのだ。そういう意味でも日々の鍛練とレベリングは欠かせない。

 

「それよりも団長、たまには共に狩場にでも行かないか? 石像相手では腕を磨けてもコルも経験値も入らんからな。久しぶりに団長と肩を並べて暴れたいものだよ」

 

「誘いは嬉しいけど、今日は無理だね。予算の承認や目を通さないといけない報告書が山のようにあるんだ。それに、午後は太陽の狩猟団と会談がある。先日の病み村の1件についても話し合わないといけない」

 

 途端にノイジエルの顔色が渋くなる。当然だろう。ノイジエルは件の事件を体験し、多くの仲間を失った身だ。1部の者達からは事件の責任を取ってノイジエルを幹部の席から下ろすべきとの声があったが、円卓の騎士による多数決の決議により、大半が『どうでも良い』と消極的否決を出してノイジエルは幹部として留まることを許された。

 

「団長。俺はギルド間抗争など糞喰らえと思っている」

 

 腕を組んだノイジエルの唸るような声に、ディアベルは理解していると頷く。

 

「一致団結して攻略に全身全霊で挑み、1日も早い全プレイヤーの解放を目指す。そして、犠牲を最小限に抑える為に、突出した強き者たちが戦う。そうする事こそが多くの弱き者達を守る道。その理想に共感したからこそ、俺は聖剣騎士団に身を置いた」

 

「分かっている。分かっているよ、ノイジエルさん。でも、これは必要な事なんだ。ギルド間抗争は激化の一途を辿っている。『戦争』にも成り得る危険が迫っているんだ。折衝と交渉は必要不可欠なんだ」

 

「俺も相手が太陽の狩猟団でなければ同意するさ。だがな、サンライスはともかく、ミュウは信用ならん。奴は仲間の犠牲すら計算に入れて策を立てる非道にして卑劣! 確かに犠牲を許容せねばならない時があるが、それを前提にするなど言語道断! 最大の効果よりも最小の犠牲こそが聖剣騎士団の理念! 聖剣騎士団と太陽の狩猟団とでは、どう足掻いても『戦争』の未来以外に無い」

 

 ノイジエルは決して過激派ではない。むしろ穏健派だ。聖剣騎士団……いや、下部組織も含めた聖剣騎士団グループ全体で太陽の狩猟団と戦争を望む声は一定数ある。だが、それだけは穏健派筆頭とも言うべきディアベルとして避けねばならない最悪の展開だ。

 現在、3大ギルドによって辛うじて均衡が保たれているDBOは、何とか互いが妨害工作を繰り広げつつも攻略を推し進めることが出来ている。だが、仮にこのバランスが崩壊し、全面戦争ともなれば、悲願であるDBO完全攻略は大きく後退する。

 いや、それ以上にディアベルが危機感を抱いているのは、比較的静観を保っているクラウドアースだ。中堅ギルドの集合体であるクラウドアースは手広く様々な『事業』を行い、DBOにおいて絶対的な地位を確立してしまった。彼らはとにかくアイテムの加工や娯楽を始めとしたサービスの提供を充実させ、その勢力を確実に拡大させ続けている。

 聖剣騎士団と太陽の狩猟団による全面戦争。それさえもクラウドアースを取り纏める『あの男』の掌の上にある筋書き通りなのかもしれない。

 

「済まない、団長。貴方を困らせる気はない。だが、俺にはどうしてもカークの1件が単なる奴の『暴走』とは思えないんだ。何か……何か裏があった気がしてならない。カークは決して勝ち目のない馬鹿な戦を仕掛けるヤツではない。誰かがカークを支援していたはずだ」

 

 落ち着きを取り戻したノイジエルは背中を向け、そう言い残して去っていく。可愛がっていた部下を何人も亡くしたノイジエルからすれば、カークの1件で太陽の狩猟団に対して懸念以上の物を持たざるを得ないのだろう。

 過激派と穏健派、そしてどちらにも属さない中立派と無関心。穏健派として過激派を宥めるディアベルだが、今後のノイジエルの言動次第では貴重な穏健派の幹部が1人失われる事になるかもしれないと覚悟する事にした。

 その後、執務室に戻ったディアベルは報告書と対面し、1枚1枚に目を通していく。狩場の利用歴、モンスターからドロップするアイテム情報、鍛冶プレイヤーが作成・開発する様々な装備、また各ギルドの動向なども事細かく纏められている。

 

(予算が少し厳しいな。それにアイテムを溜めこみ過ぎだ。下部組織に回復アイテムを分配するか。終わりつつある街に残された下位プレイヤー達への支援も拡大させたいけど、炊き出しの妨害工作がこれで5回目か。工作をしたのはクラウドアースの関係者とあるけど、報告に主観が混じり過ぎている。傭兵を雇って再調査させた方が無難だな。あとは中立ギルドからの、利用価値が薄れた狩場の解放要請か)

 

 と、ディアベルの鼻に届き、珈琲の香りにディアベルは報告書から目を逸らす。いつの間にか執務デスクの上には、パンと目玉焼きとベーコンとサラダという、オーソドックスな朝食が並んでいる。もちろん、湯気を立ち昇らせる珈琲付きだ。

 

「やっと気づいてくれましたね」

 

 視線を上げた先には、以前のボロボロの灰色の魔女服とは異なり、白を基調として青のラインが入った、魔法使いらしい金細工品が施されたワンピースを着た少女が、盆を胸に抱きながら笑んでいた。

 

「声をかけてくれると嬉しいんだけどね、ユイちゃん」

 

「集中されていたみたいですから。声掛け辛くて……」

 

 それは悪いことをさせてしまった。報告書をどかし、早速ディアベルは朝食に手を付ける。

 パンはDBOでも限られた者しか食べられない程に高価な【白の宝パン】だ。白い生地とふっくらとしてモチモチの食感は、終わりつつある街で販売している味気のない固焼きパンとは比べるまでもない。ベーコンも分厚く、サラダも新鮮で瑞々しい。

 これらの食事だけで1200コル……いや、2000コルはかかっているだろう。計算を弾きだしたディアベルが食費を削って下位プレイヤーの支援費用を出そうと提案するより先に、ユイは微笑んだ。

 

「しっかり食べてください。ディアベルさんは、美味しい物を食べるだけの仕事をして、責務を果たしているんですから」

 

「ユイちゃんには敵わないな。分かったよ」

 

「分かってくれて嬉しいです」

 

 ユイをクゥリから預かって数ヶ月、彼女の身元を探らないで欲しいという要望となるべく前線から遠ざけて欲しいという嘆願を聞き入れたディアベルは、彼女に秘書のような真似を心苦しいがさせている。また、魔法の扱いにも長けている為、魔法使い志望プレイヤーの為のマニュアル作成や各種魔法の運用法、更には習得した≪錬金術≫を用いたアイテム開発なども任せている。

 戦闘プレイヤーとしても有能であるが、対人に関して疑う事を知らなさ過ぎる面があるユイは色々と見ていて危ういとディアベルも感じている為、彼女にはなるべくギルド本部に待機してもらっている。外部に出る時は必ず信頼できる者を付けるようにもしている。

 

(我ながら過保護かな。でも、放っておけないんだよな。妹に悪い虫が付かないように頑張るお兄ちゃんってこんな感じか)

 

 珈琲を飲みながら、ユイを妹に見立てるならば、自分はシスコンを拗らせつつある兄なのではないだろうかと自己分析しつつ、ディアベルは朝食を終える。

 

「ご馳走様。ところでユイちゃん、最近はどうだい? 何か困っている事とかあるかな?」

 

「いいえ。ディアベルさんが手配してくれた研究室は快適ですし、皆さん優しい方ばかりです。でも、外出の度に申請しないといけないのは……ちょっと不便です」

 

 不便と言うよりも不満だろう。今は黒生地の眼帯で覆われた、眼球自体が無い空洞の右目を撫でる仕草に、ユイがストレスを抱えている事に気づく。

 良くない傾向だ。ディアベルは話題を変じさせるキーワードを探すが、それよりも先にユイが動いた。

 

「あの、ディアベルさん。先日お話しした事なんですけど……」

 

 先日はどの辺りの事だろうか。ディアベルは記憶を検索し、すぐに彼女が何を言いたいのか見当を付けた。

 

「最前線に参加したい、という話かい? それは断ったはずだよ」

 

「でも! 私は誰よりも魔法の扱いに長けてます! レベルもコツコツ上げてます! 皆さんのお役に立ちたいんです!」

 

 ユイの主張は本来ならば歓迎すべきものだ。今のユイは確かに最前線で通用するレベルではないが、彼女のような魔法特化プレイヤーは後方支援として重宝する他、ここぞという時の瞬間火力を出す大砲役としても活躍する機会はある。

 だが、魔法特化プレイヤー故の脆弱さもある。後方支援を狙うのは戦術と戦略の基本だ。魔法特化プレイヤー故の近接戦闘経験の不足とスキルの不十分は危うい。1度のミスが死に直結するかもしれない最前線に彼女を引き入れるのは、クゥリとの約束に反するのだ。

 

「ユイちゃん。キミの願いはお父さんとお母さんを探す事だろう? それは最前線じゃなくてもできる事のはずだ。キミに貰った似顔絵を使ってご両親は捜索している。だったら、キミがすべき事はご両親を迎える準備をしてあげる事じゃないのかな」

 

「……でも、私、嫌なんです。このまま、甘えたままなのは、嫌なんです」

 

 なるほど。それを気にしていたわけか。ディアベルは思わず額に手を当てそうになる。

 恐らくユイは自分が役立たずでありながら聖剣騎士団に居座っていると思い込んでいるのだろう。

 実際には、ユイがもたらしている利益は凄まじい。彼女の知識を編集して作成した魔法マニュアル本は今やDBOにおいて魔法を習得する者の基礎となり、発行する聖剣騎士団の名声を高めている。また、新しい魔法が発見される度にユイはその運用法や戦術への活用、弱点やその克服手段などを考案してくれている。これらだけでもユイは十分に聖剣騎士団で『保護』している価値が外聞的にはあるのだ。

 

「ユイちゃんは聖剣騎士団のメンバーじゃない。あくまで聖剣騎士団が保護しているだけなんだ。だから、キミを伴って最前線に行く事はできないんだよ」

 

「だ、だったら、私をメンバーにしてください! 必ずお役に立ちます!」

 

「……どうして、そこまで最前線に拘るんだい? ユイちゃんにはユイちゃんにしか出来ないことがある。もしかして、最前線に行けば……誰よりも危険な場所で戦えるくらい強くなれば、クーが会ってくれると思っているのかい?」

 

 途端にユイが言葉に詰まる。やはり図星か、とディアベルは彼女の中で燻り続けるものを思い出す。

 ユイを引き取った日、クゥリは彼女の呼びかけを無視して去って行った。クゥリとユイがどのようにして出会い、どのような時間を過ごしたのかは知らないが、あの後のユイの落ち込みは見ていられないものだった。

 

『私が……私が役立たずだから、捨てられたんですか? 私が……私がクーさんを怖がったから……私の心が弱かったから……見限られたんですか?』

 

 膝を抱え、部屋の隅で涙を流すユイに、ディアベルは【渡り鳥】に関する全てを教えた。それを聞いて以降、ユイは積極的にディアベルの仕事を手伝い、また自分に何ができるのか請うようになった。ディアベルも無償で保護しているだけでは彼女にあらぬ噂が立つと思い、快く協力の申し出を受諾したが、あの時にユイから感じた不安を忘れていない。

 

「クーがユイちゃんに会いたがらないのは、彼なりに理由があるからなんだ。決してユイちゃんが嫌いだからじゃない」

 

「そんなの……分からないじゃないですか!」

 

「分かるよ」

 

「たとえ……たとえ、ディアベルさんには分かっても、私には分かりません!」

 

 くるりと反転してユイは駆け出していく。再び1人になった執務室で、ディアベルは思わずクゥリを呪いたくなった。気分はまさに思春期の妹の扱いに苦悩するお兄ちゃんである。

 

(ユイちゃんは多分……クーに好意を抱いている。それが異性に対するものか、それとも人としての好意か、それは分からない。でも、とにかくユイちゃんはクーと会いたがっている。そして、今のままじゃ会えないと怖がってもいる)

 

 厄介だ。厄介極まりない。ディアベルがどう助言しても解決しない。だからと言って、クーは絶対にユイと面会しようなど考えないだろう。

 今晩もクーと想起の神殿で会う約束をしているのだが、いっそユイを同行させてしまおうかとディアベルは黒い思案を思わず浮上させるも、すぐに善性の理性でそれを抑え込んだ。

 頭を抱えるディアベルは、それでも職務を遂行せねばならないという使命感で報告書の山と黙々と向かい合い続ける。

 やがてノックが響き、執務室に新たな人物が入って来る。30代後半だろう、痩せ型で七三分けが似合う男だ。

 

「失礼します、団長。そろそろ太陽の狩猟団との会談のお時間です」

 

 この男性プレイヤーの名はラムダ。ユイよりも後に聖剣騎士団に加入した身でありながら、その実務能力で『文官』として実力主義の聖剣騎士団で能力を認めさせ、最前線で戦えないプレイヤーでありながら、幹部席たる円卓の騎士に『参謀』として加わっている男である。

 ラムダはそれまでディアベルがほぼ1人で四苦八苦しながらこなしていたギルド内政の半分……いや、7割を引き受けた。それまで少数精鋭主義の弊害、トッププレイヤーを多く抱えるが故に胡坐を掻いて組織運営を怠っていた内政担当のプレイヤーを次々と解雇して人事を一新し、更に躊躇していた傭兵雇用を迷わず始め、他の大ギルドに遅れる形ではあるが、傭兵とのパートナー契約を結ぶ事を推進している。

 他の2大ギルドに比べて武力はともかく組織力に劣っていた聖剣騎士団が何とか肩を並べられるようになったのもラムダの活躍があってこそである。今やディアベルの内政の仕事は主に予算の承認と報告書の確認である。

 

「分かった。すぐに準備するよ」

 

 ディアベルは鎧を装備し、腰に聖剣騎士団の象徴とも言うべき片手剣であるレッドローズを差す。オブジェクト化されている為武具としては役に立たないが、この剣にはその溢れんばかりの打ち立てられた功績がある。言うなれば権威そのものなのだ。特に腐敗コボルド王戦におけるディアベルの活躍は、今も語り草になっている。

 

「団長、今回の会談の連中の目的はカークの1件の責任を我々に追及する事にあります。ですが、カークは我々を『裏切った』男です。擁護は必要ありません」

 

「……カークさんからすれば、『裏切った』のは俺たちの方だ」

 

 ディアベルとカークは約定を交わしていた。病み村には一切手出しをしないと引き換えに、病み村で取れるレアアイテムを提供する。ディアベルはそれを受け入れ、カークの聖剣騎士団の離脱も黙認した。

 この事を知っているのはディアベルとラムダだけだ。カーク離脱の事が明るみになれば、何処ぞのギルドがカークの行動を勘ぐり、病み村の利権を求めて行動を移すか分からなかったからだ。幸いにも病み村への侵入ルートは秘密裏に聖剣騎士団が確保できていた為、カークが勝手に離脱したという事にして事態を謎に包まらせて終わらせられれば良かったのだ。

 だが、不運にも第2の侵入ルートが発見され、太陽の狩猟団が攻略部隊を派遣した事によって事態が一変した。このまま静観すれば、病み村は太陽の狩猟団に独占されてしまう。ラムダはノイジエルを中心とした攻略部隊の結成をディアベルに申請した。

 

「団長、貴方は正しい判断を成された。あのまま指を咥えて見ていれば、我々は病み村の全てを失っていた事になります」

 

「だけど……カークさんを切り捨てた。言い訳はできない」

 

「犠牲者が既に出ていました。あのまま傍観者に撤していれば、聖剣騎士団は身内から出た錆も始末しない無責任者と罵られていた事でしょう。あの女狐ならば、それくらいの情報操作はお手の物でしょうな」

 

 唾を吐き捨てるようにラムダはミュウの悪態を吐く。それを咎めるようにディアベルは睨むが、彼は僅かに声のトーンを落とすだけだ。彼の役割はディアベルを補佐し、そして聖剣騎士団を滞りなく運営する事にある。その為ならば、ディアベルからの評価などまるで意に介さない。

 

「団長はお優しい方です。それはリーダーとして人を惹きつける素質ではありますが、交渉の場では不要なる弱さです。女狐との化かし合いはこのラムダにお任せください」

 

「……程々に頼むよ、ラムダさん。俺たちは分かり合えるはずだ」

 

「無理ですな。彼女が狐ならば、私は狸ですので」

 

 応接室の扉が開かれ、ディアベルはそれまでのラムダとの刺々しい会話を洗い流すような笑顔を浮かべる。

 

「お待たせしました、サンライスさん」

 

「フハハハハ! まるで待ってないぞ、ディアベル!」

 

 応接室で足を組み、ゆったりとまるで我が家のように寛いでいるのは、『豪快』という単語をそのまま表したかのような、やや暑苦しさが際立つ男、サンライスである。壁には彼の勇猛の象徴である、STR重視の重量型の槍が立てかけられている。

 そして、サンライスの背後には彼の腹心にして副団長であるミュウが、悪意も敵意も感じさせない笑みを浮かべて立っている。

 サンライスと向かい合う形で椅子に腰かけたディアベルの背後にはラムダが立ち、鼻をひくひくと震えさせる。

 

「まずはディアベル! 先日のカークの件だが、真に残念な限りだ! 我々太陽の狩猟団は聖剣騎士団を何ら糾弾する気はない! まずはそれを理解してもらいたい!」

 

 なるほど。まずはラムダの読みが1つ外れた訳だ。ディアベルは内心でラムダの計算が狂っただろう事を想像し、また彼が軌道修正できる時間を稼ぐべく、侍女NPCが持ってきた珈琲をゆっくりと口にする。一方のサンライスは同時に出された菓子を口にし、目を丸くした。

 

「なんだ、コレは! まるでどら焼きではないか! いやー、さすがは聖剣騎士団! 充実しているのは戦力だけではなく≪料理≫のレシピもというわけか! フハハハハ! これは恐れ入った!」

 

「聖剣騎士団印として販売予定です。良ければお土産で1箱準備しますが?」

 

「それは素晴らしい! ミュウ、やったぞ! お前の大好きな和菓子をゲットだ! フハハハハ! 実はな、このミュウって女は澄ました顔して洋菓子が大の苦手なのだ! いつもいつも無理して恰好付けて食べているのが可哀想でなぁ!」

 

 部屋全体が震えるような大声のサンライスに自分の事を暴露され、ややミュウの頬が羞恥で赤くなる。そして、彼女は1回咳を入れ、和やかに始まりそうだった談笑を切った。

 

「ですが、今回のカークの件で『何者か』が背後で糸を引いていた事が我々の調査で判明しました。そこで、サンライス団長は共同調査をご希望なされています」

 

「なるほどなるほど。それは我々としても願っても無い申し出ですな」

 

 ディアベルの代わりにラムダがねっとりとした蛇の舌のような声でミュウの言葉を引き取る。

 

「私としてもカークを『何者か』が秘密裏に支援していたと思っています。今回の1件の落とし前はきっちりと着けねばなりませんな。その『誰か』には」

 

 ラムダとミュウの間で笑顔が交差する。その間でサンライスは会談などそっちのけのようにどら焼きを堪能し、もう1人の間に挟まれた身であるディアベルの胃は痛み出す。

 まだ会談は始まったばかりだ。そして、今日という日もまだ正午を過ぎたばかりである。




まずはディアベルのターンから。
それぞれのキャラで1話から2話程度消費する予定です。

それでは、83話でまた会いましょう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。